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AN10140874 v24 p67-74

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Nara Women's University Digital Information Repository
Title
日本仏教における肉食妻帯問題について-その実態の歴史的変化と思
想的特徴-:内容の要旨および審査の結果の要旨
Author(s)
PHAM THI THU, GIANG; 小路田, 泰直; 舘野, 和己; 西谷地, 晴美;
山辺, 規子
Citation
博士学位論文 内容の要旨及び審査の結果の要旨, Vol. 24, pp. 67-74
Issue Date
2007-08
Description
博士(文学),博論第334号,平成19年3月23日授与
URL
http://hdl.handle.net/10935/1740
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2014-10-20T10:56:44Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
氏 名 (本 籍 )
PHAM THITHU GI
ANG
学 位 の 種 類
博士 (
文学)
学 位 記 番 号
博課第 3
3
4
号
学位授与年 月 日
平成 1
9
年 3月2
3日
学位授与 の要件
学位規則第
(ベ トナ ム)
4条第 1項該当
人間文化研究科
論
文
題
目
日本 仏 教 に お け る肉 食 妻 帯 問 題 に つ いて
- そ の実 麿 の歴 史 的 変 化 と思 想 的 特 徴 -
論文審査委員
(
委員長) 教授
助教授
小路 田 泰 直
教授
西谷地 晴 美
教授
舘 野 和 己
山 辺 規 子
論文 内容 の要 旨
木研究 はベ トナム人である論文提出者が、来 日して初めて知 った、 日本の僧侶には妻がいるという
現実に駕博 して始めた研究の集大成である.その場合彼女の優れていた点 は、その僧侶の肉食妻帯を、
日本仏教 の堕落 とは捉えなか ったところである。む しろE
l
本仏教 の特色 と捉えたところである。「も
しも日本の仏教が堕落仏教 ならば、 日本の歴史の中で仏教が大 きな役割を果た し、その社会 に定着 し
て、その文化に重大1
j
:
貢献を している事実をどのように考えればよいのだろうか。」 (p 1) との反問
が彼女にはあった。 したが って彼女の問いは 「
仏教 における戒律の重要な意味をよ く認識 している僧
侶が、 どんな信念で妻帯す るようになったのか」 (p l)、 その理由の解明ということになった。
そ してそ うした問いをたてて研究史を見渡 したとき、彼女の目に映 ったのは、意外なほどの、僧侶
の肉食妻帯問題 についての研究の少なさであった。 そのテーマが、仏教関係者だけでな く、研究者 に
よって も事実上 タブー視 (
中村生推氏の表現) されている現実であった。確かに喜田貞吉の先躯的研
究をは じめ、中村生堆氏や平雅行氏 らの研究 はある。特 に平氏の研究は顕密仏教の高僧や出家後の法
皇の妻帯をとりあげ、中世仏教 において妻帯が 日常化 していたことを説いた、従来の常識に大 きな転
換をもた らした研究であ った。 しか しそれ らは、どこまで も中世仏教の問題 として肉食妻帯の問題i・
とりあげているにとどまり、どうして肉食妻帯が現代 に至 るまでのE
j本仏教の特故になったかまでは
解 いていない。
それを解 くのか、本研究の課題である。 したが って本研究 は、「
適史的に僧侶の肉食妻帯問題 を考
案す ることを通 じて、なぜ 日本仏教、 そ して E
l
本社金 にB・
いて僧侶の肉食妻帯が常軌 こなったのか と
_
⊥
い う問 いを追求 して」 (p 3) い くことを課題 とす る。
構成 は次の通 りである。
序章
E
l
本仏教 の肉食妻帯問題 をと う見 るべ きなの
第-章
日本仏教 における妻帯問題-
古代 ・中世 ・近世 の実態 と歴史的変化
第-節
古代仏教 における破戒問題
第二節
中世朝廷 と僧侶の妻帯問題
第三節
江戸時代の寺院法度 と僧侶の破戒問題
第二章
日本仏教 と浄土臭宗の肉食妻帯問題-
第-節
即身成仏論及び親鷲思想 との関連
第二節
近世仏教の肉食妻帯問題 の研究史
第三節
西吟 と鉄 眼 との肉食妻帯論争
第 四節
肉食妻帯問題の継承 と展開
策三幸
その人間観 と仏教観
明治初期仏教 における肉食妻帯問題
第-節
太政官布告第-三三号の誕生 と歴史的経緯
第二節
掲雪爪 と僧侶の肉食妻帯解禁 の提案
第三節
太政官布告第-三三号 に対す る仏教界の反対運動
第四葺
宗制成立期 における肉食妻帯問題
第一節
求 め られる新僧侶像 と肉食妻帯論 の動 向
第二節
宗制成立期 における肉食妻帯論
第三節
田中智学 の仏教夫婦論
終章
肉食妻帯 と 「日本仏教」 の成立
輪論
近世真宗 における月感 ・西吟の騒動 につ いて
第-章 で は、 まず 日本 においては古代以来破戒僧 が如何 に多か ったかが、克明 な史料批判 を踏 まえ
て明 らかにされて いる。
古代 においては、国家 はまだ 「官僧」 の破戒女犯 を取 り締 まろ うと していたが、 それ とて も、「
持
戒 の者 は少 な く、速成 の者が多 い」 (p 9)現実 を、逆 に映 しだ してい るに過 ぎなか ったO それが中
世 にな ると僧侶の妻帯 は半 ば公然 たる ものにな ってい った。僧侶の通産 をめ くって、妻子 と弟子が相
続争 いをお こす ことも、珍 しくはなか ったo 「
骨 肉」 が嫡弟 にな った場合、 それを狭 い意味で真弟 と
呼んだが、 その其弟が、公然 と認知 され、寺院 をっ くよ うにな ってい った。 さ らには上皇 たちは、出
家 し法皇 にな った後 も、当然の ことのよ うに子供 をつ くったO最初 は密やかに、やがて院政期 にな る
託
耳
と公然 とDそのことが社会に与えた影響 は大 きか ったO
ただ織豊政権を経て江戸時代になると、肉食妻帯 は厳 しく規制 されるようになったO宗派毎 に出さ
れた寺院法度 によ ってその規制は行われたoあるいみで歴史上初めて、女犯妻帯 は破戒行為 と して厳
しく取 り締 まられたのであるo Lか し浄土真宗だけは例外であった。浄土真宗において出された寺院
法度 は肉食妻帯を認めていたのであるC それが教義 に基づ くものだったか らであった。
以上が第一章である。
次いで第二葺では、肉食妻帯 を積極的に容認 した教義 (
考え方)の系譜が明 らかにされている。古
代、中世、 とりわけ中世 において、肉食妻帯が蔓延 していた。 しか しだか らといって仏教教義 におい
て肉食妻帯が認め られていたわけではない。 ということは、それを公然たる慣習 にするためには、や
はりそれを教義上肯定す る思想の長 い系譜が必要であ った. その系譜を追 ったのが本章であるD
肉食妻帯論の源流はそもそも空海や最澄の即身成仏論の中に歴胎 されていた。言 い方 は違え 「
凡夫
の即身成仏」 (p2
9
)を説 く以上、「仏教の禁欲戒律 と僧侶の本来の人間性 との矛盾に対 してどのよう
に対応」 (p2
8
)すべきかは、 日本仏教の僧侶 たちが、ひとしく負わな くてはならない問いであったC
そ してその問いに最初の答えを与えたのが F
往生要集Jの作者源信であったO
「
「
生が苦悩の始 まり」
という従来の仏教の基本的思想」 を逆転 させ、「
浬葉 .浄土 より、現世の喜び」 (p3
0
)を説 いたので
あるo それは肉食妻帯の肯定への大 きな前進であ った。 そ してその答えをさらに発展 させ、完成 させ
たのか、法然 と親鷲であったO彼 らは、「
衆生 を 「
平等」 に往生 させ るため、難 しい修行 を捨てて易
1
) ったが、 その帰結 と して、人 々の 「
悪」を肯定 したのであるO親鷲 にいたっ
しい修行 を取」(p3
て肉食妻帯の梗極的肯定 にうって出たのである。
ではその親鷲 において極限の姿を里 した女犯妻帯論 は、その後誰 によって受 け継がれ、現代 につな
がる考え方 に変容されたのか。江戸時代初期の西本願寺の僧西吟によって受 け継がれた。
西吟は破戒僧 に対する批判が強まり、妻帯 を禁ず る寺院法度が次々と出される江戸時代初期の社会
において、 なお親鷲以来の肉食妻帯論 を堅持するために、「
色欲 は人間の 「
好む ところ」であ り、止
めようとして も止 めがたい ものである」
o従 ってそれを 「む りや り止 めさせればよ り悪 いことを行 う」
(p37
)
。だか ら肉食妻帯は認めるへきだとの、社会の破戒批判 と妥協可能 な肉食妻帯 -必要悪論 を説
いたO さらには 「
和光同塵」論を展開 し、肉食妻帯 も仏法の最終 目的を遂げるための方便だとして合
理化 した。「
真宗の僧侶 は 「
和光同塵」による衆生救済を基本 としているため、お寺を賑やかな所 に
建て、世俗の人々と同 じように飲食 し妻帯す ることによって、彼 らに近づいて布教す る」 (p4
1
)
、だ
」「色欲」を 「妻帯」 という言葉 に置 き換え、そこか
か ら肉食妻帯 は必要だとOだか ら西吟 は、「
女犯
ら不道徳的雰囲気を取 り去 ったのである。
当然、西吟の考え方 は、月感や鉄眼 (
黄葉宗)など真宗内外の僧侶か ら激 しい批判 を受けることに
なった。月感か らは非原理主義的だとして批判 され、鉄眼か らはまさに破戒の勧めだといって批判 さ
_
斗
れたO補論 「近世真宗 における月感 .西吟 の騒動 につ いて」 はその月感 との論争 についての分析であ
る。
しか しこの西吟 による肉食妻帯論 の現実化 があ ったれは こそ、 肉食妻帯 は浄土真宗 の風儀 と して公
認 され、知空な どの理論的後継者 も得 て、近代 日本仏教 に受 け継 がれたのであ る。
以上が第二章である。
そ して第三章 では、明治維新後 、1
87
2
年 に出 された太政官布告第 1
3
3
号 (自今僧侶肉食妻帯勝手 た
るへ きことD但 し法用 の外 は人民一般 の服 の着用苦 しか らざること)を きっかけに、 肉食妻帯が員宗
の風儀か ら日本仏教 の風儀 に発展 して い く様が取 り上 げ られ、分析 されているO
まづ、件 の太政官布告第 1
3
3
号 が、開国 した以上早 晩 キ T
)ス ト教 に布教 を認 め るのは当然 の措 置
一
一-但 し解禁 を急 く
・
べ きではないが-
ととらえ、 キ リス ト教 に対抗す るためには廃仏S
'
L
釈 をやめ、
「内教」の中心仏教 を盛 んにす る しかないが、 そのためには 「行ふ可 らざ る法を以て行ふ能 はざ る人
に施す、之れ徒法のみ」(p5
7
、服部壮夫 r褐雪爪伝j1
9
3
8
年 よ り)、僧侶 の無能化 と堕落 を止 め るた
めにむ しろ肉食妻帯 を公許すべ きだ と明治政府 に献策 した、勤王僧確雪爪良) に仕え、大久保利通 らとも親交 のあ った-
幕末期福井港 (
松平春
の考え方 に基づ くものであ った ことが明 らかにされ、
次 いで、 その太政官布告第 1
3
3号が、明治初年如何 に激 しい僧侶 たちの反対運動を惹起 したかが詳細
に速へ られているD
しか し、第四章では、 その さ しもの反対 にあ った肉食妻帯が、明治3
0
年 ごろか ら、今度 は急速 に日
本仏教の風儀 と して定着 して い く有様が述べ られている。 そ して筆者 はその転換 の契機 を次 の三つの
出来事 に求めて いる.-つは、1
8
7
9
年僧侶 に兵役 の義務が課 せ られ た ことQ二 つ 目は、1
8
8
9
年 の衆議
院議員選挙法の制定 にあた って、僧侶 に被選挙権が与 え られなか った ことo三つ 目は1
87
8年、内務省
番外達 によ って、政村 は肉食妻帯の禁 を解 くだ けで、実際肉食妻帯 をす るか しないかは各宗派の自治
にまかせ る旨の表明がな されたことの三つであ った。
しか しそれに して も明治3
0
年代以降、肉食妻帯 の禁 を解除す る動 きが、仏教各派の内部 で高 ま った
理 由は何だ ったのかO それ は後継者教育問題 を解決す るためであ ったO当時すでに 「
遺伝」 を重視 し
な くては、後継者の確保が困難にな り始めていたのであ るo
さらには田中智学 のよ うに 「どんな宗教 もとんな学説 も人々のためでなければ支持 されないだろう」
。
とい うことは仏教 も 「
人事 ノ最大要節」であ り 「道義 ノ根源」 であ る 「夫婦関係」 の構築 に積極的 に
関わるべ きであ る (p8
7
) とす る 「僧侶夫婦論」のよ うな考え方 も出て きたか らであ ったo
以上が第 四葺 であ る。
そ して以上 の ことが、最終章で再整理 されているのであるO
、
論文審査 の結果 の要 旨
「内容の要 旨」で も述べたように、本研究 はベ トナム人である論文提出者が、来 日 して 日本の僧侶
の肉食妻帯の風 に接 して驚博 したところに端を発す る研究であるo従 って、本研究の根底には、 ベ ト
ナム人 としての筆者の主体性が厳 と して存在す る研究であ り、決 して 日本人の研究の模倣ではない。
その意味で、「
外国人留学生の研究」 とい う限定を付 して見 るべ き研究ではないo
Lか も、重要な点 は、本研究が取 り上げた日本仏教 における肉食妻帯の歴史 は、 これまで 日本史研
究者 によっては、全然 という意味ではないが、あまり取 り上 げ られて こなか った、中村生雄氏の言 に
よれば一種 タブー視 されてきた研究であったとい うことである。ベ トナム人 という筆者の主体性の介
在如 しには、容易に生 まれ得 なか った研究だとい うことを予め指摘 しておきたいO
さて今 E
]「E
]
本仏教の風儀」 とで もいうへ きものになった肉食妻帯の習慣を、 E
]
本仏教の腐敗堕落
か ら説 いたのでは面 白 くないo そうした説 き方 な ら辻善之助 も行 っているC筆者 は、それを、 E
]
本仏
教の腐敗堕落の証 としてではな く、特色 と して捉えるo Lか も非常に優れた特色 として捉えるD
ではなぜその特色が生 まれたのか。 これまで、 E
l
本仏教 における肉食妻帯の現実を、古代、中世に
まで遡 って明 らかに した研究 はあるO平雅行氏の研究などがそれだd Lか しその特色がなぜ生 まれた
かまでは、必ず しも明 らかに してこなか った。 それを筆者 は、 日本仏教の歴史に重 きをな した空海 と
最澄の思想か らとくO
説 き方 は違え、空海 も、最澄 も凡夫 にも即身成仏 は可能 と説 いた。凡夫にとって肉食妻帯 は必然で
ある。だとすれば、凡夫にも即身成仏 は可能だといった時点で、即身成仏のための戒律の遵守 と、肉
食妻帯の調和 は、 あらゆる仏教徒 (
顧密仏教 に属す る仏教徒) にとって目指 さな くてはt
j
:らない、必
然的な方向ということになった。
だか ら空海、最澄が登場 した以上、肉食妻帯 は、 日本仏教 にとって必然の 「
風儀」 となったのであ
る。
但 し必然 は、ではI
j
:
ぜ戒律を重ん じる僧侶が肉食妻帯 して もいいか、それが論理的に説明されない
限 り、逸脱 (
破戒)現象の多 きとして しか現れなか ったOでは誰が、その調和 しがたいものの論理的
調和をはか ったのかo
筆者 はまず F
往生要集」の作者-
そ して浄土信仰の拡大に寄与 した人-
恵心僧都源信 を取 り上
げるo
「
「
生が苦悩の始 まり」 とい う従来 の仏教 の基本的思想」 を逆転 させ、「産奨 ・浄土 より、現世
の喜 び」を説 いた点に、その思想的画期性を見 るO まさに源信において、 この世における人の人 と し
ての営みが、価値的に肯定 され る土壌が生 まれたと考える。
_
4
そ してその源信によって切 り開かれた、 この世に生 きる人の人間性の肯定を、極限にまで推 し進め、
女犯 ・妻帯の肯定にまで突 き進んだのが親鷲だと しているO親鷲に空海 ・最澄が投げかけた問いに対
する、最終的解答者を見出 している。
しか し、戒律を重ん じることと、肉食妻帯は所詮 は矛盾だ と感 じる人の常識には、なかなか抗 いが
たいものがあった。鎌倉時代の高僧明恵などは、その常識の側を代表 した,織豊政権期か らi
I
:
戸時代
にかけて、僧侶の肉食妻帯を、破戒 として非難する雰囲気は高まった。それが江戸時代の初期 には諸
宗寺院法度 と して結実 した。
親鷲において思想的にはピークに適 した肉食妻帯論 は、当然のことと してこの常識 との長 い葛藤を
経なければ、定着 しなかった。
では誰がその葛藤を引き受けたのか。 その葛藤を引 き受けた代表的人物が、江戸時代初期の真宗西
本願寺派の学僧西吟であった。彼は親鷲のような、女犯 ・妻帯を人の人間性 として積極的に肯定する
といった刺激的な戦略はとらなか った。 む しろ逆 に、「
色欲 は人間の 「
好むところ」であり、止めよ
うと しても止めがたいものである」
。従 ってそれを 「む りや り止めさせればより悪いことを行 う」
。だ
か ら肉食妻帯は認めるへきだとの、肉食妻帯-必要悪論をとったのであるDそれは月感のような真宗
原理主義者か らは激 しい反発を受けたが、戒律の強制が厳 しか った江戸時代を、真宗が肉食妻帯の肯
定を維持 したまま生 き延びる、大 きな原動力になったのであるO
筆者 は、 この西吟の肉食妻帯 -必要悪論に、近代の肉食妻帯論につながる直接の思想的源流を見出
す。そ して近代に入 ると、その肉食妻帯-必要悪論が、浄土真宗の枠組みを越えて全面的に展開 し始
めると考えるのであるD
キ リス ト教 の流人 に備 えて 「内教」 を盛んに しよ うとす ると、仏教を活性化 させ る しかないが、
「
行ふ可 らざる法を以て行ふ能 はざる人 に施す、之れ徒法のみ」 と、僧侶の無能化 と堕落を食 い止め
るためには、む しろ肉食妻帯を公許すべ きだと説 いたのは沌雪爪であるが、そもそも肉食妻帯を認め、
寺院の実子 による相続を認めない限 り、仏教を維持 してい くに必要な人材の確保は難 しいとの理由か
ら、肉食妻帯肯定論を主張する者が、明治3
0
年代以降、浄土真宗以外にもどんどん と増え始めた。 そ
8
7
2
年の太政官布告第1
3
3
号であり、僧侶の徴兵、僧侶への被選挙権非付与であっ
の増加を促 したのが1
た。
これ も肉食妻帯 -必要悪論の土壌があれば こそのことと、筆者 は考えるO但 し必要悪論だけでは肯
定論は完成 しない。当然 もっと積極的な肯定論が必要だ ったOではそのための提言 は誰 によってなさ
れたのかoそれが 「
人事 ノ最大要節」であり 「
道義 ノ根源」である 「
夫婦関係」の構築 は仏教徒の義
務で もあるとい って肉食妻帯を肯定 した田中智学の思想であったO筆者の視線 はそこまで及んで、終
わ っている。
以上、本研究の意義 は明瞭であるD箇条書 きにす ると以下の通 りである。
-
① 以上の要約では触れなか ったが、 これまで十分に明 らかにされて こなか った、 日本における
僧侶の肉食妻帯の実態を古代、中世、近世、近代の全時代にわたって明 らかに したこと。
②
日本仏教がなぜ肉食妻帯の肯定に向かったのか、その思想上の必然を、空海、最澄の言説 に
遡 って明 らかに したことO親鷲の言説に止めなか ったこと. さらには、その肯定を支えた思
想の歴史的変遷を明 らかに したこと。
③
とりわけ近世、近代における肉食妻帯肯定論の発展を、初めて体系的に論 じたこと。
④ 通史を描 くという伝統をもたない日本史学界にあって、一つの視点か ら通史を描 ききったこ
と。
当然、本研究 は、今後、同様の問題に関心を抱 いているや中村生雄氏や平雅行氏をは じめ多 くの仏
教史研究者か ら激 しい批判を-
好意的な批判 も敵意 に満 ちた批判 も-
受けるだろうと予想 される。
しか しそれは本研究が、 日本仏教史研究 に新たな地平 (
パ ラダイム)を切 り開いた証拠であるように、
我々には思える。
確かに本研究には、い くつかの不十分点 もある。
一つは、 これはあらゆる思想史研究に必然的に伴 う不十分点だが、 とりあげられた思想家の数の限
界であるD分析すべ き思想家の数 はもっと多いはずであるo果た して空海、最澄、源信、法然、親驚、
明恵、西吟、知空、
'招雪爪、E
E
沖 智学 e
t
cだけで分析すべ き思想家の数 は足 りているかということは、
常 に問われるO思想家の数の限界は確かに不十分点なのであるO
とりわけ、空海、最澄以前の思想家の分析が欠 けていることは、本研究の重要t
j
:
欠落だと考えるo
なぜならば、 日本 における仏教興隆の原点に位置する聖徳太子 は、出家者ではな く在家者であったか
らである。当然妻帯 していた。肉食妻帯肯定の思想的起源は、 もしかすると空海、最澄以前に存在 し
たか もしれないか らである。
今一つは、親鷲が登場 しなが ら、そ して僧侶の肉食妻帯の現実 は掃いて捨て るほど存在 していなが
ら、中世か ら近世 にかけて、肉食妻帯を破戒 として批判する常識が、なぜ容易に解消 しなか ったのか、
その理由が明 らかにされていない点である。 それどころか、織豊政権以降になると、改めて肉食妻帯
の禁が、諸宗寺院法度 などによって強化 される、その理由が解かれていない0
第三点 は、西吟 ・知空 と招雪爪 との問に横たわる大 きな断絶が、文脈をもって意味づけ られていな
い点である。 それは前近代の肉食妻帯 と近代の肉食妻帯を連続的に捉えよ うとす る筆者の意E
g
r
を実現
する上で、大 きな障碍 となっている。
しか しこれ らの不十分点 は、一回の研究 にその克服を求めるべき不十分点ではない,筆者の生涯の
研究 に、それを求めるべき不十分点である。従 ってその存在が、本研究の価値をおとしめるものでな
いことは当然である。
先 にも述べたように、本研究 は、 これまでその事実す ら殆 ど知 られて こなか った、 日本仏教におけ
_
⊥
る僧侶の肉食妻帯を、事実の レベルで発掘 しただけでな く、論理の レベルで もその必然 を明 らかに し
た、画期的な研究である。 日本仏教史 に新 しい視点を導入 したという点で高 く評価 されるべき研究だ
と思 う。
従 って、本審査委員会は、本申請論文が奈良女子大学博士 (
文学)の学位を授与す るに十分な内容
を備えているものと判断する。
」
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