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ROTARY·NO·TOMO
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1968
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職業病 と労務管理
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THE ROTARY NO― TOMO
NOV VOL.16 NO.11
The Official Publication of The 350, 352, 353,
355,357,358,359,360,361,365,368,369:370,
373 DiStricts of Rotary lnternatlonal
│
壼
□
一一
季静の
旅 のこ ろ も
盛岡 村
岩手県平泉 にあ る,天 台宗東北大本 山中尊寺 の
井
源
一
川 に合流 してお ります
.
国宝 金色堂 は,修 理復元 し,そ の 落慶式 を中尊寺
貫主 今東光師 に よってお こなわれ たの は,本 年 5
月 1日 で あ ります。
ー クラブの加盟認証状伝達式 が ,中 尊寺 境内 で行
今 か ら 811kl余 年前 ,初 代清衡 ,二 代基衡 ,三 代
秀衡 の藤原三代 が東 北 の一 隅 に,京 洛 にか た どっ
なわれ ました。 プ ログラムが進 み ,や がて会長 に
認証 状 を伝達 す べ く登壇 しま した.そ して その次
た都 づ くりを し,建 立せ られ たのが 中尊寺 ,金 色
堂 等 で あ って ,平 泉独得 の文化財 の一部 が ,民 衆
の信 仰 に よって守 り遺 されてお ります。
は S特 別代表 が証状額 を私 の ところへ もって こら
れ る1贋 序 なので す。 ところが仲 々 こ られ な い.ど
昭和38年 2月 よ り6ケ 年 の歳月 と,16,200万 円
の 国費 をつい や して復元 を しま した
.
1昨 年秋 ,私 が ガバ ナ ーの時 ,一 関西 ロー タ リ
うした ことか と思 うて ます と,幹 事 さんが とんで
こ られて,認 証状 が S特 別代表 のお宅 の金庫 に保
管 してあ るので, 2駅 はなれ た一 関 まで車 を とば
して取 りに行 きま した との こと
.
金 色堂 は三 間 四方 の平家造 り,用 材は南部 檜
,
屋 根 は木瓦 (き がゎ ら)葺 きで,平 安朝 の形式
建 物全体 に漆 を塗 り,堂 内は金 箔 でお してあ り
精 巧 華麗 をきわめ た豪華 な堂で あ ります。 堂 の壇
,
,
とっ さに考 え つ い た ことは,来 賓控室 で あ った
寺 の書院 に写 真 の額が あ った こ とに気 がつ き,そ
の写 真 を自紙 に取 りか えて,証 状 の よ うに見 せ ,
内 には三 代 の ミイ ラが 安置 されてお ります。
やが て その額 に よって「 この ロー タ リー・ クラブ
は正 式 に結成 せ られ ,か つ その役 員 お よび会 員 を
通 じ,国 際 ロー タ リー の定款 な らびに細則 を遵奉
この たび新 たに造 られ た,広 々 とした覆堂 (お
お い ど う)の 中 の金色堂は,壁 とガ ラス にか こま
す ることを誓約す ることは,本 証書 を受納 す るこ
とに よって立 証 せ られ た ……」 と読み上 げ,会 長
れ ,機 械 に よる温度 ,湿 度 の調節 ,虫 害防除 措置
に伝達致 しま した
.
もほ どこされ ,永 久保存 の工 夫 を こ らしてあ り,
温度 は23度 ,湿 度 は65%と の ことです。
芭蕉 は元 禄 2年 に中尊寺 を訪れ ,金 色堂 にお詣
一応 衣川 な らぬ壇上 に立 往生 の形 で したが,な
ん とか大 した穴 もあけず , 目出度 く閉式.私 は認
証状が エバ ンス トンよ り到着 すれ ば,署 名 を し特
別代表 にお送 りし,保 管 を願 い,伝 達式当 日ご持
りし
,
五 月雨 の降 りの こして や光堂
の句 を詠 まれ ,金 色堂 に覆堂があ ったため に,荒
廃 をまぬかれ た と詠んでお られ ます
.
武蔵坊弁慶立往生 の古戦場衣川 は今 もなお北上
ロー タ リ ー の 友 -11月 号
参 を願 うよ う致 してお ったのです。 その後 ,佐 々
木孝 二 郎 パ ス トガバ ナ ー よ り勧進 帳 ガバ ナ ー との
愛称 を頂戴 いた しま した。
(パ ス トガ パ ナー)
3
職業病 と労務管理
東京工業大学嬢
健康・ 疾病・職業病についての考え方
大
木
保
男
うもの は,負 担 の強弱 と心身 の抵抗力 の大小 との
関係 で成 り立 つ もので あ る。
私 たちは,環 境生 活や作業 な どに よって ,種 々
労働者が罹患す る疾 病 の うち「 一 定 の職業 に従
な刺激・ 負荷 な い しス トレス を受 けて い る。 これ
らの刺激 な どは心身 に とっては負担 とな る もので
事す る ことによ って罹患す ることが予期 され る疾
あ るが ,体 内では,そ れ らの負担 に抵抗 し,あ る
いは適応 して生理的 な状態 を「 あ る一定 の範囲」
病」 を職業病 とよんで い る。 したが って,職 業病
は,生 産 プ ロセ スが反生理的であ る こと,す なわ
ち作 業環境や作業方 法が有害 であ ることに よって
「 一定 の範囲」
内 に置 こ うとす る仕組 が働 く。 この
とい うことは,相 当 の余裕性安全性 を もつ 幅 の あ
起 こる。 た とえば,金 属・ 石炭鉱山・ ガ ラス・ 耐
る ことを意味 して い る.た とえば,寒 暑 な ど環境
に発散す る鉱物性粉塵 を吸 入 して起 こる肺疾患 で
温度 が変化 して も,体 温 は37.5℃ 内外 に保 たれ て
い る し,ま た血糖値 (血 液 中の糖 の濃度 )は ,食
あ るか ら職業病 で あ る.ま た蓄電池・ 鉛粉製造工
火 レンガ製造工 場 な どに見 られ る塵肺は,作 業場
場 な どで起 こる鉛 中毒 は職業病 で あ るが ,食 器 の
事 を した ときも,ぬ い た ときも血 液 ld′ 中 80∼
1∞ mgに 維持 され てい る。 さ らに,余 裕性 。安
釉薬 の 融出 によって起 こった鉛 中毒 は,職 業病 で
全性 につ いて み る と,た とえば心臓 は, どんな場
合 で も瞬時 に平常時 の倍 ぐらいの働 きをす る能力
職業病 は直接 ,業 務 に よって起 こる疾病 で あ る
か ら,基 本的 には労災保険上「 業務 に起 因す る疾
を備 えて い る (ス ポー ツな どでは,心 臓 の博動 は
平 常時 の倍 以上 にな る).
ところで,以 上 の よ うに体 内 の生理的状態 が一
定 の範囲内 に保 たれ る仕組 は,一 言 で い うと,神
経 系 に よる自動制御 とい うことがで きる。 この よ
ぅに して ,生 理的 な状態 が一 定 に保 た れ て い れ
ば,病 的症候 は現 われ ない。 この状態 が「 健康」
であ る
.
しか し,心 身 に加 わ る負担が異常 になる と,抵
抗力・ 適応力 が それ に対抗す る ことがで きな くな
り,生 理状態 は一定 の範囲 か ら逸脱 して しま う。
この状態 が「 疾病」 であ る。 す なわ ち,健 康 とい
4
はな い
.
病 」 として補償 され る.し か し補償 は行政上 の措
置 であ り,ま た職業病 に関す る学問上 の解釈・ 立
場 や診 断技術 上 の問題 な どが あ って,特 に新 しい
疾病の場合には,早 急に結論を出す ことはむずか
しい,と い うことが少なくない
.
職業病の要因
職業病 が起 こる労働条件 につ いては,作 業環境
・ 作業方法 。労働時間 の三 つが考 え られ る。
作業 環境 は,作 業場 に発散す るガ ス・ 蒸気・ 粉
。
塵 ,温 熱 ,放 射線 (赤 外線・ 紫外線 電離放射線)
音 ,振 動 ,気 圧 ,照 度 な どであ る.こ れ らの発生
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
源 は,生 産 の ため に使用す る原・ 材料や機械 。設
備 な どであ る_職 業病 の大部分 は,作 業 環境 に よ
職業病の種類と発生概況
る もので あ る
現在 み られ る職業病 は,お よそ次 の よ うに分 け
.
作業方法 は,作 業動作 (筋 肉作 業 として の軽重
,
使 用す る体 の部分 ),作 業密度 ,作 業速度 ,作 業姿
勢 な どが対 象 に なる.作 業 方法 が直接原因 とな っ
て起 こる職業病 はキ ィバ ンチ ャー病 (単 位時間 当
りの タ ッチ数 , 日間・ 週間 な どの全体 としての タ
ッチ数),ヘ ル ニ ア (重 量 物取扱 お よび作 業姿勢 )
ら才しる
.
1
業 (工 業 )中 毒
2.鉱 物性粉塵 の吸入 に よる肺 の繊維増殖 。結
節化 に基 づ く肺機能 の低 下 :塵 肺
3.蒸 気・ 粉塵・ 液体・ 固体 の局所 に対す る化
学的 刺激 に よる皮膚 の障害 !職 業性皮膚障害
な ど狭 い範囲 に限 られて い るが ,作 業 環境 の有害
性 を助長す る とい うことが重 視 さ れ る.た とえ
ガ ス・ 蒸気・ 粉塵 に よる全身的 な障害 :産
4.発 癌性 の蒸気・ 粉塵 な どに よる悪性 腫瘍
職業 癌 (皮 膚癌 ,肺 癌 ,膀 眺 癌 な ど)
ば,エ ネル ギ ー消費 の大 きい筋肉作業 では,呼 吸
量 や血液 の循環速度 が増 すため に,作 業環境中 の
5°
有害 なガ ス・ 蒸気・ 粉塵 が体 内 に多 く侵入す る
6.赤
.
また,石 工 の前 かがみの姿勢 や,日 で吹 き吹 き彫
工 す る作 業 の や り方 は,発 生 す る粉塵 の吸 入 を多
くして い る
:
低温 :凍 傷
高温 :熱 中症
紫外線 :電 光性眼炎
外線 :白 内障
電離放射線 :電 離放射線障害
7.騒 音
:難 聴
振動 :職 業性 レイノー 現 象
(白 ろ う病 )
.
労働時間 は,作 業 境環 に暴露 し,き め られ た作
業 方 法 に従 って作業 す る時間 の長 さであ る
さて職業病 の発生 と, これ ら二 つの要 因 との間
.
には関数関係 が成立 す るので,作 業環境や作業方
法 の有害性 が大 きい ほ ど,労 働時間 が長 い ほ ど
,
職業病発生 の確率 は増 して くる
8.高 気圧
:減 圧症 (潜 函病 ,潜 水病 )
低気圧 :高 山病 ,航 空病
9.不 良照明
:眼 精疲労 ,眼 球振盪症
10.重 量 物取扱 :ヘ ル ニ ア
11.キ ィバ ンチ な どにおけ る過大 な作業速度
:
キ ィパ ンチ ャー病
なお ,有 害物質 に対す る人体 の抵抗力は,ほ と
ん ど期 待 で きな い もの と考 え られ る.た とえば二
以上 の職業病 は,技 術革 新 に よる新原・ 材料 の
酸化硫黄や塩素 ガ スは,微 量 で も粘 膜が刺激 され
登場 や生 産工 程 の変革 ,各 種産業 にお け る有 害職
て ,涙 や鼻汁・ 咳 が出 るが ,こ れ らの ガ ス に慣れ
種 (業 務)の 増加 な どに よってふ え る傾 向 にあ る
て い る化学工 場 の労働者 は,始 めて の人 の数倍 の
ア メ リカでは年 間 ,数 百種 の新 しい原・ 材料が生
濃度 の ガ ス に暴露 され て も平 気 で作業 して い る。
産 プ ロセス に登 場 して い る といわれ る.ア メ リカ
そ の ため ,ガ ス に対 して抵抗力が増 した と考 え
の場合 は,こ れ ら原・ 材料 の有害性 につ いて ,企
が ちで あるが , これ はそ うでは な く,感 党 が鈍 く
な ったにす ぎな いので ある。 したが って,こ の よ
業 側 で相 当 つ っ こんだ試験・ 研究 を行 な い,そ の
上 で生産 プ ロセス にのせて い るよ うで あ るが ,わ
うな状態 を放置 してお けば,重 症 な内臓 障害 を招
が国では,十 分 な手 当 をしたか どうか疑 わ しい場
くことにな る.た だ,ア
合 が少 な くな い。 しか し,相 当 な試験・ 研究 を行
レル ギ ー性 の症候 を引 き
.
起 こす物質 ,た とえば亜鉛・ 銅・ 真鍮・ アル ミニ
な い,そ の有害性 に対す る手 当 を した として も
ウム な どの蒸気 を吸入す る労働者 の 中 には,金 属
新 しい生産 の場合 には不 測 の障害 が起 こることも
あ りうるので あ る。 そ の よ うなわ けで,新 しい職
熱 とよばれ る,一 過性 の発熱症状 を起 こす者 が い
る。
ロ ー タ リ ー の 友 -11月 号
,
業病 が次 々に発生 す る
ダイナ マ イ トは1886年 ,A・ ノーベル が ニ トロ
.
5
グ リセ リンに珪 藻土 を しみ こませ て作 ったが ,衝
内の換気 は地上 の工 場 の よ うには いか な いので
撃 に対 して敏感 す ぎ,ま た低 温 の場 合は凍 るので
掘進・ 採掘 な どの作業者 の間 に,こ の ガ ス による
取扱上 ,不 便 で あ った.そ こで凍結 しに くく,ま
中毒 が現 われ るよ うにな った。 このほか ,キ ィパ
た衝撃 に対 して安定性 の大 きなダイナ マ イ トが要
ンチ ャーの疼痛性手指 障害 を中心 とす る障害 は
望 され るよ うに な った。 この 解決策 として,ニ ト
ロ グ リコール を混入す る こと,そ の混入率25%が
事務 の機械化 を図 るため に導入 した
ched Card Accounting System)に
不 凍線 で あ ることが明 らか に され た。 しか しグ リ
た もので あ り,ま た職 業性 レイ ノー現 象 (白 ろ う
コール が高価格 で あ ったため ,そ の混 入率 は10%
病 )は ,伐 木 を能率化 す る自動 鋸 (チ ェー ン ノー)
内外 とい うのが一 般的 で あ った
戦後 ,石 油化学
が欧 米 では1951年 ごろ, 日本 では58年 ごろか ら急
,
,
PCS(Pun_
ょって起 こっ
の使用 に よって発生 して きた もので あ る。
速 に発展 し,石 油→ エ チ レン→ エ チ レング リコー
労働省 の資料 に よる と,企 業 か らの 申請 に よっ
て
「業務上 の疾病」として 補償 した職 業病 は約3000
ル とい う生 産 プ ロセ ス にょって ,ェ テ レン グ リコ
件 で あ る (昭 和42年 ).し か し,全 国 にお い て 職
ール が 大量 かつ安価 に供 給 され るよ うにな った。
業病 を起 こす お それ の あ る有害 業務 に従事す る労
この ため ,エ チ レン グ リコール を混入 。硝化す れ
ば不 凍 。安定 なダ イナ マ イ トがで きるので,そ の
働者 は約 300万 人 お り,特 殊健康診断 (有 害 物 に
混入率 が次第 に高 め られ ,50∼ 60%に 達す るよ う
っ くるめて10%と みれ ば,約 30万 人 が労働衛生上
にな って きた。
の諸対策 を必要 とす るもの と 考 え ら れ る (労 働
ところが ,こ うよ うな製造工 場 では欧米 で も日
本 で も,ニ トロ グ リコール に暴露 され る労働者 の
間 に顔 痛 0め ま い・ 吐気 。四 肢 の しびれ な どが見
よる影 響 を見 るため の健康診断 )の 有所見率 をひ
省 :労 働衛生週間 の しお り 昭42).
したが って,実 際 には莫大 な数 の職業病予備状
態 の労働者 が作業 に従事 して い ることにな る。
られ ,重 症 の場 合 には狭心症様発作 で死亡す る者
つ ぎ に,職 業病発生 の見通 しにつ いて考察す る
MOnday
と,今 後 ます ます安全 衛生 技術 の開発 が進 め られ
Attack(月 曜発作 )と い って い るが,ス タイ ンは
「 ニ トログ リコール の暴露 に よって低 い レベル で
るであろ うが ,新 しい原 。材料 の使用 や生産 工 程
の変革 な どによる職業病 を未然 に防止 す ることは
恒 常状態 が保 たれ て い る自律 神経 な い し内分泌系
容易 な ことで はな い
の機能 が,<薬 切れ >の 月曜 日に突然破綻 す るた
めで あろ う」 とい ってい るが,詳 しい ことはわか
る職 業病 は,中 小企業 にお いて 依然 として 出没 し
つづ け るであろ う.さ らに,作 業 の機械化 。自動
って い ない.こ の ニ トロ グ リコール は健全 な皮 膚
化 に よって筋 肉作 業 が 排除 され ,そ の結果無動作
を通 して体 内 に侵入 し,ま たそ の許容濃度 は 0.2
(静 止 )あ るいは稀少動作 に よる Activation Le_
も現われ るよ うに な っ た。 この発作 を
ppm
また,従 来 か ら知 られ て い
とい うきわめ て厳密 な もので あ るか ら, 遠
velの 低下や ,精 神緊 張 の増大 に基 づ く刺激 に対
隔操作 か 自動生 産 にす るのが安全 であ る。 つ ぎに
す る制止機 能 の減退 な どが,労 働者 の心身 に与 え
AN_FO(硝 安 火薬 )が 登場 した。 これは ダイナ
る影響 は重大であ ると考 え られ る。 これ らに よる
マ イ トに比 べ る と爆 発力 は劣 るが ,安 全 であ り
゛
また価格 もダイナ マ イ トの約 1/4く らい とい うこと
心身 の障害 を職業病 として取扱 うか , どうか とい
で ,鉱 山 の発破用 として使用 が高 まって きた。
あ るので あ るが ,労 働者 の健康 を論ず る 場 合 に
,
ところが,こ の火薬 の発破 に よって二 酸化窒素
が 発散す る.二 酸化窒素 は肺刺激物で あ るか ら,
少量 を長期間吸 入 す れ ば慢 性気 管支 炎が,大 量 を
吸 入すれ ば肺水腫 とい う重症 な疾病 が起 こる。 鉱
6
うことにつ いて は,ま だ まだ研 究す べ き諸問題 が
は,今 後 ます ます重視 され るもの と考 え られ る
.
職業病の対策
職業病 は一般 に生 産工 程 の「 ひずみ」 に よって
THE ROTARY‐ NO― TOMO
明治百 年
木村 屋 も百 年
起 こる もので あ り,そ の要 因は生 産管理 上 ,生 産
阻害 因子 と考 え ることがで きる。 したが って ,生
産 阻害 因子 を排除す るとい う経営 ル ール が,即 職
業 病対策 とい うことに なる
つ ま り,生 産 と労働
者 の生 命・ 健康 の保持 とは別個 の もので はな く
串 ム 詈 ヤ の′雷ン
,
生 産 と安全衛生 とは一体 で あ るとい う考 え方 が近
代経営 の理念 で な くてはな らな い
.
職業病 対策 の第 1は ,経 営者 (企 業)力 ゞ
労働者
木村屋 紀 木 店
の安全衛生 に関す るポ リシ ィを確立 し,実 行す る
ことで あ る
「
東 京都 中央 区銀 座 四 の 二
(561)0091・ 0368・ 5471
この ことはUSス テ ールの グ リー社
長 に よって打 ちた て ら れ た「 安全第 1,品 質第
2,生 産第 3」
有 楽 町 フ ー ドセ ン タ ー 西 館 ・ 地 下 鉄 西 al座 名
「OF街
上 rf松 坂 屋 味 の 小 路 ・ 銀 座 松 屋 ・ 浅 草 松 屋
新 宿 り(ビ ル・ 喫 茶 室 、 慶 /_・ 病 院 地 ドー 階
の社是 の前例 があ るが (1906年 ),
現在 では生産 と安全衛生 とは一体 であ るとい う理
念 に発展 して い る
.
,職 業病防止 の 日常管理 は ライ ンが業 務
として行 ない,専 門事項 は ス タ ッフ部門 (安 全・衛
第 2は
・
1卿
生管理者 な ど)が 所管す るのが最 も効果的 で あ る
第 3に は,職 業病 の防止 は作 業環境 の適正化 が
重 点 とな るが ,そ の場 合 の環境条件 の 目安 として
提示 され てい る これ に
「 許容限度 (恕 限度 )J力 ゞ
は ガ ス・ 蒸気・ 粉塵 につ いての
ACGIH(ァ
メリ
カ政府 産業衛生技師協議会 )の 許容濃度値 ,電 離
ICRP(国 際放射線防護委 員会 )の 許容
線量 ,騒 音 の ISO(国 際標準化機構 )の 許容量 な
どが広 く各国 で支持 されて い る.こ れ らの許容限
度 は プ ラクテ ィカル の値 で あ るか ら,わ が 国 の企
放射線 の
業 で も決 して採用困難 な もの とは考 え られ な い。
第 4は ,外 国 か ら技術 導 入 な どをす る場 合,生
産 と安全衛生 とは一体 で あ る とい うポ リシ ィの上
に立 って,作 業者 の安全衛生 措置 につ いて徹底 し
て い ただ きた い
.
なお,対 策 の技術的 ,具 体的措置は本稿 の 目的
で はないので,省 略 させ てい ただ くことに した。
ロ ー タ リー の 友― H月 号
イ
1%
11筆 ■
n11
・…
の 日 光・・
よ い 空 気 、清 い 水 、
紅 葉 は天 下 随 一 、
か な環 境 で レ ジ ャ ー を お 楽 しみ下 さし
ず讐整諮 ホ テ ル
中 禅 寺 金 谷 ホ テ ルで
ご
日 光 金 谷 ホ テ ル 電 話 口 光 (0288)405502
中 llF寺 金 谷 ホ テ ル 電 ..t日 光 (0288)5-0356-7
電 .I東 京 (03)271-5215-7
東 京 案 内 所
大 阪 案 内 所 電 話 東 京 (06)362-9167
… …又 は 日 本 交 通 公 社 共 の 他 各 旅 行 業 者 を ご 利 り
llド さ い 。
r約 は 一
ホ ン グ レ ン タカー ス テ ー シ ョン
心臓移 植手術 にっぃて
IL幌 医 大 教 授
和
田
寿
郎
昨年暮 ,南 アのバ ー ナ ー ド教授 が初 めて心臓移植 を行 った時
私 はい ろい ろな意味 で この ことに反対 で した.然 し本年 3月 か
,
ら 6月 頃 まで には10例 以上 も成功例 が 出 て参 りま して,そ の頃
にな る と私 は,こ の手術 について批判 しなが らも,前 向 きに
人 類 の 向上 に役 立 つ 方向 で考 え る よ うに な りま した.こ の 5月
短期 間 ア メ リカ,カ ナ ダヘ 出か け ます前 に教室 の助教授以 下 ス
,
…
タッフに「 ′
さ臓 を取 り替 え る しか延 命 を期待出来 な い患者が居
て,一 方心 よ く心臓 を提供 して くれ る遺族 の方 が居 られ た ら心
臓移植手術 をや ること,諸 君 にはそれ丈 の実力があ る し,私 も
その実力 を信 じてい る。若 しその手術 の為 に世 の 中か らい ろい
ろ云われ る時 には私 は,諸 君 の側 に立 つ」 と申 して出か けたの
で あ ります 。 今 回 の心 臓移植手術 は既 に報道 され ま した ように
丁度 5日 前 の 8月 8日 未明 に実施 され ま したが,こ の手術 が終
った時 に私 は, この手術 に参加 した全員 に,一 切 この事 につ い
て暫 く話 してはな らぬ と申 し渡 しま した
と申 します の は,こ の手術 は徹夜 で行われ , 8月 8日 早朝終
ったのです が ,当 日朝予定 の 2人 の心臓手 術 があ り,殊 にその
.
一例 は此 の週 の手術 で一 番困難 を予想 され てい た末期 の弁膜症
の方 で あ り,こ の ニ ュース を耳 に したその患者 さんが ,心 の動
揺 を起 して万一 に もその方 の手術結果 に影響 を及 ぼす よ うな事
があ っては,医 師 として 申 し分 けが な い と考 えたか らであ りま
す .幸 い予定通 り次 の手術 も順調 に終了 し,病 室 の廻 診 ,外 来
診療 も終 り昼食 を とる頃 には,徹 夜 の疲労 で私 も手術 チ ームの
諸君 も医局 で ま どろんで居 りま した所 ,午 後 2時 頃教 室員 の一
人が参 りま して発表 の事 を申 しま した。私 は とて も疲れ て,面
rHE ROTARY‐ NO‐ TOMO
倒 だなあ と,ぼ や っ と考 え て居 りま した所 ,
更 に も う一人 の者 が ,先 生矢張 り日本 で初 め
ての手術 で す か ら当然 発表す べ きで す し,又
で生 きつづ け る.自 分 の臓 器 が他人 のため に
提供 され る。 そ う云 った事 が如何 に尊 い行為
で あ るか,手 術後 3日 目の 山 口 さん御 一家 と
若 し遅 れれ ば どうして遅 く発表 した の だ とい
うことが 問題 とな りませんか ,と 云われ て私
゛
は急 に 目が さめ て成 程 そ うか と思 い,す くに
の対面 で,私 は これ までの人生 で得 た何 もの
よ りも遥 か に偉大 な何 ものか を学 び とらせ て
病院長 と学長 に報告 の後 ,報 道関係者 に発表
したのであ ります .そ の後 の経過 は既 に皆様
追 記
なお宮 崎信夫君 は 9月 3日 現在元気 な恢復
をつづ け てお られ ます 。 この 日本 の心臓移植
いただ きま した。
新聞 そ の他 で御 存知 の通 りで ござい ます 。 今
この例会場 に来 る一寸 前 の宮崎信夫 君 の容態
手術 後 ,世 界 で は更 に 8例 が 次 々 と行われ
は全般 として順調 です 。
38例 に達 して居 ります 。
今回 の手術 で ,私 が手術 その ものの成果 よ
,
あ った事 は心臓 を提供 して下 さった山 口さん
私 は 日本 が新 し く生 れ代 った平和 な現代 国
家 で あ るため に も,こ の心臓移植 の新 しい人
類愛 を基本 とす る新 しい医学 の部門 が未 だ完
御 一家 の事 であ りま した
宮崎君 の生 命 が 今後 どれ位 で あろ うか と云
成 せ ず ,各 国 で,各 国 の方 々が一一 提供者 の
家族 ,患 者医師 が互 い に一生 懸命 血み どろの
う事 は,私 自身 につ いて云 って も本 質的 に同
じで,後 1日 1年 か,或 い は,10年 50年 か予
努力 を続 けてい る現 在,こ の上 台作 りの時代
に参加 し努 力 して こそ, この新 しい医学 の恩
測す るこ とにはで きませ ん.唯 医師 として全
力 を尽す のみですが,山 口 さん御 一家 の事 は
恵 を将来 分 ちあえ る資格 が得 られ るので はな
いか と考 え る次第 です
御弟妹 が御両親 に反対 で あ ったので本 当 に心
配 で した。 山 口 さん御両親 とはあの 日,朝 の
完全 にな りま した と云 うの を待 ってか ら,吾
1時 近 くに心臓 の提供 につ いて印 を押 した御
が 国 で この手術 を行 うとすれ ば,終 戦後 一時
承諾書 を頂 きま したが,そ の時御両親 か らは
お子様方 の 了解 を充分得 られ る と思 ってい ま
日本 の代名詞 とされ たず るい国民 ,イ ミテ ー
シ ョンの国 と呼 ばれ て も仕様 が な いので はな
す か らも う少 しの間,万 一 の ことが有 って も
提供者 の名前 は公 に しな いで下 さい と御要請
いか と云 う気持 も持 た され ます
りも何 よ りも,寝 て も醒 めて も,心 がか りで
.
が あ り,私 も固 く御約 束致 しま した。
.
外国 で 外国人 の血 に よって この手術 が も う
.
私 と同 じ年代 の数多 くの 日本国民 が第 2次
世界大戦 で亡 くな られ ま した.空 腹 に下痢 に
董 で移植手術 が公表 され ます と,当 然心臓
マ ラ リヤに苦 しみ呆 て亡 くな った当時 の 日本
移植提供者 の ことが 問題 に され る筈 で,そ れ
で いて与 えた方 の名 が公 に され なか ったわけ
の若 い人 々,皆 自分 が今生命 を落す事 を予想
し昇天す る前 ,飢 えに苦 しむ 隣 の友人 に 自分
です か ら,こ の辺 を不審 と思 われ た方 々の話
が耳 に入 って参 りま したが,私 は山 口 さん と
の水筒 , ビス ケ ッ トを 自分 が死 んだ ら飲 んで
少 しで も生 きて くれ と云 い残 して死 んで行 っ
の約束 を守 って一言 も洩 らしませ んで した。
手術後 3日 目の昼 ,山 口 さん御 一家 がお見 え
た話 を思 い出 します。 この気持 ,人 間 の裸 の
姿 にお ける本 当 の人類愛 と思 うのです。
にな り,山 口君 の御葬式 が終 ったあ と本当 の
心臓移植手術 も本質的 に同 じ考 え方 に立 脚
す るもので はないか と考 え て居 ります 。 今 も
事 を御両親 か ら弟妹 に一人 一人 話 さ れ た 時
「 お父 さんお母 さん,い い ことを した ネ」 と
云 われ た と承 った私 は,手 術 の終 った時 よ り
も感激 の余 り病院 の廊下 にヘ ナ ヘ ナ ッと泣 き
くず れ て しまい ま した。 誰 かの臓器 が他人 の
体 の 中で働 きつづ け る。尊 い生 命 が他人 の 中
ロ ー タ リ ー の 友 -11月 号
日本 になか った新 しい人 間 の生 き方 の道 が,
人類愛 に支 え られ て発足 し得 た事 を嬉 し く存
じます と共 に,数 に謹 しんで故 山 口義政氏 の
御冥福 を祈 り上 げ る次第で ござい ます 。
(8月 13日 札 幌 西 RC例 会 卓 話 )
9
を堅持 して 自分 の職業 を栄 え させ つつ 世 の た
め人 の ため に尽 せ よ, との教訓 が瓢箪 か ら流
儒珠 と瓢箪
豊
れて い る よ うです 。
前
渡 辺 郷 三 郎
東 ケ崎 RI会 長 の出現 をチ ャ ンスに世界 連
邦 ロー タ リー党 の結成 と飛躍 を夢み て,戦 争
私 は 9年 前 ,当 クラブのチヤ ー ター ナイ ト
の時 に「居 は気 を移す」 とい う古言 に従 って
私 の住 いの玄関 の人 口に小 さな常夜燈 (石 製 )
警鐘 を乱打 しよ うで はあ りませ んか .(住 宅経営
を創設 ,現 在 も尚一 日として消 した事 はあ り
文化 の日に思 ぅ
ません.常 夜灯 は朝 夕 の礼拝 を忘 れ る 事 な
を この地上 か ら抹殺 して人 類 の幸 福 と平和 の
)
く,今 は静 か に眠 る祖先 を偲 び,自 己を反省
し,自 分 の健康 と職域 を通 じて ロー タ リー精
山
ロ
渡
辺
勇
次
文化 の 日が近 づ くと,文 化功労者 の叙 位・
神 を研究練磨 して い る関係上 ,少 な く共 一歩
の 向上 を発見 で きる事 と心 ひそか に喜 んでお
叙勲 を始め ,自 治体 で も文化受賞者 の選定発
ります 。 それか ら更 に常夜灯 の心 を伸 ば して
表が あ る
新 らしい進歩 的 アイデア として儒珠 と瓢 箪 を
その灯 の上 に並 べ て 吊 し,こ の二つが私 の生
活 の総 て を護 ってお ります 。
1.常 夜灯 は祖先 を偲ぶ心
1.儒 珠 は人 間宗教 に生 きる心
1.瓢 筆 は人生 のユ ーモ アの シ ンボル,と し
て朝 夕 の礼拝 に よ り日々充実 ,楽 しい人生 を
.
この頃 にな る と,私 は,か つて徳山市 か ら
“文化功 労者 "と して表彰 され た親友 の受賞
顕彰会 での挨拶風景 を思 い出す。
私 もその末席 を汚がす こととな った ので
,
尊敬 して い る知人 だけに親 し くお 祝 の辞 を述
べ なけれ ば と思 い乍 ら “文化 とは何んぞや"
味 ってい る事 は ロー タ リア ン とな った意味 を
の解明 に当 ったので あ る.― ― 実 の処私 は唯
文化 生活 だ の文化住宅 だ の,さ て は文化餞頭
深 く掘 り割 って,日 常生活 に直結す るアイデ
等 々か ら自己流 に判断 して,文 化 を 解 す る
アの発現 に依 る賜 と感 謝 してお ります 。 そ こ
“文化人 "と 自負 して いたか らであ る
当 日い よい よ私 の番 ,私 は先輩 の祝辞 の 内
で儒珠 と瓢 箪 か ら教 え られ た事 は一―
1.旅 行 中,車 内 で儒珠 を持 った老女が立
.
ってお られ た。席 を譲 ろ うとしたが なか なか
容 か らして,こ こに並居 る方 々が “文化 "と
・ 祝辞
云 う言葉 の真 意 を解せ な いのに驚 き,I・
受入れ て くれ な い。 そ こで考 えた。一つ徹 し
て や ろ うと「 どうぞ ……」 と私 は車 の端 の方
よ りも “文化 "の 解釈 の方 が有意義 だ と考 え
事前 に富山房版・ 大槻文彦先生著 の
『 大言海』
に行 った。 老女 は腰か けた。 そ して暫 くして
私 の側 まで礼 にや って来 た.そ こで私 は新 ら
に よ り,抜 き書 を して『 文化 (ぶ ん くわ)①
武力・ 刑罰 ナ ドフ用 ヰ ズ ニ,教 化 スル コ ト
しい親切 を発見 した。それ は席 を譲 った場 合
で も,そ の人 よ り遠 く放れ てい た方 が遠慮 は
② 自然 フ純化 シ,理 想 フ実現 セム トスル人 生
ノ過程 即 チ人 間 ガ自然 フ征服支配 シテ,本
なか ろ う…… と。
来 ,具 有 スル 究極 ノ理想 フ実現完成 セム トス
ル過程 ノ総 称 .カ カル 過程 ノーー 云 々③俗 ニ
2
瓢箪 か ら教 え られ た私 の人生感 として
は,世 の ため人 の ため …… とは申せ,そ の 中
に次 の二つの教訓 を ……余 り堅 くな りす ぎて
,
西洋風 ナル コ ト,又 ,新 シガル コ ト』 を朗読
して,お 祝 の挨拶 とし出席 の方 々か らも大変
は,相 手 の人 も楽 しさは浮 かぶ まい。 そ こで
瓢箪 の よ うなユ ーモ ラス な姿 の 中 にお互 いの
喜 んで頂 い た もので あ った。
それ に して も私 を始 め “文化 "を 語 る人 々
ア クシ ョンを起す事 に留意す る と共 に,他 の
に案外“文化 "を 解 しな い方 が多 いの に驚 き
″
お互 が真 の “文化 を解す るに至 るの は,ま
一つ は職域 を通 じて 中心部 の「 しめ くくり」
10
,
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
だ まだ程遠 い ことだ と痛感 した。 あれか らも
う十年 ,あ の時 の皆 さん も “文化 "を 正 し く
理解 して い られ る こ とで し ょう.
敏画館
詩集
情
旅
)
西
衣食足 ってネL節 を知 る
田中
尾
正太 著
この多忙 な病院長 の心 の な ぐさ
め は詩作 一本 に しば られ てい る
.
大 山
肌 は化学 を味覚す る
超躍す る海上 の頂 の上 に
長 谷 川 鎮 市
私 は過去40年 間 ,電 車 で通勤 して い る.戦
清潔 な瞼 を開 く
前 は現在 ほ ど混雑 してい なか ったが ,若 者 は
老人 に席 を譲 るのが エ チケ ッ トとされ てい た
ので,私 の20代30代 は大半 を立 ちん棒 で過 し
゛
た。 たまに徹夜勤務 や気分 のす くれ ない時 な
ど「今 日は腰か けて帰 ろ う」 と心 に決 めて も
透明 な酸素 を充分 に吸 って
私 は現実 を忘れ る
(真 鶴 町・ 詩 洋 tt・
Y900)
新・ 羊羹 と人生
そん な時 にか ぎって意地悪 く,私 の前 に老人
東京
が立 つ。 そ して席 を譲 った もので あ る
黒川
武雄 著
.
虎屋 会長 第 9巻 目の随筆 集
か ざ り気 な い 日常身辺 の感想 が
戦後 は中高 校生 が我 れ先 に と陣取 って平気
でいる。 これ も道徳教育 を否定す る時代 の教
養 か と思 う。 ホ ームやバ ス停 で行列 をつ くっ
読 む者 の心 を くつ ろが せ て くれ
てい る.顔 は誰 の顔 ももっ ともらしい顔 つ き
る。 だが,私 は黒川 さん の本領 は
で あ るが,や がて乗 物 が 到着す る と我先 に乗
ろ うとす る.順 序 よ く乗 った らスムーズに
文 よ りも油絵 に あ る と思 う.「 泰
山本」「 水上 温泉 の朝」 な どい じ
早 く乗 れ るのに,押 合 ってい るか ら時 間 がか
か る.第 一 何ん の ため に行列 を して い たか解
無類 で あ る。 (東 京・明るい生活社・Y380)
,
けた ところの な い その天真 な筆 は
らない.た だ皆 ん なが並 んで い るか ら並ぶ だ
けで,初 めか ら秩序 な ど守 る気持 は 毛 頭 な
い。
整理す る者 が居 なけれ ば百鬼夜行 で あ る
君
子
蘭
.
堺 磯野
常識 あ る者 や老人子供 は真面 目に乗 ろ うと
す るが,殺 至1す る若 い者 に押 されてはみ 出 し
予定 の電車 に乗 り遅れ るこ とも再三 で止 むな
く心 に恥 じなが らも悪習 に従 うので あ る
.
巌編
天 に召 され た佳子夫人 を
した っての追悼文 120余 篇
が集 め られ てい る
.
敗戦 で極度 の苦難 に堪 え て きた私達 も20年
夫人 は大阪島之 内教会古
余 りを経 て,経 済的 には比類 な き異例 の発展
を遂 げ,世 界 の大国 として,ま たア ジアの先
本虎 二郎牧師 の三女 として
生れ ,そ の70年 の生 涯 を美
進 国 となったが,他 方家庭 で は孝行 は昔 の語
゛
りくさとな り,老 人 の養 い は政府 の責任 と云
れ た。 一一 私 はだれか を し
い,教 師 は 自 ら労働者 と変 り,生 徒 は学長総
長 を軟禁す る。 曽 て朋 友相信 じ,博 愛衆 に及
ぼ し等 の訓 えは古 い言葉 とな って,孝 行 も敬
老 も恩師 もない礼節不在 の現代 社会 で あ る。
次代 は再 び「 衣食足 って礼節 を知 る」 の明 る
い社会 が甦 る事 を信 じた い と思 う.観 光事業
)
ロ ー タ リー の 友 -11月 号
しい信 仰 に よってつ らぬか
あわ せ に してあげた い一一 これが
日々の生 活信条 で あ った
.
ロー タ リーの人 び ととの楽 しそ
うな写真 が数 多 くのせ ら れ て い
(大 阪。大盛印刷・非売品
る。
)
東京
長
瀬
富
良 「 友」 副委 員長
「
77
あ ったが,そ れ以降 は今 日まで無欠席 で あ る
先 輩 の言動
旨の話 を され た。
そ の後 で清瀬氏 が,先 ほ ど物故 され た元 R
大
磯
′
Jヽ
I理 事手 島知健氏 との交友 につ いてふれ ,手
堀
助
憲
去 る 5月 の こ と,東 京 芝 に仮 クラブがで き
島氏 が当時南 クラブの幹事 を して いた清瀬氏
に「 清瀬君 .ロ ー タ リア ンは心 に余裕 が なけ
た とい うので行 って見 た.新 設 クラブの悩み
を共 にわか ちた い とい う新参 ロー タ リア ン特
れ ば,や れ る もので はな い ヨ」 と語 られ た の
有 の意識 が働 いてい たか らか も知れ ない
芝公園 のパ ー クホテル での例会 は東京 の名
ま ことに老練 ,秀 逸 の部類 に属す る
.
門 クラブ とは異 り,非 常 に家族的 な雰 囲気 を
もってお り,会 員 も,見 るか らに “ロー タ リ
ア ン的 "に 見受 け られ ,初 対面 の私 の気持 ち
を知 らず知 らず の 中 に くつ ろがせ て くれ た。
は残 り時間わ づか10分 のス ピーチ として は
,
.
これ らの卓話 は,た くまず して,ロ ー タ リ
ーの精神 を新 クラブ会員 に教 えてい るので は
あ るまいか。 いづれ を とってみ て も,奉 仕 を
行 お うとす る ものの 日常 にお け る心 の持 ち方
を如実 に物語 って い る.そ して言動 その もの
もっ とも,段 々 と気 が つ いた こ とは,こ の
が,ロ ー タ リー を説 くに,理 を以 てせ ず ,行
新 クラブの指導 と助言 につ いての特別代表清
瀬 二郎氏 とスポ ンサ ー・ クラブた る東京南 ク
動 を もってす る ところに, クラブ活動 の本質
で あ る奉 仕 と親睦 との調 和 があ る とみ てお ら
ラブの並 々な らぬ努力が感 じとられ た こ とで
れ るよ うであ り,深 い感 銘 を受 けた の は,た
あ った。例 えば,清 瀬氏 は,わ ざわ ざ私達 来
訪者 の ところに挨拶 に廻 られ ,わ れわれ の労
だ私 一 人 の み で はあ るま い
を労 ってお られ た.こ れ な どは来訪者 が とか
く例会訪間 で感ず る孤独感 を大 い に救 って く
鉄砲水 の話
れ る と思 うので あ る
.
(法 律 )
.
第 二 に,親 クラブの会員 が10名 以上 も訪問
し,例 会開始前 の時間 に余 り押 しつ けが ま し
くな く諸 々の ロー タ リーの考 え方 な どの話 を
す る。 しか も妙 に先輩 ぶ って理 に走 ることな
高 山
北 村 長 右 衛 門
鉄 砲水 とい うこ とばは,先 ごろの飛騨川 バ
ス転落事故 で全国 に とどろ いたが,言 海 に も
く行われて い るのが,印 象 に深 か った
第二 に,卓 話 の慣例 につ いて も,新 クラブ
辞苑 に も,書 かれて い ない.鉄 砲水 とい うか
らには,鉄 砲 が 日本 に伝来 してか らで きた の
で しょぅが,Gun water な どとい う英語 は
会員 の気持 が なれ親 しむ まで,特 別代表 や親
クラブの長老 が話 をす る とい うの も,大 変好
な い.飛 騨 では昔 か ら鉄 砲水 に打 たれ て死 ん
だ人 の話 は よ く聞 きます し,鉄 砲水 を利用 し
感 が もてた。私 が訪問 した時 は,親 クラブの
副会長大滝氏 が,存 命中 の米山梅吉氏 との軽
て谷 か ら材木 を出す「鉄 砲出 し」 とい うこ と
.
井 沢 で の交遊 や,米 山氏 が軽井沢駅 の乗客 の
出札時 の混舌Lを 避 け るため に,行 列 をつ くる
よ う説得 を してお った こ とや,ま た,東 京南
クラブ初代会長 で あ った金森徳次郎氏 が戦後
の物資 の乏 しい時代 の例会 で,企 業経営 に苦
心 し,例 会 も欠席 が ちだ った大滝氏 に,「 出
ば も残 って い ます
わた くしの店 の蓑常務 は,平 湯峠 に近 い旗
.
鉾 (岐 阜県大野郡丹生川 村 )に 育 って,鉄 砲
水 で材木 を出す の を見 たおぼえ が あ る と言
う。 それ は,晩 秋 か ら初 冬 にか けて行 なわれ
る もので,水 量 の変動 の少 な くな った谷 に伐
採 した材木 を落 としこみ ,そ の 材 の一部 を利
席規定 の こ とは何 とで もしてお くか ら心配せ
ず ,事 業経営 に専 心 しな さい」 といわれ ,数
用 して人工的 にダムを組み上 げ る。 高 さは 4
∼ 5mで 水 をため ,材 木 を集 め る.次 に材木
年後出席委 員長 に選 ばれ るまで,欠 席 が ちで
は,そ のダムの上 部 に作 られ た水路 を通 して
72
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
鳶 口をふ るって下流 に全部 落 とす .今 度 は,
そ のダム を一度 に切 りお とし鉄 砲水 の勢 いで
の前 で 駐車す るよ うに して下 さい それが
た くさん の犠牲者 の方 々の冥福 をお祈 りす る
下流 の浅 み にた まって い る材 木 を押 し流 し
また,同 じ作 業 を繰 り返す とい うのです
心 に もつ なが る もの と信 じます 。
,
,
(タ
ィャ小売
)
.
ここまで書 いて原稿 を蓑君 に見 せ る と,彼
は恐縮 して 同 じ丹生川村出身 の くわ しい人 か
ら,念 の ため聞 いて来 て くれ ま した
青少年教 育 の問題点
.
その報告 に よる と「 ため さん」 とい う70歳
位 の老人 の話 に よれ ば,蓑 君 の子供 心 にお ぼ
西 脇 長
井
実
戦後23年 を経 て い る今 日,非 行青少年 の増
えて い た鉄 砲水 は,実 は
「 せ ぎ出 し」とい う
加 ,男 女交友 モ フル の低 下,角 帽 を角棒 1/Cか
比較的水量 の多 い谷 で行われ る方法 で あ る。
えた大学生騒動等 ,青 少年教育 の不徹底 を痛
本 当 の「鉄 砲出 し」 は,庄 川 の上 流 六厩谷 あ
た りで,こ の方 は水 の少 ない谷 で行 なわれ る
感 させ られ る.教 育 の最高機関 で あ り良識 の
府 で あ るべ き大学 に於 ての暴動 は 何 た る 事
もので あ る.あ らか じめ場所 を選定 して堰 を
作 り,そ のす き間 には草 な どを詰め て水 の も
か。 しか もこれ ら一部 の急進的学生 にお もね
る教授 があ るに於 ては も早 や言 うべ き言葉 も
らない よ うに してお く 堰 の上手 に材木 を落
とし込 み ,雨 の降 るの を待 って水 がた まった
ら材木 を流れやす い よ うに並 べ ,水 が十 分 た
な い。全 く寒 心 に堪 えな い次第 で あ る
先般 ハ ワイ大学 を訪 れ たが,こ こには約 30
,
ま った ころ合 い を見計 らって,堰 の止め木 を
結 びつ けてお いた綱 を切 って 落 とし,鉄 砲水
の勢 いに乗 せ て材木 を一気 に流 し出す .こ れ
を「鉄砲出 し」 とも,ま た単 に「鉄 砲水」 と
もい うの だそ うです 。
小 さい谷 か ら支流 へ ,支 流 か ら本 流へ と
,
飛騨 で は金森藩か ら明治 大正 の は じめ まで
材木 の搬出 は水 を利用 して行 われた 「 鉄砲
水」 とい うこ とば も山国 の人 々の生 んだ生 活
,
の知 恵 か ら生 れ た のか も知れ ませ ん。
先 ごろの痛 ま しい惨事 をお こ した飛騨川 下
流 の下麻生駅附近 (加 茂郡川辺 町)に は,綱
場 と呼 ばれ る川幅 の広 くなった所が あ り,飛
%の 女子学生 が居 り,時 には学生同士 の ロマ
ンス も生れ るが,万 一 男子学生 が女子学生 を
犯 した場 合,以 後 そ の女子学生 を妻 としなけ
れ ば な らず ,そ れ を拒否 した時 は警察 に逮 捕
され ,拘 置所 か ら勤務 に出 てその収入 はす べ
て女子 の所 有 になる。又 コ ロ ンビヤ大学 では
学生 が総長 を缶詰 に した事件 が今年 5月 にあ
ったが,学 生 はあ くまで総長 の人格 を尊長 し
面罵 した り, リンチ を加 え る事 な く,総 長 の
言 い分 に も耳 を傾 け充分討論 を し,総 長が気
分 が悪 い と言 えば直 ちに缶詰 を とき,破 れれ
ばす なお に引下が った と問 いた。 問答無用式
の交渉 の仕方 とは対照的 で あ る
パ リには暴動 の最 中 に入 った。 パ リ大学で
.
騨地方 の良材 の大半 が ここで 丸太か ら筏 に組
まれ て桑 名や熱 田 に運 ばれ た といわれ ます
は道路 にマ ロニエ の大樹 を倒 してバ リケ ー ド
を築 き,労 働者 と共 に道路 一パ イになってデ
ここまで は,高 山 音頭 の歌 詞 の一つ に “長
い鳶 口伊達 には持 たぬ 五寸 丸太 で瀬 を下 る"
と うたわれ た身 の軽 い川 狩 りの人 達 の働 きで
モ を行 い,先 頭 と側 面 に女子学生 を立 て警察
い く日もかか って,毎 冬何万石 とい う材本が
2年 以上 の学生 は自動的退学等 )労 働者 は生
寒 い川風 の中 で運 ばれ た ので す
鉄 砲水 は,平 生 は水 の流れ な い小 さな谷 や
活 の向上 を叫ぶ (フ ラ ンスの労働者 は ヨー ロ
ッパ 最低 の賃金 )等 一応理論 が通 ってい る。
.
.
,
急 な山 あ いの沢 な どに起 こるこ とが多 いか ら
山地 を ドライブ され る場 合,豪 雨 に万 一 会わ
れ た ら早 く民家 の あ る ところ まで走 って ,そ
ロ ー タ リー の 友 -11月 号
もうか つ に手 が出 せ な い。 しか し日本程激 し
い もので はな く,学 生 は学制改革 反対 (留 級
これ 等 は過去 何世紀 か に亘 る他民族 の征服下
に得 た血 の経 験 であ ろ う。 従 って祖国愛 の精
神 は強 い
.
73
吾 々は戦争 に敗れ た とは云 え過去 に於 て も
他民族 に征服 され た苦汁 はなめて い な い。 征
出発にあた って
大学4年 河井 恭―
服 され たの は教育 で あ る.旧 教育理 念 は さっ
地球上 の距離 が ます ます縮め られ て行 けば
ぱ り捨 て させ られ ,自 由主義 個人教 育 に享楽
行 く程 ,明 日の国際人 としての教養 と,経 験
主義 賛美 の植民地的教育 に切 りかえ させ られ
とを身 につ け,国 際親善 の ため ,ひ いて は
た.そ して これ を素直 に受 け いれ る事 が革新
人 類 の よ リー層 の向上 の ため に尽す必要 が あ
的 で進歩的 で あ る と考 え られて い る 戦時 中
の教 育 に もよい面 はあ った筈で あ るが ,良 い
る と思われ ます .交 換留学生 の一 員 として
点 を復活 させ よ うとす れ ば 大 きい抵抗が あ
る.西 洋 には教育 を占領 した者 はその国 を征
,
,
合衆国 の 同 じ世代 の諸君 と交 流 し,話 し合 う
機会 を得 られ た ことは,本 当 に素晴 しい こ と
だ と思 い ます 。
(中
略
)
服出来 る とい う古諺があ る.正 にその通 りで
あ る.吾 々 日本 民族 は今 日に して青少年教育
旅客機 が就航 して ,交 通 に要す る時 間 が増 々
の建 て直 しに 目を開 か な い限 り千載 に悔 を残
短縮 され る と云われ ,又 一方 ではその同 じ地
す事 に なろ う.
(綿
繊布
)
交換 学生 のお件 をして
木 川 田 正 毅
昭和42年 11月 3日 ,堺 市 と米国加州バ ー ク
レー市 とが姉妹都市 とな り:そ の翌 日,堺・
数年後 には音速 の三 倍 を越す大型 ジェ ッ ト
球上 に,文 明 とは全 く隔離 され た貧困 の生活
を送 る人 々が同時 に存在 して い るこの時代 に
こそ,我 々の使命 は,よ り重要 とな って来 ま
す .柔 軟性 に富 んだ精神 で, どん な種 類 の出
来事 も受 け止 め,行 動力 にあふれ るその身体
で精力的 に動 き回 る こ うして得 られ た成果
が,自 分 自身 を高 め,更 にそれ を広 め ること
堺 南両 クラブ も同市 の RCと 姉妹 クラブの契
を結んだ。 その後 クラブ間 で 資料 の交換 な ど
に よって, よ り多 くの若人 を高 め ることが出
来 た ら….こ う考 え て来 る と,自 分 自身 の負
った責任 の重 さが身 に しみ て感 じられ ます
で交 際 を続 け て来 たが,よ リー層 の親善 を計
る 目的 で,堺 ・ 堺 南 クラブの主 催 で,夏 季学
私 の専攻 は建築学 で す が,ア メ リカは帝国
ホテル 旧館 を設計 した巨匠 フラ ンクL。 ロイ
生交換 を計画 した
トーマス ●ハ ーデ ィは “思想 の国際的交換
は唯 一 の世界的救 済手段 で あ る"と 語 って い
ドの国 であ り,残 され た彼 の作品 に じか に接
す る こ との出来 る期待 と喜 びは言 葉 に尽 せ な
るが ,身 を もって体得す る若人 の国際的 交換
は,国 際 ロー タ リーの精神 に基 いて人類 の福
われ るア メ リカにお け る家族機構 と,そ の各
々の意識 ,そ の上 に成立 ったア メ リ カ の 住
祉 と世界 の平和 に貢献す ることを確信 し,堺
市 内 の大学 ,高 校 に在 学 中 の 男女学生 に呼 び
宅 ,ニ ュー ヨー ク市 マ ンハ ッタ ン周辺 での都
市開発 の実例 を見 られ ないの は残 念 で すが
ョー ロ ッパ の もの とも多少違 う,そ の高層建
.
かけた ところ多数 の応 募者 があ り,審 査 の結
果 ,男 子 7名 ,女 子 9名 の計 16名 (大 学生 11
名 ,高 校生 5名 )を 選 出 した
.
.
い程 です
更 に 日本 とは全 く異 って い る と思
,
築 な ど,一 つ一つが私 に とって新 しい建築 の
目を開 かせ て くれ るこ とで し ょう。 (以 上
)
国際奉仕委 員長 として小生 が 引卒者 として
選 ばれ, 7月 17日 に横 浜港 よ リサ ンフラ ンシ
目的地 のパ ー クレー市 で は,パ ー クレー R
ス コに向 った。 船 内 では専 ら英語 の会話 と米
Cの 絶 大 なる歓迎 を受 けた.歓 迎委 員長 は Y
国事情 の研修 に当 る とともに,外 人船 客 との
交流 に努力 を した。14日 目にサ ンフ ラ ンシス
MCA主
コ着 .参 加学生 の一人 は,出 発 当時 を次 の よ
うに記 して い る
見交換 ,音 楽 キ ャ ンプヘ の参加 ,教 育施設 や
フ リーモ ン トRC会 員経営 の漬物工 場 や ブ ド
.
74
事 のG・ ムー ア氏 で あ る.学 生 各 自
は米人家庭 に分宿 し,同 年輩 の学生達 との意
THE ROTARY― NO‐ TOMO
ウ酒 工場 の見学 ,GEの 原子炉 の視察 ,ロ ス
モー ア RCの 招待 で退職者 の住宅 の視察 ,サ
ンフラ ンシス コ湾 内を遊覧船 で 観光 し,金 門
橋 を徒歩 で渡 った り,プ ロ野球見物等 ,盛 沢
山 の プ ログラムを企 画 して下 さっ た 御 親 切
は,筆 舌で は表現出来 ない ものが あ る 彼 ら
パー クレー
市主催のカ
サデラ音楽
キャンプに
参加 した交
換学生 の一
行
の懇篤 なる御取扱 を受 けた学生達 は,皮 フの
色 に関係 な く,人 間 の心情 は同一で あ ること
を, しか と身 を もって体験 し,理 解す る こ と
が 出来 たので あ る。
8月 18日 ,バ ー クレー市民 と別れ を惜み
マ デ ラ市 に向 った.マ デ ラ市 では本年 4月 ロ
した。 今 ,そ の 旅行 を振返 ってみ て,私 は満
ー タ リーの研究 団団長 として来 日したパ ス ト
足感 で一 杯 です
ガバ ナ ー, ロー ジャス氏 の招待 で マ デ ラRC
今度 の旅行 で私 は,本 当 に人 々の心 の暖か
さを知 りま した そ して一 番印象 に残 って い
,
.
会員 の家 に分宿 し,ヨ セ ミテ国立公 園 の案内
を受 けた。 それ のみか,男 子 は クラブの例会
に,女 子 は ロー タ リア ン夫人 の例会 に招待 さ
るのは,バ ー クレーの一家庭 で過 したそ のア
れ ,そ れ ぞれ30分 の卓話 の時間 を与 え られ
日本 を紹介す る機会 を得 た。 ロー タ リア ンで
まるで 自分 の子供 で あ るか の様 に面倒 をみ て
下 さったパパ や ママ,姉 妹 の様 に仲良 くして
あれば こその親切 なのか と深 く感激 した。
マ デ ラ市 よ リロスア ンゼル ス に向 い,西 部
くれ た子供達 ,パ ー クレーでの 3週 間 が,い
ま眼 の前 に浮 んで くる様 です 。私 が 泊 めて頂
開拓時代 その ままの ノ ックベ リー・ フ ァーム
や ファマース ●マー ケ ッ ト,ハ リウ ッ ドとデ
い たの は,決 してお金持 の家 で は あ り ま せ
ん.寝 室 3部 屋 ,キ ッチ ン,居 間 とた った 5
ズニー ラ ン ドを見物 した後 , 日本航空 で ホ ノ
ルル に着 き,ワ イキキの浜 で水 泳 を楽 しみ,
ハ ワイ料理 に舌鼓 を打 ち,オ ワフ島 を一周見
部屋 しか ない中流家庭 で した そ して意外 に
質素 なその生活態度 をみ て,私 は驚 い た り
,
学 した後 ,夕 刻 の便 で全員無事帰国 した
.
8月 29日 ,堺 南 RC例 会席 上 で解団式 を行
ったが,こ の交換 学生 の計画 は,所 期 の 目的
を達成 し,大 成功裡 に終了 した。 しか し,来
年バ ー クレー市 の学生 を迎 え るこ とに よって
この交換学生 の行事 の第 一 ラウ ン ドが完 了す
るので,今 か ら受 け入れ態勢 の準備 を心がけ
て い る.こ の計 画 が更 に第 2,第 3と いつ ま
で も続 き, 日本 と米国 を結ぶか け橋 とな り
,
世界 の平和 と人 類 の幸福 の ため に,尽 す こと
が出来 るよ うに念願す る もので あ る
.
次 に参加学生 の感想文 を ご紹介 しよ う
.
バ クレ"の 想い出
「
大学3年 飯沼 順子
で
と
大 きな不安 期待 迎 えたバ ー クレーヘ の
親 善旅行 も,あ っ とい う間 に過 ぎて しまい ま
ロ ー タ リ ー の 友 -11月 号
メ リカ ン・ ライ フで す
本 当に幸福 な毎 日で
,
感 心 した りしま した。彼 らの生活 を見 てい ま
す と,日 本 の方 がず 一 っ と多 くの 無 駄 を 出
し,贅 沢 を して い る様 に思 われ るのです 。 し
か しその家庭 には,愛 情 が満 ちあふれ てい ま
した.私 は この家庭 で,日 本 で は学ぶ ことの
出来 な い沢山 の事 を学 んで きま した。
最後 の晩,バ ー クレーの丘か ら眺めた景 色
の美 しさとその感激 は忘れ られ ませ ん.ハ ワ
イや ロス ア ンゼル ス も見学 しま した。 しか し
その景色 の美 しさも,バ ー クレーの人 々の心
の 暖 か さ,親 切 の前 で は色褪 せ て見 え るので
す .本 当 に楽 しい旅 で した。
来年 は,私 達 がバ ー クレーの学生 を迎 え る
番 で す.今 度 の旅行 での人 々の親切 を忘れず
に,来 年 は一生懸命彼 らのお世話 を しよ うと
思 ってい ます 。堺 は素晴 らしい町だ と云 って
(児 童 ホ ー ム
もらえ る様 に ……
)
75
して は成立 たない もの だが,も しそ こに使命
アルバ イ トと使命感
感 の一 とかけ らもない としたな らば,そ れ は
最低 の人 間像 で あ ろ う。
釜 瀬 富 士 雄
私 が経営 して い る学校 で もアルバ イ トとし
ての非常勤職 員 を可成 り擁 して い る。 そ の中
当地 F大 学 の学生 Mさ ん兄 弟 は,学 徒援護
で,専 任職 員 に勝 る とも劣 らぬ高度 の職業的
会 の斡旋 で,先 年来私宅 のバ ラ園 に 日曜毎
アルバ イ トに来 て もらっていた.こ の兄弟 が
使命感 に燃 え,若 き世代 の人 間的成長 に全情
熱 を注 がんの気概 と実 践力 を見 せ る人 に出遇
作業 を通 じて見 せ た,い づれ劣 らず の,勝 れ
た職 業意識 には頭 の下が る ものが あ った
うこ とが あ る.心 暖 まる とい うか ,全 身全霊
の感動感銘 を覚 え る もので あ る。 (私 立学校)
,
.
Mさ ん兄弟 の アルバ イ ト作業 は溢 れ るばか
りの使命感 に充 ちた もので あ った.バ ラの一
本 一 本 に,よ り立 派 な花 を咲 かせ ず には措 か
ない ぞ,の 情熱 を こめ,施 肥・ 消毒・ 管理養
生 に 自か ら研究 を深 め,創 意工 夫 を凝 らして
音楽 で結ぶロー タ リー精神
東京西
1ヒ
上
島
茂
夫
実行 に移 して い く
堆 肥 の切返 しや,牛 糞 の運 搬 の ような,ひ
世 の移 り変 りが現 代 ほ ど速 い時代 もな い。
然 し人間 の もつ本 質的 な感情 な り人情 はそ う
どく体力 を要 し,異 臭 を衝 いての作業 まで も
何 の ため らい もな く進 んでや っての け る.自
変 る もので はな い.国 と国 との外交 のか け ひ
きの面 に於 いて も,そ の国 の国民感情 を度 外
分 の研究 と労苦 が報 い られ て,よ い花 が咲 け
ばわが事 の よ うに喜 び,花 の出来栄え が少 し
視 したや りと りが ,平 気 で相 手国 に出 され て
い る場 合 もしば しば見 られ る
.で も悪 い と,自 分 一人 の責 任で あ るか の よ う
終戦後 ま もない頃 に西独乙 にい た こ とがあ
る.そ の頃欧州特派員 として活躍 して い たK
君 が い た.当 時 ,戦 人 に遇 ったベル リン大学
.
に嘆息す る。 バ ラの状態 が常 に気 にかか るの
か,日 曜以 外 に余暇 が 出来れ ば,飛 んで来 て
はそ の世話 をす る.そ れ は真 の職業人 にのみ
見 られ る使命感 と資金稼 ぎの動機 とが見事 に
融合統一 され た職 業意識 の一 典型だ と思 う
.
アルバ イ トに使命感 な ど必 要 な し,知 力・
体力・ 技術 の切売 り,そ れ だけで沢山だ,と
自他 ともに,割 り切 るの も時 には悪 くないで
あ ろ う.し か しここか ら,ア ルバ イ トの暗黒
.
の復興再開 の式 典 があ った。 色 々の意味 があ
って欧州各国 は勿論 の こと,遠 く東南 ア ジア
か らも祝 電 があ り代表 も出席 していた。韓国
か らも祝電 が届 いて い た。 だが 日本か らはつ
いに祝電す ら届か なか った。
戦時 中 の友好国 日本 か ら,一 本 の祝電す ら
面 ,人 間 を スポ イル し,人 間 としての成長 を
来 なか った。 K君 はそ の式典 準臨 んで い ただ
けに,こ のつ らさは言 い よ うが なか ったにち
阻害す る とい う弊害 が 芽生 えは じめ る恐れ が
゛
あ る。 金 を稼 くだけがすべ て, とい ったケー
スが アルバ イ トの場合 に止 ま らず ,専 業 の場
外交 の あ り方 をなげ いていた。
ロー タ リー クラブが毎年交換学生 を互 に送
が い ない。 後手 後手 に廻 って い た当時 の 日本
合 に も間 々見 られ る現代 の世情 は,大 いに反
省 を要す るので はあ るまいか。使命感 を忘れ
て,金 のみ を 目当 て とす るアルバ イ トや職業
で,そ の実 を挙 げて い る.だ が これ らはただ
従事 は,必 ず や骨身 を惜 しみ ,ベ イのみ を高
望みす る とい う,人 間 として最低 の心根 を呼
び起 し易 い もので ある.ア ル バ イ トrCし ろ職
ロー タリー を識 っている,そ の周囲の人 とそ
の範囲内にとどまるような気 がす る
ロー タ リー精神 は自国内は勿論 のこと,国
業従事 に しろ,金 を稼 ぐとい う動機 を余所 に
を越えての友情 と理解 を年毎 にもっと広 く伸
76
って,相 互 の友情 と理 解 に大 きな役 割 をはた
し,亦 クラブ同士 ,相 互 の姉妹 クラブを結 ん
.
THE ROTARY‐ NO― TOMO
してゆ きた い もので あ る。 今 で も各国 の国民
が ,そ の美 しい音律 で 口ず さんでい る「 奥様
の無残 な体験 か ら世界 に向 って ,大 声 で反対
を唱え る資格 を有す る唯 一 の国 で もあ るので
御手 を どうぞ」 とい うタ ンゴ曲 があ る。 この
曲 も,た しか40数 年前 に,ベ ル リンで一 般市
す 。 もっ ともっ と力 拳 を振 って,世 界 に向 っ
てその残酷 さを叫 んで は しいので す .あ の悲
惨 な出来事 か ら20数 年後 の今 日で も,ま だま
民 か ら募集 し,そ の時 一 等 に当選 した山 とき
く。音楽 こそは国境や民族 を越 えて,素 直 な
意志 が通 じ合 う一 つの手段 か と思 う。
だ数多 くの犠牲者 は後 を断 たず ,死 神 と戦 っ
て い るので す.一 瞬 に して地 獄 と化 したあ の
そ の国 の喜 びや悲 しみ を楽譜 にのせ て,そ
の国 に贈 った ら, どんなにか相手国 に喜 び と
悲惨 な思 い出 ,あ の悪夢 の よ うな出来事 を,
一 日も早 く忘 れ去 りた い気持 は よ くわ か りま
勇気 を与 え る こ とか .我 々の中 には音楽関係
者 が非常 に多 い.又 それが測 り知れ ぎる友情
す 。 しか し,そ れ は現実 か らの逃避 以外 の な
に もので もな く,ま た,勇 気 の ない人 の考 え
る ことで ,世 界 の平和 を切 に願 ってお られ る
と理解 に結 びつ くもの と思 う.
儲数器製造)
人 の考 え るべ き ことで はな いので す。
あ の当時 は,50年 いや 百年 た って も被 災地
日本:を 去 るに当 って
元米 山奨 学生
摩
―
には人 間 は愚か ,草 一 本 はえ ない だ ろ うとさ
さやかれ た もので したが,あ れか ら僅か20数
久
私 は去 る 4月 で満 6年 , 日本 に滞在 しま し
た。 この間40年 4月 か ら米 山記念奨学生 に選
ばれ ,満 3年 お世話 にな りま した。皆様 の暖
い ご援助 に よ り経 済的 な悩み か ら解放 され ,
よ り多 くの時 間 を研究 につ いやす ことがで き
お蔭様 で学位 を修得す る こ とがで きて, 7月
故国台湾へ 帰へ る ことに な りま した。滞 日中
年後 の今 日, 日本人 の たゆまぬ努 力 と英知 に
よ り,見 事繁栄 をか ち とった ことは敬服 に値
しますが ,そ れ がやや もすれ ば “あま り大 し
た ことはない とい う危険 きわ ま る考 え を生
'′
じない とも限 らな いので す。 また,現 にその
よ うな不吉 な兆 しが,残 念乍 らない と誰 が い
えま し ょう.こ の世界 の人 々 に一人 で も多 く
さて,名 残 り惜 し く日本 の皆様 にお別れ を
あ の無 残 な姿 (記 録写真 )を みせ てあ げて下
さい.特 に,生 殺与奪 の権限 をほ しい ままに
して い る政界 の大物 の方 がたへ ,お よび戦争
告 げ るに際 し,お 願 いが ご ざい ます 。 それ は
奉仕 の理想 に も唱われ てい る平和 についてで
映 画 をみ て は「 カ ッコイイ」 と無邪 気 に喝朱
す る未 来 の国民 へ
す 。亡 き米山梅吉翁 の遺徳 を偲 んで,東 南 ア
ジアか らの留学生 に奨学金 を支給 し,国 際間
の理解 ,親 善 に役立 つ若 い人 々 を育 て,久 遠
これ はな に も日本 の恥 を世界 に さ らす ので
はあ りません.あ の実態 ,あ の無 残 さを三度
の ご親切 に対 し厚 く御礼 申上 げます 。
の平和 の為 に献身 ,寄 与 され ん ことを願 って
設 け られ た米山記 念奨学会 は,そ の崇高 な理
想 の もとで ,す で に種 はまかれ ,一 粒 一 粒 の
種 は い まや育 ちつつ あ り,近 い将来 きっ とみ
ご とな実 を結 ぶ こ とで しょう.奨 学生 の質 の
みならず,数 か らい って も国費留学生 に匹敵
す る多 くの留学生 を世話 してこられ た実績は
外国か らも高 い評価 を博 してい るのです。 ど
うかなお一層崇高 な理想 の為 に努力 されん こ
とを期待 して止みません。
また,日 本は唯一の原爆被災国であ り,そ
ロ ー タ リー の 友 -11月 号
│
と1床 わわ ない よ うに全世界 の人 々 にみていた
だ き,心 の 中で堅 く誓 っていただ くので す
.
諺 に もあ るよ うに “百間 は一 見 に しかず "と
いい ます が,展 示 され た被 爆当時 の なまなま
しい写 真 か ら,切 実 に,あ の無 残 さを感 じと
っていただ けれ ば “20年 には一 回大戦 が あ る
さ"な どと,馬 鹿 げた こ とを軽 々 し くいえな
くなるので はな いで し ょうか.ま た,こ れ こ
そ ロー タ リア ンの皆様 を除 いて ,ほ か に出来
る人 はな いで し ょう.こ れ こそ平和 に貢献す
る一つ の方 法だ と思 えて な りません。 日本 の
ロー タ リア ンの皆様 頑張 って下 さい
.
77
しみ だ と感 じた次第です.清 水焼 で有名 な清
茶道 と禅
水六兵衛 さんは,「 昔 は娘 が嫁 いで 行 く時
,
今度 行 く家 がお 前 の本 当 の家 や,も う帰 って
琴 平
丸
くるな よと言 って,娘 が毎 日使 ってい た茶碗
井
貞
夫
を割 って送 り出 して い た ので す よ」 とまるで
夏 目漱石 の著 て「 事更 に正座 して,事 更 に
格式 は って,事 更 に見栄 をは って,に が い あ
茶碗 を人 間 の分身 の様 lC賞 めてお ります
ぶ くを飲んで ,そ れがお茶 とい うものか」 と
批判 した時代 もあ りま した.し か し茶道 とい
を胸 に秘 め て,夏 は京 し く冬 は暖か く「 一 怒
一 老」 を座 右 の銘 として,余 生 を過 した い と
う精神修養 に よって,私 個人 な りに感 じ得 た
念願 して終 ります 。
哲学的楽 しみ につ いて,お 話 しい た します
.
私 も老後 は真実 と公 平 と奉仕 と友愛 の精神
(旅
館組合
)
.
古来遊戯 で も技術 で も,そ の奥 を究め るた
め には精神訓練 をせ ねばな りませ ん.柔 術・
創 立 1周 年 を迎 ぇて
剣術 の技 に しま して も,相 手 が技 を仕掛 けて
くる前 に相 手 の心 を読 み とって,丁 度 鏡 lC物
j`
′
岩沼
島
ニ
誠
が写 るの と同 じ気持 を烈 しい試合中持 ち続 け
十数 年前 ,故 佐藤幸 三 パ ス トガバ ナ ーか ら
ねば勝 つ ことは出来 ませ ん .手 先や 口先 の器
岩 沼 RCを 倉1設 して は どうであ ろ うと,熱 心
なお勧 め を受 けた。 時移 り,こ の地 に も昨年
用 さだけで は有 終 の美 を飾 るこ とは出来 ませ
ん。 心正 しか らざれ ば剣又正 しか らず .剣 客
9月 16日
,岩 沼 RCが 結成 され , 1周 年 を迎
は皆禅門 に入 って,心 と技 とを同時 に磨 いた
え,漸 くに して独歩す る事 にな った。
事 は歴史や伝説 が 物語 ってお ります 。
茶礼 の元 祖 は村 田珠光 とい う京都大 徳寺派
最 も自信 の なか った週 1回 の例会 には,必
ず出席 しなけれ ばな らない とい う堅 い約束 は
の禅僧 で 茶礼 の 中 に禅 を沢山 と り入れ 禅 を解
かず して茶道 を語 るなかれ ,茶 禅 一 味 ,茶 と
今 も尚,窮 屈で はあ るが ,自 分 の守 るべ き義
務 を,欠 か す事 な く果 して い る とい う満足感
禅 は一体 で あ る と普及 され ,信 長・ 秀吉 の時
代 に町人 どもは大徳寺 へ 詣 って,老 師 か ら茶
は,誰 にで もあ るに違 い な い。 そ して 自分 に
与 え られ た役割 を実行す べ く,懸 命 の努力 を
禅 の数 々 を教 え られ ,「 居士位」とい う位 を授
傾 けてい る。所詮 人 間 は,野 放図 もない環境
にあ って,自 分 の思 いの ままに奔放 な行動 を
け られ始めて将軍 や諸大名 と同席 が許 され
上下 の別 な く静か に茶 の湯 を楽 しみ つつ商談
,
も出来 た と伝 え られ てお ります 。
足利義政 の時代か ら書画 ,器 物等 の美術品
を茶 の席 で鑑賞す る習慣 が出来 た とも記 録 さ
れ てい ます が,文 化 の進 む につれ人 間が美 を
追求す るの も,当 然 の事 で しよ う.茶 道 が一
段 と盛 んにな った の は信長・ 秀吉 の時代 で利
休・ 遠州・ 宗旦 な どの茶人 に よってその傾向
が「佗 び」 とも「寂 び」 とも云われ,人 々に
深 い感 銘 を与 えてお ります 。
取 る事 は,決 して好 ま しい事 で はな い。
当然 ,守 らなけれ ばな らな い制約 の中 にあ
って,正 しい生 活 を営 んで始 めて,真 の 自由
が生 れ る もので あ る と思 う
ロー タ リー を表徴 す る一 つの′ヾッチが縁 に
.
なって,思 い掛 けない幸運 に廻 り会 った り
ロー タ リア ンで あ る とい う,そ れ 自身 が,大
,
きな信用 になって,商 売繁 昌 の きっか けにな
ったな どとい う話 は,心 掛 けの よい人 間 に対
茶人 は思想や意見 を文章 に残す こ とは極 く
す る,余 徳 とい うもので あ ろ う。
た とえ,そ の よ うなチ ャ ンス に際会 しな く
少 く心か ら心へ 伝 え る.従 って数十 年 ,数 百
年た って もその人 の残 した器物 を通 じて語 り
て も,そ の一 人 一人 が 口7タ リア ン とい う自
覚 を もって, 自分 自身 を, ク リーニ ングす る
合 いが出来 る, この楽 しみ を,私 は哲学的楽
事 は,大 切 な事 だ と思 う。
78
THE ROTARY‐
鯖院
,
1ヽ
OMO
O‐「
米 国 でのク ラブ訪問
東京日本橋
1
ス コ ッツプル フ
西 村 鎖 次 郎
(scOttsbluff Nebraska)
此 の クラブの元 会長 トラ ンブル氏 は1961年
の東京大会 に来 日,当 日本 橋 クラブが 目黒八
芳 園 に御招 きして以 来 ,交 友 をつづ けて い る
人 で す.今 回 の私 の旅行中,是 非同氏 の宅 ヘ
滞在 す る よ うすす め られ ,御 好意 に甘え 3日
間 も滞在 した。
例会 はカ ン トリー クラブの食堂 で開 かれ
,
丁度 地区 ガバ ナ ー が来 ていて,講 演 が あ り
内容 は よ く聞 きとれ なか ったが ,東 ヶ崎氏 の
,
名 が度 々出 てい ま した
私 の紹介 は トラ ンブル元 会長 が 日本 を訪間
.
して以来 の国際友情 がみ の り,今 回家族 と共
にア メ リカ訪間 とな った事 を披露 され ま した
2 ウオバ ー ン (WOburn Mass)
ボ ス トン郊外 の小都市 ,会 員 は75名 ,夏 休
み の ため50名 位 の出席 ,夏 の 間 は講演 はない
との ことで した
伝統 に輝 く洋 家具 造 りの 名
.
3
ブル ック リン (Brooklyn New YOrk)
会場 は地下鉄 の駅 のす ぐ上 にあ るホテル
.
出席者60名 位 の 内, ビジ ター10名 .ア メ リカ
国歌ザ・ ス ター・ スパ ングル ド・ バ ナ ーの他
に, ロー タ リー ソ ングを 2曲 うた い ま した。
言葉 が不 自由なので メー クア ップは一寸大
儀 に感 じますが ,皆 非常 に親切 で 楽 し か っ
た。殊 に東 ヶ崎氏 が会長 を して居 られ る事 は
日本 の ロー タ リア ンの誇 りで あ り, このため
家具 に見識があ る方の間では……………
ローヤル フジ コーが話題 になってい ます
百聞は一見 に しかず……是非 ローヤル フ
ジ ヨーにお こし下 さい。
く
営 業 種 目〉
高級家具全般
クラシックピア ノ
輸 入小物多種
輸入壁紙カーテ ン他
高級特注 ジ ュウタン 室内装飾施工全般
10月 27日 ∼10月 31日
秋 の新作 発表会開催中
〒 105(カ タログを進呈 い た します
一層 親切 に して くれ るよ うに感 じま した。
家族旅行 のお蔭 で ア メ リカの家庭 に も度 々
招 かれ ま した。1961年 東京大会 でお 会 い して
い なか った ら,こ ん な楽 しい旅 は出来 なか っ
た と思 い ます
.
(雑 貨 小 売 )
お願い 「 友愛 の広場」欄への投稿が多 く,掲 載が遅 くれ
てお ります 本号掲載分は本年 3月 よ り8月 まで
に「 友」宛送 られたものよ り選びました。また
よ り多 くの方 々の随想・ 意見を発表す るため要約
したものもあ ります ご諒承下さい 投稿は未発
表の ものに限 り1200字 以内を原則 としてお ります
,
ロ ニ タ リ ー の 友 -11月 号
株式会社 富士工務店家具部
EL.501-4341(代 )
)
肺 ガン と診断 され て
元東京西
木
村
次
晨5
ここにご紹介する書簡は,当 クラブ会員で内科医の本村次郎君が,昨 年 6月 ,肺 ガンと診断され,職 掌柄そ
の病状をよく知 り尽しながらも,平 然 としてガンと闘かわれ,同 年10月 ,再 起 されるまでの経過を述べたも
のであ ります この文中に書かれたガンとの闘病生活は,わ れわれの胸をうつものがあ ります.そ こで会員
の皆様のご高覧 に供する次第であ ります.な お恢復後は平常通 り自宅で患者の診療を続け,例 会 も欠席され
ることなく,本 年 8月 末まで元気に活躍 されておられましたが, 9月 に入 り,急 激 にガンが再発, 2週 間後
の11日 に逝去 されま した.亨 年74才 ,慎 んで哀悼 の意を表 します。
東京西 吉本与志雄
文.略 )本 年 6月 7日 (注・昨年)週 然 の機会
に 自宅 で胸 部 レ ン トゲ ン写 真 を撮影 しま した
を開 き,あ ま り悪性 の もので はな い し,発 生
した場 所 もよいか ら手術療法 の最適応症 で あ
ら左 胸上部 に横 3セ ンチ縦 5セ ンチ位 の腫瘍
の あ る こ とを発 見 しま した。胸部 レン トゲ ン
る と決定 い た しま した。
「 ド
を撮影 した の は 6年 目で す .患 者 さん には
ック」入 りをすす めて い るのに 6年 間 も胸部
手術 し大変 苦 しんで死 んだ の を見 問 してお り
(前
レン トゲ ン撮影 をしてい なか った事 は紺屋 の
自袴 とは 申せ 恥 か し く思 ってお ります
6月 10日 厚生年金病院長東博 士 と青 山外科
病院長関博士 と 3人 で総武 カ ン トリー クラブ
.
しか し私 は義兄其 他知人 2∼ 3名 が 肺癌 を
ます ので,肺 の手術 は絶対 にや らぬ と決心 し
てお りま した.肋 骨 の 1∼ 2本 切除 で すむ と
思 って入院 した のが 肺 の手術 とい うこ とにな
りま した ので,断 然手術 を拒否 して放射線治
に ゴル フを共 に した とき,其 写 真 を持 参 して
療主任 の 中野博 士 に相 談 いた しま した「 どう
して も手術 をや らな い な ら放射線照射 で退治
見 て もらった ら東博士 は「 これ はおれ にまか
せ て くれ」 とい って写真 を持 って帰 られ ま し
す る よ う努力 して見 ま しょう」 と話 が きま り
6月 末退院 し 7月 12日 か ら「 リニヤ ック」 と
た.そ して東君 の世話 で 6月 20日 築地 の癌 セ
ンターの整形 外科部長前山博 士 の病室 へ 入院
い うレ ン トゲ ン深部治療 を始 め ま した。 それ
いた しま した。か く運 び ま した の は胸部 の腫
瘍 が前胸部 の表面 にあ って第 2助 骨 か ら発生
した よ うに思 われ ,そ うだ った ら肋骨 の 2本
も切除 した ら治癒 す る と思 って整形 外科 の前
山博士 の所 へ 入院 したので した。
ところが入院後 ,気 管枝撮影 や気管枝鏡検
査 の結果 ,肺 か ら発生 した癌 で あ る との診 断
が確定 した ので あ ります
.
癌 とい うとどれ も同 じよ うにお考 え になる
方 もあ る と思 い ます が,強 盗 に も凶悪 の奴 と
割 合 お とな しい ものが あ るよ うに,癌 に も悪
性 の もの と比較的 おだやか な もの とが あ りま
す。 青 年期 に発生 す る もの は,殺 人強盗式 の
悪性 の ものが多 いが,老 年 者 の もの は割 合 お
だやか で,私 の奴 は説教強盗程度 ぢゃなか ろ
うか と勝手 に 自分 で きめ ま した
.
癌 セ ンターで は各部長 と関係医師 が 協議会
20
か ら 9月 7日 迄土曜 と日曜 を除 いて週 5回 休
み な しに通院 し40回 で 完了 い た しま した。
治療終 了時 には癌 は ス ッカ リ消失 しま した
が,癌 周 囲 の肺 が X線 で侵 され肺炎様症状 と
な りま した。 しか し手術 を拒否 して放射線照
射 だけでや った の だか ら これ 位 は致 し方 ない
とあ きらめ ま した.(中 略
)
「 リニヤ ック」 の治療 は 1回 1分 位 で始 めの
うちは何 の反応 もな く平気 に 日常 の仕事 を し
てお りま したが,30回 をす ぎる ころか ら全身
倦 怠 を覚 え,微 熱 が出没 し食慾 は全然 な くな
゛
り,治 療 か ら帰 る とベ ッ トに くった りして寝
ころん で い るよ うに な りま した
40回 で治療 を完 了 した ときは今後 は副作用
.
が消失す るの を待 つ ばか りと,慾 も得 もな く
ベ ッ トに横 にな ってお りま した.そ して思わ
`
ぎる強力 な伏兵 がす くそ こに待 ち伏せ して い
ょうとは夢 に も思 ってい ませ んで した。
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
放射線照射 を終 った 9月 7日 の夜 9時 頃急
に吐気 を催 し,洗 面器 に 2杯 位大量 の黒赤色
達観 した次郎君 の態度
の吐 血 をい た しま した.放 射線療 法 の副作用
中最 も恐 るべ きは大量出血 と聞 いてお りま し
たので,早 速主治医今野博士 に往診 を願 い救
急車 に同乗 して医科学研究 所附属病院 (旧
,
伝研 )に 担 ぎ こまれ ま した.入 院後 も大量 の
吐血 と下血 があ り脳貧血 を起 し寸時 意識不明
に な りま したが,輸 血 と リング ル注射 で 意識
を回復 い た しま した。 その後 は普通 の 胃潰瘍
治療 で 4日 間絶食 しま したが10日 後 には出 血
も完全 に止 り,急 速 に元気 を回復 し諸先生 の
予想 よ り遥 か に早 く 2ケ 月後 の10月 7日 無事
退院 いた しま した 退院前パ リウムで 胃の検
査 もい た しま したが小豆大 の出血痕 が発見 さ
れ ただけで した 退院時 には丁度 9キ ロ体重
東京南
東
―
陽
昨年10月 親 しい友達 に配 った上掲 の故 次郎君の手紙
は「 この大患 に再起で きました ことは神仏の加護は もち
ろん皆様の心か らの御同情 による」 として終 っている。
まことに喜びに溢れた手紙で,私 も共に抱 き合 って喜 び
た くなった。 しか し正直 の ところ私には,之 がほん とう
の根治か どうかについては疑いを拭 い きれなか った。次
郎君ほ どの名医で も,自 分の病気 の ことは解 らぬ もので
ある.少 くとも自分の癌は「説教強盗程度」 の もので
退治で きた もの と思 っていたようである 私が次郎君 と
,
同 じ状態におかれた ら,や は り同 じように楽観的気持に
なるので あろう その後 2ケ 月ほ どあ とに会 った とき
,
血 を吐 いた話な ど例の元気な声で笑いなが ら,ま るで他
が減少 し脚部 は干大根 の よ うな哀れ な状態 に
人事の ような調子で話 していた。癌 センターで も診断 の
結果や治療法については,次 郎君には隠 しきれず,ほ ん
な りま した
とうの ことを話 していたらしいが,そ れによって少 しも
.
胸 に放射線照射 をや った のに 胃か ら大量 出
血 す るの は変 んだ と思われ ますが,稀 に経験
され ることだ と聞 か され ま した。 それ に吐血
前 2週 間位 は食慾全 くな く自然 に胃潰瘍治療
の よ うな食事 を少量摂 取 してお りま したか ら
一部 に噂 され た よ うな酒類 の呑みす ぎな ど思
い もよ らぬ ことで した
明 らか に放射線 の副
作用 で血 管 が脆 くなって 出 血 した としか 考 え
られ ません
.
之 で病気 とは縁 が きれ た のです が ,今 回 の
癌治療 を体験 して感 じた ことを一 言述 べ させ
取乱す ことな く,ま ことに達観 した態度であった それ
からま もな く今年 2月 胃潰瘍再発 し,そ の上骨盤部 に恐
らく癌転移が起 り,神 経 が侵 され,強 烈なる痛みに流石
の次郎君 もひ どく悩 まされた らしい.東 大の麻酔科 の治
療 もうけたが,完 全な鎮痛は得 られなかった らしい.そ
れ よりも自分の患者を治療 してい ることに精神 の安 らぎ
を覚え,亡 くなる 2週 間前まで,患 者に快 く接 してお ら
れたようである。 そして 9月 10日 夜「 い よいよ,お れ も
死神にとりつかれたようだ」 との言葉 を残 して,翌 朝安
らかに永久の眠 りにつかれたとい うことを主治医の今野
氏か ら聞か された
.
誠 に 惜 し い 人 を 失 っ た も の で あ る。
(東 京厚生年金病院長)
て頂 きます 。 今迄 は癌治療 の完成 は人間が月
旅行 を楽 しむ よ うになる よ りは遥 か に遅 れ る
と思 ってお りま したが,世 界 の癌研 究者 が結
核 にス トレプ トマ イ シ ンを発見 した よ うに
,
今迄 の研 究 よ り別 の観点 か ら新薬 を発見す る
か ,又 は,免 疫学方面か ら新治療 を開発す る
か ,更 に之 等 と平行 して副作用 の ない放射線
治療 が発達 した ら,癌 治療成功 は月旅行 よ り
早 くなるか も知れ ない ところ迄進 んで来 つつ
あ るの じゃなか ろ うか と考 え られ ま した
私 は今 レ ン トゲ ン,血 液其他 の検査所見及
.
び 自分 の気 分か ら癌 は全治 した と思 ってお り
ます (勿 論確証 は 3年 5年 先 きですが)し か
‐タ リ ー の 友 -11月 号
口‐
し副作用 として左 肺上部 の「 やけ ど」 の ヒ ッ
ツ リが 固定 し呼吸 が安定す るまで ゴル フは遠
慮す る ことに してお ります.病 気 が病気 だか
ら この位 は仕 方 な しと諦め てお ります (後 略
)
以上 で大体此度 の病気 は御 了承願 えた と存
じます .此 大患 に再起出来 ま した事 は神仏 の
加護 は勿論 ,皆 様 の心か らの御 同情 に よる も
の と信 じてお ります 。 今後 は衷 心 よ り皆様 の
幸 福 と健康 の為 め全力 を尽 して奉仕 し,御 厚
情 の万 分 の一 に報 い度 い と心 に誓 ってお りま
す。
昭和 42年 10月
27
座 右 訓 。た ぺ も の 健 康 法 。人 物・愛 読 書・花・ 座 右 訓・た ぺ も の
@*^"1et76,
黎
浦和
松
平
忠
晃
鳥
河
取
田
は)私 の座右訓
無間関 の「 百尺竿頭
(0 私の愛読書または特に感銘 した本
一歩進 む」即 ち向上
の境地 よ り更 に一 歩 を進 めて ,む げ 自在 に活
躍す る意 と存 じます 。「 百尺竿頭 座底人」
ストレイチー著「 現代 の資本主義」
ル
ガ プレイス著「 ゆた がな社 会」
J・
W・ フォッケ著「 健全通貨」
マル クス主義 と人 民資本 主義 に対 し,第 3
の考 え方 を打出 した ス トレイチ ーが,マ ル キ
ス トか ら転換 した人 で あ るだけ に興味深 い。
の語 もあ り,こ れ は向上 の境地 にあ るが ,少
しも活 動 せぬ人 の こ とを指す のです
.
(2)私 の好きなたべ もの
10年 前 の著 なが ら再読 の価値 あ り.マ ル クス
経 済学 は既 に過去 の もので あ る こ とは間違 い
「 ナマ ズ,鮎 ,フ ナ,鯛 等 の刺身.豆 腐料
理 .ソ バ 」.30数 年前 に身心 を鍛 え るため ,
な い.彼 の米国経 済観 はガル ブ レイ ス に よっ
てい る。 フ ォ ッケ (元 西独 中央銀行総 裁 )は
裏千家家元 の直門 にな り,爾 来 ,嗜 好 が根本
よ りかわ つた よ うで す .茶 趣 の溢 れ る料理屋
憲法以 前 の問題 として,通 貨価値 の安定 を主
で一人 で 静 か に頂 くこ とが最 上。 清酒 はつ き
張 ,全 く同感
ものです が私 は 1合 です 。
.
(a 私の好きな花
豪華 なバ ラと薄 紫色 の桔梗 。
鳥取
(商
業銀行
横浜港南
54歳 )
高
田
光
治
立居常住 ,正 しい姿勢 を保 つ。 健脚 と皮膚
の清新 .朝 夕 2回 体操 の外 ,徒 歩 跳躍 1千 歩
毎 日全 身 の老廃表皮 の掃拭
121 私の敬愛する人物
(日
広
広
本 酒販 売
川
79歳 )
東
―
(1)私 の座右訓
和而不 同.中 学 の母校 に この言葉 か らとっ
た「 和 同会」 とい う生徒会 があ った 他 とな
どやか な協力 の うち に も主体性 を失 わ な い
実 に明言 だ と思 って い る
.
.
(a 私の好きなたべ もの
生 うに,舌 にのせ た らとろ りとあま く,な
ん ともいえぬ舌 ざわ りと味 があ る.酒 の さか
な に も良 く,精 力剤 とか 。 (中 央銀行 40歳
)
22
相
:l 高
′
秋
私 の愛読書 または特 に感銘 した本
波多野精一「 時 と永 遠 」 岩波書店
この本が最初出版 され た の は昭和18年 で あ
ので
,今 か ら約25年 前 で あ るが ,死 の問題
る
に関 して これ 程深 い分析 と思索 の な され た本
みかえ してみ た.死 の準 備 をそろそろ しな く
ては な らぬ年令 の者 に とって必読 の書 で あ る
0)私 の好 きな花
桜 .桜 の咲 く頃 は,学 校 の一 番忙 しい時 な
ので,か つてお花見 の出来 た こ とはな い。 い
つで も遠 くか ら,は るか にかすむ桜 色 の雲 を
見 るだけで あ った 私 に とって桜 の美 しさは
手 に入 らぬ遠 い理想 の美 で あ るのか も知れ な
n ∩
冒
u
帯
)
はな い.昨 年 また再版 された ので ,改 めて読
.
中江藤樹 ,陽 明学 の祖述 (知 行 合 一 ,格 物
致知 )自 ら体得 と共 に庶民 の教化 .福 沢諭 吉
泉信三 ,高 潔 な
近代 日本 へ の啓発先覚者 .イ ヽ
る人格 ,公 正 な識見 と理 性 に徹 した人
恭※
歳
“
(D
屋 塾
は)私 の健康法
(茶 道
(私 立 大 学
高
岡
本
吉
63歳
忠
)
栄
私の健康法
毎 日 5千 歩 以上 日課 の よ うに歩 くこ と 晩
酌 日本 酒 5∼ 6勺 (小 型 の グイのみ 3杯 ).
睡 眠 7時 間前後 .趣 味小 唄.心 配 は して も,
心痛 はせぬ .以 上 の こ とを常 に心がけ して い
る
.
(保 険
71歳
)
THE ROTARY― NO・ TOMO
健
法 。人
康
稚 内
物・ 愛
佐
賀
書・ 花・ 座
読
孝
郎
右
訓・ た ぺ も の・ 健
法 。人
康
胞
@*""*ya
物
浦和
古 橋
(1)私 の座右訓
は)私 の愛読書または特に感銘 した本
徳不孤必有 隣
「 日本 の歴史」
私 の亡 父 が この言葉 の意味 を,か み くだい
て教 え て くれ た ことを,い つで も思 い出 しま
す .こ の言葉 を今 の世代 の人達 は, どん な解
釈 を して い るので し ょうか
② 私の好きなたべ もの
か ら飲む “そば湯"の 風味 も,格 別なもので
(海 産 加 工 業
す
鳥取
村
江
55歳
正
)
民
.
け)私 の好きな花
「 駒草
か た くりの花」。 人 に媚
薄雪草
・
・
.
(会
計監 査
67歳 )
余市 篠 崎 正 美
=お
(1)私 の健康法
万 歩 運動 をしてお ります .毎 朝早 く海岸 ∼
農道 ∼堤防等 ,車 も人 もい な い道 で す 心 も
静 ま ります 。
内村鑑三 .北 海道 が育 て た明治 ,大 正,昭 和
昭 和 17年 3月 大東 亜戦 の 戦 勝 に酔 って い る
日,古 本屋 で これ を発 見 し,今 日まで 愛 読 し
6年 4月 ,真 片 名再 刻 と記 した
を代表す る偉大 な思想家 で す .輛 料製造
く
コ
n≧ D
八幡
田
中
58歳 )
子
工
私 の好 きなたべ もの
薄 い もの
(421
い し参考 に な る
け)私 の敬愛する人物
い)私 の愛読書 または特に感銘 した本
福沢諭吉 小幡篤次郎著「 学 問 ノ ス ヽメ」
て い る。 明 治
堅苦 し くな く小説 を読 む よ うに読めて面 白
び ず 清 楚 な と こ ろ が 良 い
きそば.ど んな寒 い冬で も,手 打 ちの “も
りそば"の 味はなん ともいえず,食 べ終 って
才次郎
赤 飯 ,い も,ま め
私 の好 きな花
も くげ .花 は一輪 い け て 風情 の あ る ものが
好 ま し い そ して 新 鮮 な もので なけれ ば と思
う と,一 日花 に し くもの は な い。 も くげは ま
(産 科 医 68歳
た種 類 も多 い
)
.
倉
敷
鳥
越
光
次
.
女み たいだけ ど
(テ レ ビ放 送
.
ボ 誠 メ
東京 日本橋
1
.
今 日の心 神 の悩み は今 日払 う。
慈悲 の心 で寛大 に処理,し ,自 らを深 く反省
己 の 体 力 の 限 界 を知 るこ と
りは入 らず 」 説教 よ りも実行 が大切 だ, と
強調 され た先生 の言葉 は至 言 で あ る 東 ケ崎
RI会 長 の「 参加 し敢行 しよ う !」 の ター ゲ
ッ トと ビ ッタ リで ,意 欲 をもって 参加 し,勇
気 を もって実行 す るこ とが第 一 と痛感す る
.
微善 の実行 で も仲 々六 ケ敷 い.
ロ ー タ リー の 友 -11月 号
(印 莉 70歳
明
人 間 で あ る こ とは ,責 任 を もう こ とに 外 な
・
らな い .
(2)私 の健康 法
0)私 の敬愛す る人物
福沢諭吉先生 .「 徳教 は 目よ り入 りて耳 よ
)
は)私 の座右訓
(1)私 の健康法
して,病 気 と病人 にな らない よ うに心が け る。
日
田
61歳
.
)私 の好 きなたぺ もの
,
“
嫌 い な もの は な い が ,特 に 好 きな もの は ,
す し,と うふ ,貝 類 ,山 莱 , うな ぎ.t
i
に)私 の特 に感銘 を受けた本
・
丸 善社 長「 学燈 をか か げ て 」
(ダ イヤ モ ン ド社 歴 史 をつ くる人 々 シ リ
ー ズ)
'
に)私 の好 きな花
あ じさい,カ ンナ ,な の 花
.
(文 房具販売
60歳
)
)
23
各国特許
盛 岡勇夫
(美 術 銅像 )
胸像・ 立像
レ リー フ (浮 彫肖像
)
:写 真は□―タリー倉1始 者ポール・ハ リス氏の像
1回 の 撮
影 で一 ―
◎ 生 気 に満 ち た
1935年 当社にて撮影製作
ご記 念 像 の お す す め
会 員 の皆 様 の御 申込 につ い て
◎ 芸 術 の 香 り高 い
は 、 特 に 前 渡 金 を戴 か な い で
◎ 迫 真 の 肖像
ご製 作 い た しま す 。
賀寿 功労 叙勲受章
等 の ご記 念 像
説 明書進呈
お気 軽 に ご用 命 下 さい 。
・…ご 希 望 に よ り 出 張 撮 影 も い た し ま す …
立体写真像株式会社
東熊F刷 ll区 南大井4-!2-4
日目言
舌 月に易
言 76:― -2758・
: 640
肥 りす ぎ も 糖 尿 病 や 心 月
蔵病 も 、運 動 不 足 に よ る も の が 多
い こ と は わ か っ て い て も、 多′
に な近 代 人 に運 動 を す す め
る こ と は 実 に む ず か しい こ と で す 。
ス タ フ ァ ー は 努 力 を 必 要 とせ ず 適 度 の 運 動 を与 え て くれ
ま す か ら ま さ に I里 変
動 勺なイ
建康 美 容 機 と い え ま す 。
御1-家 お 揃 い で 、 ど な た で も 、 好 き な 時 間 に 、 適 当 な 運
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横 浜 市 西 区 南 華 │― ‖ -2(浜 西 ビ ル )
冒目言舌 (045) 3!│―-9751
■ 関 西 地 区 (60サ イク ル )発 売 元
日本 ス タ フ ァ ー 株 式 会 社
ブそり支司に肩コ巨三クにブE各舌F同 田丁33
冒彗言舌 (06)2:!― -6747
車命入 元
ジ ャパ ン ス タ フ ァ ー 株 式 会 社
東 京 都 目 黒 区 上 目 黒 3-33-4
冒三言舌 (03)71:― -5457
■
1969年 度国際 ロー タ リー年 次大会 へ
挨
L
ここ数年来 ,海 外各地 の国際 ロー タ リー
!
拶
(RI)年 次大会 へ の 日本人会員 の参加 は極 めて活
発 とな って来 てお り,世 界第 3位 の ロー タ リー国 ,日 本 の年 次大会 へ の積極的意欲 を示す もの
として,国 際 ロー タ リー において,極 めて高 く評価 され てお ります ことは,ご 同慶 の至 りで あ
ります。
しか しなが ら全 国 で 4万 名 を越 すわが 国 ロー タ リア ンの総数 か ら申せ ば,海 外 での年次大会
参加経験者 の数 は い まだ に微 々たる もの にす ぎません.開 催地 が,や や もすれば遠隔 の地 で あ
り,参 加 の ため に比較的長期 の時間 を割 かなければな らなか ったために, これまで参加 の意欲
は充分 にお持 ちにな りなが ら実 現 で きな か った方 々 も多 か った ことと存 じます
この意味 にI・‐いて,明 年度 の年 次大会 が ,日 本 と一 衣帯水 の位置 にあ り, しか も世界的 な景
勝地 ハ ワイにお いて,開 催 され る ことにな りま した こ とは,日 本人 ロー タ リア ンの方 々にとっ
.
て RI年 次大会参加 の絶好 の機会 を提供 した もの とい えま しょう。
私共両社 は例年 日本 の ロー タ リア ン各位 の ため,年 次大会参加旅行 を企画実施 して参 りま し
たが,昨 年 か らは,参 加者各位 の ご便宜 を考慮 して両社提携 の うえ,企 画・ 運営 を一本化 して
最 も有益 かつ快適 な大会参加旅行 を実施 で きる よう最大 の努力 を傾注 してお ります
今 回 の ハ ワイ年次大会 とい う,ま た とな い機会 をのが さず,
.
1人 で も多 くの 日本 ロー タ リア
ンが参加 に踏 み切 られ る ことを切望 い た します とともに,私 共両社 の万全 を期 した企画 に対 し
絶大 の ご支援 を賜 わ ります よ う,お 願 い 申 し上 げます 。
R:ハ ワイ大 会特 約 指 定旅 行 社
(オ
株式会社 日本交通公社
富 士 海外旅行株 式会社
取締役社長
東
フ ィシ ャル 。エージェン ト)
ヶ
崎
潔
輸確長 西
尾
寿
男
ハ ワイ 大 会 参 加 各 位 ヘ
本誌 9月 号,10月 号 にて ご案内いた してまい りま した次頁 ハ ワイ年次大会参加旅行 は,ロ ー
タ リア ン各位 の絶大 なるご支援 により,お 申込者 が,す でに定員 を上廻 っている コース もござ
いますので,ま だお申込みでない方 につ きま しては,上 記旅行代理店ヘー応 ご確認 の上 ,お 申
込み下 さるようお願い申 し上 げます。
Aプ ラン :大 会 出席 と島め ぐリ
5月
(1)※ 大会前島 め ぐリコース
(′
・
ヽワ イ島 日帰 り旅行 )
(カ ワイ島 日最 り旅行)
(2)大 会後島 め ぐリコース
,こ ヴ7`島 ヂ
経費 ¥129,800.一
∼ 5月 31日
東京 ∼ホ ノル ル ∼ ヒロ∼ コナ∼ホ ノルル ∼東京
5月
※大会前島め ぐリコース
(3婦
23日
23日
経費 ¥125,500.一
∼ 5月 31日
東京∼ホノルル∼カワイ∼ホノルル∼東京
5月 25日 ∼ 6月 2日
経費 ¥196,500.一
ルル∼ヒロ∼コナ∼マウイ∼カワイ∼ホノルル∼東京
東京∼ホノ
Bプ ラン :大 会出席と各地域別旅行
(1)大 会参加 と米西岸
経
(13日 )
費
¥331,500.一 マ
´
__3_ヽ
ヽ
∼
∼
∼
∼
一
― ヽ
―∼
スアンゼルス∼ グラン ドキャニオ ン∼ラスベガス∼サ ンフランシスコ∼東京
5月
24日
∼
6月
5日
5月
(18日 _
)
(2)大 会参加 と北米一周
´
_
∼
――
―ワ シ ン トン∼ マ イ ア ミ∼ ニ ュー オ
み二ご )ァ ンゼルス∼ナイアガラ∼ニューヨーク´
条纂
・ ラ ンシス コ∼東 京
ル リ ンズ∼ サ ンフ
24日 ∼ 6月 7日
(3)大
`
ヽ
へ 会参加
‐
∼∼´
策策
5月 24日 ∼ 6月 7日
と米西岸 0カ ナダ
経費
(15日
)
¥479,500。
一
経費 ¥383,500.―
ル ス ∼ シア トル ∼ エ ドモ ン ト ン∼ ジ ャ スパ ー ∼ パ ンフ∼ カル ガ リー ∼
バ ン クー バ ア ー ∼ 東 京
(4)大 会参加 と 中南 米
―
5月 24日 ∼ 6月 14日 (22日
)
経費
¥695,000.一
細軒― んルルーロスア ンゼルス∼メキ シヨ∼ リマ∼ブエ ノスアイレス∼サオパ ウ ロ∼ リオデジャ
∼
ネイ ロ∼サ ンフランシス コ∼東京
経 費 ¥699,000.一
5月 24日 ∼ 6月 13日 (21日 )
(5)大会参加と世界一周
ー
十
∼―
ー∼
一 ` ´― シ
_ク
ヘン
【
ロ
ーマ
∼ミュン ∼ジュネーブ∼パリ∼ロンドン
∼マ ドリッド∼
¬
斎 二γアχttχ 3rl_ョ
∼東 京
(6)大
V資会参加 と南太平洋
斎=一
5月 15日 ∼ 5月 31日
(19日
)
経費
¥711,500.―
、
υ
´
v、
――
^一
――――一
∼ォークランド∼スバ (フ ィジー島)∼ パピーテ (タ ヒチ島)∼ ホノルル∼
東京
(注
)A,Bの
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■
中 .
﹁
■
犠
消 波 プ ロ ッ ク の 機 能 と効 果
東北大学工学部助教授
消 波 プ ロ ック とは
,一 口 に 言
田
沼
淳
って 波 の エ ネ ル ギ ー を吸 収
,発 散
さ せ る 機 育しを も つ プ ロ ッ ク で あ る 。 こ の よ う な 機 育しを 示り用 し て
,
,透 過 波 ,波 圧 ,波 の 遡 上 ,越 波 ,構 造 物 (護 岸 ・ 防 波
堤 ・ 導 流 堤 )前 面 の 洗 掘 な ど を 緩 ら げ ,目 的 に か な っ た 構 造 物
を 建 設 し よ う と す る も の で ,構 造 物 の 目 的 に よ っ て は ,消 波 ブ
反射 波
ロ ッ ク に 期 待 す る効 果 は千 差 万 別 で あ る
.
一 見 ,何 気 な く配 列 し て あ る プ ロ ッ ク も ,そ れ ぞ れ の 場 所 で
,
そ 才しぞ れ 異 っ た 役 害」を 持 ち 荒 れ 狂 う波 に 抵 抗 し て ヽヽる の で あ る
.
この 消 波 機 能 は
,プ
ロ ッ ク相 互 の か み 合 わ せ
,表 面 粗 度 ,通 水
性 な ど に 支 配 さ れ て い る 。 現 在 使 用 中 の 多 くの プ ロ ッ ク は 四 面
体
,六 面 体
を基 本 形 と して
,上 記 の 性 質
を増 大 す る よ う な 形 状
に 変 形 さ れ た もの で あ る 。 ま た 消 波 効 果 の 程 度 は
置 水 深 と波 高 の 比
研究 では
,波 長 な ど に よ っ て も異 な る が
,波 の 砕 け る 位 置 で 最
,構 造 物 の 設
,こ
れ まで の
も よ く そ の 効 果 を発 揮 し て い る 。
消 波 プ ロ ックの 水 植 実 験
さ ま ざ ま な 波 ゃ 潮 流 を 人 ェ 的 に 造 り ,プ ロ ッ ク の 積
重 ね 方 法 を か え て 消 波 効 果 と 安 定 性 を研 究 す る
わ が 国 で 開 発 され た
6脚
プ ロ ッ ク
.相
互 の 組 合 せ 方 で安 定 性 が極 め て 高 い
.
5本
脚 の ベ ン タ コ ン
.波
浪 ・ 潮 流 の 作
用 を 緩 和 し , 1奪 造 彬りを 3主 固 に す る
.
全 国 海 岸 線 の 最 大 波 高 分 布 図
図 の 数 字 は ,そ の 地 点 に 押 し寄 せ る 大
波 の 平 均 波 高 で ,最 大 波 高 は こ の 数 字
よ り 15%高 い ,例 え ば 高 知 県 壼 戸 岬 で
は 南 南 東 の 方 向 よ り !0米 の 高 波 が あ り
,
最 大 波 高 は 日 .5米 と な る .堤 防 の 高 さ
は こ れ らの 数 字 が 基 礎 に な つて い る
.
: :海 岸線総距離
r////・
防波堤の必要 な海岸距離
■■ 防波堤の設置された海岸EE離
栞
毒
量
最瞥
彬
二曇
i「 1
曾
器
借
番
、
海岸 災害の
80%は
台 風 と冬 期 波 浪 に よ る も の で 毎 年
数 百 億 が投 じられ て い る
.高
波 か ら沿 岸 を譲 る に は
堤 防 を ダム の よ うに 集 け ば よい が
大 であ る
.そ
,資 材 や 経 費 が 英
こ で 生 れ た の が テ トラ ボ ッ ト “消 波 ブ
ロ ッ ク "で あ る 。 空 気 に よ る 防 波 堤 の 研 究 な ど も 以
前 よ り研 究 さ れ て き た が
は
,わ
,近 年 ,
この 消 波 プ ロ ック
が 国 で も 多 くの 研 究 者 に よ り考 案 さ れ
,様
々
な 形 態 の プ ロ ッ ク が各 地 で使 用 され る よ うに な って
いる
.こ
の研 究 者 の一 人 で あ る新 潟 の 長 井 君 は
の よ うに問 題 点 に つ い て語 って い る
.
,次
福 京 大 兵
鳥 島 岡 広
井 都 阪 庫
取 根 山 島
,
新潟
徳 香 愛 高 福 佐 長 熊 大 宮 鹿
児
島 川 媛 知 岡 賀 崎 本 分 崎 島
`
消 波 プ ロ ッ クの 要 点 は 少 い 責
長井信治
材 で最 大 の 消波 効果 をあ げ
る こ とで あ る
.そ
,さ
らわ れ な い構 造 に す
の た め に プ ロ ックの面 を多 くと っ
て 水 の 摩 擦 抵 抗 を高 め
,エ
ネ ル ギ ー を分 散 させ
,同
時 に 相 互 の プ ロ ッ ク が 連 鎖 し て 強 度 と 安 定 性 を保 つ
と こ ろ に あ る 。現 状 の プ ロ ッ ク は積 重 ね て 効 果 をあ
げ て い る が ,こ れ が
l段 で 出 来 れ ば施 工 や 経 済 性 の
面 で も理 想 的 で あ ろ う 。 だ が 実 際 の 波 浪 や 潮 流 の 性
質 を調 べ ,模 型 実 験 な ど ,も っ と幅 広 い 資 料 か ら多 角
″
的 な 技術 開 発 を進 め る必 要 力であ る (長 井興農工業社長
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コーナ ー 宛
ご用 命
IR I認 可
/ ほ ど
カ タ ロ クの ご 希 望
ゴ
報 │(さ い
ロータ リアン誌 il月 号予告
Previewing The Rotarian for November 1968
Why is Man Aggressive一 人間だけがなぜ ?
地球上 に住 む動物 は,正 常 な状 況 では,食 物 を
得 るためか,自 衛 の ためで なけれ ば,同 じ種族 に
属す る仲 間同士 で は殺 し合 い ません。 それ な のに
加盟 は,昨 年 の総会 で も実現 され ませ んで した
この よ うな結 果 に なった大 きな原 因は,ア フ リカ
.
諸国 の投 じた「 ノー」 とい う票 だ った のです。
人間 だけがなぜ ,た だ殺す ことだ けが 目的 の殺人
す で に世界 を 5回 もまわ ってい る筆者 の ク リフ
ォ ド氏 は,東 西 のひ とつ の接点 ア フ リカで,新 し
一一 それ も戦 争 とい う名 の大量殺人 をす るので し
いや り方 で共産主義 と戦 って い る中華民国 の人 た
ょうか ?
ちの姿 をル ポ して い ます。24∼ 26頁
平和 を願 い,人 類 の将来 に思 い をはせ
.
る人 な ら誰 で も,い つで も心 の 中 で繰 り返 して い
る疑 間 では な いで し ょうか
ユ ネ ス コで出 して い る季 刊誌 Impact Of Scie―
.
A Man for All Children― 音楽が人間を作る
nce on Societyは ,こ としの 4∼ 7月 号 で,こ の
問題 についての専 門家 の シ ンポ ジ ュ ウムを特集 い
鈴木 鎮 一 とい う名前 を ご存知 ない方 も,新 聞紙
面 をか ざった,1,500人 の子供 たちが い っせ い に
バ イオ リンを演奏 して い る写真 を覚 え てい られ る
た しま したが, ロー タ リア ン誌 で は,ユ ネス コの
好意 で そ の抜粋 を転載す ることにな りま した.こ
方 は多 い こ とで し ょう.こ の子供 たちを,こ こま
で 育 て あげた のが,鈴 木君 (松 本 RC)な のです。
の人類 に とって最大 の問題 を考 え る,ひ とつの手
がか りに してい ただけれ ば と思 い ます。
す で に世界的 に有名 に なった鈴 木君独特 の幼児
に対す る音楽教育 の方 法 もさるこ となが ら,私 た
シンポ ジュウムの出席者 は,動 物学 ,医 学 ,心
理学 な どの各分野 を代表す る英 ,米 ,仏 , 3国 の
ちが強 く引かれ るの は,次 の言葉 に こめ られて い
る同君 の「音楽 を通 じての市民教育」 に対す る情
学者 7人 に,政 治家 の立 場か らイギ リスの ノェル
ベ ー カー議員 も発言 して い ます。 19∼ 21,55頁
熱で し ょう
.
:
t
.
“
私 が望 んで い るの は,た だ善良 な市民 を育 て
ア フ リカ大陸 の あ ちこちで,台 湾 か ら来 た農業
るこ とだけです。子 供 たちが ,生 まれ た時か ら良
い音楽 を聞 き,そ して 自身 でそれ を演奏す るよ う
になれ ば,そ の子 た ちは,感 受性 と,し つ け と忍
技術者 た ちが ,ア フ リカの人 たちを指導 し,田 を
耐力 を身 につ け,「 美 しい心」 を持 った人 間 に育
作 り,水 を引 き入れ ,そ して米 を植 え てい ます。
そ して,稲 の穂 が実 るころ,中 国 とア フ リカの人
ちます "22∼ 23頁
These are the Saints― 鍬をとる聖者たち
た ちの間 の友情 も立 派 に実 を結ぶ のです。 自分 た
ちの秀れ た技術 を伝 え に,は るば るや って来 て く
れ た こ うした中国人 の住 む中華民国 と,暴 力 と腐
敗 と流血 のみ を持 ち こんだ 中共 と一― どち らをア
フ リカの人 たちは選ぶ で し ょうか ? 中共 の国連
ロー タ リ ー の 友 -11月 号
.
口"タ リアン誌では,今 後同誌掲載の記事
お知 らせ
の うちで,著 作権上の問題のあるものを転載禁止とする
ことになりました。したがって皆さんのご希望の記事を
翻訳 して転載できない場合もあ りますので。 この段御諒
承下さい
.
33
アパ"卜 探し
車 格 子 の世 界
もう一度 新間 の案内広告 を調 べ て私 は,受 話 器
を と りあげ,ダ イヤル を回 した
3段 の 階段 が 意 味 す る もの
Three Little Stairs
.
“もしもし''
“アパ ー トをお借 りで きます で しょうか ?"
Bv Ronald J. Dickeon
“もちろん で す とも,あ れ は 4部 屋 で ご ざい ま
すが 一 "
=詳 しい こ とをf司 う前 に こち らの事情 を ご説明
実 は私 ,車 椅子 を使 わ なけれ ば
な らない身体 なのです。 です か ら,階 段 があ った
り,入 り口が 狭 くて はだめ なのです が …'
した いのです が
電話 の相手 は,私 のい った こ とば をかみ しめ 考
゛
えて い る らし く, しば ら く口をつ くんで い た一―
一 体身体障害者 にアパ ー トを貸 して もいい もの だ
ロータ リア ン誌1968年 10月 号 より要訳
たぶん職 が無 いんだ ろ うが家賃 をきち
ん きちん と払 え るだろ うか …… このアパ ー トに車
ろ うか
椅子 を持 ち込 まれ て もだ い じょうぶ だ ろ うか ―
な どと電話 の向 こ うで考 えてい るだ ろ うこ とは想
像 に難 くない。
・ そ うで すね"と 相手 は急 に話 を始 め た.“ こ
のアパ ー トはあなた に とって,も って こいだ と思
い ます よ 階段 はあ りません一一 つ ま り建物 と歩
道 とは同 じ高 さなので す。 それ に各階 にはエ レベ
ー ターがあ ります じ
…"
さらに二 ,三 そ の アパ ー トの私 に とって好都 合
な点 を聞 か され て,私 は自分 で見 に行 くこ とに し
た.そ うはい って も,私 はパ スや市電 には乗 れ な
い し,車 の運転 もで きないので ,自 分 で出 か け る
とい うの はなか なか めん どうな こ となの だ った。
疏
]陶
酬
結局 ,友 人 のひ と りが ,仕 事 の終 わ ったあ と,彼
の車 で連 れて行 って くれ るこ とにな った。
そのアパ ー トの環境 はなか なか よさそ うに見 え
た 場所 は市 の 中心地であ り,都 市 の騒音 や雑踏
や友人 ,つ ま り生 活 そ の ものか ら遠 く離れ た静 か
な郊 外 で はなか った.近 所 には ドラ ッグス トアや
食料品店 もあ った。 アパ ー トの建 物 には,歩 道 と
同 じ高 さに広 い入 り口がつ いてい た.私 は じゅ う
たん の敷 かれ た ロビー に車 椅子 を乗 り入れ た。 ロ
ビーの奥 にはエ レベ ー ターが 2台 あ ったが ,私 の
目には い った の はエ レベ ‐ ター と私 の間 にあ る 3
段 の階段 だ った その階段一-2段 になった ロビ
ー を分 けてい る装飾的 な もの なの だが一一 は,私
34
THE ROTARY― NO‐ TOMO
`の 車 椅子 には越 え難 い障害 なので あ る
.
この よ うな経験 は決 して珍 らしい こ と で は な
い。 た とえばあ るアパ ー トは出入 りに は 申 し 分
なか ったけれ ども,浴 室 の ドアは車椅子 には狭す
ぎた し,ま たほか の アパ ー トには,私 の有 能 な小
さな車 の動 きを封 じて しま うよ うな小 さな台所 が
つ いてい た.特 に身体障害者 のため を考 え て設計
され た建 物 にす ら私 たちに とって不適 当 な点 があ
る.あ る公立 図書館 は,身 体 の不 自由な人 たちの
ため に,エ レベ ー ター を備え,路 面 と同 じ高 さの
入 リロ を作 ったが,エ レベ ー ターの ドアは車椅子
にすわ った ままで あけ るには重 す ぎた し, “路面
と同 じ高 さ"の 入 り口は,駐 車場 か ら 6イ ンチ (こ
れ は車椅子 に とって絶 望的 な高 さだ)も 高 くな っ
て い た。
5年 ほ ど前 には,私 は満足 な仕事 を持 ち,サ ン
フラ ンシス コ湾 を見下 ろす アパ ー トに 住 ん で お
活 の性質 に依 る もので あ り,生 活 は家庭 か ら始 ま
るので あ る。
ダナ 。マ ッグイ ンさん の場 合
医学的 に社会復帰 の訓練 を終 えた脊髄 マ ヒに
は
され た人 た ちに とって,家 を見 つ ける とい うの'E
た いへ んな問題 なので ある。
“私 は魅力があ る し,性 質 もよ く,思 いや りも
あ り,頭 もいい と思 い ます。 です か ら,自 分 自身
を社 会 の望 ま しい一 員 だ と思 ってい ます .誰 かが
日常生 活面 で私 を助 けて くだ さるな ら,私 も社会
に貢献 で きるのです"と ,オ ハ イオ州チ ャグ リン
フ ォール スの ダナ・ マ ッグイ ンさん は自分 自身 を
こ う評価 して い る
.
現在 は両親が 日常生 活 に関 して はダナを助 けて
い る。 しか し,両 親 が死 んだあ とは,ダ ナはい っ
た い どこに住 む の だろ う?
療 養院 ?
療養院 では私 は生 き生 き と生 きては
り,車 椅子 の世界 な どは頭 の片すみ に も浮 か ばな
力ヽった.と ころが,正 体不明 の ウイル スが私 の脊
ゆけな い だ ろ うと思 い ます。 あそ こにい る人 たち
はた いていお年寄 りだ し, もう人生 を生 き抜 い た
髄 を犯 し,私 は,突 然 に,し か も永久 に この世界
に放 うりこまれ た の だ った。 それ以来私 は,こ の
人 た ちだか らです , とい うのが彼女 の答 で あ る
車 椅子 を考 え て設計 した彼女 自身 の家 ?“ それ
世 界 を探 り続 けてい るので あ る
は全 く問題 外 です。 私 は結婚 して い ませ ん し,両
親 も多額 な遺産 を残 して くれ な いで しょう.私 に
.
新しい世界に住む人たち
この車 椅子 の世界 は,た いていの人 が考 え てい
る ほ ど限 られ た もので はない.し か し同時 に,た
い て いの人 たちは,か つて私 が そ うで あ った よ う
に,こ の世界 に とん と気 が ついてい ないの だ.文
字 通 りそれ は,ひ とつ の新 しい世界 な ので あ る
.
.
は必要 な収入 もあ りませ ん"
残 った ひ とつ は,身 体障害者 の ため の共 同住宅
施設 で あ る.こ うした施設 は もちろん障害者 たち
をあ る意味で隔離す る.し たが って,身 体障害者
援助 オ ラ ンダ中央協会 の言葉 を借 りれ ば, “人間
つ ま り,ご く最近 まで ,身 体障害者 はそ う長 くは
生 きて い なか ったか らで あ る。 第 1次 大戦 で脊 髄
的 な問題 に対す る非人間的 な解決法"と い うこと
に な る.し か し,こ の解決 策 は い ろい ろな国 で 試
の マ ヒに犯 され たア メ リカ人 の90パ ーセ ン トは負
み られ てお り,実 現可能 な もので あ り,ま た,多
傷 後 1年 以 内 に死 んで い た。 しか し今 日で は,医
学 の進歩 のお か げで,対 (つ い)マ ヒや四肢 マ ヒの
くの身体 の不 自由な “人 たち"の 住 宅問題 に対す
息 者 たち も長生 きす る よ うにな ってい る.私 たち
は,自 分 自身 の人生 を生 き抜 いて ゆ くと同時 に.他
る解決方 法 で もあ る
この よ うな施設 の将来 の住 人 として,マ ッグイ
.
の 人 たちの人生 に も影響 を与 え てい るので あ る
ンさん の態度 は絶対 的 な もので あ る.“ 私 は熱烈
に,力 を こめて,少 しの ため らい もな く,身 体障
その影響 は,本 質的 には,世 界的 な もので あ る
場 合 も (た とえば故 フラ ン ク リン・ D。 ル ー ズベ
害者 の ため の住 宅施設 が必 要 で あ り,望 ま しい も
の だ と申 しあげた いのです。 これ は身体 に障害 の
ル ト大統領 の よ うに),あ るい は もっ と限 ら れ た
もので ある とき も,ま た社会 に積極的 に貢献す る
あ る人 たちの世話 を人間的 に,ま た経 済的 にす る
最 書 のア イデ ィアです.こ うした人 た ちはそのお
もので あ った り,逆 に社会 の重荷 ともな りうる こ
と もあ る。 いずれ に して もそれ は私 たち自身 の生
返 しに,世 話 を して くれ る社会 に貢 献す る ことで
.
コ ー タ リー の 友 -11月 号
し ょう"
35
実現 した場 合 (今 日で はまだ世界 で も数 は少 な
いのだが),こ うした共 同住宅施設 はそ の 規模
ったサ ー・ ア ンガス・ ミッチ ェル に ち な ん で
“ア ンガ ス・ ミッチ ェル・ ハ ウス"と 名 づ け られ
財政 ,組 織 な どの点 で種 々多様 であ ろ うが,目 的
はただ ひ とつ一― 身体 は不 自由だが精神的 には健
た。 身体 障害者 た ちを困 らす建 築 上 の障害 を完全
全 な成人 に,病 院 では な く “家庭 "を 与 え るこ と
とだ と
,
一― なので あ る.こ の人 たちは,可 能 性 と し て
は,人 生 で最 も生 産的 な年齢 にあ るのだ。
口"タ リークラブの協力
1948年 5月 ,イ ギ リスの G・ L・ チ ェシャー大
佐 は,ガ ンの ため死 にか けてい る老婦人 を自分 の
,
に取 り除 くには,新 しい建 物 を設計 し建 設す るこ
VSCCAは 決 め た.設 計 にあた って考 え
られ た車 椅子 にの った居住者 の便利 の ため の設備
は,見 す ごされ やす いが,皆 な くて はな らない も
のばか りで あ る.入 り口や廊下 は広 く,浴 室 は特
別 に設計 され ,階 段 はな く,流 しや机やた な,電
気 のスイ ッチゃ ドアの′ヽン ドル な どは車椅子 か ら
家 に連れ て きた.同 じように身 体 が きかず ,病 院
として も施すす べ が な く,行 くべ き ところ もな い
楽 に手 が とどくよ うに な ってい る
このハ ウスの居住者 は,14歳 か ら40歳 までの,
人 た ちが大勢 い ることを知 った大佐 は,こ の人 た
ちを救 う運動 を起 こし,そ の運動 は発展 を続 けた
看護 は必 要 としないが,両 親や家族 とい っ しょに
私営施設 で あ り資金 もないので,チ ェシャー・
ホ ー ム は,自 発的 な奉仕 と寄付 に頼 って い る.一
者 は働 いてお り,収 入 に応 じて費用 を支払 ってい
且 設立 され る と,各 ホーム は独立 採算 制 で経 営 さ
障害者 た ちは,経 済的 に 自立す るこ とを望み ,慈
.
れ ,居 住者 の身体障害者 たちは,彼 ら自身 の家 の
維持 の ためで きるだけ多 くの負担 をす る.し か し
それが不 可能 だか らとい って,こ こに住 め な くな
るこ とはない。
チ ェシャー財団 のエ レー ン・ メイ ズ事務局長 に
よれば,チ ェシャー・ ホームズ (現 在 イギ リス だ
けで39あ るが)の うち,ひ とつ として ロー タ リー
クラブの助 けを受 けなか った ところは な い, とい
.
は住 め な い身体障害者 たちであ る.大 部分 の居住
る.こ れ は重 要 な ことなので,自 尊 心か ら,身 体
善 に頼 ることを好 まないので あ る
ロー タ リー クラブは特 に このノ`ウスの設備 に力ヽ
.
か る費用 の面 で
VSCCAを
助 けた.こ うした施
設 の設備 の 中 には非常 に高価 な ものが あ る。 特月l
に設計 され た浴室 の費用 は メル ボル ン 0ロ ー タ リ
ー クラブが負担 したが,こ こに は,自 分 自身 でふ
ろの 中 にはいれ な い人 たちの ため の,特 別 の リフ
トが設備 されて い る
.
う。 財団 がチ ェシャー・ ホ ーム に した施設 は,寄
しか し,1960年 にデ ンマー クの コペ ンハ ー ゲ ン
付 され た ものか ,購 入 した もので,ホ ームの要求
を満 たす よ うに特別 に建設 した もので はない.ロ
ー タ リー クラブが財団 に協力す るお もな方 法 は
に完成 した身 体障害者 の ため の住宅 の建設 には,
ロー タ リー クラブ は関係 し て い な い。 13階 建 て
,
財 団 に代 って,改 造 の ため の資金集 め の運動 を組
織す る ことで あ る。 1955年 ,チ ェシャー大佐 は
た った 90ポ ン ドの資金 を持 って ボ ンベ イにつ い
,
た.イ ン ドの ロー タ リー クラブの協力 があ って,
チ ェシャー財団 が ここに も設立 され ,現 在で は15
のホームがで きて い る.家 を求 め る身体 障害者 に
とって,世 界 中 で ロー タ リア ンたちは助 け に なっ
て い る.ひ とつ だけ,ご く最近 の例 をあげ よ う。
オ ース トラ リアの メル ボル ンで “身体障害 の子
供 と成人 の ため の ビク トリア協会 (VSCCA)"の
手 で,新 しいホステル が建 て られ た.こ のホステ
ル は,1948年 か ら49年 にわた って国際 ロー タ リー
クラブの会長 で,そ の後
36
VSCCAの
会長 に もな
で,170の アパ ー トが あ るが,身 体 障害者 の住 ん
で い るの は,こ の うちの 3分 の 1だ けで あ る (こ
うして一 般 の人 たち と障害者 の人 たちの数 のば ラ
ンス を と り, “病人 の ため の施設 くささ"が 出 な
い よ うに して い るので あ る).
半官半 民 の団体 が管理す るこの団地 には守衛 ,
電話交換手 ,看 護婦 ,家 政婦がお り,駐 車場 は天
候 を心配す る必 要 の ない地下 にあ り,玄 関 は 自働
ドアで ,頼 めば各 アパ ー トに食事 を とどけて くれ
る食堂 まであ る。 ここで は,身 体 障害者 たちが
正常 な,実 りの多 い生 活 を営んで い る
ア メ リカで も野心的 な計 画 が立 案 され てお り,
,
.
その うちのひ とつ一― これ は前 に述 べ た コペ ンハ
ー ゲ ンの団地 の成功 に刺激 され た もの だが一― が
THE ROTARY―
NO_TOMO
最近完成 した.こ れ は,オ ハ イオ州 トレ ドの市住
宅局 が,1966年 1月 に起 工 した団地 で,ふ たつの
ビル に 164の アパ ー トが収容 され て い る。 この う
ち半分 には老齢者が,あ と半 分 には身体障害者 が
住 む こ とにな って い る.こ の よ うな特殊 な居 住者
の ため には,集 会場,美 容院 に理髪店 ,ス ナ ック
バ ー,小 さな教 会 ,福 祉活動 の専門家 と医師 の部
屋 ,屋 内駐車場 な どが,す べ て 団地 内 にで きてい
る。 ちなみ に この住宅局 の局 長 も,ロ ー タ リア ン
のマ ク リン トン・ ナ ン氏 で あ る
.
“身体障害者 の ため に家 を作 ろ う"と 叫ぶ の は
や さしい.し か し, この計画 が完成 に至 るまでに
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│ ものです.ロ ータ リー公式文献の御注文や御問合せ
が「友」宛 にまい りますが,同 文献 の注文は RI所
定 の方式 に従 って行なわれ ることになってお ります
ので,「 友Jが 御取次す るわけにはまい りません
「 友」では ロー タ リーの公式文献,ス ライ ドなどは
一切扱 ってお りませんので これ らに関す る御注文お
よび御問合せは文献事務所宛 にして下 さるよう重ね
て御願 い申 し上げます.上 記文献事務所 はRI事 務
局直属 の もとに文献 の翻訳,制 作,発 送を行な って
お り,そ の在 日代行者は田誠 パス トガバ ナー (本 年
7月 1日 就任)で あ ります.以 上 の ような次第で公
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日石 ビル 4階 国際 口"タ リー東京
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は多 くの問題 が あ る.住 宅 が完成 したあ と,一 体
誰 が それ を維持す るため の財政的援助 を続 け るの
か ?最 初 の後援者 の あ とを引 きついで その住 宅 を
・ 施設 の建築基準 "を 作 った の は こ うした ことヘ
の配慮 の最初 の現われであ った
ニ ュー ヨー クに事務局 が あ る身体障害者社会復
.
管理す るの は誰 なのか ?ど の よ うな種類 の医療設
備や人 員 が必 要 で,ま たそれ を提供す るの は誰 な
帰国際協会 は,63ヵ 国 に奉仕 団体 を持 つ世界的 な
のか ?こ の住 宅 に関す る法的 な責任 は どうなるの
か ?… …な どとい った具合 であ る
組織 で あ る。 社会復帰 に関す る医学 ,教 育 ,社 会
職業 訓練 の各分野 での新 しい成果 の知識 を交換す
.
こ うした問題 が解決 され た として も,計 画 を進
め てい る団体 は,身 体 障害者 の ため の建物 を設計
,
ることに よ り,こ の協会 は,世 界各国 で,社 会復
し施工 す る とい う実際的 な問題 に直面す ることに
帰 の ため の種 々の事業 の改 善 を行 い,身 体障害者
を よ りよ く理解す るこ とで この人 たちを援助 しよ
な る.正 常 な体力 を持 った一 般 の人 たちには,自
分 の住 む家が不便 で もが まん で きる。 しか し,身
う と努 めて い る.身 体障害者 はただ保護 してお け
ば よい とい う古 い考 えが,こ うした人 たちを社会
体 の不 自由な人 た ちに とっては,そ の家 は能率的
に設計 され てい な くては な らない。この人 たちは
の有用 な一 員 として働 ける よ うに しよ うとい う新
しい考 え方 に とってかわ られ た ので,身 体 の不 自
由な人 た ちが望ん で い る こ とも変 わ りつつ あ る
,
最少限 の力 で,最 大限 に便利 に動 きまわれ な くて
はい け ないので あ る.車 椅子 にの ったままで,浴
室 を使 い,食 事 を用意 し,ゴ ミをす て,家 具 をそ
うじし,そ の他 こま ごま した家 事 を しな くてはな
らないので あ る
しか し多 くの建築家 は,身 体障害者 の ため の建
.
建築設計 にな じみが うす く,ま たそ うした設計 に
関 しての知 識 も,ご く最近 まで は うる ことがで き
なか ったので あ る.身 体障害者 にはい らい らす る
ほ どわか りきってい る もの に,公 共 の建物 にあ る
階段 その他 の“障害 "が あ る.教 会 ,学 校 ,美 術
館 ,図 書館 な どの こ うした“人 工 的障害"が ,身 体
障害者 に これ らの施設 を自由に利用で きな くして
い るので あ る.一 般 の人 たち もこの ことにだん だ
んに気 づ きだ した。 アメ リカ基準協 会 が 1961年
に, “身体障害者が出入 りし,利 用 で き うる建物
ロー タ リ ー の 友 -11月 号
.
この国際 1/」 会 は1922年 ,オ ハ イオ州 イ リリア の
ロー タ リア ン,エ ドガー・ F・ ア レン氏 に よって
設 立 され た。 住 宅問題 は,こ の協会 が関心 を抱 い
てい る “車 椅子 の世界 "の ひ とつの新 しい領域 に
す ぎない。 しか し同協会 の努力や ,何 百人 ものア
レン氏 の よ うな考 え深 い人 た ちのおか げで,何 千
人 もの車椅子 にの った私 の兄弟姉妹 たちが ,完 全
で,実 り多 い人生 を送 って い る の で あ る.そ し
て,ほ か の多 くの人 た ちに とって の ゴール で あ る
こ うした生活 も,あ の 3段 の階段 と狭 い戸 口に象
゛
徴 され る障害 のす く奥 にあ るの だ。
・ デ ィ ク ソン
筆 者 紹介 本文 にもあるように筆者の ロナル ド
と車椅子 との付 き合いは 5年 前 に始ま り, その経験が この記事
を生んだ。 宣教師 の両親の下に台湾で生まれた彼は,現 在はイ
リノイ州エルムハース トに住み, 広告のコピーライター とフリ
ーの記者 としてlylぃ てぃる。
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世 界 の ロー タ リー 145カ 国及び地域にわたり
8月 30日 現在RC総 数 13,369 RCロ ータリアン概数 636,000名
1968年 7月 以後の新 RC 45RC
4,423名
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1968年 度地区大会
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11月 16・ 17日
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10月 19・ 20日
10月 4・
桐 生 市 桐
川 越 市 川
長 野 市 長
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8日 前夜懇談会
佐世保市 佐
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午前中会長幹事会
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前夜懇談会
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12日
午前中会長幹事協議会
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10月 12・ 13日
3日 前夜懇談会
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松 江 市 松
10月 19・ 20日
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10月 12・ 13日
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(日
)10時30分 ょり
ところ:亘 理小学校体育館
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き:11月 10日
ところ:徳 島医師会館
新 城 商 ]二 会 内 441-13
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田徳次 君就任
と き:11月 10日 (日 )12時 ょり
ところ:大 山観光会館
(第
12時 10分 開会
徳 島 東
城 (第 360区 ・ 愛 知県 )字 的場 73
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ところ:玉 名市民会館
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38区・東京 都 )大 田区下丸子2の 28の 15ア
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松岡円治 君に代り
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357区 ・埼玉県)
鯖江商工会館 4階
東 京 品 メ!l(第 358区 。東京都 )品 り
II区 南大井 6の 24の
津
集福 ェ 会館 ∞ 8号 室
大間知真 君就任
事務所・ 住所変 更 ―
新
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齢 丸の岐 店 ビル
高 崎 ヨヒ (第 355区 ・ 群馬県)12時 30分 開会→
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梅信亭広間
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東 京 羽 田
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カネ トクデパー ト4階
千葉出光会館
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藤 沢 ゴL(第 359区・神奈り
越中八尾
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大 山 南
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369区 ・山口県
島
(第
358区 ・東京都)と
き:11月 17日 (日 )11時 ょり
ところ:八 王子 サ マーラン ド
駐4
お知 らせ 大変遅 くな りましたが,た だ今,各 クラブ宛,全 国会員名簿 をお届けしてお ります。
領価は 1冊 585円 です.代 金は大阪 。大丸E口 刷へお払 い込み下 さい
.
RI会 長代理紹介
平沢
この 10月 ∼11月 にか けて地区大会が行われ てお り
ますが ,下 記 に各地 区 の RI会 長代理 を ご紹介 い
た します
興
君
第 359区
第 365区 パ ス トガバ ナ ー
京都東 RC会 員
.
ス タ ン レー E・ マ ッキ ヤフ リー君
第 350, 352, 353区 , 第 355区
,
柏原孫左衛門
第 360区 , 第 365区
第 513区 パ ス トガバ ナ ー
第 368区
サ ン フ ラ ン シス コ RC会 員
東京 RC会 員
フ ラ ンシ ス コ
C・
デル ガ ー ド君
第 358区 , 第 361区
第 380区 パ ス トガバ ナ ー
第 358区 パ ス トガバ ナ ー
田
誠
君
第 369区
第 358区 パ ス トガバ ナー
マ ニ ラRC会 員
東京 RC会 員
空地純―
西村 二 郎
君
第 357区
第 368区 パ ス トガバ ナ ー
姫 路 RC会 員
君
君
第 370, 373区
第 355区 パ ス トガバ ナ ー
新潟 RC会 員
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
高校生 を対象 にポス ター・ コ ンテス トを実施 中で
あ ります .最 優 秀入選者 には 5∞ ドルの賞金 が授
与 され る ことにな って い るほか ,佳 作 として選 ば
れ た作品 とと もに,190年 国際大会 にお いて展示
され ,更 に ロー タ リア ン誌 に も紹介 され る ことに
な ってお ります.各 地 区ガバ ナ ーは この コ ンテ ス
トを成功 させ る うえ に重要 な役割 を果す ことにな
ってお りますが ,詳 細 は,1968年 8月 7日 付 ゼ ネ
ラル・ セ クレタ リース・ レター第 2号 を ご参照 下
さい。
米国 イ リノイ州 エバ ンス トンの国際 ロー
タ リー事務局 で先月 中 下記 の諸会合 が行 なわれ ま
諸会合
8月
22日 にシ ッキム王 国 の ガ ン トク
8月 24日 に リピアの トリポ リロー タ リー クラブが
新加盟国
,
それ ぞれ RIに 加盟 を承 認 され ま した。 これ に よ
って RI加 盟 の国 お よび地理的地域 の 数 は,145
とな りま した リビアは北 ア フ リカの地 中海海岸
にあ ります。 シ ッキムは イ ン ドの保護国 で ,西 側
を ネパ ール ,北 と東 をチ ベ ッ ト,東 をブー タ ン
,
南 をイ ン ドに接す る ヒマ ラヤの小 国 で あ ります
した.RI文 献委員会 ― -10月 10∼ 11日 ,RI
青少年活動委 員会― ―
-10月 14∼ 16日 ,RI立 法
―
手続委員会 ―-10月 18日 ∼ 19日 ,RI財 務委 員
会―一 -10月 21∼ 22日
月23日 ∼25日
-29日
,RI会
,RI常
任理事会一 ― -10
員推薦委員会 ―― -10月 28
.
.
去 る 9月 東 ケ崎潔 RI会 長 は, 1カ 月
間 にわ たる南米旅行 に出発 し,ア ル ゼ ンチ ン,ウ
RI会 長
ル ガイ,ブ ラジル,ベ ネ ズエ ラ,お よび ドミニ カ
共和国 な どを訪間 し,10月 にエバ ンス トンに帰着
しま した。 なお この旅行中会長 は,歴 代 RI会 長
が い まだ一度 も訪問 した ことの ない クラブ,お よ
ロータリー財団スライ ド 全世界 の クラブは11月 10
∼16日 に ロー タ リー財団週間 を挙行す ることにな
ってお りますが ,こ れ に伴 ない,財 団 お よび財団
の 目的 に対す る地域 社会 の関 心 を深 め る特別 の機
会が提起 され てお ります す なわ ち “Foundation
For Understading(国 際理解 を深 め る財団)"と 題
す るス ライ ドが新 たに作成 され ,ロ ー タ リー クラ
び地 区 を幾 つ か 視察 い た しま した
ブの利用 に供 され る ことにな ってお ります.こ の
ス ライ ドの上 映時間 は15分 間 で ,財 団 の事業計画
ロータリー財団奨学生 1968∼ 69学 年度 ロー タ リー
を英 ,仏 , 日,ポ ル トガル ,ス ペ イ ンの各 国語 の
録音 入 りで紹介す る もので あ ります.ご 希望 の向
.
財団大学課程奨学金 を受賞 した47名 の大学生 が ロ
ー タ リア ン誌 10月 号36∼ 37頁 に紹 介 されてお りま
す .女 子 26名 男子21名 の これ ら奨学生 は21の 国 お
よび地理的地域 か ら選出 され た もので あ ります。
ロー タ リア ンお よび旅行代理
の
店 便宜 を計 らうため に,1969年 ホ ノルル 国際 大
会 の宿 泊 申込用正式書式 が去 る10月 よ り全世界 に
1969年 大会宿泊予約
配布 されてお ります。
きは,米 国 イ リノイ州 エバ ンス トンの RI中 央事
務局 へ ご注文下 さい.代 金 は 1セ ッ ト10ド ル50セ
ン トで す
.
今後の大会 1969年 大会は, 5月 25∼ 29日 ′ヽワイ
のホ ノルル にて,1970年 は 5月 31日 ∼ 6月 4日 米
国 ジ ョー ジア州 ア トラ ンタにて,1971年 は 5月 16
∼20日 豪州 の シ ドニー にて,1972年 は 6月 11ヽ 15
日米国 テ キサ ス州 ヒュース トンにて開催 の予定
国際ポスター・ コンテス ト
RIで
は “国際理解 を
通 じて世界平和 を"と い うテ ーマで ,全 世界 の 中
● ― タ リ ー の 友 -11月 号
47
.
ロ ー タ リー ソ ン グ
ナー
第361区 ルヾ
常磐 井
尭
棋
鐘 が一 つ「 カー ン」 と鳴 る 今 まで歌 って
いた人 は残 念 そうに歌 を止め る これ は NH
厳粛 な空気 を作 ってお いて ,楽 しい例会 だの
肩 の こ らな い会 合 だの とい って も,少 々無理
Kの の ど自慢風景 で ある
じゃな いか しら
ロー タ リー ノ ン グは,国 歌斉唱 とか祈願黙
,
.
鐘 が一つ「 カー ン」 と鳴 る。 今 まで 坐 って
いた人 が立 ち上 が って歌 い出す。 これ は ロー
タ リー クラブ例 会風景 で あ る
.
鐘 と歌 ,聴 く人 を感動 させ る程上手 で な い
歌 い方 とい うよ うに, この両者 には共通 した
ところ もある らしい.併 し,違 うことは歌 っ
てい る人 の態度 で あ る.前 者 が,い か に も楽
しそ うに歌 って い るのに対 して,後 者 の歌 い
ぶ りは余 り楽 しそ うで な い.楽 しそ うで な い
とい うよ りも,儀 礼的 に歌 ってい るよ うだ。
儀礼的 に歌 わ され るといえば,戦 時 中 には
何 か会 合 の あ る度 に,開 会 に当 って,「 海 ゆ
薦 とい った もの に よる緊張 を緩 和 して,気 楽
な楽 しいムー ドを生み出 す ため の役割 をす る
もの だ と考 えて は い けな いの だろ うか
各 クラブで,そ の クラブの メンバ ーが誇 り
.
と喜 び とを持 って歌 え るような,歌 い易 い歌
を作 っては どうだろ う。 もし,歌 い易 い歌
よい歌が出来れ ば, ロー タ リア ン達 も事 あ る
,
毎 に,歌 うだろ うし,他 の クラブの人 たち も
その地域社会 の人 々 も,歌 うよ うに な るので
はないだろ うか。
か ば」 とい う歌 を皆で歌 わ され た ことを思 い
明治 の或 る時代 には,「 あ ゝ玉 杯 に花 うけ
て」 とい う歌 が全国 に歌 われ た。 それ は若奥
出す.そ して ,会 合 に よっては,そ の後 で
「 一つ軍人 は忠節 を尽す を本分 とす べ し。 二
様 が 台所 でお 漬物 を刻 み なが ら口ず さむ歌 で
もあ った らしい。 「 紅燃 ゆ る」 が若 い京 都市
つ軍人 は」 とい った調子 で軍人 勅諭 な る もの
を唱和 させ られ た もので あ る
民 の逍遥 の 唄 で あ り,「 都 ぞ弥生」 が北大生
,
.
何処 の クラブ を訪問 して も,プ ロ グラム委
員会 とか SAAと かの報 告 で は「例会 を愉快
に」「 例会 のふ ん い きを楽 し く」 とい う目標
を聞 か され る。 けれ ど,あ の ロー タ リー ノ ン
グの歌 い っぶ りで,愉 快 な とか ,楽 しい とか
い うふ ん い きを出す ことは,む つ か しいの じ
だけの歌 で なか った よ うに,「 北 辰斜 に」 と
か「 ただに血 を もる」 とい った歌 も或 る時期
には,学 生 の歌 とい うよ りも,地 域社会 の歌
だ った
.
ち よ うどこれ と同 じよ うに,地 域社会 の人
々 までが ,ロ ー タ リーヘ の敬意 とあ こがれ と
ゃな い だ ろ うか.固 くな って ロー タ リン グを
なつか しさを こめて,ロ ー タ リア ン と共 に唱
和 し,愛 唱 して くれ るよ うな ロー タ リー ノ ン
歌 って,お まけ に,ク ラブに よって は,そ の
後 で「 一つ それ は真実 か.二 つ 何 々」 と軍人
グが生れ 出 て くる日を期待 す るこ とは出来 な
い ものか しら
.
勅諭 ば りの全員唱和 をや る。 戦時 中 の よ うな
42
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
︿ム
例
第365区 ガパナー
顆
ロー タ リーの例会は昼食 会 で はない等 とい
原
田
秀
雄
った ら,今 更何 を云 うか としか られ るに違 い
し,こ れ を尊重 し,こ の時間 を惜 しみ ,例 会
に出席 す るこ とこそ ロー タ リーの基本 で あ る
ない
然 しなが ら大都 市 の例会では食 事 がす
む と,い つで も多 くの早 退者 が出 るクラブを
と云 う考 え方 に徹 した い もので あ る
見受 け るのが実 情 で あ る.こ れ では昼 食会 と
いわれて もしか たが な い。
ら余程考 え る必 要 が あろ う 会長 の時間 ,委
員長 の時間 ,幹 事 の時 間,卓 話 の総 てが例会
元来 ,例 会は全世界 の ロー タ リア ンに共通
す る唯一 の場 で あ る。 我 々は世界 中 どこの国
の空気 を大 き く左 右す るもので あ るが , と り
一 口に例会 の もち方 と云 うが,こ の 意味 か
の 例会 に行 って も,紹 介状 一つ持 たず に大手
わけ S.A.Aの 配慮 の価値 と云 うものが極 め
て大 きい ものが あ ることを自党す べ き で あ
を振 って出席 す るこ との出来 る有難 い特権 を
持 って い ると同時 に,出 席 しなけれ ばな らな
る。
ロー タ リー活動 が盛 ん に な るの も,低 調 に
い責務 を持 た されて い るものであ ることを忘
れ ては な らな い。 決 して単 な る昼食会の如 き
な るの も,一 つ にかか って例会へ の出席 が 意
欲的 か どうか に よるもので あ る 会員が皆互
もので あ って はな らな い筈 で あ る
ところで ,そ の 例会は一週間 に僅 か一 時間
い に例会 の 日の来 るの を楽 しみ に待 つ よ うな
.
で あ る。 例会以外の一週 間 は ,各 自職域 そ の
他少 くもロー タ リー に直接関係 の ない時間 と
して費 して い る 又,例 会 の時間 は年 に50時
間余 り,し か もそ の半分 は食 事 の時間 で あ る
か らロー タ リーの時間 とい うもの は余 りに も
短 い。
我 々が ロー タ リーの素養 を身 につ け るのは
例 会 に出席 して,そ の場 の雰 囲気 か ら直 か に
肌 を通 して受 け る影響 に よるものが,極 めて
大 きい.成 程多 くの ロー タ リー文献 を読み漁
る ことに よ り得 られ るの も貴重 で あ るが ,何
とい って も多年 ,数 多 い例会 に出席 を続 けて
きた ロー タ リア ンには,言 葉 に云 い表 わせ な
いベ テ ラ ンの風格 が うかが え て,誠 に奥 ゆか
しい ものが あ る 我 々は例会 の意義 を再 認識
ロー タ リ ー の 友 -11月 号
クラブが 出来 て , ロー タ リー を楽 しむ境地 に
なれ ば,一 人前 の ロー タ リア ン と云 え る
近 時 ,例 会 の 日時 ,場 所 な どを極 めて軽卒
に,手 軽 に変更 す る向 きが多 く見 受 け ら れ
る。 しか もその多 くは懇親会 ,家 族会 な どを
勝手 にその まま正規 の例会 で あ ると見倣 して
出席規程等 を適 用す るもので あ る 元来 ,例
会は上 に述 べ た よ うに,ロ ー タ リー活動 の基
盤 をなす もので あ り,オ フ ィシ ァル ダイ レ
ク トリー に も,全 世界 の クラブの もの が明 記
され ,国 際的 な性格 を持 ってい るもので あ る
正 当な公的 な理 由な くして 一 クラブだけの都
合 , しか も,親 睦 と云 う私的 な理 由 のみ に よ
り,例 会 の場所 , 日時 をみ だ りに変 え るこ と
は出来 ない筈 で あ る。 例会 の意義 を尊重 した
い もので あ る
43
ホ ノルル大会―告知板
(そ の 4)
"Participation ! "
"Onenegg of Rotary"
"Oneness of 3,500 Participants"
日本輸送委員会委員長
永沼 政 久
委 員 緒 方準 ―
島津 久 厚
及 んで も謎 に包 まれ てい ます。 そ もそ も参加 予定
者 は最 終的 に何名 か とい うこ とを,あ らゆ る角度
(1)ま えがき
10月 号 の告知板 その3で は“飛行機 の座席 を確 促
か ら見通 しを立 て なが ら,そ れ に見 合 う輸送 力 を
しま したか"と い う見出 しで 参加予定者諸君 は10
確 保 しよ うとい うのが,過 去 4年 以上 に亘 って当
月 初 旬 まで には旅行社 を選定 し,何 はお いて も飛
行機 の座席 を決 め ,そ の後 の手続 き進行 に差支 え
の ない よ うに と呉 々 もご注意 を申 しあげま した。
委 員会 が取組 んで きた平凡 に して究め難 く,流 動
的 に して捕 え難 い作業 で あ りました
10月 初 旬 か らRIが 待 ったな しで,し か も早 い者
勝 ちの原則 で,ホ ノルルの宿 泊斡旋 申込み用紙 の
配布 を世界 一 斉 に始 め るこ とも,既 定 の事実 で す。
これ らの要点 につ いて は, 9月 2日 付 の全地区全
クラブ会長 幹事諸君 あて,当 委員会公信 中 に もよ
くご説明 し,参 加者諸君 に徹底 させ るよ うお願 い
してお きま した。 果 して遺漏 な く運 ばれて い るで
し ょうか.唯 今 ,そ の重要 な10月 初 旬 の時点 に立
って書 い てい るこの記事 が,告 知板 その 4と して
参加 者諸君 のお手許 に届 くの は11月 初 旬 とな りま
本年 5月 末 を期 して全地 区全 クラブに対 して行
な った第二次 (最 終 )調 査 の結果 ,参 加 クラブ422,
参加 予定者 ,会 員 2,140名 ,家 族 1,267名 ,合 計
3,407名 とい う総数が 漸 く纏 まった の は, 8月 末
で した。 この数字 は,勿 論分類表 として RIに も
報告 し,宿 泊斡旋 上 の基 礎数字 ともなってい ます
が ,ま た “友"の 告 知板 その他 で,し ば しば発表
して い る公式数字 で あ ります。 その予定者 の クラ
ブ単位人 名簿 も,当 委 員会 の手許 にあ るし,ま た
その控 え各 1通 は各地 区ガバ ナ ーのお手許 に も引
し ょう.従 って今 ここで当委員会が いか に力み か
継 がれて い る筈であ ります。 もとよ りこの数字 と
て も,時 の経 過 につれ若干 の増減 は,当 然免 がれ
え って も所詮 は後 の祭 りに終 るか も知れ ませ ん
しか し,一 向 な にや ら纏 ま りが悪 い テ ンヤ ワンヤ
難 い に して も,ま ず達 観 して 3,500の 飛行機座 席
があれ ば,所 期 の団体輸送 は可能 で あ る との判断
の現 況 を憂 い,敢 て 訴え,こ れか らの lヵ 月 の間
か ら JAL 2,α Ю,PAN
中
もし11月 にな って も手続 きが捗 どらない よ うで は
ホ ノル ル 親善使節団 の特別飛行機 に乗 り遅 くれ の
3,5∞ 座席 の枠 を確保 して今 日に及んでい ること
.
事 態 を生 じる恐れ もあ ることを,お 断わ りして置
か ね ば な らない と思 うので あ ります。
(21 参加予定者について
゛
参加 予定者 は一体 何名 くらい なのか,こ の期 に
l,000,BOAC 5∞ , 合計
も,既 に よ くご承知 の通 りで す。 また この期 に及
んで ,こ れ らの見通 しに大 きな狂 いが生 じるこ と
は非常 な問題 で す。
″墜
が 起 ったのです.そ れは, 9月 初旬 に全地区全 ク
ラブに対 し,郵 便はが き利用 の書 き込み式調査表
を送 り,⑦ ホノルル大会参加者数,○ ホノルル宿
THE ROTARYoNO‐ TOMO
泊 につ いて RI斡 旋部 に 申込 み たい か ,旅 行社 が
別個 に手 当て を してい るか ,縁 故宿 泊す るか ,お
よび各人数 ,⑥ 取扱 い旅行社 の決定 とその社名
の 3項 目につ いて至急回答 され るよ う依頼 した こ
,
とに端 を発 した ので す。 実 は10月 初旬 か ら始 まる
筈 の ホ ノルル宿 泊斡旋 ,RIが 切 に待望 して い る
宿 舎手 当 て 済 み の実数把 握 ,さ らには取扱旅 行社
別 の協力状 況 の調査 な どに役 立 たせ る意図 を盛 っ
た , このア ンケ ー トの結果 はい か に と,大 い に期
待 をか けてい た ので あ ります。 あに図 らんや ,10
月初 /EIJ現 在 ,そ の結果 は回答数 にお いて も記 載内
容 にお い て も,誠 に不充分か つ期待 を裏切 るもの
で した。 す なわ ち.④ 参加 予定者 の あ る422ク ラブ
か らの回答 は僅か 148通 にす ぎない.○ うち45ク
ラブは若千 の減少, 103ク ラブは増加を示 したた
め ,差 引きでは 133名 (会 員58名 家族75名 )の 増
加見込み となってい る.OL壁 左■生二参Ш量望
クラブが 440だ ったのに
,
その中45ク ラブが,呆 然 327名 (全員 213名 ,家 族
ュ空笙型と翌墜参加者 のあることを知 らしてきた。
○ 以上 の数字だけを集計 して も,会 員数 271名
家族 189名 合計 460名 の増加 となる.⑥ 残 る274と
い う約65%に も当る参加 クラブが回答を寄せない
,
現 状では,究 極的 に参加予定者 は何名に達す るだ
ろ う力〕は,神 のみぞ理蜂 謎 とで も放言 したい気持
だ が, ともあれ現状 の 3,407名 +460名 =3,867名
んだの は 2,000名 余 りの模様 です.な にが出遅 れ
の原因か一概 には決 め難いが,最 初 か らご注意 し
てい るように,輸 送期間は極め て限 られ てい るし
チャー ター機数は機材 その他 の関係上 ,数 機 にと
,
どま り,あ とは団体割引 きの特別便 に乗 るほか途
はないのです.早 い者勝ちで もあるが,参 加者各
位 が全体的立場か ら譲 りあ う気持 でない と組 ま り
もつかず,遅 延 と混乱,ひ いては参加不能 の恐れ
もあろうというのが実情のようです。一方航空会
社 として も, ロー タ リア ン最優先 で全面的 に協力
しよ うとい う今 の姿勢 を,無 期 限 に続 け ることは
不 可能 の模様 で す.そ の辺 も参加者諸君 は十分お
含み の上 ,ご 善処下 さるよ う希望 い た します
.
に)ホ ノルル宿泊斡旋 について
斡旋 申込 み用 紙 の印刷 が多少遅 れ る とい う電報
生 瀑 ら く10月 中旬
には地 区 ガバ ナ ー を通 じて,各 クラブに所 要枚数
が送 られ る筈ですが ,各 クラブ として も進 んで用
紙 をお受取 りにな り,既 にお知 らせ してお る要領
で書 き込 み ,旅 行社 にお渡 し下 さい.後 か ら送 る
予約 金 は 1部 屋 50ド ル が建前 で す が ,送 金許可取
得 は 1名 25ド ル均 一 とす る筈 です か ら,用 紙 には
2名 1部 屋 と記 入す る こ とが肝要 です.会 員 だけ
の場 合 で も同一 用紙 に 2名 連記す るのが よいで し
ょう。 なお職業 分類 は英語訳不明 な ら空 白 の まま
で 差支 あ りませ ん
.
であることに間違 い はない.と
い う結果 にな り,当 委員会 としてはただ茫然 とい
うほかあ りません.な おその他 の項 目について も
,
誤記や脱漏 があって資料 としての価値 に乏 しくな
りました.残 念です
.
に)登 録料などについて
登録料 は満 16才以上 の家族 を含 め 1名 につ き20
ドルで す が ,大 会会場 で登録 をす る時 に払込 む こ
とにな っています .16歳 以下 の家族 には会場 とホ
テル 間 の往復 バ ス料金 を若 干請求す る筈です
.
0
重ねて飛行機座席の確保について
3,5∞ 席 の枠 に対す る具体的 の割当ては,一 切
航空会社 と各旅行社 との直接取引 きに一任 してあ
ることは,度 々お知 らせ してある通 りですが,参
加予定者諸君は,10月 初旬頃までには座席決 め を
済ま され るようお勧めをしてい るにも拘わ らず
航空会社か らの報告 によると,一 応 の割当てが済
,
ロ ー タ リ ー の 友 -11月 号
(6)あ とがき
一連 の実務 につ いて は,関 係旅行社側 とも至 急
に懇談 を重 ね て,大 いに推進 を期 した い と思 い ま
す 。 参加 者諸君 か らも,是 非積極的 な呼 びか け を
され るよ うお願 い して ,告 知板 そ の 4の 結 び とし
ます
.
45
日本 の イ ンターア ク ト
第
第
第
第
第
第
第
第
発足 して 5年 の大垣商業高校 ICは 日本 で初めての インターア
ク トクラブ OB会 (IACOB)を 誕生 (写 真上)さ せ,卒 業生
と現役 との連絡 を密 にす る, 一方, 大野慈童園の園児達 と運動
会 (写 真下)を PHい た り,絵 皿販売で得た純益金を寄付 した り
,
街頭募金を行 うなど,活 巌 な活動を続けている
350
352
353
355
357
358
359
360
第
361
第
365
368
369
370
373
第
第
第
第
合
クラブ数
9
8
3
11
22
21
16
5
20
6
6
20
20
26
区
区
区
区
区
区
区
区
区
区
区
区
区
区
192
計
会員概数
312
250
98
263
661
527
450
144
669
133
197
586
542
719
5,551
上記の クラブ数及び会員概数は 9月 末現在,新 しく統計
し直 した ものです
なお,10月 号の統計の中で,第 360区 6ク ラブは 5ク
ラブ,第 361区 19ク ラブは2oク ラブの誤 りで した また
各 RC及 び IC宛 に全国イ ンターア ク トクラブ名簿をお
送 りしましたので,お 受取 り下 さい
一
︲
︲
︲
去 る8月 21日 ,野 村証券青森支店 3階 ホールにおいて,青 森 R
Cの スポンサーで発足 した青森 ローターア ク トクラプの発会式
日本 の ロー タ ーアク ト
5 クラブ
94名
が行われた 会員数は22名 (内 女子 6名 )で 全員が社会人である
例会 日は第 1, 3水 曜
9月 末 現 在
日,午 後 6時 30分 より
青森 マツグ自動車(株 )
3階 会議室 で 行 わ れ
る.会 長は川村義悦君
青森 RCロ ーターアク
ト委員長
斎藤純平
去 る 9月 16日 ,京 都西 RCの スポ ンサーで発 足 した京 都外国語
大学 ロー タ ー ア ク トクラブの 発会式 が 行 われ た 会 員数 は 21名
(内 女子
7名 )会 長 は中西 勇君
京都西 RCロ ー ター ア ク ト 委 員長
津 田多一
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
言景
厘
鹿 島守 之助
渥美 健 夫
社 ● 東 京都港区 元赤坂 1丁 目2番 7号
本
話 ●東京 (404)大 代 331 1
電
店 ●札 幌 ・ 仙 台・ 横 浜 。名 古 屋
支
大 阪・ 広 島 。四 国 。九 州
海 外 出張 所 ● イ ン ドネ シア・ マ レー シ ア
イ ン ド・ ビル マ 。中華 民 国
シ ン ガポ ール
取締役会長
取締役社長
三井不動産 。霞が関ビル(36階 建て)
世界最 高の 葡 tキ 料 理 を楽 しυ
: │「 11111
1111■
■二
│││
││1111‐ ‐111■:
■●■ “
遮
│が
t
-
営業時間
│`
緊
PoM.5:00-AoM.2:00
ー
ス
テ
キ]日R〔]月RI
大阪・北新地本通 一つ地筋 中程
年中無休
TEL(362)6664-6
⋮ “r 博
レトか ら始 まります
lン アタ
まモ ーー
会話ι
ル ・ カ ス テ ル の あ る部 屋 は
客 人 の 心 を豊 か に ひ ら き ま す 一 ― ―
ヽ
み や びや か な ロ コ コ時 代 の息 吹 きをつ た
ス イス の美術 時 計
え
る
ル ・ カス テル 。
ル・ カ ス テ ル の か た わ らで
優 美 な 会 話 力う竜れ る と き
あ な たの お部屋 は
ル・カ ス テ ル
貴 族 の サ ロ ン に変 わ っ て い るの で す
● 掛 時 計 に も置 時 計 に も な る 台 座 付 き● 高 さ
は 36-90Cmの 8種 類 ● 色 ・ デ ザ イ ン と も豊 富
に と りそ ろ え て お り ます
No 25(5'Cm)¥154,000
時縦 甲
「
● 霊
そ の 他 Y l10,000よ り ご さ い ま す
,L::T'T鵬
よl]1,鴨 覧‖降 IT:t膏 テメ
#ム ます
どんな服装にもマッチし
:│=│:簡 単につけられるステッカー式の
・ '`・ ダイモ・ミーティングバッジ
★大量 に ご
`こ
場 合 は会 社
名 やマ ー ク
を牛寺殊 の 方
バ ーテ fや 会議の 1,っ とも需 ん なア メ リカで ノ
11ま れ た
ダイモ ・ ミーテ │ン グバ ンシ0し やれた 形 と 5種 類 の
色 が そ ろ い、裏紙 をは がすだ けで どん な服装 に も簡 }ド
につ ける こ とがで きま すぃ その 11、 キト殊オ
友若斉」を使 │││
して い ます か 弓,羊 服 を│り す こ ともあ りません
なる
イ
吏用
,去
で
E月
昂」い た します
DYMO
1箱 =
100枚 入 りで、 か さば らず にオ│ち )IEび せ,f更 利.受 イ、
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ツ
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大阪営業所 大阪市西区江戸堀 52堀 田ビル TEL大 阪 064437291〒 5"
J
500区
プ交 換 チ ー ム が
9月 13日 来 日 し た
よ り , ロ ー タ リー 員オ団 研 究 グ ル ー
を 中 心 に ,約
は
9月
日本 語 の 堪 能 な ロ ー
5人 の 団 員 は 第
355区
2ヵ 月 間 に わ た り わ が 国 を視 察 し た
写真
レ ン ス ・ ク ニ ヒ サ 君 を リー ダ ー に
14日 午 前 │1時
,西 村 ,後 藤 ,金 谷 各 パ ス トガ バ ナ
,ご 夫 妻
こ懇 談 に な っ た 際 の もの で あ る
The Group Study Exchange Team Jrom D'500 of Hawaii visited
Japan
on 13 Sept.for the tour ot D.355,its counterpart. The
with fluent Japanese speaking Rtn. Lawrence
five.member team
Kunihisa as leader conducted a two month long tour
strict and other areas.
ot the
di.
Shown are the team members visiting
at their
と30分 間 に わ た り
Prince and Princes Hitachinomiya
一
犠島賦利縛編W減
ー の 案 内 で 常 陸 宮 家 を ご訪 間
Jiro Nishimura,Takeo Goto,Masao Kanaya,past governors of D-355
home,accompanied by
■
●│■ l Ⅲ…
一︺´︶
,
マ¨
﹂
J
Lゝ
11第
米国ハ ワイリ
│.
せギ ニ
4r・
ぶ
=よ
‐
,
I
14黒藷
―
北海 道
北 見 東 (第
350区
,で は
3月 !6日 の rJl
北海道
釧 路 北 (第
350区
)で は
8月 18日 ,10
るホ ラ ゾ ン ・ コ ン セ イ ロ ・ エ デ オ さ ん を招 き
周 年 記 念 式 典 を挙 行 ,記 念 事 業 と し て 緑 の 不
足 な 市 へ 桜 の 成 木 100本 (約 40万 円 )を 植 樹
エ デ オ さん は網 走 高校 教 師 と
贈 呈 し た 。 ま た 北 海 道 ロ ー タ リー 奨 学 会 と し
会に
,フ
ィ リ ピ ン か ら網 走 高 校 に 留 学 し て い
卓 請 を聞 い た
て
し て 英 嬌 と音 楽 を教 え る と と も に , 同 高 校 専
科 生 と し て 茶 道 ,華 道 ,室 内 装 飾 を 学 ん で い る
5万 円
Kushiro‐
.
を贈 塁 し た 。
割 路 Jじ
佐藤 秀雄
North RC marks its 10th anniversary by dO
nating some 100 cherry trees,wOrth ¥400,000, tO
Kitami East Rtn 's ‖sten to Miss Cora20n C Edio of
Phlippines at their weekly meeting on 16 Aug Miss
the city,and ¥50,000 to the HokkaidO Rotary Sch
Edio is now teaching English and Music at Abashiri
olarship Fund
High School while studying tea ceremony,flower ar
rangements,and interior decoratiOns at the school
軸
¨
ゆ
習 llt,I,
mi
■ 11」 綱
IT:IIIII手 ::II111■ 1丁 F:T
北海 道
紋 別 (第
350区
,で は 例 年 辺 地 校 の 児
童 を 招 待 し て い る が ,本 年 は 山 の 中 の 鴻 輝 小
学 校 児 童 6名 に 先 生 ,家 族 計 ‖ 名 を `港 ま つ
″
り (こ 招 待 し た
Monbetsu RC makes
it
an annual event to entertain
school children in the remote corners ol the commu.
nity and this year invited 6 children of Koki Prima.
ry School along with their families and teacher to
the local Dort testival.
-gffrt@
:1■
ヽ
ヽヽ
1
富城 県
塩 釜 東 (第
352区
)で は
9月 3日 ,外
人観 光 客 の 利 用 の 多 い松 島 湾 観 光 船 の 発 着 所
前 に 英 文 の 市 内 案 内 図 を 建 て ,外 人 観 光 客 に
ぎれ て い る
薔 〔
塩釜東
今野耕 次
Rtn.'s h€lp overseas tourists by sst.
ting up an English information map board at the lo.
cal wharf rvhere the tourists crowd to make use ot
Shiogama.East
the sightseeing boats of Matsushima
Bay.
C
零0
ヽ
い
0‐
、
Lヽ
I
二
意人ホーム慰間のタヘ
秋 田県
横 手 (第
353区
)で は :0周 年
山形 県
長 井 (第
353区
)で は
8月 10日 ,法 政
で市 民 の憩
人 ホ ー ム お い た ま荘 で 一 席 御 機 嫌 を伺 っ て も
した の で 市 に寄 贈 した
8米
直径
とし
大 学 落 話 研 究 会 が 来 長 し た 機 会 を 利 用 し ,老
,8月
い の 場 所 と して喜 ば れ て い る .
E己 念
14日 完 成
て 、 横 手 公 国 内 に 噴 水 を建 設
検手 奈良
洋
Marking its 10th anniversary,Yokote RC laid out
a
ら っ た と こ ろ 大 喝 采 を 拍 した
長丼 大泉紀一
Taking advantage of the visit of the comic storyte
fountain having a diameter of eight meters in Yoko
‖er's group of Hosei University,Nagal Rtn 's had the
te Park
group demonstrate their art at a loca1 01d people's
home,which made a big hit
十
日島 県
会 津 坂 下 (第
353区 )で は 8月 1日
■=ミー
1「
,
支 歓 ク ラ ブ 濠 州 ウ ォ ー ナ ン ブ ー ル 東 RC前 会
長 の ア ラ ン ・ ソ ー プ 夫 妻 を 日 光 に 出 迎 え ,会
津 坂 下 に案 内
,江 川 源 吾 幹 事 宅 に !泊 ,翌
は 歓 迎 例 会 を 開 き交 歓 し た
日
会澪坂下 渡 辺 要蔵
Past President and Mrs Alan S Thorpe of Warrnam B
_
■
竜 ヶ 崎 (第 355区 │で は 3月 ‖ 日 ,ガ
ー ル ス カ ウ トの 協 力 で ,谷 田 部 町 ひ ま わ り教
茨城 県
室 の 身 体 障 害 児 ・ 青 年 等 海 を見 た こ と の な い
人 々 を 鉾 田 町 大 竹 海 岸 に 招 い た と こ ろ ,一 同
の 喜 び よ う は 大変 だ っ た
.
竜ヶ崎 田 中清武
With the help of local giri scouts, Ryugasaki Rtn 's
y handicapp
ool East RC of Australia matched with Aizubange RC
invited to the Otake Beach the physica‖
having visited Nlkko,Rtn 's of Ai2ubange took
ed children and youths of the community who had
the
couple from NlkkO to their home toWn and had them
stay overnight at Sec
Egawa's home and the next
day held the club's weekly meeting devoted to welco
me the couple
never seen the sea before
″ 一コ
I罰
八 千 代 (第 357区
は 7月 26日 ,千
千葉県
'で
葉 大 学 在 学 中 の 東 南 ア ジ ア 留 学 生 17名 を例 会
東 京 府 中 (第
に 招 待 し ,市 内 工 場
計
会 員 の 家庭 に
2-3名
.牧 場 等
を見 学 し た 後
358区
児童 の た め市 内 の
,
宛 分 れ 夕 食 を共 に し た 。
5台
,で は
7月 31日 ,身 体 障 害
に 車 椅 子 を 1台 宛
5小 学 校
を寄 贈 し た
Tokyo Fuchu RC helps physica‖ y handicapped schOol
Yachiyo Rtn's invited to their weekly meeting 17 s
ch‖
outheast Asian sttldents studying at Chiba Universi
five primary schOols of the community
dren by donating One wheel chair to oach of the
ty and then took them to the tours of the factorieS
and meadow of the community
And in the evening
the students were invited,broken up into two or
three members,to the Rotarians'homes for dinner
響
東 京 者5
三 鷹 (第
幕 を寄 贈 し た
358区
)で は
8月 2日 . ボ ー
!,第 2,第 3団 へ そ れ ぞ れ 天
イ ス カ ウ ト第
.
=鷹
竹 内喜 代 司
:鮮
Mitaka RC backs up the boy scouts in th€ community
by presenting camping tents.
亀
鎖
静岡県
では
浜松 ・ 東 ・南
`第
359区
8月 23日 ,米 国 AFS高
)の
3ク
ラブ
校 生 日 名の歓 迎
バ ー テ ィ を催 し た .写 真 は 浜 松 市 長 か ら贈 ら
れ た 揃 の ′ヽッ ピ を着 た !行
浜松東 青葉 貞雄
ミ
Three RC.'s
of Hamamatsu,
Hamamatsu-East and
a reception tor visitingll AFS
high school students. Shown are the students
happy with happi coats presented by Mayor ol Ham.
Hamamatsu.South held
amat su.
Vrll
熱 海 ・ 熱 海 南 (第 359区 │で は ,熱 海
消 防 署 ヘ エ ン シ ン カ ッ タ ー 1台 と 人 命 救 助 タ
静岡県
ンカ ー
:台 を寄 贈 し た
熱海商 古株敬 次 郎
RC 's of Atami and Atami South donated to the loc
神奈川県
大 磯 (第
359区
ヽで は .最 も 事 故 発
生 の 多 い と さ れ て い た ,西 湘 バ イ バ ス と 国 道
一 号 線 の 合 流 点 に 警 察 官 詰 所 を寄 贈 し た
真 は
8月 29日 撮 影 し た も の
写
大磯 橋本 義雄
al fire fighting station a cutter with engine and a
0:so RC sets up a police box at the intersection of
‖fe stretcher
National Road♯ l and a loca! By Pass where traffic
accidents occur most often
,、
砕
ヽ
・ 4 =ぐ
′
RoTARttL
Tい ′
nlll
愛 矢口県
豊 橋 北 ,第
360区
│で は 市 民 病 院 横
c口
,
交 又 点 の ハ イ ウ ェ イ横 断 歩 道 照 明 の 水 銀 灯 2
基
`30万
円
│が
完 成 した の で
矢口県 ヘ ロ録 を贈 呈 し た
,8月
13日
壼橋 北
360区
,児 童 施
,収 容 さ れ て
│で は
設 の 玉 野 川 学 国 と立 正 園 を訪 問
い る 子 ど も た ち に ア イ ス ク リー ム や 日 用 品 を
.愛
海 日
名 古 屋 守 山 (第
愛 矢口県
,
贈 っ て慰 問 した
勇
Rtn.'s please
名古 屋 守 山
浅 野武 雄
the less
fortunate
Toyohashi.Nofth RC sets up two mercury lamps cos.
Nagoya-Moriyama
ting Y 300,000 at the pedestrian's crossing on
children of local institutions by presenting ace.creams
a
highway running through the community and donated
and daily commodities.
them to the town.
ヽ′
“
■1
愛知 県
豊 田 (第
360区
)で は
8月 22日
, 鞍ヶ
池 カ ン ト リー ク ラ フ 食 堂 で ,姉 妹 都 市 デ ト ロ
イ ト市 よ りの 交 換 学 生
換 学 生 と リー ダ ー
数 名に
4名 ,豊 田 市
員 10
員 ,家 族 も 出 席 し合 同 歓 迎 パ ー
RC会
,国 際 親 善 の 実
テ ィ を挙 行
よ りの 交
5名 ,豊 田 工 専 IC会
を挙 げ た
To promote international understanding and tellows
Rtn.'s held a party at a local country c
hip, Toyota
lub inviting 4 visiting exchange students from Detr
sister city,5 outgoing students from Toyo
ta, and more than l0 members of Toyota Kosen lC.
ort, therr
Families
ol the Rotarians were also invited.
h
DD
=U
︰L
∩し
360区 │で は 合
RCが
川 ・ 田原 ・ 豊 橋 北 各
カ リフ ォ ル ニ ア 州
5名 (内 男
υI
豊 橋 ・ 北 ・ 南 (第
8月 3日 ,豊
生
DR
0
bQ
愛 知 県
子
534区
RC.'s
South jointly held a send.ofl party
か ら招 い た 交 換 高 校
3名 )の 歓
送 会 を行 な い
,御
豊橋 ヨじ 藤 目
土
勇
Toyohasni, Toyohashi.North,
students whom RC.'s
of
and
Toyohashi
forfive
exchange
Toyokawa, Toyohashi North,
and Tahara had invited lrom D-534 of Calif., U. S. A.
The students were presented with locally made toys
Ъ、
離
秦
F
﹁
一
﹁
﹂
﹁
産 と し て 郷 土 IEI具 を 員曽っ た
of
同 で
米 国
J'
長 里予県
飯 田 南 (第
信 濃 を襲 っ た 台 風
360
10号
区
で
{ま
,
8 月 29日 南
に よ る集 中豪 雨 で甚 大
な被 害 を受 け た天 竜 村 、 阿 南 町 等 へ救 援 物 責
を送 る こ と に な り
, 9月 l日
点 の 衣 類 を集 め
災害 対 策 本 部 へ 委託
全 会 員 よ り
│千
した
lida South Rtn.'s help the people of typhoon strrcken
towns and vrllages In therr community by presenting
a number of relief goods rncluding some
thes collected from among themselves
1
000
clo
名 張 (第 361区 )で は 3月 8日 ,養 護
学 国 児 童 45名 を枯 梗 ヶ 丘 レ ク リ エ ー シ ョ ン プ
ー ル に 招 き , 1日 里 親 泳 ご う会 を 実 施 し た 。
三菫県
三菫県
上 野 (第
361区
)で は
8月 20日 ,世 界
青 少 年 交 流 協 会 の 訪 日 ドイ ツ 青 少 年 団 37名 が
訪 れ た際
,民 泊 を 引 受 け ,ま た ドイ ツ 児 童 画
.写 真 は 竹 林 直 借 会 員 宅 で の 盆
展 を 開 催 した
踊 り大 会 で 合 唱 す る
On occasion
1行
.
上野
宮本厚 ―
of the visit ot a 37-member
German
Nabari Rtn.'s play one day father
children
lor less fortunate
of a local institution by inviting them to a
local swimming
三菫県
pool.
鈴 鹿 (第
361区 )で は 8月 を青 少 年 月
6日 鈴 鹿 高 校 の 奉 仕 グ
間 と し て い る が ,3月
ル ー プ 大 空 会 を訪 間
,種 々 懇 談
した
Highly service minded Su2uka Rtn's designate month
of August as ''YOuth MOnth"and o■ 6 August visited
a youth group of Su2uka High SchO。
l tO talk together
youth group, Ueno Rtn.'s had the German youths stay
overnight at their homes and also held a exhibition
of
German school children's painting works. Shown
are the members of the German group singing.in ch-
orus at the Bon festival dance party held at Rtn.
Takebavashi's.
│
・
ず¨
陣 J﹁ ′
,
W
“・
一
"^rirr;
福井県
大 野 1第
365区
では
8月 12日 ,5周
Oono RC marks
its sth
anniversary by settrng up
"Rotary Drinking Fountain"
に , ロ ー タ リー 水 呑 場 を寄 イ
寸 した . こ こ は 市
ono located
民 の 憩 の 場 と して親 し ま れ て い る が
,飲 料 水
a
at the site of Castle O
at the top of Kameyama Park where
年 記 念 と して亀 山公 園 山頂 の 越 前 大 野 城 の 横
there has been no drinking fountain hitherto.
が な か っ た の で .市 民 に 感 謝 さ れ て い る
豊藤 ︱
・人
奈 良 県
て
福原 学 院 高 校
6月 18日
ガ ン・ ハ イ ス クー ル
lC.RC会
iC(第
365区
│の 招 待
来 日 した 。 米 国 カ リ フ ォ ル ニ ヤ 州
lCボ
員 宅 に民 宿 し
フ ・ テ レ リヤ 君 は
lヵ
月滞 在 した
_
来 年 は ガ ン・ ハ イ ス クー ル に招 待 され る予 定
で あ る
写 真 は 相原
RC主
催 の送 別 会 で あ る
Invited by lC ot Kashiwara Gakuin High School,Mr.
Bob Telleria,an lC member
of
Gunn High
School in
Catif.,U.S.A., visited Japan on l8 June and stayed
at homes ol the Kashiwara lC members and the lo.
cal Rotarians in rotation for a month. Shown is the
send-off party Kashiwara RC gave for Mr. Telleria.
り
轟
西 宮 ・ 西 宮 甲 子 園 1第
兵庫県
368区
,両 ク ラ
松 山 東 (第 368区 │で は 5年 前 か ら米
743区 他 と 学 生 交 換 を 行 な っ て お り , 8
月 19日 5人 日 と し て カ レ ッ ジ ビ ル の 高 校 生 ス
愛媛 県
フ で は ,こ の 程 海 難 事 故 防 止 の た め の 掲 示 板
を 西 宮 ヨ ッ トハ ー バ ー に 1静 曽 し た 裏 面 に は
国第
ロ ー タ リ ー の 目 的 と四 つ の テ ス トが 掲 示 さ れ
ー ザ ン ・ ミ ド ゥ ル ト ン嬢 が 来 日 し た
dt
て ヽ` る
RC.'s
of
/\^lg=ill
Nishinomiya and Nishinomiya.Koshien donate
to the Nishinomiya Yacht Harbour a public bulletin
board to prevent accidents at sea, in the back of
which the obiects of Rotary and Four Way Test are
written.
写真 は
!年 間 の 留 学 を 終 え て 帰 国 し た 宮 本 恭 邦 君 と
並 ん で挨 拶 す る同壊
松 山東
村 上
Matsuyama.East RC, having been conductinS
lor
潔
pa
st five years international student exchange projects
with 0.7/B and other districts, received Miss Susan
L. Middleton
the
fifth
from Collegeville.Trappe High
School,
exchange student,on 19 Aug. Shown is Susan
greeting Mr.Yasukuni lvliyamoto who has just returned
after one year study in U. S. A..
愛緩県
第
3例 会
368区 )で は 出 席 委 員 会 が
日 を 会 員 の 1健 康 診 断 日 Jと き め
新 居 浜 (第
今 年 度 か ら 実 施 し て い る が 好 ET
,
この 日 は 会
員 の 医 師 が早 日に 出席 して会 員 の 血 圧 を は か
っ た り ,相 談 に の っ た り… … …
兵庫 県
西 脇 (第
368区
.で は
5周
年記念 に
.
5ヵ 団 の ボ ー イ ス カ ウ トベ 10万 円 を贈 っ た
ボ ー イ ス カ ウ トは こ れ を 基 に .700名 が 2泊 3
日 の 合 同 野 営 を 4千 な っ た
Nishiwaki RC marks
its 5th
西協
千頭
隆
anniversary by donatirE
third weekly meeting every month since the beginning
Y 100,000 to the local five boy scouts. The 8oy
Scouts, with this as basic fund. conducted a joint
outdoor training of their 700 members for three
of this Rotary year and is favorably commented up
nights and two
The Attendance Committee of Nlihama RC is conduc
ting medical examinations of club members on the
days.
on On this day the members in medical professions
come earlier than usual to the meeting place to ch
eck the blood pressures and others on the health of
club members
│
自 杵 (第 373区 )で は 8月
い 町 づ く りの 一 助 と し て 臼 杵 市 へ
大分 県
三兼機
(消 毒 用 薬 剤 散 布 機
真 は三兼 機 の 実験 風 景
)を 贈 星
.
本 南 (第
373区
白杵
した 。写
宇
8B官 博
口日 ま 9月 ! 日 , 10周 年
200万 円
is the sprinkler being
demonstrated.
介
1己 念
式 典 を拳 行 し ,記 念 事 業 と し て 財 団 法 人 ■長本
県 ロ ー タ リー 奨 学 会 に
Usuki RC helps make their town healthier by donat'
ing a large-size antiseptic solution sprinkler. Shown
石 坂モ 本 市ミ
︶ゃ
ヽ
ヽ
が︻
“
”
A
´
ヽ
・
3
,
1鳥
8日 ,明 る
,大 型 動 カ
を寄 贈 し ,青
少 年 の 教 育 問 題 に 対 す る援 助 活 動 に 全 員 が
″
`パ
熊ホ南 神 谷平苦
した 。
ーテシベー ト
,
Kumamoto.South RC marks
its 1oth
anniversary by
donating Y2,000,000 to "Rotary Scholarship Fund",
which reflects the participation by members in the
back-up drive
of education for youths.
ラrLヒ ー〒ィン7“
寒 さ を シ ャ ッ トア ウ ト… …
あ な た の オ フ イス お す ま い の 暖 房 に
日立 の 機 器 を ご 使 用 くだ さ い
ファンコイル
ユニ ット
快 適 ・ 安 全 ・ 健 康 的 ・ 経 済 的 ・ 便 利 ………・
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘ
^^ハ ^ハ
ハ
^ぃ
ぃぃ ぃぃ ぃぃぃぃ゛
ヘヘ ヘヘ
∼ …
∼∼ ∼ ∼
ヽ
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υへい い い
^´
υ
∼ ∼
…
―
―
セ ン トラ ル ヒ ー テ ィン
グ 、そ の 他 冷 暖 房 設 備
の 設 計・ 施 工 に つ い て
は 当 社 に 御 本国言
炎下 さい
本
社
同 山出張 所
広 島 出張 所
東 京 都 港 区 新 橋 3-l-1電 話 502-!7‖ (大 代 表 )
岡 山 県 倉 敷 市 美 和 2-4-3電 話 倉敷 12210685(代 表 )
広 島 県広 島市 天 満 町 4-20林 ビル 電話 広 島 007:2!(代 表 )
外 ンなら
香港 ヒノ
香港 を24時 間満 喫できます
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誇 る 香 港 ヒ ル トン な ら そ の す べ て を 、
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∵冒響駐1占 キ:憔 lttI:
21
コー ヒー
シ ョ ッ プ で軽 い朝 食
を と っ た あ とホ テ ル を
少 し散 歩 し て み ま し ょ う 。
4階 に あ る80フ ィ ー トの 豪 華
なプー ル 。
汗 ばんで
いた ら
1い
その あ と
特 別 な 用 事 が な け
れ ば ひ と まず お 部 屋 へ 。
タ ス 」で 本 格 的 な 晩 費 ?
そ れ と もホ テ ル の 豪 華 船
士快 な 船 旅
「 WAN FU」 で コ
ち│つ と
際 ヽ、
19
″
IT)(
`
その
あ とは
携
17
。
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、
くこ熱メイ
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18
、
象
ふ
サ
ヽ、
、
P′
IIズ
′
_″ ′
革II
_
=掌
卜で
3
夕 方 は「 ゴ ー ル デ ン ・ ロ ー
をな さい ま
颯
せんか
`
4
戯
有名 な
ア パ デ イー ン
の水上
レ ス トラ ン
まで の 約
5
│
時 間 、往 復
の 船 中 で は飲 み
放 題 の カ ク テ ル 、ビ ー ル の サ ー ビ ス が あ り ま す 。
夜 は エ キ ゾ チ ッ ク な「 ド ラ ゴ ン ポ ー ト・ バ ー 」か
ひ と休 み 。
お 昼 は 25「 皆
地 階 の ナ イ トク ラ ブ
の「 イ ー グ ル ス 。
ネ ス ト」 「 デ ン 」で 、 書 港 ム ー ド を
た っ ぶ り味 わ つ て
で … は る か 九 籠 を含 む パ ノ ラ マ 式 風 景 を 眺 め
くだ さ い 。
な が ら 、 お い し い ラ ン チ を わ ず か 800円 で 召
お部屋 に も
しあ が れ ま す 。 世 界 各 地 の 最 高 級 の 料 理 や 飲
み 物 で 夜 景 を楽 し む 時 と は ま た ち が っ た お
もむ きが あ り ます 。食 後 は ぶ らっ とお み や
げ』
詰
「
`D¬
16
JL:こ
│ 。2日 菫ι
り,´ ョッ
ビ ン グ・ ア ー ケ ー ド を
の ぞ い て み ま し ょ う。
50以 」この お 店 力く
15
逸 品 をそろえ
て い ます 。
7
どれ ば 、
翌朝 まで
ゆっ くり
お くつ
ろ ぎ ヽ`
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た だ ける
快適 な
お 城
力
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待 っ て い ます 。
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父 さまが弾けるなら…"と
'お
ご家族みんながはりきるで しょう
人 生メЭ言己録
そ れ は 肖像 彫 刻
胸 像 は モ デ ル の コ ピー で は あ りませ ん 。
それは彫刻家の手 と心が生んだ芸術品です。
機械的 につ くられたものは、 うわべ が似て い
るだけで内容はなにもありません。 ちょうど
絵画 と写真 の ちがいの よ うなものです。
もしも血のかよった、生 き生 きと した感動 を
よびおこす彫刻作品がおのぞみなら、芸術家
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上 井 憲 治
9
岩倉組会長像
柳原義達作
′
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隋札
ロー タ リー財団 につい て
∼16日
11月 10日
ロータリー財団週間
スず キ
孵 苧塁
湯
浅
恭
三
で い ろ い ろな記念事 業 を催 した。 ロー タ リーの活
総額2,032,500ド ル とな り,1961年 には6C10万 ドル
とな った。
1947年 ロー タ リーの倉1立 者 ポ ール・ ハ リスの死
動 の うちで殊 にその国際奉仕部 門 にお いて非常 に
重要 な仕事 を して い る ロー タ リー財 団,最 近 2∼
去 は各方面 に大 きな悲 しみ を与 えたが ,全 世界 の
ロー タ リア ンは悲 しみ の うち に も彼 の功績 をたた
口"タ リ"財 団が生れるまで
ロー タ リー財 団 は昨年創立50周 年 を迎 え,各 国
3年 急 にその活動 が活発 にな り,将 来 もます ます
え,そ の記念事業 につ いてい ろ い ろな意見 が RI
積極的 にその活動 を推 し進 め よ うとし て い る 時
に,丁 度 ロー タ リー財団週間 を迎 え ることにな り
に出 された.し か し彼 は平常「 自分 の死後記 念碑
な どを建 てて ほ し くな い.も し記 念 の ため に何 か
改 めて ロー タ リー財団 につ いて 考 え てみ た い
まだ「 国際 ロー タ リー」 とい う名称 はな く「 ロ
す るな ら,国 際理解 を増進 す るよ うな事業 をや っ
てほ しい」 とい って い た こ とを多 くの ロー タ リア
ンたちが憶えて い た ので,こ の偉大 な ロー タ リア
.
ー タ リー クラブ国際連合」 の会長 で あ ったア ーチ
0ク ラ ンプ
(Arch Klumph)は 1917年 ア トラ ン
タ市 の国際大会 で「 人 類 に対す る何か偉大 な教育
ンの記念 として早速 ロー タ リー財 団奨学金 の制度
が 18名 の大学院学生 を外国 に送 ることに よって実
的奉仕」 に対 し資金 をつ くりた い とい う提案 を し
行 に移 され た。
た ところ,直 ちに採用 され実行 に移 され ることに
な った.1917年 か ら1927年 までの間 ,慈 善的又 は
さて,RIに 対す る寄付金 は1917年 に初 めて規
定が出来 て,ロ ー タ リー クラブ,個 人 ,其 他 か ら
教 育的 目的 の ため の資金 を積立 て ることにつ いて
い ろ い ろな意見 が交 され ,ま た この よ うな 目的 を
の寄付 を正式 に受 入れ ることがで きるよ うに な っ
た.そ して1927年 世界大会 (オ ステ ン ド市 )で ,
指定 して国際 ロー タ リー (以 下 RIと 呼 ぶ )に 寄
付 を寄 せ た クラブ もあ った。 そ して1928年 ミネア
寄付財産 に関 す る規定 をRIの 定款 に設 け る旨の
決議 が な され た。 1927年 8月 ,時 の RI会 長 は,
ポ リス市 の国際大会 で RIに よって ロー タ リー財
団 が設立 され た.し か し当時 の ロー タ リー財 団 は
「寄付財産管 理 の規定 を起草す るため の ロー タ リ
ー財団管理委員会」 を任命 した。 この委員会 と国
寄 付金 わずか $5,739.09と い う微 々た る もので,
財 団 とい う名 はつ いていたが,RIの なかで別 ロ
際 ロー タ リーの「 定款・ 細則委員会」 との共 同作
業 の結果 1928年 世界大会 (ミ ネアポ リス市 )に 於
に され てい た寄付金 にす ぎず ,そ の後 も募金 の計
て「寄付財産」 とい う名称 を「 ロー タ リー財団」
と変更 し,現 在 RI定 款 10条 の様 な規定 を設 け る
画 が な され たが,余 り成果 の あが らぬ ままに第 2
次大戦 とな った
.
1944年 に,RI理 事 会 は,全 世界 の ロー タ リー
クラブに呼 びか け,1938年 の世界大会 の決議 で あ
る 2∞ 万 ドル 募金 を ロー タ リー財団 の ため にす る
よ うに と勧誘 した。 そ の結果 1951年 5月 には寄付
ロ ー タ リ ー の 友 -11月 号
決議 を した
1928年 の大会 は右 の決議 に加 え て, ロー タ リー
.
財団 の拡充 と管理 に必 要 な細 則 の立法化 を決議 し
た。 この細則 は其後改 正 があ って現在 RI細 則 19
条 1節 として詳細 な規定 をお いて い る。 尚 ロー タ
67
リー財団 に関す る其他 の規定 は右 細則 19条 1節 か
ら10節 にあ る。
口"タ リ"財 団の 目的と性格
財団 の 目的 は,1964-65年 度管理委員会 に よ り
RI細 則 19条 9節 に よ り管理 委員会 はRI理 事
会 の承 認 を得 て,財 団運営 の ため の規定 を設 け る
ことが 出来 ,現 在 で は1948-49年 度 ,管 理委 員会
及 び理 事会 で採用 され た21条 か ら成 る運営 に関す
修正 され 1965-66年 度 RI理 事会 で承認 され,下
る規定 に よって財団 の運営 が な されて い る。
の様 に決定 され た
「 ロー タ リー財団 の 目的 は,博 愛的 な慈善的 な
財団 の運営 に関 しては管理委員11名 全 員 の集 ま
る委 員会 の他 に, 3つ の小委員会 に分れてそれ ぞ
教育的iな ,或 は其他 の援助 を与 え るよ うな方 法
で ,確 実且 つ効果的 な企画 に よって各国 の国民
れの分野 の仕事 を受持 って い る。 実行委員会 (或
は常務委員会 と訳 す べ きか )5名 .財 務並 びに投
に理解 と友好関係 を増進す ることにあ る」
ロー タ リー財 団 は RIに よってつ くられ た特定
資委員会 3名 ,財 団 プ ログラム委 員会 3名 で あ る
財団 に属 す る財産 の支 出 は従 来寄付者 に よる特
の財産 か らなる財 団 (Foundation)で あ る.英 米
法特有 の信 託 とい う制度 を利用 して い る.従 って
別 の指定が な い限 り利息 だけを支出 して いたが
財団 の活動 が活発 にな るに従 い,1964年 の国際大
我 が国 の財団法人 とは異 り法人格 は有 しな いが
永続性 を有 し又 或 る面 で は法人 と似 た ところ もあ
会 で1966年 7月 1日 か ら 2ヶ 年 間 は毎 年 125万 ド
ル を超 えな い範囲 で基本財産 か らの支出 を認め
更 に其後 の大会 で続 く2年 間 は毎 年 150万 ドル 迄
,
る.即 ちその財産 は全部 11名 か らな る
Trustees
.
,
,
,
(正 確 には受託者 と訳 す べ きであろ うが ,財 団 の
又 そ の後 の 2年 間 は 200万 ドル 迄 ,そ して本 年 の
性格 か ら見 て理事 と訳 して もよい,宮 脇 さん。 し
か し ロー タ リーの法定訳 としては管理委 員 と訳 し
国際大会 で は1970年 7月 1日 か らの 2ヶ 年間 は毎
年200万 ドル 迄 の基本財産 か らの支出 を決議 した
て い るか ら本文 で もそれ に従 うこ とにす る)が 信
ロータリ"財 団の仕事
ロー タ リー財団 の現在 の活動 は既 に多 くの ロー
タ リア ンや RIの 文献 で繰返 し紹 介 されて い るか
託証書 (Deed of Trust)に ょって資金 の受領 ,
管 理 ,保 管 ,処 分 をす る ことになって い る.斯 く
して Trustees力 ゞ
信 託 を受 けて い る全財産 の綜合
を ロー タ リー財団 と称 す る。 尚 ロー タ リー財団 に
対 して は米国法上 免 税 の処 置 が とられ ,財 団 に対
す る寄付金 は寄付者 の純課税所得額 か ら控除 され
る.こ れ らも信 託財産 の効果 で あ る。
財団管理委員 (Trustee8)
財団管理委員会 はRI理 事会 の承認 を得 ,RI
会長 に よ り任命 され る。 管理委 員 は11名 で うち 6
名 はRIの 元 会長 , 3名 は ロー タ リー財 団 の活動
の経験者 , 2名 は財政 に関す る経験 者 で あ ること
を要 す る。 元会長 であ った 6名 は任期 6年 ,他 の
管 理委員 は 2年 とな って い る.そ して彼 等 は クラ
ブの正 会員 ,シ ニアア クチ ブ会員,又 はパ ス トサ
ー ビス会員 の 中か ら選 ばれ ,無 報酬 で あ る。 その
任務 は財団 に対す る寄付 の勧誘方 法 の考 案 と財産
の受 入 ,そ の 財産 の管理 ,運 用 ,処 分及 び財団 の
.
ら,こ こで は簡単 に名称 だけを並 べ てお く。
但)大 学院課程奨学金
わ)大 学課程奨学金
(C)専 門的 訓練
は)研 究 グル ー プの交換
尚,財 団 の仕事 として は以上 の他 に,財 団 の 目
的 にふ さわ しい国際理解増進 の ため の企画 に対 し
一 定 の条件 で 補助金 を支出 で きるし,ま た過去 に
於 て は戦 災の羅災者 に救 血品 を送 った こと もあ る
以上 述 べ た各種奨学金 ,補 助金等 は財団 の管理
委 員 ,役 員又 は使用人 ,国 際 ロー タ リー,地 区或
は クラブの理事 ,役 員 ,使 用人 又 は ロー タ リー ク
ラブ会 員,そ の配偶者 ,扶 養者 ,血 族 又 は姻族 (子
女 ,養 子女 ,孫 ,兄 弟又 は姉妹及 びその配偶者 )
等 は財 団 か らの奨学金其他 の給付 を受 け ることが
出来 な い ことにな ってい る
.
活動 の企画 ,運 営 ,奨 学金 や補助金受 領 者 の 決
定 ,そ の他 とな ってい る.(RI細 則 19条 2節 以
口"タ リ 財団資金の将来
「ー財団 は以上 述 べ た よ うに,世 界 の将
ロー タ リ
下).尚 RI理 事会 は管理委員会 の決 定 した財団
の活動や財産 の分配 を実行す る。
来 を担 って立 つ若者 の ため に各種 の有意義 な事業
を行 いつつ あ るが ,他 方 それ に必 要 な資金 は毎 年
68
THE ROTARY― NO‐ TOMO
口 Pタ リ"財 団創立以来の寄付 金合計
1917年 -1968年 8月 31日
ロータリー財団創設以来授与した
1967年 12月 末 日現在
学
6,183,561ド
金
ル
研 究 グルー プ交換
58&860ド ル
専門的訓練 のための補助金 231,781ド ル
その他の補助金
&884ド ル
合
男 女
日本 に留学 した外国人 口“タ リー財団
1967年 6月 末日現在
奨学会及び補助金額
奨
日本各地区別 口"タ リー財団寄付金
合計額
ロータ リー財団創立以来の奨学生数
各 地 区 創 設 以 降 1968年
1968 69年 度 を 含 む
大 学 院 課 程
大 学 課 程
研究グループ交換者
計
第352区
第353区
第355区
レ
721 77ド ノ
レ
74,08533ド ン
第357区
第358区
55,937.86ド ル
レ
95,493 45ド ブ
119名
3,426名
男 女
日本から選 ばれたロータ リ"財 団奨学生
1968年 6月 末日現在
子
37名
子
19名
アメリカ,カ ナダ,イ ギ リス
フランス,西 ドイツ,ス ェーデ
ン, フ ィリピン, ウガ ンダ, レ
パノン, ニカラグワ等
,
日本か ら海外に派遣 された研究 グループ
交換生 24名 (米 国へ )
海外か ら日本に派遣 された研究グルーノ
交換生 18名 (米 国よ り〉
オナ ラ リー・ フェ ロー 1人
サ ス テイ ニ ング・ コ ン ト
リピ ュー タ ー
7A
第 361区
サ ス テイ ニ ング・ コ ン ト
リピ ュー タ ー
第 365区
ボール・ハ リス・ フェ ロー
オナ ラ リー・ フェ ロー
サ ス テイ ニン グ・ コン ト
リピ ュー タ ー
ポール・′ヽリス・ フ ェロー
レ
58,051.06ド ′
54,312 36ド ル
146,975 50ド ル
第 368区
第 369区
83,007 97ド
第368区
第369区
370'ζ
負
雪
'レ
54,132.96ド ル
77,185,30ド ル
%3,403.43ド ル
計
(3億 4,68275,234円 80銭 )
日本各地区別 口"タ リ"財 団特別
寄付者数
1968年 6月 末現在
オナフリー・フェロー
急 激 に増加 しつつ あ る。 ロー タ リー財 団管理委員
長 を本年 も引続 きや って い るエ イ・ ジー・ ベ イカ
… (A.Z.Baker)元 RI会 長 は本 年 レイ クプ ラシ
ッ ドの国際 協議会 で次 の様 に話 して い る.「 1969
-70年度 において財団 は寄付金 と基本財産運用F 7
得 以上 に資金 の支出 を必要 とす る事業計画 を立 て
てお ります。 現在 の増加率 か らみ る と,1,267,000
ドル の寄付金 と 330,0∞ ドル の運用所 得 の 合 計
1,597,000ド ル の収入 を期 待 して い るのです が
,
3人
リピ ュー タ ー
38ノ、
ボール・ ハ リス・フ ェロー24人
オナ ラ リー・ フ ェ ロー 2人
サ ス テイ ニ ング・ コ ン ト
リピ ュー タ ー
8人
第 360区
103,335.64ド ル
第361区
第365区
第 350区
ボール・ハ リス
・フェロー16人
サ ステイ ニング・コン ト
3■
第359区
第360区
総
第 58区
第 370区
ボール・′ヽリス・ フ ェ ロー
・ン ト
サ ス テイ ニ ング
・コ
リピ ュー タ ー
ボール・′ヽリス・ フ ェロー
サ ス テ イ ニ ン グ・ コン ト
リビ ュー タ ー
人 人人 人 人 人 人 人 人
専門的訓練研究生
50名
844名
ポール・ハ リス・ フ ェロー 2人
サ ス テイ ニ ング・ コ ン ト
リピ ュー タ ー
9人
6月 末 現 在
76,396 07ド ル
44,768 16ド ル
第350区
サ ス テイ ニ ン グ
・コン
トリピュー タ ー
1人
ボール・′ヽリス 。フェ ロー 2人
サ ス テイ ニ ング・ コ ン ト
リビュータ ー
3人
第 357区
第 359区
2,413名
)
ボール・ハ リス 。フ ェロー 1人
第 353区
第 355区
計
アメリカ,カ ナダ,イ ギリス,オ
ース トラリア,韓 国,ス ェーデ ン
国箱
(25夕 き
2,471フ テ
960Fq)
留学国
11名
2名
13名
子
子
z o13,086ド ル
計
合
現在 lユ 424,181.00ド ル (55億 52,705,160円
ボール・′ヽリス 。フ ェ ロー51人
オナ ラ リー 。フェ ロー 9人
・ コン ト
サ ス テイ ニ ン グ
116人
リピ ュー タ ー
176A
8,045,418ド ルで 同 日付利息等 の基本財産か らの
収入 の残額 は 516,633ド ル とな ってい る.RI理
事会 と財団管理委員会 が ロー タ リー財自 の資金増
強 を声 を大 に して呼 びかけて い るゆえんで あ る。
ロー タ リー財団へ の寄 付 の方法 ,寄 付 した クラ
ブ及 び個人 に対す る表 彰等 に関 しては,既 に多 く
の ガバ ナ ー月信 や RIの 文献 に よって御承知 の こ
とと思 うか ら説明 を省 く.又 ロー タ リー財団及 び
活動 に関 して は多 くの 日本 語文 献 が RIか ら発 行
これ に対す る支出 は 1,658,000ド ル を超 え る見込
で62,000ド ル の支 出超過 とな る もの と予想 され ま
され てお リクラブ幹事 か ら手 に入 れ て頂 きた い。
す」。 この様 な調子 で行 くと続 く2年 間 には収入
と支 出 の不均衡が更 に増 え る計 画 にな る
ここで ロー タ リー財 団 が創 設以来受取 った寄 付
金額及 び授与 した奨学金等 を一 覧表 に してみ る と
.
一 方 ,財 団 の基本財産 は,1968年 5月 31日 現在
ロー タ リーの 友-11月 号
上 の通 りで あ る。
69
ff- )I-tl.l) 7 . 7 r
I?
-
rfrl^
横 浜東
沖
山
明
一
東 ヶ崎潔先生 が,世 界 145ヶ 国65万 の ロー
タ リア ンか ら信頼 され尊敬 され て, 日本人 最
1,m弗 寄付者21名 , 5C10弗 2名 及 び藤 沢
横 浜港南両 RCか ら各 700弗 近 くと川 崎北 の
連続寄付 等約 3万 弗 の寄付 を財団本部 に送金
ケ月 を経過 した。 我 々 日本 の42,OCXl名 の ロー
タ リア ン も喜 びは喜 び として,そ ろそろ RI
させ て頂 きま した
初 の RI会 長 に就任 され てか ら,早 や くも 4
会長 の出身国 らしい記 念事業 で も打 ち樹 て る
べ きではな い だろ うか.何 れ経験豊 か な歴代
ガバ ナ ー諸賢 か ら,最 高 の案が指示 され る と
は思 うが ,個 人 や RC毎 ,或 いは地 区 まで拡
げて智恵 を絞 って見 るの も無 駄 では な い と思
う。
,
.
世界 の1,00o弗 以上 の寄 付者 145名 中, 日本
は51名 ,そ の51名 中 で神奈川県 が25名 ,更 に
25名 中 の12名 (う ち 1名 東京 RCへ 転出)は ,
私が所属す る横 浜東 の会員であ るが,日 本人
の氏 名は「 友」 に御任 せ す る
私 は この在 任 中,各 会員が他 クラブ出席 登
.
く短文 の命 を受 けたの を幸 い,柄 に もな く 1
∼ 2を 提案 させ て頂 くことに した。 素 よ り我
々の為すべ き事 は い ろい ろあ る訳 だが,私 は
録 料 1千 円 づつ を積 み立 てれ ば,35名 の小 ク
ラブで も年令か入 会順 で毎年 1名 のポールハ
リス 。フェ ローが産 れ ,会 員数 に準 じて 日本
の全 RCが これ を実施すれ ば,財 団 の年間支
出予算 の 2"万 弗が 日本 だけで まか なえ,全
先 ず国際 ロー タ リー の最大事業 と言 って も過
世界 が これ に同調 すれ ば,更 に現在 の数倍 の
言 で な く,ま た もっ と も価値 あ る仕事 として
ロー タ リー財団へ の協力 を と り挙 げ度 い。 而
青年交流 が可能で あ る と提案 した ところ,其
後 よ り低 い金額で はあ るが実行 を始 めた クラ
も本年 は 日本 か ら初 めて湯浅 パ ス トガバ ナ ー
が 財団理事 に就任 され た り,「 友」 の11月 号
ブ も出 て きた と承 って居 る
其 処 で私 も数 日前「 友」か ら財団関係 の極
,
.
更 に私 は去 る 9月 24日 ,横 浜 のホテル・ ニ
ュー グ ラ ン ドで催 され た 359区 の財団委員会
も財団関係 の特集号 を御出 しにな る とか,委
員長 の松方二郎 ガバ ナ ーか ら承 っ て 居 る の
に委員長 白山源二郎 パ ス トガバ ナ ーか ら招か
で,私 は此 の財団協力 こそ最適 の仕事 だ と信
れ て出席 した際 ,下 記 の件 を提案 して全委員
じます
の御賛成 を得 ,10月 3日 か ら開かれ る 359区
.
少 々手 前味噌 で恐縮 だが,私 は第 359区 の
笹部誠初代 ガバ ナ ーか ら地 区財 団委員 を任 命
され て,鑢 正太 郎 ,白 山源二郎両 ガバ ナ ーの
都 合 3年 間 を居候 したわ けだが,こ の間,神
奈川県 の皆 さんか らは望外 の御協力 を頂 いて
゛
の年次大会 に謀 って直 ちに実行す る事 を申合
せ たので,多 分 その様 に取 り運 ばれ る もの と
信 じて居 ります
.
それ は私 が 358区 中村米平 ガバ ナ ーの神奈
川県第 1分 区代理 をつ とめ た時 ,ガ バ ナ ーが
如何 に忙 し く,責 任 の重 い ものか を しみ じみ
一
70
THE ROTARY― NO― TOMO
1968-69年 度
ロー タ リ…財 団
大 学課程 奨 学金受賞者
ロー タ リー財団 では, 先頃全世界 の諸 ロー タ リー
クラブ よ り推選 され た表記大学課程奨学金授賞候
補者 の うちか ら,23ヵ 国 の50名 に授賞 を決 定 しま
した.こ の うち 日本人 学生 の受賞者 は下記 の 4名
で あ ります。 わが国 よ り初 めて ロー タ リー財団奨
学生 が選出 され た の は 1950年 であ りますが ,今 回
の授賞決定 に よ りわが国選出 の財団奨学生総数 は
,女 19名 )と
56名 (男 37名
な りま した。 なお ロー
タ リー財団倉1立 以来 本年度 まで に全世界 か ら選出
され た奨学生総数 は 2,463名 , 研究 グル ー プ交換
ロータ リー財団 について語る東ケ
崎 RI会 長 (左 )と 沖山明一君
拝察 したためで し ょう.何 等 か報恩 の途 は無
い ものか と,私 の財団委員末期 に親 しい友人
生 は844名
.
①氏 名 (推 薦RC) ②生年月 日 ③現住所 ④学歴
⑤留学予定大学及び国
①大塚ゆ り (札 幌 RC)
②昭和21年 3月 28日
と相 談 中任期切れ となった事柄 で ,要 領 はガ
バ ナ ーの公式訪 間 に際 し,地 区内 の RCが コ
③札幌市美園 5条 8丁 目
④北大文学部文学科
⑤ オレゴン州立大学
ー ヒー 1杯 を我 慢すれ ば 359区 で は約40万 が
得 られ るか ら,そ れで毎年 の ガバ ナー をポー
ルハ リス・ フェ ロー に推薦す る。 これが全 国
②昭和22年 2月 13日
.
ー 1杯 と云 う訳 に も参 るまいが,其 処 はガバ
ナ ー の所属 クラブの%が 跳 ね上 る代 りに,R
Cは 有志 で負担 されて も宜 しい と思 う。 兎 も
あれ本年 は財団委員会 の構成 に も変更が あ る
よ うだ し,奨 学生 その他 の数 も増加 され るよ
う承 って居 ります。 東 ヶ崎潔 RI会 長 に なが
持 ちす る御土 産 を贈 ろ うで はあ りませんか
■.
一
一
霞
一
ールハ リス・ フェ ロー に な って頂 くと言 う案
で あ る 会員 3,600名 以下 の地区では コー ヒ
アメ リカ
①斎藤典子 (尼 崎北 RC)
で実行 されれ ば毎 年 13∼ 4名 の 1,000弗 寄 付
者 が 日本 で産れ る と云 うもの ……
また 359区 は既 に 4名 のパ ス トガバ ナ ーが
居 られ るので,年 度 内 に 1会 員 400円 を寄付
して頂 き,初 代 か ら昨 年 までのガバ ナ ー をポ
,専 門的訓練研究生 は119名 ,合 計3,426
名 で あ ります
③尼崎市常松字山 ノ中10の 11
④大阪外国語大学 イタリー語学科
⑤ パ トヴア大学 イタ リー
(岡 山 RC)
②昭和22年 2月 11日
③岡山市古京町 1の 5の 13
④ ノー トル ダム清心女子大学英文科
①定家治代
⑤ ノースウェス ト・ ミズ リー州立 カ
レ ッデ,ア メ リカ
C山 口道子 (静 岡 RC)
2昭 和22年 1月 28日
③静岡市西草深町18
失 礼 をお ゆ る し下 さい。
ロ ー タ リ ー の 友 -11月 号
(43 10 2 言己
)
①津田塾大学英文科
⑤ クラー ク・ カレ ッデ
アメリカ
77
ロー タ リー財団特別寄付者氏名
(ァ
ペ
ル
フ
ア
ッ
ト
駒
(1968年 6月 末 日現在 )
口"タ リ‐財団へ特別寄付をされた会員の氏名を財団事務局 より提供 されましたので,ご 紹介 します.な おポール・ ハ リス・ フエロ"
とは 1年 に !,000ド ル以上寄付された方,オ ナラ リー・ フェロ"と は同 5110ド ル以上 1,囲 ドルまで寄付 された方,サ ステイニングコ
ン トリピ ユータ"と は,同 100ド ルを寄付 した方に贈られる呼称であ ります わが国の口"タ リアンで,こ れ らの呼称を贈られた方は
,計 176人 に及んてお ります.な お上記の呼称を贈られた方て,こ こrL記 載 もれの方があ りましたら,お 知 らせ願います
.
北 西
路 路 川
釧 釧 旭
治 一一造
克 祐 市
紹 渕 鶴岡
張
安
徹 山形
斎
ボ ール・ ハ リス・ フ
サ ス テイ ニ ン グ・ コ
ン トリピ ュー タ ー
ポ ール・ ハ リス・ フ
o コ
一
グタ
ン 一
″ ニ ユ ″ ″
イビ
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房 五郎
謙 一
龍 雄
喜二郎
慶之助
武 夫
勝 彦
猛
英 二
作 太
西 崎
木 生 勢 潟 田
栃 葛 伊 新 沼
加 瀬
真 柄
森 田
中 島
岡 本
大 塚
武 左 一郎 郎
茂 木
諸 岡
福 島
岩 川
兵 栄 一一四
澤 沢 原 村 永
滝 吉 石 西 武
区
5
3
357区
角 上 谷
両 村 新
区
5
3
353区
浜 井 次 郎
平 沢 好 男
平 田 海 蔵
檜 山 信 夫
本多 宇喜久郎
井 桁
亮
井 上 隆 利
勇
石 川
岩 出 健 一
オナ ラ リー・ フ ェロ
野田
#_)v. )\,2.2
成田
帽
,27.1 =/ f . z
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川 合 義 孝
川 崎 武 雄
弘
河 野
宮 地 武 夫
中 川 雄 三
亮
中 島
野 口 文 一
野 問 省 一
野 坂 相 如
小 原 鉄五郎
市川
八日市場
帳
新千葉
浦和北
市り
浦和1ヒ
落
岡
岡
桜
合
本
本
井
多 田
高 橋
竹 口
││
酒 井 忠 佑 朝霞
358区
青 井 忠 治 東京西北
布 能 由 雄 東京江東
樋 口 佐兵衛 東京
柏原 孫左衛門 ″
川
衣
小
幸
近
三
崎 武 雄
川 善 吉
林 秘 尚
田 末 三
藤 光 正
木 春 逸
佐 々木 秀 一
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東京池袋
東京江東
東京東
″
″
青 木 清 明 東京池袋
藤 元 章 雄 東京品川
東京品川
東京江北
東京江東
″
東京江戸川
東京品川
東京葛飾
東京東
東京江東
″
″
″
″
東京江戸川
東京東
東京江東
東京北
東京江東
東京品川
八王子西
東京江東
東京東
東京江東
″
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″
″
″
作兵衛
玉 川 一 郎
玉 真 秀 雄
玉 村 真 広 那覇
東 平 孝 徳 東京葛飾
塚 本 峰 吉 東京北
東京江東
″
佐 藤 治 郎 東京江東
島 田 万次郎 東京城東
手 島 知 健 東京
渡 辺 達 三 東京城東
安 田 幾久男 東京銀座
安 嶋 元 市 八王子
72
4..-n..)\r2.7
稔
一太 郎
亀 吉
信 平
公 人
正 三
ナステ ィニン グ・ コ
ン リピユ ーター
梅
沢 潤二郎 東京葛飾
田
博 東京江東
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山 田 雅之輔
山
359区
横
山
芳
根
│1崎
荏 原 満寿夫 り
萩 原 重 治 横浜東
飯
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生
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禄 助 厚木
堀
ナ ス テイ ニ ン グ・ コ
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豊 東京東
次 朗 東京品川
沼 相二郎 小田原
井 上
二
郎 横浜東
THE ROTARY‐ NO‐
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TOMO
太 保 神奈川
二 夫 横浜東
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林 清 志
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方 冨 雄
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本 武 雄
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須
錨 り
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横須賀南
本 福
永 井 猪二郎 横浜南
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栄
中 村
治
横浜東
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西
野 村 洋 三 横浜
″
野 並 茂 吉
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石
小
倉
松
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上
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山 明 一 横浜東
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佐 藤 末 悦
島 崎 一 郎 横浜南
栄 横浜東
谷 口
深 横浜南
上 木
上 野
泰 横浜東
柳 瀬 省 吾 横浜
飯 田 東 一 横浜西
″
鳥 居 菊 造
ボール・ ハ リス・ フ
藤沢北
熱海南
甲府
横浜
秦野
静岡
熱海南
コ
オナ ラ リー・ フ ェロー
サ ステイ ニ ング・ コ
ン トリピ ューター
明 勝浦
司 大阪
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今
藤
繁 京都北
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靖 京都東
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小 林 慶太郎
熊 谷 栄 次
栗 本 順 三
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久左衛門
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森 田 福 男
森 田 二 郎
西 川 政 一
京都東
大阪
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西 り
西 村
岡 林
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田 中
富 久
京都東
大阪
京都東
大阪
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勇
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京都東
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藤兵衛 京都北
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渡 辺 忠 雄
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吉 田 市 郎 名古屋
368区
ポール・ ハ
369区
オナ ラ リー・
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370区
373区
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360 p二
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コ
舞 ζ賃 こダ上
小倉東
福岡西
・ ハリス・フ
ゴ百生
73
ロー タリー財団奨学生 の中か ら,下 記 の方
々よ り,(1)財 団留学によって得たもの,υ )ロ
ー タリー財団 に望む こと,の 2点 (あ るいは
いずれか 1点 )に つ きア ンケー トを戴 きまし
た。 これに より, ロー タリー財団 の意義 の一
端が ど理解願えると存 じます.ご 回答をお寄
せ戴 いた方 々にお礼申上 げます
.
繋 晋 ]讐 賃 男 大 学
清
水
長
―
粟雪3雪 雲席大学 吉
村
俊
男
(1)財 団留学によって得たもの
抽象的ですが以下 個条書 きに してみ ます
.
① 視野 を拡げるうえに役立ちました。
② 国籍や人種を超越 して考え る習慣をつ く
るのに大 いに役立 ちました。
③ 学業以外に,小 さなコ ミュニテ ィーを訪
ねた り, ロー タ リア ンの家庭 に招かれて,ア
メリカ社会を立体的に観 るのに役立 ちました
④ こ うしたことか ら,こ の世界 で
「平和」よ
り尊 い ものはないことをしみ じみ悟 りました
(1)財 団留学 によって得たもの
世界 各国 の留学生 が数多 く学ぶ米国 コー ネ
ル 大学 に留学 し,滞 在期間 中 にイ ン ター ナ シ
ョナ ルア ッセ ン ブ リ ー,国 際大 会 ,地 区大
会 , クラブ例会等 に屡 々出席 し,又 ロー タ リ
ア ンの家庭 に招待 され ,多 くの友人 を得 た事
を通 じて,世 界 の共 存共栄 は平和 を望 む国 民
の交流 と相互理 解 か ら生れ出 なけれ ばな らな
い と知 りま した
.
9)ロ ータリー財団に望む こと
日本 よ りもめ ぐまれ ない多 くの国 々の青年
に,高 度 の教 育 を受 け られ る機会 を与 えて も
らい た い。
(日
(旧 姓
条件がnilっ た場合 (ほ かの奨学金を得 る等 に
より)期 間延長を認めて欲 しい
さらに多 くの学生が海外留学できるよ う
御努力をお願 い したい
②
.
③ 留学期間終了後一定の期間 (た とえば 3
ケ月 ぐらい)留 学先 の国お よびその周辺諸国
の旅行 が可能になれば非常に有益 と思 う.こ
れが実現す るよ う御配慮 をわず らわ したい
.
(I姿 通
層員省畠異準雀英率轟品)
粟 讐 〕 ?γ 肇 ル ニ ア 大 学
中村)
は)財 団留学 に よって得 た もの
ロー タ リー財団留学 の 1年 に よって,私 は
国際親善 を,体 験 として知 る機会 を得 た と思
う.招 れては訪れ た米 国地方小都市 の ロー タ
リア ンの純 粋 な好意 と親切 は,私 には生 涯忘
れ るこ とが出来 な い。
また ロー タ リー の会合 で 知 り合 った他 の財
団留学生 とは,年 令や関心 が近 か ったため,
非常 に有益 な意見 の交流 を楽 しんだ。 私 はそ
の後 ,大 学 で国際関係論 を講義 し,ま た今秋
は国連総会 に出席す るが,財 団留学 の 1年 は
この よ うな方 向へ進 む契機 とな った もの と思
74
多少具体的にやは り個条書 きにしてみ ます
① l年 の財団留学期間が終 つて も,経 済的
本映画機械(株 )・ 副支配人)
奨晋3?缶 5タ ゥン大学 緒 方 貞 子
い感 謝 にた えな い。
り)ロ ー タリー財団 に望む こと
(国 際 キ リス ト教 大 学 講 師 )
金
子
昌
生
財団留学によって得たもの
世界 で一 流 の大学 に若 くして留学出来 ,第
(■
一 線 の医学 の現状 を勉 学出来 ,帰 国後 も,世
界水準 に於 け る研究 に励 むエ ネル ギ ー を得 た
事 は,何 よ りもロー タ リー財団 に感 謝す る所
で あ ります
.
現在 ,が ん制圧 に,日 夜研究 ,診 療 に励
でお りますが ,本 年 1月 に
載 され た論文 の反響 は
,
lCXl通 以上 の手 紙 が
成果 をあげ,人 類 の
て い ます。
ロータ リー財団奨学生アンケー ト
繋筐]留 策辱大学 田 中 栄次郎
学生 か ら社会人 と一つ の道 を歩 いて来 た私
に とって,こ の道 は感 じるか否か は別 として
も自分 の将来 がかか って い るとい うス トレス
繋冒す瞥矢牙大学 星 野 千 ―
(1)財 団留学によって得たもの
ロー タ リー フェ ロー としての 1年 間 に知 り
が あ り,ま た努力は して もどうして も視野 が
合 った方 々 との個人 的 な友情 ,こ れ こそ国際
理 解 の芽 で あ ると思 い ます。 この芽 を将来花
せ ま くな って来 るよ うな気 が して い ま した
が 咲 き実 を結ぶ迄 育 てて行 くのが,我 々 ロー
.
留学 は,こ の よ うな環 境 か ら私 を解 き放 つ
タ リー フェ ロー の責務 だ と思 い ます
.
貴 重な機 会 を提供 して くれ た といえ ます。 で
す か ら一番 の成果 とい うものはやは り視野 の
9)ロ ータリー財団に望むこと
広 さとい うもの を体得 で きた ことで す
また,米 国人 の物 の考 え方 に少 しで も触れ
日本 を離れ るこ とによっては じめて 自分 の
に
国 対す る正 しい認識 を得 た こと.日 本人 で
それ に対す る理 解 や共感 を持 つ ことがで きた
るい は,各 国 の留学生 と同 じ屋 根 の
あ ることの誇 りを この時程感 じた ことはあ り
ません.よ い意味 での愛 国心 は決 して国際理
下 で起居 を共 に し,友 情 をは く'く む こ とがで
きた こ とも成果 とい って もよい と思 い ます。
解 を妨 げ るもので はな く,こ れ こそ国際理解
の もとにな る もので あ ると思 い ます
.
こ と,あ
.
(三 和 銀 行 本 店 営 業 部 )
さらに もっ と基本的 な こ とか も知れ ません
‐
‐
C対 し,
が , 日本 あ るいは 日 "い ム
黒誇 曽年5-大 学 久
我
寛
(1)財 団留学によって得たもの
いか に貴 重な留学経験 で あ って も,も しそ
れ が以後 のその人 の生活 に,何 のかか わ りも
な く投 げ込 まれ た 1年 で あ った とした ら,そ
れ は次第 にその人 に とって,な ん とな くよそ
よそ しい ものに思 えて くることで し ょう。
っ
ヽ.
しか し,善 意 の きず なで結 ばれ た多 くの人
との友情 は ,私 のア メ リカでの 1年 を,決 し
00¨
て そ の ような,よ そ よそ しい もの とは して く
「 他人事」 と思 えない気
,世 界 の問 題 につ いて考
れ ませ んで した
それ ら多 くの友人 と折 にふれ手 紙 を通 じて
.
互 いの意見 を交換 しはげま し合 うとき,私 は
財団留学 に よって得 た もののいか に大 きいか
を,あ らためて感 じるのです
.
(新
ヨ県立新潟商業高校
)
お願い ロータリー財団奨学生の方 々の名
簿 を整備 してお ります。現職, 自宅住所変更
の方は「 ロータリーの友編集事務所」まで
ご一報下 さい。
,
(ジ ャ バ ン タ イ ム ズ 編 集 局 )
タ リ ーの 友 -11月 号
75
大阪府立織人病センター
老ム │と 内 分 泌
岩
坪
治
‐
雄
の 例 タト
で │ま な く,他
器 と同 ll重 量 が減 少 し
',臓
。)数 及 び大 きさが減少 し、11胞
ホ ルモ ン分泌糸1胞 「
,
lよ
じめに
」り力が ′
│■ 行を十
1ilキ で きる の │よ 、 動 物 の 体 を卜 成
│な
づ 'I,111胞
保た
を■ って い る体 液 の組 成 が ,常 に ^定 に
1「 Lた 0で サ■ 人 l=→ 体 │こ lt, こυ
)よ う
1占
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しモ ン
な !1動 114節 機構 が '多 数 あ ります 内分 泌 ホ ′
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リの が 発見 され ます
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人 まか に 分 llる と 1)01yPcl)tid と sterOid と
alll i11● つ │;i[類 に 分け「,れ ます
リの ホ
また これ メ
力
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し■)を 分 泌す ′
311彗 器 と して ││1状 1カ 1,1刊
│11状
腺
これ ら●)末 梢 ホ ルモ ン分 泌 ││:を 体 の 要 求 に応 じ
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て ¬にIす るため に,問 1出 し)近 くに,脳 ド 体 と云
「
う、 1(梢 ホ ル モ ン分 泌 を 節 す るため の ホ ル モ ン
Jiり
を│││す
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しモ ンし
例 え は 甲1人 ‖
泉ホ ノ
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分 │き は , ‖(ド 重14く メI11プ 泉刺 セホ ツ
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化 1姜 サ1臓 ゃ皮膚 メ
中,最 も著 なもの 1ま 僣:ホ モ ンで, 女II:で ll li
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経 1切 を境 とし
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変化 │ま 急 IItで な く, ‖
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ン .伴 t景 つ 変動 が、 つ」 (ド ・ゃり
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こつこと│ま ,最 近発達 して来たtヒ ・
」 算``│を 千
用 したオー トメーション機構 にtl,'1し てい ます
│:「
内分泌腺 の老年性変化
年 令の 11加 と共 に体 制l織 に も
「「 =l変 化 が 起
しモ ン を産上 十 る臓 脇│も そ
て きます が ,内 分 泌 ホノ
.ン
ア6
hi」 )fF
令的変化 とほほ 平行す る と云われてお ),1‖ │千 や
1状 1泉「 崚し,変 化 もli]僚 で あ りまづ
この よ うに内分泌1泉 11年 f)と サ
年に 姜1占 して くる
と,Jl然 ,各 内分泌腺 の代 llLIま ,(ド し │す その
しモ ン か
て .脳 下 F[体 の ホ ツ
定 _′
台 を ヒー クに
して減 少 し、〕)才 で最 低 とな り,■ ん ど全‖;ilt粁 F
分 つ 」程度 。
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イ
占
),I卒 臓 等 が あ り,夫 々
リ
1:`、
性‖
泉 (卯 Ⅲl,卑 りし
′
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の ホ モ を分 泌 して い ます
││力 :あ
分 裂 を起す能 ブ
Jも 低下 し, Itt■ 胤[織 ,1‖ lち 繊11,1
が 加 して来 ます この 内分泌腺 の重 の変 fヒ の
横
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モ ン 代本
尚紺l率 哉 〔 .i,■
ホル
r,,Jl,│││││イ
来 るた
11■
成人病ヴ栃2治療
くて も 1日 の 甲状腺 ホルモ ン産生量 は低下 して き
て い ます.ま た,脳 下垂体 よ り分泌 され てい る甲
状腺刺戟 ホルモ ンに対す る甲状腺 の 反応性 も,減
少 して きます.こ の事 は副腎皮 質 ホルモ ンに もあ
て は ま り, COrtisolの 血 中濃度 は若 年者 と老 年者
とでは差 はな いか ,む しろ老人 が高 い場合 が多 い
が ,血 中 よ りの消失速度 を見 る と,老 年者 で は遅
延 し,副 腎か ら分泌 され た皮 質 ホル モ ンは長 く血
中 に留 る傾 向 にあ ります
.
現 し易 い ため ,必 要最少量 に止 め るべ きだ と思わ
れ ます
.
老人の内分泌疾患
内分泌疾患 の 中 で比較的多 いの は甲状腺疾患 で
あ りますか ら,老 人 に見 られ る甲状腺疾患 に就 い
て 2∼ 3の 特徴 及び注意事項 を述 べ ます
.
甲状腺 は“の どぼ とけ''の 下 にあ り,蝶 の よ うに
左 右 に広 が ってお り,正 常 で は表面 か ら触れ ませ
ん。 これ が大 き くな って きます と,首 を後屈 さす
だけで,素 人 に もそ の肥大 に気 付 きます。
脳下垂体の老年性変化
前 に述 べ た様 に,脳 下垂体 は,末 梢 の内分泌腺
のホルモ ン分泌 を調節す る重要 な臓 器 で あ ります
が ,脳 下垂体 の萎縮 の程度 は最 も少 な く,性 腺刺
戟 ホルモ ンは,女 性 の更年期 以 後 では著 し く増加
し,60才 台で最高 とな り以 後低 下す るが ,男 性 で
は増加傾向は女性 に比 し軽 く,最 高値 は70才 頃 で
女性 の場 合 よ り遅 れて い ます.こ れ は睾丸 の機能
が卵巣 の よ うに急激 に衰 えな いか らで あ ります。
同 じよ うに脳下垂体 か ら分泌 され ,幼 児 の成長発
育 に重要 な役 割 をな して い る成長 ホ ルモ ン も,老
年者 では全 く減少 の傾 向 を示 さず ,発 育成長 以外
の作用 ,即 ち脂肪 ,糖,蛋 白代謝等 に重 要 な役 割
をはた してお ります.こ の よ うに老 年者 に於 け る
ホル モ ン分泌 の低 下 は,末 梢 ホルモ ン分泌能 の低
下 とホルモ ン消費 の減少 が主 で,間 脳下垂体係 の
分泌調節機構 の異常 ではあ りません
.
老人に対するホルモン投与
前述 の如 く,老 年 にな る と性 ホル モ ンが分泌低
下 して きますが ,こ の分 泌低下 を補 う意味 で性 ホ
ル モ ンを投与す る試みが多 くな され て い ます。 性
ホル モ ンを主 として,他 のホル モ ン との混 合投与
に よって筋力 の増強 が起 ります が,記 憶力や注意
力等 の精神能力 には変化 な く,何 とな く体力が つ
い た と感ず る ものが多 い.老 人 に見 られ る骨粗霧
症 の腰痛 に性 ホル モ ン,ま たは蛋 白増加 ステ ロイ
老年者 で最 も注意す べ き疾患 は勿論 ,甲 状腺届
で あ ります.こ の場 合 は,最 初 は右 または左 の一
側 の 甲状腺 が硬 く腫大 し,同 時 に声 がか すれ て く
る場合 もあ ります
甲状腺 癌 は他 の臓 器 の癌 と異 な り,比 較的進 行
.
が遅 いのです が ,数 年前 か ら腫大 して も何 ら苦 痛
が な いか らとい って放置 して い る と,周 囲 に転移
し手術不能 にな る場 合 があ ります か ら,一 側 のみ
硬 く腫大 して きた場 合 は,悪 性 の疾患 で はな いか
どうか の検査 を受 け るべ きで す。 しか し一側 のみ
の肥大 で も,軟 らか い ものは裏腫 と云 って ,寒 天
状 の ものがつ ま って い る疾患 の ことが あ ります。
甲状腺 ホル モ ンの分泌 が多す ぎる疾患 はパ セ ド
ウ氏病 と云われ ,良 く御承 知 と思 い ます が,老 年
者 で起 った甲状腺機 能克進症 は若年者 の それ と異
な り,甲 状腺 の腫大 が殆 ん ど気付か な い程度 で も
食餌 を大量 に喰 べ るのに体重 が減少 し,筋 肉が萎
縮 し,気 分 が い らい らし,頻 脈 や不整脈等 の心臓
の異常 が起 り,甲 状腺 の疾患 で あ る と気 付 か な い
場 合 があ ります。 また甲状腺 の機 能 が低 下 して き
ます と,寒 さに非常 に敏感 にな り,夏 は比較的元
気 があ るが ,秋 よ り冬 にか けて人 一 倍寒 が りにな
り,言 葉 が活発 に話 せ ず ,何 とな く気 力 がな くな
り,顔 面 が腫大 ,脱 毛 が起 り,急 に老化 が進 んだ
感 じが します .貧 血 や心臓 の拡大 も同時 に起 り
長 く心臓癌 や貧血症 として治療 を受 けて い る患者
,
ドの投与 が有 効 で あ ります が,ホ ルモ ン剤 を投与
して も老化 を くい止 め る ことはで きず ,体 全体 が
もあ ります。 この よ うに重 症 で な くて も,潜 在性
の軽 い 甲状腺機能低 下症 が老年者 に比較的多 い と
老化 して い る時 に,一 部分 を代償 して若年者 の状
態 に戻す こ とは,体 全体 のバ ラ ンス を乱す恐れ も
あ ります。 また老人 は薬 の服用 に よる副作用 も出
云 われ ています
いずれ の場 合で も検査 に よって,正 しい診断が
ロ ー タ リ ー の 友 -11月 号
.
つ けば治療 は容易 で あ ります.
表題カント 止血詩
77
葉
子
遠
倉
の 灯
鎌
へ し 布 団
へ し 障
彫
を
流
の 静
の
︵
高 山 ︶
か な
︵
津 島 ︶
臥
を 追
ふ
︵
安 城 ︶
ひ
盆
︵
岡 崎 ︶
通
︵岡 崎 ︶
の 原
て
り
︵
岡 崎 ︶
、 虫
の 猫
る
伐
の 荷
格
へ
︵岡 崎 ︶
ほ
院
竹
足
の
軽
さ
に
よ
︵
身 延 ︶
り
︵
岡崎 南 ︶
の 気
の
り
の 上
の 中
朝顔 も 小 ぶ り と な り て 朝 冷 ゆ る
︵
七 尾︶
夏 山 に 一軒 湯 宿 廃 れ ず に
︵
名古屋︶
包丁 を 添 へき し 梨 の 冷 え て ゐ し
︵
名古屋南︶
農 夫 温 顔 泉 に 浸 け し種 南瓜
︵
名古屋西︶
凌 春 花 ま つは り 咲 け る 松 仰 ぐ
︵
名古屋西︶
に ヽづき の色づ き そ め ぬ 供 へば や
︵
名古屋西︶
旧道 と な り て 本 曽 路 や 合 歓 の 花
は め 替
紅
掛 け 替
薄
車
退
動
日
筒
自
明
花
れ
し
み
疲
く
親
す
踊
暫
火
除
は
燈
掃
衣
墓
単
の 済
し
用
み
檀
︵
清 水︶
ふ る さ と の こ ゝ風 涼 し 昔 よ り
︵
清水北︶
眈 足 と は 心 若 や ぐ 庭 掃 除
︵
清水北︶
水引 の 花 こ ぼ さ じ と 手 折 り け り
︵
沼津北︶
山 薄 暑 戸 隠 そ ば の旗垂る ゝ
︵
富士吉田︶
翅 青 き 灯 虫 浮 め り 温 泉 の中
白川志づ女
松元 桃村
岩 田 一
九子
鈴木 梅子
松浦 竹生
野村 一止
沢田 寿文
江場 春子
古居 冬扇
岩武 邦子
大村 昔水
大村すょ子
杉本 富 風
宮川 早苗
上田正久日
堀谷 鋭子
大竹 ふみ子
杉山喜代子
浅羽 可南
柏木 白雨
秋
簾
台
あ
げ
病
ひ ろ
せ ば 既
の 裾
降 り 出
灯
人
と
り
に 秋 な
が
摂
る
天
︵
藤 沢西 ︶
る げ
︵
横須 賀 ︶
ひ
か な
干
す
︵東 京 銀 座 ︶
草
︵
横 浜 保 土ケ谷 ︶
る 起 居
に
︵
東 京銀 座 ︶
海 女 の 焚 く 流 れ 木 暦 の問 火 か な
たみ ごえ ︵
千 葉︶
長谷川青窓
伊藤八千代
笹尾 操子
市 川 月光
日塔二斗亭
山本 岳南
濁 声 の 東 北 弁 や 西 瓜 売
︵
東京府中︶ 村本 貞介
見 る限 り実 り田続 く住居 かな
︵
勝 浦ン 大槻 清香
新 凍 の月 をく窓 とな り にけ り
︵
大多喜︶ 横倉不二雄
児を 背 負 ひ 稲 架 解 き 始 め し 男 哉
樺
雨
の
安
幹
静
伝
に
は
れ
入
る
る
︵
熊 谷︶
雫
︵
小 山 ︶
霧
養
所
︵
栃 木 ︶
療
鳥
羽
鈴
木
い
し
善
治
古
燈
慶
三
五
合
星野立子
妻子 と の 対 話 に 倦 み て 虫 を き く
^
仙 台︶
就職 の き ま り し 吾 子 や 水 を 打 つ
︵
八 一
F︶
町 寧 に 籠 よ り 出 し ぬ茸 売 り
︵
函 館︶
城 趾 の坂降 り く れば 蝉 し ぐ れ
︵
栗 沢︶
茄 子 の味 老 婆 明 る く 語 り 居 り
後 に
大
沼
青木 次男
を目 のあたり にして、忘れかけ てゐた ことを思 ひ
′ヽに記憶をうすらげ て来 るのであ つた。麻布団
ある。
投稿規定
、締 切 毎月二十日必着
、投句数 五句以内
、投稿 は僣書 のこと。
、投稿 は会員 と、その家族 に限 る。
所属 クラブ名 を明記 のこと。
韻を広く深くひろがせ つヽ、出来上らせた俳句 で
長 い文章 になると ころ のものを、十七字 の中 に余
船江 ひでみ
鈴木 貞
鈴木 綾園
斎藤 節子
篠原 巴石
小山 宏子
山 口依久子
出し、現在 のわが身を感謝 してゐるのであらう。
の出来な い思 ひ出 ではありながら、年 月 は 自 然
か つて病床 にあ つた時代があ つた。忘れる こと
二沢 久子
療 養 の記 憶 う す れ し 麻 布 団 一
選
阿
部
渡辺 彩生
山 荘 の木 の間 に夏 の月 ま ど か
千 葉︶ 山本 千代
︵
朝 顔 に か ゞみ て朝 飩 待 つ こ と も
︵
浦 和︶ 古橋 桂花
老 人 の 日 と て祝 は る 淋 し け れ
つら ね た る裸 火ど と の火 取 虫
白
時
山檄に京の秋の灯ちりばめぬ
蝉
︵
高 田︶
沢 胡 桃 お ち て 屋 根 う つ牧 の 宿
︵
宇都宮東︶
朝 顔 の昼 も し ぼ まず 雨 しづ か
︵
大田原︶
朝 毎 に 磨 く タ イ ルや 今 朝 凍 し
︵
自 石︶
水 打 つ て 昔 の ま ゝの大 館
︵
自 石︶
いち 早 き 蔦 の 紅 葉 を め で あ へり
THE ROTARY― NO― TOMO
78
沖
田
野
か な
佐 伯︶
︵
分
︵日 南 ︶
三瀬 昇
斎藤 慈勝
立 子 選
口多J
︲
作壇
星
ト ンネ ルを 出 て ま の あ た り 野
︵大 分 ︶
橋本 錦浦
岡本治山路
三宅 弓浦
泉 よし の
能美 優子
渡辺 クミ
渡辺 夏人
桜井 かす子
宮田 帰郷
戸田河畔子
光武弦太朗
小手川世規
とうきびを焼き 売 る 露 店 阿 蘇 の 道
︵
熊本南︶ 藤井 年子
用お き て 肥 後 朝 顔 を 見 に ゆ か む
︵
豊 前︶
残照 も 由 布 も 消 え ゆ く 月 待 て ば
︵
壱 岐︶
法 師 蝉 いよ いよ 明 日 は 出 校 日
︵
福 岡︶
秋 揚 羽 を り /ヽ 来 り 気 の ま ぎ れ
︵
直 方︶
山 荘 に端 居 の時 を た の し め り
︵
豊 前︶
萩 の 枝 大 き く ゆ れ て俄 雨
︵
笠 岡︶
獣 神 の 柱 の 立 て る 落 葉 道
︵
豊 前︶
悲し み を わ か ち あ ひ た る 夕 端 居
︵
江 津︶
旅 み やげ 旅 の話 を 爽やかに
︵
松 江︶
露 け し や 朝 の官 居 の 鳩 群 れ て
︵
倉 敷︶
滝 浴 び て間 は ず 語 り の翁 元 気
張 り 替 へて襖 白 き に 落 つか ず
︵
中 村︶
債 草 は や 露 じ め り 花 火待 つ
︵
今治 南︶
馬 追 の声 の ど こ か に 部 屋 の闇
︵
宇和島︶
吾 が 丈 の 蓬 の 続 く 峡 の径
︵
松 山︶
嵐 山 に 妻 と 遊 び て月 の宿
︵
松 山︶
凍 風 や 余 震 の中 に 茶事進む
︵
松 山︶
く つきり と屋島 見 え く る 瀬 戸 の 秋
︵
小 豆島 ︶
小谷 貞広
河野 一郎
木藤 長雄
関 定
吉田 功
岡田 杏畝
小汐 大里
遊 船 の 互 ひ 違 ひ に 灯 の揺 る ヽ
︵
今治南︶ 岡 田 祥子
鬼 灯 の 日 毎 に 赤 し縁 先 に
︵
新居浜︶ 山内 十夜
打 水 の 日 課 欠 か さ ず恙なく
︵
琴 平︶ 合 田丁字路
山 の 温 泉 に 近 き 葛 原 苦 原
︵明 石 ︶
長 蔵葉愁
島 の 日 を 一杯 に 吸 ひ 青 蜜 柑
︵
高 砂︶ 円山美津子
尼 さ ま のお ひ とりず ま ゐ秋簾
︵
明 石︶
松本しづ子
沼 静子
今井千鶴子
土井 敬子
山下ふみ子
山下 素水
船 料 理 河 原 に下 り て鮎 を や く
︵
明 石︶ 長 多賀女
縫 物 の ひ ざ に か ゝり て 暑 く るし
︵
明 石︶ 堀川 炭舟
大 砂 丘越 え 去 り ゆ き し 秋 の人
旅 装 と き 一息 に 飲 む 麦 茶 か な
︵
明 石︶
初 嵐海 より部屋を吹き抜 け し
︵
宝 塚︶
湧 き 出 づ る 霧 の 早 さ よ 白 根 越ゆ
︵
宝 塚︶
今 解 け し ば か り の 亡 早 や な びき
尼 崎︶
︵
京 に来 て つ い で の 墓 参 秋 ひ が ん
︵
加古川︶
珊瑚 樹 も ま ろ く 刈 ら れ て 月 の 庭
︵
篠 山︶
岐阜提 灯 昼 は暑 し と外 さ る ヽ
︵
篠 山︶
駅員 ひ と り 貨 車 に 旗 ふ る 赤 蜻 蛉
豊 岡︶
︵
退 院 も 間 近 き 散 歩 赤 のまま
︵
豊 岡︶
秋 の 蝶 小 さ く 早 く 見 失 ひ
豊 岡︶
︵
女 人 寺 参 道 険 し 秋 の 蝶
餞 辺︶
浜 木 綿 の 乱 る ヽ浜 の 花 火 か な
︵
有 田︶
大 和 路 は 藁 屋 の軒 に 柘 櫂 熟 れ
︵
大 阪︶
先 斗 町 住 来 の路 地 の秋 す だ れ
大 阪︶
︵
さ ら さ ら と 岩 よ り 岩 へ秋 の 水
大 阪︶
︵
よ べの雨 コスモ ス 咲 か せ 萩 咲 か せ
︵
大 阪︶
療 養 の 記 憶 う す れ し麻 布 団
大阪西︶
︵
灼 熱 の 道 を 跳 足 の 土人 の子
大阪淀川︶
︵
月の出 を 待 ち て話 も つき ざ り し
︵
大 津︶
書 店 出 て す ぐ 暗 き 途 夜 の秋
︵
大 津︶
新 仏守 る身 大 文字 おろ が み て
︵
彦 根︶
峡 の子 の荒 く 育 ち て泳 ぎ を り
全示 都︶
募る 風 野 分 と な り て 暮 れ ゆ け り
︵
京都東︶
術 の 灯 を へだ て て 遠 く 大 文 字
︵
松 阪︶
蝿 叩 き ゐ て 心 付 く 用 ひ と つ
︵
高 山︶
念 仏 の絶 え る 間 も な し 萩 の寺
西尾 野水
山本 景川
石田かおる
富森 春子
由利 五郎
辻 弘
山口 要道
堀田 春子
伊藤 良水
一
二木久美女
一
二沢 久子
細井 正二
広岡 和子
村田 凍風
大林 湖映
隅野 泉汀
一
言m
草秋
木村 楽岡
黒部 草波
白川 蘭舟
ア9
ロー タ リー の 友 -11月 号
「 友」 に,バ ナ ー展示会 を時折掲載 した ら, どん
銀科医
な にか興味深 い ことか と思 う。
)
交」 にっぃての雇R'鳳
「ラ
LETTERS TO EDITOR
県 立 青 森高 等 学 校
野
村
享
青森 クラブ雑誌委員会 llt「 ロータ リア ン誌」 と「友Jを 当
地 の学校,新 聞社等へ寄贈 してお ります。先般寄贈先の県立
青森高等学校 の学校図書館担当の野村享先生 に両誌の読後感
を例会で述べていただきましたところ,会 員に多大 の感銘 を
与 えました。以下はその概要 であ ります
青森 小館貞一
ロー タ リー が どんな ものか ,全 く知 らず無 関 心
で あ った者が「 友」 を読 んで の感 想 を述 べ ます
趣 味 の世界 に遊ぶ
爽岡
.
ロー タ リー がおぼろげなが ら掴 めて きた こ
海
成
朝
輝
あ る年齢 にな る と生 活 が消極的 にな り,殊 に経
済的 に安定す る と生 活 が単調 に陥 り易 い.人 間は
自己の職業 に対す る情 熱 。研究心 を,老 齢 に なっ
①
と.地 味 なが ら建設 的 な奉仕活動 をつづ け,イ ン
ター ア ク トの活動 まで あ り,世 界的 な組織 で あ る
こ とは,無 知であ った私 には大 きな驚 きで した
.
て も絶 えず持 ち続 け る様 に努力 した い ものだ。
記事 として は,外 部 か らの寄稿 ,ま たは取
材 したのが面 白か った し,有 益 で もあ りま した。
忙 中閑 の た とえ,忙 しさの 中 に も高 尚な趣 味 を
探 し求め ,そ の道 へ 精進す る事 が毎 日の生活 に女ロ
だか らとい って会員 の寄稿 が つ ま らな い とい うの
で はあ りませ ん。 ロー タ リア ン誌 か らの紹介・ 転
何 ほ ど潤 い を与 え,有 意義 な生 甲斐 の あ る もの と
す るか知れ な い.自 分 の仕事 の傍わ ら趣 味 の世界
載記事 ,友 愛 の広場 に見 られ る貴重 な体験 な ど多
くの考 え させ られ るもの を含ん で い ます。 しか し
に生 きる と,た しか に この世 が明 る くな り生 きる
全体 としては,記 事 の 内容 が,高 い低 い は別 とし
て ,か な り生硬 な感 じを与 えます
喜 びを噛 み しめ る事 が出来 る.お 互 に多忙 な人 間
は ,僅 か な時間 で も趣 味 の世界 に遊 び,専 門的 な
仕 事 か ら開放 され るひ と時 を持 ちた い もの だ
ロー タ リア ン同志 が “友"を 通 して,己 が趣 味
.
②
.
以上 の 2点 か ら「 友」 が機関誌 として会 員 にの
み頒布す るだけでな く,そ の本来 の使命 を一 般 に
浸透す るため の要 素 を加 味 して もいいので はな い
を語 り,又 は集 いの会 を持 つ 事 は,別 な意味 での
繁 が りを持 つ ことに な る。『 趣味 の談話室』 とで
も云 う頁 を設 けた らどうであろ うか
.
また国 には国旗 ,県 には県旗 ,学 校 には校旗 ,
家 には紋 章 があ る様 に,各 RCに も夫 々バ ナ ーが
あ る.外 国 か ら寄 贈 され た もの.会 員各位 が持 ち
寄 った ものが,私 共 の例会場 の各 テーブル の上 に
数 多 く飾 られ て い る。
私 は,各 RCの ′ヾナ ー を手 に取 り見 るのは,と
て も好 きだ。 旗 の きじも,木 綿 ,絹 地 ,人 絹 ,ス
フ地 と数 多 く,大 抵 そ の土 地 の名所 旧蹟 ,公 園,
城 ,神 社 ,仏 閣 ,名 産物 な どを描 いたバ ナ ーが多
い。 バ ナ ー には夫 々の 由緒来歴 があ る筈だ。 私 は
80
ォース トラリアの ロータ リ
ー地域機関誌「ROTARY
DOヽ VN
UNDER」
の7
月号表紙は東ケ崎潔 RI会
長 と令嬢 のベ ッテ ィ 。柴田
夫人で飾 られている 会長
は長野県駒 ケ根 RCか らIIB
られた法被を着用, レーク
プラシッドでのインターナ
シ ョナル・ ア ッセンプ リー
の休憩 のひとときである
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
第 9回 1968年 10月 20日 , 会場同上
テーマ "分 裂国家と国連"講 師 京大教
授香西茂氏 石川国連協会京都本部長
湯浅八郎京都RC会 長等出席
以上の模擬国連安保理事会 は京都
.
英語による模擬国連安全保障理事会
,
.
京 都
国際奉仕一― それは国際理解 と親
善 を深 め る為 の ロー タ リー クラプの
不
破
治
講演 外務省 渡辺事務官 石川芳次郎
国連協会京都本部長,片 岡久兵衛京都 R
市 が会場を提供 し,国 連協会京都本
部 が資料 を提供 し,京 都 RCが 企画
C会 長等出席
第 3回 1962410月 27日
並 に経済面の援助 をし,各 国代表団
.
奉仕活動 であ ることは, どなた も御
存 じで あ るが,然 らば何 を対象 に ど
ん な奉仕 を した らよいか,こ れ には
各 クラブ共頭 を悩 ま してい る問題で
ある
会場同上
軟
テーマ 18ケ 国 ジェネープ軍縮会議" 講
演 外務省研修所長 与謝野秀氏 京大
教授 田畑茂二郎氏 石川国連協会京都
,
本部長 山岡景範京都 RC会 長等出席
第 4回 1963年 10月 19日 ,会 場同上
テーマ "キ ューバ問題"講 演 京大教授
猪本正道氏,石 川国連協会京都本部長
.
私 は姓に四つの対象 を考え る.●
ク ラブの メンバ ー (b)ク ラブテ リ ト
)
0海 外か らの ヴイ
に)海 外 の RC並 にその地域
リーの地域社会
ジ ター
社会 ,舷 にそれ らの四 つの対象 に対
して どん な奉仕 を した らよいか を詳
細 に論ず る紙面 が な いので その 中 の
一 つ,0)テ リ トリー の地域社会 に対
す る国際奉仕活動 の一 環 として過去
8年 間京都 RCで 主催 して い る “英
語 に よる模擬国連安保理事会 'に つ
いて述べ て見た い。
第 1回 1961年 3月 18日 於京都会館
国際会議場 テーマ"ラ オス問題の経ぽ
(1959年 9月 7日 ,国 連に於けるフォス
問題討議の再現)講 演 外務省小林事務
官,国 連協会京都本部長石川芳次郎 (パ
ス トガバナー)及 び松風憲二京都RC会
長等出席
第 2回 1961年 11月 25日 ,会 場同上
テーマ"1961年 7月 21日 のビゼルタ問題"
.
,
藤井尚京都 RC会 長等出席
第 5回 196449月 12日 ,会 場同上
テーマ "中 国代表権問題 "講 師 京大教
授 田畑茂二郎氏,石 川国連協会京都本
部長,浜 口富二郎京都RC会 長等出席
.
第 6回 1965年 10月 30日 ,会 場同上
テーマ "侵 略 の定義 に関す る問題"講 師
東大助教授 太寿堂鼎氏 石川国連協会
,
京都本部長,山 中次郎京都 RC会 長等出
席
.
第 7回 1966年 10月 22日 於 国立京
都国際会館,テ ーマ “核兵器拡散防止委
員会"祝辞 国連東京弘報 センター所長
J.Robert Herbin.講 師 京大教授 香
西茂氏 石川国連協会京都本部長,森 下
弘京都RC会 長等出席
第 8回 1967年 10月 22日 ,会 場同上
テーマ "ベ トナム問題"祝 辞 国連東京
弘報 センター所長 Willlam Tanzer
.
ll国
講師 京大助教授 大寿堂鼎氏 石り
連協会京都本部長,吉 田忠京都 RC会 長
等出席
.
で しよ うか.「 ロー タ リア ン誌」 が機関誌 では あ
となる京都全大学 ESS連 盟 の学生
が 6ケ 月 に渉 って真剣 に最 も時局的
な国際 問題 ととりくみ,京 都 アメリ
カ文化センターが英語 のヘル プをし
京都新聞,英 文毎 日が紙上後援をす
る等各種団体の密接な協力の下に行
われ,京 都 の国際的年中行事 の一つ
となっている。 この会議は一般市民
に公開 され英語の不得手な人 はイヤ
フ ォーンによる同時通訳で聞 く事 が
で き,又 討論中の議題の番号 は会場
正面 に掲示 してあるか ら途 中入場者
で もプ ログラムを見せれば会議の進
行が分 る仕組 になっている この会
議 に参加 した学生は毎年男女30名 に
及び,か つての参加者 の中には外交
官試験 にパス して実際の外交場裡に
活躍 している者 もい る.こ のプログ
ラムは学生諸君は もとより京都市民
一般 に国際理解 を身を以て体験す る
機会を与え る事 がで きるので,京 都
RCと しては地域社会 に対す る最大
の国際奉仕活動で あると信 し て い
る。
(第 365区 「友」地区委員
)
りなが らも,か な り読 ませ る,見 せ る内容 を もっ
て い るのに比 べ て「 友」 は機関誌的要素が多 く,
くれ ます.部 外者で も拡げてみた くなる機関誌が
本当の機関誌 ではないで しようか。「 ロー タ リア
ン誌」は内容的にみて面白い,た めになるものを
硬 い感 じを読者 に与 え るよ うに思 い ます
「友」力ゞ
社会 の眼 にふれ ,だ か ら こそ,あ そ こは
もっていますが,や は り,ア メリカの雑誌 です。
「 ライフ」な どを想 い うかべ なカミらも,ア メリカ
いいの だ とい うよ うにな って こそ,ロ ー タ リー は
そ の使命 を遺憾 な く発揮す るのだ と考 え ます。 た
とえ,一 般 め眼 にふれ るに して もきれ い な表紙 を
的なものがあるようです。
「友」には「友」 の 日本
のが
的な も
感 じとられ ます。 同 じ編集方針をとっ
ているのですか ら,「 ロー タ リア ン誌」 の もつ よ
見 るだけで,こ の 中味 を読み つづ け るのは,か な
りの忍耐 を要 します.こ の点「 ロー タ リア ン誌」
は部 外者 で も頁 をめ くりた くな る楽 しみ を与 えて
さを取捨選択 し,「 友」 の好 さを生か して,硬 軟
とりまぜた,み て楽 しく読 んで楽 しい「 友」 が
出現す ることを期待 したい と思 います。
.
ロ ー タ リー の 友-11月 号
,
87
計 タ リ■美 術 館
中 尊 寺 讃 衡 蔵
―関西
佐 々 木 実 高
The Chuson_Ji Treosure House: Locoied o,Hiroizuni in iw。
le Pre_
feciuie,i,disp:oys o number of nolioぃ ol irecsures cnd imporiont
culiurol properlies Temple Chuson is,he Tohoku Coihedrol of ihe
Tendoi sec,of Buddhism founded by S,Jlkckυ
in“ OA
D
古来 よ り,中 尊寺 に伝 わ る数多 くの国宝 ,重 要
文化財 の収蔵施設 として,国 費 の補助 に よ り,平
金 銅華曼 (国 宝)
金 色堂 の 内陣須弥壇 の装飾 として,仏 前 の長押
安様式 と近代建築美 との融和 に よって造 られ ,昭
和30年 に完成 され た。
宝相華唐草 の模様 の透彫 りを背景 に総 角 に結 ばれ
内部 の第 一室 に阿弥陀 ,釈 迦 ,薬 師 の各丈六如
来 像 が安 置 され て い る.第 二 室 には一 字金輪 仏 を
た紐 を中心 として,相 対す る伽陵頻迦 の像 が毛 彫
りを施 されて打出 されて い る。 金銅華曼 として最
は じめ華質 ,碧 ,藤 原三代 の遺宝 が数多 く陳列 さ
も古 く,か つ最 も優 れ た もの として有名 で あ る
れ て いる
にか け られ た仏具 で六 面 が残 って い る。 いず れ も
.
最勝 王 経十界 宝塔絵曼荼羅
.
―字金輪仏
(重 要文化財)
大金光明最勝 王経 は,国 を護 り民生 を安定 させ
(重 要文化財)
金輸仏 には,大 日金輪 ,釈 迦金輸 の二 尊 があ っ
て ,大 日金輪 の真言 が梵字 で ボ ロンの一字 で あ る
ところか ら一字金輪 と称 され て い る.木 彫寄木造
りで,肌 色 のお もて に匂 うよ うな眉 を引 き,頬 や
唇 に鮮か な紅 をさし,眼 には玉 眼 を入れて半眼 に
見開 く伏 目勝 ちの面貌 は,少 女 の如 く美 しく気高
い.白 塁 は叡 智 をたたえ て 眉間 に光 り,高 く結 い
上 げた宝髪 櫛 目も正 し く,生 え ぎわ の辺 りはモ
ダ ンに さえ見 え る。 宝相華文 の透彫 りに した金 銅
ll■
る法理 を説 いた経 で ,平 安朝 の初 め,宮 中 に於 て
勅 に依 って修法 し玉 う御斎会 の経 典 で あ り,北 方
の王者 た る藤原氏 もまた,こ の経 の曼 茶 羅 を 納
め ,奥 羽 の安泰 を祈 った もので あろ う。
この曼茶羅 は一巻 で一塔 をな して い る。 中央 に
九重 の塔形 に金 字 を並 べ ,そ の周 囲 に経 の意味 を
絵 で あ らわ して い る.図 は金銀泥のほか 彩色 を用
い,仏 像 ,人 物,山 水 ,楼 閣 な ど,自 由な筆致 で
描 かれ ,こ れ もまた当時流行 の装飾経 の一種 と見
られ るが ,着 想 の独創的 な ことは他 に例 が な い
五 智 の宝 冠が よ く調和 して い る。
.
肩 か ら両 臀 ,胸 部 にか けて の豊 艶 ともい うべ き
線 ,特 に腕輪 の部分 の軽 い緊縛感 を もつ写実 は
(中 尊 寺 執 事 )
,
この如来 が 官能的 とさえ,い われ る所 以で もあろ
う。 また体 温 さえ感 じられ るよ うなみ手 は深 く智
拳 の印 を結 び,俗 に「 人 肌 の大 日さま」 と称 して
親 しみ 崇め られ た
.
しか して,か くも美 し く尊 い御仏 に朝 夕 の礼拝
を捧 げた北方 の王 者 の その面影 と希 い にも,思 い
を駆 られ るよ うな気 がす る。 この作 が 平安末,や
が て鎌 倉 に近 い ことを示 して,秀 衡 の御持仏 と伝
え られ るの も時代的 に相 応 して い る
.
82
ところ 岩手県西磐井郡平泉町中尊寺山内
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111
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(官 内庁御月it)
事 録 商々
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編 集 ノオ ト
あ ります。平素,新 会員の10弗 寄付
メモ リアル・ コン トリピュターと呼
や毎年 の 1弗 追加寄付,RIの 諸文
ばれ ることになってお ります。
献な どによ り, ど承知 とはお もいま
すが, この解説 に限を とおす ことに
巻頭の論文は東京工大 の大木保男教
授 の `職 業病 と労務管理'で す.職
業病 は,最 近 の技術革新 により登場
した新 原材料や設備のため増加の途
をた どり,全 国で約 3∞ 万人 の労働
者が有害業務 に従事 し,そ の内約30
万 が労働衛生上 の対策の必要 を考え
より,さ らに,こ の週間の重要性 につ
いて認識され ることであ りましょう
口"タ リ"財 団留学生ア ンケー ト
わが国の奨学生は 56名 であ り ま す
が, この内の 8君 か らア ンケー トを
ポ ル・ ハ リスフエロ"と 私 ポー
「
ル・ ハ リスフェ ロー とは,個 人 とし
集 めました.奨 学生 に選ばれて よか
ったこと,財 団へ の希望な ど,財 団
へ の投資が如何 に役立 っているかを
て財団へ10∞ 弗以上,寄 付をした会
員にあたえ られ る名称で あ ります。
られてい ます.氏 は,こ の対策 につ
いて,生 産 と,労 働者 の生命.健 康
しめす ものであ ります
.
このフェローは世界で 145名 .日 本
口"タ リ"財 団寄附金一覧 「友」
は米国の 86に ついで 51名 を数えま
す。 そしてこの内25名 が 359区 で
本文中の記事 とは別 に今月 の「 友」
ニ ュ"ス に,本 年 7月 1日 現在によ
しか も24名 が神奈川県内,ま たその
半数 の12名 が横浜東 の会員であ りま
る,各 クラプの寄付額 の一覧表を掲
載 しました。400%ク ラブ,300%ク
また職場,労 働者を,職 業病か ら守
り,明 るく住みやす い世界をめざす
す。 この成果 は沖山明一横浜東元会
長 の努力によるもので,同 君の一文
は, この機会 に財団へ寄与 しようと
一―,各 クラプの参考になるもの と
考えます。
ロータ リー奉仕の面か らも,大 いに
参 考になるもので あ ります。
す る会員の方 々への刺激 になるもの
で あ りましよう
「 友」 ニ ュ"ス は毎月,「 友」の発
行 に先立 ち,各 クラプの雑誌委員長
の 保持 とは別個 の ものではない,あ
くまで生産 と安全衛生は一体で ある
こ とが,近 代経営 の理念で あると強
,
調 されています
この論文は地域社会を,公 害か ら
.
,
10月
の10日
(日
)∼ 16日 (土 )は ,
.
`ロ
特 集を しました。
口 "タ リ"財 団について は, ロー
タ リー財団管理委員,湯 浅恭三パス
トガバ ナーの, ロー タリー財団の/nN
革,営 業,活 動状況,財 団へ の会員
の寄与,寄 付額な どに関す る解説で
刊
口 "タ リ"の 友
第 352区
菅
第 353区
芦
第 355区
関
第 357区
池
第 358区
服
畑 野 川 根 松 部
第 350区 4ヽ
さい。
スフェロー,オ ノラリー・ フェロー
(100弗 ∼m弗 )サ ステ ィングコン
お知 らせ
トリビュター (1∞ 弗)176氏 をあげ
た もので あ ります。一般的にはご存
誌掲載 の記事の うちで著作権上 の間
題 のあ るものは,今 後転載禁上の方
知 のない方 もあるや とお もい, ご紹
介 しました。
針を とることにな りました。 したが
って皆 さん のど希望 の記事を翻訳 し
なお,こ の他に,個 人 の追悼記念 と
して100弗 ∼5∞ 弗を寄付 した場合は
て転載す ることがで きない場合 もあ
ります。 ご諒承下 さい
第 16巻 。第 11号 :i月 号
ロータ リア ン誌 では,同
.
昭 和 43年 10月 31日 印 昴1 昭 和 43年 11月 1日 発 行
委員長 パストガバナー 松方三良
副委員長 長瀬富郎
信 愛
(函
館
)
第 359区
海
)
第 370区
梶
原 景 光
(佐
多利雄
五 凛
(塩
釜)
第 360区
崎
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鮫
島 志芽太
(鹿 児島西)
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中 田 有 保 鰊
伊 藤 文四郎 鋼
柴 田 三 費F(金
田)
第 365区
不 破
田)
第 368区 4`
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正 雄“(太
武之売 (野
礼次郎
口"タ リ"の 友編集事務所
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東京
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賀)
沢)
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ります.■ ―タ リー情報 にご利用下
口"タ リ"財 団個人寄附―覧表 こ
の一覧表 は,わ が国 のポール ●ハ リ
ータ リ"財 団週間 'で あ ります。今
月は この週間 にちなみ,財 団関係 の
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1
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横浜市中区山下町 1
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和歌 山県 勝浦温泉
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