587 - 日本ロケット協会

A PUBLICATION OF JAPANESE ROCKET SOCIETY
2014-7
587
で,これはビルに対する最高の贈る言葉だな,
に,チームのメンバは「あの空気でまた仕事を
MAINICHI ACADEMIC FORUM Inc., 1−1−1 Hitotsubashi, Chiyoda-ku, Tokyo 100−0003, Japan ©2014, Japanese Rocket Society
訃報:William A. Gaubatz
(1933年 4 月23日−2014年 7 月 5 日)
稲谷 芳文 日本ロケット協会名誉会員ウィリアムAガウバーツ氏が 7
月 5 日に亡くなりました。ガウバーツ博士は、言うまでもな
く、90年代のマクダネルダグラスDC-X、XAプロジェクト
を責任者として牽引し、その後もXプライズファウンデーシ
ョンやニューメキシコスペースポート、スペースツーリズム
など数々の先進的な活動の中心人物のひとりでありました。
DC-X、XAのパイオニアリングな活動に対して、日本ロケ
ット協会はその功績を讃え、1996年10月の創立40周年記念総
会で名誉会員になっていただき、その後もおつきあいをさせ
ていただきました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
ビルガウバーツ
ビルガウバーツ
以下は私の知る彼のことと周辺の雑感です。偉い人に失礼
2013年夏、保存されているDC-XAの前で
2013
年夏,保存されている DC-XA の前で
NMスペースヒストリーミュージアム
ですが、そう呼んでいたのでビルと言います。
NM スペースヒストリーミュージアム
私とビルは、アメリカではスペースシャトルが定常的な運
に発展型のDC-XAからはNASAの先進輸送技術の活動とし
航になったあとの1990年の前後に、マックスハンターと長友
ての位置づけも追加されました。このあたりのいきさつは
先生のつきあいから始まった、ロケットの将来や宇宙旅行の
X-33へのNASAの関与と併せて少々複雑なのだそうですが、
はなしをやっている内に、知り合ったのが最初で、SSTO(単
ともあれ、ホワイトサンズでビルの率いるチームが93年から
段式往還機)やオペレーショナルな宇宙往復の仕掛けをどう
合計12回の飛行実験を行いました。96年のDC-XAの最後の
やって作るのだという議論から、つきあい始めたのだったと
フライトで着陸脚の一本が動作せずに着陸後機体が転倒、炎
思います。シャトルの次を考える、いわゆる90年代のNASA
上したのはご存じの通りで、この計画は終わってしまいまし
主導のアクセスツースペーススタディのしばらく前から、当
た。その後、もう一方のロッキードマーチンスカンクワー
時ロケット協会で始めた「観光丸」関連の勉強会やシンポジ
クスのX-33は、飛行システム完成の直前で、極低温複合材
ウムにビルを呼んだり、90年代の中頃からはISTSにも毎回
タンクなどの課題を克服できずに2001年に計画は中止され、
顔を出してくれて、いわゆる「routine access to spaceとか
NASAのシャトルの後継に向けた活動は大きく後退してしま
airplane-like operation of rocket」などということを、いろ
いました。
いろ議論したものでした。
「たら、れば」はありませんが、このあたりの90年代中期
から後期に、もしDC-Xがうまく転がって次のステージに発
この頃はみんながシャトルの次をまじめに考えた時期で、
展していたら、また、X-33も課題を克服してうまく進んで
上のNASAのスタディでは、1996年ロッキードマーチンのベ
ンチャースターというSSTOロケットの提案が選ばれ、その
CONTENTS
○ William A. Gaubatz…………………………………… 1
DC-X とビルのチーム
○ Running Feature
Article … ………………………… 2
○ Additive manufacturing of a rocket engine … …… 4
○ 50th Joint Propulsion Conference ………………… 4
○ Domestic News………………………………………… 5
◯ Overseas News………………………………………… 5
実証実験機としてX-33の開発が始められました。DC-Xは、
これに先んじて1991年、ロケットSSTOデルタクリッパーの
前段の実験機として空軍ジェススポナブルがリーダのSDIO
(Strategic Defense Initiative Organization)、SSRT(Single
Stage Rocket Technology)オフィスがスポンサーとなって、
いわゆるRapid prototypingの手法で開発されました。さら
1
NM スペースヒストリーミュージアム
いれば、ひょっとしたら、シャトルの後継機 SSTO が 2010年
過ぎの退役の前に開発され、今頃は高頻度でどんどん飛んで
いて、オライオンやらドラゴンやらシグナスなどの古くさい
ヤツらの出番はなくて、ましてやソユーズのみにアメリカの
有人輸送を依存しているという、今の世界は大きく違ってい
たのかも知れません。世の中とは思ったようにはうまく前に
は進まないもの、です。
さて、私とビルは、要するにある時期から同じようなこと
を考え、同じようなことをやっている仲間というお互いの認
識でした。なにやらDC-Xサークルというのがあって、まあ
DC-Xの同窓会みたいなもんですが、バーベキュー大会をや
るから集まれ、とか誰に孫ができたとか連絡が来ます。これ
と併せて、ニューメキシコ(NM)のスペースポートアメリ
カでの毎年の集まりや、DC-Xはホワイトサンズで飛行実験
していたので、その縁でビルはNM州の活動をとても支援し
ていて、それらの繋がりで、ビルやスペースポートアメリカ
DC-Xとビルのチーム
DC-X
とビルのチーム
やISPCSというシンポジウムを転がすNMの連中がいつも呼
ィンがいわゆる将来輸送系のことに、こんなに造詣や思い入
んでくれます。
れが深かったのか、というのも少し驚きでした。そうならシ
去年の 8 月もこのDC-X 20周年の記念の集まりとシンポジ
ャトルの土壇場の大事なときに、NASA長官としてはもうち
ウムがNMで 3 日間にわたって開催され、盛会でした。実は
ょっと別のやり様はあったのではとも思いましたが、オキー
ホワイトサンズの東のアラモゴードのNMスペースヒストリ
フ時代のコロンビア事故の後を受け、結果としては退役に向
ーミュージアムには、さっきの話しの転倒炎上したDC-XA
けた、シャトルの取り回しの難しい時期の舵取りではあった
の機体(かなり形をとどめています)が保存されていて、オ
のかとも思いました。
ープンに展示はされていませんが、後で出てくる基金の世話
もしている、キャシーハーパーというおばさんに頼めば、見
さてビルはいなくなってしまいましたが、訃報の後、この
ることができます。この集まりでもシンポジウムと併せてビ
同窓会の通信はとてもアクティブになって、いろんなメイル
ル自らが機体への案内と解説をしてくれました。このとき別
が飛び交い、7 月17日にはあっという間に「ビル・ガウバー
れ際に次は25周年だよな、と話したのですが、これが最後に
ツ基金(http://dc-xspacequest.org)」というのができまし
なってしまいました。
た。彼とDC-Xの功績を後に残すための活動に使われるそう
です。どこかでも書きましたが、宇宙の仕事がどんどんサラ
またこの時のシンポジウムでは、シャトルの退役を経て
リーマンの仕事になっていくときに、個人の名前で語られる
「次のアメリカの宇宙輸送はどこへ向かうのか」と言う議論
プロジェクトや営みが少なくなって行く中で、ビルの功績と
もあって、私も日本の活動の話しをしました。元NASA長官
人望は大きかったのだなあ、ということと、ビル達が拓こう
のマイケルグリフィンやさっきのジェススポナブル(現在
とした未来に我々はまだ到達していないが、ニューメキシコ
DARPAのXS-1 元締め)も、勿論ビルも参加して、いろい
から発信して主役は民間、で後に続く人たちががんばってい
ろな議論がありましたが、印象的だったのは、さて、かつ
る、と言う図式でしょうか。
てはあったアメリカの宇宙における他国への「優越性(US
supremacy in space)」をどうすれば復活できるかと言う議
飛び交った通信で多く語られたのは「DC-X atmosphere」
論で、みんなとてもシリアスでした。要するにこの「優越」
と言う言葉でした。ビルの故に、チームのメンバは「あの空
がなぜこんなに失われてしまったのだという、アメリカンの
気でまた仕事をやりたいモンだよな……」と言う感じで、こ
いらだちから議論しているように聞こえました。またグリフ
れはビルに対する最高の贈る言葉だな、と思いました。
ョン計画に日本も参加しないかと米国から誘われ、「参加す
連載特集記事
る」と言ってしまった。ところが科学技術庁の担当者は誰も
ロケット口伝鈔(12)小林 繁夫 先生(第 3 回)
知らない。大臣が言ったことを否定もできず、とにかく対処
しなければということで、部会の設置が提案されました。
○ISSの部会長代理から様々な委員会の委員長を歴任
私は専門上、微小重力実験に興味がないのでお断りしてい
林:先生は様々な委員会の委員長を務められ、難しい判断を
ました。ところが、部会長を引受けられた久松先生は東大の
されてきましたね。
工学部長をされた方で、私に是非部会長代理を引受けて欲し
小林:最初は昭和57年 8 月に発足させる宇宙基地計画特別部
いと言われ、更に、航技研や宇宙研にいる卒業生から私を通
会の部会長代理を引き受けてほしいと科学技術庁から依頼さ
してなら意見を伝えやすいから引き受けてくれと頼まれて、
れたのが始まりでした。当時、訪米した大臣が宇宙ステーシ
引き受けてしまいました。
2
林:最初にISS計画を聞いた時にどう思われましたか?
びますが、1989年11月に日本初の旧ソ連の発射基地と宇宙開
小林:微小重力下で実験をするといい製品を作ることができ
発に関する視察団(約15人で約 2 週間)に団長として見学し
るという話でしたが、嘘だろうと(笑)。だってその時点で
たのが最初です。それまで情報でしか知らなかったロシアの
一つもできていなかった。でも日本人宇宙飛行士を米国の実
宇宙開発の現場を見た楽しい旅でした。報告書を作り宇宙開
験棟に乗せてもらって、日本の特殊な実験をやるのは秘密が
発委員会にも提出しています。NASDAの高野晃室長はロシ
漏れるからまずいだろうと。そこで日本の実験棟を作ること
ア語会話ができ、高野さんと二人でロシアの宇宙開発技術の
になったんです。会議では関係者からいろいろな意見が提案
調査に数回行きました。ロシアは有人の月着陸はしていませ
され、現在の形になりました。特徴は曝露部があることです。
んが実験室で模擬実験はずいぶんやっていました。月着陸実
実際に議論するワーキンググループの座長として宇宙ステー
験室で研究を見せてもらい、着陸時は降下速度を落とすだけ
ション計画への日本の参加を促進しました。特に記憶に残っ
ではだめで、最後は降下速度を増加させることにより正確な
ているのは1984年 4 月末にワシントンD.C.で開かれたBanks
着地ができると具体的に教えてもらいました。そんな知見の
Comitteeです。宇宙ステーション反対派の宇宙科学者主催者
ない日本がいきなり単独で月着陸をできるとは思えませんで
の会合でしたが、日本は参加したいと伝えたところ、先方は
した。
賛成とは言わなかったが、とんでもないとも言いませんでし
そこで当時の月着陸ミッションの担当理事に一緒にロシア
た。今思うと、あれが日本が参加の方向に大きく舵を切るス
に行って直接説明を聞いてもらい、第一回の月ミッションは
テップだったのではないかと思っています。その後、或る年
月周回観測だけにして、着陸装置用の予算は高精度の観測機
から部会長となりましたが、ロシアも参加した現在の宇宙ス
器を取り付けることに使ってもらったのです。大変立派な観
テーションに変わったときは部会長ではありませんでした。
測結果だったと思います。
林:技術や採算性の見極めなど大きな決断をなさってきたわ
○SSTの採算性、「かぐや」が月に着陸しなかった理由、中
けですね。
国からの共同開発提案にNo!
小林:奇妙奇天烈な話もいっぱいあります。例えば国際宇宙
佐々木:僕が学生の頃、先生は委員会が多くてなかなか研究
年の1992年 7 月に宇宙開発委員長代理の斎藤成文先生を実行
室にいらっしゃいませんでしたね。
委員長にアジア太平洋国際宇宙年会議を東京で開催しまし
小林:そうですね。大変だったのは超音速旅客機 SSTの委員
た。アジアの会議を東京でというのは、日本の希望というよ
会でした。日本でSSTを開発し、採算がとれるかどうか見極
りは諸外国の要望によるものでした。ところが、その年の11
めるために1987年11月、米国に調査に行ったのです。あちこ
月に北京で中国主催の宇宙開発の国際会議をやるから出席し
ちを訪問した結果、成り立たないことが判りました。
て欲しいという招待状が来ました。
技術的には実現できます。だが超音速旅客機を希望してい
中国はアジアの担当をやりたかったのでしょう。日本から
るのは日本だけだった。日本から米国へは飛行機で 7 〜 8 時
は当時のNASDAの山野正登理事長を代表に、齊藤宇宙開発
間かかりますが、超音速旅客機を使えば 2 〜 3 時間になる。
委員長代理他関係者が出席しました。私には出張旅費を中国
出張がものすごく楽になるから、ぜひ作りたいと日本側は希
が出すから来てほしいということで出席しました。そこで提
望しました。でも米国にとって日本に行くことはそれほど大
案された最終結論には中国と日本とインドが共同して宇宙開
きなメリットではなかった。また欧州−米国間はそれほど距
発をやろうじゃないかという内容が書かれていました。私は
離がなく需要がない。作るとなると100機ぐらいの需要がな
その情報を知り得る委員会に出席していましたので、これは
いと採算がとれないが、これでは売れないだろうと。米国の
大変なことになったと、関係者と当日の対応の仕方を取り決
メーカや研究所の幹部と会って話した結果、そういう事情が
め対処しました。日本は全段国産のH-Ⅱロケットを開発中で
わかって非常に役立ちましたね。
独自の宇宙開発をやろうとしていた時期です。そこで山野理
有田:当時のSSTは官庁がやりたいと?それとも民間側です
事長を中心にその案を拒否して帰ってきました。
か?
林:中国と協力して宇宙開発をする可能性もあったとは、今
小林:いや、航空宇宙技術研究所です。その後も1994年頃と
となっては驚きですね。
思いますが、AIAAが提案して米国でInternational Aerospace
Plane and Hypersonic Technology Conferenceという会議が
○H-ⅡAロケットの固体ロケットブースタの議論をめぐって
開催され、日本からは航技研の山中龍夫さんと舞田さんが出
有田:そんなお忙しい先生に、私もH-ⅡAの開発を行ってい
席、お供で私も参加しました。私は日本代表として1995年 4
たころ、ご相談したことがありました。H-ⅡAの固体ロケッ
月米国チャタヌーガでの盛大な会議に出席しましたが、1996
トブースタSRB-Aのモータケースは繊維強化プラスチック
年のノーフォークでの最終会議で解散し、世界的にSSTはな
(FRP)の一体成型で作ろうとしていました。ただ、上下の
くなりました。いろいろな委員会に引っ張り出されて関係し
構造体との接続部分や全体の振動減衰特性などが心配だった
ましたが、残念ながらあまり実らなかったですね。
のでぜひ先生のご意見を伺いたいと。
小林:そういう技術的な話は楽しかったですね。
しかし、あえて計画を変更させて成功したものもあります。
林:例えばどの計画ですか?
有田:先生にも来ていただいた設計審査の時に、FEM(有
小林:月周回衛星かぐやは月の全域にわたり科学観測を行い
限要素法)による構造解析の結果で悩んでいました。解析の
成功をおさめましたね。でも元の計画は月への着陸だったん
結果に納得できなくて、この結果は本当に信じられるのかと。
です。
私も当時は若くて怖いもの知らずで、「おかしくありません
か?」とメーカさんに食いついていたら、先生が「有田君の
月への着陸については実はロシアで教わりました。話は飛
3
有田:先生はよく考えないでモデルを作ってコンピュータに
言うとおりだ」と言って下さったのは大変ありがたかったで
よる解析だけを流して、その結果を重視する傾向に対して
す。
小林:そんなこともありましたかね。私は大学で学生に
「それは違うよ」と仰いましたね。下手な解析メッシュの切
FEMの講義をしていますが、私はFEMの結果だからと単純
り方をすると、それだけで答えが変わってくるのだから、よ
に肯定しません。理論解析に基づいて考え、時にはFEMを
く考えてからやらないといけないと言われたことを今でも覚
活用するという考え方です。
えています。
最も小さいBaby Bantamと呼ぶ液体酸素/ケロシンエンジン
三次元プリンタ技術を用いた
液体ロケットエンジン
は、推力がおよそ2.3トンです。Bantamエンジンシリーズは
およそ90トンまでの推力を出すことができ、ケロシンだけで
アメリカAerojet Rocketdyne社のプレスリリースによる
なくエタノールやメタンなどの様々な燃料が適用できます。
と、6 月23日、三次元プリンタ技術でエンジン全部を製作し
この三次元プリンタ技術の適用により、一年以上掛かって
たBantamデモンストレーションエンジンの一連の燃焼試験
いたエンジンの設計製作時間を 2 〜 3 ヶ月に短縮することが
を完了したとのことです。このテストはロケットのブースタ
でき、コストを約65パーセント削減することができたとのこ
ーや上段ステージ、宇宙推進機の低コスト開発の重要なス
とです。Aerojet Rocketdyne社は数年前からNASAと共同
テップでした。BantamエンジンシリーズはAtlas Sustainer
で、三次元プリンタ技術を適用したロケットエンジンの研究
エンジンをベースに 3 次元プリンタ技術を適用したエンジン
に取り組んでおり、すでにプロセス開発、デザインツール開
です。ロケットエンジンは通常何十個もの部品で構成されて
発、部品加工および要素燃焼試験に成功しているとのことで
いますが、このBantamエンジンは、3 次元プリンタ技術で
す。尚、写真は昨年 7 月にNASAグレン研究センターとの共
製作された 3 つの部品(インジェクターとドーム一体部、燃
同で実施された液体酸素-気体水素を用いたロケットの燃焼
焼室、スロートとノズル一体部)のみで構成されています。
試験で、3 Dプリント技術で製作されたインジェクターを用
いて行った要素燃焼試験の様子であり、今回のBantamエン
ジンではありません。
昨年度成功した 3 Dプリントしたインジェクタを用いた
LOX/GH 2 ロケット燃焼試験 ⓒNASA
3 Dプリントしたインジェクター概略図 ⓒ NASA
じめとした私の所属する研究グループが提起している、「ハ
50 th AIAA/ASME/SAE/ASEE
Joint Propulsion Conference 参加報告
イブリッドロケットの混合比・推力の同時独立制御」の意義
について早くも論文発表の形でレスポンスがあり、大いに参
考にすべき発表が複数あったことも大きな収穫でした。
会期中は会場全体でアメリカらしい活発な雰囲気を楽しむ
東京大学大学院航空宇宙工学専攻博士後期課程 1 年
小澤 晃平
本年のAIAA/ASME/SAE/ASEE Joint Propulsion Conferenceはオハイオ州クリーブランドで盛大に催されました。
本年でJPCは50回という節目を迎え、研究発表内容と聴衆は
いずれも50年の伝統に相応しく高いレベルにありました。
私は 3 日間の会期を通じ、ハイブリッドロケットのセッシ
ョンを聴講し、その中で私自身も修士論文を元にした発表を
行いました。講演の後、私の前刷りについて複数の研究者か
ら肯定的なコメントを頂け、発表そのものも一年前の国際学
図 1 クリーブランドの観光名所
図
1 クリーブランドの観光名所、”The
“The Rock and Roll Hall of Fame and Museum”
会に比べ手応えがありました。また、昨年から嶋田教授をは
4
Rock and Roll Hall of Fame and Museum”
ことが出来ました。例えば、発表の質疑応答では発表者の回
18〜30℃程度です。朝夕は激しい雷雨となることもあると
答と他の研究者のコメントや新しい質問が流れるように続
いう点が、日本と近いように思えました。事前情報ではアメ
き、途切れる事がありません。企業・機関展示ブースの外に
リカの自動車産業の不振が招いた失業率の増加を背景とする
作られた特設のNASAの教育関連ブースではギフトカードが
治安の悪さが取り沙汰されていましたが、滞在先や会場が街
商品のミニゲームが開催されていました。学会のフライヤー
の中心部であるオフィス街だったこともあり、夕方、夜でも
コーナーに目をやると、「ビンテージ物のNACAピンバッジ
危険は全く感じませんでした。また、大都市では無いからか、
を50ドルで売ります」、という匿名のビラがマニア向けに混
私達外国人に気さくに話しかけてくる人が多く、明るい雰囲
じっています。運営側はRegistrationを完全オートメーショ
気の良い街でした。「ロックンロール」発祥の地ということ
ン化し利便性を高めたり、学会の様子をtwitterで逐次更新
で、エリー湖岸にロックンロールの殿堂博物館(The Rock
して学会を盛り上げるなど、常に新しく多様な要素を取り入
and Roll Hall of Fame and Museum)があり、会議の合間
れていました。
を縫って観光してきました。館内にはロックミュージックの
歴史や、殿堂入りしたアーティストに関する物品、サイン等
開催地のクリーブランドはエリー湖の南端に位置し、アメ
が展示されていました。
リカ国内では寒暖の差が激しく湿潤な気候で、気温は夏場で
トH 2 A25号機に搭載します。10月中の複数の日程で打ち上
国内ニュース
げ日を調整しており、近く発表します。(7/28 日本経済新
聞)
文部科学省の宇宙開発利用部会「国際宇宙ステーション
(ISS)
・国際宇宙探査小委員会」(主査=藤崎一郎上智大学特
来年 7 月、宇宙工学の専門家らが国内外から参加する「宇
別招聘教授)が 1 日同省内で開かれ、米国が参加国に提案し
宙技術および科学の国際シンポジウム(ISTS)が神戸市で
たISSの運用期限を現在の2020年から24年まで伸ばすことに
開かれます。30か国以上から約1500人の研究者が集まる世
ついて、賛成する方向で検討する意向を固めました。運用延
界的な会合で、一般向けの講演や展示もあります。ISTSは、
長理由について、日本はISS参加を通じて全体の約 1 割の費
日本航空宇宙学会(東京)が事務局の国際会議。テーマごと
用負担で、ISSの利用権や日本人宇宙飛行士の搭乗などを効
に研究者が意見交換する学術セッションのほか、一般向けに
率的に享受、また産業振興に貢献していると判断したため。
は、宇宙飛行士による講演やJAXAの展示があります。新た
な産業誘致を図る神戸市が会場招致を進め、今後、神戸空港
(7/2 日刊工業新聞)
での産業界向けの宇宙・航空産業参入説明会も計画していま
す。(7/29 神戸新聞)
愛知県を訪問中の皇太子さまは 9 日午後、国産ロケット
「H 2 A」の組み立て現場を視察するため、県西部の飛島村に
三菱重工業は30日、国産大型ロケット「H 2 A」25号機の
ある三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所飛島工場を訪
問しました。工場内では白衣とシューズカバーを身につけ、
機体を飛島工場で公開しました。今秋をメドに静止気象衛星
直径 4 m、完成すると全長53mにもなる筒状の本体を前に、
ひまわり 8 号を打ち上げる予定で、8 月 1 日に種子島宇宙セ
阿部直彦・宇宙事業本部長から説明を受けました。(7/10 ンターに出荷します。公開された機体は直径 4 mの円筒形で、
朝日新聞)
燃料となる液体酸素や液体水素のタンクやエンジンが収納さ
れています。今回の打ち上げでは搭載機器を減らし、機体を
宇宙に挑む人類の歴史と現在、未来を探訪する「宇宙博
数kgほど軽量化、コストを数百万円程度削減できたとのこ
2014」(朝日新聞社など主催)が19日、千葉市の幕張メッセ
と。三菱重工の二村幸基宇宙事業部技監・技師長は「今後は
で開幕します。9 日にはJAXAのコーナーに、国際宇宙ステ
搭載している電子機器類をさらに減らしてコストを削減して
ーション(ISS)の日本実験棟「きぼう」の実物大モデルの
いきたい」と意気込みました。(7/31 日本経済新聞)
搬入が始まりました。同市美浜区の幕張メッセ国際展示場
10・11ホールで 9 月23日まで開催。問い合わせはハローダイ
海外ニュース
ヤル(03・5777・8600)。
JAXAは21日までに、国際宇宙ステーションで日本人初の
7 月 2 日、米United Launch Alliance(ULA)社は、デル
船長を務めた若田光一さん(50)の活動報告会を全国 8 か所
タ 2 ロケットによる、NASAの地球観測衛星「OCO-2」の
で開催すると発表しました。8 月 2 日に甲府市を訪れ、9 日
打上げに成功しました。OCO-2は、NASA科学ミッション
には福岡市、10日は山口県宇部市、16日は岩手県奥州市で講
局地球科学部門の地球システム科学パスファインダプログラ
演。日程は未定ですが北海道江別市、富山市、沖縄県西原町
ムのミッションです。(7/2 ULA)
も訪問します。(7/22 日本経済新聞)
7 月 3 日、ロシアは、ロコット/ブリーズKMロケットによ
気象庁は新型の気象衛星「ひまわり 8 号」を10月に打ち上
る、プレセツク射場からの低軌道通信衛星「ゴネッツM」3
げる方針を固めました。現在運用中の「ひまわり 7 号」の後
機の同時打上げに成功しました。同 3 機は、ロシアの次世代
継機として2015年夏から観測を始める計画。三菱重工業と
低軌道通信衛星システム「ゴネッツD1M」の衛星群を構成
JAXAが種子島宇宙センターから打ち上げる国産主力ロケッ
するものです。(7/3 Spaceflight Now)
5
ベ ラ ル 空 軍 ス テ ー シ ョ ン40番 射 点 か ら の、 フ ァ ル コ ン 9
v.1.1ロケットによる米オーブコム社の第 2 世代通信衛星群
「ORBCOMM Generation 2」6 機の同時打上げに成功しまし
た。(7/14 SpaceX)
7 月18日、ロシアは、バイコヌール宇宙基地からのソユー
ズ2-1aロケットによる、回収型微小重力実験衛星「フォト
ンM4」の打上げに成功しました。フォトンシリーズでの実
験は今回が最後となる見込み。(7/19 FSA)
7 月23日、ロシアは、ソユーズUロケットによるプログ
レス補給船M-24Mの打上げに成功しました。プログレス
M-24Mには、推進剤880kg、酸素・空気48kg、水420kgの他、
プレセツク射場からのロコットロケットの打ち上げの様子。(c) TV Zvezda
プレセツク射場からのロコットロケットの打ち上げの様子。
(c) TV Zvezda
食糧・交換用機器・実験機器など約1324kgの貨物が搭載さ
れています。(7/23 FSA, NASA)
7 月 8 日、ロシアは、バイコヌール宇宙基地からのソユー
ズ2-1b/フレガトロケットによる、水文気象衛星「メテオー
7 月28日、米United Launch Alliance(ULA)社は、米空
ルM」2 号機、及び小型衛星 6 機の同時打上げに成功しまし
軍スペースコマンドの衛星打上げミッションの下、静止軌道
た。(7/8 Spaceflight Now)
宇宙状況認識プログラム「GSSAP」の軍事光学衛星 1 機目
「GSSAP-1」と 2 機目「GSSAP-2」、及び小型技術実証衛星
「ANGELS」のデルタ 4 ロケットによる打上げに成功しまし
た。(7/29 ULA)
7 月29日、仏アリアンスペース社は、ギアナ宇宙センター
からの、アリアン5ESロケットによるESAのISS貨物輸送
機「ATV(Automated Transfer Vehicle)」 の 最 終 機 と な
る 5 号機「ジョルジュ・ルメートル」の打上げに成功しま
した。ATV 5 号機には、レーザ赤外線撮像センサ群「Laser
InfraRed Imaging Sensors」の実証用装置が搭載されていま
す。(7/29 Arianespace)
《編集室より》
より良い紙面作りのため、会員の皆様の建設的なご意見や
投稿希望の原稿等をお待ちしておりますので、今後ともよろ
しくお願いします。また、日本ロケット協会では、下記公式
ホームページ及び、Facebookにおいてニュースのリンク先
等の情報を更新しております。
バイコヌール宇宙基地からのソユーズロケットの打ち上げ
の様子。 (c) Roscosmos
公式ホームページのURL http://www.jrocket.org/
FacebookのURL
https://www.facebook.com/JpnRocketSociety
7 月10日、仏アリアンスペース社は、ソユーズST-B/フ
ロケットニュースと合わせてご覧頂ければ幸いです。
レガトMTロケットによるIT企業O 3 b Networks社の中軌道
▶ロケットニュース編集担当理事 嶋田 徹
通信衛星「O 3 b」4 機の同時打上げに成功しました。(7/10
〒252-5210 神奈川県相模原市中央区由野台 3−1−1
Arianespace)
宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所
e-mail:[email protected]
7 月13日、 米 オ ー ビ タ ル・ サ イ エ ン シ ズ(ORS) 社 は、
NASAワロップス飛行施設内にあるミッドアトランティック
地域宇宙港 0 A射点からの、中型ロケット「アンタレス」に
No. 587
よるISS物資輸送機「シグナス」の打上げに成功しました。
ロケットニュース
発 行 ©2014
日本 ロケット協会
編集人 嶋 田 徹
シグナスは、打上げから30-36日後に、ゴミや不要となった
物資等約1340 kgを搭載してISSから分離され、およそ 5 日
(最大で15日)後に大気圏に再突入して廃棄される予定。
発 売 三 景 書 店
(7/13 ORS)
印 刷 愛 甲 社
7 月14日、 米 ス ペ ー スX(SpaceX) 社 は、 ケ ー プ カ ナ
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平成26年 7 月31日発行
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