Title 中国における農工間資源移転 : 再考 Author(s) 中兼 - HERMES-IR

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中国における農工間資源移転 : 再考
中兼, 和津次
一橋大学研究年報. 経済学研究, 29: 37-110
1988-04-25
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/9294
Right
Hitotsubashi University Repository
中国における農工間資源移転二再考
中兼和津次
1.はじめに*
農業が経済発展と工業化にどのような役割を果たすのか,また果たすぺ
きなのか,これまでさまざま議論されてきた。中国においても,r大躍進」
のr大後退」を経験してr農業基礎論」が打ち出されるとともに,農業の
なユ もつ「六点作用論」が強調されたし,人民公社制度が解体され,農業の家
族請負い制が普及・定着してしまった今日においても,産業構造論の一環
として農業の経済発展戦略における位置づけが議論の対象になっている・
農業の果たす資本蓄積に対する貢献という点に限ってみても・経済開発
論の文脈でも,社会主義経済論の文脈でもしばしば激しい論争の対象とさ
れた.その1つの中心を占めるのがr農工間資源移転」という争点である.
より具体的にいえば,開発過程において農業部門から工業部門へ資金・資
源はより多く流れるのか否か,またその流れは何により決定されるのか,
という問題である.次節において簡単に要約されるように・この間題は理
論的にというよりはむしろ経験的,実証的問題としてとり上げられること
が多かった.ただ,いまの時点で振りかえってみると・議論は視点や方法
論のちがい,それに部門の定義の仕方の差異によりすれちがうことも多か
ったように見受けられる,
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一橋大学研究年報 経済学研究 29
中国にかんしても,1950年代を対象とする石川滋氏の労作以来,少数で
あるが何人かの研究者がこの間題に挑戦しようとしてきた.しかし統計デ
ータの不足な恥しは欠如から実証作業にまでは十分展開できてこなかった.
それが近時各種統計年鑑類等の文献が公刊されることにより,他の国にか
んする実証研究と同レベルにとは全くいえないが,何らかの形でとりかか
ることが可能な状態になるまでには情報が入手できるようになつた.本稿
はそうした情報を利用しつつ,かついくつもの大胆な仮定に立脚しながら,
中国の1952−85年における農工間資源移転の推計を行おうとするもので
ある.作業の重点は移転額の推計におかれ,移転額の大きさや変動を規定
する要因については付随的に触れるにとどまっている.
以下,第H節では農工間資源移転にかんする研究のサーベイが行われ,
第皿節では推計作業のフレームワークを作るために,資源移転をとらえ
るためのアプローチ,並ぴに部門の定義と分割の仕方について整理する.
そして第IV節ではr貿易余剰」アプローチによる移転額の推計が3種の
部門区分法に従って試みられ,第V節ではr貯蓄余剰」アプ・一チによ
る移転額の推計が,1つの部門区分法のもとで,しかし3つの異なる角度
から行われる.
本稿における推計作業は,本文中しばしば指摘されるようにかなリラフ
なものであり,多くの仮定にもとづいているだけに,移転の絶対額そのも
のについては重要視せず,傾向,動きを探ることと並んで,いくつかの研
究上の含意を引き出すことに主眼が置かれた.またこの作業が将来の研究
における1つの足掛りとなればと考え,各方面からの批判・コメントが得
られれば幸いである.
*本稿作成に当り,昭和60年度文部省科学研究費一般C(課題番号60530020),
並ぴに日本経済研究奨励財団研究奨励金(昭和60年度,テーマ;経済発展と資
源移転)の一部を使わせていただいた.記して心より謝意を表する次第である.
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中国における農工間資源移転:再考
注1)農業の6点作用とは,1)食料の提供・2)工業原料の提供・3)労働力の
提供,4)工業製品の市場の提供,5)建設資金の提供,6)輸出物資の提供を
指す.
H.農工間資源移転にかんする研究
農工間(部門の定義については第IV節参照)資源移転にかんする議論
ならびに研究には大きく分けて2つの流れがあったように思われる,1つ
は社会主義工業化論の文脈で行われたものであり,有名なプレオブラジェ
ンスキーの農業部門r搾取」説とでもいうべきr社会主義的原始蓄積」命
題に端を発し,1970年代に欧米のソ連経済研究者たちを中心に起った論
争である.そこではプレオブラジェンスキーの命題が実際ソ連の農業集団
化期に妥当したのかどうかが大きな争点になった。これについてはすでに
は 別稿でとり上げたので,それ以上は触れない。もう1つは開発論の文脈の
中で行われたもので,遠源はヌルクセ=ルイスの2部門モデルに求められ
ようが,両部門間のr移出入」勘定を明示的にとり上げたのはレイニス=
な フェイが恐らく初めであろう.その後この枠組は石川に引き継がれ・ま
の
た発展・精緻化されていった。そしてそこで農工間資源移転と開発にかん
する「石川仮説」とも呼ぶぺき新たな命題が提出された。
石川仮説とは,簡単にいえば次のようなものである.プレオブラジェン
スキーもそうであるが,経済開発の初期段階に工業化のための蓄積資金は
農業部門から流出していくというのが一般の見解であった,しかし今日の
アジア諸国の揚合,農業の基盤が弱いから農業部門から資金を抽き出すの
ではなく,逆に政府等非農業部門が資金を農業部門に提供し,その部門の
発展を促す必要がある,というものである・この理論を実証するために石
川はインド,台湾,中国,およぴ戦前期日本について農工間の純資源移転
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額を計測した.
その後この仮説をより長期の,またより詳細な統計データを用いて検証
する試みがリー,リン,ムンドレ,寺西らによって行われた.すなわち,
リーとリンは台湾について,ムンドレはインドおよび戦前期日本について
注4)
石川仮説が当てはまらないことを主張したし,寺西は農業部門の投資・貯
蓄バランスに着目し,彼らとは全く異なるフレームのもとで(次節参照),
戦前期日本の揚合農業部門は必ずしもつねに資金の純提供部門であったわ
注5)
けではないことを立証しようとした.
中国のケースについての農工間資源移転の研究としては,上記石川の労
作のほかに今岡,林のものや,最近ではラーディや石川のものが挙げられ
よう。このうち林は中国(1953−57)にかんして初めて(きわめてラフで
あるが)資金循環分析を試み,1956年を除いてr農村部門」は資金余剰
部門となっており,r鋏状価格差を通してのみならず,金融取り引きを通
注6)
すことによっても,その蓄積を商工業セクターに提供していた」と論じた.
今岡の揚合,やはり第1次5年計画期の中国を対象として,農工間の資源
の純流出入を農業部門の純貯蓄・投資と等しく置いて計測し,それが国民
経済全体の貯蓄・資本形成にきわめて,わずかな貢献しかしていないこと
注7)
を明らかにする。一方ラーディは農工間資源移転の問題の重要さを説きつ
つも,中国の場合統計データが弱いからその額を計測することは無意味で
あると主張し,いくつかの断片的情報をもとに,農業は重要な工業化資金
提供者であったとするプレオブラジェンスキーの命題や中国の公式的見解
注8)
を,別の角度から支持している.また最も新しい計測作業として,国家統
計局貿易物価統計司編『中国貿易物価統計資料1952−1983』中国統計出版
社1984年(以下,『貿易物価統計資料』と略す)に主として依拠しなが
ら農家部門と非農家部門との資源移転(1952−83年)を計測した石川の業
注9)
績がある、そこではやはり石川仮説が裏付けられている.
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中国における農工間資源移転=再考
以上のように整理してみると,国により,時期により,また尺度により,
農工間の資源移転の大きさや趨勢も異なるのではないか,という印象をも
つ.逆にいえば,プレオブラジェンスキーの命題にしても石川仮説にして
も,普遍妥当性をもつものではなく,対象とする地域の資源賦存の状況や
政策等の特殊性により,そして部門や移転する「資源」の定義の仕方如何
により変ってくるように思われる、それゆえ,複数国の「資源移転」の推
注10)
移やそれをもたらした要因の比較分析と並んで,1力国のある時期にかん
しても,複数の尺度・観点からこの間題に接近していく必要があると考え
られる.以下,そのような立揚から中国の農工間資源移転の問題に接近し
ていくことにする.
注1)拙稿r農工間r不等価交換』論について一中国におけるr鋏状価格差」
論の一考察」r一橋論叢』第98巻6号(1987年12月号)参照・
注2)Ranis,GustavandJohnFei,Pθ”θJo卿β%’oノ’hθLαわoy5雄ρ」%εEoo蜘卿y,
Richard Irwin,Inc.,Homewood,1964,pp,27−36参照,
注3)Ishikawa,Shigeru,Eoo%o痂oD8副oρ雁卿づ”漉加Pβア5ρ80’∫%,Kino・
kuniya,Tokyo,1967,40,,“Resource Flow between Agriculture an(11ndu・
stry−The Chinese Experience,”Thθ』Dθ肥Joρ㍑8E60ηo痂βs,VoL5,No.1
(1967).およぴ石川滋「開発過程の農工バランスー中国にかんするケース・
スタディ」r一橋論叢』第53巻1号(1965年1月)参照・
注4)Lee,T,H.,1π’8彫o’07αJCαρ加JFZo郷痂’hθEoo卿吻oD例θJo伽8%’
o∫Tα∫ωαπ,1895−1960,Ithaca,N・Y。,Cornell University Press,19711Lin,
W.L.,Eooηo,痂1舵yα伽犯5伽τ㈱娚凶5鰯夕o∫580♂oγαJ FJo郷翻4
L∫納α8θ5,ph.D.D三ssertation,Stanford University,1973(後者にっいては
筆者未見.Yotopoulos,Pan and JeHrey Nugent,Eoo切痂os o∫D8嘱oρ膨仰”
E吻配oα」1卿8語8α∫‘o郷,Harper&Row,1976,Ch,15に推計結果が再録さ
れている)。Mundle,Sudipto and K Ohkawa,“Agricu玉tural Surplus in
Japan31888−1937,’,P8びθJoρ伽8Eσoπ伽づ85,voL17,No・3(Sept・1979),
Mundle,Suplipto,5%ψ伽s FZo跳㈱4G■o伽ゐ1甥西認㈱083ラNew Delhi,Allied
Publishers,1981ラ40,,“The Agrarian Barrier to Industrial Growth,,,in
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Ashwani Saith (ed。),皿θ オ8yαγ∫㈱ g%85瓦o箆 痂 500∫ακs’ Ty朋s就o露ε,
London,Frank C&ss,1985,Mody,Asho1【a,Suplipto Mun(11e,K.N.Ral「農
業からの資源移転一日本とインド」大川一司編r日本と発展途上国』勤草書
房,1986年.
注5)寺西重郎『日本の経済発展と金融』岩波書店,1982年,第4章・
注6) 林信道「中国の資金調達構造」中国資本蓄積研究会編r中国の経済発展と
制度』アジア経済研究所 1976年,112−3ページ・
注7)今岡日出紀r中国における資本蓄積のメカニズム,1952−70年」中国資本
蓄積研究会編同上書所収.
注8)Lardy,Nicholas,イ8γfo躍%紹魏Ch惚’3Mo4θ隅Eoo初槻oDθ観oρ卿8π’,
Cambridge University Press,N。Y.,1983,Ch.4.
注9) Ishikawa,Shigeru,“Pattems and Processes of Intersectoral Resource
Flows=ComparisQn of Cases in Asia”(Paper presente(l to the cQnference
on the current state of development economics held at Yale in1986)〔邦
訳r開発過程における農工間資源フロー」(上),(下),『青山国際政経論集』
1986年11月(No.6),同1987年11月(No,7)参照・
注10)最新の研究成果としてはIshikawa,ibid・,参照・そこでは中国,インド・
台湾,日本の経験が対照され,農工間資源移転決定要因にかんする経験的命題
が提示されている・なお,より初歩的な比較研究の試みとして,Mellor,John
『肌,“Accelerated Growth in Agricultural Pro(1uction and the Intersectoml
Transfer Qf Resources”,Eooηo雁o DθワθJoρ魏θ弼¢麗4C%」!曜αJ C加π88,Vo1.
22(1)(Oct,1973)がある・そこでは台湾とインドが比較の中心である。
皿.農工間資源移転計測のためのアプ・一チと部門分割
前節における整理・要約から示唆されるように,社会主義工業化論の文
脈にせよ開発論の文脈にせよ,農工間資源移転の計測に当っては複数の尺
度や部門のとり方がありうる.この点を明示的に指摘したのがムンドレや
注1)
寺西である,この節では農工間資源移転計測のためのアプ・一チについて,
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中国における農工間資源移転:再考
次いで,次節以降における実際の計測に必要なr部門」のとり方について,
それぞれ整理しておくことにする.
1) アプ・一チ
いま「農業」部門とr非農業」部門(部門の定義または範囲については
次項でとり上げるが,仮にこのように呼ぶことにする)をそれぞれ且,N
とし,全経済がこの2つの部門に分割されるものとする.且,N両部門間
で取引される「資源」の種類に応じて大別すれば3つの部門間資源移転の
捉え方があるように思われる.
i) 「貿易余剰(trade surplus)」
丑,1マ両部門を国に類比させて考えると,両部門間に物的な資源の移出
入がある以上,r貿易収支」に相当する会計上の資源移転関係を捉えるこ
とができる.いま五部門のN部門への移出(export)をE,N部門か
らの移入(import)を互とすれば,r貿易収支」Bは
β=E一胚 ……(1)
である,この Bをムンドレに倣って「貿易余剰」(trade Surplus)と呼
ぶことにする.ここで,1V部門には外国部門も含まれるものとする.
E,遅の中味は消費財(σ),中間財(X),投資財(1)に大別できるが,
E=σαπ+Xαπ,忽=0ηα+Xπα+1πα ……(2)
と考えられる.ここで下ッキのαη,陥はそれぞれ五部門からN部門へ,
N部門から五部門への移転を表わす.Eはミラーのいう(∠部門の)
「商品化余剰(marketed surplus)」に当り,E一σηαは同じく「純余剰
注2)
(net Surplus)」に相当する.
貿易余剰.8は石川によって「可視的移転(visible flows)」と「非可視
注3)
的移転(invisible Hows)」に分割された.いまr実質的貿易余剰(real
trade Surplus)」を1γと,五部門の移出Eの価格指数をp,,同じく移
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入Mの価格指数をpπとすると,
君一
舞一早+箕(・一舞)
または一
+葺(・謝
く3−1)
……
3−2)
である.ここで右辺第1項をr可視的移転」,第2項をr非可視的移転」
と呼ぶ.いうまでもなく,p,/翫は五部門からみた(純)交易条件指数で
ある.したがって「非可視的移転」は交易条件の変化によって発生したも
のということができる.ミラーは(3)の代りに
8−B+{胚(・一毒)一E(・一義)} D9…く3ン
と置き,1匠(1−1/P肌),E(1−1/P,)を「インフレ利益(gain from inflation)」
と呼んだが,{1内が交易条件の変化による純移転を指すことに変りは
注4)
ない.
ii) r貯蓄余剰(savings surplus)」
国際収支とのアナロジーでいえば,r経常収支」に相当する五部門の余
剰概念がありうる.すなわちa)五部門からπ部門に支払われる地代,
利子,利潤(Kαπ),b)逆に五部門が受取る要素収入(1ζπα),c)五部門
がN部門に支払う賃金・俸給(Lαπ),d)逆に五部門労働力が受取る賃
金・俸給(L.α),e)且部門からN部門に送られる移転支出(Tαπ),f)
逆に且部門が受取る移転収入(T.、),g)五部門が政府に支払う税(σ¢π),
h)且部門が受取る補助金(σπα)をここでの「貿易外収支」,「移転収支」
注5)
項目とすると,「経常収支」(7)は
7=B十(K陥一Xαπ)十(L、α一Lα、)十(Tπα一丁απ)十((7.α一σαπ)
=β+E ……(4)
で定義される.
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中国における農工間資源移転;再考
ところで,国民経済全体の資金収支の恒等式から明らかな通り,投資一
貯蓄=金融負債増一金融資産増であるから,孟部門の投資,貯蓄,N部
門に対する金融負債,金融資産を∫、,Sα,.0,五とすると,
1α一s。=∠D一∠五 ……(5)
が成り立つ.また国際収支勘定において,経常収支と海外部門に対する債
権・債務の純増とはつり合うから,同様に
7=4五一∠P ……(6)
が成り立つ.(5),(6)から明らかな通り,
7=Sα一1α ……(7)
であるから,Vをムンドレのいうように(且部門の)r貯蓄余剰(savings
注6)
Surplus)」と呼ぶことは不適切ではない.これは寺西のいう「農家貯蓄の
注7)
純流出入」に等しい.なお,ついでにいえば,石川,リー,ムンドレらの
研究の中でも言及されているが,(4)を変形すると
・8=v−R (4)ノ
となるから,貿易余剰を貯蓄余剰と「所得余剰(一R)」との合計とみなす
注8)
ことも可能である・しかし,農工間資源移転額計測の本来の目的が,且部
門のN部門工業化資金蓄積に対する貢献度をみることにあったから,7
が主体となるぺきであり,(4)〆のようにBを分解することは,やや本末
転倒の感を免れえない.
iii) r価値移転」
第3のアプ・一チはプレオブラジェンスキー以来間題にされていたr鋏
状価格差」,あるいは「不等価交換」によるr価値移転」額の計測である.
これについては別稿において詳しく紹介・検討したのでここでは再述しな
注9)
い.ただ,i),ii)のアプローチと異なり,このアプローチではある種の
「価値判断」にもとづいた「適正価格」を基準にするだけに,客観的計測
が不可能ないしは困難である点を強調しておきたい.
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2) 部門分割
アプローチ以上に,実際の計測にさいして問題になるのは部門のとり
方・範囲である.社会主義工業化論や開発論の初期の段階,あるいは理論
レペルにおいては部門分割は問題にならなかった.というのは,r農村」
はr農民」からなり,農民はr農業」にのみ従事していると想定されてい
たからである.
しかし,プレオブラジェンスキーの命題や石川仮説を個別地域の,ある
特定の時期にかんして実証しようとなると,たちまちのうちに且部門,
したがってその対立概念としてのN部門の範囲が争点になってくる・そ
こでまず,本稿の主たる対象国である中国を念頭におきつつ,いくつかの
可能な且部門の概念をとり上げることにする。
i)「農業部門(agricultural sector)」:農業生産活動(投資を含む)と,
農業に従事する人々の消費活動からなる部門である.この揚合,「農業」
をどのように定義するかによりこの部門の範囲は異ってくる.中国におい
てr農業」は広義には作物栽培,林業,牧蓄,漁業,副業を含み,副業の
中には1984年までr隊営」,ないしは村営以下の工業を,も含んでいた。そ
こで以下全ての副業を含む場合をr広義の農業」,副業の中の工業を除い
たものをr狭義の農業」と呼ぶことにする.∠部門を農業部門とすれば・
亙部門は非農業部門である.
ii)r農家部門(farm sector)」;主として農業生産活動に従事する家計
の全ての生産活動,並びにその家計に加わる成員全ての消費活動からなる
部門といってもよいであろう.家計が集団化されている場合,生産・分配
単位の集団(人民公社時代における生産隊)の生産・消費活動もこの部門
の活動として当然含まれる.したがって農家の1員が恒常的に,,あるいは
臨時に非農業活動を行い,そこからの収入を全て他の成員と共有するなら・
それは農家活動に含まれることになる.かなり多くの農家では,とくに農
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中国における農工間資源移転1再考
閑期になると何らかの非農業活動を行ったり,成員の一部が都市に出て,
そこからの仕送りに収入を依存するが,そうした非農業収入を農家収入全
注10)
体から分離するというのは実際上非常に難しい.農家部門に対応する部門
は非農家部門である.
iii)r農村部門(rural sector)」:空間的に農家が集合する地域を農村と
呼ぺぱ,1農村内に居住する全ての人々の生産・消費活動からなる部門であ
る.それゆえ一般に一部の非農業活動がそこに含まれる.それは,たとえ
ぱ農村内の手工業であったり,理髪業などのサービス業であったりする,
中国においては農村内における「社隊企業(ないしは郷鎮企業)」と呼ぱ
れる,ほとんどの場合(狭義の)非農業活動が目ざましい伸長をみせ,し
かもますます専業化してきているので,農村部門と農家部門とは次第に大
きく乖離するようになった。さらに,中国の揚合のちに述ぺるように「農
村」が行政的に定義されているために,農村人口の範囲が年ととも若干変
化するという問題がある.
農村部門を五部門とすれば,N部門は都市部門ということになろう.
iv)r人民公社部門(commune sector)」:これまでは産業や地域を軸に
五部門を定義してきたが,所有制を基準に定義することも可能である.中
国における人民公社は1984年にほぽ解体されてしまったが,1958年の成
立以後農業生産の大部分を担ってきた集団所有部門である.それはソ連に
おけるコルホーズ部門に相当する・そこで,人民公社制度が名目上存在す
るか否かは問わず,農村内における個人所有並ぴに集団所有の生産手段を
もとに営まれる活動,及ぴそれに携わる人々からなる部門をr公社部門」
と呼ぴ,農村内における国営部門,とくに国営農場部門と区別することに
する・中国においては現在国営農揚のr下講け化」が進められており,家
族農場が農業生産の主体になりつつあるが,国営農場内の個人所有部門は
国営部門に含めることにする.
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第1図部門区分
「一一一一一一一一一一一一一『一一一一一一一一1
1 1
1 !
I l
農林
l l
I l
A1
l − B1 5
漁業
1 広 1
1 義 I
l l
の
1 l
l 農 l
l 業 l
下i狭義の農業ー土
公社部門 国営部門
Aシ
A2a_ 一 一 一 一 一 一 一
副業
A2b
運輸・建築・
サービス業
会融
社金
行政
回
A3
角 回
ト←一一一一一一農村部門一一一一→
注)生産ないしは生産額を基準にした部門区分である・以下1剛4の亜部門についてコメントする・高十取
+・42’+β2’:狭義の農粟部門を指し,そこには自留地等の個人農桑も含む.地’+B〆は個人副業を指
す.42、=隊営または村営以下の集団所有制工業・42ゲ社営または郷営の工乗を衷わす・β2:国営農
場等が経営する工業を表わす..4g=個人および隼団が行う運輸,建築,飲食,商粟,B3:国営農場等
が行う運輸・建築。サービス粟.4べ集団が経営する医療施設.学校,および信用,供錆合作社の活動
を指す.βべ国営農場等に付設される学校,病院,および各種農業研究施設等の活動を含む・
その他に,「伝統部門(traditional sector)」対「近代部門(modemsec−
tor)」というような技術を基準とする部門分割法が考えられるが,何をも
ってr伝統的」とするか,とりわけ農業のr近代化」が進みつつある今日・
定義することは困難である.またi)∼iii)とiv)とを組み合わせ,公社
部門の中の農業部門,農家部門,あるいは農村部門の中の公社部門だけを
五部門とすることもできる.次節以降では,とくに公社農家部門が重要視
される.
以上i》iv)の部門の相互関係は第1図のようになっている・ただし
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中国における農工間資源移転=再考
ii)の農家部門だけは描きにくいので省かれている.今日の中国において,
個人,集団,国家の共同するr農工商連合企業」なども創られているので,
現実の部門区分は第1図より遥かに複雑である。
ところで,i)∼iv)の部門区分のうち,どれを実際の農工間資源移転の
計測のさいに採用すぺきか,最終的には分析目的とデータ入手状況如何に
かかってくる.いいかえれば,iv)はやや特殊な分割法であるので別であ
るが,残るi)∼iii)の分割法のなかで,プレオブラジェンスキー命題や石
川仮説を検証する場合,これ’でなければならない,という決定的な基準は
ないように思われる.たとえばプレオブラジェンスキーの「社会主義的原
始蓄積」論であるが,彼は「農村およぴ手工業の剰余生産物の一部を収用
し」,r非社会主義分野の犠牲による蓄積」を主張したのであり,r農業」
なゆ
そのものに対する「搾取」をいったわけではなかった,また,既存の研究
からみれば「農村」対「都市」で資源の移転関係を捉えることは邪道かも
しれないが,農村を1つのまとまりと考え,その部門が都市の工業化や国
民経済全体の蓄積資金の形成にいかなる役割を果たしたのかを調べること
は,十分意義のあることである.同様に,農家部門対非農家部門の枠組で
とっても,非農業活動をも行う農民家計が国民経済の貯蓄形成に果たす役
割を考察するうえで必要である。
中国を対象として考えると,いずれの部門分割法をとるにせよ・生産,
投資,販売,購入,それに人ロ,労働力の各側面につき,一貫した,斉合
的なデータを入手する二とはできない,それゆえ,さまざまな仮定にのっ
とり,統計上の斉合性を確保するために推計作業を積み重ねていかざるを
えないのであるが,次節において詳述する通り,どのような部門区分に従
うにせよ完全に斉合的な統計シリーズを得ることは不可能である・その意
味もあって,本稿では複数の部門分割法を採用し・複数の角度から農工間
資源移転に接近していくことにした・
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一橋大学研究年報 経済学研究 29
注1)Mundle,SudiptoandK.Ohkawa,oρ.o∫’,,寺西重郎前掲書参照・
注2)Millar,James,“Soviet Rapid Development and the Agricultural
Surplus Hypothesis,”So吻∫5如4ズθε,VoL22,No,1(July1970)
注3) Ishikawa,Shigeru,oρ,6∫∫,
注4)Millar,oρ。6∫’、
注5) ここではr輸送サーピス」とr他部門への」r観光」等支出が明示的に登
揚していないが,前者はLαπまたはL陥に含まれると考えることにする・
後者は実際上無視してよいであろう。
注6)MundleandOhkawa,oρ,,o琵
注7)寺西重郎前掲書・
注8)たとえぱムンドレは(4)’式に相当する式を導いたのち,こう述ぺている.
「ある部門の資産の変化,あるいはその部門の他の部門からの資産の購入〔ここ
での7を指す〕は……全資源移転βの部分的尺度でしかない、(中略)した
がって部門間の全資源移転を測るのは貿易収支Bであり,貯蓄移転額〔γ〕だ
けではない。」(Mundle,Sudipto,5%7ρ」%5FZoω3…,oρ。o舐,P。27)しかしこ
のような捉え方は,たとえていえば国際収支における貿易収支は経常収支と
(マイナスの)r貿易外収支と移転収支」の合計に等しい,というもので,あま
り説得的ではない,
注9)前掲拙稿参照。
注10) プレオブラジェンスキーr新しい経済』(救仁郷繁訳)現代思潮社 1967
年
IV.中国における農工間資源移転の計測:貿易余剰
本節およぴ次節では,前節で紹介した3つのアプ・一チのうち,r価値
移転」を除く他の2つのアプ・一チにのっとり,1952年以降今日までの中
国における農工間資源移転の計測を,複数の部門分割法に従いながら試み
ることにする.もとより,最近中国において統計資料が大量に公開・出版
されるようになったとはいえ,この種の作業を行うには依然として資料不
50
中国における農工間資源移転:再考
足,データの不備,不完全性は重大な障害になっており,数々の推計作業
の積み重ねである本節における試みは,あくまでも暫定的な結果でしかな
いことを予め断っておきたい.しかしプレオブラジェンスキーの命題や石
川仮説の中国における適用性にかんして,ある程度の見通しを与えるには
本稿における推計作業の結果は十分であると信じる.
以下本節では,いくつかの重要な統計概念につき説明を加えたあと,3
つの部門区分に沿った貿易余剰額の推計を行う.貯蓄余剰の推計は次節に
おいて行うことにする.
1) いくつかの基本的統計概念
以下における推計作業を進めるに当って,使用する中心的な統計概念に
ついて説明を加えておくことが便利であろう.
第1に「農業人口」であるが,中国でいう農業人口とは次のようなもの
を指す.ra)農村人民公社の中の農業(作物栽培,林業,牧畜,副業およ
ぴ漁業からなる)生産に従事し,かつ農業収入を主たる生活源とする人
口三,農業以外の活動に従事するが,公社,大隊の現金およぴ口糧分配に参
加する人口,たとえぱ公社,大隊工業,商業単位における各種人員および
民営学校の教師,はだしの医者等.b)国営農業企業における労働者およ
注1)
ぴその家族.」ここで人民公社を郷に,大隊を村と呼ぴかえればこの規定
は現在でも通用する.
上記の規定は,分配関係により中国の農村には2種類の人口,すなわち
農業人口と非農業人口がいることを示している.農村人民公社の管理機構
や国営農揚には国家(具体的にはたとえぱ県)から任命され,国家から賃
金を支給され,商品化食糧を購入しているr国家幹部」,がいるが,彼らは
r非農業人口」として扱われる.農村の学校)信用合作社,医療施設1こ働
く者は,食糎を地元の農村単位から支給されるのか国家から配分されるか
51
一橋大学研究年報 経済学研究 29
により,同一の仕事をしていてもr農業人口」という範疇に入るか,さも
なければr非農業人口」という範疇に入る.第1図に即していえぱ,国営
部門の中の・B3,・及部門,およぴ公社部門の中のム部門の一部が農村内
における非農業人口である,したがって,広義の農業にせよ狭義の農業に
せよ,そこに従事する労働力とその家族イコール農業人口ではない.
農業人口に近い概念としてr農民」人口がある.これは『中国統計年
鑑』(以下『統計年鑑』と略す)1986年版に載っている「国民収入農民消
費(総額)」をr(1人当り)農民消費水準」で割ることにより求められる.
しかしr農民人口」という統計は公式にはなく,農民消費総額はマク・の
r国民収入」の推計から,他方農民消費水準はミクロの家計調査から算出
されているといわれ,両者の比から導出される総人口は人口それ自体とし
注2)
ては実体のないもの,ということができる.
試みに「公社人口」と合わせ,「農業人口」と「農民人口」と比ぺてみ
よう(第1表).この表からみられるように,これら3種類の人口は非常
に接近しているが,微妙にくいちがってる.r公社人ロ」とは公社部門に
属する人口であり,恐らく非農業人口も一部含まれていると思われる.
第1表農業人口,農民人口,公社人口の比較(万人)
1)農業人口 2)農民人口 3)公社人口
1978 81,029 79,015 80,320
1979 81,356 79,737 80,739
1980 81,904 80,000 81,096
1981 82,659 81,031 81,881
1982 83,631 81,934 82,799
1983 84,118 82,596 83,536
1984 83,790 83,284 847301
1985 83,479 84,321 84,420
注)1)と3)は公衷値.2)は本文中に指摘した通り,間接的に求めたもの.3)は1982年までr公社人
口あそれ以降は「郷村総人口1である
出所) 1);『中国農業年鑑』(以下『農業年鑑』と略称する)各年版,およぴ国家統計局農菜統計司編『1949
−1984 中国農藁的光輝成就』中国統計出版社 1984年(以下『光輝成就』と略す),136ぺ一ジより.
3)3『統計年鑑』各年版より。
52
中国における農工間資源移転:再考
第2にr農村人口」であるが,中国でいうr郷村人口」には2種類の異
った系列の数字が得られる.1つは行政的な区分にもとづくもので,r県」
人口を指しr鎮」人口を含まない.中国において鎮の定義がこれまで3度
まヨ 変更されたので,それに伴いr郷村人口」の範囲も変った。
もう1つはr農村に常住する人口および町〔城鎮〕に常住する農業人口」
なの
を指す.それは農村における農業人口,非農業人口,およぴ町に住む農業
人口,たとえぱ出稼ぎの民工,工場の契約工,農村戸籍〔戸口〕をもつ学
生らからなっている.この種の農村人口は農牧漁業部の管轄する統計であ
り,一方,先の農村人口は公安系統の統計であり,後者は戸籍統計をもと
注5)
に集計されるという。
第3にr農副産品収購総額」について説明を加える。この統計は次に述
べるr農村社会商品小売総額」と並ぴ,農工間資源移転額推計のさい最も
基本となる統計である.中国でいうr農副産品収購総額」とは,商業部門
が転売または加工後転売するために,あるいは企業や社会集団,または非
農業住民が自ら加工,転売,消費するために直接農業生産者から調達(r収
なの
購」)する農副産品のことを指す。厳密にいえばr収購」とは購買のみを
指すはずであるが,『統計年鑑』に記載されているr農副産品収購総額」
の内わけの1つに「徴収」(農業税徴収)も入っており,ここでは農業税
も含む農副産品の調達と考えてよい.農業税は現物税であるので・その収
購評価は公定価格(r牌価」)で行われる。
問題は「農副産品」の中味である.というのは,すでに見たように中国
でいう(広義の)農業には工業も一部含まれ,「副業産品」の中に工業製
品も入っているからである.現在中国で採用されている「農副産品収購総
額」の規定では,製品の性質ならびに生産者の所属関係によりr農副産
品」の範囲が決められている,具体的には次のようになっている.
i)国営商業機構などが農副業生産単位,集団所有制商業組織・個人商か
53
一橋大学研究年報 経済学研究 29
ら購入する食糧,植物油等農,林,牧,副,漁業製品は全て農副産品
である.
ii)国営商業機構などが関係単位から購入する瓦,石,砂,石炭等の鉱産
物,紡織部門から購入するくず綿,屠殺工揚から購入する豚のヒゲ,
ソーセージ用の皮,皮革などの畜産品,森林工業部門から購入する木
材は農副産品に含めない.
hi)国営商業機構などが国営および都市集団所有制工業企業から購入する
生産物は一般に農副産品として扱わない.
iv)国営商業機構などが社隊ないしは郷鎮企業より購入する工鉱業製品を
原料とする生産物は一般に農副産品としない。
v)ある種の農産物を原料とする加工製品,たとえば農村で作られる砂糖,
紙,藷などは,生産者が農村の生産隊や個人である揚合農副産品とし,
社隊工揚や手工業者の揚合農副産品としない、
以上の規定から分かるように,収購される農副産品とは狭義の農業生産
物か,それを原料とする生産物で,農村内の個人および農業生産組織から
購入したものをいう.したがって当然社隊ないしは郷鎮企業や国営企業か
ら購入する非農業産品はその中に含まれ’ない.しかし上記のiv)が示唆す
るように,農産物を原料とする一部の工業企業の製品(例えば,恐らく牛
乳やヨーグルトといったもの)は対象とされると思われるので・社隊郷
鎮企業の製品全てを排除するものではないであろうし1またv)が指摘し
ているように,農産物を原料としても加工度が比較的高くなれば社隊郷
鎮企業の製品は農副産品収購額には入らない.
収購農副産品は生産物の購入先別ではa)r農村社隊および社員」,すな
わちわれわれのいう公社部門から購入したものと,b)rその他生産部門」,
すなわち国営農揚などの国営部門から購入したものに大別され,購入主体
別ではa)商業部門による収購,b)工業およぴその他部門による収購,
54
中国における農工間資源移転=再考
c)そして非農業住民による農民からの購買,に分かれ’る,このうち,商
業部門とは国営商業機構と供錆合作社機構を意味し,非農業住民による農
民からの購買とは,のちに述べるr農民の非農業住民に対する販売」に等
注7)
しいが,具体的には生産隊や農民が自由市揚および自由市場外で非農業住
民,役所,団体,部隊およぴ企業・事業単位に販売する消費財小売額のこ
とを指す.したがって,自由市揚におけるr非農業」部門への農副産品の
販売は収購総額の中に含まれていることになる・国営商業機構などが農村
自由市場から農副産品を購入するケースも僅かとはいえあるが,これも非
農業住民に対する販売に含まれていると解釈することにする.
第4に「農村社会商品小売総額」(「郷村社会商品零讐総額」)であるが,
これは大別すれば消費財小売額と生産財(r農業生産資料」)小売額からな
り,また業種別にはi)商業小売額,ii)飲食業小売額,iii)工業小売額,
iv)その他業種小売額に分かれる.ここでi)は各種商業企業が直接個人
およぴ社会集団に販売する消費品と農業生産財からなり,iv)はサービス
業,農業,交通運輸業,建築業,公共サービス,出版社,物資分配部門等
の単位の小売額を指し,農工商連合企業等の連合経営企業の小売額も含ま
れる.
部門分割に関連して重要なことは,a)国営農揚が直接(農場内の)職
員労働者と職員労働者食堂に販売する産品を含むこと・他方b)農村生産
隊およぴ農民間の相互売買商品は含まれず,c)社隊ないし郷鎮企業に販
売される各種生産工具,原材料およぴ補助材料も含まれないこと・d)さ
らに国営農場,国営トラクター・ステーション,灌排水ステーシ日ンに売
、られる各種農業生産財,燃料も含まれないこと,である,
以上の説明から分かるように,r農副産品収購総額」を且部門の移出
(E),r農村社会商品小売総額」・をその部門の移入(形)として・単純に両
者を差引きすることはできない・しかし,前節でみたように部門のとり方
55
一橋大学研究年報 経済学研究 29
により両部門の移出入額は変化するが,これらの統計をもとに修正してい
けぱ比較的斉合的な移出入を求めることができそうである.とはいえ,部
門間の完全に斉合的な移出入推計を得ることは,現段階の資料状況からし
て不可能である・とりわけ社隊ないしは郷鎮企業の移出入の推計が著しく
注8)
難しい.
2) 貿易余剰の推計
最も範囲の狭い,しかしそれゆえ最も基本的な貿易余剰は狭義の農業部
門のそれである.その部門の移出入には社隊,郷鎮工業の非農業部門との
取引は含まれない。そこでまず狭義の農業部門の貿易余剰を推計し,次に
それにもとづいて広義の農業部門,そして農村部門の貿易余剰の推計に進
むことにする.
(1)狭義の農業部門の貿易余剰
ここでの最大の難問は,農村部門内部における狭義の農業部門と非農業
部門との間の取引をどのようにとり扱うか,ということである.たとえば,
第1図の高部門の為部門への原材料r販売」は,定義からいえば前者
の他部門への移出とみなされなけれぱならない.逆にム部門が山部門
より農機具をr購入」したとき,それは他部門からの移入とみなされなけ
ればならない・もし中国において窺部門の生産物が全て市場化され,ム
部門の必要とする,たとえぱ農業用生産財が全て商業機構を通じて購入さ
れるならば,こうした農村部門内取引について頭を煩わす必要がない.そ
の種の生産財はr社会商品小売額」に含まれているとみればよいのである.
しかし,地部門は元来は公社部門内におけるん部門補完単位として出発
しただけに,両者の間には市揚化されない,それゆえ統計には全く計上さ
れない内部取引がかなりあったし,いまもあるとみた方が自然である.こ
56
中国における農工間資源移転=再考
のような内部取引額を推定する材料をわれわれは全く持ち合わせていない.
したがって以下では,不自然な感じを拭えないが,農村部門内において
ん部門と五2部門と,β1部門とB2部門とは全くの市揚関係に立ち・狭
義の農業部門とそれ以外の部門との間の物的な非市場取引は全くないか・
あっても無視しうるほど僅かなものであると仮定することにしよう・
他方,狭義の農業部門の移出額は農副産品収購総額でほぼ代表できるも
のと考えられるので,その統計をそのまま利用することにする。
やや複雑なのは,当該部門の移入額を推計するに当っての農村社会商品
小売総額統計に対する修正である.農村社会商品小売総額は農村部門全体
における財・サーピスの購入であるから,狭義の農業部門だけの移入額を
求めるにはいくつかの項目を削除しなければならない・
i)第1図の112一山部門に働く労働力の消費額,まず公社部門労働力を
推計し,次にその中の(狭義の)農業労働力を推計し,その差を求めると
∠2∼病部門の労働力になる(補論B参照。実際は4部門以外の労働
力を先に推計している).彼らの全てが専業ではなく,とくに農繁期には
一般に農業労働力化するわけであるが,ここでは全て専業労働力と考える
ことにする.彼らの家族は一般に農業に従事している・
次に,農村社会商品小売総額の中から農業生産財購入額を引いて,農村
における消費財(サービスを含む)購入額を求め,以下で推計する農村に
おける飲食業等消費サービス購入額をそこから差し引き,残る(物的)消
費財購入額を労働力消費単位を基準に公社部門内非農業労働力に割当てる
のである,そのさい,農村内の労働力を1としたとき,農村人口の中の非
労働力を0.5,とする消費単位を採用した.本来なら,国営部門である現∼
.B4部門の人ロについても,同様な手続きによりその社会商品額を計算し,
農村小売総額から差し引かなけれぱならないのであるが,その人口規模は
窺解ムのそれに比ぺ遥かに小さいから,ここでは無視することにした。
57
一橋大学研究年報 経済学研究 29
ii)農村内の飲食等サービス支出額.先にみた通り,農村社会商品小売
総額には農村部門内の商品の相互売買は含まれていないが,飲食業小売額
は含まれていた.農村内において飲食業や旅館のサービスを受ける者全て
が農民であるわけではないであろうが,ほとんどが農民であることもほぽ
確かである.それゆえこの部分の消費額を小売総額から削除することは,
部門の移出額を求める意味から必要である. ,
この額を推計する1つのやり方は,r農民家庭収支サンプル調査」(農家
家計調査)を利用することであるが,『統計年鑑』等に発表されている農
家家計調査集計表はきわめて大雑把なものであり,飲食費は全て食費の中
に一括されている.娯楽費,理容費などはr文化生活サービス支出」の中
に含まれているのであろうが,この支出額を農民の平均貨幣支出額で割り,
その比率を農業生産財支出を除いた農村社会商品小売総額に掛けると,そ
の額は1978年の揚合全国の(商業,飲食業,工業を除いた)rその他の業
種の小売額」さえも上回わる.これは明らかに不合理なのでこのやり方を
採用しなかった.
結局われわれがとった方法というのは,1960年代初めを除き,全国の飲
食業およびrその他業種の小売額」の合計に,国民収入会計上の総消費額
に占める農民消費額の割合を掛けるというやり方である.この方法では,
飲食業の消費の多くは都市においてであろうから,農村内の飲食業売上額
が過大に評価される恐れがある.しかし全体の農村消費と比ぺれば,その
種の上向きのバイヤスは大したものではないものと思われ,る』
iii)国営農揚等の職員労働者が農揚から直接購入する消費財.これは当
該部門内取引であり,かつ社会商品小売総額に含まれている.しかしこの
額を直接推計する手掛りに欠けるので,国営農揚人口数推計値(補論A参
照)に全国の住民1人当り消費額を乗じて求めた.全国の住民1人当り消
費額を,国営農揚職員労働者が農揚から購入する現物消費財の額と等しい
58
中国における農工間資源移転=再考
と想定したのは,1つには彼らの消費額は公社部門農民の消費水準より高
く,かつ都市の職員労働者のそれより低いであろうこと.1つには国営農
林水利部門の平均賃金は全国営部門平均の4分の3程度であり,仮に国営
農揚等職員労働者のr商品性支出」(現金購入)が30%とすると,彼らの
「自給性消費支出」は国営部門の平均消費の約半分になるであろうこと,
以上2つの理由による.
i》iii)を農村社会商品小売総額から差引けぱ,ほぼわれ’われの想定する
注10)
狭義の農業部門の他部門からの移入額になるものと思われる.それとr農
副産品収購総額」の差が,われわれのいう狭義の農業部門の貿易余剰に当
るであろう.結果は第2表に掲げられている.
これをみると1960年代初めが農業部門の移出超過,それを除けぱ1968
年まで収支はほぼ均衡したが,1969年からはっきり同部門のr入超」に転
じていることが分か勧1%0年代初めが農業部門の入超であったことの背
景はよく理解できる.その時代,大躍進政策の大失敗後疲弊した農業から
は生産物を国家は調達することが難しくなった反面,農業部門に生産のイ
ンセンティヴを与えるためには生産財,消費財ともに国家は供給を減らす
わ書ナ尋こ尋まL、カ》なカ、った。
1969年以降農業部門において構造的入超傾向が現われたが,これはどの
ように説明できるであろうか.その要因にかんする詳しい考察は別稿にゆ
ずることにして,ここでは農業生産における近代的投入の増大(農業にお
ける収穫逓減),食糧輸入の定着化と増大,原料としての農産物への依存
の低下(工業代替財の発展:例えば化学繊維),都市のエンゲル係数の低
下,などの要因が関係しているであろうことを指摘するにとどめる.
(2)広義の農業部門の貿易余剰
前節で説明した通り,広義の農業部門には隊,または村営工業企業の生
59
一橋大学研究年報 経済学研究 29
8石34。055ゆ81£840石579。87鴻7£16158926730
01
35
771
a71
5ふ1
565
55
丘ふ
591
生71
911
6乳L
68
,52
。52
2。2
9λ0
1
1
1
1
1
1
2
2
223334
1112
ユ石580237β石29ン201079829425石47£755714
70
70
73
。&9
350
652
隻93
10乞
64
8α
76
7儀
365
607
ふ69
167
2。ふ
3
6
7
8
2
8
2
3
4
0
1
1
1
1
1
2
2
2
2
1
2
2
2
2
2
2
2
32
34
35
38
30
4
1112
ユ2020685503752ゆ4132380274570﹄5。5326
49
58
7a
6L3
lO3
α96
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生0
。&8
ふ生0
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73。
1
1
2
2
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7
6
5
6
025689
1 1 1
11
11
12
2223
3334
45
60
第2表狭義の農業
生総
業売
農販
ち財
う産額
注)4)∼6)欄は推計値.推計方法については本文参照・ 1961∼63年の農村内飲食業等小売額は・他の年次
(第3欄)の比でもって推計している.
2£ゐ0ゆ£ユ2β石5’624ゆ51ゆ057442094£700030
19
29
4・
523
563
659
951
102
$生8
$Z
75
ふ4
生生3
047
9,8
4α6
α隻7
5
7
0
0
8
9
1
0
1
1
2
2
2
2
2
3
35
2
2
2
3
3
3
3
3
45
49
42
57
50
6
111112
品小売総額
25
35
45
55
65
75
85
96
06
16
26
36
46
56
66
76
86
97
07
17
27
37
4
5
19
小売総額
る飲食業等
小売額
1)一2)
4)農村におけ
3)農村消費財
1)農村社会商 の
中国における農工間資源移転= 再考
(単位=億元)
部門の貿 易余剰
5)公社部門非6)国営農揚人口7)狭義の農業部8)農副産品9)狭義の農業部
農業労働者 による部門内 門の移入額 門の貿易余剰
ユ85ユ洛ユ£洛石4’8£石£石3295797ゆユ£04ユ9。7
6598488244625580766ふ丘9生5。9乳32958410
11崎コゴー11弓⋮ゑ⋮‡鵬毫
。2
。1
に比べ上述した推計方法に従うと非常に高目に出るので,1960年の飲食業等小亮額と農村消費財小売総額
61
1 3 2 1 1
39。87つ96429β9137。621693’0752553717517
五5660&3884334。生生55666乳88913406α4。6。ε生
1112234599
111111112222223334456
555石7ン£75514。14石4あ2267石5洛5ゆンOユ637ゆ96
α0α0001翫&9。絃&9023457乱鉱12。458805乱1生01
6£。93洛72131β5石ンー’0石潟。4331437洛。97ゆ1鴻197
生1166$8乳生乳7α6ース4004λふ6。α生92052α1軌1住
3
6
1
18
18
10
20
23
26
28
22
25
27
27
29
22
34
32
36
31
43
46
40
53
5
111112
ββゆ22。5。8200つ20198208ρ。12968699620000。O
O6
15
27
99
0蕊
181箔7
54840
λ91
763
587
。90
生74
ふa4
53500
4
6
9
9
9
1
1
1
1
1
1
2
22
22
2
2
2
3
3
332
34
36
37
33
44
1111
物的消費額 物的消費 1)一4)一5)一6) 収購総額 8)一7)
一橋大学研究年報 経済学研究 29
産活動も入るので,それらの企業の,狭義の農業部門を除く他の部門との
取引が考慮されなければならない.上述したように,農副産品収購総額に
はこれら企業の生産物は原則として含まれていないし,農村における社会
商品小売総額にはこれら企業の投入財は計上されていない.そこで独立に
これら企業の非農業部門との取引額を推計しなければならないが,関連資
料・データに欠けるためこの作業はきわめて難しい.われわれが最終的に
採用した方法は,1981年の産業連関表を用いて,r副業」部門の非農業部
門との取引の総生産額に対する割合を計算し,これを隊(村)営工業総生
産額(推計値.補論C参照)に掛けるというやり方である.このやり方で
は,1つには投入・産出係数が長期にわたって安定的であるかという問題,
1つには産業連関表中のr副業」は農民家計が行う純粋の副業も含み,隊
(村)営工業より広い概念であるという統計上の不斉合性の問題が出てく
るが,単純化のために全て無視せざるをえなかった.ただし前者の問題に
ついては,第3表からも分かる通り,1970年代末までは隊(村)営工業の
貿易余剰額も少額であり,それゆえこの仮定によるバイヤスもそれほど大
きくはないと解釈できそうである.
ここでも,狭義の農業部門の貿易余剰推計と同様に,農村内の非農業部
門との非市揚的r内部取引」の問題が登場する.たとえば社(郷)営工業
製品が無料で隊(村)営工場に提供される場合が想定されるが,先のケー
スと同様にここでもそうした取引はないものと仮定することにした.
隊(村)営工業企業の非農業他部門への移出・移入額が推計できれぱ,
その収支額を先に求めた狭義の農業部門の貿易余剰額に足し合わせること
により,広義の農業部門の貿易余剰を求めることができる.推計結果は第
3表第4欄に集約されている.この表から分かることは,隊(村)営工業
を含めると,(負の)貿易余剰の絶対額は減るが,1969年から一貫してマ
イナスになっていること,また隊営工業の発展に伴い他部門への移出額も
62
中国における農工間資源移転;再考
2つー。9ユ。8ユ3つ79980ゆ5531709石£6ゆ76293ユ£石5
丘5隻848161151569。1$511α4492ZZ58i155α
1 一16243一11 136575671011981110505
一 二二 二一一一二二一一コ己コ
00000032449566777ン9333719ゆ49。973332
乳4。220。α0。α00α14a55。9675α609。乳&6α
1 1 1 1 2 3 4 6 6 8 8 91
11
42
1
111223466890251
1112
0000005β55ゆ567777£0£773。89219812ユ石50
74盆21αααOO軌152三蕊06&6Z83ZO10。6
1 2
3
3
4
5
7
9
2
13
16
18
19
13
29
22
4
000000859990234’44591nゆ09£25’70949£2
4&生生111L11159&110。2612。541λ96丘
19
注) 推計方法は以下の通り。
1):隊(村)営工業総生産額(C−1袈より)×0.645として求めた。0.645は1981年の副棄生産額378.3
億元のうち,農藁部門以外の部門への投入額213・4億プ7,ス最終消費83・8億元のうち都市へ販売され
たであろ530.5億元の割合である.
2)=同じく隊(村)営工業総生産額×0。327として求めた.この係数は71981年の副業生産額の5ち非
農業部門からの投入123.8億の割合.したがって1)と2)ともに投資に関しては副業部門内部で全て
行われていると前提していることになる.
4):3)+第2表第9欄。なお厳密にいえば,狭義の農業部門貿易余剰には隊(村)営工業労働力の物的
消費が除かれてあったから,その部分ここにおいて修正しなければならないが,その消費額(第2表第
5欄),および非農業労働者全体に占めるこの労働力の比率の小ささを考えると,きわめて少額の修正に
止まるので,こ二では無視している.
25
35
45
55
65
75
85
96
06
16
26
36
46
56
66
76
86
97
07
17
27
37
47
57
67
7
5
63
門貿易余剰
1)一2)
4)広義の農業部
3)隊(村)営工
業貿易余剰
工業移出額
2)同移入額
1)隊(村)営
(単位=億元)
第3表広義の農業部門の貿易余剰
ー繭汁緑頸論醤趣 醐藻極虫幽 8
993211n⋮259 。99ユ6310529β
00a2生0。66626ふ73.7α9生354
一 峨一峨﹂砲4ゴー11絡緬葡9
111
01
0
1
7
3石
52
94
66
4。
030
。7
6
α 6 6 ふ
ふ
11
且
2
且
8
48
7
£1
i1
52
つ2
石3
55
97
﹄
生9
Z£
19
1つ
17
α。
078
1122
7ゆ9807つ3334605。2£
0
3 7 & 生 3 ふ
21
ふ
4
6
&
1305
0α名2生α乞生ε16ふ6生&1α1853
993211331 ’2536453797”7” 。9
一 砲一曙﹂峨4弓ー1 2弓↓4︷
04。819134139055石
6309。3838ρ483’5ユゆ
9
生1
51
5 8 5 6 6 91
21
62
盆2
95
06
0
3
2
23石12925 。6355 。0鴻 。4
0
λ 7 & 生
4 丘 & 115
21
2
3
よ
15
20
3
9
2 7 7 生
6 & 114
11
2
ふ
ふ
4
1生
29
2
。7
翻離・)同移入鶉鞘入講難門
鵬輩・)同移入勤贅野諺辮Fヨ
ひ亭
25
35
455
65
75
85
96
06
16
26
36
4
5
19
(ケース2)
(ケース1)
(単位;億元)
第4表農村部門の貿易余剰
73
68.3
34.6
33。7
一44.2
31.7
8.0
23.7
一54.2
74
81.5
41.3
40.2
一53.0
38。5
9.6
28.9
一64.3
75
106.9
54.2
52.7
一62。5
50.8
12.6
38。2
一77.0
76
152.8
77.5
75.3
_75.8
70.8
18.0
62.8
一88.3
98、7
一72.5
96.2
77
78
101.5
200.2
120.6
237.9
23.6
72.6
一98,6
117.3
一50,0
111.5
28.0
83.5
一83,8
127.4
40.3
273.5
138。6
134.9
一37.5
80
341.7
173.2
168.5
一58.0
163.1
60。4
102.7
81
383.6
194。5
189。1
一46.0
187.9
71.4
116.5
一118,6
82
418.7
212.3
206.4
一36.7
197.6
84.4
113.2
一129.9
83
497.3
252.1
245.2
14.6
226.5
102.5
124.0
」106.6
84
728.1
369.1
359,0
12。0
304.3
151,3
153,0
一194,0
85
1,159。6
587.9
571.7
16.3
462.7
249。9
212.8
一375.2
注.)
87.1
一85.3
一123,8
計算方法は次の通り。1);社隊(郷鎮)工業総生産額(C−1表より)XO,645,
2):社隊工業総生産額xO.327.
4)3第1衷9)一第1衷5)十本表3)・公社部門非農業労働者物的消費はここでは自部門内取引となるので差し引かなければならない・
5):推計方法については本文参照。
6):社隊工業総生産額X非農村部門生産投入財の割合・非農村部門生産投入財を生産費用の2割と仮定する・そうしたときの総収入に対する比率は
以下の通り(単位=億元)、
1978 1980 1981 1982
7702
b)生産費用 159.7 339.1 402,0 501.2
a)総収入 418・1 596・1 670・4 c) b/a (%) 38.2 56,9 60.0 65.1
d) 0.2xc(%) 7.6 11.4 12ワ0 13.0
1983 1984 1985
928,7 1,268。2 1827,4
615,7 847.1 1,266.9
66。3 66.8 69.3
13。3 13。4 13.9
この表から示唆されるように,外部投入財の比率は次第に上がって来た.実情は,恐らく上表d)行の割合以上に郷鎮工業の外部投入財依存率は商
まっているものと思われる(とくに郷鎮企粟の都市工彙部門の下請け化)・しかし具体的なデータがない以上,とりあえず上表の数値を用いること
にする,1977年以前は1978年と同じ割合,1979年は1978年と1980年の中間の割合とした.
8):ケーヌ1の4)と同じく・錦2表a)一第2表5)+本表7)として求めた・
愚図害計耳か贈H薔蹄鐘麟挿 劃隷
ひ頓
79
一橋大学研究年報 経済学研究 29
増えたため,狭義の農業部門の貿易余剰のように次第に入超額が増大して
いくという傾向はみられないこと,以上2点である.いいかえれば,農村
工業化の進展が(広義の)非農業部門に対してr輸出」増大をもたらし,
貿易収支の「赤字」の改善に役立っている,ということである.
(3)農村部門の貿易余剰
さらに範囲を拡げ,社隊(郷鎮)企業全体をも含む農村部門の非農村部
門・あるいは都市部門との貿易収支をみていくことにしよう.
ここにおける最大の問題は,農村部門内の亜部門間の取引ではなく,為
部門など狭義の農業部門外の諸部門と非農村部門との取引をどう扱うか,
である.広義の農業部門の貿易余剰の推計のさいには為α部門の非農業部
門との取引だけが問題であったが,ここでは砺,為部門といった,全て
の農村内非農業部門の非農村部門との取引を考慮する必要がある.
この部分の取引額を推計する最も簡便な方法は,先に盃、部門の非農業
部門との移出入関係を測るさい用いた1981年度産業連関表中のr副業」の
投入・産出係数をここでも使うことである.ただし,被乗数として隊(村)
営工業生産額ではなく社隊(郷鎮)企業総生産額がとられる.この方法に
よって求めた貿易余剰をケース1としよう.
もう1つの方法は,i)社隊(郷鎮)企業の中の工業企業の生産額のみ.
移出されるものと仮定し,r工業品純購入総額」を生産額に応じて社隊(郷
鎮)企業と国営企業に振り分け,前者を当該企業のr輸出」額とみなす,
ii)社隊(郷鎮)企業のr輸入」額ほ生産費用の80%を農村内で自給する
ものと仮定して総生産額に一定率を掛けて導出する,というものである.
この方法によって算出された貿易余剰をケース2とする.
推計結果はケース1,2とも第4表にまとめられている.ケース1の揚合,
社隊(郷鎮)企業だけの貿易余剰が相当高目に出て,農村部門が非農村部
66
中国における農工間資源移転:再考
門に対して「貿易黒字」を出していたことになる,ケース2の揚合,数字
的には広義の農業部門の貿易余剰とほとんど変らず,農村部門全体をとっ
ても他部門に対して若干の「赤字」を1960年代末以降計上していたこと
になる.
ケース1とケース2を比ぺてみたとき,それらの依拠する仮定にかんし
ては後者の方がより合理的であるように思われる・というのは,産業連関
表におけるr副業」とは広義の農業に含まれるそれであり,社(郷)営企
業の投入・産出額は一般の工業等に入れられているからである.そのうえ,
農村部門は広義の農業部門より範囲が広く,農村に位置する社(郷)営企
業の自部門内取引の割合が広義の農業部門における隊(村)営工業より大
きいと判断されるからである。
ケース1では農村部門の貿易余剰が1983年から再び出現することにな
るが,ケ」ス2では依然としてr赤字」状態が続くことになる・ケース2
の農村内非農業部門移入額の推計はかなり大胆な仮定にもとづいており・
r貿易赤字」の額そのものを額面通り受け取るわけにはいかない・しかし
農村部門の都市部門との取引において,1980年代以降も余剰が発生してい
そうもない,ということだけは推察できそうである.
〈4)貿易余剰と交易条件
以上の貿易余剰額は全て当年価格によるものであり,実質的余剰額では
なかった。それゆえ交易条件の変化による影響は考察されてこなかった。
ところで,第(3)式に示されるように,貿易余剰の働きは交易条件の変
化によるものと(r非可視的移転」),実質的なもの(r可視的移転」)とに
分解される。そこで,われわれの貿易余剰推計値をこれら2つの部分に分
解してみることにする.
ただし,のちに述ぺるようにこの試みにはある種の限界があるので・前
67
一橋大学研究年報 経済学研究 29
項までに求めた3種の貿易余剰全てにこの分析を当てはめることはやめ,
狭義の農業部門の貿易余剰だけを対象とすることにした.
間題は移出入価格指数として何をとるか,である.移出額(E)として
r農副産品収購総額」をとった以上,移出価格指数(p6)としてr農副産品
収購価格総指数」をとることに問題はない・他方,移入価格指数(p皿)と
して(しぱしば農工間交易条件指数を導出するのに用いられる)r農村工
業品小売価格総指数」をとるこ・とは,移入額(辺)との斉合性に欠ける.
というのは,農業部門の移入には工業品ぱかりか,農産物も含まれている
からである.すなわち,農業部門が移出した農産物の一部は商業機構を通
じて農業部門に還流してくる.r農村社会商品小売総額」の中にはそうし
た農産物も含まれている.そこで農村のr全社会小売物価総指数」を移入
価絡指数として採用することにした.ただし,この指数も移入額とのあい
だに斉合性は完全にあるわけではない.というのは,たとえばその指数は
農村内の内部取引である農村集市価格も含むと考えられるからである.
(3−1)式にもとづいた実質的貿易余剰の分割は第5表に掲げられている.
この表から次の点を確認できる。まず農業部門の実質的貿易余剰(第5
表2)十3))はつねにマイナスであり,当年価格の貿易余剰があり,した
がって.プラスの可視的移転があったときも非可視的移転が大きくマイナ
スであったために,全体の実質的貿易余剰(ど)はマイナスになっている.
第2に,交易条件が農業部門に有利に改善されてきたために,非可視的
移転は一貫してマイナスとなっており,しかも同表第4欄が示す通り,そ
の(マィナスの)実質的貿易余剰に対する貢献度はきわめて高く,実質的
貿易余剰の大きさ,動きはほとんど非可視的移転,いいかえれば交易条件
の変化によって説明される.
しかしこれらの結果については以下のような留保をつける必要がある.
すなわち,上述した移入価格指数(翫)に含まれる斉合性の問題ばかりで
68
中国における農工間資源移転=再考
11110101軌000011110α0α0000。0α0000000
p鴻(農村の全社会小亮物価総指数)とも1950年を100とする指数である,
出所)P皿=1952−83年はr貿易物価統計資料』369ペーら1984潤年iよr統計年鑑』1985・86年版にある
69
27。022名921462155£251945。9つβ204.⇒£2679
司一叫司遡司一 ↓弓↓叫弓叫4崎マ崎↓鱒絶輔.コ尋
18石7ユ0石ゆ94石622石4ゆ£19175。8。96ゐ549ゐ洛淋4
三36606。580126ワ餉89097生1Zふ住95生96973359
ユ8洛£7ゆゆ洛2一〇482ユ鴻994ゐ97”ユ2859石947£ユ49
E,辺=第2表より・
1117
92
16
974”
3α4
&λ4α5
2a5
415
λ6106
4λ8
171
a9α7
1
2
2
4
9
二2
一二
一
二2
一3
ニニ
一二4
一ココ
コゴ6
一二弓
コ
蛤9
ゴ013567012
4
1724381531874201581831065
824372£25β。7ク9’ーユゆユ87£798。887ク7£££名99£
注) 可視的移転と非可視的移転のフォーミュラは(3−1)式にもとづく・第1欄の交易条件指数の動きから
も分かる通り,(3−2)式によった方が可視的移転額が高目に出る.勉(農副産品収購価格総指数),
71815192325262750姶4141鱈5253隣茄55616567687172717813192728363841
11111111111111111111111111
対前年増加率より求めた。
p¢二『統計年鑑5各年版より,
︵1禰
2)+3)
25
35
45
55
65
75
85
96
06
16
26
36
46
56
66
76
86
97
07
17
27
37
47
57
67
7
5
10
19
3)
の貢献度;
転・
(五7一逗)/Pθ
数:(Pθ/P皿)
3)非可視的移 4)非可視的移転
1)交易条件指 2)可視的移転=
(単位:億,元)
第5表 貿易余剰の可視的移転と非可視的移転
一橋大学研究年報 経済学研究 29
はなく,価格指数が基準年のウェイトを用いたラスパイレス指数ではなく,
1種のパーシェ指数であることである.そのうえ収購価格指数と小売物価
注10)
指数とで指数の作成法が異なる.i)小売価格総指数の場合,加重調和平
均により,比較年次の販売商品総額をウェイトとして求められる.ii)個
別小売価格指数の場合,加重算術平均により,比較年次に近い過去のある
時期(たとえば1年前)の実際販売額をウェイトとして求められる.iii)農
副産品収購公定価格指数の場合,比較年次の収購金額をウェィトとする加
重調和平均指数として求められる.そのさい,農業税および国営農場収購
金額は含まれない.iv)農副産品収購価格総指数の揚合,公定価格,協議
価格指数,超過買付価格指数を,比較年次の収購額をウェィトに加重調和
平均して導出するのであるが,実際上は基準年次およぴ比較年次の対公定
注11)
価格差を用いて計算している.
それゆえ,第5表の交易条件指数やそれにもとづいた非可視的移転額の
推計値は,あくまでも参考としてとり扱うべきものと考える.
注1)陳道主編r経済大辞典 農業経済巻』上海辞書出版社 1983年,128ペー
ジ.
注2) この点にっいては,中国国家統計局鉄大章氏の教示にもとづく.
注3)1963年以前は常住人口2,000人以上,非農業人口50%以上のものを鎮と
し,1964∼83年は常住人口3,000人以上,非農業人口70%以上,あるいは常住
人口2,500人以上3,000人未満で非農業人口85%以上を鎮とした.1984年から
再ぴ鎮の設置基準が変更され,これまでよりも行政的判断で鎮が設けられるよ
うになった.
注4)陳道主編前掲書,127∼8尽一ジ。
注5) この点も鉄大章氏の教示に負う・
注6)以下r農村社会商品小売総額」までの説明は,主として陳善林主編r商業
統計学』上海人民出版社 1985年に負う・筆者が1986年12月に上海財経学院
(現上海財経大学)を訪問したさい,陳教授は丁寧にこの問題に関連したいく
つかの質問に答えて下さった・そのうえ,筆者帰国後も補足説明を手紙にてし
70
中国における農工間資源移転:再考
て下さった.心から感謝と敬意を献げる次第である.
注7)ただし,1984年から両者は僅かであるが一致しなくなる・その原因は不
明。
注8) この点にっいて筆者が1986年秋に訪中したさい中国の関係当局・ならび
に農業経済研究者に問い合わせたところ・二の種の統計ないしは推計は中国で
はまだない,とのことであった.
注9)ただし,統計上の斉合性という点では,r農民の非農業住民に対する小売」
をどのように扱うか,という重大な問題が残っている.これは前述したように
農副産品収購総額にも含まれているが,社会商品小売総額の1構成要素なので・
当然r農村小売総額」のなかにも含まれ,ていると思われる。しかしそれがどの
程度の大きさなのか,判断するこ・とは難しい・1つの解釈は・都市自由市場取
引額は全て都市における農民の非農業住民に対する小売と解釈し・これらの数
値の差を農村自由市場における農民の非農業住民に対する小売ととることであ
る.念のために,自由市揚取引額と農民の非農業住民に対する小売額を対照さ
せてみる(下表参照・単位:億元)
19781979198019811882198319841985
i)都市自由市場取引額
一 12.0 24,0 34.0 45.2 55.9 80.3 181.0
ii)農村自由市場取引額
125.0 171.0 211。0 253.0 287.9 329.9 390.3 524,0
iii)農民の非農業住民に
対する小売
iv):iii)一i)
31.147.569.089.4110.8133.0170.029LO
31.1 35.5 45.0 55.4 65.6 77.】」 89・7 110・0
(出所)r統計年鑑』1984,86年版・
上表iv)の値の農村社会商品小売総額に対する比率は,1980年=3,8%,1985
年=4.4%であった.しかし二の数字は,農村小売額から削除され,るぺき農民
の非農業住民に対する小売額としては相当過大であるように思われる,いずれ
にせよ,将来追加的情報を得て,この面にかんする修正・あるいは再検討を行
う必要があるであろう・
注10)以下の指数の説明は,主として陳善林主編前掲書・271ぺ一ジ以下に負う・
注11)いま基準年次を0,比較年次を1とし,公定価格,協議価格,超過買付
価格をp。,Pb,p。,またそれぞれに対応する収購量をgα,%gσとすると,農副
産品収購総額指数pは
71
一橋大学研究年報経済学研究29
P
ΣPα19α1+ΣPδ19δ1+ΣPC19c1
一一
である.
Σ(寡)醐+Σ(斧)醐+Σ(鐸)醐
しかし実際上は計算の簡単化のために,
ΣPα19α1+Σ(Pひ1−Pα1)%1+Σ(PC1−Pα1)9.1
ΣPαユ9α1
P=
響+Σ(耐細+Σ(酬)ザ1拓=Σ醒
で計算している・
V.中国における農工間資源移転の計測:貯蓄余剰
第皿節で指摘した通り,A部門の貯蓄余剰はその部門の経常収支に等
しく(第(7)式),またその部門の金融資産・負債の純増にも等しかった
(第(6)式).そこで本節では推計が比較的簡単な公社部門内農家部門(以
下,公社農家部門と呼ぶ)の経常収支をまず求め,次いで同部門の他部門
に対する金融資産・負債の純増額を算出し,最後に公社農業部門の貯蓄額
を計測し,それと(部門は異なるが)農業部門の投資額の推計を行い,両
者を対照させてみる.望ましいのは,貿易余剰に対応した部門区分に従う
貯蓄余剰を推計することであるが,データ的にそうした作業は著しく因難
である.それゆえ統計上の首尾一貫性は犠牲にせざるをえなかったのであ
るが,たとえば公社農家部門の経常収支を求めれぱ,この部門が公社,あ
るいは農村部門全体に占める大きな位置からして,他の部門分割に沿った
経常収支の大きさ,ないし方向について凡その推定を行うことは不可能で
はない.
1) 公社農家部門の経常収支
経常収支の項目のうち,「貿易収支」を除いた「貿易外収支」,ならびに
72
中国におけ』る農工間資源移転;再考
r移転収支」の構成については前々節(4)式にまとめられている.以下,
公社農家部門の経常収支を推計するに当っての各項目の関連データについ
て若干コメントしておく.
a)K、.とK.。:いうまでもなく,社会主義中国において小作料としての
地代は存在しえない.農村に対する貸付金の利子の支払いはあるが・その
額自体大きくはなく,まして預金利子受取りと差引きすれば無視できる程
度である.したがってKα.=0,ないしはXαπ一Kπ・=0と置く・
b)L、、とL.、二L、.には農家部門が支払う運輸・通信サーピスが含まれ
る.たとえば農家が遠隔地の自由市場に農副産品を運ぶとき,鉄道・バス
代を支払うが,その時の運賃がここに入る.しかし,この額を推計する手
掛りはほとんど得られない.やむなく,1981年産業連関表の投入係数を用
いることにした.すなわち,(広義の)農業部門の輸送・郵便電信電話業
投入係数を一定とし,農業総生産額に掛けた.それゆえ部門にかんする不
斉合性が生ずるが,その点は無視することにした・他方,L陥(農家部門
労働力が非農家部門より受取る賃金・俸給)は,公社部門内の非農業労働
力の増大,並びに都市部門への労働移動に伴って増えてきている.これに
対応するデータはr農民労務収入」であろう・これは2種類に分かれ,農
家が社隊(郷鎮)企業より得る賃金と,サービス活動(たとえば医者)に
従事して得る賃金からなる.農村外に出稼ぎに行って得る収入も全てここ
に入るものと思われる.
c)T。.と丁犯、,o.。:民間部門における移転収支と政府補助金であるが,
T。箔は無視してもよいであろう.問題は丁雅¢(農家が受取る移転収入)で
、あるが,次のσπ、と一緒になって農家家計調査における「非生産性収入」
の一部を構成する.r非生産性収入」には集団の公益金(福利基金)や公
積金(蓄積金)からの分配も含まれているので・rその他非貸借性収入」
が丁陥十σπαに近いと思われる.
73
一橋大学研究年報 経済学研究 29
このrその他非貸借性収入」は「社会商品購買力」統計の中の「その他
収入」と異なり,現金換算した現物による移転収入も含まれる。そこで,
上記rその他収入」に比例させる形でrその他非貸借性収入」を膨ませ,
T.、十σ.。を求めることにする(第6表)・問題はこのデータが農家家計調
査によるものであろうから,少なからず上向きのパイヤスをもつ恐れがあ
ることである.
σ.αには,生産隊が国家より受取る補助金も含めなければならない。こ
れについては『貿易物価統計資料』に1983年までの数値が記載されてい
る.ただし,国家財政支出の中のr農村人民公社支援支出ならぴに各種農
業事業費」と対照させてみると,一部の年次にかんして矛盾がみられ,そ
れを修正する必要があるであろう。
d)0、.:農家部門が支払う税のうち,現物税である農業税は先に説明した
通りr農副産品収購総額」の中に含まれていた。それ以外に農家部門は金
納税として屠殺税,家蓄交易税,集市交易税などを支払う.生産隊および
家計が負担する税については『貿易物価統計資料』に1983年までにかん
して記載されている。
r貿易外収支」とr移転収支」が以上のようにして求められるとすると,
残るは当該部門のr貿易収支」(B)をどのようにして推計するか,であ
る.前項で推計した(狭義の)農業部門の貿易余剰には国営部門の収支も
含まれていたから,ここではそれをとり除かなければならない・1つの方
法は,国営部門の非農業部門とのr貿易収支」をゼロと置くことである・
その場合,前項で得た農業部門の貿易余剰はここでの農業部門貿易余剰に
一致する.この方法は一見乱暴なようであるが,それなりの合理性がある。
すなわち,農墾系国営農場の全体の純収支額をみると,.1978年までほとん
どゼ・か,ないし若干の赤字であった、1979年以降少々黒字になるが,
r社会農副産品収購総額」,あるいは(狭義の)農業部門の貿易余剰額から
74
中国における農工間資源移転;再考
第6表公社農家部門r非貸借性収入」の推計
(億元)
10.43
8.09
8.69
11,08
11.47
10。74
8.47
8.23
9.25
14.20
20.41
22.72
24.47
28.17
31.71
(37.43)
(億元)
2577 。7470。8249ユ074石40。8900£7329£4ユ石
5,32
3)「その他収入」
5
5
屯
乳
3
19
6
7
9
2
11
10
11
19
3
14
12
16
1Z
35
3λ
30
42
43
55
5α
54
49
59
87
00
12
2
¶
ム
ー
−
︶︶︶︶ ︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶ ︶
︶
9︶
5 1︶
£ 2 。7
β5701ゆつ5£870145石757石37506330
性収入」(元ノ人)
3α丘4537包生0薮363。33ふ43555銑665生45。6乞5ス6
2
3
2
3
5
4
3
3
4
5
4
6
6
6
6
6
6
6666666
1
11
22
23
︵︵ ︵ ︵︵︵︵ ︵︵︵︵︵︵︵︵︵︵ ︵
19
25
35
455
65
75
85
96
06
16
26
36
46
566
76
86
97
07
17
27
37
47
5
5
\
1)「その他非貸借 2)公社人口×1)
注) カッコ内は推計値.r公社人口」は補論Bより,1人当り「その他非貸借性収入」
のデータのない年次にかんしては,第3欄「その他収入」の増加額に同項増加額を
比例させて求めた.1985年の第1欄は,1984年のrその他非貸借性収入』と「そ
の他非生産性収入」との比を用いて推計した,
出所) 1):『光輝成就』145ぺ一ジ,『当代中国的郷村建設』中国社会科学出版社 1987年,
142ぺ一ジ。
3);『貿易物価統計資料』,13ぺ一ジ。
75
一橋大学研究年報 経済学研究 29
注1)
みてもこれら赤字,黒字額は僅かなものでしかない.
もう1つの方法は,国営農場等の農副産品収購額と,他部門からの商品
購入額を直接推計し,その差額を先の農業部門の貿易余剰から差引くこと
である,しかし,国営部門による農副産品収購額の統計は得られるものの,
他部門からの商品購入額にかんしては統計がない。そこで財政の農業関係
支出(ただし人民公社支援支出や新産品試作費は除く)ののぴと,ある種
の定性的判断をもとに推計してみる.結果は第7表に掲げられている.
同表には国営農業部門のr貿易収支」も計算されている.その表によれ
ば,1950年代は収支は黒字,以後1970年代末まで赤字になり,その後次
第に大幅な黒字になっている。これは,国営農揚の採算の動きとはやや異
っているものの,傾向としてはほぼ実態を表わしているのではなかろうか.
とはいえ,国営部門の収支推定に当っては大胆な仮定を用いており,推計
には改善の余地が大いにある.
(狭義の)農業部門の貿易余剰から国営部門の貿易余剰を差し引くこと
により公社農家部門の貿易余剰を得ることができ,それに他の経常収支推
計値を足すことにより,同部門の経常収支を求めることができる(第8表
第8欄).この表から次のような事実を見出すことができるであろう.第
1に,1962年を除き公社農家部門の経常収支は黒字であった.とはいえ,
この推計に当っては数々の仮定に立脚しており,収支額の絶対額を云々す
ることには慎重でなければならない.とくにr農民労務収入」やrその他
非貸借性収入」,とりわけ後者には部門内取引も含まれている可能性が強
く,上向きのバイヤスをもっているらしい点を強調しておく必要がある.
それはともかく,r貿易収支」の赤字を貿易外収支や移転収入により十分
補っている事実を見出すことができる.
第2に,経常収支はある種のサイクルをもって変動してきたらしいこと
である.すなわち,1960年代初めと1970年代初め,それに1976−7年に
76
中国における農工間資源移転1再考
第7表 国営農業部門貿易余剰の推計
(単位=億元)
1国営部門か 2)国営農揚等の 3)国営農業部門
一〇.03
一〇.06
︶︶︶
二一
︵︵︵
0000004424925990447751234ゆ040£1213
326114631 1324。盆生5α35 490生&生位
一 一 一一一一 一一一一一一一一一 133345
.心4名3石4.O石2。614579497£73の2ゐ4ゐ。8。6529897
91141隻11&76α生109乞a2559α1生171εa7α4黛
1111 111 1111 11111222223211222
1111 11 1111122123445568
54£3。64石心。OOρ20804331つ89ゆ洛O石名05沿OOゆ0
9114197429868。λ999隻0。1a生511676生7乞990
2
35
45
55
65
75
85
96
06
16
26
36
46
56
66
76
86
97
07
17
27
37
47
57
67
77
87
98
08
1
55
19
らの農副産品 非農業部門から 貿易余剰 4)農墾系国営
収購額. の購入 1)_2) 農揚損益額
1.65
(一)
(一)
(一)
(一)
(一)
(一)
一5以上
〃
(一)
(一)
一4余
一〇.93
3.97
6.59
2.34
7.27
10.03
7.02
8。96
注) 推計方法は以下の通り,
第1欄:農副産品収購総額のうち,r農村社隊およぴ社員からの購入」を除くrその他生産部門から
の購入」.厳密にいえばこれは国暫農場等農村内国営部門からの購入額とは若干異なる,というのは,
前者の中には都市国営企粟の附属農場等からの収購部分も含まれるからである.
第2欄:本文中にも指摘した通り,国家財政支出の中の,人民公社支援部分を除く農莱支援資金支
出額をもとに,1969−83年は1978年に収支がバランスするものと仮定して1978年の収購額(第1
欄)とその支出額の比をかけて求めた,また1958−67年については,同じく1968年に国営部門の対
非農業部門との収支がパテンスするものと仮定して求めた。1952−57年については,収支がつねにバ
テンスするものと仮定した,なお,1984,85年の上記農業支援資金支出額のデータがなかったので,
総収入に占める比を1983年のままとして求めてある.そうした国営部門の収支にかんする仮定は,
第4欄の農墾系農場における損益状況にもとづいており,それが若干マイナスになったときに他方
で他部門との物的取引の収支がパランスするものと想定している。もちろん,この損益と国営部門
の物的収支とは性諮が異なるが,損益がほぼつり合っている時に物的収支も大体パランスすると考
えることは全く不合理というわけではないであろう.
出所)1)3『統計年鑑』各年版。4);『農彙年鑑』1980年版,18−23ぺ一ジ,『光輝成就』,119−20ぺ一ジ,
およぴ農牧漁菜部編『中国農牧漁業統計資料』(以下『農牧統計資料』と略す)1985年版,濃業出
版社 1986年・133ぺ一ジより.
77
一橋大学研究年報 経済学研究 29
78
︶︶
1
1
2
4
6
ン
4
β
ゆ
。
9
ン
4
5
ン
3
8
3
2
石
5
石
4
石
8
9
5
。
0
石
ゆ
5
2
2
8
7
αα00α0α03059&85α隻91生745丘2盆0685生685
1
2
3
1
1
1
1
1
2
2
2
3
3
4
3
3
3
3
3
3
︵4
︵
9’51£’27857ゆーゆ’05887014567洛ン石洛750石3。3﹄
6)=第7表第3欄より。
7)=第2表第9欄より・
8): 1)十2)十3)一4)一5)一6)十7)。
1)= 『統計年鑑』 1986年版・
3):『貿易物価統計資料』18ぺ一ジ・
80
64
533
。75
&生0
8。36
ふふふふ5
45555
。&66
546
456
626
576
2
3
2
6
666666666
4
3
3
4
4
6
6
111
2223
4)=推計方法は本文参照,
5)=現物税の農業税以外の税。1984,85年については農業税との比率(1983年)を用いて推計.
5)=同上.
3
5910889463000008035095453
69LZL隻生盆λ乞&Lふ6。λ4。α三λ39Liふ8生8662a免隻’α
1 1 2 1 2 3 3 2 1 2 2 2 3 3 3 3 4 5 5 6 6 7 7 91
11
41
82
12
42
93
75
1
2)=第6表第2欄より・
注)
出所)
第8表公社農家部門
︶入
3);1961年値は「人民公社支援支出およぴ各種農業事菜費」.1984,85年値は推計値。
2
42
62
82
92
62
72
42
22
72
83
13
54
04
44
44
54
55
15
35
45
96
16
46
66
7
2
2
11
1112
サービス支出
補助金
収入
25
35
45
55
65
75
85
96
06
16
26
36
46
56
66
76
86
97
07
17
27
37
47
57
67
7
5
19
4)輸送・通信
3)生産隊への
2)非貸借性
農民 労務収
1
0
中国における農工聞資源移転=再考
謬蓋蹴瀦餐窯謝麗瀦嬬卸灘癒罷泓”謂脇幾
一 111233
20ユ9ユ・84ユ3ユ8364β86。86洛29579701£ゆ419。7
6
598岨8略皿噸雌雌癒。凱需鵡蠕遷濫誘幾嶽㈱
一一一一一一一一一一一
一 一 一二一 二一一一︻一二 133345
。。。。。。煮貿罷砧駕。謡葬%姐諺認。“認晶蕊
340373737424738293132323538363737363432343431333139⑳39覗48545769
5湿・0洛5石42石80ユ忍52’5石OO£28ユ9。3’7’8’7。17£ユ24
33
門経常収支
門貿易余剰
79
8)公社農家部
7)(狭義の)農業
部門貿易余剰
6)国営農業部
5)税 金
(単位=億元)
経常収支の推計
一橋大学研究年報 経済学研究 29
0
第2図 公社農家部門経常収支並ぴに純金融資産増
貿易余剰
経常収支,純金融資産増
(億元)
一300
300
一200
200
公社農家部門
レ!
農業部門貿易余剰
常収支
\
100
ズ
汽 1
一100
! 、、’
堅 x
z
ず
l\農家部門
,メ’
冨ピ︵
、》
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汽t
ノ
X監
冨篭、
O X
ソ
瞭、 〆唱x
く 純金融資産増
0
1952 1957 19621965 1970 1975 1980 1985
谷がみられる.このようなパターンは(狭義の)農業部門の貿易余剰のそ
れとはとくに1970年代以降異っている(第2図参照).貿易余剰との関係
でいえば,1970年代末までは貿易余剰の赤字が増大すると,それ’に引張ら
れて農家部門の経常余剰も減少したが(逆は逆),1970年代末から両者は
はっきりと逆の動きをするようになった.
80
中国における農工間資源移転;再考
第3に,公社農家部門において経常余剰が生まれていたとしても,その
相対的規模は大したものではない.たとえば,余剰の絶対額が最大である
1985年の狭義の農業総生産額に対する比率をとると,わずか10%余でし
かなかった.ましてそれ以前となると,1965−6年を除き10%近くに達す
ることはなかった,このことは,当該部門,あるいは農業部門全体におい
て,貯蓄余剰があったとしても僅かなものでしかなかったことを含意する・
2) 農家金融資産,負債の純増
中国の農村における金融資産は,現金を除けぱ信用合作社における預金
が主であって,ごく最近になって債券やr株式」を購入する農家が出現し,
またr標会」,r揺会」(無尽)などといった土着的な民間金融組織に預金
する農家も増えてきているが,全体からみればごく僅かなものでしかない・
金融負債にしても,信用合作社や農業銀行からの借入金が大部分である・
貧困農村を中心に政府,あるいは供銅合作社等に対する負債(たとえぱ農
業生産財購入に当っての未払い代金)があるはずであるが,その処理の仕
注2)
方やその金額については不明である.
こうしてみると,中国農村における金融資産・負債構造はきわめて単純
なことが分かるが,その信頼できるデータとなると,『貿易物価統計資料』
や『統計年鑑』以外に,各地方の『省情』などに若干あるだけである。そ
こで以下,本項では現在入手できるいくつかのデータを整理することに主
眼を置き,その種のデータを通じて中国農村の資産・負債動向を調ぺ,前
項で推計した農家部門経常収支との関係を探ることに止める,
まずはじめに,農村における預金・現金増加額と貸付・予約買付頭金増
加額とを比較してみることにする(第9表).この表には以下に述ぺるよ
うにさまざまな間題点が含まれているが,ともかくここから窺えることは,
1965年頃からほぼ恒常的に中国農村では預金・現金増加額が貸付・予約
81
第9表 農家金融資産,負債の対前年増加額
(単位=億元)
ー誹汁蝉窯濃岳蝿 麟薄緑皐醤 賠
2 1 219
0 71。
1
1 ふ
6
036。53 ふ156
33029520ユ953701593洛
7206λ5110且2Z生2。0α5310
4一
4一
2一 212一 一1
一
一
2
一1 1798905910087
増加額
1111010000。住 1 200
一一一 一
13ユ2βン洛ゆ9石。2570ゆ094ン
1 12 4弓↓ 1212一一−
7
。1
91
ユ1
27
£4
ρ軌
72
71
£6
56
9
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3鴻
15
29
。2
乳。
64
2石
53
306
1
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35
455
65
75
85
96
06
16
26
36
46
5
5
1 一 一 一 一
1
5
4
8
9
8
402
砿L
LL
ふ23
。α0
516
06
2。
100
115
α23
﹁
&αα9.34。0。ふ604,96、4,乳5aふ5&
6
575253605372
一 一 311一 1 一
LLαα6Z儀乳5。$盆α臥L6名ふ生&ふ
1一 1111一 一
一
0746995531643
0。
予約購入頭金 7)=5)一6)
+3)+4)
。6
19
5)計1)十2) 6)農業貸付・’
1)農村住民貯 2)農村住民手 3)生産隊預金 4)生産隊保有
蓄預金増加額
持現金増加額
増加額 現金増加額
7,4
7.0
23.9
0.4
22.2
4.3
9.2
0.2
18.0
9.3
8.7
4.3
−2。1
7.9
12.0
16,8
−4.8
−3,1
−0.6
9.3
2.0
1.2
22.7
33。1
−10.3
3.7
38.6
46.4
21.4
6。0
112.4
36.5
75.9
52.6
42。1
14.1
−2.3
106.5
11。4
95.1
58、5
39.1
6,4
−6。6
91,8
68.1
−50.3
−1.7
1.9
9,2
0
21.0
17.3
8.0
−2.1
21,7
16.5
5。2
49.2
20.9
97.4
127,9
20.8
26.4
28.3
76,6
101.5
晋図胃竺斗が矯H謡蹄籔賦蝋”劃瞭
出所)『貿易物価統計資料』9−10,18−19ぺ一ジより計算.
5.9
2.9
4。9
4.3
9.6
5.7
0.6
12.5
3,6
37
47
57
677
87
9S
08
18
28
38
48
5
7
oo
8.9
一橋大学研究年報 経済学研究 29
第10表農村における
−0.61
−4。67
−2.03
−1.77
0.25
−0。57
1.68
−0.58
一〇.33
1,40
4.46
8.98
3,94・
5.36
2.48
34.10
14,74
24。77
42.59
一−﹄ 一 二 一 一
一1.80
影a伍
霧器α器⑳器蕩蓋翼男髭価望器桝
α50α292Z41222535ふ生33221141710342511
︻
出所)
預金貸付農村預金農村社隊貸付
石ン糾舶。。餌⑳瀞⑲釦お甫溺£8卯駈叫㈹8。ロB刀溺緬””澗
卑5
診74
↓4B3n5揚2曙3B。慧鳳遭潟駈発卯
酪器茄器器α竃塞66塞69究発発雰莞8。艶瓢舗
19
2)山 西 省
婁㎜蠕義謹罵檎礁瑚鍛雛蕩器
1)全国・信用合作社
3)四川省.
預
金
0.6
6.2
4.8
18.4
2.0
20,3
−18.4
0.5
11.6
7.7
1.4
13.8
2.8
−11,0
7.0
1.9
36.2
44,4
21。4
1):1979年まては路建祥編『新中国信用合作発展簡史』農業出版社 1981年より;1980年以降は『統
2)=『山西統計年鑑1985』山西人民出版社 1985年,354,356ぺ一ジよウ.
3);『四川省情』四川人民出版社 1984年,639−40,649−50ぺ一ジより.
4);『遼寧省情1949−1984』遼寧省統計局 1985年,597−8ぺ一ジより。
5)=『黒竜江省情』黒竜江人民出版社 1986年,688−9,695−6ぺ一ジより。それぞれ計算して求めた,
84
中国における農工間資源移転;再考
預金・貸 付増加 (単位=1)櫛湘元,その他は千万冗)
付
省業
貸
農
金
預
遼貯
蓄
の民
農
預 金 農業貸付
農業貸付
437938ン250£4200493951652β9石ユ972
。
−畳27mα乱崎話ーヱ乞“4763α蓋u8壽舞
87167。3石石。845342石89163石26ゆ52941
窺1451101Zαα5。2L50α0&11469758
6。3ゆ石£8409613934£6927”ユ73。7。4£石
一 一 一 司 一 1 14
一 一一 一 一一一 113245
あ3£洛1。04427n⋮12ユ099。05204ユ843
5511α5ふα1α1α114,11168,381684
皿露α2“”α2齢Bスo砂U⑳鱗%B銅P∬銘α7%“α7詔%邸紹佃
85
1112・2・ふα82124ふ0。9022。乞36λ8a68&αふ16
一 11二↓11221望弓312絡↓443
。0
−一 − 一 一 12 116
計年鑑』1984年版、423ぺ一ジより・
5)黒竜江省・銀行・信用
合作社
寧
銀行・信用合作
社
一橋大学研究年報 経済学研究 29
買付頭金増加額を上回わってきたことである.その傾向は1970年代末か
ら著しくなり,農村において貯蓄余剰が定着したことを示唆している・
この表を前項でみた経常収支と対照させてみると,大体において斉合的
である.すなわち,預金・現金増加額が貸付・予約買付頭金増加額を上回
わる時には一般に経常収支も増大している(第2図参照).経常収支額と,
預金・現金増加額マイナス貸付・予約買付頭金増加額とは一致しない・そ
れは,1つには両者の間で部門のとり方が完全に一致しているわけではな
いこと,1つには(はるかに重要な原因であるが)後者は農家部門の金融資
注2)
産・負債の純増ではないこと,そして最後に後者のデータの信頼性が余り
注3)
高くないことのためである.
次に,以上の分析を補足するために,農村金融機関(農業銀行と信用合
作社)における預金増加額と貸付け増加額とを対比させてみることにする.
これらのデータは,全国レベルのものにかんしては一部の年次しか得られ
ず,長期統計系列が求められるのは一部の省に限られる・そこで不十分で
あるが,参考までにこれらのデータをみてみることにしよう(第10表参
照),
データ系列により数字の性格が異なるので単純に比較することはできな
いが,1960年代の初めと1970年代の初め,それに1976年頃に中国農村に
おいてF資金不足」が発生していたこと,そして1970年代末から一般に
(山西省や黒竜江省は異なるが)r資金過剰」に転じていること,以上の諸
点がこの表から読みとれそうである.それは先に見た農家部門の金融資
産・負債純増加額の動きともほぼ対応している.
3) 農業部門における貯蓄と投資
望ましくは,■部門の種々の部門区分に対応した貯蓄ならぴに投資額を
推計し,各種部門における貯蓄余剰を直接に計測することであるが,ここ
86
中国における農工間資源移転:再考
では推計が比較的簡単な公社部門内の狭義の農業部門における貯蓄をまず
推計し,次に農業部門全体に対する投資の動向について概観してみること
にする.
まず貯蓄の推計であるが,『統計年鑑』(1986年版)に記載されている
r農民消費」総額と農業純生産額データを軸に,部門の斉合性を保つよう
にそれらを修正して,狭義の農業部門の純生産額と消費額を求め,その差
として同部門の貯蓄額を導出することにする.具体的な推計手続きは第11
表注に委ねることにして,この推計方法について2・3コメントしておきた
い.
第1にr農民消費」の概念であるが,先述した通り,農家家計調査にも
とづくもので,きわめてラフな性格のものである.貯蓄額の推計結果から
判断すると,どうやら上向きのバイヤスをもつものと思われる.
第2に,農業純生産額の概念にかんしてであるが,農業の国民収入と同
義であり,総生産額から差引かれるr物質的消耗」のなかには生産用固定
資産に対する減価償却も含まれる.それゆえr純国民生産」に等しい.
第3に,農村内の非農業人口の消費を農民消費の中から控除するに当っ
て,前節における農村内非農業人口物的消費の推計のさい用いられた仮定,
すなわち農村内の非農業労働力のみが消費単位であり,彼らの家族は農業
人口であること,並びに労働力人口は非労働力人口の2倍消費するものと
』,
仮定している.ところで,狭義の農業部門の労働力は副業として(狭義
の)非農業部門(たとえば輸送)に従事しており,彼らの消費はそこから
の収入も充てられているはずである.したがって,農業部門の所得に比ぺ
てその消費が過大になる傾向がある。
以上のヲメントを背景にして第11表をみると,次のような事実を読み
とることができる.すなわち,1950年代を除き,中国の(狭義の)農業部
門における貯蓄自体きわめて小さなものであった.1970年代にはその部門
87
産額
ー劃汁艦毫蹄逮叢 霞尊蝉単幽 8
1
1
2
5
1 68
9
76
84
15
30
28
27
53
02
09
12
65
2
32
3
3
4
4
4
4
3
3
4
4
4
生産額
02
43
97
98
19
86
7
8
06
9
0
9
2
3
3
3
3
39
22
39
34
42
5
07
48
73
92
54
07
6
2
9
4
3
3
31
4
4
4
32
33
44
48
44
5
1
2
2
3
4
5
2
9
9
0
567
11
23
22
23
33
43
44
営工業純生
8
8
9
0
6
4
8
0
4
0
989
1
11
64
22
11
12
22
22
33
oo
Q
︶国入
部門農業純
8
6
4
8
9
1
3
4
1
5
8
3
22
38
39
37
32
45
49
36
38
49
47
49
5
25
35
455
65
75
85
96
06
16
26
36
4
5
19
業収
農民
9
8
7
5
4
2
1
4
172
44
2一
48
419
2 一
4
3
5
2
6
5
1一
一
7)公社(狭義 8)公社農業部
の)農業部門 門貯蓄額;
純生産額
4)一5)一6) 7)一3)
6)隊(村)
5)国営農業
4
2)農村内 3)農村内農業
1)農民
非農業人 人口消費額;
消費額
口消費額 1)一2)
(単位;億元)
第11表公社農業部門貯蓄額の推計
974
1,043
1,384
76
873
951
900
985
913
996
916
981
983
1,065
1,147
1,318
1,308
17442
1,572
84
1,488
1,640
82
1,737
114
1,623
1,868
83
1,941
139
1,802
2,097
2,232
213
2,019
2,481
2,732
368
2,364
2,828
出所およぴ注)
一13
21
879
6
29
903
3
41
901
一12
877
一39
961
一22
69
1,199
52
89
17299
一9
96
105
1,712
224
1,926
303
127
17904
102
193
2,221
202
334
2,431
67
46
63
出所および推計方法は次の通り,
1)=『統計年鑑』1986年版,63ぺ一ジ,
2)=r(1人当り)農民消費」,に,B−1衷の農村内非農粟人口推計値を掛けて求めた・
菱灘ll鍵融鰹撚繍雛撚鞭灘羅
お鱈鶉轍猫騰撫生産額力聯るが,それに・98痢同工業付加価鰍掛けた・こ嚇価脚(農細
民収入一村常工業を除いた農業の純生産額)1(農粟総生産額一村営工粟を除いた農業の総生産額)として求められる・
号圓π計ヰぴ藩H酷蹄瞭就撮 調蕊
1,212
46
911
一21
47
08
946
965
42
857
766
844
5く︾
41
830
一!8
898
915
787
11
oo
48
5
08
1 8
8
79
37
25
86
05
5
6
34ζ﹂6陶!
7
77陶ノ7
78
824
05
45
06
067
Q〆
135
44 5
5
5
6
4
5
72
一橋大学研究年報 経済学研究 29
の貯蓄はゼロか,むしろマイナスであったといってもよい.それでは農家
部門に貯蓄がなかったかといえぱ決してそうではない.先にみた公社部門
内農家の経常収支が示唆している通り,r貿易外収支」等により農家は,
とりわけ1970年代末以降純貯蓄を形成していたのである.
それでは同部門の投資,または資本形成はどうであろうか.その投資額
を推計できれば,たとえきわめてラフなものとはいえ,直接,貯蓄余剰
(貯蓄マィナス投資)を計測することができる.ところで,中国の農業,
あるいは農村部門における投資額を推計することは,データ的に著しく困
難である・これまで,中国の農業投資にかんする推計作業として,1950年
注5)
代にかんする石川,Chaoの業績があるが,情報が比較的豊富になった今
日でさえも,分かっているのは国営農業部門の投資(財政支出関連データ
として),農村住宅建設投資,それに農業機械等投資財,あるいは役畜等
の農業用固定資本の保有量,といった断片的数字が主である.しかし『統
計年鑑』1986年版で初めてサンプル調査にもとづく農家1戸当りの農業生
産用固定資産保有量のデータが明らかにされた.そこで,これまで以上の
大胆さでもって農業固定資産額の対前年増加額から農業投資額を推計して
みることにする(補論D参照).もとよりこれはあくまでも暫定的な計測
結果であり,将来における改善を多々待つぺきものであるが,少くとも農
業投資の趨勢にかんする大まかなイメージをつかむには十分であろう.
第3図に,この推計された農業部門粗投資と公社農家部門貯蓄の動きが
対比されている。部門のとり方が異なるので,両者の差をもって「貯蓄余
剰」とすることはできない・しかし農業部門投資が公社農家部門投資より
高目に出ていること,とりわけ1970年代以降その傾向が強いことを背景
においてみてみると,1961年頃まで公社農家部門においては貯蓄余剰があ
ったこと,しかしそれ以降1970年代末まで貯蓄不足がみられ,1981年以
後再ぴ貯蓄余剰の状態が一時的にせよ現われることになったことがこの図
90
中国における農工間資源移転=’再考
のoo①一
メ
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、、
OooO一
㍉Dr』軸
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細誓田鍛愚題翠名司無軽纂田稔課翼図吟蕪
(
沢o
9﹃咲
繊諸巽£津娯巡
1’
oぐ
、、
より読みとれそうである.これは先にみた経常収支および金融資産・負債
の純増の動きと基本的には斉合する.
注1)第2表第9欄参照・
注2) かって農民が生産隊に,生産隊が国家に負債をもつr三角債」という現
象が広範囲に中国農村に存在していた・生産隊が国家に債務を負う場合,信用
91
一橋大学研究年報 経済学研究 29
合作社からの借入れにより返済していたのか,それとも一片のr債務明細書」
の類いを国家に差し串していただけなのか,よく分からない.後者の場合,金
融負債として統計数字に出てこなくなる.
注3)第9表の農家金融資産は,「農村住民」(したがって国営農場労働者家計や
生産大隊・人民公社幹部,あるいは社隊・郷鎮企業専門労働者の家計も含まれ
る)の預金・現金と・r生産隊」(それゆえ大隊以上のレペルを含まない)の預
金・現金からなっており,部門のとり方が不斉合である.また,農家金融負債
の中には・農家が私的に行う信用合作社からの借入れは含まれていない.
注4) たとえぱ貸付・予約買付頭金増加額の数字であるが,r統計年鑑』1983年
版,453ベージに記載されているr農村社隊貸款」とr預購定金」の純増加額
の合計値と・一部の年次にかんして一致しない.
注5)Chao,Kang,(コ妙f♂αJFo7徽z!∫o伽伽Mα∫π」㈱4Ch伽¢1952−1965,Univ.
of Califomia Press3197411shikawa,Shigeru,Nα’∫o仰観1卯oo隅θ研4C砂∫翅
F・γ耀加魏ぬ翻姻Ch吻一オ%肋甥加’伽・ノ0断・弼Sずα’繍・ε,
Institute Qf Asian Economic A丘airs,1965(邦訳r中国の国民所得と資本形
成』日中経済協会 1984年)・
VI.結びに代えて
これまでの考察の結果,部門のとり方,また時期により「農業」部門の
貯蓄余剰額が変化することが分った.先に挙げた石川仮説も,そしてその
反対物であるプレオプラジェンスキーの命題も,中国のこれ’までの経験に
照らすと,ある場合と時期ヒは妥当し,他の揚合と時期には妥当しないよ
うである,とはいえ,概して農業(ないしは農家)部門が一方的に工業化
資金を提供してきたとするr通説」が基本的にまちがっていることだけは
確かである・1960年代初めから1970年代末まで農業部門はむしろ貯蓄不
足部門であったと思われる.
それでは誰が,またどの部門が工業化資金の蓄積を提供してきたのか?
ソ連の初期工業化の時代には,ミラー,エルマンらに従えばそれは主とし
92
中国における農工間資源移転=再考
注1)
て都市工業部門,そして低賃金に甘んじた工業労働者であった.このこと
は中国においても妥当するように思われる.その点を実証するために,非
農業部門の貯蓄額を計測してみることにする.ここでr非農業部門」とは
物質生産部門のなかの非農業部門を指し,広義の農業部門に含まれる農村
工業は含まないものとする(それゆえ「非農村部門」にほぼ等しい).計
測結果は第12表に掲げられている.
この表から次のような事実を指摘できよう.まず,非農業部門の貯蓄は
蓄積の大半を占め,ある年には蓄積さえも上回っている.第2に,非農業
部門の貯蓄の蓄積全体に対する比率は時期的な変動があり・1950年代で比
較的低く,1960代末から1970年代末にかけて高くなり,以後低下してい
る,このことは,農業部門の純貯蓄の動きを裏から説明するものであり,
前節でみたように,農業部門は1950年代に一般に貯蓄余剰,1960年代か
ら1970年代末にかけて貯蓄不足であったという事実と符号する.そして
第3に,非農業部門の貯蓄率(第12表の(4/1))は経済全体の蓄積率とほ
ぼ同方向に動き,ある年次には50%を越えるほど高いものであった.
こうした非農業部門の高い貯蓄額は,いうまでもなく相対的に低い同部
門の消費,とくに個人消費により可能となったのである.非農業部門の低
消費水準を生み出したのは同部門における実質賃金の停滞である.チャッ
プマンが実証したように,ソ連の実質賃金は第1次5年計画以降戦後に至
注1)
るまで長期にわたって低下,ないしは停滞していたが,中国においても同
注2)
様な現象がみられたのである.これこそがr合理的低賃金制」と呼ぱれた
中国の伝統的賃金政策の反映に他ならない.
非農業部門におけるこの低賃金を支えたものの一つが賃金財としての安
い農産物であった.1953年のr統一購入統一販売」政策の導入以後,食糧,
油料作物,綿花の市揚は成立しなくなり,価格は完全に国家の統制下に置
かれた.したがって農民からの調達価格を低く押え,他方非農業部門消費
93
一橋大学研究年報 経済学研究 29
︶費
1)非農業 2)非農業 3 社 会 消 4)非農業部 4)/5)
部門国民
門貯蓄 5)蓄積額
11 1
注) r社会消費」とは,国家行政機関,軍隊,文教衛生科学研究事菜機関,経済建設部門の事業単位,人民
団体(たとえば党)等r非生産性機構」が使用する原燃料,事務用品,図書,およぴ一般設簡の購入
等の物的消費ならぴにこれらの諸機関の建物の減耗からなる,また「蓄積」とは,一定期間内に新た
に増加した固定資産およぴ流動資産を指し,固定資本の減耗は控除されているから,固定資本および
在庫純投資に対応する。
11111111
β1
37
83
55
03
81
07
68
12
39
17
41
48
55
86
61
05
4
5
4
4
5
5
5
7
8
6
6
7
8
8
9
9
9
112445
1
11
11
11
11
22
33
34
55
出所) 1)∼3),5)はいずれも『統計年鑑』(1986年版)より.
0
8
8
8
9
3
5
9
1
4
0
5
5
5
9
0
04
33
12
69
46
2
7
0
3
3
6
9
7
6
7
6
9
3
3
4
6
3
6
2
1
11
11
34
41
1
23
43
24
67
77
78
78
10
00
42
48
11111112
忍’3£石9£91。019845152609028石37243’02613
3
4
0
4
λ
2
8
生
4
生
α
3
9
4
9
1
7
乞
4
6
2
λ
Z
1
6乳1α生765生7
5
6
7
7
7
8
9
8
9
8
9
7
8
1 1
11
11
11
9918100100
0
8
5
5
7
9
8
1
5
3
3
5
0
4
8
7
84811
3
6
9
8
1
3
7
5
0
9
9
8
6
6
7
11
11
22
35
51
1
23
43
23
66
67
78
78
ρユ
ユ0
﹂29
沸75
4 18444
1)一2)一3) (%)
6
6
4
2
7
0
3
5
1
9
1
4
3
7
7
8
1
3
4
0
3
3
0
0
1
19
16
16
27
28
22
37
37
32
36
32
31
33
34
35
36
37
39
33
46
48
40
111
94
95
4
61
73
88
76
48
60
82
17
16
44
94
81
05
91
31
56
07
07
98
1
2
30
3
3
43
4
6
8
84
5
4
5
6
7
8
7
7
8
1
2
3
4
3
5
1111111112222233
住民消費
19
25
35
455
65
75
85
96
06
16
26
36
46
566
76
86
97
07
17
27
37
47
5
5
収入
(単位:億元)
第12表 非農業部門貯蓄と蓄積
中国における農工間資源移転:再考
者には低い価格で農産物を分配することができたわけである.かくして,
低農産物価格→低賃金→低消費→高貯蓄というメカニズムが完成すること
になる.中国が食糧等の基本的農産物の国家調達・配給制と農業集団化を
1950年代に強行したのも,究極の目的はこうした蓄積メカニズムを作り上
げることにあったといえるであろう.
第12表に示されているように,1979年頃から非農業部門の貯蓄の蓄積
に対する貢献度は低下し始めるが,前節でも1970年代末から農家・農業
部門の純貯蓄が発生し始めたらしいことが示唆された.このことは,1970
年代末からは新しい蓄積メカニズムが形成されてきたことを含意する.1
つには貯蓄源が多様化し,外国部門も有力な投資資金提供主体になった.
また農村部門内部において郷鎮企業が重要な貯蓄主体として発展してきた.
農業部門それ自体,およぴ政府部門と並んで,郷鎮企業が農業部門の資本
形成に資金を提供し始めた,そして最後に,農業部門が従来の集団化・公
社化農業の拘束から脱却し,家族請負い制のもとで自力で発展できるよう
になったことも見落とすことができない.
注1)chapman,JanetG,R躍昭α8θε魏50”∫θ’1∼%s5∫αs伽oθ1928,Har−
vard Univ.Press,1963.
注2)1952年を100とすると,国有部門職員労働者の実質賃金は,1957年に
130.3になったあと1982年に130.7になるまで停滞していた。
補論A・国営農揚の人口・労働力の推計
中国の国営農揚(以下,国営林場,牧場,漁場等を総称して国営農場と
呼ぶ)は,系統別に農墾系のもの(かつて農墾部が管理していた農揚),僑
弁系のもの(帰国華僑を収容して開いた農場が主体),公安系のもの(r労
働改造」農揚など),林業系,水産系などに分かれるが,その中心は元来
が復員軍人の入植事業として始った農墾系の農揚である.データが比較的
95
一橋大学研究年報 経済学研究 29
豊富なのもこの系統の農場にかんしてである.そこで農墾系農揚の職員労
働者数と人口数をもとに全国営農場の労働者数と人口数を推計することに
する.
推計の道筋は次の通りである.まず農墾系農場職員労働者数を,非公表
年次につきr国営農林水利気象部門職員労働者数」をもとにして埋め,そ
れをふくらませて全国の国営農場職員労働者数を求める.そして最後に農
墾系農揚の人口・職員労働者比率を用いて全国営農場人口数を推計するの
である.そのさい,その比率を1959年以前はL20,1960年以後は1980年
の値2.31とした.その理由は,たとえぱ青海省の国営農揚の例が示して
いるように,1950年代の国営農場の人口構成は労働力中心であったと思わ
れるからである(『青海省情』143ぺ一ジ参照),全国の国営農場の中心地
の1つである黒竜江省の揚合,1958年には全国から約10万の転職官兵が
‘‘
大荒”(黒竜江省東北部にある広大な開拓地)開墾に赴き,1959年には
約5万の山東省青年は志願して“北大荒”に来たといわれるように(『黒
竜江省情』342ぺ一ジ),大躍進期は国営農揚人口の急増の大部分は労働力
であった.もちろん,この人口/職員労働者比率の仮定は,他の諸仮定以
上に大胆かもしれないが,われわれの情報入手状況からしてやむをえない・
以上の推計結果がA−1表に集約されている.この結果について2点補
足的コメントをつけておく.第1に,『農業年鑑』と『農村年鑑』を対照
させてみれば分かるが,国営林揚や漁揚の職員労働者のなかには固定労働
者ではない,臨時作業員(恐らくは附近の農民)も含まれている・したが
って国営農場の労働力にも農民が一部混入している可能性が大きい.しか
しその割合はそれほど大きなものではないであろう。
第2に,農墾系国営農揚の職員労働者の全てが作物栽培に従事するわけ
ではなく,第1図のB1部以外の,たとえば工業労働(B2)や運輸,商業
(B3)にも携っている(たとえぱ1984年の農墾企業2,630のうち,農揚は
96
中国における農工間資源移転=再考
A−1表 全国営農揚人口の推計
(単位:万人)
職員労働者
2)全国営農揚
職員労働者
(372)
(38.5)
(4L4)
44.1
(101.7)・
(169.1)
(262.5)
(261,8)
216.8
(226.3)
(237,1)
260.0
(298,4)
(308。0)
(346,3)
(355.1)
385.6
(410。7)
(420.5)
(437,6)
(455、4)
481.7
(496。8)
(510.5)
514.0
(
481.0
492.1
492.8
494.4
501.8
492.8
492.4
︶
︶4
︶3
︶3
︶2
︶3
︶2
︶8
︶β
︶Q
︶4
︶0
︶1
︶8
︶3
︶9︶
5︶
9︶
。︶
3︶
1︶
1︶
93
5︶
7︶
石︶
5 7ゆ098β27
35.90
(37.6)
9。
11
ふ乞
0。5
α36
Z14
隻23
λ8ー
二S
αa
6α
33
生55
4α1
9α2
α67
76a
4
5
5
5
6
6
9
1
2
936802680
︵
︵
︵
1︵
2︵
3︵
3︵
2︵
3︵
3︵
3︵
4︵
4
4︵
4
5︵
5
5︵
6
6︵
6
6︵
7 7666
6666
︵
︵
︵
︵
︵
︵
︵
︵
︵
19
25
35
45
55
65
75
85
96
06
16
26
36
46
56
66
76
86
97
07
17
27
37
47
57
67
7
5
\
1)農墾系農揚
)
’3)全国営農揚
総人口
’(59.4)
( 62.3)
( 6L6)
( 63.7)
( 68.5)
( 73.1)
(168.4)
(280。1)
(836.9)
(834.6)
(6912)
(72L4)
(755.8)
(828.8)
(951.3)
(981.8)
(1,105.1)
(1,131.9)
(1,2292)
(1,309,3)
(1,340.5)
(1,395.O)
(1,451.8)
(1,535。5)
(1,583。7)
(1,696.7)
(1,641.7)
(1,522,3)
(1,547.7)
(1,549。8)
(1,540,3)
(1,54L5)
(1,515。8)
(1,484.6)
注) ヵッコ内は推計値.1)欄の補間は,r国営農林水利気象部門職員労働者」を
X‘,農墾系農場職員労働者をy‘とすると,たとえば19品年の場合汐、のよ
ラにして行った.
(Xl9⊃3−X19認)
y且9阻=y1眼+(r皇957−y19諺)X
(X旦957−X墓9認)
それ以外の推計方法については本文参照・
出所) 1);『統計年鑑』各年版。
2)=r農村年鑑』1985,1986年版。農墾系農場総人ロは『農業年鑑』各年版よ
り,
97
一橋大学研究年報 経済学研究 29
2,048,工業企業は296,商業企業は201であった),しかしこれらr非農
業労働力」を分離することは困難である.
補論B・公社部門人口・労働力の推計
本文中にも指摘した通り(第皿節),ここでいう公社部門とは,人民公
社制度それ自体とは無関係に,中国農村における非国営部門全て(したが
って集団所有部門と個人部門)のことである.
公社部門の人口およぴ労働力にかんする公表データはB−1表第1−3欄
に掲げられている。まず人口であるが,1958,59年,1963−66年,およぴ
1970年以降について公表されているがそれ以外の年次については得られ
ない.そこで関連が深いとみられる「郷村人口」,r農民人口」および「農
業人口」を手掛りにして欠けている年次の公社人口を推計してみる・具体
的には次のようにして行った.
i)1952,57,62年の全国農業人口はそれぞれ49,191万人,54,035万人,
56,024万人であった.それらの年次にかんしては公社人口+国営農場人口
=農業人口と仮定して,A−2表で推計されている国営農揚人口を農業人口
から差し引いて公社人口とする.
ii)1953−56年については,郷村人口に公社人口は比例すると仮定し,公
社人口/郷村人口の1957年の比率0.9867を当該年次の郷村人口に掛ける・
iii)1960−62年については,1959年の公社人口/農民人口比率Lo63を当
該年次の農民人口に掛ける.なぜここで郷村人口ではなく農民人口をとっ
たのかというと,1959年と1962年にかんする上記人口比率が安定してい
るためである.
iv)1967−69年については,単純に1966−70年間の複利人口増加率を用
いて補間した。この期間の郷村人口およぴ農民人口の増加率はかなり差が
あり,どちらの系列の数値を基準にして公社人口を求めるぺきか,判断で
98
中国における農工間資源移転=再考
B−1表 公社人口・労働力
(万人)
注) カッコ内は推計値・推計方法は本文参照。1979年の公社部門農業および非農業労働力が推計値になって
いるボ,これは後者の数牢から別に推計された隊営工棊労働力数を引いたためである.『統計年鑑』,『農
粟年鑑』,およぴ『農村年鑑』の間で同一項目の数字に差がある場合は,出版年の新しい資料の数字を
採用した.
︶︶
︶︶
︶︶
︶︶
︶︶
︶︶
︶︶
︶︶
︶︶
︶︶︶︶
︶︶
︶︶
884519513
6
0
5
0
3
5
8
8
0
1
8
3
5
7
1
8
8
2
9
6
7
8
9
8
6
8
3
06
07
28
60
31
52
23
03
9
8
8
8
8
4
1
6
2
3
6
4
3
3
4
5
︵
︵
︵
︵
1︵
1︵
5︵
4︵
2︵
1︵
1︵
1︵
1︵
1︵
1︵
1︵
1︵
1︵
2︵
2︵
2︵
2︵
2︵
2︵
2︵
3 32333458
︵
︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶︶ 6
2
0
7
8
3
1
0
5
1
4
5
9
0
3
9
9
4
5
5
0
0
0
4
8
9
3
9
7
4
1
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6
9
4
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1
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1
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8
7
3
1
0
8
8
3
8
7
2
5
7
7
8
8
8
9
5
6
7
8
0
0
1
2
3
5
6
6
6
7
7
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
2
2
2
2
24
24
22
2
2
2
2
2
︵︵
︵︵
︵︵
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て、
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)
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︶︶
2
5
7
1
8
9
2
2
3
2
5173964519
3
2
9
7
1
2
6
0
8
5
5
8
5
3
6
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1
4
6
9
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5
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7
2
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9
9
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7
6
6
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6
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1
0
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0
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7
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9
9
1
1
1
1
2
2
2
2
1
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
︵︵
(
99
︶
8︶
2︶
3︶
6︶
3︶
0︶
2 7 3︶
1︶
1︶
3 3 2 2
8︶
9︶
3ヰー18925809619610
3
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2
7
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1
9
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5
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2
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1
7
3
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0
1
2
2
3
6
5
4
4
4
5
5
5
55
56
57
59
50
62
65
67
69
61
73
74
76
7
︵︵
︵︵5
︵︵5
5
︵︵
︵ 5
5
︵
︵︵
3糾555657585960616263研656667686970717273747576777879808182838485
19 52
農業労働力
︶カ
2)一3)
非農業労働力
4)公社部門
3)公社部門
公社労働
2
1)公社人口
一橋大学研究年報 経済学研究 29
きなかったためである.なお,四川省の公社人口については1967,68年の
データが得られるが(『四川省情』208ぺ一ジ),それと対照してもB−1表
1欄のこの時期にかんする数値はそれほど不合理ではない.
公社労働力については1978年以降しか公表データは得られない.そこ
でその値と『統計年鑑』に記載されている「農村集団・個人労働者数」と
の1978年における比率を求め,それを1952−77年の農村集団・個人労働
者数に掛けて求めることにした.この仮定は十分合理的であるが,上記の
比率が25年間も不変であったか否かについて問題はなくはない・
第3に公社部門の非農業労働力(社隊企業の労働力を含む)であるが,
やはり1978年以降しか公表データが得られない・そこで次のようなやり
方で推計した.
i)1952−60年:r農村集団・個人労働者数」マイナスr農業人口」マイナ
ス国営農揚労働者数(A−1表)で求めた.
ii)1961−77年:r公社人ロ」の2,2%が管理人員,文教衛生人員,商業等
従業員と仮定し,それに別箇に推計した社隊工業労働者数を加えて求めた
(C−1表参照).なお,上記2、2%は1978年の現実の比率である,
公社労働力から公社部門非農業労働力を引くと公社部門(狭義の)農業
労働力が得られる.これを公表されているr農業労働者数」とつき合わせ
てみると,十分斉合的である.
補論C・ 社隊(郷鎮)企業の生産額と労働力の推計
社隊(ないしは郷鎮)企業,とりわけ工業の発展は近年目ざましいもの
があるが,1978年以後は別にして,それ以前にこれら企業の生産額ならび
に労働力がどうであったのか,必ずしも明らかではない。その時代の中国
注1)
農村工業化にかんしてはSigurdsonやWongらの研究があるものの,当
時の資料状況からして全国範囲の信頼できる数値はこれらの研究からはほ
100
中国における農工間資源移転:再考
とんど得られ,ない.
そこで最近公表された社隊(郷鎮)企業にかんするいくつかの断片的デ
ータをもとにして,社(郷)および隊(村)営企業の生産額およぴ労働力
について推計を試みよう.当然のことながら対象年次は大躍進期以降,す
注2)
なわち1958−85年に限られる.推計は次のようにして進められた.まず
生産額であるが,
i)社隊工業総生産額について,社営工業と隊営工業とに分けて推計し,
両者を合わせて社隊工業総生産額とする.
ii)それをもとに社隊企業の総生産額を推計する.
iii)隊(または村)営企業の概念であるが,純粋に生産大隊(または村)
が経営する企業を指す揚合と,それ以下の,すなわち生産隊や個人,ある
いは最近では各種の農民協同組織が経営する企業を含む揚合がある.今日
の郷鎮企業の分類法では,a)郷営企業,b)村営企業,c)一部社員が共
同経営する協同企業,d)その他形式の協同企業,e)個人企業に分かれて
いる,c)∼e)が比較的重要になってくるのは1980年代の初め以降である
が,それ以前にも若干存在していた.そこで大胆な仮定を置きつつ,2つ
の系列の社隊企業生産額を求めることにする.
推計結果,および具体的な推計手続きについてはC−1表にまとめられて
いる.
次に社隊(郷鎮)企業の労働者数であるが,生産額以上にデータは少な
く・しかも労働者を工業とそれ以外,公社(郷)レベ:ル,生産大隊(村)
レベルとそれ以下に分類することは最近時を除いてきわめて難しい.以下
では社隊(郷鎮)企業労働力にかんする公表データを整理し,これら企業
および工業の労働力にかんして推計を試みることにする.推計結果および
推計手続きについてはC−2表にまとめられている.
C−2表の結果について一言コメントしておく.B−1表と突き合わせてみ
101
C−1表 社隊(郷鎮)企業生産額の推計
総生産額 格
3)隊(村)
営工業総生
産額
4)同当年価
格
5)社隊(郷鎮)
工業総生産額
2)+4)
6)社隊(郷 7)同(含生産
鎮≧企業総 隊,個人企業
生産額 生産額)
( 60,0)
(79,2)
0
(100.0)
(132.0)
19.8(1)
(19,6)
0
19.6)
(25.9)
19.8〔1》(2)
(20,6)
0
20.6)
(272)
一〇N
7.9ω(2)
8.6)
0
8.6)
(11.4)
4.2ω(2》
4、5)
0
4.5)
(5.9)
4.6(1)(2〕
4.9)
0
4.9)
(6.5)
5。3ω(2》
5.3)
(2、6)
7.9)
(10,4)
(7,3)
7.0)
(3。5)
10.5)
(13。9)
(10ユ)
9.6)
(4,8)
14.4)
(19.0)
(13.0)
(13.0)
26.0)
(34。3)
(19,3)
(17。3)
(17.3)
34。6)
(45.7)
(60、5)
26.6(2)
39.1(2)
46.0〔2)
54.8(2》
66.8121
(22.9)
45.8)
(38。9)
38。8(5)
(38。7)
77,6)
102(1》
(455)
47.8(5)
(47。5)
93.o)
123(1)
(53,9)
52.5(5)
(52.0)
(105。9)
141α》
(65。2)
62.2(5)
(61。2)
(126.4)
167(1)
(84,2)
82.6(5)
213ω
(22.9)
(8L6)
(165,8)
123.9121
(119.9)
119.6(5》
(117.0)
(236,9)
272(1)
175.3(2)
(168.2)
147.4(5)
(142.2)
(310.4)
(409。7)
211.9〔2)
(203、7)
170.1(5}
(165。1)
(368。8)
86,8(2)
490.6(1》
1111224
(14.0)
!憩汁峰環識抽鵡 醸藻樵虫識 8
0
(100,0)
100余(6)
4
37
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24
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44
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17
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(60。0)
60ω余
83
3 4 602471820
12
2
1
1
1
1 19
影6・器邸塞66σ爲7。窪鴛莞発
\
1)公社工業 2)同当年価
(単位二億元)
79
233.7(2》
(2282)
198。0⊂5》
(195.8)
(424.O)
543.4(Ω
558.4
80
280.5(2》
(275.1)
258.5(5》
(254,6)
(529.7)
656.7(1》
683.6
81
323.2(2)
(319。6)
277.8(5)
(275。1)
(594.7)
728。7ω
776.8
82
354.3(2)
(349.8)
304.7(5)
(299.4)
(649.2)
852.9(1》
939.2
83
413.3(3)
(408.2)
375。8(5)
(362。8)
(771,0)
1,016,7(1}
1,171。3
84
575,3ω
(576。3)
575.1〔5)
(550.5)
(1,128.8)
1,433.0(1》
1,709.9(1)
85
798,7(4》
(843.1)
960.8〔5》
(954.7)
(1,797.8)
1,987.8ω
2455.4ω
ン
(2):『統計年鑑』1983年版.
(3)1『統計年鑑』1984年版。
(4):『農牧統計資料』1985年版,『統計年鑑』1986年版,
(5)3 『統言卜年鑑』 1986年版.
一〇一
(6);徐金発主編『郷鎮企業的経営』機械工業出版社 1987年,2ページ.
注) カッコ内は推計値.推計方法は次の通り.
1):1966−69年は複利成長率による補間・1958−70年=1957年価格,1971−80年:1970年価格,1981−85年=1980年価格表示.(1)の数値と(2)
の数値は1961年以降にかんして一致するので,1958,60年値も1957年価格と解釈した.また1984,85年値は1980年価格と明記されていないが,
r農業年躍1984』によると,1980年価格の19S3年郷鎮企業工業総生産願は757.1億元とあウ,r農牧統計資料1(1985年)と一致するため,その
ように解釈した。
2)=(全国)工業総生産額(不変価格)とその当年価格表示生産額との比でデフレートして,1)を当年価格表示したもの.ただし1958,59年値
はラフな値いなので1)の値のままとした.
3):1971−79年:1970年価格,1980−85年31980年価格.
4)11958−64年:ゼ・と仮定,1965−67年:公社工業総生産頬の半分と仮定.1968−70年=公社工業総生産額と同額と仮定.以上は全て社隊工桑
の推移にかんする定性的判断にもとづく。
5);2)十4)
6);1970年代前半における5)16)の比(1.32)を用いて,5)をふくらませたもの.
7)=6)には除外されている生産隊レベル以下の生産単位による生産額を求めるため,1958−79年にかんしては6)を1.028倍した.この係数は,
1979年にかんする全てのレペルの祉隊企業総収入額と公社・大隊2級の総収入額の比より得られた(『農業年鑑』1980年版149ぺ一ギ)、1980−
83年については,上記レベルの生産額(7)∼6))がその期間複利成艮率で増大したものと仮定して補間.
丑図π竺︸が矯H囲踊鱗麟撮 調隷
出所)(1)汀蓬勃発展的郷鎮企業」(『農業年鑑』1986年版所収)
一橋大学研究年報 経済学研究 29
C−2表 社隊(郷鎮)工業労働者数の推計
1)社隊企業人 2)社営工業企 3)社営工業労働
(5.621)
(939)
(365)
( 86)
( 84)
(146)
(197)
(254)
(448)
(582)
(752)
(895)
(943)
(1,004)
(1,091)
(1,304)
1,790余
(2,241)
2,827
2,909
3,000
2,970
3,113
3,235
84
(5,208)
85
(5,825)
3,848
4152
7
1.800
(3。668)
(613)
(238)
(129)
︵︵︵︵
(198)
約
力数(万人)
56)
55)
64)
83)
(107)
(139)
(181)
(234)
(278)
(293)
(312)
(339)
(405)
(556)
(696)
828
898
842
913
950
873
4)隊営工業労働
力数(万人)
︶
︶
︶
︶
︶
︶
§
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1︶
6
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3︶
9
7︶
6︶
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3︶
3
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2︶
6。
69
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⋮ 麗
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竃
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瑠1聯
螺
(2.759)
業数(万個)
︶︶︶︶
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1
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3
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ロ 6947634165
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ロ
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16
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97
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17
27
37
47
57
677
87
98
08
1
5
19
員数(万人)
)
21.72
1,183
1,366
2171
1、328
1,454
注) ヵッコ内は推計値。ただし,1984,85年のカッコ内は村より下のレベルの企業の従業員数,推計方法
は次の通り.
1):1976年における社隊企業人員数’社隊工桑労働力数,すなわち2)ノ[3)+4)]の比(1,5325)を用
いて3)十4)をふくらませた・
2)=1螂9年;複利成長率による補間,
3)=1959−77年;1エ場=52.4人(1979年の値)として2)に掛けて求めた。
4;1958−64年=ゼロと仮定(C−1衷第4欄参照).1968−79年=3)x1.1として求めた.この係数は
1980−85年の傾向値.1965−67年=その半分と仮定して求めた.
出所) 1)の1976年は『農粟年鑑』1980年版,ぺ一ジよウ.2)の1959年は徐金発主編前掲書2ぺ一ジよ
り。それ以外は『統計年鑑』1986年版,『農粟年鑑』1986年版,および『農村年鑑』1985年版よウ.
104
中国における農工間資源移転=再考
ると分かるように,公社部門非農業労働力と社隊企業人員数が1978−81
年間はとりわけ近接している,この時期については公表データを採用して
おり,推計方法に問題があるわけではない・それではどうしてこうしたこ
とが起こるかというと,公社部門非農業労働力が,少くとも統計が多数収
集されるようになった近時,主として従事する生業によって分類されるよ
うになったものの,それ以前は社隊企業で働く兼業農家のある部分が農業
労働力としても数えられていたためであると思われる・それゆえ,統計制
度が確立していない1980年代初め以前の社隊企業人員数は実際上かなり
高目に計算されているとみてよいであろう・しかし,彼らの何%が専業で
あり,何%が兼業であるのか,区分することは現在のところ不可能である・
注1)たとえば,sigurds・n,J・n,R惚」1伽s∫吻1惚歪・励ch加7Ha四a「d
Univ.Press,1977;W・ng,Christine,“Rura11ndustrizat玉・ninthePe・Ple’s
Republic・fChina=Less・nsfr・mtheCultura1Rev・1uti・nDecade・”US・
」・intEc・n・micC・mmittee,伽碑吻’h8F・z‘γκ・伽伽珈sPa鴬1,
・9821Perkins,伽ight,et。a1.,価α」S解α〃一5嬬1伽5’7卿’hθPθ・μθ’s
R砂%δZ∫o o∫Ch∫脇,Univ,of Califomia Press,1977などを参照・
注2)社隊企業ではないが,それ以前に農村手工業が存在しており,1954年の
統計によれぱr農民で商品性手工業を兼業している従業員は1,000万入,生産
額22億元,それに農村における農民の自給性手工業と農産品の一次加工生産
額90億元を足すと,当時の全国工農業総生産額の11%を占めた.」(徐金発主
編前掲書,2ぺ一ジ)
補論D・農業投資額の推計
ここでは(狭義の)農業部門における固定資本形成の推計を行う。農業
部門の固定資本には,i)生産用建物,ii)大型農具,iii)農業機械,iv)水
利・灌概等施設,V)家畜,vi)果樹等の樹木などがあるが,データの制
約から,ここではi)∼v)のみをとり上げる.
105
一橋大学研究年報 経済学研究 29
推計の概略は次の通りである.まず,r統計年鑑』1986年版に記載され
てあるr平均1戸当り年末生産性固定資産原値」の,1984,85年額の差か
ら,1985年の(粗)投資額を求める.なお,その固定資産のなかからr工
業機械」(恐らく個人副業用と思われる)と「その他」は省いた.結果は
D−1表の通りである,このなかで「産品畜」というのは,乳牛,豚,羊等
の畜産物を生産する家畜を指す.
次に,D−1表の各項目数値に1985年の農業人口から割り出した農家戸
数を掛けることにより,全農家の固定資本形成額を求める.その次にD−1
表の各項目に対応する投資額の1985年を100とする指数を求める.1.の
役畜産品畜にはr大家畜」頭数の対前年増加量の指数を当てた.豚や羊が
無視される(より正確には,それらは大家畜と比例して増減すると仮定さ
れる)ことになるが,簡便なやり方としてこの方法をとった。将来におけ
る改善が待たれる部分の1つである.
2,の大中型鉄製木製農具にかんしてはマク・的なデータが得られない
ことから,耕種部門実質総生産額の指数を用いることにした.すなわち,
それら農具は農業のなかの耕種部門に多く使用されることは確かであるし,
その投資額は耕種部門の生産額に比例すると仮定することはあながち無理
ではない.
D−1表 1985年農家1戸当り平均固定資本粗投資
(元)
固定資産保有額
1)1984年末 2)1985年末
L役畜産品畜
290.22
339.01
1985年固定
資本投資
2)一1)
48.79
2。大中型鉄製木製農具
35。89
48,50
12.61
3.農林牧漁業機械
4.運 輸 機 械
35。28
67.65
32.37
5,生産用建物
83.00
112。84
29.04
87.87
174.33
86.46
出所)『統計年鑑』1986年版,159ページより.
106
中国における農工間資源移転:再考
3。の農業機械にかんしては,それが次にあげる運輸機械を除く全ての
機械を含むだけに,その投資額指数をr農業機械総動力数(馬力数)」の
増加量の指数で代替させたが,その仮定もそれほど不自然ではないと思わ
れる.しかし,農業機械総動力数には運輸機械の総動力数も含まれており・
またたとえばトラクターの場合,馬力数とその価格とは必ずしも比例しな
いだけに,上記の仮定は決して強い現実的裏付けのあるものではないこと
を強調しておきたい.入手可能な限りでの農業機械保有量・販売量と価格
のデータを用いて,より直接的に農業機械投資額の推計が試みられてしか
るぺきであろう.
4.の運輸機械にかんしては,r農業用トラック」台数の対前年増加量を
指数化した.他の運輸機械,たとえばrタイヤ付き大車」といった比較的
伝統的な運輸機械が無視されているので,この部分の投資額推計値は上向
きのパイヤスをもつ危険が大きい。
5.の生産用建物であるが,全くデータがないので農村における個人住
宅建設投資額で代替させた.すなわち,住宅建設投資が伸ぴれば,同じ率
で生産用建物に対する投資も増加すると仮定するわけであるが,そのこと
を確認する定性的な情報もない。この仮定では過大推計になる恐れがある
ので,他の仮定,たとえば農業生産額や畜産生産額との比率をもとに推計
した方がよかったかもしれない.
以上の諸仮定のもとに,1985年価格による農業固定資本形成総額を求
め,それを農業総生産額のデフレーター(当年価格表示の総生産額/不変
価格表示の総生産額)により当年価格に直したのがD−2表である。この
結果について2点ばかり追加的コメントをしておく。
第1点.D−1表に掲げられている項目にかんしてのみ投資額を推計した
わけであるが,rその他の固定資産」,たとえば上述した果樹などは考慮さ
れていない.しかし,上記の諸仮定から推察できるように,またD−1表
107
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−64.2
−95,5
11.8
80.4
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79.2
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11生
1
−64.8
型製
中木
−102.2
大製具
︶鉄農
−0.4
定資本形成
畜畜
役品
︶産
40.6
D−2表 農業部門固定資本形成の推計
6)X7)!100
6)合計産額デフレ
一〇〇〇
35
455
65
75
85
96
06
16
26
36
46
5
5
75.2
(単位=億元)
\
1
’8
71,3
19
7λ農業総生 8)農業部門固
3)農林牧 4)運輸機 5)生産用
漁業機械
械 建物
2
5.8
74
15.5
66.5
76
一51.1
15.2
49.4
77
一20。4
15.0
70.1
4,0
6.3
7.7
49、3
一10.8
6.2
15.1
75
10.5
84.7
65.2
55.2
10.5
87,9
65,5
57.6
10.7
50.5
65.6
33.1
10.9
82.3
65。5
53,9
72.7
2.3
16.5
63.9
9.6
15.9
108.2
67.3
79
11.6
17,7
70.0
16。2
33,4
148.9
74.9
111.5
80
11.0
17.5
58.7
28.1
56.0
171.3
82.9
142.0
82.9
210,1
87.8
184,5
87.5
227.9
89.5
203.7
47.4
111,1
280.3
91.6
256.8
51.7
140.3
362。8
94.5
342.8
55.7
1622
393。5
81
82
83
84
85
39.6
57.9
39,2
81.1
900
18.5
20.4
22.1
24,3
23.8
40.1
40.1
60.5
63.4
60.8
26.0
21.7
100.0
393.5
一〇℃
注)推計方法の概略については本文参照.ここては補足的にいくつか推計方法にかんして述べる.1)第5欄の生産用建物に対する投資額のもとになっ
た住宅建設投資であるが,入手可能なデータは1957年,およぴ1978−85年のものしか得られない(『当代郷村社会建設』137ぺ一ジ)。そこで次の
ような仮定を置いた,まず1959−61年は自然大災害期に当り,住宅建設はストップしていたであろ5・と考える・次に・1952−56年はChao推計
の1人当り農村住宅建設額を,四川省の1人当り「住宅支出」額の1954年値をもとにふくらませ,それに農村人口をかけて全国数値としたもの、
1962年値は同じく四川省の1人当り「住宅支出』をもとに,また1965年も 『統計年鑑』における「農民家庭収支り’ンプル調査」データをもとに
推計したもの。1963,64年は1962,65年間に1人当り投資額が比例的に減少すると仮定して導出・1967−77年は,1人当り投資額が1965年値のまま
不変と仮定して求めた.ii)第3,4欄の推計のもとになった農業機械総動力数と農業用トラック台数のストックの値は・一部の年次にかんしてデー
タが得られないが,複利成長率による補間によって埋めた.
モ屡一竺ま藩H囲蹄職賦貢 調隷
78
一橋大学研究年報 経済学研究 29
値がサンプル調査にもとずくことから想像されるように,その種の投資額
を含めなくとも,D−2表推計値は十分に過大推計の傾向がある.
第2点.このように推計された農業固定資本形成は,価格ウェイトの面
からいえば(狭義の)農業部門におけるそれである.しかし個別数量指数
の面からみれば農村部門全体におけるそれである.なぜなら,たとえぱ農
業機械総動力数のデータは,国営農揚や農村工業を含む全ての保有機械の
動力数の合計であるからである.貯蓄との部門斉合性を保つために,公社
農家部門の固定資本系列数値を得ることが望ましいが,それを推計するに
はさらに大胆な仮定を積み重ねる必要があり,今回の作業では断念するこ
とにした.
110