戦後50年目の大学改革と永契会

鱗
大阪大学理学部化学高分子学教室永契会
***
巻頭
1997年2月発行
言***
戦後50年目の大学改革と永契会
永契会幹事長中村晃
(高分子科学専攻、新制5回)
第二次世界大戦より、もう50年以上経過し世界の体制が変化しつつある現在、日本の各大学は競って改革に取り
組んでいます。阪大理学部ではかねてから計画していた大学院重点化が昨年より完成し、いろいろなところで新しい
状況が生れています。このなかで特に興味のあるところは、化学専攻の長谷教授に説明をしてもらいました(下記参
照)。
3年前にクラス幹事を新設し、クラス会の開催をうながしましたが、今回は各クラス幹事の方々に近況を書いても
らい、更に同窓の間のつながりを強めようと考えました。お陰様で多くの原稿が集まり世話役一同喜んでおります。
このような節目の時期にあたって卒業生の方々、是非とも新体制の阪大理学研究科を訪れて頂きたいと思っています。
化学系教室の近況について
長谷純宏
(化学専攻長、新制化14回)
平成8年度で理学部は大学院重点化が完了し、新理学研究科の組織は数学専攻、物理学専攻、化学専攻、生物科学
専攻、高分子科学専攻、宇宙地球科学専攻からなり、一方理学部は数学科、物理学科、化学科、生物学科よりなる事
となりました。化学系教室ではいろいろな面で変化がおきていますので、以下に主なところを纏めてみました。
教官はその身分が今までの学部から大学院に移りました。従って、所属は大阪大学大学院理学研究科化学専攻ま
たは高分子科学専攻となります。従来の無機及び物理化学専攻と有機化学専攻は合わさって化学専攻となりました。
また、従来の(小)講座に代わり(大)講座となり、化学専攻では無機化学講座(海崎、渡曾、馬場、久司)、物理化学
講座(松尾、笠井、山口、大野、中村(亘))、有機化学講座(長谷、小田、中筋、井畑)、学際化学講座(楠本、鈴
木)の4基幹講座に加えミクロ熱研究センター(祖採)が、さらに機能物質合成化学(高橋、植田)と無機化合物機
能学(川合)(産業科学研究所)、生体分子構造学(京極、崎山、下西、相本)(蛋白質研究所)の3協力講座が参
加しています。今年度より、併任教官として通産省大阪工業技術研究所から、連携教官としてペプチド研究所から、
それぞれ教授2名、助教授1名が参加しています。また高分子科学専攻は高分子合成・反応化学講座(蒲池、中村
(晃))、高分子構造・物性・機能論講座(寺本、森島、足立)、高分子凝集系化学講座(則末、田代)の3講座と
-1-
協力講座として情報高分子科学(高木、月原)(蛋白質研究所)が参加しています。大学院のカリキュラムが変更に
なり、従来教授のみが講義を行っていたのを講師や助教授も行うこととなり、また講義時間が大幅に増加しました。
募集定員も化学専攻で修士課程60名、博士課程30名、高分子科学専攻で修士課程24名、博士課程12名とほぼ
倍増しました。学部では、従来の化学科と高分子学科が合わさって化学科となり平成9年度の学生募集より化学科(
84名)のみとなりました。従来の化学系教室協議会に代わって、大学院では化学専攻協議会、高分子科学専攻協議
会が、学部では化学系教室協議会が開かれる事となりました。また今年度より化高事務室を元の名誉教授室に開設し、
研究室事務の一部や化高の共通事務を4名の事務職員で行っています。この様に、化学系教室は変身し、新しい局面
に向かって前進しようとしているところです。
***新研究室紹介***
物理化学の理想
化学専攻物理化学大講座
反応物理化学研究室(笠井研究室)
平成8年4月に化学科が大学院化されたのをうけて、私たち反応物理化学講座は物理化
学大講座反応物理化学研究室として衣替え致しました。メンバーは私(笠井)と大山浩助教
授、察徳七助手、岡田美智雄助手の総勢4名で、皆力を合わせて「明日の反応化学!」を
目指して歩み出しました。さて岡倉天心箸「東洋の理想」は、東洋の一隅に位置する日本
が世界の中でどのように貢献し得るかを芸術文化の中で語ったものですが、その内容は芸
術文化にとどまらず的確で洞察力に富んだものです。そこで「物理化学の理想」とは一体
何であるのか、この際、大上段にかまえて考えてみようという訳です。「物理化学の理想」
はおそらく「化学の理想」、さらに「科学の理想」に通じるに違いないでしょう。
研究の進め方には「探偵型」と「アマゾン型」の二つの方法があると言った人がいます。「探偵型」研究は論理
と推理を駆使して犯人を見つけだすタイプの研究です。例えば、分光学データーをもとに分子構造を決定する事で
す。「アマゾン型」研究も当然理論を必要としますがどちらかといえば直感と信念をたよりに、未踏のジャングル
をさまよう探検的なものです。物理科学者は応々にして、このような探検家ではなく前者の探偵であると思われが
ちです。犯人探しは確かに大切なのですが、悪くすれば事件依頼者の便利屋さんになる恐れがあります。本来の物
理化学の定義は、ハードとしての物理的手段を単に用いる化学というのではなくて、むしろ基本概念を発見するソ
フトとしての物理を根本にすえた化学であると考えます。未知の概念の発見はソフトとしての物理化学の研究目標
であり、一見法則性がまったく見い出せない未踏のジャングルをさまよう探検であるわけです。この探検こそが「
物理化学の理想」であり、かつてはそれが実行されていたと思うのですが、この意味において現在の物理化学が一
体どれだけそうであるのかわかりません。いずれにしても「物理化学の理想」は理想で終わらせてはならない理想
です。
(笠井俊夫記)
-2-
高分子合成と物性の融合を求めて
高分子科学専攻高分子構造・物性・機能論大講座
高分子機能論研究室(森島研究室)
平成8年4月に大学院重点化が実現し、従来の高分子科学5講座は高分子科学専攻として3
大講座7研究室に改組されました。平成7年4月から高分子構造・物性・機能論大講座に所属
する高分子機能論研究室の担当に変わりました。教授・森島洋太郎、助教授・四方俊幸、大学
院博士後期課程学生2名、同前期課程学生2名、学部学生5名からなる小さな研究室ですが、
国内外の6研究室と共同研究を行っておりますので、研究室の人員数の割には多くの研究プロ
ジェクトに関わっています。私たちの研究室では、主として、水の中での高分子の挙動につい
て研究しています。以下に研究テーマの幾つかをご紹介しますと、(1)両親媒性高分子の自己
mil l 1l l l l lLi
組織化(高分子の1次構造と自己組織化の様式との相関を系統的に調べ、自己組織化を制御するための分子設計指針を
確立することを目指しています)、(2)高分子電解質と荷電粒子との相互作用(高分子電解質と金属イオン、界面活性
剤ミセル、球状蛋白質などとの相互作用について蛍光法及び光散乱法を用いて研究しています)、(3)界面活性剤紐状
ミセル(界面活性剤紐状組織を分子間凝集力で構築されている動的な擬似高分子として捉え、分子組織の巨視的性質が
微視的な構造や分子運動とどのように関わっているかを解明しようとしています)、(4)鎖状高分子界面活性剤紐状組
織の分子複合体(前記の擬似高分子と共有結合高分子との超分子構造に挑戦しています)、(5)超微粒子懸濁液の粘弾
性(粒子間のポテンシャルが剛体反発のみになるような懸濁液の粘弾性を研究しています)。このように私達の研究室
では、高分子の機能を直接追い求めるのではなく、機能発現の根源となる高分子の構造と微視的及び巨視的基本物性と
の相関に焦点を絞って研究をしています。
(森島洋太郎記)
物性論としての高分子溶液学の確立をめざして
高分子科学専攻高分子擬集系科学大講座
高分子統計力学研究室(則末研究室)
大学院重点化に伴って、当高分子科学専攻(旧高分子学科)の構成は平成8年4月1日より
3大講座(7研究室)に変わり、そのうちの高分子凝集系科学大講座に属する1研究室を則末
が担当することとなった。この研究室(高分子統計力学研究室と命名)は新設であるが、現在
のところ運営、セミナー、コンパ、ハイキング等は寺本研と合同で行っている。平成8年11
月現在の研究室は中村洋助手と則末の2名の教官と11名の学生(博士2,修士5,4年生3、
中国からの短期留学生1)から成る。
中村助手は星型高分子やポリマクロモノマーなどの分岐高分子の構造と溶接物性の関連につ
いて、則末は天然多糖と高分子電解質溶液について研究を行っている。いずれも光及び小角x
線散乱、沈降、粘度、旗光度等による物理化学的実験研究が主体であるが、必要に応じて合成』
線散乱、沈降、粘度、旗光度等による物理化学的実験研究が主体であるが、必要に応じて合成や理論的研究も併せて行
っている。高分子電解質鎖の分子形状と静電的排除体積効果については、過去半世紀にわたって膨大な研究がなされて
きたにもかかわらず、我々の理解ははなはだ不満足な状況に未だ留まっている。この難問に挑戦するのは、非電解質高
分子鎖の屈曲性(あるいは逆に剛直性)と排除体積効果に関する、藤田一寺本研時代からの研究の積み重ねにより、理
論と実験両面における基盤がある程度できたからである。
(則末尚志記)
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高分子ダイナミックス研究への抱負
高分子構造物性機能論大講座
高分子物理化学教室(足立研究室)
研究の内容は、大学院重点化が行われる前の高分子物理学講座で行われていた分野に近いも
のですが、研究室名は高分子物理学から物理化学となりました。小高忠男先生の作り上げられ
隠密
た伝統を引き継いでいきたいと思っています。現在研究室には、4年生が3名と大学院生が2
名いますが、まだ過渡期で研究はまったく軌道に乗ったいない状態です。高分子のダイナミッ
クス、レオロジー、電気的物性などの研究に加えて、高分子の熱力学的性質や統計的構造につ
いても研究し、高分子溶融体や濃厚系の高分子物性を動的な側面と静的な側面の両方から研究
していきたいと考えています。
(足立桂一郎記)
高分子固体構造研究における新しい展開とは
高分子科学専攻高分子凝集系科学講座
高分子固体構造研究室(田代研究室)
平成8年3月末に退官なされた小林雅通先生の後を引き継ぎ、平成8年9月1日から高分子
固体構造研究室を担当することになった。かつて仁田研究室でスタートした合成高分子の構造
_翅
研究を発展、大成され、大阪大学における高分子固体構造論の名を世界に知らしめられた田所
宏行先生と小林雅通先生の御業績があまりにも大きく、若輩の私にそれに匹敵する仕事がどこ
までできるのか、なかなか大変であるが、なんとかがんばっていきたいと思っている。
高分子凝集系は非常に複雑である。低分子屋から見れば極めて暖昧模糊とした研究対象と感
ぜられろであろうが、合成高分子から生体高分子まで、カバーする範囲は非常に広く、かつ極
めて重要な物質群である。複雑な系であるがゆえに、挑戦しがいがあり、そして、その本質を
解明できれば、化学、物理、生物、さらには社会に及ぼす影響はこの上もなく大きい。研究室
解明できれば、化学、物理、生物、さらには社会に及ぼす影響はこの上もなく大きい。研究室でさしあたって行うべき
こととしては、この、高分子の複雑な固体構造の詳細を結晶、非晶の両方を含めた形で明らかにすることと同時に、例
えば、温度の変化や外力印加によって生じる構造変化と、それに伴って起こる物性の変化との関わりを分子レベルから
解明すること、さらには、そこから得られる様々の経験則、法則を基に、高分子の新しい姿を描き出すこと、などなど、
まったくきりがない。頭の中に色々と願望だけは飛び交うが、具体的なテーマとなると、はたと困ってしまう。個々の
高分子が示す現象にのみとらわれるのではなく、広い範囲をカバーできる新しい概念や考え方を見い出したい…方法
論としても、これまで考えもされなかった技術なり、アイデアなりを編み出したい…そんなことを考えながら、毎日
を雑用に追いまくられている昨今ではある。教授田代孝二、講師金子文俊、大学院生9名、学部学生6名の研究室であ
るが、今年から外国人数名の滞在などで忙しくなりそうである。皆様方の御支援をお願いいたします。
(田代孝二記)
-4-
***退官教授の近況***
第14回IUPAC主催:化学熱力学国際学会(大阪)
の成功に感謝して
関集
(元物性物理化学担当旧3回)
昨年の大地震で罹災、疎開生活中の5月、八十路を歩み初めました。頽齢を迎えての経験で、心身疲れやすい体調
の日々でしたが、今年初め、一昨年大阪府の御依頼で、化学に全く門外の大阪府民のための「なにわ塾対話講座(題
分子集合の世界)」が小冊子として出版され、やや元気を取戻しました。さらに本年8月に開催された表題の学会
に参加し、本当に古巣に帰ったような喜びを心底から味わうことが出来ました。
私は1967年以来、我国から最初のIUPAC化学熱力学部会の正委員を8年つとめましたが、その頃国内では、
皆様との協力で、今回の学会の中心的ホスト役の日本熱測定学会の創設に参画、いつの日か、この国際学会の我国で
の開催を夢みていました。その後菅宏名誉教授がこの委員会のメンバーになられ、今回の学会では国内組織委員長と
して祖挾教授との名コンビで非常な熱意で、これを成功に導いて下さいました。アジア地区での成功を危ぶむ声もあ
ったこの学会が、有史以来の盛会(39ケ国参加、参加者602名、発表件数529)で幕を閉じました。私は微力
で、何の役にもたちませんでしたが、多くの方々のお力で、基礎学問としての重要性がアジアでも認識され、21世
紀の地球規模の環境やエネルギー問題等にも益々貢献することを期待しています。
近況と雑感
村田一郎
(元有機反応機構論講座担当)
身体の方は、少々血圧が高い以外は至って元気に消光しています。週二日の福井工大での講義も早や五年目に入り、
毎週車窓から四季の移り変りを楽しみ乍ら通っています。ほんの数人の熱心な学生以外は、勉学には全く意欲を示さ
ず、「笛吹けど踊らず」を実感しています。どうしたら化学に興味を持たすことが出来るかと、毎年試行錯誤の繰返
しで、講義の準備には阪大の時よりも時間を掛けていますが、なかなかです。
阪大理学部の重点化も完成し、新しい制度の下で皆様研究・教育活動にお励みの事と思いますが、重点化にふさわ
しい成果を挙げられますよう祈っています。科学技術基本法も成立し、研究費も比較的潤沢になったように灰間して
いますが、研究費の大きな流れは相変わらず応用研究・目的指向研究・戦略研究に向かっているように思えてなりま
せん。応用研究の重要性は云う迄もありませんが、それと均衡の取れた基礎研究の重要性を認識し、学問を大切にす
るような国民的土壌が日本に培われるよう祈るものです。最近の理科離れも、日本の若者の学問離れの中の一現象と
して見る必要があるのでは、などと思う今日此の頃です。
-5-
近
祝
池中徳治
(元有機生物化学講座担当、1日15回)
平成元年3月、阪大を停年退職してから7年半が過ぎました。退職後、堺市泉北ニュータウンにある帝塚山学院短
期大学に再就職し、17,8歳の女子学生に、栄養化学、食品学、有機化学、現代科学、生活科学、また一時期は女
性論の講義を教えていましたが、自分の専門でない事を講義するのもつらいものです。
平成5年4月から学長に選ばれましたが、2学科しかない短大なので教授も兼任し、週3~4回の授業を受け持っ
ていますので、結構忙しい毎日を過ごしています。18歳人口の減少による大学受験者数の減少、女子学生の高学歴
志向などに対応するため、短大を4年生の帝塚山学院大学の新学部に改組する事になり、この1年半程はその計画と
申請準備に精力を使いましたが、今年9月末に文部省に申請書類を提出し受理されましたので、一息ついたところで
す。学長の任期も残り4ケ月、無事任務を全うできる事を祈っています。
近況。雑感
横山友
(元分析化学講座担当)
永契会の皆様お変わりありませんか。小生は相変わらず自ら設定した課題にマイペースで取り組んでいます。大学
のような研究機関で仕事をすることへの社会の寛容さを身にしみて感じています。持病の喘息との付き合いも長くな
り、自分で立てたスケジュールに従って毎日の生活を送るのが最善と悟りました。
今年はO-157汚染騒動が起き、相反する見解が対立しております。客観的な真理に迫る科学的アプローチの妥当性
がこれほど広く社会的に議論されるのは、近年珍しいように思われます。2年前Nature,371,478(1994)でKarl
Poppe「の科学の方法への深い洞察に接して以来、彼の著書を数冊入手して暇を見ては熟読しています。O-157汚染の
提起した問題にも彼の方法が適用できるように思われます。ちなみに彼の主張のエッセンスは、(1)理論は仮設一演
鐸的な体系であり、科学の方法は帰納的でない。(2)実験または観察によって誤りであることを確かめ得る理論だけ
科学的であると呼ぶに値する(理論の反証可能性またはテスト可能性または反駁可能性)などなどです。彼は研究の
方法そのものを研究の対象としておりました。(1996年11月)
至って元気です
泉美治
(元蛋白質研究所・蛋白質有機化学部門)
退官してはや11年あまりを経過したことになりますが、のんきな性格のためか変わることなく至って健康な毎日
を送っています。今年(97年)に出版を約束しています原稿書きに午前中は費やし、午後野菜作りや草刈り、地元
の雑用など、田舎住いのお陰で肉体労働にことかかず、散歩といったしやれたことをする余裕もありません。しかし
時代におくれてはと、週に2回半日は都会にでています。なるべく深い地下鉄の駅や百貨店の階段を上がり降りする
こともその目的の一つです。なにはともあれ私の元気さは半歩脚を開いて膳で水平に円を描くという簡単な腰の運動
のた主ものかと思っています。お心当たりの方はOBのみならず現役の方々もためしてみられてはどうですか。もし
必要ならお問い合わせください。
-6-
近頃思うこと
芝哲夫
(元天然物有機化学講座担当、旧化12回)
理学部を去ってはや9年が経とうとしている。日暮れて道遠しの感である。現在も赤堀四郎先生が創始された箕面
の財団蛋白質研究奨励会・ペプチド研究所に勤めている。若い人々に交じって、ペプチド・糖の研究の相談に乗り、
雑誌会にも参加して、研究との縁が続いているのは有難いことである。
かたわら、他の財団の仕事が増えてきた。月に平均3回上京という生活が続いている。時間的には現役時代よりも
むしろ多忙となっているが、心は至って楽しく、残り少ない時間が世のために役立つならぱと、身の幸いを思ってい
るこの頃である。関西学院大学、山田財団、内藤財団、武田杏雨書室、西宮市植物生産センターで定期的な仕事の役
目を果たしている。
老化が進む前に、書き残しておきたい書が数冊ある。3年前に、日本に化学を導入してくれた外国人化学教師ハラ
タマの書簡集を出版した。今度は化学啓蒙書を今春出版する準備を進めている。
お蔭様で、身体の方は時々の故障を除いては、総じて健康に恵まれているのを幸いとして、何とかこの世の勤めを
果たし終えたいと念じている。
1987-97
龍谷大学理工学部小泉光恵
(元産業科学研究所・合成無機材料部門)
10年一昔と申しますが、1987年阪大を去って龍谷大学に移ってからのこの10年は、阪大時代とはまた異な
った体験に富むdecadeでありました。
龍谷大学創立350周年での記念事業として企画された理工学部の設置が私を含む何人かの設置委員に与えられた
使命でしたが、幸い関係各位の御支援を得て、同学部は予定通り89年(平成元年)瀬田の地に開学しました。引き
続き大学院の設置も順調に進み、今では後期課程2年の学生が最高学年として、在学しています。
瀬田)||を東に渡って間もなくの新キャンパスには、他に社会・国際文化の両学部がありますが、建設当初から“社
会に開かれた大学”を標傍した瀬田キャンパスにとって、最も象徴的でかつ他の大学にはまれな存在はREC(Ryukoku
ExtensionCenter)という組織でありましょう。“Extension,,とは生涯学習講座・リカレント教育・産官学交流を通
じて大学が蓄積してきた知的・物的資源を積極的に広く社会に還元する活動をいい、教育と研究という2本柱の従来
の大学の活動にExtensionという第3の柱を加えようとするものです。
このユニークな全学組織が発足したのは91年のことでしたが、94年には活動の拠点となる床面積7800㎡の
RECホールが完成しました。大阪産業界の支援により設立された阪大産研での貴重な体験を活かしてこのRECの
建設と運営に心血を注いできた私にとっては、RECは大学という社会における私の第2の人生ともいうべき龍谷大
学時代のモニュメントとして、阪大への回想とともに、私の心の中に末長く生き残ることであろうと思います。
過去の回想にふけることは生来私の好むところではありませんが、“温故知新',の教えに従ってこの10年の体験
の一端を記して私の近況報告に代えさせて頂きます。
-7-
近
祝
音在清輝
(元放射化学講座担当、1日化5回)
私は神戸女子大学で多種類の講義をさせられて`忙しくしています。
然し、若い頃から「化学の眼で物理を見る」ということをモットーとし、先日の11月4日に第3番目の「自然科
学実験での信頼区間推定の桁下げ範囲法」という論文を仕上げました。
その内に学会で発表したいと思っていますので、その節には聞きに来て下さい。なかなか面白いですよ!
論文の最後に「感謝」という欄を作り、その最後に「数字5にも感謝する」と入れました。序に「煙草にも感謝す
る」と入れたかったのですが、これは諦めました。
ちかごろ思うこと
中川正澄
(元構造有機化学講座担当、1日化16回)
私が退官したのは昭和55年(1980)で、はや16年前のことになる。親しくして頂いていた同僚の先生方が
次々と御退官になり、永契会創立25周年記念植樹が見違える程に大きくなったのを見るにつけ長い年月が経過した
のを痛感する。私の在任当時から教養部の廃止、大学院大学への移行が取沙汰されていたが、昨年の科学技術基本法
の発表によりこれが文部省に留まらず政府の基本的な考え方の一環であったことが明白となった。広義の工業が変貌
を迫られていることは明らかであるが、ベンチャービジネスとの関連を前提として果たして真の学問の推進ができる
であろうか、そして真の学問の進展なくして新しい技術が産まれるであろうか、この基本計画に対する眼を覆いたく
なるような迎合的意見に対して、根本的な疑問も多く投げ掛けられている。LLangmuirがNernstの指導の下で自
然白金線による気体分子の解離の研究を行っていた時、後年の彼のガス入り電球の開発を予想したであろうか。大学
の文学部不用論さえさ>やかれていると聞く。いまこそ実利の点からのみ学問を見る伝統を払拭し、世上の純粋学問
の価値認識の向上を祈ること切である。
-化学者の祈り
菅宏
(元物性物理化学講座担当、旧化19回)
南極から輸入?された氷のオン・ザ・ロックを、一度だけ飲んだ経験がある。外見は透明だが融ける際にピシッツ
という小気味よい破裂音を出すことから、圧縮された顕微鏡大の気泡を多量に含んでいることが判る。上からの新雪
の重力で古い雪と空気は次第に圧縮されて氷となり、長時間にわたる巨大圧力は大陸棚に突き当たった底の氷を横に
押しやり、海水に落ちて流氷を作る。氷が融けて小気泡ががつぶれると、低温貯蔵されていた古代空気が蘇り、その
たび1019個ほどの構成分子が放出される。年代物であれば北京原人の肺を潜った空気と再会できるであろう。運が
良ければクレオパトラや楊貴妃と出会える。まことアボガドロ定数とは莫大な数である。かくて空気は地球上の同世
代人と共有するだけでなく、南極氷を通して限定された時期の古代人との密な遭遇を可能にするロマンを秘めている。
何世紀か後の子孫が南極氷の超精密分布から古代空気の年代と組成を調べ、20世紀の空気にどのような評価を下す
か、いささか心許ない。たとえ最悪の評価であったしても、21世紀のものには毒ガスの痕跡すら認められないとい
う評価の空気を残すことが、一化学者としての祈りを込めた願いである。
-8-
情報サービスの世界
千原秀昭
(元量子化学講座担当、1日化14回)
退官以来ほぼ6年、化学と無縁ではないにしても研究から離れて、情報サービスの仕事にとっぷりとつかっていま
す。これもなかなか興味津々で、知的好奇心をかき立てるという点では研究に勝るとも劣らぬものがあります。
いま化学や生化学の世界では何が起こっているか、これからどうなっていくかについて、自分なりに考え、どこで
どんな情報を必要とするかを洞察して対策をたてるわけです。6年前には考えられなかったような新しい技術や媒体
が情報の世界の主流になっています。いわくCD-ROM、Internet、CombinatoryChemistry等々。みなさんはこれら
新しい技術をいろいろな測定器と同様に使いこなしておられますか。Internetはほとんどの研究室で使われている
と思いますが、メールの送受信がほとんどの使いみちではないでしょうか。化学、高分子、製薬などの企業では情報
の取得に大変な投資と経常費をかけています。開発段階で、基礎研究が必要になる課題もたくさんあるようです。理
学と工学の境界はいまやなくなっていると思います。みなさんのご活躍に期待しています。化学情報のご用は化学情
報協会へどうぞ。「現代化学」2月号に最新のソフトの紹介を書きました。
近
呪
池田重良
(元分析化学講座担当)
大阪大学を離れて9年になりました。早いものです。理学部を去って京都の龍谷大学理工学部の建設の手伝いをし
ました。地域の住民の方々との環境アセスメントの話し合いから始まって、研究室の設計やら教育、研究設備の購入
計画などに明け暮れましたが、翌平成元年、学部が発足し、現在は大学院博士課程まで出来ております。学部を出て、
阪大の大学院理学研究科に進学した学生も育ちました。現在の教員の中に永契会関係の方が5人おられます。龍大で、
図書館長時代に大宮の古い図書館の奥深い、仏教書の多い中から、舎密開宗の全7巻を見つけ、その後次々と日本お
よび中国関係の、医学、本草学、数学、物理学、気象等に関する古典籍を見出したのも思い出のひとつです。その龍
大の勤めも終えて、平成7年から、立命館大学で主に軟X線および極端紫外放射光利用研究の相談にあづかっており
ます。世は基礎研究重視の時代、新しい構想の大学院大学としての益々のご発展をお祈り致します。どうかゆとりを
持って、学問としての化学を楽しんで、世界の学者を待兼山に引き寄せて下さい。永契会会員の方々の益々のご自愛
をお祈り申し上げます。
"赤堀研(亜聖会)から歯学部生化学講座(常安会)へ”
骨形成機構の研究にチャレンジ
鈴木不二男
(大阪大学・白求恩医科大学・名誉教授、
元・大阪大学歯学部生化学講座教授、新化3回)
私は1996年3月末をもって大阪大学を停年退官しました。実は私は最初、赤堀四郎、泉美治両先生の下で有
機化学の基礎を学び、続いて須田正己先生(微研、医)の門を叩き、後には竹田義朗先生(微研、医、歯)のご指導
-9-
を仰いで酵素化学および代謝調節研究の方法論を学んだ。次いでFulbright研究員としてカリフォルニア大学生化
学(BerkeleY)に、後には客員教授としてニューヨーク州立大学医学部で研鎖を積んだ。
歯学部のスタッフとなったので、歯や骨のような硬組織を相手にして生化学的にも興味深い研究ができぬものかと
考えた結果、骨は軟骨から形成されることに着目し、軟骨細胞から出発してどのような機構で骨がつくられるかとい
う謎の解明に取り組んだ。その結果、哺乳類の成長軟骨細胞の培養に成功し、この細胞が骨形成能を発見するととも
に多くのホルモンや成長因子に応答することが分かった。その後、歯学部はもとより医、理、農各学部をはじめ民間
各社研究所などの多くの若い方々が、私が設定した問題に興味を持って頂いたお陰で、軟骨由来軟骨細胞増殖制御因
子(コンドロモジュリン-1,_Ⅱ,-m)、腫瘍血管新生抑制因子、さらには軟骨細胞完全分化モデル系の研究に
まで発展させることができた。とくにコンドロモジュリンは阪大で発見された新規蛋白質であるので、今後も大事に
育てて頂き、骨.軟骨成長の制御、関節炎、骨粗霧症、さらには固形腫瘍の増殖抑制など臨床面にも結び付け得るよ
うに発展することを期待している。なお1996年7月には「日本骨代謝学会賞」''を受賞する栄誉に浴した。永契会
のますますのご発展をお祈りする次第である。
***クラス会***
長堀コロキウム
河本於兎彦
(1日5回)
我々5回生は長い間16名健在で節目毎にクラス会を開催して
来たが、平成4年~5年に島崎、宇田、阿部、竹嶋の4名が相続
いて他界、平成5年のクラス会の席上、萩原君から、この年にな
って年一回では何時逢えなくなるかも知れぬので、毎月一回開催
各人がテーマを選定、研究発表の型で懇談会とする事とし、長堀
コロキウムと命名した。これはシェルが保有している長堀コミュ
ニティビルの一室を無償で借りて頂いた事からである。そして年
一回は平成5年10月12日、萩原君の“我々とは何か”の講演
織艤
しては如何かの提案あり、しかも単なる飲食では意味がないので、
から始まり、この10月24日には27回目の会議を終り、今後
も続けて行くつもりである。目下の処は萩原、新保、於勢、木村、
河本の5名であるが、震災の時の2カ月、又台風で一回抜けただI
河本の5名であるが、震災の時の2カ月、又台風で一回抜けただけで、毎回熱心な討議を行っている。
演題は自由で、毎回6~10頁の予稿集を配布、1時間半の講義の後、30分のコーヒを飲み乍の討論、誠に楽し
い集いである。
これ以外にも年一回はほとんど全員が集まり、昼食を共にしながら世相談義やらの放談会を開催、今年も(199
6年)11月21日心斎橋の東天紅で、第1回の大庭先輩も参加され盛大に行う予定である。共に能の活性化を計り
楽しい余生を送りたいと考えている。
-10-
昭和17年9月卒業の仲間
角
戸正夫
(旧化、8回)
大東亜戦争という名の太平洋戦争がそろそろ危なくなりかけた年、
在学を半年削られ卒業式に出られない者もいた。中には入営の翌日
帰宅させられた多田氏のような幸運者もいたが、ほとんど全員が何
l鑑鍵鰯
らかの軍務に各地に散っていった。しかし誠に幸運にも一人の戦死
者もなく、入学20名中病死5名で15名がいまも健在である。昭
和22年私が最後に復員したのを期に、学友の一人、現在のサント
リ-KK会長佐治敬三氏の世話で第一回の同窓会ができた。その後
長い間は企業人も大学人も世の中すべて高度成長の波の中で我々も
働きに働き、ほっと一息ついた昭和42年になってやっとまた佐治
君の世話で第二回が開かれた。その後場所や趣向や世話人も変えな
がらとはいえ、結局は佐治君や秘書課の世話のおかげで毎年の年中
行事となり、-泊二日の同窓会を卒業後44年の今までずつと続け、
行事となり、-1/E'二日の|司窓会を卒業後44年の今までずつと続け、永契会の中でも異例の卒業年次の仲間といえよ
う。今年は角戸の15年越しの夢80億ボルトの世界一シンクロトロンの完成直前の視察を兼ねて同窓会とした。写
真は現地兵庫県の播磨科学公園センター前で、前左から佐治、富樫、後左から角戸、茨木、多田、佐藤である。
T幾
会
加藤俊
(旧9回)
T幾(チンキ)会という名は、在学中の
名幹事であった高澄達君が口ぐせのように
叫んだ「珍奇だね-/」に由来します。彼
は「太平洋上の化学に縁のある名の島にい
ます」という便りを残して戦死したため、
私が終身幹事を引き受けるはめになってし
まいました。
昭和20年代は結婚ラッシュで、誰かが
結婚するとその新居でクラス会を開き、年
数回に及ぶこともありました。その後東京;
数回に及ぶこともありました。その後東京在住者が増え、私も大阪を離れたこともあって、久しく中断していました
が、3年前に四半世紀ぶりに再開し、1年半ごとに開くことにしています。
卒業後50余年を経て、22名の卒業生中、戦死2名を含めて9名がすでに世を去り、体調を崩している者もあっ
て、今秋、蓼科温泉に集まったのはわずかに7名でしたが、亡友の夫人を準会員とし、また夫人同伴にしたので賑や
かに楽しい一夜を過ごし、翌中は晴天に恵まれて、信州の秋景を満喫しました。
写真の旧友は左から、中根・加藤力太郎・桜井・阿部・徳田・加藤俊二・森本です。
-11-
旧制11回生の欧州旅行
松井邦夫
(旧化、11回)
平成8年9月24日~10月3日にかけて予て懸案のクラス旅行を行った。参加
者は小竹宏志夫妻、山崎太郎夫妻、松井の5名(健康上の理由で数名が参加不能)。
Frankfurtに4拍。到着翌日にGicssenのLicbig博物館を見学。有名な元素分析装
置、冷却器、大きなレトルト、寵の様な過熱装置、天秤、数多くの著書等、開拓者
の苦労を思わせるものがあった。翌日HCidelbergの城の見物。第3日はWUrzburg
のMntgen記念室(大学内の教室を使用)の見学。昔の物理学教科書にのっていた
放電管、感応コイル、手動の真空ポンプ等が今直ぐにも使えるかのように整備され
|l il il I
ていた。博士自身の実験室はガラス越しにしか見れなかったが、昔の装置がそのま
まに並び、今にも博士が現れそうな感じであった。その後SieboⅡ博物館を訪れた
が展示品が日本に貸し出され、目下休館中とのこと、係員も恐縮の体。29日WarI
が展示品が日本に貸し出され、目下休館中とのこと、係員も恐縮の体。29日Warszawaへ。白タクでホテルへ着く
と松井の友人のProfKoziol夫妻の出迎え。小憩の後小雨の中を市内の案内。明日見学予定のCurie博物館の前まで
行き、その後Marktで買い物。翌日Warszawa大学、教会等見物しながらCurie博物館へ。当然のことながら研究
資料は少なく、幼時の写真、手紙等が中心の展示。午後Chopin博物館。日曜のため早く閉館。市電で帰る途中集団
スリの被害。翌日Wienへ。夜セレナーデを聞くバスツアー。次の日も昼夜ともに日本語のバスツアー。2日に
Miinchenを経て3日に大阪帰着。
この旅行ではMenの代わりにBudapcstへ行き、Veszprcm大学に滞在中の中本君と合流してクラス会を開く予
定であった。しかし治安悪化の情報と婦人の不安を考えて急蓬予定を変更した。残念ではあったが、各地を地図を頼
りに、道を聞きながら徒歩、バス、市電を乗り継いでの旅行も楽しいものであった。
旧制第16回生の2年ぶりの同窓会
槌田昭三
(旧化、16回幹事)
平成8年I0月26日(土)、震災復興の著しい神戸で、2年ぶりの同窓会を開催した。総員21名中、体調を崩
したり、止むを得ぬ所用での欠席者が6名あり、15名が参加した。東京、四国、九州などからも遠路はるばる駆け
つけてくれ、なかなかの盛会であった。~
今回は趣向を変え、メリケンパークよりでる豪華客船「ルミナス神戸」の船上での昼食と、クルージングを楽しん
だ。曇り空で、多少肌寒い生憎の天候だったが、大安吉日とあって船内での結婚式もあり、また雄大な明石海峡大橋
を間近に眺められて、皆も喜んでくれた。
正午から約2時間半のクルージングを終えたあと、さらにオリエンタルホテルの喫茶室でアフタヌーンティーを飲
みながらの歓談はいつ果てるとも知らず、時の経つのを忘れる程であった。
4時にバスで三宮へ出、駅前の「震災復興支援館フェニックスプラザ」を全員で見学して、阪神淡路大震災の記憶
を新たにした後、2年後の再会を約して現地解散した。
日頃は遠く離れて会うことも少ないが、一度顔を合わせればすぐに学生時代に戻って、心おきなく何でも話し合え
るのは、実に有難いことだ。これからもずっと、皆んな元気で続けて行きたいものである。
-12-
17回生クラス会
大須賀昭夫
(旧化、17回)
4月23日夕刻から翌24日にかけて、琵琶湖畔のビューロッジ
琵琶で、1年半ぶりのクラス会が、林君の世話で開かれた。参集し
たのは写真前列右から松村、田島、山北、八田、有元、中村、後列
右から井上、今村、安藤、吉崎、米本、木原、大須賀、寒河、林の
15名。18時半、思い思いの服装で広間に集合し、今年2月に亡
くなった福島昭三君の冥福を祈り、欠席者の近況紹介のあと開宴し
た。ビールを飲み、名物の鴨のしゃぶしゃぶと鯉のあらいを賞味し
ながら談笑し、夜のふけるまで話題は尽きなかった。最後に次回世
話係に八田君を選出して各室に別れた。
われわれのクラス会は卒業40年の節目を契機に、在学時代に気鋭の助教授としてわれわれを導いていただいた、
関集三、黒谷寿雄、中川正澄の三先生を有馬温泉古泉閣にお招きして挙行したときに、それ以後、1年~1年半の
間隔で春秋のいずれかに大阪近郊で開催することを決め、奈良、京都を経て今回が4回目にあたっている。
翌24日は来年の再会を約し、湖北海津方面と比叡山越え大原方面への2組に別れ、それぞれ例年になく遅い桜を
楽しんだ。
化学科18回卒の現況
早野和夫
(旧化、18回)
つい2~3年前までは、わがクラスは全員健在だといって自慢し
合っていたものだが、その後3人の朋友を失ってまことに淋しい。
しかし一方、大震災の被害を受けた人も今や立派な邸宅を再建した
り補修もしたりして、ますます意気軒昂といったところである。
さて今年のクラス会は、古稀を迎えた人もあり、さらに、たまた
ま世話人が伊豆に住んでいるので11月24日に伊豆長岡温泉で泊
まりがけの会合をもった。東から西から計7人が集まり、出湯につ
かりながら秀峰富士を仰ぎ、美酒と佳肴に酔った。食後はカラオケ
ではなく、わがクラスでは座談会となり、宇宙論から生命の起源、
さらにはアダムとイブのイチジクの葉について考察するなど延々と
深夜まで続いた。そのあとは、名誉教授も会社社長もみんな一つの
部屋で雑魚寝となった。
ただ遠方での開催は出席率が落ちるようだが、これもまだ現役で要職についている人が多く、時間のやり繰りがつ
ただ遠方での開催は出席率が落ちるようだが、これもまだ現役で
かないためであろう。また多`忙中出席した人も、朝食もそこそこに仕事に向い、活気さえ感じる。これらはみんな元
気の証しであり、喜ぶべきこととしなければならない。
-13-
栄光と悲しみ
佐藤良生
(旧化、19回)
私たちのクラスのこの一年のメインイベントは何といっても、花房
秀三郎君(Lockefcller大)の文化勲章と菅宏君(現近畿大)の学士
院賞受賞であろう。それぞれ、癌遺伝子および物質のガラス転移現象
についての業績によるもので、全く異なった分野での最高峰である。
一方、この栄光の陰に私たちは最近二人のクラスメートを失った。渡
瀬秀夫君と花房(旧姓井上)照子さんである。クラスで紅一点の照子さ
んは花房君の夫人で同時に無二の共同研究者であった。ご冥福を祈る。
卒業後40年を越え約半数が自由人となった。また約1/3が関東
在住で、クラス会も過半数が集うことは少ない。それでもこの一年あ
まりに、東京と大阪で計3回集まった。花房君の化学科・高分子科コロキウムでの講演を機に梅田のフレンチレスト
ランに13人集まったのがもっとも新しい。参加して久しぶりの顔に合うのは嬉しい。クラスメンバーから学会産業
界の代表をあげるとすれば、川面博司君(城西大学長)、渡辺英二君(日揮会長)。異色の転換は山辺政守君(中国語)
であろう。平均年齢66+α、旧交を再加熱する集いをこれからより多く持ちたい。皆さんの健康を祈るや切である。
1996.11.21.記
五三会のこと
福井俊郎
(大阪大学名誉教授新化、1回)
「五三会」の名付け親は亡くなった槌田龍太郎先生である。
1953年(昭和28年)卒業からきたものであるが、語
呂が良い上に卒業年を忘れないためにも都合が良い。会則
もなしで何とかやってきたが、40年余経つとそろそろ事
情が変わってきた。今年の6月に集まった時に、榊原京子
さんと私が事務担当に選ばれて、1年に1回集まること、
五三会費を保管して慶弔費に当てることなどが決められた。
新制大学発足の混乱期に育って、就職難でバラバラにな
ってしまった我々であったが、以外と仲が良い。46名の
現在会員に案内したところ41名から回答が合って、29
名が集まった。みな容姿は変わったものの、声は変わらず、 気持ちも変わらず、短い時間を惜しみながら再会を楽し
んだ。欠席者からも近況が寄せられ、残る仕事に、趣味に、 ボランティアに、それぞれ楽しくたくましく活動してい
ることがわかった。
-14-
KETION会
今中利信
(新2回)
平成8年11月22日に大阪で3年振りのKETION会を開きました。その時の写真です。
新制6回生同窓会報告
記:西尾・氏家、写真:生谷
(新6回)
一
新制6回理学部化学科の同窓会は平成7年11月
18日豊中キャンパス見学よりスタートした。
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40年振りの侍兼山。豊中キャンパスの正門から
の並木道、それに面したコンクリートの建物群は、
すべて初めての所としてしか映らなかった。上山池
の辺りまで歩くと少しずつなじみのあるたたずまい
に近づいてきた。何となく探していたのはイ号館と
称されている狼高からのシンボル的な校舎であった
が見当たらない。小高い丘の上の明るいベージュ色
の建物がそれだった。あのころは迷彩色というのか
黒褐色に塗られたままだったのでずいぶんイメージが変わっていた。然し、一歩中に入ると廊下も天井も講堂の扉に
も40年前そのままでなつかしさがいっぱいだった。イ号館隣にあったテニスコートは庭園になっているし、みどり
の芝生に赤い屋根の駐留軍住宅のあった池の向こうの丘の上もすっかり変わっていた。つくづく40年の長さを思う。
絶えず響いて来た女子学生達の吹<ブラスバンドの音に一層その感を強くした。
つづいて地学の増田教授のご案内で、理学部新築時に発見されたマチカネワニの見学をした。マチカネワニは素晴
らしかった。とくに教授の話しは化学の話しよりはるかにロマンがあり、本物の化石に触れさせていただき、われわ
れを35万年前の世界へと空想を膨らませて、なんとも楽しく、また、興奮した一時になった。増田教授ありがとう
ございました。
夜はみのお山荘で「しし鍋」をつつきながら20名のクラスメイトが酒を酌み交わし、深夜まで語り合った。すで
に多くの者は第二ステージの仕事に入っており、学生時代のイメージを残したままにそれぞれの現況報告となった。
翌日は滝まで散策して美しい盛りの紅葉を見学して、次回(平成8年)は東京または新潟辺りで行うこととして再会
を約束して解散した。
-15-
理学部化学科33年卒旅行会
武田順一
(新化、6回)
一昨年の「待ちかね紀行」に引続き、今回は和田猛郎さんの
世話で新潟村上近傍の胎内温泉で10月21~22日に、アメ
リカから卒業以来初参加の井上すみ子さんなど19名の参加を
得て、秋の温泉と味覚を堪能。過去を懐かしみつつ、未来への
展望を語り合った。
33年卒理学部化学科同期会
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化学・41年+α30周年同期会
金子舅雄・横山正明
(新高、4回)
我々41年十α卒業生は10年前から5年ごとに同期会を開い
ていたが、今年は30周年を迎えた。これまで大阪で開催してい
たので、今回は東京在住の便宜とゆっくりした時間を持ちたいと
鍵
の希望を入れて、夏の喧喋が過ぎた8月31日に熱海のシヤトー
テル赤根崎での泊り掛けの同期会となった。広島や徳島からも参
加があり、出席者は27名となった。8月31日午後、新幹線熱
海駅前でホテルへの送迎バスを待っている間も三々五々、見慣れ
た顔、なかなか思い出せない顔が集まり、バスの中から同期会は
始まっていた。ゆっくり風呂に入り浴衣姿にくつろいで夕食会が 孵零、
始まった。今回の話題の中心は最近の大学改革に伴う教養部との
合併、大学院重点化や建物…など母校の変容振りであり、大学も
合併、大字院重点化や建物…など母校の変容振りであり、大学も大変な時代を迎えていることを一同実感した。企業
にあってもリストラや転職などで落ち着かない時代であり、それらにまつわる近況報告が食事を進めながらヤジが飛
び交う中で進み、みんなの頭の中はいつの間にか30年前にタイムスリップ。別室で誰かが持参した卒業アルバムを
囲んでしばし30年昔を語り合った。後は思い思いに昔の仲良しグループで海岸を散歩するもの、部屋で酒盛りを続
けるもの、閉店で追い出されるまでカラオケを楽しむもの、明け方まで昔話しに花が咲いた。翌朝、朝風呂でスッキ
リ。9時頃とりあえず解散し、企画のゴルフコンペに参加するもの、中学校の修学旅行以来の熱海の海岸を散歩する
ものに別れて、次の35周年に思いを馳せながらホテルを後にした。やはり楽しい一時だった。
-16-
昭和48年卒業高分子、化学有志集う
尾崎幸洋
(新化、21回)
さる12月7日、昭和48年に高分子、化学科を卒業した有志が、同窓の田代孝二君が高分子科学専攻の教授に就
任したのを機会に久しぶりに集まった。この会は同君の教授就任祝賀会を兼ねたもので旧田所研、小林研の関係者の
皆様や現在の田代研の学生諸君にも大勢集まっていただいた。我々のクラスは、東大入試が中止になったときに入学
したクラスである。入学後、半年間授業がなかったこともあり、互いに議論をたたき合わせたり、一緒に自主ゼミで
勉強したりした。当時はいろいろと苦労も多かっただけに思い出話に花が咲いた。卒業後、約四半世紀が経ち、昔の
カンニングや試験前のコピー(当時は青焼きであったが)の話も出てきた。社会の中堅として活躍している皆である
が、話題となると最近の若い者は…というような内容が多かった。
同窓の田代君が阪大教授に就任されたことは何よりもうれしく心強いことである。当日は新生田代研の学生諸君の
頼もしい話を聞くこともでき、これなら母校の発展も大いに期待できると一同、力強く感じた。今回はあくまで有志の
集まりであったが、次回はできるだけ多くの同窓が集まって互いの絆を強めたいものである。
日本触媒永契会第2回ゴルフ大会
竹井一男
(新62高・H1修)
、
去る平成8年4月20日、読売ゴルフクラブ・さくらコース(西宮市、パー54)で同窓会を行いました。
このゴルフ大会は、理学部出身者の親睦を深める為、一昨年入江先輩(S47化、S49修)の音頭取りではじめられ
ました。というのも、阪大出身者の多い弊社にあって、工学部・基礎工学部に比べて理学部出身者は非常に少ない
(13人)上、勤務地が大阪東京・姫路・筑波と分散している為、同窓会を行うことがなかなか難しかったからです。
昨年は幹事(本稿筆者)の怠慢で開催することができませんでしたが、今年は8名の参加を得て、ゴルフを楽しむ
ことができました。
当日は、少々花冷えのする天候ではありましたが、寒さに負けない熱いプレーが随所に見られ、ホールアウト後の
懇親会も大いに盛り上がり、第3回大会の開催を約束して解散しました。
-17-
***
人
事***
(大阪大学大学院理学研究科化学専攻・高分子科学専攻関係)
定年退官(1995年):小高忠男教授(高分子物理学講座)
(1996年):小林雅通教授(高分子固体構造論講座)、金丸文一(産業科学研究所)
退職・転職(1996年):岡田恵次(大阪市立大学理学部教授)、森和亮(神奈川大学理学部教授)
武田定(群馬大学工学部教授)
新任教授(1995年):笠井俊夫(物理化学講座)、森島洋太郎(高分子構造・物性・機能論講座)
(1996年):足立桂一郎(高分子構造・物性・機能論講座)、則末尚志(高分子凝集系科学講座)
田代孝二(高分子凝集系科学講座)
***逝去***
湯川泰秀(1日制1回、小竹)、福井憲二(I日制3回、小竹)、三田周(旧制3回、小竹)、飯田種男(l日制3回、
仁田)、花岡正和(旧制9回、千谷)、松谷秀次郎(旧制12回、小竹)、松本光弘(|日制18回、小竹)、松井
芳樹(旧制18回、千谷)、渡瀬秀夫(旧制19回、仁田)、花房照子(I日制19回、金子)、多賀谷学(化学2回、
小竹)、油林恒夫(化学6回、仁田)、金塚文哉(真島)、梶本政治(小竹)、豊良国光氏(高分子9回、村橋)、
藤井康男(S31修・S31博、赤堀)
ご冥福を心よりお祈りいたします。
***永契会収支報告書***
1994年度(1994.3.20-1995.3.15)の会計決算は、平成7年3月17日の総会で下記のとおり承認されました。
【支出の部】
【収入の部】
前年度からの繰越金
94年度終身会費(91名)
利息
3,729,512円
総会費
100,000円
455,000円
弔費
1,750円
64,459円
計
次年度への繰越金
事務・交通費
計
4,248,971円
32,350円
134,100円
坐_LLLs-Z-l-El
1995年度(]995.3.20-1996.3.15)の会計決算は、平成8年3月18日の総会で下記のとおり承認されました。
【支出の部】
【収入の部】
前年度からの繰越金
95年度終身会費(88名)
利息
計
次年度への繰越金
4,114,871円
440,000円
総会費
100,000円
名簿原稿作成費
849,396円
56,741円
弔費
3,329円
4,611,612円
事務費
15,625円
計
旦些La型ZQ-2」=1
-18-
968,350円
***永契会からのお知らせ***
永契会会員名簿第15号が昨年秋に発行されました。誤植あるいは編集後の住所変更などでご自身の住所や勤務
先の違っている場合があるかと思います。お気付きになられました方はお知らせ下さい、またクラスのメンバーの
の住所変更など、把握なさっておられる場合も、是非ともお願いいたします。
なお、名簿をお持ちでない方には、お譲りすることができます(1冊5000円)。
***
お願
い***
同窓会会員の親睦を高めるために永契会のNEWSLETTERは卒業生全員に無料で配布しています。とは申しま
すものの、印刷代や発送代で事務局の財政はかなり危うくなっております。卒業生の方々からの心温まる積極的な
寄付を是非ともお願いいたします。-口1,000円で何口でも結構です。なお、振込は同封の振込用紙を御利用下
さい。
***編集後記***
久しぶりのNEWSLETTER発行になりました。幹事長が巻頭言に書いておられますように、今回は退官教授並び
にクラス委員全員に執筆依頼をいたしました。驚くほど数多くの方々からのお便りを頂戴し、感激いたしておりま
す。望むらくは100%の回収率で、全ての卒業年次の方々の御活躍ぶりを紹介したいと思っております。皆様方の
御協力をお願いいたします。
なお、現在の事務局のメンバーは次のとおりです。
幹事長中村晃副幹事長田代孝二
庶務四方俊幸会計長東俊二
卒業された方々にとって、大学はいつまでも心の拠りどころのひとつであると考えます。永契会を軸に、皆様方の
間で永い交流が続きますよう、願っております。
gl令
60信号印
阪大学理竺差郭化堂科、
電話06-850-5455(FF
囚LXO6-850-54
-19-