コミュニティ - 長崎西高在京同窓会

/1
『
長■西高在京同窓会ニュース
コミュニティ
第
1
0
号
1992年1○月
田お手伝い十五年狩野祐光回│日新座談会回人・クローズアップ原之夫
回先生お元気ですか森一郎回昔の仲間・今の仲間〈十回生>〈柔道部〉
回母校便り圃長崎この一年回発刊十周年回雑感衛藤精三回長崎ン者は
長崎弁で伊藤優子圃各回生'情報田告知板回幹事会画同窓会便り
索覆
|『◎1992長崎オランダ村ハウユテンボス/TOOOI.
匹里匙
EkJ・
儲;鰯:
= = = 一 言 … =
影
三
島
’│
庫 ー ー
珊
皆さん今日は長崎西高在
永野忠孝副会長︶、六回卒担当
﹄昌一己詫。一一︽ご一色幸ロトーラ一五一三﹃皇夕戸画一叩﹄己寺︼宜一唇一
平成充年総全て私か第四代
二睦咽﹄一一一一一蜂一一一酔副■巳一玉手一画ロー︾一一一配当一四︾一一一詞一一一声津︾一■〃巳﹄■︾一一一一一一■﹄一﹄ず一牢一生唖咽一一一
翌五七年は長崎市の大洪水
ぎて悪かったかなと思う事も
置かれ、重要事項の合議制が
が導入され五人の常任幹事が
会の運営基盤の整備に努力し
力避け、後輩がやり易い様に
第二年目は規約を改正し、
的負担は随分違うでしょう。
の責任を自覚してもらう方が
支も毎年独立採算制で各回卒
被害、この時も当会は組織的
しました。しかし基金が有る
会長に、七回卒古後美智子、
のが、この時初めて一挙三百
で前年前々年百人台であった
と無いとでは担当幹事の心理
この総会で選ばれればこれ
あります。この時の資料を纏
さて、昨年の規約改正によ
私共は従来の慣例は何も削ら
京同窓会総会にようこそ。
に義損金集めをしました。
ず又新しい事を始めるのを極
は興逆の時の備えにする事に
人を越しました。嬉しかった
長時代︵四回卒。同小林敬里
好ましいと判断し、本部基金
反面、以後規模拡大による慢
副会長︶となり、常任幹事制
名も決って現体制がスタート、
り今年の総会で私共は退任し、
性的な経費負担重圧に苦しむ
八回卒平井吉孝のお二人が副
会長に選ばれ、常任幹事二
皆さん方に新役員を選んで頂
事の始まりになり、頑張り過
から三年間、一○回卒藤島満
同年から第三代掛川博行会
いて引継ぐ事になりました。
年新会長、九回卒後田春紀、
ました。悩例の伝承は順送り
会長、副会長の交替を早める
とられるよ差フになりました。
が実務を処理する現状では任
事にしました。会長、副会長
めて昭和五五年、八回卒が中
担当制総会の毎年開催の維持
二回卒油屋和子両新副会長
翌五八年同窓会ニュースの
心になって名簿を発行しまへ
が前提で、その為にはひとつ
のもと新体制で運営される事
コミュニティ発刊、同窓会誌
は若年屑の組織拡大、もうひ
から約二四○万円の義損金を
流災害があり、当会は皆さん
この年は雲仙普緊岳の土石
る必要があるからです。
歳台半ばの年齢層で回転させ
期を短く、交替を早く、五○
になりますが、今迄同様皆さ
の魁でした。編集員の絶問い
在京同窓会が昭和四八年に
長崎西高在京同窓会会長
第三年目は要望により慶弔
集めて寄付しました。
とっは財政基盤作りが当面の
課題です。第一年目︵平成二
が、実施には幾多の難問があ
年会澱制導入を検討しました
通じて常任幹事会、幹事会で
狩野祐光
お手伝い一五年
んのご協力をお願いします。
第一回総会を開催してから今
年で二○年、第一九回総会を
迎えました︵五回卒担当の第
四回総会から毎年開催が続い
れない年があるようです︶・発
ていますがその前に一度開か
足時の模様はコミュニティ創
年︶は平井副会長を中心に補
なお、私共は任期三年間を
在京同窓会規約を作ろうと
任幹事に役割分担を決めて名
規程を皆さんにお図りします。
ゾしたが約一一五○名を集録
検討を始め、二年程かけて規
努力で今年記念の一○号です。
かれています。その頃は私も
し、当会名簿が充実したのは
簿を編集し、これを会員に有
刊号に森崎充介初代会長が書
一会員お客として出席してい
約を作りました。
同誰に恵まれていました。感
昭和五九年名簿改訂、約一
この時からです。
約二二○○名を集録し、約二
謝しています。
昭和五六年には三○年振り
ましたが、第五回︵昭和五三
総会の方も毎年開椛が定若
五○万円の本部基金ができま
て筆を措かせて頂きます。
当会の益々の発展を希望し
ました。
本当に皆さん有難うござい
顧みますと私は先輩、後錐、
に西高が甲子側に夏出場し、
した。名簿の有料頒布はこれ
年︶西海創立三○周年記念総
り結論に至りませんでした。
当会は東京で寄付集めに大童、
し、隔年開催論もいつか消滅、
が初めてです。総会の運営や
料領布して基金を作りました。
昭和五二年から一五年間、幹
会の担当幹事を仰せ付かつた
何しろ十日程で何千万円を集
担当時︵昭和六○、六一年︶
出席者も一三回卒、一四回卒
て本部でとも考えましたが、
コミュニティ発行の会計は全
には四百人を超え、般近は毎
回三五○人前後の盛況です。
四五○名を集録しました。
耶、常任紳事、会長と当会二
めるのですから大変でした。
たが、その代わりその時の寄
試合は一回戦で片が付きまし
付金が母校の第二グラウンド
歩いて来てしまいました。
第五回総会は第二代本田洋
○年の歴史の四分の三を供に
司会長時代︵三回卒。五回卒
−1−
昨年の総会にて改正
は本年総会にて終了
七月二十七日の幹事
本部会計ともいうべき道が、
現況と抱負
ることになります。
少しはⅢけてきたようです。
総会にて出席者の過
八月十
十七
七日
日の
の夕
夕刻
刻、
、沼袋のあるレストランに現会長・副会長と、
またま引き受けられましたが、
奉壱E一一岬一唖︹・一﹀ご音一垂祁﹄︾一一垂︾︽一理一・茸等︵配[二口・戸・︸品。u一一︾巳﹄︿一二
計を担当してきましたが、や
はり財政的な問題の解決が今
会を持続させるために、若い
後の課題と思います。それと
西圭一︼垂一■▲一一一■二一一●■一一一﹄■岬呼守一一一一︾一一夕一一一Fr■一■一画室一一一︵︾一曲■■↑■一呼一■一﹄〃■
うすれば良いか。藤蹄蒋︲と協
一◎
力してやっていこうlと思いま
す
司会ありがとうございまし
た。
司会中村政治︵十九回生︶
がりました。
を中心に大いに議論が盛り上
以外に、在京同窓会の財政策
加わり、ここに紹介した内容
コミュニティ編集委員︶譜も
三︵二十一回生/常任幹率・
ティ編集顧問︶さんと水城裕
六回生/常任幹事・コミュニ
なお当Ⅲは、浦川信彦︵十
なりました。
油催和f︵十一回生︶さんと
たもう一人の剛会災候袖が、
こ毎時点で・承定:与迩一二﹃:孝
11回生油屋和子氏
その役職を引き継がれる予定の方々に集まっていただき、今後
を達成できなくて、次の方に
私にとってこの三年間は本当
時間を作って出席するように
の人を知ることができて勉強
になりました。
狩野古後さんには、初の女
性役員を引き受けてもらって
浄 一
の在京同窓会に対する抱負を語って頂きました。
は申し訳ないという気持ちで
によかったと思います。
、庁叱い・tr
年になります。ここまて#訓
に務められたのは、本当に皆
さが出て良かったと思います。
−2−
て来量したが、皆さんにご理
ていただきました。当初思っ
解をいただいてずいぶん助け
す。しかし、少しは次の″が
二一画[]一一一一一壱一一一■■■■■エ皿一二■一歩や︾︾、垂■マン誰程一一頭”︾皿一画醐一叶一TF哩圭Ⅱ一一J■一己︸■亙一
司会それではまず狩野会艇
引き受けやすくなったかな、
ていたことの何分の一も目的
と平井・古後両副会焚に、任
とは思っています。
引き受けた以上は、何とか
期の終りに当たってのご感想
しました。おかげでいろいろ
感謝しています。他の会など
をお願いします。
と比べても、本当に西高らし
狩野私が、平井・古後両副会
平井私が任期中に主に携わ
長と共に会長を引き受けて三
さんのお陰と思っています。
会長としての立場上、先縦
8回生平井吉孝氏
司会では次に、幹事会で次
つ
7回生古後美智子氏
ったのは、新しい名簿の編集
とその広告協賛金に関するこ
一
の方々に対して、後誰の身で
ありながら失礼なことも言っ
9回生後田春紀氏
6回生狩野裕光氏
10回生藤島満年氏
き若あ期IIハまの在も今襲たままれ会
る返り三さす方京ら後しこですた長
とりま年れ・に東わはてとの。こ力
思をすした西会商な若いは会狩と↓
い続のと可i蔚及もけいき、長野はろ
まけでい会はが今れ人た良ささ、↓
すて、う長、交年ぱたいいんん皆ろ
。行今会・狩代かなちと伝がをがの
座談会
こまが会会る十ま活しいとかめ謝で島
〈後則副野すらりに思統築含感而藤
とすす長長と一せMIIかましれ、し砺
がまでのがIJIIHんししすててこて|脚│狩
ですに任提き生・て、。踏きれいさ野
︽﹃︽・﹂
一
一一ヘ
ーL
可
⋮⋮⋮.原さん徳銅版画を制作さ
れるそうですが、変わった技
してください。
法とのことですので少し説明
原普通銅版画というと皆さ
ですが、私は﹁メゾチント﹂
んエッチングと思われるよう
と呼ばれている手法で制作し
ア語でしょうが、﹁メゾ﹂とい
ます。これはおそらくイタリ
うのは、メゾソプラノとかメ
ゾフォルテという音楽用語で
使われる愈味と同じだと思い
った程度の意味でしょうね。
ます。つまり﹁中間の﹂とい
そして﹁チント﹂の方は、英
語の﹁トーン﹂のことでしょ
に細やかに表現できる手法な
う。つまり機淡の調子を非常
写真ではわかりにくいかも
んです。
知れませんが、この暗い部分
が微妙に違った調子になって
医療器械の綜合商社
いわしや
株式会社成紀器械店
代表取締役小林敬里(4回卒)
東京都板橋区若木2−2−60(03)3934-7730㈹工場丑(03)3934-6263
●ブロフィ・⋮.ル西高から佐賀大学教育学部特設美術科
に進む。大学二年を修了後中退して上京。以来美術作家と
の交流を続け、﹁日本・アジア・アフリカ・ラテンアメリカ
しての道を歩む。創作活動の傍ら、第三世界の美術作家と
美術家会議﹂の創設に参加し、現在も同会議の運営に関与。
油絵をはじめ多彩な手法に挑戦し、現在は銅版画に新境地
を確立。今年の八月長崎﹁アートギャラリー浜せん﹂で、
にて銅版画展を開く。
﹃
−3−
また十月十三日から二十四日まで、銀座一丁目司巷房画廊L
L
雷琴顧銅剰識雪I︾星癖
( 回生:
原之夫
=
剰
麗匙
糾
爽餓溌洲蝦鯉測驚メ雛蕊<隣瀞原§て:|雛
淡る際〈、にて今真言L抑の凹ブにゾいに少ねそ液にたにエな何暗碓作の
がんになそは行度黒わとし状凸ラ硬チのはの。ののキよアツ感かいか品力
表ではりのイ〈はなれか付態面シいンで線濃腐凹中ズうスチじ暗部にをわ
現すつま部ンん、面る司けでをの特I、す画淡食部にをなフンが闇分、見力
でがぶす分クでそにん漆るイつよ殊は。とはのに入つもアグあにへ暗せり
き、し・のがすのなで黒とンくう銅、し出さイれけのルとり引のいてま
るそた出入ね凹りすのミクリなでまてませンててを卜いまき変部もす
訳れり来り・凸まが美ビをまもでずのす方ク腐、塗をうす込化分ら力
でで削上ます面す、しp流すのき銅雰がにを食銅つ溶のねまがかう?
す微つがせるを。いさ’し・でた板囲、よ入さ板て剤は。れあら、-〆へ
。妙たりんとつそわレドても細ワに気韮つれせを、で、るつさ実
蕊曾て認&原謝灘緋|娃脈z賎:で淵カミ藤原鰐’
な、り原ん主う私してさ歴、彩奨・しし版としilや何もてな銅めたいに、よ
:雌撫撰購溌?鯉溌競撚嬉臓職&協幹や灘舟
漉蕊蝋鋤:;黙難識輔職滅戦鯉
鮭鶴鰯熱蝿憲避職癖耀譜噌k
そル糊ヒザ瀧鳶隣噸施灘│』師:諏蕊I圭灘営鮭
はいけないものではないか、
,という気がします。
西高はユニークな
しIll授はでちあてのスいた諌ときり'I'は|〃lまニがあかん
ての業あ、らり、作ぺえこ¥ににしか、気たl、ま。の
1..ijl中りあかま西家イぱと刑な、てけ美の生ク西り西
たでにままとし高のン、を務り文いも術学徒な,断勉高
こ空学せりいた文短語英覚所、芸まち部校を先は強時
とを校ん友う°学編も語えま印部しでにで大生今も代
も眺をで達とにを堪のてで刷でた文いし事が恩しI‐
あめ抜しと内載翻能佐い校を詩・芸またに居いまこ
りてけたのにせ訳で藤ま正出集三部しねすら出せ力
先生が多く、
。と、、い方どもれン、うけたこと入途IHJ弊、ユたはたさ
いい学校 でした
雷ゼ塵:私些灘測i荊職ボ三賊挫原ギ|
たってにあるはとくイがそかいすの|ハ、年いしもし私し原
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草画■■■■■■■凹一轟由辛辛一軍鈷毒一℃一鋸一画■﹄一一口唖年唖岬一曲︾︷岬一一酉■●ぬ︽一﹄■L︾手宅曇干酔︷二匹﹃牢一■皇呼号︾
た︲とのこ‘とですが、当時︲とし
て珍しい進路では?
実は長崎大学の教育学部に行
原そうですね。私としては
ちょうどその頃佐闘大
いと思っていました。し
するための特設美術科という
学に高校の美術教師を養成
の披任だった林川先生に、受
のが設立されて、三年のとき
験を薦められたのです。
今にして思えば、主任教授
の東光会の岡家である石水秀
雄先生と出会い、非附に可愛
行って良かったですね。
がっていただいて、佐斑火に
石本先生は、美術教育に広
い観点をもっておられる方で
した。学生にも自由にやらせ
になるときに、芸大受験を側
てくれましたし、私が三年生
笑に大学を辞めて上京しよう
くれました。
としたときも、強く励まして
l上京後は、美術作家の道
k流緋域雄原榊|溌胤卜そ縄窪肺勢サ殆繍鮒原寵
げ誌イ『展とい先徒西かと本りれで年い、加いン美禰mカア交に家まもそま
た而りに〈た生で高あうHまて、ほまな粉まナ術動設美・流、のすいうれ
いを雌来にだ方は時りごはす作タビすかのすI館はに術アを第羽・ろでた
と借いて、いにあ代まざお・品イ前よな作・レで一も家うめ三生一いすの
恩りとい塚てはりはしい忙をのに・かIllI無と隔九参会りざ世一九ろねて
篭蕊塞難諜織蕊
。
都市を考え建築を創を
集団です‘
東京/東京都東池袋2-18-7石川ビル3階〒170
TEL03-5992-1673FAX03-5992-1895
名古屋/名古屋市東区東桜1-10-11神楽町ビル〒45言
TEL052-951-8668
仙台/仙台市木町通2-2-8第六ダイワビル〒980
TEL022-274-0188
湘釧
長崎事務所を開設しました。よろしくお願いします
都市造景研究所
松山/松山市西長戸2-5-23〒791
TEL0889-23-7233
高知/高知市南宝永町10-10〒78’
第16回卒浦田信彦
−4−
TEL022-274-0188
︽
せ髪︶、よ当っ
ああ、夕陽の山に
ヌ1
、鷺
一
きのばされ、﹁逃亡につき唯今
送され、障人、社会奉仕家な
たしかⅡ暇の朝九時頃から放
というのだった。その番組は、
れた板橋アナウンサーである
を掲げた人々﹂を担当させら
に入った。一番の秀逸は﹁光
の翌日、教師たちの反響が耳
生たちを配していた。文化祭
に担当アナウンサーとして先
夜までの時間樵に並べ、各々
テレビはなかった︶を刺から
ジオの人気番組︵まだ日本に
横に長い模造紙に、当時のラ
た。展示室の壁に張出された、
たので怒るわけにいかなかっ
部も似たようなことをしてい
私の指導の下にあった社会
ある。
不気味な出来ばえだったので
注の真実感を保証するに足る
写典は、当人の私が見ても、
ていた。何より悪いことには、
手配中﹂という注がつけられ
坊主刈りの顔写真力大きく9
逃亡手配中?
私が
た者はいなかったのである。
元長崎一西高教諭
森一郎
ズ
ー
も、本気で煙の害など心配し
元気ですか
一一一一一‐
[
、
をへだてて処﹃て←た三菱製
い煙が西高の方へなびくこと
があったが、ある日、それを
眺めていた先生の頭脳に閃く
ものがあったにちがいない。
西商の教職員、生徒は煙に迷
惑しているし仙康への影聯も
に褐戦され、公害問題のはし
心配されるという投書が新聞
かん
りとして会社を震憾させるこ
鋼所側の反論が救った。﹁私た
とに唾った。三日ほど後、製
ちは休憩時間には庭に出て深
呼吸などしているが、雛一人
そのため病気になった者はい
ない。煙は無害である。現に
西商の周りの樹木は、緑に輝
多分、何人かが、こっそり
いているではないか﹂
西商の遅刻坂附近までしのび
より、松だの楠だのを調べた
ちら
のだろう、などと一司って私た
、にいかが見、儀い球の、、張た地’11雑
鋼所から、風向き次第では薄
?
に小泉先生を除いて恐らく誰
私置うつ正て普は品儀航コパ紙・学光な
のか仕が確い通古がな海ロスを未部II冊活
一︾“一一口︾畢畔畢一吾匪壬唖一一型里碑酔一一宮Ⅱ一Ⅱ■︾岬田酷郵■一︾印画二色正山■画一唾睦牢伊一画凸碑酔咋■■↑
教育にかかわりつづけている。
勤めてから今年で四十三年間
現職教師として考えたり発言
したりすることも多いのだが、
す
ちは笑い合った。不堺なこと
−5−
その場合いつも、良し悪しは
別として、二つの原体験が愈
識の底で動くのを感じる。
一つは太平洋戦争中に生徒
として過ごした旧制高校体験
であり、もう一つは、戦後、
新制商校発足時の教師体験で
る時代のことで、現在の若い
ある。今になると歴史に脇す
教師や生徒には理解しがたい
し、私もほとんど話すことは
ない。きびしく選ばれた集団
と遊びについて独特の文化を
であった旧制高校生は、勉学
作りあげていた。職後の西商
生たちは、それほどではなか
ったがやはり選ばれた者であ
り、施前まで存在していて消
滅した前者の伝統を受け継ご
れ組れにたの〈並ど中ンツ出成は先気
るそみた拙者もひぺと、プ’し年ユ生にそ
こしにこかものどらい船スルた者二をあの
とてなとれ、て、〈れうにがが地入1噸ふ頃
にどつにてア、汚て、つ新使学場ク問れの
なうて気いメ珍れいいん大つ部禁なにて文
つしいがるりしてたかで陸た教止発いい化
たてたつの力がい。がい発顕室と表たて祭
のそ。〈で大つた地わた見微にL,をだ、も
かこと、陸てが球し地へ鏡はうし〈林機
先
生
お
に紳しの時よの教いでゆと期勤昭途樹生う生るう
は士クて『jlのう上師てある思化のめ和1!>もがなしとしと
投でりみか西葱にももつ分うしあた四で例全新と雰かし
書あスよら高解は生統た野につれが十抜外国しい囲した
のつチう、に放何徒制のに昭つこ、七けで的いう気、の
趣たヤ。ほ数感にもはでお和あれそ年たはにソ歌は昭は
味英ンん多をも、箸あいこつはの三六な作フに変和当
が語でのい楽戦自しるて十た、頃月年かり|、象り三然
あのダ−エしつ分〈・特年・す、まmiつ出な徴司+て
つ小ン部ピんてた弱教殊代で西でをたさ型さ高年あ
た泉デをソだいち〈青なはに高西除・れのれ校代−,
.先イ紹1.なのなに時あ伝刺高い私、高る三にた
川生な介ド当い頭りお代ら説設にては西校よ年な
幸今
鰯菖
ぞいたの時か余奥こど1齢のを間放酬あた
、うが仕のつり様とう音丹し題Iつにつ。
唐八景山頂で
昭和41年頃
たとい金三ながのるをの語顔はを兇で{、
認
噂ほ方人たにはにぞ楽羽かがて禿たとど
さんし生か典入なしのアめあ二いげ板この
でとを相・に院つと時ナてる人たあ柵ろ生
苦う担談ま迫恢てい間ウさとののが教で涯
笑に当のたり整いうて、ンさ、先でり頭、を
い借さ時A過'!たIlil司サやあ生あ、先四と
さ金せ間先ぎでがを奥Iいるにる知生十り
れがらに生て、、担様がた教つ・的の代あ
てあれ訂ははill!先当お、。師いな頭半に
いるて借、い名生す手昼剛はて光はばて
の畠と三一曇嗣子づ”辛些・童幸一霧一たち一か
へ・裸の沢山の男生徒たちが
足を踏みならしていた体育館
△霊﹃寺幸二︽や﹄一口寺壷︿色幸“一口一﹄四龍・︾一“一二一︽歪一一げ一宇+卦一
大・津田塾大に合格して行っ
とが
た。私にこの文を響くよう仁
焚火の周りで歌い踊り、さら
大きな写真が、私の執務して
丑03−3553−3013
〒104東京都中央区八丁堀3−10−1甲東ビル2
﹄一孟一一志﹄ク﹄一国ロ﹄二二一壷一一口一・阜一函、目﹄両︶一一一・叩一口一五グー叩一合埜痢一八一一一一
部の無礼を答めるために言わ
と便りをくれた二十回卒の野
堆後まで歌えますよ﹄と言い、
っていて、眼鏡の奥からあの
いる校長室の右手上方にかか
代表秦野研一(19回卒)
はだか
はわからなかった。
れたかもしれず、其偽のほど
にそれをとり巻いた女生徒た
たく歌われていないだろうや
に救っているはずだが、まっ
その歌は今も西高生徒手帳
をとっていた暗い連動場へ言I
中︵現原田︶愛子さんも、そ
バック・トウ・ザラユーチヤー
夕陽の山に燃え
西高三十回卒、三十一回卒で
若々しい美しい声で、﹁ああ
ン
株式会社スターコーポレーショ
こう普いていると自分の若
#て恥入るばカリてある力
野放図な自由を楽しんでいた
生徒たちは、どこかで典而側
いつの鞭と・も生徒え﹂三は
したが、ほとんど関心を示さ
ある私の二人の息子にも説明
に勉強していたのだろう。当
時の生徒の中から各方面の人
には目もくれず、青春の側を
なかった。毒こび、悲しみ、
笑いさざめきながら教師など
光、影、すべてを消して行く
の証拠である。
しかし私のような教師でも、
抜けて行くように思われる。
私自身、山の端に燃える夕
陽がきわだたせる黄昏の時に
﹁時間﹂の手が動いたのである。
ているかもしれぬ。去年、高
一握りの人たちには、ひとひ
校長たちの集まった懇親会で、
る虚無から身を起こし、気を
踏みこんでいる。年々深くな
みながらやっていたような気
夕陽の山に燃えI﹂と歌いは
−6−
材が育っているのが、何より
私の補習に
才女三人
一人の初老の校長がきて、西
いる。なにしろ西高初代の哲
とり直しては老骨に鞭打って
らの雲影ほどの思い出を与え
制がしかれ、私も心掛けを改
高六回卒ですと名乗った。﹁授
学者校長・小谷巨三郎先生の
昭和三十年代の終りになる
め、授業や補習に神経をすり
たファイヤーストームの歌は
業を受けました。先生の作っ
がするし、日本史や世界史の
と、西商にもきびしい進学体
たいところだが、授業は楽し
減らすことになった、と言い
盛況とちがい、私の政治経済
奇しくも先生は、公立高校
るからである。
細い目を私に向けつづけてい
じめた。
消え、私は虚空に舞上がり翼
ている長崎総合科学大学付属
を退職された後、今私が勤め
一瞬、まわりのざわめきは
の補習には、毎年十人前後し
:ここ島か︸一毎ろ年.塞一琴︵が。起
に乗って四十年の歳月を駆け
たのである。
高校の初代校長になられてい
戻って行った。
それを作った昭和二十七年
の補習を受けるこ︲こになった。
頃の社会科教官室へ。発表会
き、学年屈指の才女三人が私
のだが、そのせいでもあるま
私も背筋を伸ばし張りきった
輸入鉄鋼販売
§10回生§
七勇・十七罷働憂崎壷高在京
一二寺一︾一凸一▲■■宜一︾即■声〃﹄︾一叩一︾一寺︾一峠晒一一一宰血一F一■■一一唖一一一一一一四一一■■一FⅡ︼一夕︵﹄一■
我々十回生にとっては、彼の
君の乾杯の音頭ではじまった。
は、長崎シティホテルで掛川
旅﹂と地元十回生との交歓会
発のため大波止に集合する,と、
ル﹁ぺがさす﹂にて五島へ出
翌朝七月十八日㈹、我々一
行十三名は、ジェットフォイ
会を経てホテルで寝ていた。
気が付いた時は二次会・三次
高校野球での活蝿が、心に深
で福江に渡る。
悪天候のため欠航、フェリー
■■四口︸一冊︾一函■一︼ユ画一■■﹄■■■一凸一口■一二画癖︾︿一二一壷一F﹄一一一■■■■■二一一岨一一一壷一二一
観光組とゴルフ組に分かれ
くの舟崎に到着。海上に丸ビ
渡り、洋上石油備蓄基地の近
引されるとのこと。中通島に
チは関西方面で高い価格で取
内の人によると、ここのハマ
る。島巡り観光組は掛川・内
公認会計士吉川悦良(20回卒)
東京都中央区日本橋久松町12−1夏
a(03)3639-4415(10FAX.(03)3639-4418
十回生﹁長崎・五島ロマンの
シンボルでもあった。
いよいよ﹁五島ロマンの旅﹂
く刻みこまれており、青春の
交歓会は地元雨森君・前田
数名の参加者を得て、賑やか
堀・藤野他八名。五島カント
のスター,卜。
に進んだ。高校時代の三十数
ルが何棟も浮かんでいるよう
さん等の幹事のお世話で六十
年前に逆戻り、在京メンバー
リークラブのゴルフ組は堀
シー︵十六名乗り︶が待機し
奈良尾港で予約の海上タク
をはじめて画視する。
で、九十Ⅱ分の備蓄なる実体
昼間の行事をそれぞれ楽し
ており、福江に戻る。途中キ
んだあと、夜の要は、五烏牛
のメインディッシュで大いに
五烏二側目の夜のごちそう
リシタン洞窟を見学。
飲み大いに食べる。
明けて二日目は晴天。若松
はキビナの料理。酒盛の後の
帰りは、待望のジェットフ
﹁おじや﹂はうまかったあ−。
望台から眺める五島の島々は
島巾通烏への観光。龍槻山展
﹁素晴らしかノ・﹂のひと言に
ォイルで大波止に到薪。日本
公認会計士吉川事務所
マュ
つきる。
若松脇と中通島を結ぶ若松
便開港一間年ということで、
航空では、今日が東京・長崎
機内のサービスも良好。羽田
大橘を全員歩いて渡る。左手
場でエサを投げ入れていた。
空港に無事着く。三泊四日の
を兄ドろすと、ハマチの獲殖
そのエサほしさに、空からカ
ロマンの旅も終わる。
︵藤島満年記︶
ラスが舞い降りて来る。海で
は、網の外の魚が近づいて来
る。都会ではお目にかかれな
−7−
▼
▼
尾・ママワ
場・中尾・桑原・藤崎の四名。
西寿会在京者歓迎会H4.7.17於長鎧シティーホテル
今の仲間
むかしの仲間
昔の仲間
▼O▼ovOvOvo▼O▼O▼o▼
§五島ロマンの旅§
▼り▼o▼O▼・▼O▼・▼○▼o▼
可
国##
一
今の仲間
▼ovovO▼O▼OvO▼OvOv
﹃兎
一m
■
一一一一
▼○▼○▼O▼o▼O▼O▼O▼○▼
L津鐘
﹄
唾
ヤクルトの試合力神宮球場
くのも解るくらい田中は太っ
は本当に田中か?﹂森山が聞
さはどこへ行︸たの力﹃わ←
た。森山の弟と中村が着いた。
店はかなり混雑していたが、
食事にはちょっと早い時間と
﹁柔道部ではなかった涙、浦
座はかなり盛り上がっている。
鷲旗大会の選考試合で岡に負
ていたとのこと。川中は、金
れもない旭屋の顔がそこに在
かり雛が聯えてはいたが、紛
揃うてからにして、飲もう
んの同期です﹂﹁挨拶はみんな
﹁野口です。森山さんの弟さ
の後錐さ/・知らんかねえ?﹂
期ではなかばってん、柔遊部
建築会社、貿易会社、機械メ
ーカー、雑誌社、自衛官、社
約束通り、自己紹介する。
せない。最後に野口が来た。
らったのか、なかなか思い出
ば浦川って頭のいいやつがい
浦川が登場したが、酔っぱ
テレビで確認できるもんかい
た頃、﹁おうおう/、暑かね
弁。ビールを、三、四本空け
してくる.新人戦で優勝した
懐かしい先誰の名前が飛び出
い。上山さん、阿比留さん、
せたが、感じは変わっていな
君、今回チャンと紹介できな
森山︵弟︶君を始め後錐の諸
七月二十九日午前四時帰宅、
飲んで歌って、また飲んで。
よし、今夜は飲もう/,
︵堀田忍記︶
くてごめんなさい。
電話03(3508)7848番㈹FAX03(3508)8997
で行われるため、通りや喫茶
はまばらであった。カウンタ
さ﹂森山が怒鳴っている。閥
田も来ることになつとっと
あって、吉宗外苑店内には客
ーの女店員に、長崎西商の同
皇建時量豊島菟壷/テニーフ・た時:ごテ
の都合で来れなくて残念がっ
屋も来るはずだったが、仕事
窓会である旨を告げて待たせ
てもらうこととした。
レビに出とったろうが。自衛
カウンターのすぐ前の席で、
ん︵に見えたのである︶が、
お茶をすすっていたアンちゃ
けたことを、今でも悔しそう
に誌している。そういえば中
った。﹁ひょっとして堀田
か?﹂と亀屋が言う。無理も
や/・﹂︵いくら注意して見たっ
長さん、多士済済。そういえ
﹁ああ、あの儀伏官の/・﹂﹁同
隊のパレードに指揮官の⋮﹂
﹁なにI″西高?﹂といいな
ない。あれから三十年近く経
て、儀伏服に身を固めた自衛
がら振り向いた。ちょっとば
っているのだから、あんまり
官の、それも知らない顔が、
川の内股は痛かった。
思議というもんだ。﹁ビールで
変わっていない旭屋の方が不
ん飲みながら僻っとこう
えノ・﹂と森山登場。後ろから
話、金総旗大会の想い出、室
メージが沸かない。後でアル
たつけ。口ヒゲと色眼鏡でイ
ちょっと若いでっかい男が
田先生の術題、どんどん気分
中川が来た。ずいぶんと痩
⋮ブッブッ︶
﹁弟さんか?﹄﹁弟も米っばて
﹁どうも!﹂と入ってきた。
が昔に戻って行く。田中がノ
久しぶりに聞く本格的長崎
か?﹂﹁ああ、そうしよう﹂
ん、こいは違うとさ・わいは注
サノサやって来た。あの精惇
バムで調べてみよう。
意力の無かとさ。ダイアナさ
−8−
§柔道部§
§在京○巳会§
▼
▼
豆=
‘W』
寺井法律事務所
弁護士寺井一弘(第'2回卒
事務所〒105束京都港区西新橋1-21-8弁護士ビル2階208号室
母校だより一
てノレーポール部と練習を共
母校便
A棟東側の校舎の改修工事が
にする。
母 校 だ より
始まる。その対象となるのは
いる。新しく変わるのは確か
■a
−1■ ■ ■ ■ r ■ ■
務員としてお仕事をして下さ
三年の一、二組、二年の一、
にうれしいことであるが、な
←
鍛近の西高の様子、生徒達
った畑原さん、峨貿部のおば
二組と一年の一、二、六、七
んだか少し寂しいような気も
一母校便
の活躍状況を、新聞部の諸子
さんとして生徒達に長年親し
の八クラスである。第一期工
する。
方が転入され、新しい学校長
一方、新たに十一名の先生
ためか、かなり騒がれたそう
校舎は二六年前に建てられた。
当時、初めての鉄筋であった
舎は残してある。東側のその
道界のホープ、坂上洋子さん
西禰卒業生でH本女子柔
えがあったが、A棟東側の校
春休みに校舎の壁の塗り替
スづつに分けて行われる。・
現在、工事が次々行われて
に寄せてもらいました。
まれてきた竹村きんが退職さ
耶で一年と言う具合に四クラ
また、本校で十四年英語を
教えて下さった松永和敏先生
は、琴海高校へと転出されま
として、大河内邦昭校長先生
だ。二八年の歳月を経ている
が六月十日、突然母校を訪問。
した。
語の先生として教鞭をとられ
転入された先生方の中で、
がいらっしゃいました。
だけに、壁の剥離がひどい。
カーも新しくなり、教室と廊
外にも黒板や廊下にあるロッ
決意をのべられました。
多くの学生を前に、十分ほど
各方而に報告のため帰省され
そのうち本校で十数年、英
た、松尾修三先生が三年間本
西高卒業生である山西誠史先
坂上さん
母校訪問
校の学校長としての勤務を般
後に、三十八年の教員生活を
生︵三一回生︶は、母校に恩
い、とおっしゃっています。
シに替えられる。この期間中
下の間の窓、ドアは全てサッ
オリンピック出場が決定し、
締めくくられました。今後の
返しのつもりで力を尽くした
山西先生を含めて、西高出
そのほか現在の教職員の中
にもたくさんの教え子がいら
対象になっている所には生徒
めて一二名になりました。
身の先生方は事務室の方も含
今回の改修工蛎では、壁以
げる次第です。
れました。
勤、退職のため西高を離れら
ニハニロ・一ユー。画一・二一蹄二昌誇一唖︽一年岬一一﹄︽詔一謡一︲一丘”“︽一F一藷。一語詫
人事移動
れました。
よ
り
っしゃる、本校勤務年数二五
第三体育館の工率が耕工され
ることになっている。トレー
己
−9−
校
校だより
母
会室、進路指導室、合併教室、
社会科教室があげられており、
ニング場に変わるそうだ。そ
A棟校舎と同時にもう一つ
現在検討中である。
台風の被害を受けた体育館、
の間、空手道部は第二体育館
グランド・体育館
の改修完了
次は校舎改装
グランドの修理・整備工事が
母校便
長崎市幸町5番31号a(0958)23-2211(f
枝
先Ⅲ完了し、今度は九月から
だより
校
代表取締役大川英明(4回卒)
校
ご健康を心からお祈り申し上
大河内邦昭新校促
年の石川戒衛先生、二一年用
|母校便
母
株式会社大川商店
校
校
母校便り
母校だより
母校便り
母校だより
場内の滋援も雌高潮に達し
−10−
転勝ちした。
東京都千代田区麹町6−4麹町ハイツ201号
和田良一法律事務所内
a(03)3264-5008(f¥1FAX.(03)3264-5099
引き分けに持ち込み、大将福
川が二本勝ちし、代表決定戦
弁護士狩野祐光(6回卒)
でも棉川が石井を小手で仕留
五分五分の試合展開となり、
職であった。
狩野弁護士事務所
た頃、決勝戦が行われ、両者
大将戦までもつれこんだも
準決勝と側嫌、手に汗掘る一
が出せた。インターハイ、玉
のの、併しくも破れてしまっ
1I1
381211
しかし、素晴らしい試合展
71417
開だったので、来年も期待で
岩江'I'lili
瀬川ルb尼
克弘穂典
彦芳商務
きそうである。
位 位 位 燐
聖佐H
f
l
l
I
I
I
:
大
久保満
f商
登山部
男。女優勝
級
六mリリリ'LI
三二一
1
1
リ
i
│
H
│
,
.
│
mm戦
ハンドボール同好会
だより
校
ウエイト
リフティング部
母
一
|蹄韮一︽一口B﹄諺・岩一群“一︾一n辛口一子︵︾一“一砂一二群器罪罪毎。。﹄ニーヂ︾叩﹃一マ
竜旗でも旋風も巻き起こすつ
た。
見あ。決
事つ途勝
逆た111で
中力で勝負する、うちの剣道
もりだ。﹂と片山職併。
ではた弛
827560(W│寸I
・kgkg人弊
5級級戦職
k
g
高総体各部奮戦す
成がを将瞬へぬと
剣道男子
団体準優勝
枝
便
将押商の
富さ校lj1
永れと体
が気対戦
小味職は
手でし‐
剣道女子総体
四連覇達成
村勝、優Itの育沖
が の 優 勝 を 蒋 大 紐
母
試合か行われた佐仙保︽耐澗
紙優達をのと熱対体
を勝女成打す持戦戦決戦
お、子しちきちとし勝が
さ中のた負を込なた戦開
め村個・かつまり。で始
たが人しいれ、両はき
。三戦、てた勝校、れ
位て、兄向・敗一向た
とは事陽綿は歩陽・
い、四台ill大も台
う福連のが将譲商
好Hi覇大一戦ら‘校
灘灘瞬隣
が相焚
、手崎兜
大に束子
ていた。応援の声が高まって
高I果敵春すII外もかた
校1た、のるのに優れ、
のかし阿凸。西知勝た六
石らた蘇全Hらし全M
井、農高国本し、九二
全九州高校
大会も制覇
母校だ よ り
阿1勝のリ’を会で
蘇0を強司川翌内で|#lま
校は、熱気と緊張に糊ち溢れ
いく中で、はじめに女子のⅢ
|母校便
校
ラ、︾ドの一夕、、隼フ選手を抑
次回のアトランタオリンピッ
その中を全長六キロメートル
並みが続く様はまさに壮観。
つ︵︾◎
クが早くも楽しみな選手であ
長崎に
オランダが出現
の街区から成り立っている。
ンダにちなんだ名称をもつ十
ハウステンポス内は、オラ
の運河が流れる。
え込み、一本勝ちした。
坂上選手はご存知の通り、
西北小学校、岩屋中学校から
で学ぶ本校三十九回の卒業生。
西高へ進み、現在は筑波大学
マパーク﹁ハウステンポス﹂
百五二万派の広さを持つテー
ディズニーランドの約二倍、
できる環境となっている。
観光客が快適に過ごすことの
づき、そこに生活する人々や
国内・外で行われる各種の柔
し、﹁海外ではまだ一度も勝っ
道大会に入賞している。しか
がオープンした。ハウステン
ショッピング施設も充実し
ている。ハウステンポスオリ
ビヤホール、ワインハウスを
飲食施設としては、バー、
◎お縄購軍斗JuQ童二○測訓u託脚、﹃安豆
社団法人
日本海員披済会長崎病院
岩下博(4回卒了
長崎市樺島町5番16号a(0958)24-0610({t)
長崎この一年ながさき長崎この一年一
泥灼超級で海外初
のメダル獲得
西高卒坂上洋子さん
あと三秒、二秒、一秒。そ
手で顔を覆った。勝利の宣言
一回職に勝っただけでもほめ
たことのないこのクラスで、
ポスとはオランダ語で﹁森の
ジナルブランドの洋服や、雑
ンダの文化と日本の自然が息
を受けた後、関係者たちにⅢ
てあげたいくらいなのに本当
これまでのアトラクション
家﹂の意。
それぞれのエリアには、オラ
まれ泣きじゃくっていた。七
によくやってくれました﹂︵島
三月二五日、大村湾に東京
月二七日夜日本中が輿鷲した
谷コーチ︶のことばどおり、一
チーズなどが買えるほか、世
貨、オランダ名産の民芸品や
施設はもとより博物館、美術
されている。
界各国の伝統工芸が実演販売
館、ホテル、銀行、住宅、マ
ンがあり、オランダ、イタリ
はじめ、五十以上のレストラ
園内にはアミューズメント
ーマパークだ。
リーナまである日本股大のテ
ア、フランス、中国の各国の
現在は、第一期のオープン
料理が味わえる。
と順次オープンの予定。
であり、今後第二期、第三期
高⋮一叩ご兵直着菖オランダ国
にわたって忠実に再現してい
表紙写真は﹁海からのアプローチ﹂
内にある第一級建造物を細部
る。また、圃内には三十万本
の花が咲き、レンガ作りの街
−11−
の瞬間、ひざをついたまま両
我らが、坂上洋子選手が、
メージと異なり、水と緑と調
中心のテーマパークというイ
柔道女子72,.超級3位決定職でポーランド
のマクシモフ(左)を崩れ上四方固めで破
り感極量り泣き出す坂上洋子
に違いない。
バルセロナオリンピック女子
た亜斌級での快挙。
時は選手派遣を見送られかけ
’4
和した﹁都市﹂の雰囲気。
を狸得したからだ。三位決定
』I
、
若干二十三才の坂上選手。
柔道沌蛇超級で見事銅メダル
戦で、体璽帥姥差以上のボー
齢
擢噸調
ヨ
|長崎この一年ながさき長崎この一年
朝
q■茸迫害冒一
なt同級生さらにに母校の
在校生との緋をも密にしてい
こうという趣旨で誕生したの
一■一■一一一一一F一﹂一一一二一■仔垂二コ■■
虚無似亭入門記
カラカラと氷が音を立てる。
二代編集長浦田信彦
現在のヨミュニティ﹂は
が﹁コミュニティ﹂です。
ウィスキーも何杯めだつた
け。
周到な準備のうえ秋の総会に
配付されておりますが、たし
ヤチ﹄一・.ンボン華泌﹂が二ミニ’一
君も僕の職で﹁洞ば飲まん
一ブイ。
ネ﹂﹁手伝わんネ﹂
十周年記念号
にあたって
編集長中村政治
結局コミュニティの二代目
た初代編集長寺井一弘︵十二
回生︶さんと、なぜか飲み屋
現編集長としましては、先
で﹂編集長の役割はこれだけ。
回生︶さんに負うところが極
さんと、宮本喜代子︵二十一
てしまう中村泰弘︵十二回生︶
長│崎市出島町1番10号丑(0958)26-225m)
﹁コミュニティ﹂
毎四
ひ
高校同窓会誌として、全国
れないか?﹂
に例を見ないスタイルとして
﹁ところで君、手伝ってく
急遮発行することが決められ、
同窓会の幹砺会帰りの二次会
か創刊号は、年末の幹事会で
おまけに慨校の卒業式に間に
も、今号で記念すべき十号と
始まったわがヨミュニティ﹂
なりました。そこで、いささ
心持ち甲高い声で話しかけて
きた。
で、初代編集長の寺井先飛が
業をしたことが想起されます。
発刊の魁をつくっていただい
合わせよ壱フということになっ
そしてあっという間に過ぎた
十側生の某先蛾は気持ち良
さそうにギターの伴奏でシャ
て、突貫工事のような編集作
この十年、今では藩く優秀な
ンソン︵?︶を唄っている。
に二代Ⅱ編染災にされたと本
でだれかの隣に座ったばかり
六回生︶さんに寄稿していた
人が言っている浦川信彦︵十
編集会議もイントロが長く
代の両編集曇の苦労もさるこ
ネ﹂﹁どうやった?﹂⋮・・・
﹁こん前、あん人と会うて
のように棚が懇かつた?
編集長に至ったのは、いつも
か手前味噌ではありますが、
編集委員の方々の手によって、
松明が引き継がれていること
です.
に感慨を深くしているところ
戦後一目散のような勢いで
現在ではあらゆる分野で叢り
うしてもピジ、恥スライクにい
なかなか本題に入らない。ど
駆け抜いてきた日本社会も、
を落とし始め、改めて雌史と
だきました。
人間のあり方が問われつつあ
とながら、実際の編集割り付
﹁ワイワイガヤガヤ﹂の細
代表取締役鈴木一郎(4回卒)
守口型J
諏一
一の
、甲︲t全
十周年に寄せて
かないのは、同窓会の宿命。
学んだ者同士が心を開いて語
集会議は、同窓会のなかでの
るのです。次の二十号へ向け
めて大きいことに感謝してい
るようです。そのよう江時代
会は、草創期の先誰達のご努
の小さな機会をもつことがで
り合い、未来を切り拓くため
ない。知らない人が圧倒的に
会誌の役割そのものかもしれ
初代編集長寺井一弘
力が実を結び、組織的基盤が
きればきわめて有意義なこと
んの協力をお願いします。
て、今後ともより一厩の皆さ
け作業を神業のようにこなし
確立されて更なる発展を目指
と思われます。﹁コミュニテ
多い同窓会の、同窓の緋をつ
﹁はよせんぱ、はよしよう
そうという時期でした。年一
ないでいく﹁ワイワイガヤガ
に、﹁自律の園﹂の長崎西高で
回開催される総会にも数多く
してやみません。
ィ﹂のますますの発展を期待
十年前の長崎西高在京同窓
の人が出席しておられました
−12−
一’一亡
の二
一九八二年三月発行の第一号に始まり、途中に号外をH出してこれまて.にI>l、九号が発行されています。
が、諸事情で欠席せざるをえ
株式会社鈴木商店
発刊 十 周 年
'P詞K糎響
一一⋮ニュニテゴ発行
ー■。●●■●
雑感鵜
一一一
一‘チャンチャンー.この年となる。
そういえば般近では若い人
達と一緒にいても、気持ちだ
であり、また悔いのない青春
去る五月にはハウステンポ
であったように思われる。
すべて落ちる一方である。あ
ように目をみはった。経済学
、ネルを抜けてみてその変わり
って長崎に入った。西山トン
スに二泊し、田中正明君︵長
がるのは年齢と、血圧、成人
主月
病の機能比率だけである。と
は完全に消え、近代的な街並
部に通っていた頃の狭い道路
崎北高校長︶の車で有田陶器
ことだが、高校時代の同級生
はいっても西高時代にバレー
けは若いつもりでいても、年
と逢うのは職種がおのおの遮
部できたえたせいか、会社で
齢の差を感ずる此頃である。
に東京在住の誰か出稿せよと
っていて実に楽しい。また昔
の世話になり翌日は島原を廻
一九九二年八月九日、日峨
の乙女も数名出席しており、
市をみて雲仙に一泊、井筒君
日の朝、ゴルフの予定もなく
こと、全く一方的である。
いう連絡があった。仲間と相
談した結果、お前書け﹂との
斌が落ち、頭髪までもが落ち、
のんびりとニュースで甲子園
体力が落ち、視力が落ち、酒
出場校の組み合せ抽選 会 を 観
お蔭で最近では西高同窓会に
随分お世話になっている。因
これまた楽しいものである。
数年前、長崎を訪問した際、
そうピケはとらないつもりで
も同じ年代の人と比べると、
たものである。
みにこれまた時の流れを感じ
小生八月十六日より東南ア
弁してくれと断るも、﹁日頃同
ジアに出張予定があるので勘
みに私の主治医は、十八回生
ていた。
そういえば八月七日の日刊
窓会の世話もしとらんし、せ
の識原先生であり、彼を紹介
していただいたのは四回生の
っても素晴らしい仲間である。
しい一時をすごした。何時逢
長崎で青春時代を過ごすこと
素哨らしい土地であり、その
長崎は本当に人情味ゆたかな、
原︵吉浦︶千恵さんである。
は違っても名物の遅刻坂など、
訪問であったが、周囲の様子
てみた。卒業以来はじめての
後輩の平野君と母校をのぞい
その夜バレー部の仲間と楽
工業新聞のビジネスマン﹁私
めて罪ほろぼしに絶対に書
いる。
の甲子園﹂というTOPIC
S欄で、トップに同期の大和
け﹂と例の長崎弁丸出しの説
得に、苦笑しながらも承諾し
総研専務の美貴仁君の名前が
出ていたなぁI、投手として
なつかしい思い出が瞬時に湧
又仕事の関係では、掛川博行
君・小林新典君・林博之君な
私も西高卒業以来、八幡・
である。
の出来た幸せを四十年経った
今でもつくづく感じるこの頃
た次第である。
き出し、しばし感慨にふけっ
活踊し一九五一年春夏と出場、
た。校舎・運動場・体育館な
春の選抜大会で、優勝候補の
十月三十一日には、五十歳
ど枚挙にいとまがない。
来る十月三十一冊の四十周
横浜・マレーシア・東京・徳
山・シンガポールそして東京
年大会を、遠足前の子供のよ
対○で破ったことが大会の思
湘南・中京商業を一対三・三
うに待ちこがれている自分に
代岐後の集まりとして卒業四
がこの地に移った時は、狭い
と各地を転々と放浪していた
運動場で、野球部・ラグビー
ど立派になっており、昔我々
るとのこと、今から楽しみで
十周年大会が長崎で開催され
い出として記されていたなぁ
ため、心ならずも同窓会に出
−、あの頃はテレビもなく、鴫
席したりお世話をする機会が
長君の家でラジオにかじりつ
をつけ、深酒せずに必ず出席
し、皆さんに日頃のご無沙汰
凱がついた。せめて健康に剣
を詫びる機会にしたいと今か
どが入り交じって練習に励ん
なかった。東京に落ち着いた
でいた光景が思い出された。
西高万歳ノ.四十周年万歳/、
高校時代というのは、青春の
今思えば全て懐かしい思い出
事に集中していたように思う。
ら考えている。
部・サッカー部・バレー部な
いてバレー部の仲間と応援し
はや卒業四十年
青春に悔いなし
さて早いもので五十歳代も
終わりに近づいた。世で言う
真只中にいてガムシャラに物
ある。
たもんだ等々思いをはるか四
のを機会に欲極的に出席する
ようにしているが、長い間の
音信不通を詫びるつもりで田
十数年前にめぐらせていた時、
電話のベルで現実に戻された。
中君の申し出を受けることに
同窓会に出席しだして思う
した。
芯話の主は我々四回生の在
日く﹁コミュニティーの会報
京元幹事の田中裕康君である。
−13−
磯鋤
鋤
鐙
魯霧
鯵
⑳億
長崎ン者は
崎弁
一ノーボンばダフルて﹂
﹁バーボンをダブルで、ござ
ここは、銅座でもなければ
いますね?﹂
浜口町でもない。横浜は元町
にあるちょっとお澗落なレス
いす報の、しにもら集も集災に弁気崎新う一なま一
。
生き活きライフ始めましょう。
新入会生募集中!
●鱒寝,it0(0958)26-3111㈹長崎NBC学園
代表取締役九玉攻一(4回卒)
︵Iと←﹄フ、刀ニーフ阜呉売挫︶か蜂
#ひか愁い。
禰校時代、﹁おいは絶対サラリ
申
調である︲という噸はいうま
東京に行けば何かが変わる、
信じていた高校時代。しか
進んだ稀は、多くは﹁就職﹂
、東京へ来て三年半。大学
ーマンにはならん﹂と筒って
●・こしう現宴にぶつか一ぎている二
延々と酒の滑にされ、まさに
る垂フとしている。
だが、夢は尽きない。お酒
を飲みながら高校時代の思い
同級生、東京の空の下で長崎
夢を語る。長崎西商第四一回
出を締り、そしてまた新しい
﹁だいたい、その女も女さね
いるところである。
の道に向かって試行錨談して
弁を胸にそれぞれがそ奴ぞれ
から知っているせいか妙に強
11﹂
ったやか﹂
﹁けど、ちょっとは大人にな
とこのあつとやもんなぁ﹂
﹁あいは、昔っからそんがん
●●
にか毎る。
が、不幸にして居ない時は
伊藤優子
いた肴が今サラリーマンにな
41回生
竹の髄までしゃぶられること
で
といった具合である。皆、普
−14−
トラン・バー。今時流行の及
さんは、突然の長崎弁の乱入
髪を後ろで縛ったウエイター
者に驚きを隠せない様子であ
る。それもそのはず。この店で
英滞でオーダーする符は珍し
る窓はおそらく初めてだろう。
くないが長崎弁でオーダーす
もん
東京幕らしも三年半を過ぎ
すっかり東京ン者の格好をし
る︶私達長崎西高第四一回同
た︵と自分たちでは思ってい
窓生は、このエスニックな弊
ルを占拠して長崎弁で喋り続
囲気の店のほぼ中央のテーブ
−
ョンに乗って会話は賎り上が
aQFー
−6
ける。長崎弁のイントネーシ
り、カウンターでグラスを傾
けているお兄ちゃんお姉ちや
い÷肱かどてはい年まなま合来て.に弁宿が回るたて
。
長
にて芸んいIlる中るくりがる喋しでて.渋生お仕ん
届あ能なて誰欠よつの電はかと良るなああ谷はとか方は
合る過人、がかうるが話小けな崎といるろで、いしが私
わ。|:リと雌どなで、ん附し人られかが。。うあそつくな達
せ'職誌付近こい、て、・て数れぱら一長周がろこたていの
たのもき何で。'両1遊中何でる、同悉崎り、うが感わ様会
と主顔合をア級んにと、がも級、ンの災が銀じざ子話
きが負つしル生ではは誰、ち生で者餓1まは座でと。力
はそけてて(のい、なか弊ろがあはなれたで私大そ気
まののいいイ備る年しら段ん遊る長んぱまあ達声れに
だ要怖るて|、報者がにとの人び°崎か災たる四にがな
釜 易Ⅲ
毒稿
て来る一丁定一ていますの一てよろ
加︶卒業三五周年には中・四
周年には京都旅行︵四二名参
っていいんじゃない一でしょう
事元気印の斉藻保志君のご息
に期待していただき、楽しい
曜日の午後二時から六時まで、
EEKENDSHOP﹂・開
店時間は、そのものズバリ土
〒280-20千葉市鎌取町273-37tel(043)291-0511fax(043)291-8108
第一回在京理会を開催 し て
追記⋮二十回生初代幹
か。皆さん、頑張りましょう。
成功裡に行って来ました。
行那にしたいと考えておりま
代表取締役嶋住貴(第2'回卒)
●募集ノ.泥会スタッフ
しくお願いします。
国旅行︵三四名参加︶を夫々
ご冥福を祈ります。
女が五月に亡くなりました。
ついては、次期幹燕の選出
にあたり、立候補またはご推
は未だ決めて居りませんが、
卒業四十周年記念行事の詳細
もう四年が過ぎました。
と言ってるうちに、総会 の 当
す。宜しくお願い致します。
薦いただける方があれば幸で
す。︵六回生池田武弘︶
お店を始めました。店名は﹁W
真美子さんが趣味が昂じて、
二十一回生梅林︵旧性栗須︶
オープン
●ウイークエンドショップ
︵二十回生吉川悦良︶
回ってきます。そういう年齢
基本案としては﹁長崎むつみ
前後何れかにハウステンポス
会﹂との長崎での合流。その
ッアーを加え、より充実した
︵七回生古後美智子︶
番幹事が、一∼二年のうちに
になったということですね。
●小学校時ゞ代からの友人の一
記念行事にしたいと計画して
ということは、そろそろ 、 仕
小においても、家庭において
人宮田獄男氏が急逝された。
居ります。
働き盛りの死である。直接の
死因は蜘妹膜下出血と聞いた。
めなり?でてきて、この際、
通夜から葬儀にかけての日、
も、多少の余裕なり、あきら
気分転換に、同窓会の手伝い
私は数カ月前から予定してい
た取材の約束があって、面前
の変更が利かず彼を見送るこ
﹁むつみ会﹂の皆様には大い
いるアナタはとっても良い人
です。蕃は急げノ.芯話急げ/,
からの雑貨類を始めかわいい
梅林さんの弁。商品はトルコ
−15−
でもしてみるか、そう思って
○四五’六七一’九二三三剛
その他の時は﹁お店の資金調
校は﹁附秀でたる若人﹂と思
小物や手作品、リサイクル品
達の為銀座でOL生活﹂とは
っていたら﹁自律﹂が校訓で
●中学は一・光と力と望み﹂高
ともできなかった。
で逝った彼の無念と、焼香に
した。カント論理学の中心概
関西に向かう車中、四十六才
駆け付けることもできない我
念とか。我々は故郷を出て二
︵二十二回生大場喜和︶
○四五’六二三’六四六九㈲
●皆さん、お元気ですか⋮⋮。
いがした。
ろそろ一年が経つそうで、九
が身を思うと遣り切れない思
ら出発し、職を得家庭を持ち
十余年。何にも無いところか
より四分、新川崎駅より三分
月からはお店もJR鹿島田駅
副会長兼幹事として、三年間
子を育て︵出来は悪いけど︶
●前回の小林︵敬︶君案内の
︵二十一回生蝿住尚︶
応援下さる様お願い致します。
の好立地へ移転します。
この様な生活を始めて、そ
彼の葬儀の日、六波羅盗寺の
前を通りかかりながら、此岸
家を持ち︵遠いけど︶ローン
等々。
いのだと思ったりした。とも
も彼岸も六度の途中に過ぎな
皆さんのご支援により、どう
来春には、暫く九州に戻る
を抱え、七割以上が七十歳を
にか黄任をはたすことができ、
戦となりましたが、昭和五十
かくも今は宮田氏の冥福を心
皆様もぜひお立寄り頂き、
素敵な頑張りのお店です。
ホッとしております。
三年上京以来、東京での生活
﹁自律﹂を体現しつつあると
迎えるという。我々は立派に
でもないけど、この大都会東
︵十六回生高瀬千図︶
から祈りたい。合掌
た多くの在京同窓生の皆さん
●西高六回生は、来年卒業四
て、次代の礎として誇りをも
京で根を張って束京一世とし
﹁在京むつみ会﹂は卒業三十
十周年を迎えます。
思います。英雄でもなく寵児
で批亜な経験をしながら、ま
との交流も深める事ができ、
楽しい日々でした。
本当に有り難うございまし
た。いずれまた、東京に戻っ
篭嶋住産業
は、岩崎さんの案内で﹁観桜
板橋史跡散策に続←て今回
要があるのではないでしょう
的をシビアーに考えてみる必
例であ患か|・もう一度そ毎畳
集まりに八十余名参加した。
で夜景を楽しむ家族ぐるみの
当Hは絶好の花見日和、ま
の設営等本当に大変だと思い
か。各側の担当幹耶は、会場
定。会長代行田中克佳氏。同
平成四年十一月七日総会予
斑浦中学在京同窓会
会﹂を開伽した。
ずは造り酒屋・昭島市の石川
窓会の会長をおつとめ戴いて
一種︾一皇︿三一企産〃震Fこーひー一睡↓一塞寺︾琴窒︾一垂︾杉一﹄塞匡今委言一
船による納涼会も開催された。
十月二九M夜には、西商五回
れた三谷浩氏の講演会が予定
生で建設省事務次官に就任さ
※クラブ会員募集巾:岳申込み
ます。併し、各人の出溌を出
は鐘ケ江さんへ。㈹1357
来るだけ少なくするよう努力
いた故浜本悦二郎西武建設社
一万二千円、焚助会員九万円。
119570年会賀個人会員
ると早速﹁試飲﹂、これがまさ
するのも幹事の役目ではない
し上げます。
長の御逝去を慎んでお悔み申
酒造㈱を見学した。建物に入
に甘露であった。
にはそんなことは櫛わないと
でしょうか。同窓会開催の為
頴川史郎会長。
平成四年・誕罵瞳繕一全開蝉|
︵十一回生︶。また加∼肥回生
新会長として、下田浩六氏
る東京パーンで総会を開催。
一︿一︾■■■一m一■酉二一二季タ函閏︾雁一F、■■一一卦託申■︾一一︾酢︵年凹一一画一一一︾一一︾一一露一﹄■L一画一︵〃一一
長崎中学在京同窓会長崎東高在京同窓会
次に今回の目的地﹁井の頭
か方策がないものでしょうか。
荷われればそれ迄ですが、何
恩賜公刷﹂の吉祥寺へ・公側
入口の名代そば﹁小松﹂で腹
︵十一回生釜我宏史︶
怖えの上、人波の中を公園へ
入る。中央の井の頭池を、数
百本の満開のソメイヨシノが
にわたる6人の副会長の体制
※唆中、長中いずれも西商の
︲こして、応援したいものです。
前身にあたる旧制中学。後誰
で進めている。
長崎南高在京同窓会
昨年開校三十周年を記念し
東両校の来蛮などを交え、四
−16−
取り囲み、実に壮観であった。
パンフレットで地名の由来等
池を一周し、岩崎さん手配の
を読んで一服。
長崎西高同窓会長崎県人クラブ
いてした故宮崎輝旭化成会長
雌後は、新宿中村屋で夕食。
鈴全郎食憂︵四回生︶洲
の御逝去を慎んでお悔み申し
﹄塞夕一一竺ゴーロダゴ一昨一・︿一恥一括や︽﹄︾一で﹂一五一考一二一・・︼﹄・一壁一班や皿皿
憂崎弁でわいわいがやがやの
務局は母校、世話役として西
て在京同窓会が正式に発足。
渦卒業生の先生が担当されて
これまでも同窓会の集まりが
賑やかな観桜会。林君・荒井
いる。
さん・堀内さん色々お世話さ
までした。次回は箱根の予定。
持たれてきたが、公式には本
年七月が第二回総会となる。
銀座の﹁吉宗﹂、﹁NBC﹂、
上げます。
ピル近くの区の施設で、西・
毎年、在校生に先輩による
﹁長崎新聞﹂などの入ってい
るビルにあるクラブは、クラ
︵四回生田中浩︶
ブ員の交流の場であり、各商
側窓会の幹事会などの会場と
隅田川沿いのウンチ︵?︶
発行し、親睦を図っている。
同窓会誌﹃フレンドリィ﹄を
講演会を催している。また、
季節がやって来ました。併し、
長崎西高関西同窓会
●今年も又楽LL同窓会の
只一っ気になることがありま
る︶
早水茂雄会長、高槻厘佐子、
Ⅱ西高十六回生と同期にあた
小田真二副会長︵共に一回生
百余名で盛大に催された。
梁瀬健会長︵四回生︶。隔年
伺うには一番。
卒業生。長崎に関する情報を
毎年、講演会や新年賀詞交
事務局の錘ヶ江さんは西商
す。これも、昨今の社会恥梢
で総会を開催。今年は、大阪
して利用させて戴いている。
からすれば、己むを得ないこ
す。当日の会甜値上げの件で
とかも知れません。だが、こ
城近くで遊覧船を貸し切り、
その後、OBPのレストラン
こで、我々には、同窓会とは
弁理士後田春紀(第9回卒
〒104東京都中央区八重洲2丁目11番2号
城辺橋ビル5階
TEL03(3273)9421FAX03(3273)942c
後田特許事務所
告
自宅/冠
狩野祐光
03-3425-9738
副会長
副会長
古後美智子
平井吉孝
03-3928-0695
0466-88-1358
今年の幹事会は、例年通り
銀座八丁目の畏崎センターピ
ル七階にある長崎県人クラブ
で各回生の幹事が集まって数
回にわたって開かれた。今年
の当番幹蛎である二十回生
︵一九六八年/昭和四三年卒
業︶の吉川さんが司会者とな
って、十月の総会に向けての
準備に関することを中心に、
いろいろの議題を手際よく進
めてきました。
また役員改選期にも当たり
ますので、糊任委員会で推薦
長崎県立画るる掲合
は出席書の過半数をも一て決
幹事は、各回より一名以上選出する。する。但し、会則を改正する掴合には、
の承認を経て、委嘱することができる。第十二条本会は、毎年一回、会員相互
長崎西高等学校顧問は会畏の要繍にもとすぎ、幹事会出席書の三分の二以上の翼成種饗する.
在京同窓会会則第六条幹事会は、会長副会長、常任の交流をはかる庭め、機関誌を発行す
筏在京同窓会と称する。の活動方針を策定し、日常的事務を処的に賢同する有志からの協賢金をもつ
第一条本会は、長崎県立長鱈西高等学幹事および幹事によって構成され、会る。その経費は、会員および本会の目
を図り、母校との運撹を密にして、そ第七条会長は、本会を代表し、一切の第十三条本会則の施行に必要な細則は、
第二条本会は、会員相互の親睦と交流理する。て充てる。
の発展に寄与することを目的とする。会務を統括する。幹事会において、定めることができる。
牽曇託舘誌鮭鮭認拳蕊溌津鑑灘舗藩解し慶弔規定
第三条本会の会員は、長崎西高等学校副会長は、会長を補佐し、会長に事故
に希望する者によって構成される。常任幹事は、渉外、企画、組織、財政、労のあった者が栄誉を受けまたは死亡
もしくは、在住したことのある者で特会務を処理する。一在京同窓会は、当会のために特に功
畏鱈西高等学校の教窟員もしくは教強広報などの仕事を分担して遂行する。したときに、祝金または香典を贈る。
員であつだ者は、本会の特別会員とな第八条本会の役員の任期は、すぺて三贈与は、会長、副会長、常任幹事等に
ることかできる。年とし、会長、副会長は震圧しない。おいて決定する。
第四条本会を運営するだめ、次の役員但し再避を妨げない。二在京同窓会は、当会の会員が栄送を
会長一名年一回、これを開く。が当会の名をもって花、花環または祝
1234668側他値帽側朽拓〃肥相即別別盟路塑泌朋記刀記羽訓駆弱弱““
琴暮掌掌事事馨掌事事事票享掌琴襲享票琴事事事事事事事事事事事事事事事事
幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹幹
−17−
をおく。第九条本会の最高機関は総会とし、毎受けまだは死亡しだときに当会の有志
03-5697-6151
幸
平成4年6月30日現在
を受けた新会艮・副会長の承
0
4
2
3
3
5
0
9
2
4
認や、新たに提案された慶弔
03-3484-0236
03-3934-6262
副会長若干名会長または幹事会が必要と認めたとき電、弔電を贈ることを認める。
常任幹事若干名は、臨時総会を露くことかできる。贈与または電報等の発信は、事前に会
03-3468-0144
0472-68-0729
045-623-6469
0423-64-9082
045-783-5789
03-3490-1269
規定などの話し合いが行われ
0422-51-9439
0472-78-4474
ました。幹事会終了後の二次
03-3367-8948
顧
問若干名長が招喚する。
幹事数十名第十条総会は、幹事会の厳を経て、会峰︾梱︾︾︾︾唖睦︾哩睡︾︾︾班岬一
03-3402-0768
045-823-9209
会もまた、親睦を深める楽し
0425-75-1238
0473-98-5383
第五条会長、副会長、常任幹事は、幹総会の職長には副会長があだる。
事会の推砺にもとすき、総会にて選出第十一条総会で醗決を饗する事項があ負担とする。
045-983-7008
0427-38-0799
045-712-7472
0471-55-26に
03-3878-0523
03-3534-8212
044-877-0293
みのひとつである。
誇馳細奉楠評輔謡謡極賑
礼輝春満一一国信裕利
569畑刑値個個怜四釦
0474-82-1509
0463-71-81要
0427-26-5563
045-541-2427
0467-53-0486
宮城孝
西岡洋
中尾晋士
浦川和男
石井英世
池田武弘
藤原一作
釜我宏史
丸尾徹
翠川桃子
大木泰斗
神近賢
杉本邦夫
森山篤
石堂武昭
男沢浩−
中村政治
吉川悦良
原田愛弄
嶋住貴
大場喜和
重富実
高田一巳
村田輝夫
村田緑
内野生朗
橋口俊隆
後藤恭子
山崎比呂志
工藤まゆみ
03-3823-8385
0473-24-4725
願 匿
顧 后
顧 借
03-3396-0481
03-3999-9135
044-987-1546
0425-23-4334
0424言84-4887
常任理事
常任理事
常任理蕊
常任理事
常任理琴
常任理事
常任理事
常任理琴
常任理琴
常任理事
常任理謬
森崎充介
本田洋司
掛川博行
小林敬里
顧 借
03-3385-7131
H
03-3994-6748
03-3956-096G
O473-63-1394
'一ノ
03-3303-6357
0462-55-8824
幹事会
氏 名
会 長
二雄紀年朗弘備守彦三和
役 園
1挺蝋亀群
在京同窓会。幹事
口
□
△.︲・・・”・・⋮・川画・”・・・・u画雷‘・“︲⋮・・・⋮⋮口呂︲︲・︲F・・一
十名が欠席となったことです。
ら参加を予定していた同期の
爽号が長崎を直蕊・⋮一長崎.か
で当番幹事の年を迎えたので
なることやらという不安の中
ものがほとんどで、一体どう
で吟一三た唾実務の中心に居真一
同期生を始め多くの先離後雅
同窓会を何回もやるつもりで
は、﹁これから一年間、楽しい
始まりません。般初の気柵え
した。しかし悲観していても
ともかくも無難に総会運燐
の方々の協力のお陰であり、
を終えることができたのは、
とくに福引商品の提供を快く
まずはグループ分担方式と
行こう﹂でした。
はこの誌面を借りてお礼を申
引き受けて下さった先輩方に
同窓会総会を開催しました。
館にて第十八回長崎西高在京
九月二1八日一橋如水会
めに訓くことが必要と漠然と
なり多くの時間を同窓会のた
名の幹事が中心となって、か
を見て、当番の年には二∼三
それまでの先輩方の運営方法
で感慨深いものがありました。
この一年は、いろいろの意味
と総会の準備と迩営にかけた
が集中してしまいました。
は女性陳と何名かの男に負担
総会が近づくにつれて、結局
はかどりません。そのせいで
楽しかねI﹂で少しも準備は
っては飲んでぱかり、﹁いやI
した。しかし、とにかく集ま
いて行くようにしようとしま
ループ内で都合がつく新が動
ループを幾つか造り、そのグ
することとし、五名前後のグ
幹事役は、私たち一九六七年
感じていました。ところが私
ところで、振り返ってみる
し上げたいと思います。
︵昭和四二年︶卒業の十九回
西高在京同窓会
生が務めましたが、当日は恩
覗務連絡をほとんどこなし
たち団塊の世代は、会社の巾
平成三年度
│
同
便
窓
:
師八名・来賓十一名・同窓生
そき総とたをた'I-けそじ素参らて準出てま九て
のる会のが中女美をれして晴加司〈備納〈た回く
た者当あ、心性し何どてくらし会れ会をれ福生れ
めが11る実に陣き度も佃れしてのたの狐た引全た
にいの者は協にわも仕々たいくた浜会当桑の員持
前な状が総力はが時珊に田モれめ本場し野商が永
年か況限全し受同間に名辺タ、たに正をて博品感久
のつをらにて付期を家前美ン橋会幸何〈君集謝君
総たイれ参もとの割躯は智ダ口費君度れ、めしに
会のメて加ら来女いにあ子ン泰を、もて会にては
ででlいしい賓性て忙げさス介払長而さ計奔い特
参すジてたま接たくしなんを君つ崎倒ら現走ま仁
加・で、こし待ちれいい。演、てかみに金しす÷
。
⑥
者迂三ミ言言う宝・﹂を配極
した。それにはすぐ七名の女
する仕事を手伝うことにしま
性が引き受けてくれて、総会
受付の予行演習としてかなり
これから総会当番となる後輩
の方もぜひやって下さい。実
際に総会当日に大した混乱が
起きなかったのは、彼女たち
しかしよく考えてみると、
のおかげなのです。
いなかった︵?︶総会に出席
彼女たちは出ようとは思って
して会劉も出して、翌年の予
行演習をしてくれた訳で、本
楽しい同窓会。それだけが
当に頭が下がります。
いろのことがありましたが、
私たちの原動力でした。いろ
総会が終わり二次会三次会を
顔・顔・顔⋮⋮⋮。﹁ときどき
終えたときの皆の楽しそうな
画せる﹂﹁二年に一度くらい旅
ゴルフぱしゆうで、だいか計
行ぱせんか、女性も出て来ら
こんな声が飛び交う中、女
るっやろ﹂﹁いいわねI﹂
性も含めてほとんどの者が朝
なのでした。皆さんありがと
方まで飲み明かした十九回生
︵十九回生中村政治︶
うございました。
−18−
小口□
口会
蚕IQ−8二
含
鉾
畔をあげよ涯遠く
風かがやかし丘の上
こころは清く察として
眉秀でたる若人よ
自律の園をまもらずや
ああ新生の歌声に
わが山々よこだませよ
明るき学園の
白亜に映る
眼はひろく
自由にたてる
叡智は薫る
ああ若々し
行く白雲よ
ほ学ん創騎青窓
か陰空
ほ舎ぱ造なしひ
笑にしのぐろ
め 〈 〈
よ
入江は深き新潮に
世界の船の集いきて
文化の蕊明あらしめし
歴史は旧りず永遠に
平和の鐘は鴨りっづく
ああ美しき長崎の
夢あたらしく花羨けよ
ご挨拶
一昨年第八号に登場してい
◆編集後記◆
ただいた吉村宏和︵十六回生︶
さんは、昨年十一月母校PT
A主催の講演会で在校生に話
思います。恩師や来賓の方々
お会いすることを大変嬉しく
に集うことができ、皆さんに
今年もまた在京同窓会総会
副会長平井吉孝
ますますコミュニティの輪を
念号となりました。今後とも
ミュニティもいよいよ十号記
校で講減されるそうです。コ
池端雪穂︵十回生︶さんが母
第九号に登場していただいた
をされました。今年は、昨年
も、遠路はるばる参加してい
編集長中村政治
広げて行きたいと思います。
長崎西高在京同窓会
狩野会長はじめ、古後副会
〒一○二束京都千代田区麹町
六’四麹町ハイツ二○一号室
公○三’三二六四’五○○八
発行責任者狩野祐光
平成四年十月二十四日発行
長崎西高在京同窓会
一一■一一一一一一二一一一一一二一一一J凸一■一一一杢一■■一一■二一]一一一
⑳内野生郎
⑳伊藤利和
⑳宮本喜代子
⑬吉川泰子
⑯浦田信彦
⑳水城裕三
ご一睡︾一一聖唖唖■■■一型咽幸一ユ坐一守手︾︾酔一
③森崎
⑫寺井
⑩藤島
⑬吉雄
ただきありがとうございます。
長と私は、今日の同窓会を以
て任期が終わりますが、本日
選任される新しい役員の人達
が、さらに会を発展させてく
れるものと思います。
今日の同窓会は、在京二十
回生の諸君が、当番幹事とし
て一年間の準備をしてくれて
実現しました。本当にご苦労
様でした。どうぞ皆さんも、
ください。
彼らの労をねぎらってやって
また来年も、笑顔でお会い
しましょう。
敬満一充
正年弘介
一一
二二
三