ギャル文化

ギャル文化
K.Z. (カザフスタン)
教養学部
要旨
日本文化は「受身の文化」として思われることが多い。どうみても、おそらくそれは正しい
だろう。しかし、十年前にはやりだし、はっきりとした形にまとまったギャル文化は日本文化
のこのイメージから外れているように見える。一見、異質で、個性があふれるギャルは、経済
的およびメンタルな面で様々な問題を抱える現代日本社会が生み出した独特の存在である。と
ころが、ギャル文化に迫って見た結果、ギャルは社会ルールの放棄を宣伝しつつも、その反面、
社会ルールが築いた社会機構の典型的な例そのものであるということがわかる。
キーワード
ギャル文化
理想像
個性
自分らしさ
集団主義
サークル ヒッピー
1.はじめに
ギャルは現代日本社会においてきわめて目立つ存在である。彼女たちは新しい「美のシンボル」
なのか、あるいは一時的な「流行」に過ぎないのか。本文では、ギャル文化の歴史をたどること
によって、いったんその本質に迫り、見た目には類似した他の文化的現象(たとえば、ヒッピー
の運動)と比較しながら、ギャル文化の外見と中身を探りたいと思う。
2.ギャルって?
ギャル文化は現代日本のサブカルチャーの一つで、その中心は渋谷にある。ギャルの基本的な
アイテムは、人工的な日焼けやカラーリングや厚い化粧や携帯電話やデザイナーブランド商品で
ある。そのほかに、ファッションと音楽における独特のセンスは注目すべき点である。ギャルに
なれる人は、たいてい 25 歳までの女の子に限られ、10 代の女子高校生および大学生の年齢の範
囲以内の人がギャルの多数派である。
3.ギャルのヒストリー
ここ 10 年の間で、ギャル文化はきわめて速く変化している。1995 年はギャル流行の出発点と
される。その頃、東京の「ファッションのメッカ」とされる渋谷に「コギャル」と呼ばれる女の
子が現れ、同時に彼女たちの間で PHS が普及した。ギャルの出現には、その当時脚光を浴びた沖
縄出身の人気歌手安室奈美恵とトップモデルのナオミ・キャンベルの影響が強いといわれている。
特に、人工的な日焼けをしたスタイリッシュな安室奈美恵が、当時若い女の子の心を奪った。
1997 年に髪の毛に大きな花を飾った「ロコガール」ファッションが渋谷で広まる。その翌年
は、ギャルの間で最も人気がある店、渋谷 109「マルキュー」の「エゴイスト」
(EGOIST)とい
うブランドの商品が全国的に注目され、それと同時にカリスマ店員が話題になる。カリスマ店員
とは長年ファッション部門に勤めることによって、抜群の知識や経験を積み重ね、若者の文化お
よび若者の流行に大きな影響を与える人のことをいう。その年のもう一つの流行といえば、厚底
のブーツと金髪ブームである。
1999 年—2001 年はヤマンバの流行に当たる。「ヤマンバ」という言葉は、深山に住み、怪力を
やまうば
発揮したりすると考えられている、
「
;山姥」という日本の伝説的な女に由来している。「ヤ
マンバ・ギャル」の中で最も目立つのは、
「ガングロ」
(顔黒)と名づけられたギャルである。そ
の人は、マジックでアイラインを引き、深く日焼けをし、髪の毛を白髪に染めたギャルで、まる
でネガで写されているかのような効果があった。
2002 年にガングロの勢いは少し収まり、個性豊かなフェミニン派の「お姉 GAL」を目指す女の
子たちが増加してくる。2003 年に「ヤマンバ」の「ヤ」を取り、復活したマンバギャルが渋谷
に現れる。それと同時に、やがて『アルバ』や『ミージェン』などのブランド服を身につけ、白
い口紅を使った派手な男ギャルが、
「センターGUY」として登場する。2004 年の秋に目元にシー
ルを貼りまくり、高級ブランドを身につけるのが特徴である、
「マンバ」の進化系とされた「セ
レンバ」が現れる。そして今年(2005 年)の夏にあっては、また新しいギャル「バンバ」が登
場した。それらの特徴は、メイクとヘアカラーリングは非常に濃く、服装には六十年代のスタイ
ルのアイテムがあることである。
このように、ほぼ毎年ギャル文化において新しい流行が生まれており、ギャルは進化の新たな
進路を絶えず探っている。以上で、渋谷に誕生したギャル文化はここ十年の間、目まぐるしく変
化していることがわかる。
4.ギャルのイデオロギー
—
外見と中身
ギャル文化が現れたのは、いわゆるバブル経済崩壊後の不況が深刻化していた、日本の戦後経
済史において最も厳しい時代である。バブルがはじけた後、そのしぶきの勢いが日本社会に様々
な変化をもたらした。現在、重大な社会問題だとみなされるフリーター・ニートの問題、子ども
による犯罪率の上昇、引きこもり、不登校といった若者を対象にする問題の増加には歯止めがか
からなくなった。これらの問題も日本社会が高度経済成長時代に成し遂げた成果の反面であると
いえよう。ギャル文化も、これらの社会問題と無関係ではない。しかし、本章で述べたいのは、
ギャル文化と社会問題のかかわりではなく、その文化を作り上げる若者は実際に何を主張し、ど
んな考えによって動かされているか、そしてその「動かす力」の裏には何が隠れているかを探り
たいと思う。
ギャルが第一に主張するのは、日本の「理性的美女」のイメージを覆すことである。日本人は、
女性は肌が白いほど美しいという伝統的な「美女」のイメージを持ち、歴史をさかのぼると、そ
の証拠に顔が真っ白くなるまで白粉をつけていた芸者や舞妓などの例が挙げられる。現在も、そ
の理想像を追い、様々な化粧品や美白材を使っている日本女性が非常に多い。また、日本固有の
神道の教えによると、白は清潔さのシンボルであり、
「清め」の概念と結び付けられる。たとえ
ば、米、塩、神社の周りの砂利などが白く、清い物だと考えられる。このように、美白の概念を
重んじる日本女性の中で、深い日焼けをし、派手な服装をしたギャルは言うまでもなく革命的な
存在である。
ギャル文化は現代日本の独特の現象であるといってよい。ところが、独特だといえるのは、日
本に誕生したからではなく、海外のものを極めて日本らしく受け入れ、変身させたからである。
食べ物で言えば、ラーメンやカレーやキムチなどであり、言葉で言えば「JANGLISH」 1 である。
つまり、外見は外国から来たときのままだが、中身は完全に「日本心」になっている。ギャルの
場合は、一見してアフロ=アメリカンカルチャーに由来していることがわかるが、迫ってみると、
もはやその原点はなくなっており、人工的に日焼けした日本人の女の子だけが存在していること
が明らかになる。それこそ、ギャル文化の特徴であり、「日本らしさ」であると思う。
さて、現代日本社会では「自分らしさ」という言葉が非常に流行している。その源泉は個人主
義および利己主義の考え方が普及していることにあるとみなす人が多い。以前は「出る釘は打た
れる」ということわざに習い、日本人は人ごみの中で目立つことが怖かった。しかし、時代が変
わるにつれて、日本社会のこの考えも薄れてきている。そしてこの時代の産物であるギャル文化
も、「自分探しの流行」の証拠である。しかし、何よりまずこの「自分探し流行」という言葉自
体に矛盾が隠れていると思う。つまり、流行に流され、自分の個性を探ることは、もはや個性と
のかかわりがなく、ただ他の人と同じく振舞おうとする望みに過ぎない。なぜかというと、人は
あるとき自分を探し、あるときそれを止めるのではなく、一生涯ずっと自分を探すからであると
思う。つまり、ギャルは上記の流行に流された人だといえよう。そして、それは流行である以上、
遅かれ早かれ終わるに違いない。
ギャルがもう一つ主張することは、自由なライフスタイルと社会ルールの放棄である。生き方
が自由なことは確かであるが、社会が定めた規則を放棄したとはいえないだろう。むしろ、ギャ
ル社会の中身をのぞいて見れば、典型的な日本社会機構が見られる。つまり、ギャル社会は日本
社会と同様に、しっかりした上下関係に依存している。ギャルは新しい形の生き方をアピールす
るものの、自分が抜け出そうとしている社会の根本的な原則を守り続ける。ギャルにはいわゆる
「集団主義」も見られる。というのは、ギャルの社会はドレスコードや活動内容が異なるサーク
ルという小さな集団から成り立っているからである。このようにギャル文化は体系化し、自らの
存在を直感的であれ、支持しているように思われる。
5.
ギャルとヒッピー -
比較
ギャル文化が生み出したファッションやその影響は、社会革命を起こし、世界的な規模で文化
に深い跡を残したヒッピーの運動と比較する権利を与えられる。ギャルもヒッピーも社会が生み
出した存在であるが、次元の違う現象である。その理由は以下のとおりである。
Janglish(ジャングリッシュ)― ジャパニーズイングリッシュを略したもので、日本製英語、つ
まり英語の意味とは異なるあるいは特別なニュアンスを持つ英語カタカナの言葉。Japlish/Japanglish
1
とも言う。
ギャル文化とヒッピーの運動はいわゆる「親子問題」あるいは「新」と「古」の対立から生ま
れたといえよう。しかし、ヒッピーは世界を変えることや平和主義を訴えたことに対し、ギャル
文化は現代社会に反対するように見えるが、上述したように、それは外見上だけであり、実際は
「今日だけよければ、それでいい」ということをモットーにしているといえよう。
また、ヒッピーは金や社会福祉や出世や穏健な考えを重視する俗物的な社会から脱する試みを
した。彼らは家を出て、アメリカンロードを歩み、理想を追った。それに対して、ギャル文化は
消費社会の子である。金やファッションやブランド商品やエンターテインメントなどがギャルの
世界で欠かせないものである。その上、ギャル文化は、この不可欠な物を提供する化粧メーカー
やファッション企業や娯楽と美容術の企業などを支えるわけである。
さらに、両者の大きい違いは、歴史的な役割にある。ヒッピーは独特の文学を残したとはいえ
ないが、ヒッピーの運動は音楽に大きく貢献した。たとえば、1960 年代に出現した「ザ・ビー
トルズ」は自分の音楽で世界の人々の心を奪った。さらに、ヒッピー運動は弱まった後で「ヒッ
ピースタイル」が商業化され、大衆文化の一部になった。このように、「運動」は「スタイル」
へと変身した。
一方、ギャル文化が生み出したものの中で最も面白いのは、
「ガングロスタイル」である。と
ころが、この注目すべきスタイルはおそらく日本の国境を越えないだろう。それに、ヒッピーと
違って、ギャル文化は消費に依存するため、現在はギャルの流行を支持できない社会も世界にあ
る。
また、ギャルが発明したもう一つのものは、ギャル文字である。ギャル文字とは、半角、全角、
記号、「ギリシア文字」、「ロシア文字」などの特殊文字および漢字の組み合わせでメール文を
作成するオリジナル文字のことをいう。これはきわめて面白いものであるが、ギャルの社会を超
え、普及することは疑わしい。
最後に、ヒッピーとギャルの一番大きな違いは、それらのイデオロギーにある。「ヒッピー」
になることはヒッピーとして一生行き続けることを意味する。つまり、ヒッピーというのは、単
なる流行ではなく、生き方そのものである。一方、ギャルの場合は年齢の範囲があり、一定の年
を越えると、ギャルのサークルから「引退し」、社会人にならざるを得ない。つまり、ギャルは
生き方ではない。ギャルの社会はいつか卒業しなければならないある種の学校であり、それと同
時に、社会人としての生活が始まるまでの延期でもある。
このように、ギャル文化はヒッピー運動のように、世界の歴史において跡を残すことはないだ
ろう。しかし、ギャル文化は現在日本社会の現象として非常に面白いく、興味深い存在であるこ
とは確かだ。
参考文献
1.Ranzuki (東京) 2005−07
2.「Econom expert」オンライン百科事典
http://www.economicexpert.com/a/Ganguro.htm (2005.06.18)
3.「Shibukei」オンライン雑誌
http://shibukei.com/special/2003/11/07/
(2005.06.20)