No1

第4回 都市空間のデザイン (1)広場
都市デザイン
No.1 機能、役割、形態
1. 広場の機能
1)一般的定義 ( 建築大事典より )
「 ・ ・ ・ などのために設けられる公共的な空地で、
公共建築の前や道路交差点などの都市空間の に設けられる。」
⇒ 広場の機能:①人が集まり、議論する
②市を開き、生活の糧の売買が行われる
③場所を美しく見せる
④交通をスムーズに処理する etc.
写真1 アテナイのアゴラ
2)今までの広場
アクロポリスから見た現況。
・古代ギリシア : agora
早くから の分化 ⇒ 市民広場、 市場の広場
・古代ローマ : forum
政治・経済の中心 ・・・ ・中世ヨーロッパ : プラザ plaza、ピアッツァ piazza
多機能化 ⇒ 広場 :教会前の広場
広場:市庁舎や裁判所などの立地
・近世ルネッサンス時代 : 文芸復興
的な広場、 な広場
・近世バロック時代:絶対君主制
図1 アテナイ・アクロポリス麓のアゴラ B.C.6 〜 2
写真2 アテナイのアゴラの遺構
市民生活の中心をなす広場で、行政、商業などの諸施設があり、全市民的な催しの会場となり、 右手奥に見えるのは、アクロポリスのパルテノン神殿。
知的、芸術的な交流の行われる日常的な集会の場でもあった。
的広場・・・彫刻、噴水、建物の装飾
権力の誇示( )のための空間 ⇒美観広場、交通広場
図2 古代ローマのフォルム・ロマーヌム Forum Romanum 写真3(右)その復原図
ローマ市内にあり、古代ローマの政治、経済の中心をなした都市広場。現在のフォロ ロマーノ。初期には商店の立ち並ぶ市場
として発達。前2世紀頃からは帝国の政治活動の中心地となり、歴代皇帝によって多くの壮麗な神殿、会堂、記念門などが建造
された。主要なものは、クーリア(元老院)、ロストラ(演壇)、双子神の神殿、コンコルディア神殿、アエミリウスのバシリカ、
バシリカ ユリア、コンスタンティヌス帝のバシリカ、ティトゥス帝記念門、サプティミウス セウェルス帝記念門など。
・近代の住宅地計画 : 理論
コミュニティ広場・・・子どもの遊び場、祭り
・現代 : 防災拠点、交通処理、仮設性
広場、 広場、イベント広場、ポケットパーク
2.広場の役割
・街のスキマ(ゆとり): 、 、 ・街の :歴史性、芸術性
・街の に合った効能:開発期、発展期、成熟期、衰退期
3.形態からみた広場の要素と型 ( ポール・ズッカー )
1)3 つの限定要素 : 周囲を囲む建物の壁面
地表面の広がり
頭上の空(上部が抜けていること)
図 3(左) 写真4(上)
カンポの広場
イタリア・シエナの中心である広場。当時
のシエナは9つの自治区からなる共和制を
とっており、それが広場の平面にも現れて
いる。盆地状になったこの広場では、毎年
9自治区による「パリオ」(競馬)が行われ
ることでも有名。
写真5(上)
教会前の広場
ヨーロッパの教会前には、通常広場が設けら
れる。日曜日などのミサの日には、敬虔なキ
リスト教信者達が数多く教会に集まる。機能
的には、その人数の出入りを受け止める空間
として、広場は必要である。また、写真のよ
うに、クリスマスのシーズンには楽団による
演奏なども行われる。
2)広場の 5 原型 :
①周囲を で完全に囲まれた広場 < 囲繞型広場 >
方形プランが多い
周辺から した環境の形成
例)ミレトスのアゴラ、ローマのフォラム
② のある広場 < 有軸型広場 >
的手法の利用
ランドマークによる強調
例)サンピエトロ広場、ダルム広場など
③囲まれてはないが、 のある広場 < 有核型広場 >
壮大な や彫刻の存在 ⇒ 求心的デザイン
例)聖アントニオ広場、聖ジョバンニ・聖パオロ広場
④広場の 体(群)< 連鎖型広場 >
単位となる広場の鎖状の 単体の広場以上の 感
例)サンマルコ広場
⑤ 型広場 ( アモルファス型 )
発生的
境界が不確定な場合 ⇒ 広大すぎて空間の統一感がない
例)コンコルド広場、寺社の境内、橋詰等、など
図5、6、7 カンピドリオ広場、ローマ
Piazza del Campidoglio
ローマのカンピドリオ丘の上にミケランジェロが設計し
た広場。「カピトリーノ広場」ともいう。1546 年ごろ着工。
正面に3階建てのパラッツォ デイ コンセルヴァトー
リ、左にカピトリーノ美術館を配し、中央に古代ローマの
マルクス アウレリウス帝の青銅騎馬像を置いた優雅で古
典的な広場。 図4 写真6、7 サンマルコ広場、ヴェネチア
Piazza di San Marco
イタリアのヴェネツィアの中心広場。
広場の歴史は総督邸とその私的礼拝堂と
してサンマルコ寺院が建設された9世紀
にさかのぼるが、現状に近い形状とな
るのは鐘塔を再建し運河を埋めて整備を
行った 12 世紀以降である。鐘塔は 10 世
紀の監視灯台の転用であったが、現存の
も の は 1902 年 の 倒 壊 後 の 復 原。12 世
紀以降にもルネサンス時代の建造物の改
築、19 世紀初頭のナポレオンによる改修
などを経て現在の姿となっている。
東にサン・マルコ大聖堂、西・南・北
に官庁建物(16 〜 19 世紀初期)を配置
した大広場と、東側と西側に図書館と総
督宮、南側に大運河をひかえた小広場で
形成され、欧州の最も美しいモニュメン
タルな広場である。この広場の優れた構
成は、後世の広場と建築に大きな影響を
与えた。
写真8 エトワールの凱旋門、パリ
Arc de Triomphe de l'Etoile, 1806-36
ナポレオンの 1805-06 年の戦勝を記念して建
てられた。高さ 50m, 幅 45m, 奥行 22m とい
う巨大さは、ローマの先例にも見られないもの
で、ナポレオンの記念建造物の中で最も成功し
た作品であった。設計者シャルグランの死、ナ
ポレオンの失脚にもかかわらず、数人の建築家
に引き継がれてルイ・フィリップ治下の 1836
年に完成した。
写真9 コミュニティ広場
C.A. ペリーによって近隣住区理論が提案され
た頃、アメリカでは、都市美運動に対する反動
として、コミュニティセンター運動が活発化し
ていた。コミュニティ施設の要求が高まったの
である。