徳倫理学(Virtue Ethics)の可能性と危険性

徳 倫 理 学 ( Virtue
Ethics) の 可 能 性 と 危 険 性
-腎臓移植を題材として-
東京都立立川高等学校
菅野功治
1.問題の出所
現 在 、 経 済 と 倫 理 教 育 研 究 会 ( 代 表 : 新 井 明 都 立 西 高 教 諭 ) に よ り 、『 Wight/ Morton
2007
Teaching
the
Ethical
Foundations
of
Economics
NCEE』の 翻 訳 が 進 行 中
で あ り 、 私 も そ の プ ロ ジ ェ ク ト の 一 員 と し て 参 加 し て い る 。 そ の 第 7 章 で は 、「 臓 器 移 植
のための市場を許すべきか」と題して、生徒に市場経済でその問題を解決することの倫理
面からみた長所と短所について討論を行わせ、移植臓器の不足に対処するための4つの選
択肢を分析させることになっている。その際に、生徒達が依拠する倫理学の理論として提
示されているのが、1)結果に基づく倫理学と2)義務に基づく倫理学と3)徳に基づく
倫理学の三つである。1)は「ある基準を最も満足させる成果を生み出すように行動する
こ と ( 例 、 人 々 の 厚 生 )」 と い う 説 明 が な さ れ て お り 、 い わ ゆ る 「 功 利 主 義 」 の 立 場 で あ
り、2)は「一つの規則あるいは原理に対する義務と一致した態度で行動すること(例、
「 十 戒 」)」 と い う 説 明 が あ る の で い わ ゆ る 「 カ ン ト 学 派 」 と キ リ ス ト 教 の 立 場 も 含 ん で い
る よ う で あ る 。 3 ) は 「 あ な た に と っ て の 徳 の 概 念 と 一 致 す る 習 性 的 な 人 柄 a habit of
character か ら 行 動 す る こ と 」 と い う 説 明 が あ り 、 い わ ゆ る 「 徳 倫 理 学 」 を 指 す 。( Wight
/ Morton, p29)
最後の「徳倫理学」についてこれ以上の説明はなく、勉強不足の私には当初それがどの
ような倫理学説であるのかさえ、わからなかった。古代ギリシアのアリストレスで現代の
問題を解決できるのか?『美徳なき時代』のマッキンタイアのことなのだろうか?勉強し
なくては・・・。
2.規範倫理学の一つとしての徳倫理学
「 規 範 倫 理 学 」 (normative ethics)と は 、 (1) 正 し い 行 為 は 何 か 、 為 し て は な ら な い 行
為は何か、といった規範的な問いに反省的に答えようとする営みないし学問分野であり、
(2) 「 広 義 の 規 範 倫 理 学 」 と (3) 「 狭 義 の 規 範 倫 理 学 」 に 分 か れ る と い う 。 生 命 倫 理 学 と
環境倫理学に代表される応用倫理学も、事実問題の整理分析にとどまらずに何らかの規範
的 な 答 え を 出 そ う と す る も の で あ る か ぎ り 、 (2)に 含 ま れ る 。 英 米 倫 理 学 と 言 え ば 1960 年
代までは、そもそもある規範を受け入れるというのはどういうことかということについて
の 概 念 的 ・ 道 徳 心 理 学 的 ・ 形 而 上 学 的 分 析 な ど を 行 う メ タ 倫 理 学 だ っ た の が 、1970 年 代 に
規 範 倫 理 学 が 復 権 し た と さ れ る 。 (3) は 個 別 問 題 に 焦 点 を 絞 る の で は な く 、 個 別 問 題 に 答
1
え る た め の 一 般 的 な 基 準 や 原 則 を 提 示 ・ 検 討 し 、「 倫 理 学 理 論 」 (ethical theory) の 形 成
を 目 指 す も の で あ る 。[ c)⑮ 都 築 ]
アメリカの大学に於ける生命倫理学のテキストとして有名なビーチャム/チルドレス
『 生 命 医 学 倫 理 』〔 b) ② 〕 や 応 用 倫 理 学 の テ キ ス ト で あ る レ イ チ ェ ル ズ 『 現 実 を 見 つ め る
道徳哲学』
[ c)③ ]で は 、
「 狭 義 の 規 範 倫 理 学 」と し て 功 利 主 義 と カ ン ト 義 務 論 を と り あ げ 、
それを補うものとして徳倫理学やケアーの倫理学があげられている。このような「倫理学
理 論 」を 用 い て 、生 命 倫 理 の 様 々 な 具 体 的 な 諸 問 題 を 考 察 し て 行 っ て い る 。日 本 で は 、1994
年 に 日 本 倫 理 学 会 が 『 徳 倫 理 学 の 現 代 的 意 義 』 * 1 [ c) ⑦ ] と い う テ ー マ で シ ン ポ ジ ウ ム を
開 い て お り 、 最 近 の 日 本 の 大 学 の 倫 理 学 の テ キ ス ト で も 、 北 海 道 大 学 [ c)⑩ ] や 慶 應 義 塾
大 学 [ c)⑪ ] の テ キ ス ト で は 、 規 範 倫 理 学 や 徳 倫 理 学 と い う 項 目 が 設 け ら れ 、 若 手 研 究 者
が 執 筆 し て い る 。 *2
高校での倫理教育関連の教科書・資料集で、応用倫理学を規範倫理学の視点から説き
おこそうとしているものは東京書籍の資料集『資料・新総合倫理』に【資料1】の様な記
述がみられるだけであった。私の授業も応用倫理学的な部分は単なる現状の説明で終わっ
て お り 、思 想 史・哲 学 史 の 部 分 と の 連 携 は な く 、功 利 主 義 や カ ン ト を 教 え て も 、そ れ が「 規
範倫理学」としての役割は全く果たせていないのが実情である。今年度はじめて、ベンサ
ムの単元の後に、東京大学の入試問題を使って、功利主義者ハリスの提案した強制的臓器
移 植 制 度 に つ い て 、 生 徒 達 と 考 察 を 行 っ て み た 。【 資 料 2 】 具 体 的 な 問 題 へ の 関 心 が 触 発
され、概ね好評だった。
3.臓器売買と規範倫理学
a)腎 臓 移 植
二 つ あ る の で 、 一 つ 取 っ て も 大 丈 夫 。( 議 論 の 中 心 テ ー マ が 脳 死 と は 何 か と い う 問 題 に
*1
『徳倫理学の現代的意義』では、神崎繁が新アリストテレス左派からフーコーにもつ
な が る 立 場 で 、 注 目 す べ き 論 考 を 寄 せ て い る [ c) ⑧ ] が 、 そ の 他 に も 儒 教 ・ 朱 子 学 ・
道徳教育などの研究者もそれぞれの立場から「徳倫理学」に関心を寄せている。
*2
若 手 研 究 者 も 、( 3 )「 狭 義 の 規 範 倫 理 学 」 と し て の 「 徳 倫 理 学 」 の 研 究 を 行 っ て い る
も の が ほ と ん ど で 、 そ れ を 踏 ま え た 上 で の 、 (2) 「 広 義 の 規 範 倫 理 学 」、 特 に 生 命 倫 理
学や臓器移植問題の研究を行っている例は見いだせなかった。また、最近では、アメ
リカでも日本でも規範倫理学からメタ倫理学への再度の揺り戻しがおきており、大庭
健 や 管 豊 彦 な ど が ジ ョ ン・マ ク ダ ウ ェ ル に 依 拠 し な が ら 、
「 道 徳 的 実 在 論 」を め ぐ る「 徳
倫理学」を研究している。
2
陥 っ て し ま う こ と を 回 避 ) 日 本 で は 生 体 移 植 が 中 心 。【 資 料 3 】
b)腎 臓 売 買 の 現 状
アメリカでも、日本でも禁止
フィリピン・インド等では合法化
中国では、死刑囚の腎臓の移植が行われている
宇和島事件
c)NCEE テ キ ス ト に お け る 腎 臓 売 買 と 規 範 倫 理 学 の 授 業 展 開 例
1)教 師 は、腎 臓 移 植 の 売 買 を論 じる際 に依 拠 する 3 つのタイプ倫 理 学 理 論 を、次 のように要 約 し、
生 徒 に提 示 する。
成 果 に 基 づ い た 倫 理 学 は 、 適 切 な 行 動 を と れ ば 最 善 の 結 末 と なる と 考 え る 。 そ れ ゆ え 、 移 植 に 活
用 す る こと がで き る 腎 臓 を増 や す こと が 最 善 と なる 、と い うの も 移 植 のため の 順 序 待 ちリ ス トに 登 録 して
い る 人 が 減 る し 、 生 命 を救 う こ と が で き る か ら で あ る 。 公 平 さ と か 不 公 平 な入 手 権 利 と い った 観 点 か ら
の結 末 は、それほど明 快 ではない。
義 務 に基 づいた倫 理 学 は、我 々に正 しい行 いをさせるようなルールに基 づいている。人 体 を 1 個 の
商 品 のように取 り扱 うことは正 しいことだろうか。なぜか。
徳 に 基 づ い た 倫 理 学 は、 善 良 な る 人 は 何 を な す べ き か 、 と い う こ と を 求 め る 。 善 良 な る 人 は 腎 臓 を
売 ったり買 ったりするだろうか。なぜか。
2)そして、次のような問答を生徒との間で行い、それぞれの倫理学説の長所・短所を検
討していく。
Q1 市 場 に お い て 消 費 者 の 選 好 を 満 足 さ せ る こ と に 焦 点 を お く 倫 理 論( 道 徳 論 )の 長 所 と 短
所は何か。
A 最 も や っ か い な 問 題 は 、公 平 と い う 認 識 か ら 生 じ る( 最 も や っ か い な 問 題 は 、何 を も っ
て 公 平 と 認 識 す る の か 、と い う 所 か ら 生 じ る )。所 得 は 平 等 に 分 配 さ れ て い る と 信 じ て
いる限り、自分の所得をどのように使うかということは公平として認識される。人々
の選好を満足させることは、移植のためのさらに多くの腎臓を利用可能とし、そして
個 人 の 自 由 を 促 進 す る 。選 好 理 論 は 、ド ラ ッ グ や ポ ル ノ 写 真 * 3 と い っ た 一 般 に 歓 迎 し が
たいとおもわれているものを購入しようとするとき、問題にぶつかる。
Q2 腎 臓 移 植 の た め の 公 共 政 策 を 決 定 す る と き に 絶 対 的 な 倫 理 規 定 を 使 っ て 検 討 す る こ と
*3
『 徳 倫 理 学 の 現 代 的 意 義 』に 掲 載 さ れ て い る 、日 本 倫 理 学 会 の シ ン ポ ジ ウ ム で も 、
「ブ
ルセラ問題」をどう考えるか、ということが論議されている。両者の合意の上で売買
さ れ て い れ ば 、「 最 大 多 数 の 最 大 幸 福 」 が 実 現 さ れ て い る だ け な の で 、 問 題 は な い は ず
なのだが、リベラル派や功利主義者も含めて肯定的な意見は見られず、ある意味腰砕
けである。唯一、神崎が「少女達が自分自身のストーリーをどうつくっていくのかと
い う 観 点 か ら 考 え る べ き で あ る 」、 と 発 言 し て い る の が 目 を ひ く 。 で は 、 な ぜ 、 駄 目 な
のかとなると、リベラリズムや功利主義という理論枠組みと一貫性を持った説得力を
持った議論は見いだせない。
3
の長所と短所は何か。
A 長 所 は 、自 分 の 行 動 を 導 く 1 連 の 明 確 な ル ー ル を 持 っ て い る と い う こ と で あ る 。し か し
ながら、あなたとは違ったルールを信奉していたり、政策を実行するとき最も重要な
基準は、倫理規定ではなく結果であると考えている人にとっては、耐え難さを招いて
しまう。
Q3 理 想 的 な 人 間 の 人 柄 と は 、 何 だ と 思 う か 。 理 想 的 な 人 間 の 人 格 に 関 す る あ な た の 定 義
は、腎臓を売買することに関する検討ついて、どのような影響を与えるか。
A 生 徒 た ち の 答 は 多 様 だ ろ う 。話 し 合 い で は 、理 想 的 な 人 間 の 人 柄 を 定 義 す る こ と は 容 易
なことではない、ということを明確にすることが大切だ。
Q4 腎 臓 を 売 買 す る こ と に つ い て じ っ く り と 検 討 す る 際 、 こ の 3 つ の 倫 理 ア プ ロ ー チ の ど
れが、一番影響を及ぼすか。なぜか。
A 生 徒 た ち の 答 は 多 様 で あ る べ き で 、し か も た と え 事 実 に は 合 意 し て い た と し て も 、道 徳
論が異なれば、違った結末をもたらすということに焦点をあてるべきである。
3 )教 室 の 壁 に 次 の 4 つ の 選 択 肢 を 書 い た 紙 を 掲 示 し 、生 徒 に 自 分 が 支 持 す る 政 策 が 書 い て
ある紙の隣に立つよう支持し、自身の立場を説明するようにいいなさい。
4
選 択 1: 現 行 シ ス テ ム
連 邦 法 で は 、人 間 の 臓 器 を 売 る こ と は 違 法 で あ る 。腎 臓 を 売 っ た も の は 誰 で も 、懲 役 、
罰 金 も し く は 両 方 が 科 せ ら れ る 。し か し な が ら 、腎 臓 を 寄 付 す る か も し 、医 師 は 必 要 性
に 基 づ い て 寄 付 さ れ た 腎 臓 を 割 り 当 て る か も し れ な い 。医 師 が 腎 臓 を 割 り 当 て る 要 素 は
た と え ば 、患 者 の 年 齢 、病 状 、待 機 期 間 や 腎 臓 提 供 者 が 患 者 の 地 元 か ど う か 、と い っ た
点である。
このシステムでは、腎臓が不足しており、多くの患者が何年もの長きにわたり、順序
待 ち リ ス ト に 載 っ て い る 。こ の 間 に も 、患 者 た ち は 費 用 の か か る 人 工 透 析 を 受 け て お り 、
しかも多くの患者が死んでいる。
選 択 2: 自 由 市 場
腎 臓 の 自 由 市 場 を 創 設 す る 。人 々 は 最 も 高 い 価 格 で 自 分 の 腎 臓 を 市 場 に て 売 る だ ろ う 。
彼 ら は 生 き て い る う ち に 、自 分 の 腎 臓 の 1 つ を 売 っ た り 譲 渡 し た り す る だ ろ う し 、死 後
にも売ったり譲渡したりするだろう。仲買業者が売り手と買い手のマッチングを行う。
パソコン上で売買することすら可能である。
選 択 3: 規 制 市 場
誰でも腎臓を売ることができる市場を創設するが、病院のような指定機関だけが合法
的 に 購 入 す る こ と が で き る 。こ う す れ ば 、窃 盗 や 殺 人 と い っ た 不 本 意 な 手 段 で 腎 臓 を 入
手 す る で あ ろ う 可 能 性 を 減 じ る こ と が で き る 。指 定 機 関 は 、患 者 の 年 齢 、医 学 的 必 要 性 、
待 機 期 間 と い っ た 、基 本 的 に は 今 日 用 い ら れ て い る の と 同 じ よ う な 方 法 に よ っ て 、腎 臓
を割り当てるだろう。
選 択 4: 共 同 体 主 義 ア プ ロ ー チ
このアプローチは、いくつかの方法によって、腎臓の供給を増やす非市場メカニズム
を 用 い る 。販 促 キ ャ ン ペ ー ン に よ り 、こ の 問 題 に 対 す る 人 々 の 認 識 を 高 め 、道 徳 的 説 得
を 通 し て 、臓 器 提 供 に 対 す る 彼 ら の 選 好 を 変 え る 。全 国 ネ ッ ト の テ レ ビ キ ャ ン ペ ー ン の
ス ロ ー ガ ン ( 標 語 ) は 、「 友 た る も の 、 友 人 の 生 命 と い う 贈 り 物 を 無 駄 に は さ せ な い 」。
こ れ は 利 他 主 義 へ の ア ピ ー ル で は な く 、人 々 が も っ て い る 道 徳 的 責 任 感 や 義 務 感 に 対 す
るアピールである。
さ ら に 独 裁 主 義 的 な や り 方 は 、死 亡 し た と き 、生 前 に そ の 他 の 方 法 を 指 示 し て い な い
場 合 は 、死 体 の す べ て の 臓 器 を 提 供 す る と い う 合 法 的 な 負 託 で あ る 。提 供 し た く な い 場
合 は 、事 前 に 、運 転 免 許 書 に 記 す と い う 追 加 手 続 き を と ら な く て は な ら な い 。予 め 、自
分の臓器 を提供することを了承しなくてはならない。
4)答は多様だろう。生徒たちは(感情ではなく)自分の立場は倫理論(道徳論)や経済理
論で説明できなくてはならない。ここにいくつか話し合いの際のポイントをあげる。
・結果に基づいた倫理学を支持した生徒たちは、腎臓のために自由市場もしくは規制市場
を創設することを支持しただろう、というのも、結果はいくつもの立派な目的を向上さ
せるからである。つまり、より多くの生命が救われる、自分の所得で必要なものを購入
で き る( 消 費 者 の 選 好 に お け る 効 率 )、そ し て 自 由 が 強 化 さ れ る 。あ る 状 況 下 で は 、臓 器
を売る人に対する公平さが促進される、なぜなら貧しい人々が市場で自分の腎臓を売買
することができるからである。結果に基づいた倫理学を支持する生徒たちには、買い手
5
に対する公平さを最優先事項として判断したものもいるだろう。低い所得の患者は(市
場ができても購入できずに)苦しむだろうから、まったく制限のない市場よりむしろ、
現行システム維持もしくは規制市場を選ぶだろう。結果に基づいた倫理学と義務に基づ
いた倫理学の双方を支持した生徒は、規制市場を支持するだろう。結果に基づいた倫理
学を支持する生徒の中には、腎臓提供者の数を増やすことになるので共同体主義のアプ
ローチの一部を支持するものもいるだろう。
・義務に基づいた倫理学を支持する生徒たちは、人体の自由市場の創設に異議を唱えるだ
ろう、というのも、人間が商品となることで暗にもっていた品位や神聖さというものを
失うことになるからである。彼らは養子縁組のような他の市場において創設された前例
に関心がある。彼らはまた、権威者による推定同意という選択肢にも異議を唱えるだろ
う。というのも、個人の自由が失われるからである(個人が事前に反対の意思を表明し
て い な い 場 合 は 、政 府 が 強 制 的 に 死 体 か ら 臓 器 を 摘 出 す る と い う こ と )。義 務 に 基 づ い た
倫理学を支持する生徒たちは、宗教的信条にも影響を受ける。たとえば、人間は神を雛
型 に し て 創 造 さ れ た の だ か ら 、腎 臓 を 売 る こ と は 悪 い こ と だ 、と 主 張 す る か も し れ な い 。
・徳に基づいた倫理学を支持する生徒たちは、広告キャンペーンを通して選好を変化させ
る反応のよい共同体主義のアプローチを支持するだろう。もし善良なる人が善良なる行
いをすれば、市場という非人間的な力は必要ないだろう。教育によって人間の性格は形
成され、臓器提供者の数を増やすことができる。徳に基づいた倫理学を支持する生徒た
ちは、愛、博愛心やとりわけ公共心を、効率よく使わなければ枯渇してしまうという欠
乏資源として取り扱うことは間違っていると主張するだろう。生産における物質的な要
素とはちがって、愛、博愛心や公共心を使うことでそれらを増やすことができるのであ
る。道徳的資源というのは、実践に対して肯定的に反応し、疎かにすることで退化する
ものである。
・徳に重きをおく生徒は、善良なる人は強制される必要がなく、しかも臓器提供を強制さ
れることを酷く嫌がるだろうといって権威主義的な共同体主義のアプローチに反対する
かもしれない。
d)日 本 に お け る 「 規 範 倫 理 学 」 の 腎 臓 移 植 へ の 対 応
これに関しては、別稿を起こすしかないが、調べた限りでのそれぞれの倫理学理論の方
向性を示しておく。
1)功利主義は、ヒト胚の研究利用、生殖技術、遺伝子治療、臓器売買などについても、
功利計算をしっかり行えば、問題はないという立場といえる。特に、児玉はヘアの二
層理論を用いながら、既存の直観や常識の方を修正すべきであるとして、ハリスが提
案 し 直 し た 死 語 の 臓 器 の 強 制 的 提 供 制 度 を 支 持 し て い る 。「 ベ ン サ ム が 活 躍 し た 18 世
紀末の英国では、
『 福 祉 目 的 で 政 府 が 税 を と る こ と は 、財 産 に 対 す る 個 人 の 権 利 を 侵 害
す る も の で あ る 』 と 真 剣 に 主 張 さ れ て い た 。 従 っ て 、「『 死 後 の 身 体 か ら 強 制 的 に 臓 器
を摘出すべきではない』という直観も、死後の臓器提供が技術的に不可能であった時
代の直観であり、その技術が可能になった今日、このような直観をあらためて検討す
る 必 要 が あ る 」。[ b)⑤ ⑥ p198 児 玉 ]
2 )カ ン ト 学 派 で は 、1994 年 に 日 本 カ ン ト 協 会 が「 カ ン ト と 生 命 倫 理 」と い う 公 開 シ ン ポ
ジウムを開催しており、その席上で平田俊博がフランス方式(生前にドナーとなるこ
とを拒否する意思表示がない限り臓器の提供を容認したものとみなす)の理念がカン
6
ト倫理学の精神と一致すると発表している。
「 こ の 場 合 、生 命 の 所 有 権 は 社 会 に 属 す る 。
自分の生命も個人の生命も勝手に処理できない。自殺も殺人も禁じられ、国民は兵役
を拒否できない。社会や国家があって初めて個人の生命も確保されると考える思想が
フランス方式を支えており、謀殺に対する死刑を積極的に認め、自殺を許さないカン
ト 倫 理 学 の 精 神 と 一 致 す る 」[ b) ④ p43 平 田 )「 人 権 の 確 立 さ れ た 先 進 国 の 人 々 は フ ラ
ンス方式に抵抗を感じるかもしれないが、人権と水はコストがかかるものなので、環
境 倫 理 と も 関 連 さ せ て フ ラ ン ス 方 式 を 理 解 し な い と 、人 類 は 21 世 紀 を 生 き 残 れ な い の
で は な い か 」[ b)④ p91 平 田 )
シ ン ポ ジ ウ ム で は 、谷 田 信 一 よ り「 フ ラ ン ス 方 式 は『 自 律 』の 精 神 に 反 す る の で は な い
か」という指摘があったものの、フランス方式への賛意が多数を占めた。
3)徳倫理学では、残念ながら生命倫理や臓器移植に関しての言及を見つけることが出来
なかった。
4.徳倫理学の諸相
アリストテレス主義左派とでも呼ぶべき独自の立場から、徳倫理学を擁護しているマー
サ ・ ヌ ス バ ウ ム は 、 次 の よ う な 学 会 展 望 を 行 っ て い る 。[ c)⑯ ]
「英米系道徳哲学は、普遍性をもった啓蒙の理念に基づいた倫理学から伝統と特殊性に
基づいた倫理学へ、原理原則に基づいた倫理学から徳に基づく倫理学へ、体系的・理論的
正当化の彫琢に邁進する倫理学から理論に懐疑的で地域的な知恵を尊重する倫理学へ、孤
立化した個人に基づいた倫理学から協調と配慮に基づく倫理学へ、没歴史的に遠巻きに眺
め る 倫 理 学 か ら 歴 史 の 具 体 性 に 根 ざ し た 倫 理 学 へ と 転 回 し つ つ あ る 。」
「 徳 倫 理 学 」 は カ ン ト の 義 務 倫 理 と ベ ン サ ム 及 び J.S.ミ ル の 功 利 主 義 を 批 判 し た ア ン ス
コムの次の小論が、口火となったとされている。
a) ア ン ス コ ム ( G. E. M. Anscombe, 1 919-2001 )「 近 代 の 道 徳 哲 学 ( Modern Moral
Philosophy) 1958」 * 4
1 ) ウ ィ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン 門 下 の 彼 女 は 、 義 務 論 者 や 功 利 主 義 者 が 用 い る 「 義 務 」「 べ き 」
「正・不正」という言葉に注目する。
2)以上の言葉は神が法を賦与するというキリスト教の枠組みのなかの言葉にすぎず、カ
ントも功利主義者たちも、道徳法則の「立法者」の存在を前提にしている。
3)現代ではこの枠組みが捨て去られているにもかかわらず、倫理学者は相変わらずこの
*4
こ の 論 文 は 邦 訳 が な い 。[ c)⑬ 都 築 ] や [ c)⑱ 上 村 ] な ど の web 上 で 要 約 を 見 る こ と
が出来る。
7
言葉を用いて議論している。これらの言葉は真性の意味を失い、心理的・催眠的な言
葉しか持っていないので、このような言葉は放棄したほうがよいだろう。
4 )ま た 、現 代 の 倫 理 学 者 が 前 提 に し て い る 、
「結果が良ければどんな行為も道徳的に許さ
れ る 」 と い う 結 果 主 義 ( consequentialism) も 間 違 っ て い る 。
5 )そ れ に か わ る も の と し て 、ア リ ス ト テ レ ス の 倫 理 学 を 再 考 す る 。道 徳 法 則 で は な く て 、
よ い 人 生 と そ う し た 人 生 を 送 る こ と を 可 能 に す る 人 間 の 人 柄 ( character ) の 研 究 が 、
ま た 、義 務 に 基 づ く 徳 で は な く 、
「 法 則 」や「 義 務 」と い っ た 観 念 に 依 存 し な い「 徳( ア
レ テ ー )」 の 分 析 こ そ が 、 倫 理 学 が 取 り 扱 う べ き テ ー マ で あ る 。 ア リ ス ト テ レ ス が 探 求
し た 「 幸 福 ( エ ウ ダ イ モ ニ ア )」 す な わ ち 「 生 き が い の あ る よ い 人 生 を 送 る こ と 」( そ
れは「徳=優れた性質の開花」によって導かれる)ことこそが倫理学において問われ
るべき事柄である。
6)そのために、どのような人柄や徳が悪であるのか、人柄と行為はどう関連しているの
か、そもそも行為とは何かなどを解明していかなくてはならない。
[ c)
⑩ 都 築 ][ c)⑲ 上 村 ]
b)バ ー ナ ー ド ・ ウ ィ リ ア ム ズ ( Bernard Williams, 1929-2003 ) * 5
1)
「 い か に 生 き る べ き か 」と い う ソ ク ラ テ ス の 問 は 、人 称 も 個 別 / 普 遍 の 別 も 特 定 さ れ な
い特異なもので、問われた者は各自の個別的な生き方を離れて、一挙に普遍的な道徳
的 真 理 へ の 探 究 の 場 へ 引 き ず れ 出 さ れ る こ と に な る 。 ソ ク ラ テ ス は 「 徳 ( ア レ テ ー )」
- つ ま り 「 人 と し て の 善 さ 」 - た と え ば 、「 勇 気 」 を 、 そ れ に 関 わ る 定 義 的 知 と 同 一 視
して、道徳的生を理性的な反省と不可分のものにした。
2)ウィリアムズは、ソクラテスからプラトンを経て、近代の道徳的理論を二分する「義
務論」と「功利主義」にも見られる〈反省〉に対し、否定的態度を示す。それは、カ
ント的理性主体も功利主義の「理想的観察者も」ともに諸個人からその個別的諸条件
の捨象を要求するからである。
3)このような諸条件のうち、もっとも典型的なものは、欲求、評価、感情、態度、人生
設 計 と い っ た 行 為 者 自 身 が 行 為 の 時 点 で 持 っ て い る 「 動 機 群 ( motivational
set)」 で
あ る 。 あ ら ゆ る 行 為 の 理 由 を 形 作 る の は 、 こ の よ う な 動 機 群 を 起 点 と し た 、「 内 的 理 由
*5
主 要 著 書 の "Ethics and the limits of the philosophy"は 、
『生き方について哲学は何が
言えるか』
[ c)① ]と い う 題 で 訳 出 さ れ て い る が 、
「 コ ミ ッ ト メ ン ト commitment」、
「全
一性
integrity 」 と い っ た 概 念 に 訴 え て 功 利 主 義 を 批 判 す る ,"A Critique of
Utilitarianism", 197 3, 及 び 「 基 本 計 画 ground project」 と い う 概 念 を 使 っ て 、 カ ン
ト 主 義 と 功 利 主 義 を 批 判 す る "Persons, C haracter and Morality", 1976 は 、 web 上 の
[ c)⑬ 都 築 ] で 論 文 要 約 を 読 む こ と が 出 来 る 。
8
( internal
reason)」 で な け れ ば な ら な い 。 あ ら ゆ る 行 為 の 中 で も 道 徳 的 行 為 は 、 動
機 群 に 起 源 を 持 た な い「 外 的 理 由 」に す ぎ ず 、い く ら そ の 普 遍 性 が 主 張 さ れ よ う と も 、
何 ら か の 行 為 者 の 個 人 的 動 機 と 結 び つ か な い 限 り は 、 実 行 さ れ え な い 。[ c)⑩ 都 築 ]
4 )こ の よ う な 彼 の 立 場 か ら し て 、「 住 み な ら わ し 」を 原 義 と す る = ethos エ ー ト ス を 中 核
概念とするアリストテレスの倫理学説は、他の倫理学説にもまして、価値の多元性や
相対的な合理性を示すものとして高い評価が与えられる。一方で、欲求や感情などの
訓練による〈習性的徳=人柄〉の〈知性的徳〉への調和という発想では、完全な有徳
者の存在が想定され、人間という種に固有な機能の完全な開花という目的論的な思考
に裏付けられている点で、批判の対象ともなる。
5)では、行為者への中立的な反省を拒み、個別的条件へ配慮することは、何らかの相対
主義に陥ることなく、倫理的拘束力への規範を維持できるのだろうか。ここで、彼は
価 値 評 価 に 関 わ る 「 濃 密 ( thick) な 語 」 と 「 希 薄 ( thin) な 語 」 を 区 別 す る 。「 純 潔 」
「 不 倫 」 と い っ た 前 者 に 区 別 さ れ る 語 は 、「 善 い 」「 悪 い 」 と い っ た 後 者 に 属 す る 語 と
比べ、世界の側からの制約を受けると同時に、世界への行為的働きかけを同時に満た
すものである。つまり、社会的・時代的・文化的制約の中で、一定のローカルな知と
しての公共的な了解を形成し、行為者相互の評価を通じて、各自の動機を構成する語
ともなるという意味で、相対主義を避けうる。
[ c)① p232-p239]
6 )動 機 に 関 し て は ま た 、行 為 に 先 立 つ 、い わ ば「 事 前 の 」意 味 づ け だ け で な く 、
「事後的
な」意味づけをめぐって、ウィリアムズは興味深い問題提起をおこなっている。たと
えば、不倫の間柄にある女性との関係を清算する必要を感じている男が、揺れた心の
ま ま 、も し 結 局 妻 と 元 の 鞘 に 納 ま る な ら 、こ の 動 揺 は 彼 に と っ て 無 抑 制 を 意 味 す る が 、
逆に、不倫が露見して離婚せざるをえなくなった結果、他方の女性と晴れて一緒に暮
らすことになれば、先の動揺は無抑制ではなく、むしろ女性と暮らす理由の強さを示
すものとなる、というように、その後の出来事の偶然的な展開によって、行為者の動
機群の意味づけに変化が生ずるというのである
。
7 )こ れ は 、同 じ く ウ ィ リ ア ム ズ が 導 入 す る こ と に よ っ て 有 名 と な っ た「 道 徳 的 運( Moral
Luck)」と い う 考 え と 密 接 に 関 連 す る も の で あ り 、彼 は そ の 範 を 古 代 の 、そ れ も 哲 学 で
はなく悲劇において示されるような、自らの責任によることなく、しかも自らの行為
の 偶 然 的 帰 結 と し て 生 じ た 災 悪 へ の 、行 為 者 と し て の 慚 愧 の 念 に 仰 い で い る 。そ し て 、
行 為 に お い て は 「 罪 」 よ り も 、「 恥 」 の 方 を よ り 中 核 的 な 倫 理 的 感 情 と す る 考 え を 提 示
す る の で あ る ( Shame and Necessity, California 1993)。 [ c) ⑨ 神 崎 ]
c)マ ッ キ ン タ イ ア ( Alasdair MacIntyre、 1929 -
)『 美 徳 な き 時 代 』
1 )自 他 の「 行 為 」の 意 図 や 動 機 は 、そ の 文 脈 か ら 切 り 離 し て し ま う な ら ば 、
「 理 解 」す る
こ と は で き ず 、 そ れ は 何 ら か の 「 物 語 」 ( narrative) の 中 で の み 「 理 解 可 能 」 で あ る 。
9
ま た 物 語 と い う 概 念 は 、 行 為 の 「 理 解 可 能 性 」 の み な ら ず 、「 人 格 の 同 一 性 」、「 人 生 の
統 一 性 」、「 自 己 性 」、「 人 生 の 目 的 」、「 徳 」、「 善 き 生 」、「 共 同 体 」、「 伝 統 」 と い っ た 概
念とも深く関わっている。
2)また行為を適切に描くためには、長期の意図が何であり、短期の意図は長期の意図と
どのように関わっているのかを知らなければならない。このような作業は「物語的な
歴 史 (a narrative history)」 を 書 く こ と で あ る 。 こ の よ う な 「 物 語 的 な 歴 史 」 は 自 己
の 統 一 (unity)を 可 能 に し 、 さ ら に 人 生 に 統 一 を 与 え る 「 個 々 の 人 生 の 統 一 性 は 、 一 つ
の 人 生 に お い て 具 体 化 さ れ た 物 語 が も つ 統 一 性 」 な の で あ り 、「 統 一 的 な 人 生 と は 、 一
つの全体として、把握され評価されうるような人生」なのである。
3 ) ま た 行 為 は 家 族 や 職 場 と い っ た 「 舞 台 」 (setting)と の 関 連 で 理 解 さ れ る 。 そ し て 自 己
の 義 務 も 、 物 語 に お け る 自 分 の 役 割 と い う 形 で 見 い だ さ れ る こ と に な る 。「「 私 は 何 を
な す べ き か 」 と い う 問 い は 、「 ど ん な 物 語 の 中 で 私 は 自 分 の 役 を 見 つ け る か 」 と い う 問
い で も あ る 」。
4)
「 私 た ち は 自 分 が 企 画 し た わ け で は な い 舞 台 に 立 た さ れ 、自 分 の 作 で は な い 演 技 を 受 け
持 た さ れ て い る 」。 ま た 「 人 は 同 時 に 複 数 の 物 語 の 中 の 登 場 人 物 」 で あ り 、 他 人 が 主 人
公である物語の中では、私たちは所詮脇役でしかない。
一方、各々の行為者は単なる俳優であるだけでなく、同時に自分の人生の「共同脚
本 家 」で も あ る 。会 話 が 他 者 と 共 同 で 制 作 さ れ る よ う に 、私 た ち の 人 生 も 他 者 と の 相 互
行 為 を 通 じ て 制 作 さ れ て い る 。つ ま り 物 語 は「 生 き ら れ る 」も の で あ り 、事 後 的 に 連 関
を 与 え ら れ る よ う な も の で は な い 。「 人 間 は そ の 行 為 と 実 践 に お い て 、 本 質 的 に 物 語 を
語 る (story-telling)動 物 」 な の で あ る 。
5 )「 人 格 の 同 一 性 」 と い う 観 念 は 、「 物 語 」「 理 解 可 能 性 」「 説 明 能 力 (accountability) 」
という三つの観念から切り離すことはできないとする。
「ある物語の主体であるという
こ と は 、 人 生 を 構 成 す る 諸 行 為 、 諸 経 験 の 申 し 開 き が で き る こ と 」。
6)そして物語の中の登場人物たちにとって、次に何が起こるのかは予測不可能であるの
と同様に、私たちの将来も予測不可能である。しかしこのような「予測不可能性」は
ある種の目的論と共存しうる。未来のイメージはテロス、つまり目的や目標の形で現
れており、私たちはそれに向かって進んでいる。われわれは、物語を通じて人生を統
一 的 に 見 る こ と に よ っ て 、 諸 徳 (virtue ) に テ ロ ス と 統 一 性 が 与 え ら れ る こ と に な り 、
そ し て 「 徳 の 統 一 性 は 、 統 一 的 な 人 生 の 特 徴 」 で あ る 。「 私 に と っ て の 善 と は 何 か 」 を
問うことは、人生の統一性を生き抜き、完成させるにはどうするのが最善かを問うこ
と」である。つまり「人生の統一性は、物語的な探求の統一性である」
7 )我 々 は 、全 く の 恣 意 や 自 己 決 定 か ら「 善 の 物 語 的 探 求 」を 始 め る こ と は で き な い 。
「善
き生」は、当人が生きている時代や場所といった環境によって具体的に変化する。紀
元 前 5 世 紀 の ア テ ナ イ の 将 軍 に と っ て の「 善 き 生 」と 、中 世 の 修 道 女 や 17 世 紀 の 農 民
10
の 「 善 き 生 」 と は 異 な る も の で あ る 。「 私 の 人 生 の 物 語 は 常 に 、 私 の 同 一 性 の 源 で あ る
共同体の物語の中に埋め込まれている」のであり、さらに「自己はその同一性を共同
体の一員であることを通して見いだす」のである。
8)われわれが自分の生を取り戻し、道徳的混乱を抜け出そうとするならば、諸徳を育む
ことが出来るような「地域的共同体の復活」が必要である。
9)トマス・アクィナスの徳論との密接な関係
d)ハ ー ス ト ハ ウ ス
(Rosalind Hursthouse)
[ c)② ][ c )⑱ ]
NZ
「 徳 の 理 論 と 人 工 妊 娠 中 絶 」 *6"
「善い行為は有徳な人がする行為で、有徳な人とは善い行為をする人だ」という〈アリ
ス ト テ レ ス 的 循 環 〉に 対 し 、徳 そ の も の を 基 礎 と す る「 行 為 者 基 底 的( Agent-based)」
な立場が有る。他方、ハーストハウスは、有徳者の人柄から行為の正しさを派生させ
ることによって先の循環を脱出しようとするので、
「 行 為 者 -優 先 的( agent-prior)」
(=
行為者の評価がその行為の評価に先行しているという意味)と言える。彼女は、エウ
ダ イ モ ニ ア を 獲 得 す る た め に 要 求 さ れ る 有 徳 者 の 人 柄 を 、開 花 の 観 念 に よ っ て 説 明 す る 。
1 )ハ ー ス ト ハ ウ ス は 、母 親 と 胎 児 の 競 合 す る 権 利 に つ い て の こ れ ま で の 議 論 は 、(1)胎 児
の 地 位 を 巡 る 問 題 と (2)女 性 の 権 利 を 巡 る 問 題 と い う 、二 つ の 二 つ の 側 面 か ら 考 察 さ れ
てきたが、この問題設定は妊娠中絶の道徳性に対してはそもそも無関係であると主張
する。
2)個人はその権利を有徳な仕方でも悪徳な仕方でも行使できるのであるから、ハースト
ハ ウ ス に よ れ ば 、あ る 女 性 が 妊 娠 中 絶 を 決 断 す る こ と の 道 徳 性 は 、
「しかじかの状況に
おいて中絶をすることによって、行為者は有徳に行為しているか、あるいは邪悪に行
為しているか、それともいずれでもないか?」という問いとして、問われる。たとえ
ば、外国で休暇をすごすために七ヶ月の胎児を中絶しようと決めることは冷淡で自己
中心的である。また、母親になることを恐れて胎児を中絶するのは、その他の点では
親となるのに適当な状況にあるとしたら臆病である。また、未成年の女性が母親にな
る心づもりがまだできてないと感じて中絶する場合は、そうすることによって自分の
現在の成長段階に関して適切な謙虚さを示すであろう。
3)もちろん、妊娠がヘアカットや虫垂切除等他の多くの生理的状態とは異なるからとい
って、中絶が直ちに悪徳であるということにはならない。たとえば、女性が身体的に
とても貧しい健康状態にあったり、子育てで消耗していたり、あるいは身体的にダメ
ージを与えるような仕事を強いられているようなときには、彼女が中絶を選択したと
*6
主 要 著 書 の "On Virtue Ethics"は 、『 徳 倫 理 学 に つ い て 』 と し て 土 橋 茂 樹 の 訳 で 出 版 予
定 ら し い が 、 主 要 論 文 の 「 徳 の 理 論 と 人 工 妊 娠 中 絶 」 " Virtue Theory and Abortion")
は 、 web 上 で [ c)⑯ 中 沢 ] 論 文 要 約 を 読 む こ と が で き る 。
11
し て も 、そ れ は 冷 淡 と も 、無 責 任 と も 、軽 率 と も 記 述 さ れ な い 。こ の よ う な と き に は 、
彼女達の生の諸条件の中に何か大きな誤りがあり、それが、妊娠や子育てを良いもの
と見なせなくしているのである。
4)だからといって、ここで権利を持ち出すことは、人間にとっての善い生とは何かとい
う問いを封じてしまう効果を持つ。徳の理論は、何が人間の善き生を構成するか、真
のエウダイモニア=幸福とは何かということに関係する。人工妊娠中絶の文脈におい
て、人間の善き生について語ろうとするなら、我々は愛と家族生活の価値について考
えなければならないハーストハウスは以下のように主張する。すなわち、これらの判
断 が 適 切 で あ る の は 、 一 般 に 親 で あ る こ と 、と り わ け 母 親 で あ る こ と と 育 児 は 、内 在
的に価値あるものであり、人間らしく開花した人生を構成するものの一部分だと正し
く考えられるもののひとつだからである。女性の妊娠中絶の決断に対するこれら徳ベ
ー ス の 評 価 は ま た 、以 下 の 事 実 を 反 映 し て い る 。す な わ ち 胎 児 を 中 絶 す る こ と は (た と
え ば 腎 臓 を 摘 出 す る の と は 異 な り )、新 し い 人 間 の 生 命 を 断 つ こ と を 意 味 し て お り 、こ
のことはほとんどの場合道徳的に深刻なこととしてみなされるべきものである、とい
う事実である。
5)ハーストハウスの妊娠中絶に対する徳倫理的アプローチによって、女性が中絶を決断
することは場合によっては不正に行為していることになりうる理由が大きく二つある
ということが明らかにされる。第一に、その女性は親であることの内在的な価値と、
人間らしく開花した生にとって親になることがいかに重要かを理解していないことを
示しているかもしれない。第二に、その女性は新しい人間の生命を断ち切ることをし
かるべき深刻さなしに決断しているかもしれない。
[ c)⑥ ][ c)⑰ ]
5.徳倫理学の可能性
以上に見てきた、徳倫理学の様々な潮流のうち、私はアンスコムからバーナード・ウィ
リアムズへといたる反倫理学理論とも言えるような立場に関心を持った。
ウ ィ リ ア ム ズ の 徳 倫 理 学 は 、 ロ ー ル ズ の 自 由 主 義 的 正 義 論 を 、「 無 知 の ヴ ェ ー ル 」 を 被
せられた「負荷なき自我」を前提としており社会の崩壊を食い止められないと一蹴した、
コミュニタリアンのサンデルの問題意識とある意味で触れあうものであり、社会学徒の私
にとっては、やっと巡り会った、状況の中での人間の行為をリアリティを以て考察できる
倫 理 学 説 と 言 え る 。実 際 に 、徳 倫 理 学 は 、義 務 倫 理 や 功 利 主 義 だ け で は 説 明 で き な い 、我 々
が日常生活での実行している行為の倫理性を説明することができる。例えば、街中で友人
が倒れたので助けるという行為と、街中で倒れているサラリーマンのおじさんを助けると
いう行為には、義務倫理と功利主義の観点からは、何の差もない。それどころか、優先的
に 自 分 の 友 人 を 助 け る と い う 選 択 は 、不 道 徳 な 行 為 で あ る か も し れ な い 。し か し そ こ に は 、
友人に対する「信頼と誠実さ」という徳があって、多くの人は、それに従って行為するだ
12
ろう。
ウィリアムズは、次のような有名な事例を示す。第一の事例では、化学者であるジョー
ジが化学兵器・生物兵器の研究所に就職するよう提案される。受けいれるならばジョージ
と家族は生活苦から解放されるが、拒むならば他の者が代わりに就職し、熱心に研究を進
める見込みが高い。第二の事例では、インディオの処刑場面に遭遇したジムが一人を殺す
よう指揮官から提案される。提案を受けいれるならば十九人が解放されるが、拒むならば
二 十 人 全 員 が 殺 さ れ る ( A C r i t i q u e o f U t i l i t a r i a n i s m )。
二つの事例には共通の構造が見られる。すなわち、自分が行為αをなさないと他者が行
為βをなし、その結果生じる事態は自分が行為αをなす場合よりもいっそう悪い。この厄
介な状況に対して功利主義は単純明快な解決を示す。価値の担い手は結果としての事態で
あり、何をなすべきかは事態に照らして決まる。自分と事態の間に他の行為者が介在する
か否かは、なすべき行為を決めるうえで特別な違いを生まない。それゆえ、状況が上のよ
うに記述される限り、ジョージは就職するべきであり、ジムは一人を殺すべきである。こ
こ に ウ ィ リ ア ム ズ は 問 題 を 看 て 取 る 。 こ の よ う な 思 考 は 、「 他 者 が な す こ と で は な く 〈 自
分 〉の な す こ と に 特 別 の 責 任 が あ る と い う 観 念 」を 切 り 捨 て 、そ れ と 緊 密 に 結 び つ い た「 一
体 性 ( Integrity)」 の 価 値 を 切 り 捨 て て い る 。[ c)⑭ 都 築 ]
義 務 論 と の 大 き な 違 い は 、 次 の よ う に も 表 現 で き る 。 義 務 論 の 実 践 三 段 論 法 は 、「 困 っ
ている人は助けなければならない/子供が溺れている/従って川に飛び込むべきである」
と い う 様 な 第 三 人 称 的 な も の で あ る 。 こ れ に 対 し 、「 勇 気 あ る も の は 特 定 の 状 況 で 特 定 の
行為をすべきである/今はその特定の状況であり、私は勇気ある者である/従って私はこ
の行為をすべきである」という第一人称的なものが対置される。このような行為者への言
及 を 含 む 表 現 法 が 「 物 語 」「 語 り 」( narra tive ) で あ り 、 わ れ わ れ は 、 こ れ に よ っ て 何 と
か 自 己 の 「 一 体 性 ( Integrity)」 を つ な ぎ 止 め よ う と 生 き て い る 。 ま た 、「 だ め な も の は だ
めだ」ということで、道徳上の人生の敗者に対し最も厳しい義務論に対し、価値の多様性
に 開 か れ 、「 だ め な も の に も 程 度 が あ る 」 と す る 徳 倫 理 学 は 、 一 旦 規 則 か ら 逸 脱 し た 行 為
からの回復の過程を視野に入れることもかのうとなってくるかもしれない。
神崎繁は、バーナード=ウィリアムズの徳倫理学の特徴と可能性を的確に表現している。
「こうしてウィリアムズは、行為者の持つ諸条件を、内部に不透明さや分節化されないも
の を 抱 え 込 み な が ら も そ れ 自 体 「 一 体 性 ( Integrity)」 を 保 ち 、 し か も 後 続 の 偶 然 的 出 来
事との関係で再記述・再解釈できる開かれたものとすることで、隅々まで自らを透視しコ
ントロールしなければならないという過大な要求のもとで身動きのとれなくなった近代
的 な 合 理 的 責 任 主 体 と い う 考 え か ら 、 わ れ わ れ を 自 由 に し よ う と し た の で あ る 。」[ c)⑨ 神
崎]
こ の よ う に 、内 的 理 由 、自 己 物 語 、動 機 群 、local な 状 況 な ど を 重 視 す る 徳 倫 理 学 は 、正
しい行為は何か、為してはならない行為は何かという「規範倫理学」の問に明確な回答を
13
与えることは出来ないのではないかという批判がある。この批判に答えようとするがあま
り 、「 伝 統 」「 共 同 体 」「 共 通 善 」( マ ッ キ ン タ イ ア ) や 「 エ ウ ダ イ モ ニ ア 」「 愛 と 家 族 生 活 」
(ハーストハウス)に飛びついてしまうこと。これが、徳倫理学の危険性につながる。
アリストテレスが言うように、規則をあらかじめ与えることはできず、反復や習熟が規
範 を 産 む の で あ る 。 local な 状 況 で の 行 為 の 積 み 重 ね の 上 に 、 social は 自 ず と 築 か れ て い
くのではないだろうか。
6.徳倫理学の危険性
『高等学校
現代倫理
改 訂 版 』( 清 水 書 院 ) で は 、 め ず ら し く 臓 器 の 売 買 に 疑 問 を 投
げ か け る 次 の よ う な 記 述 を 行 っ て い る 。「 身 体 は 機 械 で あ る か ら ,臓 器 は 交 換 可 能 な 部 品 と
な る 。 こ う し た , 身 体 観 に 功 利 主 義 の 発 想 が 加 わ れ ば ,死 後 の 身 体 は 有 効 に 利 用 す べ き 資
源 と 見 な さ れ る 。 さ ら に 、 市 場 経 済 の も と で は ,身 体 の 商 品 化 の 可 能 性 が つ き ま と う 。 現
実 に , ア メ リ カ で は ,人 間 の 死 体 か ら 組 織 を 回 収 ・ 加 工 し て 高 額 の 手 数 料 を 取 る 「 組 織 バ
ンク」とよばれる企業が成長している。また,発展途上国の貧しい人たちの臓器を富裕な
外 国 人 が 買 う 臓 器 売 買 も 後 を 絶 た な い 。 さ ま ざ ま な 身 体 組 織 の 利 用 が す す む な か で ,倫 理
的 ・ 法 的 な 基 本 ル ー ル の 確 立 が 急 務 と な っ て い る 。 し か し 根 本 的 に は ,身 体 と そ の 一 部 を
た ん な る 物 質 と し て ,譲 渡 や 売 買 の で き る 私 的 所 有 物 と し て 扱 う こ と の 是 非 が 問 い 直 さ れ
て い る 。 た と え ば ,臓 器 移 植 の 当 事 者 の 身 体 観 ・ 死 生 観 は ,肉 体 機 械 論 と は 異 な り ,移 植 を
か け が え の な い 命 の 贈 り 物 と 受 け と め て い る 場 合 も 多 い 。 臓 器 の 提 供 者 の 遺 族 が ,提 供 者
の 人 格 の 一 部 が 臓 器 に 宿 り ,提 供 を 受 け た 人 の 体 内 で 生 き 続 け て い る と 感 じ ,提 供 を 受 け
た 人 も そ の よ う に 感 じ て い る と い う 報 告 が 、 洋 の 東 西 を 問 わ ず な さ れ て い る の で あ る 。」
ところが、脳死・臓器移植に反対する小松美彦は、このような臓器移植の教え方に次の
ように警鐘をならしている。
「最後は一見関わりないように感じられることです。日本の場合は特に教育基本法の改定
と連動している、と私は見ています。というのは、現在の臓器移植法の改定にあって、A
案とB案の提案者のいずれも「脳死や死の教育を普及しなくてはいけない」と力説してい
る か ら で す 。 こ の こ と で 秀 逸 な 教 育 が な さ れ る は ず は な く 、「 脳 死 状 態 で 社 会 に 迷 惑 を か
け る の な ら 、 自 分 か ら 臓 器 を 提 供 し よ う 」 と か 、「 社 会 の た め 、 国 家 の た め に 臓 器 を 提 供
する子はよい子」といったイメージ教育がなされかねない。教育基本法が今の方向で改定
さ れ る と 、一 人 ひ と り の 児 童 や 生 徒 が 一 個 の 権 利 を 持 っ た 市 民・国 民 で は な く 、事 実 上“ 臣
民・少国民”に変わってしまうでしょう。国家のために奉仕する子どもたちを作る一環と
して、社会・国家のために臓器を提供する子どもが位置づけられていくわけです。既に、
誘導的な尊厳死・安楽死教育は小中高で広がっており、担当教員もどこまで自覚的かわか
りませんが、授業パターンがほぼ決まっています。植物状態や様々な闘病生活で厳しい状
態にある人の映像を見せたり文章を読ませた後で、例えば「尊厳死や安楽死という方法が
14
あります、その上であなたはどう考えますか」と教師が問いかける。こうして、やはり尊
厳死や安楽死を選択すべき、という発想が生徒に涌出するように導いている。フーコーや
ア ガ ン ベ ン の「 生 -権 力 」の 現 代 版 で す 。で す か ら 教 育 基 本 法 の 改 定 に 異 議 を 唱 え て い る 方
は、臓器移植を初めとした医療問題の先端で起こっていることにも視野や射程を広げてい
た だ き た い の で す 。」
近代民主政治は、個別的な肉体的差異を乗り越えた、無臭無色の人格を、その平等な権
利主体として想定してきた。それは、生物としての意味はなく、生老病死など経験しない
か の よ う な 主 体 で あ っ た 。そ れ に 対 し て 近 代 民 主 政 治 と は 逆 に 、
「 生 -政 治 」は 生 命 、人 間 、
肉体というものに強い関心をもち、人間をケアし、健康・病気・出生数・死亡数のコント
ロール、衛生管理、感染症対策を直接の政治課題とする。
わ れ わ れ は 、そ の よ う な「 生 -政 治 」に 包 摂 さ れ た 中 で 生 か さ れ 、死 ん で い く の だ と い う
視 点 を 持 ち た い 。 徳 倫 理 学 が 、 そ の 視 点 を 失 え ば 、「 社 会 の た め 、 国 家 の た め に 臓 器 を 提
供する子はよい子」
を 産 み 出 す た め の 、 道 徳 教 育 を 展 開 し か ね な い 。 *7
7 . 翻 っ て 、「 臓 器 移 植 の た め の 市 場 を 許 す べ き か 」 と い う 問 題 を ど う 考 え る か ?
私自身が、腎臓移植が必要となったとしても、見知らぬ、発展途上国の人間の腎臓を買
おうとは思わないだろう。自分の子供が腎臓を必要としたら、生体移植を考えるかもしれ
ない。行わないかもしれない。第三者の臓器売買については、多様な選択肢がある社会が
望ましいという意味合いでは、認めても良いかなとも思う程度で、早く再生医療の研究が
進 ん で 欲 し い も の だ と 思 う 。 今 後 、 フ ー コ ー ・ ド ゥ ル ー ズ ・ ア ガ ン ベ ン ・ 小 泉 義 之 [ d)①
~ ⑤ ]な ど を 読 ん で 、更 に 考 え て い き た い 。こ こ ま で 考 察 を 進 め る の に 、3 ヶ 月 を 要 し た 。
生 徒 に も 、授 業 の 場 で 、デ ィ ベ ー ト の よ う に 答 え さ せ る の で は な く 、課 題 レ ポ ー ト な ど で 、
じっくりと時間をかけて考えさせたい。
【 読 書 &HP 案 内 】
a)問 題 の 出 所
Wight / Morton
2007
Teaching
the
Ethical
Foundations
of
Economics
NCEE
*7
麻薬・女子生徒の妊娠・銃の乱射などの公教育の崩壊に苦しんでいるアメリカでは、
ブ ッ シ ュ 大 統 領 以 降 、 character
education ( 品 格 教 育 ・ 人 格 教 育 ) に 力 が 入 れ ら れ
ており、広島大学の青木多寿子が日本にこれを採り入れようとしている。これと、徳
倫理学の関係については、よくわからなかった。
15
*
『経済学の倫理的基礎の教え方』?という題で、来年配られる予定だそうです。
b)生 命 倫 理 学 関 係
① エ ン ゲ ル ハ ー ト 他『 バ イ オ エ シ ッ ク ス の 基 礎 』
( 加 藤 尚 武 ・ 飯 田 亘 之 編 訳 ,東 海 大 学 出
版 会 , 1988
年)
② ビ ー チ ャ ム / チ ル ド レ ス 『 生 命 医 学 倫 理 』( 永 安 幸 正 ・ 立 木 敦 夫 監 訳 , 成 文 堂 , 1997
年)
③ 加 藤 尚 武 1997『 現 代 倫 理 学 入 門 』 講 談 社 学 術 文 庫
④ 土 山 秀 夫 他 編 1996『 カ ン ト と 生 命 倫 理 』 晃 洋 書 房
⑤ 伊 勢 田 哲 治 / 樫 則 章 2006『 生 命 倫 理 学 と 功 利 主 義 』 ナ カ ニ シ ヤ 出 版
⑥ 児 玉 聡 2006「 功 利 主 義 と 臓 器 移 植 」『 前 掲 書 』 p170-192
⑦ 今 井 道 夫 / 香 川 知 晶 編 『 バ イ オ エ シ ッ ク ス 入 門 』( 東 信 堂 , 1992 年 )
⑧ 市 野 川 容 考 2005「 脳 死 と 臓 器 移 植 の 歴 史 社 会 学 的 考 察 」『 法 社 会 学 』 第 62 号 p1-p18
⑨ 香 川 知 晶 2000.『 生 命 倫 理 の 成 立 : 人 体 実 験 ・ 臓 器 移 植 ・ 治 療 停 止 』 勁 草 書 房 .
⑩ 『 思 想 』 2005 年 第 9 号
No.977
「メタ・バイオエシックス」岩波書店
⑪小松美彦「宇和島での事件を機に、小松美彦氏に聞く」
http://www.toshoshimbun.com/SpecialIssuepages/nousi/review1.html
*
⑧・⑨は、歴史社会学的視点
c)徳 倫 理 学 関 係
① バ ー ナ ー ド ・ ウ ィ リ ア ム ズ 1993 『 生 き 方 に つ い て 哲 学 は 何 が 言 え る か 』 産 業 図 書
"Ethics and the limits of the philosophy"
1985
② マ ッ キ ン タ イ ア 1993『 美 徳 な き 時 代 』 み す ず 書 房
After
Virtue
③ レ イ チ ェ ル ズ 2003「 徳 の 倫 理 」『 現 実 を 見 つ め る 道 徳 哲 学 』 晃 洋 書 房
1981
p175-p193
④ ギ リ ガ ン 1986『 も う ひ と つ の 声 :男 女 の 道 徳 観 の ち が い と 女 性 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ 』
川島書店
⑤ コ ー ス ガ ー ド 2005『 義 務 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 倫 理 学 』 岩 波 書 店
⑥オークリー
2000「 徳 倫 理 の 諸 相 と 情 報 社 会 に お け る そ の 意 義 」( 児 玉 、 岸 田 、 徳 田
共 訳 )『 情 報 倫 理 学 研 究 資 料 集 II』 p13-p36
⑦ 日 本 倫 理 学 会 編 1994『 徳 倫 理 学 の 現 代 的 意 義 』 慶 応 通 信
⑧ 神 崎 繁 1994「《 徳 》と 倫 理 的 実 在 論
- ア リ ス ト テ レ ス の「 徳 」概 念 の 現 代 的 意 義 - 」
『 前 掲 書 』 p21-p38
⑨ 神 崎 繁 2004 「 そ れ ぞ れ の 生 の 形 - 超 越 的 視 点 と 相 対 主 義 に 抗 し て - 」、『 思 想 』(「 思
想 の 言 葉 」、 岩 波 書 店 、 2004 年 第 5 号 、 No.961)。
⑩ 都 築 貴 博 2007「 い か に 生 き る べ き か - 規 範 倫 理 学 の 三 つ の ア プ ロ ー チ - 」
坂 井 昭 宏 ・ 柏 葉 武 秀 編 『 現 代 倫 理 学 』 ナ カ ニ シ ヤ 出 版 p57-p86
⑪ 中 村 公 博 2006「 徳 倫 理 学 」
16
小 松 光 彦 ・ 樽 井 正 義 ・ 谷 寿 美 編 『 倫 理 学 案 内 』 慶 応 義 塾 大 学 出 版 会 p129-p143
⑫ 『 思 想 』 2004 年 第 5 号
⑬ 都 築 貴 博 『 ETHICS
No.961
「倫理学と自然主義」岩波書店
TSUZUKI'S
HOME
PAGE』
http://www.k2.dion.ne.jp/~tsuzuki/index.html
⑭ 同 上 2007「 ウ ィ リ ア ム ズ に お け る 全 一 性 と 道 徳 的 行 為 者 性 」 第 5 8 回 日 本 倫 理 学 会
⑮同上
2006 「 規 範 倫 理 学 と 技 術 者 倫 理 」 第 5 7 回 日 本 倫 理 学 会
http://www.k2.dion.ne.jp/~tsuzuki/worksh op.pdf#search='規 範 倫 理 学 '
⑯マーサ・ヌスバウム「徳の再生-アリストテレス的伝統における習慣、情念、反省」
( 土 橋 茂 樹 訳 ) http://c-faculty.chuo-u .ac.jp/~tsuchi/philosophy.transl.1.html
務 「 徳 の 理 論 と 人 工 妊 娠 中 絶 」 Rosalind Hursthouse, "Virtue Theory and
⑰中澤
Abortion", Philosophy and Public Affairs 20(1991), pp. 223-46.)
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~k15696/home/phileth1/hursthouse.pdf
⑱ 蔵 田 伸 雄 「 研 究 ノ ー ト :マ ッ キ ン タ イ ア の 「 物 語 」 概 念 に つ い て 」
http://rose .hucc.hokudai.ac.jp/~q16628/articles/macintyre.htm
⑲ 上 村 芳 郎 「 徳 の 倫 理 学 」『 哲 学 の 村 』 http://www.ne .jp/asahi/village/good/index.html
⑳ 松 浦 明 宏 「 生 命 倫 理 学 」『 古 代 ギ リ シ ア 哲 学 と 現 代 倫 理 学 の ペ ー ジ 』
http://ma tsuura05.exblog.jp/i19
*⑤は、ロールズ門下のカント研究者による徳倫理学批判である。⑦は、日本の書籍で唯
一 「 徳 倫 理 学 」 と い う 言 葉 が 入 っ て い る も の で 、 学 会 の シ ン ポ ジ ウ ム 記 録 も あ る 。 we b
上では、⑬の都築氏のHPが充実しており、バーナード・ウィリアムズを中心とした重
要論文の要約を見ることができる。
d)「 生 - 政 治 学 」 関 係
① フ ー コ ー 1977『 監 獄 の 誕 生 』 新 潮 社
②同
上
1986『 性 の 歴 史 Ⅰ : 知 恵 の 意 志 』 新 潮 社
③同
上
2004『 主 体 の 解 釈 学 』 筑 摩 書 房
④ ア ガ ン ベ ン 2003『 ホ モ ・ サ ケ ル - 主 権 権 力 と 剥 き 出 し の 生 - 』 以 文 社
⑤ 小 泉 義 之 2003『 生 殖 の 哲 学 』 河 出 書 房 新 社
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