「台湾・アジアの経済の今とこれから」 1年 金澤元泰

<論文2>
「台湾・アジアの経済の今とこれから」
1年 金澤元泰
1 はじめに
1月16日の総統選挙を終えた台湾は、対外関係にお
いて新たな一歩を踏み出したと言える。与党国民党の
候補を抑え民進党の蔡英文が当選し、立法院(日本で
言う国会)の選挙でも民進党が過半数の議席を獲得す
る歴史的勝利を収めた。新政権は国民党が進めてきた
中台融和政策から現状を維持する方向に進んでいくこ
とを公約に掲げている。これによって、台湾の経済は
特に産業、貿易において大きな変革を迫られることに
なる。いままでの中国に依存した台湾経済が日米へ移
行することに、日米が大きな期待を寄せている。
その台湾を実際に訪れた印象で最も大きかったのは、
日本企業の進出の勢いである。自動車や電化製品を始
め、百貨店や飲食店まで多くの企業が台湾に進出し、
成功しているように見えた。日系企業の台湾経済にお
ける役割の大きさがわかった。
そして総統府を訪れた際、台湾の産業のPRおよび説
明ブースでの、IT機器のPRの力の入れようを目の当た
りにした。他のゴルフクラブ、自転車、電動車いす、
胡蝶蘭などの産品がガラスケースに無造作に窮屈に並
べられている中で、部屋の半分を割かれ、最新型の製
品が企業名や製品名を出され紹介されているノートパ
ソコンやタブレット端末の扱いが別格であったことに
驚いた。
近年の台湾経済を支えているのは間違いなくIT産業
であり、これからもそうであろう。これを変化する情
勢の中でいかに発展させていくか。台湾の過去を探り、
現在を見つめた上で、今後の台湾経済のゆくべき道に
ついて考えてみたい。
2 台湾経済の歴史
(1)1940年代まで:不安定な経済からの脱却
日本統治時代「工業日本、農業台湾」の政策のもと、
台湾経済は長く米とサトウキビのモノカルチャー経済
であった。
終戦後、台湾総督府は撤退資金調達のため台湾銀行
券を大量増刷し、物価高が発生した。さらにその後の
国共内戦における大陸の物価高騰の煽りを受けてハイ
パーインフレが発生したため、新通貨新台湾元を導入
し今に至る。また段階的な農地改革により小作人を解
放した。
戦後から50年代にかけて実施したこの貨幣制度改革
と農地改革によって台湾の経済は安定を保つようになっ
た。
(2)1950年代:工業化の幕開け
戦後の再建で外貨の流出を抑えるため、日本は戦後
米の生産量の向上とサトウキビの生産に力を入れた。
そのため、台湾は台湾の農産品を日本に輸出し、工業
製品を輸入するという従来の貿易を見直し、工業化を
進める必要があった。
そして実施したのが、輸入の代わりに国内生産に切
り替える「輸入代替工業化」である。高い輸入関税と
自国通貨を過大評価した複式為替レートにより国内の
産業を守り、育成を図った。
(3)1960年代:一石二鳥の輸出拡大
輸入代替工業化は国内の産業を押し上げたが、当時
の台湾は人口も潜在購買力も大きくなく、国内市場が
飽和したため、50年代末に経済成長が伸び悩み、失業
率も増加した。またアメリカからの援助も打ち切られ、
台湾は資金・外貨が不足するようになった。
そこで台湾は「輸出志向工業化」に切り替えた。こ
れは海外の市場を対象とした工業化である。具体的に
は、為替レートの一本化、輸出時の税金の払い戻し制
度などを行った。
注目すべきは輸出加工区である。自由貿易港(注1)
と加工区(注2)をまとめたもので、原料および半製
品、自社用機械設備の輸入関税や製品の輸出関税の免
税などを行った。これにより先進国から資金・外貨と
技術が導入され、失業者が減った。輸出志向工業化は
台湾にとって、貿易収支の黒字化と失業率の改善とい
う一石二鳥の効果があった。
(4)1970年代:インフラの増強
73年の石油危機の時期、台湾は十大建設(空港、原
発、石油化学コンビナートなどの建設)(注3)を実
施し、後続計画として十二項目建設(注4)も推し進
めた。インフラ建設、エネルギー開発、重化学工業の
建設を行うことで、60年代の発展によるインフラ不足
やボトルネックを解消したのである。また、石油危機
による外需の落ち込みを公共事業という内需で支えた。
これは第二の輸入代替工業化といえる。
(5)1980年代から:産業の高度化と経済の自由化・
国際化
石油危機による重化学工業の伸び悩みや環境問題の
懸念、労働力不足から、資本・技術集約型への転換に
よる産業の高度化が求められてきた。そのため、新竹
科学工業園区が設けられ、情報処理、電子機器、機械
などが戦略産業とされた。台湾版シリコンバレーであ
る科学工業園区には、名門理工系大学やハイテク企業
の工場が軒を連ね、20万人の雇用を生み出すとともに、
産業を支える人材を輩出している。
ー9ー
表 1ー1 台湾の輸出統計(品目別)
2011年
2012年
金額
金額
電気機器および部品
2011年
2012年
金額
金額
構成比
伸び率
46.1
△ 3.8
一般および電子・電気機械
89,044
81,303
30.1
△ 8.7
29,839
9.9
△ 6.1
原子炉,ボイラー
29,959
26,595
9.8
△ 11.2
112,546 109,034
36.2
△ 3.1
電気機器および部品
59,085
54,708
20.2
△ 7.4
精密・光学機器
11,266
10,601
3.9
△ 5.9
7,139
7,635
2.8
6.9
一般および電子・電気機械 144,308 138,873
原子炉,ボイラー
表1ー3 台湾の輸入統計(品目別)
31,762
構成比
伸び率
精密・光学機器
23,905
23,349
7.8
△ 2.3
輸送機器
10,302
11,075
3.7
7.5
化学品
47,663
44,976
14.9
△ 5.6
化学品
44,006
39,525
14.6
△ 10.2
化学工業品
22,463
20,791
6.9
△ 7.4
化学工業品
34,027
30,055
11.1
△ 11.7
プラスチック・ゴム
25,120
24,185
8
△ 3.7
プラスチック・ゴム
9,979
9,470
3.5
△ 5.1
3,872
4,283
1.4
10.6
食料品
11,682
11,939
4.4
2.2
原油・鉱産物
17,921
22,067
7.3
23.1
原油・鉱産物
68,167
73,974
27.3
8.5
卑金属・同製品
30,178
28,093
9.3
△ 6.9
卑金属・同製品
27,033
23,141
8.6
△ 14.4
総額(その他含む、FOB) 308,257 301,181
100
△ 2.3
総額(その他含む、FOB)
281,438
270,473
100
△ 3.9
食料品
輸送機器
表1ー2 台湾の輸出統計(国・地域別)
2011年
表1ー4 台湾の輸入統計(国・地域別)-1
2012年
構成
比
伸び率
2011年
2012年
金額
金額
162,221
149,705
55.3
△ 7.7
構成
比
金額
金額
214,304
213,132
70.8
△ 0.5
日本
18,228
18,989
6.3
4.2
日本
52,200
47,574
17.6
△ 8.9
中国
83,960
80,714
26.8
△ 3.9
中国
43,597
40,908
15.1
△ 6.2
香港
40,084
37,932
12.6
△ 5.4
香港
1,675
2,659
1
58.7
韓国
12,378
11,842
3.9
△ 4.3
韓国
17,860
15,073
5.6
△ 15.6
ASEAN
51,542
56,548
18.8
9.7
ASEAN
32,796
31,531
11.7
△ 3.9
マレーシア
6,892
6,557
2.2
△ 4.9
マレーシア
8,602
7,842
2.9
△ 8.8
インドネシア
4,837
5,190
1.7
7.3
インドネシア
7,428
7,325
2.7
△ 1.4
タイ
6,140
6,566
2.2
6.9
タイ
4,394
3,697
1.4
△ 15.9
フィリピン
6,964
8,876
2.9
27.5
フィリピン
2,414
2,100
0.8
△ 13.0
16,880
20,091
6.7
19
シンガポール
7,953
8,106
3
1.9
ベトナム
9,026
8,432
2.8
△ 6.6
ベトナム
1,845
2,295
0.8
24.4
オーストラリア
3,653
3,653
1.2
0
10,907
9,288
3.4
△ 14.8
インド
4,427
3,385
1.1
△ 23.5
3,137
2,624
1
△ 16.4
EU27
28,554
26,198
8.7
△ 8.3
EU27
23,998
22,488
8.3
△ 6.3
中東
7,526
7,372
2.4
△ 2.0
中東
35,994
43,249
16
20.2
GCC諸国
3,736
3,967
1.3
6.2
GCC諸国
31,305
38,039
14.1
21.5
北米(NAFTA)
40,469
37,294
12.4
△ 7.8
北米(NAFTA)
28,399
25,819
9.5
△ 9.1
米国
36,364
32,976
10.9
△ 9.3
米国
25,759
23,604
8.7
△ 8.4
アフリカ
2,944
3,104
1
5.4
アフリカ
10,570
9,449
3.5
△ 10.6
中南米
7,003
6,929
2.3
△ 1.1
中南米
7,678
7,285
2.7
△ 5.1
ブラジル
2,355
1,989
0.7
△ 15.5
ブラジル
2,997
3,043
1.1
1.5
301,181
100
△ 2.3
281,438
270,473
100
△ 3.9
アジア大洋州
シンガポール
合計(その他含む、FOB)
308,257
アジア大洋州
オーストラリア
インド
合計(その他含む、CIF)
独立行政法人 日本貿易振興機構
「台湾 輸入統計(品目別)」より作成(元データ:財政部統計処)
ー10ー
伸び率
80年代後半には経済が自由化され、公営企業の民営
化や規制緩和を行い政府による不必要な経済への介入
を避けるようになった。また国際化により海外からの
投資が盛んになった。
90年代にはアジア太平洋オペレーションセンター構
想を立ち上げ、産業高度化を加速させた。
特に90年代以降のIT産業のめざましい発展について
は、次章で取り上げる。
3 IT産業
(1)台湾経済におけるIT産業
いまやIT関連の機器の貿易は世界経済の中で重要な
位置を占めていると言えるが、台湾の経済は特にそれ
が担う役割が大きい。IT機器の輸出額が総輸出額のお
よそ3分の1を占めている(表1−1)。また各製品別
の世界シェアも非常に高く(表2)、IT産業が台湾の
経済を支えていることが分かる。本章ではこのIT産業
を取り上げることで、90年代からの台湾の急激な発展
と、台湾の現状を見つめたい。
(2)台湾巡検での印象
総統府で受けた印象については前記のとおりである。
実際に街に出てみると、台湾のIT機器の宣伝はほとん
ど見かけなかった。唯一見かけたのが、台湾のPCブ
ランド企業華碩電脳(エイスース)のタブレット端末
の広告で、その商品は台北市内のスマートフォンやタ
ブレット端末を販売する店でも見ることができた。巡
検当時話題だったアップルの新型タブレット『iPad Pro』と並んで展示されており、人気商品であること
が分かる。エイスースだけでなく、宏碁(エイサー)
や宏達國際電子(HTC)などの台湾のPCブランド企
業や携帯電話ブランド企業の商品も見ることができた。
エイサーのノートPC売上台数は世界第2位、エイ
スースは第6位である(2010年)。台湾のPCブラン
ド企業のシェアの大きさが分かった。しかし、台湾が
その実力を最も発揮しているのは、自社名が表に出な
いノートPCの受託生産である。
(3)台湾のノートPC産業の発展の経緯
ノートPC産業で重要になってくるのが、CPU(注5)
の開発メーカーである米インテルと、東芝・ヒューレッ
トパッカード(HP)・デルなどの日米ブランド企業
群、広達電脳(クワンタ)や仁寶電脳(コンパル)な
どの台湾の受託生産企業群(台湾企業)3者である。
構造は以下のとおりである。
ブランド企業がどのような商品を作るか決定し、台
湾企業に生産を委託する。台湾企業は、インテル製の
CPUを使ってノートPCを生産する。完成品はブラン
表2
製品
2013年
世界市場シェア
ノートPC
86.90%
ケーブルCPE
96.60%
マザーボード
80.80%
無線LANカード
86.20%
サーバー
53.90%
液晶モニター
65.70%
ネットワーク端末機器
60.70%
タブレット端末
47.90%
IP電話
59.20%
デスクトップPC
47.20%
IPセットトップボックス
56.80%
台湾証券取引所 「台湾資本市場の概況 日本から台湾への投
資を歓迎します」より作成
(元データ:2014年3月情報工業策進会レポート)
ド企業の名で販売される。
この3者のバランス、いわゆる力関係の変化(後述)
がノートPCの世界における市場を拡大し、台湾のIT
産業を急速に発展させる要因となったのである。
台湾のノートPC産業の発展は、1990年代後半と
2000年代初頭以降の2つの期間に大きく分けること
ができる。
a 1990年代後半まで
【ノートPC以前】
1960年代から70年代の台湾の電子産業の中心はテ
レビとトランジスター・ラジオであった。72年ごろか
らは電卓産業もスタートした。これらが後のノートPC
産業の揺りかごとなった。1980年代にはデスクトッ
プPCとその部品を生産し、欧米に輸出した。これが
ノートPC産業の基礎となった。
【ノートPCの台頭】
ノートPCは、80年代末の開発以来瞬く間に世界的
に大きなシェアを占めるようになった。当初、米ブラ
ンド企業は技術で勝る日本のブランド企業に生産を委
託した。日本企業はその技術力で他社製品との性能差
を生みだした。
【インテルの戦略】
PCメーカーはチップセット(注6)で技術力を競っ
ていた。しかし93年ごろから、ブランド企業にCPU
を供給していたインテルが、CPUをチップセット付き
で販売するようになった。これにより各社のノートPC
の内部機器の統一が進み、メーカーによる性能差が小
さくなった。また、PC製造に必要な技術のレベルが
ー11ー
図1 1990年代後半までの3業種間の関係
川上桃子 「圧縮された産業発展」より引用
表3 1993年ごろの主要ノート型PCメーカーのプロフィール(単位千台)
企業名
月産量
ノートPCへの参入の経緯
創業年
エイサー
20
1981
デスクトップ型PC等の製造からノート型PCの製造に展開
マイタック・インターナショナル
10
1982
デスクトップ型PC等の製造からノート型PCの製造に展開
クレボ
8
1983
キーボード製造からノート型PCの製造に展開
ツインヘッド
8
1984
チコニー
7
1983
チャプレット
4
1984頃
ASEテクノロジーズ
10
不明
アリマ
11
1989
クアンタ
20∼30
1988
コンパル
10
1984
各種カード製造からデスクトップ型PCを経てノート型PCの製造
に展開
キーボード等の周辺機器製造からノート型PCの製造に展開
国産汽車による投資
半導体パッケージング大手・日月光グル―プによる投資
電子秤メーカーの経営者による創業
電卓メーカー(三愛電子、金宝電子)に勤務していたエンジニア
らによる創業
電卓製造のキンポの子会社として成立 周辺機器の製造等を経て
ノート型PCの製造に展開
川上桃子 「圧縮された産業発展」より作成 (元データ:資訊工業策進會1994)
下がった。そのためブランド企業はこぞって製造費の
の販売を行うブランド企業、そしてノートPCを設計・
安い台湾企業に設計・生産を委託し、価格の差によっ
生産する台湾企業という3者の分業がはっきりとした。
て競争力を得ようとした。これが台湾のノートPC企
これらの企業の関係は、インテルとブランド企業、ブ
業の発展のきっかけである。
ランド企業と台湾受託生産企業という2つの二者間関
この時期には、コア技術を握るインテル、ノートPC
係であり、それらが直線的に連なっている(図1)。
ー12ー
【台湾企業間の競争】
能力の取得が加速した。各ブランド企業もこれは織り
ノートPCの生産が始まったとき、台湾では多くの
込み済みでそれをリスクとはとらえず、台湾企業の能
メーカーがノートPC産業に参入したため(表3)、90
力の向上がむしろ自社に好影響を与えると考え、あえ
年ごろ企業間の淘汰が進んだ。生き残ったのは、電卓
て自社以外との契約を制限しようとはしなかった。
産業から参入した企業群である。電卓部品の製造力や
細かい部品を限られたスペースに詰め込み小型化・軽
b 2000年代初頭以降
量化する技術、生産管理の能力が生かされるからであ
【大きな変革】
る。代表的な企業に、クワンタやコンパルがある。
この時期台湾のノートPC産業に大きな二つの変革
【台湾企業の成長】
があった。
生産を委託するにあたって、ブランド企業は品質保
1つ目は、インテルによる「セントリーノ」の投入
持を目的とした台湾企業へ生産技術の伝達を行った。
である。これはCPUにチップセットだけでなく、無線
これによって台湾企業は、PC生
産のノウハウを手に入れること
となった。後にブランド企業が
経費削減のため、台湾企業に生
産効率の向上を目的とした商品
の設計や生産方法についての教
育を台湾企業に行ったため、台
湾企業の総合的な能力が向上し
た。また商品の出荷速度を上げ
るため、ソフトウェアのコンフィ
グレーション(注7)や商品の
梱包なども台湾企業に委ねられ
ることとなった。
台湾の受託生産企業大手は複
数のブランド企業から生産を委
託されるようになった。これに
図2 台湾企業のノート型PCの生産遅効性と対世界シェアの推移
より台湾企業はそれぞれの企業
(川上桃子「圧縮された産業発展」より引用、元データ:「資訊工業年鑑」各年版)
から異なる種類のインプットを
得ることができるようになり、
ー13ー
通信を司る無線LANチップも組み合わせたものである。
これはブランド企業間の性能差をさらに縮めた。それ
だけでなく、インテルは「セントリーノ」自体の広告
を行ったため、消費者はそのロゴを購入の大きな目安
とした。これがブランド企業のブランド力をも奪うこ
とになった。
2つ目は、01年の対中投資の解禁である。これを受
けて台湾企業は台湾内の工場を人件費や用地コストの
安い中国(特に長江デルタ)に一斉に移転した。わず
か3年ほどの間に、台湾企業のノートPCの生産の舞
台は台湾から中国にほぼ完全に移行した。これが台湾
企業の生産量を飛躍的に拡大させ、世界シェアも急激
に拡大した(図2)。
これらの動きにより、ブランド企業の影響力が下が
り、台湾企業の影響力が上がった。
【3業種のバランスの変化】
90年代には直線状にあった3業種間の関係は変化を
強いられた。従来はインテルとブランド企業の関係に
おいて二者が技術開発を共同で行っていたが、インテ
ルの「セントリーノ」の戦略により製品開発に資源を
投入する余裕がなくなったブランド企業が、台湾企業
にその役目を担わせるようになった。これによって3
業種の関係は、ブランド企業を結節点とする直線的な
関係から、相互が関係し合う鼎状の構図へと変化した
(図3)。
【提案する台湾企業】
長年の受託生産により、顧客(ブランド企業)自身に
関する情報だけでなく、そこが持ち得ていた多様な情
報のプールが莫大なものとなった。
これを受けて、従来はブランド企業から注文を受け
て製品を設計・製造していた台湾企業が、顧客のため
にロードマップ(注8)やプロトタイプ(注9)を先
に制作し、提案するまでに成長した。
【ビジネス・ユニット制】
90年代、複数のブランド企業が少数の受託生産企業
に発注を集中させたことにより、ブランド企業による
台湾企業内の人材、生産ラインの奪い合いが発生した。
そのため台湾企業は、ビジネス・ユニット制という方
式を編み出した。企業内にいくつかの生産における一
連のビジネス・ユニットを作り、それぞれの専属のエ
ンジニアと生産ラインを配置し、ブランド企業をそれ
ぞれのビジネス・ユニットに割り当てたことによりビ
ジネス・ユニットとブランド企業の間により密接な関
係が生まれ、より多くの情報が台湾企業に流れ込むよ
うになった(図4)。
(4)おさらい
台湾のIT企業は、米インテルのCPUを使用してノー
トPCを日米のブランド企業に供給している。インテル
の戦略や政策の変化が台湾企業の発展をもたらした。
また現在の台湾企業のPCのほとんどすべてが中国で
生産されていることも注目すべきである。
「大きな変革」により、台湾企業はその影響力を上
げ、ブランド企業のそれは下がった。また台湾企業は、
4 総統選を経て
図4 2006年頃のクアンタの組織図
(川上桃子 「圧縮された産業発展」より引用)
ー14ー
(1)選挙戦と結果
a 馬英九政権とひまわり学生運動、2014年統一地
方選
08年に就任した国民党の馬英九総統。彼の政権の最
も大きな成果は中台関係の改善である。経済を最優先
にした交流は、台湾に大きな経済効果をもたらした。
しかし行きすぎた対中融和政策は、台湾の自立性を損
ね、中国経済の侵入により台湾経済がダメージを受け
るとして民衆の反発にあう。14年、サービス貿易協定
(注10)の一方的な審議打ち切りを理由に、学生らが
立法院を三週間占拠した(ひまわり学生運動)。その
年の統一地方選で国民党は大敗。馬英九は党主席を辞
任した。
b 選挙戦
野党民進党は、統一地方選で勝利を収め勢いに乗っ
ている蔡英文党主席が総統選に立候補。他方国民党で
は圧倒的な逆風に党内有力者が立候補せず、挙句の果
てに無名の洪秀柱が立候補したが支持率は低迷。候補
を主席の朱立倫にすげ替え、馬英九は中台首脳会談を
行うことで国民党の支持率アップを狙うも思うように
はいかなかった。
c 結果
序盤からリードを保った蔡英文が独走し当選。同時
に行われた立法院選挙でも民進党が過半数議席を獲得
し、政権交代が確定した。
(2)蔡英文の政策
まず台湾の経済の現在について触れた後、蔡英文が
選挙戦中に掲げた公約や、当選後の発言などから重要
なものを3つピックアップする。
a 台湾経済の今
台湾の貿易は図表1−1,2,3,4のとおりである
(2012年)。
品目の内訳をみると、電子機器及び部品、精密・光
学機器の輸出が多く、原油・鉱産物の輸入が多いこと
が分かる。
輸出入に注目すると、どちらもアジアが50パーセン
ト以上であることに変わりはないが、その内訳は大き
く違う。輸出の多い地域は①中国・ASEAN諸国、②
北米で、輸入は③日本、④中東・オーストラリア・ア
フリカが多い。
輸出においては、台湾はこれらの地域の市場へ台湾
製品を輸出し、また①の地域へはIT機器の中間財を輸
出して現地で組み立て・出荷していると考えられる。
輸入においては、③からは化学製品や一般機械、電
子機器など多くの品目を輸出していることが分かる(図
表8)。また④からは、石油・石炭・金属などの天然
資源を輸入していると考えられる。
全体として、原料を輸入して製品・半製品を輸出す
る加工貿易であることが分かる。資源を輸入し、台湾
で生産して輸出している。中国などに工場を建設し、
そこで生産を行っていることも頭にとめておきたい。
b 対中政策
選挙戦の最大の焦点であった対中政策において、蔡
英文は今の関係性の維持と対中依存の脱却を訴えてい
る。しかし両岸関係が不安定になることが懸念されて
いる。多くの台湾企業が中国に投資しており、中国人
観光客の経済効果も大きい。いかにしてバランスをと
るかが焦点となる。
c 対日、対米関係
蔡英文は当選後、対台湾の日本の窓口である交流協
会の大橋光夫氏と、ビル・バーンズ元米国務副長官と
相次いで会談、日米との関係強化を確認した。この際
蔡英文は日台間のFTA(注11)の締結に意欲を示した
d 東南アジア諸国との関係
FTAに同じく蔡英文が関心を示しているのがTPP(注
12)である。蔡英文は「国民党政府は両岸交流に努め
る西進政策だったが、私たちは日米との友好をしっか
りして東南アジア諸国との関係を強化する新南進政策
を推進するだろう」と語る(ビル・バーンズ元米国務
副長官との会談)。
(3)台湾とASEAN諸国の関係
蔡英文の対外政策のうち、日米中との関係は多く報
道されている中、ASEAN諸国との関係についてまで
言及する報道は少ない。
中国経済の先行きが不透明な中、台湾政府の経済部
は15年8月13日にASEAN市場開拓の積極化を図る内
容の「新興市場経貿拓展 東南亜」を公表した。これ
は台湾政府の東南アジアへの興味を表している。
a 市場開拓強化の背景
まず地理的に近いということが大きな理由となって
いる。距離感が大陸とあまり変わらず、物流コストに
おいてメリットがある。
次に、人口である。ASEAN諸国には6億人の人々が
住んでおり、これは他の地域経済統合体を上回る(図
表9)。そして、低所得層の多かったASEAN諸国の人
口において中間層が拡大しており、購買力が向上して
いる。人件費が安く済む国も多い。
b 市場拡大の具体策例
ー15ー
【現地工場の建設】
ノートPCなどの受託生産の拠点を設置することで、
いままでより安価に生産できる可能性がある。現在ほ
とんどの工場が集中している中国からの移転が期待さ
れる。ASEAN諸国には日本企業が進出しているため、
日台の企業の現地での協力にも期待できる。
【システム輸出】
国の発展が著しいASEAN諸国において新たに必要
となってくるシステム(電子政府システム、物流シス
テム、化学プラントなど)をハード単体でなくシステ
ム全体をパッケージとして輸出する戦略がある。輸出
時には様々な業種の生産が拡大され、完成後も一定の
需要が望める点で非常に有益である。
【ASEAN諸国での日台連携】
前述の委託生産は両国企業にメリットが大きい。先
に台湾企業が進出している場合、日本企業の水先案内
人、コンサルタントとして活躍するという役割もある。
5 考察
今回の選挙での国民党の敗北の原因には、支持母体
の弱体化、党内の亀裂などがあるが、馬政権の対中傾
斜への人々の反発が大きい。戦後の国民党の台湾支配
に対する評価も低い。しかし戦後の経済政策を長い目
で見ると、それは時代の流れを的確に読んだものであっ
た。台湾の経済が国際的な経済の変化や国際関係の変
化の中で着実に成長してきたのは、国民党のすぐれた
政策によるところも大きい。
またその中でタフにしたたかに生き延びてきた台湾
企業の柔軟性と、時代に対する適応力が見て取れた。
その姿勢、手法は力強く向上心に満ちていた。
この20年の台湾の発展には、途上国、中進国の手本
であるだけでなく、先進国にとってもその姿勢、手法
において参考にすべき点が満ちていると思った。
民進党の蔡英文の当選は、台湾の人々が中国の脅威
から距離を置き、代わりにより多くの国々と親密な関
係を築くことを望んでの結果ではないか。台湾の自立
と、グローバルな世界への大きなアプローチであると
思う。
対中依存からの脱却は、減速する中国経済から少し
距離を置くという意味で有効であろう。政治的な問題
を考慮すると、新政権にはいかに中国との関係を維持
しながら自国の利益を守るかというバランス感覚が求
められている。また中国は台湾にとっての重要な市場
であり、工場である。対中依存の脱却を考えるのであ
れば、台湾にはその中国に変わる存在が必要となって
くるであろう。
日米への接近は台湾企業のさらなる進出を促すだろ
う。台湾のPCブランド企業など現在勢いのある業種
には市場拡大の大きなチャンスになるだろう。特に注
目したいのがSIMフリー(注13)のスマホである。日
本では国内企業の参入が進んでいないこの分野に、台
湾大手が昨年の終わりに何社も新モデルを投入してい
る。
台湾のノートPC業界にとってもこれは大きなチャン
スとなる。中間財のやり取りや工業機器の輸入はPC
製造の効率性とコストパフォーマンスを向上させる。
日米は人口が多く購買力もあるため、大きな市場と
しての可能性を秘めている。
また、蔡英文が南方への関心を示したことは興味深
い。ASEAN諸国は台湾にとって将来的に今の中国の
位置を占めることになるだろう。
2000年代初頭、台湾企業は中国でノートPCを生産
し、それを日本のブランド企業が販売していた。その
中国での時と同じように、日台協力の上でのASEAN
市場開拓に大きな可能性が見えた。中国経済が減速す
る中での次の市場・工場としてASEAN諸国への進出
は有意義であると考える。また将来的に日本・台湾・
現地企業の3者間の連携を図ることができれば、世界
に通用するような大きな力となるであろう。期待は大
きい。
各国とのFTA締結やTPPへの加盟は、蔡政権の大き
なポイントとなってくるであろう。彼らが交渉をうま
く成立させることができればそれは新しい時代の幕開
けになる。アメリカの影響力が薄れ、中国の経済が減
退し、EUが問題を抱える現在。そんな今だからこそ、
日本−台湾−ASEAN諸国の協力という、これまでよ
り広い地域での連携は、世界の力関係を変化させる影
響力を持ってくるのではないか。大国に頼りきった今
の世界よりも、すべての国が、すべての企業が、すべ
ての民衆が輝く世界こそがグローバルと呼ばれるにふ
さわしいと僕は思う。
注
注1:自由貿易港=外国貨物に関税をかけず、外国船
が自由に出入りできる商港。
注2:加工区=国内の一定区域を関税制度の枠外にお
き、そこに外国資本を誘致して保税加工業を興し、
雇用の拡大と外貨収入の増大をはかろうという目的
で設置される一種の保税地域。
注3:十大建設= 1973年∼77年に実施された大規
模インフラ整備計画。十大とは、南北高速道路、西
武鉄道の電化・複線化、北回り鉄道、桃園国際空港、
台中港、蘇澳港、第1原子力発電所、銑鋼一貫製鉄
所(中央鋼鉄公司)、造船所(中国造船公司)、石
油化学コンビナート(中国化学石油公司)。
注4:十二項目建設=1978年∼82年に実施された十
大建設の後続計画。十二項目とは、南回り鉄道の建
設による台湾環島鉄道完成、3本の東西横断道路の
ー16ー
建設、高雄・屏東の道路交通の改善、中央鋼鉄公司
の第2期拡大工事、第2・第3原子力発電所の建設、
台中港の第2期・第3期拡大工事、新しい都市の開
発と国民住宅の建設、田園の水利改善、島の西岸の
堤防及び重要河川の堤防の修復、屏東∼島内最南端
の岬の道路の拡張、農業機械化、全自治体への文化
センター(図書館、博物館、音楽ホール)の設置。
注5:CPU=コンピュータを構成する部品の一つで、
各装置の制御やデータの計算・加工を行う装置。コ
ンピュータの心臓部といえる。
注6:チップセット=CPUほか様々な部品の間のデー
タの受け渡しを管理する一連の回路群。
注7:コンフィグレーション=システムなどのソフト
ウェアを使用状況に応じて設定すること。
注8:ロードマップ=企業が今後予定している製品の
見とおしを時系列でまとめたもの。
注9:プロトタイプ=試作機。
注10:サービス貿易協定=2013年6月、中国と台湾
の間で調印された貿易協定。金融・通信・出版・医
療・旅行など、サービス関連の市場を相互に開放し、
新規参入を促すことで、経済・貿易の活性化を図る
ことが目的。
注11:FTA = 加盟国が関税を撤廃、削減することを
定めた協定。台湾は日本との締結に意欲を見せてい
る。
注12:TPP = 環太平洋戦略的経済連携協定。環太平
洋の国々による、経済の自由化を目指した多角的経
済連携協定(FTAの内容だけでなく、経済取引の円
滑化などをも含めた条約)。日本、台湾のほか、
ASEANではシンガポール、ブルネイ、マレーシア、
ベトナムが大筋合意し、インドネシア、フィリピン、
タイなども参加に関心を示している。
注13:SIMフリー端末=SIMカード(端末が通信する
ために必要なICカード)のロック(携帯会社や機種
ごとの制限)がない端末。安価に利用できるのが利
点。
参考文献
1.参考書籍
・川上桃子 『圧縮された産業発展 台湾ノートパソ
コン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会、
2012年。
・渡辺利夫・朝元照雄『台湾経済入門』勁草書房、
2007年。
・渡辺利夫・朝元照雄『台湾経済読本』勁草書房、
2010年。
2.参考ホームページ
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http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/
15aef977a6d6761f49256de4002084ae/
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・独立行政法人 日本貿易振興機構 「台湾 輸出統
計(国・地域別)」 https://www.jetro.go.jp/
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・独立行政法人 日本貿易振興機構 「台湾 輸出統
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・独立行政法人 日本貿易振興機構 「台湾 輸入統
計(品目別)」 https://www.jetro.go.jp/
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%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83
%A0%E3%81%A7%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E4
ー17ー
%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%A8%E7%B5%84
%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%A2%E3%82
%B8%E3%82%A2%E9%80%B2%E5%87%BA%E3
%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%841076.html
・YAHOOニュース 「蔡英文次期総統、日本との自
由貿易協定締結に意欲/台湾」 2016年1月18日
配 信 h t t p : / / h e a d l i n e s . y a h o o . c o . j p /
hl?a=20160118-00000004-ftaiwan-cn
・YAHOOニュース 「『台湾、日米との友好強化…
防衛産業、積極的に投資』」 2016年1月19日配
信 h t t p : / / h e a d l i n e s . y a h o o . c o . j p /
hl?a=20160119-00000003-cnippou-kr
・小笠原欣幸 「小笠原HOMEPAGE」 http://
www.tufs.ac.jp/ts/personal/ogasawara/
・NHK解説委員会ホームページ 解説アーカイブス 「時論公論 『台湾総統選挙 8年ぶり政権交代の
意味』」http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/
235970.html
・日本経済新聞 「台湾総統選、初の女性対決に 国
民 党 は 洪 氏 を 指 名 」 2 0 1 5 年 7 月 1 9 日 配 信 http://www.nikkei.com/article/
DGXLASGM19H1H_Z10C15A7FF8000/
・ニューズウィーク日本版 「次の台湾総統を待つFTA
とTPPの『中国ファクター』」 2015年12月24日
配信 http://www.newsweekjapan.jp/stories/
world/2015/12/ftatpp_1.php
・東洋経済ONLINE 「日本は、台湾の新政権とどう
付き合うべきか」 2016年1月18日配信 http://
toyokeizai.net/articles/-/100920?display=b
3.参考記事
・日本経済新聞 2016年1月8日 「エイスース ス
マホで躍進」
・日本経済新聞 2015年12月21日 「強い事業作り 知財戦略から」
4.その他参考にした資料等
・台北市内のスマートフォン・タブレット端末・ノー
トPC店『神腦國際 台北南京東門市』で取得した
パンフレット 「年終特賣會」
・独立行政法人 日本貿易振興機構 アジア経済研究
所 川上桃子氏の講演会「グローバル化の中の台湾
経済」およびその資料(2015年9月29日)
ー18ー