アメリカ銃規制問題 ――チャールトン・ヘストンのNRA

アメリカ銃規制問題
アメリカ銃規制問題
――チャールトン・ヘストンの NRA――
川口 洋介
序章
第1章
ヘストン会長就任以前の銃社会
第1節
銃社会全体の状況
第2節
NRA の存在
第2章
チャールトン・ヘストン
第1節
チャールトン・ヘストンという人物
第2節
NRA 会長チャールトン・ヘストン
第3章
ヘストンの NRA
―クリントン政権期―
第1節
立法分野における衝突
第2節
法廷での対立
第4章
ヘストンの NRA
―ブッシュ政権期―
第1節
2000 年大統領選挙
第2節
ブッシュ政権との関係
終章
序章
9,3691と2億数千万2。この2 つの数字、前者は 2002 年1年間にアメリカで銃によって殺害された人数で
あり、後者は現在アメリカに存在する銃器の数を表している。この 2 つの数字を見るだけで、アメリカが銃社
会と呼ばれる理由がわかる。銃の保有数と銃犯罪の数に直接的な関係があるわけではない。しかし、アメリ
カの数字は他の先進国と比較しても圧倒的である。
近年、銃による事件が起こる度にアメリカでは銃問題がクローズアップされ、規制への支持も高まってき
た。この 1、2 年を振り返っても銃による惨劇は後を絶たない。2002 年 2 月 29 日、ミシガン州マウントモリス
にあるビュエル小学校で、1 年生(当時6 歳)の男子児童が同じクラスのケイラ・ローランドちゃんに銃口を向
け、「お前なんか嫌いだ」と言って射殺。この史上最年少の銃による殺人事件は米国社会を震撼させた。ま
た、記憶に新しいところでは、同年 10 月首都ワシントンにおいてジョン・アレン・モハメドと共犯の17 歳の少
年による無差別・連続狙撃事件が発生している。
このような状況の中、銃支持の風潮がこれまで規制強化に賛成してきたリベラル層にまで拡大しつつある
とする研究が発表されている。「9・11」によって「人々は無防備さを感じるようになり、自己防衛の重要性が
強調された」3というのである。さらに、「アメリカに住む 1149 人に、「もし選ぶとしたら、どんな死に方がいい
か」と 8 つの選択肢を提示したところ、5 人に 1 人が「銃に撃たれて」(他殺、自殺、事故を含む)と答えてい
る」4。
では、どうして銃による惨劇が繰り返されながら、銃規制は進まないのだろうか。また、アメリカではなぜこ
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
れほどまでに、銃が人々の生活に根付いているのだろうか。これらの問いの答えとして、市民の銃所持の権
利を保障したとされるアメリカ合衆国憲法修正第 2 条、イギリスから戦争によって独立を勝ち得たという戦争
の歴史、銃が西部への道を切り拓いたとするフロンティア精神、自立・自衛の精神が考えられる。
この中のひとつ、アメリカ合衆国憲法修正第 2 条に関する世論調査を見てみると、
「アメリカ合衆国憲法修正第 2 条は、1.州が民兵を維持することを保障しているに過ぎない、
2.
個人が銃を保持することをも保障するものである」
という問いに対し、1=20%、2=73%、3 意見なし=8%という結果であった5。このように、国民の実に 4
人に 3 人は銃を保持することは憲法で保障された権利であると考えている。これに、上述の多くの伝統的・
思想的要因が重なり、アメリカでは銃が普及し、悲劇が多発しようとも支持され続けているのである。
そして、この銃社会アメリカを歴史的・文化的にだけでなく、行政・立法・司法といったあらゆる側面からリ
ードしてきたのが全米ライフル協会(National Rifle Association :NRA)なのである。
NRA は 300 万人以上の会員と豊富な資金力を誇り、また、ダイレクトメールなどの方法により、選挙、銃
規制関連法案の採決において、圧倒的な動員力を行使している。それ故、全米最強の圧力団体と称され
てきた。この NRA の会長を 1998 年 6 月から 2003 年 5 月まで務めたのが映画『十戒』や『ベン・ハー』で
知られ、アカデミー賞に輝いたこともある国民的俳優チャールトン・ヘストンである。
本論文ではチャールトン・ヘストンと彼に率いられた NRA に焦点を当てる。そして、チャールトン・ヘスト
ンと NRA が銃社会アメリカにおいて果たした役割、社会に及ぼした影響を明らかにしていく。
まず第1 章で、ヘストンの果たした役割、及ぼした影響を明らかにするという目的上欠かすことのできない、
ヘストン会長就任以前の銃を巡る社会状況、NRAの実状について 1990 年代以降の動きを中心に論じる。
続く第 2 章ではヘストン個人に注目し、ヘストンの生い立ちからを振り返り、彼の思想の根拠を明らかにして
いく。また、ヘストンが NRA の歴代の会長と比較してどのような特徴があるかという点についても論じる。第
3 章、第 4 章ではヘストンと彼に率いられた NRA がクリントン=ブッシュ両政権とどのような関係にあり、どの
程度の影響力をもっていたかを明らかにし、社会への影響力を見る。具体的には法案・選挙・訴訟から考え
ていく。
本論文の先行研究として、日本語で書かれたものとしては、丸田隆『銃社会アメリカのディレンマ』(日本
評論社、1996 年)、矢部武『アメリカよ、銃を捨てられるか―自由と正義の国の悲劇と狂気―』(廣済堂、
1994 年)の 2 点が挙げられる。
まず、『銃社会アメリカのディレンマ』では、銃社会の現状、法的根拠、NRA、銃規制と経済の関係という
銃問題全般について、具体例を挙げつつ豊富なデータをもとに説得力を持って述べられている。また、『ア
メリカよ、銃を捨てられるか―自由と正義の国の悲劇と狂気―』では、銃問題は思想・政治システム・文化と
いったあらゆる側面と関係しているという主張のもと、本文が展開される。この点は、テロ事件以後銃所持へ
の支持が保守派だけでなく、リベラル派へも拡大していることからも明らかである。そして、結論部分では、
最も怖いのは武装した市民であり、法による規制よりも、一人一人の意識改革を優先すべきであると論じる。
この結論は私も支持する。上記の 2 冊はアメリカ銃社会の全体像を知る上で、大変参考になった先行研究
である。
英語で書かれた先行研究としては、Osha Gray DavidsonUNDER FIRE=THE NRA AND THE
BATTLE FOR GUN CONTROL, An Expanded Edition』(University of Iowa Press,1998)が挙げ
られる。この本は銃規制問題を、NRAの動きを中心に論じている点で特徴的である。日本語の先行研究は、
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アメリカ銃規制問題
全体を知ることができるという長所がある一方、NRA に関する記述は決して多いとは言えない。その点、こ
の本では法案の審議過程、NRA の裏側などの重要事項について詳細に述べられており、NRA について
研究する上で、非常に有用な先行研究となった。
しかし、これら全ての先行研究はヘストン就任前、あるいは就任した年のものであるため、ヘストンに関す
る記述は大変少ない。このため、ヘストン会長就任以後の資料は、新聞・雑誌記事が中心となる。これは研
究の難しさを表す一方で、本論文のオリジナリティとも言うことができる。今回、私はチャールトン・ヘストンと
いう一人の人物にスポットを当て銃問題を見ようと考えている。これまでに一人の人物を中心に、この問題を
扱った書物・論文は存在しないと思われる。
もう1 点、アメリカの圧力団体政治という点でもオリジナリティを主張できるのではないか。アメリカにおける
圧力団体・ロビイストの政治への影響力の大きさは様々な先行研究により、広く知られるところである。NRA
も選挙における動員力から、最強の圧力団体と表現されることは初めに述べた。その最強団体の会長であ
るチャールトン・ヘストンと彼に率いられた NRA のクリントン=ブッシュ両政権への影響を見るということは、
現在の圧力団体の政治への影響力を明らかにすることに他ならない。ガンロビーが現在どれほどの力を持
っているのか。その最新の研究としても存在価値・オリジナリティがあると考えている。さらに、会長・リーダー
によって、どの程度団体が変化しうるかという点でも、独自性を主張したい。
第1章
第1節
ヘストン会長就任以前の銃社会
銃社会全体の状況
序章でも述べたが、アメリカでは約 2 億 6000 万人が 2 億数千万丁の銃器を個人所有し、銃器殺人犠牲
者は毎年約 9 千人にも上る。このような状況をアメリカ市民も問題視していないわけではない。USA
TODAY 紙が 1993 年 12 月に行った世論調査では、後述のブレイディ法などの銃規制に賛成する者が過
半数を占めている6。1990 年代はケネディ大統領、キング牧師といった著名な人物が相次いで暗殺された
1960 年代以来の、規制への要求が高まった時代であると言える。
このような時代背景の中、クリントン政権は2 つの銃規制立法に成功している。アメリカには2 万以上の銃
規制法があるとされているが、そのほとんどは州や自治体レベルのものであり、連邦レベルでは 1968 年の
銃砲規制法(Gun Control Act)以来の立法であった。
ひとつは、1980 年 12 月のジョン・レノン氏の暗殺や、1981 年 3 月のレーガン大統領(当時)の暗殺未遂
事件がきっかけとなって、1993 年 11 月に成立したブレイディ拳銃暴力防止法(Brady Handgun
Violence Prevention Act)である。この法律により、銃砲購入者に対して警察による 5 日間の調査が義務
付けられることとなった。
これに続いて成立したのが、1994 年の包括的犯罪防止法(Violent Crime Control and Law
Enforcement Act of 1994)である。この法律では19 種類の攻撃型ライフル銃が指定され、そのような銃の
製造と販売禁止が盛り込まれている。当初、この法案は 15 票差で廃案になると考えられていた7。しかし、
一度に大量の被害者を出すこの種の銃を危険視した世論の強い支持を受けて成立したのである。ニューヨ
ーク・タイムズ紙も同法案の成立について「びっくりするような勝利」と報じている8。
また、1990 年代に入り、州レベルでも銃砲の所持、購入または携行について何らかの制限を加えるよう
になってきており、購入に関しても許可を必要とさせる州が増えている。特にニューヨーク州のように、拳銃
の所持に関して許可を必要とさせ、個人が銃砲店から拳銃を購入することをほぼ不可能とする厳しい銃砲
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
規制を実施している州もある。しかし、ほとんどの州では、日本では考えられないほど簡易な手続きで誰も
が銃を購入することができ、規制の厳しい州にもその銃が流れてくるような状況である。
では、何故市民は規制を望んでいるにも関わらず、所持禁止や登録制といった厳しい法律が成立しない
のであろうか。その理由として以下の 2 点が挙げられる。
まず序章でも述べたが、アメリカでは、歴史的に個人の自由や権利は自らが守らなければならないという
意識が非常に強いことである。そして、その維持のための努力をしない者は、当然にそれを失うと考えられ
ており、自衛のための手段として銃砲の所持を当然のことと考える傾向もまた、非常に根強いのである。植
民地時代から西部開拓の時代を経て、自衛の意識が高まり、銃砲の所持は市民の権利として意識されてき
た。NRAなど銃支持派は、銃砲所持の権利はアメリカ合衆国憲法修正第2 条に規定されていると主張して
いる。この規定は「わが国では、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから(being
necessary to the security of a free State)、人民が武器を保蔵しまた携帯する権利(right of the
people to keep and bear Arms)は、これを侵してはならない」と訳されている9。このアメリカ独自の伝統・
歴史・文化が銃問題を複雑にしている要因のひとつである。
もう一点は、アメリカでは圧力団体の政治に対する影響力が非常に強いことが挙げられる。政治家は資
金を提供してくれる圧力団体のいいなりとなってしまう傾向が見られる。このため、銃規制を望む民意が反
映されないというのが現状なのである。
この点を含めて、次節ではヘストン会長就任までのNRAの銃社会における存在を明らかにしていく。
第2節
NRA の存在
NRA(全米ライフル協会 National Rifle Association)は南北戦争終結後の 1871 年、2 人の退役軍人
によって射撃訓練を推進する団体としてニューヨークに設立された。設立当初の目的は射撃技術の向上を
図ることであり、その目的は約 1 世紀の間変わることはなかった。NRA が現在のような銃規制に反対するロ
ビーに変化したのは、都市における銃犯罪が急増した 1960 年代以降のことである。NRA は単一争点に対
する態度で議員・候補者の支持・不支持を決めるロビーのさきがけとなったのであった。そして、1977 年の
シンシナティの反乱(Cincinnati Revolt)によって急進的圧力団体へと完全に移行を遂げた。
この NRA にとって、1980 年代終わりから 1990 年代初めは厳しい時代であったと言える。立法分野では
第 1 節で取り上げたように、ブレイディ拳銃暴力防止法と包括犯罪防止法の成立を許し、選挙では 1990
年、全米で最高の NRA 加入率を誇るメイン州で銃規制支持を掲げる議員が当選を果たしたのである10。
しかし、NRA はその後巻き返すべく、急激な組織の拡大を図っている。会員数は 1991 年には 250 万人
であったが、1994 年には 340 万人に飛躍的増大を遂げた。とくに拡大運動がピークだった 1991 年 10 月
から 1994 年 1 月の間の新会員数は 85 万人に達している11。クリントン政権による銃関連政策の攻勢に対
し、NRA は人々の危機感を煽ったのである。その結果、1994 年の中間選挙では、重点候補 24 人中 19
人が当選を果たし、下院では NRA がマル優マークをつける議員が 224 人と、過半数を占めるに至った12。
共和党の勝利に大きく貢献したのである。しかし、NRA は「コストの高いダイレクト・メールで会員の拡大を
行ったので、500 万ドル以上の赤字が生じたと言われている」13。
共和党と NRA の密接な関係は、ニュート・ギングリッチ下院議長が NRA のチーフ・ロビイスト、タニア・メ
タクサに宛てた 1995 年 1 月 27 日付けの書簡にはっきりと記されている。この中でギングリッチは「親愛なる
タニア、私が下院議長である間はいかなる銃規制法案も、本院の委員会にも、本会議にも提出させない」14
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アメリカ銃規制問題
と述べている。
NRAと共和党の結びつきを表す出来事が、1995 年にはもうひとつあった。それがシュマー法案を巡る動
きである。この法案はチャールズ・シュマー下院議員(ニューヨーク州、民主党)によって提案されたもので、
材料が何であるかに関わらず、防弾チョッキを貫通する全ての銃弾(このような銃弾を「警官殺し」弾という)
を禁止するという内容であった。当初、下院共和党議員 3 人が民主党と行動を共にしたため、同法案は下
院司法委員会において 16 対 14 で可決された。しかし、翌日になって 3 人の共和党議員のうち 2 人が再
考を求め、最終的には 16 対 14 で否決されてしまったのである。
この頃から NRA はより急進的で反政府的な姿勢を見せるようになる。ウエイン・ラピエール副会長は会員
に次のような内容の手紙を送っている。「半自動銃に対する、情け容赦ない政府の殺し屋共(jackbooted
Government thugs)は一層力を得て、われわれの憲法上の権利を奪い、家庭に押し入り、銃を押収し、
財産を破壊し、人を傷つけ、ひいては人命を奪いかねないのである……。バッジさえ付けていれば、善良
な市民を困らせ、おどかし、殺害することをクリントン政権は許しているのだ……。黒づくめの、防具に身を
固めた情け容赦ない政府の殺し屋共が、家に押し入り、自動銃をぶっ放し、善良な市民を殺傷していること
は明らかなのだ……。武器を携行し保蔵する権利を失えば、言論の自由、宗教行為の自由など権利章典
(憲法修正第1∼10 条)に明記してある諸権利を失う羽目になる」15。
この手紙が送られた 6 日後に起こったのが、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件である。犯人の一人、
ティモシー・マクベイや民兵組織(Militia)の主張と手紙の内容が共通していたため、この事件の背後には
NRA が関わっているのではないかという噂が全米に広がった。これに対し、NRA は即座に事件との関わり
を否定している。しかし、このような方向性の変化は会員にもかなりの反発を生むこととなった。終身会員で
あったブッシュ元大統領は爆破事件後に NRA を脱会している16。
このように、ハンターやレクリエーションとして銃を楽しむスポーツマンの組織としてではなく、急進的・戦闘
的な民兵組織と同一視されるようになってしまった NRA のイメージを一新させるべく、会長に選出されたの
がチャールトン・ヘストンなのである。次章ではヘストンに注目し、会長としての彼の特徴を明らかにしてい
く。
第2章
第1節
チャールトン・ヘストン
チャールトン・ヘストンという人物
チャールトン・ヘストン(本名ジョン・チャールトン・カーター)は 1924 年 10 月 4 日、イリノイ州エヴァンスト
ンで生まれた。その後、ミシガンで狩猟や魚釣りを楽しむ腕白な少年時代を過ごしている。ヘストン少年は
一人で狩をする時には、自分が開拓期のヒーローになった空想で孤独をまぎらわせていたそうである17。こ
の“ガン天国”とも言われるミシガン州で狩猟を経験しながら育ったことが、ヘストンのその後に大きな影響を
与えたことは間違いない。また、開拓期のヒーローを空想していたあたりに、ヘストンの銃に対する考えの原
点を見ることができる。12 歳の時に両親が離婚。高校時代に演劇の面白さに目覚め、奨学金で進学したノ
ースウエスタン大学では言語学を専攻しながら学生演劇や弁論大会に参加。1941 年には大学で製作した
自主映画『Peer Gynt』で主演を務め、映画デビューを果たす。卒業直前に演劇仲間だったリディア・クラ
ークと結婚。その後空軍に入隊し、第二次世界大戦時はB29 爆撃機の砲手の任務に就いた。ヘストンは
1991 年、サンアントニオで開催された NRA の年次総会で、戦地での経験を語り、銃所持の重要性を説い
ている18。
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
戦争が終結するとニューヨークに移って演技を磨き、1947 年の舞台『アントニーとクレオパトラ』でブロー
ドウェイ・デビューを果たす。ヘストンを「ミケランジェロが手掛けた聖書の人物の彫刻にそっくりだ」と評した
デミルは、彼の遺作となったスペクタクル史劇『十戒』(1956)の主人公モーゼ役にヘストンを抜擢。莫大な
制作費をかけた『十戒』は興行的に大きな成功を収め、モーゼ役を好演したヘストンはスターとしての確固
たる地位を確立する。『大いなる西部』(1958)では名匠ウィリアム・ワイラーの演出の下、グレゴリー・ペックの
ライバルを好演。再びワイラーと組んだスペクタクル史劇『ベン・ハー』(1959)では、タイトル・ロールのベン・
ハーを迫真の演技と過激なアクションでダイナミックに演じて絶大な支持を集め、その年のアカデミー主演
男優賞を獲得する。スペクタクル映画には欠かせない俳優となったへストンは、史劇大作に相次いで出演
し、ヨハネやミケランジェロなど歴史上の人物を演じた。1968 年のSF映画『猿の惑星』では、猿が支配する
世界に迷い込んだ宇宙飛行士を熱演。老練なカウボーイを演じた『ウィル・ペニー』(1968)は話題にはなら
かかったものの、彼のお気に入りの作品となっている19。
これらヘストンの出演作品を見てみると、スペクタクル映画や西部劇が中心となっており、「頑強な男」を
演じてきていることに気が付く。このことから彼が歴史や伝統からも思想的に大きな影響を受けていることが
推測される。
1970 年代に入ってからも数多くの映画に出演し、タフなヒーローを熱演。 しかし、1980 年の西部劇『ワ
イオミング』以降は映画出演は減り、主にテレビ・ドラマやテレビ用映画に出演するようになる。1990 年代に
入ると助演やゲスト出演で再び映画にも顔を出すようになり、大作や話題作で出番は少ないものの存在感
のある演技を披露している。
このように輝かしい経歴を持つヘストンは俳優仲間からの信望が厚く、1966 年から 1971 年まで俳優組
合の会長を務め、ハリウッドのリーダーの一人として活躍。また、ヘストンは政治的にもハリウッドのリーダー
格であり、レーガン元大統領と同じくかつては穏健な民主党員であった。大統領選挙でもケネディ候補に
投票している。さらには人権擁護家としても活動し、1963 年にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧
師と共に、公民権運動のデモ行進に参加したこともある20。
驚くべきことに、1968 年には銃砲規制法を支持している。これについてヘストンは後に「若くて愚かだっ
た」と説明している21。ケネディ大統領、キング牧師という自分と関わりのある人々が銃によって殺害されたこ
とが、ヘストンにこのような行動を取らせたのであろう。
同年の大統領選挙では、永年の民主党支持を覆し、ニクソンを支持している。この時期に現在につなが
る思想的変化があったことは間違いない。その原因は何か。それはヘストンの中にある白人至上主義思想
であると考える。公民権運動などにより急速に「非白人国家化」が進んだ 1960 年代。この時代は価値観の
多様化と同時に、白人の危機感・怒りが増幅した時代でもあった。この時代背景を考えれば、ヘストンの変
化も説明がつく。少年時代から開拓期のヒーローに親しんできた彼にとって、アメリカは白人が建国した国
なのである。
それから 35 年が経った今、ヘストンの考え方は保守的であり、かなり急進的であると言うことができる。ア
ファーマティブ・アクションに反対し、演説・インタビューでは白人至上主義的な人種差別発言をゲイやフェ
ミニストに対して行う。しかし、ヘストンは「自分は変わっていない。民主党が右から左に変化したのだ」と語
っている22。
また、選挙になると保守派候補に自ら設立した政治活動委員会「ARENA-PAC」を通じて選挙資金を出
したり(これまで行われた各種選挙 21 州、54 人の保守派候補に献金)、選挙に駆けつけるなど、非常に活
144
アメリカ銃規制問題
発な活動を展開してきた23。
ヘストンとNRAの関係を見てみると、彼は長年NRAの会員であり、会長就任以前から、その抜群の知名
度・人気を武器に NRA の広告や年次総会に登場。イメージアップや会員獲得に力を発揮してきた。そして、
1998 年に第一副会長から会長に就任したのである。
では、ヘストンは銃に関してどのような考えをもっているのだろうか。彼は思想的に分類すると保守的リバ
タリアンであり、「銃を所持する権利は憲法修正第 2 条で国民に保障されている。また、銃を持っていると安
心できる」と語っている24。さらに、アメリカから銃がなくならない理由、銃による殺人事件が世界各国と比較
して圧倒的に多い理由について、ヘストンは「アメリカには流血の歴史がある。それに国民の中に多様な人
種が混ざっている。人種のるつぼであるからだ」と述べている25。
憲法修正第2 条により保障された権利であること、自衛、建国以来の歴史的経緯、人種の多様性。加えて
ミシガンで培った狩猟文化、戦争経験。これらがヘストンの銃に対する考え方の基本なのである。
第2節
NRA 会長チャールトン・ヘストン
1998 年 6 月に NRA 会長に就任したチャールトン・ヘストンであるが、彼の特徴を一言で挙げるならば、
やはり「知名度」である。ヘストンは56 代目の会長であるが、歴代の会長の名前を挙げても彼以外の人物を
知る人は、アメリカ人ですらあまりいないのではないだろうか。ヘストンの前任者はハマー・マリオンという女
性であったがあまり知られていない。少しでもソフトなイメージを印象付けたい。また、女性に銃を普及させ
るという狙いのもとの人選であった26。
NRA ほどの歴史と伝統があり、300 万人を超える会員数を誇る組織としては、この事実は少し意外であ
る。しかし、これはNRAが象徴的な存在がいなくても、十分に団結して活動することができていたことを示し
ているのではないだろうか。
逆に、ヘストンの就任は、いかに NRA がイメージの改善を必要としていたかを表している。事実、ヘスト
ンは 76 人のいる委員会での選挙において、75 対 1 で選出された27。そして、就任直後に 500 万ドルにも
及ぶ新たな“I’m the NRA”という広告キャンペーンの実施を発表している。これは1980年代に NRA が行
ったキャンペーンを復活させるもので、著名人などが銃を持って笑顔でポスターに収まるのである。
では、ヘストンの会長としてのリーダーシップはどうなのであろうか。私はこの点でもヘストンは優れている
と考える。NRA にはかつてハーロン・カーターという強力な指導力をもった会長が存在した。しかし、1980
年代以降は一部の有力者が組織を動かしており、会長がリーダーシップを発揮できない時代が続いてきた。
その代表的な有力者とは、ニール・ノックス、ウエイン・ラピエールである。
ラピエールが急進的な人物であることは、第1章で述べたとおりであるが、ノックスはさらに非妥協的姿勢
を持った人物であった。銃に関するジャーナリストであった彼は、政府陰謀説に大変固執した考えを持って
おり、1994 年のショットガン・ニューズ(Shotgun News)のコラムで、「ケネディ兄弟、キング牧師の暗殺は、
銃規制をより正当化するための陰謀である」と書いている28。このような人物がその過激さ故に、結果的には
会員の批判を生むことにもなったが、NRA をリードしてきたのである。この間の会長、トマス・ワシントンやハ
マー・マリオンは特に目立った活動は行っていない。
しかし、ラピエールとノックスのリーダーシップにも亀裂が生じる。それは、ノックスの年を重ねる度に急進
的になる態度が原因であった。そして、過激集団というイメージから脱却すべくラピエールが起用したのが
ヘストンだったのである。ヘストンは 1997 年のシアトルで行われた年次総会において、ノックスを破り第一
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
副会長に座に着くと、翌年には会長のポストに上り詰めた。ヘストンは会長に就任後も NRA の先頭に立っ
てリーダーシップを発揮している。以下の章では具体的にヘストンの指導力を検証していく。
ヘストンと前任の会長との違いは、この NRA の置かれた状況の違いが大きな要因であったと言える。
NRA の求めたイメージを変えることの出来る、知名度の高くリーダーシップの取れる会長。それがチャール
トン・ヘストンだったのである。
第3章
第1節
ヘストンの NRA
―クリントン政権期―
立法分野における衝突
第 1 節ではヘストン会長就任以後のクリントンと NRA の対立を議会活動から見ていく。
1998 年は議会において銃規制が活発に議論された年であった。というのも、ブレイディ法の身許調査条
項が 5 年間の期限つきであったためである。クリントン大統領がまず推進したのが、銃の展示即売会におけ
る売買での身許調査の法制化である。1998 年 11 月に行動が開始され、翌年 2 月に法案が提出された。
ブレイディ法は 5 日間の身許調査・待機期間を設けているが、これは銃砲店での販売においてであり、展
示即売会では免除されていた。クリントン大統領はこの抜け穴の阻止を狙ったのである。
コロンバイン高校銃乱射事件発生後の 1999 年 5 月 20 日、上院において1週間にも及ぶ議論の末、展
示即売会における身許調査を義務付ける法案を、上院議長を務めるゴア副大統領の議長採決によって可
決した。これは当時、共和党が上院の多数を占めていたことを考えると、いかにコロンバイン高校での事件
が人々に衝撃を与えていたかがわかる。また、同時に上院は拳銃の販売にあたって、子供のための安全装
置をつけることを義務付ける少年犯罪法案も可決している。
しかし、下院は 6 月 18 日、同法案を 280 対 147 という大差で否決した。ワシントンポスト紙の調査による
と、上院で可決された銃規制法案は、世論の 80%が支持していたということである29。これほど多くの世論
の支持を受けた法案が何故大差で否決されたのだろうか。その理由は、やはり NRA である。
NRA は法案に反対するために、乱射事件発生から下院での採決までの約2ヶ月の間に 150 万ドル費や
したというのである。そのうち 75 万ドルを会員へのダイレクトメールなどの通信費やラジオのトークショーなど
に費やしたと言われている30。また、事件直後に同じコロラド州のデンバーを訪れ、住民の激しい反対に合
いながらもヘストンは「ここは自由の国だ。私はこうして皆さんの前にいる。我々は今こそ団結して、邪悪なも
のを打ち破らなければならない」と熱弁をふるった31。NRA によれば、乱射事件後の約 1 ヶ月で会員が 5
万人増加したという32。クリントン大統領も、規制に反対する両党の議員に電話や書簡を送り支持を求めた
が、結果的に NRA の力に屈したのである。
この下院での法案の否決により、昨年より続いていた銃規制を巡る議会での論争は終わりを向かえた。
そして、新しい銃規制法の成立の見通しは全くなくなったのである。
NRA とクリントン大統領の対立は激しく、メディアを利用した批判も行っている。NRA はクリントン大統領
を批判するテレビ広告を 13 種類作成、CNN、MSNBCの放送枠を買い取り、放映した。一方、クリントン大
統領は「NRA がどんな銃安全装置にも条件反射的に拒否反応を示すのは間違いだ」と述べ、これまでの
銃規制法に賛成投票した議員を NRA が「冷酷に情け容赦なく」落選させたと指摘。また、ヘストンがテレビ
広告で「NRAは銃規制に協力している。クリントン氏はうそつきだ」と主張した点については「ワニが流すよう
なそら涙で有権者を同調させられるとは思わない。たとえモーゼが台本を読んだとしてもだ」と述べている33。
大統領がこのような形で民間の団体を批判するのは異例のことである。両者の対立が深刻であったこと
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アメリカ銃規制問題
が、このことからもわかる。
第2節
法廷での対立
この時代の銃規制を巡る動きの特徴のひとつとして、訴訟が挙げられる。本節ではこの銃に関する訴訟
にスポットを当てる。銃に関する訴訟はたばこ訴訟の影響を大きく受けている。では、このたばこ訴訟とはど
のようなものであり、銃規制問題にどう影響したのであろうか。
たばこ会社は長年に渡り、たばこの販売を行ってきた。しかし、いくつかの州の司法長官が、たばこが原
因の病気になった州民の医療費の弁済を求めて訴訟を起こしたのである。結果的に、たばこ会社は敗訴。
州は巨額の損害賠償金を得ただけでなく、たばこ会社から広告やマーケティング方法の変更の誓約を引き
出すことにも成功した。つまり、法廷は、たばこ会社による巨額の政治献金による立法反対活動を葬る手段
となったのである。これに倣って提訴されるようになったのが銃関連の訴訟である。
規制推進派は、銃の生産と流通の結果に対する銃産業・メーカーの責任を問うために法廷を活用した。
1999 年 2 月、ニューヨーク連邦裁判所の陪審員は3 つの銃撃事件に関して、銃メーカーの責任を認めた。
銃がニューヨークの犯罪者の手に渡ることを知りながら、メーカーが規制の比較的弱い南部の州のガン・デ
ィーラーに不注意かつ過剰に銃の供給を行ったとの主張がなされ、メーカーのマーケティングと流通により
違法に入手され発砲された件に関して、業者に責任があると判断したのである。陪審は訴えられた 25 のメ
ーカーのうち、15 社について不注意があったという判決を下した34。
この事件の原告は銃撃事件の犠牲者の家族であったが、銃メーカーに大きな打撃を与えることになった
のが、市による訴訟である。シカゴ、ボストン、アトランタ、シンシナティ、ニューオリンズ、セントルイスをはじ
めとする 20 を超える市による訴訟では、市は「銃メーカーは犯罪者に銃が渡らせないために必要な手段を
講じなかった」と申し立てた。また、連邦政府も公営団地とその住人を代表してメーカーを訴追することを検
討したのである35。
この種の訴訟は、銃規制推進派の新たな挑戦であると言える。NRA をはじめとする銃支持派がその豊富
な資金力などで圧倒的な影響力を誇る立法の場において、銃の製造・流通・販売の見直しを実現すること
は不可能に近い。しかし、法廷では NRA のロビー活動、草の根の動員も役に立たないのである。
しかし、同月、NRAなど銃支持派はアトランタで開催された銃取引展示会において、各地で起きている訴
訟に連帯して対応していくことを確認した。この会でヘストンは、「一世紀の間ずっとわれわれは別々に行動
してきた。しかし、今や銃産業の皆さんの闘いは私たちの闘いになっている。あなた方に対する法による脅
威は、我々に対する憲法上の脅威になっている。われわれの敵は自分達が議会でわれわれをたたくことが
できないので、彼らは法廷であなた方をたたくことができると考えたのであろう。しかし、彼らは、小切手を持
っておらず、800 万会員らの投票と、3,000 万人の銃所有者を持っていないのである。」と述べた36。
そして、反対派による訴訟に対し、支持派は州議会を利用するという手段を採っている。NRA の懇願によ
り、ジョージア州はアトランタ市を含む州内の任意の司法管轄について、銃メーカーへの訴訟を先占する法
案を通過させた最初の州となった。NRA 自体は、アトランタ市による提訴を防ぐ政治力は持っていなかった
が、ジョージア州議会という自身の影響力の大きい場で力を発揮したのである。アトランタ市の住民、政治
的指導者たちは、銃規制に対する共通の見解を持っていたが、州全体を見ると、住民、立法者はこれとは
全く異なる見解を持っていた37。
しかし、ジョージア州のように訴訟を先占するためには、時間と費用が必要となる。そこで、NRA ら支持派
147
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
にとっては全米中の市及び州の訴訟を先占すべく、連邦法による解決が重要となった。結果的に不成立と
なったが、支持派は 1999 年 3 月、連邦議会に対し、銃器犯罪に関して銃メーカーやディーラーを訴える市
及び州の権限を先占するとする内容の法案を提出している38。
このように支持派は市による訴訟を防ぐべく、自分たちの影響力を最大限に発揮できる州議会に影響力
を行使するという方法を採ったのである。
また、NRA の弁護士ミッシェル氏はこう述べる。「仮に、銃メーカーに対する裁判において、原告側が勝
利してもタバコに対する賠償ほど巨額なものを勝ち取ることは出来ないだろう。試算によれば、タバコ産業が
1 日で与える損害と銃メーカーが 1 年で与える損害とが、ほぼ同程度と考えられるからである」39。
しかし、市による提訴がなされて間もなく、スミス・アンド・ウェッソン(S&W)、コルト、グロック・ベレッタなど
の主要な銃メーカーは、市との和解交渉を開始した。これは、市がメーカーがこれまでの慣行を変更すれ
ば、損害賠償金を免除する旨の意思表示を行ったのを受けての動きであり、メーカー側はたばこ訴訟のよう
な莫大な損害賠償金の支払いを恐れたのである。
最大手の S&W は 2000 年 3 月、政府と包括的な銃の自主規制の実施について合意。その中身は、安
全ロック装着など安全対策の徹底、所有者以外の発砲を不可能にするハイテク技術の導入、複数の銃を
購入する場合の購入規制、販売規制であった。S&W のエド・シュルツ CEO(当時)は「業界のことも気にか
けているが、ある段階に来れば、自分の会社を救うことを考えなくてはならない」と述べている40。今回の合
意は多額の訴訟費用により、銃メーカーが存続の危機に立たされていることをはっきりと示すものであったと
言える。他のメーカー各社も同様の動きを見せたが、この包括的な規制合意に対して、NRA は「S&W を、
銃の所持を認めた憲法上の権利を踏みにじろうとする貪欲な外国企業と決めつけた(S&W はイギリス企業
を親会社にもつ)」41。
銃を所持する権利を一貫して主張してきた NRA。そして銃に対する支持が自分たちの利益につながる銃
メーカー。両者は長年に渡って行動を共にしてきた。1980 年代以降、拳銃の売上増加に悩んでいた銃メ
ーカーは NRA と手を組み、女性をターゲットとするキャンペーンを展開している。「典型的な広告は、一人
でいる女性が寝室外の不審な物音におびえた様子の写真があり、そこに「夜中に、バタン!となる物音は、
必ずしも想像の世界だけではありません」というキャプションをつけて女性の恐怖感に訴えるというものであ
る」42。そして、これと合わせて S&W は、レディスミスという女性向にデザインされた小型マグナム銃の改造
版を発売したのである。「その結果、1992 年に売上高は倍増し、94 年 6 月の全体の売上で、88%の売上
増があった」43。NRAの正規協賛メンバーには、前述のS&W、コルト、グロック・ベレッタだけでなく、ブロー
ニング、レミントン、ウインチェスターという大手メーカーが並んでいる44。
しかし、今回の訴訟に関する一連の動きからは、イメージアップや法廷において自社に不利な情報の開
示を求められることを阻止したいというメーカー側の狙いも読み取れる。
長年協力関係にあった NRAと銃メーカー。両者の関係が訴訟により、岐路を迎えているのは間違いない。
このように、ヘストン就任以後のクリントン政権期には、従来の議会での攻防だけでなく、新たに司法の場
でも銃規制が争われるようになったのである。
第4章
ヘストンの NRA
第1節
2000 年大統領選挙
―ブッシュ政権期―
2 期 8 年に及んだクリントン政権。彼の後継者を決める 2000 年大統領選挙はこれまでの選挙とは異なる
148
アメリカ銃規制問題
ものであったということができる。というのも、銃規制が選挙の大きな争点のひとつとなったのである。
NEWSWEEK 誌の調査では、「銃規制は大統領を選ぶ際の「重要な」要素だと答えた人は 78%にのぼっ
ている」45。この背景には、前年以降相次いだ、コロンバイン高校銃乱射事件などの学校や街頭での乱射
事件の多発が大きく関係している。一般市民が銃の犠牲になるという事実が、人々の恐怖を呼び起こした
のである。
この選挙において、NRA が支持したのが当時テキサス州知事であったジョージ・W・ブッシュ氏(現大統
領)である。NRA は「AL GORE’S AMERICA-No Rights, No Guns」(アル・ゴアのアメリカには、権利も
無く、銃もない)というスローガンを掲げ、大統領候補ブッシュを支援した46。ブッシュは以前より狩猟を愛好
しており、憲法修正第 2 条の信奉者でもあった。彼は州知事時代、銃の隠匿所持を認める州法にサインし
たこともある。選挙においては、「未成年者に銃を渡す行為を重罪とすることを支持。銃購入者の身元調査
については、その場で調査を行う「即決方式」にすべきという考え」であった47。
これらの考え方は、NRAの方針と重なる。NRAは以前から銃犯罪を防ぐためには、新たな銃規制法を制
定するよりも、犯罪者の処罰強化、既存の銃規制法の執行の徹底が効果的であると繰り返し主張してきた。
ヘストンもコラムや演説等で「銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ」と述べている。
一方、民主党大統領候補であったゴア副大統領は、クリントン政権の政策を受け継ぎ、短銃を購入する場
合に、写真付きの身分証明書の提示を義務付けるべきだと主張した。しかし、民主党の候補者指名を争っ
たビル・ブラッドレー元上院議員とは異なり、全ての短銃の登録制度については明確な支持を避けてきた。
これには NRA 会員をはじめとする銃支持者の脅威が関係している。
「郊外では 59%が銃を保有しており、全国平均の 41%を大きく上回る。地域別では、南部の銃保有が
46%と最も高い」48。銃支持者の影響力は大きく、規制反対勢力の力の強いテネシー州出身のゴアは、上
院議員時代には銃規制法案に反対票を投じたこともあるほどである。
2000 年大統領選挙では、5 月に規制推進派の女性たちがワシントンにて「100 万人母親行進」を行い、
規制派の動員力を示した。しかし、動員力という点ではNRAも負けてはいない。1994 年の中間選挙では、
銃規制に賛成したフォーリー前下院議長(当時)ら数十人の民主党議員を落選に追い込んでいる49。
また、NRA は第 2 章で述べたように、組織の非妥協的・急進的な姿勢への変化により、1995 年以来会員
数の減少を続けてきた。ところが、相次ぐ銃乱射事件、それに伴い議会で審議されるようになった銃規制強
化法案に危機感を募らせた銃所持支持派の市民が、この時期、NRA に加入するようになったのである。
2000 年大統領選挙を前に、会員数は 1996 年より 100 万人多い、NRA としては過去最高の 360 万人と
なった50。これではいかに規制への支持が高まっているとしても、ゴアが脅威を感じるのも無理のないことで
ある。
ヘストンもこの選挙において、民主党を倒し、共和党政権を樹立すべくリーダーシップを振るっている。ノ
ースカロライナ州シャーロットで行われた年次総会において、「11 月 8 日に誰が勝つかによって我々の自由
が決まる」と演説し、会員を始めとする銃支持者に対し協力を呼びかけた51。そして、選挙戦の途中にはア
ルコール依存症になるというアクシデントにも見舞われたが、投票間際まで全国各地を飛び回り、ブッシュ
支持を訴えた52。
圧力団体としては豊富な資金力を誇る NRA は、10 月だけで広告に 94 万ドル(約1 億 200 万円)をつぎ
こんでいる53。そして、大接戦の選挙の末誕生したのが、ブッシュ共和党政権なのである。
ここで選挙結果を分析してみたい。ゴアが勝利したのは太平洋岸・北東部・五大湖周辺である。つまり、ニ
149
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
ューヨークやカリフォルニアのように、厳しい銃規制法を持つ、リベラルな地盤の州が中心であった。
一方、ブッシュは中西部・南部といった郊外や農村地域で圧倒的な強さを示している。前述のとおり、ブッ
シュが勝利した南部や中部は、銃保有率が他の全国平均より高い。このことは、ブッシュの勝利に NRA を
中心とする銃支持派がいかに大きく貢献したかということを表している。
第2節
ブッシュ政権との関係
ではブッシュ政権が誕生してからの銃規制問題はどうであろうか。これまでのところ、1990 年代を通して
見られたよう目立った動きはない。2001 年 9 月 11 日の同時多発テロ以降、アメリカの注目は外交に注がれ
ているのである。しかし、いくつかの重要な動きが見られる。第 2 節ではこれらの動きに注目していく。
まず、ブッシュ政権と NRA の関係であるが、これは非常に強い結びつきがあるということができる。NRA
はブッシュ大統領を「われわれの友人」と呼んでいるが、ブッシュ政権も NRA や銃所持者の権利保護に力
を注いでいる。これはテロ事件以後の捜査においても明らかだ。「FBI 捜査官が、テロ容疑で逮捕した外国
人が銃を購入したかどうかを調べるために銃の購入記録をチェックしようとしたら、アシュクロフト司法長官が
「それは銃の購入を許可するかどうかを判断するために議会が作成したもので、犯罪捜査のためではない」
と待ったをかけたのである」54。
また、ブッシュ政権においては保守主義者、あるいは保守主義団体が大きな影響力を発揮していることは
よく知られている。NRA も「水曜会」という全米税制改革協議会(American for Tax Reform:ATR)の会
長グローヴァー・ノーキストが司会を務める保守系団体の会合に参加している55 。このノーキストは最近
NRA の理事に就任したが、これは保守連合の強化という文脈から重要である。それぞれの団体は、独自の
専門領域を持っているが、相互に必要とし合い、実際、日常的に協力関係を持っている56。このように NRA
は保守連合の一員としてもブッシュ政権に影響を及ぼしているのである。さらに、ブッシュ政権のジョン・ボ
ルトン国際安全保障問題担当国務次官はかつて、NRA のスポークスマンを務めていた57。
では、2002 年の中間選挙ではどうであったか。2000 年の大統領選挙は前節で述べたように、銃規制問
題が重要な争点のひとつであった。しかし、この選挙において銃規制を訴えた候補者は共和党だけでなく、
民主党を見渡しても見られない。両党とも、前科者でも簡単に銃を入手出来てしまうという、現在の規制法
のもとでの抜け穴について手をつけず、NRA が再三主張してきた犯罪者に対する処罰の強化だけで対応
するという態度をとったのである。それは何故か。中間選挙の前の月には序章でも見たように、ワシントン近
郊で 3 週間で 10 人が死亡、3 人が怪我をした無差別・連続狙撃事件が発生しており、規制派としては絶好
の攻撃材料であったはずである。
その理由は 2 つ挙げられる。ひとつは前節で述べた 2000 年大統領選挙である。この選挙では銃規制に
対する市民の支持が高まっており、この事実は民主党ゴアに有利に働くと考えられていた。しかし、結果は
都市部などの限られた地域での勝利にとどまり、落選。彼は出身地のテネシー州でも敗れたのである。この
ことが民主党議員に改めて NRA、銃支持派の力を見せつけることとなった。
もうひとつの理由が同時多発テロである。本土を攻撃されたことのないアメリカで、人々の目の前で貿易セ
ンタービルが崩壊した。この事実が人々に大きな恐怖を与えたのである。恐怖心の増加は数字にも現れて
いる。テロ事件以後、銃の販売が急増しているという58。また、この時期に行われたTIMEとCNNの世論調
査によると、連続狙撃犯が逮捕される前であっても、より厳しい銃規制法を求めると答えた人は 51%で、コ
ロンバイン高校の記憶がまだ新しかった 2000 年 1 月の調査と比べて、8%減少している59。
150
アメリカ銃規制問題
この 2 つの事実が民主党候補者を銃問題から遠ざけたのである。候補者の中には、民主党ミズーリ州選
出の上院議員ジーン・カーナハンのように、ショットガンをリポーターたちの前で撃つといった活動をする者
もおり、2 つの要因の影響の大きさを物語る。
この動きは、NRAが1990 年代の評価を落としていた時代から脱却し、完全に政治の中心に戻ってきたこ
とを示している。そして、この復活劇をリードしてきたのが、ヘストンだったのである。彼は中間選挙前の
2002 年 8 月にアルツハイマー病であることを告白し、今期での会長引退を表明した。しかし、彼の銃への
熱意、活動は衰えることはなく、共和党の候補者集会では銃を頭上に掲げ、“from my cold, dead head”
と自身の健在ぶりと、銃支持をアピールしている60。
そして、中間選挙は野党に有利という定説を覆し、共和党が圧勝。フランクリン・ルーズベルト政権以来の
上下両院で多数党となったのである。
しかし、最近、ブッシュ政権と NRA に共通の変化が見られる。それは銃規制反対への態度の軟化である。
まず、ブッシュ政権であるが、クリントン政権時に制定された「包括的犯罪防止法」の中のアサルトウェポン
禁止法の更新を支持している。この法律は 10 年の時限立法であり、期限が今年に迫っている。ブッシュ大
統領がどのような判断を下すか注目される。
NRA にもこれまでにはなかったような態度の変化が見られる。それはヘストンがブッシュ政権の動きに同
調するように、セミオートマティックのライフルは市民の所持には不適当であると発言したのである61。NRA
はクリントン政権後半から、全米で約 2 万項目以上存在するという既存の銃規制法の取締りを強化していこ
うとする法執行強化案「プロジェクト・エグザイル(Project Exile)」を支持しており、変化の兆しは見せてい
た。
しかし、今回の動きは銃規制を容認するものであり、NRA が世論の多くの考えに近づいたという点でこれ
までにない変化である。これによって NRA、ブッシュ政権は市民からさらなる支持を得ることができるのか。
あるいは、急進的な支持派からの批判にさらされるのか。NRA の成長、ブッシュ政権の誕生に大きく貢献し
てきたヘストンが会長を退任した今、11 月の大統領選挙にも影響を与える問題なだけに、注目される。
終章
これまで、チャールトン・ヘストンと彼の会長在任中の NRA について、クリントン=ブッシュ両政権との関
係を中心に見てきた。そこで明らかとなったのは以下の点である。
まず、チャールトン・ヘストンは強力なリーダーシップをもった会長であったということである。これは前任
の会長との活動の違いからも明白である。ヘストンはウエイン・ラピエールと共に NRA を引っ張ってきた。し
かし、ヘストンは決してラピエールの操り人形ではなかったのである。ワシントンやマリオンといった前任者た
ちは、表に出ることも少なく、会員に寄付や動員を求める、あるいは過激な発言によって批判を浴びたのも
ラピエールあるいはニール・ノックスたちであった。
ヘストンの在任中の活動はこれとは対照的である。2000 年大統領選挙、2002 年中間選挙では NRA、
さらには銃保有者の先頭に立って、ブッシュ支持、共和党候補支持を打ち出してきた。また、多くの批判を
浴びはしたが、コロンバイン高校銃乱射事件直後にデンバーに赴き、銃規制反対を訴える演説を行ったよ
うに、NRA を政治の中心に戻し、常に銃規制を社会的争点とするために活動してきたのである。最近の態
度を緩和した発言も、更なる世論の支持を広げるためのものであると考えられる。
ヘストン会長については、NRA が広告塔として起用したにすぎないとする見方もある。確かにそれも間
151
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
違いではない。ヘストン会長就任直後に“I’m the NRA”キャンペーンを展開したことからも、イメージアップ
のための人選であったことは明らかだ。しかし、それだけの人物ではなかったのである。
このようなヘストンの活動を受けて、NRAは 1990 年代前半から中盤にかけての低迷期から脱出したと見
ることができる。クリントン政権による立法活動を阻止し、二度の選挙では共和党の躍進に大きな役割を果
たしてきた。豊富な資金と動員力を誇る NRA の政治への影響力は、議員たちにとって、やはり脅威なので
ある。
では、NRA は今後も大きな力を行使し続けることが出来るのであろうか。いくつかの不安材料がないわ
けではない。ひとつは訴訟の行方である。訴訟において銃メーカーの責任が認められ、製造・販売・流通に
おいて制限が加えられるようなことになれば、NRA の立場は苦しくなる。
2 つめは NRA の態度の変化である。態度の軟化が世論に受け入れられれば、NRA は銃に関する世論
の代表として、今以上の力を持つことが可能であろう。しかし、急進的な銃保有者からの批判も予想される。
そうなると、態度の変化が裏目に出るかもしれない。
最後の不安点は、会長の交代である。ヘストンの後任の会長には共和党のケイン・ロビンソン元アイオワ
州委員長が就任した。彼はヘストンよりもその前任者たちに近い人物である。つまり、ヘストンのような知名
度がないのである。リーダーシップについては、現時点では就任して 1 年も経っておらず、また、昨年は選
挙もなかったため判断することはできないが、ロビンソン新会長がラピエールと共に NRA を引っ張っていく
ことが果たしてできるのか。2 期 2 年という NRA の会長職の伝統を破り、5 年もの長期に渡り力を発揮して
きたヘストンの後だけに、疑問が残る。
ヘストンのもと、政治のメインストリームに返り咲いた NRA が今後どのように活動し、影響を及ぼしていく
のか。また、アメリカの銃規制問題がどのように展開していくのか。その動向が注目される。
http://www.fbi.gov/ucr/cius_02/xl/02tbl2-10.xls
矢部武『アメリカ病』新潮社、2003 年、p.137.
3 「米国で銃また広がる」『日経ビジネス』1140 号、2002 年 5 月 9 日号、p.109.
4 清水真佐子「銃で死にたいアメリカ人」『AERA』、2000 年 4 月 17 日号、p.51.
5 abc news.com poll, May 8~12, 2002:Field work by TNS Intersearch
6 USA TODAY, December 30,1993.
7 丸田隆『銃社会アメリカのディレンマ』日本評論社、1996 年、p.80.
8 New York Times, May 6,1994.
9 富井幸雄『共和主義・民兵・銃規制 ―合衆国憲法修正第二条の読み方―』昭和堂、2002 年、p.28.
10 Osha Gray Davidson UNDER FIRE=THE NRA AND THE BATTLE FOR GUN CONTROL, An
Expanded Edition(University of Iowa Press,1998)pp.228-230.
11 島村力「アメリカ憲法修正第二条の「世界」 ―第二部・NRAと ATFと FBI」『海外事情』43 巻 7 号、1995 年 10 月
号、p.109.
12 マイケル・イシコフ「わが世の春がやって来た」
『Newsweek<ニューズウィーク>日本版』第9 巻 46 号通巻 440 号、
1994 年 11 月 30 日号、p.32.
13 島村、前掲書、p.107.
14 同上 p.97.
15 同上 p.106.
16 同上
17 金坂健二「チャールトン・ヘストンの“ACTORS DIARY”を読む」『キネマ旬報』911 号、1985 年 6 月 1 日号、p.100.
1
2
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アメリカ銃規制問題
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http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/c-heston.html
20 Charlton Heston「President’s column」(『American Rifleman』,Washington;Jul, 1999)
21 Margot Hornblower, “Have gun, will travel”, Time. New York: Jul 6, 1998. Vol.152, Iss.1; pg.44,3 pgs.
22 同上
23 高浜賛「チャールトン・ヘストン全米ライフル協会新会長『反リベラル』宣言の裏に横たわる『白人至上主義の暗黒』」
『SAPIO』第 10 巻 14 号、1998 年 8 月 5 日号、p.100.
24 マイケル・ムーア『Bowling for Columbine』(GAGA Communications, Inc,2002 年)
25 同上
26 沢村亙「事件が彼女を変身させた」『AERA』、1996 年 12 月 2 日、p.29.
27 Laura Parker, Gary Fields, “Heston gets leading role at the NRA Gun lobby turns to actor for his
mainstream appeal: [FINAL Edition]”, USA Today. Arlington: Jun 9, 1998. pg. 01.A.
28 Davidson, p.300.
29 清水隆雄「銃規制法の挫折と全米ライフル協会」『ジュリスト』1163 号、1999 年 9 月 15 日号、p.5.
30 同上
31 マイケル・ムーア『Bowling for Columbine』(GAGA Communications, Inc, 2002 年)パンフレットより
32 清水、前掲書、p.5.
33 毎日新聞 2000 年 3 月 14 日朝刊
34 星健一「アメリカにおける銃犯罪と銃規制―1998 年 11 月∼99 年 11 月の動向を中心に」国立国会図書館調査及
び立法考査局、第 50 巻 6 号、2000 年 6 月号、p.83.
35 Barry Meier, “Cities Turn to U.S. Gun-Tracing Data for Legal Assult on Industry”, New York Times,
July 23, 1999 A17.
36 星、前掲書、p.84.
37 David Firestone, “Gun Lobby Begins Concerted Attack on Cities's Lawsuits”, New York Times,
February 9, 1999, A1.
38 Lizette Alvarez, “A Republican Seeks to Ban Suits Against Gun Makers”, New York Times, March 10,
1999, A16.
39 清水隆雄「拳銃とタバコ」『ジュリスト』1209 号、2001 年 10 月 1 日、p.101.
40 マット・バイ「銃社会への痛撃」『Newsweek<ニューズウィーク>日本版』第15 巻 13 号通巻 702 号、2000 年 3 月
29 日号、p.35.
41 同上
42 丸田、前掲書、p.112.
43 同上 p.114.
44 「アメリカの強大な圧力団体全米ライフル協会の実像と"銃社会"アメリカの行方」『週刊東洋経済』5561 号、1999 年
5 月 29 日号、p.52.
45 ハワード・ファインマン「銃を制する者は選挙を制す?」『Newsweek<ニューズウィーク>日本版』第 14 巻 32 号通
巻 672 号、1999 年 8 月 25 日号、p.18.
46 マイケル・ムーア『Bowling for Columbine』(GAGA Communications, Inc, 2002 年)DVD 付録より、p.47.
47 ファインマン、前掲書、p.22.
48 同上
49 矢部武『もし銃を突きつけられたら…−銃社会アメリカの安全な歩き方−』ダイヤモンド社、1996 年、p.185.
50 毎日新聞 2000 年 5 月 23 日朝刊
51 同上
52 毎日新聞 2000 年 11 月 3 日
53 同上
54 矢部、前掲書、p.149.
55 久保文明編『G・W・ブッシュ政権とアメリカの保守勢力―共和党の分析―』財団法人 日本国際問題研究所、2003
年、pp.13-14.
56 同上 p.24.
57 同上 p.293.
58 Karen Tumulty, Viveca Novak, “Dodging The Bullet”, Time, November 4, 2002, 32.
59 同上
60 同上
61 http://gifu.cool.ne.jp/gunnuts/exile.html
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
【参考文献】
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154
アメリカ銃規制問題
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マイケル・ムーア『Bowling for Columbine』(GAGA Communications, Inc.,2002 年)DVD 付録
155
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・川口洋介
何とか完成した。これが今の率直な感想である。これまでの学生生活で今回の卒論程、文字数の多い論文を書いた
ことはない。また、これ程長い時間をかけてひとつのことに取り組むことも初めての経験であった。
振り返れば、私の久保ゼミ生活の最初と最後は銃に関する論文であった。入ゼミ論文では銃社会全体のことを概略的
に述べ、どうすれば銃問題が解決するかといったことを堂々と語っている。ゼミに入る前とはいえ、銃問題の解決策を提
言してしまうあたり、無知とは恐ろしいものである。
2 年間のゼミ生活を経て書き上げた今回は、NRA 前会長チャールトン・ヘストンと彼の時代の NRA をテーマに掲げ
ており、オリジナリティ、内容的にも少しは成長が見られるものに仕上がっているのではないかと思う。
ドラマ『ER』を見ながら、毎回のように運ばれてくる銃創患者の数の多さに興味を持ったことがそもそものきっかけであ
ったが、銃の問題は憲法、建国以来の歴史・思想などと絡んでおり、アメリカを知る上で、大変良いテーマであったと感
じている。
しかし、完全に満足しているかと言うと、決してそうでもない。もっと調べたいことは数多くあった。NRA の内部の実態
に関する資料を集め、NRA の内情をより明らかにしたかった。ヘストン自身に対するメールでのインタビューも、したか
ったことのひとつである。しかし、大学 4 年生の 1 年間という限られた時間の中で、最後まであきらめることなく、全力で
は取り組んできたと思っている。
特に『政治学研究』に投稿するため、10 月は必死であった。合宿以降、25 日間で第一稿を書き上げたというのは、英
語文献を一冊読み上げた夏課題と共に自分にとって大きな自信となっている。
最終稿に取り組む上では、久保先生、岡田さん、末木さん、和田君から頂いた指摘が本当に役に立った。最終稿に
向けての修正は、4 人からの指摘をクリアすることが目標となったほどである。深く感謝の言葉を申し上げたい。
いろいろと書いてきたが、今は自分の大学生活の集大成となる卒論を書き上げたという満足感・充実感で一杯である。
そして、この自信を胸に、これからもより一層頑張っていきたい。
川口洋介君の卒業論文を読んで
【岡田美穂】
「すごい!おもしろい!」というのがこの論文を読んだ私の感想である。アメリカの銃規制を取り上げたマイケル・ムー
ア監督の「ボーリングフォーコロンバイン」が今年(去年?)大ヒットとなったが、この映画に興味を持たれた方全員が、ア
メリカ政治に日ごろ関心をお持ちだとは思えない。しかし、アメリカ銃規制の問題は、「人間性、アメリカの文化、社会、
政治」の域を横断する問題であり、多くの人にとって大変興味深い問題である。
そして、この川口さんの論文であるが、ボーリングフォーコロンバインよりも専門的に、アメリカ利益集団政治の観点か
ら、アメリカの銃規制をめぐる論争、文化、現状を論じている。NRA を中心に、特にチャールトン・ヘストンという人物に
焦点を当てて考察している点は、大変興味深く、また本論分のオリジナリティーでもある。1990 年代の NRA のマイナス
なイメージを精力的な活動、人的な魅力で変革し、NRA の影響力を政治のメインストリームに復活させたヘストン。彼に
ついて述べながら、テロを含むさまざまな社会変動によって揺れ動く世論を的確に捉え、米国社会が抱える銃規制問
題を、論文全体で明らかにしている点に、筆者の構成能力と精力的な情報収集活動の跡が窺われる。筆者が、入ゼミ
論文から「銃規制」に注目し、2 年間の集大成として書き上げていることからも、この作品が非常に完成度の高いものに
なっていることはお分かりいただけるだろう。
敢えて欲を言わせていただけば、具体的な NRA の活動についてさらに言及してもよかったのではないか。第1点とし
ては、NRA と他の保守派との連合についてである。NRA がブッシュ政権とイデオロギーを共有し、選挙においてもそ
れが大きく共和党に有利に働いたことは論文からよくわかることであが、例えば、「水曜会」という、共和党に大きな影響
力をもつ会合に NRA が参加していることなどの、ブッシュ政権への具体的なパイプが存在する。このことから、2000 年
の選挙結果について、南部と中部の「保守派」の協力が影響したことも、言及することができるであろう。
第 2 点には、銃規制をめぐる法廷での対立である。訴訟という新たに加わった大きな闘争の場に、どのように NRA が
関わっているのか、また訴訟そのものではなく新たな裁判官の任命をめぐる大統領、上院への働きかけなども論じてい
ただきたかったのは、私見であろうか。さらに、銃産業との関わりであるが、NRA の S&W 批判が具体例として挙げられ
ているため、読者が双方の関係が良いという印象を持たない。現状はどうであるのかなどを論じていただけると、より正
確なものになるだろう。
利益集団についての情報は、入手困難なものも多く、多大な労力を必要とするものだ。しかし、物足りなさを全く感じ
させずに、論文の最初から最後まで読ませてしまう筆者の情報収集能力と構成力に感嘆させられたこと、批評すること
が大変難しい論文であったことを再度言及して、批評を締めくくらせていただきたい。
【末木由紀】
全米ライフル協会、NRA という圧力団体を取り上げることによって、アメリカ政治に特徴的な部分をうまく描き出して
いると思いました。確かに、アメリカにおける圧力団体やロビーなどに関する研究は多々ありますが、本論文のようにチ
ャールトン・ヘストンという人物を中心に研究されたものはないことが論文のオリジナリティーにつながっています。
156
アメリカ銃規制問題
ヘストンの言動だけを見ていくのではなく、彼の生い立ちまで遡り、俳優としての活躍も振り返り、その言動がどこから
きているのかまで追求している点も面白いと思いました。また、世論調査などの数字が新しく、とても詳しいので説得力
のある文章になっていると感じました。
この論文を読み進めていてところどころ理解しにくくなったのが、世論と銃規制の動向である。オクラホマシティ連邦
政府ビル爆破事件、コロンバイン高校での乱射事件や、ワシントンでのジョン・アレン・モハメドと共犯の 17 歳の少年に
よる無差別・連続狙撃事件などの事件が取り上げられ、事件が起きるたびに世論が動いていることが判ります。ただし、
それが必ずしも銃規制に賛成する傾向にあるとは限らず、NRA と同じような立場をとった、寧ろ自らを守るために規制
反対に向いていることもあるようですが、もう少し世論調査の分析があって、どうしてそのような結果になっているのかと
いう説明があれば、よりわかりやすく、読みやすい論文になると感じました。
もうひとつ改善点を挙げるとすると、第 3 章 2 項の「法廷での対立」の部分が考えられます。ここではヘストン就任以後
のクリントン政権期における、司法の場で銃規制が争われるようになったことが記されている。NRA などの銃支持派が、
その豊富な資金力ゆえに議会において圧倒的な影響力を保持しているのに対し、銃規制推進派は法廷の場を使うこと
によって銃支持派の影響力が行使できないようにしたことが理解できます。ただし、この部分ではいくつかの訴訟が紹
介されているが、もう少し掘り下げた分析があれば理解しやすい文章になると思います。
また、市による銃メーカーに対する訴訟が繰り広げられる中で、ヘストンは銃メーカーと連帯していく意向を述べてい
るが、その後、訴訟や判決にどのように影響したのか、その変化があれば知りたいと思いました。何か変化があったので
あれば、NRA の存在意義や影響力がより強力なものである証拠になるのではないでしょうか。
【和田紘】
マイケル・ムーアの『Bowling for Columbine』を観たこともあって、私個人としてもアメリカの銃社会については少な
からず興味を持っていた。川口君の論文はアメリカ社会における全米ライフル協会の恐るべき影響力、そしてその全米
ライフル協会を強力なリーダーシップで統率するチャールトン・ヘストン会長について明らかにすることで、私の(もちろ
ん皆の)アメリカ銃社会に対する好奇心を十二分に満たしてくれる、素晴らしい論文だった。
川口君の論文の長所は、引用データが丁寧に付けられており、主張を裏づける数字が効果的に使われていることだ
と思う。特に、ライフル協会の立法課程における恐るべき(まさにこの形容詞がピッタリだと思う)影響力がひしひしと伝わ
ってきた。全米ライフル協会の影響力からその性質を明らかにする、まさにこの点に川口君の論文の存在意義はあると
思われ、川口君はきちんとそれに応えている。
さらに感心したのは、自分の論文に比して川口君の文章に無駄がないことだった。読めば読むほど己の劣等感を感
じずにはいられないが、敢えて気付いた点を幾つか述べさせて頂きたい。
まず、文章に無駄がないゆえに、1 節の中に含まれるテーマが少し多いような印象を受けた。各節の焦点が少しぼや
けて見える個所もあったので、その部分の説明をもう少し増やすか、思い切って節を増やすなどの工夫の余地もあるか
もしれない。
加えて、第 2 章 1 節で、1968 年には銃規制法を支持までしていたヘストンがなぜこれほどまで急進的で保守的にな
ったのか、ヘストンの思想面での変貌の背景には何があったのかということをもっと詳細に明らかにしてもらえたら、さら
に論文のおもしろさが増すと思った。全米ライフル協会の過激なイメージを払拭する意図でヘストンを会長に置いたラ
ピエールだったが、ヘストンの変貌ぶりによってその思惑がはずれたとも言えるのではないか。可能ならば、その点をも
っと詳しく知りたいような気がする。
もっとも、細かい批判点を挙げるのにも苦労するくらい、川口君の論文は秀逸なものであることは間違いないと思う。と
りわけ、全米ライフル協会の影響力を際立たせる論文の構造、すなわち法廷における劣勢に比して、実に強力な立法
過程におけるロビー活動の様子を具体的データをもって検証することで、いかにライフル協会が組織的に強力であるか
を効果的に実証していることは見事だ。同期として、実に参考になる点が多い、素晴らしい論文だったと思う。
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