(みぎあがり)小冊子H24年3月号(5.28MBytes)

徳島県南みどころ情報誌
area
http://shikokunomigishita.jp/
阿南市 那賀町
牟岐町 美波町 海陽町
2012
3
月号
特集
春遍路
写真/那賀町中山の国道沿いにて
四国の春はお遍路さんの鈴の音とともにやってくる──。
太竜寺山の東方、阿南市長生町にある明
谷梅林は、例年2月上旬から3月中旬ま
で鴬宿、梅宿など約4000本の梅の花
が咲き誇る桃源郷。札所を巡る途中で立
ち寄りたい名勝です。
…
四季のギャラリー ……
四国の右下map ……
…
町おこし/
むぎまち活性化協議会
…………………………
…
右下島歩き/伊島 ……
…………………………
右下ナビ/史跡めぐり
…
特集/春遍路 …………
もくじ
八十八カ所を春にお参りすると、各札所で、またお寺を巡る道中で、色とりどりの花に出迎えられます。
梅 谷
2
12 10 6
15 14
「お四国を、まいられよんで?」と声を掛けてお接待してくださる人との
あか
だに
林
明
ふれ合いも楽しみな春遍路に出かけてみませんか。
納経所の横に
ある
「龍天井」
も見どころの
一つ。四条派
の画家、竹村
松嶺の作。
ばい
りん
20
彫刻家、流政之氏によるブロン
ズ像『山さきもり』。広く世界
を見守っています。
標高600mの太竜寺山の上にあ
り、杉の巨木に囲まれ森厳とした境
内 は「 西 の 高 野( こ う や )」 と も 呼
ばれています。那賀町からのロープ
ウェイを利用すれば約 分で山頂駅
へ。ここから整備された遊歩道を
分程登ると舎心ヶ嶽、流政之氏の彫
刻『 山 さ き も り 』 ま で 行 か れ ま す。
本堂は2011年夏の台風被害によ
り2012年春現在、修復中です。
10
本堂が修復中のため仮本堂が設置され
ていました。御本尊は虚空蔵菩薩です。
特集
太龍寺
番
tairyuji
舎心ヶ嶽で修行する大師像。弘法大師が著わした『三教指帰』によれば、19歳の時、
舎心ヶ嶽で虚空蔵求聞持法という秘法を実修されたそうです。
春遍路
第
21
2
広々と開放的な境内。石段左側の地蔵堂の下で霊水が汲めます。
byodoji
3
阿南市新野町ののどかな里にあ
り、五色の幕がかかる仁王門をくぐ
ると境内のあちこちでさまざまな花
が 咲 き、 目 を 楽 し ま せ て く れ ま す。
門からまっすぐ進んだ石段が「男坂
厄除」で、左側にくの字に上る道が
「女坂厄除」
。 上 っ た と こ ろ が 本 堂。
石段の下の左側のお堂に万病に効く
とされる霊水が湧いています。
平等寺
第 番
22
赤い上半身の仁王
像と、風に揺れる
五色の幕が印象的
な仁王門。
「男坂厄除」の石段。斜面に鮮やか
な黄色の水仙が咲いていました。
第
桜に彩られた瑜祗塔
(ゆぎとう)。
高さは29mで、堂内では胎内めぐり
(有料)ができます。
阿波路最後の札所となる薬王寺の山門。本堂へ至る厄坂石段
の下には薬師如来の経文を書いた小石が埋めてあるので、特
に厄年の人は一段ずつ一円玉を置いて上ると厄落としになる
そうです。
瑜祗塔からは日和佐の町や港、向こうの
山に日和佐城が望めます。
本堂向かって左脇に小さな肺大師の御堂
があり、とてもきれいで美味しい水が湧
いています。
薬王寺
薬王寺の本堂。弘法大師が42歳の時に
薬師如来を刻んで本尊としたそうです。
yakuoji
33
番
61
地元では「おやくっさん」と呼ば
れ、厄年の人が厄除けに初詣でに多
数訪れます。山門から桜並木の参道
を抜け、石段の「女厄坂」 段、
「男
厄坂」 段を上り切ると本堂へ。さ
らに「還暦の厄坂」 段を上れば瑜
祗塔に着き、美波町日和佐の町と海
が眼下に広がる素晴らしい眺めが楽
しめます。
42
23
4
和
太平洋
薬王寺
路
道
佐
道の駅 鷲の里
新野
道の駅 もみじ川温泉
鯖大師本坊
sabadaisi
桑野
橘港
明谷梅林
太龍寺
番薬王寺から室戸岬へ行く途中
の、国道近くにある番外札所。昔、鯖
を運んでいた馬子が修行中の弘法大師
に鯖を分けてほしいと頼まれたが冷た
く断ったところ、馬が急に歩かなくな
り、お大師様だったことに気付いたと
いう伝説から生まれたお寺です。宿坊
へんろ会館などの施設もあります。
海部
ト ンネ
ル
日
美波町
鯖を3年間食べない「鯖絶ち奉納
絵馬」
の祈願も受け付けています。
平等寺
道の駅 わじき
阿南
⑳ 鶴林寺
蒲生田岬
阿南市
那 賀町
日和佐
5
牟岐
道の駅 宍喰温泉
海部
宍喰
出羽島
道の駅 日和佐
線
岐
JR牟
大島
鯖瀬
鯖大師❹
浅川
海部川
海陽町
イン
ンラ
サ
波
南
阿
牟 岐町
23
弘法大師が馬子から貰った塩鯖を海に投
げ 込 む と、 不 思 議 な こ と に 鯖 が 泳 い で
行ったという話に基づく大師像。
境内から上の御堂へ上っていくと海が見渡せます。
別格霊場
第4番
お遍路さんの団体バスが着き、たちまち境内は白装束でいっぱいに。
四国の
右下
NAVI
黒山
伊島
松鶴城
椿泊
蒲生田岬
昔むかし、武将が活躍しよった時代には
四国の右下にも、
ようけ「お城」があった。
わしは牟岐大島の千年サンゴ
じ ゃ。 こ こ に あ る お 城 の 絵 は
イメージで、昔の城はもっと違
うけん、深く考えんとってな。
号線
55
海沿いには「のろし台」もあったんでよ。
橘
いまはもう知っとる人も少ないだろけん
牛岐城址
ちょっと紹介さしてもらうじぇ。
西方城
国道
伊座利
鹿ノ首岬
しょう かく じょう
松 鶴城(阿南市椿泊町)
阿波の
「のろし台」
由岐
大神子のろし台へ
江 戸 時 代 の 終 わ り 頃、 日
和佐や牟岐の出羽島沖合
にも黒船が来て大騒ぎに
なった。徳島藩は海岸沿い
に「のろし台」を造って異
国船を見張り、変わったこ
椿泊の端の燧崎には、阿波水軍を率いた森
甚五兵衛の屋敷、通称「松鶴城」があった
んじゃ。いまはそこに椿泊小学校が建っと
うけど、石垣は昔のままを使うとる。森一
族は鳴門におったときに長宗我部軍を撃退
した実力者で、蜂須賀さんの家臣になって
から椿泊に配置されてからも活躍したんで
よ。椿泊の道明寺には代々の森甚五兵衛さ
とがあったら「のろし」を
上げて御城下まで伝えたん
じゃ。「のろし台」は、竹ヶ
島、乳ノ崎、牟岐大島、阿
瀬比ノ鼻、鹿ノ首岬、伊島、
黒山、大神子にあったよう
じゃ。上の写真は伊島のの
ろし場跡の印よ。
んのお墓がまつってあるわ。
6
うし
き じょう
とみ おか じょう
牛岐城・富岡城(阿南市富岡町)〈阿波九城のひとつ〉
上大野城
かみ おお
の じょう
上大野城(阿南市上大野町)
戦国時代に阿波守護細川氏の家臣、新開氏のお城だったん
よ。天正3年(1575)に土佐の長宗我部元親が攻めてきて
天正8年
(1580)に負けた。蜂須賀さんが阿波に来てから
太竜寺山
は家臣の細山政慶が城代になって富岡城の名前になったけ
ど、幕府の一国一城令で寛永15年
(1638)に城は取り壊
されたんよ。いまは公園になって夜はLEDの照明がきれ
いんでよ。
にし がた じょう
西方城(阿南市長生町)
戦国時代に京都から来た仁木伊賀
仁宇山城
守源高長っちゅう武将が永禄8年
(1565)に城を建てて、城下に家臣
130人を住まわせたんよ。ほなけ
ど天正5年(1577)に土佐の長宗我
部軍に攻められて燃えてしもた。い
まは城山神社になっとる。ここの花
崗質岩の岩盤はものすごい貴重な
もん で 徳 島 県 の 天 然 記 念 物 で よ。
また、この城山には埋蔵金の伝説が
あるわ。
路
道
西方山の中腹にあったこの城は永禄年間(1558-1570)に東条紀伊守が拠点
佐
和
にしとって、牛岐城の新開氏ともたびたび戦うた。ほなけど天正年間に土佐
日
から攻めてきた長宗我部元親に負けて配下になったんじゃ。いまはLED生
産で有名な日亜化学工業が西方山をきれいに整備しとって、遊歩道を登った
見晴らし台からは那賀平野が一望の下でよ。
に
う
木岐
やま じょう
仁宇山城(那賀町和食)
阿瀬比ノ鼻
日和佐城
天正13年(1585)
、阿波藩主になった蜂須賀家政は家臣の山田八右衛門宗重
を仁宇城主としたんやけど、宗重は数年で仁宇から移って、ここを「仁宇山城
(和食城)
」と呼んだんよ。現在の鷲敷小学校の横にこの石碑がある。山田氏は
九代にわたって阿波藩の家老職を務めて、山田織部を号したんよ。
7
由
阿部
号線
5
道5
国
由岐
ひ
路
わ
鹿ノ首岬
さ
日和佐
道
佐
和
日
お
じん
や
あと
御陣屋跡
木岐
江戸時代に徳島藩が地方行
政の役所として「郡代」っ
ちゅうんをつくり、寛政11
(美波町奥河内)年(1799)に 鞆 浦 に 海 部 郡
代所が置かれた。ほんで文
化 4 年(1807)に 郡 代 所 が
日和佐城
阿瀬比ノ鼻
日和佐に移転されて「日和
佐御陣屋」になって、明治
まで約60年間、郡代役所の
働きをしとったんよ。いま
崖
は美波町役場になっとって、
海
羽
千
史跡の碑が建っとうけん。
ひ
イン
わ
さ じょう
日和佐城(美波町日和佐浦)
ラ
サン
日和佐港のそば標高約
70mの 小 高 い 山 の 上
にあるお城で、戦国時
代の日和佐肥前守の居
城跡といわれとる。天
正3年(1575)に土佐
の長宗我部元親が海部
千年サンゴ
城を攻め滅ぼしたけ
ん、日和佐氏は人質を
出して和議を結んだ
牟岐大島
ん。その後、日和佐肥
前守の後継者の日和佐
権頭は元親にも蜂須賀家政にも見込まれて重用されたんよ。
いまある模擬天守閣は昭和53年に建てられて、郷土資料館と展
望台になっとる。4階の展望は入城無料で10時から16時まで。
ここからの眺めは見てほしいなあ。
室町時代に阿波守護細川氏の武将が郡司を務め、海部氏と
名乗ってここに城を構えとった。天正3年
(1575)9月に
わしは牟岐大島の内湾の、水深10mの所におるコブ
ハマサンゴで、『千年サンゴ』ってみんな呼んでくれよ
長宗我部元親が、海部氏に殺された弟・島弥九郎の仇を討
る。高さ9m、周囲30mあって、もう1700年以上生きてき
つためと、阿波の国を征服しようと攻めてきた。海部城主
た。万葉集の時代から、
右下で起きたいろんな出来事を、
の海部左近将監はちょうど母親の実家の三好長治について
深い海から見守ってきたんじゃ。みん
讃岐に出兵しとった。長宗我部が攻めてきたって早便が
なが自然を大切にしてくれたら、わし
あって、
慌てて海部に戻ったけど、
ほの時はもう落城しとっ
はまだまだ長生きするけんなあ。
たんじゃ。蜂須賀さんが治めた徳島藩の頃は土佐との国境
警備にあたる阿波九城のひとつに定められとった。
海部中学校の横に海部城址の石碑があるけど、鞆浦漁港の
西側の山が海部城址じゃわ。
8
しま
や
く
ろう
じ
けん
かい
島弥九郎事件
とう
海部刀
よし
の じょう
吉野城(海陽町吉野)
海部川のそばでは南北朝時代ごろか
ら、海部氏吉(うじよし)が刀作りを
戦国時代に、長宗我部元親の弟の島弥九
始めたんよ。これがまあ見事な切れ
郎が病気療養のために高知から船で有馬
味の実戦向きの刀で、「海部刀」と
に出かける途中、那佐の港に立ち寄って
して全国の武将に知られたんじゃ。
風待ちしよった。それを知った地元の海
江戸時代には美術工芸品としても価
部城主越前守の軍勢が急襲して、弥九郎
値が高まり、海部氏吉一派は蜂須賀
は家臣3人と一緒に三島小島に上って自
さんの御城下に住んで、明治まで刀
害した。その碑が那佐湾に面した国道の
そばにあるわ。長宗我部元親はこの事件
を口火に阿波侵攻を始めたといわれとる。
あたご
ふ
作りを続けたんよ。
海部川の下流そばに写真の石碑が残っ
現在、海部刀は海陽町立博物館(海
と る 吉 野 城 は、 永 正 年 間
(1504〜
陽町四方原)に展示されとるんが見
1520)に阿波南部で勢力があった海
られるわ。
部氏の藤原持共が築いたんよ。「おや
じょう
愛宕城(海陽町宍喰)
波サ
しき」って呼ばれる平城(土居)と、愛
南阿
宕山の山城がある、平山城(ひらさん
じょう)で、海部氏はこの吉野城を拠
牟岐
点にして勢力を広げていった。館の跡
と、土塁の外側の堀跡がいまも確認で
きる珍しい城なんでよ。
津島
浅川
宍喰南城という名前もあって、戦国時代
に本木弥六郎が守っとった。ほれが天正
出羽島
3年
(1575)に長宗我部元親が攻め込ん
できて、
弥六郎は海部城に助けを求めた。
かい
出兵しとって留守で、少人数しか残っと
(海陽町鞆浦)
〈阿波九城のひとつ〉
吉野城
らんかったけん愛宕城も海部城も落城し
たんよ。愛宕城の跡はいま愛宕神社に
海部城
なっとるわ。
宍喰
乳ノ崎
愛宕城
竹ヶ島
9
ふ じょう
海部 城
ほなけど海部城の城主はちょうど讃岐に
11 湿地
10 地蔵峠
かつては水田が作ら
南から北まで続く遊
れていたそうで、希
歩道の中間ぐらいに
少昆虫の生息も確認
あり、休憩するのに
されています。
ぴったりの場所。
1
観音への道
北端にある「野尾辺
野辺崎
の観音堂」へ続く遊
歩道沿いには西国
三十三カ所にちなん
だ33体 の 観 音 像 が
まつられています。
117m
野尾辺の観音堂
2
3
11
のろし場跡
四角い白亜の灯台
は高さ22m。
灯台の近くには
1
伊
島
伊島灯台
昭和 31年に点灯。
藩政時代、異国
船や難船を見張
るための狼煙
(のろし)台が
四国最東端
E134°49’
25”
あったとか。
124m
2 3
ササユリ保護
るイシマササユリ
を保護し育てよう
と、遊歩道沿いな
19m
どに球根が植えら
4
5
れています。
カベヘラ
い
紀伊水道の眺めが
素晴らしい絶景ポ
イント。この周辺
海上は磯釣りの好
し ま
阿南市蒲生田岬から
東へ約6㎞の紀伊水道
に浮かぶ伊島は、ここ
ぞまさしく四国最東端
年4月)で、
23
の地。人口は約180
人(平成
自動車が走らない島内
は と て も の ど か で す。
遊歩道を歩いて島の北
端へは小1時間で行
け、紺碧の海の眺めや
緑豊かな木々、野鳥の
さえずり、初夏には可
憐なイシマササユリな
ど、大自然をたっぷり
堪能できます。
漁場。
伊島
4
現在数が減ってい
阿南市
10
10
9
1
伊島スタイル
伊島小・中学校
並んで立つ小学校と中
学校。グラウンドでは
島の自転車は後ろの荷台に
大きなかごが取り付けられ
ています。
子供たちが元気に走り
回っていました。
町並み
自動車が走らな
い道路はのんび
8
松林寺
り散歩が楽しめ
ます。
空也上人の作とい
う一木造りの十一
面観音がまつられ
ています。
弁天島(弁才天)
7
伊島港
橘町の答島港から連絡
僧渡浜
46m
連絡船 みしま
船で約30分。
橘湾や椿泊浦の島々の
眺めが素晴らしい船旅
です。1日3往復、
片道大人1000円。
103m
108m
6
可動式防波水門
防波水門
港にこんな立派
棚子島
7
前島橋
9
6
な水門があるの
8
は珍しい。全国
初だそうです。
前島
93m
2
伊島スタイル
アワビやサザエを捕る海士漁が
盛んな伊島では、
軒先に干された
ウェットスーツをよく見かけま
す。
そして道ではこの手押し車も。
11
高台から町の全景
伊島診療所
5
松大権
道の駅 公方の郷なかがわ
現
お
四国の右下とは?
徳島県南部
(阿南市・那賀町・牟岐町・
美波町・海陽町)
のことです。
1
田
蒲生 岬
道の駅 わじき
道の駅 鷲の里
伊島
那賀川
阿南市
道の駅 もみじ川温泉
和
佐
海部
ト ンネ
ル
薬王寺
日
美波町
道
路
1
第23回 那賀川流域センチュリーラン羽ノ浦大会
日和佐川
那賀川河川敷公園 5/20(小雨決行)申込は4/30まで
4
太平洋
新緑の風の中、那賀川流域の美しい風景を
楽しみながら走り抜ける爽快なサイクルイ
ベント。今では全国各地から500名近くの
サイクリング愛好家が集う大会に発展して
います。受付 /8:00 〜 8:30、開会式 /8:40
〜 8:50、スタート /9:10〜10名ずつ 1 分
間隔※当日の参加申し込みは受付けできません
道の駅 日和佐
イン
ンラ
サ
波
阿
南
5
2
ぎ
む
モ
出羽島
お問 那賀川流域センチュリーラン実行
合せ 委員会事務 0884-44-2153
ラスコ
大島
新四国八十八ヶ所水崎廻り
那賀町水崎 4/11
むかしこの地に住む人々が体の不自由な人
も四国参りが出来るようにしたいと発願
し、ミニ八十八ヶ所を開設しました。弘
法大師の忌日である正御影供(旧暦3月21
日)には、地元の人達による湯茶の接待や
花苗の無料配布などがあり、たくさんの人
でにぎわいます。
お問 那賀町商工地籍課
合せ 0884-62-1198
12
阿南市 那賀町 牟岐町 美波町 海陽町
四国の右下map
旬のニュースやイベント情報をお届け!
美那川キャンプ村まつり
谷
季美 温
泉
四
3
美那川キャンプ村 4/29
那賀川のほとりにある緑と清流に囲まれた大自然
の遊び場で開催されるおまつりで、アメゴつかみ
取り(こどもの部/小学生以下12:00〜、おとなの部/中学生
以上12:30〜)、アメゴつり(中学生以下10:00〜)、宝探
瀬
し等のイベントでにぎわいます。
高の 峡
アメゴつかみ取り(幼児 : 無料、小学生 :200円、中学生以
4
2012年カレッタこどもの日特別イベント
日和佐うみがめ博物館カレッタ 5/5
よい
お問 那賀町商工地籍課
合せ 0884-62-1198
きと
しょ う
2
むら
上 :500円)、アメゴ釣り(1匹 200円)、宝探し(参加料 :100円)
那賀町
3
轟の滝
毎年、5/5のこどもの日に行われる特別イベ
ントです。子ガメ体重あてクイズ(10:00 〜・
13:30〜)カ メ・か め ク イ ズ(11:30〜)で、
うみがめと友達になってください。参加者全
員にもれなくカレッタ特製グッズをプレゼ
ント!当日、小学生は無料で入館できます。
牟岐町
※雨天の時、イベントは中止になる場合があります。
ま
しく
ラし い
道の駅 宍喰温泉
道
アワビをはじめとする魚介類の格安即
売や新鮮作物の即売・魚のつかみ取り
や、大島クルージング(1人 1000円)
や伊勢エビ&アワビの重量当てクイズ
など多彩な催しでにぎわいます。
高知県
出
海部川
水床湾
海岸
鉄
古牟岐港公園 4/28・29(10:00〜15:00)
海陽町
リビエ
牟岐アワビまつり
阿佐
5
竹ヶ島
お問 牟岐町産業建設課
合せ 0884-72-3420
N
13
ぜのお
か
お問 日和佐うみがめ博物館カレッタ
合せ 0884-77-1110
78
議議
えて集まったメンバーがなごやか
でお伺いした月例会では仕事を終
のは、会長の庄野二六さん。取材
性性
まま
活活
化化
協協
牟岐町を元気にしようと有志が始めて5年半。
縁結び、コスモスロード、登山道の整備など、
自由に楽しく活動が続けられています。
ぎぎ
牟岐町を愛する人達が
楽しく行う町おこし活動
す。4月から会の名称が『牟岐を
良くする会』から『むぎまち活性
化協議会』に変わりました。
今年はコスモスロードにかかし
を展示し、
牟岐町夏の伝統行事
「行
灯」の振興を計画しています。
牟岐町役場
「 雑 談 の 会 な ん で す よ。 気 楽 に に世間話をしながら、次第に話題
何でも言い合って。でも雑談の中 は町おこしのことへと移り、熱を
国道55号
から情報や意見を交換して、意義 帯びていきました。
2006年に設立され、縁結び
の活動や入浴施設『湯のさと鬼ヶ
五剣山
のある雑談になりますね」と話す
る事業、施設から周辺の山に至る
登山道の整備をボランティアで
行っています。2012年1月か
ら始めた登山道の整備は草刈りや
木の伐採を行い、案内標識を設置
して、
標高450mの鬼ヶ岩屋や、
638mの五剣山まで山登りが楽
しめるようになりました。五剣山
へは片道約3時間かかるそうです
が、山頂からは出羽島や太平洋の
素晴らしい眺めが楽しめるそうで
牟岐駅
JR牟岐線
湯のさと
鬼ヶ岩屋
辺川駅
牟岐町
美波町
海陽町
岩屋』に続くコスモスロードを造
取材の際に集まっておられた会員の皆さん。メンバーの
中には千年サンゴの保全活動に参加されている方もいて、
ダイバー資格をもつ人が5人いるそうです。
2006年10月設立。3人
で始めた会は、今では牟
岐町全域から幅広い年齢
層の18 人
(内、
女性3人)
が参加しています。会員
は随時募集中で、牟岐町
を元気にする活動に興味
がある方は気軽にご参加
ください。年会費3000
円。 お 問 い 合 わ せ は、
事 務 局 TEL.090-47811950
(庄野さん)
まで。
鬼ヶ岩屋
むむ
2012年3月に行われた山登りには総勢 名
もの人が参加。五剣山に登るのはきつかったで
し ょ う が、 下 山 後 の 大 浴 場 が 気 持 ち 良 か っ た
ことでしょう。
四国の
右下
14
四季のギャラリー
『微笑みの花束』
新しい生活が始まる季節ですね。
春の陽気の下、 皆様がすてきな出会いに恵まれますように。
イ ラ ス ト レ ー タ ー 羽 尻 利 門 さ ん(阿 南 市 見 能 林 町 在 住)
本誌よりみなさまへ
「四国の右下(阿南市、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町)のいっ
ぱいある良いところを知ってもらいたい」、
「来て、見て、体感し
てもらいたい」との思いで刊を重ねてきた小誌も通算19号、こ
れが最後の発行となりました。これまでご覧いただいたみなさ
まには、大変ありがとうございました。
15
冊 子 として の 発 行 は 終 わ りま す が、 ホ ーム ペ ー ジ「徳
島 県 南 部 観 光 サイト 四 国 の 右 下 ( み ぎ あ が り)http://
shikokunomigishita.jp/」で、インターネットを通して、とっ
ておきの右下情報を発信していきます。これからも
「四国の右下」
を、どうぞよろしくお願いします。
南部総合県民局 企画振興部 総務担当 /TEL0884-24-4111
〒 774-0030 徳島県阿南市富岡町あ王谷 46
徳島県南みどころ情報誌
阿南市・那賀町・牟岐町・美波町・海陽町
http://shikokunomigishita.jp/
阿南の
加茂谷
鯉まつり
第24回
3
木・祝
5
イベント ♪
10:00∼15:00
阿南市深瀬町河川敷
(延期5/6まで)
☂
←那賀
問合せ:加茂谷鯉まつり実行委員会
(加茂谷公民館内)/0884-25-0113
お松
大権現
トンネル外側の
旧県道
全面通行禁止
決壊により
通行止
診療所
那賀川
加茂谷橋
天候により開始日が
遅れる場合があります
中央橋
4/23 5/12
楠根トンネル
(至羽ノ浦)
↑
イベント会場
十八女橋
鯉のぼりの遊泳予定
▲
2012年3月30日発行
発行:徳島県南部総合県民局 編集・印刷:米崎印刷株式会社
雨天…5/4に順延
●カンドリ舟遊覧 ●ミニSL
●手作り鯉のぼりコンテスト
●アフリカ太鼓コンサート
●もち投げ ●ターザントライアル
●トロッコ車 ●宝さがし ●警察コーナー
●消防コーナー ●水鉄砲コーナー
(老人会)
●中学校出店イベント ●各種模擬店 等
吉井小学校
加茂谷
←阿瀬比
阿南市街→
加茂谷公民館
中学校
加茂谷中学校・お松大権現駐車場からイベント会場までの送迎バスが運行します
『四国の右下みぎあがり』のバックナンバーは、徳島県南観光サイト『四国の右下みぎあがり』
でご覧いただけます。http://shikokunomigishita.jp/docs/2011042800037/