第二外国語としてのスペイン語教育

第二外国語としてのスペイン語教育
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文法の意識化と「授業レポート」
―
上田博人
1.第二外国語.スペイン語1
はじめに、大学における第二外国語教育の必要性について考えてみよう。外国語大
学であればその専門性から問題になり得ないことであるが、たとえばスペイン語を第
二外国語とする大学であれば 2、この考察は避けては通れない。次は滋賀県立大学の
大谷泰照氏の第二外国語一般についての論考である。特定言語(英語)一辺倒に弊害
があったことを歴史的に考察した後、次のように述べている(大谷 1997:9)。
他言語に無関心なかつての言語的「点の時代」は、やがて母語と1外国語の距
離関係を意識する「線の時代」にとって代わられた。その「線の時代」の特定
言語「一辺倒」の弊害を克服する道として今日模索されているのが、母語と2
外国語の3点を頂点として、相互の距離・角の関係位置を客観的に測定するい
わば言語・文化的「三角測量」である。この新しい「面の時代」の実験は、EU
でも、隣国の韓国でも、すでに実地で始まっている。
スペイン語は日本語と実質的第一外国語である英語とともに「言語・文化的三角測
量」、すなわち言語・文化の理解と相対化を可能にする言語の1つである。スペイン
語も英語も西欧の言語なので、それは底辺が短い二等辺三角形に近くなるが、それで
もゲルマン系の言語文化とラテン系の言語文化を相対化するのに適した言語である
といえるだろう。また、その使用地域の広域性と文化の多様性はここに贅言を要しな
い。教養として真に学ぶべき言語の一つであることに疑いはないだろう。
しかし、大学の第二外国語教育用に日本やスペインで市販されている各種のテキス
トの中にはあまりに知的レベルが低いものや、読むに耐えない内容のものが見られる。
もちろん、年間の少ない授業数や学生の資質などを勘案すれば、これがせいぜい到達
できるレベルだという意見もあるだろうが、もし真に言語・文化の理解と相対化を目
1
本稿は 1999 年の「スペイン語学セミナー」(SELE)で口頭で発表した内容を文章に
したものである。
2
東京大学ではスペイン語は第二外国語ではなく、2言語を選択することを必須とす
る(英語を含めた)「初修外国語」の中にある。文系の学生は週3時間、理系の学生
は週2時間の授業を受ける。
指すならば、やはり大学教育であるという見識は保つべきであろう。これは、他教科
の研究をフィードバックさせた先端的な内容の教育と比較すれば明らかとなるが、外
国語科目だけに今日の文化と科学の知見や研究成果が生かされていないとすれば、大
きなアンバランスとなる。自然科学の旧知識は次々と塗り替えられ、人文科学であっ
ても各領域で新しい方法や材料が提示されている3。
このような大学の現代的な状況にあって、私たちのスペイン語教育の問題点は何か、
そしてその方法については何が可能であるかを以下に述べたい。
2.問題.困難な現状
スペイン語の基礎を修得するのに多大の時間とエネルギーを要することは誰でも
認めることである。それを週2・3時間、年間に 30 回に満たない授業では初歩的な
教育・学習ですら困難である。私たち教師もその学生生活を思い出してみれば思い当
たることだが、学生たちはそれなりに多くの活動をしているのであって、語学だけに
時間を割く訳にはいかない。1週間のほとんどの時間をかけて語学ばかりをやってい
た大学院生時代の生活は人生の中でも特異な時期と言えるが、それだけの時間を費や
さなければ(日本で)外国語を習得するのは困難である。
教師の中には、
「君たちは大学の4年間かけても外国語を習得することはできない」
と学生に明言する人もいる。大学生活の4年間をかけても外国語を習得できないこと
は悲しいことだが事実だろう。確かに、高いレベルまで獲得する例外的な学生もいる
が、それは外国の滞在経験があるか、または不断の努力の賜であって、授業だけの効
果ではないはずだ。この現実を前に、私たちスペイン語教師は何をもって応えること
ができるだろうか。
思えば、「教育」という言葉そのものが「教え育む」という一方向的な解釈を生み
出してきたようだ。私たち外国語の教師は教壇に立ち、一方的にスペイン語を教えて
きた。一方、'educación'は、本人にあるものを「引き出す」(< E-√DUC)というまっ
たく別の観点を捉えた言葉である。実際私たち語学教師は学生たちと人間的に接する
ために4、
・ 彼らに問いかけているだろうか。
3
たとえば、蓮實重彦東京大学総長は 2000 年度の入学式の式辞で大学の研究・教育
の一端として、欧州原子核研究機構の巨大な加速器による素粒子物理学の研究を紹介
し、また、同じ入学式で浅野攝郎教養学部長は、大学院を担当する第一線の研究者た
ちがその研究成果を生かして、(前期課程・一二年生の)教育に当たっている、と述
べている。
4
外国語教育の情動面を重視する Humanistic Approach によって、教師は学習者との信
頼関係を作り上げ、教師は教え込むのではなく、どうしたら学習が促進されるかを考
えるべきである、という主張がなされている。米山・佐野 (1983: 61-64)。
・
・
・
・
言語の本質を考えさせているだろうか。
単なる知識と技術の伝達に終わっていないだろうか。
「人」を大切にしているだろうか。
私たち自身に熱意があるだろうか。
個人的にはこれまで幾つかの外国語を学んできたが、そのときに実に多くのタイプ
の教師と教育方法がある、ということを知った。しかし、未だに「これが正しい、決
定的だ」という方法に出会ったことはない。真剣な教師は、それを模索しつづけるか、
見つからないまま努力して職務を遂行するか、いずれにしても悩んでいる。また、日
常の惰性に流され、旧態の方法や自分が受けてきた教育方法を信念をもってそのまま
適用していることもあるだろう。
大学の外国語教育は次の点で困難な状況にある。
・ 時間数の絶対的不足。週2~3時間、年間 20 数回では明らかに時間が足りな
い。
・ 学生数が多い。70 名以上を対象にした外国語教育は非常に困難である。
(私立
の会話学校では 10 名以内が普通である。)
・ 学生は必ずしも選択外国語に十分な動機付けがあるとは限らない。
・ 教官は必ずしも外国語教育法を専門にしていない。専門の研究・教育、事務、
その他の仕事で多忙である。
・ 教材開発の資源がない。
(ラジオ・テレビ講座のような専門のスタッフも資材
も一流の講師も使えない。
)
・ 教育環境が整っていない。音響効果の悪い大教室、ビデオ、OHP、 OHC、 パ
ソコンの出力用の設備がない。教室を巡回するスペースがないほどの机の数、
など。
これらの問題は、多かれ少なかれ、どこの大学でも共通しているのではないだろう
か。あらためて取り立てても目新しいことではないが、やはり問題点はしっかり把握
しておかないと、解決方法も曖昧になってしまう。
3.様々な方法
3.1.文法と訳読
次はある外国語の教室風景である。
「A君、教科書の本文を日本語に訳してください」
(…)
「A君!」
「はい!」
(隣
の学生に本文の場所を聞いている)「ええと、…私が…旅行、ヨーロッパを通っ
て、旅行すると、…、いつも、私は訪問、…スペインを…、私はスペインを訪問
します」
「はい、次はBさん」
(…)
「Bさん!」
「ヨーロッパ大陸の南にあります」
「主語は何ですか?」
これは「講読」を担当したときの私と学生の間のやり取りである。非常に時間がか
かるので忍耐が必要だ。ときどき誤りや不十分な点があれば訂正する、文法事項につ
いて簡単に説明する、時間が来たところで終わる、という手順であった。大学院を卒
業して教育方法について何のトレーニングも受けないまま教壇に立ってできること
は、せいぜいこの程度である。
それでも1年間が終われば相当量のテキストをこなしたことになり、それが学生の
実力になっているはずだ、と錯覚していた。ところが卒業後彼らと再会したとき、そ
れとなくスペイン語のことを聞いてみると、何と三年生に進級した時点でほとんど忘
れてしまった、という。否、一・二年生のときも何も覚えていなかった、というのが
事実らしい。先の一連のやり取りは教師と学生の年間の「儀式」であって、それ以上
の意味がない、ということになる。
「悪夢だった」という人もいた。
私は自分のあまりの無力に愕然としたものである。そのときの教訓から、学生に本
文を訳させてはいけない、教師が責任をもって説明し、そのための多くの材料と方法
を準備すべきである、と思うようになった。学生に訳させるというのは、「教師は楽
ができるし」
、
「教師が知らない単語があったときに、先に彼らの訳を聞いておけば推
測できるので都合がよい」という「意見」も耳にした。これは少なくともプロとして
の教師にあってはならないことだ。教師は教材の準備をしておかなけれならない、と
いうのは自明のことである。
また、ある教官は自分の訳を学生に淡々と朗読するという授業をしている。これは
能率はいいが、学生は受身になって、ひたすら文字を追いかけていく、または教師の
訳を写し取るという「労働」を強いられる。これは、高い位置にいる先生の謦咳に接
するという光栄を感じる少数の学生ならば感激するだろうが、大方の学生はそのよう
な感慨をもつことはない。しかも、学期が終わってテキストの一部を取り上げた試験
が終われば何も身についていないという結果になる。
1年間、辞書を真っ黒にするくらい引きながら遠い国の未知の言葉と格闘したとい
う経験は、たとえその後すべてを忘れてしまっても、学生たちの人生において大きな
自信になるはずだ…、という「精神主義」は多様な価値感をもつ現代の若者には通じ
ない。私は、学生に訳させるのも、教師自ら訳すのもよくない、と思う。
それでは、先のような旧弊を克服するにはどのような方法があるだろうか5。
5
文法訳読方式の少ない長所と「あげればとどまるところを知らぬほどある」欠点に
ついては、田崎(1978:193-195)を参照。
3.2.パタン・プラクティス
教師主導(教師が一方的に説明する授業)にしても、学生主体(学生による輪読や内容
発表)にしても、文法・訳読方式は言語の受容(理解:「読む」
「聞く」)の面を重視し
た教育である。発信(「話す」・「書く」)についてはどうだろうか。
戦後アメリカ合衆国からやって来たパタン・プラクティスは、従来の文法・訳読方
式に代わる発信面の教育法として当初大いに期待された 6。たとえば次のような練習
を学習者が「自動化」するまで長時間繰り返し行われる。
Alicia está en el hotel. (アリシアはホテルにいる)
(Tú) ___ Tú estás en el hotel. (君→君はホテルにいる)
(Yo) ___ Yo estoy en el hotel. (私→私はホテルにいる)
「私」が実際ホテルにいなくても、「私はホテルにいる」という文を作らなければ
ならない。「私」がホテルにいることを想像しようとしてもいけない。意味をあまり
考えずに、Yo(私)が出たら間髪を入れず... estoy en el hotel「ホテルにいる」と言え
なくてはならない。これは「意味」の考察を排除するアメリカ構造主義言語学を応用
して考え出された方法で、オーラル・メソッドやダイレクト・メソッドともうまく適
合していた。
私も学生時代メキシコ留学中にこればかりやらされたものである。街に出ればいく
らでも生きたスペイン語に接することができたにも関わらず、狭い教室の中で、めま
ぐるしく交替する主語に合わせて動詞を即座に変化させていた。このような機械的な
口頭練習そのものより、メキシコ人教師の独り言や休み時間の雑談のほうが、よりス
ペイン語の理解力と発表力をつけてくれる、というのがその時の感想であった。
パタン・プラクティスは言語を「無意識化」する方法なので、私は積極的には採用
しない。少なくとも最小限に抑えたい。学生をオートマチックなロボットにすること
が(大学での)教育ではないからだ。効果についても疑問がある。パタンばかりを押
しつけられていては、パタン以外の少しでも複雑なことを表現することができなくな
る。
3.3.コミュニカティブ・メソッド
新しい外国語教育法として、「コミュニカティブ・メソッド」が注目されている。
これは、従来の語学教育と比較すると次のような対照点が挙げられる(米山・佐野
1983:64-68)。
6
たとえば、山家保(1964, 87-134)を参照。
従来の方法
Communicative method
目標
言語能力
伝達能力
シラバス
文法中心
機能・概念中心
内容方法
言語構造の全体像
学習者が必要とする事項
私は、当時のスペイン文化省(Ministerio de Cultura、今日では教育文化省の下部)
が 開 催 し た 「 第 4 回 外 国 語 と し て の ス ペ イ ン 語 の 国 際 研 修 会 」 (IV Jornadas
Internacionales del Español como Lengua Extranjera, 1991)に参加し、8 日間アビラ市の郊
外の Navas del Marqués でコミュニカティブ・メソッドの集中的なトレーニングを受け
た。最後の全体討論会で、はたしてこの方法が大学での第二外国語教育において唯一
有効であるかどうかが疑問であり、むしろ構造中心のシラバスと相補的な関係を築く
べきである、という意見を述べた7。
私はコミュニカティブ・メソッドの魅力は尊重するが、あくまで文法を重視しなが
ら、文法の知識を活用する場面として、学習者中心の言語使用に接近させるべきであ
る、という考えである。もし、シラバスの中心にコミュニカティブ・メソッドをおく
と、学習者は言語そのものの理解よりも、文脈や場面から推測される伝達機能の理解
ばかりに集中してしまい、肝心の言語の一般的応用力の向上につながりにくい。文法
規則は、言語表現の自由を「規則」によって拘束するものではなく、逆に、少ない規
則で無限の表現を可能にする自由を与えるものである。応用力を重視するならば、
(文
法訳読や誤答訂正とは異なる形の)文法を主体にすべきである。
4.提案.文法の意識化と「授業レポート」
言語は「意識化」しなければならない、というのが私の主張である。言語の形態や
機能、そして認知的意味・効果を理解しなければ未知の環境や事情に接したときに応
用が利かないからである。そこで旧弊とされている「文法教育」を再び登場させたい。
しかし、それはもう、あの錆ついた規範的伝統文法であるはずはなく、言語を理解し
効果を確かめることのできる、新しい応用言語学の成果を生かした方法でなければな
らない8。
私は教室で「授業レポート」を課している。学生が主体的に作り上げて、毎回教師
に提出するレポート用紙1・2枚の文書である。これで、まともにやっていれば7分
から10分ほどかかる出席をとる時間を節約できる。代返も不可能だ。毎回多少のバ
7
第4回の報告書は出版されていないが、1990 年の第3回については、Ministerio de
Cultura (1991)がある。
8
文法の意識化の方法については、すでに多くの論考がある。たとえば、Schmidt (1990),
Fotos and Ellis (1991), Fotos (1993), Thornbury (1997). スペイン語教育については Leow
(1997)や Martínez (1999)が参考になる。
リエーションはあるが、大体次のような構成になる。
(1)授業中の課題 教師は授業の説明中に、適宜問題を設定して、レポートの中
に書かせる。動詞のパラダイム、スペイン語訳、日本語訳、自由作文、文法の説明問
題など。一定の時間が過ぎたら解答を与え、赤のボールペンによって自己採点させる。
文法の説明問題は一般的な説明と具体例を示した後、その問題を意識化するための
設問である。たとえば、次の(a)は動詞と名詞の形態論、(b)は定冠詞の機能、(c)は与
格接語と間接目的語との関係を意識化させる問題である。
(a) 語末の母音に加えて、n と s だけが子音の中で特別扱いされる理由を、cantar
の直説法・現在の活用、そして casa と papel の複数形の作り方を見て説明しなさ
い。
(b) 次の文で、en casa には定冠詞がなく、en el salón には定冠詞がある理由を説
明しなさい。
Pedro: ¡Elvira! ¿Estás en casa...?
Elvira: Hola, cariño, estoy en el salón.
(c) 次の2文の意味の差を説明しなさい。意味の差は文法的に何に由来するかを
説明しなさい。
(1) He enviado un libro a José.
(2) Le he enviado un libro a José.
これらは、従来教師が説明していた部分である。しかし、そのような一方的な方法
では、文法の問題が自分の問題として学生に意識化されない。大方はすぐ忘れてしま
う。自分で考えて解決できたり、また失敗してから解決法を教わったりすれば自らの
知識となり、さらに単なる知識を超えた「理解」となる 9。また、その知識は単に暗
記すべきものではなく、より重要なのは形式と機能の合理的な関係が理解することで
ある。
(2)宿題 授業の内容についての練習問題の答えを宿題として授業時間外に用意
させる。次回の授業で教師が解説することで「答え合わせ」をし、自己採点させる。
間違えた箇所を自分で訂正させる。正しいか間違えているかわからないときは教師に
質問させる。このようにして、自分の作り上げた解答を自分の問題として採点するこ
とによって意識化が促進される。(教師が採点するのでは返却されたとき点数だけが
関心の対象となって、肝心の言語の問題はなおざりになる。)
9
外部から知覚された単なる情報(input)と、それが学習者に意識化された情報(intake)
の区別については Corder (1981)と Schmidt (1990)が参考になる。input が intake となる
プロセスが重要である。
(3)短文による自由作文 授業で習った文法事項を使って、自由に物語を展開さ
せる。ここは学生が実力と創造力を一番発揮できる部分である。ここでは自由に発表
することに意義があるので、とくに細かな文法的な間違いを指摘することはしない。
正確性よりも自発性を重視する。(【附2】を参照されたい。)
(4)教師への質問 授業や予習・復習の過程で理解できなかった点を書かせる。
教師は個別に答えるか、または一般的な問題として授業で答える。一般的な問題は、
インターネットを利用して学生が自主的にアクセスできるように工夫する
(http://gamp.c.u-tokyo.ac.jp/~ueda/gb.html)。
(5)席を固定 列をアルファベットで、行を数字で固定し、この席番号を提出す
る授業レポートに書かせる。たとえば、C 列の3番は誰というようにして決めておけ
ば、教師は名前を覚えやすい。また多人数の授業でのレポートの回収・返還が席順に
なるので、短時間に能率よく行われ、またレポートの管理も容易である10。
(6)評価・成績 レポートの提出は重視するが、必ずしも各課題について正解の
数を問題にしない。学習過程で正しく理解されているかを、自己採点でチェックする。
正解の数を評価の対象とすると、自己採点に不正が働くことがありうる。
教師中心の従来型の授業では、70 名以上の学生がいる教室であると、授業時間中に
あてられる数はせいぜい 20 人ぐらいだろう。他の学生はそれを他人事のように聞い
ている。聞こえないのか書き写さない学生もいる。それよりはむしろ、自分自身のこ
とを自分で診断して取り入れる授業レポートのほうがより効果が期待できる。
また、各課題には2分から5~6分の時間をあて、この間は教師は黙って教室を巡
回する。90 分話しつづけるのは教師にとっても、聞く側の学生にとっても苦痛である。
課題の解決については原則として個人で行うが、問題によってはペアやグループで
相談することを許してもよい。そのような場で話題にした文法事項は定着しやすい11。
5.おわりに.学生のモラルと対照言語学
「授業レポート」の実践には準備と点検・整理に毎週多くの時間がかかる。多忙な
語学教師にとってかなりの負担である12。しかし、このレポートを見れば彼らの理解
がどの程度であるかは一目瞭然であるし、学生たちにとってもただ聞き流すだけの授
10
授業レポートを隣や周りの学生から引き写すという行為も、席の固定と席番のシス
テム(アルファベットによる列番と数字による行番の同定)で教師はすぐに感知できる。
(このようなことをしなければならないのも、70 名を超える履修者数のためである.)
11
スペイン語教育における他の「意識化」の試みの実際的方法については、乾(1997)、
大森(1999)、沖原(1999)が参考になる。
12
1999 年度の私の授業では、東京大学総合文化研究科(言語情報科学専攻)の大学院生
四宮瑞枝さんが TA (teaching assistant) として協力してくれた。予算と事情が許せば、
TA の援助によるティーム・ティーチングを積極的に考えるべきである。
業と異なって、文法を「考える」ことで張り合いが生まれるはずである13。
私は、授業レポートと3回の小テストに基づいて1学期間の成績評価を出している。
1学期の授業の後に1度だけ行う試験では、短期間の集中的な試験勉強の極度の緊張
感と、終わればすべて忘れてしまうというむなしさが残る。毎回の授業レポートは、
授業の内容の理解をその場で即時に自分で確認していく積極的な作業である14。そこ
で、ルール違反(赤ではなく鉛筆で修正してしまう、隣のレポートを写す、等)をし
ても、まったく意味がないことを学生が自覚し、むしろ自分を厳しく見る態度とモラ
ルが養われる。外国語の学習は誰のためでも何のため(成績のため)でもなく自分の
ためのものだ、という自覚が生まれるはずである。
実は、授業レポートは私たち語学教師にとって願ってもない言語資料を提供してく
れる。学生の誤りがどこに集中するか、どのような誤りが多いのか、そして、困難点
は何か、などを示すデータは貴重である。
(【附3】は、ある一日の授業のクラス全体
の授業レポート分析である。)スペインやラテンアメリカ、そして欧米の参考書では
説明されていない(日本人特有の)問題点が明らかになる(上田、1994)。日本語と
スペイン語の理論的な対照研究にも寄与するであろう。私たち語学教師にとって外国
語の教室は理論(対照言語学)と実践(応用言語学)を結びつけてくれる恰好のフィ
ールドとなる(上田、1998b)。
<引用文献>
Corder, S. Pit. 1981. Interlanguage and error analysis. Oxford University Press.
Fotos, Sandra and Rod Ellis. 1991. "Communication about grammar: a task-based approach",
TESOL Quarterly, 25/4, 605-628.
Fotos, Sandra. 1993. "Consciousness raising and noting through focus on form: grammar task
performance versus formal instruction", Applied Linguistics, 14/4, 385-407.
Leow, Ronald P. 1997. "Attention, awareness and foreign language behavior", Language
Learning, 47/3, 467-505.
Martínez, Inmaculada. 1999. "Consciousness raising o la integración de gramática y
comunicación en el ámbito japonés", Español como Lengua Extranjera: Enfoque
Comunicativo y Gramática. Actas del IX Congreso Internacional de ASELE (Santiago de
Compostela, 23-26 de septiembre de 1998, Tomás Jiménez Juliá et al. (eds), Universidad
13
さらに高度な授業分析の方法には S-P 表分析がある(朝田・飯島 1984: 273- 310)。
S-P 表分析では、課題と学生との二次元マトリックスを用意し、コンピュータ操作に
よって異質な反応パターンを検知する。一方、筆者が考案した「パターン分析」では、
反応パターンが似た課題や学生をグルーピングすることができる(上田、1998a)。
14
毎回の作業なので、履修者は積極的に出席するようになる。大学でも「不登校対策」
が必要なことは、文部省の「学生生活の充実に関する調査研究会」の報告案にもまと
められている(朝日新聞、2000/5/28).
de Santiago de Compostela, 239-246.
Ministerio de Cultura. 1991. III Jornadas Internacionales del Español como Lengua
Extranjera.
Schmidt, Richard W. 1990. "The role of consciousness in second language learning", Applied
Linguistics, 11/2, 129-158.
Thornbury, Scott, 1997. "Reformulation and reconstruction: tasks that promote 'noticing'",
ELT Journal, 51/4, 326-335.
朝田彦雄・飯島武志.1984. 『教師のパソコン利用.初歩から授業分析まで』日本経
済新聞社.
乾英一.1997.「読解のプロセスの意識化.予測メモの利用」
『語研フォーラム』
(早稲
田大学語学教育研究所)7, 125-130.
大谷泰照.1997.「なぜ、いま第二外国語なのか.言語・文化の三角測量」
『英語教育』
5 月号、8-9.
上田博人.1994.「日西対照研究とエラー・アナリシスとトランスリンガル・アプロ
ーチ」『日本語と外国語の対照研究 I. 日本語とスペイン語(1)』くろしお出版、
143-164.
_____.1998a.『パソコンによる外国語研究(I).数値データの処理』くろしお出版.
_____.1998b.「リレー・エッセー.スペイン語学の冒険.冒険のはじまり・教室と
いうフィールド」『NHK スペイン語会話』4 月号, pp.80-83.
大森洋子.1999.「タスクを中心とした文法授業の可能性」スペイン語学セミナー
(1999/8/28)、ハンドアウト.
沖原雅美.1999.「スペイン語学習におけるノートの活用」スペイン語学セミナー
(1999/8/27)、ハンドアウト.
田崎清忠.1978.『英語教育理論』大修館書店.
山家保「フリーズを中心とする英語教授法」『現代英語教育講座.第二巻.英語教授
法』研究社、1964, 87-134.
米山朝二・佐野正之.1983.『新しい英語科教育法』大修館書店.
【附 1】自由作文の例
13 回(1学期)で終了する三・四年生の「スペイン語初級」の授業で毎回提出させ
た自由作文の例である。ここには多くの文法や表現の間違いがあるが、どれも解読可
能であり伝達機能は十分に果たされている。初級では、あまり正確さにこだわるより
も、学習者が伝達の積極性・自発性を発揮できるような授業にしたい。間違いを恐れ
てコミュニケーションを回避するようでは本末転倒であろう。
(1) Yo fui esquiar con mí amigo. Él trajo una mujer bonita. Siento que no haya tenido novia.
Quiero que tenga novia bonita. (...)
(2) Yo me bañaba cuando mi amigo me llamó. Pero yo estaba dormiendo en el baño no pude
lo contestar. Por eso él enfadóse conmigo. (...)
(3) Estudiaré el inglés en Canada tres semanas. Quiero estudiar el inglés, mi el inglés enseñan.
Es que no comprendo porque hablan pronto. Ellos pido que hablan lentamente. (...)
【附 2】授業レポートの分析例
この表では横列に学生の番号を、縦に課題を示してある。正しい答えを導き出せたと
きはブランク、そうでないときは×、その中間は△で示してある(欠席・遅刻は#)。
この表を縦に見れば学生個人の問題点がわかり、横に見れば課題の難易度がわかり、
全体を見ることで、一日の授業の達成度・成果がわかる。
1
2
3
4
5
6
7
8
9 10 11 12 13
1999年11月1日
1. 動詞活用復習 pensar
△
#
#
2. 動詞活用復習 contar
△
#
#
3. ビデオから数の聞き取り
#
#
4. 未来形の活用 cantar
# △
#
5. 未来形の活用 comer
△ △ #
6. 未来形の活用 vivir
△
#
7. 未来形を使って自由作文
△
#
8. 未来完了の活用
#
2000年1月24日
1. 肯定命令から否定命令へ(1)
#
2. 肯定命令から否定命令へ(2)
#
3. 肯定命令から否定命令へ(3)
× ×
4. 肯定命令から否定命令へ(4)
× ×
#
× × × ×
# ×
5. 肯定命令から否定命令へ(5)
#
6. 数字を書く (1)
#
7. 数字を書く (2)
×
8. 数字を書く (3)
× × ×
#
× × ×
#
9. 接続法過去 ar 動詞
#
10. 接続法過去 er 動詞
#
11. 接続法過去 ir 動詞
#
Concienciación en la enseñanza del español
en el ámbito universitario
Hiroto Ueda
En las clases de gramática española, son deseables algunas prácticas para consolidar
el conocimiento gramatical que se está aprendiendo. Según mi experiencia en aulas
universitarias de español como segundo idioma extranjero, ni el método tradicional de
gramática y lectura, ni el método directo patronizado, ni el método comunicativo han
funcionado con resultados convincentes.
Después de reflexionar sobre los problemas a los que nos enfrentamos los profesores
de lengua extranjera en la universidad, proponemos un método de “concienciación”. Se trata
de formular preguntas gramaticales a los estudiantes y hacerles pensar para que deduzcan sus
propias respuestas. Explicaremos la práctica en forma de autoevaluación por parte de los
alumnos, el reconocimiento del estado de la clase en forma de matriz bidimensional individuo
- cuestiones gramaticales; y finalmente, el aprovechamiento de los datos obtenidos en las
faenas diarias del profesor para elaborar la gramática más propia y adecuada para los
estudiantes japoneses.