- ごあいさつ - 古代から絹を産する地として有名な上野国(群馬県

- ごあいさつ -
古代から絹を産する地として有名な上野国(群馬県)。この地にもたらされた養蚕・
製糸の技術と伝統は脈々と受け継がれ、幕末から明治・大正期には日本の主要な輸出
品として国の経済を支えるとともに、世界全体へ良品質の絹を供給しました。その成
果が認められ今年6月には本県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、世界遺産に登録さ
れました。これを記念し、今回は当館収蔵史料の中から、明治期~昭和初期の「群馬
の養蚕・製糸」に関わる史料を展示いたします。
群馬県の蚕糸業は、近代における殖産興業政策と民間の養蚕・製糸家の努力により、
急速な発展を遂げました。官営模範工場として富岡製糸場が明治5年(1872)に設立開業
し、民間では、養蚕の技術革新を図った高山社や蚕種製造業の先駆けである田島弥平
らの島村勧業会社の活躍がありました。さらに、日本で最初の器械製糸所の流れを汲
む大渡製糸所や、座繰製糸の器械化を図った改良座繰導入による組合製糸などの目覚
ましい活躍もみられました。
本県の蚕糸業を支えた様々な取組の一端をご紹介する中で、群馬の蚕糸業のあゆみ
や、それらの史料を保存し後世に伝えることの重要さに関心をもっていただければと
願っております。
平成26年12月
群馬県立文書館長
群馬県の養蚕・製糸の本格的な発展は、幕末の横浜開港によって始まる。その後、
明治10年(1877)には、繭の生産量が全国でトップクラスとなり、同43年(1910)には、
繭・蚕糸・織物の物産価格の割合は、県の重要物産全体の66%にまで達した。
大正期も順調に規模を拡大していったが、第一次世界大戦の戦後恐慌の影響などが
養蚕農家に打撃を与えた。
昭和期に入ると、世界恐慌や生糸に代わる繊維(人絹)の影響により、繭価格や収穫
高は停滞していく。その後、内需拡大で一時的に収穫高も増加したが、太平洋戦争開
戦などにより、群馬の養蚕・製糸は衰退へと向かうことになる。
重要物産の中でも、繭・織物・蚕糸
類の割合が高いことがわかります。
重要物産価格・重要物産価格累計
比較
『明治43年群馬県統計書』
議会2657
米・麦・繭・生糸・織物における、大正
元年を1000とした大正10年の産額。
物産統計
『大正10年群馬県五大物産統計』
議会図書5154
群馬の養蚕業は近世から広く行われ、馬場重久・吉田芝渓などが全国に先がけて
養蚕書を著わしている。明治になり生糸の輸出増に伴って民間の養蚕家を中心に飼
育法の改良が進んだ。藤岡の高山長五郎は清温育、島村の田島弥平は清涼育、青梨
子村の松下政右衛門の暖爽育、片品村の永井いとは紺周流の飼育法を考案した。な
かでも高山社は蚕業学校に発展し、その技術は全国に普及した。
一方、蚕種も重要な輸出品であったため、幕末から明治にかけて県下各地で蚕種
製造者が続出した。島村の田島弥平・武平は島村勧業会社を設立し、ヨーロッパに
蚕種の直売も断行した。明治15年以降蚕種輸出は激減し、国内向けの蚕種製造とし
て発展していく。
←高山社伝習所が、蚕種の学術研究を目
的に群馬県に提出した「蚕種製造承認願」。
↓承認願に添付された、学理 講習所規則。
蚕種製造承認願(高山社附属養蚕伝習所)
群馬県行政文書
「農務 雑事(二冊ノ内一)」
議会723 2/4
朝鮮実業団の高山社訪問の様子 明治44年
安政の開港後、激増する生糸需要とともにその品質改良が当時の製糸業界に要求さ
れていた。
明治3年速水堅曹らは日本最初の器械製糸である藩営前橋製糸所を創設した。それ
以後、星野長太郎の水沼製糸所、深沢雄象の関根製糸所など民間にも器械製糸所が設
立された。この間官営の富岡製糸場や新町屑糸紡績所も設置されている。
しかし、当時の本県製糸業の主流は座繰製糸であった。明治10年代には在来の座繰
製糸に改良を加え、揚返し行程を工場化して生産・販売を組織化する動きが起こった。
また、生産農家が組合をつくり共同出資によって改良座繰製糸を行う組合製糸が起
こった。これらが精糸原社、交水社、南三社といわれる碓氷社、甘楽社、下仁田社な
どである。
群馬の生糸産額は、明治10年代まで全国第一位を占めていた。その後は長野県の器
械製糸に首位の座を奪われたが、大正初期愛知県の器械製糸に抜かれるまで第2位の
地位を保っていた。
日本最初の器械製糸である前橋製糸所の払い下
げを受け、勝山宗三郎は大渡製糸所とした。
大渡製糸所の概略
群馬県行政文書「皇太后宮伊香保行啓書類第一」
明治79
明治7年(1874)に星野長太郎によって設
立された水沼製糸所。
水沼製糸所
『群馬県史』
資料編23近代現代7
明治11年(1878)に碓氷座繰精糸社とし
て設立し、後に碓氷社となりました。
碓氷社本社
『群馬県史』
資料編18近代現代2
錦絵上州富岡製糸場之図
(内部)
県立歴史博物館所蔵資料
碓氷社生糸商標(「五人娘」)
県立歴史博物館所蔵資料
交水社生糸商標(「千羽鶴」)
田村あい子家文書
P08506 42
〒371-0801
群馬県前橋市文京町3-27-26
℡ 027-221-2346
Fax 027-221-1628
mail: [email protected]
平成26年度 ロビー展示Ⅱ 「近代群馬の養蚕・製糸」 展示史料一覧 タイトル
1 統計で見る群馬の
養蚕・製糸
2 養蚕改良と蚕種製造
資料名
重要物産価格・重要物産価格累計比較
物産統計
主要農産物価格
蚕種製造の承認願(高山社伝習所)
私立高山社蚕業学校
教草第三 養蚕一覧
蚕桑之栞(群馬県原蚕種製造所作成)
文書群・簿冊名
『明治43年群馬県統計書』
『大正10年群馬県五大物産統計』
『昭和9年群馬県統計書』
群馬県行政文書「農務 雑事(二冊ノ内一)」
『群馬県史』
『群馬県史』
富澤久幸家文書
井上清家文書「高山社教授用掛軸」
請求番号
議会2657
議会図書5154
議会2676
議会723 2/4
資料編22近代現代6
資料編18近代現代2
P0905 2995
P08211 1
和暦
明治43年
大正10年
昭和 9年
明治32年
大正 4年
大正 3年
西暦
1910
1921
1934
1899
1915
1914
〔辞令〕生糸改頭取 勝山源三郎
勝山敏子家文書
P8702 194
明治10年
1877
勝山源三郎が頭取を務めた前橋生糸改会所
大渡製糸所の概略
前橋市製糸工女のお花見会
水沼製糸所
精糸原社本社
交水社本社
碓氷社本社
甘楽社本社
碓氷社生糸商標(「五人娘」)
碓氷社生糸商標(「赤紅葉」)
錦絵上州富岡製糸場(全景)
錦絵上州富岡製糸場之図(内部)
錦絵工女勉強之図
蚕種紙(精選銀世界)
蚕種紙(春蚕白玉)
製糸工場・産業歌「糸ひく娘」
交水社二重丸組の歌集
交水社生糸商標(「千羽鶴」)
勝山敏子家文書
群馬県行政文書「皇太后宮伊香保行啓書類第一」
田村あい子家文書 交水社二重丸組「工場日誌」
『群馬県史』
『群馬県史』
『群馬県史』
『群馬県史』
『群馬県史』
県立歴史博物館所蔵資料
県立歴史博物館所蔵資料
県立歴史博物館所蔵資料
県立歴史博物館所蔵資料
県立歴史博物館所蔵資料
摩庭進家文書
摩庭進家文書
田村あい子家文書
田村あい子家文書
田村あい子家文書
P8702 30
明治79
P08506 19
資料編23近代現代7
資料編23近代現代8
資料編23近代現代9
資料編18近代現代2
通史編8近代現代2
P0105 280
P0105 281
P08506 40-1
P08506 40-2
P08506 42
明治11年
明治12年
明治42年
明治 5年
明治29年
明治32年
昭和 7年
-
1878
1879
1909
1872
1896
1899
1932
-
荒船風穴「春秋館」の蚕種販売広告
3 座繰製糸から器械
製糸へ
◇群馬の養蚕・製糸
参考史料
(昭
一和
九
二 七二
年
)
組
合
製
糸
群
馬
社
、
前
橋
市
に
設
立
(大
一正
九
一 三二
年
)
県
原
蚕
種
製
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所
、
前
橋
市
前
代
田
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所
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械
生
糸
生
産
量
、
座
繰
生
糸
生
産
量
を
は
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め
て
上
回
る
(明
一治
九
一四
〇三
年
)
(明
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九
〇三
二五
年
)
(明
一治
九
〇三
一四
年
)
(明
一治
八
九二
五八
年
)
一
府
十
四
県
連
合
共
進
会
、
前
橋
で
開
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糸
所
、
三
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家
か
ら
横
浜
生
糸
売
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問
屋
原
合
名
会
社
へ
譲
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私
立
甲
種
高
山
社
蚕
業
学
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開
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県
立
農
事
試
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、
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橋
市
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神
に
設
置
(明
一治
八
九二
三六
年
)
官
営
富
岡
製
糸
所
、
三
井
家
に
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下
げ
下
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田
社
設
立
(
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甘
楽
精
糸
会
社
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り
下
仁
田
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所
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独
立
)
(明
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八
八一
六九
年
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(明
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八
八一
四七
年
)
県
蚕
糸
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合
準
則
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山
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郎
、
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蚕
改
良
高
山
社
設
立
(明
一治
八
八一
〇三
年
)
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浜
同
伸
会
社
設
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(
生
糸
直
輸
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商
社
)
北
甘
楽
精
糸
会
社
(
の
ち
甘
楽
社
)
設
立
(明
一治
八
七一
九二
年
)
上
毛
繭
糸
改
良
会
社
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村
勧
業
会
社
田
島
善
平
ら
、
蚕
種
直
売
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た
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リ
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へ
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(明
一治
八
七一
八一
年
)
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氷
座
繰
精
糸
社
(
の
ち
碓
氷
社
)
設
立
改
良
座
繰
結
社
精
糸
原
社
、
前
橋
町
に
創
立
(
上
毛
改
良
座
繰
の
始
ま
り
)
(明
一治
八
七一
七〇
年
)
(明
一治
八
七 六九
年
)
(明
一治
八
七 五八
年
)
(明
一治
八
七 四七
年
)
官
営
新
町
屑
糸
紡
績
所
開
業
新
井
領
一
郎
、
生
糸
直
輸
出
の
た
め
米
国
に
出
発
勝
山
宗
三
郎
、
前
橋
製
糸
所
の
払
い
下
げ
を
受
け
、
大
渡
製
糸
所
を
創
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星
野
長
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郎
、
水
沼
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所
の
一
部
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業
開
始
(明
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八
七 二五
年
)
官
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糸
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「
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村
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業
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社
」
設
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田
島
弥
平
、
『
養
蚕
新
論
』
を
著
す
(明
一治
八
七 〇三
年
)
(明
一治
八
六 九二
年
)
(万
一延
八
六 〇元
年
)
(安
一政
八
五 九六
年
)
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一政
七
九 四六
年
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(正
一徳
七
一 二二
年
)
日
(本
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士洋
速式
水器
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、
藩
営
前
橋
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糸
所
創
設
前
橋
藩
、
横
浜
に
藩
営
生
糸
直
売
所
敷
島
屋
開
店
糸
値
暴
騰
、
前
橋
糸
市
大
繁
昌
横
浜
開
港
中
居
屋
重
兵
衛
、
生
糸
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易
の
た
め
横
浜
に
新
店
舗
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店
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渓
、
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須
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』
を
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馬
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重
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手
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一 四七
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野
国
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あ
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ぎ
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る
年
代
蚕
糸
関
連
事
項
「
群
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蚕
糸
業
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略
年
表