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1章.民主政治の成立
1 近代民主主義思想の発達
1 自然法思想と社会契約説
中世の西欧社会は、絶対君主制が敷かれ、絶対的な権利をもった君主によって専制政治が行
われていた。国王の権力は神から授かったものであるとする王権神授説によって君主の権利が
正当化され、政治権力を一手に握った君主によって恣意的な人の支配が行われていたのである。
こうした絶対君主制に反対して人間性の解放が求められ、市民革命が勃発し、その成功によっ
て近代民主主義社会が確立されていったのだが、その近代民主主義の根本理念である国民主権
の基礎となったものに自然法思想にもとづく社会契約説がある。
自然法思想とは、人間が生まれながらにしてもっている権利すなわち自然権は、実定法(実
際に人が作る法律)によって保障されなければならないと説く。また自然法とは、人間そのも
のの本性から生まれ出る普遍的な理性を体現した規範であり、人間は生まれながらにして、自
由・平等であり、すべての人は基本的人権を有することを保障するものである。
社会契約説では、政治社会である国家や政府は人々の意思の合意である契約によって成立す
ると考え、国家権力はそれによって正当化され、そこから政治の最終的な主体は人々にあると
する国民主権の考えが、政治原則として確立されるようになった。
では、この社会契約説はどのように発達していったかを、見てみることにしよう。
2 ホッブズの思想
イギリスの思想家ホッブズは、この社会契約説を最初に体系化した人物である。ホッブズは
主著『リヴァイアサン』で、人々は、秩序や統制のない自然状態では、自己保存を第一に考え
る利己的動物であるとした。人が好き勝手に行動すれば、利害の対立が生じるのは当然であり、
人々は自分の生命を守るために「万人の万人に対する闘争」の状態に陥ってしまうであろう。
そして、その闘争を避けるためには、人々が互いに契約を結び国家を形成し、各々の自然権を
放棄して、共通の権力すなわち主権者にすべてを委ねればいいと主張したのである。主権者は、
全契約者の代表者であるから絶対的かつ不可侵なもので、人々は主権者の統制の下で、争いな
く平和に生活できるということになる。
ホッブズのこうした理論は、社会契約説の先駆となったが、主権者を絶対化したことにより、
結果的に絶対君主制を擁護するものとなってしまった。
3 ロックの思想
イギリスの思想家ロックは、その主著である『市民政治二論』(市民政府二論)の中で、市
民はその自然状態において自由・平等であり、生命・自由・財産を保持する自然権をもつが、
自然権を行使する自由を各自に委ねると混乱が生じるため(たとえば、他人の財産を侵す自由
の行使を主張する人間が現れるかもしれない)、相互の合意によって契約を結び、国家を形成
し、自然権の一部を国家に譲渡し、国家はそれを保障するという形をとり、主権は議会にある
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蠢.政治・経済
と説いた。
そして、もし国家が市民の権利を侵害するような事態が生じれば、市民は抵抗権もしくは革
命権を行使することもできる、と述べている。さらに、ロックは自然法をより明確にするため
に実定法の制定の必要性を述べ、国家の中には、法律を作る機関(立法府)とその法律を執行
する機関(行政府)と外国との外交を行う機関(外交府)が必要だと主張した。彼の思想は、
名誉革命の理論的基礎となり、後のアメリカ独立運動やフランス革命にも大きな影響を与えた。
4 モンテスキューの思想
フランスの思想家モンテスキューは『法の精神』において、立憲政治の必要性を説き、ロッ
クの立法権と行政権の分立を発展させて、立法・行政・司法が抑制と均衡を保ちながら分立す
るという三権分立論を確立した。『法の精神』の内容は、フランス革命の思想的土台となり、
アメリカ合衆国憲法制定をはじめ、近代政治学、憲法学などに多大な影響を与え、現代社会で
も常に省みられている。
5 ルソーの思想
フランスのルソーは、
『社会契約論』 において、人間の自然的自由権が、社会においては束
縛されてしまうジレンマについて解決策を考えた。そして、国民全体の利益を追求する一般意
志という概念を創出し、個人の意志とこの一般意志は一致されなければならず、そのためには、
代表民主制ではなく直接民主制でなければならないと説いた。こうして人民主権の思想はルソ
ーによって確立されたのである。
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民主政治の成立
1 近代民主主義
民主政治は、国民主権、基本的人権の尊重、法治主義の考えを大きな三つの柱として成り立
つ政治形態である。国民主権とは、国政の最終決定権が国民に帰属することを示し、基本的人
権の尊重によって、国民は一人ひとりが生まれながらにして基本的な人権をもち、それは、永
久不可侵なものであることを法によって保障する。以上の二つの大原則を含めたあらゆる法の
制定に関しては、国民自身あるいは国民が代表者を通じて参加し、また、法の執行については、
国民も代表者もこれに従うべきであるという、法治主義によって国家が形成されている。
2 人権確立の歴史
現代のわれわれにとっては当たり前のように考えられているこれらの国民の人権であるが、
その人権が国家に承認されるようになるには、長い年月と先人たちの不断の努力を要したので
ある。
人権の保護を最初に認めたのは、イギリスのマグナ=カルタ(大憲章)であり、1215年のこ
とであった。これは、イギリスの国王ジョンに対して、貴族や僧侶が自分たちの自由や権利の
保障を要求したものであったが、国王といえども議会の承認を得なければ税の徴収ができない
ことや、人身の自由などが規定されており、後の民主主義思想に多大な影響を与えた。その後、
17世紀に入ると市民革命の時代を迎え、イギリスでは、1628年の権利の請願や、名誉革命の後
の権利の章典(1689年)によって人権を法制化し確立していった。18世紀に入ると、ロックや
ルソーの思想を受けて、アメリカの独立宣言(1776年)やフランスの人権宣言が制定され、国
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