日本の創造産業と創造都市戦略

セッション3
創造都市と創造クラスター
日本の創造産業と創造都市戦略
瀬田 史彦 大阪市立大学大学院創造都市研究科准教授
Fumihiko Seta
1972年、東京都生まれ。東京大学工学部卒業、同大大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了
(工学博士)。専門は都市計画、地域開発、建築土木。東京大学先端科学研究センター助手、アジア工科
大学客員助手、シュトゥットガルト大学客員研究員等を経て現職。主な著作に、『社会、まち、ひとの
安全とその技術 社会安全システム』(共著 東京電機大学出版会 2007)、『中心市街地活性化三法
改正とまちづくり』(共編 学芸出版社 2006)などがある。
批判的創造都市論ことはじめ
なぜ創造都市が注目されるのか
非常に有名な先生ばかりのなか、私だけ駆け出しですの
創造都市・創造産業という言葉が非常に注目されている
で、簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。特
ということはまちがいありません。特に日本でそれが注目
に私が専門としているのは都市工学で、日本流に言えば、
されている理由はいろいろとあるのですが、そのなかでふ
いわゆる理系です。ですから、ここにいらっしゃる先生方
たつ挙げたいと思います。
はいわゆる文系の方が多いと思うのですが、そういう意味
第一に、これまで日本はいわゆる教科書で勉強する加工
では多少、定量的な分析もありますので、もしかしたら文
貿易や製造業をつうじて主に成長してきました。それが、
系の方々から見れば、視野が狭いとか、頭がかたいとか言
先進国と呼ばれるようになって、それ自体はありがたいこ
われる可能性もあるかもしれませんが、ご容赦いただけれ
となのですが、アジア諸国や他の国々がどんどん追いつい
ばと思います。
てきて、われわれ日本あるいは大阪という都市は新しい産
創造都市、あるいは創造産業に関する先進事例は一昨日
からのシンポジウムで、すでに多くでてきたと思います。
業、あるいは新しい成長モデルを見つけなければならなく
なってきたのです。
私はずっと学者でやってきましたので、ある程度、批判的
そして第3次産業がどんどんのびています。第2次産業
に見たいと思います。なぜなら、一般に創造都市・創造産
はちょうど高度成長期まではあがり基調でしたが、石油シ
業のなかでも映画や映像は中心的な地位を占めると思いま
ョックがあってから工業というのはだんだんシェアを落と
すが、たいていこういうものにはヒーローと悪役がでてき
しています。これはそれぞれの産業にたずさわる就労者の
ます。これまではヒーローばかりだった気がしますので、
シェアについても、ある程度、言えることなのではないか
ここは私が内側の人間として、日本流に言えば仮面ライダ
と思われます。
ーに対するショッカー、外国のキャラクターで言えばポパ
もうひとつ、日本固有の問題があります。日本にいらっ
イに対するブルートという悪者を演じてみたいと思って、
しゃるみなさんはよくご存知のことと思いますが、人口減
そのためのセリフを用意してきたところ、先ほどプラット
少、少子高齢化です。特に本日、私は創造産業というテー
先生から、創造産業や創造都市に対する非常にクリアな批
マをいただいていますが、それに関連すると、創造性をつ
判といいますか、叱咤をいただきまして、お株をとられた
かさどる生産年齢人口(15∼64歳)の割合が急速に減少し
ような感じがしています。
ています。先進国でもそういう傾向が見られる国はありま
私の専門は基本的には都市計画ですので、創造都市ある
すが、日本がおそらく一番早く、こうした状況に対応しな
いは創造産業に関して、知見が深いというわけではまった
ければならないと思われます。いまニュースでよく耳にす
くありません。ただ、私の属する都市計画・地域開発の分
るのは、主に年金の問題などではないかと思いますが、そ
野でも、創造都市論の話は非常によく耳にしますし、非常
れ以外にもいろいろな問題がこのことを原因にして数多く
に重要な言葉であることはまちがいありません。しかし、
でてきています。
それをそのまま受けとっていいのか、あるいはもう少しし
参考までに日本の人口構造を説明すると、真ん中に線が
っかり研究、調査する必要があるのではないか、あるいは
そうした調査、研究に基づいて政策に援用していく必要性
があるのではないか。そういう考えから、なかば批判的に、
Elderly Population
(65 and more)
特に大阪はこれから創造都市戦略で援用していくうえで、
どういう方向性をもって考えていったらいいかというのを
発表させていただきたいと思います。
68
Working Population
(15 to 64)
Children (0 to 1
わが国の人口構造の推移(少子化社会白書)
Transition of Population in Japan
はっているところがだいたい現在の状況を示しています。
状況を示す現象論、世界都市論も当初はそうでした。
そこから右側にいくにしたがって、この一番上の部分が65
例えば、一番上に東京やニューヨークやシカゴやロンド
歳以上の人口で、その割合がどんどん増えていきます。人
ンがあって、それにしたがうかたちで他の都市があるとい
口全体は減っていくのですが、高齢者の人口はそれほど減
う階層構造が、世界都市仮説の概念図です。ところが、そ
っていきません。そして、真ん中部分の生産年齢人口が非
れ自体は、現在の状況はこうですと示したものですが、そ
常に急激に減少するのです。
れを政策的に援用して、例えば東京も、現在は一番だけど、
こういった状況から、新しい成長モデル、あるいは新し
いま上海などが伸長していて抜かされそうになると困る。
い都市モデルがいま日本の各自治体で非常に強く求められ
だからヒエラルキーで一番をずっとめざすのだという、そ
ています。その重要なもののひとつとして、創造都市論、
れが今度は政策論になるのです。将来もそうあろうとか、
あるいは創造産業論というものが日本でも多くの都市で援
あるいは、将来はもっと上のランクにいこうといった、政
用されようとしています。そのように見ていただいたらい
策論の視点は、現象論の視点としっかり分けなければなら
いのではないかと思います。
ないわけです。
さて、私は先ほどいわゆる創造産業については専門では
海外でも多いと思いますが、例えば東京でも、世界都市
ないと申しましたが、私も「創造都市」と名前のついた研
をめざした政策が援用されています。このなかには言葉だ
究科にいることもあり、創造産業という言葉にふれる機会
け使って、実際には、いわゆる世界都市仮説といったもの
が多くあります。正確さは欠けるのですが、私が何となく
をたいして利用していない政策もありますが、反対に世界
いだいているイメージとして、おそらくそれはみなさんが
都市という言葉を明示的に使っていなくても、グローバル
いだいているイメージとそれほどかわらないと思いますが、
な経済のなかで都市として上のランクをめざしていこうと
創造産業の概念とはどんなものかと申しますと、文化・芸
いう政策をとっている大都市も非常に多くあるのではない
術・メディア関連産業を中心としながら、それだけではな
かと思います。
く、関連するさまざまな産業群を伴ったものだと言えるの
ではないでしょうか。
創造都市論:世界都市論との比較
これが新たな基幹産業として、あるいは都市モデル・産
業モデルの中心として、非常に期待されているように思わ
さて、世界都市論というものはもう何十年も前から言わ
れます。大阪市をはじめとして、各自治体、佐々木先生の
れていますが、実は世界都市論が政策論として採用される
ご紹介では横浜市や金沢市といったところで採用されはじ
前は、「非常にいい、経済的にどんどん発展するために、世
めているわけです。
界的な都市のランクをあげるべきだ」という肯定的な意見
と、
「そんな話にのると非常に大きな副作用がたくさんある」
創造都市を見る目:現象論と政策論
ところで、この援用されようとしている創造都市論、あ
という否定的な意見の間で、非常に活発な議論がおこなわ
れていました。ただ、採用後は、もしかしたら誰かがすで
になされているのかもしれませんが、しっかりした事後評
るいは創造産業論をとらえる際、私はいつもふたつの視点
価は私の知る限りほとんどおこなわれていません。「これか
から見ています。ひとつは「現象論」としての創造都市・
らやろうか」というときはものすごく議論が盛りあがるの
創造産業です。時代潮流の変化が都市に与える影響の描写、
ですが、その後は忘れてしまう人が多いということだと思
描写という点が重要なのですが、それは既存の都市がどう
います。
いう状況なのか、「こんな特徴がある」、「こういうふうに特
徴がかわった」というように、その特徴を観察するという
ことです。
創造都市の定義:クリエイティブとは何か
もうひとつは、これが重要なのですが、「政策論」として
そこで、創造都市論の論者は、ここにも何人かいらっし
の創造都市・創造産業です。先ほどは描写、観察だけでし
ゃると思いますが、こういった世界都市的な階層構造に否
たが、今度はそれを新しく、いまはまだない都市モデルと
定的な論者が多いのではないかと思います。しかし、そう
して提案する。そして創造都市論流に言えば、新たに創造
いった方々が、世界都市を援用した政策が総合的に見て成
的な、まさに創造的な都市をつくりだすという思考をもっ
功だったのか、失敗だったのか、それをしっかり検証して
た理論が、政策論としての創造都市・創造産業ではないか
いるかどうかというのは非常に疑問です。どんな政策にも
と私は分類しています。
よい面と悪い面がありますが、それを総合的にとらえて、
こういった分類は別に創造都市についてだけ言えるもの
プラスが大きかったのかマイナスが大きかったのかという
ではありません。佐々木教授のお話にもありましたが、世
評価をするうえで、本当はすでに材料が、ある程度、揃っ
界都市論の場合も当初は現象論で、いまある都市のシステ
ているはずなのですが、どうやら悪い面だけを見て否定を
ムはこうであろうという議論でした。それは端的に言えば
しているような気が、残念ながら私にはします。
グローバルな取引を主導する都市のヒエラルキー(階層構
そこで、では創造都市・創造産業というのはいったい何
成)です。東京やニューヨークが一番で、その次にどの都
かという定義が、当然、必要になってくるわけです。まち
市がくるとか、そのヒエラルキーがあって、それは現実に
がいかもしれませんが、私のイメージでは、ベースとして
そういう状況もあるにはあるのですが、それにともなって、
はおそらく、文化・芸術・メディア産業というのがあるの
これまでの方の発表にもあったように、非常に悪い副作用
ではないかと思います。ただこれもみなさんのこれまでの
もありました。貧困につながっているとか、経済の過剰流
ご発表にもあったように、実際はそれ以外にもさまざまな
動につながっているといったことです。そういった現在の
産業群が創造産業と言われています。
国
際
シ
ン
ポ
ジ
ウ
ム
﹁
新
・
都
市
の
時
代
︱
創
造
都
市
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発
展
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携
を
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め
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﹂
︱
セ
ッ
シ
ョ
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3
︱
創
造
都
市
と
創
造
ク
ラ
ス
タ
ー
69
文化・芸術・メディア産業といっている間は、比較的定
常に先見の明があることだと思います。まさに現代都市の
義は簡単です。日本の統計にもそういった定義があります。
象徴的な現象をたくみに抽出していると言えます。これは
ただ、それをこえた場合に、どれが創造的なのか、そして、
現象論として非常にすばらしい視点をもっています。では
どれが創造的ではないのかという定義が非常にあいまいな
これを政策論として考えて、別にフロリダが言ったわけで
のではないかと私は感じています。先ほどのプラット先生
はありませんが、都市にゲイを増やしたら創造的になるか
のご発表でも同じようなご指摘があったように思います。
というと、これはまた別な話です。ここが現象論と政策論
世界都市論の場合は、これももしかしたら百説あるのか
もしれませんが、比較的、学者のなかでも見ているものは
の違いです。政策論として考えるならば、因果関係をしっ
かり考えなければいけないわけです。
だいたい同じなわけです。金融業や企業サービス業、多国
私は創造都市論について、海外の文献はほとんど読んで
籍の大企業、弁護士事務所、会計事務所、例えばそういっ
いませんが、日本の文献には多少ふれる機会があります。
た業種です。特にアジアで注目されたのは本社機能とか、
日本でよくあげられる創造都市というのは、例えば、日本
あるいはアジア地域本社の機能です。例えば、松下やソニ
の都市では金沢、京都で、外国であればボローニャ、バル
ーといった会社には、本社は日本にあるけれども、アジア
セロナ、フライブルク、ビルバオ、モントリオールといっ
に統括的な、例えばシンガポールに、まとめて指示をだす
た都市です。確かに、こういった都市は非常にすばらしい
ような機能のアジアオフィスがありますし、それをアジア
のかもしれません。ただ、それを創造都市と言うべきなの
諸国は90年代から誘致しあっていたわけです。ですから、
か。確かに何となくイメージはいい。日本のなかでも金沢、
そういう意味で、世界都市論を援用した政策の評価はしや
京都のイメージはいいのだけれども、では、具体的にどう
すいわけです。
創造的なのか、何が創造的なのかわからないと、政策論と
では、創造都市とはどう定義するのでしょうか。これは
してブレークダウンすることはなかなか難しいはずです。
業種なのか、業種というのは工業とか農林水産業とか、も
確かに京都というのは、伝統的なまちなみから先進的な
う少し細かく分ければ電気電子産業とか輸送機器産業とい
建物まであります。この先進的な建物が景観にとってどう
ったものです。あるいは業態なのか。いま私が業種で言っ
なのかということについてはいろいろ議論がありますが、
たのは最終的にできる財とかサービスですが、そうではな
少なくともここにたくさんの人が集まってくるわけです。
くて、そこのプロセスで何をやっているのかということが
あるいは、伝統的な産業として、ここには伝統的な焼き物
業態です。そういうことをもって創造的と判断するのか、
があります。それから京都で有名な企業といえば、ゲーム
あるいはその他の定義があるのか。あるいは、そうではな
機をつくっている任天堂です。この本社はまだ京都にあり
くて、結果として経済に成長を促すような産業が創造的と
ます。伝統・先進の両面でみてすばらしい都市であるのは
されるのか。別に成長を促さなくてもいいから、人々を幸
まちがいありません。しかし、これを創造都市と呼んでい
せにする産業なのか。それはどういう産業なのかよくわか
いのでしょうか。
りませんが、そういうことがよくわからないのです。
私はドイツに居たことがありますが、フライブルクとい
私も主に地域開発・都市計画に関連する専門家と、創造
う都市は環境都市としてドイツのなかでも非常に先進的な
産業について議論すると、結果的に聞こえがよさそうな、
都市として有名です。しかし、ドイツに私がいて、この都
あるいは、非常によさそうな産業だけを創造的だと言って
市が創造都市だという話は一度も聞いたことがありません。
いるだけなのではないか、という批判が残念ながらよく聞
ですから、それは創造都市という概念から、京都やフライ
かれます。創造都市についてもそうです。
ブルクが創造都市だと言っているのか、あるいは逆にいい
先ほどプラット先生のお話にも、アン(非)創造都市だ
ったか、アン(非)創造産業だったか、そういう言葉がで
都市をさして創造都市と言っているのかという問題がある
わけです。
ましたが、創造都市というのを指定するからには、そうで
はない都市というのはどこなのか、あるいはそうではない
都市との違いは何かということを、厳密ではなくても、あ
る程度、示さなければ、何を言っているのかよくわからな
いのです。
創造都市と非創造都市
創造都市があるのなら非創造都市があるのか。あるいは、
創造都市とそうでない都市との具体的な違いは何なのでし
ょうか。創造都市といえば文化・芸術産業が関連するので
創造都市をクリエイティブにするもの
70
はないかと思いますが、そうするとニューヨークというの
がでてくるわけです。ニューヨークというのは一般的に考
そこで、このワンフレーズ・アカデミクスです。英語で
えれば、誰が見ても世界で一番、昨日の河島先生の話もあ
は違う言葉で書いてあって、私にも厳密にはわかりません
りましたが、よくも悪くも非常に文化・芸術産業が発展し
が、要は、これまでお話したことをまとめると、現象論と
ています。ここが仮に創造都市でないとしたら、なぜ創造
して創造都市、創造産業というのがこれから非常に重要だ
都市でないのかということもしっかり定義を、あるいは評
ということはなんとなくわかるのですが、ではそれが政策
価をしなければならないと思います。実際に行ってみると、
論としてどうかということです。
それこそトランスナショナルですし、もちろん世界都市的
現象論と政策論という話で言いますと、例えば、先ほど
な金融業、ウォール街みたいなところもあれば、ブロード
もプラット先生の話にもありましたリチャード・フロリダ
ウェイのように演劇などの芸術産業を先導している場所も
の一番有名な「ゲイ指数」です。ゲイが多い都市ほど創造
あります。美術館も非常にたくさんあります。しかし、創
的だという、正確にはわかりませんが、そういったことだ
造都市論者の多くにとって、ニューヨークはあまり受けが
ったと思います。この特徴を見つけたこと自体は、私も非
よくないと私は感じています。
クリエイティブそうな産業を創造的だと言っているうちは
ば、これは都市を、当然、経済的によくするわけです。実
いいのでしょうが、政策論として述べる際にはやはり峻別が
はそうした影響力を測るツールが日本にもほかの国にもあ
必要です。政策とは、何かを選択するという作業ですから、
りますが、日本の場合、産業連関表を使えば、ある産業が
そこの定義が学者の側からしっかり提示されない限り、どう
ほかの産業にどういう影響を与えるかというのがわかるわ
しても聞こえのよい言葉だけで終わってしまいます。
けです。本日はあまり細かい説明はできませんが、それぞ
ただ、実際に実証的な研究というのは、海外でおこなわ
れの産業同士の取引が全部わかるツールです。
れているのかどうかはよくわかりませんが、日本にいる限
例えば、会場外に掲示してあるポスターに、来年サミッ
りは正直言ってあまりないようです。もし外国では違うの
トがおこなわれ、大阪でも経済効果がみこまれるとありま
だという話があれば、後で外国の先生方からご指摘いただ
した。サミットをおこなった場合にほかの産業にどういう
ければと思います。しかし、日本で見ている限りでは、こ
波及効果があらわれるか、すぐにでるわけです。大阪市の
れは少し言葉がきついかもしれませんが、対象の都市ある
ホームページにもしっかりした説明がありますので、もし
いは産業が創造的であるということを前提に、創造的と言
よろしければ後でご覧ください。
えそうな現象だけを追いかけまわすスタイルが多いように
ただ、これの問題点というか統計の限界なのですが、結
思います。すべてがというわけではありませんが、こうい
局、先ほどの何産業という分類はほとんど最終的にできた
うものが非常に多いと思います。
財なりサービスなりを基準にしていますから、創造的なプ
しかし、逆に言えば、どんなにダメな都市、あるいはダ
ロセスとしてどういうことをおこなっているかというかた
メな産業でも、少しは創造的な面があります。それだけを
ちでは分類をしていないわけです。例えば一番細かい業種
見て、この都市も創造都市と言うのでしょうか。もしそう
の分類でも、例えば毛織物、麻の織物、その他の織物とい
であればすべての都市が創造都市になります。それはそれ
う具合です。これが創造的かどうかというと、それは創造
でいいのかもしれませんが、それだと現象論としてまでは
的なものもあるけれど、そうでないものもあるだろうとい
いいのかもしれませんが、政策論としては使えるかどうか
うことになります。あるいは映画・ビデオ制作、配給業も
疑念がもたれるところです。
創造的なものが多そうですが、そうでないものもあるかも
そこで、この創造都市論、創造産業論というのはどうし
しれないということで、なかなか計算しづらいわけです。
ても「いいとこどり」のように聞こえる、あるいはちょっ
しかし、がんばれば、うまく仮定をおけばそれなりの分析
としたキャッチコピーなのではないかと批判されても仕方
はできるかもしれません。ただ、こういった研究はまだあ
がないのかなと思われるわけです。日本では一時期「ワン
まり見られていません。
フレーズ・ポリティクス」という言葉が非常に有名でした
文化・芸術産業については、昔からその波及効果に関し
が、そういう意味では「ワンフレーズ・アカデミクス」と
て、ここにいらっしゃる佐々木先生のご研究も含めて、非
言えなくもないと思います。これは非常に危険です。
「改革」
常に多くのしっかりした実証研究があります。ただ、文
という言葉、あるいは「創造」という言葉だけがひとり歩
化・芸術産業をこえたときに、創造産業はどのように定義
きしてあらぬ方向にひきずられてしまうからです。
され評価されているのかが、まだわかっていないどころか、
そのために、まずは研究者、学者あるいは政策担当者も
含めて、定義、評価が必要なわけです。日本は非常に苦い
経験があります。都市計画、あるいは国土計画の世界では、
実はそれをやろうとしている人もまだいないのではないか
という感じがしています。
それとは別に、波及効果だけではなくて、とりあえず創
一時期、特に高度成長期、「開発」という言葉が非常に多く
造産業の定義というのをほかの定義、ほかというのは例え
使われました。その当時からこの言葉について佐々木先生
ば「デザインに関係するものである」という定義にすると、
は非常に批判的だったわけですが、結局、それによって、
その産業が大きければ大きいほど創造都市だと言えるかも
日本でいま問題になっているムダな社会資本などに残念な
しれません。そういうとらえ方であれば、一般的に、産業
がらつながっていきました。いまは開発という言葉をなる
のほかの統計から、例えば、事業所数とか、就業者数、総
べく消そうという政策が多くなっています。その二の舞に
生産、付加価値の数字の変化を拾えば分析が可能です。
なる可能性がないとは言えません。それを防ぐためには創
例えば佐々木先生も、このようなご研究をやられて、こ
造、クリエイティブというものが何なのかということをし
ういう産業が増えればいいだろうとおっしゃっているので
っかり見定めなければならないということです。
はないかと思います。こういった研究も非常に重要です。
ただ、これだけでは、確かにそういう産業が増えている
本当に創造的な産業
のですが、それが都市を良くするのかどうかということは
また別の話です。先ほどの波及効果というのは、直接ほか
本日は創造都市というより創造産業というテーマを与え
の産業に影響があることはわかっていますからそれでいい
られています。創造都市であれば、人の幸せにはいろいろ
のですが、ほかの定義をした場合、デザイン系の産業は増
な切り口があり、その評価は非常にたいへんです。しかし、
えるでしょうが、ではそれで都市全体が本当によくなるか
産業政策の評価については、ひとつではありませんが、比
どうかというのはほかの分析から説明しなければいけませ
較的それほど多くはないわけです。量的・質的に衰退して
ん。しかしそれを説明しようとしている研究がまだあまり
いる産業をどんどん推進しようというのはなかなか考えづ
ありません。そうした説明がない限り、堂々巡りの議論
らいことです。
国
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ウ
ム
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都
市
の
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代
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造
都
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の
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展
と
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ン
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創
造
都
市
と
創
造
ク
ラ
ス
タ
ー
(トートロジー)になってしまいます。地域で発展している
それでは創造産業というのは何なのか、と私なりに考え
産業は創造産業であり、創造産業がのびれば地域が発展す
てみました。まず波及効果という考え方があります。これ
るという、何か意味があるようでいてないような言葉にな
はほかの産業よりも影響力が強い産業を創造産業と考えれ
ってしまいかねないわけです。
71
創造産業が都市を発展させるのか?
もうひとつ気をつけなければならないのは、私の授業で
もよく言っているのですが、統計では、例えばデザイン産
業の、あるいは文化・芸術産業ののびと経済成長ののびが
非常に相関しています。両方とものびている都市ほどのび
ています。ただ、それに因果関係があるのかどうかはわか
らないのです。それぞれ別の理由でのびているのかもしれ
ないし、例えば、文化・芸術産業などは明らかかと思いま
すが、文化・芸術産業がのびたから経済が発展するのか、
経済がのびて人々にお金があまったから、みんなが文化・
芸術に投資するのか。日本のバブル時代は後者でした。リ
チャード・フロリダの例もあげましたが、政策論として考
える際は、こうした因果関係がどうなのかということをし
っかり考える必要があります。
ブの定義が文化・芸術産業の枠をこえたときには、しっか
りやらなければならないと思います。
私はこういうふうに否定的に言ってはきましたが、ラン
ドリー先生のお名前をはじめとして、われわれ都市計画の
世界でも創造都市論や創造産業論は非常によく耳にします
し、こうした理論は非常に重要だと言われています。ただ、
われわれ都市計画の人間は、多少テクニカルで、定義や評
価にこだわる傾向があります。その面から見ると、どうも
聞こえはいいのだけれども何をさすかいまのところよくわ
からないという感想をもっています。これからそれをしっ
かり見定めなければなりません。市民の側もそういう目で
見ないと政策の評価ができないでしょう。まさに日本が
「開発、開発」と言ってきた時代の二の舞になる可能性がな
きにしもあらずということです。
ほかにも創造産業をとらえる方法はあります。例えば、
学歴が高い人ほど芸術をよく見に行く(からそうした階層
を集める)というものです。文化・芸術産業を発展させれ
ば、創造的なクラスの人たちがその都市に集まってきて、
彼らの活動によって都市が発展するということです。高学
歴の人を集めるというのは何か差別的な気がして私は嫌な
のですが、政策としてありえない話ではありません。
そういう意味では、創造都市の研究というのは、事例を
もってきて、これは創造的だ、クリエイティブだと言って
いるだけでは不十分です。統計を使ってもまだ不十分でし
ょう。その事例が創造的かどうかということをしっかり仮
説して検証する。つまり否定されてしまうこともあるのだ
ということを念頭におきつつおこなわなければなりません。
これはみなさんに主張するというより、われわれ研究者が
しっかりやらなければならないという面もあるでしょう。
ただ、その点では専門外なので言うのですが、そもそも
創造的という言葉の定義が曖昧なのです。特に文化・芸術
産業の枠をこえたときには、どのように定義されるのかよ
くわかりません。それは波及効果が多い産業なのか、それ
とも違うもののことなのかということです。
大阪市は創造都市戦略として、「創造産業の森をつくる」
と言っています。創造産業育成とか、ナレッジと科学・技
術研究機能を高める、国際的・広域的な交流と大都市観光
を促進するということで、当然これは必要なことです。し
かしそれには、創造産業とは何かというのがわからなけれ
ばなりません。それは当然大阪市もやるべきなのですが、
特に創造都市研究家のわれわれが、しっかり「こういうも
のは創造的だ」とか、逆に非常に言いにくいのですけれど
も「こういうものは創造的ではない」ということを言わな
ければいけないのかもしれません。
特に文化・芸術産業、小さな都市であれば文化・芸術産
業が非常に大きく花開く都市になる可能性があります。し
かし、大阪というのは非常に大きな都市です。ですから、
文化・芸術産業は非常に重要なのですけれども、それだけ
ではダメかもしれません。
その際に、それより大きな概念として創造的ということ
を考えた場合、どうしたらいいか、どういう定義をしたら
いいかということです。繰りかえしになりますが、創造と
72
いう言葉は否定しがたい言葉です。聞こえがよく絶対的に
「いい」言葉なのです。ところが、聞こえがいいだけでは、
政策にはなりえません。そのあたりを、特にクリエイティ
結論
結論ですが、特に経済・産業政策というのは他の人々が
幸せだとか豊かだとか、あるいは、最近話題になっている
地域格差の話題とは違って、基本的に、指標のとり方や評
価方法は比較的明確です。ですから、特に創造産業論につ
いてはしっかり定義し、そして評価しなければならないの
です。そして市民の側では、しっかりそういうことがなさ
れているかどうかということを見なければならないわけで
す。特に昨日の議論のなかで、横浜市の方から評価指標は
どうなのかというご質問があったり、あるいはボローニャ
市のザッキローリさんから市の役割はどうかというご質問
があったと思いますが、そうした質問に対する明確な答え
はなかったと思います。そこで申しあげますと、プラット
先生の考え方と同じと思いますが、政策論としてとらえる
なら、プロセスも重要なのです。プロセスを考える、どう
いうプロセスが創造的なのかというのを考えるには、まず
定義が必要で、評価も必要なのです。
これは創造都市研究科にいる私自身への批判も含んでい
ますが、ただ、創造都市という言葉自体は非常に重要なキ
ーワードです。それをどういうふうに実際にいいものにし
ていくかということが、これから金沢市、京都市、あるい
はわれわれ大阪市にも求められていることなのではないか
と思います。
少し時間が過ぎました。終わりにしたいと思います。あ
りがとうございました。
討論 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
創造クラスターをつくるためのポイント
(佐々木)
ただいまのおふたりの発表に対して、ランドリ
ーさんはたくさん答えたいことがあるそうですが、少し後
にしてもらって、まず、会場の皆さんでご質問、ご意見が
ありましたらどうぞ。
(フロア質問:野田)
鳥取大学の野田といいます。2004年
までは横浜市に勤めていて、「創造都市・ヨコハマ」という
新しい都市政策の作成をしておりました。プラット先生の
発表に対するコメントと質問があります。
リチャード・フロリダの創造階級論に対する批判的な分
析をとおした創造産業論だったと思いますが、非常にエキ
サイティングな発表だったと思います。私がなぜこの発表
ト化していくという方向に動いているのですが、プロジェ
にこだわるかというと、横浜市の政策がまさに創造階級を
クトベースで創造都市、創造クラスター、創造メディアが
集積するという手法をとってうまくいっているので、私自
でてくるとおっしゃったと思うのですが、われわれは、例
身フロリダの考え方にすごく興味をもっているからです。
えば小規模の企業を集め、そうした制度や機関のなかで産
その立場から、まずコメントです。フロリダへの批判の
業化を進めていくというかたちでやっています。よりよく
なかでいくつかおっしゃいましたが、ひとつは、政策を実
それらを活用し、アーティストたちがひとつの組織のなか
現していくためのプロセスがないではないかということで
で、大きな機関のなかでより能力を発揮できるようにして
す。確かにそのとおりですし、そのほかのさまざまな批判
いるのですが、それについてのコメントをいただければと
的な指摘がありました。私も同感します。ただ、政策担当
思います。
者としてふりかえってみて、みなさんにお伝えしたいこと
がひとつあります。それは従来、中央政府も地方政府も、
(フロア質問:ワーズバーガー)
いわゆる公的な政策とし
特に日本の場合は、いわゆる産業政策を企業単位・組織単
ての産業支援、あるいは産業開発以外で、それをこえたか
位で考えてきました。つまり、企業誘致や産業誘致という
たちでの産業都市化のなかでは、どのようなものがあるか、
考えで、開発をします。
うかがいたいと思います。
それでうまくいったところもありますが、かなり多くの
ものが失敗をしています。そうしたなかでフロリダは明快
的確な人材の必要性
に、人材、人を集めることが重要だということを言いまし
た。私はこれがすごく新鮮に思いました。一昨日の大阪市
(佐々木)
それでは、ふたりの発表者に対してと、それ以
長の発言でも、大阪が創造都市になっていくときに、第一
外にもアン・マークセンさんに対する質問もありました。
に人材に注目するのだとおっしゃっていました。この視点
まずアンディ・プラットさんからお答えいただいて、そし
はいいのだろう、つまり政策担当者に対して、少なくとも
てアン・マークセンさん、瀬田さんという順番にしましょ
日本においては人材に注目したという点が非常に新鮮であ
う。
ったように思います。
そういうことをおさえたうえで質問なのですが、創造ク
(プラット) では、何点かお答えしていきたいと思います。
ラスターをつくっていくために何が必要なのか、特に都市
興味深かったのは人材ということです。そこでは、人材と
政策のなかでどのようなことが必要になってくるか。もし
いうものを定義しておかなければならないと思います。と
一般化できるのであれば、ぜひお答えいただければと思い
いうのは、フロリダが言った人材というのは、創造階級を
ます。おそらく地域特性があるので一般化できない面もあ
誘致するための人材、それからハイテク企業を誘致するた
るかと思いますが、創造クラスターをつくっていくために、
めの人材を意味していたと思います。一方で、昨日、私が
地域で、あるいは都市政策で何がポイントになるのかとい
特徴として強調したかった点は、的確な技能が必要である
う質問です。
ということ、つまり的確な人材が必要である、創造的な生
産をやっていくためには的確な人材が必要であるというこ
(フロア質問:竹中)
大阪市立大学の学生で、竹中と申し
とです。それから2点目としては、政策決定者、また政策
ます。本業はデザイナーで、一応、創造クラスターの一員
を立案していく活動のなかで、そうした人材が必要である、
ですが、みなさんに質問させていただきます。
そうしたことに理解のある人たちを集めなければならない
本日、アンディ・プラット先生と瀬田先生は、ノンクリ
と言ったわけです。ですから、従来型の官僚であるとか、
エイティブ産業、創造的でない産業との違いという話をさ
金融業界で仕事をしていく人たちと、アーティストの間で
れましたが、世界都市と言う場合、金融市場や金融企業を
はまったく資質が違います。それぞれの違いが人材のなか
かなり重要視されていたように思います。一方、創造都市
でもあるわけです。
の戦略においては、金融企業や金融市場というのはあまり
そのなかで、介在していく人たちがどのようにコミュニ
重要視されていないような気がしてなりません。しかし、
ケーションをとれるかということも問題だと思います。例
世界の戦略とか世界の市場にとって金融市場はまったくは
えば文化創造的な産業において、エージェントと取引をす
ずせない要素になっています。ローカルやグローバルな点
るときのコミュニケーションであるとか、あるいは仕事、
においても、金融市場とのつきあい方、創造都市において
またクライアントとなるような人たちとの間のコミュニケ
も、金融市場のかかわりあい方はとても重要になってくる
ーションです。ですから、それを仲介するエージェントを
のではないかと思います。確かに現在の都市では、パトロ
開発しなければなりません。いま、官民の間でコミュニケ
ン的な意味あいで、金融市場がとても大きな役割を果たし
ーションは的確にはおこなわれておらず、ギャップがあり
ているかもしれませんが、実際に、創造産業としてどのよ
ます。そして、状況がかわったときに新しくそこに生まれ
うにかかわっているのかということは、また別の問題だと
てくる言語が理解できていないこともあるかもしれません。
思います。それについてご意見をいただけないでしょうか。
ですから、両分野の言語を理解できる人たちが仲介をして
国
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いかなければならないと考えるわけです。
(フロア質問:ハット)
ビクトリア州で仕事をしている、
メルボルンについても課題は、そういうことだと思いま
クレア・ハットと言います。マークセンさんとプラットさ
す。リンケージをこの両者の間でつくっていくことが難し
んのプレゼンテーションに非常に刺激を受けました。ビク
いのだと思います。企業と人々との間のリンケージや、フ
トリア州は200以上のアート組織をかかえており、プロジェ
リーランスでやっている人たちと企業とのリンケージとい
クトベースでサポートしています。ですから、プロジェク
ったものを理解するために、新しい人材が必要です。それ
73
が新しいエージェンシーをつくって、単にそれを人とつな
界とアーティストやクリエーターをつないでいくというリ
げる、リンケージするだけで、そこからベネフィットがで
ンケージは、とても大事なポイントになるだろうと思いま
てきます。つまり多くのものを学ぶことができるからです。
す。
ですから新しいエージェンシーというのは、従来は官の人
それから、先ほどの瀬田さんのお話にもありましたが、
たちがやっていたものかもしれませんが、その活動が理解
ロンドンや東京のような都市は、グローバルシティという
できるということになれば、官の人たちに対する理解も深
側面と創造都市という側面の両面をもっています。問題は、
まるわけです。つまり、人と人をつなげるということだけ
その関係性については必ずしも十分に理解されていないと
ではなくて、情報を収集し、さらには情報の理解を両者で
いうことです。例えば東京都では グローバル・創造都市
深めることによって、より効果的に関係づくりをしていく
というようにキャッチコピーがかわってきています。ロン
ことにつながると思います。
ドンでもクリエイティブ・ロンドンというホームページが
ここには欠けている役割がありますが、公的な機関がそ
の欠けている役を果たすことができるでしょう。そして、
現在ではそれをやろうとしているわけですが、従来は、い
わゆる官僚的なやり方でやってきた。そうすると、なかな
ありますので、そのことについては、またあらためて議論
したいと思います。
それではアン・マークセンさんに対する質問もでていま
したので、お答えください。
か特化したトレーニングがえられない。あるいは行政の役
割としてのトレーニングがその分野でなされていなかった
(マークセン)
いろいろ申しあげたい点があるので、いく
と言えるかもしれません。ですから、われわれとしてはこ
つかを一度にお答えしたいと思います。まず初めに、私は
の場合にはエキスパートが必要です。そうしたエキスパー
これまで創造都市や創造産業についてはきちんとお話しし
トに必要な知識をどうやってトレーニングするか、また開
てきませんでしたが、私がお話ししてきたのは、要するに
発していくかということも問題です。それには、新しい都
文化産業についての話です。このふたつを脅かしてしまう
市の形成のためにその関係づくりをできる人材が必要です。
のは危険だと思います。アメリカにおいて金融業界はきわ
めて創造的ですし、同時に非常に破壊的な力をもってきま
金融界との関係
した。ヘッジファンドが一方にあり、さまざまなかたちで
金融業界を見てみると、ニューヨークのウォールストリー
もうひとつ、金融界がどう関係していくかについて質問
トは長期的な資本家の気持ちを挫いてしまいました。いろ
がありました。ロンドンでの仕事では、いろいろな仮説を
いろな意味で本当に多くの人々にマイナスの影響を与えて
たてながら、例えば、グローバルシティについていろいろ
います。チャールズ・ランドリーさんは価値観をもう一度
な議論をするわけですが、文化創造的な都市というのは、
想起するとおっしゃいましたが、金融業界というのは本当
確かにそれらを成長させていくためには駆動力が必要で、
にイノベーティブですので、創造的にいろいろやっていま
金融界の存在も必要です。しかし、ロンドンのなかでは創
す。しかし、だからといって、それでよいというのではな
造産業や文化産業を、金融業界が率いて取引が進んでいく
いと思っています。
という状況は認められません。まったく状況が違うと考え
それからもうひとつは自動車業界です。日本において、
ます。ですから、どんな関係が理想であるかということは、
自動車業界というのは最も成功している業界だと思います。
まだ結論がでていないと考えています。確かに重要な関係
設計が集中的になされていて、エンジンを設計していると
があると思いますが、注意深く吟味していく必要があると
いうよりも車の形・外観を設計者がデザインしています。
考えます。一般化して「こうなんだ」と結論をする前に、
また、快適性という重要な部分において、設計上のデザイ
注意深く検討しなければなりません。
ンで力をだしています。日本の名古屋などもそうですが、
それから、私の経験上、ロンドンに関する研究では、文
化創造的な産業が経済のなかでも第3番目に大きな分野で
自動車産業というのはまさに創造性にとって、あるいは文
化産業にとっても重要だと言えるのではないでしょうか。
す。もちろん金融界が第1位ですが、3位がこれだと言わ
れています。ですから、重要なひとつの側面であるわけで
す。ただ、それが直接効果ではなく、そこにはプロセスが
あって、単にこれがグローバルな都市形成やファイナンシ
ャルサービスにつながっているわけではないと考えます。
世界都市としての特性づけ
それから、瀬田先生から非常にすばらしい発表がありま
した。これについてふたつ申しあげたい点があります。第
1点として、ワンフレーズ的に要約するのはアカデミクス
(佐々木)
74
いまのプラットさんのお答えにかかわることで
の世界だけではないと思います。例えば世界都市論を考え
すので、少しだけみなさんにわかりやすい例をお話ししま
てみると、15年前、私は一連のグループの人々と一緒に日
す。プラットさんが言った媒介者(インターミディアリー)
本にやってきて、日本についてあちこちで講演しました。
としてのエージェンシーのあり方について見ますと、大阪
そのときに、そのような世界都市の特徴づけにおけるまち
ではメビック扇町という創造クラスターの推進をおこなっ
がいを指摘しました。
ている組織があります。ここには従来、ふたりのプロデュ
ニューヨークは、東京やロンドンと同じようなかたちの
ーサーがいて、ビジネスの世界のクラスターについてたい
世界都市ではありません。なぜなら教育の中心ではないし、
へん詳しい人と、アーティストやクリエーターの分野につ
政治の中心でもないし、さらに文化的な中心地でもないか
いて非常に詳しい情報をもった人、このふたりがコンビネ
らです。ですから、不正確に特徴づけていると思います。
ーションを組んでおこなってきたわけです。これは、日本
15年前、あるいはそれ以前に、あまり注目は集めなかった
ではこれまでにない組織です。ビジネスの世界、商業の世
のですが、そのようにワンフレーズで特徴づけるというの
地元アーティストの創造的な活動を
はよくないと申しあげました。要するに、アカデミックな
ワンフレーズで片付けるのはよくないと。これは、アカデ
ミックな仕事を使って非常に単純化して話を進めようとす
る人たちに問題があると思います。
リチャード・フロリダの論文については、非常に批判的
な実証的な研究がなされています。もちろん実践について
はあまり批評がないにしても、例えば「ゲイ指数」につい
ては厳しく批判されています。寛容性に関する指数につい
ても同じです。アメリカを見てみると、創造的な都市とい
うのはそれほど多様性があるわけではありません。民族的
な内訳、あるいはハイテクなどを見てみると、フロリダは
そう言っているかもしれませんが、負の相関しかありませ
ん。
また、多様性の指標というものは、要するに高い教育レ
ベルがあるかどうかということになってしまっています。
ゲイの男性は教育レベルが高いとフロリダは言っていて、
高学歴の人々がいるところにはハイテクとの相関があると
言っているのですが、少なくともそうではありません。し
たがって瀬田先生のおっしゃるとおり、因果関係について
はさらに実証的な研究が必要だと思います。
さらに、簡単ではありますが、瀬田先生自身の使われ方、
つまり教育と文化的な消費の相関についての批判をしたい
と思います。文化というのは単に古典音楽だけではなく、
ポップ音楽やフォーク音楽なども含めて、もっとひろくと
りあげる必要があります。アメリカにおける標本調査票を
見てみると、単に高学歴の人々だけがこのような文化商品
の消費に参加しているわけではないように思われます。す
なわち、こういう点についてはもう少し慎重でなくてはな
らないと思います。
もうひとつ強調したいのは実証的な点、それから評価に
ついて、瀬田先生がおっしゃった点です。とても重要な指
摘をなさったと思います。いろいろな講演をやっている私
たちのような人間、それから、いろいろな考えを世界に伝
えようとしている人間にとって、重要なのはやはり研究で
す。これまでどういった研究がなされてきたかということ
をきちんと見直す必要があるでしょう。
リチャード・フロリダについて、アメリカでその後どの
メルボルンについてのお話がありました。そのような大
規模組織には、非常に大きな芸術組織や施設があり、政治
的なコネがあり、また非常に優れたエリートのパトロンが
いて、公共資金のかなりの部分を運営費として毎年もらっ
ています。まずはお金をそれほどださないことが解決策だ
と私は思います。彼ら自身に違うやり方で運営するように
迫ることが重要です。アメリカではそうでした。大きな芸
術組織や芸術施設は、席が埋まらないことや空席になって
しまうことで困り、これまできちんとサービスを提供しな
かった市民に対して、別のかたちでサービスを提供しなけ
ればならないということにやっと目覚めたわけです。
それからもうひとつ、美術館についてです。これまで美
術館では、日本のコンテンポラリーアーティストが紹介さ
れるのではなく、ヨーロッパや日本の伝統的な絵画が展示
されています。そうしたものも重要ですが、それだけでは
ダメだと思うのです。例えばミネアポリスの美術館では20
年間にわたって、ミネソタ州出身のアーティストの展示会
をおこなっています。大きなプログラムではありませんが、
私たちの州のアーティストが、実際に自分たちの作品を展
示できる機会が与えられているということは、とてもすば
らしいことだと思います。ふたりのネイティブアメリカン
のアーティストがミネソタ州にいるのですが、彼らの作品
も展示されました。ですから、フラッグシップ的な大規模
な芸術施設に対して、もっとオープンに、もっと創造的に
活動するよう迫るべきだと思います。
(佐々木)
私も、いまマークセンさんが指摘された点はと
ても大阪市にとって大切なことだと思っています。大阪市
はもっと大阪に住んでいる芸術家、特にこれから活躍する
であろう芸術家にもっと注目して、その人たちを支援の対
象にしないと、外部からクリエイティブな人をよんでくる
だけでは、田舎都市だと思います。言いたいことはたくさ
んあるのですが、まず瀬田先生、いまの議論や質問、それ
からアン・マークセンさんが言われたこともありますので、
どうぞ。
ようなことがおこったかと言いますと、どの市も市長もと
ても熱心になったわけです。リチャード・フロリダを招い
て講演してもらいました。そしてほとんどの場所では、フ
ラッグシップ的な舞台芸術センターがつくられたり、文化
観光が推進されました。例えば私の州では、昨年文化ツー
リズムのサミットが開かれました。やってきた人たちは中
小都市の代表者で、何とか自分の都市を創造都市にしたい
と思っている人たちでした。さらにブランドづくりにも熱
心な人たちが参加していました。
ですから、これまでの証拠を見てみると、ブランド戦略
という点からも、さらに非常に巨大な芸能コンプレックス
をつくるという点においても、ほとんどきちんとしたデー
タはあがっていません。実際、多くのフラッグシップ的な
芸術プロジェクトは単にお金を損失しただけの結果になっ
ていて、外部から人をひきよせるような牽引力をまったく
有していないということがわかっています。私たち研究者
の義務としては、「そういうことが言われたけれども、実際
には期待したような効果はなかった、失敗だった」、という
ことをもっと明確にしていく必要があるでしょう。
文化・芸術産業によって都市全体が発展するか
(瀬田)
4点あるのですが、まず、ここにいるみなさんの
なかには、文化・芸術を振興しようという視点でここにい
らっしゃっている方と、そうではなくて、文化・芸術産業
も含めて、あるいは創造都市・創造産業を含めて、都市全
体を盛りあげたいと考えている人と2とおりいると思いま
す。そういう意味では、文化・芸術を進展する視点という
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のは、それはそれで重要なことですが、文化・芸術産業に
よって都市全体が発展するかどうかということはまた別の
議論です。そこを非常に明確に峻別しなければいけません。
そうしますと、例えば先ほどご質問にあった金融市場が
重要かどうかというのも、どちらの視点をとるかによって、
おこなうべきことがぜんぜん違ってきます。文化・芸術産
業を振興するためには、特別な制度や補助金がもしかした
ら必要かもしれません。そのことがもしかしたら都市の発
展をスローペースにしてしまうかもしれないにしても必要
だと考えるか、あるいはそうではないかという点は、峻別
75
して考える必要があります。それがまず第1点です。
なで考えていく必要があるのではないかと思います。
第2点は、プラット先生が昨日からおっしゃっているこ
とで、マークセン先生もおっしゃっていたかと思いますが、
創造的な政策立案、公共政策とは
エージェンシーという言葉がありました。これは、日本流
に「新しい公共」とか「新たな公」と言われたりしている
(佐々木)
ものと似ているものだと思います。特にプラット先生のい
きます。
それでは、まずランドリーさんにお答えいただ
らっしゃるイギリスから、われわれは非常に多くのものを
学んでいます。例えば金融ビックバンもそうです。あるい
まずワーズバーガーさんからの質問にお答
えしたいと思います。創造性があると思われる公共政策は
でPPP(Public Private Partnership)というのが日本流に
何なのかという質問でした。まず、創造的というのはさま
は「新たな公」「新しい公共」と訳されて、これからNPO
ざまな状況・文脈によって違うということです。例えば日
ボランティア団体といったものが非常に重要になると叫ば
本とドイツ、イタリアとイギリスはそれぞれの状況や道具
れているわけです。
立てが違います。例えば、さまざまな利害関係者の関与は
このこと自体は本当に重要なことですが、実際にどうし
イギリスでは当然のことと思われていますし、イタリアで
たらそういう活動を盛りあげることができるのかが、特に
はそれほどではないと思われています。アメリカでも当然
政策担当者はまだよくわかっていません。だから、どうや
だと思っています。ではイタリアでは、その創造性がない
って支援をしたらいいかということを、計画に盛りこむこ
かというと、そうでもありません。では、創造的な政策立
とがなかなかできない状況です。先ほどの話の繰りかえし
案、あるいは公共政策とは何なのかということですが、ま
になりますが、このあたりを具体的にどうすればいいのか
ずひとつは前向きにこれまでの実践を振りかえる、評価す
ということがわからない限り、運動論として「NPOがん
る必要があるということです。つまり解放された心が必要
ばれ」「ボランティアがんばれ」と言うのはよいのですが、
だということです。
それだけではなかなか実際の活動を盛りあげることは難し
ふたつ目は、オープンマインドで過去のこれまでのやり
いと思います。運動論としてはいいかもしれません。ムー
方をきちんと照査し、さらにまたさまざまな領域の人たち
ブメントとして「がんばれ、がんばれ」というのはいいか
を統合し、参加を促すという前向きな姿勢です。
もしれないのですが、特に学者の側、あるいは政策に携わ
3つ目は、さまざまなリソースを市は必要としていると
る側としては、そこを具体的に、ではどうすればいいのか
いうことです。なかにはよく目に見えない、隠れた、ある
というところを考える必要があると思います。
いはかたちになっていないリソースもあるでしょう。いか
3点目は、マークセン先生のご指摘にお答えしたいと思
なる領域を評価するうえでも、さまざまなリソースを使わ
います。確かにワンフレーズで売るということは、いろい
なければなりません。例えば、シンガポールがカジノに反
ろな学問であります。例えば、創造産業に関連するもので
対するとしたら、創造的なことだと思います。シンガポー
も、クラスターという言葉は、ある意味、ワンフレーズで
ルが知識社会となって、香港やドバイの対極に存在するも
す。マイケル・ポーター(Michael E. Porter)さんという
のになろうということなら、それは得策かもしれません。
非常に有名な方が、クラスターによる産業振興は非常に重
モントレー工科大学は世界で初めて、ワイヤレス電話を
要だと言っていて、本もたくさん書かれています。ただ、
キャンパス全体に敷設しました。学生がイノベーションの
実際、それがどういうものなのかということは、政策を運
なかで、さらなるイノベーションを発揮できるとしたら、
用している側がいろいろな解釈をしている現状があるわけ
それはひとつの創造的なやり方と言えるでしょう。
です。それは世界都市ということについても、マークセン
もうひとつ、コペンハーゲンでは無料で自転車を市民に
先生がおっしゃったように、同じだと思います。もしかし
提供しています。さらに30年にわたって、市内では駐車場
たら創造都市も同じになってしまうかもしれません。これ
スペースをどんどん縮小してきています。それからベルリ
で本当にいいのかどうかというところが、まさに創造都市
ンはカーシェアリングをおこなっています。これも、ほか
が言葉として普及してきた現代の非常に大きな課題だと思
の都市の動向とはぜんぜん違う方向にいっている例です。
います。このことについては、当然主唱者であるランドリ
このようなさまざまな規制やインセンティブも、ある意味
ー先生や佐々木先生は当然のこと、その他の多くの研究者
では創造性にとっては重要です。
や実務者も一緒になって、しっかり考えていかなければい
けないと思っています。
76
(ランドリー)
はPFI(Private Finance Initiative)もそうです。その中
カルガリーには、騒音・ゴミ・廃棄物などに関する14巻
からなる規則がありました。ところが、市のある部長が
最後の4点目ですが、私のスライドのなかで文化の話を
「自分はもう62歳の官僚だから、誰も私の邪魔をしない。こ
したところ、マークセン先生にご批判を受けてしまいまし
れは、創造的な官僚制度を構築するプロジェクトをやれと
た。あれは単なる一例だったので、例のだし方が悪かった
いうことだ」と考えたのです。そこで彼が何をしたかとい
と思うのですが、文化産業の振興を考えたときに、どこま
うと、カルガリーの15の地域で8∼10人の小さなグループを
でが文化なのか、どこまでがアーツなのかというところが
つくり、規則をつくり直そうとしたのです。規則というの
わからないと政策論にはなりにくいのです。厳密にはなか
は堆積物になりがちで、それゆえに彼らはそんなに多くの
なか難しいことなのですが、ある程度の考え方を決めない
巻からなる規則をもっていたわけです。人々がネガティブ
と、大袈裟に言えば「人生はアートだ」「すべては芸術だ」
な態度をとる場合には、必ずその理由があるはずです。そ
と言えなくもありません。しかしそれでは、聞こえはいい
こで、規則を1巻だけに減らすことにしました。
のだけれど、実際に何をすればいいのかというところは、
ぜんぜんよくわかりません。そうしたことをしっかりみん
例えば、子どもをもつ父親と母親に対して、自転車には
ベルを付けなければならないという決まりがあって、ベル
を付けていない自転車には87カナダドルの罰金が課せられ
うにとらえました。
ていました。ただ、そのためには行政コストが120ドルかか
りますし、罰金をとられた場合、人は腹を立てて、全般的
創造都市という概念
にネガティブな姿勢になってしまいます。そこで反対に、
市はベル100個とドライバー12本を、罰金を課すコストの
(佐々木)
いったん、ここで私なりの整理をしますと、い
1.5倍の180ドルで買うことにしたのです。これまでのとこ
わゆる創造都市という概念自体、私は昨日もジェーン・ジ
ろ、「私はそんなものは付けたくないので、喜んで罰金を払
ェイコブスが使っている例をあげて説明をしています。こ
います」という人はいません。つまり、金融資本と違って
のときジェイコブスはイタリアのボローニャという都市を
社会資本は、使えば使うほどさらにえるものがあるわけで
ひとつのモデルにして考えています。詳しくは本を読んで
す。ですから、市政府から非常に寛大な姿勢でさまざまな
もらえばいいのですが、例えば創造的な経済がある、ある
リソースを提供してくれるということも、ひとつの創造的
いは創造的な芸術活動が盛んである、つまりアーティスト
な政策と言えるでしょう。
が活躍できる場が多い、それから創造的な人々を支えるよ
さらにデトロイトの場合は、設計のエクセレンス(美徳)
うな創造的な公共政策があるなど、いろいろな指標を立て
ということが言われています。デトロイト市は非常に大き
ることができて、そのレベルの高い都市を創造都市という
な変革を、つまり、設計において車でおこった大きなイノ
ふうに、厳密な意味で定義することはもちろん可能です。
ベーションを、別の分野でも実現しようとしていました。
そのうえで、ランドリーさんが後半で言いましたように、
ただ経済発展ということのみを考えて、ある分野でおこっ
創造的な政策をとりいれる、あるいは創造的な市民活動が
た創造性の結果を別の分野でも水平展開しています。それ
ある都市もひろい意味では創造都市とよぶことも可能です。
もまた重要なことでしょう。
現在の日本の都市が陥っているように、都市が非常に硬直
もうひとつ、瀬田先生からとても重要で挑発的な指摘が
化し、市民活動自体もある意味では長く続いた経済活動に
ありました。ひとつ、非常に明確なことがあると思います。
おいて停滞しているなかにあって、現に目の前にある都市
創造都市というのは、どんどん変化する世界のなかで、自
の問題をどう解決していくかといった場合に、創造的な問
分の都市がいま、どういう状況になっているのかちゃんと
題解決の方法を私どもは政策論として、当然、考えるわけ
見直すオープンマインドの姿勢が必要だということです。
です。ですから、特別のごく少数の創造都市だけの問題を
それはまた組織の文化に大きな影響を与えるものです。
議論しているのではありません。
したがって、いわゆる学問的に明快な指標をおいて創造
創造都市に関する4つの見方
都市を定義するという問題と、よりひろい意味で都市政策
において創造的なあり方を考える、あるいは創造的な市民
水曜日(10月24日)に、創造都市に関する4つの見方に
活動を展開するという、この両方の問題を私どもは絶えず
ついて申しあげました。ひとつは非常に強力な芸術の基盤
念頭において、行ったり来たりの議論をしてきたのではな
をもっていること。もうひとつは強力な創造的な経済をも
いかと考えるわけです。当然、私はある意味では学問の分
っていること。それから強力な創造的階級があること。し
野に身をおいています。ランドリーさんは具体的な都市政
かし、創造的階級だけが重要だとしたら、私たちの70%は
策のアドバイザー、あるいはシンクタンクというかたちで
創造的でないことになってしまいます。しかし、創造都市
政策を考えていらっしゃいます。これはそれぞれ立地点が
というのは、さまざまな制度や、あらゆる種類の組織や
違います。
人々が必要とされる都市で、さらに、その都市における問
しかし、例えばジェーン・ジェイコブスも大学に身をお
題を、想像力(イマジネーション)をもって解決すること
いた方ではありませんが、いまや世界の都市研究にたいへ
できる都市のことです。一方、非創造都市というのは自分
ん大きな影響を与えています。現実の都市の問題というの
の市民の将来、それから都市自体の将来をまったく見よう
は、日々うごいているさまざまな現象をより的確につかん
としない都市です。これは、市政の考え方としても非常に
で、それに対して、よりよい方向での政策提案をして、そ
閉鎖的だと言えるでしょう。
の積みあげのなかから理論化が進んでいきます。つまり大
そのように定義づけると大きな問題になってくるのは、
アーティストが非常に興味深いやり方で自己表現できる存
学のなかだけの、象牙の塔のなかだけの議論をしていたの
では、都市政策は新しくならないのです。
在だとして、アーティスト固有の役割とは何なのか、アー
ここには世界一流の学者も、市民の方も、公共政策の担
ティストとして都市を再形成するうえでどのような役割が
当者もいます。こういう会議を開催すると、日本中の都市
あるのかということです。いわゆる文化産業、あるいは創
の政策担当者が非常に大きな関心をもってくださるし、海
造経済というものがあったとして、それが都市の再生やつ
外の方も関心をもってくださいます。そういう意味では、
くりかえに対して、どのような特徴的な貢献ができるかと
こういう創造的な討論がおこる場自体がたいへん大事なプ
いうことです。誰にでも創造性がありますが、いいところ
ロセスだと考えていますので、もう少し創造的な議論を続
ばかりではありません。創造性をプラスの方向に発揮する
けたいと思います。
ためには、寛容でかつ倫理に基づいた基盤が必要です。そ
先ほどからずっと我慢して聞いてくださっている先生方
の創造性の価値をマイナスの方向ではなく、その都市の
に、順にご意見をうかがいたいと思います。川崎先生、ど
人々をエンパワーメントし、その人々に機会を与えるよう
うでしょうか。
なかたちになってこそ創造性はプラスの方向にはたらくの
です。もちろん産業分野別に、こういうものは創造的では
ないなどいろいろな議論があると思いますが、私はそのよ
国
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の
時
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77
創造都市の担い手をどうやってつくるか
(川崎)
重要な問題点・質問がすでにいくつもでていると
思いますが、私は社会学の立場といままで研究を続けてき
た蓄積から、ふたつだけ意見を申しあげたいと思います。
まずひとつ、瀬田先生の発表はとても基本的な批判だと
思いますし、ある意味で根本的には健全な批判だとも思い
ます。ただ、私は瀬田先生の立場もわかりますが、私の場
合、学者であるということと、社会学者なので、どうして
もある程度、社会の不平等とか公平性とかそういう問題、
あるいはマジョリティとマイノリティの問題などに必然的
に敏感になってしまいます。それから、昨日の発表でも申
しあげましたように、学問だと思ってやっているものです
から、私自身の意見はどの程度、政策に役に立つかについ
ては、最終的には政策をやっていらっしゃる方たちに下駄
をあずけようとするところがあります。ですから、客観的
に見て、それが本当に正しいのかどうかという点に関心を
もっているということです。
昨日、申しあげましたが、結局、ここの議論の場で、
人たちというのは、従来のような二元論ではなくて、非常
にあいまいなかたちで、両方とりうる人々が増えてきてい
るという現実があるので、それをどうやってつくっていく
のか。特に、二極的に新しい丸金の人(金持ちの人)と丸
ビの人(貧乏な人)がでてくるという議論で終わらせない
ようにするにはどうしたらいいのか。
しかも一番重要なのは、創造的に生きるというのは、抽
象的でロマンチックな言い方かもしれませんけれども、人
間の生き方として、最もすばらしい生き方のひとつである
と私は信じています。そういう生き方を望む人たちが多く
いた場合に、そうした人々からなる都市や彼らの生活をど
のように集合的につくりうるのかという壮大な実験でもあ
るように思います。ですから、結局、それをどのように実
現していくのか、特に政策にどうからめておこなっていく
のかという部分も非常に大切なことだと思います。
(佐々木)
どうもありがとうございました。それでは矢作
先生、ずっとお聞きになっていていかがですか。
佐々木先生がいま、厳密に学問的なものとそれの応用編と
ふたつにわけて、議論を往復させているということでした
が、結局それは私からすれば、規範や価値の問題と、現実
あるいは事実の問題とは別の問題だと思います。政策論の
問題は基本的に、結局、誰がやるのかということと、対象
が誰かということと、評価とかそういうことを含めて言う
と、非常に規範的な部分や価値的な部分がそこに入りこん
で議論してしまうということがよくあります。それ自体が
別に悪いと言っているわけではないのですが、そうすると
結局、水掛け論になるし、何が正しくて何が正しくないの
か、きちんと定めることもできないという部分があります。
そういう意味で、私の場合はそういう価値判断、規範とは
距離をおいて議論をしたいと考えるわけです。そういうス
タンスで創造都市研究をずっとやってきたつもりです。
そういう観点からすると、つらい現実ですけれど、すべ
ての都市が一遍に創造都市になるとか、すべての人が創造
的になるということは、とても非現実的な話だと思います。
問題なのは、すべての人が困難な状況やマイナスの条件に
いる場合、そこからある程度プラスの方向に、よりよい方
向に、あるいは望ましい方向に導いていくときには、誰が
どういうかたちでやっていくのかという議論がどうしても
必要になってしまうように思います。創造都市論というの
も率直に言って、そういう意味では、リーディングインダ
ストリーやリーディングシティズという、ある種の不平等
な構造をつくりだすメカニズムもあるという側面を認識し
たうえで、では、その不平等な面をどうやって救うのか、
あるいは改修するのかという部分を同時に考えながら政策
立案をし、実行していく必要があるというのが率直な感想
です。
もうひとつ、これは多くの方が言っていることですけれ
ども、創造都市をつくっていくときの主たる担い手を、同
時に、政策遂行者と共にどうやってつくっていくのか。も
ちろん政策立案をするということに焦点があてられている
ということはよく理解できます。また、そこで必要な議論
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ということでは、いろいろなアイデアやいろいろな動向が
今回わかったと思います。しかし、それだけではなくて、
それを一緒につくっていく、一緒に享受し参加をしていく
創造都市としての資格はいかに
(矢作)
私も創造都市論の専門家ではないのですが、ずっ
と聞いていて、創造都市というか、創造産業という大きな
森のなかを方向性もなく、さまよっているという印象が非
常に強いです。どうも創造都市とか創造産業というものの
定義がまだ確立していないと思うのですが、いくつかの都
市の名前をあげてみたいと思います。
例えば有田という焼き物のまちがあります。九州の佐賀
県にある小さなまちです。先ほどからの議論から言うと、
ここには芸術家がいるわけです。1,000万分の1か、5,000万
分の1ぐらいのたいへん優れた国宝級の芸術家がいて、そ
れ以下、序列化されて多くの陶工がいます。同時に、そこ
での生産活動というのはきわめて文化的な生産活動がおこ
なわれています。それと同時に、伝統のなかにも生きてい
ますが、たいへんモダンな現代の生活にあう製品もおそら
く開発されているでしょう。ただ、おそらく徒弟制のなか
にありますので、決してオープンネスではないし、たぶん
あまり寛容性のある社会ではないと思われます。では、そ
うすると有田は創造都市のなかにいれてもらえないのかと
いうのが1点です。
次に、今年はビルバオのグッゲンハイムがオープンして、
今月で10年目をむかえます。ビルバオはご存知のように文
化都市論のスタートになった都市のひとつですが、フラッ
グシップの美術館をつくったということで世のなかに突然
でてきたわけです。例えば建築家のフォスター卿がデザイ
ンした地下鉄など、このまちにはすばらしいものがいろい
ろあるのですが、所詮はグッゲンハイム美術館しかないの
ではないかと私は思っています。ではグッゲンハイムのあ
るビルバオは創造都市なのか。
それから、サンタフェは創造都市をめざしている、砂漠
のなかのまちです。同じ砂漠のまちにはラスベガスがあり
ますが、ラスベガスはいまやカジノのまちではなくて、総
合エンターテイメントタウンにかわりつつあります。同時
にユタ大学はホテル・レストラン教育ではコーネル大学と
並ぶレベルにいまやレベルアップしています。それでラス
ベガスの産業とユタ大学はたいへん深い関係にあるわけで
すが、ではラスベガスも創造都市のなかにいれて考えるの
た要素が増えています。そのなかでわれわれが、その経済
かということも考えつつ、結論がでていません。
的なインパクトが進展しているのかを見ていくことはとて
も大切なことだと思います。
創造都市が示す政策転換
(佐々木)
学問というのは、最初に問題設定をすると、そ
これらの活動というのは、いままでの従来型の経済社会
的な規範によって縛られているのではなくて、新たな考え
方や新たな評価のツールが必要だと考えるわけです。チャ
れに対する批判が登場し、さらにそこから反批判があり、
ールズ・ランドリーさんがおっしゃったように、都市政策
次第にそのテーマが全世界的に認知されていくというプロ
のなかにおいても新たな考え方が必要です。つまり、経済
セスをとります。そこでは残念ながら、多くの新しい説は
を見るときは創造的な考え方をもって見なければならない
ほとんど誰も見向きもされないのですが、幸いなことに創
と思います。それがわれわれに対する課題です。こういう
造都市、創造階級、創造産業というテーマに関しては、今
領域を古い規範で見ると、問題は難しくなって混乱してし
日、非常に多くの研究者がそれを支持したり、批判したり、
まうので、こうした文化創造的な活動というのはアーティ
中間的立場をとったりしています。あるいは都市政策の領
ストのラベルのもとで、あるいは行政からの支援でおこな
域で非常に多くの関心が、欧米のみならずアジアでも日本
うものではないわけです。
でも注目されて、そういう意味でたいへんな話題になって
きています。
いまわれわれは、芸術的・文化的な活動を考えるときに
は、これは官がやることだとラベルを張ってしまっている
私も私の本が10年間に売れなくなるのではないかと思っ
と思います。このような考え方をかえていくにはどうした
ていましたが、幸いまだ売れ続けています。加茂教授がつ
らいいかを考えなければなりません。理想的にはアーティ
い最近だされた『世界都市』という本はさっぱり売れない
ストの見方、やり方、どこに彼らは向かうのかということ
のに対して、『創造都市の経済学』は売れているということ
を常にモニターしていく。いつの日かアーティストが公共
は、創造都市ということに、人々の関心をひくとても大き
部門にいくかもしれないし、また民間企業にいくかもしれ
な理由があることはまちがいのないことです。
ません。そうすると、官民の間でのやりとりが理解できる
それで、学者について見ますとさまざまな定義をして議
論をだします。私の定義も予稿集の12ページに載せていま
ようになるわけです。
さらに、市民のうごきもモニターしなければなりません。
すのでご参照いただきたいのですが、創造都市論について
つまり、人々がどういう活動をしているかということを政
はそれぞれの学者ごとに説があります。そうしたものの共
策決定者は見ていかなければならない。そしてその方向に
通な部分というのは、この10年間で次第に確立してきてい
合わせた活動をやっていかなければならない。また、官で
ると思います。創造都市を考えるうえで、例えば日本のよ
働く人、研究をする人たちも、正確に分析をおこなって、
うな遅れた工業社会から出発した都市では、あいかわらず
現在おこなわれている活動がどうであるかということを把
途上国型の産業政策や都市政策がおこなわれてきたので、
握していかなければならないと思います。そして、彼らの
国の予算のなかで、ハードな都市インフラをつくることや、
動きを理解するだけではなくて、それをどのように望んで
農業分野に対してたくさんのお金が流れる一方で、芸術・
いるのか、どういう方向にいくべきかを考える必要がある
文化の領域にはほんのわずかしか流れません。あるいは都
でしょう。
市政策、ハードの予算を扱っているなかでしか、つまり国
創造都市や創造経済の間には確かに格差があると思いま
土交通省のなかでしか文化予算が使えないというおかしな
すが、しかし、それは政治的な課題であって、多くの意味
現象がおきています。そういう状況のなかで、間違いなく
で共通項があると言えます。ですから、こういった関係性
創造都市が非常に大きな政策転換を示し、日本の都市にと
を明確化していくことが必要だと思います。非常に複雑な
っても、そういったことに対する批判的な新しい切口を提
課題ではありますが、理解を深めることによって、より革
供しているのだと思います。
新的なやり方、考え方、そして分析の仕方がわかってくる
さらに、私たちがこれをより政策論として深めていく、
でしょう。そうすることによって彼らを支援する、あるい
あるいはさまざまな実験をとおしてより深く分析をしてい
は支援しないという判断につながるのではないかと考えま
くための舞台が、いま、私たちの前に生まれようとしてい
す。
るのではないかと思います。この後、午後から総括的な議
論をしてみたいと思っているのですが、以上のような私の
すべての都市が創造都市になりうる
思いはこれまでの議論においてさまざまな角度から語られ
てきたのではないかという感想をもちました。
では発表者のおふたり、最後に2∼3分ずつコメントが
ありましたらどうぞ。
(瀬田)
私はここに座っている他のみなさんと違って、ま
国
際
シ
ン
ポ
ジ
ウ
ム
﹁
新
・
都
市
の
時
代
︱
創
造
都
市
の
発
展
と
連
携
を
求
め
て
﹂
︱
セ
ッ
シ
ョ
ン
3
︱
創
造
都
市
と
創
造
ク
ラ
ス
タ
ー
だまだ研究業績を積なまければならない身なのですが、論
文では必ず独自性(オリジナリティ)に注意しなければな
りません。そういう点から私は、創造産業や創造都市のオ
アーティストや市民の動きに目を配る
(プラット)
ディスカッションをしながら私の頭のなかで
リジナリティとは何だろうといつも考えているわけです。
その際にランドリー先生が言っているオープンマインドで
あるとか、都市をきちんと見直すとか、あるいは佐々木先
も少し整理ができてきたと思います。つまり、確かに経
生が言われているような市民参加は非常に重要なのですが、
済・社会・文化の活動で変化がおこってきていて、それが
別にこれは創造都市論者だけが言っていることではありま
いわゆる文化創造産業に向けて動いているということは明
せん。誰もが言っていることですし、みなさん、その重要
らかだと思います。そして、都市開発のなかでもそういっ
性をわかっています。
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では、創造都市論、創造産業論のオリジナリティは何な
のかということを、ワンフレーズと私は言いましたが、こ
れだけ普及しているということは、当然、佐々木先生やラ
ンドリー先生はわかっていらっしゃるでしょうし、みなさ
んも何となく、まだ定義まではできないとしてもわかって
いると思います。そのあたりのことを午後のセッションで
うかがえればと思います。
(ランドリー)
スローガンをもうひとつ提案したいと思い
ます。「すべての都市が創造都市であるわけではないかもし
れないけれども、すべての都市は創造都市になりうる」と
いうことを申しあげたいと思います。
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