女性歌手の流行歌にみる「キミ(君)」の変遷

天理大学人権問題研究室紀要 第1
6号:1
9―3
1,2
0
1
3
女性歌手の流行歌にみる「キミ(君)
」の変遷
角
知行
Historical Change in the Meaning of “Kimi (You)”
in Japanese Women’s Popular Songs
SUMI Tomoyuki
1.はじめに―対象と方法
しているような,さまざまな心情がうたわれ
てきた。恋愛がメジャーなテーマになるのは,
流行歌とは,文字どおり,その時々に流行
大正期あるいは昭和初期以降である。現在で
する歌のことである。人びとの心をつかむた
は,それは流行歌の大勢をしめるにいたって
め,斬新であるよりは定型的な,ありふれた
いる。
表現がこのんで使用される(もちろん,なか
恋愛歌の分析は,ジェンダー研究という側
にはすぐれた現代詩として評価されるものも
面ももつ。そこには男女の心情表現があり,
あるが)
。したがって芸術的な観点からは,
その差異や変遷を実証することで,ジェンダ
一段ひくい研究対象としてみられがちだ。
ーの特徴をあきらかにできるからである。数
しかし,流行歌は時代の心性が表出されて
はおおくないものの,女性学の立場からする
いる言説空間であり,社会科学にとってひと
研究がある(寿岳章子〈じゅがく・あきこ〉
,
つの貴重な研究対象である。実際,南博以来,
遠藤織枝,小倉千加子,中村桃子など)
。
社会心理学の一研究分野となってきた。そう
こうした先行研究も参照しつつ,本稿では
した研究者のひとり見田宗介は,「流行歌は
とくに女性歌手の歌にある「キミ(君)
」と
時代の民衆の心情のありかを知るための資料
いう用語を軸にして分析をすすめることにし
としては,最もすぐれた資料の一つである」
たい。日本語の呼称は決してひとつではなく
とのべ,怒り,かなしみ,よろこび,慕情,
複数あり,目上/目下によってつかいわけら
義侠,未練などの概念を手がかりにして,近
れる。鈴木孝夫(1
9
7
3)は,この境界線を目
代日本の心情の分析をおこなっている(見田
上目下の分割線とよんでいる。たとえば,現
宗 介:1
9
6
7=1
9
7
8,
pp.
1
0―1
1)
。本 稿 で も 社
在の日本語では,「オマエ(御前)
」
「キサマ
会心理の一端を解明すべく,流行歌を題材と
(貴様)
」は目下にはつかえるが,目上には
してとりあげたい。
つかえないといったことがこれにあたる。日
流行歌のテーマはさまざまである。ここで
本語の呼称は会話者をめぐる上下関係によっ
とりあげるのは,恋愛歌(ラブ・ソング)だ。
て使用が制限されるのである。女性がつかう
恋愛は,決してはやい時期から流行歌の主要
対称詞としては「アナタ」がもっとも一般的
なテーマであったわけではない。見田が列挙
だ。「キミ」は少数派ではあるが,しらべて
天理大学人間学部
Faculty of Human Studies
19
女性歌手の流行歌にみる「キミ(君)
」の変遷
みると,時代によって特徴的なあらわれかた
みられない第2期(1
9
5
7年∼1
9
7
4年)
,
「ボク」
をすることがわかった。女性の対称詞に注目
と対になって「キミ」がつかわれる第3期
することで,時代をとおした力関係の変化を
(1
9
7
5年∼)
,第3期と一部は重複するが,
「ボ
あきらかにできるであろう。
ク」なしで「キミ」があらわれる第4期(1
9
8
5
そこで,「キミ」のでてくる女性歌手の歌
をあつめ,それがつかわれている歌詞の文脈
を時代ごとに分析することにした。近代日本
の流行歌をもっとも広範にあつめたものとし
て,古茂田信男ほかによる『日本流行歌史』
年∼)
。各時期の歌詞の特徴を,順番にみて
いくことにする。
2.「キミ」の二面性/役割語としての「キ
ミ」
(上中下・3巻)がある。この本には,1
8
6
8
分析結果の具体的な記述にはいるまえに,
年から1
9
9
4年にいたる間のヒット曲1,
6
8
9曲
「キミ」という用語の特徴について,2点だ
が年次ごとにあつめられ,作詞者,作曲者,
けふれておきたい。
歌手とともに歌詞の全文が掲載されている。
第1点は,「キミ」の二面性について。『日
そのなかから「キミ」のあらわれる女性歌手
本国語大辞典』
(小学館)には「キミ」の語
の歌をすべてピックアップした。
誌として3種類があげられている。要約する
1
9
9
5年以降については(一部はそれ以前も
と,(1)もともと君主・天皇の意でそこか
ふくむが)
,わたしが大学で担当している「文
ら敬愛する人をさすさまざまな場合に広がっ
化と人間6―ジェンダーと現代文化」の受講
た,(2)敬愛の意をもって相手をさす対称
生のレポートのなかから,「キミ」のつかわ
で短歌・詩などの文語的表現では現在でも敬
れている歌をえらぶことにした。この授業で
愛する相手にもちいられる,(3)武士階級
は毎年,学生に「ジェンダーの観点からする
から書生言葉を経て現在にいたるもので「ボ
歌詞の分析」というレポート課題を課し,歌
ク」と対になって主として男性が対等もしく
詞をそえて提出させている。6年間の約1,
0
0
0
は目下の相手にもちいる,というものである。
点におよぶレポートには,「キミ」をつかっ
,(2)は,いずれも敬愛の念をあら
(1)
た歌がいくつも登場する。ここから「キミ」
わしているので,これを「敬愛のキミ」とよ
をつかった歌をピックアップした(最近の流
ぶことにしたい。
「君が代」
,
「源氏の君」
,
「君
行歌の動向をしるうえで,学生たちはわたし
死にたまふことなかれ」といった用例がこれ
の「先生」である)
。ただしこれは客観的な
に該当する。一方,(3)は対等もしくは目
選曲ではないので,この期間については脱落
下(目下といっても同格性が含意されている
している流行歌もあることだろう。リストの
が)の,したしい相手にもちいられる。前者
作成にあたっては,ひとりで何曲も「キミ」
と対比的に,これを「友愛のキミ」というこ
をうたっている歌手もいるため,一歌手につ
とにする。古茂田信男ほか(1
9
9
4)には,文
き一曲に限定した。
部省唱歌『電車ごっこ』
(1
9
3
2年〈昭和7年〉
)
こうした手続きでえらんだ女性歌手は,あ
が採録されている(歌名は『
』であらわす。
わせて5
1人である。時期を区分するとつぎの
以下同様)
。歌詞の冒頭は「運転手は君だ
ようになる。はじめて「キミ」が登場する第
車掌は僕だ
1期(1
9
3
0年∼1
9
5
6年)
,「キミ」がまったく
うものだ。ここでの「キミ」は,「ボク」と
20
あとの四人が電車のお客」とい
角
対になってもちいられた「友愛のキミ」とい
る(金 水 敏:2
0
0
3,
p.
!)
。た と え ば マ ン ガ
える。
「鉄腕アトム」に登場するお茶の水博士や「名
「ボク/キミ」の由来については,小松寿
探偵コナン」に登場する阿笠博士は「わし」
雄による研究がある。それによると,自称詞
とか「∼じゃ」といった表現をよくつかう。
/対称詞として「ボク/キミ」がもちいられ
しかし実際には年配の博士たちがそのような
はじめるのは,江戸末期,武士や教養層によ
言葉づかいをするわけではなく,ヴァーチャ
ってである。明治以降,それは知識層や書生
ル(仮想現実的)な日本語である。マンガで
へ,さらには少年へとひろがり,青少年の標
こうした言葉が使用されるのは,キャラクタ
準的な呼称のひとつとして地歩をかためてい
ーに独自の性質を付与するためだ。同書には,
った。文部省の「礼法要項」
(1
9
4
1年〈昭和
マス・メディアにみられる役割語として,関
1
6年〉
)は,自称と対称について,つぎのよ
西弁,お嬢様ことば,女学生ことばなど,興
う に 記 し て い る と い う(小 松 寿 雄:1
9
9
8,
味ぶかい事例が列挙されている。
p.
6
8
4)
。
金水は「ボク/オレ」といった男性の自称
詞についてもふれている。「ボク/オレ」は,
自称は,通常「私」を用ひる。長上に対
小説やマンガにおいては,主人公の性格によ
しては氏又は名を用ひることがある。男
ってつかいわけられる。「巨人の星」の星飛
子は同輩に対しては「僕」を用ひてもよ
雄馬は「オレ」
,「ドラえもん」ののび太は「ボ
いが,長上に対しては用ひてはならない。
ク」といったように,野性的・攻撃的な主人
…対称は,長上に対しては,身分に応じ
公には「オレ」
,柔弱な主人公には「ボク」
て相当の敬称を用ひる。同輩に対しては,
があてがわれる。つまり,呼称もまた役割語
通常「あなた」を用ひ,男子は「君」を
のひとつにほかならないのである。
用ひてよい。
日本語の女性の対称詞としては,
「アナタ」
がもっとも一般的だ。「キミ」の用法の変遷
小松によれば関東大震災(1
9
2
3年〈大正1
2
をたどるという本稿の課題は,「アナタ」と
年〉
)ごろまでは,東京の下町では自分のこ
の対比において少数派である「キミ」の役割
とを「アタイ」といい,「ボク」というのに
の変化をたどるということでもある。
は抵抗があった。少年へのひろがりはそれ以
降ということになる。なお第4節でみるが,
流行歌の世界に「ボク/キミ」が一般化する
のは,1
9
6
0年代の青春歌謡の登場以降である。
3.第1期:敬 愛 の「キ ミ」
(1
9
3
0年∼1
9
5
6
年)
さて,日本に流行歌が成立したのはいつご
それ以前にも,『電車ごっこ』のように「ボ
ろか,定説があるわけではない。ただメディ
ク/キミ」がみられなくはないが,それらは
6年)ごろに
ア論的にいえば,昭和初年(1
9
2
散発的な例外にすぎなかった。
ひとつの画期があったことはたしかである。
第2点は,「役割語」としての「キミ」に
それ以前は,演歌師が街頭でヴァイオリンを
ついて。役割語とは,金水敏(きんすい・さ
ひいて歌をうたい,人気曲が全国にひろがる
とし)によると,「特定のキャラクターと結
という,人による直接的伝播が流行の要因で
びついた,特徴ある言葉づかい」のことであ
あった。1
9
2
4年(大正1
3年)
,東京放送局が
21
女性歌手の流行歌にみる「キミ(君)
」の変遷
設立され,翌年からラジオ放送がはじまった。
戦後1
9
6
1年にフランク永井によってリバイバ
蓄音機の普及は,これによって一層拍車がか
ルされた曲でもある。1番の歌詞はつぎのよ
かり,ラジオ放送とレコードを両輪とする流
うになっている。
行歌の普及スタイルが成立することになる。
現在ではテレビ,CD,音楽プレーヤー(i-
宵闇せまれば
悩みは涯なし
pod など)と形態は変化しているが,マス・
みだるる心に
うつるは誰が影
メディアを通じて歌が流行するというプロセ
君恋し
スにかわりはない。そうした意味で,昭和初
涙はあふれて
唇あせねど
今宵も更けゆく
期をもって狭義の流行歌の成立とされること
が あ る(南 博/社 会 心 理 研 究 所:1
9
8
7,
それまでにも恋愛を主題とする流行歌はあ
7
0)
。本稿でも,この立場をとる。
pp.
4
6
9―4
ったが,小唄調の「ザレうた」や「バレうた」
昭和期になると,ビクター,コロンビアと
が大半だった。『君恋し』は男性による女性
いったレコード会社が創立され,プロの作詞
への呼称として「キミ」をつかっているとい
家,作曲家が登場してきた。かれらは「近代
う点で注目に値する。文語調の文体,不在の
詩壇に鍛え抜かれた詩人」
,「クラシック・ジ
相手への距離感をかんがえれば,これは「敬
ャズに造詣を深めた作曲家」といったプロ集
愛のキミ」といってよい。レコード,ラジオ
団 で あ っ た(菊 池 清 麿:2
0
0
8,
p.
2
2)
。作 詞
という当時のニュー・メディアは,近現代詩
家の一例をだせば,おおくのヒット曲をうみ
に類似した,格調たかい恋愛歌をもたらした
だした西条(西條)八十は,早稲田大学でフ
のである。
ランス文学を講じる助教授(のちに教授)で
一方,女性歌手が「キミ」をつかった歌は,
もあった。
いつあらわれるのだろうか。「キミ」が一時
新作流行歌の先頭をきったとされるのが
的に姿をけす1
9
5
6年ごろまで,古茂田信男ほ
『君恋し』である(1
9
2
8年〈昭 和3年〉
,作
か(1
9
9
4,
1
9
9
5a)からそうしたすべての曲
詞:時雨音羽,歌:二村定一)
。この曲は,
をピックアップしたのが表1である。あわせ
表1
No.
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
22
女性歌手のうたう「
(私)/君」
(∼1
9
56〈昭和3
1〉年)
歌手
天津乙女/宝塚月組
淡谷のり子
大津美子
神楽坂はん子
神楽坂はん子
小唄勝太郎
平野愛子
二葉百合子
ミス・コロンビア/霧島昇
ミス・コロンビア/霧島昇
ミス・コロンビア/霧島昇
美空ひばり
美ち奴
李香蘭
渡辺はま子/霧島昇
歌
すみれの花咲く頃
君忘れじのブルース
ここに幸あり
こんな私じゃなかったに
見ないで頂戴 お月さま
明日はお立ちか
君待てども
夜のプラットホーム
旅の夜風
愛染夜曲
愛染草紙
悲しき口笛
霧の四馬路(スマロ)
紅い睡蓮
蘇州夜曲
発 表 年
193
0(昭和5)
194
8(昭和2
3)
195
6(昭和3
1)
195
2(昭和2
7)
195
3(昭和2
8)
194
2(昭和1
7)
194
8(昭和2
3)
194
7(昭和2
2)
193
8(昭和1
3)
193
9(昭和1
4)
193
9(昭和1
4)
194
9(昭和2
4)
193
8(昭和1
3)
194
0(昭和1
5)
194
0(昭和1
5)
作 詞 者
白井鉄造
大高ひとを
高橋掬太郎
西条八十
野村俊夫
佐伯孝夫
東辰三
奥野椰子夫
西条八十
西条八十
西条八十
藤浦洸
南条歌美
西条八十
西条八十
角
て1
5人の女性歌手が確認できた。
時期的にトップをきった曲は,表1―1に
ある『すみれの花咲く頃』である。この曲は,
おし)祈りましょ」
『霧の四馬路』
,「君は日
の本
桜の男子(おのこ)
」
『紅い睡蓮』
。
なかには「君の寝顔に
頬あてて」
『こん
宝塚の演出家,白井鉄三がカジノ・ド・パリ
な私じゃなかったに』のように,男女の対面
のレビューの主題歌『リラの花咲くころ』を
的状況でつかわれる「キミ」がないわけでは
もちかえって,宝塚少女歌劇「パリゼット」
ない。しかし,大半の曲は一定の距離をおい
の主題歌にしたものだ(古茂田信男ほか:
た非対面的な状況で,敬意をもって「キミ」
1
9
9
4,
p.
2
7
0)
。少女マンガの創始となった「リ
がつかわれている。文語調の文体がおおいこ
ボンの騎士」は,手塚治虫が宝塚に着想をえ
とも特徴のひとつだ。この時期の「キミ」の
て創作したとされる。流行歌における女性の
主流は,前節でのべたふたつの用法のうちの
「キミ」使用についても「それは,宝塚から
前者,つまり「敬愛のキミ」であったといっ
はじまった」のである(このフレーズは藤本
てよいだろう。
由香里(1
9
9
8=2
0
0
8,
p.
1
7
8)による)
。よく
しられた歌詞の一部は以下のとおり。
さきにあげた『君恋し』をみてもわかるよ
うに,男性歌手の歌にも「敬愛のキミ」がつ
かわれている。表1―7には『君待てども』
すみれの花咲く頃
君を想い
(歌:平野愛子)をリストアップした。これ
悩みしあの日の頃
もフランク永井によって戦後リバイバルされ
日毎夜毎
すみれの花咲く頃
忘れな君
はじめて君を知りぬ
今も心ふるう
我らの恋
すみれの花咲く頃
た曲である。「敬愛のキミ」は男女ともにつ
かえる共用の呼称であった。見田宗介は前掲
書において,昭和期になって流行歌で主流と
「キミ」は3回登場し,重要な役目をはた
なってきた恋愛感情を「慕情」と名づけてい
している。歌をうたったのは,天津乙女とい
る。慕情とは「自己と対等以上のものとして
う男装の歌手であったので,厳密に「女性初」
意識された他者にたいする,距離感をともな
といえるかどうかはわからない。しかし,与
う 愛 情」の こ と だ(見 田 宗 介:1
9
7
8,
p.
8
1)
。
謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」にも
慕情としての恋愛感情を表現するのに,「敬
みられるように,女性から男性にむけて「キ
愛のキミ」は男女ともにふさわしい呼称だっ
ミ」をつかうという用例は文学においてすで
たのである。
にみられたのであり,この歌も自然にうけい
れられたものとおもわれる。
表1の各曲において,「キミ」がつかわれ
ている前後の文章をいくつかとりあげてみよ
う。「君を忘れじの
ブルースよ」
『君忘れじ
のブルース』
,「君を頼りに
私は生きる」
『こ
4.第2期:「キミ」の不在(1
9
5
7年∼1
9
7
4
年)
その後,『ここに幸あれ』
(1
9
5
6年)を最後
にして,女性歌手の歌から「キミ」は一時的
に姿をけす(『誰よりも君を愛す』
〈1
9
6
0年,
いでたつ君
作詞:川内康範,歌:松尾和子,マヒナ・ス
よ」
『明日はお立ちか』
,「やさし彼(か)の
ターズ〉というヒット曲もあるが,これは男
君
女の混声曲なので除外する)
。なぜ,きえて
こに幸あり』
,「朝日を浴びて
ただひとり」
『旅の夜風』
,「君に捧げた
薔薇の花」
『悲しき口笛』
,「君の勲功(いさ
しまったのだろうか。
23
女性歌手の流行歌にみる「キミ(君)
」の変遷
当時の社会情勢をみると,女性の労働力率
は学生たちとともに,流行歌のなかの女性に
が低下し(最低を記録するのは1
9
7
5年)
,恋
関する表現をカード化し分析している。本の
愛結婚の比率が増加している(見合い結婚と
出版が1
9
7
9年であるので,おそらく対象とな
恋愛結婚の比率が逆転し後者が優勢になるの
ったのは1
9
7
0年代中頃の歌であろう。
は1
9
6
6年頃)
。つまりこの時期には,「男は仕
寿岳は,分析の結果から,当時の歌のなか
事,女は家事」という近代的な性別分業と,
にえがかれた女性像を列挙している。ゴチッ
それを前提にした男女の恋愛関係が一般化し
ク体で表記された頻出表現だけをまとめると,
ていくのである。
2
8)
。
つぎのようになる(同書,pp.
1
1
0―1
こうした時代背景を象徴する歌として,い
まではかんがえられない3
2
6万枚をうりあげ
1.うたのなかの女はどうするか(側に
た大ヒット曲『女のみち』
(1
9
7
2年,作詞:
居る,泣く,惚れる,真心を尽くす,愚
宮史郎,歌:ぴんからトリオ)の1番の歌詞
痴を言わない)
,2.うたのなかの女の
をみてみよう。この曲は女性をよそおった男
主体性喪失(待つ,甘える,愛される)
,3.
性グループの歌であるが,当時の女性歌手の
女の姿態(長い髪,かわいい,や さ し
歌をみても,おなじような情景がうたわれて
い)
,4.女のねがい(つくしたい,捧
いる。
げたい)
,5.みずからのレッテルはり
(弱い女,ダメよ,女なんだもの,女は
私がささげた
その人に
あなただけはと
うぶな私が
すがって泣いた
女,バカな女,女ですものだめよだめだ
め)
,6以下は略。
いけないの
二度としないわ
恋なんか
これが女のみちならば
そして,こうむすんでいる。「もはや,私
たちは歌謡曲の中の女のあれこれに堪能した。
歌謡曲,演歌,フォーク,すべて同一パタン
女性は「ささげる」
,
「すがる」
,
「泣く」
,
「う
の繰り返し。そしてそれはあまりに貧困な偏
ぶな」ということばで形容されている。1
9
6
7
った女性像しかなかった」
(同書,pp.
1
3
3―
年の年間ベストヒット5
0曲について,歌詞を
1
3
4)
。寿岳もまた,当時の恋愛歌のワンパタ
単語に分解して出現頻度を集計した調査報告
ーンぶりを立証している。こうしたベタな恋
書がある(民放五社調査研究会編:1
9
6
9)
。
愛歌が流行するなかで,距離をおいて相手を
その結論は「“あなた”と“わたし”という
恋慕する「敬愛のキミ」は出番をなくしてい
個人的場面における“恋”と“涙”こそが,
ったのである。
現在の歌謡曲の基本用語である」というもの
この時期のもうひとつの特徴として,1
9
6
0
だ(同書:p.
1
6
2)
。『女のみち』は,まさに
年代になって男性歌手が使用する呼称として
そうした「王道」をいく曲であった。
「ボク/キミ」があらわれ,それが急速にひ
「女性とことば」研究の嚆矢(こうし)と
ろまったこともあげておくべきであろう。2
0
なったのは,寿岳章子の『日本語と女』
(岩
代,ことによると1
0代のわかい男性歌手があ
波新書)である。その1章に,流行歌をあつ
いついで登場し,「青春歌謡」とよばれる歌
かった「うたの中の女」がある。ここで著者
をうたった。さきがけになったのは,1
9
6
2年
24
角
(昭和3
7年)にでた北原謙二の『若いふたり』
歌手の歌に「キミ」がみられないこの時期は,
(作詞:杉本夜詩美)である。1番の歌詞は
一方で男性歌手の「ボク/キミ」使用の拡大
以下のとおり。
によって,流行歌の世界で「キミ」の待遇価
値が低下していく時期でもあった。
きみにはきみの
夢があり
ぼくにはぼくの
夢がある
ふたりの夢を
そよ風甘い
若い若い
5.第3期:男装の「キミ」
(1
9
7
5年∼)
よせあえば
1
9
7
0年代初頭の流行歌を特徴づける出来事
春の丘
若いふたりの
は,「ニューミュージック」
(のちに「J―P
ことだもの
OP」とよばれる)というあたらしい音楽潮
流の出現であった。その革新性を評価するな
この直後には舟木一夫,西郷輝彦,三田明
らば「ニューミュージック革命」といってい
といった歌手がデビューしている。かれらの
いかもしれない。それまでプロの作詞家・作
デビュー曲は,『高校三年生』
,『君だけを』
,
曲家にまかされてきた音楽業界にアマチュア
『美しい十代』であるが,それぞれの歌詞に
が参入し,歌詞も楽曲も内容が一新されたの
は「ボク(ら)
」
,「キミ」という呼称がみら
である。荒井(松任谷)由美,中島みゆき,
れる。さらに1
9
7
0年代になると,かぐや姫,
小坂明子,庄野真代といった女性歌手たちが
吉田拓郎,井上陽水らが登場し,いわゆる「ニ
「シンガー・ソング・ライター」として登場
ューミュージック」が花ひらくことになる。
してきた。それまでは男の世界であった作詞・
たとえば『結婚しようよ』
(1
9
7
2年,作詞・
作曲界に,女性が「職場進出」してきたので
歌:吉田拓郎)には「僕の髪が肩までのびて
ある。
君と同じになったら」という一節がある。青
古茂田信男ほか(1
9
9
5b)のリストには,
春歌謡の登場以降,男性歌手の若年化が進行
年次ごとに,流行歌の作詞家,作曲家の名前
し,「ボク/キミ」という青年男子の呼称が
もあげられている。それを1
9
6
0年から1
9
9
0年
ひろがっていくことになった。
にかけて5年ごとに性別で集計してみた。女
これは「キミ」の待遇価値の低下をもたら
性作詞家の比率は1
9
6
5年までは数%にすぎな
した。鈴木孝夫は,日本人は人称代名詞をタ
かったが,1
9
7
0年には1
0%をこえ,1
9
8
0年に
ブー視してつかわないですまそうとする傾向
は3
0%に達している。女性作曲家は,1
9
7
0年
がつよいため,その頻用は敬意の低下をもた
まではひとりもいなかった。1
9
7
5年以後すこ
らすとしている。「きさま(貴様)
」
,「おまえ
しずつ増加し,1
9
8
0年に約1
0%になっている。
(御前)
」などがその例である。そして,こ
もちろんそれまでにも女性歌手はいた。しか
うした現象を「タブー型変化」と名づけてい
し,男性が作詞・作曲した曲をうたうだけの
4
5)
。こ の 法
る(鈴 木 孝 夫:1
9
7
3,
pp.
1
4
4―1
存在でしかなかった。ジェンダーの観点から
則にしたがえば,「キミ」はひろくもちいら
いえば,女性が作詞・作曲をとおして,「自
れることによって,待遇価値が低下していく
分自身の本当の声」を獲得した点にこそ,ニ
ことになる。とくに「ボク/キミ」の対でも
ューミュージックの革命性があった。
ちいられる「友愛のキミ」は,もとから「敬
ニューミュージックの男性歌手たちは,
「四
愛のキミ」よりも敬意の程度がひくい。女性
畳半フォーク」と揶揄(やゆ)されながらも,
25
女性歌手の流行歌にみる「キミ(君)
」の変遷
私生活の出来事を主題とした(ウリは「やさ
今春が来て君はきれいになった
しさ」である)
。そのなかで,「ボク/キミ」
去年よりずっときれいになった
という呼称の使用は必然的であった。これに
呼応して,女性のなかにも「ボク/キミ」を
『なごり雪』は作詞,作曲をした伊勢正三
つかう歌手があらわれてきた。それは男性の
もうたっているが,ヒットしたのはイルカの
立場に性別越境しての使用である。こうした
歌である。なぜ性別越境が可能になったのか。
用法を「男装のボク/キミ」とよぶことにす
それは女性の地位が向上してきたという現実
る(反対に,男性が女性の立場でうたう「女
とともに,「ボク/キミ」という越境しやす
装のワタシ/アナタ」もあるが,本稿ではあ
い言語環境がそこにあったこともわすれては
つかわない)
。「男装のボク/キミ」の口火を
ならない。
きったのは『なごり雪』
(1
9
7
5年,作詞:伊
『なごり雪』以後,現在にいたるまで「ボ
勢正三,歌:イルカ)だ。1番の歌詞をみて
ク/キミ」という対で「キミ」を使用してい
みよう。
る女性歌手のリストを表2にまとめた。なか
0『空と君とのあいだに』
(歌:
には,表2―1
汽車を待つ君の横で僕は
6『Hello, my friend』
中島みゆき)や表2―1
時計を気にしてる
(歌:松任谷由美)のように,ドラマや映画
季節はずれの雪が降ってる
の主題歌で,そのストーリーとの関連で男性
東京で見る雪はこれが最後ねと
の立場にたってうたっている曲もある。しか
さみしそうに君がつぶやく
し最近の女性歌手には,「ボク/キミ」を自
なごり雪も降るときを知り
分自身の呼称にしているとおもえるものもあ
ふざけすぎた季節のあとで
る。
表2
No.
1
2
3
4
5
6
7
8
9
1
0
1
1
1
2
1
3
1
4
1
5
1
6
1
7
1
8
26
歌手
阿部真央
イルカ
宇多田ヒカル
AKB4
8
Every Little Thing
太田裕美
ZARD
柴田淳
中島美嘉
中島みゆき
ノースリーブス
Perfume
浜崎あゆみ
一青窈
福原美穂
松任谷由美
水樹奈々
薬師丸ひろ子
女性歌手のうたう「僕/君」
(1
9
75〈昭和5
0〉年∼)
歌
S.O.S
なごり雪
traveling
ポニーテールとシュシュ
恋文
木綿のハンカチーフ
君がいたから
ぼくの味方
雪の華
空と君とのあいだに
Answer
エレクトロ・ワールド
Immature
ハナミズキ
Apologies
Hello, my friend
BRIGHT STREAM
セーラー服と機関銃
発 表 年
作 詞 者
2
01
0(平成2
2)
1
97
5(昭和5
0)
2
00
1(平成1
3)
2
01
0(平成2
2)
2
00
4(平成1
6)
1
97
5(昭和5
0)
1
99
5(平成7)
2
00
1(平成1
3)
2
00
3(平成1
5)
1
99
4(平成6)
2
01
1(平成2
3)
2
00
6(平成1
8)
1
99
9(平成1
1)
2
00
4(平成1
6)
2
01
0(平成2
2)
1
99
4(平成6)
2
01
2(平成2
4)
1
98
1(昭和5
6)
阿部真央
伊勢正三
Utada Hikaru
秋元康
持田香織
松本隆
坂井泉水
柴田淳
Satomi
中島みゆき
秋元康
中田ヤスタカ
浜崎あゆみ
一青窈
福原美穂・成山剛
松任谷由美
水樹奈々
来生えつ子
角
一例として,表2―9『雪の華』
(2
0
0
4年,
作 詞:Satomi,歌:中 島 美 嘉)の2番 を み
がいるということなのであろう。「ボク/キ
ミ」は,もはや性別をこえている。
寿岳章子の前掲書には,東京で「ボク」を
てみよう。
つかう女子中学生がふえているというニュー
君がいるとどんなことでも
スに対して感想をのべている箇所がある。
「ア
乗りきれるような気持ちになってくる
タシ」ということばは,対等に勉強したり遊
こんな日々がいつまでもきっと
んだりするには,何か鼻の先にぶら下げるよ
続いていくことを祈っているよ
うな意識がありすぎて邪魔になるのではない
風が窓を揺らした
かとして,女子中学生たちが男ことばを自分
夜は揺り起こして
たちのものにしていく事態を「ことばジャッ
どんな悲しいことも
ク」と名づけている(寿岳章子:1
9
7
9,
pp.
7
8
僕が笑顔へと変えてあげる
―8
2)
。この用語をかりるならば,現代の女性
舞い落ちてきた雪の華が
歌手のなかにも,男ことばの「ボク/キミ」
窓の外ずっと
を「ことばジャック」している現象がみられ
降りやむことを知らずに
るのである。
僕らの街を染める
6.第4期:友愛の「キミ」
(1
9
8
5年∼)
誰かのために何かを
さらに1
9
8
5年頃から,「ボク」をともなわ
したいと思えるのが
ない「キミ」が女性歌手の歌にみられるよう
愛ということを知った
になってきた。そのトップをきったのは『My
1番の冒頭では「夕闇のなかを君と歩いて
Revolution』
(1
9
8
5年,作詞:川村真澄,歌:
る」として「キミ」が登場し,以後,何回か
渡辺美里)である。1番の歌詞はつぎのとお
つかわれる。しかし「ボク」
がでてくるのは,
2
り。
番の後半になって,しかも一度だけである。
この歌では,主人公が男か女かという問題は
サヨナラ Sweet Pain
たいした意味をもっていない。
頬づえついていた夜は
表2には,女性目線で「ボク/キミ」をつ
確かめたい
君に逢えた意味を
かっている歌手が何人かいる。浜崎あゆみも
暗闇の中
目を開いて
3『Immature』に は,
そ の ひ と り だ。表2―1
非常階段
急ぐくつ音
「僕らはきっと幸せになるために
眠る世界に
きたんだって
生まれて
思う日があってもいいんだよ
昨日で終わるよ
空地のすみに
響かせたい
倒れたバイク
ね」という一節がある。前後の文脈をよむと,
壁の落書き
見上げてるよ
ここでの「僕ら」はあきらかに自分たちのこ
きっと本当の
とだ。浜崎あゆみはインタビューで「僕(ら)
」
自分ひとりで癒すものさ
をよくつかう理由として,「
〈私〉をつかうと,
わかり始めた
はずかしいから」とこたえている。「ワタシ
明日を乱すことさ
/アナタ」では表出できない,ある種の自分
誰かに伝えたいよ
悲しみなんて
My Revolution
27
女性歌手の流行歌にみる「キミ(君)
」の変遷
My Tears My Dreams 今すぐ
くなるからね」
,表3―4『For
You』
(2
0
0
0
夢を追いかけるなら
年,作詞:Utada Hikaru,歌:宇多田ヒカ
たやすく泣いちゃだめさ
ル)には,「For
君が教えてくれた
いつか届くように
My Fears My Dreams 走り出せる
い」という一節がある。表3―9『No Tricks』
You 強くなれるように
君にも同じ孤独あげた
(2
0
0
5年,作詞:Kumi Koda ほか,歌:倖
田來未)になると,「女に勝手な自分の理想
みればわかるように,この歌は女性の「自
立宣言」である。「悲しみなんて自分で癒す
押し付けて
与えてもらおうって
君達ちょ
ものさ」
,「夢を追いかけるなら,泣いちゃだ
っとたちが悪いね」と,挑発的でさえある。
めさ」
,「走り出せる」といった語句が,それ
自立とは孤立することではなく,相手とあ
Revolution』と
らたな関係をむすぶことでもある。『女のみ
はよくできたタイトルだ)
。歌詞に登場する
ち』には,男にすがりつく女性像がえがかれ
「キミ」は男性とは特定できないが,2番に
ていたが,表3にみられるのは対等な立場で
は「ホームシックの恋人たち」
,「君とみつめ
「共 に あ ゆ む」女 性 像 だ。表3―5『Wind
ていたい」といった表現もあるので,男性で
Climbing』
(1
9
9
5年,作詞・歌:奥井亜紀)
ある可能性がたかい。
0
には「きみと生きてく明日だから」
,表3―1
をものがたっている(『My
「ボク」なしで,「キミ」が登場する歌を
『揺れる想い』
(1
9
9
3年,作詞:坂井泉水,
あつめた表3には,女性の自立やつよさをう
歌:ZARD)には「君と歩き続けたい」とあ
たったものがいくつかある。たとえば表3―
る。
2『三 日 月』
(2
0
0
6年,作 詞・歌:絢 香)に
「共にあゆむ」ことは「共にまもる」こと
そう no more cry
につながる。表3には,相互の保護をうたっ
は,
「君がいない夜だって
もう泣かないよ
がんばっているからね
表3
No.
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
28
(2
0
0
5年,作
た 歌 も あ る。表3―1『Story』
強
女性歌手のうたう「
(私)/君」
(1
9
8
5〈昭和6
0〉年∼)
歌手
AI
絢香
上原あずみ
宇多田ヒカル
奥井亜紀
川嶋あい
きゃりーぱみゅぱみゅ
倉木麻衣
倖田來未
ZARD
西野カナ
Perfume
BoA
松任谷由美
水樹奈々
YUI
YUKI
渡辺美里
歌
Story
三日月
ママレード・ラブ
For You
Wind Climbing
My Love
ファッションモンスター
Your Best Friend
No Tricks
揺れる想い
君って
wonder2
VALENTI
春よ、来い
Promise on Christmas
CHE.R.RY
ひみつ
My Revolution
発 表 年
作 詞 者
2
005(平成1
7)
2
006(平成1
8)
2
006(平成1
8)
2
000(平成1
2)
1
995(平成7)
2
007(平成1
9)
2
012(平成2
4)
2
011(平成2
3)
2
005(平成1
7)
1
993(平成5)
2
010(平成2
2)
2
006(平成1
8)
2
002(平成1
4)
1
99
4(平成6)
2
00
7(平成1
9)
2
00
7(平成1
9)
2
01
1(平成2
3)
1
98
5(昭和6
0)
AI
絢香
上原あずみ
Utada Hikaru
奥井亜紀
川嶋あい
中田ヤスタカ
Mai Kuraki ほか
Kumi Koda ほか
坂井泉水
Kana Nishino
中田ヤスタカ
康珍化
松任谷由美
ヒワタリスツカ
YUI
YUKI
川村真澄
角
詞:AI,歌:AI)の1番 と2番 の 一 部 の 歌
という対で使用している。女性歌手のつかう
詞をみてみよう。
対称詞としては「アナタ」が一般的だ。しか
し自立,連帯,友情などを強調する場合には
1人じゃないから
強くなれる
キミが私を守るから
もう何も怖くないよ…
1人じゃないから
私がキミを守るから
あなたの笑う顔がみたいと思うから…
「キミ」がえらばれている。実際の日常生活
とは別に,流行歌という言説空間において,
「キミ」は特別な役割語として機能している
のである(前節での表現をかりれば,「友愛
のキミをことばジャックしている」といえる
「キミが私を守る」と同時に「私がキミを
かもしれない)
。
守る」という相互性が注目される。「共にあ
なお一点補足しておけば,こうした状況の
ゆむ」あるいは「共にまもる」関係は,一方
なかで女性歌手が「敬愛のキミ」を表現する
的であるよりは対等な立場にたってのつなが
際には,文語調の文体をつかうとか,男性に
りを志向する。こうした関係を「連帯」とよ
敬意をしめす文脈の歌詞をつくるとかいった
ぶことにする。
4『春よ,
工夫が必要になってくる。表3―1
自立や連帯で含意される男女の関係は,ベ
来い』
(1
9
9
4年,作詞・歌:松任谷由美)は,
タに感情をぶつけあうのではなく,すこし距
まさにそうした歌だ。「君に預けし
離をおいた理性的な関係である。「友達」に
は
ちかいといえるかもしれない。表3には,そ
で「待つ女」をうたい,ツボをおさえた歌詞
うし た 表 現 が で て く る 歌 も あ る。表3―8
になっているのである。
『Your Best Friend』
(2
0
1
1年,作詞:Mai
Kuraki ほか,歌:倉木麻衣)には「強がっ
ていても君の瞳見れば
わかるよすぐにね
わが心
今でも返事を待っています」と,文語体
7.おわりに
女性歌手の歌についてみると,現代では「ワ
You’re my boyfriend」と「キミ」と「ボー
タシ/アナタ」ばかりでなく,「ワタシ/キ
2
イ フ レ ン ド」が 等 値 さ れ て い る。表3―1
ミ」や「ボク/キミ」という表現もみられる
『wonder2』
(2
0
0
7年,作詞:中田ヤスタカ,
ようになってきており,男ことばの領域への
歌:Perfume)には「好きとか言葉はないけ
進出がみとめられる。本稿ではのべなかった
ど
が,男性歌手の歌においても「ワタシ/アナ
つながりあえてる二人のハアト」とある。
Perfume は,テクノポップ調の歌をうたう
タ」といった,女ことばに準じた丁寧な呼称
3人の女性グループで,この曲は「友達以上・
の歌がある(福山雅治などに顕著である)
。
恋人未満」の男女をモチーフにしているそう
つまり,男ことば/女ことばとして隔絶して
だ。
いたものが,相互乗り入れをしているという
表3にある大半の「キミ」は,自立,連帯,
友情といった文脈でつかわれている。第2節
ことになる。これは日本語の他の分野でも生
じている変化だ。
でのべた区分にしたがえば,これは「敬愛の
日本では,男ことばとちがって女ことばの
キミ」よりは「友愛のキミ」にちかい。本来
逸脱については,しばしば非難の的になって
は「ボク/キミ」という対で使用される男こ
きた。いわく,上品さや優美さを表現する女
とばの「友愛のキミ」を,「
(ワタシ)/キミ」
ことばこそが日本語の特質をなしている,乱
29
女性歌手の流行歌にみる「キミ(君)
」の変遷
暴なことばづかいはつつしむべきである,と。
遠藤織枝によると,戦前にも女学生が「ボク・
キミ」をつかう風潮があったが,それはこと
本語は変わったか』明石書店
おぐら・ちかこ:小倉千加子 1
98
9=2
0
1
2『増補版
松田聖子論』朝日文庫
ばの乱れ,男性化の代表として国語学者など
きくち・きよまろ:菊池清麿 2
00
8『日本流行歌変
から非難の対象になったという(遠藤織枝:
遷史―歌謡曲の誕生からJ・ポップの時代へ』論
1
9
9
7,
pp.
1
6
2―1
6
3)
。現 在 で も,新 聞 や 雑 誌
創社
において,同様の投書がみられることがある。
「女ことばと日本語」の研究をしている中
きんすい・さとし:金水敏 2
00
3『ヴァーチャル日
本語
役割語の謎』岩波書店
村桃子は,「精緻で美しい日本語の伝統とみ
―――編 2
0
11『役割語研究の展開』くろしお出版
なしている女ことばは,戦中期の植民地主義
くらた・よしひろ:倉田喜弘 2
00
1『
「はやり歌」
や総動員体制と密接に関係して成立した」と
の考古学―開国から戦後復興まで』文春新書
いう事実をあきらかにしている(中村桃子:
こまつ・ひさお:小松寿雄 1
99
8「キミとボク―江
2
0
1
2,
p.
1
9
4)
。つまり植民地諸国に日本語を
戸東京語における対使用を中心に」
『東京大学国
ひろめるために「優秀な日本語」幻想をつく
語研究室創設百周年記念国語研究論集』汲古書院
る必要があり,戦前,戦中期に女ことばにつ
こもた・のぶお/しまだ・よしふみ/やざわ・かん
いてかたる言説がさかんにつくられたという
/よこざわ・ちあき:古茂田信男/島田芳文/矢
ことなのである。こうした事実をあきらかに
沢寛/横沢千秋 1
99
4
『新版
したあとで中村は,女ことばからの逸脱は同
18
6
8∼1
9
37』社会思想社
時にあたらしい日本語の創造であるとして,
――― 1
9
95a『新版
「ずれた日本語」の意義を再評価している。
1
95
9』社会思想社
この観点からすれば,女性歌手がつかう「ボ
ク/キミ」や「(ワタシ)/キミ」も,日 本
語の創造的意義をになっているという一面を
もつことになる。本稿でみてきたように,そ
れは対等な立場での自立や連帯や友情を表現
する役割語として機能しているのであった。
――― 1
9
95b『新版
日本流行歌史
(上)
日本流行歌史(中)1
93
8∼
日本流行歌史(下)1
9
60∼
1
99
4』社会思想社
じゅがく・あきこ:寿岳章子 1
9
79『日本語と女』
岩波新書
すずき・たかお:鈴木孝夫 1
973『ことばと文化』
岩波新書
今後,「キミ」がどのように推移し変化して
すみ・ともゆき:角知行 2
00
2「Jポップにみるジ
いくのか,こうした視点ももちながら,みて
ェンダー表現の変容―教養講義(4)の授業とレ
いきたい(きいていきたい)ものである。
ポートから」
『総合教育研究センター紀要』
(天理
大学人間学部)創刊号
参考文献
書籍・論文(著者五十音順)
うがや・ひろみち・烏賀陽弘道 2
0
05『Jポップの
心象風景』文春新書
えんどう・おりえ:遠藤織枝 1
9
9
7『女のことばの
文化史』学陽書房
―――編 200
1『女とことば―女は変わったか,日
30
ぜっつ・ともゆき:舌津智之 2
0
02『どうにもとま
らない歌謡曲―7
0年代のジェンダー』晶文社
なかむら・ももこ:中村桃子 2
0
01『ことばとジェ
ンダー』勁草書房
――― 2
00
7a『「女ことば」はつ く ら れ る』ひ つ
じ書房
――― 2
00
7b『〈性〉と日本語―こと ば が つ く る
角
女と男』NHKブックス
―――編 20
1
0『ジェンダーで学ぶ言語学』世界思
想社
――― 2012『女ことばと日本語』岩波新書
なばえ・かずひで:難波江和英 2
00
4『恋するJポ
みなみ・ひろし/しゃかい・しんり・けんきゅうし
ょ:南博/社会心理研究 所 19
87『昭 和 文 化
192
5∼1
9
4
5』勁草書房
――― 1
9
9
0『続・昭和文化 1
94
5∼1
9
89』勁草書
房
ップ―平成における恋愛のディスクール』冬弓舎
みんぽう・ごしゃ・ちょうさ・いいんかい:民放五
ふじもと・ゆかり:藤本由香里 1
99
8=2
0
0
8『私の
社調査委員会編 1
96
9『続・日本の視聴者』誠文
居場所はどこにあるの?―少女マンガが映す心の
かたち』朝日文庫
ほんだ・とおる:本田透 2
0
05『萌える男』ちくま
新書
みさき・てつ:見崎鉄 2
0
0
2『Jポップの日本語―
歌詞論』彩流社
堂新光社
雑誌(発行順)
『別冊宝島
音楽誌が書かないJポップ批評1
3―浜
崎あゆみVS宇多田ヒカル』2
00
1年
『別冊宝島
音楽誌が書かないJポップ批評1
6―さ
れど我らがユーミン』2
0
01年
みた・むねすけ:見田宗介 1
9
6
7=1
9
7
8『近代日本
の心情の歴史―流行歌の社会心理史』講談社学術
JASRAC 出 13
0
5
1
03―3
01
文庫
31