東日本大震災津波直撃からの 復旧・復興と津波避難タワーの建設

特集
東日本大震災津波直撃からの
復旧・復興と津波避難タワーの建設
日鐵住金建材株式会社 仙台製造所長 平山憲司
所員が避難した築山
仙台製造所製品倉庫
正門
津波に襲われた仙台製造所
1.その瞬間
当製造所は東北では唯一の角形鋼管製造工場と
に返り再び築山の天辺に登った。初めて死ぬのか
して、昭和52年に操業を開始した。
という思いが過ぎった瞬間であった。
平成23年3月11日の東日本大震災、
大地震発生直後
この大津波直撃により、仙台港に面している当
当時構内にいた従業員全員は、
マニュアル通りに決
社仙台製造所は壊滅的な被害を受けた。
められた敷地内の避難場所
“築山※”
に移動した。
※1:築山は、工場騒音防止と樹木を植えての環境を目的とし、工場建設
時の残土で高さ5m長さは約180mの山を造成したものである。35年経
ち植林した樹木は高さも根もしっかりとしたものとなり、崩れることも
無く我々を守ってくれた命の山である。
地震発生から約1時間10分後の16時ちょっと
前、足元から伝わる大きな地鳴り、誰もが経験した
ことの無い感覚に、また余震かと周囲の人と確認
しあった。しかし何かが違う・・・少しずつ近づいて
くる大きな振動・何かが迫ってくるような不気味
な音、思わず築山の天辺からでは木々が生い茂り
周囲が見渡せないため、7~8歩下に降り、南の方
向、七北田川の方向を見ると、多くの人が後に証言
している通り、鬼の顔をした真っ黒い壁が迫って
くるのが見えた。それが津波とは頭の中では結び
付かなかったが、誰かの「津波だ!」という声で我
津波浸水地域図
2.災害対策本部の設置(安否確認等)
一晩中余震もある中、何日ここにいるのか?ま
地震発生時に構内で勤務していた従業員76名
社から掛かってくる携帯電話からは、
「支援物資を
(協力会社含む)は、避難マニュアル通りに敷地内
集めている、何か特別なものはいるか?」
「 救援隊
の築山(T.P.+10m、GL+5m)に速やかに避難した
第一陣は今夜出発する」
「そこに避難していること
結果、幾つかの偶然も重なり全員命を守ることが
は地元(東京)消防局から仙台市消防局、自衛隊に
できた。
伝えた」等々、勇気付けられる言葉が大きな励みと
地震直後に本社(東京)から掛かってきた携帯電
なり、辛い中ではあったが先ずは朝まで頑張ろう
話は、切ったら二度と繋がらないことを想定し繋
と先の見えないの希望に向かって全員で耐えた。
ぎっ放しにしていた。当初ラジオも持って行かな
翌朝7時前に新聞記者から自衛隊が近くまで来
かったため唯一の情報収集手段であったが、伝え
ていると教えられ、我々の中から選抜隊を結成し、
られる内容は想像を絶する、また想像することが
避難救助要請を行ない7時過ぎから自衛隊の方の
できないことばかりであった。
指示を仰ぎ、各自自宅・避難所に向かって築山を後
18時頃には複数名選抜した勇敢な人達で、目の
にした。このとき、製造所内の状況、避難時の周囲
前の事務所ではあるが瓦礫を掻き分けて、緊急避
の状況を目の当たりにし、多くの従業員が二度と
難用の僅かな水・乾パン・ラジオ等を取りに行って
この地・この場所で仕事はできないという思いを
もらった。
(戻ってくるまでは非常に心配で時間は
持って帰宅したことを、後になって複数の従業員
とても長く感じた)しかしながら極限状態の中で
から聞いた。
た津波が来るのか?全てが不安の中だったが、本
はお腹が空いたとか喉が渇いたと言う人間の欲求
は殆どなくなり、口にする人は皆無といっても過
言ではなかった。
しかし小雪が舞い散る寒さは耐えられず、たま
3.工場復旧
たま築山で伐採した樹木があったため薪にして暖
東京本社、一番近い製造所の栃木県野木製造所
を取れたことは不幸中の幸いでもあった。
からの応援部隊とも翌日には集合し、
救援物資の配
給、安否確認、設備・建屋の被害状況等々を開始し
た。
その後、
瓦礫の片付け、
津波流入土砂の撤去を始
めたものの、とても手に負える規模ではなく、全社
ならびにグループ企業一体となった復旧支援体制
が取られた。
東北では唯一の角形鋼管製造工場であ
る責務を果たすため、
また電気も復旧していない中
ではあったが、生産設備の稼動開始時期を7月とい
築山に避難し暖をとる所員
う命令が社長から下された。
我々にとっては想像を
絶する無理難題ではあったが、誰
もがそれに向かい業務を進行し
た結果、その目標を達成すること
ができた。全面復旧には一年間を
要したが、後に聞いたことだが、
社長曰く「人間の集中力はそう長
くは続かない、途中で滅入ってし
まう。だから短期勝負が大切なん
だ」
と。
正にその通りであった。
避難している築山から事務所・工場を望む 事務所1階が水没している
(H23.3.11 16時頃撮影)
公益社団法人 仙台市防災安全協会|07
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東日本大震災津波直撃からの復旧・復興と津波避難タワーの建設
建築建材用鋼管の製造ライン
(被災時)
(復旧後)
4.地域としての役割
当所は毎年防災訓練として、消火訓練、救護訓練
方々との連携強化・色々な取組みへの共同参加も
などに加え「地震=津波」を想定し避難訓練を実施
踏まえ、地域皆様とともに安全まちづくりに向け
している。
これも地元消防署からの助言に基づき平
て共に歩んでいく決意である。
成15年から実施している。
訓練を重ねることにより、
避難経路には物を置か
ない工夫、避難に要する時間も毎年短縮、更には夜
間も操業している中での停電を想定した訓練も開
始した。
全ては先手先取り、
予知予防の精神である。
そして、多くの皆様からのご支援・ご協力を頂き
一年間かけて完全復旧した製造所、当初従業員の
安全・安心のために津波直撃からの経験・発想も活
かし、
“津波避難タワー”を開発・製造所の敷地内に
設置した。200人が安全に避難できるタワーであ
り、随所にアイディアを盛り込んだ設計を行なっ
タワー内部の工夫:右側の面は風除けシートが張られている状態
ている。加えて平成24年11月20
日に仙台市様と津波避難協定を
締結し、有事の際、地域の皆様へ
の津波避難施設として開放も行
なうこととした。この地で業を営
むものの使命と、この地域で生活
している方への恩返しも含めて
のことである。
東日本大震災で大きく心に感
じることのできた“絆”を大切に
することはもちろん、地域の皆様
と共に災害防止活動、いざという
時の連携強化の仕組みづくりな
どの必要性も痛感した。
この東日本大震災の経験で感
じた全ての出来事を、我々の次世
代に対する継承も含めて、消防の
完成した津波避難タワー
(H24.11 撮影)
08|公益社団法人 仙台市防災安全協会