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息を吹き返した幽霊
幽霊が描かれた掛け軸があ
る こ と か ら、「 幽 霊 寺 」 と し
て 知 ら れ る 土 手 町 の 永 国 寺。
6月、寺の裏山におどろおど
ろしい幽霊の看板が掲げられ
た。人吉の夏の風物詩「ゆう
れい祭り」の合図だ。
ゆうれい祭りが始まったの
は昭和 年。新町を中心とし
た川南地区の若者グループ
かわみなみはつかかい
「川南二十日会」が運営した。
当時の実行委員の一人・岩井
みのる
實 さ ん( 西 間 下 町 ) は、「 川
南地区には大きな祭りがな
かったので、幽霊の掛け軸を
ヒントに企画しました」と振
り返る。呼び物の幽霊屋敷が
にぎわい、来場者は1万人を
超 え る こ と も あ っ た と い う。
祭りは夏の風物詩として 年
間続いたが、実行委員の高齢
化などを理由に、平成 年を
最後に途絶えてしまった。
た 永 江 友 二 さ ん( 下 原 田 町 )
は祭りの復活を決意する。「消
防団の仲間は、子どものころ
から祭りに親しんだメンバー
ばかり。同じ思い出を胸に意
気 投 合 し ま し た 」。 同 部 を 中
心に、ひとよし球磨青年会議
所と人吉商工会議所青年部に
も協力を依頼し実行委員会を
組織。地域活性化を願う若者
らが力を合わせ、手作りの祭
りとして復活した。
以来、祭りは毎年8月の第
一土曜に開催。幽霊の掛け軸
の開帳、名物の幽霊屋敷、出
店や福引きをはじめ年々内
容 を 充 実 さ せ な が ら、 今 年
の祭りで復活 回目となっ
た。今年の幽霊屋敷の入場者
は約2千2百人、来場者は約
6千5百人を記録。民間だけ
で行う祭りとしては、おくん
ち祭りを除くと市内で最大級
の集客力だ。
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しに全面協力
境内の貸しむ出
らやす けいどう
する同寺の紫安敬道副住職
は「幽霊屋敷は墓場の参道を
通って入りますが、たくさん
8月1日、土手町の永国寺で、人吉の夏の風物詩「ゆうれい祭り」が開催された。
「子どもたちの思い出のために」。一度は途絶えた祭りを、地元の有志が復活させて
今年で10回目。背筋も凍る祭りを支えた、若者たちの熱い夏を振り返る。
の子どもの歓声に、幽霊さん
もご先祖さんも喜んでいらっ
しゃるのではないでしょう
か」と温かく見守る。
タッフのパワーです」と永江
さんは胸を張る。
祭り当日は、地域住民や事
業所、地域団体、スポーツチー
ムなど大勢のボランティアス
タッフも協力。地元選出の県
議会議員や医師など、普段は
住民に頼られる〝先生〟たち
も、この日ばかりは幽霊姿で
嫌われ役に徹する。
準備から片付けまで、祭り
に携わるスタッフは総勢約百
人。百人の思いが一つになり、
今年の祭りも大成功に終わっ
た。
和尚が寺に現れた幽霊の醜い姿を描いて幽霊に見せる
と、幽霊は変わり果てた自分の姿に驚き、和尚に頼んで
成仏させてもったという。それから幽霊は現れなくなっ
た。永国寺本堂裏には、幽霊が現れたという池がある。
幽霊の掛け軸は、応
永 年( 1 4 0 8 年 )
に永国寺を開山した実
底超真和尚が描いたと
伝えられている。
建当時、ある名士
創
めかけ
の妾(愛人)だった女
性が、本妻の嫉妬に苦
しみ球磨川に身を投げ
て非業の死を遂げた。その恨みは幽霊となり、本妻を苦
しめる。そこで本妻は和尚の法力を頼り、寺へ駆け込み
助けを求めた。
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祭りは、市や県の補助金に
頼らず運営。幽霊屋敷の入場
料が主な運営費のため、雨で
祭りが中止になると大きな赤
字となるが、不思議とこれま
で 中 止 は な い。「 昨 年 は 雨 で
開催が危ぶまれましたが、祭
り開催時だけは雨が止みまし
た。 こ れ が ゆ う れ い 祭 り ス
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広報ひとよし 9月号
HITOYOSHI 2015.09.01
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祭りの復活を望む声は後を
絶たなかった。永国寺周辺を
管轄する市消防団第1分団第
1部でも、集まるたびに話題
に あ が っ て い た と い う。「 あ
の楽しかった祭りを、今の子
どもたちにも体験させたい」。
平成 年、同部に所属してい
紫安 敬道 さん
永国寺副住職
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ゆうれい祭り開催10回記念特集
昭和47年に始まり、人吉の夏の風物詩となったゆうれい祭り。
一度は途絶えた祭りを復活させたのは、子どものころ祭りに親
しんだ地元の若者たちだ。