世界最強 - 岩井國臣

 エロスを語ろう・・・プラトンを超えて!
子供は社会の宝である。プラトンの「エロス論」はそのことをいちばん訴えて
いるのだが、その子供はどんどん悪くなってきている。非正常な子供がどんど
ん増えているのだ。 出産後の育児も問題だらけではないか。例えば、蛍光灯は
幼児に良い影響を与えないようだし、少し大きくなってのパソコンゲームなん
てものはもってのほかだ。コミュニケーションがうまくできない子供が増えて
いるのではないか。 プラトンの「エロス論」が力不足なのだ。日本の「ホト神
さま」や摩多羅神、さらにはシヴァ神をも視野に入れて、私たち日本人にもな
じみ深い神さまとして新たな「エロス神」を創らなければならない。
岩井國臣
はじめに
衆愚政治とポピュリズムは違う。 私は、ポピュリズムを、ニーチェのいう大衆のルサ
ンチマンが生み出す大衆主義だと考えており、プラトンの「哲人政治」とは対極のもので
あると思う。 日本の政治はようやくポピュリズム(大衆主義)になってきた。ポピュリ
ズムは(大衆主義)は、弱者の論理であって、強者の論理ではない。民意を尊重する政
治、おおいに結構なことではないか。問題は、政治家にも、セネットのいう職人技(クラ
フトマンシップ)が必要だということではないか? また、政治も音楽やスポーツと同じ
ように、ひとつの文化だから、やはりエリート教育が必要ではないか? その際には今西
錦司の「リーダー論」が基軸になると想う。
清水の著『生命を捉えなおす』(中公新書)の初版は1978年だが、その後研究が
進み、増補版が出たのが1990年である。とくに注目すべきは「関係子」という考え方
であろう。中村雄二郎は「メディオン」と呼んだらどうかとアドバイスしたようだが、中
村のリズム論とも関係が深く、関係子が発生するリズムの「相互引き込み現象」は清水博
の画期的な発見である。ポピュリズムというのはそういう「生命原理」に合っている。ポ
ピュリズム(大衆主義)における政治家というのは、大衆を相手に「即興劇」を演ずれば
良いのである。ポピュリズム(大衆主義)における政治家というのは、大衆を相手に一生
懸命「即興劇」を演じて、もし大衆から、大根役者と罵倒が浴びせられたら、舞台から
引っ込めば良い。そういう覚悟を以て、政治家という役者は、大衆と響き合えるよう、一
生懸命政治をやればいいのである。それがポピュリズムというものだ。 第1章の「日本
の政治」ではそういうポピュリズムの本質的なものを書いた。プラトのいうような「哲人
政治」は時代に逆行した「カビの生えた遺物」でしかない。 私は、哲人政治を理想とす
るプラトンの考えは、現在社会においては抹殺しないといけないと考える次第である。
プラトンは偉大な哲学者である。西洋哲学はすべてプラトン哲学の脚注であると言われ
るくらい、プラトンの哲学は総合的でかつ奥が深い。非の打ち所がないと言いたいところ
だが、実は、彼が終生重大な関心を持っていた政治についての考え方(政治論:哲人政
治)がもはや現代には合わないし、彼の思想の最重点と思われる「エロス論」はやはり西
洋哲学の域を脱し切れていないので、プラトン哲学をベースにしながらも、いくつか重要
な柱を建て直す必要がある。そのひとつに「コーラ論」があるが、主として政治論と「エ
ロス論」に焦点を絞って、新たな哲学の方向を見定めたいと思う。古代ギリシャにおける
当時の名門家では文武両道を旨とし知的教育と並んで体育も奨励され、実際プラトンはイ
ストミア祭のレスリング大会で2度も優勝している。オリンピアの祭典では成績を上げら
れず、学問の道に進みソクラテスに弟子入りしたのだが・・・。プラトンはその青年時代
において、最も身近な人であるソクラテスの非業の死をとおして、その苛酷な経験をし
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た。プラトンは、あらゆる理想主義哲学の代表である。しかし彼は、ただ甘い 夢をみる
だけの理想家ではない。彼の理想主義は、このような苛酷な現実のきびしい認識から生ま
れたのである。 第2章では、古代ギリシャが何故プラトンのような偉大な哲学者を生み
出したのか、その秘密に迫っている。
プラトンは、エロスの神について形而上学的思考を重ねた哲学者で有名であるが、彼
は、知識の源としての「バクティ」と官能的な「マニア」とを区別した。「バクティ」と
は、サンスクリット語で、「献身」「信愛」「信仰」「神への愛」「帰依」を意味する言
葉であり、「マニア」とは、マニアの語源はギリシャ語で「狂気」のことであり、自身の
趣味の対象において、周囲の目をも気にしないようなところもある事から、「∼狂(きょ
う)」と訳され、ほぼ同義のものとされている。
さらに、 プラトンは、 官能的な「マニア」を、酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」
と性愛に結びつくエロチックな「マニア」に分けて考えた。前者の 酩酊と陶酔のダンス
を伴う「マニア」は、ディオニュソスとより直接的なつながりを持つと見なした。
プラトンもニーチェもディオニュソス的なものに強いあこがれを持っていたということ
は、ヨーロッパにありながら、アジア的なものを理解する感性を持っていたということで
あり、そのような哲学者は歴史上二人以外には見当たらない。二人はまさに超人的な大哲
学者であるが、実は、二人が知り得たディオニュソスの神は、もっともヨーロッパ的な
神・アポロンの影響を受けてかなり変身していたのだ。もともとディオニュソスは、アジ
アの影響によって誕生したのであり、「ディオニュソス」を深く理解するためには、その
源流をさかのぼって「シヴァ」を知らねばならない。第3章の「プラトンのエロス」で
は、そのことを書き、私は、今後の新たな哲学の方向について、ひとつの見方を提供し
た。具体的な方法については、最終章でひとつの提案をする。
ニーチェは超人的な哲学者だ。プラトンを完全に理解し得たのは彼ぐらいではないか。
ニーチェは、「生の哲学」を考えており、人間の生の何たるかについて形而上学的思考を
重ねた結果、アポロン的価値とディオニュソス的価値の統合を重視する。どちらに遍して
もいけないのだ。合理と非合理の二元論的認識を排して、その統一を図らなければならな
い。矛盾を乗り越えなければならないのである。ニーチェはディオニュソスの狂乱的祭り
を重視している。キリスト教はこれを排斥するので、そんな神は殺してしまえと言ってい
るのだ。神を殺してはいけないし、また神が死ぬ筈もないと私は考えており、その点が
ニーチェの言い方とは違うのだが、実は、ニーチェは神に対する強い憧れをもっていたの
で、基本的には私の考えとニーチェの考えに違いはない。ニーチェの「神への意
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志」という考えは、私たちが今後イキイキと生きていく上でもっとも基本となる思想であ
ると思う。第4章ではその「力への意志」について書いた。第4章で私のいちばん言いた
いことは三点だ。一つは、まず最高の賢者は、ニーチェのような堅固な意志を以て、「力
への意志」を実行することだ。やるべきことはいろいろあるとは思うが、もっとも象徴的
に言えば、ディオニュソスの神の復活を図ることだ。私はシヴァの神まで視野に入れるべ
きだと思うが、アポロン的な神も含めて、さまざまな神を祀ることだ。それがニーチェの
悲願だったと思う。二つ目は、私たち人間は、自己超克をモットーとして、自分自身の階
段を高みに向かって、一歩一歩登っていくことだ。「重力の魔」に何度も何度も負けるか
もしれないが、それにもめげず・・・。その際に大事なことは「祈り」だ。自分自身の神
を捜すことだ。アポロン的な神でも良いしディオニュソス的な神でも良い。はたまたシ
ヴァの神々でも良い。日本は神々の国だから、自分の好きな神は容易に見つかるだろう。
最後に三つ目であるが、それは最高の賢者と民衆とのコミュニケーションである。
私たちは、 両頭截断して一階の恐竜型脳も三階の新哺乳類型脳もバランスよく働かせ
て、幸せな人生を生きていかなければならない。ここでの文脈でいえば、両頭とは「アポ
ロン」と「ディオニュソス」=「シヴァ」である。両者の統合を図らなければならない。
すなわち、これからの哲学は、「陰と陽」、「善と悪」、「秩序と混沌」、「理性と衝
動」「創造と破壊」、「愛情と性欲」等の問題は、すべて「アポロン」と「ディオニュソ
ス」をどのように統合もしくは融合するかという問題である。私は、それらを統合もしく
は融合する神が「エロスの神」だと思っている。第5章の「恐竜型脳と新哺乳類型脳との
バランス」ではそのことを書いた。
古代ギリシャにおいては、ディオニュソス=シヴァと考えておおむね間違いではない
が、実は、厳密に言えば、両者の間に本質的な相違がある。シヴァはまさに東洋的で、
ディオニュソスの源流に存在する。西洋的なものと東洋的なものを統一した哲学を考える
場合、少しは西洋の色の染まったディオニュソスよりも西洋の色のまったく染まっていな
いシヴァを対象にすべきだと思う。アポロンは西洋であり、シヴァは東洋である。シヴァ
は自然の神であり、シヴァの思想は都市に徹底的に反対してきた。その自然が今まさに大
きくクローズアップされてきている。第6章の「ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方
向性」では、西洋的なものと東洋的なものを統一した哲学を目指し、シヴァ神について書
いている。
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摩多羅神は卑猥なものと聖なるものの間に存在している。卑猥といえば卑猥、聖だとい
えば聖なのである。また、卑猥でもないし、聖でもない、誠に深遠な存在であるが、神と
はまあそんなものではないか。「エロスの神」も全く同じであり、摩多羅神と同一の神だ
といえなくもない。摩多羅神は天台宗という特定の宗教に限っての神として存在していた
が、「エロス神」は一般庶民に崇められるべき神である。 子供は社会の宝である。プラ
トンの「エロス論」はそのことをいちばん訴えているのだが、その子供はどんどん悪く
なってきている。非正常な子供がどんどん増えているのだ。 出産後の育児も問題だらけで
はないか。例えば、蛍光灯は幼児に良い影響を与えないようだし、少し大きくなってのパ
ソコンゲームなんてものはもってのほかだ。コミュニケーションがうまくできない子供が
増えているのではないか。 プラトンの「エロス論」が力不足なのだ。日本の「ホト神さ
ま」や摩多羅神、さらにはシヴァ神をも視野に入れて、私たち日本人にもなじみ深い神さ
まとして新たな「エロス神」を創らなければならない。子供は社会の宝である。私たちは
今こそ新たな「エロスの神」を祀り、正しい人性を歩む努力をしなければならないのでは
ないか。第7章の「摩多羅神についての特論・・・エロス神との関係」では、日本型のエ
ロス神を見直すために、摩多羅神の重要性を力説した。
第8章の「新しいエロスの神」では、第1節で「日本のディオニュソス的な神」として
いくつかの「ホト神さま」を紹介した。これらの「ホト神さま」は縄文時代に源をもつ神
さまである。古代の神さまと言ってよい。それらはシヴァ神と通底するものがある。ビッ
クリしないで下さい。私のお勧めの「場所」に対してである。是非出かけていって、何か
を身体で感じる体験をして下さい。響きあいの体験をして下さい。「場の力」を感じる体
験をして下さい。そして豊かな感性を身に付けて下さい。それが女性を大事にすることに
繋がるのだから・・・。女性性器はもちろん女性のシンボルであるが、これを写実的に表
現すればいやらしい。グロテスクというかエロチックなのである。エロチックは「エロ」
であってプラトンの言う「エロス」とはほど遠い。プラトンの言う「エロス」は「美」の
追求である。扇は女性のシンボルである。ひな祭りは「エロスの原理」にもとづく女性の
ためにお祭りである。ひな祭りは美的感覚にあふれており、これから大いにそういうエロ
スの普及を図らなければならないが、今や肝心の「エロスの原理」が忘れられていると思
う。「エロスの原理」とは、私に言わせれば、目に見える美的な物の陰に隠れて通常は見
えない、何か摩訶不思議な現象を引き起こす原理である。それを通常感じることができる
ようにするには、「美」の追求に繋がるような何か特別の物語を作る必要がある。「エロ
スの原理」の再発見である。私はその作業を「祭りの再魔術化」と呼んでいる。祭りは
「神とのインターフェース」である。その「神とのインターフェース」を現実的に豊かな
ものにするには、「祭りの再魔術化」が必要である。私の言いたいことはそのことだ。
フランスの偉大な政治家・トクヴィルは、アメリカ建国期のあと大した政治家がいない
のに、アメリカという国がそれにもかかわらず問題なく動いている、という事実に驚いた
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らしい。すなわち、アメリカの政治体制は、かならずしも 政治家の個人的有能さに依存
せずに運営されているという事実こそ、トクヴィルが着眼したポイントであった。その原
動力は、「地域コミュニティのデモクラシー」にある。アメリカのデモクラシーは、建国
の父たちがアメリカインディアンの影響を強く受けたところに出来上がった。アメリカの
デモクラシーはボトムアップで出来上がってい るのである。今でもポートランドでは草
の根民主主義が盛んだ。民主主義の原点は草の根民主主義にある。第9章の「民主主義の
原点」では、そのことを述べ、ポートランドの実態を紹介した。私たちは、ポートランド
の草の根民主主義に見習わなければならない。
地域コミュニティは、人びとの良き人生を生きる「場」であり、また政治家の対話の原
点でもある。 第10章の「ポピュリズムのゆくえ」では、まず第1節で「地域通貨」に
ついて書き、第2節で 「マイノリティを支援するNPO」を書いた。第3章の「プラトン
のエロス」では、プラトンのエロス論の未熟さを指摘し、私は、今後の新たな哲学の方向
について、世界最強の神・「シヴァ」との合体というひとつの見方を提供したが、具体的
な方法については、最終章での宿題としていたのでそれを第3節「「エロスの神」を祈ろ
う!」で書いた。第1節の「地域通貨」と第2節の「 マイノリティを支援するNPO」に
流れる私の問題意識は、現在、日本にも、世界にも蔓延する「ニヒリズム」の問題があ
り、これを何とかしなければならないという思いである。。ハイデガーが言うには、
「エートス・アントロポイ・ダイモーン」という言葉をヘラクレイトスが使っている。こ
れはギリシャ人の思考を非常にうまく表現しているという。「エートス」親しくあるも
の、「アントロポイ」は人間、「ダイモーン」はギリシャの神々である。だから、「人間
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にとって親しくある場所は神の近くにいることである」という意味だとハイデガーは言っ
ている。政治家は「ニヒリズム」の問題とは真正面から向き合わなければならないので
あって、ハイデガーがいう「故郷喪失」の現実を直視してほしい。民主主義の原点である
「地域コミュニティ」がなくなっているのである。この状態を放置したままでは、日本の
元気再生は望むべくもない。政治家に期待するところ大である。上述したように、ポピュ
リズム(大衆主義)における政治家というのは、大衆を相手に「即興劇」を演ずれば良い
のである。ポピュリズム(大衆主義)における政治家というのは、大衆を相手に一生懸命
「即興劇」を演じて、もし大衆から、大根役者と罵倒が浴びせられたら、舞台から引っ込
めば良い。そういう覚悟を以て、政治家という役者は、大衆と響き合えるよう、一生懸命
政治をやればいいのである。 第3節の「政治家の対話」ではそのことを書いた。
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エロスを語ろう・・・プラトンを超えて!
はじめに
序章
第1章 日本の政治
第1節 民主主義国家について
第2節 古代ギリシャの民主政
第3節 ポピュリズム
第4節 今西錦司のリーダー論
第5節 セネットのポピュリズム
第6節 市場経済について
第7節 政治家よ!「関係子」たれ!
第2章 プラトンについて
第1節 都市国家ギリシャ
第2節 アテナイとスパルタ
第3節 青年プラトンを取り巻く政治情勢
第4節 少年愛について
第3章 プラトンのエロス
第1節 ディオニュソス的なもの
第2節 プラトンに課せられた課題・・・エロス論の展開
第3節 プラトンのエロス論
第4章 「力への意志」
第5章 恐竜型脳と新哺乳類型脳とのバランス
第1節 プラトンのエロスの心髄
第2節 「シヴァ」=「ディオニュソス」について
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第6章 ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方向性
第1節 「力への意志」
第2節 技術と自然
第3節 田舎と都市
第4節 エロスの神
第5節 「人間は何のために生きているのか?」
第7章 摩多羅神についての特論・・・エロス神との関係
第8章 新しいエロスの神
第1節 日本のディオニュソス的な神
第2節 新しいエロスの神
第9章 民主主義の原点
第10章 ポピュリズムのゆくえ・・・対話と地域コミュニティ
第1節 地域通貨
第2節 マイノリティを支援するNPO
第3節 「エロスの神」を祈ろう!
第4節 ニヒリズムと地域コミュニティ
第5節 政治家の対話
おわりに
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序章
人びとは、それぞれにイキイキと生きていかなければならない。市場原理の渦巻くグ
ローバルな世界経済の中で激しい競争に明け暮れている戦士も、生き残りをかけてイキイ
キと生きていってほしいし、競争に敗れた敗者もそれなりの生き方を見つけてイキイキと
生きていってほしい。若者は若者で将来に大いなる夢を持ってイキイキと生きていってほ
しいし、年寄りは年寄りで若者に夢を託しながら自分の人生が良かったと確信しながら晩
年をイキイキと生きてほしい。また、女性は女性なりにイキイキと生きていってほしい
し、男性は男性なりにイキイキと生きていってほしい。人生いろいろ、人もいろいろであ
る。生き方は違っていても、それぞれに元気でイキイキと生きていってほしい。
人は場所に生きている。いろんな人がいろんな場所で生きているが、場所によって幸福
になったり不幸になったりしていけない。どんな場所でも人びとがイキイキと生きる環境
を備えていなければならない。
それら人間の生き方を考える際に、避けて通れない問題として「エロス」がある。
私は、先に「祈りの科学シリーズ」(1)∼(8)を出版した(2012年5月、新公
論社、電子出版)。それらは「リズム人類学の進め」というべきものだが、最新の科学的
見解をもとに私の哲学を書いたものである。その中にエロス論と関連するところがいくつ
かでてくる。その主要なものは次のとおりである。
* ご承知のように、すべての物質は分子からできており、分子は原子、原子は原子核と
電子、原子核と電子は素粒子、素粒子はクォークなどの量子からできているが、量子のレ
ベルでは力学的にはもはや波動と考えざるを得ない。波動方程式の世界となるのである。
つまり、量子力学によれば、「この世はすべて波動である」ということだ。祈りの科学シ
リーズ(1)「100匹目の猿が100匹」では、シェルドレークの形態形成場の仮説な
どの、最新の科学を踏まえて、「内なる神」と「外なる神」が存在することを説明した。
「祈り」は波動現象であり、そのことを科学的に説明したつもりである。しかし、エロス
に関することは、現在の科学ではまったくお手上げで、やはり哲学の問題となる。しか
し、最新の科学的知見が哲学に役立つこともある。その典型は、本能と理性と直観の区別
である。「100匹目の猿が100匹」では、三階建ての三つの脳(恐竜型脳と原始ほ乳
類型脳と新哺乳類型脳)の詳しい説明をした。新ほ乳類型脳の働きの中に「直観」がある
が、「直観」に対する詳しい説明もした。エロスとの関係でいえば、「エロス原理」は
「身体の統一性」の中にあるが、「身体の統一性」とは三階建ての三つの脳(恐竜型脳と
原始ほ乳類型脳と新哺乳類型脳)の総体のことである。
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* シリーズ(2)「 今西錦司のリーダー論と松尾稔の技術論」では今西錦司のリーダー
論を松尾稔元名古屋大学総長に詳しく語ってもらった。これは世のリーダーに是非知って
おいてもらわねばならない珠玉のリーダー論である。この今西錦司のリーダー論に男女の
区別が入り込む隙間はまったくない。男も女も「エロス原理」をおおいに働かせて立派な
リーダーになってもらいたいものだ。
* シリーズ(3)「怨霊と祈り」では、コミュニティにとって「祭り」が基本的に大事
であることを説明した。「エロス論」において、人びとの心の休まるコミュニティ(心の
故郷)が必要である。人びとの心の故郷が「エロスの神」の故郷でもあるからだ。人びと
と「エロスの神」とのインターフェースは故郷の「祭り」である。
* シリーズ(4)「祈りの国にっぽん」とシリーズ(5)「天皇はん」では、天皇は祈
りの人であり、私たちは天皇に習って国民の幸せを祈らなければならないことを説明し
た。「祈り」を捧げるには「エロスの神」が良い。また、「エゾイタチの神」というアイ
ヌの神話を紹介し、神さまにもいろいろあるが「人あっての神」であることを説明した。
「エロスの神」も人びとが「祈り」を捧げることによってイキイキとしてくる。さらに、
「言葉の源流・ボコ岩」では、あたらな神話をおおいに語ってほしいことを述べた。これ
からおおいにエロスを語るうちに「エロスの神」の神話が創作されることを願うばかりで
ある。
* シリーズ(6)「地域通貨」では、「エロスの神」の故郷でもある地域コミュニティ
を再生するためには地域通貨が不可欠であることを説明した。レヴィナスのいう「始源
の贈与」のいわば実践論である。レヴィナスのエロス論には、贈与ということは出てこな
いが、レヴィナスのエロス論の前提としての「女性」や「家」の概念は、人びとの心の故
郷のことでもある。そこには「親しさ」と「暖かさ」がある。
* シリーズ(7)「野生の思考と政治」では、「野生の思考」が民主主義の原点である
ことを説明した。政治家も「エロス原理」を身につけないとこれからは国民との「対話」
が困難であると思う。人びとの生きる価値を生み出すもの、それが「エロス原理」である
からだ。
* シリーズ(8)「平和国家のジオパーク」では、「祈り」の国づくりについて述べ
た。「エコ」から「ジオ」の時代に移行してく必要があることを述べ、その方法論を述べ
た。これからは「ジオ」、すなわち地球的感覚、宇宙的感覚によって、「祈り」というも
のを考えねばならないが、全国いたるところに「祈り」の場所、「エロスの神」のおわす
場所を作りたいものだ。
私は、 「祈りの科学シリーズ」 を出版したあと、それに引き続いて新公論社で以下の
電子書籍(4冊)を出版した。「祈りの科学シリーズ」と一体のものである。それら12
冊は基礎編と考えてもらっても良い。それらはすべて今回のこの本「エロスを語ろ
う・・・プラトンを超えて!」に繋がっている。もちろん、今回のこの本が私の哲学の終
わりではなく、新たな哲学の出発点である。新たな哲学の出発点として今一番気になるこ
と、「理想の地域コミュニティ」の問題と「エロス」の問題を書いた。
「祈りの科学シリーズ」以降ここに至るまでに書いた基礎編(電子書籍4冊)の内容は
以下のとおりである。
* 「天皇と鬼と百姓」では、天皇及び皇室のいやさかを祈りながら、農と山の文化が日
本人の精神を作り上げているとの見地から、皇室とそれらの民とのインターフェースを
もっと増やさなければならないことを述べた。これは「祈りの国にっぽん」の基盤をより
強くするために必要なことであるが、同時に、「理想の地域コミュニティ」づくりを行う
大前提である「 マイノリティを支援するNPO」に繋がる筈である。
* 女性には男性にはないいくつかの摩訶不思議な力がある。また、女性の出産や子育て
には夫たるものおおいに手を貸さなければならないが、女性は自分には宇宙的な摩訶不思
議な力が働いていることを十分認識してほしい。「女性礼賛」はそんなことを書き、日本
的なエロス神として「ホト神さま」のいくつかを紹介した。また、「女性礼賛」では、
プラトンの考える「エロスの神」と日本の摩多羅神がよく似ていることを述べ、みなさん
に「エロスを語ろう!」と呼びかけた。今回の「エロスを語ろう・・・プラトンを超え
て!」はその続きである。
* 「書評日本の文脈」は今もっとも注目すべき中沢新一と内田樹の対談集「日本の文
脈」の書評である。私たちは言葉で考えて理性を働かせているのだが、この世というのは
理性の届かない「穴」が開いていている。世界の「穴」、そこには理性ではとうてい理解
できない摩訶不思議な力が生成される。それが内田樹の力説する「身体」を生きることに
他ならない。私にいわせれば、それは「エロス」以外の何ものでもない。
* 「外なる神」の存在を信じ、「祈りの国にっぽん」を標榜する私の立場からは、「神
は死んだ!」と叫ぶニーチェを取り上げざるを得なく、「さまよえるニーチェの亡霊」を
書いた。ニーチェの真意は、神々の復活であり、私にいわせれば「エロス礼賛」であり、
それを前提として「力への意志」が働かないといけないというところにある。未だそうい
う哲学がでてきていない現状において、非業の死を遂げたニーチェの魂は未だに浮かばれ
ないままその辺にさまよっていると私には感じられる。今回の「エロスを語ろう・・・プ
ラトンを超えて!」は、ニーチェの魂が浮かばれることを祈りながら書いた。
さて、竹田青嗣はその著「エロスの世界像」(1997年3月、講談社)の中で次のよ
うに言っている。すなわち、
『 そもそも「対象化する」とはどういうことか。人はまずそれを「意識すること」とか
「認識すること」といった言葉でイメージする。しかし実は「対象化する」とは、根本的
には、世界に対して主体がひとつのエロス的関係として向き合うことを意味している。く
り返して述べてきたように、純粋な「意識」や純粋な「認識」というものはありえない。
「意識」や「認識」はまず「感じる」ということを基礎としており、この「感じる」とは
「エロス原理」として理解されなくてはならない。まさしくこの「エロス原理」こそ世界
が「対象化」されるための条件なのである。「身体」は文字通り、まず「感じる」原理で
ある。メルロ=ポンティによれば「身体」とは「対象を存在させる原理」だが、これはつ
まり「身体」とは「価値評価」し、区分し、分節する根本的な原理、つまり「エロス原
理」であるということを意味している。』・・・と。
「エロス原理」とは「感じる原理」であり、身体はその原理にもとづいて存在してい
る。私はその「身体はその原理にもとづいて存在している」ことを「身体の統一性」と呼
びたい。竹田青嗣は上記著書の中で、メルロ=ポンティが「身体の統一性」について触れ
ている点を紹介しているが、どうもあいまいであるので、私なりのイメージをはっきりさ
せたいと思う。私が思うに、「身体の統一性」とは三階建ての三つの脳(恐竜型脳と原始
ほ乳類型脳と新哺乳類型脳)の総体のことである。それによって働くのが身体、すなわち
「身体の原理」、「エロスの原理」である。私たちは身体を生きているが、それはとりも
なおさず「エロスの原理」によって生きていることに他ならない。主体がすべての対象と
向き合うとき、その対象が女性であれ男性であれ、自然であれ、神であれ、すべての場
合、「エロスの原理」が作用する。「エロスの原理」が作用する神というものも存在す
る。神にもいろいろあって、もっとも偉大な神は、「エロスの原理」をつくり出している
神であるが、その神すら「エロスの原理」によって運動のエネルギーを分節している。そ
の分節によってさまざまな神がそれぞれ役割分担をするかたちで存在するのである。エゾ
イタチ神のアイヌ神話では、天には五つの層があって、それぞれの層にいろいろな神がい
るのだが、いちばん上の天にはいちばん偉い神がいるのだと語っている。私たちは、その
ご利益を考え、自分自身となじみの深い神を選んで、「祈り」を捧げるといい。
民主主義の原点は草の根の民主主義であり、ポピュリズム(大衆主義)にもとづき民
主主義を進化させるには、地域コミュニティにおける草の根民主主義が不可欠である。
ところで、人びとが幸せにイキイキと生きていくには、何よりも政治が大事だと考えそ
のために哲学の大系を作り上げた人はプラトンである。その後偉大な哲学者が出てはい
るが、すべてプラトン哲学の部分的な脚注だと言われている。
私は今の日本の政治を ポピュリズム(大衆主義) であると肯定的に捉えながら、その
「ゆくえ」を心配している。今上述したように、民主主義の原点が草の根民主主義にある
とすれば、民主主義がどうなるか、 ポピュリズム(大衆主義)がどうなるか、そのゆく
えはひとえに地域コミュニティが今後どうなっていくかにかかっている。地域コミュニ
ティの有り様次第である。かかる観点から、第10章では「ニヒリズムと地域コミュニ
ティ」という問題を取り上げた。プラトンの考えからいえば、まず政治家が問題提起を
し、それをもとにさまざまな対話が起こるのであって、対話の原点には政治家がいる。し
たがって、政治家たるものは、地域の人々の幸せのために欠かすことのできない問題につ
いてはそのための政策を発信しなければならない。私は第1章第6節で、『政治家は、企
業がそうであるのと同じように、良い政治商品を一般大衆に提供していけば良いのであ
る。それがポピュリズムの本質だ。』と申し上げたが、市場経済下におけるポピュリズム
が成功するかどうかは政治家の質にかかっている。政治家は天下国家の事も考えねばなら
ないし地域コミュニティの事も考えねばならないが、何よりも大事なのはプラトンがいう
ように「哲学」である。プラトン以降政治を語った哲学者は見受けられない。政治を語っ
た偉大な哲学者はプラトンをおいてほかにないのではないか。かかる観点から、「ポピュ
リズムのゆくえ」を探る上でプラトン哲学が不可欠と考え、この本ではプラトンを中心と
して思索を重ねた。プラトン哲学の心髄はエロス論であると思う。では、プラトンのエロ
ス論がどのように「ポピュリズムのゆくえ」と関係してくるのか?
地域コミュニティというものは、必ずマイノリティがでてくる。これは避けられない。
地域コミュニティはマジョリティの住み良い地域社会のことであり、そこからはじき出さ
れたのがマイノリティであるから、地域コミュニティの問題を考える際には、マジョリ
ティとマイノリティがともにイキイキと生きていけるような社会構造というものが問題と
なる。したがって、政治家と住民はともにこの問題を考えて対話を重ねていかなければな
らない。
私たちは身体を生きているが、それはとりもなおさず「エロスの原理」によって生き
ていることに他ならない。主体がすべての対象と向き合うとき、その対象が女性であれ男
性であれ、自然であれ、神であれ、すべての場合、「エロスの原理」が作用する。このこ
とは上述したとおりである。だとすれば、マジョリティとマイノリティがともにイキイキ
と生きていくための原理として「エロスの原理」は考えられなければならない。「エロス
の原理」のもとづく社会構造とはどのようなものか? そこが問題で・・・・、この本の
主題はそこにある。「エロスの原理」を考えないと「理想の地域コミュニティ」は作れな
いというのが私の基本的な考えである。
私は、これから人びとがイキイキとした生活をしていく上で、地域の人々に求められる
知性として「エロス」が基本的に大事であると思う。「エロスの原理」は、差異を認めた
上でそれを乗り越える原理である。愛、善、慈悲を生じせしめるものは「エロスの原理」
である。愛、善、慈悲は、自分自身が「対象」に働きかけてはじめて、「自分と対象との
響き合い」が起こり、その現象の中で生成される。まず「対象」を見つけてそれに向かっ
ていかなければならない。そういう志向性の中に愛、善、慈悲は生成される。
私の考えでは、「理想の地域コミュニティ」を作る際の具体的な課題として三つの課題
がある。ひとつは、「地域通貨」であり、二つ目は「マイノリティを支援するNPO」が地
域コミュニティに多数あることであり、三つ目は、「エロスの神」が地域コミュニティに
多数存在することである。これらの課題には住民レベルでは解決できない問題も含んでい
る。政治が絡む問題も少なくないのである。
この本で最終的に言いたい事は、政治の重要性、哲学の重要性もさることながら、これ
から人びとがイキイキとした生活をしていく上で、地域の人々に求められる知性として
「エロス」が基本的に大事であるということだ。 エロスを語ろう・・・プラトンを超え
て!
今後、コンピュータ技術の発達によって、今まで人間の理性ができていたことのほとん
どのことができるようになるだろう。しかし、それは人間の可能性の10%にしかすぎな
い。人間の哺乳類型能の90%は未使用だが、その領域が作動を始めると、人間は理性を
超えて「外なる神」と「響き合い」ができるようになり、直観とか霊感によっておおくの
ことが瞬時のうちに正しく認識されるようになるだろう。それが人間の驚くべき可能性で
ある。とうてい技術の及ぶところではない。それが「身体性の統一性」であり、「エロス
の神」の可能性である。私たちはおおいに「エロスの神」に期待をもって「エロス」を生
きていかなければならないと思う。人間は決して機械ではない。心を持った「身体」なの
である。
第1章 日本の政治
第1節 民主主義国家について
民主主義国家であるかどうかの基準は、いろいろあると思うけれど、私は、フランク・
フクヤマの次の基準が良いと思う。イ、相対立する複数立候補者が存在する、自由で、無
記名で、定期的な男女普通選挙の実施。 ロ、普通選挙によって構成された議会が立法権
の最高権限を持っていることの憲法などの公式文書での明文化。 ハ、議会内における相
互批判的な複数政党の存在。 ニ、自由で多様な行政府批判を行う国内大手メディアが存
在し、それを不特定多数が閲覧できること。
世界には多様な民主国家が存在しているが、これらはおおむね共通して存在する基準で
ある。したがって、日本は間違いなく、この基準を満足しているので、民主主義国家であ
る。一 方、プラトンの考えを不用意にそのまま現在の民主主義に適用すると、「民主主
主義の成功のためには、国民の有権者全体が知的教育を受けられること、恐怖や怒りなど
の感情、個人的な利害、マスコミによ る情報操作や扇動などに惑わされず理性的な意思
の決定ができる社会が不可欠である。つまり徳を持つことである。逆の言い方をすれば、
民主主義を無条件に広めると、知的教育を受けていないもの、恐怖や怒りなどの個人の感
情や利害損得に影響されやすい非理性的なものも有権者(政治家と選挙民)となり、結果
として衆愚政治となりかねない危険がある」ということになってしまいかねない。この点
からすれば、おおよそ世界の民主主義国家と考えられている国家は、すべて衆愚政治に
陥っていることになる。したがって、現在の民主主義において、プラトンの哲人政治とい
うか強い政治を望む声も出てくるようなことになる。マスコミ亡国論などというものも衆
遇政治を忌避するところからでてくる。しかし、これらは間違っている。
では、プラトンの考えは間違っているのではないか? そうではない。そうではなく
て、古代ギリシャのが現在の民主主義国家基準に合わないだけのことで、当時の政治活動
からすればプラトンの政治哲学が必ずしも間違っていた訳ではない。間違っているのは、
プラトンの政治哲学を不用意にそのまま現在の民主主義に適用することなのである。しか
し、現在、プラトンの哲人政治を望む声もなくはないので、私があえて「プラトンの民主
政治の考えは間違っている」と言うことをお許しいただきたい。
第2節 古代ギリシャの民主政
現代の民主主義・民主制・民主政は、古代ギリシアにその起源を見ることができる。デ
モクラシーの語源は古典ギリシア語の「デモクラティア」で、都市国家(ポ リス)では
民会による民主政が行われた。特にアテナイは直接民主制の確立と言われている。またヘ
ロドトスの『歴史』では更に寡頭制と専制を加えた三分類が登場し、プラトンやアリスト
テレスが貴族支配や君主支配の概念とともに整理した。ただし古代アテネなどの民主政
は、各ポリスに限定された 「自由市民」にのみ参政権を認め、ポリスのため戦う従軍の
義務と表裏一体のものであった。女性や奴隷は自由市民とは認められず、ギリシア人の男
性でも他のポリスからの移住者やその子孫には市民権が与えられることはほとんど無かっ
た。しかし、後に扇動的な政治家の議論に大衆が流され、政治が混乱しソクラテス が処
刑されると、プラトン・アリストテレス・アリストパネスなどの知識人は民主政を「衆愚
政治」と批判し、プラトンは「哲人政治」を主張した。後にアテネ を含む古代ギリシア
が衰退して古代ローマの覇権となると、大衆には国家を統治する能力は無いと考える時代
が長く続いた。
さて、このような古代ギリシャの民主政は、フクヤマの基準に照らして言えば、現在で
いうところの民主主義国家とはいえない。したがって、プラトンの考えは、古代ギリシャ
については妥当な考えであったとして、少なくとも現在の民主主義政治を考える際には、
やはり間違った考えであると言わないといけないように思われる。
塩野七生など学識経験者で、今の政治に対し、哲人政治とまではいわなくても、強い
政治を望む声が少なくないのも事実だと思うが、そういう人の考えには、プラトンなど古
代ギリシャの知識人の考えが、潜在的に影響しているのではないか。かかる観点から、現
在の政治を考える場合には、哲人政治を理想とするプラトンの考えはやはり間違った考え
であると、声高に叫ばなければならないと思われるのである。私は、哲人政治を理想とす
るプラトンの考えは、現在社会においては抹殺しないといけないと考える次第である。
私は、今の民主党政権が仮に衆愚政治に陥っているとしても、日本の政治が衆愚政治に
陥っているとは思わない。リーダー不足はたしかではあるが、日本の民主主義はおおむね
うまく行っているのではないか。プラトンの考えるような知性を持った国民ではないけれ
ど、国民はそれほど馬鹿ではないということだ。
第3節 ポピュリズム
衆愚政治とポピュリズムは違う。衆愚政治とは、政治家の大半が知的訓練を仮に受けて
いても適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられて
いる状況である。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が
停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況をさす。また、政治家がおのおののエ
ゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。エゴイズムは自己の積極的利益の追及
とは限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主
義、課題の先延ばしなどを含む。それに対し、ポピュリズムとは、ラテン語の「populus
(民衆)」に由来し、民衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場を指す。大衆
主義。ノーラン・チャートによる定義では、個人的自由の拡大および経済的自由の拡大の
どちらについても慎重ないし消極的な立場を採る政治理念を指し、権威主義や全体主義と
同義。個人的自由の拡大および経済的自由の拡大のどちらについても積極的な立場を採る
政治理念である自由至上主義(リバタリアニズム)とは対極の概念である。
私は、ポピュリズムを、ニーチェのいう大衆のルサンチマンが生み出す大衆主義だと考
えており、プラトンの「哲人政治」とは対極のものであると思う。すなわち、ポピュリズ
ムは(大衆主義)は、弱者の論理であって、強者の論理ではない。
報道において「衆愚政治」という意味で用いられることもあるが、その場合は、「今日
では、複雑な政治的争点を単純化して、いたずらに民衆の人気取りに終始し、真の政治的
解決を回避するもの」として、ポピュリズムは批判的に言及されることが多い。民意を離
れてデモクラシー(民主主義)は運用できないとしても、民衆全体の利益を安易に想定す
ることは、少数者への抑圧などにつながり、危険であるからである。しかし、そういう行
き過ぎがあると、これからの時代、そういうマイナス面をできるだけ速やかに是正してい
かないと大衆受けしないのも事実であろう。
私は、日本の政治はようやくポピュリズム(大衆主義)になってきたとおもう。ポピュ
リズムは(大衆主義)は、弱者の論理であって、強者の論理ではない。民意を尊重する政
治、おおいに結構なことではないか。
なお、ポピュリズムは、得てして衆遇政治に陥りやすい危険性を常に持っているので、
衆愚的な政治家を引っ張って、速やかに「民意」に落ち着かせる、そのような大リーダー
が必要であることはいうまでもない。大リ­ダーは、人柄がよく、先行きが見えて決断が
早く、そして結果について責任の取れる人である。今西錦司が言うように、人柄、洞察
力、責任が大リーダの条件だ。国民の目から見て決めるべきはさっさと決めてほしいので
ある。小田原評議をしていても始まらない。そして失敗したときは責任を取ってほしい。
第4節 今西錦司のリーダー論
私は京都大学で大学生活を送ったが、その中心は土木工学科の村山朔郎研究室と山岳部
であって、素晴らしい多くの先輩と同僚,そして後輩に恵まれて、今日の私がある。その
なかでもいちばんご縁の深かったのが松尾稔君である。研究室も一緒だったし、山岳部も
一緒だったし、悪友という言葉が適当かどうかわからないが、大学時代の試験勉強も一緒
にやったし、しょっちゅう飲みにもいった。彼は親分肌で、いわゆるリーダーである。彼
と一緒の時は常に彼がリーダーであって、私はサブリ­ダーである。
大学を卒業してから、研究室の柴田徹先生を会長にして楽友地盤研究会という親睦団体
をつくってそれなりの勉強もやってきたが、その実質的な会長は松尾稔君であった。その
時代の勉強の成果は、「21世紀・建設産業はどう変わるか―建設エンジニアのパラダイ
ム転換」(楽友地盤研究会著、松尾稔監修、2001年2月,鹿島出版)にまとめられて
いるので関心のある方は是非ご覧戴きたい。柴田先生が亡くなってからは、松尾稔君が会
長で名前も楽友研究会に変えて今も集まりを続けている。それができているのも松尾稔君
のお陰である。松尾稔君は、名古屋大学の総長をながくやったし、土木学会長もやったこ
とのある立派な学者である。
今回の東日本大震災は日本が経験したことのない未曾有の大災害であり、これから日本
は価値観の大転換を図り、この国難に立ち向かっていかなければならない。私も残る人生
をかけてできることを精一杯やっていく覚悟であるが、価値観の大転換を図るためには、
今西錦司に学ぶことが多いし、また今西錦司の教えを受け継いでいる松尾稔君に学ぶべき
ことも多い。かかる観点から、2011年5月25日に松尾稔君との対談を行なった。そ
れについては、YouTubeにアップしてあるので是非ご覧いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=pebArgmgfXw
この対談では,松尾稔君と私の仲であるのでいっさい敬語を使わないことにしたし、二
人とも京都育ちであるので京都弁でしゃべることとした。公に出すものとしてはあるいは
不適当であるかもしれないが、二人が仲の良い京都人であることに免じてお許しいただき
たい。この対談では、松尾稔君から、今西錦司のリーダー論について存分語ってもらって
いる。
岩井 今日はざっくばらんにねいろいろお聞きしたい。まず最初にね、二人とも山岳部
なんだけど、僕の場合はね、卒業してからすぐに建設省に入ったからね、山の方も自然に
途絶えていった。あなたの場合は、ずっとね、大学に残ったからね。山とのご縁も切れず
に、山岳部の諸先輩方のご縁も切れずにやってきたし、特に今西さん(今西錦司)だと
か、桑原(桑原武夫)さんだとか、西堀(西堀栄三郎)さんだとかね、親しくしていたで
しょ。可愛がられたというかね。まぁ、そういうのがあるんですけど、特にその中で、
やっぱりボスはね、今西さんなんだよね。
松尾 完全にそう。
岩井 そう、僕も何度か会合に出たんよ。山岳部のね。その時にね、諸先輩おられると
ね、必ず今西さんが真ん中や。それで、その横に西堀さんがおったり、桑原さんがおった
りしたんですね。ところで、今西さんのリーダー論ってあるでしょ。松尾は松尾の自分の
リーダー論があるかと思いますけど、まず、今西さんのリーダー論からね、ちょっと話し
てもらえませんか。
今ね、ちょっとね、日本はリーダー不足なんですよ。会社もそう、政府もそう。良いリー
ダーに恵まれてないよね。やっぱりリーダーを育成せないかんなと僕なんかは思ってるん
だけど、リーダー論についてちょっと語ってくれませんか。
松尾 あのね、ともかくリーダーっていうのはね、組織であれ、社会であれね、これは
最重要や。しかし、今回の大災害に関連して言えばリーダー不足は深刻や。今回、名前を
上げるのは差し控えるけども、当該の企業にしてもね、政府関係にしてもね、リーダー不
在というのは、いかに悲惨かということをね、もう、多くの国民が感じてると思う。
岩井も山岳部やから、よく知ってるようにね、山岳部の部室ではね、いつも皆んなが自
由に書けるノートがあった。あの中にね、毎日誰かが、リーダー論を書いていた。という
のは、なんでかというと我々の場合はやね、へまなリーダーと一緒に山に登ったら死んで
しまうわけやないか。
岩井 そうそう(笑)
松尾 山登りでは岩とか雪山やらやるからね。生命がかかってるわけやから、言われた
とおり動かないと死んでしまう。だから、それが身に染みてるわけやね。ま、そういう背
景があってね、特に山岳部の系統なんかではね、リーダーの良し悪しというのは常に頭に
置いておかんとイカン。で、そういう中で僕個人のことでいうとね、今、君が言うたよう
に、やっぱり山岳部で、君があげたような巨人というべきような人たちと親しくしていた
だいたというのはね、自分の人生観を決定づけた。と、僕は思うんやけどね。
岩井 なるほど
松尾 ま、その中に今、今西さんの話が出たね。で、今西錦司という人はね、これはも
う、ほんまもののリーダーや。失礼な言い方だし、違うと言う人いるかもしれんけど、俺
の見てる限りでは今西さんが永世リーダーで、西堀さんがね、サブリーダーで、クワハン
ね。桑原武夫大先生がマネージャーかな。そういう感じや。
岩井が今西さんのこと語れというけど、実を言うとね、今西さんのことを語るという資
格もないしね、本当は、そんな能力もないんやけど、それでも、まぁ知ってることを伝え
るとね、ともかく、僕は個人的にね、リーダーというのはこうあるべしということをね、
何回か聞いたんや。あの人は、ものすごい怖い人やったらしい。ちょうど卒業年次でいう
と昭和20年代の連中にしたらね、もの凄い怖かったらしい。しかし、僕なんかにはね、
もの凄い優しいねん。何でか言うと、孫くらいやから(笑)まぁ、孫というと語弊がある
けどね。非常に可愛がってもらった方でね。ともかくね、今西さんはリーダーというもの
がいかに重要かということを言われた。
僕、その頃のノートやメモを取ってあるんだけどね、書いてあることのひとつはね、人
柄ですよ。人格、人柄。人格というのは、かってに俺が後で考えて付けたんやけどね。実
は今西さんはね、人柄と言うてはるわ。人柄。
それからね、二つ目は、順番はちょっと忘れたけどね、先見性。先見性という言葉は使っ
てなかったかもしれんけど。
岩井/松尾(同時) 洞察力!
松尾 洞察力みたいなもんやね。洞察力。それから、三番目はね、これ、もの凄い大事
なんやけどね、常に責任を取る覚悟。これを言うてはるねん。
それでね、僕はそれを人に語らんならん時があってね、どこかで読んだなと思ってね、
探したんや。なかなか見つからなかったけど、とうとう探し当てた。自然学の提唱という
ね、小さいインタビューに答えてはるんや。一九八六年のこと。今西先生はね、一九九二
年に亡くなってるはずやからね、本当に晩年の貴重な資料やね。その中に、やっぱり語っ
てはる、その三つを語ってはるんや。
それで、今、岩井ね。人をつくらなならんと言うたやろ。その資質が有る人間をね、育
てなあかんと。今西さんはね、どういうて言うてはったかゆうたら、リーダーちゅうのは
ね、生まれつきのもんやというのが、あの人の言い方やね。つまりね、人柄ってなものは
ね、生まれついてのものやというわけや。洞察力も。
そやけど、俺がよく今西さんに言われたのは責任や。責任取る覚悟が出来てるというの
はね、もう、相当にトレーニングを積まな出来まへんでと、いうことやねん。
岩井 あぁ、そうか。
松尾 そら、それぞれの立場があるやろ。あんまり、そんな詳しいこと言わはれへんだ
けど、要するに、どういう時には、どういう責任を取ることができるるかっちゅうことを
ね、常に考えてやらなあかんと、いうのがね、今西さんの言い方やったと思う。
岩井 なるほど。
松尾 俺はそう思う。まぁ、それぐらいで良いと思うんやけどね。もう一つだけ言うと
くとね、加藤泰安って、もちろん知ってるやろ。
岩井 知ってるよ。
松尾 大登山家やな。僕らの先輩の。あの人の言い方するとね、リーダーというのは天
才型と努力型があるって言うんだよね。努力型っていうのはね、調整やってゆく人だっ
て、立派なリーダーになるわけやから、そらそれで、また良いやんか。そやけど、天才型
の典型が今西錦司やというわけや。
岩井 そうかもしれんなぁ。うん。
松尾 ともかく洞察力とかね、決断力とかにもとづいて、行動なんかの批判は、絶対許
さんというわけだよ。そやから、こういう大将に付いて行く方としたらやな、もう、迷惑
至極というわけや。なんか批判でもしたら、そんなもん、ぶん殴られるくらいに怒るとい
うわけや。(笑)そやけど、言うたとおりになる、ちゅうわけや。結果が。それが、今西
さんや。クワハン、桑原武夫先生がね、「今西錦司序論」かな。なんかに書いてはるのが
あってね、ともかく、あれは、エゴイストじゃなくてエゴチストやちゅうことを言うては
る。
岩井 そら、どういう意味や?
松尾 エゴイストやったらね、これは利己主義者やろ? 誰にも好かれへんわいな。エ
ゴチストちゅうのは、まぁ言うたら自惚れの物凄い強い人間やね。まぁ、一面で悪く言え
ば、自分の主張が物凄い強いとこがある。で、いい意味でのエゴチストであってね、もの
凄い、不条理やと言うわけや。何も説明しよらへんと。そやけど、なんか知らんけどね、
これについていかないかんという気分にさせる男なんやと(笑)。それが今西や、ちゅう
わけや。それで、やっぱり若い時分にはね、怒ってね、人を叩いたりしたこともあったら
しいけどね。だけど、梅棹さんなんかが書いてはるもんを見るとね、あれぐらいの年齢に
なってくると、もう、人にそういう無礼なことをやる人では絶対になかったと。やっぱ、
京都人としてのね、貴重なマナーを守る人やったと、梅棹さんやらは書いてる。ただし、
この梅棹さんとクワハンの言うてることが全く同じことはね、やっぱりね、論理的にどう
やっていうことはなく、説明せんっちゅうわけや。そやから、何が合理的かということが
わからへん。例えば、知床の時やったか・・・白頭山かな、梅棹さんなんかが、こうこ
う、こういう理由で、こういうルートを通るっていうたら、今西さんは物凄い怒ってね、
もう勝手に行けということで自分だけ違うとこへ行っちゃった。ほいで、やっとこさたど
り着いたら、もうそこで「お前ら何してんねん」ちゅうて待ってはったというわけや
(笑)
岩井 ハハハ
松尾 そう言うのが、やっぱり天才型やね。しかしそれは、先見性、洞察力とかね、そ
れから物凄い知識とかね、そういうものが背景にあるわけでね。
岩井 そりゃ恐らく先天的な物があると思うんだけども、やっぱり僕は全てがそうじゃ
なくって、先天的なものもあるけど、後天的なものもある。そう思う。特に小さい時のね
幼児教育やね、僕は非常に大事じゃないかなと。責任感にしても、洞察力にしてもね、人
柄にしてもね、僕はやっぱり後天的なものも、無いわけではないと思う。
松尾 そりゃあ、その通りや。ところで今西さんは京都でも指折りの織物の息子やろ。
岩井 そうそう。
松尾 だからね、京都ちゅうのは、まぁ梅棹さんもそうだけど、町家のね、こうずーっ
と伝統的に身についていくルールみたいなものがね、
岩井 染み付いとるんやな。そういうとこあると思うね。
松尾 だから、守らなならんルールというのをきちっと守って、言葉遣いやらでもね、
乱暴に言うちゃいかん時には絶対乱暴には言わはらへん。仲間内は別やけどね。
それから、今西さんほどの読書家はいないちゅうことも梅棹さんは書いてはる。今西さ
んの読書は物凄かったらいしいわ。
岩井 あの人ね、直感力がすごいでしょ。これも洞察力か。
松尾 それはさっき言うた(笑)一つ例をあげるとね、大学紛争があったやんか。その
頃、おれは京大の助教授やったけどな。まぁ、大変やった。何回かあったけどね。昭和四
十三年ぐらいだったかなあ東大が入学式かなんか中止したわな。あの頃の紛争でね、どこ
の大学でも学長団交ちゅうのがあった。学長団交で、学長閉じ込めるみたいな格好で、離
さへんわけやんか。二日も三日も。。
岩井 あれは、岐阜大学の学長しておられた時かな?
松尾 その時に、錦(きん)さんはね、岐阜大学の学長やんか。これはは岐阜大のひと
から聞いたことやが、岐阜大の紛争は一日で終わったちゅうんや。京大なんか何日続いた
かわからへんで。それでね、岐阜大の場合はなんで一日で終わったかちゅうことやんか。
それは、学生の側が出す要求みたいなものをね、要望いっぱい有るわけやな。それを今西
さんは次から次へとね、「ああ、いいよ」と言うてね、呑んでしまうというわけや(笑)
そしたら、事務局長とかなんやらがね、もう、びっくりしてやね、そんなことしたら困り
ますがな。ってなわけや。しかし全部呑んでしまって、それで、岐阜大はポンと終わり
や。
岩井 やっぱり、洞察力というか直感力というか、何がどうなるという行く末をね、
ちゃんと見てはるわけやな。
松尾 そうや、お前の言うとおりや。それをね、俺は錦(きん)さんから直接きいたわ
けや。この問題は、どこまで行くかという、見切りがきちっと、つけられるのがね、
リーダーちゅうもんや・・・と錦(きん)さんは言わはる。それが、洞察力やねん。
岩井 なるほど。なるほど。
松尾 そやから、この問題は、今度の場合でもどんな災害になるかちゅうことをね、
ばっと見切りがついたらね、もう、全然対応が違うはずや。大学紛争の話はね、学生が
ワーワー言うてるんやけど、これはここまで行くというのが、パーンと判るわけなんや。
それやったら、それまでの間、ぐちゃぐちゃやってたら時間かかるだけやんか。と、いう
のはね、俺が今西さんから直に聞いた話や(笑)
岩井 まぁ、兎に角、リーダーを育成しようと思って出来るもんじゃないかもしれんけ
ど、やっぱりリーダーに育って欲しいというかね、そういう風土を作っていかないかんの
でね。これから、僕は大きな課題ではないかと。
松尾 俺はそれに賛成する。岩井ね、ここは誤解があっちゃいかんのはねそこや。なん
で泰安の話をしたか。・・泰安って、こんな偉そうな言い方をしていると怒られるな先輩
に・・。加藤泰安の考えやが、ちゃんと書いたり言うたりしてはるのをわしは直に聞いて
るんやけど、天才型とやっぱり努力型があると。努力型の人もリーダーとして必要なん
や。で、努力型の人に、そんな物凄い高レベルのね資質を求めんかて、それなりのところ
で、リーダーを果たせりゃいい。だけども、超トップになるような人は、資質を持ってな
あかん。だから、岩井のそういう志は良いことやから、やっぱり、そこを区別してやね、
努力型も大事や、せやけど・・・。
岩井 天才もおるよと。
松尾 そういう人がおるんやんか、天才型の人が。
岩井 やっぱり、そりゃ見つけなあかんな。
松尾 そう、見つけなあかん。それで、見つけてやぞ、そこで教えなあかんのは、責任
を取る覚悟を教えなあかんねん。これはもう、錦(きん)さんに何回言われたかわから
ん。
岩井 これは別に今西さんのリーダー論、松尾のリーダー論に反対するわけではない。
もちろんそうなんだけどね。もう一つ、僕はね、あなたを見とってよ。松尾のやってるこ
とを、ずーっと見とってね、思うのはね、人の面倒。あなたはね、よう、人の面倒みる
わ。こないだもね、東工大の元学長の木村孟さん、土木学会の会長。あなたも土木学会の
会長やったけどね。その木村孟さんと、あるところで話をしよったんや。でね、やっぱり
松尾に対する尊敬の念ちゅうかね。。あの人はね、あんた松尾稔やから、みーさん、みー
さんって言いよるよ。みーさんは凄いって言うんだよ。なぜ、木村孟さんが、そういうこ
とを言うのかなぁとつらつら考えたらね、あなたが色々面倒を・・まぁ、面倒見るって
言ったらおかしいけどね、あの、やってるんだよ。それは、松尾の凄いとこやなっと僕は
思ってるんですよ。
松尾 いや。ありがとう。
岩井 松尾にさっきの三つは勿論あるとしてやね、且つ、松尾ほど面倒見のええ男はい
ないんじゃないかと僕は思ったりしてますのでね、それだけちょっと、付け加えときま
す。
松尾 おおきに(大笑)それはね、時々言うてくれはる人があるわ。。
岩井 そやろ!
松尾 もう、忘れてしまってる人もあるんだけどね、やっぱり、それぞれの場でね、活
躍もして欲しいしな。だから、出来るだけね、もう、やりとうても、出来んようになるや
んか。そういう、出来る立場が有る場合もあるしね。まぁ、そういう時はまた、特にね、
一生懸命やってきたつもりやけど。岩井の考え。泰安がが言うてはる、努力型というか調
整型というかね、そういう人も僕はね、それぞれのポジションで、リーダーとしては、非
常に大事やと思うやんか。そやから、その人達は、その人達で大事なんだけど、まぁ、国
全体とかさ、あるいはもうちょっと小さくてもね、会社全体とかね、そういうようになる
と、非常に、組織が順調に行ってる時はね、いいんだけど、危機管理を迫られるというよ
うな時には、突出した天才型が必要やな。
第5節 セネットのポピュリズム
ポピュリズム(大衆主義)は、必ずしも理想的な姿ではないが、現在のところ、積極的
に肯定できる社会思想である。私は、政治も進化していて、ようやくにしてこのような良
い政治になったと考えている。これからも進化しつづける。しかし、現時点で言うと、政
治は良い姿になっていて、プラトンのいうような「哲人政治」は時代に逆行した「カビの
生えた遺物」でしかない。
リチャード・セネットというアメリカの社会学者がいる。1943年シカゴ生まれ。リー
スマン、エリクソンらに師事し、20代半ばから都市論などを発表し注目を浴びる。73年
よりニューヨーク大 学教授を務め、同大学人文学研究所を設立。現在はマサチューセッ
ツ工科大学(MIT)およびロンドン経済学校(LSE)教授としてロンドン在住。小説も発表
し、プロ級のチェロ奏者でもある。彼は、著書「不安な経済/漂流する個人―新しい資本
主義の労働・消費文化」(翻訳者森田典正、2008年1月、大月書店)の中で、次のよ
うに言っている。すなわち、
『 私の主張の要点は人々の怠惰にあるのではなく、人々に職人的思考を難しくする政治
的風潮を経済がつくりだしたということにある。「柔軟な」労働を中心にして築かれた組
織において、何かに深くかかわることは、労働者をうち向きなものに、あるいは、視野の
狭いものにすると恐れられる。くりかえしていえば、ある特別な問題に必要以上の興味を
覗かせる者は、能力判定を通過しない。いまや、科学技術自体が関与を求めないのだ。』
『 「組織のフラット化」「短期的価値の追求」といった「グローバリゼーション」に伴
う一部の先端的な企業のあり方が広く「社会の趨勢」とされ、「プロテスタンティズム」
と衝突し、コミットメントが軽視され、政治でさえも商品のように消費されるようになっ
た、ということだろう。「関与を求めない」の意味するところがどこにあるか分からない
が、科学もまた、そうした「短期的価値の追求」に染まっている部分はあるだろう。科学
者も同じ社会に生きているのだから、当然それに影響される。問題はこの次にコミットメ
ントの復権、職人的価値の復活が「来る」のかどうかである。』
『 人々はウォルマートで買い物するように、政治家を選択してはいないか。すなわち、
政治組織の中枢が支配を独占し、ローカルな中間的政党政治が失われていないか。そし
て、政治世界の消費者が陳列棚の名の知れたブランドにとびつくとすれば、政治指導者の
政治運動も石けんの販売宣伝と変わりないのではないか。』・・・と。
また、山口二郎は、ブログの中でリチャード・セネットの考えを視野に入れながら、次
のように言っている。すなわち、
『 現代の民主政治においては、各人の知的能力や政治的関心の度合いには無関係に政治
参加の権利が与えられている以上、大衆の気分が政治に大きな影響を与えることは不可避
である。』
『 ポピュリズム批判もかなり長い歴史を持っている。』
『 ポピュリズムの第1の特徴は、庶民(common man)の欲求と怨嗟を原動力として
いる点である。 第2の特徴は、指導者との直接的結合を目指すという点である。 第3
の特徴は、単純な善悪二元論と敵と目されるものや異質なものの排除という発想であ
る。』
『 以上がポピュリズムの基本的な特徴であるが、19世紀から20世紀中ごろまでの近代
と20世紀末以降のポスト近代とでは、大きな違いも存在する。基本的な前提としては、経
済的達成と、メディアの発展の度合いに関する大きな違いがある。 ここでいう近代とポ
スト近代という2つの言葉は、イギリスの政治学者、コリン・クラウチの『ポストデモク
ラシー』(近藤康文訳、青灯社、2007年)から示唆を得た概念である。クラウチは、20
世紀に確立し、1970年代まで維持された、組織的政治参加の拡大+平等主義的福祉国家
プログラムのパッケージをデモクラシーの最盛期と捉え、1990年代以降、組織の弛緩と
政治参加の停滞、新自由主義的経済構造改革の展開、不平等の拡大などが結合したポスト
デモクラシー段階が始まったと捉えている。こうした歴史区分は、リーダーシップのあり
方や庶民、大衆を政治的に動員する方法についても当てはまる。言い換えれば、20世紀
後半までのデモクラシー(ここでいう近代)と21世紀以降のデモクラシー(ここでいう
ポスト近代)を区別する必要がある。ポピュリズムはデモクラシー段階とポストデモクラ
シー段階の両方に存在するが、その内容は大きく異なる。』
『 近代のポピュリズムは、平等化のベクトルに沿って動いてきた。リーダーはコモン
マンの代表あるいは化身であった。そして、政治という活動は、価値獲得の手段であっ
た。19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカでは大企業の横暴に対抗する農民運動が
活発化したが、そのスローガンは「富の分け前をよこせ(share our wealth)」であっ
た。まさに、価値を再分配し、社会の平等化を進める政治運動がポピュリズムであっ
た。』
『 これに対して、ポスト近代のポピュリズムは、正反対のベクトルに沿って動いている
ように見える。まず、ポスト近代のポピュリズムは、差別のベクトルを内包している。た
とえば現在の日本ではグローバリズムがもたらす経済的不平等はなかなか政治争点化しな
かった。ポピュリズムは富の再分配や平等化とは結びつかない。むしろ、「公務員」対
「民間の低賃金労働者」、「都市の無党派層」対「農民、建設業者」という、全体の貧富
のスケールから見れば小さな差異が争点化される一方、「ヒルズ族」と「ワーキングプ
ア」の間に存在するような巨視的な不平等は放置される。』
『 ポスト近代のポピュリズムは、庶民の政治的受動性と結びつく。』
『 庶民はリーダーの権力基盤を強化している。そこにおいて庶民は、自ら行動するより
も、与えられた構図の中でリーダーが期待する役割を演じるという受動的な性格を持って
いるにすぎない。』
『 変化の不可逆性を認識しつつ、ポスト近代のポピュリズムが持つ陥穽をも見据えよう
というのがセネットの戦略であろう。彼は、現代の民主政治において、人々が市民から消
費者・観客に移行することによって、「能動的に受動的状態に入ろうとしている」という
逆説を見出す。その過程について、次の5つの要素を指摘している。第1に、政党・政治
家の打ち出す政策が相似的になる。第2に、だからこそ政党・政治家は本質的ではない争
点をめぐって対決を演じる。第3に、消費者・観客は、人間の持つ複雑性や曖昧さを受容
できなくなる。第4に、人々はより利便性の高い政治を信頼するようになる。第3、第4
の要素が重なり合えば、人々は、複雑な政策論を拒否し、単純明快な解決(英語で言う
quick fix)を求めるようになる。第5に、継続的に供給される新しい政治製品を受け容れ
るよう促される。』
『 大量消費の資本主義文化に対抗する方策の1つとして、セネットは職人技(クラフト
マンシップ)の重要性を指摘する。安価な大量生産の商品が市場にあふれるからこそ、手
作りの製品も市場での居場所を確保できる。同じことはメディアにも当てはまるであろ
う。メディアが視点をずらす可能性を提示できるかどうかに、ポスト近代の民主主義の可
能性がかかっているということができる。』・・・と。
問題は、政治家にも、セネットのいう職人技(クラフトマンシップ)が必要だというこ
とではないか? また、政治も音楽やスポーツと同じように、ひとつの文化だから、やは
りエリート教育が必要ではないか? その際には今西錦司の「リーダー論」が基軸になる
と思う。
第6節 市場経済について
市場経済は、ポピュリズムを生み出す。ポピュリズムは、現在のところ、「民意!民
意!」と言いながら、本当に民意が反映しているのか? 以下、そのことを説明しよう。
市場経済社会とは、すべての生産者と消費者との関係で成り立っている。この場合、生
産者とは企業だけではなく、個人的に、物やサービスや芸などを売っている人を含んでい
るが、経済社会に与える影響力は企業の力が圧倒的に大きい。プロシューマという面白い
言葉がある。生産消費者 (せいさんしょうひしゃ、prosumer) もしくは生産=消費者、プ
ロシューマーとは、未来学者アルビン・トフラーが1980年に発表した著書『第三の波』
の中で示した概念だが、生産者 (producer) と消費者 (consumer) とを組み合わせた造語
であって、生産活動を行う消費者のことをさす。清水博の関係子(メディオン)もそうだ
が、両者が「響き合い」の関係にある。そういう響き合いというものはあるのだが、第一
次的に主体をなすのは、関係子(メディオン)であり、生産者(プロデューサー)であ
る。
さて、企業は、生産物を売ってより多くの利潤を追求しようとする。そのために企業は
さまざまな戦略をたてる。企業の存続と成長は、現在から将来にわたる市場の動きと変化
の中で、それらの背後に ある基本的原則を踏まえて対応し、長期的に安定した利益をで
きる限り多く確保できる状態を、自らの働きかけを通じていかにして造りだせるかにか
かっている。このような存続と成長の基盤を競争企業より優位なものとして造りだそうと
することを、「差別的優位性の追及」などと呼ばれたりする。企業経営の本質は、「差別
的優位性」の追求であるといって も過言ではないだろう。
「差別的優位性」を追求する企業の経営戦略において中心的役割を果たすのが、マー
ケティングである。マーケティングがその重要な役割を果たすには、現在から将来にわた
る市場の動きと流れの中で、活動の基本的方向を定める戦略と、それにもとづいてヒト・
モノ・カネという資源を用いて行う活動の仕組みを必要とする。 企業は現在から将来に
わたって、財・サービスを商品として消費者に提供し、その見返りよりなる売上高から、
それを開発・生産・流通・することに要した費用を差し引いた利益を最大になるよう行動
する。売上高は数多くの企業が提供する商品の中から、消費者が選択し購 買することに
よって生み出される。企業が売上高を上げるには、商品そのものの質、価格、広告、それ
に販売促進である。
このように企業が売上高を上げるために、消費者に対して働きかける活動がマーケテ
ィングと呼ばれている。その働きかけは、上記の四つを基本的要素として組み合わせる こ
とによってなされ、その組み合わせをマーケティング・ミックスと呼んでいる。
市場経済社会とは、すべての生産者と消費者との関係で成り立っているが、企業の力は
絶大で、企業の論理で動いているといっても過言ではない。消費者は、それに飼いならさ
れてしまっている。消費者は企業の生産したものを買うだけである。消費者は神さまなど
ということもあるけれど、消費者は結果を買うだけである。もちろん、結果として市場に
出てくる商品を買って、使ってみて善し悪しを感じてはいるが、生産に消費者の論理が働
く訳ではない。プロシューマとしての消費者は、生産にも携わるけれど、会社の中で働い
ているだけで、おおよそ消費者の論理が使われている訳ではない。消費者というものは、
弱いものである。生産者のあてがいぶちを生きているのである。それが市場経済社会の本
質だ。
市場経済社会で、消費者は、 結果として市場に出てくる商品を買って、使ってみて良し
悪しを感じるだけである。このことは、政治も言えることで、政治家が作る政治的な物や
事をただ受け取って、その良し悪しをいうだけである。かかる観点から、政治家が作る政
治的な物や事は政治商品と言い代えてもいい。一般大衆は、生活用品をスーパーマーケッ
トで買うがごとく、政治商品を買っているのである。したがって、一般大衆は、難しい事
は何も考えなくていい。とにかく気に入った物を買っておればいい。そして、後で、良い
とか悪いと言っておれば良いのである。こういう情けない状態も、結局は、市場経済のな
せる技である。市場経済社会である以上、それでしかたがない。
政治家は、企業がそうであるのと同じように、良い政治商品を一般大衆に提供していけ
ば良いのである。それがポピュリズムの本質だ。
第7節 政治家よ!「関係子」たれ!
東大名誉教授に清水博という生命学の大先生がおられ、『場の思想』(2003年・東
京大学出版会)という本を出された。清水先生は1932年生れで、私より6つ歳上であ
る。 東京大学の薬学部を出られた薬学博士であるから、薬の先生かと思っていたらとん
でもない。大学院時代は化学物理学を学ばれ、ハーバード大学やスタンフォード大学でも
研究生活をされた生命学の大家である。
生命に関する学問をバイオホロニスというが、先生の研究は、生命というものを分子の
レベルから解明しようとするもので、世界最先端の研究である。
先生は、九州大学理学部教授をされた後、東京大学薬学部の教授を務められ、定年後は
金沢工業大学で「場の研究所」なるものを始められた。この生命学の権威である清水先生
が、哲学を学ぶものの必読の書といえるような前記の本を出されたのである。
清水の著『生命を捉えなおす』(中公新書)の初版は1978年だが、その後研究が進
み、増補版が出たのが1990年である。とくに注目すべきは「関係子」という考え方で
あろう。中村雄二郎は「メディオン」と呼んだらどうかとアドバイスしたようだが、中村
のリズム論とも関係が深く、関係子が発生するリズムの「相互引き込み現象」は清水博の
画期的な発見である。関係子に関する研究はこれからどんどん進み、生命の神秘がもっと
明らかにされるであろう。関係子の着想は実に素晴らしいのだが、近著『場の思想』に、
その話が出てこないのは誠に残念である。
清水博のイメージする「関係子」の概念について、要点を説明しておきたい。
私は今まで、生命学という言葉を使ってきたが、清水博は、生命学とは言わないで、
「生命関係学」と呼んでいる。関係性というものの重要性を充分認識したうえでのことで
ある。生命システムには、多様な複雑性とそこに自己組織される秩序があるというのが清
水博の考え方であるが、この秩序は一義的なものではなく多義性に富んだものである。
では、秩序の多義性というものはどこからくるのか? 清水は、生命の働きを生成的、
関係的にとらえない限り、この問題は解けないと考えている。関係性の重視である。その
粒子がたくさん集まったとき、その状態によってグループとしてのさまざまな機能が出現
してくるのだそうだ。もちろん粒子ごとに特定の機能というものはあるのだが、グループ
としての機能はそれら個々の機能の合計ではなくて、全く別の新たな機能が出現してく
る。それはなぜか? 多くの粒子がどのような状態になっているか、それら粒子と粒子の
間の関係性により、いろいろな機能が出現する。よって関係性というものが重要となり、
それに着目して研究を進める必要がある……というのが清水の考えである。
劇場で役者が即興劇を演じる。観客がそれを見ている。そこには照明装置や音響装置な
ど劇場としてのシステムがある。即興劇を演じる役者は、あらかじめ劇場主、シナリオ作
家、演出家から必要な情報を与えられているが、いったん幕が上がると、あとはもう観客
と一体になってその場の雰囲気で臨機応変に演じる。それが即興劇であるが、清水は『生
命を捉えなおす』のなかでこう言っている。 「役者の演技は、大まかな筋という拘束条
件のもとで、大ざっぱに決められますが、具体的には役者同士の演技の相互関係によっ
て、選択されたり、つくられたりしながら劇を進行させていくのです。その演技は、全体
として一つの筋を生成的に自己組織しながら展開していく必要があり、場違いな演技をす
ることはできません。」
そこには環境とシステムは出てくるが、活動主体が記述されていない。そこでは操作情
報という言葉が使われており、情報を自己組織する活動主体というものを念頭に置いて、
清水はそれを関係子と呼んでいる。すなわち関係子とは、システムや環境から発せられる
さまざまな情報を受け取って、臨機応変に自らの活動に役立つ操作情報を自己生産するも
のである。つまり自己組織するとは、自己生産しながら自分の組織に組み込んでいくとい
うことである。要するに、関係子というのは、意味のある操作情報を自己組織するのであ
る。
関係子(メディオン。名付け親は中村雄二郎。)は舞台の役者、意味ある操作情報は観
客。政治で言えば、関係子は政治家、意味ある情報は大衆である。政治家にとって意味あ
る情報を大衆が発している。それを捉えて政治家は自己組織化するのである。ちょっと判
りにくいですかね。ざっくり言ってしまえば、政治家と大衆とが互いに響き合う、それは
とりもなおさず清水博のいう「生命原理」なのである。ポピュリズムというのはそういう
「生命原理」に合っている。ポピュリズム(大衆主義)における政治家というのは、大衆
を相手に「即興劇」を演ずれば良いのである。ポピュリズム(大衆主義)における政治家
というのは、大衆を相手に一生懸命「即興劇」を演じて、もし大衆から、大根役者と罵倒
が浴びせられたら、舞台から引っ込めば良い。そういう覚悟を以て、政治家という役者
は、大衆と響き合えるよう、一生懸命政治をやればいいのである。それがポピュリズムと
いうものだ。
第2章 プラトンについて
第1節 都市国家ギリシャ
ウィキペディは、プラトンを次のように説明している。『 プラトンは紀元前427年、
アテナイ最後の王「コドロス」の血を引く貴族の息子として、アテナイに生まれた。
祖父の名前にちなみ「アリストクレス」と名付けられたが、体格が立派で肩幅が広かった
ためレスリングの師匠であるアルゴスのアリストンにプラトンと呼ばれ、以降そのあだ名
が定着した。』・・・と。
ギリシャの首都は、現在、アテネというが、古代は「アテナイ」といった。したがっ
て、私は、ここではプラトンの頃のギリシャを問題にするので、古名をつかって「アテナ
イ」という。プラトンは紀元前5世紀の人であるが、その頃のギリシャという国はどうい
う国であったのだろうか。プラトンを理解する上で最低限必要な事柄を説明しておきた
い。上記のウィキペディアの説明では、レスリングの師匠・アリストンに呼ばれていたあ
だ名が「プラトン」であるということだが、その文書のなかに大きな疑問がある。
アリストンはスパルタの人であるが、アテナイの若者が何故スパルタの人にレスリング
を教わらなければならなかったのか? アテナイとスパルタというのは、しょっちゅう戦
争をしていたのではなかったのか? だとすれば、スパルタの人がアテナイの若者にレス
リングを教えるというのは不思議ではないか。
次の疑問はプラトンは王の血筋を引く貴族だが、何故そのような高貴な人がレスリング
を訓練しなければならなかったのか? では、これらの疑問を念頭に、当時のギリシャについて最低限の説明をしておきたい。
ギリシャの特徴として都市国家であるという点が上げられる。世界の歴史のなかでギリ
シャがもっとも華やかな都市国家らしい都市国家であって、都市国家の典型がギリシャで
あるといってよい。では、何故ギリシャにおいて典型的な都市国家が形成されたのか? そのことを考えてみたい。
次の図は、国立科学博物館が行なった「日本人はるかなる旅展」に展示された図である
が、この図に示されているように、人類がスンダランドから黒潮に乗ってはじめて日本列
島にやって来たのが5万年前である。スンダランドは、インドネシアの付近にあったが、
百数十メートルの海面上昇によって今は海底に沈んでいる。人類がスンダランドに到達す
る前の拠点はトルコからメソポタミアにかけてのアッシリア地方である。10万年前にア
フリカで人類が誕生して、6万年前にアッシリア地方に人類の拠点ができる。
人類学では、かつては世界の三大人種をネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドと呼
んできたが、 今日ではそれぞれ主な居住地域から、「アフリカ人」、「ヨーロッパ
人」、「アジア人」という呼び方で分類している。「アフリカ人」は、ホモ・サピエンス
誕生以来ずっと故郷の地に暮らし続ける肌の黒い人々。「ヨーロッパ人」はアフリカを旅
立ったのち、東に向かったわれわれの祖先たちと別れ、欧州に住み着いた人々を指す。そ
して、太陽の昇る方向を目指して長い旅を続けた集団を「アジア人」と呼ぶ。ともにアフ
リカを出発し、西に進路をとる「ヨーロッパ人」と東の「アジア人」が別れたのは、アッ
シリア地方においてであり、遺伝学の分析によると今から六万年前のことである。
アッシリアは、メソポタミア(現在のイラク)北部を占める地域のことであるが、そこ
に興った世界帝国のことをいう場合もある。アッシリアは、チグリス川とユーフラテス川
の上流域を中心に栄え、後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。紀元
前10世紀末のことである。アッシリアの歴史時代は紀元前15世紀から始まるが、それ
までの文字のない先史時代においても、後期旧石器時代(約3万年前から約1万年前ま
で)、新石器時代(約1万年前から4000年前まで)、青銅器時代(4000年前から
1500年前まで)のそれぞれにおいてそれなりの文化があったことは言うまでもない。
先史時代が随分永いのである。6万年前に人が住み始め、ずっと継続して文化を育んでき
たが、国家というものができたのはごく最近のこと言わざるをえない。
この絵は、フランスの西南部のラスコー洞窟の壁画であるが、約1万5000年前のも
のである。このオーリニャック文化と呼ばれる文化は、地域的にはおおむねフランス、イ
タリヤ、スペインであり、バルカン半島やアッシリア地方ははずれているが、これらの地
域にもオーリニャック文化と同じような石器が出土している。地中海を中心にしてヨー
ロッパはかなり高い文化水準にあったと考えて良い。アッシリア地方の文化は、そこに人
類が住むようになった約6万年まえから連綿と続いていって、約1万5000年前には、
オーリニャック文化とまあ同じような水準まで発達してきて、3500年前、すなわち紀
元前1500年頃に、エジプトやメソポタミアを呑み込む大帝国を作った。ギリシャを理
解する上で、このことの理解がきわめて大事であり、少し回り道かもしれないが説明をし
ているのである。もう少しつきあってほしい。
エジプトの王朝はおおむね紀元前3000年前ぐらいから始まるが、かの最大ピラミッ
ドで有名な「クフ王」の頃(おおむね紀元前2600年頃)がエジプトの最盛期であった
と思われ、その後、アッシリアに征服される。紀元前7世紀半ばのことである。
ところで、ご承知のように、地中海でクレタ文明が栄えたのは紀元前20世紀から紀元
前15世紀までの約500年間であるが、ミケーネ文明は、紀元前15世紀頃、スパルタ
が侵入してくる以前のペロポネソス半島で興り、ついにはクレタ文明を滅ぼしてしまう。
このころ、ミケーネの勢いは強く、トロイをも滅ぼしてしまう。このトロイ戦争について
は、ホメーロスが叙事詩『イーリアス』が謳っているので、みなさんもよくご存知にこと
である。しかし、ミケーネ文明を支えていたペロポネス半島の諸都市は海賊のために破壊
され再起できなくなってしまう。しかし、その後、フェニキア人が活躍し、さすがの海賊
も鳴りを潜める。フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる
地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都
市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベ
リア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファ
ベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。
フェニキア人の建設した主な主要都市には、ティルス(現在のスール)、シドン、ビュ
ブロス、アラドゥスなどがあり、海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃
に繁栄を極めた。さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に
広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。
しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて
服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っ
ていった。
この画像ではちょっと判りにくいが、赤印がギリシャの交易都市・ポリスであり、黄印
がフェニキアの交易都市・ポリスである。
上述したように、ともにアフリカを出発し、西に進路をとる「ヨーロッパ人」と東の
「アジア人」が別れたのは、「アッシリア地方」においてであり、遺伝学の分析によると
今から六万年前のことである。その後アッシリア地方を中心として、ヨーロッパではオー
リニャック文化を初めとし、バルカン半島やアッシリア地方もそれに準ずる文化的発展を
する。そして遂には、アッシリアがメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築くこ
とになる。紀元前10世紀末のことである。交通という観点から言えば、これらの動きは
すべて地中海の海上交通の重要性を高めることに繋がるものであり、クレタ文明の勃興に
引き続いてフェニキア人の活躍を経て、ギリシャの交易都市・ポリスが世界的にも珍しい
華やかな発展をすることになるのである。ギリシャという都市国家の発達は、人類大移動
に際して大きな役割を果たした「アッシリア地方」の存在があってはじめてなし得た歴史
的必然であったと思う。
第2節 アテナイとスパルタ
ギリシャの交易都市・ポリスの代表はアテナイ(アテネの古名)とスパルタである。
アテナイの人びとがアテナイに定住したのは紀元前20世紀の頃と推定され、紀元前12
世紀頃にはドーリス人の侵入をうけ周辺村落は次々と征服されたらしい。アテナイは、こ
れをしのいで何とか王政を維持しつつ存続した。
一方、スパルタがペロポネソス半島にやってきたのは比較的新しい。紀元前10世紀ころ
にギリシア北方からペロポネソス半島に侵入し、ミケーネ文明の人びとを征服し奴隷(ヘ
イロタイ)にした。スパルタは、リュクルゴス制度という社会制度がもの凄くしっかりし
ていた。土地の均等配分、長老会設置、民会設置、教育制度、常備軍の創設、装飾品の禁
止、共同食事制がその基本である。リュクルゴスというのは、諸国遍歴の末、この制度を
スパルタに成立させた伝説的な立法者である。紀元前743年、スパルタは自分たちの部族
の統一もままならない中、西の隣国、メッセニアを征服した。この戦争はスパルタがギリ
シアの強国となるための一つのステップであったといえる。このため、スパルタは、当時
のポリスのなかでもその領域は例外的に広かった。奪った土地はスパルタ市民に均等配分
され、約15万人とも25万人ともいわれるヘイロタイは奴隷の身分から解放されることも
移動することも許されず、土地を耕してスパルタ人に貢納した。スパルタは、市民皆兵主
義が導入され、日頃から厳しく訓練して反乱に備えた。ヘイロタイに反乱の兆しが見られ
ると、クリュプキアと呼ばれる処刑部隊が夜陰に紛れてヘイロタイの集落を襲った。ま
あ、スパルタは徹底的に厳しかったんですね。教育もスパルタ教育!
さて、冒頭の疑問点に戻ろう。アリストンはスパルタの王家筋の人であるが、アテナイ
の若者が何故スパルタの人にレスリングを教わらなければならなかったのか? まずこの
点から説明したいと思う。
アテナイとスパルタというのは、ライバルとして争う敵国ではなかったのか? だとす
れば、スパルタの王家筋の人がアテナイの若者にレスリングを教えるというのは不思議で
はないか。私は最初そう思ったのである。しかし、よく調べてみると、プラトンの生きて
いたのは、 紀元前427年から紀元前347年である。プラトンの生まれた少し前か
ら、アテナイとスパルタは断続的に戦争状態を続けていたが、プラトンの青年期は、アテ
ナイのろう城作戦も疫病のために功を奏せず、スパルタの圧勝で戦争は終わった。戦争は
終わっていたので、スパルタの王家筋の人がアテナイの若者にレスリングを教えるという
のはあり得るかもしれない。しかし、何となく腑に落ちないものが残る。で、気がついた
のである。そうだ!オリンピアの祭典だ。
オリンピアの祭典は前8世紀から4年ごとにずっと開かれている。各ポリスから選び
抜かれた 選手達がオリンピアに集まって、円盤投げとかレスリングとか、戦争に直接関
わるような競技が中心だが、それで栄誉を競い合うわけだ。優勝しても賞金とかないけれ
ど、全ギリシアにその名前がとどろき渡って、優勝者の彫像が作られて神殿に奉納された
りする。名誉なんですよ。
重要なのが「オリンピックの平和」というものである。「エリス」というポリスがオ
リンピアの祭典を主催するのだが、開催前には「エリス」から開催を告げる使者が全ギリ
シアのポリスをめぐってすべての戦争の休戦を告げるのである。オリンピックは三ヶ月間
やるんだけれど、その間は一切戦争は禁止というわけだ。各ポリスは これをちゃんと守
るのである。これは凄いことですね。何故、ギリシアではスポーツ競技会のために戦争ま
で中止したかというと、オ リンピックそのものがゼウス神に捧げる儀式だからである。
宗教行事と言ってもいい。ペルシアの大軍がギリシアに攻め込んできた時にも、オリン
ピックは開催している。神に捧げる儀式だから、やめたくてもやめられないような性質の
ものだったんですね。
次の疑問はプラトンは王の血筋を引く貴族だが、何故そのような高貴な人がレスリング
を訓練しなければならなかったのか? これが少年愛に繋がるいちばん大事なところであ
る。ギリシャのポリスは交易都市であり、「自由」がその本質である。自由に交易を続け
るためには、他都市や他国の支配を受けるようではダメだ!「命」をかけて自分たちの
「自由」を守らなければならない。大なり小なり戦争は起こる。専守防衛に徹するにして
も「命」をかけて「自由」は守らなければならないのだ。若者の責任はそこにあり!特に
リーダーの責任は重い!そういう考えがギリシャのポリスの常識になっていた。ポリスの
文化というものはそういうものであったのである。プラトンは王の血筋を引く貴族だが、
そのような高貴な人が何故レスリングの訓練をしたかというと、心身ともにおおいに鍛
え、いざというときに率先して戦うためだ。ポリスの自由を守るためだ。
このように、当時の名門家では文武両道を旨とし知的教育と並んで体育も奨励され、実
際プラトンはイストミア祭のレスリング大会で2度も優勝している。オリンピアの祭典で
は成績を上げられず、学問の道に進みソクラテスに弟子入りしたのだが・・・。
ギリシャという都市国家は、「人類はるかな旅」において、生まれるべくして生まれた
国家であり、プラトンという人物も、ひとつの歴史的必然性として、生まれるべくして生
まれたのだ。
第3節 青年プラトンを取り巻く政治情勢
ウィキペディは、プラトンを次のように説明している。 『若い頃は政治家を志していた
が、やがて政治に幻滅を覚え、ソクラテスの門人として哲学と対話術を学んだ。紀元前
399年、アテナイの民主派によってソクラテスは、「神々に対する不敬と、青年たちに害
毒を与えた罪」を理由に裁判にかけられ、死刑を宣告され、毒杯を仰いで刑死す
る。』・・・と。
ウィキペディアのこの説明部分を読んでいて、どうも判らないのが当時の政治情勢であ
る。プラトンが幻滅を覚えて政治家になることをあきらめたり、大哲学者のソクラテスが
死刑に処せられたり、当時の政治はめちゃくちゃだったようだ。
では、上記のウィキペディアの説明を念頭に、当時のギリシャの政治情勢について最低
限の説明をしておきたい。
ギリシア人社会における世界大戦とも考えられるペロポンネソス戦争は、プラトンが23
歳になる前404年、アテナイの敗北をもって終わる。 そして、スパルタの占領軍を背後の
力にたのんで、海外亡命から帰国したクリ ティアスたちが、30人の独裁政権を樹立する
のである。クリティアスは、プラトンの母親の従兄でプラトンより30歳ほど年上だが、
ソクラテスの弟子であり、プラトンの若い頃にアテナイの政権を握ったことのある大政治
家である。独裁者クリ ティアスは、次々に反対派を死刑や国外追放に処し、ソクラテスに
「次々に牛を減じて質を悪化させた牛飼い」と皮肉られる。これを受けクリティアスは、
ソクラテスに30歳以下の若者との会話を禁じた。しかしクリティアスの独裁政権はすぐに
転覆される。海外亡命から遅れて帰国した民主派の人びとがふたたび国内に足場をつくっ
て内乱を起こすのである。折しも悪くクリティアスが頼りにするスパルタの国論
に分裂が生じたために、クリティアスの独裁政権は短日月のうちに転覆されるのである。
かくしてアテナイに民主制が回復されるのだが、クリティアスは、若い頃ソクラテスに最
も近い仲間のひとりであり、そのことは周知の事実だった。こうしたこともあって、ソク
ラテスは、民主派の人々からクリティアスのような危険人物を教育したと思われていたの
ある。すなわち、ソクラテスは反民主派の黒幕であるとされていたのである。そしてソク
ラテスは民主派の人たちのよって危険人物として告発され、処刑され ることになる。プラ
トンが28歳のときである。
プラトンの青少年時代は、このような戦争と革命の時代に重なっているのである。トゥ
キュディデスの史書は、戦争が一種の暴力教室であっ て、人々の心情を強引に時局にし
たがわせ、道徳の内容を変化させてしまうことを語っているが、内乱や革命の経験もま
た、いっそうひどいものであると言 わなければならない。プラトンはその青年時代にお
いて、最も身近な人である クリティアスやソクラテスの非業の死をとおして、その苛酷な
経験をしたのである。プラトンは、あらゆる理想主義哲学の代表者であるが、しかし彼
は、ただ甘い夢をみるだけの理想家ではない。彼の理想主義は、このような苛酷な現実の
きびしい認識から生まれてきているのである。
第4節 少年愛について
さて、今までプラトンに関するウィキペディアの説明として、
『 プラトンは紀元前427年、アテナイ最後の王「コドロス」の血を引く貴族の息子とし
て、アテナイに生まれた。祖父の名前にちなみ「アリストクレス」と名付けられたが、体
格が立派で肩幅が広かったためレスリングの師匠であるアルゴスのアリストンにプラトン
と呼ばれ、以降そのあだ名が定着した。』・・・という冒頭の説明に続いて、
『若い頃は政治家を志していたが、やがて政治に幻滅を覚え、ソクラテスの門人として哲
学と対話術を学んだ。紀元前399年、アテナイの民主派によってソクラテスは、「神々に
対する不敬と、青年たちに害毒を与えた罪」を理由に裁判にかけられ、死刑を宣告され、
毒杯を仰いで刑死する。』・・・という説明を紹介し、それに関連して、「都市国家ギリ
シャ」「アテナイとスパルタ」「 青年プラトンを取り巻く政治情勢」についてやや詳し
い説明をしてきた。
では、プラトンに関するウィキペディアの説明の最後の部分を紹介しよう。ウィキペ
ディアの説明は、上記の部分に引き続いて次のように続く。すなわち、
『 この後プラトンはアテナイを離れイタリア、シチリア島(1回目のシチリア行き)、
エジプトを遍歴した。このときイタリアで、ピュタゴラス派およびエレア派と交流を持っ
たと考えられている。紀元前387年、アテナイ郊外に学園アカデメイアを設立した。プラ
トン40才のときである。アカデメイアでは天文学、生物学、数学、政治学、哲学などが
教えられた。そこでは対話が重んじられ、教師と生徒の問答によって教育が行われた。弟
子にあたるアリストテレスは17歳のときにアカデメイアに入門し、そこで20年間学生と
して、その後は教師として在籍した。 紀元前367年、恋人であったディオンらの懇願を
受け、生涯に2回目となるシチリア島のシュラクサイへ旅行した。プラトン60才のとき
である。シュラクサイの若き僭主(クーデターによってなった王)・ディオニュシオス2世
を指導して哲人政治の実現を目指したが、着いた時には恋人ディオンは追放されており、
不首尾に終わる。紀元前361年、ディオニュシオス2世自身の強い希望を受け、3度目の
シュラクサイ旅行を行うが、またしても政争に巻き込まれ今度はプラトン自身、軟禁され
てしまう。この時プラトンは、友人であるピュタゴラス学派の政治家アルキュタスの助力
を得てなんとかアテナイに帰ることが出来た。哲人政治の夢は、紀元前353年にディオン
が政争により暗殺されることによって途絶える。 晩年のプラトンは著作とアカデメイア
での教育に力を注ぎ、紀元前347年(紀元前348年とも)、80歳で死亡した。』・・・
と。
上記ウィキペディアの説明には『 恋人であったディオンらの懇願を受け、生涯に2回目
となるシチリア島のシュラクサイへ旅行した』と書いてあるが、シュラクサイはイタリア
のシチリア島の都市でギリシャの植民地になっていた。ディオンはそのシュラクサイの政
治家である。ギリシャの植民地シュラクサイには、かの有名はアルキメデスがいる。この
あたりの事情を少し説明しておきたい。そのあと、プラトンを理解する上でもっとも大事
だと思われる問題・「少年愛」の説明にはいりたいと思う。
プラトンは、ソクラテスが死刑になったこともあり、アテネから一時身を隠す。やは
り、ソクラテスの弟子の一人エウクレイデスの家が、メガラにあったので、そこに身を寄
せるのである。その後、ギリシアの各地や南イタリアを歴訪する。
南イタリアのタラスでは、ピタゴラス教団の指導者アルキュタスを訪ねる。ここで、
しっかりとピタゴラス派の考えについて学ぶのである。古代ギリシアの偉大な哲学者ピタ
ゴラス。今日の数学・音楽・天文学の基本的な体系は、全て彼から始まる。彼は有名な
「ピタゴラスの定理」によって科学史上に偉大な足跡を残すが、彼の哲学の根底にあった
のは「神秘主義的哲学」であった。そして、彼が組織した「ピタゴラス教団」は当時は秘密
結社ともいえる存在だったのである。
ピタゴラス教団での1日の始まりは森の散歩で幕を開けた。それは魂を鎮めて、学問や
真理に対しての観想能力を鋭敏にさせるためであった。次にグループ研究の時間があり、
その後に競争やレスリングなどで運動し、肉体の世話をした。そして軽い昼食。原則とし
て菜食中心であったという。午後は教団運営上の仕事や雑務をこなし、夕方ごろに再び散
歩があったが、このときは学習したことを2人か3人で討論しながら行なったという。そ
して入浴後に10人ずつの集団で夕食をとり、夕食後に講義があったという。その後、初
心者は書物を読み、長老は読むべき書物の選択に時間を費やし、寝る前に、神への献酒の
儀式と、ピタゴラスの信条を詩の形で成文化した「黄金詩篇」を、長老に続いて復唱した
という。
のちにプラトンが考え出す〔イデア論〕の理論的裏づけとなっているのが、この教団の
教義に近いものだといわれている。
さらに、シシリー島のシュラクサイに渡る。ディオニュシオス1世の娘婿に20歳くら
いのディオンがいたのである。プラトンは、このディオンと恋仲になる。美青年は、知識
豊かな中年のプラトンにあこがれ、中年のプラトンは美青年・美少年の若さを愛し、正し
い道に導くことに情熱を燃やすのである。
プラトンは、このディオニュシオス王を導いて理想のポリスをつくろうと試みる。しか
し、残念ながらディオニュシオス1世はプラトンの思い通りにはならず、アテネに帰国す
る。
そして、プラトン60歳くらいのときに、シュラクサイのディオニュシオス1世が亡く
なる。その息子のディオニュシオス2世が後を継いで王となるのだが、恋人ディオンから
ディオニュシオス2世の教育のため、シチリア島に来てくれという要請を受けるのであ
る。しかし、プラトンがシュラクサイに到着したときには、ディオンが追放処分に遭って
いて、ディオニュシオス2世の教育がうまく行かなくなってしまったのである。
ディオンはプラトンの恋人であった。ウィキペディアの脚注には、『プラトンは、ディ
オンのほかに、アステール、パイドロス、アレクシス、アガトンと恋愛していた。またコ
ロポン生まれの芸娘アルケアナッサをかこってもいたというから、バイセクシャルであっ
た。ディオゲネス・ラエルティオス(「ギリシア哲学者列伝」岩波文庫、271-273
頁)』・・・という説明がなされている。
さあ、ここでプラトンのエロス論の基礎的知識として「少年愛」について説明しなけれ
ばならない。ディオン、アステール、パイドロス、アレクシス、アガトンはすべて男性で
あり、プラトンの弟子である。ウィキペディアにはプラトンはバイセクシャルであったと
書いている。少年愛とは何か? 詳しくは次章の第2節に譲り、ここでは要点だけを述べ
る。
古典的な意味の少年愛は、世界中のあらゆる社会で存在したと考えられる社会制度であ
る。それはとりわけ、都市国家であるギリシャのような戦士社会において顕著であり、年
長の戦士と若い戦士のあいだを結びつける互いの信頼関係は、しばしば少年愛の関係にお
いて成立した。 このような少年愛は、男性同士の結束と青少年の教育という目的と、い
ま一つに、現代的な表現では、青少年を指向する男性同性愛の目的や意味を持っていた。
教育とは、青少年を一人前の共同体の成員としての男性に育成するのが目的で、中世西欧
や近代における市民教養としての教育とは意味が違っていた。 少年愛としては、古代ギ
リシアの「少年愛」が著名であるが、これは当時の代表的なポリスであるアテナイでは、
暗黙に認められた市民の義務であった。アテナイに比べ、より戦士社会として厳格な文化
や制度を持っていたスパルタにおいては、少年愛は男性市民にとって法文化された義務で
あった。国民皆兵制のスパルタでは、男性市民は戦士であることを意味したのである。
第3章 プラトンのエロス
第1節 ディオニュソス的なもの
プラトニックラブという言葉がある。デジタル大辞泉の解説では「 肉体的欲望を離れ
た純粋に精神的な恋愛」、三省堂の大辞林では「肉欲を伴わない精神的な愛」と説明され
ている。こういうのを見ていると、プラトンは精神的な愛を重視していたと思ってしま
う。しかし、これは大変な誤解である。これはソクラテスの考えであって、プラトンの考
えはまったく逆なのである。世の中にこういう誤解がまかり通っているところを見ると、
プラトン哲学がまったく誤解され、現在まで西洋哲学がプラトンを誤解したまま進んでき
て、現在の混乱があると言わざるをえない。ホワイトヘッドは『 西洋哲学の伝統は、
「プラトン」の哲学に対する一連の脚注からなっていると言ったが、まさにプラトン哲学
は、西洋哲学の象徴であるが、その全貌を完全に理解できたのはニーチェである。他の哲
学者は、部分部分をあれこれ言っているにすぎない。ニーチェ自身も今なお誤解の中にそ
の亡霊が彷徨(さまよ)っているが、このままでは世界はニヒリズムから脱し切れず、や
る気のない人間を創り続けざるをえない。西洋哲学の限界が指摘され、今後世界が生き生
きとした社会を生きていくための新たな哲学を創りだしていくことの必要性が叫ばれる現
在、まずはプラトンに対する世の中の誤解を解かなければならない。そうでないとプラト
ンの魂も今なお浮かばれないで、その亡霊がこの世を彷徨(さまよ)い続けざるをえない
のではないか。私は、「さまよえるプラトンの亡霊」がはやく浮かばれるように、世の中
の人びとが今こそプラトンの考えを正しく認識する必要があるように思う。
私の説明を続ける都合上、まずはウィキペディアの説明を紹介しておきたい。ウィキペ
ディアでは次のように言っている。すなわち、
『 プラトニックとは「プラトン的な」という意味で、古代ギリシアの哲学者プラトン
の名が冠されているが、プラトン自身が純潔を説いた訳ではない。プラトンの時代には
「少年愛」が一般的に見られ、プラトン自身も男色者として終生「純潔」というわけでは
なかった。プラトンは『饗宴』の中で、男色者として肉体(外見)に惹かれる愛よりも精
神に惹かれる愛の方が優れており、さらに優れているのは、特定の1人を愛すること(囚
われた愛)よりも、美のイデアを愛することであると説いた。
ルネサンスの時代にフィレンツェの人文主義者、マルシリオ・フィチーノによってプラ
トンの著作がラテン語に翻訳され、プラトンの思想が大きな影響を持つようになった。フ
ィチーノは『饗宴』の注釈書の中で、アモル・プラトニクスという言葉を使った。プロテ
ィノスが説くように、人間を含む万物は一者(神)から流出したものであるが、人間はそ
の万物のうちにある美のイデアを愛することによって結果的に一者を愛し、一者の領域
に(エクスタシーを経て)近づいてゆくことができると考えられた。そして、この言葉が
転用され、男女間の禁欲的・精神的な愛を指すようになっていった。』・・・と。
このウィキペディアの説明もホワイトヘッドのいう脚注にしかすぎず、しかもその説明
はピンぼけなのである。では、プラトン哲学の核心部分は何か? それは「ディオニュソ
ス」である。プラトンもニーチェもディオニュソス的なものに強いあこがれを持っていた
のであって、これに厳しく対峙するものがソクラテス主義である。ソクラテス主義とは、
理性と道徳によって生を抑圧するもの以外の何ものでもなく、ディオニュソス的狂乱こ
そ、音楽と踊りの熱狂の中で、人びとが世界の根源に触れ生をイキイキと生きる根源であ
る。
プラトンは、エロスの神について形而上学的思考を重ねた哲学者で有名であるが、彼
は、知識の源としての「バクティ」と官能的な「マニア」とを区別した。「バクティ」と
は、サンスクリット語で、「献身」「信愛」「信仰」「神への愛」「帰依」を意味する言
葉であり、「マニア」とは、マニアの語源はギリシャ語で「狂気」のことであり、自身の
趣味の対象において、周囲の目をも気にしないようなところもある事から、「∼狂(きょ
う)」と訳され、ほぼ同義のものとされている。
さらに、 プラトンは、 官能的な「マニア」を、酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」
と性愛に結びつくエロチックな「マニア」に分けて考えた。前者の 酩酊と陶酔のダンス
を伴う「マニア」は、ディオニュソスとより直接的なつながりを持つと見なした。
プラトンもニーチェもディオニュソス的なものに強いあこがれを持っていたということ
は、ヨーロッパにありながら、アジア的なものを理解する感性を持っていたということで
あり、そのような哲学者は歴史上二人以外に見当たらない。二人はまさに超人的な大哲学
者であるが、実は、二人が知り得たディオニュソスの神は、もっともヨーロッパ的な神・
アポロンの影響を受けてかなり変身していたのだ。もともとディオニュソスは、アジアの
影響によって誕生したのであり、「ディオニュソス」を深く理解するためには、その源流
をさかのぼって「シヴァ」を知らねばならない。幸い、「シヴァとディオニュソス・・・
自然とエロスの宗教」(著者・アラン・ダニエル、訳者・浅野卓也と小野智司、2008
年5月、講談社)という格好の本があるので、私たちは今、「ディオニュソス」の源流を
知ることができる。 シヴァとディオニュソスは、厳密にいうと、少し異なる部分があ
る。 酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」に関してはまったく同じ。しかし、 性愛に結
びつくエロチックな「マニア」については、シヴァは元型そのまま、ディオニュソスはア
ポロンの影響を受けてかなりマイルドになっている。そのようにお考えいただきたい。
前章第1節で述べたように、ともにアフリカを出発し、西に進路をとる「ヨーロッパ
人」と東の「アジア人」が別れたのは、「アッシリア地方」においてであり、遺伝学の分
析によると今から六万年前のことである。その後アッシリア地方を中心として、ヨーロッ
パではオーリニャック文化を初めとし、バルカン半島やアッシリア地方もそれに準ずる文
化的発展をする。そして遂には、アッシリアがメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝
国を築くことになる。紀元前10世紀末のことである。交通という観点から言えば、これ
らの動きはすべて地中海の海上交通の重要性を高めることに繋がるものであり、クレタ文
明の勃興に引き続いてフェニキア人の活躍を経て、ギリシャの交易都市・ポリスが世界的
にも珍しい華やかな発展をすることになるのである。ギリシャという都市国家の発達は、
人類大移動に際して大きな役割を果たした「アッシリア地方」の存在があってはじめてな
し得た歴史的必然であったと思う。つまり、都市国家ギリシャは、時代とともにヨーロッ
パの色が強くなっていくが、もともとはアジアの影響が濃厚だったのである。
ちなみにニーチェの「ツァラトゥストラ」はゾロアスターのドイツ語であり、ゾロアス
ターもシヴァの変身したものである。世界最古の神はシヴァ神である。これはまた世界最
強の神ともいわれている。
https://www.youtube.com/watch?v=cbQ3R58gqxg
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=B68XnAPOf5w#!
これからの時代、世界は、どう考えてもシヴァに祈りを捧げる時代です。是非、この
youtubeをご覧ください!これが世界最強の神シヴァの実態です。
「なまシーヴァよ、なまシヴァよ!ハルハルホーレイ!なまシーヴァ!」・・・いいです
ね!この動画に、リンガとヴィギナが随所にでてきたのにお気づきになりましたか?
ここがキリスト教にはないところです。
第2節 プラトンに課せられた課題・・・エロス論の展開
第1節で紹介したウィキペディアの説明では、『 プラトニックとは「プラトン的な」
という意味で、古代ギリシアの哲学者プラトンの名が冠されているが、プラトン自身が純
潔を説いた訳ではない。プラトンの時代には「少年愛」が一般的に見られ、プラトン自身
も男色者として終生「純潔」というわけではなかった。』・・・とあるが、ディオンとい
う青年はプラトンの恋人であったらしい。そして、プラトンは、ディオンのほかに、アス
テール、パイドロス、アレクシス、アガトンと恋愛しており、またコロポン生まれの芸娘
アルケアナッサをかこってもいたというから、プラトンはバイセクシャルであったと言わ
れている(「ギリシア哲学者列伝」岩波文庫、271-273頁)』。
さあ、ここでプラトンのエロス論の
基礎的知識として「少年愛」について
説明しなければならない。 少年愛とは何か?
古典的な意味の少年愛は、世界中のあらゆる社会で存在したと考えられる社会制度であ
る。それはとりわけ、都市国家であるギリシャのような戦士社会において顕著であり、年
長の戦士と若い戦士のあいだを結びつける互いの信頼関係は、しばしば少年愛の関係にお
いて成立した。このような少年愛は、男性同士の結束と青少年の教育という目的と、いま
一つに、現代的な表現では、青少年を指向する男性同性愛の目的や意味を持っていた。教
育とは、青少年を一人前の共同体の成員としての男性に育成するのが目的で、中世西欧や
近代における市民教養としての教育とは意味が違っていた。
口づけをかわす少年と男性(ルーヴル博物館)
少年愛としては、古代ギリシアの「少年愛」が著名であるが、これは当時の代表的なポ
リスであるアテナイでは、暗黙に認められた市民の義務であった。アテナイに比べ、より
戦士社会として厳格な文化や制度を持っていたスパルタにおいては、少年愛は男性市民に
とって法文化された義務であった。国民皆兵制のスパルタでは、男性市民は戦士であるこ
とを意味したのである。
古典ギリシアにおける少年愛における「少年」は、思春期またはそれより若い年代の少
年ではなく、むしろ戦士としての訓練を受ける青年であったが、これは文化制度としての
「少年愛」での建前であった。
プラトンは「徳(アレテー)」について語っているが、「アレテー」とはギリシア語で
は、「優秀性」なり「卓越性」という意味がある。知性や知識において、また戦士として
の肉体の素晴らしさや勇気、戦闘技能の卓越性、更に弁論の巧みさや、指導力を持ち、道
徳的にも優れた家柄の良い「男子市民」が「アレテーを持つ人」である。
アレテーはこれを持つ優れた男性が、未熟な男性を肉体的・精神的に鍛えることで、若
い男性を優れた戦士として、また知性に満ち、高い倫理を持つ市民として育て上げること
で、次の世代へと伝達されるとされた。アレテーを若い男性、すなわち、青年・少年に授
けるための文化制度がギリシアの「少年愛」であった。またこれが社会の「制度的範型と
しての少年愛」である。
古典ギリシアの少年愛においては、愛する年長の男性を「エラステース」(念者)と呼
び、愛され、アレテーを授けられる対象となる青少年を「エローメノス」(若衆)と呼ん
だ。
古典ギリシアの少年愛においては、愛される少年に求められる資質は、戦士としての倫
理性であり、精神的な卓越性、則ち「善き少年」であった。少年愛の相手である少年とし
て望まれる資質は、「善(アガトン)」であった。
ソクラテスは数多くの青少年をくどき落とす達人であったので、「しびれエイ」との綽
名(あだな)を持っていたが、彼が、当時の美青年の代表とも言えたアルキビアデスをく
どき落とした言葉(殺し文句)は、「人々は、君の肉体の美しさを賛美する。だがぼく
は、君の外見の美しさではなく、君の魂、つまり君自身の本質を愛しているのだ」という
内容であった。
プラトンが記すソクラテスの言葉からは、古典ギリシアにおいては、青少年の「善」を
求めるとの制度的建前とは別に、実際は、その肉体の美や容貌容姿の「美(カロン)」が
求められていたことが分かる。「善き少年(アガトス・パイス)」か「美しい少年(カロ
ス・パイス)」か、むしろ、肉体の外見、その「美しさ」が少年愛で少年に求められたの
である。
このようなギリシャで典型的であった「少年愛」は、戦(いくさ)とあるところ、多く
の国で見受けられる。日本では薩摩の兵児二才(へこにせ)が有名である。白州正子は、
薩摩隼人の海軍軍人・樺山資紀伯爵の孫娘で、薩摩人に囲まれて育ったため幼い頃から
「よか二才」とか「よか稚児」とかいう言葉をフツーに耳にしていたそうだ。なんといっ
ても薩摩隼人は「男色の道では群を抜いていた」そうで、白州正子はその著「両性具有の
美」の中で「彼ら武士の集団では、男色の道を知らない者は一人前扱いされなかった。武
士として鍛えられ、教育されることは、男同士の契りを結ぶことでもあった」と書いてい
る。
さて、「しびれえい」の異名を持つソクラテスは、「プラトニック・ラブ」の元祖であ
るが、ソクラテスの「プラトニック・ラブ」というのは、肉体関係がないことよりも、<
美>のイデアの想起として語られる知的欲求の強さということのほうに、その重点がある
(「プラトンの哲学」、藤沢令夫、1998年1月、岩波書店)。プラトン自身はそうい
う精神的な愛よりも、ディオニュソス的な愛、自由奔放的な愛に強いあこがれを持ってい
たのであって、そういう点では反ソクラテス主義といい得るかもしれない。しかし、プラ
トンはソクラテスと一体であり、反ソクラテス主義という言い方は全体として適当でな
い。私は、ここでそのことを強調しておきたい。「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」
とは弟子が師匠の学識や技量を越えることのたとえをいうが、「青は藍より出でて藍より
青し」という諺(ことわざ)と同じ意味であり、プラトンは「出藍(しゅつらん)の誉
(ほま)れ」であり、終生ソクラテスという「藍」なのである。このことをしっかり認識
していただいた上で、プラトンは精神的な愛よりも、ディオニュソス的な愛、自由奔放的
な愛に強いあこがれを持っていた、ということをこの際しっかり認識しておいてもらいた
い。
さあ、そこで、プラトンは、愛に関して、ソクラテス主義(精神的な愛)と反ソクラテ
ス主義(身体的な愛)の統合という大問題に立ち向かうことになるのである。プラトン哲
学の心髄は、「響宴」においてディオティマという女性がソクラテスに「エロス」につい
ての説教をする、その内容にある。これについては、のちほど詳しく説明するが、その前
に、まずパラドックス論理に触れておこう。
ハイデガー哲学の特徴は、ひと言でいえば、神から人間への働きかけと同時に人間から
神への働きかけがあるというところにあるが、その論理展開はパラドックス論理によるも
のだと言われている。だとすれば、それは西田幾多郎のニヒリズムとパラドックス論理の
上に立っているという点で共通する。こういう点でハイデガーの哲学が東洋的といえば東
洋的なのである。
パラドックス論理とは、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れが
たい結論が得られる、そのような論理展開を行う場合の言葉である。主に数学で使われる
が、哲学においても、お互い矛盾するものを統合する場合の論理がこのパラドックス論理
と言ってよい。これを説明するのは結構むつかしい。
そこで私は、「両頭截断」という禅の言葉を使うことが多いが、これについては 次の
第3節をご覧いただきたい。この「両頭截断」お互い矛盾するものを論理的には説明でき
ないので、座禅を組んだり難行苦行を重ねて直観力を身につけて、認識するという認識の
しかたを言っている。
また、互いに矛盾する信仰を統合した実態というものが歴史的には存在するが、そうい
う実態を言い表す言葉に「シンクレティズム」という言葉がある。シンクレティズムと
は、全く異なる、あるいは正反対な信仰を統合する実践である。すなわち、シンクレティ
ズムは、異なる宗教が混合してひとつの統合された宗教となることで、混淆(こんこう)
とか習合(しゅうごう)という言葉が使われている。例には日本の神仏習合、仏教と道教
の習合(修験道の場合)、シヴァ教と仏教の習合(ヒンズー教の場合)などがある。しか
し、こういう実態があるからと言って、これを論理的に説明するのは、まあ不可能に近い
訳で、哲学で何とか説明しようというのが「パラドックス論理」なのである。
人間は何のために生きているか? 人間は立派な子どもを育むために生きている。ある
いはまた、人間は立派な文化を育むために生きている。エロスはこのはざまで揺れ動くの
である。身体的な愛か、それとも精神的な愛か? 文化は、身体が関係しない訳ではない
が、まあいうなれば精神的なものである。フロイトは文明の成立と発展は個々人の幸福を
犠牲にし、先延ばしすることによってのみ可能となる、と考えた。これに対しマルクーゼ
はエロス的パーソナリティーとエロス的文化の統合を哲学し、エロス的文明というものを
考えた。エロス的文明が全面開花するなかで、資本主義的矛盾を乗り越えようとしたので
ある。プラトンは、マルクーゼの活躍する遥か大昔にすでに、エロス的文明を考えてい
た。これは驚くべきことである。プラトンのその凄さというのは、哲学的課題はすべて考
え抜かれているということ、その点にある。もちろん、その時代その時代に応じて補足と
か修正しなければならないことはあるけれど、すべての課題が考え抜かれているというこ
とだ。だから、ホワイトヘッドは、プラトン以降の哲学はプラトン哲学の脚注にすぎない
と言ったのである。ニーチェもプラトン哲学を踏まえてすべての時代的課題を考え抜いた
が、ただ時代がキリスト教的価値が絶対視されていた時代であったので、それと戦ったの
である。それは壮絶な戦いであり、ニーチェは遂に「神は死んだ」と言わざるを得なかっ
たのである。その点がプラトンとニーチェの違うところだ。時代の違いである。
これも後ほど詳しく説明するが、ソクラテスの「無知の知」というのがある。これを見
ても判るように、ソクラテスもプラトンも「神」の存在を信じていたのである。立派な子
どもを育むにしろ、立派な文化を育むにしろ、人間は、ただ単に生きていればいいという
のではなく、よく生きなければならない。
藤沢令夫は、その著「プラトンの哲学」(1998年1月、岩波書店)の中で、次のよ
うに言っている。すなわち、
『 こうして、ソクラテスの「哲学すること」とは、先に見たような「知」と捉え方と構
えのもとに、神命にしたがって「私自身と他の人びとを良く吟味すること」であったが、
その「吟味」とは結局のところ、その人の生き方における関心と配慮が「徳」という「何
よりも大切なこと」に・・・すなわち「知と真実を求め、魂をすぐれたものにすること」
に・・・向けられているかどうかの吟味ということになるだろう。
「何よりも大切なこと」という言い方は、「生きることでなく、よく生きることをこ
そ、何よりも大切にしなければならない」(クリトン)という有名な言葉を想起させる。
今見た「弁明」の思想と重ね合わせると、「よく生きる」とは、「魂をできるだけすぐれ
たものにすること」を心がけ、その点について自他を吟味しながら生きるということにな
る。「吟味を受けない生は、人間の生きる生ではない」(「弁明」)と言われるような無
反省のままに甘やかされた生が、「よく生きる」に対比される「ただ生きること」であ
り、それは、もっぱら生物的生存の本能の指示するところ・・・さまざまな肉体的欲望、
それを購(あがな)うための金銭欲、名誉(知名度)・地位への欲求など・・・に聴従す
る生き方、そしてひたすらに生き延びを願望して、死を恐れる生き方である。「死」を終
点とする生存期間の<長さ>がどうであれ、与えられた生そのものの質を高め充実を求め
るのが、「よく生きること」の大原則である。
ニーチェは、「何人も自分自身で善悪を考え、自分の階段を一歩一歩高みに向かって登
っていくこと」が、「力への意志」を生きることだと、教えているが、この点はプラトン
とニーチェの考えはまったく同じである。私は、この考えをニーチェの「力への意志」、
すなわち「何人も自分自身で善悪を考え、自分の階段を一歩一歩高みに向かって登ってい
くこと」という言い方をしたいと思う。
さあ、それでは、これだけのことを申し上げた上で、いよいよ次にプラトンのエロス論
を説明するとしよう。
第3節 プラトンのエロス論
「祈りの科学」シリーズ(4)の第1章でもいったが、ものごとには何ごとも両面があ
る。光があれば陰もあるし、物があれば「モノ」がある。「モノ」とは心のこもった物の
ことである。物とは単なる物質のことだ。
私は「両頭截断(りょうとうせつだん)」とよく言っているが、これはそういうものご
とのには必ず両面があるので,それにこだわっていてはいけないということを言ってい
る。「あなたは善人ですか?・・・そうですねえ。善人と言えば善人だし,悪人と言えば
悪人ですね。善人でもないし悪人でもない。ああ、やっぱり私は善人です。」・・・とい
う訳だ。哲学的には二元論というが、そういう二元論を超えた世界、つまり一元論的認識
の世界、それが陰陽の世界である。両頭を截断した、つまり相対的な認識を超えた絶対的
な認識(一元論的認識)の世界である。私たちは陰陽の世界を生きているし、またそのこ
とを日頃から十分認識しておく必要がある。
私は「両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)」とい
う禅語を略して「両頭截断」といっているのだが、その意味するところはきわめて奥が深
い。摩多羅神を考える場合にも、エロス神を考える場合にも、少なくともこういう一元論
的認識の重要性だけでも理解していないとダメだと思うので、ここで厳密を期しておきた
い。
この禅語は『槐安国語』(かいあんこくご)に出てくる。『槐安国語』は燈国師が書い
た『大燈録』に、後年白隠が評唱を加えたものである。禅書も数多いが、その中でもっと
も目につくものは、道元禅師の『正法眼蔵』と『槐安国語』といってよいと思ふ。両書は
いずれも難解な本である。前者についてはすでに多数の学者がその研究の成績を発表して
いる。しかし、『槐安国語』についてはほとんど研究らしい研究はない。そうだけれど、
大燈国師が胸中の薀蓄(うんちく)を披瀝したところへ、白隠禅師の悟りを加えたたもの
であるから、この本は日本の禅の極限に達したものといってよいだろう。
この禅語については、 松原泰道がその著「禅語百選」(昭和四十七年十二月、詳伝社)
で詳しく説明しているので、それをここに紹介しておく。すなわち、
『 両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)
両頭というのは、相対的な認識方法をいいます。相対的認識が成り立つのには、少なくと
も二つのものの対立と比較が必要です。つまり両頭です。たとえば、善を考えるときは、
悪を対抗馬に立てないとはっきりしません。その差なり段落の感覚が認識となります。
さらに、その差別を的確にするには、それに相対するものを立てなければなりません。
之が三段論法推理の基本となります。その関係は、相対的というよりも、三対的で、きわ
めて複雑です。知識が進むにつれてますます複雑になります。その結果、とかく概念的と
なります。また、比較による知識ですから、二者択一の場合に迷いを生じます。インテリ
が判断に決断が下せないのもその例でしょう。なお、恐ろしいことは、比較というところ
に闘争心が芽ばえることです。この行きづまりを打開する認識方法と態度が、禅的思索で
す。まず相対的知識の欠点が相対的なところにある以上、この認識方法と態度とを捨てな
ければなりません。それを「空(くう)ずる」といいます。ときには「殺しつくせ」「死
にきれ」と手きびしく申します。肉体を消すことではありません。相対的認識や観念を殺
しつくし、なくして心を整地することです。
相対的知識を殺しつくすのは絶対的知識です。しかし、相対に対する絶対なら、やはり
相対関係にすぎません。たとえば、「私が花を見る」のは、私と花と相対して花の認識が
生まれ、その花の色や色香(いろか)や美醜は、またそれに対するものが必要になりま
す。どこまでも相対知です。
次に、私は外の花を見ない、唯一絶対として私が花を見ると、一応は絶対値に立ったよ
うですが、相対に対する絶対値で、やはり相対的関係が残っています。「私」が「花」を
見るという我と花とが対しあっています。純粋絶対知とは、私が花を見るのではなく、花
そのままを見ることです。私が花そのものになって見るより見方のないことを知るので
す。
これを一段論法といいます。その名付け親は、明治後期の理学博士で、禅の真髄をつか
んだ近重真澄(ちかしげますみ)です。禅的さとりを得た人たちは、必ず従来とは、違っ
た見え方がしてきたと喜びを語ります。それは「ある立場から、規定づけられた見方を脱
した」ということでしょう。道歌(どうか。仏教などの趣旨をよんだ歌)の「月も月、花
は昔の花ながら、見るものになりにけるかな」が、一段論法の認識方法と、その結果を歌
っています。また、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が、無情を感じて法然上人
の下で出家して蓮生坊(れんしょうぼう)と呼びました。彼の歌と伝えられるものに「山
は山、道も昔に変わらねど、変わりはてたるわが心かな」にも、それが感じられます。両
頭的な相対的認識を、明剣にたとえた一段論法の刀で、バッサリと断ち切る必要を説くの
がこの語です。相対的認識を解体した空の境地です。』・・・と。
さて、「両頭截断」ということの話が終わったので、いよいよ「エロス神」の話に移ろ
う。エロスについては何といってもプラトンの右に出るものはいないだろう。プラトンの
「饗宴(きょうえん)」という歴史的とでもいうべき名著がある。岩波文庫から文庫本が
出ているので読んだ方も少なくないだろう。その中の「エロス神」に関する真髄部分を紹
介する。その真髄部分は摩多羅神についても同じことがいえる。つまり、相対的認識が解
体されているのである。では始めよう。なお、下記において、プラトンとあるのは、プラ
トンがディオティマという女性をしてソクラテスに説教をしているのであって、「響宴
(きょうえん)」にはプラトンの名前はいっさい出てこないので、その点は誤解の内容に
申し添えておく。
ところで、 人は何のために生きているか? 第6章第5節に述べたように、人は立派
な子どもを、或いは立派な文化を育てるために生きているのである。そのために見守って
くれている神、助けてくれる神が「エロスの神」だ。 下記のディオティマの説教をもと
に、 「プラトン入門」(竹田青嗣、1999年3月、筑摩書房)を参考に、注書きにお
いて、私流の説明をしたいと思う。
『 エロスは偉大な神でかつ美しき者に対する愛などと考えてはならない。そんな考えに
立っていると、エロスは美しくもなければ善くもないことになる。したがって、美しくも
ないものは必然的に醜いとか、善くないものもまた同様に悪いとかいう風に考えてはいけ
ない。』
(注1):プラトンはまさに禅僧の言いそうなことを言っていますね。両頭が截断されて
いる。そこがプラトンの凄いところだ。
弁証法という西洋哲学で発達したひとつの論理展開の方法がある。弁証法は、この世の
すべての概念は、正(テーゼ)、反(アンチテーゼ)、合(ジンテーゼ)の三つに分けら
れるという基本的な考え方に立っている。弁証法は、論理展開の結果、「Aは、Aであ
り、かつ、非Aである」という結論に到達するもので、私が「両頭截断」と呼んでいる禅
語と同じようで、実は、同じではない。禅語の方は、理屈は抜きに、はじめから「Aは、
Aであり、かつ、非Aである」という絶対的な認識ができるように、修行をするものであ
る。結論は同じであっても、思考方法はまったく違うのである。弁証法は理性の働きによ
っているが、「両頭截断」の方は理性によるのではなく、直観の働きによる。
プラトンは「イデア論」に到達するのにこの弁証法を駆使して、理性を働かせ、論理的
に「両頭截断」と同じ結論に到達している。弁証法はその後いろいろな哲学者が思考を重
ね、いろいろな立場から弁証法を展開している。そのなかでヘーゲルの弁証法が有名であ
るが、ここではあえて深入りせず、弁証法という論理展開を使ったはじめての哲学者が、
ソクラテスの教えを受けたプラトンであるということだけを申し上げておきたい。プラト
ンの思考というものは、結果として「両頭截断」がなされていて、プラトンは最終的に禅
僧と同じようなことを言っているのである。
『 エロスとは偉大な神霊である。なぜなら、すべて神霊的な者は神的な者と滅ぶべき者
との中間にあるからです。 こういう神霊はもちろんその数も多くまたその種類もさまざ
まであります。ところがエロスもまたその一つなのです。』
(注2):プラトンが言っている神霊は、まさに中沢新一のいうスピリットそのものであ
る。中沢新一のスピリットについては、その著「カイエ・ソバージュ」(2002年1
月、講談社)と「精霊の王」(2003年11月、講談社)に詳しく書かれているので、
是非、それを読んでいただきたい。
『 エロスの能力とは何か。それは、人間から出たことを神々へ、また神々から出たこと
を人間へ通訳しかつ伝達するのです。すなわち一方からは祈願と犠牲とを、他方からは命
令と報償とを、そはまた両者の中間に介在してその間隙を満たします。その結果万有は結
合されて完き統一体となるのです。あらゆる卜占も犠牲や蜜儀や巫術やその他すべての予
言や魔術に携わる僧侶の技術もまたこの神霊の仲介を経て行われるのです。ところで神は
人間と直接交わるようなことはありません。むしろ神々との間の交通と対話とは、覚醒中
であれ、睡眠中であれ、すべてこの神霊を通じて行われるのです。』
(注3): プラトンのいう神霊は、宿神(中沢新一の「精霊の王」参照)であり、摩多
羅神(第7章参照)でもある。プラトンの考えを推し量れば、わが国の「古代の神」は
「エロスの神」であると言っていいのではないかと思う。第8章の第1節「日本のディオ
ニュソス的な神」で紹介する神々は、すべて「古代の神」に繋がるものであり、私は、こ
れらの神々を日本における「エロスの神」と考えている。
『 エロスとは美を求める愛なのです。』
(注4):プラトンは、『エロスとは美を求める愛』と言っているが、実は、プラトンの
エロス論はそれを突き抜けていて、単に美を求める愛にとどまるのではない。そこがプラ
トンの凄いところだ。以下において順次説明していこう。
『 美を手に入れると、その人はいったい何の得るところがあるのか。愛する者が善きも
のを愛する場合、その求めているものは何でしょうか? そう、「それが自分のものにな
ることである」ということですよね。では、善きものを手に入れると、その人は何の得る
ところがあるのでしょうか? そう、「その人は幸せになる」ということですよね。』
(注5):プラトンは、このように言っているが、ここがプラトン哲学の心髄である。す
なわち、「美」とは「善きもの」である。では「善きもの」とは何か? プラトンの思考
方法は、結論に達するまで次々と「○○は何か?」と問い続けていくもので、通常見られ
る現象、樹木にたとえれば目に見える枝葉のようなものだが、そういうおなじみの現象を
捉え、その本質は何かと問い続けていく。そして目には見えない木の根にたどり着くので
ある。すなわち、枝葉的なところにとどまっているのではなく、根本的なところを問題に
する。こういう思考方法はプラトン独特のものであり、私たちもおおいに参考にすべきか
もしれない。私たちの思考も、枝葉的なところにこだわるのではなく、より根本的なとこ
ろを問題にすべきなのだ。それが哲学というものだ。政治家たるもの哲学をやらねばなら
ない。
プラトンの本質追究のこの思考方法がいちばん典型的に現れているのが、プラトンの
歴史的とでもいうべき名著と言われている「饗宴(きょうえん)」である。今私はその中
のディオティマの言葉(実はプラトン自身の言葉)にしたがって、プラトンがどのように
本質的なところに到達していったかを説明しようとしているのである。しばらくお付き合
いただきたい。
『 肉体的にも心霊的にも胚種を持っている。そうして一定の年頃になると、私たちの本
性は生産することを欲求する。もっとも生産は醜い者の中では駄目で、ただ美しい者の中
でだけできるのです。男女間の結合もつまり一種の生産であります。ところがそれは一種
神的なものであります。またそれは滅ぶべき者のうちにある滅びざるものなのです。懐胎
と出産とは、もっとも調和せぬ者の間では行われません。ところが、醜い者はあらゆる神
的なものと調和しないが、美しい者はこれと調和する。したがって、産出に際して運命の
女神や産の神の役目を勤める者は美の女神なのです。それゆえに、生産衝動の漲れるもの
が美しい者に近づき行くとき、彼は心勇みまた歓喜に溢れる、そうして生産し受胎させ
る。けれども反対に醜い者に近づくとき、彼はいつも面貌憂鬱となり、不機嫌に内に籠
り、身をそらし、引き退り、受胎せずにただ苦しき重荷としてその生産欲を持ち続ける。
それだからこそ生産欲と胚種に満ちあふれている者は美しい者に対して強烈な昂奮を感ず
るのです。』
(注6):プラトンのエロスは、男女間の結合に目がいっている。すなわち、それは理趣
教や宿神や摩多羅神と同じと言えなくもないが、哲学的な思考はプラトンがずば抜けて奥
深いし、幅が広い。さすがである。「恋とは何か?」「男女間の結合だ」、「男女間の結
合とは何か?」「美しいものとの調和である」、「美しいものとはなにか?」「善きもの
である」、「善きものとはなにか?」。ところで「男女間の結合とは何か?」「生殖であ
る」、「生殖とは何か?」。
『 いったいなぜ生殖を目指すのでしょうか。それは生殖が一種の永劫なるもの、不滅な
るものだからです。愛の目的が不死ということにもあるということであります。』
『 生殖とは古いものの代わりに常に他の新しいものを残していくことです。』
『 私たちは、一般的に、不断に新しくなるとともに、旧いものを失っていく。これは肉
体だけでなく、心霊も同じです。気質や性格や意見や欲情や歓楽や悲哀や恐怖などすべて
のものが同一不変ではなく、一方では生じ、他方では滅する。』
『 忘れるとは実際知識の消失であるが、復習はこれとは反対に消え去らんとしつつある
知識の代わりにふたたび新しきものを造り出してこれを保持し、そうしてその結果それは
元と同一の知識のような観を呈することなのです。』
(注7):哲学的思考の始まりですね。プラトンの思考は、いよいよ生成と消滅に到達し
てきた。
『 あらゆる生物が生来自分の子孫を大切にすることも別に不思議がるにも及びますま
い。不死のためこそ、どんな者にもこの熱心と愛とが賦与されている訳ですから。』
『 不朽の勲功と同様の赫々たる名声とのためには人はどんなことでも敢行する。しかも
優れた人ほどいっそうそうである、と。それは彼らが不死を愛求するからなのです。』
(注8):人間は何のために生きているか。生きるために生きているのである。この言い
方は私のいい方であるが、プラトンの思考も遂にそこまで到達して、いよいよ奥深いとこ
ろに入っていくのである。
『 肉体の上に旺盛な生産欲を持つ者はむしろ婦人に向かう。心霊に生産欲を持つ者は智
見やその他あらゆる種類の徳に向かう。』
『 ところで智見のうちでもはるかに他に越えて最高で最美なのは国と家との統制に関す
るもので、その名は自制と公正とである。で年少の頃からその魂がそういう徳に満ち溢れ
ておりかつ人となり神々しき人は、年頃に達すれば、孕ませ生殖することを欲求する。思
うに、こういう人もまた廻り歩いて、その中に生産することのできるような美しき者を求
めるのです。彼は醜い者のうちに生産するようなことは決してあるまいから。そこで彼
は、生産欲に燃えているので、醜い肉体よりも美しいのを喜び、また美しくて気高くて天
稟の優れた魂にめぐり合わすようなことでもあれば、かく両方のよく揃っているのを非常
に歓迎するでしょう。そうしてこのような人に対しては徳のことや、有徳者がどういう者
であり、また何を業とすべきかなどについてただちに滔々たる弁舌を浴びせて、これを教
育しようとするでしょう。思うに彼が、ひとたび美しき者に接触しこれと交わるようにな
れば、彼はすでに久しく身に宿していたものを生産し創造する、側にいても離れていて
も、彼はその人のことを思い、また出生した者をその人と共に育て上げる。その結果こう
いう人々は、肉親の子供がある場合よりはるかに親密な共同の念とはるかに鞏固な友情と
によって互いに結びつけられる。』
(注9):性欲は恐竜型脳の司るものであるが、それは本能的なものである。本能的なも
のは大事にしなければならないが、私たちは本能のままに生きる訳にもいかないであろ
う。恐竜型脳と新哺乳類型脳のバランスが大事なのである。恐竜型脳の働きを軽視しても
いけないし、新哺乳類型脳の働きを軽視してもいけない。ここでみなさんに留意していた
だきたいのは、新哺乳類型の脳のことである。私たちの理性が働くのは、もちろんこの脳
であるが、実は、新哺乳類型脳の約一割しか使われていないということで、あとの九割は
未使用であるということである。私はこの九割の未使用領域の脳が将来使われるようにな
れば、どんな人でも直観とか霊感が働いて、どんなことでも真実が一瞬のうちに判るよう
になるのではないかと思っている。そういうもの凄い脳が三階の新哺乳類型である。一
方、恐竜型脳は、性欲だけでなく、おおよそ元気になる基であるので、私たちは、恐竜型
脳にしたがって生きるようにしないと元気溌剌(げんきはつらつ)に生きることができな
い。このようなことから、私たちは、 恐竜型脳の働きを軽視してもいけないし、新哺乳
類型脳の働きを軽視してもいけないのである。
『 多くの美しい業績を遺したりさまざまの徳を造り出したりした人は沢山ある。かよう
な子を遺したというので、これらの人のために幾多の殿堂が建てられたが、しかし人身の
子を遺したためにそれをされた者はまだ一人もありません。(人身の教育)の目的に向か
って正しい道を進もうとする者は、若いときから美しい肉体の追求を始めねばなりませ
ん。それも、指導者の指導の宜しきを得たならば、まず最初に一つの美しい肉体を愛し、
またそのなかに美しい思想を産みつけなければなりません。』
(注10):プラトンは、「 指導者の指導の宜しきを得たならば、 美しい肉体を愛し、
またそのなかに美しい思想を産みつけなければなりません。」と言っているが、性欲を肯
定しながら、それを出発点として、「美しい思想」を誕生させなければならないと主張し
ているのである。「美しい思想」を誕生させるには、まず自分自身が「美しい思想」を指
導者の指導を受けながら身につけなければならないし、生まれてきた子どもにその「美し
い思想」を伝えなければならない。ここで注意すべきは、生まれてきた子どもとは、自分
の子どもであっても良いし、他人の子どもであっても良いということである。要するに
「教育」の重要性を主張しているのである。
『 ある一人に対するあまり熱烈な情熱をばむしろ見下すべきもの、取るに足らぬものと
見て、これを冷ますようにせねばなりません。その次には彼は心霊上の美をば肉体上の美
よりも価値の高いものと考えるようになることが必要です。またその結果彼は、心霊さえ
立派であれば、たといあまり愛嬌のない人でも、満足してこれを愛するでしょう。』
(注11):ここでプラトンは、ソクラテスのいわゆる「プラトニックラブ」の重要性を
言っている。上記のディオティマの言葉の中にある「心霊上の美」とは「精神的な美」で
あることは言うまでもない。エロとエロスとは違う!その違いは「精神的な美」があるか
ないかである。性欲というものは決して忌避すべきものではないけれど、ある一人に対す
るあまり熱烈な情熱、すなわちエロ的な性欲というものは、「 取るに足らぬもの」と見
て、これを冷ますようにせねばならないのである。この点、私たちは十分注意しなければ
ならない。ゆめゆめエロに走ってはならない。世の中エロ動画ポルノが盛んだが、困った
ことだ。エロとエロスとは違う!
『 ある個体の美に隷従し、その結果、みじめな狭量な人となるようなことはなく、むし
ろそれとは反対に彼は今や美の大海に乗り出してこれを眺めながら、限りなき愛智心か
ら、多くの美しくかつ崇高な言説と思想とを生み出し、ついにはこれによって力を増しか
つ成熟して、唯一無類の認識を観ずるまでになることが必要なのです。』
『 肉体上の美にはきわめてわずかの価値しかないことを認めるように余儀なくされなけ
ればなりません。』
(注12):さあ、ここでプラトンはいよいよエロス論の心髄を語っている。ある人と恋
をし、その人に夢中になることは良いことではあるが、それに隷従して、みじめな狭量な
人になってはいけないと言っている。「美の大海」に乗り出せと言っているのである。
「美の大海」に乗り出し、「美とは何か?」を突き詰めていくと、「限りなき愛知心か
ら、多くの美しくかつ崇高な言説と思想」が生まれてくる。プラトンは、エロスとは「美
しくかつ崇高な思想」であると言っているのである。そして、遂には、そのエロスの思想
によって、唯一無類の認識を観ずるまでになると言っている。禅の修行を積み重ねること
によって「両頭截断」という絶対的な認識に立つことができるが、私たち一般の人間はそ
ういう難行苦行をやるわけではないので、「エロスの神」に「祈り」を捧げ、私たちの身
体に存在する「内なる神」と響き合うことによって、絶対的な認識に立てるようにするこ
とが大事なのである。「エロス原理」とは、「身体の原理」であるが、それは「内なる
神」との響き合いであり、三階建ての三つの脳(恐竜型脳と原始哺乳類型脳と新哺乳類型
脳)の働きの総体である。私はそう考えている。「エロスの神」に「祈り」を捧げ、「内
なる神」との響き合いが起これば、新哺乳類型脳によって直観とか霊感が働く。名僧が
「両頭截断」という絶対的な認識に立って森羅万象を見ているのと同じような見方ができ
るようになるのである。「内なる神」については、私の著書「祈りのシリーズ(1)「1
00匹目の猿が100匹」(平成24年5月20日、新公論社、電子出版)を参照された
い。「内なる神」の存在を科学的に説明している。
『 愛の道の極致、それは、生ずることもなく、滅することもなく、増すこともなく、減
ずることもなく、次には、一方から見れば美しく、他方から見れば醜いというようなもの
でもなく、時として美しく時として醜いということもなく、またこれと較べれば美しく彼
と較べれば醜いというのでもなく、またある者には美しく見え他の者には醜く見えるとい
うように、ここで美しくそこで醜いというようなものでもない。』
(注13):プラトンはまさに禅僧の言いそうなことを言っている。両頭が截断されてい
るのである。(注12)で説明したように、「エロスの神」に「祈り」を捧げ、「内なる
神」との響き合いが起これば、新哺乳類型脳によって直観とか霊感が働く。名僧が「両頭
截断」という絶対的な認識に立って森羅万象を見ているのと同じような見方ができるよう
になるのである。「愛の道の極致」はこういうことなのである。「エロスの神」は凄い!
『 なおまたこの美は顔とか手とかまたはその他肉体に属するものとして観者に顕われる
こともなく、また同様に言説もしくは学問的認識の形をとり、あるいはその他の或る者
の・・・例えば、生物のうちにまたは地上や天上に、またはその他の物の・・・内に在る
ものとしてでもなく、むしろ全然独立自存しつつ永久に独特無二の姿を保てる美そのもの
として彼の前に現れるでありましょう。』
(注14):これはなかなか理解のできない難しいことを言っているのだが、これがプラ
トンの世界観である。美について言えば、美の本質とは、目に見える枝葉的なものではな
く、また思想というある特定に認識のものでもなく、さらには地上や天上、すなわち宇宙
的な広がりの中に現実に存在しているものでもなく、直観や霊感でしか観ずることのでき
ないものである。まあ言うなれば、「神」のようなものである。私は、プラトンはそうい
っているのだと思う。
『 地上の個々の美しきものから出発して、かの最高美を目指して絶えずいよいよ高く昇
り行くこと、ちょうど梯子の階段を昇るようにし、一つの美しき肉体から二つの美しき肉
体へ、二つの美しき肉体からあらゆる美しき肉体へ、あらゆる美しき肉体から美しき職業
活動へ、次には美しき職業活動から美しき学問へと進み、さらにそれらの学問から出発し
て遂にはかの美そのものの学問に外ならぬ学問に到達して、結局美の本質を認識するまで
になることを意味する。』
『 美そのものを観るに至ってこそ、人生は生き甲斐があるのです。心眼をもって美を観
ることが大事なのです。他方真の徳を産出してこれを育て上げたものは神の友となること
を許される。』
(注11):最初は何でも良いから美しい者を愛すれば良い。それを出発点として少しず
つ階段を昇っていけば良い。ニーチェの「力への意志」とまったく同じことをプラトンは
言っている。私たちは、自分自身で考え、自分の好きな神に「祈り」を捧げて、自分の上
る階段を自分自身で作りながら、一歩一歩その階段を「高み」に向かって登っていかなけ
ればならない。他人の意見を聞くということも大事だが、何よりも大事なのは、自分自身
で考えるということである。神に「祈り」を捧げておれば、何か感ずることがある。それ
にもとづいてさらに考え、自分の道を歩いていけば良いのである。大事なのはその道がど
んな道かということではない。「高み」に向かって歩いていくということが大事なのであ
る。「富士の山も一歩から」という諺があるが、そうなのである。小さな小さな一歩でも
自分の階段を一歩一歩「高み」に向かって歩いていけば良いのである。ニーチェもプラト
ンもそういう考えに到達したらしい。
『 人性にとってエロス以上のよき助力者を見いだすことは容易ではない。人は皆エロス
を尊重せねばならない。』 (注13):プラトンも、まさにまったくニーチェの同じように、第1節で述べた「ディ
オニュソス的なもの」を「エロスの神」と考えているのである。決してキリスト教のよう
な西洋の神を考えているのではなく、シヴァ神に繋がるような東洋の神を考えていた。私
はそう思うのである。「エロスの神」万歳!
人は何のために生きているか? あらゆる生物は、生きるために生きている。人間も例
外ではない。私たちは、生きるために生きているのである。ゆめゆめ死ぬなどということ
は考えてはならない。そういう気持ちになったときは、ひたすら「エロスの神」と相談を
すると良い。相談するというのはちょっと語弊があるが、「エロの神」に「祈り」を捧げ
るのだ。きっと「エロスの神」は貴方を助けてくれる筈だ。ゆめゆめ死ぬなどと考えては
ならない。私たちは、神から存在を許され、一人一人他に同じような人がいない唯一の存
在である。唯一の存在、こんな価値あるものはあるだろうか。他に類がないのである。貴
重な存在なのである。ゆめゆめ死ぬなどということは考えてはならない。これが私のいち
ばん言いたいことだ。私たちは死ぬまで生きている。しかし、生きている間の「生き方」
が問題だ。そこまで考えて、もう一度言う。人は何のために生きているか? 第6章第5
節に書いたように、人は立派な子どもを育てるために生きている。あるいは、立派な文化
を育てるために生きているのである。そのために見守ってくれている神、助けてくれる神
が「エロスの神」だ。
「エロス原理」とは「感じる原理」であり、身体はその原理にもとづいて存在してい
る。私はその「身体はその原理にもとづいて存在している」ことを「身体の統一性」と呼
びたい。竹田青嗣は上記著書の中で、メルロ=ポンティが「身体の統一性」について触れ
ている点を紹介しているが、どうもあいまいであるので、私なりのイメージをはっきりさ
せたいと思う。 私が思うに、「身体の統一性」とは三階建ての三つの脳(恐竜型脳と原
始ほ乳類型脳と新哺乳類型脳)の総体のことである。それによって働くのが身体、すなわ
ち「身体の原理」、「エロスの原理」である。私たちは身体を生きているが、それはとり
もなおさず「エロスの原理」によって生きていることに他ならない。主体がすべての対象
と向き合うとき、その対象が女性であれ男性であれ、自然であれ、神であれ、すべての場
合、「エロスの原理」が作用する。「エロスの原理」が作用する神というものも存在す
る。神にもいろいろあって、もっとも偉大な神は、「エロスの原理」をつくり出している
神であるが、その神すら「エロスの原理」によって運動のエネルギーを分節している。そ
の分節によってさまざまな神がそれぞれ役割分担をするかたちで存在するのである。祈り
のシリーズ(1)「100匹目の猿が100匹」(平成24年5月20日、新公論社、電
子出版)で述べたが、エゾイタチ神というアイヌ神話では、天には五つの層があって、そ
れぞれの層にいろいろな神がいるのだが、いちばん上の天にはいちばん偉い神がいるのだ
と語っている。私たちは、そのご利益を考え、自分自身となじみの深い神を選んで、「祈
り」を捧げると良い。第10章において、わが国になじみの深いいくつかの神の中から、
「不動明王」を取り上げ、わが国における「エロスの神」について少し考えてみたい。
第4章 「力への意志」
スタンレー・ミルグラム「服従の心理」(岸田秀翻訳、1995年10月、 河出書房
新社 )は、 平凡な人間にひそむ「悪」を科学的に実証したものである。合法的権威に
よって他人に危害を加えるように命令された時、人はどう振る舞うか、人間の隠された本
性というものを暴き出した衝撃的な実験報告である。
英語版の2004年版にハーバード大学の心理学の教授・ジェローム・S・ブラナーが
序文を書いているので、まずそれを紹介しておきたい。
『 ミルグラムの本が衝撃だったのは、それが日常生活の決まりきった行動の中で「人間
の性質」がどう表現されるかについての、根深い信念に疑問符をつきつけたからであ
る。』
『 ミルグラムの悩ましい報告は、権威と服従について、そして人間の本性についての再
考をうながすものであった。そのうちどれほどが内発的なものであり、どれほどが外部か
ら内部に作用するものなのか、ということについてである。』
『 スタンレー・ミルグラムが教えてくれたのは、どこにあるどんな社会であっても、権
威への服従はあまりに容易に起きてしまうということだ・・・・・そしていまやわれわれ
は、それに対する対策が必要だということを知っている。』 以上であるが、権威と服従の問題、人間の基本的な課題であって、私どもはジェロー
ム・S・ブラナーと問題意識を共有していると思う。私たち人間は、非常に弱いものであ
る。特に強い権力には無意識のうちにも迎合してしまって、本来の自分を見失ってしま
う。まったく情けない話だ。そういったことを前提として、私たちは今後どうすればいい
のか、私たちの生き方を考えねばなるまい。そこで、私は「人間の生き方」を考えたいと
思う。「生の問題」を考えたいと思う。私たちは「生の問題」を考え、正しい道を生きて
いかなければならない。しかも、イキイキと元気はつらつに生きていかなければならな
い。それにはどうすれば良いか?
とりあえずは、、ニーチェの「力への意志」とからませて、「ツゥラトゥストラはこう
言った」(第2部)の「自己超克」の中で「力への意志」というものがどのように語られ
ているか、まずそれを見てみたい。ツゥラトゥストラは次のようにいう。
『 (最高の賢者たちよ、)あなた方は、あなた方の意志と、あなた方のの立てたもろも
ろの価値を、生成の流れの上に浮かべた。民衆によって善あるいは悪として信じられてい
るものからは、昔ながらの力への意志が密かに語られている。
最高の賢者たちよ、あなた方なのだ。こうした客人たちを舟にのせ、物々しく飾り立
て、誇らしい名を与えたのは。・・・あなた方と、あなた方の支配の意志なのだ。
そして河は、あなた方の舟を先へ進めて行く。河は舟を運んで行かざるをえない。砕か
れた河の波が泡をたて、怒って竜骨を噛んでも、それは取るに足らない。』・・・と。
ツゥラトゥストラは最高の賢者に話をしているのだが、その内容は次のとおり汲み取れ
ると思う。
まず、最高の賢者の作り上げた善とか悪という価値を信じて民衆はさまざまな努力をし
ている。実は、その価値は古くさく、今は価値転換(パラダイムシフト)をしなければな
らないのだが、民衆はその古くさい価値を前提にさまざまな活動をしており、密かにいろ
いろなことを語っているのだ。しかし、それらの活動も語らいもすべて古くさい。民衆の
活動も語らいも昔ながらの力への意志ということですね。もちろん最高の賢者は、パラダ
イムシフトをして新しい力への意志というものをはっきりさせなければならないのだが、
民衆もそれにもとづいて当たらし力への意志というものを語るようにならなければならな
い。
次に、生成の流れとは何か? ホワイトヘッドのプロセス哲学には、「活動的存在」と
いう生成と消滅のくり返す、唯一無二の存在というものが原初的に存在するのだが、ニー
チェが生成というものをどう認識していたか判らないが、どうも生成という原初的な存在
を考えていたように思う。
ウィキペディアによれば、『力への意志の「力」は、人間が他者を支配するためのいわ
ゆる権力のみを指すのではない。また「意志」は、個人の中に主体的に起きる感情のみを
指すのではない。力への意志は自然現象を含めたあらゆる物事のなかでせめぎあってい
る。力への意志の拮抗が、あらゆる物事の形、配置、運動を決めている。つまり、真理は
不変のロゴスとして存在するものではなく、力への意志によりその都度産み出されていく
ものなのである。』・・・とあるが、「ニーチェ・コレクション」(渡邊二郎、2005
年9月、平凡社)によれば、『この世界は力への意志である・・・そしてそれ以外の何も
のでもないのだ! そして君たち自身さえもまた、この力への意志であり・・・そしてそ
れ以外の何ものでもないのだ!』とニーチェは「力への意志」を説明しているという。そ
して、渡邊二郎は、『定式化されぬ「生成の無垢」が「生」と「世界」の根源事態であ
り、この根源事態が「力への意志」と名付けられる』・・・と解説している。
すなわち、「生」と「世界」というのは根源ではなく、根源は「生成」にある。しかも
それは無垢であるという。「生成」という根源は、それ自体どんな価値を有しているかを
示していないので、私たちは「生成」の秘める価値を知ることができない。現実の「生」
と「世界」を見て、自分の体験をもとに「生成」の秘める価値を感じるだけである。そう
いう「生成」というものは摩訶不思議な力を秘めているが、そういう摩訶不思議な力を秘
めた「生成」が「力への意志」である。「生成」は無垢であるので、「力への意志」も本
来無垢でなければならないのだが、民衆はもちろん最高の賢者も、無垢ではなくなってい
るので、「力の意志」というものを自分勝手な思い込みで働かせている。 民衆はもちろ
ん最高の賢者も、「力への意思」というものがどういうものかまったく判っていないの
だ。文中、ツァラトゥストラは最高の賢者の「力への意思」は支配の意志なのだと言って
いる。
第三番目に、「 こうした客人たちを舟にのせ、物々しく飾り立て、誇らしい名を与えた
のは。・・・あなた方と、あなた方の支配の意志なのだ。 そして河は、あなた方の舟を
先へ進めて行く。河は舟を運んで行かざるをえない。砕かれた河の波が泡をたて、怒って
竜骨を噛んでも、それは取るに足らない。 」・・・とは何を言っているのか? 最高の賢者が民衆を虚飾のまやかしで騙しているが、ひょっとしたら民衆はそれに気が
ついて怒りだすかもしれない。しかし、そんなことは大したことではない。大きな問題で
はない。最高の賢者が畏れなければならないのは民衆のルサンチマンではない。もっとほ
かにある・・・という訳で、次のフレーズに移る。すなわち、
『 最高の賢者たちよ、あなたがたの危険は、河すなわち民衆にあるのではない。また、
善悪の評価が行き詰まることにあるのではない。むしろ、あなた方の危険は、あの意志そ
のもの、力への意思・・・尽きることなく生み出す生の意志なのだ。』・・・というこ
と。
このフレーズは、次のような意味であろう。
最高の賢者が危険に陥るのは、「力へ意志」によってだ! 「力の意志」からしっぺ返
しを食う危険性を最高の賢者は有している。「力の意志」は、尽きることなく生み出す
「生の意志」でもあるのだが、「生の意志」にしっぺ返しを食らえば、「死」が待ってい
るだけだ。最高の賢者は「死」の危険にさらされている。これから免れるためには、「力
の意志」を正しく理解することだ。
さて、「力の意志」は、ツァラトゥストラにはどう働くのか、もっとも肝心な話に移り
たいと思う。「ツゥラトゥストラはこう言った」(第2部)の「自己超克」の中でそれが
どのように語られているが、まずそれを見てみたい。ツゥラトゥストラは次のようにい
う。すなわち、
『 生はわたしに、自ら次のような秘密を語ってくれた。「ごらんなさい」、生は言っ
た。つねに自分で自分を克服しなければならないもの、わたしはそれなのだ。』
『 わたしが闘争であり、生成であり、目的であり、もろもろの目的のあいだの矛盾であ
らざるをえないということ。』
『 まことに、わたしはあなた方に言う。恒常普遍の善と悪、そんなものは存在しない! 善悪は、自分自身で自分自身をくりかえし超克しなければならない。』
『善悪において創造者とならなければならない者は、まことに、まず破壊者となって、も
ろもろの価値をこわさなければならない。』・・・と。
最高の賢者たちの言う善悪は信じてはならない。彼らの善悪は虚妄だ! 善悪は自分自
身で考えるべきものであって、自分自身で考えた善悪にしたがって自分自身の道を歩まな
ければならないのである。「生成の無垢」すなわち「力への意志」にしたがって、自分自
身の目的に向かって歩まなければならない。いろいろ矛盾に苦しむかもしれないが、自分
自身で乗り越えなければならない。ツァラトゥストラはそうすると宣言する。
ここで、この文脈に沿って、ニーチェの基本的な考えを解説しておきたい。ニーチェ
は、「生の哲学」を考えており、人間の生の何たるかについて形而上学的思考を重ねた結
果、アポロン的価値とディオニュソス的価値の統合を重視する。どちらに遍してもいけな
いのだ。合理と非合理の二元論的認識を排して、その統一を図らなければならない。矛盾
を乗り越えなければならないのである。ニーチェはディオニュソスの狂乱的祭りを重視し
ている。キリスト教はこれを排斥するので、そんな神は殺してしまえと言っているのだ。
さあ、そこで思い出すのは。モーゼの十戒だ。モーゼはシナイ山で絶対神の啓示を受
け、十戒の石版も胸に抱えながらシナイ山を降りてきたとき、下ではモーゼに引き連れら
れてここまでやってきた連中が黄金の子牛を祀って狂乱祭りをやっている。何たるや! 怒りに怒ったモーゼは、石版を投げつけてその黄金の偶像を破壊してしまう。ディオニュ
ソス的偶像が破壊されたのである。これはディオニュソス的狂乱祭りの排斥そのもので、
ほかの何ものでもない。私が「さまよえるニーチェの亡霊」(平成24年6月、新公論
社、電子出版)の第2章第2節で述べた「驢馬(ろば)祭り」の否定である。ニーチェ
は、「ツァラトゥストラはこういった」の最終部(第4部)では、ツァラトゥストラをし
て「この驢馬祭りを忘れなさるな」と言わしめているが、歴史的に言えば、ニーチェの憧
れたディオニュソスはキリスト教によって殺されたのである。「ディオニュソスは死ん
だ!」
いよいよ私のいちばん言いたいことを申し上げたい。三つつのことを言いたい。
まず一つは、まず最高の賢者は、ニーチェのような堅固な意志を以て、「力への意志」を
実行することだ。やるべきことはいろいろあるとは思うが、もっとも象徴的に言えば、
ディオニュソスの神の復活を図ることだ。私はシヴァの神まで視野に入れるべきだと思う
が、アポロン的な神も含めて、さまざまな神を祀ることだ。それがニーチェの悲願だった
と思う。これをかなえることによって、ニーチェの魂は天国に旅立つことができる。ニー
チェの魂は浮かばれるのだ!
二つ目は、私たち人間は、自己超克をモットーとして、自分自身の階段を高みに向かっ
て、一歩一歩登っていくことだ。「重力の魔」に何度も何度も負けるかもしれないが、そ
れにもめげず・・・。その際に大事なことは「祈り」だ。自分自身の神を捜すことだ。ア
ポロン的な神でも良いしディオニュソス的な神でも良い。はたまたシヴァの神々でも良
い。日本は神々の国だから、自分の好きな神は容易に見つかるだろう。トイレの神さまで
も良いんですよ!
三つ目であるが、それは最高の賢者と民衆とのコミュニケーションである。
この三つの大事なことの中でももっとも大事なことは、「重力の魔」に負けないように
必死になって「力への意志」を生きていくことである。いうなれば、「重力の魔」と「力
への意志」との戦いだが、ニーチェのいう「重力の魔」とは何か? 「重力の魔」は非常
に手強い。いい加減な認識では、「力への意志」は「重力の魔」から負かされてしまうの
で、結局、「力への意志」が働らかなくなる。したがって、私たちは、「重力の魔」が非
常に手強い相手であることをしっかり認識した上で、「力への意志」を働かさなければな
らない。では、「重力の魔」について説明しよう。「ツゥラトゥストラはこう言った」
(第2部)の「重力の魔」の中で、ツゥラトゥストラは次のようにいう。すなわち、
『 人間にとって大地も人生も重いものなのだ。それは重力の魔のしわざである。しかし
軽くなり、鳥になりたいと思うものは、おのれ自身を愛さなければならない、・・・これ
はわたしの教えだ。
『 そしてまことに、自分を愛することを学ぶということ、これは今日明日といった課題
ではない。むしろこれこそ、あらゆる修行のなかで最も精妙な、ひとすじなわではいかな
い、究極の、最も辛抱のいる修行なのだ。
なぜなら、ほんとうの自分のものは、自分の手がたやすくとどかぬように、たくみに隠
されているからだ。(中略)・・・これも重力の魔のしわざである。』
『 人間は容易に発見されない。ことに自分自身を発見するのは、最も困難だ。「精神」
が「心」について嘘をつくことがしばしばある。こうしたことになるのも、重力の魔のし
わざである。
だが、次のように言うものは、自分自身を発見した者といえる。・・・「これはわたし
の善だ。これはあたしの悪だ。」と。彼はこう言うことによって、「万人に共通する善、
万人に共通する悪」などと言うもぐらと小びとを沈黙させた。
まことに、わたしは何もかも善いと言い、この世界をこともあろうに最善の世界と呼ん
だりする連中を好まない。(中略)
何が出てきてもおいしくいただく安易な満足、これは最高の趣味ではない! わたしが
尊重するのは、「このわたしは」と言い、「然り」と「いな」を言うことのできる、依怙
地(いこじ)で。選り好みのつよい舌と胃である。』
『 いつか空を飛ぼうとするものは、まず、立ち、歩き、走り、よじ登り、踊ることを学
ばなければならない。・・・いきなり飛んでも飛べるものではない!』・・・と。
要するに、ニーチェは、「自分自身で善悪を考え、自分の階段を一歩一歩高みに向かっ
て登っていくこと」が、「力への意志」を生きることだと、教えているのである。私も
まったくそうだと思う。このことを私たちの生きるモットーにしようではないか。
今私たちは、ホワイトヘッドによってニーチェの悩んでいた矛盾は乗り越えられ、心お
きなく神の存在を語ることができるので、私は、最高の賢者たち向かって、「自分の感じ
た神を子どもたちに語り、子どもたちが自分の階段を一歩一歩ずつ高みに向かって登って
いくことを教えてやって欲しい。」と自信をもって言うことができる。 また、私たち
は、すべての子どもたちに向かって、「神は君たちともにいる。君たちの神を信じて、 自
分の階段を一歩一歩ずつ高みに向かって登っていって欲しい。」と自信をもって言うこと
ができる。この点については、できるだけ多くの賛同者を得たいものだ。なお、 私は、
最高の賢者たちには、世のリーダーたちに向かってリーダーのあるべき姿を語ってほしい
と申し上げたい。
ここで、最高に賢者たちとは、神に触れその道の奥義を究めた人のことであり、直観の
働く人たちのことである。また、世のリーダーたちとは、政治に限らず、すべての趣味の
世界で指導者として活躍している人たちのことである。世のリーダーたちは、自分で意識
しているかどうかは別として、自分の階段を一歩一歩ずつ高みに向かって登って行ってい
る人たちのことである。しかし、そういう人たちもその道の奥義を究め、最高の賢者の仲
間入りを果たすために、引き続いて自分の階段をさらに高みに向かって登っていかなけれ
ばならないのである。私がここで言いたいことは、すべての人間に「力への意志」が働い
ているということだ。ニーチェの最大の功績はこの点にある。
第5章 恐竜型脳と新哺乳類型脳とのバランス
一階の恐竜型脳も三階の新哺乳類型脳もバランスよく働かせて、幸せな人生を生きて
いかなければならない。そのためには、「両頭を截断」しなければならない。ここでいう
両頭とは「アポロン」と「ディオニュソス」=「シヴァ」である。両者の統合を図らなけ
ればならない。すなわち、これからの哲学は、「陰と陽」、「善と悪」、「秩序と混
沌」、「理性と衝動」「創造と破壊」、「愛情と性欲」等の問題は、すべて「アポロン」
と「ディオニュソス」をどのように統合もしくは融合するかという問題である。私は、そ
れらを統合もしくは融合する神が「エロスの神」だと思っている。
第1節 プラトンのエロス論の心髄
プラトンは、エロスについて次のように言っている。
「エロスとは偉大な神霊である。」
「エロスの能力とは何か。それは、人間から出たことを神々へ、また神々から出たことを
人間へ通訳しかつ伝達するのです。」
「男女間の結合もつまり一種の生産であります。ところがそれは一種神的なものでありま
す。いったいなぜ生殖を目指すのでしょうか。それは生殖が一種の永劫なるもの、不滅な
るものだからです。愛の目的が不死ということにもあるということであります。」
「 生産、それは不死のことである。」
「愛の道の極致、それは、生ずることもなく、滅することもなく、増すこともなく、減ず
ることもなく、次には、一方から見れば美しく、他方ら見れば醜いというようなものでも
なく、時として美しく時として醜いということもなく、またこれと較べれば美しく彼と較
べれば醜いというのでもなく、またある者には美しく見え他の者には醜く見えるというよ
うに、ここで美しくそこで醜いというようなものでもない。」
「心眼をもって美を観ることが大事なのです。」
脳には三つの脳がある。三階建ての構造になっているのである。生きるという本能にか
かわる一階の恐竜型脳と理性を働かせたり直観を働かせたりする三階の新哺乳類型脳のバ
ランスが大事なのである。生きるという本能、すなわち恐竜型脳の働きを軽視してもいけ
ないし、理性を働かせたり直観を働かせたりするもっとも文化を創るという生き方、すな
わち新哺乳類型脳の働きを軽視してもいけない。本能のままに生きるのは恐竜型脳の働
き、文化的に生きるのは新哺乳型脳の働きが、それぞれ卓越しているのである。エロスは
そのバランスを図るためのものである。
プラトンはまさに禅僧の言いそうなことを言っているが、そのとおりである。両頭截断
して一階の恐竜型脳も三階の新哺乳類型脳もバランスよく働かせて、幸せな人生を生きて
いかなければならない。最初は何でも良いから美しい者を愛すれば良い。それを出発点と
して、ニーチェの「力への意志」が意味するように高みに向かって少しずつ階段を昇って
いけば良い。いや、そうでなければならないのである。
これを哲学的にいえば、私流の言い方であるが、理性的なものと理性的でないものとの
統合、合理と非合理の統合が不可欠で、ニーチェはその統合を図れないまま悲運のうちに
死んでしまった。私が「さまよえるニーチェの亡霊」というのはそのことである。ニー
チェは非合理の世界の重要性に気づいていたからこそ、それをないがしろにするキリスト
教と戦ったのである。キリスト教は本能的な生き方を否定するので、結局、社会の最高の
価値が喪失する。社会の最高の価値観を喪失すると社会の勢いというものがなくなる。
人々はやる気を失う訳である。それがニヒリズムだが、ニーチェは、当時のヨーロッパに 蔓延していたニヒリズムと戦ったのである。当時のヨーロッパの人々が沈滞ムードに陥っ ている、その諸悪の根源は、キリスト教という宗教にもとづく価値観だと考えていた訳で
ある。
ニーチェの考えをもっと正確に言うと、キリスト教によって合理がはびこり、非合理が
ないがしろにされている。ニーチェは非合理世界の復活を図ったのだ。私は全く正しい認
識であったと思う。ニーチェの考える非合理世界の神が「ディオニュソス」である。
「ディオニュソス」はもともとインドが源流の「シヴァ」である。長い歴史の中で、
「シヴァ」がギリシャで「ディオニュソス」に変身したのである。したがって、「ディオ
ニュソス」=「シヴァ」と考えてよい。「ディオニュソス」と対立する神が「アポロン」
である。私は、上で「 両頭截断して一階の恐竜型脳も三階の新哺乳類型脳もバランスよ
く働かせて、幸せな人生を生きていかなければならない。」と申し上げたが、この文脈で
いえば、両頭とは「アポロン」と「ディオニュソス」=「シヴァ」である。両者の統合を
図らなければならない。すなわち、これからの哲学は、「陰と陽」、「善と悪」、「秩序
と混沌」、「理性と衝動」「創造と破壊」、「愛情と性欲」等の問題は、すべて「アポロ
ン」と「ディオニュソス」をどのように統合もしくは融合するかという問題である。私
は、それらを統合もしくは融合する神が「エロスの神」だと考えている。「エロスの原
理」は「身体統一の原理」なのである。それについては最終章で詳しく述べるが、ここで
はニーチェの念(おも)いを遂げるため、「ディオニュソス」=「シヴァ」について勉強
したいと思う。
第2節 「シヴァ」=「ディオニュソス」について
「ディオニュソス」を深く理解するためには、その源流をさかのぼって「シヴァ」を知
らねばならない。幸い、「シヴァとディオニュソス・・・自然とエロスの宗教」(著者・
アラン・ダニエル、訳者・浅野卓也と小野智司、2008年5月、講談社)という格好の
本があるので、それにより「シヴァ」について最低限知っておくべきことを紹介しておき
たい。
次のとおりである。すなわち、
『 反ディオニュソス的信仰が、アーリア人、ヘブライ人、アラブ人を問わず、かれら遊
牧民の宗教の基盤となっている。(中略)それは忠実な信者のみを選別人種と考える宗教
である。』
『 シヴァ教は本質的に自然宗教である。ディオニュソス同様、シヴァは、天界における
神聖なヒエラルキーの諸相のなかの一点を表象し、このヒエラルキーは地上の生の総体に
関わる。霊妙なる存在と有限の命をもつ生き物とのあいだに現実的な同盟関係を打ち立て
ることで、シヴァ教はつねに都市社会の人間中心主義に対抗してきた。シヴァ教の西洋的
な形態としてのディオニュソス教もまた、人間が野生の世界、山や森の獣との交感状態に
ある段階を表彰するものである。
シヴァと同様、ディオニュソスは植物の神、樹木とブドウの神である。また動物の神、
とりわけ牡牛の神である。この神はわれわれ人類に、聖なる法をふたたびみいだすよう教
え、人間の法を捨て去るよう諭(さと)すのである。魂と肉体の力の解放をめざすディオ
ニュソス崇拝は、都市型宗教から激しい弾圧を受け、既存の社会に属さないアウトサイ
ダーたちの異形の守護神として描かれてきた。(中略)しかしながら、シヴァ神の神秘的
な呪力をまったく無視することはできなかった。都市を治める人びとに敵視されたにもか
かわらず、シヴァ=ディオニュソス崇拝にはつねに一定の役割が与えられてきたといえよ
う。』
『 シヴァやディオニュソスの信徒は、人間より下位の存在と超人間的な存在とにひとし
く生命を吹き込み、日常的な社会生活における政治的野心や種々の制約の拒絶をうながす
聖なる力にじかに触れようとする。』
『 シヴァやディオニュソスの信仰は、復興するたびに都市から追放された。都市では、
人間に法外な地位を与える信仰だけが認められ、その信仰は人間による略奪行為を容認
し、神秘的な精霊界との直接の接触を可能にするあらゆる形式のエクスタシー体験を糾弾
してきた。(中略)バラモン教、公式のギリシャ・ローマの宗教、ゾロアスター教、仏
教、キリスト教、イスラム教のすべてのなかに、われわれは古代宗教の生き残りとの敵対
関係を発見する。古代宗教の生き残りとは、おしなべて自然との愛とエクスタシーの追求
に基礎をおくシヴァ教、ディオニュソス教、スーフィ教など神秘主義の諸宗教である。
(中略)ヴェーダ教や仏教、そして後の時代のキリスト教やイスラム教の純潔主義からな
んども打撃を被ったことで、シヴァ教は秘教の世界へと引きこもるようになり、今ではそ
の奥義に近づくことは容易なことではなくなってしまった。』
『 教会という世俗権力と富をひけらかす権威主義的な支配者は、神秘主義であれ科学上
の発見であれ、あらゆる探求に必要な「自由」とは両立しない存在である。教会は、神秘
家と科学者をともに排除しようとする。』
『 アニミズム、シヴァ教、アーリア人の宗教、ジャイナ教という四つの主たる宗教思考
の潮流は、後の時代のキリスト教がそうしたように、土着の神や伝統や信仰と結びつきな
がら世界中に広まった。それらの潮流は、ほとんどすべての現存する宗教形態の基層と
なっている。(中略)ユダヤ教、キリスト教、イスラム教もそこに基盤をおいている。』
『 東南アジア(カンボジア、ジャワ、バリ)でも、シヴァ教は文明のはじまりと密接な
つながりをもつ。バリ島では、今でもシヴァ教がその宗教のきわだった特徴となってい
る。』
『 ディオニュソス信仰は、ディオニュソスが土着の神々に簡単に同化しただけに、いっ
そう容易にギリシャの風土に順応した。・・・というのも、ギリシャ神の儀礼は、古代ト
ラキアの教慣習と数多くの接点をもっていたからで、そこには女性による狂乱儀礼もはっ
きりふくまれている。』
『ディオニュソス教とは、事実上、インド=地中海世界における古代シヴァ教にほかなら
ず、世界がアーリア化されてからも次第にその地位を取り戻していった。この信仰は、そ
れまでのギリシャ人の宗教経験をひっくりかえすようにして刷新し、ヘレニズム時代の精
神土壌に深く根をおろしていった。』
『 紀元前4世紀にインドに居住していたギリシャ人メガステネスは、ディオニュソスと
シヴァを同一視している。』
『 動物や植物や人間を見張るために、シヴァは「ヴィディエーシュヴァラ」(知恵の
主)を創造した。かれらは森の精霊、サテュロス、ニンフ、妖精、守護天使、創造を守る
精としてあらわれる。バシュパティはこれらの精霊の頭目で、自然界のあらゆる領域に精
霊の姿を借りて出没する。シヴァは、山や森の中に住まう。そして神秘的な気配が感じら
れる森や山の洞窟や人里離れた場所には、シヴァのための聖域がもうけられ、供物が運び
込まれる。』
(注:精霊については中沢新一のすぐれた研究があるが、シヴァ教の考えとは多少異なる
ところがある。それは、シヴァ教では精霊の頭目がいて、またその上にシヴァ神がいると
いう点だ。)
『 ディオニュソスは、パン、シレニ、ニンフなどさまざまな精霊に囲まれている。』
『 シヴァの象徴は、「リンガ」すなわちファロスである。ペニスは実際神秘的な器官で
ある。あらゆる存在物の生誕をもたらすペニスを通じて、創造の原理は顕現する。(中
略)ペニスとは、人間(或いは動物や草花)と神の本性たる創造の力とを結ぶ器官なので
ある。それは、もっとも完成されたまことのシンボルだと言えよう。』
(注:縄文時代の石棒は神の通う道であり、縄文人の思考はシヴァの思考と通底するもの
がある。)
『 シヴァは言われた。「わたしとファロスとは不可分である。ファロスとはこのわたし
のことである。ファロスが信者をわたしのところに引き寄せるのだから、崇められなけれ
ばならぬ。愛しい者らよ! 男根そそり立つところであればどこでも、たとえそこに、わ
たしをあらわす物がほかになかろうとも、わたしはそこにあるだろう。」(「シヴァ・プ
ラーナ」)』
『 このファロス崇拝は、先史時代以降の地中海世界とヨーロッパの北部、また6世紀ま
でのディオニュソス信仰に見いだされる。』
『 ディオニュソス教の狂乱儀礼は、タントラ儀礼に相当する。イニシエーションの力を
通して、人間は、狂乱儀礼において直感的に知覚したことを明瞭に認識し、人間の本当の
すがたを修得する。これこそが、天啓というものだろう。狂乱儀礼を通じて、人間はみず
からの内外に諸々の力が存在することをはっきりと感じ取る。そして、まさにそのときこ
そ、ひとは、その原理を把握し、世界と神の本性を理解することができるのである。』
(注:天台宗の摩多羅神を祀っての狂乱儀礼とディオニュソスの狂乱儀礼が似ているよう
に思われる。私は摩多羅神をシヴァ神に繋がる神と見ているが、当然、ディオニュソスも
エロス神に繋がるに違いない。摩多羅神を日本に持ち込んだのは慈覚大師<円仁>だが、
そのお蔭で私たち日本人もシヴァ神に親しみを感じることができるのではないか。また、
シヴァ神は、「縄文の神」<石棒>と通じるところがあり、その点からも大変親しみのあ
る神である。)
『 ディオニソス的な世界では、性的狂乱儀礼は、タントリズムのそれに呼応する実践を
指す。それは一般的に集団儀式で、エクスタシーを覚える神がかりのダンス、性愛儀礼が
執り行われる。インドのシヴァと同様、ギリシャのディオニュソスも、自然の神と性的狂
乱の神という二つの顔を持つ。』・・・である。
「 シヴァとディオニュソス・・・自然とエロスの宗教」(著者・アラン・ダニエル、訳
者・浅野卓也と小野智司、2008年5月、講談社)からの引用は以上であるが、ディオ
ニュソスはまさに野性的というか本音丸出しの神であり、理性の象徴であるアポロンとは
まったく逆の神である。
プラトンは、エロスの神について形而上学的思考を重ねた哲学者で有名であるが、彼
は、知識の源としての「バクティ」と官能的な「マニア」とを区別した。「バクティ」と
は、サンスクリット語で、「献身」「信愛」「信仰」「神への愛」「帰依」を意味する言
葉であり、「マニア」とは、マニアの語源はギリシャ語で「狂気」のことであり、自身の
趣味の対象において、周囲の目をも気にしないようなところもある事から、「∼狂(きょ
う)」と訳され、ほぼ同義のものとされている。
さらに、 プラトンは、 官能的な「マニア」を、酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」
と性愛に結びつくエロチックな「マニア」に分けて考えた。前者の 酩酊と陶酔のダンス
を伴う「マニア」は、ディオニュソスとより直接的なつながりを持つと見なした。 性愛に
結びつくエロチックな「マニア」は、プラトンの活躍するころのギリシャでは、その元型
をとどめていなかったのではないかと思われる。私の考えでは、シヴァ教に見られるよう
な性愛に結びつくエロチックな「マニア」 は、ギリシャではアポロンの影響をうけて野
性味が削がれて、かなり理性的なものになっていたようだ。それが古代ギリシャの「エロ
スの神」であろう。「エロスの神」は、性愛の神でもあるが「愛」の神でもある。「愛」
は、真・善・美の世界に到達しようとする最も高次元の概念で、理性そのものである。
ここまでは、シヴァとディオニュソスは同じであるとして説明してきたが、厳密にいう
と、少し異なる部分がある。 酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」に関してはまったく
同じ。しかし、 性愛に結びつくエロチックな「マニア」については、シヴァは元型その
まま、ディオニュソスはアポロンの影響を受けてかなりマイルドになっている。そのよう
にお考えいただきたい。
私たちは今こそ新たな「エロスの神」を創造して正しい人生を歩まないと「個人の幸
せ」はおろか「種の保存」すら危なくなる恐れがある。イギリスの医学ジャーナリストで
あるロイ・リッジウェイという人の言うところによれば、「多くの子供から助けを求める
悲鳴が聞こえてくる」のだそうだ(「子宮の記憶はよみがる」1993年1月、めるく
まーる)。
彼はこのように訴えている。すなわち、
『 自分ではどうしようもない「死の恐怖」におびえているのだ。考えてもみたまえ!母
親が、女性が、そして多くの識者が、女性の身体の秘密を知らなさすぎる。懐妊の前のタ
バコや飲酒、あるいは情緒不安的な生活は、知能の低い子供とか五体不満足な子供を出産
する可能性が高いと言われているのに、若い女性でタバコを吸い酒に飲まれている人ある
いは生活が乱れている人が少なくないではないか。』と。
子供は社会の宝である。プラトンの「エロス論」はそのことをいちばん訴えているのだ
が、はたしてプラトンの「エロス論」で十分現代に対応できるのか? 私は、21世紀の
世界に通用する新たな「エロスの神」を創造する必要があると考えているのだが、その場
合、ギリシャのエロス神ではなく、シヴァの神を基本に据えなければならないのではない
か。そうでないと・・・「さまよえるニーチェの亡霊」は浮かばれない!
ニーチェの哲学は「命の哲学」だ。彼の多くの著作の裏に隠されているのは、人生を生
きる上での最高の価値であって、それは「子どもは社会の宝」であるというこことだ。先
に書いた「さまよえるニーチェの亡霊」(平成24年6月、新公論社、電子出版)の結論
だけを言っておきたい。詳しくは同著を読んでいただきたい。
ニーチェの多くの著作の裏に隠されているのは、人生を生きる上での最高の価値であっ
て、それは「子どもは社会の宝」である。人は何のために生きているのか? 私たちは
「生きていくために生きている」のである。では、その生き方はどうでなければならない
のか? 「子どものために生きる」のである。子どもは自分の子どもでなくてもよい。
昔、乳母というものがあったし、自分のおばあちゃんに子どもの面倒を見てもらうという
ことも少なくなかった。母親というのは、昔から結構自分の仕事に忙しく、子育てはおば
あちゃんに任せていた。高貴な人は乳母にお願いしていたかもしれないが、子育てはおば
あちゃんの役割というのが少なくなかったのである。おばあちゃんが人生の中で身に付け
た感性とか人生訓とかいろいろなノウハウを孫に伝達してきたのである。そのお蔭で人類
はここまで発展してきたという「人類発展おばあちゃん説」という学説があるが、今まで
おばあちゃんの存在はきわめて大きかったのである。
現在は、核家族であるので、それを望むべきもないが、もし田舎でも移住が可能であれ
ば、家族農業をやりながら、昔の大家族の生活をするのも非常に価値がある。しかし、そ
れが難しい場合も多かろうと思われるので、私は、都市を生きる人たちに「文化を生き
る」生き方も立派な生き方であると申し上げているのだ。子育てに生きるか文化に生きる
か二者択一であるが、いずれの場合であっても、エロスの神に「祈り」を捧げ、人生をイ
キイキと生きていってもらいたい。エロスに神に「祈り」を捧げるということは、まずは
自分自身が自分の階段を一歩一歩高みに向かって登っていけるように祈ることに他ならな
いが、それも結局は子どものためである。ニーチェは人類のためとか種の保存のためとい
う趣旨のことを時々言っているけれど、それは子どもが私たち人類の「命」を繋いでいる
ということなのである。まさに、子どもは人類の宝である。子どもの健やかに育つことを
祈らずにはおられない。
子どもがひとり
私たち夫婦に授けられた立派な大人に育て上げようではないか
黎明(れいめい)の少年たちよ、黎明の少女たちよ
冬のスピリットたちよ
夏のスピリットたちよ
お願いしますなにとぞこの子に良き運命を
お授けください
『聖なる言葉・・・ネイティブ・アメリカンに伝えられた祈りと願い、「テワの祈り」』
(原作スタン・バディラ、翻訳北山耕平、2004年3月、マーブルトロン発行、中央公
論社発売)
子どものための祈り
ご覧、わが子よ、近づいてくる人影を
顔を上げてごらん、いとしい子よ
もうなにひとつ
心配はいらない、いらない
ご覧上空を飛びながら
おまえを守ってくださるものを
そこにおられるだけで
喜びがもたらされ
おまえの悲しみも、消え去る
ご覧!
鷲たちがおまえの上を舞っている
そらん向こうの
われらの父がお住まいになる
澄み渡る青空の彼方より
彼らは
お前のために平和を運んできた
幸せなおさな子は、
今ここで微笑む
くったくもなく
『同上「パウニー」』
金のトランペット吹き鳴らせ
平和記念像に寄せて
天心の三日月の上に
幻でない母と子の像
これこそ永遠の平和の象徴
童子よ母の愛につつまれて
金のトランペット吹き鳴らせ
天にも地にも透明な
平和の調べ吹きおくれ
どんな未来がこようとも
頬いっぱいふくらまし
No more Hirosimaの
金のトランペット吹き鳴らせ
1978年8月 草野心平
第6章 ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方向性
現在、日本もそうだが、世界は「人間が生きる最高の価値観」を失ってニヒリズムに
陥っている。そのニヒリズムから脱却して私たち人間がイキイキと生きていくためには、
何をなすべきか? それを一言で言えば、ニーチェの考えを中心として、ハイデガーやホ
ワイトヘッドらの哲学のいいところ取りをして、ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方
向を見定めて、具体的な運動を展開することだ。そういった新しい哲学、すなわちニー
チェとハイデガーとホワイトヘッドの統一哲学が形而上学的に誕生するにはかなりの年月
がかかるかと思われる。現在の状況からして、それを待っているわけにはいかないという
のが私の認識であり、したがって、私は、せめてその方向性を見定めて、具体的な運度を
展開すべきだと申し上げたいのだ。
私は前章で『 人生いろいろ、神もいろいろだが、哲学の問題としては、神をアポロン
的な神とディオニュソス的な神とに峻別しなければならない。アポロン的な力とディオ
ニュソス的な力の統一がパラドックス論理によってなされなければならないのである。エ
ロスについても合理と非合理の統一がなされなければならない。ニーチェはキリスト教の
神と戦うことに一生を捧げたので、その必要性を認識しながらも、パラドックス論理を使
うに至らなかったと言い得るかもしれない。必然的な自己矛盾を克服できなかったのであ
る。私は、今後、ニーチェの神に対する考えを中心として、ハイデガーやホワイトヘッド
らの良いところ取りをして新しい21世紀の哲学を作ることができると思う。』・・・と
申し上げた。
古代ギリシャにおいては、ディオニュソス=シヴァと考えておおむね間違いではない
が、実は、厳密に言えば、両者の間に異なる点がある。これ以降、私は、ディオニュソス
とシヴァを峻別して、ディオニュソスをシヴァと言い換える。シヴァはまさに東洋的で、
ディオニュソスの源流に存在する。西洋的なものと東洋的なものを統一した哲学を考える
場合、少しは西洋の色の染まったディオニュソスよりも西洋の色のまったく染まっていな
いシヴァを対象にすべきだと思う。アポロンは西洋であり、シヴァは東洋である。シヴァ
は自然の神であり、シヴァの思想は都市に徹底的に反対してきた。その自然が今まさに大
きくクローズアップされてきている。
私は「祈り」の科学シリーズ(2012年5月、新公論社、電子出版)で述べたよう
に、ラブロックの「ガイヤ説」は、 宇宙の波動に対する認識が欠けているという点で未
熟である。やはり生物学者としての限界があったのかもしれない。天には父がいるのであ
る。母と父がいないと子供という宝物は生まれてこないのだ。私は母と父のどちらが大事
かと問うているのではない。どちらも大事。一体不可分のものである。したがって、
エロスの神は、西洋的なアポロンと東洋的なシヴァが統合されなければならない。シヴァ
の本質は自然を重視するところにある。地球の「エコ」を重視するという点で、ラブロッ
クの「ガイヤ説」は正しい。 ガイヤ(地球)は生きているというのはその通りである。
ガイヤは母であるというのもその通りである。私自身は、今後、「エコ」から宇宙的な視
点「ジオ」に軸足を移していこう思っているが、「エコ」に熱心な人の応援はしていきた
い。「エコ」は「ジオ」の一部であるから・・・。
私は、「さまよえるニーチェの亡霊」(平成24年6月、新公論社、電子出版)の第7
章で、科学の本質についてのハイデガーの認識を紹介しながら、神の投企を引き受けてそ
れを感じることが容易なのは自然であって、技術ではない。だから、自然豊かな田舎を神
の住まうところと考えてよい。都市ではない。という趣旨のことを申し上げた。これから
21世紀において、自然の哲学はきわめてますます大事になってくる。
第1節 「力への意志」
私は、この章の冒頭で、『シヴァは自然の神であり、シヴァの思想は都市に徹底的に反
対してきた。その自然が今まさに大きくクローズアップされてきている。』・・・と申し
上げたが、実は、都市というものがくせ者である。都市哲学というようなものは、私は寡
聞にして聞いたことがないが、今後、シヴァの思想を取り入れ、さらにはハイデガーの哲
学にもとづいて都市哲学を構築しなければならないのかもしれない。都市は、アポロン的
なものの象徴であり技術である、と考えるべきかもしれない。だとすると、自然とか神と
はおおよそかけ離れた存在であり、人間の傍若無人ぶりの発揮される場所ということにな
る。私は、前章で、『 神さまの方が何かの思いがあって人間に働きかけていると申し上
げ、これが「神の投企」ということである。ざっくり言ってしまえば、「神の贈与」、
「神の恵み」と言ってもいい。その方が判りよい。』と申し上げたが、都市は市場原理の
渦巻くところで、都市には「贈与」がない。まったくない訳ではないが、非情に希薄であ
る。都市の本質はそこにある。
戦後、日本の都市化は急速に進み、それが高度成長を支えてきた。過疎対策が講じてこ
られなかった訳ではないが、成功せず、未だに過疎化は進んでいる。都市は膨張を続けて
いる。私はアポロン的なものの究極の姿がこれであると思う。今ならまだ間に合う。一日
も早く都市化に歯止めをかけ、田舎の再生を図らなければならない。そのことが前提にな
いと、ニーチェのいう「力への意志」の働きようがない。それはどういうことか?
先ほど私は、ニーチェの「力への意志」について、『 私たち人間は、自己超克をモッ
トーとして、自分自身の階段を高みに向かって、一歩一歩登っていくことだ。「重力の
魔」に何度も何度も負けるかもしれないが、それにもめげず・・・。』と申し上げたが、
人間の傍若無人な愚行が横行する世の中には、「力への意志」は働かない。「重力の魔」
だけが働いてしまうのである。神というものは、人間がどんな悪いことをやっていても人
間を助けてくれる、というような存在ではない。神の恵み、すなわち神の贈与に対して、
感謝しながら、「祈り」も捧げ、努力していると、神の働きで良い方向に動いていくとい
うことなのである。神の贈与が送り届けられるような世の中である、というのが「力への
意志」が働く大前提にあるということを忘れてはならない。国家の責任は極めて大きい。
第4章で申し上げたが、「力への意志」というものが、つねに念頭においておかなけれ
ばならない、「 人間が生きていく上での基本的な条件である」ことを再確認しておきた
い。
まず一つは、まず最高の賢者は、ニーチェのような堅固な意志を以て、「力への意志」
を実行することだ。やるべきことはいろいろあるとは思うが、もっとも象徴的に言えば、
シヴァの神の復活を図ることだ。アポロン的な神も含めて、さまざまな神を祀ることだ。
それがニーチェの悲願だったと思う。これをかなえることによって、ニーチェの魂は天国
に旅立つことができる。ニーチェの魂は浮かばれるのだ!
二つ目は、私たち人間は、自己超克をモットーとして、自分自身の階段を高みに向かっ
て、一歩一歩登っていくことだ。「重力の魔」に何度も何度も負けるかもしれないが、そ
れにもめげず・・・。その際に大事なことは「祈り」だ。自分自身の神を捜すことだ。ア
ポロン的な神でも良いしシヴァ的な神でも良い。日本は神々の国だから、自分の好きな神
は容易に見つかるだろう。
三つ目であるが、それは最高の賢者と民衆とのコミュニケーションである。
第2節 技術と自然
私は、「さまよえるニーチェの亡霊」(平成24年6月、新公論社、電子出版)の第7
章で、『 ハイデガーは何を言いたいかというと、 アレテウエン(覆いを取り除いて真相
を露呈させること)の一様式であり、そこに神の投企が「抱握」されなければならないの
であるが、技術の歴史を見ると、存在の歴史とまったく同じであって、神の投企は見えな
くなってしまうようになってきている。私は、ハイデガーは、技術こそ人間の思い上がり
の象徴であって、これこそデカルトに端を発する西洋文明の間違いだと主張しているのだ
と思う。 』・・・と述べた。しかし、これからは今までとは逆に、技術が進めば進むほ
ど神が近く感じられるようにならなければならない。
(1) 故郷(自然)の再認識
私は、「さまよえるニーチェの亡霊」の第7章で、 私は、『神は、歴史的に見て、い
ろいろは国というか場所で、いろいろな場面場面というかいろいろな時に、人びとに感じ
られてきたというか現れてきた。しかし、そういう神の立ち現れる場所というのはどうい
うところなのか? すなわち、神は時空を超えて現れるのだが、そもそも神の立ち現れる
場所とはどこなのか? それは「故郷」だ。そういう意味でで故郷という言葉が使われて
おり、必ずしも私たちが日頃使っているな意味での故郷ではない。しかし、私は、ハイデ
ガーのいう「故郷」を私たちの日頃使っている故郷というか田舎をイメージしている。
神の投企は、時空を超えてある。しかし、人間はなかなかそれを受け止めれない。技術
的な世界(都会)よりも、自然的な世界(田舎)の方が受け止めやすい。ホワイトヘッド
の言葉でいえば、「抱握」(フィーリング)しやすい。故に、私は、故郷再生、田舎の再
生に旗を振っているのだが、その心は「自然」にある。自然は神の投企をそのまま受け止
め、私たちにもそれが容易に「抱握」(感じる)ことができる。技術は神の投企を隠して
しまって私たちには容易に「抱握」(感じる)ことができなくする。そこが大問題なので
ある。』・・・と申し上げた。
先に述べたように、「投企」や「抱握」は神からの贈与である。中沢新一はその著「日
本の大転換」で、脱電発や農業の再生という問題は、今こそ取り組むべき緊急課題である
として、贈与論を展開した。また、私は、「祈り」の科学シリーズ6(20012年5
月、新公論社、電子出版)で、贈与経済の貨幣・「地域通貨」の必要性を書いた。その要
点は、次のとおりである。
日本復興を図る上で「地域通貨」は避けて通れない問題である。市場経済をなくすこ
とができない以上、贈与経済とのハイブリッド経済を考えねばならない。世界経済の行く
末及び世界構造のあり方を考えたとき、どうしても地域通貨が浮かび上がってこざるを得
ない。地域通貨の問題は、現下の緊急、かつ、重要な国内問題である。
「農」は国の基本であり、地域の基本である。「農」を基本とした地域の自立的発展を
図らない限り、地域コミュニティは崩壊をつづけ、やがて日本は崩壊するに違いない。こ
れからは心の時代である。家族農業も大事にし、「協和」を旗印に、輝かしい地域コミュ
ニティと日本を創っていかなければならないが、それは、「祈りの科学」シリーズ(6)
「地域通貨」に書いた実践論を具体的に検討していけば、充分可能である。ただし、「地
域通貨」の哲学については、中沢新一の贈与論が私の哲学の足らざるところを補ってくれ
ているので、その点だけは申し上げておく。私の「地域通貨」の哲学は、主として貨幣論
から展開したものであって、その背景にある贈与論を論じてはない。モースの贈与論を発
展させ、現代の経済的社会的な諸問題に応えうる新たな贈与論が待ち望まれていたが、2
011年8月に中沢新一の「日本の大転換」(集英社)が出た。これはまさに現代の贈与
論であって、主として原発問題を意識したものであるが、農業などの純粋贈与や地域通貨
にも適用できる一般理論である。中沢新一のこの新たな贈与論によって、地域通貨の哲学
にもしっかりした基盤ができたように思う。
市場経済は競争が原理である。その原理にしたがって農業のあり方が考えられており、
「地産地消」などと言われているが、これは大規模農業を目指すものであって、百姓の行
う「農」、本来の「農」とは論理が逆である。地域の自立を目指すのであれば、「地産地
消」という市場原理で競争に明け暮れる生産者の論理でなく、逆に、地域で消費するもの
については地域で作れという「地消地産」でなければならないのである。
現在の農業は間違っている。本来の「農」に戻らなければならない。農家は本来の百姓
に戻らなければならない。そうでないと資本の力によって地域コミュニティは完全に崩壊
してしまう。現在その危機に直面している。
(2)自然の神と技術の神との同盟
シヴァ教はディオニュソス教と同じようにエロスの宗教ではあるが、実は、シヴァ教は
自然の宗教でもある。ここのところがきわめて大事なところだ。第3章では、シヴァ教の
説明はエロスに焦点を当てて説明した。ここでは自然に焦点を当ててシヴァ教の説明をし
ておきたい。「シヴァとディオニュソス・・・自然とエロスの宗教」(著者・アラン・ダ
ニエル、訳者・浅野卓也と小野智司、2008年5月、講談社)では、次のように言って
いる。すなわち、
『 シヴァ教は本質的に自然教である。(中略)この神は、われわれ人類に、聖なる法を
再び見いだすよう教え、人間の法を捨て去るよう諭すのである。』
『 シヴァ信仰の哲学的な全容は、まだほとんど解明されていない。』
『 現代のエコロジーは、真性の倫理への回帰を目指す試みのように見えるが、いまだ人
間中心主義的な発想を超えるものではない。』
『 シヴァは宇宙の支配者である。その多様な姿は、宇宙の方角を支配する神々に結びつ
き、それぞれの神には、生命に対する直接的な影響力と重要なシンボリズムが付与されて
いる。』
『 この世界に生まれたものは、いつかは必ず死ぬ。したがって生の原理は時間に結びつ
き、最終的には死の原理に結びつけられる。創造の神は、同時に破壊の神である。生は死
を育む。いかなる生命体もほかの生物の命を破壊しむさぼり食うことなしに、生き延びる
ことはできない。それゆえシヴァは恐ろしい相貌(そうぼう)をもっている。』
『 宇宙において神々、精霊、人間のなかに顕現する原理は、動物界、植物界、鉱物界に
も同じようにあらわれる。』
『 聖なる場所とはある種の扉で、そこを通過すれば、ひとつの世界からもうひとつの別
の世界へ移行することもそれほど難しいことではない。この通路を通じて、幻視者は突如
として他界へと目が開かれ、また他界へといたることが可能となる。特別な能力がないも
のでも、ひとたびそのような聖地に立てば自分が超自然的と呼ばれる何か、すなわち神々
や聖霊たちの住まう神秘な世界に近づきつつあることを実感できるだろう。(中略)そう
したところに行くと、時間の制約を超えた異次元の宇宙に至るような、ただならぬ空気を
感じずにはいられない。こうした場所で秘跡をさずかり。或いは死を迎えることは、とて
も意義のあることだとされる。そこは、「天界」に通じる門なのである。』
『 エロスは生存の原理でもあるが、消滅と死の原理でもある。何ものもエロスなしに存
在しないし、またこの神を通じて、万物は存在することをやめる。かれはまさに、生と死
の原理であるシヴァの本性を顕わしている。』
『 シヴァ教は、個人という存在を、ジャイナ教のように重視せず、人間の生を一時的
で、かつ、集合的なものとしてしか信じない。人間の個々の生は、あらゆる存在の生と等
しく、宇宙的な事物と意識と知性から選択され、宇宙的にして不可分の魂のかけらを取り
巻く多様な元素が相互に結びつけられる結び目、結節点から形成される。これは、壷のな
かの閉ざされた空間にたとえられるもので、そこには宇宙的な空間と変わるところはな
い。』
『 天界と神々は、宇宙が終息し事物と時空が無に帰するとき、存在することをやめるだ
ろう』
『 われわれがみずからの存在の永遠性に目覚めるのは、この現在の生が持続するあいだ
でなければならない。進化を忘れた終わりのなき魂の不滅という倦怠を夢想しなければな
らない理由など、どこにもないのである。』
『 人間間科学、自然科学的心理学やエコロジーの最近の発見は、シヴァ教がつねに推奨
してきたものと同じ普遍的・人間間問題へのアプローチを提示するものと考えることがで
きる。われわれの時代が、キリスト教の勝利によって一度は絶滅し、「散逸した宗教体
験」を再発見した先駆けとして後世に知られるということも、ありえないことではな
い。・・・こうしたすべての要素(無意識、神話、シンボルへの関心、プリミティブなも
の、アルカイックなものへの熱望といった宗教感情のあらわれ)は、かってあったものの
二番煎じではない新たなヒューマニズムの発展を告げるもののようにも感じられる。なぜ
なら、人類の全体知に達するために今統合されなければならないのは、何よりも東洋学
者、民族学者、深層心理学者、宗教史家による諸々の探求だからである。(M・エリアー
デ「悪魔と両性具有」)(中略)シヴァ信仰の知恵への回帰は、加速度的に破滅へと向か
う人類の歩みに歯止めをかける唯一の道筋となろう。ルネ・ゲノンによれば、「「手短か
に言えば、モダンにおける本来のあり方からの逸脱以前に存在した教えを、この時代条件
にふさわしいかたちで再構築すること、これがたったひとつの課題となろう。東洋は、も
しそうなることを望めば西洋の救済者として現れる可能性は高い。それは、ある種の人び
とが恐れるように見慣れない奇妙な概念を強引に持ち込むことではなく、西洋がすでにそ
の意味を見失ってしまった伝統を西洋みずからが再発見する手助けとなるものである。」
(「世界の終末 現代の危機」)』・・・と。
(3)技術論
「祈りの科学」シリーズ1(2011年5月、新公論社、電子出版)で述べたように、
「100匹目の猿現象」と同じ現象として,今西錦司が言うように何ごとも「起るべくし
て起るのである」。さらに,次のようにも述べた。すなわち、
『 ともかくネットワークの中から「100匹目の猿」が出てくれば良いのだ。「100
匹目の猿」が一匹現れれば,シェルドレイクの「形態形成場」のなかで時間と空間を超え
た共時現象が起って、あっという間に全体の共通感覚となる可能性があるということだ。
ここに共通感覚とは中村雄二郎の「リズム論」における共通感覚である。』・・・と。
これらは、私の「リズム人類学」を進める上での基本認識である。私の基本認識では、
「リズム」によって「100匹目の猿」が出てくるし、さらには良いものは起るべくして
起って、共通感覚(常識)となる。常識的にこりゃ良いと思われるものは良いのである。
それから、永い歴史の中で使われてきた伝統技術は良いのである。
しかし、「永い歴史の中で使われてきた伝統技術」ということについては、その認識の
仕方において重要な留意点がある。それは物と「モノ」との違いを明確に認識しなければ
ならないということだ。物は現在の科学でいうところの単なる物質のことであるが、「モ
ノ」とはそれに心が籠っていると認識される場合の言い方である。「モノ」には魂(タ
マ)が籠っているのだ。この魂(タマ)については、のちほど第3節で詳しく説明する
が、とりあえずここでは、現在の認識からすると「タマ」は神と言い換えてもたいした違い
はないと言っておこう。厳密ではないが、まあ当面その程度に考えておこう。その方が判
りやすい。したがって、神、それはやよよろずの神ということだが、新技術論では、神々
の意向を慮って(おもんばかって)、とんでもない悪魔的技術が 誕生しないよう予測と
評価に関する技術をどう確立すればいいかということになるし、風土的・民族的に芽生え
た国民文化の奥に隠されている部分をどう認識するかということになる。日本文化の隠さ
れた部分、それは放っておいてもみんなに見えるように自然に立ち現れて来るというもの
でなく、よほどの努力をして引っ張りださないと普通の人には見えないものである。ハイ
デッガーの言い方に習えば「立ち現れないもの」或は「立たないもの」という言い方にな
ろうか。伝統技術の中に隠れたモノ的要素を再評価し、これからのモノ的技術をどう確立
するか。悪魔的技術の阻止とモノ的技術の確立がこれからの技術上の課題としてクローズ
アップされる。モノ的技術については章をあらためて説明することとし、ここでは原始力
発電という悪魔的技術について私見を述べておきたい。
私は以前,ハイデガーの技術論に対抗して、「光と陰の技術」と題して私の技術論を書
いた。これは政治家が身につけておかなければならない政治哲学としての技術論で、技術
論としては専門的なものではなく基礎的なものである。そこでは次のように述べた。すな
わち、
『 古いものというか風土的・民族的に芽生えた国民文化に関わる伝統技術についてはそ
の保存と活用を図る、そういうも のではなかろうか。』
『 これからあるべき新技術開発とは、新しいものというか「立たせる力」により・・・
今後ともよりどん欲に開発される新技術には安全の面、倫理の面から必要に応じて歯止め
をかけ、逆に、古いものというか風土的・民族的に芽生えた国民文化に関わる伝統技術に
ついてはその保存と活用を図る、そういうも のではなかろうか。前者を歯止め技術、後
者を伝統技術と呼ぼう。これらはともに公共財に属するものである。』・・・・と。
さて、まず最初に伝統技術について触れておこう。昔から,私たちのエネルギーは,
「木」と「水」であった。「木」で火をおこし,家の暖房に使ったし,「水」で水車をま
わし米をついた。この伝統技術の発展を図らなければならない。近年はペレットを燃やす
技術も結構発達しているが,ごく最近長崎総合科学大学の坂井正康(元三菱重工業広島研
究所長)が画期的な「木」のエネルギー化技術を発明された。その内容はすでに何冊かの
本が出ているのでそれを見てもらいたい。ともかく凄いのだ。この技術によって,私は
「間伐材発電」の旗を振っている。このような技術は「木」を使うものであり,常識的に
考えて良い技術である。
原始力発電は、そういう伝統技術ではないので、なかなか常識的判断で評価ができな
い。良い技術なのか悪魔的技術なのか? これからはアトムの時代だ。原始力の平和利用
だといわれれば,そうかなあ∼と思ってしまう。常識とは頼りないところもあって,説得
力には欠けるところがある。おばあちゃんでも持っているのが常識であって,常識にむつ
かしい理屈はいらない。確かに論理的ではない。しかし,常識は,中村雄二郎の「リズム
論」では共通感覚というのだが、常識は正しいのである。それが私の「リズム人類学」の
重要な結論のひとつだ。
私は、先ほど、新技術は安全の面から必要に応じて歯止めをかける必要があると述べた
が、これを原子力発電に当てはめて言えば、原始力発電というものが安全の面から歯止め
をかける必要があるのかないのか、その政治的判断が必要だということである。日本の原
始力発電は正力松太郎や中曽根康弘の工作によって国策になったようであるが、その頃の
国会では、「安全の面から歯止めをかける必要があるのかないのか」という議論がまった
くなされていないようだ。そこが根本的な問題で、私に言わせれば、その頃の政治家に政
治哲学を身につけている人がいなかったということである。今もその状況は続いており、
誠に残念である。
巨大地震をどこまで想定するかが問題で、外力としては、過去に発生したものだけでな
く、発生しうる最大の地震を想定する必要がある。通常は発生しないような巨大な外力を
想定して原始力発電を設計するという考えがむかしも今もない。外力に関する議論がまっ
たくないのである。 それを考えれば原始力発電の安全は到底担保できないと言わざるを
得ない。原子力発電問題が重大な政治問題であるにも関わらず、国民は、そういう実態を
ほとんど知らされないまま、 原始力発電をつくりたいという勢力の巧妙な工作にまんま
と騙されている。国民を平気で騙す勢力、これを悪魔的と言わずして何と言おう。また、
原子力発電所の事故に伴う被害は誠に甚大で、これを悪魔的と言わずして何と言えば良い
のか。
なお、私の最も尊敬する中沢新一が2011年8月に「日本の大転換」(集英社)とい
う本を世に出した。これは「贈与論」であるが、政治家が知っておかなければならないこ
とという意味で、政治哲学の本と言ってよい。政治家は、是非、この本を読んでほしい。
その結論を一言で言えば、私たちは太陽の恵み中で生きているのであり、人工の太陽を
つくるなんてことはとんでもないということだ。私流に言えば、私たちは太陽の子供であ
る。その子供が母なる太陽を人工的につくるなんてことは、やはり悪魔的と言わざるを得
ないのである。
問題は一般国民が原発問題をどう考えるかである。上述したように、 原始力発電は、
いわゆる伝統技術ではないので、なかなか常識的判断で評価ができない。良い技術なのか
悪魔的技術なのか? これからはアトムの時代だ。原始力の平和利用だといわれれば,そ
うかなあ∼と思ってしまう。常識とは頼りないところもあって,説得力には欠けるところ
がある。おばあちゃんでも持っているのが常識であって,常識にむつかしい理屈はいらな
い。確かに論理的ではない。しかし,常識は,中村雄二郎の「リズム論」では共通感覚と
いうのだが、常識は正しいのである。それが私の「リズム人類学」の重要な結論のひとつ
だ。
「常識」で考えて、原始力発電は、伝統技術からかけ離れてしまった悪魔的技術であ
る。これはできるだけ早く廃止すべきである。逆に,「木」を使った「間伐材発電」や
「水」を使った「小水力発電」は大いにその推進を図らなければならない。
第3節 田舎と都市
(1)田舎を生きる・・・贈与
田舎を生きる人のために、人びとが食っていける仕事がなければならぬ。その基本は農
業だ。農業と地域通貨については、贈与の視点に立ってその重要性を第2節の(1)に書
いた。ここでは、市場原理にもとづく大規模な農業については省略し、贈与経済(地域通
貨)にもとづく三ちゃん農業というか家族農業について少し述べておきたい。
地域通貨は,閉塞感に満ちた今の世の中を打開する起爆剤になるかもしれない。私はそ
んな感じを持っていて,わが国でも何とか地域通貨を根付かせたいと考えている。
「エンデの遺言」のあと,雨後のタケノコのように全国各地で地域通貨が誕生したが,
私の知る限り,成功例は一つもない。その原因はうまく流通しないことにある。うまく流
通しないために、経済的な力を持てない。お遊びといってはちょっと語弊があるが、まあ
そんなところだ。経済的な力を持つ、つまりそれが地域力の源泉になるためには、うまく
流通しないとダメ。うまく流通する条件として、私は、贈与の三角形といっているのだ
が、農家と商店とNPO、この三つの間を流通しないとダメだと考えている。
もちろん、その三角形の頂点にNPOがあり、それが地域通貨を発行するし、全体的な
旗を振っていく。なお、これは当然のことだが、NPOは、運営に必要な円は寄付を受け、
それで運営するのを原則とするというものでなければならない。運営に必要な円を地域通
貨と交換するというようなことはゆめゆめ考えてはならない。地域通貨は、法的にも、円
と交換できないものである。
贈与の三角形でいちばん大事なのは地域農業である。地域農業は市場作物と贈与作物を
作る。地域農業の担い手は、兼業農家や高齢農家,或はご主人が働きに出て行ってお母
ちゃんやおじいちゃんやおばあちゃんでやっているいわゆる三ちゃん農業であっても良
い。農は地域の基本であり、国の基本である。農はただ単に食料を作っているだけでな
く、国の精神を作っている。
地域は大別すれば、田舎と都市がある。 問題は都市である。都市は地域コミュニティ
が壊れ、ノマドが自由気ままに生きている、そういう空間である。都市の論理というの
は、「身体の欲望」が支配する論理で、市場の論理である。それは工業の論理でもある
し、人工の論理である。 それに対し、田舎の論理というのは、「生命の欲望」が支配す
る論理で、贈与の論理である。それは農業の論理でもあるし、自然の論理でもある。
百姓の思考は「野生の思考」と言っても良いのではないか。 百姓の心は野生の心。 百
姓の精神は「野生の精神」。こう考えると、百姓の行う「農」というものは、単に国民の
食料を作るというだけでなく、国の精神を作り出しているのではないかと思えてくる。
これからの理想とする地域づくりは、もちろん西田哲学や田辺哲学を十分理解しながら
も、私は、中沢新一の「モノとの同盟」という考え方が大事であり、心を大事にしなけれ
ばならないと思う。私は宇宙と響きあいと言っているのだが、感性を大事にしなければな
らない。都市の人々においては、田舎の自然に触れるだけでなく田舎の人々との触れ合い
によって素晴らしい感性が身に付く、そうことが多いのではないか。
田舎の地域づくりは、まず「スピリット」、これは鬼や天狗や妖怪などと言い換えても
いいのだが、そういう妖しげなものが立ち現れうるような「場所づくり」から始めなけれ
ばならない。わかりやすく言えば、河童の棲む川づくりとか天狗の棲む森づくりである。
トトロの棲む森づくりでもいい。子供のための「脳と身体の学習プログラム」が展開でき
る場所づくりと言っているのだが、子供たちが感性を養い身体を鍛える学習プログラムを
作って、それを全国いたる田舎に展開しなければならない。私は今までこういう中沢新一
のいう「スピリット」の重要性を主張してきたが、「農」の重要性というか農作業のモノ
的性質については考えたことがなかった。しかし、実は、農作業というものは、「モノ的
技術」であり、「野生の心」と大変深い関係があるのではないか。そこで「モノ的技術」
というものについて考えてみたいのだが、まず中沢新一の言っていることを紹介しておき
たい。詳しくは (中沢新一、「緑の資本論」2002年5月、集英社)を読んでいただ
きたい。
中沢新一は、「モノ的技術」について次のように述べている。
『モノ的技術は、こんにちのグローバルスタンダードであるピュシス的技術が作り出す
世界とは、異質な世界を作り出す能力をひめている。』
『モノ的な技術は、ピュシス的に思考された技術とは違って、増殖や変容や分裂に、つま
り一定不変で変化しない同一性を思考することができないような現実に対して適用され、
真理ではなく、人間に具体的な幸福(さち)をあたえるのだ。』
『モノ的技術は人間の宗教の根源である「信」ということに、深くかかわってもい
る。』・・・と。
「ピュシス」とは、古代ギリシャ語のようだが、かの偉大な哲学者・ハイデッガーが好
んで使った哲学用語であり、ヨーロッパに端を発する近代文明を支える哲学の底流を流れ
る概念である。日本語では「立ち現れること」と訳されているが、自然物など存在するも
の全てに本質的なものがあり、確かな真理というものがある。それは一定不変である。ひ
とつのものにいろんな姿があったり、いろんな性質があったりはしない。本質的なもの、
真理というものはひとつしかない。こういう考え方がヨーロッパに端を発する近代文明を
創(つく)っている。だから、上記の引用文中の「ピュシス的技術」とか「ピュシス的に
思考された技術」とは近代技術と言い換えても良い。
本質がどうのこうのとか真理がどうのこうのとか、そんな難しいことは別として、現実
というか実際のところは、自然物など存在するもの全てが増殖又は分裂するなど変化して
いる。それが現実であり、現実の社会では、真理がどうのこうのより、具体的な幸(さ
ち)が大事なのである。古代の人はそう考えたのであり、「野生の思考」というか「モノ
的思考」とはそういうものである。
「モノ的技術」は「モノ的思考」にもとづく技術であり「ピュシス的技術」とは異質の
ものであるが、中沢新一は、「「モノ的技術」は現代文明とは異質の世界を作り出す力を
秘めている」と言っている。現代文明は、市場経済によって「心」の面で行き詰まってお
り、田舎の地域づくりにおいても「心」を重視しなければ今後の展望がまったく開けない
ところまできている。田舎こそ「モノ的技術による地域づくり」を進めなければならない
のである。
では、具体的にどうすれば良いか? そこが問題だが、結論を先に言えば、中沢新一が
言っているように、「モノ的技術」はけっして市場経済一点張りでは発達しない。「信」
を前提に成り立つ贈与経済によってしか発展しないのである。そして、その贈与経済を支
える産業が「農」なのである。このことを強調しても強調しすぎることはない。
しかし、「農」というものはそれだけにとどまるものではない。先述したように、私
は、 百姓の思考は「野生の思考」と言っても良い。 百姓の心は「野生の心」。 百姓の精
神は「野生の精神」。今私は「野生の心」のより強靭なものを「野生の精神」と呼んでい
る。百姓はおおむね「野生の心」を持っているし、村の祭りによって「外なる神」の力が
働いて、地域には「野生の精神」も生まれでてきていると思う。こう考えると、百姓の行
う「農」というものは、単に国民の食料を作るというだけでなく、国の精神を作り出して
いるのではないか。
中沢新一いうところの農業が純粋贈与であることの意味は大きい。したがって、三ちゃ
ん農業などの家族農業は、「地消地産」の原理原則に則って、しっかり守らなければなら
ない。
なお、ちなみに言っておけば、地産地消は生産者の論理であり、こういうものを生産し
たからそれを消費せよというもの。地消地産は消費者の論理で、こういうものを消費した
いからそれを生産しろというものである。これからは電気も地消地産でなければならな
い。地域で消費するから小水力発電など地域で発電しようという訳だ。地域の自立のため
には地消地産でなければならない。贈与経済はそういうものだ。
田舎において人びとがイキイキと生きていけるようにするには、まずは贈与の世界、つ
まり地域通貨の世界を田舎に作らなければならない。それができれば、都市で働き口がな
く、経済的に苦しんでいる人たちが田舎に移り住むことができる。地域通貨については、
その実践論など言いたいことがいっぱいあるけれど、ここでは、「田舎を生きる」ために
は、贈与経済が不可欠であるということだけを指摘するのとどめたい。
(2)都市を生きる・・・文化を生きる
技術の世界にも神がいない訳ではない。見えにくくなっているというだけだ。
結婚は「神とのインターフェースである」である。縁に恵まれば、思い切って結婚はし
た方が良い。だからといって、結婚をしないで文化を生きる、そのような生き方が否定さ
れる訳ではない。なぜなら、エロスは、自然と技術や田舎と都市という対立概念、或いは
西洋と東洋という対立概念を超越しているからである。しかし、都市においても結婚の道
を選んだ人は、エロスの神を信仰しなければならない。都市を生きる人には、さまざまな
人がいる。神を信じない人もいるだろう。都市では神が見えにくくなっているから仕方が
ない。それはそれでいい。自分の階段を一歩一歩高みに向かって登っていけば良い。つね
に重力の魔がその邪魔をするから、しょっちゅう挫けそうになるかもしれない。しょっ
ちゅう危機に直面する。そのときは「力への意志」が働いて、神の「投企」が働くかもし
れない。そのとき、それまで神を信じなかった人でも、神の「投企」、すなわち神の力、
神の恵みを感じるであろう。自然を生きる、都市を生きる、文化を生きるということはそ
ういうことだ。
都市に生きる人は、子育てに生きるか文化活動に生きるかの、二者択一をしなければな
らない。人生の途中で方向転換をしてもよい。結婚生活をあきらめて文化活動に専念して
も良いし、独身主義であった人が文化活動をあきらめて結婚生活に踏み切っても良い。し
かし、子育てに生きる人は、年齢の如何を問わずエロスの神に「祈り」を捧げなければな
らない。それが私のいちばん言いたいことだ。都市は、神の贈与に働きにくい市場原理の
渦巻く競争社会である。それについていけない敗者がいるのはしかたがない。そういう人
は、都市でも見られる贈与世界を必死で探し出し、どうしてもそれが見つからないとき
は、最終的に田舎に移転することが必要である。田舎でさえ、贈与社会ができている訳で
はないので、田舎に移転しても、現状ではなかなか食っていけないかもしれない。将来は
必ず田舎は贈与の世界、助け合いの世界に変わるとは思うけれど・・・。今のところは、
田舎で食っていくのも決して容易ではない。しかし、私は、将来の可能性を信じて、都市
で食っていけない人は田舎に移転すべきだと考えている。都市は厳しい競争社会であっ
て、弱者には本質的に適合し得ない場所である。そんな場所には一日も早く見切りをつけ
るべきだと考える次第である。
したがって、都市というのは、強者が文化に生きる場所である。では、文化とは何か? 文化というものを本格的というか哲学的に論じたのは、ホワイトヘッドが初めてであ
る。ホワイトヘッドの文化論は、目から鱗(うろこ)が落ちる思いがする。延原時行は、
その著「「ホワイトヘッドと西田哲学との<あいだ>・・・仏教的キリスト教哲学の構
想」(2001年3月、法蔵館)で、ホワイトヘッドは延原時行のいう「諸原理の現実変
換」の問題を「観念の冒険」と呼んでいる、として縷々論じているが、これすら容易には
説明できないし、ましてやホワイトヘッドの文化論はきわめて説明しずらい。彼独特の哲
学用語の説明が結構厄介であるということだ。それを解説していると日が暮れる。そこで
文化という哲学的な意味を私流に判りやすく説明したい。
ホワイトヘッドは、文化とは「文明化された宇宙」であるという。私は、拙著「祈り」
の科学シリーズ(1)「100匹目の猿が100匹」(2012年5月、新公論社、電子
出版)で述べたように、私たちの脳には「内なる神」が、また宇宙(天)には「外なる
神」が存在する。それが響き合うのである。波動の共鳴現象である。これを「協和」とい
うが思想的には良いが、判りやすくいえば「響き合い」である。
ここに至るまでに、すでに、ニーチェの「力への意志」やハイデガーの「投企」やホワ
イトヘッドの「抱握」の説明をしてあるので、もう一度振り返っていただければありがた
いが、神から私たち人間に「力の意志」、「投企」、「抱握」という働きが及んでいる。
それを受け止めるのは、人間それぞれの「体験」にもとづくそれぞれの「心」である。し
たがって、神の思い(真理)を受け止める場合、その受け止め方というのは千差万別であ
る。悟りを開いた名僧なら、かなり神が示す真理を正しく受け止めることができるかもし
れないが、通常、私たちは神が示す真理をきわめて単純化した形でしか受け止めることは
できない。だから、いわゆる文化というものは表面的で、実は、その奥に隠されている真
理に想い馳せなければならないのである。そういう点には十分留意する必要はあるが、
ざっくり言って、文化というものは神が示す真理を含んでいる。それをどこまで真理に近
づいて感受するかは、その人の直感力による。野生の精神に欠ける人は絶対に直観はでき
ない。直感力は、「重力の魔」の働きにもめげず、苦しい修行を積んで、野生の精神を身
につけ、道の奥義を究めた人でないとなかなか得られるものではない。
しかし、それほど難しく考える必要もないだろう。私たちは私たちなりに、文化の奥に
潜む真理をある程度は感じることはできる。その感じを大事にすればそれで十分。あとは
「力の意志」にしたがって、自分の階段を一歩一歩高みに向かって登っていけば良いので
ある。そのうちに直感力は身に付くだろう。以上は「内なる神」の「受け止め」である。
この「内なる神」の「受け止め」は、宇宙の「外なる神」に働きかけ、波動の共鳴現象
が起こるのである。そういう文明というものが、私たちを通じて宇宙の「外なる神」に作
用して、宇宙そのものが文明化される。それがホワイトヘッドのいう「文明化された宇
宙」である。このことをざっくり言ってしまえば、私たちの文明活動が、神を変える、宇
宙を変えるということだ。人間は神あっての人間だし、神は人間あっての神である。その
ことについては、「祈りの科学シリーズ(5)」(2002年5月、新公論社、電子出
版)に書いた(特に、第10章)。
都市におけるすべての文化活動は、人間の歴史を意味するだけでなく、宇宙的な活動で
ある。
(3)直観について
私は、「さまよえるニーチェの亡霊」(2012年6月、新公論社、電子出版)で、次
のように述べた。すなわち、
『 ニーチェは、「人間とは動物から超人に向う間の存在であり、人間そのものではまだ
ダメで人間を超えていかなければならない。」と考えているのだが(「ツゥラトゥストラ
の序説」)、この認識は現在の科学からいってもまったく正しい。人間の脳は三階建て構
造になっており、恐竜型脳の上に原始哺乳類型脳があり、その上に新哺乳型脳がある。そ
して大事なことは、その三階の脳はまだ一割ぐらいしか使われていないのであって、あと
の9割の脳は未使用状態である。今後人間が発達していくとその未使用の脳は少しずつ使
われていく。そのとき、人間はどのような存在になっているかは「神のみぞ知る」のであ
る。現在の最新科学を知らないニーチェがそこまでは知る由もないが、「人間とは動物か
ら超人に向う間の存在であり、人間そのものではまだダメで人間を超えていかなければな
らない。」というニーチェの認識は、現在の最新科学からも正しいのである。脳の未使用
領域が全部使われるようになった段階の人間をニーチェの言い方にならい「超人」と呼ぶ
ならば、これから人類は「超人」に向うのである。彼は、ツゥラトゥストラをして、「超
人にはなれなくても、超人のために超人を用意すべく努力して死んでいけ。自分のあとに
超人が生み出さればいい。」と言わしめている。ニーチェは「超人」と言っているが、こ
こでいう「超人」とは違う。ニーチェのいう「超人」はまだ現在のままの人間である。し
たがって、私の、言葉の使い方に混乱が生じないように、ニーチェのことを今後「巨人」
と呼ぶことにしよう。』・・・と。
ニーチェは、私のいい方では、超人ではなく、巨人だ。多くの人が直観を働かすことが
できるようになれば、人類は今の人間を超越した本当の意味の「超人」となる。まだほと
んど未使用のまま残されている状態の新哺乳型脳が、驚くべき発達を遂げて、 人類は今
の人間を超越した本当の意味の「超人」となるのである。その発達の原動力は、巨人の直
観力である。
直観と直感とは違う。直感は、感覚的に物事を瞬時に感じとることであり、「感で答
える」のような日常会話での用語を指す。他方、直観は五感的感覚も科学的推理も用いず
直接に対象やその本質を捉える認識能力を指し、直感的な洞察力のことです。発達した第
六感のことである。直観,すなわち直感的な洞察力で有名なのはプロ棋士の直観力だ。こ
れは凄いのです。その科学的な研究も行われているが,プロ棋士の直観力による判断は正
しく、そこに出来上がりの局面が頭の中に見えているという。今はないけれど局面が進む
につれて出来上がっていくずっと先の局面が見えているというのだ。今ないものが見えて
いて,先々そのとおりになっていく。直観というのはそういうものだ。いい加減なもので
はない。よほど経験と修練を重ねていけばそういう直観力は身に付くのである。逆に,普
通の人は直観力がなく、あるの直感だけである。直観と直観は違う。違うけれど,直観力
というものは科学的に存在する。今私がここで言いたいのは直観の科学性である。
宇宙の彼方から「波動」がやってくる。「外なる神」が発する「波動」、それを私た
ちは見るのだが、目には見えない。音楽家は「天空の音楽」としてそれを聞くことができ
るが、普通の人間の耳には聞こえない。しかし、第六感すなわち直観を働かせば見える。
キリストやマホメットやお釈迦さんなどいわゆる聖人と言われる人には見えていたのだ。
そう考えるのは決して非科学的ではない。私はそのことを主張したい。
ところで、「外なる神」を科学的な立場から理解するには、浜野恵一の「脳と波動の
法則・・・宇宙との共鳴が意識を創る」(1997年3月,PHP研究所)が一番良い。関
係する図書はいくつかあるけれど,一度はこの本を是非読んでもらいたい。ここではその
真髄部分を補足説明しおこう!
私たちの脳は、三層構造になっている。は虫類型脳と原始ほ乳類型脳と新ほ乳類型脳
というのだそうだが、は虫類型脳と原始ほ乳類型脳はほぼ一体的に機能するので、私はそ
れらをまとめて「活力の脳」と呼びたいと思う。新ほ乳類型脳は、知恵と大いに関係があ
るので、それを「知恵の脳」と呼びたい。「活力の脳」は赤ちゃんの時からどんどん発達
していくが、「知恵の脳」は青年期を過ぎて成人になってはじめて力を発揮する。成人に
なると「知恵の脳」は「活力の脳」を十分コントロールできるようになるのだそうだ。し
かし、この「知恵の脳」は,未知の部分が多く、またほとんど未使用の状態だと言われて
いる。直感力の発揮できる人はこの「知恵の脳」を普通の人より多く使っているが、私た
ち凡人はおおむね10%ぐらいしか使っていないのだそうだ。90%が未使用だというの
はまったくもったいない話だ。人によって悪知恵を働かせるために「知恵の脳」を使って
いる人もおりケシカラン話である。詐欺師などはもってのほかだ!「知恵の脳」は良い方
向にどんどん使って、大いに発達させていかなければならない。それが人類に与えられた
これからの大いなる課題である。
ところで、私は、「祈り」の科学シリーズ(1)で、脳の中では、ともかく波動の共振
が起っているという点と、共振を起こす波動の元は外からのものであり、それを受けるの
は脳の内部の波動であるということを申し上げたが、これは「外なる神」と「内なる神」
との共振(共鳴,響きあい)を述べたものである。「外なる神」も確かに存在するし、そ
れと共振する「内なる神」も当然存在する。
直観力というものは科学的に存在する。今私がここで強調したいのは直観の科学性で
ある。今西錦司は、「野生の人」であり、まさに直観の働く巨人である。
「祈り」の科学シリーズ(1)で紹介した「黒もじの杖」の話を例にして、量子脳力学
の立場から直観の説明をしておきたい。今西錦司は黒もじを必死になって探し求めた体験
が過去にたびたびあったに違いない。そういう「野生の体験」が「学習」として「波動粒
子B」に保存されていた。あるとき黒もじの杖が欲しいと強く願いなら下山していたと
き、その強い願いが「外なる神」と共振を引き起こした。そして、突然、「波動粒子A」
も共振を起こし、彼は何か異常を感じたのに違いない。直観が働くには過去の必死の体験
と強い願いが必要だが、まちがいなく 直観力というものは科学的に存在する。
「活力の脳」によって「ひらめき」(霊感)を感じ、「知恵の脳」によって「直観」を
得る。普通の人にも「祈り」によって「外なる神」の働きかけが起こるが、直感力のある
人は「外なる神」の特別の働きかけがある。日常生活においておおいに「祈り」を行うと
ともに、時にはおおいに特別な体験(学習)を積み重ねて「知恵の脳」を磨こうではない
か。
(4)都市に自然を!
かって、梅原猛は「巨木の町づくり」ということを言ったことがあるが、私の場合は、
「水と緑の町づくり」ということをいろいろと言ってきた。まず、梅原猛は、その著書
「森の思想が人類を救う」(1995年4月、小学館)の中で次のように言っている。す
なわち、
『 浄土教の教え、すなわち<山川草木悉皆成仏>の考え方は典型的な<森の思想>であ
る。』
『 縄文時代から連綿と続いているところの「日本の宗教」というものは<森の宗教>で
ある。』
『 この<森の宗教>の思想について、私は長い間いろいろと考えてきたのですが、結
局、森の宗教の思想 は、生きとし生きるものはすべて共通の生命で生きている。そして
生きとし生きるものはすべて成仏することができるという考え方だと、最近思うようにな
りま した。動物の命も、山や川すら成仏できる。そして成仏するばかりでなく、生きと
し生きるものはすべて生死の間を循環している。』
『 植物や動物の命を尊敬して天地自然を尊敬する。そしてその天地自然や動物と調和し
て生きていく、共生する方法をわれわれは考えなければならないのです。』
『 人間は動物や植物を殺さなければ生きていけない面があります。動物の命を奪うにせ
よ、われわれと同 じ命をもった木を、そして動物を殺す訳ですから、その木や動物の霊
を手厚くあの世に送らなければならいのです。霊をあの世に返さなければならないので
す。 そしてまた木や動物たちにこの世に帰って来てもらわなければならない。私は、こう
いう宗教を今こそとりもどさなければならないと考えるのです。』
『 人間が生きていくということはどういうことなのか、それは植物も動物もみな同じ命
であって、すべて のものはあの世とこの世を循環しつつ、永遠に共生しているのだという
ことを認識しなければならないと思います。そういう思想が人類に浸透したときに、人類
は生き残る可能性がでてくるのだと思います。巨木の問題 は文明の根底に関する問題で
あり、そして巨木を中心とする街づくりは、21世紀を正視する街づくりでなければなら
ないと私は思います。』・・・と。
巨木の問題 は文明の根底に関する問題であり、そして巨木を中心とする街づくりは、
21世紀を正視する街づくりでなければならないと梅原猛は言っているのだが、私はそこ
まで深い思想ではなく、私のただ単なる感性として、「水と緑の町づくり」ということを
いろんな機会に言ってきた。この機会に、それをひとつ紹介しておきたい。
『 ほとんどの都市河川は、従来、都市化の急激な進展に対応して、洪水対策を急がなけ
ればならなかったので、高い直立護岸もしくはそれに近いものが多い。水面は、河岸から
随分下にある ため、景観も悪いし、ボート遊びなどもできない。護岸は、お化粧程度の
改善はできるかもしれないが、抜本的な改善は困難であろう。
しかし、水面については、堰を設ければ、豊かな水面を創出することはさほど難しい事
ではない。従来、そういった堰は、洪水対策上ないほうがいいので、 河川管理者は許可
しなかった。今もその方針が変わっている訳ではないが、私は、今の技術水準からして許
可はできると思うし、場合によれば、河川管理者がそ れを設置することも可能であろ
う。 河岸は、道路になっている所が多く、緑道にはなりにくいかもしれないが、河川管
理用の通路として確保されている所もあ るので、そういった所は、工夫をすれば十分緑道
になり得ると思う。 憩いの広場は、公園橋として整備できると思うが、河川に隣接した
土地があれば、ポケットパークを逐次作って行けばいいであろう。河川は、線として、町
の 景観上かけがいのないものであるので、場所はよほど考えなければならないが、橋上
レストランというものも考えられるかもしれない。』
『 近年は、ビオトープという ことが都市計画上も重要な課題になって来ているが、ビ
オトープで大切なことは、水と緑のネットワーク化ではなかろうか。都市計画に確かに
「緑のマスタープ ラン」というのがある。しかし、水と緑を一緒に考えた「水と緑のマ
スタープラン」というものはない。何故か。 都市河川は、確かに、公園サイドから見て
魅力のない状態になっている。しかし、今述べたような、水と緑のプロムナードとか治水
緑地とか、河川サイドと公園サイドが共同して取り組めば、都市河川も魅力のあるものに
なってゆくはずである。いや、絶対にそうしなければならない。そうでないと、我が国が
国際的に 尊敬されるなんて事には到底ならないと思う。我が国は、我が国の伝統的な自
然観、それは、私に言わせれば、先に言った「自然が人工を完成し、人工が自然を 完成
する」という自然観であるが、そういう自然観に基づき、美しい国、美しい町を作ってい
かなければならない。相当の予算がかかっても。かかる観点から、河川サイドと公園サイ
ドが協力して、「水と緑のマスタープラン」 を策定しなければならない。』
『 現在は、今までの急激な都 市化の進展により、自然環境という観点からは問題も少
なくないが、それでも都市における残された貴重な自然空間である。したがって、これを
大切にしなけれ ばならない。これを大切にし、現状の改善すべき所は改善し少しでも理
想的な姿にもって行く、そのような努力が必要であろう。 河川を都市における貴重な自
然空間と見たとき、最も大きな問題は、河川と背後地との関係が多くの場合切れていると
いうことである。これを何とか改善しな ければならない。 河川は、洪水の流れる所で
もあるので、自ずと河川管理上の制約があって、緑、とりわけ高木が少ない。自然生態系
を考えたとき、理想を言 えば、これは大きな問題であって、何とかしなければならない
問題ではなかろうか。 河川を水と緑の回廊と考えるのであれば、所々において、どうし
ても河川と一体になった林あるいは森が必要である。勿論、河川サイドでは、目下のとこ
ろ、 何ともならない問題である。しかし、これからの問題として、今後、公園サイドに
お願いするか、自然公園ということで環境庁にお願いするか、あるいは総合的な河川環境
整備制度を創設して河川サイドで実施するか、方法はともかく、21世紀を視野にいれた
新たな取り組みを急ぎ模索しなければならないと思う。 当面の問題としては、河川に隣
接する背後地の公園で、河川あるいは河川公園と一体的な形になっていないものがある。
至急これの改善が必要であろう。』・・・と。
日本生態系協会は、日本におけるビオトープの草分けであり、人工的に形作られた水路
やため池、学校の生物観察池など、より自然に近い形に戻し、それによって多様な自然の
生物を復活させるというものである。日本生態系協会の熱心な取り組みのお蔭もあって、
今では都市での実例は実に多く、学校ビオトープのように環境教育の一環で学校などの教
育施設に設置される例も少なくない。しかし、都市におけるビオトープを増やしていく余
地はまだまだある。
巨木の街づくりや「水と緑のネットワーク」とあわせて、ビオトープをもっともっと増
やしていけば、都市における自然はかなり改善され、都市に小動物が生息するようになる
だろう。となれば、都市における神の「投企」が感じやすくなる。都市における自然の回
復が関係機関の力強い取り組みによっておおいに進むことを願ってやまない。
第4節 エロスの神
私たちは今こそエロスの神を信じて正しい人生を歩まないと「個人の幸せ」はおろか
「種の保存」すら危なくなる恐れがある。イギリスの医学ジャーナリストであるロイ・
リッジウェイという人の言うところによれば、「多くの子供から助けを求める悲鳴が聞こ
えてくる」のだそうだ(「子宮の記憶はよみがる」1993年1月、めるくまーる)。彼
はこのように訴えている。すなわち、
『 自分ではどうしようもない「死の恐怖」におびえているのだ。考えてもみたまえ!母
親が、女性が、そして多くの識者が、女性の身体の秘密を知らなさすぎる。懐妊の前のタ
バコや飲酒、あるいは情緒不安的な生活は、知能の低い子供とか五体不満足な子供を出産
する可能性が高いと言われているのに、若い女性でタバコを吸い酒に飲まれている人ある
いは生活が乱れている人が少なくないではないか。』と。
子供は社会の宝である。プラトンの「エロス論」はそのことをいちばん訴えているのだ
が、その子供はどんどん悪くなってきている。非正常な子供がどんどん増えているのだ。
出産後の育児も問題だらけではないか。例えば、蛍光灯は幼児に良い影響を与えないよ
うだし、少し大きくなってのパソコンゲームなんてものはもってのほかだ。コミュニケー
ションがうまく出ない子供が増えているのではないか。 子供は社会の宝である。私たち
は今こそ「エロスの神」を祀り、正しい人性を歩む努力をしなければならないのではない
か。
プラトンのエロス論はダメだと思えてならない。やはりあまりにも西洋的で、プラト
ニックラブはもちろんダメだけれど、「生」への衝動といっても具体的な神が出てこない
から私たちにはどうもぴんとこないと思うのである。シヴァを考えながら、「性」への衝
動を「生」への衝動に昇華させないといけないのではないか。
わが日本においても、縄文人の感性としては、自然と一体になること、それは豊
穣の神、贈与の神、恵みの神をわが身に引き入れることであり、聖なる合体こそ生
きることではなかったのか。 男女が一体になることは、聖なる合体の一部であ
る。聖なる合体、それは自然と一体になることである。
私は、「脳と心の量子論」(治部真理、保江邦夫、1998年5月、講談社)の説明の
中の「電気双極子は量子電磁場の波で簡単にゆさぶられる。でたらめな波がくれば、電気
双極子もでたらめにふりまわされるし、きれいに整った波がくれば、電子双極子のほうも
整然とした動きになる。』という部分に注目しており、最初の外的な刺激や内的な刺激と
いうものは、美的なものが望ましく、醜悪なものはできるだけ避けた方が良い、と思って
いる。自然の奏でるリズムは美しい。だから、私たちは自然と一体になるとき、自然のリ
ズムは、「脳と心の量子論」が説明するミッキー場と量子電磁場の中に秩序ある波を生
み、霊妙な光を放つことになる。これは「生命」そのものが、霊妙な光を放ち、イキイキ
としてくることを意味しているのではないか。
すなわち、「生きる」とは自然と一体になって、生命の本体がイキイキすることではな
いかと思うのである。したがって、エロスの神は、プラトンのそれだけではなく、シヴァ
の性愛の神、日本の「ホトの神さま」や摩多羅神、さらに自然神や子どもの健やかな成長
を見守る神さまなど、さまざまな神を祀ってその祭りをすることが必要かと思われる。
ニーチェとハイデガーとホワイトヘッドの統一哲学はひとつだが、神という存在は、この
世でさまざまな顔を持つ存在でもある。神は「一であり多」である。そういう神を祀って
「祈り」を捧げていると、私たちはイキイキと正しい道を歩むことができ、子どもたちも
イキイキとしてくる。それが「エロスの神」のご利益である。
子どもたちは、愛、美、希望。
世の大人たちよ!
あなたは美しきもの、かけがいのないもの、
唯一無二のものだ。
美しきものに愛はうまれ、
美はうまれ、希望はうまれる。
空は高い、さあ歌え、
愛の詩、美の詩、希望の詩を!
小鳥はさえずり、山は光り輝く。
そよ風の中、愛の詩、美の歌を歌え。
エロスの声を聞きながら、「いのち」の詩を歌え。
子どもたちはすくすくと、幸いなるかな人生!
子どもたちはすくすくと、幸いなるかな仲間たち!
小鳥はさえずり、山は光り輝く!
空はいよいよ高い!
第5節 「人間は何のために生きているのか?」
人は何のために生きているか。この問いは、人間のあり方や社会のあり方を考える場合
のもっとも基本的な問いである。人や社会は「ニヒリズム」に陥っては何事にも「やる
気」が起こらなくなる。ニーチェによれば、「ニヒリズム」とは、至高の諸価値がその価
値を剥奪されることで、目標がなくなることである。目標がなくなるとは、「何のため
に」の答えがなくなることである。「人は何のために生きているか」その答えがはっきり
しないようでは、それは「ニヒリズム」に陥っていることであり、何事もなげやりになる
というか、「やる気」が起こらなくなるのである。いきおい「生活を楽しむ」という価値
観だけが勢いづいて創造性というものがなくなる。今の日本はそういう状態に陥ってい
る。日本はこういう状態を一日も早く脱却しなければならないが、そのためには哲学の手
助けが必要だ。ニーチェの哲学といいたいところだが、実は、ニーチェの哲学には致命的
な欠点がある。それは彼の哲学が「神は死んだ」ということになっているからだ。
人は何のために生きているか。 生きるために生きているのである。生きるとは、一般
的には、先祖から受け継いだ命を子孫に繋ぐことである。子供は、母親の腹の中で胎芽か
ら胎児へとして成長し、やがて出産してくる。その間、子供は母親の肉体および精神の影
響を強く受けるのだが、特に胎芽の時期は「系統発生」という摩訶不思議としか言いよう
のない現象が母親の腹の中で起こっている。これは女性にのみに与えられた能力であっ
て、男性にはこんな能力はない。したがって、男性はまず女性のそういう能力に驚きと敬
意を覚えなければならない。そして、それを出発点として、女性の性器(ホト)そのもの
の不思議な力に敬意を表してもらいたい。拙著「女性礼賛」(2012年6月、新公論
社、電子出版)で一番言いたいことはそのことである。
生きるとは、自分の人格を高めるとともに、子供にそれを伝承しながら子供を立派に育
てることである。親から子供に伝承されたことは子供の「知恵の脳」に記憶される。むか
しから「親の因果は子に報い」などと言われてきているし、常識的に考えて、子供が親の
影響を受けるということは肯定できることなので、私は、生きるとは、自分自身が立派に
生きる、そのことが子供に良い影響を与え、ひいては立派な子孫をつくりだすのだと考え
たい。これらを煎じ詰めて言えば、人間は立派な子供を育てるために生きているというの
もきわめて大事な生き方である。再度申し上げたい。人間は何のために生きているか。立
派な子供を育てるために生きている。
子供が健全な姿で生まれてくるには、母親が健全でなければならない。したがって、亭
主としては、女房が健全であるように努めなければならない。ゆめゆめ女房が情緒不安定
にならないようにしなければならない。女房が夫を信じ将来に希望を持って生きていける
ようにする、それが男の生きる一つの大きな目的である。それができないような男は生き
る価値がないので、社会的に何らかの対策を考えねばならないのではないか。
なお、子供を産みたくても子供を産めない女性、またはそもそも子供を作りたくない女
性もいるので、そういう人たちのために、生きる目的について補足しておくと、文化に生
きるという生き方も立派な生き方であるということだ。自分自身が立派に生きる、つまり
人格を高めるということは文化に貢献することである。
前章で、私は、『 要するに、ニーチェは、「何人も自分自身で善悪を考え、自分の階
段を一歩一歩高みに向かって登っていくこと」が、「力への意志」を生きることだと、教
えているのである。私もまったくそうだと思う。このことを私たちの生きるモットーにし
ようではないか。 今私たちは、ホワイトヘッドによってニーチェの悩んでいた矛盾は乗
り越えられ、心おきなく神の存在を語ることができるので、私は、最高の賢者たち向かっ
て、「自分の感じた神を子どもたちに語り、子どもたちが自分の階段を一歩一歩ずつ高み
に向かって登っていくことを教えてやって欲しい。」と自信を持って言うことができる。
また、私たちは、すべての子どもたちに向かって、「神は君たちともにいる。君たちの神
を信じて、 自分の階段を一歩一歩ずつ高みに向かって登っていって欲しい。」と言うこと
ができる。この点については、できるだけ多くの賛同者を得たいものだ。なお、 私は、
最高の賢者たちには、世のリーダーたちに向かってリーダーのあるべき姿を語ってほしい
と申し上げたい。 ここで、最高に賢者たちとは、神に触れその道の奥義を究めた人のこ
とであり、直観の働く人たちのことである。また、世のリーダーたちとは、政治に限ら
ず、すべての趣味の世界で指導者として活躍している人たちのことである。世のリーダー
たちは、自分で意識しているかどうかは別として、自分の階段を一歩一歩ずつ高みに向
かって登って行っている人たちのことである。しかし、そういう人たちもその道の奥義を
究め、最高の賢者の仲間入りを果たすために、引き続いて自分の階段をさらに高みに向
かって登っていかなければならないのである。私がここで言いたいことは、すべての人間
に「力への意志」が働いているということだ。ニーチェの最大の功績はこの点にあ
る。』・・・と申し上げた。
しかし、この章の文脈から言って、次の主張を付け加えなければならない。人間は何の
ために生きているか。立派な子どもを育むために生きている。 または、文化を育むため
に生きている。どちらかである。
私は、子育てに生きる人に、『子どもを傷つけてはいけない。胎芽のときもだ。エロス
の神に祈り、子どもの親として自分の階段を一歩一歩ずつ高みに向かって登って行って欲
しい。」・・・と言いたい。
そして、私は、文化を生きる人に、「世の子どもたちの未来のために、 エロスの神に
祈り、文化を生きる人間として自分の階段を一歩一歩ずつ高みに向かって登って行って欲
しい。」・・・と言いたい。
さらに、私は、非情な情熱を持って何かに打ち込んでいる人には、「文化の冒険を生き
る人間として、その道を究めるよう、その階段をさらに高みに向かって登ってほしい。子
どもたちが生まれながらにして超人、そのような人類を夢見て・・・!」・・・と言いた
い。
第7章 摩多羅神についての特論・・・エロス神との関係
常行堂(じようぎようどう)というお堂のある天台系の寺院に祀られている「摩多
羅神(まだらしん)」は、仏教の守護神としては異様な姿をしている。
だいたい仏法を守る守護神としては、インド伝来の神々の姿をしているものがおおむね
主流である。これらの神々は、もとはといえば仏教とは関わりのない「野生の思考」から
生み出されたインド土着の神々で、象徴的に含蓄の多い姿をしているものである。ところ
が、常行堂の後戸の場所に祀られているこの神は、少しもインド的でない。さりとて中国
的ですらなく、かといって日本的かと言えば、そうとも言いきれない。かつては天台寺院
において重要な働きをした神であるのに、摩多羅神は謎だらけの神なのである。
拙著「女性礼賛」(2011年6月、新公論社、電子出版)の第8章第1節で紹介した
摩多羅神の神像図(「摩多羅神の曼陀羅」)は、古くから伝えられているものである。ま
ずそれをよく見てみよう。
中央には摩多羅神がいる。頭に中国風のかぶり物をかぶり、日本風の狩衣(かりぎぬ)
をまとっている。手には鼓をもって、不気味な笑みをたたえながら、これを打っている。
両脇には笹の葉と茗荷(みようが)の葉とをそれぞれ肩に担ぎながら踊る、二人の童子が
描かれている。この三人の神を,笹と茗荷(みょうが)の繁(しげ)る林が囲み、頭上に
は北斗七星が配置されている。この北斗七星に是非ご注目願いたい。
この奇妙な姿をした摩多羅神が、常行堂に祀られている阿弥陀仏のちょうど背後にあた
る暗い後戸の空間に置かれている。この背後の空間から、阿弥陀仏の仕事,つまり阿弥陀
如来の救済の働きを守護しているわけである。
どうです! 後戸の神・摩多羅神って,面白いでしょう。
阿弥陀仏と摩多羅神の組み合わせは、非常なアンバランスなものをはらんでいる
が、天台宗の中で発達した「本覚論」という哲学の運動では、とくにこの摩多羅神
が選び出されて、重要な働きをおこなうことになった。その元祖がかの慈覚大師(円
仁)である。
空海や最澄がそうであったように、円仁(えんにん)もほぼ完成された人格をもって唐
に留学に行っている。今我々が言う留学生ではない。円仁が我が国に持ち込んだシナ文化
についても、円仁という人物の感性を通して我が国に入ったということだ。ちなみに、円
仁は、15歳で比叡山に登り、最澄に師事。44歳で入唐している。第3代目の天台座主
である。
世界の三大旅行記というのがある。玄奘(げんじょう)の大唐西域記とマルコ・ポーロ
の東方見聞録、そして円仁の入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)であ
る。入唐求法巡礼行記は、元駐日大使ライシャワーが英語に翻訳し、研究を重ねて博士号
を取ったことでも知られている。ライシャワーの思いは、今、ハーバード大学のライシャ
ワー研究所に引き継がれ、精力的に日本文化の研究が行われている。
さて、慈覚大師が始めたこの哲学運動では、教えを弟子に伝達するのに、天台密教風の
「灌頂(かんじよう)」の様式を採用した。そのとき、本覚論の中の一元論哲学の奥義を
伝える灌頂の場を守ろうとしたのが、この神なのだった。摩多羅神はこのとき、暗い後戸
の空間を出て、奥義が伝えられる場の前面に躍り出てくるのである。
この神の由来について、はっきりしたことはもうわからなくなっている。鎌倉から室町
にかけて、比叡山を中心にする天台系の寺院で流行していた本覚論は、江戸時代に入ると
「邪教」の烙印を押されて、書物を焼かれたり、仏具を壊されたりしてしまい、表だって
の伝承はそれで絶えてしまったから、摩多羅神の正体についてもすっかり不明となってし
まった部分が大きい。きれぎれに語られてきたことをつなぎあわせてみても、なかなかこ
の神の実体には届かない。
とりわけこの神の本質に関わる問題、たとえば、どうしてこのような名前と異例な姿を
持つ神が、天台宗のなかで一元論思考を徹底的に推し進めたラジカルな哲学である本覚論
と深いかかわりを持つことになったのかとか、猿楽(さるがく)をはじめとする芸能の徒
たちが、自分たちの芸能の守護神である「宿神」とこの摩多羅神とは同体の神であるとい
う考えをいだくようになったのかとか、この神の本質をめぐる問いに充分に答えた研究
は、まだ現れていない。
摩多羅神は,芸能の神でもある。リズムの神だと私は思っている。本音の神。本音は本
当の音と書く。本音とは,「本当のところ何やんね?」というわけだ。その神が摩多羅神
である。
こうしたなかで、『異神』という画期的な中世思想研究の書物の中で、山本ひろ子の
考え方が、いまのところこの問題にいちばん肉薄できている、と私には思える。 彼女はまず『渓嵐拾葉集(けいらんしゆうようしゆう)』(光宗(こうじゆう)著、1
317∼1319に成立)に記録されたつぎのような記事に注目する。 摩多羅神とは摩訶迦羅(マカカラ)天であり、またはダキニ天である。この天の本誓
(ほんぜいと読む。仏に誓う言葉。)は「経に云う。もし私は、臨終の際その者の死骸の
肝臓を喰らわなければ、その者は往生を遂げることは出来ないだろう」。この事は非常な
る秘事であって、常行堂に奉仕する堂僧たちもこの本誓(ほんぜい)を知らない。
ここにあげられているマカカラ天(マハーカーラ、大黒天)といい、ダキニ天といい、
どちらも仏教風に言えば「障礙神(しようそしん)」の特徴をそなえている。この神を心
をこめてお祀りしていれば、正しい意図をもった願望を成就するために、大きな力となっ
てくれる。しかし、少しでも不敬のことがあると、事を進める上に大きな障害をもたらし
て、あらゆる願望の成就を不可能にしてしまうというタイプの守護神が、障礙神(しょう
そしん)なのである。まあいえば「災いの神」だ。民俗学風にこれを言いかえれば、この
タイプの守護神はまぎれもない「荒神(あらぶるかみ)」である。
しかもこの神はカンニバル(人食い)としての特徴ももっている。人が亡くなるとき、
摩多羅神=大黒天=ダキニ天であるこの神が、死骸の肝臓を食べないでおくと、その人は
往生できないのだという。
往生とは、人が生前に体験した第一の誕生(母親の胎内からの誕生)、第二の誕生(大
人となるために子供の人格を否定するイニシエーションを体験して、真人間として生まれ
直すこと)に続いて、人が誰でも体験することになる「第三の誕生」を意味している。そ
の際には、人生のあいだに蓄積されたもろもろの悪や汚れを消滅させておく必要がある。
そうでないと、往生の最高である浄土往生は難しい。
ここでちょっとアドリブを入れておこう。私たちはよく「私なんかしょっちゅう,往生
してますわ!」と言いますが,本来的にはこういう言葉の使い方がおかしいかも。しか
し、往生していないけれど,往生したいと願う心がこもっているのかもしれない。私が思
うに,「ひっくり返し」の思想であるのかもしれないということだ。
元に戻ろう。往生のむつかしいとき、この恐るべき神が登場するのだ。人の肝臓には、
人生の塵芥が蓄積されている。そういう重要な臓器を、摩多羅神は臨終のさいに、食いち
ぎっておいてくれるという慈悲を示すのだ。カンニバル(人食い)とは人生からの解放を
もたらす聖なる行為だ。そしてそれを導いてくれるのが、恐ろしい姿をもって出現するこ
れら障礙神(しょうそしん)たちなのである。
つまり、常行堂の後戸に立って、前面に立つ光の仏である阿弥陀を守護しているこの謎
の神は、創造的カンニバルとしての特質を隠し持った、人類の思考の「古層」からやって
きた表現として、理知的な仏教にはとうてい理解不能の存在だと思う。摩多羅神が謎なの
は、この神が自分の内部に複雑な重層性をかかえているからである。表面には、狩衣をま
とって鼓を手に、いままさに音楽を奏でようとしている男の姿で描かれた摩多羅神がい
る。この姿でいるときは、摩多羅神は本覚論の「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」の
思想を直接に現した、日本思想の「中世」をあらわしている。ところがこの摩多羅神の奥
には、もう一人の摩多羅神がいる。この摩多羅神は大黒天やダキニ天の親しい仲間とし
て、仏教の中にひそんでいる「野生の思考」に深くつながっていく存在なのだ。この新石
器的摩多羅神は、狩衣をまとった中世の摩多羅神の内部に隠れて、不穏な波動をあたりに
放出している。この神の中には、折口信夫の言う「古代」が隠されているのだ。
そのような神が、いわば本覚論というその時代の先端的な哲学思考の、まさに「後戸」
に立つ。とてつもなく古代的な思考が、もっとも新しい思考と、文字どおり背中合わせに
立っている。古代思想と近代思想の融合。一元論的認識の重要性を改めて強調しておきた
い。一元論の哲学は重要である。「ほんとのところは何やんね?」というわけだ。
では、どうして本覚論のようなラジカルな一元論の哲学が、摩多羅神に凝縮されている
古代的ないし新石器的思考を呼び寄せることになったのか。
先述のように、「この新石器的摩多羅神は、狩衣をまとった中世の摩多羅神の内部に隠
れて、不穏な波動をあたりに放出している。この神の中には、折口信夫の言う「古代」が
隠されているのだ。ここではこの点について少し話をしておきたい。摩多羅神に凝縮され
ている古代的ないし新石器的思考とはなにか?
この点については、川村湊がその著書「闇の摩多羅神・・・変幻する異神の謎を追う」
(2008年11月、河出書房)に詳しく書いているので、それをもとにできるだけ判り
やすく説明する。正確さに欠ける点があるのはご容赦願いたい。天台宗には、玄旨灌頂
(げんしかんじょう)という独特の儀式を秘密裏に行う一派があった。灌頂(かんじょ
う)とは儀式のことをいうが、頭に水をそそぎ、正統な継承者とするための儀式である
が、その儀式は独特のもので、私は、世界的というか宇宙的というか、その名の通り深遠
な内容のものであると思う。玄旨(げんし)というのは深遠な道理という意味だ。
残念ながらこの一派は江戸時代に真言密教立川流の影響を受けて邪教扱いをされ、この
世に存在しなくなってしまう。何故邪教扱いをされたかは以下において徐々に説明する。
摩多羅神が邪教扱いにされた訳ではない。摩多羅神は今も天台宗の裏戸の神として祀られ
ているし、真言密教では「理趣教」が今もなお大事なお経として唱えられている。それら
を考えると、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)も正しい理解のもとに今に伝承されるべきで
はなかったと思う。しかし、こういうきわどいものは「命(いのち)の脳」と「知恵の
脳」がうまくバランスしないと変な方向に行ってしまうのも事実で、真言密教立川流の影
響を受けたとはいえ 玄旨灌頂(げんしかんじょう)が邪教扱いを受けたのもやむ得なかっ
たとも思う。
さて、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)がどういうものか、逐次説明しよう。玄旨灌頂(げ
んしかんじょう)では、まず師と弟子は数日前から沐浴(もくよく)し、浄衣を着て、
なぜ今玄旨灌頂(げんしかんじょう)を行うのかを述べるなど、おごそかに始まりの儀式
を行う。
次いで、灌頂道場の前で香を焚き、香油を塗り、口をそそいで、幣帛(へいはく。神へ
の捧げもの。本来神道の作法。)を捧げる。その後に道場に入るのである。道場内には、
正面に先に示した摩多羅神画像、左右の壁には山王七社、天台八祖の画像、十二因縁図、
十界図が掲げられる。
灌頂を受ける弟子とその師は、道場に入る時は笏(しゃく)を持ち、さらに左手に茗荷
(みょうが)を持ち、右手に竹葉を持つ。これは先の摩多羅神画像における二人の童子が
茗荷と笹の葉を持っている構図と同じである。茗荷は一心一念を象徴し、竹の葉は三千三
観を象徴しているらしい。何事も一心不乱に取り組み、その経験から直観を養い、言葉で
は言い尽くせない多くのことを悟らなければならないということであろう。
道場の真ん中には、香炉や供え物が供えられている。師は左の壇に座り、弟子は右側の
草座に控えている。師は摩多羅神の前で三礼し、法華経や般若心経を唱え、山王神や宗祖
たちに拝礼し、それぞれの弟子への口伝(こうでん)に入っていく。口伝(こうでん)は
天台密教の奥義を語る言葉であり、ここまでは誠に厳かなものだ。問題はこれからだ。
口伝の後、摩多羅神画像の三人、つまり摩多羅神本尊とその脇を固める二人の童子をた
たえる歌を歌い舞うのである。「シシリシニシ」という茗荷童子の「リシト歌」と「ソソ
ロソニソ」いう竹葉童子ノ「ロソト歌」というらしい。これが問題であって、なかなか奥
が深いのである。 玄旨灌頂(げんしかんじょう)は、先にも言ったように、 世界的という
か宇宙的というか、その名の通り深遠な内容のものである。それがこの言葉である。言葉
で言い尽くせないことを言葉で説明するにはどうすれば良いか。「リシト歌」と「ロソト
歌」を一心不乱に歌うしかないのである。「シリ」はお尻であり、「ソソ」は女性器おそ
そである。つまり、こんな卑猥な歌や舞が 玄旨灌頂(げんしかんじょう)のハイライトで
あり、師が弟子にこれが意味する宇宙の真理を伝えることがこの一派の秘伝となっている
のである。
熱海の伊豆山神社には摩多羅神の祭りがあり、こんな歌が歌われているという(あやか
しの古層の神・摩多羅神」谷川健一)。「マタラ神の祭りニヤ、マラニマイヲ舞ワシテ、
ツビニツツミヲ叩カシテ、囃(はや)セヤキンタマ、チンチャラ、チンチャラ、チンチャ
ラ、チャン」。ここに「マラ」「ツビ」は男女の性器である。
玄旨灌頂(げんしかんじょう)は、前述のように、本来、世界的というか宇宙的という
か、その名の通り深遠な内容のものである。しかし、その深遠な内容が正しく理解されて
いないとこのように卑俗な取り扱いになるのである。こうしたところから、 玄旨灌頂(げ
んしかんじょう)は、真言密教立川流の影響もあり、性欲の積極的肯定というか性愛の秘
技というイメージが一人歩きしてしまうのである。
玄旨灌頂(げんしかんじょう)は口伝による秘技であり、本来外に漏れてはいけないもの
である。しかし、儀式の心覚えのためか、文章として残っているものがあるらしい。それ
が大問題であって、秘技は秘技として自分の本当の弟子にしか伝えてはならない。
理趣経というお経があるが、空海が中国から持ち帰った『理趣釈経』(『理趣経』の解
説本)に関連して有名な最澄の借経(経典を借りる)事件というのがある。参考のために
それを紹介しておこう。
天台宗の開祖である最澄は、当時はまだ無名で若輩の空海に弟子入りし灌頂を受けたの
であるが、その後、天台教学の確立を目指し繁忙だという理由で自分の弟子を使って、空
海から借経を幾度となく繰り返していた。しかし、『理趣釈経』を借りようとして空海か
ら遂に断られた。これは、修法の会得をしようとせず、経典を写して文字の表面上だけで
密教を理解しようとする最澄に対して諌(いまし)めたもので、空海は密教では経典だけ
ではなく修行法や面授口伝を尊ぶことを理由に借経を断ったという。空海が断った理由
は、この『理趣経』の十七清浄句が、男女の性交そのものが成仏への道であるなどと間
違った解釈がなされるのを懼(おそ)れたためといわれている。
空海は、その後東寺を完全に密教寺院として再編成し、真言密教以外の僧侶の出入りを
禁じて、自分の選定した弟子にのみ、自ら選んだ経典や原典のみで修行させるという厳し
い統制をかけたが、その中にさえ『理趣経』はないといわれる。「理趣経」はそれほど誤
解を受けやすい経典であるが、それと同じように、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)は万が
一外に漏れたらとんでもない誤解を受けかねないといいう、まさに秘技なのである。
なお、摩多羅神画像の上には北斗七星が描かれているが、摩多羅神は「天なる神への信
仰」(妙見信仰)とつながっているのである。 私が、「玄旨灌頂(げんしかんじょう)
は、世界的というか宇宙的というか、その名の通り深遠な内容のものである)という所以
(ゆえん)である。
摩多羅神は卑猥なものと聖なるものの間に存在している。卑猥といえば卑猥、聖だとい
えば聖なのである。また、卑猥でもないし、聖でもない、誠に深遠な存在であるが、神と
はまあそんなものではないか。「エロスの神」も全く同じであり、摩多羅神と同一の神だ
といえなくもない。摩多羅神は天台宗という特定の宗教に限っての神として存在していた
が、エロス神は一般庶民に崇められるべき神である。
「祈りの科学」シリーズ(4)の第1章でも述べたが、ものごとには何ごとも両面があ
る。光があれば陰もあるし、物があれば「モノ」がある。「モノ」とは心のこもった物の
ことである。物とは単なる物質のことだ。
私は「両頭截断(りょうとうせつだん)」とよく言っているが,これはそういうものご
とのには必ず両面があるので,それにこだわっていてはいけないということを言ってい
る。「あなたは善人ですか?・・・そうですねえ。善人と言えば善人だし,悪人と言えば
悪人ですね。善人でもないし悪人でもない。ああ,やっぱり私は善人です。」・・・とい
う訳だ。哲学的には二元論というが,そういう二元論を超えた世界,つまり一元論的認識
の世界,それが陰陽の世界である。両頭を截断した,つまり相対的な認識を超えた絶対的
な認識(一元論的認識)の世界である。私たちは陰陽の世界を生きているし,またそのこ
とを日頃から十分認識しておく必要がある。
私は「両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)」とい
う禅語を略して「両頭截断」といっているのだが、その意味するところはきわめて奥が深
い。摩多羅神を考える場合にも、エロス神を考える場合にも、少なくともこういう一元論
的認識の重要性だけでも理解しておくことがきわめて大事だと思う。この「両頭截断」と
いう禅語については第10章で詳しく説明し、そのあとでプラトンの「エロス論」と摩多
羅神との関係を詳しく説明する。プラトンの「エロス論」は論理的であるが、結果的に
は、禅僧がいうような結論になっている。『 エロスは偉大な神でかつ美しき者に対する
愛などと考えてはならない。そんな考えに立っていると、エロスは美しくもなければ善く
もないことになる。したがって、美しくもないものは必然的に醜いとか、善くないものも
また同様に悪いとかいう風に考えてはいけない。』・・・という訳だ。ともかくプラトン
の「エロス論」は凄い! しかし、私にいわせれば、中途半端なところがあって、力不足
の面がある。その原因は古代ギリシャの「エロスの神」が中途半端な神であるからだ。古
代ギリシャの「エロスの神・ディオニソス」は、その後ヨーロッパに強い影響を及ぼす
「アポロン」(理性の神)に負けて、次第にその影が薄くなっていくのである。理性や合
理に負けてはならなかったのである。理性や合理の神「アポロン」に負けない神として、
本来は、世界最強の神「シヴァ神」を「ディオニュソス」の代わりに登場させなければな
らなかったのである。
子供は社会の宝である。プラトンの「エロス論」はそのことをいちばん訴えているのだ
が、その子供はどんどん悪くなってきている。非正常な子供がどんどん増えているのだ。
出産後の育児も問題だらけではないか。例えば、蛍光灯は幼児に良い影響を与えないよう
だし、少し大きくなってのパソコンゲームなんてものはもってのほかだ。コミュニケー
ションがうまく出ない子供が増えているのではないか。 これは西洋文明の勢だ。 プラト
ンの「エロス論」が力不足なのだ。
日本の「ホト神さま」や摩多羅神など、さらにはシヴァ神をも視野に入れて、私たち日
本人にもなじみ深い神さまとして新たな「エロス神」を創らなければならない。子供は社
会の宝である。私たちは今こそ新たな「エロスの神」を祀り、正しい人性を歩む努力をし
なければならないのではないか。
第8章 新しいエロスの神
第1節 日本のディオニュソス的な神
21世紀は平和の時代でなければならない。国にとっても個人にとってもだ。資本の暴
力によってある国がおかしくなったり、ある人びとがおかしくならないようにしなければ
ならない。 覇権国家の暴力によって国がおかしくなったり人びとがおかしくならないよ
うにしなければならない。 私たちはこれからの時代、平和を目ざさなければならないの
である。私は「女性礼賛」(平成24年5月、新公論社、電子出版)をそのために書い
た。女性を平和の象徴と捉えているからだ。女性を大事にしてほしい。女性を心底敬って
ほしい。しかし、国家というものができて以来、おおむね男尊女卑でやってきたので、男
性原理と女性原理を対等に考えるようなことはなかなかむつかしい。男性はえてしてむつ
かしいことを言う。理屈っぽいことを言う。私もこの本で結構理屈っぽいことを書いてい
るけれど、それなりの感性のない人にはなかなか判りづらいかもしれない。
感性というものは大事である。豊かな感性というものがないと他者のいうことをなかな
か理解できない。では豊かな感性というものはどうすれば身に付くのか。それは体験であ
る。感性を磨くにはとにかく理屈ではなく現場に立つことだ。「場の力」というものが
あって、現場という「場」に立つとそこには時空を超えた響き合いを感じることができ
る。もちろんぼやあっと立っていてはダメで念じなければならないけれど・・・。
私はこれからみなさんをとっておきの場所にお連れしようと思う。中にはとんでもない
ところがあるかもしれない。私は今まで全国いろんなところに行った。現場の体験がほか
の人に比べて圧倒的に数が多い。その中から、「野生の神」とか「野生の感性」とか「野
生の精神」とかを意識していくつかの「場所」を選んでそれを紹介しようという訳だ。
ビックリしないで下さい。古代の神に繋がるお勧めの「場所」である。是非出かけていっ
て、何かを身体で感じる体験をして下さい。古代人との響きあいの体験をして下さい。
「場の力」を感じる体験をして下さい。そして豊かな感性を身に付けて下さい。それが女
性を大事にすることに繋がるのだから・・・。
(1) 炉の聖性
新田次郎の「アラスカ物語」という素晴らしい本がある。主人公のフランク安
田という人の存在もそうだが、こういう本が存在すること自体が私たち日本人の
誇りであると思う。
この「アラスカ物語」にはいろいろ光のことが出てくるが、その一部を紹介し
ておきたい。すなわち、
『 薄紅色の南の空のオーロラが消えると、たちまち頭上に輝きが起こった。色彩
のはげしい点滅と動揺が空いっぱいに広(ひろ)がっていた。天の心のいらだち
をそのまま表現したようなせわしげな点滅が繰りかえされていた。その夜のオ
­ロラは緑を主体としたものであった。緑の絨毯(じゅうたん)全体的に激しい
明滅を繰り返しながら全天に拡がって 行ったが、やがて、部分的な点滅現象は終
わり、それにかわってかなりの面積を持った平面的な明滅が始められた。点滅が
明滅になり、時間的に余裕を持った、 輝きと色彩の周期運動に変ってくると、緑
の絨毯が翼に見えて来た。怪鳥の頭部に当たるあたりに鮮明な赤い爆発が起こっ
た。赤は緑を二つに分断した。緑の両 翼は空いっぱいに羽撃(はばた)いた。
オーロラが出ているのに、星は依然として輝きを失っていなかった。星はオーロ
ラよりも夜空における権威者であった。 遥(はる)かに高いところから、オーロ
ラの芸当を眺めているようであった。』
『 フランクとネビロは暖炉の火を見つ めながら夜遅くまで語った。長い放浪に
近い生活を互いに振り返りながら、外の吹雪の音を聞いた。「火がこんなに美し
いものだとは知らなかったわ」ネビロは 膝(ひざ)に抱いているサダの小さな手
を暖炉にかざしながら言った。「そうだ暖炉の火ほど美しくて、心の暖まるもの
はない」心が暖まると言ったとき、彼は 突然故郷を思い出した。石巻の生家の炉
に赤々と火が燃えていた。天井から吊り下げた鈎(かぎ)に掛けられた南部鉄瓶
(てつびん)から湯気が吹き出してい た。囲炉裏をぐるっと家族がかこんでい
た。祖父の顔が奥にあった。両親も兄弟姉妹たちも炉の火に頬を赤く染めてい
た。どの顔もにこやかにほほえんでい た。』・・・・と。
炉というものは、実用な面だけでな く、何か不思議な力を持っているようだ。
「炉の聖性」と言っても良い。縄文人も「炉の聖性」を感じていたようで、縄文
住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用 でも、調理用でもなかったらしい。 小林
達雄は、その著書「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房)の中で、「火を
焚くこと、火を燃やし続け ること、火を 消さずに守り抜くこと、とにかく炉の
火それ自体にこそ目的があったのではないか」と述べ、火の象徴的聖性を指摘し
ている。
詳しくは小林達雄の「縄文の思考」を 読んでもらうとして、ここでは、炉の形
態はさまざまだとしても、一般的に縄文住居には聖なる炉が あって、 聖なる火が
消えずにあったのだということを確認しておきたい。そして、これも当然小林達
雄も指摘しているところだが、炉と繋がって石棒などが祭られているのが一般的
である・・・・、そのことを併せて確認しておきたい。聖なる炉と聖なる石棒、
これは正し<祭りのための祭壇>である。
(2) 繋(つなぎ)のカミ・石棒と柱・・・はたまた猿田彦
矢瀬遺跡は縄文時代の祭りを考える上 で欠かすことのできない遺跡であると思う。博
物館としてはほとんど手が入ってないので、一般の人には面白くないかもしれないが、祭
りの哲学的な意味について興味をお持ちの方は、 是非、 一度は矢瀬遺跡に出かけて欲し
い。矢瀬遺跡は上越新幹線の上毛高原駅と上越線の後閑駅の間にある。上越新幹線と上越
線を結ぶために連絡バスがひっきりなしに出ているし、上越線の後閑駅に特急が止まるの
で、交通の便は非常に良い。
矢瀬遺跡については素晴らしいホームページがあるので、まずはそれを見ていただきた
い。
http://www2.odn.ne.jp/mcr/yaze/
私は先に、 「聖なる炉と聖なる石棒、これは正しく祭りのための祭壇である」・・・
と申し上げたし、これもまた先に、「祭りは神の世界と人間の世界をつなぐインター
フェースである」ことも申し上げた。
また、古代信仰に関する吉野裕子の見解・・・「 神霊は男性の種として蒲葵に憑依
し、巫女の力をかりてイビと交歓する」というのがある。キリスト教でいえば聖霊、中沢
哲学でいえば流動的知性に関わる 精霊(スピリット)ということになるが、そういうも
のが、男性の象徴・石棒など(男根、石棒、立石)から女性の象徴・炉の火に発出され
て、何か価値あるものが誕生するのである。これは自然の贈与と言って良い。この縄文住
居の祭壇において祭りが行われ、自然の贈与が発生するのである。これすべて流動的知性
の力による。こういったことを念頭に置いて、矢瀬遺跡を見て回るとしよう!
出典:http://www2.odn.ne.jp/mcr/yaze/
この写真は、「四隅袖付炉」というが、四隅にある丸い小さな石が男性の象徴である。
これが柱の原型である。「はし」とか「はしら」とは、古代の言葉で、異界のものを繋ぐ
といういみである。石棒やその変形としての柱は、私たち人間と世界と天なる神の世界を
繋ぐ・・・ まあ言うなれば、 繋(つなぎ)の神と言えるのではないか。猿田彦はそうい
う繋(つなぎ)の神であろう。炉は、女性のあれがその象徴であるが、地の神(地母神)
の象徴でもある。炉と柱、つまり地母神と繋(つなぎ)の神の関係はまことに大事であっ
て、七夕の再魔術化に当たっては、多分、そのことを哲学的にというかより深く考えねば
ならない筈だ。
他にもいろいろの炉が出土しているようだが、現地に展示がないのでそれを見ることが
できない。残念である。
次の写真は六本の柱であるが、「はしら」は神の世界と人間の世界を繋ぐ架け橋であ
る。住居のなかでは「はしら」は設置できない。この六本の柱は、野外の祭り用であり、
野外に設置された神の依代(よりしろ)である。 多分、部族の人たちを集めて、野外で
盛大な祭りが行われたのであろう。
これは、三本の立石。これも野外における神の依代(よりしろ)だが、上の6っぽん
の柱のほかにこういう神の依代が併設されていたという訳ではない。時代が違うのであ
る。この矢瀬遺跡は複合遺跡であり、何百年も離れた時代の遺構が発掘されているので、
それぞれの遺構がいつの時代のものかを考えねばならない。炉の祭壇に祀られた石棒は一
本の場合もあるし、4本の場合もある。野外の柱も一本の場合もあるし、6っぽんの場合
もある。時代によっていろいろなのである。屋内と野外で祭りの仕方が違うし、石棒や柱
の本数によって祭りの仕方が違う。そういうことを思いながら矢瀬遺跡を見ているとなか
なか興味は尽きない。この地は夜とか月にご縁のあるところである。縄文のむかし、はた
して星の祭りは行われたのであろうか。
さて、私は先に、『 精霊(スピリット)の力とは、流動的知性のことであり、必ずし
も信仰だけに関係するものではない。』・・・と述べた。スポーツとか芸術とかボラン
ティア活動であるとか、何かに無我夢中になって、今までに培った観念を忘れてしまうこ
とがある。座禅を組むのもそのためだが、そういう純粋無垢な心に触れるような 経験を
純粋経験というが、そういう純粋経験も流動的知性を働かせる方法である。麻薬などの薬
物によって純粋経験を経験することもできるが、これは病的でありさらに犯罪に直結する
可能性が高く、こういう方法は論外である。しかし、スポーツとか芸術とかボランティア
活動によって純粋経験が経験できるよう、これ からさまざまな工夫がなされなければな
らないが、信仰の世界でも・・・、今後、さまざまな努力が必要であろう。
上において、私は、『 石棒やその変形としての柱は、私たち人間と世界と天なる神の世
界を繋ぐ・・・ まあ言うなれば、 繋(つなぎ)の神と言えるのではないか。猿田彦はそ
ういう繋(つなぎ)の神であろう』・・・と述べ、さらに『男性の象徴・石棒など(男
根、石棒、立石)から女性の象徴・炉の火に発出される』・・・とも述べた。 道祖神
は、ごく一般に言われているように猿田彦の流れを汲むものであるが、さらにその源流を
遡ると「男性の象徴・石棒など(男根、石棒、立石)と女性の象徴・炉の火が一体になっ
た・・・縄文住居の祭壇』に辿り着く。
道祖神は理屈を超えた楽しさがある。国際的なのである。みちみちの道祖神をふやして
いきたいし、神社やお寺の祠にも道祖神をお祀りしたいものだ。
(3) 中津川の胞衣(えな)伝説
旅は、思わぬものとの出会いがあって実に楽しい。宮本常一の「歩く、見る、聞く」で
はないけれど、できるだけ歩くことだ。
仕事での出張は旅とはいわぬかもしれないが、それでも早朝に歩くことだ。私はそうし
ている。今回の中津川行きは、参議院選挙の応援のためであったが、雨の中、傘をさして
散歩した。
私が中部地方建設局にいた頃の記憶にあった中津川に陰陽石のことを口に出したら、案
内の方がついでに立ち寄ってくれた。ホテルからちょうど朝の散歩にいい距離であるの
で、翌日の早朝に写真を撮りに出かけたというわけだ。お目当ては、地元では夫婦岩とい
われている陰陽石であったが、途中、思わぬ街の風情に出会い、そのときもまた大変楽し
い散歩となった。
お目当ては・・・・あの夫婦岩! 晴れていれば、この付近から恵那山が見える筈であ
る。 恵那山は、胞(えな)山とも書き、まことに古い伝説を持っている。山頂には恵那
神社の奥宮本社があり、嶺の川上地区には前宮本社がある。 恵那山はまさに信仰の山で
ある。
http://www2.ocn.ne.jp/ ynhida/yamagatari/katari/enasan.htm
神社の由緒は日本書紀に見られ、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途に恵
那神社を参拝されたと記してある。 さあ、先を急ごう!
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/nakatu08.html
夫婦岩は、中津川のきわにある。
この上流に恵那神社があり、恵那山があるわけだ。
恵那山は、恵那市ではなく、中津川市にある。
はや夫婦岩についた!
この夫婦岩のすぐ脇に、夫婦岩神社という小さな祠があり、 その由来が書かれてい
る。神代の昔、紀元2800年前、イザナギ、イザナミの命は、この地に御降臨、琴瑟
(きんしつ)相和し、 御尊子・天照大神をもうけ賜う。その胞衣(えな)をして御弟子恵
守をしてこの地に埋納せられ 霊峰を恵那山と名付けられる。イザナギ、イザナミの神々は
人類の繁栄と幸福を永遠に御見守られ、神自らの愛の象徴をそれぞれ喜厳と替え後世、万
民のため桃花の裾野に鎮座ましましたまう。照恵尊守、この霊喜厳をして夫婦岩と名付け
られたまう。
夫婦岩については、山上憶良(やまのうえのくら)がどうのこうのという話もあり、中
津川は誠に古い伝説を持っている。この胞衣(えな)に関する伝説は、今後世界平和を志
向する上で誠に大事な意味を有しており、けっしてこの胞衣(えな)伝説を軽視してはな
らない。中沢新一によれば、胞衣(えな)信仰 は、縄文時代からの信仰であり、それが
ある程度かたちを変えているとはいえ、胞衣(えな)信仰そのものが今なお残っている
ということは驚異的なことである。「エロスの神」の日本化如何によっては、胞衣(え
な)に関する伝説が世界的展開を見せるかもしれない。
この胞衣(えな)信仰の問題は、おいおい勉強していくとして・・・・、ここでは胞衣
(えな)信仰の現在になお残っている・・・その驚異的な実例を紹介しておこう。この胞
衣(えな)信仰は、縄文時代からの丸石信仰や宿神信仰とも関連し、私は「和のスピリッ
ト」として特に注目しているもので、「女性礼賛」ひいては「世界平和」を語る上で欠か
すことのできないものである。こういう信仰がまだ残されてるうちに、日本は一日も早く
「平和の原理」を確立し、国の総力をあげて国際貢献をしていかなければならない。
かかる観点から、中津川の胞衣(えな)伝説は、世界的な価値を有している。再度申し
上げるが、これを決して軽視してはならない。「平和国家にっぽん」「祈りの国にっぽ
ん」としてはこの上ない舞台装置である。
(4) 胞衣(えな)信仰
以下は中沢新一の著書「精霊の王」(2003年11月、講談社)にもとづいて書いた
ものである。文責は私にある。
猿楽の徒の先祖である秦河勝は、壺の中に閉じ籠もったまま川上から流れ下ってきた異
常児として、この世に出現した。この異常児はのちに猿楽を創出 し、のこりなくその芸
を一族の者に伝えたあとは、中が空洞になった「うつぼ船」に封印されて海中を漂ったは
てに、播州は坂越(サコシ)の浜に漂着したのだった。その地で、はじめ秦河勝の霊体
は「胞衣荒神」となって猛威をふるった。金春禅竹は、「それこそが秦河勝が宿神であ
り、荒神であり、胞衣であることの、まぎれもない証拠である」と書いたのである。
ここで坂越と書かれている地名は、当地では「シャクシ」と発音されていた。もちろん
これはシャグジにちがいない。この地名が中部や関東の各地に、 地名や神社の名前とし
て残っているミシャグチの神と同じところから出ていることは、すでに柳田国男が『石神
問答』の冒頭に指摘しているとおりで、「シャグ ジ」の音で表現されるなにかの霊威を
もったものへの「野生の思考」が、かつてこの列島のきわめて広範囲にわたって、熱心に
おこなわれていたことの痕跡をしめしている。
会津の「火伏せ神事」のほか、各地に残る「賽の神」も縄文時代から連綿と続く信仰で
あり、石棒信仰や丸石信仰、あるいは胞 衣(えな)信仰と同じ系統のものである。それ
は、近年に至って、いろいろと変型して道祖神や賽の神の誕生に連なっている。それら全
体を私は「和のスピリッ ト」と呼びたいのだが、如何なものであろうか。「和のスピ
リット」の源流に・・・・石棒信仰や丸石信仰、あるいは胞衣信仰(えなしんこう)があ
る。
これは井戸尻遺跡考古館 の造形!
胞衣(えな)信仰については、先に、「中津川の胞衣(えな)伝説」で伏線を張ってお
いた。 ここではそういう「和のスピリット」がどういう地域に広がっているかを体験す
る手始めとして、とりあえずは中沢新一の「精霊の王」から大事な部分を紹介することに
したい。
「ここの神社にあるミシャグチは、たとえようもなくすばらしいものです」。友人は、
誇りにみちた声でそう言った。そのことばが嘘でないことを、すぐに私も実感することと
なる。
神社の本殿は、どこにでもありそうな造りをしている。ところが重要なのは、本殿に上
がる石段の手前に並んでいる摂社のほうなのである。「社宮司(しやぐじ)」と記された
祠の扉をおそるおそる開くと、中からはじつにみごとな石棒があらわれた。
石棒のまわりには、あたりを流れている時間とはまったく異なる、異様に古い時間の感
覚がたちこめていた。そこだけが、数千年前の縄文時代の時間を呼吸しているのだ。石棒
にはあまり細工はほどこされていない。ほとんど自然のままで男根の形状をした石が、木
の祠の中におさめられているのを見ると、ミシャ グチが時間感覚のハイブリッドな共存
としてできあがっているのが、よくわかる。
ミシャグチ神が出現するのは、この地帯では水稲耕作のはじまった弥生時代の後半から
古墳時代の初期にかけてのことだろうと、推測されている。その ミシャグチ神の神体
は、石棒で表現されるのが、いちばん古い形で、それに石皿というこれもやはり縄文時代
の生産用具が、いっしょに祀られることもある。またそこに小さな自然石の丸石が添えら
れることもある。水稲の栽培がはじまり、人々の意識に切断が生じた後になって、意識の
断層の向こう側にある縄文時代の 心のあり方を代表する石棒や石皿や丸石に霊威を認め
て、新しいハイブリッドな信仰の創造としてミシャグチ神の祭祀がはじまった、と考える
ことができる。
ミシャグチ神は、ほんらい社殿も拝殿もない神なのである。石棒を祀った小さな祠が
あって、それを大切に抱きかかえるようにして、檀(まゆみ)や檜 や松や桜などの立派な
樹木が、石の神を背後から守っている。このような古い形態のミシャグチは、いまでもこ
のあたりを歩けばいくつか見かけることができるが、立派な建物をもった神社がその場所
に建ってしまうと、本殿の脇のほうに摂社としてひっそりと祀られるようになってしま
う。しかし、そうなっても、そこに住む人々の意識の中では、脇に寄せられてしまったミ
シャグチ様こそが、古代的な霊威を湛えた事実の神なのである。
私はそのミシャグチ様に見とれていたあまり、自分のすぐ近くにとんでもないものがい
たことに、長いこと気がつかなかった。石棒のご神体を納めた祠の扉を閉じて、石壇を
登ったすぐのところに奉納物を掲げる板を見た私は、思わず「あっ」とのけぞった。なん
とそこに「胞衣(えな)」が掛けられていたから だ。
その奉納板には、氏子の中で最近子供の生まれた家の人が、その報告とお礼のために、
扇を奉納物として掛けていた。そしてその扇の柄の部分に、真綿を薄く伸ばして、袋のよ
うなかたちに細工したものが、結びつけられている。そこにいた全員が、それを見て目を
見張った。
「これは……胞衣ですよね」
「ええ、たぶん」
「扇と言えば女性器の象徴でしょう。それに結びつけられている真綿の袋と言えば、やっ
ぱり胞衣でしょうなあ」
「ミシャグチと胞衣ですか。あんまりできすぎた話じゃありませんか」
「たしかに。本殿の神さまのほうへの奉納ということも考えられますが……でも子供の誕
生を報告するこの板は、よりによってミシャグチさまの後ろに立てられていますからね。
結びつけたいところです」
「胞衣」を思わせるこの象徴的な奉納物・・・、まるで私は金春禅竹に操られているよう
な、妙な気分だった。この地方のこ のミシャグチ神と金春禅竹の宿神との間には、一見
すると大きな隔たりが横たわっているようにも見える。だいいち芸能の徒の宿神には、ミ
シャグチ神には濃厚 な縄文文化との直接のつながりなどを、みいだすことはできないよ
うにも思える。しかし、この二つの神は、太いたしかな通底器でつながっているのだ。し
かも その通底器は、「神」をめぐる日本人の思考の、もっとも古い地層に埋設されてい
るために、そこをたどっていくと、私たちは「日本」という同一性も突き抜けていってし
まう。
(5) 柳田国男と胞衣(えな)信仰
以下も中沢新一の著書「精霊の王」(2003年11月、講談社)にもとづいて書いた
ものである。文責は私にある。
これは大田区の郷土博物館にある石棒である。
大田区の教育委員会ではトンチンカンな説明をしているが、
富士眉月弧文化圏に見られるまぎれもない石棒である。
多摩川の近くの上沼部(かみぬまべ)の貝塚から出土した。
ミシャグチは日本の民俗学にとって、いまもなおその草創期と少しも変わることなく、
謎にみちたロゼッタ・ストーンであり続けている。
ロゼット・ストーンは、1799年にナポレオン率いるフランス軍によって、エジプト
のロゼッ タ村で発見された石碑である。その石碑には上段・・・ヒエログラフ(象形文
字)、中段・・・デモティック(古代エジプトの民衆文字)、下段・・・古代ギリ シャ語の3
つの言葉で同じ内容が刻まれている。以後、この石碑をもとに古代エジプトの象形文字に
関する研究が進められはいるが、今なお謎が解明できたというわけではなく、中沢新一は
「謎にみちたロゼット・ストーン」という言い方をしている。
縄文土器の紋様は、ただ単に装飾が施されているというものではなく、そこに「野生の
思考」が 表現されている。したがって、それら縄文土器の紋様は、文字というものでは
ないけれど、象形文字的な意味を持っており、その解明が期待されている。中沢新 一は、
「東北学VOL9」(2003年10月、東北芸術大学東北文化研究センター)のなかで縄
文土器が表現する「野生の思考」に関する特別論考を行なって いる。さすが中沢新一と
いう・・・目からウロコが落ちるような・・・驚くべきというかきわめて新鮮な識見であ
り、縄文考古の研究者は是非それをもとに今後の研究を深めていってもらいたいと思う。
さて、本論に戻ろう。
藤森栄一氏や今井野菊女史の努力によって、諏訪のミシャグチについては、多くの解明
がなされてきた。しかし、その諏訪のミシャグチと、多様な名称をもって列島上に数多く
祀られている「シャグジ」とがどのような関係をもっているのか、またそれは猿楽をはじ
めとする芸能の徒たちがみずからの守護神として重要視してきたあの「宿神」と、いった
いどういう糸で結ばれているのか、などということについての理解は、じつは柳田国男が
『石神問答』を著した頃から、そんなに進んではいないのである。
役人生活のかたわら、暇を見つけては武蔵野を散歩することを好んだ柳田国男は、そこ
にあるたくさんの神社に共通する不思議な感覚に、深く惹かれるものを感じていた。こ
んもりとした森に囲まれてたたずむそれらの神社には、たしかに全国に共通する形をもっ
た社殿が建ち並び、そこには神名帳に記載された名のある神話の神々が祀られている。し
かし、柳田国男の鋭い直観は、そうした神道の神々の背後ないしは地下室の部分に、別種
の霊威をたたえた神々がいまも生き続けていること を、はっきりととらえていた。
武蔵野の古い神社の境内からは、しばしば縄文時代の遺跡が発掘され、そこからは石棒
や石皿や丸石などが、生活の道具とともに発見されていた。そして時々、神社の本殿の脇
に置かれた摂社や小祠などに、石棒や石皿が神体として祀られ、シャクジンとかシャグ
ジとかショウグンなどの名前で呼ばれているのである。武蔵野における精神の地層は大き
く二つの層でできているのではないか。一つは表面にある神道の神々のつくる層。その下
にはまだ名付けようのない「古層」の神々が、おそろしく古めかしい霊威の感覚を発散さ
せながら、目に見えない別の地層を形成しているのだ。
その精神の古層をあきらかにしていく手始めとして、柳田国男は小さな祠の神々の名前
に注目することからはじめた。すると驚いたことに、シャクジンとかシャグジとかシュク
ジンとかショウグンなどの名で呼ばれる神を祀った祠や摂社は、武蔵野ばかりではな
く、関東一円、中部地方に広く分布していることが、しだいにはっきりと見えてきたの
だった。それどころか、それは播州の坂越(シヤクシ)から壱岐の杓子松 や九州北松浦
のシャクシ島にいたるまで、列島の全域からも見いだされた。
国家の制度とまったく関係をもたない神として、これほどまで広くこの列島上に分布し
ている神はほかにはない。この神は列島上に国家というものが形成される以前の、古層に
属する宗教的思考の痕跡をしめしているものではないか。いままさに民俗学というものを
創造しようとしていた柳田国男は、シャグジという神のうちに、国家の思考によってつく
りかえられた神道以前の神道の姿を、見通してみたいと考えたのである。
ではそのシャグジとはいかなる神なのか。そこで柳田国男は独特の音韻論的還元の手法
を使って、ひとつの仮説にたどりつくのである。シャグジは漢字で書けば、社宮司、石護
神、石神、石神井、尺神、赤口神、杓子、三口神、佐久神、左口神、作神、守公神、守宮
神のように多様だ。しかし、そこに共通してい るのは、どの呼び名にも「シャ」「サ」
「ス」などの「サ」行音と「カ」行音の「ク」または「ガ」行音の組み合わせでできてい
るという点だ。
「サ」音は岬、坂、境、崎などのように、地形やものごとの先端部や境界部をあらわす
古いことばに頻出する。この「サ」音が「カ」行音と結びつくと、 ものごとを塞ぎ、遮
る「ソコ」などのことばにあらわされるような「境界性」を表現することばとなる。よう
するに、シャグジは空間やものごとの境界にかかわ る霊威をあらわすことばであり、神
なのではないか。
そこから、芸能の徒の守り神が「宿神」と呼ばれた理由を、柳田国男はつぎのように推
論した。芸能者はもともと定住をおこなわなかった人々である。 そのために、彼らが村
や町に定住しようとしても、住むことができた場所といえば村や町のはずれだったり、坂
や断層の近くだったりした。そうした場所はたいがい、境界性をあらわすサカやソコなど
「サ+ク」音の結合で呼ばれるところだった。そのために芸能者たちは「ソコ」や「ス
ク」や「シュク」の人々と呼ばれ るようになり、彼らの守護神自身も「シュク神」と呼
び慣わされるようになったのではないか。
シャグジは境界性の意味をおびた神々である。境界というもののはらむ霊威が、そのよ
うな名前で表現されたのである。そして、この境界性を通じて、 芸能の徒の神である
「宿神」は、全国に広く分布するミシャグチやシャグジとつながっている。シャグジが道
祖神などと重なり合った性格をおびているのもその ためで、境界の隙間からわきあがっ
てくる災いや危険を、こちらの世界に入れまいとして境界を塞ぐ「ソコ」の神である道祖
神も、もとはといえばシャグジと同 じ境界神の一種だからなのである、と。
しかし、柳田国男自身このような仮説が、シャグジのすべてを説明できるとは思ってい
なかった。この仮説に大いなる不安の影を投げかけている一つの有力な実例のあること
を、彼はよく知っていたからである。それはほかでもない、諏訪神社信仰圏におけるミ
シャグチの存在である。彼は日本民俗学の草創期を 三十年後に回顧しながら、『石神問
答』の再版に寄せた序文の中で、こんなことを書いている。
私は実はシャクジは石神の音読であろうという、故山中先生の解説に反対であったばか
りに、このような長たらしい論難往復を重ねたのであったが、その点は先生も強く主張せ
られたわけでも無く、又あれから信州諏訪社の御左口神(おさくじん)のことが少しずつ
判って来て、是は木の神であったことが先ず明かになり、もう此部分だけは決定したと言
い得る。しかもどういうわけで社宮司(しやぐし)、社護神(しやごじ)、遮軍神(しや
ぐんじん)などというような変った神の名が、ひろく中部地方とその隣接地だけに存在し
ているのか、諏訪が根源かという推測は仮に当っているにしても、その信仰だけが分離し
て各地に分布して いる理由に至っては、三十年後の今日もまだ少しも解くことができな
いのである。
ミシャグチは諏訪信仰の世界では、村はずれの境界に祀られているわけではなく、そこ
になんらかの差別の感情や思考がまつわりついているわけでもなく、むしろ堂々と人々の
暮らしの中心に位置していた神なのである。石と樹木の組み合わせで表現されるミシャグ
チは、そこをとおって若々しい善なる力が人の世界に降りてくる通路として、たとえ空間
的な境界に関係をもつにして も、それは中心にあるものから排除された領域としての境界
を意味するのではなく、まさに世界と生命の根源にあるものに触れている境界の皮膜をあ
らわしてい る。ミシャグチやシャグジや、もろもろの「サ+ク」音の結合であらわされる
霊威を、空間的な境界性で説明しつくすことはできない。空間における境界性は、 ミ
シャグチにとっては、むしろ二次的な意味しか持っていない。
その意味で、ミシャグチはいまだに日本人の精神の深層に踏み込んでいこうとするもの
にとっての、ロ ゼッタ・ストーンの意味を失っていない。この神は謎なのだ。そして、こ
の神の謎を解き明かしていくことの中から、私たちは神道というものの本質に近づいて
いくことができる。神道の神々の世界の地下には、象形文字で書き表された「古層の
神々」の世界を伝えるロゼッタ・ストーンが埋められている。私たちが「神道」の名前で
知っているのは、ミシャグチのような古層の神々が地下に埋められたり、目に付きにくい
脇に取りのけられたりした後につくられた、霊威の表現の 合理化された一形態にほか
ならない。 その不思議な石の解明にまっさきに乗り出したのが、柳田国男であったこと
を、私たちは忘れない。彼によってはじめて着手された「心の考古学」たるこの民俗学と
いう学問は、いまだ象形文字解読の作業も半ばにして、深刻な危機に瀕している。柳田国
男に帰れ。ミシャグチに帰れ。
中沢新一が考える大事な部分をもう一度掲げておこう。『 ミシャグチは諏訪信仰の世
界では、村はずれの境界に祀られているわけではなく、そこになんらかの差別の感情や思
考がまつわりついているわけでもなく、むしろ堂々と人々の暮らしの中心に位置していた
神なのである。』 なお、かって私は、山形県の立石寺(りっしゃくじ)(山寺ともい
う)との関連で「山の神」の勉強をしたことがあるが、「山ノ神」が男根や女陰で表わさ
れる場合が少なくない。これも中沢新一が言うように、堂々と人びとの暮らしの中心に位
置していた神である。縄文信仰に連なるところの男根や女陰をいやらしく眺めてはならな
い。神聖な気持ちで眺めなければならないのである。中津川の夫婦岩もそうだ。
さて、諏訪を中心としたミシャグチ信仰は、胞衣(えな)信仰とか石棒信仰と言ってい
いものだが、実は、一つの文化圏を形成していて、富士眉月弧(ふじびげつこ)文化圏と
呼ばれたりしている。多摩川の沿川と相模川の沿川がその範囲に入る。富士眉月 弧(ふ
じびげつこ)文化圏の重要な遺跡として・・・長野県富士見町の井戸尻遺跡と山梨県須玉
町の津金御所前遺跡があるが、富士眉月弧(ふじびげつこ)文化 圏の特徴として石棒信
仰や丸石信仰がある。 上記の石棒は大田区で出土したものだが、世田谷区でも同様の石
棒が出土している。 富士眉月弧(ふじびげつこ)文化圏と呼ばれているものは、次の通
りである。
画面では少々黒くなっているが、まゆげに相当する部分が富士眉月弧(ふじびげつこ)
文化圏で ある。向かってまゆげの左端に諏訪湖があり、その付近を頂点として山形に黒く
なっている。片方が天竜川であり、片方が釜無川(かまなし)である。もう一つ の山形
は、これこそ三日月型になっているが、釜無川と笛吹川(ふえふきがわ)の合流点から多
摩川と相模川に黒い部分がのびている。この部分が三日月型であ るので、眉月弧(びげ
つこ)と呼んでいるのであろう。富士川と富士山がおおむね真ん中、すなわち鼻の位置に
あるので、富士眉月弧(びげつこ)と呼んでい る。
この富士眉月弧(びげつこ)における実際の遺跡分布は、次の通りである。
この写真も写りが悪くて見にくいが、多摩川流域と相模川流域に遺跡が散らばっている
のに注目願いたい。これらは富士眉月弧(びげつこ)文化圏にある。しかし、その中心地
はどうも諏訪湖から長野県富士見町と山梨県須玉町にかけての地域らしい。
(6) 富士見町・井戸尻遺跡
富士見町の井戸尻遺跡は、JR中央線では信濃境でおりるのだか、ほぼ八ヶ岳の南山麓
にある。この地域は、全体が釜無(かまなし)川に向かって緩や かに落ち込む傾斜地と
なっており、湧水が豊富である。全体が南に広々と開かれて、明るく、これほど水に恵ま
れ住み良いところは全国にもそうはないのではな いか。富士眉月弧(びげつこ)文化圏
の中心地域であっただけのことはあって、自然環境が抜群に良いのである。
ところで、2004年7月先週に「水と衛生に関する諮問委員会」が、国連本部で初会
合を開き、アナン事務総長は、世界で六人に 一人が清潔でない水を飲料にしている実態
は「受け入れがたい」と述べ、飲料水確保の必要性を訴えた。また、議長に就任した橋本
龍太郎元首相は「水と衛生に 関する意識を高め、世界の水問題解決に向けて具体的な一
歩をしるす」のが諮問委の使命だと演説した。
当委員会は、アナン事務早朝の特別の肝煎りで設置されたもので、橋本龍太郎元総理が
議長に就任したのは、多分、2003年京都で開かれた「世界水フォーラム」の議長を彼
がしたことによるものではないかと思うが、日本が水問題で世界に貢献できるのは誠に結
構なことである。
日本は、瑞穂の国といわれるが、水田に関する農業水利は驚異的であり、私は、この水
システムは今後永久に守っていかなければならないと思っている。先祖から受け継いだ貴
重な財産であるからである。
さて、井戸尻遺跡を散策するには駅前からスタートするのが良い。時期は7月の中旬、
時間は朝がいい。 ただし、JR信濃境(しなのさかい)の駅前には宿がない。したがっ
て、隣の小淵沢の駅前旅館に泊まってタクシーでJR信濃境の駅に行くのがいい。井戸尻遺
跡を散策するには駅前からスタートするのが良いからだ。 ちょうどJR信濃境の駅が八ヶ
岳から釜無川に向かう尾根にあり、その尾根からほぼ南に向かって集落が発達している。
そして、その延長線上に井戸尻遺跡がある。集落そのものが遺跡になっているようでどこ
を掘っても何らかの土器が出てくるらしい。古来いちばん自然環境の良い「場所」に人び
との暮らしが あり現在に繋がっている...というわけだ。
人びとの暮らしに必要なのは水である。JR信濃境の駅からちょうど尾根筋に当たるメイ
ン通りを歩いていくと、通りの脇に水が出ている。きれいな水だ。
上流の山際に開発が行なわれて伏流水の水質が悪くなって、そのままでは飲めないのだ
そうだが、最近はいい浄化器ができているので、それを利用すれ ば飲めるようになる。
本来、そういう浄化器を使わないでも飲めるように開発に伴う水質保全には特段の規制を
かけるべきだが・・・・。 まあ、そんなことを考えながら歩いていく。早朝なので実
に気持ちがいい。地元の人ととりかわす朝の挨拶もさわやかである。駅前のメイン通りを
そのまま下っていけば井戸尻考古館に行くのだが、 もうすぐに考古館だ!
考古館のすぐ横にこんな素晴らしい「石棒」が・・・・。
ちょうど古代蓮(はす)の花が満開である!実に美しい!
道端にこんな面白いものが・・・。センボウ塚というらしい。
「石棒」の変型したもではなかろうか?
註:井戸尻遺跡の内容は、考古館の公式ホームページをご覧下さい!
http://www.alles.or.jp/ fujimi/idojiri.html
(7) 恵日寺(えにちじ)をゆく
恵日寺は盤越西線猪苗代から二つ目の駅・「ばんだいまち」で降りる。小さな小さな田
舎の駅で何の変哲もない・・・まあ面白くない駅だ。観光客をもてなす気配は全然感じら
れない。少しは工夫があっても良いのだがと思いながら駅を後にする。
あらかじめ国土地理院の地図で調べておいた道をゆくのだが、駅のムードとは裏腹に、
街には人々の生活が感じられてなかなかのムードだ。まず最初に 目につくのは古峯神社
の柱である。古峯は「こぶがはら」と読む。この古峯神社というものが曲者で・・・私の
直感では、徳一と不思議な糸で繋がっているよう に思われる。いずれじっくりと訪れた
い。「スピリット」にお目にかかれるかもしれない。
古峯神社は関東では三峯神社と並び称される修験道場である。日光を開いた勝道上人の
修行の場としても有名であるが、その勝道上人が最初に修行したのは、実は、下野の薬師
寺である。下野の薬師寺は、当時、 九州の観音寺と奈良の東大寺と伍した全国スケール
の戒壇院で、藤原氏との繋がりが極めて強い。その点で徳一との関係が気になる。多分、
私の直感では、行 基、良弁、勝道、徳一、空海、明恵は見えぬ糸で結ばれている。東大
寺と興福寺、或いは華厳宗と法相宗のくり出す糸である。その糸は、華厳哲学と唯識論と
言って良いのかもしれないが、その奥には「スピリット」が・・・・きっと働いているに
違いない。
そんなことを思いながら歩いていると、
突然、
道ばたにこんな祠が目に飛び込んできた。
皆さん、如何ですか。祠の穴は・・・・女陰を現し、前の丸いタマは男陰を現している
のではないでしょうか。金タマが二つ。大きさが違いますけれどもね・・・・。まあ、金
タマなどと不謹慎なことを言ってはいけませんね。これは相当に古いもので、丸石道祖神
ではないかと思われます。
では、ここらで丸石道祖神について、中沢新一の考えを紹介しておきたい。 中沢新一は
すごい人だ。フィロソフィア・ヤポニカ以来、緑の資本論のほかカイエ・ソバージュシ
リーズなど、おそらく世界的な名著といえるであろう 画期的な哲学書をつぎつぎと出して
きた。そしてこのたびは、環太平洋神話学への一試論との副題のもと、「縄文・ミシャグ
チ・道祖神」という題の研究発表を 行なった。「東北学」の9巻(2003年10月、
東北芸術工科大学東北文化研究センター)の特別論考としてである。
中沢新一は、同論考のなかで次のように述べている。けだし、的を射た考えであるの
で、私たちは還元主義の間違いに陥らないように十分注意しなければなるまい。
『 考古学が発達し分析を進めてきた物質的資料と、文字に記録された神話と、民俗学的
な素材との間をつないで、そこに共通して働いている「野生の思考」を明らかにすること
のできる確実な方法が、探し求めなければならない。』
『 いまだになお謎の解けぬ多くの主題を解釈する鍵が、われわれの手に直接近づきうる
ような形で、神話やいまなお生きている説話のなかにあることは、疑いあるまい。』
『 縄文文化の遺物を手がかりにしてあきらかになってきた思考の形態と、それから何千
年もたってから記録された神話や、さらにはそれよりもあとの 近世になって形成された今
に伝えられている民間伝承群などの間に、直接の対応関係を見つけようとすると、私たち
はしばしば還元主義の間違いをおかす。複雑 な作動をおこなっているものを、単純な思考
に切りつめて還元してしまうという間違いだ。』
『 これから私たちは縄文文化の背後で活動していた思考をあきらかにするために、民俗
学や人類学がもたらしてくれる情報を活用する新しい方法を開拓する試みをおこなってみ
ようと思う。』
中沢新一は、そういいながら縄文とミシャグチと道祖神に関する論考をすすめていくの
だが、そのなかに「丸石」がでてくる。丸石道祖神のことである。中沢新一は、同論考の
なかで次のように言っている。
『 縄文中期文化と重なりあう分布を持つ道祖神の習俗は、その内部に丸石道祖神と双体
道祖神という、二つのタイプの違う表現をもっている。』
『 丸石の由来は縄文文化にまで遡るほどに古いものであるのに対して、双体道祖神のほ
うは少なくとも石像としての表現を見るかぎり、江戸時代の初 期からそれほど遡るもの
ではない。・・・中略。石に男女の像を彫り込む双体道祖神そのものは近世的な成り立ち
をもつとはいえ、この石の表現が登場する以前 に、同じ観念を担った別の形態の道祖神
が存在したことが考えられるのだ。そして、その「原=双体道祖神」は、縄文文化・・・
ミシャグチ・・・道祖神と変化 をとげながらも一貫した連続体として、人びとの心の中
に働き続けてきた思考の構造を表現しているものに違いない。だから、表面は近世的な装
いで表現されて いても、その奥で生きている原=双体道祖神そのものの由来は、きわめ
て古いと言えるのだ。』
縄文・ミシャグチ・道祖神に関する中沢新一の論考は、まだまだ長く続くのだが、今後
必要に応じて紹介するとして、ここでは丸石道祖神が縄文文化に 遡るほど古いものであ
るということと、双体道祖神など近代的な表現の中にもその名残が伺えるということを申
し上げておきたい。タマ(魂)には、アラタマ (荒魂)とニギタマ(和魂)とがある。
アラタマには「たましずめ」が必要であるし、ニギタマには「たまふり」が必要である。
丸石道祖神は、もちろん「たましずめ」のためのものである。双体道祖神や陰陽石は「た
まふり」のためのものであろうが、ここではこれらの点について深入りはしない。丸石道
祖神というものがあるということと、それが双体道祖神や陰陽石とはちがって形而上深い
意味を持っている点だけを申し上げておきたい。
丸石道祖神については以上であるが、お目当ての磐梯山恵日寺資料館を目指そう。会津
はどこもそうだが、立派な屋敷が多い。お百姓さんの屋敷だが、まあ立派なものだ。個人
の財産ではあるが、同時に、これらが国富に繋がって良る点を考えると国民の財産でもあ
る。 これらの立派な屋敷はこれからもしっかり守っていかなければならない。
梯山恵日寺資料館は見ごたえのある資料館である。 恵日寺の歴史、恵日寺と山岳信
仰、恵日寺の文化財、恵日寺の行事などが展示してあるが、 ビデオコーナーでは、史跡
ガイド、火伏せ、巫女舞、船曵き名どのビデオを見ることができる。 なかでも「火伏せ」
はたいへん珍しい民俗行事であるので、 このビデオは一見の価値があると思う。
これは火伏せの神である。立派なスピリット!会津地方では建前(たてまえ)のとき、
火伏せの信仰として男女一対の神を棟木(むなぎ)奉納するのだそうだ。 磐梯町では旧
正月の18日に行われる「火伏せ行事」でも この神が行屋の棟木(むなぎ)に祀られる
という。 これは道祖神信仰の一形態だと言われている。「火伏せ」は、火災除けの民俗
行事であるが、何故それに男女の性器が出てくるのか???
さて、ここまでくれば恵日寺(えにちじ)にお詣りしなければなるまい。会津といえば
徳一。徳一といえば会津である。そして徳一といえば恵日寺である。
恵日寺(えにちじ)は、知る人ぞ知る、空海の高野山、最澄の延暦寺に匹敵する由緒あ
る古刹である。かっては、寺僧300、僧兵6000、堂塔伽藍100を数え るにいた
り、のちには寺領18万石、子院3800坊と伝え、さすが徳一の如何に偉大であったか
を十分に物語っている。
「恵日寺縁起書」によると、磐梯山はもと「病悩山」と呼ばれた。山に魔性がすみ、そ
のため五穀も実らず、住民が非常に苦しんだからである。活火山 で、たびたび暴れたらし
い。特に大同元年(806)の爆発は凄まじく、一夜で猪苗代湖ができた。いくつもの村
が水没し、溺死者数知れず・・・とある。
空海が詔(みことのり)を奉じ、会津へ下向した、と一般には伝わっている。 八田野
の稲荷森で、法力をもって魔性を退散させようと、秘法を修して、民心安定、五穀豊穣を
祈願した。これが恵日寺建立の由来である。空海は当時にとどまること3年、やがて詔
(みことのり)によって都へ帰ることになった。この時にあたり、寺を徳一に託したとい
う。
しかし、「恵日寺縁起書」はまったく逆のことを言っている。詔(みことのり)を奉じ
て会津へ下向したのは徳一である。のちに、空海は徳一から恵日寺を引き継ぐのであっ
て、空海を持ち上げるために、空海の弟子どもがそういう逆のことを宣伝したのであろ
う。
徳一こそ偉大な人で、まあいうなれば・・・・空海は徳一の薫陶を受けたのである。空
海が徳一の薫陶を受けたことを決して忘れてはならない。
現在は当時を偲ぶよすがもない。恵日寺は、わが国の世界に誇る遺跡であると思う。
国がもっと手を入れるべきでないのか。ここには間違いなく宇宙との響きがあるのだか
ら、「平和国家にっぽん」としては、ここをこのまま放置しておくことはできない。世界
平和のために・・・だ!
(8) 安房口神社の謎
神奈川県は横須賀市の吉井と池田と桜ヶ丘の境に安房口神社というのがある。東京湾は
馬掘り海岸の背後の山の中である。距離的には京急大津や新大津が近いが、バスで行くの
なら、京急九里浜駅から湘南山手行きのバスに乗って・・・安房口神社前で降りる。周辺
が新興住宅に囲まれながらも何とか残ったというような・・・まことに小さな杜(もり)
ではあるが、その霊気というのはなかなかのものである。 神社とは言いながら社殿はな
く磐座(いわくら)のみが礼拝対称である。奈良の三輪神社と同じであリ、全国的に誠に
珍しい。よほど古いものではないか。
ところで、この磐座をなぜ安房口というのか??? 口というのは、京の七口というの
があるが、粟田口とか八重洲口などと言うように、ある場所の入 り口のことである。安
房というのは房総半途の南端であるから、なぜここを安房口というのか??? 実に不思
議ではないか。いろいろと考えてみたいのだが、 まずは現地を御案内・・・!
これが問題の磐座(いわくら)だが・・・、まずはその「場所」まで・・・。霊気の中を
ゆっくりゆっくり歩いていく!
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/awaku01.html
不思議な磐座(いわくら)・御神体が鎮座まします聖地にはや着いた! この穴は安房
の方を向いているという。こりゃあ一体・・・何だ???見たことありますか???
安房の大神(おおかみ)・太玉命(あめのふとたま)の御霊代として、東国鎮護のため
に、安房の国からこの場所に 飛んできたという伝説があるそうだが、別の伝説もある。
館山市立博物館で行なわれた平成14年2月の企画展「鏡が浦をめぐる歴史」の展示図
録No14によれば、竜宮から安房の洲崎大明神へ奉納された二 つの石のひとつがこの三
浦半島に飛来したという。また、その資料によれば、口のようなくぼみをもった石の正面
が、安房の方を向いていることから安房口神社 というだが、何だかよく判らない説明
だ。説明になっていないようであるので、おいおい私の説明をしたいと思う。
ここでは、竜宮から安房の洲崎大明神へ奉納されたという二つの石のもうひとつの石に
ついて触れておきたい。もうひとつは、洲崎神社の浜の鳥居の下 の海岸にあるのだが、
先の資料によれば、三浦半島の石と房総半島の石とは「阿吽(あうん)」で対になってい
るのだという。まずは、その御神体を見てみよ う。
洲崎神社の御神体は、浜の鳥居の下の海岸にある。 県道から神社の反対側、海岸の方
に降りていく。まもなく、 鳥居の向こうにそれがある。
海は難所になっていて、この神は船の守神になっている。
館山市博物館の資料によれば、三浦半島の石と房総半島の石とは「阿吽(あうん)」
で対になっているのだという。二つの御神体はまちがいなく女陰で あるが、それがなぜ
こんなところにあるのか?
「「阿吽(あうん)」があっても不思議はない。 う∼ん、確かにそうかもしれない。そ
れにしても、安房口の説明としてはちょっと・・・? 二つの御神体が「阿吽(あう
ん)」で対だとしても、安房口の説明は別に考えるべきだと思う。なぜ安房口なのか?な
ぜ三浦半島のあの場所が安房の入り口なのか???
それでは安房口のなぞに迫っていこう! さらに、私は、「なぜ安房口に洲崎神社の御
神体が祀られているのか?」という疑問にも同時に答えておきたい。
まず、わが国の歴史観として、縄文時代は東北が中心で、西に行くほど文化は低かった
という認識が必要である。その判りやすい例が津軽の三内丸山文化で ある。人びとの交
易は相当広範囲に行なわれていたのであって、大和朝廷が東北へ勢力と拡大する頃、つま
りヤマトタケルノミコトが東征をする頃は、すでに各地に豪族がいたと考えられている。
もちろん、大和朝廷の関係者が移住をして勢力を蓄えるものも出てきたであろうし、大和
朝廷の武人が地方の豪族を制圧するという例もあったであろう。しかし、大和朝廷の東征
によって東北の文化がはじめて芽生えたなどと考えてはならない。とんでもない勘違いで
ある。縄文文化、 とりわけ東北文化については、中沢新一のいう「環太平洋の環」とい
う脈絡の中で考えるべきであって、大和朝廷との関係だけに矮小化して考えてはならない
の である。
上の図は、7世紀の始め、ヤマトタケルノミコトが東征した道筋である。房総半島には
「走り水」から船でわたった。房総半島の往来は、江戸が発展するにつれて、次第次第に
ヤマトタケルノミコトの通った道筋とは逆になっていくのだが、東海道ができた当初は、
房総半島には「走り水」から船でわたったので ある。つまり、「走り水」というのは、
8世紀ぐらいまでは東海道における海運の要衝であったのである。
大和朝廷の東征は、鎌倉、安房(あわ)、筑波、石城(いわき)と次第次第に北に向う
のだが、その進展というものを考える場合、黒潮の流れとそれを巧みに利用した航海技術
を抜きには考えられない。黒潮の流れを考えた場合、いちばん難しいのは東京湾以北で
あって、まかり間違えばアメリカ大陸に行ってしまう。
したがって、安房(あわ)の海人の存在というものは実に大きかった。要は、安房であ
る。その安房における海の守神が、洲崎の神である。 すなわち、安房神社の神・天太玉
命(あまのふとたまのみこと)の妻である天火乃理刀姫(あめのひととめひめ)である。
そして、その御神体が・・・安房口神 社や洲崎神社における・・・あの「阿吽(あう
ん)」の対・二つの女性シンボルである。
館山市立博物館で行なわれた平成14年2月の企画展「鏡が浦をめぐる歴史」の展示図
録No14によれば、安房に祀られている神仏の中で特異な信仰の広がりを見せたのが、
洲崎神社であった。航海神としての信仰が、中世東京湾内に広がった。「永享記」という
記録には、室町時代の末 に江戸城を築いた太田道灌(どうかん)が江戸神田に安房の洲
崎明神を祀ったことが書かれているし、横浜や品川にも洲崎明神が祀られたことを伝えて
いる。また、三浦市城が島の安房崎にも洲御前(すのみさき)社がある。 また、南総里
見八犬伝で有名な里見氏は、房総半島に君臨したが、その力の源はどうも東京湾の支配に
あったらしい。これらのことを勘案すると、安房(あわ)というところは、古代から近代
に至るまで、東京湾以北の海運を牛耳る・・・誠に大事な「場所」であったことが知れる
のである。そして、その守神が天火乃理刀姫(あめのひととめひめ)という女神であるこ
とが判る。 そして、その女性シンボルがあの二つの御神体である。
さて、その御神体のすぐ横には小さな祠があって、小さな丸石と女陰らしい小さな石が
祀ってあった。また、ご神体の前にはいくつかの布切れが並んでいたが、多分、それは、
安産のお礼参りに奉納された岩田帯の端切れであろう。
明治の末までは、別に陽石が祀られ、古くから子宝・安産の神としても村人に尊崇さ
れ、その成就御礼に玉石を供えたと伝えられている。なお、北条政子が懐妊のおり、 代
表者が安産祈願に拝した記録もあるそうである。ヤマトタケルノミコトが東征のとき、
勝利を祈願したともいわれ、この安房口神社は時代的にも相当古いものらしい。なかなか
由緒正しい明神さんである。私の感では、縄文時代の信仰の名残りをとどめている。そし
て思い出すのは、信州の・・・あの・・・胞衣(えな)信仰である。
(9) 「ごもっともさま」
御神体「ごもっともさま」
いわき大国魂神社は、夏井川の下流左岸の平地を見下ろす高台にある。もともとは「か
がいの祭り」が行なわれた神社。その名残りが御神体「ごもっともさま」である。
御神体「ごもっともさま」は、全国いたるところにあるが、有名なのは、尾張の田県
(たがた)神社のそれだが、伊豆の稲取にも見事な「ごもっともさま」がある。
石城の大国魂神社は古代から「かがいの祭り」の行われた由緒正しき神社である。「か
がいの祭り」についてはいずれ詳しく述べたいと思うが、とりあえず、「杵島ぶり」を書
いたホームページを紹介しておこう。 http://www.satani.org/sur/sur052.html
過日、東急は大井町線は大岡山にある東急病院に、おひな様が近いといいうことで、エ
スカレータ口に年代物の立派なおひな様が飾ってあったが、そのおひな様がよく見ると手
に持っているのが「扇」ではなく、笏(しゃく)であった。こわれたので誰かが見繕った
のであろう。私は気になったので、管理担当の女性に縷々間違いを指摘したら、その女性
は「ごもっとも、ごもっとも」と言っていた。「扇」も女性にシンボルだが、世界的には
マメはクリトリスを意味し、女性のシンボルである。ごもっとも。ごもっとも。
中沢新一の「豆の神話学」・・・ごもっとも。ごもっとも。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/mamesin.html
秩父は三峯神社の「ごもっとさま」は極めて格調が高く、もっとも古い形態を残してい
る。 誠に愉快な祭りだ。ごもっとも。ごもっとも。節分の時に「ごもっともさま」神事
が行なわれるが、男性のシンボル「ごもっともさま」 は擂粉木(すりこぎ)で、 女性の
シンボル「ごもっともさま」はマメを入れた升(ます)である。 ごもっとも。ごもっと
も。
さて、秩父神社の「ごもっともさま」だが、「福は内、鬼は外」が二度繰り返されると、
「ごもっともさまぁー!」を掛け声が合の手のように入り、 一同大拍手。祭りは一気に最
高潮に達する。秩父神社の「ごもっともさま」のように、エロティズム紛々の「ごもっと
もさま」は、化粧直しもあらたに格調高い「エロスの神」に 魔術化を図らなければなら
ない。 ごもっとも。ごもっとも。
(10) 日光の陰・礼讃 (後戸の神)
日光を「野生の感覚」でみると心響くのは慈覚大師ゆかりの摩多羅神である。大事なの
は、建前より本音、光より陰、後戸の神である。私は天台密教の後戸の神として徳一がい
ると考えており、日光を語る前にどうしても徳一を語っておかなければならない。私は、
徳一を追いながら、徳一と最澄の宗教論争を勉強した。最澄は密教という点では空海や徳
一に負けていた。徳一は空海を小僧扱いにしていたが、徳一はもの凄い坊主であると思
う。徳一は、明恵もそうだが、藤原であって藤原でない。「野生の精神」豊かな巨人であ
る。徳一と最澄の宗教論争については、私はもちろん、日本のアイデンティティーを「違
いを認める文化」とする立場から、徳一の方に軍配をあげており、次のように述べた。
『 徳一の歴史的価値はいうまでもなく最澄との「三一論争」にあり、私は、法相宗
「唯識論」と相まってこの論争の重要性がもっと叫ばれて良いので はないかと考えてい
る。源信の評価によって「三一論争」の最終決着が図られたとされているが、そんなこと
はない。「唯識論」の21世紀的発展と相まって 「三一論争」の再評価がなされて然る
べきではないかと思うのである。イスラム教原理主義やキリスト教原理主義は判りが良い
かも知れないが、「平和の原理」 としてはダメである。最澄や法然もこれ又然り・・・
である。違いというものは認められなければならない。
私の考えでは、かかる観点から、「三一論争」自体極めて高い歴史的価値を有してお
り、徳一研究は、「三一論争」にその重点が置かれて当然だと思うのだが、高橋富雄が指
摘するように、仏教哲学と古代信仰の結びつき・・・・・、これはとりもなおさず徳一の
目指した宗教改革だが、私には、これも又、極め て高い歴史的価値を有しているのでは
ないかと思えてならない。』・・・と。
しかし、最澄の歴史的価値を認めていないわけではもちろんない。徳一とのやり取りを
見る限り、政治的には空海の方が一枚も二枚も上手で、最澄はちょっと真面目すぎるので
はないかと思われる。空海からもぼろかすに言われて、ちょっと可哀想なぐらいだが、比
叡山を天台密教の源源(げんげん)に仕立て 上げていったその力量は驚異的なものがあ
る。
そして、その源源(げんげん)の流れの源(みなもと)近くに、慈覚大師(じかくだい
し)こと円仁(えんにん)がいる。円仁の最大の功績は、私は、摩多羅神(まだらしん)
を天台宗の「裏戸(うらど)の神」にしたことであると考えている。そして、私は、拙著
「劇場国家にっぽん」(平成16年7月、新公論社)のなかで『 わが国の古来の信仰、
わが国の心、それは「野生の思考」ということなのか?「後戸」の神、マダラ神こそ、2
1世紀を暗示するもっとも大事な神のような気がしてならない。』・・・と述べた。
ところで、光があれば陰がある。中沢新一のいう「モノとの同盟」は「光と陰の哲学」で
ある。日光東照宮は光り輝く表の日光である。ところが、実は、その裏に、本当の日光が
ある。それが日光・常行堂である。常行堂を知らずして日光を語る事勿れ!
天台宗の「裏戸(うらど)の神」は魔多羅神(まだらじん)である。秘仏であるの、一
般には見ることができない。一般には掛け軸でその様子を知ることができるのみである。
鼓を持ち、歓喜躍動たる姿の魔多羅神と二童子像。
頭上に北斗七星を配している。
左の童子・爾子多(にした)は
シシリシニ、シシリシと歌う。
右の童子・丁令多(ていれいた)は
ソソロソニ、ソソロソと歌う。
これは殊勝の本尊である
生死や煩悩の極致を行ずる
姿を舞い歌うのである。
これが常行堂の魔多羅(まだらじん)である。本堂の裏に小さな祠があって、そのなか
に魔多羅神は祀られている。御本尊に対して「裏戸(うらど)の神」という。
日光の常行堂にも魔多羅(まだらじん)は祀られている。私が出かけたときは、あいに
く中にお詣りすることができなく、外から常行堂を拝観するだけであったが、一応、報告
をしておきたい。 まえに常行堂の場所は確認できているので、朝の暗いうちに東京を出
て、日光の駅からタクシーを飛ばして、二荒山(ふたらさん)神社の前で降りる。降りた
ところがもう常行堂である。
天海のお墓をお詣りするということで、常行堂の裏道を行くのだが、 入場料を払っ
て、法華堂との渡り廊下から奥に入って行く。
天海上人の墓がある慈眼堂につづく道・延命坂を振り返り振り返りしながら登って行
く。日光の陰・常行堂はやはり裏から見るのが美しい!
第2節 新しいエロスの神 (1)エロスを語ろう
この世の中には、何か摩訶不思議な現象というものがあるようだ。それは通常見えない
けれど、そういうものが確かに存在すると考えて話をする人がいるのであるが、そういう
人の話を聞いた場合、通常はすんなり理解することは困難である。しかし、豊かな感性を
持っている人は比較的容易に理解できるようだ。したがって、私たちはこの世の中の真実
というものを理解するためには、豊かな感性というものを身につけなければならない。身
につけなければならないというより身につけた方が人生が豊かになると言った方が良いか
もしれない。
感性というものは大事である。豊かな感性というものがないと他者のいうことをなかな
か理解できない。では豊かな感性というものはどうすれば身に付くのか。それは体験であ
る。感性を磨くにはとにかく理屈ではなく現場に立つことだ。「場の力」というものが
あって、現場という「場」に立つとそこには時空を超えた響き合いを感じることができ
る。もちろんぼやあっと立っていてはダメで念じなければならないけれど・・・。
前節では、「場の力」のある現場を訪れてもらうべく、私のとっておきの「場所」のご
案内した。中にはとんでもない「場所」もあったかと思う。女性性器やら男性性器を祀っ
た「ごもっともさま」の場所。私に言わせれば、女性性器や男性性器はあからさまに表現
すべきではない。美的感覚にもとづいて格調高く表現すべきである。
女性性器はもちろん女性のシンボルであるが、これを写実的に表現すればいやらしい。
グロテスクというかエロチックなのである。エロチックは「エロ」であってプラトンの言
う「エロス」とはほど遠い。プラトンの言う「エロス」は「美」の追求である。「善きも
の」の追求である。
扇は女性のシンボルである。ひな祭りは「エロスの原理」にもとづく女性のためにお祭
りである。ひな祭りは美的感覚にあふれており、これから大いにそういうエロスの普及を
図らなければならないが、今や肝心の「エロスの原理」が忘れられていると思う。「エロ
スの原理」とは、私に言わせれば、目に見える美的な物の陰に隠れて通常は見えない、何
か摩訶不思議な現象を引き起こす原理である。それを通常感じることができるようにする
には、「美」の追求に繋がるような何か特別の物語を作る必要がある。「エロスの原理」
の再発見である。私はその作業を「祭りの再魔術化」と呼んでいる。祭りは「神とのイン
ターフェース」である。その「神とのインターフェース」を現実的に豊かなものにするに
は、「祭りの再魔術化」が必要である。私の言いたいことはそのことだが、そのことを願
いながら、皆さんにはもっとも身近かな上野公園の「ホト神さま」にご案内したいと思
う。
中沢新一が「アースダイバー」(2005年5月、講談社)で第9回桑原武夫学芸賞を
受賞した。2006年7月に京都で授賞式があったので、私も出席した。彼は言う。『 アメリカ先住民の「アースダイバー」神話が語るように、頭の中にあったプログラムを実
行して世界を創造するのではなく、水中深くダイビングをしてつかんできたちっぽけな泥
を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。』・・・と。
「アースダイバー」神話が語っているような作業について、中沢新一は『 気ままな仕
事に見えるかも知れない。でも、僕の抱える中心的な問題は全部含まれる。地底から縄文
の思考を手づかみすることは、歴史の連続性を再発見すること』・・・であると言ってい
る。
そうなんだ。私たちは、その地域の「歴史と伝統・文化」の奥深くダイビングをして泥
臭い何かをつかんできて、それを材料に身体をつかって新しい世界を創造していかなけれ
ばならないのである。そのために、中沢新一の「アースダイバー」に上野は花園稲荷神社
の「お穴様」がでてくるので、私は早速行ってみた。
「お穴様」には、上野公園の東京文化会館の南側の道を通って、西方向に歩いていく。
広い道に出るともうそこが花園稲荷神社の入り口である。
「お穴様」は花園稲荷神社の右後ろにある。
これが「お穴様」!
これは、狐の棲んでいた洞窟だという説明が一般的だが、違う。これは「お穴様」であ
る。何の穴かって??そりゃ決まっているでしょう。観音様ですよ! 穴観音! 立派な
祠もある。 お多福人形(講談社の「アースダイバー」より)
私は前節で、日本のディオニュソス的な神として「ホト神さま」の代表的ないくつを紹
介した。これら日本の「ホト神さま」や摩多羅神、さらにはシヴァ神に起源を持つ弁財天
や不動明王なども視野に入れて、私たち日本人にもなじみ深い神さまとして新たな「エロ
ス神」を創らなければならない。子供は社会の宝である。私たちは今こそ新たな「エロス
の神」を祀り、正しい人性を歩む努力をしなければならないのではないか。
私は「祈りの科学」シリーズ(4)の第2章で中沢新一の「モノとの同盟」という哲学
について書いた。中沢新一のこの新しい哲学のことを、私は「光と陰の哲学」と呼んでい
るが、その要点は次のとおりである。
ものごとには何ごとも両面がある。光があれば陰もあるし、物があれば「モノ」があ
る。「モノ」とは心のこもった物のことである。物とは単なる物質のことだ。
私は「両頭截断(りょうとうせつだん)」とよく言っているが,これはそういうものごとの
には必ず両面があるので、それにこだわっていてはいけないということを言っている。 哲
学的には二元論というが、そういう二元論を超えた世界、つまり一元論的認識の世界、そ
れが陰陽の世界である。両頭を截断した、つまり相対的な認識を超えた絶対的な認識(一
元論的認識)の世界である。私たちは陰陽の世界を生きているし、またそのことを日頃か
ら十分認識しておく必要がある。
中沢新一の「光と陰の哲学」、それは、ハイブリッド思想を支える哲学であり、モノ的
技術を支える哲学である。おそらく田邊哲学の系譜に属するものではないかと思う。
中沢新一は、その最新の著書『精霊の王』(2003年・講談社)のなかで、田辺元 (はじめ)
の哲学を「後戸(うしろど)の哲学」として絶賛している。輝かしい光を放っている前面の
哲学者は、いうまでもなく西田幾多郎(きたろう)である。しかし、田辺元 という「後戸の
哲学者」がいないと世界を変えるエネルギーは発生しない。世界を変える 実践のために
は「後戸の哲学者」が不可欠なのである。そのように説く中沢こそ、これか らの世界を
リードする「後戸(うしろど)の哲学者」であろう。私たちはもう一度「日本哲学」の源流
である西田哲学と田辺哲学をしかと見直して、中沢新一の「スピリット論」 を発展させ
ていかなければならない。
私たちは今こそエロスの神を信じて正しい人生を歩まないと「個人の幸せ」はおろか
「種の保存」すら危なくなる恐れがある。イギリスの医学ジャーナリストであるロイ・
リッジウェイという人の言うところによれば、「多くの子供から助けを求める悲鳴が聞こ
えてくる」のだそうだ(「子宮の記憶はよみがる」1993年1月、めるくまーる)。彼
はこのように訴えている。すなわち、
『 自分ではどうしようもない「死の恐怖」におびえているのだ。考えてもみたまえ!母
親が、女性が、そして多くの識者が、女性の身体の秘密を知らなさすぎる。懐妊の前のタ
バコや飲酒、あるいは情緒不安的な生活は、知能の低い子供とか五体不満足な子供を出産
する可能性が高いと言われているのに、若い女性でタバコを吸い酒に飲まれている人ある
いは生活が乱れている人が少なくないではないか。』と。
子供は社会の宝である。プラトンの「エロス論」はそのことをいちばん訴えているのだ
が、その子供はどんどん悪くなってきている。非正常な子供がどんどん増えているのだ。
出産後の育児も問題だらけではないか。例えば、蛍光灯は幼児に良い影響を与えないよ
うだし、少し大きくなってのパソコンゲームなんてものはもってのほかだ。コミュニケー
ションがうまく出ない子供が増えているのではないか。 子供は社会の宝である。私たち
は今こそ「エロスの神」を祀り、正しい人性を歩む努力をしなければならないのではない
か。
私は皆さんにエロスを大いに語ってほしいと思う。そうして、この第11節で紹介した
花園稲荷神社は上野公園の中にあり行こうと思えばすぐに行ける。是非お参りして「エロ
スの神」に想いを馳せてほしい。どのような人でも幸せにならなければならない。不幸な
人をこの世からなくしたい。誰でも喜んで死んでいけるような世の中にしたい。そのため
に、是非、みなさんにエロスを語ってほしい。
新しいエロスの神をつくり出す、そのための哲学が必要で、若手の哲学者にはおおいに
プラトンとニーチェの勉強をしていただいて、私たち素人にも判りやすくエロスの説明し
をてほしいし、是非、私たちともエロスについての対話をしてほしい。エロスこそ生きた
哲学である。対話のない哲学、学問という象牙の塔に閉じこもっているだけの哲学は死ん
だ哲学だ。そんなものはあっても無くても同じことだ。やはり哲学は人々の幸せに役立つ
生きた哲学でなければならない。「人は何のために生きているか?」「よく生きるとはど
ういうことか?」など、人びとが仕合せに生きる上での方法を、具体的に指し示す哲学で
ないと、生きた哲学とは到底言えない。若手の哲学者が生きた哲学を哲学するには、私が
思うに、私たち素人を相手に若き哲学者の対話が必要である。そのためには、まず、皆さ
ん方におおいにエロスを語ってほしいと思う次第である。
(2)弁財天や不動明王など
前章で述べたように、 摩多羅神は天台宗という特定の宗教に限っての神として存在して
いるが、エロス神は一般庶民に崇められるべき神である。第1節で紹介した「ホト神さ
ま」は縄文時代から続くところの野生の神である。今、ここでは、そういう野生の神では
なく、れっきとした仏教における神で、すでに多くの信者がいる弁財天や不動明王などを
紹介しておきたい。これらはすべてシヴァ教に起源を持つ神々である。
吉祥天(きっしょうてん)は、仏教の守護神である天部の1つ。もともとヒンドゥー教
の女神であるラクシュミーが仏教に取り入れられたもの。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神
の妃とされ、また愛神カーマの母とされる。今では七福神で唯一の女神は弁才天(弁財
天)であるが、当初の紅一点は吉祥天であったとも言われる。それが変じたのは、主に貴
族から崇拝されていた吉祥天よりも、庶民を主とする万人から崇拝されていた弁才天が一
般的であったためであろうと思われる。弁才天(べんざいてん)は、仏教の守護神である
天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名
である。サラスヴァティーは、芸術、学問などの知を司るヒンドゥー教の女神である。仏
教伝来時に金光明経を通じて中国から伝えられた。4本の腕を持ち、2本の腕には、数珠と
ヴェーダ、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャ
クの上、あるいは蓮華の上に座る姿として描かれる。白鳥・クジャクはサラスヴァティー
の乗り物である。
不動明王は不動尊とも呼ばれる。五大明王の筆頭にして大日如来の化身。サンスクリッ
ト語ではアチャラナータ(動かない者)。元々これはインドのシヴァ神の別名であった。
不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救
うために、忿怒の姿をしている。 インドで起こり、中国を経て、空海が日本に持ち込ん
だ不動明王であるが、インドや中国には、その造像の遺例は非常に少ない。日本では、密
教の流行に従い、盛んに造像が行われた。日本に現存する不動明王像のうち、平安初期の
東寺講堂像、東寺御影堂像などの古い像は、両眼を正面に見開き、前歯で下唇を噛んで、
左右の牙を下向きに出した、現実的な表情で製作されていた。しかし時代が降るにつれ、
天地眼(右眼を見開き左眼を眇める、あるいは右眼で天、左眼で地を睨む)、牙上下出
(右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出す)という、左右非対称の姿の像が増えるよう
になる。全国に不動明王を祀る寺院は実に多い。
なお、シヴァ教ゆかりの神は、そのほかにも日本に伝わってきているが、紙面の都合も
これあり、ここでは省略したい。関心のある方は、是非、いろいろ調べていただき、日本
型エロス神として語ってほしい。
(3) マイノリティーの生き方
ニーチェの反ソクラテス主義についてはすでに述べた。また、プラトンは、エロスにつ
いてソクラテスの間違いを正すために、「響宴」では、超人的な女性としてディオティマ
を登場させて、ソクラテスに説教せしめている。その内容はすでに述べたとおり、パラ
ドックス論理に貫かれており、反ソクラテス主義である。エロスに限って言えば、プラト
ンとニーチェは同じ感覚であると言ってよい。
さて、ニーチェは、「この人を見よ」のなかで「女性解放とは、女性失格者のいだく、
出来の良い女性への本能的憎悪である」と述べ、ニーチェはフェミニズムの敵であるとい
うレッテルを貼る向きもないではないが、それだけではニーチェの本当の考えを理解した
ことにはならない。ニーチェは、女性の弱点を十分理解した上で、「華やぐ知恵」のなか
で「君の立つところを深く掘れ。下には泉がある。下には地獄があると叫ぶのは蒙昧の徒
にまかせよう!」と言っている。このようなニーチェの言葉が、ラディカルなフェミニズ
ムを担う女性には、自分たちの活動への励ましのファンファーレとして響いたのである。
この辺の事情は、「魂と世界・・・プラトンの反二元論的世界像」(瀬口昌久、2002
年12月、京都大学学術出版会)に詳しく書かれているので、是非、それをご覧いただき
たい。
すでに述べたように、プラトンは、『 エロスは偉大な神でかつ美しき者に対する愛な
どと考えてはならない。そんな考えに立っていると、エロスは美しくもなければ善くもな
いことになる。したがって、美しくもないものは必然的に醜いとか、善くないものもまた
同様に悪いとかいう風に考えてはいけない。』・・・と考えている。プラトンの哲学は、
反二元論的なパラドックス論理に貫かれているのである。すべての人びとの生きる価値を
認めて、「よく生きること」に必要な処方箋を指し示している。マジョリティーのみなら
ず、マイノリティーも「よく生きること」ができる。それがプラトンのいちばん言いたい
ことだ。
「よく生きること」の大原則についてはすでに述べた。 ニーチェは、「何人も自分自
身で善悪を考え、自分の階段を一歩一歩高みに向かって登っていくこと」が、「力への意
志」を生きることだと、教えているが、この点はプラトンとニーチェの考えはまったく同
じである。自分自身で善悪を考え、自分自身の道を一歩一歩高みに向かって歩んでいかな
ければならないのである。実は、そのときに大事なのは、対話である。もちろん、いろん
な人との話を聞くことは大事である。しかし、プラトンがソクラテスに教えられたところ
によると、しょせん私たちの持っている「知」は、「人間なみの知」であって、「ほんと
うの知者は神だけ」なのである。そういう認識を「無知の知」というのだが、できれば
「内なる神」との対話をやりたいものだ。
それでは、この点につき、プラトンがどう言っているか、それを見てみたい。藤沢令夫
は、その著「プラトンの哲学」(1998年1月、岩波書店)で次のように書いている。
すなわち、
『 プラトンはやがて人間の思考の本質を、魂の内なる対話と規定するようになる。「魂
の内において魂が自分を相手に声を出さずに行う対話(ディアロゴス)・・・まさにこれ
がわれわれによって思考と呼ばれるようになったのだ」(ソピステス)(テアイテト
ス)。
そもそも言葉を語るということは、声を出して語る場合も心の内なる独語(「内なる
声」)の場合も、その言葉を自分で聞くことであり、その言葉に他人が反応するのと同じ
ように自分も反応することである。語り手が同時にその聞き手でもあるという意味におい
て、言葉(ロゴス)は本来的に対話的な本質・・・これを「ロゴスのディアロゴス性」と
呼ぼう・・・を持っている。
マイノリティーはマイノリティーとしての、今を生きるその生き方というものがある。
その際に大事なのは、「内なる声」との対話である。「ほんとうの知者は神だけ」なので
あるから、「内なる神」の反応がある。「内なる神」との響き合いがある。それによって
人間誰もが「今を生きるその生き方」ができるのである。他者の声というものはしょせん
「人間なみの知」でしかないので、あまりあてにはならない。「内なる神」と声を聞かな
ければならない。ここでひとつ注意すべきことがある。神というものは「さよう!さよ
う」としか言わない、ということだ。 形而上学的には、これをディオニソス的肯定という
のだが、この点につき、西尾幹二は、その著「日本文明の主張」(西尾幹二、中西輝政、
2000年12月、PHP研究所)のなかで、『お伺いを立てられた神は、「かくかくせ
よ」という命令を発することはしません。』の書いている。
私は、「祈りの科学シリーズ(1)・・・100匹目の猿が100匹」(2012年5
月、新公論社、電子出版)で「内なる神」のことを書いたが、間違いなく「内なる神」は
存在する。これは最新の量子脳力学の立場に立てば、科学的に言えることである。「内な
る神」との響き合い(量子レベルでの共振現象)は確かにあるのである。したがって、マ
ジョリティーはマジョリティーなりに、またマイノリティーはマイノリティーなりに「内
なる神」との響き合いはできるのである。マイノリティーといえども、卑下することはな
い。「内なる神」に祈りながら、自信を持って「今を生きるその生き方」を生きればいい
のである。「プラトンのエロス」はそのことを教えているのだと思う。
ではこの節の最後に、プラトンの病気論を紹介しておきたい。角田孝彦は、その著「プ
ラトンをめぐって」(1995年4月、北樹出版)のなかで、プラトンの病気論について
次のように書いている。すなわち、
『 人間の悪さはかかる身体機能の悪さと教育の悪さによって紡ぎ出されるものであっ
て、けっして当人の責任ではない。こういう立場をプラトンは明言する。』
『 人間は悪の責任を自己(理性)に負わないということを額面通りに受け止めるべきで
なく、自己克服の責任、悪からの脱却の責任が理性に課せられていると考えるべきであ
る。』
『 ポリスの制度は、人間の魂の自己形成に手を貸すことである。』
『 身体の健康(一応病気でない状態という消極的意味での健康)だけでは、けっして魂
の病気から脱出は果たされない。身体の真の健康(それは単に病気でないという状態では
なく、人間の魂の弱さを見つめ、克服しつつ高みへの跳躍を日々行う人間のあり方、この
境位での魂の乗り物としての身体の健康)とは、善き教育を魂に、そして魂を媒介として
の身体を施すこと、かくて自己の形成においてしか達成されないのである。』
『 プラトンにとっては、人間を本当の意味で健康にすることが哲学の軸であった。そし
て、病気への傾動をもって人間を救済すること、病気の渦中にある現実のポリスを神的原
型にもとづいて再建すること、この二つの大事業に就くことのできたソクラテス・・・か
くて彼は真の医者である・・・だけであるとプラトンは確信していた。ひとえに、プラト
ンの哲学は、人間という生来の弱き、病める生き物の救済としての教化活動以外の何もの
でもなかった。しかも、このことは、人間をミクロコスモス、宇宙をマクロコスモスとす
る考えに支えられて成就するものなのである。』・・・と。
マイノリティーが「今を生きるその生き方」ができるためには、何と言っても本人自身
の自己克服の努力が欠かせないが、同時に弱者に対する社会の教化活動も欠かせない。そ
れがプラトンのエロス論の大事なところでもある。マジョリティの思いやりも大事であ
る。
マイノリティの守護神は不動明王である。右手に「降魔の剣」を持ち憤怒の表情を浮か
べる恐ろしい魔神だが、その御心は慈悲に満ち溢れている。その背後には数々の煩悩や災
いを焼き尽くす火焔を背負う。左手に持つ羂索は悪心を縛りつけるためのもので、弱者救
済の象徴ともなっている。また、数多くの眷属を従えており、中でも八大童子が有名。
私は、マイノリティには、弱者救済の神・不動明王に「祈り」を捧げることをお勧めす
る。お不動さんでいいんですよ!
小さなほこらにもお不動さんが!
第9章 民主主義の原点
星川淳によれば(『小さな国の大いなる知恵』、ポーラ・アンダーウッド/星川淳、1
999年、翔泳社)、アメリカの建国の父といわれる人たちは、初代から第5代の大統領
に到るまで、インディアンのイロコイ族の影響を受けており、アメリカの独立宣言やその
憲法には、イロコイ族の思想が色濃く反映されているという。合衆国憲法制定会議の起草
メンバーたちは、「インディアン・クイーン」という居酒屋で熱い論争を交わしたとい
う。そして、アメリカ建国の足どりはイロコイ族に「手を引かれるようにして」進んだの
である。
「トクヴィル、平等不平等の理論家」(宇野重規、2007年6月、講談社)という本が
ある。それによれば、フランスの偉大な政治家・トクヴィルは、アメリカ建国期のあと大
した政治家がいないのに、アメリカという国がそれにもかかわらず問題なく動いている、
という事実に驚いたらしい。すなわち、アメリカの政治体制は、かならずしも政治家の個
人的有能さに依存せずに運営されているという事実こそ、トクヴィルが着眼したポイント
であった、それが宇野重規の見立てでもある。その原動力は、上記の著書では「タウン
シップ」と呼んでいるが、私の言葉でいえば「地域コミュニティのデモクラシー」にあ
る。アメリカのデモクラシーは、建国の父たちがアメリカインディアンの影響を強く受け
たところに出来上がった。アメリカのデモクラシーはボトムアップで出来上がっているの
である。今でもポートランドでは草の根民主主義が盛んだ。民主主義の原点は草の根民主
主義にある。
ひとつの例を紹介しよう。2011年11月にポートランド市の新総合計画が策定され
たが、1月から6月までの半年にわたる市民による検討期間の間に、計画局のスタッフが
出席する市民との対話集会が80回以上ひらかれた(3人以上の市民からの要請があれば
説明に出向く)。そのほか、各高校の集会所で都市計画委員会主催のタウン集会が9回、
市民総会が2回開催された。このような長期にわたる多様な参加の機会を通じて表明され
た多数の市民の意見をとりいれて、都市計画委員会は新総合計画素案を作成した。この素
案について、都市計画委員会は8回の公聴会を開き、そこでの意見をとりいれて修正案を
つくった。
また、ポートランドエリアにはメトロ(Metro)というまことにユニークな組織がある。
このメトロはアメリカ合衆国オレゴン州ポートランドエリアの住民による直接民主制で運
営される地域政府で、ポートランドメトロポリタンエリア内のクラッカマス郡、マルトノ
マ郡、ワシントン郡の25の市、130万人以上の住民に地域的なアプローチとして、公園の
手入れ、土地の最大活用、ごみの処理の管理とリサイクルなど、開かれた空間を保護する
事業を展開。公共交通システムの調整などのサービスも提供している。連邦政府、オレゴ
ン州政府からも独立した、アメリカ唯一の選挙民に承認された自治憲章をもち、住民の直
接的な投票によって、課税権までも保持するに至った世界でも珍しい先進的な地域政府で
ある。
メトロの本部
ポートランドでは市電(ライトレール)網が発達している。
ポートランドの公共交通機関は、都心部料金ただ。乗り放題。
そのポートランドからポートランド州立大学のスティーブ・ジョンソン教授が日本に来
られて、東京講演をされた。
ポートランド州立大学・・塀のないキャンバス
(娘の卒業した大学)
スティーブ・ジョンソン教授の講演の貴重な記録が環境総合研究所の鷹取敦・調査部長
のブログに掲載されているので、ここにその主な内容を紹介しておきたい。鷹取敦氏には
この場を借りて厚く感謝申し上げる。そして、鷹取敦氏はすばらしいブログをお持ちであ
るので、鷹取敦氏に敬意を表しながら、それをここに紹介させていただく。
http://eritokyo.jp/independent/takatoriatsushi-col1.htm
スティーブ・ジョンソン教授の講演内容(要旨)は以下のとおりである。
社会を安全で安心なものにするためには、政府に依存して「ハードウェア」的な施策で
は税金の支出が増えるばかりで決して快適なものにはならず、市民参加を進めることによ
り政府への依存度を増やして、主体的な社会を作る必要があることが述べられ、全米の市
民参加は近年、特にTVの普及以降、低下しつつあることが紹介された。ボランティアそ
しきの数も、パブリック・ミーティングへの参加者も1960∼70年代をピークに、年々低
下の傾向を示している。これに対して、オレゴン州・ポートランドでは、3000の市民
団体が活動しており、15人に1人が何らかの市民団体に参加して活動を行っており、若い
人、起業家の活動もより行いやすい基盤があるという。
市議会の様子。
ポートランドの市議は市長を含めて5人だけ(前に並んでいる人)。
多数の市民がつめかけて、次々に発言する。
ボランティアも含めて市民参加が一般的なので、議員が少ないのでしょうか?
そもそもアメリカの民主主義は、 Wisdom of Commons(集合智)、すなわち 市民の
智恵を集めることにより人々が協働することができればうまくいくのだという考えに立脚
しており、それがうまくいかなければ規則依存、官僚依存、税金依存に陥ってしまうとい
う。
政治的なリーダーシップは必要だが、そこで求められるのは独善的なリーダーシップで
はなく、市民参加を促すようなものでなければならないということである。多くの市民、
数千人、数万人が参加するのはこれまでは困難だったが、ICT=情報通信技術によって全
員参加による意志決定が可能となる。ジョンソン氏の表現によると、ここで重要になるの
はハードウェアではなくソフトウェアである。政府・行政がなにからなにまでやるのは
ハードウェアによるものであり、政府は市民参加のための意志決定の交通整理を行うだけ
で、実際の意志決定は市民が行うのがソフトウェアによるものである。
治安の分野でいえば、ハードウェアが警察力に頼ったものであり、ソフトウェアは地域
社会を充実させるものである。またごみ問題では、焼却によって何でも燃やしてしまいま
すよというのがハードウェアであり、市民が自分たちの問題としてごみ問題をとらえリサ
イクルをしていくのがソフトウェアによる解決であるという。
注:鷹取敦氏は、ごみ問題に関するソフトウェアによる解決方法として、ノバスコシア
州の取り組みを次のように紹介されている。
http://gomibenren.jp/novascotia/nova-summary-2006.html
情報通信技術(ICT)が市民参加のための重要なツールであるといっても、もちろん現
状では課題がある。インターネット、ブロードバンドの普及率は、年代、所得、教育によ
り、米国内では大きな格差(いわゆる「デジタル・デバイド」)があり、これを埋めるた
めの活動も行われている。また、教育環境が恵まれてない人は、同じインターネット環境
を手に入れていても市民参加のツールにするのではなく、チャットのようなものにしか使
わない傾向があるという。一方で、NGOがインターネットを活用する割合は近年急激に
伸びており、その有用性は明らかである。
もう1つの課題として示されたのが、インターネットは「両刃の剣」であるということ
である。すなわち、インターネットが物理的な境界を取り除き、広く世界へ関心を広げる
一方、利用者が得る情報は利用者の価値観による選択的なものになりがちである。また、
自分たちの地域・コミュニティへの関心が薄れ、インターネットを通じてのみ世界と接し
がちな、ある種の「ひきこもり」となる危険性も指摘された。グローバルな問題への関心
が広まっても、ローカルなことへの関心が薄れ、隣家の人との絆を弱めてしまっては、コ
ミュニティに取って逆効果となってしまう。(注:この問題が「コミュニティーのパラ
ドックス」であるが、これについては次章でとりあげる。)
これまで発表の場を持たなかった人々がインターネットによって、意思表明をすること
が出来るようになった。また、NGOなどの組織の構成はより緩やかとなっていく。
(注:グローバル化するのである。)例えばインドネシアの津波被害に対しては、救済の
ための組織が急速に増加し、組織間のつながり・ネットワークも増えた。組織というより
むしろネットワーク化された個人が増えるだろうという。インターネットによる意思表明
は発表することで対話を怠る傾向はあるものの、8才のガンに苦しんだ少女のサイトによ
り、半年で6億円もの資金がガン研究のための基金として集まったというのはインター
ネット無くしては有り得ない。ブロードバンドの普及率が上がっていけば、インターネッ
トによるコミュニケーションの質そのものが変化する。(注:これがコミュニティーパラ
ドックスを生むのである。)
Wisdom of Commons(集合智)のツールとして、Wikipedia、RSS feeds等が紹介さ
れ、インターネットがロングテールへの到達を可能にしたことなどにも言及された。ロン
グテールへの到達は、amazon などの物品販売だけでない。同じ変化を志す人とつながる
ことが出来るオープンで緩い連携も可能とするという。
スティーブ・ジョンソン教授の講演(要旨)は以上であるが、それを聞いた鷹取敦氏
は、『「市民参加」とは民主主義のあり方そのものであろう。「市民参加」とは単に制度
の問題ではないし、当然、ICT(情報通信技術)の「ハードウェア」的な仕組みの問題で
もない。参加する意志のない市民、すなわち主体的な市民のいない社会には「市民参加」
は存在しないし、本当の意味での民主主義は存在しないことになる。』・・・と言ってお
られる。そうなのだ。ここがいちばん肝心なところである。
私たちは、今こそ、ポートランドの草の根民主主義に習って、本当の意味での民主主義
を育てていかなければならない。ポートランドは私の憧れの地である。そのポートランド
の草の根民主主義を取り上げていただき、こういう正論を吐いていただいた鷹取敦氏に重
ねて御礼を申し上げる。
ポートランドといえば自転車天国だ
ポートランドの桜並木
ポートランドの路地文化
第10章 ポピュリズムのゆくえ・・・対話と地域コミュニティ
ジグムント・バウマンの「コミュニティ・・・安全と自由の戦場」(訳者奥井智之(奥
井友之)、2008年1月、筑摩書房)という本がある。サブタイトルの「安全と自由の
戦場」という意味は、「安全と自由という二律背反的なものがせめぎあっているところ」
という意味であるが、この本はコミュニティを考えるのに必読書かと思われるので、それ
を下敷きにしながら、以下に私独自のコミュニティ論を説明したい。まず上記著書の冒頭
に人びとの描いているコミュニティのイメージを次のように述べている。すなわち、
『コミュニティは「暖かい」場所であり、居心地がよく、快適な場所である。それは、
ひどい雨から身を守ってくれる屋根のようなものであり、凍えるほど寒い日に手を温めて
くれる暖炉のようなものである。外では、街路では、ありとあらゆる危険が待ち構えてい
る。外出に際して、油断は禁物である。こちらから話しかける人、向こうから話しかけて
くる人に用心しなければならず、片時も警戒を怠ることはできない。しかし、内では、コ
ミュニティでは、私たちはリラックスできる。ここは安全で、暗い街角で不気味に迫って
くるさまざまな危険とは無縁である(たしかにここでは「闇の曲がり角」はほとんど見い
だせない)。コミュニティにおいて、私たちはみな互いに良く理解しているし、耳にした
ことは信用でき、たいていは安全である。当惑したり、困惑したりといったことは、ほと
んどない。私たちは、互いに決して「よそ者」ではないのである。時にはケンカをするこ
ともある。しかしそれは友好的なケンカであって、みなで、自分たちの一体性をこれまで
もより高め、楽しいものにしようとしているだけである。その一方で、協力して自分たち
の生活を改善したいという願いを共有しながらも、どうするのが一番良いかについて、意
見が一致しないこともある。しかし決して互いの不幸を願うことはなく、他のメンバーす
べてが自分の幸福を願っていてくれると信じることができるのである。
さらに言えば、コミュニティでは、互いの善意を期待できる。つまずいたり倒れたりし
ても、他のメンバーが、立ち上がるのを手助けしてくれる。からかったり、無様だとあざ
けったり、相手の不幸を喜んだりする者は、だれもいない。もし間違いをしでかしたとし
ても、必要ならば、打ち明けて、説明し、謝罪し、悔悟することもできる。人びとは共感
を持って話を聞き、許してくれる。結果として、ずっと悪意を持ちつづける者などいない
のである。そして悲しいときには、いつも誰かが手を握ってくれる。』・・・と。
そして、バウマンはその後で、『「コミュニティ」は、今日では失われた楽園の異名で
はあるが、私たちはそこに戻りたいと心から望み、そこにいたる道を熱っぽく探し求めて
いるのである。』と言っている。すなわち彼は、コミュニティとは「想像のコミュニ
ティ」であっていわばユートピアみたいなものであり、「既存のコミュニティ」はそれと
はほど遠いと言っているのだ。そして彼は次のように言う。すなわち、
『コミュニティを失うことは、安全を失うことを意味する。コミュニティを得ること
は・・・たまたまそんなことがあればだが・・・即座に自由を失うことを意味する。安心
と自由は、ともに等しく貴重かつ熱望される価値であるが、それらは、善かれ悪しかれバ
ランスを保っているが、両者の間で調和が十分に保たれて、軋轢の生じないことはめった
にない。』
『安心と自由の間の論争は、そしてまたコミュニティと個別性の間の論争は、解決がつき
そうもないものであり、今後も長い間続くものと思われる。』・・・と。
そうなのである。私の問題意識はまさにそこにあって、現実には難しくとも、そういう
理想のコミュニティに向かって努力することが肝要である。私は、バウマンが楽園の異名
といったり、ユートピアみたいなものといったり、「想像のコミュニティ」といったりし
ている地域コミュニティを、マイノリティを救済するNPOが存在するという大前提で、私
たちが現実に目指すべき理想のコミュニティと呼ぶことにする。私は、バウマンが言うよ
うに、地域コミュニティからはじき出されるマイノリティが出てこざるを得ないが、マイ
ノリティが助けを求めて逃げ込む避難所がどこかにあれば、その地域社会は健全で慈悲に
満ちていると思う。私たちはそういう理想的な地域社会を「地域コミュニティ」を中心に
創り上げていかなければならない。民主主義の原点は草の根の民主主義であり、ポピュリ
ズム(大衆主義)にもとづき民主主義を進化させるには、地域コミュニティにおける草の
根民主主義が不可欠である。しかし、その地域コミュニティには、別途マイノリティーの
「駆け込み寺」のようなNPOが存在するというのが大前提である。
ところで、人びとが幸せにイキイキと生きていくには、何よりも政治が大事だと考え、
そのために哲学の大系を作り上げた人はプラトンである。その後偉大な哲学者が出てはい
るが、すべてプラトン哲学の部分的な脚注だと言われている。私は今の日本の政治を ポ
ピュリズム(大衆主義) であると肯定的に捉えながら、その「ゆくえ」を心配してい
る。今上述したように、民主主義の原点が草の根民主主義にあるとすれば、民主主義がど
うなるか、 ポピュリズム(大衆主義)がどうなるか、そのゆくえはひとえに地域コミュ
ニティが今後どうなっていくかにかかっている。地域コミュニティの有り様次第である。
かかる観点から、第10章では「ポピュリズムのゆくえ」を考える際の基本的な問題とし
て「対話と地域コミュニティ」という問題を取り上げた。プラトンの考えからいえば、ま
ず政治家が問題提起をし、それをもとにさまざまな対話が起こるのであって、対話の原点
には政治家がいる。したがって、政治家たるものは、地域の人々の幸せのために欠かすこ
とのできない問題についてはそのための政策を発信しなければならない。私は第1章第6
節で、『政治家は、企業がそうであるのと同じように、良い政治商品を一般大衆に提供し
ていけば良いのである。それがポピュリズムの本質だ。』と申し上げたが、市場経済下に
おけるポピュリズムが成功するかどうかは政治家の質にかかっている。政治家は天下国家
の事も考えねばならないし地域コミュニティの事も考えねばならないが、何よりも大事な
のはプラトンがいうように「哲学」である。プラトン以降政治を語った哲学者は見受けら
れない。政治を語った偉大な哲学者はプラトンをおいてほかにないのである。かかる観点
から、「ポピュリズムのゆくえ」を探る上でプラトン哲学が不可欠と考え、この本ではプ
ラトンを中心として思索を重ねてきた。プラトン哲学の心髄はエロス論であると思う。で
は、プラトンのエロス論がどのように「ポピュリズムのゆくえ」と関係してくるのか?
地域コミュニティというものは、必ずマイノリティがでてくる。これは避けられない。
地域コミュニティはマジョリティの住み良い地域社会のことであり、そこからはじき出さ
れたのがマイノリティであるから、地域コミュニティの問題を考える際には、マジョリ
ティとマイノリティがともにイキイキと生きていけるような社会構造というものが問題と
なる。したがって、政治家と住民はともにこの問題を考えて対話を重ねていかなければな
らない。
私たちは身体を生きているが、それはとりもなおさず「エロスの原理」によって生き
ていることに他ならない。主体がすべての対象と向き合うとき、その対象が女性であれ男
性であれ、自然であれ、神であれ、すべての場合、「エロスの原理」が作用する。このこ
とは上述したとおりである。だとすれば、マジョリティとマイノリティがともにイキイキ
と生きていくための原理として「エロスの原理」は考えられなければならない。「エロス
の原理」のもとづく社会構造とはどのようなものか? そこが問題で・・・・、この本の
主題はそこにある。「エロスの原理」を考えないと「理想的な地域コミュニティ」は作れ
ないというのが私の基本的な考えである。
私は、これから人びとがイキイキとした生活をしていく上で、地域の人々に求められる
知性として「エロス」が基本的に大事であると思う。「エロスの原理」は、差異を認めた
上でそれを乗り越える原理である。愛、善、慈悲を生じせしめるものは「エロスの原理」
である。愛、善、慈悲は、自分自身が「対象」に働きかけてはじめて、「自分と対象との
響き合い」が起こり、その現象の中で生成される。まず「対象」を見つけてそれに向かっ
ていかなければならない。そういう志向性の中に愛、善、慈悲は生成される。
地域コミュニティにおける対話は民主主義の原点である。ポートランドがその模範だ
が、数多くのNPOがあり、政治家と住民の対話が大変うまくいっているので、地域コミュ
ニティがうまく機能していれば住民はイキイキと生活ができる。ポートランドは参考にす
べき点は多いと思う。しかし、理想をいえばその他にも考えねばならない事がある。 現
実には難しくとも、 理想的な地域コミュニティを作るために私たちは努力をしなければ
ならないのである。私が考える努力の方向は、三つある。ひとつは「地域通貨」である。
「地域通貨」については、「祈りの科学シリーズ(6)「地域通貨」で詳しく述べた。地
域通貨は、私が地域コミュニティにおける「信頼切符」と読んでいるもので、地域コミュ
ニティに信頼関係ができていれば、その発行は容易である。また逆に、最初は有志で小さ
く始めたとしても、そのうちに地域コミュニティ全体に広がり、地域コミュニティの信頼
関係が醸し出されていく。そういう可能性を持ったボランティア経済というか贈与経済に
おける通貨である。地域通貨は地域コミュニティを作り上げていく上でもっとも大事なこ
とがらである。努力すべき二つ目はマイノリティを支援するNPOが地域コミュニティに多
数あることであり、三つ目は、「エロスの神」が地域コミュニティ或いは域外に多数存在
することである。まず「地域通貨」から話を始めたい。「地域通貨」については、「祈り
の科学シリーズ(5)」(平成24年5月、新公論社、電子出版)で詳しく書いたが、そ
の要点は以下のとおりである。
第1節 地域通貨
(1)地域通貨の経済的側面
国際経済の第一人者・浜矩子が2010年のVoice九月号に、通貨不信の現状と行方に
ついて書いた。浜矩子が言うように、ギリシャ問題の発生で世界のユーロ離れが著しい上
に、ドルもまた景気の二番底懸念が深まる中で大きく売り込まれている。そのあおりを受
けて、円が 実力なき高騰に見舞われている。浜矩子は、二年前に金融大激震で始まった
恐慌ドラマは、いよいよ通貨大波乱の幕を迎えるに至ったと言っているのだ。彼女は通貨
大波乱の現状を歴史的観点から的(まと)を得た分析をしているのだが、その行方につい
ては、21世紀的解答を考えねばならぬと言っている。
通貨大波乱の21世紀的解答とは何か???浜矩子は、どうしても「地域通貨」に一つ
の解答を見いだしたくなると言っている。驚きだ!!!ここに「地域通貨」が出てくなん
て!!!浜矩子は、国家の枠組みが力を失う時代であれば、従来は国家のなかに封じ込め
られていた地域共同体の存在感を強めておかしくないだろうと言っているのだ。
浜矩子は、今起っている恐慌は、ソブリン恐慌といって国の財政破綻に起因する恐慌で
あり、今までの恐慌概念とはまったく状況の違う経済現象だと言う。アメリカの財政破綻
も深刻で、もはやドルは世界の基軸通貨にはなり得ない。だとすれば、これから世界の基
軸通貨になる通貨を持つ国はあるのか? 彼女は無いという。私も無いと思う。世界の基
軸通貨が存在しないでは、世界経済は混沌として、世界はまさにグローバルジャングルに
なってしまう。これから私たちは、そのグローバルジャングルの中をどう歩いていけば良
いのか? 彼女の問いかけはそういうことであって、彼女は「地域通貨」に一つの可能性
を見るようになったという次第である。
さて,経済学者の大物・玉野井芳郎が、著書「地域主義の思想」(昭和54年12月、
農山漁村文化協会)に掲載された中村尚司との対談の中で、地域通貨について語ってい
る。これは貴重な出来事であったと思うので、やや古いものではあるがその部分をここに
紹介しておきたい。
玉野井:ところで、地域と地域との関係、あるいは地域と外部世界との関係のあり方とい
うものが、開かれた地域主義にとってはたいへん重要な問題ですね。
中村:確かに、日常的な範囲内だけの付き合いとか生活だけに、人間は満足できるもので
はない。一度は外の世界に飛び出したい。(中略)そこで地域と外部世界との関係として
は、商品や財を地域を越えて動かす、とくに遠隔地間で動かすということはなるべく抑え
る。そのかわり人間が地域を越えて動く、それも労働力として動くのではなく、文化の担
い手として動けるシステムを考えていく必要があるのではないか。
どの一つとして、さきほどの地域内通貨と域外通貨を分けることも大切だと思います。
域内通貨をどの範囲で設けるかは一概に言えないけれど、なるべく通貨の流通範囲を狭く
して、しかもなるべく交換手段としてのみ使われるようにする。今日のサラリーマン金融
のように、まったく知らない人のところへ、つまりもっとも信用のないところに信用が展
開されていくというのではなく、信用というのはやはり人格的なものに結びついて行なわ
れるべきだという意味からも、貨幣の流通範囲をできるだけ狭くしていくことが望ましい
と思っているのです。
玉野井:一国の中に複数の通貨が流通するという形は、地域主義の考えから当然出てきま
すが、経済学者の中でもたとえば、ハイエクなどがすでに主張しているところですが、通
貨の発行を中央が独占しないで、いくつかの地域に分散させる。そして、その交換割合は
各地域にそれぞれ決定させるというやり方は、理論的にもすでに何人かの人々によって提
唱されている訳です。
また、通貨をなるべく交換手段として使う、つまり貨幣の資金化をコントロールすると
いうことは、上から包括的に市場の一般理論として考えた場合には不可能に近い。地域市
場と全国市場がフラットに結びついて一つの国民経済になっているような場合には、如何
しても貨幣は利子を生む資本になってしまう。やはり、各地域の自立および地域内の経済
循環が進展してくるにつれて、そういう問題の扱い方もはっきりしてくるのではないかと
思います。(中略)
通貨の地域内循環を拡大させていくということが、さきほどの通貨発行権の分散化と併
せて重要な問題だと思いますね。
中村:(中略)欧州共同体ではいま、国境を越えて流通する新しい通貨をつくりだそうと
している。このことの意味は、日本ではよく理解されていないようなのです。ポンドとか
マルクとは別個の新しい共通通貨をつくり出すことによって、国民貨幣の地位を弱めると
いう効果がかなりあると思うのです。同時に地域単位の通貨ができれば、さらにいいので
はないかと考えている訳です。
玉野井:貨幣に二つのカテゴリーがあるということは、理論的にも明らかにされつつあり
ます。ドイツの19世紀末の経済学者シュルツは、「貨幣の生成史」で、貨幣の発生の仕
方に二種類あるということを書きました。それに刺激を受けてマックス・ウェーバーが、
「内部貨幣」と「外部貨幣」という区別をそこから引き出したのです。
「内部貨幣」というのは共同体の内部で使われる貨幣、それに対して共同体の外から、共
同体を壊す形でだんだん発展してきたのが外部貨幣で、通常われわれが貨幣として考えて
いるものです。
玉野井芳郎と中村尚司との対談は以上のとおりである。
(2)地域通貨の哲学
地域通貨は、閉塞感に満ちた今の世の中を打開する起爆剤になるかもしれない。私はそ
んな感じを持っていて、わが国でも何とか地域通貨を根付かせたいと考えている。
「エンデの遺言」のあと、雨後のタケノコのように全国各地で地域通貨が誕生したが、
私の知る限り、成功例は一つもない。どれもこれもお遊びみたいなもので、通貨としての
機能がない。通貨というからには、日常消費するものがある程度買えないといけないので
はないか。日常消費するもっとも代表的なものは野菜だが、野菜が買えないような地域通
貨はダメだと思う。農業のバックアップが必要なのだが、それが難しいらしい。
経済には、市場経済と贈与経済がある。市場経済があまりにも強すぎて、現在、贈与経
済がかすんでいる。しかし、贈与経済については、現在も宗教活動などが行われている
し、今後、各種ボランティア活動を増やしていかなければならない。 ボランティア活動の
活性化方策、それが今わが国におけるいちばんの問題だが、多くの人が都市に住んでいる
ので、やはり、日本全体のことを考えると、都市住民が望むボランティア活動というもの
が大事である。となると、都市住民の希望というものを考えね ばならない。今、わが国
において、都市住民は何を望んでいるか? それが問題だが、私は、経済的な側面という
より、むしろ森岡正博のいう「生命的な欲望」に光を当て、できるだけ多くの人がイキイ
キと暮らしていけるように、そのための「場」、 今ここでは宗教活動の場はちょっと横
において、「 都市におけるボランティア活動の場」というものをおおいに創っていかなけ
ればならないというのが私の考えだ。都市におけるボランティア活動を如何に活性化させ
ていくか、そのことを考えねばならない。そのためには、ボランティア活動を支える、地
域通貨の哲学的な意味合いをはっきりさせなければならない。地域通貨の哲学である。
地域通貨はさまざまなボランティア活動の経済インフラである。その哲学的な意味合いが
多くの人に理解され支持されれば、いろいろなボランティア活動が活性化し、「贈与の連
鎖」が起って、イキイキとした世の中になるんではなかろうか。私はそういう期待を持っ
ているのである。
今までも地域通貨については、いろいろと書いてきた。しかし、そのほとんどは,経済
的な観点からのもであった。すなわち、現在のように市場経済だけでは格差は拡大する一
方であり、それを緩和するために、なんとか贈与経済の部分を入れ込んで混合経済の状況
を作り出さないといけないのではないかというのがその主な論点であった。
今回ここでは、そういう経済的な側面でなく、哲学的な側面から地域通貨の問題を論じた
いと思う。
ところで、欲望については、森岡正博の「無痛文明論」(2003年10月,トランス
ビュー)の分類に従って考えるのが哲学的には良いようだ。彼は、欲望を「身体的な欲
望」と「生命的な欲望」に分けているのだが、「身体的な欲望」はどちらかといえば先天
的な欲求、「生命的な欲望」はどちらかといえば後天的な欲と理解していいかもしれな
い。マズローの欲求五段階説または欲求七段階説というのがあるが、それらの説では、欲
求と欲望の区別がしていないので、哲学的な論考がやりにくいように思われる。私の理解
では、欲求とは先天的な欲のことで、欲望とはそれに後天的な欲が加わったものである。
「生命的な欲望」には、先天的な欲のほか後天的な欲があるが、その境目のところで、先
天的な欲が後天的な欲に変化する場合がある。「生命的な欲望」というのは大変微妙なも
ののようだ。
仏教の教えでは百八の煩悩があるというが、たしかに人間の 欲望には切りがないよう
だ。それに対抗するのが森岡正博のいう「生命の欲望」だ。
「生命の欲望」に「補食の欲望」というのがある。森岡正博の説明は以下の通りであ
る。すなわち、
『 自分が成功したり、何かを手に入れるためだったら、他人を踏み台にしてもかまわな
いと思ってしまう本性が、人間にはある。私はこれを「自己利益の本性」と呼んできたが
(拙著<引き裂かれた生命>2001年)、この本性を支えているものが「身体の欲望」
である。中略。それは、他人が持っているエネルギーや養分や願いのようなものを、この
私が吸い取って、私の一部分にしたいという衝動である。ちょうど、おいしそうな動物を
捕まえてきて、料理し、それを食べようとするときの、ぞくぞくするような興奮と充実感
のようなものを、われわれは、他人が犠牲になるときに、味わっているのではなかろう
か。』
『 私は思うのだが、この根深い「補食の衝動」のエネルギーを利用して、「身体の欲
望」を「生命の欲望」へと転轍する(てんてつする。レールでポイントを切り替えるよう
にガチャンと切り替える)ことができないだろうか。「補食の衝動」は、他の人間や生命
体から、エネルギーや栄養分や願いを奪い取ってきて、自分の中に取り込んで、自分の一
部にしたいというものである。このときに、相手を犠牲にするようなかたちでその補食を
すると、それは「身体の欲望」の満足へと繋がっていくのであるが、そうではなくて、あ
いてもまた承諾するかたちでこの補食を行った場合にはどうなるのか、ということ
だ。』・・・と。
私は,森岡正博のいう「補食の欲望」というものに着目することとしたい。といって
も、問題の焦点は「補食の欲望」を「生命の欲望」に転轍するということであって、その
可能性を考えてみたいという程度のことだ。
まず、拠り所になるのは,モースの贈与論(1962年6月,勁草書房)である。 それ
を読めば良く理解できるかと思うが、贈与には心がこもっているということだ。心、それ
は、贈り手の霊的実在の一部であるが、それが贈与物の霊的実在と一緒になって受け手に
手渡されるということらしい。贈与物の霊的実在は、モースの贈与論ではマオリ族の「ハ
ウ」として説明されているが、わが国の伝統文化に照らしていえば、中沢新一のいう「タ
マ」のことである。以下において,説明の都合上、私は、人の霊的実在を魂(タマシイ)
と呼び、物の霊的実在を「タマ」と呼ぶことにする。贈り手の魂は贈与物の「タマ」を引
き連れて受け手の魂のところに行くのだと考えれば理解しやすいのではないか。私はその
ように理解している。
受け手は、贈られてきたものをさっさと使用すると同時にお返しをしないと、贈り手の
魂や贈与物の「タマ」は受け手に祟ることになるらしい。これもモースの贈与論にはここ
まで書いてないが、私はそう考えている。祟りは恐ろしい。下手をすると死ぬことだって
あるのだ。したがって、贈与という行為には「死の観念」が内在している。「死の観
念」、それが肝心なところである。
贈与に「死の観念」が内在しているということは、送り手と受け手の間に魂と「タマ」
が介在するのだと考えを進めていけば、貨幣にも「死の観念」が内在しているということ
が判るだろう。今村仁司がその著書「貨幣とは何だろうか」(1994年9月,筑摩書
房)の中で述べているが、「死の観念」は、一方で墓をつくるように、他方で貨幣をつく
るのだそうだ。貨幣とはそういう種類の存在らしい。(注:お墓はなぜつくるのでしょう
か?そうしないと気持ちが悪いからでしょう。祟りがあるかもしれない。それと同じよう
に、本来、贈与というものは、それが高価であれば高価であるほど、貰いぱなっしでは気
持ちが悪いのではありませんか。そういう点で、贈与もお墓みたいなものです。)
だから,貨幣はさっさと使用しなければならないのだ。貯蓄するなどとんでもない。死
ぬようなことはなくとも碌なことはない筈だ。江戸っ子のように宵越しの金は持たない方
が良い。貯蓄して利子が利子をよぶなんてことはとんでもないことだ。貨幣を長く持て
ば,今とは逆に,マイナスの利子がつくぐらいの方が健全なのである。せめて利子はつか
ないようにしなければならない。それが地域通貨だ。
地域通貨は、魂のこもった貨幣であり、売り手の魂に作用し、売り手をある種の心理的
な束縛下に陥らせる。買い手としては、売り手の魂に働きかけ、「補食の欲望」を満足さ
せるという訳だ。売り手は、その貨幣を長く持っているとやばいので、さっさとその貨幣
を使い切る。さっさと「補食の欲望」を満足させるという訳だ。このようにして、「補食
の連鎖」が起こっていくのではないか。私の考えでは、地域通貨という貨幣、それは「死
の観念」を内在しているのだが、そういうものを介在させることによって、「補食の連
鎖」が起こっていく。その連鎖は、「生命の欲望」に転轍されており、社会的意義の高い
誠に好ましい連鎖である。
貨幣というものは特別の価値のあるものである。何とでも交換できるから、金(きん)
と同じといって良いし、宝物といっても良い。したがって、貨幣を使うということは、本
来,贈与なのである。贈与の本質は相手の魂を奪うことであるから、贈与は「補食の欲
望」にもとづく行為といっても良い。しかし、贈与を受けた方は、占めたと喜んでいる訳
だし、さっさと貨幣を使ってしまう限り、死の恐怖などはまったくない。それどころか、
今度は自分でさっさと貨幣を使う(すなわち贈与を行う)という「補食の欲望」を満足さ
せることができる。ここに「補食の欲望」という「身体の欲望」が「生命の欲望」に転轍
されている。かくして、「補食の連鎖」は「生命の連鎖」に転轍されるのである。
森岡正博によれば、「生命の欲望」には「補食の欲望」の転轍されたもののほか、「開
花の欲望」と「宇宙回帰の欲望」というのがある。前者は禅でいうところの「放下著(ほ
うげじゃく)」ということ、後者は明恵の「あるべきようは」ということだと思うが、両
者とも禅の極意を極めた人とか修験の厳しい修練を極めた人とか、まあ特別の人でないと
なかなかできないことである。したがって、現在のような社会、すなわち森岡正博のいう
無痛文明や佐伯啓思のいうニヒリズムから脱却するには、私たち一般人ができることは、
「補食の欲望」の転轍(てんてつ)しかない。今の世の中を良くするために、一部で良い
からどうしても地域通貨を導入しなければならないのである。
森岡正博によれば、共生思想が成熟するということは「身体の欲望」に「生命の欲
望」が勝(まさ)るということである。そして地域通貨は「身体の欲望」を「生命の欲
望」に転轍させることであるから、共生思想を成熟させるためには、 地域通貨によって
ボランティア活動を活性化させなければならないということになる。これからの日本が共
生思想で生きていこうとするのであれば、これからの日本はどうしても地域通貨によって
ボランティア活動の成熟を図らなければならないということになる。
私は、ボランティア活動の成熟なくして共生思想の成熟はないし、共生思想の成熟なく
して高齢者の住み良い町づくりなどできる訳がないと思う。富士の山も一歩からという
が、「共生社会,コミュニケーション社会、ネットワーク社会」という人類の大きな目標
に向かって、私たちはまずはボランティア活動から始めなければならないのではないか。
モースの贈与論を発展させ、現代の経済的社会的な諸問題に応えうる新たな贈与論が待
ち望まれていたが、2011年8月に中沢新一の「日本の大転換」(集英社)が出た。こ
れはまさに現代の贈与論であって、主として原発問題を意識したものであるが、農業など
の純粋贈与や地域通貨にも適用できる一般理論である。中沢新一のこの新たな贈与論に
よって、地域通貨の哲学にもしっかりした基盤ができたように思う。
(3)柄谷行人の交換様式論
柄谷行人の「世界史の構造」(2010年6月、岩波書店)は、交換様式から社会構成
体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を超える展望を開こうと
する企(くわだ)てをもった、誠に意欲的な本である。
現在の先進資本主義国は、ヘーゲルがいうように、資本=ネーション=国家というトリ
ニティ構造になっていてそれらはボロメオの環で結ばれている、というのが柄谷行人の基
本的認識であるが、その点については、私も同様の認識を持っている。
そのことについては、 交換様式から社会構成体の歴史を見直し、展望新たな世界を展
望しようとする柄谷行人の意欲的な本が出たので、これをしっかり勉強せずにはなるま
い。
まず、柄谷行人の言うことに耳を傾けよう。彼いわく。
『史的唯物論を唱えるマルクス主義者は、「資本論」を充分読むこともなく、「生産様
式」という概念をくりかえしただけだった。』
『経済的下部構造=生産様式という前提に立つと、資本制以前の社会を 説明できない。
のみならず、それは資本制経済さえも説明できないのである。資本制経済はそれ自体、
「観念的上部構造」、すなわち、貨幣と信用にもとづく巨 大な体系をもっている。マル
クスはこれを説明するために、「資本論」において、生産様式ではなく、商品交換という
次元から考察をはじめた。』
『われわれは「生産方式」=経済的下部構造という見方を放棄すべきである。だが、それ
は「経済的下部構造」一般を放棄することではまったくない。たんに、生産様式にかわっ
て、交換様式から出発すればよいのだ。』・・・と。
以上のような考えから、柄谷行人は、交換様式という切り口で、世界史がどうなって
いるか、構造的な分析を行なっている。その際の交換様式とは、次のとおりである。
A、交換様式A:いわゆる贈与にもとづく交換様式。互酬という言葉も出てくるが、それ
は贈与と同じ意味で使われている。
贈与は、一つの共同体の中でも行なわれたが、共同体と共同体の間で行 なわれたので
あって、その点については充分認識しておく必要がある。柄谷行人によると、「マルクス
がこのことを強調したのは、交換の起源を、個人と個人の 交換から考えたアダム・スミス
の見方が、現在の市場経済を過去に投影しているにすぎないことを批判するためであっ
た」・・という。
柄谷行人によると、「互酬は、世帯やバンドがその外の世帯やバンドと の間に恒常的
に友好的な関係を形成するときに行なわれたもの」・・・という。その際の交換材には、
威信材と呼ばれるものがある。
B、交換様式B:いわゆる略取にもとづく交換様式。略取は、一つの共同体が他の共同体
から何か価値あるものを奪うことを言うが、実は、これ自体交換ではない。では、略取が
いかにして交換様式になるのか?
柄谷行人はいう。『継続的に略取しようとすれば、支配共同体はたんに略取するだけで
なく、相手にも与えなければならない。つまり、支配共同体は、服従する被支配共同体を
他の侵略者から保護し、灌漑などの公共事業によって育生するのである。それが国家の原
形である。国家の本質は暴力の独占にある。』と。
なお、柄谷行人によれば、いわゆる再配分もこの交換様式Bに含まれる概念で、灌漑な
どの公共事業と同じように、略取のための手段である。
私は、これは面白い認識だと思う。その認識は、いわゆる福祉政策を行なうために国家
があるのではなく、国家というものは税を略取するための手段として福祉政策を行なって
いるという認識だ。私の正義論からすると、ミヒャ エル・エンデと同じ考えだが、国家
は、ロールズの「格差原理」にもとづいて税の再配分だけをやっていればいい。多くの福
祉政策は不要である。私は、ここに 「ベーシックインカム」の正義論的根拠をおいてい
る。戦争は国民に不自由を強いる最たるものであるが、 国家はそういった国民の不自由
をなくし、できるだけ国民の自由を守らなければならない。 軍備の他は、 税の再配分に
より、「ベーシックインカム」とさまざまな公共事業だけをやっていれば良い。 公共施
設というものは、金持ちも貧乏人も等しく使うものである。けだし、公共事業というもは
大事である。国家は、それら三つだけしかやらなくても、税を略取することはできる。多
くの福祉政策は、国家がやるのではなくて、「地域コミュニティ」に任せたほうが良い。
その際の交換様式は、交換様式A(贈与)である。
私の考えでは、資本=ネーション=国家というトリニティ構造になっていて、それぞれ
が深い関係で結ばれているが、本来、それぞれは自立していなければならない。ネーショ
ン、私は「地域コミュニティ」をその具体的形態と考 えているが、そのようなネーション
というものは、今は資本と国家の陰に隠れて消えかかっている。本来は、もっと力を持っ
ている筈である。まだ間に合う。一 日も早く、「地域コミュニティ」における贈与経済
を再興しなければならない。そもそも「地域コミュニティ」の本来の交換様式は、 交換
様式A(贈与)であったのだから・・・。交換様式B(略取)は、国家だけのものである
が、それに「心」は宿っていない。
C、交換様式C:いわゆる商品交換。
柄谷行人はいう。『商品交換というと、生産物やサービスが直接に 交換されるように
みえるが、実際は、貨幣と商品の交換として行なわれる。その場合、貨幣と商品、または
その所有者の立場は異なる。マルクスがいったよう に、貨幣は「何とでも交換できる質
権」をもつ。貨幣をもつものは、暴力的強制に訴えることなく、他人の生産物を取得し、
他人を働かせることができる。それ ゆえ、貨幣をもつ者と商品をもつ者、あるいは、債
権者と債務者は平等ではない。貨幣をもつ者は商品交換を通して貨幣を蓄積しようとす
る。それは、貨幣の自 己増殖の運動としての、資本の活動である。』と。
要するに、彼のいいたいことは、貨幣というものは自己増殖するということと、それに
よって貧富の差、階級分裂が起るということだ。
貨幣についてはさまざまな研究があり、多くの本が出ているので、ここでは柄谷行人の
いっている肝心の部分を紹介するだけにとどめておく。
D、交換様式D:交換様式Aが高次元で回復したもの。
柄谷行人はいう。『交換様式Dは、自由で同時に相互的であるような交換様式である。
これは三つの交換様式のように実在するものではない。それは、交換様式BとCによって
抑圧された互酬性の契機を想像的に回復しようとするものである。したがって、それは最
初、宗教的な運動としてあらわれる。』
『道徳的なものに固有の領域も、交換様式と別にある訳ではない。 一般に、道徳的な
領域は、経済的な領域とは別に考えられている。しかし、それは交換様式と無縁ではな
い。たとえば、ニーチェは、罪の意識は債務感情に由来 すると述べた。これは道徳的・
宗教的なものが、一定の交換様式と深く繋がっていることを示している。したがって、経
済的下部構造を生産様式でなく交換様式として見るならば、道徳性を経済的下部構造から
説明することができる。(中略)交換様式Cが支配的となるのが、資本制社会である。だ
が、その過程で、交換様式Aは抑圧されるが、消滅することはない。むしろ、それは、フ
ロイトの言葉でいえば、「抑圧されたものの回帰」として回復される。それが交換様式D
である。』・・・と。
柄谷行人がいうように、精神的な領域と深く結びついているのが交換様式Dであ る。私
の考える国家のトリニティ構造において、精神的領域を示す第三の軸、それは共生軸とい
うか「地域コミュニティ」の軸であるが、その領域(共生社会ない し互酬社会)と深く
結びついているのが「地域通貨」である。共生社会が先か地域通貨が先かは判らない。私
は、多分、地域通貨が普及することによって共生社 会(互酬社会)が出来上がっていく
のではないかと思う。
(4)地域通貨の流通条件
「エンデの遺言」のあと、雨後のタケノコのように全国各地で地域通貨が誕生したが、
私の知る限り、成功例は一つもない。その原因はうまく流通しないことにある。うまく流
通しないために、経済的な力を持てない。お遊びといってはちょっと語弊があるが、まあ
そんなところだ。経済的な力を持つ、つまりそれが地域力の源泉になるためには、うまく
流通しないとダメ。うまく流通する条件として、私は、贈与の三角形といっているのだ
が、農家と商店とNPO、この三つの間を流通しないとダメだと考えている。
もちろん、その三角形の頂点にNPOがあり、それが地域通貨を発行するし、全体的な
旗を振っていく。なお、これは当然のことだが、NPOは、運営に必要な円は寄付を受け、
それで運営するのを原則とするというものでなければならない。運営に必要な円を地域通
貨と交換するというようなことはゆめゆめ考えてはならない。地域通貨は、法的にも、円
と交換できないものである。
贈与の三角形でいちばん大事なのは地域農業である。地域農業は市場作物と贈与作物を
作る。地域農業の担い手は、兼業農家や高齢農家,或はご主人が働きに出て行ってお母
ちゃんやおじいちゃんやおばあちゃんでやっているいわゆる三ちゃん農業であっても良
い。農は地域の基本であり、国の基本である。「祈りの科学」シリーズ(4)の第3章で
述べたように、農はただ単に食料を作っているだけでなく、国の精神を作っている。さら
に、中沢新一いうところの純粋贈与であることの意味は大きい。したがって、三ちゃん農
業などの家族農業はしっかり守らなければならない。しかし、地域農業の主力はやはり農
業法人と地域企業である。そして私が新しい企業形態としてその発展を期待しているのは
農を中心とした第六次産業である。したがって,第六次産業としての地域企業は,市場作
物のほか贈与作物も作らなければならない。贈与作物はもちろん地域通貨でやりとりがさ
れる。
ところで、道の駅は地域の交流拠点である。残念ながら今はそうなっていない。私は広
島で中国地方建設局長をやっていたとき、全国で最初の道の駅を作るとともに、建設省道
路局に働きかけて道の駅の制度を作ってもらった。私は、いわば道の駅の元祖であり、当
初から道の駅は地域の交流拠点にすべきだと考えてきた。そこが高速道路のサービスエリ
アなどともっとも違うところだ。したがって、私は、地域通貨の流通拠点は道の駅がいち
ばん良いと考えている。そして、道の駅は、市町村の指定管理者制度ではなく、市町村が
行うPFI又はPPPで民間企業が運営すべきだと考えている。民間企業が主導権を握る訳
だ。民間企業のノウハウと資金を大いに活用すべきだ。道の駅の運営に民間企業が乗り出
していけば、道の駅はこれから大きく進化していくに違いない。
市場作物の栽培には、人件費として円と地域通貨が支払われる。農村部に若い人が少な
いので、援農隊員というか助っ人を都市部から派遣する必要がある。道の駅の運営主体で
ある民間企業は、市町村やNPOの協力を得て、都市の中心商店街で青空市場を開くと良
い。もっと都市と農山村との交流が深まるだろう。援農隊員はきっと集まる。その人たち
には主に円が支払われるが、ある程度地域通貨で支払うことも考えねばならない。地域通
貨の割合が高ければ高いほど都会に売り出す市場単価は安くなる。つまり、地域通貨のお
陰で、市場競争においてコスト的に有利になるという訳だ。シャッター通りになっている
中心商店街の青空市場に多くの買い物客が集まってくるだろう。中心商店街と繋がりを
持った農家はそれなりに潤い、農業経営に余力が出てくるに違いない。農業経営に心配が
なくなるということだ。後は品質を良くすることに力を注げばいい。
商店もできるだけ多くの商品を地域通貨で売ることが望ましい。しかし、それを強要す
ることはできないので、商工会議所及び商店街組合の全面的な協力が必要だ。地消地産の
原則の元、農家で必要なもの、地域で消費するものはできるだけ地元でつくるように働き
かける。どうしても地元につくる人が出てこない場合は、商工会議所が中心になって,第
六次産業を興す必要があるかもしれない。
なお、ちなみに言っておけば、地産地消は生産者の論理であり、こういうものを生産し
たからそれを消費せよというもの。地消地産は消費者の論理で、こういうものを消費した
いからそれを生産しろというものである。これからは電気も地消地産でなければならな
い。地域で消費するから小水力発電など地域で発電しようという訳だ。地域の自立のため
には地消地産でなければならない。贈与経済はそういうものだ。そして、贈与経済の中心
拠点は道の駅である。
第2節 マイノリティを支援するNPO
(1)NPOの現状と課題
今ここで地域コミュニティと言ったり、単にコミュニティと言ったりしてきているが、
ここらでコミュニティの定義をはっきりさせた方が良いだろう。私は、地域コミュニティ
のほかに、事域(じいき)コミュニティがある。地域コミュニティは地域を領域とするコ
ミュニティである。それに対して事域コミュニティは事(こと)を領域とするコミュニ
ティである。
NPOとは、「Nonprofit Organization」又は「Not-for-Profit Organization」の略で、
広義では非営利団体のこと。狭義では、非営利での社会貢献活動や慈善活動を行う市民団
体のこと。最狭義では、特定非営利活動促進法(1998年3月成立)により法人格を得た団
体(特定非営利活動法人)のことを指す。なお、米国や英国などではNon-profitという
が、韓国や台湾などではNPOという表現が使われている。
1990年から行われたジョンズ・ホプキンス大学国際比較研究プロジェクトにおいて
は、国際比較を可能とするためにNPOを次の要件を満たすものと定義した。
(1)正式の組織(Formal Organization)であること
(2)非政府組織であること(Non-Political)
(3)利益を配分しないこと(Non-Profit Distributing)
(4)自己統治(Self-Governing)
(5)自発的であること(Voluntary)
1994年までの研究プロジェクト第1段階では、
(6)非宗教組織であること
(7)非政党団体であること
が付け加えられたが、あくまで比較作業上の理由によるものであり、第2段階では、上記
の狭義の定義と、(6)(7)を要件から除外し、さらに協同組合と相互団体を加えた広義の定
義との2本立てで調査が行われた。
わが国におけるNPOは現在、2万2千団体ほどあるが、現状は、そのほとんど(6
0%)が500万円以下の小規模な団体である。 財政状況は全般的に非常に厳しく、赤字団
体が約半分あるといわれている。 現在は課題は次のとおりである。
・ 行政の下請け化の問題が指摘されるところだが、委託事業に多くのエネルギーを投じ
るために、寄付やボランティアを次第に集めなくなり、新たな課題の発見力などの創意工
夫力が低下するなどの傾向がみられる。
・ 寄付や会費は、収入の多様性に寄与するが、なかなか寄付は集めにくいし、会員もな
かなか増えない。事業収入は収入規模の拡大に寄与するものの、親方日の丸的な経営を
やっているところが多く、また小規模なる故に事業収入を確保することは非常に難しい状
態にある。
・ 信用問題も浮上している。法律で義務づけられている事業報告書の未提出率が20%を
超えており(東京都、神奈川)、情報開示も全般に十分とはいえない。また、自治体、企
業、社会福祉法人などの団体がNPO法人を設立している比率が30%にのぼっており、
NPO法の目的とは異なる法人制度の使われ方をされている可能性がある。
要するに、NPO自体が行政と協調していけるほどの組織に成長していないのである。
そして行政の方でも人的なパワー不足で独創性を持って取り組めるほどの余裕がない。も
しNPOのボランティアパワーが行政の隙間を埋めてくれるとしたら、行政もいつまでも
前例にとらわれることなく、積極的に新しいことにチャレンジする余裕も生まれる。NP
Oが住民との仲立ちとなり、窓口となることで共存関係が生まれてくるのだが、残念なが
ら、そうしたNPOが育つ土壌がないと言わざるを得ないのではないか。だとすれば、行
政OBがNPOを住民とともに組織し、行政の隙間を埋めたり、またチェックしたりする
ことで、行政と住民の双方向性が生まれ、透明性も高まっていくのではなかろうか。私
は、そういう観点から、坂本恵一が声高に主張していた「リージョナル・コンプレック
ス」を一日も早く作っていく必要があると思う。
地域づくりについては、それぞれの地域の住民の選択と責任のもと、地域自らが主体的
に取り組めるような体制づくりが強く求められている。 地域づくりは人づくりとよく言われるが、地域づくりに取り組むサークルないし団体が
イキイキしていなければならない。数名のサークルから大きな団 体までいろんな組織が
あって、イキイキと独自の活動をしている。そして、それらの組織が何かある共通のテー
マで結ばれている、そういう地域社会はイキイキ している。坂本慶一氏(福井県立大学学
長)は、リージョナルコンプレックスと呼んでいるが、今後、わが国は、そういう地域社
会の実現を目指さなければなら ない。それが開かれた地域社会であり、共生、交流、連
携(ちなみに、共生、交流、連携は同根の言葉であるがこの順序で概念が広い)をキー
ワードとする共生社会である。 住民の属するコミュニティレベルといった地域社会の活性化も必要ではあるが、コミュ
ニティレベルを超えて、個人を主体にした地域活動がより重要に なってくる。わが国のい
わゆる「むら社会」は、そのような地域社会に変革されなければならない。 事実、近年は、地域づくりにおいて、地域住民(ボランティア団体)や地域の企業、さ
らには非営利団体等の果たす役割がますます重要になってきてい るようで、このような
多様な主体が、その有する人材やノウハウを活用しつつ、互いに交流、そして場合により
緩やかに連携しながら、地域づくりに積極的に参 画するというケースも多くなりつつあ
る。 リージョナルコンプレックスを形成していくため、福祉その他各分野の施策が必要であ
るが、国土政策においてもそのことが重視されなければならないのであって、地域におけ
る多くのサークルないし団体が何を共通のテーマにして交流、連携するのが適当なのか、
現在、その点の議論が欠けている。 現在は、本格的な高度情報化の時代の幕開け。今後は、従来、各種の制約によって活動
範囲が狭められていた人々が、フェイス・トゥ・フェイスに近い 環境でのコミュニケー
ションを通じて、経済社会活動に積極的に参画し、自らの能力をより発揮することが可能
となる。
高度情報化については、政策的にも各般にわたって積極的な取り組みが必要であるが、
これからの地域づくりには交流、連携が不可欠であるので、マルチメディアやパソコン通
信を前提としたコミュニケーションシステムを地域に構築していく必要がある。そのこと
は、高度情報化を推し進めることにもなるが(我 が国の場合とかくハード先行と言われ
ており、われわれはもっと利用に熱心でなければならないと思うが、今はその点に触れな
い)、何よりもリージョナルコン プレックスの育成にも不可欠なことであろう。 今後の国土政策の最大の課題は、過疎地域の活性化である。人口はともかく、イキイキ
とした地域社会を作ることである。共生、交流、連携をキーワー ドとした共生社会を作
らなければならない。そのためには、リージョナルコンプレックスを作らなければならな
い。したがって、これからの国土政策の重要戦略は、如何にリージョナルコンプレックス
の育成をしながら地域づくりを進めていくか、そこになければならな い。 この点について、もう少し説明をしておきたい。これからの国土政策は、ハード面につ
いては産業基盤というより生活基盤が中心になるので、それをど のように作っていくの
か、そういったソフト面を重視しなければならない。生活基盤というものは、大変幅が広
く、中にはハード先行でソフトが後からついてく るというものもあるにはあるが、むし
ろ、ソフトが先行して、それを支援する形でハードが後からついて行くというほうが望ま
しいであろう。 町とか村というものは地域の住民が作り上げていくものであり、町づくり、村づくり
は、地域の住民が主役である。ソフトが重視されなけらばならない所以である。ハード面
を考えると同時にソフト面を考える、また、ソフト面を考えると同時にハード面を考える
と言うことが肝要である。リージョナルコンプ レックスの育成というのは、言うまでも
なくソフト面である。広域根幹施設は別として、生活に身近な施設になればなるほど、ソ
フトの内容でハードの内容が 違ってくるし、ハードの内容でソフトの内容が違ってくる。
したがって、これからの国土政策は、リージョナルコンプレックスの育成ということを考
えながら、 そのために必要などのようなハードをどのように作っていくのか、その点が戦
略として極めて重要であるということだ。
経済には、市場経済と贈与経済がある。市場経済があまりにも強すぎて、現在、贈与経
済がかすんでいる。しかし、贈与経済については、現在も宗教活動などが行われている
し、今後、各種ボランティア活動を増やしていかなければならない。 ボランティア活動の
活性化方策、それが今わが国におけるいちばんの問題だが、多くの人が都市に住んでいる
ので、やはり、日本全体のことを考えると、都市住民が望むボランティア活動というもの
が大事である。となると、都市住民の希望というものを考えね ばならない。今、わが国
において、都市住民は何を望んでいるか? それが問題だが、私は、経済的な側面という
より、むしろ森岡正博のいう「生命的な欲望」に光を当て、できるだけ多くの人がイキイ
キと暮らしていけるように、そのための「場」、 今ここでは宗教活動の場はちょっと横
において、「 都市におけるボランティア活動の場」というものをおおいに創っていかなけ
ればならないというのが私の考えだ。都市におけるボランティア活動を如何に活性化させ
ていくか、そのことを考えねばならない。そのためには、ボランティア活動を支える、地
域通貨の哲学的な意味合いをはっきりさせなければならない。地域通貨の哲学である。
地域通貨はさまざまなボランティア活動の経済インフラである。その哲学的な意味合いが
多くの人に理解され支持されれば、いろいろなボランティア活動が活性化し、「贈与の連
鎖」が起って、イキイキとした世の中になるんではなかろうか。私はそういう期待を持っ
ているのである。
「和の原理」は、「グウチョキパーの原理」である。2は対立の数字といわれ、3は調
和の数字といわれている。二人が争えばどちらかの顔がつぶれるが、三人 だと三人とも
顔が立つようにルールを決めることができる。グウとチョキとパーの役割さえ決めればい
いのだ。「グウチョキパーの原理」が働いて「和」が保た れる。三つ一組のものを英語
でtriad(トライアッド)というが、河合隼雄は次のように言っている。『一、二、三、と
いう数について考えてみるとき、一はまさにはじまりであり、唯一である。それが二とな
ると、分離、対立、協調、均衡などの様相が生じてくる。事実、「二人の創造者」という
のも、神話によく生じる テーマである。それが、三になると、二の様相に相当なダイナ
ミズムが加わってくる。三人よれば「文殊の知恵」というが、仲間の基礎単位は三人であ
り、ボランタリーグループは三人から始めれば、グループメンバーの数は級数的に増えて
いく。例えば三人に一人増えれば、トライアッドは最初一組であったものが6組となる。
その次が13組である。二項定理にしたがって増えるのである。それだけ「知恵」が数が
増え、グループの有意義な活動は増えていく。そういうことで、私は、NPOというもの
は、ある程度の規模までは容易に作れるものと考えている。問題はNPOの活動を裏打ちす
る財政基盤というか経済基盤であり、NPOの規模はいつに経済基盤にかかっている。
ニーチェのいう「最高の賢者」は、レヴィナスのいう「始源の贈与」に目覚め、「他
者」の無限性の中にすべての責任を一身に引き受け、身を捨てて事(こと)に当たる人の
ことであるが、それほどの覚悟がなくても、弱者のために自分のできる事(こと)を何か
したいという志を持つ人は決して少なくない。そういう志しのある人は、是非、トライ
アッドを念頭においていただいて、「志縁」で繋がるボランティア団体・NPOを積極的に
作ってほしい。問題はその経済基盤だ。
この節の(1)NPOの現状と課題で述べたように、NPOでやはり一番問題なのはその
財政基盤というか経済基盤である。それを支えるものが二つあって、ひとつは「地域通
貨」であって、ボランティア団体自らが独自発行の通貨を持つということである。ボラン
ティア団体が複数ある場合は、統合組織を作る必要がある。「地域通貨」を梃子に各ボラ
ンティア団体に対する財政的な支援が考えられる筈だ。もうひとつは行政、国と都道府県
と市町村の行政があるが、ここでは現場サイドの行政をいっている。現場の事務所レベル
の支援ということだ。リージョナル・コンプレックスでのコミュニケーションの中で現場
事務所レベルにおける行政の支援の可能性を模索してもらいたい。全国的なNPOの場合
は、行政の経済的支援のほかに、然るべき「権威」が必要だが、地域コミュニティにおけ
るローカルなNPOの場合は、「権威」というものはともかく、どうしても現場サイドの経
済的支援が必要である。この事が大前提だが、このほかに、「権威」に裏打ちされた全国
的な「マイノリティを支援するNPO」と地域コミュニティ内のNPOとの繋がり不可欠か
と思われる。次は全国的な「マイノリティを支援するNPO」について述べる。
(2)全国的な「マイノリティを支援するNPO」
日本には江戸時代に縁切寺(えんきりでら)というものがあった。これは、夫との離縁
を望む妻が駆け込み、離婚を成立させるための寺。主なものに鎌倉の東慶寺、群馬(旧、
上野国新田郷)の満徳寺がある。
東慶寺の本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条貞時、開山(初代住職)は覚山尼(か
さんに)である。鎌倉幕府第9代執権・北条貞時が、父・北条時宗死去の翌弘安8年
(1285年)、覚山尼を開山として建立した寺である。覚山尼は、北条時宗の夫人であ
り、貞時の母にあたる人物で、時宗の死後、出家して尼となった。なお、当初は真言宗の
寺であったものを覚山尼が臨済宗に改宗したとの別伝もある。
東慶寺は現在は男僧の寺であるが、明治36年(1903年)までは代々尼寺であり、尼五
山の第二位の寺であった。後醍醐天皇の皇女用堂尼が5世住持として入寺してから当寺は
地名をとって「松ヶ岡御所」と称せられ、格式の高さを誇った。江戸時代には、豊臣秀頼
の娘で、徳川秀忠の養外孫にあたる天秀尼が20世住持として入寺している。
満徳寺(まんとくじ)は時宗の寺院で本尊は阿弥陀如来。江戸幕府を開いた徳川氏の祖
とされる世良田義季の開基により創建されたと伝えられる。そのことから徳川氏の帰依を
得、2代将軍徳川秀忠の娘千姫が豊臣秀頼と別れた後、縁切のためこの寺に入りその後本
多忠刻に再嫁したという。江戸時代には江戸幕府から朱印状も与えられていた。1872年
(明治5年)にいったん廃寺となったが、1894年(明治27年)に再興されている。近年、
隣接して太田市立縁切寺満徳寺資料館が開館した。
東慶寺と満徳寺は、いわゆる駆込寺・駆け込み寺(かけこみでら)とも呼ばれる。一般
には、縁切寺で妻が離婚を勝ち取るには、尼として数年間寺入り(在寺)する義務があっ
たかのように理解されているが、尼となるのは調停が不調となった 場合の最終手段であ
り、実際には縁切寺の調停活動により離婚が成立し、尼となることなく親元に戻るケース
が大部分を占めていた。尼となるのは調停が不調となった 場合の最終手段であり、実際
には縁切寺の調停活動により離婚が成立し、尼となることなく親元に戻るケースが大部分
を占めていたらしい。
しかし、不幸な女性は最終的には尼僧として生きる道が残されていたことは素晴らしい
ことである。この駆け込み寺は、今で言えば家庭裁判所みたいなものだが、男性の暴力か
ら逃れるため、ともかくそこに駆け込みさせえすれば良かったことと、調停不能の場合で
あっても尼僧として生きていく道が残されていたという点で、今の家庭裁判所よりはるか
みすぐれた制度であった。調停特権は幕府によって担保されており、当事者が召喚や調停
に応じない場合は、寺社奉行などにより応じることを強制された。駆け込み寺には離婚調
停を行う特権が公的に認められていたということである。資金的な援助もあった事であろ
う。駆け込み寺は、宗教性を帯びた権威であるが、それを権力がバックアップしていたと
いう点は留意しておいてほしい。
男の暴力はストーカーなど家庭内にとどまらないので、まさかのときの女性の避難場所
というものが必要である。これも今後の政治課題だと思うが、今ここで問題にしようとし
ているのは、「村八分」ほどでなくとも、地域コミュニティからはじき出されたマイノリ
ティの避難場所のことである。私は、コミュニティをうまく機能させるには、やはり「村
八分」的なもの、つまりマイノリティに対する制裁措置が必要で、マイノリティをしてコ
ミュニティの慣習に強引にしたがわせる必要があると思う。
第2節の(1)で申し上げたように、地域コミュニティのほかに、事域(じいき)コ
ミュニティというものがある。地域コミュニティは地域を領域とするコミュニティであ
る。それに対して事域コミュニティは事(こと)を領域とするコミュニティである。「地
域」が「場所」という具象性をもつのに対して、「事(こと)」は、人びとの関心事であ
り、思考・意識という「心」の対象となるものである。抽象的であり具象性はない。「地
域」は「場所」にくっついているが、「事域」は「人」にくっついている。プラトンの
「コーラ」や和辻哲郎の「風土」というのは「場所」にくっついており、そこに人がいな
くなっても人びとの生きざまは「場所」にくっついていつまでも残っている。中村雄二郎
のリズム論でいえば、「述語」の世界だと言ってよい。一方、「事域」は主体である人間
が主役である。中村雄二郎のリズム論でいえば「主語」である。地域コミュニティは「地
縁」で結ばれた人びとの全体であり、事域コミュニティは「志縁」で結ばれた人びとの全
体である。両方とも全体性の中にあるが、「地縁」は「権力」に支えられており、「志
縁」は「権威」に支えられている。そういう観点から、「地縁」は「権力」であり、「志
縁」は「権威」である。「地縁」も「志縁」も全体性の中にあるが、片方が「権力」であ
り、片方が「権威」であることは哲学的に大事な点であるので、しっかり頭の中に入れて
おいてほしい。レヴィナスの「全体性と無限」ではそのことが考えられていないようなの
で、この際、私の問題提起とさせていただきたい。
地域コミュニティは「権力」であるので、「村八分」などは決して驚くにはあたらな
い。バウマンは上記の「コミュニティ」のなかで「悪魔払い」次のように言っている。す
なわち、
『個人のアイデンティティは弱く、また一人だけのアイデンティティ構築は心もとない
ため、アイデンティティ構築を目指すものたちは、個人的に経験する恐怖や不安を一緒に
掛けることのできる「ペグ」(くぎ)を探し出し、その後は、自分と同じく恐怖や不安を
感じる人びととともに、「悪魔払い」の儀式を行うように仕向けられる。』・・・と。私
などは、もしそういう「悪魔払い」の儀式を仕向けられたら、多分、拒否するだろう。そ
ういう「権力」を拒否する人たちが、マイノリティである。マイノリティはある意味で
「自由」を望んでおり「権力」を拒否するのだが、それ故に「安全」でなくなる。マイノ
リティの「心」の中では、「自由」と「安全」がせめぎあっているのである。
以上のことを念頭に置きながら、以下において、マイノリティを支援するNPOについて
考えてみたい。
エロスの神は、美や善の神でもあるが、慈悲を司る神でもある。したがって、志を以て
慈悲に向かう人においては、エロスの神の働きにより「エロスの原理」すなわち「身
体の原理」が働いて、慈悲に向かう志がより熱烈なものになっていく。志を以て慈悲に向
かう人が多ければ多いほどいいが、少なくとも「権威」ある人が存在すれば、ひとつの全
国的に大きな動きが起こるだろう。「権力」がそれを支え、慈悲のための立派なシステム
ができることがある。「駆け込み寺」はそういう過程でできた。
ところで「権威」とは何か? 「権力」とは他人を力ずくで自分の意のままにさせる能
力のこと。自分の地位あるいは力により、たとえ他人の意思に沿わなくてもそうさせる能
力のことだ。それに対して「権威」とは、自分の影響力を働かせて、イデオロギーや宗教
的教義とは関係なく、自分の意図している方向に、多くの人びとを快(こころよ)くとい
うか自ずと行動させる威信のことである。イエスは、まさに「権威」の人と言い得るが、
近年では、ガンジーやキング牧師やマザー・テレサなどがそれに該当するかもしれない。
名僧といわれる人にはそれなりの権威がある。しかし、宗教と深く関わっているので、異
なる宗教を信じている人びとには影響力がないかもしれない。また、多くの人びとによく
知られている訳でもないので、その影響力は限られている。つまり宗教的権威は限定的な
のである。ここで私が言っている「権威」とは イデオロギーや宗教的教義とは関係な
く、不特定多数の人びとに影響力を及ぼすことのできる威信のことである。「権威」は宗
教を超えている。
駆け込み寺は宗教性を帯びた「権威」である。では、宗教性を帯びた「権威」とはどん
なものであろうか。「権威」は宗教を超えているので、「権威」の選びとる宗教は、「権
威」のもとでは「空」である。「空」なるが故にどんな宗教を信仰している人でも、心お
きなく受け入れることができる。つまり、 宗教性を帯びた「権威」のもとでは人びとは
安心して「祈り」を捧げることができる。「祈り」は神への通路である。人びとの願いは
神に届くのである。そこがいちばん肝心なところだ。
私は、マイノリティを支援する組織として宗教性を帯びた権威あるNPOが必要ではない
かと考えている。しかし、この場合に問題なのは、「権威」と結びついた宗教性とはどの
ようなものかということである。私は「権威」と結びついて差し支えない宗教と「権威」
と結びついてはならない宗教があると思う。宗教ならどんなものでも良いというわけには
いかない。「権力」というか法律で認められている宗教法人の中には、「権威」というか
倫理道徳的な立場からはとうてい認められないという宗教法人もある。「権力」では不特
定多数の人びとに影響を与えうる宗教を選びとることはできない。「権威」のみが不特定
多数の人びとに影響を与えうる宗教を選びとることはできるのである。
私は、日本において「権威」を持っている人というのは、天皇をおいてほかにないと思
う。天皇との繋がりにおいて、当然、皇族にも権威がある。私は、「祈りのシリーズ
(5)「天皇はん」(平成24年5月、新公論社、電子出版)と「天皇と鬼と百姓」(平
成24年6月、新公論社、電子出版)で書いたように、本来、天皇や皇室は私たちに身近
な存在であるし、皇族はもっと自由に社会にお出になられた方が良いと考えている。かか
る観点から、私は、マイノリティを支援する全国的なNPOに皇族が名誉総裁なり何らかの
かたちでご就任いただいて、その繋がりの中で諸般の社会活動が行われることをイメージ
している。その末端組織が地域コミュニティの中或いは近くにあると良い。三笠宮家の寛
仁(ともひと)親王殿下は、生前、「皇族の身分を離れて、身障者問題に打ち込みたい」
として1982年に宮内庁に「皇籍離脱」を申し出られたそうだが、本来は、「皇籍離
脱」をせずとも、皇族が皇室のままもっと自由にマイノリティなどの不幸な人びとに対す
る支援活動ができるようにすべきではないか。
それでは以下において、わが国の「歴史と伝統文化」に照らして「権威」というものを
どう見れば良いのか、その点を少し考えてみたいと思う。先程述べたように、不特定多数
の人びとに影響力を及ぼすことのできる威信のことである。古代においては、旧石器時代
はもちろんだが縄文時代になっても「権威」ある人は誕生していない。そのかわり「威信
財」というものが作られ、信頼関係を作り出すのに利用された。「威信財」は権力者が人
びとに贈与する宝物である。自分の宝物を惜しげもなく人びとに与えることによって人び
との信頼を勝ち取ることができる。これはポトラッチと同じである。ポトラッチは太平洋
岸北西部インディアンの重要な固有文化で、部族の指導者が家に客を迎えて祝宴を開き
て、惜しげもなく自分の大事な宝物を与えるという催しである。日本では天皇が唯一の
「権威」ある人であるが、そのような天皇は日本の永い歴史の中でつくられてたのであ
る。誰かがつくったのではない。天皇自らがおつくりになったのでもない。民族性なので
ある。日本民族が天皇という「権威」をつくったのである。
国家というものは権力体によって統治される。権力体は、明治維新以降は立法と行政と
司法の三権に分立され、それを、通常、国家権力と呼んでいる。 それまでの武家社会で
は幕府である。統治されるのは、一言でいえば、国民であるが、個々の国民のほか、現在
では、企業、社団法人、財団法人、非営利団体等を含む。統 治するものとされるもの、
これを二元論的に呼ぶとすればどう呼ぶのがいいか。いろいろと探してみたが、統治体と
被統治体という以外に、今のところ言葉がな いようである。したがって、今後、私は、
権力体のことを統治体、統治される国民のことを被統治体と呼ぶことにする。日本の永い
歴史の中にはまだ国家というものが存在しなかった時代もあるからだ。統治という行為に
焦点を絞っての呼び方である。ここでは、統治という行為に焦点を絞って、国家構造のあ
り方を考えてみたい。
日本神話の構造は、基本的にはトライアッド構造でだが、それは「グウチョキパー構
造」ではなくて、二つの相対す るものとその中間的の存在の・・・トライアッドであ
る。その中間的存在は、理想をいえば、無為であればあるほどいい。無為を理想とする思
想、それは老荘の思想でもあるのだが、河合隼雄は、そういう思想は日本にも古来から
あった世界観、宗教観であると言っている。河合隼雄はそういう無為の存在を中心として
トライアッドを「中空均衡構造」と呼んでいる。アメノミナカヌシという無為の中心が、
すべての創造の源泉と考えられている。河合隼雄もいうよう に、自然とともに生きる民族
の理想とする国家構造はトライアッドな中空構造である。そこで、私は、トライアッドな
中空均衡構造(以下、中空構造と呼ぶ)というものを念頭において、これからあるべき理
想の国家構造というものを検討することを提唱したい。つまり、私は、今、「劇場国家
にっぽん」ということでこれからのあるべき日本の姿を提唱しているが、その「劇場国家
にっぽん」の国家構造は、トライアッドな中空構造である。皆様方から大いに問題点の指
摘を受け、考え直すことも多かろうと思うが、とりあえずの提案としては、トライアッド
な中空構造というものを考えてみたい。
河合隼雄は、その著「神話と日本人の心」(2003年7月18日、岩波書店)の最
終章で、「日本神話の構造と課題」と題して今後の日本の進むべき方向を模索している。
そして、結論的には、次のように言っている。
『ここで、われわれが課題とするのは、言うなれば、中心統合構造と中空均衡構造の両
立ではないだろうか。両立しがたいものを両立させるには、どの ようなモデルが考えら
れるか、という疑問が生じてくる。これについて、筆者はずいぶん長らく考え続けてきた
が、おそらく今世紀においては、ひとつのモデル やひとつのイデオロギーによって、人間
について、世界について考えるということは終わったのではないかと思う。』・・・と。
また、『中空均衡構造と中心統合構造の併存とは、両者を無理して「統合」することを
試みず・・・云々』とも述べているが、河合隼雄は、中空均衡構 造で象徴される日本の
生き方と中心統合構造で象徴される欧米の生き方のどちらに偏することもできないと考え
ており、その考えを両者を「統合」するモデルやイデオロギーはもはや見つからないと考
えているのである。
河合隼雄は、京都大学の創立100周年の記念講演会で特別講演をして、これからの時
代私たちは「矛盾システム」を生きていかなければならないと述べた。「矛盾システム」
を生きる。良い言葉である。私もそうだと思う。現状は確かにそうだと思うが、将来はど
うか。河合隼雄は、中沢新一の「モノとの同盟」という考え方や「光と陰の哲学」をどう
見ているのか。その点を聞いてみたいところだが、私は、未来に対する希望はけっして捨
ててはならないと思う。私は、「矛盾システム」を生きながら何とかそれを乗り切る知恵
こそ大事で、それが民族としての英知であると思っている。民族としての英知、それは
「歴史感覚」からしか学び得ない。民族としての英知は必ず存在している。見えないだけ
だ。しかし、「歴史感覚」をもってよくよく見れば・・・、見えないものが自ずと見えて
くるのではないか。今必要なのは、「矛盾を乗り切る平衡感覚」である。それは「歴史感
覚」そのものである。私も、私なりの「歴史感覚」から、今の「矛盾システム」は何とか
乗り切れるのではないかと直感している。私はよく「両頭截断」ということを言うが、そ
れは 「矛盾システム」を何とか乗り切ろうということである。「矛盾システム」を乗り切
るところに新しい発展がある。中沢新一は、人類最古の哲学としての「神話」にスポット
を当て、「モノとの同盟」ということを言っている。私は、中沢新一など素晴らしい学者
の手によって、必ず未来の地平は拓けてくるものと考えている。
日本の国家構造としての中空均衡構造は、誰がつくったものでもない。天皇自らがお作
りになったものでもないし、権力者の誰かが作ったのでもない。特定の人はいないのであ
る。天皇という「権威」は 日本の永い歴史の中で出来上がってきたものである。もちろ
ん、象徴天皇というものを法律制度的に確立したのは、明恵の教えを受けた北条泰時だ
が、聖武天皇の時代も、平安時代も中空均衡構造の力「揺り戻し現象」が起こっている。
それらは民族性によるものである。日本の「歴史と伝統文化」の心髄は、「違いを認める
分か」にある。だから、多神教なのだ。このことは極端を嫌い、左に傾けば右への「揺り
戻し」が起こるのである。戦時中のように、軍部による強烈な力が働かないかぎり、日本
という国は極端に走らないのである。これは民族性としか言いようがない。
河合隼雄は、さらにこう述べている。『現代日本人の課題は、神話的言語によって表現
するならば、遠い過去に棄て去られたヒルコを日本の神々のなか に再帰させること、と
言えるだろう。しかし、それはほとんど不可能に近いことだ。少々の対立があっても全体
に収める中空均衡構造に収まらなかったからこ そ、ヒルコは棄てられたのだ。ヒルコを
不用意に再帰させると、中空均衡構造は壊滅してしまう。』・・・と。ヒルコは不用意に
再帰させるわけにはいかない が、何とか中空構造をある程度温存しながらヒルコの再帰
を企てれないかと、河合隼雄は考えている。しかし、私にいわせれば、ヒルコは、好むと
好まざるにか かわらずもうとっくの昔に再帰している。今や日本でも思いのまま自由奔
放にのさばっているのではないか。ヒルコの詳細については、河合隼雄の著書「神話と
日本人の心」を見てもらいたいが、要するに、ヒルコとは、中空構造そのものに反する神
のことで、アマテラスの対極にある男性の太陽神のことである。河合隼雄のイメージとし
ては、多分、市場原理主義或いは科学万能主義の神ということだろう。
まあ、ヒルコがどのような神であってもかまわない。それによって日本の中空構造が壊
滅することはない。断じてない。したがって、ヒルコの再帰などを企てる必要はさらさら
ない。というより、もうすでにとっくの昔に市場原理主義や科学万能主義は世界を席巻し
ており、日本もその猛威にさらされている。それ でも日本の中空構造はびくともしてい
ない。今後とも壊滅する心配は少しもないと思う。
現在の日本の統治構造は、象徴天皇を中心に左右に統治体と被統治体が控えている構造
だ。すなわち、「中空構造」である。無為の存在を中心としてト ライアッド構造であ
る。統治体は、現在でいえば、国会と政府と裁判所といういわゆる権力機構である。被統
治体は、個々の国民のほか、現在でいえば、企業、社団法人、財団法人、非営利団 体等
である。統治体と被統治体とは、統治という行為に関して対極的関係にあり、ある種の緊
張関係を保ちながらつながっている。私は、皇室典範を改正して、皇族の私的活動の幅を
広げるべきだと考えている。統治とは無縁の・・・例えばNPOに対する精神的な支援活
動などである。政府は、中沢新一のいう贈与経済を非営利団体が受け持てるよう政府はそ
れを経済的に支援し、皇族はそれを精神的に支援する。贈与経済が充分に普及すれば、均
衡が復活し、市場原理主義や科学万能主義の猛威はそれほど気にならなくなるに違いな
い。河合隼雄のいうところの「ゆりもどし」が起こるのである。現代日本の課題は、
NPOの経済的支援と精神的支援をどこまで国の総力を挙げてやれるかということだ。憲
法さえ改正すれば、それは現在の中空構造のままでやれる。
さて、河合隼雄の著書「神話と日本人の心」に出てくる「アメリカ先住民のジョシュア
神話」をこの際に紹介しておきたい。次のとおりであった。
『二人の創造主がいて、一人がコラワシと呼ばれ、もう一人は名前が定かでない。コラ
ワシは動物や人間をつくりはじめるが二回失敗する。彼の相棒は 何もせずに煙草を吸っ
ているが、その間に一軒の家が出現し、そこから美女が出てくる。相棒はこの女性と結婚
し、16人の子どもをもうけ、彼らからアメリカ 先住民のすべての種族ができたとのこ
と。』
すなわち、無為の人は常に無為であるわけではない。色即是空。空即是色。一は多であ
る。無は有である。すなわち、無という意味は、ゼロという意味 ではない。有なのであ
る。だから、無為の人も、普段は何も役に立つことはしないのだけれど、時に応じ、大い
に役に立つことをする。そういうことだが、今私が提案していることは、無為を止めても
らおうということではない。無為であるということはそのままでなければならない。天皇
は無為の人であり続けなければ ならないのである。しかし、無為の人も、「アメリカ先
住民のジョシュア神話」でいえば、煙草を吸うだけで普段は何もしないのであって、これ
を実際の天皇に 当てはめていえば、無為の人天皇は、普段は何も権力的な行為はしない
ということである。時に応じて「ゆり戻し」のために権力を行使する場合もないではな
い。しかし、私が今提案していることは、そういうことではなくて、普段は何も権力的な
行為はしないのだけれど、煙草ぐらいは吸っていい、つまり精神的に非営利団体を支援す
るような、日本の伝統文化を守るための価値ある行為だけれど権力とはおおよそ関係のな
いような行為、そういうものはやっても良いのではな いかということである。もういち
ど言う。皇室典範を改正して、皇族の私的活動の幅を広げ、皇族は、普段において、統治
とは無縁の・・・例えば非営利団体に対する精神的な支援活動はやるべきである。天皇
は、 皇族を通じてその「権威」が国民に及ぶのである。 天皇は自らNPO活動をやられる
訳ではないが、それは間接的なNPO活動といって良いかもしれない。天皇や皇族も普段
日本の伝統文化を守るための「煙草」ぐらいは吸っても良い。いや、吸うべき だ。
天皇及び皇族が、普段において、統治とは無縁の・・・例えばNPOに対する精神的な支
援活動をやったからといって「中空機能」が損なわれるわけではない。河合隼雄のいう
「ゆり戻し」機能が損なわれるわけではない。そのことははっきり申しておかなければな
らない。河合隼雄の著書「神話と日本人の心」に出てくるフォン・フランツのコメントを
紹介しよう。フォン・フランツは、 「名称不明の相棒が、積極的な創造ではなく、煙草
をすうことによって、人間が存在しうる状態を間接的に生みだします」とコメントしてい
る。つまり、「アメ リカ先住民のジョシュア神話」のなかでコラワシの相棒が吸う煙草
は、人間が存在しうる状態を間接的に生みだすための煙草なのである。市場原理主義や科
学万 能主義の猛威が荒れ狂うなかで、私たちは日本の伝統文化を守らなければならな
い。しかし、それは妥協だ。中沢新一流にいえば、「モノとの同盟」を組むことだ。河合
隼雄がいうように、『中空均衡構造で象徴される日本の生き方と中心統合構造で象徴され
る欧米の生き方のどちらに偏することもできない』のかもしれない。これは国民の生き方
の問題である。天皇や皇族が日本の伝統文化を守るための「煙草」を吸うことによって私
たちの生き方にバランスが保たれる。生き方 の妥協が図られるのである。しかし、問題
は統治構造である。統治構造そのものに妥協は無用である。今、市場原理主義や科学万能
主義によって統治構造そのも のが脅かされているわけではない。統治構造が「中空構
造」をこのまま維持し続けることは充分可能である。
わが国の「歴史と伝統文化」に照らして「権威」というものは、以上に述べたように、
わが国の民族性によるものである。その民族性を背景に、私は、マイノリティを支援する
全国的なNPO組織を望んでいる。全国的な組織があって、その下部組織が地域コミュニ
ティの中或いは近くにあることが望ましい。そういう全国的な広がりのある組織が片方に
あって、「理想のコミュニティ」が出来上がる。それが完成するのは長年月を要するであ
ろうが、そういう方向に向かって私たちは歩んでいかなければならない。
しかし、そういう全国的な広がりのある組織が出来上がるには長年月を要する。した
がって、当面急ぐべきは「エロスの神」を祀ることである。地域コミュニティからはじき
出されたマイノリティが生きる助けを求めて「エロスの神」に「祈り」を捧げる「場」が
必要である。次の第3節では、その点に触れたいと思う。
第3節 「エロスの神」を祈ろう!
竹田青嗣はその著「エロスの世界像」(1997年3月、講談社)の中で次のように
言っている。すなわち、
『そもそも「対象化する」とはどういうことか。人はまずそれを「意識すること」とか
「認識すること」といった言葉でイメージする。しかし実は「対象化する」とは、根本的
には、世界に対して主体がひとつのエロス的関係として向き合うことを意味している。く
り返して述べてきたように、純粋な「意識」や純粋な「認識」というものはありえない。
「意識」や「認識」はまず「感じる」ということを基礎としており、この「感じる」とは
「エロス原理」として理解されなくてはならない。まさしくこの「エロス原理」こそ世界
が「対象化」されるための条件なのである。「身体」は文字通り、まず「感じる」原理で
ある。メルロ=ポンティによれば「身体」とは「対象を存在させる原理」だが、これはつ
まり「身体」とは「価値評価」し、区分し、分節する根本的な原理、つまり「エロス原
理」であるということを意味している。』・・・と。
「エロス原理」とは「感じる原理」であり、身体はその原理にもとづいて存在してい
る。私はその「身体はその原理にもとづいて存在している」ことを「身体の統一性」と呼
びたい。竹田青嗣は上記著書の中で、メルロ=ポンティが「身体の統一性」について触れ
ている点を紹介しているが、どうもあいまいであるので、私なりのイメージをはっきりさ
せたいと思う。
私が思うに、「身体の統一性」とは三階建ての三つの脳(恐竜型脳と原始ほ乳類型脳と
新哺乳類型脳)の総体のことである。それによって働くのが身体、すなわち「身体の原
理」、「エロスの原理」である。私たちは身体を生きているが、それはとりもなおさず
「エロスの原理」によって生きていることに他ならない。主体がすべての対象と向き合う
とき、その対象が女性であれ男性であれ、自然であれ、神であれ、すべての場合、「エロ
スの原理」が作用する。「エロスの原理」が作用する神というものも存在する。神にもい
ろいろあって、もっとも偉大な神は、「エロスの原理」をつくり出している神であるが、
その神すら「エロスの原理」によって運動のエネルギーを分節している。その分節によっ
てさまざまな神がそれぞれ役割分担をするかたちで存在するのである。エゾイタチ神のア
イヌ神話では、天には五つの層があって、それぞれの層にいろいろな神がいるのだが、い
ちばん上の天にはいちばん偉い神がいるのだと語っている。私たちは、そのご利益を考
え、自分自身となじみの深い神を選んで、「祈り」を捧げるといい。
「エロスの神」として、日本の古来の神、或いはシヴァの神に繋がるおなじみの神を、
是非、みなさんに選んでもらいたいと思うのだが、私としては、わが国になじみの深いい
くつかの神の中から、とりあえず「不動明王」を取り上げ、わが国における「エロスの
神」について少し考えてみたいと思う。
(1)不動明王
仙台に仙台成田山国分寺という寺がある。通称、仙台成田山という。この寺のホーム
ページ http://www.sasoriza.com/ で不動明王について詳しく説明しているので、それ
を参考に不動明王について考えてみたい。
まず最初に、仙台成田山は「不動明王のご利益」について次のように言っている。すな
わち、
『この現世においては、いつも人々は苦しみや悲しみにもがき、さいなまれています。そ
して、あらゆる手を尽くしてもどうにもならない問題にぶつかった事はありませんか?
不動明王は苦しみや悲しみを持つ人のため、癒す力をお与え下さいます。あなたが心より
願い、行いをすれば結果が自然についてきます。これまで多く の方々の心を癒してきまし
た。沢山の問題を解決してきました。どうぞ大きな悩みをご自分だけでかかえず、不動明
王に頼ってみてはいかがでしょうか。護摩 行、写経、写仏など様々な不動明王のお慈悲
が困っている人の必ずお力になれると信じています。』・・・と。
不動明王は大日如来の教令輪身(きょうりょうりんしん)とされる。煩悩を抱える最も
救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。密教においては、その性質
に従って 如来と菩薩と明王の 三種類の仏がいる。如来 (にょらい)とは、仏教で釈迦を
指す名称のひとつである。釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来のことを四如来と
いう。菩薩(ぼさつ)は成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のこと。菩薩は、修
行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、後に、庶民の信仰の対象と
なっていった。日本では、仏教の教えそのものの象徴である如来とともに、身近な現世利
益・救済信仰の対象として菩薩が尊崇の対象とされてきた。日本で広く信仰される主な菩
薩としては、母性的なイメージが投影される観音菩薩、はるか未来で人々を救う弥勒菩
薩、女人成仏を説く法華経に登場し女性に篤く信仰されてきた普賢菩薩、知恵を司る文殊
菩薩、子供を救うとされ、道端にたたずみ最も庶民の身近にある地蔵菩薩などがある。北
極星を神格化した妙見菩薩は、名称に菩薩とあるが厳密には天部である。また、神仏習合
の一段階として、日本の神も人間と同様に罪業から逃れ自らも悟りをひらくことを望んで
いるという思想が生まれた。それに基づき、仏道に入った日本の神の号として菩薩号が用
いられた。八幡大菩薩が代表的である。さらに、高僧の称号として「菩薩」の名が朝廷よ
り下されることがあった。例えば行基菩薩、興正菩薩(叡尊)などである。
明王の「明」は、「知識」「学問」を意味する一般的な名詞である。密教の文脈におい
ては、特に仏が説いた真実の智慧、真言のことを指し、明あるいは明呪と漢訳される。王
は、仏名にもしばしば含まれる尊称である。すなわち、明王とは、「仏の知恵(真言)を身
につけた偉大な人」という意味である。一般に、密教における最高神大日如来の命を受
け、仏教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担った仏尊を指す。この尊格
は強剛難化な衆生を教えに導く役割を負っているため教令輪神(きょうりょうりんじん)
という名で呼ばれる。或いは全ての明王は、大日如来が仏教に帰依しない強情な民衆を力
づくでも帰依させるため、自ら変化した仏であるとも伝えられる。そのため、仏の教えに
従順でない者たちに対して恐ろしげな姿形を現して調伏し、また教化する仏として存在し
ている。また、釈迦が 成道の修業の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの
場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押
し寄せ たところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまち
に超力で降伏したと伝えられるが、不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿 である
とも伝えられる。穏やかで慈しみ溢れる釈迦も、心の中は護法の決意を秘めた鬼の覚悟で
あったというものである。他にも忿怒の相は、我が子を見つめる 父親としての慈しみ=
外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したものであると言われる。
不動明王を祀る主な日本の寺院
宮城・松島瑞巌寺五大堂 (秘仏)木造不動明王坐像(五大明王のうち)(平安時代、重要文化財)
千葉・成田山新勝寺 木造不動明王二童子像(鎌倉時代、重要文化財)
千葉・弘行寺(長生不動尊)木造不動明王立像(平安時代)
東京・瀧泉寺(目黒不動)
東京・金剛寺(高幡不動) 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
神奈川・大山寺 鉄造不動明王二童子像(鎌倉時代、重要文化財)
富山・日石寺 不動明王坐像(凝灰岩磨崖)(平安時代、重要文化財)
福井・圓照寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財) 滋賀・延暦寺 木造不動明王立像(鎌倉時代、重要文化財)
滋賀・石山寺 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
滋賀・西明寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
京都・東寺講堂 木造不動明王坐像(五大明王のうち)(平安時代、国宝)
京都・東寺御影堂 木造不動明王坐像(平安時代、国宝 秘仏)
京都・鹿苑寺(金閣寺) 石造不動明王像
京都・同聚院(東福寺塔頭) 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
奈良・東大寺法華堂 木造不動明王二童子像(南北朝時代、重要文化財)
奈良・新薬師寺 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
奈良・唐招提寺 木造不動明王像(江戸時代、重要文化財)
奈良・長谷寺 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
大阪・観心寺 木造不動明王坐像(南北朝時代、重要文化財)
大阪・瀧谷不動明王寺 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
和歌山・金剛峯寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
和歌山・金剛峯寺(護摩堂) 木造不動明王坐像(鎌倉時代、重要文化財)
和歌山・高野山南院 木造不動明王立像 (波切不動)(平安時代、重要文化財)
兵庫・神呪寺 木造不動明王坐像 (平安時代、重要文化財)
鳥取・不動院岩屋堂 木造不動明王像 (黒皮不動)(伝平安時代)
香川・成田山聖代寺 不動明王像
熊本・天台宗・雁回山長寿寺 木造不動明王像(金錦不動、火伏不動、水引不動)(伝延暦年間782∼805)
沖縄・安国寺 木造不動明王像
三不動
黄不動−滋賀・園城寺(三井寺)蔵 絹本着色不動明王像(国宝)
青不動−京都・青蓮院蔵 絹本着色不動明王二童子像(国宝)
赤不動−和歌山・高野山明王院蔵 絹本着色不動明王二童子像(重要文化財)
他説もある。特に広辞苑等では「三不動」として以下の組み合わせが併載されている。
目黒不動 - 瀧泉寺
目白不動 - 金乗院
目赤不動 - 南谷寺
五色不動
目黒不動 - 瀧泉寺
目白不動 - 金乗院
目赤不動 - 南谷寺
目青不動 - 教学院
目黄不動 - 永久寺
目黄不動 - 最勝寺
関連霊場
北海道三十六不動尊霊場
東北三十六不動尊霊場
北関東三十六不動尊霊場
関東三十六不動尊霊場
東海三十六不動尊霊場
近畿三十六不動尊霊場
四国三十六不動尊霊場
九州三十六不動尊霊場
仙台成田山は、次のようにいっている。すなわち、
『 成田山仙台分院では、成田山大仏を境内の展望台に安置しています。大仏は、広く親
しまれているのです。火炎を背負い鬼のような怖いお顔をしているが、実際は大変お優し
いお不動様です。観音様の優しさを母親の慈悲のように例えるならば、不動明王の優しさ
は父親のような優しさと言える。ご利益が感じられるでしょう。私たちが一心にお祈りす
ると、何人たりとも救わずにはおかないとする大慈悲心によって、ご霊験ご利益を受けす
ることができるのです。不動明王は、真言密教の根本仏である大日如来の化身です。私た
ちの煩悩や色々な迷いを鎮め、さまざまな障り・災難を払うために恐ろしい姿をされてい
ます。また、どんな所へでも出向き、すべての人を救済するご利益のため、奴僕(ぬぼ
く)の姿を示されます。右手には、悟りを開くための智慧を表す利剣を持ち、心のあらゆ
る迷いを断ち切ってくださいます。左手には、索(なわ)を持っていて、仏教の教えに背
く人をも自分の膝元に引き付けて、正しい教えの道に導いてくださるのです。』・・・
と。
以上のようなことから、私は不動明王は、日本における「エロスの神」とひとつとして
崇(あが)め奉(たてまつ)ると良いのではないかと思う。みなさん!いかがでしょう
か?
(2)シヴァ神との繋がり
吉祥天(きっしょうてん)は、仏教の守護神である天部の1つ。もとヒンドゥー教の女
神であるラクシュミーが仏教に取り入れられたもの。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃
とされ、また愛神カーマの母とされる。仏教では毘沙門天の妃また妹ともされ、善膩師童
子を子と持つ。鬼子母神を母とし、徳叉迦龍王を父とするとも言われる。また妹に黒闇天
がいる。 毘沙門天の脇待として善膩師童子と共に祀られる事もある。早くより帝釈天や
大自在天などと共に仏教に取り入れられた。後には一般に弁才天と混同されることが多く
なった。 北方・毘沙門天の居所を住所とし、未来には成仏して吉祥摩尼宝生如来(きち
じょうまにほうしょうにょらい)になると言われる。
吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神とされ、密教においては功徳天とも
いわれている。また、美女の代名詞として尊敬を集め、金光明経から前科に対する謝罪の
念(吉祥悔過・きちじょうけか)や五穀豊穣でも崇拝されている。今では七福神で唯一の
女神は弁才天(弁財天)であるが、当初の紅一点は吉祥天であったとも言われる。同じく
金運等の福徳の女神としては、主に貴族から崇拝されていた吉祥天よりも、庶民を主とす
る万人から崇拝されていた弁才天が一般的であったためであろうと思われる。日本におい
ては、神社でも信仰の対象としているところもあり、神道の神でもある。 吉祥院天満宮
の吉祥院に菅原清公卿、菅原是善公、伝教大師、孔子と共に祀られる。
大自在天(だいじざいてん)は、もともとはヒンドゥー教におけるシヴァ神である。仏
教では自在天外道の主神とされる。仏教においては、シヴァ神と同じく三目八臂(さんも
くはっぴ、つまり三つの目と八本の腕の異型の仏像)の白牛に乗り、外道(仏教以外)と
同様の神像で表現されるが、一方では密教の曼荼羅などにおいて諸尊の一 神としても重
要な位置を占める。曼荼羅では男女一対で表され、妃を烏摩妃(うまひ)という。また仏
や菩薩の化身という解釈もなされる。
弁才天(べんざいてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であ
るサラスヴァティーが、仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名である。近世になると
「七福神」の一員としても信仰されるようになる。中世において、大黒天・毘沙門天・弁
才天の三尊が合一した三面大黒天の像を祀った記録があり、大黒・恵比寿の並祀と共に、
七福神の基になったと見られている。また、元来インドの河神であることから、日本で
も、水辺、島、池、泉など水に深い関係のある場所に祀られることが多く、弁天島や弁天
池と名付けられた場所が数多くある。 そのため弁才天は、日本土着の水神や、記紀神話
の代表的な海上神である市杵嶋姫命(宗像三女神)と神仏習合して、神社の祭神として祀
られることが多くなった。「日本三大弁才天」と称される、竹生島の宝厳寺、宮島の大願
寺、天川村の天河大弁財天社は、いずれも海や湖や川などの水に関係している(いずれの
社寺を三大弁才天と見なすかについては異説があり、その他には、江ノ島の江島神社など
がある)。弁天信仰の広がりと共に各地に弁才天を祀る社が建てられたが、神道色の強
かった弁天社は、明治の神仏分離の際に多くは神社となった。元々弁才天を祭神としてい
たが現在は市杵嶋姫命として祀る神社としては、奈良県の天河大弁財天社などがある。神
奈川県の江島神社は主祭神を宗像三女神に改め、弁才天は摂社で祀られる。弁才天は財宝
神としての性格を持つようになると、「才」の音が「財」に通じることから「弁財天」と
書かれることが多くなった。鎌倉市の銭洗弁財天宇賀福神社はその典型的な例で、同神社
境内奥の洞窟内の湧き水で持参した銭を洗うと、数倍になって返ってくるという信仰があ
る。以上のように、近世以降の弁才天信仰は、仏教、神道、民間信仰が混交して、複雑な
様相を示している。 大黒天(だいこくてん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラのこ
とである。ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れ
られた。 マハー とは大(もしくは偉大なる)、 カーラ とは時あるいは黒(暗黒)を意
味するので大黒天と名づく。あるいは大暗黒天とも漢訳される。その名の通り、青黒い身
体に憤怒相をした護法善神である。密教の伝来とともに、日本にも伝わった。日本で大黒
天といえば一般的には神田明神の大黒天(大国天)像に代表されるように神道の大国主と
神仏習合した日本独自の神をさすことが多い。民間の神道において福徳神の能力の一つか
ら子宝や子作り信仰と呼ばれるものがあり、大黒天の像が米俵に載っているのは実は男性
器をあらわしている言われ、具体的には頭巾が男性器の先端部分をあらわし、体が男性器
本体、そして米俵が陰嚢であるとの俗説がある。これは像の背後から観察すると容易に理
解できるものである。この点ひとつをとってもシヴァ教との繋がりがあると思われる。
ところで第3章でも述べたが、ニーチェの「ツァラトゥストラ」はゾロアスターのドイツ
語であり、ゾロアスターもシヴァの変身したものである。世界最古の神はシヴァ神であ
る。これはまた世界最強の神ともいわれている。
これからの時代、世界は、どう考えてもシヴァに祈りを捧げる時代です。
是非、このyoutubeをご覧ください!
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fzKCEiv2x8w
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=B68XnAPOf5w#!
これが世界最強の神シヴァの実態です。
「なまシーヴァよ、なまシヴァよ!ハルハルホーレイ!なまシーヴァ!」・・・いいです
ね!
この動画に、リンガとヴィギナが随所にでてきたのにお気づきになりましたか? ここが
キリスト教にはないところです。
吉祥天や 大自在天や弁財天や大黒天がシヴァ神とどう繋がるのか繋がらないのか、そ
の辺の事情については判らないことが多く、確たることはいえないが、そのルーツを辿っ
ていうと、私はシヴァ神に行き着くのではないかと思っている。いずれにしろ今後の学問
的な研究によって、私たちのなじみの深い吉祥天や 大自在天や弁財天や大黒天などの
ルーツが明らかになってくれば、わが国の民間信仰も国際的な広がりを持つことができる
と思う。そのなかできっと、第8章で紹介した 日本のディオニュソス的な神も自ずとイキ
イキと活動を始めるのではないか。シヴァ神は「野生の精神」に満ちている。日本のディ
オニュソス的な神もまったくそうだ。私は、「エロス原理」は三階建ての脳がフル稼働し
なければならないのであって、そのために私たちはどうしても「野生の精神」を取り戻さ
なければならないのだと思う。
地域コミュニティにおける対話は民主主義の原点である。ポートランドがその模範だ
が、数多くのNPOがあり、政治家と住民の対話が大変うまくいっているので、地域コミュ
ニティがうまく機能していれば住民はイキイキと生活ができる。ポートランドは参考にす
べき点は多いと思う。しかし、理想をいえばその他にも考えねばならない事がある。 現
実には難しくとも、 理想的な地域コミュニティを作るために私たちは努力をしなければ
ならないのである。私が考える努力の方向は、三つある。ひとつは「地域通貨」である。
二つ目はマイノリティを支援するNPOが地域コミュニティに多数あることであり、三つ目
は、「エロスの神」が地域コミュニティ或いは域外に多数存在することである。かかる観
点から、第1節では「地域通貨」、第2節では「マイノリティを支援するNPO」、第3節 では『「エロスの神」を祈ろう!』と題して私の考えを述べてきた。これらは、「理想の
コミュニティ」を作り、ポピュリズムをより進化させるための必要条件だと考えているか
らである。「理想のコミュニティ」を作るということは、実は、現在世界的に蔓延してい
るニヒリズムから脱却する唯一の道であり、国全体がイキイキと社会経済活動をしていく
上で欠くことのできない問題である。そこで次の節では「ニヒリズムと地域コミュニ
ティ」の問題を取り上げたいと思う。
第4節 ニヒリズムと地域コミュニティ
ここでは、佐伯啓思の本「現代文明論(下)・20世紀とは何だったのか。・・・西欧
近代の帰結(2004年6月、PHP研究所)」により、「ハイデガーのニヒリズム」に触
れておきたい。
ハイデガーの結論を先に言えば、西欧に限らず日本でも、近代化社会というものは、否
が応でもニヒリズムに陥らざるを得ないのであるが、その原因は「ふるさとの喪失」にあ
る。
近代社会では、多くの人が場所や大地から切り離され、地に足のつかない「根なし草」
となって価値観を喪失し社会をふらふらと浮遊しだすのである。人々は 地域のコミュニ
ティなど伝統的コミュニティから切り離され、宗教や地域社会、或は企業や政党といった
ものを媒介にしては、ひとはもう結びつかないのであ る。
ニヒリズムから脱却する、すなわちイキイキした社会を作るには、私は、故郷(ふるさ
と)における地域社会を基本として、さまざまなコミュニティを育て、 都市とのさまざま
なコミュニケーションを高め、都市とのさまざまなネットワークを作っていくことが肝要
であると考えている。そうすることによって、過疎地域という故郷(ふるさと)は世界レ
ベルの理想的な「場所」になり得るのではないか。そういう理想的な「場所」で多くの人
たちに理想的な生き方をしてもらいたいものだ。理想的な生き方、それを哲学的にいえ
ば、森岡正博の「生命的な欲望」を生きるということになるのだが・・・・・・。その鍵
を握っているのは、過疎地域における「地域通貨」だ。
なお,佐伯啓思は、「自由と民主主義はもう止める」(2008年11月,幻冬舎)の
なかでも「ニヒリズム」のことを書いているので最後にそれを紹介しておきたい。
『社会の共通の規範が崩壊し,確かな価値が見失われる社会は,「ニヒリズム」と呼ぶ
のがふさわしい。そしてまさにそれが、今日,われわれの目前に展開されている社会なの
です。「ニヒリズム」との戦い,それこそが、「保守主義」に与えられた課題です。これ
は,進歩主義では解決できません。』
『今日の先進国,特に日本の問題は,自由の抑圧というより「自由の過剰」から,貧困と
いうより「過度な幸福の追求」から,価値による束縛というより「価値の崩壊」から生じ
ているのではないでしょうか。ここに「ニヒリズム」との戦いという,現代の「保守主
義」の大きな意義が見出されるのです。そして,個人の自由や物的幸福の追求を極限まで
押し進めようとする「アメリカ文明」こそが、ニヒリズムの先端を走っていると言うべき
でしょう。』
ここで誤解のないように言っておかねばなるまい。私は、現在が「自由の過剰」とは考
えていない。「ニヒリズム」に陥っている原因は「自由の過剰」ではなく、「故郷喪失」
であり、日本の場合でいえば「過疎対策の間違い」にある。
さあそれでは、ハイデッガーのいう「故郷喪失」とはどういう問題なのか、その勉強を
したいと思う。
『存在と時間』(1927年)において、世界内存在する人間の実存を深く掘り下げ、これを
現象学的解釈学的に精緻に分析して、哲学界に深刻な衝撃を与えたハイデッガー。そのハ
イデッガーが、第二次世界大戦を挟む長い沈黙を破り、書簡体の形式で世に問うたのが、
「『ヒューマニズム』について」(1947 年)だった。いわゆる人間中心主義の「ヒューマニ
ズム」を批判しながら「存在の思索」を説くこの小さな本には、後期ハイデッガーの思想
が凝縮した形で表明されている。『「故郷喪失」の現代の「世界の運命」のなかで、私た
ちは存在の「開けた明るみ」の場のうちに「住む」ことを学び直さねばならない』・・・
と。
この「 『ヒューマニズム』 について」は、渡辺二郎(東大名誉教授)の訳本(19
97年6月,ちくま学芸文庫)がでているので,是非,それを読んでもらいたい。ハイデ
ガーの 『ヒューマニズム』 について」に対する上記の説明は,その訳本の裏表紙に書
かれているものを転載した。そこに言われているとおり、 後期ハイデッガーの思想が凝縮
した形で表明された・・・・「故郷喪失」の問題を私たちはよくよく考えねばならぬ。こ
のニヒリズムと「故郷喪失」の問題については、正確に理解するために、ハイデガーに関
する書籍(訳本)が日本でもいくつか出版されているのでそれらを勉強する必要がある。
しかし、既存のそういう図書は、それにもとづいて解説しても、なんだか理屈をこね回し
ているようで、一般読者にはすんなりはいっていかないと思われる。したがって、ここで
は思い切って私流の説明を試みたいと思う。
まず申し上げたいのは、「穴」の話である。その書評(岩井國臣、平成24年6月、新
公論社、電子出版)で詳しく紹介したが、「日本の文脈」(中沢新一と内田樹の共著、
2012年1月、角川書店 )の中で、内田樹は「穴」に関連して次のように言っている。
すなわち、
『 レヴィナスの本を読んでいて僕がいちばん「来た」のは「始源の遅れ」という概念で
す。僕はここに日本における「道」の概念に通じるものがあるような気がしたんです。た
ぶん。
道というのは、自分が起源ではなくて、「自分は遅れてここに参入した」という自覚か
ら始まります。偉大な流祖がいて、その人が天狗とか武神とかに夢の中で出会って天啓を
得て発明した巨大な体系がある。僕たちその道統に連なるものたちはそのいちばん末端
の、初心のところから修行を始めて、しだいに複雑で高度な術技と心の持ち方を体得して
ゆく。でも、どれだけ修行しても先人の達した境位には決してたどりつくことがない。最
後は「夢の中の天狗」ですから、無限失点みたいなものです。終着点には到達できない。
でも、そのことは少しも修行のさまたげにならない。この「すでに遅れて参入して、決し
て起源には遡及(そきゅう)できない」という枠組みは学習する装置としてはきわめてす
ぐれたものじゃないかと思います。ユダヤ人と日本人は、かたちは違うけど、社会集団が
生きていくために必要な生存戦略として、こうした態度や考え方を採用してきたんじゃな
いかな。』・・・と。
内田樹が道(武道や芸道)というものを「始源の遅れ」という概念と繋げて考えてい
る、その考え方は面白い。きわめて重要な考え方である。偉大な流祖は多分こう言うのだ
ろう。「夢の中の天狗はたしかに存在する。疑う事なかれ!人間社会には「穴」が開いて
いて、夢の中の天狗はその「穴」のなかにあるのであなたたちには絶対に見えない。見え
ないがあなたたちは「穴」の中に入ってきてそれを見る努力をせよ。そして、夢の中の天
狗があなたたちに何を望んでいるか、それを考えよ。夢の中の天狗を怒らしてはならな
い!夢の中の天狗は道の奥義を教えてくれる存在そのものである。疑う事なかれ!」とな
るのではなかろうか。これは、「始源の遅れ」の概念そのものであり、ユダヤ教の原点、
つまりヤーウェの宣言そのものではないか。
また、同著のなかで、中沢新一は、内田樹の霊性論に賛意を示しながら、『さっき話の
出た能舞台の切戸口の話で思い出したんですけれど、(中略)宗教だって、ダメになるの
は「穴」がなくなるときなんですよ。「穴」が封鎖されてしまうと宗教はとんでもない権
力機構に変貌しますから、そこにはいつも「穴」を開ける存在が必要です。キリスト教で
は聖人の存在がそれに当たります。聖フランチェスコは、鳥と会話したりなんかして、当
時会ったら相当おもしろい人だったろうなと思いますけど、キリスト教は絶えず個性豊か
な聖人を輩出して、「穴」を開けて意味を詰めないようにしてきた。』・・・と言ってい
る。
ここでいう「穴」とは、神とか霊とかの通う穴のことを言っている。能舞台の切戸口は
そういうものだ。しかし、より一般的に言えば、「穴を開けておくとは、合理的な考えに
こだわらないで、非合理な側面を認めておくこと」をいう。
ラカンの言葉に「真実は言葉では語れない」というのがあるが、私たちは言葉で考える
ので、私たちが考える考えというものには限界があって、なかなか真実に近づくことはで
きない。だから、いろんな人が真実に近づきながらいろんなことを言うのである。そのい
ろんなことが感じたまま自由に語られるということが大事である。この世の中、人間社
会、つまりこの世界は、「穴」が開いているのだ。すなわち、ラカンのトーラスモデルで
の穴のことである。
さて、中沢新一の「穴」の論理は非常に面白い、かつ、大事な論理であると思う。シナ
イ山でモーゼはヤーウェという絶対神から「十戒」(石版)を受け取ると同時に「わたし
はある。わたしはあるという者だ。」という声を聞く。
ここでは、「ある」という存在するという意味の動詞として使われていると同時に三人
称使役形としても使われているらしいので(「キリスト教の歴史」小田垣雅也、1995
年5月、講談社)、ヤーウェの言っていることを私流に解釈すると、「私はたしかに存在
しているのだ。疑う事なかれ!人間社会には「穴」が開いていて、私はその「穴」のなか
にいるので人間には絶対に見えない。私の存在を感じるだけだ。疑う事なかれ!絶対神で
ある私とはすべての在るものを在らしめている存在そのものである。疑う事なかれ!」と
なる。
ヤーウェはモーゼに「私はある」と名乗った!
ユダヤ的解釈は、「私はたしかに存在しているのだ。疑う事なかれ!人間社会には
「穴」が開いていて、その「穴」の中に「私はある」。人間には絶対に見えない。見えな
いがあなたたちは「穴」の中に入ってきて見る努力をせよ。そして、私があなたたちに何
を望んでいるか、それを考えよ。私を怒らしてはならない!絶対神である私とはすべての
在るものを在らしめている存在そのものである。疑う事なかれ!」となるのではなかろう
か。
「穴」に対する日本人の対応の仕方、すなわちあら
ゆる外来文化を平気で取り入れ最終的には換骨奪胎し
て日本化してしまう特質など日本文化の特質について
は、イザヤ・ペンダサン(山本七平)がユダヤ人の感
覚からするどく論じているので、以下、その大事な点
をここに紹介しておきたい
日本人というものを理解する上で大いに参考になるであろう。イザヤ・ペンダサンは次
のように言っている。すなわち、
『 アメリカのように、その国で生まれた人間はすべてアメリカ人だと規定するなら、私
は日本人である。しかし、私は、神戸市の山本通で、木綿(もめん)針を中国に輸出して
いたユダヤ人小貿易業者の家に生まれたユダヤ系日本人というわけだが、ユダヤ系日本人
という概念自体がありえないから、私及び日本人の感覚からすると、日本で生まれ育った
ユダヤ人であっても日本人ではない。こういった環境に育ったので、私は必然的に日本人
とは何か、ユダヤ人とは何か。と言った問題を具体的問題として考えざるを得なくなっ
た。(中略)人種、伝統文化、国籍といった問題になると、日本人とユダヤ人には、奇妙
な共通した問題がでてきてしまう。(中略)日本人という概念には、日本の国籍の有無な
どということは全く関係ないらしい。ましてや市民権云々(うんぬん)など、言ってみて
も始まらない。この、国籍は無関係という点のみ取り上げてみれば、ユダヤ人もまさにそ
うで、どこの国籍を持とうとそれと関係なしにユダヤ人なのであって、これも市民権の有
無などとは関係ないのである。では、一体、ユダヤ人とは何なのか、日本人は何なの
か。』
『 日本人とは日本教徒なのである。ユダヤ教が存在するごとく、日本教という宗教も厳
として存在しているのである。(中略)ユダヤ人が庶民一人一人に至るまで、はっきりユ
ダヤ教という自覚を持つに至ったのは祖国喪失の後である。日本人はそういう不幸に会っ
ていないから、日本教などという自覚は全くもっていないし、日本教などという宗教が存
在するとも思っていない。その必要がないからである。しかし、日本教という宗教は厳と
して存在する。これは世界でもっとも強固な宗教である。(中略)日本教の中心にあるの
は神概念でなく、「人間」という概念なのだ。したがって、日本教の「創世記」の現代的
表白に次のように書かれていても不思議ではない。「人の世をつくったものは神でもなけ
れば鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人がつくった
人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越すことのならぬ世が住みにくけれ
ば、住みにくいところをどれほどか、寛容(くつろげ)て、つかの間のいのちを、つかの
までも住み良くせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が
降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが
故に尊い。』・・・と。
みなさんもよくご存知のように、日本生まれの朝鮮人は、日本人の感覚として、朝鮮人
であり、日本では彼らを見下した目で見る傾向がある。彼らの中には、それを嫌悪する人
も多く、日本では朝鮮人という言葉は差別用語になっているが、私に言わせれば、朝鮮人
は朝鮮人であるけれど、私には差別意識はない。ユダヤ人は世界のどこで生まれても、ユ
ダヤ人であり、それを誇りに思うことはあっても卑下するという感覚はない。日本人もそ
うだろう。私の孫はアメリカ生まれのアメリカ人であるが、アメリカで「あなたは日本人
だから・・・」と言われても特に気にはしていないようだ。ユダヤ人と日本人は、誇り高
き民族であるという点で、共通点があるようだ。日本では、もともと国というものがな
かった縄文時代の文化が連綿と続いていて、国を超えた意識が内在化している。
イザヤ・ペンダサンは日本教などと言って私たちを驚かしているが、宗教団体のことを
言っているのではなく、「日本人のもっとも頼りにするもの」或いは「日本人がもっとも
大事にする心」のことを言っているのだと理解すれば、なるほど彼の言っているとおりか
もしれない。信仰の拡大解釈が許されるとすれば、たしかに日本教というものは存在す
る。日本でもっとも尊敬されるのは、「人間味あふれる人」であり、宗教とかイデオロ
ギーは関係ない。これを哲学的に言えば、人間には「穴」が開いていて、その「穴」の存
在とその重要性を無意識に自覚しているのが日本人である。日本人が抱く感覚は、あくま
でも感覚であって、言葉でなかなか言い表せない。自分で抱く感覚は人に説明できないの
である。だから、日本に開いている「穴」を見て或いはその穴に入って感じる感覚という
ものは、どう表現すれば良いのかわからない。「穴」にいるのが神でも仏でも何でも良い
のです。イワシの頭でも良いのである。それが日本教の本体だ。イザヤ・ペンダサンはそ
う言っているのだと思う。ところで、上の文中「創世記」の現代的表白とあるのは夏目漱
石の「草枕」のことを言っている。西洋の古典、日本の古典、中国の古典、仏典までを自
由自在に読みこなし、自分の作品の中に縦横に駆使しえた同時代の世界最高の知識人、そ
れは夏目漱石のことだが、そういう世界最高の知識人が「人の世をつくったのは人だ」と
イザヤ・ペンダサンが言い得たのは、日本における古来からの信仰に由来するのかもしれ
ない。しかし、そういう日本教というものをどのように外国人に説明するかとなると、そ
れは非常に難しい問題である。非常に難しいけれど、何とか説明できるようにしなければ
ならない。それがこれからの課題だと思う。
その課題に答えるには、「日本文明の主張」(西尾幹二、中西輝政、2000年12
月、PHP研究所)が大きなヒントを与えてくれているように思われる。その要点は、縄文
的なるものが日本文化の本当の中核部分にあるという認識、それが故に外来文化の換骨奪
胎が平気で行われたという認識、またそれが故に「神道とは日本人そのものである」とい
う認識にある。「神道とは日本人そのものである」ということは、神仏習合を意味してい
るが、要するに、「神は人の心にある」ということだ。そういう認識は、イザヤ・ペンダ
サンと同じ認識であり、夏目漱石に代表されるように日本人共通の認識である。
以上の認識にもとづいき、ここで、「穴」について、「人の心の中に開いている「穴」
の中に神はある。その「穴」は無(む)。かたちはない。単なる<場>である。しかし、
人が祈るとき<場の力>が発揮される。祈るからこそ神の力は大きくなる。」ということ
を宣言しておきたい。以上で、人間社会の「穴」についてある程度ご理解いただけたであ
ろうか。
では、次に、今までの説明を補強する意味で、ラカンのトーラス型モデルについて触れ
ておきたい。トーラス型モデルとは、小さな穴の開いたドーナツを目に浮かべてくださ
い。そしてあなたは小さな蟻になったと思ってください。蟻であるあなたはドーナツの表
面を真実を探しながら歩いている。真実は穴の真ん中にあるので、蟻であるあなたがいく
らその真実を探し歩いても、全体にその真実にたどり着くことはできない。そうですよ
ね。トーラスは数学的に表現できるので、トーラス型モデルと呼んでいる。詳しくは中沢
新一の力作「カイエ・ソバージュ、、神の発明」(2003年6月、講談社)をご覧いた
だきたい。 中沢新一の説明によれば、トーラスの中空の穴は、人間の知恵ではこれを埋
めることはできず、スピリット(精霊)の活動によってのみこれを埋めることができると
いう。
以上「穴」の話を終わったところで、いよいよハイデガーの思想の核心部分を説明する
こととしよう。西洋の哲学史において、真理は理性で捉えることができると考えられてき
た。はたして真理は理性で捉えることができるのか? 否である。私たちは言葉で考え理
性を働かせている。そうである以上、ラカンが言うように理性では真理に到達できないの
だ。私流に言えば、そもそも人間社会は「穴」が空いているので真理には到達できない。
ハイデガーはこのことを説明するために、独特の言葉を使いながら独特の論理展開をし
ていく。これをハイデガーの「根源学」という。根源学では、人間社会に実存している現
象、木にたとえれば生い茂っている枝や葉のことであるが、枝葉を見てその根っこの部分
を認識しようとするものである。根っこの部分とは、物事の本質を意味するが、それは目
に見えない。目に見えないものをどう認識するのか。その方法が根源学である。根源学で
は、「世界的内在」というという概念が大事であるので、まずそのことを説明したい。私
たちは歴史を生きている。歴史的人間である。鶴見和子の「つららモデル」というのがあ
るが、過去は現在に繋がっている。ハイデガーは、過去という言葉は使わないで、「過
在」と言っているが、その意味は、現在に繋がって今なお存在しているという意味であ
る。私たちが身の回りのさまざまな物とのかかわり合う際にも、そこには歴史的に形成さ
れてきた種々の意味や解釈が作用していること、そして、私たち自身の態度や意識も歴史
的に形成されている。これがハイデガーの基本的認識であって、私たちの生とは、歴史を
紡ぎつづける生、過去の人びとによる遺産を受け継ぎながら伝統を形成する生なので
あって、ハイデガーは「歴史的な生」と呼び、そういう生を生きる「私」のことを「歴史
的な私」と呼んでいる。これは「宇宙的な私」とは対極的なものである。私たち人間が歴
史的な作用の中にあることは、宇宙的な生命の一部として自己の生を感知するのとは違っ
て、あくまで、分析的な作業、あるいは自分の中に沈殿したさまざまな意味の層を掘り起
こし、その根っこの部分(源泉)へと突き進んでいく作業が大事で、そういう作業を通し
てはじめて解明されることがらである。つまり、歴史的な層の解体作業によって「隠蔽さ
れている」その殻(から)を突き破らなければならない。そうしないと根っこの部分に存
在する真理に到達できない。こういう作業をするのがハイデガーの「根源学」であるが、
みなさんに注意してもらいたいのは、禅でいうところの「両頭截断」との違いである。
「根源学」の方は理性的な論理展開によって真理に到達する。一方「両頭截断」の方は直
観によって一気に真理に到達するのである。西洋哲学において「直観」という言葉を使っ
ている場合もあるが、それはあくまで理性的なものであって、私のいう「霊性的な直観」
とは違う。だから、西洋哲学で「直観」という言葉が出てきたら、「直知」とか「直感」
と言い換えるべきである。ハイデガーも、最終的には、「直感」という言葉を使わずに、
「理解」という言葉を使っている。
さて、「世界的内在」という概念であるが、「歴史的な生」とか「歴史的な私」という
ことをご理解いただいたところで、説明する。この世界は「歴史的」なのである。つま
り、人間はいわば荒涼として凍てついた宇宙の中で、一人孤独な主体として生きているの
ではなく、歴史的に形成されたさまざまな意味関連の中で生きている。私たち人間は、そ
ういうことを意識しようがしまいが、意識以前の事柄として、そういうふうに生かされて
いるのである。これが「世界的存在」という概念である。そういう概念のうち、ハイデ
ガーは、特に人間に焦点を当てて「現存在」と呼んでいる。「現存在」とは歴史的に生か
されている人間のことである。
すべてのものは「世界的存在」である。そして、すべてのものは、根っこの部分にある
見えない本質(ハイデガーが「ツハンデネス」と呼ぶもの)と、眼前に生い茂った枝葉
(ハイデガーが「フォルハンデネス」と呼ぶもの)に分かれて存在しているが、私たちが
意識して「ツハンデネス」に注目するとき、「フォルハンデネス」が眼前に立ち現れてく
る。その眼前に立ち現れてくる「フォルハンデネス」を認識するのが、ハイデガーが「原
体験」と呼ぶものである。すなわち、「原体験」とは、意識的な対象認識であって、理論
的な対象認識とは対極をなす。ハイデガーは、こういう「原体験」をすることを「世界す
る」という。「現存在」とは、先ほどと別の言い方でいえば、「原体験」をすることがで
きるよう生かされている人間のことである。私たちは、「原体験」をする、つまり「世界
する」ように生かされているからこそ、すべてのものは「世界的存在」なのである。
いろいろハイデガー独特の言葉の説明をしたが、頭がこんがらがってきたかと思う。そ
の基本的な考えは、私たち人間は「歴史的に生きている」ということで、このことを出発
点として「世界的存在」とか「現存在」とか、「原体験」とか「世界する」という言葉の
意味を覚えていただくといいかと思う。
ハイデガーは、歴史的なものを無視して、すなわち先ほど説明した「過在」を現在と切
り離して、現実界に没頭することを「頽廃」と呼んでいる。好奇心、空疎なおしゃべり、
気晴らし・・・、都会の喧騒や軽薄に対するハイデガーの憎悪の念をもって「頽廃」と呼
んでいるのだが、私たちは通常、身近な事柄に没頭しているとき、その歴史性、つまり日
常生活を根底で支えている歴史的な枠組みというものを意識している訳ではない。だか
ら、ハイデガーからそれが「頽廃」だと言われるとびっくりしてしまう。ハイデガーによ
れば、軽薄とは、歴史的なものを無視して、現在だけのことを考えることである。ハイデ
ガーは、それを「現在の優位」とか「視覚の優位」と言っているが、私たちはそうなりが
ちであることを意味している。ではどうすれば良いか? 「頽廃」を脱却するには、将来
に向かって、いろいろな歴史的な可能性を導き出すことだ。そのためには、先ほど述べた
ように、歴史的な層の解体作業によって「隠蔽されている」その殻(から)を突き破っ
て、「穴」の中に入っていかなければならない。真理の存在する「穴」に入ったからと
言って、 真理に到達できるかどうかは判らない。しかし、まずは「穴」に入っていくこ
とが肝要である。しかし、その「穴」は都会や既存の宗教(キリスト教)では塞がれてし
まっていて、もう真理を探し出すことは不可能である。歴史的な可能性を導き出すことは
不可能なのである。だから、ハイデガーは都会に憎悪の念を抱いているのだが、一方、
「故郷」には強い憧れをもっていて、ヘルダーリンの詩に夢を託している。「故郷」の固
有の伝統を自覚し、それを背負い受けることでしか真理に近づくことはできない。真理に
近づくことができないとは、神に近づくことができないということも意味している。「故
郷喪失」をしてしまった今、真理に近づくこともできないし、神に近づくこともできな
い。これが、現在、西洋がニヒリズムに陥っている原因だ。ハイデガーはそのように認識
しているのである。
細川亮一は、その著「ハイデガー入門」(2001年1月、筑摩書房)で次のように
言っている。すなわち、
『 ハイデガーは、新たな形而上学を構想しようと試みる。神の死を真剣に受け止めるこ
とが形而上学構想の背景にあるだろう。神の死はわれわれのもっとも固有な現存在自身を
偉大な変容の前に立たせるが、その変容は情熱的に神を求めた最後のドイツの哲学者ニー
チェの可能性を取り戻すこととして、遂行される。神の死を語ったのはニーチェである
が、そのニーチェを「情熱的に神を求めた」と形容することは矛盾だと思うだろう。ハイ
デガーを無神論者的実存主義者と見なす人は驚くだろう。しかし、ハイデガーが無神論を
表明したことは一度もなく、むしろ神への問いはハイデガーの思惟の道をつらぬいてい
る。ともかく神の死を無視論と捉えず、ニーチェを「情熱的に神を求めた」とすることの
うちに、ハイデガーのニーチェ解釈の独自性がある。(中略)ここでハイデガーにおける
「神の死の基礎経験」に出会う。(中略)ハイデガーは、この「神の死の基礎経験」に
よって神を問わざるを得なくなり、存在論としての哲学という理念は神を問う新たな形而
上学に席を譲る。』・・・と。
ハイデッガーの『形而上学とは何か 序論』における「形而上学」(Metaphysik)の概念
を手がかりにしてハイデッガーの形而上学の問題と西洋との関係について考えた・・・芦
名定道(京都大学大学院文学研究科教授)の論文がネットで公開されている。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/ sashina/sub4k2.html
これを読むとハイデガーの考えがよく判る。次にその結論部分だけを紹介することとす
るが、詳細は芦名論文を読んでもらいたい。
『「森の道に収録された論文「ニーチェの言葉、神は死んだ」において、形而上学につい
てどのように述べられているかを見てみたい。ここで特徴的なのは、形而上学=西洋的思
惟の本質=ニヒリズムという規定である。』
『 形而上学とは、その中で超感性的世界、理念、神、道徳律、理性の権威、進歩、最大
多数者の幸福、文化、文明がそれらの建設する力を喪失して空しくなることが命運となっ
ている歴史空間である。』
『 西洋の形而上学自体がニヒリズムなのである。ニヒリズムはその本質から考えるなら
ば、むしろ西洋の歴史の根本運動であり、ニヒリズムの本質と性起の領域とは、形而上学
それ自体である。』
『 このような形而上学は、更に故郷喪失であり、ヒューマニズムも、そして技術も形而
上学と同じ有のエポックの中にあるということが、「ヒューマニズムについて」において
語られている。すなわち、「この故郷喪失は、しかも形而上学の形態において、有の命運
から呼び出され、形而上学によってとらえられ、同時に、形而上学によって故郷喪失とし
て隠されている」のであり、「マルクスがヘーゲルから本質的な意義深い意味において、
人間の自己疎外として洞察したこと」は、近代人が故郷を喪失したことに由来し、この
「故郷喪失は世界の命運になった」のである。』
『 以上、形而上学を様々な角度から見てきたが、そこから明らかなように、形而上学と
は、ハイデッガーにおいては、西洋的思惟を根底から規定し、その本質となっているもの
であり、有の歴史の一つのエポックをなしているものであって、それはニヒリズムに他な
らず、現代人の疎外もそこから起因し、ヒューマニズム、技術というあり方で現代社会を
支配しているのである。有と有るものの混同、有の忘却によって、現代は故郷喪失に陥っ
ているのである。もちろん、このような形而上学の特徴付けは、使用された文献が特定の
時期のものに限られているため、そのままハイデッガーにおける形而上学の全体像とはで
きないものであろうが、『序論』の時期にハイデッガーが形而上学ということで何を意味
していたのかという点について、その要点は明らかにされたものと思う。』・・・と。
ハイデガーは、晩年、ニーチェのニヒリズム論には悲観論に裏打ちされた楽観論がある
とした。高田珠樹は、その著「ハイデガー・・・存在の歴史」(1996年9月、講談
社)の中でハイデガーの晩年の心境を述べているので、それを紹介しておきたい。すなわ
ち、
『 古代ギリシャにおける西洋史の始まりは、自分たちに直接見えることはない。それは
消え去ったものとして追憶しうるだけである。次の始源・始まり、「別の始まり」も未だ
見えることはない。われわれはただその到来に備え、それを待つよりほかない。自分たち
は、あくまでこの現前そのものが現前してくることのない「夕べの国(西洋)」の黄昏の
なかにいる。次の始まりについて具体的に語ることは許されない。せいぜい「されど危険
のあるところ、また救うものも育つ」というヘルダーリンの詩句を引くことで、淡い希望
が表明されるだけである。』・・・と。
私は、ハイデガーは随分悲観的だなあと思う。彼はインドを知らないし、日本も知らな
い。世界を知らないのである。西洋では「神は死んだ」かもしれないが、インドではシ
ヴァ教が今も息づいているし、日本では神々はピンピンしている。喪失した「故郷」の再
生を図ることも決して夢ではない。「理想のコミュニティ」は将来必ず実現すると思う。
さて、「理想のコミュニティ」が草の根民主主義に不可欠のものであり、ポピュリズム
の進化のために不可欠のものであることの他、国民全体としてもイキイキと生きていくた
めには、ニヒリズムから脱却するという意味において、きわめて大事なことをご理解いた
だいたと思う。私たちは全力を挙げて、たとえ長年月がかかろうとも、「理想のコミュニ
ティ」づくりに向けて歩んでいかなければならない。その際、やはり政治家の果たすべき
役割は大きいと思う。政治家はポピュリズム(大衆主義)の立場に立って、天下国家を論
じながらも、地域住民との対話を進めていかなければならない。次の節は「政治家の対
話」について、プラトンの考えを紹介したい。偉大な哲学者で政治も問題を真剣に考えた
人はプラトンをおいて他にない。
ハイデガーの基本的な考えは、真理は「歴史性」の中に隠されている。それが「原体
験」によってその都度「立ち現れてくる」というというものであるので、ハイデガーの哲
学というものは動的な認識論と言ってよい。そして、彼は、プラトンのイデア論は固定的
であるとして、プラトンに対して良い評価を与えていない。それどころか、西洋哲学が理
性に凝り固まってのはプラトン哲学の勢であるとハイデガーは理解したようである。しか
し、ギリシャ哲学以降の哲学者もそうであるが、ハイデガーもプラトン哲学を誤解してい
る。プラトンの名誉挽回のために、この節を終わるにあたって、そのことだけを説明して
おきたい。ハイデガーもそうだが、西洋の哲学者の誰もが気がついていないものにプラト
ンの「コーラ」がある。「コーラ」とは自然のおもむきや歴史のおもむきをいうのだが、
プラトンのイデア論は、「コーラ」と深く結びついている。決して固定的なものではな
く、動的なのである。では「コーラ」の説明に入ろう。
藤沢令夫という大先生は、1956(昭和31)年京都大大学院修了後、九州大助教授
などを経て69年に京大教授に就任、退官後の91年から 97年3月まで京都国立博物
館長を務めた人である。先生は、古代ギリシャ哲学が専門で、特にプラトン研究で知られ
る。プラトン哲学の大家である。その先生の著に、「自然、文明、学問・・・科学の知と
哲学の知」(1983年9月、紀伊国屋書店)という本があって、それに、『 プラトン
の宇宙論が要請する根本原理としては、原範型イデアと、生成の「場」(コーラ)ないし
「受容者」(ヒュポドケー)と、デーミウルゴス(創造者)・・・これは、万有の動と変
化の根源であるプシュケー+ヌウスの神話的象徴と解せます・・・・と、この三つを考え
ることができます。』・・・・という説明がある。
藤沢令夫は、「コーラ」は生成の場だと言っているのだが、このことを、中沢新一が
「精霊の王」(2003年11月、講談社)の中で非常に判りやすく説明しているので、
それをまず紹介しておきたい。
『 そ れにしても、宿神=シャグジの空間はプラトンの言う「コーラ chola」というも
のに、そっくりである。(中略)コーラは「母」である、とプラトン(ティマイオス)は
いきなり宣言する。そして、それは「父」とも「子」とも関わりのないやり方で、自分の
内部に形態波動を生成する能力を持ち、その中からさまざまな物質の純粋形態は生まれて
くるのであると…語るのである。(中略)コーラは子宮「マトリックス」であると言われ
ている。同じようにして、宿神もミシャグチも子宮であり、胞衣だと考えられていた。そ
の中には「胎児」が入っ ていて、外界の影響から守られている。つまり、コーラは差異
と生成の運動を同一性の影響から守り、宿神は非国家的な身体と思考の示す柔らかな生命
を、外界を支配する国家的な権力の思考から守護する働きをおこなってきたのだ。
こうして私たちは、プラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見するのである。
この概念は、極東の宿神=シャグジの概念との深い共通性を示してみせるのだが、それは
おそらく、かつてこのタイプの存在をめぐる思考が、新石器的文化のきわめて広範囲な地
域でおこなわれていたためだろう、と考えるのが自然ではないか。コー ラという哲学概
念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。西欧ではいず
れこのコーラの概念を復活させる運動の中から、現代的なマテリアリズム(唯物論)の思
考が生まれ出ることになる。その意味では、マテリアリズム そのものが哲学すべてに
とっての「後戸の思考」だと言えるかも知れない。(第十章「多神教的テクノロジー」,
268頁,272頁)』・・・・・と。
ま た、オギュスタン・ベルクというすばらしい地理学者がいる。このひとは、1942年
生まれのフランス人であって、パリ大学で地理学第三課程博士号および文学博士号(国家
博士号)を取得後、1984∼88年に、日仏会館フランス学長を勤めた人である。現在フラ
ンス国立社会科学高等研究院教授。十数年日本に移り住んで、風土学の領野を開拓し、画
期的な独自の理論を構築した人である。この人の最近の著書に「風土学序説」(2002
年1月、筑摩書房)というのがあって、その中に、「神話にもとづいてプラトンは、場所
(コーラ)を母に、存在を父に、生成を両親の子に譬えているのである。」という説明が
ある。これは中沢新一の説明とほぼ同じ であろう。何故ベルクが存在学にこれほど深い
知見を有しているかというと、地理学というものは、「地理的に何故それがそこにあるの
か」を問うという側面をもっているからである。例えば、京都には祇園祭がある。この祇
園祭は何故京都で行われているのか? それに答えるには、「祈りのシリーズ(3)」
(平成24年5月、新公論社、電子出版)に書いたように、「御霊信仰」から説き始めな
ければならない。そのためにはどうしても歴史をひもとかなければならないのである。つ
まり、祇園祭には現在すでに見えなくなっている「歴史性」が沈殿しているのである。地
理学は「歴史性」を鋭く問う学問でもある。ベルクは、存在学を十分身に付けた真の地理
学者である。
さて、藤沢令夫の説明に戻ろう。原範型イデアとは何か? これはホワイトヘッドの
いう「永遠的対象」と同じものと考えてよいようだ。ホワイトヘッドの哲学は有機体哲学
と言われるが、すべてのものが変化する世界観から成り立っている。その変化の中で名詞
的に固定されているものが、ホワイトヘッドの考える「普遍」で、それを「永遠的対象」
というのだが、それがプラトンのいう原範型イデアのことではないか。それは、私の理解
では、存在者というか出来事というか、そういうものの裏にある真理(絶対的な存在)で
ある。その原範型イデアが場所(コーラ)に作用し、変化のエネルギーによって生成とい
う両親の子が生まれる。ここで父というのは、真理(絶対的な存在)というか「永遠的対
象」というか「原範的イデア」のことである。「コーラ」はそういう生成の場所なのであ
る。生成の母であるとか、母の子宮であるというのはとてもわかり良いではないか。
なお、オギュスタン・ベルクによれば、「コーラ」は自然のおもむきであり歴史のおも
むきであるから、原範的イデアがハイデガーの言うように固定的なものであるとしても、
全体的な思考としては、「歴史性」が抜け落ちている訳ではない。その点、ハイデガーは
プラトンを誤解しているのではないか。それほどプラトンの哲学は奥深い。ではこのこと
を申し上げた上で、いよいよ第5節に移ろう。「政治家の対話」について、プラトンの考
えを紹介したい。
第5節 政治家の対話
プラトンの政治思想はただの政策論ではなく、認識論、形而上学、倫理学、文芸論など
を貫通して深く根を張っていると言われている。その根の部分を見ないといけない。生い
茂っている枝葉の部分を見ていてもプラトンの政治思想を理解したことにはならない。プ
ラトンはそれほど深く政治というものを考えたのである。
出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)という言葉がある。教えを受けた弟子がその師
(し)を超えることを言うのだが、プラトンの哲学はまさに師匠ソクラテスのそれを超え
たが、ソクラテスに対する尊敬の念は終生変わらなかった。ソクラテスは、不正なこと不
敬虔(ふけいけん)なことを何ひとつ行わないということに全関心を向けた人であり、そ
のことを自分は「言葉でなく行動によって示した」と、プラトンは「ソクラテスの弁明」
のなかでソクラテスに語らしている。ソクラテスの哲学とは、彼が身を以て示したこのよ
うな「よく、正しく、美しく」という価値規範を芯(しん)とする人間の幸福を追求する
営みにほかならなかったということである。プラトンは、そのようなソクラテスの生き方
に深い感銘を受け、政治が本来目指さなければならないのは、まさにソクラテスのような
生き方と行為の価値規範と、それにもとづく真の幸福を、国民の間に実現させることであ
ると考えていたようである。プラトンは、その哲学において脂の乗り切った40才頃に書
いた「ゴルギアス」のなかでソクラテスにこう語らせている。「僕は、みずから思うとこ
ろでは、・・・本当の意味での政治の技術を手がけている数少ない一人であり、現今の人
びとの中で僕だけが、政治を実践しているのだ」・・・と。そして、プラトンは、「第7
書簡」で次のように述べるのである。すなわち、
『 私は、正しい意味での哲学を讃えて、こう言わざるを得なくなりました。・・・国家
の正義も個人の正義もすべて、正しい意味での哲学からこそ見て取ることができるのだ、
と。だから、正しく真実に哲学している人びとが国政の支配の座につくか、あるいは、現
に政権を握っている人びとが、何らかの神の配慮によって、ほんとうに哲学するようにな
るか、このどちらかが実現するまでは、人類が災いから免れることはないであろう、
と。』・・・と。これはプラトンの「哲人政治」とみなさんもよくご存知の思想である
が、一見、あまりにも理想主義的すぎて現実的でないと思われませんか。無い物ねだりと
いうものだ。しかし、ここでみなさんに考えてもらいたいのは、無い物ねだりであること
ぐらい、プラトンは百も承知であっただろうということである。プラトンは、この考えに
達するまでに、ソクラテスの死からすでに12年が経過し、プラトンはすでに40才に
なっていたが、これを「国家」という著作の中で正式に公表するまでに、さらに10年以
上の年月を要している。このことはプラトンがこの思想がどれだけ反常識的で、ましてそ
の実現がおおよそ不可能であることを十分認識していたことを伺わせる。では、プラトン
はそういう一見非現実的と思われるようなことを主張したのだろうか。そこには裏がある
ようだ。ここで私が言いたいのはそこである。その裏とはどんなものか?
ソクラテスは、「哲学は対話である」と考えており、政治の実践とは「対話」そのもの
であったのである。プラトンはそういうソクラテスの政治の実践活動に深い感銘を受け、
「対話」を大前提に「哲人政治」を考えたのだと思う。すなわち、プラトンの「哲人政
治」という思想の裏には「対話」の思想がある。では「対話」の思想とは何か? それを
これから話そう。それにはまず、「無知の知」というソクラテスの思想について話さなけ
ればならない。
第3章で 藤沢令夫の説明(「プラトンの哲学」、1998年1月、岩波書店)を紹介
したが、その要点は次のとおりである。
『 よく知られている話と思うので、要点のみにとどめるが、ソクラテスは古い友カイレ
ポンから「ソクラテス以上の知者はいない」というデルポイの神託を告げられる。自分が
知者などではないことを自覚し、しかしまた神が嘘をつくはずはないと固く信じていた彼
は、驚いて、いったい神は何を言おうとしているのかと、真剣に思い迷う。そこでソクラ
テスは、世間で知者とみなされている各界の人物を取り上げ、現にここに私以上の知者が
いるではありませんかと、神託を「反駁(はんぱく)」しようとしたのである。「反駁」
は成功したか? 否。それらの人物たちは、自分が知者だと思い込んでいるけれども、ソ
クラテスが吟味してみると、実はそうでないことが判明する。ソクラテスはこう思った。
善美にかかわる重要事についての無知はこの人も自分も同じだが、しかしこの人は「知ら
ないのに知っていると思っている」のに対し、自分は、「知らないから、そのとおりにま
た、知らないと思っている」。このちょっとした違いで、自分の方が知者だということに
なるらしい。そしてあの神託の意味も、これでうかがい知ることができるのではないか。
すなわち、「ほんとうの知者は神だけ」であり、それに比べて、「人間たちのうちでいち
ばんの知者とは、ソクラテスのように、自分が知に関しては何の値打ちのないと知った者
なのだ」ということを、教えようとしたのにちがいない。これが、「無知の知」という言
い方でよく知られている、「人間なみの知」とソクラテスが呼んだ知のあり方であ
る。』・・・と。
以上が、ソクラテスが「人間なみの知」と呼び、その後一般的には「無知の知」と呼ば
れている・・・「真善美の本質(真理)」に関する認識のレベルを言っている。私たちは
木の上に生い茂る枝葉はよく認識できる。しかし、その木の根っこの部分は目には見えな
いので、通常の方法では、それを正しく認識することはできない。「真善美の本質(真
理)」に関する認識についても同じことが言え、「真善美の本質」すなわち「真理」とい
うものは、通常の方法では、それを正しく認識することはできない。ハイデガーはそれを
追求し、その方法を根源学と呼んだ。ハイデガーの哲学は根源学である。しかし、ソクラ
テスは、「しょせん人間の知(理性)では真理を見ることはできない。近づくことはでき
ても。」・・・と考えた。真理は「神のみぞ知る」という訳だ。私たちは、ことの本質が
判ったとか、真理が判ったとか、考えてはならない。自分がある結論に達したら、神に自
分の結論が正しいかどうかを尋ねてみると良い。否、そうしなければならないのである。
私は、実感として、まったくそうだと感じる。
私は、学者ではないけれど、昔から比較的文章をいろいろと書いてきた。その経験から
言えることだが、文章というものは時間とともに「熟す」ものである。その間、そのこと
を必死になって考えるということはなくても、しばらく時間が経つうちに、無意識のうち
に「ひらめき」が起こって、文章は熟していく。はじめの文章より良い文章が出来上がっ
ていくのである。「下手な考え休むに似たり」という訳だ。これを私は「内なる神との響
き合い」と呼んでいるが、ハイデガーは「時熟」と呼んでいる。ハイデガーは「歴史的な
もの」の積み重ねの中に「時熟」というものを見たが、実は、私たち人間の思考の中にも
「時熟」が起こっている。というのは、私たちは幼い頃から、幾重にも「原体験」を重ね
てきて今の私がある。何かが気になりそこに意識を寄せていると、ある日突然、いろんな
「原体験」が作用するのであろう、無意識のうちにある種の「ひらめき」が起こるのであ
る。それを「神の啓示」と言っては言い過ぎかもしれないが、まあ原理的にはそういうも
のだ。
ソクラテスの「無知の知」という概念は、多分、そういうことを言っているのであろ
う。プラトンは、ソクラテスのこの知の捉え方こそ、哲学のたしかな出発点であり、立脚
点であるととったに違いない。自分が何かを知っていると思い込む以前の状態、それを私
は「無垢の状態」と呼んでいるが、私たちは常にそういう「無垢の状態」に自分をおい
て、「神的な知」を希求しなければならない。ソクラテスの哲学は、「神の命にしたがっ
て哲学すること」に他ならなかった。ソクラテスは、裁判で死の宣告を受けようと、自分
の哲学が「神命」である以上、平然と「神命」にしたがったのである。プラトンはそうい
うソクラテスの態度を受け継ぎ、終生「無知の知」の構えを堅持した。プラトンは、「ソ
ピステス」(「プラトン全集3」岩波書店)と「ティアテトス」(岩波文庫)で、『魂の
内において魂が自分を相手に声を出さずに行う対話・・・まさにこれがわれわれによって
思考と呼ばれるようになったのだ』・・・と言っている。「魂が自分を相手に声を出さず
に行う対話」・・・、これはまさに私のいう「内なる神」との響き合いである。「内なる
神」との響き合いとは何か? それを科学的に説明したのが私の「祈りの科学シリーズ
(1)「100匹目の猿が100匹」(平成24年5月、新公論社、電子書籍)である。
是非、読んでいただきたい。ラカンのトーラスモデルが示すように、言葉で考える私たち
の理性というものには限界があって、人間社会の「穴」に入っていって、真理に近づいて
いかなければならない。その近づき方にはいくつかの方法があるが、ここではあえてそれ
には触れない。前節(第4節)で述べた私の「穴論」と「プラトンのコーラについての説
明」を参照されたい。ただ、「コーラ」とは和辻哲郎の「風土」のことであり、それはハ
イデガーの言う「故郷」或いは私のいう「理想の地域コミュニティ」と深く繋がっている
ということだけは申し上げておきたい。
政治家の対話は、地域の人々と行う地域コミュニティを良くするための対話が基本で
なければならない。対話には、「外なる人びととの対話」と「内なる神との対話」があ
る。「外なる人びととの対話」は「時熟」によって「内なる神との対話」を生起させる。
地域の人々と行う地域コミュニティを良くするための対話は、生活そのものに関する対話
である。だから、それは民主主義の原点であると言い得る。政治家は天下国家を論ずるこ
とも大事だが、地域の代表でもあるので地域についても論じなければならない。しかし、
そういう実際の対話は、それだけにとどまらず、「時熟」によって「内なる神との対話」
を生起させるのである。勢い、政治家は思想的に成長していく筈である。その点でも、私
は、政治家に対し「下手な考え休むに似たり」と言いたい。政治家たる者おおいに地域の
人々との対話に努めてもらいたい。今大事なのは「故郷」の再生であり、「理想の地域コ
ミュニティ」づくりであり、国土形成計画で謳っている「二地域居住」の実現である。そ
して、ポピュリズム(大衆主義)の更なる発展である。それには政治家の果たすべき役割
は大きい。しかし、私たちがやらねばならないこともある。私たちの意識を根本的に変え
なければならない。それは、第6章第4節でのべた「エロスの神」への信仰である。私た
ちは今こそエロスの神を信じて正しい人生を歩まないと「個人の幸せ」はおろか「種の保
存」すら危なくなる恐れがある。イギリスの医学ジャーナリストであるロイ・リッジウェ
イという人の言うところによれば、「多くの子供から助けを求める悲鳴が聞こえてくる」
のである。子供は社会の宝である。プラトンの「エロス論」はそのことをいちばん訴えて
いる。最後に政治家への希望と「エロスの神」礼賛を申し上げて、筆をおくこととする。
おわりに
ポピュリズのさらなる進化のためにも地域社会における「政治家の対話」が必要であ
り、女性にもっと政治の世界に進出してほしい。「理想の地域コミュニティ」に向かうこ
とはそのためにも必要だし、近年はびこっている「ニヒリズム」から脱却するためにも必
要である。「理想の地域コミュニティ」に向かうには、弱者が逃げ込む「駆け込み寺」の
ようなものが必要である。これは地域コミュニティの問題ではなく、国全体の問題ではあ
るが、弱者対策は緊急の課題でないかと思う。弱者の最たる者は女性である。ドメス
ティック・バイオレンスというか男の暴力が後を絶たない現状において、どうしても女性
は弱い立場にあると思う。これを改善していくには、やはり社会全般にわたっての意識改
革を図らなければならない。こういった問題も含めて、第10章の第2節で述べた「マイ
ノリティを支援するNPO」を作っていかなければならない。
ニーチェは、「この人を見よ」のなかで「女性解放とは、女性失格者のいだく、出来の
良い女性への本能的憎悪である」と述べ、ニーチェはフェミニズムの敵であるというレッ
テルを貼る向きもないではないが、それだけではニーチェの本当の考えを理解したことに
はならない。ニーチェは、女性の弱点を十分理解した上で、「華やぐ知恵」のなかで「君
の立つところを深く掘れ。下には泉がある。下には地獄があると叫ぶのは蒙昧の徒にまか
せよう!」と言っている。このようなニーチェの言葉が、ラディカルなフェミニズムを担
う女性には、自分たちの活動への励ましのファンファーレとして響いたのである。この辺
の事情は、「魂と世界・・・プラトンの反二元論的世界像」(瀬口昌久、2002年12
月、京都大学学術出版会)に詳しく書かれているので、是非、それをご覧いただきたい。
ニーチェは、男と女の性差は生来(せいらい)のものと考えているし、私もそう思う。
しかし、フェミニズムの元祖・ボーヴォワールはそうは考えない。男と女は違うのか? その性差は根元的なものなのか? ボーヴォワールが言うように、男性中心の社会が勝手
に形成してきた偏見に過ぎないのか? 政治の世界にも、もっと女性リーダーが出てきて
ほしいと願う私の立場からいえば、男と女の性差について一度しっかり考えておく必要が
ある。私の認識は、ボーヴォワールのそれとは違うが、ボーヴォワールの考えをもう少し
勉強したいとおもう。ボーヴォワールのレヴィナス批判については、誤解にもとづくもの
だと内田樹は言っているが、私もレヴィナスの形而上学は非常に奥の深いものであるの
で、多分、内田樹の言うとおりかもしれない。いずれにしろ、 私としては 、男と女のそ
れぞれ長所と短所を正しく認識した上で、「女性礼賛」のファンファーレを女性に送りた
い。
第5章で述べたように、 私たちは今こそ新たな「エロスの神」を創造して正しい人生
を歩まないと「個人の幸せ」はおろか「種の保存」すら危なくなる恐れがある。「子ど
も」をとるか「文化」をとるか、そのいずれの場合であっても、エロスの神に「祈り」を
捧げ、女性には人生をイキイキと生きていってもらいたい。エロスに神に「祈り」を捧げ
るということは、まずは自分自身が自分の階段を一歩一歩高みに向かって登っていけるよ
うに祈ることに他ならないが、それも結局は子ども、それは必ずしも自分の子どもに限ら
ないが、ともかく子どものためである。ニーチェは人類のためとか種の保存のためという
趣旨のことを時々言っているけれど、それは子どもが私たち人類の「命」を繋いでいると
いうことなのである。まさに、子どもは人類の宝である。子どもの健やかに育つことを祈
らずにはおられない。
「女性の幸せ」は、結婚して子どもを産み、子どもを育てることではない。また、独身
を貫き、文化活動や経済活動や政治活動などの社会活動に専念することでもない。逆に言
えば、「女性の幸せ」は、結婚して子どもを産み、子どもを育てることであるし、同時
に、独身を貫き、文化活動や経済活動や政治活動などの社会活動に専念することでもあ
る。いずれにしろ、女性の幸せは、女性らしくイキイキと生きることである。では「女性
らしさ」とは何か? さあ、そこが問題である。大問題である。男性との違い、それは男
性より優位にある分もあるし、劣位にある部分もあるのだが、それらの違いを認めない
と、「女性らしさ」を正しく認識できない。私は男性であるから、どうしても男性の目か
ら見ての女性観になりがちである。したがって、今後、私の尊敬する女性が書いたものを
できるだけ沢山読んで、彼女らが男性と女性の違いをどう見ているかを探りたいと思う。
また、レヴィナスやその他の識者の女性論も勉強しなければならないだろう。この本「エ
ロスを語ろう・・・プラトンを超えて!」は、この「男と女」の問題を横において、既刊
の「女性礼賛」(2012年6月25日、新公論社、電子書籍)にもとづいて書いた。こ
のことだけは「おわりに」明らかにしておきたい。男女の違いの問題は私のこれから取り
組むべき宿題だということだ。もし今までの私の感覚なり認識なりに間違いと認められる
ところがでてくれば、今まで書いた書籍の全文を書き変えるつもりだ。