議事要旨 PDF - 東京都生活文化局

第1回 アール・ブリュット検討部会 議事要旨
1 日
時
平成27年11月5日(木曜日)12時59分から14時11分まで
2 場
所
東京都庁第一本庁舎7階 中会議室
3 出 席 者
舛添都知事
小川委員、小林委員、齋藤委員、竹村委員、日比野委員、保坂委員
4 議
事
(1)アール・ブリュットの振興について
(2)アール・ブリュットに係る基礎調査の実施について
5 発言内容
○文化振興部長 それでは、定刻になりましたので、第1回アール・ブリュット検討部
会を始めさせていただきます。
本日は、皆様お忙しい中、御出席いただきましてありがとうございます。
まず、本日の委員の御出席の方、6名、皆さんおそろいでございますので、委員の皆様
の御紹介を私のほうからさせていただきたいと思います。その場に座っていて結構なので、
会釈などをお願いできたらと思います。
まず、小川希委員でいらっしゃいます。私の右側でございます。小川委員は、吉祥寺に
Art Center Ongoingというアートスペースを設立し、同施設の代表を務めておられます。
また、JR中央線高円寺駅から国分寺駅を結ぶ、杉並、武蔵野、多摩地域で、TERATOTERAと
いうアートイベントのチーフディレクターも兼任されておりまして、地域と密着したアー
トの振興に取り組んでいらっしゃいます。
続きまして、その右が小林瑞恵委員でいらっしゃいます。小林委員は、社会福祉法人愛
成会の常務理事と、そこで同じくアートディレクターを兼任しておりまして、多数のアー
ル・ブリュット関連の展覧会でキュレーターを務めていらっしゃる方でございます。また、
最近ではアール・ブリュット・ジャパン・シュワイツ展の日本側事務局及びキュレーター
を務めるなど、世界に活躍の場を広げておられます。
その右側が竹村利道委員でいらっしゃいます。竹村委員は、高知でアール・ブリュット
美術館である藁工ミュージアムや、障害のある方が働くカフェなどを展開されておりまし
て、現在は日本財団のソーシャルイノベーション本部国内事業開発チームのリーダーとし
て、障害のある方を初め、さまざまな方の社会支援活動に取り組んでいらっしゃいます。
その向こうが齋藤啓子委員でいらっしゃいます。齋藤委員は、武蔵野美術大学視覚伝達
デザイン学科の教授として活躍しておられまして、障害を持った方々による美術の作品の
アート展など、さまざまな地域連携のプロジェクトに尽力されております。
次に、日比野克彦委員でいらっしゃいます。日比野委員は、パブリックアート、舞台美
術など、多岐にわたって御活躍されておりまして、障害の有無に捉われず選定された作品
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展の開催や、アーティストとアール・ブリュット作家の共同制作等の経験がございます。
最後に、保坂健二朗委員でいらっしゃいます。保坂委員は、東京国立近代美術館の主任
研究員として、さまざまな展覧会の企画に携われております。現代美術の専門家でいらっ
しゃいまして、アール・ブリュットの研究に広く携わっていらっしゃいます。また、文科
省と厚労省が主催する障害者の芸術活動への支援を推進するための懇談会の構成委員とし
て、さまざまな御活躍をされているところでございます。
次に、本部会の部会長の指名を行わせていただきます。
東京芸術文化評議会運営要綱において、専門部会の部会長は、評議会会長が指名する者
をもって充てるとされており、このたび、日比野委員が福原会長より御指名がございまし
た。皆様、よろしゅうございましょうか。
(「異議なし」と呼ぶ者あり)
○文化振興部長 それでは、恐縮ではございますが、日比野部会長から一言御挨拶をい
ただきたいと思います。
○日比野部会長 では、御指名にあずかりまして、部会長、よろしくお願いいたします。
アール・ブリュットをテーマとした部会ということで、きょうの部会の方々、僕も個々
にはそれぞれお会いしたことがありまして、それぞれの領域でアール・ブリュットを軸と
して展開されている委員の方々で、そのメンバーの方々がこれだけ一堂に会して、そして
都庁という場の中で、きっと実のある、意義のある中身の濃い部会、そして、これをもと
にして、世の中、社会に展開していくことができるようにしていきたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。
○文化振興部長 ありがとうございました。
それでは、以後の部会の進行を部会長にお願い申し上げます。
○日比野部会長 では、まず舛添知事のほうから、一言、御挨拶をいただければと思い
ますので、よろしくお願いいたします。
○舛添知事 どうも、皆さん、こんにちは。お忙しい中、お集まりいただきまして、あ
りがとうございます。
先週1週間、パリ・ロンドンと出張をしてまいりました。パリは、都知事として、ここ
は友好都市なんですけど、25年間行っていなかったということで、私のゆかりの深いま
ちでもありますので行ってきて、それで、アル・サン・ピエールで、現実に澤田さんの作
品も含めて、日本からの作品も含めて、見てまいりまして、どういう環境に拠点を置けば、
あれはモンマルトルなので、そういうのを見てきたし、それから、パリの市長とも、文化
交流をもう少しやろうという話をしてきた。それからオルセー、ポンピドー、それからギ
メ、プティ・パレ、パレ・ド・トーキョーとか、10ばかりの美術館の館長さんに集まっ
てもらって、いろんな意見交換を行いました。
そういう中で、もともとフランスにいたときからジャン・デュビュッフェが好きだった
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ものですから、そういうことでアール・ブリュットに非常に興味があったんですが、滋賀
にはありますけど、首都である東京でそういうものの展開がないというのは、少しこれは
何とかしないといけないなという感じがありました。
それで、先般、前フランス総理大臣のエローさん、今、ナントの名誉市長さんなんです
けど、お見えになって、少し、このアール・ブリュットのことについての意見交換と、東
京とナント市ともいろいろ交流しようというような話をしたわけです。
それで、2020年はオリンピックとともにパラリンピックがあります。そういう障害
を持ったアスリートの方々も東京を舞台に、こんなにすばらしいことができるんだという
ことをお見せする。同時に、オリンピックもパラリンピックも、2020年の大会は、ロ
ンドンもどこもそうなんですけど、スポーツだけじゃなくて、平和と文化の祭典であると。
文化行事をどうするかということで、これはぜひ我々が中心になって進めていきたいと。
具体的に、いろいろ東京にある美術館、ほとんど全ての館長さんとお会いして、また
個々にお集まりいただいて、いろんな意見交換をしていますし、先般、パリでは、パリの
美術館も5年先ぐらいまで予定を組んでいて、たまたまパリのプティ・パレで浮世絵の国
芳展をやっていて、その同時期のゴヤからルドンまで含めての版画の展示会もやっていた
ので、そういう交流ができるかなというような話をしておりまして。
それで、アール・ブリュットの拠点が東京にない。拠点というのは、後ほど申しますけ
ども、それはアーティストにしてもそうですし、何といっても展示する場をきちんとつく
らないといけないかなというように思っていますので、何とか2020年、その1年前は
ラグビーのワールドカップもありますので、四、五年以内に、一つ展示する場所としての
拠点、それからアーティストが交流する場の拠点、そういうことを考えたいと思うので、
皆さん方も、そういう面でも、いろいろお知恵を拝借できればというふうに思います。
デュビュッフェを見ていたときに、彼がアール・ブリュットをやったんですけど、私は、
アル・サン・ピエールで見ていても、アール・ブリュットの原点に戻ったほうがいいとい
うのは、もちろん障害者も含むんですけれども、いわゆる障害者アートとアール・ブリュ
ットというのは、ある意味で別であって、簡単に言うと、基本的な芸術・美術の学業的な
蓄積がなく、本能的な感じですばらしいものをつくるという、そういうものを言うという
原点に戻って、障害があろうがなかろうが、そういう、新しいというか、今まで余り日本
で取り組まれてこなかったアートについて、少しいろんな角度から、多角的に広めてやっ
たほうが、いいんじゃないかなというふうに思います。
保坂さんがおられますけど、例えば企画なさったフランシス・ベーコンなんかを見てい
ると、やっぱり変わっているなと思うので、じゃあ、ベーコンとアール・ブリュット、デ
ュビュッフェもそうなんですけども、関係がどうなんだろうというようなことも思ったり
するので、だから、少しそういう境界がないような形で我々は考えたほうがいいような気
がするんです。それで、障害があってもなくても、そういうすぐれた才能を発掘できれば
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と。
そして、これは2020年に間に合わないかもしれないですけども、やはりパリに行き
ますと、たまたまアル・サン・ピエールはモンマルトルにあるわけで、モンマルトルにし
てもモンパルナスにしても、そこに芸術家が集まる一つのまちができているので、東京で
も池袋モンパルナスという名前で呼ばれたりしているので、そういうものが東京にあって、
例えば緑に囲まれていれば、多摩地域にたくさん土地も場所もあるわけですし、逆に都心
のど真ん中での芸術活動もいいので、幾つもあるので、そこに世界中の芸術家が集って、
生活し、東京の空気を吸いながら、すばらしい何か才能がそこで発掘できる。そういうお
膳立てを我々がして、あとは才能のある方は自由にやってくださいと、いろんな意味での
お手伝いをしますよと、そういう感じでいいんじゃないかと思うので、ちょっと私の希望
を言えば、今言ったバウンダリーをないような形にしていったほうが東京らしいし、オリ
ンピック・パラリンピックをやる開催都市にふさわしいんじゃないかと。
アール・ブリュットだけ特殊だというような感じじゃなくて、やっぱり大きな東京の芸
術活動の一環として、それも光っていると。もちろん、今度、上野の杜も一体として開発
しようということをやっていますし、それから、いろんな芸術活動をやるし、東京のまち
全体が、ロンドンがそうであったように、大変な芸術、文化のにぎわいがあるというよう
な、そういう感じにしたいと思っていますので、ぜひ自由に、そういう意味での意見を交
わしていただいて、いろんないいアドバイスをいただければと思いますので、全く自由に、
役人だけでやるとろくなものはできないので、ぜひ、皆さん方のお知恵を拝借してやって
いただければと思いますので。役人も一生懸命やるのはやるんですけども、一応そういう
ことを申し上げまして、私もう次の公務で、本当はゆっくり御議論したいんですけど、ま
た皆さん方とはいろんな機会にお会いすると思いますので、よろしくお願いします。
すみません、先に行かせてもらいます。すみません。よろしくどうぞ。
○日比野部会長 よろしくお願いします。
(知事 退室)
○日比野部会長 アール・ブリュットという言葉が、知事の言われた「いわゆる障害者
アートとアール・ブリュットというのは、ある意味で別であって、」ということを基本に、
現場で、東京らしい、日本らしいものがつくっていければいいなと思っております。
では、まず、議事に入る前に、事務局より、アール・ブリュット検討部会における検討
の進め方について説明をいただきますので、よろしくお願いいたします。
○事業計画担当課長 それでは、説明させていただきます。
資料2をごらんくださいませ。初めに、本部会の目的でございます皆様に御検討いただ
きたい事項を御説明いたしたいと思います。
資料2にありますとおり、最初に、展示・制作・交流のための拠点形成に向けた検討で
ございます。2020年に向けまして、作品展示等の機能を持つ拠点の整備や、制作・交
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流の場の創出について、あり方や役割など、さまざまな視点で議論・検討をしていただき
たく思います。2つ目、才能の発掘のための場や機会の創出に向けた検討でございます。
作品の制作現場や売買の実態など、今後、実施を予定しております調査を踏まえまして、
効果的な施策の検討や、大学・NPO・福祉施設等との連携・施策等を検討していただき
たく思います。3つ目、社会にアール・ブリュットを定着させる普及啓発施策の検討でご
ざいます。認知度や作品展示の実態など、これも今後実施を予定しております調査を踏ま
えまして、より多くの人々に知ってもらうための必要な取り組みにつきまして、委員の皆
様がこれまで培ってきました知見やノウハウを生かしていただき、検討をしていただきた
く思います。
次に、2番目、部会における検討の進め方でございますが、先ほど申し上げました、今
後実施を予定しております現状を把握するための各種調査・分析や試験的な展示の実施な
どを踏まえまして、実態に基づいた、より具体的な施策を検討していただきたく考えてお
ります。
最後に、3つ目、スケジュールでございます。
本日は第1回目でございますので、アール・ブリュットの振興につきまして、現状や課
題など、皆様のお考えをもとにさまざまな視点で意見交換を進めていただきたく思います。
また、後ほど御説明いたします基礎調査・分析内容につきましても、御確認をいただきた
く思います。
第2回目でございますが、基礎調査の中間報告に基づきまして意見交換をしていただき
たく思います。それとともに、展示・制作・交流のための拠点が果たす役割や要件等につ
きまして、御議論をいただきたく思います。また、次年度実施を考えております詳細調査
内容についてもご意見をいただきたく思います。
次、第3回目でございますが、詳細調査中間報告に基づきまして意見交換をしていただ
きたく思います。その中では、作品展示等の機能を持つ拠点の整備に向けてのスケジュー
ルなども検討いただきたく思います。
続きまして、次のページ、第4回目でございますが、部会において中間報告をとりまと
めていただきまして、次年度予算の反映につなげていきたいと考えてございます。
第5回、ここで最終報告のとりまとめをしていただきまして、芸術文化評議会への報告
を行っていただきたいと考えております。
資料の説明は以上でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
○日比野部会長 ありがとうございました。
今、事務局から、進め方についての資料の説明とスケジュール感がありましたけども、
何か委員の方々から御質問等ありましたら。
よろしいでしょうか。
(「なし」と呼ぶ者あり)
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○日比野部会長 いろいろ進めながら、この1回目、きょうの部会から、一応5回まで
のスケジュール感が出ておりますし、それぞれの内容も出ておりますが、話しながら進め
ていきたいと思いますので。
きょうの議題は2つあります。1つ目の議題、アール・ブリュットの振興について、ま
ずは各委員から、ちょっとお声をお伺いしながら進めていきたいと思いますが、あいうえ
お順で、小川希君から。
TERATOTERAとか、武蔵野地区で若者のアーティストとネットワークがいろいろあります
けども、アール・ブリュットの振興についてという議題に関していかがですか。
○小川委員 僕は、高円寺、吉祥寺、国分寺という中央線の西側のほうで、街なかでア
ートプロジェクトを展開して、TERATOTERAというアートプロジェクトを、アーツカウンシ
ル東京と共同でやっているんですが、僕は、いわゆる若い現代アーティストの作家たちと
か、ダンサーとか、ミュージシャンとかと一緒にやっていて、具体的にアール・ブリュッ
トに特化した活動をやっているわけではありません。ただ、今回、この委員に呼ばれてい
るのは、そういう街なかの展開の可能性の部分で呼ばれているのかなと思っています。
「境界のない」というお話を、先ほど舛添知事からいただきましたが、若いアーティスト
たちの街なかの展開の中に、アール・ブリュットの作家たちが特別ではない形で、普通に
まじっているというのはすごく興味深いなと思っています。そしてそれを実際に推し進め
てみたいという思いもあります。
○日比野部会長 そうですよね。実際、それこそ「美術って何なの」という美術の定義
も含めて、小川さんの視点というのは、先ほど舛添さんが言われたような、障害があるな
し、アール・ブリュットを知らない人もたくさんいますから、そういうところの視点で、
あなたも現場を抱えているという強さがあると思うんですけども、そこを拠点にして、い
ろいろこれからも、新しい視点でご意見をいただければと思います。よろしくお願いいた
します。
○小川委員 よろしくお願いします。
○日比野部会長 続きまして、小林委員。
○小林委員 皆さん、こんにちは。小林と申します。
私は5年ぐらい、中野で、中野アール・ブリュット展というのを商店街の人たちと連携
しながら行ってきておりまして、ちょうど吉祥寺は近いので、小川さんとも今後連携しな
がら、さらにアール・ブリュットの発信に力を入れながら活動できたらと、今お話をお聞
きしていて思いました。
あと、私は2010年から2011年に、パリのアル・サン・ピエール美術館で開催さ
れて、約10カ月で12万人動員した、アール・ブリュット・ジャポネ展という展覧会が
あるんですけども、そのときの展覧会の日本側のキュレーターが2名いたんですけど、そ
のうちの1人でもありまして、日本のアール・ブリュットが海外でどういうふうに受けと
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められたかというのは、その展覧会を通じて体感したりもしました。そのときは、20都
道府県、約63人の日本のアール・ブリュット・アーティストが出展いたしまして、約1,
000点がパリに飾られました。作品を展覧会に出展するには、日本国内の調査も必要で、
先ほど知事の話からもありました、滋賀のボーダレス・アートミュージアムNO-MAと
いうところがありますけども、そことも約10年間ぐらい連携しながら、アール・ブリュ
ットの作品の発掘であったり、展覧会の開催を国内外で行ってきました。
その10年間の調査の中で、約1,000人ぐらいのアーティストに出会ったりとか、
あとは団体さんも500カ所ぐらいとつながりながら今日まで来ましたので、今回の東京
でのアール・ブリュットの振興というのは、この団体やアーティストにとっても大変な喜
びになるプロジェクトではないかと感じております。
あと、ちょうど昨年、日本とスイスが国交樹立150周年の祝賀行事の1つとして、ス
イスのザンクト・ガレンで、アール・ブリュット・ジャパン・シュワイツという展覧会が
開催されました。日本のアール・ブリュット作品は、今、ヨーロッパを中心に大変な注目
を集めているところで、そのアール・ブリュット・ジャパン・シュワイツという展覧会も、
今、オーストリアのウィーンにあるグギングの芸術家の家という、アール・ブリュットの
美術館としても有名な場所がありますけど、そこに巡回しているところです。
私がこの間感じているのは、アール・ブリュットというのは、世界ともつながりながら、
アール・ブリュットという名前のもと、アール・ブリュットがプラットフォームのような
役割を果たしながら、いろんな人たちをつなぐという力がすごくあるなと感じております。
このアール・ブリュット検討部会を通じて、東京都内でもいろんな人たちが集えるような
ものにできればと思っております。
以上です。
○日比野部会長 ありがとうございました。
では、続きまして、竹村委員。
○竹村委員 改めてアール・ブリュットを考えてみて、作品の評価とか、美術界におけ
るアール・ブリュットの位置づけとかって、正直、個人的にはそんなに、見る人なんか無
視して、いろんな論争が起こっていますけど、それぞれに主張はいいけど、それぞれリス
ペクトを持って話をしてもらいたいなと。見る側からは、そんなことは実は求めてなくて、
この世界が持つすごい、魂って形にしたらこんな形で表現されるかもしれないなという世
界に触れてしまうと、もはや、普通のと言ったらまた語弊があるのかもしれないですけど、
そこにはもう戻れないなというような、えらいところに来てしまったなというのは、いろ
んな作品に会われた小林さんだったり、研究されてきた保坂さんには及ばないところなん
ですけど、私自身も、日本財団としても、そういう作品の評価とか、よしあしじゃなくて、
この動きがもたらすソーシャルイノベーション、ソーシャルインパクトということにとて
も、一番間違いなく、我々は興味があります。
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その意味で、冒頭からちょっとごめんなさい、言い過ぎかもしれないんですけど、舛添
知事のお話は大変にすばらしくて、日本の首都、メトロポリスで、でも、それはある意味、
東京の仕事じゃなくて日本の仕事だと思うんですよね。1964年、実質的に第1回目の
パラリンピックです。「パラリンピック」と呼称されたのはソウルからですけれども、本
当の意味では、1964年の1回目がパラリンピックです。そのときに、世界各国から来
た障害者アスリートは、ほとんど諸外国の人は、パラリンピックが終わった後で、職場に
帰ったんですよ。でも、日本の選手は全て病院と入所施設に戻りました。そのことに驚愕
をして、整形外科医だった中村裕さんという人が、大分県に「太陽の家」というのを設置
して、そこにオムロンとか、ソニーとかという企業を招聘して会社をつくって、障害の人
が働き始めて、だから大分が車椅子マラソンの発祥の地だし、多分1964年の衝撃がな
かったら、中村裕さんは大分で何もしなかっただろうし、それがあったから、今こうやっ
て障害のある人がスポーツや文化の場面で活躍ができるという意味においては、2020
年はものすごく大きな意味があると思います。
半世紀前の東京では、障害のある人は、まだまだ社会参加のレベルで、大会が終わった
後、残念ながら、かわいそうな障害者として施設に戻っていったけど、半世紀以上を経た
この東京では、障害のあるアスリートは、それぞれスポンサー契約をしていたり、だって
都庁の職員さんでしたものね、土田和歌子さん。彼女は高知でかなり研さんを積んで頭角
をあらわして、もはや雲の上の人になってしまいましたけど、あんな人があらわれたとい
うのが、50年後を経た東京の姿だと思うんですね。
ここから先は語弊のないようにお伝えしますけど、多摩には何の偏見もないです。でも、
都内で入所施設が占めるほとんど、7割ぐらいは多摩地域に集中しています。でも、多摩
が悪いわけでは全然ないです。
舛添知事は、議会の答弁の中でも、「アウトサイダー」という表現は好きじゃないと言
われています。これは若干の誤解もあるかもしれないですけれども、どうしてもそれは言
われる。アウトサイドの意味というのは。だからバウンダリーのないということはすばら
しいと思うんですけど、50年を経て、この表現の場所が、どうしても多摩じゃないイメ
ージ。メトロポリスとして表現すべき。もしかしたら、滋賀がナショナルセンターをつく
りましょうとか表明しているし、いろんな人が言っている、そのナショナルセンターの行
き着く場所は、もしかして東京だったら、ものすごい具体名を出して申しわけないんです
けど、こどもの城の跡地だったりするような場所に、50年前には考えられなかった、そ
んな人たちが表現をしているという場所が、ど真ん中にできるというイメージが、僕はあ
ってもいいんじゃないかと思いながら、この会議に参加させていただけたらなと思います。
よろしくお願いします。
○日比野部会長 竹村さん、ありがとうございました。
次に、齋藤委員、よろしくお願いいたします。
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○齋藤委員 私は以前、世田谷区で障害者の自立生活運動や、自立生活センターを障害
のある人みずからがつくるというようなことにかかわっていたので、表現を通して、何か
しらハンディのある人たちやマイノリティーの人たちが、自分たちのプライドを獲得して
いくことや、権利を獲得していくということに対して、こういう機会が影響を与えるイン
パクトになったらいいなと思っています。
今、多摩地域のお話があったんですけども、私のいる武蔵野美術大学も、多摩地域にご
ざいます。多くのアール・ブリュットの作家さんたちは、日常的には福祉作業所や就労支
援施設などで働いていらっしゃると思います。そういう方たちの施設が大学の周辺にも多
いので、大学の授業でも、授業以外でも、一緒にプロジェクトをやっています。
そのときに、ちょっと衝撃的なのは、障害者週間というのが12月上旬にあるのですが、
その週間の中で、市の担当課は障害者作品展をやっていて。公民館では、知的障害のある
方々の社会教育学級で作品展やっています。それから、市内にある福祉作業所や就労支援
施設の方々も、自分たちの表現を通して地域の人たちと交流する機会を持つということで、
独自にアート展を始めました。それを同じ障害者週間に、同じ会場で、やっているんです
ね。作家さんは一人でそれぞれ3カ所に展示することになる。こういうことは普通ではあ
り得ないと思うんですよ。同じ目的、同じ対象の人が同じ時期に同じ場所でばらばらに作
品展をやる。だから、アール・ブリュットにかかわるであろうさまざまな多様な人たちや、
障害のある人たちに対するアプローチというのは、まだまだそういう意味ではノーマルで
はないんじゃないかなということを感じています。
それで、今、大学のプロジェクトでは、こういったばらばらに地域の中で行われている
ことをどんなふうに統合していったらいいんだろうかということを考えながら、作業所や
公民館の人たちと学生たちが一緒にやっています。その中では、商店街に作品を展示する
ということもやっています。これは、才能のある人たちの作品をどんどん見てくださいと
いうというよりは、むしろ、こんなに多様な人たちが作品をつくっていますよということ
を伝えるための日常的な空間の中で展示機会をつくる活動なんですね。
ですから、大きく分けて二つあると思うんですよ。今おっしゃられたみたいに、東京の
真ん中に、洗練された啓発のある場を集結していくというのと、また逆に、日常的な場所
でどのように推進していく足場をつくってくのか、この両方必要なのではないかと。
芸術家または才能のある人というのは突然あらわれるわけではなく、生まれたときから
そうかどうかもわからなく、でも、その人が発掘されるまでのプロセスというのがあると
思うのですが、そこにまだプロセスのデザインがないんじゃないか。ここにはこんなにい
ろいろなことにかかわっていらっしゃる方々がいるので、知恵を出し合って、こうした機
会が、マイノリティーの人たちにいいチャンスを与えられるようになるといいんじゃない
かなと思っています。
○日比野部会長 ありがとうございました。
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続きまして、保坂委員、よろしくお願いします。
○保坂委員 東京国立近代美術館で学芸員をしております、保坂と申します。
今、日本の美術館の国際化が計画されておりまして、例えばちょうど土曜日から始まる
んですけども、3日間、CIMAMという会合が東京で開かれます。これは世界中の近現
代美術館の館長、チーフキュレータークラスが200数十名ほど来て討論をする会議が、
森美術館を事務局として3日間開かれるんですね。これが2015年に開かれて、201
9年に京都で、今度はICOMというユネスコ系の文化機関の相当大きな会合が開かれま
す。こういうプロセスを経て、正直、今まで国際化が遅れている日本の美術館のレベルア
ップをしていこうという活動があります。
そうしたことを考えたときに、東京にもたくさん美術館があるんですけども、正直、先
ほど知事の言われたパリの状況に比べると、美術館のバラエティーがちょっと少ないよう
な気がしています。同じような美術館はたくさんあるんですけども、ちょっとバラエティ
ーが足りない。パリの場合にはアール・ブリュットの美術館もあるし、建築の美術館もあ
るし、ピカソ美術館みたいな個人を紹介する美術館もあったりして、いろんな美術館があ
る。あと、ケ・ブランリーという民族学系の新しいタイプの美術館もできましたけれども、
そういう多様性に比べると、多様性はあるかもしれないけども、それが見えてこないとい
うのが東京の、あるいは日本国内の文化の状況かなというふうに感じているんですが、恐
らくそういうことを今後変えていく動きが生まれていく中で、このアール・ブリュットは、
とても大事になるんだろうというふうに思っています。
アール・ブリュットのおもしろいところは、制作は基本的に日常的な生活の中で行われ
るんです。プロのアーティストとやっぱり違うので、日常の連続性の中から作品は自然に
生まれてくるんですけども、でも、その評価は一方でとても難しいんですね。一応僕は美
術史を勉強していますけども、アール・ブリュットは、美術史が対象にするジャンルの中
でもまだ先端的とも言えるわけで、日常的なものを先端的に扱うというところが、アー
ル・ブリュットのおもしろさであり、難しさであると感じています。
そういうことを考えたときに、先ほど、都心なのか、多摩なのかという話が出ましたけ
ども、欲を言うと、両方やってほしいというふうに思っていまして、やっぱり先端的な側
面がありますし、諸外国へのアピールというものを考えると、それは中心でやってほしい
とか、中心でやることによって、いろんなインパクトを持ち得るだろうと思うんですけど
も、一方で、日常との連続性があるということを考えると、多摩イコール日常というと怒
られそうですけども、吉祥寺などに行くとほっとするところもあるのも事実です。そうい
うところで、アール・ブリュットを日常との連続性の中で見せられるというのも捨てがた
いなというふうに思うんですね。それがお話したいことの1つで。
あともう1つ、展示と交流という話が知事からも出ました。展示をするためには評価を
しなければいけない、そして、展示というのは普及の機能を持っているということが大事
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です。展示と評価というのはセットなんです。「日本のアール・ブリュット」という言葉
が何回か出てきていますけど、それが特殊性を持っているのか、諸外国のアール・ブリュ
ットと比べて特殊性を持っているかどうかについて、評価として、きちんと考えを表明し
ていかなければいけない。単純に言うと、本にしたり、展覧会にしたり、そういうことを
しなければいけないんですけども、ちょっとそういう評価のところが遅れているのは事実
です。自戒を込めて、そうした評価を伝えていかなければいけないと感じます。
普及については、全国各地の施設がいろいろやっているので、これを美術館レベルに展
開していくということが今後大事ですが、今、埼玉でも展覧会をやられているように、そ
こについてはそれほど心配をしていません。
実はもう1個、その展示について大事なのがあって、それはコレクションとセットにな
らなければ本来いけないんですけども、つまり、展示をしているだけでは、それはある種
の消費なんですね。その中で残すべきものをきちんと保管というか収集して、その場合に
は購入とか、そういう行為が発生するんですけども、そうやって作品を後世に伝えていく
ということをセットで考えなければ本来はいけなくて、でも、実はこのコレクションとい
う部分が遅れています。
遅れている部分の理由の1つとしては、今、ちらっと言った購入ですね。ただでくださ
い、寄贈してくださいというだけでは作品はなかなか集まらないので、買わなければいけ
ない。そうすると、買わなければいけないとすると、一体アール・ブリュットの作品とい
うのは幾らするんだ、幾らが妥当な額なんだという問題に陥ってしまって、今までなかな
かその問題は打破できなかったんです。けれども、これだけのメンバーがそろうと、そし
て東京という都市において議論が行われるんだったら、どこかのタイミングでそういう話
にもなるといいなというふうに思っています。
先ほど、知事のテーブルの上にアール・ブリュットのアートフェアのパンフレットがあ
ったかと思うんですけども、僕も先日、行ってきたんですが、そこで見知ったこととか、
いろいろありますので、そういったことも機会があればお話しできたらいいなというふう
に思います。
以上です。
○日比野部会長 はい。ありがとうございました。
私も委員の立場で。美術、美術館のバリエーションが、もっとあっていいと思いますし、
そのきっかけにアール・ブリュットがなり、よりいろんな価値を見つけるまなざしが社会
の中で増えていき、障害のあるなしというだけじゃなく、それぞれのその人らしさ、その
地域らしさとかというものに対しての視点を持つ。何かそんなきっかけにアール・ブリュ
ットがなっていけばいいなと。さっき、小林委員からもプラットフォームという言葉があ
りましたけども、アール・ブリュットがきっかけで出来る拠点が、ただ単なる福祉的な場
ではなくて、アール・ブリュットがいろんなものをつないでくれ、いろんな人に気づきを
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与えてくれる場になればと思います。保坂委員からあった作品として購入して、展示して、
評価してというものにも、日本らしさを諸外国に向けて提示できるものも築くべきだと思
います。これらの拠点が都心であったり、東京都周辺であったりとか、それがまた全国に
伝播していくようなものにしていきたいなと思います。
アートに王道というものが世間的にあるとするならば油画とか、日本画とか、工芸とい
う手法・技法での分類があり、美術館には、それが陳列される。その手法、技法には時代
を反映するものが美術史としてまとめられていく世界はあるんですけれども、決して、そ
れが全ての美術の世界、魅力ではない。どちらかといえば、それはアートの魅力の一端で
あって、もっともっとアートというものの底力というんですか、根底に流れているものは、
人間にとって、生きていく上にとって、とても大きな力になっていると思います。そして、
人間の集団社会にとって、アートというものが社会基盤にあり、その上で、国があったり、
経済があったりするのではないかなと思います。
先ほど竹村委員から、1964年の東京オリンピック、そのときに初めて障害者のスポ
ーツがあって、外国の選手は職場に、そして日本の選手たちは施設にという話がありまし
たけれども、さまざまな外国の事例を手本に、この100年たらずで急激に西洋化してき
ました。その勢いに任せてしまうのではなくて、もう一度、立ち戻るというか、我々の人
としての文化的価値観というものを、もっと根本的な「ひとがはじめからもっている力」
という視点。ひとりひとりの人を見つめるまなざしを持ち得るきっかけに、このアール・
ブリュットがなっていけばいいなとは思っております。
ということで、1回目の議題のアール・ブリュットの振興について、各委員からお話を
いただきまして、きょうの議題には、1回目の基礎調査分析内容の検討というのがありま
す。これが展開していって、その次の展示、制作、交流のための拠点が果たす役割として
の詳細調査の内容の検討ということで、試験的展示をしていくような流れがあるんですけ
れども、竹村さんのお話、そして購入とか評価の保坂さんの話とか、大学での展開の齋藤
さん、実際、いろんな展覧会のキュレーションをされている小林さん、そして、多摩地区
で若者と展開している小川さんのお話を含めて、次なる調査・研究をもとにして、実際に
試験的展示をしていく具体的な話までちょっと見えるような話にしていきたいと思ってお
ります。
では、次の議題(2)のほうに行きながら、その後に、具体的にみんなで話ができれば
なと思うので、ここまでで何か、今のタイミングで、言いたいことはたくさんあるかと思
いますけれども、次の調査・研究も含めて、全体でまたみんなで意見が言えればと思いま
す。
では、アール・ブリュットの基礎調査分析の資料3の説明もいただいてよろしいですか。
○事業計画担当課長 はい。では、先にこれを説明させていただいた上で、また、いろ
いろ議論をしていただければと思いますので、先に説明させていただきます。
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資料3をごらんくださいませ。アール・ブリュットに係る基礎調査・分析についてでご
ざいますが、会議冒頭に検討の進め方として御説明しましたとおり、本部会と並行して、
各種調査をすることとなっております。アール・ブリュット振興施策を展開した上で、国
内外の展示や制作の場及び行政機関等の取組状況について調査を行いまして、部会の検討
に資する情報の把握や課題の明確化を図っていきたいと思っております。
今年度実施いたします基礎調査の調査事項といたしましては、事前に委員の皆さんから
も御意見を伺った上で、今、資料3にその概要を記載しております。
まず、内容といたしましては、1、国内外のアール・ブリュット展示調査といたしまし
て、国内の展覧会の開催状況、あと海外の展覧会の開催状況、国内外のアール・ブリュッ
ト専門美術館の情報などを収集していきたいとい考えております。
2つ目に、アール・ブリュット作品制作に係る調査として、実際の制作が行われている
現場の状況、公募展への応募状況などを把握していきたいと思っております。
3つ目、アール・ブリュット振興に関する取組状況として、行政機関による取組、行政
機関以外の取組、また専門家等の関係者へのヒアリングなどを考えております。
4つ目、アール・ブリュットの一般認知度に関する調査では、性別や世代ごとの認知度
等、ウェブアンケート等で調査していきたいというふうに考えております。これらの調査
結果を分析いたしまして、振興施策に関する課題についても抽出していきたいと考えてお
ります。
なお、これらの調査につきまして、期間及び予算の制限から、一部来年度の調査対象と
なる可能性もありますが、可能な限り、皆様の御意見を踏まえて、調査を行っていきたい
と考えておりますので、よろしくお願いいたします。
説明は以上でございます。
○日比野部会長 ありがとうございました。
現状、どれぐらいの展覧会が、そして活動がという調査を事務局のほうでこれから実施
していくということですけれども、竹村さん、さっき就労とか職場の話もありましたけど
も、今、例えば資料3をざっと見ていただいて、何か、これは漏れちゃうんじゃないのみ
たいな、実際に最低限のアール・ブリュットの展覧会がどう行われているかというのは、
きっと調べればタイトルだけで出てくるかと思うんですけれども。まずはそれがベースに
なるかと思いますけれども、我々の役割としては、そこに漏れてしまっているものとか、
何かそういうところを紡ぎ出していくというものが、その後の展開のときには大事かなと
思うんですが。
○竹村委員 漏れているものという意識は、今のところ余りないですけれども。先ほど
の話の延長戦になってしまうかもしれないんですけど、入所施設そのものの否定とかじゃ
なく、例えば、最近、御存じだと思いますけれども、初めて鹿児島のしょうぶ学園という
ところに行きました。庭園美術館でも作品展、展覧会が行われましたけれども、ここは入
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所施設の展開を覆すような、こういうのありだよねって、わさわざここに来るというのは
ありだよねっていう展開があります。それがもしかして多摩地域の展開なのかもしれない
し、でも理想的には、僕も保坂さんの言われるように、両方にあってもありなんじゃない
かなという思いはありますが、今のところ、抜けているというよりは、多様にもうちょっ
と考えて、原点に帰るという知事の御発言もありましたので、原点に帰るということに関
しては、障害云々の文脈ではない考え方をもうちょっとしていかないと、膨らみが非常に
狭隘になってしまうかなという気はします。
もう1点、今まで話と若干違うかもしれないですけど、やはり収蔵はとても大事だと思
っています。先日もしながわ水族館(のアール・ブリュット展)に行ったその足で埼玉県
立近代美術館へ行きました。結構ハードスケジュールで行ってきました。両方ともそれぞ
れおもしろいんですけれども、この先どうなるのと思ったときに、言い方は申しわけない
けど、何となくつまみ食い感を感じてしまったんです。そこで消費するんじゃなくて、き
ちんと後世にレガシーとして伝えていくということをしないといけないということで、手
前味噌ですけれども、日本財団では、たかだか購入の予算も含めて約3,000万円ぐら
いは当初予算を組みまして、購入をしながら、でもそれは日本財団コレクションじゃなく
て、きちっと大切に扱いながら東京都が活用するとか、というようなことを伝えていくよ
うな活動を我々は今予算化していますので、そのことも含めて、民間とのリンクも含めて、
ぜひ御協議いただければなと思っています。
○日比野部会長 竹村さん、拠点という言葉で、きょうのテーマがあるんですけれども、
コレクションというものの拠点というものが絶対必要であるという御意見ということです
よね。財団さんも今コレクションをするという。
○竹村委員 そうですね。コレクションの拠点は、今も日本財団は三菱倉庫日本橋のほ
うで、年間600万円ぐらいかけて所蔵しています。それはパリ展のアル・サン・ピエー
ル美術館で行われていた602点を大切に扱っております。それを拡大しながら、拠点の
場所で、収蔵は必ずしもしていなくて、しているのに越したことはないと思うんですけれ
ども、収蔵は、例えば我々が担いますとかという役割分担があってもいいんじゃないかな
というふうには考えています。
1点、それるかもしれないんですけど、僕は美術館単体では限界を感じていたので、N
O-MAに次ぐ美術館をつくろうという10カ所プロジェクトというのが日本財団とNO
-MAを中心に起こったときに、美術館だけでは人はそう来ないんじゃないかと思ったの
で、地元の高知では、劇場併設とスパニッシュバルの併設と、あとはアートの3本柱の展
開にしました。言い方は、保坂さんに怒られるかもしれないんですけど、色気より食い気
だなと思って、そこに集まると、そこにいろんなことをテーマにして集まると、いろんな
多様な人が集まるという実証が一つできたような気がするのが、高知では入所施設ではな
いけど、あるかもしれないし、鹿児島のしょうぶ学園も一つの典型的事例なので、一つ魅
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力的だなと思うのは、多摩のロケーションを生かしながら、そういう集まる、けれども、
その集まりが、マイノリティーの人だけ集まった特殊な空間にすることだけは、できたら
避けたいなという気はします。
○日比野部会長 そうですね。しょうぶ学園も行くと、本当にリゾート地みたいな感じ
ですものね、えっ、ここがみたいな。藁工もそういう雰囲気がありますけど。
何か拠点ということで、ほかの委員の方々から、拠点の内容とか場所とか。
○保坂委員 今、竹村さんが言われたことはおもしろくて、施設は官が建てて、運営に
対しては民間がバックアップしていくというモデルは、非常に可能性がある。現代美術に
も同じようなプログラムというかシステムがあります。現代美術って本当にいろんなタイ
プの作品があって、たとえば日比野さんが「朝顔を育てる」プロジェクトをやっていらっ
しゃいますけれども、あの作品が欲しいとなったらどうやって買えばいいのか。あれは一
体何を買えばいいのか。朝顔の種を買えばいいのか、コンセプトを買えばいいのか、コン
セプトって紙に1枚しか書いていない場合もあるんですけど、これを買うのか、みたいな。
そういうのは、公的な機関ではついていけないこともあるというか、そこで議論が終わっ
ちゃう可能性があって、でも、そういう作品であったとしても民間は買えるんですよね。
買える民間はある。個人コレクターを含めて。そういう個人コレクションを美術館が展示
しているケースがあるんですね。長期寄託という形で、ベルリン国立の現代美術館がやっ
ています。
そういうふうに評価の難しいものを、民間の人と協力しながらやっていく。それを展示
していくことで、今度また民間にというか、広く観衆にフィードバックしていく。そうい
うサイクルができたら、それは理想的だなというふうに思いますし。先ほど僕が言ったこ
ととやや矛盾しているかもしれませんけれども、つまり収集とか、購入という行為とセッ
トと考えるべきだというところと矛盾しているかもしれないんですが、ことアール・ブリ
ュットに関しては、そういう方法もあり得るのかなと。
リールにラム(LaM)という美術館がありますけれども、これもまさに民間の力を借り
ていて、要はアラシン・コレクションという全く別の団体、財団が収集していた膨大なア
ール・ブリュットのコレクションを一括で寄贈してもらって、そのかわり、だからウィン
グを建てますという、常設をしますという条件でもらっているんです。このようにいろん
な協力の仕方はあるなというふうに思います。それは長期に時間をかけてもいいことだろ
うと。
○日比野部会長 ほかの委員から、拠点に関して。
○小林委員 私も美術館を建てるときに、竹村さんが言われたような複合的な要素はと
ても大事だと思いますし、展示するだけでなく、多様な人たちが集える場所を創出すると
きに、例えば、そこに長く滞留できるような仕掛けを、例えばそれが食であったり、カフ
ェであったりするかもしれないですし、ワークショップのようなスペースであったりする
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かもしれないですし、多様な人たちが滞留しながら、長くいられるような空間ができれば
より多くの人が訪れる場所になるのではと思っております。
また、先ほど収蔵の話もありましたけれども、この間、日本のアール・ブリュットは国
内でも知名度を上げてきたと思いますし、展示して発信して見せるということは、周知と
いう部分では広まってきていると思うので、それこそ収蔵するということは、本当にこれ
からすごく大事な課題であるということをすごく感じております。
というのは、例えば今行っているスイスの展覧会についても、行った後に作品がどこに
戻るのか、どこに返るのかということは、今のところ、施設だったり、作家のもとに返っ
たりするんですけれども、そのときに、これは何回か起こったことがあるのでお伝えしま
すけれども、作家さんのもとに返った作品を例えば2年後に、あの作品はとてもよかった
から展示したいと思ってお電話すると、「いや、ちょっと邪魔だったから捨てたのよ」み
たいなことがあったりとかして、「ええっ、あれはパリで飾ってあった作品なのでは」み
たいなことがあったりとかもしますし、後世に残すということを考えると、収蔵をできる、
することを考えながら、アール・ブリュットをどういうふうに、このプロジェクトとして
育んでいくかということを考えながら行っていかないといけないなということはすごく思
っております。
スイスにあるアール・ブリュットコレクションは収蔵を持っていて、ジャン・デュビュ
ッフェさんの収集した作品群をもとに今もなお収蔵を続けていて、世界中の人たちが世界
のアール・ブリュットを見に訪れるような美術館で、それこそ1800年代の作品もあっ
たりとか、これまで彼らがアール・ブリュットコレクションを開いて以後、どんどん蓄積
されていって、それを広く見られる場所があり、それを大切にずっと保管している場所が
あるということは、すごくこのアール・ブリュットの視点としても、保坂さんが言われた
ように日常の中でつくられていくので、発掘調査しなければ日常の中で消えていく作品も
多くあると思うので、発掘した後に評価して収蔵をどういうふうにするかというのは、こ
れからそのスキームというのは考えていかないといけないなと感じております。
○日比野部会長 そうですね、制作の現場は日常から出てくるという。齋藤さん、先ほ
ど商店街とかで大学の交流という話がありましたけれども、交流の拠点ということでは、
どのような場所のイメージとか、ございますでしょうか。
○齋藤委員 展示、鑑賞、収蔵だけでは交流の拠点はできないと思います。アール・ブ
リュットの作品はすごく魅力的で、見たら誰もが、わあすごいと感じるものが多い。でも、
それでどうするということですよね。表現の展示と鑑賞の場を提供して、その後どうした
いのか、目標がもう一歩見えていない。
交流の一歩手前の状況では、知人の作家さんの例ではこんなことがあります。新国立美
術館で作品展示の機会があるんですけれども、そういうところには自分しか見に行かない。
同じ作業所の作品制作の仲間たちが、そこに一緒に見に行くかというと、見に行かないわ
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けです。地域の商店街でやるようになったのはどうしてかというと、身近な場所に展示し
て、より多くの人に気軽に見に来てもらおうということを目標にしたんです。外出するの
にいろいろハンディのある人は、自分の家の近くにあってもなかなか展示するところまで
足を運ぶことができない。高齢者の方だったり、長期入院しているという方だったり、い
ろいろなケースの方がいらっしゃると思うんですけれども、そういう意味では展示という
だけでは限界があるのかなと。むしろ展示や鑑賞の場が出張していく、出前みたいなこと
をやったり、それから、そういう人たちが普段いる場所で何かが起きる、そういう必要が
あると思っています。
それから、どっちかというとアート作品というと、作家さんが一人でつくるイメージが
ありますが、実際はアール・ブリュットの作家さんたちもライブペインティングだとか、
いろんな人とワークショップをして制作したり、集団でつくるということもやっています。
それから、突然作品が1個できるわけではなくて、すごく長い間、いろいろな経験や応援
があって、おおっというものがだんだんできてくるわけで、制作をする環境も含めた、交
流の拠点というのが必要ではないでしょうか。
世田谷には、「フタコラボ」という事例があります、それは障害のあるアーティストを
一人ずつプロデュースする活動です。助成金をもらって、場所を借りたり、材料を調達し
たり、あとはメンターの人たちがつき、専門家の人たちが連携して、アーティストがデビ
ューしていくための助言をしていく。商店街のお店のパッケージなどをつくるときに、そ
の人の作品を使ってりして、そういうことでだんだんに作品価値を高めていって、それか
らいろいろな出場機会を増やしていって、目にとめて話題にしてもらう機会そのものをつ
くるという活動をしています。
つまり、いきなり作品が出てくるわけではなくて、どのようなプロセスを経て、それが
生み出されるのか、発見されるのか、そういうことを応援する仕組みみたいなものも同時
に考えていかないといけないんじゃないかなと。予算がなくなったらしぼんでしまう、そ
ういうようなものにならないようにしたいなと思います。
○小川委員 僕は吉祥寺でArt Center Ongoingという小さいスペースを運営しています。
メインは現代美術のギャラリーなんですけど、先ほど話が出たようなカフェが併設してい
たり週末になるとトークショーやライブをやったりもしています。僕はそういう若い作家
たちが集まってこられる拠点のような場所が必要だと考え、もうすぐ設立から8年になる
んですけれども、なかなか現代アートだけで回していくというのは非常に難しいことなん
です。アール・ブリュットの話に置きかえてみて、例えばアール・ブリュットの作品やそ
の作家たちが集まれる拠点をつくったといって、そこでどんなに質のいい展示をやりつづ
けたとしても、そこが人々が集まる拠点になるかというと、そんなに簡単じゃないと思う
んですよね。
現代アートでいってみても、日本の場合、実際現代アートはマイノリティーのようなも
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のでもあって、ただ、じゃあ、どうして僕がやっているようなスペースが成り立っている
かというと、同じ現代アートをつくっている若い作家たちが、ほかの作家が何をやってい
るかという興味のもとに集まってくるからなんです。アール・ブリュットの拠点をつくる
としても、アール・ブリュットに関わる別の活動をしている人たちが興味を持ってそこに
集まってくるためのなんらかの仕組みみたいなものがあったらいいのかなと今聞いていて
思いました。
あともう一つ言いたいのは、「閉じつつ開く」ということがすごく重要なんじゃないか
ということです。専門性を担保しながら、なおかつ開いていくということは、言葉ではい
えても実際すごく難しいことだと思いますけど。ただ、ヒントになるかはわかりませんが、
僕のスペースでは、現代アートを中心にしつつ、別のジャンルの人たち、例えば小説家と
か映画監督とかをゲストに呼んだりして、あえて異分野の専門家をこちらのフィールドに
混ぜていくみたいなことをやったりするんです。アール・ブリュットの拠点をつくるとい
ったときでも、そこだけで閉じるんじゃなくて、例えばミュージシャンと組んで何かイベ
ントをやるとか、全然違うジャンルの人と組んで何か一つ作品をつくるとかしたらいいの
かなあと思ったりもします。行政の完全なバックアップのもと維持していくということで
あればスペースを立ちあげることはもちろんできるかもしれないけど、ただ、それだけで
は形骸化してしまう危険性があると思います。全然機能していない施設になっちゃうみた
いな。
○日比野部会長 拠点、いろんな人が集まってきて、そこで交流が生まれて、とはいえ、
実際に同じ施設の人でも、本人は来るけれども、施設のほかの人は来ないとか、行きたく
てもなかなか体が言うことを聞かなくてとか、気持ちが動かなくてというのは実際にある
ことだと思うんですけれども。
僕が竹村さんなんかと一緒にやらせていただいた「TURN」というプロジェクト、日
本財団さんと行った企画の中で、アーティストとして私が京都、広島、高知、福島の4箇
所の施設に行きショートステイをしてきました、長いところだと1週間ぐらいいたんです
けれども。そこで入所されている方々と時間を過ごしてきました。一緒に制作をしたり、
就労したりもしてきました。その後、岐阜市で「みんなのアート」というアール・ブリュ
ットにこだわらず、「それぞれのらしさ」をテーマとした展覧会に、私が一緒に過ごした、
みずのきの作家の作品も展示しました。この展覧会期間中にみずのきの人たちが一緒に来
てくれたんですね。自分の作品を見に行くというより、ちょっと一緒に時間を共有したあ
の日比野という人に呼ばれたので、ちょっと行ってみようかなという形で岐阜市に来てく
れました。
自分らしいオリジナルなものをつくるアーティストたちの一番の能力というのは、人が
見過ごしがちなところに目をつける力がアーティストにはあって、その力を持ったアーテ
ィストたちが施設に行って滞在して、交流して、その後、アーティストたちがいるところ
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に彼らがくる、アール・ブリュットをプラットフォームにしていくには、まずはこちらか
ら行くというアクションも、あるのかなとは思っています。
1回目の会議の時間もだんだん少なくなってきて、この後、2回目、3回目と続くので
すけれども、各委員の方々から、もう少しこの部分は伝えておきたいとか、ありましたら、
最後にはなりますが。
拠点の話で、冒頭竹村さんのほうで、やはり都心のど真ん中もいいのではないかとか、
保坂さんから日常と先端という話もありましたし、そういうものをイメージしながら拠点、
どんな内容の、場所的には具体的にどこで、拠点をつくる前にどのような動きを事前にと
か、そして、収蔵、展示と交流という話もありました、複合的なものがいいんじゃないか
という話もありましたし、今後またこの部会の中で進めながら、2回目には、きょうの議
題の2つ目でありました基礎的な調査研究の報告がありますので、それを含めて、次の展
開に進めていきたいと思っております。
どうも、きょうはありがとうございました。
では、最後に、多羅尾生活文化局長より一言いただいて、締めたいと思いますので、よ
ろしくお願いいたします。
○生活文化局長 本日は、大変御活発な御議論をいただきまして、また貴重な御意見を
賜りましたこと、まことにありがとうございます。
冒頭、舛添知事から、2020年を目指して展示の拠点の整備をしたいという話もさせ
ていただきました。もちろん、東京の芸術文化の振興を考える際には、長期的なスパンと
いうのは大変大切なんですけれども、やはり2020年のオリンピック・パラリンピック
というのが大きな節目であることは間違いないということでございまして、2020年ま
でに何ができるかというのも大変大きなテーマではないかというふうに思っております。
そう考えますと、2020年夏と考えますと、あと5年を切ってしまいまして、そんな
に時間がないということもございます。本部会にお願いしております検討スケジュールで
は、最終報告を来年の秋にいただくということになっております。もちろん基本は、最終
報告をいただいて、それから具体的な施策を積み上げていくということでございますけれ
ども、2020年という時間的スパンを考えますと、課題によりましては、この部会を進
めていく中で、いろいろ御意見を伺いながら、同時に具体的な施策も組み立てていくとい
うようなこともあろうかと思いますので、その辺はぜひ御理解を賜りたいと思っておりま
す。
アール・ブリュットというのは、これからまだまだ普及をしていかなきゃいけない分野
だと思っております。日比野部会長をはじめ、委員の皆様方の御意見を十分伺いながら、
しっかりと施策展開をしてまいりたいと思っておりますので、今後どうぞよろしくお願い
申し上げます。
○日比野部会長 ありがとうございます。
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では、連絡事項等について、事務局から。
○事業計画担当課長 ありがとうございます。次の部会は最初に申し上げましたとおり、
来年2月ごろを予定しておりますが、その前にいろいろ御意見等があれば、随時皆様から
いただきたいと思っておりますので、まだこちらからも委員の皆様にいろいろお伺いする
ことがあるかと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
以上でございます。
○日比野部会長 どうもありがとうございました。
それでは、第1回アール・ブリュット検討部会を終了いたします。どうもお疲れさまで
した。
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