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第2章 経腸栄養
Chapter2
第3節 病態別経腸栄養剤
経腸栄養
3.病態別経腸栄養剤
3.6 オンコロジー用栄養剤
千葉県がんセンター 消化器外科 鍋谷圭宏
<Point>
(1) がん患者に対しても標準的経腸栄養剤を用いるのが
原則であるが、その投与法(ルート)・投与量などは個々
の症例の状態や治療法に応じて検討する必要がある。
(2) 悪液質を伴うがん患者に対しては、亢進している炎
症反応を制御する免疫栄養療法が有益な可能性があり、
そのための特殊栄養成分としてのエイコサペンタエン酸
(EPA)を含む経腸栄養剤がわが国でも上市されている。
EPA 含有栄養剤は、悪液質改善による QOL 向上に加え
て分子標的治療を含む抗腫瘍療法の効果を相乗的に高
め得るので、今後のエビデンスの集積が期待される。
(3) がん患者の適切な栄養管理は、経腸栄養だけで行
える場合はむしろ少ない。消化管を使う栄養管理を優先
すべきではあるが、必要に応じて静脈栄養の併施あるい
は静脈栄養への移行を臨機応変に行うべきであり、常に
個別化した管理が求められる。
1.はじめに
「オンコロジー用栄養剤」という経腸栄養剤のカテ
ゴリーは現在まだ厳密には認知されていないと思われ
る。しかし近年、がん患者の病態とくに悪液質の解明
が進み 1-7)、がん診療(治療)における栄養管理の意義
が以前より認識されるようになった。すなわち、個々
の患者のがん進行度(腫瘍因子)とその患者に対する
治療(侵襲の種類と程度)に応じた、適切な栄養管理
法が検討されるようになった。従って、同じがん患者
であっても、手術を中心とした外科的な治療が行われ
るのか、化学放射線治療など内科的治療が行われるの
かによって栄養管理法は異なってくる。とくに手術治
療においては、患者が受ける侵襲を小さくして早期回
復を図ることが最も重要であり、そのための早期経腸
栄養や免疫賦活栄養剤の使用の有用性も報告されてい
る。これらについては次項で述べられるので本稿では
割愛し、主に内科的治療における経腸栄養管理とその
際に用いる経腸栄養剤について述べたい。
この分野で現時点で最も参考になる文献は、2006 年
に発表された欧州臨床栄養代謝学会(ESPEN)のガイド
ライン(GL)である“ESPEN guidelines on enteral
nutrition: non-surgical oncology” 1)であると思わ
れる。本稿でもその内容を概説するが、原文も是非参
考にされたい。一方で最近では、がん患者の悪液質の
病態を改善するような、
(外科手術周術期で用いる)免
疫賦活栄養剤同様にがん宿主側の因子を意識した「免
疫栄養療法」についての新知見が報告されている。ま
だエビデンスという点では十分ではないが、
「病態別経
腸栄養剤」の一つとして、本稿のテーマである「オン
コロジー用栄養剤」というべき製品(免疫修飾栄養剤)
も使用可能である 2)ので、概説する。
2.がん患者の病態とくに悪液質とは?
がん治療を計画する上で医師を中心とした医療者は
まず腫瘍の進行度(腫瘍因子)を評価する。それによ
り、治療の指針が概ね決まるからである。しかし、そ
こで決められるいわゆる標準治療が全ての症例に行え
るかというと、必ずしもそうではないことは臨床現場
で明らかである。患者の年齢や併存疾患などから侵襲
程度のより低い治療法を選択せざるを得ない場合も多
い。腫瘍因子だけでなくこうした宿主因子を評価する
ことの重要性は感じていても、実際に注目すべきポイ
ントや栄養管理の意義はまだ十分に認識されていない
と思われる。
大多数のがん患者では体重が減尐するが、その原因
はがんの進行による経口摂取の減尐だけではない。分
子生物学的にインターロイキン 6 (IL-6) を代表とす
る炎症性サイトカインの増加や、体重減尐がみられる
がん患者の尿中に出現するたんぱく質分解誘導因子
(proteolysis inducing factor : PIF)の増加による
代謝動態の変化などが起こり、病態生理学的には局所
に始まる炎症反応が全身的に亢進していく 1,2)。その結
果、インスリン抵抗性の亢進、体脂肪減尐、骨格筋蛋
白の崩壊を伴う蛋白代謝の亢進(脂肪と骨格筋の両方
が消耗することを特徴とする)
、
さらには急性相蛋白の
産生増加などが引き起こされる 1,3,4,8)。がんの進行に
加えてこれらの代謝の変化も食欲や体重の減尐の原因
となり、体液貯留(浮腫)を伴う低栄養状態、貧血、
全身衰弱などを併せ持つ、がん患者特有の「悪液質
(cachexia)
」と呼ばれる病態になる 1-7)。
悪液質はとくにがん終末期に明らかになる 5)が、そ
の定義はまだ尐し曖昧である。米国の Evans ら 3)や
Blum, Fearron ら欧州の緩和ケア研究グループ 4)は、
体重減尐、経口摂取量の低下(10%以上など)
、栄養指
標や CRP(炎症指標)の異常などを指標として悪液質
を定義しているが、日本の緩和医療学会は、
「悪性腫瘍
の進行に伴って、栄養摂取の低下では十分に説明され
ない、るいそう、体脂肪や筋肉量の減尐 8)が起こる状
態」としている。こうした悪液質は従来、低栄養とく
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第2章 経腸栄養
に異常な体重減尐としてのみ捉えられていたが、体重
増加を目的に強制的な経管的・経静脈的高カロリー栄
養投与が過去に行われたものの、多くは失敗に終わっ
ている 5)。その理由は、上記の通り悪液質が経口摂取
の減尐だけでなく全身性炎症反応の亢進に起因するも
のであり、単なる高カロリー栄養投与では原因の改善
には至らない 1-4,6,8)からである。かつて悪液質はがん
終末期になると認められる病態と考えられていたが、
実際には比較的早期から発生していることが分り 1)、
腫瘍学的には臨床病期に依存しない予後不良因子であ
る 4)。従って、薬理学的あるいは栄養学的介入により
悪液質(すなわち担癌による炎症反応亢進や代謝動態
の変化)を制御(がん宿主反応を修飾)出来れば、が
ん患者の予後を向上させることにも繋がり、
(カロリー
投与以外の)病態別栄養管理の目標の一つとなり得る
1-4,6,7)
。適切ながん治療とそのための栄養管理を行うため
には、これから治療を受けようとするがん患者の宿主反応
と代謝の変化を良く理解することが極めて重要である。
3.がん患者に対する経腸栄養の指針(表1)
どのようながん患者にどのような栄養療法を行うべ
きか、というエビデンスの確立が困難であることもあ
り、個々の患者ごとの適切な対応が必要になる。当然
ながら、経口摂食可能であれば通常の食事を中心とし
て管理することが最良である。しかし、ESPEN の GL1)
では、
食事摂取困難 7 日以上、
推測必要カロリーの 60%
未満の食事摂取が 10 日以上のがん患者に対しては、
出
来るだけ早期から栄養補助を開始すること、消化管が
使用可能であれば経腸的な栄養管理を優先すること、
と記されている。とくに、頭頚部あるいは食道のがん
に対する化学放射線治療で粘膜障害が強い症例に対し
ては、PEG を造設して栄養管理することも(推奨度は
高くないが)推奨されている。ただし、造血幹細胞移
植の際の栄養管理としては、経腸栄養管理をルーチン
には推奨していない 1)。これは治療に伴う副作用など
の問題を考慮した判断で、経管での栄養剤投与ルート
あるいは腸管使用そのものを避けた方が良い症例も存
在するので注意が必要である。がん患者では既に PEG
が造設してあったとしても、静脈栄養を併用あるいは
静脈栄養単独で管理すべき状況があり得ることを忘れ
てはならない。
一方で ESPEN の GL1)では、術前の免疫増強栄養剤内
服以外は、がん患者にも「標準的経腸栄養剤」を用い
ることが推奨されている(GL の抜粋を表1に示す)
。
すなわち、がん悪液質を念頭においた特殊な病態別経
腸栄養剤で RCT により有用性が証明されたものはまだ
存在しない 1)。経腸栄養管理を行うとすれば、通常の
栄養剤(半消化態で良いと思われる)を用いて、個々
の患者の病態・治療や全身状態に応じた投与ルート・
速度で管理すれば良い。ただし、上記の造血幹細胞移
植などの際には注意が必要である。
また、直接に栄養剤の選択とは関係しないが、終末
第3節 病態別経腸栄養剤
表1 手術以外のがん治療領域における欧州臨床栄養代
謝学会(ESPEN)の経腸栄養実施ガイドライン 1)
十分なエビデンスはないとしながらも、がん患者に対して
も標準の経腸栄養剤を用いることが推奨されている。
このガイドラインにおける推奨度は、過去の研究結果報告
の内容から以下のようにランク付けされている。
(A)少なくとも1つの無作為化試験による研究に基づく
(B)無作為化試験によらない比較的十分な研究に基づく
(C)専門家の意見あるいは権威者の臨床経験に基づく
1.標準経腸栄養剤を用いる (C)。
2.がん患者に対する w-3 脂肪酸投与の有効性については、
無作為化臨床試験の結果が相反し議論の余地がある。従
って現時点では、w-3 脂肪酸の投与が(外科手術前以外
の)がん患者の栄養状態や身体機能を高めるという確固
たる結論は得られておらず、進行がん患者の生存期間を
延長させることは考えにくい (C)。
3.造血幹細胞移植患者に対するグルタミンやエイコサペ
ンタエン酸の経腸的投与は、有効であるとの結論がまだ
得られていないので、推奨されない (C)。
4.経腸栄養剤に加えての薬物治療について:
●全身の炎症が存在する患者では、栄養管理に加えて
炎症を制御する薬理学的介入が推奨される (C)。
●悪液質を伴う患者では、食欲亢進、代謝異常の改善、
生活の質の低下予防のために、ステロイドやプロゲ
スチンの投与が推奨される (A)。
●ステロイドは、尐ない副作用で高い効果を得るため
に、短期投与とすべきである (A)。
●プロゲスチン投与中は、血栓のリスクを念頭におく (C)
期や悪液質を伴うがん患者では炎症が亢進していると
の前述の知見 1-7)を踏まえて、炎症の制御のための薬理
。具体的には、RCT
学的介入が推奨されている(表1)
によるエビデンスのある推奨度 A として、悪液質のあ
るがん患者に対するステロイドやプロゲスチン(人工
的に合成されたプロゲステロン類似化合物)の投与が
食欲増進や生活の質の改善に有効であるとしている
1,4)
。表1に示すように、この項目が唯一高い推奨度 A
を得ているが、他は「専門家の意見あるいは権威者の
臨床経験に基づく」
レベルの推奨度 C である。
従って、
ステロイドによる炎症制御の有用性を唱えていながら、
同様の効果も期待されるエイコサペンタエン酸(EPA)
8)
を含む免疫修飾栄養剤の使用は逆に推奨していない
(標準的経腸栄養剤の使用を推奨)1)。EPA は魚類、と
くにイワシやサバなどの青背の魚の魚油(fish oil)
に多く含まれるω−3 脂肪酸の一つであり、主にその代
謝産物であるリゾルビンを介して、炎症性サイトカイ
ンの産生を強力に抑制する 8)。さらに EPA は、PIF の
レベル・活性を低下させることなどにより炎症を抑制
するとされる 2,7)。しかし、進行がん患者では RCT によ
るエビデンスは確立しにくく、ステロイド使用以外は
全てまだ手探りの状態である。そのため、ESPEN の GL1)
とはいえ推奨度の低い項目が多いのが特徴で、わが国
のみならず欧米でも症例ごとに個別化対応が必要なの
が現状であろう。しかし、近年新しい知見も報告され
つつあり、がん患者に対する栄養管理の第一目標は必
ずしも体重増加や栄養指標の改善ではなく(これらは
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第2章 経腸栄養
第3節 病態別経腸栄養剤
達成が容易ではない)
、
症状や抗腫瘍療法の副作用の緩
和(治療継続性の維持)
、感染症リスクの軽減など QOL
向上を目指すべき時代になってきている 1)。
4.がん患者に対する免疫栄養療法の可能性(表2)
今世紀に入り、免疫栄養(immunonutrition)という
概念が提唱されるようになり 8)、様々な免疫賦活作用
を有する特殊栄養成分が臨床応用されている。がん治
療においても、前述のように明らかなエビデンスはな
いものの、がん悪液質に対する特殊栄養成分としての
EPA の効果 2,7,8)が注目されている。Fearon ら 7)は、終
末期膵癌患者にEPAを含有する栄養剤を4~8週間投与
して、栄養状態の改善や生存期間の延長を検討した前
向き臨床試験の結果を 2006 年に報告している。
その結
果、EPA 製剤は体重減尐を抑制し QOL の向上に役立つ
ことが示され、投与量としては EPA 2g/日が最適であ
った 7)。一方で、生存期間の延長は得られなかった 7)
が、この研究では EPA 製剤投与中に抗腫瘍療法は行わ
れておらず、EPA が効果を示す患者群も特定されてい
ないようである。その後、Fearon 自身も含めて、欧州
のグループが前述の悪液質の定義を確立していった 4)
ことで、EPA 製剤がより有益となる患者群が選択でき
る可能性が出た。
すなわち、
McMillanらが提唱したGlasgo Prognostic
Score (GPS) 6)や三木らの報告 9)に示されているように、
CRP 高値を指標として選択された悪液質症例では、宿
主の慢性炎症やがん細胞の IL-1 あるいは IL-1→IL-6
カスケードの制御 8-10)など、
EPA 投与による炎症反応抑
制効果が期待出来る。また、大腸癌細胞において、IL-1
の抑制により血管内皮増殖因子(VEGF)産生が 87%も
低下したことが実験的に示されている 10)。これらの事
実から、悪液質がん患者でもこうした腫瘍増殖因子の
産生が EPA 投与により抑制される可能性がある。もし
そうだとすれば、EPA は今日用いられている分子標的
治療薬に似た作用を有し、分子標的治療薬と併用する
とその効果を相乗的に高め得ることも考えられる。従
って EPA 含有の栄養剤投与は、悪液質改善効果に加え
て、がん患者の生存期間を延長(予後を向上)させる
可能性も期待される(表2)
。
これらの EPA の効果を期待して、食品扱いではある
がわが国でもプロシュア TM(アボットジャパン)が最
近上市された 2)。
本製品は、
1 パック 240mL で 300kcal、
EPA が 1g、たんぱく質が 16g 含まれ、Fearon らの報告 7)
に従って 1 日に 2 パック(EPA 2g/日)の内服が推奨さ
れる栄養機能食品である。しかし、引用文献 7 を始め
とする Fearon らの研究は終末期膵癌患者を対象とし
ており、今後は他部位のあるいは終末期でないがん患
者における QOL 向上効果についても検討が必要である。
さらに、効果発現までに要する内服必要量(期間)が
まだ不明であること、わが国では保険適応のない食品
扱いであることなどの問題はあるが、EPA 含有栄養剤
はがん患者に個別化医療を提供するためのツールとし
表2 がん診療における免疫栄養療法:オンコロジー用栄
養剤としての EPA 含有経腸栄養剤への期待
1.栄養状態を改善し体重減尐を防ぐだけでなく、宿主の慢
性炎症状態や癌細胞の IL-1→IL-6 カスケードの制御な
どにより Performans Status (PS)を良好に維持する悪
液質改善効果が期待される。
2.悪液質改善効果は、在宅・緩和医療における栄養管理の
みならず、抗腫瘍療法を安全かつ継続的に行うためにも
有用である。
3.EPA 投与により腫瘍増殖因子が抑制される可能性があ
り、EPA そのものが分子標的治療薬の一つとも考えられ
る。
4.分子標的治療を含む抗腫瘍療法の効果を相乗的に高め
ると考えられ、悪液質改善効果とあわせ生存期間の延長
が期待される。
て期待される。とくに、在宅栄養管理における有用性
2)
に加えて、これまで別次元と考えられてきた在宅・
緩和医療と化学療法とをシームレスにつなぐ役割を担
う「オンコロジ―用」栄養剤の一つとして(表2)、
今後、適応症例の選択や適切な使用法の確立を含むエ
ビデンスの集積が待たれる。一方で、こうした特殊栄
養剤に過剰に頼ることなく、患者の状態に適した栄養
管理を考え実践することが肝要である。
5.おわりに
がん治療における栄養管理の意義は、まだ十分に認
識されているとは言い難い。がん治療の中核を担う外
科医や腫瘍内科医から見れば、栄養管理が生存率向上
などのエビデンスに直結してこなかったことが問題と
思われる。EPA 含有経腸栄養剤による免疫栄養療法は
「オンコロジー用」として有用性が期待され、今後の
エビデンスの集積が待たれる。しかし、がん患者の栄
養管理を経腸栄養だけで行える場合はむしろ尐ない。
経口や経管(胃瘻を含む)で消化管を使う栄養管理を
優先すべきではあるが、患者ごとにコンプライアンス
も異なり 1)、不十分な栄養管理にならないように静脈
栄養の併施あるいは静脈栄養への移行も臨機応変に行
うべきである。がん治療は、標準治療から個別化治療
へ移行しつつある。栄養管理も、栄養剤のみに過剰に
期待するのではなく、症例ごとに最適な方法を常に考
え実践することが、がん患者の QOL や予後の向上につ
ながるであろう。
文献
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