巧みに投げ、打ち、走るために

巧みに投げ、打ち、走るために
∼動作の仕組みを理解して、錯覚を解こう∼
小田伸午(京都大学高等教育研究開発推進センター教授)
小山田良治(五体治療院代表)
1
①
腕は肩からついているのではない
「あなたの腕はどこから付いていますか?」と、聞かれれば、誰でも、腕は肩から付いて
いると答えると思います。実は、解剖学的な構造として、肩関節よりもう一つ中心部(胸元)
きょうさ
に、胸鎖関節という関節があります。図①−1をみて下さい。胸鎖関節とは、鎖骨の付け
根の関節です。
図①−1
腕は肩から付いているのではない。鎖骨の付け根の胸鎖関節から付いている。
胸鎖関節と肩甲骨が柔らかく動く必要がある。
試しに、両腕を「前へならい」、のように前に挙げて止めてください。ここで、手の位置
はもっと前に出ますよ、と言われたら、皆さんはどうするでしょうか。腕は、肩からでは
なく、胸鎖関節から付いています。ですから、胸元の胸鎖関節から腕を前に伸ばすと、肩
関節の位置自体が前に出て、その結果、手の位置が前に出ます(図①−2)。
2
図①−2
胸鎖関節を使うとリーチが長くなる(下の図は胸鎖関節から腕を伸ばしている)
けん こうこつ
胸鎖関節がやわらかく動くと、連動して、肩甲骨も動きます(図①−1の右の図)。肩甲骨、
けんこうたい
肩関節、胸鎖関節あたりの総称を肩甲帯と呼びますが、肩甲骨、肩関節、胸鎖関節の動き
を互いに連動させて考えるのが基本です。腕は肩から付いているのではなく、胸鎖関節か
ら付いている、ということを理解できたら、動きが変わってきます。胸鎖関節、肩甲骨が
やわらかく使えたら、しなるような腕の動きができるようになります(図①−3の西口投
手の腕のしなりを参照)
。胸鎖関節、肩甲骨などの肩甲帯のゆるみで、腕の振りからリリー
スにともなって、肩の位置が前に出てきます。この肩の動きを、肩を飛ばす、という言い
方をすることもあります。
肩や肘が楽に感じることが重要です。放たれるボール速度が従来と同じでも、肩にかか
る負担は少なくなります。まずは、同じ速さのボールを投げたり打ったりするのに、努力
感が少なくなることを目指してゆくのが、上達への正しい道筋です。ピッチャーが、いき
なり、ボール速度を上げることを狙うと、力んでしまいます。動作を反復しながら、同じ
パフォーマンスがより楽にできるようになってくると、あるとき、信じられないくらい速
いボールが行きます。怪我のない動作が、高いパフォーマンスを生み出す動作でもあるの
です。
皆さんの肩の位置はどうなっているでしょうか。図①−4の左の絵の肩の位置は、いわ
まえかた
ゆる、胸が閉じた「前肩」の状態です。普通に意識を置かない状態の時に、肩がこのよう
な前の位置にある人が多いようです。感覚的な言い方をすると、胸の緊張が相対的に大き
く、背中の緊張が足りない人が前肩になります。投球時や走塁時に肩に力みが入る動きに
なりやすい人は、前肩である場合が多いものです。
真ん中の絵を見てください。何も力を入れないニュートラル状態で、このような状態に
なっていたら理想的です。実は、このような人は少ないものです。例えば、イチロー選手
3
の何気ないときの肩の位置をみてください。適度に胸が張れた状態で、肩の位置が前すぎ
ることもなく、かといって、後ろ過ぎることもなく、ちょうど良い位置にあります。
ひきかた
右側の肩の状態は、前肩に対して、
「引肩」と呼ぶことにします。胸を張って良い姿勢を
しなさい、と言われたら、このような姿勢をとる人も多いと思います。左右の肩甲骨を互
いに引き寄せるように緊張させ、肩の位置がつり上がっています。胸を極度に張って、背
中を閉じた状態です。緊張状態は、ニュートラルとはいいません。投球のテイクバック時
に球を持つ腕側の肩甲骨をぎゅっと力んで背骨側に引き寄せてはいけません。肩甲骨は、
外に開いて下に落としておく感覚を基本としてください。
前肩の人は、胸の筋肉(大胸筋)が固く短くなって、常時肩を前に引っ張っています。
大胸筋のストレッチをたえず癖のように行うようにしましょう。野球選手の大胸筋ストレ
ッチは、バットを使った方法をお奨めします(図①−5)。
図①−3
西口文也投手(西武ライオンズ)の腕のしなりに注目。腕は胸鎖関節から付
いている。
図①―4
あなたの普段の肩の位置はどれですか?
4
1
図①−5
2
3
バットを使った大胸筋のストレッチ
バットを寝かせて肩の位置で持ち(写真1)、バットヘッドが肩の位置より高くなる
ように左腕でグリップをプッシュして、大胸筋をストレッチします(写真2)。写真3
のようにヘッド下げて行うとストレッチ効果は半減します。
じょうわん が い せ ん
②
上腕外旋
A 上腕外旋
図②−2
B 上腕内旋
C 上腕外旋、前腕回内
A;上腕外旋(前腕回外)、B;上腕内旋(前腕回内)、C;上腕外旋、前腕回内
立位姿勢をとって、両腕を真横に挙げて、手のひらと肘の屈曲方向を上に向けてくださ
い。この状態が、上腕外旋です(図②−2A)。上腕を肩の付け根から外側にひねった状態
です。次ぎに、手のひらを下に向け、肘の屈曲方向を下に向けてみましょう。これが、上
腕内旋です(図②−2B)。上腕を肩の付け根から内側にひねった状態です。
ここからが重要です。Aの状態を作って、上腕を外旋したまま(肘の屈曲方向を上に向
けたまま)、前腕を内側にひねって、手のひらを下に向けてみてください(解剖学用語では、
かいない
。これが、上腕外旋+前腕回内の状態です(図②−
前腕は内旋と言わずに回内と言います)
2C)。このまま、腕を下に垂らして立位姿勢をとったときに、上腕外旋+前腕回内の状態
になっています。無意識の状態で、腕がこのように、上腕外旋+前腕回内の状態になって
いることが重要です。
ここで、図①−4の左の絵(前肩の絵)をみてください。その絵では、上腕が内旋して
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います。内旋状態がその人の普段の状態になって固まっています。図①−4の右の絵は、
上腕が外旋していますが、力んだ状態で無理矢理外旋させています。図①−4の中央の絵
が理想的です。力みのない状態で上腕が外旋し、前腕が内旋しています。車のギア操作で
言うと、トルク(回転力)がかかっていないニュートラルな状態が、上腕外旋+前腕回内
の状態です。意識的に力を入れて上腕を外旋させているのでは、ニュートラルと言えませ
ん。ニュートラルな状態が、上腕が内旋位置で固まっている人は自分のからだを見直し、
上腕外旋の状態がニュートラルになるように、からだを作り直しましょう。
このからだが出来てくると、動作はしなやかになり、力みが抜けた状態で、投球動作や
打撃動作が出来るようになります。筋トレをしても、なかなか動作がしなやかにならない
という人は、上腕が内旋で固まっていて、胸が閉じた「前肩」のからだをいつのまにか作
ってしまい、力に頼って力んだ動作になっている場合が多いようです。
上腕外旋+前腕回内の状態から「前へならい」をしてみてください。図②−3の左図の
ように、肘の屈曲方向が上を向き、手のひらが内側を向きます。上腕は肩関節においてニ
ュートラルの位置におさまっていて、前肩にはなっていません。「前へならい」をしたとき
に、上腕が内旋している人は、図②−3の右図のように、手のひらも肘の屈曲方向も内側
を向きます。肩も前肩になっていることに注目してください。
図②−3
前へならいをしたときに、あなたの肘の屈曲方向は、上を向きますか?(左の
グラフィック)
それとも内側を向きますか?(右のグラフィック)
投球動作で球を持った腕をテイクバックして上げてゆくときに、上腕を内旋させて内旋
力をかけたままテイクバックさせてしまうと、動作に力みが出て、肩を痛めてしまうこと
があります。テイクバック開始時は、球を持った腕の前腕は内にひねり(回内)
、上腕は内
旋させた位置にします。しかし、テイクバックの過程で腕を上げてゆくときには、上腕に
は外旋方向の力をかけながら腕を上げてゆきます。内旋力をかけたまま腕を上げると、肩
がつり上がって肩に負担がかかります。上腕に外旋力をかけながら腕を上げると、楽に腕
が上がり、肩の負担が軽くなります。
外旋力をかけながらテイクバック動作をしている投手やコーチも、他人に教えるときに
は、従来言われてきた、
「上腕を内旋させたまま腕を上げなさい」と言ってしまうことも多
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いようです。言い動作が出来ている人も、他人に教えるときには、教わったようにしか教
えられない、ということも多いと思います。
投手の上腕内旋の力みを解除させる方法として、投手にノックをして、野手の投げ方(野
手投げ)をさせるなどは非常によい方法です(図②−4)
。ゴロを捕って動きながら投げる
野手の投げ方をすると、意識的な動きが解除され、自然な動きになるものです。キャッチ
ボールを野球の基本として重要視しているチームが多いと思いますが、投手投げでキャッ
チボールをするチームが多いようです。ある時期、ピッチャーも、野手投げを基本と考え
て練習してみるのも素晴らしいことだと思います。
図②−4
川崎宗則選手の右腕に注目!
上腕は内旋位置にあるが、外旋しながら(外旋力をかけながら)上げてゆく。
図②−5
サブロー選手(ロッテ)の左腕に注目!
テイクバック時に左上腕に外旋力を
かけ続けている。スイング後半は、左脇が締めながら、前腕を外にひねりながら(前腕の
回外)バットヘッドを返してゆく。
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バッティング動作の中にも上腕外旋があります(図②−5)。スイング時に、投手側の脇を
締めるようにして打つ動作が、上腕外旋に相当します。前の腕の上腕外旋をつくる感覚や、
選手によって様々な感覚があるようです。「前腕の脇を締めるように」とか、「前の手の甲
を球に当てに行くように」とか、「構えのときに前側の手首をすこし投手側に反らすように
する」など、様々な感覚があるようです。脇の感覚、手首の感覚などいろいろ感覚はある
ようですが、大切なのは、前の腕の脇が締まっていても、やや空いていても、前の腕に外
旋力をかけておくことです。とくに右打者が気をつけなければいけないことは、トップの
位置に来たときに、前の腕の上腕外旋力が抜けて内旋力がかかってしまうことです。こう
なると、右肩が下がり、ヘッドの動きだしが鈍くなります。バットが寝ないで立ったまま
出てくる感覚、というのも、前の腕の外旋感覚から生まれます。
③ 股関節を使おう
バッティングは腰を回せ、とはよく言われることです。立った状態で、腰(骨盤)が水
ようつい
平に回転するには、どこが動くとそうなるでしょうか。背骨の下部の腰椎でしょうか。実
は、腰椎はほとんど、水平回転しないのです。腰が回転するのは、股関節が回旋運動を行
こ かんせつ
なうからです。腰が回るのではなく、股関節が回るのです。実際にやってみて身体で理解
しましょう。
骨盤の幅にやや両足を開いて、立ってみてください。片脚を浮かせて、その脚を外側、
がいせん
内側に回してみて下さい。身体の中央から膝頭が外に向って回旋する動きを股関節の外旋
ないせん
と言い、その逆の回旋を内旋と言います(図③−1)。いまやって頂いた動きでは、骨盤を
固定して脚を(股関節を)内旋・外旋させましたが、こんどは、両足を骨盤の幅に開いて、
ねじ
足部を床に付けたまま動かさないで、ラジオ体操のように、体幹を捻って、左右に両腕を
回してみてください。こうすると、いわゆる腰が回ります。このとき、股関節が内・外旋
することで、腰(骨盤)が回るのです。腰が回るのは、股関節が回るからです。
内旋
図③−1
外旋
股関節の内旋と外旋
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ひざがしら
両足を肩幅よりやや広くして立ちます。膝 頭 と足先を内側に向けて(股関節を内旋して)
腰を回してみてください。次ぎに、膝頭と足先を外側に向けて(股関節を外旋して)腰を
回してみてください。どちらが腰が回りやすかったでしょうか?股関節は内旋状態にして
おくと、フリーに回旋してくれません。外旋で弛めておくと、股関節は回旋しやすくなり
ます。
2002
福留選手
アウトエッジ感覚
図③−2
2001
インエッジ感覚
福留選手(中日ドラゴンズ)の構えの変化
写真提供:中日新聞社
中日ドラゴンズの福留選手の構えをみてください(図③−2)。2001 年は、股関節を内旋
させて構えていました。足裏の親指の付け根(インエッジ)に体重をかけるような感覚の
立ち方です。2002 年は、股関節を外旋させて(とくに捕手側の左股関節)ゆったりと構え
て、スムースな腰の回転を生み出しやすい構えに変えています。足裏の拇指球に集中的に
体重をかける感覚ではなく、足裏全体で立って、むしろアウトエッジ(足裏の外へり)を
感覚しておくような立ち方です。
股関節を外旋させたほうに体重が寄る、という性質が、我々のからだにはあります。上
腕も同様に、外旋させた(外旋力をかけた)ほうに体重が寄る、という性質があります。
2002 年の福留選手は、左の股関節と上腕を外旋させて、体重を左に寄せて構えるようにな
りました。左上腕は脇が開いて内旋位置にありますが、左上腕は、脇が締まる方向に向け
て外旋力をかけながら構えているのです。この左腕の外旋力によって、右腕の支えを外し
たときに、左腕で押し込める体勢をとっています(図③−2参照)。
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図③−3
左腕で押し込む福留孝介選手(中日ドラゴンズ)
股関節の外旋力を鍛え、股関節の柔軟性を高め、股関節を使った動き方の感覚を磨くた
めに、四股スクワットと開脚ストレッチをお奨めします(図③−4)。四股スクワットは、
前から見て、膝から下の下腿部が地面と垂直になる足幅をとります。上体がほぼ床と垂直
になるようにしゃがんで、立つ寸前に、膝を外に向けるようにして立つのがコツです。体
重を踵近辺に落とし、体重を預けた股関節と踵が連動するような感覚が重要です。足裏の
アウトエッジ感覚も有効です。
開脚ストレッチも毎日取り組みましょう。開脚して膝を弛めて、足首を伸ばします。外
くるぶしが床につくように股関節を最大に外旋させます。このとき、踵の外側で地面(床)
を押すようにして、ももの裏側のハムストリングスに緊張(テンション)を与えます。こ
のとき、膝がやや曲がっています。ハムストリングスにテンションがかかると、太ももの
前側の大腿四頭筋のテンションが抜けて弛みます。このの状態を 10 秒続けたら、両踵を外
に押し出すようにして膝を伸ばし、足指が上を向くように足首を屈曲させ(足指は反らせ
ます)、膝頭が真上からやや内を向くようにして、後傾していた骨盤を立てます。上記のふ
たつの動作を交互に繰り返します。四股スクワットと開脚ストレッチがきちっと出来るよ
うになってくると、走攻守の動きが、見違えるように良くなってきます。ただ単に筋力を
つけるのではなく、正しい動作が出来るからだをつくることを大事にしてゆきたいもので
す。
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四股スクワット
図③−4
開脚ストレッチ
股関節の外旋感覚を研ぎ澄ますために、四股スクワットと開脚ストレッチを練
習に取り入れよう
モデルは、競輪の外山三平選手(左)と山内卓也選手(右)
④ 走り方を見直そう
皆さんは、走るときに、1 直線上を走りますか。それとも、1 直線をまたぐように走りま
すか。図④−1 の上の写真に示したように、重心(おへそ)の真下に支持足をおくほうが安
定がいい走りになる、と考えがちです。毎回の着地をこのように静的バランスをとって走
ろうとすると、このような走りでは、肩と腰(骨盤)の回転方向が互いに逆になって、雑
巾をしぼるように体幹をねじるような動きになります。このような走り方ではエネルギー
ロスが起きやすく、速く走る上でもマイナスです。
片足で止まって立つという静的動作の安定性を考える場合なら 1 直線上を走るほうがい
いのですが、走るという動的動作においては、静的安定性を崩すことで、スムースな動的
安定生が得られます。
図④−1 の下の写真に示したように、1直線を左右にまたぐように走ることをお奨めしま
す。静的に立つ場合は、このようにして立っていることはできません。片足を浮かせても、
すぐにその足は地面についてしまいます。重心(おへそ)と支持足が左右にずれているの
で、体は、支持足側に倒れようとして、上げた足が自然に着地します。このように、一瞬
しか片足立ちできない不安定性を利用すると、スムースに足の回転し、楽に速く体重が移
動するようになります。
投球動作も、とくに右投手は、1直線を左右にまたぐ感覚が使えます。左投手は、ク
ロスステップを好む投手が多い中で、右投げの場合、踏み込む左足をアウトステップぎみ
に踏み込む投手が我が国でも増えてきました(図④−2参照)。
1直線を左右にまたぐようにして、ゆっくり走る練習をしてください。右足が着地した
ら重心(おへそ)は左にシフトしてゆく感じが分かります。この走り方では、軸は支持足
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ゆうきゃく
にあるのではなく、宙に浮いてこれから着地してゆく遊 脚 に軸感覚を持つことをお奨めし
ます。このハンドブックでは、これから体重をかけてゆく脚を軸と言うことにします。い
ま体重をかけている支持脚を軸と言うのではないことに注意してください。左右の遊脚軸
を交互に切り換えてゆく動作が、スムースに流れるような走りを生み出します。
走り方のコツをつかむために、ヒゲダンスをお奨めします。歩くよりゆっくりの速度で
行ってください。1直線を左右にまたぐようにして、両腕をそろえてやや肘を曲げ、支持
足を踏んだときに、両腕を下げるようにして、わずかに下に沈むようにします。両腕をそ
ろえて下に下げたときに、両膝を一瞬弛めます。次の瞬間に、こんどは、反動で両腕を上
に上げます。両腕を左右そろえて上下に動かすヒゲダンスの走りに慣れてきたら、こんど
は、通常の歩行のように、上下の動きに、前後の動きを加えて、左右交互に腕を振ってゆ
きます。両腕をそろえて行ったときに感じられた腕の上下動の感覚を生かしながら、左右
きょうさ
交互に腕を振ってゆきます。腕が上下動するのは、胸鎖関節が弛んで、鎖骨が胸鎖関節を
支点にして上下動するからです。肩周辺の筋肉の力みで腕を上下動させるのではなく、胸
鎖関節を弛めれば、かってに上下動します。腕は、肩から付いている、ではなく、胸鎖関
節から付いている、でしたね。
腕が胸鎖関節を支点にして上下に動く感覚がわかってきたら、そこに体幹のアーチ運動
を入れてゆきます。左足が着地して左腕が前にスイングするときに(体重が乗ったときに)、
体幹がアーチするように胸を張る動きが入ります。そのとき、左胸鎖関節の位置が前にや
や出るため、左鎖骨が胸鎖関節を支点にしてわずかに後方に動き、(推測ですが)鎖骨と連
結している左肩関節に後向きの力がかり、左肩関節と接続している左上腕は、それまで前
にスイングしていた運動を後方に切り返します〈前に行く動きに減速をかけます〉。そうな
ると、左前腕ははずみで上に放り上げられ、左肘は屈曲し、左手(左こぶし)は左胸の前
に上がってきます。
このように、腕振りの前方スイングから後方スイングへの切り返しは、腕の動きで行う
のではなく、体幹のアーチ運動によって生じます。体幹を動かすと腕はかってに切り換え
されて動いてくれます。ランニングの腕振りとは、体幹を動かさずに、手を意識して、そ
の手を前後に動かすことだと勘違いしている人が多いと思います。体幹をわずかに動かし
て、末端の腕を制御するのです。あなたも、この体幹の動きから腕を切り返す動きが出来
るといいですね。走りの感覚が分かると、選手としてのレベルが上がります。
意識的に1,2,1,2の二拍子のリズムで腕を振る選手が圧倒的に多いようです。体幹
が動いてくると、1,2,1,2 のリズムの間に裏拍が入ってきます。うんぱ、うんぱ、うん
ぱ、うんぱ、という、ノリのいいリズムになってきます。着地して、体重が乗って腕が後
方から体側までくるのが「うん」で、体幹(胸)を張って上腕が後方スイングに切り返さ
れて肘がはずみで曲がるのが「ぱ」です。着地した右足、右腕のリズムと、着地した左足、
左腕のリズムが互いに引き込まれるように繰り返されます。
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図④−1
あなたは 1 直線上を走りますか(上)、 1 直線をまたぐように走りますか(下)
図④−2
山口和男投手(オリックスバファローズ)の左足のステップ位置に注目
左足を外側にステップしている
走塁でベースを踏むときに、あなたは、左足でベースを踏むでしょうか。右足でベース
を踏むでしょうか。イチロー選手は、二塁打、三塁打で一塁ベースを踏むときは、必ず左
足で踏みます。皆さんのなかには、右足で踏むほうがベースを回りやすいと感じる人もい
るでしょう。イチロー選手のように左足で践むほうが回りやすい人もいるでしょう。左足
で踏む場合も、軸を左に感じて、体重を左にかけた結果左足で践みます。右足で踏む場合
も軸は右ではなく、遊脚側の左に軸を感じると、いい動きが出来ます(図④−3)。
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図④−3 ベースを踏むときは、右足で踏む場合も、左足で踏う場合も、軸は左に感じる。
http://www.baystars-npo.jp/record/060823.html
右軸と左軸の感覚が分かってくると、さまざまな動作を自由に操ることができるように
なります。図④−4の金子誠選手の守備における右足投法をみてください。通常は右投げ
では、左足を前に踏み出しますが、金子選手は、左足を前に出す投げ方では間に合わない
と判断して、右足を踏み出して、からだをねじらず、クイックモーションで、しかも速い
球を一塁に投げることができます。ポイントは、左腕(左軸)を引くのではなく、左軸も
押す感覚で投げます。左肘を屈曲し、左脇を締めながら上腕外旋し、左前腕を外に回す(回
外)。そのときに、左腕を引くのではなく、前に出した左腕(グローブ)に向かって左肩、
左胸を押してゆく感覚です。右腕を前に出すのに、左腕を引いてはいけません。右腕で足
し算をするのに、左腕で引き算をしているようなものです。この投げ方は、投げる腕と反
対側の足を踏み出す通常の投げ方にも共通して言えることです。
図④−4
金子誠選手(北海道日本ハムファイターズ)の左腕に注目
⑤ 右投手と左投手
先日、プロ野球のある監督さんとお会いしてお話する機会がありました。その監督さん
と私の間でひとしきり盛り上がったのは、右投げの選手がコーチになって、左投げの選手
を教えるのは、非常に難しい、ということでした。逆もそうで、左利きのコーチは、右投
げの選手に自分の動作感覚を、左右を逆にして教えると、うまくゆかないという話でした。
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図⑤―1をみてください。感覚的な話ですが、右投げ投手は、左上腕に外旋力をかけて、
打者方向に足を踏み込んでゆきます。この話は、右投げの投手の場合である、ということ
をおさえておいてください。我が国の右投手は、左肩を早く開かないようにということで、
左上腕を内側に旋回させて(内旋力をかけて)投げる人も多いようです。
写真をもう一度よく見てください。内側に回しているのは、肘から先の前腕です。上腕
には外旋力をかけておくのです。右投手の場合、上腕の外旋を使って体重移動をスムース
に導くということが動作のポイントです。したかって、打者方向に身体をスムースに移動
させるには、左上腕に外旋力をかけてやることが動作の隠し味になります。左上腕に内旋
力をかけてしまうと、左足を踏み出すときに、スムースな体重移動が微妙に阻害されます。
図⑤−2の朝倉健太投手の左上腕をみてください。この左上腕は内旋位置にありますが、
外旋力がかかっているものと思われます。
図⑤−1
右投げ投手は、左腕の上腕に外旋力をかけて打者方向にステップしてゆく。
モデル;小山田良治氏
図⑤−2
写真提供;真崎貴夫
朝倉健太投手(中日ドラゴンズ)のは左腕の上腕に注目
上腕は内旋位置にあるが、外旋力をかけている
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ステップ時には、左
左投手について考えてみたいと思います。右投げ投手出身のコーチが、左投げ投手を教
えるのは、何故に難しいのでしょうか。
左投げ投手の場合は、後ろの足にしっかり体重を乗せる感覚を重視するのです。したが
って、前の腕の上腕、つまり右上腕は、ステップ開始時には、外旋力ではなく、内旋力を
かけておきます。そうすると、後ろの左足にしっかり体重が乗ります。そして、ステップ
足を踏み込む動作に入っても、最初は右上腕に内旋力をかけて後足に体重を残すような感
覚でぎりぎりまでねばって(タメを作って)、一気に、右上腕を外旋させて、前足(右足)
の股関節に体重を乗せます(図⑤−3)。宙に浮かした前足に関しても、つまり、前に踏み
込む右足に関しても、内旋力をかけておくことで、後ろ足に体重を残すことが出来ます。
したがって、左投手は踏み出す右足をクローズドステップぎみに接地する投手が多くなり
ます。前足(右)を上げて踏み出すときに、足先を下げる左投手が多いのも、支持足の左
に体重を残すためです。右投手は、踏み出す足(左)の足先を上げると、前に体重移動を
しやすくなります(図⑤−4)。
図⑤−3
左投げ投手は、右腕の上腕に内旋力をかけて打者方向にステップしてゆく。
モデル;小山田良治氏
写真提供;真崎貴夫
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左投手
図⑤−4
右投手
片足立ちになって、上げた足の足先を下に向けると体重は支持足側に寄るが、
足先を上げると、上げた足んもほうに体重が寄る
右投手の川島亮投手(ヤクルトスワローズ)の右足先が上がっていることに注目
左投手(モデル、小山田良治)は、ステップする足の足先が下がり気味な選手が多い
⑥ 右ネジの法則
筆者達は、左右どちらかにからだを回転させる動作を行うときときには、からだは、左
方向に回すときに弛みやすく、右方向に回すときに締まりやすい、ということを感じてい
ます。このからだの特質を、ここでは、「右ネジの法則」と呼びます。通常ネジは右に回す
と締まり、左に回すと弛みます。
右投げ投手は左回転です。したがって右ネジの法則から言うと、右軸から左軸に向かっ
て、ネジを弛めるようにして体重を移してゆく、という動作になります。右投手の場合、
例えば西武ライオンズの西口文也投手(図⑥−1)もそうですが、十分左足に体重が乗っ
た場合は、ネジが弛んだようにからだが左回転をしやすいので、投手の背中が打者の方向
を向くまでからだが大きく回転する光景がよくみられます。
一方、左投手は、左軸から右軸に向かって、ネジを締めるようにして体重を移してゆく
ことになります(図⑥−2の写真、広島東洋カープの河内貴哉投手を参照)。左投手は、ネ
ジを締めるような感じで前に出て行きますので、右股関節上にからだを乗せて、きゅっと
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閉まるように回転がとまり、リリース後からだが大きく回転する投手は少ないようです。
先日、SSK 主催の野球セミナーでこの話をしました。ある高校野球甲子園常連チームの
監督さんが次のようなことをしみじみおっしゃいました。
「自分の指導したチームでは右投
手が何故か育たないんですが、これまで何故だろうかと不思議でした。でも、右投手が育
たない理由がやっと分かりました。私は右投げですが、これまで投手の指導において、右
投手にも左投手にも、左投手向けの締まる感覚の投げ方を教えていたと思います。だから、
左投手しか育たなかったんだと思います。右投手には、締まる感覚ではなく、もっと別な
右投手向けの異なる感覚を探さないといけないことがわかりました」。
リリース時にキレや手応えを求めていいのは左投手です。多くの指導者は、右投手にも
キレや手応えを求めてしまうようです。我が国の投手の基本感覚は、キレや手応え、ステ
ップ時の前の腕の内旋感覚、後ろ足を軸感覚として、その足に体重をためる感覚を求める
ことが多いようですが、これらは、左投手に好都合の動作感覚と言えます。
図⑥−1
西口文也投手(西武ライオンズ)の左足に体重を乗せ込む投法
右ネジを弛め
て投げるような、右投げの特徴が出ている
図⑥−2
河内貴哉投手(広島東洋カープ)
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右股関節を締めるような(右ネジを締める
ような)左投手の特徴が出ている
野球の打撃についても、右打者の感覚と左打者の感覚は違います。右打者は、左上腕に
外旋力をかけて構え、テイクバック時に左上腕の外旋力をかけたまま、右腕でプッシュし
て打ちます(図⑥−3)。右ネジを弛めて左軸に体重を乗せてゆきたいため、その左軸感覚を
基準にします。左上腕に外旋力をかけておくことがポイントとなります(図②−5
サブロ
ー選手を参照)。
左打者は、体重を乗せやすい軸は左ですから、やはり左上腕に外旋力をかけて構え、ト
ップの位置になったときにも、外旋力をかけておきます(図⑥−4)。左打者の場合、前の腕
(右上腕)に外旋力をかけることをポイントにする、ということにはなりません。後ろの
腕の左上腕に外旋力をかけて、その腕 1 本で押し込むようにして左軸を前に出してゆきま
す(図③−3
福留選手を参照)。
右打者は、前の軸である左軸を基準にして右で押し込む「左、右」打法。左打者は、後
ろの軸である左軸を基準にして、左1本で押し込む「左」打法。そういう意味では、右打
者のほうが、難しいと言えるかもしれません。原辰徳監督(読売ジャイアンツ)とお話し
したことがあるのですが、「左打者の指導書が100ページで書けたとすると、右打者の指
導者はもう50ページは余分に必要」と語っていました。右打者は、左打者に比べて、イ
ンコースを引っ張った場合、打球がファールになりやすいようです。これも、右打者は前
足の左足に体重を乗せて弛みやすい、という右ネジの法則が一つの要因であるものと思わ
れます。
左打者出身の打撃コーチは、後ろ側の腕で押すことを強調する人が多いようです。右打
者出身の打撃コーチは、前の左腕の外旋感覚を教える人が多いようです。いずれも、左軸
の感覚です。どちらが正しいかと言っても、それぞれ右と左の世界における感覚で、どち
らも正しいと言えます。ただし、右の感覚を左の人に強制しようとするとうまくゆかない
ことがあります。自分が会得した感覚を選手に教えるときには、右の世界と左の世界が別
であることを踏まえておきたいものです。
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1
3
2
右打者
左上腕に外旋力を常時かけておく
テイクバック時に左上腕に内旋力がかかってはいけない
図⑥−3
右打者は、左上腕に外旋力をかけ(1)、右手を添えて持ち(2)、左上腕の外
旋力をかけたまま構える
1
モデル;小山田良治
2
写真提供;真崎貴夫
3
左打者
左上腕に常時外旋力かけておく
左手でプッシュ
図⑥−4
左打者は、左上腕に外旋力をかけ(1)、右手を左の下に添えて持ち(2)、左
上腕の外旋力をかけたまま構える
モデル;小山田良治
写真提供;真崎貴夫
⑦ 別なところから動作を直す
左右二軸を切り換えて動的バランスをとって走る二軸走の話をしました。右と左のバラ
ンス、左右の関わりあいでからだの動きは成り立っているのです。からだの動きが左右の
バランスで成り立っているのですから、動作の修正、習得も左右のバランスと考えてくだ
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さい。右の動きを修正しようとしたら左の動作を直す。左の動きを変えようと思えば、右
の動きを修正する、という話を最後にしたいと思います。
例えば、野球やソフトボールの打撃。スイング時に後方(キャッチャー側)の肩が下が
って、アッパースイングになる欠点を修正する場合を考えてみましょう(図⑦−1)。
右肩が下がっているので、意識して肩を水平にまわせ、と指摘する指導者も多いと思い
ます。しかし、右肩が下がらないように水平に回そうというのでは、動作は矯正できない
のです。技術的な欠点というものは、ほとんどの場合、別な部分を意識することで是正さ
れることが多いのです。
では、どうするか。野村克也監督(東北楽天ゴールデンイーグルス)の著書『続
敵は
我に在り(ワニ文庫)』から学んでみましょう。右肩が落ちる打者は、左手の甲がボールに
正対していない。やや上向きになっている。だから、左手の甲をボールにぶつけてゆく感
覚を考えるほうがよいと、いうのです(図⑦−2)。右打者が左手の甲を球に正対させると
いうのも、左上腕に外旋の力をかけておく、ということを意味します。実際には、インパ
クトの瞬間までは、手の甲は球に正対しておらず上空を向いていますが、上腕には外旋力
がかかっている、という意味です。
右肩が下がる欠点の修正ポイントをからだの左側から探す。
「別なところに光をあてる。
プロの世界はコツの世界」と語る野村氏の言葉は、重く響きます。からだの部分をあーし
よう、こーしようと直接意識をおいているうちは、うまく行っていないことを知りましょ
う。上手くゆかない部分から意識をはずして、その部分と関わっている別な部分に意識を
おくことから入ると光が差してきます。
このような話をセミナーでしますと、次のような内容のレポートが寄せられます。『中
学、高校時代に、体育の先生や部活の監督に、体の動きについて注意されることがありま
した。僕は、野球部で投手をしていましたが、投球動作のとき、投げる腕の肘の位置が低
いのでもっと高くしなさい、と監督さんからよく言われました。そこで、言われたとおり、
動作中に意識して肘を高くして投げたのですが、なぜかほめてくれないんです』。
直接意識をおいて動作を修正しようとすると、今度は別の欠点が出てきて、こんどは、
その欠点を指摘することになり、泥沼に陥ってしまいます。上記のような場合、一例です
が、球を投げる腕と反対側の腕をステップ時に高く上げる感覚を持つ、という修正方法も
みつかると思います。
欠点を直す場合に、その部分を直接意識させるのは、多くの場合うまくゆきません。遊
園地にあるシーソーを思い浮かべてください。シーソーのこちら側に、肩が水平に回転す
る、という修正目標が乗っているとして、シーソーの反対側には、手の甲が球に向かって
ゆく、という動作感覚が乗っています(図⑦−3)。
シーソーの片方には、肩が水平に回るという目に見える世界のことを乗せます。つまり、
動作がどうなっているかという観察した動作欠点を乗せます。反対側には、手の甲を球に
ぶつけるような感じ、という目に見えない感覚の世界のことを乗せます。
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自分の動作が、「このような動きになる」には、「どういう感覚で行う」のがよいのか、
ということをいつもシーソーのこちらとあちらに乗せて考えてみるのです。ある動作を行
うのに、ピタリとつり合う感覚が見つかったとき、動作はうまくゆきます。
上述したように、観察した動作欠点に見合った動作修正感覚を見つける場合、左右に分
かれる身体の反対側から見つけるのも有力な一方法ですが、上半身と下半身の連動性から
見つけるのもいい方法です。イチロー選手は、メジャーリーグの 3 年目のシーズンに陥っ
たスランプの原因に、上半身に力みがあることが分かったときに、その力みを意識しては
ずそうとしても、なかなかうまく力が抜けなかったそうです。そのうち、膝から下の部分
に力みがあることが分かり、その力みを外したら、自然と上半身の力みがとれた、という
ことをオフシーズンに語っていました。イチロー選手のなかでは、上半身の力みがとれる
ことと、膝から下をゆるめる感覚が、シーソーの両側の軸でバランスをとっていたのです。
選手も指導者も、動作の修正や修得においては、何と何がシーソーの両側に乗るのか、
そのことを自分のなかでいつも探っておくことが大切です。その際、からだの構造・機能
の知識、とくに、体幹と四肢を接続する、股関節周辺と肩周辺の機能解剖の知識を得てお
くことは、非常に重要です。
からだの動きも左右の二軸性で考えるとうまくゆきますが、動作修正のポイントも、観
察事項と動作感覚の二軸性で捉えると、視界が開けてきます。優れた指導者は、選手の動
作がどうなっているかを見る目と、その動作を直す豊かな感覚の両方を兼ね備えているも
のです。
この野球ハンドブックが、皆様の野球実践、指導実践にすこしでもお役に立てば幸いで
す。
小田伸午、小山田良治
2006 年、12 月 27 日
当野球ハンドブックの中に記した事項についてもっと詳しく知りたい方は、下記の著書
をご覧頂ければ幸いです。
小田伸午、スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと(大修館書店)
小田伸午、運動科学
アスリートのサイエンス
(丸善)
参考ホームページ
常歩秘宝館
http://www.namiashi.com/hihoukan/
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図⑦−1
図⑦−2
図⑦−1
左上腕の外旋力が抜けている
図⑦−2
左上腕に外旋力をかけている
肩が水平
手の甲を
に回る
図⑦−3
球にぶつける感じ
動作の何と何がバランスを取り合っているか考えて練習しよう
欠点がある部分を直接修正するのではなく、別なところから直す
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