1 柴田教授夜話(第 27 回)「糖尿病患者の瞳孔」 2015 年 7 月 16 日

柴田教授夜話(第 27 回)「糖尿病患者の瞳孔」2015 年 7 月 16 日
■日本神経学会認定専門医試験の山の一つに、糖尿病性動眼神経麻痺と内頸動
脈後交通動脈分岐部 (IC-PC) 動脈瘤による圧迫性動眼神経麻痺との鑑別がある。
その心は、どちらも病側において、上瞼が下垂し、眼球が外転する点は共通し
ているが、前者では瞳孔径が健常時と変わらないのに対し、後者では瞳孔が散
大するというものである。つい最近、研修医に聞いたところによると、同様の
問題が国家試験にも出たらしい。これは、以前なら神経内科専門医だけが知っ
ていればよかった眼球症候の鑑別が、医師のスタート地点に立つ研修医でさえ
も身につけていなければならない基本的知識として位置づけられたことを意味
している。神経内科医に限らず、全ての医師に求められる常識ということか?
■動眼神経は、中脳水道周囲灰白質の腹側傍正中部に位置する動眼神経核に始
まり、髄内根を形成して腹側向きに赤核下部から大脳脚内側寄りを貫通して髄
外へ出た後、海綿静脈洞をすり抜けて眼窩に入り、眼球に至る末梢神経束であ
る。神経束の内部構造は他の末梢神経と基本的に同じである。すなわち、最表
面は膠原線維に富む丈夫な神経上膜で被包されており、内腔は神経周膜で間仕
切りされ、それぞれの区画に神経線維 (シュワン細胞体やそれに由来する髄鞘で
包 ま れ た 軸 索 ) が 高 密 度 に 並 走 し て い る 。 神 経 束 に は 細 小 動 静 脈 (vasa
nervosum) とリンパ管が出入りしていて、前者は栄養酸素供給や老廃物除去を担
い、後者は脳脊髄液排出路や神経周囲腔癌浸潤の侵入門戸として注目されてい
る。動眼神経束を構成する軸索は、上眼瞼挙筋 (上瞼を引き上げて目を開く筋肉)、
外眼筋群 (内転筋・上直筋・下直筋・下斜筋)、縮瞳筋 (瞳孔径を縮小させる筋肉)
および毛様体筋 (水晶体を輪状に取り囲んで圧迫を加えレンズの厚みを増す筋
肉) に投射する。上眼瞼挙筋と外眼筋群は一般体性遠心性線維 (自分の意思を忠
実に反映させる運動神経線維) の支配下にあり、縮瞳筋と毛様体筋 (これらを合
わせて内眼筋群と呼ぶ) は一般内臓遠心性線維 (光刺激や近見時の際に無意識
で働く副交感性自律神経線維) の支配下にある。一般体性遠心性線維のニューロ
ン細胞体は動眼神経核本体に存在し、一般内臓遠心性線維のニューロン細胞体
は動眼神経核本体に隣接する Edinger-Westphal 核に存在する。ここで注目すべき
点は、一般内臓遠心性線維が動眼神経束の辺縁部を走行し、一般体性遠心性線
維が動眼神経束の中心部を走行している解剖学的特徴である。
■ここで話を冒頭の案件に戻そう。糖尿病では、網膜症、腎症、単 (巣性) ニュ
ーロパチー (mono-/monofocal neuropathy) を惹き起こす共通の基盤として、細小
血管症 (microangiopathy) が重視されている。その病態は、高血糖状態により『血
中のブドウ糖とアルブミンを含む種々の血中蛋白が遭遇する機会』が格段に増
え、非酵素的なメイラード反応を介して大量に形成される血中の蛋白糖化最終
産物 (AGE; advanced glycation end product) が、血管内皮細胞や循環単球表面に
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発現する AGE 受容体 (RAGE; receptor for AGE) と結合することに端を発する。
その結果、(1) 各細胞で炎症シグナルの活性化を介して炎症促進性遺伝子産物が
一斉に誘導され、(2) 内皮細胞表面に外因系凝固の鍵となる膜結合型組織因子を
露出させてフィブリン血栓の形成を促進し、(3) 内皮細胞間の緩みを生じて血管
壁に AGE 修飾蛋白が流入することにより血管壁構成細胞破壊と内皮細胞直下に
露出するコラーゲンをシーズにした血小板凝集が起こる。つまり、糖尿病性動
眼神経麻痺は糖尿病性細血管症を基盤に何らかのきっかけで局所の循環が障害
され、虚血に陥った結果なのである。その際、神経束中心部は潜在的に血液灌
流が乏しいことを考慮すれば、神経束中心部を走行する一般体性遠心性線維 (上
眼瞼挙筋と外眼筋群を支配) が選択的に障害され、神経束辺縁部を走行する一般
内臓遠心性線維 (内眼筋群を支配) が障害を免れやすいというカラクリは自明
の理である。大径有髄からなる一般体性遠心性線維は、跳躍伝導を用いて高速
神経伝導能力を確保維持するのに必要な ATP を大量消費するため虚血に弱いの
に対し、小径無髄からなる一般内臓遠心性線維は虚血に強いという性質の差も
理に叶っている。以上の他に糖尿病性モノニューロパチーの影響を受けやすい
筋肉として、腸腰筋、臀筋群、大腿内転筋群、大腿四頭筋、大腿屈筋群などが
知られているが、いずれも頻度は低く、局所に突然起こる激痛と続発する筋萎
縮を特徴とする。糖尿病性動眼神経麻痺は数週間以内に完治する場合が多いの
で、巻き込まれた筋肉が一旦萎縮に陥るかどうかは不明である。
■ところで、糖尿病性ニューロパチーのうち圧倒的な頻度で遭遇するのは、上
述のモノ (単) ニューロパチーではなく、感覚神経と自律神経を主に侵すポリ
(多発) ニューロパチーである。この病態は従来、ポリオール代謝異常理論によ
って説明されてきた。すなわち、高血糖により細胞内に取り込まれた大量のブ
ドウ糖が、アルドース還元酵素 (AR) の働きによりソルビトールに転換される。
通常このソルビトールは、ソルビトール脱水素酵素 (SDH) の働きによりフルク
トースに転換され、余分なフルクトースは細胞外へ排出される仕組みになって
いる。ところが、高血糖状態ではこのバランスが崩れる。細胞内ブドウ糖濃度
が上昇すると AR 活性が高まって大量のソルビトールが生じる一方、SDH の活
性は変化しないため、細胞内にソルビトールが蓄積して細胞内浸透圧が上昇す
る事態に陥るのである。その結果、細胞内に水分子が流入して細胞内浮腫が起
こ る ば か り で な く 、 ミ ト コ ン ド リ ア に お け る ATP 産 生 が 抑 制 さ れ て
Na+/K+-ATPase 活性 (Na/K イオンポンプ機能) が低下し、神経線維による電気的
刺激伝導の遅延や軸索輸送の障害をもたらす。また、AR は酵素反応の際 NADPH
を大量に消費するため、同じく NADPH を補酵素として必要とする一酸化窒素
合成酵素 (NOS) の活性が低下し、アルギニンをもとにした一酸化窒素 (NO) の
合成が阻害される結果、NO に依存した細小血管の微小循環が低下する。さらに、
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ミエリン構成蛋白は代謝速度が低いため、AGE 構造体形成の格好の餌食となっ
て髄鞘の構造と機能が失われる。近年、2 型糖尿病の背景であるインスリン抵抗
性は、骨髄を含む内臓脂肪細胞における炎症促進性遺伝子産物群の発現亢進に
もとづくことが判明している。これらの細胞群から放出される TNFα を含む炎症
促進性サイトカイン、レジスチン、遊離脂肪酸、活性酸素種などによる炎症刺
激や酸化ストレスも、多発ニューロパチーの原因として注目されている。
■このように、糖尿病性感覚自律神経性多発ニューロパチーは軸索と髄鞘を広
範囲に侵すため、ニューロン細胞体から遠いほど障害が顕在化しやすい。感覚
障害が手袋靴下型の分布を呈するのはこのためである。一方、自律神経系に目
を転じると興味深い構図が見えてくる。瞳孔と毛様体は、縮瞳と水晶体圧縮促
進に関わる副交感神経ならびに散瞳と水晶体圧縮解除に関わる交感神経の二重
支配を受けている。この副交感神経の節前線維ニューロン細胞体は前述した中
脳被蓋 Edinger-Westphal 核にあり、軸索の長さは概ね 10 数 cm 程度であるのに対
し、節後線維ニューロン細胞体は前眼部の毛様体神経節にあり、軸索はごく短
い。また、交感神経の節前線維ニューロン細胞体は胸髄上部灰白質の中間質外
側核にあり、軸索の長さは概ね 10 cm 以内であるのに対し、節後線維ニューロ
ン細胞体は星状神経節にあり、軸索は内頸動脈周囲を網状吻合しながら上行し
て前眼部に達するため、少なくとも 30 cm 程度の長さを有する。では、糖尿病
性多発ニューロパチー患者の瞳孔はどうなっているだろうか?察しの良い方な
らもうお判りかも知れない。眼球に投射するまでの節前節後線維軸索の全長を
副交感神経と交感神経とで比較すると、後者の方が圧倒的に長いのである。従
って、内眼筋を支配する自律神経は副交感神経優位ということになる。つまり、
「両側とも同程度に縮瞳している」が正解である。同様の現象は、加齢に伴う
非特異的な多発ニューロパチーでもみられる。糖尿病患者ばかりでなく高齢者
の網膜を眼底鏡で観察しようとした際、散瞳薬を点眼しなければ見えにくいほ
ど瞳孔径が小さいことに気づいた経験をお持ちの方は少なくない筈である。
■末梢神経系に含まれる交感神経束と副交感神経束の走行様式は異なる。交感
神経束は、胸髄中間質外側核にある節前ニューロンに始まり、交感神経節や椎
前神経節でシナプスを介して節後ニューロンにスイッチした後、長い軸索を効
果器官に投射する。これと対照的に、副交感神経束は、中脳 Edinger-Westphal 核、
橋延髄上下唾液核、延髄迷走神経背側核、仙髄 Onufrowicz 核 (通称オヌッフ核)
などにある節前ニューロンに始まり、効果器官に達してから器官内神経節でシ
ナプスを介して節後ニューロンにスイッチした後、短い軸索を伸ばす。例えば、
延髄から心臓までの迷走神経束 (副交感神経系) は、胸髄から心臓までの心臓神
経束 (交感神経系) よりも遥かに長い。例えば、糖尿病患者、純粋自律神経機能
不全症 (PAF)、急性汎自律神経機能不全症 (APD) などで、心電図上の R-R 間隔
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の呼吸性変動の指標である CV 値が低下する所見は、迷走神経機能低下を反映し
ている。気管支平滑筋も両自律神経系の二重支配を受けているが、走行距離は
甲乙つけ難い。気管支は、交感神経活動やカテコラミン投与により弛緩し、迷
走神経活動やコリン作動性薬投与により収縮する。胃腸に目を転じると両自律
神経束の走行距離は部位により様々であるが、蠕動運動と消化液分泌は、交感
神経活動により抑制され、迷走神経活動により促進される。膀胱は、蓄尿時に
弛緩し排尿時に収縮する膀胱壁筋への骨盤神経 (仙髄 S2-S3 中間質外側学由来
の副交感神経)、膀胱壁筋と正反対の挙動を示す内膀胱括約筋への下腹神経 (胸
腰髄 T12-L2 中間質外側核由来の交感神経) および随意的に排尿を我慢する外膀
胱括約筋への陰部神経 (仙髄 S2-S3 オヌッフ核由来の体性運動神経) の三重支配
を受けているが、それらの髄外走行距離はあまり変わらない。過活動性膀胱や
尿失禁に対しても、薬理学的効果にもとづいた診療が行われている。
■血管系に対する自律神経支配は複雑である。大動脈壁層構造の大部分は、平
滑筋細胞を嵌め込んだ何層もの弾性線維が積み重なる分厚い中膜でできていて、
血管を収縮ないし弛緩させる神経支配は乏しい。一方、大動脈弓と頸動脈洞の
血管腔面には圧受容体が分布し、それらが局所の圧力上昇を感受すると、舌咽
神経束に含まれる一般内臓求心性線維への刺激を介して延髄の迷走神経背側核
に働きかけ、反射性に心機能を抑制して徐脈を生じる。バルサルバ手技の息堪
えで胸腔内圧を上昇させると心臓への静脈還流量が減少するため、肺から左心
系を経て拍出される血液量が激減し、数心拍の間は血圧が低下する。圧受容体
群はこれを血圧の低下と認識して延髄血管運動中枢を刺激する結果、交感神経
活動が亢進する。この時点で息堪えをやめると、静脈還流量が正常に復すのと
相俟って心拍出量増加と頻脈が出現する。臥位から立位に姿勢を変換した場合
は、血液が下半身に滞留するため、血圧低下情報が上記の反射弓を介して心機
能と末梢血管抵抗を高め、血圧を一定に保とうとする。中枢大血管と違って末
梢血管に圧受容体は存在せず、細動脈では、中膜平滑筋細胞が周囲を取り巻く
交感神経終末から放出されるノルエピネフリン (NE) と血管内皮細胞から放出
されるアンギオテンシン II (AT-II) に対する受容体を発現しており、これらの刺
激による収縮が末梢血管抵抗を発生する。末梢血管は副交感神経の支配を受け
ておらず、健常時は専ら交感神経終末からの NE 分泌量減少もしくは血管内皮細
胞からの NO 拡散量増加に依存して適度な血管拡張が起こり、血圧を正常範囲
に制御している。心房と心室の内面には伸展受容器型容量受容体が分布してい
て、血液量が増加すると受容体刺激を介して壁在細胞から血中への Na 利尿ホル
モン分泌が亢進するが、血液量が減少すると下垂体後葉から血中への抗利尿ホ
ルモン分泌が亢進する。以上の機構が血圧と血液量の安定に貢献している。
■糖尿病患者の瞳孔から脱線したが、人体の制御機構には驚くばかりである。
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