Apple Computer, Inc.

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APPLE COMPUTER, INC.: THINK DIFFERENT, THINK ONLINE MUSIC
Kellogg School of management Case: Apple Computer, Inc.: Think Different, Think Online Music の抄訳です。
英文ケースを読む上で参考にしてください。
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Julie Hennessy
Apple Computer, Inc.:
Think Different, Think Online Music
2003年の異常に暑い8月、Kim Stevens はApple Computerの Bay Area キャンパス トラックをジョギングし
ていた。大学時代、陸上競技のアスリートだった Stevens は、毎日ランチタイムにジョギングし、頭の中をク
リアにし、午前中の仕事のストレスから自分を取り戻すようにしていた。しかし、その日は、どんなに速く走
ろうとも、Apple CEO Steve Jobs との今朝の会議からのストレスを取り除くことはできなかった。Stevens は
最近、Appleの iTunes サービスの戦略ディレクターに昇進したところだった。彼女がプロジェクト コンセプ
トの構築に大きく貢献した結果だった。Jobs は Stevens を気に入っていた。彼女の洞察力のあるアイディア
と、顧客を直観的に理解する力を評価していた。次回の会議は、BuyMusic.com の最近の事業開始に対する議
論をしたいというのが、Jobs の意向だった。BuyMusic.com は、iTunesにとってオンライン ミュージック市場
での最初の競争相手だった。iTunes に先行した有料ベースの音楽サイトは他にもあったが、iTunes モデルを
模倣した BuyMusic.com は、購読料なしで個々の楽曲が購入でき、ユーザーが音楽をハードドライブやポータ
ブル プレーヤーにダウンロードして「所有」できることができ、大いなる脅威だった。BuyMusic.com は価格
で iTunes に対抗し、特定の曲を iTunes の価格より $0.20 程安い $0.79 で販売した。短期間で、BuyMusic.com
は主要レコード レーベル 5社と交渉し、事業開始の週に 300,000曲のライブラリー提供に成功していた。
Apple での 7年間、Apple の斬新なアイディアを競争相手がコピーし、逸早く彼等のものとして市場シェ
アの大半を奪うのを、Stevens は目撃してきた。このプロジェクトは Stevens のベイビーであり、Apple をこ
の市場で負けさせることのないよう、強い決意を持っていた。気温が上がってきているにも関わらず、Stevens
は様々なアイディアを思い巡らせることに集中しながら走っていた。
Company Background
カレッジ ドロップアウトの Steve Jobs と Steve Wozniak が Apple をカリフォルニア州 Santa Clara
Valley の彼らのガレージに設立したのは 1976年。最初に Jobs が 50 台の注文を受け、”Woz” が Apple I を
制作した。モニター、キーボード、ケースは付属していなかった。最初の高い需要から、Jobs は、小型パー
ソナル コンピューター (PC) の市場があると確信し、Jobs の「とんでもなくすごい」会社をめざす個人的で
情熱的な探求が始まった。Jobs が働いていた Oregon 州の農場と関連させ、2人は会社を Apple と名付けた。
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1977年、Wozniak は、キーボード、カラー モニター、8個の周辺装置スロットを Apple I に追加し、マシ
ンの用途は大いに広がった。売上は大幅に伸び、1978年の $7.8 million から、上場した 1980年には $117 million
になっていた。1983年、Wozniak は別の興味を進めるため会社を去る決意をし、Jobs は PepsiCo の John
Sculley を社長に起用した。数々の新製品の失敗の末、1984年、Apple は Macintosh (Mac) を発表し、立ち直
りを果たした。Sculley との経営上のぶつかり合いの末、Jobs は 1985年に Apple を去り、NeXT Software を
設立、ソフトウェア開発のアプリケーション設計に注力した。その年、Sculley は Microsoft 設立者の Bill Gates
からの、Mac を業界標準とするよう Microsoft プラットフォームへライセンス提供を要請するリクエストを無
視した。これにより、Apple 製品と Microsoft 製品のどちらを選ぶべきか、という消費者の悩みが始まること
となった。
1986年、Apple は Mac Plus と LaserWriter プリンターによってデスクトップ パブリッシング (DTP) の
世界で尊重され、教育市場に強かった。翌年、Claris というソフトウェア会社も設立された。1980年代の後半、
Microsoft が新しい競合製品をリリースした。Windows オペレーティング システムは、Apple に類似したグラ
フィック インターフェイスを提供。Apple は訴訟したが、1992年、著作権保護に関する訴えは退けられた。
1993年、Apple は Newton ハンドヘルド コンピューターを発表したが、売上は伸び悩んだ。業績は劇的
に落ち、取締役会は会社の労働力を大幅に削減した。これには Sculley も含まれていた。1994年、Apple はオ
ペレーティング システム (OS) のクローンをライセンスし始め、ソフトウェア開発者達に Mac ライクな環境
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を安く提供することで風向きを変えようとした。
しかし、Mac のクローンは、Apple の売上を奪うものだった。
1996年、National Semiconductor の前社長の Gilbert Amelio が CEO として招聘された。
1997年、Apple は NeXT を買収。売上が下がり続けたので、労働力を約 30% カットし、研究費も削減し
た。一方、取締役会は Amelio をクビにし、Jobs を一時的措置として以前のポジションに戻した。CEO とな
った Jobs は、驚くべきことに Microsoft とのアライアンスを推し進め、ポピュラーな Microsoft Office ソフ
トウェアの Mac バージョンのリリースを引き出した。市場シェアを守るため、Jobs は主要クローン メーカ
ーの Power Computing へのクローン ライセンスを打ち切り、彼らを倒産に追い込んだ。
1998年、Apple はカラフルなカクテルのような iMac と、最初のサーバー ソフトウェアである Mac OS X
とともに、レースに復帰した。また、ポータブル コンピューティング市場にも参入し、1999年に iBook ラッ
プトップを導入。Dell のようにオンラインでの受注生産システムを開始した。
2000年の早い時期、一時的なエグゼクティブとしての約 3年を経て、Jobs のタイトルは正式なものとなり、
会社の Web サイトを再構築し、消費者向けのインターネット サービスを強化した。Jobs はデスクトップ製
品ラインを大幅見直しすると発表し、その年の後半に、8 インチのキューブ型の G4 をリリースした。2000
年、産業全体がスローダウンしていたこともあり Apple の業績は振るわず、G4 キューブに対する反応も鈍か
ったため、四半期決算が初めてマイナスとなった。
2001年、機能アップした新たな製品を投入。速いプロセッサ、コンパクト ディスク (CD)、デジタルビデ
オ ディスク (DVD) を搭載した、非常にスリムな PowerBook をリリースし、Titanium と名付けた。Apple は、
教育市場のシェアを取り戻すため、PowerSchool というソフトウェア会社も買収した。さらに、Apple は、米
国で小売店チェーンを開く計画があるという噂を認めた。次に、DVD オーソライゼーション ソフトウェア会
社の Spruce Technologies を買収した。これは、Mac をカメラや他の周辺機器の「デジタル ハブ」に位置付け
る戦略に則ったもので、Apple は iPod という音楽プレーヤーを導入してその年を締めくくった。
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2002年、Apple は Mac 製品ラインを改め、ハーフドーム ベースとそこから伸びたアームで支えられたフ
ラット パネル ディスプレイからなる iMac をデビューさせた。このリデザインは、1998年に登場したオール
インワン デザインのオリジナル iMac を卒業させる第一歩だった。Apple は、学生や教育者のみに販売する
iMac (iMac に似たコンピューター) を発表した。その年は、新製品を次々リリースし、ラックマウント サー
バーの Xserve の提供を開始するとアナウンスした1。
Apple's Place Within the PC Industry
Apple は一時、PC メーカーのトップ企業だったが、Windows OS と Intel プロセッサによる “Wintel” コ
ンピューターに押され、ニッチなステータスに追いやられていた。Apple は美しい製品デザインと、洗練され
た有機的なマーケティング コミュニケーションにより高いブラント価値を保っていたが、様々な失敗が重な
り、市場シェアは 2% から 5% に停滞していた。Apple 独自の OS を採用していることからくる高いスイッ
チング コストも要因だった (Exhibit 1 を参照のこと)。Apple の優れたデザインと信頼できる OS にも関わ
らず、普及している Windows OS との互換性がないため、アプリケーションや周辺装置を新たに買わなけれ
ばならず、消費者の Mac へのスイッチは難しいという意識が大勢を占めていた。消費者は、全く新しい OS や
アプリケーションを学ばなくてはならないこと、普及している Windows ベースの PC との同期について明確
な保証がないことに不安を覚えた。また、Apple 製品ファミリー内でも上位互換のイシューがあった。ある産
業エキスパートのコメント、「Mac OS の各バージョンは、5 バージョンないし 6 バージョン経つとハード
ウェアやソフトウェアを更新する必要がある。Mac OS X は既存プリンター群を完全にサポートするわけでは
ない。Apple は、すべてのデバイスをきちんとサポートしなくても、人々が Mac OS 9 でブートし直し、プリ
ンターやネットワーク カードを認識し直す方法を許容してくれる、とでも考えているのだろう。」
Apple は、教室内での人気を強固とするためか、Web デザイン ショップ、グラフィック アート スタデ
ィオ2などの製品イノベーションにフォーカスしていた。 売上の四分の一が学校であったが、その市場でもプ
レッシャーを感じていた。特に Dell が脅威で、2002年には教育コンピューター No. 1 の座を Apple から奪
っていた。 教育市場の Dell のシェアは 34.9% (Apple のシェアはわずか 12.4% に落ちた)。消費者へのアピ
ールを増強するため、Apple は米国に小売店を 50店舗オープンした。停滞している PC 市場を乗り切るため、
製品の価格ダウンも試みた。革新的なハードウェア製品をロールアウトし続けている一方、Apple は、ソフト
ウェア開発により売上を伸ばすことができないかを見つめ直した。iTunes、iMovie、 iPhoto など、多くのマル
チメディア アプリケーションは無償で提供されていたが、Apple は、これらのソフトウェアのバンドル バー
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ジョンを有償化する計画を発表した。
集中的なマーケティング キャンペーンを展開し、Windows ユーザーを Mac にスイッチすることを強力
に推し進めた (Exhibit 2 を参照のこと)。Apple は Microsoft との歴史に、イバラの道となる章を付け加えた3。
Mac は Windows OS に対する代替手段ではあったが、Apple の相対的なサイズと市場シェアを考えると、巨
人 Microsoft への脅威は限定的なものに過ぎなかった。両社は長い間、ビジネス上の良好な関係を保ってきて
おり、Mac 互換バージョンの Microsoft Office Suite は Apple の主要ソフトウェア タイトルだった。Apple に
とって、ファッショナブルな iPod デジタル ミュージック プレーヤーの Windows バージョンは、クロスオ
ーバー ヒットとなっていた。Apple が Safari という Web ブラウザーをリリースした直後に、Microsoft が普
及している Internet Explorer の Apple バージョンの開発を打ち切ることを表明した。
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iPod: The Newest Addition to the Apple Family of Products
「デジタル ライフスタイルの時代」と名付けた世界に消費者を招き入れるため、Jobs は、カメラ、ビデ
オ レコーダー、音楽プレーヤーなどの無数のデジタル デバイスの中心に Mac を位置付けるマーケティング
キャンペーンを展開した。2001年10月23日に Apple は iPod をリリースした。ポータブル音楽プレーヤーの
先駆けだった。消費者は、自分の所有している CD をホーム コンピューターからプレーヤーにコピーするか、
インターネットからダウンロードすることにより、楽曲へアクセスできた。また、楽曲は、ホーム コンピュ
ーターに接続することで、プレーヤーへ転送できた。スタイリッシュな白いボックスの裏面には Apple の小
さなロゴが控えめにブランドを主張し、トランプの薄い束ぐらいのサイズだった。プレーヤーの小売価格は
$300-$500 で、ストレッジの容量 (10GB、15GB、30GB のモデルがあった) に応じて 2,500-7,500 の楽曲を保
持できた。最初、iPod は Mac OS だけで動いたが、2002年7月に Windows バージョンがリリースされた。iPod
は、MP3 と業界標準のDolby AAC フォーマット (Mac バージョンのみ) の両方をサポートする唯一のポータ
ブル デジタル プレーヤーだった。
2003年には、Apple は 100万台以上を販売し、2003年9月にはポータブル デジタル プレーヤー市場シェ
アの27% を獲得し、市場をリードした。第 2位との差は離れていて、SonicBlue Rio が 10% のシェアだった
(Exhibit 3 を参照のこと)。 Windows バージョンの登場は、iPod のインストール ベースを構築する上で非常
に有効だった。2003年7月には iPod の58% の所有者が Windows バージョンを購入していた。
iPod はとてもファッショナブルで、すぐに、流行に敏感な層にとっての必須アイテムとなった。そのブラ
ンド価値は Xerox コピー機のブランドと同じレベルに達した。しだいに人々は、デジタル音楽プレーヤーを
購入することを、「iPod」を買う、と言うようになった。iPod の主要ライバルの SonicBlue Rio Riot4 と Archos
Jukebox Multimedia5 の 2製品とも同様の機能を持っていたが、iPod は、サイズのコンパクトさ、洗練された
デザインの魅力で、独自のカテゴリーを形成していた。
Apple はデジタル音楽プレーヤーの No. 1 となったが、Jobs は音楽から次のレベルへ進むことを目指し
ていた。Jobs の目標は Apple をデジタル世界の中心にすることだった。それを実現するため、デジタル コン
テンツを再生するデバイスを創るだけでなく、それらの製品にデジタル コンテンツを提供する革新的なサー
ビスを開発する必要があった。
Music Industry
音楽産業の歴史的な起源は、技術革新により音の録音と再生が可能になった1900年代前半に遡る。それ以
来、音楽産業は様々な技術進歩に直面し適応してきた。音楽技術は、モノラルから高音質ステレオやドルビー
サラウンド サウンドへ発展してきた。ストレージ メディア技術は、ビニール (物理的な振動ベース) からオ
ーディオカセット (磁気)、コンパクト ディスクやミニディスク (デジタル) へ進歩してきた。再生機は、蓄
音機から、大規模なステレオ ホーム システムやコンパクトなポータブル オーディオ デバイスへ進化してき
た。
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現代の音楽産業は、3つの主要プロセス (音楽制作、音楽マーケティング、音楽流通) を軸に構築されてき
た。(Figure 1 を参照のこと).
音楽制作
レコーディング アーティスト、ミュージシャン、作詞家、作曲家。クリエーティブなプロ
セスで、様々な専門家、組織によるコラボレーションが必要となる。
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音楽マーケティング
マーケティングは、ブランディング、情報宣伝、コミュニティ構築によって進め
られる。ブランディング、情報宣伝の主要なチャネルは、職業プロモーター、ディスク ジョッキー、ダンス ク
ラブ、テレビ局やラジオ ステーション。これらのチャネルは、潜在的な顧客に視聴の機会を与え、同じテー
ストを持つ音楽ファンのコミュニティの育成を助長する。別のチャネルは小売店。音楽に加えて宣伝・関連グ
ッズを販売してきた。
音楽流通
音楽、書店などの小売店。CD やオーディオカセットなどの在庫を持ち、販売する。他の
物流手段として、プライベート ショーやパブリック ショーがある。
Figure 1: The Modern Music Industry
Sony Music Entertainment、BMG、EMI、Universal、Warner ("Big Five" と言われる) などのレーベルが3つの
プロセスすべてで、初期資本の提供、音楽制作、マーケティング、物流に関するノウハウの提供などで主要な
役割を果たしてきた。
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音楽産業の構造は時代を経て形成されてきたが、いさかか非効率であった。アーティストと顧客との間に
3つの中間層を産んでいた。各中間層がコストと利益を付加するため、顧客へのコストは全体的に高くなって
いた。一方、中間層が、規模の経済を活かして低コストを可能にし、習熟曲線を超えて物流チャネルの最適化
を実現しコストを最小化してきた、という見方もあった。
複数の中間層の役割を組み合わせることでコストを削減しようとした企業もあった。BMG Music Club や
Columbia House がその例で、それぞれ、Bertelsmann Music Group や Sony Music Group のベンチャーで、CD や
オーディオカセットをクラブ メンバーに直接、安価で販売した。また、宣伝や物流コストを削減するため、
多くの楽曲を 1つのアルバムにするよう、アーティストに制作させてきた。この手法のため、購入者は 1、2
曲の気に入った曲を聴くために、アルバム全体を購入する必要があった。
この音楽産業構造において、もっとも力を保持していたのはレーベルであった。マーケティングや物流チ
ャネルをコントロールし、アーティストを長期的な契約で縛ることにより、膨大な力を集めていた。マーケテ
ィングや物流チャネルへのアクセスが制限されていたため、新興のアーティストは競争できなかった。彼らは
レーベルのどれかに参加するか、ニッチ市場で小規模に活動するしかなかった。レーベルは音楽売上の利益の
85-90%を得ていた6。
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The New Wave of Music Distribution
新しい変化の波は、インターネット技術によってもたらされた。CDNow や Amazon.com などの 電子小
売店が、1996年に CD やオーディオカセットをインターネット経由で売り始めた。彼らの成功により、Virgin、
Tower Records などの物理小売店がオンラインでのビジネスを始めた。また、インターネット ラジオ局が新た
に、ストリーミング オーディオ技術を提供し始め、Web サイトから音楽を発信した。ストリーミング オー
ディオ技術により、ユーザーは音楽を聴くことができたが、コンピューターのハードドライブに音楽を保存す
ることは制限されていた。
1999年、オンライン物流モデルがさらに発展した。音楽サイトから、オンライン ユーザーがハードディ
スクに楽曲を個別にダウンロードし始めた (Exhibit 4 を参照のこと)。もっともポピュラーなサイトが Napster
で、1999年 7月に Northeastern University をドロップアウトした Shawn Fanning が始めた悪名高いファイル交
換サービスだった。当初は、オンライン音楽ファイルをユーザーが集中して格納できるサイトだったが、検索
エンジンを通じてMP3 音楽ファイルを交換することができた。ユーザーは、Napster のサーバーから自分のハ
ード ドライブに楽曲をダウンロードした。数ヶ月もたたないうちに、Napster のサーバーにはユーザーから寄
付された密造オーディオ ファイルが数千と集まった。MP3 ダウンロードに加え、音楽愛好家向けのチャット
ルームや、オーディオ ファイルを再生するプレーヤー、ユーザーが自分の音楽ライブラリーを簡単に管理す
るためのホット リスト等を無償で提供した。
2001年 7月11日、ポピュラーなサービスが開始されてからわずか 2年で、Napster サイトは閉鎖された。
Recording Industry Association of America (RIAA、米国レコード産業を代表する通商組織) と Napster Company
間のリーガル バトルの結果だった。Napster は初期の著作権侵害モデルをメンバーシップ ベースのサービス
へ移行し、レコード会社をパートナーにしようとしたが、連邦地方裁判所の裁判官 Marilyn Hall Patel は、
Napster が音楽の違法コピーの特定と検閲を100% 行えるようになるまでは、Napster がファイルの交換サービ
スを行うことを禁じる判決を下した。Napster のセキュリティ技術が 99% を実現したとしても、この判決は
Napster のサービスを本質的に閉ざすものだった。
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Napster のポピュラーなサービスの閉鎖は、消費者の大きな反響を呼び、若い消費者にとって、Shawn
Fanning は伝説の人物となった。長年、彼らはレコード会社が消費者を搾取してきたと感じていた。裁判所が
Napster を公式に閉鎖する前に、次の世代のファイル交換サービスが出現していた。
Six Degrees of Separation: The New Breed of File Trading Sites
多くのファイル共有サービスによる新しいモデルが生まれてきた。新しいモデルは、「6次の隔たり (six
degrees of separation)」理論から導きだされたものである。この理論は、世界中の誰かと自分をつなぐのは比較
的少ないステップで可能であるという概念に基づいている。ある瞬間、数百万台の PC がインターネット上
に繋がっているので、Dave Matthews の珍しいライブ レコーディングのデジタル コピーや、Sex in the City の
見逃したエピソードの録画をそのうちの一人が持っている可能性が高い。他の PC がそれら特定のファイル
を持っているかどうかを問い合わせる効率的な方法があればよい。そこで、Kazaa、Morpheus、LimeWire (他
にもたくさんの有名なものが知られている) などの peer-to-peer ソフトウェア プログラムが登場した。ユー
ザーが無料のデスクトップ コンソールをダウンロードし、そのコンソールで検索文字列をタイプすると、ネ
ットワーク上の他のコンピューター群にリクエストがフォワードされ、各コンピューター上で求めるファイル
がハード ドライブ上にあるかどうかが検索される。そのファイルが見つかったら、コンピューター間の直接
接続が確立され、そのファイルが転送される。見つからなかったら、そのコンピューターが別の PC 群にも
検索リクエストをフォワードする。この検索を2、3回繰り返すことで (ほとんどの peer-to-peer サービスは 7
回までを上限としている)、1台のコンピューターが、ネットワーク上の 10,000台の PC とつながり、100万以
上のファイルにアクセスすることができる。通常、検索が必要なファイルをコピーするのに数分を要する。ユ
ーザーは、ハード ドライブ上でファイルを「所有」することができ、ファイルは CD や DVD-ROM へも簡
単にコピーできる。peer-to-peer サービス サイトで交換されたファイルは様々なフォーマットがあり、オーデ
ィオ ファイルの大半は MP3 圧縮フォーマットだった。
peer-to-peer ネットワークと Napster の主な違いは、ファイルが顧客のハード ドライブに残るか、サービ
ス側に残るかだった。2003年4月、米国連邦地方裁判所の裁判官 Stephen Wilson は、これらのサイトは著作権
法に違反していないと判断した。peer-to-peer サービス企業は、メンバーである顧客が自社のソフトウェアを
使用する方法については責任が持てないからである。
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2003年、毎月 50億の楽曲が peer-to-peer ネットワークでやりとりされていると推測された。Kazaa は、お
そらくこの種のサイトで最も使われていて、平均して1日に 9億のファイルのやり取りがあった。Kazaa ファ
イル取引ソフトウェアは、2003年2月までに 3億回近くダウンロードされていた。2003年7月の調査では、4千
万人以上のアメリカ人がファイル共有ソフトウェアを月に一度は使っていた。その現象は音楽以外にも波及し
た。Motion Picture Association of America によると、2003年当初、毎日 400,000から600,000 コピーの映画がや
りとりされていると推測された。
2003年7月、12歳以上の米国人の 6,500万人がインターネットから一度はオーディオ ファイルをダウンロ
ードした経験があった。米国人の利用経験は、2002年12月の 26%から伸び、2003年 4月には 30%を超えた。
12-24歳の 59%、25-34歳の 43%、35-54歳の 24%が、インターネットから一度はオーディオ ファイルをダウ
ンロードしたことがあった。最も活発な年齢層は 12-24歳で、平均して月に 12 曲をダウンロードし、ホーム
ライブラリーには 25曲から 3,000曲の楽曲を持っていた。Forrester Research が2003年8月に行った調査によれ
ば、この層の半分は、オンライン ミュージックを取得する結果、CD を購入する機会が減っていた。性別で
は、米国人男性の 35%、女性の 26% が、インターネットから一度はオーディオ ファイルをダウンロードし
たことがあった。これらの数値は、米国人による、無料・有料双方のオンライン ミュージック ダウンロード
の利用状況を反映していた (Exhibit 5 を参照のこと)。
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顧客は、これらのインターネット サービスに様々な理由で魅力を感じていた。ネットワークは無料で、
音楽やビデオ ライブラリーにはほぼ制限がなく、CD や MP3 プレーヤー7へ簡単にコピーして即座に持ち出
すことができた。ソフトウェアは魅力的な機能と使いやすさを意識してデザインされていた。コンソールをダ
ウンロードさえすれば、高速インターネット接続なら 2-5 分で曲を「所有」し始めることができた。複数の
圧縮ファイルを自在に組み合わせられるので、自分自身の音楽アンソロジーを編集できた。
しかし、これらのサービスにも制約があった。ダウンロードの品質は、濁っていたり、まがい物だったり、
ミュージック ストアで買える CD に比べて大幅に劣っていた。ネットワーク サービスでの汚れや模造ファ
イルの拡大は、ダウンロードしたファイルが完全で不変、タイトル通りのものであることを保証していないこ
とを意味していた。また、サイトは法的なものだったが、著作権を保有したファイルを取引することは技術的
には不法であり、レコード産業も法規上も著作権侵害と考えられた (Exhibit 6 を参照のこと)。
Music Industry Responses
音楽産業は、不法の音楽著作権侵害を削減するため、いくつかの対応を行った。RIAA と CD メーカーは、
コンピューターの CD コピー機能へ制限を設ける要望や、CD にコピーできないコードを埋め込むなど、複
数のアプローチを試みた。大半の試みは裏目に出た。顧客は CD を買うのを避けるようになった。CD は標
準プレーヤーのみで再生できるだけで、コンピューターやカーシステム、ポータプル プレーヤーで再生でき
ない。技術的なブロッキング機構は、コンピューターを得意とするハッカーがコードを容易く解読したため、
軍拡競争となった。
別の反応がアーティスト達からあった。2003年春、スーパースターの Madonna が peer-to-peer ネットワ
ークにしかけを試み、彼女の新しい CD の楽曲ファイルを転送すると、忌まわしい警告だけが入ったフェイ
クの MP3 がダウンロードされるようにした。密造者達は直ちに復讐に転じ、彼女の Web サイトをハッキン
グし、販売している楽曲を無料でダウンロードできるようにした。
2003年 3月、RIAA は、これらのサイトで著作権を有するファイルを不法にやりとりした個人を訴訟する
と発表した。2003年 5月、いくつかのキャンパスで、ファイル取引ネットワークを設定した大学生が、$17,500
ずつ支払うことに合意した。6月上旬には、インターネット サービス プロバイダーの Verizon に、RIAA が
著作権違反行為をしたと考えられる顧客 4名の氏名を明らかにするよう裁判所が命じた。6月下旬、RIAA は、
peer-to-peer ネットワークを用いた個人に対し、法的闘争を準備することを発表した。その 8-10 週間以内に著
作権違反について数百の訴訟を申請した。次の eメールは、2003年 5月30日に Northwestern University の学生
へ違法音楽サイトを使用することへの注意勧告を抜粋したものである:
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2002年 4月3日、Recording Industry Association of America (RIAA) は4名の学生に対し法定訴訟を
申請した。彼らは「高等教育と学問追求のためのネットワークを、音楽海賊行為の中心基地と
して利用した」容疑に問われた。クレームの対象となった楽曲10曲あたり $150,000 が、各学
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生個人に請願された。2003年5月1日、各訴訟は和解に達し、向こう 4年かけて $12,000 から
$17,500 を支払うことに学生達は同意した。… 2003年 4月24日、DMCA (Digital Millennium
Copyright Act) 法令に則り、著作権法に違反したと RIAA が主張するネットワーク契約者を、
インターネット サービス プロバイダーが開示しなければならないというルールが、裁判官に
よって支持された。この判決は Northwestern を含む大学にも適用され、DMCA クレームが申
請された時点で、大学ネットワーク上の個人 (教職員、学生) の氏名が開示され、これらの個
人は法定訴訟や個人的な負債に晒されることとなる。… Northwestern University は、大学コミ
ュニティの全員がネットワーク利用ポリシーと著作権法を遵守することを強く要請する。公正
使用や正当なライセンスなどの認可された著作権保護に基づかずに、音楽または他の著作物を
コピーまたは共有することは、大学のポリシーに反するだけでなく、違法行為である。これら
は、個人的に不幸な結果を招き、個人の継続的な在学あるいは教職員としての雇用を危うくし、
将来の就業機会を狭めるものとなろう。
法的起訴の候補者は著作権違反を思いとどまったが、このアプローチによって、全世界でファイル共有サ
ービスを利用する数多くの人を阻止できるかどうかは疑問だった。2003年 9月、音楽ファイルの検索結果は、
訴訟前の数とほとんど変わらなかった。また、海賊版制作を支援するサイトが、ユーザー ID を保護する方法
を開示していた。Earth Station 5 や eDonkey2000 などの新しい世代のサービスが 2003年中盤に開始され、ユ
ーザー ID を保護できると主張した。新しいサイトは、先駆者と少し異なった運営をしており、ダウンロード
するファイルを複数に分割し、ユーザーのハード ドライブに到着する際に再構成する方式を取っていた。こ
れにより、ファイル共有者を追跡、特定することが困難となった。既存のファイル共有サービスも、自分達の
ユーザーを守るため同じ技術を採用すると表明した。
多くの人が、法的な反発は RIAA による PR 不足に起因していると感じていた。音楽産業のエキスパー
トは、消費者に自分達が犯罪者であるかのように感じさせることは、レコード産業にとって良くないことと考
えていた。長年、音楽の価格上昇の食い物にされてきたと感じている消費者 (その多くはティーンや子供だっ
た) との金銭闘争は解決策ではなく、動きの遅いレコード会社はより良い解決を見つける必要があった。エキ
スパート達は、法的で収益があげられる筋道を見つけるのが良い解決方法だと感じていた。
Fee/Subscription-Based Online Music Sites
音楽産業ではオンライン有料サイトが試みられたが、初期の試みでは価格モデルは理解し難く、ポータブ
ル プレーヤーへ音楽をコピーし転送することが、過度に制限されていた。その種のサイトで最大のものが
Pressplay.com で、2001年 12月に Sony Music Entertainment とUniversal Music Group のジョイントベンチャー
としてスタートし、2003年 5月に Roxio に買収された。他の同業他社同様、ダウンロードのルールは複雑で、
高額の利用料が課せられた。メンバーが音楽を「所有」することは許されておらず (つまり、彼らはエンドユ
ーザーの商品購入をコントロールできなかった - Exhibit 6 を参照のこと)。代わりに、顧客は曲を「レンタル」
できた。ハード ドライブへのアクセスにはいくつか制限があった。ダウンロードは CD の音質であったが、
その制限は顧客獲得の大きな障壁となった。消費者はこれまで音楽を所有してきたので、制限なく自由に音楽
を楽しみたかった。また、サービス面でも 5大レーベルのバック カタログへのアクセスが完全ではなく、独
立系レーベルはオンライン ミュージック プレイ リストの多くに含まれていなかった。どの有料サービス サ
イトも十分なクリティカル パスを獲得できておらず、2003年 3月の時点ですべての有料サービスを合計して
も定期有料視聴者の合計は 300,000 人に過ぎなかった。
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Online Music’s Impact on the Record Industry
音楽産業は、Napster などのサイトやその peer-to-peer ネットワークの後継者を通じた海賊行為により、
年間数十億ドルを失っていると考えていた。音楽売上は 1999年から 2003年までで 25%、43億ドルほど減少
した (Exhibit 5 を参照のこと)。海賊版は、一般のレコード店も直撃した。海賊行為が拡大すると、大型店の
ように価格競争力で顧客を引き付けることが難しくなり、彼らの顧客ベースはだんだん小さくなり、多くのレ
コード店が閉店に追い込まれた。
人々は間違いなくオンラインで音楽を入手するようになっていった。Nielsen Soundscan の報告では、CD
売上全体は 2002年に 8.7%ダウンしたが、伝統的でない新しいカテゴリー(インターネット小売)8 の売上が
1997年の 220万ドルから 2002年には 2,200万ドルへ劇的に伸びた。2003年 7月、市場調査会社の Taylor Nelson
Sofres によれば、音楽を Web でダウンロードした人の 79% が無料で曲を入手していた。2003年 8月、
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Forrester Research は、音楽売上の 33% がダウンロードから生まれ、CD 売上は 1999年のピークから 30% ダ
ウンすると予測した。これらの調査報告などの統計によると、音楽会社はデジタル ミュージックを受け入れ、
知的財産権で儲ける流通方式を確立する必要に迫られていた。
The Apple iTunes Solution
2003年4月28日、Apple をデジタル統合の主流プレーヤーにリードしようとする Jobs の戦略の一つとして、
Apple は iTunes オンライン ミュージック サービスをスタートした。音楽ライブラリーは 200,000曲あり、
様々なアーティストやレーベルのほか、特別ボーナス トラックも提供された。ワンクリック ショッピング サ
ービスは Mac OS X ユーザーに対してのみ提供され (Windows バージョンは 2003年末にリリースされる予
定だった)、有料ベースのサービスについて、顧客やレコード産業が持っていたこれまでの不満の多くを克服
し、顧客がオンライン ミュージックに価値を見出すソリューションを創り出した。サービスは、Apple 社の
Web サイトからコンソールをダウンロードすることで機能し、オンライン ストアのインターフェイスとして
機能した (Exhibit 7 を参照のこと)。ユーザーは楽曲ライブラリーで自由にショッピングでき、検索エンジン
を使って曲のタイトル、アーティスト名、アルバム タイトル、ジャンルなどを検索できた。ユーザーは、ラ
イブラリーの楽曲のさわりを 30秒間無料で視聴できた。1曲 $0.99 (定期視聴料は不要) で、購入した曲はデス
クトップ コンソールのフォルダーへ転送された。ユーザーは購入したライブラリーを再構成することができ、
eメールのパーソナル フォルダーを操作するように、フォルダーのカスタマイズや、コンピレーションを作る
ことができた。また、Apple は Digital Rights Management (DRM) システムを実装した。音楽の転送は Apple コ
ンピューター 3台まで、CD はコンピレーションに対して 10枚までしか焼けず、iPod へのダウンロード数に
は制限がなかった (Exhibit 7 を参照のこと)。業界標準の Dolby Advanced Audio Coding 形式による CD レベ
ルの音質と優れたデータ圧縮が提供され、ユーザーは多くの楽曲を保持し、ファイルを素早く保存できた。
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Apple にとって、サービスによって得られる利益マージンは比較的小さかった。これはロイヤルティが高
かったため。平均して、レーベルに支払われるベース ロイヤルティは 1 曲あたり $0.70 だった。基本販売
費一般管理費 (SG&A) は 1 曲あたり約 $0.12 で、これらを差し引くと 1 曲当たりの利益は $0.17 だった。
しかし、ユーザーのデジタル世界の中心になることが Apple の戦略にとって必要な要素だと、Jobs は考えて
いた。iTunes は iLife バンドル ソフトウェア スイートの一部であり、他に iPhoto (デジタル写真を管理する
ソフトウェア)、iMovie (生のビデオ素材を洗練されたフィルムに編集し、サウンドトラックやタイトル、映像
効果も施せるソフトウェア)、iDVD (DVD を焼くソフトウェア) から構成された。この垂直統合により、iLife
スイートを構成するすべてのアプリケーションは、簡単で非のうちどころがなく、最高のデジタル ソフトウ
ェア スイートであると Apple は大いに宣伝した。
市場を支配していた RIAA の潜在的な訴訟の脅威もあり、iTunes はプレスからの好意的な反応を受けた。
知的財産権を保護する合法的なオンライン ミュージックだったので、レコード産業の専門家の受けも良かっ
た。ジャーナリストは iTunes が「何か大きなことの先駆け」だと狂喜した。アーティストは、Jobs の提供し
てきた最先端の製品と卓越したパーソナリティーにより、ビジネス界の「ロックスター」と見ていたので
iTunes を好んだ。また、Apple のスタイリッシュなブランド トーンがアーティスト達のイメージと重なって、
iTunes サービスは的を射ていた。消費者は、iTunes が合法であり、「レンタル」ではなく、音楽を実際に所
有できることを喜んだ。
iTunes のローンチの最初の週に、100万以上の楽曲が販売された。6月末には 600万曲が販売された。Apple
によれば、営業開始の 2 ヶ月で、200,000 曲のライブラリーの 80% が最低 1回はダウンロードされた。
Competition of the Helm
2003年 6月末には、AOL Time Warner が iTunes に対抗したサービスを計画していることを発表した。
Amazon、Microsoft、Yahoo! もサービスを準備していると報じられた。あるエキスパートは、競争によりダウ
ンロード料が半額の 1曲あたり $0.50 をすぐに下回るのではないかと考えていた。価格競争が激化すること
により、これらの合法サービスが、peer-to-peer ネットワーク サービスと対等に戦えると、彼らは主張した。
特に、音質がトップ レベル、購入プロセスがシンプルで、付加機能が魅力にあふれていれば。エキスパート
達は、潜在的な無料の (海賊版) 市場に対し、合法サービスは圧倒的に使いやすいものでなければならないと
主張した。
iTunes が デ ビ ュ ー し て か ら 2 ヶ 月 後 の 2003 年 7 月 22 日 、 Buy.com の 設 立 者 の Scott Bloom が
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BuyMusic.com をローンチした。「トップ 10 からレアなインディペンデントまで」300,000曲のライブラリー
が提供され、宣伝された楽曲は $0.79 の価格設定だった。ダウンロードは1曲でもフル アルバムの形でも行
えた。購入したアイテムはサイトからポータブル デジタル プレーヤーや CD へ直接 (コンソールは不要) ダ
ウンロードでき、サイトはデジタル プレーヤー、周辺装置のメモリー デバイス、CD-R メディアも販売した。
一方、ベンチャー投資を受けた Bloom がサービスをローンチさせ、2週間のテレビ広告を積極的に打った。
iTunes の広告と似通ったトーンだった。真っ白な背景を使い、有名な音楽アーティストや一般の人を起用し
た。Windows テクノロジーのみを活用し、ダウンロードは Windows Media Audio (WMA) 10 形式だけで行われ、
Mac や iPod との互換性はなかった。ユーザーに親しみやすいオンライン ミュージック ハブでは、オンライ
ンのインストラクション ビデオが見れ、曲を PC へダウンロードしたり、CD やポータブル プレーヤーへ転
送する方法を示したり、音楽に関連した記事が提供されていた。
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BuyMusic.com でダウンロードする曲は価格面でいろいろ有利な点があった。広告対象の曲は「1曲 $0.79
から」スタートし、価格レンジは $0.79 から $1.49 だった。フルアルバム バージョンは、$7.95 から販売さ
れた。平均コストは 1曲 $0.99、アルバムで $10 だった。また、曲によって、コンピューターへの転送回数
や CD への焼き付け、ポータブル プレーヤーへの転送など、ダウンロードの利用方法に違いがあった
(Exhibit 5 を参照のこと)。
2003年の早い時期に Roxio が、iTunes に対抗する新しいサービスをクリスマスまでに開始することを発
表した。2003年までに閉鎖された Napster の忠誠心の高い大きなブランド価値を還元すべく、Roxio は消滅し
てしまった Napster サービスを買い取り、Napster 2.0 を立ち上げることを表明した。Roxio によれば、Napster
2.0 のライブラリーは 500,000曲以上からなり、月次定期視聴や個別ダウンロードが提供されるとのことだっ
た。
Strategy Meeting
Kim はジョギングから戻り、自分のチーム ミーティングを開催し、iTunes の適正なゴールと目的を議論
することにした。Kim はチーム メンバーに iTunes モデルを再考するように勇気付けた。そう、彼らが革新
的なサービスを創り出したのは事実だが、自分達のビジネスの防御障壁を築き、事業を最適化するにはどうす
ればよいか? iTunes のターゲットは誰であるべきか? そのターゲットに対しサービスをどのように位置付け
るべきか? iTunes がどのような商品やサービスを提供することが、競合相手との差別化につながり、先行者で
ある状況を有利に展開できるだろうか? どのような協業・提携が必要だろうか? Kim はチームに 1週間を与え、
これらの問いについて考え抜き、Jobs との来週のミーティングに提示するゲーム プランを持ってくるように
命じた。(Apple の財務諸表や各事業ユニットの売上 [2002-2003] については Exhibit 8 と Exhibit 9 を参照の
こと。)
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