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伊達市民文芸39号への寄稿 随筆・エッセー 平成22年9月23日記
SFの魅力 50年後の世界をつくるのは
[本文]
3D(立体映像)のSF映画を観た。青と赤のセロハンで作ったメガネと違って、上等な3Dサングラス
は中々のかけ心地で、そのグラスを通してみるスクリーンは今までとは全く違う映像世界を楽しませ
てくれた。谷を降りるヘリのシーンから、森に平和が訪れるラストシーンまで釘付けになった。昔か
らSFが好きで、学校図書館では少ないSF図書を何度も繰り返し読んだ。いつも楽しかったのは、アイ
デア満載の近未来の生活が描かれている本だった。自動的に壁に収納されるベッド、鏡の前に立つだ
けで歯を磨いてくれる洗面台。放り込んだだけで洗って乾かして、たたんでくれる洗濯機。食べたい
と思った物が出てくるボックス、相手の顔を見ながら話せるテレビ電話、いつでも映画を楽しめる
100チャンネルを超えるテレビジョン。タイヤのない車。そして玄関を出ると空には何重ものパイプ
が延びていて、モノレールや車が交差しながら街を結んでいる。こうした夢のような挿し絵に未来を
垣間見て心が躍った。私の生まれた年、昭和39年は東京オリンピックが開催され、このオリンピック
に向けて高度経済成長が遂げられた歴史的な年となった。東京タワーもできた、新幹線も開通した。
首都高速道路が整備された。テレビでアメリカ大統領が暗殺される様子が報道されるほどの通信環境
も整い始めていた。私がSF図書を好んで読んでいた40年代は、この昭和30年代の爆発的なエネルギ
ーが余力を持って未来に延びている時代だった。それゆえに子供向けのSF図書はどれを見ても夢にあ
ふれていて、読む者の心をつかんで離さなかった。テレビもそうだった。昭和40年代に一斉を風靡し
たウルトラマンをはじめSFヒーローものの流行は、この時代が未来を果てしない夢で包んでいたから
に他ならないだろう。
しかしSFは楽しい未来はがり描いてばかりはいない。子供の頃見た映画の中で恐ろしい記憶として
残っているのは「猿の惑星」だ。製作公開は1968年なので、私が見た時は5年くらいたってから見た
のだが、荒廃した風景の中に自由の女神像が崩れ落ちている様を見た時は驚いた。どこだか知らない
宇宙の話しではなく、私たち地球の話しじゃないかと。核実験が世界各地で行われる中で、核が地球
をどう変えてしまうのかという点でも恐ろしい映画だった。もうひとつ忘れることができない作品
が、人口が増えすぎて食糧不足になった世界を描いた「ソイレント・グリーン」だ。50年後の2022年
の設定だったが、不足する食糧の原料が年老いた人間だったという衝撃的な事実は、子供ながらに未
来の恐ろしさを感じた。SFは明るい未来ばかりではなく、人間の不安と恐れをもかたちにする。
私の中でSF映画の傑作はリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」だ。ブレードランナー
は、人間が人類と地球に対して取り返しのつかないことをした後の暗い未来が背景に描かれる中で、
アンドロイドと人間が惹かれ合う様を描きながら「人間はどこから来て、どこへ行くのか」「人間を
人間たらしめる記憶や思い出はアンドロイドのインプットされた記憶とどう違うのか」を描いたフィ
リップ・K・ディックの傑作を映画化したものだ。寿命が決まっているアンドロイドたちの悲哀は、
まるで私たち人間そのものであり、何度観てもせつなくなるが、変えることのできないその運命を切
り拓かんとするラストシーンを観るたびに感動する。
今の世の中は、ブレードランナーほど暗く寂しい時代ではないが、かといって子供の頃のような楽
しい未来を想像できる時代でもない。なぜ昔のような未来を描けないのか。それは子供の頃のSF図書
に描かれていたものがほとんど形になってしまったからかもしれない。
誰でもとまではいかないが宇宙にも行けるようになった。その宇宙と地球とでテレビ電話も可能と
なった。自家用ジェット機で世界を移動する人たちもいる。身の回りのものでいえば、パソコンや携
帯電話が当たり前の時代となり、相変わらずタイヤは付いているが、環境性能の高い電気自動車が普
及しはじめ、自動ではないが電動歯磨きもあり、冷凍食品の普及は電子レンジでチンするだけで作ら
ずとも豪華な食事をテーブルに並べられるようにもなった。たたんでくれる洗濯機はさすがにない
が、しわのできにくい乾燥機付洗濯機はある。テレビ電話は契約さえすれば誰でもできて、100チャ
ンネルを超えるテレビはもうずっと前からサービスが始まっている。そう50年前に夢に描いていた近
未来の生活はすでにここにあるのだ。少し描いていたのと違うのはすべてのサービスはお金次第であ
り、誰でも享受できるものではないというオチが付いていることだろうか。
さてなぜ今は明るく楽しい未来を想像できないのか。小説も映画もどれも子供の頃の夢と希望の未
来はすっかり消えて、人間の愚かさが招く未来ばかりが描かれている。食糧不足を描いた「ソイレン
ト・グリーン」の時代もあと12年。温暖化による豪雨と干ばつで穀物市場が高騰していく様を見る
と、まんざら人口増加だけでなくとも食糧不足はその可能性を否定できない。それでも年老いた父母
が食糧になるなんて想像もしたくないが、3Dメガネをかけて絵に描いた
に目がくらむ時代が来るや
もしれない。そんな時代を迎えないよう警鐘を鳴らしてくれるSF映画から私たちは学び、備えていか
なければならない。50年前に描いた世界が今あるように、50年後の未来を私たちが望んでいる世界に
するためにも。
小久保重孝