デジタル時代の戦いの原則 「レオンハードの機動戦略」 - J

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デジタル時代の戦いの原則
「レオンハードの機動戦略」
戦略で負けるとは、資源や戦力が同じ、あるいは上回るにも関わらず、市場競争の運用
の仕方が拙劣で競合に追いつかれ、追い抜かれ、顧客を失い、事業目的を達成できないと
いうことである。ここで、デジタル時代における日本企業の現状を把握し、戦略を学ぶ必
要性を改めて強調してみたい。
情報通信、デジタル家電、放送といった産業は、デジタル技術が共通基盤となって業界
の技術的な垣根が崩れ、規制緩和によって産業が融合する新たな産業進化の段階に入った。
しゅう れん
これを「デジタルコンバージェンス( 収 斂)の時代」と呼ぶ。この大変革の時代に、日本
企業は勝利を収めることができるのだろうか。デジタル家電の「三種の神器」と呼ばれる
薄型テレビ、DVDプレイヤー、デジタルカメラなどのアプリケーション(最終製品)で
日本勢はまだまだ強い。しかし、少し将来を見れば安穏としていられない状況が生まれて
いる。
デジタルコンバージェンスの時代の新しい携帯端末の覇者は誰になるのだろうか。新し
い携帯端末とは、無線LANや様々な無線電波が利用でき、家庭では固定回線との切り替
えもでき、音楽や動画番組が楽しめ、パソコン機能も備えたものを指す。日本勢は、先端
機能、コスト、コンテンツやサービスで海外メーカーに勝り、トップシェアを確保できる
だろうか。選択と集中を進めた日本企業のなかで、垂直集中や垂直統合で生き残れるのは
数社である。米国企業が得意なプラットフォームやコンテンツとの新たな統合を急速に進
め、新しい戦略を創造していく必要がある。
しかし、日本企業の動きは極めて鈍い。デジタル時代の「負け方」は、日本企業が開発
力、技術力、ものづくり、ブランド、すべての戦力で勝りながら、それらを運用する術、
すなわち戦略の不在によって敗退するというものである。
企業、産業、政府のどのレベルでも、不確実な将来の見通しをたて、戦場である市場で
自らの安全を確保し生き残る術を考えるという当たり前のことができない。すなわち戦略
のイマジネーション力に乏しいのである。日本勢が、戦略のプロたる軍人に学ばなければ
ゆえ ん
ならない所以である。
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戦いの原則
長い戦争の歴史のなかで、戦略のプロである軍人達は「戦いの原則」を磨いてきた。原
則とは、経験科学が認める「行動の手掛りや指針」である。判例の積み上げが法になる米
英の判例法主義と同じ原理である。戦いに原則があれば、ある種の定石として思考の手助
けになることは言うまでもない。
クラウゼヴィッツやモルトケなどのドイツの戦略家は、戦いの現場は一回限りのもので
あり、個々の経験を積み上げても法則や原則などは見出せないとし、戦略とは一回きりの
芸術的なものであることを強調する。しかし、米英を中心とする諸外国では、何らかの原
則性を認めて、戦略教育に活用している。
伝統的な「戦いの原則」あるいは「戦略の原則」と呼ばれるものは、九つある。九原則
は、1949 年に米軍の「野外要務令(Field Manual)」で採用されたものが広く知られている。
このマニュアルにもっとも大きな影響を与えたのが、第二次世界大戦における、戦車電撃
戦の創始者として知られるイギリスのフラー少将である。フラーは、リデル・ハートと並
ぶ戦史研究および戦略理論家であるが、日本では専門家以外にほとんど知られていない。
フラーの業績のひとつは、戦史の徹底した実証研究と、クラウゼヴィッツ、ジョミニ、
モルトケなどの文献研究から、「九つの戦いの原則」を見出したことである。フラーの九原
則は、言葉を変え、内容に変更が加えられ、批判されながらも多くの諸外国で採用され、
影響を与えている。米国の元陸軍中佐でイラク戦争の経験を持ち、最新の戦略理論を提唱
しているロバート・R・レオンハードも、自著の中でフラーの九原則を利用して、持論を
展開している。
九つの原則とは、「機動(Maneuver)」、「攻勢(Offensive)」、「大量(Mass)」、「兵の経済
(Economy of Force)」
、「目的(Objective)」、「安全(Security)」
、「単純(Simplicity)」、「奇
襲(Surprise)」、「指揮の統一(Unity of Command)」である。このひとつひとつの原則が、
個々の戦史と戦争の指導者の発言や文献の裏づけをもっている。これらの言葉とその背景
にある戦史と理論が、現実の個々の戦闘や戦争を遂行している指揮官や参謀の戦略思考を
助けてくれることになる。過去に囚われる先例主義も愚かだが、過去の経験を知らないの
も愚かだ。日本でもこの九原則が自衛隊でも採用され、戦略思考のルールとして知られて
いる。
これらの九原則は実際に戦略を考えるときのフレームワークの役割を果たしてくれる。
戦略を立案するにあたっては、「ライバルよりも優位置にいるか(機動)」「業界をリードし
ているか(攻勢)」「生産や販売などで量的優位を得ているか(大量)」「無駄なリソースは
ないか(兵の経済)」「目的は明確か(目的)」
「指示命令系統は明確か(指揮の統一)」とい
ったことを考える必要がある。「量産品の終焉」
、「総合からの脱皮」、「選択と集中」といっ
た、しばしばビジネスの世界で聞かれる方針は、九原則から見ると単なるスローガンであ
り、優れた戦略からはほど遠い。
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ただし、九原則を有効に活用するためには注意が必要だ。ひとつは、顧客の購買を獲得
するためにライバルに競り勝つ経営と、政治目的を達成するために暴力によって敵の戦闘
くじ
能力を挫く戦争との違いを意識することである。ある意味で、ライバルに勝つ目的の戦史
から得られる原則は、ライバルに勝つ経営の原則よりも甘い。経営ではライバルに勝って、
さらに顧客の好意を得る必要があるからである。
もうひとつの注意点は、情報化時代にそって、九原則を常に見直していくことである。
先に紹介した、レオンハードは主著『情報化時代の戦争の原則』において、九原則の現代
的解釈を試みている。さらに下表には、九つの原則から得られるビジネス上の教訓を付記
してみた。ビジネス上の教訓は、リチャード・メイと検討した結果である。
戦いの九つの原則
原 則
伝統的な解釈
現代的解釈
(レオンハード氏による)
ビジネス上の教訓
1
Maneuver
(機動)
戦闘力を柔軟に応用し、敵を
不利な状況におく
迂回、バランス、兵種の連動といっ
た考え方が良策である。武器は、そ
の影響から逃れることができるとい
う点で重要である
自社の成功のために、競合への対
抗策を恐れない。迂回のために組
織的連携をうまく使う
2
Offensive
(攻勢)
主導権を奪い、保持し、有効に
使う
真の戦争は攻撃と防御のバランス
を取らなければならない
必要なのは「機会」であり、それは
ビジネスを通して行動する自由であ
る。機会は、自社の能力を向上させ、
競合の能力を低下させて得られる
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Mass
(大量)
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軍隊は移動時には分散する。戦闘
決定的に重要な場所と時間に、
のために集結した軍隊が実践的に
圧倒的な戦闘力を集結させる
動くための能力が重要
戦略を実行するための戦力の分散
は、電子メディアによって、有効か
つ正確に実行できる。
Economy of Force
(兵の経済)
活用できる力を最大限に利用
する。
二次的な目的には最低限の力
を配分する
ビジネスは経済的でなければなら
ない。軍事はもっとも不経済であり、
それゆえ効率化をもっとも必要とす
る
戦力の効率化は有効な原則である。
なぜなら、戦争も経済も根本的に
は希少資源のマネジメントだからで
ある
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Objective
(目的)
軍事行動は、明確に規定され
た、決定的な、達成可能な目
的に向ける
情報化時代には、目的を達成する
ための目標については固定化する
必要がない
情報への迅速なアクセスは、リアル
タイムで目的を調整するオプション
を、リーダー達に与える
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Security
(安全)
予期せぬ優位性の獲得を決し
て敵に許さない
再定義が必要。過去においては情
報不足ゆえに、安全確保を余儀な
くされていた
正確さ、明確さと確信を持って競争
を見極めれば、安全確保のための
労力を節約できる
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Simplicity
(単純)
充分な理解を得るために、明
確かつ複雑ではない計画を立
て、簡潔な指令を出す
求められるのは「単純さ」ではなく
「単純化」(simplication)である。敵
の試みの裏をかくための複雑な計
画や指令には有効な理由がある
人間の認知は記憶よりも優れてい
る。そこに単純の原則がある
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Surprise
(奇襲)
時間、場所、方法において、敵
が準備不足のところを攻撃す
る
重要性が高まる原則。戦力の自然
な状態は、準備不足がずっと続くこ
とである
奇襲は、慢性的な準備不足を狙っ
て行われる。戦術上の奇襲は、敵
の探索を遅らせ、競合との接触を
早める
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Unity of Command
(指揮の統一)
全ての目的に対して、命令の
統一と努力の統一を追及する
古いアイデアだが現代の戦争にふ
さわしい。ただし、戦場行動を効果
的に統一できる手段以上のもので
はない
政治的な現実は命令を混乱させる。
情報化時代には「階層のフラット化」
が必要である
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機動優位の戦略
ロバート・R・レオンハード(Robert R. Leonhard)は間違いなく、最先端の戦略理論
きょう べん
家である。現在、ジョーンズ・ホプキンス大学応用軍事力研究所で 教 鞭をとっている。主
著『情報化時代の戦争の原則』については書評(リチャードの視点 「『情報化時代の戦争
の原則』を読む」)を参照されたい。
レオンハードは最新の戦略理論として、「情報化時代の機動戦略(Maneuver Strategy for
Information Age)」を提唱している。レオンハードによれば「機動戦とは、敵の強みを避
け、その代わりに、決定的な弱みを突いたり、無力化したりすることを狙う戦いの考え方」
である。
とく り
じ
彼は、1904 年6月 14 日の日露戦争における「得利寺」での日本の第二軍とロシアの第一
おく やす かた
シベリア軍団の戦史を挙げ、この戦いでの奥保鞏大将と参謀の作戦をほぼ完璧な「機動戦
略」と賞賛している。日本の兵力約 33,600 人に対してロシアは約 41,400 人であり、損害
人数は日本が 1,145 人に対し、ロシアは約 3,563 人であった。
第二軍は約 1.2 倍の兵力を相手にしながら、ロシアの約 30%の損害でとどまっている。
では、奥大将は、どのような戦略をとったのか(図参照)
。
機動戦略の成功例「得利寺」の戦い
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奥軍の作戦は、右翼に第三師団、中央に第五師団、左翼に第四師団を分散させ、第三師
う かい
団と第五師団は敵正面に配し、左翼の第四師団を迂回させて敵右翼に側面攻撃をかけると
いうものだった。しかし、この作戦をロシア軍は予測し、迂回に備える予備兵力を配置し
ていた。
天候が悪いなか戦いは開始され、正面で戦闘が続くなかでロシアのスタケルベルク中将
は予備兵力の投入に迷っていた。日本の迂回軍の情報が入らないので、反撃の強い左翼に
日本軍が兵力を投入したと判断し、予測と反対に予備兵力を左翼に投入した。ところがま
もなく迂回していた日本の第四師団がロシア軍の右翼から側面攻撃を始めた。反撃の機会
と兵力は十分にあったもののロシア軍は右翼から混乱し始め、全軍に波及し、敗走するこ
とになる。
この戦闘では、奥軍は正面での主力決戦は避け、自軍を三つに分け、右翼の第三師団に
陽動的な動きをさせながら左翼から敵側面を攻撃するという方法をとった。もし、正面主
力決戦を臨めば兵力で劣る日本軍が優勢に立てたとは言えない。
機動戦の三類型
き
レオンハードは、戦史研究から機動戦を「先制(preemption)」、
「迂回(dislocation)」、
「詭
けい
計 (disruption)」の三つに類型化している。先制とは、敵が準備する機会を与えないよう
に先に攻撃することである。陸上戦闘ならば、十分な補給とやる気がある兵と準備もなく
不意を突かれた兵が戦うのだから結果が一方的なものになる。迂回とは、地理的および機
能的な迂回をしながら敵主力に対して常に優位置を確保し、タイミングを捉えて主力を無
力化あるいは壊滅させる方法である。詭計とは、敵の心理的な弱点を突くことである。人
は、正面よりも背面や側面から襲われた方が脅威を感じる。側面や背面攻撃が有効なのは
このような人間の心理的な弱みがあるからである。
得利寺の戦いがほぼ完璧な機動戦と評価されるのは、兵力を分散させ、意表を突いた迂
回によってロシア軍に精神的動揺をもたらし、全軍を混乱に陥れて戦闘意欲を喪失させた
からである。
ビジネスにおける機動
機動の原則は、ビジネス戦略にどのような示唆を与えるのであろうか。自社よりも物量
で勝るライバルと対抗する際は、戦力を集中して決戦に持ち込むことは避けるべきである。
それよりも、先制、迂回、詭計によって常に精神的および物理的に優位に立つ。相手の弱
点を突くことに集中してライバルの戦力を無力化あるいは損耗させ、市場シェアを拡大す
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る。こうした示唆が読みとれる。兵力は、物量と移動スピードの積である。この原理は、
戦争だけでなく、経営でも通用する。
それでは、経営やビジネスにおける「機動」についてもう少し考えてみたい。日本の主
要な消費財メーカーが手がけた事業から 40 を抽出し、10 年間の戦略を研究したことがある。
その中で企業がビジネスを成功させた原則をひとつだけ挙げるとすれば、やはり「機動の
原則」であった。
機動という言葉には誤解が多い。ほとんどの人が、機動すなわちスピードと理解してい
るのではないか。レオンハードは、『情報化時代の機動戦略』の中で、「相手に対して常に
優位を確保するために相手に知られないように行う、スピードのある移動」という言い方
をしている。40 の事例研究を通じて明らかになった機動も、この定義通りのものであった。
すなわち、機動の目的は優位の確保であり、その手段がスピードなのである。機動とス
ピードとを同一視することは、手段と目的を混同していることである。サッカーではこん
なスキルがある。フォワードがゴール前に走りこんで相手ディフェンスの「裏」をとる、
つまりボールを見ている相手の後ろに回り込み、シュートを決める。このスキルは、相手
の裏という優位置をスピーディに確保するものだ。機動には、移動を相手に気づかれない
ようにするために欺き騙すという意味も含まれる。
40 の事業の中で優れた業績をあげている事例の多くは機動の原則の活用がみられた。こ
うした企業は単にスピードが早いというだけではない。市場変化の鍵を握る領域での優位
置を確保するために競争相手よりも素早く手を打っているのである。
機動の重要性を感じさせた事例をいくつか紹介する。ある大手食品メーカーは、バブル
崩壊までは、積極的な事業多角化路線を展開していた。しかしバブル崩壊が始まると、他
社に先駆けて、伸びきった戦線のようになっていた多品種商品を絞り込み、営業担当者を
削減した。といってただ身を縮めたわけではない。特定の組織小売業と関係を深めるため
の専門組織を設置し、もっとも伸びるチャネルを通じた販売に注力した。こうした商品ア
イテム数の絞り込みやチャネルの見直しといった諸施策に、競争相手が追随するまでに少
なくとも2〜3年はかかった。この結果、同社は市場の成熟にも関わらず、90 年代に持続
的な成長を遂げた。現在でも、他社に先駆けた事業の再構成や提案営業の武器開発を展開
している。
機動から布石へ
「始めに機動あり」。21 世紀の戦略の新しい定石である。もちろん、機動だけで不十分な
場合、いくつかの戦略を組み合わせて、競争優位を確たるものにする。
機動と組み合わせる戦略として、「布石」「主導」「集中」を挙げたい。機動によって相手
の裏をとったら、すかさずシェア拡大や成長につながる「布石」となる手をうつ。機動か
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ら布石への展開である。相手の裏をとれてもシュートが打てなければゴールを獲得できな
い。機動だけでは結果は得られない。言うまでもないが、布石とは、囲碁の序盤に全局的
な構想に立って石を置くことである。戦略でいうところの布石は、短期的な目的よりも中
長期の競争優位を構築するために、ビジネスの初期段階にとられる諸政策と定義できる。
ネットワークを通じてカーナビなどに地図情報を提供している企業がある。同社はもと
もと、ネット時代が始まる前に、地図の電子化を始めていた。それが現在の電子地図情報
事業の「布石」になったのである。同社がどこまで意識的であったかは分からないが、他
社より先駆けた政策が次の事業展開へとつながった。
他方で布石にも、捨石にもならず、線香花火のように終わってしまう施策がある。布石
との差は、施策の目的や継続性の差から来ている。線香花火となるのは次のような施策で
ある。これまでの戦略の継続性を無視した方向への転換、重点絞り込み政策をとる中で他
社追随のための新製品投入などの政策的矛盾、短期決算のためのリストラ、現実無視のビ
ジョン提示、流行手法の採用による混乱、などである。
布石から主導へ
機動、布石に続く戦略原則は「主導」である。主導とは「市場支配力」
(リーダーシップ)
を得ることである。サッカーやラグビーなら、ボールを常に味方がキープしている状態と
言える。市場支配力の指標は、相対シェアの大きさ、シェアの増減傾向、オピニオンリー
ダーでの評判、技術の先進性などだ。
こうした指標でできるだけ優位を獲得することが、市場支配力(market ownership)で
ある。すなわち、市場を左右する力である。かつての最大手電話会社やビールのトップメ
ーカーは、まさに市場支配力を持っていた。この市場支配力が有形無形の優位性を生み出
す。新しい情報が最初に持ち込まれる。業界の競争ルールも自社に有利に運ぶ。
「寄らば大
樹の陰」効果が引き出せる。これらの有形無形の優位性が事業成果に反映される。
主導の目的とはこの市場支配力を得ることである。先の最大手電話会社とビール会社は、
売り上げが大きく減ったわけではない。それにも関わらず主導性は喪失してしまった。市
場支配力は、現状のシェアや売り上げだけでは得られない、ということだ。シェアトップ
であるよりも攻勢が重要なのである。攻勢とはシェアの伸びに象徴される勢いの評価であ
る。この勝ち馬イメージが市場支配にとっては極めて重要なのである。
いささか古い例で恐縮だが、80 年代に繰り広げられた、コーラを巡る戦いが分かりやす
いだろう。ペプシは王者コカ・コーラを追撃し追い込んだ。スターを起用した宣伝広告で、
「挑戦」というイメージを顧客にも内部にも繰り返し繰り返し訴求した。こうして、ペプ
シは挑戦、コカ・コーラは保守、というイメージが出来上がった。その結果、コカ・コー
ラはコーラの味を変え、ヘビーユーザーの反感を買い、しばらくして味を戻したコーラを
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別途発売するといった、マーケティング上の失敗を繰り返すことになった。
国内に目を転じれば、即席めん事業の最大手は、常に新製品を導入し、他社をリードし
続けている。毎年、画期的な新製品を導入し、ブランドをリニューアルし続け、攻勢を維
持している。これによって同社は、競合他社の2倍近い営業利益率を誇っているのである。
主導から集中へ
機動、布石、主導と戦略原則を見てきた。もうひとつ重要と思うのが、「集中」戦略であ
る。これは特に説明不要であろう。
ある飲料メーカーは集中戦略によって、新しい競争優位を築いた。飲料市場における健
康志向が強まり、「茶と水」が伸び始めると、日本の茶農政に通じ農協とのつながりを持つ
せん ちゃ
強みを生かして 40 社もの製造委託工場とネットワークを作り上げ、
煎茶に注力しながらも、
なおかつ商品の多品種化を図れる「総合飲料メーカー」体制を整備した。
続いて同社は一挙に直販システムへの集中投資を実施した。営業拠点を全国に広げ、営
業人員を増やし、自販機を大量設置したのである。その集中ぶりは徹底していて、営業拠
点はほぼ倍になり、営業人員は年 300 人のペースで増員、自販機にいたっては年間 7,000
台のペースで設置した。この戦略は現在も続けられており、同社の営業利益率は8%を記
録し、集中戦略の開始前と比較した現在の売上高成長率は 356%となっている。
戦史と事例から学ぶ
「戦略の父」と呼ばれる人がいる。カルタゴのハンニバルである。もっとも著名な戦い
は紀元前3世紀の「カンネの戦い」として知られる。倍するローマ軍を相手に完全勝利を
成し遂げた。この戦いに勝利できたのは、兵力総数では劣っていても兵種でみると騎馬で
の数的並びに技術的優位があったからである。
対峙した両軍は主力の歩兵で量的に圧倒するローマが攻勢に立つ。しかし、ハンニバル
軍の優位な騎馬がローマ軍を敗走させると局面が劇的に変わる。勝利した騎馬兵が、自陣
歩兵と対峙して前進してくる敵歩兵の隊列の後方から迫り、味方歩兵とともに全包囲した。
局面は一変する。総数では勝るローマの全軍は、身動きできない状態に置かれ、攻守転換
したことの心理的ショックも加わり、士気が低下し秩序が崩壊した。その結果、無敵のロ
ーマ歩兵が戦闘に破れることになったのである。
ハンニバルが戦局を理解せず、味方の騎兵が敵の騎兵を破る時間と劣位にある歩兵の計
画的後退に持ちこたえる時間が少しでも狂えばこの戦略は成功しなかっただろう。ハンニ
バルは時間を自在に操ったのである。弱者が強者に勝つ戦略の起源はここにある。どうし
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たら優れた戦略を創造できるのか。その答えは時間であり、局面であり、歴史であり、他
者の経験から自ら学ぶことである。
戦史から学ぶことは、ビジネスや経営での戦略を考え、思考を鍛える上で有効である。
クラウゼヴィッツ、アレキサンダー大王などの研究は学問だけでなく、民間でも盛んに行
われている。その民間の研究者にビジネスの戦略コンサルタントが多いことに気づく。現
代の戦略を理解し、応用するには、戦争と戦史を他者に伝達する能力が求められている。
それは経営トップだけでなく、経営参謀、技術参謀も同様である。
古代から近代まで戦略を大きく変えた 10 の戦争がある。先に説明した「カンネの戦い」、
ハンニバルを破ったローマのスキピオの「ザマの戦い」をはじめ、「アドリアノーブルの戦
い」、「ビザンチンの戦い」、「サマルカンドの戦い」、「クレシーの戦い」、「ロスバッハの戦
い」、「ナポレオン戦争」
、「米国の南北戦争」、そして「プロシア=オーストリア戦争」であ
る。この 10 の戦史を様々な文献を通じて研究する過程で、自分の頭の中にいくつかの因果
関係が浮かんでくる。フラーやレオンハードの戦略の原則は、こうした経験科学によって
組み立てられている。
続いて現代の企業の戦略事例を 100 社程度研究すれば、自分の頭に残る「戦略の原則」
が生まれてくるはずだ。死をかけた組織間の戦いで得られた原則と、顧客の獲得を目指す
組織間の戦いで得られた原則をふたつ手にすることができれば、負けるべくして負け、限
られた人材と資源を無駄にする愚かな戦略はなくなるに違いない。デジタルコンバージェ
ンスの時代に必要な戦略参謀は、経験科学に立脚し、自らの眼で見て、自らの耳で聞き、
自社ビジネスが置かれている状況を自らの頭で判断し、世界市場で勝てる戦略を創造し、
自らの口で説ける人材である。
[2005.11 日経ビズテック]
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