シンデレラ女神の復活 シンデレラ女神の復活

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シ
シンデレ
ンデレラ
ラ女
女神
神の
の復
復活
活
初
稿 2015.04.22
訂正版 2017.01.25
星たちも さやかな月のそばだもの
その燦めきを隠してしまう
満月の 銀のひかりが
大地をくまなく照らすとき…
サッポーBC7-6c *
もくじ
ページ
はじめに
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1
1. その名も「灰娘」
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2
2. シンデレラの読み方・
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3
南方熊楠・
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4
バシュラールとリューティ
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5
8
3. 昔々のシンデレラ
4. 大地の作用=金属化と結晶化
5. 月と不死
ネフスキーと石田英一郎
6. 地下世界「冥界」
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ハリソン
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ギンズブルグ・
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その宗教的説明と科学的説明
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8. 跛行、冥界と天界
9. 灰とは?
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7. シンデレラと生け贄
10. ガラスの出現
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11. 社会とその守護神の転換・
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12. 円環思想から直線思想へ・
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おわりに
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ノート
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・ 21
※ページへのリンクは設定されていません。
はじめに
こ こ で は 、 シ ン デ レ ラ 物語 を 中 心 に し て 、 いく つ かの 昔 話を 採 りあ げ 、「ガ ラ ス」 に 注
目しながら、ヴェールに覆われたその誕生について思い巡らせます。
ながら
昔話は、内容を近代化したり、幼児化させたりしてニッチ(生存適所)を見出し、生き 存
えてきたものです。シンデレラ物語を書いたフランスのシャルル・ペロー 1628-1703 に
せ よ 、 ド イ ツ の グ リ ム 兄 弟 *1 に せ よ 、 昔 話を 伝 承 し て い る 話 者 か ら採 録 し 、 自 身 の 好 み
で編集・創作しているので、たんなる記録ではありません。しかし、そこには謎を解く糸
口を今なお留めていて、遙かなる太古の真相を窺い知ることができるのです。
具体的に は、シンデ レラ物語と は、レヴィ= ストロース が『野生の 思考』1962 のなか
で 示 し た 、 原 始 的 な 「 ブ リ コ ラ ー ジ ュ ( Bricolage 作 り 替 え ・ 器 用 仕 事 )」 技 法 に よ っ て
作られたもの、と考えられます。すなわち 、あり合わせのものを寄せ集めて生み出された、
そ
ご
うかが
したがって齟齬だらけの「神話」の末裔であることを明らかにし、今もなお原初の姿が 窺
えることを示そうと試みています 。それらは誕生当時には文字がなかったために 、容易く、
さまざまな変容を蒙りながらも、今日に伝わった太古の無文字文化の遺産なのです。
minami_no_kiki / cinderella 2016.11
- 2/25 このためには、神話や昔話の意味や構造を、さまざまな観点から見出した人々の業績に
注目する必要があります。かつては貴重だったものの、いまやウェブサイトによって誰に
でも身近になった情報を掻きあつめ、創造的に配列することによって、これを成し遂げる
ことができると考えました。なんだか、神話を創る作業のようですね。
しゆうれん
す な わ ち 、こ れ は 多 く の 断 片 的 な 伝承 を も と に 、 太 古 に 収 斂 さ せ、 原 型 を 描 く と い う
実証が困難な試みなのです。重要なことに、これらを通じてシンデレラが何者であるかが
浮かび上がるだけでなく、さらに人類文明の起源と現代の問題点とが、生命の円環と死物
の線 分 と い う 「 簡 明 な か たち ( よ い ゲ シ ュ タ ルト )」 によ っ て浮 き 彫り に され る ので す 。
1. その名も「灰娘」
第一の鍵は、謎めいた主人公の名前です。
シンデレラといえば、いくつもの童話だけでなく、アニメーション映画やオペラなどの
形態で広く親しまれている作品です。ロッシーニ作曲のオペラ作品に『チェネレントラ La
Cenerentola』(1817 初演)があります。cenere(チェネレ)とはガラスの同質異体でも
ある「灰」をいうイタリア語です。
しかし、 もっとも有 名な作品は 、ウォルト・ ディズニー 版の『シン デレラ』1950 でし
ょう。映画化としては、同じくディズニー製作、世界初の長篇天然色漫画『白雪姫と七人
の小人』1937 の方がずっと古い作品です。そのため、すでに第二次世界大戦 WWII 時の
アメリ カ空 軍機 (B-24)に は、 ディ ズニーの白 雪姫や 7 人の 小人を機首に 描いたもの が
ありました。
ディズニー映画の『シンデレラ』は、フランスのペロー版を下地にして、新しい創作が
付加されている人気作品でした。もとの作品では、ヒロインの名前がフランス語でサンド
リヨン Cenderillon、すなわちサンドル cendre「燃え殻、灰」に由来します。同様にして 、
ドイツのグリム兄弟版(19 世紀前半)ではアッシェンプッテル Aschenputtel で、ドイツ
語 Asche が英語の ash「灰」に当たります 。ところが、同じゲルマン語派でありながら、
英 語 名 の Cinderella が ド イ ツ 語 名 と は 似 て も 似 つ か ず 、 イ タ リ ッ ク語 派 の フ ラ ン ス 語 名
に近い、というのはとても奇妙です。じつは、英語版のシンデレラはフランスのペロー版
ちな
に倣ったためなのです。*2 因みに、日本語の題名では「灰かぶり」です。
このように、意味がどの作品でも同じですが、昔話では主人公の名前は人名(区別に重
あだ な
点がある固有名詞)でなく、もっとも重要な特徴を表現した綽名(渾名)である、という
きま り が 窺 え ま す 。 さ ら に 、「 昔々 、 あ る と こ ろで … …」 と 、時 代 も場 所 も特 定 でき な い
のです。それは、歴史的事実との繋がりを拒否しているからに違いありません。たんなる
事実、事件とは異なった、非日常的で、より重要な真理を語るのが目的であるため、と思
えます。
こ こ で 先 ず 出 鼻 を 挫 か れな い よ う 、「 ガ ラ ス の靴 」 に対 す る異 論 につ い て触 れ てお き ま
しょ う 。 ペ ロ ー 版 に は 副 題が あ っ て 、「 サ ン ド リヨ ン 、あ る いは 小 さな ガ ラス の スリ ッ パ
Cenderillon ou la Petite Pantoufle de Verre」とあります。そして、ペローが表題にした
ガラスのスリッパに関して、割れるに違いないガラスの靴などあり得ないから、採録する
り
す
際に vair「栗鼠の毛皮」を verre「ガラス」に誤ったという、日常生活レベルのリアリテ
ィーに拘った主張がありました。しかし、昔話の本質からの議論によって、もはや疑念は
払拭されている、といえます。ただし、グリムのように金や銀でできた靴という類話が大
多数ですが、これは文化の違いによるものでしょう。昔話中の「金、銀、ガラス」には、
minami_no_kiki / cinderella 2016.11
- 3/25 共通 し た 性 格 が 指 摘 さ れ てい る の で す 。( ま た 、古 代 エジ プ トで は 、銀 は 金よ り も遙 か に
高価 で した 。 旧約 聖 書ヨ ブ 記 28:17 か らは、 ガラ スが 金と同 等の 価値 があ るもの であ っ
た、と知れます。ただし、ダイヤモンドは研磨剤以外に用途がありませんでした。)
念 の た め に 、 vair が ど ん な 色 の 毛 皮 で あ っ た の か 、 ペ ロ ー 時 代 の フ ラ ン ス の 辞 書 を 調
べますと、白や灰色や玉虫色といった解釈が見つかります。そこで、さらに古い意味を調
べるために、古フランス語(9-15 世紀)辞典*3 を見ました。すると、vair には、第一に
「 変 化 す る 」( 形 容 詞 ) と い う 意 味 が あ り ま す 。 そ し て 、「 多 彩 な 色 を し た 」 転 じ て 「 輝
かし い 」、 と い っ た 意 味 も 見 つ かり ま す 。 も う 一つ の 名詞 形 では 「 栗鼠 の 毛革 」 です が 、
季節によって色変わりしたり、部位によって色が異なったりするためのようです。
と こ ろ で 、「 ガ ラ ス の 靴 」 が 古代 イ ン ド の 経 典に あ り、 し かも 「 履い て はな ら ない 」 と
いう戒律のなかに挙げられています。これがマスメディアによって興味本位で取り挙げら
れたことがありました。この経典は、ウェブサイトを捜せば、パーリ語(南伝の仏典のこ
とば) や英 語( M.ミ ュラ ー編『 東方 聖書 (東方 聖典叢書 )』*4)その他の言 語でアップ さ
れ て い て 、 基 幹 図 書 館 に あ る 『 南 傳 大 藏 經 』、『 國 訳 大 藏 經 』 で は 、 日 本 語 で 読 め ま す 。
び
く
に
その趣旨は、比丘尼(尼僧)らに対して、華美な金銀宝石類で飾った履物の着用を禁じる
ことで、その一つ「ガラスの靴」とは、ガラスビーズで装飾したものを指す、と考えられ
ています。これなら、今では銀座や原宿でなくても手に入るでしょう。そして、ガラス研
究 者 *5 に よ る と 、 古 代 イ ン ド で ガ ラ ス ビ ーズ 製 作 が 盛 ん で あ っ た 事実 が こ の 禁 令 の 裏 付
けとなっていて、残念ながらシンデレラとは結びつきそうにありません。
ぼ
ろ
さて、本題に戻ります。実母もなく、襤褸を纏って、継母や継姉妹から苛めを受けなが
かまど
け な げ
ら 灰 塗 れ の 竈 や 煙 突が 寝 床 。 な ん と も 悲 しい 境 遇 に 耐 え て い る 健 気な 少 女 が 主 人 公 で す
が、これは灰とは何かを見失った、近代人の偏見から生まれたものでしかありません。こ
の「灰娘」とは、聞き手に同情心を抱かせるために少女につけられた綽名ではないのです。
のちほど手順を踏んで、この灰こそが、この少女に相応しいものであることを示し、それ
によって少女の素性を証明することにしましょう。少女が誰であったのか、やがて、どう
して虐げられてしまったのか、を。
2. シンデレラの読み方
古 く は マ リ ア ン ・ コ ック ス 『シ ン デレ ラ :345 の変 種 』1893*6、近 年 では ア ラン ・ ダ
ンダス『シ ンデレラ』 1983*7 ほかが 、シンデレ ラの類話のみを主題に採りあげて、その
多様な変種を紹介しました。とりわけ前者は、シンデレラの類話を世界各地の昔話に見出
した も の と し て 、 シ ン デ レラ 研 究 書 の な か で もと く に有 名 です 。( 日本 の 『鉢 か づき 』 が
含まれています。277;The Girl with the Wooden Bowel.)しかしながら、世界各地のさま
ざまな風土や文化のもとで、どのように類似した物語があるか、ということは、ここで目
たいしよてき
指す方向とは対蹠的(=正反対)に思えます。しかし、バリエーション=変奏もまた核心
・主旋律を理解する助けになるので貴重です。すなわち、それらのなかには太古のモチー
フが断片となって、変容しつつも継承されていることに気づかれるのです。
ここではシンデレラの起源を古代に、すなわち神話のなかに発掘することが目標です。
そうすることで、太古におけるもっとも重要な物語の意味を、そしてガラスの意味を、空
想力を頼りに見出すことです。これをガラス屋が一から始めるのは無理でしょう。ところ
が、すでに多くの先人がこの試みに糸口をつけていて、クレータの王女アリアドネーが、
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- 4/25 迷宮のなかのテーセウスを導いているかのようです。その先人たちは、常軌を逸した主張
を臆せず公言する偉大な学者ばかりで、その業績により道半ばまで導かれたのでした。
3. 昔々のシンデレラ
南方熊楠
はくらんきようき
博覧強記で、剛胆なエピソード豊かな民俗学者・博物学者の南方熊楠 1867-1941 が、
ゆうようざつそ
中国唐 代の 綺談 集であ る段 成式 撰『酉陽雑 俎』(860 頃)の続 集巻一のなか にシンデレ ラ
物語を発見したと発表した事実は、西洋では長く知られることがありませんでした。その
論文 の 表 題 は 、『 西 暦 九 世 紀 の 支那 書 に 載 せ た るシ ン ダレ ラ 物語 ( 異な れ る民 族 間に 存 す
る類似古話の比較研究)』1911*8 でした。西洋人では、中国で教授職にあったジェイムソ
ン R. D. Jameson が 1932 年に初めてこれに言及した(ダンダスに収録)とあり、英語
訳が発表されました。重要なことは、すでに南方熊楠が「古話にその土特有の者と、他邦
より伝来の者とあり、また古く各民族未だ分立せざりし時代すでに世に存せしと覚しく、
… … 」( p.121) と 記 し 、 す な わ ち 、 昔 話 に は 起 源 が き わ め て 遠 く 古 く 、 共 通 す る も の が
ある、と述べているのです。ここに、百年以上も前に、在野の日本人学者によって、身近
な昔話が太古に遡れることが指摘されていたのです。
さて、その物語の語り手は、中国の南方(ベトナムに隣接)の出身者です。そのヒロイ
ンである葉限 Yè Xiàn(イェ・シェン)とは、東洋文庫本*9 の翻訳注釈者が、中国人研究
者に よ る、 ド イツ 語 の Asche ほ かの 印 欧( イ ンド ・ ヨー ロ ッパ ) 語 と同 根 で灰を 意味 す
る、という説を示しています。多少、訛ってはいますが、きわめて重要な指摘です。きっ
と、話者には綽名の意味が分からず、固有名詞とみなしたから訛ったのでしょう。
冒 頭 、「 秦 漢 以 前 の 昔 」( = 紀 元 前 ) と 述 べ ら れ て い て も 歴 史 的 事 実 の は ず も な く 、 す
なわち「昔々」の話です。父母を亡くした主人公は、継母に危険な仕事を命じられたり、
可愛がっていた「大きな金魚」を食べられてしまいましたが、天人のお告げどおり魚の骨
に願い事をするとそれが叶うのでした。祭があって、そうして手に入れた金銀の晴れ着や
金の靴を履いて行ったものの、片方の靴を落としてしまいました。その小さな見事な靴は
やがて王の手へと渡り、持ち主を穿鑿して女性に履かせてみたものの誰ひとりとして合う
ものがいなくて 、ようやく村の家で葉限を発見しました。葉限は翡翠の「羽衣」を着て「天
女」のようであった、とあります。主人公の名前が「灰」を示唆していて、地名ともされ
る「 洞 」 ほ か が 固 有 名 詞 とは 思 え ま せ ん 。 す なわ ち 、「洞 」 が地 下 世界 に 当た る 、と 推 察
できるので、西洋のシンデレラのさらなる古形を伝えた貴重な伝承である、と思えます。
南 方 熊 楠 は 葉 限 の 物 語 につ い て 、「 そ の 里 俗 古話 学 上の 価 値は 、 優に 近 時欧 米 また 本 邦
に持て囃さるる仙姑譚、御伽草紙が、多く後人任意の文飾脚色を加え含めるに駕するもの
と知るべし」p.135 と、近年の作りかえられた童話に較べて、きわめて存在価値の高いも
の、と評価しています。(文中、「仙姑譚」とは fairy tale に当たるでしょう。)
やはり、南方熊楠が紹介しているシンデレラに、ペドロソが収集発表したポルトガル民
話集の『竈猫』1882*10 があります。竈猫 Hearth-Cat とは主人公の綽名であり、竈の上
で暮らしていた、といいます。少女は、食べられそうになった「美しい黄色の魚」の願い
を聞いて、井戸に投げ入れてやります。祭があって継姉妹たちが出かけますが、助けられ
た魚が少女に井戸のなかに来るように誘います。そのなかには金や宝石でできた宮殿があ
って、少女はそこで手に入れた、金や宝石で飾られた上衣(ローブ)を着、金の靴を履い
て祭に出かけます。愉しくて時間を忘れた少女は、慌てて帰ろうとして片方の靴を落とし
てし ま う の で す ( 以 下 省 略 )。 この 物 語 の 由 来 が知 れ ませ ん が、 魚 とと も に金 や 宝石 に 溢
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- 5/25 れた地下世界が描かれており、やはりごく古い伝承である、と考えられます。
さらに、実際に紀元前に遡って、シンデレラの類話として採りあげられるエジプトの物
語が あり ます 。その 美し い娘 =女 奴隷の 名は ロド ーピス Rhodōpis*11(「薔 薇色の 頬」 の
くわ
意味です)とあります。この伝承では、主人公の入浴中に鷲が靴を咥えて飛び去り、王の
所に落としたのです。その美しい靴に魅せられた王は、靴に合う足の持ち主を捜し出して
后にし、その死後には彼女のためにピラミッドを建てたとあり、ヘーロドトスほかの古代
の歴史家らが記録*12 しています。
そこでは、史実として語られていたり、主人公の本名が特定されたりしているものの、
当時でさえ古い伝説です。やはり、ヒロインは歴史書と異なり人名ではなく、昔話のお決
まりで綽名であり、奴隷の身分から、片方の靴が王の目に留まって妃になった、というシ
ンデ レ ラ ・ ス ト ー リ ー で す 。( 南方 熊 楠 は 抜 か りな く 、こ の 「ロ ド ペ」 の 物語 を 紹介 し て
います。)コックスの類話 69(サイゴン=現ホーチミン市)には、魚などが殺され、カラ
スが靴を王宮に運ぶ、という話もあります。
昔話の主人公の名前が、しきたりに則った人名(固有名詞)でない例を示すために、身
近な 昔 話 を 一 つ 採 り あ げ てみ ま す 。 日 本 を 代 表す る 「か ぐ や姫 」 です 。 これ も また 、「 一
寸法師」や「桃太郎(太郎は長男を意味し、実名を避けるために用いられることが多かっ
たよ う で す )」 な ど と 同 様 に 、 特徴 を 表 し た 綽 名で す 。竹 の なか に 入っ て いた と きか ら 輝
か ぐ や ひ め の み こ と
いていた、かぐや姫とは光り輝く姫「赫奕姫」です。
(さらに古い記録には、
「迦具夜比売命」
とい っ た 名 前 も 見 つ か り ます 。)も ち ろ ん 、 作 者不 詳 『竹 取 物語 』 のヒ ロ イン で す。 こ の
作者と憶測されている一人が、当代のもっとも秀でた学者・歌人・作家であり、日本最古
わ みようる いじゆう しよう
みなも とのした ごう
の国語辞典『和 名 類 聚 抄』の編者である源
順 911-983 です。そこに盛り込まれた
知識の広さ深さや巧妙なプロットをとっても、優れた文学作品でしょうが、とはいえ古い
伝承(万葉集中にも類似の歌があります)を母胎にした作品で、おそらくは中国の、不死
じようが
こう が
の薬を独り占めにして月に帰った仙女、嫦娥または姮娥の神話伝説などが背景にあると思
え、そのルーツは遙かな地にあるでしょう(チベットに類話が発見されています)。
さて、かぐや姫は地中で筍のなかに入ったに違いなく地上に現れ(筍にせよ竹にせよ、
その 生 長 の 早 さ か ら し て 、地 下 か ら 天 に 昇 る エレ ベ ータ ー のよ う です )、 そし て 月か ら 迎
もたら
え が 来 て 「 羽衣 」 を 着 、 飛 車 に 乗 っ て帰 る の で す 。 さ ら に 、月 か ら 齎 さ れ た 「 不 死 」 の
薬を贈られた帝が、かぐや姫がいなくてはもはや不要と、処分した山を「ふじ山」と名付
けた、とあります。ここでは、主人公と地下世界や月や不死との関係がはっきりしていま
す。もちろん児童文学などではなく、神話にこそ近いものです。嫦娥はさておき、かぐや
姫はシンデレラの親戚に当たりそうですね。いや、同一人物かも知れません。
シンデレラに似た物語が少なくないのは、長い年月の内に各地に伝えられ、さまざまに
変化しつつ生き存えたからでしょう。今や擦り切れてしまったシンデレラ物語の原点・核
心に何があったか、を問うのは興味深いことです。次に、昔話の一般法則を見出し、シン
デレラの古代の姿を今日に甦らせる作業に役立つ、優れた学者らの業績を一瞥します。
4. 大地の作用=金属化と結晶化
バシュラールとリューティ
先ず、初めに採りあげるのは、文学作品だけでなく科学分野においても作用した、特異
な「想像力」を見出す仕事に取り組んで業績を残した、フランス人のガストン・バシュラ
ール 1884-1962 です。学歴がなく郵便配達夫や兵士の身から、論文を提出してやがて学
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- 6/25 問の世界に転身し、ついにはソルボンヌ大学教授に就いたフランス人哲学者で、科学認識
論と詩的想像力研究の両分野で業績を残しました。冷徹な科学哲学者である一方で、C. G.
ユング 1875-1961 の影響の下で、古代の四大元素=風火地水に注目します。そのうちの
「大地」をテーマにした著書のなかに、物質の異様な結晶化や金属化に注目した広汎な記
述があります。
それらを見る前に、精神分析学で有名なフロイトから別れて独自の深層心理学を打ち立
てた、ユング自身について触れておくべきでしょう。ユングは錬金術を初めとするオカル
ト領域に強い関心を示し、その著作では古代ギリシアのヘーラクレイトス*13 の言葉を上
手く援用していて、もちろん神話についても鋭い解釈を示したことが貴重です。ユングは、
人々の心のなかに「集合的無意識」という領域があり、非個人的な、世界を解釈すること
がで き る民 族共 通の 記憶が 存在 する と考 えます 。そ れは 「元型 Archetypus」と呼 ばれ 、
個人には疑問を挟む余地もないもので、ユング自身、四大元素はもちろん、神話やメルヘ
ンも、そして大地母神(太母)も、また元型であると述べています。*14
バシュラールは、ユングの深層心理学から、やがては現象学の手法で文学作品の世界の
想 像 力 (「 夢 想 」) や 、 人 類 の 自 然 理 解 の 核 心 に 何 が あ っ た か を 示 唆 す る と い う 、 き わ め
て斬新かつ重要な著作群を残しました。そのなかでも、地下に生じる金属や鉱物、すなわ
ち「地」の元素を取り扱った『大地と意志の夢想』*15 の第 9 章「金属化と鉱物化」、第 10
章「結晶体
透明な夢想」ほかが、この目的のために宛てられています。さらに『大地と
休息の夢想』*16 第 6 章「洞窟」
(あるいは「洞穴 」)では、地下世界は一つの宇宙であり、
生命を生み出す母胎(母性の大地)である、と考えられたことを述べています。
一方では、フランスの女流作家、ジョルジュ・サンドの風変わりな鉱物学趣味の小説『ロ
ーラ、あるいは水晶の中への旅』*17 に言及して、サンドにとって「大地の中心はガラス
製造の巨大な炉なのである」と記しています。もちろん、科学的に正しいといえるでしょ
う。地球を融かして「急冷」したものが、ガラスに他ならないのですから。ガラスや水晶
は地下物質で、大地のなかでは絶えず金属化と結晶化とが進行している、というイメージ
が支配してきたのです。
ここで、水晶と氷の関係を採りあげてみます。バシュラールは古代ローマの政治家・哲
学者のセネカ BC1 頃-AD65 を引用しています。膨大な分量の『自然学問題集』*18 のな
か の 一 節 で す 。 そ の 箇 所 に は 、「 ギ リ シ ア 人 た ち は ク リ ス タ ル κρύσταλλος と い う 言 葉
を、透明な石にも、そのもとであると考えた氷にも、同様に用いた」とあります。氷が水
晶になるという説は、プリニウスが紹介したものがもっとも有名で、またゲッリウス(ゲ
リウス)*19 にもあります。中国や日本にも伝わって、近世まで仏典関係の辞典でよく目
につくものです 。これらでは水晶が「水精、玻璃、玻瓈」などと書かれています。そして 、
バシュラールは、水晶はさらなる堅さを目指しているとして、文豪ヴィクトール・ユーゴ
ーの一節(『笑う男』III.VI*20)を示しています。そこには、「水晶は昇華した氷であり、
ダイヤモンドは昇華した水晶であることが確かめられている。氷が千年で水晶になり、水
晶が千世紀でダイヤモンドになることが確認されている」とあります。
バ シ ュ ラ ー ル は 、 ラ マ ルク 1744-1829 の(「 用不 用 説 」 と は ま っ た く異 な る ) 奇 妙 な
逆 進 化 論 (『 研 究 ...』 *21) を 採 り あ げ ま す 。 生 物 の 死 骸 が 、 つ い に は 化 石 ( 石 灰 岩 、 石
炭など)になることは、小学生の常識でしょう。しかし、ラマルクの捉え方には、科学と
四元素論とが混淆していて、きわめて想像力が豊かで、この自然界の鉱物、結晶への変化
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- 7/25 (「 逆 進 化 」) に 熱 中 し て い ま す 。 自 然 は 追 加 す る の で は な く 分 解 す る だ け で あ る 、 と ラ
マル ク は 指 摘 し て い ま す 。生 物 は 死 ん で 命 の 「火 」 を失 う と、 次 には 「 大気 ( ガス )」 と
「水 ( 水 分 、 油 分 )」 を 失 っ て 、大 地 化 ( 金 属 ・鉱 物 化) し てゆ き ます 。 その 一 つの 終 点
が金属であり、さらなる終点が水晶や結晶であるとして、さまざまな鉱物がどのようにし
て純粋化するのかを記述しています。そして、バシュラールはラマルクを直に引用してい
ます 。 す な わ ち 、 究 極 物 質で あ る 岩 石 の 結 晶 とは 、「 にお い 、味 、 にご り や色 彩 をす っ か
り失い、かたさ、不変性、不融性といった特性を完全に享受している状態」なのです。
いまだ、科学の黎明期であり、鉱物の知識が不十分であったでしょうが、生物の分解で
水晶ほかの鉱物が生成するのです。これで、水晶やガラスなどの「意味」が分かります。
土か ら 生 ま れ た 生 物 が 土 に還 っ て 行 き 着 く 果 てな の です 。( 反対 に 、生 物 だけ が 何故 自 ら
を合成するのか、という問題を秘めています。地球の生命の起源が、地球外にあるという
説が近年、有力視されています。)
バシュラールは、また E. T. A. ホフマン*22 の『ファールン鉱山』1819 を採りあげて
いま す 。物 語 では 、 結婚 式 の当 日 、落 盤 事故 で 埋も れ た坑 夫 である 青年 は、 50 年 後に 、
い いなずけ
老婆になっていた許 嫁に発見されたものの、若いときの様子のまま石化していたのです。
ドイツ・後期ロマン派を代表する怪人(大審院判事、劇場監督、作曲家、指揮者、画家)
で、科学趣味が濃厚であるために SF 作家ともいえるホフマンにも、この事件が格好の題
材であったのでしょう。
口承文学研究の権威者マックス・リューティ 1909-1991 も、ユングと同じくスイス出
しき
身で、リューティにもユング思想の影響が見られ、一方でユングは、昔話や神話を頻りと
採りあげていて、ともに大いに参考になります。
リューティの『昔話の解釈』*23 を見ることにします。ここで著者は、ガラスの靴に言
及しています。
「昔話は、あらゆる金属的なもの、鉱物的なものを好む。それというのも、
昔話は堅いもの、確実なもの、不滅のもの、それに腐敗しないものを求めるからである。
それは生き 物さえも鉱 物化、金属 化する 。」p.28( 訳書 p.435)以下、リ ューティはシン
デレラの靴が、グリムでは金、銀、ペローではガラスであることが昔話の特質に合致した
ものである、といいます 。そして 、昔話が本質的にガラスや水晶を好むことを繰り返して、
「ガラスの靴が昔話に相応しいものであり、ガラスのスリッパ pantoufles de verre は毛
皮で覆われた靴 souliers fourrés de vair ではない」p.29(訳書 p.436)と述べて、毛皮
説を一蹴しています。
想像力の作用に関して、大地には金属化や鉱物化が結びついている他に、地下世界につ
いて バ シュ ラ ール は 『大 地 と休 息 の夢 想 』( p.21) のな かで、 小さ いも のの なかは 大き い
とか、白いもののなかは黒いといった「弁証法的視点 un perspective dialectique」につ
いて述べました 。弁証法的視点からは 、目に見えないものは、見えるものより重要である、
という考えも生まれるでしょう。古代人でさえ、透明性を具えた風火地水が、目に見える
ものの根源であることを確信していたのです。そしてバシュラールは、狭いはずの洞窟や
大地の内部が広大な別世界であるというイメージの存在を指摘しました。現代でさえも、
目 に 見 え な い ば か りか 、 電 子 顕 微 鏡 で か ろう じ て 捉 え る こ と に 成 功し た 原 子 1 つ の な か
が、大銀河であるかも知れない、ともいわれています。
こ の 金 属 や 結 晶 を 好 む 現象 と 平 行 し て 、「 独 立し た かた ち 」の 認 識に つ いて の 心理 学 、
ゲシュタルト心理学が、やはり人間のこころの傾向を解き明かしています。それは「簡明
なか た ち の 法 則 ( ゲ シ ュ タル ト ・ プ レ グ ナ ン ツ法 則 )」と 呼 ばれ る もの で 、と り わけ デ ザ
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- 8/25 イン分野で活用されているものです。これは、より規則的でより明解なかたちを好む、と
いう認識の傾向(あるいは心のなかでの変形)が人間の心理にあることを示すものでした。
身近な例では 、ピクトグラムは写実とは正反対に、最小限の表現で意味が読み取れる「か
たち」を創出しています。それは、私たちのこころに、かたちに意味を読み取ろうとする
傾向があって、単純明快なかたちが好ましいのです。最小限の努力で最大限の価値を見出
す傾向、といえるかも知れません。ゲシュタルト心理学については、メッツガー『視覚の
法則』*24 が、最小の努力で興味深い知識に触れられる名著でしょう。
この、簡明なかたち(よいゲシュタルト)という法則が、ひとまとまりの形態の知覚認
識を取り扱ったのに対して、バシュラールやリューティらが示した金属や結晶へのこころ
の傾倒は、万物の金銀水晶やダイヤモンドへの変化と同調しており、物質認識において働
く「よい物質の法則」*25 と呼ぶべきものと思えます。また、私たち生物の多くには、き
っと光への志向が刷り込まれていて、
「蝋燭の焔 」のなかに飛び込むものさえいるのです。
おそらく、無意識のうちに、私たちはその商品的価値とはまったく無関係に、光り輝く金
銀や、水晶、ダイヤモンドに惹き寄せられるのかも知れません。
これらの背景があって、ガラスや金銀の靴が、たんに美しい高価な靴を意味したのでは
ないことが理解できます。ガラスの発明以前には、それが水晶であったことも想像できま
す。靴がシンデレラ以外の誰の足にも寸法が合わなかったというのは、もとから、それを
履く資格があるのは彼女ひとりであったことを意味しているでしょう。否、ひとりではな
く一柱というべきなのです。死すべき人間が履くものではないからです。冥界である地下
世界を訪れる女神のみが身につけるもの、と思えます。
5. 月と不死
ネフスキーと石田英一郎
天体は回転し、大地は果てしなく広がり、地下は広大な冥界でした。この宇宙観を前提
にして、命あるものが生まれ、育ち、そして冥界に去りますが、また月のように再生が行
われます。人類が農耕技術を手にしたとき、月こそが人類を初めとして多くの命あるもの
を支配する偉大な神として、理解されたに違いありません。古代には、多くの場合に、男
神である太陽と対をなす女神でした(例えば、アポローンに対するアルテミスですが、逆
の例は天照大神と月讀命です )。
宗 教 学 者 ・ 民 俗 学 者の ミ ルチ ャ ・エ リ アー デ 1907-1986 は、 主 著『 宗 教学 概 論』 *26
のなかで、まさしく再生(盈ち虧け=満ち欠けや新月=見えない月)を繰り返す月と、植
物の生育との密接な関係が古代人に知られ、神話や農耕儀礼が形成された、と考えていま
す。月の盈ち虧けは、死んでも甦る現象として古代人に捉えられていて、月は絶えず死や
再生を操っている、と信じられていたのです。人間の場合にも、女性は月の支配下(排卵
や生理、出産)にある、といえるでしょう。珊瑚も満月の夜(あるいはその前後)に産卵
するのです。そして、大地の母性が植物の収穫を操る大地母神となって、あまねく崇拝さ
れるようになったものの、豊穣神は月神でもあると考えられた、といいます。
そうです。なぜなら月には兎がいて、命の「餅」を搗いていましたね 。
『月と不死』*271928
は、ロシア人のネフスキーが日本語で著した民俗学の論文で、これもまた東洋文庫本で読
めます。生命現象=死と再生を司る月には「不死の水」や「死の水」があり、月とこの水
をテーマにした民話は、世界中に拡がっています。月の影を水汲みの姿とする伝説は兎と
見る伝説とともに世界中にあり、沖縄の宮古島群島の伝承を扱いながらも、ネフスキーは
スウェーデン
瑞
キリスト
な ぞら
典 の 例 に まで 言 及 し て い ま す 。 そ して 、 基 督 の 復 活 を 月 の再 生 ( 3 日 後 )に 擬 え て
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- 9/25 お ち み ず
い ま す 。 月 か ら こ の 不 死 の 水 (「 変 若 水 」) を 得 る と い う の は 、 平 安 時 代 の 『 延 喜 式 』 第
二 十 巻 大 学 寮 *28 の 、 祭 の 前 日 に 月 の 水 ( 明 水 ) を 陰 鍳 で 取 る( 火 は 太 陽 か ら で す )、 と
いう記述にも通じるのかも知れません。
K. ケレーニイ、C. G. ユング『神話学入門』*29 を見ますと、神話とは始原 ἀρχή (=
根拠)を説明するものである、とあります。だれもが知るとおり、自然界の現象を科学的
にではなく、擬人的に、すなわち「神々」によって説明しているのです。しかも、解釈に
はさまざまな可能性があるので、矛盾を生じる傾向があります。
本来、神話という絶対的な世界では固有名詞がないようです。古代ギリシアの主神ゼウ
ス Ζεύς の語源からして「輝き、日の光」とされており、同様に古代ローマのディアナ Diana
(翻訳すれば、この月の女神は「かぐや女神」です)も同じです。神の名の多くは、本来
は本質を表す普通名詞であった、と思えます。神々の棲むオリュンポス山 Ὄλυμπος の語
源は不明とされていますが、たんに「高い山」を意味した、という説があります。そのた
め、あちこちに幾つもオリュンポス山があったようです。そして、神々同様に、昔話の主
人公も固有名詞ではなく、特徴を表した普通名詞=綽名です。昔話と神話の意図するとこ
ろが合致しているためでもあり、神話から昔話が生じた証拠でもある、と思えます。
神話が歴史でもなく物語でもなく、非合理的な解釈であるために齟齬が生じた例として
デーメーテールが挙げられます。ペルセポネー、デーメーテールと死の女神ヘカテーは分
かち難いもので、デーメーテールの三つの様相として捉えるべきもの、とも考えられてい
ます。死と再生という矛盾を合体させる必要があったからでしょう。ここでも、ある民族
では男神であったものが、別の民族では女神であったりします。
しかし、のちに神々との関係を世俗世界の王が主張し始めると、神の名は普遍性・永遠
性を失って限定的な固有名詞に変化し 、その姿はますます人間に擬えられて矮小化します。
あた か も 巨 人 族 が 追 わ れ て、 の ち に ゼ ウ ス 一 派が 支 配し た かの よ うで す 。(王 と いう 漢 字
す
は、 一 説 に は 、 三 つ の 世 界を 縦 棒 が 貫 い て い て 、「 三 界を 統 べる 」 とい う 意味 の 象形 文 字
とされているので、不信心にも神々の領域を侵犯しています。)
貴族出身でありながら反骨精神に溢れた文化人類学者、石田英一郎 1903-1968 の『桃
太郎の母』*30 は、きわめて刺激的な内容を含んでおり、その表題論文の前説には、次の
よう に あ り ま す 。「 桃 太 郎 や 一 寸法 師 な ど 、 こ れま で 歴史 家 の捨 て てか え りみ な かっ た 昔
ばなしのなかにも、人類太古の大地母神の信仰と相つらなるものがある。……南欧の処女
マリアの崇拝も、その源流は、遠く古代ユーラシア大陸の原始大母神とその子神とにさか
の ぼ る こ と を 示 す 。」( 文 庫 版 p.174) す な わ ち 、 昔 話 の 先 祖 が 太 古 の 神 話 で あ る 、 と 述
べ、南方熊楠の洞察をさらに一歩進めているのです。そして本文では、きめ細かく世界各
地の 大 地 母 神 信 仰 に 言 及 し 、「 キリ ス ト 復 活 の 信仰 と 祭礼 も 、そ の よっ て 来る 根 源は 、 遠
くま た深 いも のがあ るの であ る 」(前 同 p.232)と 記し 、教義 に縛 られ て、 自由な 、あ る
いは踏み込んだ研究ができない西洋人を尻目に、そのルーツは紀元前に遡る大地母神と植
物霊への信仰であると示唆したネフスキーの説を繰り返し、示しているのです。
さ ら に 新 し く は 、 ド イ ツ文 学 者 、 高 橋 義 人 『 グリ ム 童 話 の 世 界 ヨ ー ロ ッ パ 文 化の 深 層
へ』岩波書店 2006 が「シンデレラ」に 2 章を宛てて、そのなかでグリム兄弟がゲルマン
神話に童話の起源を求めていたこと ※
1
や、あるいはギンズブルグの旧石器時代、無文字
文化に起源がある、という説に触れています。証明が困難であっても、それが太古に遡る
というのは、とても自然な考え方です。
幾つかの神話のルーツがどれも同じというのは、その収斂する起源が文明の広がる以前
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- 10/25 の太古に遡り、また食糧確保、とりわけ主食となる穀物の栽培技術(播種・育成・収穫・
畑焼)の発明に起因するからではないでしょうか。そして、世界に拡散して広まったシン
デレラの物語が太古の大地母神の信仰に繋がっているのは、むしろ当然のことかも知れま
せん。
大地に万物を生み出す母性があり、内部は広大な別世界であり、そこでは金属化や結晶
化が支配している、という考えは、自然界に精霊を見た、感性豊かな古代人に相応しいも
のであった、と思えます。
そして、太古の人類は天体を観測して、それらが地上のあらゆる生き物や農作物の誕生
や生育を支配していることに気づきました。天地が照応していることを知り、宇宙と、身
近な自然界の現象とを結びつけることになったのです。なぜなら、農耕技術は、天文学、
とりわけ太陽や月の挙動(盈ち虧けの現象)の知識とは切り離せないものであるからです。
(のちに、天地照応の思想がヘルメス・トリスメギストスの教えといわれるエメラルド板
に基づいたヘルメス思想として、錬金術や占星術の基礎になります。)
太古の人類、農耕技術を学びつつあった人々にとって、これこそがもっとも重要な関心
事であり、彼らは太陽や月の動きからやがて暦を作り上げ、それに則って農作業を行って
いたはずです。そして、太陽や月や大地に神格を与えた彼らにとって、農作業が神事と強
く結びついたのであり、その理論的な根拠として神話が築き上げられた 、と考えられます。
天体現象の第一は、太陽と関係した一日や季節の変化であり、そして農耕や動物の繁殖
で重要な、月と生物すべての生死との関係です。さらに、天動説のすべての惑星(太陽、
月、水星、金星、火星、木星、土星)が地上の現象と関連づけられてきました。したがっ
て、この大地こそが世界の中心として捉えられ、その神格化が大地母神であったのです。
同時に、生命を操る月が、大地母神とは切り離せない、大地母神の別の姿として理解され
たのです。
太古の農耕神話の階層構造(空想図)
神 話
神事・儀式に導かれた実践的な
農耕作業
原理を示す
原理を示す
神 話
神話に基づく
神事・儀式
神事・儀式に導かれた実践的な
農耕・畜産作業
ギリシア神話では、豊穣神はデーメーテール Δημήτηρ であり、もともとはゲーメーテ
ール
Γημήτηρ 「大地 γῆ +母 μήτηρ 」であったのが訛ったもの、という説があります
(ただし、もっとも権威的なギリシア語辞典のリデル・スコットは「ありそうもない
improbable」と いい 、懐 疑的な 見方 もあ るよ うです 。)そし て、 その娘がペ ルセポネー で
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- 11/25 あり、冥界の王ハーデースが戦車に載って地中より出現し、掠奪して后にしたといい、こ
の様子は西洋絵画のテーマとなっていて、レンブラントらにより描かれています。デーメ
ー テ ー ル は 悲 し ん で 娘 を 取 り 戻 そ うと し ま す が 、 一 年 の 内 1/3 だ けは 冥 界 で 暮 ら す こ と
になり、母神はこの時期に稔りを齎すことを止めた、というのです。すなわち、ペルセポ
ネーは冬には地上から姿を消すが、春には復活する植物の化身、植物霊であるのか、それ
とも二人が新しい命を生み出すと考えられたのか、両義的であるようです。もとよりペル
セポネーに関してはエピソードが乏しく、大地母神デーメーテールの一面である冥界の女
王とした、とも考えられています。
古代オリエント(シュメール王国)で、地下世界を支配する女王(大地女神)はエレシ
ュキガル Ereshkigal で、その姉 妹の天上神 イナンナ Inanna が天 上から冥界を訪ねる神
話が あ りま す 。こ の イナ ン ナは 豊 穣神で もあ り、 バビロ ニア では イシ ュタル Ishtar で し
た ( こ の 名 残 が サ ロ メ で し ょ う )。 豊 穣 神 が 地 下 世 界 を 訪 ね る こ と は 、 不 毛 の 「 冬 」( ま
たは不毛の「夏 」)の神話的な説明であり、再生のための準備期間でもあるでしょう。
近代的なシンデレラでは、王子との結婚が少女たちの憧れとして、もっとも注目される
モチーフに違いありません。しかし、この灰娘の結婚をペルセポネー(デーメーテールの
化身)と冥界を統べる神ハーデース Ἅιδης の結婚として見直すと、より重大な意味を持
っていることが分かります。月神は再生を司るからです。
「再生 reproduction」とは生殖 、
繁殖のことです。冥界の王の后となって、新しい命を地上に送り出すのです。
冬に枯れ死んでしまった植物は 、春になって芽吹かないでは困りますね。近くの川では、
うずたか
春になると、沼に居着いた白鳥が 堆 く築いた枯れ草(葦のようです)の巣の上で抱卵し
かえ
ている様子が見られます。雛が孵ると、白鳥の親は白や灰色の雛の一群を連れて、あちこ
つが
ち泳ぎ回っています。多くの動物は巣立ちが早いので、来年の春には、別の相手と番いに
なるのでしょうか。これが野生における結婚の意味なのです。つまり、新しい命を生み出
すことです。
大地を意味する母神と、死と再生を繰り返す植物霊の組み合わせは、農耕民族の多くに
共通した信仰にあり、類似した神話となっていました。しかしながら、ここで作用してい
つじつま
る原理がブリコラージュで、辻褄の合わない、民族毎にバリエーションに富んだ様相を呈
しているように見えます。しかし、これらが同時多発的に発生したとは考えにくいので、
できるだけ共通した、より根源的な要素を見分ける必要があります。大地母神(イシス、
イ シ ュ タ ル な ど ) と 対 を な す 死 す べ き 植 物 霊は 、 男 神 ( エ ジ プ ト のオ シ リ ス Osiris や メ
ソポタミアのタンムズ Tammuz など)である例が多いようです。
6.
地下世界「冥界」
ある奇妙なモチーフにも注目する必要があるようです。中国のシンデレラ葉限でも、ま
たポルトガルの竈猫でも、魚が重要な役割を担っていました。コックスが集めた類話でも
いくつかに魚が登場しました。物語では、魚は水中に棲むものの、さらに地下世界に通じ
るものであることが仄めかされていました。すなわち、この魚が「金色(美しい黄色でも
鱗が 輝 け ば 金 色 で す )」 で あ る こと が 重 要 で す 。一 方 で、 古 代に は 魚に 対 する 崇 拝が 世 界
に 拡 が っ て い て 、 キ リ ス ト 教 で も 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト が 魚 ΙΧΘΥΣ( イ ク ト ゥ ス ) の シ ン
ボルで示されることがありました 。この場合には、 Ίησοῦς Χριστός, Θεοῦ Υἱός, Σωτήρ
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- 12/25 (イエス・キリスト、神の子、救世主)の符牒と解釈されています。南方熊楠は、鋭く魚
崇拝 に 言 及 し 、 つ い に は 偉大 な 人 類 学 者 ジェ ー ムズ ・ フレ イ ザー 1854-1941( 主著 『 金
枝篇 』)に 到 っ て い ま す 。 葉 限 では 食 べ ら れ て しま っ た魚 の 骨が 祀 られ 、 竈猫 で は井 戸 に
逃がすように訴えます。古代における魚の意味を、ここでも窺い知ることができそうです。
こ こ で 、 バ シ ュ ラ ー ルに 立 ち 戻 る ま で も な く 、ガ ラ ス ( 水 晶 ) の 靴 *31、 あ る い は 金 の
靴は地下世界的、洞窟的なイメージのなかで生まれたもので、これを履く少女、というよ
りも女神が、地下世界と関係が深いことが浮かび上がってきます。古代の神話では、豊穣
の女神は月にいるだけでなく、地下世界を訪れる必要があったのです。地下世界は、死と
いざなぎのみこと
再生の舞台なのです。冥界下りというモチーフは、オルペウスや伊邪那岐命にもありまし
た。探せば、平安時代の綺談集『今昔物語集』(第 20 巻、第 45 話)には、百人一首の歌
おののたかむら
人 、 優 れ た 学者 で あ っ た 政 治 家 の 小 野 篁 が、 夜 な 夜 な 京 都 の 南 に ある 「 井 戸 」 か ら 冥 界
に下り、閻魔大王の裁判を補佐し、北にある井戸から地上に戻っていた、という記述さえ
見つかります。水は四大の下降原理とみなせ、地下世界に下るのを助ける、という説明も
聞かれます。水から生じた水精には、水の何倍の能力があるのでしょうか。
ギリシア神話では月神は、セレーネーとアルテミスです。そして、このアルテミス(ロ
ーマ神話ではディアナ)に鍵が隠されているようです。月神セレーネーと、狩猟の女神で
もある異民族のアルテミスとが合体したために、さまざまな齟齬が生じたと思えます。月
は穀物であれ動物(食肉)であれ食糧を支配するものであるため、猟犬を連れて弓矢を携
えたアルテミスの意味するところは、「狩猟=肉食の重視」とみなすことができます。
う け も ち
『日本書紀』には、月讀命が殺した食物の女神「保食神」から穀物が生まれた、という
お お げ つ ひ め
すさのおのみこと
話が あ り ま す 。 な お 、『 古 事 記 』で は 、 大 宜 都 比売 ( =月 の 女神 ) が素 戔 嗚尊 に 殺さ れ る
話となっています。月と食物の関係が日本の神話にも記されている、といえるでしょう。
これはエジプトのオシリスの女性版ですね。これらはまた、食物が死したものから生まれ
る(死と再生)という神話として 、世界中に広まっている一例である、といわれています。
かい ざん
しかしながら、最古層の神話に王が関係してくるのは、後世に王権による改竄や捏造が
あったのではないか、と疑うべきでしょう。ネミの森で殺されるべき王は、死を逃れよう
とします。人々と王の利害は絶えず背反しています。人々は最善の王を期待し、王は手に
した権力を手放そうとはしません。名言に、権力は腐敗する、とあります。そうです、エ
ンデの童話『はてしない物語』に描かれたとおりです。
ガラスの靴は、シンデレラの大地母神としての姿に結びついたものであり、もしも大地
の精(金、銀、水晶やガラス)で拵えられたその靴を脱ぐならば、地底・冥界からの脱出
・出立を意味するのかも知れません。さらに、シンデレラは魔法のドレス、あるいは羽衣
を身につけていたので飛び立てたのです。もちろん、月を目指して。
すでに、刺繍工芸家でありウーマンリブ(フェミニズム)運動家でもあるバーバラ・ウ
ォ ー カ ー 女 史 は 、『 神 話 ・ 伝 承 事 典 失 わ れ た 女 神 た ち の 復 権 』 1983*32 の な か で 、 い み
じくも、シンデレラが大地母神の娘であり、燃え殻・灰と化した再生の火の女神である、
と指 摘 し ま し た 。( ラ マ ル ク に 倣っ て 、 火 と は 命で あ ると 看 做し て よい で しょ う 。す な わ
ち、彼女はペルセポネーなのです 。)
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- 13/25 7. シンデレラと生け贄*33
ハリソン
シンデレラ物語からは、神に願いごとをするに際して、太古には生贄が必要であったこ
とが窺えます。コックスが収集した類話の多くでは、シンデレラが可愛がっていたり、釣
ったり、飼育しているさまざまな生き物(魚、鶏、豚、牛や熊などから、なんと実母まで )
が殺され、埋められて、その墓前で泣き悲しむヒロインは、例えば墓に育った樹木から金
銀のドレスや靴などを授かるのです。
生贄は猛威を振るう自然への恐怖心や神頼みから、世界中に伝承があります。きわめて
厳しい自然環境下では、神は人間に対して、私を愛するのか子供を愛するのか、と問いか
けることさえあります。神の前に、か弱い人間は子供を生贄にするしかありません。和辻
哲郎は『風 土』初版 1935
で、 ヨーロッパ の穏やかで 単純な自然 環境のなか では、自然
の秩序が目に見えて科学的理解が発展し、一方で神もまた温和であることを示しました。
中国最古の殷王朝では、ことある毎に生贄にされる民族(姜族など)が定められていた
やまたのおろち
く し な だ ひ め
といいます。日本では八岐大蛇(河川の氾濫と解釈されています)の生贄になる櫛名田比売
(水害に遭う田畑の擬人化とされます )を須佐之男命が救った神話が有名です。犠牲には、
もっとも大切なものを捧げたことが、シンデレラからも読み取れます。一方で、抵抗の少
ない、弱い者苛めであったことも知られています。
古代インドのアシュヴァ・メーダ(馬祠祭)では、王の身替わりに仕立てた牡馬を焼い
と
か
て、煙とともに祈願を天上の神に伝え、古代中国で大河に白馬を沈めるのは、無事に渡河
できるための河神への捧げ物であり、したがって犠牲や遺骨、遺灰を土に埋めるというの
は、大地母神への祈願であると思えます。そして、大地の神は豊穣を齎すのです。シンデ
レラの物語は、この太古の農耕民族の儀式をおぼろげながら伝えているのです。
英国の女性古典学者 J. E. ハリソンの『古代芸術と祭式』初版 1913*34 は、死と再生の
古代儀式の発生と発展、芸術(ギリシア悲劇)への変化を説明した、きわめて重要な業績
でしょう。その根幹には、フレイザーの『金枝篇』初版 1890 が聳え立っている、ともい
えま す 。 ハ リ ソ ン は ギ リ シア の デ ィ オ ニ ュ ー ソ ス Διόνυσος や エ ジ プ ト の オ シ リス ( 死
んだオシリスから麦が生えます)の祭礼からアイヌの熊祭まで取り扱っています。もっと
も強調されているのが、食糧と子供(生存とその継続)が古代人の最重要課題であり
(p.40)、こ れ が季 節 の周 期 性に 基 づい て いて 、春 とい う「再 生」 の到 来の ために は冬 の
「死」が必要であったことが示されています。そして、月と祭式の関連性の背景には、月
には生物に作用を及ぼす力があることを、プルータルコス 46 頃-120 頃の作品*35 を引き
合いに出して、指摘しています。生け贄を伴う春の再生の歌と踊りがバッカス(ディオニ
ューソス) を讃えるデ ィテュラン ボス Διθύραμβος であり、この語源について、ハリソ
ンはギリシア人による「二重の扉の君 He of the double door」という誤った解釈が、甦
った者を指 すので意味 的に正しい 、とみなして います(pp.87-88)。出口は別世界への入
口 で も あ る の で す 。 ハ リ ソ ン は 祭 式 の 情 緒 的 emotional 要 素 を 重 視 し て い ま す ( こ れ を
保持 し て い る の が 芸 術 な ので す )。 理 屈 で は な く、 感 情な の です 。 これ を 具象 化 した 芸 術
作品があり ます。スト ラヴィンス キーのバレー 音楽『春の 祭典』1913 は、異 様なリズム
に満ちていて、初演時に騒動を引き起こした作品です。まさしく、生け贄の儀式の興奮を
見事に表現した傑作で、ハリソンの代表作と同時に世に出たのも奇遇ですね。
minami_no_kiki / cinderella 2016.11
- 14/25 8.
跛行、冥界と天界
ギンズブルグ
シンデレラは片方の靴を落とし、残った靴を手にして走ったのでしょうか?
ここに、
大きな鍵が潜んでいます。きっと、シンデレラは片方の靴を履いたまま、片足が不自由な
はこ う
歩き方=跛行をしたことが神話伝説などから証明できそうです。
イ タ リ ア の ユ ダ ヤ 系 歴 史 学 者 、 カ ル ロ ・ ギ ン ズ ブ ル グ 1939-は 、 悪 魔 崇 拝 を テ ー マ に
した『闇の歴史ーサバトの解読』*36 の第二章「骨と皮」で、神話伝説の「神々や英雄の
多く」が跛行であったことに注目しています。片足に欠陥があったり、あるいは片方のサ
ンダルを失ったりしたのは、オイディプース、テーセウス、ペルセウス、プロメテウス、
イアーソーン、アキレウス、ディオニューソス等や、さらにシンデレラが挙げられていま
す。(伝説の王オイディプース Οἰδίπους とは、 οἰδάνω 腫れる +
πούς 脚で、綽名の
類 い で す ね 。) 著 者 に よ れ ば 、「 跛 行 」 と は 、 端 的 に い っ て 冥 界 下 り を し た も の の 特 徴 で
あり (p.399)、 ま た 世界 的 に 広 ま っ て い た 「骨 寄 せ 」 の 作 業 ミ ス に 由来 す る 、 と も 考 え ら
れています。片方の靴をなくしたシンデレラは、冥界に縁があることが窺えるのです。
シンデレラは、愛していた生き物たちが殺されたので、その骨を集めるのですが、この
たきやしや
場合に骨が足りないことがあります。この骨寄せは、日本でも、平将門の骨を娘の瀧夜叉
つぼね
姫 が 集 め て 甦ら せ る 話 と か 、 殺 さ れ た 局 の岩 藤 の 骨 が 集 ま っ て … …( 宙 乗 り で 人 気 が あ
かがみやまごにちのいわふじ
る『加賀見山再岩藤 』)という、歌舞伎芝居の演目でも見られます。
ギンズブルグは、死者の骨を集めて皮にくるんで木に吊す(女性は土葬されます)とい
う
ほ
う意味深なコルキスの風習を示しています。そして、跛行に関して中国の禹歩に触れてい
ます。禹は、夏王朝の祖とされる伝説の王で、治水事業で全国を歩き回って足を患った、
といわれますが、禹という文字から水生動物を擬人化したもの、とも解釈されています。
か つこう
ほうぼくし
禹歩については、道教の経典、葛洪『抱朴子』(4c 初め)に記述があります。
へん ばい
この道教の禹歩が日本に伝わったといえるのが、陰陽道で行われた「反閇」と呼ばれる、
ぎようこう
行 幸 の 安 全 確 保 の ため に 地 下 の 悪 霊 を 調 伏さ せ る 陰 陽 師 の 歩 行 呪 術で す 。 今 日 で も 立 春
(一年の始まり)の前日(節分)に、ある神社で執り行われている儀式は由緒正しいもの
に違いなく、北斗七星の星の並びを奇妙な足取りで辿ります(ネット上に動画が公開され
てい ま す )。 中 国 で は 、 北 斗 七 星は 天 帝 の 御 座 とさ れ る北 極 星の 近 くに あ り( 神 は北 天 に
おら れ る の で す )、 天 帝 の 乗 り 物と さ れ て い ま す。 ま た、 星 神社 と か星 宮 神社 と いっ た 平
安時代に造営された神社には、北斗七星が祀られていて驚かされたことがあります。
はいとう
かつて寺社奉行の管轄で、町人とは異なり佩刀を許されていた力士が行う神事である、
相撲(角力)の所作の「四股」も、また反閇が起源であるとされています。この「反閇」
さんばそう
が芸能に取り入れられて『三番叟』で見ることができますが、その意味合いは脱線したの
か、先祖返りしたのかは知れません。三番叟(歌舞伎では、三番叟は正月に祝儀ものとし
て上演されます)ものの代表作のひとつに、清元・長唄掛け合い(合同演奏)の名曲
またく るはるす ずなのた ねまき
『再 春 菘 種 蒔 (通 称 、『種 蒔 三番 叟 )』が あ りま す 。「 と うと う た らり た らりら 、た ら
りあがり、ららりどう」の歌詞が一説にチベット語と解釈されていて、穀物の豊作祈願の
意味といわれており、ここに天体や冥界と、跛行と、農耕儀礼とが、細々ながらも糸で結
ばれている、と考えてよいでしょう。この世界の果ての日いずる日本に、ユーラシア大陸
で失われた農耕儀礼や信仰が保持されているのは、一方で、古くには氷に閉ざされていた
僻地 、 バ ル ト 三 国 の ひ と つの リ ト ア ニ ア で 、印 欧 祖語 ( 原イ ン ド・ ヨ ーロ ッ パ語 、 PIE)
がよく保存されてきた事実と平行した現象でしょう。日本は、まさしく貴重な人類文化の
ガラパゴスであるのです。
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- 15/25 た い へ ん 唐 突 に 、 ギ ン ズ ブ ル グ は モ ン テ ー ニ ュ 1533-1592 の 跛 行 に つ い て の エ セ ー
(Ⅲ,11)について語っていて、モンテーニュが暦に不満を持っていたことが分かります。
人類は、農耕や狩猟、漁業、畜産など、とりわけ月の支配下にある食糧確保の営みと、太
陽の支配下にある日常生活とを両立させる暦をつくるのに、長く腐心してきました。太陰
暦(1年が 354 日)では、閏月がある年は 13 ヶ月になります。昼夜・寒暖を支配する太
陽と、盈ち虧けで 1 ヶ月(29.5 日)を支配する月との、「足並みが揃わない」相性の悪さ
は、初春を祝う正月が冬のさなかであるという、この日本の現状にも表われています。
さらにつけ足せば、惑星の挙動は理解しがたいものでした。惑星は、夜空のなかを恒星
りゆう
を 背 景 に し て 、 順 行 、 留 ( 停 止 )、 逆 行 し て い ま す 。 予 期 で き な い 惑 星 の 奇 妙 な 動 き や
明る さ の 変 化 か ら 、( 神 話 を 描 く) 満 天 の 星 の 下で 暮 らし て いた 古 代の 人 々は 、 もち ろ ん
惑星にも神性を見出したのです。
9. 灰とは?
その宗教的説明と科学的説明
古 代 エ ジ プ ト に 遡 る 不 死 鳥 ( フ ェ ニ ッ ク ス ) の 伝 説 が あ り ま す 。 17世 紀 ド イ ツ の 金 ル
ビ ー ガ ラ ス 開 発 者 の 一 人 で あ る オ ル シ ャ ル の 著 書 * 37 か ら 引 用 し ま す と 、「 不 死 鳥 は 、 あ
つい ば
ら ゆ る 種 類 の大 量 の 香 木 を 啄 ん で 作 っ た 薪の 山 に 載 り 、 太 陽 に 照 らさ れ て 自 ら 燃 え る 」
とあります。そして、その灰からは数千羽もの雛が生まれる!というのです。
灰のなかからは、新しく生命が甦るのです。灰は、死んだ生物が燃やされて、ラマルク
風にいえば火と大気と水を失ったもっとも核心的な物質であり、多くの民族で聖なるもの
とされてきたものです。フレイザーにあるように、穀物の収穫が終わり、藁人形を燃やし
て灰にし、新しい生命の誕生を祈願する儀式が、さまざまな形態で広く行われていたよう
です。これこそが悲願の「再生 reproduction(繁殖 )」のための、農耕民族最大の儀礼と
なったのも当然でしょう。おそらく食糧生産の失敗は、人々の飢餓に直結したでしょう。
(博物館の復元された竪穴式住居に入ると、木の実が大量に備蓄されていて、栄養価がと
ても 高 い で す よ 、 と 説 明 を受 け ま し た 。 人 口 が少 な けれ ば 団栗 で 足り る ので し ょう か 。)
灰は、塵ではなく聖なるもの、より正確には「遺灰」である、という理解のもとで、シ
ンデレラが灰娘であったことを見直す必要があります。原シンデレラが、なすべき本来の
仕事とは、死したものを再生することであり、それは月と大地とを支配することでしょう。
そのために、原シンデレラは月に棲んだり、大地のなかで暮らす必要があったのです。
科学的に灰とは、その生物が大地から得た成分から、高温で水分や可燃物・分解成分な
どを除去した残滓(安定物質)である、といえます。植物の灰は、その生物が生息する土
地の化学的成分と、その生物の嗜好を反映するものと考えられます。植物の根が分泌する
根酸には金属や鉱物などの溶解能力があるため、例えばカルシウム分は石灰から、マグネ
シウム分は苦土石灰から、アルカリ分は長石などから取り込めるでしょう。植物も生きる
ため に 想 像 以 上 の 能 力 を 具え て い る の で す 。( そし て 、さ ら に草 食 動物 は 植物 か らア ミ ノ
酸を合成し、一方、肉食動物は捕食動物から効率よくタンパク質を得てアミノ酸に分解し、
それぞれに自らの体を作り出します。)灰は、農耕作業では肥料だったのです。
ここで、果たして藁灰の成分がどのようなものか、ガラス学者のターナーが化学者ソー
プのデータに基づいて発表した結果*38 を抜き書きして示します。古い資料ですが、灰の
成分には個体差もあるはずで、これで参考になるはずです。
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- 16/25 試
料
%
灰の組成%
灰全量
SiO2
CaO
MgO
Na2O
K2O
P2O5
SO3
S
Cl
小麦藁
4.26
66.2
6.1
2.5
2.8
11.5
5.4
2.8
3.8
-
大麦藁
4.39
53.8
7.5
2.5
4.6
21.2
4.3
3.6
2.9
-
この表か らして、肥 料の三大要 素 NPK の うちで葉を 作るのに必 要なちっ素 分が欠けて
いますが、灰に変化する際に水分、炭素などとともに放出されたのでしょう。しかし、ち
っ素分を油かす、硝酸塩やアンモニウム塩などで補わなくても、土壌内の微生物やミミズ
の働きから生成するために、焼畑農業ではちっ素肥料は不要である、といわれています。
種や根などがあれば、灰によって植物が甦り、稔りを齎すことができるのです。
と こ ろ で 、 こ の 灰 が ガ ラス の 組 成 に 似 て い ます ( 燐酸 や 硫黄 化 合物 は 余分 で すが )。 陶
器を高温で焼成しているときに灰を被ると、表面がガラス質になることが分かります。こ
かいゆう
れを利用したものが、いわゆる灰釉です。ガラスと灰とはかけ離れた物質ではなく、デカ
ルト*39 が述べたように高温技術により灰からガラスが生まれるのです。灰かぶり姫がガ
ラスの靴を履いたというのは、穿鑿しすぎるとガラスの誕生秘話にも思えてきます。古代
エジプトのファイアンスは、釉薬からガラスが誕生する前身ともみなせます。
大地こそ母なることは、旧約聖書からも識ることができるようです。灰の組成を調べ、
土について検索していると、旧約聖書の創世記の一節がヒットしました。ヘブライ語、ギ
リシア語訳(七十人訳聖書 Septuaginta LXX)、英訳と単語集とが示されている、完璧な
ウェ ブ サイ ト でし た 。(かつて、 近所の図書 館に、新約 聖書を読むための、ギリシア語「コイネー」
の自習 書が あっ て不 思議に 思い まし たが、 すぐ 近くに ある修道院 のシスタ ーが勉強し ていたから でしょ
う。宗 教関 係者 は古 典語の 専門 家の ようで す 。) 聖 典 関係 の 多 く は 、 す で にウ ェ ブサ イ トで 読 む
ことができます。
創世 記 3:19「 汝は 面に汗 して 食物 を食ひ 終に 土に 歸らん 其は 其中 より汝 は取れたれ ば
かえ
なり汝は塵 *40 な れば塵に皈る べきなりと(日本聖書協会 1953)」(口語訳「あなたは顔
に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ち
りだから、ちりに帰る。」日本聖書協会 1955)
ここでは、すべての生物同様に、人間が土(灰)から生まれて灰となって土へ帰る、と
いう考えが述べられています。灰は聖なるものなのです。また、ギリシア神話では、ゼウ
スとペルセポネーの子、ザグレウス(ディオニューソス)を食べたティターン(巨人族)
い かずち
を怒ってゼウスが雷霆で焼き殺し、その灰から人間が生まれた、ともあります。
10. ガラスの出現
紀元前一万年に遡る農耕の起源に較べて、ガラスの誕生は遙かに新しいものです。農耕
とともに、人々はさまざまな鉱物を見分け、産地を発見し、その加工技術を懸命に発達さ
せ、狩猟や農耕の道具から日常生活のための器具、医薬や信仰の領域までも最大限に利用
しました。真っ先に、石を制したものが豊穣と繁栄を得たからに他ならないでしょう。
古代の書物、地誌や辞典には、石(および金属)についての情報が溢れています(例え
ば、古代ギリシアのテオプラストス BC371 頃-287 頃の『石について』や、古代ローマの
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- 17/25 せん がいきよう
プリニウス AD23-79『博物誌』のほか 、いずれも古代中国の記録である、地誌の『山 海 経』、
じ
が
せつもんかいじ
ほんぞうがく
辞 書 で は 『 爾 雅 ( 釈 地 )』、 許 慎 『 説 文 解 字 』 な ど 、 そ れ に 本 草 学 の 古 典 が 挙 げ ら れ る で
しょう。もちろん、やがて石器が金属器に取って代わられても、玉器として祭祀、政治や
美術工芸などの分野で発展しました。
農耕の起源に纏わる太古の神話とみなせる原シンデレラ神話が、ガラスや金を語ったと
したなら時代錯誤に違いありません。鉱物で、しかも水晶であれば、金の利用やガラス誕
生の遙か以前から、否農耕以前から使用されていたことを遺物が証明しています 。さらに、
近代的な水晶製と思われるレンズは、古代ギリシアのアリストパネースの喜劇『雲 』BC423
でも描かれています。アッシリアのクユンジクにある宮殿跡 BC7c からも、水晶のレンズ
が発掘されたといいます。考古学の遺物や記録から、人類が最初に利用した前ガラス物質
は、加工が可能な水晶(モース硬度 7)であったことは疑いありません。
地下の産物であり、その凝縮した精、大地の元素として魔力を帯びた水晶が、植物霊で
あるシンデレラに地下下降の力を授けたという空想が、のちにガラスの靴に変化したと考
えても、否定はできないでしょう。透明なガラスは、その起源から水晶(クリスタル)と
も呼ばれていたのです。逆に、水晶がガラス ὕαλος と呼ばれた場合もありました*41。ガ
ラスか水晶か、判断の根拠が曖昧であったはずです。まして、神話や昔話の世界では、地
下世界に通じる不思議な「透明性」に最大の価値があり、ユング等が示したように数多く
の昔話には、現実にはありえない「ガラスの○○」が溢れています。ガラスの山、ガラス
の橋、ガラスの家、そして、ガラスの靴です。
さて、
『白雪姫』でもガラスが登場します。この話にもバリエーションが幾つもあって、
さまざまな形で伝承されてきたことが分かります。インドにまで類話があるとすると、シ
ンデレラ同様に、印欧祖語の話者に遡るのかも知れませんが、全体的に新しいモチーフが
多いものです。特徴的な「鏡」に注目すると、ガラス製は 14 世紀のヴェネツィアが発祥
です 。「鏡 」 は 『 白 雪 姫 』 の ギ リシ ア 版 で は 太 陽、 ア ルメ ニ ア版 で は月 で 、よ り 古い 伝 承
でしょう。敢えて、よく知られたグリム版に拠って古代的要素を探して見ます。もしも、
七人 の 小 人 ( よ り 人 数 の 多い 盗 賊 が 一 般 的 で す) が 、「太 陽 =金 、 月= 銀 、水 星 =水 銀 、
金星=銅、火星=鉄、木星=錫、土星=鉛」の七大惑星を意味するのなら、中心となる白
雪姫 は 地 球 と い う よ り も 平ら な 大 地 、 地 下 世 界で す (別 の 解釈 も あり ま す )。 白 雪姫 の 特
徴を表した、二度も現れる白い雪、赤い血、黒檀という「白赤黒」の暗号について、もし
おき
も 、「 白い も の 前 の 姿 が 真 っ 赤 な燠 で あ り 、 も とも と 黒い 炭 であ っ た」 と 読み 解 くな ら 、
白が灰 の色 であ ると分 かり ます (イタリア には"Snow-White-Fire-Red"さん の話があり ま
す )。 白雪 姫 も 次第 に シン デ レラ ( 灰か ぶ り) と 区別 し にく く なり ま す。 ま た、 7 人 の 仙
女に養われるいばら姫(=眠れる森の美女)もいます。
白雪姫ほかのグリム童話にもある「ガラスの棺」は、古代ローマ時代の歴史書に記述が
あり、若くして亡くなったアレクサンドロス大王が納められたものも記述されています(ア
イ リ ア ノ ス 『 ギ リ シ ア 綺 談 集 』 *42)。 こ れ が 真 の ガ ラ ス で あ る と は 考 え ら れ ま せ ん が 、
ディオドロスの『神代地誌』*43 にも、エチオピアにおける死者をガラス中に収める風習
が記述されています。一方、ストラボンはエチオピアの「ガラスの棺」を石でできたもの
としていて、アラバスター類のようです。
舎利容器がガラスで作られてきた事実もまた、ガラスに一つの神秘的な力があるとみな
されてきたことを窺わせます。例えば、聖徳太子の伝記である『上宮聖徳法王帝説』の裏
書 き に よ れ ば 、 太 子 の 死 後 、「 青 玉 玉 瓶 ( = 青 瑠 璃 瓶 )」 の 舎 利 容 器 に 納 め ら れ て 、 仏 塔
心柱下に据えられた、と読めます。これもきっと地下世界の表現であり、恰もガラス瓶の
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- 18/25 なかでは、外界とは異なった時間が流れるかのようです。グリム童話の『ガラスの棺』で
も、石のなかが広大な世界で、ガラスの棺に美しい少女が横たわっていますが、死んでい
きんるぎよくい
るのではないのです。古代中国の金縷玉衣の思想も、玉器の呪術性に由来するものでしょ
う。ガラスや鉱物のなかは現実とは異なった時空と考えられていたのです。そう、瓶詰め
は食品の保存にとても適していますね。
11. 社会とその守護神の転換
農耕技術の発展によって食糧増産がかなうと、人口が増加したでしょう。餌が足りると
野生動物の個体数が増えるのと同じはずです。そのため、農耕従事者を大幅に増やさなく
てよく、やがて農耕以外の技術作業に従事する専門家を社会が養えるようになり、この専
門家集団が生み出す道具の発達や学習して得た知識がさらなる食糧増産を促す、という循
環が起こったに違いありません。この結果、農耕従事者の増加を、非農業専従者である専
門家集団の増加が上回る結果になったでしょう 。農耕技術の発展を、骨角器、石器、土器、
青銅器、鉄器製作などの高度な専門技術者集団が支えるだけでなく、新たにさまざまな必
需品が生み出され、勢力で逆転する結果になるのです。これに平行して自家消費ではなく
なり、商業が発達し、勢力拡大のために衝突が生じると、戦闘さえ起こります。社会とは
構成する人々が支え合う組織であるのに、こうした奪い合う組織へと変質すれば、人々は
安住できず、破滅への道に追い込まれるでしょう。
このような原始~古代の人類文明の発展は、社会における農耕の地位を相対的に低下さ
せてゆく結果となります 。これは脱自然の芽生えです 。社会の存続を食糧が支えるものの、
ついには軍人や商人らが牛耳る体制へと変化したはずです。この社会変化につれて、豊穣
を齎す大地母神の地位が脅かされる状況になります。大地や自然に依存する人々から、人
間が思考によって生み出す人工的な産物、あるいは組織に携わる人々に社会の重点が移動
し、農耕神である大地母神は重要性を失っていったはずです。自然と調和して生活し、自
然のなかにさまざまな神を認めた多神教から、やがて自然を搾取の対象に転じて、社会が
一者に権力を集中させる方向に変化するなら、超越的な一神教こそ都合がよかったのでし
ょう。
これが大局的に見た、社会変化に対応して大地母神の立場が失われた現象であると思え
ます。こうした状況変化を、先祖が大地母神であったシンデレラもまた被ったのです。
12. 円環思想から直線思想へ
キリスト教のマリア信仰には、大地母神との関係が根底にあることは、学者らによって
指摘されてきました 。聖母は神性を奪われ、大地母神と植物霊の立ち位置が逆転しました。
これは、農耕社会から、金銭や武力を重視する商人や軍人らが支配する社会へと、変化し
たことと対応しているでしょう。自然法則に基づく科学や技術とは異なり、対人を場とす
る世界には、欺瞞が満ちています。商人や軍人らが貨幣の山や死者・貧者の山を築くのは、
反生命的現象でしかありません。自然との調和、生命の尊重とは正反対の行為です。人間
以外の生物は、自らが生き存えるに足りるだけのものを自然から得るだけです。
いい換えれば、植物にせよ動物にせよ人間にせよ、命あるものにより深く関わる(大地
母神が支配する)女性的な農耕・畜産・狩猟社会から、相対する男性支配の社会へ転換し
た、と考えられます。社会自体、助け合いの輪であるはずなのに、いたるところで輪が切
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- 19/25 れて、奪い合いの直線へと解体してしまいました。これが、生命に基づき、再生過程を含
んだ「円環的」な感性的原理から、物質に基づき、再生過程を欠いた「直線的」な理知的
原理への転換であり、自然という人類の存在基盤の破壊(例えば、温暖化)を引き起こし
たため、すでに人類の存続を危ぶむ学者らもいます。
物質文明は、長く熱源(エネルギー )に支えられてきました。歴史的にみて、薪、石炭 、
石油や電力(火力発電など)は産業の基盤にあり、陶器、金属、ガラスなど、多くの人工
材料が熱処理によって生み出されたために、すでに紀元前から、森が消え始めて砂漠が広
がり出した、といわれています。現在、電力のほとんどが産業・運輸部門などで消費され
て お り 、 直 接 に 家 庭 で 消 費 さ れ る 割 合 は 15%未 満 で す ( 2011 年 度 の 資 源 エ ネ ル ギ ー 庁
のデ ー タ に よ る )。 か つ て 、 自 然を 破 壊 す る ダ ム建 設 でさ え 民衆 の ため で はな い 、と 批 判
した偉人がいました。地球の貴重な資源が、再生過程のない直線工程で消費されるなら、
取り尽くせば終了です。原子の熱は未だ人類が制御できるものとは思えず、あらゆる発電
所は有事の際に一番の標的となります。WWII では、ダム攻撃に特化した爆撃機がありま
した。熱源を停止させるのが、あらゆる生産活動や戦闘行動を停止させて、敵の戦力を無
力化する最善の策だからです。やがて、ミサイルさえも不要で、サイバー攻撃や練度の低
い作業員によって、発電所(原子力)や大型兵器が自爆するかも知れません。
具体例を挙げれば 、WWII 末期のヨーロッパでは、ナチスドイツが死守する最後の熱源、
ルーマニアのプロエスティ油田を、連合軍が多大な犠牲を払いながらも破壊しました。撃
墜されたアメリカ軍の重爆撃機は驚くほど多く、白雪姫の B-24 も、もはや機首の絵を書
き換えて作戦に参加したものの、プロエスティ上空で撃墜された、とあります。ソ連軍の
旧式重爆撃機 TB-3 を航空母機にした特攻攻撃が功を奏した 、という記述も見つかります。
戦争は資源のもっとも激しい浪費であり、大規模な生命や環境や資源などの破壊でもあり、
消えることがない憎しみが残るだけ、といえるでしょう。戦争は原則的に無差別の皆殺し
で、紀元前には、カルタゴの石畳の道は虐殺された市民の血が川のように流れたといわれ、
17 世紀前半の三十年戦争では、ドイツの人口が 4 割にまで減少しました。現代でも、沖
縄 や 、 広 島 、 長 崎 を 初 めと し て 、 多 く の 都 市 で 一般 市 民 が 大 勢 犠 牲 に なっ て い ま す *44。
ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』で、戦争はルールに従っているので「あそび」の一つ
と記 し た の は 、 象 牙 の 塔 のな か の 話 で し ょ う 。(で も 、学 者 なの で 日本 語 の「 機 械の あ そ
び=嵌合部のゆとりなど」にも言及しています 。)
ハリソンは、
「何人も己れ一人生きず No man liveth to himself.」の一節を挙げ(p.99)、
変 わ る こ と の な い 社 会 の法 ・ 掟 で あ る こ と を 示 して い ま す *45。 社 会は 輪 で 成 り 立 っ て い
たの で す 。 シ ン デ レ ラ の 継母 や 継 姉 妹 は 、 新 しく 台 頭し た 「直 線 的( = 奪い 合 い )」 文 化
を意味している、と考えられます。相対する古い円環思想=「死と再生」を背負ったシン
デレラは、このために迫害を受けたのです。
「円周のうえでは、始まりと終わりとが同じである」*46 というのは、ヘーラクレイト
ス BC535 頃-485 頃の言葉でした。ただし、太古では終わりと始まりは隣接していて、そ
の節目がディテュランボスのように区別されていました。無限に続くことがない直線(線
分)の先に見えるのは「終わり」だけであるのに対し、円は人々に終わりのない夢や希望
を与えてきたはずです。そこから、さらに輪廻や転生(リインカルネーション)という考
えも生じたのでしょう。
物質を自由に操ることができるようになった人類は、急速な改革・進歩を目指す点で、
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- 20/25 多くの生物とは異なっています。枯渇すれば生産活動が不可能になる資源の保存・再生の
ために、さまざまな活動が行われるようになっていますが、工場では、直ぐごみになる不
要品ばかりが量産されているように思えます。目先の利益だけを追求する人々が企業のト
ップになれば、顧客が餌食になり、やがて企業の存続さえも危うくなります。
ここで問題になるのが 、「エコノミー economy」と「エコロジー ecology」です。とも
にギ リ シア 語 「家 οἶκος ( オイ コ ス )」 を ルー ツ にし た 合成 語 で、 エ コノ ミ ーで は 「法 律
νόμος 」が伴っていて、直訳すれば「家政」でしょうが、本来は「経済」よりも人助けを
重視した「経世済民」に近い意味だったようです。いつしか、人民が見捨てられ、資本だ
けの 世 界観 に 堕落 し てし ま いま し た。 一 方の エ コロ ジ ーは 、 19 世 紀ド イツ の、偉 大で は
あるものの絵が上手く、自説(個体発生は系統発生を繰り返す)の証拠にあらぬものを描
いてしまった、といわれる生物学者ヘッケル E. Haeckel の造語「エコロギー Ökologie」
に 由 来 し 、 付 加 さ れ た 「 ロ ゴ ス λόγος 」 は 理 性 や 言 葉 を 意 味 す る の で 、 し た が っ て 「 生
態 学 」 を 指 し ま し た 。 こ れ ら の 概 念 に よ っ て 、「 経 済 活 動 ( あ る い は 、 軍 事 )」 と 「 自 然
との共存・保護」との対立、すなわち直線性と円環性との二律背反を人類文明が抱えてい
ることが、イメージで理解できるようになるのです。
人間ひとりひとりは、円環性を上手く成り立たせ 、世代を受け継いできました。しかし、
今では個人も、かつては人々が助け合う輪であった社会も、方向を見失って迷走している
かのようです。人々が愚かにも非人間的・非生命的なものに支配されているからです。人
々はマスメディアを利用した利益誘導のための暗示に掛かり、容易に大衆操作される危険
な状態にあるでしょう。大衆操作術は古代ギリシアですでに完成されていて、とりわけ戦
争すべきか回避すべきか、といった亡国の危機で威力を発揮し、為政者は思いの儘に人民
を操 る こ と が で き る の で す 。「 核」 を 手 に し た 、ホ モ ・サ ピ エン ス とは 名 ばか り の人 類 こ
そ、もはや「絶滅危惧種」に違いありません 。
(今では、ホモ・ストゥルトゥス homo stultus
愚人という呼び方が急速に拡がっているようです。)
おわりに
ち りば
い く つ か の昔 話 で は 、 鏤 め ら れ た モ チ ーフ の 意 味 を 知 る と 、 そ の向 こ う に あ る 神 話 が
浮かび上がります。原型である神話は、歴史でもたんなる物語でもなく、この世界の理論
的な解釈であり、太古の最新技術伝承の基盤でもあったのです。もっとも目立つのは、普
いじ
通名詞を弄っただけの主人公(すなわち神々)の名前です。シンデレラとは死と再生の灰
姫、否!灰女神であり、かぐや姫は光り輝く不死の月女神でした。本来、どちらも月に還
ったり再生のために大地・冥界に下降したりする、太古のイシュタル、イナンナ、アスタ
ルテーやデーメーテールなどの神話の、原初の意味の多くを失った断片であると考えられ
ます。
デーメーテールとは、食糧生産に関係した神話であり、すべての農耕民族で共通の、も
っとも重要な神話であったはずです。シンデレラ物語や類話が古くから世界中に拡散して
いるのは、太古に、唯一つの原点があることを意味しています。無文字であるために、そ
の物語のみが伝播することはなく、それを語る人々が移住していったのです。しかも、人
々が慰みの物語を伝えるのではなく、それに纏わる行為、すなわち本来の農耕作業ほかの
実作業に付随して、なくてはならない神事・儀式とともに伝えられ、やがて移住地の自然
環境に応じた作物の多様性、いい換えると農作業、家畜の飼育、狩猟、漁業などの多様化
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- 21/25 に対応して物語(神話)が変化していった、と想像できます。
これから将来も、多様化した人類文化の起源が一つである証となるシンデレラ物語、と
いうよりもシンデレラ神話が語り継がれ、その真の姿を微かながらも仄めかして、人類愛
の光でガラスの靴が耀いていて欲しいものですね。
ノート
技術屋なので外国語にはあまり縁がありませんが、できるだけ原文を探し出しました。
採りあげた資料の多くがウェッブサイトで公開されています。
※
本テーマに即した「月と大地」を詠んだ古代の歌を、私訳で示しました。伝説の女流
詩人サッポーの傑作として名高い作品で、優れた学者による格調高い日本語訳(呉茂一訳、
北嶋美雪訳)があります 。ここではシンデレラ風の 、親しみやすい口語調を心がけました。
とは い え 、「 古 典 ギ リ シ ア 語 」 であ る 後 世 の ア ッテ ィ カ方 言 では な く、 ま た後 半 部分 に 欠
損もあるので、近年の学者の解釈に遵いました。原文はウェッブサイト上で見つかります。
(使用フォントによっては、曲アクセント下の気息記号が逆向きに見える場合があります
が、拡大表示すれば正常です 。)
※ 1
兄 ・ 言 語 学 者 ヤ ー コ プ 1785-1863、 弟 ( 兄 と 共 に 司 書 官 兼 教 授 ) ヴ ィ ル ヘ ル ム
1786-1859(6人兄妹で、末弟のルートヴィヒは版画家です )。グリムの辞典 Deutsches
Wörterbuch von Jacob Grimm und Wilhelm Grimm はドイツ語最大のものです(ただし 、
膨大 か つ ギ リ シ ア 語 や 古 語だ ら け で 、 難 解 す ぎま す )。兄 は 、比 較 言語 学 で、 ゲ ルマ ン 祖
語の形成時に生じた子音変化についての「グリムの法則」提唱の業績を残しました。グリ
ム自身 、民 話の なかに はゲルマ ン神話(urdeutscher Mythus)が存在して いる、と述 べ
ています。(Kinder- und Hausmärchen, Zweiter Band, Berlin 1815, vii-viii.)
※2
フランス語 f. cendre の語源はラテン語の m. cinis(単数対格 cinerem)「遺灰」で
あり、英語の cinder は、本来 sinder「鉱滓」であったのがフランス語の影響で s が c に
変化し、このためにフランス語から「灰」の意味を取り入れた、とあります。かつて、イ
ギリスの支配者は長くフランス人で、後にチョーサー 1343 頃-1400 らが英語を復活させ
たと い い ま す 。 主 人 公 の 「名 前 の 意 味 」 を 正 しく 伝 える 必 要が あ る昔 話 とし て は 、「 シ ン
デレラ」ではルール違反で、「灰かぶり」の方が正確です。
※3
ゴドフロワ『古フランス語辞典』:Frédéric Godefroy, Dictionnaire de l'Ancienne
langue française et de tous ses dialectes du IXe au XVe siècle, Paris 1881.
※4
Max Müller ed., Sacred Books of the East, vol.17 'Vinaya Texts' II, Mahâvagga,
Fifth Khandhaka Chap.8. 3 (p.23), Oxford University Press 1882. 『國譯大藏經』論部
第十四巻、皮革篇第五、八の三(p.233)、國民文庫刊行會 1920。
※5
Alok Kumar Kanungo, Glass Beads in Ancient India and Furnace-Wound Beads
at Purdalpur: An Ethnoarchaeological Approach, Asian Perspectives, Vol.43, No.1,
University of Hawai ʿ i Press 2004, pp.123-150. (i の後ろは倒立したアポストロフィ=
「オキナ」です 。)
※6
Marian Roalfe Cox 1860-1916, Cinderella: Three Hundred and Forty-Five
Variants of Cinderella, Catskin and, Cap O' Rushes ..., London 1893. 永く稀覯書で、研
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- 22/25 究者を困らせていたようです。いまや素人にも1冊丸ごと DL できますが、SurLaLune サ
イトの方が便利です。近年に伝わるシンデレラの類話(怖い話ばかりです)が、予想外に
参考になり、類話も数多く収集すると、姿を変えた核心部分があちこちに読み取れます。
※ 7
ア ラ ン ・ ダ ン ダ ス 編 、 池 上 嘉 彦 ほ か 訳 『 シ ン デレ ラ 』 紀 伊 國 屋 書 店 1991。( Alan
Dundes ed., Cinderella: A Casebook, New York 1983.) さらに、コックスとダンダスの
あいだに Anna Brigitta Rooth, The Cinderella Cycle, Lund 1951 がさらに膨大な数の類
話を扱っていますが、コックスだけで十分すぎるので未見です。
※ 8
『南方熊楠全集
第二巻』平凡社 1971、pp.121-135。初出は「東京人類學雜誌」
(後に「人類學雜誌 」)第三百號 pp.215-227、明治 44 = 1911(ウェブサイトにある雑
誌版は旧字体で漢字も多く読みづらいので、全集版を示しました)。論文には、23 年前の
渡米中(19 世紀)にその伝承を発見したとあります 。「シンダレラ」【sìndərélə】とは、
さすがに発音が正確です。
※9
段成式撰、今村与志雄訳注『酉陽雑俎 4』平凡社 1981(東洋文庫 401)、pp.37-41。
南方熊楠の論文中にも原文がありますが、漢籍を網羅した欽定四庫全書サイト子部にもデ
ジタル化された原文があります。訳者は葉限に関して、以下の説を示しています。中国の
古典 学 者・ 翻 訳家 の 楊憲 益 『零 墨 新箋 』香 港 1983(初版 、上 海 1947) ,
pp.77-79 所
収の論文「中國的掃灰娘故事 」では、主人公の名はドイツ語 Asche、サンスクリット語 Asan
など の 「 灰 」 を 意 味 す る 印欧 語 と 同 根 で あ る 、と 考 えら れ てい ま す 。( 楊 憲益 は オッ ク ス
フォード大学に留学し、夫人も英国人ですが、論文には欧文に誤植があって気の毒です。)
※ 10 Consiglieri Pedroso, Portuguese Folk-Tales, Folk Lore Society, London 1882.
"24. The Maiden and the Fish. " これも SurLaLune サイトにあります。
※ 11
人名でなく綽名です。ギリシア語の中性名詞 ῥόδον (rhódon)が英語 'rose' の語
源とされ、したがって「薔薇色の顔、頬」とあり、若くて美しかったのでしょうが、灰と
は無縁です。
※ 12
ヘーロドトス『歴史 』、Herodotus, Historiae 2.134.
Geographica 17.1.33.
※ 13
ストラボン『地理』、Strabo,
アイリアノス『ギリシア綺談集』、Aelianus, Valia Historia 13.33.
内山勝利編集『ソクラテス以前哲学者断片集
別冊』、岩波書店 1998、pp.34-64
「 ヘ ラ ク レ イ ト ス 」。 例 え ば 、「 静 」 と は 何 も 作 用 し て い な い 状 態 で は な く て 、 二 つ の 相
反する力が釣り合っている状態である、とする見方です。H. Diels, Die Fragmente der
Vorsokratiker, Griechsch und Deutsch, Berlin 1906. ウェッブサイトにあります。
※ 14
C. G.ユング、林道義訳『元型論』紀伊國屋書店 1982。
※ 15
Gaston Bachelard, LA TERRE et les RÊVERIES de la VOLONTÉE, José Corti,
Paris 1947.
Chap.IX. Le métallisme et le mineralisme. Chap.X. Les cristaux. La
rêverie cristalline. ガストン・バシュラール、及川馥訳『大地と意志の夢想』思潮社 1972、
p.284。(原書 p.288)
※ 16
Gaston Bachelard, La Terre et les rêveries du repos, José Corti 1946.
ガスト
ン・バシュラール、饗庭孝男訳『大地と休息の夢想』思想社 1970。
※ 17
George Sand, Laura, ou Voyage dans le cristal, Paris 1865.
邦訳が見つかりま
せんが、英訳書が流布しているようです。ジュール・ベルヌが『地底探検』を書く契機に
なった作品とされ、鉱物の知識が必要な、まさしく男装の麗人の手に成るもののようです。
※ 18
Seneca, Naturales Quaestiones, III.25.12. 'Unde autem fiat eiusmodi lapis,
apud Graecos ex ipso nomine apparet; κρύσταλλον enim appellant aeque hunc
perlucidum lapidem quam illam glaciem ex qua fieri lapis creditur. ' 訳文は、『セネカ
哲学全集 3』土屋睦廣訳、岩波書店 2005、pp.116-117 にあります。
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- 23/25 ※ 19
Aulus Gellius, Noctes Atticae, XIX. 5. 5-6. 『アッティカの夜』は原典以外にも、
英仏独訳が見つかります。現在刊行中の西洋古典叢書(京都大学学術出版会)に含まれる
予定です。
※ 20
Victor Hugo, L'homme qui rit, Paris 1869.'Il est prouvé que le cristal est de la
glace sublimée et que le diamant est du cristal sublimé; il est avéré que la glace
devient cristal en mille ans, et que le cristal devient diamant en mille siècles. '
晃一郎譯『笑ふ人』(『ユーゴー全集
※ 21
宮原
第四卷』ユーゴー全集刊行會 1920、p.376。)
Lamarck, Recherches sur les causes des principaux faits physiques..., Paris
1794, II. p.369.
'La terre qui fait partie de la substance d'un être vivant ou d'un être
organique mort depuis peu, est alors parfaitement masquée par les autres principes
qui se trouvent combinés avec elle dans de grandes proportions. Elle est alors la plus
éloignée possible de l'état vitreux, qui est son état naturel, son état de pureté ; en un
mot, l'état où elle jouit entièrement de ses propriétés, qui sont la solidité, la fixité,
l'infusibilité et le défaut complet d'odeur, de saveur, d'opacité et de couleur.'
(http://www.lamarck.cnrs.fr/index.php?lang=en より 。)
※ 22
深田甫訳『ホフマン全集 4-1』創土社 1982。岩波文庫の『ホフマン短篇集』にも
収められています。E. T. A. Hoffmann, Die Bergwerke zu Falun には、青年の遺体は、'der
versteinert schien'とあります。遺体は Vitriolwasser の水底に見つかった、というのです
が、Vitriol とは硫酸塩のことで、硫酸銅や硫酸鉄を指します。坑道には殺菌効果のある硫
酸銅が産出するのでしょうか 。今日、スウェーデンの世界遺産「ファールンの大銅山地域」
となっていますが、金ルビーガラスを開発した 17 世紀のドイツ人ガラス技術者クンケル
も、国王から男爵に叙されて関わる予定の鉱山でした。小説からは、鉱山の知られない魅
力(坑夫たちの役得)が、そこかしこに見つかる宝石類と知れます。
※ 23 マックス・リューティ著・野村泫訳『昔話の本質と解釈』福音館書店 1996(2 冊
の訳書を合冊にしたもの )。第二部『昔話の解釈』の原典は、以下の通りです。Max Lüthi, So
leben sie noch heute. Betrachtungen zum Volksmärchen, Göttingen 1969. 1976 年版
がウェブサイトで読めますが、訳書と 1976 版では章立てが異なっています。1969 版は
未確認です。p.28, 'Es liebt alles Metallische und Minaralische, denn es strebt zum
Festen, Bestimmten, zum Unvergänglichen, Unverweslichen. Es mi n er a l i sie r t und
me t a l li sie r t auch Lebendinges: '
※ 24
W.メッツガー、大智浩・金沢養訳『視覚の法則』白揚社 1962。
※ 25
よいゲシュタルトの法則と合わせて 、「想い出は、皆美しくなる!(^_^)」の法則
である、といえるでしょう。
※ 26
Mircea Eliade, Traité d'histoire des religions, Paris 1949. 訳書は、第一~三巻の
分冊になっています。引用書は、堀一郎監修『エリアーデ著作集
第二巻
豊穣と再生』
せりか書房 1981 です。
※ 27
N. ネフスキー著・岡正雄編『月と不死』平凡社 1971(および東洋文庫 185)。初
出 誌 は 『 民 族 』 1928、 第 三 巻 二 号 、 四 号 、 と あ り ま す 。 著 者 は ソ 連 帰 国 後 に 国 家 反 逆 罪
で日本人の夫人とともに処刑された、とあります。独裁者スターリンによって優れた学者
や技術者、軍人、芸術家等が 70 万人(数百万人ともあります)も処刑されています。突
如、不可侵条約を反古にして侵略してきた、ナチスドイツによるソ連人の犠牲者の数は数
千万人といわれます 。狂気の独裁者は 、どこにでも出現し、戦争にはルールがありません。
※ 28(新訂増補)国史大系 26『延喜式』黒板勝美編輯、国史大系編修会編輯、吉川弘文
館 1965、p.518( 大 學寮 、 陳設 )。 大炊 寮 取明 火 於陽 燧 。 以供 爨 。 主水 司取 明水於 陰鑒 。
水精玉,以供實樽罍 。 ただ し、こ こで 水晶 玉と記 した 注釈は「陽 燧」に当て嵌 まるもので 、
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- 24/25 「鑒」は鑑=金属鏡を意味します。
※ 29
K. ケレーニイ、C. G. ユング、杉浦忠雄訳『神話学入門』晶文社 1975(原書初
版 Zürich 1951)。ところで、本書でも、生命と炭素、曼荼羅の図像との関係が述べられ
ていて、ラマルク同様に生物の究極の姿がダイヤモンドですが、これが(生物を構成する)4
配位元素である炭素の結晶であることが、造化の「自然の戯れ Lusus Naturae」とありま
す。ユングは、曼荼羅を精神病患者らが描くことがあり、円と正方形が調和した世界の根
底のイメージ(元型)と捉えており、水晶、金、ルビー、エメラルドで表されるとありま
す。参考:C. G. Jung, Mandala Symbolism, Princeton University Press, Bollingen
Series (paperback), 1972.
※ 30
集
石田英一 郎『桃太郎 の母』講談 社 1984(講 談社学術文 庫 664)。『 石田英一郎 全
第六巻』筑摩書房 1971。文庫本では巻頭にネフスキーの業績を紹介した「月と不死」
があります。初出は、法政大学出版局 1956 です。
※ 31
靴は、フロイト心理学や、ベッテルハイム著『昔話の魔力』、その他のシンボリズ
ム研究では女性生殖器を意味すると解釈されていました。
※ 32
Barbara G. Walker 1930-, The Woman's Encyclopedia of Myth and Secret, San
Francisco 1983, p.168.
訳書は、山下圭一郎ほか訳、大修館書店 1988、pp.138-139 ’
Cinderella ’。
※ 33 ジョゼフ・キャンベル、山下圭一郎訳(代表)
『神話のイメージ』大修館書店 1991
は図版中心であり、第 5 章「供犠」では恐怖を堪能できます。
※ 34 佐々木理訳、筑摩書房 1964(筑摩叢書 31)。原書の Jane Ellen Harrison, Ancient
Art and Ritual, Oxford Unversity Press, London, New York, Tront, 1st. 1913
(rev.1919...1948) がウェッブサイトにあります 。ギリシア悲劇や芸術の起源については、
ワーグナーに心酔していた若きギリシア文献学者ニーチェの『悲劇の誕生』や、新カント
派のカッシーラー『神話
象徴形式の哲学
第二巻』1925(生松敬三他訳、竹内書店 1972、
他に岩波文庫版があります)なども説明しています。古代ギリシアでは劇場が神殿の前に
作られ、日本では神楽殿が神社の境内にあり、いずれも神話劇が奉納される場でした。芸
術の本質は、その起源が示しているのです。カッシーラーには、ハリソン同様に、芸術の
起源が呪術的世界観に由来し、その原初は魔術的目的であったことが示されています。
※ 35
柳沼重剛訳『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』岩波文庫 1996 があ
ります。膨大な『モラリア』に収められた作品です。Plutarcho, De Iside et Osiride.
( Πλούταρχος, Περὶ Ἴσιδος καὶ Ὀσίριδος. )XLI, pp.367D-E、41 訳書「オシリスと
月」に、月の光と動植物の繁殖・発芽との関係が示されています。また、本書では、女神
イシ ス の 語 源 が 「 急 ぐ 」 と「 運 ぶ 」 の 合 成 で あり 、 夫の オ シリ ス とは 「 敬虔 な (天 上 )」
と「 神 聖 な ( 地 下 )」 の 合 成 で あり 、 天 上 と 地 下の 両 者に 通 じる 名 で、 天 上に 居 たり 地 下
に居たりするためである、と説明されています(60 と 61、375B-E)。これはギリシア人
による意味を穿った解釈とみなすべきもののようです。なお、この賢人プルータルコスの
『対比列伝』中の一篇に、古代ローマの民衆が賢帝を追放した挙げ句、独裁者に支配され
た記録があります。民主主義であれ知恵のない人々に導かれると悲劇に到ります。
※ 36 竹山博英訳、せりか書房 1992。原書は Carlo Ginzburg, Storia notturna: Una
decifrazione del sabba, Torino G. Einaudi 1989 です。シンデレラと冥界の関係は、訳書
p.394 および p.453-4(原注 124 はウーゼナーとフロイトを引いています )にあります。
※ 37
オルシャル(オールシャル)Johann Christian Orschall(17 世紀・生没年不詳)
『衣なき太陽(裸の太陽=金 )』J. C. O., Sol Sine Veste, oder Dreyßig Experimenta dem
Gold seinen Purpur außzuziehen, Augspurg 1684. 引用箇所は、'... der Phœnix ...
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- 25/25 nachdem er eine Menge allerhand Gewürz zusammen tragen, sich daraufsezet, von
der Sonnen anzündet, und also sich selbst verbrennet.' これに先だって、' ... so erzu
Aschen gebrennet, widerum revivisciret, und aus dessen Aschen vil 1000. Junge
hervorkommen.' (頁番号なし)とあります。ここでは、化学技術者である著者は、金を
不死鳥に見立て 、分解ができれば大量に増やせる、という錬金術思想を述べています 。
(原
文が古めかしいのは当然ですが、ドルバック男爵 Baron
d'Holbach による、ずっと読み
やすいフランス語訳があります。trad. de l'allemand, par M. D. ***, Art de la verrerie
de Neri, Merret et Kunckel : auquel on a ajouté Le Sol sine veste d'Orschall ; Paris
1752.
) 不死 鳥 につ い ては 、 東洋 の 鳳凰 と の関 係 が類 推 され て おり 、 また 、 その 赤い 色
から名付けられたという説があり、手塚治虫の大作漫画と同じく「火の鳥」という解釈が
妥当でしょう。
※ 38
W. E. S. Turner, Study in Ancient Glasses and Glassmaking Processes. Part V.
Raw Materials and Melting Processes, Journal of the Society of Glass Technology,
1956
vol.40,
pp.277T-300T.(p.289T 第 IX 表 か ら 抽 出 し ま し た 。 )も と の 資 料 は 、
(Edward) Thorpe, Dictionary of Applied Chemistry, 1937, Vol.I, pp.508-9 と記されて
います(1921 年版がウェブサイトにあり、p.308 以下に灰の分析値があります。)
※ 39
デカルトは、地動説迫害を恐れて著者を明かさず発表した『方法序説』初版 1637
のなかで、激しい火だけで灰がガラスに変わる作用に驚嘆し、それを説明するのにいかに
熱中したか、と記しています。'... Et enfin, comment de ces cendres par la seule
violence de son action, il forme du verre: Car cette transmutation de cendres en
verre, me semblant estre aussi admirable qu'aucune autre qui se fasse en la Nature,
ie(=je) pris particulierement plaisir à la descrire.' (Descartes, Discours de la
méthode, 1668 年版より 。)デカルトは『哲学原理』1644 でガラスについて、より詳細
に科学的に解説しています。そしてまもなく、ニュートンを初めとする多くの学者が、ガ
ラス(望遠 鏡・顕微鏡 ・プリズム や化学器具、温度計など)で科学を築き始めました。J.
J. ルソー 1712-78 もまた 、『化学教程』のなかでガラスについて教示しています。
ָ 「 塵 、 乾 い た 土 」 / 七 十 人 訳 : γῆ。 ヘ ブ ラ イ 語 で は 男 性 名 詞 で あ
※ 40 原 文 : ‫עפָר‬
るのに、ギリシア語では女性で、「天に対する地、海に対する陸」とあります。
※ 41
エチエンヌ『ギリシア語宝典』。Henrico Stephano, Thesaurus Linguae Graecae,
1st. 1572, repr. Graz 1954.' ὕαλος 'の項。
※ 42
※ 43
前出, Lib. XIII, Chap. 3.
飯 尾 都 人 訳 『 デ ィ オ ド ロ ス 神 代 地 誌 』 龍 渓 出 版 1999。 Diodorus
Siculus,
Bibliotheca Historia, Lib. II, 5.1-5.
※ 44
戦争 別 犠牲 者 数の グ ラフ か ら予 測 すれ ば 、再 度 、世 界 大戦 があ れば 人類は 絶滅 す
るでしょう。反戦は人類存続の手段です。
※ 45 『新約聖書
※ 46
ローマ人への手紙 14:7』の一節と思えます。
原文は、次のとおりです。103.
ξυνὸν γὰρ ἀρχὴ καὶ πέρας ἐπὶ κύκλου
περιφερείας. (Diels- Kranz)
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