単一微粒子測定装置による越境微粒子の内部構造解明 Structure

単一微粒子測定装置による越境微粒子の内部構造解明
Structure Analysis of Transboundary Aerosol Particles
by Novel Apparatus for Single Particle Analysis
藤井 正明
Masaaki FUJII
東京工業大学資源化学研究所
Chemical Resources Laboratory, Tokyo Institute of Technology
1. はじめに
近年、東アジア大陸部は経済が著しく発展しており、エネルギー消費量が年々増加の一途
をたどっている。これに伴い環境中への大気汚染物質の放出量も急増しており、これらの汚
染物質が偏西風によって国境を越えて日本国内にも飛来し影響を及ぼすことが懸念されてき
ている。このため越境大気汚染に関しては、大気汚染物質の地上観測等による化学的に裏付
けされた定量的なデータが必要とされている。これまでエアロゾル質量分析計やフィルター
サンプリング法を用いた観測により多くの観測データが得られ、大陸からの大気汚染物質の
流入が示唆されている1)、2)。しかし、このような方法では観測地点での平均的化学組成は分か
るが内部構造は分からないため、粒子の起源や浮遊してきた履歴の推定は困難である。近年、
イオンビームとレーザーイオン化を用いた微細分析技術が発達し、我々は40nm程度の分解能
で単一微粒子の内部構造を明らかにできる分析装置を開発した3)、4)。この方法は、材料分析に
用いられている収束イオンビーム二次イオン質量分析法(FIB-SIMS)とレーザーイオン化を
組み合わせた分析装置であり、従来のFIB-SIMSでは困難であった有機化合物の分析も、特定
の波長を使用することで特定の化合物を選択的に効率よくイオン化することのできるレーザ
ーイオン化と組み合わせることによって可能となった。このような先端技術を用いれば、単
一微粒子内の混合状態や内部構造を明らかにすることができる。つまり、この技術によって
越境汚染微粒子の起源や履歴の推定が可能となる。
そこで本研究では、FIB-SIMSとレーザーイオン化法を組み合わせた新規分析装置である
「単一微粒子測定装置」を用いた個別粒子の内部構造解析を行った。また、単一微粒子測定
装置による有機化合物の分析を行った。
2. 実験
2.1 試料
大気微粒子の捕集は人為起源排出が少ないと思われる長崎県福江島にある大気観測施設
(128.7E、32.8N)である。捕集期間は、2010 年 3 月 25 日から 31 日、2010 年 12 月 5 日から
15 日、2011 年 4 月 16 日から 22 日であり、同時にエアロゾル質量分析(AMS)の連続分析も
行われた。これらの顕微鏡視野下における粒別分析においては、繊維からなるフィルターな
どは捕集材としては不向きであるため、4mm 角の平滑な Si ウェハ上に粒子が捕集できる小型
インパクター型サンプラー5)を用いた。吸引流量 1.5 L/min の条件にて 10 分間サンプリングを
行った。これを朝・昼・夕の 1 日 3 回行った。単一微粒子測定装置による分析試料は、AMS
の連続分析結果、後方流跡線および電子顕微鏡の観察結果から選択した。選択した試料は、
後方流跡線が異なる 2010 年 3 月 29 日と 31 日、AMS の汚染量が異なる 2010 年 12 月 7 日と
11 日、2011 年 4 月 18 日と 20 日である。
単一微粒子測定装置による有機化合物の分析には、多環芳香族炭化水素(PAH : Polycyclic
Aromatic Hydrocarbon)の含有量が多いと考えられる微粒子であるディーゼル微粒子を 4mm 角
の In 板に押し付けたものを用いた。
2.2 クラスター分析
Si ウェハの捕集基板上には無数のエアロゾルが見られた。捕集した全ての粒子を個々に分
析することは時間的に難しく、どのタイプの粒子に着目して分析すればよいかなどの指標が
必要である。そこで、FIB-SIMS による個別粒子分析とクラスター分析を行った。本装置では、
全元素および化合物の情報が得られ、元素マッピング分析を行えば各粒子部分だけ質量スペ
クトルデータを抽出することができることから、短時間の測定時間で多数の個別粒子分析と
クラスター分析が可能である。
本装置による元素マッピングとクラスター分析の手順は、EPMA によるクラスター分析の
手順を参考に最適化した。まず、シリコンウェハ上で任意の数 10 から 100 個程度の粒子が存
在する広域領域に対して、正二次イオン、負二次イオンの順で元素マッピングを行った。各
粒子で検出されたイオンから元素の検出比をデータとしてクラスター分析ソフト R6)を用い
て、ウォード法によるクラスター分析を行った 7)。
2.3 個別粒子の構造解析
クラスター分析の結果から捕集日によって存在比が異なる特徴的なクラスターについて、
単一微粒子測定装置による個別粒子構造解析を行った。粒径 10µm 程度の粗大粒子について
は、元素マッピング分析により表面の状態を明らかにした。粒子の表面直下の内部構造解析
では、同じ粒子について元素マッピング分析を繰り返し行うことによって、表面付近の構造
を明らかにした。また、FIB を加工用として用いることにより、粒子の断面加工を行い、そ
の断面を元素マッピング分析することにより、粒子の内部構造を推定した。粒径 1µm に満た
ないような微小粒子については、断面加工中に FIB スパッタによって粒子全体がなくなって
しまうため、同じ粒子について元素マッピング分析を繰り返し行うことによって、表面から
内部までの構造を明らかにした。
2.4 有機化合物の分析
微粒子中の有機物の分析には FIB-SIMS とレーザーイオン化法を組み合わせた方法を用い
た。この方法では、FIB でスパッタした時にイオンと同時に生じる中性分子に対してレーザ
ーを照射することによりレーザーイオン化することで、通常の FIB-SIMS では検出、同定困
難な有機化合物などの化学種をフラグメンテーションすることなく検出することができる。
イオン化用レーザーとしては波長 266nm、繰り返し周波数 30Hz、レーザーパワー16 mJ/pulse
のレーザーを用いた。この波長はディーゼル微粒子に含まれる有機化合物である PAH などの
吸収帯と一致するため、これらの化合物のイオン化効率が非常に良いと考えられる。質量ス
ペクトルは、FIB スパッタ後にレーザーイオン化して得られた質量スペクトルとレーザーイ
オン化のみによる質量スペクトル
および FIB-SIMS のみによる質量ス
ペクトルとの差から得た。
ディーゼル微粒子中には分子量
が小さく揮発性の高い化合物が多
く含まれている。本分析法は真空装
置中での分析でありディーゼル微
粒子をそのままの状態で装置内に
導入すると微粒子中の揮発性成分
が揮発してしまい微粒子の正確な
化合物組成が分析できなくなって
しまう。これを防ぐために、微粒子
を乗せるサンプル台を液体窒素に
より-100℃以下まで冷却した状態
で分析を行った。
3. 結果と議論
3.1 粗大粒子
中国・韓国付近を通過して福江に
至る気団による粒子である 2010 年
3 月 29 日(大陸由来)と日本海か
ら太平洋側に抜けたあと北上して
きた気団による粒子である同 31 日
(日本海・太平洋由来)についてク
ラスター分析および電子顕微鏡観
察を行った結果、Na と Cl 主成分の
粒子(日本海・太平洋由来に多い)
、
Na と O 主成分粒子および Ca と Cl
主成分とする液滴状の粒子(大陸由
来に多い)が特徴的であった。これ
らの粒子について、単一微粒子測定
装置による個別粒子内部構造解析
を行った結果、Na と Cl 主成分の粒
子は、表面から内部まで Na と Cl
が分布しており、海塩そのものであ
ることがわかった。Na と O 主成分
粒子および Ca と Cl 主成分粒子の個
別粒子分析結果を図 1、2 に示す。
前者の粒子は、表面では Na と O が
主成分であったが、断面には NO2
および NO3 が検出された。これらの
結果から、硝酸ナトリウムの結晶状
粒子であると考えられる。後者につ
図 1.Na と O 主成分粒子のイオン励起の二次電子像
(SIM)と元素マッピング
SIM
Na
Ca
Cl
図 2.Ca と Cl 主成分粒子のイオン励起の二次電子像
(SIM)と元素マッピング
いては、Ca と Cl が主成分で Na をほとんど含まない塩化カルシウムであり、Ca 以外にも Al
および Si が検出されているため、
土壌由来の粒子起源であると考えられる。上記のことから、
NaCl(海塩) + HNO3(燃焼ガス) → HCl + NaNO3
CaCO3(土壌) + 2HCl → CaCl2 + CO2 + H2O
の反応が考えられる。この反応は既に塩素ロスとして知られている反応 8)であるが、単一微
粒子測定装置による分析によって、上記反応による生成物である硝酸ナトリウムの内部構造
を初めて明らかにした。
3.2 微小粒子
AMS の結果、汚染物質が多い 2010 年 12 月 11 日と汚染物質が少ない同 7 日、同じく汚染
物質が多い 2011 年 4 月 20 日と少ない同 18 日についてクラスター分析および電子顕微鏡観察
を行った結果、汚染物質が多い日に多く存在した Na と SO2 主成分の粒径 1µm 程度の微小粒
子が特徴的であった。単一微粒子測定装置による連続元素マッピングの結果を図 3 に示す。
表面付近の元素マッピングでは SO2 の分布の外側に C2 の分布が見られた。連続マッピングに
より表面が FIB スパッタにより削れてくると表面の C2 はなくなり、いくつかの粒子について
は、SO2 の淵に粒径 100nm 程度の C2 が新たに分布することがわかった。これらの C2 領域で
の質量スペクトルから表面の C2 は有機物、連続元素マッピング後の C2 は元素状炭素である
ことがわかった。後者の炭素は、その粒子サイズ、硫酸塩と存在することなどから地球温暖
化の主要原因物質の一つと考えられているブラックカーボン(BC)であると考えらえる。こ
れらのことから、BC を含んでいる硫酸塩粒子は、表面に有機物、内部に硫酸塩が存在し、硫
酸塩の淵に BC が存在するという構造を持つと考えられる。また、この粒子の正二次イオン
の質量スペクトルからは、カリウムとバナジウムの比が異なるものが存在することがわかっ
た。BC の由来は、カリウムが指標のバイオマス、バナジウムが指標の重油と考えられてお
り、BC 粒子の分析からこれらの起源・履歴解明につながると考えられる。BC はその粒子サ
イズから透過型電子顕微鏡(TEM)で分析されているが、質量分析可能な単一微粒子測定装置
を用いることで新たな分析が可能となった。
1um
1um
1um
図 3. 微小粒子の連続元素 マッピング
左図から右図にかけて連続マッピング、赤色は SO2、緑色は C2 の分布
3.3 有機化合物
FIB-SIMS とレーザーイオン化法を組み合わせた手法によって測定したディーゼル微粒子
の質量スペクトルを図 4 に示す。数多くの鋭いピークが観測され、その質量数からそれぞれ
2 環から 4 環の PAH であるナフタレン、アントラセン、ピレンなどおよびその誘導体と帰属
された。試料を冷却して測定しているため比較的蒸気圧が高く揮発しやすい成分である 2 環
や 3 環の PAH も検出された。しかしながら、5 環、6 環などの環数の多い PAH は検出されな
かった。これは微粒子中に含まれる環数の多い PAH の存在量が環数の少ない PAH の存在量
より少ないため検出されなかったと考えられる。今後、検出感度を上げることでより大きな
環数の PAH を検出可能にすることで、微粒子の起源・履歴解析に有用な情報が得られること
が期待される。
Mass to charge ratio (m/z)
図 4. ディーゼル微粒子の質量スペクトル
In および In2 は基板の In 板からの信号
4. まとめ
単一微粒子測定装置を用いて越境微粒子およびディーゼル微粒子の分析を行った。越境微
粒子については、クラスター分析によって分類された特徴ある微粒子の内部構造解析から、
塩素ロス反応生成物の硝酸ナトリウムの内部構造およびBCを含む微小粒子の構造を明らか
にした。レーザーイオン化を組み合わせた方法によりディーゼル微粒子中の有機化合物の分
析を行い、2環から4環のPAHを検出した。
謝辞
本研究は、環境研究総合推進費(課題番号:B-1006)の一環として実施された。
参考文献
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3) Sakamoto, T., Kawasaki, J., Koizumi, M., Instrumental factors in resonance enhanced multi-photon
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ISBN,
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URL
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健太郎、藤井正明、高分解能飛行時間型二次イオン質量分析法を用いた微粒子粒別起源解析
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