チベット仏教前伝期

チベット古代王国
7世紀∼9世紀半
チベット仏教
初めてのチベット統一王国が成立
この時期にインド仏教が国家的規模で導入された
第二回 チベット仏教前伝期
インドから高名な学僧を招き、サムイェ寺を建立
インドの学僧とチベットの翻訳官の協力のもとに大量の
仏典がチベット語に翻訳された
宗派に分かれず、インド仏教の導入に努めた
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ソンツェンガムポ王
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ソンツェンガムポ王
7世紀初頭、ナムリロンツェン王がチベットを統一
630年頃、その子ソンツェンガムポ王が即位(∼649年)
唐に皇女の降嫁を求め、文成公主(632-80)が嫁ぐ
伝説ではネパールからティツン妃を迎えたとされる
文成公主はトゥルナン寺(大昭寺)を建て、ジョー釈
牟尼像を安置、ティツン妃はラモチェ寺(小)を建て、
不動金剛釈 牟尼像を安置したとされる
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文成公主
トゥルナン寺(チョカン、大昭寺)
ティツン妃
ジョー釈
牟尼像
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ラモチェ(小昭寺)
不動金剛釈
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唐との戦争と和解
牟尼像
玄宗(在位712-56)のもとチベットを包囲し中央アジアを
制した
ティソンデツェン(在位755-97)代になって、唐では安史
の乱(757年勃発)で政情不安定になった
763年、チベット軍は長安を一時占拠、傀儡皇帝を擁立
8世紀後半は、シルクロード、雲南、西アジアに進出し、
それぞれウイグル、南詔国、アッバース朝と抗争
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唐との戦争と和解
唐蕃会盟碑
ティツクデツェン王(在位815-841)代に唐・ウイグルと和解
821(長慶元年)
9月、唐の穆宗(ぼくそう)がチベット使節の講和要請を受諾
10月、両国の使節が参列する誓約の儀式「会盟」を首都・長安で開
催、中国による条約の批准
822(長慶二年)
チベットの首都ラサでも「会盟」を開催、チベット側も条約を批准
823(長慶三年) 両国の首都(ラサと長安)と国境の日月山(現青海省東北部)の
三ヶ所に石碑を建立。サのトゥルナン寺の門前のもののみが現存
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唐蕃会盟碑
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仏教の国教化
ティソンデツェンが761年(21歳)に仏教に帰依!国教化
チベットの大王化現せる神ツェンポとシナの大王シナ君主皇帝との甥・
舅二者は御政を一つに討議して大和会をなさって盟約したこと。〔中
略〕
サムイェ寺の建立(定礎763年、完成775年)チベット帝
国の仏教の中心。上層はインド式、中層は中国式、下層
はチベット式の三層構造の本殿
チベット、シナ二者は現在に支配している地域と境界を守り、その東方
すべては大シナの地域、西方すべては正に大チベットの地域にして、こ
れより後相互に敵として争うことなく戦をなさず、境域を犯さず、疑わ
しきことがあれば、その人を捉えて事を ねてから放ちて返すべし。
今、御政は一つとなり、大和会を以上のごとくになさったので〔中略〕
インドの高僧シャーンタラクシタを招聘し、767年、サム
イェ寺で貴族6人に戒律を授けた(チベット初の出家)
チベットはチベット国において安らぎシナはシナ国において安らぐとい
う大いなる政を結んで誓約したこのことが決して変わらないこと、三宝
(仏法僧)と聖者などと日月と星辰とにも証せんことを請う。〔後略〕
伝説ではサムイェ寺完成のための土地神調伏に密教行者
パドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)を招聘
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グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ、ペマジュンネー)
サムイェ寺
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サムイェの宗論
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仏典翻訳事業
786年、中国の禅僧・摩訶衍(まかえん)が招聘される
ティソンデツェン王代に始まる
禅は頓悟、インド仏教は漸悟を主張
ティツクデツェン王(在位815-41)代に本格化
頓悟説は、分別を捨てて無思無観になれば即座に悟れると主
張、漸悟説は悟るためには段階を踏んで徳と智慧を積み重ねて
いかなけばならないと主張
814年、訳語統一のための翻訳語彙集『翻訳名義大集』と
重要仏教語の意味を説明した『二巻本訳語釈』編纂
中国仏教とインド仏教の宗教論争に発展(792-794)
インドからシャーンタラクシタの高弟カマラシーラが招聘して論
争したとされる
824年、最初の翻訳仏典目録『デンカルマ目録』編纂、
737点の仏典が登録。大乗経典、律の大部分、顕教の論書
のうち唯識のものを中心に当時手に入る仏典の多くを翻
訳。密教はほとんど訳されなかった
インド仏教が勝利し、中国仏教は追放される
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ダルマ王の破仏
ラルン・ペルキドジェ
ランダルマ王
841年、ティツクデツェン王が死去、ランダルマ王が即位
伝説ではランダルマは仏教を否定し、それを憂いだ高僧
ラルン・ペルキドジェによって暗殺され、チベット帝国
が滅んだとされる
ランダルマが暗殺されて帝国が崩壊したことは事実。た
だしランダルマが破仏をしたことは疑わしい
帝国の後ろ盾をなくして仏教は衰退
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