般若心経と科学

般若心経と科学
江角弘道
生命科学者である柳澤桂子氏出演のNHKのドキュメンタリー番組「いのち
で読む般若心経」は、宗教と科学が深い点で統合していることを示す感動的な
番組でした。柳澤氏は、「般若心経の中に科学がある。」といわれています。山
本空外上人は、般若心経をとても大切にされて、
「大自然の命に迫る、最高の文
献が『般若心経』です。たとえ他の文献が焼けてなくなっても、
『般若心経』が
一冊残っていれば、人類は大丈夫といえるような文献です。」と言われています。
また、空外上人は、般若心経のサンスクリットの原典(正倉院に世界で1冊だ
けある。)から、その漢文訳と和文訳をしておられます。その和文訳は、毎日の
私の勤行の中で、頂いています。また、毎月の多々納弘光氏主催の「心経会」
では、必ず空外上人の漢文と和文の般若心経を読んでから会を始めることにし
ています。そして空外上人の「念仏と生活」~般若心経を生きる~をテキスト
にして何度も読み返しています。
現代の科学が明らかにしていることとして、私たち生命体は、奇跡的に、あ
り得ないほどの確率で、物質から誕生したのです。その物質は、光から対生成
という現象により誕生したことを宇宙物理学は述べています。つまり、生命の
おおもとの親様はひかりであると結論づけられます。そして自然界で起こって
いる現象も、心霊界での現象もそのおおもとはひかりであるということになり
ます。そのひかりは、阿弥陀さまであり、あらゆる時間・空間に行き渡ってい
ることになります。弁栄聖者の道詠「限りなき三世の仏のかずかずは、一つミ
オヤの分かれなりけり」を頂いてみると、生命のおおもとがひかりであること
が伺えます。
柳澤氏は、私たち生命体をについて次のように述べられています。
「私たちは、
粒子からできています。粒子は動き回っているために、この物質の世界が成り
立っているのです。この宇宙を粒子のレベルで見てみましょう。私のいるとこ
ろは、少し粒子の密度がたかいかもしれません。あなたのいるところも高いで
しょう。戸棚のところも粒子が密に存在するでしょう。これが、宇宙を一元的
に見たときの景色です。一面の粒子の飛び交っている空間の中に、ところどこ
ろ粒子が密に存在するところがあるだけです。」
私は、学生時代に、生物学の講義を受けていたときに感じた疑問がありまし
た。それは、人間は酸素を吸入し炭酸ガスをはき出す呼吸をしている。その吸
入する酸素はどの位置にある酸素が人間の部分(例えば口の中からか、気道の
中からか)で、どこからが外界のものであろうかということでした。境界が私
には不明でした。この柳澤氏の説明で、一元的に見るときに境はないというこ
とです。一枚の布のようにつながっているということです。それが、般若心経
の空の世界と繋がっているようです。宇宙は空であり、宇宙は一続きなのです。
宇宙は粒子の濃淡でできていることになります。
柳澤氏の話は、次に続く、
「あなたもありません。私もありません。けれども
それはそこに存在するのです。物も粒子の濃淡でしかありえませんから、それ
にとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を
起こしているのです。このように宇宙の真実に目覚めた人は、物事に執着する
ということがなくなり、何事も淡々と受け入れることができるようになりま
す。」
柳澤氏が、上記のような考えに至られたのは、36年間もの長い間、原因不
明の病に苦しまれたことから、やっと開放されてきたことが大きな要因である
とのことです。その間に般若心経を深く深く頂かれたとのことです。そして般
若心経の和訳を完成されました。その冒頭部分から色即是空 空即是色までの
部分は、次のような訳になっています。
「すべてを知り、覚った方に謹んで申し上げます。
聖なる観音は、求道者として、真理に対する正しい智慧の完成をめざしていた
ときに、宇宙に存在するものには、五つの要素があることに気づきました。
お聞きなさい。
これらの構成要素は、実体をもたないのです。形あるものは形が無く、形のな
いものは形があるのです。感覚、表象、意志、知識もすべて実体がないのです。
お聞きなさい。
彼はこれらの要素が「空」であって、生じることもなく、無くなることもなく、
汚れることもなく、きれいになることもないと知ったのです。
お聞きなさい。私たちは、広大な宇宙の中に存在します。宇宙では、形という
固定したものはありません。実体がないのです。宇宙は粒子に満ちています。
粒子は自由に動き回って形を変えてお互いの関係の安定したところで静止しま
す。
お聞きなさい。
形のあるもの、いいかえれば物質的存在を、私たちは現象としてとらえている
のですが、現象というものは、時々刻々変化するものであって、変化しない実
体というものはありません。実体がないからこそ、形をつくれるのです。実体
が無くても変化するからこそ、物質であることができるのです。」
この訳では、科学的な知識が根本にあって、その知識も大きく含んで宇宙の
構造を語っておられるようです。
空外上人は、この構造を「重層立体的」であると次のように講演の中で述べ
られています。
「【一一光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨】と『観経』に説かれています。
晨朝のお勤めをなさるとき【如来の光明は遍く十方の世界を照らして、念仏の
衆生を摂取して捨てたまわず】と読まれたのはここの文によっているのです。
これはどういう意味か。
「無量寿仏」というのは「アミダさま」のことです。
「ア
ミダさま」のことを「無量」と訳すわけなので、
「ア」が「無」ですね、
「ミタ」
が「計量する」ですね、厳密にいえば「計算された」という意味です。インド
語でいえば「アミタ」、中国の言葉では「無量」。それで、
「無量」なのは命しか
ない。幾らあつたら生きられるというわけにはいきませんからね。命しかあり
ませんよ、無量なのは。他のものは、みんな計算できるのです。命は計算でき
ない。無量寿仏を拝む、仏さまを拝むというのは、自分と関係がないのを拝む
ようですが、そうは言えないのです。無量寿仏に八万四千の相があるというの
は、その相の一つが自分ですよ。私どもは、一人ひとりが「アミダさま」とつ
ながっているのです。花も小鳥も、みんなつながっているわけです。 そのつ
ながり合いのことを、私は、『重層立体』と言っているのです。一人ひとりが、
一人ひとりなりに、大自然の命のおかげの中に生きられて、おかげを自分なり
に、深めて、悟って仕事の中にあらわしていける。」
柳澤氏の話の内容の「一元的な世界こそが真理である。」という部分と空外上
人の講演の中の「花も小鳥も、みんなつながっている。そのつながり合いのこ
とを、私は、『重層立体』と言っているのです。」という内容が一致していると
ころがすばらしい。
以上のようなことから、柳澤氏は、
「般若心経の内容は、お釈迦様の悟られた
ことであり、現代科学に照らしても、釈尊がいかに真実を見通していたかとい
うことは、驚くべきことである。」と宗教と科学の豊かな展開について番組の中
で語られた。21世紀において、仏教は、生命科学や物理科学などの次元から
も、さらに深く論究され、科学との対立でなく融合して、大いなる「いのち」
の教えとして、私たちの生きる「道しるべ」となるであろう。
参考文献:柳澤桂子・堀文子著、「生きて死ぬ智慧」、小学館出版、2004 年