Proposition 187 の与えた影響 ――共和党への打撃

久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
Proposition 187 の与えた影響
――共和党への打撃――
増子 瀬梨乃
序章
第1章
アメリカの移民の実態
第1節
メキシコ系移民の実態
第2節
不法移民という現実
第2章
Proposition 187 の成立と内容
第1節
住民提案とは何か
第2節
Proposition 187 の可決
第3章
1994 年中間選挙の意義
第4章
共和党の受けた打撃
終章
第1節
2 つの年の選挙結果
第2節
Proposition 187、共和党への影響
――――― 現政権への影響と今後移民政策の行方
序章
アメリカ合衆国は移民の数、そして移民の受け入れ数は他国と比べても多いため、移民国家といわれて
きた。しかもその数は年々増えつづけている。移民とは一般的に、永久居住権を得た者、または学生や企
業関係者などによる一時滞在者のことで、難民や非合法移民は含まれない。その数が増加しているというこ
とは、1961 年からの 10 年間では 330 万人にしかすぎなかったが、1990 年代には始めの 6 年間だけです
でに 600 万人にもあがっていたことからもわかる。また特に最近ではヒスパニック系、アジア系からの移民が
増えつづけているのも現実である。例えば、1940年には移民の 70%はヨーロッパの出身であったのに対し、
1992 年には15%にしかすぎず、アジア系が37%、そして、ラテンアメリカ諸国出身者は44%も占めていた
1。なぜ、アメリカでは移民の流れが止まないのか。それはアメリカの移民法にも原因があるとも考えられるが、
アメリカには「機会と平等」が誰に対しても与えられるという“神話”も考えられる2。それはそこに行けば人生
を再出発させることができると信じて渡米してくるのである。だが現実は厳しいものであり、多くの人が成功を
つかめずにいるのにもかかわらず、そこに行けば成功がつかめると信じている人が今も多く、それを信じて
渡米している人は多いようだ。だが、アメリカでは移民の流れが多いのと伴い、非合法移民の流れも止まな
い、というのが現実である。
このようにして、アメリカは年々様々な国から様々な背景を持った移民の流れから多民族国家になってい
った。1990 年の国勢調査によると、アメリカの外国生まれの人口は 1976 万 7000 人で、その 10 年前と比
べて 7000 人増えた。これはヨーロッパ生まれの者が 70 万人減少し、アジア出身者が 250 万人、メキシコ
出身者が 210 万人、カリブ海沿岸および中央アメリカ出身者の者が70 万人以上増えたという結果になった
3。この結果についてアメリカの
1990 年 4 月の「タイム」誌は「アメリカの変わらぬ色」と題した特集を組み、
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Proposition 187 の与えた影響
有色人種の増加から白人が少数派になるのではないかと描かれていた。このような背景の中で、アメリカ市
民はとりわけ非合法移民に懸念を持ち始めたのである。アメリカでは年間約 300 万人の不法移民が流れて
くると言われており、彼らに関する財政負担については各レベルの政府間に深刻な法的対立を起こした。
この不法移民に関して財政負担をめぐる不満はとうとう 1994 年に可決されたカリフォルニア州の住民提
案として現れたのである4。1994 年、とりわけ最近になって Proposition 187 という非合法移民を公共サー
ビスから締め出すという法案が可決されたということは注目するべきことである。なぜ、最近になって広い支
持を集め可決されたのか。またこの法案を積極的に提案、そして支持したのは当時のカリフォルニア州知
事でもあった共和党のピート・ウィルソン氏であったことも忘れてはならない。本論文は Proposition 187 が
何か、そしてなぜ可決されたのかを追及しながらこの法案を推進した共和党への影響を明らかにすることを
目的としている。その際 Proposition 187 が可決された年、1994 年、中間選挙の結果 40 年ぶりに共和党
が上下両院で多数党になったことが重要な意味を持つということにも着目していきたい。当時、下院議長に
就任したニュート・ギングリッチ氏は共和党の公約「アメリカとの契約」を掲げ、選挙活動に励んだのである。
そこで本論文は Proposition 187 という不法移民問題を州レベルでの問題、そしてその背景にあった 94
年の中間選挙を関連させることにより、より包括的にProposition 187を捉えることができるとともに、それが
共和党へ与えた打撃、そして視野を広げて移民、とりわけ不法移民が深刻な問題であることが明白になる
のではないかと考えている。
したがって本論文は第 1 章においてはアメリカにおける移民の実態を今までの移民法と関連するとともに、
不法移民、とりわけメキシコ系移民の実態を明らかにしていきたい。また彼らの多くが Proposition 187 が
可決されたカリフォルニア州に居住していることを明らかにしながらアメリカでは移民問題が深刻であること
を強調したい。第 2 章においてはまず、アメリカにおける住民提案制度を明らかにした上で Proposition
187 の成立過程をみていきながら、当時の州知事であったピート・ウィルソン氏がどのようにしてこの提案を
もって知事選再選を狙ったのか、またこの提案の推進派と反対派の言い分を明らかにしながら追求していく。
なお、ピート・ウィルソン氏がこの提案を可決しなければならなかったその背景として 1994 年の中間選挙が
挙げられることを強調したい。この章では第 1 章の移民問題がこのような提案として不満が表れたことを理
解していただきたい。第 3 章では Proposition 187 が可決された 1994 年という年に注目していく。要する
に、1994 年の中間選挙で共和党が実に 40 年ぶりに民主党大統領の下、上下両院多数党となったその背
景として長年共和党が多数党になることを夢見ていたニュート・ギングリッチ氏と彼が掲げた共和党の公約
「アメリカとの契約」を説明する。そうすることによって Proposition 187 がなぜ 1994 年に可決されたかが明
らかになっていく。第 4 章では共和党が大勝利した後の 1996 年の選挙と 1998 年の選挙を分析することに
よって共和党の敗北を検証していく。この2 つの選挙の共和党敗北と Proposition 187 の可決を関連づけ
ることによって同提案が共和党にとって大きな損害を与えたことを明らかにしたい。最後に終章では
Proposition 187 を可決させた共和党への打撃は今も続いていることを強調し、それがまた、いかなる影響
なのか、そして現政権はそれに対してどのように対応しているのかを述べていく。これは今後の移民政策を
検討していくのに有意義であると同時に移民、とりわけ不法移民がどれほど深刻で今尚アメリカの課題とな
っているのかが理解できると考えている。
なお本論文がテーマとしている Proposition 187 は先行研究が少ないため、代表的な先行研究と断言
できるものが皆無に等しい。ただ、Kent A. Onoと John M. Sloop の Shifting Borders はアメリカの有力
新聞紙から同提案に対してどのように報道したか、また反対と推進に分別していたという点では
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Proposition 187 の人々の反応が理解できた。その他には英語の新聞記事や雑誌記事を頼りにした。第 3
章からは吉原欽一氏の『現代アメリカの権力構造』は 1994 年という年が共和党にとってどのような年だった
のか、またギングリッチのリーダーシップが非常に強いリーダーシップを行使していたこということがわかる。
また「アメリカとの契約」が 94 年では成功し、96 年ではなぜ成功しなかったのかという共和党の「敗北」にも
重点を置いている先行研究であった。しかし、以上からも理解できるように Proposition 187と共和党の打
撃を結び付けている先行研究は今のところ存在していない。Kent A.. Ono と John M. Sloop の著作は
Proposition 187 のことではあるものの、その視点は新聞記事というメディアが中心になっており、吉原氏の
著作では 1994 年と 1996 年の中間選挙での共和党の活躍ぶりをマクロ的な視点から考察されているもの
であり、本論文はそれをミクロ的な視点から捉えている。そのため本論文は Proposition 187 の是非を議論
するのではなく、同提案を共和党の「アメリカとの契約」と関連づけながら、共和党に大きな打撃を与えたと
いうことを明らかにしていく。また Proposition 187 は州レベルの議論で、1994 年での中間選挙は連邦レ
ベルでの争点ではあるがあえて 1 つの論文で両者を関連づけることによって包括的に捉えることができると
ともに、両者の密接な関係を明らかにすることができるのではないかと考えている。以上のことが達成されれ
ば本論文のオリジナリティが見いだせられるのではないかと感じる。
本論文に入る前に、ここでは Proposition 187 が 1994 年 11 月に可決されたものであるため、国勢調査
に基づく数値はアメリカ合衆国の 1990 年度の国勢調査を使っていることを断っておきたい。
第1章
第1節
アメリカの移民の実態
メキシコ系移民の実態
メキシコ系移民は一般的にヒスパニックと呼ばれており、彼らはスペイン語を母国語とする集団で主にメキ
シコ、プエルトリコ、キューバ、中央そして南アメリカの出身者のことを示す5。彼らは現在アメリカ最大の「外
国語系」エスニック集団なのである。ヒスパニックは 1960 年の統計以前までは人種的には白人に分類され
ており、独立して分類ではなかったのだが、1960 年代の公民権運動の影響を受け、自分たちの言語や文
化に対する誇りがあることを主張し、「チカノ」という言葉が用いられた。だが 1970 年代に入ると政治家や実
業家が彼らを「ヒスパニック」という名称で表すようになり、今ではこちらが一般的となっている6。彼らヒスパニ
ックは近年アメリカにおける人口が急増していることからアメリカ社会でもおおきな問題を生んでいる。1990
年の国勢調査によるとヒスパニック系の人口は 2235 万人でこれはアメリカ総人口の 9%を占めている。これ
は 1970 年度の国勢調査でヒスパニック系人口が 907 万人、1980 年度では 1461 万人であることから増加
は著しく、その増加率も白人の 6%、黒人の 13%に比べ、53%と極めて高いことがわかる。
なぜこのような人口急増が起こるのか。これを述べるのに移民という要因が重要な役割を果たしている。
特に 1965 年の移民法改正以降、ヒスパニック系の人口は急増した。尚 1965 年移民法改正に関しては第
2 節で述べることにする。プエルトリコ系はアメリカの領土のため、入国は簡単で、キューバ系はアメリカの難
民法の基づき、難民として入国した者が多い。ヒスパニック系の特徴の1 つとして挙げられるのがまず、出生
率が高いということである7。1988 年の統計によると、アメリカの平均年齢が 32.2 歳であるのに対してヒスパ
ニック系は25.5 歳である。2 つめの特徴として大家族である、ということである。非ヒスパニック系の平均家族
人数が 3.17 人であるが、ヒスパニック系は3.97 人である。またヒスパニック系は地域集中的であるのはおそ
らく著しい特徴であると言えよう。1990 年の国勢調査ではヒスパニック系の人口の 34%がカリフォルニア州
に在住しておりその中でもロサンゼルスはメキシコシティに次いで世界2 位という記録である。その他にはテ
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Proposition 187 の与えた影響
キサス州、ニューヨーク、そしてフロリダ州などに集中している。ヒスパニック系の経済および社会状況は他
のエスニック集団と比べて全体的に悪いと言えることから貧困が最後の特徴として挙げられる8。すなわち、
ヒスパニック系の教育水準は低く、専門職に従事する者は少なく、所得も低いということである。まず、教育
水準からみてみると、1980 年の国勢調査によると、25 歳以上で 8 年以下の教育しか受けていない者の割
合がヒスパニック計は 41%でこの結果は黒人の 28%、白人の 17%と比べてきわめて低いことがわかる。
1980 年代ではヒスパニック系の教育水準が上がり、大学へ進学する者も増加したが他のエスニック集団と
比べるとまだ低いのが現実だ。ヒスパニック系の多くの者が職業にするのは専門職などではなく、製造業の
非熟練労働やサービス業である。アメリカ社会において、労働条件の厳しい農場や工業の肉体労働や、家
庭内労働、清掃業など賃金が低く、人々が好まないような仕事に従事する9。
このようにヒスパニックか急増した要因とは先ほども述べた「平等と機会」を求めることの他に労働者として
19 世紀半ばのゴールド・ラッシュの時期にカリフォルニアを目指して来たものや鉱山ブームなどで渡って来
た者がいた10。また 20 世紀に入ってからは鉄道建設の完成や綿花栽培のための労働者が必要とされその
労働力不足がヒスパニック系の入国を手助けした。なお、メキシコ国内の政治紛争、そして日本や中国から
の移民の減少もヒスパニック系労働者のアメリカへの流入を促した。メキシコ諸国の人々にとってもまたアメ
リカは飢えから逃れることのできる場所であり、しかもそこは海を越えて遠いはるかな国ではなく国境のすぐ
向こう側にある北の国であった。そのような近い国に彼らはもともと定住するつもりはなく、出稼ぎがほとんど
のため、アメリカとメキシコの間を何度も往復する者が多かった。また第二次世界大戦中の労働不足を補う
のにアメリカは「ブラセロ計画」を実施した。つまり、メキシコ諸国やカリブ海沿岸からの季節労働者を入国さ
せたのである。この計画はその後のヒスパニック系移民に大きな影響を及ぼすことになった。この計画は当
初 1947 年に終了するはずであったのだが、安い賃金で働いてくれる労働者は雇用者にとっては必要であ
り、彼らの要求により 1951 年まで延長された。また、その後の経済発展、ヴェトナム戦争、朝鮮戦争の影響
により、1952 年に第 2 回「ブラセロ計画」が実施され、終了したのは1961 年のことであった。同計画は雇用
者だけでなく季節労働者として渡米してきた者にも利益を与えたのだが、不法移民の増加を促したという大
きな問題を生んだ。不法移民については第 2 節にて詳しく述べることにする。
第2節
不法移民という現実
不法移民問題は長い間アメリカの政治家たちを悩ましてきた11。不法移民に関しては正確な調査がなく、
推測に頼るしかないのだが、1990 年代アメリカに定住する不法移民はおよそ 300 万から 500 万人といわ
れている。彼らの出身国をみてもメキシコ、中央・南アメリカ、カリブ海沿岸からの者が目立つ。またその多く
がカリフォルニア州に定住しているのだ。「不法移民」という問題はおそらく国民国家が形成された時からの
問題であるのだが、それがアメリカにて法的に問題となり始めたのはおそらく合法移民の資格を限定しはじ
めた19 世紀末であり、1924 年に米墨間の国境警備が実施された。国家問題として不法移民が議論された
のはトルーマン政権の時期で、彼らの健康問題が全アメリカ人に影響を及ぼすという、いわゆる「ウェットバ
ックの脅威」が議論され、ついに移民局は軍形式の踏み込み捜査により不法移民を見つけ出し故郷へ強
制送還させた。だが、不法移民が移民問題よりも政治家たちを悩ませたのはやはり 1985 年以降であった12。
第1項
1986 年移民法改正
1986 年 10 月、レーガン大統領の下、移民法改正法案が可決された。正式には「1986 年移民改革・管
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理法」であるのだが、この法はカーター政権時代から議論されつつも 5 年という年月を経てようやく可決に
至ったのである。このような長い年月がかかった理由はこの法が不法移民問題の対策を中心としていたか
らである。不法移民が当時どれほど問題となり、政治家たちを悩ませていたのかが理解できるであろう。
1985 年移民法改正の内容としてはまず、不法移民について①非合法移民・非合法滞留者の憲法のもとで
の諸権利および人権を守り、彼らの身分を合法化すること、そして②非合法移民非合法滞留者と知りなが
ら彼らを雇用した者を処罰すること、である。①については具体的に 1982 年以前からアメリカに不法滞在し、
過去 3「年間、90 日以上アメリカの農場に就労したことのある者のことを示し、彼らはそれを証明する資料を
提出することによって合法居住者の身分を申請し、2 年後には永住権を申請でき、そして 5 年後には市民
権を申請することができるのである。以上のような内容を盛り込んだ新移民法は国民から期待され、また歓
迎された13。「ニューヨーク・タイムズ」紙は 1985 年移民改革・管理法はアメリカの理念に敬意を払う立派な
法案である、と述べた。
多くから歓迎された新移民法は施行されてから問題が山積みとなった。例えば、不法移民の合法的居住
権の申請が実際に始まるのは 1987 年で申請機関はたったの 1 年であった。また不法移民の非合法滞在
を証明する資料を数年分揃えることは困難であり、また 1982 年以降にアメリカに渡ってきた者は合法的地
位が認められず国外退去を命じられるのである。またこれは懸念されていた問題ではあったのだが、申請
するために必要な資料の大量な偽造が政府に報告された。それだけでは止まらず、不法移民はこれら山
積みの問題を知ってか知らず、合法的居住権の申請ペースも意外と遅かった14。結局、1989 年の時点で
合法化を申請した者はおよそ 291 万人であり、その 88%はヒスパニック系であり、彼らの 54%はカリフォル
ニアに居住していた。
第2項
残された問題
未だに解決されていない問題はアメリカ国民の不法移民に対する苛立ちである。つまり、法律上の移民
規制権限は連邦政府の管轄下であり、だが実際には州政府が不法移民を住民として引き受け、直接的な
管理をしなければならない15。要するに非合法移民の居住によって公共サービスの需要がこれまでを上回
り、一般市民の納める税金のなかで不法移民たちに公共サービスを与えていることに不満をもち始めるの
である。それでなくても州政府は予算の削減を迫られているのに不法移民が多く滞在しているカリフォルニ
ア州やテキサス州では深刻な問題である。その問題の深刻さが顕著に表れたのが 1993 年から 94 年にか
けてカリフォルニア州を「北」「中央」「南」の 3 州に分割しようという政治運動である。要するにこれは「北カリ
フォルニア」が「南カリフォルニア」に対してもちかけた縁切り話しであった。この分割運動は途中、挫折に終
わったものの、その後現在に至ってもその運動は根強い16。「北カリフォルニア」が「南」に対して縁切り話し
をもちかけたのには2 つの主な理由がある。まず、「北」は果樹園とワインの産地で有名であり、ヨーロッパ的
な落ち着いた雰囲気であるのに対して「南」はハリウッドに象徴される都市文化であり、ライフスタイルも自然
環境も異なっている。次に挙げられるのはカリフォルニア州が抱えている財政問題であり、「南」は年々中南
米やアジアからの難民や不法移民が急増しており、州政府の社会福祉負担かかさんでいる、ということであ
る。ロサンゼルス暴動の際にも大量の州兵が出動して州政府の特別出費になった。しかし、それでいて
「北」の納めた税金が自分達の関係のない「南」の都市問題に使われているのだ。実際にも「北カリフォルニ
ア」は人種的に同質で中間所得層を中心に 93%が白人である。対して「南カリフォルニア」はヒスパニックが
31%、黒人、アジア人がそれぞれ 11%と「北」とは人種構造も異なっている。
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Proposition 187 の与えた影響
その他にも不法移民だけではなく移民はアメリカ人労働者の雇用機会を奪い失業を拡大させ、賃金水
準を押し下げるのではないかとの意見も少なくはない。だが、ここで忘れてはならないのは不法移民の大半
は農業における労働者、ホテルやレストランの給仕や皿洗い、家庭内労働ともっとも賃金が低く人気のない
職種に就いており、それはまたアメリカ経済の底辺を担っていることである。1990 年の統計によると、医療
産業では全労働力の 39%、メイドなどの家庭内労働では 52%が不法移民である。つまり、彼らの労働抜き
では現在の経済成長はなく、雇用者は人件費の上昇という問題に直面しなければならない17。不法移民の
労働がアメリカの経済を支えるのに不可欠であることは確かである。しかし、不況に陥ると経済的理由に基
づく移民制限論が勢いを増す傾向を示すというのが現実である。
第2章
第1節
Proposition 187 の成立と内容
住民提案とは何か
アメリカにおける直接参加型である住民投票とは州の憲法や地方政府の検証の規定によって住民が州
憲法の改正や法律の制定、自治体の条例の制定改廃を発議できる。本論文のテーマでもある
Proposition 187 も住民投票による提案であることに注目したい。まずその歴史から見ていくと、アメリカの
直接立法制度は州では 1898 年サウスダコタで最初にこの制度が確立された。そして 19 世紀末から 20 世
紀初めの 20 年間でほとんどの州で策定されたといってよい18。なぜこのような住民投票が策定されたのか。
その背景には失業や荒廃、スラムの発生のどの社会問題、そして都市と農村との間の貧富の差が顕著とな
り、革新主義運動が高まったことが有力である。カリフォルニア州では 1911 年に実施された。ここで直接立
法制度の内容であるイニシアティブ、レファレンダム、そしてリコール制度について簡潔に解説する。まず、
直接イニシアティブとは憲法の改正や修正、または法令の改正や修正が住民の一定割合の署名を集めた
請願のより提案され、議会による関与がなにもないまま直接有権者に賛否を問う表決にかけられるものであ
る。定められた賛成票を得て採決された場合に憲法の修正または法令の修正としてそれは効力を発する。
イニシアティブの必要署名数は州の人口によって違うのだが、前回の知事選挙の投票数の割合から設定さ
れる。間接イニシアティブは法令が住民の請願によって発議された場合、まず定例議会にかけられる。そし
てもし議会が承認されれば法律となり住民投票による表決の必要は生じないのだが、議会によって可決さ
れない場合、提案者は必要とする署名を集めて当初の法案を有権者の賛否を問うために付託することがで
きる。だが間接イニシアティブは住民にとって表決にかけるプロセスに時間がかかるため、調停や妥協の必
要が少ない直接イニシアティブを使用する州のほうが多い19。レファレンダムとは住民の請願によるもので
議会が制定した法律の効力を阻止す手段として求めるものである。そして最後のリコール制は選挙で選ば
れた公職者を住民の投票で免職できる制度であるのだが必要な署名数はイニシアティブやレファレンダム
より多い。
本論文のテーマでもある Proposition 187 は直接イニシアティブに入るのだが、そのカリフォルニア州は
イニシアティブとレファレンダムの 2 つの制度を有している。そして 1950 年から 1992 年の間において表決
にかけることを認められたイニシアティブとレファレンダムの数は 127 回と数が最高であることからカリフォル
ニア州民は政治に関心を持ち、イニシアティブに積極的に取り入れていることがわかる。直接立法への住
民の参加は署名の他にも請願への回収、法案への賛成・反対キャンペーン活動、投票への参加など様々
である。またProposition 187 への賛成・反対運動も盛んに行なわれていたが具体的には第 2 節で述べる
ことにする。
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この直接立法制度は政治的な効果を発揮する場合もある20。例えば 1990 年のカリフォルニア州知事選
挙の時、3 人の候補者、ダイアン・フェインスタイン、ジョン・バンダ・キャンプ、そしてピート・ウィルソンがそれ
ぞれイニシアティブの提案者となった。彼らにとってイニシアティブの提案は問題を声明にし、支持者にそ
れをアピールし、資金を集める方法なのである。つまりイニシアティブは選挙の当選に有益なのである。だ
が一方で、イニシアティブの支持者がその法案を投票にかけると知事はその政治方針を変えることはでき
ず、それが成功するとそれに従わなければならない。イニシアティブは知事への影響だけでなく、裁判所も
重要な役割を果たす。イニシアティブは投票が終わることなく裁判所へ異議を申し立てられる。以上のよう
に裁判所はイニシアティブに対して 2 つの重要な役割をもっていて、それはつまりまず、立法議会が採択し
た法令が憲法違反でないかと、その内容がイニシアティブの領域として許されるか否かということである。
最後に述べておきたいのが直接立法制度は住民が政治に直接参加できることから一見民主主義的に見
えるのだが多くの問題をかかえていることを指摘したい。直接立法制度は個人や団体が使うだけでなくそれ
は基本的な政治上のまたは憲法上の問題点を訴え、解決する非常に有用性が高いものである21。しかし、
この高い有用性が一方で様々な物議をかもしだしている。例えば不法移民を締め出す法案 Proposition
187 や 1996 年のアファーマティブアクションを廃止する法案の Proposition 209 などは少数者やマイノリ
ティの権利を縮小するだけではなく人種差別的な法案になりかねない。
第2節
Proposition 187 の可決
カリフォルニア州は直接立法制度を実施している州の中で提案数は最も多く、それは州民の政治上の、
そして憲法上の問題への強い関心が伺える22。ここでカリフォルニア州で提案、可決された主な州民提案を
みてみる。まず、1978 年 6 月に提案された Proposition 13 号で、これは州の固定資産税が年間 1.2 倍に
まで上がった状態に抵抗して 70 億ドルの減税を求めた州憲法の改正を要求する内容であった。結果は
70%の賛成を得て、当時の知事は民意に従い、減税に踏み込んだ。もう1 つは最近である、1996 年 11 月、
ちょうど大統領選挙時に提案された Proposition 209 号であり、これはカリフォルニア州内の自治体や公共
組織における少数民族の雇用や教育を優遇するアファーマティブアクション制度を廃止する内容であった。
この法案は賛成54%、反対40%で可決されたのだが、人権団体による訴訟運動のため、連邦地裁では仮
執行停止命令が下されたのだが連邦高裁が合憲判決を下したため施行された。そして最後にこの
Proposition 209 号が提案された 2 年前に不法移民を公共サービスから締め出すという内容の
Proposition 187 が提案されたのである。
第1項
カリフォルニア州知事ピート・ウィルソン
かつてはゴールド・ラッシュや鉄道建設の完成にひきつけられ、「黄金の州」とも言われたカリフォルニア
州に夢を果たすために渡ってきた移民はもはや現在では年々増加するばかりで今ではカリフォルニア州の
悩みの種となってしまった。州民を最も悩ませているのは年々急増するヒスパニック系不法移民であり、今
では彼らのほとんどが英語を話せないでいる状況である。州民の不法移民に対する不満はとうとう州民提
案という形で表れてしまった。別名「Save Our State」、すなわち「われわれの州を救え」と呼ばれた
Proposition 187 はその名の通り、不法移民という「侵入者」から「われわれ」を救うことである23。このイニシ
アティブの提案者は当時州知事であったピート・ウィルソンで彼はサンディエゴ市長、カリフォルニア州議会
議員、上院議員と 30 年近くの議員生活を送ったベテランであった。彼は財政政策や犯罪に関しては保守
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Proposition 187 の与えた影響
的ではあったものの環境保護、中絶問題または同性愛者人権保護の分野では緩和であり、むしろ支持して
いた。しかし、Proposition 187 のキャンペーンには全力をそそいだ。ピート・ウィルソンが可決するにあたっ
て戦力をそそいだ Proposition 187 の内容とは以下の通りである24。
① 不法在留外国人は州の公的な教育制度の適用外とし、教育機関は生徒とその親の法的地位
を確認しなければばらない。
② 緊急の場合意外、公的医療サービスの提供者は患者の法的地位を確認しなければならない。
③ 金銭の融資などを受けようとする者は、その法的地位を確認しなければならない。
④ サービスの提供者は不法在留外国人と疑われる者を州の最高法務官と移民帰化局に通報しな
ければならない。
⑤ 公的な利益や雇用を受けるために、個人の法的地位を隠す不正な書類を作ったり、他人に渡
したり使ったりすることは州における重罪とする。
推定全米の不法移民の 43%がカリフォルニア州に居住していることでウィルソンは連邦政府の不備な移
民法や不十分な国境警備隊のせいで多大な費用を彼らたちに支払っていることを訴えた25。またカリフォル
ニア州の不法移民は 1988 年以来 3 倍にまで急増し、公立学校に通っている不法移民の子どもの数はおよ
そ 30 万 8000 人に昇り、不法移民に社会福祉を与えるのに州はその予算の 10%を使わなければいけな
いことを論じたのである。またウィルソンは偽造の罪で逮捕された不法移民を収監するのに州は 3 万 3700
ドルを使用しなければならないことを訴えた。このことに関しては、94 年 4 月、クリントン大統領が州に支払う
べき不法移民犯罪者の収監費用 3 万 5000 ドルを連邦議会に要求したのだが、各州政府からはこの程度
の額では足りないことを主張した26。その結果、カリフォルニア州など不法移民問題を抱えている州は連邦
政府に賠償要求した。このようなカリフォルニア州の苦境、加えてウィルソンの大掛かりなキャンペーンの影
響で州民はもし政府が移民問題の解決に真剣に乗り出さないのなら自分たちで乗り出し解決するのだとい
うことを露わにした。結果、賛成58%、反対41%で可決された27。しかし、ここでおもしろいのはウィルソンが
連邦上院議員時代のころ、農業資本家の意向を代弁して中南米からの不法移民が多い外国人農業労働
者を増やすための法案を議会で通過させるのに熱心であったことである。すると、なぜ、彼は Proposition
187 を支持し、全力を注いだのか。それはまず、94 年の知事選で再選が危ぶまれた彼の戦略であったこと
と、94 年中間選挙にて共和党が党公約として掲げた「アメリカとの契約」と関係していたことである。後者の
理由については第 3 章で詳しく述べることにする。
Proposition 187がマスコミをにぎわし、州民の強い関心を引いたことに象徴されるように 94 年カリフォル
ニア州知事選の最大の争点は移民問題であった28。それまでも過去 2 年間の間に、不法移民の取り締まり
強化をねらう法案がいくつか州議会に相次いで提出されていた。その一例をあげると、「警察や病院は移
民帰化局に不法移民を通報できる」などといった内容である。選挙の前哨戦で対立候補であった民主党の
キャサリーン・ブラウンに支持率で20 ポイントの差をつけられていたのだが、その挽回として打ち出したのが
Proposition 187 であり、反不法移民キャンペーンであった。彼はただちに州議会で提出されていた不法
移民に関する法案を相次いで支持を表明した。極めつけ、ウィルソンは「たとえアメリカ生まれであっても、
不法移民の子女にはアメリカの市民権を与えるべきではない」という内容の書簡をクリントン大統領に送り、
憲法修正第 14 条の改定を求めた29。そして 94 年 11 月の投票日間近になるにつれ、ウィルソンの反不法
425
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
移民キャンペーンは頂点に達し、「不法移民は侵略者である」という憲法 4 条をめぐる議論を始め、連邦政
府に賠償を求めた30。
第2項
Proposition 187 の違憲判決
先ほどでも述べたように、住民投票により可決された提案の合憲性は裁判所によって決断される。そして
Proposition 187 が可決された間も無く、1995 年の初めにロサンゼルスにある連邦地方裁判所のマリア
ナ・フェイザー判事により同提案の一部が違憲とされ、禁止命令が下された。最終的に1997年 11 月、合衆
国 憲 法 お よ び に 1996 年 の 福 祉 法である Personal Responsibility and Work Opportunity
Reconciliation Act of 1996(「個人責任と就労機会調停案」以下 PRWORA)に違反しているとの違憲判
決が下された31。まず、Proposition 187 は合衆国憲法修正第 14 条の due process、つまり法の適正手続
きに違反している上、14 条が認める法の平等な保護に違反していた。それに加え、Proposition 187 を認
めると、1982 年に連邦最高裁判所がテキサス州憲法の法律を無効とした Plyer v. Doe の判決を覆すこと
になってしまう32。この事件は 1970 年代後半にヒスパニック系不法移民の子供に対してテキサス州の法律
が教育サービスを拒否したものである。最終的に 5 対 4 でテキサス州の法律が合衆国憲法に違反している、
ということになった。次にPRWORAは1996 年にクリントン大統領によって署名され法律となり、既存の福祉
政策・プログラムであったAFDC、すなわち扶養児童とその家族に対する終身援助プログラムが TANF、つ
まり貧困過程向け一時援助金プログラムに取って代わった点において根本的にアメリカの福祉政策に変化
をもたらした。またこの改革の重要な点は PRWORA の立法化のより、福祉政策を形づける力が連邦政府
から各州政府へと慎重にではあるが、決定的にシフトしたことだった。この法律の内容とは被生活保護家庭
の経済的自立のサポートと安易で長期にわたる福祉援助への依存からの脱却を優先としたものであった。
判決によると「カリフォルニア州は PRWORA が許可することはできるが、それ以上のことをするのは許され
ない。」ということであった33。具体的に説明すると、Proposition 187 は不法民のこどもの義務教育を拒否
し、州の公職員たちに不法移民と疑う者がいればそれを移民帰化局(INS)に報告することを明記している
が、PRWORA にはそれが一切明記されていないのである。この判決についてウィルソンは不満を感じ、フ
ェイザー判事を「議会は役目を務めない判事による裁量の乱用を観察する必要がある」と批判した34。
第3項
推進派対反対派
Proposition 187 を 起 草 し た 中 心 団 体 は ア メリカ移民改革連盟 (Federation for American
Immigration Reform、以下 FAIR)であった。また、FAIR のコンサルタント兼ロビイストだったレーガン政
権時の移民帰化局長を経験したアラン・ネルソンは同提案を起草した中心人物でもあった35。反移民団体
である FAIRは 70 年代末結成された市民運動組織だが、リベラル派エコロジストと自称していた人々の多く
がメンバーになっていた。実際に FAIR の創設に携わったジョン・タントンは環境保護団体のシエラ・クラブ
などとの付き合いがふかかった。「どの国にも、どの地域にも、その自然環境を破壊しないでどうかできる適
正な人口規模がある。それを超える移民の受け入れは阻止する必要がある。」というのが、FAIR の基本理
念である36。FAIR は第一に、毎年の合法移民の受け入れ数を最大 30 万人に制限すべきだ、第二に国境
通行税を徴収して国境警備隊の増強にあてること、第三に不法移民に対する社会福祉サービスを停止し
ろ、といったことを連邦政府に呼びかけている。また FAIRはニューヨークに本部がある 1937 年に設立され
た白人至上主義を謳う非営利団体のパイオニア財団に多額の寄付を続けている。パイオニア財団は「人種
426
Proposition 187 の与えた影響
による優劣と遺伝子学的関係の研究」を約款の 1 つとしている。アメリカ最大級の反移民運動の圧力団体
FAIR はラジオやコマーシャルといったマスメディアを巧みに利用し、キャンペーンに力を注いだ。
Proposition 187 の反対派、すなわちウィルソンの対立候補であった、キャサリーン・ブラウンや不法移
民のための人権保護団体アメリカン・フレンズ・サービス(American Friends Service、以下 AFSC)の言い
分は以下の通りである37。第一に、移民はたとえ不法滞在であっても福祉泥棒などではなく、働くために仕
事を求めてこの国にきている、第二に、不法移民に対する公的医療サービスの拒否は伝染病の流行を招く、
第三に公立学校に入学を認めないということは社会の底辺から這い上がれない多数の下層住民を生み出
す結果になってしまうのだ、といった内容の主張である。その他にも教師などは不法移民を公教育から締め
出すことは彼らによる犯罪行動が増加する懸念を指摘する。つまり、十分な教育を受けなければ、社会シス
テムにも受け入れてもらえず、返って犯罪行動に走らせてしまうのである。またその他にも国が少数人種や
民族集団などのマイノリティを対象とした雇用、教育面で積極的に採用枠を増やし、彼らの地位向上を目
指したアファーマティブアクションも否定されるわけで、それが不法移民の社会に対する不満や苛立ちを増
加させ、反社会的行動へと駆り立てる懸念もある。彼らに雇用、教育の場が失われると健康、加えて公衆衛
生を損ねる危険があることも無視できない。つまり、政治的にあるいは法的にせよ、彼らを公共サービスから
締め出すことは結果的に深刻な社会問題ないし経済問題を引き起こしかねないのである。彼らを締め出す
ことは単なる公共問題には止まらない、ということである。また、教師や看護婦、などの州や市の職員だけで
なく、事実 Proposition 187 が施行され、自分の子どもが教育の場から排除され、移民帰化局に通報され
ることを恐れた親が多かった38。そのためか、親は子どもを学校に通わせなくなったことが起こった。だがし
かし、彼らにとってみれば、彼ら自身も満足の行く教育を受けていない者が多く、自分の子どもを教えること
ができないため、せめて子どもには満足のいく教育を与えようと願っている者が多かった。また Proposition
187 は不法移民だけでなく合法移民をも影響するのではないかと懸念され、すなわち移民全体が差別され
るのではないか、との恐れも生じた。
第3章
1994 年選挙の意義
第 2 章では Proposition 187というものは何か、そしてその成立過程を考察してきた。しかし、なぜこのよ
うな提案が1994 年という時期に可決されるのかという問いは残されたままである。環境保護、中絶問題また
は同性愛者人権保護の分野では緩和であるウィルソンが同提案を推進したその背景、また州民がそれを
可決した要因とも言えるべきことは 1994 年という年が重要な意味を持つ。第 3 章ではまず、1994 年がどの
ような意味を持った年だったのかの検討から始まり、1994 年の中間選挙での共和党の勝利を追っていき、
第 104 議会の特徴を指摘していく。
1994 年は 11 月にクリントン大統領の下で中間選挙が行なわれた年だった。だがしかしこの中間選挙は
「歴史的」とも形容されるような結果となったのである39。94 年の中間選挙では実に 40 年ぶりに共和党が上
下両院で多数党となったことから共和党の大勝利、民主党の敗北となった。共和党を大勝利へと導いたの
は長い間共和党の多数党を目指し、下院議長に任命されたニュート・ギングリッチと彼が掲げた共和党の
公約である「アメリカとの契約」であった。彼は共和党の保守のイメージを定着させたレーガン大統領が手を
加えられなかった福祉関連予算を削減することを目指した。レーガンが福祉関連予算、つまり「義務的経
費」を削減できなかった主な理由として当時の上下両院が民主党により支配されており、法案が通過されに
くい、分割政府にあったと思われる40。そこでクリントン政権の下、上下両院を共和党で制し、長い民主党議
427
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
会時代の「過剰福祉」と完全対決したのがやや攻撃的な性格でもあったギングリッチであった。
1990 年、当時のブッシュ政権が増税予算を成立させたことは多くの共和党議員を失望させた。「増税を
しない」ということは共和党の伝統的な公約であり、それを民主党議会と妥協してしまったブッシュを許すこ
とはできなかったのである。この頃から下院議員であったギングリッチは「レーガン人気」が風化しないうちに
下院議会で多数党となるべく、下院議会選挙に向けての戦略を練り始めていた。彼の考え方に同調した同
僚たち、ヴィン・ウェーバー、ロバート・ウォーカーなどは民主党の「大きな政府」に対抗すべく、共和党の
「小さな政府」を目標にConservative Opportunity Society(以下 COS)というグループを設立した。下院
議長となったギングリッチはCOSと共に 94 年の中間選挙に向けて「アメリカとの契約」(Contract with
America)を共和党の全米規模の選挙公約を掲げた。この戦略は長年少数党であった共和党を多数党と
するべく、民主党主導の下院議会を糾弾し、それに「楔」を打ち込むことであった41。そのためには共和党
が「大同団結をはかる」政策アジェンダを提示し、国民に共感してもらうという戦略であった。1994 年の 2 月、
メリーランド州で生まれたこの「契約」の基本的理念は個人の自由、機会均等な経済、小さな政府、自己責
任、国内における安全の 5 つの項目に作成者たちは同意し、367 名の共和党議員により署名された。「アメ
リカとの契約」は共和党がそれまでの民主党主導議会の「大きな政府」を改革するとともにまた国民にとって
も共和党主導議会を支持するという契約でもあった。ギングリッチはこの契約をしばしば三角形にあらわし
た42。三角形の頂点にあるのは現実で左下にあるのが、個人生活、その右隣にあるのは国民の価値観があ
り、個人の生活を飼いたいし、国民の価値観をベースにして現実を創り上げることである。
「アメリカとの契約」という前例にない全米公約を掲げ94 年の中間選挙に挑んだ共和党は下院で 230 議
席獲得しこれは共和党が前回より 52 議席獲得したことになり、204 議席しか獲得できなかった民主党に圧
勝した。また上院でも 47 議席しか獲得できなかった民主党に対し、共和党は 53 議席獲得し前回より 9 議
席多い。このような共和党主導の第 104 議会が発足したのだが、ギングリッチは「アメリカとの契約」を基盤
に 10 の具体的な政策アジェンダを提示し、それらを 100 日間で下院議会において法案として通過させるこ
とを約束した。そしてそれを達成できなければ、クビにしてくれとまで公言した。その 10 の具体的な政策ア
ジェンダとは以下の通りである43。
① 財政均衡と大統領の項目別拒否権に関する法案 The Fiscal Responsibility Act
② 犯罪の防止をより強化するための法案 The Taking Back Our Streets Act
③ 60 年にわたる連邦政府の福祉プログラムを見直す法案
The Personal Responsibility Act
④ 子供の教育に対する親の権利など家族強化法案 The Family Reinforcement Act
⑤ 減税を目指す法案 The American Dream Restoration Act
⑥ 国家の安全保障を強化する法案 The National Security Restoration Act
⑦ 高齢者が稼げる所得の限度を引き上げる法案 The Senior Citizen Fairness Act
⑧ 賃金改善など雇用を改善する法案 The Job Creation and Wage Enhancement Act
⑨ 今までは常識であった司法制度を改革する法案 The Common Sense Legal Reform Act
⑩ 議員の任期を制限する法案 The Citizen Legislature Act
これらの政策アジェンダは長年民主党が推進していたこともあり、彼らには相当な痛手となった。特に福
祉の面では AFDC により貧困者やシングル・マザーに与えられていた政府による終身援助が終止され、政
428
Proposition 187 の与えた影響
府による一時援助に代わってしまった。これはレーガンが福祉関連予算による義務的経費の削減に失敗し
たことをギングリッチは達成しようとしたことであった。
「アメリカとの契約」を掲げ、共和党は実に40 年ぶりに上下両院の多数党になったのである。第 103 議会
の下院議会では民主党が 256 議席を獲得していたが、中間選挙の結果 204 議席しか獲得できず、大幅に
議席数を減らしてしまった。対して共和党は 178 議席から 230 議席に上がり、52 議席を獲得という大勝利
であった。上院議会でも民主党は 56 議席から 47 議席と減り、共和党は 44 議席から 53 議席と増やし、9
議席の獲得だった。以上のような議会の構成で発足した第 104 議会だが、その特徴として以下のことが挙
げられる44。第一点はニューディール以来長い間民主党により培われてきた「アメリカ型福祉社会」を改革し
たことであった。これまでに手をつけられなかった福祉関係の義務的経費の削減はクリントン政権として認
められる予算案ではなかった。第 2 章でも述べた AFDC プログラムを廃止などがそれである。第二点は、
共和党下院議会が民主党議会のなかで築き上げられた利益団体コミュニティを解体し、共和党主導の利
益団体コミュニティをつくりあげようとしたことである。これまでの 40 年間にわたる民主党多数体制下の政治
システムを大幅に見直し、「利益の次元で政治的統合」をはかるために、立法過程の透明性を高めるという
議会改革を掲げて、ロビー活動規制に関する法律に力を注いだ。その他にもギングリッチは下院議会共和
党指導部にあらゆる権限を集中させ、党内の党議拘束を強化した。法案作成過程においても、これまでは
各委員会の委員長の権限と権力が絶大あり、下院議長はどちらかというと積極的に法案作成過程にはかか
わっていなかった。しかし、ギングリッチは自らが先頭に立ち、党のリーダーシップで次々と法案を通過させ
ていったのであった。ギングリッチが初めて下院議長を務めた第104 議会はこのような今までアメリカが歩ん
できた「慣例」を崩壊するものであった。
第4章
第1節
共和党の受けた打撃
2 つの年の選挙結果
1994 年の中間選挙は共和党が党公約として「アメリカとの契約」を掲げ、長い間少数党であったのを打
ち破り、40 年ぶりに多数党となった。カリフォルニア州知事に当選したピート・ウィルソンも再当選へのねら
いと平行して 1996 年の大統領選挙でワシントン行きの切符をねらえる立場になろうとした。確かに 94 年で
は共和党の大勝利ではあったのだが、その後 2 回にわたる選挙では共和党の「敗北」と称された。それは
共和党が Proposition 187 を通過させたことによって多くのマイノリティ有権者を失ってしまったことも一因
である。特に選挙においては重要であるカリフォルニア州での投票数を失うことになってしまったのは大き
な痛手であった。第 4 章では 1996 年の選挙と 1998 年の選挙のいきさつを追うことによって共和党の敗北
を明らかにし、また Proposition 187 があらゆる側面で共和党に影響を与えたことを論証していく。
第1項
1996 年の選挙
1996 年の選挙は州知事・上下両院ともに共和党の優勢は維持されたものの、選挙前の大方の予想をく
つがえして、共和党は上院では現状を維持したが下院では 5 議席を減らし、州知事も現有32 州から 31 州
に後退するという予想外の敗北を喫した。「オクトーバー・サプライズ」(10 月の驚愕)という言い回しをされた
この結果は、共和党にとっては驚きであった45。だいたいこれまでのアメリカ中間選挙は、政権党つまり大統
領を擁する政党が議席を減らす傾向があり、政権党が中間選挙で下院の議席を増やしたのは、1934 年の
中間選挙(ルーズベルト大統領=民主党)以来の、実に 64 年ぶりのことである。選挙前の予測では有権者
429
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
がクリントン政権に厳しい評価を下すといった伝統的な傾向に加えて、クリントンの不倫問題が浮上なども
はや民主党が勝利する可能性はほとんどないとされていた。だが 1996 年の選挙を「64 年ぶりの民主党の
快挙」と称されたのには次のような理由からである46。
第一に上げられるのはその投票率の低さである。選挙人名簿に登録して選挙ができる 18 歳以上の人口
は、約 2 億 92 万 2 千人で前回 94 年中間選挙当時から約 800 万人増加した一方、今回の選挙で投票を
したのは約 7 千 250 万人と前回より逆に 250 万人減少しており、その結果 18 歳以上人口全体から見た投
票率は 36.1%で、前回中間選挙の 38.75%をさらに 2.65 ポイントも下廻る「戦後最低」を記録した。この戦
後最低の投票率の低下はおそらく共和党の計算外であったと言える。
第二に挙げられるのは民主党がかつての「リベラル」という伝統的な立場から離れ、「中道派」を唱えたこ
とである。クリントン政権時の好景気から現状維持を望むものが多かったのと同時に共和党が打ち出した
「政策なきクリントンたたき」は多くの移民労働者やマイノリティの嫌悪を誘った。この共和党に対する嫌悪は、
94 年の選挙で「アメリカとの契約」を打ち出した共和党が、宗教と道徳を前面に押し出すことへの警戒感と
表裏の関係にあり、こうした共和党の路線によって攻撃対象とされる層を、よりましな選択としての民主党へ
の投票へと向かわせたとも言うことができるだろう。こうした投票行動こそが、民主党の予想外の善戦、した
がって共和党の思わぬ敗北を実現したのである。
第2項
1998年の選挙
1994 年は共和党が 40 年ぶりに上下両院を獲得し大勝利と称されたが、1998 年の中間選挙では唯一
多数党を維持できたものの、民主党に議席を譲り、州知事ポストも失い、各種メディアからはまたもや民主
党の勝利と題された。失った州知事ポストの中にカリフォルニアのウィルソンが含まれていた。共和党が敗
北してしまったその主な理由は戦略ミスであった47。当時の中間選挙の争点となったのは、まずクリントンの
不倫に対する疑惑を弾劾にかけるか否か、次に共和党が 3 期連続して多数党を維持できるか否か、最後
に 2000 年大統領選挙に向けての前哨戦ということであった。
ギングリッチはその強気で攻撃的な性格もあるせいかクリントンを弾劾裁判にかけることに強く固執してい
たことが戦略ミスを導いたともいえる。例えばニューズ・ウィークが行った世論調査によると民主党支持者の
58%、非白人の 61%が大統領弾劾手続きの続行に反対していた。だが、おそらくそれ以外には共和党が
国民に対して明確な政策メッセージを伝えることができなかったのにも要因があるといえる。例えば、94 年
では国民の関心ごとが福祉政策 30%、犯罪問題 25%、経済問題 22%、税金問題 19%だったのに対して
98 年には教育問題が 20%、道徳問題 18%、経済問題 14%とかなりの違いをみせた。それにもかかわら
ず、共和党はクリントンを弾劾裁判にかけることを強調し、94 年と変わらず、減税問題と財政均衡を政策メッ
セージとして打ち出したのである。それとは反対に96 年と変わらず中道派を掲げていた民主党は財政黒字
を現在に回すのではなく、社会保障の充実や教育予算の拡充にあてるという政策を世論に訴えたのである。
つまり、共和党は多数を維持しているものの、方向感覚を失っていたのである。
1994 年に長年夢見てきた下院議長に任命されたギングリッチも 1998 年、辞任した。彼が辞任した理由
とは第一に 1998 年の時点で共和党は未だ有利な立場であって、2000 年の大統領選挙に勝利するチャン
スは逃してはならず、だがそこで強硬な保守派で人気のないギングリッチが前面に出してしまえば共和党の
イメージを損ねてしまう恐れがあった48。大統領選挙だけでなく、彼は下院議会選挙でも敗北してしまう可能
性があった。そのためか中間選挙の結果が出た直後にギングリッチあてに長年友人であったボブ・リビング
430
Proposition 187 の与えた影響
ストン下院歳出委員長から議長選に名乗りをあげることを伝えたファックスを送った。つまりリビングストンは
下院議長選出を表明することでギングリッチに辞任を迫った。
第二の理由としてギングリッチの不人気が挙げられる。ギングリッチは国民だけでなく、新人議員からも
「閉鎖的」といわれ、支持を失った。またギングリッチが側近中心の議会運営を行ったことにも新人たちに失
望感を与えた。「ウォール・ストリート・ジャーナル」が95 年 12 月に行った世論調査によるとクリントン支持率
は 51%と過半数を超えたのにもかかわらず、ギングリッチは逆に不支持率が 56%と過半数を超えてしまっ
た。国民の目から「アメリカとの契約」の目玉でもあった「福祉制度の改革案」、つまり AFDC の終止は「弱者
の切捨て」との非難が集中した。ギングリッチは大きな政府のもたらす恩恵にも大ナタを振るってしまったの
である49。1998 年の選挙では共和党は決定的な敗北を味わったのである。
第2節
Proposition 187、共和党への影響
Proposition 187 の可決はあらゆる場面で共和党に影響を与えた。同提案を可決したことで共和党は多
くのヒスパニック有権者を失ったばかりではなく、彼らが住むカリフォルニア州を失ってしまったのである。カ
リフォルニア州はニクソンやレーガンなど多くの共和党大統領候補者を選出し、共和党色が強い州であり、
選挙においては唯一共和党の強みでもあった。選挙においてカリフォルニア州、テキサス州、ニューヨーク
州、フロリダ州そしてイリノイ州を制すると当選されるのに有利になり、したがって、これらの州は大変重要で
ある。しかし 1992 年の大統領選挙で民主党のクリントンと共和党のブッシュ、そして 1996 年に大統領選挙
で民主党のクリントンと対する共和党のドールの人種別投票率を比べてみると、白人とヒスパニックとの間に
差が見られる50。1992年ブッシュに投票した白人は40%、クリントン39%であり、ヒスパニックの投票率は共
和党ブッシュ25%、民主党クリントンに61%とい結果だった。しかし、Proposition 187 が可決されたが、違
憲判決が出された後の 1996 年の投票率を見てみると、白人が共和党ドールに 46%、民主党クリントンに
43%であったのに対してヒスパニックは共和党ドールにわずか 21%しか投票しておらず、民主党クリントン
には 72%と前回の大統領選を上回る投票率だった。また Wall Street Journal によると、共和党の平均的
なヒスパニックの獲得票が 1980 年∼1992 年では 32%だったのに対して 1996 年∼2000 年で 28%と下
がってしまった。これは共和党にとってこれは痛手である。なぜならヒスパニック系の有権者は年々増え、
1980 年では 2%だったのが 1992 年では 3%、2000 年は 7%も占めているからである51。違憲判決が下さ
れたものの、Proposition187 の可決は今尚印象深く、多くの非白人特にヒスパニック系アメリカ人の支持、
そして投票を失ってしまう結果になってしまったのである。
議員においても 1953 年から 1954 年にかけてカリフォルニア州は民主党よりも共和党議員が選出されて
いた。しかしそれも変化し、1996 年から 1998 年には 共和党よりも民主党の議員のほうが多く選出されるよ
うになってしまった。この背景としては近年共和党の保守化が挙げられ、おそらく Proposition 187 の可決
が決定的とも思われる。共和党は拠点であった南部ベルト地帯やカリフォルニア州での 1996 年の中間選
挙の敗北をうけて、「南部は黒人票の差だ。カリフォルニアでは移民締め出しでヒスパニックが民主党に回
った。わが党はもっと基盤を広げなければ」ならないと考えていると言える。Proposition187 が可決された
当時、現大統領のブッシュはテキサス州知事であった。彼は Proposition187 に反対を表明し、2000 年の
大統領選では「中道派」と称し、自分自身をウィルソン知事と識別することを強調し、そのためか 35%ものヒ
スパニック系の投票を得たことからも明らかであるように Proposition 187 はヒスパニックの投票を左右する
ものであった。
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
Proposition 187 がアメリカ合衆国全土において影響を与えたのなら、当然ながら当時知事を務めてい
たウィルソンにも多大な影響を与えたのである。1998年、大幅なヒスパニック系アメリカ人の支持を失いピー
ト・ウィルソンは知事選で落選し、新たに当選された知事は民主党のグレイ・デイヴィスであった。カリフォル
ニア州で民主党知事が当選したのは1983 年のブラウン以来実に15 年ぶりであった52。ウィルソンが初めて
州知事選挙に出馬した 1990 年、彼は 47%のヒスパニック系アメリカ人の投票を得、彼は白人よりもアジア
系、ヒスパニック系からの支持を得ていた。にもかかわらず、彼は合法移民がカリフォルニア州においても重
要な経済要因であり、大いに歓迎するが不法移民は法律的にも違反で、犯罪者であることを主張してしま
ったことにより、その多くの支持を失ってしまった。また彼は Proposition 187 がカリフォルニア州民により
60%近くの支持票を獲得したことを強調し、この提案は州民により再度求められるであろうことを予測してい
る。そして今年 2003 年に州知事として選ばれたアーノルド・シュワルツネッガーは自分自身も移民であるの
だが、1994 年同提案に賛成したことを表明した。かれもウィルソンと同じく、合法民の受け入れは歓迎する
ものの、不法移民に対しては強硬な取り締まりが必要であることを主張している53。現在でもウィルソンは自
分の行動は正しかったと主張するものの、共和党は Proposition 187 の可決について今尚、陳謝している
状態である。
終章
今後の移民政策の行方
アメリカは移民から建設された国であり、人々はそのルーツを深く尊敬し、歓迎してきた。だが、
Proposition 187 は移民、特に不法移民の人口増加、その増加からの環境破壊の懸念などの反移民感情
が露わになったものともいえよう。その苛立ちの矛先になったのが、納税者が受ける公共サービスを税金の
払っていないが受ける、不法移民たちであった。Proposition 187 は可決するなりすぐさま違憲判決が下さ
れ無効になったものの、その記憶は人々に根深く、草提案を推進した共和党のイメージを下げてしまった。
現在のブッシュ大統領も同提案に批判し、共和党のイメージの挽回を図ったのだが、2001 年 9 月 11 日に
移民による同時多発テロが起きた。
9 月 11 日の同時多発テロ発生から 2 カ月になり少しずつ市民も落ち着いてきた頃、アメリカ国内は生物
化学テロとも思える「炭租菌攻撃」が拡大し、炭租菌の発送元はいずれも米国内であることから、米連邦政
府は、米国内に多くのテロ支援組織が潜んでいるとの見方を強めており、テロ支援分子が簡単に入国でき
た背景を重視し、深刻とみなした。同時多発テロ発生前、緩和の方向に向いていた移民政策を根本的に見
直し、180 度転換することとなってしまった。移民政策の転換では、各種査証発行、永住権や市民権申請
における審査も例外ではなかった。特にテロ犯たちは一般市民として長期間潜在して生活する傾向にある
ことが判明したことから、永住権・市民権の審査には今までにない身元調査・経歴照会で対応することにな
った。それだけではなく、グリーンカードを取得するのも以前よりはるかに時間がかかってしまうことになった。
カリフォルニア州の移民専門弁護士ジャック・サリモンド氏は、「今回のテロ事件で米国の移民政策は 180
度方向転換した。あのような大きな事件を起こしたテロ犯たちは米移民局が発行した合法的な査証を持っ
て米国内で自由に活動していたわけだから、移民局関係者たちも少なからぬ衝撃を受けた。今後、訪問査
証などの各種査証を始め、アメリカの移民局関連システムは確実に強化されるだろう。特に、留学生など、
短期滞在者、非居住者の入国は厳しくチェックされるはずだ」と話す54。
しかし 2000 年の大統領選でウィルソンを批判し、自らを彼とは違う「中道派」をヒスパニックに訴えたブッ
シュは現在でもヒスパニック系の指示を得ようと努力している。テロ問題で一時は中断されたものの、ブッシ
432
Proposition 187 の与えた影響
ュはアメリカとメキシコ間の関係の改善に全力を注いでいる。例えば、メキシコのモンテレーで開かれている
米州機構(OAS)首脳会議に参加したブッシュ米大統領とフォックス・メキシコ大統領は 12 日、2 時間ほど
会談した後で共同会見し、フォックス大統領がブッシュ大統領の移民法改革、イラク政策に支持を表明する
ことで、両国関係が大きく改善されたことを強調した。
だが、アメリカは今も昔と変わらず、「機会と平等」の国であり、それが多くの移民、ないし不法移民を惹き
つけているのが現実で、連邦政府が移民法を改正してもその抜け穴を探しアメリカ国内に入国してくる者は
おそらくこれからも後を絶たないであろう。アメリカは移民にとっては憧れの地であることを皮肉に彼らは常
に連邦政府の悩みとあっていることはアメリカの移民法が改正された数でもわかる。
移民という人口移動はグローバリゼーションの光と影の両方である。移民はアメリカなどの先進国では経
済の担い手であり、不法移民は経済の底辺を支えているため、彼らなしでは現在の経済を保ちきれない。
しかしながら、その影では移民の多い国などは反移民感情が盛んになり、移民制限論が拡充する。また皮
肉なことに移民制限、移民排斥を支持する者は少数ではなく、多数いることである。
1 明石紀雄『エスニック・アメリカ』有斐閣選書、1997 年、p.208
2 有賀征貞『エスニック状況の現在』日本国際問題研究所、1995 年、p.128
3 綾部恒雄『アメリカの多民族体制』東京大学出版会、2000 年、p.97
4 矢作弘『ロサンゼルス』中公新書、1995 年、p.9
5 明石、p.208
6 同上、p.209
7 有賀、p.130
8 石朋次『多文化社会アメリカ』赤石書店 1991 年、p.224
9 五十嵐武士、古矢旬編『アメリカの社会と政治』有斐閣、1995 年、p.103
10 同上、p.103
11 古矢旬『アメリカニズム』東京大学出版会、2002 年、p.120
12 同上、p.121
13 明石、p.234
14 同上、p.236
15 五十嵐、古矢、p.104
16 町村敬志『越境者たちのロサンゼルス』平凡社、1999 年、p.179
17 五十嵐、古矢、p.104
18 生田希保美、越野誠一『アメリカの直接参加・住民提案』自治体研究社、1997 年、p.11
19 同上、p.26
20 http://www.clair.nippon-net.ne.jp/HTML_J/FORUM/GYPUSEI/082/INDEX.HTM
21 生田、p.63
22 矢作、p.81
23 http://www.angelfire.com/in4/save187/Home.html
24 http://www.clair.nippon-net.ne.jp/HTML_J/FORUM/GYPUSEI/082/INDEX.HTM
25 “Lashing Out at Illegals” TIME, Nov. 21, 1994
26 五十嵐、古矢編、p.104
27 “African American voting on Proposition 187: Rethinking the prevalence of interminority conflict”
Political Research Quarterly, Mar, 2000
For Proposition 187: Anglo 62.6% Hispanic 22.5% lack 46.8% Asians 47.3% All 58.8%; Against: A nglo
37.4% Hispanic 77.5% Black 53.2% Asians 52.7% All 41.2%
28 矢作、p.89
29 憲法修正第 14 条・・・合衆国で出生し、あるいはこれに帰化し、その管理に服するあらゆる人は、合衆国及びその
居住する州の市民である。いかなる州も、合衆国市民の特権及び免除を制限する法を制定したり施行してはならない。
433
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
またいかなる州も、適切な法手続きなしに、だれからも声明、自由、財産を奪ってはならない。また、その管轄にいるだ
れに対しても法の平等な保護を拒否してはならない。
30 憲法 4 条第 4 項・・・合衆国は当連邦内にある各州に共和政体を保護し、侵略に対してこれを防護し、州内の暴動
に対して、州議会または州政府の求めに応じて各州に保護を与えなければならない。
31 http://migration.ucdavis.edu/mn/archive_mn/dec_1997-04mn.html
32 http://ccir.net/REFERENCE/187-History.html
33 http://migration.ucdavis.edu/mn/archive_mn/dec_1997-04mn.html
“It can do what PRWORA permits, and nothing more.”
34 Ibid “Congress needs to examine the abuse of discretion by a federal judge who simply fails to act.”
35 矢作、p.42
36 FAIR http://www.fairus.org/ “FAIR seeks to improve border security, to stop illegal immigration, and
to promote immigration levels consistent with the national interest of about 300,000 a year.”
37 http://www.afsc.org/
38 TIME, Nov.21, 1994
39 吉原欽一『現代アメリカの権力構造』日本評論社、2000 年、p.76
40 同上、p.77
41 同上、p.76
42 同上、p.78
43 Ed Gillespie and Bob Schellhas Contract with America, Times Book, 1994, p.9
44 吉原、p.111
45 TIME, “Election ‘96” Nov. 18,1996
46 The Election of 1996~Reports and Interpretations~ Gerald M. Pomper “The
Presidential Election” Chatham House Publishers, Inc. p.173
47 吉原、p.40
48 “だから議長は嫌われる” NEWSWEEK, Nov.8, 1995
49 “ギングリッチ不人気に頭抱える共和党”エコノミスト、Dec.26、1995
50 Gerald M. Pomper “The Presidential Election” Chatham House Publishers, Inc.p.171
51 “How the Republicans Lost California” Wall Street Journal Aug. 14, 2000
52 Bruce Watteru Congressional Quarterly’s Desk Reference on the States Congressional Quarterly Inc.,
1999
53 “GOP Exile Wilson Speaks Out—Californian Defends Immigration Stance That Alienated Hispanics”
Wall Street Journal, May 3, 2002
54 http://www.worldtimes.co.jp/w/usa/news/040113-232254.html “米墨首脳会談で関係改善”
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生田希保美・越野誠一『アメリカの直接参加・住民投票』自治体研究社、1997 年
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阿部斎、久保文明『現代アメリカの政治』放送大学教育復興会、2002 年
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吉原欽一『現代アメリカの権力構造』
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五十嵐武士、古矢旬編『アメリカの社会と政治』有斐閣、1995 年
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矢作弘『ロサンゼルス―多民族社会の実験都市』中公新書、1995 年
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「ギングリッチ不人気に頭抱える共和党」『エコノミスト』1995 年 12 月 26 日
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「だから議長は嫌われる」『NEWSWEEK』1995 年 11 月 8 日
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「ギングリッチ敗れたり」『NEWSWEEK』1995 年 11 月 8 日
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「ギングリッチ登場の意味するもの」『中央公論』1995 年 9 月
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「N.ギングリッチ」『中央公論』1995 年 4 月
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「窮地に立つギングリッチ」『東洋経済』1997 年 8 月 2 日
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“Schwarzeneggar Supported Proposition 187”;http://www.foxnews.com/story/0,2933,94342,00.html
*
“California’s Proposition 187 and It’s Lessons”;http://ssbb.com/article.htm
435
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・増子瀬梨乃
卒業論文を書き終えて、正直な感想は「とんでもないテーマを選んじゃった!」の一言である。
ちょうど 1 年とちょっとかけて書き始めた卒論だが、思えば最初に提出したテーマは「移民国家アメリカ合衆国」という
題名であった。当時はこの題名で満足していた自分だが、今思うとオリジナリティーがなく論点もなく書くのには不可能
なテーマである。「移民国家アメリカ合衆国」から「Proposition 187」へと同じ移民問題ではあるものの、テーマをここま
で絞り書き上げた自分をすごく不思議に思う。入ゼミ論文でも私はアメリカの移民事情について書いたことからも移民問
題はとても関心があった。そして卒論でも移民についてもっと詳しく勉強がしたくなり、3 年の時の学習院とのディベート
でも移民を取り扱うグループに入った。学習院とのディベートで私たちは「移民はアメリカ経済に利益をもたらす」ことを
主張した。このディベートのテーマのもと、インターネットなどで移民について調べていたら Proposition 187 について
の情報にたどり着いた。Proposition が何かもあまりわからないこともあって読んでみると、それは 1994 年 11 月にカリ
フォルニア州で可決された不法移民を公共サービスから締め出してしまう法案であった。私は生まれがカリフォルニア
州であったことからそのような法案が可決されていたことにショックを覚えるのと、知らなかった自分にショックを感じた。
そこで自分のためにも Proposition 187 についてもっと知ろうと思い、卒論のテーマとして選んだ。
何気ないネットサーフィンによってみつけた卒論のテーマはいざ調べ始めるとその背景にウィルソン知事再選の戦略
として利用されたり、1994 年という歴史的な年であったりと複雑だった。そこで Proposition 187 と共和党を関連して卒
論を進めようと思ったのである。しかし、いざ始めると資料がほとんどないこという問題に直面した。それだけではなく、
先行研究になるものがまったくなく「Proposition 187」と「94 年から 98 年の選挙」を別々に勉強しているような気持ちに
なったりもした。しかし、自分にそこがオリジナリティーなのだと言い聞かせ、時にはパソコンがフリーズして半分泣きなが
ら進めながら自分なりに論証できたのではないかと思う。
この論文を通して移民には寛大であるアメリカからは想像もできないほど排他的な法案がカリフォルニア州で可決さ
れたこと、そしてその政治的背景が伝われば、と願っている・それはある意味グローバリゼーションの限界なのかもしれ
ない。
卒論の執筆にあたり、丁寧にわかりやすく指導してくださった久保先生にとても感謝しています。そして私の卒論をコ
メントしてくれた人、愚痴を言いながらも励まし合った久保ゼミ生みんなに感謝しています。
みなさん、お疲れ様でした!
増子瀬梨乃君の論文を読んで
【土肥はるな】
増子さんの論文はとても興味深く読むことがきました。「Proposition187 の与えた影響―共和党への打撃―」は移民
問題の歴史から始まり、移民問題が住民投票に発展するまでを詳しく述べています。住民投票の仕組みなども詳しく説
明されており、このテーマを読み進むための基礎知識が順序良く説明されていると感じました。テーマの中心となる
Proposition187 がどのような内容を含んでいたのか具体的に説明されている点も配慮がなされていると感じました。
Proposition187 が可決するまでの過程や住民投票の歴史を詳しく述べており、これまでの歴史を踏まえた上で論文を
読み進むことができました。増子さんの論文において、Proposition187 と関連して 1994 年の中間選挙とギングリッチ
の転落なども絡ませて論文を進めている点は興味深いと感じました。また、不法移民というとネガティブなイメージしか
浮かんできませんが、不法移民がアメリカの底辺を支えているという一節において不法移民を別の角度から考察してい
る点も興味深いと感じました。先行研究が少ない中、面白い論文になっていると思います。
その中でも増子さんの論文で改善できる点をいくつか指摘していきたいと思います。まず、序章において論文を執筆
するに当たっての目的が述べられていますが、目的自体を序章の中でもう少し際立たせるとよいのではないかと思いま
す。今の状態では目的は示されてはいるものの、他の内容に埋もれてしまっている感じがしてしまいます。次に、基礎
知識が多くて読みやすいと先に述べましたが、若干その情報が多すぎる間もあるかもしれません。基礎知識があると読
みやすのですが、短い論文の中でそれが多くを占めてしまうことは問題かもしれません。現在の内容から厳選することも
必要だと感じました。特に第1 章、第 1 節の「メキシコ移民の実態」と第 2 章、第 1 節の「住民提案とは」ではそれを感じ
ました。最後に、この増子さんの論文では Proposition187 の共和党への打撃が副題になっているのでもう少し共和党
への影響について書かれているとさらに論文としての価値が高まるのではないかと思います。終章でも同じことが指摘
でき、共和党への打撃についても触れるとよいのではないでしょうか。それらの点に改善を加えることでさらに論文とし
て興味深いものになると思います。
【高垣太郎】
増子さんの論文は、カリフォルニア州において非合法移民を公共サービスから締め出すという内容の Proposition
187 が成立した政治過程と、その後の影響について述べたものです。この論文は、Proposition 187 の成立背景に
1994 年の中間選挙における共和党の勝利があったということに注目しており、州レベルの問題と連邦レベルの問題を
関連付ける試みがなされている点が興味深かったです。先行研究が少ない中このようなオリジナリティーのある論文を
書き上げたことは非常に評価されるべきであると思います。
436
Proposition 187 の与えた影響
ここで、増子さんの論文をさらに良いものにしていくために気付いたいくつかの点を指摘したいと思います。
まず気付いたことが、この論文の第 1 章で書かれている前書きの部分が、概説的になりすぎているのではないかとい
うことです。この論文がカリフォルニア州の事例に的を絞ったというものであるならば、第 1 章ではアメリカ合衆国全体の
移民事情を詳しく述べる必要はないと思います。もしくは、カリフォルニア州に独自に存在する移民事情について詳しく
述べるのもひとつの方法なのではないかと思いました。
次に、第 3 章で述べられている「打撃」の内容が不明確であるように思えました。確かに共和党内に Proposition
187 の可決後に逆風が吹いたことは読み取れるのですが、それが Proposition 187 によるものなのか、それともギング
リッチの敗北によるものなのか、それとも共和党自体の問題によるものなのかがはっきりと書かれていなかったのではな
いかと思います。
また、その点とも関連してくるのですが、この論文はカリフォルニア州のProposition 187 問題と連邦における共和党
を関連付けることをオリジナリティーしていますが、連邦で起こっていたことと州で起こっていたことが平行して述べられ
ているものの、あまり両者の関連付けが行われていないように思いました。そこで、これから修正をするにあたって、国政
レベルの共和党とカリフォルニアの Proposition187 の関連性を証明する証拠などを入手できれば論文の説得力が格
段に上がると思います。例えば、Proposition 187 を可決する上で 1994 年選挙が決定的な追い風になったこと、また
は、それ以後の共和党の衰退と Proposition 187 が関連するということなどに焦点を絞って論じていったほうが増子さ
んのオリジナリティーが前面に出され、分かりやすく、なおかつ説得力のある論文が仕上がるのではないかと思います。
さらに、終章もまたやや概説的になってしまっている印象を受けたので、増子さんが調査を進めていく上で気付いた
点を活かしながら、アメリカ全体ではなく、カリフォルニアにおける今後の展望を述べていけばよいのではないかと思い
ました。
これからも頑張って素晴らしい論文を仕上げてください。
【太田将】
増子さんの論文「Proposition187 の与えた影響―共和党への打撃―」は、カリフォルニア州での移民政策と共和党
の盛衰を関連させて分析してある点に、論文の斬新さが見出されていると思いました。また、Proposition187 に関する
説明が丁寧に行われており、客観的に分析されていると感じます。また、1994 年の中間選挙における共和党の勝利が
移民政策にもたらしたことを明確に述べているという点で、本論文の独創性が十分に示されています。
以下では各章ごとに私なりに感じたことを述べます。第 1 章では、もう少しカリフォルニア州に絞って論じた方が良い
のではないかと思います。アメリカと一言でいっても、例えばコロラド州といったアメリカ中部の山岳地域では、そこまで
移民政策が問題視されているとは考えにくいです。一方で、増子さんが取り上げているカリフォルニア州など南部では
深刻な事態になっているはずです。よって、アメリカ全土とカリフォルニア州を別枠で考えてみる必要があると思いま
す。
第 2 章では、Proposition187 の成立過程が詳細に分析されている一方で、第 1 節ではやや概説的な感がします。
第 2 節で明らかにしている部分をより細かく分析してみてはどうでしょうか。個人的意見ですが、94 年に住民提案が可
決されるまでの共和党の動きや、ロビー団体の存在など、共和党関連の政治団体に触れるのも面白いと思います。
第 3 章では、中間選挙に着目するという発想は評価できる部分です。しかし、連邦議会と州議会では状況が異なるこ
とも事実です。94 年のカリフォルニア州議会選挙では、共和党の完全勝利ではありません。下院では共和党が 40 対
39 で過半数をとったものの、残り 1 人は無所属で、議会の主導権を握ったとまでは言えません。逆に上院では 21 対
17で民主党が多数派を占めています。もちろん中間選挙で共和党が勝利した点から考察することは大切ですが、州議
会の結果にも言及した上で考察しない限り、説得力が乏しい気もします。
全体として、論文としての完成度は高いと感じました。ただ、アメリカ全土とカリフォルニア州を混合している感もやや
します。もう少しカリフォルニア州の状況に絞って論じると、さらに洗練された論文になると思います。私も同じカリフォル
ニア州の事例を取り上げているので、とても興味深く読ませていただきました。就活で忙しいとは思いますが、頑張って
下さい!
437