「赤毛のアン」 13511 川島恵 歯 科英語

「 赤毛のアン」
13511 川島恵
歯
科英語
"Tomorrow is always
fresh with no mistakes
in it."
「明日は失敗のない常に新
しい日」
あらすじ
カナダの東北部に浮かぶプリンスエドワード島のアヴォンリーという村にマシュウとマリラのカ
スバート兄妹が暮らしていました。静かに二人きりで過ごしていた兄妹でしたが、兄のマシュウ
が年老いたこともあり、農作業の仕事を手伝ってもらえるように、孤児院から男の子を引き取る
ことにしました。
ところがマシュウがブライトリバーの駅まで男の子を迎えに行くと、なんとそこにいたのは赤い
髪の女の子だったのです。少女の名前はアン・シャーリー。マシュウを見つけるなり早口でまく
したてます。口下手なマシュウは仕方なくアンを馬車に乗せカスバート兄妹が住むグリーンゲ
イブルズまで連れて行くことにします。
馬車での道のりでもアンは得意の空想であれこれマシュウにお話をめぐらせます。 どうやらマ
シュウはこの空想好きなおしゃべりの女の子がすっかり気に入ってしまったようです。グリーン
ゲイブルズに着いたアンをマリラは一目見て驚きます。マリラは手違いで来てしまった女の子を
孤児院へ帰そうとしますが、マシュウが引きとめたのです。アンと暮らして行くことを決めた二人
は、いつのまにかアンのことがすっかり気に入り、我が子のようにさえ思えてくるのでした。
登場人物
アン・シャーリー
生まれてすぐに両親を病気で失い、トマス家・ハモンド家とたらい回しされ
子守同然にこき使われたあと孤児院に送られる。
愛に飢えた寂しい子ども時代を過ごした女の子。髪は赤毛でそばかすだらけ、
目は大きくやせっぽち。
自分の容姿にコンプレックスを持っているが、格好のいい鼻を持っているこ
とになぐさめを見いだしている。
アンの綴りは、末尾に e の付く「Anne」であると、彼女自身は拘っている。
本当は、コーデリア・フィッツジェラルドという名前にしてもらいたかった
が、結局はアンになった。
この名前は父親が名付けてくれた物で、父親自身も女王(恐らくイギリスの
『Anne Stuart』)と綴りが同じだという。
感受性が豊かで、おしゃべり。悲しいことも得意の想像力で喜びにかえてい
く。
マシュウ・カスバート
アンを引き取ったおじいさん。
農業とアベイ銀行に預けた蓄えの利子で細々と暮らしている。
内向的で無口で気が小さく、特に女性が苦手という性格のため、60 歳を過ぎ
ても独身。
心臓発作をたびたび起こしている。アンと出会ったことで人嫌いの性格を少
しずつ改善していく。
アンを大きな愛で見守り、可愛がっている。
「そうさのう」の相槌が口癖。長らく狭心症を患っており発作の間隔も短く
なっていて周囲からも心配されていた。
マリラ・カスバート
マシュウの妹。独身。共に暮らす兄とは対照的に、てきぱきとした女性。
家事全般が得意で料理上手。男の子を引き取る予定だったのが、手違いでや
って来たアンに当初は驚かされてばかりいた。
現実主義者であり、アンには辛らつな小言を言ったりと厳しく養育している
ものの、内心では実子と変わらぬ深い愛情を抱いている。
視力が低く、時々頭痛を起こしている。「やれやれ」が口癖。
感想
県立短大歯科 1 年 K さん
私は赤毛のアンの映画を見て、アンの前向きな姿勢と表現力の豊かさに感心しました。
アンはいつも真っ直ぐで素直な性格がチャームポイントではありますが、それがときに
仇となり、しばしば騒ぎを起こしてしまいます。けれど、そのようなときでも凹たれず
明日に希望を見出して成長していきます。その精神が私たちにも必要だと思いました。
私たちはまだ歯科衛生士になるために知識や技術を身につけている途中です。二年生
になったら今より実習時間が増え、初めて体験すること、わからないことが多く失敗も
すると思います。もちろん失敗する前に注意して未然に防ぐことができたらよいのです
が、完璧な人はいません。しかし失敗を次に成功につなげることはできます。失敗をし
てしまったその後に、これからどうするべきなのか考えて次に活かしていくことで成長
していくことができると思います。例えば、歯科衛生士の業務として歯石などを除去す
る際、鋭利な器具を使用します。それらを人の口の中で正確に操作しなければなりませ
ん。口腔内は唾液が絶えず分泌され視界は悪く、舌は動き、歯は小さいためミリ単位の
作業が要求されます。手先が狂えば出血を伴い大きな怪我をさせてしまう可能性があり
ます。他にも感染予防、薬品の管理など人の命に関わる義務が多くあります。もしミス
をしたらと思うと恐ろしいです。患者だけでなく自分自身も医療従事者としての自信を
喪失し、精神的に追いつめてしまうでしょう。もちろん大いに反省は必要ですが、冷静
になにが問題だったのか考え、失敗した後、アンのように前向きな気持ちに少しでもな
れたらいいなと思いました。
"Tomorrow is always
fresh with no mistakes in it."明日の自分を信じ、次は成功す
るように努力をする。自分を見つめ直し明日から新しくスタートをする。まだまだ未熟
な私たちには常にこの心掛けが必要なのだと考えさせられました。今後何か失敗をして
しまったら、落ち込むだけでなくこの言葉を思い出し、励んでいきたいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3_(%E3%82%A2
%E3%83%8B%E3%83%A1)
http://www.st-musical.com/story.html
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3+%E6%9
8%A0%E7%94%BB&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=_IayUoO3FsWrkAWYo4GICQ&ved=0CC0QsAQ&
biw=1280&bih=827
サヴァン症候群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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サヴァン症候群(サヴァンしょうこうぐん、savant syndrome)とは、知的障害のある
者のうち、ごく特定の分野に限って、優れた能力を発揮する者の症状を指す。
歴史
イギリスの医師ジョン・ランドン・ダウン (英語: John Langdon Down)は 1887 年、膨
大な量の書籍を一回読んだだけですべて記憶し、さらにそれをすべて逆から読み上げる
という、常軌を逸した記憶力を持った男性を報告した。その天才的な能力を持つにもか
かわらず、通常の学習能力は普通である彼を「idiot savant」(イディオ・サヴァン=
賢い白痴【仏語】)と名付けた。ただし、彼が自閉症の診断基準を満たしている記述は
論文には存在しない。論文上には「他の学習能力は通常である」と記載があるのみであ
る。後に"idiot"が差別的な意味を持っていることから、「サヴァン症候群」と改めら
れた。
原因
サヴァン症候群の原因は諸説があり、特定には至っていない。実際、症例により、各々
メカニズムがことなり、同じ症例は二つとないという考えもある。脳の器質因にその原
因を求める論が有力だが、自閉性障害のある者が持つ特異な認知をその原因に求める説
もある。コミュニケーション障害・自閉性障害のある者の全てがこのような能力を持っ
ているわけではない。自閉症と同様、男女比は男性が女性の数倍である。広義には、障
害にもかかわらずある分野で他の分野より優れた(健常者と比較して並外れているわけ
ではない)能力を持つ人も含めることもある。また、いわゆる天才や偉人の多くは円満
な人格者ではなく、中には日常生活に支障が出るほどの変人、時にコミュニケーション
障害・自閉性障害に近いほどの変人もおり、それがさらに極端になって「紙一重」を超
えてしまったのがサヴァン症候群だという見方もある。
能力の例

ランダムな年月日の曜日を言える(カレンダー計算)。ただし通常の計算は、1
桁の掛け算でも出来ない場合がある。

航空写真を少し見ただけで、細部にわたるまで描き起こすことができる(映像
記憶)。

書籍や電話帳、円周率、周期律表などを暗唱できる。内容の理解を伴わないま
ま暗唱できる例もある。

並外れた暗算をすることができる。
この他にも様々な能力(特に記憶に関するもの)がみられるが、対象物が変わると全く
出来なくなってしまうケースがある(航空写真なら描き起こすことができるが、風景だ
とできない、など)。
サヴァン症候群に関する報告で、一部に信憑性への疑問が出てきた。100 個以上の物の
数を瞬間的に把握する能力(以下で述べる映画『レインマン』でも取り上げられた)、
および 10 桁もの巨大な素数を言う能力についてである。文献では ESP などが挙がって
いることさえある。
感想
医療・福祉に関わる県立短大に入学してから障がい者について学ぶ機会が増えた。そ
のたびに私は友達の話を思い出す。友達は自閉症の弟を持つ子だった。
私が友達に姉と喧嘩をしたことを愚痴のような、でも面白おかしいような話をしてい
たら、その友達は実は弟がいることをうち明けてくれた。今まで周りには弟の存在を隠
していた。
「弟は自閉症という病気で人と関わることがあまり得意じゃない。そんな風
に喧嘩ができることがうらやましい。弟として生まれてきてくれたのに何もできない自
分が不甲斐ない。
」と。他にも弟が自閉症だと知ったときの衝撃や円周率を言い続ける
ことができると話してくれた。私は言葉がでなかった。涙が出てきた。やっとのことで
私が絞り出した言葉は「言ってくれてありがとう」とか友達が罪悪感を持つ必要はない
ということばかりだった。友達は私の言葉に驚いていた。聞いてくれてありがとうと何
度も言っていた。
今まで障がいもひとつの個性だと学校で教わっていた。ある社会科の先生は「障害者
の害の字はふさわしくない。障がいがあるからと言って不幸なわけではない。害してい
ない。」と教えてくれた。私も確かにそうだと思ったし、障害者という文字が失礼に感
じた。それは今でも変わらない。しかし実際に身の回りにいる体験者の話を聞くと間違
ってはいないけれど、今までの感覚とか知識がきれいごとのように思えてしまった。現
実社会では障害がい者は周りから好奇の目でみられることが多いし、その家族はなにも
悪いことなんてしてないのに周りを気にしなければならない。安易に私が友達に「それ
もひとつの個性なんだから気にしないで」なんて言えなかった。なんて軽い言葉なんだ
ろう、気にしたくなくても気にさせているのは社会じゃないかと遺憾に思った。
今回のテレビ映像を授業で見て、もっと社会全体で障がいは個性であるという認識を
作り上げていくべきだと感じた。少し人付き合いは苦手だけれど通常の人は不可能なこ
とができる。苦手なこと得意なことそれぞれあるのは誰だってある。社会全体でそう思
う世界にしていきたいと思った。ユニバーサルデザインなどの身体的な壁を取り壊す試
みは少しずつ世の中に浸透している。それも大事なことだが、障がいを持つ人が、その
家族、友達が一緒に気軽へ外出する気持ちになる、周りに話せるような精神的な心の壁
を取り除く必要があると考える。私は今回の映像を見て、すごい!と感心するだけでな
く、私たちが障がい者に対してどのような気持ちで接するべきなのか考えてほしいと思
った。健常者と呼ばれる人だって年を取れば足腰が痛いし、物覚えは悪くなる。だから
といって不幸なわけではない。それは障がい者と変わらないのではないだろうか。私自
身こと考えを持ち、誰かに広げていきたいと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E7%
97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
http://blurppy.files.wordpress.com/2012/02/stephen-wiltshire.jpg
感想
県立短大歯科 1 年 K さん
私は赤毛のアンの映画を見て、アンの前向きな姿勢と表現力の豊かさに感心しました。
アンはいつも真っ直ぐで素直な性格がチャームポイントではありますが、それがときに
仇となり、しばしば騒ぎを起こしてしまいます。けれど、そのようなときでも凹たれず
明日に希望を見出して成長していきます。その精神が私たちにも必要だと思いました。
私たちはまだ歯科衛生士になるために知識や技術を身につけている途中です。二年生
になったら今より実習時間が増え、初めて体験すること、わからないことが多く失敗も
すると思います。もちろん失敗する前に注意して未然に防ぐことができたらよいのです
が、完璧な人はいません。しかし失敗を次に成功につなげることはできます。失敗をし
てしまったその後に、これからどうするべきなのか考えて次に活かしていくことで成長
していくことができると思います。例えば、歯科衛生士の業務として歯石などを除去す
る際、鋭利な器具を使用します。それらを人の口の中で正確に操作しなければなりませ
ん。口腔内は唾液が絶えず分泌され視界は悪く、舌は動き、歯は小さいためミリ単位の
作業が要求されます。手先が狂えば出血を伴い大きな怪我をさせてしまう可能性があり
ます。他にも感染予防、薬品の管理など人の命に関わる義務が多くあります。もしミス
をしたらと思うと恐ろしいです。患者だけでなく自分自身も医療従事者としての自信を
喪失し、精神的に追いつめてしまうでしょう。もちろん大いに反省は必要ですが、冷静
になにが問題だったのか考え、失敗した後、アンのように前向きな気持ちに少しでもな
れたらいいなと思いました。
"Tomorrow is always fresh with no mistakes in it."明日の自分を信じ、次は成功す
るように努力をする。自分を見つめ直し明日から新しくスタートをする。まだまだ未熟
な私たちには常にこの心掛けが必要なのだと考えさせられました。今後何か失敗をして
しまったら、落ち込むだけでなくこの言葉を思い出し、励んでいきたいです。
感想
医療・福祉に関わる県立短大に入学してから障がい者について学ぶ機会が増えた。そ
のたびに私は友達の話を思い出す。友達は自閉症の弟を持つ子だった。
私が友達に姉と喧嘩をしたことを愚痴のような、でも面白おかしいような話をしてい
たら、その友達は実は弟がいることをうち明けてくれた。今まで周りには弟の存在を隠
していた。
「弟は自閉症という病気で人と関わることがあまり得意じゃない。そんな風
に喧嘩ができることがうらやましい。弟として生まれてきてくれたのに何もできない自
分が不甲斐ない。
」と。他にも弟が自閉症だと知ったときの衝撃や円周率を言い続ける
ことができると話してくれた。私は言葉がでなかった。涙が出てきた。やっとのことで
私が絞り出した言葉は「言ってくれてありがとう」とか友達が罪悪感を持つ必要はない
ということばかりだった。友達は私の言葉に驚いていた。聞いてくれてありがとうと何
度も言っていた。
今まで障がいもひとつの個性だと学校で教わっていた。ある社会科の先生は「障害者
の害の字はふさわしくない。障がいがあるからと言って不幸なわけではない。害してい
ない。」と教えてくれた。私も確かにそうだと思ったし、障害者という文字が失礼に感
じた。それは今でも変わらない。しかし実際に身の回りにいる体験者の話を聞くと間違
ってはいないけれど、今までの感覚とか知識がきれいごとのように思えてしまった。現
実社会では障害がい者は周りから好奇の目でみられることが多いし、その家族はなにも
悪いことなんてしてないのに周りを気にしなければならない。安易に私が友達に「それ
もひとつの個性なんだから気にしないで」なんて言えなかった。なんて軽い言葉なんだ
ろう、気にしたくなくても気にさせているのは社会じゃないかと遺憾に思った。
今回のテレビ映像を授業で見て、もっと社会全体で障がいは個性であるという認識を
作り上げていくべきだと感じた。少し人付き合いは苦手だけれど通常の人は不可能なこ
とができる。苦手なこと得意なことそれぞれあるのは誰だってある。社会全体でそう思
う世界にしていきたいと思った。ユニバーサルデザインなどの身体的な壁を取り壊す試
みは少しずつ世の中に浸透している。それも大事なことだが、障がいを持つ人が、その
家族、友達が一緒に気軽へ外出する気持ちになる、周りに話せるような精神的な心の壁
を取り除く必要があると考える。私は今回の映像を見て、すごい!と感心するだけでな
く、私たちが障がい者に対してどのような気持ちで接するべきなのか考えてほしいと思
った。健常者と呼ばれる人だって年を取れば足腰が痛いし、物覚えは悪くなる。だから
といって不幸なわけではない。それは障がい者と変わらないのではないだろうか。私自
身こと考えを持ち、誰かに広げていきたいと思う。