1968年 OAPEC成立 キング牧師暗殺 プラハの春 川端康成ノーベル賞受賞

---------- 1968 年 海外 ----------1 月 アラブ石油輸出国機構 OAPEC 成立
3 回の中東戦争でイスラエルの強さと本気を知り、1960 年にで
きた石油輸出国機構 OPEC はアラブ以外の国もいるので、ア
ラブ側は足並みを揃えるのが難しい、と判断した。だからアラ
ブ石油輸出国機構 O
A PEC になった。そこで次の戦争が起き
たら一斉に「石油減産と価格引き上げ = 石油戦略」を発動し
世界を脅して、すべてイスラエルが悪いのだと主張してやる、と待ち構えた。実際に、イスラエルもヒス
テリックに、かなり悪いので、わからないでもないが、多くの人間に迷惑をかけることをなんとも思って
いないのか、ニコニコしている腹の黒いオジサンたちである。1973 年に起きる第 4 次中東戦争は、この
「石油戦略=石油減産と価格引き上げ」のため、世界中の工業国は「(第 1 次)オイル・ショック=石油危機」
に襲われ、日本も巻き込まれた。
1 月 北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンに大攻撃を開始する = テト攻勢
アメリカ大使館も一時占拠され、その光
景が世界に放映される。
「負けてる!」と
アメリカ国民は衝撃を受けた。これが「反
戦運動」が大きくなるきっかけになる。
どの国の国民も負ける戦争はしたくない
し、参加したくないのは同じである。右端の写真はテト攻勢記念で残されているフエの街の建物。政治的・
テトは「正月」のこと。心理的な面では南ベトナム・アメリカ政府に大きな衝撃を与えた。
4 月 アメリカでキング牧師が暗殺される。6 月にはロバート・ケネディーも暗殺される。
1955 年 12 月の「バス・ボイコット」の後、キング牧師は黒人が公民権を持てる
「公民権運動」を実行した。1963 年 8 月にリンカーン記念堂の前で行われた“I
Have a Dream”の言葉で始まる演説は有名だ。1964 年 7 月に黒人は公民権を
獲得し、彼は 1964 年 12 月にノーベル平和賞を受賞、しかし 1968 年 4 月にテネ
シー州で銃撃されて死亡した。JFK の弟 ロバート・ケネディーはキング牧師と
協力して、ベトナムとの和平を模索し、大統領候補まであ
と一歩のところまで達したが、彼も兄と同じように、この
年 6 月に暗殺される。アメリカでは、正論を言う時には暗
殺を覚悟しないといけない恐ろしい国だ。写真はメキシコ
五輪で彼の暗殺事件に抗議する黒人選手たち。
1
中学生のための現代史…これを読めばわかるかもしれない
---------- 1968 年 海外 ----------8月
チェコ(・スロバキア)にソ連軍が戦車で侵攻する=「プラハの春」事件
チェコ・スロバキアってどこだ、と言う人は地図を見る。ドイツの
東隣にチェコがあり、さらにその東にスロバキアがある。現在では
チェコ共和国と、スロベニア共和国に分かれているが、かなり長い
間「1国」だった。この「2 国」は大国の思惑に振り回されたので、
少し詳しく述べておく。1620 年に、後にオーストリア帝国となる国
の支配下に置かれた。そして 1918 年の第 1 次世界大戦後、チェコ・
スロバキア共和国として独立したが、1938 年にナチス・ドイツがチ
ェコ・スロバキアの領土の一部を譲渡しろと脅迫した。そこはベル
サイユ条約でドイツが奪われた土地でもあった。それでイギリスや
フランスは厳しい態度をとった。チェコ・スロバキア北部一帯は、
強力な武器を産出するからだ。今でもチェコは武器輸出国で、短機
関銃の性能はアメリカにもひけをとらない。各国の妥協の末、9 月
にはドイツ、イギリス、フランスの間で協定が結ばれ、問題の地域はドイツ領に
なったが、当事者のチェコ・スロバキアの意志は考慮されなかった。英・仏は、
チェコ・スロバキアを犠牲にして、安全を買った、と言われた。しかし結局は
1939 年 3 月にドイツは西部を軍事占領し、東のスロバキアは保護
国化された。これをチェコ・スロバキア解体という。1945 年の第
2 次世界大戦後にやっと独立を回復するが、1948 年には共産党に
よるクーデターが起きて、独裁体制が確立し、ソ連の衛星国にな
る。1968 年には統制経済から抜け出そうとしたが、ソ連軍を主体
としたワルシャワ条約機構の軍が、チェコの首都プラハに侵攻す
る「プラハの春」事件が起きる。写真は当時の様子。その後は社
会主義国として生き延びるが、基本的に工業で成り立つ「合理主
義・科学の国」なので、職業の幅が広く、民衆の利害も一致しな
いため、共産主義政権も「完全な独裁」にならず、そのため「連
絡網」や「妥協策」として、きちんと議会制が残ったことが 1989
年の「ベルリンの壁崩壊」から、すみやかな民主化につながるこ
とは面白い。
2
中学生のための現代史…これを読めばわかるかもしれない
---------- 1968 年 日本 ----------4 月 小笠原諸島返還協定成立
ぎょくさい
沖縄とならぶ激戦地 硫黄島の玉砕=全滅から 23 年、ようやく小笠原諸島は日本
に復帰した。今は自衛隊の基地が置かれている。日章旗がたてられているのは、
すりばちやま
アメリカ軍がアメリカ国旗をたてた擂鉢山だ。まだ遺骨の収集は完全に終わって
いない。島の守備隊を指揮していたのは栗林忠道中将だったが、その夫人は協定
が締結される 3 日ほど前に、中将が笑って「ただいま」と帰宅する夢を見たとい
う。戦前・戦中は「死んで護国の鬼になる」という合言葉があったが、死者を使
うな、生きている人間が国防に責任を持て、と筆者は思う。
6 月 大気汚染防止法、騒音規制法を公布
7 月 核兵器拡散防止条約= NPT に日本も参加する。
この条約は核兵器保有国を米、英、仏、中国、ソ連の 5 つに限定し、そ
れ以外の国の受け取り、製造などを禁止するものだ。2005 年現在で加盟
しているのは 189 か国。作るなと言っても、作る国は作る。だから「作
ったら、持ってない国に使うな」という、厳しい取り決めをまず、する
べきだ。また、自動車を所有すれば、保険に強制加入するように、保有国からは安全保障の名目で、莫大
な「核保有税」の取り立てを実行するべきである。1974 年にインド、1998 年にパキスタン、2012 年に
北朝鮮は核実験に成功し、イスラエルは持っていると推定されるのに参加していない。核を持ちたい国に
責任と金銭的負担を確実に持たせる方法を考え、実行しなければ、人類に未来はない。
12 月 東京で三億円事件が起きる。
東京の府中市で起きた事件だが、実際はモンタージュというより「似
顔絵」であったという。このモンタージュ写真に振り回された事件
で、
「知り合いの誰々に似ている」と通報されて迷惑した人や、気を
病み、自殺した人もいる。結局事件の犯人は捕まらなかったので、
小説のかっこうの題材になっている。
10 月 川端康成がノーベル文学賞を受賞
左白髪の人物が川端康成。
『伊豆の踊子』
『雪国』
『山の音』
『古都』など数多い名
著をだし、現代日本文学の頂点として認められている。また新人作家を見つける
のがうまかった。右の人物 三島由紀夫もその一人である。
この年、国民総生産指数 GNP(現在は GDP で計算)が資本主義諸国中 2 位になり「昭和元禄」と呼ばれた。
3
中学生のための現代史…これを読めばわかるかもしれない