私が予想していた通りめちゃくちゃな状態で、 街の中に海水等のにおいが

B班
3年 生
中井祐希・冨樫理恵・西堀純太・増渕聡
2年 生
小林悟、杉崎伸伍、土佐翼、木村涼丸、横井直樹、稲垣直起
松田章宏、斉藤梨真、星野真矢、松橋桃子、市川美久、小泉美香
舟戸舞、三好祐奈、大竹志津教諭、吉田誠教諭
佐藤さん宅の敷地内に蓄積したヘドロ等除去
私 が予 想 していた通 りめちゃくちゃな状 態 で、
街 の中 に海 水 等 のにおいがまだ残 っており、泥
が固 まっている状 況 でした。でもそれは、私 たち
よりももっと前 に来 ていたボランティアの人 たち
が除 去 活 動 をしてくれたからであって、 もっとも
っと悲 惨 でひどい状 況 だったんだなということが
わかりました。 (2 年 女 子 )
佐 藤 さんの家 の中 を見 たときは、本 当 におど
ろきました。ヘドロが家 に入 っていたあとがはっき
り残 っていました。東 北 の方 の笑 顔 を見 たいと思
っていましたが、あれを見 たときは、笑 顔 にさせる
のは、とっても大 変 だなと思 いました。
(2 年 男 子 )
橘 高 校 でこういう活 動 ができたのが何 よりの感 動 です。みんなで協 力 してできたのも感 動 です。そ
れに自 分 がこんなに頑 張 れると思 わなかったので、そういう自 分 も見 つかったのでよかったです。
(3 年 女 子 )
他 のボランティアグループの方 々ともコミュニケーションがとれて、お互 いに励 まし合 って活 動 を
し、本 来 ならば大 変 なはずの作 業 も自 分 から進 んで「もっとやらなきゃ」「次 に何 をやるのか」など積
極 的 に活 動 に参 加 することができました。 (2 年 女 子 )
pg 8
C班
3年 生
尾 崎 智 弘 1年 生
小林祐二、星一馬、中野花菜、古屋野明日海
反町林果、菊村美樹、鈴木楓、相馬夏織、
堀口博史教諭
菅原さん宅の家内の整理
ボ ラ ン テ ィ ア を 通 し て 、自 分 の 怠 け た と
こ ろ が 直 せ た 気 が す る 。依 頼 者 の 人 と も た
くさんコミュニケーションがとれてよか
っ た と 思 い ま す 。銀 メ ダ ル を 探 し て ほ し い
っ て 言 わ れ て た の に 、金 メ ダ ル し か 見 つ け
ら れ な く て す ご い シ ョ ッ ク だ っ た 。半 分 く
らいしかきれいにできなかったからショ
ッ ク だ っ た 。も し 、ま た こ う い う こ と が あ
ったら、ぜひ参加したいと思います。
(1年女子)
3月にテレビで見た光景よりきれいにな
っ て い た が 、実 際 に 見 る と と て も ひ ど い 状
況 で し た 。ニ ュ ー ス だ け で は わ か ら な い 臭
いや被害の状況が詳しくわかった。例え
ば 、自 分 が 手 伝 い を し た 家 は 、海 が 見 え る
場 所 で も な い の に 、津 波 が 2 階 よ り 上 ま で
来 た ら し く 、庭 に は 貝 が あ っ た り し た 。僕
のグループは家の中を片付ける仕事でし
た 。汚 泥 や ヘ ド ロ に ま み れ て 、女 の 子 用 の
メ モ 帳 、子 ど も の お も ち ゃ が 出 て き て 、作
業を進めて行くにつれて「数ヶ月前まで
は 、平 和 に こ こ で 遊 ん で い た ん だ な ぁ 」と
思った。思い出の品がいっぱいあった。
グ ル ー プ の 仲 間 と 協 力 し て 、「 こ の よ う な
仕 事 は 協 力 で き な き ゃ で き な い 仕 事 」だ と
思った。とてもいい経験になりました。
(1年男子)
人と人とのつながり。自分から行動し、
少 し で も 笑 顔 が 見 た い と 思 っ た 。東 北 の 人
に 対 し て の 言 葉 遣 い や 気 配 り 。ど の よ う な
言 葉 が い い の か 、ど の よ う に 接 す れ ば い い
の か 考 え さ せ ら れ た 。コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン
の 大 切 さ 。作 業 は と て も 辛 く し ん ど か っ た
が 、達 成 感 も 大 き か っ た 。自 分 自 身 の 生 活
を 見 直 す き っ か け と な っ た 。作 業 す る 時 間
が短かったので、時間の大切さを痛感し
た。普段の生活を幸せに感じた。
(3年男子)
pg. 9
東日本大震災ボランティアに参加して
教諭
大竹
志津
震災が起きてから、ボランティアに参加したいという気持ちはありながら、日々の仕事
を こ な す の が 精 一 杯 で し た 。こ の ボ ラ ン テ ィ ア の お 話 が あ っ た と き 、
『一日だったら子供を
夫にまかせて行けるかもしれない』と即決しました。
生徒たちの感想文にもありましたが、仙
台駅から見える景色は、多少瓦が落ちてい
る家があるくらいで、震災の跡はそれほど
残ってはいませんでした。しかし、ボラン
ティアを依頼された方のお宅へ近づくと、
まだ瓦礫が残っていたり、流されてきた自
動車が積まれたままだったりして、三ヶ月
前の状態はいかほどだったのかと想像もつ
きませんでした。
その付近は、高速道路で海水がせき止め
られて、被害がおさえられたのだとボラン
テ ィ ア セ ン タ ー の 方 が 教 え て く れ ま し た 。 そ し て 、 6 月 18 日 は 震 災 か ら ち ょ う ど 100 日
目で、この週末に最後の捜索が行われているのだと。
私と生徒たちが伺った依頼者のお宅の周辺は、何軒か家があり、家の状態はそんなにひ
どくはありませんでした。でも窓や壁に、おそらく土砂がそこまであったのだろうという
跡が残っていましたし、車庫らしき場所にはひしゃげた鉄骨が一本コンクリートの土台に
残っているだけ、そして敷地の奥のほうには大きな木の残骸やごみが積み上げられていま
した。
今回は、敷地内の地面の表面にたまった、ヘドロ混じりの土をシャベルでとり、一カ所
にまとめる作業をしました。生徒たちは寸暇を惜しんで作業をしました。男女関係なく、
協力し合っている姿は、校内にいるときの姿とは違い、生徒たちの底力を感じました。
土の中からは、ガラスの破片やら、ブロック塀の一部やらが出てきました。
そ の お 家 の ご 主 人 と は 、最 後 に 少 し お 話 し た だ け で し た が 、
「三ヶ月たってこの状態です
からね・・・でもうちはまだ家がちゃんと残ったからましですよね」とおっしゃっていた
の が 忘 れ ら れ ま せ ん 。私 は 思 わ ず 、
「 が ん ば っ て く だ さ い ! 」と 言 っ て し ま い ま し た 。ご 主
人は、笑顔で力強く「ありがとう」と言ってくださいましたが、後から考えれば考えるほ
ど、その一言は言ってはいけなかったのではないかと後悔しています。3 ヶ月たっていて
も、まだまだ片付けが終わっていない状況・・・私はその気持ちを全く理解していなかっ
た自分が本当に恥ずかしいです。できればもう一度そこへ行って、片付けが終わるまでお
手伝いしたいという気持ちでいっぱいです。
生徒たちも、もっともっとやりたいと言っていましたが、彼らの体力を考えると 2 時間
強の作業の量はちょうどよかったのかもしれません。
次の機会があることを願っています。
pg. 10
「思い」は形になってわかる。ボランティアは他人のため自分のため
教諭
堀口
博史
「自分も被災地ボランティアを体験したい。目の前で向き合う『社会性に課題が多い』
高校生たちにも体験させることで、人間としての成長につなげさせたい」という「思い」
を 形 に す る こ と が で き ま し た 。私 は 社 会 科 を 担 当 し て い ま す が 、
「 学 び 、考 え 、意 見 し 、行
動 す る 」 必 要 性 を 痛 感 し て い ま す 。 今 の 多 く の 学 校 で は 、「 た く さ ん の 知 識 を 学 ば せ よ う 」
と は し て い て も 、「 考 え ( さ せ る )」 以 降 は 二 の 次 に な っ て い る 感 が 否 め ま せ ん 。 地 元 埼 玉
に 避 難 し て き て い る 方 々 へ の ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 も 一 つ の 課 題 テ ー マ で す が 、同 じ「 東 日 本 」
で 生 活 す る 者 に と っ て 、 被 災 地 を 生 で 見 て 、 感 じ て ( 特 に 「 に お い 」)、 聞 い て … と い う 体
験をすることは決定的に重要だと思います。
4月に川田先生の「思い」を聞き、私の中にも潜んでいた「何か」が目覚めました。5
月初めの歓送迎会の帰りに2人で話し込み、
「 な ん と か 実 現 し た い ね 」と 決 意 表 明 し ま し た 。
川 田 先 生 が 知 り え た 情 報 を 受 け 、 5 月 21 日 に 「 弾 丸 ボ ラ ン テ ィ ア ツ ア ー
to 石 巻 」 に 参
加しました。具体的スケジュールや手続きを考える上で非常に参考になりました。
被災地も「復興格差」があり、かなり整備が進
んだ所と、まったく手が入っていない所とに分か
れ て い ま し た 。見 渡 す 限 り の 広 野( 荒 野 )。水 田 に
は塩害が出ており、船やトラックが突っ込んだま
まの所も。そして、まだ涼しい気候であったのに
わずかに臭ってくる異臭。潮の香りとは別のもの
でした。家を流され、公民館で避難生活をしてい
る方や、ご自身も被災された小学校の先生にお話
を伺うこともできました。
「1 週間に 1 度しかお医
者さんが回ってこない。喘息気味の子どもが心配
で 」と 語 る お 母 さ ん 、
「 ま だ 、お に ぎ り と 菓 子 パ ン
が 主 食 状 態 で 」と 語 る 方 、・・・何 と も や り き れ な い
思 い を 強 く し ま し た 。そ れ で も 小 学 校 の 先 生 が「 子
ど も た ち が や り た い と 言 う の で 、 来 週 ( 5/28) 運
動会をやることにしました」と語ったように、明
日の希望を信じて、その希望に向けて前進しよう
としている姿に感動しました。
被災地ではボランティアが全然足りていませ
ん 。「 家 の 中 の 瓦 礫 除 去 や 片 付 け 、 清 掃 な ど を し て も ら う こ と が 、 本 当 に あ り が た い で す 」
と い う 言 葉 が 印 象 的 で し た 。『 朝 日 新 聞 』 の 報 道 に よ れ ば 、 1995 年 の 阪 神 淡 路 大 震 災 後 の
ボ ラ ン テ ィ ア と 比 べ て も 、今 の 東 北 地 方 で の 被 災 地 ボ ラ ン テ ィ ア は 激 減 し て い る そ う で す 。
「 一 過 性 の 熱 」に 終 わ ら せ て は い け な い の で す 。
「 人 助 け = 自 分 の 成 長 」の 輪 を 教 育 現 場 か
ら発信したいと思いました。
た だ 、長 距 離 夜 行 バ ス で の 0 泊 2 日 の 行 程 は か な り き つ か っ た の で し た 。そ こ で 、高 校
生を「これなら長期的に、リピーターも含めた参加が期待できる」形を創造したいと思い
ました。
「志があるなら行けるような金額設定をした方がいい」
「移動時間は極力抑えたい」
「 夏 休 み ま で 待 っ て い た の で は 、熱 中 症 な ど で 倒 れ て し ま う か も し れ な い 」・・・な ど 、さ ま
ざまな想定をし、議論を積み重ねました。東武トラベルの佐藤光大様(引率にも加わって
pg. 11
くださいました)にも大変お世話になりました。説明足らずなどの不手際が多い中(日々
刻 々 と 情 勢 が 変 わ っ て い っ た の で 、毎 日 そ の 対 応 に 必 死 で し た ! )、学 校 の 諸 先 生 方 お よ び 、
PTA・後援会の役員の方々にも、最高のご理解とご協力をいただき、立派な企画が完成
し ま し た 。6 月 に 入 っ て 実 際 に 募 集 し た と こ ろ 、
「 思 い 」を 立 候 補 し た 生 徒 た ち が 実 に 多 か
ったこと!
泣 く 泣 く 、 抽 選 と い う 形 で 生 徒 36 名 を 選 び ま し た 。
体育祭を頑張って疲れが残っていましたが、当日は涼しい風の吹く曇天に助けられまし
た 。作 業 も 順 調 で 、被 災 者 の 方 か ら い ろ ん な お 話 を 伺 っ た り 、被 災 者 の 方 の「 思 い 出 探 し 」
を し た り 、他 の ボ ラ ン テ ィ ア の 大 人 た ち と 意 気 投 合 し た り 、・・・さ ま ざ ま な 出 会 い を 生 徒 た
ちもできました。ボランティアセンターの皆様にも、手取り足取りいろいろなお世話にな
りました。
「 家 を 取 り 壊 す し か な い の に 、そ れ で も 、長 年 住 み 続 け た 家 の 中 を き れ い に し て
からにしたい。そのためにボランティア依頼してくる方もたくさんいます。そのことの被
災 さ れ た 方 の 心 を 考 え て く だ さ い 」。
「時間が足りない」となかなか終わろうとしない姿、目の輝き、感想文の内容、どの場
面からも、生徒たちが有意義な体験をしたことがうかがえました。大竹先生、吉田先生と
いう強力な引率仲間が加わってくださったことも、生徒たちを安全に導いていくうえで大
変助かりました。すばらしいチームワークだったと思います。
後日、ある被災者の方は
「ボランティアで自宅の清
掃活動にいらしてくださり、
ありがとうございました。
元気で活動的な皆様のパワ
ーで、こちらも元気をもら
いました。お蔭様で自宅も
かなりきれいになりまし
た 。」と い う お 礼 の メ ー ル を
いただきました。
「ボランティアは『して
あげる』ものではない」と
言われますが、まったくそ
の通りで、自分の心に充実
感や満足感が得られる活動
でした。生徒たちの心にい
つまでも生き続くことでしょう。
良き機会を作ってくださり、ありがとうございました。重ねて、関係の皆様方に深く感
謝申し上げます。
pg. 12
編
集
後
記
教諭
川田
清隆
「あらゆる業界が支援の手を差し伸べている。高校生も何かできないか。」
阪神淡路大震災の時も、中越沖地震の時も感じていたことでした。まして今回
は状況が違う。未曾有の震災ということもあるが、埼玉県はいち早く被災者に
一時避難所を提供し、被災者はすぐ隣の町にいるのだ。
この事業には、もちろん「被災者支援」という目的がありますが、教育的に
も大きな目的があります。高校生が「人との絆」を意識し、日常生活の社会規
範やマナーなど自己の生き方を見直す契機にすることです。保護者や先生から
「マナーを大切に」と言われるからではなく、経験的に社会規範の重要性を理
解し、自らの規範意識を高めるというものです。東北のためにできることを考
え、そのコミュニティ再生に関わることは、埼玉のコミュニティで日常的にす
べきことを考えることと全く同義なのです。
また、生徒が社会人になった時に、企業の新しい社会貢献の形を考え、実現
していく次世代を担う人材となってくれるだろうと期待しています。
本事業がモデルケースになり、少しずつこの活動が広がっていくことにも大
きな意義があります。一人ひとりにできることは小さいけれど、広がることに
よって、これが大きな第一歩になるはずです。
まず、4月15日旧騎西高校への支援を申し入れました。計画当初(4 月~5
月上旬)は、まだ受入体制が整っていなかったせいかも知れませんが、なかな
か進展しませんでした。5月21日に石巻へボランティアに行きました。関わ
れば関わるほど「ボランティアは簡単ではない」ことが実感できました。
こ の 企 画 を 検 討 し て 行 く に 当 た り 、 PTA、 後 援 会 、 本 校 教 職 員 の 皆 様 方 か ら 温
かい励ましの言葉をいただきました。また、全ての生徒がこの企画の参加につ
い て 真 剣 に 検 討 し て く れ た と 思 っ て い ま す 。真 剣 に 参 加 を 検 討 す る こ と は 、「 生
徒が自身の良心に問いかけた行為」だと解釈しています。
参加の意を示した87名以外にも、たくさんの生徒から「行きたかった」と
いう思いや言葉が聞かれました。保護者の皆様には、本当に有り余るご理解ご
協力いただきました。皆様の思いがなければ、絶対にできない事業でした。
現地での活動はすばらしいものでした。大宮駅解散の際、「120点どころ
ではない。300点だ。」と生徒に伝えるほど、完璧に動いてくれました。
衷心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
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