「神様」になった?毛沢東

「神様」になった?毛沢東(全)
今年の七月、私は八九年の第二天安門事件(いわゆる六・四)で余儀なく帰国して以来、
実に三年ぶりに中国を訪れた。空港に着いてタクシーに乗ったところ、バックミラーに毛
沢東の写真が吊してある。なかなか凛々しい若き日の毛沢東と、堂々とした晩年の毛沢東
とが裏表になって透明のプラスチックケースに納まり(裏が周恩来というのもある)、下に
は赤と黄の房で飾りつけて、写真の下には「紀念毛沢東同志誕辰一百周年」と朱書きされ
ている。確かに来年は毛沢東生誕百年であるし、六・四以後、各地で毛沢東がちょっとし
たブームになったことは日本でも耳にしたが、北京だけでなく大連でも天津でも行き交う
車が、特にタクシーというタクシーがみな毛沢東の写真を吊している光景はちょっと異様
である。
私はタクシーの運転手にその理由をたずねたが、最初は警戒されてまともな返事は返っ
てこなかった。そこで、その後はタクシーに乗ればまず運転手と世間話をし、警戒心を解
いてから写真に話題を移したところ、かれらは実に様々な「神話」を聞かせてくれた。い
ずれも「聞いた話しだが」との前提であったが。
【その一】
中国の南方でバスの転落事故があった。全員即死かと思われる大事故であ
ったが、ひとりの青年が助かった。その青年は胸に毛沢東の写真を入れて
いた。毛沢東がかれの命を救ってくれたのである。
【その二】
中国の南方でタクシーとタクシーの正面衝突事故があった。一台は炎上し
て運転手は即死したが、もう一方の運転手はかすり傷で助かった。助かっ
た運転手のタクシーには毛沢東の写真が吊してあった。毛沢東が運転手を
助けてくれたのである。
【その三】
広州でのこと、ひとりの女性が大金の入ったハンドバッグをタクシーに置
き忘れた。現金が戻ってくることは考えられなかったが、何と正直な運転
手からその女性の手に手つかずのまま戻された。バッグの中には毛沢東の
写真が入っていた。毛沢東が大金を守ってくれたのである。
かつて儒教の権威を強化するために孔子は人間から神に祭り上げられた。超自然的出生
がまことしやかに唱えられ、異相と並外れた大きな肉体とを備えて、ついに未来の予言者
となっていった。また、老子も生誕や容貌に異常性を託されて神格化された。毛沢東が孔
子や老子のように神様になるのであれば、どのような様相を呈した神様になるのだろうか。
【一】と【二】の「神話」から毛沢東は容易に「交通の神様」になれる。事実、何人か
の運転手は「交通の神様」と言った。また、【三】はいかにも中国らしい「神話」である。
しかし、毛沢東が「交通の神様」や「お金の神様」となるのも不可解である。第一、なぜ
毛沢東なのか。私はどの運転手にもその質問をした。
北京は広い。また、最近はオリンピック開催をにらんだ立体交差建設のおかげで、どの
道路も慢性的な交通渋滞である。四十分や一時間タクシーに乗ることも珍しくはない。我々
二人のほかに誰もいない密室では、いったん心を許せば中国人はいろいろなことを話して
くれる。かれらは言う、
「もちろん毛沢東は偉大だが、なにも毛沢東でなくてもよい。要す
るに、今の指導者でないところがみそで、我々が今の指導者を尊敬もしていなければ信じ
てもいないことの象徴。しかし、やはり毛沢東でなければならない面もある。来年が毛沢
東生誕百年なので隠れみのになるし、毛沢東を敬って公安に捕まる心配もなければ、写真
をはずせと命ぜられることもないからだ」と。そんな運転手の一人から聞いたもうひとつ
の「神話」。
【その四】
八九年春、六・四の流血など思いもよらなかった五月二十三日、ある地方
から来た中国人が天安門に掲げられた毛沢東像にペンキをかけた。ところ
がどうしたことか空は急にかき曇り、突風が吹き荒れてバケツの水をひっ
くりかえしたようなすさまじい雨に見舞われた。中国の人々はこの突然の
暴風雨を、天にいる毛沢東がとうとう怒ったと理解した。すなわち、中国
の象徴である毛沢東が、学生や市民をここまで追い詰めた政府を戒めたの
だと。
実は私はこのとき自転車で天安門へ向かっており、その途中でこの突風と土砂降りに出
くわして近くの商店で雨宿りをしたので非常によく記憶している。その昔、董仲舒は天が
災害を下して為政者に反省を促し、それでも改めなければ異変を下すと災異説を唱えたが、
もし、この考え方が今も健在であるならば、毛沢東は天(神様)になったことになる。
どの「神話」が真相であるか、もちろん私も知らない。中国のある若い社会学者は、こ
の現象は六・四の後にニューヨークの中国人街に端を発すると言う。六・四に大きな衝撃
を受けたニューヨーク在住の中国人が毛沢東のバッジを胸につけ、それが香港に飛び火し、
香港から広東、広東から北京、北京から全国に広まったと。たとえそれが中国人の懐古趣
味から来たものであったとしても、大切なことはタクシーの運転手が異口同音に語った思
い、
「毛沢東の時代、生活は苦しかった。しかし、精神的には今よりずっと豊かだった」が
象徴するように、これは明らかに現実政治への批判であり、民主化運動弾圧と現政府首脳
陣への、中国人庶民のささやかではあるがしたたかな抵抗であるという事実だ。