館内 案内 図 - 野球殿堂博物館

2006年 野球殿堂入り 山田久志
野球殿堂は、日本の野球の発展や隆盛に貢献された方々を表彰し、
その功績を永遠にたたえるために、1959年につくられました。
2011年までに殿堂入りした方は173人です。
野球体育博物館
2011年 野球殿堂入りされた方々
大江戸線 三田線
至 池袋
競技者表彰
21ゲート
アトラクションズ
青いビル
(祝日、
東京ドームでの野球開催日、
休 館 日 月曜日
春・夏休み期間中は開館)
年末年始
(12月29日∼1月1日)
財団法人
財団
黄色いビル
野球体育博物館
〒1
〒112-0004 東京都文京区後楽1-3-61
TEL
TEL. 03
(3811)
3600 FAX. 03(3811)
5369
ここに して
を押
スタンプ ってね。
持って帰
東京ドームホテル
ミーツポート
至 新宿
西口
JR 水道橋駅
東口
至 御茶ノ水
http://www.baseball-museum.or.jp/
http
Professional Baseball
少年野球から高校・大学・社会人まで
アマチュア野球を紹介しています。
Amateur Baseball
アマチュア野球
History of
Baseball
プロ野球
出入口
プロの投手(映像)と対戦するバッ
ターボックス体験コーナーや、野球
用具や野球場のいろいろなひみつを
紹介。また、BISデータによりプロ野
球最新記録を検索できます。
Event Hall
Rest Room
イベントホール
トイレ
スタンプ台
Library
野球の歴史
図書館
Theater
シアター
Exhibition
Baseball Hall of Fame
企画展示室
野球殿堂
野球界の功労者を選出し「野球殿堂入り」として
表彰しています。格調ある雰囲気の中で、肖像
レリーフがその功績を伝えています。
野球殿堂
「新世紀特別表彰」コーナー
映像シアターでは120インチの
大画面でプロ野球選手のプレー
をご覧いただけます。
戦没野球人モニュメント
野球およびその他のスポーツ
に関する本や雑誌約5万冊
を所蔵しており、プロ野球
12球団のファンブックをは
じめアマチュア野球や外国
のものも揃っています。
館内案内図
お客様相談室
野球に関すること
何でも聞いてください。
事務室
企画展などを行います。
吉國 一郎 第9代コミッショナー
福島慎太郎 パ・リーグ会長を2度務めた
米田 哲也 歴代最多の949登板、歴代2位の350勝
根本 陸夫 西武黄金時代の基礎を築く
小山 正明 抜群の制球力で歴代3位の320勝
武田 孟 日米大学野球開催に尽力
長谷川良平 広島を支えた小さな大投手
山内 一弘 大毎ミサイル打線の中心打者
歴代4位の317勝
鈴木 啓示 近鉄一筋、
福本 豊 攻走守三拍子揃った盗塁王
田宮謙次郎 15シーズンで打率3割以上7回
中沢不二雄 パ・リーグ初代専任会長
生原 昭宏 日米野球交流の中心的役割を果たす
F・オドール 日本の野球技術向上に尽力
正岡 子規 野球を愛した明治の俳人・歌人
上田 利治 熱血指導で阪急を常勝チームに
関根 潤三 投手と野手でオールスター出場
松田 耕平 大リーグを手本に球団改革を推進
H・ウィルソン 明治5年に野球を伝えた“日本野球のルーツ”
鈴鹿 栄 軟式ボールを考案し野球の普及に尽力
を誕生させた名監督
仰木 彬 「イチロー」
秋山 登 大洋初の日本一に貢献した大エース
“マサカリ投法”
で大活躍
村田 兆治 豪快な
森 祇晶 日本一3連覇を2度達成した名監督
志村 正順 野球人気に貢献した名アナウンサー
史上最年長MVPに
門田 博光 怪我を克服し、
高木 守道 攻走守三拍子揃ったバックトスの名手
山田 久志 独特のサブマリン投法で通算284勝
川島 廣守 プロ・アマの協調体制を加速させる
豊田 泰光 西鉄黄金時代にクリーンアップを打つ
梶本 隆夫 9連続奪三振は今も日本記録
松永 怜一 優れたアマ指導者でロス五輪優勝監督
山本 浩二 “ミスター赤ヘル”と呼ばれた広島の4番打者
堀内 恒夫 ルーキーで16勝をあげエースとしてV9に貢献
嶋 清一 夏の甲子園の準決勝、決勝でノーヒットノーラン
“小さな大打者”
若松 勉 生涯打率.319の
青田 昇 “じゃじゃ馬”と呼ばれたホームランバッター
大社 義規 野球とチームを愛した日本ハム初代オーナー
君島 一郎 日本野球発祥を研究「日本野球創世記」を著す
ライオンズのエース
東尾 修 通算251勝、
江藤 慎一 史上初の両リーグで首位打者
“ミスター社会人”
古田 昌幸 都市対抗16回出場
話題性のある資料や新着資料などを
タイムリーに展示します。
別当 薫 天性の好打者、
4球団の監督歴任
西本 幸雄 監督歴20年、
8度のパ・リーグ優勝
金田 正一 400勝、
4490奪三振
横沢 三郎 プロ野球草創期の名審判
芥田 武夫 早大の名外野手
永田 雅一 東京球場をつくる
島 秀之助 初代セ・リーグ審判部長
野村 克也 戦後初の三冠王捕手
野口 二郎 延長28回完投の鉄腕投手
池田 恒雄 出版活動を通じ、
野球界の発展に貢献
伊達 正男 大リーグに挑んだ早大の鉄腕投手
真田 重蔵 ノーヒット・ノーラン2度達成
張本 勲 広角打法で3085安打達成
佐伯 勇 近鉄バファローズオーナー
牧野 茂 高度なチームプレーを確立
筒井 修 審判員の3000試合出場第一号
島岡 吉郎 神宮を沸かせた名物明大監督
中澤 良夫 春夏甲子園大会の基盤をつくる
廣岡 達朗 セ・パ両リーグで日本一監督
坪内 道則 1000試合、
1000安打第一号
吉田 義男 “今牛若丸”
と呼ばれた名ショート
吉田 正男 中京商業夏の甲子園3連覇投手
稲尾 和久 シーズン42勝をあげた西鉄の鉄腕エース
村山 実 2代目ミスタータイガース
王 貞治 一本足打法の世界のホームラン王
三拍子揃った名外野手
与那嶺 要 ハワイの日系2世、
廣岡 知男 野球のオリンピック参加に貢献
杉浦 忠 日本シリーズ全4戦全勝の南海エース
石井藤吉郎 アマ球界の強打者から全日本監督へ
強肩の名外野手
“人間機関車”
呉 昌征 俊足、
村上 實 プロ野球草創期の阪急球団代表
藤田 元司 巨人のエースから名監督へ
“鉄人”
衣笠 祥雄 2215試合連続出場の
牧野 直隆 第4代高野連会長
保坂 誠 日本初ドーム球場建設
1000安打達成
大杉 勝男 両リーグで1000試合、
山本英一郎 国際派の野球人として活躍
通算209勝
中尾 碩志 速球派から技巧派へ、
早大の名選手
井口新次郎 和歌山中、
と呼ばれた本塁打王
中西 太 “怪童”
広瀬 叔功 名外野手で盗塁王
古葉 竹識 カープの黄金時代を築いた名監督
近藤 貞雄 投手分業制を導入
東京ドーム
(300円)
入 館 料 大人 500円
小・中学生 200円
(150円)
65歳以上 300円
※
()
内は20名以上の団体
町
神保
運動記者の草分け
明大野球部長
学生野球協会第2代会長
スポーツ記録の第一人者
29年で6球団を指揮した名監督
猛打の初代ミスタータイガース
甲子園球場の設計工事責任者
プロ野球完全試合達成第一号
学徒出陣壮行早慶戦実施
巨人第2期黄金時代の名監督
14歳でプロ入り、
投打に活躍
早大監督で9回優勝
草創期のタイガースを支えたエース
初代タイガース主将、
猛打で沢村と対決
48歳で投げた小さな大投手
早大の頭脳的名捕手
巨人第1期黄金時代の強肩捕手
全ポジションを守った明大万能選手
310勝をあげた南海、
巨人のエース
東京六大学野球連盟第2代会長
大正時代の早大エース
“青バット”
の天才打者
シーズン51本の本塁打王
“猛牛”
といわれた巨人名二塁手
1246試合連続出場
神主打法で1試合4ホーマー
第3代高野連会長
社会人野球協会結成に貢献
セ会長を長年務め、
球界の発展に尽力
学生野球憲章制定に尽力
“魔術師”
と称された名監督
第3代コミッショナー
早慶戦復活に尽力した慶大主将
フォークボールの大投手
巨人初期黄金時代の名遊撃手
パ・リーグ最初の100勝投手
早大で首位打者3度のスラッガー
野球規則・記録の研究、
整備に貢献
名物の守備で活躍した投手兼一塁手
タイガース初代会長
法大初優勝監督
慶大黄金時代の強打者
“神宮の星”
から
“ミスタープロ野球”
へ
開館
開館時間 3月1日∼9月30日 10:00∼18:00
10月1日∼2月末日 10:00∼17:00
※入館は閉館時間の30分前まで
至
中面も見てね!
太田 茂
内海 弘蔵
天野 貞祐
広瀬 謙三
藤本 定義
藤村富美男
野田 誠三
中上 英雄
小泉 信三
水原 茂
西沢 道夫
森 茂雄
西村 幸生
松木謙治郎
浜崎 真二
伊丹 安広
吉原 正喜
岡田源三郎
別所 毅彦
平沼 亮三
谷口 五郎
大下 弘
小鶴 誠
千葉 茂
飯田 徳治
岩本 義行
佐伯 達夫
小川正太郎
鈴木 龍二
外岡茂十郎
三原 脩
内村 祐之
桐原 眞二
杉下 茂
白石 勝巳
荒巻 淳
田中 勝雄
山内以九士
中河 美芳
松方 正雄
藤田 信男
山下 実
長嶋 茂雄
場 場 所
所 東京ドーム21ゲート右
橋駅
水道
日米野球を成功させ巨人を創設
我国初の野球チームを結成
米チームを破った一高投手
学生野球の父
都市対抗野球大会を創設
初のプロチーム
「日本運動協会」
を創設
早大・函館オーシャンの名捕手
初期プロ野球界不滅の大投手
対大リーグ初の勝利投手
プロ野球初の300勝投手
穂洲の名で健筆をふるった早大名監督
早大初渡米後ワインドアップ投法を導入
第1回早慶戦勝利投手
学生・プロの名審判
職業野球連盟初代理事長
プロ野球初の三冠王
七色の変化球を投げた頭脳派投手
社会人野球協会初代会長
打撃の神様、
V9達成の巨人監督
南海黄金時代を築いた名監督
第2代コミッショナー
投打に活躍した学生野球のヒーロー
猛打タイガースの強打者
一高の名サウスポー
慶大黄金時代の名監督
プロ野球草創期日米野球の交流に尽力
後楽園スタヂアム第4代社長
宝塚運動協会・阪急球団結成
華麗な守備の名二塁手
巨人、
阪急の初代監督
攻走守揃った天才的プレーヤー
日本野球連盟初代会長
慶大・三田倶楽部名捕手
東京セネタースを結成
中日監督でシリーズ制覇
初代パ・リーグ審判部長
松竹ロビンスオーナー
野球規則を本格的に翻訳出版
ベースボールを
“野球”
と訳す
独特の話法で人気を博した名解説者
用具の生産・改良に尽力
広島カープ初代監督
審判の権威と信頼を確立
ラクーア
プロ野球12球団の現役選手のユニ
ホームやバット、グラブなどを展示
しています。
1935年 山形県生
プロ野球(実働18シーズン 投手 右投右打)
南海の黄金時代を支えたサイドスロー。入団3年目の1956年
から引退まで、二桁勝利を12回達成。62、66年に最高勝率を
マーク。68年には31勝で、最多勝利、最優秀防御率のタイトル
を獲得し、ベストナインを受賞。最後の30勝投手となる。日本
シリーズに4回、オールスターに6回出場。引退後は阪神、巨人、
近鉄でコーチを務めた。
通算成績221勝139敗 防御率2.42
球史に残る名選手のコーナー。大記
録を築いた名選手のバットやグラ
ブなどを展示しています。
皆川 睦雄
1953年 秋田県生
プロ野球(実働20シーズン 内野手 右投右打)
1979年にロッテに入団。81年に打率.326で首位打者を獲得。
82年には史上最年少の28歳で三冠王となる。85年は打率.367、
52本塁打、
146打点という驚異的な成績をあげて2度目の三冠王。
翌年にも三冠王となり、
史上初の3度の三冠王となった。
中日に移籍
後も89年に打点王、90年は打点王と本塁打王の2冠、91年には
2年連続となる本塁打王を獲得。その後巨人、
日本ハムでも活躍。
通算成績2371安打 510本塁打 1564打点 打率.311
至 東京
線
三田
正力松太郎
平岡 凞
青井 鉞男
安部 磯雄
橋戸 信
押川 清
久慈 次郎
沢村 栄治
小野三千麿
V・スタルヒン
飛田 忠順
河野安通志
桜井彌一郎
池田 豊
市岡 忠男
中島 治康
若林 忠志
宮原 清
川上 哲治
鶴岡 一人
井上 登
宮武 三郎
景浦 将
守山恒太郎
腰本 寿
鈴木惣太郎
田辺 宗英
小林 一三
苅田 久徳
三宅 大輔
田部 武雄
森岡 二朗
島田 善介
有馬 頼寧
天知 俊一
二出川延明
田村駒治郎
直木松太郎
中馬 庚
小西 得郎
水野 利八
石本 秀一
中野 武二
落合 博満
春日駅
後楽園駅
アメリカで誕生した野球が日本へ
伝えられ、現在のように発展した
歴史を紹介しています。
競技者表彰
丸ノ内線 南北線
日本にベースボールが伝来
戦後復興、
2リーグ制始まる
1872年に第一大学区第一番中学のアメリカ人教師
ホーレス・ウィルソンが生徒にベースボールを伝え
た。翌年、開成学校と校名が変わり新校舎とともに
立派な運動場が整備されると試合が出来るまでに
なった。
終戦後、プロ野球は1945年11月23日から東西対抗を実施。翌46年
にはリーグ戦が復活した。50年、8球団によるセントラル・リーグ、7球団
によるパシフィック・リーグが誕生、2リーグ制が始まった。
この年、最初
の日本シリーズが行われ、翌51年からオールスターゲームがスタート。
野球のはじまり
ホーレス・ウィルソン
1845(弘化 2)●アレキサンダー・カートライトが今日の野球に直接つな
1849(嘉永
1857(安政
1858(安政
1863(文久
1865(慶応
1869(明治
1871(明治
がる規則を作る。
この規則による最初の試合が1846年
ニュージャージー州ホボケンで行われる。
2)●ニッカーボッカー・クラブがはじめてユニホームを着用。
青色長ズボン、
白ポロシャツ、
麦わら帽子。
4)●アマチュアチームが集まり野球協会を作る話し合いを行い、
9イニング制の採用を決定
(それまでは21点先取)
。
5)●最初の野球協会
(National Association of Baseball Players)
誕生。
3)●ヘンリー・チャドウィックが記録法
(ボックススコア)
を考案。
元)●南北戦争の後、
西部や南部にも野球が広まる。
2)●最初のプロチーム、
シンシナティ・レッドストッキングス
誕生。
4)●最初のプロ野球協会
(National Association of Professional
Baseball Players)ができ、5年間存続。
1950年
日本ワールドシリーズ
ペナント
鎮魂の碑
戦争で亡くなったプロ野球選手69名の名前
が刻まれている。博物館を出て左前方の階段
下にある。
明治時代の野球用具
1951
(昭和26)●プロ野球にコミッショナー制度がしかれる。
1953
(昭和28)●テレビの野球実況放送が始まる。
1959
(昭和34)●野球体育博物館開館。
1962
(昭和37)●作新学院が、
春夏甲子園に初の連続優勝。
1965
(昭和40)●ヒューストンに初の屋根付球場
(アストロドーム)
建設される。
●プロ野球新人選択会議
(ドラフト)
始まる。
1951∼53年
オールスターゲーム入場券
1969
(昭和44)●ア・ナ両リーグともに12チームに増え、
東西6チームずつ
の地区別となる。
●10月10日、
金田正一は通算400勝を達成。
1973
(昭和48)●ア・リーグが指名打者
(DH)
制を採用。
●パ・リーグが2シーズン制を採用。
(1982年まで)
●巨人が9年連続日本シリーズ優勝。
1975
(昭和50)●パ・リーグが指名打者制を採用。
1977
(昭和52)●ア・リーグはさらに2チーム増え、
14チームとなる。
●9月3日、
王貞治はハンク・アーロンの記録を破る通算756
本塁打を達成。
1983
(昭和58)●6月3日、
福本豊はルー・ブロックの記録を破る通算939
盗塁達成。
1984
(昭和59)●ロサンゼルスオリンピックの公開競技で全日本チームは
金メダル獲得。
1987
(昭和62)●6月13日、
衣笠祥雄はルー・ゲーリッグの記録を破る2131
試合連続出場達成。
1988
(昭和63)●日本初の屋根付き球場東京ドームが完成し、
野球体育
博物館はドーム内に移転。
一高、
横浜外国人チームに大差で勝利
1896年5月、一高
(第一高等学校)は横浜在住の外
国人チームとの試合に29対4で勝利。この勝利が
新聞で報じられ、
野球人気が全国的に高まった。
プロ野球の隆盛、大記録誕生
マスクは複製
1872(明治 5)●ホーレス・ウィルソンがベースボールを伝える。
ナイターが行われる。
1949
(昭和24)●サンフランシスコ・シールズ
(3A)
が戦後初のアメリカプロ
野球チームとして来日。
戦没野球人モニュメント
戦争で亡くなった学生野球・社会人野球関係者
の名前が刻まれている。戦後60年の2005年に
建立された。
中列中央が平岡凞
1948
(昭和23)●横浜ゲーリッグ球場(横浜スタジアム)
でプロ野球の初
1952
(昭和27)●全日本大学野球選手権大会が始まる。
アメリカ留学から帰国して、新橋鉄道局に勤
めた平岡凞は1878年、鉄道関係の仲間を集
めて日本初の本格的野球チーム「新橋アスレ
チック倶楽部」
を結成した。
野球伝来から近代野球へ
プロ野球も11月23日に東西対抗を行う。
1946
(昭和21)●学生野球、
社会人野球、
プロ野球が復活。
1950
(昭和25)●セントラル、
パシフィックの2リーグ制が始まる。
日本初の本格的野球チーム誕生
新橋アスレチック倶楽部
1945
(昭和20)●11月18日に神宮で全早大対全慶大を挙行。
1947
(昭和22)●ジャッキー・ロビンソン、
初の黒人大リーグ選手となる。
日本野球発祥の地モニュメント
2003年、東京神田の学士会館(開成
学校があった場所)に建立された。
●はアメリカの野球の歴史です
戦後の復興、
2リーグ制始まる
1876(明治 9)●現在のナショナル・リーグが結成される。
1878(明治11)●アメリカ留学から帰国した平岡凞が、
わが国初の本格的
野球チーム
「新橋アスレチック倶楽部」
を結成。
1894(明治27)●中馬庚がベースボールを
「野球」
と訳す。
1896(明治29)●第一高等学校が横浜外国人チームに勝利し、
野球人気が
全国的に高まる。
1901(明治34)●現在のアメリカン・リーグが結成される。
1903(明治36)●ナ・リーグとア・リーグの間に協定が成立し、
ワールド
シリーズが始まる。
●早慶戦が始まる。
1905(明治38)●早大チームが初の米国遠征を行い、
最新の野球技術を
学んで帰国。
1906(明治39)●応援の過熱により、
早慶戦が中止となる。
1907(明治40)●慶大が初めて外国チーム
(ハワイ・セントルイス)
を招待し、
初の有料試合を行う。
夏の甲子園大会始まる
1915(大正 4)●全国中等学校優勝野球大会
(現在の夏の甲子園大会)
が始まる。
『野球』
1897年 中馬庚 著
1896年 一高チーム
後列中央がベースボールを「野球」と訳した中馬庚で、
翌年には競技
者向けの詳しい専門書(写真左)
を著した。
稲尾和久投手
1961年最多勝トロフィー
西鉄ライオンズの鉄腕投手。
歴代最多タイのシーズン
42勝をあげた。
早慶戦開始、
野球の発達
1903年に早稲田が慶応に試合を
申込み早慶戦が始まった。06年、
応援の過熱が問題となり中止にな
る。25年秋に復活、早慶明法立に
東大が加盟し東京六大学リーグ戦
が始まった。
され、
シンシナティ・レッズが勝ったとする事件
(ブラック
ソックス事件)
が起こる。
1920(大正 9)●最初のプロチーム日本運動協会
(芝浦協会)
が誕生。
関東大
震災の後、
関西へ移り宝塚協会となるが、
1929年に解散。
1921(大正10)●ケネソー・マウンテン・ランディス判事が初代コミッショ ナーに就任し、
ブラックソックス事件を解決。
1924(大正13)●全国選抜中等学校野球大会
(現在の春の甲子園大会)が始まる。
●甲子園球場完成。
1925(大正14)●秋季より早慶戦が復活、
東大の加盟により東京六大学 リーグ戦始まる。
1926(大正15)●明治神宮球場完成。
1927(昭和 2)●都市対抗野球大会始まる。
●夏の甲子園大会が初めてラジオで実況放送される。
1929(昭和 4)●大リーグで背番号を採用する球団があらわれ、
他チーム
にも広まる。
●早慶戦で天覧試合が行われ、
東京六大学の全盛時代となる。
1931(昭和 6)●ルー・ゲーリッグら米大リーグ選抜チーム来日。
1932(昭和 7)●文部省が
「野球統制の訓令」
を施行。
1933(昭和 8)●大リーグのオールスターゲームが始まる。
●中京商業が夏の甲子園大会3連覇を達成。
●日本初のナイターが戸塚球場で行われる(早大二軍対早大新人戦)。
広島東洋カープ ユニホーム
衣笠祥雄選手着用
1987年、
大リーグ記録
(当時)
を
破る2131試合連続出場達成。
金田正一投手
左腕ブロンズ像
1969年、
通算400勝、
4490奪三振の大記録
を達成。
明治時代末には、早稲田の渡米遠征や
外国チームの来日など海外との交流に
より、日本野球は大きく進歩した。さら
に、1910年には慶応の直木松太郎に
よりはじめて米国の野球ルールを全訳
した『現行野球規則』が出版された。
第1回早慶戦出場選手
夏の甲子園大会開催
都市対抗始まる
1915年、全国中等学校優勝
野球大会(現在の夏の甲子
園大会)開催。1924年には
全国選抜中等学校野球大会
(現在の春の甲子園大会)も
始まった。
1927年、
第1回都市対抗野球大会開催。
日米野球、ベーブ・ルース来日
1934年11月ベーブ・ルースら米大リーグ選抜
チームは全日本チーム等と16戦を行い全勝。12月
には、
この全日本チームを中心として大日本東京野
球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)が誕生した。
1992
(平成 4) ●バルセロナオリンピックから野球が正式種目となり、
銅メダル獲得。
1993
(平成 5) ●ナ・リーグも14チームとなる。
●プロ野球にフリーエージェント制
(FA)
が導入される。
張本勲選手 3000本安打達成(1980年)バット
1995
(平成 7) ●ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄が、
ナ・リーグ新人王となる。
日本プロ野球記録となる
通算3085安打を達成した。
1996
(平成 8) ●アトランタオリンピックで全日本チームは銀メダル獲得。
1997
(平成 9) ●ア・ナ両リーグの交流試合が始まる。
1998
(平成10)●ナ・リーグが16チームとなり両リーグあわせて30チームとなる。
2000
(平成12)●シドニーオリンピックでプロアマ合同の全日本チームは
王貞治選手
756号ホームランボール
1977年、ハンク・アーロンの大リーグ
記録(当時)を破る756号本塁打を
達成。通算868本塁打、
“世界のホーム
ラン王”と呼ばれた。
イチロー選手 バット
2001年よりシアトル・マリナーズで活躍、
2010年には自身が持つ大リーグ記録を更新し10年連続
200安打を達成。
日米通算の安打数を3522本とした。
2010年セ・リーグMVP
和田一浩選手
(中日)
福本豊選手
939盗塁達成スパイク
1983年、ルー・ブロックの
大リーグ記録(当時)を破る
939盗塁達成。
通算1065盗塁。
第17∼19回大会 中京商3連覇時の参加賞メダル
野球の国際化
1994
(平成 6) ●ア・ナ両リーグともに東、
中、
西の地区別となる。
『現行野球規則』
1918(大正 7)●鈴鹿栄が少年野球用に軟式ボールを発明。
1919(大正 8)●ワールドシリーズでシカゴ・ホワイトソックスの選手が買収
読売ジャイアンツ ユニホーム
長嶋茂雄選手着用
1965∼1973年巨人が日本
シリーズ9年連続優勝(V9)を
達成。
WBC連覇
前田健太投手
(広島)
使用グラブ
2010年沢村賞を受賞。
2010年パ・リーグMVP
和田毅投手
(ソフトバンク)
2009年第2回ワールド・ベースボール・クラシックで日本代表が連覇を達成。
都市対抗の優勝チームに授与される黒獅子旗
1927年の第1回から73年まで使われていた初代黒獅子旗
(手前)。小杉放庵が、バビロンのレリーフにヒントを得てデザ
インした。現在は3代目が使われており、都市対抗開催期間中
は3代そろって展示予定。
4位に終わる。
2001
(平成13)●シアトル・マリナーズのイチローがア・リーグ新人王・MVPに輝く。
●福岡ドーム
(1993年)
、
ナゴヤドーム、
大阪ドーム
(97年)
、
西武ドーム
(99年)
に続き、
札幌ドーム完成。
2004
(平成16)●アテネオリンピックで日本代表は銅メダル獲得。
●イチロー
(マリナーズ)
はジョージ・シスラーの記録を破り、
シーズン262安打を達成。
選手会が史上初のストライキを行う。
●球団統合問題に端を発し、
2005
(平成17)●セ・パ交流試合が始まる。
●アジアシリーズ初開催。
日本
(千葉ロッテ)
が優勝。
2006
(平成18)●ワールド・ベースボール・クラシック
(WBC)
で王監督率いる
日本代表が優勝。
2007
(平成19)●セ・パ両リーグの上位3チームが日本シリーズ出場を争う
クライマックスシリーズ始まる。
2008
(平成20)●北京オリンピックで日本代表は4位となる。
2009
(平成21)●第2回WBCで原監督率いる日本代表が連覇を達成。
●ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜がワールドシリーズ
MVPに輝く。
2010
(平成22)●第4回女子野球ワールドカップで日本代表が連覇達成。
シーズン214安打を達成。
●マートンがイチローの記録を破り、
2011
(平成23)
年 野球界のおもなスケジュール
日本職業野球連盟創立、
プロ野球リーグ戦始まる
日本プロ野球の誕生
3月 第83回選抜高校野球大会(23日∼)
プロ野球 セ・パ開幕(25日)
6月 第60回全日本大学野球選手権記念大会(7日∼)
7月 プロ野球 オールスターゲーム
8月 第93回全国高校野球選手権大会(6日∼)
1936年2月、東京巨人、大阪タイ
ガース、
名古屋、
東京セネタース、
阪急、大東京、名古屋金鯱の7球
団により日本職業野球連盟創立。
初年度は巨人とタイガースが首
位となり、洲崎球場で優勝決定戦
が行われ、
巨人が2勝1敗で優勝。
1934(昭和 9)●ベーブ・ルースら米大リーグ選抜チーム来日。
1936(昭和11)●東京巨人、
大阪タイガース、
名古屋、
東京セネタース、
阪急、
大東京、
名古屋金鯱の7球団により、
日本職業野球連盟創立。
1937(昭和12)●西宮、
後楽園両球場完成。
1943(昭和18)●戦争激化で学生野球は中止。
1944(昭和19)●プロ野球も一時休止となる。
1934年日米野球 ポスター
第5回世界大学野球選手権大会
銅メダル、
日本代表サインボール
2010年日本で開催、日本代表は銅メダルを獲得。
メンバーから斎藤、大石、伊志嶺ら8名がプロ入りした。
日本職業野球連盟 連盟旗
2006、2009 WBC優勝トロフィー
第82回都市対抗野球大会(26日∼)
9月 第66回全日本軟式野球大会(16日∼)
10月 プロ野球 日本シリーズ(29日∼)