Untitled - 順天堂医院 耳鼻咽喉・頭頸科

目
次
1. 巻 頭 言 ····································· 池田 勝久 ··············
1
2. 雑
感 ······································· 市川銀一郎 ··············
3
3. チャルダッシュを求めて ······················· 飯村 晃彦 ··············
4
4. 医局便り ····································· 古川 正幸 ··············
6
5. 臨 床 ······························································
(1) 手術・検査統計(2007 年、順天堂本院) ··························
(2) 病院連携 ································ 横井 秀格 ··············
(3) 専門外来紹介
めまい外来 ···························· 一針 幸子 ··············
頭頸部腫瘍グループ ···················· 松本 文彦 ··············
鼻副鼻腔外来 ·························· 横井 秀格 ··············
崇 ··············
顔面神経外来 ·························· 飯塚
いびき外来 ···························· 林 千江里 ··············
補聴器外来 ···························· 中川 雅文 ··············
難聴外来 ······························ 林 千江里 ··············
中耳外来 ······························ 古川 正幸 ··············
音声外来 ······························ 横井 秀格 ··············
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6. 研 究 ·······························································
(1)耳科領域 ································ 峯川
明 ··············
春山 琢男・笠井 美里 ····
(2)鼻科領域 ································ 横井 秀格・酒井 陽子 ····
齊藤 達矢 ··············
川野 健二 ··············
(3)頭頸部腫瘍グループ ······················ 伊藤
伸・大峡 慎一 ····
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7. 学位論文要旨 ································· 林 千江里 ·············· 23
八尾
亨 ·············· 24
成井 裕弥 ·············· 24
8. 学会見聞録 ··························································
(1)ARO に参加して ························· 峯川
明 ··············
(2)日本頭頸部外科学会 ······················ 松本 文彦 ··············
亨 ··············
(3)ドイツ フランクフルト ESS 解剖実習 ····· 八尾
(4)頭蓋底コース(Milano)に参加して ··········· 杉田
玄 ··············
(5)日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会に
参加して ································ 齊藤 達矢 ··············
(6)日本耳鼻咽喉科学会総会旅行記 ············ 春山 琢男 ··············
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(7)第 30 回日本顔面神経研究会に参加して ····· 飯塚
崇 ··············
(8)第 19 回日本アレルギー学会春期臨床大会に
参加して ································ 横井 秀格 ··············
(9)頭頸部癌学会 ···························· 大峡 慎一 ··············
(10)第 69 回耳鼻咽喉科臨床学会に参加して ····· 伊藤
伸 ··············
(11)喉頭科学会 ······························ 林 千江里 ··············
(12)9th International symposium on recent
advances in otitis media··················· 古川 正幸 ··············
(13)「The structure and operation of the hair
bundle (聴毛束の構造と機能)」の discussion
meeting に参加して ······················ 池田 勝久 ··············
(14)EUFOS(June 30th - July 4th, 2007)Vienna /
Austria, Congress Center Hofburg ·········· 大峡 慎一 ··············
(15)第一回国際難聴の予防とリハビリ学会
(北京)··································· 笠井 美里 ··············
(16)5th Asan Rhinoplasty Symposium に
参加して ································ 井下 綾子 ··············
(17)6th Molecular Biology of Hearing &
Deafness Conference に参加して·········· 井下 綾子 ··············
(18)Minimally invasive endoscopic surgery
for the cranial base and pituitary fossa course
の印象記(動く教授室の誕生)··············· 池田 勝久 ··············
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9. 同門会式次第・同門会賞 ·············································· 43
平成 19 年度同門会 ················································· 43
同門会賞 ··································· 松本 文彦 ·············· 43
10. 関連病院の紹介 ······················································
(1)順天堂浦安病院 ·················································
(2)順天堂静岡病院 ·················································
(3)順天堂練馬病院 ·················································
(4)順天堂江東高齢者医療センター ············ 松本 弥依 ··············
(5)江東病院 ································ 関 眞規子 ··············
(6)越谷市立病院 ···························· 奈良林 修 ··············
(7)多摩南部地域病院 ························ 金 隆 澤 ··············
(8)2007 年 浅間総合病院 ···················· 本間 博友 ··············
(9)みつわ台病院 ···························· 中川 雅文 ··············
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11. 新入医局員の紹介 ····················································
楠
威志 ··············
原
陽子 ··············
廣津 幹夫 ··············
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12. 教室行事 ···························································· 56
(1)野球大会 ································ 大峡 慎一 ·············· 56
(2)医局スキー旅行 ·························· 峯川
明 ·············· 57
(3)医局コンペ(池田杯)祝開催!! ············ 峯川
明 ·············· 58
(4)新入局員歓迎会 ·························· 大峡 慎一 ·············· 59
13. 寄 稿 ······························································
六郎 ··············
(1)旅して知り得た北欧の医療制度 ············ 関
(2)分析から CONTEXT へ ··················· 石原
恒 ··············
(3)近 況 ·································· 宮崎 雅之 ··············
(4)音声言語障害に耳鼻咽喉科医はどこまで
関わるべきか ···························· 米山 文明 ··············
(5)退屈な話ですが・・・ ···················· 松本 和彦 ··············
(6)小説 第 25 作 フェンスを超えて ········· 浅井 俊治 ··············
(7) ········································ 川島
理 ··············
(8) ········································ 関 眞規子 ··············
(9) ········································ 三島 丈和 ··············
(10)患者さんは患者様ではない ················ 吉田 悌友 ··············
(11) ········································ 畠
将晃 ··············
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14. 研究会 ······························································ 80
15. 教室ならびに関連施設業績、競争的資金獲得 ···························· 83
16. 編集後記 ···························································
87
1.巻 頭 言
同門会会長
池
田
勝
久
順天堂に参りまして 4 年目になりました。病棟・手術は耳科、鼻科、頭頸部の 3 グループ制が
ほぼ安定し、外来での予約システムも軌道に乗ってきております。教室員は昼夜、休日を問わず、
臨床、研究に打ち込んでいると信じております。
さて、教室運営には 3M が必要であ
ると常々考えておりました。第一に、
競争的外部資金(Money)を多く導入
することにより、充実した研究が可能
になります。右図のように 2004 年よ
り文科省科研費の申請数は右肩上がり
申請数
採択
となっております。新規の採択件数は
毎年ほぼ同数ですが、それ以外に COE、
プロジェクト研究、スポーツ健康科学
研究所、スポトロジーセンターなどの
学内の研究費の獲得は増加しておりま
す。その結果、徐々に研究設備が整っ
てきており、教室員の研究へのモチベーションも高まっております。第二に、診療(稼動額)の実
績の向上のため、たゆまない Management の努力が必要です。全身麻酔の手術件数は 2004 年の
400 余症例から 2005 年 567 症例、2006 年 743 症例と毎年 30%強の増加を示しています。それ
に伴って、手術稼動額も同様の伸びを示しております。最後の M は人員の確保(Manpower)です。
そのために教室の魅力を適正に(誇張せず)提示している PR パンフレットを毎年更新し、幅広く
配布しております。今夏は新入教室員歓迎・祈願の団扇も作製し、人員の充実に努めております。
昨年度は 7 名、今年度は 2 名の新教室員を迎えております。
教室員に明確なビジョンを示すことも研
究・臨床のモチベーションを向上させる上
で重要と考え、基礎・臨床研究の展望(現在、
近未来、将来)を公示しています(下表)。黒
字は完成度の高いテーマ、赤字は現在進行
中のテーマ、青字は未着手のテーマです。
同門会の発展には、基盤母体である教室
の発展が不可欠でありますので、今後も同
門諸先生の物心両面のご支援を心よりお願
い申し上げます。
-1-
基礎・臨床研究の展望
現在の目標
(2~5年)
耳科領域
近未来の目標
(5~10年)
将来の目標
(10年~)
鼓膜接着法の普及(短期入院)
電磁型補聴器の臨床試験
耳小骨の可動性検査
難聴遺伝子解析
遺伝子変異マウスの遺伝子治療
中耳粘膜の培養系
埋め込み型・電磁型補聴器
の実用化
耳小骨可動性検査の実用
網羅的難聴遺伝子解析
難治性中耳病態への再生医療
低侵襲手術による
感音難聴の治療
鼻科領域
アレルギー性鼻炎への
オーダーメイド手術
後鼻神経切断術の普及
ESSの短期入院手術
鼻ポリープの網羅的遺伝子解析
(原因遺伝子の同定)
難治性の好酸球性副鼻腔炎の
病態解明と治療の確立
鼻副鼻腔疾患の原因遺伝子の
ゲノム解析
鼻副鼻腔疾患治療のゲノ
ム創薬
頭頸部癌
領域
関連病院との医療連携の確立
超選択的動注化学療法の確立
内視鏡下頭蓋底外科の実施
先進的放射線・癌化学療法の実施
癌遺伝子の解析
拠点病院での標準手術の確立
オーダーメイド治療の確立
遺伝子治療の応用
睡眠時無呼吸・いびき、感染症、扁桃の基礎・臨床研究
-2-
先天性難聴・感音難
聴の根本的治療
2.雑
感
名誉教授
市 川
銀一郎
小生が新米医師であった昭和 42 年頃、
「安保改正」などの若いエネルギーが爆発したうねりの
中の一日を思い出した。
寒く本降りの雨の日曜日、当時 5 号館の 1 階にあった研究室で同期の西田正剛君などと動物実
験を行っていた。駿河台から御茶ノ水橋近辺が学生に占拠され封鎖されたため、順天堂の周りの
道路には機動隊員が多数詰めていた。窓の外では厚い雨合羽を着た、20 代と思われる多数の若い
機動隊員が握り飯を食べていた。方言丸出しで「あの連中は親の脛を齧って学生運動なんかやっ
ている。お陰でこんな寒い思いをしなければならない・・・」。開けた窓をそ~っと閉めた。その
後、医学教育は僅かながら良い方向に向かったように思う。
残念ながら、昨今の医学や医療を取り巻く諸問題はますます混迷を極め、また余りにも情報過
多である。若人はどのように対処したらよいか理解に苦しんでいるように思われる。希望に燃え
ているはずの若い諸兄姉には濃い霧の中をドライブしているように先が見えにくいのではないか。
最近、各地で耳鼻咽喉科の中堅医師や専門医に成りたての若い君と話すことが少なくない。目
が輝いている者と全身に疲れが漂っている者とに分けられる。今、流行の「2 極化」かな?と考
えながら彼等と話してみると、現状は現状としてしっかりした夢を持っている者と、日々の Duty
に追われて心身共に余裕のない者との差らしい。
過去の事例に学べば“今”の後、さらに辛い状態になるのか、あるいは希望の持てる前途が見
えてくるのか若い諸君の考え方と行動にかかっている。
常に希望を持ち、明るい未来、そして充実した人生を求めるのは若人の特権である。
近い将来、人生 100 年となるやもしれない。小生の囲碁とゴルフの先生は“大丈夫!、あなた
はまだまだ上達しますよ!”と言ってくれる??
前途に希望を持ち続けたい。
以上
-3-
3.チャルダッシュを求めて
飯
村
晃
彦
何気なく新聞の広告を見ていたら、JAL 直行臨時便で東欧 3 ヶ国をまわる旅の広告が目に入り
ました。早速色々な旅行社のパンフレットを取り寄せて見てみると、ウィーン楽友会館でモーツ
ァルトが聴ける等々でジャルパックのものを申し込みました。座席は行きも帰りも同じ番号で、
私達のパーティーは 20 人位でしたが、一台のバスに乗れないほどのパーティーもありました。
東欧のジプシー音楽を楽しむのも目的の一つでした。
成田 10 時 40 分発、15 時ブタペスト着。一寸疲れていましたが、その夜はホテルのコンシェ
ルジュに相談し近くのレストランを 19 時 30 分に予約しました。行ったところ客は 1 組だけでし
たが、8 時 30 分頃には満席になりました。鉄琴、ベース、ヴァイオリンのトリオで客のリクエス
トをもとに演奏していました。懐メロを聴いていましたところ、アレ!何だろう?と一瞬名前が
出ない曲がありました。ララのテーマ曲でした。インターン時代の思い出が一瞬頭の中を駆け巡
りました。ヴァイオリンが私達のテーブルに来て演奏を始めました。それまで居眠りをしていた
奥方も耳もとのヴァイオリンを楽しんでいたようでした。食事も美味しく、CD をすすめられて
買うはめになりました。次の朝同行の S さんに紹介しましたら、早速その夜に行かれ大変喜ばれ
ました。S さんは同年配で、私が生まれた頃のカルザスのバッハチェロ組曲は最近の人達のもの
より良いとか、SP はチェロの音域にマッチしているのではないか等私の自論を述べましたとこ
ろ、S さん達のグループは東工大の先生達を中心に SP を聴く会を催しているとの事等話がつき
ませんでした。
気温は昼は 25 度くらいで夜は冷えます。ドナウ河クルーズは寒くて困りました。次の宿泊地
であるウィーンで 8 月 15 日(聖母昇天の日)を迎えました。この日はヴァッハウ渓谷のオプシ
ョナルツアーを予定いたしておりました。残念ながら 1 名ほど希望者が足りなかったためキャン
セルになってしまいました。その日はレストラン・有名店も休みになることは経験済みなので、
そのことを皆に言ったつもりでしたが、その日は買い物の日と決めていたためツアーも人数不足
1 人分!になってしまいました。その人達は何も出来ず困っておりました。探せば色々なストリ
ートパフォーマンスがあるものです。シュテファン寺院前の広場では女性の空中浮揚のマジック
が演じられていました。前後左右から見てもタネは分かりませんでした。ウィーンの森は 2 度目
ですが、毎回腹が立つ所があります。マイヤーリンクの館です。ある貴族が心中を図った所です。
ロマンを感じている人が多いようですが、残念なことです。そもそも人の上に立つような人は自
分を厳しく律すべきであると思っています。お金・女性に対してもです。
モーツァルトコンサートはホテルから 4 人乗りの馬車に乗り学友協会ホールに行くものでした。
毎年ウィーンフィルの新年コンサートを楽しみにしておりましたが、ホールは想像以上のもので
した。モーツァルト楽団はその当時の衣装・カツラを身に着けておりました。休憩の時間には別
室で出演者とシャンパンを飲みながら歓談しおみやげに CD 等を頂きました。最後にはラデッキ
ー行進曲が始まり、全員指揮者に合わせ手拍子!感激しました。プラハではあるお店の地下にレ
-4-
ストランがあり、そこでジプシー音楽をトリオで演奏しておりました。私達の席に来ましたので、
“チャルダッシュ”をリクエストいたしました。Difficult!と云いつつ演奏を始めました。これ
ぞやっと巡り合ったチャルダッシュでした。目的完了!
帰ってビデオを再生しましたところそこの部分は映っていませんでした。
C'est la vie!
-5-
4.医局便り
古
川
正
幸
今年も残すところ 2 ヶ月足らずとなりましたが、先生方におかれましてはいかがお過ごしでし
ょうか?順天堂医院は健康総合大学として敷地内完全禁煙となり煙の全くないきれいな病院に生
まれ変わっております。
まず医療連携関連です。同門の先生方のクリニック、関連病院、関連施設からの紹介の患者さ
んは直接、鼻副鼻腔外来、中耳外来、頭頸部外来に予約することが可能になりました。どうぞご
活用ください。詳しくはホームページをご覧ください。http://www.juntendojibi.com/です。
人事関係では、これまで医局に 18 年間在籍され多くの業績を上げられた藤森正登先生が平成
19 年 3 月末にご開業のため大学を辞職されました。藤森先生の新天地での今後ますますのご発展
をお祈り申し上げます。更に平成 19 年 9 月 1 日に近畿大学より楠威志先生を准教授として迎え
ました。耳鼻咽喉科学教室の臨床及び研究がますます発展することが期待されます。
さて平成 19 年 10 月1日現在の医局員の構成は以下のようになっています。(敬称略)
順天堂医院
順天堂練馬病院
主任教授
池田勝久
講師
畠 将晃
准教授
楠 威志、古川正幸、横井秀格、
助教
戸田 恵
横井尚子、一針幸子
順天堂江東高齢者医療センター
酒井陽子、奈良林修、松本文彦、
助教
林千江里、原亜希子
みつわ台総合病院
助教
大学院
中川雅文、杉田 玄
飯塚 崇、伊藤 伸、
井下綾子(4 年)、大峡慎一、
江東病院
笠井美里、斉藤達矢、春山琢男、
関眞規子、広津幹生
峯川 明(3 年)
多摩南部地域病院
順天堂浦安病院
教授
芳川 洋
准教授
中澤詠子
助教
八尾 亨、田崎京子、小野倫嗣、
金 隆澤、原恵子
浅間総合病院
細川 晃、本間博友(大学院 1 年)
越谷市立病院
長陽子
大学院
高柳博幸、松岡理奈
加瀬(4 年)
順天堂静岡病院
講師
川野健二
助教
星長啓介、成井裕弥
大学院
岡田弘子(1 年)
中澤麻美
-6-
産休、育休が松本弥衣、原亜希子となっています。大野眞弓、梓澤陽子は本院の外来にて週 1
回診察しています。
医局員の慶事です。平成 18 年 6 月 6 日に梓澤陽子に翔太ちゃんが誕生しました。続いて平成
19 年 7 月 17 日に杉田玄に智隼ちゃん、安優ちゃんが誕生しました。更に平成 19 年 8 月 17 日に
松本文彦と松本弥依に武彦ちゃんが誕生しました。おめでとうございます。
平成 18 年度より同門会の先生方のクリニックに医局員を派遣することが可能となり、平成 19
年 10 月現在で杉田耳鼻咽喉科医院と藤巻耳鼻咽喉科医院に医局員を派遣しています。ご希望の
先生方は医局長に御一報ください。
-7-
5.臨
床
(1)手術・検査統計
順天堂本院 2007 年(1 月~12 月)全麻手術症例数
全麻手術症例数
339
350
300
250
243
230
200
197
185
2006年
2007年
150
127
103
100
82
70
40
50
0
鼻科手術
耳科手術
喉頭手術
咽頭手術
頭頸部手術
全麻手術症例数(合計)
873
900
743
800
700
567
600
500
400
300
200
100
0
2005年
2006年
2007年
-8-
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(2)病院連携
横
井
秀
格
順天堂では下記の案内書の如く医療連携室が充実しており、全国の関連病院はじめ OB の先生方
のみならず開業の先生方からご紹介をいただいた患者さんに対し速やかな対応を行っております。
耳鼻咽喉・頭頸科におきましては年に 1 回、11 月末に東京・茶崖耳鼻咽喉科病診連携懇話会を
開いています。
平成 19 年度の内容は、各専門外来の紹介やその中での症例報告を紹介していただいた先生方
の症例を中心に行なわれました。また、例年特別講演をお願いしておりますが、今年は感染対策
室室長の堀賢先生に「耳鼻咽喉科における感染対策と治療」についてお話していただきました。
このように日常の耳鼻咽喉科診療に有益となる情報を得ております。そしてその後の懇親会にて
親睦をはかり、さらなる情報交換の場としております。
-10-
-11-
(3)専門外来紹介
めまい外来
一
針
幸
子
毎週月曜日午後めまいの専門外来をおこなっています。酒井先生、井下先生、一針が担当して
います。古川朋靖先生においでいただき、指導して頂いています。
めまいで受診された患者さんには、まず一般外来でルーチン検査を受けていただきます。詳細
な問診の後、裸眼下、フレンツェル眼鏡下に眼振検査(頭位、頭位変換検査を含め)、聴力検査、
ENG 検査などを行います。諸検査の結果、さらに精査が必要と思われた患者さんにはめまい外
来を受診していただくようにお話をします。めまい外来では赤外線カメラで眼振を観察、記録し
ます。また VS 検査なども行っています。外来終了後古川先生のご指導のもと、検査技師の山口
さんにも加わっていただいて症例カンファレンスをおこないます。眩暈の原因、今後の治療方針
などを個々の症例ごとに検討し、翌週のめまい外来の際に患者さんに治療方針をお話する形をと
らせていただいています。
頭頸部腫瘍グループ
松
本
文
彦
頭頸部腫瘍グループは 2007 年の 1 月から大峡先生が加わり、現在伊藤、大峡、松本の 3 人で
稼働中です。大峡先生は手術に病棟にととても奮闘してくれています。他にもれず大峡先生も手
術が 3 度の飯よりすきで、どんどん上達してきています。最近、危機感を感じるので、もう教え
るのをやめようかなと思っています。伊藤先生も大学院 4 年生ですが、外勤減らして癌治療に心
血をそそいでいます。頭頸部グループの良い伝統なのか悪い伝統なのか分かりませんが、
「手術が
無ければ生けていけない」とみんな頑張ってくれています。診療もだいぶ体系化され、治療方針
も一定化し機能してきました。進行癌症例に対しては、再建手術、タキソテール併用多分割照射、
超選択的動注(主に上顎癌)を 3 本柱にして治療を行っています。手術件数も増加してきており
昨年は再建手術が 11 例、総件数が 91 例(悪性腫瘍のみ)、本年の再建手術はすでに 10 例施行さ
れました(7 月現在)。やはり相手が癌ですから、治療の甲斐なく残念な結果になるケースもあり
ますが、忙しい中みんなで力を合わせて頑張っています。ぜひ、今後も症例数を増やしつつ、グ
ループ員も増やしていきたいなと思っています(特殊な人な集まりじゃないから、ぜひ若い先生
も頭頸部にどうぞ)
-12-
鼻副鼻腔外来
横
井
秀
格
鼻副鼻腔外来は 1.毎週水曜午後の新患外来、2.火曜午前、午後の再診外来、そして 3.金曜
午後のレーザー外来に分けられています。
新 患 外 来: 当科初診外来に受診された鼻、副鼻腔疾患の患者さんが必要な検査を予約され、
それらを施行後に最初に鼻副鼻腔専門外来を初めて受診される際に予約にて
行っています。
他に関連施設や開業の先生方からのご紹介患者さんもすべての検査が揃って
いなくとも予約していただけます。
担当:池田、横井
再 診 外 来: 上記新患外来を受診された後に今後の治療予定、手術適応、手術後の経過観察
などを行っています。
担当:火曜午前-横井、斎藤
午後:池田、横井
レーザー外来: アレルギー性鼻炎などの疾患にて下甲介粘膜の肥厚している患者さんで主に
鼻閉、または鼻汁などの症状があり、鼻中隔彎曲がないか軽度の方に治療効果
の高いアルゴンプラズマガスを用いた短時間での外来処置。
担当:峯川
現在、鼻副鼻腔外来は主にアレルギー性鼻炎、慢性副鼻腔炎に対して副鼻腔 CT や CAP-RAST、
鼻汁好酸球などを中心に検査を進め、患者さんの病態に一番適切な治療をおこなっています。最
近、難治性で話題の好酸球性副鼻腔炎に対しては喘息の合併の有無、嗅覚障害、血中好酸球数、
CT 所見より的確に診断してゆき手術前の呼吸器内科との連携、また術前術後のステロイドの内
服などにより良好な術後経過を認めており患者さんからの信頼、信望を得ています。また、難治
性のアレルギー性鼻炎に対しては後鼻神経切断術も積極的に行っており多くの患者さんより喜ば
れております。
今後とも同門会の会員先生方からのご紹介、よろしくお願い申し上げます。
顔面神経外来
飯
塚
崇
顔面神経外来は水曜日の午後に顔面神経麻痺患者を対象に行っております。主に ENoG(エレ
クトロニューロノグラフィー)の検査にて顔面神経の変性に陥った神経線維の割合を測定し予後
判定をしています。検査結果が悪い場合には入院でのステロイド大量療法や顔面神経減荷術等の
積極的な治療もお勧めします。また、リハビリテーション科を紹介し顔面のマッサージを指導し
て共同運動などの後遺症を予防していきます。陳旧性麻痺に対してもリハビリや日常生活の注意
点の指導を行います。ステロイド治療後も麻痺が回復するまで当外来にて経過を追っていきます。
今年は顔面神経研究会に参加した際、ボツリヌス毒素製剤の講習・実技セミナーを受講し、ボトッ
クスの使用も可能になりました。今後の治療に役立てていければと考えております。
-13-
平成 18 年は 108 名が当科で顔面神経麻痺と診断され、陳旧性麻痺以外の 98 名に ENoG を施
行しました。発症して 7 日以内に受診し完治または半年以上経過を追えた 58 名のうち完治しな
かったのは Bell 麻痺 1 名、Hunt 麻痺 2 名でした。
顔面神経麻痺は顔という外見上最も目立つ部位に症状が現れる疾患であり大きな不安を持って
いる人の受診が多いため、標準的な治療と丁寧な説明を心がけております。
いびき外来
林
千 江 里
いびき外来は本年度に入り、呼吸器内科、循環器内科と当科を中心とした、スリープ診療合同
会議を定期的に行い、各科同志のつながりを今後より一層強くしています。先の話にはなります
が、新病棟が設立される際にはスリープセンターの開設を目標にしたいと思っています。また、
積極的に自主研究も行っております。1~2 名の新規患者様と 20 名前後の CPAP 導入中などの定
期 follow 患者様を診療しています。まずは初診時に自覚症状や合併症を中心とした問診を行って
頂き画像検査やファイバーなどで身体所見を確認します。そして基本的には確定診断に不可欠で
ある終夜睡眠ポリソムノグラフィー(PSG)を施行して頂きます。現在 PSG は院内でのご紹介は
もちろん、当院ではコスト面での問題で PSG を受けられない患者様には池袋睡眠センターとの
提携により安価で信頼性の高い attend PSG をご紹介させて頂くことも可能となっています。検
査結果をふまえて CPAP 導入や口腔内装具等の保存的加療から手術適応までの判定を行っていま
す。単純いびき症の患者様にも適応に応じてアルゴンプラズマレーザー(APC)や口腔内装具のご
紹介を行います。また、小児の患者様には自宅で簡便に行えるアプノモニターやパルスオキシメー
ターでのスクリーニング検査を行って頂き積極的に手術を施行しています。先日は都民公開講座
にて 400 人を越える一般のかたを対象に講演会を開催し、好評のうち無事終了しております。改
めて SAS に関する関心の高さを感じさせられました。月曜日は林、水曜日は井下、金曜日は飯塚
が担当させて頂いています。
補聴器外来
中
川
雅
文
(客員准教授・みつわ台総合病院副院長)
1) 外来運営の概要
平成 18 年 12 月から補聴器外来は、これまでの週 1 回木曜日午後に加えて、火曜日午後も
追加となってリニューアルスタートしました。新型の特性測定装置の導入や新しい音場検査用
音源などを整備し、より詳しい評価や装用訓練(支援)を行える体制になっています。現在、中
川雅文客員准教授(S61 卒、みつわ台総合病院、補聴器適合判定医)、横井尚子准教授(H5 卒、
補聴器相談医?)、酒井陽子助教(H8 卒、補聴器適合判定医)、林千江里助教(H13 卒)、笠井
美里医師(H15 卒、院生)、峯川明(H15 卒、院生)の総勢 6 名が、他の専門外来や病棟勤務な
-14-
どの関係から交替で外来を担当しています(敬称略)。また補聴器の試聴や修理に関する対応に
ついては、株)リオネットセンター新宿、株)スターキー・ジャパン、株)エイド(GN リサウン
ドおよびシーメンスの TCI の取扱)の 3 社に協力を要請、院内立ち会いを行って頂いています。
現在この補聴器外来では、成人・高齢者の感音難聴に対する補聴相談、難聴児の補聴装用訓
練の支援、慢性耳鳴患者に対する TRT 療法などを行っています。最近の傾向として、DFS な
どの最新のデジタルテクノロジーが搭載されたオープン式の補聴器が適応となる軽度難聴例
の適応評価が増加傾向にあります。また、「耳閉塞(こもり)感」の解決に有効な実耳測定にも
とづくフィッティングは重要度を増しています。この手技の習得や理論の理解が本外来を担当
する医師に求められるようになっており、当外来でもこれに取り組みはじめています。
今後は高齢化とともに聴覚の廃用症候群と適切な装用訓練のあり方、つまり補聴リハビリの
あり方や有効性への関心がさらに高まると予想されますから、当教室が長年培ってきた脳機能
マッピングのノウハウや臨床聴覚生理学の視点からこの問題へ積極的に取り組み、加齢難聴に
おける脳の可塑性や脳科学的知見に基づいた補聴リハビリの開発などチーム一丸となって実
地臨床と臨床研究とに取り組んでいきたいと考えています。
2) 今年の活動について
2−1) 研究
峯川
明・他 「当院における補聴器装用患者の分析と定期トレーニングの効果につい
て、および補聴器装用となった軽度難聴患者の背景と装用後の満足度につ
いての検討」日本聴覚医学会(10 月 4~5 日、名古屋)
峯川
明・他 「軽度難聴例へのオープン式補聴器の臨床検討」補聴器研究会(10 月 4~5
日、名古屋)
中川雅文・他 「頸動脈狭窄病変などを認めた慢性耳鳴症患者 10 例の検討」日本聴覚医
学会(10 月 4~5 日、名古屋)
2−2) 視察・研修
○ 第 1 回 WHO 主催国際難聴の予防とリハビリテーション学会
場所・日時:北京
H19.04.26~30.
出席者:中川雅文、酒井陽子、笠井美里。
概要:現地では、鈴木淳一帝京大名誉教授、田中美郷帝京大名誉教授、坂田英明埼玉
県立こども病院耳鼻咽喉科部長などのグループと合流し、北京同仁病院の人工内耳セ
ンターでの聴覚士によるトレーニング現場の見学や Temporal Bone Dissection
Course の施設見学などを行ってきました。
○ 神尾記念病院小児難聴外来での定期研修
酒井陽子助教が、田中美郷 NPO-HIJ 副理事長(帝京大学名誉教授)のもと週 1 回、
神尾記念病院小児難聴外来にて臨床研修を積んでいます。
○ チベット・ラサ市における小児難聴の実態調査
場所・日時:チベット・ラサ市、H19.09.18~25
参加予定者:中川雅文
概要:日本ヒアリングインターナショナル(HIJ)が今年度からスタートしたチベット
支援プログラムの第 1 回視察ツアーがあります。HIJ 理事長である中川雅文がこのツ
-15-
アーへ隊長として参加します。今回は、主に現地ヒアリングとなり実際の医療活動な
どは次年度以降の計画となります。問い合わせ・参加申し込みは、[email protected]
まで。
○ 第 2 回 HIJ 学術セミナー・ハンズオン実習
場所・日時:お台場、H19.10.13~14
参加予定者:補聴器外来医師など
補聴器相談医や適合判定医以上の経験者を対象として開催されている HIJ 学術セミ
ナー(H19 年度会長新井寧子東京女子医科大学東医療センター教授)では、ハンズオ
ンセミナーが開催されます。今年は、実耳計測実習、オープンフィティングの実践、
TRT カウンセリングの実際などが予定されています。
日耳鼻の学術集会(5 単位)となります。
http://procom-i.co.jp/bhf2007/index.html
懇親会(10/13)は大江戸温泉
(^.^)!
3) 独白「なぜみつわ台を休診にして補聴器外来に来るのか?」
医療行為を行う際、すべての医師は、
「説明責任」
「患者の自己決定権の尊重」
「守秘義務と情
報開示」を遵守することが求められています。またすべての医療行為は「予見義務」をもって
執り行うことが求められています(医の倫理網領 日本医師会 2000 年)。さらにこの医療行為は
他のサービス業と異なり「請託業務でない」責任が付託されている点も忘れてはいけません。
例えば、耳鼻科医が「嗄声を主訴で受診した患者の難聴を見逃したらそれは過失である」とか
「補聴器を片側装用している患者に両耳装用の必要性と片耳装用の問題点を説明しなかったこ
とは予見義務違反である*)」などがそれに当てはまります。日本の社会の高齢化は急速に進ん
でおり、高齢者の 3 人に 1 人が補聴器を必要とする難聴レベルになるとの予想が事実なら、20
年後には数百万人以上の補聴器の必要な難聴者が町にあふれる時代になります。今のところサ
ブスペシャリティーとして扱われている補聴器臨床ですが、早晩、急性中耳炎やアレルギー性
鼻炎同様にすべての耳鼻咽喉科医が専門性を持って行う医療へと変貌していくでしょう。
少子化という側面も抱えている日本は、難聴人口が放置されると実質的な労働人口の減少
(労働効率の低下)をもたらしますから、社会的損失は少なくありません。米国で発表された聴
覚障害者の所得とその当事者の補聴器の有無とに関する論文は、現在のような高額な補聴器の
価格のままであっても個人所得および生産性の両面からみた場合、補聴器による経済的効果は
計り知れないと報告しています。
難聴を取り扱う耳鼻咽喉科医は、「説明責任」や「予見義務」という医師の責任のもと適切
な指導や処置などの医療行為に関わるだけでなく、少なくとも保険医である以上、公衆衛生学
あるいは医療経済学などのマクロ的視点からもこの問題に取りかかることが必要と言えるの
ではないでしょうか。
耳鼻咽喉科医一人一人が、聴覚管理や難聴の予防を理解し、補聴器に対する啓蒙や指導など
今すぐにできることからすぐに取りかかることが求められているように思います。
みつわ台の補聴器外来と耳鳴外来はパンク状態で、新患予約は数ヶ月待ちの状態になって
います。市中病院の地域医療に対する責任を考えたら少しでも診療時間を増やすことが本来
でしょう。しかし、私は、みつわ台を放り出して、お茶の水まで足を運んでいます。
-16-
「なぜみつわ台を休診にして補聴器外来に来るのか?」。
それは、一人でも多くの医局の先生に、難聴の治療、補聴器装用訓練やリハビリの重要性を
学んで欲しいこと、社会的医学側面についての問題意識を共有し一緒に前に進んでくれる人が
一人でも増えて欲しいからです。学ぶ人が増え、ともに臨床的な実地の研究を重ねることで、
複雑で面倒くさく効率の悪い補聴器診療もいずれ標準化された医療サービスへと昇華してい
くのだと信じています。
Better Hearing for Every People, More heartfull Communications in each other.
そんな思いをたずさえて今週もまた補聴器外来へと足を運んでいます。
*) 片耳装用による対側耳の廃用が問題視され海外では 1980 年代以降感音難聴例への装用は原則として
両耳との考え方が支配的です。日本では海外の最新の補聴器臨床に関する書籍の紹介などが不十分で
あったこともあり、現在も片耳装用を主とする意見が支配的です。2004 年、補聴器ハンドブック(監
訳
中川雅文、医歯薬出版)によってこの廃用に関する問題は日本でも紹介されました。今後、長寿・
高齢化が進むと片耳装用者の対側耳の廃用は臨床的な問題として顕在化することが予想されます。最
近の医療裁判は多くの場合で「当時の標準的医学知識に照らしあわせて妥当な措置であったか。また、
その措置をとらない場合の不利益が十分説明されていたか」をその判断のよりどころとしていますから、
本書の発刊が一つのきっかけで、今後、補聴器に関する様々な訴訟が発生することが予想できます。
難聴外来
林
千 江 里
今年の 7 月より木曜日午前に難聴外来標記のもと本格的に診療を開始致しました。基本的には
難聴をはじめ耳鳴など内耳障害全般を扱っていく予定です。今後は人工内耳も行っていく予定で
すでに体勢は整っており、積極的に小児の症例に対しても評価を行っております。また、難聴の
原因不明のものには遺伝的素因が考えられることも多く、現在、GJB2、SLC26A4、ミトコンド
リア遺伝子 1555A→G 変異の 3 つを中心に患者様の希望があれば積極的に解析を行っております。
更に今後小児科・産科と協同体制で新生児聴覚スクリーニングを行う計画です。今年 8 月より新
任の ST さん、平野さんという心強い仲間が増えました。小児難聴の評価に欠かせない発達の評
価やリハビリなどを行っていただく予定です。当然のことながら成人の難聴の評価も標準純音聴
力検査のみならず ABR、OAE、Speech Audiogram などでしっかりとした評価を行い、補聴器
一辺倒にならないよう適切な治療を行っていく所存です。今後もより一層の外来の充実を図るべ
く計画を練っております。外病院からのご紹介も積極的に受けさせて頂きます。よろしくお願い
申し上げます。
-17-
中耳外来
古
川
正
幸
中耳外来は木曜日の午前・午後に診察を行っています。中耳外来担当医師は楠威志、古川正幸、
林千江里、春山琢男の 4 名です。患者さんは耳手術を必要とされる症例が大多数であり最近はホ
ームページを見て受診される患者さんも増えています。入院は鼓膜形成術であれば手術日の翌日
退院で、鼓室形成術でも 5 日程度の入院としています。2006 年 4 月~2007 年 3 月に耳手術とな
った症例は総数が 117 例で、内訳は鼓室形成術例 56 例、鼓膜形成術 51 例、顔面神経減荷術 5 例、
その他 6 例(内耳窓閉鎖術、中耳グロームス腫瘍摘出術、側頭骨外側切除術、先天性外耳道閉鎖
症手術)となっています。関連病院の先生方、同門会の先生方には積極的に患者さんの紹介をよ
ろしくお願いします。
音声外来
横
井
秀
格
音声外来は、現在月に一回第一金曜日午後に行われています。国立国際医療センターより田山
二朗先生に来ていただき、藤森理香子先生が助手につかれています。最近は時間の許す限り横井
秀格も参加させていただき発声障害、喉頭、気管支病変を患っている患者さんの専門的治療を学
んでおります。内容は主に反回神経麻痺の患者さんに対する局麻下コラーゲン注入術、また全麻
下に内転術を行っています。また、声帯病変にて高度のポリープ病変などにつきましてもご多忙
の中、田山先生に手術指導を行っていただいております。
外来では側視鏡を用いて喉頭を詳細に観察し、ビデオに録画にて患者さんに詳細を説明してお
ります。他にストロボ検査、発声機能検査はルーチンに行っており専門性の高い外来となってお
ります。
今後とも同門会の先生方からのご紹介をお待ちしております。
-18-
6.研
究
(1)耳科領域
峯
川
明
耳の研究班は、池田教授を筆頭に、遺伝子導入班(飯塚・井下)、遺伝子解析班(林・笠井)、
内耳機能測定・機械工学班(成井・峯川)、中耳粘膜班(古川・春山)で構成されております。一
昨年より開始されたそれぞれのグループの研究成果も徐々に実りつつあり、国内外問わず積極的
に学会報告も行っております。
内耳グループ
① 遺伝子導入班 (平成 14 年入局
飯塚崇、H16 年入局
井下綾子)
遺伝子導入班は H16 年大学院入学の飯塚と井下の 2 人が担当しています。1000 人に 1 人の割
合で出生する高度先天性難聴の半分を占める遺伝性難聴において最も頻度が高い GJB2 遺伝子の
変異の動物モデルとして Gjb2 コンディショナルノックアウトマウスを用いてその難聴になるメ
カニズムの解析を行うとともに正常 Gjb2 遺伝子をマウスに導入させ聴力の獲得を目指していま
す。井下は主に難聴メカニズムの解析を手がけており、電子顕微鏡と免疫染色にてその仮説を立
て、その証明ができつつあります。また、飯塚は出生直後のマウス内耳への遺伝子導入に成功し
ており、遺伝子治療の第一歩を踏み出しました。ヒトの GJB2 遺伝子変異への治療に直接結びつ
く可能性もあり、やりがいを感じています。
② 内耳機能測定・機械工学班(平成 13 年入局
成井
裕弥、平成 15 年入局
峯川
明)
当グループは電気通信大学とのコラボレーションにより幼若マウスの DPOAE 測定を中心とし
た内耳機能測定および、耳小骨可動性測定装置等の診療支援機器の臨床応用など機械工学の研究
を行っております。幼若マウスの外耳道は非常に狭く、マウスの周波数閾値が高いことから従来
の DPOAE 測定装置では幼若マウスの DPOAE 測定が困難とされていました。我々は電気通信大
学との共同研究により専用の測定装置を開発し、生後 14 日前後の幼若マウスの DPOAE 測定を
可能とすることが出来ました。遺伝子導入班で研究されている GJB2コンディショナルノックア
ウトマウスの幼若期の DPOAE 測定をすることは、今後の遺伝子治療効果を判定する上で大変重
要なものとなります。更に、弘前大学耳鼻咽喉科学教室のグループの協力により外有毛細胞
(OHC)のモーティリティの評価も可能となりました。電子顕微鏡の画像と合わせて幼若マウス
の内耳機能を総合的に評価できる体制が整いました。今後の遺伝子導入治療を視野に入れ、内耳
機能測定の研究および診療支援装置の臨床応用を目的とした機械工学の研究を行って参ります。
-19-
春
③ 中耳粘膜班
山
琢
男
中耳粘膜斑は春山と古川正幸先生の二人が担当しています。古川正幸先生は平成 15 年から 17
年に UCSD の Ryan 教授のもとで研究を行い、世界でトップレベルのマウス、ラット、モルモッ
トの聴覚機能解析の技術を取得しました。
(その研究は Infection and Immunity May 2007 Vol 75
に Jun N-terminal protein kinase enhances middle ear mucosal proliferation during bacterial
otitis media として発表されています。)それを応用し、ヒトの中耳粘膜肥厚の分子制御の解明を
おこなっています。
また最近は、中耳疾患の代表である真珠腫性中耳炎の骨破壊の研究もおこなっております。骨
免疫学の視点から、新しい切り口で、骨破壊機序を少しずつ解明しております。私たちの目標は
現在手術治療が中心となっている真珠腫性中耳炎にたいして保存的治療薬を開発することです。
先天性遺伝性難聴と平衡機能の解析
大学院 3 年
笠
井
美
里
先天性聴覚障害は出生約 1000 人に対し 1 人の割合で生まれてくるとされており、その約 50%
には遺伝子の寄与が言われている。林千江里先生の研究を引き継ぎ、遺伝性難聴の約 30 パーセ
ントを占めるといわれている GJB2 遺伝子、Mitochondrial1555A→G 遺伝子、SLC26A4 遺伝子
について採血検体を用いて検索をしている。それら難聴遺伝子の一部は平行機能にも関わりあっ
ていることが、判ってきている。先天性聴覚障害者の平衡機能に関しては、幼児では健常児より
も劣っているという報告が散見するのみである。そこで現在大学院での研究として、先天性聴覚
障害者の平衡機能の評価(重心動揺、caloric test,vestibular evoked myogenic potential)も合
わせて行っている。
(2)鼻科領域
横
井
秀
格
池田教授の推し進めている当科の研究三本柱の一つ、上気道粘膜免疫病態学の研究においてア
レルギー性鼻炎や慢性副鼻腔炎を代表とした炎症性疾患や扁桃の機能解析の研究行っている。現
在は主に難治性で問題となっている、いわゆる好酸球性副鼻腔炎の病態を臨床的に、また基礎医
学的解析手法を用いて解析している。 現在のメンバーは、横井、酒井、川野、八尾、加瀬、斎藤
である。近日中に多くの英語論文が出る気配を感じています?
酒
井
陽
子
私、酒井(平成 8 年卒)は東京労災病院など関連病院の長期勤務を経て昨年 8 月に大学病院に
戻りました。現在、池田教授、横井准教授、また細胞病理学教室の先生方の御指導の下、口蓋扁
桃とアレルギーの関連について以下のような研究を行っています。
-20-
耳鼻咽喉科に入局以来、それこそ何件も手術させて頂いた扁桃ですが、今、改めて、感染と免
疫の 2 面性をもつ口蓋扁桃の不思議と謎、に向き合っている現状です。
細々とではありますが、何らかの結果に結びつくよう頑張っていく所存であります。
以下、今年 10 月に日本口腔咽頭科学会(名古屋)で発表させて頂いた際の抄録です(一部改編)
。
日常臨床において、高熱や感染兆候を伴わない慢性の咽頭違和感、咽頭掻痒感を訴える患者に
しばしば遭遇する。我々はこのような症状を訴える患者の口蓋扁桃においてアレルギー性炎症の
関与がないのかを日頃より疑問に感じている。今回我々は扁桃におけるアレルギー性炎症の存在
を証明するため以下のような検討を行った。
1)対象:平成 18 年 5 月~平成 19 年 3 月の期間に当院にて口蓋扁桃摘出術を施行された患者
31 例
①習慣性扁桃炎:18 例(男:女=16:2 平均年齢 28.2 歳)
②IgA 腎症:6 例(男:女=4:2 平均年齢 31.3 歳)
③OSAS、扁桃肥大:7 例(男:女=3:4 平均年齢 29.8 歳)
上記対象患者全例において術前血液検査において RAST、IgE、血中好酸球数を調べた。
2)方法:組織に免疫染色(抗ヒト EG2 抗体)を施し、画像解析装置(KS400)を用いて陽
性細胞をカウントし細胞密度を計算した。扁桃内における組織内分布をみるため濾
胞間、リンパ濾胞、粘膜上皮下の 3 部位に分けて計測。各々任意の 3 視野×3 部位
(1 症例につき 9 視野)で計測し平均値で細胞密度(個/mm2)を求めた。
3)結果:全 31 症例における EG2 陽性細胞(好酸球)数を、濾胞間、リンパ濾胞、粘膜上皮
の 3 部位において比較したところ、濾胞間および粘膜上皮にリンパ濾胞に比し統計
学的に明らかな有意差をもって好酸球の発現を認めた。
組織中好酸球数と血中好酸球数および血清 IgE 値の間には明らかな相関関係は認め
られなかった。
また習慣性扁桃炎、IgA 腎症、OSAS の疾患別に RAST 陽性群と RAST 陰性群で
口蓋扁桃内の組織部位別に好酸球数を比較したところ習慣性扁桃炎患者群 18 例の
濾胞間及び粘膜上皮下において好酸球数の統計学的有意差が認められた。この事象
から吸入抗原によるⅠ型アレルギー反応により、濾胞間、粘膜上皮下に好酸球の浸
潤を示す可能性がある、と考えられた。IgA 腎症、OSAS は症例数が少なかったた
めか明らかな統計学的有意差は得られなかったが、症例数を増やし今後さらなる検
討が必要である。
また、扁桃における MAST 細胞の局在分布、その役割についても疾患別に検討中
である。
齊
藤
達
矢
近年、慢性副鼻腔炎は多様性を示しており、その中でも好酸球性副鼻腔炎は難治性であり病態
は未だ解明されていません。
そこで、鼻グループで私は好酸球性副鼻腔炎の病態に関し研究を進めています。
-21-
現在は、鼻ポリープの上皮傷害や上皮への好酸球の浸潤などを検討しています。
今後はさらに病態解明のため研究を進めていく予定です。
川
野
健
二
難治性副鼻腔炎のおいて、酸化剤が関与していることが最近報告されています。その酸化剤の
捕獲酵素である Heme oxygenase(HO)-1 というものがあります。すでに、アレルギー疾患と
HO-1 についての研究報告はありますが、難治性副鼻腔炎のひとつである好酸球性副鼻腔炎と
HO-1 との関連を論じたものはありません。そこで、我々は、好酸球性副鼻腔炎と非好酸球性副
鼻腔炎の鼻茸において HO-1 とマクロファージ発現を観察しました。その結果、非好酸球性副鼻
腔炎鼻茸上皮の HO-1 発現が好酸球性副鼻腔炎に比べ有意に多く認めました。逆に HO-1 を発現
したマクロファージは、好酸球性副鼻腔炎鼻茸上皮の方が有意に多く認めました。この結果から、
上皮内の HO-1 欠乏と OH-1 を保有したマクロファージの増多が、難治性副鼻腔炎のメカニズ
ムに関与していることが考えられました。今後、その他のサイトカイン,好中球などの炎症細胞と
HO-1 ならびに好酸球性副鼻腔炎との関連について検討し、そのデータをもとに新たな治療法に
て模索したいと考えております。
(3)頭頸部腫瘍グループ
頭頸部扁平上皮癌と異型上皮に於ける Niban 遺伝子の発現について
大学院 4 年
伊
藤
伸
現在、大学院の研究テーマとして、病理・腫瘍学教室の樋野教授、藤井准教授のもと、頭頸部
扁平上皮癌と異型上皮に於ける Niban 遺伝子の発現について、主に免疫組織学的染色法を用いて
検討を行っています。現在までの結果は、正常頭頸部扁平上皮では発現しませんが、頭頸部扁平
上皮癌の 97.6%、異型上皮の 66.6%で Niban の発現が認められています。Niban の発現は、前
癌状態から始まり、癌化の過程が進んでも、消失すること無く継続しており、頭頸部扁平上皮癌
において臨床的価値を持つ腫瘍マーカーとなる可能性が示唆されます。
口腔癌における GLUT-1 の発現と PET-CT との相関および後発転移との関連の検討
大学院 3 年
大
峡
慎
一
頭頸部癌において予後因子として頸部リンパ節転移の有無は非常に重要であり、口腔癌 T1、
T2 における原発巣切除後の後発リンパ節転移の制御が大きな課題である。GLUT-1 は細胞内へ
のグルコース取込を担う膜蛋白であるが、頭頸部癌含め様々な悪性腫瘍で多く発現されているこ
とがわかっている。現在 GLUT-1 をマーカーとして発現濃度と頸部リンパ節転移、および予後と
の関連を検討している。また、GLUT-1 発現と PET-CT との関連も検討も行っている。
-22-
7.学位論文要旨
Prevalence of GJB2 causing recessive non-syndromic profound hearing
impairment in Japanese subjects
林
千 江 里
【目的】GJB2 遺伝子は connexin26 というギャップジャンクション蛋白をコードする遺伝子であ
り先天性難聴において最も頻度の高い変異遺伝子である。また、同じくギャップジャンクション
蛋白である connexin30 をコードする GJB6 遺伝子も単独もしくは GJB2 遺伝子と複合遺伝子座
の変異により難聴を引き起こすとして知られている。今回我々は先天性高度難聴者の GJB2、
GJB6 遺伝子変異検索を行った。
【対象と方法】常染色体劣性遺伝と思われる家族性発症 21 家系 21 名と孤発症例 90 名、計 111 名
の非症候性高度難聴者を対象に PCR direct sequence 法にて解析を行った。また、コントロール
群として正常聴力者 150 名に同様の解析を行った。
【結果】36 名に何らかの GJB2 遺伝子変異を認めた。変異の種類別では c.235delC が全変異アレ
ル中 54.4%で最も高頻度であった。過去の報告では c.235delC に次いで多いとされている V37I
は、今回 2 名のシングルヘテロ接合体変異を認めるのみであった。欧米に多いとされる c.35delG
は見られなかった。また、新規変異として R32S(c.94C>A)、P225L(c.674C>T)を認めた。
これら 2 つの変異は正常コントロール群には見られなかった。GJB6 遺伝子に明らかな変異は見
られなかった。
【考察】今回の結果では c.235delC のアレル頻度が全変異アレル中 54.2%と過去の報告より比較
的高頻度であり、その一方でアジア人種では c.235delC に次いで高頻度とされている V37I が極
端に少数である点が特徴的であった。V37I はコントロール群 150 名にも 2 名のキャリアーが存
在し、アレル頻度は 2 群間で差がなかった。高度難聴者でこの変異を持つ患者は GJB2 以外の原
因遺伝子によって発症している可能性が示唆された。新たに見られた変異に関しては、32 番目の
アミノ酸であるアルギニンは欧米にて R32C、R32L、R32H と 3 パターンもの変異の報告があり、
遺伝子変異のホットスポットと考えられた。またいずれの変異も種をこえて保護されておりこれ
らの変異は新規変異である可能性が高い。
-23-
好酸球性慢性副鼻腔炎における eotaxin-1,-2,-3 の免疫活性および
蛋白濃度の検討
八
尾
亨
かつて慢性副鼻腔炎は化膿性炎症が多く、病理学的にもリンパ球や好中球浸潤が主体の鼻ポリ
ープを伴った副鼻腔炎であったが、近年術後早期にポリープの再発を繰り返す難治性副鼻腔炎の
症例が増加してきている。これらの難治性副鼻腔炎は、病理学的に鼻ポリープ組織中に多くの好
酸球浸潤を認めるのが特徴であり、好酸球は副鼻腔炎の再発・難治化における重要な役割を担っ
ていると考えられている。また、これまでの先行研究では好酸球に特異的作用を持つ chemokine
が報告されてきたが、その中でも eotaxin family は好酸球を強く活性化することが知られている。
本論文では、好酸球性慢性副鼻腔炎に発現する eotaxin family に対し免疫染色、ELISA を用い
て評価を行った。
免疫染色の結果、eotaxin-1,-2,-3 すべてにおいて、非好酸球性慢性副鼻腔炎群(n=9)の浸潤
細胞にはほとんど染色を認めなかったが、好酸球性慢性副鼻腔炎群(n=9)には有意差をもって
染色を認めた。染色陽性細胞のほとんどは好酸球(86.6%)であり、主に細胞質に染色が認めら
れた。
ELISA にても、非好酸球性慢性副鼻腔炎群(n=12)と比較し、好酸球性慢性副鼻腔炎群(n=4)
では eotaxin-1,-2,-3 蛋白濃度がすべて有意に上昇していた。それぞれの eotaxin における蛋白
濃度は eotaxin-2 > eotaxin-3 > eotaxin-1 の順で高く、eotaxin-2 は eotaxin-1 と比較し有意に
高値であった。
免疫染色では、多くの好酸球の細胞質に染色が認められている点から、好酸球自体が中心とな
って eotaxin family を産生しているメカニズムが推察された。また ELISA では、好酸球性組織
中の eotaxin family 蛋白濃度も上昇していたことから、eotaxin family は好酸球を血中から組織
中に誘導し、集積させている因子のひとつと考えられた。以上より eotaxin family は好酸球性副
鼻腔炎において組織好酸球増多に関与し、副鼻腔炎が難治化する原因のひとつと考えられた。
Development of Distortion Product Otoacoustic Emission in C57BL/6J
Mice(C57BL/6J マウスにおける歪成分耳音響放射の発育)
成
井
裕
弥
歪成分耳音響放射(DPOAE)は外有毛細胞のアンプ機能を反映する信号であり、今まで多く
の哺乳類においてアンプ機能の発育を調べるために施行されてきた。その中で、アンプ機能にお
ける出現時からの発育を調べるために、ラット及びジャービルにおいていくつかの報告かなされ
ていた。ところが、マウスにおいては、外耳道径が狭い事や可聴域が高周波数な事より測定が困
難であり、発育時の DPOAE 測定の報告はない。マウスは近年遺伝子難聴のモデル動物として重
要視されており、今後遺伝性難聴の聴覚発現時の病態を調べる上で測定法の確立が必要である。
そこで、この報告ではまず幼若マウスの測定に適したプローブを開発した。数種類のプローブ
を検討しマウスの外耳道を模したキャビティーを用い評価を行い、正確に DPOAE を測定できる
プローブを作製した後、独自のコンピュータープログラムを作製し測定システムの構築を行った。
-24-
そして、作製した測定システムを用い、幼若マウス(生後 9 日~28 日齢の C57BL/6Jマウス)
における高周波数における DPOAE 測定を行った。同時に聴性脳幹反応(ABR)の域値を測定し、
比較検討した。
測定結果は、DPOAE の周波数が 8kHz 及び 20kHz において生後 11 日目から出現し、30kHz
では生後 13 日目から出現した。これは、蝸牛における発育時の周波数支配領域の移動が要因と
いわれており、ジャービルでの報告とほぼ一致した。成熟は、8kHz 及び 20kHz においては生後
21 日目、30kHz では生後 28 日目にて確認された。ABR の域値は 14 日でほぼ成熟しており、こ
の成熟の違いは、以前から報告されている外有毛細胞の電気運動性と、内有毛細胞-蝸牛神経-
ラセン神経節の聴覚伝導路の成熟過程の相違が関係していると考えられた。
今研究にて、幼若マウスにおける DPOAE 測定が可能となった。加えて、今回の測定結果は遺
伝子難聴モデルマウスにおける測定の比較対象として重要な資料となるであろう。
-25-
8.学会見聞録
(1)ARO に参加して
平成 15 年入局
峯
川
明
(大学院 3 年生)
2007 年 2 月 10 日~15 日まで ARO(Association for Research in Otolaryngology)の Midwinter
Research Meeting に参加しましたので体験記を報告させていただきます。今回は池田教授、飯
塚先生と私の三人で行って参りました。私、今回が初めての海外学会参加となりました。開催場
所はアメリカコロラド州のデンバーで、季節は 2 月の真ん中とネーミングのとおり真冬のミーテ
ィングでした。デンバーはちょうどアメリカの真ん中に位置し、ロッキー山脈の麓にある町で標
高が 1600 メートルあることから 1 マイルシティーと呼ばれています。近くにはアスペンなどア
メリカを代表するスキー場があったり、ロッキー山脈があったりと自然豊かな都市です。成田か
らは飛行機でロスを経由し、デンバー空港にたどり着きました。到着したときは意外と道に雪も
なく、気温も暖かめでしたが、翌日からは雪も降り、気温も零下となりデンバーの街中本来の冬
の銀世界となりました。
この ARO の真冬の学会は耳鼻科領域のなかでも特に基礎研究が中心の学会で、毎年アメリカ
の主要都市で真冬に開催されています。学会会場に行ってまず初めに驚いたのは、皆さんカジュ
アルな格好で参加していることでした。日本で学会というと皆さんスーツ着用でビシっと決めて
いるイメージがありますが、ARO は演者も含めほとんどの方がカジュアルウエアーでした。せっ
かく持っていったスーツも着ることもありませんでした。6 日間にわたり 1000 近い口頭演説と
ポスター展示発表が開催されていました。正直英語を理解するのに一苦労で理解度は 2~3 割程
度でしょうか。内容は主に耳を中心とした基礎系の研究でしたが、当教室で熱心に行っている難
聴遺伝子変異マウスの研究も盛んに行われておりました。世界各国で我々と同じく耳鼻科の研究
を皆さん熱心に行っていることが分かり大変感銘しました。また、耳鼻科領域の研究の奥の深さ
を改めて実感しました。
私、今年の 4 月から大学院 3 年となりますが、研究は遺伝子変異幼若マウスの DPOAE 測定を
行っております。来年の ARO はアリゾナで開催されるそうです。来年はこの場所で自分の研究
成果をポスターにまとめて発表するのだなとしっかりイメージを頭に焼き付けて帰国となりまし
た。今年 1 年の研究目標をたてる上でも大変参考になりました。今回 ARO に連れて行って頂い
た池田教授には大変感謝しております。是非来年には順天堂耳鼻咽喉科学教室の名に恥じない発
表が出来るよう頑張ります。
-26-
デンバー駅とデンバーの街を背景に
(2)日本頭頸部外科学会
松
本
文
彦
2 月 1~2 日に島根県民会館(出雲)で行われた上記学会に参加してきました。今回の学会の参加者
は多く、私の他に池田教授、古川先生、横井先生、伊藤先生、栗林先生と計 6 人が演題を出しました。
また、演題は出していませんでしたが、研修医の神田先生も同行し計 7 人での参加となりました。
私は 2 月 1 日の朝一番で発表があったために前日の 1 月 31 日には島根に着かなくてはいけません
でしたが、その日は手術日で手術が終わるのが遅く、終わるとすぐに大学をでて伊藤先生、神田先生
と空港にダッシュしたのですが、見事に予定の飛行機に乗り遅れてしまいました。幸い 1 時間後ぐら
いに出雲ではなく米子に向う最終便がありなんとか当日遅くに出雲入りすることができました。
私はこの学会に 2 つの演題をだしており 1 つは一般演題で、もう 1 つは一般演題ではあります
が臨床セミナーに推薦され臨床セミナーのセッションで発表しました。発表は無事終わり、みん
なで夜は出雲の夜の街にくりだしましたが、飲み会は終始、教授以下一丸となっての神田君の耳
鼻科入局勧誘会となりました。
翌日全員の発表は無事終わりましたが 2 月 2 日の朝から出雲は日本海側を襲った大雪にみまわれ、
飛行機が予定通りに飛ぶか飛ばないかということで、会場はちょっとした騒ぎになっていました。
私たちが乗る予定の前の便はいずれもキャンセルとなったために結局教授の決断の元、遠路電車で
帰ることとなり東京まではおおよそ 6~7 時間ぐらいの気が遠くなるような長い道のりでしたが、
車中は当然の成り行き(!?)でビール片手の宴
会状態となりそれはそれでなかなか有意義な時
間を過ごし無事に全員夜遅くに東京に帰ってく
ることができました。
振り返ると初めから終わりまでトラブル続き
ではありましたが、当医局から出した演題数は
多く、順天堂としても有意義な学会だったと思
います。
松江城
-27-
(3)ドイツ
フランクフルト
ESS 解剖実習
八
尾
亨
2007.2.28
朝、浦安病院で 8:15 分からの病棟診察を終え、成田へ向かう。空港で斉藤と落ち合った。朝
飯代わりにたこ焼きを食べ、偶然付け合わせで出てきてしまったビールを飲み、二人で実習の成功
を祈願し乾杯。13:30 JAL 成田→フランクフルト直行便でドイツに向かった。12 時間のフライト。
フランクフルト空港からかなり苦労して予約していたホテルに到着。マインツという駅にあ
る一泊 7000 円ほどの比較的チープなホテル。チェックインして数分後、なぜか宿泊施設にク
リニックが併設している謎のホテルであることが判明。これって入院?多くの謎を残し就寝。
3.1
講義一日目。実習の場であるマインツ大学へ向かう。40 名ほど参加者が集まった。東洋人は
僕ら二人だけ。講義開始。
まず副鼻腔炎の一般的な講義に続き、オーストリアの Ganz 大の人がホルマリン漬けではな
い fresh な遺体を使った解剖のデモを行った。かなり丁寧に解剖を進め、見ていて勉強になっ
た。鈎状突起をナビゲーションを併用して示してくれたのが印象的で CT 画像と内視鏡所見が
きれいに一致し、有意義な一時間だった。その後、今回最大の山場となるはずの各自のご遺体
を使った解剖の時間。隣の部屋に行き、各自の用意されたご遺体とご対面・・・がーん!ホル
マリン漬けの遺体。Fresh を使えると思って意気込んでたのに、かなり残念だった。
3.2
講義二日目。この日のメインイベントは「live surgery」マインツ大の教授の行う実際のオペ
を生中継するというもの。これがとんでもない事態に・・・。
まず一症例目、左一側性副鼻腔炎の女性・・・大出血。会場がざわめいていた。
二症例目、右前頭洞のう胞の手術。ドラフⅢ型にもっていくようだ。会場はオペの勉強とい
うか、もはや面白いもん見れるかどうか、みたいなノリになってきている。これがまたなかな
かドリリングが進まずナビをみながらゆっくりと進む。1 時間ほど経過したところで会場の人
は半分くらい帰ってしまった。高い金払ってるのに勿体ない。
夜はフランクフルトの中心地でソーセージとビールを食べた。また、庶民の飲み物であるら
しい、apple wine というのも飲んだ。日本で言えば焼酎みたいなものだろうか。りんごという
割にはすこし田舎くさい味だった。屋台で飲んだビールとソーセージは忘れられない味となった。
3.3
最終日。この日も午前は講義中心で、mayo 大の ponikau 教授の講義だった。好酸球浸潤の
強い副鼻腔炎の治療でアンホテリシン B 入りの鼻洗浄を使用した報告が中心だった。そのあと
おなじみのスタンバーガー教授による fresh 遺体の解剖。以上で今回の ESS コースは終了。
率直に総括すると、解剖のデモをナビゲーションを使っていたのは勉強になったが、各自解
剖に関しては、日本で京大や慈恵などでわれている実習のほうが納得がいくものが得られるの
ではないかと感じた。ESS のレベルがある程度に達している人にとっては少々物足らないかも
しれないが、会場にいた参加者も比較的経験の浅い方が多かったように思われたし、レベル次
第ではいい経験を得られるのではないかと思われる。(偉そうな事書いてしまいました・・・)
最後にこのような勉強の機会を与えていただいた池田教授に、また快くドイツへ送り出して
いただいた順天堂浦安病院耳鼻科医局員の皆様に深く感謝の意を申し上げます。
-28-
(4)頭蓋底コース(Milano)に参加して
杉
田
玄
3 月 22 日、回診を終えて、「そろそろ行きましょうか・・・」と教授エレベーターにのる。久
しぶりの海外の研究会でちょっと緊張しながら、スーツケースをガラガラとひっぱる。成田エク
スプレスの出発時間ぎりぎりに出たために、横井秀格先生は早めに出たようだ。イタリアミラノ
で行われる、ミラノマスターズクラスは内視鏡下手術の講習会である。事の発端は 1 月の本院の
異動まえに内視鏡の手術について見てみたいと話したところ、同行することとなった。
東京駅で横井先生と待ち合わせ、成田エクスプレスで移動。昼過ぎの JAL 便(機材はアリタリ
ア航空)なので多少時間があり、出発前にビールをごちそうになる。非常口座席に三人並んで確保
出発した。スイスアルプスを越え約 12 時間の飛行。昼のビールの為か、ひたすら寝ていた。気
が付いたら、もうスイス上空に着いていた。ミラノ空港からはマルペンサエクスプレスの列車で、
ミラノ北駅に到着。地下鉄に乗り継ぎ、ホテルの最寄りの駅に到着した。路面電車の停留所のま
えにある、Hotel Sun Guido に夜中到着。コンパクトなまとまった部屋でちょうどいい。近くの
食堂に入り、イタリア料理とワインで乾杯!その日はそのまま就寝した。
1 日目は、内視鏡下副鼻腔手術の講習。ひたすらスライドをみながらの、学習だったが、やっ
ていることは、どこも一緒で有ることを確認でき、すこし安心できた。髄液漏に対する対処の講
習も行われた。
2 日目は内視鏡を使った脳神経外科とのタイアップし、頭蓋底手術についての講習であった。
蝶形洞を経由した内視鏡下頭蓋底の手術や、口腔内の咽頭後壁を経由し、頸椎を削開し脳幹部の
腫瘍摘出を行ったり、非常にセンセーショナルな内容であり、将来の耳鼻咽喉・頭頸部外科の方
向性を占う内容であった。午後はみんなで、市内に入り、それぞれ土産を買い、各自で会場へ戻
ることとなった。
この日の夕食もホテル周辺の食堂で食べ、ピザ、パスタとおいしく安い赤ワインに舌鼓を打ち、
2 日目の夜はパーティー会場を貸し切り、宴が催された。ローマにある頭蓋底サージセンタの Dr
と隣り合い、学会が終わったら手術を見に来ないか?と誘われたが、当然明日は帰国であり、残
念ながら実現はしなかった。3 日目は最後のまとめであり、11 時頃に会場を出発し、ミラノマル
ペンサエクスプレスに乗り込んだ。あとは、飛行機に身を任せ、帰国のとについた。非常に短期
間であったが、内視鏡手術の現在、未来を見ることが出来、有意義な 5 日間であった。
<学会会場にて>
<ミラノの聖堂>
-29-
(5)日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会に参加して(山梨、2007 年 3 月 29~31 日)
齊
藤
達
矢
第 25 回日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会が山梨で開催されました。参加者は池田教授、横
井(秀)先生、酒井先生、八尾先生、加瀬先生と僕の 6 名でした。免疫・アレルギーというと何
やら難しい言葉や図が出てきて意味がよくわからないというイメージでしたが、参加して色々な
発表を聞くと・・・やはりイメージ通りよくわかりませんでした。ただ、学会に参加したことで
感じたことは、自分のやっていることは初歩的な段階で他の発表者の人達に追いつくにはまだま
だ努力が必要ということでした。
学会自体は、一つの会場で全口演が行われ、活発な質疑応答がなされていました。その中には
朝一番の群から眠そうな顔一つみせないで盛んに質問をしていた池田教授の姿がとても印象的で
した。(毎朝 6 時から泳いでいらっしゃるだけあり、さすがだなと思いました。)順天堂からは 6
演題(ポスター含)出しており、参加している施設の中でトップクラスの演題数だったと思います。
また、学会といえば夜の飲み会も楽しみの内の一つです。参加された先生方は医局でよく顔を
あわせる方ばかりですが、地方のとある居酒屋で飲むのは東京で飲むのと一味違い楽しかったで
す。(いつもよりお酒の量が多かった気がします。)無事?、学会の全日程を終え、帰りは八尾先
生の車で山梨の「ほったらかし温泉」に寄って疲れを癒し、東京へ帰ってきました。来年は大学
院も最終学年になるということもあり、研究を進め、一歩進んだ発表ができればと思います。
(6)日本耳鼻咽喉科学会総会旅行記
春
山
琢
男
今回 5 月 17 日から 3 日間金沢での日耳鼻総会に参加してきたので報告する。金沢は昨年耳鼻
臨床学会の発表で訪れて以来 2 回目の訪問である。昨年は池田教授、古川先生、栗林先生と私の
4 人であったが、今年は総会ということもあり大人数の参加である。(昨年の総会は品川で、私と
横井先生だけ?地方でやるとなんでこんな大人数なのだろう?)
前々日の 15 日、池田教授にスライドの変更をいわれ(創立記念日なのに教授は総会のことで頭
がいっぱいのようです。)16 日の夜中医局で朝 4 時までビデオ編集していた。そのまま自宅に帰
り 30 分で旅行の準備をして、羽田に 6 時に到着。ちょっと早くつきすぎてしまった。(同じ飛行
機のはずの古川先生は見当たらない。)飛行機で金沢につくと古川先生と合流しバスで学会場へ。
最初は中耳手術のセッションへ向かった。bFGF を用いた鼓膜穿孔閉鎖術や、再生乳突蜂巣によ
る中耳ガス交換など目新しい演題が続き眠気もぶっ飛ぶ。セッションがおわりランチョンセミナー
でご飯食べたら突然の睡魔におそわれホテルに帰った。仮眠をとり自分の発表のビデオ変更等ホ
テルで作業。夜は関先生、横井先生、細川先生、井下先生と有名な日本料理やでご飯。たらふく
食べ、酔っ払った。徹夜明けだったので初日はこのままホテルへ帰りダウン。
二日目、今日も最初は中耳のセッション。本日も bFGF の演題があった。途中で池田教授の発
表があったので違う会場へ向かう。Neuroblastoma に対する duraplasty を併用した ESS の手術
-30-
ビデオである。Skull base をドリルで削り、軟骨、粘膜、筋膜、ボルヒールで duraplasty を施
行。会場からどよめきがおきる。やはりこの手術ビデオは何度みてもすごい。ちょっと余韻にひ
たりながら会場をあとにした。夕方は細川先生、峯川先生と温泉へいき、しばしの一休憩。ひさ
びさのゆっくりした時間だった。
二日目の夜もみんなで飲み会。二軒目のバーから横井尚子先生や、畠先生、高柳先生も合流し
大人数となった。翌日発表が控えていたのであまり飲まず、ホテルに帰りビデオの確認をして就
寝した。
三日目、ついに今日は発表である。発表といってもビデオ演題なのでビデオ流しっぱなしだか
らたいしたことないのだが、広い会場ですこし緊張した。セッションが終わり会場を出ようとす
ると個人的に質問する先生がいた。質問をされるとやはりうれしいものである。無事に発表を終
え学会場をあとにした。帰りの飛行機はみんなばらばらだったので空港に向かった。空港で井下
先生と二人で反省会をして日耳鼻終了。(井下先生は大変ショックをうけていたようだ。詳細は書
かないが。)
日耳鼻は演題が豊富で、出席するとやはり大変タメになると思う。他大学の状況が分かるし常
に最先端の技術と情報に敏感にならなくてはと再認識した。来年も参加しようと思う。
(7)第 30 回日本顔面神経研究会に参加して
飯
塚
崇
平成 19 年 5 月 30 日~6 月 1 日まで第 30 回日本顔面神経研究会・手術手技セミナーに参加し
てまいりました。
5 月 30 日は手術手技セミナーがあり、減荷術の基本講義から熟練した先生たちの手術 DVD を
拝見しました。僕ら若い耳鼻咽喉科医のため、手術の適応・時期・減荷の範囲など詳しい講義が
ありましたが、中頭蓋窩法、incus の処理法、神経鞘の切開などは熟練の先生方でも意見の分か
れるところで、活発な議論が行われていました。
-31-
その日の夜にはボトックス講習会があり、ボトックスの基礎知識、使用法などの講義を受けま
した。今まで顔面神経外来にて合併症の共同運動や痙攣に対して思うような治療ができていなかっ
たので、今後ぜひ取り入れていきたいと考えております。
講習会の後、H9 入局の加藤先生と教授と 3 人で食事をし、楽しい夜となりました。
5 月 31 日、6 月 1 日は研究会だったのですが、1 演題に対して 3 つ以上の質疑応答があり、活
発な議論が行われていました。私は 6 月 1 日に減荷術の演題で発表したのですが複数のご質問を
いただき、大変参考になりました。発表後の 30 周年記念講演にてあの柳原法の柳原先生が減荷
術の意義についてのコメントで「我々のデータでも先ほどの順天堂の発表でもそうでしたが、全
く治ってこない症例をなくすという意味で意義がある。」とおっしゃり、我々の発表にふれていた
だきました。
この 3 日間で一番衝撃的だったのは学会中でも 30 日の朝水泳をし、1 日の朝はランニングをし
てから学会に参加した池田教授の「運動して体力をつけないとだめですよ」というコメントでした。
すぐ明日からでも生かせる知識を得、とても有意義な研究会でした。来年は東京で行われるよ
うですが、また演題を持って参加したいと思っております。
(8)第 19 回日本アレルギー学会春期臨床大会に参加して
横
井
秀
格
2007 年 6 月 10 日から 12 日に開催されました第 19 回日本アレルギー学会春期臨床大会に参加
しました。会場はパシフィコ横浜で、会長は横浜市立みなと赤十字病院院長
西岡
清先生が担
当されました。今回順天堂耳鼻咽喉・頭頸科からは池田勝久教授が「難治性鼻漏過多に対する後
鼻神経切断術後の作用機序」という演題で、また小生が「比較的高度病変を示した慢性副鼻腔炎
の臨床像と好酸球,IgE との関連及び組織学的所見の検討」という演題で発表いたしました。耳鼻
科免疫アレルギー学会と違いアレルギー疾患すべてに関する学会にて耳鼻咽喉科、呼吸器内科、
小児科、膠原病内科、皮膚科、眼科、基礎と幅広い分野の先生方が集まる大きな学会であります。
私にとりまして今回のこの学会は一生の思い出となる特別なものでありました。それは毎回プ
ログラムの中に招請講演があり、その中で何人かの海外の著名な教授、研究者が招かれ講演され
ますが、今年は 6 人の演者が海外から招待され、その中に私の留学先であった Johns Hopkins
Allergy Asthma Center で の Boss, Bruce Bochner 教 授 と 、 ま た 当 時 お 世 話 に な り 後 に
Northwestern Universty へ移られた Robert Schleimer 教授がいらっしゃったからです。この機
会を大切にしたく 2 つの催しが Johns Hopkins に留学してお二人にお世話になった弟子達、その
他関係者の中で企画されました。一つは Bochner 教授と、Schleimer 教授に一日早く来日してい
ただき「アレルギー疾患の研究最前線-好酸球の役割(基礎と臨床)-」という特別シンポジウム
を都内のホテルにて開催したことです。その中で Schleimer 教授は『The mechanisms of steroid
action or Regulation of inflammation and immunity』という演題で、Bruce 教授は『New
treatments for allergies, asthma and related conditions:the next five years』という演題でア
レルギー学会とは内容の違うお話をしていただきました。この会は日本人留学生の中で最近まで
留学していました私が幹事となり協和発酵(株)にスポンサーになっていただき行いました。当日
-32-
まで何人の先生方に来ていただけるか心配でありましたが沢山のアレルギー領域の臨床医、研究
者に来ていただき、また活発な討論が行われ皆様に好評でありました。現在無事終了したことに
安堵しております。二つめはこの約 15 年間の間にお二人の所へ留学した弟子達が集まり同窓会
を学会直前に行ったことです。ランチスタイルで行われた同窓会は Baltimore の町の事、Johns
Hopkins の思い出、その他様々な話題の下、楽しく有意義なものとなりました。
なんだか学会内容の報告から道がそれてしまったようで申し訳ありませんがこの辺で筆をおか
せていただきます。
(9)頭頸部癌学会(平成 19 年 6 月 13 日~6 月 15 日;パシフィコ横浜)
大
峡
慎
一
今年の頭頸部癌学会は横浜にて行われ、池田教授がポスター発表の座長、松本・伊藤・大峡の
3 名がポスター発表で参加しました。頭頸部グループは 3 名のみであり、その 3 名が同時に病院
を離れると診療に支障を来たすのではないかと危惧し、全日不在は避けるようにしましたが、初
日からちょっとしたトラブルが発生してしまいました。3 名ともかなり不快な気分になり、その
まま学会がスタートしてしまいました。
初日は手術手技研究会で主に再建手術における切除と工夫ということで、がんセンターや癌研
といった先生方の行っている手術の実際を聞くことができ有意義なものとなりました。その後、
3 名で横浜ランドマークタワーの展望台に行きました。ものすごく高速のエレベーターで耳がお
かしくなりましたが、高いところからの眺めはなかなかよく、西は伊豆半島、富士山そして東は
東京タワー、六本木ヒルズなど望むことができました。2 日目、3 日目はポスター発表があり松
本、伊藤、大峡はそれぞれ多分割照射の PET による評価、GCSF 産生腫瘍症例報告、耳下腺筋
上皮癌症例報告を発表しました。それぞれいくつか質問を受け、有意義な討論となりました。学
会終了後、教授を含め 4 名で飯田橋のもつ鍋屋で慰労会を執り行いました。その帰宅時、病院か
ら「入院患者さんの気管孔から出血」との連絡があり、血を浴びながら止血処置を行いました。
そんなこんなでいろいろな出来事があった 3 日間でした。来年も東京で開催されるので、おそ
らく落ち着いての参加はできないのではないでしょうか。
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(10)第 69 回耳鼻咽喉科臨床学会に参加して
伊
藤
伸
平成 19 年 7 月 6 日~7 日に品川プリンスホテルにおいて開催された耳鼻咽喉臨床学会に参加
してきました。順天堂大学からは池田教授、古川先生、峯川先生、大峡先生、笠井先生、そして
私、伊藤の 6 名が発表しました。しかし、東京での開催ということで私は、6 日の朝一番でポス
ターを掲示して大学に戻り手術、7 日午後遅くの発表の直前に会場入りし、発表が終了と同時に
学会も終了したため学会会場にいた時間はトータルで数時間と、もう少し時間の有効利用をすれ
ば良かったと反省しております。他の先生方の口演は残念ながら聞けませんでしたが、峯川先生
はポスターの前で PC を駆使して動画を含めてプレゼンするという斬新なアイデアで聴衆の目を
引いていたようです。それでは短い文章ですが、見聞録を終了させていただきます。
(11)喉頭科学会
林
千 江 里
平成 17 年 3 月 8 日に神戸で行われた今回の学会は教授、松本先生、私の 3 名で参加しました。
初めての喉頭科学会でしたが、2 会場のみのアットホームな会だなという印象でした。松本先生
は甲状腺手術における NIM の使用経験について、私は LPRD の PPI 使用経験についての発表を
させていただきました。発表は滞りなく行われ、夜は神戸牛に舌鼓をうち、優雅な学会経験でし
た。ただ、個人的に何より反省だったのが直前に足を骨折し、松葉杖をついて移動という本来あ
りえない状況であったために周りの方々に多大なるご迷惑をかけてしまったことです。学会発表
の緊張よりもそちらの方でいっぱいいっぱいだったのは我ながら情けなかったです。あと、うわ
さには聞いていましたが教授がここでも朝のスイミングを欠かさず行っていた姿が印象的でした。
何より五体満足のありがたみを痛感した今回の学会でした。
-34-
(12) 9th International symposium on recent advances in otitis media
古
川
正
幸
2007 年 6 月 3 日~6 月 7 日にかけて 9th International symposium on recent advances in otitis
media がフロリダ州セント・ピータースバーグにて開催されました。学会場は長年 ARO
(Association for Research in Otolaryngology)が開かれていた Tradewinds hotel でした。本院
からは池田勝久教授、杉田玄先生、春山琢男先生、私(古川正幸)が参加しました。常連の杉田
麟也先生も奥様と一緒に参加されました。池田勝久教授は “Clinical effectiveness of ototopical
application of mupirocin ointment in the MRSA-infected ear.” の発表を、杉田玄先生は
“Molecular biological study of infectious mechanism of S.pneumoniae in conjunctivitis-otitis
media syndrome in young children.” の 発 表 を 、 春 山 琢 男 先 生 は “Effect of endoscopic
microdebrider-assisted adenoidectomy on tympanometry of secretory otitis media.” の発表を、
杉田麟也先生は “Molecular biological study of infectious mechanism of nontypeable H.
influenzae in conjunctivitis-otitis media syndrome in young children.” の 発 表 を 、 私 は
“Results of simple myringoplasty with fibrin glue.” の発表を行いました。我々の発表は全てポ
スターであり活発な討論が行われました。
-35-
(13) 「The structure and operation of the hair bundle (聴毛束の構造と
機能)」の discussion meeting に参加して(パリ、2007 年 4 月 27 日~28 日)
池
田
勝
久
この会議は近年目覚しい勢いで進歩してきた有毛細胞の機能の解析とそれを裏付ける微細構造
からそのメカニズムを解明するために、世界の専門家を一同に集合して 2 日間に渡り徹底的に討
論する企画で開催されました。組織メンバーは Karen Avraham, Peter Gillespie, Jim Hudspeth,
Christine Petit, Guy Richardson といった世界のトップの研究者です。「The hair bundle
cytoskeleton」、
「Cell surface molecules and cellular polarisation」、
「Transduction channels and
hair bundle mechanics」、「Adaptation of the transduction process」、「Active hair bundle
motility」の 5 つのセクションに分かれて細胞生理学、分子遺伝学、分子生物学などの多岐多彩
な分野の 15 名の専門家の集中的なレクチャーの後で、30 分以上の討論が行われ、現在の問題点、
論争点などが 150 名程度の参加者とともに真剣に討論されました。特に、tip link の構造と機能、
myosin1c の motor protein としての挙動機構、TRP と MET チャネルの機能の相違などのホッ
トな話題が続出しました。
私は 12 年来の共同研究者である理研の美野輪先生と 4 月 26 日の 21:50 成田発パリ行きで出
発し、翌日の朝 4:15 パリ着で、会議に直行しました。日本からは学振でパスツール研に留学し
ている神谷先生、京都府立で米国留学中の坂口先生が参加しておりました。Nature, Science, Cell
レベルの極めて衝撃的な研究報告と異常気象による初夏を思わせるパリを堪能しました。これか
ら近くのリュクセンブール宮殿の庭をジョギングして 2 泊 5 日の弾丸学会ツアーの帰路に立ちま
す。4 月 30 日の 7:55 に成田着で、大学に直行して、休日返上の手術を 2 件行う予定です。
帰国日早朝、パリにて
<会議風景>
理研・美野輪治先生と筆者
(会場のフランス大学中庭)
-36-
(14) EUFOS(June30th-July4th,2007)Vienna/Austria, Congress Center
Hofburg
大
峡
慎
一
今年の EUFOS はオーストリアのウィーンで行われ、池田教授、春山、栗林、大峡の 4 名でテ
イクパート。往復フランクフルト経由でしたが、大峡のみ予約が取れず一人イタリアミラノ経由
で現地入り。ミラノからウィーンまではチロリアン航空という微妙な名前の航空会社でしたが無
事着陸。
学会会場はオーストリアのいわゆる王宮、日本で言えば皇居で行われているようなものでした。
周辺にはいくつか観光スポットがあり昼休みを使ってシェーンブルン宮殿やシュテファン寺院な
どへ足を伸ばしてみました。シュテファン寺院のエレベーターは、ボッタクリでした。
初日は池田教授の内視鏡下頭蓋底手術の発表、栗林先生のポスター発表、2 日目は春山先生、
大峡のポスター発表とそれぞれ英語でのプレゼンテーション。私にとっても英語でのプレゼンテー
ションは初体験であり、英語力の低さを露呈してしまい、それ以来 NINTENDODS で英語を勉
強しています。
今回の学会で注目されていたテーマは”balloon sinuplasty”というもので、鼻内からガイドワイ
ヤーを病変のある副鼻腔に挿入し、位置が正しいことを透視下に確認した後バルーンカテーテル
を挿入し、バルーンを膨らませ開放するというものでした。ただ個人的な印象としては、これま
での上顎洞穿刺洗浄に置き換えられるものかなといったところでした。ただ今後発展していくか
もしれないので、機会があれば勉強してみようとも思います。
私にとっては初の海外学会への参加でしたが、やはり英語力が大事だと痛感しました。今後参
加する機会があれば、それまでに少しでも語学力をアップしておきたいと思います。
-37-
(15)第一回国際難聴の予防とリハビリ学会(北京)
笠
井
美
里
徐々に気候も暖かくなってきた 4 月末、北京にて開催された第一回国際難聴の予防とリハビリ
学会に参加するために成田空港より中川雅文先生、酒井陽子先生と出発しました。同行させてい
ただいた、三好 彰先生(仙台市で御開業中)のご好意により初日は南京医科大学病院主任教授の
程雷先生と夕食をともにさせていただきました。南京医科大学は程先生以下、耳鼻科医 20 名、
年間手術症例 1800 例であり、程先生も休日を含め月に 4 回は当直をなさるということでした。
第一日は、午前中は学会場で各国の聴覚事情についてプレゼンテーションがありました。午後は
中川先生よりチベットへのオージオメーターとティンパノメトリーの寄贈を行いました。再度、
学会場で埼玉こども病院の坂田先生の‘新生児難聴児のサイトメガロウイルス感染’やオースト
ラリア、ドイツでの人工内耳システムについてなど興味ぶかい発表を聞くことができました。二
日目は、午前中が閉会式、午後から北京の同仁病院(北京市の国立病院)に見学に行きました。耳
科、鼻科、頸部外科と完全に分かれており、それぞれに対しブースが 6~8 部屋ありました。特
に耳科は種々の検査が多いためそれが 2 倍ありました。人工内耳症例も、同大学ではこれまで 600
例の経験があるということでした。人工内耳手術後のリハビリも非常に充実していて、専任の聴
覚技師さんも常時 3 人はいて、広い部屋で子供がのびのびと学習できるようになっていました。
丁度、チベットから来た 9 歳の男の子のリハビリが行われておりその言語学習能力は驚くべきも
のでした。北京市の街並みもいたるところで大規模な工事が行われておりオリンピックへの意気
込みを感じました。
中国の人々は向上心もあり、急激に医療界も含め発達しているという印象でした。経済的、教
育的な国民間の格差はかなりおおきいと思われますが、日本が中国に学ばなければならなくなる
日も遠くはないと思いました。
-38-
(16)5th Asan Rhinoplasty Symposium に参加して
井
下
綾
子
韓国・ソウルへ Rhinoplasty の勉強に行ってまいりました。メンバーは、池田勝久教授、春山
琢男先生、そしてわたくし井下綾子です。5th Asan Rhinoplasty Symposium というシンポジウ
ムで、6 年前から韓国国内のみでソウルの Asan Medical Center にて開かれていました。今年初
めて International なものになったそうです。rhinoplasty とは鼻形成術のこと日本では形成外科
医領域とされがちですが、海外では耳鼻科医の手術領域との概念が固定しているようです。近年
韓国において隆鼻術を筆頭に鼻形成がめざましく発展し、その裏には欧米人は主に大きい鼻を小
さくしたい症例が集まるのに対して、アジア人はダンゴ鼻を鼻スジの通った鼻にしたい症例が多
いというのが理由だと思われます。従って我々日本人耳鼻科医にとって韓国の第一線で活躍され
ている先生方のレクチャーは、良い機会だったと思います。
2007 年 5 月 11 日(金)成田 18 時 10 分発、2 時間半程で韓国仁川(インチョン)空港到着。交通
手段が発達しておらずソウル市内のホテルに着いたのは 23 時近くでした。
シンポジウム初日の 5 月 12 日(土)ホテルからバスで 5 分ほどの所でしたが 5 分のうち半分は
Medical Center の敷地内に要するような大きくてきれいな病院でした。Registration 後、今回の
ホストである Dr. Jang とお会いし、彼が執筆した「Rhinoseptoplasty」という教科書を医局用に
1 冊購入しました(←最終日にいただいたサインにはなぜか Dear Dr. Haruyama と記載。医局に
あります)。初日は外鼻形成の live または video によるデモンストレーションで、2 日目は鼻の解
剖や外鼻形成のみならず鼻中隔彎曲矯正術のレクチャーが主でした。シリコン挿入による外鼻形
成例は少数で、本人の鼻中隔軟骨を一部用いる方法のほうがメジャーなようでした。また術前後
を比べると鼻だけでなく目も整った患者が多く、一層変化が際立つスライドが散見されました。
鼻中隔彎曲矯正では軟骨全てをくまなく除去するのではなく、彎曲の強い部分だけにメスを入れ
る partial な術式が主流でした。帰国直後の手術に即実践されていた池田教授に頭が下がりまし
た。このような機会をいただきありがとうございました。
左:筆者、左 2 番目:Dr.Jang、右 2 番目:池田教授、右:春山先生
-39-
(17)6th Molecular Biology of Hearing & Deafness Conference に参加して
井
下
綾
子
この学会は 3 年毎にアメリカの San Diego または Bethesda で開かれていたもので、今回初めて
イギリスで開催されました。参加メンバーは池田教授、飯塚崇先生、林千江里先生、私の計 4 人で
の参加でした。内容はあらゆる角度からの内耳基礎研究が中心で、林先生と私は 3 年前の
Bethesda にも参加の機会をいただきました。その当時の私は内容が全く理解できなかったので
すが、今回は研究の「け」の字をようやく把握してきたおかげか特に私の研究分野と多少重なる
コルチ器支持細胞の development や、細胞間のチャンネル・シナプスを介する signal pathway
の話などが面白かったと実感しました。
7 月 10 日 BA007 成田 11 時 55 分発、現地時間 7 月 10 日 15 時 15 分ヒースロー空港に到着し、
その日はロンドン郊外の Crystal Church という街に一泊しました。シングルルーム 4 部屋の予
約のはずが、なぜかツイン 2 部屋とされてしまい、初日は教授+飯塚先生(写真 1)、林先生+井
下という組み合わせでした。(翌朝、飯塚先生は教授のトレーニングの気配で目が覚め、30 分程
のジョギング-といってもかなりな急勾配の多い公園内-に付き合っておられました。)7 月 11 日
ハリー・ポッターで有名な King’s Cross 駅からの鉄道にて 1 時間程で Cambridge に到着。そこ
から今回の学会中に宿泊施設として斡旋された Hormerton College といういわゆる Cambridge
大学の学生寮にチェックインしました。肝心の学会会場は Cambridge からさらに 20 マイル(約
32km)も離れた車で約 20 分も要する Hinxton という地域にある Sanger Institute(ゲノム研究の
最先端施設だそうです)内の Wellcome Trust Conference Centre で行われました。Cambridge
も十分勉学に励める自然に囲まれたよい環境だと感じましたが、Hinxton はさらに研究に没頭す
ること以外何も無い所でした。
飯塚先生、林先生、井下の 3 人はポスターでエントリーし、学会の期間中提示しておりました。
それぞれ、林先生は学位論文となった「Prevalence of GJB2 causing recessive non-syndromic
profound hearing impairment in Japanese subjects」、飯塚先生は「Intracochlear injection of
adenovirus vector to a mouse model created by a conditional knockout of Gjb2 gene」、私は
「Postonatal developmental expression of gjb2 transgenic mice of the organ of Corti」です。
飯塚先生と私が受けた質問の大半は実験に使用しているモデルマウスに集中し、世界が注目して
いる貴重なマウスなのだと身にしみました。私のポスターの前でこの transgenic mouse につい
て討論を始めた先生の一人が、先日の金沢の日耳鼻の特別講演でいらっしゃった Iowa 大学の
Smith 先生だと後で教授から伺った時には驚きました。また林先生は今後の研究テーマ材料に成
り得るネタはないものかと最後まで奮闘してらっしゃいました。
池田教授は日本での講演会が控えているため、7 月 13 日に一足早く帰国され(その頃日本へは
台風 4 号が接近中でした)、我々は残りの講演を聴きロンドンで少々滞在後、7 月 15 日帰国の途
につきました。飯塚先生お勧めのミュージカル Wichked(ウィキッド)は最高でした。
最後に、このような発表の機会を与えてくださった池田教授、そして我々が不在中に仕事をカ
バーしてくださった医局員の皆さんに感謝いたします。
-40-
学会会場にて
左:飯塚
左から 2 番目:林、右から 2 番目:池田教授、右:筆者
Cambridge 大学 King’s college 前にて
左:林、右:飯塚
Wicked 観劇(感激?!)後、アポロ劇場前にて
左:林、中:筆者、右:飯塚
(18)Minimally invasive endoscopic surgery for the cranial base and
pituitary fossa course の印象記(動く教授室の誕生)
池
田
勝
久
2007 年 9 月下旬は米国を 2 往復した。9 月 15 日(土)に AAO での発表のためワシントン DC
に向かった。最初の苦難は成田に向かう途中に発表の Power point を入れた USB メモリーを自宅
に忘れたことに気付いたことである。幸い、家内に成田空港まで届けてもらい、事なきを得たが、
幸先の悪いスタートであった。AAO の詳しい学会見聞記は同行の教室員の報告に譲るが、感心し
-41-
たのは、学会先での朝のジョギングに伊藤君が付き合ってくれ、DC 内をくまなく探索できた。M
君は朝は弱いようである。2 回目の苦難は私の発表のことである。学会プログラムに従うと帰国便
に間に合わなくなる可能性があるので、何とか交渉して約 1 時間繰り上げてもらい、便に間に合う
ことができた。帰国後に成田から羽田、そして旭川の耳鼻咽喉科感染症研究会に出席した。羽田で
待ち合わせた林君に留守中に来た書類を持って来て頂き、出張先で学内外の仕事ができ、感謝して
いる。翌日に発表と座長を終えた後、林、峯川君と旭山動物園見学、夕食後に最終便で東京に戻っ
た。教室に夜の 10 時過ぎに着き、待ちかねていた斉藤君と鼻科学会と好酸球研究会の打ち合わせ
を行い、教室の仕事、ピッツバーグへの準備等を終えて、日付の変わった午前 2 時に帰宅した。朝
6 時から日課となっているラクーアのジムで約 40 分間の水泳を行い、12:00 発のシカゴ便にて脳外
科の石井准教授とピッツバーグ大学の Minimally invasive endoscopic surgery for the cranial
base and pituitary fossa course に向かった。このコースは本年 3 月のミラノでの講習会で知った
もので講習とともに献体を用いての手術の実技も含まれていた。経鼻内視鏡で頭蓋底~頭蓋内の病
変を手術する maximally invasive endonasal surgery という発想の転換を図ったコンセプトであ
る。耳鼻咽喉科と脳外科がチームを形成して、2 人 4 つの手で両前鼻孔から内視鏡、器具、ドリル、
洗浄ノズルなどを同時に挿入して手術を行う。Cadaver course では冷凍の頭部献体、内視鏡セッ
ト。ナビゲーション、ドリツ、キューサーなどの実践で使用するあらゆる手術支援機器が set-up
されていた。ピッツバーグ大学の山藤勇名誉教授夫妻にもお会いでき、夕食をご馳走になり、お世
話になった。充実した 3 日間のコースを終え、9 月 27 日の夕刻に帰国した。同夜に鼻科学会のた
め宇都宮に移動した。今年度から日本鼻科学会の理事を拝命したので、日本の鼻科学の発展のため
微力ではあるが、努力したいと考えている。29 日に鼻科学会を終了し、今年度から参加すること
になった「好酸球と鼻茸の成因に関する研究会」に、29 日の夜の特別講演と情報交換会に出席し、
30 日の午前の一般演題のトリで発表させて頂いた。学会出張先での「動く教授室」であるが、出
張中もメールや携帯で連絡は取れますので、何なりとお申し付け頂きたい。
左から脳外科・石井尚登准教授、北京からの参加
の Zhou 教授、
コースの主催者の Synderman 教授、著者
-42-
Cadaver のスナップ写真
9.同門会式次第・同門会賞
平成 19 年度同門会
同門会総会式次第
(敬称略)
―
開会の辞(古川正幸)
二
会長の挨拶(池田勝久)
三
会則の変更(古川正幸)
四
物故会員(故
五
会計報告(古川正幸)
荒牧
謙)(黙祷)
18 年度収入・支出
監査報告(杉田麟也→19 年度より藤巻豊)
平成 18 年度の歳入、歳出の決算について監査を行い、帳簿と証拠書類は正確である
ことを確認しました。
19 年度予算
六
同門会奨学賞授与(池田勝久)
七
受賞講演
八
乾杯
九
新入医局員紹介
十
近況報告
(司会
十一
閉会の辞
(横井秀格)
(松本文彦生)(パワーポイント)
(芳川洋)
(司会
古川正幸先生)(スピーチ
飯村晃彦先生)(スピーチ
長陽子、廣津幹夫)
久保田肇、板橋隆嗣、小倉恒子)
同門会賞
松
本
文
彦
この度はこのような光栄な賞をいただき誠に有難うございました。また、このような賞を設け
ていただいた同門会の諸先輩方に御礼を申し上げます。今回、評価いただいた論文は私が大学院
時代に行った仕事をまとめたものです。Niban 遺伝子とは私がお世話になった第 2 病理学教室の
教授でいらっしゃる樋野教授が、前任地の癌研究会附属病院で発見された新規の腫瘍関連遺伝子
です。今回、この遺伝子を用いて甲状腺腫瘍における同遺伝子の発現を免疫染色で検討を行いま
した。その結果、正常甲状腺組織には全く発現しておらず、腫瘍組織内とくに乳頭癌において高
度に発現を認めるという結果を得ました。まだ、Niban 遺伝子の機能に関しては未知であります
が、腫瘍におけるマーカーとなる可能性を示唆できたと考えています。
今後もこの賞に恥じぬように、努力を続けていきたいと思っています。
-43-
10.関連病院の紹介
(1)順天堂浦安病院
順天堂浦安病院手術症例件数(H18 年)
150
鼻科手術
内視鏡下副鼻腔手術
75
下甲介手術
34
鼻中隔矯正術
26
眼窩吹き抜け骨折整復術
6
上顎洞根本術
7
2
その他
71
頭頸部腫瘍手術
顎下腺腫瘍摘出術
16
甲状腺腫瘍摘出術
7
耳下腺腫瘍摘出術
17
咽頭腫瘍摘出術
6
喉頭摘出術
1
頸部郭清術
9
頸部腫瘍摘出術
7
頸部のう胞摘出
4
リンパ節摘出
2
顔面腫瘍摘出
1
がま腫摘出
1
その他
180
咽喉頭手術
102
口蓋扁桃摘出術
アデノイド切除術
36
喉頭微細手術
26
気管切開術
11
1
軟口蓋咽頭形成術
4
その他(唾石摘出)
32
耳科手術
鼓室形成術
3
鼓膜形成術
1
乳突洞削開術
3
先天性耳ろう孔摘出術
6
19
鼓膜チューブ留置術
その他
合
433
計
-44-
(2)順天堂静岡病院
順天堂静岡病院耳鼻咽喉科手術実績
耳
鼓室形成術
5
鼓膜形成術
2
鼓膜チューブ挿入術
7
先天性耳瘻孔
5
1
その他
20
計
鼻
内視鏡下副鼻腔手術
55
鼻中隔矯正術
33
粘膜下下甲介切除術
23
後鼻神経切断術
5
眼窩吹き抜け骨折整復術
6
鼻副鼻腔腫瘍
3
その他
3
128
計
頭頚部
気管切開術
41
甲状腺
13
耳下腺
13
顎下腺
5
リンパ節摘出
5
その他
9
86
計
咽喉頭
20
口蓋扁桃摘出術
アデノイド切除術
7
顕微鏡下喉頭手術
42
4
その他
計
73
2006 年手術件数
307
-45-
(3)順天堂練馬病院
平成 18 年 7 月より前任の片岡先生より医長の任を引き継ぎました畠と申します。
平成 19 年 4 月現在、常勤は私と戸田先生の 2 人体制となっています。また前任の片岡先生と
本院からは斉藤先生が、それぞれ応援医師として週 1 度ずつ外来診察のお手伝いに来ていただい
ています。
この病院の最大の特徴は、順天堂付属病院で初の電子カルテが導入されていることだと思われ
ます。私は「たかが、ペーパーレスになるだけだろう」と就任前は思っていましたが、実際に運
用してみると、運用上でさまざまな問題点が発生し、その奥の深さに驚かされます。
たとえば、他院からの紹介状がきた場合、この紹介状自体が紙ですから、電子化するためには
これをスキャナーしなければなりません。フィルムがある場合はデジタイザーといって、フィル
ムごとスキャンして電子カルテに取り込む作業がなされます。まだ、逆に当院でフィルムレスと
して撮影したとしても、本院など他院に紹介する場合は、これをあえてフィルムとして出力する
必然性が出てきます。また、院内で紙運用として出力されたものは、法律上原本の保存義務があ
り、その保存場所をどうするかで、診療録委員会で常に議論がなされています。
当院の耳鼻科で問題になっているのは聴力検査を中心とした神経耳科検査がまったく電子化さ
れていないということです。このため、聴力検査の結果は、電子カルテでは確認できず、確認は
外来の棚から、看護師の手作業で行われている状況です。しかも、紙運用された聴力検査を保存
したカルテ棚が、患者の増加に伴って、外来のスペースをふさいでしまって、防災上、カルテ棚
の撤去の必要が生じており、耳鼻科スタッフ一同で悲鳴を上げています。
そこで、聴力検査の電子化を進めていったのですが、これもまた途中から導入しようとすると、
サーバの設置とか、リオンと富士通の PC 上の直接的な連携ができなかったりとかで、信じられ
ないくらい莫大な費用が発生します。それが判明すると、今度は慌てて病院側が導入にストップ
をかけたりしだすので、いつまでたっても電子化されず、カルテ棚が外来のスペースを圧迫し続
けています。
電子化計画苦節約 1 年、ようやく院長の決済を頂き、当院の聴力検査がまもなくペーパーレス
になろうとしています。ほっとした反面、今までの紙運用された数千件もの聴力検査を、どうやっ
て電子カルテにスキャンしようか。今も尚、私の頭を悩ませています。
練馬病院手術症例数(平成 18 年 4 月~平成 19 年 3 月)
鼓膜チューブ挿入
6件
1件
耳ろう管摘出術
鼻中隔矯正術
13 件
内視鏡下副鼻腔手術
52 件
下鼻甲介切除術
22 件
アデノイド切除術
11 件
口蓋扁桃摘出術
56 件
いびき手術
1件
ラリンゴマイクロ
3件
気管切開術
1件
気管孔開大術
1件
頚部膿瘍切開術
1件
口唇のう胞摘出術
1件
-46-
(4)順天堂江東高齢者医療センター
平成 11 年入局
松 本 弥 依
昨年も当院の紹介をさせて頂きましたが今年も簡単に説明させて頂きます。
当病院は平成 14 年 6 月に東京都福祉保健局と学校法人順天堂が運営する公設・民営の医療機
関として東西線南砂町駅近くに開院し、平成 16 年 4 月より自主運営となった施設です。私は平
成 16 年 10 月より当院常勤医として勤務させて頂いております。平成 19 年 6 月で開院 5 周年を
迎えた新しい施設になります。
当院全体としては、名前の通り患者さんに高齢者の方が多いのが現状ですが、当科に関しては
お若い方も大変多く年齢に関係なく外来・入院診療を行っております。(小児科がないため小児の
入院診療は行っておりません。)昨年度に続き常勤医一名で診療を行っておりまして、予約外診療
は受け付けるものの主に予約外来が中心でありその他手術患者や感染症、突発性難聴、顔面神経
麻痺、めまい等一般的な入院管理をしております。
昨年度まで当院にて週に 1 回外来・手術と大変お世話になりました榎本先生がご開業され
その後 10 ヵ月程は時折手術に際して本院の先生のお手伝いをいただきながら、外来入院とも
に常勤医 1 名で悪戦苦闘しながらなんとかやって参りました。
平成 18 年 11 月より池田教授、医局長の古川先生のご配慮により、週に 1 回横井尚子医師によ
る外来診療を開始頂き、また同年 12 月よりはご開業なさったばかりの藤森正登医師が大変お忙
しいなかで、当院にて毎週水曜の午後の手術のご指導、御執刀等頂けることとなりました。両先
生のお陰で外来患者数の増加、手術症例の件数の増加、ならびに多様化がみられ大変感謝してお
ります。
また、平成 19 年 2 月下旬に私の体調不良に伴い突然常勤医が不在という最悪の事態に際し、
教授始め、医局の皆様方、近隣の御開業されている先生方にも大変ご迷惑をおかけして申し訳あ
りませんでした。私が入院した際には大変ご多忙であられるなか古川正幸医局長の迅速で的確な
医師の派遣や当院への事務手続き等を行なって頂き、大変感謝しております。本院の先生方には
通常業務も大変忙しい中、嫌な顔ひとつされず当院での外来業務をすべて交代でカバーして頂き、
医局の先生方の優しさに恐縮と感謝の思いでいっぱいでした。この場をかりて御礼を申しあげさ
せて頂きます。
6 月よりは中澤麻美医師が常勤医として勤務頂けることとなり私は現在は産休を頂いておりま
す。今後は中澤麻美先生が中心となっての当院のさらなる発展を心より願っております。今後と
も宜しくお願い申しあげます。
-47-
平成 18 年度手術件数
術式名
鼻中隔矯正術
3件
下甲介粘膜レーザー焼灼術
6件
下甲介切除術
3件
内視鏡下副鼻腔手術
7件
内視鏡下前頭洞嚢胞開放術
1件
内視鏡下頬部嚢胞摘出術
1件
声帯ポリープ切除術
3件
口蓋扁桃摘出術
7件
唾石摘出術
3件
側頸嚢胞摘出術
1件
甲状腺左葉切除術
1件
頸部リンパ節摘出術(生検術)
1件
(5)江東病院
部長
関
眞 規 子
江東病院が江東区大島に開院したのは昭和 30 年の事です。
二年前に開院 50 周年を向かえました。
歴史の有る病院です。耳鼻科は開院と同時に診療を始めたので、江東病院の歴史は耳鼻科の歴史そ
のものです。OB の諸先輩方の多くが江東病院の耳鼻科で診療をなさいました。大先輩の先生方の
江東での写真が、今でも医局に残されております。私達の教室の初代教授、故石倉武雄名誉教授は、
江東病院の病院長をなされました。耳鼻科の教授が関連病院の病院長になられるのは珍しい事だそ
うです。本当にお人柄の先生でらっしゃいました。歴史があると言う事は、有る意味では器はかな
り古くなりました。いえ、激しく古くなりました。小さな地震でも診察室が潰れるのではないかと、
何時もヒヤヒヤしていました。
。しかしながら、
「こんな古い病院では機能評価の認可は無理だろう」
との下馬評をよそに、ソフト面での頑張りで見事、認定を頂く事が出来ました。とは言え、この世
の中やはり、ハードも非常に大切です。今までにも、大学の分院になる事、から始まり、土地の候
補地を含め、二転、三転と難渋して参りました。そして最終的に、現江東病院の場所に新病院を、
三期工事により建てる事になりました。既にこの夏から工事は開始されています。臨床科では先頭
を切って、H19 年 7 月 18 日をもって 50 年以上も諸先輩方の思い出もある耳鼻科が取り壊しにな
りました。当日は午後三時までは通常の診察業務を行い、それからのお引っ越し。翌日は 9:00 か
ら新しい場所で、どんな大変なお引っ越しだったかは、患者さんには何事もなかった様に「にっこ
り」笑顔で診察開始。病院の各部署、皆で頑張りました!来年の秋には第一期工事も終り新館での
診察が始まります。耳鼻科は一番乗りで新棟の二階で快適な診療が開始されます。全館の改築終了
は平成 22 年 9 月の予定です。写真は 50 数年間、長年親しんだ耳鼻科外来をまさに今日離れる日の
午後、外来のスタッフと撮った写真です。左側は現在医局からラウンド中の原敬子先生、そのお隣
は江東病院の研修医、現在耳鼻科研修中の古澤雅史先生です。池田教授、医局長の古川先生のご指
導のもと、今の医局はとても活気があり、常に前を向いて熱く仕事をしていて、頼もしい限りです。
私もそんな中に身を置いて仕事が出来たら、と羨ましく思います。私も、これからも日々の医療に、
-48-
後輩達の指導に、そして一人の人間としてもたおやかな精神で頑張って行きたいと思っています。
これからもどうぞご指導のほどお願い申し上げます。
平成 18 年度手術統計
27
内視鏡下鼻副鼻腔手術
鼻中隔矯正術・下甲介切除術
2
4
鼻骨整復術
167
下甲介レーザー手術
上顎洞穿刺洗浄術
5
両側口蓋扁桃摘出術
9
アデノイド切除術
5
口腔腫瘍摘出術
9
顕微鏡下喉頭手術
3
扁桃周囲膿瘍切開排膿術
29
咽喉頭生検術
18
小唾液腺生検術
6
唾石摘出術
4
25
鼓室内チューブ留置術
1
先天性耳瘻孔摘出術
26
鼓室内ステロイド注入術
1
耳介腫瘍摘出術
1
頚部腫瘍摘出術
16
頚部細胞診・生検術
6
その他
364
総件数
(6)越谷市立病院
奈 良 林
修
ここ越谷市は東京から通勤時間が 1 時間圏内で、現在も年間千人以上の人口増加を続けている
ベッドタウンです。私が住み始めて 7 年程経過しましたが、その頃ですらまだまだ病院の周囲は
田んぼや空き地でした。しかし現在は一戸建てやマンションが建ち並び、幼稚園や小学校が収容
人数を超え、病院のすぐ近くに新しく小学校ができました。また今年度末には武蔵野線南越谷~
吉川間に「越谷レイクタウン駅」がようやくできることが決定し、2 万人規模の新しい街ができ
る予定です。地域医療の中核として当院が担う部分はさらに増えることが予想されます。
さて、数年前より当科の医局員が大幅に減少し、それに伴い当病院の耳鼻科の人数が 3 人から
2 人と縮小されたことはご承知の通りだと思います。その後責任者が 1 年以内で異動という事態
が続きました。前任の川野健二先生の順天堂静岡病院責任者としての異動後の 6 月から 2 ヶ月間
孤軍奮闘していた斎藤達矢先生と共に「越谷市民による越谷市民のための医療」をモットーに 8 月
1 日より働く事となりました。当初は病院関係者から「あれ?耳鼻科は撤退するんじゃないの?」
と心配の言葉を度々戴きました。ひたすら失墜した患者さんおよび周囲の開業医の先生や病院内
-49-
の関係者の信頼回復に努めていた中で「とくまる耳鼻科」の徳丸隆太先生のおかげで越谷市内の
耳鼻科懇親会に出席させて戴くことができ、徐々に紹介患者が増えてきました。
責任ある立場になって、今までいかに諸先輩の深く、温かい懐の中で甘えていたか、ということ
に気がついたのと同時に、責任をもって初診から入院、自ら手術をし、そして退院後もフォロー
していくことの楽しさや難しさを知ることができたと思います。
この一年で一番の思い出は、縦隔膿瘍に進展した頚部膿瘍例(精神分裂病あり)を生きて退院さ
せることができたことです。その頃一緒に勤務していた前之園美地子先生は本院での悲しい出来
事がトラウマになっており、その話を聞いた時は「果たして自分に出来るのだろうか?」と自問
自答を繰り返していましたが、
「目の前の死にそうな患者がいるのに何もしないのか!」と彼女を
叱咤すると同時に自分を奮い立たせ、無我夢中で緊急手術をしました。当院には胸部外科がなく、
翌日胸部 CT にて縦隔膿瘍を再度確認、呼吸器内科の部長先生に相談し、救急車で隣の春日部市
内の病院へ搬送、開胸下縦隔ドレナージ手術を施行して戴きました。その後もこの患者さんはイ
ンフルエンザ罹患、出血性十二指腸潰瘍と紆余曲折ありましたが、無事退院しました。今では良
い思い出です。
平成 19 年 4 月からは同期の高柳博幸先生が当科の責任者として赴任し、男臭いと評判?です。
今後も地域貢献できるよう頑張る所存です。
平成 18 年度手術統計(概算)
149 件
鼻・副鼻腔
55 件
内視鏡下副鼻腔手術
術後性頬部嚢胞摘出術
5 件
鼻副鼻腔腫瘍摘出術
5 件
鼻茸摘出術
6 件
後鼻孔ポリープ切除術
6 件
鼻中隔矯正術
43 件
下甲介切除術
29 件
(うち悪性 1 件)
37 件
咽頭
口蓋扁桃摘出術
23 件
アデノイド切除術
10 件
4 件
口蓋垂口蓋咽頭形成術
11 件
喉頭
声帯ポリープ切除術
6 件
喉頭腫瘍摘出術
4 件
気管孔開大術
1 件
9 件
耳
鼓室形成術
2 件
鼓膜チューブ留置術
7 件
13 件
頸部
頚部膿瘍切開排膿術
3 件
頸部リンパ節生検
2 件
甲状腺腫瘍摘出術
3 件
耳下腺腫瘍摘出術
2 件
顎下腺摘出術
2 件
1 件
正中頸嚢胞摘出術
合
219 例
計
-50-
(うち悪性 1 件)
(7)多摩南部地域病院
金
隆
澤
平成 18 年(1~12 月)手術件数は、ESS 25(例、以下省略)、下鼻甲介手術 14、鼻中隔矯正術 7、
C-L ope 2、鼻レーザー8、耳下腺摘出術 10、顎下腺摘出術 3、甲状腺摘出術 8、頚部腫瘍摘出 6、
口蓋扁桃摘出 44、喉頭微細手術 18、気管切開術 8、気管孔開大術 2、軟口蓋咽頭形成術 5、耳瘻
孔摘出術 2、アデノイド切除 18、鼓膜チューブ留置 6、舌小帯手術 1、眼窩底整復 1、外耳道腫
瘍 3、でした。
また、PSG 検査入院後 CPAP 導入は 31 名でした。
何卒宜しくお願い申し上げます。
(8)2007 年
浅間総合病院
本
間
博
友
私が浅間総合病院へ赴任し 3 ヶ月が経とうとしております。この病院は北陸長野新幹線佐久平
駅から徒歩で 15 分のところに位置し、東京から 2 時間もあれば来られる場所にあります。病院
のある長野県佐久市はあらたに 10 万人都市となり、病院の周辺には大きな国道も開通し、近く
に上信越自動車道のインターチェンジもあることから最近になり特に開発が進んできている地域
です。周囲には豊かな自然があふれ、農村と都市の両面を兼ね備えたとてものどかで便利なとこ
ろといった印象です。
浅間病院は昭和 34 年の開院以来現在に至るまで、地域医療の大きな役割を担ってきました。
内科、外科から始まり口腔外科、心療内科、耳鼻咽喉科と各科での外来があり地域の中核病院と
して厳しい医師不足、医療制度改革のなか地域住民の求める医療を実現できるようすべてのスタッ
フが努力をしております。また今年になり病院も建て替えが始まり耳鼻咽喉科は外来、入院とも
に新病棟となっております。
現在浅間総合病院の耳鼻咽喉科は私と細川医師の二人で外来、入院、手術と日々の診療を行っ
ております。この東信地域にある中核病院は浅間総合病院、佐久総合病院、小諸厚生総合病院、
軽井沢病院でありますが、今年になり耳鼻咽喉科の常勤医師がいる病院はこの浅間病院だけとなっ
てしまい、今まで以上に診療の負担が大きくなってきております。私がこの病院に来る前にいた
東京都多摩市の病院では周辺にも耳鼻咽喉科が多いことから、地域の医師との連携を重視し医療
の分担のため紹介制度を採用しておりました。よって外来患者数も抑えられ手術や入院での診療
といった中核病院としての役割をうまく果たせておりました。しかし浅間病院では外来数を制限
することはできず、最近の周辺での耳鼻咽喉科の相次ぐ閉診により、さらに浅間病院の負担が増
えてきていることは否めない事実です。
他の診療科を見ても地域医療における医師不足は深刻なようですが、浅間病院には臨床研修医
の先生方も多く、救急外来などでは私たち耳鼻科の医師も他科の医師、研修医の先生達と一緒に
なり地域の医療に貢献するべく頑張っております。
-51-
地域の医療では大学病院では経験できないことが多くあります。この病院で多くのことを学び
今後の医療に活かせるよう日々努力を重ねていきたいと考えております。また今後この病院にく
る先生たちにもすばらしい環境のなか、貴重な経験をしていってもらいたいと思います。
平成 18 年
耳鼻咽喉科手術
手術件数
浅間
ラリンゴ、レーザー
3
ラリンゴ
10
両側口蓋扁桃摘出術
24
鼓室内チューブ留置術
13
鼻中隔彎曲矯正術
10
下甲介粘膜切除術
5
粘膜下下甲介骨切除術
2
内視鏡下副鼻腔手術
34
顎下腺摘出術
2
唾石摘出術(口内法)
4
鼓室形成術
0
気管切開術
4
アデノイド切除、扁摘
18
アデノイド切除術
2
耳下腺浅葉切除術
5
扁桃周囲膿瘍切開術
5
膿瘍切開
1
鼓膜切開
21
眼窩骨折観血的手術
2
中咽頭腫瘍切除術
1
鼻茸切除術
4
粘膜焼灼術
3
甲状腺切除術
1
3
扁摘、UPPP
167
計
-52-
(9)みつわ台病院
中
川
雅
文
手術実績報告書
術
式
名
16.4~17.3
17.4~18.3
18.4~19.3
各術式件数合計
各術式件数合計
各術式件数合計
鼓膜切開術
186
203
116
23
41
27
耳瘻管摘出術
1
0
1
鼓膜形成術
6
5
5
鼓室形成術
鼓膜チューブ挿入術
17
25
25
乳突洞開放術
0
0
0
乳突洞削開術
5
3
6
鼻出血止血術
0
0
0
鼻骨骨折整復術
6
4
11
鼻中隔矯正術
8
6
8
鼻粘膜焼灼術
77
136
110
下甲介切除術
23
7
26
1
3
3
14
10
7
0
0
17
上顎洞根本手術
14
5
13
鼻外前頭洞手術
3
0
5
上顎洞穿刺手術
0
0
0
篩骨洞蝶形洞手術
0
10
3
内耳窓閉鎖術
0
3
3
12
12
14
4
5
2
33
7
24
いびき手術
0
2
1
唾石摘出術(口内法)
3
0
1
顎下腺摘出術
1
3
0
耳下腺腫瘍摘出術
1
2
1
ラリンゴマイクロ(声帯ポリープ手術)
1
1
12
気管切開術
1
0
0
気道異物摘出術
0
0
0
頚部膿瘍切開術
0
0
0
頚部嚢胞摘出術
0
0
0
頚部郭清術
0
0
0
悪性腫瘍摘出術
0
0
1
0
0
0
440
493
442
あぶみ骨手術
鼻内篩骨洞手術
内視鏡下副鼻腔手術
扁桃周囲膿瘍切開術
アデノイド切除術
口蓋扁桃摘出術
食道異物摘出術
合
計
-53-
11.新入医局員の紹介
楠
皆様はじめまして。本年 9 月 1 日から近畿大学医学部耳鼻咽喉科学教室(近畿大学
年卒)より異動いたしました、楠
威志(くすのき
威
志
昭和 61
たけし)と申します。これまで近畿大学で
は、臨床および研究では頭頸部腫瘍および、中耳疾患を中心にやってまいりました。こちらで、
さらに研鑽したく上京してきました。こちらにでは、新たに好酸球性副鼻腔炎の研究を始めまし
た。単身赴任のため、約 1 ヵ月に 1 回
東京と大阪の往復生活ですが、こちらの環境にもなじみ
楽しんでおります。今後ともよろしくご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
原
初めまして。今年から順天堂大学耳鼻咽喉科に入局致しました、長
陽
子
陽子です。
広島県出身、浜松医科大学を卒業しました。
臨床研修は京都第 2 赤十字病院という、京都御所の近くの病院で研修しました。
少し都会の空気をすってみたかったことと、教授のエネルギーがすごいなあと思ったので順天
堂の耳鼻咽喉科に入局を決めました。私はなかなか専攻する科が決まらなかったのですが、2 年
間いろいろな科をローテートして耳鼻咽喉科は診断、治療が自科でできるところに魅力を感じて
耳鼻咽喉科を志しました。実際に耳鼻科医として働いてみて、魅力だったはずのスペシャリティ
ですが鼓膜の所見ひとつも難しく、自分が適切な診断、適切な治療ができる日が来るのか不安に
なってきています。一人前の耳鼻科医になれるようがんばりますのでどうぞよろしくお願い致し
ます。
-54-
廣
津
幹
夫
今年度、順天堂大学耳鼻咽喉頭頚科に入局いたしました、廣津幹夫です。
平成 17 年度順天堂大学を卒業し、同年度 4 月より順天堂大学浦安病院にて 2 年間の臨床研修
を行いました。臨床研修当初、正直私は全く耳鼻科入局を考えておりませんでした。小児科を将
来専攻しようと考えており、耳・鼻等の診察の基本を学ぶ目的で、臨床研修の選択科目として 1
ヵ月順天堂大学浦安病院の耳鼻科を選択しました。しかし、軽い気持ちで選んだこの 1 ヵ月が人
生のターニングポイントになるとは全く予想さえしていませんでした。様々の指導をしてくださ
った医局の先生方の影響もあり、大変有意義な1カ月を過ごせたので、もう少し耳鼻科疾患を学
びたいと思い、まずは1ヵ月延長!そして、幅広い年代層の方々を対象に、内科的・外科的とい
った 2 つのアプローチを用いることで、患者さまに満足して頂ける医療を提供できることに大変
やりがいを感じ、耳鼻科に魅かれてしまいました!
そして耳鼻科に入局することを決意しました。今後、皆さまとは一緒に仕事をすることがある
と思います。まだまだ未熟者ですがよろしくお願い致します。
-55-
12.教室行事
(1)野球大会
大
峡
慎
一
毎年この夏の時期、医局対抗野球大会が行われています。今年ももちろん、耳鼻咽喉・頭頸科
は参加しました。しかし毎年のことながら、人数確保が困難であり、本院だけでなく浦安、静岡、
多摩の先生方にも来ていただきチームを結成しました。少数精鋭といいますか、個人的には非常
にバランスの取れたいいチームが出来上がっていると思っています。昨年は非常に残念ながら 1 回
戦敗退という結果に終わり、私たちの夏は一瞬にして終わり冬に向かっていってしまいました。
さて、本題に入りますが、今年の 1 回戦は消化器内科でした。2 年前にも対戦しており、その
ときには引き分けで、抽選により勝利という接戦でした。今年は当科のエース、松本先生が 9 奪
三振というすばらしいピッチングを披露し、5 回コールド勝ちを収めました。この勢いで 2 回戦
の糖尿病・代謝内分泌内科も撃破し、まさに明日、整形外科との対戦を控えているという状況で
す。暑さの中、激闘となること間違いありません。
耳鼻咽喉・頭頸科
vs 整形外科
8 月 10 日 15:00 試合開始
於:神宮軟式球場(さくら)
-56-
(2)医局スキー旅行
峯
川
明
毎年恒例の医局スキーですが、本年は新潟の舞子高原後楽園スキー場に行ってきました。
新潟は日本酒も旨く、温泉もあり、アフタースキーも万全です。今回はスキー場に隣接する舞
子高原後楽園ホテルに宿泊しました。総勢 15 名の大人数となりましたが、例年の如く東京駅か
ら上越新幹線に乗り込みました。あいにく天候には恵まれず、かなり水の混じった雪が降ってい
ましたが、アフタースキーは温泉&日本酒でホクホクでした。毎年 1 月 2 週目の週末に開催予定
です。スキー・スノーボード好きの方は是非ご参加ください。
-57-
(3)医局コンペ(池田杯)祝開催!!
第 2 回池田杯幹事
峯 川
明
(平成 15 年入局)
本年度より待望の医局コンペが開始されました。記念すべき第 1 回池田杯は平成 19 年 3 月 18
日に千葉県の天ヶ台ゴルフ倶楽部にて開催されました。当日は天候にも恵まれ、絶好のコンディ
ションのなか、OB の先生方も含め熱い戦いが繰り広げられました。記念すべき第 1 回の優勝者
は長野県浅間総合病院の細川先生となり、金色に輝く大きな池田カップに名を刻みました。
第 1 回の感動も冷めやらぬなか、第 2 回池田杯は長野県佐久市のサニーカントリクラブにて真
夏の平成 19 年 7 月 29 日に開催されました。長野県という土地柄か夏の暑い日差しが強いにもか
かわらず高原の澄んだ空気の中でのゴルフコンペとなりました。後半 3 ホールを残して雷雨に見
舞われ、残念ながら 15 ホールにて終了となってしまいましたが、皆さん夏の高原ゴルフを満喫
できたものと思われます。
次回第 3 回は 11 月に開催される予定です。今後も年 3 回のペースで開催される予定です。ゴ
ルフは年齢性別関係なく楽しめるスポーツです。何よりもアフターゴルフの一杯が最高ですが、
今回参加された先生方も、まだ参加されていない先生方も、是非池田杯に参加頂きたいと思いま
す。美味しい祝杯が待っております。
第 1 回(天ヶ台ゴルフ倶楽部にて)
第 2 回(サニーカントリークラブにて)
浅井先生
池田教授
-58-
(4)新入局員歓迎会
大
峡
慎
一
本年度、廣津幹夫・長陽子の 2 名が耳鼻咽喉科学教室に入局しました。平成 19 年 4 月 17 日に、
大井競馬場にて歓迎会を開催しました。あいにくの雨で馬場は不良でしたが、レースは無事に行
われました。9R~11R の 3 レースを観戦しましたが、非常に盛り上がりました。私はテレビでは
よく競馬を見ますが、生で見るのは初めてであり、とても迫力があり興奮しました。しかし、こ
の日の主役は 2 名の新入局員であり、それぞれ自己紹介と挨拶をしていただきました。今後の活
躍を大いに期待したいと思います。また、我々も新たな刺激を受け、さらに成長していけたらと
思っております。
-59-
13.寄
稿
(1)旅して知り得た北欧の医療制度
昭和 32 年入局
関
六
郎
医療制度の改正が取りざたされている今日この頃、本来の医療の在り方について考えさせられ
る日々です。世間では高齢と言われる年齢になった私ですが、私なりに誠実で質の高い医療を心
がけたいと拙に願う毎日ですが、皆様はいかがでしょうか?私、幸いにも健康に恵まれ、日々の
診療をこなしつつ限られた休みは、異分化交流を目的とした旅に出掛けておりますが、一昨年、
たっての希望であった北欧を訪ねる機会があり、その際に海外の医療を垣間見る貴重な体験を致
しましたので、筆を執らせて頂きした。
一昨年の 8 月、最近マイブームであるクルーズ船に乗船すべくコペンハーゲンへ旅立った時の
こと。異国の地でのコミュニケーションへの期待に胸を膨らませ出発したのですが、こともあろ
うか道中、膀胱炎からくる尿閉を引き起こしてしまったのです。念のため用意した医療品は全く
役にたたず、異国の地では全くのお手上げ状態、日本でもなかなか乗れない救急車に乗り、夜中
救急病院に行くはめになったのです。しかし物は考えよう、妻の不安そうな顔をよそに北欧の医
療を目の当たりに出来る良い機会だと心の中で密かに考えていました。なかなかの乗り心地の救
急車で着いた先は Rigshospitalet という巨大病院です。診察を担当して下さった泌尿器の Dr.
Rike Hansen は若い女医さんで、それは丁寧に全身の診察をして下さった上で、適切な処置をし
て下さいました。母国語以外の言葉を流暢に話し、人に対する気遣いにも関心していたのですが、
その上帰宅時には治療費は全額免除ばかりか、帰宅時のタクシー代もフリーとのこと。しかも今
後の旅程継続のための山のような処置グッズのお土産付きです。外国人の私達にも母国の人と同
じ扱いに驚きお伺いしたところ、
「私達の国は社会保障の国、どなたにも分け隔てはありません。」
とのお答えでした。聞きしに勝る社会保障と、医師のレベルの高さに感心しつつ、次の日の出航
時間を迎えました。本来なら海を眺めながら、ゆったりと出航シーンを楽しむところですが、こ
れからは暫く医療事情の悪い寄港地ばかりだったため、早々に船医 Dr. Zeljiko を訪ねました。こ
の先生は救急医療専門の大ベテランの先生でしたが、どの処置をするにも必ず意志確認し、治療
方針に discussion をする機会を与えて下さったので、自分の意見の反映した、極め細かい医療を
受けることが出来て大変感動致しました。遠い異国の地でのトラブルは心細いもの、先生の心遣
いが大変身にしみました。結局このドクターオフィスには下船するまでの一週間、毎日通いまし
た。終盤は肩の力も抜け、お互いの国の医療事情について話し合うまでになりましたが、名残惜
しくもストックホルムで下船となりました。この船はワールドクルーズを行っている船であり、
来年日本に寄港する際には船に招待して下さるとのことで今から大変楽しみにしております。
今回の旅では、これから私たちが目指すべき医療の体制を目の当たりにし、また医療を通して
人の優しさに触れ、医師として何にも代え難い経験が出来たと思っています。今回特に感じたの
-60-
は、やはり北欧と日本の医療保障の差です。北欧はまさに社会保障の国、国民には分け隔てない
医療を無償で受けられる権利があり、それにより精神的にも豊かな生活が約束されています。今
後の日本の医療福祉制度の未来に、ゆとりのある生活は期待できるのだろうか?と思わず考えて
しまいました。また福祉面以外にも語学教育の徹底、Major,Minor にとらわれない診療姿勢、そ
して何よりも患者に対しての気遣いには、同じ医療に携わる者として今後大いに見習わなければ
ならない点と感じました。今回、文字通り、北欧医療事情視察旅行となりましたが、医療の在り
方の再認識をし、今後、西洋と日本の医療の架け橋の一端を担えればと、日々努力を重ねる次第
です。
(2)分析から CONTEXT へ
岐阜県
石
原
恒
薬草を分析し合成して薬を作っても、その有効性にはおのずと限界があるし組織を分析して臓
器疾患の原因を突き止めようとしても限界があります。
このような分析的思考を完全否定するものではありませんが、デカルト以来の西洋医学への万
能感に問題があります、端的に言えば個々の細胞間のつながりの NET を無視しているというこ
とであり、さらに言い換えるならば、部分をいくら積み重ねても全体にはならない。
全体は有機的な Organic な Connection であり、部分の和とは異なるものであります。
このような考えにもとずいて世界各地の人達が Holism を構想し教育や医学に応用しようとし
ています。芸術の世界ではすでに多くの先人達がこの概念を取り入れ芸術活動をしています、私
の師
平田画伯もそのひとりであります。
ホリステイック医療の方法論はまだ確たる裏ずけがなされておらず、経験的に確立されている
に過ぎないが、理論が確立されなければ治癒に対して価値がないのでしょうか。そうは思いませ
ん。
デカルト、ニュートン以来の物質的な宇宙観の延長線上にある西洋医学の枠組みのなかでホリ
ステイック医療を育ててゆくのは非常に困難なことでもあります。しかし今一番大事なことは
Reductionism から Holism への転換であります。そのためにはまず、ホリステイック教育を広く
推し進め還元主義的思考の方向転換を進める所からはじめなければならないと思っています。
Holism は Reductionism を否定するものではありません、ただその思考過程に問題があると思
います、すなわち Reductionism のサイクルの殻を抜け出す事です。それには次のような思考過
程をたどっては如何でしょうか。
細胞の「いのち」は組織の「いのち」につながります、組織は器官に、器官は身体につながり
ます、そして個々の身体は社会システムのなかにあり、社会システムは生態系の中にあり、生態
系は地球という惑星の中にあり、地球は太陽系にあり、太陽系は銀河系の中にあり、銀河系は宇
宙の中にあり、宇宙は気(エネルギー)の中にある。このように考えてゆけば我われは連綿と宇
宙につながっていることに思いをいたすでしょう。さすれば、当然のことながら Reductionism
のサイクルから抜け出し Holism へと思考プロセスの方向転換をすべきことに思い至るのです。
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(3)近
況
昭和 42 年入局
宮
崎
雅
之
同門会の諸先生方、大変ご無沙汰をしております。
昭和 49 年、父親の死をさかいに郷里の佐久市へ帰り、市立浅間病院耳鼻咽喉科での勤務医生
活に入りました。約 10 年余におよぶ厳しくも、大変勉強になった一人勤務の時代の後、河村元
教授、市川前教授のご好意により、医局からの医師派遣をいただき複数体制をとるなか多くの有
能な、かつユニークな若手医師たちと仕事にまた社会勉強にと公私とも大変充実した時期を過ご
すことができました。当時の状況が昨日のように思い出されます。
その後、平成 10 年、はからずも病院長の重責を拝命し、なにかと臨床面より離れざるを得な
い状況になりましたが、市川教授はじめ医局員の皆様のお力添えによる医師の増員により管理職
に専念することになりました。この頃より、医療を取り巻く環境は一段と厳しさが増し病院の運
営・経営には大変苦労をしましたが、皆様のおかげで何とか頑張ることが出来ました。
平成 18 年 3 月、定年まで 1 年を残して病院を退職いたしました。じつは、日頃からのいろい
ろな無理が影響したのか、循環器系の疾患を患い本院への入院加療なども経験しており、家族と
も相談した結果早めの退職を決意いたしました。さいわい、後輩の細川医師が耳鼻科の医長とし
て、中心となって仕事をしてくれていましたので思い残すことはありませんでした。
郷里へ帰ってから 32 年間余、日常的に医学・医療から完全に離れた時間を過ごすことを想像
していなかった私にとって、退職後からのまったく時間に縛られない自由な生活は、心身ともに
リラックス出来た期間でありました。全日空(すべての日がカラ)と称し、誘いがあればゴルフ、
旅行へと気楽に楽しむことが出来十分に英気を養う期間となりました。しかし、同年代の周りの
リタイアー組みが言っていたように、半年も過ぎると退屈をもてあます様になりました。人間な
んてまったく勝手なものです。さいわい、以前から親しくお付き合いしていた医療法人から、老
人保健施設の手伝いをしてくれとのお話を頂き、昨年 10 月より施設医として週 3 日間の勤務に
つく事となりました。
現在の仕事は、約 70 名の入所者の医療面の管理が中心で、病院長時代併設されていた老健の
施設長の経験はありましたが、あらためて高齢者医療の基礎から勉強をやりなおしている状況で
す。国は小泉政権の頃より、国民の権利である安全保障に関しては、社会保障面(医療・福祉・年
金)への対応をおろそかにしていると思っていましたが、いま福祉・介護の現場に直面してみると、
その現実を強く感じております。高齢者の仲間入りの入り口にいる自分ですが、改めて、福祉・
介護に多少でも寄与できるべく微力を尽くしてみようと思っている今日この頃です。
以上、思いつくままに述べさせていただきました。同門会のますますのご発展をお祈りいたし
ます。
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(4)音声言語障害に耳鼻咽喉科医はどこまで関わるべきか
米
山
文
明
私が順天耳鼻咽喉科にお世話になったのは昭和 47 年からで、当時は河村正三教授の頃でした。
ある日河村先生からお声がかかり、順大で音声言語外来を手伝ってくれないかというお話でした。
当時は大学病院でも音声言語の特殊外来をやっているのは極めて稀でした(現在でも同じですが)。
たまたま私は木曜日に東京芸大で音声学の講義を持っていたので、その日ならなんとかなると思
って承諾しました。それから 35 年過ぎた現在も、音声言語医学に関わる耳鼻咽喉科医は極めて
少なく、やっと苦労の末に認可された「東大音声研」も昨年閉鎖されてしまいました。
耳鼻咽喉科領域ではアウトサイダーと思われがちの分野ですが、同門会誌編集部の求めに応じ、
最近の近況と所感の一端を述べます。
(なお本稿の一部は以前東京都耳鼻科医会会報に書いたもの
を土台にしました。)
昨今の社会生活における声と言葉の混乱状態を会員諸兄はどうお考えでしょうか。
相手の声の出し方(発声)、ことばの作り方(構音)が気になるということは、こちらの聞き取
りかた(聴覚)の問題が関わってきます。耳鼻科医として患者さんの声や言葉の障害を扱う以上、
当然ながら医師の側にもある程度の聴覚的判断能力が必要になります。そのためには耳鼻科医に
も最低限度の音声言語医学についての知識と経験が望まれます。最近話題の“声に出して読みた
い、、
、”という本にしても、どんな声をどのように出せばよいのか?(自己流の怒鳴り声でもよい
のかも)声を作るのにどんな具体的方法があるのかを示していないのが私には不満なのです。
発声法の教育は明治以来日本には全く欠落していました。日本人に日本語を教える義務教育で
すら皆無なのです。専門教育の音楽大学声楽科ですら「発声」という科目は一時間もなく、教え
る専門教師も一人も居ません。正しい発声法、発語法が文科省教育から脱落した証拠が最近ある
日本人のアメリカにおける学位論文作成の過程で明らかにされました。それにしても明治以来百
数十年間、教育現場からも行政当局(文部省・厚生省)
・立法府(衆参・両院)からも反応皆無だ
った点はまさに屈辱的です。誰もが目をつむり、口を閉ざしていたのはなぜでしょうか。最近の
教育問題、年金問題などよりはるかに根の深い罪悪だと私は思います。
以上のような理由で私は 20 年程前から個人的にこの問題(発声教育の基礎づくり)に取り組
んでいます。詳細は省きますが、外国から数人の教師を招き、講習会を開いたり、何人かを外国
に派遣して指導者資格を取得させたりしています。そのうち最近スイスから招いた講師のセミナ
ーの一こまを紹介します。
(例)受講生(10 名)に教師が次のように言います。
「現在あなたは山
の頂上に立っているとイメージしなさい。そこから山を下りはじめます。途中まできた時、嵐に
遭遇します。そこで近くの森に逃げ込み、森の中を歩いている間に嵐は止みます。森を抜け、平
坦な草原をしばらく歩き、ようやく目的地の部落にたどり着きます。このプロセスを『声』だけ
で表現しなさい。」と。生徒の一人一人に自分の声だけの変化で表現させました。言葉も身振り、
手振りのゼスチャーも全部禁止。このレッスンは Improvisation(即興)を習得させるためのも
ののひとつで、ほかにもいろいろなものがあります。これは個人個人の表現意欲を覚醒させ、新
しい発見によって自分自身の内面にある空間(声をつくるための)を育て、ここから創造能力を
つくる目的で行われます。自分の存在に挑戦する能力を信頼した時に即興が生まれ、自分の可能
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性や特性とその限界を経験し、他人から認められながら発展されていきます。この発声による即
興行動は自分の聴く能力を促進させ、さらにグループの中での動きや、予期しなかったことに対
処する能力を育てます。人類は数百万年の年月を経てことばを獲得し、それが他の動物に勝る唯
一の特権のように言われています。そしてことばが人間同士のコミュニケーションにおける貢献
度は大きいでしょうが、ほかの要素を含めた人間全体のコミュニケーション効果(身ぶり、手ぶ
り、目、表情…)に較べれば、たかが 30%に過ぎません。ほとんど声だけを使って情報交換をす
る鳥類や多くの哺乳類などの声の使い方の複雑さ、多様さに較べれば格段に劣っています。人間
がことばの応用範囲を拡げることは結構ですが、他方で声だけの応用方法をも加えて研究するの
も、医療や文化の貢献になるのではないでしょうか。耳鼻咽喉科医の立場からみても、各種音声
障害はもちろん、失語症や言語障害の患者さんへの治療法の一つとして、構音の矯正、指導だけ
でなく、発声法を加えたより有効な音声言語療法の工夫が必要な筈です。この点について私は、
数十年かかってやっと数年前に実現した言語治療士(正式発足では言語聴覚士)の発足当時、言
語治療士をつくる前に、発声治療士を優先すべしと発言しましたが通りませんでした。言語訓練
をする前段階として、声づくり(発声訓練)を必要とする場合がかなりあり、全身各部位に脳神
圣系、内科的さまざまなハンディを持つ患者さんの髄伴症状としておこる言語障害などに対して
は、呼吸機能、発声機能の改善を優先させた方が効果的な症例があるからです。
(近況)来年('08)4 月私は下記の予定で渡欧します。
① AFA という団体(International Breath society)
から招待を受け“Breath Congress 2008”
で「Breath&Voice」についての講演を(Mϋnchen で)。
② Schola Cantorum of Mϋsikhochschule Basel と University of Basel で、Hochschule
の Singers と Students、University の Doctors (Logopädie と Phoniatrie)を対象にし
た講演を行う予定です。
(5)退屈な話ですが・・・
松
本
和
彦
順天堂には学祖祭という催しがあるという。実際に参加したことがないので詳しいことは知ら
ないが、多分、学祖の佐藤泰然や尚中先生の偉業を称え、後世に先達の心を伝える意図があろう
かと思う。私達松本家でもこの春同じ様な催しを行った。平成 19 年(2007)3 月 12 日に私の曽祖
父、松本良順没後 100 年目を迎えた。そこで私達兄弟が中心になって、神奈川県大磯町にある菩
提寺「乗勝山妙大寺」に於いて 3 月 11 日に盛大に記念事業を行った。会には良順の曾孫、玄孫
は勿論のこと、来賓として順天堂理事長・学長の小川秀興先生はじめ、酒井シヅ先生、東大耳鼻
咽喉科の加我君孝教授、佐藤潔先生など先祖佐藤家の方々、大磯町の重鎮の方々さらに当耳鼻咽
喉科からは市川銀一郎名誉教授ご夫妻に出席していただきました。
ここで良順(後に順と改名・号は蘭疇)について説明します。良順は天保 3 年(1832)佐藤泰然の
次男として生まれ、将軍家御殿医の松本家の娘婿になり、医家松本家の 8 代目となった。
その後、長崎へ行きオランダ人軍医ポンペに師事し西洋医学を修得し、日本最初の様式の近代
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病院・『長崎養生所』を造った、これが後に長崎大学医学部となるのです。
今年の 11 月 11 日には長崎大学医学部で医学教育 150 周年記念行事として新しい会館が出来る
とのこと、長崎大学医学部の学祖は松本良順とされていることから、この会館を『良順記念館』
と命名すると聞いております。開館式には私も参加することになりそうです。
30 歳で江戸に戻り、医学所(後の東大医学部)の頭取、並びに奥詰医師となり将軍家茂の最後を
看取ることになる。
良順は医学所時代から新撰組局長近藤勇と親交があり、義兄弟の契りを結んでいた。家茂に付
き添い上洛の折、新撰組屯所をしばしば訪れ、生活改善や衛生管理の指導をし、負傷者の治療法
を教えさらに病室を作るなど大いに力を貸した。また、金銭の援助も行ったという。その関係で
新撰組を題材にした小説にも数多く登場している。例えば司馬遼太郎著『燃えよ剣』や三好徹著
『六月は真紅の薔薇』などは文庫版もあり読んで面白い小説だと思います。
東京都日野市には近藤勇と土方歳三を称えた『殉節両雄の碑』がある。これは京都守護職とし
て新撰組を統括していた会津藩主松平容保が篆書し良順が揮毫した高さ 3 メートルもある立派な
石碑である。明治 9 年に作成されたが明治政府の許可が出ず、明治 21 年になって土方歳三の菩
提寺である高幡不動尊金剛寺に建立された。
ここでは毎年 5 月の連休の後、日野新撰組祭り、
隊士パレードおよび新撰組友の会が開催され、
私も招待されたことがあります。
近藤勇は板橋で慶応 4 年 4 月 25 日官軍によって斬首された。やはり明治 9 年良順が尽力して
近藤勇の墓を今の JR 板橋駅前に作った。
毎年命日に近い 4 月の日曜日に慰霊祭が行われる。当日は寿徳寺の住職が読経し、多くの新撰
組ファンが集う、中には良順のファンも居て、私も誘われて参加した時などは「良順のひ孫」だ
と紹介されると、一緒に写真を撮らせてくれ、この本にサインしてくれ、などと頼まれ大いに照
れくさい思いを味わった。良順は近藤勇と新撰組が大好きだったようだが、ファンもまた良順を
慕ってくれている。
維新になって明治政府山形有朋の要請で初代の陸軍軍医総監となる。退官の後、明治 18 年に
『日本で最初の海水浴場』を大磯町照ヶ崎海岸に開いた。
その際、私財を投じて東京から歌舞伎役者を呼び寄せて海水浴の効果を宣伝した。その為大磯町
には鉄道の駅も作られ、伊藤博文はじめ有名人の別荘が次々と建ち大いなる発展を遂げたのです。
良順は明治 40 年 3 月 12 日大磯町にて終焉を迎えた。没後には大磯町の町民が資金を募り妙大
寺に墓を建てて下さった。因みに墓碑には『従三位勲一等松本順先生の墓』と書かれており、裏
面には『大磯町有志建之』と刻まれている。この文字は「林菫(はやしただす)」の筆になる。彼
は第一次日英同盟締結に尽力し、後に外務大臣伯爵になった人物で、林洞海の養子となったため
苗字が違うが良順の実弟である。因みに大磯駅前のロータリーには彼が碑銘を書いた『海内第一
避暑地の碑』が建っています。
実は大磯にはもう一つ墓がある。
「心なき身にも哀れは知られけり鴫立つ澤の秋の夕ぐれ」と西
行法師が詠んだことで有名な『鴫立庵』に丸い石碑が建っている。
さらには、海水浴場発祥の地である照ヶ崎海岸には、時の総理大臣犬養毅敬題の御影石の大き
な『松本先生謝恩碑』が富士山を背にして屹立している。
毎年 7 月第一日曜日に海開きの神事が行われる、この碑の前に町長はじめ町の関係者が多数集
合する、むろん私も毎年招待されて玉串を奉奠してくる。今年は 100 周忌にあたるので挨拶を述
-65-
べるよう頼まれている。直会の後、皆で妙大寺に行き良順の墓参するのが大磯町の慣わしになっ
ている。
そのような訳で大磯町では『郷土に尽くした人々』と題した副読本を作り良順のことを小学生
に授業で教えている。更に佐倉市では『郷土の先覚者』として佐藤泰然、佐藤尚中および良順の
ことを教えている。
大磯に居を移してから良順は各地の温泉場を訪ね
温泉の効用を説いて廻った。明治 19 年には長野県
湯田中温泉に逗留し、温泉の効用の他にも 16 項目
の入浴法を指南し、さらに成分の分析を衛生局東京
試験所に依頼するなど、同温泉近代化の基礎作りに
貢献した。また多くの扁額を残していることから
1907 年にはその湯田中温泉で良順の 90 年忌の催し
が行われた。記念として高さ 3.3m のヒノキ角材で
顕彰柱を作ることになり、実行委員長の『よろずや
旅館』のご主人小野久雄氏の依頼を受け、私が柱の
文字『温泉入浴法・湯治指南・陸軍軍医総監松本順・
九十年忌顕彰』を書きました。今でも温泉街の「湯
田中大湯」の横に建っております。その他たとえば
福島県の飯坂温泉には共同浴場の看板や石柱が残さ
れています。
我が家には時折、良順についての研究者や物書き
の方が取材や資料を求めて来訪します。一昨年も作
家の吉村昭氏が『暁の旅人』の取材に来られ、親しく話しをさせていただいたのが昨日の事のよ
うに思い出します。
たしかに遺品など多数あったようですが、太平洋戦争の空襲で家が丸焼けになり、殆どの物が
灰燼に帰し我が家には皆様が期待するほどの資料がないのです。また終戦直後には天皇はもとよ
り、その末端に連なる華族にも刑罰が及ぶのではないかとの心配があったそうで、男爵家である
我が家でも菊の紋章の付いた物や、爵位であることを示す物を廃棄したと聞いている。しかし父
銈太の医師免許証には華族という肩書きがありましたが、こればかりは亡くなるまで残されてお
りました。
ここで良順が主人公として登場している小説のうち、前述の『暁の旅人』(講談社)のほかに司
馬遼太郎著『胡蝶の夢』(新潮社)、子母澤寛著『狼と鷹』(文藝春秋)、篠田達明著『空の石碑』
(NHK 出版)などを紹介しておきます。
因みに篠田達明氏は整形外科医で、順天堂大学で開催された日本医史学会 6 月例会のシンポジ
ウムで『医療史に支えられて時代小説・歴史小説を書く』という演題で講演されました、私も参
加したのですが「良順に似ていますね」とコメントされてしまいました。
-66-
ところで、
「旭玉山」をご存知でしょうか。江戸末期から
明治にかけて牙彫師で根付などを彫っていたそうですが、
或る時良順の処で本物の頭蓋骨を見せて貰い、これに興味
を持ったところ、良順に象牙で小さな髑髏を彫るよう頼ま
れて作ったのが写真の物で、我が家に大切に保存されてい
ます。前後径 50mm×幅 32mm、高さ 32mm、重量わずか
17.9g です。髑髏の中はちゃんと刳り貫いてあります、誠
に精巧で本物をそっくり小さくした作品です。これは平成
19 年 7 月 3 日から 9 月 2 日迄大磯町郷土資料館で開かれ
る『大磯の蘭疇―松本順と海水浴場―』に出展されます、
図録には酒井シヅ先生と共に私も執筆しました。玉山は以後髑髏彫りに精を出し次々と製作し外
国にまで広まったといわれています。高村光太郎は『回想録』の中で「玉山は髑髏の牙彫など拵
えると鼻の孔へ毛を通すと目に抜けるという位の細かい細工をした人」と述べています。
そのモデルとなった頭蓋骨はポンペが良順に贈ったオランダ人の頭蓋骨で、東京大学医学部解
剖学教室の『第一標本』として保管されています。同教室の解剖学台帳には「軍医総監松本良順
氏寄贈」と記載されているそうです。
玉山の作品は、上野の東京国立博物館に 40×50mm の『牙彫髑髏置物』、東京芸術大学美術館
には高さ 33.7cm、鹿角製の小さな『人体骨格』が椅子に座った格好で所蔵されているが、何れ
もその写実性・巧緻さに於いて我が家の物を凌ぐものではありません。機会があれば皆様にお見
せしたいと思います。
最後に小生は耳鼻咽喉科医としては 3 代目ですが、医家としての松本家では数えて 11 代目に
なります。12 代目に予定されているわが文彦に期待を寄せているところです。
(6)小説
第 25 作
フェンスを超えて
昭和 57 年入局
7 月 17 日木曜日、私の足は一人の青年、巽
浅
井
俊
治
陽平を応援するため神宮球場に向かっていた。私
は肌にまとわりつく蒸し暑さに、もうすぐ梅雨の終わりが近づいている気配を感じていた。
私はこの試合が木曜日であったことを神に感謝した。毎年 7 月中旬から甲子園大会の東京都予
選が始まる。巽
陽平が所属する都立 Y 高校は 3 回戦まで勝ち進めば、あの T 大付属高校との対
戦である。その日 7 月 17 日は木曜だった。丁度私の医院の休診日で、私は必ず応援に行こうと
決めていた。
都立 Y 高校は、私の期待通りに 3 回戦まで勝ち進んだ。
当日、私は信濃町駅の改札口で沼田武雄とおち会った。彼は文京区で茗荷谷ギャングスターズ
という少年野球チームの監督をしていた。私は以前、コーチとして、そのクラブで子供達に野球
を教えていた。そして都大会や全国大会で多くの感動を味わった。私は子供達に野球を教えたつ
もりだったが、逆に彼等から大人として、医師として大切なものを学んだような気がした。私の
-67-
子供はこのクラブを卒業したが、私は審判員として、現在も少年野球に携わっている。
神宮球場に着いて、都立 Y 高校のベンチ側・3 塁側スタンドに登っていった。すると我々に気
付いたのか、陽平の両親が手を振り、そして深々と頭を下げた。
『お久し振りです』と私が声をかけた。
『お忙しいのに、わざわざ応援に来ていただいて本当に有難うございます』と母親の淑子が応
じた。
『皆さんに心配をかけましたが、陽平の奴は本当に幸せ者です』と父親の幹夫が言った。
私と沼田は試合の始まる前、ブルペンで投げている陽平の雄姿を眺めていた。そして、大人達
のエゴに振り回され続けた彼が立ち直って、このような日を迎えられて本当に良かったと思った。
巽
陽平は、文京区の少年野球チーム・本郷スコーピオンズに 4 年生の時から所属していた。
本郷スコーピオンズは伝統的に強豪チームだった。監督の久保寺は子供達を厳しく指導し、毎年
強く鍛えられたチームを育て、大会に出場していた。巽
陽平は 5 年生頃から、特にピッチャー
としての才能を開花させ始めていた。彼等のチームは、9 月上旬から始まる文京区大会の新人戦
で優勝し、文京区代表として 11 月の 23 区大会に出場し、そこでも見事優勝した。6 年生になっ
て、春の区民大会で優勝し、6 月の都大会でも優勝。そして 8 月に行われる全国大会(高円宮杯)
への出場を決めた。彼はコントロールがよく、その球のスピードは小学生が簡単に打てるもので
はなかった。
東京都はアメリカのニューヨーク市と姉妹都市の提携をしていて、毎年夏休みにニューヨーク
で、少年野球の親善試合が行われていた。そして 30 名の子供達が代表選手として選ばれた。陽
平は 6 年生の時、その一人に選ばれた。本人も両親も大喜びだった。
しかし、この吉報を素直に喜べない男が一人いた。久保寺だった。彼は高円宮杯で優勝し日本一
になることを目指していた。彼にとっても、これが最初で最後のチャンスかもしれないと思って
いた。これを成し遂げるには、巽
陽平は絶対に欠かせない選手だった。久保寺は陽平に向かっ
て言った。
『個人のためと、皆のためと、お前は一体どっちを選ぶんだ?お前はいいさ、一人でニューヨー
クに行ってな。しかし少しは残された奴のことも考えろよ!』
陽平は非常に悩んだ。そして両親と一緒に出した結論は、やはりニューヨークに行くことだった。
その結論を聞いて、久保寺は怒鳴った。
『俺がこんなに頼んでも駄目か! だったら勝手にしろ。ニューヨークでも何処にでも行け。そ
の代わり、本郷スコーピオンズのユニフォームは脱いでもらうからな』
小学 6 年生の陽平にも、その意味はよく解かった。チームの誰からも祝福されず、陽平は両親
とともにニューヨークに向かった。5 度の試合が行われ、そのうち 2 度、陽平は先発ピッチャー
として活躍した。そして 2 週間の彼の旅も無事に終了した。
その頃本郷スコーピオンズは、全国大会(高円宮杯)での第一回戦で大敗を喫した。久保寺の怒り
は収まらず、陽平をチームから追放した。
その話を聞き付けた文京区少年野球連盟の理事長・倉田は、久保寺を説得したが無駄だった。
しかし他のチームへの移籍は認めさせ、倉田の紹介で巽
陽平は茗荷谷ギャングスターズの一
員となった。
私は彼の球をキャッチャーミットで捕った時、その速さと威力に驚いた。“果たしてうちのキャッ
チャーが彼の球を捕れるかな?”と心の中で呟いた。スーパースターの登場でチームは活気付いた。
-68-
しかし残念ながら、茗荷谷ギャングスターズは夏の大会・2 回戦負けで、既に文京区代表としての
公式戦は残っていなかった。あとは東部大会や城北大会ような、参加費を支払えば出場できる私
的大会に参加した。その結果、捕手・内野・外野の選手達は目覚しく成長し、輝かしい成績を修
めた。
そして 6 年生にとって、最後の大会・サヨナラ大会が 3 月上旬に始まった。陽平の活躍と他の
選手たちの成長で、ギャングスターズは 1・2 回戦、準々決勝戦、準決勝戦を圧勝し、決勝戦に
駒を進めた。
茗荷谷ギャングスターズの試合をじっと見つめていた男がいた。それは久保寺だった。彼が監
督している本郷スコーピオンズは、準決勝の第一試合で勝利し、決勝進出をすでに決めていた。
彼はギャングスターズの投手が、巽
陽平であることに注目した。その日の夜、彼は連盟理事長・
倉田に電話をかけた。
『理事長、ギャングスターズのピッチャーは以前うちにいた巽
陽平ですよ』
『知ってるよ。私がギャングスターズに紹介したからね』
『しかし、連盟の規約を読んでくださいよ。移籍した選手は 1 年間文京区内での公式戦には出
場できないんじゃないですか?』
『でも君は、彼がギャングスターズに移籍することに同意したじゃないか』
『それは文京区の公式戦に出場できないことを条件にね』
『今さら・・・とにかく来週日曜日が決勝戦なんだから、緊急理事会を開くよ。結論は理事会一任
でいいね。』
『わかりました』とやや不満げな声を残して、久保寺は受話器を置いた。
木曜日、午後 7 時 30 分から緊急理事会が開かれた。倉田理事長、山岸理事(茗荷谷ギャングスター
ズ所属)、荒俣理事(本郷スコーピオンズ所属)、他 4 人、合計 7 人で理事会が構成されていた。
『まず今回、スコーピオンズさんから提出された議案について、皆さんの意見を聞いて今日中
に決定したいと思います』と倉田が話を進めた。そして荒俣が提案理由を説明した。その説明が
終わるとすぐに、山岸が手を上げて発言を求めた。
『皆さん、少年野球は一体誰のためにあるのでしょう。まずは子供のことを第一に考えてくだ
さい』
すると荒俣がすぐに反論した。
『そんなこと当然ですよ。じゃ一体何のために規約があるのですか?子供にルールを守らせる
のも大人の仕事です』
『そうですよね。そもそもこの規約をつけなければならなかったのは、過去に何かがあったか
らですよね』と他の理事も発言した。
『昔、子供の引き抜き合戦があってね。それを防止するためにこの規約を入れたんですよ』と
倉田が説明した。
『誤解しないでくださいよ。我々ギャングスターズが巽君を引抜いた訳じゃない』
『でもね、子供がコーチから怒られたり、親がチームの方針が嫌いだといってすぐにチームを
乗り換えることを認めていいんですか?我々は託児所じゃない。我々は都大会・全国大会を目指
すチームです。仲良しクラブとは訳が違う』
『それはどういう意味だっ!』山岸が怒鳴った。
『まあまあ二人とも、大人じゃないか。今日は喧嘩をしに来た訳じゃないだろう』
-69-
それから 30 分位、全ての理事の意見が出たところで倉田が切り出した。
『なかなかまとまらないようだね。仕方がない、多数決で決めよう。そこで茗荷谷さんと本郷
さんに約束してほしいんだ。どちらに決着しても、恨みっこ無しだよ。脱退とか、連盟の分裂は
絶対に避けたいからね』
二人とも同意した。採決は無記名で行われ、結果はすぐに出た。4 対 3 で、茗荷谷ギャングス
ターズの負けであった。そして、今度の日曜日の決勝戦には、陽平はベンチに入ることを許され
なかった。その代わり、決勝戦までの勝利は認めることになった。山岸は必死にこの条件を理事
達に呑ませた。
倉田は声をかけた。
『山岸さん、巽君はベンチには入れないけれど、必ず試合には来させてね。決勝戦終了後、メ
ダル授与には彼も参加できるのだから。それに最後のセレモニーで父母・監督・コーチ・大会役
員・議員・5 年生以下の子供達による人間アーチの中を通って、拍手に送られて六義園・野球場を
去って欲しいんだよ』
『私も同感です』と山岸は悔しさをなんとか抑えながら答えた。
翌日の夜、茗荷谷ギャングスターズの緊急コーチ会議が招集された。全員で 11 人集まった。
山岸から理事会の決定がコーチ達に報告された。
『冗談じゃないよ』とコーチの一人が声を発すると、
『決勝戦、放棄だ!』
『本郷の奴ら、あまりにも汚い』
次々に怒りや不満の声が上がった。
沼田監督は全員をなだめるように話し始めた。
『まあ聞いてくれ! 試合放棄は絶対にしない。ここまで頑張ってくれた他の子供達が可哀想だ
ぞ。私の指導方針は子供達が茗荷谷ギャングスターズを卒業する迄に、彼等に一つでもいいから
メダルを取らせることだよ。その色が金であろうと、銀であろうと、銅であろうと関係無いさ』
コーチ達は渋々納得した。
そして、監督と山岸と、当時 6 年生担当コーチだった私が巽
陽平の自宅を訪問した。両親と
陽平に、監督から状況を説明した。3 人は初めの驚きの表情から、次第に悲しみの表情へと変わっ
ていった。しばらく話し合って、我々は巽宅を後にした。帰る前に私は『日曜日の試合には必ず
来い!』と強く念を押した。
茗荷谷駅の近くの居酒屋に私達は立ち寄った。沼田は全く酒の飲めない人であった。しかし、
何とかビール一杯を飲もうとしていた。
『私は長年少年野球に携わってきたが、こんな後味の悪い事は初めてだよ』
『俺はまだ怒りが治まらない!』と山岸が言った。
『僕もですよ。決勝戦はスコーピオンズを徹底的にやっつけてやる!』と私も力が入った。そし
て、私も山岸も相当の深酒となり、どうやって帰宅したのかも分からなかった。
3 月 20 日(日)決勝戦当日、巽 陽平の姿は何処にも見つけることは出来なかった。午後 1 時に
「プレーボール!」が球審からコールされた。序盤は何とか本郷スコーピオンズの攻撃を防いで
いたが、3 回に 1 点の先取点を許すと徐々に劣勢は明らかになり、結局 8 対 2 の完敗だった。し
かし、準優勝だったので銀メダルを獲得し、6 年生達は満足の笑みを浮かべ、人間アーチをくぐっ
て六義園を去っていった。
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3 日後の春分の日は、茗荷谷ギャングスターズは会場を借りて、6 年生を送る会を開催した。
巽
陽平はその会にも姿を現さなかった。私は大人のエゴが一人の子供を傷つけてしまったこと
を悲しんだ。
その後、中学生になった陽平はシニアリーグ(硬式野球)の新宿ジャガーズというチームに所属
した。彼はそこで自分の実力を向上させた。私は陽平が野球への情熱を持ち続け頑張る姿に、心
の中でいつもエールを送っていた。彼は中学 3 年の時には「甲子園に出場したい」と夢を描くよ
うになった。
江戸川区の K 学院から陽平に声がかかった。新宿ジャガーズの鴨下監督は、そのことを陽平と
両親に告げた。二つ返事で答えが返ってくると思っていたが、両親からは次のような話があった。
『弟の秀平も、一緒に入学、入部させてもらえないだろうか?彼も一緒に甲子園に連れて行っ
て欲しい』
陽平には 2 卵生双生児で弟の秀平がいた。彼は陽平ほど野球が上手くなく、スポットライトを
浴びることの多い陽平の陰を歩いていた。両親はそんな秀平が不憫でならなかった。
『お父さん、それはきっと可能だと思います。この世界では、一本釣りは認められないのです
よ。必ず他の選手も一緒の入部を認められるでしょう』と請け負った鴨下は、もう一人選手を付
け加えて、合計 3 人の選手の推薦入学・入部を依頼した。しかし、鴨下の予想は外れた。K 学院
は拒否してきたのだ。そしてこの話は無いものとなった。陽平はまたしても、大人の思惑に振り
回されてしまった。
陽平の第一希望校は、板橋区の T 大付属高校だった。しかし残念ながら推薦入学の話は舞い込
まなかった。彼は一般受験をして、見事合格した。
入学後、彼はすぐに野球部に入部届けを提出した。T 大付属高校・野球部は、高校野球の東京
都代表の常連校で、数多くのプロ野球の選手を輩出していた。現在の監督の名は前嶋。部員は総
勢約 90 名で、3 年生が 15 名、2 年生が 25 名、そして 1 年生が 50 名だった。各学年に、監督推
薦枠で入部した部員が 15 名づついて、彼等は合宿所に直ちに入所した。その他、監督が認めた約
10 名が合宿所生活を送っており、その他は自宅からの通学だった。推薦組以外の部員は、4 月に
1 年間の部費 10 万円を納めなければならなかった。野球部には約 500 万円が入ることになった。
又、荒川の河川敷に専用の野球場を 2 面持っており、物資共に恵まれた環境だった。
いよいよ練習が開始された。しかし、推薦組とは全くの別メニューだった。陽平は毎日、グラ
ンド整備とランニング、キャッチボール、そして球拾いに明け暮れた。推薦組は準備運動・ラン
ニングが終わるとシートノック等、打撃練習が行われた。
このような差別的な練習に、5 月頃から退部する新入部員が増え始めた。毎年、夏の甲子園・
東京都予選がスタートする頃には、1 年生は 30 名位になっていた。そして、甲子園に出場できな
かった場合は夏合宿が 8 月 1 日から 8 月 12 日まで行われる。その参加費用も、推薦組は無料だっ
たが一般組みは有料だった。
その頃、陽平の野球センスの良さに気付き始めた男がいた。コーチの向井だった。向井は陽平
に向かって言った。
『今度の夏合宿、頑張れよ!合宿中にお前を 1 年のレギュラー組に推薦するつもりだからな』
陽平は希望を膨らませながら合宿に臨んだ。
合宿の部屋割りは、3 年、2 年、1 年が合同で 6 人で 1 つの部屋が割り当てられた。そして 1 年
生達は、監督、コーチ、上級生の練習着の洗濯やボール磨き、練習時の水当番等の仕事をやるこ
-71-
とになっていた。
陽平が洗濯当番のとき、彼はコーチの練習着を部屋に取りにいった。部屋に入ろうとした時、
向井コーチと前嶋監督の話が聞こえてきた。
『監督、巽
陽平をご存知ですか?』
『いや、あまり良く知らないが』
『一般入学で入部してきましたが、結構使える奴ですよ』
『向井コーチ、この前も浦部という奴を“いい選手だ”と言ったよな。でも合宿で 1 軍で少し
試したら、すぐに肩を壊して使い物にならなかったじゃないか。そもそも俺の目に狂いはないん
だ。俺は自分が選んできた選手をまず使うんだ』
『しかし一度、目をかけてみたらどうでしょう』
『コーチがそこまで言うのなら、バッティングピッチャーにでも使ってみようか』
その言葉が耳に入ってきたとき、陽平には衝撃が走った。
『俺がバッティングピッチャー?小学校の時、東京都代表のエースだぞ。監督の目は節穴じゃ
ないか。もう、こんな部ばかばかしくてやってられないよ。俺はやめた!』
9 月の新学期、陽平は退部届けを提出した。向井から引き止められることはなかった。
その後、彼の学校生活はつまらなく無味乾燥なものだった。次第に学校を休みがちになり、繁
華街をぶらつく彼の姿が見られるようになった。そのうち、暴走族に係わるようになった。
茗荷谷ギャングスターズの卒業生の父母と監督・コーチとの交流は続いており、陽平のそんな
様子や、母親が心底悩んでいることを聞くにつけ、私は胸を痛めていた。そんな或る日、陽平の
母親から電話をもらった。
『息子が交通事故で、上顎骨を骨折してしまって、手術のため入院しています。先生、大丈夫
でしょうか?』
母親から状況の説明を受けた私は、早速沼田監督と二人で見舞いに行った。病室に入った時、
陽平の手術は既に数日前に終わっていて、鼻から上顎洞にカテーテルが挿入され、バルーンが膨
らんでいる状態であることが、私にはすぐに理解できた。陽平は最初懐かしそうな顔をして迎え
てくれたが、次の瞬間、
『何しに来たんだよ。どうせお袋が呼んだんだろ。余計なことをしやがって』と言いながら、
見舞い客が持ってきたであろう花束を、母親に投げつけた。
私は思わず陽平の胸倉をつかんだ。
『いつまでも甘えてるんじゃないぞ! お前の右手は、何を投げるためにあるんだ』と言ってベッ
トに押し倒した。
陽平は泣き出した。沼田監督が陽平の耳元で囁いた。
『すまん。我々大人が君の才能を利用して、自分の夢を達成しようとばかりしていたんだよ。
もし何か、君に協力できることがあったら、ぜひ教えて欲しい』
陽平は拳を握って枕を叩き、嗚咽をかみ締めながら『俺は野球がしたい・・・』と何度も繰り返した。
沼田は彼の肩を叩きながら『よくわかった。またやり直そう。我々は君にもう一度野球が出来
る高校を探すよ』と約束した。
『よし、またボールを握って野球のトレーニングを始めような。あと勉強もだぞ。もう悪い連
中とは付き合うなよ』と私も彼に声をかけた。
その後しばらく、我々は陽平・母親と話し合った。そして病院から帰る時、陽平は玄関まで送っ
-72-
てくれた。無言で小さく会釈した彼には、真っすぐな眼差しが戻っていた。
沼田は仕事の合間をみて、必死に陽平に合う高校を探し、その野球部の監督とも話し合った。
そして都立 Y 高校が最も適切だと判断し受験を薦めた。翌春、陽平は見事に合格し、再スタート
を切った。
陽平はすぐにエースで 4 番の位置を占めた。しかし、(財)日本高等学校野球連盟の約定・第 4 条
の 3 項(転入学生の出場資格は転入学した日より満 1 ヵ年を経過した者)により、即ち彼は新しく
入学した高校で、直ぐレギュラーになれても、その年、夏の甲子園大会の東京都予選に出場でき
なかった。彼は今度は腐らなかった。毎日野球が出来る喜びを知ったからだ。2 年生になったら、
彼にとっては最後の夏の大会に出場して、出来るだけ勝ち進もうと決意していた。
7 月 17 日、神宮球場はまだ梅雨が明けていないが、シード校の T 大付属高校にとっては初戦
となった。対する都立 Y 高校は 1 回戦を 12 対 0 でコールド勝ち。続く 2 回戦を 9 対 0 でコール
ド勝ちと進んできた。4 番でエース番号 1 を付けた巽
陽平の剛速球は冴えていた。T 大付属高
校の監督・前嶋は巽から点を奪えないことにいらついていた。そして、選手たちを罵倒していた。
『相手は 2 年生ピッチャーじゃないか。お前達、何やってるんだ!』
陽平は打たれるが、決してノーアウトから出塁させなかった。9 回裏に入った。Y 校の攻撃で
ある。前嶋は延長戦に入ればいずれ相手のピッチャーがへばって、大量点を取れると信じていた。
隣に座っていたマネージャー兼スコアラーが『前嶋監督、Y 校の次の打者、4 番でピッチャー
の巽という選手、もしかしたら我々と同期の巽
陽平じゃないでしょうか?』と進言した。
『えっ?でも 2 年生だぞ。同期なら 3 年生のはずだろ』
『しかし Y 高校に再入学した可能性もあるのでは?』
『まさか・・・』その時、前嶋の脳裏に、既に退団した向井が、以前何度も『巽をレギュラー組に』
と進言していたことを思い出して、ふと嫌な予感がよぎった。カウントは 1 ストライク 3 ボール
となっていた。
思わず『ピッチャー無理するな!延長戦に入ればうちが有利なんだから、歩かせろ!』と前島
が怒鳴った瞬間、カッキーンという快音が響いた。そして、白球はレフトスタンド方向へ飛んで
いった。
私の心の中で、その白球が巽
陽平自身と重なり合った。彼は色々な壁を乗り越えてここま
でやってきたのだ。
私は無我夢中で祈りを込めて叫んだ。
『飛べ、陽平、フェンスを超えろ!………』
江戸川区医師会・会報誌・江戸川 2003 年 11 月号に記載
-73-
(7)
昭和 57 年入局
川
島
理
同門会の皆様、ご無沙汰しております。
昭和 57 年入局の川島です。
私が入局した当時は、河村教授・飯沼助教授(前埼玉医大教授)・市川講師(前順天堂大学教授)・
杉田医局長の各先生方がいらっしゃいました。
特に、杉田先生には、入局当初より直接指導医としてご指導頂き、また、新設の浦安病院でも
9 ヶ月ご一緒させていただきました。開院当初の浦安病院は、まだ京葉線もできていない頃で、
浦安駅からバスに乗り換えて通勤していました。この頃の浦安は、マンションの建設が進みはじ
めた新興住宅地で、医療機関も少ないこともあり多忙な毎日でしたが、それなりにいろいろ学ぶ
事も多く、充実した日々を過ごさせていただきました。今となっては、いい思い出になっており
ます。あの頃は、住まいのある世田谷との通勤、日々の診療に追われ、ディズニーランドどころ
ではなかったですが、群馬に戻ってから、子どもとディズニーランドに行く度に、浦安病院のこ
とを思い出しています。
私の父が、昭和 58 年に大腸癌を患い、手術後仕事に復帰したものの、長男と言うことで、昭
和 60 年には、群馬に戻ることとなりました。父の病気療養中の処遇や医局の移籍に当たりまし
ては、河村教授にご配慮頂きました。その節は誠にありがとうございました。短い入局期間であ
りましたが、その他多くの先輩の先生方に指導していただきながら、楽しい医局生活をおくらせ
て頂きました。いまこの原稿を書いていますと、いろいろ楽しかったこと・懐かしいことなど、
昨日のように思い出します。また、順天堂を離れてからも、学会などで顔を合わせますと、皆さ
ん気軽に声を掛けて頂き、いまだに、順天堂の医局員のような気分です。
次に、近況報告をさせていただきます。
群馬大の耳鼻咽喉科学教室に入局しましたが、その後、父は 2 度の手術を受け、私も大学と自
宅の手伝いの二重生活を送っておりました。平成 3 年ごろには、完全に家に入ることとなり、平
成 5 年の 1 月に父が亡くなりました。平成 6 年からは、新潟大学を卒業した内科医の弟がこちら
に帰ってきましたので、診療所を立て替え、同じ建物の 1 階と 2 階の形で、診療をおこなってい
ます。耳鼻科医ですと全身を見ることが苦手で(勉強しないといけないのでしょうが)、助かって
います。レントゲンやエコーもできますので、甲状腺癌・肺癌なども自分で発見できましたし、
食道異物・胃内異物の判別なども、無駄に大きい病院に紹介することなく診断がつけられます。
平成 7 年からは、地区の医師会理事を命じられ、現在 7 期目となっています。理事の仕事は、
もっぱら、「IT 関連」ですが、「病診連携」や「医療・看護・介護の連携」「広報」も関わってい
ます。詳しくは、渋川地区医師会 HP の「医師会通信」
「在宅ケアネット渋川」を御覧下さい。こ
れが、私が現在おこなっている仕事です。
渋川地区医師会 HP:http://shibukawa.gunma.med.or.jp/
その他、メーリングリストの管理も「地区医師会」
「群馬県耳鼻科医会」
「大学の同級生(57 卒)」
「地区のロータリー」など、多岐にわたっています。
また、自分の HP も持ってます。
-74-
川島医院 HP:http://shibukawa.gunma.med.or.jp/kawasima/index.html
2 ヶ月に 1 回は、
「院内だより」など更新していますが、これが限界で、最近流行りのブログまで
は、忙しくて手が回らないのが現状です。
「院内だよりインターネット版」だけは、奇数月の 1 日に
は必ず更新しておりますので、よかったら御覧になってください。あと、自慢は、
「国内耳鼻咽喉
科リンク集」です。これは、かなり充実しており、日本一ではと自負しております。漏れている
情報ありましたら、お知らせください。更に充実したいと思ってます。
開業後、一息ついた当たりから、地元の人々からお誘いを受け、色々役が回ってきました。町
内会・子ども会の役員(やっと終わりです)・ロータリークラブ・商工会議所議員・ボーイスカウ
トの団長など、様々です。
何の仕事が主だかわからない状況になっています。
この間、昭和 62 年には、結婚し、子どもも 3 人(現在、長女:高校三年・次女:中学二年・長男:
小学六年)なりました。
今年で、50 歳になりましたが、まだまだ、これからです。
診療だけでなく、色々なことにチャレンジしていきたいと思っています。
雑用が多く、なかなか同門会に参加することもできなくて、申し訳なく思っています。
今後の、池田教授をはじめとする医局の先生方のご活躍並びに同門会諸先生方のご繁栄を祈念
いたしますとともに、よろしくご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
最後に地元の宣伝を 1 つ。
当渋川市は、昨年 2 月の平成の大合併で、1 市 1 町 4 村が一緒になり、新渋川市となりました。
これにより、伊香保温泉が渋川市となりました。ぜひとも、伊香保温泉ご利用お願い申し上げま
す。また、その節は、私のほうにお声をかけていただければと思います。よろしくお願いいたし
ます。
(8)
昭和 62 年入局
関
眞規子
昭和 62 年の春、同期 3 名と共に医師になった喜びを胸に耳鼻科に入局致しました。私の出生
の地は東京都文京区湯島 2-9 です。
この住所を懐かしく思われる方もいらっしゃるかもしれません。そうです。順天堂の古い住所
表示です。私のへその緒が入った桐箱には順天堂醫院の文字と、この住所が書いて有りました。
すでに、生まれた時から順天堂にご縁が有った訳です。父も本教室に長く在籍しましたし、私も
小さい頃から日曜日に、母に連れられてあの、金色の『順天堂醫院』の下で父の仕事の終わるの
を待っていたのを思い出します。私は今、古くから教室の関連病院である江東病院で耳鼻科部長
を務めています。毎年、関連病院江東病院の原稿で、医療への自分の姿勢や情熱については寄稿
してきました。今回は少し変えて、今でも心に残っている患者さんの事を書こうと思います。私
は仕事以外の時はなるべく、手紙を書きたいと思っています。PC だからこそ、外でも家でも思
いついた時に、すぐにメールで相手とやり取りが出来る訳ですし、海外にいる知人や友人ともす
-75-
ぐに連絡が取れます。メールはもうなくてはならない存在になりました。と言うか、ない事は考
えられません。入局して、まだ一年目の時の事です。喉頭癌の患者さんを担当した時の事でした。
まだまだ働き盛りの方で、お見舞いも奥様と、お嬢様が毎日の様に見えられ、一家の中心に立た
れて奥様に愛され、お嬢様にも尊敬敬愛されているのが傍から見ていても手に取る様に分かりま
した。
その患者さんは喉摘・頚部郭清術を受けられました。癌をやっつけるための手術とお話しても、
一生声を失う訳ですし、やはり理屈で割り切れないのは当たり前です。ご家族は激しく動揺され、
手術を受けて頂けないのでは、と思うほどでした。でも、ご家族が心配されているよりご本人は
早い決断をされました。手術はトラブルもなく順調に終わり、ご家族もホッとされていました。
しかしながら、元々、糖尿病や心疾患もお持ちだったので、そちらからの影響で経過も長くなり
化学療法との兼ね合いも有り、入院は 3~4 ヶ月を要した様に覚えています。当時はオーベンと、
ネーベンの二人での担当でした。色々な危険な場面も患者さんと一緒に、二人三脚で頑張りまし
た。お休みの日って何の事?と思うほど、ずっと大学に住み着いている感じの毎日でした。でも
その患者さんは、元気に退院して下さいました。そして、年も押し迫って暮れの頃、患者様の奥
様からお手紙を頂きました。今、主人が休んでいる隣でこれを書いています。規則正しい安定し
た寝息です。入院中は昼も夜中でも苦しそうな声を出したり、眉間に皺を寄せたり可哀相で見て
いられませんでした。こんなに気持ちの良さそうな寝顔を見られて本当にうれしいです。この寝
顔を見られる幸せが一日でも長く続いて欲しいと願っております。この部分はほとんど一字一句
覚えています。奥様は私にお礼を言って下さったけれど、私こそ、とても有り難いお手紙でした。
『寝顔を見られる幸せ』
、自分が頑張った事が、そんな幸せに少しでもお役に立てた事が私には本
当にうれしく思いました。寝顔を見られる幸せと言う、御夫婦にしか分からない愛情を圧倒的に
感じさせて頂きました。その時、自分が思った事を文章にする事の大切さを知った様な気がしま
した。普段忙しくて、本当は手紙にするのはちょっと面倒だなと思いますが、やっぱりきちんと
想いを伝えたい時、なるべく万年筆で一生懸命書こうと努力しています。その後暫く経って、私
が大学から関連病院に出て忙しい毎日に追われている頃にもう一度、奥様からお手紙を頂きまし
た。患者さんが亡くなられた事、亡くなるまで家族に心配させない様にいつも前向きだった事、
声は失ったけれど食道発声を手に入れて、カラオケで演歌を歌ってみせると言っていた事そして
たまに、私の事もお家で話題にして下さった事、
、不覚にも手紙を読みながら泣いてしまいました。
その 2 通の手紙は、今でも大切に大切に保っています。私達の仕事は実に様々な方に御会いしま
す。患者さんの職業もそうですし、お年も生活環境も様々です。そんな中、色々な経験や充実感
や、時には挫折感それら全部が医師としての糧になり、そして年輪になるのだと思います。私が
大学院生になり基礎の免疫学教室に出るために、臨床から離れる事を躊躇した時に河村正三名誉
教授がおっしゃいました。
『関君、医師としての価値は技術だけでは駄目なんだよ。技術だけだっ
たら若い者にはかなわなくなる時期が必ずやって来る。しかし、患者さんから信頼される良い医
師は、医師の人間としての経験や人生を過ごした時間が育てて行く物なんだよ、一年二年では出
来上がらない物だよ。』やっと今、少しずつ分かる学年になって来ました。これからも一歩一歩、
着実に頑張って行きたいと思っています。ご指導のほどお願い申し上げます。
-76-
(9)
昭和 62 年入局
三
島
丈
和
医局をやめ、静岡県沼津市で小さな耳鼻咽喉科クリニックを開業して 5 年が経とうとしていま
す。私はといえば、相変わらずです。グズグズ、ダラダラしています。今になって、先輩の先生
が教えて下さった事を、身をもって理解できるようになりました。あのころ、先輩の注意を素直
に聞いていたら、もっと違った方向もあったのかなと、後悔するのも変わりありません。開業す
れば、経済的に楽になるかと思っていましたが、ぜんぜん変化ありません。以前と同じような狭
い賃貸住宅に住んで、バス代をケチって、トボトボ夜道を、鼻歌を口ずさみながら通勤していま
す。音痴なのも相変わらずで、すれ違う人に、何をうなっていのかと怪訝な顔をされています。
また医局、同門の先生方にお世話になりっぱなしなのも、相変わらずです。私のクリニックから
車で 30 分も行かないところに、川野先生がいる順天堂静岡病院があることをいいことに、ちょっ
とわからない症例、心配な患者さんがいると、すぐ静岡病院の先生方に診てもらっています。他
大学の先生がいる病院ですと、恥ずかしくて相談出来ないような症例でも、自分の馬鹿さ加減を
十分承知してくれている同門の先生方ですので、気安く診ていただく事が出来るのです。返事の
手紙の行間から、
『先輩しっかりして下さいヨ』というメッセージが読み取れますが、そんな事は
気にせずに少しも進歩しないのも同じです。さらに、三島で開業されている昭和 49 年入局の田
中先生、静岡市で開業されている昭和 56 年入局の森福先生。同じ沼津市で開業されている昭和
60 年入局の仙石先生。伊東市で開業されている平成 5 年入局の正木先生には、静岡地方部会、勉
強会でお会いするたびに、私の愚痴を聞いていただいています。この前は静岡県立癌センターで
活躍されている平成 4 年入局の飯田先生にも私の尻拭いをさせてしまいました。同門会誌担当の
横井先生には、この原稿を締め切りギリギリに提出し、御迷惑をおかけました。どうもすみませ
ん。大切な事、面倒な事を後に延ばす癖も昔の通りです。こんな調子ですので、これからも、医
局、同門の先生には、相変わらず迷惑を掛けっぱなしになると思いますが、あいつだからしょう
がないなと、大目に見てください。医局にお世話になっていた時と同じように、ぜんぜん進歩し
ていません。「変わらない」「変わらない」「相変わらず」「進歩なし」というとあまりに寂しいで
すので、変わってきた事を一生懸命考えてみました。一つは、長い間眠れなくなってきた事。(以
前は、何時間でも眠れたのに、最近は朝六時に必ず目がさめます。)あるいは近くのものが見えに
くくなってきた事。頭がさびしくなってきた事ぐらいでしょうか。これって老化現象ですね。良
く考えると、これからは、変わらない事。現状維持出来ているとい事だけでも、感謝しなければ
いけないのかもしれませんネ。
-77-
(10)患者さんは患者様ではない
昭和 62 年入局
吉
田
悌
友
一体、いつから患者様と呼ぶようになったのだろう。小泉内閣の時に規制緩和を声高に叫び、
病院にもなんとかコンサルタントと呼ばれる人々が元客室乗務員やホテルマンを呼び接客マナー
講座を開いていたりした。もちろん学ぶべきものはあるとは思うが、根本的に間違っていること
は患者さんはお客さんではないことだ。お客は自分の意志でお金に見合うサービスを要求し、提
供する側は会社の売り上げを伸ばすことに努力する。この行為は提供する側がその人にとって不
要なものと考えても、相手が望むなら積極的に提供して利益を出そうとする。さらに相手が損を
することがわかっていても会社のために販売をすることもある。これらは一般の企業では当たり
前に行われていることだ。我々医療現場はどうだろう。利益追求のために必要のない検査や薬を
出すことは許されないはずである。患者が帰宅を望んでも入院が必要であれば、入院の説得をし、
場合によっては患者が話したくないようなことも聞き出して治療の情報を得ることもある。患者
にとって快適な空間をいつも提供している訳ではない。患者のわがままを通さない場合もある。
ホテルだと客が帰りたいといえば返すし、いろいろなわがままをできるだけかなえて、それによっ
て利益を得ることが仕事である。我々の目的は利益の追求よりできるだけ早い患者の回復である。
そもそも医療行為自体が経済活動としては矛盾を秘めている部分もある。たとえば飲食店であれ
ば、できるだけ来店してもらうことで収益を上げようとする。医療行為はできるだけ早期に治癒
してもらい、できるだけ医療機関に来なくてすむようにするのである。製品は耐用年数をあらか
じめ設定し、その時点でなんらかの不具合が発生し、買い換えをしてもらうよう設計されている。
手術は何年か先に再手術が必要になるようにすることはないはずである。医療は病気の根絶を目
的に日夜研究を行っている。つまり自分たちの仕事をなくすように、日夜励んでいるのである。
患者は望んで病気になったわけではない。災害に遭ったようなものだ。災害にあった人に救助
隊が「○○様大丈夫でございますか」とは声をかけないだろう、「○○さん大丈夫?」が普通だ。
救助隊は被災者をお客とは思っていないからである。患者を呼ぶときにも○○さんであって、○○
様ではないと思う。患者に接するときには自分の身内に接する様な気持ちで、自然態で接するべ
きである。様付けにはお客が上で、買って頂く方が下という上下関係が存在する。この上下関係
はお金で成り立っている。医療ではお金による上下関係はあってはならないし、対等の関係でな
くてはならない。一部の医療機関が様付で呼ぶようになったからではないとは思うが、一部の患
者は勘違いして「医療はサービス業だから患者のわがままを聞くのが当たり前だ」と言うような
暴言があちこちから聞こえてくる。そんなことを以前より気になっていたが、たまたま雑誌をめ
くっていると以下の記事が目に飛び込んできた。
患者様に好感を持つ人はわずか
日経メディカル 6 月号によると「患者様」の呼称についての患者アンケートで「好感が持てる」
は 6.8%、「好感が持てない」は 32.3%に上った。
好感が持てない理由
-78-
1. 患者は客ではない
2. へりくだる必要がない
3. うわべだけ
4. よそよそしい
5. 日本語としておかしい
1 について「金づるみたい」患者様―>お客様―>お金を落とす人と連想させる。
2 について「医師と患者は対等なはず」
まさに私が考えていたことズバリである。やはり患者の求めていることは、医療は一般企業の
ような利益追求であっては困るということだ。医療提供者と患者の関係を見つめ直すいい機会に
なった。
もう 20 年以上も前になるだろうか、今は亡き母が「患者はお客だろう」とクレームをつけた
患者に、
「いいえ、患者さんはお客ではありません。患者さんです」と言った時の毅然とした態度
が目に浮かんだ。
(11)
平成 12 年入局
畠
将
晃
平成 18 年 7 月より、前任の順天堂静岡病院から順天堂練馬病院に異動となり、なんとか医長
として頑張っております。医長になると、周囲の環境も大きく変わりますが、一番大きく変わっ
たのは、医長室という名の個室を頂いたことではないでしょうか。
昨年 11 月に病院から歩道橋をわたったところに、新ビルが完成したため、病院各所に各科ご
とに医長室を作るという話になり、その割り振りを決めるのですが、当然年功序列にいい部屋か
ら決まっていくので、練馬史上最若(弱?)医長の私は、集合医局からとても遠く離れた日当たり
ゼロの個室を与えられました。個室といってもビルの会議室を、セパレートして造った部屋なの
で、対面の外科系某科医長の声は筒抜けで、その会話から某科の裏事情をかいまみることができ
ます。従って電話でプライベートな会話をするのは今でも気が引けます。隣の内科系某系医長は、
いつでも黙々と PC のキーボードをたたいています。夜は、某救急科助教授のいびき声が BGM
です。
こんな素敵な個室には電子カルテ用の回線も引かれ、病棟に行かずとも、医長室から病棟に指
示出しできてしまうシロモノです。せっかくいただいた個室。これは快適にしなくてはと、自費
で購入したソファーベッドが、外来で疲れきった私の体をやさしく包み込んでくれます。
ずいぶん取り留めのない話になってしまいましたが、とにもかくにも、この与えられた個室を
汚さないためにも、今後も事故を起こさないように、がんばっていきたいと思っています。
-79-
14.研究会
2007 年 3 月 17 日
松本
頭頸部グループ勉強会
文彦: 喉頭癌(声門部)T1a 症例に対する CO2 レーザーによる cordectomy について
~コスト、局所制御、生存率、QOL、声質において放射線療法との比較~
要旨: CO2 レーザーによる cordectomy はコスト面でも優れており、治療効果
においても放射線療法に充分置き換えられる。
伊藤
伸: <progress report>扁平上皮癌と Niban
<抄読>頭頸部癌の頚動脈浸潤への assessment
要旨: 頭頸部腫瘍の頸動脈への浸潤について、CT 上 180 度以下であれば
peeling にて頸動脈切除と同等の効果が得られる
大峡
慎一: 眼摘後の義眼形成について
要旨: 眼球を失った患者は義眼装用により審美的回復が得られ社会復帰が図
られる。義眼床形成術は眼摘と同時に施行されるが、その後は義眼床変
形を認めることが多く、長期的な経過観察が必要である。
2007 年 3 月 3 日
耳グループ勉強会
1) 井下綾子先生
・ ヒト GJB2 遺伝子改変
Transgenic mice の解析
・ 生後 10~14 日の normal と Tg mice を比較
HE 染色
ABR にて聴覚の評価
電顕
・ 今後の予定
2) 飯塚
免疫染色、電顕データを増やす
可能なら DPOAE
崇先生
・ GJB2 コンディショナルノックアウトマウスに対する遺伝子治療
3) 論文抄読
春山琢男先生
Steinman L. A brief history of T(H)17, the first major revision in the T(H)1/T(H)2
hypothesis of T cell-mediated tissue damage.
Nat Med. 13(2):139-45. Review. 2007
Zheng Y, Danilenko DM, Valdez P, Kasman I, Eastham-Anderson J, Wu J, Ouyang W.
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Interleukin-22, a T(H)17 cytokine, mediates IL-23-induced dermal inflammation and
acanthosis. Nature. 8; 445(7128):648-51. 2007
第 1 回東京女子医大第 1 内科・順大耳鼻咽喉科合同勉強会
(順大 5 号館 3 階会議室、2007 年 7 月 21 日)
東京女子医大第 1 内科(呼吸器内科)の玉置淳教授とはマクロライド新作用研究会や気道分泌研
究会を通じて面識を持ち、玉置教授が東北大学の先輩であることを知りました。以来、気道の研
究に関して親しくご指導頂いております。小生が東京に参りましたので、両教室で気軽な上気道
と下気道の勉強会を開催することとなりました。
今回が第 1 回目で、順大の学内の会議室で土曜日の 16:30 から開始となりました。女子医か
ら 2 演題、当教室から 2 演題を発表し、活発な議論が繰り広げられ、予定の 2 時間を 1 時間近く
超過することなり、大成功裡に終わりました。当日は、月に唯一の休診の土曜日にも関わらず女
子医から 10 名のご参加を頂きました。当教室から、池田、古川、横井、川野、林、八尾、井下、
加瀬、笠井、斉藤、峯川、大峡、春山の参加でした。
発表演題は女子医からは横堀直子先生「咳喘息の治療における抗ロイコトルエン薬の役割」と
長柄尚希先生「Tiotropium の goblet cell 過形成に対する検討」、当教室からは斉藤達矢先生「当
科における好酸球性副鼻腔炎の検討」、池田勝久「好酸球性副鼻腔炎の診断・治療戦略」でした。
勉強会の後は小石川のこんにゃくえんまの向かいのレトロな居酒屋で懇親会を行い、お互いの
six secrets を披露しながらの和気藹々の酒宴となりました。次回も多くの教室員の勉強会と懇親
会への参画をお願いします。
(文責:池田勝久)
-81-
2007 年 4 月 7 日鼻副鼻腔・扁桃勉強会
池田教授 ······················· 抄読:Thymic stromal lymphopoietin:master swich for allergic
inflammation
八尾先生 ······················· in situ のハイブリダイゼーション
川野先生 ······················· 好酸球性副鼻腔炎の HO-1+CD68 の 2 重染色について
加瀬 ····························· 抄読:花粉症免疫療法の最近の報告
斉藤先生、酒井先生 ········ 抄読会は次回
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15.教室ならびに関連施設業績、競争的資金獲得
原著論文、欧文
1) Matsumoto F, Fujii H, Abe M, Ohtsuji N, Matsumoto T, Ikeda K, Hino O. A novel tumor
marker, Niban, is expressed in subsets of thyroid tumors and Hashimoto’s thyroiditis.
Human pathology 2006;37:1592-1600
2) Matsumoto F, Karasawa K, Itoh S, Toda M, Haruyama T, Furukawa M, Ikeda K.
Concurrent Weekly Docetaxel and Hyperfractionated Radiotherapy for Advanced Head
and Neck Cancers. Anticancer research 2006;26:3781-3786
3) Yokoi, H., Choi, O H., Hubbard, W., Lee H-S., Canning, BJ., Lee, HH., Ryu, SD., Bickel, CA.,
Hudson, SA., MacGlashan, Jr., DW., Vonakis, BM., Bochner, BS. Inhibition of Fc 
RI-dependent mediator release from human mast cells by Siglec-8 engagement. JACI in
press. 2007.
4) Guo JP, Nutku E, Yokoi H, Schnaar RL, Zimmermann N, Bochner BS: Siglec-8 and
Siglec-F: inhibitory receptors on eosinophils, basophils and mast cells. Allergy Clin
Immunol Int – J World Allergy Org 2007; 19:54–59.
5) Yokoi, H., Hudson, S.A., Bovin, N., Schnaar, R.L. and Bochner, B.S. Surface expression,
inhibitory function and candidate ligand for Siglec-8 on human mast cells. Allergy Clin.
Immunol. Inter in press. 2007
6) Xuejun Chen, Francois Niyonsaba, Hiroko Ushio, Matsuko Hara, Hidenori Yokoi, Kenji
Matsumot, Hirohisa Saito, Isao Nagaoka, Shigaku Ikeda, Ko Okumura, and Hideoki
Ogawa. Endogenous antimicrobial peptides human β -defensin (hBD)-3 and
hBD-4
activate mast cells and increase the skin vascular permeability dependent on the presence
of mast cells. Eur J Immunol, 2007; 37(2):434-44.
7) Yokoi H, Myers A, Matsumoto K, Crocker PR, Saito H, Bochner BS. Alteration and
acquisition of Siglecs during in vitro maturation of CD34+ progenitors into human mast
cells. Allergy. 2006; 61(6): 769-76.
8) Saito H, Matsumoto K, Okumura S, Kashiwakura JI, Oboki K, Yokoi H, Kambe N, Ohta K,
Okayama Y. Gene expression profiling of human mast cell subtypes: an in silico study.
-83-
Allergol Int. 2006; 55(2): 173-179.
9) Yokoi, H., Okayama Y., Niyonsaba, F., Fujimori, M., Enomoto, F., Yoshikawa, H., Ikeda K.
and Saito H. Comparison of human tonsillar mast cell localization and ultrastructural
observations between IgE-mediated allergic and non-allergic donors. Allergy and Asthma
Proceedings. 2006; 27 (5): 415-421.
10) Ryan AF, Ebmeyer J, Furukawa M, Pak K, Melhus A, Wasserman SI, Chung WH.
Mouse models of induced otitis media. Brain Res 1091:3-8, 2006.
11) Furukawa M, Ebmeyer J, Pak K, Austin DA, Melhus A, Webster NJ, Ryan AF. Jun
N-terminal protein kinase enhances middle ear mucosal proliferation during bacterial
otitis media. Infect Immun. 75:2562-71, 2007.
12) Kusunoki T, Cureoglu S. Age-related histopathlogic changes in the human cochlea
Otolaryngology-Head and Neck Surgery 134: 716, 2006.
13) Kusunoki T, Shiraishi H, Murata K. Estrogen and Cu,Zn-SOD on aging changes of female
rat parotids. Auris Nasus Larynx 33:47-51, 2006 .
14) Kusunoki T, Muramoto D, Murata K, A case of calcific retropharyngeal tendinitis
suspected to be a retropharyngeal abscess upon the first medical examination
Auris Nasus Larynx 33: 329-331, 2006
15) Kusunoki T, Terao K, Murata T. The remarkable efectiveness of local injection of OK 432
in both primary and recurrent treatment for cervical cystic lymphangioma: A case with 15
years follow-up. Acta Med Kinki
31:
53-55,
2006
論文、邦文
1) 楠
威志:感覚器一般. 国歌試験徹底分析
管理栄養士
医学系集中講議 225-230, 2006. 金
芳堂
2) 楠
威志、村田清高. 真珠腫性中耳炎の骨破壊に関するプロティナーゼとそのインヒビター
-中耳真珠腫上皮と上皮下肉芽との比較-
耳鼻臨床 99: 345-352,
2006.
3) 楠
威志. Cavity problem に対する局所処置. 耳鼻臨床 99 : 254-255, 2006.
4) 楠
威志、寺尾恭一、村田清高. 当科における喉頭全摘出術後患者の QOL の現状:近声会会
員のアンケート調査から. 耳鼻と臨床 52 : 140-145, 2006
-84-
5) 飯塚崇、成井裕弥、古川正幸、池田勝久. セカンドオピニオン目的に当科を受診した顔面神経
麻痺症例の検討. Facial Nerve Research 2006
6) 池田勝久、横井秀格、酒井陽子、斎藤達矢、春山琢男、峯川明. 硬膜形成術 (duraplasty) を
併用した経鼻内視鏡下の嗅神経芽細胞腫摘出術. 耳鼻臨床 100: 7; 516~517, 2007
7) 池田勝久. 睡眠時無呼吸症候群:外科的治療. 順天堂医学. 53: 297-301. 2007
8) 池田勝久. 嗅覚障害. MB ENT. 79: 72-76. 2007
9) 松本文彦、戸田恵、伊藤伸、春山琢男、古川正幸、池田勝久. 頸部無菌手術における創管理の
検討
頭頸部外科 2006;16(2):143~148
10) 横井秀格、池田勝久. 後鼻神経切断術が有効であったアレルギー性鼻炎症例. アレルギーの臨
床 27(3)、56-60. 2007
11) 伊藤伸、松本文彦、大峡慎一、小室祐造、新井一. 池田勝久. 二回の Dismasking Flap を施
行した再発頭蓋底腫瘍の一例. 頭頸部外科
17(2):173-177, 2007
12) 井下綾子、横井秀格、松本文彦、八尾亨、池田勝久. 内視鏡下副鼻腔手術術後感染予防に対
するレボフロキサシンの有用性について
日本耳鼻咽喉科感染症研究会会誌
25: 167-170,
2007
13) 井下綾子、飯塚崇、林千江里、横井秀格、池田勝久. 周期性四肢運動による睡眠障害の検討
口腔咽頭科
in press
14) 林千江里. 睡眠時無呼吸症候群の検査
健康な眠りを取り戻すために. 順天堂医学 53( 2):
288-292, 2007
文部科学省科学研究費
継続研究
基盤 C 古川正幸
細菌性中耳炎におけるアポトーシスにおける中耳粘膜肥厚の分子制御
とその治療
若手 B 一針幸子
鼓膜留置型の振動子を用いた先進的電磁補聴システムの開発
若手 B 畠将晃
難聴遺伝子 GJB2 KO マウスにおける蝸牛障害のナノスケールの解析
若手 B 戸田恵
Gjb2 マウスを用いたKイオンリサイクリングの分子機構の解明
若手研究スタートアップ
レーザーを用いたマウス内耳への低侵襲遺伝子導入法の確立
原亜希子
-85-
19 年度新規採択
萌芽
池田勝久
萌芽
中澤詠子
難聴遺伝子改変技術を利用したコルチ器の三次元構築の分子基盤の解明
Brn4 による間葉系幹細胞からの蝸牛線維細胞への分化誘導と難聴の再
生医学への応用
若手 B 松本文彦
甲状腺腫瘍における Niban 遺伝子発現の解析と臨床的意義の検討
若手 B 小宮尚
気導骨導ハイブリッド補聴器の開発
若手 B 中澤麻美
GJB2 遺伝子保因者における歪成分耳音響放射障害の分子メカニズム
若手研究スタートアップ
GJB2 遺伝子優性阻害変異マウスの生後発育段階における外有毛細胞の
成井裕弥
細胞機能評価
プロジェクト研究費
伊藤伸
笠井美里
春山琢男
頭頸部扁平上皮癌(HNSCC)の多段階発癌における Niban 遺伝子の
発現
先天性聴覚障害者の平衡機能失調解析による imbalance gene の探索
カルボシステインによるヒト中耳粘膜肥厚の制御と中耳粘膜肥厚の病
態解明
老人性疾患病態・治療研究センター研究奨励費
飯塚崇
マウスにおけるアデノ随伴ウイルスを用いた遺伝子治療による聴力改善
COE若手研究奨励費
大峡慎一
気道分泌物による微生物エアロゾル飛沫汚染の実態調査:くしゃみ
鼻擤気管切開口における喀出に注目して
スポートロジーセンター研究推進費健脳プロジェクト
池田勝久
嗅覚検査によるアルツハイマーの診断
環境医学研究所プロジェクト研究費
池田勝久
加齢性難聴の責任遺伝子の変異に対する遺伝子修飾因子と騒音耳毒
性薬物食餌の環境因子と相互作用の解析
ジョンソン&ジョンソン
低侵襲医療外科学講座
-86-
16.編集後記
井
下
綾
子
入局 4 年目にして初めての同門会誌担当係りという大役を仰せつかりました。私の仕事は諸先
生方の原稿集めでした(何度も取り立てプッシュされた先生方、すみませんでした)。原稿や写真
が次第に集まるにつれ、OB の先生方や現医局員の先生方の思い入れがひしひしと伝わってきま
した。この歴史ある同門会誌を早く諸先生方にお届けしなければという気持ちに駆られるも、今
年も年末が目前となった頃にようやく出来上がりとなり私の力不足を反省しております。また肝
心な時期に風邪をこじらせてしまい、体力のなさを実感し池田教授を見習って鍛える必要がある
のかなと考えさせられました。それから横井秀格先生には(今回だけでなく普段の仕事においても
ですが)大変お世話になりました。横井先生の指示通りに仕事をこなすことで手一杯で、横井先生
の負担が増してしまったものと推察します。来年度は心身ともに一回りさらに大きくなって(身長
はもう結構ですが)、同門会をはじめ臨床・研究に励みたいと思います。
横
井
秀
格
3 年ぶりとなりました昨年に続き今年も同門会誌編集責任を担当いたしました。今年はカラー写
真が豊富になり、内容もますます充実したものになったと自負しています。しかし、予定では 10
月末には諸先生方の下に届くことを予定しておりましたが、気がつきましたら年末でした。この件
につきましては、すべて私の責任と反省しております。現在なんとかお正月休みに炬燵に入ってみ
かんを食べながらゆっくり読んでいただけたらと思う次第です。
(2007 年 12 月上旬のお話)
その後、忘れた頃に A 先生、B 先生と次々と時間差攻撃をして原稿を送ってくれました。そし
て気がつきましたら 2008 年 1 月でありました。ちなみにこの同門会誌は 2007 年度版です。
2008 年度版は速やかに作成されることでしょう!?
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発行年月日
2008 年 2 月
監 修 者
池田
勝久
編集責任者
横井
秀格
編
集
井下
星野
綾子
由紀
発
行
順天堂大学耳鼻咽喉科同門会
〒113-8421
東京都文京区本郷 2-1-1
TEL 03(3813)3111
印
刷
株式会社キタ・メディア
〒113-0033
東京都文京区本郷 2-4-14
TEL 03(3813)6301