全文 - 常陽地域研究センター

AREA RESEARCH CENTER
4・5合併号
6月号
November
東日本大震災
地域復興特集増刊号 2 0 1 1
JOYO ARC 11月増刊号の発刊にあたって
…………
2
緊急 東日本大震災
企画 ∼茨城県内の被害状況と復旧・復興への動き
…………
4
視点:地域の未来を展望して
成熟社会へ意識をリセット
筑波大学 学長 山田 信博
………… 21
論説:震災後に発信する次世代グローバルコンテンツ
̶「環境」「情報」イノベーション融合による復興を目指して
指揮者・作曲家/東京大学准教授 伊東 乾
………… 22
特別寄稿
震災復興に向かう日立・ひたちなか地区の中小企業
̶ ひたち立志塾と全国ネットワークの支援 ̶
明星大学経済学部 教授 関 満博
………… 44
視点:活力ある日立への再生を
日立市長 吉成 明
7月号
論説:希望の架け橋、いばらき復興に向けて
グロービス経営大学院 学長
グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー
寄稿
………… 55
−Project KIBOW
堀 義人 ………… 56
いばらき復興への私からのメッセージ
∼地域が元気になるために∼
……………………… 60
視点:改めて、災害に強い安全・安心な地域社会とは
茨城大学地球変動適応科学研究機関長 三村 信男
8月号
………… 83
論説:震災を機に地域コミュニティの強化を
常磐大学コミュニティ振興学部准教授 砂金 祐年
調査
………… 84
震災復興とこれからのいばらき
∼東日本大震災が茨城にもたらしたもの∼
………… 90
視点:「現場の力」で地域の製造業の復興を
ひたちなか商工会議所 副会頭 柳生 修
9月号
………… 109
論説:サプライチェーン再構築を考える
∼東日本大震災を経て∼
日本政策投資銀行 チーフエコノミスト 鍋山 徹
調査
………… 110
震災後の県内製造業
∼供給制約の影響を探る
……………………………… 116
視点:震災からの復興と今後の商工業の振興に向けて
北茨城市商工会 会長 今井 亨二
10月号
………… 133
論説:六角堂の復興へ向けて
茨城大学 教育学部 教授、五浦美術文化研究所 副所長 小泉 晋弥
調査
………… 134
がんばれ、北茨城!
∼震災後半年の復旧・復興の足どりとこれから∼
………… 142
視点:地域コミュニティ再生といばらきの活力
大好き いばらき 県民会議 会長
茨城県知事
11月号
橋本 昌 ………… 161
論説:開かれたコミュニティづくりで地域社会の再建・発展を
法政大学法学部 教授 名和田 是彦
調査
………… 162
地域コミュニティ再生といばらきの活力
∼地域の安心・安全と活性化に向けて
……………… 170
JOYO ARC 11月増 刊号の発 刊にあたって
本年3月11日に発生した東日本大震災は、地域の経済・産業にも大きな
被害をもたらしました。行政・企業・地域の皆様の懸命な努力により、
復興に向けて着実な足取りを見せてはおりますが、福島第一原子力発電所
の事故に伴う様々な影響と相俟って、今なお疲弊感が続いている状況に
あります。
財団法人常陽地域研究センターでは、「JOYO ARC」4・5合併号
における緊急企画「東日本大震災 ∼茨城県内の被害状況と復旧・復興への
動き」を皮切りに、毎号、震災からの復興に立ち向かう地域の状況を
お知らせして参りました。このほど、これまでに「JOYO ARC」に掲載
した東日本大震災に関わる記事をまとめ、増刊号として発刊することと
いたしました。
これは、当財団の母体であります株式会社常陽銀行が推進する常陽地域
復興プロジェクト「絆」の一環として、一覧性のある調査文献を整備し、
記録するものであります。
「JOYO ARC」の読者の皆様におかれましては、すでに目を通された
記事ではありますが、未曾有の災害を振り返るにあたって、本号がなに
がしかお役に立てば幸甚でございます。
平成23年11月
財団法人 常陽地域研究センター
理事長 遠山 勤
2
11月増刊号
A p r i l・M a y
AREA RESEARCH CENTER
合併号
C
緊急企画
O
東日本大震災
2011
∼茨城県内の被害状況と復旧・復興への動き
………
4
N
東日本大震災の概要と被害状況
茨城県内の被害状況
復旧・復興への動き
T
E
N
T
S
3
東日本大震災の概要と被害状況
観測史上最大規模の地震が発生
生、福島県や茨城県で震度6弱が観測された。
2011年3月11日14時46分頃、三陸沖を震源とす
3月20日∼4月18日の余震は1,813回で、未公表
るマグニチュード(以下M)9.0の巨大地震が発生
の3月11 ∼ 19日を考慮すると、4月18日までの余
した。地震規模は日本の観測史上最大、世界の観測
震は2,000回を大きく超えるとみられる(図2)。
史上で4番目に大きく、山口・宮崎・沖縄県を除く
44都道府県で地震が観測された。
これまでの海底を震源とする地震について、M
5.0以上の余震発生回数を比較すると、今回の地震
宮城県の最大震度7(栗原市)をはじめ東北・
は過去に最も余震回数の多かった1994年の北海道
関東の8県で最大震度6弱以上、9都県で最大震度
東方沖地震(M8.2、最大震度6)の約4倍となっ
5弱∼5強を観測した(図1)。
ている。
図2 余震回数の推移(3月20日∼4月18日)
図 1 各都道府県の最大震度
北海道
6 弱∼7
青森
5 弱∼5 強
秋田 岩手
3∼4
山形
1∼2
(回)
※3月11∼19日は未処理のため不明
130
120
1
2
3
4
5弱
5強
6弱
6強
110
100
90
80
70
60
50
40
30
20
10
0
3/20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 4/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18
宮城
新潟
福島
出所:気象庁
震源地
栃木
石川 富山
群馬
茨城
長野 埼玉
鳥取
岐阜
山梨 東京
京都
千葉
島根
神奈川
滋賀 愛知
岡山 兵庫
広島
静岡
大阪
香川
山口
奈良 三重
佐賀 福岡
愛媛
徳島
大分
和歌山
高知
長崎
熊本
福井
全国で津波を観測、被害の全容把握できず
この地震により、太平洋や日本海の各沿岸など
全国で津波が観測された。特に東北地方の太平洋沿
宮崎
岸では、10メートルを超える巨大津波が押し寄せ、
鹿児島
沿岸部の多くの市町村が壊滅的な被害に遭った。
警察庁によると、全国の地震・津波の被害状況
沖縄
出所:気象庁
は、4月18日18時現在で死者・行方不明者が2万
7,759人、重軽傷者が4,938人、全・半壊住宅が8万
1,353戸、避難生活者は13万7,696人などとなってい
余震は2,000回を大きく超える
本震の発生以降、余震が断続的に発生しており、
る。岩手・宮城・福島県では人的・物的被害の全容
を把握できない状況にある。
本震から1ヶ月が経ってもM7クラスの大きな余震
が観測されている。
福島第一原発から放射性物質漏えい
4月7日には宮城県沖を震源とするM7.1の地震
東京電力福島第一原子力発電所(福島県双葉郡
が発生、宮城県で震度6強が観測された。また、11
大熊町)では3月12日に1号機、14日に3号機が水
日には福島県浜通りを震源とするM7.0の地震が発
素爆発を起こすなどの重大な事故が発生した。空気
’
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7
中あるいは海水に放射性物質が漏えいしているこ
れたことから、4月8日に原則不実施としている。
とで、発電所周辺地域の住民は避難生活を余儀なく
され、東北・関東地域の水道や農・畜・水産物など
への影響も出ている。現在も予断を許さない状況
直接的な被害額は16 ∼ 25兆円
政府は、東日本大震災による住宅や道路などの
直接的な被害額を16 ∼ 25兆円と試算している。
で、収束には時間を要する見込みにある。
また、原発だけでなく複数の火力発電所で運転
これは、阪神・淡路大震災の約10兆円を大幅に
を停止しており、東京電力では安定した電気の供給
上回っている。試算には原発事故や放射性物質漏え
が困難になっている。そのため3月14日から1都8
いによる影響など間接的な被害は織り込んでおら
県で計画停電を実施した(茨城県は3月14日のみ実
ず、最終的な被害額は拡大する可能性が高い。
施)。その後、当面の電力の需給バランスが改善さ
茨城県内の被害状況
次に、東日本大震災による茨城県の被害状況を
6強を観測し、水戸市など21市町村で震度6弱とな
るなど全市町村で震度5弱以上を観測した。
整理する。
また県内の沿岸部では、本震から30分前後に津
【地震・津波の概況】
波の第1波が到達し、その後夜にかけて津波が何回
も押し寄せた。東京大学地震研究所の調査では、津
図 3 県内市町村の最大震度及び
県内沿岸部の津波の状況
波の大きさはいずれの地域も3m以上で、北茨城市
北茨城市
平潟:
6.6∼8.2m
●
●大津港:4.6m
● 磯原:4.8m
大子町
高萩市
6弱
日立市 ●
常陸大宮市
5強
常陸太田市
川尻漁港:4.4m
●会瀬漁港:5.3m
5弱
●久慈漁港:4.3m
城里町
ひたちなか市
笠間市
水戸市
筑西市
茨城町
● 那珂湊水産市場:3.3m
● 大 洗 フェリーターミナル
:4.5m
大洗町
石岡市
付近や日立市、ひたちなか市、大洗町など沿岸部の
民家や商業施設、ホテルなども浸水の被害を受け、
未だ営業が再開できない施設も多い。
【人的・物的被害及び避難の状況】
県内の被害状況は、4月18日現在で死者23名、
全・半壊住宅5.259戸などとなっている。国土交通
小美玉市
下妻市
古河市 八千代町
鉾田市
境町
五霞町
半壊の被害を受けた。また、同じ北茨城市の大津港
那珂市 東海村
桜川市
坂東市
平潟地区では、海沿いの住宅の多くが津波で全・
● 花貫川:5.0m
6強
結城市
平潟は6.6 ∼ 8.2メートルに達している。
つくば市
土浦市
かすみ
がうら市
常総市
阿見町 美浦村
つくば
みらい市 牛久市
守谷市
龍ヶ崎市
取手市
利根町
河内町
出所:気象庁・東京大学地震研究所
稲敷市
省では、県内建物の応急危険度判定を3月25日まで
行方市
● 武井釜:4.0m
鹿嶋市
潮来市
●
鹿島港(昭和産業)
:5.7m
に実施し、28市町1万5,863棟のうち1,561棟(9.8%)
の立ち入りが「危険」と判定された。
住民の避難状況は、震災後の3月12日に40市町
神栖市
波崎漁港
:3.6m
●
村、594の避難所に約7万7千人が退避した。19日
には、県内避難者が3千人程度まで減少する一方
で、福島県からの避難者が1千人を超えた。
3月11日の本震で観測された県内市町村の最大
4月18日時点で県内34 ヶ所で受け入れている県
震度は、図3の通りである。日立市など8市で震度
内避難者数は261人で、神栖市で86人、水戸市で71
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人、北茨城市で62人などとなっている。また福島県
その後復旧は進んでいるものの、4月17日現在、
からの避難者数は416人で、取手市で106人、つくば
県管理道路は28 ヶ所が通行止めで、23 ヶ所(うち橋
市のホテル・旅館で101人などとなっている。
梁:13 ヶ所)は供用が5月以降となる見通しである。
避難者に対して住宅を提供する動きもみられ
る。住宅の全・半壊が多い北茨城市では、被災した
市民向けに公営住宅や民間住宅を用意した他、仮設
住宅10棟を建設している(写真⑲)。
③鉄 道
県内の鉄道のうち、つくばエクスプレスと関東
鉄道(竜ケ崎線・常総線)には目立った被害がなく、
3月14日までに全線が運行を再開した。
【ライフライン・インフラ・学校の状況】
一方、JR各線、鹿島臨海鉄道、ひたちなか海浜
ライフラインやインフラ、学校は、特に県北・
鉄道は大きな被害を受けた。JRは、常磐線、鹿島
県央・鹿行地域で大きな被害が生じ、復旧に時間を
線の一部運行を3月18日に再開したものの、他の路
要している。
線の再開は3月末∼4月中旬にずれ込んだ
(表1)
。
①電気・ガス・水道
電気は震災当日に県内全域で停電したものの、
3月18日に全域で通電した。
都市ガスは、日立市や土浦市などで供給が停止
したものの、3月24日に土浦市の一部で供給を開始
したことで全域の復旧が完了した。
水道は、県西、県南の一部を除く多くの市町村
で断水した。県内約97万4千戸(事業所除く)のう
鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は、新鉾田駅∼大洋駅
間で、バスの代行運転を実施している。北浦湖畔駅
の南約1kmの地点で路盤が流出し、線路と枕木が
宙づり状態になる甚大な被害を受け、復旧の見通し
は立っていない(写真③)
。
また、ひたちなか海浜鉄道湊線も、路盤が押し
流されるなどの被害を受けており、全線で運転を見
合わせている。
ち、3月18日時点で約22万8千戸(23.4%)
、25日
表1 被害の大きい鉄道の運行再開状況
(4月18日現在)
時点で約4万6千戸(4.7%)が断水しており、電気・
運行再開時期
ガスに比べ復旧が遅れた。
4月15日時点で神栖市、潮来市の約8千戸が断
水している。これらの地域は、湿地帯あるいは霞ヶ
常磐線
浦の一部を干拓し、その後埋め立てた地盤の弱い土
地があり、液状化現象で地盤が大きく沈下し、配管
JR東日本
が損壊したことで復旧が遅れている。
水戸線
鹿島線
潮来市日の出地区では、道路のアスファルトが
波打ち、多くの電柱や住宅、アパートなどが傾い
水郡線
た。電気の復旧は県内で最も遅くなり、上下水道は
配管の破損が激しく、応急復旧(配管等の仮設)は
4月下旬となる見通しである(写真⑬)。
鹿島臨海
鉄道
②道 路
道路は、震災直後から高速・有料道路が県内全
ひたちなか
海浜鉄道
区間、国道及び県管理道路(橋梁含む)の133 ヶ所
大洗鹿島線
取手∼土浦
3月18日
土浦∼勝田
3月31日
勝田∼高萩
4月7日
高萩∼いわき
4月11日
上野∼高萩(特急)
4月17日
友部∼小山
4月7日
佐原∼延方
3月18日
延方∼鹿島神宮
4月16日
水戸∼常陸青柳
4月15日
常陸青柳∼常陸大子
4月11日
上菅谷∼常陸太田
4月11日
水戸∼大洗
4月2日
大洗∼新鉾田
4月8日
新鉾田∼大洋
見通し立たず
(バス代行)
大洋∼鹿島サッカースタジアム
4月7日
鹿島臨港線
(貨物線)
鹿島サッカースタジアム
∼奥野谷浜
見通し立たず
湊線
勝田∼阿字ヶ浦
7月中旬
(バス代行)
各鉄道会社発表などをもとにARC作成
が通行止めとなった。市町村の管理道路を含めると
多くの道路、橋梁が通行できなくなり、通行可能な
道路では渋滞が発生した。
④港 湾
国の重要港湾に指定されている茨城港(日立港
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区・常陸那珂港区・大洗港区)及び鹿島港では、岸
ているものの、通常時(0.03 ∼ 0.05マイクロシーベ
壁、エプロン、臨港道路などで沈下、陥没や隆起、
ルト注1/時)に比べ高い値で推移している。
段差が多数発生した他、貨物などが散乱・浮遊・沈
没している状況となった(写真⑪・⑫)。
その後、3月15日に常陸那珂港区の耐震強化岸
壁が使用可能となり、4月18日時点では茨城港、鹿
島港合わせて15 ヶ所、全体の3割程度の岸壁が復
旧している。また、16の定期航路(内航:6、外航:
図4 放射線量の推移(3月15日∼4月18日)
線量率
(マイクロシーベルト / 時)
3.500
3.210
3.000
※0時現在
北茨城市(市役所)
東海村(村松)
高萩市(小山ダム)
水戸市(吉沢)
2.500
2.000
1.680
1.500
4月18日
北茨城市:0.277、高萩市:0.221、
東海村:0.164、水戸市:0.107
1.000
10)のうち、常陸那珂港区の苫小牧定期航路のみ再
0.500
開している。
0.000
0.430
0.301
3/15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 4/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18
※北茨城市・高萩市:可搬型モニタリングポスト、
東海村・水戸市:線量率測定局(固定局)
出所:茨城県
⑤空 港
茨城空港は、空港ビルの天井の一部が損壊する
被害などによって3月12 ∼ 13日は閉鎖したが、14
日から運航が再開された。
①水 道
水道からは、放射性ヨウ素や放射性セシウムが検
スカイマークは、震災支援措置として定期便に
出されている。日立市、古河市など6市1村では、
加え3月18・19日に羽田便、18 ∼ 23日に神戸便の
3月22 ∼ 24日にかけて採取した水から、乳児(1
臨時便を運航した。春秋航空の上海便は、3月16日
歳未満)の摂取制限の指標となる1リットル当たり
から運休したが、4月1日から運航を再開してい
100ベクレル 注2 を上回る放射性ヨウ素が検出され
る。アシアナ航空のソウル(仁川)便は、震災後か
た。それぞれ乳児の飲用自粛を呼び掛けていたが、
ら6月30日まで運休となっている。
その後の検査でヨウ素が基準値を下回ったことか
ら、3月27日までに全市町村で飲用自粛を解除して
⑥学 校
県内の公立学校(小中学校・高等学校・特別支
いる。4月18日時点で、摂取制限を超えるヨウ素、
セシウムを検出している市町村はない。
援学校)では、大震災発生時点の全923校のうち、
9割以上の848校がガラス破損、漏水、天井破損な
②農・水産業
どの被害に遭った(4月1日現在)。震災当日は、
農・畜産物では、県北6市町村産のホウレンソ
県立高校や特別支援学級の生徒などのうち320人の
ウから暫定規制値2,000ベクレル/kgを超える放射
帰宅が困難となり、学校に宿泊している。
性ヨウ素が検出され、3月19日から茨城県産のホウ
現在、全ての学校で新学期が始まっているもの
レンソウの出荷を自粛している。21日には、政府が
の、県北・鹿行地区の小学校6校、県北・県央・県
県産ホウレンソウとカキナの出荷制限を指示し、23
西地区の中学校5校では校舎の安全性が確保でき
日までにパセリ、原乳が追加された。原乳の出荷制
ないため、近隣の小中学校での間借り、他施設の利
限は4月10日に解除され、野菜は4月17日に北茨城
用などで対応している。
市、高萩市のホウレンソウを除き解除された。しか
し、出荷制限の影響で茨城県産の野菜の風評被害が
【放射能の影響】
福島第一原発での事故発生後、県内でもさまざ
まな影響が出ている。
顕在化している。
水産物では、北茨城市の漁港に水揚げされたコ
ウナゴからヨウ素やセシウムが検出されたことを
北茨城市、高萩市、東海村、水戸市の放射線量
受け、県内の各漁協は4月6日からコウナゴ漁を一
をみると(図4)、3月22 ∼ 23日をピークに低下し
斉に自粛した。その後、多くの漁協では風評被害を
’
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【製 造】
懸念し出漁を取りやめている。
注1:生体への被曝の大きさの単位。放射線の種類毎に異なる
係数を乗じて算出する。1年間に自然環境から受ける放
射線の日本平均は1,500マイクロ(1.5ミリ)シーベルト。
注2:1秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を放つ放射能
の量の単位。
大震災は企業の生産に大きな被害をもたらし
た。表2は、県内に立地する主な大企業の生産拠点
の被害と、4月11日までの生産再開の状況について
表2 主な茨城県内立地企業の被害・稼働状況(製造業)
業 種
パルプ・
紙
企業・工場名
所在地
被害状況
工場の稼働状況
<北越紀州製紙>
関東工場勝田工務部
ひたちなか市
設備の一部被害
3/31より操業再開
<三菱化学>
鹿島事業所
筑波事業所
神栖市など
牛久市
設備・桟橋の損傷
製造設備停止
5/20頃の再開を目指す
4/11に全ての製造設備が稼働再開
<ADEKA>
鹿島工場
鹿島工場西製造所
神栖市
〃
計器設備の一部被害
〃
4/8現在、一部化学品の生産を開始
4/8現在、生産を開始
<日立化成工業>
山崎事業所
下館事業所
日立市
筑西市
建屋および設備の一部損傷
〃
3/25現在、一部生産再開
3/17現在、一部生産再開
石 油
<JX日鉱日石エネルギー>
鹿島製油所
神栖市
生産装置の損傷
夏頃までの生産再開を目指す
鉄 鋼
<住友金属工業>
鹿島製鉄所
鹿嶋市
岸壁クレーンなどの設備被害 3/19大径管工場が稼働、3/26鹿島火力発電所が100%稼働、4/5厚板工場
が再開
化 学
<JX日鉱日石金属>
白銀工場
磯原工場
非鉄金属
金 属
一般機械
電気機械
電子部品
デバイス
食料品
日立市
北茨城市
建屋・設備の破損
〃
3/28より一部の製造設備の稼働を再開
3/31現在、一部操業を再開
<日立電線>
電線工場
日高工場
みなと工場
豊浦工場
高砂工場
土浦工場
日立市
〃
〃
〃
〃
土浦市
建屋および生産設備の損傷
〃
〃
〃
〃
〃
3/30現在、ほぼ平常通り稼働可能
3/30現在、一部または大部分の製品が稼働可能
3/30現在、復旧作業中
3/30現在、一部または大部分の製品が稼働可能
3/30現在、一部または大部分の製品が稼働可能
3/30現在、ほぼ平常通りの稼働
<LIXIL>(トステム)
下妻工場
土浦工場
岩井工場
下妻市
土浦市
坂東市
建物の損傷、設備の被害
〃
〃
操業停止中
3/16より操業再開
3/16より操業再開
<日立建機>
土浦工場
霞ヶ浦工場
常陸那珂工場
常陸那珂臨港工場
龍ケ崎工場
土浦市
かすみがうら市
ひたちなか市
〃
龍ケ崎市
建屋および生産設備の損傷
〃
〃
〃
〃
3/21より一部生産再開
3/22より一部生産再開
3/28より一部生産再開
3/28より一部生産再開
3/17より一部生産再開
<コマツ>
茨城工場
ひたちなか市
設備を中心に被害
3/25現在、一部の組立ラインを除き生産再開
<日立工機>
勝田工場
佐和工場
ひたちなか市
〃
建屋の損傷、生産設備の転倒・ 3/30より一部生産再開(4/11全生産ライン稼働予定)
脱座
3/30より一部生産再開(4/11全生産ライン稼働予定)
<日立製作所>
日立事業所
水戸事業所
大みか事業所
多賀事業所
佐和事業所
日立市
ひたちなか市
日立市
〃
ひたちなか市
建屋および生産設備の損傷
〃
〃
〃
〃
3/29より一部を除いて操業再開
4/1現在、部品を確保できたものについて生産再開
3/28現在、一部もしくは全面操業
3/28現在、一部もしくは全面操業
3/25より一部生産再開
<日立ハイテクノロジーズ>
那珂事業所
ひたちなか市
建屋および設備の損傷
3/25から順次生産機能が復旧
<ルネサスエレクトロニクス>
那珂工場
ひたちなか市
建屋・生産設備の被害
4/10からクリーンルームの一部稼働再開。7月の一部生産再開を目指す
3/28より一部再開
<ソニーDADCジャパン>
茨城工場
那珂市
建物および製造設備の被害
<キリンビール>
取手工場
取手市
ビール貯蔵タンクおよび建物 3/25より順次生産再開
の一部損壊
<アサヒビール>
茨城工場
守谷市
建物および設備の一部損傷
3/22より一部生産再開
<日本ハム>
茨城工場
筑西市
建物および設備の一部損傷
3/19より一部生産再開
<カルビー>
下妻工場
下妻市
ラインの一部損傷
3/22より生産再開
操業停止
〃
3/30現在、地震前の2 ∼ 5割程度で稼働再開
3/30より順次生産再開
<明治>(明治乳業)
守谷工場
茨城工場
守谷市
小美玉市
※4月11日現在。日立製作所はグループ企業を含む。
各社発表などをもとにARC作成
’
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11
まとめたものである。化学、鉄鋼などの素材業種を
クレーンが倒壊するなど大きな被害を受けた住友
はじめ、一般機械や電気機械、食料品など幅広い業
金属工業の鹿島製鉄所では、3月中旬以降順次生産
種で建屋や生産設備が損傷を受けた。
を開始しているが、完全復旧にはかなりの時間を要
震災後の生産再開については、3月中に一部製
する模様だ。
品の生産を再開した企業が多いものの、全面操業ま
大企業と同様に、多くの県内中小企業も生産活動
でには暫く時間がかかるとみられる。鹿島港の岸壁
の休止を余儀なくされた。3月17日に公表された
「県
内中小企業の被災状況等について」
(茨城県および
企業の声
県中小企業振興公社)によれば、県内でも特に県北
県北地域A社
地域で建屋、生産設備の被害が大きいとしている。
県北地域のある鋳造メーカーでは、
「工場の
電気炉および鋳造設備に一部被害を受け、稼
【小売(商業施設)】
働を一時休止した。協力会社や部品メーカー
ショッピングセンター、百貨店などの商業施設
からの支援を受けながら復旧に努め、3月22
も大震災により営業休止が相次いだ(表3)。被害
日から順次生産を開始している」という。ま
が最も大きかったのが、大洗リゾートアウトレット
た今後については、
「復興需要の高まりから、
(大洗町)である。大洗町は最大4.5mの津波を観測
鉄スクラップなどの原材料が入手しにくくな
し、海沿いに立地する同施設は1階部分を中心に被
る可能性もある」と生産拡大の鍵として原材
害を受けた。営業再開は7月中旬と、4ヶ月以上の
料の確保を挙げる。
休業に追い込まれる見通しである。
表3 主な商業施設の営業状況
タカノフーズ株式会社(小美玉市)
納豆製造のタカノフーズ株式会社では水戸
工場が3月21日から再開し、大きな被害を受
けた宮城県加美町の東北工場も操業を始め
た。しかし、
「納豆製造量は震災前の50%程度」
(4月11日現在)の状況だ。その要因として、
「納
施設名
市町村名
営業状況
水戸駅ビルエクセル
水戸市
4/1に一部再開以降、4/15ま
でに全フロアで再開
丸井水戸店
水戸市
4/15再開
イオンモール水戸内原
水戸市
イオンが先行して再開し、
3/26に専門店街が営業再開
水戸市
3/23から全館営業
京成百貨店
イーアスつくば
つくば市 4/15から全館営業
豆パックの包装フィルム製造会社が被災した
あみプレミアムアウトレット
阿見町
3/22から営業再開
ため、容器の確保が難しく出荷量が限られて
大洗リゾートアウトレット
大洗町
7/16に再開予定
各社発表などをもとにARC作成
いる」点を挙げる。
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復旧・復興への動き
【スーパー】
ライフラインが断たれ、人々はパン・水などの食料品を求めてスーパーマーケットやコンビニエンスストア
に殺到した。
地震後のスーパーマーケットの状況について、県内で約40店舗を有する株式会社エコスに話しを伺った。
食料品を求める消費者のため停電中も営業
株式会社エコス 開発第二部長 鈴木 恒雄氏(取材:4月7日)
食料品を求めて行列
わっていました。
大震災の翌日は停電中の店舗が多く、照明、レ
商品はバーコードで価格を読み取るため、停電
ジなどが使えませんでした。土浦市の新治ショッピ
中は販売価格を把握するのに苦労しました。各店舗
ングセンター店では、電卓を使って営業しました。
では本部に照会するなどして、価格の分かるものを
また、他の店舗も可能な限り営業することとし、パ
販売していました。店によっては現場の判断でパン
ンやミネラルウォーターを中心に、各店舗の在庫分
を100円均一にして販売したところもありました。
を売り切りました。どの店も食料品を買い求めるお
客様で行列ができ、新治ショッピングセンター店で
は品切れで買えなかった方が約200人いました。
一部商品で特に品薄状態が続く
商品の供給が回復しているとはいえ、品揃えは
全体的に不足気味です。震災後、特に品薄なものは
営業し続けたのは食品スーパーの使命感から
水、ヨーグルト、牛乳、納豆などです。このうち牛
電気、水道などのインフラが復旧していない中
乳は群馬のメーカーから入荷が始まり、納豆も少し
でも店舗を開けたのは、普段からお世話になってい
ずつ入ってくるようになりました。一方、ヨーグル
る消費者のお役に立ちたいという、食品スーパーの
トは依然として入荷が限られています。これらの商
使命感からです。当社トップの「少しでも消費者の
品は、入荷されても数が少ないため、午前中で売切
役に立てるように」という強い意志が、現場にも伝
れになることが多いです。
【商店街】
震災によりスーパーマッケットの営業店舗・時間が限定される中、中心市街地で新鮮な野菜が手に入る新鮮
市が行われている。
水戸市泉町で新鮮市を運営する泉町二丁目商店街振興組合に話を伺った。
中心市街地に新鮮野菜を
泉町二丁目商店街振興組合 事務局 秋山 道氏(取材:4月4日)
震災から2週間で営業を再開
泉町新鮮市は、街なかの買い物場所と近隣住民
の社交場確保を目的として、毎週月、火、金曜日に
開催しています。出店は近隣農家、泉町二丁目商店
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会女性部、行方市出荷組合連合会、日本農業実践学
ては、茨城産ホウレンソウ、パセリ、カキナが出荷
園が担当し、農産物などを販売しています。
停止となったことで、その他の県産野菜の購入を控
新鮮市は3月25日(金)から再開しました。震
える風評被害が広がっています。新鮮市では、県産
災直後に女性部メンバーから早期再開の要望が出
の葉物(ミズナ、チンゲン菜、わさび菜など)を取
されましたが、出店者である農家自身が被災したこ
り扱っており、売れ行きを懸念していましたが、葉
とや、会場の泉町会館が被害を受け、別の開催場所
物の価格を通常より安くしたこともあり、早々に売
を確保する必要があり、再開に時間を要しました。
り切れる人気商品となっています。
2月から始まった購入品の配送サービスは震災
街なかで新鮮野菜が手に入ると好評
販売する野菜は茨城産を中心に、他県産も揃え
ています。従来はほとんどが茨城産でしたが、震災
により中断していますが、早期再開に努めていま
す。私たちが出来ることを着実に実行して、地域の
方々のお役に立ちたいと考えています。
後は全ての野菜を県産で提供することが難しく
なっています。
来店者からは「近くのスーパーマーケットが震
災の影響で営業していないため、大変助かってい
る」、
「まちなかで新鮮な野菜が手に入る」と好評で
す。また、醤油や塩、味噌も置いていることから、
野菜と併せて調味料を買うことができると感謝の
声も聞かれます。
福島第一原発事故による県産野菜の影響につい
店頭に並ぶ新鮮野菜
【ガソリン】
大震災でガソリンスタンドの設備が被害を受け、営業できない店舗が相次いだ。一方で、一部製油所・油槽
所も被害を受けたためにガソリンが出荷できず、道路状況などにより配送に時間も要したことから、東北・関
東地方で石油製品の供給量が低下した。県内でもガソリンスタンド付近で給油待ちの長蛇の列ができ、混乱が
続いた。
茨城県を中心に石油製品を販売する関彰商事株式会社(筑西市)に、ガソリンスタンドの営業状況などにつ
いてヒアリングを実施した。
ガソリンの確保に苦心した2週間
関彰商事株式会社(取材:4月11日)
まずは緊急車両への燃料提供を優先
ア1店以上で営業を継続することにしました。これ
茨城県全域でガソリンスタンド(以下GS)を展
は広範囲でお客様に石油を供給したいという考え
開する当社も地震により設備に被害を受け、営業を
からです。お客様の混乱を避けるため、エリア内で
一時休業する店舗がありました。また、石油元売り
は基本的に同じGSが続けて営業することとしまし
会社からの供給量が非常に少なくなったことを受
た。
け、県内10エリア(日立、水戸、笠間、筑西、古河、
営業にあたっては、エネルギー供給の社会的使
つくば、土浦、常総、牛久、鹿嶋)のうち、1エリ
命から、まずは緊急車両(警察、消防、病院、自治
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体)へのガソリン供給を優先しました。GSによっ
顧客対応に苦慮
ては緊急車両のほか、一般車両の給油にも対応しま
多くのGSが休業していたことから、お客様から
した。石油供給が進むに従い、一般車両へのガソリ
営業しているGSに関する照会の電話が多数寄せら
ン提供を順次拡大していきました。震災直後から比
れました。また、営業する店舗・日時を当社HPに
較的安定供給をしていた他社店舗もあったようで
公開してほしいという要望が相次ぎました。しかし
すが、当社の元売りは製油所が被災したことから
状況が日々刻々と変化していたため、正確な営業店
GSへの供給が滞りがちでした。
舗・時間をお伝えするのに苦慮しました。
約2週間にわたり給油待ちの行列が発生
今回の震災ではエネルギー供給でお客様にご不
震災後の最大の課題は「いかにして石油を確保
便をおかけしましたが、今後とも石油製品の安定供
するか」であり、社員を総動員して石油調達に努め
給を通じて生活の向上に貢献するため努力してま
ました。しかし、確保できる量が需要を大きく下
いります。
回っていたため、3月12日以降、約2週間にわたり
給油待ちの行列が発生しました。特に震災後の数日
間は入荷量が非常に少なかったため、営業開始後1
時間で完売することもありました。
地域別では県南、県西地域で比較的早く不足感
が解消しましたが、県北、県央地域は改善まで2週
間程度を要しました。
図5 震災以降の全製油所の稼働状況
原油処理増加量
(KL/ 日)
140,000
原油処理増加量※
稼働率(右軸)
120,000
稼働率
120.0%
100.0%
100,000
80.0%
80,000
60.0%
60,000
また、福島県ではいわきエリアでの供給が不足
がちでした。郡山市にはガソリンを積んだタンク
ローリーが来ていましたので、いわき市からロー
40.0%
40,000
20.0%
20,000
0
0.0%
3/1213 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
※3/12を基準とした増加量
出所:石油連盟
リーを引き取りに行くなどして対応しました。
【宿 泊】
春の行楽シーズン最中の大地震は、県内の宿泊業にも大きな打撃を与えた。梅まつりが開催中であった水戸
市の偕楽園は震災により閉園となり、観光客などからホテルのキャンセルが相次いだ。
しかし、一部地域では復旧・復興需要の高まりから、再開したホテルの客室稼働率が高まっている。水戸市
内のホテルの状況について、水戸プリンスホテル(水戸市)の杉山常務取締役に伺った。
客室提供を通じて復旧・復興を支援
水戸プリンスホテル 常務取締役 杉山 勉氏(取材:4月8日)
ホテルのロビーが避難所に
10部屋で営業を再開
大震災当日は、客室に被害があったため使用を
建物の安全は確認できましたが、内装の壁、床、
禁止し、宿泊者はロビーや廊下、階段などで一夜を
タイル等は多数損傷を受けていました。当初は完全
過ごされました。また、日帰り観梅客など宿泊客以
修復後の再開を予定していましたが、復旧に関わる
外でも避難のために当ホテルを訪れる方が数十名
方々の宿泊施設が不足している状況を知り、修復の
おり、ロビーなどを解放しました。こうした方々に
済んだ客室から営業を再開することにしました。い
はパンや毛布を配布しました。
ち早く客室を提供することが、今の私たちに出来る
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ことだと考えたからです。3月22日に全159部屋の
うち10部屋の提供を開始し、現在はほぼすべての客
室に宿泊することが可能です。
正確な情報発信が必要
宿泊されるお客様と話しをする度、水戸(茨城)
の情報が不足していると感じます。例えば、「茨城
はガソリンが不足している」
、「鉄道は動いていな
復旧・復興需要で満室が続く
い」、
「いつ計画停電になりますか?」など、現在の
営業再開直後は福島県からの避難者と思われる
状況が正しく伝わっていません。このため、ホテル
宿泊客がみられ、その後復旧作業で長期間宿泊され
のHPやブログ等を通じて、日々刻々と変化する正
る方、被災現場の査定をする保険会社の方の予約が
確な情報を発信しています。
増加しました。市内ホテルの客室提供数がまだ震災
前の水準に回復していないため、当ホテルを含め市
現在もエレベーター等の設備が利用できないこ
とから、一日も早い完全復旧を目指しています。
内ホテルはほぼ満室の状態が続いています。
【建 設】
県内を襲った巨大地震は道路や橋梁、港湾などの交通インフラに甚大な被害をもたらした。また、家屋など
の一部破損が県内全域で発生した。こうした復旧に活躍しているのが、地元の建設業者である。
震災後の不休の取り組みについて、土木・建築業を営む昭和建設株式会社(水戸市)を取材した。
復旧工事を通じて地域社会に貢献する
昭和建設株式会社 取締役工事本部長 渡辺 信一氏(取材:4月7日)
震災直後の動き
建築部門だけで170 ヶ所にのぼります。このうち、
震災直後、まず本社の被害状況を確認し、周辺
仮復旧が必要と判断した約50 ヶ所の工事を行いま
に危険な状態にある店舗や住居がないか見て回り
した。危険性が高いものは概ね仮復旧の状態になり
ました。被害をみるにつれ、今回の地震の大きさを
ましたが、優先順位の低いものについてはまだまだ
実感しました。翌日、翌々日は土日でしたが、出勤
手が回らないのが現状です。
可能な社員が電話応対などを行いました。また、瓦
が落ちている家屋が多かったため、応急処置として
心強い協力会社の存在
ブルーシートなどの資材を確保しました。本格的な
現在、資材不足が顕在化しつつあります。資材
復旧作業は翌週の月曜日(3月14日)からでした。
の製造拠点が被災により生産をストップしている
こともあって、工事をしたくても思うようにできな
全社員一丸となって仮復旧に取り組む
い事態が懸念されます。
被害の甚大さを受け、新たな現場の工事や設計
今回の震災で感じたことは、約100社の協力会社
を全て中止し、被害を受けた家屋や道路などのう
のありがたさです。実際に現場で活動してくれる協
ち、危険性の高いものを優先して仮復旧に努めるこ
力会社の方々がいなければ、数多くの現場に対応す
とにしました。作業にあたっては、現場担当だけで
ることは不可能でした。また、社員も高い使命感を
なく総務、営業なども電話応対や重機・移動用の車
持って業務にあたってくれています。
の燃料確保といった後方支援に努め、全社員が一丸
となって復旧に取り組みました。
当初の1週間で、被害状況を調査した現場数は
仮復旧の工事対応は損得抜きで行っています。
非常時こそ企業としての真価が発揮されると考え、
復旧工事を通して社会に貢献していく方針です。
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【バ ス】
県内の鉄道は、JR各線、鹿島臨海鉄道、ひたちなか海浜鉄道などが運行休止を余儀なくされた。こうした中、
生活者の足として存在感を高めたのがバス事業者である。
鉄道の代替手段として迅速に動いた茨城交通株式会社(水戸市)に話を伺った。
地域の足の確保が公共交通機関の使命
とうだ
ただし
茨城交通株式会社 代表取締役 任田 正史氏(取材:4月8日)
停電でバス運行を休止、翌日再開へ
ました。通常、新規路線の運行認可は申請から3ヶ
地震発生後、県内全域で停電が発生したため、
月程度かかりますが、今回は緊急事態かつ鉄道輸送
走行中のバスは全て運行を停止しました。乗客から
の代替対応でもあったため、国交省からの認可は迅
は何とか走らせてほしいとの要望がありました
速でした。勝田∼東京の高速バスは3月16日に再開
が、信号が点灯していない非常に危険な状態であ
しましたが、水戸以北で高速バスを運行したのは当
り、やむを得ない措置でした。震災翌日(12日)の
社が最も早かったと思います。
夕方、水戸で通電を確認できたことから、順次運行
を再開していきました。
運行情報については、HPのほかNHK、茨城放
送、県庁記者クラブ等でお知らせしました。それで
も営業所などに問い合わせが殺到する状態が3月
福島県の住民避難にバス20台で緊急出動
末まで続きました。
大震災当日の夕方、国土交通省から福島第一原
発付近の住民を避難させるための協力要請があり
地域の足は我々が守る
ました。可能な限りの対応をしようと、バス20台で
震災後の運行上の課題としては、燃料不足があ
当日の夜に福島県へ向かいました。原発のある大熊
りました。バス(軽油)については卸売業者の協力
町の住民1,500 ∼ 2,000人を、隣市の田村市の避難所
もあって、何とか乗り切ることができました。ま
まで運びました。自宅が被災しているにも関わらず
た、通勤に使用する自家用車のガソリンは、非番の
福島へ向かってくれた運転手もいました。
従業員がGSに並んで確保しました。全従業員が一
丸となって対応してくれたことは、大変ありがたい
路線バスの運賃上限を200円に設定
と感じています。
鉄道の再開見通しが立たない中で、ガソリン不
地震発生から一貫していたのは、「地域の足は
足が騒がれはじめたことから、通勤の足の確保が困
我々が守る」という、バス会社としての誇りです。
難になると予想しました。そこで、15日から路線バ
スの運賃上限を200円とすることにしました(21日
まで継続)。これは地域の足を提供することがバス
会社の社会的使命だと考えたからです。お客様から
とても感謝され、200円と知りながら、
「燃料代にも
ならないだろうから」と正規運賃を支払ってくれた
お客様もいました。
緊急支援バスを相次ぎ運行
その後も緊急支援バス(笠間∼東京、水戸・勝
緊急支援バスに乗り込む乗客(3月25日、勝田駅西口)
田∼日立・大甕、水戸∼大子など)の運行を実施し
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地域の公共交通機関として、今後も地域の皆様に
し、よりよい公共交通ネットワークを構築できるよ
とって利便性が向上する様々な取り組みを推進
う、引き続き努力していく方針です。
【ラジオ局】
被災者が必要としたのは食料品やガソリンなどの物資だけではない。給水所の設置場所や道路・交通の状況、
再開したスーパーの営業時間といったきめ細やかな情報も、被災地住民の生活を下支えした。県内では、コミュ
ニティFM局やAM局が被災者の視点に立った放送を行った。
県内唯一のAM局として、24時間体制で災害情報を放送したIBS茨城放送(水戸市)の取り組みを取材した。
地域の放送局として被災者視点の情報を提供
株式会社茨城放送 経営戦略室長兼広報室長 髙田 恵一氏(取材:4月7日)
地震直後から注意事項を繰り返し呼びかける
ンターネットを活用して、動画配信サービスである
震災当日は、地震直後に非常災害放送に切り替
「USTREAM」
、「ツイットキャスティング」に茨城
えました。通常番組は全て休止し、CMも全て中止
放送の音声配信を開始することで、県外、国外への
しました。
情報発信が可能となりました。
地震直後から、アナウンサーが地震の基本情報
3月19日の夜、地震発生から続いていた非常災
と注意事項を繰り返し呼びかけました。茨城県庁、
害体制から緊急報道体制へ移行し、一部の平常番組
県警察本部からライフラインやインフラの被災状
を再開しました。27日からは平常体制に戻しました
況等を入手し、東電の茨城支店から停電情報を随時
が、余震、鉄道・バス情報、給水情報などは放送を
レポートしました。また、水戸、大洗などの現場レ
続けています。
ポートを実施するのと同時に、県内市町村の情報収
集に努めました。
安心伝えたアナウンサーの声
聴取者からは、情報、要望、励ましなど多くの
被災地・被災者に必要な情報を出し続ける
声をいただきました。「今回の災害放送ほど、茨城
放送する際の基本的なスタンスは、
「被災地・被
放送を頼りに思ったことはありません。地震当日の
災者にとって必要な情報を、地域の放送局として出
夜の暗闇の中で、いつものアナウンサーの方々の声
し続ける」ことでした。
がラジオから聴こえてきて、とても安心しました」
12日は県災害対策本部などに加え、市町村から
の情報を交えた災害情報を放送しました。また、断
水を受けた給水の情報も入りはじめたため、繰り返
し放送しました。
という感謝の声は、放送局として本当に嬉しく思い
ます。
今後も被災地の情報を放送し続けます。特に被
害の大きかった沿岸地域や、農業、漁業などで発生
している風評被害を防ぐための正確な情報提供に
インターネットを活用して県外に情報を発信
13日は生活情報に加え、福島第一原発事故を受
けて県内の放射線量なども放送しました。また、イ
努めていきます。ローカル放送局として、地域とス
クラムを組んで茨城を応援していきたいと思いま
す。
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【NPO】
被災地を支援するため、ボランティアが活躍している。事業者、大学生、地域住民などが物資支援や被災地
での炊き出しなどに取り組んでおり、支援の輪は県内各地に広がっている。
NPO活動を支援するコモンズ(水戸市)では、県内で集めた支援物資を震災の被害が大きい地域へ届ける
活動を継続的に行っている。その取り組みを紹介しよう。
被災地のニーズに応じた支援を展開
NPO法人 茨城NPOセンター・コモンズ 常務理事兼事務局長 横田 能洋氏(取材:4月13日)
北茨城、いわきの被災地に支援物資を届ける
大震災後、私たちの仲間である北茨城のNPOか
そして19日の第1回物資提供を皮切りに、3月
中に4回の物資支援を実施しました。
ら現地の深刻な物資不足の報告がありました。原発
事故による放射性物質への不安を感じながら生活
する北茨城市、いわき市の方々を応援するため、必
要とされる物資を届けることにしました。
被災地のニーズは時間とともに変わる
被災地で避難されている方が徐々に仮設住宅な
どに移るようになったことから、現在は新しい生活
物資の内容については、あらかじめ現地のNPO
で必要な日用品を特に集めるようにしています。被
などに確認し、必要な物資の提供を市民や団体など
災地のニーズは日々変わっていくので、現地が必要
に募りました。具体的にはガソリン、灯油などの燃
とする物資を集めて届けたいと考えています。
料をはじめ、毛布、乾電池、食料品、紙オムツ、医
薬品など多岐にわたりました。3月17日の夜から支
援物資提供の呼びかけを行いました。
災害ボランティアを設立
物資支援と並行して、ボランティア活動にも力
翌日、水戸市とつくば市で物資の受け入れを実
を入れていきます。4月に入り災害ボランティアを
施しました。急な呼びかけにも関わらず、多くの物
立ち上げ、いわき市などでがれき撤去や清掃活動を
資をいただきました。つくば市の受入場所には240
行いました。今後も現地と連携しながら、ボラン
名以上が訪れ、物資の持込みだけでなく仕分け・梱
ティア活動を拡大していきたいと思います。
包作業までお手伝いいただきました。
東日本大震災は、私たちの生活を一変させた。これまでに整理してきた県内の被害状況は一部に過ぎない。
頻発する余震が収まり、福島第一原発の状況が安定するまで、被害の全容は把握できないだろう。
一方で今回取材に応えてくれた方々は、厳しい状況の中でも高い社会的使命感を持ち、復旧・復興へ懸命に
取り組んでいる。
完全復興への道のりは長く険しいものになるだろう。常陽アークでは、今後も復旧・復興に尽力する方々を
追い続けていきたい。
(奥沢・大倉)
’
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19
11月増刊号
June
2011
AREA RESEARCH CENTER
C
視 点
O
地域の未来を展望して
成熟社会へ意識をリセット
N
筑波大学 学長 山田 信博 ………
21
T
論 説
E
震災後に発信する
次世代グローバルコンテンツ
N
̶「環境」「情報」イノベーション融合による復興を目指して
指揮者・作曲家/東京大学准教授 伊東 乾 ………
22
T
S
特 別 寄 稿
震災復興に向かう
日立・ひたちなか地区の中小企業
̶ ひたち立志塾と全国ネットワークの支援 ̶
明星大学経済学部 教授 関 満博 ………
’
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20
44
視
点
地域の未来を展望して
成熟社会へ意識をリセット
筑波大学 学長
山田 信博
我々を取り巻く社会は地球環境・エネルギー、少子高齢化、経済・雇用の問題など、
多くの解決困難な課題を抱えています。このような事態の打開を図るために、日本
も世界もあらゆる分野でイノベーションにより、新たな成長を生み出そうと必死の
努力をしています。特に、わが国は高度経済成長時代を終え、持続可能な成熟社会
を模索する転換期にあり、新しい付加価値を生み出す対応力が求められています。
従来の慣行に疑問を持ち、思い込みを捨て、自律的に柔軟に考える力や、イノベー
ションを創出する私たち個々のモチベーションが問われています。それは困難な課
題を解決するために、未知に挑戦し、リスクをとる人間力ともいえます。その人間
力が弱ければ、現状に残され、次の時代に停滞を残すリスクを負うことになるから
です。高度成長社会から成熟社会へと意識をしっかりとリセットしなければなりま
せん。オープンでフラットな議論に基づき、社会全体に信頼関係を育て、新しい社
会作りをやりとげる人間力とチームワークがこれからのイノベーションの源泉とな
ります。
ITの普及や交通の発達によるグローバル化が猛烈なスピードで進行していること
も、大きな特徴です。スピード感を強く認識して、対応力を発揮することも求めら
れています。しかし、世界中で多くの場面で変革が求められている時代にもかかわ
らず、変革は思うように進まない現状に直面しています。先人の言葉ですが、誰の
手柄になろうと気にしなければ、人生で達成できないようなことはない、と述べて
います。しかし残念ながら、多くの課題が、個別の利害調整のために身動きが取れ
ないという現実が、人間社会の限界です。少なくとも先送りによる停滞を避けなけ
ればなりません。成熟社会では利害、対立を超えた多様な価値観の尊重、内発的な
自律性の強化、柔軟な意思決定や合意形成、説明責任と情報公開が期待されます。
今回の大震災は、科学技術を基盤とする現代社会を瞬時に飲み込んでしまいまし
た。信頼していた科学技術や社会システム・人智の限界をあらわにし、改めて自然
の脅威を見せつけました。私たちはこれらの限界や脅威を克服しなければ、安定し
た成熟社会の実現は困難であることを、3月11日に思い知らされました。今後の復
興計画はわが国の未来を左右します。ライフラインの復旧につづいて、新しい国づ
くりのビジョンが示されようとしていますが、合意形成が困難な局面や、新たな道
を模索する局面において、人智を尽くしてスピード感のある対応力とチームワーク
が発揮されることを期待しています。多様な考え方や意見を尊重し、社会や地域へ
の説明責任を果たすことによって、未来の視点、若者の視点、地球規模の視点から、
私たちは信頼される日本の社会を再構築しなければなりません。
’
11.11
21
震災後に発信する次世代グローバルコンテンツ
̶「環境」「情報」イノベーション融合による復興を目指して
伊東 乾
指揮者・作曲家/東京大学准教授 A
1962年、ケネディ政権下のアメリカ・ニューヨークでは世界各地の優れたコンサートホール
のデータを参考に、
「究極のコンサートホール」の建設がされた。ブロードウエイ北部に建てら
れたリンカーンセンター・フィルハーモニックホールである。だがレナード・バーンスタイン
指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによる最初の演奏から、このホールは音響があまりに
酷く、非難の集中砲火を浴びてしまう。
結局のところフィルハーモニック・ホールはニューヨーカーの嘲笑の的となり、リンカーン・
センター当局はAT&Tベル研究所に調査を依頼する。その結果ホールの致命的な欠陥が次々と
明らかになった。14年後、建物の基礎こそ残したけれど、問題箇所の大半を取り壊しての大改
修が行われて、旧フィルハーモニックホールは改修資金の提供者の名を冠した「エイブリー・
フィッシャー・ホール」となって現在に至っている[1]。
B
藤幡正樹 ・・・僕はここ5年くらい真空管アンプ作りにはまっているのですが、結局モノのあ
り方のコントロールで音が変わってしまうことがおもしろいんです。何を言いたいかと
いいますと、
『FLYING SAUCER 1947』の録音では凄いいいマイクを使っているでしょう?
細野晴臣 さすが。それは僕も発見だったのね。そこにあるマイクが1940年代に大活躍したRCA
のリボンマイクといって、当時のレコーディング写真を見ると皆このマイクを使ってい
る。
(中略)昔はこのマイクを1本置いて録っていて、ミキシングはしなかったのです。
ところが、聴いてみると当時録音された音源のほうが圧倒的に情報量を持っている。
藤幡正樹 それはなんででしょうね。
細野晴臣 音と一緒に当時のスタジオとか部屋の空気が録れているわけ。だから当時の音には、
ホログラフというか、音のどこを取っても世界がそこに反映されているような、そう
いう豊かさがあるんだよね。
藤幡正樹 モノラルで十分なんですよ。良い状態でモノラルを聞くと、ちゃんと部屋が鳴って
いるのが聴こえる・・・[2]
(太字は伊東)
いま、音楽に関わる、一見すると殆ど無関係
な二つの逸話を紹介した。Aは私のホームグラウ
レコーディングを巡る対談でのマイクロホンの
選定にまつわる対話である。
ンドであるクラシック音楽のコンサートホール
実は、音楽とメディアを脳と情報の観点から
建築の不具合、Bはイエロー・マジック・オーケ
見ると、AとB、二つの話が本質的に同じ問題に
ストラなどで一斉を風靡したロック・ミュージ
端を発していることが明らかになる。本稿はこ
シャン、細野晴臣とメディア作家の藤幡正樹の、
の本質の根を明らかにしつつ、大震災によって
’
11.11
22
伊東 乾(いとう けん)
指揮者・作曲家・東京大学情報学環准教授 Raummusik
ロイト祝祭劇場など歴史的空間で伝統的に守られてき
Kollegium Berlin 芸術監督。
た響きの伝統を新たな演奏に生かすプロジェクト群を
東京大学理学部物理学科、同大学院理学系研究科・
推進。
イノベーション政策や、
技術倫理にも深く関わり、
総合文化研究科博士課程修了・Ph.D. 松村禎三、松平
2005 年開高健ノンフィクション賞受賞後は一般向けの
頼則、高橋悠治、レナード・バーンスタイン、ピエー
著書も多い。ソニー、パナソニック、読売日本交響楽
ル・ブーレーズらに師事。1990 年第一回出光音楽賞受
団+読売新聞東京本社などとの協力の下で、新たなテ
賞。福井県武生市・紫式部来越 1200 周年プレイベント
クノロジーの本質的美点を生かす芸術コンテンツの国
としての松平頼則「源氏物語」世界初演の指揮・芸術
際発信にも取り組む。
監督、新潟市民文化会館りゅーとぴあ開館記念公演と
○「指揮者の仕事術」光文社新書
してニューヨーク・マースカニングハム舞踊団とのジョ
○「日本にノーベル賞が来る理由」朝日新書
ン・ケージ遺作「オーシャン」世界初演など、地域と
○「さよなら、サイレント・ネイビー」集英社新書
協力して歴史的演奏の国際発信を手がける。97-99 年に
○「知識構造化ミッション」(編著・日経BP)
かけては急逝した黛敏郎氏の後任としてテレビ朝日系
○「動け!日本」産官学緊急共同プロジェクト(共著、
列「新・題名のない音楽会」音楽アドバイザーも務め
る。現在は日本と欧州を往復しながら西本願寺、バイ
壊滅的な打撃を受けている東北・関東被災地で、
日経BP)
○ CD「我聴く、ゆえに我あり」ALM Records ほか。
何によらず、力を持った仕事をするには確か
とりわけ仕事が成立しなくなっている音楽家の
な足元が必要だ。産業・市場を動かすイノベー
活動を支え、また打撃を受けたメーカーとの創
ションを考える上では、今日の状況を技術史的
造的な協力関係を構築し、新技術導入による次
に俯瞰する事が有効である。すでに要素技術が
世代コンテンツ産業による復興に焦点を充て、
十分に成熟した分野から、大きな発展を望む事
具体的なプロジェクトを提案、諸賢のご理解と
が出来るからだ。以下ざっくりとした素描ながら、
ご支援を訴えるものである。
始めに現在の技術革新を支える背景を振り返っ
ておきたい。
1 テクノロジーのグローバルトレンド:
1995年以降、猫も杓子も「IT」と騒いだ民生
誰もが予想だにしなかった東日本大震災は、
情報技術の進展は、冷戦期の軍事テクノロジー
福島第一原発の事故を筆頭に思わぬ影響の波紋
とりわけ大陸間弾道弾の核ミサイル防衛網の膨
を広げている。筆者は過日、請われて茨城県内
大なイノベーションを背景にもつ。これは今日
に本社をおく旧知のメーカーを訪れた。放射性
広く知られる所だ。冷戦構造の崩壊によって軍
物質関連の風評被害で、とりわけ輸出に不安が
事予算で支えきれなくなったこれらは民生に転
あり相談に乗って欲しいという。生産ラインに
用され、米政府は「IT革命」なる旗印で米国流
沿って2時間ほど歩かせて頂いた。製品の管理
のグローバル化と情報化を推進した。
もさりながら、出荷時の木枠などで汚染が検出
かくして、かつては重要な軍事拠点にしか存
されるなどして、つまらぬ足元を掬われぬよう
在しなかった電子計算機より、はるかに高速か
に、といったお話をすることになった。私も様々
つ高性能なパーソナル・コンピュータを多数の
に勉強になった。
個人ユーザが手にする時代が到来する。その延
本稿は震災以前にご依頼を頂き、元来は1990
長上の曲がり角として2011年初、チュニジアに
年代以降の20年、世界的に力と予算を注いで推
端を発する動乱を見る事が出来るだろう。これ
進された「情報技術」と「環境技術」
、この双方
ら第一の要素をまとめて「情報」と呼んでおこう。
をフルに生かす次世代コンテンツ産業は、地域
他方1970年代、変動相場制への移行ならびに
の力でイノベーション推進すべきという論旨で
オイルショックと並行して「地球環境」の問題
考えていたものだ。そこに震災後の現実を踏まえ、
が問われるようになった。一方で金本位、銀本
一歩踏み込んだ提案を付して、先端科学技術を
位の兌換紙幣の限界を破り、金融市場が一大成
背景とする一芸術家として復興の一助になるよ
長を遂げるが、他方、通貨とモノの価値を結び
うに考えている。
つける指標が流動的になってしまう。特に機軸
’
11.11
23
通貨ドルと「モノの値段」を対照する上で「原
彼のノーベル物理学賞はレーザー光線を使って
油価格」の増大した比重を見せ付けられたのが
ヒトのDNAをデリケートにほぐし、生命と非生
オイルショックだった。「限りある石油資源」な
命の間の違いを明らかにする道具を作りあげた
いし「脱炭素化」という牽制球はここにも一つ
業績に対して与えられている。ああ、スティー
の根を持っている。
ヴンはここでも同じ事をやっている、彼らしい
東西冷戦という政治的緊張の構造が崩れるの
な、と発表当初から思ったものだ。
と前後して、二酸化炭素の放出と地球温暖化の
2011年3月11日の東日本大震災と、とりわけ
シナリオから、全人類が共通して守らなければ
福島第一原発事故は、グリーン・ポリシーのエ
ならない「地球環境持続」という新たな価値ト
ネルギー政策にかなり大きな影響を現在進行形
レンドが普及する。こうした第二の要素をまと
で及ぼしており、チュー博士以下の首脳部も事
めて「環境」と呼んでおこう。統合された欧州
態の推移を極めて慎重に見守っている。
が率先する形で地球環境問題に関する「京都議
だからこそここで強調しなければならない。
定書」のエコロジー目標が設定されるが、米国
いま3.11以降の日本から「環境」と「情報」、あ
は決してこれに参加しようとはしなかった。
るいは「ヒトの命」と「物質のテクノロジー」
との間に、新たに価値ある架け橋を結ぶイノベー
2 グリーン・ポリシー:
「情報」「環境」の融合
この状況への転機は2005 ∼ 08年ごろにかけて
ションを世界に発信し、災害から復興し、産業
を育て、社会を豊かにしてゆかなければならない。
震災からの復興が、戦後の高度成長期と同様
訪れた。
「情報」がもたらしたバブル経済の崩壊は、
のハコモノ再生産などで消費してしまうなら、
米国内では「サブプライム破綻」に端を発し、リー
21世紀のグローバル環境の中で新たな発展を見
マンブラザーズなど金融大手倒産をもって「冷
込むことができない。復興を通じて大きな成長
戦後」の一つの時代が終わりを告げる。レジーム・
をもたらす永年の計が、今求められている。
チェンジとして登場したバラク・オバマ民主党
政権は新たにグリーン・ポリシーを打ち立てた。
これを一ことで言うなら「エネルギー環境+健
3 生命と脳という未踏のフロンティア
いま私は「情報」と並べて記した「環境」を、
康医療」と「情報+金融」という、それまで20
すぐに「ヒトの命」と言い換えた。ここで飛躍
年弱の期間十分に発展を遂げながら、いまだ十
を感じた読者も居られるだろう。なぜ「環境」
分に活用されていない異分野統合による新産業
がすぐに命に直結するのか。無論、地球環境は
市場・新経済の創出を念頭に置くものだ。沖縄
人類の存続つまり命に繋がる問題だ。だがイノ
科学技術大学院大学設立アドバイザーとして頻
ベーションの観点では途中に大切なキーワード
繁に来日していた、旧知の物理学者スティーヴ
がある。それは「ゲノム」と「脳」の二つだ。
ン・チュー博士(1997年ノーベル物理学賞受賞者)
かつて大学時代、物理学科の3年生だった筆
がオバマ政権にエネルギー長官として入閣し、
者を、スタンフォード大学と文部省学術情報セ
このグリーンポリシー取りまとめの中心的役割
ンター(当時)の国際共同シンポジウム「音楽
を果たしている。
と情報科学」準備委員に抜擢して下さった故・
端的にいえばチューさんの「グリーン」は「環
猪瀬博教授(当時は東京大学工学部長)はこれ
境」と「情報」を結びつけたものだ。あるいは「環
を「フロンティア」という言葉で説明して下さっ
境→生命」と「情報→物理」と言っても良い。
たことがある。
’
11.11
24
戦時中、軍事技術に特化した東京大学第二工
言語処理という情報技術が駆使された。一応の
学部で兵器開発に当たっていた猪瀬先生は、暴
収束を見たゲノム情報処理技術は直ちに民生に
力戦争に負けたのなら技術戦争で勝ってやろう、
転用される。現在世界的に普及しているヤフー
と終戦後米国に渡り、AT&Tベル研究所でPCM
やグーグルなどの検索エンジン、またフェイス
(パルス符号変調)によるデジタル情報伝送の技
ブックやツイッターなどのソーシャルメディア
術を開発、基本特許を取得され、当時日本に敷
は、技術の流れから見ればヒトゲノム解読テク
設されていた電話の通話回線全体を交通制御(信
ノロジーの末裔の側面を強く持っている。
号の連動)文字情報(ファクシミリ)物流(サ
脳研究に莫大な予算が割かれた背景も同様だ。
プライ=チェーン・マネジメント)さらには知
急速に進む社会の高齢化とともに、認知症に代
的情報通信網とデータベース整備(学術情報セ
表される脳の加齢変化や脳疾患は、重要な社会
ンターと学情ネットの整備)とそのグローバル
的課題に数えられるようになった。日本国内で
化(学情が国立情報学研究所に改組された直後
考えれば養老孟司教授や茂木健一郎博士などが
に猪瀬所長は急逝された)と、戦後55年の日本
脳科学者として広く社会に脳の話題を提供し始
の情報技術を手づから牽引されたご生涯だった。
めるようになる。
猪瀬先生は二度の世界大戦を地球という2次
ちなみに私が音楽の問題を脳から考えるよう
元平面上での分割争いと位置づける。そしてア
になったのは25年前、養老先生からのご示唆が
メリカに渡られた戦後の時期、大陸間弾道弾か
きっかけだった。茂木さんは学科の先輩で、物
らスプートニク、アポロ計画などの宇宙戦略を
理から生命、脳へという転回は、先ほど触れた
垂直方向に目を向けた3次元のフロンティア競争
スティーヴン・チュー米エネルギー長官同様、
と看破する。そして冷戦の崩壊は、同時に、宇
この時期非常に一般的な趨勢になっていた。米
宙というちっぽけな人間にとっては到底踏破な
オバマ政権の「グリーン・ポリシー」が「エネ
ど不可能な、無謀な垂直方向競争の敗北の側面
ルギー環境」と共に「健康・医療」を旗印に掲げ、
も持つと言われる。
約2年の準備期間を経て医療保険制度の導入な
筆者がご指導頂いた1988 ∼ 2000年はちょうど
冷戦最末期から崩壊、インターネットの民生公
どに踏み切った背景には、こうした技術の蓄積
や社会ニーズのすべてが深く関わっている。
開からIT革命キャンペーンが一通り終わる時期
に相当するが、この時期とくに米クリントン政
4 交差する両者:
「環境」を認知する「情報」
権期に「電子計算機上の仮想的メモリ空間」と「脳
ここまで極めて大雑把ながら、過去数十年の
やヒトゲノムなど、人間の本質に迫る原子・分
技術トレンドの変化と、社会的影響の一部を振
子の世界」が「宇宙開発競争に代わる新たな未
り返った訳だが、ここから2011年以降の日本で
踏のフロンティア」に位置づけられるのである。
ローカルな動きがグローバルな追い風の中でど
前者のメモリ空間フロンティアは、後に実体経
のような力を発揮してゆくかを、以下では音楽
済を伴わないネットバブルの崩壊で一応の収束
という私の領域、私自身の仕事を例にご紹介し
を見るが、脳やゲノムの研究は次代の産業創出
たいと思う。
を念頭に、冷戦期の軍事費に変わる巨額の投資
前史としてやや私事に渡る事をお許し頂きた
が実行される。米国NIHのヒトゲノム計画はよく
い。曽祖父が明治期の外交官だったため、私の
知られた代表例だろう。
親族には新たに輸入された西欧文化に関わるも
ちなみにこのヒト遺伝子の暗号解読には自然
のが多い。実際、親族には関連分野で責任ある
’
11.11
25
地位にある者が少なくない。私の祖父は音楽と
る演奏・創作そして基礎的研究を並行する活動
関わりが深く、高校(関西学院)の二級後輩だっ
を続けている。
た山田耕筰氏ら3人で日本で最初の合唱団(グ
リークラブ)を設立しそれを率いた。
音楽家の癖に、ヘンに社会経済や科学技術に
踏み込んだ話をする奴だと思われたかもしれな
祖父は後に渡米してミシガン大学で自動車工
い。だが私は東京大学建学以来初代の音楽実技
学を学び(1908年卒)
、第一次世界大戦中はアメ
教授職で、明治以来140余年の近代全体のバトン
リカGM社でエンジニアとして軍用自動車を設計、
を託された自覚のもと、責任をもって仕事して
同時に川崎重工にも二重社籍を置き、自分の設
いる。加えて、例えば第二次大戦中に無思慮な
計図面を日本国内にも提供、新会社「ふそう」
戦時協力を行った山田耕筰さんが、戦後は公職
を設立して国産自動車産業を立ち上げるなどの
追放となり、音楽史的に見ても多くの作品を遺
仕事をした。
す事が出来ず世を去った経緯を幼時から家の中
こうした生活と並行して祖父は山田さんの活
で見聞きして育ち、そのような事だけにはなる
動を生涯サポートし、また曽祖父も外交官とし
まい、と30年来一貫して注意してきたものである。
て山田さんのベルリン留学や三井高修さんのマ
私たち音楽家は、一つの音楽の演奏が始まる
サチューセッツ工科大学留学などを側面から援
と共に新たな命が生まれ、終演と共に一つの生
護した。こうした経緯から祖父の息子に当たる
命を終わる。そのような、極端に思いつめた厳
伯父たちは主として三井グループで仕事した。
しい表現への問いかけを日常として生きている。
今回の福島がどうしても私には戦後の復興と
だが、そうした芸術の内側への言葉だけで自
重なって見えてしまう。広島・長崎で終わった
家中毒になってしまうと、社会との接点を持つ
太平洋戦争と、福島の事故とが二重写しになる
事ができない。私は本来この内向的な傾向が極
のかもしれない。二人の伯父たちは、戦後は灰
めて強く、意識してそうならぬよう、空気の流
燼に帰した日本から文化の旗幟を鮮明に掲げよ
通をよくするように務めてきた。例えば日経ビ
うと、三井グループの立場から桐朋学園設立の
ジネスオンラインに連載している「常識の源流
ために働いた。桐朋は第一期生の小澤征爾さん
探訪」は通算200回を超えたが、あえて社会経済
以下、日本の音楽文化を世界に冠たるものに引
に目を配る機会を日常生活のリズムに取り込ん
き上げる牽引力の役割を果たし、伯父たちもこ
だものが、定着したものだ。
れを、銀行、不動産など縁の下から支えた。
以下では、一人の音楽家としての芸術的な良
このような家の経緯があったことから、私も
心はそのままに、しかし敢えて突き放して音楽
早くから音楽を専業とする事が決まっていたが、
とりわけその演奏が録音録画されたドキュメン
自分の生きている時代の学術をその本質から理
トを産業の観点から捉える事を考えたい。とい
解して、ゼロからものを創ることの大切さを叩
うのも20世紀後半、「文化」の価値を訴えて補助
き込まれ、やや極端な教育を受けた。音楽家と
金で成立させてきた日本のクラシック音楽の現
してのトレーニングと並行して一般大学で学術、
実があり、これらは震災以前に民主党政権移行
具体的には東京大学理学部物理学科・同大学院
初期、仕分けによって大きくカットされている
で物理を学び、自分のキャリアはコンクールや
からだ。
音楽賞で積み重ねる事となった。幸いな偶然が
北関東から東北の太平洋岸地域には、プロ・
幾つか続き、30代前半で東京大学の新設部署と
アマ学生を含め多数の音楽関係者が生活してい
して、自分の研究室を持つ事ができ、現在に至
る。震災はあらゆる意味で彼ら彼女らの生活基
’
11.11
26
盤を奪い、また復興初期には地元での音楽の仕
ングになって『エネルギー感』が伝わらない」
事は成立しにくいと考えられる。
と表現されている部分は、冒頭に引いた細野晴
ここで私は、戦後の灰燼の中から一早く、文
臣の発言「当時のスタジオとか部屋の空気が録
化で再度旗を挙げようとし、桐朋学園を立ち上
れている」と殆ど同じ事を言っている。細野の
げた三井不動産の江戸英雄氏や伯父たち経済人
表現を借りるなら「当時の音には、ホログラフ
の努力を思い出して頂きたいのである。桐朋は
というか、音のどこを取っても世界がそこに反
GHQの進駐が終わるのと同じ昭和26年からス
映されている」という部分が、ここでは『エネ
タートした。一期の小澤さんを世界に送り出す
ルギー感』という言葉で表現されている。以下
上では、外貨持ち出しの制限がある中、スクー
やや長くなるが、冒頭の細野と藤幡の対話の続
ターに日の丸を立てた写真を雑誌に載せたり、
きをもう少し見てみる事にしよう。
縁の下で様々なスタッフの努力があった。音楽
家本人が努力するのは当然の事だが、それだけ
では音楽は社会的に成立しない。
細野晴臣 ・・・ホログラフというか、音のど
こを取っても世界がそこに反映されているよ
うな、そういう豊かさがあるんだよね。
その後成立してしまった補助金に依存する体
藤幡正樹
モノラルで十分なんですよ。良い状
質を脱却して、復興と共に新しい時代の展開を
態でモノラルを聞くと、ちゃんと部屋が鳴っ
図る鍵としてコンテンツとその流通がある。よ
ているのが聴こえる。
り単純に言えば録音や録画のテクノロジーとそ
細野晴臣
今はその方向に戻りつつあるとは思
の知財管理がポイントになるが、本稿では演奏
う。60年代から80年代までに至るテクノロジー
という私の持分により近い録音や録画の問題に
の発展や発明があり、その間に音楽も変わっ
焦点を絞ってお話したい。
てきた。一番変わったのは、マイク1本の録
音から多重録音になったことで、マルチレコー
5 モノラル録音が十分「空間的」である理由
『・・・まず既に色んな所でも書かれてますが、
ディングのように音素一つひとつをバラバラ
に録るようになった。それがつい最近まで続
デジタルレコーディングになってエネルギー感
いてきたけれども、今はもうそうしている人
がうまく伝わらなくなった時代においてリボン
がだんだん少なくなってきているんです。特
マイクが見直されていることというのは、一時
に80年 代 あ た り を ピ ー ク と し た 特 殊 な 時 代
の流行ではないし、今後も伸びていくだろうと
だったのだろうと思う。フレッド・アステア
[3]
思っています。』
が出ている60年代初期のミュージカル・ソン
グに「何でステレオなんだ、モノラルのほう
これは、買収によって現在は存在しない音響
がいいじゃないか」って歌っているのがあっ
器具メーカークラウリー&トリップ社が開発し
たなあ。ステレオは出た当時は革新的だった
た、カーボンナノチューブを使用した「リボン
んだよ。NHKラジオの第一放送、第二放送で
マイク」の使用感について、三住和彦さんとい
同時にクラシック音楽を生中継していて、そ
うレコーディングエンジニア(株式会社トーン
れが初の「立体放送」体験でした。2台のラ
マイスターチーフレコーディングエンジニア)
ジオの真ん中に座って、音のバランスを中央
がメーカーのインタビューに答えた一部を引用
に合わせるため、放送の最初にピンポン玉が
したものである。ここで「デジタルレコーディ
左右に振れてるのを確認する。違う種類のラ
’
11.11
27
ジオだから少し特性が違うけれども、その臨
き手の脳がそれを補完して空間を認知する事が
場感がものすごいので、夢中になって聴いて
できる事をいったものだ。
「ホログラフというか、
いた記憶があります。それが本当のステレオ
世界がそこに反映している豊かさ」などという
なんだよね。今のステレオはミックスして並
と美しい話になるが、骨格だけを削ぎ取れば、
べているだけだから、どうやっても擬似にす
これは魚群探知機など音波による空間定位技術、
ぎない。1本のマイクで録るのがモノラルだ
つまり引用の最後に出ている潜水艦のソナー技
としたら、2本のマイクで録るのがステレオ。
術と同じ原理で、脳が環境の情報を計算してい
でも今はそんな録音はないから、厳密な意味
るのに過ぎない。魚群探知機では船が試験音波
でステレオというのはない。
を発し、その反射音の時間的遅れから魚の位置
藤幡正樹
なるほど、マルチ録音には嘘の空間
やそこまでの距離など空間的な情報が算出され
しかないということですね。これはステレオ
る。発信される試験音波は基本的に「モノラル」
じゃないと、言い切ってもいいくらいのこと
だ(反射音を精度よく計算するためには受信機
ですね。ライヴ盤でもそうですか?
は複数あったほうが都合がよい。これはモノラ
細野晴臣
ライヴ盤もマルチで録ってミックス
ルでもステレオでも、人間が二つの耳で聴いて
してます。誰でもそうだけど僕の場合も修正
いるのと同様に考えられる。モノラル録音は十
したり、ライブ感を出すために加工している
分に「空間的」な響きとして聴き取る事が可能
(笑)。
藤幡正樹
な脳認知のメカニズムのあらましである。
NHKでとおっしゃいましたけれど、
ステレオの基になっている技術はアメリカの
ものですよね。
細野晴臣
6 「デジタル化」とハイファイ志向の落とし穴
2011年時点で世界を見わたしたときコンテン
うん。ハイファイという技術もアメ
ツ技術とりわけ録音に関して一つの壁となって
リカの潜水艦のソナーから出てきた技術です。
いるのはハイ・ファイ(High Fidelity、高忠実度、
録れる音の範囲を広げたんだろうね。だいた
原音忠実再生などと訳される)への技術志向で
[2]
いが軍事技術に由来している。
(太字は伊東)
ある。
ハイ・フィデリティ、原音忠実再生と呼ばれ
る技術の指標は端的に言えば「機械的な評価指
上はたまたま見つけた対談だったが、問題の
標」、つまり魚群探知機や潜水艦のソナーなどに
本質をよく捉えている。私たちの脳が聴覚的に
用いる際に、元の音波を出来るだけ忠実に再生
空間を認知するのには大別して二つの異なる要
するための技術で、産業や軍事の目的に使うの
素が関係している。一つはステレオのような「両
であれば精度が高い事には意味がある。だが反面、
耳」による空間の定位、もう一つは反射音の時
先の対談でも触れられているように、音楽コン
間的遅れから空間を定位するもので、後者は必
テンツの観点から考えると「音のどこを取って
ずしもステレオ、つまり両耳である必要がない。
も世界がそこに反映されているような豊かさ」
上の対談で「モノラルであっても部屋が鳴っ
は注意深くそぎ落とされている。より直接的に
ているのが聴こえる」というのは、何も特殊な
いえば「音のどこをとっても、世界全体がそこ
話ではなく、モノラル、つまりスピーカー一個
には反映されないような貧しさ」に陥りかねな
のチャンネルだけであっても、部屋の反響の情
い制約が、
「原音に忠実」で「余計な反射波」な
報が音の時間遅れとして含まれているので、聴
どを排除した録音技術にはついて周る。だから
’
11.11
28
上の対談でも「ライブ感を出すために加工して
ない。オーディオ機器の内部で余計な反射音ま
いる」という話になる。具体的に言えばデジタ
がいがあれば、それは精度を下げるノイズにし
ルエコーなどのエフェクト処理を行うわけだが、
かならない。漁獲や軍事の技術では「原音に忠実」
これらは所詮「嘘の空間」にしかならないとい
な音響信号処理が重要だ。だがここで排除され
う弱みがある。これがどれほど本質的な弱点で
る「反射音」こそ、コンテンツとしてそれが提
あるか、やや極端な具体例を引き合いに出して
供されるとき、人が自分の身の回りの環境を認
説明したい。
知するためにもっとも基本的な環境の情報を提
私は以前、仏教のお坊さんたちと、会葬者が
供しているのだ。
納得のゆく葬儀の環境をどのようにすれば整え
もう一つ端的な例でご説明しよう。目の見え
られるか、という勉強会を行った事がある。こ
ない人を念頭において頂きたい。視覚障害者は
れは「雅楽法要」を作曲する機会があり、その
音で環境を認知する。例えば杖の先で床を叩いて、
際に法会の時間や空間のどこで、お参りする人
あるいは自ら声を出すことによって、そのとき
が感情的に納得するか、を検討する際に出てき
自分がどのような環境の中にいるのか、視覚を
た問題である。
用いずともかなり高度な判断が出来る。
いま、どなたかが亡くなって、その葬儀に出
たとしよう。そのとき僧侶の読経や念仏が、極
めてクリアなハイ・ファイ音声で聞こえたとし
7 「音源の定位」と「聴き手自身の定位」
例えば地下道を歩いていて、空調のダクトで
たら、私たちは「ああ有難い、素晴らしい葬儀だ、
天井の高さが変わっている場所を、多くの先天
これなら故人も報われるに違いない」などと感
性視覚障害者はぴたりと言い当てる。彼らは「音
じ入るだろうか?
で環境を見ている」という。また「どのような
残念ながらそのような事はない。それはヒト
脳の情動メカニズムや、世界のあらゆる宗教儀
礼の伝統的空間設計に照らして明らかな事実だ。
環境の中にいま自分がいるか(安全か?危険で
はないか?など)」の情報を音から得ている。
人間のこうした認知を自己定位self location
ハイ・ファイ指向の音響技術は、過不足なく言
の能力と呼ぶ。この自己定位感のある環境は人
葉の意味を伝えるだけのアナウンス、NHKで
間がリラックスし精神的に充実する基本的必要
ニュースを伝えるような地声として響く。また
条件の一つに他ならない。
仮に、この「地声」にエコーなどのエフェクト
人間を「無響室」という、まったく反射のな
を加えても、カラオケボックスの歌声程度のも
い実験室空間に長時間閉じ籠めると、容易に変
のにしかならない。カラオケの声でお経を読ま
性意識の状態に陥る。筆者も幾度も経験してい
れても、会葬者は決して宗教的に敬虔な気持ち
るが、存在しないはずの幻聴が聴こえてきたり、
などにはならない。なぜか?
不思議な体験をすることになる。
もちろん複雑な理由が多々あるけれど、先ほ
さて「ハイ・ファイ」を指向する音響技術を
どからの議論での大きなポイントは、空間情報
不用意に用いると、聴き手にこの自己定位感を
を含む複数の「反射音」の不在にある。20世紀
持たせる事が困難なのだ。
「ああ、自分はいま・
の100年、音響テクノロジーは「余計な反射音」
ここにいる」という精神的な安心感を与える音
の排除を徹底して押し進めてきた。これは軍事
場を作るように、原理的に考えられておらず、
予算が牽引して技術革新が進んだ事に起因する。
逆に環境情報を極力そぎ落とす方向に技術目標
魚群探知機では魚からの反射音を捉えねばなら
が設定されている。
’
11.11
29
ここは重要なポイントなので、もう少し踏み
明確に認知できる形で、その連続を切るから、
込んでおこう。ステレオのハイ・ファイ技術は
「音
会葬者は言葉の理屈を超えて葬儀に気持ちの納
源の定位感」を作り出すのには向いている。例
得が行く。こうした「けじめ」の環境は伝統的
えばヘリコプターが右から左に飛んで行くよう
に読経や法具の音を通じて作りだされてきた。
な音響現象は簡単に作れる。ただしそれはそれ
今日の寺院にマイクやスピーカーはあまねく
以上のものではなく、機械仕掛けのおもちゃと
普及しているが、ハイ・ファイ志向の音響器具
大差はない。
を安易に用いると、葬儀の読経や引導を渡す際
ハリウッド映画で「超臨場感」を謳うものが
に参列者に気持ちの納得を与えることができな
ある。例えば映画「タイタニック」では大波に
い。なぜならそもそも読経などの声の音響の中に、
洗われるようなサウンドシャワーが飛び出し、
落ち着いた「いま・ここ」を感じ取る環境情報
びっくりさせられた。だが派手な音響演出でお
が含まれていないので、けじめのつけようがな
化け屋敷のような子供だましは作れても、そこ
いからだ。その場に声は大きな音量で鳴ってい
で大人が深く感じる事は少ない。なぜか?脳機
るけれど、それは「嘘の空間」としてしか響か
能に照らした根拠がある。こうした技術は仮想
ない。その結果、僧侶自身にも会葬者にも、す
現実感的に「音源の定位」は作れても、自分が
べてが他所事のように響いてしまうからだ。
いま・ここにいる、という自己定位感を作り出
すことができないからである。
これは余談ながら、私はオーケストラのリ
ハーサルはもとより、講演や大学の講義、入試
多くの会葬者に深く感じ入ってもらうための
の監督にいたるまで、ライブで話しをするとき
葬儀の環境情報設計では、お亡くなりになった
一切マイクを使わない。マイクを通し、スピー
方と自分とが、いま・ここに一緒にいる、とい
カーから声が出ると、聴き手と私とが空間を共
う共通の自己定位感を作り出すことが決定的に
有している環境情報が、声の響きから失われて
必要である。教会やお寺の法具で余韻の長い鐘
しまうからだ。声を通じた聴き手と共通の空間
が多用される一つの理由はここにある(また香
定位の感覚がなくなると、誰も感動してくれな
を焚きしめる事にも一定の関係がある。これも
くなる。
キリスト教、仏教、イスラム教、さまざまな宗
もし海外から有名なオペラ歌手が来日し、高
教に共通している)。響きは建屋の中で反射して
価なチケットを入手したとして、会場に行って
会葬者の脳に環境の空間情報を提供しなければ
みたらマイクとスピーカーで歌っていたとした
ならない。この点、戦後のRC工法で建てられた
ら、どうだろう?返金を求める騒ぎが起きるだ
斎場建築は極めて不利に作られており、葬儀が
ろう、というより実際にかつて、そういう事件
まるで事務処理のように進んでしまう環境設計
があった。そこで観客が怒る理由は明らかだ。
になっている場合がまま見られ、ここから葬儀
のっぺりとして平板な、拡声された声には、誰
の寺離れなどの現象が起きていることも付記し
も感動しないからだ。葬式での坊さんの読経や
ておこう。
引導もまったくこれと同じ認知と生理の原則が
適用される。生きた人間の生の声は四方八方に
8 各国の伝統的な葬儀に共通するもの
伝統宗教の葬儀では、死者と生者が共通の時
散らばり、複雑な反射した音が複数方向から波
状攻撃的に聴き手の耳と脳に働きかけるために、
間空間を共有したのち、それを断ち切る儀式が
その声の響きに位置と環境の情報が含まれてい
行われる。詳細は宗派によって様々だが、脳が
る。
’
11.11
30
逆に、現在のポップスで標準的なレコーディ
いてみると当時録音された音源のほうが圧倒的
ングでは、収録スタジオ内の吸音ブースで1チャ
に情報量を持っている」と述べているリボンマ
ンネルごと別々に録音がされる。あるいはデジ
イクの原理ついて、簡単に説明しておこう。
タル・シンセサイザーの発振音のように、もと
私たちが日頃見慣れたマイク、つまりマイク
もと空間と無関係な音もある。先ほどの対談で
ロホンとは、微小(マイクロ)な音(ホン)を
細野晴臣がマルチレコーディングのように音素
取り込んで電気的な信号に変え、増幅(アンプ
一つひとつをバラバラに録るようになったと
リファイアー:アンプ)したり、ラジオなどの
言っているのは、この状態を指す。例えば歌の
無線信号の情報として送信(トランスミット)し、
録音では伴奏を予め作っておき、歌手はそれを
最終的に再生器(スピーカー)で伝達するため
聞きながら、反響のない小さなブースで自分の
の入力の仕組みである。
歌声だけを録音する。この声は「余計な反射」
マイクはコンデンサの電気容量∼電圧の変化
音が含まれず「原音に忠実」なハイ・ファイの
や圧電素子など、様々な電磁現象を応用して作
品位で、これを聴いても決してそのまま感動す
られる。リボンマイクは発電機やモーターと同
るような代物ではない。それにデジタルエフェ
様「電磁誘導」を原理に作られるもので、固定
クターでいろいろ加工する訳だが、伴奏の響き
された永久磁石と可動の薄い導体の膜「リボン」
も、歌声も、確固とした空間情報を持っていな
が組み合わせられ、このリボンが空気分子の振
いので、聴き手はこれを聴いても決して自己定
動を捉えて繊細に反応する。また反面、このリ
位することがない。深く精神的に落ち着いた豊
ボンは旧来アルミ箔で作られており、直接息を
かな世界を、ここに求めるのは難しい。
吹きかけたりすると壊れてしまうため、大音量
収録には不向き、取り扱いに注意を要するなど
9 環境情報を取り込むイノベーション:
リボンマイク
の特徴があった。これらは、日本で発見された
カーボンナノチューブなど、物理的強度の高い
ここで冒頭の対談にもう一度戻ろう。細野晴
新素材導体を活用することで、21世紀に入って
臣が「昔はこのマイクを1本置いて録っていて、
大きく改善が進んでいる。図1としてリボンマ
ミキシングはしなかったのです。ところが、聴
イクの外観を示そう。
図1−a リボンマイクの外形
図1−b リボンマイクは前後に双指向性を持つ
(写真はオーディオテクニカ社製リボンマイクAT4081)
’
11.11
31
図2−a
図2−b
図2 リボンマイクの内部:
2−aダイアフラム外形と2−bリボン振動体
(写真はオーディオテクニカ社製リボンマイクAT4081このマイクでは、前面用・後面用と2枚のリボンが組み合わされ
て設計されている)
リボンの表裏両面に空気が当たるため、この
10 潜水艦と空港騒音
……環境情報の脳科学
マイクロホンは前方と後方、二つの方向の空気
の振動を同時に感知する。この特性を「双指向性」
と呼んでいる。
以 前2001年 ご ろ、 シ ャ ー プ が 音 頭 を 取 っ て
作った「3Dコンソーシアム」というメーカーの
冒頭に引用した対談で、細野たちが言及して
集まりの立ち上げをお手伝いした事がある。こ
いるのは、とくにこの双指向性によって、歌い
こに参加した視覚技術のベンチャーメンバーの
手などの直接音のほか、裏面の振動を通じてス
中には7,8年後、米国で映画「アバター」の製
タジオ内の響きが録音され、それを通じてレコー
作に参加した所もあった。
ディングが行われた空間の環境情報が記録され、
「アバター」が端的なように、視覚面つまり
仮にモノラルであっても、聴き手の脳内に生き
ヴィジュアル側では市場を含む大きな動きが
生きとした実空間の定位感を蘇らせることが可
あったが、音響については未だそれほどの変化
能である事実を「豊か」と言っているものである。
はない。それは先に記したような産業・軍事技
リボンマイクについては後半、シュレーダー+
術と共用されるハイ・ファイの技術開発方針と、
アンドウ+コジマのシステムによる録音で具体
脳や認知などヒトの生理原則に立脚したテクノ
的な詳細に触れる事とする。
ロジー開発が、主流を占めていない事情による。
先ほどから、魚群探知機や葬儀、視覚障害者
双方向性の集音特性範囲の
概形イメージ
収
録
環
境
の
空
間
音
情
報
図3
などの例もひきつつ、ハイ・ファイ機器の不用
意な利用による無機的で感動しない音質の壁を
破るポイントは反射音の取り扱いにあるとお話
M
P
ししてきた。
そこで、先に触れた「音源の定位」と「自己
定位」の決定的な違いを「魚群探知機」と「潜
水艦の自己定位機」の差でご説明したい。後者
リボンマイク
話者
の技術にも70年の歴史がある。細野晴臣は米軍
’
11.11
32
の例を挙げていたが、ここでの議論はナチス・
理由は明確で、ホールの壁や天井に問題があっ
ドイツの潜水艦技術と、戦後日本の航空機騒音
た。設計方針が致命的欠陥を持っていたのだ。
が深く関係している。
画して、リンカーン・センター当局はAT&Tベ
航行中の潜水艦が自分が何処を進んでいるか
ル研究所に調査を依頼する。ここで責任者となっ
を知る、つまり自己定位するためにはソナーつ
たのがベル研究所の音響音声研究室長を務めて
まり音波探知機を使う。海底に岩礁があれば避
いたシュレーダーだった。
けなければならない。漁船が用いる魚群探知機
詳細な調査の結果は興味深いものだ。まず、
は獲物である魚の位置を知れば十分(対象の定
天井での音の反射で、低音が大きく減衰してし
位)だが、潜水艦は自らの危険を随時避けなけ
まっていた。また、多くの席で様々な反射音が
ればならない。つまり自己の定位が常に問題に
ほぼ同時に到達していた。シュレーダーはマネ
なる。視覚障害を持つ方は、環境からの反射音
キンの頭部に高精度マイクロホンを仕込んだダ
により自己定位感を持つことができる。これと
ミーヘッドマイク(図4)を座席に配置してホー
同じ事だが、テクノロジーでお話するとより明
ルの音響を調べ、他の優れた演奏会場との比較
確になるだろう。
を試みた。
AT&Tベル研究所+ゲッティンゲン大学のマ
ンフレート・シュレーダー(1926−2009)は、
戦時中ナチス・ドイツが開発していた潜水艦「U
ボート」の反射音波解析を戦後になって学び、
これを戦後の平和利用に生かそうとした。具体
的にはコンサートホールやオペラハウスの設計
の仕事でこれが生きた。ここで私たちは、冒頭
に引用したもう一つの事例に戻ることになる。
1962年、アメリカ・ニューヨークで究極のコ
ンサートホールとして建設されたリンカーンセ
ンター・フィルハーモニックホールは、鳴り物
の大きさと出来上がりの惨めさのギャップから
最初は嘲笑の的となり、やがて非難の集中砲火
を浴びるようになる。
図4 ダミーヘッド・マイクロホン。精巧に作
られた「耳たぶ(耳介)
」と外耳道の奥に
左右一対の高性能マイクロホンが設置され
ており、人間の耳の「聞こえ」やその脳内
での認知処理を検討することができる。
11 フィルハーモニック・ホールの失敗、
再び
ニューヨーク・フィルハーモニックホールの
音響は当初、大半の観客にとって「暖かみに欠
その結果、左右の耳に到達する多数の反響音
ける」などの不評が主だった。だが苦情はそれ
に、まず①時間的なズレがあり、②空間的にも
だけではなかった。舞台上の演奏家からは「互
さまざまな方向からの反射音にずれがあること
いの音が聞こえない」とクレームが出た。指揮
が「響きの暖かみ」に決定的であることが明ら
者のジョージ・セルは建物の外観が銀行に似て
かになる。別の言葉で言うなら、会場の形が両
おり、中は映画館に似た響きだと評した。実は
耳で聴いて聴き取れるようなホール、聴衆の自
’
11.11
33
己定位感が得られることが、優れた演奏会場で
ていないかもしれない。だがその情報の有無は
あることの基本要件であることが判明したのだ。
「自己定位の可能・不可能」という決定的な違い
冒頭にも記した通り、余りに音響のひどい
ニューヨーク・フィルハーモニック・ホールは、
に直結している。
私たちクラシックの音楽家、つまり普段は電
最終的に問題箇所の大半を取り壊す大規模な改
気的な増幅を介在させず、人間が楽器と直接触
修が必要であると判断された。実際に1976年、
れて音を出す音楽の日常を送る者にとっては、
この大規模な取り壊しと改修が行われ、資金提
録音の違和感は決定的なものだ。これは一つの
供者の名を冠して、現在では「エイブリー・フィッ
別ものだ、と分別する癖がついてしまっている。
シャー・ホール」と名付けられている。
多数のマイクロホンをひとつひとつ楽器の前に
立て、すべての楽器が間近かで録音されたよう
12 空間を喪失した録音コンテンツ
21世紀に入って10年以上過ぎた今日であって
なマルチチャンネルのハイファイ録音は、まる
で自分の頭がろくろ首のように指揮台からあち
も、演奏会場の良し悪しを言うとき「残響時間」
こちの楽器の前まで飛んで行ったように聴こえ、
が主要な話題になることが決して少なくない。
時には目が回りそうになることもある。
だがこれには致命的な欠陥がある。
「残響時間」
今日の多チャンネルのデジタル録音技術は、
には、反射音の方向性やその時間的なばらつき、
不用意な用い方をすれば聴き手の自己定位感を
空間的な対称性が破れていることなど、3次元
抱かせる空間の情報を盛り込む事が出来ない。
的な環境情報が含まれて居ないことに注意しよ
だがここで冒頭の対談を思い出して頂きたい。
う。ニューヨークで失敗したフィルハーモニッ
適 切 な 機 材 を 注 意 深 く 使 う 事 で、1940年 代、
ク・ホールは、端的に言えばこの「残響時間」
RCAのリボンマイク一本で収録したモノラル録
に主に頼った事で取り壊しを余儀なくされたも
音でも、十分に豊かな音場情報を収録、再現す
のである。
ることが出来るのである。これは今日のハイファ
また現実問題として、いま作られるCDの大半
イ機器にも当てはめる事が可能だ。
は、この旧フィルハーモニック・ホールと同様
マイクロホンなど一部の機材を変更し、大半
の原理で収録、編集されている。とりわけポッ
は現行の機材を利用しながら、収録原理を本質
プスでは原音に「余計な反射」を含まず、爾後
的に改めることで、自己定位が可能な空間情報
的にエコー処理など「残響時間」を擬似的に付
を含む録音を行うことが可能になる。
け加えて「ライブ感」を出している。良心的な
逆に言えば、デジタル初期以来の大半のCD録
クラシック音楽の収録に多くの技師の努力が払
音が、いずれは「フィルハーモニック・ホール」
われているが、音響の専門ではいまお話してい
の世代から「エイブリー・フィッシャー・ホール」
るような脳認知の内容は知られておらず、直感
の世代に交代せざるをえない運命にあると筆者
に頼っているのが現実だ。録音エンジニアの多
は考えている。その鍵となるのは「側面反射音」
くが「空気感」「エネルギー感」といった表現を
の適切な取り込みによる「環境情報の畳み込み」
とる中で、冒頭の細野と藤幡の対談で「圧倒的
である。
に情報量を持っている」などと語られているのは、
極めて例外的で秀逸なことだ。
ナチス時代以来の潜水艦技術を熟知していた
AT&Tベ ル 研 = ゲ ッ チ ン ゲ ン 大 学 の シ ュ レ ー
音楽CDを聴いて、そこに演奏会場の形を聴き
ダーは、コンサートホールの音響設計にこの「側
とる事など、多くのリスナーは最初から期待し
面反射」の概念を導入し、一時代を劃した。側
’
11.11
34
面と言っても、横壁だけではなく、天井や床も
は偶然音が良い、というものではなく、シュレー
考慮する。このシュレーダーの下に学んで、ホー
ダーのナチスドイツ・Uボートのソナーから安藤
ルやオペラハウスの設計に世界で初めて脳認知
自身の伊丹空港騒音対策まで、いずれも命がけ
の観点を導入した研究者がいる。日本人の研究者、
のイノヴェーションがあり、それに基づいて詳
神戸大学の安藤四一(1939−)である。
細に設計された結果としてホールが優れた音響
だが、実は安藤が音響を脳認知から考えた原
特性を持つのである。
点は、軍事産業やオーディオのハイファイ競争
とは似ても似つかないところにあった。騒音公
14 震災復興から世界の次世代標準を
発信しよう
害対策である。
ニューヨークの失敗作コンサートホールは取
13 大阪空港騒音公害訴訟から生まれた
音響の脳認知設計理論
り壊されて再建されたが、こうした時空間環境
情報設計の観点が、どのように震災後の復興に
1960−70年代、日本全体をゆるがせた社会問
役立つかを考えてみたい。シュレーダー+安藤
題の一つに、伊丹の大阪空港騒音公害とその訴
の枠組みは大阪空港訴訟からも知れる通り都市
訟があった。
計画全体にも当てはめる事が出来るが、ここで
当時、神戸大学の助手だった安藤は、市民側
は筆者の専門である音楽に直結する形で整理し
から実態の調査を依頼される。被害を定量評価
たい。今回の地震で被害を受けた水戸芸術館は、
するため、安藤は妊婦の胎内にいる赤ちゃん、
米国でのアーチスト・レジデンシーでしばらく
また生まれたばかりの新生児や子供の発達を細
共同生活を送った事のある建築家、磯崎新の設
かく調べた。
計になるもので、磯崎にもアドバイスを求めな
胎児については、母体内の「羊水反射」では
じき返す事ができない航空機重低音が届くこと
がらプランを考えてみたい。
これを検討する上で、まず一人のオーストリ
で、胎児は驚愕反応を起こして萎縮してしまう。
ア人音楽家に焦点を合わせてみよう。20世紀初
これが常態化することで、伊丹の新生児は出生
頭に生まれた彼は、大学では理科(化学工学)
時体重が全国平均より2割がた軽く生まれる事
を学んだ。当時の音楽家の例に漏れず、彼はオ
実が明らかになった。また幼時の認知能力や学
ペラ劇場のアシスタントから現場修行を積み上
齢に達した際の学力成績なども、全国平均と比
げ、後に指揮者として成功することになる。
較して統計的に有為な差が見られた。
このオーストリアの理系音楽家はオーディ
このように、子供の中枢神経発達の観点から
オ・ヴィジュアル・テクノロジーのもっとも深
音響の脳認知を扱うようになった安藤は、後に
い部分まで自ら足を踏み入れ、徹底的な試行錯
シュレーダーの下に学んで、今日シュレーダー
誤を繰り返した事が知られている。会場の選定、
=アンドウ理論として知られる世界最初の音響
マイクロホンの種類と置き位置や方向などなど。
建築の脳認知理論を打ち立てる。未だ冷戦期の
ヴィデオに関してはカメラの位置のみならず奏
1980年代初めの事だ。世界が彼らに追いつくの
者の配置など、ありとあらゆる要素に、科学的
に20年ほどの時間が掛かる事になる。
な根拠と、表現上の直感とのバランスを持って
霧島国際音楽ホール、宝塚ベガホールなど、
アプローチした。
西日本で音響が良いと知られるコンサートホー
ギリシャ系オーストリア人のこの音楽家、ヘ
ルの大半は安藤の設計になるものだが、これら
ルベルト・フォン・カラヤンには生前さまざま
’
11.11
35
な 毀 誉 褒 貶 が 付 き ま と っ た。 だ が 棺 を 覆 っ て
づく環境情報技術にある。これはまた日本を要
二十余年、彼の徹底を凌駕する音楽家は20世紀
として欧州、米国と各国を結ぶネットワーク上
いっぱいに現れることはなかった。敢えて一こ
で推進展開する必然性を持っている。
とで言うならば、先に述べた「優れたコンサー
私は、東日本大震災と原発災害の発生を受け
トホールの条件」である複数の反射音のズレと
て、これをとりわけ水戸、つくば、あるいは日
同様の形で、カラヤンはアナログ・ステレオ技
立など、茨城を核として、福島以北の被災地域
術に音楽の器としての命を与えたのだ。ステレ
との協力の元で推進、復興の一環として世界に
オ録音の技術そのものは1932年AT&Tベル研究所
産業発信して行くことを提案したい。
で最初の実験が行われた。当時はおもちゃ同然で、
シュレーダー+安藤の技術面に関しては、神
新しいもの好きのオルガニスト=指揮者レオポ
戸大学安藤研究室出身者の多くが産業技術総合
ルド・ストコフスキーがこれに参加、この経験
研究所に在籍しており世界を完全にリードして
をウォルト・ディズニーに話したことから世界
いる。これを音楽作りや録音に転用したのは私
発のステレオ録音アニメーション映画「ファン
自身の仕事で、具体的なノウハウのすべては東
タジア」が数年後に生まれる。だがその先駆性
京大学作曲=指揮・情報詩学研究室に蓄積され
を評価するとしても、誕生から最初の四半世紀
ている。テクニカルな基礎から世界最高水準の
ステレオ録音はちゃちな仕掛けの域を出ず、ト
芸術的完成度まで、内容の品位水準に責任をも
スカニーニやワルター、フルトヴェングラーと
つことが出来る。
いった往年の巨匠は機材も人もそろった「豊か
なモノーラル」に最晩年の録音を残している。
だがテクノロジーを内側から知っていたカラ
被災地の復興は総合的なものだ。だが、とり
わけ福島原発事故との関連では、輸出に関する
風評被害が懸念される。だがこれは「モノの商品」
ヤンは違った。新しい世代の技術者たちと協力
に関してであって、情報財であるコンテンツに
してアナログ・ステレオを真に芸術音楽の器と
は当てはまらない。インターネットを通じて放
するに耐えるものに鍛えたのだ。往年の数々の
射性物質が送られる事はない。
名演がある中で標準的なレパートリーをすべて
以前からゲーム、アニメーション、マンガと
新録音に世代交代させる牽引力となったのであ
いった日本のコンテンツは世界に冠たる圧倒的
る。
な輸出産業であったが、今回の災害を念頭に、
これと殆ど同じ事がデジタルベースの録音に
より徹底した「環境情報価値」のものづくりに
ついて言えると私は考える。冒頭で細野晴臣も
地域の力を注ぐ有効性を強調したい。全体像を
触れているように、整合した自己定位の像を結
検討するには知財の問題が重要だが、以下では
ばない初期25年のデジタル録音は、そろそろ下
コンテンツものづくりに話題を絞り、具体案を
火になりつつある。しかし次世代の核となる標
記そう。
準方式を、多くのミュージシャンもエンジニア
も未だきちんと認識していない。一つ一つの楽
Ⅰ 国内メーカ各社、また経済団体等に働き
器どれもが間近で聴くように鮮明なハイファイ
かけ、震災からの復興プロジェクトの一環
だけれど、心を打つ感動を支える自己定位の環
として、デジタル・ハイファイの次世代グ
境情報が決定的に欠落している。
ローバル標準録音・録画コンテンツの制作、
これらをすべて書き換える次世代グローバル
発信の事業展開を推進する。
標準の鍵が、シュレーダー+安藤の脳認知に基
’
11.11
36
Ⅱ 技術のハイエンドが常に問われるクラ
Ⅴ 地域に根ざした「そのホールでなければ
シック音楽からこれをスタートさせること
出せない音作り」によるブランド差別化を
は自然な流れであり、また提案者自身が責
徹底する。
任を取ることが出来る。
水戸芸術館をはじめ、優れた演奏会場をあら
Ⅲ どのような演目ラインナップで展開する
かじめ選定し、ニューヨーク・フィルハーモニッ
かは別途慎重な検討が必要である。ただ、
クホール改修時に行われた延長上で洗練された
内外にトップブランドを喧伝する上でも
シュレーダー+安藤理論によるホール評価で、
ベートーヴェンやモーツァルトの標準的な
ホールという楽器を最高度に鳴らし、またその
演目、ドビュッシーやラヴェルなど最高度
響きの空間環境情報を確実にデジタルデータと
の繊細さが求められるもの、20世紀の古典
して記録するシュレーダー+アンドウ+コジマ
や日本の作品など他の追随を許さぬハイエ
の録音システム(後述)により、系統だってハイ・
ンドの品質と、産業的に考えて採算性に優
クオリティのコンテンツを安定して供給する。
れたポピュラリティとのバランスを考慮す
る必要があるだろう。
私たちはこの「シュレーダー+アンドウ+コ
ジマ」のシステムによる仕事をドイツ連邦共和
国バイエルン州のバイロイト祝祭劇場、アルゼ
Ⅳ 演奏者は茨城、福島、宮城、青森など被
ンチン共和国ブエノスアイレスのテアトロ・コ
災地からオーディションにより募ることで、
ロン、また日本の新国立劇場などトップエンド
現地で壊滅的打撃を受けた音楽家の支援と
のホールを現場に現在推進しており、そのノウ
しての意義を打ち立てる。世界トップ水準
ハウを全投入して復興起業に資したい考えであ
の演奏家が被災地に在住し、現地での音楽
る。東京大学と産総研の継続的な取り組みでも
の仕事の継続が困難になっている現状に手
あり、国の資金導入など積極的に働きかけて行
を差し伸べるべきである。この際一過性の
きたい。
(図5、図6)
演奏で終わるのでなく、それをコンテンツ
化、発信に結びつけることで、中長期的な
Ⅵ 私たちがここで目指すのは、技術、芸術
展開に繋げるのが重要である。
という二つの意味での「アート」コンテン
図5 ダミーヘッド・マイクロホンを用いた演奏収録・評価の実際。写真は筆者らがアルゼンチン・ブエノスアイレス
の「テアトロ・コロン」で行ったヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」の録音評価の模様。
’
11.11
37
a
b
図6 バイロイト祝祭劇場の内部。a 客席とb オーケストラピッ
ト(いわゆる「神秘の奈落」の内部。客席の側面に特徴的に
整列して突き出している壁が見える。またオーケストラピッ
トを覆う特異な曲面のカバーが表裏から確認できる。人物か
ら大きさが知れると思う。(中央は高辻知義教授、右はバイロ
イト祝祭劇場のペーター・エメリッヒ氏)。
長年これら劇場の仕掛けは「遠近感」
「遮光」などもっぱら
視覚の面から取りざた去れてきたが、私はヴァーグナーの自
筆草稿から確認してこれらの音響特性を生かして「ニーベル
ングの指環」「パルジファル」などが作曲された経緯を明らか
にして、実証演奏するプロジェクトを進めている。
ツの世代更新である。ここで注意したいの
ローバルに成立する形を目指すことが重要
は、従来の「文化予算」の大半が、一過性
である。地に足のついた復興事業としての
の演奏日程で消化され、確かな知財を殆ど
次世代標準確立と世界発信を提案したい。
残さなかったことである。これらは民主党
政権初期の仕分けで大半が削減され、音楽
15 シュレーダー+アンドウ+コジマの
ダイナミカル・レコーディング
家は従来の生計を立てることが困難になっ
ている。その状況に今回の震災が襲い掛かっ
いま述べたプロジェクトの中で鍵となる「シュ
たものである。責任ある立場の音楽家とし
レーダー+アンドウ+コジマ」の録音システム
て声を大にして申し上げたい。音楽を支え
についてアウトラインを説明したい。
るためには旧来に代替する社会経済の基盤
シュレーダー+安藤の「側面反射音理論」は
が必要で、それは補助金への依存だけでな
シンプルかつ強力な工学のツールだが、この紙
く、世界に先駆けて確立する次世代技術の
幅で十全に説明することは出来ない。以下では
グローバル発信など、トップエンドのコン
具体的な音楽作品の録音への適用を示して、美
テンツものづくりと助成との好循環の上に
点を端的に示すにとどめよう。ここではもっと
成り立つものである。
も古典的で単純なJ.S.バッハのケースでお話する
が、同様の事はヴァーグナーの楽劇「トリスタ
Ⅶ 当初は震災犠牲者を悼むプロジェクト等
ンとイゾルデ」など現在プロジェクトで手がける、
からスタートすることが考えられるが、機
複雑の極にあるような作品でも原理はまったく
会性のイヴェントではなく、社会がコンテ
同じである。
ンツ文化を育み、ビジネスモデルを含めグ
人間の聴覚はさまざまな点で機械的なマイク
’
11.11
38
ロフォンと大いに異なる応答を示す(これを聴
覚の非線形性・適応性などと呼ぶ事がある)。典
型的な例として「カクテルパーティ効果」を挙
シュレーダー+アンドウ+コジマ
システムでの双方向性の集音特性範囲の
概形イメージ
げよう。ざわざわと騒がしいカクテルパーティ
のような場所であっても、人間は、例えば小声
で自分の名前を呼ぶ声を敏感に聞きつける。物
理的音波としてはノイズのほうが圧倒的に大き
M
P
マイクロホン
話者
いのに、小さな出力の信号を的確に聞きとる力
を人間の聴力は持っているのである。
これら聴覚末梢から脳に至る人間のデリケー
トな聴覚の特性を総動員して、私たちは生演奏
で音楽を聴いている。これに対してハイ・ファ
イの技術指標は、物理的音波の機械的信号の再
図7 Wは側壁を概念的に示す。シュレーダー+アンドウ+
コジマのシステムでは積極的に音を壁で反射させ、リボ
ンマイクで楽器としての空間情報を集録する。
生で、人間の音楽的な耳の特性と無関係な評価
尺度を持つ。
Raummusik Kollegium Berlinのコンサートミスト
シュレーダー+安藤の工学モデルは、現実の
レス、ヴァイオリンの山本梨乃と私は現在、物
空間で人間が音を聴くとき、必ず直接音と反射
理的な音響特性の優れた演奏会場にこのような
音をセットにして聴かざるを得ないという事実
リボンマイクを適切に設営し、演奏中の直接音
から出発する。私たちは、壁からの反射は除い
と側面反射音とを同時に録音する形で、ヨハン・
て直接音だけ聴き取ります、などという器用な
セバスチャン・バッハの「無伴奏バイオリンソ
真似ができない。シュレーダー+安藤は、ここ
ナタ第一番ト短調」など、シンプルな独奏ヴァ
で第一反射音のパワーのピークまでで近似する
モデルを採用している。
そしてこれを録音に取り入れるためには直接
音と反射音の双方を、ちょうど私たちが音楽を
聴くときと同じような状況で、適切にミックス
する事が必要になる。
レコーディングエンジニアの小島幸雄はこれ
を実現するのに、先に述べたリボンマイクを用
いる事を創案した。前述のようにリボンマイクは、
アルミ箔やカーボンナノチューブシートなど極
めて薄くて軽いリボンを吊るしてコイル代わり
の振動体とするダイナミック・マイクロホンで、
前面と後面、双方の空気分子の振動に敏感に反
応する。図7として改めて、シュレーダー+ア
ンドウ+コジマの枠組みでのリボンマイクの双
指向性の概念図を示そう。
ラ オ ム ム ジ ー ク・ コ レ ギ ウ ム・ ベ ル リ ン
図8 通常のステレオレコーディングでは直接奏者=音源に
向けて録音を行う
’
11.11
39
を経ずして世界第一級のアンサンブルとして認
められ、現在も活動を展開している。こうした
先行成功事例も踏まえつつ、着実な事業の展開
が必要である。
古楽アンサンブルでは復元楽器という響きの
テクノロジーが決定的な役割を果たした。私た
ちはいま、ホールというややもすると死角に入
りやすい楽器と、その響きを空間情報もろとも
コンテンツ化する、内容はまったく異なるけれ
ど、やはり響きのテクノロジーに基づいて確か
なものを立ち上げたいと考える。
リボンマイクそのものはそもそも、1920年代
初めに「ショットキーダイオード」で知られる
ドイツの物理学者ヴァルター・ショットキーら
が開発した。初期のダイナミックマイクロホン
図9 シュレーダー+アンドウ+コジマのシステムでは直接
音と壁面反射音を同時に収録する。
で決して新しいものではない。またその利用も
決して珍しいことではなく、アルミ製のものは
取り扱いが繊細なので従来は限られた局面で使
イオリン作品の録音を行っている。この特徴を
われるに留まったが、多くの音響技術者が使用
見るため、図8として、まず通常の単一指向性
している。だが従来の利用とシュレーダー+ア
のコンデンサー・マイクロフォンを用いた収録
ンドウ+コジマのシステムとの間には、収録原
の模様を示そう。
理と理論体系の有無という決定的な違いがある。
図8に白い矢印線で示すように、単指向性の
従来リボンマイクは、薄くて軽いアルミニウ
マイクは音源の音を直接拾おうとする。現行の
ムリボンを使うため「高域まで音が伸び」
「丸い
大半のレコーディングではこのような状況が設
響きが好評」といった周波数帯域的、また直感
定されている。
的な説明で理解されてきた。だがシュレーダー
これに対して、いま私たちが進めているシュ
+アンドウ+コジマの枠組みでは高感度のリボ
レーダー+アンドウ+コジマの録音条件では、
ンは人間の鼓膜や耳小骨、蝸牛神経など聴覚末
図8のような収録ではなく、直接音と側面反射
梢の感受性に対応するものとして位置づけられ
音の双方を収録するように双方向性のリボンマ
る。
イクが設定される(図9)。
また近年はカーボンナドチューブなど、アル
写真は都内新宿にある東京オペラシティの「近
ミ箔より強度の高いリボンが使用されるように
江楽堂」で、古楽の演奏会場としてよく知られる。
なり、直接音と反射音を同一のマイクロホンで
このホールも一つの活動拠点としてオルガン、
収録する可能性が広がった。
チェンバロの鈴木雅明氏らを中心とするバロッ
シュレーダー+アンドウ+コジマの枠組みで
クオーケストラ・合唱団「バッハ・コレギウム・
は、このリボンマイク2回路に加えて、演奏空
ジャパン」が1990年から活動を開始し、確固と
間の残響を録音するサラウンドマイクを併用す
した音楽的姿勢と高度な演奏水準によって10年
る。これらのマイクロホンは、本来は多方向に
’
11.11
40
反射して耳に遅れて到来する反射音群の環境情
音楽が創りだされるのである。その意味で、一
報を、限られた本数のマイクロホンで代替しよ
人の奏者が演奏するポリフォニーは常に錯覚的
うとするもので、最終的には響きの中に結果的
な本質をもっている。
に空間形状相当の定位情報がたたみ込まれる
無伴奏のヴァイオリン一台で作られるポリ
(convolute)ように録音時にスタジオ内でレベ
フォニーの音楽は、現実のホールで、優れた実
ルの調整が行われる。
演によって聴くことが出来る。ここではホール
人間の鼓膜や耳小骨のように繊細な感受性を
の残響が巧みに利用され、数秒前の残響と今弾
持つ双方向性のリボンマイクを用いることで、
いているリアルな音とが合奏して響きが生まれ
私たちがライブで生演奏を聴くときと同様、自
る。だが、旧来のような直接音を中心に拾う録
己定位感を得るに足る空間情報を持った響きが
音には、収録原理と使用するマイクの特性に原
録音される。これにより、ヒト脳の認知特性に
理的な限界があるために、弓で弾いている音ば
基づく非線形で適応的な聴取に近いコンテンツ
かりが録音され、実演で私たちの耳が聴き取る
情報をレコーディング・データとして記録する
ポリフォニーは録音コンテンツとして記録する
ことが出来る。
ことが困難だった。
16 バッハが利用した耳の錯覚性を生かす
人間の聴覚は先ほど触れた「カクテルパーティ
効果」のように様々な特性を持つ。これらは「聴
覚的錯覚」と呼ばれることがある。またこの「聴
覚的錯覚」は古来さまざまな音楽の作曲や演奏
に活用されてきた歴史がある。
錯覚の利用などというと、何かトリックのよ
うに思われるかもしれない。だがそうした音楽
を作った代表的な作曲家としてヨハン・セバス
チャン・バッハやニコロ・パガニーニらの名を
挙げれば、印象が違うのではないだろうか?い
ま私たちが進めているシュレーダー+アンドウ
+コジマのシステムによるレコーディングは、
図10 ヨハン・セバスチャン・バッハ無伴奏バイオリンソナ
タ第一番ト短調の自筆譜。
「⇒」印で示した音は、弓で弾いた後の残響が実体感を
持って響くことであとで弾かれる音符と響きあって多声
楽(「ポリフォニー」
)を形作るように巧妙に作曲されて
いる。教会堂など適切な空間で適切に演奏されれば、こ
れらは一種の聴覚的錯覚として、たった一台のヴァイオ
リンで演奏されていながら異なる複数の声部が合奏して
いるように、人間の耳の選択的聴取の結果として聴こえ
るように作曲=音響設計されている。またこれらは、音
源の直接音を機械的にマイクで拾い、残響に高感度での
録音の配慮がなければ、種明かしがすべて見えてしまい、
味気ない演奏に留まってしまう。
まさにこうした作品をとりあげている。
図10はバッハの「無伴奏バイオリンソナタ第
そこで私たちは、ヒト聴覚末梢とヒト脳の動
一番」第一楽章の冒頭だが、バッハはたくみに
的特性と似た収録が可能となるよう、直接音と
聴覚的錯覚現象を記譜している。彼は、直前に
反射音の双方を同時に収録するリボンマイクと、
演奏した音の反響音と、直後に演奏する直接音
反射音群を収録するサラウンディングマイクを
とがともに実体感をもって響きあう、高度に組
組み合わせた収録系を構成した。さらにこの状
織化された多声音楽を構成する。こうする事で、
況で楽器としての演奏会場を適切に響かせるよ
たった一台のバイオリンのために書かれていな
う、随時に奏法を変化させることで、演奏会場
がら、しばしば3人あるいは4人の奏者が合奏
の形に関する環境情報を含み、聴き手が自己定
しているようなポリフォニー、つまり多声楽の
位感を持ちうるような演奏コンテンツを、シュ
’
11.11
41
ルを選んで、こうしたプロジェクトを進めてい
る。また国内では、まったく異なるように思わ
れるかもしれないが、西本願寺北能舞台、四天
王寺六時堂など、やはりその場所でなければ決
して体験する事の出来ない本物の響きにアプ
ローチしている。
バイロイト祝祭劇場もテアトロ・コロンも、
まさに「楽器としてのオペラハウス」自体が全
世界に知られ、その響きを経験するためには現
地を訪れるしかない。今回の震災で地域の社会
経済復興を考える上で、
「現地に来て本物に触れ
なければ決して体験できない」ブランドを再確
立することは大変重要と考える。
またその「本物の響き」の美点を最大限生か
して作られた収録コンテンツを、明確に差別化
図11 最もシンプルなシュレーダー+アンドウ+コジマシス
テムでの録音全景。S-L,S-Rは空間残響を録音する
回路。
使用されたマイクはリボンマイクRoyer社R122、サラ
ウンドマイクはDPA社4010。
された高いブランド性をもって広く発信するべ
きである。第二次世界大戦後、標準的なオーケ
ストラ・レパートリーをアナログ・ステレオで
録音しなおしたヘルベルト・フォン・カラヤンは、
レーダー+アンドウの音響脳認知の枠組みに
ベルリン・フィルハーモニー大ホール(1956−
のっとって体系的に収録することを試み、これ
63)をこの目的の器として建築した。カラヤン
に成功した(図11)。
と二枚看板だったバーンスタインを擁する
現実の録音では、詳細な調整が必要になる。
ニューヨーク・フィルハーモニックのコンサー
だが、ヒト聴覚が環境情報を認知する脳特性に
トホール(1962)がどのような運命をたどった
基づいて、聴き手の自己定位を可能とするべく
かは冒頭に触れた通りだ。
「楽器としての演奏会場」を鳴らしてリボンマイ
ベルリンのホールはベートーヴェンの交響曲
クなどの機材を生かして、こうした原理にのっ
など2管編成の標準レパートリーを念頭に作ら
とって曲ごとに異なる収録系を組み立て、トッ
れ、マーラーの交響曲など大編成作品を演奏す
プクオリティのコンテンツを安定的に生み出し
るにはやや手狭だ。それを補う意味を含めてカ
て行くことが出来る。
ラヤンのコンサルテーションで作られたホール
ここでは何より「楽器としてのホール」とい
う「地域の力」を前面に押し出すことを強調し
の一つとして東京のサントリーホール(1986)
がある。
たい。他の多くのものは持ち運びが出来ても、
日本でこうしたハイエンドの芸術音楽とハイ
コンサートホールやオペラハウスは持ち運ぶ事
エンドのテクノロジーを両者具備するブランド
が出来ない。私たちはバイロイト祝祭劇場(ド
を打ち立てることには、こうした経緯にもとづ
イツ)
、テアトロ・コロン(アルゼンチン)など、
く国際的な必然性が存在する。
知る人は誰もが知る世界でもっとも優れた響き
被災地には水戸芸術館を筆頭に優れたホール
を持つとされるオペラハウス、コンサートホー
が幾つも存在している。バイロイトやミラノ・
’
11.11
42
スカラ座と同様「その地に足を運ばなければ聴
単に一般論で述べるのみならず、その典型的
けない響き」「そこでなければ決して収録できな
な一例として、私自身が各国で手がけているハ
いレコーディングの響き」を地域の「コア・コ
イエンドの音楽演奏・コンテンツ創成を例に、
ンピタンス」基幹競争力として、復興の梃子と
具体的なプロジェクト提案も記した。
して大いに活用される事を期待したい。
古くからの諺どおり、天災は忘れた頃にやっ
てきた。だがその復興の追い風には、世界史的
17 まとめ:転機をバネに世界へ
な流れ、グローバルなトレンドが存在する。そ
この原稿では20世紀後半以降の国際的な社会
れらの追い風を帆一杯に受けて、各被災地が旧
経済、並びにイノベーションの展開を踏まえ「環
来に増して大きく成長すること、地域の特性を
境」「情報」という二つの分野に先行技術が堆積
生かした美点を力にグローバル・シェアを狙う
していること、両者の交差点「シナジー」によっ
形で復興あるいは新規産業を振興されるように
て米国のグリーンポリシーを筆頭に今日の主要
と心から願っている。
なグローバル新機軸が展開していることを踏ま
いま確かに、日本の震災後に世界の目が向い
え、東日本大震災や福島第一原発災害からの復
ている。そんな日本から国際発信する復興の道
興にこれらが生かされることで、災害を転機と
程が、実は次世代の標準にも一本道で繋がって
し苦境をバネにして、復興から大きな成長を企
いる。意外に身近なところから、成長の可能性
図されるよう考え準備した。
は未来に向かって開けているのである。
□
[1]安藤四一「コンサートホール音響学」(Springer)に寄せられたマンフレート・シュレーダーの序文から抄訳した。
[2]細野晴臣×藤幡正樹「僕らの時代の歌を探して」
http://www.yebizo.com/jp/forum/dialogue/dialogue8.html
[3]Crowley & Tripp Naked Eye Roswelliteユーザーコメント
http://www.2ndstaff.com/products/crowleyandtripp/nakedeye_roswellite-review-tm.html
’
11.11
43
特別寄稿
震災復興に向かう日立・ひたちなか地区の中小企業
― ひたち立志塾と全国ネットワークの支援 ―
関 満博
明星大学経済学部 教授
2011年3月11日(金)午後2時46分に発生した
によると、ひたちなか市の人的被害としては死者2
東日本大震災により、東日本の太平洋沿岸地域は未
人、行方不明者0人、負傷者26人、物的被害(途中
曽有の事態となった。その被害の全貌は他に譲るに
経過)は全壊83棟、半壊310棟、一部損壊1,057棟、
して、岩手県から宮城県沿岸にかけては巨大な津波
床上浸水207棟、床下浸水169棟、火災1件が報告さ
による被害、福島県は原発事故による被害、そし
れている。また、避難所に関しては、最大避難者数
て、茨城県から千葉県にかけては地震による被害が
は3月12日の9,539人であり、市内に68カ所の避難
目立っている。
所が設置されたが、4月6日には閉鎖された。地震
私自身、岩手県釜石市で被災し、その後、茨城
県日立市∼ひたちなか市(4月16日∼ 17日)
、さら
後に市内全域で停電したが、3月14日には市内全域
で回復している。
に、岩手県宮古市から陸前高田市(4月27日∼5月
この点、日立市についてはまだ詳細な情報はな
4日)に至る被災地を訪問し、特に地域産業、中小
いが、
『日立市報』(4月10日)によると、3月11日
企業の復興に向けて取り組みを開始している。岩手
には避難所69カ所、避難人数1万3,607人を数えた
県、宮城県の沿岸地域は水産業を基幹産業としてお
が、3月30日には避難所3カ所、避難人数81人に減
り、養殖施設、船舶、湾岸の冷蔵・冷凍施設、製氷
少している。家屋被災状況は全壊35棟、半壊50棟、
施設、加工工場、船舶修理等の鉄工所などがほぼ全
床上浸水483棟と報告されている。なお、日立市で
て破壊され、さらに流出しており、この部門の復旧
は死者、行方不明者はいなかったようである。
が最大のテーマになっている。
東日本全域で、5月7日現在、死者1万4,841人、
この点、茨城県の日立・ひたちなかのエリアは、
行方不明者1万63人、避難11万9,967人を数えてい
津波による被害は相対的に小規模なものであり、む
ることからすると、ひたちなか市、日立市の被災は
しろ、地震による被害が大きかった。現場の印象か
相対的に軽微であったということになろう。
らしても、地震そのものの被害は、明らかに岩手、宮
日立製作所関連の被災と復旧状況
城沿岸よりも、茨城、千葉の方が大きいように思う。
だが、日立市、ひたちなか市を中心に常磐線沿
ここでは、東日本大震災に遭遇した日立・ひた
線には日立製作所関連の工場が数多く展開し、老朽
ちなかのエリアに注目し、地域産業、中小企業に焦
化していた場合も少なくなく、地震による産業面の
点を当て、その被災の状況、その後の復旧、復興へ
被害は意外に大きい。
の取り組みをみていく。特に、日立・ひたちなかは、
日立製作所都市開発システム社の『東日本大震
若手経営者による「ひたち立志塾」を形成し、興味
災に伴うひたちなか地区日立グループの復旧状況
深い活動を重ねてきたが、このひたち立志塾の取り
について』(4月7日)によると、
「全ての事業所で
組みは震災復興への一つのあり方を提示するもの
重篤な人的被害はなかった」、
「地震発生後4週間が
であった。その具体的な取り組みに注目し、今後の
経過し、未だ復旧に時間を要する事業所もあるもの
課題を見ていくことにしたい。
の、多くの事業所で生産を開始するなど、徐々にで
はあるが復旧が進んできている」としている。
1.日立・ひたちなかの被災と復旧の状況
『ひたちなか市災害等緊急情報』(4月21日現在)
震災後1カ月弱の主要事業所の4月7日時点で
の状況は以下のとおりである。
’
11.11
44
関 満博(せき みつひろ)
明星大学経済学部教授、一橋大学名誉教授、経済学博士
1948年生まれ。成城大学大学院修了。専修大学助教授、一橋大学大学院教授を経て現職。
著書は『阪神復興と地域産業』(新評論・2001年)、『「農」と「モノづくり」の中山間地域』(新評論・
2010年)
、『地域産業の「現場」を行く(第1 ∼ 4集)』(新評論・2008 ∼ 11年)など。
「ひたち立志塾」の塾頭を務める。
日立製作所水戸事業所 当初、多くの生産建屋
で被害を受け工場休業としたが、3月30日か
ら一部生産を再開。
り全ライン稼働を目指し復旧中。
驚異的な「現場」の復活力
ひたちなか地区の日立製作所関連工場の被災と
ルネサスエレクトロニクス 建屋・用役・装置
復旧状況は以上のようなものであるが、岩手県沿岸
等の被害は大きいが、現状1日でも早い復旧
の工場に比べて、地震による被害はかなり大きなも
に向けて急ピッチで作業を進めている。
のであった。また、日立関連の工場の中で世界が注
日立建機常陸那珂工場 壁・天井・照明等が一
部損害。3月下旬から生産再開。
日立建機常陸那珂臨港工場 一部津波により冠
目しているのは、自動車の生命線であるマイコンの
世界シェア30%とされるルネサスエレクトロニク
スの復旧状況であろう。
水。ただし工場建屋の冠水はなし。3月下旬
『日本経済新聞』
(4月28日)によると、取引先
から生産再開。ただし、常陸那珂港区の被害
の自動車メーカーなどが送り込んだ応援要員は最
が大きく、当面横浜港からの輸出とせざるを
大で1日2,500人、徹夜の復旧作業が続き、一部の
得ない見込み。
生産ラインは当初見通しよりも1カ月早い6月15
日立エレクトリックシステムズ 一部生産建屋
の天井落下や壁の亀裂、機械の転倒があった
が、3月22日から生産再開。
東海テック 生産建屋・変電設備が被害を受け
日に再開が決定している。
今回の地震、津波、原発事故により、ハイテク
製品のサプライチェーンの実態が明らかにされ、問
題が生じているが、日本のモノづくり各社の「現場」
たため、工場休業としたが、3月22日から一
は必死の対応を重ね、当初見通しを上回るスピード
部の部門を除き生産再開。
で復旧に向かっている。このような傾向は、先の阪
日立ハイテクノロジーズ 電力供給設備の損傷
神・淡路大震災、中越地震、中越沖地震の際にも観
により、3月21日まで全部門で休業。4月1
察されているのである。日本のモノづくりの「現場」
日に休業解除。仕掛品の生産と出荷を再開。
の力はまことに強い。
ただし、一部建屋が使用不能となったため、
該当する設計部門・生産部門の事業場内外へ
の移転が必要。4月11日から全部門の休業を
解除予定。
2.ひたち立志塾とネットワーク
2011年4月16日、「ひたち立志塾」第4期生の卒
塾式が日立市郊外のJR常磐線大甕駅に近い海岸の
日立オートモティブシステムズ 管理棟建屋の
高台にある㈱TMPの保有するメイプル・カフェで
壁が崩落する他、殆どの建屋が被害を受け、
行われた(1)。当初は3月12日に予定されていたのだ
工場休業とした。3月23日に休業を解除し、
が、震災の翌日でもあり、延期されていた。
生産を再開。4月6日時点ではほぼ100%の設
備稼働状況である。
この「ひたち立志塾」とは、日立市、ひたちな
か市などの中小企業の若手経営者、後継者の集まり
日立工機 勝田工場、佐和工場の生産建屋の損
であり、様々な経営課題を語り合い、経営者として
傷は少なかったが、生産設備は被害を受けた。
の「志」を高めることを目的にしている。スタート
3月28日より一部の生産を再開。4月11日よ
は2007年5月、今年で第5期となる。事務局には日
’
11.11
45
立地区産業支援センターとひたちなか商工会議所
塾」、岡山県津山市の「関塾津山」、宮崎県延岡市・
があたり、毎年10人前後の塾生が参集している。
日向市の「こころざし塾」をはじめとして、面識の
実は、このような若手経営者・後継者塾は2000
ない全国の中小企業からも届けられた。全部で26の
年頃から各地で起こり始め、現在、全国で25ほどの
企業・団体から届けられた。早くも3月16日には第
グループが活動している。組織や活動の形態は地域
1陣が届けられている。精密水準器に加え、水平
事情に沿ったものであり、いずれにおいても、単な
器、ジャッキ、コロ、さらに、カップ麺、レトルト
る知識の伝達ではなく、地域に対する「思い」を深
食品が緩衝材として詰め込まれていた。
め、経営者としての「志」を高めることを目指して
いる 。
(2)
「精密水準器を貸してくれませんか」
このひたち立志塾、全国の塾の中でも活動的で
あり、毎月の例会に加え、全国の塾への訪問交流、
これらの機材により、日立・ひたちなか地区の
中小企業は一気に事業再開に踏み出すことができ
た。個々の事情は、後のケース・スタディを参照さ
れたい。
ひたち立志塾(第4期生)成果発表
さらに、毎年海外研修も行っている。また、この全
さて、4月16日の卒塾式は興味深いものとなっ
国の塾は毎年秋に全国大会を開催しているが、2009
た。卒塾生は11人、ひたち立志塾関係者(OB等)が
年には日立を会場に全国から約500人が集まり、活
25人、全国から集まった塾関係者が墨田区6人、八
発な交流を重ねている。
王子市が4人、山形県長井市が1人、さらに、マス
そして、このひたち立志塾の塾生がツイッター
で「茨城県製造業の復旧に精密水準器が多数必要で
す。貸してくれませんか」と全国に呼びかけてい
コミ関係者が数人と全体で約50人の規模となった。
卒塾式は塾生の成果発表から開始され、興味深
い発言が続いた。
る。この呼びかけは、ひたちなか商工会議所工業振
イイダ電子㈱(ひたちなか市)の飯田明由氏は、
興課長であり、ひたち立志塾の事務局を務める小泉
「震災を経て経営者としての覚悟ができた。リスト
力夫氏を通じて全国に拡がり、数日で約30台の精密
ラのない会社。従業員の生活の安定を保障し、育て
水準器等が集まった。
る経営を目指す」。
地震によって機械設備が転倒などした場合、起
㈱川井鉄工所(日立市)の川井一司氏は、
「皆と
こして、さらに水平をとらなければモノは作れな
ガンバリたいから、自分もガンバル。震災後、も
い。これまでの阪神・淡路大震災や柏崎の中越沖地
らった側から、今後はあげる側にまわりたい」。
震の際に観察されたことだが、大企業が機械調整技
創業5年の㈱キャリアプラス(ひたちなか市)の
術者を全国から抱え込んでしまい、中小企業は途方
駒橋達也氏は、
「ポジティブ、行動力、志、向上心、
に暮れた場合が少なくない。神戸の場合、機械調整
責任感、覚悟、いいわけをしない、継続していく」
。
技術者が中小企業にやってきたのは1カ月後とい
黒澤工業㈱(水戸市)の黒澤克之氏は、
「良い会
うケースも報告されている。中小企業が1カ月も仕
社の社員には、経営者の思いが伝わっている。もう
事ができないならば倒産の危機に直面する。日立・
一度仕事を頼みたいと言ってもらえる会社に」
。
ひたちなかの場合、後のケース・スタディで採り上
㈱赤津工業所(日立市)の赤津浩史氏は、
「人の
げる㈱エムテックの松木徹氏が機械調整技術者で
つながりのありがたさ。一人では生きていけない。
もあり、精密水準器を全国から集めるという発想に
我々は生かされている」。
至ったことも興味深い。
㈲光和精機製作所(日立市)の佐藤貴之氏は、
「今
この呼びかけに呼応し、東京墨田区の「フロン
までは上から目線で、自分の思い通りの社員にした
ティアすみだ塾」
、八王子市の「はちおうじ未来
かった。震災後は変わった。社員と社長のこころを
’
11.11
46
同調させ、地域に貢献する町工場になる」。
㈱ユニキャスト(日立市)の三ツ堀裕太氏は、
「人
と向き合う。高い志を掲げたい」。
心として、小物の精密金属部品加工に従事している。
受注先から図面をもらい、材料を手当し加工する。
大半は社内でこなすが、一部に加工外注数社
(市内)
、
卒塾生は当初、3月12日に発表するために資料
メッキ2社(隣、東京の京浜島)
、熱処理(築西市)
、
を作成していたのだが、震災を経験し、改めて発表
研磨(市内)に依存している。受注先は日立関係(自
資料を作り直している場合が多かった。1年間の塾
動車部品)30%、三菱重工(兵庫県姫路)30%が中
とその後の震災を踏まえ、もう一回りスケールが大
心であり、近隣のその他の仕事も受けている。
きくなったのではないかと思う。発表を聞いていた
近年、自動旋盤の仕事の多くは海外に移管され、
人びとは、改めてこのようなネットワークの意味を
当社は東日本に残った数少ない自動旋盤の供給力の
振り返っていたのであった。
ある中小企業として存在している。現在の社長は2
代目の松本寿一氏(1947年生まれ)だが、数年前か
3.被災企業の状況と課題
ら実質的には3代目の松木徹専務(1976年生まれ)
以上のように、日立・ひたちなかのエリアは、
が経営にあたっている。従業員
3月11日の東日本大震災により被災した。津波によ
は正社員13人、パート13人の全
る被害は岩手県(3)、宮城県沿岸ほどではなかった
26人体制であった。男女の比率
が、むしろ、地震による建物、機械設備の被害が目
は6:4ほどであった。なお、
立っていた。
松木氏はひたち立志塾発足以
また、日立∼東海∼ひたちなかのゾーンを歩く
と、微妙に地震による被害が異なっているように見
来の第1∼4期生でもある。
松木徹氏
被災の状況とその後
えた。一方では建物がダメージを受け、取り壊しが
震災による被害は、建物には見られず、重量物
必要になっている場合から、機械や棚が倒壊した
の機械が最大50cmほど動き、机の上にあった投影
ケース、あるいは、事務所の書類等が散乱したと
機が転倒、製品を並べていた棚が転倒、建物の中の
いったケースなど、多様なものであった。
ガラス窓が一部破砕した。元々、建物の基礎がしっ
ここでは、震災後ほぼ1カ月を経過した4月17
かりしており、機械が滑ったという受け止め方をし
日に現地を訪れた日立から東海、ひたちなかのゾー
ていた。むしろ、アンカーでしっかり止めていた機
ンの4つの中小企業(ひたち立志塾生、OB)に注
械の取り扱いがやっかいであった。
目し、被災の状況、その後の取り組み、今後の課題
等を見ていくことにしたい。
被災当日、松木氏は東京大田区の展示会に出席
しており、クルマでひたちなかに向かう。渋滞する
一般道を10時間ほどかけて12日の早朝5時30分に
(1)機械が移動、棚が転倒、自力で再開(㈱エムテック)
自宅に着き、玄関にも入らず、自分のクルマに乗り
エムテックは仙台出身の創業者が東京から日立
換え6時には工場にたどり着いた。被災当日は普段
に疎開してきて、1949年にベンチレース1台で創業
は来ていない社長がたまたま出社しており、ブレー
している。納期、技術に優れ日立製作所多賀事業所
カーを落とすなどの指示をしてくれていた。松木氏
の直取引となった。その後、多賀事業所の仕事がひ
は「状況は前の晩に聞いていたが、散乱する現場を
たちなか市の日立製作所那珂事業所に移管される
見て、笑うしかなかった」と述懐していた。松木氏
ことになり、1964年に現在地のひたちなか市津田東
は「復旧は1週間」と受け止めたようであった。従
に着地している。
業員には怪我はなかった。また、従業員の家族等に
仕事はNC自動旋盤約30台(シチズン製27台)を中
も大きな被害はなかった。
’
11.11
47
14日から復旧
している。エムテックの場合は、被災後ほぼ1週間
に入り、まず、
で復旧したということになろう。当面、仕事は忙し
2階の散乱した
く、松木氏は「人を入れたい。被災者を入れたい」
製品の片づけ、
と語っているのであった。
油の処理を行
い、15日には機
エムテックの基幹設備であるNC自動旋盤
(2)旧工場は危険、新工場は無事(水戸精工㈱)
械の補正、水平
水戸精工はひたちなか市郊外の山崎工業団地の中
をとった。全国から集められた水準器を借り、自分
に立地していた。このあたりは地盤にやや問題のあ
たちで回復させた。松木氏は家業に戻る前に3年ほ
る丘陵であり、
どシチズンの工場(軽井沢)で工作機械の組立、調
途中の道路は陥
整の仕事をしており、お手の物であった。16日には
没し通行止めに
一部稼働、17日には完全復旧、18日には通常に戻っ
なっていた。迂
た。この間、電気は13日の午前中に回復していた。
回してたどり着
松木氏は「水準器を借りられて助かった。自分で持
いた1991年に建
つべきかな」と振り返っていた。電話の回復は18日
設された水戸精
の午後であった。
工の工場建屋
関西のライバル企業の仕事も受ける
は、外観からは
被災後の周辺の動きとしては、まず、機械メー
特に被害がある
カーのシチズンが応援4人を22日に送り込んでき
ようには見えな
たが、すでに調整は終わっていた。投影機はメー
かった。
ひたちなか郊外の道路は寸断されていた
カーのミツトヨが17日にやってきて調整していっ
水戸精工は
た。今回の被災と復旧を振り返ると、建物の躯体に
1985年、舘文郎
影響はなく、被害は機械のズレ、測定器の転倒、製
氏(1943年生まれ)が樹脂のベローズポンプ等の切
品の散乱であった。電気の復旧も早く、また特に、
削加工を目的にひたちなかで創業している。舘氏は
松木氏が機械調整の技術を有していたこと、さら
それ以前は東京飯田橋の半導体のバルブ・装置メー
に、全国から送られてきた水準器を利用できたこと
カーのハルナに勤め、ひたちなか営業所長に任じて
が早期の復旧につながっている。外注に関しては、
いたのだが、そこから独立している。主力の取引先
メッキは17日から東京の京浜島の業者(㈱新日東電
は日立などであり、半導体関係の他に医療の分析機
化)がクルマで受け取りに来ている。
器の領域などを手掛けてきた。近年、舘社長が出社
水戸精工の工場建屋
また、意外なことだが、姫路の三菱重工の仕事
してくることは少なく、現在は子息で専務の舘裕一
が現在、被災前の倍近く来ている。三菱重工は部品
氏(1975年生まれ)が実質的に経営している。裕一
の2社発注をしている。震災後は毎日、三菱重工か
氏はひたち立志塾の第4期生でもある。
ら復旧状況の確認の電話が寄せられていた。当社の
水戸精工の最大の特質は、フッソ樹脂の精密機
ライバルは関西にいるのだが、材料の調達ができ
械加工であり、競争者はあまり多くない。フッソ樹
ず、むしろ復旧が早く、材料調達のルートを押さえ
脂は耐熱性、耐化学薬品性などに優れ、半導体、医
ていた当社にその分は移管されている。
療機器関係で幅広く採用されている。仕事の流れは
これらの結果、3月18日から納品が開始され、
ユーザーと調整し、加工上の特性を提案し受注して
また、地元の日立の工場も3月22日から受入を開始
いくところから始まる。社内には主要設備としてマ
’
11.11
48
シニングセンター(MC)13台、NC旋盤22台が装
ら借りた水準器等で行うことができた。機械は3日
備されている。加工ロットは1個から1万個位ま
で復旧できた。この間、断水は10日ほど続き、近く
で。主力の取引先は、地元の日立をはじめ、東京エ
の川から生活用水を汲んで対応した。電気は3月15
レクトロン関係など多岐にわたる。従業員は58人、
日に通じた。この水戸精工の場合は、古くからの第
月商1億円ほどの事業になっていた。
1工場から新設の第2工場に主力設備をすでに移
なお、後継者の舘専務は高
設していたことから、震災後の復旧は早かった。
校卒業後は専門学校に通って
素早い復旧とユーザーに「安心」を
いたが、夏期休暇などの際に家
このように震災などで被災し、すぐに復旧でき
業の手伝いをしながら、CAD
ない場合、ユーザーが離れてしまうことが指摘され
や機械にのめり込んでいった。
ている(転注という)。だが、今回は少し事情が違っ
事実上、20歳の頃からこの仕事
舘裕一氏
ているようである。
に就いていた。8年ほど前から営業の担当になり、
東京エレクトロン系のフロウエルは、3月14日
どうしてよいかわからず、HPを作って仕事をとって
には2人がポリタン等の資材を持ち込んでお見舞
いくことを模索する。意外にフッソ樹脂加工のでき
いに来ていた。フロウエル側は「こういう時だから
るところは少なく、小ロットながらも大学の研究
仕方がない。顧客と調整する。短納期ものの確認」
室、ベンチャー企業などからの受注が増えていった。
ということであった。また、いつも厳しい名古屋の
建屋は危険、機械は3日で復旧
ユーザーからは、当方の「1週間で目処をつける」
震災による人的な被害は皆無であったが、まだ
という言葉に対して、
「いいだろう」という回答を
勤めて数カ月の中国人従業員(残留孤児関係、国籍
得ていた。ただし、主力の一つである日立は自身の
は日本)が、震災後に故郷の黒龍江省に帰ったまま
被害が大きく、1カ月が経過しても、受け入れ停止
戻ってきていない。
になっていた。
水戸精工の建屋は2階建と4階建の2棟がつな
水戸精工の場合は、古い工場は壊滅状態だが、
がっているのだが、そのつなぎ目の部分が剥離し、危
たまたま新工場に被害がなかったことから3日で
険な状態になっていた。さらに、重量鉄骨に張り付け
復旧できた。水準器など所有しておらず、途方にく
られていたALC板の剥離も気になった。ガラスは十数
れたが、墨田区の中小企業の支援により水準器を手
枚破損し、雨樋
にし、一気に復旧させているのであった。
も落ち、天井の
震災後1カ月を経過した段階で、古い工場の解
空調機等も落ち
体などを引きずってはいるものの、後継者の舘裕一
ていた。専門家
氏は、将来を見つめていた。今後は総合的な樹脂加
の意見では解体
工メーカーとして進む。特に、フッソ樹脂の溶着の
した方がよいと
のことであった。
領域に関心を深めていた。さらに、「医療分析装置
新設の第2工場の機械設備群
ただし、幸いなことに、水戸精工は同じ山崎工
の世界は一人で伸びていく。当方はユーザーに合わ
せて成長していく」と未来を見ていた。その場合、
業団地の中に土地を取得し、第2工場を2010年に完
ユーザーの注文に対して「当たり前に納品できる」
成させ、さらに、新本社社屋も2011年3月末に完成
ことを目指していた。舘裕一氏は「安心がポイン
予定であった。この新しい第2工場の建物は全く被
ト。安心感があると一番先に話が回ってくる。自分
害がなかった。機械が少し移動しただけであった。
はユーザーと現場の翻訳をしていく」と語っている
この移動した機械の補正や水平は墨田区の企業か
のであった。
’
11.11
49
ひたち立志塾については、当初「どうなのか。
かし、システム開発事業にも展開し、現在では東海
役にたつのか」と疑問を抱いていたようだが、1年
村で金属塗装業、東京飯田橋でシステム開発事業を
間活動し、さらに震災後の動きにより認識を新たに
展開している。金属塗装部門の従業員は34人、全体
したようであった。地域の中のネットワーク、さら
で40人ほどの事業になっている。なお、小田倉氏は
に地域間のネットワークの重要性を深く感じてい
ひたち立志塾の第1期生の塾長を勤め、OB会でも
るようであった。
重要な役割を果たしている。
1週間で再開にこぎつける
(3)被災は少なく、迅速に再開
3月11日の被災の時は東京飯田橋の事務所にお
(㈱ヒバラコーポレーション)
り、クルマで自宅のある練馬区上井草に戻り、翌12
茨城県東海村は北に日立市、南にひたちなか市
日7時30分に家を出て、国道6号で東海村に向かっ
と接している。原発立地の町村はこれまで電源開発
た。工場に到着したのは午後4時であった。特に、
関連の助成金などが豊かであり、昨今の平成の市町
千葉のあたりの途中の橋の渋滞がたいへんであった。
村合併でも単独制をとったところが少なくない。東
11日の当日は、電気、電話がダメになったが、
海村といえば日本の原子力のルーツというべきと
工場の事務所の水道はかろうじて維持され、周囲の
ころであり、現在は日本原子力開発機構(通称:原
人に配ったと報告されている。当日はとりあえず従
電)、日本原子力発電東海発電所(終了)
・東海第二
業員を帰宅させた。従業員の被害は住宅全壊が1人
発電所(110万Kw)など原子力施設が展開している。
(常陸大宮市)、津波による床上浸水が2人(大洗町)
この電気は東京電力に売電している。
の3人であった。だが、人的被害はなかった。
3月11日の東日本大震災により、原子炉は自動
12日の土曜日には従業員8人が出社してきた。
停止した。なお、2006年に国の耐震指針が改定さ
工場の被害としては、古い工場(1972年設立)の天
れ、茨城県が2007年10月に出した「津波浸水想定」
井のブレースが落下したが、人的被害はなかった。
に基づき東海第二発電所では対策を実施。冷却用海
さらに、工場は昨年補強工事をしており、建物の被
水ポンプを守るため、2010年には従来あった3.3m
害はなかった。また、2007年には隣地に新工場を設
の防護壁に加えて側面にも2.8mの壁を設けた。こ
置したが、基礎工事とアンカーボルトが効いていて
れが幸いし、重大な局面に至らなかった。
建物、機械設備ともに被害はなかった。ただし、建
この東海村に足を踏み入れると、道路や公共施設
物の周辺が大きいところで10cmほど地盤が沈下し
が立派であることを痛感させられる。その東海村の
ていた。一部排水口などに問題があるが、事業遂行
一角に金属塗装に従事するヒバラコーポレーション
に特に支障はなさそうであった。
が立地している。ヒバラコーポレーションの創業は
12日にはまだ電気が通じておらず、溶剤や凝固剤
1973年、先代の小田倉敏美氏(故人)であった。だ
などを装置から抜く作業に従事した。この作業は4日
が、敏美氏は1986年に交通事故で急逝する。当時、
ほどかかった。16日午前中に電気が通じ、再開するこ
現社長の小田倉久視氏(1967
とができた。本
年生まれ)は大学3年生、母
格稼働は3月22
が事業を継承し、久視氏は3
日であった。こ
年ほどシステム会社に在籍
の間、ガソリン、
し、1991年に家業に戻り、1993
重油などの確保
年に26歳で社長に就いている。
小田倉久視氏
その後、かつてのシステム会社勤務の経験を活
が課題となった
が、重油はタン
’
11.11
50
ヒバラコーポレーションの新工場の設備
クが満タンであり、さらに翌週には必要な量が確保
(4)被害の少なかった独立系企業(㈱TMP)
できた。ただし、主要材料の樹脂(塗料)が6月以
日立製作所の影響の大きい日立・ひたちなか地区
降、不足することが懸念されていた。また、ガソリ
において、
「絶対にオリジナルしかやらない。下請
ンは当初不安があり、通勤はクルマ3台の乗り合
はやらない」を旗印に掲げ、興味深い歩みを重ねて
い、さらに、近間の人は徒歩などの対応をとった。
いる中小企業がある。社長は1948年2月生まれの団
当面、資材に問題はなく、主力の日立関係も納品を
塊世代。若手経営者・後継者育成を目指すひたち立
受けてもらえている。
志塾の重要な支援者として、卒塾式などの会場を提
外国人従業員の状況、立志塾の付き合い
供してくれている。日立市郊外の大和田町に立地す
ヒバラコーポレーションの場合、従来から外国
るTMPがそれであり、社長は高橋一雄氏であった。
人研修生を入れていたが、この時は作業員としてベ
高橋氏は旧水府村(現常陸大宮市)の農家の生
トナム人男性(25歳/2年、33歳/4カ月)2人を
まれ、勝田工業高校機械科を卒業し、旧岩井市(現
入れていた。25歳のベトナム人は日本語も達者であ
板東市)の日本タイプライター(現キャノンセミコ
り、被災後も動揺もなく日本人従業員と同様に仕事
ンダクター)に入社、生産技術部門に在籍した。そ
をしていた。他方、日本経験の短い33歳のベトナム
の後、父が病気になったことから4年ほどで帰郷
人は動揺し、放射能を気にして、水も野菜も摂らな
し、日立関連の会社に入社、
い日々が続いた。この2人のベトナム人には1軒の
さらに日立エンジニアリング
社宅を提供しており、水や食糧については日本人従
サービスに移っていく。日立
業員たちが助け合っていた。
の水力、火力、タービンなど
また、ヒバラコーポレーションには営業職の中
の設計に従事した。日立周辺
国人女性が1人在籍している。茨城キリスト教大学
の技術者の典型的な歩みとい
を卒業し、日本に10年ほど滞在している。彼女は中
えそうである。
国出張が多く、当日は中国にいた。彼女には全く動
下駄屋の倉庫で1人で創業し、独立系メーカーに発展
揺はなく、中国から必要な支援物資の問い合わせを
してきた。
高橋一雄氏
この点、高橋氏は幼少の頃から「社長になりたい」
「自分で考え、自分で作って、世界に売りたい」と
このように、ヒバラコーポレーションの場合は、
思い続けていた。33歳の時に「いま辞めないと始ま
従業員の自宅にいくつか問題が出たが、工場の被災
らない」と気持ちを固め、次のあてのないまま、家
の程度が低く、10日間ほどで全面稼働できている。
族にも相談せず日立を退職している。
さらに、10日ほど工場が止まったことから、3月の
1982年には常陸太田で下駄屋の倉庫を借りて、
売上額はほぼ半分になったが、4月には平常に戻っ
㈲高橋マシンプランニングを1人で創業している。
ていた。また、納品した製品が転倒し傷をつけた場
自動機の開発設計を目指していった。次第に事業も
合などは、無償で修復に応じていた。7社ほどに対
拡大し、自前の工場が欲しくなり、1991年に社名を
応した。逆に、仕掛品で凹んでしまったものは、立
㈱ティー・エム・ピー(TMP)に変更、現在地に
志塾OBの㈱田代工業所(日立市)に割安で修復し
工場を建設している。当時の従業員は13 ∼ 14人で
てもらっていた。若くして事業を継承し、新規事業
あった。新工場に移ってから5年ほど経過した頃か
分野に展開し、立志塾にも積極的に参加し、幅の広
ら業容は拡大し、現在の事業内容は「マイクロムー
いネットワークを形成。実に落ち着いた対応を示し
ビィ(直行ロボット)の開発、設計、製作」
「FA(自
ているのであった。
動組立装置、選別装置、検査装置等)の開発、設計、
製作」となっている。現在の従業員は40人、女性が
’
11.11
51
4∼5人いるが、いずれもCADを扱える。少人数
れたものを起こしたり、粗整理を行った。13日は休
で幅広い能力を備えたメンバーに育て上げていると
みとし、14日には90%復旧させた。そして、15日に
ころにTMPの大きな特徴がある。2011年4月には
は電気が通じた。
予定通り新卒の高校生3人を採用している。
部品の一部がいわきの物流センターにあった
「下請にならない」を原則にしていることから、
が、閉鎖になり、17日にようやく部品が揃った。そ
ユーザーの幅を拡げることに腐心し、当初は自動車
して、徹夜で組み立てし3月18日の金曜日に納品で
関係が多かったが、その後、食品、医療、半導体な
きた。TMPの社内体制は事実上3日で復旧したも
どの領域にも踏み込んでいった。例えば、地場産業
のの、周囲の状況がさらに数日整わず、実質1週間
の納豆のパック機、きのこの小分けパック機、冷凍
で回復した。建物の倒壊等の深刻な被災でない限
食品の超音波切断機、あるいは光ファイバー検査装
り、日本の中小企業の復元力は強く、1週間ほどで
置など興味深い機械設備を開発してきた。
立ち直っていくようである。このあたりは、2007年
特に、近年、TMPの特徴の一つになってきた超
音波関連は東京大田区の多賀電気㈱とのコラボレー
7月の中越沖地震で被災した柏崎の中小企業にも
共通していた(4)。
ションにより可能性の幅を拡げてきた。高橋氏は
「現
中小企業が復旧しても資材が調達しにくく、ま
在、社内に世界一っぽい技術が蓄積してきた」と述
た、納品ができない場合があることが指摘されてい
懐していた。社内には設計、ソフト開発、加工、組
る。常磐線沿線には日立関連の工場が軒を連ねてい
立の一通りの機能が備わり、90%程度は内製として
るが、中には被災の程度が大きく、納品を受けられ
いた。外注はメッキ、塗装、大物鈑金程度であった。
ない状況の工場もある。そのような場合には、中小
勢いのある独立
企業の資金繰りが厳しいものになることが懸念さ
系企業らしく、
れているのである。
建屋はモダンで
4.震災復興と地域中小企業
あり、社内全体
に良質な空気が
今回の東日本大震災に伴う日立市、ひたちなか市
流れていた。現
の中小企業の被害は津波、火災などによる消失はな
在、隣地には新
TMPのモダンな社屋
工場が建設中であった。
く、地震による建物、機械設備の損傷、倒壊、移動
というものであった。この地震そのものの被害という
受注先の開拓については、
「先方の商社が、当方
点では、岩手県、宮城県よりも大きいものであった。
を見つけに来る」場合が70%、その他は展示会、
だが、そのような事態に対して、日立・ひたち
ネットの場合も少なくない。じっくり積み重ねてき
なかの中小企業の復元力は著しく、大半の中小企業
た実績がTMPの存在感を高めているようであっ
はほぼ1週間で復活している。むしろ、大手の日立
た。日立地区を代表する開発型の独立系企業という
製作所関連工場の方が被害が大きかったようであ
ことになろう。
る。そして、それら大企業の工場も必死の対応を重
3日で普及し、1週間で通常に
ね、大半は3月中に再稼働し、注目のルネサスエレ
震災の影響は、機械は少し傾いたりズレたりし、
クトロニクスも予想の1カ月前倒しで6月中旬に
事務所の書類等は散乱したが、建物等には被害がな
は一部再開までこぎつけるところまで来ている。日
く、3日間で復旧していた。震災当日の11日は全員
本のモノづくり企業の逞しさが痛感される。
を帰らせ、家族等の安否を確認させた。翌12日は「出
られる人は、なるべく出よう」ということにし、倒
特に、今回の中小企業の被災と復旧に関してい
くつかの可能性と課題が鮮明化したように思う。
’
11.11
52
地域内と地域間のネットワーク
第2に、長期間十分に操業できないような場合、
第1は、ひたち立志塾のような中小企業の若手
従業員の扱いが問題になる。雇用調整金を申請して
経営者・後継者の地域的な集まりが効果的に働いた
も、数カ月かかる。この間の資金繰りに困り、指名
点である。中小企業の若手経営者・後継者の場合、
解雇が行われることも珍しくない。このような事態
社内に閉じこもっている場合が多く、地域の中で孤
に対して、先の支援受注の延長として、従業員を家
立している場合が少なくない。今回のような事態に
族ごと受け入れるということも課題となろう。その
遭遇して、個別に対応できることは限られている。
ような従業員であれば、仕事は慣れており、支援受
特に、同世代の人びとと切磋琢磨する関係を形成し
注はさらに具体的なものになる可能性が高い。
ていることが、復活への最大のエネルギーになって
中小企業は地域の人びとによって成り立ってい
いた。当然、それらは深い協力関係を形成している
る。その人びとに「安心」を提供していくことは、
ことも重要である。
中小企業の存立・発展の基盤となろう。この震災か
第2に、全国の同様の塾との交流により、視野
らの復旧・復興により、日立・ひたちなかの中小企
が拡がり、地域への思いもさらに深いものになって
業は、そうしたことを深く認識することになった。
いった。全国に「精密水準器」を求めたが、即座に
対応できる関係を形成できていたことも大きい。そ
日本列島で仕事をしていく場合、今回のような
の支援の輪の拡がりが、日立・ひたちなかの中小企
災害がいつでも、どこでも起こりうる。そのような
業の若手経営者・後継者に大きな勇気と新たな認識
事態が生じた場合、地域内、地域間のネットワーク
を与えることになった。それは、新たな「希望」と
は新たな意味を帯びてくるであろう。そして、それ
言っても良い。中小企業は個々には生きていけない
が日本の中小企業、地域産業の新たな力になり、相
ことを痛感させたであろう。参加意識がさらに深
互に刺激しあいながら内面の高度化を促していく
まったのではないか。
ことも期待できる。
支援受注、人を預かる
そして、このような経験を重ねた彼らは、次の
課題を深く認識しつつある。
成熟化、空洞化、人口減少、高齢化に直面して
いるわが国の中小企業、地域産業にすれば、このよ
うな枠組みは刺激的な環境を形成することを意味
第1に、
「支援受注」
「応援受注」の可能性である。
し、新たな可能性を生み出していくことはいうまで
中小企業の場合、先に指摘したように、操業できな
もない。ひたち立志塾と全国の塾の拡がりと交流の
い状況が続くと、他の企業へ発注され、回復しても
深まりは、日本の中小企業、地域産業に新たな「希
仕事が戻ってこないことも少なくない。このような
望」に満ちた可能性を予感させているのである。
事態を回避するために、一定期間、ネットワークの
中で仕事を代行し、操業可能になった際に戻すとい
うことである。このようなことが可能であるために
は、お互いが良く知り合っていなければならない。
特に、競合しにくい遠くのグループの付き合いの中
で、このような可能性を求めていくことが課題とさ
れる。地域の中では多様な異業種と交流し、遠い地
域間では似たような構成のグループと交流を深め
ることも一つの課題となろう。「近くの異業種、遠
くの同業種との交流」がテーマとなろう。
(1)この間の事情は、『日刊工業新聞』(2011年4月20日)を参
照されたい。
(2)このような「人材育成塾」の意義と現状については、関満
博『現場主義の人材育成法』
(ちくま新書・2005年)
、同
編『地域産業振興の人材育成塾』(新評論・2007年)を参
照されたい。また、ひたち立志塾のスタートの頃について
は、関満博『地域産業の「現場」を行く/第1集』
(新評論・
2008年)を参照されたい。
(3)釜石の私の被災状況等については、関満博「中小企業が地
域再生の鍵を握る」(『日経トップリーダー』2011年4月)
を参照されたい。
(4)震災後の柏崎の中小企業の状況については、関満博「震災
に立ち向かう柏崎中小製造業」
(
『商工金融』2007年9月)
を参照されたい。
’
11.11
53
11月増刊号
July
2011
AREA RESEARCH CENTER
C
視 点
O
活力ある日立への再生を
日立市長 吉成 明 ………
55
N
T
論 説
E
希望の架け橋、いばらき復興に向けて
−Project KIBOW
グロービス経営大学院 学長
グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー
堀 義人 ……… 56
N
寄 稿
T
いばらき復興への私からのメッセージ
∼地域が元気になるために∼
S
・被災者に役立つ情報を届ける
・大震災の経験が教えてくれたソーシャルメディアの役割と可能性
・希望をつなぐプロジェクト
・ひたちなか地区のものづくり企業復興に向けて
・地域に刺激を与える美術館を目指す
・種を播き続けることが農家の希望
・風評を吹き飛ばせ!
・元気のもとは鹿嶋の歴史と文化の底力
・震災がもたらした新しいまなざし
9つのメッセージから見えてきたもの
∼復興に向けて歩むために必要なこと
’
11.11
54
…………………… 60
視
点
活力ある日立への再生を
日立市長
吉成 明
東日本大震災により被害を受けられた皆様に、心からお見舞いを申し上げます。
我が国に甚大な被害をもたらした今般の大震災は、日立市においても、市民生
活に多大な影響を及ぼし、学校や道路等の公共施設にも深刻な被害を与えました。
震災発生後、本市では、直ちに災害対策本部を設置し、国・県をはじめ関係機
関の皆様の力強い御支援をいただきながら、避難所の開設及び、ライフラインや
道路をはじめとする公共施設の復旧に取り組み、現在では、被災道路の復旧作業
もほぼ完了し、図書館などの公共施設も順次、供用を再開しております。
また、本市基幹産業である電気機械産業関連事業所におきましても、関係者の
皆様の御努力により、早期に操業が再開され、企業活動にも力強さが戻りつつあ
ります。加えまして、産業の拠点でもあり、甚大な被害を受けた茨城港日立港区
においても、貨物の積出しや定期航路が再開され、さらには、東京ガスによる液
化天然ガス基地建設計画について、予定通り進められることが表明されるなど、
復興に向けて着実に歩みを進めております。
一方、市民の皆様の生活再建支援に関しましては、3月29日に、被災者支援総
合相談窓口を設置し、4月末の時点で、4,600件を超える御相談をいただきまし
た。具体的な支援策として、本市独自で、災害見舞金の給付や住宅修繕費用の一
部助成、宅地内水道管修理費補助、被災者に対する市営住宅の提供等に取り組む
とともに、産業復興を図るため、中小企業の被災建物再建に対する補助や金融支
援策等にも取り組んでまいりました。
復旧・復興には、スピード感を持って取り組むことが何よりも肝要であると考
えており、本市では、震災復興に向けた組織強化を図るため、災害対策本部と並
行して、5月に「日立市震災復興本部」を設置しております。今後は、復興への
指針となる「日立市復興計画」を早急に策定し、市民生活の安定、都市基盤の復
旧、そして災害に強いまち、活力あるまちとして再生するため、皆様の御支援、
御協力をいただきながら、一日も早い復旧・復興に向け、取組を強化してまいり
たいと考えております。
’
11.11
55
希望の架け橋、いばらき復興に向けて ̶Project KIBOW
グロービス経営大学院 学長
グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー 堀 義人
2011年3月11日、日本における観測史上最大の
マグニチュード9.0の地震が東日本を襲い、それに
ハブになることである。
(1)希望
続いて最大38メートルにも及ぶ巨大津波が発生し
救援・復興において重要となるのが、希望だ。
た。この未曾有の災害で、2万5千人が死亡ある
今回のような大災害においては、諸組織及び人々
いは行方不明になり、福島第一原発より放射能が
が迅速に集まり、異なるコミュニティを代表し、
漏えいした。第二次世界大戦後、日本が最大の危
希望を持ち、共同で計画、約束、実行をしていか
機を迎えていると言っても過言ではない。
なければならない。スポーツでも、応援や声援が
余震が続き、計画停電が敷かれて交通の便もま
競技者のみならず観客をはじめ多くの人を勇気づ
まならない中、3月14日の夜、経営者、NPOトッ
ける。落ち込んだ人を励まし、明るい未来を語る
プなど若手・中堅リーダー有志で集い、
「東日本巨
ことは欠かせない。そうした気持ちを分かりやす
大地震∼今僕らにできること」をテーマに、暖房
い形でプロジェクトにできないかと考えたのが始
を切り、熱く議論を交わした。そして、参加者同士、
まりだ。
この大震災からの復興の意思を強く確認しあった。
このため、Project KIBOWの立ち上げ以来、国
セッション後も有志の討議は、場所を変えて続
内外の様々な組織や人々とのコラボレーションで
いた。日本を復興したいという想いから、一つの
チャリティイベントなどを実現してきた。活動は
プロジェクトが立ち上がることになった。そのプ
首都圏にとどまらず、
「KIBOWいわき」
、
「KIBOW
ロジェクトが、
「Project KIBOW」だ。
「KIBOW」は、
仙台」
、
「KIBOW軽井沢」など、被災地やその他
「希望」と「Rainbow」を組み合わせた造語で、希
日本各地に積極的に地域展開している。また、関
望を多くの人に届け、海外と日本の虹の架け橋と
西 のビ ジネスパ ーソンが中 心となって できた
なることを使命としている。この「KIBOW」の
「HOPE FOR JAPAN」
、ハーバード学 生 による
旗印の下に、最初の話し合いの場にいた仲間が即
「Harvard for Japan」など、外部プロジェクトとも
座に集い、また、翌日には楽天の三木谷浩史さん
積極的に連携してきた。小さな力が大きな輪につ
も賛同してくれた。
ながっていくのだ。
Project KIBOWの具体的な活動は、3つのカテ
ゴリーで展開している。まず、国内でそれぞれの
(2)世界との架け橋
今ほど海外が日本に注目しているときは無い。
立場で頑張っている人たちに「希望」や夢を届け、
一方、今ほど海外へ発信する必要が高いときも無
また、それらを醸成するハブになること。2つ目
い。グローバル化が進んだ現在、日本だけで生き
が、英語でも発信し、海外にいる方々に日本の存
てはいかれない。
「日本を良くする」という強い
在感や復興にかけるエネルギーを伝え、再創造に
意志を世界にアピールし、世界と協力しながら日
助力してもらう「世界との架け橋」の役を担うこ
本の復興に繋げていく必要がある。それを、政府
と。そして、3つ目が「義援金」に関する情報の
でもマスコミでもなく、民間の僕らが担っていこ
うという構想だ。
Project KIBOW ウェブサイト:
http://kibowproject.jp/
http://www.facebook.com/kibow.jp
日本人の誠実さ、勤勉さ、秩序だった行動に、
世界は惜しみない賞賛を今、与えている。彼らに、
’
11.11
56
堀 義人(ほり よしと)
グロービス・グループ 代表
■略歴
京都大学工学部卒、ハーバード大学経営大学院修士課
程修了(MBA)
。住友商事株式会社を経て、1992年株
式会社グロービス設立。
1996年グロービス・キャピタル設立。
2006年4月、グロービス経営大学院を開学。学長に就
任し、自ら「企業家リーダーシップ」科目の講師とし
て教鞭をとる。
若 手 起 業 家 が 集 う Y E O(Young Entrepreneur's
Organization 現EO)日本初代会長、YEOアジア初代代
表、世界経済フォーラム(WEF)が選んだNew Asian
Leaders日本代表、ハーバード大学経営大学院アルムナ
イ・ボード(卒業生理事)等を歴任。
現在、経済同友会幹事、日本プライベート・エクイティ
協会理事を務める。
■主な著書
『創造と変革の志士たちへ』(PHP研究所)
『吾人(ごじん)の任務』(東洋経済新報社)
『人生の座標軸』(講談社)
『ケースで学ぶ起業戦略』(日経BP社)
『ベンチャー経営革命』(日経BP社)等
堀義人blog『起業家の風景/冒言』
http://blog.globis.co.jp/hori/
Twitter http://twitter.com/yoshitohori
日本の中堅・若手リーダーが、
「日本を必ず再生
義援金は9月11日までを受け付け期限としてい
させる。一緒にやろう」と、顔が見える形で呼び
るが、すでに6000万円を超える額が集まっている。
かけ、希望の架け橋となっていく。僕たちが伝え
この受け渡し先についても、熟慮した。今回震災
たいのは、
「日本は諦めない、この危機に必ずや
からの復興には15兆∼ 20兆円程度を要すると言わ
打ち勝つ」というメッセージだ。フェイスブック
れ、いろいろな団体が義援金を集め、配分を決定
のような世界的ネットワークを通じ、多くの人達
している。しかし、そうした大きな組織に僕たち
に、日本に「希望」があるということを知らせたい。
の義援金を渡しても大河の一滴でしかなく、支援
しかし残念ながら、日本における海外に向けて
してくださった方々にも十分な効果を示しづらい。
の発信対応は、まだまだ脆弱だ。徹底的な世界と
そこで、頑張っていて顔の見える信用できるコ
の虹、希望の架け橋になるために、英語での対応
ミュニティに直接配布することにした。具体的に
を意識して、日本の状況を逐次、世界に向けて発
は、
(1)25%はNPO(主に税額控除を受けられな
信する。一方、全世界からの具体的な活動支援に
いNPOを 外 部 で 有 識 者 会 議 を 開 き 選 定 )
、
(2)
関しても、この情報ネットワークを使って提供して
25%は地域へ復興資金として寄付、
(3)25%は主
いく。Project KIBOWでは既に、これまで僕がダボ
に被災地出身者(子どもから学生)の教育支援、
(4)
ス会議など世界中で名刺交換をした方の中から、
25%は被災地への直接的な支援活動を行っている
メールアドレスの分かる3600人に、プロジェクトの
公益社団法人Civic Forceへ、という配分方針だ。
狙いや今、僕たちが考えていること、日本で起きて
いることを定期的につづった合計10通のメールを
KIBOW水戸∼いばらきの復興支援に向けて∼
送った。これに対して、世界各地から応援のメッ
Project KIBOWの活動は無論、茨城にも向いて
セージや賛同の声など大きな反響が返ってきている。
(3)義援金
いる。あまり報道はされなかったが、北茨城も大
きな被害を受けた。被害区域が広く、死者・行方
世界からも国内においても、
「義援金を送りた
不明者も甚大であることから、どうしても東北地
いのだが、どこに送っていいかわからない」とい
方に注目が集まりがちだが、北茨城には東北への
う声は少なくない。そこで、国内のみならず、海
玄関口としての役割もある。僕たちとしては、東
外に向けた義援金の窓口としての役も担っている。
北に限らず困っている地域を励ましていきたいし、
世界では、日本の放射線による被害に対する危惧
各地において、そこでこそできることを考えて実
が広がっているが、人が日本に来られずとも、情
行したい。そんな思いで3月25日に開催したのが、
報や資金は日本に呼び込める。義援金の窓口は、
「KIBOW水戸」イベントだ。
学校法人グロービス経営大学院とコラボレーショ
僕は、小学校6年の時に東海村から引っ越して
ンをしつつ、海外からも安心して提供いただける
来た時から、高校卒業までを水戸で過ごした。期
ようPayPalなどの仕組みも使って外国通貨でも振
間にすると7年弱と短いが、人生で最も多感な時
り込みを可能としている。
期を過ごしたので、僕にとってはかけがえのない
’
11.11
57
思い出の地となっており、個人的にも思い入れが
開催したが、ホテルも市役所も文化センターも破
深い。大学時代以来、僕が水戸に戻る機会は少な
損が激しく、使えなかった。しかし、ガソリン不
くなってしまったが、だからこそ、帰るたびに、
足の中、予想を超える多くの水戸っぽが集まり、
史跡や美術館・歴史館などを観光客のように訪問
北茨城の復興に向けて熱く語り、お互いに励まし
し、水戸の歴史と水戸学を勉強してきた。
合った。風評被害に対抗するため茨城産の野菜や
僕は30歳を前に起業し、その後、世界を舞台に
酪農品を食しつつ、参加したそれぞれの人が成長
して飛び回り、欧米のファンドと合弁をつくり、海
して再会することを誓い合い、会合は成功裏のう
外投資家を訪問し、ダボス会議等にも参加した。
ち終了した。これをきっかけに是非、多くの人が
世界の要人と対峙する度に、アイデンティティの重
再創造のエネルギーとなる行動を起こし、水戸が
要性を認識する。日本そして、最後に到達するのは、
更に魅力的な都市になる一助となれば、と思う。
自らの故郷の思想や原風景だ。僕は、水戸への故
郷を再発見する心の旅を重ねるたびに、水戸の先
人達が持っていた気概や志に負けないで生きてい
きたいと、いつしか強く思うようになっていた。
震災からまだ間もない時期、水戸の知人たちに
日本の変革と再生へ
今回、震災からの復興が長期戦になるのは間違
いない。被災地で最初に求められたのは生活物資
だったが、時間の経過とともに、インフラの整備、
電話して集まりを呼びかけようとしたら、
「それど
経済活動の再興など、解決すべき問題は変質して
ころではない」という声も聞かれた。現地で準備
いく。観光業でも飲食業でも多くの会社が倒産す
にあたっていた元市議会議員の川崎アツシ氏の耳
る可能性が高い。だからといって政府が支援でき
に入っていたのも、
「皆、元気がなくて、それどこ
るかといえば、今の財政状況では大盤振る舞いす
ろではない」との声だった。しかし、3月14日の
るわけにもいかない。そこに今度は原発の問題に
東京で開いた会合も、
「それどころではない」とい
伴い一部地域の農作物が出荷停止された。被災地
う中で集まったことが、KIBOWプロジェクトの誕
と言われていない地域、例えば関西なども含めて、
生につながった。そこでしかできないことを、少
部品が届かなくて生産できないといった影響も出
人数でもいいからやる。それが一つのコミュニティ
ている。そうした非被災地への支援や提案、連携
をつくり、起爆剤になっていくという信念から、
も視野に入れなければならない。
僕は「今だからこそ、やるのだ。来られる人だけ
海外メディアでは、
「日本人はすごい」と民度
でいい。無理して来なくていい」と返答した。こ
の高さがたたえられている反面、トップの無能さ
うして、地元の中堅・若手のリーダーを集めて、
「頑
についてはかなり厳しい報道がなされている。
張っぺ、水戸・茨城、今こそ水戸魂を!」というテー
マでKIBOW水戸を開催することになったのだ。
ただこれは、僕は「今が国民にとって、政治を
変えるチャンス」とも言えると前向きに捉えてい
東京から水戸に向かう高速バスの中からは、瓦
る。起こったことをポジティブに捉えれば、さま
が落ち、雨漏り防止の為に水色のシートを被る家
ざまなチャンスにできる。単に震災からの復興に
が散見された。水戸駅前のプロムナードは、立ち
とどまらず、日本の社会や経済をより良く、活力
入り禁止となっている。3月末の時点では、常磐
のあるものに変えていくこともできるかもしれな
線、水郡線など全て不通で、復旧のメドさえも
い。意思決定や社会の仕組みを変え、ビジョンを
たっていなかった。考えていたよりも被害が甚大
共有した分散型のリーダーシップや、さまざまな
であることに衝撃を受けた。
物事を同時並行的に進められるような仕組みを導
KIBOW水戸は、
「スペインバル ガンチョ」で
入するべきだ。僕は、ここで3つのドラスティッ
’
11.11
58
クな改革を提案したい。
(1)政治の変革
日本の財政赤字はGDPの200%に達しており、
年金や医療など社会保障の削減が求められている。
たが、問題は山積している。これらを解決する過
程においては、将来への不安が高まったり、我慢
しなければいけないことも生じてくるだろう。
また、風評被害の影響などを受け、世界の中で
今回の震災対応により、日本の財政はますます厳
の日本の経済的な立ち位置も変わるだろう。例え
しい状況に置かれることとなる。これに対処する
ば、放射能を危惧して日本の農産品の輸入制限が
には、経済を活性化し、財政収入を上げていくこ
起きたり、節電対応で生産能力が下がることを懸
とを、より真剣に考えなければならない。
念し、日本からの部品購買が止まり、代替製品が
そこで僕としては、この震災を機に、規制緩和
他国から出荷されてしまうようなことも起きるか
を進め、将来の成長に向けた投資を増やし、市場
もしれない。こうした場面でも、逆に日本のモノ
全体の起業精神を高めていくことを強く訴えたい。
をより強く海外に推奨し、むしろ外需を拡大する
例えば、東京電力一社をとっても、発電と電力供
機会を創出していかなければならない。
給の2部門に分割し、電力産業に新しいベンチャー
そこで求められるのが強いリーダーシップだ。
が参入できるような素地をつくっていくべきだ。三
今の日本の政局が反面教師となっているように、
木谷氏が楽天を起業した背景には、阪神淡路大震
重要なのはグランドデザインである。応急処置ば
災が原点としてあった。今回の東日本大震災も、
かりでは不信感につながる。そこで、経営教育を
東北から新しい起業家を輩出し、創造と変革の動
通したリーダー育成を推進するグロービス・グ
力とする契機にできると、僕は信じている。
ループとして、その強みを活かした支援を考えた。
(2)民間企業の変革
「KIBOWリーダー教育」だ。被災地における復興・
日本人の勤勉さ、熱意、連帯感や我慢強さは世
再創造の実現支援の一環として、岩手県盛岡市、
界でも定評があり、今回の震災でもそうした長所
宮城県仙台市、福島県いわき市、茨城県水戸市の
が発揮されることになった。このような日本人の
4カ所で、マーケティング、クリティカル・シン
美徳に加え、戦略性やグローバル化、技術革新の
キング講習を無償で6月中旬より実施している。
姿勢を身につけていこうではないか。それが日本
企業の体質改善と競争力強化にもつながっていく。
(3)市民の変革
市民の政治参加のあり方も変えていこう。ソー
被災地では、地元出身のリーダーが次々と立ち
上がり、再創造に向けた活動に邁進している。
KIBOWリーダー教育が、こうした環境下で活躍
するリーダーの一助となれることを願っている。
シャルメディアの浸透により、自分たちの考え方
突き付けられている課題は大きいが、今、日本
を瞬時に多くの人に伝えられるようになった。震
全体、特に若者の間で、ものすごいエネルギーが
災直後も、ツイッターやフェイスブックが非常に
出ていると感じる。ソーシャルメディアを通じて
大きな影響力を持った。こうしたものを使わずに、
全員の気持ちが一つになれば、そのエネルギーを
考えや行動を広めようと思っても、一人の人間が
良い方向にもっていけるはずだ。KIBOWの輪が
持っている発信力には限度があるし、時間がかか
広がっていったように、最初は小さくとも、
「言
る。政治家を含めたリーダーというのは世論を意
わないほうがいい」
「やらないほうがいい」と委
識せざるを得ないので、ソーシャルメディアを
縮せず、各自が自分で信じることを、できること
使って世論形成に参加していこう。
からやっていけばいい。僕はそこで、皆を信じて、
この震災以前にも様々な形で、これら政治の改
革、民間企業の改革、市民の改革が議論されてき
どんどんそういう風に行動できるような環境をつ
くりたいと思っている。
’
11.11
59
いばらき復興への私からのメッセージ
∼地域が元気になるために∼
寄稿
茨城県でも全域に被害をもたらした東日本大震災から、4 ヶ月になろうとしている。地震による住
宅や道路などへの直接的な被害に加え、福島第一原発の事故に起因する農水産物の出荷制限や風評被
害が続いており、震災による被害は底が見えない。
一方、市町村単位で災害関連予算が成立する動きが見られ、また復興計画や復興構想が策定される
など、地域の復興に向けた取り組みも進みつつある。
本号では地域が元気になるため、各分野で活動している 9 名の方に震災の体験を今一度振り返って
もらい、
「いばらきの復興」をテーマにメッセージを寄せていただいた。これらのメッセージを通じて、
長期に亘る復興への取り組みのヒントを探ってみた。
寄稿を紹介する前に、現時点で明らかになって
いる東日本大震災の被災状況及び行政の対応方針
について見ていく。
(1)県内の被災状況
①住宅被害
表1:県内の住宅被害(6月14日現在)
県央地域
県北地域
鹿行地域
県南地域
県西地域
合 計
全壊棟
362
838
591
201
60
2,052
(単位:件)
半壊棟 一部破損棟 床上浸水 床下浸水
2,110 41,728
357
302
5,727 23,183
896
277
4,528 14,490
158
79
990 23,041
0
1
468 25,102
0
0
13,823 127,544
1,411
659
(出所:茨城県HP)
6月14日時点での、県内の地域ごとの住宅の被
災状況について確認していく(表1)
。
県央地区は、全地区の中で最も一部損壊の被害
②公共施設等
表2:県関連施設への被害額(5月11日現在)
公 共 施 設
農林水産基盤
教 育 関 係
庁
舎
等
医 療 機 関
社会福祉施設等
合
計
箇所数
被害額(百万円)
1,130
68,406
21
50,794
144
8,714
277
4,787
3
447
12
120
1,587
133,268
(出所:茨城県HP)
次に、道路や港湾など県内関連施設への影響を
見ていく(表2)。
県の発表によると、最も大きな被害を受けた種
別は「公共施設」であり、なかでも港湾(209箇所
で32,859百万円)、河川(223箇所で15,643百万円)
の被害が大きい。
次 い で、 漁 港 な ど の 農 林 水 産 基 盤 が21箇 所 で
50,794百万円の被害となっている。
が大きい。市町村別に件数を見ると、水戸市
(18,408
件)が最も多く、次いで笠間市(5,442件)、小美玉
市(4,295件)となっている。
③原子力発電所の事故に伴う経済損失
福島第一原子力発電所の事故に伴う放射性物質の
県北地区は、全壊及び半壊の被害が最も大きい。
流出は、県内の一次産業に大きな影響を与えている。
市町村別では、日立市で全壊360件、半壊2,899件
一部の市町村では、農作物や海産物から規制を
と、共に大きな被害となっている。
浸水については、1,173件の被害の生じた県北地
超える放射性物質が検出され、一定期間の出荷制限
を余儀なくされた(表3、表4)。
区の被害が最も大きい。市町村別では、日立市(584
一方、被害を受けた農業関係者は約85億円、漁
件)、北茨城市(561件)、大洗町(353件)で大きな
業関係者は約14億円の損害賠償を東京電力㈱へ請
被害が生じている。
求し、共に約2億円の仮払いを受けている(表5)。
’
11.11
60
表3:出荷制限を受けた農作物(6月16日時点)
指示日
作物
市町村
解除日
3月21日 ホウレンソウ 高萩市他6市町村
4月17日
共土木関連(23億円)に充てられる。その他、ひた
ちなか市(94億円)、日立市(46億円)や鹿嶋市(35
6月1日
億円)など、沿岸部の市町村で予算の規模が大きく
3月23日 原乳
水戸市、河内町
4月11日
なっている。なお、県でも港湾復旧(144億円)に
3月23日 パセリ
鉾田市、行方市
4月17日
5月12日 牧草
常陸太田市、守谷市、阿見町
5月16日 茶葉
大子町、境町
3月21日 ホウレンソウ 北茨城市、高萩市
6月9日
充てる補正予算1,443億円が計上されている。
表4:出荷制限を受けた海産物(5月31日時点)
4月1日
イカナゴ
北茨城市沖
1,100
4月5日
263
出所:厚生労働省HP他
798
4,648
表5:損害賠償請求(6月17日時点)(単位:百万円)
青果物
原乳等
農業(3月分) 1,447
398
農業(4月分) 5,996
440
その他
296
合計
受取
1,845
190
1,480
2,544
9,475
9,512
6,732
190
茨城県農業協同組合中央会へのヒアリングなどをもとにARC作成
休業補償 風評被害 営業損害
合計
受取
210
漁業(3月分)
425
0
0
425
漁業(4月分)
793
108
68
970
2,527
災害復旧関連予算額
(案)
9,000(百万円)
4,000
1,000
408
1,410
446
構想・計画の検討
1,525
101
783
有り
無し
780
316 460
茨城県沿海地区漁業共同組合連合会へのヒアリングなどをもとにARC
作成
535
1,291
366
0
3,540
630
1,302
図1:災害復旧関連予算額と構想・計画の有無
(2011年6月13日現在)※各種報道資料より作成
(2)復興に向けた行政の取り組み
①国の取り組み
東日本大震災復興構想会議
4月より、
「未来志向の創造的な取組」を目的に、
産官学などの様々な分野の有識者の集まる「東日本
放射線量の測定
放射性物質の流出への対策として、県では全市
町村の放射線数値の測定を5月より定期的に実施
している。
大震災復興構想会議」が開催されている。6月25日
また、6月7日から10日にかけて海水浴場の水
までに12回の会議、8回の検討部会の開催を通じ、
質調査を実施した結果、海水から放射性ヨウ素及び
減災のまちづくり、イノベーションによる成長産業
放射性セシウムは不検出、砂浜の放射線量について
の創出、復興のための財源確保などについての提言
も健康に問題ない水準(地表面で0.05 ∼ 0.14μSv/h)
をまとめている。
であることを公表している。
②県及び市町村の取り組み
ここまでから、震災の被害は地域によって差はあ
復興構想及び復興計画の策定、災害関連補正予
るものの、復興に向けて様々な取り組みが進んでい
算の設定
ることを確認できた。但し、放射能等の影響などを
震災発生に伴い、県北地区を中心に県内10市で
踏まえると、今後長期に亘って茨城復興を図り、地
復興構想または復興計画の策定を検討している(図
域が元気になるためには、様々な立場の人から意見
1:6月13日時点)。
を求めていく必要がある。
また、25市町村で災害復旧関連の補正予算を計
上している。
水戸市(95億円)が最も規模が大きく、主に公
そこで、地域や分野の異なる9名の識者のメッ
セージを通じて、復興への取り組みのヒントを探っ
ていこう。
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被災者に役立つ情報を届ける
1959年生まれ
1982年 東北大卒、㈱茨城新聞社入社
2008年 報道部長就任
2011年 編集局次長兼報道本部長
茨城新聞社 編集局次長兼報道本部長 沼田 安広
東日本大震災では、人々の助け合う姿に感動を
関の状況、政府の対応を詳しく伝えました。電気が
覚えました。被災地の共助はもちろん、全国、海外
復旧すると、テレビが東北地方沿岸を襲う大津波を
からさまざまな支援活動が展開されています。それ
映し出していました。
は、被災者を大きく勇気付けています。地方紙の一
大震災は、時間がたつにつれて被害の全容が明
員として県民・読者が必要とする情報とともに、こ
らかになっていきます。新聞などのマスメディアは
の素晴らしいパワーを伝え、茨城の復興を応援して
それから連日、被害やライフラインの復旧状況をは
いきます。
じめ、安否情報、避難所や炊き出し、給水場所など
の被災者に必要なきめ細かな生活関連情報を提供
寄り添い、励ます
し続けました。
3月11日の大地震発生後、県内は大半の地域が
また、被災者に安心感や希望をもってもらおう
停電となり、電話がほとんどつながらなくなりまし
と、救助・救援活動、救出劇や被災地での出産など
た。何が起きているのか―。被災し不安の中、住民
明るい話題を取り上げ、避難所での住民同士の助け
が求めるのは情報です。
合いや災害ボランティアなどの支援の動きを伝え
情報源としてまず力を発揮したのは防災必需品
ました。さらに、義援金を呼びかけました。
のラジオだったでしょう。車のラジオやテレビも役
こうした報道の根底には、被災者に寄り添い、
立ちました。沿岸に津波警報が発令され、当該市町
励まし、生活再建を支援し、被災地の復興を応援し
村の防災無線や消防車とともに、住民に避難を呼び
たいとの思いがあります。
かけました。ラジオは刻々と各地の被害や電気やガ
震災報道では各マスメディアの特性が発揮され
ス、水道などのライフラインの被害状況を伝えてい
ました。ラジオやテレビには速報性、新聞には詳報
きました。
性や記録性があります。福島第1原発事故の放射性
翌朝届いた新聞は、大きな見出しと震災の惨状
物質漏えいでも、県内で放射線量が平常時と比べて
を捉えた写真が躍り、被害やライフライン、交通機
急上昇したことを、県民はテレビやラジオで知り、
注意したことでしょう。一方、原発事故や放射線量
については一度聞いただけでは分からないことも
多く、新聞で確認した人が多かったはずです。
万が一の備え
震災当日、茨城新聞編集センターは停電のため、
紙面編集システムが短時間しか使えませんでした。
また、委託先の印刷工場(茨城町)が被災して操業
停止となったため、危機に直面しました。連絡が取
避難所で新聞を読むお年寄り(北茨城市)
りにくい中、記者が走り回って集めた記事と写真を
’
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62
東京都内の工場で印刷。高速道路は通行止めでした
トがある半面、不正確な情報が流れる心配もありま
が、新聞を県内に運びました。4ページの紙面でし
す。ツイッターに「東海第2原発が爆発する」など
た。避難所にも新聞を届け、喜ばれたそうです。
のデマが書き込まれたことから、県が誤った情報に
2、3日目は災害支援協定を結んでいる下野新
惑わされず冷静に行動するよう訴えたのも一例で
聞社(宇都宮市)の全面的な協力を得て、新聞を発
す。訂正されるのも速いとは思いますが、注意が必
行することができました。4日目にようやく電気が
要です。
復旧。震災報道一色の特別紙面は5月7日まで続き
ました。
マスメディア、ソーシャルメディアは災害時に
それぞれの特性を果たし、補い合うことが大切で
全ての避難所には新聞を配布できませんでした
す。住民の側もメディアリテラシーを高めることが
が、「県内の情報に詳しい」とわざわざコンビニで
必要でしょう。もちろん、情報弱者にはコミュニ
茨城新聞を買って来たという被災者がいたり、新聞
ティーの支えが欠かせません。
購読の申し込みがあったりと、逆に新聞社が励まさ
れたこともありました。
持続可能なまちづくり
教訓として、非常電源装置や緊急時の通信手段の
大震災から間もなく4カ月となり、被災者の生
確保など、万が一の備えは必要だと痛感しました。
活再建、インフラ、産業の復旧が急務です。また、
復興への展望が必要です。各被災地で住民や企業、
ソーシャルメディアに存在感
大震災で情報提供や共有に存在感を高めている
のがツイッターやフェイスブックといったイン
ターネット交流サイト、動画サイトなど、利用者が
情報を発信し合うソーシャルメディアです。
被災地の市町村もツイッターを活用して行政情
行政が主体となり、災害に強く、少子高齢化などに
対応する持続可能なまちづくりを描いてほしいと
思います。
さらに、福島第1原発事故を受けて、原子力と
どう向き合うのか、東海村JCO臨界事故を体験した
本県でも議論は避けて通れません。
報を知らせています。政府も福島第1原発事故をめ
生活再建は困難な道のりでしょう。公的支援の
ぐる海外の不信感を取り除こうと、ツイッターなど
拡充や働く場の確保など、被災者の声に耳を傾けて
を利用。放射性物質の影響について専門家が情報を
いかなければなりません。
発信し、意見を述べたり、質問にも答えたりしてい
日本の強みの一つは企業の底力です。夏の電力
ます。ツイッターで節電を呼び掛けた
「ヤシマ作戦」
不足は、将来の低炭素社会を見据えて、再生可能エ
など、さまざまな被災地支援の輪が広がりました。
ネルギーや省エネ設備を導入したり、世界一の省エ
茨城新聞社はホームページと携帯サイトに「県
ネ技術に磨きをかけたりする好機かもしれませ
内震災ニュース特設ページ」を開設し、速報にも力
ん。復興をリードするような商品やサービスなど新
を入れました。ツイッターのフォロワーは、震災当
分野の開拓を期待しています。
日の3500人から約1カ月後には7.5倍の2万6千人
県内の農水産業や観光地は、福島第1原発事故
へ増え、地方新聞社ツイッターとしてはトップにな
の風評被害などで大きな被害を受けています。一
りました。全国のテレビや新聞の目が東北3県に集
方、県内外で県産品への応援が広がりました。県民
中し、本県内の情報が少なかったことなどが理由と
の一人として引き続き、地産地消にこだわったり、
みられます。
県内各地に足を伸ばしてB級グルメや新しい名産品
ソーシャルメディアにはマスメディアから伝わ
を味わったり、震災で再認識した茨城の魅力を県外
らない生の情報や知りたい情報が得られるメリッ
に発信したりと、できることから応援していきます。
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1975年 福島県いわき市生まれ、
東洋大学経営学部卒。
㈱エヌエムシイ、現日立電線ネット
ワークス㈱、現日本マイクロソフト㈱
を経て、2004年水戸市で、あおい情報
システム㈱創業、現職。
大震災の経験が教えてくれた
ソーシャルメディアの役割と可能性
おお か わ ら
よしはる
あおい情報システム 代表取締役社長 大川原 啓玄
「ソーシャルメディア」とは?
メディアの定義は諸説ありますが、私は以下の
ように認識しています。
http://www.aoisystems.jp/
ではない人と話す回数が飛躍的に増えました。ガソリ
ン給油待ち、スーパーに並んでいるとき、前後にいる
人と話をしました。そこで話したことに非常に有用な
マスメディアとは、少数の情報配信者から多数
ことも多くありました。
「誰それさんちで井戸水がわ
の受信者に向かって情報が伝達される媒体のこと
けてもらえる」
「飲める湧水ポイント」
「○○町までは
です。テレビやラジオ、雑誌などがその手段・媒体
電気が戻ってるから、そこの携帯電話ショップで充電
となっています。
させてもらえる」などなど。私もそれを聞いて、必要
ソーシャルメディアとは、多数の情報配信者から
そうな人がいるとその情報を伝えました。自宅の水道
多数の受信者に向かって情報が伝達される媒体のこ
が復帰したのを知ったのも、隣に住んでいるおばさん
とです。ホームページ(Web)やTwitterなどがその
が「水道でるよ!」と教えてもらったからでした。
手段・媒体となっています。このほか、従来の口コミ
これらはいわゆる口コミです。このような有用
や呼びかけなどもソーシャルメディアに含まれます。
な情報の口コミによる伝達は、互助の心がお互いに
一番の違いは、マスメディアは専業職業人が集約
あるからでしょう。被災者同士が助け合う姿が世界
し発信している、ソーシャルメディアは必ずしも専
に発信され日本人は称賛されましたが、情報の伝達
業職業人ではない人が発信している点です。また情
であっても互助の心が働いていました。
報発信者と受信者が固定化せずに、発信者が受信者
ソーシャルメディアツールとしてのTwitter活用
になるのはもちろん、受信者が発信者になりえると
今回の震災でTwitterが活躍したと多くの人が
いう点でもマスメディアと大きく異なる点でしょう。
語っています。私もTwitterを活用した一人でした。
震災直後の情報流通
今回の震災でみなさんは同じことを感じたはずです。
「情報が少ない」
とても広い範囲の震災で地震津波その他の災害が
東北地方太平洋沖地震が発生したとき私は都内
にいました。水戸に戻ろうにも常磐自動車道および
首都高速は全面通行止め。国道6号も通行可能かど
うかわかりませんでした。
複合してきたこともあり、各地域で状況が大きく異
しかし私よりも先に都内をでて、日立市に向かっ
なったために、一つの情報があってもそれはその地
た方がいて、この方がTwitterに情報を提供してく
域の情報であって、他の地域の状況はまた異なると
れたため、渋滞を覚悟すれば何時間かかろうとも到
いうことでした。茨城県では広域で停電が発生し、
着できることを知りました。
テレビから情報を得るということができなくなりまし
道路状況はめまぐるしく変わり数時間前は通行で
た。電池式のラジオを持っていた家庭はどれくらい
きたものの、現在は通行できないというような状況
あったのでしょうか?私の周りでは電池式のラジオを
も何回もありました。特に茨城県内は橋の通行止め
持っている人は少なく、スマートフォンや車のラジオ
が多く、各地で渋滞が発生していましたが、渋滞に
から情報を得ていた人が多かったように感じました。
巻き込まれた方や橋を通過できた方のTwitterを頼り
情報の渇望からか、私自身はこれまで以上に知人
に水戸にある自社までたどり着くことができました。
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水戸の自社に到着し必要な装備を自動車に積み、
しかし良い部分には悪い部分もつきもの、ソー
実家のあるいわき市に向かうことにしました。ひたち
シャルメディアは必ずしも良いことづくしではあ
なか、日立についてはTwitterで情報を得ることがで
りません。マスメディアにも存在しますが、ソー
きましたが、高萩以北では情報がなく、通行が可能
シャルメディアは「デマ」が広がりやすいという点
かどうかわからないまま北上することになりました。
が指摘されています。
Twitterでは「北茨城の情報がない」「高萩はいま
ど う い う 状 況 な の か?」 と い う 声 が 多 く あ り、
伝わる情報が途中で伝言ゲームのように内容が
変わってしまい、デマになってしまいます。
Twitterを使っている人が少ないであろう地域の情
「高萩市に支援物資が届かない」→「このままで
報は得にくい状況でした。このことからわかるよう
は餓死者が出てしまう」→「餓死者が出てる」とい
にソーシャルメディアであっても、発信者がいない
うのは実際にあったデマです。
場合には情報は得られません。当たり前の話ですが
また故意にデマを流す人もいます。地震直後に
マスメディアかソーシャルメディアかによらず、情
「浅草のとある会社で、什器に挟まれて身動きが取
報発信者がいなければ情報を得ることはできない
れない。死にそうだ助けてくれ」という話がTwitter
のです。
で流れました。これはほどなくデマと判明します
高萩・北茨城を通過した私はTwitterに自分が見
た状況を発信するようにしました。ソーシャルメ
が、善意から急いで助けてあげないと、誰か助けて
あげてという声が広がっていきました。
ディアの世界では情報を得るだけでなく、自ら発信
衝撃的な情報であればあるほど、ソーシャルメ
するという役割も重要です。私が発信した情報を見
ディアでは速く拡散します。受信者であっても再発
て、高萩・北茨城の状況を知って良かったという方
信者であっても、正確な情報であるかどうかを確認
がTwitter上にいらっしゃったことは情報発信者と
することが求められるようになりました。悪意がな
して非常に喜ばしいことです。翌日以降、Twitter
くても不正確な情報を流してしまう可能性がある
での依頼に応じて、北茨城の避難所に訪問して安否
というのが、ソーシャルメディアの問題点の一つと
確認や物資の供給情報等を提供したことは、私自身
してあげられるでしょう。
がソーシャルメディアでの発信者としての自覚の
最後に
産物だと振り返っています。
マスメディアであれば、受信者は情報を得るだ
けの立場です。しかしソーシャルメディアは受信者
ここまで書いてきたように、ソーシャルメディ
アには新しいメディアとしての大きな可能性があ
ります。一方では新たな問題も生まれています。
が発信者にもなり、また双方向であるために必要な
TwitterやFacebook、ブログといったインター
情報を要求することができます。
(要求を満たして
ネット上のツールはソーシャルメディアの実現手
くれる発信者がいるかどうかは別ですが)
段です。そしてメディアはマス・ソーシャルに関わ
マスメディアとの相互補完性と
らず情報を伝達するための手段ともいえます。
ソーシャルメディアの功罪
情報伝達として大切なことは「正しい情報を伝え
ここまでソーシャルメディアの有用性について
ること」
「相手が必要であろう情報を伝えること」で
体験を書きました。マスメディアで不足している情
す。ソーシャルメディアの時代がきても、これは変わ
報を補完することが可能になったというのは大き
らないことでしょう。むしろこれからは一般市民が情
い効果ではないでしょうか?マスメディアでも視
報発信者になりえるために、これまで以上に正確性
聴者からの意見収集や、いわゆるネタ集めのために
と互助の心が必要になるでしょう。これらのことは今
Twitterを活用する事例も増えています。
回の震災が私に教えてくれたことと認識しています。
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音楽書、児童書の翻訳に従事後、暮しの企
画舎設立。今年第19回を迎えるカスミグ
ループの社会貢献事業「わたしの企画」応
援します!のコーディネイターを務める。
NPOつくばアーバンガーデニング(TUG)
理事長として、市民参加の花のまちづく
りや100本のクリスマスツリーを推進。
希望をつなぐプロジェクト
暮しの企画舎 代表 井口 百合香
3月11日、わが家では電気製品の修理に見えた方
名、集まった物資1087箱、仕分けや梱包、積み込み
たちと震度6弱という大きな揺れを体験しました。
や積み下しに協力したボランティアは227名にの
「怖かったですねえ」と言い交わしつつも、食器棚
ぼったそうです。
からコップ一つ落ちるでもなく、被害はほぼなかっ
4月9日からは、毎週末、茨城交通、関東鉄道
たのですが、外に出ると、大谷石の塀が崩れて散乱
バスなどと連携して、水戸とつくばから、いわき行
しているお宅、屋根瓦が半分位落ちているお宅など
きの「ボランティアバス」を運行し、これまで約
が、揺れの大きさをあらためて実感しました。翌日
500人のボランティア活動をサポート。
「日帰りで参
から断水で心細い思いをしましたが、3日程で復旧
加できるのは有難い」「いわきの人にとても感謝さ
しほぼ普段の生活が戻ってきました。そんな中、被
れ嬉しかった」などの声が寄せられています。
災地の映像をテレビで見ては、何かできることがあ
4月後半からは、いわき市内の避難所を中心に
ればと思うものの、どうしたらいいかわからない、
「足湯活動」も。お湯の入った容器に足を入れても
というのが国民共通の感情だったと思います。
らい、手でマッサージしながら、被災者とお話しし
ます。とても好評で、埋もれたニーズの掬い上げに
茨城NPOセンターコモンズの
役立っているそうです。
HOPE常磐プロジェクト
頼もしかったのが、茨城NPOセンターコモンズ
の活躍でした。支援が手薄になっている北茨城と原
発事故の影響下にある福島県いわき市への救援物
資の提供とボランティア派遣を行うため、協働体制
を作るべく迅速に動きました。現地のNPOと連携
して支援物資を被災者に分配する態勢を整える
と、茨城放送、ラヂオつくば等を通じて支援物資の
提供を呼びかけました。「HOPE常磐プロジェクト」
の始まりです。同時に被災者に配る「義援金」では
なく、被災者に必要なサービスを持続的に行う市民
活動のための「支援金」を集める「ホープ茨城募金」
を立ち上げました。
足湯活動に従事するボランティア
コ モ ン ズ が、 こ の よ う にNPOな ら で は の コ ー
ディネート能力を遺憾なく発揮できた背景には、
「SRネット茨城」「フードバンク茨城」「つくば市民
つくばで拠点となったのはつくば市民大学。ラ
大学」などの立ち上げに関わり、経済団体、生協、
ジオやツイッターで知った人々が、食品、タオル、
マスコミ、農業関係者などと信頼関係を築き上げて
紙おむつなど支援物資を手に詰めかけました。3月
きたことがあります。災害の大きさや深刻さが明ら
17日に呼びかけを始め、31日までの2週間に、現地
かになっていく中、会員として、また創設に携わっ
に物資を届けた回数9回、物資を持参した人925
た身として「茨城にコモンズあり」と誇らしく、社
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会が変わっていく予兆、その担い手もまた変わって
ショナルに報じられたそうで、アウアーさんから
いく予兆を感じました。
キャンセルの連絡が入るのでは、と半ば予期してい
たところへ「もちろん行く。プログラムも準備中」
ウィーンフィル首席奏者とのチャリティコンサート
との心強いメールが。コンサートは「自然生のため」
身近にもう一つ、希望をつなぐプロジェクトが
ではなく「自然生も出演する」大震災復興支援チャ
あります。ウィーンフィルの首席フルーティスト、
リティコンサートへと形を変え、8月27日、上野文
ワルター・アウアーさんは、昨秋、筑波山麓、北条
化会館にて開催する運びとなりました。多くの方に
の宮清大蔵でのコンサートに出演しました。私は、
お越しいただき、当代随一の名手の演奏、名手と自
この機会に、やはり筑波山麓で活動する知的障がい
然生クラブの共演を味わっていただき、少しでも多
じ ねんじょ
のある青年たちを中心とするグループ、自然生クラ
くのお金を被災地支援に贈りたいと願っています。
ブとアウアーさんを引き合わせたいと思いまし
た。自然生クラブは農業を営む傍ら、アート活動で
も注目を集めています。リハーサルの合間に訪れた
市民参加で県民文化センターの再建を
最後に提案を一つ。茨城県民文化センターが被
私たちを、自然生クラブ(自然生と略)は「田楽舞」
災し、復旧のめどがたっていません。もともと築40
で歓待してくれました。田楽舞と飾られていた絵画
年を過ぎ、建替えが必要なところ、経済逼迫の折、
作品に心打たれた氏は、とりわけ1枚の絵を気に入
やむなく内装の改修だけが行われていました。今
り、購入したいと言い出しました。自然生ではメン
後、公金だけでの建替えは不可能に近いでしょう。
バーの絵が売れたことはまだなかったのですが、氏
そこで、オレゴン州ポートランドのパイオニアコー
の「障がいの有無に関わらず、価値あるものには対
トハウススクエア(スクエアと略)の事例に倣い、
価が支払われるべき」との考えは、一同の励みとな
市民に呼びかけて、新生いばらき文化センターの再
りました。翌日、絵の作者、藤森理巌さんとの対面
建を提案します。
が実現、ご両親との交渉で売買が成立し、理巌さん
「ポートランドのリビングルーム」と呼ばれ、世
の絵は今、ウィーンの素敵なお住まいを飾っていま
界で最も愛されている広場の一つであるスクエア
す。
ですが、建設にあたりコンペが行われ、地元グルー
プのデザインが選ばれると、資金調達のため、予定
地そのものに、デザインが描かれ、設備の一つ一つ
に値段がつけられました。5万個敷き詰める予定の
レンガは1個15ドル、ギリシャ風の円柱は1本これ
これ、噴水は、温室は…という具合に。そしてまず
市民がレンガを買い、75万ドルという説得力のある
資金が集まり、建設は軌道に乗ったのです。レンガ
には1人ひとりの名前が刻み込まれています。そん
作品の前に立つ藤森さん(中央)とアウアーさん(右)
な歴史もあり、この広場は今も市民に愛され活用さ
れているのです。千波湖を見下ろすこの美しい場所
さらにアウアーさんから、自然生のためにコン
に県民の思いのこもった文化センターができた
サートを催したいという申し出があり、その準備を
ら、復興のシンボルになるのではないでしょうか。
始めたところへの大震災でした。オーストリアは、
ARC6月号論説の伊東乾先生のお力添えをいただけ
反原発の空気が大変強く、今回の事故もセンセー
たら、さらにすばらしいことと思います。
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1948年
1971年
1995年
2002年
2002年
日立市に生まれる
日立製作所日立工場入社
日立製作所日立工場副技師長
㈱ひたちなかテクノセンターへ出向
㈱ひたちなかテクノセンター常務
取締役
「産学官」
2004年 ひたちなか市を中心とした
のネットワークを立ち上げ、経済産
業省の各専門委員としても活躍
ひたちなか地区の
ものづくり企業復興に向けて
ひたちなかテクノセンター 常務取締役 森 茂
直接的な被害は限定的
リーマンショックから2年半を過ぎ、苦しい中
3月11日の東日本大震災から約2カ月を過ぎ、
でのそれぞれの企業努力が実を結び始め、今年こそ
ひたちなか地域のものづくり企業はこれからの受
飛躍の年にしようと意気込んでいた矢先の震災の
注環境の変化に対して不安を抱えながらも、震災の
為、震災による生産設備のダメージ以上に経営者の
影響を少しでも少なくしようと、仕事に打ち込んで
精神的なダメージが大きかったと思います。
おられます。
地元企業の多くは、津波の被害に遭わず、地震
ビジネスチャンスをつかむために
の揺れでも生産設備が使えなくなる様な大きな被
復興に向けた取り組みですが、各企業とも短期
害が出なかった事が幸いし、短期間で設備の不具合
的な課題と中長期的な課題を確認しながら、経営方
を対策して、生産再開に漕ぎ着けました。
針の見直しを行っていると思います。短期的には、
震災復興により需要が急増しそうな分野へのシフ
日立製作所からの受注が停止
トなどが、推定されます。実際に企業訪問などをし
しかしながら、ひたちなか市から日立市に位置
て、少ないながら、震災後、自家発電用の部品の注
する、日立製作所関係の各事業所が今回の震災で量
文が急増して材料の入手に苦労しているなどと、現
産設備や建物などへ予想以上の被害が発生し、生産
状を報告してくれる地元企業も有ります。今後、ひ
活動再開に大きな影響を受けました。
たちなか地域で言えば、配電盤などの電気設備を中
その為、地元企業にも、年度末で完成した製品の
納品止めや新たな発注の先送りなど、少なからぬ影
心とした社会インフラ製品、茨城県全体では、建設
機械の部品関連の需要が増えて来るでしょう。
響が出ました。また、日本原子力研究開発機構から
中、長期的には電力不足に対応して、どのよう
の発注も不透明感が増し、地元企業の多くは震災に
な対策を取るかがポイントの一つ考えています。生
よる仕事量の減少を乗り切るため、雇用安定助成金
産への影響を少しでも抑える為に、生産体制の見直
を申請したいと相談される経営者が増えています。
しなどを計画されている企業もあると思います。首
都圏を含め、東日本の電力不足は1,2年では解決
されない根の深い課題と考え、電力不足をビジネス
チャンスととらえて製品開発に繋げる企業などが
出てくる事を期待しています。
復興のキーワードは「絆」
今回の震災を体験して、地震国に住む日本人の
「辛さ」をしみじみと感じました。海外出張などで、
今まで地震の体験が無いと言われるような国を訪
ひたちなか地区の企業の被災状況
れると、斬新な設計で不安定な形をした高層ビルが
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11.11
68
多く建設されているのを見ます。
人の苦しみを理解し、我慢する」こんな気持ちが、
一方、日本では地震に耐える為、多くの材料を
世界の人に驚きを与えたのでしょう。そして「がん
使い高いコストを払って、見栄えのしない建物や、
ばろう日本」
、この震災の体験の中から「日本人の
インフラを建設して来ました。今回の震度7の揺れ
絆」が、「無縁社会」と心配された中で再発見され
でも、多くの建物はその努力が実って、ニュージー
た気がします。
「絆」が日本再興のキーワードでは
ランドの様なビルの崩壊は少なかったと思います。
ないでしょうか。
しかしながら、想定外と言える、津波で多くの
太平洋沿岸の地域が地震の揺れに耐えた建物や堤
「ものづくり茨城」の復活に向けて
防などのインフラが甚大な被害をこうむりました。
震災後、2カ月で東北新幹線も全線再開するなど
世界の都市の中で、今回の様な震度7から6強
大きく変わってきたところと、福島原発事故の様に、
の揺れと、20mを超える津波が襲ってきて、耐えら
なかなか明るいきざしが見えないところとがこれか
れる所は無いでしょう。これはアメリカ、ハリウッ
らも入り混じりながら、変化して行くと思われます。
ドの恐怖のSF映画の世界です。
その変化の中で、地域企業一社だけで考えても、
しかし、地球の上で暮らすには、特に日本で暮
入ってくる情報には限りが有ります。地域のネット
らすにはこのような震災と同居しなければならな
ワーク、この力、この信頼関係を今こそ生かす絶好
いのです。このような、想定外の自然の力と共存し
の機会だと考え、提案しています。 て、被害を最小にして行く為に、人間の英知がどこ
震災対策など企業経営者は普段以上に多忙とは
まで可能なのか、答えの出ない課題を何度も考えて
思いますが、出来るだけネットワークに集まり、
しまいました。
ネットワークメンバーが集めた、接触した情報を出
今回、自分自身生まれて初めて、被災者と言わ
し合って、少しでも前向きな行動に繋がる切っ掛け
れる境遇になり、飲み水をポリタンクにもらうのに
にしたいと考えています。日本人の強みは、厳しい
市役所に7時間も立って待ちました。普通の時は
自然に鍛えられた「絆」の力であると信じて共に頑
待っている人どうしが簡単に話したりしません
張り、今まで以上に強い「ものづくり茨城」にして
が、この時は違っていました。知らない人達がいろ
いきたいと考えています。
(5月12日記)
いろな情報を交換し、少ないお菓子などを分け合っ
ていました。
これは生死の危険を感じる体験を一緒に味わっ
た人達が、一緒の体験をした仲間として自然に「一
体感」が生まれ、それが「絆」へ繋がっていったの
かと感じています。今回、震災後の東北地方の様子
が世界に放送され、秩序ある行動に大きな感動と称
賛を生みました。
私たち日本人には「他人に迷惑をかけない」「他
様々な業種の経営者が集う交流会を主催
’
11.11
69
地域に刺激を与える美術館
を目指す
1949年
1978年
1984年
2010年
生まれ
東北大学大学院美学美術史修了
東京国立近代美術館研究員
茨城県陶芸美術館館長
茨城県陶芸美術館 館長 金子 賢治
東京での被災
ア隊を組織し、1つずつ壊れた窯の片付けや修繕を
私は、昨年4月から笠間市にある茨城県陶芸美
術館の館長を勤めています。3月11日は、自宅のあ
る東京にいました。
進めていきました。
こうした精力的な取り組みを続けた結果、1週
間後に4割の窯元が事業を再開することができま
東京駅で京葉線に乗ったところ、大きな揺れを
し た。 3 月 末 時 点 の ア ン ケ ー ト で は、 操 業 中 が
感じ、その後電車が不通になったため、自宅まで1
53%、再開予定が25%であり、約8割の窯元が復興
時間半かけて歩いて帰りました。
の歩を進めています。
震災直後に常磐線が不通になったため、益子経
現在はほとんどの窯元が事業を再開しており、
由で私が美術館へ出勤できたのは6日後のことで
4月末から開催された陶炎祭は参加予定だった240
した。車窓からみた家屋や門塀の様子は東京と大き
人のうち200人が参加しました。また、震災と原発
く異なっており、唖然としました。
事故に伴いへ避難していた福島県の相馬焼の窯元
も出店し、用意した作品は完売しました。自粛ムー
被災のなか陶炎祭の開催へ動く
震災によって、伝統的な産業である笠間焼の窯
ドで県内各地の観光客数が低迷する中、陶炎祭は過
去最高の38万人が集まる盛況な催しとなりました。
元は大きな被害を受けました。多くの窯元の窯や作
品などが壊れ、特に登り窯は全滅に近いと聞いてい
ます。中には精神的にまいってしまい、廃業を検討
している窯元もいるようです。
そのような状況下でも、多くの窯元から力強さ
を感じました。震災6日後にイベント広場で青空会
議を開き、陶炎祭の開催を決定しています。
復興に向けた様々な支援策
今回の震災に際し、国内外を問わず様々な地域、
団体から笠間焼協同組合へ支援の申し出がありま
す。また、市による窯の修繕の補助金交付(最高50
万円)も決まりました。
一方、笠間焼協同組合から外部へ支援を呼びか
当初は、「ひまつりという表現は被災者に火災の
ける動きとして、「笠間登り窯復興サポーター」と
イメージを与えかねないので、名前を変えるべきで
いう制度があります。これは、登り窯の構造や笠間
はないか」という意見が出ました。しかし、笠間地
焼を学べるワークショップ形式のイベントを行い
区復興のため、また東北地方の支援という目的も含
つつ、壊れた窯の片付けなどを手伝ってもらうこと
めて開催を決めました。
で、窯元を後押しする取り組みです。
こうした動きの背景には、被災した自分たちを
鼓舞するという意図もあったのでしょう。いずれに
これらの支援により、窯元の復興が更に進んで
いくことを期待しています。
せよ、多くの窯元が震災後まもなく復興へ向かって
作品を守った美術館の備え
活動を進めていました。
ちく よう し
登り窯の復興については、築 窯 師 が今はほとん
震災の被害は広範囲に及び、全国各地の芸術作
どいないため、窯元や支援者たちが復興ボランティ
品に深刻な影響を与えました。茨城県でも各地で文
’
11.11
70
化財が被害を受け、中には津波で流出した六角堂の
氏から工芸展について相談を受けた縁もあり、若手
ように再現が困難なものもあります。 陶芸家と中田氏の選んだメンバー、小説家や国内外
しかし、幸いなことに当館では目だった被害は
ありませんでした。作品をテグスで固定し、また吸
で活躍するクリエイターなどによる、3名ずつ5組
のコラボレーションを当館で実現させました。
着剤を作品に塗布して固定してあったため、貯蔵さ
本展では、各アーティストの参考作品と合わせ
れていた松井康成や板谷波山など人間国宝の作品
て約60点の作品を紹介しました。異なるバックグラ
についても被害はありませんでした。そのため、軽
ウンドをもつ3者が、制作活動を通じて互いに良い
度の修復工事ですみ、4月15日に再開することがで
影響を与え合ったようです。
きました。県内の公立美術館では、最も早かったよ
うです。
今回の震災は、美術館の役割を考え直すきっか
日頃伝統工芸に触れる機会の少ない若い世代に
も足を運んでいただけたので、陶芸の裾野が広がる
機会となりました。
けになったように感じています。それは、美術館を
地震の避難場所として活用することができるとい
地域に刺激を与える美術館を目指す
う点です。阪神・淡路大震災で兵庫県や大阪などの
これまで美術館は、地域の特産品に目を向ける
美術館が甚大な被害を負ったことから、以後の美術
ことはありませんでした。しかし、当館では、結城
館は耐震性の高い設計となっています。2000年に開
紬や真壁石などの県内の工芸品と連携した取り組
設された当館も、震度6強の地震でも館内の被害は
みを進めることで、地域資源を活用していきたいと
鉄のレールの一部変形、階段のガラス破損程度です
思っています。
みました。
都内では、震災当日、六本木の国立新美術館に
職員60名、お客様100名以上が宿泊しました。
今後、都市の防災機能を高めていくうえで、美
術館がその役割の一助を担う可能性もあると思い
ます。
また、中田英寿氏は本県の特産品でもある和紙
や漆を用いた創作活動に興味をもっています。当館
は陶芸美術館ですが、その枠を超えて彼の取り組み
に協力していこうと考えています。
更に、地域の画廊などとの連携を通じ、若手の
作家の抜擢を試みたいと思います。
こうした地域資源を取り込み、来館者や芸術家
企画展により陶芸の魅力を広める
私は、日本のみならず世界の現代陶芸の流れを持
に刺激を与えることで、地域の復興に貢献していき
ます。
ち込み、地元の作家に刺激を与える美術館づくりを
目指しています。そのため、地元の窯元に加え、幅
広いジャンルを取り入れた展示会を開催しています。
本年2月に開きました特別展“REVALUE NIPPON
PROJECT−”は、元プロサッカー選手の中田英寿
氏の、日本の伝統文化をより多くの人に知ってもら
う「きっかけ」をつくるプロジェクトに賛同した当
館が開催した陶芸展です。
中田氏は世界中を旅した後、日本全国を巡った
ことで、日本の伝統工芸の大切さに気づいたようで
す。私が東京近代美術館に勤務していたとき、中田
「"REVALUE NIPPON PROJECT" ー中田英寿、現代陶芸と
出会う−」展 展覧会風景
’
11.11
71
1970年 東京生まれ
1998年 旧里美村に新規就農
現在2ヘクタールの田畑で有機農業を
営む。地元や首都圏の家庭や飲食店に
生産物を直接供給。一男二女の父。
種を播き続けることが
農家の希望
木の里農園 布施 大樹
「風評被害」ではなく「実害」
http://konosato.blog2.fc2.com/
ており、放射能の影響について比較的冷静だったこ
私は茨城県北の常陸太田市里美地区で有機農業
と。もう一つは、普段から配達を通して顔を合わせ
を営んでおります。私の住む地区は地震の被害は比
ており、日常的なお付き合いと信頼関係の構築が出
較的少なく、ライフラインも4日ほどで復旧しまし
来ていたことが大きかったと思います。また、行政
た。地震の直後から食料としての野菜を求める問い
の出荷制限はあくまで「要請」であり、法律的な根
合わせを多く頂き、市内はもとより近隣市町村への
拠はない。出荷するしない、食べる食べないの判断
供給を続けました。週に2回の配達日は結局1度も
は、あくまでも私たちが自主的に行うものだと考え
休むことはありませんでした。生存にかかわる食料
ております。もっとも「布施さんが出荷するなら信
生産者としての責務を強烈に意識させられた数日
じてるよ!」と言われるのが一番つらいのですが。
間でした。
しかし、福島原発の事故の影響で、県内の農産
情報の共有と発信
物から放射性物質が検出されてから状況は一変し
どこまでが安全なのか、さまざまな情報が飛び
ます。私の農園は原発から100キロ圏内です。当初
交う中で、生産者と消費者が共に判断材料として参
県の自粛要請はほうれん草だけでした。しかし、消
考にできる情報を集め、発信する必要があります。
費者との信頼関係が基本の生産者として、その他は
しかし食べ物を生産する現場を預かる農家からの
安全と判断せず、露地栽培の葉物類の出荷を自主的
発信が少ないように思えました。それもそのはず
に停止しました。にもかかわらず、首都圏方面の消
で、当時(今もそうですが)私たちの関心は、「自
費者、特に子供を抱える若い世代の方からキャンセ
分の畑の野菜や土は大丈夫なのか?市町村レベル
ルが相次ぎ、3月の売り上げは例年の7割ほどに落
でなく、地区単位のデータが知りたい」ということ
ち込みました。金額というよりむしろ、有機農業の
でした。例え行政から安全宣言が出されていても、
生命線である消費者とのつながりや信頼関係が断
農家は少なからず不安を抱え続けていたと思いま
たれたことの方が悔しいです。これは「風評被害」
す。でもこのような不安を乗り越え、さらに消費者
などという生易しいものでなく、
「実害」だと感じ
へ向けて情報を発信するのは、大変なエネルギーを
ています。
要することです。個々の農家が忙しい春の農作業を
こなしながらできることではありません。
地元の消費者に励まされて
ここで役に立ったのは有機農家同士のつながり
このような状況下にもかかわらず、震災前の消
でした。私が所属する茨城有機農業研究会にはメー
費者のうち約8割の方は農園の野菜を食べ続けてく
リングリストがあり、普段から様々な営農情報を交
れています。特に地元である日立市、常陸太田市の
換していました。ガソリン不足で身動きが取れない
消費者は、辛抱強く私たちを励まし支えてくれてい
中でもメールやスカイプを使ってそれぞれのメン
ます。これには二つの理由が考えられます。ひとつ
バーが持っている情報を共有することができまし
は、これらの地域ではJCOの臨界事故などを経験し
た。その中から自分なりに咀嚼できたものを、野菜
’
11.11
72
に添付するお便りや自身のブログで発信してきま
未来へ向けて種を播く
した。農作業の合間を縫っての慣れない作業は大変
具体的には、地域内の農家と協力して、野菜や、
でしたが、私たちが地域で農業を続けるため、この
土、水などの検査を継続していきます。この目的
地で立ち続けてゆくために必要な行為だったと
は、第一に地域に暮らす農家が安心して営農を続け
思っていますし、今も続けています。
てゆくためです。行政の調査を待つのではなく、地
域住民が自主的に行う検査です。月に1回の間隔で
「農家」でいられる喜び
1年間ほど続ける予定です。幸い一回目の検査では
このような努力の中、一連の「被災地を食べて
大変低い値が出て励まされました。そして第二の目
支えよう」ムーブメントが起こり、私たちも新たな
的はこれらの情報を消費者と共有することです。多
消費者との出会いを頂きました。様々な人とのつな
品目生産の有機農業では出来るだけきめ細かなデー
がりに支えられて今があります。ただ、離れて行か
タ収集が消費者の信頼につながると考えています。
れた方々の存在も忘れてはいけません。多くが子育
また、これは昨年から準備してきたことですが、
て中の方でした。そんな方の不安に寄り添うのが本
5月から地域の学校給食に有機野菜の納入が始ま
来の有機農家だったはずです。被災地支援の声に小
りました。当初は葉物類を除いて慎重なスタートに
さな不安の声がかき消されてはいけないと感じて
ならざるを得ませんでしたし、私たちも悩みました
います。
が、自主検査の結果も後押ししてくれました。給食
また、今回の原発事故では、放出された放射性
は有機農家だけでなく、地域の村おこしグループと
物質によって、地域や村のつながり、農家の土への
の共同事業として楽しく取り組んでいます。村の
信頼など、農の根底が揺るがされる事態になってい
方々も有機野菜作りに取り組むことで、有機農業が
ます。先日、福島県の有機農家の集まりに参加して
地域に深く根を張ってくれることでしょう。そして
きましたが、福島は茨城よりもはるかに深刻な状況
何より、子供たちが農業の魅力や食べ物本来の味に
です。それでも私たち農家から土をとったら何も残
気付いて、過疎化する地域の担い手として成長して
りません。この場所で営農し続けられることに感謝
いってほしい。農家として地域と関わってゆけるの
しつつ出来ることを地道に取り組んでまいります。
は、最高の励みになっています。
これからも県北の一有機農家として地道に種を
まき続けてゆくつもりです。
穂が出た小麦を背に夫婦で水菜の収穫
夏野菜のお届けボックス
’
11.11
73
1947年6月4日 水戸市生まれ 水戸一
高、東京教育大学(経済学専攻)を卒
業、1970年 茨 城 県 庁 入 庁、 商 工 労 働
部、農林水産部、教育委員会、生活環
境部に勤務、2008年3月同県北総合事
務所長で退職、2008年4月から現職
風評を吹き飛ばせ!
アクアワールド茨城県大洗水族館 館長
河原井 忠男
全国7位の水族館
して、60以上の水槽の展示魚類を常に変える努力を
アクアワールド茨城県大洗水族館(以下「アク
してきたこと、人気No.1のイルカ・アシカショー
アワールド」という)は、県立水族館としては58年
のレベルアップを図ってきたことです。お客様の約
目を迎えており、現在のアクアワールドは三代目
70%がリピーターであることを考えると、この高い
で、2002年3月21日にオープンしました。
率をもっと向上させる努力をしなければ、将来にわ
アクアワールドになってからは、年間平均入館者
たっての発展性は確保できないからです。設備が限
数118万人で、全国67館の中で常に第7位を維持し
られている上、新規増設して目玉展示をというわけ
てきました。私が館長に就任してから4年目ですが、
にはなかなかいかないのですが、現状の財産をどれ
1年目、2年目と、長期の不況やインフルエンザの
だけ活かせるかは職員の意識覚醒と創造力です。そ
猛威、そして何といってもリーマンショックで、苦
ういうマネジメントをしてきました。
戦を強いられましたが、それでも、111万人前後を維
持してきました。本県のような、やや首都東京から
第三に、職員のマナーとPR力の強化に努めてき
たことです。
離れた場所でこれほどの集客力を保持するのは、公
マナーについては、
「お客様は神様」の心意気で
的施設としては、隣のひたち海浜公園だけです。海
徹底した研修を行うことにより、多くの来館者の
浜公園の集客力が約140万人ほどですから、合わせ
方々からお褒めの言葉をいただいており、他館を視
て250万人。昔から「三浜地区」といわれる大洗町、
察した比較でも、当館は優秀であると思っています。
ひたちなか市を中心に、本県の地域経済発展に大き
PR力については、担当課だけでなく、展示二課
く貢献してきたのではないかと思っております。
(魚類・海獣課)職員を含む全職員が「お客様の目
線で考える」「記者の目線で考える」ことを強調し
集客力を保つ4つの理由
多くのお客様に来ていただけている理由は4つ
挙げられます。
てきました。ネタを出すのが展示課であり、PRす
るのが企画課ですが、双方の職員とも、「自分たち
の視線でなく、お客様の視線はどうなのか?」と考
第一に、全国7位の施設規模(水槽5,100トン、飼
えることによって、ありきたりの情報がとんでもな
養魚類約6万8千点、フロア面積約2万平米)を活
い大きな取り上げられ方をするのです。職員には
かした、茨城の海を基本コンセプトとして世界の海
「常にPRアンテナを張れ」と言ってきました。
まで展開する展示フロー、とりわけサメとマンボウで
第四に、「海外に開かれた水族館」を目指してき
は日本一という展示などです。また、当館オリジナル
たことです。昨年3月11日の茨城空港開港を踏まえ
のどら焼き
「ドラマンボウ」や人気No.1のイルカのグッ
て、同2月25日に韓国釜山の「釜山アクアリウム」
ズ、地元大洗産魚のお土産部門と多様なレストラン
と姉妹館協定を締結しました。海外館との締結は県
街、景観抜群の立地条件(太平洋と那珂川と大洗の
立水族館始まって以来のことです。その後、韓国や
名勝松原に囲まれた)も高い評判を得ています。
中国、台湾、アメリカなどからの入館者や来客、研
第二に、「お客様を飽きさせない水族館」をめざ
修交流などが増えてきました。首都東京から遠くに
’
11.11
74
ある水族館が世界に目を向けて活動するという新
しい道が開けました。
原発事故に伴う甚大な被害
しかし、福島原発事故による風評被害は絶望的
なほどです。5月末の入館者(無料期間含まず)は、
北関東道開通を見越した連携
71,564人、前年比111,761人(61%)の減少です。水
北関東自動車道が今年3月19日に直結するとい
族館始まって以来の危機です。お客様の電話はまず
う好条件を活かそうと、昨年12月から、道路沿線上
「放射能は大丈夫なんですか?」から始まる状況で
の 三 県 の 動 物 園 と 水 族 館、 合 わ せ て 六 園 館 で、
す。原発の収束時期が不透明では、何をやってもお
「AtoZ(アクアとズー)
」なる連携事業を開始しま
客様が来ない、という状況です。それでもアクア
した。共同PR、共同イベント、共通割引きなどを
ワールドはまだいい方で、大洗町内のホテルや旅館
展開しています。水族館と動物園が事業面で広域連
は80 ∼ 90%の減少です。
携するのは日本で初めてです。
毎日苦心惨憺していますが、原発の一日でも早
こうして、2010年度も積極果敢に事業を展開し
い収束は国と東電にお願いするしかないので、我々
て、それまでの入館者が対前年6%ほど伸びて、1
は我々で奮闘努力していかねばなりません。幹部と
月22日には昨年より一ヶ月早く、年間100万人を達
鳩首凝議する毎日です。
成しました。残るは3月19日の北関東道直結と21日
しかし、この難局は創造力を鍛えるチャンスでも
の九周年イベントなので、2010年度120万人の目標
ありますので、全職員からアイデアの提案をしてもら
を達成できそうだなと思っていました。
うことにしました。
「どでかいことを考えろ」と話し
ています。今までのようなことをやっていては、とて
震災を乗り越え、再開
そのような矢先の、3月11日午後2時46分、信
もお客様に来ていただけない。何が何でも「見に行
きたい」
と思わせる展示やイベントを考えていきます。
じられない大地震が襲ってきました。まさに、驚天
動地でした。
様々な連携により客を呼び戻す
幸い、当日は平日でお客様も少なく、当地では
5月12日に、今までライバルであったひたち海
震度5程度だったこともあり、職員はお客様を裏山
浜公園と、初めて連携協定を締結したのも、共同し
の松林に誘導して、スムーズな対応ができました。
てこの難局を乗り切ろうという試みです。魚と花の
また、地震では館の躯体や壁面には何の損傷もな
コラボレーションや共同PR,共通チケットなどを
く、地下の給排水管類や周辺の地面に少々の歪みや
やっていきます。
割れが生じた程度でした。さらに津波も、近くの那
この夏には、水族館としてはかなり異質な?黄
珂湊漁港は激しく破壊されましたが、当館には殆ど
金の大蛇やワニ、猿などを展示して、子どもたちの
達しませんでした。
興味と関心に応えようと考えています。
念のための総点検を終え、多くの皆さんからの
また、音楽家や陶芸家など異分野とのコラボレー
再開への期待を寄せていただいたので、4月1日か
ション、大洗地域住民との共同企画イベント、釜山
ら再開しました。再開に当たり、被災者を応援する
アクアリウムとの新たな連携事業、県内の企業や大
ため、10日までは無料としました。連日大盛況でし
学との連携に取り組んでいます。
「水族館は広く外
た。お客様には義捐金を募りましたところ、「ただ
に打って出る」気構えでいきます。
じゃ悪いから入場料分入れてくよ」というようなう
最後に、なんにしても、来年3月21日はアクア
れしい反応で、予想をはるかに超える金額が集ま
ワ ー ル ド 十 周 年! 茨 城 県 の 復 興 と 発 展 の た め に
り、職員も感動した次第です。
も、職員全員でがんばります。
’
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75
1942年 佐賀県佐賀市生まれ。九州大学卒
1971年 住友石炭を経て、住友金属に転籍
1994年 日本鉄鋼連盟で国家プロジェクト
(SCOPE21)の研究開発リーダー
2003年 リタイア後は、茨城大客員研究員
として、鹿嶋市の生涯学習塾「か
しま灘楽習塾」
、まち興し店舗「鹿
嶋人ギャラリー」を開設
元気のもとは
鹿嶋の歴史と文化の底力
かしま灘楽習塾塾長 鹿嶋人ギャラリー事務局長
西岡 邦彦
鹿島神宮の要石と大地震
鹿嶋には、紀元前660年頃に創建されたとされる
関東で最も古く、最も大きな鹿島神宮があり、ここ
とも大きな文化拠点に成長しました。学ぶことが楽
しく教えることに喜びを感じる“ふれあいの場”と
して、市民の暮らしに潤いを与えています。
には地震を起こす地中の大鯰の頭を押さえこんで
一方、鹿嶋人ギャラリーは、県の2009年度「がん
いるとされる「要石(かなめいし)」があります。
ばる商店街支援事業」の優秀プラン賞を得て、鹿島
そのため鹿嶋には大地震が少ないとされ、地震除け
神宮参道の賑わいづくりを目的に市民有志により
信仰を生み、毎年多くの参拝者が訪れています。
オープンしたものです。店内は手づくり品や鹿嶋に
しかしその要石をもってしても今回の大地震を抑
こだわった特産品、みやげ品を置き、展示スペース
えきれなかったのか、神宮のシンボルである大鳥居
では各種の催しものを開催するなど、市民と観光客
は倒壊し、市内の至るところで道路が寸断されるな
の“ふれあいの場”を提供する店舗です。市民の認
ど、大きな被害が発生しました。ところが、私が関
知度も上がり、来店者も次第に増えてきております。
係する神宮のおひざ元である宮中地区の「まちづく
これら二つの事業は、いずれも人と人との“ふ
り市民センター」も手づくり品の店「鹿嶋人ギャラ
れ合いの場”を提供し、潤いのあるまちづくりを実
リー」も、ほとんど無傷で被災をまぬがれました。
やはり「要石」の威力はあったと信じております。
かしま灘楽習塾
倒壊した鹿島神宮の大鳥居
かしま灘楽習塾、鹿嶋人ギャラリーと大震災
かしま灘楽習塾は、2006年に鹿嶋市民による自
主運営の生涯学習塾として開設されました。
「遊び
心をもって子供から大人まで楽しく学ぶ」をテーマ
に企画され、6期目となる2011年度は、教授数73
名、講座数110、塾生数1500名を超える県内でもっ
鹿嶋人ギャラリー
’
11.11
76
現しようとするもので、市民のニーズに合致し、大
す。まさに“元気のもとは鹿嶋の歴史と文化の底力”
地震前までは順調に運営されておりました。ところ
です。
が大震災の発生で、かしま灘楽習塾は教授・塾生の
中に多くの被災者がでたこと、また拠点とする「ま
新たなる挑戦
ちづくり市民センター」が避難所に使われたことも
今回の大地震では、パニック・略奪・買占め騒
あり、やむなく開講を半年延期致しました。そして
ぎは起こらず、市民が整然と列をつくって給水を受
鹿嶋人ギャラリーを含む参道の商店街は、震災の
け、分けあって買い物をし、各種ボランティア活動
後、鹿島神宮の参拝客が平常時の半分以下に激減し
に励む姿に、世界の人々が驚き、賞賛を受けまし
たこともあって、元気の出ない状況に追い込まれ、
た。この日本人が培ってきた高い倫理性、自己犠牲
店舗運営の抜本的な見直しを迫られています。
と互助・共助の精神をもってすれば、世界が驚くス
ピードで復興を遂げるものと確信します。この大地
見せよう! 鹿嶋の歴史と伝統の底力
自粛ムードの中で、自らの力で元気を取り戻す
震を明治維新、太平洋戦争に次ぐ“太平の眠りを覚
ます第三の黒船”ととらえ、新生日本の国づくり
ために、かしま灘楽習塾は“鹿嶋市民のために開設”
に、「禍転じて福となす」またとない機会にしたい
された建塾の精神にのっとり、一日も早く市民に
ものです。
“ふれ合いの場”を提供し、潤いある生活に戻るよ
茨城県は関東大都市圏を支える重要な産業基盤
うお手伝いすべきと考えました。そこで、教授・塾
をもち、恵まれた自然環境を有します。この震災を
生に呼びかけ、9月までの休講期間中、自主活動・
機に果たすべき役割を再認識し、新たなる地方自治
サークル活動を奨励し、そこで義援金の募金活動を
づくりの第一歩にして欲しいと願っております。
行うことにしました。
私もささやかですが、かしま灘楽習塾、鹿嶋人
一 方、 鹿 嶋 人
ギャラリーは参拝
ギャラリーの運営を通じて、特色あるコミュニティ
づくりに貢献していくつもりです。
客が少なくなった
今、新たなる挑戦に燃えています。そして鹿島
参道に賑わいを戻
神宮は変わることなく皆様のお越しをお待ちして
すため、毎月開催
おります。
の新企画「鹿嶋再
発見!まち歩きツ
アー」を募集し、
多くの市民の参加
を得ています。さ
義援金の募金箱
らに鹿嶋人ギャラ
リーだけでなく、
商店会、観光協会など関係者が力を合せて、6月に
ミニ博物館をオープンするなど、復興イベントのま
ち興し事業に、かってない意気込みを見せておりま
新たな装いの鹿島神宮
’
11.11
77
震災がもたらした新しいまなざし
常陸太田市・鯨ヶ丘でコミュニティカ
フェ「結+1」を運営。
また取材・写真撮影から原稿まですべ
て市民の手で作る常陸太田市の生涯学
習情報誌 「フォンズ」 にデスクとして
関わっています。
Café結+1 代表
常陸太田市フォンズネットワーク デスク
塩原 慶子
今年5月、常陸太田市・水府地区に鯉のぼりは
達が企画した初めてのイベントでした。県北はガソ
翻りませんでした。見上げた空は澄み切って美しく
リン給油待ちの行列も長く、不要不急の外出は避け
ても、欠落感を覚えさせる哀しい色に見えたのは自
たかった時期。余震も続いており世の中はまだ自粛
分だけではなかったと思います。常陸太田市では震
ムードいっぱいでした。延期、もしくは中止を検討
災復興を最優先にすすめるため、祭り・イベントの
するため、担当の二人の女性がカフェに相談にきた
自粛が続いています。日一日と復旧のすすむ風景と
のでした。
は裏腹に、水府の空を見て感じた欠落感のように心
「ひこうき雲」メンバーの多くは1歳前後の子ども
は置いてきぼりになっているのではないでしょう
を抱えたママ達。家の中にこもりっきりでTVの情報
か?「いつもの生活」の中にあるべきものがない、
だけを元に一人で考えており、なかなか思考が前向
その事実に気づく度に地震を思い出し、心があの時
きになっていかないようでした。いつもは行動的な
間に引き戻されていく。復旧がすすむことに異存が
二人でさえ、そのような声を多く聞けば「あえて今や
あるわけではありませんが、きれいに整備し直され
らなくても」との判断に傾いている…。一方で温め
た道路や施設を利用する市民の心は、どうも追いつ
てきた企画への期待も強く、想いは結論が出ないま
いていけてないのです。
ま堂々巡りになっていたところへ、震災後の片付け
仕事の休憩などでご近所さんや常連の男性がカフェ
結∼語ることの力
2008年3月、常陸太田市で「コミュニティカフェ」
に立ち寄り、話題は地震のことに移っていきました。
「地震の時どこにいたの」
「ご実家はどうでした
を立ち上げました。関わった8人の仲間はすべて女
か?」など被災の様子をうかがっているうちに硬
性、それぞれに常陸太田市で10年∼ 20年にわたり
かったひこうき雲メンバーの顔がだんだんと穏やか
活動を続けてきた得意分野の違う女性たちが自分
になってきたのです。
「せっかく片付けた店内が余
のできることを持ち寄り自分たちのくつろげる空
震で元の木阿弥」
「大事に大事に飾っておいたティー
間を作ろうという夢の第一歩でした。カフェの名前
セットが全滅、残ったのはオマケでもらったコー
は「結+1」
。「結」とは農作業等地域での助け合い
ヒーカップだけだった」
、避難場所の体育館でおい
を意味する言葉、そして「+1」は何か新しいこと
なりさんをいただき、ありがたくて涙が出たが、他
が始まるイメージで、古い建物が並ぶ懐かしさを残
所では豪華な幕の内弁当だったと聞き、
「つぎはそっ
した通りにカフェはオープンしました。
「ピアニシ
ちに避難しよう」
、聞きながら大笑いしている仲間
モくらぶ」という任意団体も並行して立ち上げ、子
がいました。みんな大変な時を乗り越えて来ていた
育て支援を中心とした女性のネットワーク作りの
のですが、語ることの力によって心が軽くなって
ための事業を行っています。
いったようでした。耳を澄まして聞いてくれる相手
震災後の3月30日カフェでは一つのイベントを
の存在により、じっくりと自分の行動をふりかえる
予定していました。
「子育て調査隊ひこうき雲」に
ことができ、更に落ち着きを取り戻していったに違
よるフリーマーケット。小さなお子さんを持つママ
いありません。代表のかた曰く「地震のあと、あん
’
11.11
78
なに笑ったのは初めてだった」
。それぞれが、体験
しぶりに会った友人と交わした挨拶。帰省した親戚
した地震の物語を語ることで、自分自身を客観的に
と近況を伝え合う笑顔。おぼろげな記憶はまさに故
理解することができ、回復していくプロセスをまざ
郷を形づくるものでした。夏祭りを楽しみに待って
まざと見るようでした。そして「できる範囲でやれ
いる子供たちのために、被害を受けた故郷を心配し
ばいい」とイベント開催が決まりました。このよう
て帰省してくれる人のために、このような夏の夜の
に、人は集い語り合うことで心を回復させていく。
楽しみを最初に企画してくれた常陸太田市の先輩
だとしたら、集いの場である祭りやイベントの自粛
に想いをはせ、人のつながりに感謝しながら、祭り
は道を逆行するものではないでしょうか?
は行うのだと委員の思いが一致しました。
「予算ゼロ」がもたらしたもの
震災がもたらした新しいまなざし
旧暦のお盆に行われてきた「太田まつり」、今年
その一点にポイントをあてて祭りを見直したと
は自粛が決定しています。
「市が苦しいときこそ市
ころ、自らの動機に基づかない「動員」という参加
民の手で祭りを創り上げよう」との声が上がり、有
のあり方やそれを支える予算、ポスターを作れば告
志による「がんばってます 常陸太田 夏祭り」を
知が済むといった「長年の慣習」による思考停止な
開催し後につなげて行こう!そこまでは流れるよ
どがあらわになりました。
「なぜ」を考え本当の当
うに決まっていきました。しかし、新しい祭りの最
事者として祭りをふるいにかけた結果、シンプルな
初の実行委員会で、震災によって立ちはだかること
祭りの形が見えたのです。つまり、自分たちの創り
になった「予算ゼロ」の壁は、祭りとは何かを改め
たい祭りをできる範囲で楽しむこと。大きさや派手
て私たちに考えさせるきっかけとなりました。
さを競うのではなく、人出の数を競うことでもな
高度成長期に企画された多くの祭り・イベント
い、身の丈にあった祭りを自分たちの責任で行うこ
は、地域の活性化や文化・伝統の継承、最近では交
と。規模は小さいかも知れませんが、身の丈の喜び
流人口の増加など時代の要請によって様々な意味合
の集合体としての祭りこそ、新しくシンプルでかつ
いをまとってきました。幾重にも重ねられた意味づ
力強いのではないかと考えたのです。開催を心から
けと過ぎてきた年月によって、私たちは「祭り」の
望む当事者として祭りに関わるのだと自分たちも
意味を考えることを忘れていたのかも知れません。
覚悟を決めることができ、現在「がんばってます 「いつもの生活」にあるべきものがない欠落感
常陸太田 夏祭り」のうちわ製作・販売によって祭
が、それによって「いつもの生活」の大切さを浮か
りの資金を捻出しよう、さらに一部は常陸太田市の
び上がらせるように、失われそうになった祭りが一
復興に役立てようと準備を進めているところです。
番大切なものは何かを前景に浮き立たせてくれま
祭りに限らず、私たち自身のライフスタイル、産
した。そもそも、地域の先輩たちが「祭り」を創り
業のあり方や行政の行う事業すべてにおいて、それ
上げ、続く私たちにつなげるため託したものは何
らが震災前と同じでは、2011年3月の体験はむごく
だったのか?なぜ途切れさせたくないのか?この
悲惨な記憶しか残さないことになってしまいます。
祭りは誰のために行うのか?祭りで大事なのは一
東日本大震災の体験が、
「大変な思いをしたが、その
体何か?考え込んで押し黙っていた委員の口から
ことにさえ意味があった」といつかふりかえること
徐々に子ども時代の思い出が語られ始めました。
が出来るように、この「ふるいにかける」まなざし
夏休みの開放感あふれる中、夜遅くまで自由に
を身の回りすべてに向け、考え続けることを始めま
通りを歩いた、えもいわれぬわくわく感。何を買お
せんか?その道のりの先にこそ、シンプルながら美
うかお小遣いを握りしめ夜店を品定めしたこと。久
しい茨城の未来が見えてくるのではないでしょうか。
’
11.11
79
9つのメッセージから見えてきたもの
∼復興に向けて歩むために必要なこと
②連携を進め、魅力を高める
風評被害等によって、本県の観光を取り巻く環
境は今後も厳しい状況が予想される。そのような状
本号では、震災後間もない4月から6月にかけ
て執筆していただいたメッセージを中心に構成し
況を打開するためには、
「連携」が重要となるので
はないか。
た。寄稿者については、震災で被害を受けながらも
アクアワールド茨城県大洗水族館は、国営ひた
信念をもち復興に向き合う方々のうち、県内各地、
ち海浜公園との連携や、地域住民とのイベント、大
また様々な分野から選定させていただいた。大変な
学との連携で開発した商品の販売など、幅広い取り
時期にも関わらず快く引き受けてくださった9名
組みで、震災後に減少した観光客を呼び戻そうとし
の方々に、まず深く謝意を表したい。
ている。
ここでは、9つのメッセージから見えてきた震
また、茨城県陶芸美術館も結城紬や真壁石など
災後の復興への取り組みのヒントを、産業と社会生
県内の他の工芸品を取り入れることで、地域資源の
活の面からまとめてみよう。
活用を図ろうとしている。
こうした連携によって互いの魅力を高め、幅広
産業
く発信できるような取り組みが期待される。
①逆境をばねにする
地域の復興を考えるうえで、経済を支える産業
の存在は欠かせない。そのため、地域にとって地場
産業の振興は従来以上に重要な課題となる。
③適切な情報公開
福島第一原発の事故に伴う放射性物質の流出に
よって、消費者が食品を選択したり、旅行先を決め
寄稿していただいた方々から、「世界一の省エネ
たりする基準に、放射線が加わった。このような状
技術に磨きをかけたりする好機」、
「今まで以上に強
況下で、農業や観光業には、どのような対応が求め
いものづくり茨城」、
「禍転じて福と成す」など、震
られるのか。
災という逆境をばねにがんばっていこうという意
気込みが感じられた。
震災は多くの人に辛い記憶を植え付けた。しか
し、新たなアイディアを創出したり、既存の手法を
見直したりする機会と考えることもできる。
この点では、野菜の放射線を自主的に測定して
開示している木の里農園の布施氏の取り組みが参
考となる。
多くの人は、特に子どもへの放射線の影響に対
して不安を感じている。その不安を払拭するために
また、震災によって消費や観光などを控える動
も、できるだけ細やかな検査を実施して具体的な数
きも見られた。それに対して、節電や蓄電など電力
値を公表し、その数値が基準値をどれだけ下回って
不足を補う分野や、放射能の測定や対策に関する分
いるかを幅広く公表していく。
野などの需要は、今後拡大すると予想される。民間
このような取り組みを地道に続けることで消費
事業者はそういった分野に挑戦することで、成長の
者からの信頼を取り戻せば、風評被害の払拭が進む
可能性も拡がるだろう。
はずだ。
行政は、成長分野への積極的な支援を行うととも
に、震災によって受注環境が悪化した事業者に対し
社会生活
てセーフティネットを構築することが求められる。
①情報の真贋を見定める
震災で存在感を高めたものとして、ソーシャル
メディアが挙げられる。
’
11.11
80
震災発生時に皆がまず知りたかったのは、家族や
の助け合いの行動が見られた。常陸太田市のコミュ
友人、従業員などの安否であった。時間が経過する
ニティカフェ「結+1」の名前の由来は、地域で田
につれて、自分の居住地域における店舗の営業状況
植えなどの農作業等を助け合う「結(ゆい)
」とい
や商品の入荷状況などの生活情報が必要となった。
う関係にある。この、もともと日本人が持ち合わせ
こうした情報の伝達に、個人が広域に情報を発
ていた互助の精神が、震災によって目覚めた。今
信できるツイッターなどのソーシャルメディアが
後、復興を進めていくうえで、こうした精神を忘れ
適していた。その結果、震災下で情報が不足し、適
ないようにしていくことも大切ではないか。
切な生活情報に飢えている人々のニーズを満たす
ことになった。
④伝統文化と市民の力で絆を強める
一方、ソーシャルメディアによって、死亡情報
地震によって、鹿島神宮の鳥居が倒壊したり、
や偽の事故など、デマも多く出回った。そのため、
笠間焼の登り窯が破損するなど、県内各地の文化財
利用者は玉石混交の情報の中から、適切に取捨選択
に大きな被害が生じた。また、被災地への配慮など
をすることの重要性が改めて認識された。
を理由に、祭などの地域の伝統的な行事を見合わせ
る市町村も見られた。
②防災意識の醸成と維持
一方、市民が主体となって文化の再建を進める
震災を機に、家具等の転倒防止対策、懐中電灯
取り組みも各地で見られた。震災によって参拝客が
などの停電対策、水や非常食の貯えなど、災害への
減少した鹿島神宮の参道に人を呼び戻すため、まち
備えの大切さを感じた人は少なくない。また、防災
歩きツアーや博物館を開く鹿嶋人ギャラリーの取
訓練についても、その必要性を認識した人も多いだ
り組みや、行政が開催を見合わせた夏祭りを市民主
ろう。
導で再開を目指す常陸太田市市民有志の活動に
今後も大規模な余震の発生が懸念されるなか、
は、当事者としての意気込みが感じられる。
こうした意識を一過性で終わらせないためにも、地
伝統的文化は連綿と受け継がれてきた地域の財
域社会が一体となって防災意識を醸成し、維持する
産であり、市民をつなぐ絆となる。市民自身が伝統
ことが求められる。そのためには、震災時の経験を
文化を見直すことが、地域の復興を考えるうえで重
語り継いでいくとともに、震災を機に深まった地域
要な要素となってくる。
内の連帯感を保つような取り組みが必要となるだ
ろう。
復興に向けて前へ進んでいくために
復興に向けての課題は地域ごとに異なり、時間
③互助の心を忘れない
笠間地区では、伝統産業である笠間焼の窯元が
の経過によって変化していく。また、原発事故など
の影響は根深く、長期に亘る対応が求められる。
大きな被害を負った中、復興のため、例年ゴールデ
しかし、そのようななかでも希望を持ち、一人
ンウィークに開催している陶炎祭の開催をいち早く
ひとりができることを考え、行動に移すことが、地
宣言した。開催に向けては窯元が互いに損壊した窯
域の復興を進める動きとなる。
の片付けを手伝ったり、罹災を免れた窯を融通した
今回紹介した9つのメッセージを通じて、ひと
りすることで、多くの窯元の出店が可能となった。
りでも多くの人に前向きな気持ちを持ってもらえ
また、NPOによる北茨城市など被災地への救援
れば、と願っている。
物資の提供や、ボランティアの派遣といった、市民
(貝塚・粕田)
’
11.11
81
11月増刊号
August
2011
AREA RESEARCH CENTER
C
視 点
O
改めて、災害に強い安全・安心な地域社会とは
茨城大学地球変動適応科学研究機関長 三村 信男 ………
83
N
T
論 説
E
震災を機に地域コミュニティの強化を
N
常磐大学コミュニティ振興学部准教授 砂金 祐年 ………
84
T
調 査
S
震災復興とこれからのいばらき
∼東日本大震災が茨城にもたらしたもの∼
第1部
第2部
1章
2章
3章
年度調査テーマ「震災復興とこれからのいばらき」について
震災の茨城県内への影響度調査
被害の広がり
産業への影響
業種ごとの影響の広がりと今後
’
11.11
82
……… 90
視
点
改めて、災害に強い安全・
安心な地域社会とは
茨城大学地球変動適応科学研究機関長
三村 信男
東日本復興構想会議は6月25日に「復興への提言」を発表した。この報告書の
中で目を引くのは、生きるために「逃げる」ことを強調していることだ。日本は「災
害に強い安全・安心な社会」を長く標榜してきたが、大震災・津波を経験して、
改めて安全・安心な社会をどうとらえるべきだろうか?
一番大切なことは、どんな災害が起こっても命が守られることである。復興構
想会議のいう「逃げる」とは、災害に遭遇したら自分の判断で(必要な方は助け
を借りて)安全な所に避難するしかない、ということである。これは「減災」と
呼ばれ、地震や津波の被害を最小限に食い止めようという思想である。
「逃げる」
基本は、一人一人の心構えだ。それを育むためには、学校や地域での教育が重要
で、災害に遭ったらすぐに、心の中に「安全なところに逃げる」という意志が湧
き出るようにしなければならない。同時に、地域の中に避難を支える仕掛けが組
み込まれていることが必要である。
「海岸で地震に遭ったらできるだけ高いところ
に逃げる」のは津波から「逃げる」基本である。できれば10m以上かもっと高い所
に逃げなければならない。しかし、茨城の海岸では、自分がいる場所の標高が分
からない。まずは、海岸沿いに、今回の津波の高さや標高を示す標識を数多く建
てることを提案したい。また、高台の避難所に逃げる道順を分かりやすく示すこ
とも必要である。海水浴や魚市場への来客が多い茨城では、安全・安心の確保も
観光の魅力になるのである。
災害に強い社会の次の手段は、防災施設によるハードな対策である。50年から
200年程度に1回より小さな災害には、堤防や水門、ポンプ場などで住宅地や産業
基盤を守れるようにする必要がある。その時には、1つの施設に頼らないで、砂
浜と松林の後ろに海岸堤防があり、さらにその後ろの道路が高くなっていて堤防
の役目を果たす、といった多重の防護が望ましい。しかし、優先順位は、命を守
るために逃げること、そのための仕掛けの整備が第一で、防災施設は資産を守る
手段であることを理解すべきである。
今回の大地震と津波は茨城県にも大きな被害をもたらした。しかし、歴史的に
は1677年の延宝房総沖地震などもっと高い津波が起こった可能性もある。今後も
災害はありうべしとして、それに備えた県土と地域社会を構想する必要がある。
’
11.11
83
震災を機に地域コミュニティの強化を
砂金 祐年
常磐大学コミュニティ振興学部准教授 1、東日本大震災における茨城県の被害
が協力し合う「共助」は重要である。
東日本大震災では、東北地方を中心に甚大な
災害で被害をゼロにするのは不可能だが、「備
被害が発生した。被害の詳細は本誌4・5月合
えあれば憂いなし」と言われるように、事前の
併号に詳しいが、この原稿を執筆している2011年
取り組みによって被害を軽減することはできる
7月段階での被害状況を改めてまとめてみよう。
(減災)。家屋の耐震化や各家庭での備蓄とともに、
警察庁緊急災害警備本部の7月10日付の発表
もしものときの初動体制について地域の中でど
によると、東日本大震災による全国の被害は、
う取り組んでいくのか、地域コミュニティを軸
死者1万5547人、行方不明者5344人、重軽傷者
とした日頃からの備えが重要であることは言う
5688人、 全 壊 家 屋10万7758戸、 半 壊 家 屋11万
までもない。
6817戸などとなっている。死者のうち9割以上
また、大災害が発生しても、国や地方自治体、
は水死であり、今回の震災の被害の大部分は津
自衛隊といった行政の効果的介入には数日を要
波によるものであることがわかる。また、被害
する。言い換えれば、情報が途絶し、被害の全
が発生した都道府県は、東北及び関東地方が中
体像が掴めない「危機発生後の72時間」は、行
心だが、北海道で死者1名が出たほか、岐阜県、
政による「公助」を十分には期待できない。その
三重県、徳島県、高知県でも軽傷者や建物破壊
後の避難所生活、復興期の災害時要援護者への
が発生するなど、被害のあった地域が極めて広
ケアなどを考えても、災害時における地域コミュ
範囲に及ぶことも特徴である。
ニティの果たす役割は非常に大きいものがある。
茨城県の死者・行方不明者計25名は、宮城県、
ところが近年は、こうした地域コミュニティ
岩手県、福島県に続き4番目に多く、全壊家屋
の衰退が進んでいると言われており、このまま
は2261戸、半壊家屋は1万5840戸に及ぶ。特筆
では「共助」は減退してしまいかねない。そこ
すべきは建物の一部損壊で、13万8134戸は全国
で本稿では、
「ソーシャル・キャピタル」という
で最も多く、非住家被害も9027戸と宮城県に次
概念をキーワードに、力強い地域コミュニティ
いで多い。今回の震災は岩手県、宮城県、福島
を取り戻すために必要なことは何かを考えてみ
県に注目が集まりがちだが、茨城県も大きな被
たい。
害を受けたことを見逃してはならないだろう。
2、地域コミュニティ再生の「鍵」
「共助」の重要性
必要なのは「ご近所の基礎体力」である
大規模な災害に対する活動には、住民自らが
以前NHKで「難問解決 ご近所の底力」とい
自主的に行う「自助」、地域コミュニティの住民
う番組が放送されていた。毎回、問題を抱えて
同士が助け合う「共助」
、自治体や警察、消防な
いる町内会・自治会の人々が登場し、以前同じ
どによる「公助」の3つがあり、それぞれが役
ような問題を抱えていた地域の解決法を参考に
割を分担して防災や災害対応にあたる考え方が
問題を解決していくというもので、
「住宅街の防
広まりつつある。なかでも、防災への取り組み
犯」や「ゴミの分別」
「落書き」など、様々な地
や災害発生直後において、地域に住む住民同士
域課題の解決策が紹介されてきた。
’
11.11
84
砂金 祐年(いさご さちとし)
【略歴】
1976年 東京生まれ
2005年 明治大学大学院政治経済学研究科博士後期課
程単位取得退学、明治大学危機管理研究セン
ターポストドクトラル研究員
2006年 常磐大学コミュニティ振興学部専任講師
2010年 明治大学にて博士号(政治学)取得、常磐大
学コミュニティ振興学部准教授、明治大学危
機管理研究センター共同研究員
【公職】
茨城県観光物産協会中期計画策定委員(2006
年)
、日立市女性大学アドバイザー(2006年∼)
、水戸
市地域リーダー育成研修会講師(2007年∼)、茨城町21
世紀チャレンジ農業会議委員(2009年∼)、日立市総合
計画策定委員会委員(2010年∼)、日立市男女共同参画
審議会委員(2011年∼)など
【主著】 『危機発生!そのとき地域はどう動く』(共
著)、
『グローカルな危機における生活と環境の再生』
(共
著)、『墨田区三十年史』(共著)など
災害に限らず、地域課題の解決策を、地域住
が高い地域は、犯罪、防災、教育、医療など様々
民や市民団体、企業などが模索することは重要
な課題に対処する力が強いことが、多くの研究
である。だが筆者はこの「底力」という表現に
によって明らかにされている。
若干の違和感を持っていた。底力とは「ふだん
は表面に出ないがいざというときに出てくる強
例を挙げてみよう。図1は、筆者が独自に算
い力」
(『大辞泉』
)をあらわす言葉である。だが
出した47都道府県のソーシャル・キャピタル指
多くの場合、地域では常に様々な課題が発生し
数と、人口10万人当たりの刑法犯認知件数との
ており、そのたびに「底力」を発揮していたの
関係を示した図である。これを見ると、ソーシャ
では、遠からず息切れしてしまうだろう。コミュ
ル・キャピタルが高い島根県や福島県などの刑
ニティにおいて大切なのは、瞬間的に発揮され
法犯認知件数は低く、逆にソーシャル・キャピ
る大きな力ではなく、むしろ、日常における様々
タルの低い大阪府や福岡県の刑法犯認知件数は
な場面で、継続的に求められる小さな力「基礎
高いことがわかる。全体的に見ても、ソーシャ
体力」であるといえる。我々が今取り組むべき
ル・キャピタルが高い都道府県ほど刑法犯認知
なのは、衰えつつある地域の「基礎体力」を取
件数も少ない、という関係性を示している。
り戻すことなのである。
このほかにも、ソーシャル・キャピタルが高
い地域ほど、出生率が高く、防災への取り組み
ソーシャル・キャピタルとは?
に熱心で、子どもの学力も高いことなどが確認
「ご近所の基礎体力」を考えるうえで、近年、
されており、ソーシャル・キャピタルの高さが
政治学、経済学、社会学など様々な分野で注目
地域課題の解決に密接な関係があることを示す
を集めているのが、
「ソーシャル・キャピタル」
結果が数多く示されている。
という概念である。この概念を流行させるきっ
かけとなったロバート・パットナムによると、
図1 ソーシャル・キャピタルと刑法犯認知件数の関係
(47都道府県)
高
い
大阪
ソーシャル・キャピタルは「社会的ネットワーク、
福岡
およびそこから生じる互酬性と信頼性の規範」
(『孤独なボウリング』
)と定義されている。言い
換えれば、
「住民同士に交流があり、(「情けは人
のためならず」ということわざどおり)相手を
思いやって行動することが当然という認識を共
有し、互いに信頼し合う関係がある」というこ
とになるだろう。
相関係数:−0.75
(P<0.01)
刑
法
犯
認
知
件
数
︵
人
口
10
万
人
当
た
り
︶
東京
千葉
埼玉
高知
滋賀
奈良
岡山
三重
岐阜
沖縄 愛媛
茨城
栃木
香川 山口
群馬
福島
鳥取 長野 熊本
宮崎
富山
山梨
静岡
福井
石川
徳島
新潟
大分
島根
佐賀
青森
鹿児島 岩手 山形
長崎
宮城
手法を用いて数値化して表現することで、印象
のも特徴である。このソーシャル・キャピタル
和歌山
広島
京都
神奈川 北海道
またソーシャル・キャピタルは、統計学的な
論ではなく、客観的な知見を得ることができる
愛知
兵庫
秋田
低
い
低い
ソーシャル・キャピタル指数(47都道府県)
高い
’
11.11
85
ソーシャル・キャピタルの意義
の生活を余儀なくされ、被災者にとっては大き
ソーシャル・キャピタルについては研究者の
なストレスとなる。その場合においても、普段
間でも様々な議論があるが、
「交流」や「互酬性
付き合いがある人々同士であれば、助け合いな
の規範」、「信頼」といった理念的・抽象的な概
がら避難所生活を送ることにつながりやすい。
念を、客観的数値として示すことは、実際の政
また、街の復興計画を立てる段階になっても、
策で使用するうえで有用であろう。事実、世界
普段から交流のある住民同士であれば、合意形
銀行といった国際機関や、各国の政府、自治体
成もなされやすい。
「住民同士に交流があり、相
レベルにおいても、ソーシャル・キャピタルに
手を思いやって行動することが当然という認識
注目し、政策に取り入れる機関が増えてきてい
を共有し、互いに信頼し合う関係がある」とい
る。このソーシャル・キャピタルを「ご近所の
うソーシャル・キャピタルが重要な役割を発揮
基礎体力」の指標として捉え、その向上を図っ
したことが、ご理解いただけるであろう。こう
ていけば、「地域コミュニティの再生」のための
した経験を踏まえ、神戸市では、2005年に策定
ヒントも見えてくるのではないだろうか。
したまちづくりの指針「神戸2010ビジョン」の
なかで、ソーシャル・キャピタルを重要な概念
3、災害とソーシャル・キャピタル
として位置づけている。
契機は阪神・淡路大震災
災害の分野でもソーシャル・キャピタルが注
ソーシャル・キャピタルと地域防災
目されるようになった契機は阪神・淡路大震災
災害が発生する以前の各家庭での防災への取
である。1995年1月17日の地震発生直後に一時
り組みも、ソーシャル・キャピタルが大きな役
的に家屋に閉じ込められ、自力で脱出できなかっ
割を果たしていることが明らかになっている。
た被災者は約3万5000人。うち、自衛隊や警察、
筆 者 が 神 奈 川 県 某 市 の 協 力 を 得 て2005年 に 行
消防など、行政機関によって救助された人の数
なった調査によると、ソーシャル・キャピタル
は約8000人と、全体の2割程度でしかない。残
が高い地区ほど、「食糧や飲料水の準備」「家具
りの8割にあたる約2万7000人は、近隣住民の
の固定」
「防災訓練への参加」といった災害への
手によって救出された。また、行政機関によっ
備えを行なっている世帯の割合が高いという結
て救出された被災者よりも、近隣住民の手によっ
果が出た(図2)。また10都府県に対する同様の
て救出された被災者の方が、生存率が高かった。
調査においても、ソーシャル・キャピタルと災
阪神・淡路大震災は、当日、兵庫県下で動員
害への備えの間には強い関係性が認められた。
可能であった自衛隊員や警察官、消防官では対
すなわち、
「ご近所の基礎体力」が高い地域に暮
応不可能な規模であったことも原因のひとつだ
らす世帯ほど、災害に対する備えを日常的に行
ろう。また、行政機関が家屋倒壊の現場に駆け
なっていることが、実証的に示されたのである。
つけても、被災者がいったいどこに埋まってい
るのかわからない場合が多い。だが、普段近所
4、東日本大震災でもソーシャル・キャピタ
ルが活かされた
づきあいがある住民であれば、被災者の寝室の
場所や寝床の位置などを知っており、いわばピ
今回の東日本大震災においても、ソーシャル・
ンポイントで救出活動を行うことができたこと
キャピタルが活かされた例が数多く報告されて
が大きな要因であると思われる。
いる。明治・昭和の二度の三陸大津波の惨禍を
震災後の避難所では、24時間衆人環視の中で
石碑に刻み、「この石碑より下に家を建てるな」
’
11.11
86
図2 ソーシャル・キャピタルと災害への備えの関係
(神奈川県某市18地区)
米でおにぎりを作った。また避難所には毛布が
不足していたため、有志がリヤカーを引いて中
高
い
M地区
日
常
的
に
災
害
に
備
え
て
い
る
家
庭
の
割
合
学校周辺の家々を回って200枚ほどの毛布を集め、
高齢者や子供に優先して配布した。また地元企
相関係数:0.63
(P<0.01)
業から発電機の提供を受け、電気の通らない真っ
Q地区
暗な体育館に明かりが灯された。さらに注目す
C地区
F地区
べきは、中学生や高校生約30人から「自分たち
P地区
R地区
O地区
H地区
N地区
G地区
E地区
I地区
も手伝いたい」という声が上がったことである。
K地区
彼らは中学校に泊まり込み、配膳、毛布の配布、
L地区
安否確認、トイレ清掃などを行った。
D地区
B地区
翌12日になると、地元の企業などから食材が
J地区
A地区
続々届くようになった。ある水産会社からは大
低
い
低い
ソーシャル・キャピタル指数(某市18地区)
高い
型の釜が提供され、それらを使って、近隣の飲
食店で働く若者らが調理を行った。おかげで温
という教えを守り伝えたことで、今回の震災で
かい食べ物をふるまうことができるようになっ
は被害が出なかった岩手県宮古市姉吉地区の例
た。こうした支援のおかげで、避難所では1600
などを、目にされた方も多いだろう。ここでは、
人分の食料には困らなかったという。またこの
住民たちによる自主的な避難所運営で「危機発
日は「避難場所に行けば水がもらえる」という
生後の72時間」を乗り切った、日立市久慈学区
情報が広まり、朝から水を求める人が長蛇の列
の事例を紹介したい。
をなした。ところが、避難場所に水そのものは
ない。そこで、中学校の校長先生や住民らが協
日立市久慈学区の事例
日立市の南東部、海に面している久慈学区は、
震災による津波で大きな被害を受けた。この地
区の避難場所に指定されている久慈中学校には、
力して、近くの湧水が出ている場所まで車で何
度も往復し、少しずつ配布した。こうした住民
自身の手による避難所運営は15日まで続いた。
「こうした活動は、コミュニティ推進会が要請
3月11日の地震発生直後から、被害の大きかっ
したわけではなく、住民らが自主的に『○○を
た沿岸部の住民を中心に被災者が集まり、その
やりましょうか?』などと手を挙げてくれた。
数は夕方までに1600人に達した。避難所を開設
コミュニティ推進会はそれをまとめただけ。普
したのは市役所だが、その運営の中心となった
段はあまりコミュニティ活動にかかわっていな
のは「久慈学区コミュニティ推進会(以下、コミュ
い人も多いが、日常的な近所づきあいや、コミュ
ニティ推進会)」の役員らだが、避難してきた人々
ニティセンターを利用したサークル活動などを
の中からも「手伝います」という声が多数上がっ
通じて、顔見知りになっている人は多い。今回
た。また、被害の少なかった地域の住民らも、
の震災では、こうした住民たちの根底にある『絆』
手伝いのために避難所に自主的に集まってきた。
が活かされた」と、コミュニティ推進会の須田
まず避難してきた人々の名簿の作成が行われ、
昭会長は語る。前述のとおり、災害発生後約72
安否確認などに役立てられた。夕方から始まっ
時間は行政による「公助」は十分には期待でき
た炊き出しでは、避難してきた人々が自主的に
ない。久慈学区は、住民や企業、そして中高生
持ち寄った米や、周辺住民から差し入れられた
らが自主的な「共助」を発揮して「危機発生後
’
11.11
87
の72時間」を乗り切ったのである。現段階では
数値化して評価することはできないが、まさに
ソーシャル・キャピタルが発揮されたと言えよう。
若者たちが地域コミュニティに注目している
ところが震災後、こうした若者たちの考え方
が変化したように筆者は感じている。彼らの多
くも被災したことで、それまで倦厭してきた地
5、震災を契機に地域コミュニティの再生を
域コミュニティの大切さに触れたのである。震
若者たちが地域コミュニティを倦厭するわけ
災後、災害とソーシャル・キャピタルの関係に
筆者は、自治体が主催する地域リーダー育成
ついて講義した際には、
「地震直後、普段あまり
のための研修会などに講師としてお呼びいただ
話をしなかった近所の人たちから『大丈夫?』
くことがある。そこで研修に参加されている地
と声をかけられた。その時から、近所の人たち
域リーダーの方々とお話しする際、よく耳にす
に挨拶するようにしている」「近所の人同士で情
るのが「どうすれば地域を担う後継者を育成で
報を交換し合ったり物の貸し借りを行い、とて
きるか」「どうすれば若者たちの目を地域に向け
も助かった。地域の交流の重要性を身にしみて
ることができるのか」という相談である。
感じた」などの意見が数多く寄せられた。
確かに、筆者が大学で学生たちに「地域コミュ
日立市久慈学区の中高生たちの例を見てもわ
ニティに積極的に参加したいか」と尋ねても、
かる通り、今回の震災を機に、若者たちの意識
たいていの場合、曖昧な苦笑いをされてしまう。
が今まで以上に地域コミュニティに向けられて
なかには、「近所づきあいなどしなくても生きて
いる。その意味では、震災はご近所の基礎体力
いける」と言い切る学生もいる。大学生に限らず、
を取り戻す、大きなチャンスと言えるのではな
「ご近所の基礎体力」を上げる取り組みを実施す
いだろうか。
るうえで、一番の課題となるのが、こうした「ご
近所づきあいは面倒」という意識ではないだろ
うか。
6、「ご近所の基礎体力」向上のためには
これまで論じてきたように、地域コミュニティ
若者たちがこうした意識を持つのは、仕方の
が災害をはじめ様々な地域課題に対処するため
無いことなのかもしれない。そもそもかつて近
には、地域のソーシャル・キャピタルを高めてい
所づきあいが活発だったのは、その方が生きて
くことが必要である。そして「ソーシャル・キャ
いくのに都合が良かったからである。生活水準
ピタルは地域コミュニティの基礎体力である」と
が低かった時代、人々は個人や一家族だけでは、
考えれば、体力向上のためのヒントは見えてく
家の屋根を葺き替えることも、冠婚葬祭を執り
る。人間の場合と同じように、基礎体力を身につ
行うこともままならなかった。ご近所づきあい
け、あるいは向上させるには地道な取り組みが必
はいざという時の担保であり、また生活の知恵
要である。そこで私見ではあるが、ソーシャル・
でもあったのだ。だが現在は、家の建て替えも、
キャピタルを向上させ、地域コミュニティを再生
冠婚葬祭も、専門の業者に任せれば滞りなく行
させるために必要な5か条を列挙してみよう。
うことができる。ご近所同士で助け合う必要は
必ずしもない。であれば、面倒な近所づきあい
期間で成果を上げようとしない
を避け、自分自身のライフスタイルを大切にし
人間の場合もそうであるが、急激な運動をす
た生き方をした方が良い。若者たちがそう考え
ると身体を壊してしまう危険がある。
「継続は力
るのも無理はない。
なり」の言葉もあるとおり、地道な鍛錬を続け
てこそ基礎体力は身につくのである。そもそも
’
11.11
88
地域コミュニティの「衰退」は、高度経済成長
リーダーが引退してしまったら、活動自体が尻
期から緩やかに進展してきたと言われている。
すぼみになってしまった、というケースも多い。
であるならば、短期間で解決しようとするので
そもそも構想力と実行力に富んだリーダーの存
はなく、10年、もしくは数十年といった長期的
在はまれであり、全ての地域コミュニティに存
な視野にたった活動が必要である。
在するわけではない。仮にいたとしても、他の
住民が「偉大な」リーダーに頼ってしまい、後
大げさな取り組みを行なわない
進が育ちにくいという弊害がある。ソーシャル・
人間は何かを決意すると、往々にして大きな
キャピタルの向上には、地域住民ひとりひとり
取り組みをしたがるものであるが、大きな取り
の小さな心がけが何より大切である。ひとりの
組みであるほど息切れしやすく、続かない。た
偉大なリーダーではなく、何人もの「等身大の
とえ小さくても、取り組みやすく、継続しやす
リーダー」がいるのが理想だろう。
い活動を続けていかなければならない。自警団
活動(夜回り)などはコミュニティ活動の例と
行政に頼り過ぎない
してよく紹介されるが、多くのケースは数年で
地域コミュニティの再生には、民と官の協働
活動を休止してしまうようだ。基礎体力の向上
が大切であることは言うまでもない。そのため、
のためには、あいさつ、家の前の掃き掃除、決
「住民協議会」のような組織を立ち上げる自治体
められた時刻のゴミ出しなど、地道な努力が必
が増えている。だが、こうした「官製」の組織
要である。
は民間側の当事者意識が低く、十分に機能して
いないところも多いのが実情である。むしろ民
お金をかけない
の側から自主的に形成され、運営される組織で
高額な健康増進器具を買ってもいつの間にか
ないと実効性は期待できない。
「行政はあくまで
ほこりを被っている、というのはよくある話で
サポート役」ということを、民官双方が認識す
ある。また「お金がないから無理だ」と、活動
べきだろう。
自体を始めない口実にも用いられてしまうこと
もある。お金をかけずできることから始めるべ
以上に紹介した、地域コミュニティのソー
きである。県内のある地区では、震災を機に、
シャル・キャピタルを上げるためのヒントは、
地区独自の防災備蓄を始める計画があることを
どれもごく簡単なものに過ぎない。だが、この
耳にした。防災倉庫に米などの食材を備蓄して
ような小さな取り組みをコツコツ続けてこそ、
おく。そして、毎年開かれる地区の祭りやもち
「ご近所の基礎体力」は少しずつ向上する。そし
つき大会の時は、主催する組織に備蓄してある
て基礎体力がつき、日常の様々な小さな地域課
食材を売却する。そうして得たお金で、新たな
題に対応できる地域コミュニティであれば、今
備蓄食材を購入するのである。限られた元手で
回の東日本大震災のような大きな災害の時に、
常に新鮮な食材を備蓄する優れたアイディアで
初めて「底力」を発揮できるのである。
あると言えるだろう。
前述のように、震災を機に若者をはじめ人々
の目が地域コミュニティに向き始めている。こ
強力なリーダーシップに頼り過ぎない
コミュニティ再生の取り組みの成功例では、
しばしば強力なリーダーの存在が指摘されるが、
の逆境をチャンスと捉え直し、元気な地域コミュ
ニティを取り戻すきっかけとして利用すること
を願ってやまない。
’
11.11
89
調査
震災復興とこれからのいばらき
∼東日本大震災が茨城にもたらしたもの∼
本年3月11日に起きた東日本大震災は、茨城県にも甚大な被害をもたらした。地震・津波による
直接的な人的・物的な被害、原子力発電所の事故による直接・間接的な損害である。また、今後も
原発事故の長期化や電力供給量が限られるなかで、生活、経済活動に影響が及ぶことが予想される。
常陽アークでは、これらの広範囲かつ多分野に渡る被害の実情と、地域に与える影響について調
査を進めていく。さらに、いばらきの地域社会・システムや地域産業・経済がどのように立ち直り、
復興に向けての歩みを進めていくのかについて、人口減少、人口・世帯構成の変化、価値観の変化、
グローバリゼーションなどの長期的な社会構造の変化という背景を踏まえつつ、調査を進めていく。
本号では、東日本大震災が県内に対してどのような影響を与えたのか経済・産業分野を中心に概
観してみた。
第1部 年度調査テーマ「震災復興とこれからのいばらき」について
進む構造変化
人口減少、人口・世帯構成の変化、価値観の変
とした環境変化に、地域がどのように対応していく
のかという問題意識があった。
化、グローバリゼーションなどの長期的な社会構造
の変化は、地域社会に少しずつ、しかし着実に影響
大震災とこれからのいばらき
を与えてきた。そして、この変化は、これからも当
そうしたなか、本年3月11日に起きた東日本大
面変わることなく社会に対し様々な形で影響を及
震災は、茨城県にも甚大な被害をもたらした。地
ぼしていくことに違いない。
震・津波による直接的な人的・物的被害、原子力発
これまで地域社会を支えてきたシステムが、こ
電所の事故による直接・間接的な損害である。さら
うした構造的な変化に対して、十分に機能を発揮す
に、今後も原発事故の長期化や電力供給量が限られ
るのが難しくなっているのが実情だ。もちろん、生
るなかで、生活、経済活動に影響が及ぶことが予想
じてくる問題には、地域社会のみで対応するのでは
される状況にある。
なく、日本全体にかかる部分が大いにある。現に、
当然、地域社会が短期的に目指すべきは、震災
社会保障と税の一体改革が論点となるなど国とし
の直接的被害から回復し、一日も早く平常の活動へ
ても早急な対応の必要性に迫られている。一方、地
の復旧を目指すことである。しかし、震災から単に
域においても、地方分権が求められるなか、独自に
復旧を進めるだけでは、従来から対応の必要性が高
対応を図るべき課題が多々ある。
まっていた構造問題への解決にはつながらない。さ
これまで常陽アークで進めてきた「環境変化と
らに、震災によって人口移動の変化や企業の海外進
地域の対応力」調査でも、そうした構造変化を中心
出の加速といった構造変化そのものが影響を受け
’
11.11
90
た可能性もある。
うほどの甚大な被害を受けたわけではない。そうし
そこで私たちには、大震災という地域にとって
た意味では、いわゆる生活の基盤そのものを失った
の災禍を天啓として、これからの社会構造にマッチ
被災者の数は他県に比べ、少数に止まっている。し
したよりよい地域への復興への道筋を描くことが
かし、今回の震災が茨城県内にもたらしたインパク
求められている。つまりは、地域の社会システムの
トは、生活、環境、産業、文化などあらゆる分野に
質的な転換を図っていくことが必要だ。
渡り、しかも多大なものであった。
そうした被災を受けた様々な分野において、中
図1 復興に向けて
今後目指すべき姿
長期的にみて、質的な転換を図った地域社会づくり
を図っていくことが必要であり、その実現こそが
変化が進む社会構造
構造変化に対応した
復興した地域像
震災前の地域の姿
「復興」といえる。そこには、震災以前の仕組みや
発想を超えた新たな視点が求められている。常陽
質的な転換
アークでは、その一助となるべくいばらきの地域社
震
災
の
発
生
復
旧
作
業
応急
復
興
作
業
会・システムや地域産業・経済がどのように立ち直
り、復興に向けての歩みを進めていくのかについ
的復
旧
震災の影響を受けた社会構造
(構造変化の加速など)
震災によるダメージを
受けた地域
て、以下の3つの視点から調査を進めていく予定で
ある。
調査の視点
①震災による地域への影響(現状と課題)
今回の震災は、茨城県内にどのような影響をおよ
復興の意味
ぼしたのか、現状や生じた課題について探っていく。
復興という過程について、阪神大震災の際には、
「創造的復興」という言葉が使われた。この言葉は、
②震災によって発生した課題への対応
都市計画をはじめとした街づくりにおいて、単に震
震災によって生じた様々な課題に対して、地域
災前の状態に戻すのではなく、質的な向上を図りよ
における各主体がどのような対応をしようとして
りよい形へと導いていくことを意図していた。実際
いるのか、またどのように対応していくべきかにつ
には、街づくりの過程において、既存のコミュニ
いて探る。
ティの結びつきを十分に配慮することなく進めた
ため、コミュニティの崩壊を招くなど結果について
は必ずしも評価できるものとはならなかった。
今回の震災において、茨城県内では、かつての
阪神大震災や津波を受けた岩手県、宮城県、福島県
③復興に向けて地域に求められるもの
地域の復興のために、必要となるものはなにか。
構造的な変化への対応を踏まえた地域の将来づく
りに向けての調査を行う。
の3県沿岸部のように、街そのものが消失したとい
’
11.11
91
第2部 震災の茨城県内への影響度調査
本号では「震災による地域への影響」を探るため、既報情報に加え、企業アンケート・ヒアリングなどを通
して、県内での影響の広がりの全体像を整理するとともに、経済・産業を中心とした現況についてレポートする。
1章 被害の広がり
東日本大震災の茨城県での影響
は困難である。
東日本大震災は茨城にどのような影響をもたら
そこで、これまでに各機関から発表されている
したのだろうか。
被害状況や各種報道などを基に、社会・経済・産業
これまでの各地の大地震においてもその被害状
を中心とした県内おける影響の広がりについて、整
況は長期間にわたり報告、更新されており、今回の
理してみたのが図2である。
震災被害について現時点で全体像を把握すること
図2 東日本大震災による県内の被害・影響の広がり
直接的被害
人的被害
設備等ストックの被害
産業活動(停滞・特需)
東日本大震災
地 震
間接的被害・影響
ライフライン
(早期復旧)
電気
上水道・下水道
ガス 電話
家 屋
(倒壊・液状化)
企 業
特需
建設業
歴史・文化資産
文化財等
街並
インフラ
交通インフラ
鉄 道
道 路
橋 梁
公共施設
観 光
学 校
農水畜産業
役 所
港 湾
空 港
農業基盤
雇用問題
(失業・求人減)
市 民
所得減少
人口移動
価値観の変化
自治体
税収減
図書館
非営利事業
復興費用調達
河 川
公 園
マイナス影響
県外(東北
等)の被災
企業立地
(再配置・誘致)
風評被害
製造業
プラス効果
(特需など)
倒産・廃業
非製造業
津 波
原子力事故
経済・社会問題
医療・福祉
エネルギー対策
危機管理
(防災対策見直し等)
文化施設等
大学・研究機関
復旧費用
消費自粛
・抑制
再評価・活用可能性
ソーシャルキャピタル
電力不足
外国人の帰国
ボランティア
コミュニティ
サプライチェーン寸断
復興需要に伴う原材料不足
情報インフラ
震災によって生じた制約・消費行動等
’
11.11
92
直接的な被害
おいても、災害復旧関連予算などとして合計で476
東日本大震災は、地震、津波、そして原子力事
億円が計上されるなどである(平成23年6月3日現
故に伴う放射性物質の放出という複合かつ広域的
在)。また、これらの額については今後も随時更新
な災害である。
されるものである。
まず、地震や津波については、その直接的な被
その他、被害全体を捉えたものとしては、たと
害が各所に生じた。人的被害については、死者24名
えば日本政策投資銀行において、地震や津波などに
である。物損については、ライフラインにはじま
よる直接的被害について資本ストックに対する推
り、社会インフラ、各種公共施設、歴史・文化遺産、
定被害額として、茨城県内で2兆4,760億円(内陸
病院など公共的なものの被害、家屋、企業の建物施
部:9,930億円、沿岸部:1兆4,830億円)とする推
設・機器などの民間部門での被害が生じた。
計結果を出している。
これらについては、公的なものを中心に、茨城
一方、原子力事故に伴う放射性物質の放出につ
県や各市町村、公共機関等から、件数や被害額とい
いても、初期段階で、ほうれん草等の農産物・こう
う形で発表されている。具体的には、茨城県では、
なごといった水産物の出荷制限といった直接被害
県関連施設の直接被害額について1,332億円として
が生じた。
いる(平成23年6月3日現在)
。県内の各市町村に
医 療 施 設
県内で唯一、震災の影響で病棟が使用制限を受けた筑西市民病院に、医療施設における被害とその後の復旧
についてお話を伺った。
地 域 の 医 療 拠 点 と し て 早 期 の 復 旧 ・復 興 を
筑西市民病院
事務部長 菊池 達也 氏
事務部病院総務課長 市村 雅信 氏
テントでの診療再開
できました。平時から避難訓練等をおこなって
3月11日、当院には、入院患者71名と外来患
いたことから、マニュアルに従って速やかな対
者10数名がいました。かなり大きな揺れを感じ
応をとることができ、全員無事であったことが
たため、災害マニュアルに従い、院内にいた職
何よりでした。
員・患者全員を屋外待避としました。入院患者
翌日、県に病棟の危険度調査を依頼したとこ
については余震が続く中、職員が力を合わせて
ろ、当院は危険建物の指定を受けました。これ
待避させました。
により、入院棟・外来棟・放射線棟の使用が制
その後、非常ドアが倒れるなど病棟の被害が
ひどかったため、入院患者を市の総合体育館に
限されることとなり、すべての診療が一時中断
しました。
一時待避させ、一時帰宅が可能な方を除き、12
3月14日、かかりつけの患者に薬の処方をお
日未明までに近隣の4病院に転院させることが
こなう必要があったため、応急措置として外来
’
11.11
93
棟の前にテントを設置して診療を再開しまし
震災の影響は少ない
た。また、同月24日以降、順次テントからプレ
筑西市内でも地震により、電気・水道などラ
ハブ施設への移行を進め、一般の外来の受付も
イフラインの寸断がありましたが、当院では、
再開しました。この際、地元ボランティアの方
非常用に重油を燃料とした自家発電機を備えて
から待合室用にプレハブ施設を提供していただ
いたこと、医療機関ということで燃料を優先的
き、大変ありがたい思いでした。
に確保することができたため、停電することは
ありませんでした。また、水についても、給水
地域の医療拠点として
当院は地域の医療拠点としての役割を担って
施設が被災を免れたため、困ることはありませ
んでした。
いるため、地域のためにできる限り早期に入院
医薬品についても、当初はその供給が先行不
患者の受け入れが可能な体制に戻すことが重要
透明であったため、備蓄の関係から処方のサイ
であると考えました。
クルを短くして対応していましたが、手に入ら
そこで、5階建てであった入院棟の3階から
ないといった影響もありませんでした。
5階部分の撤去をおこない、外来棟(平屋部分
しかし、当院では、震災前、職員及び臨時の
を除く1階部分)の耐震化を図るとともに、手
職員で業務にあたっておりましたが、地震の影
術室と病床50室からなる新病棟を新たに建設す
響で入院患者を受け入れることできなくなった
る復興計画を4月上旬に策定しました。
ことにより、職員に余剰が出てしまい、臨時職
この計画に従って、外来棟は8月から、新病
員の契約を4月以降更新することができません
棟は秋口からの使用開始を目標に現在手続きを
でした。震災の影響とはいえ、長く勤めてくれ
進めているところです。
た職員もおり、苦渋の決断でした。
復旧・復興へ全力を注ぐ
外来診察は再開しましたが、施設が使用でき
ない都合上、検査を伴う診察や、救急患者の受
け入れができない状況が続いています。
地域の医療を担う病院として、一日でも早い
復旧・復興に向けて、全力を注いでいるところ
です。
プレハブでの診療を行う筑西市民病院
間接被害の広がり
間接的な被害としては、初期段階においては燃
料不足によってあらゆる社会活動に停滞が生じた。
また、消費マインドの低下や原子力事故による
風評被害発生によって、消費者の行楽活動や農産物
の選択の面で影響がでている。
港湾等の社会インフラの被害に伴い、企業の生
さらに、外国人の帰国により、農業・製造業な
産活動への余波が生じたり、サプライチェーン寸断
どで労働力不足が生じたりしている。今夏以降、大
の問題による生産・受注減少や商品入荷の停止が起
口電力需要家に対して前年比15%の節電を義務付
きた。
ける電力使用制限令が発動されており、企業活動な
’
11.11
94
どへの影響が懸念されている。
自治体としては、震災による景気低迷による税収
こうした産業活動への影響については、企業ア
減、一方で復興費用の確保などが問題となるだろう。
ンケートやヒアリングをもとに2章以降で詳しく
このように、全体的な震災の影響は多大な広が
みていく。
りをみせており、今後これらに対する調査も必要と
なるだろう。
今後懸念される影響の広がり
今後、影響が懸念される経済・社会の問題とし
ては次のような点があげられる。
再評価・活用可能性
今回の震災において、その重要性が再認識され
まず、日本全体にかかる課題として、エネルギー
たものとして、コミュニティ活動やボランティアな
政策の見直しや危機管理のあり方などがあげられる。
どがある。論説の砂金先生のいうように、常日頃か
県内についてみると、企業活動では、震災の影
らの活動によってコミュニティの基盤をしっかり
響の長期化に伴って、倒産や廃業の増加やそれに伴
と作っておくことが肝要だろう。
う雇用問題の深刻化が懸念される。また、企業立地
また、ボランティアでは、北茨城市など県内の
では、震災の被災地となったことによる地盤の安全
被災地への支援の動きや県内から東北の被災地へ
性に対する不安や原子力発電所との近接性がどの
出かける人も少なくなく、存在感を高めた。
ように影響を及ぼすのかといった懸念もある。
一方、情報インフラを活用したソーシャルメディ
市民生活の面からは、企業業績の低迷による雇用
アも注目を集めた。本誌7月号にも紹介している
不安、所得の減少および消費の抑制、安全性を基準
ツィッターによる個人の情報発信は、新たな可能性
とした居住地選択に伴う人口移動の発生、震災被災
を大いに感じさせるものであった。
経験によって生じる価値観の変化などが考えられる。
大 学 ・研 究 機 関
他の被災地に比べ茨城県は、筑波研究学園都市の立地もあり大学・研究機関の数が多く、震災による被害が
及ぼす悪影響が懸念されている。
研究機関のなかでは、産業技術総合研究所や高エネルギー加速器研究機構、日本原子力機構等で震災による
直接的な設備への被害状況が報告されている。たとえば、整備されてまもない産業利用の促進も進められてい
る大強度陽子加速器も被災し停止した。同施設では、年内のビーム調整運転再開、年度内に2サイクル以上の
共用運転の確保を目標とする基本計画が立てられ、修復工事・作業などが進められている。
研究分野においては、研究機器の被災により研究の遅延が生じることや原子力事故に伴う外国人の帰国およ
び今後の電力不足による影響も生じることが懸念されている。
大学では、筑波大学や茨城大学を始め、各大学が被災している。入学や学期の開始を遅らせるなどの対応を
図るといった形で影響が学生にもでている。
大学等の影響について筑波大学鈴木副学長に伺った。
’
11.11
95
先端研究に大きな影響
筑波大学
理事・副学長 鈴木 久敏 氏
地震時の対応、宿舎学生が避難者に
教育・研究活動への影響大きい
地震発生当日、当大学は既に春休みに入って
今回の地震により、大学施設の被害額は約70
いたため、学期中に比べて構内にいた学生はそ
億円にのぼり、教育や研究活動に多くの影響を
れほど多くありませんでした。幸い、地震発生
及ぼしています。
の数日前にひなん防災訓練を実施したところ
当大学にはペレトロンタンデム加速器という
で、職員は今までにない大きい揺れであったに
世界的にも数少ない実験装置を所有していまし
もかかわらず、素早く判断し行動することがで
た。この装置は物質の構造研究や微粒子の成分
きました。
分析に利用され、大学教育を始め企業との共同
地震発生後、まず、地震及び津波被害が特に
研究など産学連携にも貢献していましたが、今
甚大と考えられた岩手・宮城・福島出身の学生
回の地震で壊滅的な被害を受けました。建物に
及び当日東北方面に研究や部活動で向かった学
装置が据え付けられている構造上、施設の復旧
生の安否確認をおこないました。連絡手段が途
は建物自体の建て替えが必要となり、当分の
絶えた中での作業であったため、大変苦労しまし
間、この装置を使った研究ができなくなってし
たが、全員の無事を確認することができました。
まいました。
当大学は敷地内に学生宿舎を約4,000室所有
その他にも、藻類によるバイオマスエネル
していますが、地震当日は一の矢宿舎に550人
ギー研究や遺伝子研究など当大学が力を注いで
の学生が残っていました。一の矢宿舎はライフ
きた研究にも非常に多くの被害がありました。
ラインがすべて寸断してしまったため、比較的
スポーツ分野にも力を注いできた当大学です
早期に電気が復旧した他の学内施設へ大型バス
が、バスケット、ダンス、体操などの活動に使
でピストン輸送しました。大学宿舎の学生が避
用していた総合体育館もコンクリート柱や壁が
難者になってしまうことは想定していなかった
破損し、使用することが危険な状態になってし
ため、食料や飲料水の備蓄はなく、市から支援
まいました。代替施設を探しているところです
があるまでの間、その確保に苦慮しました。
が、大学の運動部が使用する広さや設備を備え
また、当大学は地震発生の翌日に入学試験を
控えていました。試験の中止は早期に決定しま
た本格的な体育館は探すことも難しく、活動に
支障が出ています。
したが、地震直後は情報を発信する方法があり
また、学術図書や資料などの書物が並んでい
ませんでした。自家発電機を用いてなんとか電
た大学図書館も書籍の落下、書棚の倒壊やガラ
源を確保し、地震発生から3∼4時間程度で試
スの破損がありました。書物の数が非常に多い
験の中止などの情報をHPに掲載することがで
ため、復旧には相当程度時間を要することが想
きました。被災した大学の中でもかなり早い対
定されましたが、学生ボランティアの活躍もあ
応ができたと思います。
り、こちらはおよそ1ヶ月で復旧することがで
きました。
’
11.11
96
原子力事故、電力不足への対応
復興への決断
当大学には外国からの留学生や教員が多く在
施設・設備の損傷やそれに伴う活動への影響
籍しています。原子力事故発生後、放射線量の
も残っていましたが、ライフラインも復旧した
測定など安全面の確認をおこない、正確な情報
ことから、4月以降の新年度については、安全
の発信に努めましたが、それぞれの母国から避
性を確認したうえで、可能な限り通常どおり教
難勧告が出たこともあり、事故直後はそのほと
育研究活動をおこなっていく方針を定めました。
んどが一時帰国してしまいました。5月の連休
入学式も当初は開催が危ぶまれていました
明けにはほぼ全員が帰ってきましたが、来年以
が、2週間延期し、場所を陸上競技場へ変更し
降の留学生への影響が懸念されます。
て開催しました。屋外での開催ということもあ
夏場の電力不足に向けて、どの施設でどのく
り、原子力事故の影響を心配する保護者からの
らい電力を使用しているかリアルタイムで把握
問い合わせもありましたが、安全性を確認して
できるように可視化する電力情報システムを立
いることを丁寧に説明し対応しました。
ち上げました。大学内には研究設備など電力を
現在も震災の影響は様々なかたちで残ってい
常に必要とする設備もあるため、節電は容易で
ますが、復興に向かっていくために、情報発信
はありませんが、様々な試みをおこなっている
をおこなっていくことはもちろんですが、可能
ところです。
な限り通常どおりの活動をおこない、その状況
を見てもらうことが一番効果があるのではない
かと思います。
2章 産業への影響
震災の影響は、産業面においても様々な経済指標
ケート調査を実施した。
に表れている。3月の鉱工業生産指数は、61.0(平
対象企業:県内に立地する企業および事業所
成17年=100)前年同月比32.8%減、4月も65.4で前
対象数:2,282社
年同月比30.4%減を記録した。常陽アークが4半期
アンケート実施期間:
ごとに実施している経営動向調査においても、全産
業ベースの自社業況判断(DI)が4−6月期で▲
平成23年6月3日∼平成23年6月27日
有効回答数 598社(有効回答率 26.2%)
46.6となり、
「悪化」超幅が31ポイント拡大した。先
行きの見通し7−9月期についても、▲33.3となり、
震災前と比べると景況感の悪化が続く状況にある。
直接被害は8割弱
まず、企業の被災状況である。震災による直接被
こうした震災の影響がどのような形で、県内に
害のあった企業が458社(77.1%)であるのに対し、
広がったのかについて企業アンケートを実施した。
なかった企業は136社(22.9%)である。県内の地
域別でみると、県北および県央地域では、8割を超
企業アンケートの概要
える企業が被災し、7割台の鹿行、県西、6割台の
茨城県内の産業活動への影響を調べるため、県
県南となった。また、従業員規模別にみると、300
内立地の企業に対して、震災の影響についてのアン
人以上の企業では、60社(98.4%)で直接被害を受
’
11.11
97
けたと回答している。以下、100人以上299人、30人
被害額では、100万円以上500万円未満がもっと
以上99人、30人未満の順に被害を受けた企業の割合
も 多 く131社(33.1 %) の 企 業 で、 1 千 万 円 以 上
が高く、規模の大きい企業ほど被害を受けているこ
5千万円未満が103社(26.0%)となっている。被
とがわかる。業種別では、小売業、製造業(素材)
、
害額は、回答のあった396社の平均で106百万円と
卸売業では、9割を超える企業が被災した。被災の
なった。
少なかったのは、建設業、運輸・通信業、農業で被
災率は6割台と比較的被害が少なめにとどまった。
震災による事業の中断については、中断はない
図3 震災の直接的被害
0%
20%
40%
60%
80%
77.1
合計
100%(n)
22.9
84.5
県北
27.6
72.8
県西
有
(164)
15.1
98.4
300人以上
再 開 ま で の 期 間 で は、 3 月20日 ま で が114社
(25.1%)で最も多く、3月下旬が64社(14.1%)と
なった。以上を足すと87%となり、多くの企業では
(261)
23.2
84.9
100∼299人
(103)
31.0
76.8
30∼99人
(157)
27.2
69.0
30人未満
の企業が事業の中断を余儀なくされた。また、事業
( 58)
33.8
66.2
県南
(148)
11.8 (127)
72.4
鹿行
企業が219社(48.1%)あるが、一方で、半分以上
(594)
15.5
88.2
県央
半分以上の企業が事業を中断
( 93)
比較的短期間に事業再開にこぎつけたものの、一部
の企業では事業再開までにかなりの時間を要して
1.6( 61)
いることがわかる。
無
地域別では、県北では73.6%、鹿行地域で61.9%
次に、被災内容をみると、工場・建屋等施設へ
の企業で事業の中断があった。それに対して県南で
の被害が376社(83.0%)となった。機材設備への
は36.9%、県西で39.2%にとどまり、地域差が大き
被害が221社(48.8%)となり、商品・在庫・仕掛
かったことが確認でき、地震の揺れや津波との関係
り品への被害が184社(40.6%)となった。一方、
があったとみられる。また、従業員規模別にみる
幸いなことに従業員等への人的被害は15社(3.3%)
と、300人 以 上 の 企 業 で64.4 %、 以 下、100人 以 上
にとどまった。
299人、30人以上99人、30人未満の順に事業中断し
図4 直接的被害の内容(n=453)
0
100
200
184
15
28
300
た企業割合が高い。さらに、企業規模が大きいほ
(社)
400
ど、事業の再開時期についても、時間を要している
376
221
図6 事業再開時期
0%
工場・建屋等施設への被害
商品・在庫・仕掛品等への被害
その他
20%
県北
4, 1.0%
6, 1.5%
鹿行
17, 4.3% (社,%)
8, 2.0%
100万円未満
54.1
21.6
11.9 9.5 9.5
21.4
63.1
17.5
20.3
60.8
県西
57.8
30人未満
1千万円未満
131, 33.1%
5千万円未満
30∼99人
22.8
100∼299人
300人以上
35.6
1億円未満
103, 26.0%
5億円未満
58, 14.6%
10億円未満
中断はない
4月前半
6月中予定
10億円以上
’
11.11
23.8
48.4
37.2
0.8
8.0
(125)
2.4
0.9
12.6 7.2
(111)
3.6
22.4
500万未満
30, 7.6%
98
100%(n)
2.0
14.1 6.4 3.3 0.7(455)
25.1
38.1
県南
50万円未満
39, 9.8%
80%
38.4
26.4
県央
図5 直接被害額の状況(n=396)
60%
48.1
合計
機材設備への被害
従業員等への人的被害
40%
38.5
18.6
3月20日まで
4月後半
7月以降予定
22.0
9.5 ( 42)
2.9 1.9
9.7
2.9 1.9(103)
5.4 1.4
9.5 1.4 1.4( 74)
4.4 1.7
1.1 1.1(180)
6.3 2.4
17.5
0.8 0.8(126)
1.3
11.5 7.7
3.8 ( 78)
10.0
6.8 13.6 3.4 ( 59)
3月下旬
5月中
見通しがたたない
傾向がある。
143社(23.9%)にのぼった。
業種別にみれば、建設業では、9割弱の企業で
業種としては、建設業で5割、小売業で3割の
中断がなく、一方、製造業(加工)で8割弱、製造
企業で特需があったとしている。また、あとで詳述
業(素材)で7割弱の企業が中断を余儀なくされて
するが、そのほかの多くの業種で特需があったとす
いる。そのほか、観光・宿泊で6割を超える企業で
る企業がみられた。特需の内容としては、復旧に絡
中断があったのが際立っている。
むものが最も多く、買いだめや代替需要、電力不足
などによるものもみられた。
震災後に6割の企業の業況が悪化
次に特需の発生と震災後の業況の関係をみる
震災後の業況については、大幅に悪化した企業
と、特需があった企業では、3割弱の企業が業況が
が86社(14.6%)
、悪化した企業が280社(47.5%)
好転したと回答しており、特需なしの企業との差が
と悪化企業は全体の6割を超えている。一方好転し
ある。
た 企 業 は45社(7.6 %)、 変 わ ら な い 企 業 が179社
図9 特需の有無と震災後の業況
(30.3%)となっている。
0%
合計
20%
14.6
40%
60%
100%(n)
80%
30.3
47.5
7.6 (590)
図7 震災後の業況
0%
合計 14.6
20%
40%
47.5
60%
80%
30.3
100%(n)
7.6 (590)
特需あり 6.3
特需なし
県北
18.5
45.2
28.8
7.5 (146)
県央
17.5
47.6
27.8
7.1 (126)
鹿行 8.6
県南
51.7
48.4
13.5
県西 10.6
13.5
49.8
30∼99人
14.1
47.2
30.1
8.6 (163)
42.4
34.8
5.4 ( 92)
300人以上
17.4
悪化した
13.1 ( 61)
23.0
変わらない
29.3
悪化した
変わらない
1.6(444)
好転した
6.6 (259)
30.1
50.8
13.1
大幅に悪化した
51.8
(143)
5.8 (104)
36.5
30人未満
100∼299人
26.6
8.4 (155)
29.7
47.1
33.6
17.3
大幅に悪化した
10.3 ( 58)
29.3
33.6
好転した
国内の売上の減少が85.2%
業況悪化の具体的な状況としては、国内の売上
の減少が306社(85.2%)で最も多い。そのほか、
生産の減少では、製造業(素材・加工)が5割超、
震災の直接被害ない企業でも5割は業況悪化
直接的な被害の状況と、震災後の業況の関係を
みると、直接的な被害がない企業のほうが、業況悪
農業で3割弱などが特徴的である。製造業におい
て、多くの企業で生産活動自体の制約があったこと
がわかる。
化の割合が幾分低いものの、5割の企業で悪化、ま
業況悪化の要因としては、販売先都合による売上
た被災のあった企業では、65.6%の企業が悪化して
減が最も多く205社(56.9%)となった。以下、消費
いる。
者心理の悪化・消費自粛ムードが132社(36.7%)
、
図10 業況悪化の原因(n=360)
図8 直接被害の有無と震災後の業況
0%
合計
20%
40%
14.6
47.4
60%
80%
0
100%(n)
100
150
15.6
27.1
50.0
7.3 (454)
117
原発事故の影響(国内風評被害)
100
原料・資材・商品不足による仕入れ難
無
11.2
41.0
38.8
9.0 (134)
94
施設・設備の復旧の遅れ(営業休止・不能)
41
原料・資材・商品の価格高騰
大幅に悪化した
悪化した
変わらない
好転した
特需ありの企業では、約3割が業況好転
33
道路・港湾等の社会基盤復旧の遅れ
外国人従業員・実習生等の帰国
16
原発事故の影響(海外風評被害)
12
その他
(社)
250
132
消費者心理の悪化・消費自粛ムード
有
200
205
販売先の都合による売上減
7.7 (588)
30.3
50
15
震災によって特需があったと回答した企業は、
’
11.11
99
原発事故の影響(国内風評被害)が117社(32.5%)
、
予想できないとする企業も77社(20.9%)にのぼり、
原 料・ 資 材・ 商 品 不 足 に よ る 仕 入 れ 難 が100社
先行きに不透明感を持つ企業が相当に多いことが
(27.8%)
、施設・設備の復旧の遅れが94社(26.1%)
わかる。また、既に回復したのは、3社(0.8%)
に過ぎない。
などとなった。
図13 業績回復の時期(n=368)
農業、観光・宿泊においては7割超の企業が国
9 , 2.4%
34 , 9.2%
3 , 0.8%
内における風評被害を原因としてあげている。
1ヵ月
3ヶ月程度
77 , 20.9%
製造業(素材)・卸売業では、原料・資材・商品
半年程度
1年程度 13 , 3.5%
不足による仕入れ困難とする企業が5割を超えて
106 , 28.8%
23 , 6.3%
2年程度
いる。
3年程度
予想できない
103 , 28.0%
既に回復した 国内(岩手・宮城・福島)の他の被災地との関
係は多い
売上の減少の要因として販売先の都合とする企
震災後の取り組みは、経費削減と防災対策
業が多く、その場所については、回答のあった201
震災後に行ったもしくは予定している取り組み
社中で、県内が130社(64.7%)と最も多いものの、
としては、経費の削減が266社(46.1%)で最も多
東北3県(被災地)が66社(32.8%)、被災地域以
い。また、防災計画の見直しおよび防災計画の策定
外の国内が65社(32.3%)となった。
を合わせると231社(40.1%)にのぼった。一方、
図 11 販売先の場所
(売上の減少)
(n=201) (社)
0
20
40
60
80
100
120
140
休業や業務縮小などの苦渋の対応をせざるを得な
い企業や、事業所等の移転(国内)を検討している
130
県内
企業も少数ながら存在する。
66
国内(岩手・宮城・福島)
65
その他国内
図14 震災後行ったもしくは予定している取り組み
(n=577)
(社)
7
海外
0
50
100
150
200
経費の削減
答 の あ っ た77社 中、 被 災 地 域 以 外 の 国 内39社
10
88
特になし
70
防災計画の策定
69
雇用調整
20
30
40
(社)
50
61
新製品・新サービスの開発
44
休業
40
32
業務縮小
事業所等の新設
39
半 年 程 度 が106社(28.8 %)
、 1 年 程 度 が103社
17
6
事業所等の移転
(海外) 1
その他
3
業績回復の時期は、1年以内で7割弱
20
事業所等の移転
(国内)
37
その他国内
45
事業プロセス・手法の改造・変更
26
国内(岩手・宮城・福島)
海外
133
新市場・新販路・新顧客の開拓
仕入れ先の見直し
図12 仕入先の場所(仕入れ難)(n=77)
0
148
資金繰りの手当て(融資等の活用)
26社(33.8%)となった。
県内
162
営業強化
(50.6%)、東北3県(被災地)37社(48.1%)、県内
300
266
防災計画の見直し
一方、仕入れ難では、仕入先の場所について回
250
24
復興に向け重要なのは、エネルギー問題の解消
と原発事故の収束
(28.0%)となった。1年程度までとする企業を足
復興に向け重要と思うことは、電力をはじめと
すと、252社(68.4%)と7割弱に達する。一方で、
したエネルギー問題の早期解消が386社(67.2%)、
’
11.11
100
福島原発事故の収束が372社(64.8%)で解決を望
む企業が多い。
電力不足に向けては、節電に注力
電力不足に向け検討している取り組みについて
以下、港湾など社会インフラの早期復旧、風評
は、その他が222社(38.3%)と最も多い結果となっ
被害の沈静化、金融支援策の強化、消費意欲拡大
た。具体的な内容としては、節電に努めるとする企
キャンペーンの実施などが続く。
業が大半であった。それ以外では、営業(稼動)時
図15 復興に向け重要と思うこと(n=574)
0
100
200
300
(社)
400
間の変更とする企業が174社(30.0%)となった。
また、従業員規模の30人未満の企業では、特になし
386
電力をはじめとしたエネルギー問題の早期解消
372
福島原発事故の収束
213
道路・鉄道・空港・港湾など社会インフラの早期復旧
福島原発事故に端を発する農水畜産物
などの風評被害の沈静化
既往債務の返済猶予や運転・設備資金
などの金融支援策の強化
とする回答も多く、対応の難しさも感じられる。
図 16 電力不足へ向け検討している取り組み
(n=580)
183
0
126
174
153
特になし
61
自家発電等の設備投資
81
中小企業に対する緊急経営相談機能の強化
35
長期休暇(稼働休止期間)の導入
81
雇用安定化に向けた各種助成策等の拡充
その他
事業拠点の移転
5
222
その他
13
(社)
300
200
営業(稼働)時間の変更
124
消費意欲拡大のためのキャンペーン運動の展開
100
3章 業種ごとの影響の広がりと今後
着実な復旧に向けた動き、ただし業種によって
うにみえる。一方で、影響が大きいのは風評被害で
状況は異なる
ある。
産業全体としてみると、総体的には復旧に向け
た着実な動きが見て取れる。その一方で業種によっ
以下では、震災の影響の広がりと今後の懸念事
項について業種ごとの状況についてみてみよう。
表 1 直接被害とその後の業況との関係(%)
て置かれている状況には大きな違いがあるのが実
直接的被害
情である。
震災後の業況
無
合計
77
23
62
30
8
15
建設業
62
38
29
53
18
33
非製造業
80
20
68
24
9
13
製造業
78
22
62
32
6
16
被害「有」−震災後の業況「悪化」』をみると、建
観光
88
13
94
6
0
-6
設業で33%となっているのに対し、観光や農業では
農業
72
28
71
23
6
1
表1はアンケート調査における業種別の業況と
直接被害の状況を整理したものである。震災後によ
り厳しい状況になっている業種を探るため、
『直接
悪化した 変わらない 好転した
「有」-「悪化」
有
それぞれ▲6%、1%となっており状況が厳しいこと
が確認できる。特に、観光については、震災による
直接的被害を受けた割合も高いうえ、その後業況は
さらに悪化している。
建設業
建設業は、直接被害を受けた企業割合が6割と相
対的には低いのが特徴である。
全体の評価としては、産業分野への影響は、一
地震直後の応急復旧作業において、河川、道路
定の収束をみせている。特に、各企業における復旧
などの補修を行い活躍が目立った業種である。そう
活動は、かなりの進展をみせており、震災直後の経
したことから、震災後の業況についても「悪化」企
済活動の停滞からは着実な復活への道筋にあるよ
業は3割弱に止まり、民間部門での復旧、家屋の修
’
11.11
101
理などの特需の発生がみられる。ただし一方では、
向けては予算進展を待つ状況にある。建設業界の状
資材調達が難しいなど問題も発生している。22年度
況について株式会社秋山工務店の秋山社長にお話
内の事業については工期の延長が生じ、本格復旧に
を伺った。
復旧事業と今後の建設業
株式会社秋山工務店(日立市)
代表取締役社長 秋山 光伯 氏
応急復旧、緊急時こそ姿勢が問われている
ければなりません。施工管理技士を次の現場に
震災直後は国、県、市町村などの公共事業関
就かせることができないため、結果として次の現
連や民間の製造施設、商業施設からの応急復旧
場の施工に入れないといったことがありました。
の要望が相次ぎました。特に、公共事業は人命
や生活に関わる部分が大きく優先度が高いた
め、手分けしてできる限りのことをおこないま
した。
今後の復旧作業と建設業界
予算の都合などから、公共事業は一時期に比
べ減少傾向にあり、建設資材の供給量もそれに
燃料の確保も大変でしたが、当社では、普段
合わせて減少しています。そのため、今回の震
から長い付き合いがあったことや復旧作業用に
災で被災地域の復旧に伴う建設資材の需要が大
補給させてもらえたことから、作業自体の影響
幅に増加したこととあいまって、資材の不足や
は最小限に抑えることができました。
価格の高騰がみられます。資材を供給する会社
震災のような緊急時こそ、会社の姿勢が問わ
のなかには、東北地方に製造拠点があり、大き
れていると思います。また、このような事態に
な被害を受けた会社もあるため、当分の間は、
応えられるのが我々建設業であると思います
資材の不足・価格高騰の影響は続くのではない
し、そのような姿勢がひいては会社の信頼につ
かと考えます。
ながっていくと考えています。
また、業界全体として技術者などの人材も減
少傾向にあります。これは、資材同様、公共事
震災の影響で工期が延長
業の減少に伴って、人手を補充してこなかった
震災当時、公共事業は年度末でもうすぐ工期
ためです。今後の復旧を進めていくにあたり多
満了を迎えるところでしたが、震災の影響で大
くの人手が必要となることが予想されますが、
部分の事業は3ヶ月から半年工期が延長されま
人手不足の影響が復旧作業に及ぶのではないか
した。当社も、鹿島港、平潟漁港で港湾整備の
と懸念しています。
事業を施工していましたが、津波で現場事務所
今後は、震災復旧のため、被害が大きかった
や作業用車両に大きな被害を受け、同様に工期
東北地方などで重点的に復旧などの公共事業が
が延長されました。
おこなわれていくものと予想しています。東北
工期が延長されて困ったことは、公共事業で
地方の復旧については、今後5年から10年と
は、制度上、一定金額以上の事業を施工する場
いった時間がかかると思います。その反面、他
合には、一級施工管理技士を現場に専任させな
の地域では、減少傾向にあった公共事業が、よ
’
11.11
102
り一層減少していくことは避けられないと考え
然の事象であり、想定することは難しかったか
ています。
もしれません。また、想定したことに対して対
策を講じる際には、常に費用とのバランスも問
想定することの重要性を再認識
当社では、現場事故等を防ぐため、日頃か
ら、最悪の事態を想定し対応することを社内で
徹底してきました。今回の震災においては、自
非製造業
われます。しかしながら、震災を機に、日頃か
ら想定しておくことの重要性を改めて認識でき
たと感じております。
しかしながら、震災後の業況について、大幅に
非製造業では、小売業や卸売業では、震災によ
悪化・悪化を合わせて6割を超えており、自社の生
る直接被害が9割以上の企業でみられるなど直接被
産体制の復旧とは別の要因が業況悪化の原因と
害の多さが特徴である。一方で、震災後の業況につ
なっていることがわかる。
いては、7割程度の企業が悪化したとしている。た
この点、製造業の業況悪化の具体的状況につい
だし、大規模小売店などでは、業況が良くなったと
てみると、
「販売先の都合による売上減」(7割)に
する企業も複数みられており、一様に悪化したとい
次いで「原料・資材・商品不足による仕入れ難」
(3
うよりも、大型店のなかで優勝劣敗がはっきりとし
割強)が2番目に多くなっている(全産業では消費
てきている可能性がある。県南地域のある大型商業
者心理の悪化・消費自粛ムード」)。また、製造業(そ
施設では、客足は、震災前の水準まで回復している
の他)では、5割程度が原発事故に伴う風評被害や
という。一方、中小の小売業はほぼ厳しい状況が続
消費者心理の悪化や消費自粛ムードの影響を受け
いているとの回答である。
たとする特徴もみられた。
特需の点では、震災直後の食料・水・防災グッ
また、電力不足へ向けて検討している取り組み
ズなどの需要の増加がみられた。一方で、特需は
としては、全産業では「その他」で節電活動とする
あったものの売るものの入荷が間に合わず販売に結
回答が最も多かったのに対し、製造業では「営業(稼
びつかなかったケースもみられた。サプライチェー
働)時間の変更」が最も多かった。特に製造業(加
ン寸断の問題から自動車ディーラーも入庫ができな
工)では5割を超える回答があった。
い状況も発生した。
製造業からも特需があったとする回答がみられ
その他の業種では、建設需要に絡むリース業や、
た。主な内容としては①同種の製品を製造する他社
不動産業において賃貸アパート需要の増加、運輸業
の復旧の遅れに伴い早期復旧を果たした企業の受
で損害保険会社の調査に利用するため貸切タク
注が増加したケース②被災地の復旧事業に必要と
シーの需要の増加など様々な形で、復興需要が生じ
される製品・節電関連製品などを製造している企業
ている。
の受注が増加したケースがあった。
製造業
今回の震災では、被害が大きく復旧に時間を要
アンケートからは、県内製造業は8割近い企業が
した一部の企業からの供給が停止したことによ
施設や設備になんらかの被害を受けたが、従業員規
り、サプライチェーンの寸断が自動車製造を中心に
模の少ない中小企業を中心に、8割以上の企業が3
発生し、注目を集めた。アンケートからは県内製造
月中に生産可能な体制に復旧したことが確認できた。
業についてもその影響を受けた企業があったこと
’
11.11
103
がわかった。
観 光
また、電力不足への対応についても、各企業が
アンケート調査でも、もっとも厳しい状況にあ
稼働日の変更や節電をはじめ、生産活動を維持する
る観光業では、本年は、北関東自動車道の3月19日
ためさまざまな取り組みを検討していることがわ
の全線開通というインフラ整備の進展、茨城空港の
かったが、電力供給は先行きの不透明感もあり、製
国内の就航路線の増加と、県内の観光分野には追い
造業にとって今後も大きな懸案事項となっていく
風となる状況にあった。特に、北関東自動車道につ
ことが予想される。
いては、時間距離の短縮によって、海無し県である
群馬県からは多数の来県者数の増加が見込まれた。
鹿島コンビナートの状況
そのようななかでの震災発生は、消費者心理の
鹿島コンビナートは、素材関連企業が多数
低下を招き、レジャー分野における消費抑制を招く
立地し、サプライチェーンの上流に位置して
こととなった。県内については、震災の被災地域と
おり、国内産業全体にも大きく影響する。
いう側面もあり、公私を問わず復旧への取り組みに
コンビナートでは、震災により津波による
第一に時間を割く関係もあったとみられるが、震災
港湾施設の被害や、地震による地盤の液状化
の影響は大きい。加えて、原子力事故によって放出
などの被災を受けた。企業によっては、原燃
された放射性物質の拡散の影響は、プラスの効果を
料の受入設備などにも被災を受けたという。
打ち消すばかりでなく、消費者に多大な負の効果を
震災後の懸命の復旧作業によって、コンビ
ナート内でのエチレン生産は5月末には開始さ
れ、徐々に生産が回復している。一方、コンビ
ナート内のパイプラインの一部が被災を受けて
おり、その復旧には年内までかかるといい、現
時点では、一部の製品についてはトレーラー等
による代替輸送によって企業間の流通をまか
なっている部分もあるという。
また、コンビナート内には、立地企業によ
る共同火力発電所が備えられており、夏の電
力不足に対する懸念はないようだ。
与え、風評被害をもたらす結果となった。
また、高速道路の休日特別割引制度による料金
上限1,000円の6月19日での打ち切りによる影響も
少なからずある。
そうしたことから、国営ひたち海浜公園では、
ゴールデンウィークの入場者数が前年比4割に止
まった(前年比約15万人減の約11万3千人)。
アクアワールド大洗は、前年比約2万2千人減
の約4万1千人。袋田の滝の入場者数は、4月29日
から5月5日までで、1万2,080人で前年より2万
4,660人、67.1%の減少などとなっている。今後の海
水浴でも、那珂湊の民宿では予約が前年比8割減と
いった話も聞かれる。
県内の観光地で目立つのは県外からの観光客の
激減で、各観光地の駐車場の県外ナンバーの車両、
県外からの観光バスツアーはみられなくなった。
一方、特需の面では、復興に絡む建設や保険な
どのビジネス宿泊が一部でみられる。
大洗水族館と国営ひたち海浜公園の連携にみる
港公園からみた鹿島コンビナート
ように、協働によって地域全体で対応しようとする
動きがあるが、原発事故収束が明確にならないと、
今後も風評被害の影響が続くことが懸念される。
’
11.11
104
県内観光地の影響は大きい
偕楽園公園
偕楽園公園センター長 秋山 稔 氏
梅まつり中の地震発生
その後、被害の大きかった南崖や好文亭、地
当園は観梅の季節が1年のうちでもっとも観
盤沈下の影響が大きかった部分については、竹
光客の多い時期です。今年も2月20日より梅ま
柵を設置し、立ち入り制限をしたうえで、安全
つりがおこなわれ、開花がやや遅れ気味であっ
を確保できたところについて4月29日に再開し
た梅の花も、3月中頃にさしかかりようやく見
ました。5月は例年、ツツジの観賞に多くの方
頃を迎えてきた頃でした。3月11日は金曜日と
に来園していただいていましたが、ツツジが咲
いうこともあり、園内にはおよそ1,000人の方が
くエリアも安全面から立ち入り制限するほかな
観梅に訪れていました。
く、非常に残念でした。
地震発生後、電気の不通から園内放送ができ
当園は歴史的・文化的な価値を有する公園で
ないなどのアクシデントもありましたが、来園
あるため、復旧工事において検討すべきことが
者の安全確認を速やかにおこない、幸い怪我を
多くあり、すぐに元の姿に復元できるものでは
された方がいないことが確認できました。
ありません。再開までに安全確保に係る応急的
な措置はおこないましたが、本復旧に入るには
応急復旧を行い再開
まだ時間がかかる見込みです。
園内の被害状況を確認したところ、千波湖を
のぞむ南崖が延長およそ120mにわたって地割
来園者への影響大きい
れを起こしていることや、好文亭で土壁が崩落
当園は、例年、観梅の時期である2・3月に
していることやふすまが損傷していることなど
年間の来園者数の半数以上が来園されており、
が確認されました。また、園内のところどころ
それだけに観梅期間中に地震が発生したこと
で地盤沈下、液状化が発生しており、歩道のひ
や、それに伴い一時閉園しなければならなかっ
び割れや橋との接続部分に大きな段差ができて
たのは大変な痛手でした。平成21年度の好文亭
やむなく本園を閉園しました。
入館者は約23万人であったのに対して、平成22
年度の入館者は約17万人と、地震発生後に閉館
した影響で約6万人の落ち込みがありました。
特に、茨城空港の便数の伸びや、北関東道の
全線開通の効果により、来園者数の大幅な増加
が期待された今期については、単純に前年度の
来園者数からの減少ということよりもショック
は大きいものとなりました。
近年、当園では地道なPR活動の効果もあり、
県内・関東近郊からのみならず、関西地方や九
液状化の被害があった偕楽園
州地方からも団体・個人客を問わず足を運んで
’
11.11
105
いただける状況になりつつありました。また、
偕楽園の復旧にむけて
茨城空港の開港もあり、韓国や中国からのツ
ただ、暗い話題ばかりではなく、6月に入っ
アー客の誘致にも積極的に取り組んでおり、
てから、問い合わせが少しずつ出てきているこ
徐々に効果として現れつつあった状況でした。
とや、天気の良い週末には人出が戻りつつある
再開以降の来園者の状況から、震災の影響の
大きさを感じています。震災前、当園を経由し
など、徐々に回復に向かってきている向きも見
られてきました。
て県内各地をまわる観光ツアーも多かったこと
日本三公園の一つであり、地域の代表的な存
から、県内の観光地も大きな影響を受けている
在である当園を、少しでも早く全面開園できる
のではないでしょうか。
よう復旧に努めていきたいと考えています。
農水畜産業
茨城県の農林水産基盤として、治山施設・林地、
漁港、漁港海岸など被害として、6月3日現在で、
21箇所507億94百万円が計上されている。
このように、農業分野では農業基盤にかかる直
接被害が発生している。津波による土砂の農地への
流入などによって作付けができなくなったり、作付
る。農産物の市場価格も、下落後もとの水準までは
戻っていない。
一部では節電対策に絡み、「緑のカーテンのため
の需要が増えた」という法人もあるが、農業では総
じて厳しい状況からは脱していない。
今後についても、風評被害として、今度の米の
価格への影響が懸念される。
けの遅れの発生もある。放射能に関しては、ほうれ
水産業では、地震および津波による漁港をはじ
ん草の出荷制限にはじまり、お茶の出荷制限はいま
め、水産関係施設に被害が発生した。さらに、原発
だ続いている。
事故による放射性物質もれによる出荷制限、市場価
アンケートにおいても、農業法人で7割を超える
法人で直接被害があったとの回答があり、震災自体
での被害が大きかったことが確認できる。
そのうえ、震災後の業況悪化も7割を超えてお
格の下落などの被害が重なる結果となった。
アンケートのなかでは、水産加工業や観光と関係
の深い水産業などへの影響がみられた。また、休業
状態になっている事業者も複数あり、影響は大きい。
り、原発事故に伴う風評被害の影響の広がりが窺え
農作物への影響いまだ全容見えず
JA全農いばらき
管理部次長 海老沢 幸洋 氏
管理部次長兼総合企画課長 鈴木 広志 氏
管理部総合企画課審査役 綿引 誠 氏
農作物への被害は風評ではない
他の小売店にもそのような動きが拡がってい
福島原子力発電所の事故後、本県産出のほう
き、相当量の出荷物が返品されてしまいました。
れん草から基準値を超える放射性物質が検出さ
風評被害により農家が被害を受けているとい
れ、一部の小売店で葉物を中心に茨城県産は取
われますが、農家は、農畜産物が出荷できな
り扱わないという動きが出始めました。徐々に
かったり、出荷したとしても価格が平年よりも
’
11.11
106
大幅に安いという現実があります、これは根も
今後の賠償請求の主な品目としては、花、肉
葉もない風評の被害ではなく、現実損害だと考
牛、茶などが考えられます。現在の損害賠償紛
えています。
争審査会第2次指針では、農産物は食用に限ら
れているため、花は対象になっていません。し
流通ルート確保へ、対応に追われる
かし、被害があった以上、対象となった場合に
また、原子力事故の影響から、青果物の値崩
請求できるよう準備をすすめています。また、
れが大きく、出荷することによってかえって赤字
出荷制限を受けている茶については、茶生産農
になってしまうこともあったため、出荷しないと
家が生茶葉から荒茶や製茶の加工に携わってい
いう選択をする生産者も出てきてしまいました。
る形態も多く、賠償対象は生茶葉のみでなく、
しかし、安価だからといって出荷をやめてし
産地に立地した加工場と農業者の一体的関係を
まうと小売店側は他の産地から商品を調達して
反映することも課題になっています。
しまい、新しいルートを築かれてしまうため、
また、地域差はあるものの中国人実習生・研
価格が戻ったときに商品を並べる棚がなくなっ
修生の帰国による営農への影響も出ています。
てしまうとの思いから対応に追われました。
地域単位では7割を超える実習生・研修生が帰
全農いばらきでは、
「ポケットファームどき
国してしまった地域もあります。雇用喪失に伴
どき」という直売所を運営しています。新鮮さ
う損害の賠償請求は、4月分については、審査
や安全・安心、顔の見える商品づくりというコ
会の賠償基準の中で対象とされていますが、新
ンセプトが、地域のみならず他県の消費者から
たな中国人実習生・研修生が確保できるのか不
も信頼を得ていました。しかし、茨城県が福島
透明であるため、今後も賠償の対象となるのか
第一原発に近いといった理由だけで他県の消費
が懸念されます。
者の足も遠ざかってしまっているのが現状です。
適確な情報の提供へ
損害賠償の請求へ
今回の震災では、放射線という目に見えな
JAでは、原子力事故による出荷制限などの農
い、あまりわからないことについて、情報の少
産物被害を受けて、県や関係団体と「東京電力
なさや一部のマスコミによる誤った情報などか
原発事故農畜産物損害賠償対策茨城県協議会」
ら消費者の誤解を招いてしまっているケースも
を設置し、さらに各市町村単位で「市町村協議
見受けられました。
会」を設けました。損害賠償の請求にあたって
消費者に納得して買ってもらえるよう、求め
は、市町村協議会において、JA出荷者はJAに、
られている情報を適確に提供していきたいと考
JA外出荷者は市町村に請求書類を提出し、県協
えています。
議会において取りまとめた後、一括して東京電
力に請求する流れになっています。
また、損害賠償対策茨城県協議会としても、
農畜産物被害の実態把握を適時実施するととも
現在までに請求しているのは、主に3月から
に、原子力損害賠償審査会の指針等を踏まえな
5月に発生した損害を対象としていますが、市
がら、相当因果関係が認められる損害に対し
町村経由による請求の提出時期にズレもあり、
て、公平かつ適正な賠償請求に取り組んでまい
全体像はまだ掴めていません。
ります。
(中庭、遠藤)
’
11.11
107
11月増刊号
September
2011
AREA RESEARCH CENTER
C
視 点
O
「現場の力」で地域の製造業の復興を
ひたちなか商工会議所 副会頭 柳生 修 ………
109
N
T
論 説
E
サプライチェーン再構築を考える
∼東日本大震災を経て∼
N
日本政策投資銀行 チーフエコノミスト 鍋山 徹 ………
110
T
S
調 査
震災後の県内製造業
∼供給制約の影響を探る
1
2
3
4
震災前後の県内製造業の動向
供給制約の概要
アンケート・ヒアリングからみた供給制約の影響と企業の対応
供給制約がもたらした今後の製造業の課題
’
11.11
108
…………………………… 116
視
点
「現場の力」で地域の
製造業の復興を
ひたちなか商工会議所 副会頭
柳生 修
東日本大震災は、歴史上まれにみる大惨事となりました。ひたちなか市におい
ても、地震、津波、さらにはライフラインの寸断等により、ほとんどの会員企業
が事業設備や住居等に何らかの被害を受けており、その後の原発事故による風評
被害も合わせると、極めて大きな影響を受けました。工業部会の会員企業におい
ては、地震による施設への直接的な被害を受けた企業は少なかったようですが、
多くの企業で機械設備の位置ずれが発生してしまい、各企業とも水準器を調達し
て機械調整を行い早期に生産ができる体制を整えたようです。
製造業では、特に自動車製造業において、サプライチェーンの寸断の問題が大
きく取り上げられました。代替のきかない特定の部品の供給が停止したために、
最終製品メーカーの製造にも大きな影響が出ました。生産可能であった他の下請
企業も受注の減少や製品を納入できない、といった影響を受けたようです。会員
企業の多くは、早期に事業再開したにもかかわらず、製品納入先の企業で大きな
被害があったため、受注の減少などの影響を受けました。
また、製造業にとっては、夏の電力不足への対応も大きな課題となっています。
稼働日の変更や、できる限りの節電を行いつつも、生産量を落とさない工夫が必
要となっています。会員企業の多くは電力使用量が少なく、製造設備以外に節電
できる余地が少ないため、対応に苦慮しているという声を多く聞きます。
震災直後は、サプライチェーンが復旧するまでには少なくとも半年以上はかかっ
てしまうのではないかという懸念があったのですが、ほとんどの企業が短期間で
生産体制を回復したことは驚くべき早さであると感じています。早期に復旧でき
たのは、自らも家などに被害を受けたにもかかわらず、自発的に復旧作業に力を
貸してくれた、従業員の献身的な働きによるところが大きかったようです。その
ような従業員の姿勢に逆に励まされたという経営者もいました。また、電力不足
の問題も、今夏に関していえば、各企業の努力の積み重ねによって危機は回避さ
れる方向に向かっています。
直面する困難に柔軟に対応し、それを乗り越えていく「現場の力」が発揮され
ることによって、今後の製造業の復興が進んでいくことを願っています。
’
11.11
109
サプライチェーン再構築を考える ∼東日本大震災を経て∼
鍋山 徹
日本政策投資銀行 チーフエコノミスト 1.今回の震災及び被害の特徴
のうち何れか又は複数の政策が今回の東日本大
3月11日に日本を襲った大地震は、地震災害
震災においても参考になると考えられる。しか
のみならず津波、原発事故等も併発した巨大複
しながら、今回の震災では過去の事例に学ぶこ
合災害となった。この複合災害を分解すると、
とのできない被害も発生した。大規模なサプラ
地震、水害(津波)、原発事故に加え、2次的災
イチェーンの途絶である。
害として原発(放射線)に対する見えない恐怖
一時的なサプライチェーンの途絶は2007年中
及び電力供給障害、という5つの要因が挙げら
越沖地震時にも起き、自動車業界ではリケン・
れる。我々は過去の歴史から学ぶことが常であ
ショックとして知られている。新潟に工場を有
るが、これほどまでに多種の災害が絡み合った
するピストンリング製造事業者が被災し、ピス
ケースは例を見ない。ただ、それが過去にどこ
トンリングの供給が停止。代替生産が出来ず業
かで誰かが経験したことのある災害であれば、
界総出で復旧に走った結果、ほぼ1週間で供給
そこに教訓を見いだすことが出来る。図表1は
が回復して、完成車工場は生産を再開できるこ
過去に発生した5つのタイプの災害に対して採
とになった。トヨタのジャストインタイムで知
られてきた政策を簡単に示したものである。こ
られるように、自動車業界は在庫を持たない*1た
図表 1 「5+1」の巨大複合災害に対して
1
ハ
リ
ケ
ー
ン
、洪
2
・被災エリアを高度化させる工夫が重要
①迅速な復興で産業活動の空白を短縮化
②産業振興策を盛り込む必要性
原
水
、津
波
)
地 震
3
故
害(
事
水
発
・「まち」の復興には、早期
の住民合意形成プロセスが
重要
・情報開示の透明性が重要
・再発防止のため危険エリ
(スリーマイル 1 号機は、2 号機
アから移転する選択肢
の事故後、6 年後に運転再開)
・私有財産の制限や、政府による被害
・IAEA 等第 3 者による客観的な評価など
物件の買い取り
情報開示の方法も重要
(カトリーナでは 1 件最大 15 万ドル)
政 策
給
供
電
怖
恐
4
)
ロ
・産業集積エリアを活用した供給体制複
線化の優遇
テ
力
・産業面ではBCMが重要
(一部の金融機関で早
期復旧に成功)
・複数企業の協力による
供給体制複線化の促進
(M&A支援、独禁法の要件緩和)
い
障
な
害
・根本を断つことが最大の対策
(
5
・国内での供給
体制複線化の支援
え
・供給側については、中長期的な
視点からエネルギーミックスを
検討すべき
見
・正確かつ分かりやすい情報提供が、過剰
反応を抑制し、適切な自己防衛を促す
・需要側の制御へ発想の転換
+1
大規模なサプライチェーン途絶
世界でも
・東北地方には「ものづくり」の集積が存在
・今回のような大規模なサプライチェーン途絶はかつて経験ない
未経験
・サプライチェーン途絶を回避するため生産拠点の分散化が進む可能性
・海外グローバル企業が調達先を分散化させる動きをみせており、日本企業も生産拠点の分散化で対応する可能性
・生産拠点の分散化には海外生産も視野に入るため、国内産業の空洞化に繋がる可能性
(出所)各種資料より日本政策投資銀行作成
’
11.11
110
鍋山 徹(なべやま とおる)
【学歴】
昭和57年 早稲田大学法学部卒
【職歴】
昭和57年4月 日本開発銀行(日本政策投資銀行の前身)
入社
平成12年4月 米国スタンフォード大学 国際政策研究
所 客員研究員
13年4月 日本政策投資銀行 九州支店 企画調査
課長
21年6月 日本政策投資銀行 産業調査部長
23年6月 日本政策投資銀行 産業調査部 チー
フエコノミスト
め、その影響が出た格好である。
【兼職等】
・企業活力研究所 人材育成研究会 委員
・福岡地域戦略推進協議会地域戦略ディレクター
・テレビ東京 WBS(ワールドビジネスサテライト)
コメンテーター 他、多数
・第5回クオリティマネジメント賞 受賞(論文「黒
川温泉の成功プロセス」)(07/11)
【最近の主な著書・論文等】
・「民間でのモノづくりと人づくり」Governance 09/7
月号
・
「日本企業のものづくり革新」(共著)同友館 10/10
・日本経済新聞社 「十字路」 執筆担当
当たりの部品は2∼3万点に及び、②完成車メー
カーを頂点とするピラミッド形の構造で、③1
今回の震災において、東北地方に比較的多く
次サプライヤー約800社、2次サプライヤー約
立地していると言われている電子部品工場の被
4000社、3次サプライヤー以下2万社以上と膨
災により、自動車部品を含む東北地方の部品生
大な数のサプライヤーが多層的に関わっている
産の途絶が、国内のみならず海外にも影響を及
(図表2参照)。
ぼした。東北地方の自動車部品、電子部品輸出
図表2 わが国の自動車部品業界構造
額はそれぞれ全国の0.3%、0.4%(2010年実績)
日系完成車
に過ぎないが、グローバルなサプライチェーン
14
を通じて、米国や中国といった国々の生産に影
響を及ぼした。東北地方で生産される自動車部品、
電子部品は、そのまま輸出されることはあるが、
国内他地域において完成品(又は上位の部品)
部工会会員企業
446社は
主にTier1層
生産額 16.7兆円
従業員 35.4万人
Tier1
Tier2
4,000社
東北地方で生産される自動車部品が中間投入先
Tier3以下
単一部品、プレス、
金型、鋳鍛造部品
素材、電子部品等
金属部品、
樹脂部品等
20,000社
として使用されるエリアとしては自地域は27%
が多い。その結果、他地域での完成品(又は部品)
ユニット、機能部品、
内装品、外装品等
800社
の一部として使用されるケースも少なくない。
に過ぎず、関東(57%)をはじめとした他地域
国内生産12.9兆円
海外生産16.5兆円
生産合計29.4兆円
(※金額は何れも2009年度数値)
(出所)各種資料、ヒアリングより日本政策投資銀行作成
このピラミッド形のサプライチェーンでは、
の一部として輸出される「間接輸出」は、自地
頂点に立つ完成車メーカーが1次サプライヤー
域で生産・輸出まで完結する「直接輸出」の約
(Tier1)以下を把握していると思われていた。し
2倍となっている。そうした点を踏まえると、
かし、実際にはTier2以下のサプライヤーは特定
東北地方で生産された部品の多くが、東北以外
の企業から仕入れを行っており、その企業から
の国内外で生産される自動車の一部として、我々
の供給が途絶すると、すぐには他の企業に代替
の目に見えない形で需要者の手元に届いている
できない、というケースも多くみられた。その
と言える。
結果、完成車メーカーは、ボトルネックとなっ
た部材・素材メーカーの被災により、1ヶ月程
2.自動車サプライチェーンへの影響
度の休業を余儀なくされた。現在では、急ピッ
今回の震災における自動車サプライチェーン
チで生産回復が進んでおり、そうした状況を見
の途絶について、詳しく見てみたい。わが国の
て、サプライチェーン問題は収束されつつある
自動車部品業界の特徴としては、①完成車1台
という見方も出てきている。しかしながら、後
*1:棚卸資産回転期間は、製造業平均1.67 ヶ月に対し、自動車、自動車部品産業はそれぞれ1.18 ヶ月、0.89 ヶ月(2009年上場企業
平均):<出所>日本政策投資銀行産業別財務データハンドブック2010年度版)
’
11.11
111
述するアンケート調査では、製造業全体で1/3の
特別アンケートでは、特に震災の影響について
企業が今後もサプライチェーン問題は自社事業
の調査に重点を置いた(回答企業1,464社)
。東日
活動に影響ありとしている。この結果は、サプ
本大震災の影響(複数回答可、図表3参照)の
ライチェーン問題への安易な一服感に対する警
うち、回答時点(11年6月末)までの間に自社
鐘となろう。
への影響があった事項として「サプライチェー
当行では、サプライチェーン問題は、一朝一夕
ン混乱」と回答する企業が最も多く、全産業で
に解決する容易なものでないとの認識の下、自
過半(51.2%)、製造業に限れば実に2/3(66.6%)
動車産業のサプライチェーン(主にTier2以下の
の企業に及んだ。今後影響を及ぼすであろう事
企業群)を最も把握しているTier1企業等で構成
項では、サプライチェーン混乱は、
「電力不足」
される自動車部品工業会と連携し、6月に「サプ
(44.7%)、「消費マインド悪化・自粛」(40.9%)
ライチェーン・サポート投資事業有限責任組合」
に は 及 ば な い も の の、 そ れ で も 3 割 近 い 企 業
を組成した。このファンドは今回の震災に伴い、
(29.1%、製造業に限れば36.3%)が今後(7月
①拠点再編等を含む復興、②生産低迷による資
以降)もなお悪影響は残る、と回答している。「物
金回収長期化への対応、③経営の安定化に向け
流・交通網」が[現在まで→今後]で、[36.5%
た資本政策、を目的とするもので、傷ついたサプ
→6.6%]と急減(影響は急速に低下)するのと
ライチェーンに対して広く金融的なサポートを講
は対照的である。回答時期の6月末と言えば、
じ、その強化を図る趣旨である。我が国の基幹産
完成車大手も生産回復見通しを急速に前倒しし
業である自動車産業の復興・発展にも資するも
ていた時期であり、事実、その後の統計でも鮮
のであり、積極的に推進していきたい。
明な生産回復が見てとれる*2が、それでもこれだ
けの企業がなお懸念を抱いていることからも、
3.震災による影響
(設備投資計画調査及びアンケート調査より)
サプライチェーンにおける構造的な問題が依然
として残っていると言える。
日本政策投資銀行では、毎年6月に設備投資計
画調査を実施している。2011年度の計画では、資
今回の設備投資計画調査(資本金10億円以上
本金10億円以上の大企業(回答者数2,137社)に
の大企業を対象)の特徴の一つとして、海外投
ついて、前年比+7.3%(うち製造業+12.5%)と
資の拡大継続といった傾向が挙げられる。大企
4年ぶりに国内設備投資が増加する見通しであ
業を対象にしている為、海外投資は大きめに出
る。しかしながら、電力供給不安もある中、現時
ている面はあるが、製造業(回答企業510社)の
点(調査実施時点である6月末)で11年度の計
連結ベースでの海外投資/国内投資比率(11年
画が策定できていない、と回答する企業が多い
度計画)は50%を超える(51.3%)。そうした状
など例年に比べ不透明感が強くなっている。
況の中で、海外ではなく国内投資を維持する理
今回、設備投資計画調査と合わせて実施した
由としては(最大2つまでの複数回答)
、製造業
*2:6月の国内生産は前年同月比▲15.1%。エコカー補助金もあった前年に対し依然マイナスではあるものの、4月の6割減、5
月の3割減に比しても急ピッチで回復。日産、三菱は6月時点で既に前年同期を上回る生産台数となった。
’
11.11
112
図表3 東日本大震災による事業活動への影響(有無)
(%)
66.6
70.0
60.0
全産業
うち製造業
51.2
47.5
44.7
50.0
40.9
36.5
40.0
36.3
36.2
30.0
29.1
20.0
設備損傷
人的問題
物流・交通網
電力不足
サプライ 被災地向け 原発問題に 消費マインド
チェーン混乱 需要減少 よる風評被害 悪化・自粛
今後
現在まで
今後
現在まで
今後
現在まで
今後
現在まで
今後
現在まで
今後
現在まで
現在まで
今後
現在まで
今後
現在まで
0.0
今後
6.6
10.0
金融面
(出所)日本政策投資銀行設備投資計画調査<アンケート調査>(2011 年度)
の場合、「技術・ノウハウ流出への危惧」(14.4%)
、
という回答は予想されるものであったが、
「サプ
トヨタは、
「自動車部品のうち、マイコンやゴ
ムなど素材の一部はメーカー間で共通化できる」
ライチェーンが国内に存在」(19.7%)という理
(7/26日本経済新聞)として、メーカー間で性能
由 が そ れ を 上 回 る 割 合 と な っ た。 す な わ ち、
にあまり差がないもの(車体に使うマイコンの
5社のうち1社は、海外市場における需要や、
3割弱等)を対象として部品共通化に取り組む
海外生産での人件費の安さ以上に大きな判断材
とのことである。ここで重要なのは、共通化し
料としてサプライチェーンの存在を位置づけて
ない残りのもののうち、独自技術に基づいた部
おり、それが国内での設備投資(=国内生産)
分である。こうした部品は日本の摺り合わせ技
を維持する十分な理由となっている。
術が生かされているもので、その技術が陳腐化
すると共通化・大量生産によるコスト競争とい
4.新たな産業連鎖
今回の震災では、一部の部材・素材の生産が
特定の企業に依存しており、被災によってその
う流れになりかねない。ひいては海外との競争
にもさらされることになり、海外への生産拠点
移転による産業空洞化へもつながる。
企業の生産がストップしたことが、最終製品ま
ここで、サプライチェーンの観点から先述の
でのプロセス(サプライチェーン)のボトルネッ
設備投資計画調査を見てみたい。11年度計画は
クとなった。そういった状況を改善すべく、今
製造業で前年比+12.5%であったが、一つの特徴
後の動きとして、特定の企業ばかりでなく、複
として、成長分野を巡る設備投資の連鎖が見ら
数の企業からの部品調達、並びに部品の共通化
れた(図表4参照)。完成品(次世代自動車、スマー
への取組みが模索されるようになった。
トフォン等)を製造する過程で、複数の業種に
’
11.11
113
図表 4 成長分野における設備投資の連鎖
原料・部材製造
最終製品製造
製品取得・インフラ
業種
業種
次世代自動車
(二次電池)
正極材・負極材、電解液、
セパレータほか
化学
窯業・土石
電気機械
スマートフォン
中小型液晶、フラッシュメ
モリ、液晶フィルムほか
素子、蛍光体、基板ほか
LED
業種
車載用電池
完成車
電気機械
自動車
完成車
運輸
電気機械
化学
携帯端末
電気機械
通信網増強
通信
電気機械
化学
照明機器
薄型 TV
電気機械
店舗用照明
小売
(注)色付きは、今回の調査において設備投資拡大が見られたもの
(出所)日本政策投資銀行設備投資計画調査(2011年度版)
広く設備投資の連鎖が見られ、それが段階的に
力分野以外の研究開発の割合が増加しており、
広がっていこうとしている。成長分野と言われ
特に2000年代後半はリーマンショックの影響に
る製品・サービス分野は、特定の業種で完結す
よる経費圧縮もあって研究開発費全体は減少し
るものでなく、広く複数業種間の連携が必要で、
ているなか、主力分野以外での研究開発が活発
それが更に次の成長を促進している。
化している。
次の成長を促す1つの鍵が複数業種間の連携
図表6では、更に一歩進んで産業セクター間の
であるとすれば、技術的な強みを保持する為の
研究開発費の主要な動きを模式化してみた。多
研究開発分野での融合が不可欠である。図表5
方面に渡っている印象もあるが、それでも線が
は資本金1億円以上の企業を対象として、自社
太い(研究開発面での繋がりが強い)のは同じ
主力分野とそれ以外の分野にどう研究開発費を
加工組立産業内、等比較的近接した業種間であ
振り分けているかの推移を示したものである。
る。今後、より遠い産業セクターとの連携によ
一見して分かるとおり、2000年代以降、自社主
る新たな産業連鎖を模索する動きに期待したい。
図表 5 全産業の主力分野以外/研究開発費計の長期推移
億円
90,000
主力分野以外/研究開発費計(右目盛)
30
26.3
45,000
32.9
89,256
26.0
25.9
75,000
60,000
%
35
66,801
65,848
78,066
77,239
25.5
26.9
25
20
主力分野
41,545
38,239
15
32,815
30,000
15,000
0
主力分野以外
23,064
26,420
23,447
14,809
85
5
90
95
00
(出所)総務省統計局「科学技術研究調査報告」各年度版
’
11.11
114
10
05
09
0
年度
図表 6 全産業の産業間研究開発費(支出−合算ベース)(09 年度)
素材型・エネルギー
繊 維
加 工 組 立 型 産 業
非製造業
ソフトウェア
食 品
精密機械
医薬品
化 学
電気機械
その他化学
窯業土石
一般機械
鉄 鋼
非鉄金属
金属製品
輸送機械
運輸通信
建 設
(注)500億円未満の主な組み合わせ: 、 同500∼1千億円: 、 同1千億円以上:
(出所)総務省統計局「平成22年科学技術研究調査 統計表」
(http://www.stat.go.jp/data/kagaku/2010/index2.htm)
5.産業セクター融合のさらなる拡大にかかる
き」から「外向き」のオープンな目への転換が
課題と対応
欠かせない。
設備投資や研究開発における企業行動で見て
日本では、相手の名刺を見た瞬間から自分に
きたように、産業セクター融合はこれからも、
関わりがないと判断し、興味を示さない人も多
さらに広範囲かつ多様化の傾向が強まっていく
い。京都の美術商によると、スイスから観光で
だろう。本業以外の分野に進出していくきっか
来たご夫妻は、まず絵をじっくり見て、そして
けは、取引先あるいは消費者ニーズばかりでな
「買うと決めてからその画家の経歴等を尋ねた」
く、震災や社会問題などさまざまである。多く
とのこと。他方、ほとんどの日本人は、「誰が書
の企業は、数十年にわたる技術やノウハウ、販
いているか、題名は何なのか、価格はいくらな
路など経営資源のストックがあるため、このス
のかという三点」を聞いたうえで、絵を見てい
トックをフルに活用すべきである。そのためには、
ると言う。
自社が得意とするコア技術・ノウハウを新たな
相手を外形で判断するのではなく、その背後
視点で見直すことが必要である。そのときに、
にある情報を取ろうという興味がなければ、自
まったく関係のなさそうなものも含めて、幅広
らの知識に多様な広がりは出にくいだろう。人
い視野で情報をとる。自分の強みを認識するた
間力の三要素(好奇心・上位概念化・人脈形成)
めにも、企業の外にある社会との関わりを積極
の最初にある好奇心は興味という情報のスコー
的にもつことが必要である。少子高齢化や環境
プである。産業セクター融合にもそうした視点
意識の高まりといった社会変化のなかで起きて
は欠かせない。
いるさまざまなニーズをとらえる為には、「内向
’
11.11
115
震災後の県内製造業
調査
∼供給制約の影響を探る
茨城県内の製造業は、10年秋以降の踊り場を脱し回復に向かおうとしていたが、今回の震災
により再び厳しい試練に晒された。
震災は、製造業者に生産設備の毀損などの直接的被害とともに、サプライチェーン(供給網)
寸断や電力の供給制約による間接的被害をもたらした。サプライチェーン寸断による部品調達難
や電力不足による節電対応が生産活動に与えた影響は大きかったとみられる。製造業者は、震災
によって生じた2つの「供給制約」にどう対応してきたのだろうか。
そこで、本号では、県内製造業への供給制約の影響を取り上げる。統計データやアンケート結果、
ヒアリングなどを通じ、震災によって生じた供給制約の実態、現場での克服への取り組みを調査
し、今後の製造業の課題について考えてみたい。
1.震災前後の県内製造業の動向
リーマンショック後の回復の中、淘汰も進む
は、淘汰・整理も進んだ。過去5年の代位弁済件数
県内景気は、2008年秋のリーマンショック後の経
の推移をみると、全産業では10年度に増加に歯止め
済危機によって大幅に悪化したが、09年秋以降は世
がかかったのに対し、製造業は増加を続けている
界経済の回復や政策効果の恩恵を受け、回復基調を
(図表1-1)。
辿った。
その中で製造業は回復の牽引役を果たした。
10年秋以降は輸出の鈍化や政策効果の剥落によ
り、景気は減速し、一時的な踊り場に陥った。景気
減速は11年に入り徐々に和らぎ、県内製造業は堅調
な海外需要を直接的・間接的に取り込むことなどに
よって、回復基調に復することが予想された。
もっとも、リーマンショック以降、県内製造業
(件)
4000
3000
2642
全産業
3600
3166
常陽アークでは、震災前の2月に、県内製造業者
にアンケートを実施した(注)。
アンケートでは、リーマンショックからの回復状
況や、業績改善のネック、強化したい施策などにつ
いて質問を行っている。
この結果からは、次のようなことが明らかとなっ
図表1-1 茨城県内の代位弁済件数
(全産業・製造業)
製造業
中長期な課題に取り組もうとしていた企業
た。①売上高については回答企業の約7割がリーマ
3412
2651
ンショック前の80%以上に回復していた、②一方、
2000
収益については、リーマンショック前の80%以上と
1000
回答した企業は約5割に止まった、③経済危機から
0
449
381
2006年度
2007
資料:茨城県信用保証協会
502
2008
595
2009
705
2010
現在における業績改善の主なネックは、国内需要の
低迷、製品価格の低迷、原材料高であった、④今後
(注)対象企業:県内製造業者、対象数:360社、アンケート実施時期:2011年2月、有効回答数145社(有効回答率40.3%)
’
11.11
116
3年間で強化を検討していた施策の上位は、技術力
図表1-5 鉱工業指数(全国・茨城)
向上・製造効率化、人材確保・育成、国内需要の取
(季調済、2005年=100)
120
り込みなどであった(図表1-2、1-3、1-4)。
110
(予測)
100
厳しい状況を乗り越えてきた県内製造業者は、収
90
益の回復に課題を残しつつ、中長期的には、製品の付
80
加価値向上を軸に、人材の育成や需要拡大への対応
60
などにより事業展開を図ろうとしていたと考えられる。
50
03年
図表1-2 リーマン・ショック前(08年4 ∼ 9月期)と
11年2月の比較
リーマン・ショック前売上・営業利益=100% (単位:%)
売 上
営業利益
最悪期(n=132) 現在(n=137) 最悪期(n=107) 現在(n=124)
100%以上
4.5
19.0
5.6
29.0
80 ∼ 100%未満
27.3
51.1
19.6
19.4
60 ∼ 80%未満
30.3
23.3
9.4
16.1
40 ∼ 60%未満
25.0
4.4
17.8
7.3
20 ∼ 40%未満
10.6
1.5
6.5
10.5
0 ∼ 20%未満
2.3
0.7
15.0
14.5
0 ∼▲20%未満
―
―
7.5
0.8
▲20 ∼▲40%未満
―
―
3.7
0.8
▲40 ∼▲60%未満
―
―
0.9
0.0
▲60 ∼▲80%未満
―
―
0.9
0.0
▲80 ∼▲100%未満
―
―
1.9
0.0
▲100%以上
―
―
11.2
1.6
計
100.0
100.0
100.0
100.0
図表1-3 経済危機から現在における業績改善のネック
(%)
(複数回答)(n=141)
0
国内需要(売上数量)の低迷
製品(商品)安
原材料(仕入)高
人件費等経費の圧縮困難
人材不足
為替動向
資金繰り
新製品開発・新事業進出困難
海外需要(売上数量)の低迷
その他
10
20
30
40
50
60
70
80
75.2
0
22.0
17.7
15.6
10.6
7.8
6.4
2.8
10
04
05
06
茨城
07
08
09
10
11
資料:経済産業省、月次ベース、全国の11/7,8月は製造工業生産予測指数をもとに算出
と大幅に低下した(図表1-5)。全国の3月の生産指
数は82.7、同15.5%減であった。全国、茨城県とも
に単月での生産指数の減少幅は過去最大だが、減少
幅をみると茨城県は全国よりも大きく、震災の影響
の大きさがわかる。
その後、茨城県の生産指数は4月には65.4(前月
比7.2%増)、5月には85.5(同30.5%増)と急速に
回復した。水準でみると、5月は震災前の2月の約
86%となっている。
業種別の推移をみると、3月は全16業種全てが前
月比で低下したものの、5月には3月比で14業種が
上昇に転じている(減少は石油・石炭製品と電子部
48.9
46.8
品・デバイス)。
もっとも、回復の度合いは業種によって違いもみ
られる。県内の主要業種を比較すると、一般機械や
電気機械、食料品・たばこが5月には震災前の2月
図表1-4 今後3年程度で強化を検討している施策
(複数回答)(n=142)
(%)
技術力向上・製造効率化
人材確保・育成
国内需要の取り込み
財務体質の強化
営業部門の強化
新製品・新事業開発
海外需要の取り込み
不採算事業の縮小・整理
仕入条件(先)の見直し
組織体制の再編
販売条件(先)の見直し
人員削減
生産拠点の再編・統合
その他
全国
70
20
30
40
50
60
59.9
37.3
31.0
30.3
30.3
26.1
18.3
13.4
12.7
9.2
7.7
5.6
5.6
1.4
とほぼ同水準、鉄鋼が84.5%の回復となったのに対
し、化学は61.7%に止まった。また、全国でウェイ
ト の 高 い 輸 送 機 械 は56.3 % と な っ て い る( 図 表
1-6)
。こうした違いは、震災による直接的被害に加
え、サプライチェーン(供給網)寸断の影響が反映
されたものとみられる。
図表1-6 鉱工業生産指数の推移主要(主要業種・茨城)
(季調済,2005年=100)
140
120
県内の生産活動は震災による大幅な悪化から回復へ
∼業種別推移に供給制約の影響
次に、鉱工業生産指数により、震災以降の県内の
生産活動の推移をみてみよう。
茨城県の3月の生産指数は61.0、前月比38.4%減
100
80
60
40
一般機械
化学
食料品・たばこ
電気機械
鉄鋼
輸送機械
20
2008年01月 2008年07月 2009年01月 2009年07月 2010年01月 2010年07月 2011年01月
資料:経済産業省、月次ベース
’
11.11
117
2.供給制約の概要
ここでは、「サプライチェーンの寸断」と「電力
不足」の2つの供給制約について整理する。
キ部品を同工場に8∼9割依存していたため、国内
30ラインのうち約7割が稼働停止し、減産を余儀な
くされた。
(1)サプライチェーン寸断
07年7月の新潟県中越沖地震の際には、日本の全
サプライチェーン寸断の構造
自動車メーカーがピストンリングの供給を、リケン
サプライチェーンとは、一般に「原料の段階から
㈱柏崎工場に依存していたことが問題となった(国
製品やサービスが消費者の手に届くまでの全プロ
内シェア約50%)
。トヨタ自動車では全工場が震災
セスの繋がり」と考えられる。製造業においては、
から3日後に稼働停止となった。同社を中心とした
製品が完成するまでの企業間の取引構造が複雑な
数百名の自動車メーカー社員が被災現場に派遣さ
場合が多く、災害などによるサプライチェーン寸断
れ、リケンの復旧作業に尽力した結果、柏崎工場は
の影響が、他業種と比べて大きい。
7月23日に生産を再開、トヨタも翌週には操業を再
サプライチェーン寸断のパターンについて自社
開した。
を起点に考えると、①川上の素材・部品メーカーの
こうした経緯から、自動車メーカーは、1次サプ
被災・供給途絶による(被災していない)自社の稼
ライヤーとの関係について、部品供給先を数社に分
働停止②自社の工場の被災による稼働停止(原材
散する体制を取るようになったとされる。しかし、
料・部品メーカー、納入先の双方に影響)、③川下
精密部品や高機能部材などは供給できる企業が限
の納入先の被災・稼働停止による(被災していない)
られていたため、1次、2次、3次と進むにつれて
自社の減産、の3つに分類できる(図表2-1)。
裾野が広がる「ピラミッド型」と考えられていた取
図表2-1 サプライチェーン寸断の概念図
引構造は、実際には2次取引先以降が先細る「ダイ
ヤモンド型」となっていた。高度な部品製造拠点が
①
原材料・
部品
②
原材料・
部品
自社
納入先
となった。
③
原材料・
部品
自社
納入先
県内工場の被災がサプライチェーン寸断の原因に
自社
納入先
集積していた東北・北関東企業の稼働停止は、自動
車業界全体の生産停滞に大きな影響を与えること
県 内 で は、 震 災 に よ る 工 場 の 被 災 が サ プ ラ イ
チェーン寸断の原因となり、その影響が国内外の企
サプライチェーン寸断による被害拡大の背景
今回のサプライチェーン寸断は、特に自動車業界
において被害が大きく、問題となった。
業の稼働停止や生産停滞に波及した事例が複数み
られた。
その一つがルネサスエレクトロニクス㈱那珂事
同業界では、サプライチェーンが寸断した例が過
業所の被災である。同工場が製造していた自動車用
去にもある。97年2月のアイシン精機㈱刈谷第1工
マイコンは、精密部品であることに加え、メーカー
場の火災では、同社のブレーキ部品のラインが壊滅
や車種ごとに異なる仕様であったことから、各社に
的な被害を受けた。トヨタ自動車は、特定のブレー
とって他社への代替可能性が低いものであった。こ
’
11.11
118
のため、自動車メーカーから多数の社員が派遣され
なっている。ここでは、各エリアで集積している業
復旧にあたる事態となったものの、生産再開には
種との関係も窺える。
2ヶ月以上を要することとなった。
図表2-3 茨城県内の東京電力の業種別・支社別電力構成比(大口)
水戸支社
土浦支社
化学
15.7%
3.7%
1.2%
32.5%
影響から、三菱化学㈱などコンビナートにおける多
電気機械
12.9%
34.8%
4.8%
6.4%
7.8%
鉄鋼
12.3%
2.1%
6.4%
24.2%
1.1%
くの川上企業の稼働が停止した。これらの企業は、
非鉄金属
8.6%
22.6%
9.9%
0.4%
9.0%
食料品
8.3%
2.1%
9.2%
10.5%
10.4%
一般機械
5.0%
2.2%
6.7%
6.1%
4.0%
の化学産業全体においてサプライチェーンの起点
輸送用機械
4.9%
8.6%
4.0%
1.6%
10.1%
窯業土石
4.3%
5.8%
3.8%
0.4%
13.8%
となっていたことから被害が拡大した。
金属製品
4.2%
0.9%
11.2%
2.4%
6.2%
紙パルプ
1.6%
0.3%
1.0%
2.9%
0.7%
精密機械
0.7%
1.7%
0.3%
0.1%
1.3%
繊維工業
0.5%
0.5%
0.4%
0.1%
1.8%
木材木製品
0.4%
0.0%
0.1%
0.5%
1.3%
その他計
9.8%
5.3%
9.2%
7.7%
23.5%
また、鹿島コンビナートでは、港湾などの被災の
高い国内生産シェアを占めていたことに加え、国内
(2)電力不足
15%削減要請前までの県内の電力使用の状況
東京電力茨城支店によると、茨城県内で同支店と
電力契約を結んでいる企業・団体・家庭等は、11年
業種
製造業計
合計
全社計
竜ヶ崎支社
下館支社
3.4%
89.2%
90.6%
68.1%
95.6%
94.4%
100.0%
100.0%
100.0%
100.0%
100.0%
(注)竜ヶ崎支社エリアは、鹿嶋市・神栖市を含む。
資料:東京電力茨城支店、10%以上を網掛け
5月時点で約19,500となっている。うち、契約電力
が500kW以上の大口需要家は約1,300、全体の6.7%
を占める。
政府による15%削減要請までの経緯
福島第一原発事故の影響により、東京電力管内で
電力使用の構成比(10年度)をみると、大口需要
は、電力供給能力が大幅に低下した。このため、震
家の電力使用に相当する「大口電力」が43.5%を占
災直後の3月には、本県など一部を除き、管轄区域
め、小口需要に相当する「電力その他」、家庭に相
内で計画停電が実施された。
当する「電灯」を上回っている(図表2-2)。
図表2-2 県内使用電力量の用途別構成比(2010年度)
4月に入り、東京電力は計画停電の原則不実施を
表明した。しかし、その後も冷房需要の高まる夏場
以降の電力不足懸念は払拭されず、政府は5月、大
100%
90%
80%
大口電力
(大口需要家に相当)
60%
50%
40%
口需要家・小口需要家・家庭の全てに対し、夏期に
43.5%
70%
30.9%
30%
電力その他
(小口需要家に相当)
電灯(家庭に相当)
20%
10%
0%
一律15%の節電対応を要請することを正式決定した。
25.6%
資料:東京電力茨城支店
電力使用制限と節電要請
大口需要家に対しては、電気事業法第27条に基づ
き、7/1 ∼ 9/22の平日9時から20時まで、昨年同
大口電力について、同社の業種別の電力販売状況
をみると、4支社合計では化学・電気機械・鉄鋼な
期間における使用最大電力を15%削減した値を上
限に、使用電力が制限されている(図表2-4)
。
どが上位を占める(図表2-3)。県内には鹿島コンビ
この使用制限では、大口需要家の実態などに合わ
ナートに三菱化学㈱や住友金属工業㈱が、日立・ひ
せ、制限の適用除外や制限緩和が設けられている。
たちなか地区には日立製作所グループの工場が立
また、複数の工場の連携により15%削減を達成する
地していることが主な要因とみられる。一方、業種
ことを認めている(共同使用制限スキーム)
。資源
別・支社別にみてみると、それぞれ上位の業種が異
エネルギー庁によれば、東京電力管内で制限緩和申
(注)電力使用制限は、本調査公表(9/1)後、9/2に被災地で、9/9に東電管内全域で前倒しで解除された。
’
11.11
119
図表2-4 大口需要家に対する電力使用制限の内容
項目
概要
対象者
大口需要家(契約電力500kW以上)。電気事業者(東電)との契約単位(事業所単位)で判断。
基準電力値
原則、昨年同期間の使用最大電力値(最大値を記録した1時間当たりの平均使用電力の値)。
適用除外
救急患者の治療を行う病院など緊急性が高い活動を求められる施設、災害救助法に基づいて設置された避難所、福島第一原発の周辺地域の
設備。
制限緩和
削減率0%:医療施設、老人福祉施設、介護保険施設、鉄道(12:00 ∼ 15:00を除く)、東北・長野・上越・東海道新幹線、青函トンネル、
被災地にある公共機関など
削減率5%:上下水道施設、空港ターミナルビル、常温・冷蔵倉庫、中央・地方卸売市場、港湾運送倉庫施設など
削減率10%:ホテル旅館
その他(0 ∼ 10% ):半導体工場、企業の情報処理施設
共同使用制限スキーム
複数の事業所が、共同で15%削減達成に取り組むことを特例として認めるスキーム(経産省への申請が必要)。参加事業所の昨年の使用電
力を1時間毎に合計し、その最大値から15%削減した電力使用量を上限とする。同一社内の複数の事業所(工場)
、同業・異業の取組が可能。
罰則
故意による使用制限違反は100万円以下の罰金の対象。
資料:経済産業省「電気事業法第27条による電気の使用制限の発動について」をもとにARC作成
請数は2,602件、共同使用制限スキーム申請数は836
果的な節電には生産工程での節電が有効であるも
件となっている(6月17日申請締切時点)。
のの、稼働率に影響を与える。このため、自動車や
電機業界では、電灯や空調などの節電に加え、休日
使用制限発動後の電力使用状況
シフトや夜間操業など、ピーク時の電力使用を平準
東京電力管内の電力使用状況は、ピーク時供給力
化させる取り組みが必要となっている。
を下回って推移している。7/1 ∼ 8/15の使用最大
図表2-6 電力消費の内訳(主な業種別)
電 力 を み る と、 猛 暑 日 と な っ た8/10に 記 録 し た
卸・小売
製造業
4,891万kWで、節電要請決定時の供給見通し(5,380
その他
26%
空調
11%
万kW)に対し9.1%減に止まっている。また、茨城
照明
8%
県 内 の 電 力 使 用 状 況 も 県 の 目 標 値400万kWを 下
回って推移している。7/1 ∼ 8/15の県内の使用最
生産設備等
81%
大電力は、7/18に記録した399.3万kWとなっている
図表2-5 茨城県内の電力使用状況
ホテル・旅館
食品スーパー
その他
51%
空調
25%
照明
24%
資料:資源エネルギー庁推計
製造業の中でも、化学や鉄鋼などの電力多消費産
400
業は、電力不足に伴う生産活動への影響が大きいと
300
考えられる。ただし、大企業では、自家発電で生産
23年使用最大電力
200
22年使用最大電力(週の最大使用電力)
節電目標(400万kW、昨年の使用最大電力470.6万kWの▲15%)
100
電力制限適用期間
0
空調
48%
空調
その他 26%
43%
照明
31%
(図表2-5)。
(万kW)
500
照明
26%
6月
7月
8月
資料:茨城県HP、6/1∼8/15
設備の電力を賄っているケースが多い。県内でも、
鹿島コンビナート内の企業の電力は、鹿島北共同火
力発電所などの自家発電施設によりカバーされて
いる。電力不足の影響度は、業種だけでなく、企業
規模や自家発電設備の対応状況などによっても異
生産活動への制約が大きい製造業
製造業は他の業種に比べ、生産設備の電力消費量
なるとみられる。この点については、次章以降でみ
ていく。
が空調や照明を大きく上回っている(図表2-6)。効
’
11.11
120
3.アンケート・ヒアリングからみた供給制約の影響と企業の対応
図表3-2 業況悪化の原因(n=167)
以下では、常陽アークが6月に実施した県内企業
0
へのアンケート、さらに企業ヒアリングから県内に
おける供給制約の影響と企業の対応を探ってみる。
20
40
(%)
80
60
69.5
販売先の都合による売上減
32.9
原料・資材・商品不足による仕入れ難
消費者心理の悪化
24.6
施設・設備の復旧の遅れ
23.4
21.6
原発事故の影響(国内)
(1)アンケート
12.6
原料などの価格高騰
7.2
道路・港湾等の社会基盤復旧の遅れ
4.8
外国人従業員等の帰国
対象企業:県内の製造業者
3.6
原発事故の影響(海外)
1.8
その他
対象数:1,008社
アンケート実施時期:2011年6月
有効回答数273社(有効回答率27.1%)
などの「その他素材」
(75.0%)となった。
また、仕入れ難では、
「化学」が66.7%と最も高
震災の業況への影響∼全体の6割が悪化
まず、震災後の業況についてみると、
「大幅に悪化」
く、次いで「その他素材」
(50.0%)
、印刷業などの
「その他」(37.5%)となった(図表3-3)
。
が12.5%、
「悪化」が49.1%と、あわせて全体の6割
図表 3-3 「販売先都合」
「仕入難」と回答した割合
(%)
(業種別)
(n=87)
の製造業者が悪化したと回答した。
「変わらない」
は32.5%、
「好転した」は5.9%であった(図表3-1)
。
図表3-1 震災後の業況(製造業)(n=273)
5.9%
12.5%
大幅に悪化した
32.5%
悪化した
49.1%
変わらない
0
パルプ・紙
化学
その他素材
金属
一般機械
電気機械
輸送機械
食料品
窯業・土石 0.0
その他
20
40
60
80
100
66.7
33.0
33.0
66.7
50.0
14.3
33.3
25.0
30.0
22.0
75.0
71.4
66.7
販売先都合
50.0
仕入難
80.0
61.1
83.3
37.5
62.5
(注)回答企業数が2以下の鉄鋼・木材木製品は除いた。
一般機械=はん用・生産用・業務用機械
好転した
企業規模別にみると、規模が大きくなるほど、販
売先都合と回答した割合が減少、一方で仕入れ難と
業況悪化の原因
回答した割合が増加する傾向がみられた
(図表3-4)
。
∼販売先都合が7割、仕入れ難が3割
図表 3-4 「販売先都合」
「仕入難」と回答した割合
(企業規模別)
(n=118)
(%)
次に、業況が悪化した企業についてその原因を尋
0
ねたところ、回答の上位は「販売先の都合による売
30人未満
上減」(回答企業の69.5%)、「原料等の仕入れ難」
30∼99人
(32.9%)、「消費者心理の悪化」
(24.6%)、「施設・
100∼299人
整備の復旧の遅れ」
(23.4%)となった(図表3-2)
。
300人以上
20
40
60
80
76.1
23.9
71.4
26.5
51.9
55.0
55.0
63.0
販売先都合
仕入難
サプライチェーンに関係する「販売先の都合」、
「仕入れ難」と回答した先について業種別にみる
と、販売先の都合では、「窯業・土石」が83.3%と
最も高く、次いで「輸送機械」(80.0%)、非鉄金属
電力不足へ向け予定(検討)している取り組み
∼営業(稼働)時間の変更、節電活動が上位
電力不足への対応については、「営業(稼働)時
’
11.11
121
間の変更」の回答が42.8%と最も多かった。以下、
図表3-5 電力不足への対応(n=271)
0
多い順に、
「その他」(主に電灯の間引き、エアコン
20
30
40
自家発電等の設備投資
長期休暇(稼動休止期間)の導入
(%)
50
42.8
営業(稼動)時間の変更
の温度調整などの節電活動、31.4%)、「自家発電等
の設備導入」
(10.3%)、「長期休暇(稼働休止期間)
10
10.3
9.6
事業拠点の移転 0.9
の導入」(9.6%)と続いた。一方、「特になし」と
特になし
21.0
その他(節電活動など)
する回答も21.0%あった(図表3-5)。
31.4
(2)企業ヒアリング
ルネサスエレクトロニクス株式会社
造でした。現在は、マイコンやシステムLSIの前工
那珂事業所(ひたちなか市)
程を行う製造拠点となり、当工場が会社全体の生産
工場長 青柳 隆 氏
に占める割合は15%、マイコンに限れば20%となっ
ています。
<ルネサスエレクトロニクス概要>
設 立:2002年11月(営業開始日:2010年4月)
事業内容:各種半導体に関する研究・開発・設計・製造・販売
及びサービス
資 本 金:1,532億円
従 業 員:46,630名(連結、2011年6月末時点、那珂事務所は
約1,900名)
敷地内には、N1 ∼N3の3棟の製造工場、NS、
NTの2棟のテスト工場があります。01年から稼働し
たN3棟は、300mm直径のウェハーに対応した工場と
しては世界で最初の量産工場です。一枚ずつ生産す
まい よう
る枚葉方式という生産方式で多品種少量生産に対応
マイコン世界シェア1位の半導体メーカー
するとともに、工場を100%全自動化して省人化を図
当社は、2003年4月に㈱日立製作所の半導体グ
るなど、当社の中でも最先端の技術を備えています。
ループと三菱電機㈱の半導体事業本部の経営統合
また、半導体工場から出る汚泥を100%セメント
により設立された㈱ルネサステクノロジが、10年に
の原料に供するなど、ゼロ・エミッション推進を通
NECエレクトロニクス㈱と合併したことにより誕
じて環境活動にも積極的に取り組んでいます。07年
生した企業です。
には、茨城県から「地球にやさしい企業(環境マネ
半導体の中でも、マイコン・アナログ&パワー半
導体・システムLSIという3つの製品群の研究、開
ジメント部門)」の表彰を受けました。
懸命の復旧活動により3 ヶ月前倒しで稼働再開
発、製造に力を注いできました。現在、マイコンは
今回の地震で、当工場内の震度計は、最大922ガ
汎用・車載用ともに世界シェア1位です。当社製品
ルと非常に大きな加速度を示しました。揺れが3∼
は、デジタル家電やPC、携帯電話などのモバイル
4分と長く続いたこと、直後の茨城県沖の大きな余
機器、自動車などに幅広く使用されています。
震も被害の拡大に大きく影響しました。
半導体の製造工程は、ウェハーと呼ばれるシリコ
被害は、排気ダクトや電源ケーブル、クリーンルー
ン基板の上にIC(集積回路)を作りこむ前工程と、
ム、システムサーバーなどのインフラ設備から個々
前工程で作られたICチップを各種パッケージに封入
の生産設備まで、多岐に及びました。復旧初期にお
する後工程に分けられます。主に国内で前工程を、
いては、受電設備でオイル漏れが発生したことや、
中国・マレーシアなど海外で後工程を行っています。
電気ケーブルに損傷があったことから、電気が確保
社内最先端の生産設備を持つ那珂工場
できず被害の全貌がなかなかつかめませんでした。
当工場の半導体製造の出発点は、85年のDRAM製
3月21日に、その時点で把握していた被害状況を
’
11.11
122
もとに最初の復旧計画を策定しました。計画は、イ
委託生産工場の4拠点で代替生産を行い、他工場で
ンフラ復旧、生産設備修復、試験生産の3ステップ
代替可能な製品は6割となりました。この比率をさ
から構成され、9月1日の稼働再開を目標にしまし
らに上げる予定です。
た。9月の再開を目標としたのは、当社の製品製造
これまで一律の基準で保有していた仕掛品や完
は平均1ヶ月半から2ヶ月半かけて平均して約700
成品在庫についても、在庫保有情報や代替品情報を
∼ 800もの工程を経る必要があり、どこか一つの工
お客様に開示し共有することによりリスクの見え
程でも停止すると完成品にならないため、相当の時
る化を推進し、お客様と連携して保有数量と条件の
間が必要になると考えたからです。
コントロールを行っていきます。
しかし、実際には当初計画よりもかなり早期に復
また、当工場においては、人的被害こそなかった
旧を進めることができ、3ヶ月前倒しの6月1日に
ものの、被害の大きかったインフラや生産設備の構
は稼働を再開することができました。9月には、当
造設計については課題が残りました。
社全体で震災前の出荷レベルを上回る見込みです。
そこで、被害の少ないライン・復旧の早いライン
復旧が前倒しできた要因は、約400の協力会社から
を目指して、これまで震度6弱であった耐震強度を
1日あたり最大2,500人超、8月までに延べ9万人の
今回の震災と同レベルの震度6強に引き上げるた
復旧支援を受け、1日24時間、週7日体制で復旧作
めの補強工事を実施しました。さらに、震災でダ
業が行われたことです。自動車・電気業界のみなら
メージが大きく復旧に時間がかかったポイントを
ず、彼らと普段から付き合いのある建設業者など、
洗い出し、補強したり早期復旧の手段を用意したり
幅広いネットワークからのサポートを頂きました。
する改善活動に取り組んでいきます。生産ラインの
しかし、作業する社員や協力企業社員の間のチー
ムワークがなければ、復旧はもっと遅れていたで
部品についても、災害に弱かった部品に関しては、
在庫管理の徹底に加え、標準化も進めます。
しょう。情報共有を徹底するとともに、関係者が心
今後、多くの作業員を必要とする後工程の作業に
ひとつに復旧に取り組んだことが早期再開の最大
ついては、人件費の安い海外での割合をさらに高め
の要因だと思います。
ていきます。一方、当工場が主に行っている前工程
継続的な安定供給のために様々な見直しを推進
の作業は、省人化が進んでいること、高度な部材・
当社では、震災前から災害時でもお客様への供給
原材料の調達に有利であることから、国内で行うこ
要請に応えるための取り組みを進めてきました。当
とにメリットがあります。そうしたことから、当工
工場においては、会社とは別に、独自のBCPも備え
場の基幹工場としての機能は今後も変わらないと
ていました。しかしながら、今回の震災は、想定を
考えています。
大きく上回るもので、そうした取り組みは十分な効
半導体市場の今後と事業展開
果を発揮できませんでした。今回の経験を踏まえ、
半導体市場は、新興国の経済発展に伴う需要の増
製品の安定供給を継続的に行うため、供給体制や在
大や、エネルギー資源を効率利用するスマート社会の
庫管理についてBCPの見直しと強化を進めています。
加速を背景に、今後も拡大していくことが予想されて
供給体制については、平時から2カ所以上の量産
います。マイコンを中心とした当社の製品が活躍する
工場を準備する「マルチファブ化」の取り組みを加
場面も、ますます広がっていくことが期待出来ます。
速させ、災害発生時に他の製造拠点での代替生産を
もちろん、激しいグローバル競争も続きます。今後も
可能にする体制(ファブネットワーク)の整備をさ
市場やニーズに合った価格競争力のある製品の開発
らに進めていくことにしました。当工場の稼働停止
を進めるとともに、製品の安定供給を果たすことで、
中は、津軽工場、西条工場、シンガポール・台湾の
お客様の信頼に応えていきたいと考えています。
’
11.11
123
コロナ電気株式会社
(ひたちなか市)
代表取締役社長 柳生 修 氏
ように生産の回復が進まなかったようです。
現在は、納入先企業からの受注も大幅に増えてお
り、3、4月の遅れを取り戻しています。
部品調達管理に気を配る
設 立:1952年8月
事業内容:電気計測機器の設計・製作・販売
資 本 金:4,109万円
従 業 員:約75名
当社の場合、製品によっては部品数が数百∼ 2,000
アイテムに上り、一つの部品が不足しても支障をき
たします。震災後、自動車と共通する電子部品につ
医療機器・計測機器製造で実績
いて大口顧客への供給が優先され、調達が困難にな
当社は、医療機器や理化学機器、電子計測機器な
りました。この経験から、現在、部品調達に特に気
どの設計・製造・販売を行っている会社です。来年、
を遣っています。毎週ごとに、何が手に入り、何が
設立60周年を迎えます。
手に入らないのか、手に入らない部品に関しては何
主力事業は、電子顕微鏡電源装置の受託製造で
が問題になっているのか、等を詳細にチェックして
す。また、光を試料に当てて生じる波長によって物
います。調達が難しい部品については、担当者が直
質を分析する「マイクロプレートリーダー」という
接相手先に赴き、交渉を行っています。
装置を独自に開発し、この製品は日本全国の病院や
節電への対応
研究機関などで約4,000台以上が採用されています。
震災で建物に大きな被害
当社は、電力を大量に使用する設備はなく、契約
電力量の少ない小口需要家に該当しています。
今回の震災で、地震により建物の正面玄関や中階
節電協力のため、7月から納入先企業に合わせて
段などが損傷し、一時は崩落の危険が出るほどの大
土・日を稼働日、木・金を休日としたほか、エアコ
きな被害を受けました。特に被害が目立ったのは、
ンの温度調節や照明の間引きなどを行っていま
老朽化が進んだ部分でした。設立後まもなく建設さ
す。ただ、当社は省電力への取り組みを積極的に進
れた本社については、安全を第一に考えると、順次
めてきたため、これ以上の取組みは難しいのが現状
建て替えを行っていく必要が生じています。
です。
建物に大きな被害がでましたが、幸い製造設備に
今後は、太陽光発電や蓄電池の導入など、外部電
は大きな影響はありませんでした。PC内のデータも
力に依存せずに生産を維持できる仕組みを検討し
無事でした。被害がなかった建物に作業場を集約さ
たいと考えています。
せ、3月22日までには当面の生産体制を整えました。
今後の展望
納入先企業の被災が当社にも影響
大局的にみれば、今回の震災を契機に、国内製造
しかしながら、製品を納入している企業が、地震
業の海外生産シフトの動きは止められないと思い
により大きな被害を受けたことから、当社の受注に
ます。一方で、自社の得意分野を持つことで、国内
も遅れが出ました。納入先企業の復旧はゴールデン
に留まりたいと考える企業も少なくないはずです。
ウィーク頃までかかったため、その間は自社の本格
当社は、組立や加工技術だけではコスト面で海外
的な復旧に力を注いでいました。
に勝てなくなるとの考えに基づき、従来から遺伝子
また、納入先企業でも、復旧が一段落し、いざ製
など成長分野の研究開発に力を注いできました。こ
造を再開しようとしたところ、特定の部品が手に入
うした分野に対応していけば、日本の製造業にはま
らない、手に入りにくいといった問題が生じ、思う
だまだ「伸びしろ」があるのではないでしょうか。
’
11.11
124
川添工業株式会社
(猿島郡境町)
取締役総務部長 川添 忠大 氏
回復しています。4、5月の遅れの挽回や被災地の
復旧作業に使用される車輌の需要増加により、今後
メーカーもこれまでにない増産体制を敷く見通し
で、当社への受注計画も増加しています。
設 立:1968年4月
事業内容:建設機械等の部品製造
資 本 金:1,200万円
従 業 員:約60名
節電対応で休日シフトの設定に苦慮
震災直後には、計画停電の影響も間接的に受けま
した。計画停電については、県内は対象外とされま
建機部品の製造が主力
したが、ある取引先が対象地域に立地していまし
当社は、主に建設用機械や特殊車両、及びこれに
た。その企業は計画停電に該当する日は、終日休業
関する機械器具部品の製造、組立、修理を行ってい
という措置をとりました。そのため、部品を製造し
ます。
ても納入ができない、販売先と連絡すら取れないと
数年前までは電気工事車両の部品製造が主力で
いった影響がありました。
したが、公共工事の減少に伴い国内需要の減少が見
契約電力量が小さい小口需要家に該当し、電力使
られ始めたことから、中国などの海外需要が好調な
用制限の対象ではありません。コンプレッサーの空
建設機械向け部品の製造が主力となりました。ショ
気漏れを極力なくすことや、事務所でのこまめな節
ベルカーのアームやバケットなどを、建機メーカー
電などを心掛けています。
数社に販売しています。
サプライチェーン寸断の間接的影響を受ける
7月以降は、建機業界の休日シフトを受けて、
土・日を稼働日、木・金を休日としています。ただ、
地震による施設・設備への直接的な被害、電気・
建機業界では、メーカー間で休日がそれぞれ異なる
水道などのライフライン寸断の影響は、ほとんどあ
ため、稼働日を合わせようとすると当社の休日が設
りませんでした。
定できません。このため、メインの販売先に休日を
また、製品製造にかかる原材料は、販売先の建機
各社から提供を受けていますが、震災後に原材料が
不足することも特にありませんでした。
震災による直接的な影響がなかったものの、幾つ
合わせることとしました。
生産活動を維持していくうえで、電気は不可欠で
す。電力供給の先行きが不透明な状況が続けば、今
後の生産活動にも少なからず影響が出るため、まず
かのメーカーでは、エンジンなどの部品の一部につ
は正確な情報が欲しいと考えています。
いて、震災の影響により調達が困難となりました。
さまざまな要望に応えられる技術力で勝負
不足した部品のなかには、自動車と共通の部品も
近年、建機業界にとって最大の競争相手は海外と
あったようで、引き合いが殺到したことから一層調
なりつつあります。特に、海外企業にコスト面で勝
達が困難な状況に陥ったようです。
つことは困難な状況となっています。しかし、当社
部品の調達難により、メーカーが生産調整を図っ
は特注品などにおいて取引先からの様々な要望に
たことから、当社への受注も4、5月は通常時の3
対応できる技術のノウハウを持っており、海外相手
分の1以下に激減してしまいました。震災後間もな
に対抗していけると考えています。そうした点から
く通常どおり生産できる体制となっていただけ
いえば、今後、技術の継承により一層力を入れてい
に、非常に残念でした。
くことが必要だと感じています。
6月中旬の段階では、受注は前年比90%程度まで
’
11.11
125
栗田アルミ工業株式会社
(土浦市)
常務取締役 堀越 俊夫 氏
月の生産は、前年比9割程度には回復する見通しで
す。計画では秋口に大幅な増産も見込まれるため、
臨時社員の確保も考え始めています。
節電対応は大きな負担
設 立:1957年5月
事業内容:アルミ鋳造自動車部品製造
資 本 金:5,000万円
従 業 員:195名(前期末現在)
生産回復の目途が立ってきた中、電力15%削減へ
の対応が目下の課題となっています。当社は大口需
要家に該当するとともに、この数年で生産設備を拡
主力事業は自動車エンジンのアルミ鋳造
当社は、アルミニウム鋳造部品の製造により発展
張し電力消費量が増えてきたことから、契約電力の
引き上げを検討していた矢先だったからです。
を遂げてきた会社です。自動車部品、特にエンジン・
KPS活動推進室を中心に対策を立て、生産作業の
トランスミッション関係の部品を得意としていま
平準化によりピーク時電力を抑えています。具体的
す。ダイカストをはじめとした各種鋳造法を駆使
には、電力を測定するデマンドを導入し、休日シフ
し、自動車メーカーの1次サプライヤーとして多様
トやサマータイムの導入、エアコン停止やコンプ
なニーズに応えています。
1993年から社内に
「KPS
(ク
レッサーの修理などの各種節電策を行っています。
リタプロダクションシステム)活動推進室」を設置
このように生産シフトを行っても、発注が増えれ
し、作業改善のための分析・検討を重ねています。
ば、その対応のため深夜勤務を含めた社員の残業の
震災後の停電で溶解したアルミが凝固
増加は避けられそうにありません。その結果、人件
3.11の震災時には、地震により溶解したアルミが
電炉から外に飛び出す事態が生じたものの、大事に
は至りませんでした。また、製造機械の調整の必要
が生じ、修復に3日程度かかりました。
電気等のライフラインは2日ほどで復旧しまし
費の増加や、事故防止などの安全管理が疎かになら
ないか、といったことを懸念しています。
現在は自家発電機を所有していません。計画停電
の問題が出た際に検討しましたが、市場ではすでに
品切れの状態でした。今回の経験から、アルミ鋳造
たが、停電の影響により電炉内の溶解したアルミが
用電炉向けに導入することを検討しています。
固まってしまう事態が発生しました。鋳造や熱処理
震災後は社員が危機意識を持って行動
といった作業は、電力を止めた後の稼働再開が難し
目まぐるしく変化する状況への対応に追われる
く、一旦固まったアルミを再び溶かす作業は冷やす
毎日ですが、長い目でみた場合のメーカーの下請分
時間のおよそ2倍もかかってしまいました。
散化や部品共通化の動きにも注目しています。メー
メーカーの生産再開に伴い当社の生産も回復
カーは、当社に関係のある2次サプライヤーとの取
一部の部品調達に遅れが生じたものの、当社は比
引状況に関心を強めるなど、集中リスクへの対応を
較的早期に稼働再開できる状況に戻りました。この
模索し始めています。また、部品共通化が進展すれ
ため、当社の場合、メーカーへの納入ストップが震
ば、中小の部品製造業者にとってコストダウン圧力
災後の生産減少に大きく影響しました。
がより一層強まることは避けられません。
自動車業界の生産停滞では、ルネサス社に加え、
幸いにも、震災以降、社内では業務改善の提案が
東北地方や鹿島地区の化学メーカーからの部品供
積極化しており、社員は危機意識を持って業務に取
給が途絶えたことも影響したようです。
り組んでくれていると感じています。経営判断は難
当社への発注は、ボトルネックとなっていた部品
の納入再開にあわせ、徐々に回復してきました。7
しくなる一方ですが、先を見据えた対応により難局
を乗り切っていきたいと考えています。
’
11.11
126
溝口鍍金株式会社
(鹿嶋市)
代表取締役社長 溝口 輝明 氏
である亜鉛を調達できず、当社への供給も一時的に
滞りました。
一方で、リスク分散の観点から、以前より秋田か
ら亜鉛を調達するルートを確保していました。こち
設 立:1967年3月
事業内容:自動車部品めっき加工
資 本 金:2,000万円
従 業 員:約30名
らからは震災後約2週間で供給を受けることがで
き、生産への影響を最小限に食い止められました。
なお、自動車部品メーカーからの調達に関しては
自動車ブレーキパイプの加工処理が主力
当社は自動車用ブレーキパイプなどのめっき加
工・表面処理を主力事業とし、建材金具製造や太陽
電池関連の製品開発なども行っています。
回復が進んでおり、7月からは当社への供給も始
まっています。
電力不足でモノづくりの原点から見直す必要
東京電力とは工場毎に別々の電力契約を結んで
大型から小物まで、少量多品種から長尺大物まで
おり、各々の電力使用量は大口需要家の基準である
あらゆる製品のめっき処理に対応できる技術を強み
500kWを下回っているため、電力使用制限の対象外
に、自動車産業の成長の恩恵をうけながら発展を遂
となっています。もっとも、自動車部品の生産につ
げてきました。
現在、市内に2工場を構えています。
いては、販売先に合わせ、7月以降、土・日を稼働
工場で最大20cmの地盤沈下が発生
日、木・金を休日としています。
周辺企業では、相次ぐ余震によって工場が地盤沈
めっき加工業は、その生産工程において電解製錬
下する例が多くみられました。当社も例外ではな
を行う典型的な電力多消費産業です。1回の作業工
く、第二工場の一部では最大20cmに及ぶ沈下が生
程に約2時間を要し、途中で中断すると製品処理に
じ、製造装置に曲がりが発生しました。復旧のた
不具合が発生するため、電力の安定供給が非常に重
め、20日間ほど生産機械の停止を余儀なくされまし
要です。
たが、周辺に現在も復旧が進んでいない企業がある
これまで、電力は限りなく使える状況にありまし
中では、早期に事業再開できたのではないかと考え
たが、3.11以降状況は変わりました。電力不足への
ています。
対応が必要となったことで、製造業はモノづくりの
仮設住宅用資材で特需
原点からの見直しを迫られている、とさえいえます。
震災の翌日には、取り扱っている住宅向け軽量鉄
真価が試される中小製造業
骨部品について、被災地の仮設住宅用に注文が入り
10年ほど前から製造業者の海外進出が進んでき
ました。復旧期間中も注文は増え続け、特需のよう
ましたが、当社は海外へ進出するつもりはありませ
な状況が6月ぐらいまで続き、受注合計はおよそ
ん。国内で生き残るためには、価格競争力や技術力
300tに達しました。需要に応えるため、夜間も操業
を向上させることで、付加価値の高い商品の提供を
するなど24時間体制で対応しています。
果たしていくことが大切と考えています。新技術の
原材料メーカーも被災、供給停止に
発見や技術改良については報酬制度を設けて会社
自動車部品部門では、原材料メーカーの被災の影
として支援しています。
響を間接的に受けました。原材料は主に、販売先で
今回の震災により、中小製造業者を取り巻く環境
ある大手自動車部品メーカー経由で調達していま
は一段と厳しくなっています。当社もまた真価が試
す。今回の震災では、東邦亜鉛の小名浜精錬所が被
される状況を迎えている、と感じています。
災により操業停止となったため、メーカーが原材料
’
11.11
127
東京フード株式会社
(つくば市)
代表取締役社長 丹羽 弘 氏
は、製造会社に生産効率改善による採算向上をもた
らす一方、当社にとってはこれまで品目数の多さを
強みとしてきた経緯もあり、今後の動きに注目して
います。
設 立:1967年6月
事業内容:チョコレート・製菓材料の製造販売
資 本 金:2億円
従 業 員:380名
3工場連携による節電対応
現在の契約電力は1,663kWで、大口需要家に該当
します。親会社の筑波工場、東京工場も同様で、3
業務用チョコレートの製造・販売
工場とも電力使用制限の対象となっています。そこ
当社は、67年、千葉県市川市で菓子製造業として
で、3工場で共同使用制限スキーム適用を申請し、
創業し、その後、月島食品工業㈱のグループ企業と
ピーク時の電力抑制を図っています。当工場は東京
なりました。同社の創業者が茨城県明野町出身で
工場が稼働する木・金に休日をシフトし、土・日に
あったことなどから、85年には事業拡大に伴い現在
フル稼働しています。
のつくば市に移転しました。業務用チョコレートを
電力不足による生産量の低下は今のところあり
中心に約1,000種に及ぶ製品を製造し、製菓・製パ
ませんが、急な発注に対する休日稼働での対応が出
ンメーカーなどに販売しています。
来なくなっています。製品在庫を抱えることも検討
早期に復旧し、被災地にチョコレートを提供
していますが、食品業界の場合、商品が入れ替わる
今回の震災では、施設の天井落下や一部設備の損
傷などの被害を受けました。地震翌日から復旧作業
サイクルが非常に短いためリスクがあります。
休日シフトにより社内託児所を設置
を開始し、3月15日には生産稼働できる状況に戻り
当社は女性社員比率が3割を占め、育児をしなが
ました。復旧作業においては、各現場のリーダーに
ら勤務する女性も多いため、昨年9月に専門チーム
権限を与え、本部はその支援に徹しました。
を立ち上げ、社員の育児と仕事の両立支援に力を入
また、私自身が親会社の神戸工場で阪神大震災直
れてきました。
後の復旧に関わった経験も踏まえ、食品会社の使命
今回の休日シフトを受けて実施した社内アンケー
として、復旧後すぐに県内の被災地にチョコレート
トでは、土日に子どもを預かってもらえる環境が周
約1万袋を救援物資として提供させて頂きました。
辺で不足していることがわかりました。そこで、外
業界の増産を受けて、震災後の売上は増加
部に委託する形で、社内託児を始めました。当社規
製品の主な原材料はカカオや砂糖、乳製品などで
模の企業では珍しいと思いますが、労働力人口が減
す。大半は海外から調達しており、原材料の調達で
少する中で、女性社員が活躍できる環境づくりは今
大きな影響は生じていません。また、大手パン製造
後ますます重要になっていくと考えています。
各社などが品目を絞り込んだ上で増産体制に移っ
顧客が買いたい製品づくりを
た た め、 当 社 も 事 業 計 画 こ そ 下 回 っ た も の の、
3,4月は増収で推移しました。
今後、人口減少などに伴いチョコレート市場も縮
小が予想され、顧客にとって価値ある魅力的な製品
今回の震災を契機に、食品製造業界では主要な原
づくりが求められています。顧客が買いたいチョコ
材料の調達に関して、複数購買への切り替えが進ん
レートを開発・製品化していくことが、販売力強化
でいるようです。また、主力生産品目の絞り込み
に直結していくと考えています。
’
11.11
128
急増した自家発電機需要の動向
株式会社東京電機(つくば市)
変しました。停電が解消されても原子力事故の影響
常務取締役 東京支店長
により、慢性的な電力不足に陥っています。影響は
塩谷 智彦 氏
東京電力・東北電力の管内にとどまらず、もはや日本
設 立:1920年3月
事業内容:非常用発電機等の製造・販売
資 本 金:7,200万円
従 業 員:約140名
全国共通の問題となりつつあります。
震災で保安用発電機の市場が形成
このような中で、震災後に需要が大きく伸びたの
非常用発電機の全国シェア第2位
が、これまで需要がなかった保安用発電機です。震
当 社 は、1920年 に 東 京 都 南 千 住 で 精 米 機 モ ー
災直後より各方面から問い合わせが殺到していま
ター、小型水車製造を目的として設立しました。茨
す。特に、金融・医療・マンション等では、新設な
城県への立地は、38年に土浦町(現土浦市)の工業
どの当初計画の段階から保安用発電機の導入が織
誘致第1号として霞ヶ浦工場を建設したのが最初
り込まれる動きが起きているようです。
で、その後東京大空襲の際に本社工場が焼失したこ
しかしながら、発電機業界は当社を含めて完全受
とをきっかけに、45年に本社を土浦市に全面移転し
注生産であり、製品在庫を持っていません。また、
ました。75年に業務拡大に伴い本社工場を桜村(現
製品製造についても、受注から納期まで最低でも約
つくば市)に移転し、今年で創業91年になります。
3ヶ月はかかります。震災直後には、発電機に用い
つくば市に本社を移転するとともに、停電時に使
るディーゼルエンジンの納入が部品調達難により遅
用可能な非常用発電機の製造・販売を開始し、現在
れが出たり、慢性的な品薄状態にあった吸音材のグ
全国シェアで業界第2位となっております。東京や
ラスウールがより入手困難な状況にもなりました。
大阪、広島などに営業所を置き、営業網の拡大に努
こうした状況から、震災以降の急激な需要の高ま
めてきました。
りに、国内発電機メーカーの供給が追いつかない状
震災により電力を取り巻く状況が一変
態にあります。国内の供給不足に乗じて韓国や欧米
震災前、日本は電力事情が世界一安定している国
などの海外メーカーの発電機が続々と国内市場に
であると言われてきました。阪神大震災や中越地震
入ってきているようです。
の際にも停電は発生しましたが、72時間以内にほぼ
今後の発電機需要について
解消されたように、停電してもすぐに回復するもの
当社の今期の発電機受注状況をみると、4ヶ月経
と考えられてきました。そのため、非常用発電機は
過時点で、既に計画の6割近くの受注があります。
あまり重要なものとは考えられていませんでした。
今後も、保安用発電機の引き合いが続くことが考え
また、非常用発電市場のほとんどを占めていたの
られ、今期の販売実績は当初計画を大幅に上回る見
は、スプリンクラーや排煙機等の消防用設備の予備
込みです。また、来期以降についても、保安用発電
電源として、消防法で設置が義務づけられている防
機の需要は一息つくものの、被災地の復興が本格的
災用発電機でした。メイン電源の予備として用いる
に動き出し、防災用発電機の需要が5∼ 10年とい
保安用発電機は、防災用に転用することが法令で禁
う期間で続くことが想定されます。
止されており、設置は単純にコスト増につながると
考えられていたため、市場はほぼ皆無でした。
しかしながら、3.11以降、電力を取り巻く状況は一
創業以来これほど発電機が注目されたことはありま
せん。今後も品質のよい発電装機を、1日でも早くお
客様に届けられるよう努力・邁進していく所存です。
’
11.11
129
4.供給制約がもたらした今後の製造業の課題
これまでみてきたことを整理し、県内企業におけ
図表4 県内で多くみられたサプライチェーン寸断の状況
る供給制約の影響、現場での対応、さらに今後の製
納入先
造業の課題について考えてみたい。
自社(下請)
納入先
(大企業)
(1)サプライチェーン寸断
原材料・
部品
原材料・
部品
サプライチェーン寸断は複合的に発生、企業の業績
悪化に大きく影響
企業ヒアリングによれば、県内では118頁で示したサ
サプライチェーン復旧とともに生産も回復
プライチェーン寸断の3つのパターン
(①素材・部材メー
統計データでは、4,5月の生産指数は、3月か
カーの被災・供給途絶、②自社の被災による稼働停止、
ら急速に回復した。ヒアリング先でも、サプライ
③納入先の被災、稼働停止)全てがみられた。多くの
チェーン復旧に伴い、震災により遅れていた受注へ
企業でこれらが組み合わさった形で起こっている。
の対応が生じている。サプライチェーンへの被害が
アンケートによれば、震災により業績悪化した企
大きかったことから、輸送機械や化学は回復が遅れ
業の7割が、その原因として「販売先の都合による
たものの、これらの業種もすでに生産は震災前の水
売上減」
を挙げた。これは、直接的被害である
「施設・
準まで戻っているようだ。
設備の復旧の遅れ」を上回った。また、
「原料等の
震災の規模や被害の大きさを考えれば、復旧は早
仕入れ難」
とした企業も3割あった。サプライチェー
かったというのが、ヒアリング先の共通の声であった。
ン寸断は、震災・津波などによる直接的被害と同様、
各企業の現場力には驚くべきものがあったといえる。
多くの県内企業の業績悪化に大きく影響した。
一方で、かつて経験したことのない震災に直面
し、各企業ともBCP等で想定していた通りには復旧
大企業の仕入難が中小企業にも間接的に波及
活動が進まなかったという課題も残った。
ヒアリングでは、下請企業の間で、「自社の生産
設備への被害が少なく、早期に復旧出来たにも関わ
らず、大手メーカーの納入ストップの影響を受け
た」との声が目立った。
アンケートでは、業績悪化の要因について、企業
規模が大きくなるほど、
「販売先都合」の割合が低
く、「仕入難」の割合が高くなっていた。
進むサプライチェーン再構築
今回の震災を踏まえると、サプライチェーン寸断
のリスクを完全に回避することは難しい。だが、再
び大規模災害が発生し、同じような生産停滞が起こ
れば、企業は信用を失いかねない。
そのため、サプライチェーンの再構築として、特
両方を合わせて考えると、中小企業においては、
定地域、特定企業からの部品などの集中リスクの所
大企業の部品調達難による生産停止、生産調整を受
在を明らかにし、リスク分散を図る動きが進んでい
け、自社も生産が滞ったケースが多かったとみられ
くと考えられる。
る。大企業の仕入れ難(部材調達難)が間接的に中
ヒアリングでは、完成品メーカーが1次サプライ
小企業に波及した点は、今回のサプライチェーン寸
ヤーを通じて、2次サプライヤーの状況を探ってい
断の一つの特徴といえる。
るという話も聞かれた。
’
11.11
130
(2)電力不足
企業の節電への取り組み
慢性的な電力不足は、今夏以降も続く可能性が高い。
電力不足が長期化すれば、不安定な電力供給の下
アンケートでは、営業(稼働)時間の変更(輪番
で、企業の生産活動は制約を受けることになる。ま
操業・休日シフト、夜間操業など)、電灯の間引き
た、昼間の電力ピークを避けるための夜間労働の増
などの節電対応、長期休暇の導入、などを検討する
加、休日シフトへの対応は、人件費などの製造コス
という回答が多かった。ヒアリングでは、これらの
ト上昇を招く恐れがある。
取り組みのほか、グループ工場と連携した共同使用
制限スキームの活用なども確認できた。
(3)まとめ∼供給制約がもたらした今後の製造
業の課題
企業にとって負担の重い節電対応
サプライチェーン寸断と電力不足、この2つの供
ヒアリング先からは、今夏の節電対応による生産
給制約の問題は、各企業の努力によって、短期的に
の減少を指摘する声は聞かれなかった。大部分の企
は解消した、あるいは解消しつつあるようにみえ
業でも、節電対策に取り組みつつ、当面の生産への
る。しかし、この問題の影響により、企業では製品
影響は最小限に食い止められているのではないか
の安定供給への懸念が広がっている。
と考えられる。
今後、大企業の間では、リスク分散への対応とし
だが、各企業とも節電対応に苦慮していることは
て国内外での生産拠点や部品調達先の分散が、また
明らかだ。特に、電力使用制限が課された大口需要
安定的な電力確保への対応として自家発電機の導
家、鋳造や熱処理など安定した電力供給を必要とす
入が進むだろう。
る企業、省エネ対策に積極的であったため節電削減
の余地が限られる企業などの負担が重い。
一方、中小企業では、部品調達先の分散など可能
な施策は限られる。しかし、優れた製品があって
小口需要家においても、電力不足の対応は節電協
も、安定供給が果たされなければ、企業はその価値
力の範囲内に止まらない。使用制限の影響は、業界・
を高めることが出来ない。ヒアリングした企業は、
取引先に合わせて休日シフトするなど、間接的に小
価格競争力の向上、高付加価値製品の開発、成長分
口需要家にも及んでいる。休日シフトに関しては、
野への対応、研究開発力の強化などを、今後の課題
複数の取引先を持つ企業で、取引先の休日がそれぞ
として挙げた。これらの取り組みとともに、供給制
れ異なる場合、自社の休日設定が難しくなっている。
約がもたらした安定供給という課題にも取り組ん
また、ヒアリングでもみられたように、自家発電
でいく必要があるだろう。
機導入を検討する企業は今後増えると予想され
製造業、とりわけ中小企業を取り巻く事業環境は
る。しかし、非常時以外にも使用可能な常用自家発
厳しさを増している。国内需要の低迷、グローバル
電機は、初期投資が数億∼数十億円規模のため、中
競争の激化に加え、大企業の生産拠点や部品調達の
小企業が導入するにはハードルが高い。さらに、重
分散は、中小企業にとって受注の減少、さらに価格
油などを燃料とする場合、これまでの電気料金と比
競争の激化を招く恐れがある。電力不足に伴う大企
べればコスト負担が重い。
業の製造コスト上昇も、中小企業へのコストダウン
要請が強まる要因となろう。だが、そうした中で
電力不足の長期化がもたらす生産活動の制約とコ
も、各企業が震災時の復旧でみせた現場力を今後も
スト増
発揮していけば、活路は見出せるはずだ。県内製造
停止・点検中の原子力発電施設の再開の行方が不透
明な中、電力不足の問題は日本全体に拡がりつつある。
業が、復興そして成長に向けた歩みを着実に進める
ことに期待したい。
(荒澤・遠藤)
’
11.11
131
11月増刊号
October
2011
AREA RESEARCH CENTER
C
視 点
O
震災からの復興と今後の商工業の振興に向けて
北茨城市商工会 会長 今井 亨二 ………
133
N
T
論 説
E
六角堂の復興へ向けて
N
茨城大学 教育学部 教授、五浦美術文化研究所 副所長 小泉 晋弥 ………
134
T
S
調 査
がんばれ、北茨城!
∼震災後半年の復旧・復興の足どりとこれから∼
1
2
3
4
震災からの復旧・復興の状況
原発事故による経済的インパクトと産業面からみた復興の方向性
復興に向けた事業者の行動
北茨城の復興の方向性について考える
’
11.11
132
……… 142
視
点
震災からの復興と今後の
商工業の振興に向けて
北茨城市商工会 会長
今井 亨二
時の経過とは早いもので、3月11日に発生した東日本大震災から半年が経過致
しました。あらためて、被害に遭われた方々に、衷心よりお見舞申し上げます。
地震や津波が残した傷跡は深く、8月末時点で仮の住居にお住まいの方々は、196
世帯、約500名強にのぼります。会員事業所も多大の被災を受け、商工会館自体も多
額の補修工事を余儀なくされました。今なお続く原発事故放射能漏れの風評被害、
いや実害ともいえる影響は、水産加工業、宿泊・飲食店関連事業者を中心に依然と
して厳しいものがあり、復興を目指す私たちの前に大きく立ちはだかっています。
当商工会では、震災直後から、電気や水のない状況のもとでも会員事業所に対
する相談機能を維持してきました。市行政との連携により3月22日に開設した総
合相談窓口には、金融、経営、雇用など総件数で1,074件の相談が寄せられました。
いかに被害が大きく、経営者が将来に対して不安と戸惑いを覚えているかを痛切
に感じた次第です。震災関連融資斡旋は、8月末で累計141件、総申込金額19
億5千万円と復旧並びに損害の甚大さを物語っております。
この様な状況のもとで、当商工会では従前より実施している『人材育成事業』
に重点を置き、新たな復興再建の礎として推進して参ります。その一つである『も
のづくり担い手育成事業』では、地域の基幹製造技術の向上と新たな基盤技術の
人的資源開発を目指していきます。また、昨年から継続している『ふるさと雇用
再生事業』
も希望を持って前に進んでいく事業として展開致します。さらに、現在、
国に申請中である『無料職業紹介事業』が採択認可後には、バックアップ体制の
強化と充実を図れることを期待しています。
加えて、震災からの復旧・復興をテーマとした事業としては、ハザードマップ
を挿入した『飲食店関連マップ』を作成し、売上の回復の起爆剤とします。また、
昨年も好評だった『買物行商サービス事業』を震災の被災者を対象に実施し、買
物困難者対策として生活の手助けを図ります。いずれも県並びに市行政のご支援
が不可欠な事業です。
今後も、市行政と共に新生北茨城市の復興を図るべく新たな事業展開を検討協
議し、水産業、農業、商工業の連携を一層図り、会員事業所の一助になるよう役
職員一丸となって、邁進して参る所存であります。
’
11.11
133
六角堂の復興へ向けて
小泉 晋弥
茨城大学 教育学部 教授、五浦美術文化研究所 副所長 はじめに
た数名の来館者の避難誘導を確認した。その際、
3月11日の大震災と大津波は、東北から北関
大五浦の海が引き潮のように引いてしまって、
東の文化財へも甚大な被害をもたらした。特に
全く白波が立たない異様な状況だったのを目撃
茨城大学五浦美術文化研究所の六角堂は、今回
している。海は周囲の崖から崩落した土砂によ
の震災被害の最大の特徴である津波での流失と
り茶色だったという。やがて海全体が膨れ上がっ
いう事態となったため、さまざまなメディアで
てくるように見えたため、長屋門の入口付近に
報道され、文化財被災のシンボルとも受けとめ
避難していた来館者に津波を警告するために
られたようだ(朝日新聞等参照)
。そのためか、
戻った。
震災直後から筆者のもとには、日本各地の美術
その後、天心邸の様子を確認しようと切り通
館関係者、研究者はもとより、かつて五浦を案
しを降りていくと、すでに六角堂が見当たらず、
内したボストンのジャパン・ソサエティ関係者、
海の上に六角堂の一部とおぼしき物体が浮かん
インドの研究者などからもお見舞いの言葉や
でいるのに気がつき、写真に撮影している(写
メールが寄せられた。六角堂を失ったことによっ
真1)
。停電によって固定電話が不通となったた
て、そのイメージがさまざまな人々に広く浸透
め、他の係員が茨城県天心記念五浦美術館の入
していた掛け替えのないものだったのだという
口広場に設置してある公衆電話から大学本部へ
ことを、改めて思い知らされた。
六角堂流失を報告した。
本稿では、六角堂の被害の状況を概観し、岡
茨城大学調査団の報告書によれば、津波は地
倉天心の建設の意図を考察することでその存在
震から30分後の15時20 ∼ 25分頃に第一波が押し
意義を再確認し、復興計画の見通しを報告する
寄せた。六角堂脇の火災報知器が斜めに折れ曲
こととしたい。
がった様子(写真2)などから、六角堂はその
引き波で土台から引き離されて崩壊し、破片化
1.東日本大震災による五浦美術文化研究所
の被災状況
しながら沖へ流されていったと推定されている。
調査団は、六角堂の通路脇の石詰み壁の損壊状
3月11日の状況は、当日勤務の村山進管理人
と安藤寿男理学部教授(茨城大学東日本大震災
調査団地質災害グループ)の報告をもとに整理
すると次のような概略となる。
14時46分ごろ、村山管理人は天心邸内の清掃
を行っていた。そこへ地震が発生し、建物外へ
避難した。村山氏によれば立っているのがやっ
との状態で、目の前の天心邸玄関の廂を支える
柱が、束石からずれてブランコのように左右に
振れるのを茫然と眺めていたという。揺れが収
まってから敷地内を巡回して、当時入場してい
写真1
’
11.11
134
小泉 晋弥(こいずみ しんや)
昭和28年 福島県生まれ
昭和52年 東京芸術大学美術学部卒業
昭和55年 東京芸術大学大学院美術研究科修了
昭和59年 いわき市立美術館学芸員
平成2年 郡山市立美術館学芸員
平成8年より茨城大学教育学部助教授、
現在茨城大学教育学部教授、五浦美術文化研究所
副所長
【専門分野】
日本近代美術史、博物館学
著書等に『岡倉天心と五浦』
、『岡倉天心アルバム』
(中央公論美術出版)、
『斎藤芽生画集』
(美術年鑑社)
等
況や植生の痛みの状況から、六角堂での浸水高
に大きな亀裂が走っている。建物全体にゆがみ
を7.3mと推定している。調査時である4月6日
が生じたため、障子、襖などの建具が動かなく
午後2時の潮位と、3月11日15時30分の津波到
なっている。天心邸前の砂利道脇に設置してい
達時の潮位は、いずれも気象庁小名浜潮位基準
たベンチ2台が、海側に数mほど流され、崖際の
面+40cmとしている。その30分後、午後4時頃
柵にぶつかって止まっていた(写真3)
。大人の
にも津波の第二波が襲来しているという。
膝程度の高さでも、コンクリート足の200kg以上
天心邸付近では、北東側の海食崖から津波が
のベンチを押し流す、引き波のエネルギーの大
遡上し、天心邸、「亜細亜ハ一な里」石碑、池ま
きさが実感される。この平場の海面からの高さ
での敷地全体が浸水した。この付近の水位は旧
は10.2mであったため、天心邸での津波の遡上高
天心邸の南東側廊下の敷居まで達しており、平
は約10.7mと推定される。
場床からの浸水深は55cmだった(図1)。天心邸
六角堂は五浦海岸の大五浦(北側)と小五浦(南
は、一部の柱が束石から外れ、床の間脇の土壁
側)と呼ばれる太平洋に面した小さな入り江の
間に突き出た半島状の岩礁の高台に建っていた。
この奥まった内湾地形のために、太平洋から直
撃した津波は他の地域よりも到達高度が高まっ
て、茨城県で最も高い遡上高記録をここで記録
したと考えられる。
残された六角堂の基礎部分と床板は、平成元
年∼3年に茨城県による海岸線の補強工事の際
に補修されたものである。当時、長年の荒波で
波打ち際が削り取られ、六角堂を支える岩盤は
崩落の危機にあった。このとき六角堂の建物全
写真2
体を吊り上げて移動し、岩盤のひび割れをふさ
図1
写真3
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写真4
ぎ、土台を補強
と日本美術院を創設した。革新的な日本画を世
した(写真4)。
に送り出したが、その前衛性が当時の鑑賞界に
六角堂の周囲
受け入れられず危機的状況を迎えていた。そこ
の転落防止用の
で明治38年に日本美術院を再編成して、横山大
石詰み壁は、北
観、下村観山、菱田春草、木村武山を五浦に呼
側と南側でそれ
び寄せ、日本画の近代化を目指した美術活動を
ぞ れ 幅1.5メ ー
指導し、明治40年の文部省美術展覧会で復活を
トルほど崩落し
果した。これが日本美術院の「五浦時代」と呼
た。その他、長
ばれる画期であった。
屋門は、一部の
天心没後、昭和17年に財団法人岡倉天心偉績
柱と梁のあいだ
顕彰会が設立されて天心の遺族からこの地の管
に若干の隙間が
理を引き継いだ。戦後、天心偉績顕彰会理事長
見られる程度で、
となった横山大観は、しかるべき公的機関が管
被害は軽微であった。また天心記念館では、前
理すべきと考え、茨城大学に寄贈を申し出た。
年度に免震台を設置していたため、
《五浦釣人像》
昭和30(1955)年に、茨城大学に受け皿として、
の転倒は免れた。「亜細亜ハ一な里」の記念碑も
五浦美術研究所(後に五浦美術文化研究所と改
地震による倒壊を免れた。
称)が設立され、この地を管理することになった。
また、日本美術院研究所跡地の公園について
天心の愛娘米山高麗子がここで暮らしながら、
は、地震により石碑が建つ平地の奥で、園路の
茨城大学が管理するという条件だったようだ。
階段が10m以上に渡って崩落している。
当時、研究所の敷地内には長屋門、天心邸、六
角堂、土蔵が残っていた。昭和38(1963)年には、
2.茨城大学と六角堂
平櫛田中からの《五浦釣人》の寄贈を受けて、
「天
今回、さまざまな報道で六角堂の被害を知っ
心記念館」が建設され、それを機に、平櫛田中
て復興のための寄付を申し出られた方々の中に
作の《岡倉天心像》のほか、遺品、関連美術作
も、茨城大学の付属施設であることを意外とさ
品の寄贈が増加した。天心記念館には、それら
れる方が決して少なくない。六角堂が茨城大学
遺品の一部、天心の釣舟「龍王丸」などを展示
に移管された経緯を概観し、天心が六角堂に込
している。
めた意味について確認しておきたい。
平成9年には、日本美術院研究所跡の上部の
岡倉天心(本名覚三、1862 ∼ 1913)は、生涯
丘に茨城県天心記念五浦美術館が開館し、天心
の前半を文部官僚として近代日本の美術行政の
の墓所、大観の旧別荘と併せ、風景を楽しみな
確立に尽力し、若くして博物館部長、東京美術
がら日本文化史上の偉業をしのぶ人々も多数訪
学校(現東京芸術大学)校長の要職を兼務して
れている。
いた。しかし、明治31(1898)年にスキャンダ
ルにより職を辞して、賛同する仲間や教え子ら
そもそもなぜ天心はこの地に居を求めたのか。
明治36(1903)年5月、天心は、茨城県磯原町
’
11.11
136
出身の画家飛田周山の案内で、海岸の別荘を探
届けを提出しているところである。
し求めていた。福島県いわき市の沿岸にやって
きたが気に入らず、帰途立ち寄ったのが五浦だ
3.六角堂の意義
という。天心は、白砂青松の海岸線よりも、ダ
さて、六角堂という変わった建造物について
イナミックで変化に富んだ五浦の景観に魅了さ
は、長く天心が開扉した法隆寺の夢殿と結びつ
れ、早速土地を購入した。当初は「観浦楼」と
けて考えられてきたが、近年の研究(熊田由美
いう古い料亭を住居としていたが、明治38年に
子「六角堂の系譜と天心」
『岡倉天心と五浦』中
は、みずからの設計により邸宅を改築し六角堂
央公論美術出版)によって、新たな展望が開けた。
を建築した。当時の資料からは、当時の天心邸が、
それによれば、六角堂のイメージに天心は少な
風呂棟や離れ座敷を備えた建坪107坪の広大なも
くとも三つの意味を込めている。一つには亭子
のだったことがうかがえる。現在はその半分に
建築の思想、二つめは仏堂の思想、三つめに茶
縮小されている。前庭には、現在のような松の
室の思想である。
巨木は見られず、天心がボストンから持ち帰っ
亭子建築とは、中国の文人たちが自然と一体
た芝生が一面に広がるモダンな眺めだった。や
になって瞑想にふけるための小建築である。天
や離れた崖上には、大観の居宅を臨むことがで
心は中国調査旅行で、四川成都の杜甫旧居を訪
きた(写真5)。
れ感銘を受けている。そこには、住居から下っ
天心は、明治39年には、新潟県赤倉にも山の
て川に面した場所に草堂が立てられていた。天
別荘を設け、都会を離れた二つの拠点で文人的
心が訪れた頃には清代に再建された六角の東屋
な生活を実践することになった。赤倉の天心邸
があった。そこで詩想をはぐくみ、釣りを楽し
は腐朽してしまったため、明治時代に天心が実
んだ杜甫の境地に天心も憧れたに違いない。五
際に生活した建築物は、この五浦の六角堂、長
浦の六角堂のパノラマ的な窓の取り方は、園林
屋門、天心邸のみである。この3棟は、歴史的
亭子としての解放感を取り入れた工夫であった
景観として平成15年に登録文化財に認定されて
だろう。
いるが、六角堂については、現在文化庁に減失
六角堂の仏堂としての性格は、屋根の上の宝
珠と赤い色彩にはっきりと現れている。熊田氏
によれば、仏堂としての六角堂の伝統は、京都
の頂法寺に始まるという。聖徳太子の念持仏を
祀ったといういわれのある仏堂は、やがて町衆
の自治の拠点となり、戦乱の際には避難所とし
ての役割も持った。この流れで、岐阜の鹿苑寺
地蔵堂のような六角の辻堂が生まれたのだとい
う。さらに、六角堂が親鸞上人の浄土真宗と結
びついているという熊田氏の指摘は重要である。
写真5
親鸞が頂法寺六角堂に百日参籠した際、95日目
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137
に、聖徳太子が夢に現れ「行者宿報設女犯我成
心の一種の屈託のなさも、屋根を支える肘木や
玉女身被犯一生之間能荘厳臨終引導生極楽」(親
斗が菱形に押しつぶされているのをそのまま認
鸞の宿業である女犯の罪は、私が女性に変身し
めているところなどに感じられる。宮大工でも
たものとして許そう。一生輝かしく在らせ、臨
ない地元の大工の苦心の跡を天心は面白がった
終の際は極楽に導こう)という偈を下したのだ
だろうと思う。見るものによって感じ方が変わ
という。熱心な浄土真宗の仏教徒であり、しか
るあたりに六角堂が、つまりは天心が時代を超
も自身も女性関係での悩みが多かった天心が、
えて人をひきつける秘密があるのだろう。当の
このことを知らずに六角の仏堂を建てるはずは
天心は、これを「観瀾亭」と呼んでいたことが
ない。
解体修理の際に判明した。
「茲に明治参拾八年六
亭子や仏堂では考えられない床の間の存在が、
月吉辰常陸国大津町五浦の海に面して六角形観
茶室としての六角堂を表している。天心はおそ
瀾亭子壱宇を造立す主人天心居士大工平潟住小
らくここに絵画や書を掛け、目前の太平洋のパ
倉源蔵」という直筆の棟札が発見されたのだ。
「観
ノラマを眺めながら、中央の六角形の炉で湯を
瀾亭」は「大波を見る東屋」という意味だが、
沸かし茶をたしなんだだろう。天心がボストン
天心は一時も休まず動き続ける波を宇宙の原理
で『茶の本』を出版したのは明治39年だが、六
(道)にたとえていた。私たちも、変化してやま
角堂が完成したのは明治38年6月だから、『茶の
ないにも拘わらず確固として不変である宇宙の
本』と六角堂の構想は五浦とボストンを往復す
姿を確認する装置としての六角堂から世界を眺
る中ではぐくまれただろう。天心は六角堂でも
めるべきなのだ。
陸羽の『茶経』などをひもといたと考えられる。
さらに、最近年の安藤寿男(茨城大学理学部)
六角堂の床の間を観察すると、柱の側面に埋木
教授の研究が、新たな視点を開いてくれた。六
をした跡が見られた。それはちょうど他の窓面
角堂前の岩石を研究したところ、
「炭酸塩コンク
の上下の框の位置と一致している。おそらく当
リーション」という特殊な経過でできた鉱物で
初の予定では、そこも窓だったのではないかと
あることが判明したのだ。この地形は、はるか昔、
思う。
『茶の本』の構想が進むにつれて、六角堂
深海からメタンガスが吹き出していたのだとい
に茶室のイメージを重ねたのだとしたら、天心
う。その回りに微生物や貝などが密集して生息
が思想を具体化して表現する様子がうかがえて
していた。それらの生物由来の炭酸ガスが海中
面白い。
のカルシウムと反応して、天然のコンクリート
『茶の本』で天心は、芸術の価値は、結局見る
を形成したらしい。六角堂の建つ岩盤には、た
人間の感じ方なのだと主張している。天心が私
くさんの貝の化石が見られるのはその名残らし
たちに差し出した作品として六角堂を考えると、
い。また海中に林立する奇岩もその岩石だとい
抽象的で理詰めの側面とおおらかで開放的な側
う(写真6)。天心は、その光景に中国の文人庭
面が同居している。中国文人に通底する道教と
園に不可欠の太湖石を重ねて見たのではないだ
日本人の血に溶け込んだ仏教、さらに茶の芸術
ろうか。ここに亭子を建てれば弄せずして大庭
を重ねる思想の深さがまずある。だが同時に天
園が完成する。しかも安藤教授によれば、この
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11.11
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本美術院遺跡公園は上述のように、大きな崩落
により、現在も閉鎖されている。天心記念五浦
美術館は、浄化槽のダメージがひどく、その時
点では開館の見通しが立たない状態だった(現
在は11月1日に再開の予定)。茨城大学としては、
六角堂と天心邸は、遅くとも年度内復興という
方針を伝え、それぞれの立場で連携をとりあっ
て復興にあたることが確認された。
六角堂の復興はまず、6月6日、14日、20日
写真6
の三回にわたる付近の海底調査から開始された。
ような奇岩を観察できる場所は、国内で3ヶ所
しかし引き上げられたのは瓦と宝珠の破片のみ
しか存在しないという。五浦だけが海に面して
で、創建時をしのぶ柱、梁、桁の類いは発見で
いるらしい。
きなかった。ダイバーによると、六角堂の沖合
六角堂には、京都の頂法寺のような聖徳太子
は海底が砂地のため、潮の流れによって材木類
と親鸞ゆかりの仏堂の姿、『茶の本』のテーマで
は遠方まで流されたのだろうという。ただ、宝珠
ある茶室の姿が重ね合わされ、さらに杜甫の草
については、その瓦の材質から、創建時のもの
堂などに見られる中国の園林亭子の姿でもある
と推定される。また、三回目の調査時に、六角
ことが確認された。六角堂が荒々しい海と崖の
堂直下の海中から小さな水晶が発見された。
ぶつかり合う風景の要となることによって、五
7月7日、社団法人茨城県建築士協会が六角
浦の風景を一つの絵のようなパノラマに変えて
堂再建を支援してくれることとなり、茨城大学
いた。それが失われた現在、自然の姿のみが際
との合同再建会議が開催された。幸いに、火災
立っている。六角堂を再建する意義もここにあ
による消失を恐れて昨年度作成した実測図や過
るだろう。
去に実施された改修工事の際の図面等から、建
物の概要は把握可能であったが、実際の建築と
4.復興への見通し
なると詳細な実施設計図が必要であり、大学の
5月12日、茨城県天心記念五浦美術館におい
復旧そのもので手一杯の施設課の能力を超える
て、茨城大学、茨城県(天心記念五浦美術館)、
心配があった。それが茨城県建築士協会の全面
北茨城市、財団法人日本ナショナルトラスト、
的なご協力によって、建設のための実施設計図
天心偉績顕彰会の代表者による震災後初の意見
を作製していただけることになった。7月7日、
交換会が開催された。これらのメンバーは、長年、
20日、8月22日、9月13日と、構造の専門家、
五浦地区の施設の管理運営について意見交換を
伝統工法の技能継承者など多才な協力者の方々
行ってきたが、今回は被害状況と復興見通しの
と大学関係者の打ち合わせを重ねた結果、下記
確認がテーマとなった。日本ナショナルトラス
のような基本方針で六角堂復興を図ることに
トの管理する天心墓地は被害がなかったが、日
なった。
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(1)六角堂は明治38年の創建当初の姿の復元を
(6)土台は、当初の素朴な石積みの外見をとり
目指す。
ながら、耐震上充分な強度を確保する。
六角堂は大学に移管されてから、天心生誕百
昭和58年の修復時に貼り付けられた石を撤去
年を期した昭和38年の解体修理、昭和58年の基
したところ、当初の茨城産と推定される石灰質
礎部分の修理、平成元年∼3年にかけての護岸
砂岩の平詰みだったことが判明した。構造を検
修理時の補修と大きな改修が行われてきた。今
討しながら、当初の外観を復元する。また、土
回は、天心が建設した創建当初の姿を目指す。
台には免震用ゴムをかませる。
(2)瓦は、昭和38年の改修工事で桟瓦(9寸幅)
に葺き替えられたが、明治38年の本瓦(8寸
幅)で復元する。
(7)建物全体の彩色は、明治38年当時のベンガ
ラ彩色を研究して実施する。
(8)窓ガラスは、当時国産品では六角堂のサイ
(3)宝珠は、創建当初のものと推定されるが、
ズに対応できないことが分った。ボストンか
破損が激しいため、3Dスキャンにより当初の
らの輸入品だった可能性がある。当時の製法
形態を復元し焼成を行う。
による再現を試みる。
宝珠は、昭和33年の台風時に落下したらしい
という情報があり、内部の漆喰や焼成の具合も
以上の方針で11月着工、来年3月の竣工を目
それを裏付けている。現在、東京藝術大学彫刻
指して、現在実施設計図の作成作業に入ってい
保存学科の協力を得て、3Dスキャンで、破片を
る。六角堂が五浦地区の復興のシンボルとして、
再構成して復元模型を制作中である。宝珠を載
震災の一年後には、再び多くの方々の前に姿を
せていた露盤も昭和38年に新たに付け替えられ
見せることを目指したい。
たと考えられる。戦前の写真をもとに、当初の
姿で復元する。
(4)昭和38年の改修で変更された南側の出窓は、
5.六角堂復興がもたらすもの
先に述べたように、六角堂が失われた五浦の
記録等を検討して当初のものに戻す。
風景は、自然の景勝地に過ぎない。もちろんそ
過去の写真と昭和32年当時の図面からは、南
れで充分という声もあるだろう。しかし、およ
側の窓は、当初掃き出し窓のような状態であっ
そ百年前に岡倉天心がこの地に居を定めて以来、
たと推測される。
五浦は日本の近代文化の一種の聖地としての役
(5)昭和38年の改修で撤去された中央の六角形
割を果してきたのだ。それがあればこそ、日本
の炉を再現する。
美術院と仏像修復を行う美術院の人々が詣で、
過去に五浦の建築物を実証研究した後藤末吉
茨城県天心記念五浦美術館が開館し、多くの美
氏(元五浦美術文化研究所長)によると、戦前
術愛好者が訪れる場所となったのだ。それだけ
∼戦後に六角堂に立ち入った複数の人間が、中
ではない。茨城大学を訪れるインド人の研究者は、
央に六角形の炉が切ってあったと証言している。
ほぼ全員がこの六角堂の見学を望む。それは、
その中には、炉をまたいだという記憶があり、
天心と親交を結んだタゴールにちなんでのこと
それらを元に再現することとする。
だ。ここでは詳細に触れられなかったが、タゴー
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11.11
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ルがノーベル賞を受賞したアメリカ記念講演旅
来年にはクランクインして、年内の公開を目指
行で、日本に立ち寄り六角堂を訪れたのは偶然
している。撮影スタッフは、流失した六角堂に
ではない。また、天心が大の中国文化愛好者で、
代わってセットを組むプランを検討したという
ボストン美術館の中国コレクションの基礎を
が、今回の復興計画を知って、六角堂の建設そ
作ったこと、五浦の光景は中国文人の園林亭子
のものを映画の中に取り込むこととなって、急
そのものであることなどを伝えると、中国のテ
きょシナリオを変更している。海中捜索からは
レビ局スタッフは多いに関心を示した。今後、
じまって、着工、建設経過、竣工までの記録を
ますます深まる日本とアジアの交流を考えると
担当してくれることも決定した。その映像は、
き、「アジアはひとつ」というヴィジョンの先駆
茨城大学六角堂等復興基金への協力者へ御礼と
者である天心の遺跡は、茨城県にとっての重要
して配布することも検討している。
な資源の地位を失いはしないだろう。
さらに、今回流失した六角堂を復元する過程
また、去る9月5日、日本ジオパーク委員会
で、過去に六角堂が台風の被害にあったことな
から「茨城県北ジオパーク」が正式に認定され、
ど、これまで不明であった事柄を歴史的に検証
五浦の海岸は、地質学と文化が見事にクロスし
する大切さを思い知らされた。六角堂が復興す
た拠点地区として、重要な位置づけを今後担う
ればすべてが修了という訳ではない。平成23年
ことになった。早くから五浦地区の解説ボラン
の大震災と津波の被害を、何らかの形で後世に
ティアが活動していたが、今後はそれにジオパー
伝えることも、今回被害を受けた私たちの責務
クのインタープリターとしての役割も加わって、
と考えている。そのために、海中捜索によって
北茨城地区に新たな観光資源が生まれようとし
引き上げた品々や、復興までの記録を展示する
ている。
復興記念館の建設も視野に入れている。台風に
そして平成24(2012)年は、天心の生誕150年、
よって被害を受け、昭和58年に取り壊され、現
没後100年に当たる。その時期には、日本国内で
在土台だけが残された土蔵を復元して、そのた
の様々な展覧会や行事が企画されているが、茨
めの施設として活用することを検討している。
城大学が関わっているプロジェクトで最重要な
天心の記憶、日本の近代化の記憶、そして今回
ものは映画「天心」だろうと思う。岡倉天心の
の大震災の記憶を確認する場所として、六角堂
偉業を世間に伝え、イメージを共有してもらう
を含む茨城大学五浦美術文化研究所の再開を新
ために、映像の果す役割は大きいと思われる。
たな一歩としていきたい。
実行委員会特別顧問に茨城大学学長が名を連ね、
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141
がんばれ、北茨城!
調査
∼震災後半年の復旧・復興の足どりとこれから∼
北茨城市は、茨城県のなかでも東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故による被害が
大きい。そこで本号では、北茨城市の震災後半年の復旧・復興の足どりを確認するとともに、これ
からの復興の方向性について考えてみる。
1章では、震災からの復旧・復興の状況について、ファクトを整理した。2章では、北茨城市の
産業連関表を作成し、原発事故の経済的インパクトを試算するとともに、産業面からの復興の方向
性について考えた。3章では、市内の事業者が復興に向けてどのような考えのもとで行動している
のかを取材した。4章では、1 ∼ 3章を踏まえて、北茨城の復興の方向性について論じた。
1.震災からの復旧・復興の状況
本章では、まず、北茨城市における震災による被
家屋被害
害について、茨城県や北茨城市の公開データなどを
9月16日現在で、8,659件の被害が確認されてい
中心にファクトを確認する。次に、震災以降の市内
る。世帯数比でみると、約17千世帯のうち、50%を
の状況をヒアリングや記事データベースをもと
超える。市町村別にみると、件数、世帯比率ともに
に、産業、被災者の暮らし、行政の3つの側面から
上位にあることから被害の大きさがうかがえる。
時系列で整理し、それぞれが復旧・復興のいずれの
9月16日現在
段階にあるのかを確認する。
ファクトの整理
はじめに、北茨城市の被害の状況についてファク
全壊棟 半壊棟
一部
床上浸水 床下浸水
破損棟
合計
件数
370
1,742
5,986
419
142
8,659
世帯比(%)
2.18
10.27
35.28
2.47
0.84
51.04
件数の市町村順位
3
4
5
2
3
3
世帯比の市町村順位
1
3
3
2
2
2
トを整理する。
公共施設の被害
人的被害(死者・行方不明者)
文教施設:23 ヶ所、病院1ヶ所、道路416 ヶ所、
5名の方が亡くなり、1名の方が行方不明となっ
ている。市町村別でもっとも多い。
茨城県
北茨城市
死者
24名
5名
行方不明者
1名
1名
橋梁5ヶ所、河川18 ヶ所、港湾2ヶ所、清掃施設
2ヶ所が被害を受けた。
住民避難
平潟町
2名
大津町
2名
1名
磯原町
1名
避難所は3月11日に設置された。ピーク時の避難
者は、20 ヶ所の避難所に人口の10%超の5000人に
上った。うち、福島県からの避難者は277名で2つの
避難所を設置した。
5月11日に避難所は閉鎖された。
’
11.11
142
インフラ、ライフラインなどの復旧状況
成した。7月29日時点で139件が利用。
・市全域で電気が復旧したのは3月15日、水道は4
・被災者雇用として、市復興事業推進員を38名、大
月2日。
津漁協、大津加工組合委託として28名を雇用した。
・交通は、 JR常磐線(上野−いわき)が4月11日に
復旧・復興のどのステージにあるか
開通。常磐自動車道は3月21日にいわき中央ICま
ヒアリングや記事データベースをもとに、産業
で開通した。
(漁業・農業、観光)、暮らし、行政・公共という3
つの側面から現在の状況を確認していく。
市などの支援・助成策(抜粋)
・個人所有の建物を対象に、5月10日から倒壊家屋
第一に、漁業は一部操業が再開されてはいるもの
の取り壊しを市が無料で行っている。7月29日時
の、特定の魚種から暫定基準値を超える放射性物資
点で250件を取壊済み。
が検出されていることから、被害が続いている。ま
・市の住宅斡旋は、10戸の仮設住宅をはじめとし
た、観光も原発事故が収束しない限りは先が見えな
て、民間アパート借り上げ、公営住宅、市内で約
い。一方で、徐々に営業を再開するホテルも増えて
100部屋の空室があった雇用促進住宅などを手配
きている。映画「天心」の制作とあわせて、六角堂
した。
の再建の機運も醸成されつつある。また、茨城県北
が日本ジオパークに認定されるなど新たな話題も
・被災住宅の修繕工事費の助成を6月1日から開始
出てきた。
した。被災住宅修繕費の10%、最大で10万円を助
四時川
和尚山
平潟町被害状況
人的被害:死者2名
家屋被害:全壊72戸、半壊167戸、
一部損壊320戸、床上浸水2戸
花園溪谷
栄蔵室 花園山
花園神社
鷹巣山
平潟港
里根川
花園川
高帽山
馬飼牧場
水沼ダム
里根川
常
車
動
自
磐
道
五浦海岸
江戸上川
J
R
常
磐
線
花園川
木皿川
浸水範囲(青色の部分)
大津港駅
六角堂
大津港
北茨城市役所 二ツ島
北茨城IC
磯原工業団地
磯原駅
大津町被害状況
人的被害:死者2名、行方不明者1名
家屋被害:全壊110戸、半壊385戸、
一部損壊730戸、床上浸水178戸、
床下浸水29戸
大北川
大北溪谷
大北川
国道6号
塩田川
南中郷駅
磯原町被害状況
人的被害:死者1名
家屋被害:全壊93戸、半壊420戸、一部損壊1421戸、
床上浸水155戸、床下浸水47戸
北茨城市の全体図と浸水地域
(北茨城市、国土地理院資料より作成)
(平潟町、大津町、磯原町の被害状況は7月27日現在)
0
4km
’
11.11
143
第二に、被災者の生活支援という視点からは、仮
では災害対策本部が震災復興推進本部へと移行し
設住宅や雇用促進住宅での、新たなコミュニティをい
た。特に津波の被害が大きかった磯原、大津、平潟
かに形成していくかという課題に軸足が移っている。
を中心に、地域の再生に向けて住民の意向を確認し
第三に、行政の視点からは、6月21日に北茨城市
ながら、年内を目途に復興計画を策定する見通し。
産業
漁業・農業
3
月
被災者の暮らし
観光・文化財
ホウレンソウとカキナにつ
いて出荷を控えるよう要請
六角堂流失
大津漁協の4船団、まき網漁
を再開
4
月
行政、その他公共
避難所開設
災害対策本部設置、沿岸部に
避難指示
給水活動開始
避難指示解除
支援物資配布開始
総合相談窓口設置
北茨城沖で採取されたコウナ
ゴから食品衛生法の暫定基準
値を超える放射性セシウムが
検出
マウントあかねが営業再開
小中学校、幼稚園、都市公園
放射線量測定開始
来年の3月末まで市の臨時職
員として30名程度を雇用す
ると発表
平潟漁港、震災後はじめて出
漁
映画「天心」の製作者と実行
委員会メンバーが「六角堂」
再建を映画製作により支援
することを表明
北茨城市災害見舞金(慶弔
金)給付開始
国土交通大臣視察
応急仮設住宅入居開始
天皇皇后両陛下が北茨城市
をご訪問
コウナゴの出荷・販売自粛要
請
北茨城沖で採取されたコウナ
ゴから食品衛生法の暫定基準
値を超える放射性ヨウ素が検
出
コウナゴ以外の漁(底引き網
と小型船)が再開
大津漁港で震災後初の競り
被害からの復旧
北茨城沖で採取されたコウ
ナゴから食品衛生法の暫定
基準値を超える放射性セシ
ウムが検出
被害からの復旧
コウナゴ漁を再開しないこ
とを決定
避難所閉鎖
5
月
保育所(園)、児童施設放射
線量測定開始
「きたいばらき元気市」が開
催。7000人 を 超 え る 市 民 で
賑わう
6
月
北茨城市および高萩市産の
ホウレンソウの出荷制限の
指示が解除
天心記念五浦美術館が出前
授業や空教室を使った展覧
会などを行う「美術普及サ
ポートプログラム」を開始
被災証明書発行開始
茨城沿海地区漁業協同組合
連合会が、東京電力に対し約
10億円の損害賠償請求
茨城大学が海底調査を行い
六角堂の瓦や屋根の一部を
回収
災害対策本部から震災復興
推進本部へ移行
茨城県水産加工業協同組合
連合会が、東京電力に対し約
18憶5千万円の損害賠償請求
7
月
大津漁協女性部の有志が使
わなくなった漁網で巾着や
酒瓶を入れる袋の試作に挑
戦、販売を目指す
8
月
9
月
茨城大学と茨城県建築士会
が合同で六角堂再建に向け
て材料・工法の選定について
協議
被災者が多数入居する雇用
促進住宅で夏まつりが開
催。新しいコミュニティーづ
くりに向けて住民自らが動
き出す
震災復興計画策定委員会を
設置。磯原、大津、平潟の3
地区の再生に向けて本格的
に着手。
茨城県教育委員会は、天心記
念五浦美術館を11月1日に再
開すると発表
エゾイソアイナメ(ドンコ)
から暫定規制値を超える放
射性セシウムが検出
茨城県北が日本ジオパーク
に認定
底引き網漁の操業再開
底
被害継続
六角堂は復旧へ
観光は被害継続
新しいコミュニティーの
構築へ
’
11.11
144
復興へ
2.原発事故による経済的インパクトと産業面からみた復興の方向性
前章で見たように、地震、津波からの被害は復
るかである。
旧・復興が進みつつある。一方で、5ページの「視
漁業は、3月以降、大津、平潟ともに休漁が続い
点」でも指摘されているように、福島第一原子力発
ているものの、8月時点のヒアリングによれば大津
電所の事故が、市内の産業、特に観光業と漁業に与
漁港の基幹漁業である巻網船は津波の影響がほと
える負の影響は収束する兆しが見えない。
んどなく、八戸沖でイカ漁を行なっていることなど
そこで、本章では、2005年北茨城市産業連関表を
を考慮し70 ∼ 90%とした。
推計し、それをもとに、原発事故が市内の産業にど
飲食業は、宿泊業に比較すれば観光的要素が小さ
の程度の経済的インパクト(負の波及効果)を与え
いこと、飲食という性格上、需要の弾力性が宿泊業
ているのかを簡易的に試算する。
よりは小さいと想定できること、さらに、需要が大
また、推計した産業連関表にもとづき、北茨城市
きく減少したとしても原発事故が直接の要因なの
の産業構造を明らかにすることにより、産業面から
か判別がしにくいことから30 ∼ 50%とした。
見た復興の方向性について考える。
宿泊業は、大津や平潟での観光客はほぼゼロとい
う声が聞かれているものの、一部に発電所の復旧要
原発事故による経済的インパクト(負の波及効果)
員の宿泊需要があったことから70 ∼ 90%とした。
は48 ∼ 64億円(図表2-1)
以上を前提すると、北茨城市内の産業への負の波及
漁業、飲食業、宿泊業の市内産業への負の波及効
効果は、漁業が15 ∼ 20億円、飲食業が7 ∼ 12億円、
果を推計する際、重要なファクターとなるのが震災
宿泊業が25 ∼ 32億円、合計で48 ∼ 64億円程度と推
から9月までの需要(生産)の減少率をどう設定す
計される。
図表2-1 推計した2005年北茨城市産業連関表からの試算(単位:百万円)
漁業
飲食業
宿泊業
市内生産額(A)
3,626
3,361
4,951
期間按分(B)=(A)×6.5/12
3月中旬から9月までの6.5月分
1,964
1,821
2,682
70 ∼ 90%
30 ∼ 50%
70 ∼ 90%
1,375 ∼ 1,768
546 ∼ 911
1,877 ∼ 2,414
1.135
1.361
1.342
1,561 ∼ 2,007
743 ∼ 1,240
2,519 ∼ 3,240
※
減少率の仮定(C)
減少額(D)=(B)×(C)
波及乗数:逆行列係数表の列和(E)
市内産業への負の波及効果(F)=(D)×(E)
合計:
(F)の漁業+飲食業+宿泊業
4,823 ∼ 6,487
市内総生産額(GDP)比
(96-08年の平均値:157,453)
3.1 ∼ 4.1%
予算比
(2010年度普通会計当初予算:14,597)
33 ∼ 44%
※(C)の値はヒアリング等をもとに仮定した。
ここでの試算は需要減少によって生じる生産減少波及効果を指す。
’
11.11
145
この数値は、北茨城市内総生産額の96 ∼ 08年の
額に占める割合)は54%、付加価値額は1,649億円、
平均値1,574億円の約3.1 ∼ 4.1%程度、また2010年度
付加価値率は46%である。中間投入の構成比をみる
普通会計当初予算額145億円の33∼44%程度となる。
と、財の投入が75%、サービスの投入が25%と、茨
この試算は9月までの期間で推計していること
城県と比較すると財が9ポイント高く、サービスが
から、10月以降、原発事故が収束に向かわない限
9ポイン低い。また市内生産の構成もサービスが10
り、さらに大きくなる。
ポイント低いことから、相対的に経済のサービス化
が進んでいないことがうかがえる。
北茨城市経済の財・サービスの流れ(図表2-2)
第二に、需要面をみると、財・サービスの総需要
産業連関表から見た北茨城市経済の循環構造を
額は5,677億円で、うち原材料として市内で使用さ
概観する。
れる中間需要は1,983億円、総需要に対する比率は
第一に供給面からみると、2005年の北茨城市の
35%である。最終需要は3,694億円、同65%で、最
財・サービスの総供給は5,677億円で、うち市内生
終需要の内訳は、市内最終需要が1,864億円、移輸
産額が3,632億円(総供給に占める割合は64%)
、移
出が1,830億円である。市内最終需要の構成比は、
輸入は2,045億円(同36%)である。市内生産額の
消費が76%、投資が24%である。総需要や最終需要
投入・費用構成をみると、生産に用いられた原材料
の構成は、おおむね茨城県と同水準である。
等の中間投入が1,983億円、中間投入率(市内生産
図表 2-2 2005 年北茨城市産業連関表からみた財・サービスの流れ
(単位:億円、
%は比率、カッコ内の数値は茨城県のもの)
中間投入
1,983
財の投入
1,477
75%(66%)
粗付加価値
54%(52%)
1,649
サービスの投入
雇用者所得
506
25%
(34%)
46%(48%)
営業余剰
781
47%(47%)
354
21%(22%)
資本金減耗引当
352
21%(19%)
市内生産
3,632
財の生産
2,203
60%
(50%)
サービスの生産
1,429
40%(50%)
移輸入
市内生産 64%(70%)
総供給
5,677
総需要
5,677
2,045
36%(30%)
中間需要 35%(37%)
最終需要 65%(63%)3,694
移輸出
市内最終需要 50%(50%)
市内最終需要
消費
1,420
76%
(75%)
1,864
投資
444
24%(25%)
’
11.11
146
1,830
50%(50%)
その他
162
10%
(12%)
北茨城市の産業構造(図表2-3)
業が大きい。
全国、茨城県、北茨城市の産業連関表(35部門に
第二次産業は構成比が64.0%、特化係数が1.60
筆者が改変)をもとに、北茨城市の産業構造の特徴
と、茨城県の1.43をさらに上回っている。特に、非
を生産額の産業別構成と特化係数からみる。
鉄金属や化学製品など、市内の工業団地などに立地
第一次産業は、構成比が1.8%、特化係数が1.35と
する工場が属する産業が目立つ。
全国に比べて大きい。内訳をみると、茨城県が農林
一方で、第三次産業は、構成比が34.1%、特化係
業のウェイトが大きいのに対して、北茨城市では漁
数が0.58と、茨城県の0.69をも下回っている。
図表2-3 生産額、構成比、特化係数[35部門]
特化係数が 1 未満を青色表記
単位:百万円
全国
生産額
農林業
茨城県
構成比
生産額
構成比
北茨城市
特化係数
生産額
構成比
特化係数
11,544,407
1.19%
459,856
1.83%
1.54
2,998
0.83%
0.69
漁業
1,610,168
0.17%
21,709
0.09%
0.52
3,626
1.00%
6.03
鉱業
1,008,381
0.10%
25,750
0.10%
0.99
0
0.00%
0.00
飲食料品
35,889,350
3.69%
1,655,085
6.57%
1.78
10,062
2.77%
0.75
繊維製品
4,374,791
0.45%
60,912
0.24%
0.54
4,384
1.21%
2.68
1.93
パルプ・紙・木製品
12,829,560
1.32%
367,465
1.46%
1.11
9,240
2.54%
化学製品
27,486,950
2.83%
1,687,603
6.70%
2.37
60,730
16.72%
5.91
石油・石炭製品
16,920,170
1.74%
795,849
3.16%
1.82
1,761
0.48%
0.28
0.69
窯業・土石製品
7,155,929
0.74%
336,111
1.33%
1.81
1,856
0.51%
25,314,030
2.60%
1,766,652
7.01%
2.69
8,186
2.25%
0.87
非鉄金属
7,330,007
0.75%
592,686
2.35%
3.12
51,045
14.05%
18.63
金属製品
12,484,448
1.28%
609,679
2.42%
1.88
9,242
2.54%
1.98
一般機械
30,378,490
3.13%
1,530,323
6.08%
1.94
13,347
3.67%
1.18
電気機械
15,832,089
1.63%
756,070
3.00%
1.84
7,719
2.12%
1.30
情報・通信機器
11,011,624
1.13%
131,380
0.52%
0.46
296
0.08%
0.07
電子部品
16,211,756
1.67%
319,716
1.27%
0.76
7,946
2.19%
1.31
輸送機械
53,016,318
5.45%
285,132
1.13%
0.21
5,354
1.47%
0.27
精密機械
3,722,693
0.38%
164,500
0.65%
1.71
0
0.00%
0.00
25,594,848
2.63%
1,105,405
4.39%
1.67
22,506
6.20%
2.35
鉄鋼
その他の製造工業製品
建設
63,237,324
6.51%
1,473,133
5.85%
0.90
17,368
4.78%
0.73
電力・ガス・熱供給業
18,677,166
1.92%
761,152
3.02%
1.57
1,032
0.28%
0.15
水道・廃棄物処理
8,306,471
0.85%
195,903
0.78%
0.91
3,947
1.09%
1.27
106,274,512
10.93%
1,376,244
5.46%
0.50
17,890
4.92%
0.45
金融・保険
41,586,785
4.28%
658,947
2.62%
0.61
5,141
1.42%
0.33
不動産
66,205,935
6.81%
1,376,604
5.47%
0.80
22,921
6.31%
0.93
運輸
50,744,400
5.22%
1,005,841
3.99%
0.76
12,156
3.35%
0.64
情報通信
45,935,957
4.73%
494,724
1.96%
0.42
2,001
0.55%
0.12
公務
38,537,877
3.96%
971,306
3.86%
0.97
16,904
4.65%
1.17
教育・研究
36,293,178
3.73%
1,100,370
4.37%
1.17
6,646
1.83%
0.49
医療・保健・社会保障・介護
50,211,397
5.17%
937,148
3.72%
0.72
13,108
3.61%
0.70
5,030,634
0.52%
61,218
0.24%
0.47
542
0.15%
0.29
対事業所サービス
63,749,150
6.56%
979,428
3.89%
0.59
6,283
1.73%
0.26
対個人サービス
52,022,009
5.35%
983,300
3.90%
0.73
14,942
4.11%
0.77
事務用品
1,517,809
0.16%
37,875
0.15%
0.96
559
0.15%
0.99
分類不明
3,968,019
0.41%
103,315
0.41%
1.00
1,526
0.42%
1.03
972,014,632
100.00%
25,188,391
100.00%
363,265
100.00%
商業
その他の公共サービス
産業計
第 1 次産業
13,154,575
1.35%
481,565
1.91%
1.41
6,623
1.82%
1.35
第 2 次産業
389,993,733
40.12%
14,462,478
57.42%
1.43
232,634
64.04%
1.60
第 3 次産業
568,866,324
58.52%
10,244,348
40.67%
0.69
124,008
34.14%
0.58
※特化係数とは、産業構造がどの分野に偏っているかを表すもの。茨城県、北茨城市の各産業の構成比を、全国の構成比で除したものである。
’
11.11
147
全体としてみると、北茨城の産業構造は、工業団
2軸で分類して特徴をみていく。
地などに立地している一部の製造業を除いて、基盤
全体としてみると、全産業のうち65%が中間投入
主力産業といえるものは見当たらない。漁業も特化
物として退化的であり、低付加価値産業に分類され
係数は高いものの、構成比が1.0%にとどまってい
ている。
る。第三次産業は、公務の1.17を除いて、特化係数
マトリックス別にみると、拡大的中間投入・高付
が小さいのが目立つ。今後、復旧・復興の過程にお
加価値型の産業には加工型の製造業が目立つ。一方
いて市民の生活機能を重視するのならば、商業、教
で、投入退化的・低付加価値型は、全体の過半数の
育・研究、医療・保健・社会保障・介護、対個人サー
産業が該当している。商業、医療・保険、介護、宿
ビスなどの産業を振興する余地は大きいと考えら
泊、その他の対個人サービス業などの非製造業・内
れる。
需系産業の大半がこのグループに属している。
すなわち、工業団地などに立地している製造業は
産業別の特徴(図表2-4)
茨城県全体と比較しても付加価値の高い生産を行
産業連関表をもとに、北茨城市の各産業が、茨城
なっているにもかかわらず、経済循環としてその果
県と比較して、中間投入物として「拡大的か、退化
実を域内に取り込めておらず、市内のサービス産業
的か」、
「高付加価値生産か、低付加価値生産か」の
などへの波及の度合いが弱いことがうかがえる。
図表2-4 茨城県と比較して、「中間投入物として拡大的か退化的か」、
「高付加価値生産か低付加価値生産か」による産業別分類
茨城県と比較して投入物として退化的
茨
城
県
と
比
較
し
て
高
付
加
価
値
生
産
茨
城
県
と
比
較
し
て
低
付
加
価
値
生
産
茨城県と比較して拡大的に中間投入
耕種農業
半導体素子・集積回路
畜産
その他の電子部品
石炭・原油・天然ガス
自動車部品・同付属品
食料品
石炭製品
鋼材
鋳鍛造品
その他の鉄鋼製品
一般産業機械
特殊産業機械
その他の一般機械器具及び部品
事務用・サービス用機器
産業用電機機器
通信機械・同関連機器
金属鉱物
非金属鉱物
無機化学工業製品
石油製品
その他の金属製品
電力
自動車・機械修理
飲食店
事務用品
分類不明
林業
繊維工業製品
衣服・その他の繊維既製品
製材・木製品
家具・装備品
パルプ・紙・板紙・加工紙
石油化学基礎製品
有機化学工業製品
合成樹脂
医薬品
化学最終製品(除医薬品)
プラスチック製品
ゴム製品
ガラス・ガラス製品
その他の窯業・土石製品
非鉄金属製錬・精製
非鉄金属加工製品
その他の電気機器
船舶・同修理
その他の製造工業製品
再生資源回収・加工処理
建設補修
水道
廃棄物処理
商業
金融・保険
不動産仲介及び賃貸
鉄道輸送
道路輸送(除く自家輸送)
自家輸送
貨物運送取扱
運輸付帯サービス
通信
情報サービス
映像・文字情報制作
医療・保健
その他の公共サービス
物品賃貸サービス
その他の対事業所サービス
洗濯・理容・美容・浴場業
その他の対個人サービス
※ RAS 法と呼ばれる収束計算により推計した。
’
11.11
148
漁業
飲料
印刷・製版・製本
セメント・セメント製品
陶磁器
建設・建築用金属製品
公務
教育
娯楽サービス
雇用の誘発は内需系産業が大きい(図表2-5)
まとめ:産業面からみた復興の方向性
最後に、産業と雇用との関係について、雇用誘発
1. 北茨城市の基盤産業といえるのは、工業団地
係数をもとにみていく。
に立地している製造業くらいしか見当たらな
影響力係数、感応度係数ともに、上位にあるの
い。しかし、グローバルな市場で行動する製
は、介護、商業、洗濯・理容・美容・浴場業、飲食
造業を地域の側が能動的に振興する手段は限
店、医療・保健、宿泊業、不動産などの内需系産業
定的である。むしろ、付加価値の高い製造業
が目立つ。
の果実をいかに地域に循環させるかという視
産業のサービス化が相対的に遅れている北茨城
点が重要。
市では、今後の高齢化の進展とも相俟ってサービス
2. 市民の生活基盤、生活機能を充実させる観点
産業のニーズは相対的に高まっていくとみられ
からは、商業、教育、医療・保健、介護など
る。サービス産業を供給面から充実させていくこと
のサービス業の振興を図る余地は大きい。
は、労働需要の創出とも整合的であることを示唆し
3. 北茨城市の高齢化率は茨城県平均よりも高い
ている。
ことから、医療・保健、介護、対個人サービ
スの充実は、安心して北茨城に住みたいとい
図表2‐5 北茨城市の雇用誘発係数
産業別の影響力係数と感応度係数の関係
うニーズとも整合的。
4. 製造業のほかに、
「外貨」を稼ぐ産業として想
4
商業
縦
軸
:
感
応 3
度
係
数
介護
定される宿泊業(観光業)は、茨城県全体と
比較すると付加価値が低い。生産性の向上や
イノベーションの余地があると思われる。
洗濯・理容・美容・浴場業
不動産
5. 上記2∼4で述べた産業は、雇用誘発の面か
飲食店
2
らも優位性があることから、産業政策だけで
医療・保健
宿泊業
はなく雇用対策としても有効。
横軸:影響力係数
1
0
1
0
2
3
4
横軸:影響力係数:ある部門(産業)に対する最終需
要が1単位だけ発生した場合に、産業全体に与える相
対的な影響力の度合を表す。
縦軸:感応度係数:各部門(産業)に対してそれぞれ
1単位の最終需要が発生した場合に、どの部門が相対
的にどれくらい影響を受けるかという度合を表す。
5
以上のような問題意識をもちながら、次章では北
茨城市内の事業者が震災からの復興にむけてどの
ような行動をとっているのかを取材した。
’
11.11
149
3.復興に向けた事業者の行動
北茨城市にとって、観光業は重要な産業である。震災により、観光拠点が直接の被害を受けたり、震災後の
自粛ムードのなか来訪者が減少するなど、観光業への影響は計り知れない。そうした状況のもと観光業に携わ
る事業者は、いかにして震災を乗り越え、これからの事業を立て直していこうと考えているのだろうか。二ツ
島観光ホテルの取り組みを取り上げてみよう。
お客様の声援が、再開を後押し
株式会社二ツ島観光ホテル 専務取締役 田口敬一さん
北茨城市の磯原海岸北部には、大小2つの岩石か
建物被害は甚大、しかし人的被害はゼロ
らなる二ツ島があった。大きな岩に茂っていた草木
地震は、甚大な物的被害をもたらした。宴会場の
は今回の震災で崩落し、小さな岩は海中に没してし
半分が冠水し、厨房設備や食器も損壊した。使えな
まった。この二ツ島の目の前に立つ二ツ島観光ホテ
くなった食器やタオルなど、トラックで48台分を廃
ルは、二ツ島を望む幻想的な景色と、新鮮さにこだ
棄、後片付けに6人で1週間ほど掛かった。建物に
わる地魚を使った自慢の料理で人気が高く、リピー
も影響があり、その修復にも莫大は費用が掛かって
ターも多い。
しまった。震災の直後は、あまりの被害の惨状を目
宿のシンボルでもある二ツ島の被害に加え、ホテ
ルにも大きな被害を受けた二ツ島観光ホテルは、大
の当たりにして、ホテルの営業を続けることはでき
ないとも考えたそうだ。
変な苦労を乗り越えて、営業再開を果たした。それ
幸い、お客様や従業員のけがなどの被害はゼロで
を後押ししたのは、これまで訪れてくれたお客様か
あった。通常、お客様は午後2時頃からチェックイ
らの声援であった。
ンし始める。しかし、地震当日は予約で満室なが
ら、地震発生時刻には、まだお客様は来館していな
かった。そのため、お客様に被害が及ぶことは避け
られた。また、従業員も被害を免れた。
お客様の声に後押しされて
このホテルでは都内からのリピータのお客様が
多く、なかには、年に6回も宿泊に訪れる方もい
る。震災後、そうしたお客様から多くの電話や、お
見舞いが届いたそうだ。こうしたお客様から、営業
の再開を希望する声が届き、田口さんは大いに勇気
づけられたという。ホテル再開に向けて行動を起こ
すことができたのは、こうしたお客様からの声援が
あったからだと田口さんは考えている。
震災前後の二ツ島
復旧に向けた工事は、建物、水道、左官、ガスな
’
11.11
150
どすべて北茨城市内の業者にお願いした。これによ
単なる復興ではなく、革新を目指して
り、ホテルの復旧もさることながら、地元業者の仕
二ツ島観光ホテルは、旅行予約オンラインサイト
事にもつながると考えたからである。8月12日まで
のお客様評価ランキングで、茨城の1位を獲得する
に復旧工事を終え、営業再開にめどをつけることが
ほど評判が高い。特に料理の魅力を認める口コミが
できた。9月1日からは、お食事処の営業を再開
多い。常磐産の水産物を中心に、素材の良さを活か
し、宿泊も10月から営業の目処が立った。
した料理が評価されたと考えている。しかし、福島
原発事故の影響で、常磐産へのお客様の懸念も無視
できない。今後は、品質を軸に各地から食材を選
び、単に伝統的な日本料理だけにこだわらず、若い
人の発想、様々な分野の調理技法を取り入れなが
ら、常に革新につとめることを重視していく。
また、地元の二ツ島観光ホテル、としまや、山海
館、磯原シーサイドホテルの4つの旅館・ホテルで
構成している磯原温泉旅館組合の結束を強化し、北
9月1日からお食事処が営業再開 左が田口専務
茨城市の観光による復興を期していきたいと考え
ている。
茨城県天心記念五浦美術館は震災により建物の外側にある設備などが大きく損傷し、長期間の休館を余儀な
くされているものの、11月1日の再開にむけて着実に復旧している。休館中は
「お客さまが来館できなければ、
美術館から積極的に外に出向こう」という発想の転換により、震災前よりも高い密度で地域との関わりを深め
ている。震災の被害がどれほど大きかったのか、休館中にどのような取り組みをしているのかについて、吉川
館長に伺った。
震災をきっかけに地域との関わりを深める
茨城県天心記念五浦美術館 館長 吉川常英さん
震災による被害と復旧の状況
茨城県天心記念五浦美術館は、東日本大震災によ
リング調査まで必要になったことが大きい。
被害総額は約1億5千万円にもおよび、新たな予
る被害により10月までの長期間にわたって休館を
余儀なくされている。
美術館の建物の被害は軽微で、展示作品も無事
だったものの、美術館の建物の外にある設備などに
大きな被害を受けた。
駐車場下に埋設されている浄化槽に亀裂が入り
使えない状態になったこと、さらに、エントランス
ホールへのアプローチ道や敷地内散策のための遊
歩道など、各所に地割れや地盤沈下が起こり、ボー
11月1日の再開にむけて、本格的に復旧工事が始まる
’
11.11
151
算措置を講じなければ復旧できない状態になった。
全体として、震災をきっかけにして、地域と美術
復旧工事に伴う業務は美術館における日常業務
館との関わり合いが深まっている。さらに、ここで
の範疇外のこともあり慎重に対応することなどの
関わった人たちが、美術館を身近に感じ、新しい
事情も重なった。
ファンとして再開後に来館してくれることを期待
している。
美術館が外に飛び出す
美術館の休館中は、「お客さまが来館できないな
らば、美術館からお客さまのところへ出向こう」と
いう発想で行動している。
学芸員は、これまでも講座や講演会の開催などで
対外的な活動も行なってきたが、震災により館内で
の仕事が減少したのを好機として、以前にも増し
て、積極的に地域との関わりを深めることになった。
具体的には、第一に、「美術普及サポートプログ
ラム」を実施した。
美術普及サポートプログラムの様子
「出前授業」では、小中学校などに出向いて日本
画の鑑賞方法を教えたり、実際に手を動かすワーク
ショップを行なっている。
当館が企画制作した「日本画トランク」という館
11月1日の再開を地域の起爆剤に
再開日が11月1日に決まったことで美術館職員
の士気も上がっている。
外貸出用の教材キットを使い、児童・生徒に日本画
再開最初の企画展は「没後70年 木村武山の芸
に対する興味・関心を持ってもらうことが狙いである。
術」で、笠間に生まれ日本画の近代化を推し進めた
出前授業は、学校の先生と協力しながら進めてい
木村武山の初期から晩年までの代表作約70点を展
くが、美術教育に慣れていない学校の先生が二の足
示するこれまでにない大規模な展覧会である。忘れ
を踏むことがある。そこで、先生方の研修会に出向
かけた郷土作家の作品を通して芸術に対する理解
き、日本美術を肌で体感していただく機会も設けて
を深めてもらうと同時に、美術館の再開を地域の起
いる。その他に、学校の美術部を対象にする講座を
爆剤と位置づけたい。
開くなど、受講者の属性に応じてプログラムの内容
をきめ細かく設定した。
予算が削減されていく中で、単に作品を展示し来
館者を待っているという受け身の態度では、これか
らの美術館「経営」は務まらない。
第二に、「我が家に眠る日本画活用相談会」を開
催した。
敷居が低く、分かりやすい展覧会構成、作家の言
葉や思いをダイレクトに伝える展示、子供たちに興
「飾ってあった額が落ちてしまったので修復が必
味・関心を持ってもらう仕掛けや工夫を考える一
要か」、
「地震のあとに我が家の絵を見たら画面に亀
方、ファミリー向けの広報などにも力を入れていく
裂が入っていた」など、一般の方々からの美術品の
必要がある。また、美術館だけでなく、周辺の自然
保管や修復に関する質問を学芸員が解決する。7月
環境も魅力の一つとしてPRしていきたい。
30、31日と8月27、28日の2期にわたり県北生涯学
習センターで開催した。
’
11.11
152
福島第一原子力発電所の事故の影響により、この夏の北茨城市内の観光産業は厳しい状況に陥った。この問
題に対して、個々の事業者が自らの手で打開策を講じるのは不可能であり、速効性のある対応策も見出しにくい。
一方で、少し長い時間軸でみると、北茨城の新しい観光資源や地場産業を育てようという動きが震災前から
続いている。原発事故が収束しない限り前向きな行動が取りにくいなかで、事業者は何ができるのか。今年2
月に茨城県郷土工芸品に選ばれた「五浦天心焼」の普及・振興の取り組みについて注目した。
五浦天心焼を北茨城の新しい観光資源へ育てる
天心焼研究会 会長 浅野健治さん(陶芸家)(左)
事務局 武子能久さん(魚の宿まるみつ 支配人)(右)
北茨城での窯業の歴史は古く、1728年(享保13年)
興を目指そうと動きだした。北茨城市にゆかりの深
の文献に記述がみられる。笠間焼よりも50年ほど前
い岡倉天心にちなんで、今では「五浦天心焼」とし
に、北茨城で陶器が作られていることになる。ただ
て商品化を実現している。
し、この地域は天領、水戸藩、棚倉藩などの領地が
2009年からは、武子能久さんや陶芸家の浅野健治
入り組んでいたことから統一した産地が形成され
さんをはじめとする7人の窯元たちでつくる「天心
なかった。
焼研究会」が主体となって、地域の伝統文化の継承
その後、近代から現代にかけて、北茨城の窯業は
を目指している。
瓦や植木鉢、陶管などの工業用陶器の産地として発
天心焼研究会の活動の成果として、2011年2月
展したものの、昭和後期にかけて縮小期を迎えた。
に、五浦天心焼は茨城県郷土工芸品に指定された。
北茨城の窯業の独自性に加えて、これまでに行なっ
蛙目粘土の特徴
てきた普及活動や技術継承をはじめとする品質保
この地域で産出されるのは、蛙目粘土(がいろめ
持、新たな製品開発への姿勢が評価された結果だ。
ねんど)と言われる。蛙目粘土は、いわきから日立
ところが、茨城県郷土工芸品への指定の次のス
に至る常磐炭層の下にあり、湿ったこの粘土に光を
テップとして五浦天心焼をどのように売り出そうか
当てると石英の粒がカエルの目が光るように見え
と考えていた矢先に、震災と原発事故が発生した。
ることから蛙目という名前がついた。
蛙目粘土は、一般的な陶芸用粘土に比べて、きめ
が細かく表面が美しく仕上がり、成形時の磨きをか
けると良い光沢が得られること、乾燥収縮が大き
五浦天心焼のこれからの振興の方向性
第一に、焼き物の産地が沢山あるなかで、いかに
五浦天心焼を差別化できるか。
く、ロクロ成形では薄手の製品など小物に適してい
陶芸家の浅野健治さんは、鮫肌(さめはだ)釉を
ること、酸化焼成と還元焼成の中間で赤みの火色を
用いることで、五浦天心焼の独特の質感を表現しよ
呈すること、素地に含まれている鉄分の含有量が約
うとしている。「現在の作陶の技術を使えば、類似
3%と他産地より多いことなど、全国的にみても珍
した風合いを表現することは可能です。しかし、そ
しい性質を持っている。
れでは伝統技術の継承とは言えません。文献等の資
料がないために、オリジナルの風合いを再現するに
五浦天心焼が茨城県郷土工芸品に指定
1994年、北茨城市商工会は、工業技術センター窯
は、採掘された陶片などを参考にしながら、試行錯
誤を繰り返すしかないのです」と話してくれた。
業指導所などの協力を得ながら、北茨城の窯業の再
’
11.11
153
浅野健治さんの作品。鮫肌の独特の質感が特徴。
浅野さんが試作した刻印。六角堂にちなんで断面が六角形になっ
ている。
第二に、どのように販売していくか。
伝統技術に固執しすぎて従来の技法を追求する
だけでは、お客様の満足は得られない。消費者に売
れる陶器をつくらなければ、作陶活動も持続できな
い。そのためには、デザイン、焼き方、意匠、マー
ケティングなど、消費者の目線にたった工夫をする
ことが求められている。
陶器のデザインや用途は、作家だけの発想では限
界があるので、異分野の人たちと交流することで常
に革新性を意識する必要がある。
武子さんと浅野さんは、五浦天心焼の基準を満た
五浦天心焼の作品は、各作家のギャラリーのほかに「郷土物産セ
ンターてんごころ」で販売されている。
また、市内で行われるイベントなどで紹介されている。
した陶器には刻印をつけて、一目で「五浦天心焼」
であると分かるようにすることも考えている。
今後、六角堂の再建や映画「天心」の制作・上映
など、社会の耳目が集まる機会を活用して、五浦天
心焼の普及宣伝に力を入れていく。
原発事故がいつ収束し、観光客がいつ北茨城に
戻ってきてくれるかは分からない。しかし、何もし
ないでその時を待つのではなく、今だからこそでき
る着実な取り組みが復興につながっていく。
「郷土物産センターてんごころ」の店内
’
11.11
154
老年人口割合が25%超と県平均の22%を上回る北茨城市では、高齢者の生活をどのように支援していくか
が課題となっている。昨年度、北茨城市商工会は「お買い物代行・行商サービス事業」を試行して、需要がど
の程度あるのか、時間帯や場所などにどのような特徴があるかなどの分析を行なっている。加えて、震災後は、
被災者への生活支援の役割も付加された。一方で、行商や配達などのサービスがきちんと収益を確保し持続可
能なものなのかという疑問もつきまとう。
そこで、市内で独自に配達サービスを行なっている事業者にその内容と意義を聞いた。なお、ここでいう「配
達」とは特定の客の注文を受けて運搬して行くサービスを指し、
「行商」とは顧客のいそうな地域で、商品を運
搬しながら販売する方法のことをいう。
人助けの使命感が支える配達サービス
山野辺商店 山野辺洋子さん
山野辺商店は、洋子さんの夫が3代目の店主で、
につくる。その他に必要なものは前回の配達時に依
北茨城市華川町の茨城県道10号線沿いに店を構え
頼されるか、または配達の前日までに電話で連絡が
ている。今は、事実上、洋子さんが店の切り盛りを
ある。
している。
配達には午後2時20分ごろに洋子さん自らが軽
北茨城が炭鉱の街として栄えていた昭和40年代
貨物車を運転して出掛ける。配達エリアは、火曜日
には、周辺の炭鉱住宅の住民を主なお客さんとし
は馬飼(まかい)地区、木曜日は水沼地区と決まっ
て、食料品や日用品を販売していた。洋子さんが嫁
ている。いずれも店から車で10分程度の距離であ
いできた昭和40年当時は炭鉱とともにお店の商売
る。お客さんは延べ10人くらいで、一人暮らしのお
は繁盛したものの、炭鉱が閉山して数十年経過した
年寄りが多い。
現在では、周辺住民の高齢化も進み、近隣の顔見知
りの住民が利用している程度である。
1回の配達での販売金額は、1人あたり7∼8千
確かに、現在は、単にモノを売るという商店とし
円と、店頭での販売では考えられないほど高く、注
ての機能は低下したかもしれない。しかし、話しを
文されたものを販売するので商品のロスがなく効
聞く中で、もう一つ、別の役割も見えてきた。
率がいい。しかし、手間がかかり、決して儲かるも
花園溪谷
花園山
栄蔵室
里根川
配達サービスをはじめて30年以上
水沼地区
高帽山
代前半くらいと、洋子さん自身の記憶も定かでない
水沼ダム
馬飼地区
浄蓮寺溪谷
ほど前から、少なくとも30年は行なっている。きっ
かけは、店頭での販売が振るわなくなったことと、
常
磐
自
動
車
道
九ノ崎
大津港駅
江戸上川
J
R
常
磐
線
山野辺商店
お客さんから依頼されたこと。
花園川
現在の配達日は、火曜日と木曜日の週2回。配達
二ッ島
北茨城市役所
磯原海岸
北茨城IC
磯原工業団地
天妃山
木皿川
する品目は惣菜や揚げ物などが中心で、野菜はお客
さんが自分の畑で作っているので配達のニーズは
なく、ハム、惣菜、ポテトサラダなどの注文が多い。
鵜ノ子岬
里根川
配達を始めたのは、昭和40年代後半から昭和50年
大北川
大北溪谷
0
大北川
磯原駅
国道6号
4km
前日のうちに決めたメニューを配達日の午前中
’
11.11
塩田川
南中郷駅
155
五浦温泉
鵜島の鼻
のではない。これまでとは異なる場所に行くように
お願いされても、体力や時間の制約から新しいルー
トを作るのは現実的には難しい。いま配達している
場所に別のお客さんが来てくれるような仕組みに
なればやりやすい。
夕方はおしゃべりに花が咲く
配達先のお客さんとお茶を飲んでおしゃべりを
して4時前にお店に帰ってきたあとも、洋子さんに
は大事な「仕事」が待っている。
山野辺商店には夕方になると、近所のお年寄りた
ちが集まり、ちょっとしたコミュニケーションの場
になっている。買い物ついでにおしゃべりするとい
翌日つくるメニューをメモ書きしている。
この日はスパゲティ、ポテトサラダなど。
うよりは、おしゃべりのために店に集っているよう
に見える。
「配達から帰り、夕方から、おじいさん、おばあ
さんの相手をするのは、疲れてうっとおしくて仕方
ないよ」そう憎まれ口を叩きながら満面の笑みを浮
かべる姿は、買い物の足のない高齢者への人助け
と、近所のお年寄りの集まるお店を切り盛りするこ
とを楽しんでいるようだった。
「頼まれているうちは、やらないとね」素朴な使
命感が彼女の行動を支えている。
夕方になると、近所のお客さんが店に集まり、
「井戸端会議」が
はじまる。奥が山野辺洋子さん。
北茨城市で通所介護施設を運営するNPOウィラブ北茨城では、高齢者のみならず、障がい者、障がい児も対
象として生活をサポートする活動を行っている。その経験を活かしながら、震災後の被災者支援、避難した住民
コミュニティの再構築などに取り組んでいる。
地域が居場所・エイジング・イン・プレイスの実現を目指す
特定非営利活動法人ウィラブ北茨城 代表 高松志津夫さん
介護保険を超えた在宅福祉サービスを提供
ウィラブ北茨城は、介護保険制度の枠組みでは高
障がい児、障がい者に対して、介護保険制度の範疇
を超えた在宅福祉サービスを提供している。
齢者の尊厳を保ちながらその生活を支えていくこ
活動は介護のみにとどまらず、事務所所在地であ
とはできない、との思いから設立された。『困った
る北茨城市の地域づくり、地域の福祉拠点づくりに
ときはおたがいさま』を会の理念に据え、高齢者や
も及ぶ。
’
11.11
156
現在の事業所である「あじさいの杜あやとり」
息の長い支援と自立促進
は、高齢者を対象とする通所介護事業所としてス
現在、集会所の活用は、盛り上がりの後の内省の
タート、会の理念に則って、次第に地域との関わり
時を迎えている。長期にわたる復興に向けて、活動
を深めながら、子供、障がい児、障がい者も対象と
を継続できるのかという不安、被災住民のなかに見
するごちゃ混ぜ福祉の拠点として地域のなかに溶
え隠れする「あれも・これもやって」という避難所
け込む活動を展開している。
心理をどうやって解消していくか。じっくり時間を
かけながら、自立を促す介護の経験が生きるところ
震災直後の対応
でもある。
震災直後は、ライフラインの分断などに伴いデイ
サービスセンター「あじさいの杜あやとり」の事業
地域が居場所・エイジング・イン・プレイスの
運営を一時停止し、近隣の高齢者やその家族を受け
実現
入れた。また北茨城市の被害状況を、画像とともに
エイジング・イン・プレイス、今住んでいる場所
全国のボランティア団体などに配信した。これに対
で年老いていく。ウィラブ北茨城は、従来からこれ
して全国からは支援物資が寄せられ、市内の介護事
に取り組んできた。震災により、あらためてこの考
業所や、避難所に対して提供することができた。
えに共感する人も出てきている。その実現に向け
て、一歩ずつ進んでいきたい。
集会所を利用したコミュニティ再構築
北茨城市では、津波により約250世帯が被害を受
けた。そのうちの約100世帯は、空いていた雇用促
進住宅に入居することとなったが、世代も旧住所も
ばらばらで、全く面識のない住宅地が形成された。
住民は避難所での共同生活から逃れ、やっとプラ
イバシーを確保できた。すると、近隣の住民同士で
挨拶もしない、互いに知らんぷり、という異様な光
景が見られた。そこで、住民同士のつながりを確保
するため、集会場を核に住民同士が語り合ったり、
コンサートを開く、温泉に旅する、夏祭り等を仕掛
けた。こうしたことで住民同士のコミュニティ構築
を促してきた。
避難による転居と、それに伴うコミュニティの再
構築は、今後、東北各地でも問題となるだろう。そ
の先鞭をつける取り組みといえる。
集会所での夏遊会の様子
’
11.11
157
4.北茨城の復興の方向性について考える
「復旧」を、壊れた物や乱れたものがもとの状態
産業振興の方向性
に戻ること、「復興」を、一度衰えたものが再び勢
産業振興に取り組む際には、1.基盤産業は 何
いを取り戻すことと定義すれば、新しい北茨城は、
か、2.域外から所得を得ることができる産業を地
単に震災前の姿に「復旧」させるだけではなく、高
域が能動的に育成できるか、3.地域内の経済循環
齢者が増加する社会にフィットした「復興」を目指
の形成は可能か、という視点が重要と考えられる。
す必要があるだろう。
以上の点に即して北茨城市の産業をみると、現状、
北茨城市の人口予測をみると、2020年には2010年
基盤産業と言えるのは製造業しか見当たらない。し
比で総人口が約10%減少する一方で、老年人口、特
かし、製造業はグローバルな市場で行動しており、
に75歳以上人口は10%以上増加する。
地域の側が主体的に働きかけることは難しい。企業
北茨城市の人口の見通し(資料:社人研)
(単位:人、%)
2010 年
2015 年
2020 年
2025 年
総人口
47,368
44,980
42,377
39,741
年少人口
5,810
4,769
3,976
3,430
生産年齢人口
29,266
26,630
23,663
21,138
老年人口
12,292
13,582
14,740
15,174
75 歳以上人口
6,549
7,001
7,443
8,415
総人口指数
100.0
95.0
89.5
83.9
年少人口割合
12.3
10.6
9.4
8.6
生産年齢人口割合
61.8
59.2
55.8
53.2
老年人口割合
25.9
30.2
34.8
38.2
75 歳以上人口割合
13.8
15.6
17.6
21.2
の立地行動が国際化するなかで、新たな企業立地に
も期待しにくくなっている。長い目でみれば、別の
基幹産業も育てるべきだろう。
域外から所得を獲得できる産業として観光業(宿
泊業)が想定しうる。しかし、2章の産業連関分析
によれば、北茨城の観光業は茨城県平均より付加価
値の面で劣後している。二ツ島観光ホテルのよう
に、単なる復興ではなく、絶えず革新していく姿勢
が求められるのではないか。
こうした社会を維持するためには、どのような産
地域内の経済循環の観点からは、サービス産業の
業を育てていけばいいのか。短期的な事象にとどま
育成が急務であろう。市内産業のサービス化が遅れ
らず、長期の視点が求められる。以下では「長期と
ているからこそ、高齢者が増加する社会のニーズに
短期」、
「産業と暮らし」という二つの軸から問題提
マッチした供給サイドの振興が必要と言える。
起し、北茨城の方向性について考えていきたい。
原発問題に対抗する短期的な解は見当たらない
取材では「原発事故が収束しない限り、全く先が
想定される課題
産業
長
期
・製造業に加えて、他の
基盤産業の育成
読めず、やる気も起きない」という声をよく耳にし
暮らし
・高齢化への対応
・生活機能の拡充
・防災
た。確かに、個々の事業者が原発問題に真正面から
対抗する手段は見当たらない。
筆者は、現在、北茨城市の観光業や漁業が置かれ
ている環境は、2008年のリーマン・ショック直後に
・サービス産業化
製造業が直面した「需要の蒸発」に似ていると考え
ている。当時の経営者は、人材教育や生産工程の見
短 ・原発問題への対応
期
・被災者のコミュニティ
の形成
直しなど平時ではしたくても手が回らないことに
力を注ぎ、次のチャンスに備えた。北茨城の観光業
’
11.11
158
や漁業でも同じ発想に立てないだろうか。
ありそうだと分かっていても、各論になると上手く
五浦天心焼の観光資源化への取り組みや、五浦美
いかないことも多い。まずは、最小限の公的な資金
術館の休館中における地域とのコミュニケーショ
を活用して市場を作り出すことからはじめ、試行錯
ンの強化は、すぐに目に見える形で効果や見返りが
誤を重ねながら、細かいノウハウを蓄積する方が早
あるとは言えない。しかし閉塞感が漂うなかでは、
道ではないだろうか。
「動く」ことで人と人との間に摩擦を起こすことこ
そ、今、必要なことだろう。
公平性を重視せざる得ない行政の行動に制約が
あるならば、細かいところまで目の行き届くNPO
二ツ島観光ホテルへの取材中、営業再開の問い合
などの実務家に思い切って任せるといった対応を
わせが経営者の携帯電話にひっきりなしにかかって
考えてもよい。北茨城に限らず被災地共通の課題と
きた。お客さまは見捨てるどころか、情報を欲しがっ
してソリューションを提供することも可能だろう。
ているのだと実感できた。原発事故が収束しないな
外貨を稼ぐ
かで、個々の事業者がリアルタイムで切れ目のない
情報や自らの考えを、ソーシャルメディアなどを通
製造業
観光業
じて発信していく余地は大きいと思われる。
産業
コミュニティは防災と高齢者支援を軸に
震災直後の初期対応では、自衛隊が捜索活動に当
たっていたために、支援物資の配布などに手が回ら
雇用
サービス業
生活支援産業
医療・福祉
経済の循環
雇用の創出
なかった。それを代替したのが行政と市民であっ
た。普段から両者の間に良好な関係が築かれていた
すみやすい街
からこそ、緊急時でもうまく機能したという声を聞
いた。通信手段に制約があり指揮命令系統も不十分
コミュニティー
ななかで、誰に頼まれるのでもなく、市民が自分の
地域の魅力
できる役割を果たしたという。
これは震災時の単なる美談にとどまらず、高齢者
向け配達サービスや高齢者福祉、被災者支援のケー
被災地復興のモデルケースへ
スでも同様だ。すなわち、対価や見返りの報酬を過
高齢社会に整合した産業の育成が雇用の創出と
分に求めない市民の行動は、突き詰めれば、北茨城
ともに地域の経済循環を生み出し、防災と高齢者支
を良くしたい、北茨城に住み続けたいという素朴で
援を軸としたコミュニティの創出が住みやすい
小さい使命感によるものといえる。
街、安全な街につながれば、それは復興のモデル
震災を契機として、こうした善意を束ねることで
コミュニティを強くしてはどうだろう。
ケースと言えるはずだ。
「震災や津波はつらい経験だったけど、それを
きっかけに街がよくなっていった」
高齢者・被災者への生活支援は、市場をつくる
ところから
北茨城は、10年後にそう思わせる被災地復興のモ
デルケースを目指してはどうだろうか。
高齢者や被災者支援のサービスは、総論で需要が
(粕田・萩原)
’
11.11
159
11月増刊号
November
2011
AREA RESEARCH CENTER
C
視 点
O
地域コミュニティ再生といばらきの活力
大好き いばらき 県民会議 会長
茨城県知事
橋本 昌 ……… 161
N
T
論 説
E
開かれたコミュニティづくりで地域社会の再建・発展を
N
法政大学法学部 教授 名和田 是彦 ………
162
T
S
調 査
地域コミュニティ再生といばらきの活力
∼地域の安心・安全と活性化に向けて
第1章
第2章
第3章
第4章
地域コミュニティを取り巻く環境の変化と住民の意識
市町村アンケートからみる地域コミュニティの現状・課題
県内外における地域コミュニティの活動事例
地域コミュニティの再生に向けて
’
11.11
160
…………… 170
視
点
地域コミュニティ再生と
いばらきの活力
大好き いばらき 県民会議 会長
茨城県知事
橋本 昌
東日本大震災により被害を受けられた多くの皆様に心からお見舞いを申し上げ
ます。
この度の震災では、
「絆」という言葉が、家族や地域などをめぐる重要なキーワー
ドとなりました。また、世界各国からは、日本人の団結心と冷静沈着な行動力、
家族や地域が心を一つにして協力する姿が高く賞賛されました。
かつての日本の地域社会では、ご近所の住民同士が強い絆で結ばれ、お互いに
助け合い、支え合い、地域の秩序が保たれる中、高齢者や子供たちを守り、地域
の環境を保全するなど、様々な場面で地域コミュニティが重要な役割を担ってき
ました。
しかし、近年の急速な少子高齢化や都市化の進展などによりライフスタイルや
意識が変化し、地域における連帯意識や公共心が希薄化するなど、コミュニティ
の機能低下が懸念されております。
このため、本県では、平成7年に「大好き いばらき 県民会議」を立ち上げ、誰
もが生まれて良かった、住んで良かったといえる茨城づくりを目指して、県民・
企業・団体・行政が手をつないで支えあい、様々な地域活動を発展させていくため、
「大好き いばらき 県民運動」を推進してきました。
さらに、平成16年からは、コミュニティが本来持つ住民意識と機能を再生し、
活性化させるため「ご近所の底力再生事業」などに取り組み、自治会・町内会を
はじめ、500を超える団体への支援を行ってきた結果、福祉、環境保全、防犯・防
災など様々な分野で活発な地域活動が行われるようになってきました。
震災からの復興をはじめ、地域の抱える多くの課題に対応していくためには、
「自
分たちの地域は自分たちで良くしていこう」という主体的な取り組みがますます
重要になってまいります。本県には自治会・町内会などの地縁組織が約1万4千
あり、北海道に次いで全国第2位の高い組織数となっております。
このような本県の特色を最大限に活かしながら、今年度スタートした「新しい
公共支援事業」の活用などにより、今後とも、地域の自主的な取り組みを一層活
性化し、地域の絆の再生と人々の支え合いによる活気のある社会の実現を目指し
てまいりたいと考えております。
’
11.11
161
開かれたコミュニティづくりで地域社会の再建・発展を
名和田 是彦
法政大学法学部 教授 東日本大震災は、我々研究者にとっても大き
な出来事であった。あまり語られないように思
であったように思うが、今回は日本人の規律に
対して手放しの賛嘆が表明されたのである。
うが、実は震災後多くの研究者がやや落ち込ん
もちろん被災地の秩序も完璧であったはずは
だようである。もちろん日本列島に定住する一
ない。避難所での口論やちょっとした争いなど
市民として、これは大変なことが起きた、何か
はある。また津波で流された無人の地を歩きな
できることをしていかなければならない、とい
がら金庫を探す不埒な者もいたと聞く。しかし、
う気持ちになったのは当然であるが、研究者と
暴動や略奪のようなものは全くなかったのであ
しては、自分が今まで長きにわたって研究して
る。
きたことが、今回の震災で試された気がしたの
なぜであろうか?なぜ被災地の人たちは、限
である。自分の研究によって今回の大事件に何
界状況の中でこれほどまでに秩序だった行動を
か有意味な発言ができるのか、課題を突き付け
とれたのであろうか?
られた思いであった。
それにはおそらくいろいろな要因があるだろ
特に私は地域コミュニティを研究しており、今
うし、いろいろな説明が可能なのであろう。コ
回も震災復興の一つの鍵がコミュニティにある
ミュニティ論の研究者としての私は、とりあえ
と言われているのであるから、なおさらであった。
ず次のような仮説を持った。
本稿は、震災とその復興の問題を主題とする
日本は、明治の大合併、昭和の大合併、更に
ものではないが、以上のような関心のもとに、
は平成の大合併を経て、基礎的自治体(市町村)
現時点で改めて地域コミュニティの現状を考え、
の規模がかなり大きなものになっている。集落
今後の日本社会における方向性を探るものであ
や小学校区(連合自治会とか「区」とかいわれ
る。限られた紙数の中で論点をある程度網羅し
る区域もだいたい小学校区規模である)といっ
ようとしたので、具体的な事例のようなものは
た通常「コミュニティ」の語で念頭に置かれて
あまり盛り込むことができなかった。その点分
いる区域は、もはやその領域を制度的に画定さ
かりにくくなっているかとは思うが、本誌掲載
れてはいないし、法人格も持っていないし、条
の他の記事や論稿でイメージをふくらませなが
例制定権も課税権も持っていない、つまり制度
ら読んでいただければ幸いである。
的には無なのである。だから、そこには固有の
秩序があるようには見えない。そして今回の大
1.制度化されない民間自治組織としての地
域コミュニティ
震災後悶々と考える中で、私が着目したのは、
被災地の地域社会が比較的秩序立っており、諸
震災では、制度上の秩序形成者(いわゆる「政府」)
である自治体(地方政府)の多くが壊滅的な打
撃を受けたのである。だから、秩序はもはや維
持できないように見える。
外国がこれに対して驚嘆の声を上げているとい
しかし、事実はそうではない。公的な制度上
う事実であった。満員電車に整然と列をなして
の枠組はなくとも、集落も小学校区も、自治会・
乗り込む日本人たちの秩序に対して、諸外国の
町内会(単位自治会・町内会と連合自治会・町
反応は、常に何らかの揶揄・皮肉を含んだもの
内会)をはじめとする民間自治組織によって秩
’
11.11
162
名和田 是彦(なわた よしひこ)
【専攻】
法社会学、公共哲学、コミュニティ論
【略歴】
1955年山口県生まれ。
東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学
研究科博士課程単位取得退学。
横浜市立大学、東京都立大学を経て、2005年4月
から法政大学法学部教授。
1993年から1995年、アレクサンダー・フォン・フ
ンボルト財団の給費留学生としてドイツ・ブレー
メン市で住民参加に関する実態を研究、その後も
しばしばドイツを訪れる。
横浜市を中心にコミュ二ティと住民参加の実態を
研究するとともに、自らも市民活動団体「まちづく
りフォーラム港南」の代表として、
「港南台タウン
カフェ」を舞台にまちづくり活動を実践している。
第29次地方制度調査委員会委員、総務省地域力創
造に関する有識者会議委員、総務省新しいコミュ
ニティのあり方に関する研究会座長、横浜市地域
福祉計画策定推進委員会委員、同市地域まちづく
り推進委員会委員、などを務める。
【主な著書】
『コミュニティの法理論』
(創文社、1998年)、
『コミュ
ニティの自治』
(編著、日本評論社、2009年)など。
序づけられており、避難所にも、この秩序が、
で、身近な地域社会を秩序づけてきた民間自治
そのままの形で、あるいは(集落のまとまりが
組織(自治会・町内会)はしかし、現在危機に
バラバラになって避難した場合は)薄められた
あるように思われる。
形で、持ち込まれたのである。
高度経済成長を通じて工業化・都市化した結果、
公的な制度ではないが、市民社会が築いた地
自治会・町内会の加入率は都市部を中心に長期
域の秩序が震災以前からしっかりと存在し、震災
低落傾向を示し、しかも今世紀に入ってさらに
後の人々の行動をも秩序づけたのであり、中央
低下のペースが速まっているようである。
政府の目を覆うばかりのドタバタ劇にもかかわ
加入率は自治会・町内会の命といってよい。
らず、庁舎が倒壊したり首長をはじめとする幹
地方自治体は法律上の制度によって様々な権
部が不幸に遭うなどの困難な中で献身的にがん
限を与えられており、法人格を持って独自の行
ばった地方自治体とともに、民間自治組織によ
為主体として社会的に認められ、運営のために
る地域社会の秩序が機能したのである。
必要な資源は課税権を持って調達でき、守るべ
こうして見ると、震災という大事件の中にも、
きルールは条例を制定してつくることができる。
これまでの地域コミュニティを巡る基本的な構
ところが、民間組織である自治会・町内会は、
造が規定的なものとして作用していることがわ
これを当該地域の住民たちの合意に基づいてゼ
かる。日本社会では、度重なる合併によって制
ロからつくらなければならないのである。すべ
度の外に放置された地域コミュニティが、民間
ては、当該地域の住民みんなが合意したという
自治組織として強固に存在し、人々が必要とす
ことから出発する。合意して会員になったから
る公共サービスを組織し、地域が遭遇する様々
こそ、会費を集めて財政を構成でき、会則や総
な課題について地域の合意形成を行なってきた
会の議決や役員会の決定によって必要なルール
のである。
を設定できるのである。もし当該地域の住民の
震災復興にせよ、少子高齢化その他の今後の
中に会員でない人がいれば、その人にはつくら
問題への対応にせよ、地域コミュニティがこれ
れたルールの効力が及ばず、また(街路灯など
までの基盤の上に立って機能していくことが、
を考えればすぐにわかるように)会員によって
これから日本列島に住み続ける人たちにとって
つくられた財政に何ら貢献しないにもかかわら
決定的な条件の一つである。
ず、提供されている公共サービスの恩恵に浴す
ることができてしまう。自治会・町内会の力と
2.地域社会の再編とコミュニティの制度化
権威は、すべての住民を会員にしていることか
法律によって制度化された地域的まとまりで
ら生じており、加入率が100%でないことになる
ある地方自治体が合併によって大規模化する中
と、その加入率低下に比例して力と権威が低下
’
11.11
163
するのである。
ここに、自治会・町内会で活動しておられる
方々のご苦労もあり危機感もある。
くらいのエリアに、自治会・町内会を主軸にし
つつ、当該地域の諸団体や活動者に参加しても
らう新しいコミュニティ組織をつくる、という
ではどうしたらよいか?
仕組みがコミュニティ政策の一つの重要な軸と
以下においては、もちろん即効性のある処方
なったといってよい。2004年には地方自治法改
箋など示せるはずもないが、これまでに試みら
正によって「地域自治区」制度という法律上の
れている実践の中から方向性を探ってみよう。
仕組みもできたし、全国の自治体の中には、自
治基本条例制定の取組みとも関連して、独自の
3.コミュニティの再制度化としてのコミュ
ニティ政策
条例を制定し、こうした新しいコミュニティの
仕組みを試みるところも多い。
既に述べたように、自治会・町内会の加入率
このような仕組みを通じて、地域社会の中の
が低下し、地域コミュニティの活力低下が始まっ
すべての活動力を集め、地域コミュニティを活
た大きなきっかけは、まずは経済の高度成長で
性化しようとしているのである。
あった。個人所得の増大と行政サービスの増大は、
たしかに地域の側からすると、なぜ自治会・
いずれもそれまで地域で共同して組織していた
町内会の屋上屋のような組織を作るのかという
公共サービス(道普請や旅行会など)を不要な
不信ないし不満が方々で聞かれる。しかし、客
ものにした。道路事業は行政が一元的に行なう
観的には、バブル崩壊後の1990年代以降の不況
ところとなり、旅行は個人が自前で行くのが普
と財政危機という新しい日本社会の局面、さら
通になった。前者は、地域が組織していた公共
には東日本大震災後の危機の局面を乗り切るた
サービスが行政サービスに転化した事例であり、
めには、地域社会の力を一段と引き出すことが
後者は、各個人が市場で購入する私的サービス
求められており、十分に地域で話し合い、合意
に転化した事例である。
を形成して、やはり新しい態勢をつくっていく
とはいえ、自治会・町内会が不要になったわ
べきだと考える。つまり、地域住民全員を会員
けではない。この時期に最盛期を迎えたヨーロッ
にするという民間的ソリューションが限界に来
パの高福祉高負担福祉国家とは違って、日本で
ている以上、あらためて公的な制度の力を使っ
はすべての公共サービスを行政が提供するよう
て地域住民全員を当事者にする必要があるので
にはならず、身近で軽易な(しかし重要な)公
ある。
共サービスは、自治会・町内会をはじめとする
民間組織が依然として行なっていたのである。
4.市民社会を元気にする試みと「開かれた
コミュニティ」づくり
そこで、高度成長期の終わり頃になると、地
域コミュニティを活性化するようなコミュニ
ティ政策が行なわれるようになった。その経過
や中身についてここで述べる余裕はないが、基
本的には、連合自治会・町内会ないし小学校区
(1)地域コミュニティにおける「参加」と「協働」
しかし、新しいコミュニティ組織をつくって
も、仏つくって魂入れずでは意味がない。
この仕組みを活用して、地域コミュニティの
’
11.11
164
活性化に向かっていかなければならない。
決定を民主的なものにしようとする理念である
この仕組みの狙いは多面的である。中でも、地
のに対して、
「協働」は、かくして決定された方
域の総意を集め、当該地域なりの合意を形成す
針の実行にかかわる概念である。実行即ち公共
る民主的な話し合いの場としての意味は重要で
サービスの提供行為が、行政だけでは不足して
あると考える。合併の結果、身近な地域社会が
いるので、民間の様々な主体もまたこれを担っ
地方自治体としての地位を奪われ、民主的に選
ていくべきだということを提唱している政策理
挙された代表者を失ったため、長らく地域コミュ
念である。
ニティにはこうした民主的な話し合いと意思決
この意味で、「参加」は1960年代から自治体政
定の場がなかった。もちろんこの空白を埋めた
治のキーワードであったが、
「協働」の方は、バ
のは自治会・町内会であったが、加入率が低下
ブル経済崩壊後の不況と財政危機の産物である。
するに応じてこの機能は十分とはいえなくなっ
現に「協働」という言葉がこれほど耳にタコが
てきた。
できるほど氾濫し始めたのは、1990年代である。
この機能は、全国で策定が相次いでいる自治
不況は全体として個人所得の低下を結果したか
基本条例でよく使われている言葉でいえば「参
ら、多くの人にとって公共サービスを生活上の
加」にあたるものである。すなわち「参加」とは、
頼りにする度合いが増したはずであるが、とこ
合併で大規模化して市民から遠くなった自治体
ろが公共サービスの提供主体の大手である行政
において、現在の困難を乗り切るために、あら
は、財政危機のため求められるだけのサービス
ためて市民の声が自治体政治に届きやすくし、
を組織できない。かといって増税もなかなか国
自治体の意思決定を民主的なものにすべきであ
民的コンセンサスが得られない。そこで民間の
る、という理念である。このための制度的工夫
側の公共サービスを提供できる力(これがしば
はたくさんある(情報の公開、議会の改革と活
しば「新しい公共」といわれるものである)を
性化、様々な直接請求の制度の整備など)が、
発掘し、不足を補おうというわけである。この
地域コミュニティの制度化もその一つであり、
場合の民間側の力の中には、営利企業もあるし、
自治体全体に一つしかない民主的代表機関(首
非営利組織(NPO)もあるが、地域コミュニティ
長と議会)だけではなく、身近なところに話し
も大いに期待されているのである。
合いの場を設けて、市民の声を届きやすくする
ものである。
しかしここで取り上げたいのは、この「参加」
すると、地域コミュニティは今やよくいわれ
る「安上がり行政」の一翼を担うことを期待さ
れているということになる。日本国民が政治的
と並んで自治基本条例において重要な理念とさ
に増税に応じないのであれば、それも致し方な
れている「協働」である。
い、ということになるのであろう。これは一国
「協働」という言葉を、おそらく読者はこの十
の進路選択として受け止めるほかない。だが、
数年間自治体政策の現場で耳にタコができるほ
私の見るところ、
「協働」には、これ以上の理念
ど聞いていることであろう。上記の「参加」が
的意味がある。
意思決定にかかわる概念であり、自治体の意思
’
11.11
165
(2)協働事業に見る市民社会の活性化
今やいわゆる協働事業提案制度など協働型の
事業は、様々な工夫を凝らして多くの自治体で
花盛りである。
行政」というか財政削減は、やはりそれはそれ
で重要ではあるが、協働の理念的な意味は、市
民社会の活性化にある。
「協働」や「市民社会」の重視は、日本よりも
その中には、これまでに述べてきた地域コミュ
国民負担が多くしたがって行政サービスが充実
ニティの新しい仕組みを舞台としたものも多い。
しているヨーロッパ福祉国家においても、実は
このコミュニティ組織に、使途をあらかじめ縛
進行している政策傾向であるが、それを提唱し
らない交付金を一括して渡し、地域で有効に使っ
たドイツ連邦議会のある報告書は次のように
てもらう、という仕組みが多くの自治体で行な
言っている。
われている。交付金の額は様々で、時に一地域
あたり数百万円にものぼることもある。
「社会政策の質を巡る議論においては、市民活
動は、もはや財政的に賄えなくなったサービス
この、税金を原資とするお金の使い方を議会
の代替物ではなく、その固有の生産性を発揮し
に替わって決めるのは、地域コミュニティに与
て、介護、青年への援助、児童福祉や学校の質
えられた「参加」の機能である。一方、このお
の改善をもたらすものだ。よく、社会国家の諸
金を使って実際に汗をかいて地域課題を解決す
問題から、市場プロセスのための国家責任の後
るのは、地域コミュニティの「協働」の機能で
退の必要性が論証される。だが、市民活動とい
ある。
う観点から社会国家を見るならば、別な見方が
筆者は、この協働型事業の取組みについてい
できる。市民活動は、社会国家の生き生きとし
くつかの自治体で、詳しく聞いたり、あるいは
た側面であると。市民たちは、社会国家のサー
実際に審査員として関わったりする機会を持っ
ビスに協力する共同構築者として立ち現れる。」
た。その経験からいえば、この取組みは、これ
(Enquete Kommission Zukunft des
まで行政がやってきた公共サービスをより安く
bürgerschaftlichen Engagements, Bericht
住民が肩代わりするという政策効果よりも、今
Bürgerschaftliches Engagement: auf dem Weg in
まで住民組織が継続して行なってきたことの現
eine zukunftsfähige Bürgergesellschaft, Leske +
代的意義を再確認して新たな活力を持って取り
Budrich, 2002, S. 105)
組んでいくという効果、あるいはこれまで行政
も取り組まず地域社会の多くの人たちも気づい
「社会国家」というのは「福祉国家」のドイツ
ていなかった重要な顧みられるべきニーズを発
流の言い方である。「協働」は、「もはや財政的
掘して、これに先進的に取り組む人たちにチャ
に賄えなくなったサービスの代替物」であるこ
ンスを与えるという効果、などのほうがはるか
とはおそらく否定しがたいが、市民としてこれ
に大きく、また重要な意義があると思う。
に取り組む意義は、
「その固有の生産性を発揮し
このように民間の(「市民社会」の)諸主体の
て」市民社会を活性化するところにある。
「市民
活力を発掘し引き出すことこそが、「協働」とい
活動は、社会国家の生き生きとした側面である」、
う政策方向の理念的側面なのである。「安上がり
すなわち、行政もそれ固有の責任を果たしつつ、
’
11.11
166
民間の側も「参加」と「協働」の両面にわたっ
ていてきっかけを模索している人)、市民活動の
て固有の役割を果たし、全体として活力のある
用件のある人だけが集まる施設である。これは
社会を築いていくことにこそ、「協働」という政
これで必要だが、さらにその周囲にいる人たち、
策傾向の理念的側面がある。
まだ市民活動も何もしていない人たち、つまり
協働型の事業に限らず、「協働」の取組みを通
まだ「顔の見えていない」人たちも、気軽に出
じて、今までの地域のつながりを確認し強化す
かけてくる拠点、つまりそういう不特定多数の
るとともに、これまでは地域の中で十分活躍の
人たちと出会える拠点が、必要とされている。
場を与えられなかった人たちや、さらにはまだ
こうした交流拠点にもいろいろなものがある。
地域活動に関心を持っていないかに見える人た
2000年の社会福祉法改正から始まった「地域福
ちにも視野を広げて、担い手を増やし、顔の見
祉計画」の取組みの一環として、自治会館、町
える関係をつくり、市民社会を活性化していか
内会館などを利用して月に1、2回程度地域の
なければならない。月並みな言葉ではあるが、
「開
人が気軽に集まれるサロンなどを行なう例がほ
かれたコミュニティづくり」が必要な局面であ
とんど定番のようになっているが、これも、普
る。これほどまでに地域コミュニティの力が必
段の地域活動でなじみの顔ばかりではなく、普
要とされるときに、地域活動団体の多くが、担
段は顔を見せない人たちも集まってくることが
い手の高齢化や固定化に悩んでいる。地域の様々
多いようで、開かれた交流拠点づくりの試みと
な潜在的力を生かすために、組織を開いていく
言える。
ことが重要になってきている。
この「開かれた」という言葉の意味をより深
さらに常設の交流拠点づくりも熱心に取り組
まれている。商店街の空き店舗を活用したりして、
めてみるために、この十年ほどの間に急激に増
補助金を得ながら、アクセスのよい場所に、誰
えてきた交流拠点づくりの取組みを最後に論じ
でも気軽に寄れる場をつくるのである。
てみよう。
おそらく読者にはここで二つの疑問がわくに
違いない。
5.公共の場の再建を通じて地域の力を集める
(1)交流拠点とは
各自治体に、
「市民活動支援センター」などの
この場所でいったい人々は何をするのであろ
うか?気軽にふらりと寄って、それがどうした
というのか?
名称で、市民活動団体が気軽に利用できる活動
もう一つ、こうした常設の場をもち、そこに
拠点を整備する(管理運営をNPOに任せる例も
専従的に詰めている人がいるとするなら、その
多い)取組みが、もはや普通のこととなってい
費用はどうするのであろうか?
るが、ここで論じようとしている「交流拠点」
というのは、さらに開かれたコンセプトのもの
(2)コミュニティ・ビジネス
を考えている。もちろん「市民活動支援センター」
便宜上後者の疑問から取り上げよう。
自体は有用であり必要であるのだが、やはりそ
大きな出費となるのは、人件費と場所の賃借
れは既に活動している人(あるいはその気になっ
料である。
’
11.11
167
これをまかなうためには、いくつかのやり方
がある。
を活性化させるところにあるものをさす。
具体的には、カフェやレストランとして飲食
一つは、これらをすべて関係者の好意で無償
を提供したり、展示スペースや会議スペースと
で調達する方法である。場所は所有者がタダで
しての場所貸しをしたり、さらに実は割りと定
提供してくれて、そこで活動する人がすべてボ
番になっているのは、壁に数多くの棚を設置し
ランティアで行なうのである。しかし、こうい
て、これを賃貸する「小箱ショップ」などとい
う奇特な所有者はまれであり、さらに活動がす
われる手法である。
べてボランティアでは、よほどの地域力がない
と限界に突き当たってしまう。
近隣に住んでいるプロはだしのクラフト作家
などが、自分の作品を世に問うためにここに並
もう一つのやり方は、これらを補助金等でま
べるというニーズが結構ある。交流拠点の運営
かなうやり方であるが、これもよほど恵まれた
側にとっては、月々の賃料が安定して入ってく
状況にないと成り立たず、一般的なソリューショ
るほか、委託販売の手数料も収入となる。写真
ンとは言い難い。
の港南台タウンカフェの場合は、この収入が、
そこで、多く行なわれているのは、いわゆる
「コミュニティ・ビジネス」の手法である。飲食
床の賃借料とカフェ運営の人件費との合計とほ
ぼ均衡している。
を提供したり物品を販売して、いわばビジネス
多くの交流拠点が補助金がなくなると同時に
(収益事業)を行なって、必要な費用を稼ぐので
倒れてしまうなかで、港南台タウンカフェが6
ある。
コミュニティ・ビジネスは、営利を目的の一
年も続いているのは、この小箱ショップの経営
が安定してるからである。
部にしていてもかまわない(したがって担い手
このカフェでは、実にいろいろな人がふらり
の法人形態は株式会社など営利企業でかまわな
と気軽に訪れ、スタッフと気軽な話をする中で、
い)が、主要な目的はコミュニティのつながり
次第に具体的な市民活動の取組みに発展して
いっているケースがいくつも出ている。また、
担い手も中学生、高校生、大学生のような若い
人たちから始まって、たくさん集まってくる。
こんな交流拠点が今の局面では必要なのである。
しかし、港南台タウンカフェはまれな事例で、
多くの交流拠点は、次々に立ち上がっては資金
の行き詰まりとともに倒れているのが現状であ
るようだ。それにもかかわらず、人々はこうし
た試みに大きな魅力を感じて取組み続けている。
なぜであろうか?この熱情はどこから来るの
横浜市港南区港南台にある「港南台タウンカフェ」の店内。
たくさんの小箱が設置されている。
であろうか?
このことを問うことは、先に挙げた疑問の第
’
11.11
168
一のものに答えることに直結している。
れる「公共の場」を、日本列島に住む人たちは
高度成長期から今日にかけて次第に失っていっ
(3)
「公共の場」としてのコミュニティ・カフェ
上記港南台タウンカフェに関わらせてもらい、
た。例えば、公園は、どんな人でも安心して時
を過ごせるまさに公共の場であるはずだが、
「公
それを通じて多くの交流拠点づくりの試みをも
園デビュー」という言葉に象徴されるように、
見聞きして、私の考えるところでは、社会関係
今や特定の「仲間内」が閉鎖している居心地の
を広げることを通じて仲間を見いだし、「顔の見
悪い空間になってしまっている。仲間以外は信
える関係」を作っていくこと、不特定多数の人
用しないという風潮が様々な局面で、したがっ
たち(=まだ顔の見えていない人たち)に開か
て地域コミュニティでも、蔓延していないであ
れた「公共の場」をもつことで、まだ仲間では
ろうか?そしてそのことが、担い手の固定化と
ない人たちと出会い、気軽な話から始まって次
なってあらわれ、自らの首を絞めてしまってい
第に地域課題の解決のアクションへと展開して
ないであろうか?
いくこと、こうしたことがめざされていると思う。
東日本大震災の様子を見聞きした大都市の人
もう一度地域コミュニティのつながりづくり
たちは、東北地方の人たちの地域の絆の強さに
が必要だというなら、まだコミュニティ活動の
感嘆し、自分たちはそうしたつながりがないの
輪の中に入っていない人たちと出会い、話をし、
で、災害のときに大丈夫だろうかと心配してい
一緒に行動する、そういうきっかけとなる場が
る。そのとおりとも思うが、しかし他方、まだ
必要である。その必要性への本能的な気づきこそ、
つながりのない人たち(不特定多数の人たち)
交流拠点づくりの熱情の根底にあるものである。
が行き交う公共世界に自らを開いて「顔の見え
このことは同時に、「公共」という思想を豊富
る関係」を「つくっていく」ことにおいては、
化することでもある。
大都市のほうが得意かもしれない。
「新しい公共」というキーワードが「協働」と
「公共の場」を再建して、相互の薄いつながり
関連して唱えられて久しく、政権交代後は鳩山
をまず確保し、そこから地域のつながりの広が
首相(当時)も演説でこれを用いて話題となった。
りに結びつけていく、こうした戦略が無意識の
しかしここで考えられている「公共」は、実は「公
うちに交流拠点づくりの中に働いていると私は
共サービス」に限定されたものにすぎない。も
見る。
ちろん、公共サービスは日常生活に直結してお
こうした試みを通じて、コミュニティが「開
り、重要であることはいうまでもないが、
「公共」
かれた」ものとなっていくことを展望しつつ、
という思想はもっと豊富なものである。
また明日からも自分の持ち場である港南台タウ
すなわち、
「公共」とは、どんな人でも、顔の
ンカフェに関わり続けようと思う。きわめて迂
まだ見えていない人、よそ者であっても、一定
遠でささやかなようであっても、これが研究者
のルールとエチケットをまもっていれば人とし
としての私が東日本大震災のインパクトを受け
て(人権の享有主体として)尊重されるという
止める第一の道だと確信している。
思想である。こうした行動様式が不断に陶冶さ
’
11.11
169
調査
地域コミュニティ再生といばらきの活力
∼地域の安心・安全と活性化に向けて
近年、人口減少や少子・高齢化、核家族化、個人主義・プライバシー重視社会の進展といった社会
環境の変化に伴い、地域における人のつながりや連帯感、支え合いの意識が希薄化し、それらを基盤
に成り立つ地域コミュニティの機能が低下している。
一方で、これまで地域のつながりで対応していた子育て、介護、環境、防犯・防災などの課題や、
1人暮らし高齢者の増加などの新たに生じてきた課題が社会問題化している。また、3月の東日本大震
災では人命・財産の損失、ライフラインの被害といった未曾有の災害が発生するなど、自然災害によ
る地域のリスクが顕在化している。
地方分権社会の進展などにより地域に多くの役割が求められる中、地域の絆を深め、身近な課題に
対応する担い手として地域コミュニティに対する社会的ニーズが高まっており、今回の大震災を機に
改めてその必要性・重要性が見直されていくと思われる。
そこで、地縁組織・団体やまちづくり、子育て支援等の特定の目的を持った組織・団体からなる地
域コミュニティのうち、町内会・自治会などを中心とした地縁組織・団体の現状や課題を整理し、地
域コミュニティの再生による安心・安全で活力ある地域づくりの方策を探っていく。
第1章 地域コミュニティを取り巻く環境の変化と住民の意識
地域コミュニティの整理と本調査の範囲
まず、本調査における「地域コミュニティ」を整
理する。
コミュニティは、一般的に「共同社会」(居住地
域を同じくし、利害をともにする社会)と訳され
る。総務省コミュニティ研究会報告
(2008年)では、
地域コミュニティを「生活地域、特定の目標・趣味
PTA、子ども会などの地縁組織・団体、③まちづく
り委員会、子育て支援、福祉など特定の目的がある
地域組織・団体、④NPO、市民活動、コミュニティ
(ソーシャル)ビジネスなどの地域組織・団体、の
4つに分類する。
そして、①を中心に地縁組織・団体に焦点を絞
り、調査を進めていくこととする。
など共通の属性及び仲間意識を持ち、相互にコミュ
ニケーションを行う集団のうち、共通の生活地域の
集団」としている。
様々な機能・役割を担う地縁組織・団体
地域コミュニティは、住民と行政を繋ぐ中間的な
地域コミュニティは、伝統的には町内会、自治
組織・団体として、生活に関する相互扶助(福祉・
会、婦人会、子ども会などの地縁組織・団体が主な
教育等)、伝統文化の維持(工芸・祭り等)
、地域課
担い手となっている。しかし、社会経済の環境が変
題の意見調整(まちづくり・防犯・防災等)の機能
化する中で、地域の中で特定の目的を持つ集団が形
を持ち、行政の補完的な役割を担っている。
成され、多様化している。
2004年版国民生活白書では、地域コミュニティの
こうした点を踏まえ、本調査では地域コミュニ
うち町内会・自治会など地縁組織・団体の役割とし
ティを、①単位・連合町内会(自治会)などの地縁
て、①住民相互の扶助や住民自治拡充、②地域のま
組 織・ 団 体、 ② 老 人 ク ラ ブ、 婦 人 会、 青 年 会、
ちづくりを進める主体、③コミュニティ組織の中核
’
11.11
170
的な主体、④防災活動や地域の安全確保の担い手、
には52.8%であったが、1997年には42.3%に下落し
⑤地域の人々の親睦や精神的なまとまり、⑥行政の
ている。一方、「あまりつき合っていない」が同じ
計画・施策に住民の意見を反映、⑦行政からの事務
時期に11.8%から16.7%に高まるなど、地域のつな
連絡、⑧環境美化、環境保全の担い手、⑨廃棄物・
がりの希薄化が進んでいる(図1)。
リサイクル活動の担い手、⑩地域福祉の担い手、⑪
こうした背景から、地縁組織・団体を中心とした
各種募金や寄付の取りまとめ、⑫生涯学習の担い
地域コミュニティの役割、機能の低下が懸念されて
手、を挙げている。
いる。
地域コミュニティを取り巻く環境が大きく変化
2008年4月現在、町内会・自治会など全国の地縁
図 1 近所付き合いの程度の推移
0% 10% 20% 30% 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100%
(年)
11.8
32.8
52.8
75
団体数は29万4,359団体で、2002年11月(29万6,770
団体)から5年半で2,411団体減少している。
また、データはないものの、地縁組織・団体への
ンケートでも、44市町村のうち15市町村は「低下」
00
地縁組織・団体の維持が難しくなっている背景と
して、人口減少や少子・高齢化、核家族化の進展に
加え、価値観の多様化、個人主義、プライバシー意
識の高まりなどから人づきあいや地域活動の意識・
0.4
5.3
加入率は低下傾向にあるとみられる。県内市町村ア
と回答している(P174図7参照)。
0.4
3.8
16.7
35.3
42.3
97
14.4
32.4
49.0
86
0.8
1.8
40.7
13.9
23.1
30.9
07 10.7
19.4
親しくつき合っている
あまりつき合っていない
わからない
ある程度行き来している
ほとんど行き来していない
18.4
30.9
3.9
0.0
7.5 0.6
付き合いはしているが、あまり親しくない
つき合いはしていない
よく行き来している
あまり行き来していない
あてはまる人がいない
無回答
志向が変化していることが挙げられる。
出所:2007 年版国民生活白書
茨城県の人口は2000年をピークに減少に転じて
おり、年少人口(15歳未満)
・生産年齢人口(15歳
特定の目的を持った地域組織・団体が増加
以上65歳未満)が減少し、老年人口(65歳以上)が
一方、子育て支援、福祉、趣味、スポーツなど特
増加している。また、核家族化が進展する中、高齢
定の目的を持つNPO法人などの地域組織・団体を
夫婦世帯数と高齢単身世帯数が大幅に増加してい
志向する人が増加している。
る(表1)。こうした状況は、大都市を除くほとん
図 2 NPO 法人設立認証数の推移(茨城県)
どの地方で同様にみられる。
表1 65歳以上親族のいる一般世帯数の推移(茨城県)
600
一般世帯数①
うち65歳以上親族のいる一般世帯数②
①に占 う ち 高 齢 夫 婦 世 う ち 高 齢 単 身 世
める割 帯数
帯数
合(%)
(※) ②に占
②に占
める割
める割
合(%)
合(%)
1995年
920,513 288,965
31.4 45,363
15.7 30,683
10.6
2000年
983,817 334,037
34.0 62,480
18.7 42,415
12.7
2005年 1,029,481 382,163
37.1 82,875
21.7 56,804
14.9
500
(※)高齢夫婦世帯:夫65歳以上、妻60歳以上
※11年度:8月31日現在
552
387
400
496
262
196
200
132
100
出所:国勢調査
462
323
300
0
431
574
5
28
63
87
98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11
(年度)
出所:茨城県生活環境部生活文化課県民運動推進室資料
地域のつながりの変化について近所付き合いの
程度でみると、
「親しくつき合っている」は1975年
茨城県のNPO法人設立認可数の推移をみると、
’
11.11
171
1998年以降順調に増加している(図2)
。2011年8
を含む)」、「スポーツ、文化芸術の体験を助ける活
月末現在、574団体が認可されており、団体数は全
動」で6割以上が町内会・自治会の活動が大切とし
国で20番目となっている。
ている(表2)。
住民の評価(各種調査結果から)
表2 住んでいる地域で特に力を入れて行うことが
大切と考える活動
(単位:%)
住民は、地縁組織・団体をどう評価し、どの程度
考特
えに
る力
活を
動入
れ
て
行
う
こ
と
が
大
切
を
必要性を感じているのだろうか。
国民生活選好度調査結果では、
「地域で最も役
立っていると考える活動・組織」として、町内会・
自治会は「住民同士の信頼感や助け合い意識の向
上」と「地域の伝統芸能、祭りの継承や保存」で4
担ってほしいと考える団体
町
内
会
・
自
治
会
児行
童政
員協
、力
各ボ
種ラ
調ン
査テ
員ィ
、ア
調︵
停民
員
等生
・
︶
P婦
T人
A会
等・
老
人
会
・
子
ど
も
会
・
市N
民P
活O
動な
団ど
体の
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
・
村市
役町
場村
の︵
活市
動役
・所
行
事や
等区
︶役
所
、
町
会公
福的
祉機
法関
人︵
等学
に校
よ、
る病
活院
動、
・消
行防
事団
等、
︶社
動企
等業
︶︵
企
業
に
よ
る
社
会
貢
献
活
割以上、「環境保全・美化」
、「地域のまちづくり」、
防犯・防災・交通安
全の活動
58.5
63.6
24.9
16.4
17.3
51.6
51.9
13.5
「地域の治安の向上(防犯)
」で3割以上が最も役
要介護のお年寄りや障
害者などを助ける活動
57.1
37.7
25.1
36.4
35.8
59.9
51.2
18.1
子育てを助ける活動
48.9
38.0
49.2
34.9
24.6
58.1
34.5
19.4
まちづくりの活動
38.4
(環境美化活動を含む)
71.2
30.6
12.4
22.1
55.6
19.2
23.5
立っていると回答している(図3)
。
図 3 地域において最も役立っていると考える活動・組織
0% 10% 20% 30% 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100%
住民同士の信頼感や
助け合い意識の向上
45.0
地域の伝統芸能・
祭りの継承や保存
45.0
環境保全・美化
教育を助ける活動(学校
支援ボランティアを含む)
29.0
31.1
45.4
26.7
24.6
44.4
43.2
18.5
健康づくりのための
活動
20.7
39.5
25.1
11.4
21.1
56.0
35.2
14.3
スポーツ、文化芸術
の体験を助ける活動
17.9
64.1
34.3
9.3
22.5
50.7
17.9
29.6
(※)網かけ:40%以上
出所:国民生活選好度調査結果(内閣府・2010年度)
37.9
防災白書においても、「地域防災力を高めるため
地域のまちづくり
地域の治安の向上
(防犯)
災害時の対応
(防災や防火)
37.1
に必要なこと」として、
「既存の地域コミュニティ
の強化」が最も高くなっている(図4)。
31.7
図 4 地域防災力を高めるために必要な視点
22.9
0
高齢者・障害者の
6.5
健康維持や生活支援
10
20
30
40
50
既存の地域コミュニ
ティの強化
子どものしつけや
教育・健全育成 5.2
52.9
地域の防災リーダー
の育成
町内会・自治会
行政協力ボランティア
(民生・児童委員等)
市町村
(市役所や区役所、町村役場)
その他
無回答
その他の地縁活動
(婦人会、老人会、子ども会等)
NPO 等のボランティア
・市民活動
公的機関
(学校、病院、消防署、警察署等)
特にない
(%)
60
51.8
ボランティアなど外部
の力の活用
45.4
的確な災害情報の
把握及び伝達
38.1
防災教育の充実
36.4
出所:国民生活選好度調査結果(内閣府・2008年)
産官学民など多様な
主体の連携
16.9
また、「住んでいる地域で特に力を入れて行うこ
出所:2010 年度版防災白書
とが大切と考える活動」として、「防犯・防災・交
通安全の活動」、
「まちづくりの活動(環境美化活動
’
11.11
172
大震災を機に見直される地縁組織・団体
いるが、活動カバー率は全国平均の74.4%に比べ
こうした結果を見ると、自治会・町内会など地縁
58.6%と低位にある。
組織・団体のこれまでの活動を高く評価し、今後も
コミュニティ政策の変遷
果たす役割に期待を寄せていることがわかる。
特に「防災活動」に関しては、阪神・淡路大震災
や新潟県中越沖地震など近年の地震災害におい
最後に、自治体のコミュニティ政策の変遷を簡単
に整理しておこう。
て、地縁組織・団体は生き埋め者の救助や安否確
1970年代から全国的に広まった自治体の地域コ
認、避難所の設置運営などの応急対応で活躍した。
ミュニティ政策は、①地域コミュニティを市町村の
3月11日に発生した東日本大震災でも、多くの地
基本計画に位置づけること、②地域コミュニティ活
域で電気、水道、ガスなどのライフラインや物資が
動などに対し補助金を拠出すること、③コミュニ
断たれた中、安否確認や生活水(井戸水)提供(P178
ティ施設など活動の拠点を設置・管理すること、が
図14参照)など、応急・復旧過程で地縁組織・団体
中心であった。自治体は、行政機能の補完的役割を
が重要な役割を担うことが認識された。
期待する一方で、コミュニティ活動の内容は各地域
地域の防災活動は、町内会・自治会が主体となる自
の自主性に任せる手法で施策を進めてきた。
主防災組織を中心に行われている。阪神・淡路大震
2000年代以降、少子高齢化、人口減少や地方分権
災のあった1995年以降、自主防災組織数は増加傾向
の進展、国・地方の厳しい財政状況、国民の社会貢
で、組織による活動カバー率も上昇している(図5)
。
献意識の高まりとNPO数の増加など社会環境が変
化する中で、主に行政が提供してきた公共サービス
図 5 自主防災組織の推移(全国)
160,000
(%)
80
は、地域で地縁組織・団体やNPO、企業など多様
な主体が提供する多元的な仕組み、すなわち「新し
140,000
70
120,000
60
い公共」を整える必要性が指摘されるようになっ
100,000
50
た。
80,000
40
60,000
30
40,000
20
20,000
10
0
01
02
組織数
03
04
05
06
07
08
09
0
10
(年)
組織による活動カバー率
(右軸)
※活動カバー率:全世帯数のうち自主防災組織の活動範囲に含ま
れる地域の世帯数
出所:2010 年版消防白書
これまでも地方自治体と協力して公共的サービ
スを提供する役割を果たしてきた町内会・自治会な
どの地縁組織・団体は、NPOなど他の多様な主体
とともに「新しい公共」を形成し、公共的サービス
を提供することが期待されている。
次章では、県内市町村へのアンケートから、自治
体の地域コミュニティの支援状況や課題、あり方な
しかし、町内会・自治会の加入率が低下傾向にあ
る状況下では、自主防災組織自体が形骸化すること
も懸念される。
どについて確認する。
また、東日本大震災発生時の地域コミュニティの
動きについてもみていく。
なお、茨城県は全市町村で自主防災組織を有して
’
11.11
173
第2章 市町村アンケートからみる地域コミュニティの現状・課題
常陽アークでは、県内市町村に対し地域コミュニ
ティに関するアンケート調査を実施した。
支援は資金援助が中心
地域コミュニティに対する支援状況をみると、
本調査の対象である「単位・連合町内会(自治会)
「NPO、市民活動、コミュニティ(ソーシャル)ビ
などの地縁組織・団体」(以下町内会・自治会)を
ジネスなどの地域組織・団体」を除く地域コミュニ
中心に結果を見ていくこととする。
ティは「資金的な援助」が最も多く、町内会・自治
●調査期間:2011年7月15 ∼ 29日
会に対しては34市町村で行っている。また、
「広報
●有効回答数:44市町村(100%)
誌への情報掲載」や「活動に使用する機材の提供」
などは、他の地域コミュニティに比べ町内会・自治
1.地域コミュニティの課題やあり方
会への支援は少ない状況にある(図8)
。
多くの市町村は加入率が6割以上
図 8 地域コミュニティに対する支援状況
(複数回答)
(n=44)
町内会・自治会の加入状況についてみると、
「61%
0
∼ 80%」が15市町村で最も多く、次いで「81%∼
0 ∼ 20%
0
21 ∼ 40%
0
41 ∼ 60%
10
15
20
25
30
35
40
資金的な援助
図 6 単位・連合町内会(自治会)など地縁組織・
団体の加入率(n=30)
5
10
34
100%」が12市町村となっている(図6)。
0
5
15
14
広報誌への情報の
掲載
20
14
活動に使用する
機材の提供
11
活動拠点の提供
3
61 ∼ 80%
15
81 ∼ 100%
4
技術的なノウハウ
の提供
12
4
支援は行っていない
3
加入率は横ばい・減少傾向
人材の派遣
町内会・自治会の加入率の推移をみると、「横ば
2
その他
い」が17市町村、
「低下」が15市町村となっている。
地域別では、県北地域の全市町村が「低下」と回答
単位・連合町内会(自治会)などの地縁組織・団体
老人クラブ、婦人会、青年会、PTA、子ども会などの地縁
組織・団体
まちづくり委員会、子育て支援、福祉など特定の目的が
ある地域組織・団体
NPO、
市民活動、コミュニティ(ソーシャル)ビジネスな
どの地域組織・団体
している(図7)。
図 7 単位・連合町内会(自治会)など地縁組織・
団体の加入率の推移(n=33)
0
5
10
15
横ばい
17
低下
上昇
20
15
1
加入者の減少、高齢化などの課題
町内会・自治会が抱える課題は、「組織への加入
者が減少している」と「住民の活動への関心が低下
’
11.11
174
している」、
「組織員が高齢化している」が40ポイン
は、県南地域で町内会・自治会と回答した市町村の
ト超となっている。「担い手(リーダー・後継者)
割合が高い。
が育たない」
、「若者や仕事を持つ人の参加が少な
い」が20ポイント台で続いているが、組織・団体に
0
よって課題にはバラつきがみられる(図9)。
図 9 地域コミュニティが抱える課題
(複数回答)
(n=44)
(ポイント)
0
10
20
30
40
50
48
組織への加入者が
減少している
60
47
住民の活動への関心が
低下している
43
組織員が高齢化
している
25
担い手(リーダー・
後継者)が育たない
24
若者や仕事を持つ人の
参加が少ない
15
20
15
単位・連合町内会(自治会)
などの地縁組織・団体
14
まちづくり委員会、
防災、
子育て組織、福祉など特定の
目的がある地域組織・団体
5
行政による地域住民を
巻き込んだ新たな形の組織
4
NPO、市民活動、コミュニティ
(ソーシャル)ビジネスなどの
地域組織・団体
2
7
実質的に行政の末端
機能となっている
防災・災害救援、環境美化への参画に期待
6
地域課題への対応力が
不足している
図 11 地域コミュニティの参画を期待する
施策(複数回答)
(n=41)
5
参加者が減少・固定化
している
0
3
情報の発信・収集・
共有力が不足している
運営・マネジメント力が
不足している
1
防災及び災害救援・
支援活動
活動資金が
不足している
1
環境美化・保全及び
清掃・リサイクル活動
他の組織・団体との 0
連携が不足している
事務所・活動スペース 0
が不足している
その他
10
11
新住民が参加しづらい
雰囲気がある
特に問題はない
5
地縁組織・団体や NPO
などの地域組織・団体が
連携・協働する組織
老人クラブ、婦人会、青年会、
PTA、子ども会などの 0
地縁組織・団体
12
活動が慣例化・形骸化
している
図 10 今後、
地域活性化の担い手となるべき
組織・団体(n=40)
0
0
5
10
15
20
25
福祉・介護・育児
支援活動
1 位:3 ポイント
2 位:2 ポイント
3 位:1 ポイント
地区計画、
コミュニティ
計画づくり
単位・連合町内会(自治会)などの地縁組織・団体
老人クラブ、婦人会、青年会、PTA、子ども会などの地縁
組織・団体
まちづくり委員会、子育て支援、福祉など特定の目的が
ある地域組織・団体
NPO、
市民活動、コミュニティ(ソーシャル)
ビジネス
などの地域組織・団体
地域活性化の担い手には連携・協働組織
26
22
15
14
共同施設・公園等の
運営管理
9
歴史的文化保存及び
文化・芸術活動
8
総合計画、都市計画等の
総合的計画づくり
7
子どもの教育(健全育成)
支援活動
7
スポーツ・
レクリエーション活動
男女共同参画に
関する活動
縁組織・団体やNPOなどの地域組織・団体が連携・
産業振興、雇用拡充に
関する活動
協働する組織」が15市町村で最も多く、町内会・自
公共空間設備(街路灯・
防犯灯)
の設置
40
33
生涯学習・社会教育・
学術振興活動
今後、地域活性化の担い手となるべき組織は、
「地
35
36
防犯活動
※3 項目まで順位を
つけて回答
30
5
4
2
1
治会が14市町村で拮抗している(図10)。地域別で
’
11.11
175
地域コミュニティの参画を期待する施策は、「防
は、
「資金的な援助」や「広報誌への情報掲載」
、
「活
災及び災害救援・支援活動」が36市町村で最も多
動に使用する機材の提供」など活動に対するものが
い。「環境美化・保全及び清掃・リサイクル活動」
多かった。
が33市町村、
「防犯活動」が26市町村で続いている
(図11)。
したがって、住民の意識啓発や人材育成など課題
解決に向けた支援が必要となる。各コミュニティの
実態面を詳細に把握し、何が課題の原因となってお
人材育成や地域住民の意識啓発が必要
り、コミュニティ内で解決できる問題なのかどうか
地域コミュニティが公共サービスを担うために
必要なこととして、
「人材の育成」が33市町村で最
など、原因分析や解決手法を検討することが求めら
れる。
も多い。次いで
「地域住民の意識啓発」
が26市町村、
「資金的な援助」が21市町村、
「団塊世代をはじめ退
職者の積極的な活用」が16市町村となっている(図
12)
。
地域コミュニティへの期待は防災、災害救援
アンケートでは、地縁組織・団体とNPOなど地
域組織・団体の連携・協働による地域活性化への期
図 12 地域コミュニティが公共活動を担うために
必要なこと(複数回答)
(n=42)
0
5
10
15
20
25
30
人材の育成
35
33
地域住民の意識啓発
26
資金的な援助
21
団塊世代をはじめ退職者
の積極的な活用
16
活動の場の提供
9
待がみられた。これは、地縁組織・団体が把握する
地域の特性と地域組織・団体が持つ専門的知識につ
いて両者が補完しあうことで、地域活性化に向けた
より効果的な取り組みが行われることへの期待が
窺える。
また、地域コミュニティの参画を期待する施策と
して「防災及び災害救援、支援活動」とする回答が
最も多い。東日本大震災の発生によって、地域防災
の担い手として地域コミュニティの果たす役割へ
各種情報の提供
7
行政職員の地域コミュニティ
活動への参加
5
予算や権限等の付与
地元企業との連携
4
1
の期待がより大きくなっていると思われる(大震災
発生時の地域コミュニティの動きについては後
述)。
また、
「環境美化活動」や「防犯活動」、「福祉・
介護・育児支援活動」など地域の身近な課題や、地
区計画、コミュニティ計画づくりなどまちづくりへ
2.調査結果のまとめ
の参画を期待する行政側の意向もみられた。
課題の原因分析・解決手法の検討が求められる
県内市町村における町内会・自治会の加入率は、
ほとんどの市町村で6割を超えているものの、半数
近くは減少していることがわかった。
背景として、住民の活動への関心低下や組織の高
齢化、担い手不足、若者・仕事を持つ人の参加が少
ないことなどが挙げられている。
一方、行政からの町内会・自治会への支援状況
団塊世代など退職者の積極的な活用が必要
地域コミュニティが公共活動を担うために、「団
塊世代をはじめとした退職者の積極的な活用」が必
要という回答が比較的多く見られた。
地域コミュニティ活動の担い手が不足する中
で、今後、経験豊富且つ地域で生活する時間が多い
人材を活動に取り込んでいくことが求められる。
’
11.11
176
【Topix1】
自治体の地域コミュニティ活性化への取り組み
日立市に育つコミュニティの土壌
し、自治会による地域コミュニティづくりに動きだ
日立市のコミュニティ活動の始まりは、1974年の
した。行政区制度では、市長から委嘱された区長な
茨城国体開催時に遡る。国体成功を目的に市の呼び
ど一部の住民により地域課題への取り組みが行わ
かけで組織された地域団体は、以後環境美化活動な
れ、加入率の低下、従事者の固定化や高齢化などの
ど地域の身近な活動を通じて、地域課題に自ら取り
課題が生じていた。
組む活動主体へと発展を遂げてきた。
さらに、市と各自治会の中間的な地域団体とし
現在、日立市では、23の小学校区ごとにコミュニ
て、地域の自治会や市民団体などで構成する「まち
ティが組織されており、各会の会長で構成する「コ
づくり委員会」を市内7地区に創設し、各市民団体
ミュニティ推進協議会」が市と各会の連絡調整や市
との連携強化も行っている。
の依頼事項に対して協議を行っている。
コミュニティ活動は、環境美化や自主防災、青少
年育成、地域福祉など多岐にわたり、地域の実情に
応じた課題解決への取り組みを行っている。
市は、各コミュニティが必要と考える取り組みに対
して、補助金の支出など側面的な支援を行っている。
職員の地域担当制
那珂市では、2010年度から市長から辞令を受けた
各職員が、職務として、各まちづくり委員会や自治
会のサポート役を担う「地域まちづくりサポート職
員制度」を開始した。
それぞれの地域が抱える課題に対して、行政側で優
また常陸太田市でも、2010年度から市と町会長の
先順位をつけ、画一的に事業を実施するのではなく、
パイプ役として市内124町会に1名ずつ職員を配置
あくまで、提案や依頼という形をとり、実施の判断
する地域職員担当制を開始している。
を委ねることで、地域の主体性が確保されている。
地域コミュニティのサポート役として担当職員
コミュニティの主体的な取り組みや市の支援の
を配置するという点で共通する両市の取り組みで
あり方は、地域の活動拠点となる交流センターの管
あるが、地域のサポートを職員が職務として行うの
理、運営についてもみることができる。市は設計時
か、自主的な活動として行うのかという位置づけに
から地域住民と打ち合せを重ね、地元の要望に添っ
違いがみられる。
た形でセンターを建設する。完成後は、地域住民で
組織する運営委員会が指定管理者として管理、運営
を行うことで、地域の裁量でセンターを運営するこ
とが可能となっている。
県内市町村の補助事業
他にも、県内では水戸市の「協働事業提案制度」、
結城市の「協働のまちづくり推進事業」
、常総市の
コミュニティによる主体的な地域課題への取り
「元気のみなもとスタートアップ補助金」やつくば
組みは、一朝一夕にできるものではない。日立市
市の「アイラブつくばまちづくり補助金」など、活
は、長期間の地道な取り組みを経て、「地域の課題
動団体からの提案に対して、市が補助金を拠出する
は地域で解決する」というコミュニティ活動の土壌
事業が行われている。
が着実に育っていると言える。
県内市町村への聞き取りから、このような補助事
業はNPO、市民団体など地域組織・団体の活動に
行政区制度から自治会制度へ
那珂市は、今年度から旧来の行政区制度を見直
対して行われているケースが多く、町内会・自治会
など地縁組織・団体への波及はみられなかった。
’
11.11
177
3.東日本大震災発生時の地域コミュニティの動き
活動内容は「安否確認」「水の提供」など
市町村アンケートでは、東日本大震災発生後に地
また、助け合いが「各地域で見られた」、
「一部の
域コミュニティで助け合い(共助)の動きが見られ
地域で見られた」市町村では、町内会・自治会の具
たかどうかについても確認した。
体的な活動について、
「安否確認」が26市町村で最
も多く、
「生活水(井戸水)の提供」が19市町村、
「避
各地域でみられた助け合いの動き
難誘導」が13市町村、
「障害者・高齢者のケア」が
大震災の被害状況は市町村によって異なるた
12市町村で続いている(図14)。
め、地域コミュニティの動きも違いが見られた。町
図 14 地域コミュニティの具体的な活動
(複数回答)
(n=35)
内会・自治会による助け合いが各地域で見られたの
0
は10市町村で、一部の地域で見られたのは20市町村
であった。(図13)。
各地域で
見られた
5
10
15
15
20
25
25
13
12
障害者・高齢者のケア
10
備蓄(食料・備品)の提供
4
救助活動
20
3
その他
2
子どもの見守り
自宅スペースの提供
30
19
30
11
20
26
避難誘導
10
一部の地域で
見られた
ほとんど見られ
なかった
10
生活水(井戸水)の提供
図 13 地域コミュニティの助け合いの動き
(n=42)
0
5
安否確認
1
単位・連合町内会(自治会)などの地縁組織・団体
老人クラブ、婦人会、青年会、PTA、子ども会などの地縁
組織・団体
まちづくり委員会、子育て支援、福祉など特定の目的が
ある地域組織・団体
NPO、
市民活動、コミュニティ(ソーシャル)ビジネス
などの地域組織・団体
単位・連合町内会(自治会)などの地縁組織・団体
老人クラブ、婦人会、青年会、PTA、子ども会などの地縁
組織・団体
まちづくり委員会、子育て支援、福祉など特定の目的が
ある地域組織・団体
NPO、
市民活動、コミュニティ(ソーシャル)
ビジネス
などの地域組織・団体
【Topix2 震災直後における県内地域コミュニティの活動事例
No.1 大震災で活かされた日ごろの備えと人材力 ∼石川地区コミュニティ連絡協議会(水戸市)
会長 宮本 茂氏 副会長 飯田 康一氏
市民センターで約150名の避難者を受け入れ
自家発電によって照明も点灯し、テレビも放映する
水戸市石川地区は30年程前から宅地の造成が進
ことができた。停電が続く中、明かりを頼りにセン
み、現在は約5,300世帯、1万2千人が暮らしている。
ターへ避難して安心した人も多かったと思われる。
震災発生時、人的被害は無かったものの、瓦や家
屋などが損壊し、電気や水道が途絶えたため、一部
非常用設備とボランティアが活躍
の住民は市民センターに避難した。市民センターは
自家発電機は一昨年1台、昨年2台購入したが、
大きな被害がなかったことから、約150名の避難者
購入を巡り「不要ではないか」という意見も出てい
を受け入れることができた。
た。しかし、非常用としてだけでなく夏祭りなどの
協議会は、翌日予定されていた社会福祉協議会高
齢者向け昼食会の食材で炊き出しを実施した。近隣
住民から井戸水の飲用水・トイレ用水を提供され、
イベントにも使えることから購入を進めた。
日頃から非常時を想定して備えを怠らなかった
ことが、今回の震災に活かされた。
’
11.11
178
また震災発生当日は、多数のボランティア経験者
することは難しいことから、避難に際して各人がで
が避難所運営などに携わり、スムーズに運営するこ
きる限りの備えを持参するように呼びかけること
とができた。コミュニティの「人材力」が結集した
である。
日でもあった。
防災意識を風化させないために
防災体制の拡充が不可欠
宮本会長は、「今回の震災を通じて、多くの人が
震災を経験し、宮本会長は防災体制の拡充の必要
コミュニティの重要性を認識したはず」と強調す
性を感じているという。1つは、提供を受ける井戸
る。石川地区では、この意識を風化させないよう
水の定期的な水質検査の実施。2つ目は、行政・ボ
に、3月11日を防災の日とし、様々な取り組みに
ランティアなどとの協力体制の整備。そして3つ目
よって住民の防災意識の醸成に努めていくという。
は、全ての避難者に避難所の食料などの備蓄を提供
No.2 防災意識を強化し直下型地震に備える ∼戸頭団地賃貸住宅自主防災会(取手市)
会長 関戸 勇氏
戸頭団地の震災対応
戸頭団地の賃貸住宅は、UR都市機構が建設し、
定期的に発信し、家庭の防災意識が高まるように努
めている。
約1,000世帯が入居している。大震災発生時、建物
また、今回の震災を踏まえ、どんな地震を想定
は耐震性に優れ崩壊する懸念がなかったため、自主
し、団地でどのような被害が生じる恐れがあるか、
防災会では住民に自室での待機を呼びかけた。その
またその被害をどのようにしたら防げるのかを考
後、12時間ほど停電が続いたため、独居老人や要介
え、活動内容を検討している。
護者なども含め約50名を避難場所である集会所で
受け入れた。
住民の防災意識を高めていく
集会所では炊き出しを実施し、避難者におにぎり
戸頭団地は、ライフラインを守るための環境・防
を提供した。深夜には電気が復旧し、避難者を各家
災ステーションも備わっている。具体的には、かま
庭まで送迎し、室内の点検を実施した。
どとして利用できるベンチや、5トンの雨水を溜め
ることのできる給水施設、マンホールのふたを外す
普段から地震に備えた活動を実施
今回の震災では戸頭団地に目立った被害は無
かったものの、取手市は首都圏直下型地震の影響も
懸念される地域である。そこで、普段から地震に備
えた活動を行っている。
建物は頑丈なので、基本的に別の場所へ避難する
と延べ5,000人が利用できるトイレ、太陽電池式の
屋外照明灯が設置してあり、災害時には避難場所の
補助施設として利用できるようになっている。
このようにハード面は充実しているので、防災力
を高めるために「ソフト面の施策を進めていくこと
が重要」と関戸氏は言う。
のではなく自室に留まることが可能である。した
そこで、より多くの住民に防災協力員として自主
がって、自主防災会としては家具の転倒防止、食料
防災会の活動に参加してもらうよう努めている。協
の備蓄など各世帯が「避難所」として機能すること
力員の役割は簡単なものから力仕事まで様々であ
を目指している。そのため、普段からミニ講習会や
り、若年者から高齢者まで多くの人を巻き込み、主
広報、団地内への防災関連記事を掲示など、情報を
体的に活動する住民の増加を図っている。
’
11.11
179
第3章 県内外における地域コミュニティの活動事例
本章では、活発なコミュニティ活動を展開する日立市、土浦市、阿見町の地縁組織・団体と、加入率100%
を維持する東京都立川市の大山自治会、自主防災組織を中心に先進的な防災・福祉活動を進める兵庫県神戸
市、インターネットを利用し地縁組織・団体の活性化に取り組む岡山県岡山市の事例を紹介する。
住民のニーズに沿った活動で地域の和を広げる ∼会瀬学区コミュニティ推進会(日立市)
会長 柴田 和彦氏(日立市コミュニティ推進協議会会長)(左)
生涯学習・青少年育成部 柴田 百恵氏(右)
様々な専門部局を
設ける組織
さらに、小学校4年生以上に対しては、夏休みと
冬休みに居場所づくりとして「おおせっ子サロン」
日立市中部の沿岸
を開催している。今年度は、百年塾(日立市民の生
部に位置する会瀬地区は、約2,500世帯、5,600人で
涯学習を支援する組織)の市民教授によるバルーン
構成されている。近年、マンションなどの立地が進
アートの指導の後、昼食には民生委員が竹を切り出
んでおり、子育て世代など若い人が比較的多く住む
して流しそうめんを振舞った。
「様々な活動を通
地域でもある。
じ、子どもたちが会瀬に住んで良かったと思える環
会瀬学区コミュニティ推進会は、生涯学習・青少
境づくりを進めたい」と柴田氏は言う。
年育成部、健康づくり部、環境美化部、防災部と
いった様々な専門部局を設け、
「住民の絆」を念頭
に活動している。また、活動拠点である「会瀬交流
センター」の管理・運営も行っている。
「会瀬健康づくりくらぶ」による住民の交流
健康づくり部では、高齢者などが健康で元気に生
活してもらうために、2004年より「会瀬健康づくり
くらぶ」を毎週開催している。市から提供された
子育てを支える様々な取り組み
マットやステップ台などの器具を用いた運動を行
特に活発な活動を展開しているのが、生涯学習・
うほか、ハイキングや料理教室など様々な活動を実
青少年育成部である。青少年育成部では、「地域の
施して、参加者の健康増進だけでなく参加者同士の
子どもは地域全体で育てる」という方針のもと、年
交流拡大につなげている。
齢別の子育て支援を実施している。
その他、学区内の行事については、様々な団体と
例えば、乳幼児を対象に「おおせひよこ・ちびっ
連携し、コミュニティ推進会が中心となった「おお
こくらぶ」を開催し、リズム遊びなど様々な行事を
せ秋まつり」や年始の「浜の焚き上げ祭」
、地元青
通じて育児をサポートしている。更生保護女性会な
年会が主催する「会瀬夏祭り」などがある。
ど各種団体の協力を得て運営している。
また、
「おおせ元気っ子クラブ」では、小学校3・
避難所運営の支援
4年生を対象に学校でも家庭でもできない体験学
3月11日の大震災発生時、活動拠点である会瀬交
習を実施している。同クラブの運営は、住民や小学
流センターは、5mの津波が押し寄せた会瀬漁港の
5・6年生が携わっている。また、小学校の協力を
近くに立地しながら、幸い直接的な津波の被害は免
得て活動を行っている。
れることができた。職員は、利用者を安全に避難誘
’
11.11
180
導した。
に活動内容を見直しながら地域の和を広げ、多くの
500人が集まった避難所(会瀬小学校)では、コ
住民の参加を得ている。コミュニティがひとつの核
ミュニティ推進会の役員はじめ防災部が食料や
となり、住民のニーズに沿った活動が実施されてい
水、生活物資の配布、炊き出しを実施し、9日間の
る。
避難所運営を支援した。
住民のニーズに沿った活動を実施
「年間の行事は、本部や地域住民にとって負担の
かからないものを採用し、行事が長続きするように
努めている」と柴田会長は言う。
例えば、以前実施していた地域運動会の運営は、
選手など人集めで各役員の負担が大きかったこと
から、1990年に「おおせ秋祭り」として住民の交流
や芸術活動発表の場に変更した。
おおせ元気っ子クラブによる「地域を助川山から見よう!」
会瀬学区コミュニティ推進会は、時代に応じ柔軟
町会の交流を図る「中四鍋会(なかよしなべかい)」 ∼中村南四丁目町会(土浦市)
地区長 小林 敏夫氏
様々な世代、団体が運営に参加
土浦市の南部に位置する中村南
四丁目地区は、現在約250世帯、
600名が生活している。
前を覚え、中四鍋会の後も活発な深い交流が行われ
るようになった。
また、中四鍋会はいわゆる炊き出しであり、災害
発生時に必要な活動の1つである。そこで、中四鍋
四丁目町会は、様々な世代の考えを取り入れてい
会を防災・防犯の行事としても位置付けている。町
くため、30歳代から70歳代までの男女が役員を務め
会で作成した防災マップの説明会や、警察OBの協
ている。また役員会は、班長や老人クラブなどの団
力を得て作成した防犯マップの説明会なども開催
体も参加している。
し、防災・防犯意識の向上に役立てている。
「あったか中四鍋会」が交流のきっかけに
「中四さくら会」が活発な活動を展開
従来の区長や班長は、毎年4月に任命された後夏
町会の活動に女性の参加者が少なかったことか
の盆踊りの時期まで顔を合わす機会が少なく、その
ら、子どもが中学校に入学して子育てが一段落した
後も交流が進まないうちに1年の任期を終えてい
母親を対象とした「中四さくら会」という組織を立
た。そこで、早い時期から役員同士の交流を図り、
ち上げた。町会では、さくら会の運営に「お金は出
住民の交流も促進するため、2003年に役員で大鍋を
すが口は出さない」方針としており、自由且つ活発
作り、住民に振る舞う行事を新たに実施した。行事
な活動を展開し、参加者も増加している。こうした
は「あったか中四鍋会(なかよしなべかい)」とい
若い世代の活動は、高齢者に偏りがちであった町会
う名称にし、以後毎年5月下旬頃に開催している。
の活動を活性化し、若い世代が町会の活動に関心を
参加者はネームプレートをつけることで、互いに名
持つなど相乗効果が表れている。
’
11.11
181
行政との関係にも変化
任期見直しで住民負担軽減を検討
「あったか中四鍋会」の開催をきっかけに、行政
町会では、役員の任期を3年に設定している。役
との関係にも変化が生じている。行政がこの行事開
員が腰を据え、きめ細やかな活動が可能となるには
催を高く評価し、2005年からは毎回市長や職員が参
3年程度の任期は必要との考えからである。一方、
加している。
期間が長いことを理由に、役員を引き受けること拒
行事を通じて職員との関係が深まったため、市へ
む人が多いのも実情である。
の要望も伝えやすくなった。また、行政側も新たな
「今後は、任期年数を見直すことで住民の負担を
取り組みを検討、試行する際、当町会に依頼する機
減らし、できるだけ多くの人に運営に携わってもら
会が増加している。
いながら、若い世代へと引継いでいきたい」と小林
会長は将来を見据えている。
被災者に「中四鍋」を提供
東日本大震災によって、この地域では1週間断水
の状態が続いた。しかし、3年前に作成した井戸
マップが役に立ち、井戸のある17軒の協力で、大き
な混乱もなく住民は水を得ることができた。
震災から1週間後、市から県外避難者が集まる水
郷体育館での炊き出し要請を受けた。炊き出しのノ
ウハウは蓄積されていたので、すぐに現地で実行す
ることができた。
避難所での「中四鍋」炊き出し
自治会独自の福祉計画により支えあいを進める ∼筑見区自治会(阿見町)
会長 田邉 勉氏
高齢化が進む筑見区自治会
1999年に、高齢者の送迎システム
「ふれあい」
を作った。
筑見区は、1970年代から東京の
このシステムは、現在利用会員17名、運転を担当
ベットタウンとして開発された戸
する協力会員20名、資金を提供する賛助会員70名で
建住宅が立ち並ぶ地区で、現在約
構成され、例年150回以上の利用がある。
360世帯、960名が住んでいる。人口は1999年の1,120
利用代金は2006年より無料とし、運転者には寄付
名 を ピ ー ク に 減 少 し て お り、 現 在 の 高 齢 化 率 は
金から運営協力金(250円)を支払っている。しか
24%、10年後は50%になることが見込まれている。
し、利用者は無料に抵抗があるようで、寄付金が寄
自治会としては、10年以上前から将来的に高齢化
が進展することを想定し、高齢者が住みやすい地域
づくりを進めている。
せられている。
現在は、新たに週末の買い物支援を目的としたマ
イカーによる乗り合いシステムについても検討を
進めている。
筑見区高齢者等送迎システム「ふれあい」
筑見区は、最寄りのJR荒川沖駅や商業施設、病院
高齢者の健康維持活動「筑見いきいき」
などから距離があり、バスも1日3本程度の運行状況
2000年には、高齢化に伴う寝たきりや認知症を予
にあった。特に病院への交通手段の確保は、高齢化が
防するため、自治会による健康維持活動「筑見いき
進む筑見区にとって重要な課題であった。そこで、
いき」を開始した。
’
11.11
182
集まったお年寄りにお茶を飲みながら歓談してもら
い、次に看護師による血圧測定・問診、体操・ゲー
災役員に徒歩で報告、素早く全員の安否を集約・確
認するシステムとなっている。
ムに、婦人方の作った昼食をはさみ、午後は歌やハ
これにより、東日本大震災発生時においては、2
ンドベル演奏などを楽しみながら、月1回行っている。
度、50分ほどで災害時要援護者60人全員の安否確認
を完了することができた。
「筑見福祉計画」の策定
田邊会長は、
「高齢者の支援など地域の実態に
合った独自の福祉計画が必要」として、昨年1年間
かけアンケート調査や全班内会議を行い、今年3月
に自治会自ら「筑見福祉計画」を策定した。
若い世代へ継承していくために
近年は、積極的に自治会の活動に関わる住民の減
少が課題となっている。
元気な人もやがては老い、支えが必要になる。こ
計画では、
「住み慣れた筑見で元気で暮らしてい
のような時、隣近所、班を中心に元気な人が困って
くために!」をモットーに、47項目の活動を計画し
いる人を気軽に支えていく。このように支える、支
ている。具体的には、防災倉庫(旧自治会館)を改
えられるというサイクルが、安心して暮らしていけ
装した交遊サロン(高齢者・居酒屋サロン等)の開
る筑見のセーフティネットである。
設や、住民一人一人の支援・得意分野を一覧にして
「今、支え手の我々が自信を持って若い世代に背
困りごと、課題を住民が解決する
「つくみタウンペー
中を見せることが大切。必ず若い世代は付いてく
ジ」
の作成など、公募委員により検討を進めている。
る」と田邉会長は語る。
安否確認システムが震災時に機能
筑見区では、1980年代に阿見町初の自主防災組織
が結成された。例年、大規模な防災訓練を実施して
いる他、2009年には災害時要援護者(震度5以上の
地震発生時における70歳以上の独居者や障害者)を
保護する安否確認システムを導入した。
具体的には、地震発生時、要援護者個々の安否確
認者が安否確認に行き、自治会館に待機している防
「筑見いきいき」でリズム遊びを楽しむ住民
住民主体で加入率100%の自治会づくり ∼大山自治会(東京都立川市)
会長 佐藤 良子氏
全世帯が自治会に加入
中、大山自治会では入居者へ自治会の必要性を説
立川市の「都営上砂町1丁目ア
き、100%の加入率を維持している。また、不測の
パート」
、通称「大山団地」は、
事態に備え、住民の氏名や家族構成を記した全世帯
1963年 よ り 入 居 が 始 ま り、 現 在
の名簿を備えている。
1,300世帯、約3,100人が暮らしている。建物の老朽
化で2001年より建て替え工事が進められ、現在は中
高層の集合住宅となっている。世帯構成は子育世帯
と中高年、高齢者世帯が3分の1ずつとなっている。
団地は賃貸であり、定期的に住民が入れ替わる
基本方針は「市能工商」
大山自治会では、「市能工商」 という基本方針を
掲げている。
「市」は市民主体の自治会、
「能」は住む人々の能
’
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力を活用することを指している。大山自治会では、
認知症の老人を事務所に連れてくるなど、住民全体
大工仕事や看板製作、デザインなど得意とするスキ
で互いに助け合う意識が根付いている。
ルを保有する47名を「人材バンク」として登録し、
必要な際に該当者の協力を得られる制度を確立し
ている。
「ミニ行政」としての存在感
大山自治会の事務所には専従職員を配置し、要望
また、
「工」は工夫とアイディアを出し合うこと、
等への対応窓口を設けている。また、会長は自治会
「商」はコミュニティビジネスの創出を意味してい
専用の携帯電話を所持しており、24時間連絡が取れ
る。業者から団地駐車場の清掃業務を請け負う他、
その受託業者に団地の倉庫と清掃用具を賃貸する
こと、市の公園清掃、管理委託業務などで自治会の
収入を確保している。
る体制となっている。
これらの取り組みにより、住民の間に、自治会へ
まず相談しようという意識が醸成された。
自治会としても、住民のニーズはそこに暮らす人
にしか分からないという考えのもと、あらゆる生活
女性の視点で自治会を運営
自治会の役員の任期は1年で、毎年住民推薦投票
の課題の解決に努める「ミニ行政」として活動を継
続していく方針である。
で選出される。現会長の佐藤氏は1998年から13年間
現職を務めている。その間、高齢者に偏りがちな自
避難者と向き合う
治会役員を世代別・男女別に選出し、多様な課題を
3月の大震災による大山団地の人的・物的被害は
抽出する体制づくりを進めた。
「10年が過ぎ、よう
無く、3月末から福島県、岩手県、宮城県の被災者
やく理想の自治組織が出来上がりつつある」と佐藤
の受け入れを開始した。大山自治会では2000年にも
会長は言う。
三宅島からの避難者を受け入れた経緯があり、その
女性会長ならではの取り組みとして、1999年に設
際に協力を受けた企業・団体のリストを活用して支
置した「ママさんサポートセンター」が挙げられ
援を依頼したところ、1日で集会所に大量の物資や
る。育児相談や情報交換、一時保育のサポートな
支援金が届いた。5月に「立川・東日本大震災避難
ど、看護士や保育士など多様な職種の方々が子育て
者を支援する会」を設立し、大山団地も含めた立川
で悩む母親を支援している。子育てを地域全体の問
市への避難者100世帯、300人を支援している。
題として捉え、学校や児童相談所、民生委員等とも
連携した取り組みを実施している。
被災者への対応として、被災者同士の交流を目的
にサロンを立ち上げた他、市の協力で7月末には弁
護士4名を呼んで法律相談を実施した。また、避難
見守り機能を強化し高齢者の孤独死を防ぐ
大山自治会では、電力やガス会社、水道局などと
者が収入を得る場として、8月から自治会事務所で
内職業務を提供している。
連携し、孤独死の防止を図っている。検針時の数値
福島県の被災者を中心に、現在でも55世帯が避難
確認、新聞配達時の取り漏れ確認などから、異常が
生活を続けている。長期化が予想されるなか、避難
認められた場合は自治会事務所へ通報する体制を
者の様々な悩みに向き合った取り組みを継続して
構築している。
いくという。
住民に対しても、両隣や近隣の部屋の見守りを呼
びかけている。現在では、住民が向かいの棟の異常
退職者の自治会参加に期待
を発見するなど、見守りの意識は向上している。子
自治会の活動は無償を基本としており、ボラン
供たちの意識も向上しており、団地内で困っている
ティアの要素が強い。しかし、「日野原重明氏が提
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唱するように、ボランティア上手は生き方上手。ボ
たい」と佐藤会長は将来を見据えている。
ランティアには自分の生き方を学ぶことができる
利点がある」と佐藤会長は言う。現在、大山自治会
では登録ボランティア427名が10項目のボランティ
ア活動に参加している。
大山自治会では、勤めを終え一段落した人々に自
治会への参加を促している。実際、70歳代の住民も
自分のスキルを活かし、積極的に活動に加わってい
る。
「今後も様々な取り組みを通じ、住民が住んで良
かったと思えるような自治会づくりを進めていき
「ママさんサポートセンター」で遊ぶ子どもたち
地域と共に減災へ取り組む ∼兵庫県神戸市(防災福祉コミュニティ)
神戸市消防局予防部予防課 地域防災支援係長 消防司令 秋田 稔之氏
防災福祉コミュニティの誕生
神戸市は、1985年から地域防災
組織として「自主防災推進協議会」
学校区を単位とした防災福祉コミュニティは2008
年に191地区に達し、組織率は100%を達成した。
震災以降、防災訓練が活発に行われており、2010
が設置されていた。しかし、その
年度には市内の各地区で延べ788回もの訓練が行わ
活動は、防災知識の普及や防災意識の啓発が中心
れた。これは、1地区当たり平均4回にのぼる。他
で、災害活動の位置づけは弱かった。
に自治会などでも小規模な訓練が行われており、防
1995年1月に阪神・淡路大震災が発生し、震災後
災意識の高さが窺える。
の火災や建物倒壊などで、神戸市では4,571人が犠
牲になった。そのうち高齢者が6割、建物倒壊によ
る窒息・圧死の割合が7割に達した。
この経験から、災害発生時の要援護者や要救援者
への対応は、地域防災に不可欠なものとして認知さ
提案型助成が地域を見直す契機に
防災福祉コミュニティの活動促進に向けて、市も
活動費の助成や市民防災リーダーの養成、消防署員
の地区担当制などの支援を行っている。
れた。そして、災害発生時に組織的に活動できる地
助成は、通常の活動や資機材の更新などに充てら
域防災組織として1996年3月に結成されたのが、
れる運営活動費と、コミュニティが独自に活動を提
「防災福祉コミュニティ」である。
案・応募し、採択された提案に助成する提案型活動
費に分けられる。提案型活動費は、毎年30 ∼ 40件
地域防災に福祉の視点
が助成対象となっている。「提案型の実施は、それ
防災福祉コミュニティは、単に防災活動に取り組
ぞれの地域が課題や解決方法を考える契機となっ
む組織ではない。特徴的なのは、自治会や婦人会、
ていて、特徴ある提案が出てきている」と秋田氏は
老人クラブなど地域の様々な福祉団体と連携し
言う。
て、近所同士の助け合いの精神、顔の見える関係を
市民防災リーダーの養成は、毎年700 ∼ 800人が
活かし、いざという時に活動できる組織としている
受講し、受講者は延べ9,000人を超えている。30 ∼
ことである。
50世帯(ゴミの収集地区)当たりリーダー1人がい
人口約150万人、68万世帯を抱える神戸市で、小
ることを目標に、育成に取り組んでいる。
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消防署員の地区担当制では、コミュニティごとに
2∼3名の消防署員を配置し、防災訓練の指導や助
成の相談、情報提供などを実施しており、「行政が
地域と顔の見える関係」を構築している。
ニティも、防災訓練などの住民の参加率や、担い手
の高齢化や固定化に課題があるという。
課題解決に向け、市内の小学校と地域が一体と
なった防災教育が取り組まれている。子どもたちへ
の教育を通じて、その親など若い世代に対しても意
地域課題の解決に向けた様々な取り組み
防災福祉コミュニティの取り組み事例をみると、
明親地区では、地域内の事業所と災害活動や給水等
識を啓発し、活動への参加を促進する狙いがある。
防災教育は、学校から家庭、家庭から地域へとつな
げる取り組みとなっている。
の支援活動、資機材の提供などで連携している。
魚崎地区では、災害時の要援護者情報をデータ化
防災も地域の特性に応じた取り組みが必要
し、避難支援に役立る取り組みを行っている。毎
東日本大震災で想定を超える津波が発生したこ
年、データを元に津波発生を想定した避難支援訓練
とを受けて、現在神戸市では東南海・南海地震発生
が行われている。
に備え、防災福祉コミュニティと共に地域津波防災
また、市内18地区のコミュニティでは、小中学生
計画の見直しに取り組んでいる。
を対象にジュニアチームを組織し、大人と合同で防
「地域によって災害リスクや対応できる活動は異
災訓練を行っている。ひよどり台地区では、ジュニ
なる。地域それぞれが対策を考え、市は地域と協議
アチームをごみ出しや見守り活動などにも参加さ
し、特性に応じた支援を行っていく。こうした協同
せている。これらの活動は、阪神・淡路大震災を経
の取り組みを積み重ねていくことが、減災には欠か
験していない子どもたちへの震災の教訓の継承
せない」と秋田氏は強調する。
や、地域の福祉活動への子どもたちの参加促進の狙
いがある。
各コミュニティの取り組みは、それぞれの地域が
持つ問題意識が出発点となっている。市では主に地
区の担当職員が協議に加わり、地域と共に課題解決
に向けた方策を検討している。
防災教育で地域住民の参加を促進
活発な取り組みが行われている防災福祉コミュ
ジュニアチームの活動の様子
地域コミュニティ活性化にITを活用 ∼岡山県岡山市(電子町内会)
岡山市安全・安心ネットワーク推進室 副主査 吉川 国夫氏(左)
主任 峰松 秀年氏(右)
電子町内会の始まり
人 口 約70万 人、30
進など、市民参加型の電子自治体の構築に向けた取
り組みを進めている。
万世帯を抱える岡山
その中で、地域の情報化を促進するため、町内会
市は、1998年に策定した「地域情報水道構想」
(市
活動にインターネットを利用した全国初の試みと
民や企業が水道水のように低コストで情報を取得
して2002年3月から運用を開始しているのが、
「電
できることを目的とした情報インフラの整備)の推
子町内会」システムである。
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岡山市では、従来から防犯、防災、環境美化など
活動を行うなど、交流の輪が広がっている。
地域の身近な課題に対して、町内会が活発に活動し
ている。市は、そうした町内会の活動に着目し、そ
会員数の増加、活動の活性化に課題
の活動にインターネットを利用した電子町内会の
一方で、今後に向けた課題もある。
活動を取り入れ、地域の情報化促進や地域交流の促
最も大きな課題は、会員数の伸び悩みである。そ
進を図っている。
のため市では、連合町内会の導入促進に重点を置い
現在、岡山市内には1,664の単位町内会、小学校区
た取り組みを進める予定である。現在、電子町内会
単位で構成する91の連合町内会があり、町内会への
の市内カバー率は40%程度に留まっている。複数の
加入率は全世帯の86%を占めている。そのうち電子
単位町内会から組織する連合町内会での導入を進
町内会は、現在36の単位町内会と33の連合町内会で
めていくことで、より広い地域をカバーすることが
導入され、登録会員数は延べ6,000人を超えている。
でき、電子町内会への登録を希望する人がいつでも
電子町内会は、誰でも閲覧できる外向けのページ
参加できる環境を整備することができる。
と、町内会員のみ見ることができる会員専用ページ
また、電子町内会の活動があまり活発に行われて
で構成されている。外向けのページでは、町内会の
いない町内会もあることから、活動を促進していく
紹介や地域行事の案内などが掲載され、会員専用
ことも課題となっている。毎年、電子町内会を運営
ページは、地域の住民が実名で書き込みを行う掲示
する町内会による意見交換会が開催され、取り組み
板などに利用されている。
事例や意見の交換が活発に行われている。
市は、システムの保守やホームページ作成・セ
キュリティに係る研修、制度のPR活動などを実施
電子町内会は地域交流に向けた道具
している。市の呼びかけでスタートしたシステムで
「電子町内会の運用は、多岐に亘る町内会活動の
あるが、あくまで運営の主体は町内会であり、電子
1つ」と峰松氏は言う。地域住民が「住みやすい町
町内会の運営方法や内容については、それぞれの町
にしたい」という意識が高まることで、地域活性化
内会の自主性に委ねられている。
の道筋も見えてくる。そのためには、まず住民同士
が積極的に交流することが重要で、電子町内会は、
電子町内会導入により地域の交流に広がり
電子町内会の導入によって、様々な効果が見受け
IT化がますます進展する時代において交流を促進す
る有力な手段の1つとなるだろう。
られる。
その1つは、地域情報の伝達である。インター
ネットを利用することにより、不審者情報など即時
性が求められる情報については、すぐに取得するこ
とができる。急を要さない情報については、都合の
良いときに取得できる。こうした点は、回覧板など
紙媒体による情報伝達に比べてメリットが大きい。
また、町内会で顔や名前を知らなかった人同士
が、会員専用ページの掲示板で知り合い、庭木の伐
採などの助け合いや共通の趣味についてサークル
電子町内会のホームページ
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第4章 地域コミュニティの再生に向けて
1.大震災を機に自立・自発的な地域コミュニティ
の形成を
東日本大震災の発生時、石川地区コミュニティ連
絡協議会や戸頭団地賃貸住宅自主防災会では、平時
な課題を抱えている。そこで課題を克服し、自立・
自発的な地域コミュニティを形成していくための
ポイントを考えてみる。
①人材の活用
からの活動が震災直後の対応や避難所の運営など
地域コミュニティでは、リーダーが重要な役割を
に活かされ、中村南四丁目町会の行事は避難者の支
担っており、活動はリーダーに依存しているケース
援に役立てられた。
も多い。しかし、コミュニティが活発な取り組みを
これらの組織・団体が果たした役割は非常に大きく、
地域防災の担い手として、町内会・自治会及びそれら
継続していくためには、リーダーを支える住民の存
在が不可欠である。
が主体となる自主防災組織への期待が一層高くなった。
大山自治会では、住民のスキルを活かした人材バ
しかし多くの住民は、防災も含めた地縁組織・団
ンク制度を確立し、多様な能力を活用している。また
体の必要性を認識しながら、近隣関係が希薄にな
筑見区自治会でも、同様の取り組みを検討している。
り、実際の活動には参加していない。こうした住民
地域には、仕事や趣味などから得たスキル、ノウ
の地域コミュニティへの思いと行動が矛盾するア
ハウを持つ人々が居住している。しかし、住民が
ンビバレンス(両面価値)の状況が変わらない限
様々なスキル、ノウハウを持っていても、それを把
り、地縁組織・団体を中心とする地域コミュニティ
握して組織化していかなければ、住民の活力を生か
の再生は難しい。
した地域づくりは難しい。
神戸市では、阪神・淡路大震災を機に自主防災組
こうした地域人材の活用は、住民にとっても地域
織が結成され、住民が創意・工夫し、地域に最適な
活動に参加するきっかけになる。元気な高齢者を含
防災訓練や、福祉面などの課題解決に向けた取り組
め、住民が主体的に活動に関わる場を提供していく
みを進めている。暮らしの場の安心・安全に向け、
ことが求められる。
住民の地域コミュニティへの思いと実際の行動が
②多様な活動主体との連携
一致した事例である。
県内では、震災による被害状況は様々で、地域コ
ミュニティの動きも違いが見られた。しかし、自然
災害への危機感が高まった住民、そして地域の重要
性、地域の絆を痛感した住民は多いに違いない。
地域には、町内会・自治会など地縁団体の他、地域
に根付く学校や企業などが存在する。活動が活発化す
るためには、多様な主体との連携が不可欠である。
会瀬学区コミュニティ推進会や中村南四丁目町
会では、子ども会や青年会、老人会、学校など様々
地域防災活動をきっかけとして、多くの住民が地域
な地縁組織・団体などと連携し、多数の参加者のも
の担い手として主体的に参加する、
「自立・自発的」
とで地域行事が活発に行われている。大山自治会
な地域コミュニティを形成していくことが求められる。
は、電力会社やガス会社、水道局と連携し、地域の
見守り活動が行われている。神戸の防災福祉コミュ
2.自立・自発的な地域コミュニティ形成のポイ
ント
地縁組織・団体は、参加者の減少のみならず様々
ニティでは、地域内の事業所と災害活動などで連携
している。
これらの地域コミュニティは、自らカバーできな
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い資源・ノウハウなどを積極的に他団体や企業など
ミュニティ活動への関心を高めるために不可欠で
から補充し、それらとの連携のもとで活発な活動を
ある。そこで行政には、ネットワークを活かした
展開している。町内会・自治会のみの活動では限界
コーディネーターとしての支援や、環境整備などの
があり、様々な地縁組織・団体や企業、NPOなど
支援が求められる。
とネットワークを構築することで、活動もより重層
岡山市では、電子町内会システムの運用によっ
的になるだろう。
て、地域コミュニティ活動に新しい風を吹き込ん
③地域特性を踏まえた活動
だ。インターネットの活用によって、地域における
地域は、地理的条件や住民の年代構成、ライフス
タイルなどによってそれぞれ特性が異なってい
る。したがって、課題も地域により様々である。
助け合いや世代間の交流に進展がみられる。
地域の交流を促進するためには、何らかのきっか
けが必要である。SNSやツイッターなどソーシャル
筑見区自治会では、高齢化が急速に進む特性を早
メディアの利用者が増加する中、町内会の活動にイ
くから見出し、住民の意見も踏まえ、高齢者の足の
ンターネットを導入する電子町内会の取り組み
確保や健康維持活動など、独自色を前面に打ち出し
は、交流のきっかけづくりとして先進的な取り組み
た活動を展開している。
と言える。
地域コミュニティは、地域固有の課題、住民の
③地域の実情に応じた支援
ニーズを吸い上げて、地域に最も適した取り組みを
地域では、コミュニティのみで解決できない課題
進めていくことが重要である。独自性のある活動を
もあることから、行政の支援が必要となる。その支
進め、住民の関心が高まっていけば、活動への参加
援は、均一的・画一的なものではなく、地域の実情
促進に繋がっていくだろう。
に応じたものでなければならない。
神戸市では、消防署職員をそれぞれの地区に配置
3.行政の支援のあり方
地縁組織・団体が自立・自発的な地域コミュニ
ティを形成していくために、行政はどのような視点
に立ち支援することが必要だろうか。
①人材の育成
し、職員は地域に対して防災上の技術的な援助のみ
ならず、地域の課題解決に向けた協議に参加してい
る。
行政の支援が地域の実情に応じたものとなるた
めには、地域と行政が近い関係を築くことが求めら
地域コミュニティで重要な役割を果たすリーダー、
れる。地域と行政の関係が深まることで、地域は行
そしてリーダーを支える人材の育成が不可欠である。
政に意見や要望を出しやすくなる。行政も地域の実
神戸市では、市民防災リーダーの養成に取り組ん
情を把握でき、意見や要望に沿った支援が可能とな
でおり、これまでに受講した市民は延べ9,000人を
るだろう。
超えている。
神戸でリーダー育成が進んでいるのは、住民が公
地縁組織・団体などの伝統的な地域コミュニティ
共的な活動に主体的に参加する意義を理解してい
は、地域社会が存在し続ける限り必要である。しか
るからに他ならない。住民にこうした意義を理解し
し、各主体の構成員一人ひとりが主体的に考え行動
てもらうためには、意識啓発だけではなく、住民の
していかなければ、地域の維持・発展は難しい。
満足感が得られるような魅力ある活動をコミュニ
地域の全ての住民が関わる地域コミュニティに
ティとともに検討することが必要である。
よって、安心・安全で活力ある地域づくりが進めら
②交流の促進
れることを期待したい。
地域住民の交流は、地域情報の共有化と、地域コ
(大倉・貝塚・遠藤)
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常陽地域復興プロジェクト 2011 JOYO ARC 11 月号
東日本大震災 地域復興特集増刊号
平成 23 年 11 月 1 日発行
発 行 所
編集発行人
財団法人常陽地域研究センター
〒 310 − 0801 茨城県水戸市桜川 2 丁目 2 番 35 号
電話 029 − 227 − 6181(代表)
出井滋信