「詩人ナースィル・カーズミーと詩集『葦の葉』」. - J

詩 人 ナ ー ス ィ ノレ ・ カ ー ズ
片
岡
ミー と 詩 集
弘
『葦 の 葉 』
次
ウル ドゥー現 代 詩 人 は, 自由 詩 だ け を書 く詩 人, 自由 詩 と旧来 の野 情 定 型 詩 ガ
ザ ル の 両 方 を 書 く詩 人, そ し て この ガ ザ ル だ け を書 く詩 人 の 三 つ に大 別 出来 る。
自 由詩 と は, 1865年 ラー ホ ー ル に 設 立 され た 「パ ン ジ ャー ブ協 会 」 に よ り催 され
る詩 会 で 盛 ん に な る長 詩 ナ ズ ムの 系 統 を 引 き, 西 洋 の 詩 の影 響 を 受 け, 短 詩 ナ ズ
ム, 韻 律 な しの ナ ズ ム, の 段 階 を経 て今 日の 所謂 自由詩 に な る詩 で あ るが, この
自由 詩 は 「パ ンジ ャー ブ協 会 」 の 詩 会 以 来, ガ ザ ル と絶 え ず対 立 関係 に あ った。
そ し て時 代 が 急 進 的 で あれ ば あ る程, 必 ず ガ ザ ル は この 自由詩 の側 か ら保 守 的 な
芸 術 様 式 と し て攻 撃 され て来 た。
ガザ ル は度 重 な る攻 撃 に も拘 らず そ の 度毎 に 蘇 生 し, 今 日で も ウル ドゥー現 代
詩 の 中で な くて は な らな い 詩 の ジ ャ ンル で あ るが, 19世 紀 後 半 早 くも, 押 韻 の競
争 に陥 って し ま った 詩 会 の ガザ ル に, 表 現 の 自由 を損 な うもの との批 判 が起 った。
そ こで 「パ ンジ ャ ー ブ協 会 」 の 催 す 詩 会 で は ガザ ル に 代 って 長 詩 ナ ズ ム が詠 ま れ
る こ と に な った。 当 時, 民 族 の 覚 醒 を促 す には ガ ザ ル の 詩 法 で は 舌 足 らず と考 え
られ始 め, ア リー ガル 運 動 を 担 う詩 人 の 関 心 は, ガ ザ ル に代 って長 詩 ナ ズ ム に 向
け られ た。 これ は ガザ ル に と って 最 初 の試 練 の時 だ った。
20世 紀 の30年 代, 進 歩主 義 文 学 運 動 が始 ま る と再 び ガ ザ ル は そ の攻 撃 の 対 象
と され た。 そ の 目指 す と こ ろは, 社 会 の 発展 の為 に, 文学 を通 じ人 々 の批 判 力 を
養 うこ とに あ った の で, この 伝 統 的, 古 典 的 な ガ ザ ル は, 保 守 主 義 を代 表 す る形
式 主 義 と考 え られ, ガザ ル に代 り短 詩 ナ ズ ム, 無 韻 詩, 散 文詩, 自 由詩 の詩 作 が
始 ま った。 しか し47年 印 ・パ 分 離 独 立 後, 新 し く誕 生 した パ ー キ ス タ ー ンで 進
歩 主 義 作 家 協 会 が結 成 され る と, そ の 活動 は反 政 府 運 動 と見 な さ れ, 自 由詩 も左
翼 思 想 の 温床 と され, 詩 人 は そ れ に 代 る他 の表 現 様 式 を探 さ ね ば な らなか った。
50年 代 は ガザ ル の 復 活 した 時 代 とな った。 この 中 心 的書 き 手 に は, 自由 な 思
想 表 現 の妨 げ に な る と して ガザ ル を拒 否 した 文芸 協 会 派 グ ル ー プ が な っ た。 そ れ
は, 社 会 の 為 の 文学 を強 調 しす ぎた進 歩 主 義 グ ル ー プ か ら, 文 学 の 為 の 文 学 も有
り得 る こ とを 主 張 し, 39年 そ こか ら別 れ た グ ル ー プ で あ っ た。 この 文 芸 協 会 派 の
グ ル ー プ は ガザ ル の 持 つ 象 徴 性 を 利 用 し, パ ー キ ス タ ー ン成 立 直 後 の 保 守 反 動 の
-1099-
詩 人 ナ ー ス ィル ・カ ー ズ ミー と詩 集 『葦 の葉 』(片
岡)
(26)
強 い 社 会 の 中 で 表 現 活 動 を 行 った。 ナ ー ス ィル も こ の グ ル ー プ で,
パ ー キ ス ター
ン成 立 直 後 の 人 々 の 苦 悩 を ガ ザ ル で 表 現 し, と 同 時 に ウ ル ド ゥ ー 現 代 詩 の 中 に,
ガ ザ ル を 再 生 させ た 詩 人 と な っ た。
ナ ー ス ィ ル は1925年
ア ンバ ー ラ ー で 生 れ た。 父 親 は 警 察 官 で そ の 家 系 の 多 く
は 軍 人 や 警 察 官 で あ っ た。 ア ンバ ー ラ ー と シ ム ラ で 初 等 教 育 を 終 え る と, F. A.
に 合 格 し, イ ス ラ ー ミ ヤ ・カ レ ッ ジ ・ ラ ー ホ ー ル のB.
ー ラ ー に 戻 る こ と が 起 き, 戻 る と そ の ま ま そ こ で2年
A.
半,
在 学 中, 急 に ア ン バ
父祖伝来の土地の小作
見 回 りを す る こ と に な っ た。 再 び ラ ー ホ ー ル に 戻 っ た の は47年12月,
し て 着 め 身 着 の 儘 の 有 様 で あ っ た。 以 後72年47歳
避難民 と
で他 界 す るま で ラー ホ ー ル に
在 住 す る こ と に な っ た。
ラ ー ホ ー ル に 戻 る と, エ ン プ ロ イ メ ン ト ・エ ク ス チ エ ン ジ で 仕 事 を 始 め, ハ サ
ン ・ア ス カ リー(1919∼),
ー ス ミー(1916∼),
12∼)な
マ ン トー(1912∼1955),
フ ァ イ ズ(1911∼),
ど と親 交 が 始 ま り, 雑 誌
ア フ マ ッ ド ・ナ デ ィ ー ム ・カ
ハ フ ィー ズ ・ホ ー シ ャ ー ル プ ー リ ー(19
『オ ウ ラ ー ク 』 や 『フ マ ー ユ ー ン 』 の 編 集 も 始
め た。 ナ ー ス ィル の 名 前 が 出 る の は42年,
ラ ー ホ ー ル の 詩 会 の 時 で あ っ た が,
オ ー ル ・イ ン デ ィ ア ・ レ ィ デ ィ オ ・
そ の 名 が 認 め ら れ る の は, 47年
以 降 で あ っ た。
書 き 始 め に は ロマ ン派 を 代 表 す る ア ク タ ル ・シ ェ ー ラ ー ニ ー(1905∼1948)の
を 受 け,
ナ ズ ム や ソ ネ ッ トを 書 い た が,
そ の本 領 が 発揮 され るの は ガ ザ ル に移 っ
て か ら で あ っ た。 ガ ザ ル は:最初 ハ フ ィ ー ズ ・ホ ー シ ャ ー ル プ ー リー に 習 い,
後 ミ ー ル(1723∼1810)の
た1)。
影響
詩 集 を 枕 代 りに し て 寝 る程,
バルゲ ナイ
デイリワロン
その
ミー ル の 詩 か ら影 響 を 受 け
パヘリ
ー バロリシユ
ナ ー ス ィル は生 前, 『葦 の葉 』(1954年), 『詩 集 』(1972年), 死 後 に 『最 初 の雨 』
(1975年・)の三 冊 の ガ ザル 詩 集 を 出す が, 最 初 の 詩 集 に あ る ガザ ル が 発表 され 出 す
と, 新 しい世 代 を代 表 す る詩 人 と して注 目を 浴 び始 めた。 『葦 の葉 』 に は47年
よ
り54年 まで の 間 に書 か れ た70編 が 収 め られ てい るが, そ れ ぞ れ が 印 ・パ分 離 独
立 に よ って起 さ れ た状 況 を背 景 に して, 従 来 の ガザ ル とは異 な る仕 方 で書 か れ た
ガ ザ ル で あ った。
当時, 家 が焼 き払 われ る こ と, 町 中で 婦 女 子 が 暴 行 され る こ と, 人 々の 心 が麻
卑 して行 く様 子, ま た何 年 も続 く混 乱 の 中で 人 々が 食物 を 求 め 彷径 い 歩 く姿,
々荒 廃 して行 く家 々や 町 々の 様 子 な どは,
日
日常 的 な光 景 で, 人 々の 生活 は血 の春,
即 ち偽 の春 の 真 っ直 中 に投 げ 出 され た 生 活 で あ った こ とが, ナ ー ス ィ.ル の ガ ザ ル
の 中 で至 る所 に見 られ る。 ガザ ル の 中心 テ ー マ は 一般 に恋 人 に対 す る愛 の表 現 と
-1098-
(27)
詩人ナ ースィル ・カーズ ミー と詩集 『葦の葉』(片
岡)
考 え られ て来 た が, ナ ー ス ィル は この よ うな社 会 の 混乱, そ して そ の 中 か ら起 っ
て来 る人 々の 日 々の 悲 しみ を そ の ガ ザ ル の 中心 的課 題 と して捕 え, 社 会 に対 す る
愛 を 表現 す る こ と に努 めた。
詩 集 『葦 の 葉 』 に 次 の よ うな 特 徴 が挙 げ られ る。第 一, ナ ー ス ィル は 当時 の状
況 や 出 来 事 に 大 きな影 響 を 受 け, そ の さま ざ ま の面 を詳 細 に述 べ て い る。 第 二,
そ れ らを述 べ るに単 な る外面 の様 子 だ け を述 べ て い るだ け で な く, それ らの こ と
が起 る時 の 人 々の精 神 的, 感 情 的 な様 子 に ま で及 ん で い る。第 三, 非 常 に近 くか
ら人生 を凝 視 し, そ れ に真 実 の光 りを 当 て て い る。 しか し見 方 は哲 学 的 で な く視
覚 的 であ る。 第 四, 人 生 の 苦 しみ や 悲 しみ に 嫌 気 を 指 す と ころ が な:く楽 天 的 な様
子 もあ る。 この楽 天 さ故 に あ らゆ る方 面 に 目 が 行 く。第 五, 温 和 な 性 格 の た め
に2)フ ァ イズ な どに 見 られ る よ うな革 命 的 な調 子 は な い が, 社 会 体 制 の正 確 な 把
握 と体 制 批 判 が あ る, な どの特 徴 が 『葦 の葉 』 の 全体 に通 じて見 え る。
勿論
愛 は ガ ザ ル の基 本 的 テ ー マで あ り, ナ ー ス ィル もガ ザル の 中で その さ ま
ざ ま の面 を見 せ て い るが, 愛 の表 現 に は以 下 の特 徴 が 見 え る。 第 一, 愛 の 主 人 公
は ライ ラーや マ ジ ュヌ ー ン, シ ー り一 ンや フ ァル ハ ー ドの よ うな 伝 統 的 人 物 で な
く, 現 実 の生 き た人 間 で あ る。 第 二, 恋 人 は感 情 に溺 れ ず 日常 の 生 活 と関 係 を 持
つ。 第 三, 時 代 の悲 しみ の 表 現 が 主 た る 目的 で, 愛 の 悲 しみ はそ の 表 現 の触 媒 の
役 割 を して い る。 第 四, 外 面 性, 内面 性 の 両 面 か ら述 べ られ てい る。 第 五, 愛 の
詩 で あ りな が ら当時 の情 況 も述 べ られ て い る。 第 六, 写 実 的 で あ る, な どの特 徴
が見 え る。
第 一 の特 徴 に対 して は, 既 に20年 代 後半 よ り30年 代 前 半 に ロマ ン派 を 確 立 さ
せ た ア ク タ ル が そ の詩 の 中 で試 み て い るが, ナ ー ス ィル もそ の 影 響 を 受 け た と見
て よい。 第 二 以 下, 内面 性 を重 ん じる の は文 芸 協 会 派 の 特 徴 で あ り, 写 実 主 義 は
進 歩 主 義 文 学 運 動 以 降, ウル ドゥー文 学 に顕 著 に現 れ る手 法 で, 40年 代 以 降 の ウ
ル ドゥー文 学 の下 地 と して 固 った と考 え られ る。 そ こで 愛 の 表 現 にお い て も現 実
を重 視 す る態 度 を 取 った と言 え よ う。
ナ ー ス ィル は ガ ザル に新 しい テ ー マ, 新 しい 詩 の題 材 を加 え られ る可 能 性 を示
した が, 同時 に そ の表 現 様 式 に も従 来 の ガザ ル に見 られ なか っ た よ うな 新 しい 道
を示 した。 即 ち そ の ガ ザ ル の使 用 語 彙 や語 句 は従 来 の ガザ ル に見 られ る よ うな も
の で な く, 日常 の会 話 で誰 もが使 用 す る もの を ガザ ル の言 葉 と して使 い, そ れ ら
を使 って ガ ザル が 出来 る こと を示 した こ と で あ っ た。 そ こに は フ ァイ ズの ガザ ル
の 中に 見 られ る よ うな難 か しい ペ ル シ ャ語 的 な言 い 回 し も, ガザ ル 特 有 な語 句 は
-1097-
詩人 ナース ィル ・カーズ ミーと詩集 『葦 の葉』(片
岡)
(28)
な い が, 強 力 な詩 精 神 が あれ ば 日常 語 の 組 合 せ で も ガザ ル に なれ る とい う例 を示
した こと で あ っ た。
40年 代 末 よ り50年 代 初 め て掛 け て起 った 政 治 的保 守反 動 の 中 で, 文 学 は そ の
様 式 を それ に応 じて変 え ね ば な らず, 例 えば, 進 歩 主 義 時 代 の 写 実 的 な短 編 小説
に代 って, 回教 徒 の過 去 の偉 大 さ を想 起 させ る よ うな時 代 長 編 小 説, 現 状 批 判 の
な い ユ ー モ ア小 説 が書 かれ 始 め た よ うに逃 避 主 義 の 台 頭 が あ った3)。詩 に お い て
も同 じ く, 古、
典 を代 表 す るガ ザ ルが 自 由詩 に取 って代 え られ ね ば な らな か った。
しか しナ ー ス ィル の ガ ザル は新 しい世 代 が直 面 し た新 しい 出 来 事, 経 験 を映 す 鏡
とな り, 古 い体 制 に は襖 を打 ち, 運 命 論 には 批 判 の 矢 を 向 け, そ の ガザ ル に は 思
想 的退 行 は少 し も見 られ ない。 ま た個 人 的 な もの の 表 現 の 他 に, 社 会 的 な もの の
表 現 の可 能 性 を ガ ザ ル に与 え, ガ ザル が 今 まで に ない 広 さ を与 え られ た と言 って
い い, と 同時 に ガ ザル が 現 代 社 会 に応 じた 姿 で 蘇 させ られ た と言 え るで あ ろ う。
詩 集 『葦 の 葉 』 は印 ・パ 分離 独 立 時 の 状 態 を描 い た 絵 画集 と も言 え る。 この分
離 独 立 よ り起 った 多 くの 諸 問 題 を テー マ に 多 くの 作 品 が書 か れ た。 我 国 で は それ
ら一 連 の 文 学 に対 し, 作 品 紹 介 が 『イ ン ド文 学 』(東外大 ・イ ンド文学会)に され て
来 た。 しか しそ の 殆 どが短 編 小説 で あ り他 の ジ ャ ンル に ま で及 ば なか っ た。 動 乱
文 学 の 一 層 の 理 解 の た め に, ナ ー ス ィル の 詩 を も含 め他 の ジ ャ ンル の翻 訳 紹 介 の
必 要 を(痛感 した。
1)
2)
3)『
"Hi jr ki rat ka sitara" Naya idarah, 1972, p. 33.
"Jadid shairi" Urdu dunya, 1961, p. 505.
ア ジ ア レ ビ ュ ー 』 朝 日 新 聞,
1975年,
21春
季 号,
p. 138.
(大 阪 外 国 語 大 学 講 師)
-1096-