第四期の実施カリキュラムとフィールド

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もくじ
巻頭座談会 「豊森なりわい塾」第四期を終えて
豊森実行委員長 澁澤寿一/豊田市企画政策部 安田明弘/トヨタ自動車㈱ 大洞和彦
2
豊森の概要
6
第四期の実施カリキュラムとフィールド
8
カリキュラムの視点
10
第四期の講座内容
入塾式・第 1 回(5 月)
12
第 2 回(6 月)
18
第 3 回(7 月)
22
第 4 回(8 月)
26
第 5 回(9 月)
30
第 6 回(10 月)
34
第 7 回(11 月)
38
第 8 回(12 月)
42
第 9 回(1 月)
46
第 10 回(2 月)
50
公開講座
52
塾生の属性データ
第四期生 修了レポート
56
57 〜 101
豊森みんなへのメッセージ、地域の方へのメッセージ
102
講座外の活動
106
フィールド集落との会合
108
旭地区への広報
110
お世話になった方々
112
運営/事務局スタッフ紹介
114
PHOTO ALBUM
116
豊森なりわい塾第四期 修了に寄せて
表3
(トヨタ自動車株式会社社会貢献推進部長 菅原英喜)
1
巻頭座談会「豊森なりわい塾」第四期を終えて
行政(豊田市)、企業(トヨタ自動車)、NPO(地域の未 来・志援センター)の三者で構
成 する豊 森 実 行委員会の主催として 2009 年にスタートした「 豊 森なりわい塾 」。 第四期
(2014 年 5 月〜 2015 年 3 月)が終了し、丸 6 年が過ぎました。豊森のこれまでを振り返り、
これからの展望について語っていただきました。
ことも感じるようになった。世界の方向性からみても、
豊森は先進的なことをやってきた。
豊森スタートして6年
澁 澤 ちょうど6年 前、豊 森 が 始 まる頃はリーマン
安田 豊田市は平成17年に隣接する6つの町村と合
ショック真っ盛りだった。ベルリンの壁が崩壊し、動き
併し、
「都市と農山村」を重点テーマとして取り組んで
始めた世界経済が最初に破綻した年だったと思う。そ
きた。その中で、最初は、全くの手 探りの状 態から、
んなときに、これからどう生きるのか。環境や地 域、
交流や定住を始めとしたさまざまな施策を少しずつ具
森林がとても大切な切り口で、森から離れた持続可能
体化することができた。豊森がスタートしてからのこの
な社会は多分ないだろうと。もう一度そこに接点をも
6年間は、さらに多くの事業を試行錯誤の繰り返しの
ちながら、人の暮らしをどうつくっていけるのか‥から
中で進めてきた感がある。今年(2015 年)は合併し
スタートしたのが豊森だった。そういうことが世界中
てちょうど 10 年という節目の年で、改めて振り返って
でも議論されていて、スコットランドの問題があり、ギ
みると、個々の施策はそれなりに成果が上がっている
リシャやスペイン、イスラム国の問題にしても、今、国
にもかかわらず、少子高齢化の中で農山村の人口はや
や経済というのはどうあるべきなのかが問われている。
はり減少してしまっている。この 10 年間の総括を踏ま
それは、人間がこれからどう生きていくのか、どういう
え、次の段階へと進んでいかなければならない。その
幸せを求めていくのかが、大きな流れとして問われて
中で改めて「農山村の重要性や価値」を考えていく必
いるということだろう。国内にも同じような背景があっ
要がある。
て、地域おこし協力隊が創設された。模索の中で、
「地
域創生」という言葉が出てきた。それもやはり、地域
若者が初めて農山村の集落に入ってきたとき、地域
とは何なのか、その向こうにどういう幸せ、暮らしをつ
の人が、
「何でお前たちは、こんな何もないところに来
くるのかということを、みんなが考え出した6年だった
たんだ?」とたずねたところ、
「何もないからいいんだ」
と思う。
という若者の答えに地元のみんながびっくりしたこと
澁澤寿一
(豊森実行委員長)
豊 森 も 当 初 は、 持 続 可
を思い出す。改めて、農山村の価値を見直すことがで
能 な 社 会 と か、 環 境、 森
きた集落には、その後も多くの若者が入ってきている。
林 と い う テ ーマ が 切 り口
中にはIターンの若者が集落の中で重要な役割を得て、
だったが、だんだん、幸せ
集落にとって欠かせない存在となっているケースも出て
とは何か、暮らしを紡ぐと
きている。明らかにかつての状況と違う段階に入って
はどういうことなのか、塾
いると思う。都市部の人々が農山村の価値に気づき始
生も自分の問題として真剣
め、農山村の人たちとの共生を求める土壌が生まれつ
に考えるようになった。そ
つあると感じている。
して、肉体をもって生まれ
た以上、
「地域」を外して、
自分の頭の中だけで作り上げることはできないという
2
豊森は、農山村の価値を知るとともに、地域とは何
かを考え、地域を知り、地域に学ぶ貴重な機会。これ
・豊森実行委員長 澁澤寿一
・豊田市役所企画政策部 安田明弘
・トヨタ自動車㈱社会貢献推進部 大洞和彦
らを通して、
「田舎へ入る作法」を身に着けることがで
企業としての本業に近い部分で貢献しようということ
きる、まさに「田舎への入り口事業」の一つ。作法を
だが、豊森は、企業の得意分野ということでも、コス
身に着けた上で、田舎に入ることは、入る人にとっても、
トを負担するだけでもなく、地域の課題解決に企業も
受け入れる側にとっても幸せなこと。また、志を同じく
積極的に関わっていきたいという想いが起点。結果と
する仲間づくりの中でお互いを高めあい、仲間ととも
してどれだけ企業として貢献できたのかは、なかなか
に卒塾後も集落の畑作業などを通して、学んだことを
評価が難しいが、第三 期、第四 期で、トヨタ社 員 が
実践している。ひとりでも多くの人にこんな豊かさを共
塾 生として3~4割を占めた中で、人的リソーセスと
有していただければと思う
して、トヨタの社員が地域の課題解決のお役に立てる
のではないかと実感できたことは、成果と言えるかも
大洞 豊森なりわい塾は、トヨタ自動車という企業か
知れない。
らみると、社会貢献活動という位置づけ。企業が地域
にどうやって貢献できるか、企業と地域の関係性とい
澁澤 企業と社会の関わりというと、今までは、課題
うことをずっと模索してきた6年間だった。この 10 年
がはっきり見えていて、それをどう解決していくかとい
で、企業に求められる役割や責任が大きく変わり、社
う手法を、企業が企業的発想の中で提案してやってい
会の中で持続可能性という概念が重要に考えられるよ
くというスタイルが多かった。豊森の場合は、一緒に
うになった。企業というのは経済的な主体ということ
つくっていく。実感のなかったものを創っていく感覚。
だけでは不十分で、社会的な主体であり、環境的な主
体であり、そうあるための責任を果たさなければいけ
四期は、トヨタ自動車の若い世代が入ってきて、積
ない。どのように責任を果たすのか、は手さぐり。企
極的に価値観を多様化させていった。NPO 側からす
業にとって「地 域 」は、あまりテーマとして取り組 ん
ると、その多様化とか、将来へのビジョンづくりなど
でこなかったところに、
「豊森」というプロジェクトで
を通して、トヨタ自動車の本業側へもお返しができて
直接入ることになった。すごく難しいことを、行政や
いるのかもしれない。
NPO のみなさんと始めたのではないかと思う。
塾生たち
日本で、CSR( 企業の社会的責任 ) 元年とされたの
は 2003 年。 豊森の企画がスタートしたのは 2008
澁澤 修了のレポート発表を聞いていると、これまで
年、ちょうどリーンショックの起こる直前で、CSR 元
と比べて明らかに具体的で実現性のあるものを作って
年 の5年 後。まだ「CSR って何?」みたいなときに、
きている。男女の比率で男性が多いこともあるが、自
実験的にスタートしたプロジェクト。これを継続する中
分の中で深く考えて自分の将来に落としていることが、
で、トヨタがそこで何を学ぶことができたか、まとめ
よくわかる発表だった。勇気づけられたし、豊森なり
ていきたいと思っている。
わい塾のような仕組みは日本のいろんなところにあっ
ていいし、発展途上国にもあっていいのかなと思った。
たとえば、豊田市のスマートシティへの関わり方は、
3
巻頭座談会「豊森なりわい塾」第四期を終えて
安田 今回の四期の皆さんの多くは、もともと自分の
来をヨソモノとして、少し一緒に考えることができたと
考えや方向性をしっかり持っていて、その上で豊森を通
いうこと。少なくとも現在の地域の課題の解決には何
してさらに掘り下げた、広げたという感じがした。改め
も果たしていない。地域のことを主体として考えるの
て人材に恵まれていたと思う。同じ四期の中で一緒に
は、その地域の人。一緒に未来を考える仲間ができた、
今後何かやろうという提案があるようだが、一期から
仲間はないよりもあった方がいいぐらいに、地域にも
四期までの縦のつながりを作っていければもっとおも
捉えていただけるといいと思うし、地域の側に立てば、
しろくなると思う。期が異なっても同じ志を持った人た
よい位置関係なのではないか。
ちなので、例えば、それぞれの提案を持ち寄ってプレ
ゼンできる同窓会などの
地域に入るとヨソモノは、新しいノウハウ、玉手箱
場をつくれば、何かを一
を持ってきてくれると思われる。それは、今までの 50
緒に実 践することにつな
年間、日本はそういう形でしか地域づくりを考えられ
がると思う。また、さら
なかった。今回の塾生の発表を聞いていても、
「聞き書
にステップ アップ をめざ
きが一番印象的だった」という声が多かったのは、地
す人を後押しするようなカ
域の人に寄り添った人がそれだけできたという意味で
リキュラムも あ れ ば、地
もある。それは地域からみてマイナスではないと思う。
域で活躍するリーダーを
安田明弘
(豊田市役所企画政策部) 養成できるのではないか。
安田 豊森の「聞き書き」を通して、塾生だけでなく、
立ち会った地域の人も、長老の方からじっくりと話を聞
大洞 三期からそれまでの 2 年コースを1年間のコー
くことができた。なかなかこういう機会はなかったよう
スに変えた。同じ1年コースでも三期と四期は趣が違っ
なので、地域の人が地域の歴史を改めて知る貴重な時
た。四期の塾生は男性が8割を占めたこともある。ト
間となった。長老の方が本当に生き生きと語る姿は印
ヨタ社員の発表を聞いていて、バックキャスティングの
象的。
「聞き書き」の活動そのものが地域に大事な何
考え方をする人が多かった。自分があと何年ビジネス
かをもたらしていると感じた。
マンとして第一線にいられるか、その後のあるべき人
生をイメージして、そこを起点に今何をやるべきかと考
大洞 地域ということでいえば、豊森の構想が固まっ
えて、豊森で学ぼうと思った人が、四期は多かったの
た の が 2008 年 で、 リーマ ンショック だ け で なく、
ではないか。昔は定年まで勤め上げて、その後はのん
2011 年に東日本 大 震 災という社 会 的に大きな苦 難
びりというのが、一つのビジネスマンとしての幸せな人
があったことも、地域を見つめ直すきっかけになった。
生だったと思うが、今は、会社から離れた後、どう生
三期もそうだが、特に四期の塾生は、被災地の復興支
きていくのかということを考えないと、トータルとして
援に携わり、現在も関わっている人が目立った。自分
の人生の豊かさを考えにくい時代。それは、地域にとっ
が暮らしている地域だけでなく、ご縁ができた地域と
てはいいことだと思う。第一線を退いた後は、地域に
つながりを続けていこうという気持ちを持った人が増
向き合おうという気概はいいし、ビジネスマンである
えてきている。そういう意味では、地域との関わり方
うちから、地域を担おうという意識を培っていく、そう
というのは必ずしも一つではない。複数の地域と関わっ
いう人を育成していくことも豊森のミッションとしてあ
ていこうという人たちが増えてきている中で、自分の
るのではないかと感じている。
幸せだけを考えるのではなく、豊森のように、地域の
持続可能性を考えながら、何が必要かということを仲
フィールド地域
間と一緒に考えていくということは、より大きな意味
があると思う。
澁澤 地域にとっての豊森を問うのはまだ早い。豊森
の果たした意味が何かあったとするならば、地域の未
4
澁澤 卒塾生で地域主体になる人も、豊森からどんど
ん出始めている。それは行政の理解があったから。ま
豊森のこれから
さに人材育成の「豊森なりわい塾」があり、豊田市に、
澁澤 6年やってきた中で、地元では「おいでん・さん
場としての「おいでん・さんそんセンター」ができた意
そんセンター」
(注1)もできたし、新しい動きも出て
味は大きい。そのプラットホーム会議
(注2)のメンバー
きた。同じ考えを持つ人たちが周りに集まってきて、豊
は、ほとんど豊森と同じ価値観の人たちが集まってい
田という地域が動き出したように思う。これからはっき
る。
りしてくるのは、個人と社会がどうつながるか、家族と
個人がどうつながるか、企業と社会がどういう関係で
第五期は、今までに卒塾した人たちの「人材のネット
あるのか、たんなる貨幣経済だけでなく新たな関係性
ワーク」
を大きなインセンティブにしたい。
相談先も揃っ
をはっきりと認識していく時代になるし、認識して先を
ている。事務局の人材へのサポートも必要だろう。
みていかないと、どんどん知恵を持ったお年寄りが居
なくなっていくスピードに間に合わない。
安田 「豊森」には、人と人との関係づくり、人と地域
との関係づくりを考え、実践できる人材の育成が期待
第五期に向けては、そのあたりをはっきりと課題と
される。豊森で巣立った人材を生かす、ネットワークづ
してもちながら、どういう社会であるべきなのかという
くりのために、そのつなぎ役として、
「おいでん・さん
ことを考えないといけない。豊森が始まる前と今を比
そんセンター」もお役に立てればと思う。
べれば、明らかにトヨタ自動車の収益も為替変動に左
右されるようになったし、個人の生き方も貨幣経済的
(2014 年 1 月 23 日(木)逢妻交流館にて )
には二極化していて、自然の中で生きていく知恵はど
んどん失われようとしている。せっぱつまった感はど
んどん強くなっている。地域主体を担える、ちゃんとし
〔注1〕おいでん・さんそんセンター…2013 年 8 月に
た考えをもった人材をどう育成できるかということも
立ち上がった、都市と農山村の交流をコーディ
需要。
ネートする豊田市の取り組み
( 注2) プラットホーム会 議…センターの活動計画を
大洞 「豊森」は地域づくりのためのプロジェクトで、
決める、地域活動団体の集まる場所
その中に
「豊森なりわい塾」という人材育成講座がある。
そこの棲み分けは難しい感じもあるが、
「豊森なりわ
い塾」は人材育成講座であり続ければよいと思う。卒
塾した人が地域に入るきっかけになることができれば、
それが「豊森」という地域づくりプロジェクトの大きな
役割ではないか。卒塾した
人、関わった人が豊田市の
中 山 間 地 域 で 何が できる
か、どういった支援、協力
ができるかが、期を重ねる
ごとに問われていくのでは
ないか。それは、この実行
委員会だけではできない。
行 政や 地 域 のさまざまな
大洞和彦
(トヨタ自動車㈱社会貢献推進部)
取り組みとの連携が必要で、そこは今後の重要な課題。
5
豊森の概要
「豊森」とは
豊田市・トヨタ自動車株式会社・NPO法人地域の未来・志援センターの協働による農山村を起点とした「人づくり」
「地域づく
り」
「仕組みづくり」のプロジェクトです。多様な人材の参画によって、森林を中心とした自然生態系の利用を軸とする地域循環
型・持続型社会の仕組みが生まれ、暮らしの中で人と人の心を結び直す「豊森モデル」を構築することを目指しています。
「豊森なりわい塾」は、都市でこれからの働き方や生き方に悩む人や、農山村へのI・Uターンを考えている人、また都市に住み
ながら山里とのつながりの中で生きていきたい人など、公募で塾生を募集し、毎月1回、土日の2日間を使って中山間地の集落
をフィールドに行う塾で、幅広い年代層の男女が学んでいます。フィールドとなる集落の自然や暮らし、人々との触れ合いの中か
ら、人と自然、人と地域の関係をみつめ直し、新たな価値を創出する人材育成の塾です。
第四期生 募集呼びかけ対象
1. 将来、Iターンで田舎への移住を考えている人
2. 農山村の暮らしや自然資源の活用に関心のある人
3. 森林の荒廃や人口減少など中山間地が抱える課題を知り、解決に向けて
貢献をしたい人
4. 農山村に関わりながら、これからの生き方や働き方を模索したい人
※四期生募集については、案内チラシ以外に、2014年4月に、トヨタテクノミュージアム産業
技術記念館大ホール(名古屋市)で200人規模で行った公開講座に併せて豊森なりわい塾の
説明を行い、応募を呼びかけた。
実施体制
豊森実行委員会 (第四期 2014年5月スタート時)
委員長
澁澤 寿一 (認定NPO法人共存の森ネットワーク 理事長)
副委員長
菅原 英喜 (トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部 部長)
〃
委員
安田 明弘 (豊田市役所 企画政策部 副部長)
高津 功 (トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部 室長)
〃
大洞 和彦 (トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部 グループ長)
〃
國友 淳子 (トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部)
〃
早川 正文 (豊田市旭支所長)
〃
鈴木 辰吉 (おいでん・さんそんセンター長)
〃
駒宮 博男 (NPO法人地域の未来・志援センター副理事長)
〃
中川 恵子 (NPO法人地域の未来・志援センター理事)
運営・事務局→114頁
6
「豊森なりわい塾」開催実績
プレ講座
第一期
2009年2月と3月に開催
2009年5月~ 2011年12月(20回)
入塾30人、修了27人
*2012年1月 第一期成果発表シンポジウム(ゲスト:民俗研究家 結城登美雄さん)
2011年4月~ 2013年3月(24回)
入塾26人、修了21人
第二期
*2012年10月 公開講座<集落の未来~自治は可能か>
ゲスト:栄村前村長 高橋彦芳さん
2013年6月~ 2014年3月(10回)
入塾24人、修了24人
第三期
*2013年11月 公開講座<集落の未来~加子母に学ぶ地域づくり>
ゲスト:加子母村前村長 粥川眞策さん、中島工務店社長 中島紀于さん
2014年5月~ 2015年3月(11回)
入塾23人、修了22人
第四期
*2014年4月 公開講座<これからの社会のカタチ~シアワセをどこに求めるのか>
ゲスト:哲学者 内山節さん、半農半X研究所代表 塩見直紀さん
「豊森なりわい塾」で身につけるキーワード
くらし…暮らしを創る力
山里の人たちとの交流を通して、自然の恵みを生かした暮らしを創る力を身につけます。
かせぎ…なりわいを構想する力
地域の課題を知り、その解決の模索を通して、
地域資源を活用した新たなコミュニティビジネスを創出する力を身につけます。
つとめ…地域を支える力
山里のコミュニティ活動を通して、地域を支える力に触れます。
つながり…志をともにする仲間づくり
1年間の講座・活動を共にすることで、同じ志を持つ仲間ができます。
※その他キーワード…地域を知る/地域に学ぶ ・関係性の見直し・地域経済・幸福論・これからの社会のカタチなど
第四期の活動フィールドとしてご協力いただいた地域
【 旭地区 】 築羽自治区内…旭八幡町・伊熊町・惣田町・日下部町の4集落
7
第四期の実施カリキュラムとフィールド
講座スケジュール
第四期豊森なりわい塾では、毎月 1 回、土日 2 日間の講座を、以下の行程で実施しました。
日時
公開講座
入塾式
第1回
8
2014年4月6日
2014年5月17日、18日
テーマ
これからの社会のカタチ
~シアワセをどこに求めるのか~
→52P
入塾式
集落を歩く/地域とは何か
第2回
2014年6月20日、21日
地域のお年寄りに話を聞く(聞き書き実習)
第3回
2014年7月19日、20日
地域を知る~食と農~
第4回
2014年8月23日、24日
地域を知る~森林~
第5回
2014年9月20日、21日
これからの生き方を考える
第6回
2014年10月18日、19日
地域を知る~暮らしの中の祈り・まつり~
第7回
2014年11月15日、16日
つとめとコミュニティ~地域の自治と未来~
第8回
2014年12月20日、21日
地域資源を考える(公共サービス、エネルギー)
第9回
2015年1月17日、18日
経済と地域/これからの幸福論
第10回
2015年2月14日、15日
修了レポート発表会
修了式
2015年3月14日、15日
オプション講座 「日本の産業革命・ガラ紡」
修了式
→12P
→18P
→22P
→26P
→30P
→34P
→38P
→42P
→46P
→50P
フィールド紹介
豊森なりわい塾では、第二期より、豊田市旭地区(旧東加茂郡旭町)をフィールドとして講座を実施してきま
した。
第四期では、旭地区の 5 自治区のうち築羽自治区に属する伊熊、惣田、旭八幡、日下部の 4 集落にご協力
いただき、地域を知り、地域に学ぶフィールドワークを行いました。
旭地区
築羽自治区
面積
約82㎢
約16㎢
世帯数
1,080世帯
167世帯
人口
2,893人
449人
高齢化率
43%
49%
伊熊町
旭八幡町
世帯数:29
人 口:65人
高齢化率:60%
世帯数:14
人 口:34人
高齢化率:62%
惣田町
日下部町
世帯数:21
人 口:72人
高齢化率:56%
世帯数:29
人 口:80人
高齢化率:45%
※各データは2015年2月1日現在(出典:豊田市役所HP)
9
カリキュラムの視点 豊森実行委員 駒宮博男
この大反省期に、豊森なりわい塾では、多様な側面か
大きく変化している時代背景
らのカリキュラムを提示しつつ、歴史的課題の立体的構を
塾生とともに考えることとなる。
ここのところ世界は大きく動いているような気がするの
は、私だけだろうか。これまで 100 年以上続いた価値観
言語中心主義への反発
が、本質的なところでほころびを見せ始め、それがどんど
ん顕著になってきた。具体的には、近現代が作り上げて
結論を先取りすれば、近現代の深層的問題は、言語に
来た国民国家というシステムや、資本主義の終焉を感じさ
対する「信仰」とも言い得る過度な信頼である。
せる爆発的なグローバリゼーション、そしてその帰結とし
ある研究者によれば、対面での対話における情報伝達
ての環境破壊と格差社会がある。
量のうち、テキスト情報はわずか 7%に過ぎない。では、
残りの 93%は何か。それは、聴覚情報と視覚情報である。
昨年 9 月には、ぎりぎり否決されたとは言え世界を驚
日常的な対話とはこのようなもので、有り体に言えば人は
かせたスコットランドの独立に関する国民投票と、それに
相手の言うことを「言葉」として理解しているのではなく、
続くカタルーニャ
(スペイン)の独立の動きがあった。また、
声の質や大きさ、そして仕草や服装、顔つき等々相手の「見
アイルランドやアメリカの過半数を越える州でも独立の動
た目」が情報の中で大きな位置を占めている。
きがあると言う。これらの動きは、これまでの国民国家と
いう強固なシステムに対する巨大な圧力となっている。
こうしたこれまでの日常生活自体、ディジタル情報機器
により変質しているが、現代社会そのものがテキストベー
ま た、 我 が 国 で は あ まり話 題 に は なって い な い が、
スで動いていることは避けられない事実である。このよう
IPCC 第 5 次報告によれば、地球温暖化の原因は人間社
な現代社会では、絶えず文字を書き文字を読むことを余
会にあるとほぼ断定しており、先進国と新興国群+途上
儀なくされている。特に組織は数値化した客観情報を基
国群の溝は埋まりようがない。加えて格差社会は、
「先進
に動かざるを得ないと同時に、数値情報を作り出してい
国対途上国」というこれまでの図式(いわゆる南北問題)
る事柄の本質まで訴求する余裕を失っている。
に加えて、先進国内部の二極化も大きな社会問題になっ
て来た。目下世界の話題をさらっているピケティは、格
豊森では、こうした言語中心主義を今一度見直し、言
差は今後さらに広がり、いわゆる中間層の縮小・消滅は、
語以外の情報に光をあてながら、ものの本質を自らの五
民主主義の土台を揺るがすとも主張している。
感で感じることの重要性をカリキュラムに取り込んでい
る。地域での様々なフィールドワークを重視しているのは、
我が国でも社会格差は思いのほか増大しており、高度
その為である。
経 済成長 以降多くの日本人が感じている「一 億 総中流 」
的な 社 会は明らかな 妄 想となった。就 労 者の 1/3 を 越
「地域」の論じ方には、例えばその地域の人口動態、農
える 1,800 万世 帯が 200 万 円 以下 のワーキング プ ア
地・林地などの自然資源、公共インフラ・・・と言った数
層であり、国民の全所得の約 3 割を所得上位 10%が占
値情報による表現もあるが、
「現場」から得られる多様な
有している。と同時に、国民の金融資産の大部分は上位
情報には、数値を中心とするテキスト情報とは比べ物にな
10%の世帯に集中している。国民全金融資産が 1,600
らない圧倒的な量と質が存在する。逆に言えば、テキス
兆円、一人当たりの平均値は 1,200 万円強といった数字
ト情報とは、物の本質の表皮を切り取ったものであり、テ
はあまり意味をなさない。国民の 80%の世帯は、平均の
キストで全てを語ることは不可能である。テキスト至上主
1/3 以下の資産保有である。
義が如何に危険なものであるかを理解しつつ、必要悪?と
もはや近現代そのものが、その求めて来た姿とは裏腹
してテキストを使うという立場が重要なのだろう。
な世界に突入してしまった。私は、こうした世界の流れに
対する大きな反省期にようやく入ったと見ている。しかし、
「信頼の輪」が成り立つ範囲は
20 世紀がもたらした近現代世界は、未だ圧倒的なバイ
アスを持ち、方向転換には少なくとも数十年はかかるであ
豊森には、自治を目指す地域を如何に支援出来るかと
ろう。
いう側面がある。これまでの日本の地域は、この目指す
10
方向とは真逆の、
「自治=陳情」的マインドで支配されて
来たようだ。多くに地域は、自らの課題を自らの力で解決
していく自治のマインドは消え去り、思考停止状態に陥っ
ているかに見える。しかし、全国の全ての地域には、
「潜
以来既に 6 年が経過し、カリキュラム自体はほぼ固まって
在的自治力」が存在すると私は信じている。様々な古文
きた感がある。
書を見れば、僅か 70 年、80 年遡れば、全国の地域は
振り返れば、豊森が築いて来た膨大な資産が拡大を続
自治で満たされていたことを知ることができる。問題は、
けている。豊森が築いた資産とは、既に 100 名になろう
この潜在的自治力を如何にして覚醒するかにある。
としている修了生、そしてカリキュラムも資源の片隅に位
置づけられるだろう。豊森なりわい塾を通過した方々の
ここで重要になる視点は、これらの地域自治組織がど
中には、田舎へ移住し、地域住民として活躍している人、
の程度の規模だったかである。我が国のコミュニティーの
プロの木工家として成功した人、豊森なりわい塾の事務
原型であるいわゆる「自然村」とは、大きくとも数百人、
局スタッフになった人、地域の中間支援組織のスタッフに
自治組織の単位は数千人の規模だったであろう。この範
なった人、小水力発電、木質バイオマスの専門家として起
囲なら、情報交換はほぼ face to face で成り立つ。私は、
業した人等々、多様な人材が育っている。もちろん、目立っ
この規模の関係性が「信頼」の限界ではないかと感じて
た活動をしなくとも、日々の生活に豊森の経験を生かし
いる。そして、この範囲なら、
「間接」でなく「直接」民
ている修了生もたくさんいる。
主主義が成り立つ可能性が高い。
このような多様な修了生が旅立っていったが、これが
財政上の理由とは言え、長野県の王滝村では議会をや
豊森の築いた最大の資産である。加えて、資産の一角で
め、村民総会で決定する手法に切り替えようという話が
あるカリキュラムの価値も小さくないと考えている。新し
あった。遥か遠くのスペインでは、今や第 1 党になったポ
い(懐かしい?)価値を構築しなければという使命感から、
デモス党の党首パブロ・イグレシアス(政治学者)は、直
これまで常に前のめりで、事務局スタッフとともにカリキュ
接民主主義による新たな社会を模索している。残念なが
ラムを構築してきたが、振り返れば、大きな資産となった
ら、現行の間接民主主義=議会は機能しているとは言い
ように思う。
がたいと、多くの国民が感じている。既にヨーロッパでは
北欧中心に議会に対する見直しがかなり進んでいるようだ
特に今後、国家的な地域創成の動き、地域おこし協力
が、我が国では全くと言っていい程見直しは進んでいな
隊の大幅拡大等々、地域再生に関わる動きの中で、地域
い。むしろ日本古来の民主主義を見つめなおし、形骸化
再生のキーパーソンを支援することが重要となっている。
した現システムと照らし合わせて再考することも時代の要
二期、三期、四期と、塾生の中には地域おこし協力隊等
請かもしれない。
の地域再生に関わる若手メンバーが何人もいた。これが
今後カリキュラムを有効に活用する場ではないかと考えて
豊森では、
「信頼の輪」の範囲を模索し続けて来た。人
いる。豊田市内で、トヨタ自動車社会貢献推進部、豊田
と人、人と自然、そして世代間の良好な関係性を目指す
市とともに 6 年間にわたって開発したカリキュラムである。
ことのできる「地域の大きさ」があるのではないかとも考
せっかくの資産なので、今後全国に広げていくための第
える。テキストだけでしか情報交換出来ない現代的枠組
五期を迎えたいと思っている。
みの社会だけが社会ではなく、
「信頼の輪」をベースとし
た社会の再構築が今後脚光を浴びるのではないだろうか。
そして、こうした目指すべき社会をより広い社会に提示し
ていくことも、豊森なりわい塾の大きな使命であると感じ
ている。
次期への展望
さて、豊森なりわい塾は来年度第五期を迎える。開講
11
入塾式・第1回講座 「集落を歩く/地域とは何か」
日程
2014年5月17日(土)10:00 ~ 17:30、18日(日)10:00 ~ 16:40
会場
築羽農村環境改善センター
(17日:14:00 〜 17:00 フィールドワーク:伊熊町、惣田町、旭八幡町、日下部町)
ねらい
●第四期の塾生に、講座の趣旨やカリキュラム、一年間ともに学ぶ仲間、スタッフ、地域について理解してもらう。
●地域の方と一緒に歩き、五感で地域を感じる。また、現在見られる景観が、これまでの暮らしの積み重ねの上に
あることを学ぶ。
参加者
1日目:68名 2日目:32名
1日目
2日目
午前
入塾式
レクチャー「旭地区の現況について」
フィールドワークのまとめ
午後
レクチャー「地域とは何か/集落の歩き方」
フィールドワーク「地元学~あるく・みる・きく~」
フィールドワークの発表
レクチャー「今、なぜ地域か」
■レクチャー「旭地区の現況について」
加知直人(豊田市役所旭支所)
また、若者のネットワークを活用してUターン促進を図る取組をし
<旭地区の現況と課題>
した。横のつながり意識を強くし、町出身者との繋がりを維持する
豊田市の人口は約42万人。平成17年に6町村を編入した。面積
取組み。同窓会やふるさと通信の発行を進めている。
ている。昨年、20〜30代の若者を中心に「あさひ若者会」が発足
は918㎢、うち森林面積は68%を占め、都市と農山村が共存する
自治体になった。
旭地区は面積82㎢、人口は2,927人。世帯数は約1,000世帯。
5つの自治区に分かれており、第四期の豊森はそのうちの築羽自治
区に関わっていただく。築羽自治区は人口458人、世帯数は166
戸。高齢化率は49%で、5自治区の中では最も高齢化率が高い。
合併当初、旭 地区の人口は約3,500人で、高齢化率は約36%
だった。今の高齢化率は約42%。特に0~14歳、15~64歳の減
少率が激しい。
若い世代がいなくなると、後継者・地域の担い手が少なくなる。
耕作放棄地の面積は平成20年から23年の間で倍になった。旭地
区の奥にあった小馬寺という古刹は、周辺集落のほとんどがダム湖
に沈み、ついに近年消滅してしまった。人が減ると土地が荒れ、歴
史的文化も途絶えてしまう。
<豊田市の過疎対策について>
■レクチャー「地域とは何か/集落の歩き方」
澁澤寿一
<不安の時代>
ここ10年、森で生きてきたおじいちゃんおばあちゃんのところに
豊 田市 が 参 考にしている学 術 研 究 が「集 落 の 限 界化 のプロセ
高校生達を行かせている。写真の女の子はマタギのおじいちゃんの
ス」。まず「人の空洞化」。人口が減り、高齢者世帯が増える。すると
ところに行った。彼女はマタギというのは山で狩りをして生業を立
「土地の空洞化、ムラの空洞化」が進む。農地や森林が荒廃し、集
てている、ということを下調べして行くのだが、おじいちゃんに話を
落活動ができなくなってくる。そして、我々が一番気をつけているの
聞くと、狩りをやっているのはわずか数週間しかない。おじいちゃ
は、
「誇りの空洞化」。そこに住む人が諦めてしまい、何も取り組も
んは田畑をして、山へ行って木を伐って、茅葺きの屋根を直して、と
うとしない。「誇りの空洞化」が進むと、土地や人の空洞化も加速
いった具合にありとあらゆることを全部やっている。
度的に進む悪循環になり、集落は消滅してしまう。市としては「誇り
高校生はものすごいびっくりするわけです。彼女は買ったものし
の空洞化」を進めないように取り組んでいる。
か食べたことがない。服も家も全部、お金でしか自分が生きるとい
このように旭地区には課題が多くある。しかし今、手を打てば最
うことをやっていない。一方、おじいちゃんは小学校しか出ていな
悪の事態を避けられるのではないか。そのために皆で対策を考えよ
いが、生きるということを全部自分の手でやることができる。
う、ということで旭地区のまちづくり計画を立てた。3つの将来目
標像を掲げ計画を作った。そして、集落ごとに具体的な行動を示し
た「集落ビジョン」を作った。目標に向かって集落として何ができる
のか、集落ごとに計画を作って実行している。
また、若者の定住を進めていくための施策として、「空き屋バン
ク制度」を行っている。地域の空き屋を登録し、入居希望者に情報
提供する仕組み。豊田市の特徴はコミュニティを大切にすることを
意識した制度になっていること。地域住民と入居希望者が入居前に
交流・面談をすることで、地域を理解して頂いた上で入っていただ
く。旭地区では、空き屋バンクで22年度から18世帯46人が移住
した。合併5町村の中でトップの数字。
12
澁澤レクチャー(pptより抜粋)
そのようなことを考えていくと、日本という国がものすごく変わった時
ず減りもせず、地球の中で循環して、その循環を太陽エネルギーが回し
期があるということがはっきりする。それはだいたい1960~1965年
ている。この循環系の中で生きていければ、私たちは自給して生きてい
の5年間。高度経済成長が真っ盛りの頃。それ以前の日本人の普通の生
けるんだけど、
この50年で石油をじゃぶじゃぶ使い始めて、CO2と汚染
き方は、百姓もやっていた、狩りもやっていた、冬は大工に行って稼いで
物質が溜まって、多様性の損失や温暖化を招いている、
というのが今の
いた。要するにありとあらゆることをやってきた。お金を稼ぐために働く
状態。
のではなく、自分という肉体を生かしておくために一生懸命働いた。こ
の時代には戻りたくないとじいちゃんたちは言う。非常に大変だったけ
ど、ある意味では自分が生きていく身体性の世界の中で、物事を考えて
きた時代だった。
<経済と社会>
新興国の国々が日本やアメリカと同じような食生活をするとどうなる
か。中国の人たちがアメリカと同じように肉を食べると、餌として必要な
それから急激に私たちは豊かになり、あらゆるものをお金で買うよう
穀物量がアメリカで生産される穀物量を上回る。中国の人たちが同じよ
になった。たぶんこの時代がずっと続いていくならば、皆さんはこんな所
うに魚を食べると、世界の海洋からの総水揚げ量を上回る。石油を同じ
へは来ない。私たちがこれからやらないといけないことは、前の時代が
ように使うことも物理的にありえない。つまり私たちは先進国だと偉そ
一体どのような時代だったのか、そのイメージを持つこと。
うに言っているが、生き方の先進性は何も示せていない。数字上では明
昭和35年はどういう時代だったか。農業機械が入っていないので、
らかに先がなく詰んでいる状態で、
これを支えているのが経済という概
ちょうど今の時期から6月の頭ぐらいまでは結いで田植えをしている。一
念。
枚の田んぼの中に成長の差があると、水管理に困ってしまうわけで、短
今から60年前に、
このまま経済だけに頼った社会を作っていくと、経
期間で植えないといけない。どうしても協働でやらないと自然の中では
済が社会を飲み込むぞと警鐘を鳴らしている経済学者たちがいた。今
人間は生きていけなかった。友達になりたいからではなく、生きていくた
日の財務省の物差しは「お金で価値を測れないものは価値がないもの
めに皆が協力して生きてきた。子どもたちは遊びながら親が働いている
です」
というもの。日本という国は既に経済に飲み込まれてしまった。
ところを見ている。子どもたちの最大の仕事は子守。高度経済成長から
私は発展途上国で仕事したことが多いのだが、英語が通じないとこ
のこの50年間は、便利な社会を作るためにこの関係を全部切ってきた。
ろなんて山のようにある。だが、お金は世界のどこでも通じる。しかし、
まず人と自然の間を切る。なるべく自然界とは触れない空間で生きるこ
お金は欲望の抑制がきかない。リーマンショック前後から貨幣が貨幣を
とを快適だと思う社会を作ってきた。人と人の関係も煩わしいというこ
生んでいくシステムをウォール街を中心とした連中が作り上げた。あり
とで、SNSやスマホなど、フェイストゥフェイスではなく自分のペースで
とあらゆるものを証券化していくことが可能となって、バーチャルなマ
いいんじゃないかという形で切ってきた。子育ても、いい塾に入れて、い
ネーが急激に大きくなった。一方で実体経済がついてゆけず、各国政府
い学校に入れれば、安泰な生活で生きていけるんだろう、
という仕組み
は為替操作を何とかしようと思いバーチャルなマネーにお金を供給して
をある意味で鵜呑みにした生活を送ってきた。保育園で待機児童が大
いく。実体経済とバーチャルな金融経済が乖離をしてしまって、金融経
騒ぎになっているが、昔だったら子どもはみな村の宝で、みんなで育て
済に関わっている人だけに富が集積していくという二極化が世界中で起
るのが当たり前だった。
きている。はたしてこれから、命というものをお金で換算できる社会とい
それと同時に私たちは不安がどんどん増えてきた。内閣府のデータ
うのは本当にありなのか。エコロジーとエコノミーの共存という話がよ
では全体の7割、40代だと8割の人が人生に不安をもっている。世の中
くあるが、エコノミーというのは所詮エコロジーというインフラがあって
は便利になった。物は溢れかえっている。だけど何となく全てが不安。健
始めて成り立つのであって、共存するという性質のものではないのでは
康。先の人生。家族。仕事。便利になってみんな煩わしくなくなったはず
ないか。
なのに、なんでこんな時代ができたのか。
私達の国は、経済で生きようとこの50年間思ってきた。車や家電を
今の高校生たちは、生まれてからだんだん豊かになっていくことを経
売って、そのお金で食料を買っていこう。カロリーベースで39%しか自
験したことがない。年金をもらえると思っていない。一生懸命勉強して、
給率がない現状は政府だけが作ってきたのではなく、国民みんなでそれ
いい大学へ行って、いい企業入れば一生安泰という親たちが信じている
で豊かになろうと言ってやってきたのが今の日本の結果。お米一膳の値
成功モデルが今や存在しないことを彼らは知っている。そこで何が問題
段は30円。100円バーガーの3分の1。100円バーガーを高いという
なのかというと、彼らは一体何に一生懸命になれば自分の人生を豊かに
人はいないが、お米は高いと言われる。この価値を作ってきたのはあく
送れるのかが分からない。ものすごくたくさんの学生たちがこのことに
までも消費者。私達が価値観をもう一度作り変えない限り、本当に何が
悩んでいる。そのことに僕たちは愕然としている。
大切なのかということを見失う社会を作ってしまう。
<地球環境と人類>
<持続可能な集落の作法>
1961年にOPECが初めて作られた。この頃から僕たちは石油を水
江戸時代、何処かで絶えず飢餓があるのが秋田の歴史。その中で1
のようにじゃぶじゃぶ使ってきた。エコロジカルフットプリントいうもの
人も餓死者が出ていない集落があると知って、20数年前に飛んでいっ
がある。自然の1年間の成長量を、人間がどれぐらい使っているかとい
た。そこは雄物川の支流の最上流、出羽山地の山奥にある集落だった。
うもの。1987年に1を超え、2006年は1.44。今はおそらく1.5を超
スギなどの針葉樹は上を伐ると根っこも枯れるが、
クリ、
ミズナラとか
えている。地球1.5個分の成長量を人間が使っている。かつての私たち
いう広葉樹は根っこは枯れない。写真で皆伐されている面積はこの集落
は地球の自然の利息の中で生きてきた。今は人間だけで地球1.5個分、
の1年間に使うエネルギーになる。この集落は33箇所の燃料林をもっ
つまり利息だけで食えなくて元金に手をつける世界に入ってしまった。
ている。1年に1つずつ森を伐って、34年目に最初の森に戻ると、また
1992年に初めてリオで環境サミットが開かれ、地球1個分の成長量の
元の森の大きさに戻っている。伐ったところからワラビが出る。根っこか
中で人間と他の動物が生きることを模索しようと始まったが、現実はど
ら多くのデンプンが取れる重要な食料源。5、6年ぐらい経つと切り株が
んどん右肩上がりになってしまっている。
腐ってきてキノコが生えてくる。集落の人達は、毎年どこに行けばキノコ
そもそも地球は真空の宇宙に浮いた1つの星でしかない。そこに毎
やワラビ、燃料となる薪が取れるのかということを全部知っている。つま
年、地球上に残っている石油を一瞬にして燃やした量の400倍ぐらいの
り、自分の歩いて働いて帰って来れる範囲の中で、エネルギーも食料も
エネルギーが太陽からもたらされる。地球上で唯一、太陽エネルギーを
全部自給をしてきた。水、肥料、家畜の牛や馬の飼料、食料、建材、ロープ
取り込めるのが植物の仲間で、緑というのは太陽エネルギーとCO2と水
類、現金収入、薬、動物性タンパク質、ありとあらゆる形で森を利用して
が光合成により植物の中で固定をされている状態。その植物を僕たち
きた。
は食べて、死ぬとまた土に還っていく。この循環系と言うのは、増えもせ
13
東北には「栗1町家1軒」、1haの栗林で家が1軒生きていけるとい
これは集落にある雑貨屋さん。じいちゃん、ばあちゃんが集まって
う伝承がある。栗は生り年で10t/haとれる。生り年は隔年なので2で
村の決まり事が決まっていく。まさに村のインターネット機能で、情報
割って、365日で割って、10人家族として割って2,140kcal/日/人。
が全部集まる。お互いを見守るという介護保険のシステムもカバーし
つまり、山の恵みで暮らすことができたから餓死者がでなかった。今、
ているし、宅急便屋さんの荷物も預かる。そのかわり全員が全員のこ
私たちは海外から入ってくる物資で生活を支えているから、河口部分
とを知っているので、人間関係的には煩わしい世界。
に大きな街を作っている。しかし、当時は自分たちの生活を支えよう
とすると、山の中の方がはるかに都合が良かった。
<豊森のめざすもの>
集落にある堰。生活用水だが蓋がない。なんで蓋をしないのかと
考えてみると、この50年間の高度経済成長というのは、この煩わし
話を聞くと、集落のお年寄りは「蓋をすると水が汚れるからだ」と答
さを捨てようとしてきた。煩わしさを捨てたら温かい社会だけが残る
える。この水を子どもから老人まで全員で飲んで、見て、触れて、音を
と思ってやってきたが、実は煩わしさと温かさというのは表裏一体の
聞いて、臭いを嗅いで、つまり五感全部でこの水を全員でチェックし
同じものだった。ある程度煩わしさを受け入れないと、お互いが支え
ている。子どももこの水を飲んでいると分かっているから絶対汚さな
ていくありがたさ、温かさが得られないということがわかってきた。
い。
朝の通勤時間に駅のホームでは多くの人がスマホをやっている。隣
モラルというのは、自分の命がどのぐらいそのことによって支えら
に座っている会社の同僚にもメールで送る世の中。お互いの信頼関係
れているのか、ということの中ではじめて形成される。今の私たちは
が作れなくなった社会というのが今の時代。ありがたさとわずらわし
全部他人任せのシステム。税金払っているから行政がやってくれるん
さを、どこかで折り合いをつけないといけない。
だろう。逆にやってくれないと文句を言う。自分の命がどこに繋がって
今まで話したことは、すべて関係性の世界。お金で測れるものは関
いるかということを見失っている。そこからはモラルハザードしか生ま
係性ではなく、絶対的価値で測っている。今までは全部を絶対的価値
れない。
で測れる社会が豊かな社会を作ると思ってきた。だが、幸せというこ
ある老夫婦の暮らしの1年間の記録。年中ものすごく忙しい。あり
とを考えると、関係性の中でしか幸せは見つけられないんじゃないか
とあらゆることを同時並行で後ろから追っかけられるようにやる。と
ということに気づいてきた。
にかく働いて働いて休みもない。じいちゃんは今でもスギの植林をす
その意味で、農山村と都市を見てみると、今は農山村の問題だけが
る。子どもたちはみんな街へ下りて、帰ってこないと言っている。当
声高に言われる。では都市は大丈夫なのか。大型の団地は空洞化して
然、自分の山がどこにあるか知らないし、知ろうともしない。しかし、
いる。買い物難民。定年、嘱託の時期が終わって65歳になると世の
じいちゃんはスギを植えている。そのスギを自分
中との接点が切れる。今、大体70歳ぐらいの夫
で伐ることは絶対にない。ある程度大きくなる
婦がデパ地下で大勢歩いている。そういう人達
までは毎年下草刈りをしないといけない。植林
の社会との接点がまったくない。それと同時に
だけやめよう、植えても伐る人がいなんだから、
若者は働く場所がない。一方でストレスや健康
と言ってもじいちゃんはやめない。何故植えて
のことを気にしている。むしろ都市の問題の方
るのか聞くと、「これは山で生きる作法だ」と言
が根が深い。農山村はまだ自然があり、自然の
う。
中で生きてくという術を得ることができる。都市
じいちゃんの家の後ろには、草木の慰霊碑が
は術がない。そうなると、都市と農山村を分け
ある。馬頭観音。庚申さん。鳥獣供養塔。お不動
て考えるのは持続性がない。これを一体として
さん。毎日手を合わせている。自然と共生とか
考え、環境のモデルだけでなく価値観のモデル
そういう言葉を僕たちは平気で使うが、じいちゃ
を創っていかないと、これからの社会は見えてこ
んは山の恵みで自分が生かされてきたこと対して、作法として木を植
ないだろう。幸福だとか生きがいだとか、お金で測れないもので判断
える。全部が支えあっている命の対しての感謝。それは、もっとお金が
できていくような社会を作らないといけないというのが、豊森なりわ
儲かりますようにとか交通安全でありますようにという願い事ではな
い塾。
い。じいちゃん、ばあちゃん何祈っているのと聞くと「今日一日を生か
せていただいてありがとうございます」という感謝。それが日本人の
元々の生き方の、精神的なベースなのだろう。
<集落の歩き方>
旭のそれぞれの集落で、どのような自然条件、社会変化の中で、人
神社の参道に300年生のスギの切り株が3つある。戦後すぐに伐っ
間が生きてゆくために何をしてきたのか。今、スギ林になってきたと
て、小型の水力発電機を買った。終戦で暮らす希望がない時に、せめ
ころは50年ぐらい前に植えられたところ。その前は何だったのか。農
て明かりをつけようと。戦後、秋田市内より先に電気がついたのが集
業機械がなかった時期、牛や馬に食べさせるための飼料は山からとっ
落の自慢。しかし木を伐る時、彼らはものすごく悩んだ。
てきた。牛や馬がいらなくなってくると、じゃあお金になるものと言っ
山の中で生きていくためには、仕事と稼ぎの両方ができないとだめ
て、草地にスギを植え始めた。
だという。仕事というのは100年後、200年後のために今やらないと
日本という国が変わったのは1960年前後。その時期にトヨタの元
いけないこと。それはお金にならない。この仕事と、家族を食わせる
町工場が稼働した。このあたりの地域は農山村で食えたけど、それ以
ための稼ぎの両方ができて一人前、というのが村の暮らし。
上にお金を稼げるものが街場にできて、お金で豊かさが買えると思っ
よくある日本の山林は真っ暗。稼ぎだけで山を考えた例。いつか金
たからみんな農山村から出て行って、その結果農山村が食えなくなっ
になると思って植えた。けど、木材の材価が下がり、外材が入ってく
て、急激に過疎化が進んだ地域。その中で地域社会がどう変わったの
る。もう山は金にならないといって放ってしまった。これは奈良県吉
か。幸せの概念がどう変わったのかということを見出していければ。
野の250年生のスギ。250年間どうやってこの森を守ってきたのか。
そんな感じで風景を見てもらいたい。
つまりこの森が大切だという想いを人生30年を一世代として、8、9
その地域の風土や文化、生活、歴史が今に繋がっている。
世代繋いできた。その間はお金にならない。さっきの集落も何かあっ
自然条件は必ず見てほしい。水と土と光と風、これがその地域のど
た時の為と思ってスギを300年ずっと繋いできた。それを自分たちの
ういう性格の基盤を作っているのか、ということは是非見てもらいた
代で、電気を引くために伐ってもよいのかと非常に悩んだ。自分と先
い。その上にどういう生き物がいたのか。狩猟やっていたところもあ
祖と子孫の命を同じ土俵で考えられる感性をもたないと自然の中で
るし、今は逆に獣害だと言われているところもある。
は生きることができなかった。
14
日々の稼ぎ。この地域ならでの産業、稼ぎがある。食べ物。お祭
最後に一枚の模造紙の上に、自分たちが見てきたものを立体的に
りの時の食べ物はなんだったか。どう調理したか。素材は何だった
組み直していただければ。そこには過去と現在が同居している。そ
か。どこに家があるのか。なぜそこに家が作られたのか。
こから未来も想像してほしい。
つまり、意味のないことはあり得ない。風景のすべてに意味があ
フィールドワークでは地元の人達に教えて頂きます。地元の人達
ると思ってほしい。その意味は一 体何なのかということを地元の
はなんとか皆さんにいろんな事を伝えたいと思っています。そのお
方々と歩きながら、分かるまで聞いてほしい。
返しが一体どう形で自分は出来るんだろうということを考えてみて
先入観は捨てて、素直に自分の興味があるものを聞いてほしい。
ほしい。
名所旧跡 調べではない。どうやってそこで生 活が成り立ってきた
宮本常一さんは「自然は寂しい、けれど人の手が加わると暖かく
か、暮らしがどう成り立ってきたかということを聞く。子どもでも老
なる。その暖かなものを求めて歩いてみよう」と言った。まさに今日
人でも同じ目線で対等な関係で話を聞く。具体的に細かく聞いてゆ
は暖かなものとは何なのかということを見つめながら歩いていただ
く。
くと、いいフィールドワークになると思う。
■フィールドワーク「地元学~あるく・みる・きく~」
4つの班に分かれ、伊熊、惣田、旭八幡、日下部の4集落でフィールドワークを行った。
集落の方と一緒に集落を歩き、五感を使って感じたあらゆることについて質問した。
1班:伊熊町
・後藤さんという家がほとんどで、この地区では屋号で呼び合っている。「ヒヨモ」
「ケト」
「ズショウ」などと呼び合っている。
・独居の方がかなり多い。集団墓地はなく、家ごとに山手に墓地を持っている。
・豊田市の施策「わくわく事業」を使った農園がある。集落でブルーベリーを作ってい
る。
・山の上にある伊熊神社。以前は月嘗祭をしていたが、今は年3回の祭り。昔は舞台も
あり、歌舞伎もやっていた。高齢者は神社まで上がれないので、常夜灯のところでお
祈りをする。
・森林は以前は草刈山として使っていて、そこに桑を植えて、その後スギ・ヒノキの植
林という変遷で変わってきた。今は植林したものが手入れされておらず、竹や広葉樹
の混交林になっているものも多く見られる。
・イノシシの獣害がかなりひどい。獣害が本格的になったのはここ10年。年間40頭く
らい捕獲され、食べずに穴を掘って埋めている。
・田んぼのすぐ横に川が流れている。昔はウナギや蟹が取れた。朴葉を使った遊びを
教えてもらったが、作り方がよく分からなかった。
2班:惣田町
・牛のことを牛様と呼んでいた。生活のために田んぼを耕す。そのためには牛は必要。
鞭を打つと牛も当然痛くて血が滲む。牛に感謝しながら生活していた。昭和53年に
効率化のため農地整備があって、広い田んぼになった。牛様を売り、トラクターで耕
すようになった。 ・森林は薪炭のほか、桑畑であったり、田んぼに入れるための緑肥にしていたり、多様
な使われ方をしていて、それは雑木林であった。戦後に木材の値段が上がっていく中
で、スギやヒノキを植林していった。しかし、今は1本数千円にしかならない。木を伐
れる人も地域におらず、業者に頼むと赤字になる。
・家の立地。農地中心で農地を邪魔しないように山際に作られているのではないかと
推測している。
・以前の稼ぎは炭焼き、養蚕、林業、田畑、綿花栽培。幅広く行っていたが、どれも衣
食住に直結するようなものを自分たちの手でされていたのだということを感じた。
・時代の流れの中で暮らしが変化し、人とのつながりが希薄化、個別化してしまった。
暮らし方がお金を稼ぐこと、目先のことが中心となり、地域のことや、将来のために
つながるようなライフスタイルになっていないことに気づきました。その変化の中で
も、田んぼや山に感謝する心、地域を守っていきたいという心は住まわれている方
に失われていない、それは大切にしなければいけないことだと感じた。
・「お祭りや神様、自然を大切にする心をベースに、10月に三期生がやっている畑の
収穫祭という形で、ヨソモノと地域の人と一緒になった祭りを企画したい」と地域の
方から声をかけてもらった。新しい地域の結いを育てる何かを考えていけたら面白
いなと思った。
15
3班:旭八幡町
・介木川を境に、高蔵と岡の2つの地域に分かれている。
・八幡神社。築羽自治区の全集落が氏子になっている地域の中心的な社。立派な切り
株がたくさんある。寄付金がなかなか集まらないということで、大事に育ててきた木
を切って、お金や材料にして拝殿を新しくした。
・林業は昔は稼ぎになっていた。1㎥で35,000円ほどで、お金を稼ぐ手段だった。
・製材所。このあたりの木を製材しているのではなく、他から持ってきて加工だけをし
ている。昔はこの地域の木を挽いていた。
・手入れが行き届かないスギ・ヒノキ山は荒れてしまう。稼ぎにならなくなったことで、
「稼ぎ」が「仕事」化したのだと感じた。しかもその仕事すらまともに維持すること
ができない現状になっている。
・昭和30年から40年までは野菜を売っていた。人を集めて畑をやって、市場で売っ
てお金を稼ぐということをやっていた。炭が売れるとなったら炭を焼く。時代に合わ
せて稼ぎを変化させているという印象。
・田畑は赤字で、肥料代だけで飛んでいってしまって、年金をつぎ込んでキープしてい
る。
・土地を園芸業者に貸して、ビニールハウスで花を育てている。
・地域の仕事の量は変わらないのだが、どんどん人手が減ってこなせなくなっている。
稼ぎは生活が変わったことでどんどん必要になってきている。そのバランスがうまく
とれなくなってきたのがかなり問題なのかなと感じた。また、暮らしや地域の仕事の
中に思いがあり、それを息子の世代につなげていけないことがつらい、という話をお
伺いした。
4班:日下部町
・最光院というお寺。畑だったところを梅林にしている。お寺の隣には愛宕神社があ
り、10月に大祭をひらいている。拍手を4回打つのがここの流儀らしく、特徴的。
・お地蔵さんの中に牛頭天王、馬頭観世音、とある。牛や馬を祀ってあるのかなと思
う。あちこちに石碑がいろいろと置いてあるが、年配の鈴木さんたちにも「何かわか
らない」というものが結構多い。
・耕作放棄地。こういうところにイノシシが集まる。すごい心配されていた。梅畑が草
ぼうぼうになっていて維持管理ができていない。特に代替わりをしたときにうまく受
け継げないようで、すごく困っていた。
・松嶋さんが飼っている牛。仔牛が産まれると仔牛を売る。売られた仔牛は最終的に
は近江牛や松阪牛になる。
・キイロスズメバチの蜂の巣。 家の軒下に作る。あまりおいしくない。ヘボというの
はおいしい。蜂の幼虫を食べたり、沢蟹を食べたり、マムシをから揚げにして食べた
り…。
・ボロボロの空き家。住宅を建てるときに背後が山だと危険だということで、都市向
けに作られた法律のようだが、その法律のために移住者に住んでもらおうとしても、
新築の家が建てられない。
・60代と58歳のお2人に案内してもらったが、自分たちのことを「若い衆」と仰って
いた。担い手の不足を全体的にすごく感じた。お金にならないからといってやめて
きた作業、伝統的な暮らしを引きついていくために、もっと若い人が帰ってくるとい
いなと思う。
講評(澁澤)
至る所に神様がいて、至る所にご先祖様もいて、一緒に生きてい
なくなり、集落の人間関係にも関係してくる。
る。よく「循環の社会」と言うとき、僕らは単純に物質や生態系だけ
ソ連がロシアになったとき、なぜ反乱が起きなかったかというと、
を見ているのですが、それと同時に神様、ご先祖様も循環している
ダーチャという自給畑を持っていたから。クラインガルデンはドイ
んですね。死ぬと裏山に行く。ご先祖様は裏山にいて、田植えにな
ツの食料の40%を生産している。一方、僕たちの身近では、自分の
ると田んぼに降りて、収穫後はまた山に帰って、狩猟のシーズンに
食べ物を自分で作ることや、身近に自分の命とつながるものがある
なる。自分の思い、霊的なものもぐるぐる混ざり合いながら回って
ことがなくなってしまった。どっちがいいという話ではないのだが、
いる、という感覚を持っていただければいいのかなと思います。
このような神様がいて食べ物があり、着るものも露をしのぐところ
田んぼの話ですが、お米1俵60kgを普通に作ると17,000円くら
もある、ひとつの小宇宙みたいな感覚、それが人間の心にどういう
いかかるんです。農協の買取価格は1俵12,000円くらい。でもみん
安心や希望をもたらすのか、というあたりを、この一年間でそれぞ
なお米を作る。ご先祖の田んぼを引き継ぐという思いもあるが、田
れ疑問を持ちながら考えていただくとよいのではないか。今の経済
んぼをやめてしまうと水利が止まって下の田んぼが作ることができ
では全く評価されない部分。
16
■レクチャー「今、なぜ地域か」駒宮博男
ニティ。この4つの要素が全員集合して総会を開くのが祭りではない
<日本の集落は自治のかたまり>
か。
岩手県大槌町の吉里吉里集落。昭和8年3月3日に前回の大津波が
究極の問題は、
これらコミュニティの構成要素が分断された、
という
あり、4ケ月後の7月に復興計画が住民自らの手で作られた。これを住
こと。自然科学と唯物論、経済システムがつながりを断ち切ってきた。
民だけで作ったというのがすばらしい。あらゆることがリストアップさ
ほんのわずか50年前は人口の半分以上が農村に暮らしていて、地域
れている。村落の建設から、津波の対策、産業の経営、消費経済など細
の自然資源だけが生産材だった。一番身近な自然である自分の身体
かいことまで全部計画されている。特に青年教育、成人教育、自治訓練
は、自分が食べたものでできている。自分の作った米は、田んぼの土と
など教育に力を入れている。
用水の水と太陽の光でできているのは当たり前であるから、そこに訳
昔の人はこういう計画を自分達で作ったということです。これからわ
のわからないものを入れるのは危ない。だが、生産と消費が分離され
かったことは、少なくとも80年前は、全国の地域に明確な自治力が存
るとその感覚がなくなり、
ヒトが自然から離れてしまう。ちなみにアイヌ
在したということ。それ以降、日本の地域は自治力がどんどんなくなっ
は自然と神々の区別すらなく、
まとめて
“カムイ”
という。
50年前までの日本人は地域の自然を科学的に見ていないと自分達
てしまった。
が生きていけなかった。かなり克明に地域の自然情報を知っていて、
コ
<近代に対する批判・警告と、積極的オルタナティブ>
ントロールしようとしていた。絶対にコントロールできないのは天候で
72年に出されたローマ・クラブの「成長の限界」。このままだと世の
あり、それに対しては祈るしかない。そういう意味で、祈るという行為は
中が続かないという警告。だが、高度成長の終わりの頃でみんな実感
科学的だった。
がなかった。92年にシステムダイナミクスという方法でシミュレーショ
ンし直したら、72年のシミュレーションとぴったり合っていた。92年は
地球環境について世界的に会議を開かないといけないということで、
リオで会議が開かれた年でもある。
結局、歴史的にみれば西ヨーロッパとアメリカのわずかな国が世界
を牛耳って、彼等は歴史的な勝利をした。
“The End of History”
と
いう本もある。信仰主義、勝利者主観自体もおかしいという話もある。
科学に限界があるという考え方。技術に対する批判。いろんなサイドか
ら、学問的に近現代を批判している。グローバリズムは圧倒的なカジノ
近代によるコミュニティの破壊(pptより抜粋)
グローバリズム。お金が回っている。回るほどお金が増殖していく。そ
<近代の行く末・格差社会>
の虜になっている人がたくさんいる。そもそも経済学は非常に新しい
制度疲労を起こした近代とは何か。近代の2代特性の1つが
“国民国
学問で、もともとは学問じゃないと思われていた。
家”
、もう1つが
“産業資本主義と科学技術”
。さらにもう1つ挙げるなら
結局、地域でやらないとどうしようもないというのが1つの結論。地
ば
“個人”
。挙句の果ての問題は二極化、つまり格差社会。格差社会はも
域の生態系を重視し、自然が生み出した利子だけを使って、元本には手
ともと途上国の専売特許だったものが、近代をとことん推し進めたら
をつけない。
また格差社会ができてしまった。アメリカは徹底的な二極化社会で、国
等身大のガバナンスというものがあると私は思っている。今朝の
民の7人に1人が食料配給切符をもらって生活している。
ニュースでも中国とベトナムの紛争とか言っているが、日本も含めて1
グローバル経済で国民国家と企業の利害が一致しなくなった。今、
億人以上の人たちをコントロールすることはできないのではないか。
日本の本社は管理・開発しかしておらず、付加価値生産は海外で行われ
北欧はスウェーデンが900万人、フィンランドやノルウェーは500万
ている。余剰は海外で設備投資されて海外で使われる。日本国に入っ
人。信頼の根本はフェイストゥフェイス。知らない人もコントロールしよ
てくるのは法人税だけ。企業の利益と家庭の所得の変化を見ると、前
うとすると、法や制度によらないといけない。旭の集落では互いの顔が
世期末から今世紀の始めを境に、企業は儲かるようになったけど家計
見えている。そこでは悪いことができない。ある面窮屈な社会だが、実
は減っている。
は信頼を形成する条件ではないか。
生活保護世帯のデータ。97年に何かがあったように見える。自殺者
数は95年から97年あたりにガッと増えている。20、30代の死因のナ
<コミュニティの基本構造>
ンバーワンはずっと自殺。果たしてこういう社会を継続していいのか。
私の考えるコミュニティ論の構造。一番下が自然資源、中間に暗黙
知、その上にコミュニティが乗っかるのが日本型コミュニティ。これとは
<歴史を振り返る>
別のコミュニティとして、暗黙知が無く、成文化された法律の上に乗っ
人間の歴史の大部分は旧石器。一番最後のところに、
ようやく室町と
かっているのが街。市はいろんな人がごっちゃになるのでそこには成
か江戸とかが出て来る。これを再認識しないといけない。石油使用量
文化されたルールが無いとやっていけない。雑多な人が集まると文字
のグラフはデルタ関数。このピークにわれわれは生きているから、何か
化されたものが必要になる。
おかしくなってしまう。長続きするわけがない。みんながサラリーマン
実はコミュニティをしっかりみると、自然資源のさらに下に精神世界
という生き方は50年前からスタートしたものに過ぎない。
がある。精神世界の上に自然資源があって、自然資源との付き合い方
これからどうしたらいいのか。できれば1次産業はもっと増やさない
に関する分厚い暗黙知がコミュニティを支えてきた。内山節さんの考
とまずいのではないか。農業でなくても農的生活でもいい。少しそう
え方では、西洋のコミュニティの構成要素はヒトだけ。日本古来の考え
いうことを考えないといけない。古くて新しい幸せのかたちを、是非、
方では、
ヒトも地域の自然も、祖霊も八百万の神も全部合わせてコミュ
豊森で考えてほしい。
1班:伊 熊
後藤章夫さん、後藤晃孝さん、後藤透さん、後藤雪夫さん、後藤吉助さん
フィールドワークに
2班:惣 田
安藤盛夫さん、鈴木寿ゞ江さん、鈴木ひで子さん、渡辺豁さん
ご協力くださった方々
3班:旭八幡
鈴木康爾さん、原田芳夫さん、横山敏彦さん
4班:日下部
鈴木久直さん、鈴木裕幸さん、松井 夫さん、松嶋利光さん
17
第2回講座 「地域のお年寄りに話を聞く」
(聞き書き)
日程
2014年6月21日(土)10:00 ~ 17:30、22日(日)10:00 ~ 17:00
会場
築羽農村環境改善センター
(21日:13:00 〜 15:00 フィールドワーク:伊熊町、惣田町、旭八幡町、日下部町)
(合宿:足助里山ユースホステル)
ねらい
●農山村で生きてきた人のお話を聞いてまとめる作業を通して、その人生に寄り添い、農山村で生きてきた人々の
思い・精神的な部分を学ぶ。
●受講 生それぞれが農山村と今 後どのように関わりながら、なりわいを 作るのか、暮らしを立ててゆくのかを
考えるための一助とする。
参加者
1日目:48名 2日目:30名
1日目
午前
午後
2日目
グループワーク「書き起こし」②
レクチャー
「聞き書きの意義とその手法」
「聞き書き実習」
レクチャー「聞き書き編集のポイント」
(澁澤寿一)
フィールドワーク「聞き書き」
グループワーク「書き起こし」①
交流会
個人ワーク「聞き書き編集」
■レクチャー「聞き書きの意義とその手法」
澁澤寿一
それはある意味当たり前で、巨大になった金融マーケット側につく
<今生きている社会>
二極化するという現象を招いている。その二極化していって、ある
日本は世代で非常に考え方が違う。戦前の教育を受けた人は、ほ
意味では年金も貰えない、社会保障制度も破たんする、経済が豊か
とんどが江戸時代あるいはそれ以前からの教育を受けてきている
になる事に豊かさを感じない世代にとって、果たしてこれから自分
といってもよい。論語や武士道にみられるような、社会的モラルを
たちが必死になってどうやって生きていくのかということを模索す
規範とし、自分で自分を生かすための教育を受けている。そういう
る、という人はこの中にもいるだろう。このように、戦前の教育を受
人達にとっては、株価やリーマンショックはまったく関係ないという
けてきた世代、戦中を経験してきた世代、戦後に生きてきた世代、
価値観。第二次世界大戦という戦争を経験する。戦争を経験して、
バブル崩壊以後の世代ということで、日本人といっても価値観がも
焼け野原になってそこに戦後民主主義というものが一斉に入って来
のすごく違う。ある意味では正反対。豊かさ、幸せという言葉ひと
て、今までと全く違う価値観で教育がなされるようになってきた。
つの意味合いが共有できない状態の社会を僕たちは生きてきてい
また、戦争を子供の頃に経験した方々は、食べたい物が食べられ
る。
のか、自分が生きている実体経済側につくのかだけでも、おのずと
なかった、欲しいものが買えなかったという思いを皆さん強烈にさ
れている。たぶん今日お話を伺う方からも、ずいぶん戦争のお話を
<聞き書きとは>
聞くことになると思う。その方にとっては、豊かさとは、戦争がない
今日お話を伺うのは80、90代の方。その方々は戦前教育を受
ことがまず豊かさであるし、物が豊富にあって、少なくとも食べたい
け、戦後を生きて来られた方々が、どういう価値観をもち、どうい
ものが食べれることが最高に豊かなことだと思っている価値観。そ
うことを幸せ、どういうことを悲しいと思うか。心に寄り添ってみよ
の方々の価値観、要するにモノを作っていって、そして日本を豊かに
う、というのが今日の聞き書きの作業。全く違う価値観で今日本と
していくという価値観、今の日本という国の表面にでている価値観
いう国は「幸せ」という言葉を使う。なので違う価値観の人々の幸
が、正にトヨタ自動車を始めとして、世界の一番トップのものづくり
せだとか悲しみだとか、あるいは人生の目標だとかいうものに対し
をしていく。それによって経済を発展させて、そして少なくとも食べ
て、1回寄り添ってみて「そういうことなんだな」実感してみようと
るものに心配のない社会を作るという形で、高度経済成長という名
いうのが今日の聞き書き。
のもとで日本が一生懸命国づくりをしてきた。
相手の喋ったことを書くという行為。相手の喋った言葉を自分の
それが、最後はバブルという形で崩壊した。それはものづくりが
中で翻訳しながら聞いていかないと実は聞き書きはできない。これ
崩壊したのではなく、知らず知らずのうちに、金融のマーケット、実
は、ある意味で相手に重なっていく、想いに寄り添っていく行為。
体経済を潤滑に上手く動かすためのマーケットが実体経済を大き
く上回り、そのマーケットのちょっとした躓き、感情的、投機的なも
のでちょっと動いただけで実体経済に影響を与える、ということを
バブル崩壊、リーマンショックで経験した。
その後に生まれた人達は、バブルが弾けた以降なので、物質的に
豊かになっていったとか、金銭的に豊かになることで豊かさという
実感をしていない。この方々は、今の日本という国がなんとなく見
える。例えばもっと経済が良くなれば豊かになる、ということがしら
じらしいと思っている世代。同時にその世代は二極化し勝ち組、負
け組という言葉が出てきている。これは現実の問題として日本人の
所得、あるは先進諸国の所得も含めて二極化をしているという現実
がある。さらにその二極化がどんどん進んでいく。
18
聞き書きとは(pptより抜粋)
要するに、相手のことを知ろうとする、相手の思っていくことに寄り
添っていこうと自ずから思っていく心。それに非常に近いものをみなさ
んは感じると思う。その人たちに本当に重なっていって、その人達を自
分が1人の人生80何年間生きて来られたその方の人生に自分の人生を
重ねていく。1人の人生を、そのまま自分の人生として受け止めるという
のは、一生のうちに何度もある経験ではないと思う。その意味では、今
日は貴重な話になる。「ああ、こんな人生の価値観があったのか」とい
うことをリアリティをもって感じてもらいたい。
僕たちの生活の中はリアリティが本当に無くなっている。食べ物、エ
ネルギー、水、教育医療福祉にしても、全部システムに寄りかかってい
る。スーパーのブランドを信用しているのであって、そのスーパーで売っ
ている野菜がどこの畑で誰がどのような思いでもって作ったのかを僕
聞き書き甲子園より(pptより抜粋)
たちは知ろうとしない。せめてそれが無農薬なのか、あるいは外国から
輸入された野菜かぐらいしか僕たちは知ろうとしない。その向こう側は
リアリティが全く無くなっている。それは水、エネルギーでも全く同じ
<聞くポイント>
ことが言える。その1人の人間が生きたというリアリティを持つことに
・聞き書きはひとり語りの文章。語り口調を活かしながら、文章は纏め
よって始めて、私たちは色々な判断基準を持つことができる。
る。文章を読むとその人の個性が見える。
・話し手に対する敬意と共感。恋愛に似ている。デジタル情報としてで
<聞き書き甲子園より>
聞き書き甲子園という活動をやっていて今年で13年目。毎年100人
の高校生が100人のじいちゃん、ばあちゃんの聞き書きをする。
はなく、目と耳と心できちんと聞く。
・謙虚な心で聞く。一対一でその人生を受け止めるということは中々
できない。1人の人生をそのまま受け止める。
そこで僕があった木こりの人。チェーンソーは昭和35年くらいに入っ
・話を聞くのは、できればその人の職場や家など基本的にはその人が
てきたのだが、チェーンソーが入ってきた時点で木こりをやめたと。な
生きている場所で。聞き書きをその人の家でやるのと、豊田の街中
ぜチェーンソーが入ってきて木こりをやめたのかと聞くと、昔は大経木
でやるのとでは、話し方が全く違う。それは、そこの坂道の勾配、土
の伐採が中心だったが、大径木の伐採をずっとノコで挽いていた。当
の匂い、水の冷たさ、家の佇まい、そのすべての情報にその人の人生
然、ヨキで切り口を入れて、ノコで挽いていくのだが、ノコで挽いていく
があるので、その人が生きてきた周りの自然に自分がどうやって寄り
と、年輪をいくつ切ったかという感覚がわかる。年輪いくつ切ったかと
添えるのかが大事。
いう感覚が分かると、この年は夏が暑かった、この歳は冬に雨が多かっ
・聞き書きとは対話。どんな質問をするか、それにどう答えるか、さら
た、この年は台風が来た、ということがノコを挽きながら感覚が分か
にその質問をどう繰り返すか、ということで本音がでてくる。対話の
る。そうすると一日一本挽く間に、自分が100年、200年旅をしている
中で本質やディテールを聞き出すように。対話の中で本質やディテー
気持ちになったと。まるで自分が200年、300年生きて来た気持ちに
ルなど明らかにしてほしい。
なることがきこりとしての誇りだったが、チェーンソーからは全くそれが
・自分の常識を疑ってほしい。分かったつもりにならない。例えば川舟
伝わってこなくなって、今まで1日かかっていた木が十何分くらいで切れ
の側面の板と板を釘で繋げていって、水が漏らなくなるんだよという
てしまう。これは人生として幸福感がなくなったといって木こりをやめ
話を聞き、そうなのかと思う。そこで終わってしまうと、それが舟釘と
て作家になった方いた。
いう特殊な釘で打っているからという、深いところまでは掘り下げら
そんな方がいるように、機械が入り高度経済成長以降、社会が全く
れない。
変わった、その前のおじいちゃんたちの感覚を残したいと聞き書きを始
めたんだが、やってみたらおじいちゃんたちじゃなくて、聞きに行く高校
聞き書きはその人が生きてきた証。歴史は一人一人の人間関係が
生達がものすごく変わった。
つくり上げている。どういう想いで人が自然に手を加えていたのかと
高校生がなぜ変わるのか。またぎのおじいさんに話を聞きに行った
いう想いを見て頂きたい。畦の草の高さにその人の住んでる人の想
高校生がいる。民俗資料の中では、「またぎ」っていうのは山に入って
いがある。作っているもの、休耕田の田への想い、生きてきた想い、
熊を撃ち、こういう手法でやって巻狩りをやって、またぎ勘定で分配す
をまとめていきたい。最後に、聞き書き集として読み手に伝える。最
るというもの。「肉は売れて」とかが民俗資料で残っている。
後のまとめ方は、人生何十年生きてきていまの想いや、次の時代へ
しかし、じいさんは狩りをやっているのはごく一部。じいさんの人生
の想い、これからに向かってのことその人の人柄が浮かび上がる言葉
の中では狩りというのは一部分でしかなく、ほとんどは自分の食べる米
で最後を持ってきてほしい。
を作り、野菜を作り、自分が住む家を補修しながら茅で屋根を葺いてと
いう、日常の生活がある。聞き書きをすると、「生きる」ということ全て
をおじいさんがやってきたということが高校生は分かる。
高校生は、食べるにしてもエネルギーにしても全部システムで生きて
きた。システムの向こう側は何も知らない。ところがおじいさんは正に
「生きる」ということのリアリティということに感動して、高校生が変
わっていく。
自分の人生というのはどこか向こう側にあって、それをどう偏差値を
とってクリアしながらゲットしていくのかとか、あるいは青い鳥が何処
かにいて、それにどうやってうまく会うのかとかいうチョイスをしたりと
か、何となく、自分で努力をしてあるというように感じていることが、な
んとなくおじいさんの話を聞いていると、自分が生きるということをの
リアリティを持つことによって、それは全部自分の未来の中にあるんだ
と高校生が変わり、ある意味では大人になっていく。
宮本常一の言葉(pptより抜粋)
19
■フィールドワーク「聞き書き」
8グループに分かれて、それぞれ伊熊、惣田、旭八幡、日下部の話し手に聞き書きを行なった。これまでどのように生きてこられたのか、何を
感じられてきたのか、話し手の方の人生についてお聞きした。
聞き書き 班分け表
地域
話し手
参加塾生(スタッフ、オブザーバー)
A
後藤キヨさん
(付添:浅井キヨ子さん)
井上、関原、田村、
(高津、吉原)
B
山本義雄さん
岩崎、大西、渡邊、
(駒宮遊)
A
渡辺豁さん
片山、古館、前川、
(駒宮、萩原)
B
鈴木寿ゞ江さん
稲村、大野、中根、
(志津)
A
原田芳夫さん
水野、山﨑、
(國友、西田、白石)
B
安藤謙吉さん
榊原、鈴木、
(安藤)
A
柴田武さん
石戸谷、髙山、
(中川、木浦)
B
松嶋和子さん
川崎、田中、渡邉、
(大洞)
伊熊
惣田
旭八幡
日下部
後藤キヨさん、浅井キヨ子さん
山本義雄さん
渡辺豁さん
鈴木寿ゞ江さん
原田芳夫さん
安藤謙吉さん
柴田武さん
20
松嶋和子さん
■書き起こし、編集作業
話し手より聞いたお話の録音を再度聞き直し、各自、分担して
文字に書き起こす。それを話し手の言葉、語り口調を残しなが
ら、言葉の並び替え、主語の付け足し、文章の整理などを通して
読み物として体裁を整えていく。
<編集のポイント>
・聞いた話を書き起こして、編集して、今度は伝え手にならなけ
ればいけない。約2時間の話を聞くと原稿用紙にして約60枚
分の膨大な量になる。その中から相当量削っていって、作品に
聞き書き編集のポイント(pptより)
なるのは全体の四分の一ほど。どれだけ削っていくかという
のが編集。
・基本的には相手の言葉しか使ってはいけないというのがルー
ル。ただ、場面では、主旨を変えない程度で読者が分かる文
章に変えていく。
・主語が抜けた部分、会話は往々に主語が抜ける。その場合、主
語を入れることは構わない。
・話のまとまりごとに小見出しをつけて並び替え、作品に仕上げ
る。それは編集者の技量に任される。
・最後に作品名を付ける。これがまさに編集者のオリジナリティ。
書き起こし作業
■完成した聞き書き作品
■塾生の振り返り
井上:パソコン打つのが遅いので、何度も聞いた。すると、編集の時
高山:こちらが聞きたいこととして質問するが、すぐには答えてくれ
にすっと聞きたいことが入ってきた。家で写真を貼った。最初
ない。脇道に入り、寄り道をして、結局答えてくれない。編集
は雑談だったが、最後はおばあさんが言いたいことや、生ま
していて、いろんなところにキーワードがある。それが見える
れてから今までの暮らしぶりが聞けてよかった。男性は戦争
ようになってきて、スムーズに編集ができるようになった。話
経験がある。国会の話があるがその時とはニュアンスが違う
し手と聞き手の心が近づいている感覚を感じることができ
が昔の人は芯が強いということだった。聞き書きは難しいが
た。
やってよかった。
水野:原田さんは牛子をやっておられた方で、ネタが豊富だった。
大野:聞いたことをまとめるのが 難しい。最 後に言われたことが
キーワードになって全体をまとめてきた。最後に結論を言わ
聞き書きの手法は地域でいろいろやることができると思う。
介護に取り入れたり。
れていたことがわかった。僕の班は女性だったので身近な生
活のこと。一方、男性のところは戦争、村をどうにかしたい、と
いう話だった。女性と男性で生き方、視点が違うことが発見。
■合宿 あすけ里山ユースホステルにて
あすけ里山ユースホステルにて、第四期豊森なりわい塾の合
宿を行った。日中に続けて聞き書きの書き起こし作業、編集作
業を行ったと同時に、塾生同士で夜が更けるまで語り合い、お互
いを知る良い交流の場になった。
21
第3回講座 「地域を知る~食と農~」
日程
2014年7月19日(土)9:30 ~ 17:20、20日(日)10:00 ~ 17:00
会場
築羽農村環境改善センター
(17日:14:00 〜 17:00 フィールドワーク:伊熊町、惣田町、旭八幡町、日下部町)
ねらい
●地域の暮らしの中でも特に食と農の位置づけを中心に、暮らしがどのように変化していったか、地域の年配者
からお話を伺う
●日本・世界の食と農の現状についてお話を伺い、今後の地域における食と農のあり方について、また塾生ひとり
ひとりの食と農との関係について考える
参加者
1日目:42名 2日目:34名 ゲスト:篠原信さん(野菜茶業研究所)
1日目
2日目
午前
聞き書き 感想共有
話題提供「食と農を考える」
フィールドワークの発表
午後
フィールドワーク「地域における食と農の変遷を知る」
フィールドワークのまとめ
映画鑑賞「椿山―焼畑に生きる―」
レクチャー「日本の食と農の現状について」
感想共有、ディスカッション
■事例紹介「食と農を考える」
①「日本農業と企業参入について」
山﨑直人(豊森四期生)
<まとめ~農と農業、私と豊森~>
<農業の特殊性>
的アプローチが増加するのではないか。
衰退産業はたくさんある中でも、農業は特殊な産業。田んぼには
そこを考えたときに、豊森にはどういう意味があるのかを考えて
国土や水源を守る、そもそも景観も守るという機能がある。地域の
みた。農業というのをひとくくりにできない。すべての農家の方が価
文化、地域社会も守っている。
値を考えて作って、ということはムリ。地域とその文化を構成するも
人類は2050年までに90億人になる。食料生産スピードが追い
のがビジネスではなく生活の一部として成り立つような農というも
つくとは思えない。生命に直結する農業を守ることは国の安全を守
のと、ビジネスとして市場経済と関わりながら利益を追及するよう
ることでもある。また、農業はいったんなくなると、ハード面でも、
な農業、この二つの分け方があると思う。
知恵の面でも復旧に多くの時間がかかる。
私は将来、農業に関わりたいと思っている。そのときに、農につ
農業生産法人の生産性は、稲作で2,773円/hになっている。一
般稲作の4~5倍近い生産性が達成されている。今後、様々な企業
いて考えることはとても大事だと思う。みなさんと一緒に学びなが
<農業の生産性の問題>
ら、自分なりに農業を考えていきたい。
農林水産業の年間生産性は229万円。全産業平均は766万円。
つまり、効率が悪いという点と、出したものが高く売れないという
点がある。
なぜそんなに生産性が低いのか。国内では最終的にトータル73
兆円で売れているが、生産者の懐には9.4兆円しか入ってこない。
流通や加工の段階で付加価値が付いていて、生産に価値がついて
いない。
僕のおじは農協にイチゴを出している。農協の規格に合わせるた
めに、収穫後に大きさ別に選別し、
「栃木のイチゴ」としてひとくく
りで出荷される。誰がどれだけ手をかけていても、同じ価格、同じ
商品になってしまう。一方で高級レストランでおしゃれそうな感じに
事例紹介(山﨑)
すると、3,000円くらいで買う人はいる。原価がいくらであっても
②「農の世界~生きるということ~」澁澤寿一
価値をつけることができれば外食は売れてゆく。ここが既存の流通
<2つの農業の断層>
の問題点ではないか。
私の高校時代、授業はほとんどストライキとロックアウトで、2年
間くらい休みだったのではないか。そのときに何しようか。私は那
<農業への企業参入の意義と事例>
須高原の開拓部落によく行った。農業の形態はいろいろあることを
農業でも、顧客のニーズを把握し、そのためにどういう流通を確
知りながら高校時代を過ごした。その人たちが「那須では食ってい
保して、どういう商品をつくるのか、現場はどうあるべきか、という
けないので、国の政策で南米に移住する」ということで、じゃあ俺も
ビジネスの視点が必要ではないか。
南米に行く、ということで、東京農業大学に入った。
長 野県にあるトップリバーは、いちばん大事なのは営業だとい
ドクターを取った後、南米でJICAの農業指導者として、パラグア
う。顧客との信頼関係を作り、必ず「納期」と「量」を守る。農作物
イ国立農業試験場の立ち上げの仕事をした。パラグアイ人が僕に
は納期と量を守ることが、工業製品よりはるかに価値がある。その
期待するのは「儲かる農業」だった。まず彼らに教えたのは、トラン
積み重ねで信頼関係が生まれ、一般の2割以上高い価格で売れてい
ジスターラジオを買うことだった。ラジオを買って、その日のシカゴ
る。
マーケットの予想を全部聞けと。それは瞬く間にパラグアイ中に広
がった。シカゴマーケットは世界中の穀物が集まってくるマーケッ
ト。相場を聞いていると、上がりそうなもの、安くなりそうなものが
22
見えてくる。パラアイは南半球なので、シカゴマーケットに半年先に
ない。大学に行かすこともできない。仮に広く20haやると1,600
供給できる。すると、彼らは僕が教えていた大豆や小麦を作ろう、で
万円だが、1人では作れないので何人かの経費がかかってくる。
はなく、どれを作ったら得かという農業に変わった。一つの作物に
どうも日本人は産業として農業を見ていないのではないか。確か
一生懸命丁寧に物を作っていこうということは急激になくなった。
に利益を出している農業集団もある。パプリカだけ、トマトだけを
その代わりお金は儲かって、だけどみんな荒れていって、みんな賭け
作って利益を出しているところもある。でもその人たちはそのすべ
事が好きになって、現金化、経済化にどっぷり入ってゆくのを見てき
てを販売し、そのお金で自分の食べるお米を買う。つまり、産業とし
た。
て農業は成り立っているけど、所詮サラリーマン。政府の頭の中に
一方で僕が大学の頃に、有機農法だとか自然農法という言葉が
は残念ながら農という発想はまったくないから、農業を健全にすれ
出始めていた。桜沢如一さんが佐久総合病院の若月俊一さんらと
ば田舎にも人が住むと思っている。だが、実は産業としてそもそも
一緒に、山梨県の相原(ゆすりはら)という、当時世界一長寿の村と
見ていないのだとしたら、その仮定は根底から崩れてくる。
いう村を世界に紹介した。非常な傾斜地の段々畑でお米がとれな
さきほど国土保全や伝統文化の継承という話があったが、それは
い。雑穀中心の粗食と坂道での労働。それが長寿の要因だと世界
全て農業によるものではなく、農によるもの。つまり、そこで暮らす
に紹介されて、今のマクロビオティクスというのはそこから生まれた
ということが先にあって、暮らすために食糧を作る。お米というの
発想になる。
は水の流れに沿って田んぼを作るから、共同で水路を管理しなけれ
また、自然農法の福岡正信さんらとも付き合っていた。「お天道
ばならない。植え付けの時期と刈り取りの時期を一緒にしなきゃな
様の力で作物が大きくなり、その余剰物をいただき、それをまた土
らないから、全部1人でやることはできなくて、共同作業でやらざる
に返し、前よりも豊かな土にしていく行為が農業だ」と。私の中でも
をえない。そこでムラというものが生きるために形成される。
のすごい葛藤がありながら、両方を突き詰めていこうとして、体を壊
ムコとヨメという言葉があるが、圧倒的にムコという言葉の方が
し、日本に帰ることになった。
古い。かつては女性を中心とした社会で、男性は通い婚だった。
「向
日本でいろんな地域づくりの事業をして、40歳くらいでまた日本
かう人」のことをムコと言った。ヨメという言葉はたぶん戦国時代
の農業に面と向かったのだが、一番最大の問題は「農業とはなんだ
以降にできた言葉で、
「結女(ゆいめ)」のこと。農作業が大変だか
ろう」ということだった。あの世界最大の穀物マーケットに出てくる
ら加勢に行くという形で女性が入った。家に入るのではなく集落に
のは、世界の総穀物量の5%に満たない。つまり、食べ物は自分で
入った。そのうちに一つの家に住み着くようになってヨメという言葉
作るというのが食糧の原則で、ごく一部が国際流通という形でシカ
になっていく。それくらい共同作業を前提としたことが農のすべて
ゴマーケットに来る。それでも膨大な量になる。日本もそこから買っ
で、それは生きることに繋がる。水利を守るために国土を保全しな
ている。その5%しかない食料というのは基本的には国家戦略の中
いと農はできないということにも繋がるし、ムラを作らないかぎり
で使われていく、ということを嫌というほど見てきた。
農はできない、ということにも繋がってくる。
この農の価値をどう考えるのか。産業界の人と話をすると「農業
<農の世界~生きるということ~>
はサボってきたから、マーケティングを考えなかったからだ」と言う
ここらの農家でいちばん皆さんが不思議だと思われるのは、以前
んですが、実はしたたか考えてきていて、なおかつ原価割れしたこ
お話したように、農協に米を出すと完全に赤字になる。赤字なんだ
とを今でもずっとやっている。なんでやっているかということを、午
けどみんな米を作っている。なんで米を作っているのかをぜひ考え
後はそれぞれの立場になって考えていただきたい。
ていただきたい。
人間が生きて行くというのはどういうことなのか。要するに、生
宮城県の鳴子というところでは、お米の価格を地域で決めた。原
きていくための優先順位をどのようにつけて行くのか。そのために
価に1万円プラスした27,000円/俵で買い取ろう、ということにし
は、自分の今までの社会の価値基準ではなく、自分自身で自分の生
た。だが、反収8俵とすれば1反あたり8万円の利益があがる。日本
きる優先順位をつける。これは豊森の一番大きな目的の一つでもあ
の平均的な農家の耕地面積は1ha。80万円では暮らすことはでき
る。ぜひ意識しながら、いろいろなお話を聞いていただきたい。
■フィールドワーク「地域における食と農の変遷を知る」
班
伊熊、惣田、旭 八幡、日下部の4つの集 落でフィールドワークを
伊熊
行った。
集落の年配の方々から、暮らしの変化に伴い食と農がどのように
変化していったか、お話を聞かせていただいた。
惣田
旭八幡
日下部
塾生
地域の方
関原、渡邊和
鈴木静夫さん
井上、岩崎、大西
後藤フミ子さん
稲村、大野、中根
渡辺豁さん
片山、古舘
鈴木ひで子さん
水野
横山敏彦さん
榊原、山﨑
安藤謙吉さん
鈴木
鈴木律子さん
石戸谷、加藤、髙山
鈴木繁男さん
田中、渡邉一
安藤照子さん
フィールドワークの班分け表・ご協力くださった方々
発表例:惣田町
フィールドワークの様子(日下部)
菜 種、綿。山からは薪炭、薬 草、イノシシなどの獣肉。川からは
魚、沢蟹、うなぎ。飼育していたものはウサギ、ニワトリ。
・横軸は時間軸。左は過去、右が現在。一番右に変化の中で消えて
戦時中は犬も食べた。伺った限りで今でも残っているものは、お
いったものをまとめた。縦軸は「作っていたもの」「山や川から
米、芋、野菜、お茶。綿はすぐになくなった。薬や川魚もとらなくな
取っていたもの」「飼っていたもの」「買ったもの」「加工品」「保
り、炭もやめた。菜種も栽培していない。やらなくなったことでそ
存方法」
「農機具」などの項目で分けた。
れぞれの技術が失われてしまった。お米も売る分はなくなって、栽
・青枠は、各家庭で自給していたもの。お米、芋、大豆、野菜、お茶、
培面積が減った。
23
・赤枠は買っていたもの。戦前・戦中・戦後直後にどうしても買って
・茶色の枠は、保 存方法や農 機具、売り物の変化。保 存方法は乾
いたものは砂糖、お酒、塩。地域の中ではまかないきれないもの
燥、芋蔵(土の中に入れて保存)、漬物。農器具は牛を使って開墾
は買っていた。会社づとめが始まってお金が入ってくるようにな
していた。時代の変化とともに、保存方法は冷蔵庫、冷凍庫に。
ると、わざわざ作らなくても買ってしまえばいいよね、ということ
農機具は耕運機、トラクター、田植え機に変わった。
・88歳のおばあちゃんでも、昔やってたことをやってたわけではな
で、買うものが増えてきた。
・緑枠は家庭で加工していたもの。味噌、醤油などの調味料は自給
が多かったが、買うものに変わっていった。小麦はうどん屋さんに
く、祖父母や両親のやっていたことを見ていて知っているだけと
いう世代なんだと分かった。
持ってゆき、うどんと交換していた。
フィールドワークのまとめ(惣田)
■ゲストレクチャー「日本の食と農の現状」
篠原信さん(野菜茶業研究所)
しかし、これから世界的に原材料価格が高騰し、機械製品は国際競
<石油から食料を作る状況の変化>
争に打ち勝つために安値で売らないといけなくなり、利幅が圧縮さ
米は石油からできている。1955年の統計では0.91kcalのエネ
れる。その利幅の中で12,700万ー3,000万=9,700万人分の食
ルギーでお米1kcalが得られた。今は2.6kcalの石油エネルギーを
料を海外から輸入しなければならない。
使っている。エネルギーベース食料自給率はマイナス28%。トラク
ターなどの機械を使うエネルギーも考慮するとマイナス250%に
<ドルをとりまく状況の変化>
なる。
1971年のニクソンショック以来、お金はただの紙切れになった。
化学肥料頼みの農業は単純にやめられない。バーツラフ・シュミ
しかしドルは世界を支配する基軸通貨になっている。実は知らない
ルの『世界を養う』という本では、有機肥料だけだと30~40億人
うちに石油はドル紙幣でしか買えない構造になっていた。その代わ
しか養えないと推測されている。人口は増えすぎていて、養うため
りイスラエルとサウジアラビアのアメリカ軍が治安を維持し、中東
には化学肥料に頼らないといけない。
の便益を図っていた。
参 考になるのが江 戸 時 代で、食 料 の 海 外 出 入りが ない 状 態 で
これがいよいよ崩れてきた。今後ドル札が共通通貨の地位を維持
3000万人を養っていた。日本の農業技術は江戸時代にほぼ完成し
できるかはわからない。そんな中でシェール革命が発生した。自前
ていて、江戸時代より進んだ技術はすべて石油に依存している。日
で石油も天然ガスも賄えるから好きにしろと言って中東からアメリ
本の国土は江戸時代と同じ3000万人が養える上限ということに
カ軍が撤退し、中東が不安定化している。このままだと中東に石油
なる。
を依存している国は大混乱に陥る可能性がある。
日本は100兆円のドル資産を抱えているが、 85%はアメリカの
<工業製品が高く売れる状況の変化>
国債。もし食料危機が起きても、このドル資産で海外の穀物を買う
先進国はなぜ途上国よりも豊かな生活を送れるのか。非常に簡
ことは簡単ではない。
単に言えば、工業製品を作る技術を独占していたから高く売りつけ
られた。農産物は誰でも作るから買い叩かれる。この構造の中で先
<地球生態系との関係性の変化>
進国は成長してきた。ところがBRICSはじめ新興国の技術が伸び
かつて人間は生態系循環の中で生きていた生物だった。しかし、
て、工業製品も買いたたかれる商品となった。一方で食料不足で値
石油エネル ギ ーを持 ち込 んでしまった が ために、生 態 系 循 環 が
段が吊り上がり、希少性が逆転した。
ストップするくらい破壊が進んでいる。人間を支えている基礎は石
これまで日本は加工貿易ということで、原材料を安く買い叩き、
油エネルギーでなくて生態系である。生態系が崩壊したときに人類
機械製品に加工して売り、利幅の中で豊かな生活を送ってきた。
は生きていけるのか。
24
まとめると、化石エネルギーに依存した食料生産は未来永劫続け
■感想共有・ディスカッション
られない。この50年で軌道修正を図らないといけない。工業製品
・Q:効率という面で農村がどうあるべきか。都市部に人を集中させた
デフレ、食料・資源インフレの新構造は貿易立国にはキツい。浪費
方がいいという議論があるが。
社会を支えてきたドルの地位が壊れている。大量生産、大量消費に
・篠原:効率は今の時代、すごく大事な評価軸になっている。一方で私
地球がもたなくなってきている。これらのパラダイムが変わりつつ
は微生物学をやっているのだが、生物界はすごく非効率なシステム
あるなかで、我々は何をしなければいけないのか。
を維持している。生命というのはあらゆる事態に対応できるように多
様性を保つという仕組みがある。実は効率という基準は、「こういう
<世界平均という考え方>
日本は石油を1人あたり1.6トン使っている。世界平均は0.5トン。
仕組みがあるときに最も効率がいい」という類の基準で、別の評価軸
になると変化してしまう。
いきなりゼロではなく、世界平均レベルまで落として、なおかつ文化
また、今のシステムは石油と天然ガスが安く手に入ることで初めて
的で豊かな生活が生み出せられないか。それを50年でぜひチャレ
維持できる。石油エネルギーが高騰したとき農業生産力を維持する
ンジすべきだろう。
には人口を分散せざるをえない。一方で二次・三次産業が一定人数
食 料 を 世 界 の 穀 物 生 産 量 kc a lに 換 算 すると、世 界 中 の人 が
いないと農業技術を維持できない。一次産業は分散、二次、三次は
4,000kcalのご飯を食べられる。なぜ飢える人がいるかというと、
集中が必要。
日本人は5,400kcalの食料を消費している。それは肉を食べるか
・澁澤:政策論的にいえばそうだが、なぜ昔から山の中に集落があっ
らで、牛肉1kg作るのにとうもろこし11kgの穀物飼料が必要。豚は
たのか。そもそも人間は何を求めてきたかというと、結局は幸せを求
7kg、鶏肉は4kg。肉を食べることで穀物を消費している。
めてきたところがある。それは効率だけではない。地球を上からだけ
世界平均の食事メニュー考えてみた。1日1人4、000kcalに抑え
見るような鷹の目と、地を這う蟻の目と、両方の目を持たないと見失
るとどうなるか。ご飯だけなら1日16杯。ご飯4杯とやきとり3本。
うのだろう。「もう田舎に人が住む必要ないじゃないか、みな都会に
豚肉生姜焼き145gだけ。牛肉肉団子7.5個だけ。
住めばいい。行政効率が上がり、農地には車で通えばいいじゃない
か」というのは、今日の続きが明日という前提の上での話。篠原さん
<女性の力によるイノベーション>
が言っているのは今日の続きが明日ではないですよ、ということ。こ
農業に一番欠けているものは女性。男の発想は「どうせ」。農業
の事を納得させようとするにはどんな理屈で言っても納得しなくて、
はどうせ汚れるから汚い服でいい。だが、
「どうせ」を「どうせなら」
この議論を名古屋の街中でするのと、ここでするのとの違いがやはり
に変えて楽しむ力を女性は持っている。
ある。体感しないとどうしても分からない。自分の身体とそこにある
看護士を一新したのはナイチンゲール。看護を清潔な仕事に変え
ものが繋がっていて、自分の身体が何でできているか、というリアリ
社会的地位を向上させた。トイレを一新した女子大生。トイレがき
れいかどうかが観光地の女性リピータ率を決める重要な要因。
2009年にカワイイ農業「アグリデザイン」を提案した。もしこん
ティを持つだけで何が重要かという考え方が変わってくる。
・Q:新鮮野菜をビジネスにするのが一番お金になるだろうが、穀物を
本来自給すべき。穀物はどうすべきかお尋ねしたい。
な軽トラあったらかわいいな。カーテン付き。カップルで星空眺め
・篠原:最近は子どもが修学旅行で農家に行くことが多い。3日間お世
ることができる。絨毯にしてお弁当食べれる。今、ダイハツが「私の
話になると、そこのおじさんの作った作物を買いたいとなるかもしれな
軽トラプロジェクト」を開発中。また「農業女子プロジェクト」では、
い。農家さんのほうも、ああ、3日間おったあの悪ガキか、と5年経って
みだしなみ空間やバイオトイレを提案するらしい。そうなると農村
も10年経っても思い出せたら、いざ食糧危機ってなったときに助けに
に女性が集まってくるようになる。そして女性が来るところには男性
なるかもしれない。愛着というのは別の評価軸を育む。消耗戦でいく
も来る。女性の力というのは大事な視点。
のではなく、いかに互いがメリット、愛着や友情、感情を共有できるも
のを増やしていくことが、新しい価値を生む力になると思う。
<逆地租改正>
・澁澤:まず、食料の問題と農業の問題はわける。農業については、例
経済システムから切り離すアイデアはないのか。子供の教育費に
えば中国には「いくら払ってもいいから安全なものを食べたい」とい
現金が必要。市場経済の中にいるので、農家は農作物を現金化する
うマーケットが確実にある。それはそれで農業として成り立つものは
ことを宿命づけられている。だが、もし税金、年金、健康保険などを
やってもいい。本当は農水省が考えなきゃいけないのは農業じゃなく
現物納でOKとしたら、無理に現金化する必要はなくなる。医療、学
て食料の確保のほうが、今現実として相当やばいところに来ている。
校教育が無料になると農業は魅力的な職業になるだろう。
一つ教えてくれるのは、ソヴィエトがロシアになった時。大暴動が起
いかにして現金が必要のない職業にするか。そういう社会制度を
きたり、今のアフガンやイラクのようになっていても何らおかしくは
考えてみる。そういう意味で、兼業農家は馬鹿にならない。1993年
なかったのが、意外とすんなりと移行した。その一番大きな原因はや
の米騒動のときでも、親戚に農家がいる人は困らなかった。経済の
はりダーチャがあったから。個人所有の農地。最低の食料が確保でき
仕組みにのらない食料生産を考えてみてもいい。おカネに換金する
るというシステムを彼らは持っていたために、社会変動が起きてもそ
仕組みじゃないといけないという固定観念を持たなくてもいいと思
れほどの大暴動にはならなかった。
・Q:ムーブメントというか、TOKIOがああいう番組やったりして、わり
う。
と世間はそっち方向にむいている風もあるとは思う。このままやって
いればいける感じなのか。
・篠原:バブル時代、ステータスだったミンクのコートが、「ミンクは
絶滅危惧種だ。ミンクの毛皮は残虐だ」というキャンペーンで着る人
が減ったことがあった。私が敢えて女性の視点を強調するのは、「か
わいらしい、かっこいい」ということに人は勝手に集まるから。農業
になぜ人が集まらなかったかというと、かっこ悪いから。これがアメ
リカなら、カウボーイやファーマーってのは「かっこいい」ことになっ
ている。社会全体を動かそうと思ったら、政策や利益よりも、いっそ
ゲストレクチャー(篠原信さん)
「かっこいい、かわいい、魅力的」という人の感情に訴えかけること
で力を集めるやり方もあると思う。
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第4回講座 「地域を知る ~森林~」
日程
2014年8月23日(土)9:00 ~ 17:00、24日(日)10:00 ~ 17:00
会場
1日目 : 豊田市役所足助支所2F第2会議室
2日目 : 築羽農村環境改善センター
ねらい
●地域にある森林の姿を知る。生態系・環境・生活資源・ビジネス・精神文化まで多面的にヒトの暮らしに深く関
わる森林や林業の歴史や実態を理解し、これからの人と森林との関わり方を考える。
参加者
1日目:33名 2日目:32名
ゲスト:安藤久氏さん(林業家)、林冨造さん(豊田森林組合)、鈴木禎一さん(あさひ製材協同組合)
1日目
2日目
午前
レクチャー「豊田市の森のこれまでとこれから」
原木市場見学 豊田森林組合木材センター
レクチャー「森林とその利用」
午後
森林見学 旭の森林
製材所見学 あさひ製材協同組合
木の家見学 安藤久氏さん宅
映画鑑賞 「奥会津の木地師」
ディスカッション
「これからの人と森林との関わり方」
■レクチャー「豊田市の森のこれまでとこれから」
講師 : 原田裕保 (豊田市役所企画政策部長)
間伐がきちんと進んでいないと暗い森になり、下に植物が育たず、土
<日本における森林問題>
42年前の47災害では67名の死者が出た。旧藤岡町の木瀬は、この
日本 国 土の 67 % が 森 林 。高 度 成 長 期 を 経 て日本 の 森 林 面 積 は
筋がぜんぶ崩れた。地質図を見ると真砂土といわれている風化花崗岩
2,500万haでほとんど減っていない。むしろ明治24年は1,700万ha
で、今年災害が起きた広島と同じ地質ということが分かる。豊田でも同
というデータがあり、今の方が増えている。今が史上一番充実している
じことが起こる。
といってもよい。
森と川と街はつながっていて、森を守らないと街は守れない。安心安
森林の種類は人工林と天然林に分かれる。人が植えたものが人工
全なまちづくりには上流の森林整備がかかせない、という教訓が市町
林、自然に育ってくるものが天然林。さらに天然林は原生林と二次林に
村合併の一つの動機になった。
分かれる。人の手が加わっていない原生林は豊田市では茶臼山の面ノ
いったい森林がどれくらい過密なのか、過密でないのか。実は統計が
木にある。このあたりの天然林は殆ど、昔から人間が関わってきた二次
ない。それを調べようというのが森の健康診断。2004年から始めて
林。
10年。矢作川上流の6~8割が過密だと分った。
が流れて根っこが出ている。
人工林は主にスギ・ヒノキ。ほとんどの人工林
豊田市の森林の重要課題は、人工林の間伐促
は人間が一本一本植えたもので、自然に生えてき
進。そのために、森作り条例をつくり、百年の森
たものはまずない。
作り構想をつくり、一生懸命やっていこうという
植生遷移。最初は荒れ地にススキの類が生え
のが市役所の森林課の仕事。
る。草本の次は木本(マツ)。マツ類は痩せた所
なぜ間伐しないのか? 木材価格が安くて伐っ
にしか生えない。葉が落ちて土地が肥えてくると
て出しても採算が合わないから。
マツ類が相対的に弱まり、コナラのような落葉広
木材市場では、木一本だいたい1,000円くら
葉樹が優勢になり、その下に陰性の常緑広葉樹
い。こんな重たいものを山から出してきてもそ
が生えてシイ・カシ林になって行く。ここまで行き
れでは採算が合わない。木材価格は40年前と
着いた森を極相林と言う。この流れが800年だ
ほぼ同じ。人件費も物価も上がっているので、割
とすると人間の生涯の10倍の長さ。
落葉広葉樹は切ったらその株から新しく生えて
レクチャー(原田裕保)
に合わない仕事になってしまっている。林業の
破綻は森林保全機能の破綻。
くる(萌芽更新)。かつて里山は人間の力で遷移を止めていたが、今は木
豊田市は間伐面積を右肩上がりに増やしている。主に高性能林業機
を切らなくなったので自然に極相林に推移していく。里山を守るという
械による伐採搬出をしている。また、木材を公共施設で使いましょう
のは木を切って、ある程度必要な木を人為的に残すということ。
と、木造保育園を今建設中。豊田市内には製材所が一箇所しかない。
日本は豊かな国で”野となれ山となれ”というように、放っておいて
木材をどんどん製材し製品化している会社、工場は豊田市にはない。そ
も山は自然に回復していく。ところが人工林は人が手を入れて手間を
れは今後何とかしないといけない。
かけて育てて初めて森が出来る。ここが人工林と天然林の決定的な違
これからは間伐の促進、そして間伐材をどう使うかということを課題
い。
としていかなければいけないと思っている。
<豊田市の取り組みと間伐>
合併後の豊田市は68%が森林。豊田市はトヨタ自動車を中心とした
ものづくりで製品を輸出している。南の方では県下で一番お米が取れ
る町もある。果樹生産も多い。そして過疎部もある。だから日本の現在
の問題は豊田市に凝縮されていると考えられる。
豊田市の森9.2万haのうち私有林が5.6万ha。殆どが個人の山のた
め、市や森林組合は勝手に木を切ることができない。これが森林行政
を非常に難しくしている。
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レクチャーのスライド(一部)
■原木市場見学 豊田森林組合木材センター
案内 : 林冨造さん (豊田森林組合代表理事専務)
安藤久氏さん (林業家)
はいけない木。 2月の豪雪で60cmの雪が上に乗って倒れた。間
・森林組合は職員が53人、作業員が162人。年間に1,200ha前後
<新月伐採>
伐が遅れるとこうなる。
の間伐をしている。年間で1,800haやらなければ健康な森には
80年製のスギ0.3ha をH20年に伐ってH22年に植えた。
ならない計算だが、森林組合だけでは厳しい現状。木材センター
伐って作った家が久氏さん宅。月が真暗になったときに伐る新月
の総取扱数量は約14,167㎥。総取扱金額は1億7,500万円。販
伐採。倒して、半年葉枯らしして運んだ。ここは植林して4年目。
売先は、素材流通業者10社、製材業者45社。
スギの頭の緑色のところが今年伸びたところ。下刈りすると鹿に
・林業機械は、仕分け用グラップル1台。フォークリフト4台。運搬
専用トラック。グラップル付運搬車。
やられる。スギでも挿し木じゃなくて種を蒔いて作ったスギはもっ
と食われる。山としてはいい杉が成長する山。捨てがたい。
・ヒノキ16~20cm直径の3m柱材が約10本で1立米。1本あたり
にすると約1,700円。元玉と2番玉、3番玉で値段が違う。元玉の
<小滝野地区>
直材は1立米27,000円程度。小径木は立米3,000円程度。パル
川の底まで90mのV谷。正面が昨年秋に伐った3haの跡地。緑
プ用、ごみ焼却炉の燃料用、山の土留め用。
が回復している。山主はもう植林はしない。左の山は雑木、スギ、
・葉枯らし材(伐った木を3ケ月ほど枝をつけたまま山に倒しておく)
は3割程高く売れる。
で区分されている。明治22,3年頃、住民が平等に分けた。16軒
あったがダムに沈んで1軒だけ残った。坪崎とここの2集落は江戸
・木の見立て方は、曲がり、色目、目(年輪)のつまり、節の有り無し
を見る。中心の色ができるだけ赤く、周辺の白が少ないスギの方
が強度が高く良い 。
■森林見学 旭の森林
案内 : 安藤久氏さん、林冨造さん、原田裕保さん
<旭八幡長坂付近>
アカマツに広葉樹が混ざる樹齢50
時代は幕府の御用地だった。年貢がいらなかった。
■製材所見学 あさひ製材協同組合
案内 : 鈴木禎一 さん(あさひ製材協同組合代表)
豊 田 市 で 唯 一 の 製 材 所。S 6 3 年 から 操 業 。年 間 扱 う量 は
1,400~2,000立米。豊田原木市場の1/10しか流れてこない。
委託加工が多い。
昔は豊田にもかなりの製 材所があっ
年以 上のニ 次 林 。マツは根 が 張れ な
たが、外材に押され、港から上げた外材
いので大きくなるとひっくり返る。マ
を挽くような時代があった。しかしそれ
ツは建築用材、細いところはパルプ用
も採算にあわなくなった。日本で1年間
材、枝は瀬戸の窯業の燃料。スギはこ
で300~400件が廃業している。
の条件には生えない。S47年に地す
製 材は経 験のいる仕事。どちらに曲
べりで落ちて自然にこの状態に戻った
がっているか、冬目と夏目の違いを考え
山。
て製材する特殊技術。1本の丸太から製
品になるどれだけの板材がとれるか、歩
<弘法杉付近>
留りを見極める。九 州の大 分から名古
昔の 善 光 寺 街 道。いまは東 海自然
屋木 材センターが板を買って床材に加
歩道の恵那ルート。芝を刈った草刈山
工している。九州の材は安い。年輪幅が
だった。昔は名古屋や岡崎の花火が見
1cmくらい。九州はそれくらい成長が
えたがいまは木が大きくなって見えな
早い。安くて量を稼げる。
くなった。
機械で皮を剥いて製材機にかける。
先に板を挽いて、残った真ん中で柱材を
<千人塚付近>
とる。皮は堆肥センターへ持っていって
戦国時代は武田信玄が戦をやった
堆肥と混ぜる。
平地だった。千人塚がある。道下のヒ
ノキは樹齢約50年。間伐3回実施し
た。
フィールドワークの様子
■木の家見学 安藤久氏さん宅
案内 : 安藤久氏さん
光が入る事によって草が生えて山も肥えて木が 育つ。道 上は
築4年。60坪の南向きの平屋。板張りは一流の腕をもった板張
S63年にヒノキを植林。去年4割間伐した。かつては炭、シイタケ
り大工2人で3ケ月もかかった。廊下と部屋の面積は半々。課税対
の原木となるクヌギ、ナラのニ次林。スギ、ヒノキを植えると水は
象評価ではスギはマイナス評価。製材所の加工費が一番大きく、
なくなる。土が流れているから土の中にあるはずのヒゲ根が表に
あとは自分でやったところが多い。
出ている。間伐が遅れると木の枝が触れて成長できなくなって紋
床、壁、柱全部スギ。床暖房。冷房はいらない。薪ストーブをい
様が出る。
れると木が爆ぜるので入れていない。スギは付き合いにくい。隙
間ができる。傷付きやすい。それをわかってつきあう。節がそのま
<坪崎地区>
ま出してある。板をこだわって斜めに張ってある。梁も割れが出
かつては13戸120人。いま5戸9人。消滅集落。いまの年寄り
ているが自然なもの。一か所の山で採った木なら揃う。いろいろ
がなくなればこの集落は無くなる。この山周辺は採草地。下に千
なところから集めると年輪が違う、色も違う。自然に色が変わって
枚田があったが今は田んぼ無い。
くる。
20,30代は子育てのための家をつくる。それがすむと総ヒノキ
<坪崎下流の雪害による杉倒木地>
の家をつくる。ヒノキの贅沢な家はだいたい10年。10年で落ち
稲作田んぼを丸太で使うために作った3反分のスギ林。モヤシ
着かなくなる。最後はスギの家。スギは日本人の感性に合う。
のように伸ばした木。料亭にいくと丸太柱で使っている、太らして
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■レクチャー「森林とその利用」
講師 : 澁澤寿一
命維持装置としての森林もあるだろう。生態系を多様にしないと病
人間は産業としての森だけではなく、いろんな面で森を利用して
ない。
きた。どのようにして利用してきたかをみなさんに知っていただき
山村として考えると、林業や木材だけでなく、山菜やコミュニティ
たい。
ビジネス、森のイベント、里山管理、森の幼稚園など、大きな森に包
気や災害に弱い。人が山側に住まないと生物の多様性は維持され
含された周辺の部分があるはず。お金で測れない価値の部分も含
秋田の鵜養(うやしない)の話。かつての森はほとんど燃料林とし
めて作っていかないと山村は維持できないのだろうと思う。
て利用されていた。燃料林はまさに再生可能エネルギーで原子力も
石油も必要ない世界。秋田では33年で1回萌芽更新の森を回して
岡山の真庭にずっと関わっている。自分たちで自分たちの地域を
いる。一番萌芽更新しやすいのはナラ類なので、ナラが里山の中心
コントロールしないと地域が続かないということで1992年くらい
になっている。
から取り組んでいる。
日本の場合、集落は山から作られてだんだん川を下っていく。そ
最初の動きは、東京の女子美大を出た人がUターンして、草木染
れは山側には生きていくのに必要なものがあるから。水は飲むため
で暖簾をかけはじめた。暖簾によって街景観が統一された。町って
でも農業のためでもある。山が水を生むから山と一体の暮らしがか
いうのはこうやって作っていくのかと住民たちが感じ始めた。
つての日本だった。食料、燃料、薬など生活に必要なありとあらゆ
転機が1997年に真庭人の1日をつくったこと。5人のメンバーが
るものは基本的には森が提供していた。日本人が「森の民」だとい
13年後のある1日を書いた。そのときの家族の構成。結婚してい
うのはその比喩。
るかしてないか。どこの大学にいっているのか、都会に出ているか
自然界のなかで極相は殆ど無い。極相になると同じ木の葉っぱが
残っているか。13年後にその85%が実現された。わかったことは、
積もり、同じ条件がそろって多様性が失われる。そう
13年後はどこかにあるのではなく、いまの自分たち
すると病原菌が繁殖する。あるところで一斉に極相
の頭のなかにあるというバックキャスト。未来を実現
林が枯れだす。それを避けるために自然界は絶えず多
するために明日があるということ。そこからまちづく
様にするという圧がかかる。多様性は自然のそもそ
りが始まる。
もの本質。多様性を保とうとする自然を人為的にコン
どう多様性を維持するかがセーフティーネット。そ
トロールすることによっておこぼれをもらうというこ
れでありとあらゆることを始めた。集成材、木の粉を
とが里山の発想。
コンクリートに混ぜる木の粉、活性炭、ネコ砂、ヒノ
私たちの生活の中でどんなふうに山と向き合って
キオイルの入浴剤、アルコール、発電、ペレットボイ
いるのか。その事例を紹介する。
ラーなどなど。副産物を売るということは1本の丸太
を全部使うということ。その売上が3割くらいだと経
・山菜のめぐみ
営的に成り立つ。
昔 飯 館に住 んで いた 菅 野さんは 山 菜 名 人 。どう
やって食べたら一番美味しいかという研究してきた。
ボイラーをやり始めた。真庭の自給率11.6%が木
それを村の収入にしていこうと飯館の人たちが山菜
質に変わった。わずか1割だが、14億円くらい。いま
栽培を始めて商品にしている。山菜は、おかあちゃん
まで地 域活性化というと外にモノを売って、外から
たちを巻き込むことができる。それが地 域づくりに
おカネを持っている人を呼ぶのが地域活性化だった
なっている。
が、真庭は外に出ていくお金を出さなくすることで地
域活性化になった。
・木の実のめぐみ
どういう社会を作るか、が先。そのなかでおカネ、
トチは 木 工 品、はちみつ、トチ餅になる。かつて
数値で測れる社会と測れない社会のバランスを考え
飢饉のときは重要な食料源。トチは大木になるのに
ないと地域づくりにならない。全員が絡み合わない
100年以上かかる。兵庫県のおじいちゃんが10年で
成らせてみせると始めた。接ぎ木の方法を見つけて、
澁澤さんレクチャとスライド
と回らない。初めは各論衝突があるが、何年もやって
くるとあいつのためならしょうがないという考えが
さらに葉涸らしさせて10年で花を咲かせるようになり、畑でトチを
出て来る。ふりかえると地域を俺たちが作っていると思うようにな
採ることができるようになった。そしておばあちゃんがアク抜きの
る。それに行政が後追いでついて来る。これから地域でこうやって
方法を再現する。
生きて行くと希望を持って信頼関係を作っていく。それがいちばん
大きかった。
・キノコ栽培
おカネだけじゃない。人と人、人と自然、世代と世代の関係性。そ
福島県の会津でお年寄りがNPOを作ってなめこを菌打ちして伏
れは次の世代のため。今はおカネで測れないものは価値がないが、
せている。1年おいて、そこから3~4年採れる。菌床だから手間が
次の世代のためにはそれにプラス、別の価値観をつけないと今の子
かからない。キノコ栽培は低い投資、低い労働量、低い技術でスー
供達は夢を無くしてしまう。自然との関わりの中で次の子供たちが
パーマーケットやJAを相手にしなければ退職者の小遣い稼ぎにな
目を輝かせる社会を作りたいということがわかってきた。
る。食卓に自分が作ったキノコが並ぶということは豊かな社会。
「自然は寂しい。けれど人の手が加わるとあたたくなる。」自然
・林業の世界
は本当は寂しい。人が入ることによって、はじめて人が暮らせる社会
林業の生産コスト。杉の45年生を4人の作業班で高性能林業機
ができて、それがあたたかいもの。あたたかいものはおカネで測れ
械を使って 20日作業して66万円の赤字。これが日本の現状。生産
ないものがある。それをどうやって作っていくか。そういう目で山を
性を向上して経費を下げる努力をするのが林業再生プラン。作業道
見てもらいたい。林業だけでない包括したその中に人間の暮らしが
を作って高性能機械を入れて、都市に住んで車で通って高性能林業
ある。それが日本の山だということをわかって頂きたい。
機械で土に触れずに林業をやって山をカネにするモチベーションが
必要だというのが林野庁の論理。そもそも林業は産業なのか? 生
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■プレゼンテーション「トヨタ三重宮川山林の取り組み」
解説:國友淳子
もっと実感して生きていこうと思った。
トヨタ自動車が三重の宮川流域、
てきた。森のことを学ぶ場に参加することで、身近なものに興味をもっ
大 台 町に 面 積1,70 0 ha、人 工 林
ていくと変わっていくのかなと。
1,250ha、広葉樹林460haの山
石戸谷:所有権の問題はトヨタの森の場合は解決しているはずなのに、
林を持っている。企業として公益的
ビジネスとして成り立たないのはなぜか?フィンランドでは勝手に山に
機能がある森林を 保 存していくの
入っていいところがあるらしい。日本もいったんそうしちゃって、「とら
が責任。10年間のスパンで計画。
れたくない人は区画をちゃんとしろ」とやると区画整理できるのではな
まず間伐して過密林をなくしていっ
た。森林 簿のデータが 整っていな
中根:家の裏に植林された針葉樹林があるが、そのことを知らずに育っ
いか?
トヨタ三重宮川山林
澁澤:オーストリアでは、休日に彼らは薪を伐って積んだり、家を自分
かったので、まず調査してデータベースを整備して施業計画をたてた。
で作るのが当たり前。生活を作りこんでいくことに価値をもっている。
事業としての成立性は非常に厳しい。スギの育林単価が木を植えて
価値をどこに求めるのかということが一番の大きな違い。日本の場合
から収穫するまで22,000円/㎥。しかし、販売価格は10,000円/㎥。
は選択 肢がたくさんあるので、どうしても楽な方にいく。僕たちはこ
作業コストを見直した。植林苗本数を4,000本/haから2,000本/ha
れまでの50年間、面倒なことをしなくていいような社会を作ってきた
に。下刈り回数や枝打ち本数を減らす。スギはそれでも2,000円/㎥の
ら、持続性がないことがわかってきた。そこを変えていかなければいけ
國友さんの解説
赤字。販売段階の工夫。三重県で立
ない。
ち上がる 2つの木質バイオマス発電
古舘:私と森林との関係を考えると、興味はあるが、ぜんぜんわからな
に根本や枝葉も7,500円/㎥で買っ
い。まずは自然観察とかボランティアに顔を出してみたい。木材市場な
てもらう。直径14cm以上の用材は
どがどういうものか、何をやっているのかなと。
松 阪にある原 木 市 場 に。B 級 品は
日比野:廃材を一回粉砕して加工しやすい住宅素材に作り直したトヨタ
合 板 工場に。出てくる材によって値
ホームのNウッドという素材がある。伐採して持って行くコストがかか
段 が すごく違う。46年間の歴 史 が
るのなら、現場で粉砕して木片にして軽トラに積んだほうがいいのでは
トータルで響いてくる。そこが林 業
ないか。僕も山に登るのだが、自然と人、山と人、人と人は僕も一体だ
を産業として成り立たせるには難し
と思う。夜にテントで山に一人でいると一体だなと感じることがある。
いところだと思う。
関原:林業は採算が合わないという話だったが、トヨタさんがやれば、
山はいろんな活用方法がもっともっとたくさんある。環境教育や、日
林業の流通も含めたトータルで見て改善の可能性があるのでは? 最終
本の林業に対する課題や対策に 関する情報を広く公開して いく。
的には森林はコモンズ的なものであるべき。個人を設定しないとうまく
■ディスカッション「これからの人と森林との関わり」
コーディネーター : 駒宮博男
いかないところの解決が課題。人も森林も生態系の一部であるという
共有認識をいかに持てるのかと。森とあまりにも距離が遠すぎる。
渡邉一樹:木地師の木の取り方はざくざくと木端がいっぱい出て驚い
駒宮:世界中が国民国家になってほとんど政府か個人のどちらかのも
た。人間は自然の一部だということに賛同。人の手が入ることで里山に
のになった。それ以前は共有財があって、それを管理するコモンズとい
カタクリの花が咲き、多様な植物が咲く。それをいきなり極相林にしてし
うシステムがあった。そこまで遡らないと所有権の問題は解決できない
まえ、みたいなことは違うなと。
のではないか。
井上:コストとか経済効果によって林業などが衰えてい
片山:山の所有権があんなに細分化されているとは知ら
るのかなと感じている。自動車も林業と同じような考え
なかった。
で、何で食っていくのか危機感を覚えている。大企業が
加藤:真庭の森を多様に活用して生かしている例を見て、
旗振っていくことで日本全体で良い流れができれば。
森林だけでなく、いろいろな見方をしていくことが大事だ
大西:バイオマスで高く買ってくれるというのは企業と
と思う。
してはOKだと思うが、その先に税金が使われるという
岩崎:木地師の映画を見て、家族でなくいろんな人が出て
ことに関して携わる人としてどうなのか?
きて、この単位は何だろうと、気になった。
山﨑:ビジネスは森の一部という話はとても印象的だっ
塾生の感想発表
國友:エネルギーに対してどれだけ人がお金を支払うか
という価値観だと思う。木材の有効利用、一回CO2を固
た。
定したものをまた使っているので石油を使うこととは違う、いい点があ
澁澤:今の林業は必要なものだけを植えて、いい状態のものを取るダイ
ると個人的には思っている。
コン栽培と同じ。でも山はそもそも地味が1つ1つちがう。全部を多用
駒宮:理想的な森林の前に理想的な生活があり、理想的な生き方があ
に維持することが、自然の理に一番適っている。多様性のある山を作っ
り、それがきっちりしない限り理想的な森林というのはぶれてしまう。
た人がいま一番利益を出している。
もう一つは、ビジネスになるかならないかという議論をしたが、農業
鈴木:どうしてあの木地師の生活から抜け出そうとしないのか。昔の人
も林業もまったく一緒で、米作り農家の平均時給は180円なのになぜ
は個人の意識がそんなになかったのかも。
やっているのか。ここが一つのカギなのではないか。組織としてやると
田中:混合林をバランスよく保って、いい材があったら伐採して、なりわ
立米いくらのベースには人件費の算出がある。自分で伐って自分で売る
いになる、みたいな形がないかなと。
人も少しずつ出てきているが、その場合は人件費が出ないかもしれな
高山:自然の恵みをもらいながら、自然を壊さないように生きていくこ
い。それでも伐るんだという人間がどんどん増えると様相が変わってく
とが人間にとって大事なことで、そのなかで幸せを感じられることがた
る。徹底的に合理性を追求して、なんでも産業にしてやろうというのは
くさんあるのかなと思った。
ちょっと無理があるのではないかという気もしている。
大野:都会に住んでいる自分が、どう関係性を持っていったらいいのか
根本的な問題として、農にしろ、林にしろ扱うのは生物。生物の最大
悩ましい。消費者という視点に立つと、森のことまで考えて物を買って
の属性は多様性。でも、多様性を基盤とした産業構造は昔はあったが
いるのかというとそうではない。
近代にはない。工業的な発想でもって生物を扱ってよいのかという根
榊原:生態系の一部に自分もいると感じた。家を建てるとか、服を着る
本的な問いかけをもう一度考える必要があるだろう。
ということを人に任せてお金と交換しているということを、自分の中で
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第5回講座 「これからの生き方を考える」
日程
2014年9月20日(土)10:30 ~ 16:40、21日(日)10:00 ~ 16:50
会場
築羽農村環境改善センター
ねらい
●くらし、つとめ、かせぎの関係性を考え、これからの生き方、幸せを考える。
●塾生が今後どのような各自の将来をデザインしてゆくかを考えるための一助とする。
●実際にI・Uターンした方や、都市に住みながら田舎に関わっている方など、塾生にとって先輩にあたる人たちの
取組みを学ぶ。
参加者
1日目 :30名 2日目:35名
ゲスト:塩見直紀さん(半農半X研究所)、戸田友介さん(株式会社M-easy)、宿谷啓二さん(第三期生)、
澤目純一さん(第三期生)
1日目
2日目
午前
ワークショップ「自分のXを考える」
レクチャー「4つの側面からの自己分析」
午後
ワークショップの振り返り
トークセッション「○○という生き方」
話題提供「豊森卒塾生という生き方」
グループディスカッション
「これまでの生き方、これから何を求めるのか」
■ワークショップ「自分のXを考える」
塩見直紀さん(半農半X研究所)
<ワークショップの振り返り>(塩見氏)
塩 見さんのファシリテーションのもと、ワークシートを用いて
る。なぜなら、この国はビジョンが未提示である。国は知恵を集め
ワークショップを開催した。ワークシートにあるテーマを各人で考
ていろんなことを言っているが、市民サイドでも日本のあるべき姿
え、それをグループで共有する。
を提示する必要があると思っている。人は自分のテーマを探究す
僕はこの研究 所のワークショップを早く本にしたいと考えてい
るために生まれてきた。それから生涯勉強。みんなが自分の師匠で
<ワークショップの説明>(塩見氏)
あって学んでいくものだと思う。人間は二つ人生のテーマがある。
今日はワークショップ。自分の生き方、働き方、自分のXを発見す
ひとつは人間関係を克服する。夫婦でも親子でも兄弟でも難しいも
る。自分のXが明確な方もいるかもしれないし、これからの方もい
の。もうひとつは、生まれてきた意味を忘れないで探究すること。そ
るかと思う。自分のXが見当たらない方は、自分のXにこだわらなく
してそれを独占せず分かち合うことが重要ではないか。死ぬまで勉
てもいい。周囲の方のXを応援するのもok。妹さんが絵を描けると
強ではないか。僕は半農半X研究所と名付けている。僕しかいない
か、お父さんが歴史に詳しいとか、おばあちゃんが漬物をつけられ
ので、代表は僕。一人一研究所というのを講演でお話をするように
るとか、周囲の方にスポットライトを当てることもある。
なって、皆さんが色々な研究所を作ってくれる。それを一冊の本にし
今日の最終的なビジョンは、ワークショップ終了後みなさんがア
ていきたい。このワークの中でも本を死ぬまでに書きたいという人
イデアが出て止まらない状態になること。その状態が、1ヶ月、1年
がいたが、余談になるがA4サイズの紙に4×25のマス目を作って、
持続する場を作りたい。
100個のマスの中に、これだけは伝えておきたい話のキーワードを
書き、それぞれ600字書けば本の形になると思う。100個をバラし
て10章から6章の形にすると本ができる。小さい話から大きい話ま
で、日本人全体が伝えたい話を持ち寄ることは大事だと思う。
このワークショップで思わぬ方向に行った人もいるのではないか。
書いて終わりではなくアクションを起こして欲しい。きらりと光るい
いところがあったと思う。他者のいいところもほめて、自分の挙げた
ところにも可能性を感じてほしい。みなさんそれぞれが後悔のない
人生を送ってくれればいい。今日をきっかけに30の研究所が生ま
れたのであればとてもうれしい。
半農半Xワークシート(塩見さん作成)
30
ワークショップの様子
■トークセッション「○○という生き方」
<戸田さんという生き方>戸田友介さん(株式会社M-easy)
4年前に旭に移住した。空き家を借りて、嫁と3歳と1歳の子供がい
て、2人とも旭に来てから生まれた子ども。
僕はまだ32歳の若者。この3年くらいで自分が旭の山里に来て学
ぶ中で気づいたり、実践してきた。その種を探してみると、生まれて
から人生の歩みのなかで色々なことがあって、それが今になっている
と思う。
「人と自然に寄り添って、表現して繋げる事で農山村の資源にす
る」仕事。こちらに来て仕事の素材となることはたくさんある、それを
ここで暮らすと決めてから、ここで生きて死んでいく中でどうやって
ここの自然や地域と付き合っていけばいいのか。その中で自分がで
塩見直紀さん(右端)
きること、しなければならないことは何かということを考えて実践し
ている。
<塩見さんという生き方>塩見直紀さん(半農半X研究所)
旭地区は3,000人の町。自分で何かしないと人も減っていき、何
半農半Xのコンセプトを出して20年。そもそも半農半Xというのは
もできなくなる。旭地区で暮らすと決めて、ここの地域で田んぼがこ
自分を救うための言葉で、大学卒業後の20代をどう生きるかと悩む
こに存在していることがすごく素晴らしく、いろんな人の力と、いろ
中でたどり着いた言葉だった。半農半Xを20年やって来たが、最も
んな歴史が積み重なってできているということに気がついた。田ん
意味があったことは、
「こういう方向性を歩けば間違いがない」とい
ぼで、その場所に水平な面があるというのは凄いこと。そこにちゃん
う方向性を示したのではないか。嵐の大海原の中、北極星も見えな
と水が引かれていて、出ていて、ということを今まで作ってきていた
いし、灯台の光もないし羅針盤も壊れた、そういう時代の中で方向を
ということは、すごく手間やお金がかかっているし、それをずっと昔
提示したことが半農半Xの意味かと思っている。
の人から受け継いでいる。それをここに住む中で、自分達が関わらな
農業人口を増やすことはとても難しい。景気が良くなると去って
いでいると、どんどん草だらけになる。それは僕がここに暮らしてい
いく人もいる。食べていくには、企業・ベンチャーのような才能もい
く中で、すごく嫌だなと思った。なんとか田んぼをやりたいと思った
る。僕は消費人口と農業人口の間があるのではないかということで、
が、普通に作って売っていてもなんだか楽しくないと感じた。自分の
農をリスペクトする人口が増えたらいいのではないか、それが僕の目
時間を有効に使いながら、なんとか田んぼを守るために、人に来ても
指す所。農業人口は自分がやらないのでやりなさいとは言わないけ
らわないといけないということで、今は田んぼは5反ぐらいやってい
れども、自信ないので農ができなくとも、農が全くない0%も不安な
るが、半分以上は作りたい人に来てもらって、みんなで作って、収穫
時代。じゃあどうするか、50%の半農という形。農本主義という考え
もみんなで分けてやっている。
方があるが、それに知恵、知識など、knowledgeというものが知本
1年間、時間をどう使うか。僕は旭の昔の人がずっとしていた暮ら
主義。僕が目指すのは農を大事にしながらアイディアも出し続けられ
しのリズムが心地よくて、それを参考にしながら自分なりに時間の使
る生き方、「農知本主義」という言葉を作って、自分の目指すことを
い方を考えている。柔軟にリズムを調整できるようにしたい。年齢と
考えた。
ともに時間の使い方が変わってくる。自分の先祖や、この地域の人と
「我々は何をこの世に残して逝こうか。お金か、事業か、思想か」と
繋がりながら、その流れの中の一部として次に繋がっていくというこ
いう言葉。内村鑑三。僕はこの言葉に出会って大きな影響を受けた。
とを意識しながら生きていきたいと思っていて、そこを時間の使い方
調べてみると内村さんは33歳の時にこの講演をされていて、僕も
の中心にしている。
33歳までに人生を変えようと会社を33歳で辞めた。大学までは何
例えば田んぼを作るのも、自分の食べ物を作るし、住環境を作る
も考えずに生きてきたが、会社に入ったのが平成元年で環境問題に
ことでもあるし、地域の水源を守りながら水を見ていくということで
も取り組んでいた。同期生がみんな芸大やマーケティングに行ってい
もある。森林に関わるというのも、自分の住環境であり、エネルギー
て、僕だけ凡人のような気がして、それからはじめて自分探しを始め
であり、災害に強い地域を作るということであったりする。
た。
最近は、移住してくる人がたくさんいるが、そういう人たちと仕事
環境問題と自分探しをやっていて「半農半X」が生まれた。もし僕
やいろんなことをシェアしながらやっている。これは新しくもなんと
に最初から才能があったら、こんなことにはならなかった。これだと
もなくて、たぶん昔からここでやっていたこと。ここにきて一番やりや
いうXがなかったからXが生まれた。今は農ある小さな暮らしをしな
すいと思ったのは、今は地域のいろんな役割があるので、それを担い
がら天職をしている。
ながら自分の人生の歩みと地域の歩みを重ねられるということ。昔
半農半Xに普遍性があるのは、何かを食べないと人は死ぬという
の人は会社と自分を重ねていたと思うんですが、今は重ねられない。
ことと、どう生きるか、すべての人の人生に意味があるということだ
どこかに勤めて、それに自分の人生を重ねるという人はほとんどいな
ろうと思っている。パンとサーカスというのは古代ローマの詩人の言
いと思う。昔のそういう状態の人は生きやすかったと思が、今はそう
葉だが、パンとサーカスを市民に与えると市民をコントロールできる
はいかない。この地域にはたくさん課題はあるが、それを自分事で全
概念として生まれた。パンというのは小麦粉でそれを与えたら市民は
部やりながら、そこに自分の人生を重ねていくと、結果はどうであれ
食べていけるので喜ぶ。サーカスは見世物。見世物を与えると市民は
幸せに死ねるのではないかなと思っている。そういうふうに生きてい
熱狂してコロシアムに集まっていく。最終的に、何も考えない市民に
ければいいなというのが今の私。
なって崩壊していく。この言葉は、最近日本のメディアによく出てきて
僕は注目している。なぜこの言葉が日本のメディアとで紹介されるか
というと、日本の現状と似ているから。ならそれの逆をいったらどう
か。自給農にX。少しでも自給をして、各自の才能を生かした天職を
する。
他者との関係は薄くて、他人と手を繋がない時代だが、僕達の仕事
戸田友介さん
はいろんな人たちを手を繋ぐ時代を作っていくことかなと思ってい
る。半農半Xも、30年目指して頑張って行きたい。
31
<3名を交えたトークセッション>駒宮・塩見・戸田
塾生の質問に答えるという形式でトークセッションを行なった。
るとか、そういう地域があちこち増えているので、そのままそういう
ところは放っておけばいいかなと。綾部は、1集落1移住者を目指す
まちと宣言すればと思っている。僕の最終目標は市民の3割がクリ
石戸谷:収入は誰から貰っているのか。また、ざっと見ると不定期
エーター。大工でも何でもいいので、3割くらいの住民が何か事を
な、いつ期限が切れてもおかしくない仕事ばかりで、そこに対する
起し、ものづくりができたら、文化創造できる街として生き残れると
心配はないのか。
思う。
戸田:最初の頃はとにかく補助金はいかんと思っていたが、あんま
駒宮:もしかしたら昔はそうだったのかもしれない。
りそこはこだわらなくなった。仕事として依頼されればやることはや
戸田:昔は本当にそんな感じみたい。本当にいろんなことやってい
る。けど、どれかに依存することはしないように。じゃないと柔軟性
て、しかも毎年ちょっとずつ変わっている。たぶん時代に合わせて
が保てない。行政に依存すると切られると終わってしまうので、な
みんな工夫をして、このへんの自然を換金というか、自分の生活に
るべく多様性を保ちたいと思っている。2つ目の質問だが、不定期
取り入れてやっていたのではないかなと。
というところが大きいとこかなと思うが、安定というのは何かとい
うことだと思っている。今は安定している大企業はないし、公的な
加藤:戸田さんに質問で、直接の収入はないが、幸せな関係をはぐ
ところだってもう安定しているというのは難しいと思う。安定して生
くむために種をまくと言っていたが、種をまくコツみたいなものは
きて死ぬには、できるだけ作り続けながら捨て続けるという作業が
あるのか。いろんなことをやってみえるようだが、アンテナの張り方
一番安定しているなと思っている。
は。
戸田:自分のやりたいことをやるのが第一。後は、今後自分が死んで
水野:子育てにはとてもいい環境だと思うが、子どもの教育だとか、
いくまでにここで必要とされそうな感じのことをやる。自分のやり
10年後、20年後どういうお考えなのか。
たい事をやりつつ、必要とされそうなこともいっぱいあるので、それ
戸田:いま教育環境としてはすばらしいと思っている。
をこなしている。同じ時間を使って、お金を稼いだり、気持ちや作業
駒宮:塩見さんにもお聞きしたい。進学過疎という話があったが。
だったり、いろんなことを同時に稼ぐ。そうすると、それがまたいろ
塩見:僕は親の教育がすべてだと思う。「一人の賢母は百人の教師
いろ結びついていく。重ね合わせそうなことと、やりたいこと、必要
に勝る」というヨーロッパの諺を僕は信じている。親、おばあちゃ
とされそうなこと、面白そうなことをやればいい。
ん、地域。でも、僕らは大学を出させてもらってるんで、子どもが行
鈴木:かなり割り切った生活をしていると感じるが、いろんな覚悟
くとしたら、どの大学でもいいのではなく、いい師匠で学べばいい
が自分の中であったのかなと。自然とされているようにも見える
学生が育つ。
が、こういう生活を始める中で、自分の中で諦めたこと、捨てたこ
駒宮:理系じゃなければ別に施設いらないから、どこでも学ぶこと
と、もう見ないことにしたことなどはあるのか。
はできる。
戸田:自分が生きていること以 外は組み替え可能なことなので。
戸田:こういう環境のほうが学べることが多い。たぶん、僕が思う
やってないことがいっぱいあるが、結構後で復活してきたりするの
に、おやじの働いている姿を見ていることが重要だと思っていて、
で、保留はいっぱいあると思うが、捨ててはいない。例えば何を捨
生活と仕事を常に同時にやっていることが大事だと。
ててそうか。
鈴 木:街で暮らす人 たちは華やかなものを好んだり、欲しいもの
関原:移住者間にネットワークはどうなっているのか。
いっぱいある。
戸田:最初は無理やりというか、そういう場をあえて作ろうとしてい
戸田:あまり欲しいものはない。生きるのに必要なものは揃ってい
ましたが、最近は自然に増えてきた。全員一緒に仲良しにはきっと
るから。みなさんの家よりたぶん調味料棚は高級なものが揃ってい
ならないので、それぞれ仲のいい人が集まって、つながっている。今
る。
年やった中で一番だと思うのが、最近合唱団を作って、今Iターン、U
塩見:没になった企画でさえも自分のためになっているだろうし、復
ターン衆で合唱している。子どもがめっちゃ走り回っていてすごいい
活することもある。ようやくいいタイミングが出てくることもある
い空間。文化的なことでつながってまた広がっていく感じがいい。
ので、僕も捨てたものはあまりない。農作業で鍛えられている分だ
文化的なことと子どもが絡んでくるのはいいなと。
け、根性というか、がんばれる力が修行されている。あと若返ってい
関原:地域に溶け込むときの苦労は。
ると思う。田舎に行くと若返る人がけっこう多い。楽観的なのか知
戸田:割と僕も嫁さんも苦労していないが、プライバシーがないの
らないけれど楽しいことだらけ。確実に追い風が吹いているだろう
で田舎暮らしはそれが気にならない人じゃないと難しいなと思う。
し。建築家は45歳になってからようやく面白い仕事ができるという
となりのばあちゃんが子どもが生まれてから毎日来る。集落で25
言葉があり、僕もようやくできるようになってきた。
年ぶりなんで。洗濯物を取り入れてくれるし。でも、人によっては生
活空間に他人が入ってくるわけなんで、相当ストレスだと思う。その
辺、僕らは最初から気になってなかったのと、あとは僕は地域のい
ろんな役をやっているので、人とどんどんつながっていく。お祭りな
どには家族で参加している。そんな特別なことしなくていい、たぶ
んお祭りと草刈りに出ていれば勝手に溶け込んでいくと思う。
駒宮:今、戸田さんが生きている旭は人口3千人くらい。塩見さんの
綾部は3万4千人だが、もっと狭い範囲があるのか。
塩見:文化多発ゾーンができている。ほっといても発火するところ
が、綾部の中でも中学校区ぐらいで面白いゾーンができている。綾
部の中で、積極集落と消極集落に分けようじゃないか。同じように
扱わないで、消極集落は湿気ているので、火をつけるためには風を
送ったりいろいろしないといけない。こっちは何しなくても火が起
きる。クリエーターというか、ものづくり系の器用な人がたくさんい
32
トークセッションの様子
■レクチャー「4つの側面からの自己分析と関係性」
駒宮博男
をすべて説明して初めて個を説明したことになる。これは生態学的な
<環境に対する考え方、宇宙観、自然観>
恵那に佐藤一斉という儒学者がいた。彼は人間は精神は霊魂から
環境に対する考え方。オリョーダンというアイルランド人の学者。
できていて、体は土壌からできているといっている。土から体ができ
自分がどれか考えてほしい。4つの類型があり、大きく技術中心と自
ているという感覚はあるか。
然中心に分かれる。それぞれ2つに分かれる。
日本の食料自給率は40%なので、我々の体はアメリカの土ででき
まずは技 術中心。技 術楽 観主義。技 術が 環境問題を解決すると
ているということ。少し気持ち悪い。そして、土からできているとい
思っている。豊穣主義、資源は無尽蔵にあり、技術があれば環境問題
うことは制限を受けているということ。少しでもこういう感覚を持て
も解決するのでは、という人。次は調和型開発主義。環境管理者と書
るといいのでは。
いてあるが、要は行政っぽい考え方を持っている人。環境と開発のバ
社会と自然も分離されている。都会に行くとそもそも自然がない
ランスをとるとか。法律の枠組みとかで環境問題を解決しようという
ので分離している。当たり前の話なのだが、自然の中に社会があり、
人たち。次は自然中心。地域社会主義。ソフトテクノロジストと書い
社会の中に自分がいる、という感覚も現状はなかなか持てなくなって
てあるが、基本的には適正技術、ローカル資源に基づく小規模開発、
しまった。自然がベースになり、そこに人間集団である社会があり、そ
地域を中心にすれば環境問題は解決するのではという人。最後はガ
こに自分がいるという感覚も豊森が目指しているところ。
イア主義。ディープエコロジスト。人間というのは自然の一部であ
考え方で、西洋ではその考え方ではない。
り、地球が全体的に一つの生命である、という感じの方々。
■話題提供
つづいて宇宙観、自然観。横軸は人間と自然は分離されているの
<惣田での活動>宿谷啓二(豊森第三期生)
か、人間は自然の一部なのか。縦軸は唯物論的宇宙観。この世の中
卒塾時に、1、2年後もっと農山村を知る、自分で何かやってみると
は物質だけでできている。下は意識の世界を認める。唯物論的ディー
いうマニフェストを書いた。現在の生活に農山村の良きところを取り
プエコロジスト。物質しかないが、人間は自然の一部と考えている。
入れた生活をしたい。定年後は農山村の活性化にボランティア的に
科学者的、20世紀的立場。人間と自然は完全に分離されていて、こ
貢献したい。現実的に今の生活をベースにして、自分に欠如している
の世の中は物質だけでできている。キリスト教の人はこれ。自然は人
ところを農山村で勉強して取り入れていく生き方をしたいなと思っ
間のためにあり、人間がコントロールすべきものと思っている。キリ
た。
スト教的宇宙観自然観。意識の世界はあるが、人間と自然は違うの
そのためにやることとして、お世話になった惣田の農作業をお手伝
ではないか。東洋的宇宙観自然観。人間は自然の一部であり、世の中
いする。耕作放棄地みたいなところがけっこうあって、高齢化もして
には意識の世界がある。
いるから、労働力でお手伝いできないかなと。現場で実際にやること
で何か得られるものがあるのではないかと、ちょうど半年たちました
<暮らし、つとめ、稼ぎのバランス>
が、やっているところ。まだこれから。10月過ぎると農閑期。
ワークライフバランスの話をしたが、
「稼ぎ」と「つとめ」と「暮ら
豊森の講座はとても素晴らしくって、新鮮な知識を得られて、自然
し」、3本がこれからとても重要になる。どれが欠けていても均整の
の流れとして、話を聞いた以上、何か自分でやってみようと。
取れた人間ではないのではないか。あなたのバランスを分析してみ
てほしい。稼ぎの軸、暮らしの軸、つとめの軸。
■グループディスカッション「これまでの生き方、
これから何を求めるのか」
グループに分かれて、
「これまでどう生きてきたか」「これからどう
生きていきたいのか、何を求めるのか」をテーマにディスカッション
を行なった。
暮らし、つとめ、稼ぎのバランス(PPTより)
豊森が目指しているのは全部バランスよくやりましょうというこ
と。今現在どれに近いかということでお答えいただきたい。
我々の世代は、社 会 が 右肩上がりだったから頑 張ればなんとか
なった。成長についていけばなんとかなった。会社は家族に近い。多
グループディスカッションの様子
くの人はお金のために仕事をしているより、何かを達成することを目
■コメント「豊森前半を終えて」 澁澤寿一
的にした良い時代。いまは、何にむかって頑張ればいいのかわからな
僕たちは学校教育を受けて社会に出る。多くの方が会社に入る。
い、対価が得られない時代。感覚が世代間で大きく断絶している。
考えてみると頭のことばかりで、実際に頭を養っている肉体のことを
僕たちは忘れてきた。頭を使ってお金をもらって肉体を養えばいいと
<関係性>
いう単純なストーリーの中で肉体と向き合ってきたが、環境問題や
井筒俊彦という人がいる。西洋哲学を全部勉強して、これはおか
地域の問題を考えると、自分たちが肉体を持っていることから発しな
しいと思い、東洋哲学を全部研究した。20年程前に亡くなったが、
いと、環境問題は解決しない。地球上のすべての生き物が生きていく
10ヶ国語を操り、イラン革命前のイランのテヘラン大学でイスラム
ためにはどうするかということなので、頭の中の世界では環境問題な
教徒相手にコーランを教えていたという信じられない人。彼が華厳
どは解決しない。
経の教えを図にしているが、あらゆるものは関係性の中でしか説明
だけど、心の問題として肉体を考えてみるとまた違ってくる。その
できないという考え。例えばAというのが私で、Kが澁澤さん。Aが
あたりをリアリティを持って自分の人生を考え直し、なおかつ優先順
自分をどう説明するかというと、普通の感覚ならば私の名前や所属を
位をつけなおしてみることが大事。
説明しようとする。東洋哲学ではそれは説明しなくてもいいという考
後半はコミュニティ、エネルギー、宗教、祭りなどの具体的な項目
え。関係性の中にしか個は存在しないという考え方。相手との関係性
がある。その中でもう一度整理をし直していただきたい。
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第6回講座 「地域を知る~暮らしの中の祈り・まつり~」
日程
2014年10月18日(土)10:00 ~ 16:20、19日(日)9:00 ~ 16:00
会場
豊田市生涯学習センター・旭交流館
(18日:12:45 〜 17:00 フィールドワーク:伊熊町、惣田町、旭八幡町、日下部町)
(19日:9:30 ~ 12:30 フィールドワーク:旭八幡町)
ねらい
●地域の暮らしの中にある祈り・まつりについて学び、地域の生き方や価値観の変化を知る。
●これからの暮らしにおける、祈り・まつりの意味について考える。
参加者
1日目:42名 2日目:26名
1日目
2日目
午前
レクチャー「暮らしの中の祈り・まつり」
映画鑑賞「山に生きるまつり」
フィールドワーク「八幡神社例祭の見学」
午後
フィールドワーク「暮らしの中の祈り・まつりの変遷」
フィールドワークの報告
レクチャー「祈りと祭り、宗教」
感想共有
■レクチャー「暮らしの中の祈り・まつり」
澁澤寿一
稲わらをお湯の中で回して順に渡す。稲藁から立つ湯気を吸って山神
<祈りとは何か>
さまと一緒になるという行為をする。11時頃から70戸全部やって夕方
日々の感謝と願い事は、どちらも祈りか。よく神道では、初詣に行っ
になる。その後に直会をし、会計報告などをする。政(まつりごと)とお
たときには願い事をするのではなく感謝をするんだよ、と言う。しかし
祭りが一緒になる行事。
実際には商売繁盛や家内安全などの願い事が必ず出てくる。それは、ど
ある年、竈がガスコンロに変わった。直会で大騒ぎになった。なぜ竈
ちらも祈りなのか。
をちゃんと作らないのか。理由は消防所から危ないと言われたからだっ
自分は自然の一部なのか、自然は相対するものなのか。自然を神と
た。それにガスコンロは火の調整が簡単。手をかけても田圃の畦の土
置き換えるとわかりやすい。自分は八百万の神の一員なのか。それとも
と、山の薪と、堰の水でやるから祭りの意味があるんだと言い張る人も
神の世界は別の世界なのか。
いる。その時、ある老人が「農業のやり方が変わったんだ」と呟いた。
日本人は多神教と思っているが、実際には一神教的な神との向き合
僕は大学時代に援農で東北の田舎に行っていた。夜行列車に乗って
い方をしていて、それはキリスト教的契約という概念に非常に近い。ガ
朝4時頃、日の出前からお百姓さんが田圃に出ていて、じっと動かな
イア的概念のなかに自分は存在する、というのが本来の多神教ではな
い。何をやっているのかと聞くと、朝一番の光の中で田んぼの色を見て
いか。明治以降は一神教的多神教になった。要するにたくさんの神に一
いる、田んぼの匂いを嗅いでいるという話をされた。僕にはすべての田
神教的に祈るようになった。
んぼが同じに見えた。3、4日いると微妙な色の違いが分かってくる。肥
そこには各家から代表が出ていて、神主が短い祝詞を奏上し、去年の
料の量や、病気、生育の違いによる微妙な色を朝一番の光で見て、水管
<祭りとは何か>
理を決めていた。
秋田の集落の写真。この山がこの集落のご神体。神様や自分の祖霊
昔は農薬も高価でほとんど使えなかった。できることは元肥と少し
がいるところ。大昔の誰も存在を覚えていない神様はもっと奥山にい
の追肥、水管理だけ。田んぼに肥料が効かないときは水を落とす。酸
る。だけどイメージできる人達はこの山にいる。神社の入り口に鳥居が
化・分解が進んで肥料が効く。肥料が効きすぎている時には逆に水を
ある。その後ろにクルミの木がある。神社というのは集落のリスク回避
張ると肥料の分解が遅くなる。今日は山背が吹きそうだ、という寒い日
の役目もしている。木を植えて育て、何かあったときの為に備える。
は水をたくさん張って稲を沈めてやる。そういう一日一日の水管理でし
自然は500年という単位で生きていく。人間は100年程しか生きら
か農作業ができなかった。農業というのは本当に微妙で、自然のサイン
れない。人間側が世代をつないでいくという仕組みを持たないと、自然
をどう見逃さないか。つまり自分が自然と一体になり、稲と会話ができ
といつも同じスタンスで付き合っていくことはできない。
ないと農業ができない時代が、ついこの前まで続いていた。
自分たちの思いをどう次の世代につないでいくか。祭りの意味は社会
しかし僕たちの時代は、朝の6時半の有線放送がカメムシが出たか
教育的にものすごくある。地域や周辺の自然の中で、どう生きていくか
らどういう農薬を何倍希釈しろ、という内容を流す。それを聞いて朝ご
という感覚を繋いでいく。祭りでははっきりと上下関係や役割分担があ
はんを食べてからで十分仕事ができる。朝3時半に起きるようなお百姓
る。みんながそれぞれの役割を持ちながらひとつの祭りを作り上げて
さんは誰もいなくなった。
いく。その過程の中で、地域のなかで何が重要とされているのかを確認
そういう人間にとっては山の神様なんていなくて、ガスコンロで十分
し、次の世代へつないでいく。自分たちがここに生きていく覚悟を確認
だった。ところがその前の世代は、自分の感覚をギンギンに研ぎ澄ま
しあう。また同じメンバーで来年も生きていこうね、こういうことを大切
し、山の神様と一体となりながら農と向き合っていた。それができない
に思って生きていこうね、ということを、暗黙知として確認する場。
と肉体を生かすことができないから、必死になって自然と一体となろう
とした。それが祭りの中の祈りという部分。
<生き方の変化と祈り・まつり>
この集落の一番大きな祭り。村の顔役達が集まり、神主が祝詞を奏
<生きるリアリティ>
上し、巫女が神楽を奉納して、神様の前でお米を細かくつぶして豆腐み
このおじいさんの話は初回にした。40戸あった集 落が1戸だけに
たいな形にしたものをひとつずつ頂いて神様と一体となり、お神酒を飲
なってしまった。おばあさんと2人暮らしをしている。息子3人はみんな
んで、山神様を公民館まで連れていく。公民館には、田圃の畦の土で竈
街に出て家を建て、2人のために部屋も作っているが、頑としてここか
が作ってあり、その上に大きな鉄鍋がかけられていて、堰の水を汲んで
ら動こうとしない。暮らしはとにかく忙しい。その中で毎年植林をして
入れる。山の薪で火を起こし、大鍋を煮立てて湯立ての神事をする。
いるのは、
「作法だから」という話をしてくれた。
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経済性や効率性で林業を考えるのではなくて、山菜、薪、茅など
う肉体が生きているという事に感謝をし、そのバランスを感じてい
をとらせてもらった山へのせめてものお返しとして植林をする。そ
る。おじいさんの祈りは、自分の思いや考えを解放して、自然と一体
れが80年後にいくらになるかというのは全く関係がない。自分と
になる。その瞬間に自分の底から湧き出す「ありがたさ」こそが、お
いう肉体を生かしていく自然のロットがあり、自分を生かしていく
じいさんの感謝。
自然、つまり宇宙の中で日々生きて、感謝をする。
今 から50 年前以前の日本人の 祈りとリアリティの範囲はここ
おじいさんにとってはここにある森であり、木であり、草はすべて
だった。自分のへその緒が、周りの自然につながっていた。僕たち
自分の命がつながっていて、それは自分の肉体と同じという感覚の
のへその緒がどこに繋がっているか。会社の給与明細かもしれな
中で生きている。山から下りたら、頭と胴体を切り離されてしまう
い。あるいはコンビニかもしれない。リアリティを、今の社会はすで
ような状態という精神世界の中で生きているという事が分かった。
に持たなくなってしまった。
おじいさんにとって、日々の感謝と願いは確実に違うもの。生き
明日、皆さんが参加する祭りは、地元の人でさえほとんどがリア
ている感謝しか祈りではない。自分は完全に自然の一部だと思って
リティを持たなくなってきている。だが、その中でも微かに、地域の
いる。自分も八百万の神の一員だという考え。基本的にはそれがま
中でみんなのへその緒がつながっているという事を実感していくの
さに多神教の世界。全ての命がつながって、その命の中で自分とい
だ、というイメージを少しは持ってもらえると思う。
■フィールドワーク「暮らしの中の祈り・まつりの変遷」
集落の暮らしの変遷に伴い、祈りやまつりの意味や、果たす役割がどのように変わってきたか、お話を伺った。
旭八幡は集落のお祭りと日程が重複していたため、旭八幡を除く3集落でフィールドワークを行った。
旭八幡班のメンバーは、集落のお祭りを見学した。
フィールドワークの様子(伊熊)
フィールドワークの様子(惣田)
フィールドワークの様子(日下部)
伊熊町
を、行くのが大変なので、低いところに移してきた。感謝やお祈り
・土用念仏。大きな数珠をみんなで100回廻す。昔は集落のお堂な
をするのを忘れないように、場所や日にちを変えていったのかな
ど5箇所を廻り、さらに各戸を廻っており、朝までかかった。今は
2つの班が公民館で50回ずつやって、100回やったことにする。
簡素化しても続いているのがすごい。
・最 近まで馬や鉄 砲を奉納していたが、手続きが大 変でやらなく
と思った。
・金毘羅さんが山の上にあった。海の神様なのでなんで山の中にあ
るのだろう。祀っている地域の人たちも理由は分からないが、お
祭りは毎年やっている。
なった。馬係の人は5日間くらいお堂で寝泊まりして、自分の身体
を清めなければならなかった。
・戦争の間に人がいなくなって、戦前から続いてきた打ち囃子が途
絶えた。戦後に復活したが見様見真似になった。
日下部町
・神社、祭りは皆さんにとって必要なものですか?という質問をした
ら、率直に「惰性だ」と言われた。だが、神様の存在が心の支えに
・みなさんにとっての祭りとは何なのかと尋ねたら、「生きがい」
なっているし、禅の教えの場になっているとのこと。作法としてや
と言われたのが印象的。日々休みがない生活の中で、祭りは休め
ることで、繋がっていくきっかけを自分達で作っているのだと思っ
る、そのために頑張れる力にもなっていた。
た。
・お祭りの表舞台に出るのは男性という印象がある。その裏で女性
・かつては月嘗祭をやっていたが、今はやらなくなった。また、
「棒
がどのように支えていたか、どんな思いがあったかを聞いてみた
の手」という、木刀や長刀、槍をもって1対1の組手で披露するの
い。
もなくなってしまった。食事も持ち寄っていたものが買ってくるよ
・祭りは一つは神事として、もう一つは集落の全員が一同に会して
絆を確 かめあう場と思っている。後者の方をどう継 承していく
か。祭りでなくてもできるのではないか。
うになり、甘酒を作ることもなくなった。
・戸数、人口に対して神 社や 祭りが多く、お 金や行事が負 担だと
仰っていた。住んでいる人数と祈ったりする場のバランスが崩れ
ているのではと思った。
惣田町
・津嶋神社、半僧坊、弘法大師、阿弥陀如来など、いろんなところ
を訪問し、住んでいる人数に比べて石碑や神様がたくさんあると
思った。弘法さんは1人1人がお金を出して作ってもらったお地蔵
さんが88体並べて1ケ所に祀ってあって圧巻だった。古くから皆
さんが感謝し合う場として、石のかたちにしてつくってみえたんだ
なと思った。
・神社の例祭は毎年日にちが決まっていたが、サラリーマンが多く
なって第1土曜日に変わった。また、山の高いところにあった神様
班
地元の方
伊熊
鈴木静夫さん、鈴木辰往さん、後藤政弘さん
惣田
安藤盛夫さん、渡辺公照さん、渡辺豁さん
日下部
鈴木繁男さん、鈴木テル子さん、鈴木裕幸さん
松井 夫さん、松嶋利光さん
フィールドワークにご協力いただいた方々
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旭八幡町
・集会所で集合し、大きな旗を掲げて地域を歩いて周った。地域
の方6人、豊森6人の小さな行列。天神様に参ってから八幡神社
まで上がり、太鼓を奉納してから神事を行った。太鼓を担がせて
いただいた。
・町内会長さんの計らいで、明日の八幡神社の例祭を、宮入からお
手伝いさせていただくことになった。
フィールドワークの様子(旭八幡)
■映画観賞「山に生きるまつり」―宮崎県西都市銀鏡―
狩猟と信仰
この地帯は、焼畑・狩猟を生活の基本としてきた。このまつりにも、狩猟文化が色濃く反映している。まつりに先立って狩ったイノシシ
の首を神楽の場に安置し、その前で夜を徹して神楽を行うのである。
神楽は三つの大きい構成要素をもっている。一つは神々の降臨を願う神楽。二つ目は、神々をたたえる神楽。三つ目は、夜明け以降に
行われるもの。ユーモラスな所作で生命の誕生や作物の豊穣をあらわす。このまつり最後の日、狩法神事が行われる。その年に獲れた
獣の霊を慰めるとともに、これから始まる狩りの豊饒を願うのである。
(一般社団法人 民族文化映像研究所HPより一部抜粋)
<解説 澁澤寿一>
昨年このテーマで見た「下園の十五夜」は、稲作文化の宇宙
神楽は長野県の下栗(しもぐり)という集落のあたりにもあ
観。山から7歳以上の子が山から茅を取ってくる。6歳までは神
る。斜面にへばりつくように人が生きている。猫の額のような
の一員。茅を手で抜けるようになると人間に近づくが、まだ神
雑穀畑を守りながら人が住んでいる。何でここに住んでいるの
の化身。その子たちが茅をかぶり神の姿で里に戻ってくると、今
か。ひとつは日照。加えて、高度が高いので害虫がいない。よっ
度はその茅で村人全員が綱を縒る。若者たちが祭りを支配し、
て稲以外の作物を作るのには本当に適している。雑穀をやって
大人対子供で綱を引きあう。最後に縄を競りにかけ、競り落と
いるところは焼畑もやっていて、大抵が狩りの文化もある。つま
した人の畑に入れる。つまり、里山と里とで物質が循環してい
り縄文の暮らしが色濃く残っている。住み続けるもうひとつの
るということと、そこに魂も循環するという死生観がある。先祖
理由が祭り。一晩かけて神楽を舞う。この神楽で舞手をやるの
は山に住んでいて、田植えの時に降りてきて見守って、終わると
が全ての人生のステータス。面を被らせてもらったが、面をか
収穫祭があり山に帰っていくと狩りのシーズンとなる。自分の
ぶった瞬間にパニックになる。ほとんど見えていた社会が見え
祖霊、神、自分、郷という概念も全部まじりあって循環している
なくなり、自分だけの宇宙に入っていく。神と一体なった昂揚感
感覚。どちらも祭りが人間をどう魅了していくのか、ということ
は神楽の魅力。
がよくわかると思う。
■レクチャー「祈りと祭り、宗教」 駒宮博男
想もけっこうある。シャーマニズムも残っている。基本かなりいい加
<日本人の宗教観、精神世界>
減。
死んだらどうなるか。すべて無なのか、意識は残るのか。かつて日
本人はものすごく「祟り」を信じていた。出雲大社とオオクニヌシ。
<世界の人々の宗教観>
天神様は菅原道真。基本的に精神世界の存在が前提になって、祟り
世界の人々の宗教観について。あなたの信仰や宗教は何ですかと
の精神が伝えられてきたと思う。
聞かれるとなんと答えるか。日本と中国は圧倒的に無宗教。ソ連は
昨日、日下部の人たちも「神道だか仏教だかわからん」という話
宗教はアヘンだと言われていたんだけど、実は信仰を持っている人
があった。ごちゃごちゃになっていろんな神様を拝んでいる。これは
たくさんいる。アメリカもたくさんいる。フランス・イギリス・ドイツ
どういうことか。
になるとちょっとは減るが、それでも6割くらいの人はなんだかの信
基本的には原始的な宗教がいくつかある。今日の八幡神社にも、
仰をもっている。
たぶん裏にご神体っぽいものがあるのではないか。
神道系で非常にややこしいのは、今の神道は国家神道として明治
<宗教の哲学的本質>
政府が作ったもので、それ以前のものとは少し違うということ。これ
井筒俊彦さんが世界の宗教を調べて、フラクタル性つまり構造が
らはほとんど経典がない。それに対し仏教には経典が多い。浄土真
全て同じであるということを突き止めた。完全なるゼロポイント、
宗はプロテスタント的宗教で、他の仏教とは少し違う。
絶対無分節者があり、これがどんどん化身していく、という論理的
山岳信仰は日本特有の宗教。言ってみれば神道と仏教が合わさっ
構造があるのではないかと言っている。このゼロポイントを、易経
たようなもの。それまでの日本ではかなり大きなものだった。山岳
信仰の中で大きいものは白山。ここらへんだと御嶽山、富士山(浅
間)などもある。
とりあえず、日本人の宗教観、他界観、精神世界観をざっとまとめ
る。一神教のように明確でなく、なんだかよくわからないところが
多い。でも基本的には原始宗教+神道+仏教+儒教みたいなイメー
ジ。八百万の神というのは究極の多神教だが、ヨーロッパやアラブ
は全然違う。驚くべき宗教観の違いがある。
祟り、憑依の思想もある。昨日、日下部でキツネに憑かれたとか、
タヌキに憑かれたとかいう話があった。もうひとつ、輪廻転 生の思
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レクチャー「祈りとまつり、宗教」
■フィールドワーク「八幡神社例祭の見学」
築羽自治区の全集落が氏子となっている旭八幡町の八幡神社の例祭を見学させていただいた。
塾生は花車を曳かせていただいたり、太鼓を叩かせてもらったりと、昨年に引き続き、大変貴重な体験をさせていただいた。
・旭八幡には「宮本」という名前がついていて、特別に旭八幡だけが1つ
・初めはただのヨソモノだったが、仲間に入れてもらい、一緒に山車を挽
の太鼓を叩いていた。太鼓を担いだり、笛を突然吹かされたりした。難
いたり太鼓を叩いたりと、「やっちゃダメだろう」と思っていたことに
しくて、やっぱり体感すると違うとわかった。太鼓は初めて叩いたが、
一体感が感じられた。
・つながりを確認したり、里に帰ってくる子を迎えたり、地域の中で大切
な日になっていると感じた。
参加できてよかった。
・地元の方の顔が見慣れてきた。逆に我々の顔・存在が、お世話になって
いる地元の方に溶け込んできたと思っていただけているとしたら嬉し
く思う。
の場合は太極、真言密教の場合は大日如来、イスラムの場合はアッ
をやってた、ということもあるのでは。
ラー、キリスト教の場合はヤハウェと言っているだけで、実は全部同
庚申様。我々人間の中には三尸(さんし)っていう変な虫がいて、
じじゃないか、と言っている。平山朝治さんによると、宗教には第一
庚申の日に寝ていると虫が出てきて、閻魔大王に告げ口をすると
議諦と第二議諦というのがあって、第一議諦ではみんなほとんど同
いう。その虫は寝ていなければ出てこない。とかなんとか言いなが
じことを言っているという。それぞれの文化、風土の違いにより、表
ら、徹夜で騒いでお酒を飲む。
現系がものすごく多様になる。ところが、次の第二議諦というのは
昨日の日下部では、
「祭りというのは、静に始まり、乱で終わる」
世俗諦であり、完全に文化になってしまう。イスラム教だと豚を食
という名言をいただいた。「最近はそれがないから悲しい」と仰っ
べてはいけない、とか。悲しいかなある種の文化なので、対立の種
ていたが、昔は祭りとなったら徹底的にお酒を飲んでべろんべろん
になる。
になっちゃおうと。休みがほしかったというのが、お祭りをたくさん
にした原因の1つではないか。
<祈りと現代人>
祈りの本質は一体何か。この中で、日常的に祈っている人はいる
<霊的現象について>
のか。昨日は日常的に仏壇にお膳を上げている話が聞けた。ご先祖
これは霊を信じない理系の方に、ぜひ読んでいただきたい。矢作
様に祈るとはどういうことか。相続というと財産相続のイメージが
直樹さんという医者が『人は死なない』という本を書いた。東大の
あるが、本当の意味の相続というのは、祭祀権を誰に相続するかと
救命救急の部長。救命救急というのは生きているか死んでいるかぎ
いうこと。願い事、ご利益を求めた祈りというのは、基本的には心
りぎりの人が来る。医者としてはその場でできる最大限のことをや
の安定を求める行為なのではないか。
るのだが、なぜこの人は生き返ったのか、なぜこの人が亡くなったの
あと、もう少し人間の生活が単純だったころは、祈祷や呪術、雨乞
かが、医学的によくわからない。また、霊能者に母親の霊を呼んで
いや鎮魂などがあった。これは基本的にコントロール不能だったこ
もらった体験などから、彼は死後の世界、霊の世界があるのではと
とに対する祈り。コントロールできないものに対してはどうしても
言っている。
祈ってしまうということがあったのではないか。
100年ぐらい前にクルックスという有名な物理学者がいた。当時
また、大自然とか高次霊界へつながるということもある。これは
降霊会が流行っていたが皆信じなかった。そこで降霊実験にクルッ
自然の一部であるということを認識するために祈るということだと
クスを参加させて判断を仰いだ。公の場で実 験して、最 終的にク
思う。
ルックスは霊の存在を認めた。
お葬式に行くと般若心経を唱えている。何をやっているの?と思
日本ではこういう話を信じる人はまだあまりいない。私の兄は物
うような、形骸化してしまっているものもある。これは、やはり現代
理学者だが、こういう話に触りたがらない。触りたがらないという
人が自然から離れてしまったというのが根本的な問題ではないかと
のが問題だと思う。幻覚とか勘違いと思いたい気持ちはよくわかる
思う。自然に対する祈りがなくなり、いかに自然をコントロールする
が、そういう現象に対して事実があると仮定し論理展開するのが科
かという考え方が頭を占めてしまった。
学的な考え方であり、事実を抹消するというのは非科学的な態度で
はないか。
<祭りの意味>
祭りは何のためにやるのか。宗教的な意味もあるだろうが、以前
は果てしなく働いていて、疲れるから休みがほしい。休むために祭り
37
第7回講座 「つとめとコミュニティ ~地域の自治と未来~」
日程
2014年11月15日(土)10:00 ~ 17:00、16日(日)10:00 ~ 16:40
会場
築羽農村環境改善センター
ねらい
●コミュニティの原点を知り、つとめを通してどのように地域が成り立っているかを理解する。
●旭のコミュニティの実態を人口動態や集落カルテを通して地域づくりの現状や課題を把握する。
●過疎地域でも綿々と受け継がれる生きるチカラを旭のコミュニティから実感し、これからの社会問題はむしろ 都市にあることを知る。
参加者
1日目:33名 2日目:46名
1日目
2日目
午前
Ⅰ.コミュニティの原点を知る
レクチャー 「コミュニティの原点」
映画鑑賞 「裸の島」
Ⅲ-2.コミュニティの実態 ~旭の自治~
解説 「旭の自治について」
グループディスカッション「町内会長さんと話す」
午後
Ⅱ.地域のお役/つとめを知る
自治組織と事例紹介
グループワーク「自分の地域のお役/つとめは?」
Ⅲ-1. コミュニティの実態 ~人口動態~
人口シミュレーション
グループワーク 「人口動態を見て考える」
Ⅳ.トークセッション
「旭のコミュニティから見る日本の未来」を考える
■レクチャー「コミュニティの原点」 澁澤寿一
決しようと言って、コミュニティの維持が難しくなり、若者も出てこ
なんで人間は、一人でも生きていけるのに社会や他人と関わりを
ない、祭りも存続できない、寄り合いもなくなったという社会が出
もつ必然性は何なのかと問いかけながら考えていただきたい。
来てきてしまった。
私達の暮らしは基本的に生産と消費が乖離しているので、全部シ
いかに同じようなテンポでみんなが生きていくか。ある意味でわ
ステムに依存をしていて、自分達で命の根本の部分を作り上げてい
ずらわしい。でもそれは、自然が同じテンポで移り変わっていくか
くという経験もないし、その苦しさ、楽しさを考えてこなかった社
ら、自然のテンポに合わせて同業者が同じ作業を協働することを
会。国に与えてもらうのではなく、自分達の力で人と自然、世代と世
やっていかないと食っていけなかった。コミュニティの発想の基盤
代という関係性を新たに築いていくしかないんじゃないかというこ
に関わってくる。
とがこの震災の中でわかってきた。その中で祭りだとか、地域で生
今のような保険制度がないので、人間関係で解決しようとする。
きていく知恵、技術などが生きて、世代と世代を繋いでいく。
例えば、寝屋子、若者宿というのは親が子供を育てるのではなく、
日本の集落はとにかく生きることが最優先だった。生きるために
親より少し若い人が共同で子供を育てようとする。教育と信頼と補
協働してきた。仲良くなるためではなく、生きるためにコミュニティ
完の組織が民間ベースでたくさん作られてきた。それによって安心
ができてきた。
だけれど縛られてしまう社会が出来てきてしまった。
そこでは法律、システムで縛
ありがたさと煩わしさの按配を探し続けてきた。生きることが難
るのではなく、知恵で生きてい
しい時代は結束しようとする。今もその時期なのかもしれない。人
くということを伝承しないとい
と人がつながらないといけない。震災の後、そういうことを言う人
けない。学校教育ではなく社会
も増えてきた。ところが生きることが安易なときは、人々は勝手な
教 育を 優 先して知 恵を 伝 承 す
ことで、自由を求めるし個人の権利を求める。個人の権利と互いの
るシステム、これは社会教育で
支えあいというのが、行きつ戻りつしながら日本社会は絶えず揺れ
ありまさに祭りである。人の心
てきたのだと思う。社会保障制度と消費税の問題や、地方と都市の
だとか、考え方をいかに染み込
ませるか、それが地域社会とい
澁澤さんのレクチャ
うもの。僕たちが住んでいる街というのはその農村の生きていくた
めのシステムから溢れた人の受け皿として街ができてきた、街の形
問題もこの間をいったりきたりしている。どっちかに振れたら問題
があり、一体これからの社会がどれくらいの按配だといいのかを考
えていく。
成の方が農村の形成よりはるかに後のこと。
■映画鑑賞 「裸の島」
コミュニティで重要なことが、皆同じ仕事をやっている人間たち
一家族だけで島で生きる人の映画。自給自足的に精神的に自由に
だということ。農作業ということを皆やっているから季節のテンポ
生きていくというコミュニティの対局の世界。生きていくために自
も内容も全部重なる。地域社会というのは同業者集団の集まり、同
分の肉体を過酷なまでに使って活かすという
じ生き方をしている人の集まり。その生き方というのは、自分の身
現実。でも子供くらい自由にさせてやりたいと
体を生かしていくということ。そこから共同作業がでてくる。高度
思う。現金収 入が必要になる。外の社会との
経済成長以前の村の記録を読んでいると年間150日くらいが共同
つながりを持ちたくなる。暮らしの中で澱が溜
作業。親戚と共同作業をやっているところもあるし、村全体の共同
まっていくがその中で淡々とこなすことによっ
作業もあり、延べで言うと280~300日くらい。ほとんどが共同作
て、家族だけの自由度を確保しようという強烈
業のなかで生きてきた。歩調を合わせた村の暮らしがあったが、サ
なメッセージ。
ラリーマン社会になっていくと、出ていく人が多くなって、お金で解
38
■自治組織と事例紹介 駒宮博男
区、町内会でイベントをやって結びつきを良くする新しい動きがある。
<隣組> 恵那市三郷町の一番小さなコミュニティの単位に班(隣組)と
鈴木:豊田市の高橋地区。大学を機に家を出て実家とは切れているの
いうのがあります。うちの隣組は12軒です。 でどんな活動しているかさっぱりわからない。消防団もないし、お祭り
<上納常会> 毎月常会をやる家が決まっていて、軽自動車税などの税
もやっていない。地域活動にはあんまり参加していない。
金の支払い、年金や健康保険などの支払い、電話料金も集める。毎月
30日にこれを農協に持っていって前納すると市から5%の還付金が貰
えます。集団的に税金をちゃんと納めるということを強引にやらせるた
めの制度です。
<葬式> 私が引っ越して1ヶ月で隣のおばあさんが亡くなった。する
と、数時間後には各家から2人ずつ、亡くなった方の家に集まる。亡く
なると二日間、仕事を休まなきゃいけない。班長=葬儀委員長で、全部
取り仕切る。班の人が死亡診断書を医者に貰ってくる。埋葬許可書を市
グループワークの様子
役所に貰ってくる。お通夜と葬儀をやるとして、朝、昼、晩くらいまで何
■人口シミュレーション、グループワーク「人口動態」
百人分くらいの食事を作らないといけない。大変です。お葬式というの
国内は2005年に人口が減少局面に入った。数ある経済指標の中
は班の最大の仕事です。
で、人口シミュレーションはかなりの確率で当たる。合計特殊出生率が
<その他の隣組のつとめ> 隣の娘の結婚式に両隣は参加します。入
2.07人だと人口がプラスマイナスゼロ。今は1.3前後だと言われてい
院するとお見舞いを持っていく。「彼岸道つくり」というのが秋と春に
る。画期的なことが起こってみんな2人以上子供を産んだとしても、人
あってみんなで道路掃除する。野菜の相互贈与。私の家は贈与されっ
口減少が止まるのは70年後。そうなると経済規模も当然縮小する。こ
ぱなしなんですが、かなり頻繁にいろんなものをもってきてくださる。
れから70年間は人口減少を覚悟していろんなシステムを作らないとい
私の家のすぐ隣は老人2人暮らし世帯。心配なのでいろいろやってあげ
けない。しかし、人口減少をヤバいと思っている人も、そうでもないと
るんですが、そういうものは当たり前のように日常的にある。要するに
思っている人もいる。人口問題の落とし所は定常状態。いつごろの人口
隣組というコミュニティでこれ一式やってると心配事がない。
を目指すのかがポイントになる。
<いろいろな組織> 自治連合会、消防団、交通安全などが総務系の
組織。教育系はPTA、体育協会、青少年育成会議、スポーツ少年団、児
童福祉委員、民生委員、学校運営協議会、放課後子ども教室、学童。福
祉系は民生委員、保護者会。農林関係は、農業委員会、農協、営農法
人、土地改良組合、森林組合、生産森林組合など。商工関係は商工会
議所、商工会、観光協会。神社関係は氏子、祭り実行委員会。野井の最
大の行事は武並神社のお祭りです。氏子総代がかなり動いてお祭りを
しています。
人口シミュレーションのグラフ
塾生の感想発表
<消防団> 25歳くらいになると消防団に入る。恵那市には火点に向
高山:豊森の人たちが全員旭に移住すると現状維持はできるが、これ
かって、小型ポンプを動かして、火を消す時間と正確性を競う操法訓練
だけ入っても増えないことに驚いた。 がある。消火訓練が競技になった。ただ、悪い面ばかりではなくて青年
石戸谷:本当に人口を増やす必要があるのか。人口が減って何に問題が出
団は無くなったので、今は消防団がその役割をしている。旅行に行った
てくるのかということを議論して、その次を考える必要があると思う。
り、若者の親睦に大いに役立っていると思う。
山崎:シミュレーションしてみてかなり入れても現状維持ということが
<学童保育> 三郷町は、私がPTA会長をやっているときにお母さん
わかった。若い人が必要と言われても、自分が地域に行きたいかと言
を集めて学童を作った。最初は季節学童といって、夏休み、春休み、冬
われるとどうかな、という気持ち。町自体の魅力、住みたいと思わせる
休みだけの学童だった。100人ぐらいのお母さんのなかで教職を持っ
施策も大事だと思う。
ているひとが4、5人いてやってもらった。地域にはそういう人材が意外
日比野:やってみて非常に危険な状態だと思った。定年後の人が入って
にいる。
も変わらない、子供が生まれないと意味がない。人の取り合いになって
<祀りごと> 西組だけで管理している神様には、道の下側の山にお稲
くるので地域の特徴、ブランド、見せ方、政策も含めて重要になってくる
荷様、上側の山に金毘羅様、八幡様がある。最低限この3つはお参りし
のではと思った。 ないといけない。このお祭りは一升びんとヤカンと一品持ち寄りで行き
渡邉一樹:都会の人に田舎に来てもらって、都会に出生率高いブラジル
ます。
などの外国人労働者という考え方もできるのではないか。世帯別のグ
これらを全部だれかがやらないといけない。しょうがないといってみ
ラフを見て思ったのは、田舎はまた住む場所なども考えないといけな
なさんやります。これらを全部こなすと、それなりに地域活動している
い。
人と思われます。高度成長以降の日本人男性は「稼ぎ」しかやってこな
井上:人口の少ない土地のお父さんに今後どうするかと聞いたら、息子
かった。「暮らし」は全部奥さん。場合によっては「つとめ」も。それは
が戻ってくると言っていた。一方で、便利な街で生まれた人が出たとした
やっぱりまずいのではないか。地域のボランタリーな「つとめ」は絶対
らその人は果たして戻って来るのかというと、戻ってこないと思った。そ
に必要で、これがあったから地域はこれまで成り立ってきた。いかにこ
れを思うと田舎の人口は少なくなるけど安定するのかと腑に落ちた。 れを取り戻すかが、豊森全体の大きな課題かもしれない。
片山:シミュレーションを触って、母数の少ない奥永源寺や蛭川など2
組とか入ると劇的に変わる。人を入れすぎてもダメだし、ちょうどいい
■グループワーク 「自分の地域のお役/つとめ」
ところの調整が難しい。人口が減ってはダメだと言われているが、ドイ
前川:宝塚の実家は回覧板が回ってくるだけで何のおつとめない家で
ツが8,000万人で先進国でありえるなら日本もドイツくらいを目指す
育った。いまの田舎には表のお役が全部ある。今の自分の予定の最優
のがいいのではないか。移民はやめた方がいい。日本人としての共通の
先事項が村のお役。
価値観を持ってこそ日本の社会が見えてくる。外からは価値観が違う人
関原:町にどういうお役があるのか、地域行事に何があるかもわからな
が入ってくるから頭数を増やしても日本の中に別の国ができるだけ。労
い状態だった。子供が出来てからだんだん地域のことに絡むようにな
働力はロボットで補える。人と仕事専用のロボットとドラえもんがいれ
り、わかってきた。今、地域の神社で氏子総代をやっている。商店街と学
ばいいのではないか。
39
■解説「旭の自治について」
加知直人(豊田市役所旭支所)
法がわからない、課題が集落内で共有されていない、みんなで話し合
<旭地区の概況>
ない、という意見。
旭の人口は2,900人。38の
そこで旭地区では、「集落点検カルテ」、「集落ビジョン」を作成し
町 で構成 。築 羽自治区は9つの
た。集落に現状を見つめなおして共有するためにカルテを作った。そし
町。明治初期は39村。江戸から
て、カルテを元に集落として何が取り組めるか、ビジョンとしてまとめ
明 治初期は、現在の町にあたる
た。平成23年度に5カ年計画、全35集落で策定した。旭地区のみなさ
部分がひとつの村として運営さ
ん、地域資源を生かした環境整備、耕作放棄地の対策、高齢者対策、
れてきた。明治39年に能見村、
出身者との関係維持など一所懸命がんばっている。全部で156の事
生駒村、介木村、築羽村の4つが
業、ほとんどが進行中または完了している。例えば、「出身者を招いた
合 併して旭 村になった。浅 野 地
区は昭 和30 年に旭 村に合 併し
うようなことができていない、取り組む余力がない、諦めていて意欲が
解説(加知)
交流事業」は明賀町や一色町でやっている、外へ出て行ってしまった出
身者との関係づくりのための交流事業。「危険個所マップ作成」は、小
た。集落は大字として名前が残った。昭和42年に旭町になって、旧の
渡自治区全体でやっている、危険箇所をみつけてみんなで共有する事
小学校単位でコミュニティ活動がはじまった。平成17年の合併により5
業。枝垂れ桃が綺麗な田津原町では「出身者向け絵葉書の作成」。
つの自治区となった。
わくわく事業というのは、5人以上のグループを作って、地域貢献事
業をすると補助金を出します、という制度。下切町の直売所、伊熊町の
<旭の住民自治>
ブルーベリー農園し、惣田町の枝垂れ桃。
自分たちの地域は自分たちの力でお互い様の関係、住民同士協力し
集落ビジョンは住民が地域を再認識するいい機会になった。集落の
あい、支えあいながら運営されてきた。旭地区には自治区と町内会(集
将来に向けてのきっかけづくりになった。課題もある。集落によって取
落)の2つの住民組織がある。自治区は旧の小学校単位の組織の生活
り組みの温度差が生じている。今後は取組を評価して、積極性を更に伸
圏 。町内会は住民自治のもっとも基本となる集落を単位とする組織。
ばしていきたい。集落ビジョンの取り組みの中で工夫をこらしてやって
自治区は集落の枠を超えた環境美化、交通安全、防災などの事業を実
いる素晴らしい事業もあります。外部にPRしていくことで、ほかの集落
施。町内会はお祭りや集落単位の独自行事を実施。
にも参考にしてもらいたい。また、支所のフォロー体制をもう少し強化
して、取組へのアドバイス、側面的支援を行いたい。
<過疎化の進行>
昭和30年に8,000人だった人口が、現在3,000人を切っている。
<塾生からの質問>
昭和30年は、浅野自治区が合併したのと、矢作ダムの建設で人口が増
石戸谷:現実的に廃村になっちゃう場所を行政としてはどうしているの
えていた時期。その後はずっと減少。10年で10%ずつ高齢化率が上が
か。廃村になっちゃったらかえって色々やりやすいのではないか。しが
り、平成53年には1,400人、高齢化率53%になる見通し。
らみがあったのもなくなるし。土地を持っている人たちを把握した上
「小規模高齢化集落」というのはいわゆる限界集落のことで、人口
で、借り上げるみたいなことをすればと思う。 100人未満、高齢化率50%以上の集落のこと。平成22年は7集落が
鈴木:事業への補助金はどうなっているのか? フォローの体制という
平成25年は10集落、平成32年は19集落になると予想。運営困難な
のは?
集落がますます増えていくことを懸念している。
加知:自治区の運営については、「地域振興事業交付金」というのが出
されている。施設の改修費用などは補助金が出ている。それに区費や
<集落の実態>
町内会費を徴収して取り組まれている。集落ビジョンの取り組みへは補
平成23年度に集落の実態調査を行った。市内の小規模・高齢化集落
助金は出ていない。ただ内容によっては 「わくわく事業」など他の支
13を対象にアンケートやヒアリングをしてまとめた。高齢化が高い集
援制度が使えるものもある。
落ほど1人世帯が増えたり、寄合や共同作業がやれなくなっている。労
関原:どのくらいの世帯・人口が集落の臨界点か?
働者が減少して、高齢者世帯が増加しているので限られた人材に対し
加知:明確な答えはないが、アンケートの調査結果からは、高齢化率、
てお役の掛け持ちや、草刈りの範囲の増加など負担が増加している。
特に75歳以上の割合が高い所。そういう若い人がすごく少ないところ
従来の集落活動を縮小・廃止する集落が出始めている。コミュニケー
は集落活動がかなり縮小されている。
ションの希薄化により、課題を共有する機会が減ってきている。現役世
代が少ないため、集落の文化継承ができなくなっている。
■グループディスカッション 「町内会長さんと話す」
その課題に対してヒアリング結果をまとめると、きっかけがない、方
※集落カルテ、集落ビジョンを題材にして、集落の様子や想いについて
お話を伺う。
40
惣田班
旭八幡班
伊熊班
日下部班
■トークセッション
「旭のコミュニティから見る日本の未来」
人は、お金がありきで生活というよりは暮らしをつくるためにどれだけ
大江純恵さん:
たちの世代で段々価値観も変わっていくのではないかと思う。
稼ぐか、仕事が無いなら仕事を作ろうという発想になっているので、私
恵那市中野方町在住。空き家バンクを利用して
農業を中心とした生業を目指しIターン。恵那市ふ
中垣晋也さん:
るさと活性化協力隊。
豊田市榊野町在住。地元の学校から名古屋の大
学卒業後、豊田森林組合勤務。あさひ若者会メン
田舎で生活して、お金を稼ぐ以外の自治会活動
バー。
や、山・田畑の管理などの仕事の大事さを感じてい
る。なんかやってくれるんじゃないかみたいな感じ
親の世代は都会に出るならそれでもいいと言う
で、「こういう付き合いに入ってくれ」という話が来ます。よそ者に無い
が、僕は寂しいと思います。
のは信頼性なので、まず地域の人に信頼してもらうのが大事。こんな世
地元の同級生は、自分の子供には残ってほしい
の中だからいつ何があるかわからないんですが、ここが終の棲家で、こ
と思っています。できれば学年15人くらいいれば嬉しいが少ないからと
こで農業を主軸にしてやっていくんだという覚悟。農業でやっていこう
いって、コミュニケーション能力が育たないということは心配するほど
と思ったら、もっと広い土地で一気に稼ぐ方法もある。うちはそうじゃ
ではない。
なくて少量多品目。同じ30万稼ぐのでも、大企業で稼ぐのと、組み合
うちの隣は一人暮らしのおばあさん。週末は息子さんが帰って来る
わせて稼ぐのでは、自分の自由度が違うと思います。多業だといろんな
が、平日は一人で畑仕事をしています。うちのじいちゃんが近所のピーマ
品種をやることでリスクを減らせます。
ンを集めて卸しているのでその相談にきたり、マムシに噛まれたときは
商工会や青年部があって、若い人はなにかをやろうというものはある
病院に行かないといけないという話をしたり、お隣だから心配したり面
が、世代間を超えてつながっていないのかも。UIターンの人はちょっと
倒をみたりすることはあります。
生活の価値観は違います。田舎はどうしても都会の消費に憧れる面が
今日ここに呼ばれたのは木浦さんと若者会で知り合ったから。それ
あります。
は若者会の目指していたこと。中の人だけじゃない意見が聞けて、実際
に人口を増やすアイデアに繋がると思うので、良いチャンスだなと思い
松嶋晋吾さん:
ます。
豊田市日下部町在住。地元の学校から長野の林
業の短大卒業後、造園業を経て、森林組合に勤務。
駒宮:地域の若者が何を考えているのか、というのを言える場をどんど
あさひ若者会メンバー。
ん作っていくことは本当に大事なこと。若者会という会があることだ
けでも大変画期的なこと。コミュニティとは何であるのか。それを話し
僕らの世代は家を買って、
「おれ、もう旭帰ってこ
合って、集落ビジョンつくる時には必ず若者が参加する等しないといけ
ねえから」と豊田の街中の方に出てっちゃいます。
ない。
田舎はそういう意味では住みづらいのかな。高齢
コミュニティを維持するのに、たくさんのお役がある。お金とは関
者が多いが元気に田圃・畑を熱心にやってらっしゃる。地域の草刈が出
係ないつとめがないとコミュニティは維持できない。それをもうちょっ
来なくなると、地域の景観が悪くなり地域の活力が無くなる。昔元気
と無理なく楽しくやっていくにはどうしたらいいのか。まず地域とは何
だった人が歳をとって亡くなったり、大酒飲みがいなくなって祭りで酒
か、コミュニティとは何か、ということをベースに考えを膨らましていく
が減った、ということがあると寂しくなっているなと思います。
と、方向性は見えてくるのではないか。ちゃんとした人間らしい生活を
10月の祭りは若い人が3人しかいないので大変。僕の役は余興団
するためには、どういう地域にしなければいけないのか、グローバル経
長。みんなの食事とか、景品を買ってきたり、準備段階をほとんど一人
済から外したところで考えていかないと本質的にはならない。
でやります。笛を吹いていた人が、年寄りだからもう出来ないし、太鼓
も一人で叩き続けるのは大変です。若い人がやらないと、太鼓やめるか
澁澤:大人の社会は、自分、家庭、地域、先祖、子孫に対しての責任が
という話が出て、音のない祭りになってしまう。ただ単に行列でずっと
ある。偶然は世の中にはない、すべて必然なんだという精神性の中で毎
参ってやるのは本当に寂しい祭りになる。20年後、自分は50歳。20
日を暮さないと大人の社会にはならず、それが出来て初めて地域自治
年しても僕が1人いれば消滅集落とはならないでしょう (笑)。
ができる。江戸時代に比べたら今の社会ははるかに子供の世界。社会
システムがすごく充実しているので上を向いて口を開けていれば価値
木浦幸加さん:
観を与えてくれる。今の社会ではそれが当たり前になっている。大人に
豊田市下切町在住。昨年、名古屋市からご主人
なる意味があるのかを問われている。コミュニティが生きていくという
の実家に家族でUターン。豊森三期生。おいでん・
生存権を決めなくなり、今は社会や会社が決めているが、それで本当に
さんそんセンター事務局。あさひ若者会メンバー。
地域の自治が育つのか。「祭りに音がないと寂しい」と言うそれこそが
本当の自治。自分で決めたことを自分で肯定する勇気を持ち、コミュニ
若者会の今の話題は、そもそもI、Uターンを促進
ティで決めていく自由度を確保し責任を背負うこと。自分の楽しみや生
することに意味があるのか、という話。いろんな価値観を持って暮らし
き方を自分で作らなきゃいけない時代になった。それがないと過疎の
ている人がいる中で、子どもたちに郷土教育をして誇りを持たせようと
問題は解決しないだろう。
か、戻ってこようよという話をして、本当につながっていくのか疑問に
思い、自分たちが住んでいく中で、暮らしがもっと楽しく充実していく
ことで、ほかの人たちに魅力的に映るようになっていくといいね、とい
うことを考えています。大変なことをいかに解決できるかをみんなで考
えていくと、暮らしやすくいい地域になっていくのではと。
スモールビジネス研究会で、田舎に住んでいる人の事例集を作ろうと
いう話や、子育て中のおかあさんが小さな手仕事で無理なくお金を稼ぐ
とか、色々なアイデアが出てきている。農業+αで暮らしを立てている
トークセッションの様子
41
第8回講座 「地域資源を考える(公共サービス、エネルギー)」
日程
2014年12月20日(土)10:30 ~ 16:30、21日(日)10:00 ~ 16:50
会場
1日目:豊田市福祉センター 3階34会議室
2日目:豊田市生涯学習センター旭交流館 大会議室
(21日:10:00 〜 12:00 フィールドワーク:中部電力株式会社 笹戸発電所)
ねらい
●地域医療、福祉について現状を知り、地域医療・福祉が担う役割、可能性を知る。
●教育のあり方を考えるともに、地域で担うことのできる教育の可能性を模索する。
●エネルギーに関する基礎的な知識を理解し、地域とエネルギーの関係性について考える。
参加者
1日目:31名 2日目:32名
ゲスト:早川富博さん(足助病院)、中野昌俊さん(学校法人どんぐり向方学園)、
高山治朗さん(旭木の駅プロジェクト)、森大顕さん(NPO法人地域再生機構)
1日目
2日目
午前
事例紹介「足助病院の紹介と取組み」
トークセッション「地域医療、福祉の役割と可能性」
フィールドワーク「笹戸発電所見学」
午後
事例紹介「学校法人どんぐり向方学園」
トークセッション「教育のあり方、今後について考える」
話題提供「旭木の駅プロジェクトとは」
話題提供
「木質バイオマスの基礎とヨーロッパの農山村」
トークセッション
「地域とエネルギー、考え方と可能性」
■事例紹介「足助病院の紹介と取組」
早川富博(足助病院 病院長)
病院の紹介と、あといろんなことをお話したい。豊田市は合併し
院になにができるか。健康長寿のお手伝い。病院、患者、業者三方
よしの形ができないかと考えている。
はこの東加茂郡。病院より上流側の地域の人をみる病院。豊田市の
■トークセッション 「地域医療、福祉の役割と可能性」
四月の人口は42万。面積は918.47k㎡。高齢化率20%。だが、
岩崎:足助病院が中核として、豊田市の地域と連携をどう関わって
足助、旭、稲武だけだと人口14000人、面積374k㎡、高齢化率
いけるのか。また足助病院の取組みは足助だからできるのか、豊田
39%。人口密度37人。過疎で高齢化の地域。
市の規模になるとどうか。
合併したが、ある一定の人口があって、人が病気にならないと、
早川:足助の人口なのでできる。豊田健保を軸としていくらでもで
病院は儲からない。その不条理な中で仕事している。極端に言えば
きるが、患者をさばくのが精いっぱいなのが現実。メタボ対策をシ
僕たちは人の不幸を生活の糧にしている。そこで逆転の発想で、今
ステマチックにやっていけばいい。住民の医療に対して認識、知識
の医療制度ではどっちみち黒字にならないから。とことん赤字に徹
を啓蒙するしか手はないと思う。健康的な生活、救急車の利用の仕
しようとした。地域が健康に地域が健康になればなるほど患者は少
方、医療費をどうやったら削減できるか。これを考えるのは本来厚
なくなるし、赤字にはなるが、そこに徹したほうがいいのではないか
労省だが、十数年何も進んでないので、僕らは自分達で考えるしか
と。
ないと腹をくくった。行政は変な公平性を全面に押し出すが、それ
多大な資金援助を行政からいただいて病院が作られているので、
は悪平等で何の地域創生にもつながらない。自分たちでやるという
そこを住民に利用してほしいというのは一番の想い。なので十数年
意識を持たないといけなく、公助という言葉もあるが最終的には、
前に作った病院の理念があるが、最終的には「地域住民の生活を守
自助が重要。病院の職員が同じベクトルじゃないと難しいが100人
り、自然と共生できる文化的地域づくりに貢献する。」その手法は、
の医者の意思統一は難しい。足助病院は14人だからこそ同じベク
医療福祉援護活動を通じて。
トルを向けている。
私が足助病院に赴任して、最初に訪問看護が始まった。非常に広
石戸谷:山間部として日常外来や救急医療はどうなっているか。貧
大なエリアなので、医療福祉介護の連携などをするために共通のカ
困の方の医療対策はどうのようにされているか。
ルテを作ったり、在宅医療ができるようにテレビカメラやモニター
早川:都会だと、認知症を発症していると困ってしまうが、田舎は
て非常に大きくなった。病院は足助町の西方にある。私らの診療圏
を設置し、病院にいながら在宅の患者を見れるようにしたり、電子
カルテを複数の病院と共有したり、いろいろやってきた。それだけ
ではなく、ニーズを掘り起こすために健康ネットワーク研究会を立
ち上げて、いろんなアンケート実施した。そして、最先端医療は足
助病院ではできないので、生活支援、予防に力を注ごうという話に
なった。病院への通院輸送サービス、食事の配食サービス、住民の
健康を支えるためのメタボ、ロコモ、ニンチの予防としていきいき
生活支援事業などをやっている。
10年後の目指す地域。老人社会だが安心して暮らせる地域。元
気な老人が虚弱な老人を支える。元気な老人は老人とは言わない。
食と運動が健康を作る。エネルギーと食の自給。ICTがらくらく利
用できる。年金が外から入ってくるので、地域に入ってきたお金を外
に出さないように考えることも大事だろう。それに向けて、足助病
42
トークセッションの様子
し、買い物も難しくない。田舎だと徘徊していたらすぐわかるので、
■事例紹介「学校法人どんぐり向方学園」
中野昌俊(学校法人どんぐり向方学園 理事長)
見守りがしやすい。以前地域で認知症をみようとアンケートやって
私の考える教育というのは、子供に考えさせて、生きるチカラを与
4,000人ぐらいに実施したが、結論は、認知症の人を地域でみても
えること。ですが今の教育は、大人が言ったことを暗記させること。
いい、地域で住みたいという声が多かった。エイジングインプレイ
考えさせて物を言うと叱られる。これを覚えろと。あれは学校教育
ス。そして半分の人が認知症ということを近所の人に知ってもらっ
ではなくて塾。本当に子供に生きるチカラをはぐくむためには、小さ
て地域で見てほしいと言っている。あと高齢者の人で鬱傾向の人が
などんなことでもいいから考えさせ、調べさせることしかない。
いるが、独居の人は健康度が下がり、さらに鬱傾向は強くなる。しか
学校教育は何をしたらいいのか。読み書きそろばんはどうしても
し百姓仕事、地域でボランティアしている、会合に出る人は鬱傾向
必要。あとは調べること。分からないことは調べる。それさえあれ
が少なくなる。やはり年齢とともに強くなる。ひざ、こしが悪くてい
ば世の中生きていける。昔の高等小学校、尋常小学校は読み書き計
ろんなことができなくなると傾向は強くなる。都会より田舎はお年
算できた人がだからちゃんと生きている。いま大学を卒業した人た
寄りに住みやすい。平均寿命はデータがないが、田舎で農作業する
ちが本当に生きていけるのか。多くの人が生きていけないのではな
人が要介護度は少ない。足助病院に通う患者の平均は82歳。寝た
いか。東大の人が社会を出て本当に生きていけるのか。言われたこ
きりが多いこともない。80床の特別養護施設があり、それを増や
とをやることや、こなすのは長けている。新たなものを創造するこ
さないと。延命治療は最近減ってきている。積極的な医療を差し控
とは訓練されていない。受験勉強のため、書かれたものを暗記して
える。コミュニケーションとれる人は点滴して回復すればOK。そう
偏差値を上げる。点数だけ。偏差値を上げるのは、12年の教育の中
でなければやらない。家族の意見による。
で、1年真剣に勉強するだけで充分。
救 急医療については、旭から平均15分。24時間受け付けてい
どんな人にも一定数の脳細胞がある。だから誰にでも必ず優れた
る。ドクター平均年齢52歳。老働病院。なので手に負えないような
才能がある。子どもの本当に持っている力を引き出す場が必要なの
患者は無理をせず豊田厚生病院へ行ってもらう。足助病院では最
ではないかと思っている。受験勉強だけでは才能を引き出すのは無
新医療全部をやるのは、非効率的なので、
「あすけあいカード」持っ
理。企画・実行・反省で前頭葉が鍛えられる。そこでどんぐり向方学
て行ってもらい、足助病院でのカルテや投薬情報など病院間で簡
園では薪割り、野菜作りなどを通して課題探究学習をやっている。
単に共有できるようにしている。名古屋に住んでいるより豊田市は
いろいろ失敗させて、ささいな成功をさせて達成感を味わって、自
ネットワークができていて幸せ。
信を持たせる。
■レクチャー「そもそも教育とは」 駒宮博男
現代の教育の様相について。子どもは誰のものか。昔は、子ども
■トークセッション
「教育のあり方、今後について考える」
は地域のものだった。しかし核家族になって子 供は親の専有物に
オブザーバー:受験勉強だけして良い大学に入っていくこと、その子
なった。それが問題の始まり。もう1つの問題は、そもそも教育の現
自身の生きる力を育てて大学に行かないこと、どっちがいいか。
場が教師と親の専有物になってしまった。子どもが中心になってい
中野:受験勉強だけということに問題が起こる。いろいろやらせれ
ない。最近は企業内教育というのも縮小している。即戦力を求める
ばいい。どんな子も好きなことは一度で必ず覚える。集中できるか
のが多い。
ら。だから受験勉強を1年か2年集中すればかならず伸びる。いろ
高度経済成長の教育の成果と問題点。教育は何なのかというこ
んな人と話す、遊びをする中で受験勉強もやればいい。ただ、今の
とではなく、アメリカに追いつくための教育をやってきた。求めてき
大勢の親は何か分からんものに焦りを感じている。受験勉強も含め
たのはスピードと正確性。それは官僚の基本属性そのもの。
て全部そう。一年遅れたっていいと私は思う。大学時代の友達が積
教育の目的はただ一つ、子どもを大人にすることではないか。要
極的に留年した。自分の意思が働いているのでよい結果を生む。人
は自立支援。学校教育も含め、ものすごく多様な自立支援の現場が
間が一生懸命やったら必ず何か得られるものがある。
ある。子どもの世界は欲望の世界、大人の世界は欲望を抑制できる
安藤:地域のお年寄りと子供たちはどのように交流しているのか。
世界のはずだが、果たしてそうなっているのか。社会全体がその構
中野:体育の時間に農業は体育でやっている。地域の人については
造からずれているのではないか。なんとかして新しい欲望の種を作
最初の頃は本当によく集落に出ていったので声をかけてもらってい
らないと企業が右肩上がりに行かないというのが悲しい状態で、も
た。今は農業指導者として地域の指導者を迎えている。ときには地
しかすると社会全体がずっと子どもをおとなにさせないことで成り
域のおばさんの家にお茶を飲みにいったりする。
立っているのではないか。教育は50年先を考えないといけない。
吉原:大規模な学校がいいのか小さい学校がいいのか。大きい学
日本は公的な教育費がものすごく少ないことも問題。わずかな不
校は、いっぱい児童がいるほうが社会性や競争力が身に付くと。小
動産収入で引きこもっている人は自立しているのか。デイトレーダー
さい学校が良い人は、先生がこまめにみてくれるとか、地域に寄り
で荒稼ぎしているが一日一度コンビニでパンを買って生活している
添ってみてくれると。どっちがいいか。
人は自立しているのか。一流企業にいて、家と会社を往復するだけ
中野:私は小さい学校が良いと考える。社会性は、数は関係なく5人
の人は本当に自立しているのか。そういうことをベースに、教育とは
いれば社会性がつく。だって社会性というのは相手のことをどれだ
何かを考えていただきたいと思う。
け考えるか。そういう教育をどれだけやるか。大人が子どもに触れ
認 知症があってもどうってことない。地下鉄に乗るわけではない
られるチャンスが大きいから。大きな学校では放り出される子が多
くなる。
関原:自分を振り返ると、大学院まで行かせてもらって、いい大学か
らいい会社へということに問題意識を持たずに生きてきた。子ども
を持つようになってから教育に疑問を持ちだして、学校教育だけで
はダメだなと思っている。自分なりに考えて、自分の子どもに対して
は、モラルなど、そういう教育をしたいと思う。
どんぐり向方
学園の紹介
43
■フィールドワーク「中部電力株式会社 笹戸水力発電所見学」
農山村に眠る地域資源を活用したエネルギーとして、河川の水を利用した水力発電所を見学した。
笹戸堰堤(取水口)
導水管
電気制御設備
水車、発電機①
水車、発電機②
送電設備
■レクチャー「そもそもエネルギーをどう考えるか」
駒宮博男
■話題提供「木の駅プロジェクト」 高山治朗(旭木の駅プロジェクト 実行委員長)
午前中に見た水力は完全な位置エネルギー。位置エネルギーを
<木の駅プロジェクトの背景>
電気的なエネルギーに変換している。エネルギーというのは、論理
背景。木材価格が急落した。昭和55年が木材価格の最高点。そ
的には熱エネルギーと位置エネルギーしかない。人間の歴史の中で
のときに妹の家をリフォームする関係で、先代から植えてあったス
は、ほんのちょっと前まで、熱エネルギーしか使っていない。暖房や
ギを売ったとき、スギが1立米20万円で売れた。私が今やっている
煮炊きにしか使っていなかった。今使いすぎているのが電気エネル
木の駅は1立米4,500円。
ギー。これを一体どうしたらいいかがエネルギーの最大の問題。
木材価格が下がるなかで林業従事者がどんどん減った。山林従
地域にとってエネルギーとは何なのだろうかということ。いろん
事者が減っていくと同時に、東京オリンピック以降は化石燃料。今
な考え方を言う人がいるが、エネルギー天下国家論というのがあ
までは薪を燃料としてたが、石油に代わり、今はガス。僕らが子ども
る。例えば、原発をどうするか。国全体のエネルギー政策をどうする
の頃は薪で風呂を焚いていた。その後しばらくして、オリンピック以
んだという話。それはいいが、私が興味あるのはエネルギーで地域
降に劇的に変わり、石油と薪の合体したコンロが出てきた。石油で
をどう再生させるかということ。我々の手が届くところで何かがで
火をつけ、追い炊きに薪を使う。その後にガスに変わった。記憶に
きる。その一つが木の駅であり、そのほうが圧倒的にできる可能性
残っているのは、高校の下宿から家に帰ってくるたびに煙突がなく
が高いと思う。
なる。煙突がなくなることが家の豊かさを表していた。
地域の自然エネルギーはたくさんある。風、水、光、地熱、バイオ
“あそこの家はまだ薪を使っておるか” ということで、ある意味
マスなど。それぞれ特徴がたくさんある。そういうものが出てきた
では地 域の中で小バカにしていたような。今は逆にストーブで煙
ときに3.11という大変な事故があり、原発神話が崩壊した。崩壊し
突が立っている家というのは非常にステータスが高いというか、あ
た瞬間に今度は自然エネルギー神話というのができた。自然エネル
りゃー素敵だなと皆さん思われる。
ギーにすれば全部解決するんじゃないかというのがあるが、日本の
豊田市が合併する前に、2000年に東海大豪雨があった。矢作ダ
場合ちょっとまだ早い。急に化石燃料あるいは原発をすぐ再生可能
ムからの放流の水で堤防がなければ50cm豊田市が浸かったとい
エネルギーに転換することはできない。
うもの。その雨量のために大洪水となり、山崩れがあって矢作ダム
名古屋 大学の高野 先 生の 研究 結果。合併前の愛 知 県 豊根村は
に60年分の流木が溜まった。合併当時の市長が、”こりゃいかん。
500戸、1,500人で、1年間に5億円のエネルギーを使っていた。
放置した山をなんとかして。表土をもう少し丈夫にする方向でやっ
1戸あたり平均100万円になる。これが地域再生とつながってくる
ていこう。そのためには除伐間伐が急がれるじゃないか” というこ
のは。豊根村ではエネルギーをほとんど作っていないので、毎年毎
とで、森づくり団地を全国に先駆けて始めた。その影響で自分たち
年、5億円を外部へ払っているから。エネルギーは買っても村の中
が今こうやってやらせていただいている。
に残らず、大気を暖めるか、水とCO₂になって消えてしまう。5億円
がコンスタントに消えるのは忍びない話で、これを少しでも自前で
<木の駅プロジェクトの流れ> 作るようになると、だいぶ地域経済への影響力があるだろうという
①全体の流れ。木を切る。軽トラに積んで土場へ持っていく。それ
ことを考えてきた。
をチップ工場というパルプにするところに持っていくのと、薪にする
これは千葉大の倉坂さんという方の、エネルギー永続地域という
のと、2種類の方向に行く。
研究。自治体ごとに自然エネルギー賦存量を算出している。消滅可
②木材の出荷規格は、45cm以上210cm未満ということになって
能性都市という地域があるが、結論的には消滅可能性都市であれ
いる。薪の長さが45cmが基準なので、45cm以上だったらすぐ薪
ばあるほど、自然エネルギーの賦存量は大きい。郡部は宝の持ち腐
にできるから、45cm以上。長いものはチップ工場へ。
れ現象。これをいかにどう使ってゆくか、木の駅も含めて地域のと
③ 材の測り方。材が斜めに切られていると、短いほうが長さにな
ても重要な問題。
る。ところが、余分なところは事務局の資金になる。直径について
裏返すと、エネルギー問題というのは都市と産業の問題でもあ
は、楕円の場合は短いほうが直径。
る。民生用のエネルギーというのは、田舎なら軽く自前で手に入る。
④土場の利用。旭に4箇所の土場を作った。90cm以上のものは自
44
分の名前のところに全部並べるが、それ以上短いものは短材コー
ちのことは自分たちでやることが大事”だと言う。みんなで建物を
ナーへ。どうぞタダで使ってくださいという心ある方は寄付材、志
建てて村営スーパーを自分達で作ってチーズ、ハムなどを売ってい
材のところへ置いてくれるように、みなさんにご協力していただい
る。工場に勤めていた農家の倅がガレージや林業用トラクターまで
ている。
作っている。そこで100人くらい雇用が生まれている。人口は580
⑤手続き。自分の名前と、木の長さ、末口の直径、本数を書いて事
人だったのが、830人になった。
務局へ持っていくと、そこへコンピューターですぐ係数をかけること
要は地域にお金を回すということ。薪がうまくいって地域通貨が
で体積をトンに変えて、1トンあたりこれだけですよ、といってモリ券
回りだした。肉製品、乳製品買い取って、回すようになった。グロー
という地域通貨と交換し、モリ券でお店に行って買い物にするとい
バル経済の世の中ではそれがすごいと思われるが、これがすごいの
うシステムになる。地域通貨を使って買い物をする。
は何かあったときに、暮らしに大事なものを自分達で回せるという
⑥概要について。出荷者は実行委員会の登録した人。材は旭の山に
こと。自分達でいまは価格決められないが、ここは自分達で決めて
限る。地域通貨を出す材は旭地域内に限るということにした。1トン
いる。危機が起きたときに助かる経済。
あたり6,000円のモリ券を差し上げる。軽トラに薄くのせて3杯で
登録した店のみで利用可能。1モリ1,000円、半モリ500円の2種
■トークセッション「地域とエネルギー、考え方と可能性」
澁澤寿一
類作った。
前提として、グローバル社会をどう考えるかということがある。
1トン。大盛載せる人は2杯で1トン。商店については実行委員会に
僕たちは現実にはグローバル社会に生きている。大学のマーケット
<旭木の駅の歩み>
論では価格の価値はマーケットが決めると教わる。グローバルマー
社会実験としてやるにあたり、どういう条件が必要だったか。ま
ケットの中でマーケットが価値を決める。一見とてもよくて、IT化
ずこの旭地域が面積的にやりやすかった。森林率が70%以上で山
も進んで、一体感も持てるのだが、欲望の抑制というチャンネルを
ばっかり。国有林や公有林が少なく私有林ばかり。個人の地主に働
持っていない。だから、自分だけがよければいいということで、この
きかければうまくゆく可能性がある。商店が小渡に集中している。
30年間ぐらいでカジノ経済、ウォール街経済とよばれる金融が巨
僕はいま豊田市民になっているが、旭町民という意識が僕の中にも
大になってしまった。それは実体経済じゃないから、お金を持ってい
強い。そういう旭地域の存在意義をくすぐる意味でも面白そう。人
る人間と持っていない人間がはっきりしていて、しかもそこに欲望
口の減少。財政的な基盤のもろさ。貧乏だということはまだ昔なが
の抑制がきかないという世界がでてくると、どうも持続可能ではな
らの人間的なつながりがある。つながりがうまくいくのではという
いという大前提。グローバル経済がすべてを解決してくれるだろう
ことも加味されて実 験をやった。地 域のことは地 域でという意 見
と思っている多くの人たちが前提ではなく、それに疑問を持って考
が沸々と沸いている。なんとかしたいということで、山主、商店主、
えようというのが昨日と今日の講座。
森林ボランティア、研究者、NPO、多様なメンバーで実行委員会を
今まではマーケットが価値や価格を決めてきたのだが、今日見て
作った。このプロジェクトを通して僕は72,000円ほどのお小遣い
きた水力発電所は、地域が運営できれば地域の電気エネルギーを
を稼いで、息子が左利きなので森林組合で左利き用の鉈を買った
確実に供給できる。その程度の規模でいい。木の駅も自分達で価格
り、チェーンソーオイルを買ったり、刺身や酒を買ったり、いろいろ
を決めた。グローバルマーケットの価格は3,000円/tだけど、そこ
なものに地域通貨を使った。木が地域通貨に変わる喜び。これはみ
に3,000円上乗せして木材を6,000円/tで扱うことをこの地域の
なさんが味わってみないとわからない。これはこの前僕がもらった
人は決めた。なおかつその経済で使えるお店も自分達で決めた。こ
もの。およそ1万円分くらい。これで酒が買える。こういうのを含め
れから次の時代に生存をしていくのに、その社会の価値というのを
てがんばっていきたい。
どうやって自分達で決めていく社会を作れるか、というのが自治、
■話題提供「木質バイオマスの基礎、エネルギーと
欧州の農山村」森大顕(NPO法人地域再生機構)
独立という話。
今日は、木の駅と薪ボイラーの話だが、これをお米に置きかえる
ことができる。地域内で価値を決めるということ。例えば鳴子温泉
全国的統計では2週間で1つの集落が無くなっている。これは岐
はいまでも地域内でお米の値段を決めている。食料やエネルギー
阜県の上石津町が20年後までにどんなふうに人口が減って地域が
など地域内で消費することの多いモノはこのシステムを入れればお
成り立つかどうかがとても心配になる。若い世代側から行くかとい
米や野菜の駅にもなる。お米でも野菜でも自分たちで決められる。
うグラフ。高齢化率は今30%だが45%に上がる。若い世代側から
地域内の経済が持てるということはこれから豊かになるのではない
みると田舎で暮らすということはとても安心で豊かに暮らせるので
か。それをきっかけに、薪割り1つやるだけで全然違うから一歩踏み
はないかと思う。震災のときに東京の友人に話を聞くとお金があっ
出すといいと思う。
ても何も買えないと。手の届くところで助け合いができる田舎は可
能性があるが、その田舎がこんな状況になっているのはとても悲し
い。
昔は、山で薪をとって、釜戸で焚いて、灰を農業で使ってグルグル
回っていたが、いつからか便利な燃料や商品が外から入って、豊か
になったがお金が必要になり、人が外へ出てしまった。
ドイツのレッテンバッハという村がある。薪ボイラーに薪を持って
くると地域通貨で支払う。1970年代に780人くらいだったが隣町
と合併して、小学校も消防署もなくなり若者が外へ出て580人まで
減った。1980年代になって村長さんが、独立運動を始めて、もう一
回村を作ろうという運動がおこり、州の法律を変えて独立した。今
は1つの村になって、自分達で役場作って、いろんなインフラを作っ
た。「ようこそ太陽の村へ」ということで、村長の家で太陽光始めて
みんなに広がった。4年連続でドイツで発電量1位になった。今は使
う量の2倍発電している。彼等は”自分たちの運命なので、自分た
トークセッションの様子
45
第9回講座 「経済と地域/これからの幸福論」
日程
2015年1月17日(土)10:00 ~ 16:45、18日(日)10:00 ~ 16:30
会場
豊田市生涯学習センター・旭交流館
ねらい
●「食と農」
「森林」
「エネルギー」
「公共サービス」と続けてきた地域資源を考える回の総まとめとして、現状の地
域経済の構造を概観する。非貨幣価値について考える中で、お金とは何か、お金のバーチャル性について塾生に
気づいてもらう。
●現在のカジノ的グローバル経済に対し、地域の生存経済をいかに守るかという観点から、地域資源を用いた地域
経済のあるべき姿、農山村と都市の関係性について考える。
●一年間の豊森での学びを総括し、あらためて今後の社会のかたち、生き方のかたちについて塾生に考えてもらう
●2月の修了レポート発表に向け、塾生同士が相談しながら考えをまとめる機会をつくる。
参加者
1日目:28名 2日目:28名
1日目
2日目
午前
レクチャー「貨幣経済、地域経済」
レクチャー「未来のための江戸の暮らし」
午後
修了レポート作成ワーク①
レクチャー「新しい経済は可能か~豊森的幸福論~」
修了レポート作成ワーク②
感想共有
■レクチャー「貨幣経済、地域経済」 駒宮博男
要ないわけのわからないものばかり。挙句の果てにアヘン戦争が起きた。
<経済とは何か>
近代というのは西ヨーロッパ文明がこの歴史的鬱憤を晴らした時代。そ
経済の捉え方はいろいろあるだろうが、贈与、交換というものがある。
れがほころびをみせてきたのが現代。そういう全体像の中でこれから何を
哲学者の内山節さんは年の半分を群馬県の上野村で過ごす。ある日、隣
したらいいのか。
人が軽トラに白菜をいっぱい積んで隣の部落に運ぶのを手伝った。隣人は
「今回はあと2、3回やらんといかんな」みたいな話をしている。実はこっ
<地域経済と自給率>
ちの部落は白菜がたくさんできる。隣の部落では大根がたくさんとれる。
旭のような地域の経済は、下手をすると公共サービスが最大の産業で、
勝手に贈与している間に、勝手にみんなに大根と白菜が行き渡っている。
年金が地域の収入のかなりの部分を占める。農業は米中心ではなんともな
マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精
らない。
神』。プロテスタントは「そもそも善行によって人が救われる、あるいは協
地域の中でモノとお金が循環するようになるとどうなるか。当初100あ
会にたくさんの寄進をすると救われる、というのはおかしい」、
「神様は善
るとして、自給率80%の場合の最終的な循環量は400。ところが自給率
行のあるなしに関わらず救われるか否かを決定している」 と考える。そし
20%だと100しかない。自給率を高め、地域の中でモノとお金が循環す
て、徹底した禁欲、勤勉に基づき、天職を全うすることにより生じた利潤
るということをやると地域経済にとって非常に好循環が生まれるというこ
の追求は隣人愛の証だという。これがたぶん資本主義の根源であると彼
とがわかる。外からお金をとってくること以上に、地域の中でお金が回る
は考えている。これはある面正しいのではないかと私は考えている。
仕組みを作った方がいい。工場誘致で本当に地域が潤うのか。地域の中
また、男は外で働き、女は家事に励むと言う精神はイギリスの清教徒の
に原材料があって、それを加工して外に売り、しかも本社機能が地域の中
もの。現在の労働観は決して普遍的なものではなく地域的・時代的・宗教
にあれば、付加価値を地域の中にもう一度再投資する可能性が出てくる。
的産物である。残念ながら我々は自分が生きている時代のことしか分か
らない。
<地域経済の見える化>
地域の中のお金、モノの流れがどうなっているか。税金がどうなってい
<お金をどう考えるか>
るか、見える化しようと取り組んでいる。
なぜお金は置いておくと増えるのだろうか。一般的には利息は信用に
ざっくり言うと日本の税制というのは、国が半分、残り半分を県と市町
反比例している。物質は熱力学第二法則に則り時間と共に劣化するの
村が分ける。お金が上に上って、上から降りてくる。そうすると市町村はみ
に、お金は逆にどんどん増えていく。これはダメだということで、劣化する
んな上を向いて口を開けていると、口にお金を入れてくれる、というどう
お金をシルビオ・ゲゼルという人が考えた。第一次世界大戦後に疲弊して
しようもない仕組みになっている。国の役割を通貨管理、防衛、外交くら
いたドイツ、オーストリアあたりで、この理論に基づく地域通貨が試され
いに絞ってしまえば、恵那市は十分まわせるのではないか。
たところ、溜めてもしょうがないのでどんどん流通して、ものすごく経済
が発展した。
<地域資源を活用した新たな就業形態・労働観>
そもそも貨幣とは何なのか。岩井克人さんの『貨幣論』の最後には「こ
究極の課題。地域資源を活用することで、新たな就労形態を含め、どの
の本でみなさんに伝えたいのは貨幣には何ら価値がないことである」と
ようにできるのか。特に明確な地場産業がない地域に、どうやったら雇用
ある。内山節さんは『貨幣の思想史』で「貨幣は交換のために必然と生ま
が作れるのか。もうちょっと日本の風土に合わせた就労形態があるので
れてきたのではない。交換に貨幣が介入してきて勝ってしまった」のだと
はないか。特に一次産業は、自然のサイクルに合わせて労働が発生する。
言う。
スポット的にものすごく忙しいが、それ以外は暇、みたいなものの集積で
ある。それをなんとか年間シームレスに繋げていくとどうなるか。
<世界経済を概観する>
地域には、補助金などでお金がもらえるのだが事務処理が大変でやめ
重要なのは1850年までは圧倒的なヨーロッパの輸入超過だというこ
てしまう事例がたくさんある。そういう細かい仕事が実は地域にいっぱい
と。アジアは自給自足が基本で、外からモノを入れないと生活できないな
散らばっている。全部合わせると、それなりの雇用が生まれるのではない
んてことはありえない。中国がヨーロッパから買ったものは結局生活に必
か。
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<質疑応答>
駒宮:小地域でやっていかないといけない。フェイストゥフェイスだ
石戸谷:職業選択の自由などを考えると、幼いころから洗脳しない
と効率や経済性だけが行動原理として優先されない。
と地域には残らない。よそ者、Iターンを増やしていかないといけな
前川:江戸時代には年が明けるとお金の貸し借りが帳消しになった
い。それには地域がIターンを相当数受け入れるという覚悟を持た
という話を聞いた。つい少し前までの日本人のお金に対する考え方
ないといけない。
はどうだったのか。
駒宮:名古屋大学の高野先生は「集落に入る作法」だけでなく、
「集
駒宮:私の感 覚では、江戸時代は多くが百姓だから食糧はちゃん
落を出る作法」というものがあるはずだ、と言っている。空き屋には
と自給している。だからお金はあまり要らなかった。しかしみんな
問題が多い。オーストリアは都市に人口が集中していない。なぜそ
お金は持っていた。多くの人は活動範囲が狭く、自分の知っている
れが可能かというと地域にワンセット残っているから。
顔の中でしか生活していない。その中ではお金のやり取りは少なく
中川:経済活動は非経済的の為ということがあったが、それが共感
なっている。規模が大きくなるほど、国の定めた貨幣が必要になる
され普遍となるためにはどうするべきか。
のかもしれない。
■レクチャー「新しい経済は可能か」 駒宮博男
とを国内でやらないと、本来はグローバルに向かっていけない。
<制度疲労を起こし始めた近代とは何か>
渡辺京二さんに言わせれば近代には2つの属性がある。1つは国民国
<競争社会で失われたもの>
家、もう1つが産業資本主義と自然科学。
結局、過度の競争社会で失われたのは関係性なのではないか。人と
明治初期までの日本人というのは、自分が日本人という自覚がなかっ
自然も離れて、生産と消費が分離して、誰が作ったのかわからないもの
た。かつての日本社会の基本単位は自然村。それは地域の自然を基盤
を食べている。世代を超えた関係性もなくなっている。ノウハウ伝承は
とした生活の単位であり、その集合体が日本を形成していた。
持続可能社会に重要なことだが、新しい技術ができたから伝承の必要
間接民主主義も制度疲労を起こしている。アメリカの言語学者チョ
がなくなってしまった。ものづくりはどんどん海外にいってしまう。技能
ムスキーによると、アメリカの二大政党の選挙は選挙資金を多く出し
職は激減し、大工さん、左官屋さんは絶滅危惧種。みんなが頭脳職に
た方が勝利する可能性が95%だという。年末の衆議院選挙の投票率
つけると思った時代もあったが幻想だった。結果、残った産業は外食産
は52%。重要なポイントは、国家と国民が乖離しているということだ
業とかサービス産業。いつまでいても時給は上がらない職種はたくさ
ろう。
んある。
産業資本主義は右肩上がりを前提としたシステムで、金融と証券は
右肩下がりになった瞬間に通用しなくなる。これから本当に続くのかと
<人と人(社会)の関係性を探る>
いうと多分続かない。現実的に地方の中小都市に融資案件は無い。仕
その中で、人と人の関係性をもう一度探らなければいけない。できれ
方ないから国債を買う。
ば、社会的排除から社会的包摂へ。歪んでしまった社会参加の形態を
どうしたらいいか。
<近代の果てに現れた二極化>
社会参加の反対の概念として社会不参加というのがある。この旭と
そもそも貧困格差は途上国の専売特許だったのに、今やどこでもあ
いうところは人口3,000人で1,000世帯。約100人の引き込もりがい
る問題になっている。近代が求めてきた「みんなが平等に豊かに暮らせ
ると思っていい。無縁社会などと言われているが、無視は愛情が最も枯
る社会」は、日本は高度成長まではうまくいったが、1995年あたりか
渇した状態。人に接している状態ならばまだ愛情がある。完全に無視
らガラリと変わった。今や新卒の30%以上が非正規雇用。最近30年
されている状態の人がたくさんいる。
間の所得の増加分を、どの所得階層がどれだけ占めているのか。アメリ
社会とは一体何なのかということも、もう一回考えないといけない。
カは所得上位1%が増加分の40%くらいを占めている。デンマークは
日本には社会という言葉がそもそもなかった。
所得上位1%の人は1%しか関与していない。
岐阜県のパーソナルサポートセンター(以下PS)には本当に大変な
<失われたものを取り戻すために>
方が来る。就労の困難性などから働けずに貧困になり生活困窮する。
現代社会の総括。成長を前提とする経済は続かない。国民国家の制
精神疾患になるとより働けなくなりまた病気になる。そのような負のス
度疲労。近代科学には限界がある。我慢し欲をコントロールするのが大
パイラルがあり、なかなか脱出できない。しかしこれを社会が問題視し
人の世界。執拗に欲を拡大しないと経済が向上していかないというの
ていない。そして、お困りの方は「自己責任」だと思っている。
は子供の世界。関係性、身体性を取り戻さなければいけない。身の丈に
今の大学生の多くは、「勝つかもしれない競争社会」に突っ込んで
あった科学・技術を考えなければいけない。不必要に欲を増大させな
いる。中には勝つ人もいるが、「勝つ見込みの低い社会階層」になった
い。国家ではなく地域を中心に考えないとまずい。
り「競争を諦めざるを得ない社会階層」になったりする。競争社会の属
各種文明を一万年前から概観する。石油使用量はデルタ関数。「石油
性は思考停止ではないか。ある面、今の社会で走るためには思考停止し
を使えた時期があったねー」なんて時代がもう少し後にやってくるだろ
ないと進めない。下の層は思考を拒否している。そして、いろんな階層
う。サラリーマンという就労形態は非常に歴史が浅い。物凄い変動の中
からドロップアウトし、PSにやってくる。そこから新しい経済圏の方向
に我々はたまたま生きている。もっと安定した社会へ、少しずつでも移
に行ける人もいるが、PSがそういう人をまたもとの場所に戻してしま
行していかないといけないのでは。
うマッチポンプではよくないだろう。
<生存経済とグローバル経済>
グローバル経済は市場競争が中心で弱肉強食。そこではどうしても
不安が増大する。安心・安全・幸せを目指し、生きるための経済をしっ
かりやろうということ。利益をあまり追求せず雇用を優先しようという
社会。食べ物は60%、エネルギーは95%をグローバルに依存してい
る。これをなんとか地域の生存経済の中に入れるべき。完全に切り離す
のではなくグローバル経済との接点も必要。しかし、まずは最低限のこ
新しい経済圏は可能か
(pptより抜粋)
47
■レクチャー「未来のための江戸の暮らし」
澁澤寿一
あ、なおかつそこに住んでいる人が窮屈だったのか。そこにどういう人
<自分の心とどう向き合うか>
り政府の公文書ではなく私信として本国に送っている。それを集めて訳
大学生や高校生と話していると、必ずどこかに青い鳥がいて、それを
したのが、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』という本。そこに典型的
一生懸命探している。しかもインターネットで探している。すると、うま
に日本人というものの姿が出てくる。
たちが住んでいたのか。多くの外国人たちが、自分の手紙として、つま
い話と青い鳥がごっちゃになって、何となくうまい話を永遠に探してい
るということになる。うまい話のある就職先がないかということを悩ん
でいる。
持続可能な社会とは何か。国連ESDでは人と人の関係、人と自然の
関係、世代間の関係が良好であることをもって持続可能という。ブータ
ンの幸福の定義とまったく同じだが、もう一つ、「自分の心とどう向き
合うか」ということが持続可能な社会の中ではどうしても重要だろうな
と思っている。
pptより抜粋
<江戸という時代>
江戸時代はほぼ国内で物質的循環が閉じていた。250年間一つの
体制が延々と続いたのは人類の歴史上の中でもほとんどない。なぜ続
<江戸を生きた人々> ※斜体部分は『逝きし世の面影』より引用
いたかというと、社会システム、政治システム、経済システムなどいろ
開国に来たペリー。
いろあるとは思うが、環境的な側面で見ると、すべてが循環していく仕
「人々は幸福で満足そうだ」(ペリー、1854年)
組みが作られていたということが言える。石油も石炭も利用されなかっ
日米通商条約をごり押しして通したハリス。
た150年前の日本は、太陽エネルギーを吸収する植物と、そこから作ら
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、
れる炭や油、蝋、そして鰯から取れる油、これらが1年間のエネルギーの
富者も貧者もない。これがおそらく人民の本当の幸福の姿というもの
すべてだった。それを1年間で消費する系が250年にわたって持続され
だろう。私は時として、日本を開国して、外国の影響を受けさせること
たのが江戸という時代だった。
が、果たして、この人々の普遍的な幸福を増進することになるかどう
映画やテレビに登場する江戸の裏長屋は不潔に書いてあるが、24時
か、疑わしくなる。
間の上下水道が完備されていた。一所帯あたりのゴミの量が男性の親
私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く
指の爪の半分くらいの量だったと言われている。今日の3Rが徹底的に
日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足と
行われていた。やはり鎖国をしていたから、この範囲の中で生きていか
は、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」(ハリス、1856年)
なればいけないという概念が、当時の庶民の根底の部分で共通の意識
ハリスは本国政府から指令が来ているので、交渉の場では強引に開
として持っていたのだろう。
国に持っていく。だが、彼は個人的には日本を開国させないほうがいい
長屋の大家というのは、長屋を清潔に維持することと、店子から店
んじゃないかということを考えていたのが、彼の文章を見てみるとわか
賃をとるという役割があり、歩合をオーナーから得ている。大家の最大
る。彼がそのとき印象的だと言って撮った写真。本当に子供たちの顔が
の収入源は糞尿の販売権。江戸周辺の土壌は関東ローム層という富士
丸々としていて、にこやかな表情をしている。
山の火山灰からなる土壌であり、有機質が極端に少ない酸性土壌のた
め、作物を作ることができなかった。そこで目を付けたのが人間の糞尿
「山岳地帯の只中で、突如として百軒ばかりの閑静な美しい村に出会
だった。実は江戸時代の最大の物流システムは人間の排泄物の売買。
う。封建領主の圧制的な支配や、全労働者階級が苦しめられている抑
灰も酸性土壌を中和するのに大変重要で売買された。「棚じゅうの尻
圧については、かねてから多くの事を聞いている。だが、これらの良く
で大家が餅を搗き」という川柳が読まれたように、江戸の糞尿が周辺
耕作された谷間を横切って、非常な豊かさの中で所帯を営んでいる幸
の農地を肥やすことで、江戸の食料を維持していった。周辺と持ちつ持
福で満ち足りた、暮らし向きの良さそうな住民を見ていると、これが圧
たれつの関係が保たれたために江戸は250年持続されてきた。大八車
政に苦しみ、苛酷な税金を取り立てられて困窮している土地だとはとて
で肥桶を運ぶ風景を、わずか50年前にいまの渋谷駅南口のロータリー
も信じがたい。
で見たことを私は痛烈に覚えている。そのころから衛生の問題、特に回
むしろ、反対に、ヨーロッパの何処にも、こんなに幸福で、暮らし向き
虫の問題が言われるようになり、急激になくなった。
の良い農民はいないし、また、これほどまでに温和で贈り物の豊富な風
本当にリサイクル業がたくさんある。刃物研ぎ、目立て屋、雪駄直し、
土はどこにもないであろう。」(オルコック、1860年)
鋳掛け屋、羅宇屋、焼継屋。世田谷のボロ市はまさにこの名残。幕末に
農業技術も非常に進んでいることに、彼らは非常にびっくりする。そ
3763軒の蕎麦屋があったが、古着屋は3987軒。古道具屋は3672
の向こう側にある精神的なものにも感動している。
軒。今のラーメン屋と同じくらい古着屋とリサイクルショップがある感
「その日の旅程を終えて宿に着いた時、馬の革帯が一つ無くなってい
じ。
た。もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私
これは番傘の貼り替え。傘というのは製造過程が分業されていて、
が何銭か与えようとしたのを、目的地まで全ての物をきちんと届けるの
リユースで何回も張り替えながら使っていく。多くの日本人がおしゃれ
が自分の責任だといって拒んだ。」(バード『日本奥地紀行』、1878年)
だと思って価値を認めればマーケットができる。基本的には「今の時代
当時の、ある意味では最下層に属する人たちの中にモラルはないと
じゃ無理だよな」ではなく、今の時代に何を価値と思う社会を作るかに
彼女は思っていた。一体どんな精神風土なんだと彼女はびっくりした。
よって、産業は大きく変わってくるのだと思う。
「彼らの無邪気さ、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、自
分自身で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意思は、我々を気
基本的には農地と都市とでワンセットで江戸だった。その間の循環
持ちよくさせた。そして、婦人の美しい作法や陽気さは、とても魅力的
系を作ってゆき、徹底的な鎖国のためにリサイクル業をメインにし、物
であった。さらに、通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外な
は貴重なんだという考えを作っていった。人間の考え方によってこの風
く歓待され、「オハヨウ」という気持ちの良い挨拶を受けた。この挨拶
景は作られてきた。
は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民から絶えず受けるものだっ
システムとして見ると、ここまではいろんなところに書いてある。じゃ
た。」(グリフィス『ヤング・ジャパン』、1875年)
48
「日本は子供の天国だ。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、
そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている
<社会をかたちづくるものは何か>
ものの価値観。親子の関係。単なる社会システムとしての持続可能
ところから判断すると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい。小
な江戸だけではなくて、そこにいる人たちの人間関係、質の問題、受け
さな子供を一人で家へ置いていくようなことは決してない。彼らは母親
継がれてきた価値が、たぶん江戸という循環社会をつくってきたのだろ
か、より大きな子供の背中にくくられて、とても愉快に乗りまわし、新
う。
鮮な空気を吸い、そして行われつつあるもの全てを見物する。」(モース
その意味では、これから持続可能な社会をどうやって作っていくかと
『日本その日その日』、1882年)
いうのを、社会システムや政治、経済、芸術という縦割りだけじゃなく、
日本人が子供好きだ、子どもと一緒に遊んでいるというのは、本当
人間の本質が何か、何を価値だと思う社会を作っていくのかということ
に多く文章として出てくる。たぶんこの部分が日本人は一番変わってし
を絶えず自分自身あるいは社会に対して問いかけていかないと、僕は
まったのだと思う。なんで変わってしまったのかということを自問自答
持続可能な社会はできないと思う。逆に問いかけることによって、そこ
しなきゃいけない。子守は当時の子どもたちの当たり前に仕事だった。
に価値が生まれていけば持続可能社会を作るヒントになっていくので
それによって世代間が繋がれていって、親の働く姿を見ながら育ってい
はないか。
くという社会が当たり前だった。
1年間地域の暮らしを見ていただいたが、みなさんに地域に住めと
言ってやってきたわけじゃない。そこにどんな人たちがいて、どんな資
「私は子供と親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く2つの基本的な
源があって、どういうシステムがあったか。それと今のみなさんの生活
徳目であるといつも考えている。このことは、日本人が、生まれてから
と対比させていったときに、一体どういう未来が描けるのかということ
ずっと、両親が子供のために捧げ続ける思いやりの程を見るとはっきり
を頭の中でつくってほしい。
判るのである。そのような場合、全てが丁度返礼であるかのように、子
これは江戸時代だけの話ではなく、私のばあさんはこういう人だっ
供たちが親に報いるのである。」(フィッセル)
た。ついこの間まで、日本の至るところがこういう国だった。それがなん
こんな親子関係は本当に少なくなったのだろう。でも、こういう人た
でこうなってしまったか。だけど残っているものは何か。そのあたりを考
ちが持続可能社会の中で生きてきた主役の人たちであり、ものの考え
えてもらいたいと思う。
方だったのだろう。
「ある秋祭りの夜、女の子二人に10銭ずつ持たせた。どんな風に使う
のだろうかと、興味があった。かんざしを売る店に一軒一軒立ち寄って、
女の子はあれもこれもと手に取った。飽きずに一品一品、念入りに調べ
上げた挙句、たった5厘の品を1,2本買っただけだった。
店を出ると、物悲しい三味線を弾く女がいた。路上に座り込んだ乞食
であった。二人はその前を通りかかると、それぞれ1銭ずつ取り出して、
当たり前のように、女のザルの中に硬貨を落とした。」(モース、前出)
pptより抜粋
■修了レポート作成ワーク①、②
二日間、計5回に渡り、塾生が修了レポートを作成するためのワークを行った。
・テーマについて、各自が自分の考えをまとめる時間を15分持つ
・3人1組でグループを作り、30分話し合う。時間になったらメンバーを変える
初日は、「自分自身を振り返り、講座を通してどんな気づきや学びがあったのか、何を得られたのか」といったことについて、考えをまとめ
て共有した。
二日目は、
「これから自分が何を大切にしたいか、そのためにやりたいことや、悩んでいること」などについて共有した。
<塾生の感想(一部)>
・二日間、講義とワークショップをやって「なんとなく都市と農村で何かやりたいな」という感覚は
持っていたが、澁澤さんの話で改めて「何を価値としたいのか」という問いに対して、まだ明確に
答えられない。田舎と都市をつなぐのは方法論でしかないので、本当の価値はなんだろうというの
を、改めてレポートを書き上がるまでに整理しないといけない。
・昨日今日でレポートに書こうと思ったことを喋ってしまったので、録音しておけばよかった(笑)。
会話していて気づきはいろいろあった。井上さんが仰っていた「自分のペースで自分で作っていく」
ことが大事だなと。自分から発信しないけど、人から見て分かりやすい生き方することが大事かな
と感じた。
・ワークショップでは受講前の時、漠然とした思いで受講したと話したがモヤモヤ感がすごく増大し
ている。しかし今まで考えてこなかったことを考えて、知ったことも知り得たので、来月の発表では
整理をして、こうしなければならない、というより、どうしていったらより自分やみんなが楽しいの
かという事を中心に考えたい。
・話を伺えたメンバーの生き生きとした姿は入塾当初と違っていて自分を含めて何かしら成長できた
と感謝しています。
・皆さんとワークショップをやるなかで、X年後の自分の方向性が固まった。最初のときよりもみん
な柔らかい口調、柔らかい顔で楽しかった。フィールドワークやって、講義受けて、知識を深めた上
で自分が感じることが大事だと思った。感じたことを誰かに伝えたり、カタチにすることが大事だ
と思った。それを修了レポートでまとめたい。
49
第10回講座 「修了レポート発表会」
日程
2015年2月14日(土)10:00 ~ 16:30、15日(日)10:00 ~ 16:50
会場
豊田市生涯学習センター 逢妻交流館
ねらい
●これまでの自分と豊森なりわい塾を振り返り、これからの時代の価値観や生き方、セルフデザインについて考える。
参加者
1日目:33名 2日目:32名
1日目
2日目
午前
修了レポート発表①:稲村、関原、渡邊和、古館
修了レポート発表③:前川、片山、高山、井上
午後
修了レポート発表②:水野、大西、岩崎、鈴木、
石戸谷、加藤、田村
修了レポート発表④:榊原、山崎、中根、川崎、
渡邉一、田中、大野
■第四期豊森なりわい塾 修了レポート発表会
「自分と豊森なりわい塾を振り返って」「X年後の自分を描いてみる」をテーマに、塾生22名が修了レポートを作成した。第10回講座で
は、それを皆で発表し合う「修了レポート発表会」を開催。発表の流れは、発表時間15分、質疑応答7分、塾長の澁澤よりコメントが2分と
なっている。ここでは、代表して2名の発表を掲載する。※修了レポートは57~101ページ参照
■発表①
「人との繋がりを体で感じる暮らし」 山崎直人
事業計画。バーを中心に地元のお酒、食、聞き書き等、あらゆるこ
<豊森に参加する前>
その間をつなぐのが豊森。伊熊を関わる中で古民家を探して、豊森
栃木県佐野市に大学入学前まで住んでいた。家には畑が4つあ
同期の方に助けてもらって。
り、おじいちゃんが畑をやっていた。半農半サラ。大学で自由の多さ
「これからの方向性」大きな軸は、論語を参考に。
「我、二十四に
に迷うということがあって、3年のときに選択肢が広いが逆に何を
して農を志し、三十にして自然の上に立つ。(自立)・・・今は地域が
していいか分からなかった。大学を卒業して、愛知県で就職。豊森
ないが、30までにはどの地域に自分が立つのか決めたい。四十にし
への志望動機は、何のために生きるのだろうとときどき思うことが
て迷い続け、孔子は「迷わず」としているが自分は迷い続けてそれで
あったのがきっかけだった。今の仕事に不満はないが、ときどき物
いい。五十にして天命を知る。」
とのハブになればいいのかな。豊森OBの拠点の場になればいい。
足りないと思う。競争という軸じゃない価値観が必要なのではない
か、このままでいいのかと思い豊森へ応募した。
<質疑応答>
中川:やってきたいことの具体的な地域は?
<豊森で学んだこと>
山崎:古民家は、畑をやるなかで旭と関わる機会はまだまだあると
食と農の回で、僕が発表した後の澁澤さんのコメント「米はもう
思う。話を聞きながら中に入っていければと思っている。農を土台
からない。農家はそんなこと重々承知でそれでも米を作り続けてい
として自分の「生きる」をリアルにしつつ、その先のプランとして古
る。その意味を考えてみなさい」と言われた時気付くものがあった。
民家を改造して居酒屋をつくり、飲みつつ昔の価値観を語り合う場
今までの価値観というか。豊森で気づいた事は色々あったが、この
をつくりたい。居場所があるとなんでもできる。面白いことがいっ
言葉が一番大きな気づきだった。成長 至上主義があって、効率的
ぱいでてくる。都市部の人を呼び込んだり、若い人がくるきっかけと
に成果が出せる人間、次へ次へという競争だけでいいのか。今の僕
して農コンって面白い。みんなで手を動かして料理を作ったりした
にとって暮らしはただの趣味になっている。全くリアル感がない。
方が、居酒屋で騒ぐより面白いのかなと思った。
稼ぎと趣味の暮らしの方にすすんでいく平面でしか生きていなかっ
た。そこに3つ目のつとめの軸。3つのバランス、それが幸せな方向
<澁澤コメント>
なのかなと思った。
それはすぐやったほうがいい。やる事で気づく。仕組みができてか
これは、千枚田で一番小さな田んぼの写真。たぶん3つくらいし
らじゃ面白くない。だんだんくっつく過程がおもしろい。ファンデー
か植えられない。今までの考えでは、こんな所に植えないし失くせ
ションから考える。みんなやりたいのだから。お金は皆で出し合って
ばいいと思ったが、水の事や収穫量を上げたいという気持ちを感じ
も、ネットで集めてもいい。そこから見えてくるものが多い。そした
た。スキー場にすればいいのにと思うような所で棚田をつくる事の
らどんどん繋がってくる。それから間を繋ぐのは豊森ではなく、あな
意味。
た。いるのは覚悟だけ。トヨタに勤めながら充分できる。地域の人と
キーワードは関係性と身体性。農業される方の事を頭で理解で
のネットワークができる。いいアイデアだと思う。
きたけど肌で実感していない。これからは、手を動かして匂いを嗅
いで体で関係性を感じる方向性でいきたい。自分の「生きる」がリ
アルじゃないことに気付いた。それを見直していきたい。基本的な
ベースは自分が楽しめる事。
やりたいことその1。農を体で覚えると言う事で農業の技術を学
びたい。農業のインターンシップに行きたい。伊熊の畑。
その2。古民家改造プロジェクト。食と農とたまり場プロジェクト
「グノーバル」。GOODな農のバルの略。古民家を居酒屋にしたらい
いのではないかと思っている。地域の飲み屋が世界を救うというこ
とで、地域の飲みからグローバルということで「グノーバル」にした。
50
発表の様子(山崎)
■発表②
「煩わしくて、あたたかい」 田村幸根
豊森の中で見た映像や写真の中では、子供と大人の関係性は一人
の人として関係性があり、より自分がこんなふうに子育てしてみた
いなというイメージが湧いて、不安がすこし軽くなった気がする。
豊森に参加して、旭の第一印象は何かと聞かれた。私は「旭にい
「居場所づくり」というキーワードの人は結構いると思うが、私
た箒をもったおばあちゃん」と答えた。なんでこれが出てきたのか
の中でも長期的にはそんな社会的居場所づくりを、自分の知恵や技
わからないが、自分の中では「居心地のいい違和感」があった。そ
の蓄積、ネットワークを使いながら将来的にやっていけたらいいな
のときはうまく言葉にできなかったが。互いの利益を気にしない関
と思っている。頼れる地域のおばちゃんになれればいい。
係、それがおばあちゃんの場面にあったのではないか。おばあちゃ
まずは、はじめの一歩。今住んでいる場所をなかなか離れられな
んが箒で掃除をしていたところは自分の家でも庭でもなかった。そ
い中、そこで何が出来るのかなということを考えてみた。都会で、今
こを掃除する責任はないのに、それを自分の責任としてやっていけ
より顔が見える、自分が誇れる場所に住みたいなと思い始めてい
ることに、私は居心地のいい違和感を感じた。
る。去年東京に住み始めて、少しずつ町内会や商店街の方と仲良く
なってきている。今年は一年かけて豊森でやってきたような、地域
なぜ豊森に参加したか。そもそも参加した理由を振り返ると、今
を歩く、地域を知るということを地域の中でやっていったり、その過
後私がどんな生活を送っていきたいのかということに繋がって行く
程で仲間ができ、聞き書きなどの記録として残していきたいなと思
と思う。もともと東京の病院で手術室のオペ室をやっていて、その
う。田舎だけじゃなく、あの東京という混沌とした都会の中で生き
後島で保健師をやったり、アフリカへ行ったりしたが、やはり物事は
てきたということはある意味すごいことであると思う。戦後70年と
現場で起きているんだというのを感じていて、もっと人と関われる
いう節目でもあるので、それを記録として残していくのは意味があ
こと、生活や家族に密着したことがしたいと思って、旭のような場
ることではないかと思う。その後はまだ分からないが、聞き書きの
所へ行った。でも、お作法があるみたいで。それを知らずに行ったの
中から出てきた地域の強みや困りごとなどに対し、興味のある仲間
で、嘘でしょみたいなことが日々あってすごくびっくりした。私が船
と一緒に解決していくようなアクションが出来ればと思う。
に乗って東京に上京するときに、
「いってらっしゃい」と港までお見
送りに来てくれたりとか。私は伝えてないのに知っていて来ている。
それは、その人が地域の中で誰かとコミュニケーションをちゃんと
<質疑応答>
関原:地域のおせっかいおばちゃんというのはすごく面白い。近所
取っているからなんだな、と気づいたときに、地域の中でみんなが
におせっかいおばちゃんってどんどんいなくなっている。逆にそうい
助け合って生きているというのは、何気ないことだけどこういうこ
う人がもっと出て来るのはすごくいいのかなと思う。そういう人が
となんだなと感じた。ようやく言葉にできたのは、豊森に参加した
いるから、そこから新しい場が広まる。
からなのかなと思う。
志津:東京にも箒をもったおばちゃんいそうか?
田村:そういう視 点で見てみると、意 外といるんだなと最 近 感じ
「口があれば道に迷わない」というのは、アフリカにいた時言わ
る。
れた言葉。木と草しかない道を彼らは歩いて行く。目的地にいきた
中川:東京から毎月豊森に参加するというのは大変だったか?
いと私が道を聞いた時、彼らは「迷ったら誰かに聞けばいい」と言
田村:大変だったが、やはり母が稲武の出身というのが大きくて、い
われた。最近は周りの人と相談する言葉さえもいらないような世の
つも帰って母とそういう話をしていた。自分の時代はこうだったと
中。原点に戻る言葉だなと思った。
か。虫のご飯をよく食べたとか。
生きることはお金によってではないのかもしれない。もちろん必
<澁澤コメント>
要だけれども、それに支配されて生きていないか。「そこにあるも
女性らしい発表が聞けてとてもよかった。私も東京から通ってい
の」を最大限利用した生活のほうが豊かなのではないか。「ない」
る。発表の中で子どもが安心して産める、不安が軽くなったという
ところで生きている人のほうがよっぽど強く生きていないかと感じ
のが全てでとっても嬉しい。地域の世話焼きおばさん是非なってほ
たところから疑問が生まれた。この豊森の一年間でちょっと立ち止
しい。しかし地域には、おばさんだけじゃ入れないので是非夫婦で。
まって見直す時間になった。
ご主人を地域に引きずり出すのはあなたの仕事になってくるのでは
成長することで格差が生まれるのはしょうがないとは思うが、そ
ないかと思う。
れがあまりにも極端になっていないか。私は伝承し存続し続けるこ
この前、話をしていて、集落も地域も家族が単位で、家族の幸せ
と、つなげていくことに重きを置いた生活をしたいなと思う。また、
をどう作って行くかという話をされていた。今回の発表は家族のこ
子供を持つことへの不安が漠然とある。
とを考えさせられる発表だった。
■他の塾生発表の様子
発表の様子(井上)
発表の様子(中根)
発表の様子(髙山)
発表の様子(田村)
51
公開講座 これからの社会のカタチ ~シアワセをどこに求めるのか~
日程
2014年4月6日(日)13:00 ~ 17:00
会場
トヨタテクノミュージアム産業技術記念館大ホール
ねらい
豊森の思想に近いお二人をお招きして講演会を開くことで、豊
森なりわい塾の認知度を向上し第四期募集に結び付ける。
参加者
合計181名
・事前申し込み:197名
・当日申し込み:19名
・当日キャンセル:47名
・スタッフ、インターン生:12名
時間
内容
氏名
13:00
開会のあいさつ
豊森実行委員長 澁澤寿一
13:10
公開講演①
塩見直紀氏 [半農半X研究所代表]
「半農半X」という生き方
14:10
公開講演②
15:10
休憩
内山節氏 [NPO法人森づくりフォーラム代表理事]
人と自然、結び直しの時代
15:25
トークセッション
これからの社会のカタチ ~豊森が目指すもの~
スピーカー: 内山節氏
塩見直紀氏
澁澤寿一
進行 : 駒宮博男
[NPO法人ぎふNPOセンター ]
16:40
豊森なりわい塾 第四期生募集案内
事務局長 中川恵子
16:50
閉会のあいさつ
トヨタ自動車株式会社社会貢献推進部長 菅原英喜
■講演者プロフィール
内山節(うちやまたかし)氏
塩見直紀(しおみなおき)氏
1950年、東京都世田谷区生まれ。
1965年、京都府綾部市生まれ。
哲学者。
2000年に設立した「半農半X研究所」
NPO法人森づくりフォーラム代表理事。
代表。
『かがり火』編集長。存在論、労働論、自
1995年ころから21世紀の生き方、暮
然哲学、時間論において独自の思想を展
らし方として半農半Xを提唱。そのコンセ
開する。
プトは海を越え、台湾や中国にも伝わっている。 東北農家の会、九州農家の会などで講師を務める。東 京大
1999年、33歳を機に綾部へUターン。閉校となった母校を
学講師などを歴 任し、2010年4月より立教 大学大学院21世
舞台に都市農村交流や定住促進をおこなう「里山ねっと・あや
紀社会デザイン研究科教授。
べ」のスタッフとして綾部里山交流大学を企画。綾部の可能性
1970年代から現在でも、東京と群馬県上野村との往復生活
や21世紀の生き方、暮らし方を市内外に発信している。
を続けている。上野村では畑を耕し、森を歩きながら暮らして
2013年には「塩見直紀的コンセプトスクール」を京都市内で
いる。
開催。
著書に、
『新・幸福論』(新潮選書)、
『ローカリズム原論』(農
著書に『半農半Xという生き方実践編』(半農半Xパブリッシ
文協)、
『怯えの時代』(新潮選書)、
『日本人はなぜキツネにだ
ング )、
『綾 部発 半農 半Xな人 生の歩き方88』( 遊タイム出
まされなくなったのか』(講談社)、
『清浄なる精神』(信濃毎日新
版)、
『本来農業宣言』(共著・コモンズ)、
『農力検定テキスト』
聞社)、
『共同体の基礎理論』(農文協)など
(共著・コモンズ) など
52
■開会の挨拶 澁澤寿一
今私どもの暮らしも大変大きな変化をきたしております。一体こ
今日はお二人の方の話を中心に皆さんに話を聞いて頂きます。一
れから本当に私たちはどこを目指すのか。今テレビをひねりまして
人目は塩見直樹さん。もう一人は内山節さん。
も、いろいろな問題が騒がれております。ただ、それぞれの問題が取
具体的なカタチを示された方、具体的な考え方を示された方、こ
り上げられておりますけれども、一体その向こう側にどういう社会
のお二方から話をお聞きしながら、これからの未来の到達点はどこ
があるのだろうかという事を、今一度、私どもは考えてみなければい
なのか、その時に憲法解釈の問題はどういう事なのか、原発の問題
けないのかなと思い、この会を主催させていただきました。
はどういう事なのか、被災地の問題はどういう事なのか、という事を
今一度考えてみたいと思っております。
この50年間急激に私どもの社会は変わりました。この50年間
私たちは「お金」というものに振り回されて生きて参りました。それ
までは自然の中で自分たちの生活を作るということで生きてきた日
本という国が、お金というものを中心として自分たちが生存していく
という社会に急激に変わったのがこの50年。その意味でこれから
の社会が、一体どこを目指して、そして人々が何を幸せと感じる国を
作っていけるのかあるいは社会を作っていけるのかあるいは個人の
人生を作っていけるのか、それをもう一度皆様とともに考えてみたい
と思いました。
澁澤寿一の挨拶
参加者の内分け
■参加者配布資料
1.公開講座スケジュール & 講演者プロフィール
2.塩見氏レジュメとミニワークシート
3.内山氏レジュメ
4.第三期報告書抜粋
5.公開講座チラシ
6.第四期生募集チラシ
7.アンケート用紙
■成果
名古屋地区で、約180名の参加者を集めて公開講座が開催できたことは1つの実績となり、豊森なりわい塾の大きな広報活動となった。内山
氏、塩見氏お二人の思想は、豊森なりわい塾の目指すところと近いことを改めて認識できた。これを機会に講座にお呼びするなど、今後も交流
を続ける可能性が生まれた。
53
■講演「半農半X」という生き方 塩見直紀氏
<綾部について>
私は京都の綾部という町で自給農をしながら自分のXを探求し
<海外でのひろがり>
ています。綾部は「平和」、「人生探求」、「里山」、この3つのキー
最近では海外の人もやってきていて、半農半Xという生き方が台
ワードの掛け算で成り立つ町。私は綾部を人生探求都市にしたい
湾や中国でも広がりつつあります。これも自然に広がっていき本当
と思っています。21世紀の生き方・暮らし方を真剣に探し求める人
に縁だと思います。
が綾部にやってきて、ヒントを見つけ元気になって帰っていく。気に
今の半農半Xの課題は多言語化することでもあります。いろんな国
入った人は定住しても良い、何回来ても良い、そんな町になればい
に伝わっていたったらいいなと思います。最近では、香港・シンガ
いなと思っています。
ポールの雑誌でも紹介されました。いろんな国で関心を持ってくだ
さっていることが分かります。
<半農半Xの意味>
たまたま入った会社が環境問題に取り組んでおり、大変影響を受け
<使命多様性>
ました。自分はこの会社でなにができるのか、個性は何かというこ
なぜ、人はこんなに多様なのか。私は生命多様性という言葉を文
とを考えるようになりました。そのような中で自分のXは何かという
字って、使命多様性という言葉作りました。それぞれの生命・生物に
問答が始まり、5年程かけて、半農半Xということに行き着いた。
はそれぞれの、そして多様な役割がある、そんな風に思います。
半農半Xがなぜ20年間もったか。普遍性というものは何だったの
最近は1人1研究所を提唱していて、自分のテーマを研究して、そ
かという点を考えてみました。一つは、人は何か食べないと死んでし
の成果を独占せず、みんなのためにシェアをして、大往生をする、そ
まうという生命としての宿命があるのではないかと思います。もう
んな生き方が出来たらいいなと思います。私は半農半X研究所。こ
一つは、どう生きるか。人には何か生きる意味が必要です。夜と霧の
ういった個人が作る研究所に注目してきました。一人一人の持って
フランクルが有名ですが、環境問題よりも生きる意味の枯渇がより
いるXを発揮して、その研究成果を世界に出す。そういったビジョン
問題ではないか、という点を言っています。この2つの問題があるか
を持ったものが私の考える成長戦略です。皆さんならどんな研究所
ら、半農半Xは長持ちするのではと思っています。
を作りますでしょうか?
半農半Xの最大の意味は方向性の提示だと思っています。多くの
種をまけば、根を張り栄養をしっかり吸収する。そして下だけでは
人が迷う世の中で、二つの可能性、つまり持続可能な生き方、暮らし
なく、上に向かっても芽をだし花をつけ種子を残していく。種が教
方は何か、何のために生まれてきたのかを、シンプルに提示したの
えてくれるのは両方大事であるということです。根っこをもちなが
ではないかなと思っています。
ら、それぞれが創造性を働かせることが重要。そしてそれを独占せ
Xは2つの棒がクロスしていますが、一本は個人で、一本が社会や
ずに分かち合うこと。根っこをもちな
自然。自分と社会が交わらないのが現代ではないか。その関係性の
がら翼を持つイメージ、それがこれか
回復が非常に大事。半農半Xも同じく関係性の回復。自分自身、自
らの姿ではないのかと思います。
分と他者、自分と社会、自分と自然、さまざまな関係性の回復をして
「稼ぎながら、家庭を築きながら、
いくこと。
社会を変えながら」この3つを若い人
やりたい仕事か農ある暮らしかではなく、両方。半農半Xは二兎
には同時に行なっていただきたい。
を追うもの一兎も得ずではないか、という人もいるが、今のままの
生命多様性×使命多様性×地域多
未来にはあまり希望はないと私は思っている。私の生き方暮らし方
様 性=新しい組み合わせ。この数 式
が間違っていたとしても、やはり変えていく必要がある。そのために
が大事なのではないでしょうか。みな
は農をベースに与えられた創造性を発揮していくということもあり
さんなら、なにを残していかれますか?
じゃないかなと思っています。
■トークセッション「これからの社会のカタチ」
駒宮:今の豊森なりわい塾が目指す考え方に同調する人が増えてい
るのか、減っているのかということを踏まえて、コメントをお
願いします。
駒宮:一番ポイントとなるのは、くらし、かせぎ、つとめの中のかせ
ぎだと思うのですが、いいアイディアなどはあったのでしょう
か?
塩見:僕の結論は、「ハローワークに行かなくてもいい人しか、田
内山:それは確実に増えています。ひとつの潮流になってきている。
舎は受け入れられないのではないか」。表現はきついのです
これは日本のみの現象ではなく、社会が近代化していくとき
が、自分で仕事を自給できる人しか厳しいのではないかと
には人間たちの自然離れ、一次産業離れ、農山村離れがどこ
思っていた。それは寂しい世界でもあるので、ひとつの仕事を
でも起きる。ところが、あるところまでいくと逆流現象がおき
複数人でシェアする、ワークシェアリングの考え方が増えて
てきて、もう一回自然とつなぎなおそう、一次産業は悪くない
いけばいいのではないか。今、考えているのは、X力が重要な
な、農山村で暮らすのもいいかな、そういう人たちが増えて
のではないかと。私のイメージは陶芸家のイメージ。自分の
いく。これはたぶん世界的な現象。もう一つ言えるのは、今、
作品を高め続けていかないとファンは離れていく可能性があ
農山村に引っ越すだけではなく、流行の言葉を使えばソー
シャルビジネスという言葉になるのですが、自分が農業をす
るのではなくて、都市で会社を作ることによって農山村の人
り、作品を買ってくれない。
自分の作品を高めるしかない。また、仕事は人が運んでくる。
出会いも重要ではないかなと思う。
達を支えるビジネスを志向する若い人が最近増えてきてい
る。市場経済の中でいかに儲けようかという経済ではなく、
澁澤:半農半XのXって、稼ぎじゃないんですよね。私どもも、地域
コミュニティをどう作ろうかとか、農山村とどう繋がろうかと
に入るということで稼ぎを作らないといけないということ
か、そういうことを考えていく都市部の新しい動きがたくさ
で、一時期稼ぎをすごく扱った時期があるんですが、当たり
んおきているのが今の時代。
前ですがみんな個性が違うんです。その中で、お金になる部
分とならない部分があるんです。百姓は生きるために全ての
ことができるということで、その中ではお金になるものと、
54
■講演「人と自然、結び直しの時代」 内山節氏
<「個」の実態>
これからの私たちがどのように生きていくのか。専門は哲学だ
この問題が再度大事だと思ったのは3.11。沢山の人が亡くなっ
が、その立場から言うと、私たちは大きな勘違いをしていたのでは
たが、その亡くなった人とどう繋がっているのかを考えないと前に
ないか。人間というのが1人ずつに固有の実態があるというのが大
進めない。関係の結び直しがどうしても必要。家族を失った現状の
きな勘違いである。確かに私は私、塩見さんは塩見さん。その点で
中で、亡くなった人との関係をどう考えるか。その手続きが必要だっ
は1人という社会もある。では塩見さんの実態はどこにあるのか。
た。その面から見ると、私達の社会は自然や生者死者との関わりが
塩見さんの胸の中にあるのではなく、塩見さんが畑と関わっていた
重要だということ。
り、時には台湾の中国の方と関わっていたり、日本の方と関わってい
他者というのは自分との関係の中に存 在している。自己と他者
たり、そういった関わりの中に塩見さんの実態はある。関わりの中に
の関係はつなぎ合って、鎮座しているということを津波で再確認し
「私」という実態がある。にもかかわらず、人間は自分というものは
た。現代社会がいろんな角度から大丈夫かと言われているが、私が
自分だけで、自分の中に実態があると錯覚をしながら生きている。
感じているのが、結び直しがなくなった社会は壊れていくと思う。
本当は、それは自分の中にはあるが関係しあっている中に存在して
色んなところで信頼感がなくなっているような社会だが、僕が感
いる。例えば人間嫌いの人がいて、無人島で楽しく暮らしている人
じたことは人間の倫理観というのは、結び直しの中にしか生まれな
がいたとしても、その人は自然との関わりの中にその人の実態があ
いと思う。倫理観は自然に発生していくもの。教えるものではない。
る。そのように私たちは関係の中に自分を作り出している。人間の
きちっと結び合って、共にいきていけば倫理観が生まれてくる。
本質は自分が作っている関係の総和であると言っても良い。
<これからの時代>
<関係性の中にある幸せ>
今の時代は共に生きようとする気持ちが無くなってしまった。そ
人が亡くなった時に、誰も手を合わせたいと思わないのは社会と
れがお互いにぎくしゃくした関係を作ってしまった。自然、いろんな
してどうなのか。その人がシアワセの人生を送ったかというと違う
人々、都市と農山村の関係を結び直していかないといけない。社会
と思う。シアワセを自分でつかむものではない。私は川という自然
や経済や地域のもっている信仰だったりを統合、そういうところに
の中で幸せを感じている。そこを鳥がとんでいて、いいなと感じて、
私たちは風土を見てきた。それを回復していくと、幸せというものが
自然と人間との関係性に中で幸せを感じている。春祭りも昔から受
見えるかもしれない。近代の人は数字で裏付けられる幸せを追い求
け継がれてきた関係。自分だけで作る幸せというのはなくて、歴史
めてきたのかもしれない。つい最近まではそれでいけるのかもしれ
との関係もある。なんらかの関係の幸せを作っている。戦後、一人ひ
ないと思ってきたが、最近では数字などではカテゴライズできない
とりが強い個人になりなさいという教育を受けてきた。その結果と
幸せがあるのかもしれないという人
して、今の社会は10%の人は誰にも合掌されずにあの世に逝く。関
が増えてきた。どんな関係をつくって
係性を失った人間たちが、もちろんそこでも、宝くじでも当たれば天
いけば、それが可能になるのか。
にも登るかのような幸せを感じるかもしれないが、それは一瞬で終
今 はそういうこと が 起 きて い る 時
わり、それ以上のものを掴むことはできない。それをどう転換するか
代。言葉でいうと共に生きる時代。
が今の時代の大きな課題であろう。
<関係の結び直し>
日本の場合は自然全体が社会を構成している。日本の社会では自
然との関係、生きている人間の関係、亡くなった人との関わりを大
切に、自分の生きる社会を見出してきた。
自分が生きるためにやること、そのための関係性を作るため
にやること、いろんなことがそこに入っていくんです。ですか
ら、地域に入って、お金にはならないが、生き方としてこのこ
とははずせない、というもの。それが自分の生きるということ
のひとつのバランスを作っていくというように見出している
方もいますし、飛び降り型ってとても危ないようですが、飛び
降りて着地に失敗した人を僕はまだ見たことがない。
駒宮:最後に、豊森なりわい塾のような運動を、今後どう発展させ
ていったらよいのでしょうか。今のままでいいのか、あるいは
たくさんの方にアピールするべきなのか。
澁澤:それは一人ひとりの生き方で見せるしかないんだと思います。
先ほど、300人、400人、小学校区という数字が出てきまし
たが、フェイストゥフェイスの関係の中でそれを作っていく、
それは都市だけではできないし、農山村だけでもできない。
都市と農山村ワンセットの中でどういう社会をこれから作っ
ていくか、それぞれが何の役割を果たしていくのか、それを
みんなが考える社会に確実になっていく。そのときに、まさに
「つなぐ役」を果たす人材をこれから作っていくしかないのか
なと私は思っています。
■閉会の挨拶 トヨタ自動車 菅原英喜
今日の会場は産業技術記念館です。トヨタグループがもの作りの大
事さや、豊田佐吉や豊田喜一郎らがもの作りにかけた夢と情熱を表現
する施設です。先ほど、心を一つにする人数は300〜500人という数
字が出ていたが、今会社大きくなり、その数字よりも3桁ほど多い社員
がいる。その結果なのか幸せを実感できない社員が増えている。今日
の話を聞いて、農村、自然だけではなく、製造業・もの作りの中にも幸
せを感じ取れるようになっていかなければならないと感じる部分もあ
りました。半農半もの作りで勘弁していただけないかと思う次第です。
製造業の代表であるトヨタ自動車が、なぜ豊森を支援するのかは、
先ほど澁澤先生のお話にもあったように、地域
とともに生きていくんだという気持ちの現れで
ござ います。豊 田 市 を 中 心とする東 海 地 区 か
ら、幅広い応募者が出てきて欲しい。会社の方
向としては、よいモビリティー社会を作っていこ
うという大きな流れはあるが、豊森の活動に多
くの応募者を募り、需要のある活動である事を
示したい。本日は長い時間ありがとうございまし
た。
55
第四期豊森なりわい塾の塾生たち ~塾生の属性データ~
第四期豊森なりわい塾は20代から60代の23名を塾生に迎えて開催し、22名が修了を迎えました。
塾生の募集・選考の流れ、受講生の属性について紹介します。
<募集・選考の流れ>
1.募集
2.選考
(1)一般公募
期間:2014年4月1日~4月20日
(30日まで延長募集)
方法:豊森塾生募集パンフレットの配布
(パンフ制作部数10,000部)
公開講座における説明
メールでの告知文送付
新聞記事掲載(中日新聞)
募集人数:20名程度
応募者数:30名
(1)選考の方法、及び流れ
1次選考:書類審査
2次選考:面接
(2)選考基準
・熱意、意欲
・豊森なりわい塾の趣旨に合致しているかどうか
(3)選考結果
合格者: 合計23名
<塾生の属性>
①性別・年齢
②居住地
都道府県
市町村
集計(人)
豊田市
9
名古屋市
4
<年齢・性別>
岡崎市
1
・合格者では40代以下の男性が、全体において最も
海部郡蟹江町
1
日進市
1
半田市
1
北名古屋市
1
北設楽郡東栄町
1
<居住地>
土岐市
1
・応募者、合格者ともに豊田市内が多い。今回は初め
岐阜市
1
て市役所でも職員向けに広報を行い、応募者獲得に
滋賀県
東近江市
1
繋がった。
東京都
豊島区
1
愛知県
岐阜県
合 計
56
23
1.募集
高い割合を占める結果となった。
・例年に比べて、女性が4名とかなり少ない。
・受講生募集を視野に入れた公開講座を名古屋市内
で行い、参加者から数名の応募があった。
・東海地区以外にも、遠方である滋賀県や東京都から
の応募があった。
第四期生 修了レポート
<修了レポートについて>
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
②「X年後の自分を描いてみる」
上記2つのテーマで、塾生一人ひとりに修了レポートを作成していただきました。
本来は全員のすべての発表資料を掲載すべきところですが、ページの都合上、②「X年後の自分を描いてみる」は、
発表内容を要約したものを掲載させていただきました。
<塾生一覧・掲載ページ>
1
石戸谷 尽生
男性
豊田市
P58
13
髙山 展紀
男性
豊田市
P82
2
稲村 晃一
男性
名古屋市
P60
14
田中 将実
男性
名古屋市
P84
3
井上 武
男性
半田市
P62
15
田村 幸根
女性
東京都豊島区
P86
4
岩崎 登
男性
豊田市
P64
16
中根 紘子
女性
豊田市
P88
5
大西 靖浩
男性
岡崎市
P66
17
古舘 明治
男性
豊田市
P90
6
大野 嵩明
男性
北名古屋市
P68
18
前川 真司
男性
滋賀県東近江市
P92
7
片山 徹
男性
海部郡蟹江町
P70
19
水野 忍
男性
土岐市
P94
8
加藤 亮太
男性
岐阜市
P72
20
山崎 直人
男性
豊田市
P96
9
川崎 愛美
女性
北設楽郡東栄町
P74
21
渡邉 一樹
男性
豊田市
P98
10
榊原 礼美
女性
豊田市
P76
22
渡邊 和也
男性
日進市
P100
11
鈴木 隆史
男性
豊田市
P78
12
関原 康成
男性
名古屋市
P80
57
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
いしとや つくお
氏名
石戸谷 尽生
自己プロフィール
青森の山間部で育つ(当時人口7000人の町)。小学校の頃は虫や魚を捕りに行ったり野生動
物を探しに。小4の頃、
「宇宙の果て」、
「死後の世界」、
「幽霊」等、未知の世界が怖くて夜、眠
れなかった。小学高学年の頃、スーパーカーやF1に熱中。中学に入り、エンジンの構造に感動。
数学や理科が得意だった。家が貧しかったのでお金のかからない「高専」に入学、機械工学科で5年間学んだ。愛知県
の自動車会社に就職、25歳で結婚。3人の子供に恵まれた。家族のために自分のために会社のために一生懸命働い
た。先日50歳に。人生50年、その後は「おまけ」の人生。早めに終活開始。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
町の年配の方々や塾生と接することで以下3点を見極めたいと思った。
「自給自足」以外はほぼ達成。
1、
「幸せ」とは、
「生きる」とは:ある研究によれば「人と関わり合い人の役に立つ」ことで幸福感を感じやすいらし
い。おそらく、これらの条件に加え「明るい未来」をイメージできることが必要と思う。現在の日本は豊かになったし便利
になった。しかし「豊か、便利」と「幸福」は同じではない。物がなく不便でも「明るい未来」を描ければ幸せかもしれ
ない。社会に迷惑をかけず、できれば世の中の役に立ち幸福を実感しながら人生を全うする。そんな生き方のヒントを得
たい。
2、都市と地方のあり方(特に食糧、エネルギー):都市への人口集中は一見効率がいいが、食糧供給地は郡部になる
場合が多い。効率だけを追及し過ぎると脆弱な状態となりやすい。都市部、郡部の皆が幸せに感じることができるよ
うな状態を描きたい。
(近い将来の東南アジアやアフリカのモデルケース)
3、自給自足とは:世界の人口が何かの都合で現在の1割になってしまうと150年前のくらしに戻らざるを得ない。そう
なると重要なのは「水、食糧、エネルギー、防衛力」。自然のものを使ってどうやってそれらを得るか、見極めたい。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
1、
「幸せ」とは、
「生きる」とは:
・長生きはやはり幸せかも。でも若い人がいなくなると明るい未来が描けない。年配の世代はやはり先祖代々の土地を離れ
るのは寂しいと思っている。子供には帰ってきて欲しいが地域に(やりたい)職がないので仕方がない、との認識みたい。
・地域社会は一人勝ちしてはいけない世界。でも、もたれ合っていると他地域との競争力がなくなって、やがて壊滅状態に?
・地域再生は地域の人がやる気を起こすことが大事。
・生きるために協力し合わなければいけない世界がしっかり残っている。
2、都市と地方のあり方(特に食糧、エネルギー):
・米は都市に供給できるが他の食料は自家消費用程度かも。非収穫期は都市への供給困難かも(保存食、ハウス栽培、植物
工場で対応か)。
・エネルギーは水力発電を都市に供給。薪は地元で消費するのがベスト。エンジン→モータにして電気等で地産地消は可能
かも。
3、自給自足とは:
・戦後、煮炊き用、暖房用エネルギーは薪→プロパンに急変。労働力(エネルギー)は人・馬・牛→エンジン付に。がんばれば
戻せる?
58
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
石戸谷 尽生(いしとや つくお)
タイトル
(1000年後の幸せのための)1年間0円生活への道
1年間0円生活をすることで「幸せとは」、
「生きるとは」を見極める
X年後の自分
X年後に向けての
はじめの一歩
「1年間0円生活」に向けて「衣、食、住、エネルギー、医療、情報、娯楽、教育、交通」費を
使わない準備をする。まずは旭(?)で毎月何度か野宿し1年間のサイクルに慣れるとともに旭の
方々ともっと仲良くなる。そして、いろいろ手伝いながら教えてもらう。
入塾前から考えていたことなのでそんなに難しくなかった。「1年間0円生活」は「幸せと
は」、
「生きるとは」を見極める手段であり、なぜそのような思考に至ったのかを皆さんに理
制作してみた感想
解してもらう必要がある。そのための資料づくりが楽しかった。素材は「エンディングノート」
に記入してあったので視覚化を工夫した。発表の事前として息子(もうすぐ大学4年生)に見
てもらった。自分の死生観を間接的に伝えることができてよかった。そういう意味でもいい
機会だったと思う。
59
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
いなむら こういち
氏名
稲村 晃一
自己プロフィール
1965年 名古屋に生まれ、名古屋で育つ。
1988年 三重大学工学部を卒業後、トヨタ自動車に入社、一貫して生産時術分野の仕事をこ
なす。
その間に結婚、3人の娘に恵まれる。仕事で海外(欧・米・アジア)を経験し、ふと気付けば、会社生活も27年が経ち、
残り10年程となってしまい、そろそろ第2の人生を考え始める様になってきた。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
生まれた頃の名古屋は、近くに野山や田畑が存在していたが、最近は宅地開発が進み、
歩いて行ける所は殆ど無くなりました。そんな中、大学時代にキャンプを始める様になり、
かれこれ30年近くが経っていますが、緑(自然)を求めて毎年山に行っています。
もちろん、家族全員キャンプが大好きで、山に対する想いは家族一同持ち合わせています。
将来田舎暮らしをしたいという想いが強くなってきたところで、今年の初め、3期生の会社
同僚先輩から豊森を紹介されたのが志望動機です。豊森に期待していたことは、以下の通り。
・様々な業種/幅の広い年代の方達と交流・考えの共感
・都市と田舎のバランス・交流の在り方(顔の見えないネット社会と顔見知りの共生社会)
・食の安全、自給自足(何故耕作地が縮小していくのか)
・原子力発電の縮小・廃止とその代替え案(多少の不便・我慢の分かち合い)
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
・常に時代を横軸にして物事・社会変化について捉え・考えられる力を学んだ。
聞き書きを通じて、惣田の当時の暮しぶりが鮮明となった。
(大変素晴らしい手法を学んだ。)
・改めて日本の農業を考えさせられた。食/農/生きるを一緒にした体験を目指したい。
・木材の予想以上の安さが、経済活動として成り立たないことを実感。
・自身のサラリーマン生活を見つめ直し、稼ぎ/暮らし/務めを考えさせられた分岐点となった。
・惣田のお祭りに参加。人手が必要なこと、アットホームな祭りの雰囲気を学んだ。
・公共の在り方(田舎の医療や教育)について学び、田舎暮らしの不安感が少しとれた。
・9回の講座を通じて、点であったものが線となり、豊森が目指すものを理解。
・幅広い年代のメンバーと意見交換し、それぞれの考え方を理解。
以上の事より、自分にとっての幸福とは何か?を考え、今後ゆっくり答えを出したいと思います。
(初めに比べ考えなければならないことが山積みとなった為、現状まだ頭の中を整理中)
ただ、田舎暮らしの目標は進化させつつ、ブレずに貫きたいと思っています。
60
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
稲村 晃一(いなむら こういち)
タイトル
『私と田舎暮らし』~第二の故郷~
田舎の何気ない風景や四季に憧れ、ものづくりが
好きでログハウス建築を夢見て入塾した私ですが、
豊森の講座を経て、稼ぎ・くらし・つとめの
バランスを考えた暮らし=今後の生き方が
おぼろげながら見えてきました。
暮しのイメージ図
X年後の自分
家族を大切に
子供・孫がいつでも訪れる環境
生きる力をつける
循環型生活の実践
地方自立・自助へ参画
都市部・若者への魅力の伝承
趣味の共有
老後は夫婦揃って
穏やかに暮らしたい
X年後に向けての
はじめの一歩
まだ多くの学ぶべきこと/深堀りが必要と考えています。
今回の豊森でのご縁を大 切にしながら、当面は自主的な準備活動と、様々な地 域活動へ
積極参加していこうと考えています。
レポート発表の中でも申し上げた通り、今回の豊森との出会いは、
自分にとって農山村への漠然とした憧れから、社会の現状・関係性を理解し、
制作してみた感想
今までの人生を振返り、今後の人生を踏み出す分岐点となりました。
まさに孔子の論語『五十にして天命を知る』の様です。塾生メンバーにも恵まれ、
本当に密度の濃い1年間を過ごすことが出来、感謝いたします。
61
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
いのうえ たけし
氏名
井上 武
自己プロフィール
・愛知県半田市生まれ、半田市育ちです!
・中学生の頃から始めた柔道を、現在は地元の小学生に教えています。 ・社会人になり、自動車関係の会社に入社。仕事は設備のメンテに関する業務。
(毎日、忙しいが充実している)
・車やオートバイで出掛けた先々の温泉に浸かり、地の物を食べることで、ストレス解消とする
ことが至極の喜び。
(秘境、酷道、山肉が好き)
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
・もともと、奥三河など山間部の暮らしや伝統芸能に興味がありました。ただ「興味がある」というだけで山間部に暮
らすことの実情を知らず「空気が美味しく、良いところだ!」・・な~んて、観光的な視点でしか見ていなかったと思い
ます。
・コミュニティーでは「こども会」に役員として参加していますが、目的があるか?というと、そうではなく、人手が必要
だし子供の頃、お世話になったからという思いで手伝いをしていた。
・東北震災支援でお世話になった大洞さんに「豊森なりわい塾」の存在を教えていただいた。
「豊森なりわい塾」のカリキュラムに含まれており勉強したくなったのが動機です。
自分の趣味や活動していることが、
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
・「豊森なりわい塾」で世の中の仕組みや人の生き方を深く知ることができました。
フィールドワークによる「現地・現物」は仕事の上でも、大変、役に立ちます。それと合わせて物事の背景や人の思い
を感じる力が身につきました。
・これからも、仕事(かせぎ)・趣味(くらし)・ボランティアや地域活動(つとめ)において「現地・現物」と人の思いを
大切にする気持ちが強くなりました。
・「豊森なりわい塾」で学び、旭の方々から教えられた「お百姓さん」
(オールマイティーで様々なことに対応できる)と
いう生き方を実践して行こうと思います。
・講座やGDの中から心に引っ掛かったキーワードを自分の立場や持ち場に置き換えて理解して行くことが出来るよ
うになりました。
62
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
井上 武(いのうえ たけし)
タイトル
~ 定年退職後 ~
・将来「こんな風に暮らしたいなぁ」と感じていたことを具体的に描いてみる。
・日々の生活の中に「くらし・つとめ・かせぎ」を含んだ、リズム感ある暮らしにしたい。
【くらし】
◇昭和の家屋?藁を混ぜた土壁と高浜産 瓦屋根の家を建て、庭には小さな畑と鶏小屋が
ある。
◇毎日、近くの銭湯へ行き。たまには山奥の温泉へ出掛ける。
【つとめ】
◇「こども会」役員+αのお役をいただく。
◇高齢者の居場所作り、ヨロズ修繕ボランティア
X年後の自分
◇旭で習った注連縄作りを子供たちに教えたい。
【かせぎ】
◇X年後のかせぎ・・今の仕事を全うした後の、退職金と年金が頼り
◇地区役員を続けていれば、お小遣い程度の報酬はあるか
・いま、お手伝いさせていただいている「こども会」役員を続けて行きます。
X年後に向けての
はじめの一歩
◇地域の活動へ深く関わって行けるように、諸先輩方から、いろいろなことを学んで行き
ます。
◇将来の仲間作りに、顔見知りを増やして行きます。
63
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
いわさき のぼる
氏名
岩崎 登
自己プロフィール
長野県佐久市(北陸新幹線で軽井沢の隣駅)出身、高校まで実家暮らし。
医学部受験のため上京、埼玉県入間市の親戚宅を経由して練馬区石神井町で一人暮らし開始。
バイトしたり劇団に入ったり、めちゃくちゃな生活の後、奇跡的に名古屋の大学に合格、保健師
の教育を受ける。病院実習中にやはり医師免許が必要だと思い立ち、大学に来ていた産業保健師の募集を見ている
うちに産業医がいいだろうと思い込み、再度大学受験し、北九州へ。卒業後地元に戻り、佐久総合病院で初期臨床研
修、山梨市立牧丘病院でのんびり訪問診療をしながら地域医療をかじり、再び北九州へ。1年間の産業医学修練の後、
拾われる形でトヨタ自動車へ。田原工場で一緒に働きながら指導してくれるはずの指導医が入社直前に倒れ、急遽本
社地区へ異動?元町工場配属となり、現在に至る。5年程度在社したら、長野に帰ろうと思っている。
体脂肪率およそ4~6%(2013年10月20日以降1桁)
体型に似合わず、大食いで大酒飲み、しかも甘いもの大好き
暇さえあれば映画館で映画を見るのが好き(1日で3~4本をスケジュール)
貯金が趣味だったが、最近ちっとも貯らないので、最近半ば諦めムード
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
・もともと健康づくりに興味があり、市町村保健師としてなにかやりたいと思っていた。
・今回企業城下町にその企業の社員として来るにあたり、いずれ保健師と一緒にコラボできるなにかができればと期
待していたが、1年暮らしてみてそのきっかけになりそうな、手がかりが見つけられずモヤモヤ。
・また、本来業務の方もそれぞれが勝手に言いたい放題でシステムがめちゃくちゃ、寮と工場の往復で終わる毎日で、
何か刺激がほしい状況に今回の募集を見つけた。
・都市と農村を行き来しながら、いつかは実家に帰ろうと思っている中で、なりわい塾での1年間で何か見つかるので
はないか?という期待も込めて応募した。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
9月講座で「カフェのマスター」になるという話が盛り上がり、これまで考えたこともない生き方だったので面白いな
と思った。カフェで生計を立てていくというわけではなくて、本業の片手間?ちょっとした時間を使って、近所の皆さん
と交流が図れたらいいのだろうなと気づいた。
「みんくるカフェ」というのが一部で流行っており、いずれやってみたいと考えているが、自分のカフェでやっちゃうと
いうのは、より一層楽しいだろうなと思う。
64
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
岩崎 登(いわさき のぼる)
タイトル
TOYOTAを辞める日
2018年 トヨタ自動車を退社、佐久総合病院へ
まずは南佐久の取り組みに参加
運営にもできるだけ参加してノウハウと人脈ゲット
X年後の自分
2019年 やや北上して、医療センター周辺で開催
地域の中心部で、研修医なども巻き込んで
2020年 北佐久にいよいよ上陸、きたさくぶ開催
会場は三月九日青春食堂?
2015年 みんくる一宮など、愛知県内開催のみんくるカフェに参加
X年後に向けての
同時に機会を見てみんくるファシリテーター研修受講
はじめの一歩
おいでん・さんそんセンターとのコラボ(別PJT)も検討
2016年 足助病院などでお試しカフェを開始できたら、、、いいな?
1年間のカリキュラムを通して、また、課題作成を通して、豊田市に来るにあたって考えてい
たこと、諦めてしまったこと、などなど改めて考えなおすきっかけになった。
9月の講座などで若手の皆で語り合って見えた課題、それを踏まえてお兄さん方にいただい
制作してみた感想
たアドバイスなどを振り返り、課題作成を通して次のステップが明らかになり、また次の目標
が決まったように思う。
ほとんど諦めていたことを、改めてやってみようと思わせてくれたこの機会に大変感謝しま
す。
65
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
おおにし やすひろ
氏名
大西 靖浩
自己プロフィール
2014年8月に日下部町に移住
移住当初は、何かと忙しく食事はレトルトが多かった。カレーライスは、週に2回ほどたべてい
た。レトルトパックが、イオンで58円だった。最近は安いかもと思いルーを買って作ってみると
結構安く作れることを実感する。また、いろいろなものを混ぜるから食べるのが楽しみになってきた。以前は、野菜は
おばあちゃんたちから買うと言っていたけど、無性に作りたくなる。とりあえず、ジャガイモの種芋を買ってきた。そし
て、もっと良いことを考えた。僕が作った野菜で料理を作って、食べてもらうこと。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
僕は、10年位前から人が幸せになるにはどうしたらいいのかと、ファイナンシャルプランナーとして考えてきた。お金
があれば幸せになれるという常識は疑った。発展途上国の貧しい村の子ども達を見ていると、なんとなくあの大変な
生活の中にあるのではと思い、自給自足計画から始まって、同じ価値観の100人の村づくりを考えていた。その頃の行
動からいろいろな社会問題が浮き彫りになり、その問題の本質を探した。僕は社会環境が悪いから、人が悪循環に陥
るのではと仮説を立てた。
それから、自然環境や人環境、仕事環境での問題を解決するために「社会を変え、人を変える。」とミッションにし
てライフワークが決まった。行動していたら、不思議と必要な人たちと知り合い道は開けるかと思ったが、リーマン
ショックから状況が変わってきた。
何かの突破口を探していたときに昔応募した豊森からメールが来た。そして、旭を訪問し、地元の話を聞いた。廃校に
なっている小学校を利用すれば、相当のことができると目論んで応募した。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
面接のときの「君はなぜ歴史が大切だというんだ?」この回答を言えなかったことがずーと引っかかっていました。今
なら言える。歴史は僕の人生の羅針盤です。
そして、僕は講義を受けながら、頭の中のつくばのイメージと重ねながら考えてきた。
そして、点が線で結びついた。
今まで、僕は悩みながら迷路をたどってきたけど、これから、楽しみながら、迷路を歩いて行けそうです。
66
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
大西 靖浩(おおにし やすひろ)
タイトル
自立した村民による、村民のための事業 (仮)
「生活総合・文化事業」
未来とは希望
希望とは意志が行動すること
X年後私は、次の世代の未来を守るために仕事、生活、なりわいをしているだろう。
子ども達が、
「私の故郷は、旭」
「私の故郷は、日本」
「私の故郷は、地球です。」と言えるまで
そのために
将来のつくばのビジョン 活力と魅力あふれるつくば地区を創る。
基本構想 ・住民一人ひとりが、自分の価値観を持ち、他人と違った自分らしい生き方を
追求する。
・つくば地区の活力がダイナミズムを生み、新しいライフスタイルや
新市場、イノベイションを追求する。
X年後の自分
重点テーマ ・地域全体の緩やかな新しい連帯を構築すること
・自らの持てる経営資源を最大限に活かし新たな付加価値の創生にチャレン
ジし、環境、教育、福祉、医療、産業、文化に留意すること
・つくば地区という土地の姿である、視覚に限らず聴覚、臭覚、触覚、味覚を
資本とすること
基本戦略 ・資源を活かす
・外から稼ぐ
・地域経済をけん引するモノづくり、サービスをする
・新陳代謝をさせる
事業内容 農業、林業、製造業、レジャー販売業、畜産・養殖、
金融・コンサルティング業
保育・高齢者、障がい者支援業、教育業、スポーツ・歴史・文化業、建築・不動
産管理業、環境・エネルギー業、出版・メディア業
X年後に向けての
はじめの一歩
3月 農ライフ創生センターにて農業家になる
4月 日下部わくわく事業の提案(里山の3S、整理・整頓・清掃)
4月 豊田市へつくば小学校活用の提案をする
10年間の思いを整理・整頓することができました。これからの行動が、決まったのでモヤ
制作してみた感想
モヤがはれて光が差し込んだ。その光に向かって、階段を歩いて行こうと決意と覚悟ができ
た。
67
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
おおの たかあき
氏名
大野 嵩明
自己プロフィール
1981年生まれ。名古屋市西区出身。大学院卒業後、地元に貢献したいと思い、名古屋のベン チャー・キャピタルに就職するも、もっと地域に密着した仕事がしたいと思い、NPO法人ETIC.の
プログラムに参加。
インターンシップ先である能登半島の七尾市にあるまちづくり会社での活動を通じて、地域の魅力を伝えていく仕事
の楽しさを知り、ナゴヤで活動中。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
持続可能の観点で、都市での暮らしに疑問を感じていていたため、中山間地域の地域づくりについて学ぼうと思い
参加。
自分も含めなぜ多くの人が田舎に向かうのか、資本主義はこのままでいいのか、顔の見える関係性がなくなってきてい
るけどそれでいいかと疑問に思っていました。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
中山間地域での様々な活動は、ダイレクトに自分たちの暮らしに還元されるので、生きているというリアリティを実感
できること。それに対して、都市部ではどのようにしたらいいのかを考えるようになった。さらに、都市も中山間地域も
含めて、どのようにしたらいのかという視点を持つことができた。
グローバル経済だけでなく、リアルローカル経済をつくっていくことが大事だと気づきました。
68
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
大野 嵩明(おおの たかあき)
タイトル
5年後の自分
◯暮らし
家族との時間を大事にしている
農のある暮らしを実践している
たくさんの繋がりを感じながら暮らしている
X年後の自分
◯つとめ
地域活動(自治会等)へ参加
コミュニティーづくり活動
◯かせぎ
つながり(関係性)の再定義
面白がる人を増やす
X年後に向けての
はじめの一歩
・農ある暮らしの実現に向けて、市民農園を借りるための手続きをする
・起業支援、移住支援活動に向けて、この地区の従来の起業支援、移住支援活動を調査やヒ
アリングを行う
資料をまとめるにあたって、講座を通して得たことを振り返る時間と自分自身と向き合う時
間を長くとりました。その際に、目先の手段ではなく、何がしたいのか?といった大きな目的
まで、立ち戻ってゆっくりと考えることができました。
制作してみた感想
69
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
かたやま とおる
氏名
片山 徹
自己プロフィール
昭和47年生まれ、三重県出身。
愛知県海部郡蟹江町在住。
現在、愛知県弥富市の飛行機工場で検査員をしています。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
豊森なりわい塾に参加した動機:年齢のハンディに苦しんだので必要なものを自分で作る能力を持ち、首根っこ
を握られない人生を送りたいと思ったから。伊藤洋司さんの「ナリワイを作る」を読んで仕事も家も自分で作る生
活に関心を持つ。そんな時にインターネットで「豊森なりわい塾」塾生募集の記事を見つける。「ナリワイ」→「なり
わい」にピンときて参加を希望して面接を受け、今に至っています。
期待していたこと→伊藤洋司さんのように自給力をつける講座があることを期待していました。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
実際に講座に参加してみた感想は、実技を覚えるのではなく「ベースとなる考え方を身に着ける」というものでし
た。
最初の動機が「個人的な生き残り」でしたが、講座のテーマが「共同体」だったのでまったく考えていなかったことを
学べました。
自分の変化は「個人の生き残り」に加えて「共同体としての生き残り」という意識ができたことだと思います。
70
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
片山 徹(かたやま とおる)
タイトル
自分の半農半X
1年後→祖父の畑を手伝って野菜の作り方を教わる。
PanasonicのGOPANで地元のお米を原料に自家製のパンを作る
→ペーパークラフトで自作ロケットを作り打ち上げる。
X年後の自分
5年後→耕作放棄地を借りて食べる野菜の半分を自給する。
→一番大型のモデルロケットで缶サットを打ち上げる。
10年後→CAMUI式ハイブリッドロケットを北海道で打ち上げる。
15~20年後→手のひらサイズの人工衛星をCAMUI式ハイブリッドロケットで地球周回
軌道に打ち上げる。
プランターでミニトマトを栽培する。
X年後に向けての
はじめの一歩
モデルロケット協会に入会し、今年中にモデルロケットを打ち上げる。
今年中にモデルロケット二号機を設計、製作する。
なんとか形になったかな、というところです。
パソコンでプレゼン資料を作るのは初めてということもあり、最初はなかなか書き進めら
れなくて不安でしたが。
制作してみた感想
僕の今後の活動は皆さんとかなり違いますが、皆さんとは別の形で田舎とかかわっていき
ます。
(ロケットの打ち上げは無人の広い土地を必要とするので必然的に田舎とご縁ができ
ます。)
71
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
かとう りょうた
氏名
加藤 亮太
自己プロフィール
岐阜市出身 岐阜市育ち 大学は京都にあって、そこでメディアと福祉の勉強をしていました。岐阜
市の いぶき福祉会というところに就職。福祉業に不安を感じながらも、利用者の笑顔に毎日癒
されたり、考えさせられたりの毎日を過ごす。
今年、結婚をしてお互いの夢ややりたいことをどうしたら叶えられるのか、食の事を考えると田舎暮らしや移住を考え
ないといけないのかぁと思い悩む。
友人の勧めと自分の思いがたまたまあったのか、豊森に応募する。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
小さな不安と恐れ大企業にも勤めず、小さな作業所、障害者の人と過ごしていく中で、
「このまま福祉は今のまま続
いていくのか?もし自分が体を壊してしまったら使い捨ての業界!?今の仕事は楽しいが長く続けられないかもし
れない。私の周りには様々な特技や活かして働いている。自分にもそんな自信があれば、この不安感は解消される
かもしれないと思ったことが動機です。なりわいを持つ人への憧れはずっとある。仕事や生き方にこだわりを持って
生活していきたいと思った。
フィールドワークが多い印象を始めは持っていたが、座学やビデオ鑑賞も多かった。個人的にその後の解説を聞い
て納得することも大変多く為になったが、もっと旭地区に入って、村の人の生活やニーズを聞いて回ったりすること
もしてみたかった。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
なりわいとは、稼ぎだけでない。人と人との関わり合いのなかで生まれる。関わり合いを紡ぐことが大切であることが
わかった。稼ぎを確保しなければとばかり考えてきた自分にとっては、それだけでない、先祖から大事にしてき田んぼ
を守る方々や、美味しい食事を祭りにもってくる住民の方々の話を聞くと、義理や人情だけでない、もっと大きな精神
性を感じました。しかしながら、それは脆くも、簡単に崩れそうなものであることが分かった。
農山村にあるものは、有と無。無いが有る。見えないものや、お金や資産ではない、五感で感じるものがある。お金は
それのために使うものである。
目に見えないものを大切にする気持ちが日本にはあることを知った。無い物には、今までマイナスイメージをもってい
た。しかし、無いことに対しても感謝や畏敬の念を持ち生活している。
お金や資産などの有といわれる物ばかりに目をとらわれるのではなく、五感で感じるものを大切にして行きたいと思
う。人と人との出会いもそうだ。言語だけでない、喋ったり祭りにでたりお酒を一緒に飲んだりすることも。お金や大
切なことはその為に使うべきだと思う。
72
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
加藤 亮太(かとう りょうた)
タイトル
人と人、縁と縁が繋がる 未来を作るために…
2年後、僕と彼女は、28歳と26歳になる。
結婚をして2年、仕事にも慣れてきて、独立のことを考えている。
X年後の自分
野菜や農作物などを通じて収入を得られる形で仕事をしたい。野菜の栽培研修に参加した
い。自分がしている今の福祉の仕事を次のステップにうまく生かしたい。田舎での生活の準
備をしたい。自分達とご縁のある土地はどこなのか見極めていきたい。
お米作りや農作物作りなどの初めの一歩に積極的に参加する。
X年後に向けての
はじめの一歩
自分達が向かっていくことをいつも声を出して確認し合う。
夢を語り合う。やりたいこと感じたことを伝え合う。
仕事などで出来たご縁をさらに発展させていく。
やってみたいことと豊森で学んだことが、あっているのか。
自分達の向かっていく未来は、正しいのか。
豊森で学んだ精神性はいつか自分自身に昇華できるのか。
考えれば考えるほど、自分の身勝手な思いばかりになってしまっていきました。地域のことや
農山村の未来までは見据えて考え切れることはできていないけれど、無理のない範囲で自分
がやってみたいことはこれかなぁ?と考えた結果がこのレポートです。
よかったことは、彼女と将来のことこんな感じで考えているよと伝えられる内容になったか
なという点です。
制作してみた感想
難しかったことは、豊森で実際学んだこととつなげ切れていないこと。
いつもなら流してしまう話題を豊森ならどんな感じ方をするのだろうという考え方をするよ
うになった。
実際農業を始めるために、自分の身の回りには拘束が多くて、がんじがらめなことにも気づ
く。何を諦め、何を大切にして行けばいいのか迷う。
豊森は田舎生活について現実的でありながらも、魅力や素晴らしさも提供してくれるので、
悩ましい反面、モチベーションは下がらず取り組めた。
73
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
かわさき まなみ
氏名
川崎 愛美
自己プロフィール
北海道富良野市出身。東京で整体師と絵描きと浮世絵に関わる仕事で会社員をしていたが、木
造校舎と古民家暮らしに憧れて、東栄町の廃校活用、
『奥三河のき山学校』プロジェクトに携わ
ることに。
観光に興味があり、学生時代から5年ほど、日本全国と、世界30カ国くらい旅をする。
日本語が好きで帰国。言葉を大切にする、英語教師を志し、現在、慶應義塾大学1年生。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
2014年4月。仕事で、言葉が合わず、感性が合わず困っていたところで、素敵なチラシを拝見し、応募。
「起業型」との名目で来たが、まったくその気がないNPOで、
「一人だけ自分勝手だ」と非難され、
まったく知らない土地に来て、自分の居場所がないような気分だった。都会人の感覚?
どうしたらいいんだ。田舎がわからなくなっている自分に気が付いた。
起業について、今の職場が頼りないなら、
「なりわい塾」で見つけたいと思った。
聞き書きや、澁澤さんのレクチャーで、田舎の感性がどんどん沁みこみ、自分が変わっていくのを感じた。
いつの間にか、
「くらし」「かせぎ」「つとめ」がしっくりきている自分に気が付いた。
「仕事がつらいよー」っていうと、うんうんって言ってくれる仲間や、両親に気が付いた。感謝。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
奥三河に来て、
「人と違うことをやってやろう」っていう北海道スピリットが受け入れられないことを知る。
おおらかさが、如何に有難い事だったのか。都会の、
「自分がやりたいことだけやる」のが如何に気楽か。
感じる時間、澄んだ空気を得て、自分の感性がわかり、来し方と行く末について考えさせられた。
内山節さんが、
「田舎には、安心感がある」と言っていた。驚いたが、納得した。
豊森では、田舎の「生きる」ということに、
「自給」も「助け合い」も「祭り」も含まれていると教わった。
なんだ、もともとそうやって生きてきたんだ。そうしなきゃ、生きていけなかったんだ。
「お金で買えない」なんて一口で言えないことが沢山あった。シェアやコミュニティなんて、言って、
別の何かを求めつつ、我儘で、お金で買ってしまっている、私の足元を、思い知らされる1年でした。
74
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
タイトル
川崎 愛美
(かわさき
まなみ)
『田舎は天国!』 神×アート×自然 = 教育にいきる!
ここは天国?めっちゃ面白い人がいっぱいいるやん!
町には、
「くらし」
「かせぎ」
「つとめ」を楽しくこなす、
X年後の自分
田舎暮らしloverが「集まる場、Bar」が沢山あるよv
教育、福祉が、
「自然の法則」に則っているから、賢い大人が多いよ。
安心、安全な素材で作ったものを使い、食材を地域で廻しているよ。
「子どもが大人になった時の、この町は?」
「子育てしたい町、だに^^」
X年後に向けての
はじめの一歩
・神山町のアーティストインレジデンスに応募します!
・奥三河の絵と、東栄町のMAPを、完成させます!
・いい影響を受ける環境に、自分を置き、自分を大事にします!
発表が、澁澤さんに、
「如何に自分と折り合いをつけていくか、ですね」という、
一言で集約されたとき、驚愕した。見返すと、
「自分」ばかりでくらくらした。
「自分はこんな人間なんです!」
「こんなことしたいんです!」
「自分は・・・」
丁度、世界一周をして、新城で協力隊&ブロガーをしている子が自分の鏡のようで、
制作してみた感想
「子どもっぽい」
「自分の都合をいつも優先して、迷惑かけてるんだろうな」
「地域に溶け込んでいないな」と思っていたことを、見透かされる思いだった。
「地域の人の肩の高さを越えるな」
「正しいことを言っても、人は動かない」ぐさ。
ちょうど2日後に、神山町の地域活性化の事例を知り、
「神山モデルは5名から」「やってみ
なはれ、の精神」
「石の上にも25年」に勇気づけられた。仲間と、
自分の子どもらが楽しく生きるような田舎にしまい!目標、明確化しました^!^
75
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
さかきばら あやみ
氏名
榊原 礼美
自己プロフィール
1973年生まれ。愛知県出身、在住。趣味は音楽鑑賞。
おいしいものを食べること。体力づくり(希望)
4月から新たな環境でスタートします。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
興味があったこと
①食べること、食べるものを作ること
②働くということ
もやっとしていたこと
①働くということ
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
理解できたこと
わからないことがたくさんあると思ってはいましたが、豊森に参加して実感がわきました。
知識だけではなくて実践が伴った経験の重みといいますか。やってみることが一番大事。
働くことについて、最初のほうですでに答えが出ていました。
「つとめ、かせぎ、くらし。」
「つとめ」のところ、一年考えてきましたが、なにも進めることができませんでした。
これからの課題です。
76
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
榊原 礼美(さかきばら あやみ)
タイトル
40代をどう生きるか
2015年4月 農業研修を受ける。居住の場を探す。稼ぎを探す。
X年後の自分
2016年4月 農業研修を受ける(2年目)
2017年4月 畑で作物を栽培。
X年後に向けての
はじめの一歩
農作物栽培技術研修を受ける
良かったこと:漠然と考えていたものを形にすることで、より具体的にイメージできた。
具体的になることで、自分に足りないものをつきつけられた。
制作してみた感想
難しいと感じたこと:若い頃から将来のことを真剣に考えたことがなかった。なんとなく興
味のある方へむかってきた。福祉、調理、これから学ぶ農業と自分の中でうまく消化し、橋渡
しになることを意識したい。
77
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
すずき たかし
氏名
鈴木 隆史
自己プロフィール
豊田市高橋地区出身
バツ1 別居の娘2人(高校生・大学生)有り。
市内で一人暮らし。 トヨタ勤務。
東北のボランティアに数回通ううち、現地の人の深い郷土愛に感銘。
地元で何か活動できないか?と思っているなか、昨年のくるま座ミーティングで、渋澤先生に声をかけていただき、豊
森参加。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
豊田市に来てくれる人たち・これからの子供たちに、良い街だと思って もらえるような地元であってほしい。
その為に、
・より多くの人に、豊田市に愛着を持ってもらえるような活動をしたい。
・中山間地を知りたい。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
旭には、良いものが沢山あり、I/Uターン者による盛り上がりあり。
また、それを支援する取り組みもある。
行き過ぎた経済活動に疑問を感じているのは自分だけではないことを理解。
これからの社会づくりで一番大切にしたいものは、吉里吉里の復興計画のような「心」や「絆」なのだろう。
奥深い人たちの興味深い話に脱帽。 かなり消化不良
78
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
鈴木 隆史(すずき たかし)
タイトル
笑顔のために。期待を超えずに。
●豊田市の魅力を多くの人と分かち合えるよう活動。
・中山間地での農作物に、手を加え、心をかけ、都市部の人に届け
X年後の自分
その見返りを、中山間地に還元。
●書の伝承役
・書を通して、
「文字」や「言葉」に親しむ場を提供
●旭にて、作物の栽培実施。
・寒暖差を使って、美味しいものができるか?トライ。
X年後に向けての
はじめの一歩
自然薯、そば、むぎ、トマト・・・etc
●調理して提供する機会を作り、何を人に提供できるか?検討継続。
●その他、中山間地で手伝えることを探し、更に現地の理解を深める。
今まで、自分のX年後をイメージするようなことは、あまりしていなかったんだということを、
改めて理解しました。
「夢」を持っていなかったんだと。
あるいは、何かうっすらした「夢」らしきものがあったとしても、
「どうせ実現できないだろう
こと」と、自分で決めつけて目をそむけてたのかもしれません。
こうして、自分のX年後を少しでも考えて絵にしてみる。尚且つ、仲間とそれぞれのX年後を
制作してみた感想
共有することで、自分の心がムクッと動き出したような、そんな気持ちにかられていました。
またこうして、
「夢」らしきものを話し合ったところから始まる人間関係に、胸が膨らむ思い
です。
また、講義の内容を振り返る中で改めて、澁澤先生・駒宮先生の奥深い見識に驚かされる
と同時に、多くをまだまだ自分の腹には落とせておらず、引き続き今回の内容を咀嚼しなが
ら、自分のブラッシュアップも必要だと思っています。
本当に、ありがとうございました。間違いなく生き方が変わった気がします。
79
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
せきはら やすなり
氏名
関原 康成
自己プロフィール
名古屋市生まれ、49歳。妻と子供一人(9歳)名古屋市昭和区在住。
高校まで名古屋で過ごし、大学は自分のやりたいことを学ぶために一旦入学していた名古屋の
私大を退学し、中国地方の国立大学に入学。
大学では、土木計画学やシステム工学を学ぶ傍ら、中国山地の集落に入って過疎や地域活性化について学ぶ。東京の
ゼネコンに就職し、建設ITの研究者に。その後、地域づくりの仕事がやりたくて名古屋の建設コンサルタントに転職。
2年前に田舎で暮らすためには、まずは自分が自立して稼げるようになければならないと思い、情報系のコンサルタン
トとして独立、現在に至る。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
小さいころから、目に見えない世界や精神世界に興味があり、西洋占星術、ユング心理学、ヒーリング等について独
学で学ぶ。結婚を機に神社仏閣に興味を持ち、全国の神社を巡るうちに、地元の神社(氏神様)に氏子がいなくな
り存続が難しくなっている現状を知り、氏子総代を引き受けお手伝いすることに。神社や地域に無関心な住民を目
の当たりにし、日本人的な価値感を復活させなければ日本の未来はないと思った。
以下のようなことに以前から、疑問・興味を持っており、豊森に入れば、何か答えが見つかるのでは、やりたいこと
がもっと明確になるのではと思い入塾しました。
■グローバリゼーション、金融資本主義は、このままでは、持続可能ではない、誰も幸せにはなれない。
→ 地域主義(ローカリズム)を実践、どうすればいいのか?
■人口減少社会において、本当に地域の存続が存続できるのか。
→ 消滅自治体と言っているが本当か? 地域から撤退して集約して住むのがいいのか?
■個人主義、エゴ、間違った自由が蔓延しており、昔ながらの日本的な価値観が喪失している。
→ 結い、支えあい、思いやり、自然との共生などの日本的な価値感を次世代に残さなければいけない。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
■グローバリズムと地域主義(ローカリズム)
→ どちらか一方ではなく、それぞれが共存できる。自治権を拡大することが重要
→ FEC(フード、エネルギー、ケア)の自給圏を確立すること、地域内循環型経済を実現すること。
■農村からの撤退ではなく、都市と農山村が一体となったシステム
→ 農村から撤退した場合、都市も一緒に無くなるだろう、都市と農村は運命共同体である。
→ 江戸の暮らし(都市と農村が一体となったエコシステム)に学ぶべき点は多い。
■日本人的な価値観(気品と礼節、外国人が驚嘆した江戸時代の日本人のモラル)
→ 地域には日本人が失いつつある何か(自然への畏敬の念、信仰、自立、モラル)がまだ残っている
→ これらを次世代(子供たち)に、残していかなければならない。
80
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
関原 康成(せきはら やすなり)
タイトル
和み(753)プロジェクト
~都市と農山村の共生と次世代の共育~
<3年後>
・都市と農山村をつなぐ「ローカルキャスティング・プロジェクト」が動き始め、都市の若者が
田舎で自分の居場所を見つけ生き生きと暮らしている。
・自分は、都市側の住民の受け入れ、講習会、センターの運営等を行い、週末は田舎で暮ら
す。
<5年後>
X年後の自分
・日本の伝統文化を継承する「和み(753)プロジェクト」が進み、和の食育・食農を通じた
イベントや伝統文化を使った新たなコミュニティビジネスが生まれている。
・週のうち半分は都市、半分は田舎で暮らしている。
<7年後>
・自治体がエネルギーの自治を取り戻し、FEC(フード・エネルギー・ケア)自給圏が確立し
ている。
・地域自治に係わる仕事に携わりながら、田舎で自然(じねん)な暮らしをする仲間と新たな
コミュニティで生活している。
X年後に向けての
はじめの一歩
・まずは、現在活動しているNPOを中心に、都市と農山村をつなぐ「ローカルキャスティング
センター」を立ち上げるために準備をする。
・旭で田んぼや畑を借りて、農作業を行うことにより、地域の人との関係性を築く。
・作品を制作していく中で、自分のやりたいことが明確になっていくとともに、これまで考え
てきたことを整理することが出来た。
・やりたいことは明確にはなったが、どのように実現していくのかについては、まだ明確には
なっていない、動きながら考えていくしかないと思う。
制作してみた感想
・今回得た知識や経験と仲間たちとの関係性をずっと続けていきたいと思う。その中から新
しいものが生み出されるのではないか。
・豊森のような同じ考え方を持っている人のネットワークを広げていき、一人ひとりが変わる
ことにより、社会が変わっていくのではないかと思う。
・そのためにも、豊森の発展系である「豊森アドバンス」やこれまでの卒塾生を繋ぐ「豊森
ネットワーク」を検討していただきたい。
81
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
たかやま のぶき
氏名
髙山 展紀
自己プロフィール
生年月日 昭和57年10月10日
出 身 地 三重県志摩市志摩町和具
職 業 公務員
趣 味 酒 剣道 豊森
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
都会生活で感じた人や地域とのつながりの希薄さ、食の不安、社会への不安、
「なんか世の中おかしくないか?」と
思いつつも原因や解決策はよくわからず、日々の生活をただこなしていた。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
人と人、人と地域、人と自然、つながりの中で自分は生きていることを実感
「くらし・かせぎ・つとめ」どれかに偏ることなくバランス良く
グローバル社会ではローカルが輝く
自分の命はどこにつながっているのか、生きることのリアリティ-を考える
82
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
髙山 展紀(たかやま のぶき)
タイトル
半農半公
太陽エネルギーを活用し、自然と調和した家で暮らしている
家庭内食料自給率50%
X年後の自分
仕事を通じて世の中に貢献している
地域のつとめに積極的に参加している
剣道を通じて自己の修練と次世代の育成につとめている
旭地区を拠点に都市と農村を繋ぐオモロイことをしている
X年後に向けての
はじめの一歩
自然と調和した家を建てる
農地を耕作する
旭地区に地域の拠点となる場をつくる
過去の自分を振り返り、今の自分を見つめ、未来を描く。今までの
制作してみた感想
経験がすべて一つに繋がり、すべてが必要だったことに気付いた。
すべてを糧とし、死ぬまで精一杯楽しく生きることをここに誓う。
83
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
たなか まさみ
氏名
田中 将実
自己プロフィール
1978年5月3日小さな工務店の待望の長男坊として生まれる。
当時は、職人さんも数人抱え、新築もよくやっているようだった。
やりたいことはそれじゃない感を抱きながら、素直さが災いして?親の言いなりに育つ。
実家にパラサイト、仕事のポジションは「親の手伝い」をしてると楽なので、そのままだらだらと大人に・・・。ふと気が
つくと、仕事は激減、職人さんはゼロ、手伝い始めてから新築もゼロ、と非常に芳しくない状態。親がいなくなったとき
に自分はこれをつづけられるのか?と人生を模索しはじめたのが数年前。それでもきっかけをつかめず惰性で過ごして
しまっていました。2014年、結婚を機に、親元を離れて生活、仕事は一時は親の手伝いのままだったのですが、これ
ではアカンと「一緒にやらない」宣言。中年になってはじめての反抗期は、親に迷惑掛けまくり感半端ないですが、この
ままではお互い自立できてない。
ということでこれからどうするかな、とのんきに考えている36歳・・・。社会的にかなり危うい・・・・。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
塾生になる前は、上記に書いたとおりの家業手伝いのみをだらだらとして過ごしてきた自分。だめなのはわかってる
けど自分を動かすきっかけがほしいと思っていた矢先に出会った豊森なりわい塾。生きるためのヒントを探せたら
良いなと思って入塾しました。
日本古来の生活スタイル(それに近い田舎暮らし?)が日本で暮らすにはよいのではないか?となんとなく肌で
は感じていましたが具体的な知識などは何もなかったので、ここでいろいろ学べるのではないかと期待していまし
た。田舎に暮らしたいとか移住したいとかそういった気持ちはあまり強くないのですが、勉強することによってそれ
が強くなったら移住を考え始めたりするのかな?と思ったりもしていました。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
入ってくる情報が多すぎて、毎回消化不良に陥っていた気がします。農業、林業、地域のお勤め、祈り、里山の自然に生かされていた日本人なのに、
里山を捨ててしまっている現状。経済の発展、効率化、欧米化。林業や農業の衰退の大きな原因は「お金にならない」というのが切ない。
林業の講義のあとは、山を見る目線が変わりました。きっちり整備されている山は本当に少ない。
近年よく耳にする、里山資源という言葉、もっと大切にしていけないかなと思いました。良く省エネ問題で言われている、
「限りある資源を有効に使
いましょう」という言葉は、主に石油資源に限った事なのか。有益に使える資源をほったらかしにしてしまっている現状、ぼんやりわかっていたけど、ク
リアになりました。豊森で学んだ時点で自分の行動や考えが大きく変化したわけではないですが、変化し始めています。自分が何をしたいのか、何が
できるのか、というビジョンの中に、人と人をつなげていきたい、という気持ちが芽生えはじめました。地域のお勤めについて学んだ事で、人と人との
つながり、同世代の横のつながり、コミュニティの大切さに気がつきました。町や村、地域だけではなく、とくに個人の商店などのお店や工務店など、
生活に密着した部分の職業の人たちが、今度は大手スーパーや家電屋、ホームセンターなどによって存在を消しつつあります。これは中山間地域での
農業・林業の衰退と似たような流れではないか。「儲からないからこの仕事続けられない。」という言葉をよく聞きます。大手がその事業を一括して
請け負ってしまえばいいという考えもあるかもしれませんが、小さなお店などだからこそ生まれる人と人とのつながり、信頼、交流が、これからの日本
に必要なのではないか。最近、僕と同世代の大工さんと話す機会がありました。「飛び込みの客は怖くて受け入れられない。」これ、お客さん側からも
「飛び込みの工務店は怖い」同じ事をお互いが思っているんです。そこに人と人というつながりがなくて「企業とお客」という温もりの欠けた関係があ
るだけになってしまっているので、お互いに責任感が無いというか、おもいやりが無い関係になってしまってるのかと思います。人と人を温もりや思い
やりのある輪でつなげていく事がこれからの社会では重要なのではないか。何かそういった事につながるようなアクションをこれからしていきたいと
思います。
84
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
田中 将実(たなか まさみ)
タイトル
テーマは自立
超モヤモヤしていた自分にピリオドを打つために、
「何も行動しないより、思いつきで良
いから行動してみよう」と数年前から様々な行動をしはじめた。見えてきたものは何か。自
分がどうしてモヤモヤしていたのか。その解決の糸口を見つけるために、豊森に参加しまし
た。
自分にはとても難しい内容がてんこ盛りで、少々脳みそがパンクしながらも、たくさんの
ことを学びました。現代社会すべてがモヤモヤでできているような気がしてしまうほどの
モヤモヤ授業だった気がします。その中で大切に思えたのは、現代社会では人と人のつな
X年後の自分
がりが希薄になりすぎているという点。今まで自分が生きていた中でのモヤモヤの原因に
つながるのではないかと思う。自分が何をしたいか?何ができるのか?常に自分に問いか
けながら、その答えのひとつは、
「人と人をつなぐ事をしたい」これはこれ自身がメインの
仕事になるかどうかは不明ですが、とにかくそんなことがしたいと思うようになりました。
自分がこれまで携わってきた建築関連では、地元の小さな工務店の横のつながりを作る
ような何かを構築しようと動き出しています。それと、婚活ビジネスを通していろいろでき
ないか?と策を練っています。自分のメインの仕事は、はやり工務店的な仕事なのでしょう
か、そちらも今後周りの人の話を聞いたりしつつ、自分の方向性を定めて行きたいと思いま
す。
X年後に向けての
はじめの一歩
工務店同士の横のつながりを円滑にする仕組み作りと、婚活ビジネスを今年中にある程度
の形にします。自分自身の大工仕事とのかかわり方はまだ模索中です。
とにかく今あるモヤモヤをいっぱい出して発表にしてみようと、とにかく自分の現状を紹
介する形をとりました。農的生活の話とか、豊森らしい事を入れ込みたいと思っていたので
すが、まったく違うものになってしまったため、なんだか自分の発表は豊森的じゃなかったん
制作してみた感想
じゃないか・・・。しかし、今の自分ができる目いっぱいの発表があの形だったんだろうと思
います。
田舎への移住、きっと豊かな生活ができそうだなと感じます。今の時点では飛び込む勇気
が無いのが現状です。
85
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
たむら ゆきね
氏名
田村 幸根
自己プロフィール
1983年三重県桑名市出身。現在東京在住。
妹の誕生に感動し、命に関わる仕事がしたいと看護師・保健師になる。
30代になり、焦りに似たようなものを常にもっていた自分と、これからの社会の向かう方向に
疑問を持つようになる。アフリカの地で豊森を知り、ぴんときた。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
ローカルな経済圏って?って思っていた。それって本当に可能なの?と。
豊森で様々な方からお話を伺い、結構可能なんじゃないかという気持ちに変わってきた。
以前より無理なく楽観的な自分がいる。
(あまりに楽観的になり過ぎて、危ないなぁとも思ったり)
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
心に残ったことや自分の変化
①
自然に向き合い、自然と共に生きてきた思いや知恵
先祖から引き継いだものを、未来へ引き継ぐために生きる
②
聞き書きでお話を伺う中で、人と人、時、思いを共有する経験
③
生きていくために必要な、衣食住を生み出す経済へ
86
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
田村 幸根(たむら ゆきね)
タイトル
煩わしくてありがたい ~支えること、支えられること~
X年後の自分
地域の頼れるおせっかいおばちゃん
まずは「今いる、この場所で」
誇れる場所って自分が思えるような場所に住みたい。
今いるこの場所から目指せ!おせっかいおばちゃん、おせっかいねえちゃん。
昨年は、地域の中で何かしらつながりを作ることが目標だった。町内会、青年部、婦人会へ
夫婦で入り、地域活動へ参加して1年。
夏祭、秋の町内会遠足、年末の町内餅つき、新年会にボーリング大会。
いつもその後に壮絶な飲み会。意外と楽しい。でも30代は私たち夫婦だけ・・・
X年後に向けての
土着の人、新しい人を巻き込んで、ゆるやかに提案していきたい。以下。
はじめの一歩
①2015年、目指すは「寄合い」の復活。街を歩いて声を掛け合えるやさしいつながりを作
ること。完璧なものでなく、あくまで失敗okの何かを一緒にやってみる、感じてみるというス
タンスでの集いを開いてみたい。
②地域の中でつとめ、稼ぎ、暮らしをしてきた人から「聞き書き」による地域の記録を残して
いく⇒「寄合い」へのゲスト参加にもつなげ、人と人、世代と世代のつながりを作るきっかけ
とする。
テーマは「寄合い × 生きる知恵を身につける、伝承していく」
これでいいのか自分?と思いながら豊森に通って1年。
制作してみた感想
自分のこれからを言葉にして表現することが1年前の自分にはできなかった。あやふやで疑
問ばかりがつのっていた。普段は自分の興味のあることにばかりアンテナが向いてしまう
が、豊森では生活に関わる様々な方向から知識をいただけた。
87
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
なかね ひろこ
氏名
中根 紘子
自己プロフィール
■愛知県豊田市(松平地区)に生まれる。
■小学校から高校まで、地元の自然の中でのんびり育つ。
大学進学を機に、静岡で念願の一人暮らしを経験する。
■平成15年4月、縁あって豊田市役所に入庁。現在12年目。
■若以前は嫌だった“田舎に住む”ことが、いつの間にか嫌でなくなってきた。
むしろ、緑豊かな中で文明の利器を駆使しながら便利に暮らすことってある意味贅沢?と思
う今日この頃。
“田舎の暮らし”
“昔の暮らし”に興味あり。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
■興味があったこと
地域の方々からお話を聞き、これまでこの土地でどんな生活が営まれてきたかを知る。
■疑問に思っていたこと
日本はそれなりの経済大国なのに、なぜ国民が幸せを感じにくいのか。
日本人の精神性と社会の仕組みが合っていないから?
■もやっとしていたこと
家と職場の往復の生活。このままではまずい気がする。でも、どうしたら充実させられるのか?
■期待していたこと
ワークとライフのバランス
温故と知新のバランス 自分に合った3つのバランスを探す。
お金とプライスレスのバランス
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
■理解できたこと
日本人の暮らしと自然は切っても切り離せない。無理に切り離すとどこかに限界がくる。
地域で暮らすための作法がある。地域に入る時にはその作法を身に付けてから。
■新しく発見できたこと
日本人は意外とフレキシブル。神も仏も外国人も、来る者拒まずみんな大歓迎。
■興味の湧いたこと・驚いたこと
江戸時代の社会の仕組み。武士だけでなく、庶民まで誇りと“足るを知る”心を持っていた。
モノが満ち足りている現代に生きる私たちが、もう一度“足るを知る”にはどうしたらよいか。
88
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
中根 紘子(なかね ひろこ)
タイトル
“知恵袋おばちゃん”への道
~先人の知恵を取り入れたDIYな暮らし~
2030年、紘子さん(50)の暮らし方
○働く
こんな風に
暮らします!
世の中との関わりを感じながら
地域に貢献する働き方をする。
○バランスを取る
かせぎ
X年後の自分
稼ぐことに振り回されず、自
分のペースを大切にする。
●おいしく食べる
食材から自分で作る。
食材の力を知る。
くらし
つとめ
◎先人に学ぶ
地域の知恵袋から生活
●賢く買う
の知恵を学ぶ。
「地域で買う」
「便利に買う」
◎やってみる
を使い分けて、賢く&やさしく買う。
とにかく、やってみる。
●上手に使う
時には時代に合わせた
愛情を持って使う。直して長く使う。
アレンジも。
●心地よく暮らす
◎次の世代に伝える
四季をよく知り、季節を楽しむ。
先人の知恵を魅力的なもの
季節に合った暮らし方をする。
として若者に伝える。
■“食べる”知恵を学ぶ
漬物・味噌などの名人から作り方や使い方を学ぶ。
X年後に向けての
はじめの一歩
■“使う”方法を学ぶ
モノを長く使う方法や直して使う方法を学ぶ。
知恵袋の輪を広げる!
■“心地よく暮らす”知恵を学ぶ
季節に合わせた暮らしの知恵を学び、生活に取り入れる。
これまで「X年後にどんな自分になっていたいか」を考えることはほとんどありませんでし
た。修了レポートの制作にあたり、豊森なりわい塾で学んだことや地域の方々からお聞きし
たお話を振り返りながら自分の生活を見つめ直した時間は、とても貴重で良い経験になりま
制作してみた感想
した。
X年後を思い描くことで、これまで自分が大切にしてきたこと、疎かにしてきたことを振
り返り、自らの価値観や果たしていくべき社会的役割を自覚することができたように思いま
す。
X年後までの年月をいかに過ごし、理想に近づけるかが大きな課題です。
89
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
ふるだて みつはる
氏名
古舘 明治
自己プロフィール
青森県出身。現在は愛知県豊田市在住。
スポーツ好き少年だったが、結果はいまひとつ。学生時代、3年にわたる寮生活で上下関係の基
礎をたたき込まれ、忍耐力を修得。感謝。
豊田市の会社に就職。日夜、目の前の仕事に取組み30年。
地域の少年野球チームのコーチを経験。教える側の野球に取りつかれ、10年間、週末は外で元気に野球を楽しみ、健
康を維持(~2013年)。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
サラリーマン生 活を送っています。ある程 度の収 入がある
せいか、自立しているかのように感じていました。但し、この
先どうなるだろう。誰もが 感じる一 般的な疑問を持ってい
たところに『豊森』と出会いました。
『豊森』との出会いは先輩の紹介です。今思うと、あの時、小
原村に行ったことが、とてもラッキーでした。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
【社会の変化・仕組みを理解し始めた】
・全てのものをお 金に換算し、お 金で買う稼ぎ中心の社会
システムへ急激にシフト。
・同時に、エネルギー/使 用量の変 化、食と農の変 化。いず
れもグローバル競争の真っただ中にあり、持続可能な暮ら
しが消滅しつつある。
・農村には、生きるために必要な要素が揃っているが活用さ
れない。
【自分の変化】
自立するためには、自分本位であることを改め、
・①循環型になっているか、②地域のためになっているか、③浪費してないか、を自己確認して行動する。
・はじめは、ちっちゃなことからでもOK、行動に移してまた考える。分かったつもりにならない。
・かせぎ・くらし・つとめのバランスを忘れない。豊森での出会いを活かす。
90
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
古舘 明治(ふるだて みつはる)
タイトル
地域活動、そのための『自分再発掘』
お金で人間の幸せを測ろうとした時代から脱却し、
・持続可能な暮らしを考える
・捨てられたものの価値をもう一度認識する
・五感で感じられる
X年後の自分
経済力だけじゃない!
地域社会的に溶け込んでいる納得顔の自分
■浪費しない“暮らし”を実践
■防災・減災活動から地域と繋がる“つとめ”を実践
→かつて子供が小さいころ活発だった近所付き合いをもう一度
復活させる(まず飲み会から)
X年後に向けての
■内の循環を考えた“かせぎ”と“暮らし”と“つとめ”を実践
・旭の農作業を通じて、農山村を知り人脈を整える はじめの一歩
・農作物、例えば地域の米を活用した
『米粉パン屋』構想
・森林を利用した『生活用品づくり』構想 ・近所の仲間と共に、農作業の負荷を低減できる
ものづくり構想
年とともに、時間の流れが加速度的に速まる感覚があるせいか、10年先の60才は、望む・望
まないに関係なく、あっという間にやってくるものと思っていた。また、策が明確でないと、そ
の間は、混沌としてしまうだろう。
しかし、幸運にも豊森で学び、自分でよ~くブレークダウンしてみる機会に恵まれ、これから求めら
制作してみた感想
れる社会と、その中の自分の役割を考えることができた。お蔭で、これまでの時間に対する焦
り感とは裏腹に、これから何やろうか・・・その次は・・・、また、出会った仲間と共に・・・・と落ち着い
て自分の役割や姿に近づく過程を楽しむことができた。時間がない、ではなく、楽しめる時間
がある、に変わった。
自分の中では大きな発見だ!
91
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
まえかわ しんじ
氏名
前川 真司
自己プロフィール
兵庫県宝塚市出身 1987年8月20日生 3人姉弟の末っ子
小さい頃から動植物が好きで、中学校時代に高知県へ単身山村留学。
農山村の豊かさに育てられ、全寮制の農業高校へ進学し農業を学ぶ。
高校卒業後は東京農業大学へ進学、その後アメリカロサンゼルスへ留学。
他にも、イギリス・イタリア・オランダ・ブラジル・韓国・台湾へ渡航。
帰国後、農業高校の教員を経て、現在は東近江市地域おこし協力隊へ就任。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
キッカケは、地域おこし協力隊の活動に役立つ先進事例を学びにいきたいという想いで参加させて頂きました。
私は当時、地域おこし協力隊になったとはいえ、
「移住者」としてはまだまだペーパードライバー。これからの3年間
の活動を思い描いていく中で、
「地域に生きる」ということはどういうことなのか?ということを明らかにしたく、毎
回澁澤先生を始め、駒宮先生の講義に耳を傾けていました。
興味があると共に、疑問に思っていたことは「なりわいとは何なのか?」ということでした。ただ単に「田舎暮ら
しを実践する」「田舎で農村ビジネスを立ち上げる」「移住や交流のキッカケをつくる」ということしか「地域という
フィールド」に対して考えられていなかった私でしたが、この一年間を通して「地域とは何か」「暮らしと、仕事と、稼
ぎの違い」について、まだまだホンの少しかもしれませんが、少しずつ見えた気がした一年間だったと思います。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
上記の続きになりますが、あっという間の一年間が過ぎ、豊森の最後の研修が迫ってきてこの一年間を振り返ってみ
ると、本当にたくさんの学びがあったなという感が溢れています。もちろん当初の目的であった「地域活動への学び」
という意味では、空き家バンクやおいでん・さんそんセンターという制度や組織をはじめ、地域エネルギーや木質バイ
オマスを活かした循環型社会の構築、農村フリースクールや地域医療のこれからなど、本当に学びの深い一年間にな
りました。
しかし、その学識的な学び以上に「なりわいとは何なのか?」という問いに対する、
「暮らしと、仕事と、稼ぎの先に
ある生き方」のようなものが、私の中に確かにあるというこの状態が、この一年間の一番の成長だったなと感じていま
す。想いは書き切れませんが、一年間ありがとうございました!
92
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
前川 真司(まえかわ しんじ)
タイトル
豊森的「山中八策」 奥永源寺で目指す私の「挑戦」
ひとことでいえば「奥永源寺に豊森の姉妹校をつくる」でしょうか。
いろんな意味で、私にとって学びの場所であり目指す場所となった豊森。
X年後の自分
何年後になるかわからないけど、僕は奥永源寺で豊森を創ります。
そんな想いを込めてプレゼンテーションする、私の「未来予想図」。
X年後の自分がどこまで行けているのかわからないけど、まずは一歩を。
X年後に向けての
はじめの一歩
奥永源寺で、おいでん・さんそんセンターのような農村活動母体を立ち上げます!
奥永源寺で、特産品の開発・地域エネルギーの創出、雇用と暮らしを創成します!
学生時分から、ぼんやりと思い描いていた「農村活動」を、少し形にできました!
やっと青写真が描けたところなので、難しいことはこの先すべてだと思います!
知りたいことはもう山のようにあります(助けてください!!)
(笑)
制作してみた感想
良かったことは、豊森を通して素敵な仲間に出会えたことです!
「生きる」ということに対して共に向き合った「仲間」として、
みなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします!!><*
93
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
みずの しのぶ
氏名
水野 忍
自己プロフィール
S20年生まれ(土岐市)中学・高校時代に親父の実家(農家)で農業体験「結い」
「自然との共
生」を体験し忍耐、助け合いの精神などを経験。
会社生活は富士通(SE、営業)、トヨタ自動車及び関連企業にて延べ49年間、トヨタさんと関
連した業務に関わり、高度成長期、バブル期、失われた20年などの時代を経て平成25年サラリーマン生活卒業。こ
の間「夢をかたちに とにかくやってみろ」そして「現地・現場、カイゼン、見えるか」を体験し、いつもチャレンジテー
マが有り自分なりのプロジェクトーⅩも出来たかなと思う。会社卒業後は地域の自治会活動、ぎふNPOセンターにお
世話になり、地域の課題、格差社会、貧困問題など知る。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
サラリーマン生活時代は仕事も楽しかったし家庭を省みず、地域社会の関わりも薄い会社人間だった。会社卒業後
は①子どもの成長に関る分野。②農業・林業に関る。③地域社会に恩返しをしたいと考えていた。
最近では休日は田舎巡り(恵那、中津川方面)、青々とした田園、美味い空気、青い空、星の美しさ等自然との出合
い、地 域の農 産物や食、温 泉 巡りなどを楽しむように時間の使い方も変わってきたと思う。動機・きっかけとして
は地域社会との出合い、ぎふNPOセンターとの出合いが大きい。地域で区長の役割をうけ不法投棄監視委員、祭
り、運動会、他各種イベントを通じて地域の課題(少子高齢化、農業の後継者、耕作放棄地、伝統産業の衰退など)
を現場の活動を通じて知る。またNPO活動を通じて「生活困窮者自立支援」に関わり様々な問題をかかえる相談
者へのサポート(引きこもり、長期不就労、不登校、貧困の連鎖など)行政、社協、福祉施設等に関わってきた。日本
がかかえる問題(人口減小、格差社会、地方の疲弊等)、食と農、地域経済、祭り・祈り、日本人の価値観などを旭
地区を通じて現状を知り、講師陣よりレクチャーを受け今後の生き方に参考になればと考えていた。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
旭地区を歩き、地元の高齢者から話しを聞き「食と農」
「祭り・祈り」
「なりわい」
「自然との共生」など
興味深く聞いた。それを聞き書きでまとめるという事で初めて体験、大変苦戦した。8ケ月では有ったが、自分なりに
今後の人生の有り方、目標を整理する事が出来た。
「暮らし、つとめ、かせぎ」、
「半農ー反Ⅹ」的な生き方もなるほど
と思う。自分なりにキイワードとして「感謝と感動」「健康」「地域」「夢」「出会い」を大切に5年後、10年後を想像
してみたい。富士通時代に45才研修が有り、会社生活の折り返し点として1ケ月職場を離れ、全国から集合、主に政
治、経済、会社の業績、老後の年金、趣味など幅広く行われた。会社サイドの意向であり他部門との交流、組織運営に
関するもので有った。今回のように、世代間、地元学、日本人の価値観、日本を取り巻く課題など幅広く研修出来た事
は有意義で有った。また地方(田舎)では都市に比べ地域資源に恵まれ、自然、絆の社会が有り経済的な価値観とは
異なる幸福感がある。一方経済的な要素は課題も多い(人材、資本、雇用)。持続可能な地域社会を目指して今一度見
直す必要がある。澁澤先生より紹介頂いた祭り(下栗の霜月祭り、宮崎椎葉村の焼畑農業)は是非行ってみたい。駒宮
先生の「地域経済」の項で紹介が有った「四季産業」百業のすすめは高齢化社会をむかえる中、地域で実践してみたい
テーマである。
94
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
水野 忍(みずの しのぶ)
タイトル
生涯現役 キイワードは「感動・感謝 健康 夢 地域 出会い」
ー楽しく前向きに無理をせず自然体でー
●現状
・ぎふNPOセンター 「生活困窮者自立支援法」対 行政、社協
・地域の自治会役員 27/3月にて終了。
・放課後教室で地域の子ども達のサポート
●5年後・・69~74才
【くらし】スケジュール化(季節、月、日々)
・畑(現在耕作放棄地)を再生し野菜、ハーブによる自給と健康。 またご近所の人と共用し、おしゃべりの場(パラソルカフェ)
・ウオーキング(皆で)、ジム、OB会、同年会、祭り、温泉
【かせぎ】
・年金ぷらすα
X年後の自分
・NPO的仕事(居場所作り、中間就労として農業とのマッチング)
・ハーブ⇒ハーブカフェ(健康グッズ、アロマ、付加価値化)
【つとめ】
・地域:防災・高齢者見守りネットワーク(防災士 26/12取得)
:福祉関連の資格取得(27年度)
:放課後教室サポート(継続)
:城址の会、交通安全、シニアクラブ(継続)
・家族:子供への引継ぎ(家系、お墓、土地、地域行事他) ●75才~∞(後期高齢者)
・四国88ヶ所巡り(お遍路様)
・海外出張未完ルートの達成(ロマンチック街道→ザルツブルグ→
イタリア→スペイン)
・ウイーンフィルハーモニー ニューイヤーコンサート
X年後に向けての
はじめの一歩
・畑の再生(耕運機、土壌)
・自分なりの「夢ノート」を作成
・とっても楽しかった。特に最後の発表では盛り上がった(感動、感謝)。
制作してみた感想
・自分の人生を振り返る場となり、自分なりに今後の生き方、価値観を改めて認識する事が
できた。豊森的幸福論ではないが心が豊かになれた感じ。
・この出合いを大切に新たな一歩としたい。
95
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
やまざき なおと
氏名
山崎 直人
自己プロフィール
栃木県佐野市出身、平成2年生まれ(塾生間の年齢差にはびっくり!)
田舎では祖父母を含めた6人暮らし。畑をいくつも持っており、野菜を買うことはほとんどない
半農的な暮しの中で育つ。テスト勉強という名のスポーツが好きでありどこか地元・田舎を蔑視
していた。大学は東大の経営学科に進学。ものづくり経営学を学び、トヨタ生産方式への尊敬と、日本の産業を中から
見たい、守りたいという想いからトヨタ自動車に入社。現在2年目。
キリマンジャロ登頂したり、象使いの免許取ったりと、人がやらなさそうなことをやってみたい。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
・働くこと・生きることの意義
→大学受験までは、ある物差し(点数・偏差値)の上で優位な所にいれば良いという、極めて楽な、
ある意味思考停止状態なまま過ごしていた。就活を経て、社会人になり、働く意義は感じれるものの、
何のために生きているのか時々分からなくなる。そういえば、何故生きるかなんて考えたことなかったし、
考えなくても過ごせるが、何かきっかけが欲しいと思っていた時に、豊森を発見。直感的にこれだと思った。
・社会制度への疑問
→経済学部だったのに、経済学が好きではなかった(だから経営学、それも現場で見てわかるやつにした)。
納得いかない前提ばっかりだし、後追いの解説のみで、現状がちっとも良くなる気がしないから。
返すあてもつきそうにないのに、膨れ続ける国の借金の額に、日本の政府(もしくは資本主義自体)はもう
持たないんだろうと思っていたが、だからと言って代替となるシステムも見つからず、悶々としていた。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
「コメ農業は儲からない。農家の方は、そんなこと重々承知の上で、それでもコメを作り続けている。
その意味を考えてみなさい」 (テーマ~食と農~の回での澁澤先生のお言葉)
この言葉が、豊森の一年間の中で最も印象に残っている。本でただこのフレーズを見るだけなら素通りだが、地元学
で地域を歩き、聞き書きで人生を垣間見て、祭りを体験したからこそ、腹落ちした。旭のおじいちゃんたちが想像以上
に色々と忙しいのに、
「頑張っている」感や、悲壮な「苦労」といった感じがせず、いきいきしている理由が分かった気
がした。今まで一方的に不合理だと決めつけていたことが、実は生きることに対して、非常に合理的な選択をした結果
であることを理解し、ちょっと恥ずかしくなった。
豊森に参加することで、
「稼ぎ」とほんのちょっとの「暮らし」、しかなかった今までの価値観に、
「つとめ」の軸が加
わった。また「人と人」、
「人と自然」、
「世代間」といった関係性を頭で理解するのではなく、身体性という直感をもっ
て「感じ続ける」ことの重要性が分かった気がする。今後、自分の手を動かして、
「農」を体験することで、少しでも地
域の良さを「感じ」てみたいと思った。
96
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
山崎 直人(やまざき なおと)
タイトル
「X年後の山崎直人」
~人と農との繋がりを身体で感じる暮らし~
人・世代・自然との繋がりを身体をもって感じられるよう、
「関係性」と「身体性」
をキーワードに、人を愛し、地域に貢献し、土地を耕している。
X年後の自分
「我 二十四 にして 農を志し ・・・農を通じ関係性・身体性を取り戻す
三十 にして 自ら 立つ ・・・自分の地域(自然)を定め、立つ
四十 にしても 惑い継け ・・・考え続けることはやめない
五十 にして 天命を知る」 そんな人生を送りたい。
①農業技術を身につける。
(GW前に開始)
→農業インターンシップ、伊熊の畑、農業大学などを通じて、農を実践できる
基礎を身につけ、自然の厳しさと繋がり感を学びたい。
② 古民家居酒屋「グノ―バル」
(1年以内に立ち上げ)
→地域の飲みから始まる様々な繋がり、循環が世界を救う!
〇古民家を居酒屋(バル)に改造し、田舎にある様々な繋がりの「場」となる
〇都市⇔田舎の人・地域・農・自然との繋がりの「場」となる。
<イメージ図>
<事業概念図>
X年後に向けての
はじめの一歩
昼はカフェでもいい、運営は僕じゃなくてもいい、非営利で皆のやりたいことを実現し、これ
からを考えるための場所。
皆さんから予想以上の反響があって、驚きでした。
実を言うと数日前にぽっと出てきた、思いつき以外の何物でもないものなのですが、僕の中
にある、
「酒好き」
「溜まり場好き」が豊森風に出てきた感じですね。
制作してみた感想
澁澤先生にも「とにかく始めること」とおっしゃって頂きましたので、少しずつ前に進めてい
きたいと思っています。
今回、未来のことを頭でずっと考えましたが、難しくて全然分かりませんでした。
実践の中で少しずつでも、かき分けて見つけていきたいと思います。
97
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
わたなべ かずき
氏名
渡邉 一樹
自己プロフィール
・出身は関西・・・ 大阪府
・祖父は職人
・父親は会社勤め ⇒ 保全~電気管理の仕事
・自分は理系・・・ 鉄道と模型作りが大好きな少年だった
・大学では 工学部 生産機械工学を専攻
・何となく愛知県の自動車会社に就職 一貫して生産技術を担当
・Uターンすべき「ふるさと」なし
・農業への関心なし
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
[参加の動機]
・59歳 まもなく定年退職を迎える予定
・これまで35年余り ずっと会社人間だった
・残り人生 20年くらい?
・これからの生き方の指針が欲しかった
[問題意識のあったこと]
・農山村の過疎化 ⇒ 一票の格差問題・地方公共交通の衰退
・国内産業の空洞化 ⇒ ワーキングプア・貧富の格差拡大
・鉱業は必ず衰退する ⇒ サステイナブルとは何か?
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
・60歳 定年退職を迎えてしまった!
[豊森で学んで]
・農山村の暮らしを “つぶさに”見ることができた
・農山村の良いところ(=自分たちに欠けているもの)がよく見えた
健康・長寿・安心感・・・・真の豊かさ
・講義や塾生間のコミュニケーションを通じ、新たな勉強や読書のきっかけ・手掛かりが得られた
[その結果]
・これまで何となく抱いていた「都会優位」的なイメージが、見事に崩壊
・少しは自分の頭で考えるようになったかも・・・
・考え方が、少し(豊森的に?左寄りに?)シフトしたかも・・・
これから先、自分に何ができるかはまだよく見えないけれど、探り続ける努力はして行きたく、とりあえずは、自
分にとっては未知の「半農半X」参入を目指そうと思っています。
98
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
渡邉 一樹(わたなべ かずき)
タイトル
X年後は 半農半「?」
これからの第2の人生は、やはり「半農半X」が良さそうに思います。
なぜなら、頑張れば手が届きそうな気がするし、何よりも食の安全・安心 は自分や家族の
健康・長寿に直結すると思うからです。
現在障害になっていることの第一は、
「農」に関する知識や経験・土地・農具類等々、自分
自身にベースになるものがまったく無いことです。第二の障害は未だに自分の「X」が見つか
らないことかも知れません。
これらを何とか克服して、
「半農半X」を目指したいと思います。
また同時にサステイナブルに向けて、再生可能エネルギーの導入検討も進めたいとも思っ
X年後の自分
ていますが、内容次第では既に建ててしまった自宅の大改造を要するかも知れず、悩ましい
ところです。
ともあれ、X年後の自分は「健康・いきいき老人」でありたい!
一方、日本の目指すべき姿についても、ついつい想いを巡らせてしまいます。X年後の日本
は「貧富の格差がなく皆が幸せな社会」となっていて欲しい。そのためには、強欲な資本主
義との決別が必須。ゆくゆくはコミュニティを主体とした緩やかな社会主義が望ましいので
はないか? 理想だけを唱えて手をこまねいていては百年河清を俟つに等しいので、先ずは
バーチャルなミニ独立国を作るのが良さそうだ・・・などと勝手な妄想を膨らませているとこ
ろです。
1.
先ずは家庭菜園への取組みから・・・
X年後に向けての
2.
豊田市高年大学(環境農学科)への入学
はじめの一歩
3.
自分自身の「X」探し (・・・継続)
4.
再生可能エネルギーの導入検討 (ソーラー,薪ストーブ等)
考えても堂々巡りするばかりで、なかなか重圧感のある卒塾レポートでした。正月過ぎに
ふと6月頃に配布された自己紹介冊子を手に取ってみると、そこにはたった今 堂々巡りして
いる内容とほぼ同じようなことを自分で書いていた・・・何と伸び代の無い奴だと自己嫌悪
に陥ったのも事実です。
制作してみた感想
そうだ、自分はリタイア組なんだから、若い人たちのように中身の濃い活動を目指す必要
はない。背伸びしなくても手の届きそうなことだけをやればいいじゃないか、と息を抜いた
らずいぶん楽になりました。
先ずは一歩を踏み出し、歩きながら新たな景色が見えてきたらまた考えて(PDCAを回し
て)、更に歩みを進めて行きたいと思います。
99
第四期
修了レポート
①「自分と豊森なりわい塾を振り返って」
ふりがな
わたなべ かずや
氏名
渡邊 和也
自己プロフィール
1989年生まれ。愛知県豊橋市出身。4年間の大学生活を東京にて
過ごす。陸上競技部での活動(1〜3年)と東北でのボランティア活動
(4年)に尽力。
大学卒業後、2013年にトヨタ自動車へ入社。現在2年目。
所謂『つながるサービス』テレマティクスサービス(T-Connect)の海外展開・企画を担当。
トヨタ生産方式の他分野(特に一次産業)への活用を目標に将来ビジョンを模索中。
1. 豊森に参加した動機・塾生になる前の自分を振り返って
<経緯>
良好な人間関係中でやりがいを感じる毎日を過ごすも、
『本当にやりたいこと』がイマイチ掴め切れない日々。 同期入社である山崎の紹介により存在を知った豊森なりわい塾の活動と、自らの悩みを照らし合わせて入塾を
決意。
<興味があったこと>
・幸せとは何だろう? ・過疎化地域の今後 ・トヨタ生産方式活用のヒント
<豊森への期待>
将来ビジョンを明確化。講義を通じて見識を身につけるだけでなく、考え方の整理をしたい。
2. 豊森で学んで、上記の1.の自分から変化したこと
<学んだこと>
・『聞き書き』という手法 ・幸福観(古き良き日本における幸せ) ・地域経済の不可欠要素
<豊森を通じた変化>
入塾後半年程で将来ビジョンの方向性が見えてくる。(下記2点)
①東北被災地への貢献
ボランティアを通じて出会った/知った、人・街・被災地の状況をしっかりと周囲に伝えたい。
講義で学んだ『聞き書き』をボランティア活動時にお世話になった宮城県在住の漁師・元ボランティア・NGOス
タッフの3名に実践。各観点からみたリアルな「被災地の今」に触れる。
②稼げる農業
人の本質的な幸せ要素(人・世代・自然)を資本主義社会、競争社会である現代で達成する一つの答えとして『稼
げる農業』を仮設定。中学時代の同志(現JA職員)とも意気投合し、5年後の会社設立を目指して目下勉強中。
100
②「X年後の自分を描いてみる」要約
氏名
渡邊 和也(わたなべ かずや)
タイトル
新しき良き日本づくり
①被災地の「今」を小説化(〜2年)
東日本大震災から早4年。日本国民の被災地への想いは薄れいく一方。
講義の中で学んだ「聞き書き」の実践を通じ、現地に赴いただけでは知り得ない被災地の
リアルな「今」を感じとり小説化する。被災地への貢献だけではなく、将来の被災地への
警鐘を鳴らしたい。
X年後の自分
②「儲かる農業」を通じた古き良き農ライフをサポート(5年後〜)
人、自然、世代との関係を通じた古き良き日本の幸福を得ることができる職業は(農業) 一次産業であると考える。一方で資本主義経済の中では若者に受け入れられず、農村地域
からは人が出て行くばかり。
既存の農協では実現できていない「生産者と消費者をつなげる」仕組みづくりを通じ、 「儲かる農業」を目指す。現在の競争社会の中での農業の地位向上を実現することで、都
市部と農村部の「つながる」きっかけを提供したい。
①被災地における「聞き書き」の更なる実践
被災者、ボランティア、両者をつなげるNGO職員等、様々な背景をもつ人たちへの「聞
き書き」を継続して実践し、被災地の「今」をこれまで以上に知る。
X年後に向けての
はじめの一歩
②フットワークを軽く、とにかく勉強あるのみ
農業に関してはまだまだド素人。豊森を通じて広がったネットワークを通じて知見を広
げたい。フットワークの軽さを活かし、現地現物で様々な観点から現代農業の課題を把握
したい。
豊森での活動を通じ、自らの考え方を無意識の内に整理できていたことに気付いた。
制作してみた感想
制作、発表を通じ、
「やりたいこと」は整理できたものの、今度は「どう進めるか」をより具体
的にしていく必要があるな、と感じた。特に農業分野に関してはまだまだ素人。豊森を通じ
て出会った皆さんを通じ、これからも多くのことを学んでいきたい。
101
豊森みんなへのメッセージ
6. 大野 嵩明
1年間、ありがとうございました。最初は、どんな方々がいるの
1. 石戸谷 尽生
か不安でしたが、講座を重ねるにつれて、色々な繋がりや企画が
皆さんと顔を合わせるのを毎月楽しみにしていました。自己紹
生まれ、学びながらも楽しい時間を過ごすことができました。
介冊子で普段見せない内なる部分をさらけ出し結構恥ずかしかっ
皆さん、色々な趣味・思考を持っていることを報告会の時に改
たのですが、皆さんのもなかなかだったので早く打ち解けたのか
めて知ることができ、今後も繋がっていきたいと思っています。宜しくお願いし
もしれません。私もついに50歳。これからは「おまけの人生」を
ます。
歩みます。お手伝いできることがあれば遠慮なく連絡をください。優先で駆け付
けます。(何せ、毎日お腹を空かせた状態で晩御飯を食べたいんです。脳ミソも
7. 片山 徹
皆さん、一年間ありがとうございました。僕は興味の向く範囲
必要であれば提供します)。
が 狭いので、まったく違う分 野の方といろいろお話ができて良
2. 稲村 晃一
かったです。板取の家での恋バナも良い思い出です。
豊森スタッフ・塾生の皆様、約1年間の中で2日/月の短い時間
でしたが、楽しく大変密度の濃い時間を過ごさせていただき、あ
今後の活動は皆さんと大分違うのですが、何かの機会にご一緒
できるとうれしいです。
りがとうございました!同じ方向性を持ちながら、様々な世代・業
種・個性豊かなメンバーが一堂に集まって議論が出来るなんて、
8. 加藤 亮太
会社生活の中では絶対にあり得ない貴重な経験でした。今回のご縁を大切にし
1年間、様々な機会を得て、皆さんの話をお聞きしてもっとお話
ながら、今後も豊森/個々人の活動において、お互いの関係性を持続成長させて
を伺えればよかったと思います。何を聞けばよいのか、意義ある
いきたいですね。
ことを聞かなければ!と思いながらも、言葉が出ず、いつも萎縮し
てしまっていました。単純に面白いことをともに笑って、言葉だけ
3. 井上 武
でなく、気持ちや一緒にみた風景、感じたことをすごいな、自分はこう感じたよ
・一年間、仲よくしてくださり、ありがとうございます。改めて、今
と話せれば十分だったのですね。
後とも、よろしくお願いします。
皆さんが輝いて見えます。自分は若く、何もわからないことばかりですが、皆
・時間が 経つにしたがい「豊 森なりわい塾 」の 皆 様と深まって
さんと同じ年齢になった時に何を残せるのかこれからも考え続けて行きたいで
行ったのと同時に、家庭的な雰囲気の中で学ぶことができまし
す。
た。いろいろなことを教えてくれる澁澤さん・駒宮さんは「お父さん」。お世話
をしてくれる中川さんは「お母さん」。助けてくれるスタッフのみなさんは「兄
9. 川崎 愛美
姉」・・・・そんな温かい、「豊森なりわい塾 」という家族に受け入れられて
Thank you for sharing great time~^^この、ご縁に感謝
育った私は、とても幸せです。
いたします。まとめの発表で、漸くみんなの胸のうちがわかって、
心解けて近づいて、盛り上がってきた感じで、なんだか物事の終
・今年より来年、来年より再来年・・と、X年後に向けて、少しづつ充実させた日
わりの前の、emotional time(感傷的な時間。夕焼けタイム。)
常を暮らして行きたいと思いますが、人生、山あり谷ありと言うように何事も
最初から旨くゆくとは考えず、時には立ち止まり、振り返った時に、皆様と過
を感じています。
ごした「豊森なりわい塾」の一年間が拠り所になるんだと思います。
4期が「豊森ファミリー」になったのを、嬉しく思います。1年間、楽しい時間を
・私の好きな「人は出会いにより育てられ、別れにより深められる」という言葉
の通りになった一年間でした。
4. 岩崎 登
ありがとうございました!みんな、大好きだよー!一緒に頑張ろうねー!今後と
も、宜しくお願いいたします☆love!
10. 榊原 礼美
それぞれがひょんなきっかけで、何かに導かれるように募集を
1年間ありがとうございました!やはり、あっという間でした。
見つけ、応募し、こうして集まってきたことに、何らかの運命を感
人見知りなところは解消できず…。
じてしまうと宗教みたいですね(笑)
それぞれの場所で自分の足で立っている皆さんを見習って、自
実家の畑も田んぼもやらないと決め(たわけではなかったけ
れど手伝わなかった挙句結局無くなってしまった)、都会に出たくて東京に出て
分も社会や、地域、周りの人に、何かしら役に立てる人になりま
す。これからもよろしくお願いします。
しまった口なので、皆さんのような農業へのあこがれもなければ、田舎暮らしへ
のあこがれもなく、ただ寮と会社の往復だけの毎日に少しのスパイスを求めてい
11. 鈴木 隆史
た自分には、皆さんの情熱との温度差が激しすぎて、盛り上がるディスカッショ
皆さん、分け隔てなく優しく接していただき本当に感謝してい
ンもできず申し訳なかったと思います。
ます。一年間ありがとうございました。
三期以上にフィールドワークの機会がなく、一緒に作業する機会も多くありま
個 性 的なみなさんに、とても刺 激を受けたし、宇宙やスピリ
チャル・アートにロケット..etcその多彩さに最後まで圧倒されっ
せんでしたが、豊田市にいる間は皆さんのプロジェクトに参加したいと思います
ので、田畑などなどいろいろ誘っていただければと思います。
ぱなしでした。素晴らしい、メンバーと一緒に学び、交流する機会をもてたこと、
本当にうれしく思うし、一緒に卒塾できることをとても誇らしく思ってます。
5. 大西 靖浩
自分自身の未来を創造して仕事、生活、なりわいについて深く
「もう終わり?」って感じですね。是非、これからも仲間として受け入れていた
だき、末永く一緒に活動させてもらえたら嬉しいと思っています。
考える三つをお願いする。
一つは企業の中でしか通用しない技能では満足せずに、高度な
12. 関原 康成
・豊森のメンバーへ
専門技術を磨き、ほかの多くの人たちから自分を差別化するため
に「自分ブランド」を築いてほしい。
1年間、どうもありがとうございました。色々な話が気楽に出来
二つ目は、難しい課題を取り組むために、頼りになる少人数の盟友グループと
てとても楽しかったです。一人ひとりが深いバックグランドを持っ
て、この豊森に参加していることに感動しました。
イノベーションの源泉となるバラエティに富んだ大勢の知り合いのネットワー
ク、そしてストレスを和らげるための打算のない親友の三種類の人的ネットワー
クを育んでもらいたい。
三つめは、大量消費主義を脱却して家庭や趣味、社会貢献などの面で充実し
今後ともみんなで繋がって、新しい社会の流れを創っていきたいですね。是
非、一緒に新しいプロジェクトをやりましょう!
・豊森スタッフの皆さまへ
た創造的経験を選択する生き方に転換して欲しい。
(ワーク・シフトから)
1年間、どうもありがとうございました。貴重な体験や学習をさせていただ
会社で一番大切な機能は、人事権と利益の分配です。個人でも同じように、
き、ありがとうございました。自分の今まで考えてきたことが間違いではな
セルフビルドとお金の使い方だと思います。
かったんだと、確信が持てました。是非、「豊森アドバンス」の検討をお願いし
是非、自分で思考し行動してください。
ます。
102
13. 髙山 展紀
18. 前川 真司
1年間お疲れ様でした。5月に皆さんに初めてお逢いした時は、
一年間という限られた時間のなかでしたが、みなさんと濃厚な
キャラの濃さに驚きましたが、今でもやっぱ濃いいな~と思いま
時間を過ごせたことを幸せに思っています!
す。豊森に参加するまでは、「こんなこと話したら周りに引かれる
まだまだ未熟者の私ですが、豊森で学んだ一人として、日本の
やろな~」と心に留めていた事が、ここではすんなり受け入れら
農村の未来にたいして、真正面から向き合っていけるようガンバ
れ、自分の中でモヤモヤしていたものがだいぶ晴れました。年代や職種を越え
りたいと思います!
て、ひとりの人間として、「生きる」ということを考えた充実の1年間でした。ま
四期メンバーのこれからのご活躍と発展を夢見ています!一年間ありがとうご
だまだ皆さんから学びたいことがたくさんありますので、これからも楽しい時間
ざいました!
を共有できれば幸せです。この御縁を大切に。ひとまず、1年間ありがとうござ
19. 水野 忍
いました!!!
・23人の顔を全部覚えています(忘れられない人たち)。とにか
14. 田中 将実
く楽しかった。クライマックスは「Ⅹ年後の自分」の発表でした。
昨年一年間ありがとうございました。みなさんエリートな方々
感動しました。またコメントに感謝しております(みんなよくみて
が多い中、一番モヤモヤ状態なのは自分だな、と常々感じながら
いるな・・)
参加していました。みなさんすごい方ばかりなので、気おくれした
・会社なんかでは味わえない価値観の共有、仲間、新しい発見でした。職業も
感があって、まともに相手にしてもらってないかもしれない、など
異なり、住んでいる地域も異なり、それぞれのミッションも異なる中、世代間
と一人で不安になりながらの参加でした。日下部班の仲間の方々とも楽しく過ご
の交流、日本人のもっている素晴らしさ、豊森的幸福論を感ずる事ができまし
せましたし、後半にはほかの班のいろいろな方々ともお話できて、有意義な時間
を過ごせたと思います。本当にありがとうございました。そしてこれからもいろ
いろつながっていけたらいいなと思います、よろしくお願いします。
た。
・講師の澁澤先生、駒宮先生はじめ事務局の皆様には大変感謝しております。
いろいろな知識、考え方、価値観、日本人として大切にすべき事など、どれも
新鮮でした。またひとつ良い出合いに巡り会う事ができました。
15. 田村 幸根
みなさんに出会ったのが昨年の6月。青々した山々に囲まれた
・これをスタートに豊森人との交流が増やせればと思います。地域の役員も終
わりますので、今後のイベントには積極参加します。
土地にずんずん入っていく車の中で、新しい出会いにドキドキし
ていたあの日が懐かしいです。あれから1年が経ちました。髪の毛
20. 山崎 直人
1年間、本当にありがとうございました。
も伸びました。いろんなことがあった1年間でしたが、結婚という
事実よりも皆さんとの出会いのほうが間違いなく!「2014年度衝撃ベスト1」!
年齢・生い立ち・価値観などなど、本当に多様な方が集まって
です。
いて、一番の若輩者として非常に勉強になりました。またスタッフ
陣も、一人一人濃い人ばかりで、講座に行くたびにエネルギーをも
旭の皆さんと、そして豊森ネットワークがさらに広がっていくことを羨ましく、
そしてよだれを垂らしながらメールなどで追う日々が待っているかと思うと胸が
らっていました。
締め付けられる思いですが・・私もみなさんに再会できる日、コラボできる日を
よく、「若いのにえらいね」と言われていましたが、何か少しでも活動して、自
楽しみにしています。でも、もしかしたら、かなり出没率が良いかもしれません♪
分なりの答えを見いだせないと、生きるのが苦しい時があるからであり、ちっと
会いたい人や行きたい場所がたくさんあるかもしれませんが、気が向いたら連
もえらくはありません。そんな僕の学びの場には、最適なメンバーでした。
絡くださいね♪澁澤先生もお誘いして飲みましょうin Tokyo.
これからも色々な活動で、一緒に価値を作りだし、一緒にこれからを考えてい
末永く、家族のようなお付き合いをどうぞよろしくお願いします。来年も、X年
ければと思います。定期的にお酒を酌み交わしましょう!!
後も。
21. 渡邉 一樹
16. 中根 紘子
もう「蛍の光♪~」の季節を迎えるとは・・・、過ぎゆく時間の
5月の入塾式では、年齢もバックグラウンドもいろいろな第四
速さに言葉を失ってしまいそうです。
期生のみなさんと出会い、どんな一年になるのか大きな期待と小
豊森の先生方、事務局の皆様、たいへんお世話になりました。
さな不安を覚えたのをなつかしく思い出しています。
修了レポートの中でも触れましたように、この一年の間にこれま
講座で学んだことだけでなく、塾生のみなさんとの交流を通し
で知らなかったことを知り、意識しなかったことを意識するようになって、自分
て学んだことは、私の今後の暮らしにとって大切な財産になりました。特濃の個
の価値観とか考え方がずいぶん変わったように思います。ありがとうございまし
性を持ったみなさんには圧倒されることばかりでしたが、思いもしなかったよう
た。あとはどこまで行動が伴うか・・・ですね。塾生の皆様にも、別の意味でたい
な考え方や活動の種が飛び出てくる豊森は、いつの間にか毎月の楽しみになっ
へんお世話になりました。こんな妙に人見知りな親爺にも拘わらず、仲間として
ていました。第四期の講座はこれで一区切りとなりますが、これからみなさんと
溶け込ませて戴くことができました。今後も同窓生としてのお付き合い、宜しく
一緒に豊森的な活動を始めていけたらうれしいです。
お願い致します。
一年間本当にありがとうございました。
「贈る言葉♪~」ではありませんが、特に若い人たちに一言。豊森的な考え方
に若いうちに出会った事は、これからの人生を送る上でとても素敵な財産なので
17. 古舘 明治
はないかと思います。多少、前のめりになり過ぎて転ぶことがあったとしても、
皆さん、約一年間、お世話になりました。先輩からの紹介で何
反省してまた何度でもやり直せばよい訳で、今後のご活躍を大いに期待しており
気に入塾した私が、月1度、スタッフの皆さんや4期生の方々から
ます。
新しい発見とパワーをもらえることが楽しみで、一度も欠席する
ことなく続けることができました。ありがとうございました。
22. 渡邊 和也
一方、他では得ることができないハイレベルな中身、なるほどな~や、まだまだ
人の夢を決して笑うことなく、真 剣に意 見をくださる皆さん
不思議と思うことなど、本音を言うと、ついていくのに必死でしたが、特に期間の
に心から感謝!これからも皆さんとの関わりを通じ、多くのこと
後半は、皆さんのキャラが、いい意味で暴き暴かれ、一体感のある中で学習でき
を学ばせて頂きたいです。またコラボ企画もできるよう、企画を
ましたので、頭が硬直せずにすみました。やれやれ、楽しかったです。
また、スタッフの皆さんの講座に対する工夫はピカイチ。年々進化している講
練っていきたい所存。
豊森4期生のX年後がすべて実現されますように!!
座とともに、塾生との距離感も素晴らしかったので、最後の修了レポート発表会
は、塾生全員にとって忘れることはないアットホームな発表会になったと思いま
す。ありがとうございました。皆さんに出会えてラッキーでした。
卒塾を迎えはしますが、今後も皆さんとの繋がりを維持していきたいと思いま
すのでこれからもよろしくお願いします。
さあ、X年後に向けて、いよいよスタートです。
103
地域の方へのメッセージ
7. 片山 徹
旭地区の皆様、お時間を割いてお話をしていただきありがとう
1. 石戸谷 尽生
ございました。
我々エイリアンを迎えていただきありがとうございました。場
今後の活動の関係で旭地区との接点は少なくなると思います
所を提供していただいたり、いろいろ教えていただいたりで申し
訳ない気持ちです。講座以外の日も自転車で通ったり、講座の日
が、ここで学んだことを自分の故郷の町おこしに活かしたいと思
います。
は朝、旭をランニングしたりしましたが、挨拶していただける間柄
になれればよかったなと思っています。ぶしつけな質問にも相当答えていただき
8. 加藤 亮太
ました。もっともっと本音の話がしたかったです。今後も結構、近くに顔を出す
旭地区、特に日下部の方々には、集落を歩きそのお話を伺った
と思います。よろしくお願いします。
り、食に関するインタビューをさせていただいたりとお世話にな
りました。もっと地域に入って、いつもしていることのお手伝いな
2. 稲村 晃一
どもしたかったのです。畑作業を自分の仕事先でするようになっ
旭地区の皆様、我々の様な見ず知らずのよそ者を温かく迎え入
て、もっと美味しい野菜を作る技術を学べればいいなと思います。
れていただき、また貴重なお時間を割いていただきながら、様々
過疎化に少し不安を感じて見えるなかでも、こんなことがやってみたいんだ、
なことを教えてくださり、本当にありがとうございました。大変感
いつかはこうするんだと未来の話をしていらっしゃる所がとても印象的でした。
謝いたします。この1年間で、農山村の人たちの暮らしに接し、社
いつでも、やってみたいことをあきらめず、目標を持ち続けることは大切だと思
会との関係性、自治の在り方など学ぶことが出来ました。しかしながら、まだ入
いました。
り口で、今後も教えていただきたいことがたくさんあると思っています。今回の
ご縁をきっかけに、今後も機会があれば何度でもお邪魔したいと思います。人手
不足の際は、是非お手伝いをさせていただきたく、よろしくお願いいたします。
9. 川崎 愛美
毎回、ご高齢の方と、深くお話をできたことが、とても有難いで
す。おそらく、豊森で、旭で、ご縁をいただけなければ、こんな機
3. 井上 武
会は一生なかったと思います。
・旭地区の皆様、一年間、ありがとうございます。
旭の方言が好きです。聞き書きやまつりの話で、自分の中に旭
旭の 皆 様 が地 域(地 元)をとても大 切に思いながら、誇りを
の言葉を取り込めたことで、人生が豊かになった想いです。
持って暮らしていることが、とても勉強になりました。
本当に、いつも、温かい心を、ありがとうございます。皆様、幸せな毎日を祈っ
・卒塾しても、懐かしくなって、旭でお世話になった方々や場所を
ています。愛を込めて。
訪ねて行くと思いますが、「あの時の、豊森の兄ちゃん」・・と、思い出してい
ただけたら幸いです。
・「豊森なりわい塾」に協力していただいた皆様が、いつまでも明るく健やかに
過ごされることを祈念いたします。
10. 榊原 礼美
1年間ありがとうございました。ただ訪れただけではわからな
い、貴重な経験をさせていただきました。聞き書きが印象的でし
た。豊森をとおしてできたご縁ですが、続けていきたいと思いま
4. 岩崎 登
す。
1年間という短い期間ではありましたが、ムラの外から通って
くる我々を歓迎して下さり、また色々と教えて下さり、大変有難
11. 鈴木 隆史
うございました。
優しく迎えていただき、色々協力もしていただき、本当にあり
豊田市街から長野県へ抜ける際153号線を通るわけですが、
がとうございました。今までは、素通りするしかできなかった地
足助から稲武へ走ってしまうと知ることができなかった世界に、この機会に出会
域を、一歩身近に感じることができました。本来もっとお手伝い
うことが出来ました。まだ、通りがかりにふらりと遊びに来るような場所はあり
する機会を持てると嬉しかったのですが、なかなか機会を持てな
ませんが、今後引き続きの活動に参加する中で、また仲良くしていただければ幸
かったことを残念に思っています。
いです。
自分の活動をどう広げるにしても、まずはしっかりと旭のことを学ばせてもら
うことが重要ですが、まだまだほんのさわりを紹介していただいた程度。なの
5. 大西 靖浩
で、今後ももっともっとお邪魔させてほしいと思っているところです。
つくばの環境は、これから加速度がついて変化していきます。
何でも構わないので迷惑にならない範囲で何か手伝わせてもらえると嬉しい
この地に住む私たちは、100年後1000年後のつくばを想像し
です。何でもまずは、手を動かして汗をかくことから始めないと、しっかり学べ
て「未来のつなぎ役」を演じなければなりません。僕らが生きて
ないと思っています。是非とも、引き続き宜しくお願いします。
いるときに答えは出ません。皆さんは、先人たちの苦労と努力を
知っており、よかった時代を生き、現在の問題を理解している貴重な人たちで
す。アインシュタインは言いました。問題を解決しようとするときと同じ「心の
12. 関原 康成
1年間、どうもありがとうございました。昔のことや地域のこと
枠組み」では解決できないと。つくば地区の原点に立ち返り、その時の多様性
を本当に親身になって教えていただき、ありがとうございました。
ある人・自然環境に立ち返り、新たな「心の枠組み」ができた時、きっと100年・
旭には、日本人が見失っている多くのものがまだ残っていると
1000年後は素晴らしいつくば地区になっているでしょう。
思いますので、是非とも大切にしていただき、もっと我々に教えて
僕は、皆さんが選択する「新しい未来」を信じています。塾生として、お世話
下さい。是非、これからも農作業など様々な形で関係を続けさせていただきた
になりました。住民として、これからも、よろしくお願いします。
いと思いますので、よろしくお願いします。
お困りのことがあれば、遠慮なさらずにどんどん言ってきてください。都市と
6. 大野 嵩明
1年間、地域で学ばせていただき、ありがとうございました。旭
地区は、静かで景観も良く、行くたびに景色に癒されていました。
地域学、聞き書き、林業、エネルギーなど、たくさんのお話を聞か
せていただき、知らないことばかりで、たくさんのことを学ぶ機会
になりました。
また、一緒に名古屋で開催する企画を考えていただいた若手メンバーの皆さ
ん、楽しい時間をありがとうございました。引き続き宜しくお願いします。
104
農山村は運命共同体ですから。
13. 髙山 展紀
18. 前川 真司
入塾式で初めて築羽を訪れました。快晴の青空と山の緑のコン
開講式の時からあっというまの一年で、自分の活動地域の折り
トラストがとても美しく、素晴らしいところだなと感じたのを思
合いもあり、すべての地域活動に参加できた訳ではなかったです
い出します。地域を案内していただいた際に、「儲からんけど先
が、たくさんのことを学ばせて頂き本当にありがとうございまし
祖から受継いだ土地を守るために農作物を作るだ」という言葉が
た!
印象的で、何代にも渡って人が少しずつ手を加えてきたことで、自然がより美し
日本の農村地域で、自分達の地域としっかりと向き合っているみなさんの姿
く保たれていることを知りました。いなかには何もないという話を聞きますが、
と想いに触れ、私のこれからの活動への励みにもなりました!
いなかには生きるためのすべてがあると感じました。すべてがあるために、何も
私はこれから滋賀県の地域の活性化を目指していきますが、旭のみなさんに
ないように見えるのかもしれません。自然の中で足るを知る生活が人間本来の
もいつか声や姿が届くように邁進していきたいと思います!
生き方だと学びました。得体の知れないよそ者を温かく受け入れてくださり、親
またこれからも学びに行きたいとおもいます!
切にしていただいたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございまし
ありがとうございました!
た。これからも皆さんからたくさんのことを学んでいきたいので、今後ともよろ
しくお願いします。
19. 水野 忍
・フィールドワーク、聞き書き、地域のイベントに参加させて頂き
14. 田中 将実
豊森での勉強でお世話になり、ありがとうございました。しか
しながら、しっかり顔と名前が一致するぐらいお話できた方が少
なかったのが後 悔です。豊 森メンバーはみんなすごい人ばかり
で気おくれしてしまってた部分もありました・・。また機会を作れ
たら、お邪魔しますのでその時はよろしくお願いします。ありがとうございまし
た。
大変感謝しております。鈴木さん、原田さん、横山さんの話しを
聞き、昭和から今日に至る迄のなりわい、大切にしてきた事、自然
と共にある生き方など多くを教えて頂きました。
・入塾式での青い空、緑の山々、軒先の花の美しさの光景は何時までも忘れま
せん。そして旭の人たち、温もりは今でも伝わってきます。
・戸田さん、木浦さん、松嶋さん、中垣さん、大江さん(恵那)たち若者の思い
も新鮮でした。田舎の魅力、暮らし、かせぎ、つとめ、そして課題など。
・田舎巡り、温泉・食は好きなのでよく行くが、ただ通り過ぎるだけでは分から
15. 田村 幸根
旭に住むみなさま、月に1度ではありましたが、旭という場所を
知ることが出来、とてもうれしく思っています。毎回のように「お
かえり~!」と声をかけてくれそうな原風景に、いつも気持ちが洗
われる思いでした。
残念ながら、この1年間旭のみなさんと直接話す時間はあまり多くはありませ
ないが、豊森のように集落の人との会話、イベントに参加する事で多くを知る
事が出来た。恐らく今までだったら、いい景色だな・・で終わっていたと思うが
今回は少しは知る事が出来た。
・これがスタートだと思うし、何らかの形で恩返ししていきたい。それは、旭の
人を忘れない、また行く事だと思う。
本当に有りがとう御座いました。
んでした。町から毎月車に乗ってやってくる人たち・・くらいの印象だったかもし
れません。もしかしたら、なんでこんなところにわざわざ来るのか?と思う方も
20. 山崎 直人
地域の中にはいらっしゃるのかもしれません。でも、わざわざ来るくらいたくさ
地元学での地域歩き、聞き書き、お祭りへの参加など、色々な
んの魅力ある場所に、みなさんが住んでいるからこそ私たちはやってきます。
事を教えて頂き本当にありがとうございました。おかげさまで、
これからも、末永いお付き合いをさせていただけるとうれしいです。どうぞよ
生き方を考え直すきっかけになりましたし、田・畑・森を見るとき
ろしくお願いします。
の視点も変わりました。
まだまだヨソ者ですが、これから、名前を覚えてもらえるくらいに、繋がれた
16. 中根 紘子
らいいなと思っていますので、これからもよろしくお願い致します!!
「地域を歩く」で地域を丁寧に見せてくださったこと、「聞き書
き」で人生を語ってくださったこと、お祭りに飛び入り参加させて
21. 渡邉 一樹
くださったこと、この一年の講座を振り返ると、温かい気持ちさ
旭地区の皆様、特に日下部ではフィールドワークや聞き書きな
せてくれることばかりでした。これもひとえに、地域のみなさんが
どでたいへんお世話になりました。このような活動を通して日下
豊森の活動を理解し協力してくださったおかげだと思います。
部地区をつぶさに知り、これまで何の根拠もなく持っていた中山
高齢化や過疎の問題を抱えながらも、築羽のみなさんは驚くほどアイデア豊
間地に対するマイナスイメージ(偏見?)がガラガラと崩壊。大げ
富で活動的にまちづくりに向き合っておられ、その姿に頼もしさと感動を覚えま
さに言えば、自分の価値観が180°反転したような気がしています。空も緑も水
した。また、講座の日の朝にとれたイノシシ肉を届けてくださるなど、普段の生
も空気も、こんなに素晴らしいところなのに、なぜ過疎に悩まなきゃならないの
活では想像もできないような貴重な体験をさせていただきました。
か理解に苦しむくらいです。
第四期の講座はこれで一区切りとなりますが、これからも築羽の地域とつな
私自身は、「農」・・・といっても家庭菜園程度ですが、これから少しずつ取り
がりを持たせていただけたらうれしいです。
組んで行こうと思っております。せっかくご縁ができたので、これからも「農」に
一年間本当にありがとうございました。
関していろいろ教えて戴きたく、また逆にお手伝いできることがあればさせてく
ださい。定年退職後のプータロー生活ゆえ、体力はそれほどありませんが時間
17. 古舘 明治
よそ者である我々を温かく受け入れていただきありがとうご
はたっぷりあります。
(笑)
どうもありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願い致します。
ざいました。地域に入らせていただき、すぐに感じたことは、これ
まで私が思い 描いていた農山村のイメージとは異なり、元 気で
明るく、生きていくための力強さでした。
22. 渡邊 和也
伊熊におけるフィールドワークや旭の皆さまとの会話を通じ、
また、地 域の食と農と仕事の変 化、歴 史やお祭り、農山村の役割について地
今の私たちが忘れてしまっている価値観を感じ取ることができま
域の方々の生の声を聞かせていただいたお蔭で、本からは読み取ることができ
した。この1年間の活動、気付きは人生における大変貴重な財産
ない現実を吸収できました。とは言っても一年間の体験でしかありません。
卒塾 後も、農作業を通じて勉強させていただこうと思っております。引き続
となると思います。
本当にありがとうございました。これからも宜しくお願いいたします!
きよろしくお願いします。
105
講座外の活動
豊森の講座以外にも、旭を中心に塾生・スタッフがいろいろなイベントに参加しました。
■伊熊神社の清掃 2014/08/03(日)
神社総会を1週間後に控えて、地元のみなさんが総出で伊熊神
社のお掃除をされるということで、町内会長さんからお手伝いの
呼びかけがあり、事務局スタッフ5名、塾生6名の計11名で参加
しました。山の上にある神社までの山道で、落ち葉を熊手で掃き
だしたり、鍬で溝を掘ったりするというお手伝いです。この場所
は、愛知県環境保全地域8ヶ所のうちの1つにあたり、モミ・カシ
の針広混交の天然林が保たれ、この地域の潜在植生を知る貴重
なものとなっており、地域住民による保全が行われています。
悪天候だったため、実際に清掃に参加したのは約一時間程だっ
たにも関わらず、伊熊の若妻会の皆さんが地元食材を使った昼食
を用意して下さり、最後には地元の方との交歓会を設けてくださ
いました。
■押井の夏祭り 2014/08/16(土)
「第九回押井天王祭&サマーフェスタ」に参加しました。このお祭りは集落の人た
ちによって作り上げられ、手作りで情緒ある催しです。外に出ている地元出身の人た
ちが夏休みに帰って来る、またふるさとに戻ってきてほしいという願いが込められて
います。
豊森では、第二期のフィールドとして押井集落にお世話になったのをきっかけに、
毎年この催し(メッセージ花火)に協賛しています。花火は好評で、協賛する数も増
えて、今年は、打ち上げ花火の数がこれまでの最高になったそうです。
今回は、二期生、三期生、四期生がそれぞれに家族や友人を連れて参加。バーベ
キューを囲みながら、期を越えた交流もできました。
106
■惣田町 収穫祭&例大祭 2014/10/04(土)
お世話になっている惣田町で、収穫祭と津嶋神社の例大祭が行われました。
毎年この時期に行われている例大祭に合わせて、収穫祭は、惣田地区の方が豊森と
の交流の場として今年初めて催して頂き、三期生8人とご家族・友人、四期生5人と
ご家族、スタッフ3人が参加しました。
1週間前には、三期生も参加して、お借りしている畑の野菜を収穫して食材の準
備、神社の大しめ縄つくり、縁幕張りなど祭りの準備をしました。
当日は餅つきや太鼓を楽しんだ後、塾生の自己紹介や惣田地区と三期生の交流
活動を綴ったスライドショー上映など、盛りだくさんの内容。
午後からの例大祭では、豊森からも三期生宿谷さんが代表して玉串奉奠させて
頂きました。神事のあとの直会は、お酒を飲みながら地元の方や、三・四期生間の交
流の場に。卒塾生と惣田地区の方、そしてそこに四期生も加わることで、関係性の深
まりを感じました。
■しめ縄教室 伊熊町 鈴木静夫さん
■四期生 板取の家秋合宿 2014/12/13(土)
2014/11/15(土)
恒例となった伊熊 町の
四期生の若手メンバーが集まり、旭の古民家「板取の
鈴 木 静 夫さんによるしめ
家」で合宿を行いました!
縄づくり教 室が今期も公
みんなで買ったカラフルなもんぺが、とてもかわいい
会堂にて行われました。
ですね♪夕食にはBBQ
三期生、四期生、スタッフ
をして、地元の方から頂
など合わせて9名で参加。
いたイノシシのお肉も食
午前中、しめ縄づくりが初めてという人は悪戦苦闘し
べたそうです。
ながらも、何とかしめ飾りを完成させていました。
お昼になると、なんと町内会長さんがイノシシ汁を
持って来て下さり、みんなでお弁当を食べました。午後
には形の違うしめ縄を作ったりと、わいわいと取り組み
■豊森忘年会 2014/12/20(土)
ました。 自分で作ったという達成感も愛着もある、特別なしめ
2014年最後の講座の後は、塾生・スタッフ・行政の
縄 が 完 成しまし
方もお呼びして忘年会を行いました。普段はなかなか話
た!いつ も 笑 顔
せないことも、お 酒
のステキな 鈴 木
を飲みながら熱く語
静 夫 さん 、今 回
り合っていました。
も丁 寧に教 えて
とても盛り上がりを
頂 きありがとう
みせた会となりまし
ございました!
た!
107
フィールド集落との会合
第四期の豊森では、築羽自治区内の 4 集落にご協力いただいてフィールドワークを行いました。
フィールドワークを行うにあたって、自治区長さんやフィールドとしてご協力いただく集落の町内会長さんたちと、
講座について打ち合わせたり、意見交換をしたりする場を持ちました。
日時
内容
説明会
4月18日(金)18:30 ~
豊森の趣旨説明
第四期豊森なりわい塾について
第1回
4月30日(水)19:00 ~
入塾式について
第1回、第2回講座のフィールドワークの検討
第2回
6月4日(水)19:30 ~
第1回講座フィールドワークの報告
第2回、第3回講座のフィールドワークの検討
第3回
8月27日(水)19:30 ~
第2回、第3回講座フィールドワークの報告
各集落の祭りについて
第6回講座のフィールドワークの検討
第4回
2月5日(木)19:00 ~
全5回のフィールドワーク、塾生の感想報告
次回(第五期)についての相談
町内会長さんからいただいた感想
たいへんよかったと思う。三期生、四
期 生 が協力して、門 松 立てやらいろい
ろ。伐採も三期生が入って、このあいだ
選木をやった。三期生と同じようなこと
だと、そう別に集落にとっては不愉快な
ことじゃない。お宮さんに集まっても「今
日は何事だ」と、
「ああ、そうかそうか」と。
お祭りにも参加してくれて、ようやって
くれて、賑やかしかった。盛大にできた。
昨年と今年と 2 年続けて、集落として
町内会長としても嬉しかった。
受け入れてきたわけですが、集落ビジョ
今後、話を聞く人が同じ人になってし
ンの関係もあって、なかなか集落として
まうのは仕方ない。ある程度そういうこ
受け入れる態勢はうまくいっていない。
とになっちゃう。なるべく年配の人がい
町内会長が変わるとまた大変さがある。
いけど、耳が遠い、足が悪いで、なかな
集落という単位では難しいが、塾生とこ
か難しいところもある。
の 2 年間でつながりをもった人たちとが
関係を続けていってもらって、上手に繋
いでくれたほうがよいと思う。
今年のお年寄りの方たちは、みんな「よ
かったよ」と言っています。でも、せっ
かく来てもらっても、塾生の人たちが何
か教わることがあったのかな、という気
がしている。
集落としては、畑をやってみたいとい
う塾 生の方が出てきてくださったので、
いいんじゃないかな。空き家バンクの関
係もあるし、賑やかしくなればいい。
108
お年寄りの方の仲介をしただけで、私
自身は塾生の名前と顔が一致しないくら
いで、もっと参加せんといかんかったな
と。お年寄りの方については、
「毎回は
嫌だ」という人もいれば、
「もっと話して
いいよ」という人もいました。
行事に出てもらったことで、例年にな
いにぎわいがあった、もし第五期がある
なら、やはり行事に参加してほしい。カ
タクリを集落ビジョンで取り組んでます
けど、豊森で参加してみたいという人が
いれば。やはり5 年計画くらいでつながっ
塾生のみなさんがやられてることは、
本来は僕たちが繋いで、子供たちに伝え
ていかないといけないことだと思う。澁
澤先生のレクチャーを聞いて、住んでい
る僕たちがここに住む意義、幸せを感じ
ることができるんじゃないかな。
集落単位だとお役的に出てもらうとこ
ろもある。こんな考え方をしている人が
いるなら、築羽全体で受け入れて、それ
によって有意義な田舎暮らしを見つける
ていかないと、本当の良さ、足りないも
のは見えてこないと思う。5 年間で変わっ
たなというのがわかる。5 年経ったらも
う一回来てもらってとかね。
お祭りは、賑やかしくしていくにはど
うしたらいいか。出身者に案内状を出し
たりしているけど、それだけじゃ足りな
い。人が減っていくと「時間になったら
早く終われよ」という雰囲気になるけど、
人が増えたら活気があるようになる。
ことができるのでは。一緒に作業する、
一緒に飲む、そういうことができるとつ
ながりができるんじゃないかな。
集落としては元気な年配の男性が少な
くて苦労しました。みんなどこか調子が
悪い。女性は元気だけどね。
豊森のかたちも、まだまだ手探りです。
これからもよりよい在り方を探り続けていきたいと思います。
自治区長さま、町内会長のみなさま、築羽のみなさま。
第四期の 1 年間、本当にありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
109
旭地区への広報
築羽自治区にお住まいの方に対し、毎回の講座の案内や報告を行いました。
下記のようなチラシを作成し、全戸回覧にて報告しました。
■入塾式・第 1 回講座
110
■第 2 回講座
■第 3 回講座
■第 4 回講座
■第 5 回講座
■第 6 回講座
■第 7 回講座
■第 8 回講座
■第 9 回講座
■第 10 回講座
111
お世話になった方々
第四期豊森なりわい塾を実施するにあたり、築羽自治区の方々をはじめたくさんの方にお世話になりました。
講座でご協力いただいた方々をご紹介します。
<ゲストとしてお呼びした方たち>
安藤 久氏さん(林業家)
稲垣 光威さん(有限会社ファナビス代表)
第 4 回講座
フィールドワーク「原木市場見学」
「森林見学 旭の森林」
オプション講座
レクチャー&ワークショップ
「日本の産業革命・ガラ紡」
内山 節さん(哲学者)
塩見 直紀さん(半農半X研究所)
公開講座
講演「人と自然、結び直しの時代」
公開講座
講演「「半農半X」という生き方」
第 5 回講座
ワークショップ「自分の X を考える」
篠原 信さん(野菜茶業研究所)
高山 治朗さん(旭木の駅実行委員長)
第 3 回講座
レクチャー「日本の食と農の現状」
第 8 回講座
事例紹介「木の駅プロジェクト」
戸田 友介さん(株式会社M-easy代表取締役)
中野 昌俊さん(学校法人どんぐり向方学園理事長)
第 5 回講座
トークセッション「●●という生き方」
第 8 回講座
事例紹介「学校法人どんぐり向方学園」
早川 富博さん(足助病院院長)
林 冨造さん(豊田森林組合代表理事専務)
第 8 回講座
事例紹介「足助病院の紹介と取組」
第 4 回講座
フィールドワーク「原木市場見学」
原田 裕保さん(豊田市企画政策部長)
森 大顕さん(NPO法人地域再生機構)
第 4 回講座
レクチャー「豊田市の森のこれまでとこれから」
第 8 回講座
事例紹介「木質バイオマスの基礎、エネルギー
と欧州の農山村」
<ご協力いただいた方たち>
第四期豊森なりわい塾の講座にご協力いただいた下記のみなさまには、この場をお借りして感謝申し上げます。
▼伊熊町
浅井キヨ子さん
後藤章夫さん
後藤晃孝さん
後藤吉助さん
後藤キヨさん
後藤進さん
後藤透さん
後藤フミ子さん
後藤政弘さん
後藤守男さん
後藤雪夫さん
後藤レイ子さん
鈴木静夫さん
鈴木辰往さん
松井良幸さん
山本義雄さん
112
▼惣田町
安藤盛夫さん
鈴木寿ゞ江さん
渡辺公照さん
渡辺豁さん
鈴木ひで子さん
▼旭八幡町
安藤謙吉さん
鈴木康爾さん
鈴木禎一さん
鈴木律子さん
原田正一さん
原田芳夫さん
安藤照子さん
柴田武さん
鈴木繁男さん
鈴木テル子さん
鈴木久直さん
鈴木裕幸さん
松井 夫さん
松嶋和子さん
松嶋晋吾さん
大江純恵さん
小川光夫さん
木浦幸加さん
澤目純一さん
宿谷啓二さん
鈴木辰吉さん
中垣晋也さん
松井久美さん
横山敏彦さん
▼日下部町
松嶋利光さん
▼その他
▼修了証
丹羽勁子さん(岡崎市在住の書家)
<講座などで利用させていただいた施設>
【旭地区】
豊田市役所旭支所
築羽農村環境改善センター(築羽会館)
豊田市生涯学習センター・旭交流館
伊熊、惣田、旭八幡、日下部の各集会所・公会堂
あさひ製材協同組合
安藤久氏さん宅
伊熊神社(伊熊町)
津嶋神社(惣田町)
八幡神社(旭八幡町)
愛宕神社(日下部町)
笹戸水力発電所
榊野温泉 旅館すゞめ
小渡温泉 はしもと
小渡温泉 梅屋旅館
笹戸温泉 清山荘
旭の田舎暮らし体験施設 板取の家
【旭地区外】
あすけ里山ユースホステル
豊田市役所足助支所
豊田森林組合
豊田市福祉センター
豊田市生涯学習センター 逢妻交流館
ビジネスホテル武蔵屋
113
運営/事務局スタッフ紹介
自身の塾生時代から丸 4 年豊森に関わって、多くの塾生から学ばせて頂き、改めて、豊
森の目的と成果は、塾生・スタッフ 1 人ひとりの心の中にあることを実感しました。故
に外からは相変わらず理解し難いプロジェクトですが、このコアスタイルを変えることな
く、他へも展開していければ素晴らしい成果が出るのではないかと最近感じています。
安藤 俊人
NPO法人
地域の未来・志援センター
トヨタ自動車株式会社
社会貢献推進部
トヨタ自動車株式会社
社会貢献推進部
森は各期ごとに個性があるのですが、ひときわ「重量級」でもあったと感じています。四期生の皆
さんが、これからどんな暮らしを切り拓いていかれるのか、本当に楽しみです。豊森なりわい塾の
資産は、何よりも卒塾された皆さんそのものですので、ずっとつながっていきたいと思います。
NPO法人
ぎふNPOセンター
がらも、地元の方のお話や講義、塾生の方の発表を通して勉強することばかりです。同世代の多い
第四期でしたが、一年を通して、自分の覚悟を問われているような気がしました(笑)。これからど
う生きていくのか…僕もまだ謎です。それにしてもいろんな人が集う場所は面白いですね。
NPO法人
地球の未来
114
NPO法人
地域の未来・志援センター
萩原 桜子
NPO法人
地域の未来・志援センター
今期の卒塾の方々は、何故か食い付きの良い方が多かったようです。そして、回を重ね
るごとに不思議な一体感?が出て来て、とても印象的な「期」でした。僅か1年間のお
付き合いでしたが、これがスタートです。これからも宜しく!
第四期の一年間ありがとうございました。豊森の事務局を始めて早 2 年。講座を企画する事務局な
駒宮 遊 中川 恵子
昨年からスタッフになり、共に学びました。’
「自然生態系の中にある人間’」という感覚が
日常には無く、第3土日だけそれを考えるフツーじゃない時間で、これが多数の人のフツー
になるのは難しいと思いながらも企業でできる事に取り組みたいと思いました。塾生の皆
様が同じ価値観を共有し仲間になった事が素晴らしく、今後の皆さんの活動が楽しみです。
初めての豊森、事務局。右も左も上も下も何もかも分からず飛び込んだという感覚でしたが、
この一年、塾生の皆さんと共にたくさんのことを吸収しながら自分なりの価値観を育むこ
とが出来てきていると感じています。まだまだ甘ったれですが、たくさんの人と出会いたく
さんの人生を知り、ひたすら刺激とやる気をもらい続けた一年間でした。感謝ばかりです。
駒宮 博男 澁澤 寿一
認定NPO法人
共存の森ネットワーク
豊森なりわい塾の第四期は、塾生の顔ぶれも講座の内容も「濃い」11 か月であったと思います。豊
一期から四期、足掛け7年。タネから芽が出て、茎が伸び、少しずつ幹が太くなって枝
が伸び…これまでに出会った100人近くの修了生は、豊森という木の果実です。ジムキョ
クびとの仕事は、地ならし、水遣り、草取り…。最も多くを学ばせていただく農民です。
このご縁の糸の行方が楽しみです。ありがとうございました!
國友 淳子
NPO法人
地域の未来・志援センター
今期は自分より年下の塾生がけっこう多くてびっくり!・・・いつまで最若手の気分で
いるんでしょうか。
毎回毎回学びや気づきがあるのですが、豊森とは何かということが今期でようやく腹に
落ちた気がしています(遅い)。出逢えた塾生&スタッフのみなさまに感謝です。
これからも塾生の皆様にとって、教育と学習、観察と思索、五感の感受と実行、そして
セルフデザインの実現の場が豊森となりますように。
大洞 和彦
志津 晴巳
吉原 裕貴
NPO法人
地域再生機構
塾生の皆さん、スタッフの皆さん、1年間ありがとうございました。一緒に講座に参加
しながら、自分の住んでいる場所のことを思ったり、何度も考えた事を反芻したり、と
もに学んでいる感覚でした。普通、飲みの場でするような濃い話題ばかりの講座でした
が、こういう話題が共有できる場があるのはやっぱり面白いと思います。
運営会議の実績
第四期では、主に旭支所をお借りして旭支所様と運営スタッフ合同で
月例で運営会議を行いました。
日にち
場所
内容
第一回
4月11日(金)
豊田市旭支所
公開講座について、塾生募集、地元説明会、カリキュラム
第二回
5月12日(月)
豊田市旭支所
第四期塾生について、入塾式及び6月講座実施内容
第三回
6月9日(月)
豊田市旭支所
6 月講座実施報告、7月講座の実施内容、公開講座について
第四回
7月7日(月)
豊田市旭支所
7月・8月・9月講座の実施内容について、公開講座について
第五回
8月18日(月)
豊田市旭支所
8・9・10月講座の実施内容について、聞き書きその後、
地域行事参加報告、公開講座について、オブザーバーについて
第六回
9月5日(月)
第七回
名古屋市東区
日本陶磁器センタービル
9月・10月講座の実施内容について
10月7日(月)
豊田市旭支所
10月・11月講座の実施内容について
第八回
11月11日(月)
豊田市旭支所
11月・12月講座の実施内容について、今後のスケジュール
第九回
12月16日(月)
豊田市旭支所
12月・1月講座の実施内容について、公開講座 、第五期生募集、
最終報告書
第十回
1月5日(月)
名古屋市東区
日本陶磁器センタービル
1月・2月講座の実施内容について、公開講座 、第五期生募集、
最終報告書、塾生講座出席状況
2月10日(火)
名古屋市東区
日本陶磁器センタービル
2月・3月講座の実施内容について、修了式、最終報告書、
公開講座、第五期募集、築羽会議の報告
第十一回
その他関連の動き
・おいでん・さんそんセンター
都市と農山村の交流の促進をサポートする「おいでん・さんそんセンター」
(事務所:足助)のプラットホーム会議の構成
団体として参加しています。
・ほんわか里山交流まつり実行委員会
都市の人たちに里山の魅力を伝える「ほんわか里山交流まつり」の実行委員会のメンバーとして参加しています。
<インターン生の紹介>
愛知淑徳大学
人間情報学部
人間情報学科 2年
石黒 奈保子
第四期豊森なりわい塾には、インターン生が参加してくれ
ました。インターン生たちから豊森への感想を紹介します。
参加当初は自分の思いをうまく口に
出せなかったり、豊森に対して違和感
があったりと参加するのが怖かったで
すが、今ではとても楽しくなりました。
大学の学びとは異なった学びができる
ワクワク感、塾生の方の思いもよらな
愛知淑徳大学
ビジネス学部
ビジネス学科 3年
高木 孝生
私は、豊森なりわい塾を通してこれ
からの「生き方」を考える事ができま
した。以前は、都会で暮らしていきた
いと考えていました。理由は、便利や
住みやすいと考えていたからです。し
かし、豊森なりわい塾を通して考え方
い発言を聴いた時のドキドキ感、四期
が少し変わりました。住みやすい暮ら
生の皆さんから勇気や自信、何より笑
しを追求しすぎて、大切にしていくべ
顔を与えてもらいました。豊森で感じ
き地域でのコミュニティなどが無い環
たことを活かし、人生を切り開いてい
境は果たして良いのかと考えるように
きたいです。本当に素敵な出会いに感
なり、これからの「生き方」を考える
謝です。ありがとうございました。
ようになりました。
115
第四期生 PHOTO ALBUM
講座の中で見られた塾生たちの輝く笑顔や真剣な表情など、一年間の思い出の写真を集めました♪
116
豊森なりわい塾第四期 修了に寄せて
トヨタ自動車株式会社
社会貢献推進部長
菅原 英喜
豊森なりわい塾の第四期が修了するにあたり、1 年間に渡って塾生を温かく迎えていただいた豊田市旭地区の
皆さまに、トヨタ自動車を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。また、このたび 1 年間の講座を修了
された第四期生 22 名の皆さんにも、心から祝福の気持ちをお伝えしたいと思います。
トヨタ自動車はクルマづくりを中心とする企業活動を通じて人々の暮らし、社会を良くしたいという創業以来
の理念があります。クルマは移動の自由を大きく広げ、社会に新たな価値を提供してきた一方、温暖化などの
環境問題、交通事故や渋滞など新たな社会課題にも影響を与えてきました。トヨタは、地域の皆様やさまざまな
ステークホルダーの方とのコミュニケーションを通じて、一つひとつの課題を深く理解するようにつとめ、「いい
クルマ」 だけではなく、「いい町、いい社会」づくりへの貢献に向け、社会課題の解決に取り組んでいます。
その中の一つ「豊森なりわい塾」は、経済の高度成長で産業構造の変化や農山村から都市への人口集中が進む中、
見落とされてきた農山村の自然を舞台にして生きる価値観を見つめなおす人材育成プログラムです。塾生の
皆さんには、「豊森なりわい塾」で自然と共にある暮らしの知恵や人と人との支え合いで成り立つ地域社会に
ついて学ぶ中で、農山村への関心を深めていただき、今後の活動を考えるきっかけができたことを期待しています。
最後に弊社は、豊かな地域社会づくりに貢献する「まち一番」の企業をめざし、地域に寄り添って成長して
いきたいと思っています。今後とも地域の皆様にはご指導、ご支援をお願いしますとともに、卒塾される
第四期生の皆さんには、心からエールを送りたいと思います。頑張ってください! 2015 年 3 月吉日
豊森なりわい塾 第四期 報告書
発 行 日 : 2015年3月10日
発 行 : 豊森実行委員会
編 集 : 豊森事務局
印 刷 : 鬼頭印刷(株)
連 絡 先 : 〒461-0002 名古屋市東区代官町39-18 日本陶磁器センタービル5-D
(特定非営利活動法人中部リサイクル運動市民の会内)
Tel:052-936-0511 E-mail:[email protected]
※豊森は、豊田市/トヨタ自動車株式会社/NPO法人地域の未来・志援センターの協働事業として実施しています。