ITと社会を繋ぐ認知科学

 ●展望論文●
ÁÌと社会を繋ぐ認知科学
中島 秀之 橋田 浩一 松尾 豊 ! " # $# % % & # はじめに
処理の恩恵が受けられる反面,そのままでは,情報
過多による情報洪水が起こる.インターネットで発
現在の情報技術()はネットワークの発達と
信される情報は個人が読める量をはるかに越えて
計算能力の向上に伴い実用領域に踏み出す力を持っ
おり,現在の検索技術だけでは欲しい情報さえ入手
ている.それにもかかわらず,目覚しい社会応用が
困難になりつつある.個人メールの量も増加の一途
見られない.この原因としては,社会システムを構
をたどり,個人では読み切れない量に達するのもそ
築する人たちによるの能力に対する認識不足や,
う遠い日ではあるまい.'を筆頭とした(
研究者の社会ニーズに対する認識不足なども大きな
)*
要因として挙げられるが,もう一つシステムを使う
情報処理技術により情報の選択や検索を助けようと
人間の特性に対する理解が不足している側面が大き
するものである.しかしながらこのような情報一括
いと考えている.認知科学の出番だ.
管理の方向性は,同時に,プライバシの危機が伴っ
の動きは,個人の情報発信を容易にすると共に
以下では具体例を基にどのような場面で認知科学
ていることも明白である.クレジットカード会社に
研究が求められているかについて記述したい.情報
は個人の購買履歴が蓄えられている.有料道路料金
処理研究者からの認知科学への期待と受け取ってい
のクレジット清算により,ドライブの履歴がこれに
ただきたい.
加わる.今後はこれらに対する対策として,
“ 知り
これまでの情報処理技術は主として“ 誰でも,い
たいことを,知りたいだけ ”知る,あるいは“ 知ら
つでも,どこでも ”情報にアクセスできることを追
れたくないことは知られない ”ための技術が重要と
求して来た.インターネットが急速に普及しつつあ
なる産業技術総合研究所サイバーアシスト研究セ
る現在,この恩恵は広く行き渡りつつある.そし
ンター
.
)**+
て,今後もますますその方向に進むことは間違いが
つまり,がいま直面している最も重要な課題
ない.ネットワークだけでなく情報処理機器とサー
は,デジタル情報の世界を人間の生活世界に緊密に
ビスがすみずみまで行き渡り,ユビキタス情報社会
グラウンド接地することである.これは,すべて
が到来する.
の人々の生活のあらゆる場面に情報技術を結び付け,
ユビキタス情報社会においてはどこにいても情報
なおかつ,その場の状況に依存する意味の理解を情
! " # $ " "%
報機器が人間と共有できるようにするということで
ある.このグラウンディングが,情報技術の利用に
おいて決定的な意義を持つ.情報に意味や価値があ
るのは,その伝達経路の両端に人がいてモノがある
)
&# ,
からにほかならない.情報技術を用いた健全なビジ
わっていること,他者を含んだ仕組みの中でユーザ
ネスモデルや文化を数多く生み出し,また,われわ
の情報発信が組み込まれていること,そして他の人
れの生活における意味を豊かにし価値を高める上で
の意見やフィードバックがユーザのよい動機になっ
情報技術が有用であるには,デジタル世界を実世界
ていることが共通している.
と融合する必要がある.これまであまり問題にされ
以下では,()*の特に社会的な側面に注目し,
て来なかった「デジタル世界と我々人間の認識する
価値の共有,言語・社会現象という2つの点から,
実世界をいかにして結合するのか?」という問題.
認知科学の重要な貢献の可能性について述べる.
認知科学の目標の一つはそこにあるのではないか?
と
知人関係:情報の伝播と価値の共有
以前の情報環境を考えてみると,情報入手の
(
近年,()*という語がよく聞かれる.()*
手段は,TVや本といったメディアによる情報,そ
とは,従来型の(上のサービスに対し,ここ2,3
して知人や友達,知人からの情報という大きく2種
年で(上で急激に成長したサービス(検索エンジ
類に分けられるだろう.そして,日常生活のさまざ
ンや広告モデルとしての',写真やブックマー
まな意思決定には後者の情報が重要であった.(
クの共有サイト-%や,ユーザ参加型の
が発達し,(ページの量的拡大と検索エンジンの
オンライン百科事典(%,ブログ)やそれに
性能向上によって,知りたいことがほぼ何でも探せ
共通する概念を差す.
による()*
るようになると,貴重な情報源としての知人や友達
½µ
()*)が有名であるが ,明
の役割は徐々に減少することになった.いままでは
確な()*の定義があるわけではない.こういっ
人に聞いていたことでも,'を調べたほうが
たサービスに共通する要素を帰納的に挙げているだ
早いし確実に分かるという実感を持つ人も多いので
けである橋本
はないだろうか.
の記事((
./"
.
)**0
しかし,知人や友達というのは,情報の伝播経路
によるサーバとの非同期連携)やマッシュアップ(複
としてだけではなく,別の重要な役割がある.それ
数のコンテンツから新しいサービスを作ること)と
は価値の共有である.例えば,ある製品(例えばバ
いった技術が特徴として挙げられる.また,社会的
イク)を買おうかどうか考えているときに,その
な側面からは,人同士の連携やコミュニケーション
製品のスペックは(を探せばどこかにある.しか
を促進する仕組みが基盤になっている松尾
し,スペックが分かったとしても,それが「いいか
を技術面から見ると,
()*
(3#
12
.
)**0
例えば,2や'といった,4,(,
悪いか」はどうやって決めればよいだろうか?もち
)は,自分の知り合い関係をシステ
ろん,このバイクはいい,悪いなどの評価を書い
ムに登録することで,知り合いと日記やメッセージ
ているページもある.しかし,問題は,この評価を
を通じてコミュニケーションを図ることができる.
行った人の意見が自分に当てはまるかどうかをどう
メールや電話で直接連絡するほどではなくても,相
やって知ればいいのだろうか?言い換えれば,自分
手の日常が「何となく」分かるので,日頃の友人関
という文脈の特殊性をどのように判断すればよいだ
係の維持には便利である.ブログは,更新が簡単で
ろうか?
% #
きれいなページができるということで多くのユーザ
マーケティングの研究では,イノベータの意見は
が用いているが,知り合いからのコメントがよい動
推薦効果が小さいという知見がある.例えば,バ
機になっている.また,(%はユーザが誰で
イクを何台も持っているマニアックな人のページに
も追加・編集できるオンライン事典である.いずれ
「このバイクが良い」と書かれていても,その人に
の場合も,コミュニケーションを取れる仕組みが備
はそうだろうけど,自分には関係ないなと思うか
½µ もしれない.つまり,情報はそれだけでは有用では
参考にそこで挙げられた7つの要素を列挙する.
"
"& ' " & "& ( ) #"& & *
*" & *
+ "& #( "" # " %
なく,価値基準の共有があって初めて情報の価値が
あるわけである.%はその新しい著書の中で,
親近感のある(
非難や賞賛は,
子供がどのゴールを捨てたり保持するべきか教える
5 と社会を繋ぐ認知科学
4 +
.つまり,与えられた
ユーザにとっての一点目の便利な点で,もう一点の
ゴールに向かって行動するだけでなく,そもそもど
便利な点は他の人が同じタグをつけた論文を見られ
のゴールが重要でそうでないかを学ぶ(つまり価値
ることである.例えば,ある論文に「ネットワーク
と述べている%
)**0
観を学ぶ)必要がある.
やブログなど,()*と呼ばれる現象の背
,4,
ソーシャルネットワーク 分析」とタグをつけたと
しよう.すると,他の人が「ネットワーク」
「分析」
後で起こっていることは,まさにこういったことで
などのタグをつけた他の論文を次々に見ていくこと
はないだろうか.つまり,ブログを読んで,その人
ができる.関連情報の収集に便利である.
が「いい」「悪い」「楽しかった」「悲しかった」と
ここで面白いことが起きる.ある人が,
「ソーシャ
書いているのを見て,自分は共感したりしなかった
ルネットワーク」と「社会ネットワーク」というタ
りするわけである.そして価値が共有できるかどう
グを両方適当に使っていたとしよう.この2つのタ
かという基準と共に,その人のブログを読むわけで
グで見つけられる論文(同じタグがついている論
ある.また,,4,では,自分の知り合いの日常的な
文)はそれぞれ異なる.もしかしたら,
「ソーシャル
日記を見て,この人はこういう風に思っているのだ
ネットワーク」というタグがつけられた論文の方が
と理解したり,この人がいいと言ってるこの製品は
多いかもしれない.すると,そのユーザは,次から
いいに違いないと思うわけである.
は「社会ネットワーク」ではなく「ソーシャルネッ
こう考えると,()*で起こっていることは人
トワーク」という論文をつけたいと思うようになる.
間の認知に密接に関連している.こういった問題に
なぜなら,他の論文と同じタグを使うことによって,
対して,筆者らが根本的に重要だと考える問題は次
関連した論文が探しやすくなるからである.
(学術
のようなものである.
的には「社会ネットワーク」という語の方が正しい
¯ 人はどんなインタラクションを通じて,どんな
相手と価値を共有しているのか.
¯ それが人間の情報の理解にどのように役立って
いるのか.
¯ システムのインタフェースによって,こういっ
た価値の共有がどのように起こるのか.
としても,である.
)こうして,多くのユーザがそ
ういった行動を繰り返すうちに,異なる概念には異
なるタグが,同じ概念には同じタグがつくようにな
る¾µ .こうして生まれたタグは,民衆による語彙と
いう意味で%とも呼ばれる.
ここで見られるのは,ユーザ個人が分類のために
こういった問題は,認知科学の文脈でも難しい課題
用いていたタグが,他のユーザとのインタラクショ
である.しかし,()*という概念を,帰納的・表
ン(具体的には同じタグの論文を探すという行為)
層的に議論するだけでなく,より深く掘り下げるに
によって,徐々に共有されていく過程である'
は,その根本にある認知現象,社会現象を正しく理
7 8
解しなければならない.認知科学の分野が情報産
念)というのは,個人内部では完結し得ず,他者と
業,そして社会全般に大きく貢献し得るひとつの方
のインタラクションを通じてはじめて合意が得られ,
向であると思う.
社会的に共有した意味となるわけである.こうした
)**0
.つまり,タグ(ないしは概
指摘は,古くから言語学者,哲学者によって取り上
言語と社会
げられている.有名なものでは,ソシュールがその
ソーシャルブックマークというサービスがある.
著書「一般言語学講義」の中で,ラングとパロール
海外ではや-%,日本では「はてなブッ
という2つの概念を対立させている.パロールが個
クマーク」がよく知られている.(ページや写
人の言語実践であり,それが共同体で用いられるよ
真,論文などさまざまなもの(インスタンス)を
うになったものがラングである.また,ヴィトゲン
ユーザがブックマークできるサービスである.例え
シュタイン(後期)は,言語は使用によってのみ意
ば,&6%というサービスでは,自分が要チェッ
味が決まるという言語ゲームの概念を述べた.ソー
クだと思った論文を,メモやタグ(キーワード)を
シャルブックマーク上では,例えば「これはすごい」
つけて管理することができる.自分のブックマーク
というタグが良い評価を表す一般的なタグとして使
をオンラインで整理することができる(したがって
われる.
「すごい」でも「これは良い」でもなく,
「こ
どの端末からでも見ることができる)というのが
¾µ 大向
,--.には「慶應義塾大学」の表記の例(慶應
義塾,慶応義塾,慶応義塾大学など)が説明されている.
&# ,
れはすごい」だけが,ソーシャルブックマーク上で
しかし,これをどれだけの人が使っているだろうか.
すごいものを見つけるときに有用である.まさに使
少ない成功例のひとつと言えるのが,
用によって「これはすごい」というタグの意味内容
薦システムであろう.ただ,これも基本的には協調
が決まるという例である.
フィルタリングという手法によるもので,ごく簡
このように()*と呼ばれるサービスの中で,い
ままでは観察が不可能だったさまざまな言語現象,
単なアルゴリズムである=
の推
!
,
7 ;%
.
)**+
社会現象が思いがけない形で観察可能になりつつ
面白い例がある.5というハードディスクの
ある.今の情報技術者は,試行錯誤的にさまざまな
家庭用ビデオレコーダーがある.この大きな特徴は,
サービスを作り上げているが,認知科学(特に認知
ユーザの好みを自動的に学習して,8>>に常に撮り
言語学,認知社会学)の視点から現象を観察するこ
ためておいてくれることである¿µ .例えば,ユーザ
とで,言語現象や社会現象に関する一般的な原理の
がサッカーの番組をよく予約していると,サッカー
発見,そして,情報システムへの利用が可能になる
に関するさまざまな番組を自動的に録画しておいて
のではないか.
くれる.
年からある製品であるが,米国では人
気が高い.ところが,この挙動がユーザに分かりづ
個人向け情報提示
らいことがある.)**)年の(
究極的には,全ての人があらゆる情報にいつでも
? # % ;
, 3
に
' 8/ 8 ,
どこでもアクセス可能になる世界が来るかもしれな
,@
い.情報アーキテクチャ技術者である9 #
なぜかゲイの番組ばかりを取り始めた.どうやら自
は,その著書でそういった未来を
分はゲイだと思われているらしい.
」というユーザ
:
という記事が載った.
「5がある日,
.
「見
の話が紹介されている.このユーザは,しかたない
つけられ得ること」が本質的に当たり前になり,実
ので,ナチスの戦争ものの映画をたくさん撮ってい
世界・ネット上を問わず全てのものの情報が錯綜す
たら,その誤解は解けた.だが,今度は,戦争マニ
という言葉で表現している#
)**0
る世界である.
を象徴として,我々を取り巻く情報が増えて
(
いるという現実は情報洪水や情報爆発といった言葉
で表現されることが多いが,むしろ情報の洪水や爆
アかと思われて,5はナチスものばかりを取り
始めたそうだ.このようなエピソードがたくさん紹
介されている.
つまり,個人の嗜好のプロファイリングは難しく,
発にどう対応するかではなく,:が極限ま
センシティブな問題を含む.これまでレコメンデー
で最大化された世界で,人はどういう情報行動を取
ションシステムや9!なシステムがうまく
るのだろうかというのが大きな問いである.
いかなかった理由は,カスタマイズのコストが大変,
そのためには,ユーザは自分の知りたい情報を必
要に応じて知りたいだけ知ることができなければな
メリットが明確ではない,都合の悪い誤解をする場
合があるなどの点が挙げられる.
らない.
“ 知りたいことを,知りたいだけ ”知るこ
しかし,現在の()*のシステムは,ある意味で
とを助ける技術としては意味による検索エンジ
ユーザのプロファイルをうまく利用している.,4,
ン,)個人の嗜好のプロファイリング,+大量情
は知り合い関係という重要な情報をプロファイルに
報の構造化・提示技術などが必要となる.特に)
取り込んで,情報のフィルタリングをしている.こ
と+は認知科学的要素が強い技術となる.
の関係の情報は,ユーザプロファイルの中でも特に
重要なもののひとつである.人間の生活の多くの時
個人の嗜好のプロファイリング
間は,他者との関わりの中に費やされており,高度
個人の嗜好のプロファイリングは,レコメンデー
な検索や情報推薦のためには,関係情報をベースと
ションシステム,9! ,..
して持つメリットは大きい.関係情報を考慮したう
マーケティングなどといった文脈で研究されてきた.
えでのさまざまなプロファイリングは,今後,重要
基本的に,今までほとんど成功したシステムはない.
な進展を見せる可能性があるだろう.
'
も;<もニュース記事や検索を自分用に
その際にキーとなる技術としては,関係情報を
カスタマイズする機能をたくさん取り揃えている.
¿µ 日本でも同様の製品はある.
5 4 と社会を繋ぐ認知科学
A
含んだプロファイルの管理方法(特にユーザの手元
人間は根気がない
のクライアントによる複数のプロファイルの使い
A
人間は単調を嫌う
分け),また,必要な範囲で適切にシステムにプロ
0
人間はのろまである
ファイルを開示する技術などが挙げられる.
B
人間は論理的思考力が弱い
人間は何をするかわかならい
大量情報の構造化・提示
だから,それらを許容するインタフェースを設計し
次に,
「+大量情報の構造化・提示」について少
なければならないというのである.今ではこの程度
し説明しておきたい.インターネット上の大量情報
の一般的観測では物足りないのだが,いずれにして
から目的のものを探す道具として検索エンジンがあ
も認知科学的な研究に基づいた情報提示技術が必要
る.うまく探せる場合もあるし,なかなか目的の情
と考えている.そのための認知科学的研究を求める
報にたどりつけないこともある.しかし,検索に成
わけである.
功した場合でも辿り着く先は誰かが用意してくれた
次章では,(の中に留まらず,ユビキタス情報
ページである.つまり,書き手・作り手の情報提示
技術と連携した実世界での情報環境において,認知
をそのまま見ているだけである.情報の送り手の意
科学の果たす可能性について述べる.
図とこちらの知りたい意図が一致している場合には
便利である.しかし両者の意図が異なるときには,
社会システムへの応用
断片的な情報をつなぎあわせなければならないこと
ユビキタス情報社会ににおいては,これまでの孤
もある.これは現在,読み手の人間の仕事になって
立した情報処理システムではなく,実世界に埋め込
いる.
まれたセンサやアクチュエータ群をネットワークを
もっと検索者側の都合に合わせた情報提示ができ
介して計算機群と接続することによりより良い人間
ないか?つまり検索したデータを生のまま提示する
アシストが実現できる.最近脚光を浴びている'9,
のではなく,要約したり,並べ変えたり,あるいは
と携帯電話による位置情報サービスはその一つで
グラフ化するなど,何らかの構造化をして見せてく
ある.
れる技術が欲しい.個人に合わせた適切な情報提示
ユビキタス情報社会とはロボットのように物理的
のためには個人の嗜好・知識・過去の検索履歴,そ
に集中した&96ならびにセンサやアクチュエータ
して関係情報など,適切なユーザプロファイルを持
群とは対極をなす考え方で,環境の中に広く目(た
つ必要がある.
とえば石黒
)や耳などのセンサ群,手足の
情報の提示は受け手の認知的理解度を考えて行
ようなアクチュエータ群,さらには頭である計算機
う必要がある.これには更に二つの側面がある.個
群を配置するものである.これにより,人間が移動
人にとって受け入れ易い表示手法を採るという側面
しても適切なアシストを得ることが可能となる.
と,提示時における個人の認知的負荷を考慮して表
これまでの情報通信技術はある意味でインター
示すべきデータを絞り込むという側面の二つであ
ネットの中に閉じ籠っていた.人間が書き込んだ知
る.個人の認知的負荷による表示とは,車の運転中
識はそこに存在するが,それらは計算機が理解する
であるからできるだけ簡略な情報を,視覚を用いず
ことなく人間から人間へと伝えられ,計算機ならび
に表示するとか,机に座っているので全てのモダリ
にインターネットはその伝送路にすぎない.そして,
ティを用いて詳細情報を伝える方が良いとかの切り
それらのデジタル情報は現実世界との接点を持って
替えである.
いない.世間ではこのようなインターネット内の世
ヒューマンインタフェースの分野では常識に近
界を「サイバー世界」と呼ぶこともあるが,この用
いことだが,
0B年に日本の情報工学の走りとで
法は正しくない.
「デジタル世界」ではあるが,
「サイ
も言うべき高橋秀俊が「時分割方式の哲学」高橋
バー」な要素はどこにもない.やはり,実世界との
0B
で以下のように述べている:
入出力系を伴ってはじめて本来の「サイバネティク
人間は気まぐれである
ス」(
)
人間はなまけものである
ク系による制御が可能となる.
+
人間は不注意である
の意味する情報のフィードバッ
0
ユビキタス情報技術の社会応用としては様々なこ
0
&# ,
とが考えられる.従来の社会システムのコンピュー
るがプライバシ保護を困難にする.利便性とプライ
タ化ではなく,コンピュータやネットワークの支援
バシ保護は論理的に排他的であるため,技術的に両
があって始めて可能になるシステムを考えることが
者を満足させることは不可能であると考えている.
大事である.
利便性とプライバシ保護を天秤にかけ,どこかでバ
たとえば,我々はフルデマンドバスや協調カーナ
ランスさせる必要があるが,このバランスポイント
ビなどの新しい交通システムを提案して来た中島・
は固定ではなく,その場その場での判断が求められ
車谷・伊藤
.フルデマンドバスとはダイヤ
る.ユーザが毎回判断するのは繁雑であるので,な
や路線を全く固定せず,乗客の要求に応じて呼び出
んらかの半自動化が望まれる.これを可能にする
しがあった地点から目的地まで自在に運行する形態
一つの手段は個人用知的エージェントの導入である.
のバスサービスを意味し,固定路線を走っていて呼
このエージェントを作り込むためには個人の社会生
び出しに応じて回り道をする通常のデマンドバスと
活のモデル化と同時にプライバシの概念,安心感,
は異なるものである.
対人関係などのモデル化も必要である.情報処理・
)**
現在フルデマンドバスが運行されているのは高知
県中村市のみである.現地で調査した結果・病院な
どにバスの予約端末を設置したが,お年寄りは使わ
ないということがわかっている.現状で使用されて
認知科学・社会科学の共闘が必要とされる分野だ.
知識共有
の社会応用の重要な分野の一つはやはり知識
いるインタフェースは電話による予約だけで,この
の共有であろう.先に情報の個人向け表示手法の開
場合は電話を受けた人が予約端末を操作している.
発が重要だと述べたが,その土台となる情報表現自
これは一つには技術が未熟で,たとえばボタン一つ
体を見直し,全世界的な知識共有の基盤を造ること
で現在位置をバスに知らせるような携帯端末があ
も重要である橋田
)**
.
れば話は違って来ろうと考えられる.'9,などの
現在我々が便利に使っているワードプロセッサは
測位システムを使えば技術的に問題ないし,インタ
その名の通り,単語単位の構造しか持たない.つま
フェースもユーザビリティの問題であるから容易に
り,文章は1次元の単語の列として作成され,保存
解決可能と考えるが,もう一つ大きな問題はお年寄
される.しかしながら,文章というのはその裏に
りが話し相手を求めてバスに乗るという心理的要素
様々な構造を有している.各文における文法構造,
だ.これは社会心理学者などとの協調なしにシステ
そしてそれよりは緩いが文を結合して段落,さらに
ムを設計しにくいことを意味する.
は節や章へとまとめあげる論理構造あるいは意味構
協調カーナビは現在のインフラで実現可能だ.個々
造がある.このような意味構造をコンピュータに処
の車が勝手に経路探索をするのではなく,カーナビ
理させるには,最初に述べた情報のグラウンディン
どうしが現在位置と目的地の情報をシェアすること
グが必須である.現在ユビキタスコンピューティン
により,より効率の良いルーティングが可能である
グと称されている技術は,デジタル世界と実世界と
ことがわかっている.
の結び付きを物理的に拡張するための手段である.
上記の)例でもわかるようにユビキタス・コンピ
グラウンディングを実現するには,それに加えて,
ューティング環境においては様々なセンサによって
人間が理解する実世界の意味を情報機器に認識させ
ユーザの位置などの情報を取得し,それをサービス
る必要がある.このような,実世界にグラウンディ
に利用することを基本としている.きめ細かなサー
ングされたコンテンツをインテリジェントコンテン
ビスのためにはユーザのプロファイリングが有効で
ツ橋田
ある.年齢,性別などがわかっているだけでもマー
大量文書の統合的管理の技術を開発し,共通の形式
ケットでの商品情報・商品の推薦などが可能となる.
の意味構造を介して多数の文書を結び付けること
またレジでの自動清算にはクレジットカード番号な
により,意味内容に基づくプレゼンテーション,高
どの情報が不可欠である個人がそれを提示する必
度な要約,正確な翻訳,質問応答などを,関連する
要はなく,&カードや携帯電話が自動的にその情報
コンテンツを自動的に参照しながら行うことを可能
をやりとりしている.
にし,これらを有機的に組み合わせることにより,
しかしながら,これらの情報は利便性を向上させ
)**)
と呼びたい.意味タグの活用による
知の拡大再生産を支援する技術を確立することが
5 と社会を繋ぐ認知科学
4 B
できる.そのためには「意味」という概念を掘り下
!
げ,人間の認知機構との整合性を保つ研究が必要で
ある.
情報コンテンツの意味構造をC=等のタグによっ
て明示し,それを広く共有・再利用することにより,
自動処理では理解できないコンテンツの意味を,検
索や翻訳などのさまざまな情報サービスに用いるこ
とができる.このような情報インフラに基づくグラ
ウンディングは,あと数年で到達可能な技術によっ
て実現することができる.それに基づき,状況と利
用者を問わず「今すぐ,ここで,私が」使える生き
た情報に常にアクセスできる環境を創ることによっ
て,経済や政治や文化や教育にわたり社会全体を活
性化できる.われわれの生活を単に便利にするだけ
でなく,人と人との絆を結び深めるような,物質的
な面に限らない豊かさの支援が実現できよう.
まとめ
の活用により社会生活を大きく変えられる可
能性があることを示した.人の絆,交通網,知的生
産などを例として具体例を述べたが,他にも様々な
応用が考えられる.たとえば,これらの技術を社会
"
"
松尾 豊 )**0 ()*時代の個人とコラボレー
ション 『情報処理』 % )**0
,
7 ,
9 )**0 『アンビエント・ファインダ
ビリティ』 オライリー・ジャパン
中島 秀之・車谷 浩一・伊藤 日出男 )** ユビキタ
ス情報処理による社会支援『情報処理』 #
*BE
大向 一輝
と集合知 『情報処理』
)**0 ( )*
B
産業技術総合研究所サイバーアシスト研究セン
ター デジタルヒューマン研究ラボ編 )**+
『デジタル・サイバー・リアル−人間中心の情報
技術−』 丸善
高橋 秀俊 0B 時分割方式概説 『電気通信学
会雑誌』 ( 4 0
!" #
池原止戈夫,彌永昌吉,室賀三郎,戸
田巌訳Fサイバネティクス第)版.岩波書店
0)
9 )**
運営に応用すれば民主主義の新しいシステム(たと
"# )**B えば直接民主制の実現)が可能となろう.
)**B しかしながら,繰り返し述べたようにこれらの改
変は技術先導で行うべきものではない.技術はあ
くまで可能性を提供するものであり,その利用の妥
当性は心理学や社会学に求めるべきものと考える.
認知科学はそれらの一つであるが,かなり中心に近
く,重要な部分をカバーしている分野ではないだろ
うか.
文 献
' , 7 8 D
)**0 ,
&# ,
橋田 浩一 )**) インテリジェントコンテンツ
『情報処理』 B B*EB
橋田 浩一 )** 『知識循環型データベース』 )0AE
)BA 財データベース振興センター
橋本 大也 )**0 ()*とは何か 『情報処理』
B
石黒 浩 分散視覚システム 『日本ロボット
学会誌』 EB
=
'
,
D
7 ;%
3 )**+
秀之 正会員
年兵庫県に生まれる.
BA
年東京大学工学部計数工学科卒業.
+年同大学院工学系研究科情報
工学専門課程修了.博士(工学.同
年電子技術総合研究所入所.)**
年産業技術総合研究所サイバーア
シスト研究センター長. )**年公立はこだて未来
大学学長.編著書に「知的エージェントのための集
合と論理」
(共立出版),
「思考」
(岩波講座認知科学
8),
「9」(産業図書)など.
中島
A
&# ,
浩一 正会員
年愛媛県に生まれる.
年東京大学理学部情報科学科卒業.
0年東京大学大学院理学系研究
科情報科学専門課程修了.理学博
士.同年電子技術総合研究所入所.
年から
)年まで(財)新世
代コンピュータ技術開発機構に出向.現在電子技術
総合研究所主任研究官.自然言語処理,人工知能
などの研究に従事.編著書に「岩波構座 認知科学」
(共編,岩波書店)など.
橋田
A
豊 正会員
年香川県に生まれる.
B
年東京大学工学部電子情報工学科
卒業.)**)年同大学院工学系研究
科修了.博士(工学).同年産業技
術総合研究所入所.)**A年より,ス
タンフォード大学客員研究員.人工
知能学会,情報処理学会,自然言語処理学会,
4,4 各会員.
松尾
BA