映画「靖国」騒動 イデオロギー論争には与 しない

映画「靖国」騒動
くみ
イデオロギー論争には与しない
参議院議員
比例代表(全国区)選出
ありむら治子
安易なイデオロギー論争に国民の支持なし
イデオロギー論争に仕立てあげたいのだろうか。映画「靖
国」制作者達は、全国で 3 件展開されたと報じられる街
宣活動に端を発し、映画館が採算性や近隣への配慮ゆえ
に自ら決定した上映自粛の原因を右翼に求め、出演者か
らの映像削除依頼が表面化したことを政治家のせいにし
て、自らは専ら困惑した被害者を装い続けた。
「表現の自
由」と叫ぶ活動体の大合唱を全国メディアに載せさえす
れば、世論の関心が高まり、興行収入の実利が増すのだ。
そこには、マスコミを使って左右の対立を煽るほど、メディアの露出は増え、興行収
入は右上がり、という実に分かりやすい計算が働く。
都合が悪くなると、「国会議員の政治介入によって、表現の自由が危ない、立ち上が
れ!」と論点を巧妙にすり替え、お決まりの構図手法で世論誘導を図り、自らの主義
主張に合わぬ人間の言論を封殺し、貶めようと直接行動に出る。
本映画で実利を得る当事者達と思想的・組織的に連携する人々の多くは、もっともら
しい組織と肩書きを使って、
「日本社会における言論の自由、表現の自由への危機を感
じる」と世論に向けこぞって危機感を煽った。しかし、表現の自由をはじめとする民
主主義国家が誇る精神を理解している国民は、むしろその価値を尊び堅持しているか
くみ
らこそ、一部の活動家が特定の主張を拡大させるための運動には与しなかった。成熟
した世論は、本映画に関わるイデオロギー論争に、共感を示していない。
映画「靖国」が巻き起こした一連の騒動については、今やメディア自身からも冷静な
声が聞こえてくる。
「今回の問題の本質は、言論の自由を掲げる映画や新聞などのメデ
ィアが、人々から必ずしも支持されていないことが明らかになったことだろう。言論
の自由を守れという声は大きなうねりにはならなかった。メディアは人々にどう見ら
れているか自戒する必要がありそうだ」と日経アソシエ(2008.5.6.)も総括している。
今回私は、同僚の稲田朋美衆議院議員とともに、
「靖国」騒動に巻き込まれ、事実に基
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づかない政治介入説によって糾弾のターゲットとされ、期せずして騒動の渦中に身を
置くことになったが、それゆえに、本映画に関する記事や社説、論文や解説に至るま
で、手当たり次第の報道や論評を集め、入手した 130 点近い見解の全てを読むことが
できた。一連の騒動について、おそらくは最も多くの資料を入手し、まじめに目を通
した者の一人であろう。本稿では、この映画の騒動に関わった人達が、どのような意
図を持っていたのかを記し、今後の文化行政につなげる問題提起を試みたい。
表現の自由は、他者の権利を侵害しない限り、尊重されるべき
映画「靖国」の配給宣伝会社であるアルゴピクチャーズが申し込みを受け付け、全国
会議員を対象にした試写会のチラシを見て、私は平成 20 年 3 月 12 日夜の試写会に一
参加者として出席した。試写会開催に至るまでの経緯について関知していない私には、
試写会会場において取材陣からコメントを求められることもなく、その後も議会人と
して、本映画についての自らの価値判断を述べたことはない。言うまでもないことだ
が、私は、街宣活動を展開したとされる政治結社との関わりも一切なく、本映画の上
映阻止を働きかけたことも、誰かの言論を封じようとしたことも、一度たりともない。
リ
イン
当然、本映画を制作した李纓監督にも私にも、言論・表現の自由があり、監督がどの
ような映画を制作し、発表しようと自由だ。そしてその表現活動は、他者の基本的人
権を侵害しない限り、文化を尊ぶ民主主義国家であるわが国においては、最大限尊重
されなければならない。
私の問いは、ただ一点、
【文化庁が、所管する独立行政法人を通じてこの映画「靖国」
に給付した、税金を原資とする公的助成金 750 万円が、果たして適切だったのかどう
か】という問題提起に集約される。
税金を元に組まれる国家予算の執行が適切になされているかどうかを、国民の代表と
して審議するのが国会の仕事。そこで私は、文化行政の一環として行われたこの助成
金執行の妥当性を問うべく、日本芸術文化振興会を所管する文化庁に対して、3 月 27
日の参議院内閣委員会で質問に立つことを決めた。
参拝者の肖像権は守られず
国会質問を準備する過程で、驚くべき事実が次々と出てきた。本映画の宣伝用ビラの、
一面中央に大々的に掲載されている制服姿の男性は、8 月 15 日に靖国神社を参拝した
現役自衛官であり、柏手を打っているところを李監督側に撮影され、その参拝映像の
一部始終が映画に無断で使われた上に、映画宣伝用ビラにおいても、本人の承諾なく
肖像が勝手に掲載されているのだ。映画公開後の現在においても、この映画宣伝用ビ
ラは本人のあずかり知らない所で世間に広がっており、この男性の肖像権や信教の自
由を尊ぶプライバシーは、侵害されている状況が続いている。
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この驚くべき事態をうけて、
【では、本映画に一番多くの時間登場する刀匠(=かたな
かじ)の刈谷直治さんは、この映画「靖国」に出演することを了承していらっしゃる
のだろうか】
という根幹的な疑問が生じたため、3 月 25 日の夜、刈谷さん宅に電話をして、撮影の
経緯を伺った。私は自らが行う調査研究には、慎重を期す。90 歳を超える刈谷さんの
生活を考慮し、議会人である私がコンタクトをとっても良いのかどうか、第三者を介
して先方の意志を予め確認し、電話をかけるべき時間を指定していただいた上での連
絡であった。
肖像権をはじめとする刈谷さんの基本的人権が守られているかを確認するためには、
ご本人が納得の上で映画に出演されているかどうかが焦点になる。
「この映画『靖国』に出ることを刈谷さんご自身は、ご存知だったのですか」
とお尋ねすると、
「いや、刀を作ることについてのドキュメンタリーを撮影したいと申し出があったの
で協力したけれど、自分の映像が他のいろいろな映像と交錯されて使われる、靖国神
社についての映画だとは知らされていなかった」
という旨のお答えがあり、この時の刈谷さん夫妻との会話によって、私は次から次へ
と新事実を知らされることになった。
刈谷さん夫妻は、そもそもこの映画「靖国」に出演することを承諾されておらず、刈
谷さん宅を訪れ、映画の一部を見せに来た李纓監督と中村高寛助監督に対して、
「刈谷
の名前を除かないと上映はだめですよ。まず完成品を全部見せて下さい」と、かねて
より直接対面で伝えられていた。にもかかわらず、その後も夫妻には、映画の完成品
を見る機会が与えられず、監督側の不誠実な対応に困惑されているようすをお話下さ
った。ここで
「刈谷の映像を除いてほしいと言っているけど、私らは小さくてどうすることもでき
ない」
と言われたので、
「それでは明後日の内閣委員会で、この事実をお伝えしましょう。国会質問では議事
録が作られるので、少なくとも刈谷さん夫妻の真のお気持ちを記録にして残すことは
可能です」と申し上げ、夫妻のご希望に沿って、刈谷さんの現況を国会で紹介するこ
とを約束した。
そして約束どおり、私は 3 月 27 日の参議院内閣委員会において、刈谷さん夫妻が窮状
に置かれた経緯を明らかにし、信憑性を確保するために、この主張が噂や伝聞という
未確認情報に基づくものではなく、私自身が責任を持って、刈谷さん夫妻の意思を確
認したという情報源についても、自ら明確に発言した。
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「政治介入」の意図がないからこそ、国会で明言
質問に立った内閣委員会から 2 週間近くも経った 4 月 9 日夕刻になって、突然、共同
通信配信による第一報から、
「出演を承諾していた刈谷さんの気持ちを、有村が変心さ
せた」という李監督の主張だけがクローズアップされ、
「政治介入」と決め付ける報道
が全国で一斉に始まった。
仮に万が一にも、私が政治介入を試みたいと考えていたならば、刈谷さん夫妻と直接
連絡をとり、夫妻の気持ちを私自身が責任を持って確認したという「情報源について
の証言」を、国会質問で自ら進んで明確にするはずもない。
国難に殉じられた方々を追悼する象徴的施設である靖国神社については、小泉元総理
の靖国神社参拝の際にも明らかになったように、国論が二分しており、政治的にも宗
教的にも大変「重い」、デリケートなテーマだ。それゆえ、いかなる形であれ、この靖
国神社のあるべき姿について政治家がコメントをすれば、おおむね半分の世論は、こ
れを好意的に受けとめ、同時に残り半分の世論には、批判的に認識され、場合によっ
ては厳しい攻撃の対象となってしまう。政治的に大変大きなリスクを負うことになる。
だからこそ今回、参議院内閣委員会で、映画「靖国」について質問に立つということ
が決まって以来、私は、表現の自由、言論の自由、思想信条の自由、プライバシーの
尊重等、日本国憲法が保障する自他の諸権利について最大限の注意を払ってきた。後
に「政治介入」
「権利が蹂躙された」等の言われなき
レッテルを貼られることがないよう、本映画につい
ての私自身の主観や評価を一切排除し、
「文化行政と
しての公的助成金給付の是非」という一点に絞って、
事実を丁寧に積み上げ、淡々と論理的に質問を重ね
ていくことに専念してきたのだ。
公権力へのチェック機能こそ議会の使命
国民の諸権利を守り、刻一刻と動いている世界情勢の中で、国益を創っていく第一線
に立つべき国会議員として、職責上おのずから持つことになる情報量や影響力を、私
なりに自覚しているつもりだ。それゆえに私は、
「真実に忠実であること」に最大の価
値を置き、日頃から、事実関係を慎重に把握した上で、勇気を持って正確・的確な言
論活動を行うことに人一倍強い関心を持っている。
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国民の代表として議席をお預かりする議員人が、公的助成金の妥当性を質していくこ
とは、議会制民主主義国家・日本における国会議員の務めだと認識している。現在も
例えば、道路特定財源や社会保険庁の予算執行のあり方について無駄がないかどうか、
与野党の議員が、公権力に対するチェック機能を果たそうと努力しているように、こ
れは国民の負託に対する当然の責務だ。
国会議員が有権者の負託を経て議席を守り、一議席は少なくとも数万人の有権者・日
本国民の声を代弁しているという前提があるからこそ、日本政府のもと各行政機関は、
国会質問によって議会人に質され、議会を通して民意に応えるという義務を負ってい
るものだと、日本国憲法第 62 条および 51 条に照らしても承知している。
一連の騒動において「政治家が、出演者に連絡をとるなどもってのほか」という議論
がなされた。しかし今回給付された公的助成金は、税金を原資にしており、その給付
実績マークを映画や宣伝パンフレットに明示させることによって、日本映画の制作活
動を公的に奨励する性質を持つ。ゆえに、当該映画に関して、
「登場人物が嫌がってい
て、映像の削除を求めている」と複数の情報源から耳にし、マスコミから一切情報を
得ることができない場合に、議会人が、その情報の真偽を確かめるのは、当然のこと
だ。
議会周辺は常に、真偽が明らかではない玉石混交の情報で溢れかえっている。2 年前、
寄せられた偽メールの情報を鵜呑みにし、テレビの前で自民党幹事長(当時)を厳し
く追及してみせた衆議院の永田寿康氏が、その虚偽発言ゆえに議員辞職を余儀なくさ
れ、前原誠司氏も、引責辞任という形で民主党代表の役から降りられたことは、まだ
記憶に新しい。ひっきりなしに寄せられる情報の真偽を見極めるため、最大限の努力
を傾注するのは、言論と信頼性で勝負する政治家の生命線だ。
李監督の恣意的主張は、論点が巧妙にすり替えられているが、私が今回行った国会質
問は、「表現の自由への圧力や介入」などでは全くなく、「表現活動を支援する公的助
成の執行が、憲法をはじめ関係法制に照らし合わせて、適切になされているか」とい
う事実確認であり、国民の知る権利を擁護し、代弁するために行う議会人としての務
めに、どんな非があると言うのだろうか。日本国憲法が規定し、衆参両議院に保障す
る調査に沿って、正式な手続きを全て経た上で、公的な質問を文化庁に呈している。
本映画の内容や、スクリーンが醸し出す主張の適否を問題にしているのではない。
万が一、私の国会質問の仕方や内容に瑕疵があるのであれば、与野党に加え無所属の
国会議員 7 人によって構成されている内閣委員会理事会の場で、異議が正式に申し立
てられるはずだ。しかし実際には、内閣委員会の理事会の場でも、また右から左まで
多様な主義主張を代弁する多くの与野党議員が出席のもとで開催された平場の内閣委
員会においても、私が行った国会質問の内容および手法に対して、異論は一切表明さ
れていない。
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国会議員が予算執行について調査・質問するのが圧力だ、止めろと言うのなら、一体
誰が、私達国民が勤勉の成果として納めた貴重な税金・予算執行の適否を、公権力に
対してチェックできるのだろうか。
刈谷さんの窮状を報じなかったメディア
「美術工芸品としての刀を鋳造する刀匠の半生を描くドキュメンタリーにしたい」と
いう、映画監督を名乗る中国人青年の申し出に、これが現役最後の仕事になると覚悟
を決められ、刈谷さんは渾身の想いで自らを奮い立たせ、善意・無償で刀を鋳造する
撮影に協力された。
自らの映像が映画「靖国」に使われることを知らされていなかった刈谷さん夫妻は、
「刈
谷の名前と映像を除いてほしい」と昨年来、監督側に直接対面で訴えていたが、この
切実な願いに一向に応じようとしない監督達に失望されていた。この事実は地域の
人々によって把握されていたが、本映画が社会問題化することを案じ、失意にあった
老夫婦に対し、マスコミは、誰も手を差し伸べようとは、してこなかった。
特に、今回の一連の騒動で「国会議員の圧力許せない」と声高に喧伝し、分刻みで仕
事と移動を重ねている私を執拗に追いかけ、お決まりの「欠席裁判」で舌鋒鋭く私を
断罪した「善良なジャーナリスト」や一部マスコミのうち、一体誰が、この騒動で最
も弱い立場に置かれている刈谷さん夫妻のか細き声に耳を傾け、この真実を世間に届
けてくれたであろうか。真実を伝え、弱きを守る事こそ、ジャーナリストの崇高な役
割ではなかったのか。
「表現の自由を守れ」と驚くほど迅速に試写会を開催した日本弁護士連合会も、本来
であれば、人々の人権を守ることに使命と誇りを感じる法の専門家集団であるはずだ
が、刈谷さんの窮状と真意が全国 4 紙で報じられてからもなお、
「出演者の人権を守れ」
との声すら上がってこないのは、不思議なことだ。
「人権派」弁護士は、一体どこに消
えてしまったのだろう。
国会質問という責任ある公的な場で、正確な情報に基づいて、公的助成金の是非につ
いて質問を展開しなければならない私の前に、刈谷さんの窮状を的確に伝える報道が
存在したならば、そもそも私が、刈谷さん夫妻に連絡をとる必要など全く無かった。
私の国会質問によって、今でこそ、刈谷さんが「映画『靖国』に自らの映像を使われ
ることを聞かされておらず、映画の一部を見た刈谷さん夫妻が、監督側に直接、映像
と名前の削除を依頼していた」という事実を全国紙が報じ、監督側が、主演者から発
せられた映像削除依頼を、現在も放置したままだという事実が、多くの国民の皆さん
に伝わったのだ。
刈谷さん夫妻は、
「有村さんからは問い合わせを受けただけで、圧力や影響を受けたこ
とはない」と明言されており、これらの証言は、高知 4/10、読売 4/11、毎日 4/11、
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朝日 4/11、東京 4/11、産経 4/12 など、新聞各社の独自取材によって次々と明らかに
された。同時に、今回の李監督による苦し紛れの「政治介入」説と、これを既成事実
化しようとした共同通信の発信が、
「事実報道」ではなく「喧伝」だということが明確
になった。
李監督は、刈谷さんから「映像を削除してほしい」と要求されれば、この映画が成立
しなくなるという認識を持っている(『創』2008.6)。映画が成り立たなくなるという
事態におそれをなしているからこそ、刈谷さんの自宅に赴いた李監督と中村助監督は、
主演者から対面で直接表明されたこの要求に応じておらず、撮影時に惜しみない協力
をされ、完成映画の試写を待っている刈谷さん夫妻と、いまだ連絡を取ろうとしてい
ない。映像削除を、ご本人から改めて突きつけられることを恐れているのだろうか。
「(刈谷)刀匠に対して制作の意図を真摯に説明し、了解を得たと信じている。両者の
信頼関係を傷つけたくないので、こちらから改めて刀匠に事情を説明する予定はない」
(朝日 08.4.11.)と善人を装い、断絶した主演者との関係修復を図ろうとしない李監督
は、映画人として大変不誠実であり、その発言は虚しく響くばかりだ。
4 月 10 日の TBS テレビ番組 NEWS23において、李監督は「刈谷さんとは、長い時
間、コミュニケーションをとって関係を築いてきた」と発言しているが、刈谷さん夫
妻は、高知新聞(08.4.10)等の取材においても、「監督側に対し『信用できない』『だま
された』などと強い不信感もにじませ」ており、両者の信頼関係は破綻している。そ
れでもなお、李監督は、
「刈谷さんには、出演の承諾を得ている。どこでも上映してく
ださいと、言ってもらっている」とメディアで強弁を繰り返しているが、刈谷さん夫
妻は明確にこれを否定されており、私はその夫妻の肉声を公開することにも、承諾を
いただいている。
論点を巧妙にすり替える世論誘導
映画の主要登場人物から突き付けられた映像削除依頼が表面化し、対応に窮していた
李纓監督側は、「言論の自由を守れ」「知る権利を守れ」と突如大応援団を携え、稲田
議員と私・有村の二人を糾弾する一大キャンペーンを張り、巧妙な世論誘導を試みた。
私が一言も発したことのない言葉だが、記者会見で李監督に寄り添った田原総一郎氏
は、「『偏向』とか『反日』とか決め付けるのは間違いだ」と声をあげており、週刊朝
日にも「上映に口を挟む議員は憲法を理解していない連中。日本には言論、表現、結
社、思想のあらゆる自由があることをわかっていない」と氏の舌鋒が紹介されている
(08.4.4.)。しかし、二人の国会議員を断罪する欠席裁判よろしく興奮気味に自説を展
開した「善良なジャーナリスト」
「文化人」の皆さんには、少し冷静に検証していただ
きたい。一体、どの議員が、上映に口を挟んでいるのだろうか。
私は、この映画「靖国」の内容について、議会人としての評価や感想を述べたことは
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ないし、稲田議員も私も、上映中止云々と口にしたことは一度たりともない。参議院
記録部が出した公式議事録をはじめ、私の発言記録を全てご確認いただいても、この
映画についての私の評価・主観を含んだ発言は皆無だ。
公的使命を負うはずの「報道」という美名のもと、事実に基づかない喧伝活動を大胆
に展開し、自らの都合や主張に合わない議会人達の言動を、メディアの影響力で封殺
しようとする権力とは、ほとほと怖いものだ。
「正義」を振りかざし、今回一連の騒動
を大々的に作り上げた一部言論界の重鎮の方々は、国民の皆さんを前に、少なくとも
自身が、
「ジャーナリスト」なのか「活動家」なのか、立場を明確にしてから発言され
る方が、よほど倫理的で説得力があると思われる。
事実に即していない李監督の謀略によって、共同通信の第一報が配信された 4 月 9 日
夕刻から、私は冷酷なバッシングの対象となり、監督側の主張だけを報じた記事や番
組をご覧になった全国の読者・視聴者の方から、事実無根の言いがかりや心無い中傷、
嫌がらせが相次ぎ、全国区選出である私の議会活動を支援して下さる各地の後援者の
信義が傷つけられた。人は匿名になって他者を攻撃するとき、自制のタガを外して、
どうしてこんなにも凶暴に、冷酷に、大胆に、乱暴になることができるのだろうかと、
さが
人の性と変節について改めて考えさせられる毎日であった。しかし、その後真実を伝
える大多数の報道機関によって、この政治介入説はあえなく破綻し、逆に監督側の数々
の論理矛盾や手続きの不備が衆人環視のもとに露呈したのである。自ら仕組んだ策略
とは言え、墓穴を掘ったのは李監督の方ではなかったのか。
李監督側の撮影手法や事実誤認に対して、問題ありと世論から指摘されると、監督側
は、これをイデオロギー論争にすり替え、自らは被害者を装い、空前の社会的宣伝効
果を挙げて興行収入という実利を手にした。しかしイデオロギー論争に仕立てあげ、
憲法や民主主義国家が誇る高邁な精神を盾にした監督側の策略に、私とて簡単にはめ
られる訳にはいかない。イデオロギー論争の構図を煽って「右の圧力許せない」とレ
ッテルを貼るよう、機会をうかがう人々を前にして、私がみすみす「反日的」とか「偏
向」など、映画内容についての評価を、発言するはずもない。
それゆえに私は、上映自粛騒動が起こった時も努めてこの流れに距離を置き、ただひ
たすら、文化行政における助成金の適否一点に絞って問題の本質を追い、自らの手で
丁寧に積み上げてきた事実を、国民の皆さんに報告することに徹してきたのだ。
今度は監督が立証する番だ
李監督から突如向けられた策略に対して、私は刈谷さん夫妻との電話のやり取りをす
べて収録しており、身の潔白を明かす物証を持っていた。その後、報道機関による公
正な取材によっても、監督側の策略が崩れ、私が真実を語っていたことが裏付けられ
た。
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李監督による映画「靖国」に関しては、勝手にキャストに仕立てられた主要登場人の
刈谷さんから「上映を了承したとは一言も言っていない」(産経大阪版 08.4.12.)と表
されたトラブルに加え、靖国神社を参拝される方々の信教の自由やプライバシー、肖
像権等に配慮していない映像が数々指摘され、撮影許可手続きが遵守されていないと
靖国神社からも正式に提起され、
「靖国神社のご神体は日本刀」だと靖国神社の基本に
関しても事実誤認をし、この誤認ですら映画宣伝用ビラにおいては「ドキュメンタリ
ー、知られざる事実がある」とうそぶかれている。
李監督はかつて中国国営中央テレビに勤務していたはずだが、監督のお国では、プラ
イバシーや信教の自由を含む人権、撮影許可や事実確認という、撮影の基本に価値を
置くことすら、メディア業界で教えていないのであろうか。映画の目的や趣旨を明ら
かにし、主要登場人物の撮影許諾をとるというのは、撮影の基本であろう。
「刈谷さん
の出演承諾をとっていた」と李監督がメディアで繰り返し主張される論拠を、今度は
監督自身が出さねばなるまい。李監督が、刈谷さん夫妻との信義にかけて、出演承諾
の確たる証拠を示しさえすれば、すべての騒動は収斂することだ。ウソは許されない。
事実を丹念に追っていく「ドキュメンタリー」を制作する映画人として、そもそもの
信憑性が問われているのだ。
李監督に言う。国民が税金として納めた五百四十一億円の血税と、民間人が日本の文
化力を振興させる志を掲げて集めた百十二億円もの寄付金によって創られた芸術文化
振興基金から、あなたの映画は貴重な公的助成を受けているのだ。その原点は、決し
て忘れてほしくない。
映画の制作にあたり公的助成を受けているからこそ、人生の集大成として善意・無償
で撮影協力された刈谷さん夫妻に対し、人間としての誠意を見せていただきたいと国
民世論は願っているのである。
抗議や論陣は事実に基づいてこそ
今回の騒動に巻き込まれた私に対し、事実に基づかない政治介入説を根拠にして、頻
繁に抗議をしてくる人々がいる。批判を含め、言論の自由があることは、自由な国の
誇るべき特性だ。しかし衆人環視の公的な場で論陣を張るのであれば、言論人の最低
限のマナーとして、せめて私の国会発言を議事録で正確に把握してから、事実に基づ
いて、抗議していただきたい。
3 月 27 日に行った国会質問における私の発言に対し、
「映画人九条の会」の山田和夫
代表委員、高橋邦夫事務局長等から抗議文が寄せられているが、公式議事録が示す通
り、私は国会で、「『九条の会』は、憲法九条をめぐって護憲という立場で政治的メッ
セージを明確に打ち出し活動されていらっしゃる団体です」と発言しているのであっ
て、この情報は、九条の会自らが開設しているオフィシャルホームページの公開情報
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に基づいている。しかもこの九条の会に対する価値判断を私は一切述べていない。
一方、
「映画人九条の会」について、私はその説明情報に全く言及しておらず、山田氏
や高橋氏らが強く抗議し、糾弾しているような「
『映画人九条の会』を特定の政治的イ
デオロギーに立つ活動であると断じ」たり、
「不当な非難的言及」をした事実は、そも
そも存在していない。
月刊『創』の篠田博之編集長までもが、「『伝統と創造の会』の有村治子議員」と、い
とも簡単に偽情報を月刊誌に記しているが(『創』2008.6.)、私は、稲田議員が会長を
務める「伝統と創造の会」という勉強会に所属していないし、その会に関与したこと
すら一度もない。「二人は右」と分かりやすい構図でレッテルを貼りたいのだろうが、
これではさすがに安直すぎる。稲田議員と私・有村が連携し結託していると決め付け
て糾弾する出版物も存在するが、これも事実に反する。信頼性を誇る言論人であれば、
経歴や議事録という基本的事実ぐらいは、しっかり押さえて持論を発表していただき
たいと思う。
活動家のダブルスタンダード
この際、「映画人九条の会」の代表委員・山田和夫
氏、高橋邦夫事務局長に対しても、どちらが反憲法
的・反民主主義的なのか、伺いたい。今回の「靖国」
騒動で「表現の自由を守れ」と声高に運動を展開し、
最前線で活動している「映画演劇労働組合連合会」
の高橋邦夫委員長は、私に抗議文を突きつけてくる
際には、「映画人九条の会」の高橋邦夫事務局長と
肩書きを替えている。それぞれの運動目的に適した
肩書きが複数あるらしい。
この高橋氏は、今からちょうど 10 年前の 5 月、東条英機元首相を描いた映画「プライ
と
き
ド・運命の瞬間」が東映によって公開されようとしていた 1998 年当時、東映労連の副
執行委員長として、
「映画『プライド』を批判する会」を結成し、一般公開阻止行動を
展開し、配給元の東映に赴いて抗議、公開中止を直接要請するという行動に出ていた
ご本人だ。自らの主張に合わない映画では、映画が完成する前から、脚本を見ただけ
でこれを批判し、映画公開予定の1ヶ月以上前から「批判する会」を立ち上げ、300
名と報じられる「文化人・知識人」を率い、表現の自由の価値を自ら否定する行動を
率先したのが当の高橋氏であった。
この動きに連動して映画「プライド」を徹底的に非難し、表現の自由を蹂躙するよう
な組織的活動を当時盛んに報じた日本共産党の機関紙「赤旗」が、今回は一転、
「靖国」
騒動においては、全国紙4紙全てが独自の取材で真実を伝えたこの期に及んでも、い
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まだに「国会質問は、政治圧力だ、表現の自由を」と喧伝し、私を攻撃することに固
執している。事実を丁寧に調査し、議会ルールに則って言論で勝負し、公権力を質す
というのは日本共産党の大事な存在意義であり、強みであるはずなのに、法と規則を
遵守して行われた国会質問の意義を、機関紙で自ら否定して見せるとは、何とも皮肉
で、残念なことだ。
その一方で、日本社会の健全性を示すものだが、10 年前、表現の自由を蹂躙しようと
した高橋氏らの行動に対して、当時の新聞は正論を以って対抗している。読売新聞は
「肝心なことは、歴史の実相を多面的かつ自由に議論することである。映画『プライ
ド』に対する上映禁止運動などは、言論・表現の自由を封じようとする反憲法的なも
のといえる。タブーなき議論こそ、民主主義の基本」だと社説で戒め(1998.6.16.)、
産経新聞も、
「作品を見たうえで批判するのは自由だが、その作品を見せるのも許さな
いというやり方は、憲法で保障された『表現の自由』を侵す恐れがあり、運動側の自
粛を求めたい」(
「主張」1998.5.23.)と、公開中止運動をたしなめている。
自らの主義主張に合わない映画は、制作すること自体も非難し、配給会社に対して上
映阻止運動を展開して、国民から映画を見る機会や「知る権利」を奪おうとしておき
ながら、その一方で「表現の自由が危ない」と危機を煽って、自らの主義主張に不都
合な議会人を徹底的に糾弾し、その言論封鎖を狙うという高橋氏らの変節ぶりは、言
行一致としての信頼性もなく、説得力を欠く。
また当時、
「映画『プライド』を批判する会」の代表委員を務めた映画評論家の山田和
夫氏は、日本共産党の「赤旗」を主な自説発表の場として見識を述べられ、ベトナム
社会主義共和国からは友好勲章を、社会主義革命宣言をしたキューバ共和国からは文
化功労章をそれぞれ授与されたこともあるほど造詣が深い方であり、日本映画につい
ての論文では、「歴史を忘れない」ことの価値を力説しておられる(シネ・フロント
1999.3)。これほどの信念と社会的発信力をお持ちであればこそ、映画の上映阻止運動
にいそしんだ 10 年前の自らの行動を省み、議事録を把握することもなく私の国会発言
を糾弾する山田氏ご自身の現在の言動に、正確さと節操を期していただきたい。
民主主義と文化行政の発展へ
たとえ自分達の思想や信条と相反する主張が展開されても、それが他者の基本的人権
や公益に反しない限り、言論・表現の自由を守るという大義を貫くのが、民主主義国
家で活動する言論者・表現者の根幹的な誇りであり、責務ではないだろうか。私は国
政に身をおく議会人として、その自覚を持っているからこそ、国会質問においても、
映画「靖国」が表現する内容の是非・価値判断については一切言及せず、ただひたす
ら手続き論として、国民の血税が原資となった公的助成映画の申請・選考・給付の経
過が、適切になされたかどうかを問うてきた。
同時に、苦し紛れに監督が突如放った言われなき政治介入説によって、昼夜なく仕向
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けられた嫌がらせに大変な苦痛を味わっていた最中においても、本映画の上映機会が
確保されることを支持し、自らのホームページにおいてもこの立場を貫いてきた。民
主主義国家としての成熟度が問われており、自らに対しても、その発展のために奉仕
すべき議会人としての覚悟が問われているものと認識している。苦し紛れに仕組まれ
くみ
た安易なイデオロギー論争に、与するつもりはない。
先の参議院内閣委員会における私の国会質問によって、今回行われた公的助成金の支
給作品選定審査が、大変杜撰な手続きの連続であったことが、国民の皆さんの前に明
らかになった。日本の国家財政が厳しい折、血税を払わされている国民世論は、助成
対象作品を決める選定会議の議事録や記録さえとらず、確たる根拠も示せずに「適切
に行われていた」と繰り返す文化庁を、どう認識されるのであろうか。原資は国民の
貴重な血税である。今問われているのは、文化庁の文化力と責任だ。
公益に資する活動を推進しているという信頼あっての文化行政であり、国民から慕わ
れ、支持されてこその文化振興であろう。今後、日本芸術文化振興会や文化庁が、こ
の原点に実直に立ち返って、公正な運営と、納税者が納得できる説明責任を果たすこ
とを期待し、国民から慈しまれる文化的発信を応援したい。存在意義に忠実に、文化
行政を発展させようと不断の努力を重ねることが、日本の貴重な財産となると信じて
いる。
有村治子 (ありむら
はるこ) 参議院議員
比例代表(全国区)選出。
昭和 45 年生まれ。近江兄弟社高校、ICU 国際基督教大学を卒業。伊藤国際教育交流財
団からの奨学金によって、米国 The School for International Training(SIT)大学院
に留学・修士課程修了。日本マクドナルド㈱勤務を経て、社会人大学院生として青山
学院大学 大学院博士課程に在籍中の平成 13 年、参議院選挙 比例代表(全国区)に
て初当選。
「教育は国民性を創る礎」という信念のもと、平成 17 年∼18 年には、文部
科学大臣政務官として内閣を支え、教育基本法の改正に務める。平成 19 年、2 期目の
当選。
しっかりとした国家観と、地に足の着いた生活観を併せ持って、命の重み、家族の絆、
国家の尊厳を守る議会活動を志す「参議院の元気印」。
政治活動で最も大切にしている価値観
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フェア(公正)であること
誠実・堅実・実直であること
勇気を持って行動すること
ホームページ
www.arimura.tv ありむら治子
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