トトロと何かを忘れてしまった80年代の日本人 (Views on the Film

ト ト ロと 何 かを 忘 れて し まっ た 80 年 代の 日 本人
(Views on the Film: “Tonari no Totoro” by Hayao Miyazaki)
ライアン
ハンダーハン
Ryan Handerhan
誰でも宮崎駿監督の「となりのトトロ」というアニメ作品について
耳にしたことがあるだろう。1988年公開だが、現在もスタジオジブリ
の代表作として人気が高い。80年代に制作されたのに1958年の日本
に時代を設定したのには、一体どのような意味があるのであろうか。実際
は、その時代設定で宮崎監督がメッセージを表現し、公開の80年代の日
本人が50年代の何かを忘れてしまったというテーマのように思える。先
ず、50年代に存在して映画に反映された物を示し、又は、80年代の日
本人が忘れ去った物と比較する。その分析から、宮崎監督のメッセージに
ついての私の意見を説明する。それから、「となりのトトロ」の日本社会
へ向けてのメッセージを深く検討するつもりだ。
50年代の日本の田舎を舞台にした映画には理想的な時代精神と
色々な伝統的な道徳が反映されている。テレビ放送の前の時代であり、皆
がより質素な生活をしていても、主人公の草壁サツキと草壁メイがその自
然と質素のことの中に色々と不思議で楽しいことを見つける。サツキは慈
愛と忍耐を出し、寝坊する父親に代わり、妹の面倒をみたり、家事もこな
す。サツキとメイが入院したお母さんを愛しているのがはっきり見えて、
登場人物の家族に対しての忠誠心が反映されている。メイが見つからない
時、近所の人たち皆が一緒に探しながら、不思議なトトロの助けでメイを
最後に救い、その経験が皆の信頼感を強めることになる。それらは、50
年代の何も無い敗戦社会から「より平和な世界のために一緒に頑張ろう」
という時代精神からの理想を表すものである。その所の質素、慈愛、忠誠
心、および信頼感が、高度経済成長期の前の時代を背景に成長を目標にし
ている時代だったので、大切にしていることであった。
しかし、「となりのトトロ」が制作された80年代の日本人は、そ
のような伝統的な精神や道徳を忘れてしまったようである。バブル経済に
基づいて、大金持ちになった日本人が質素な気持ちを捨てて、喜びを見つ
けるものは、商品等しかなかった。単純な嬉しさを忘れてしまったようで
あった。「トトロ」が50年代の田舎を舞台にすることは、その80年代
の日本人にメッセージを伝える戦略だったように思える。そのメッセージ
は、「50年代に理想だった伝統的な質素、慈愛、忍耐、忠誠心、および
信頼感をもう一度取り戻すように」というテーマだと思われる。多分、宮
崎監督が前に大事にしていた道徳を忘れてしまった日本人に対して危機感
を持ち、トトロで50年代の理想的な特徴を表すのはそのようなわがまま
みたいな態度に対しての注意であった。
「気をつけて大切にしていた伝統的な道徳を忘れないように」とい
う注意を伝える為、「となりのトトロ」が宮崎監督によって50年代の日
本の田舎に時代設定された。サツキとメイと沢山の登場人物に理想的な質
素、慈愛、忍耐、忠誠心、および人々の信頼感が表されている。80年代
のバブル社会のように大金持ちになってもサツキとメイのように質素で単
純だけれどプレシャーのない生活ではないと幸せを見つけられないのであ
ろう。「トトロ」の登場人物から何かを習えるのではないだろうか。