発掘された 新潟の歴史 - 新潟県地域共同リポジトリ

平成
にいがたの土偶
新潟県立歴史博物館
にいがたの土偶
発掘された新潟の歴史
2
0
1
1
2011
年度 秋季企画展
23
発掘された
新潟の歴史
にいがたの土偶
平成23年度 秋季企画展
発掘された
新潟の歴史
2011
展示図録
新潟県立歴史博物館
目次
Ⅰ
概説
にいがたの土偶 ……………………………………5
Ⅱ
Ⅲ
列品資料 にいがたの土偶 ………………………………18
展示遺跡一覧 ………………………………………………86
新潟県の縄文時代中期土偶とその周辺
付 新潟県の縄文時代中期土偶および関連資料出土遺跡
胎内市
長岡市
二軒茶屋遺跡 ……………18
大武遺跡 …………………18
小千谷市
三仏生遺跡 ………………18
前田遺跡 …………………19
樋渡遺跡 …………………19
高平遺跡 …………………20
春木山遺跡 ………………22
新発田市 石田遺跡 …………………23
新潟市
大沢遺跡 …………………24
五泉市
大蔵遺跡 …………………25
阿賀野市 ツベタ遺跡 ………………26
横峯B遺跡 ………………29
村杉遺跡 …………………29
萩野遺跡 …………………30
阿賀町
大坂上道遺跡 ……………30
狐窪遺跡 …………………31
屋敷島遺跡 ………………32
キンカ杉遺跡 ……………33
北野遺跡 …………………36
三条市
長野遺跡 …………………37
吉野屋遺跡 ……………………………39
見附市
耳取遺跡 …………………43
長岡市
栃倉遺跡 …………………44
仲崎遺跡 …………………46
中道遺跡 …………………47
山下遺跡 …………………49
外新田遺跡 ………………50
岩野原遺跡 ………………51
南原遺跡 …………………53
馬高遺跡 …………………54
魚沼市
清水上遺跡 ………………55
柿ノ木田の上遺跡 ………55
正安寺遺跡 ………………55
南魚沼市 五丁歩遺跡 ………………56
津南町
北林C遺跡 ………………57
上野スサキ遺跡 …………57
沖ノ原遺跡 ……………………………58
道尻手遺跡 ……………………………59
十日町市
村上市
柏崎市
上越市
妙高市
糸魚川市
佐渡市
富山県
長野県
秋田県
笹山遺跡 …………………63
幅上遺跡 …………………64
大井久保遺跡 ……………65
カウカ平A遺跡 …………65
下梨子遺跡 ………………66
横割遺跡 …………………66
南雲遺跡 …………………66
ぼんのう遺跡 ……………67
小坂遺跡 …………………68
野首遺跡 …………………69
上ノ山開墾地遺跡 ………70
森上遺跡 …………………70
剣野B遺跡 ………………71
十三仏塚遺跡 ……………72
岩野遺跡 …………………72
坪之内遺跡 ………………72
長峰遺跡 …………………73
和泉A遺跡 ………………75
大久保遺跡 ………………75
山屋敷Ⅰ遺跡 ……………76
大貝遺跡 …………………78
道灌遺跡 …………………78
十二平遺跡 ………………79
井の上遺跡 ………………79
長者ヶ原遺跡 ……………80
長者ヶ平遺跡 ……………82
大下遺跡 …………………82
三宮貝塚 …………………82
大工町遺跡 ………………82
長山遺跡 …………………83
境A遺跡 …………………84
姥ヶ沢遺跡 ………………85
坂ノ上F遺跡 ……………85
下堤A遺跡 ………………85
黒倉Ⅰ遺跡 ………………85
大畑台遺跡 ………………85
烏野遺跡 …………………85
ごあいさつ
この た び 、
「 発 掘 さ れ た 新 潟 の 歴 史 2 0 1 1 」展 を 開 催 す る 運 び と な り
まし た 。
「 発 掘 さ れ た 新 潟 の 歴 史 2 0 1 1 」展 は 、新 潟 県 教 育 委 員 会 、財 団 法
人 新 潟 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 と と も に 主 催 し ま す 。ま た 、新 潟 市 、長
岡 市 教 育 委 員 会 、上 越 市 教 育 委 員 会 、三 条 市 、柏 崎 市 教 育 委 員 会 、新
発 田 市 教 育 委 員 会 、十 日 町 市 教 育 委 員 会 、見 附 市 教 育 委 員 会 、村 上 市
教 育 委 員 会 、糸 魚 川 市 教 育 委 員 会 、妙 高 市 教 育 委 員 会 、五 泉 市 教 育 委
員 会 、佐 渡 市 教 育 委 員 会 、阿 賀 野 市 教 育 委 員 会 、魚 沼 市 教 育 委 員 会 、
胎 内 市 教 育 委 員 会 、阿 賀 町 教 育 委 員 会 、津 南 町 教 育 委 員 会 に 共 催 い
た だ い て お りま す 。
新 潟 県 内 で は 、年 間 1 0 0 件 あ ま り の 埋 蔵 文 化 財 が 発 掘 調 査 さ れ て
い ま す 。新 潟 県 立 歴 史 博 物 館 で は 開 館 以 来 、こ れ ら 最 新 の 発 掘 調 査 成
果 を 紹 介 す る 企 画 展 を 定 期 的 に 開 催 し て ま い りま し た 。
6 回 目 と な り ま す 本 企 画 展 で は 、財 団 法 人 新 潟 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事
業 団 が 行 っ た 近 年 の 発 掘 調 査 の 中 か ら 、特 に 平 成 2 2 年 度 の 成 果 に つ
い て 、時 代 や 性 格 の 異 な る 1 0 か 所 の 遺 跡 を 取 り 上 げ 、豊 富 な 出 土 品 と
写 真 パ ネ ル で 紹 介します。
ま た 、新 た な 試 み と し て 、こ れ ま で の 発 掘 調 査 の 成 果 に も と づ い て 、
「 に い が た の 土 偶 」と い う テ ー マ を 設 け て 展 示 を 行 い ま す 。今 回 は と く
に 約 5 0 0 0 年 前 、縄 文 時 代 中 期「 火 焔 土 器 の 時 代 」前 後 の 土 偶 を 一 堂
に 集 め て 紹 介 し ま す 。発 掘 調 査 を 終 え て 蓄 積 さ れ た 資 料 は 、歴 史 の 証
拠 と し て 、発 掘 調 査 を 担 っ た 諸 機 関 で 大 切 に 保 管 さ れ て い ま す 。そ れ
ら を 一 堂 に 展 示 す る こ と で 、新 た な 理 解 を 得 ら れ る も の と 期 待 し て い
ます。
埋 蔵 文 化 財 は「 歴 史 の タ イ ム カ プ セ ル 」と い え る 存 在 で す 。発 掘 調 査
によって 明らかとな った 多 数 の 遺 跡 に 接し 、
「 歴 史 のタイムカプ セ ル 」
そ れ ぞ れ の 個 性 が 伝 わ り 、新 潟 の 歴 史 と 文 化 に 親 し む き っ か け と な れ
ば 幸 いで す。
平成23年9月22日
新潟県立歴史博物館
館長
中島
太郎
凡例
1、本書は 2011 年9月 23 日から 11 月 20 日までを会期とする新潟県立歴史博物館平成 23 年度秋季企画展「にいが
たの土偶‐発掘された新潟の歴史 2011−」
の展示図録である。
2、本書には、新潟県立歴史博物館が分担する新潟県の縄文時代中期土偶に関する概説と列品資料の写真を収録する。
財団法人埋蔵文化財調査事業団が分担する発掘調査の速報は含まれていない。
3、列品資料の写真は、出土遺跡ごとにまとめてある。
なお、新潟県の縄文中期土偶は、遺跡の所在地にしたがい、北の遺
跡から順に収録している。
ただし、縄文時代中期以外の土偶とその関連資料等は先頭に、新潟県外の関連資料は末尾
に収録している。
また、本図録の収録順序は、列品順序と一致していない。
4、列品資料の写真それぞれには、出土遺跡 資料名 所蔵先を記している。
とくに記載がない限り縄文時代中期に属
する。
5、本書に収録した列品資料写真は、原則として新潟県立歴史博物館による撮影である。資料所蔵機関等から提供を受け
た写真については、必要に応じて著作権者を記した。
なお、写真提供は、以下のとおりである。
新潟県教育委員会
大武遺跡(X 線写真)
新潟市教育委員会(新潟市文化財センター) 大沢遺跡
長岡市教育委員会(長岡市馬高縄文館)
馬高遺跡
小熊博史氏撮影
三条市教育委員会
吉野屋遺跡
小川忠博氏撮影
長野遺跡
小川忠博氏撮影
柏崎市教育委員会
剣野B遺跡 生焼け土偶
品田高志氏撮影
十日町市教育委員会(十日町市博物館)
笹山遺跡
小川忠博氏撮影
森上遺跡
小川忠博氏撮影
その他
宮内信雄氏撮影
胎内市教育委員会
二軒茶屋遺跡(X 線写真)
小川忠博氏撮影
上越市長峰遺跡
小川忠博氏撮影
糸魚川市長者ヶ原遺跡
小川忠博氏撮影
富山県埋蔵文化財センター
長山遺跡
境 A 遺跡
6、本書の執筆・編集は、新潟県立歴史博物館の学芸課長寺崎裕助と専門研究員宮尾亨の担当である。
7、企画展の計画立案から実施にいたる過程で、発掘調査報告書、学術論文、学術刊行物をはじめ多くの文献を参考とし
たが、頁数の関係で割愛した。改めて研究紀要に研究論文執筆し、引用参考文献を表記する予定である。
Ⅰ
概説
にいがたの土偶
新潟県の縄文時代中期土偶とその周辺
の頃、米山を境に出土する縄文土器の個性は大
はじめに
「発掘された新潟の歴史 2011」では、最初
きく二分され、米山以北は「火焔土器の国」、
に「にいがたの土偶」を展示します。とくに縄
以西は火炎土器の少ない地域といえます。さら
文時代中期の土偶を中心に、新潟県内 67 遺跡、
に、それぞれの地域の中でも、微妙な違いがあ
県外 8 遺跡の計 75 遺跡、1,500 点の資料を列
ります。火炎土器のクニでは、阿賀野川上流域
品します。
で新潟よりも会津に近い様相を示します。「火
縄文土器の編年
焔土器の国」の中核地帯といえる信濃川上流域
縄文時代は、約 1 万 3,000 年間をいいます。
から魚野川上流域では、火炎土器の他に群馬県
1 万 5,000 年前ころに始まり、2,500 年前ころ
や長野県東部・北部の影響が加味されています。
に終わります。その間は縄文土器の編年によっ
火炎土器の少ない米山以西の上越市域では、長
て、 草 創 期(1 万 5,000 ~ 1 万 1,000 年 前 )、
野県北部や富山県の影響が強く表れています。
早期(1 万 1,000 ~ 7,000 年前)、前期(7,000
また、糸魚川市域では、富山県と見間違う土器
~ 5,500 年前)、中期(5,500 ~ 4,500 年前)、
があります。
後期(4,500 ~ 3,000 年前)、晩期(3,000 ~
このような複雑な地域性が生まれた背景に
2,500 年前)の6期に区分され、各期はさらに
は、新潟県が南北に長い海岸線を有し、かつ、
前葉、中葉、後葉に大別されています。
それぞれに個性的な縄文土器をもつ周辺地域、
明治時代以来の研究成果として、日本各地の
東北、関東、中部高地、北陸などと接している
縄文土器は型式名を与えられ、それぞれの新旧
ため、さまざまな影響を受け続けていたことが
関係を示す縄文土器の編年ができています。ま
想定されます。そして、このような新潟県内の
た、縄文土器の型式それぞれの年代的つながり
地域性は、火炎土器の時代以降 5,000 年余り
や地域的ひろがりに応じて、様式と呼ばれるこ
を経た現在でも受け継がれています。
ともあります。縄文土器の様式名や型式名には、
新潟県最古の土偶
特徴的な土器やそれを最初に発見した遺跡名が
本県最古の土偶は、胎内市二軒茶屋遺跡で出
用いられています。
土した板状の2個体です。ひとつは右腕から右
新潟県の縄文中期は、前葉では前半の剣野 E
胸にかけての破片で、胸には乳房を表す突起が
式や和泉A式ならびに古屋敷式、後半の千石原
あります。もうひとつは上半身の破片で、目鼻
式、中葉では前半の火炎土器様式とも呼ばれる
の表現はなく、顔面が窪んでいるだけです。右
馬高式、後半の栃倉式、後葉には沖ノ原式とい
腕を小さく突き出すように表現しています。こ
う個性豊かな土器群があります。前葉の土器は、
れらの土偶は、同じ遺跡の出土土器から縄文時
文様を施す時に半截した竹管やヘラ状の工具を
代前期前葉(6,700 ~ 6,500 年前)のものと
多用します。中葉前半の火炎土器様式は、文様
考えられます。
が隆帯や隆線で描かれ縄文を持たない火焔型や
日本最古級の土鈴
王冠型といった独特の土器を持ちます。後半の
二軒茶屋遺跡では、土偶と同時代の土製の鈴
栃倉式は、文様の空白部を綾杉状などの沈線で
「土鈴」が出土しています。小形(径3cm・15
埋めています。沖ノ原式は、口縁部に圧痕隆帯
g)で、振るとカラカラと音がします。X線撮
と渦巻文を配し、胴部は縄文のみで、前葉や中
影によって、径数ミリの何かが 15 個以上入っ
葉に比べて地味です。
ていることがわかりました。同様の「土鈴」は、
縄文土器の地域性
長岡市大武遺跡からも出土しています。三方の
新潟県の縄文時代中期は、個性的な土器に
尖ったヒシの実状(3.6cm × 2.5cm・9g)で、
よって多様な地域性を示します。火炎土器様式
内部には何かが5~6個入っていて、振ると
−5−
シャカシャカと音をたてます。
なお、縄文時代前期前葉の「土鈴」は、
この2点のほかに発見されていません。
遠隔地の土偶
小千谷市三仏生遺跡では、新潟県に類
をみない分銅形の土偶が出土していま
す。幅約5cm、厚さ約2cm の大きさで、
胴部上半が欠落しています。正面中央に
沈線が縦走し、中央に円形の刺突があり
ます。背面中央には沈線が横走し、正面
と同位置に円形の刺突があります。愛知
県八王子貝塚出土の土偶を典型とする東
海地方の縄文後期後葉「八王子型土偶」
と共通する特徴を示す遠隔地の最北出土
例です。
土偶の編年
すべての土偶について、年代を明らか
にすることはできませんが、同じ遺跡あ
るいは遺構から出土している縄文土器を
手がかりにすれば、縄文土器の編年と対
応させることができます。また、土偶に
は縄文土器と共通する文様が施されてい
ることがあります。このような文様を手
がかりに、縄文土器の編年と対照するこ
ともできます。
中空土偶
新潟県には、縄文時代中期前葉(5,500
年前)の中空土偶があります。津南町上
野遺跡や北林 C 遺跡、上越市長峰遺跡
や和泉 A 遺跡の土偶は、土器の成形と
同じように粘土紐を積み上げて土偶の胴
体や脚が成形され、中空になっています。
長野県北部の深沢遺跡にも同様の土偶が
あり、新潟県の縄文時代中期前葉を特徴
づける土偶です。なお、新潟県にかぎら
ず、縄文時代中期の多くは、中実土偶で
す。
カッパ形土偶
縄文時代中期、新潟県の土偶にはカッ
パ形土偶の愛称があります。土偶の頭頂
部が平坦か凹んでいて、伝説や昔話に登
場する河童の皿を連想させることに由来
−6−
します。1964(昭和 39)年に刊行された五泉
㎝しかありません。また、上越市長峰遺跡出土
市の大蔵遺跡第一次調査中間報告書の中で、土
の完形土偶は5cm余りで、手の中に完全に収
偶の形態を説明するために、河童の異称である
まります。
「河太郎」を用いて記載したことを嚆矢としま
大きな土偶で完形に近いものは、残念ながら
す。
ほとんど見つかっていません。糸魚川市長者ヶ
カッパ形土偶は、新潟県を含む北陸を中心に、
原遺跡のほぼ完形の土偶(東京国立博物館所蔵)
関東地方西部、中部高地、東北地方南部という
が高さ 30cm を誇り、新潟県内出土の土偶では
広範囲にみられます。縄文時代中期前葉から中
最大です。ただし、阿賀町キンカ杉遺跡の土偶
葉(5,400 ~ 4,700 年前)の土偶と理解され
には 26㎝の板状胴体があり、全身が残されて
ています。
いれば、最も大きくなるかもしれません。ちな
カッパ形土偶の大小
みにミス馬高の愛称をもつ長岡市馬高遺跡の下
カッパ形土偶のサイズには、大小のバラエ
半身の欠けた土偶は 18㎝あります。下半身も
ティーがあり、手の中に収まるものから、手か
同じくらいの大きさならば、ミス馬高も捨てが
らはみ出すものまで多様です。カッパ形土偶の
たい存在です。
多くは、片手で握りしめられますが、なかには
長山タイプと新潟県の土偶
両手で抱える必要のあるものもあります。手の
長山タイプはカッパ形土偶の型式です。富山
中に収まるものには、指先で扱えるようなもの
県長山遺跡出土資料を標式とする縄文時代中期
もあります。
前葉の土偶です。
新潟県最小は、長岡市南原遺跡出土の土偶で
土偶は、素材となる粘土の塊や紐を組み合わ
す。頭が失われていて、板状胴体の長さが 2.3
せて造形する点に特徴があり、「分割塊製作法」
−7−
と呼ばれています。とくに長山遺跡出土の土偶
線美豊かな胴体、豊かな腰まわりと大きくせり
では、板状の胴体に別作りの立体的な頭、腕、
出した尻(出尻)、左右で長さの異なる太く短
脚を接合したようすが観察できます。斜めに下
い脚が特徴です。立体的で美しい曲線にまとめ
げ伸ばした両腕と、平坦な頭頂部を巻き髪状に
られた全体像は、土偶造形の到達点と評されて
囲み、後頭部におさげ髪状の表現があります。
います。このような優美な造形も、「分割塊製
新潟県では、日本海を北上するかのように上
作法」で行われています。長山タイプ同様に、
越市長峰遺跡、柏崎市剣野B遺跡、三条市吉野
頭や脚は別々に作られ、胴体に接合されていま
屋遺跡、新潟市大沢遺跡に明瞭な長山タイプが
す。
あります。
新潟県では、明らかな棚畑タイプは発見され
棚畑タイプと新潟県の土偶
ていません。しかし、部分的に棚畑タイプの造
棚畑タイプは、中部高地を代表するカッパ形
形を取り入れた土偶があります。糸魚川市長
土偶の型式です。長野県棚畑遺跡出土の「国宝・
者ヶ原遺跡の土偶は、下半身に棚畑タイプの豊
縄文ヴィーナス」を標式とする縄文時代中期前
かな腰まわりや出尻と共通する特徴がありま
葉の土偶です。
す。また、上越市長峰遺跡の小さい土偶は、上
切れ長の目、おちょぼ口、平滑な頭頂部、曲
半身に長山タイプの特徴を、下半身に棚畑タイ
−8−
プの特徴を示します。
出土している特異な顔つきの土偶を標式としま
西ノ前タイプと新潟県の土偶
す。縄文時代中期前葉から中葉にかけての土偶
西ノ前タイプは、東北地方南部を代表する
です。
カッパ形土偶の型式です。山形県西ノ前遺跡出
吉野屋タイプは、キノコ状の頭を最大の特色
土の「国指定重要文化財・東北のヴィーナス」
とします。頭頂部が浅く凹むものと、緩やかに
を標式とする縄文時代中期前葉から中葉にかけ
膨らむものとに分かれます。頭頂部には、頭髪
ての土偶です。
を思わせる表現が見られます。とくに緩やかに
ノッペラボウの顔、長い角ばった脚、引き締
膨らんだ頭頂部に沈線で描いた文様は、中分し
まったウエストからなり、究極のディフォルメ
た髪形にも見えます。顔面の表現される部分は
と評される全身美を特徴とします。長野県棚畑
極端に狭く、ディフォルメされた目や鼻の穴、
遺跡の「縄文ヴィーナス」と双璧をなす土偶造
口が表現されています。しばしば、鼻や口が省
形です。一見すると長山タイプや棚畑タイプと
略され、あるいはノッペラボウで、怪異な容貌
は異なりますが、「分割塊製作法」による作り
に見えます。顔面は、頭部にさらに円形、楕円
方は共通し、頭や脚を別に作って、胴体に接合
形、逆三角形、ハート形に粘土塊を整えて貼り
しています。
付けたものと、直接に目鼻口を刻んだものとが
新潟県では、村上市高平遺跡や新潟市大沢遺
あります。また粘土紐を貼り付けて、眉毛と鼻
跡で脚部の破片が出土していますが、全身のわ
筋を表現しているものもあります。
かる個体は見つかっていません。
胴体と腕は板状で、全体が平板なものと腹に
新潟県のカッパ形土偶「吉野屋タイプ」
若干のふくらみを表現するものとがあります。
吉野屋タイプは、新潟県を代表するカッパ形
腕はほぼ水平か、バンザイ気味になっています。
土偶の型式です。三条市吉野屋遺跡から数多く
胸には乳房を表現する粘土塊が貼り付けられて
−9−
いるものが多いですが、すべてではありません。
貼り付けられています。とくに逆三角形の底辺
また同様の粘土塊を腹にも貼り付けているもの
にそって乳房状の表現が多々あります。長岡市
があり、腹のふくらみにも、デベソにも見えま
山下遺跡、十日町市笹山遺跡や野首遺跡、津南
す。胴体下半の正面中央には隆線か沈線、そし
町道尻手遺跡には、オチンチン状の表現もあり
て穴があり、一般的に正中線やヘソを表現した
ます。背面はよく磨かれているものが多いこと
ものと考えられています。しかし、それらの表
も特色です。三角形土版は平板ではなく、三つ
現がないものも多くあります。その一方で胴体
の頂点が肥厚し、背面が反りかえっています。
上半、胸の中央に凹みを設けているものがあり
土版
ます。なお、独立した二脚はほとんどなく、胴
土版は新潟県を除けば縄文時代中期にはあり
体の最下部に丸みと厚みをもたせて脚(足)状
ません。村上市春木山遺跡、長岡市の馬高遺跡
の表現とするか、板状の胴体のみで、脚の表現
と岩野原遺跡、津南町道尻手遺跡などで出土し
を欠いていることも特徴です。
ています。手の中に収まる長方体の板状土製品
吉野屋タイプの製作は、ほかのカッパ形土偶
です。なお、糸魚川市長者ヶ原遺跡には径2
と同様「分割塊製作法」で行われています。胴
cm の円盤体の土版があります。土偶出土点数
体は二本の粘土紐を芯材として束ねるか、粘土
の多い遺跡で見つかっていますので、土偶との
板ひとつを芯材にしています。腕は胴体と一体
関わりをうかがえます。
で造形され、頭を別に作って接合しているよう
耳飾り
です。頭部破片の割れ口には、胴体に差し込む
縄文時代中期の土製耳飾りは、新潟県外には
プラグとなった凸状の成形が見られます。
ほとんど存在しません。耳朶に孔を穿って、は
吉野屋タイプには、頭頂部に孔を穿ったもの
め込んだピアスです。赤彩されたものもありま
が多く、見られます。孔の数は1、2、3、4、
す。直径 0.5 ~5㎝前後で、それ以上のものは
5個などと多様です。また、新潟県の土偶では、
見られません。少なくとも 30 か所以上の遺跡
腕や肩にも孔の穿たれているものがあります。
で出土しています。火焔型土器や王冠型土器の
土偶の前後に貫通した孔と上下に貫通した孔と
多い中越の遺跡に集中する傾向があります。
があります。土偶を吊下げるための孔とみる意
ヒスイ大珠
見のほかに、花や鳥の羽根を刺し飾ったとする
ヒスイで作られた大形の垂玉です。この企画
意見などがあります。土偶に穿たれた孔は、貫
展では長さ5㎝以上のものを大珠としていま
通していないものもあり、孔の位置や向きも一
す。縄文時代中期、ヒスイ原産地の糸魚川市や
定ではありませんので、即断できません。なお、
その周辺で製作され、全国各地にもたらされた
このような貫通孔は、耳の表現にも適用されて
と考えられています。糸魚川市長者ヶ原遺跡や
います。土偶とともに新潟県の縄文時代中期に
富山県境A遺跡などがヒスイ大珠の製作地と推
は土製の耳飾りが出現することと関係するのか
定されています。ヒスイ原産地を有しながら、
もしれません。
新潟県の縄文中期遺跡には、ヒスイ大珠はそれ
吉野屋タイプは、新潟県内では中越に多く、
ほど多くありません。
下越や上越にも存在します。隣接する長野県や
三角壔形土製品
山形県のほか、秋田県などにもおよんでいます。
三角柱体を構成する長方形の一面が平坦もし
もうひとつの土偶「三角形土版」
くは凹状になっていることから、その一面を底
三角形土版は、新潟県を代表するもうひとつ
面として、三角柱体を横倒しにみて「三角壔形
の土偶です。縄文時代中期中葉あるいは後葉の
土製品」の名称で呼ばれています。東日本の遺
ユニークな土偶です。逆三角形のカタチをヒト
跡でひろく出土していますが、とくに新潟県と
の身体に見立てています。正面は左右対称に沈
富山県に多く、縄文時代中期中葉から後葉の遺
線区画され、刺突で装飾されるほか、粘土塊が
跡で発見されます。なお、新潟県には三角壔形
− 10 −
石製品もあります。
てもばらつきが大きく、土偶の意味を考えるヒ
縄文時代中期の環状集落の遺跡
ントになりそうです。縄文時代中期の新潟県で
発掘調査の理由や調査面積がさまざまで、厳
も、遺跡ごとに出土点数に大きな格差がありま
密な比較は難しいのですが、遺跡の内容を比較
す。大部分の遺跡では、土偶の破片が数点ある
してみましょう。
かないかですが、その一方で数十点を数える遺
縄文時代中期、縄文モデルムラと呼ばれる環
跡があります。
状集落があります。竪穴住居跡や掘立柱建物跡
100 点をこえる土偶が出土している遺跡は、
などが、中央に広場をもって環状に重なり合っ
津南町道尻手と三条市吉野屋遺跡だけです。半
て見つかる遺跡です。新潟県では、とくに「火
数以下で長岡市馬高遺跡が続きます。もうひと
焔土器の国」の本場、信濃川中流域から上流
つの土偶「三角形土版」の出土点数も、土偶と
域で環状集落が多く見つかっています。直径
同じく津南町道尻手遺跡で最も多く 200 点を
100m前後が多いのですが、規模に差がありま
こえています。続く長岡市馬高遺跡は、土偶と
す。そこで環状集落の直径で遺跡相互に比較す
同様に半数以下にとどまっています。土偶と三
ると、最大で 200mに達し、最小で 40mの規
角形土版の出土点数を合算してみると、30 点
模にとどまっています。直径 100mをこえる規
以上出土している遺跡は 20 遺跡を数え、50
模の大きな環状集落では、土偶や三角形土版の
点未満 12 遺跡、100 点未満4遺跡、100 点以
出土点数が多く、また土製の耳飾り、ヒスイ大
上4遺跡となります。津南町道尻手遺跡を筆頭
珠、三角壔形土製品なども、規模の大きな環状
に、長岡市馬高遺跡、三条市吉野屋遺跡がベス
集落で出土し、点数も多い傾向があります。
ト3です。なお、土偶出土点数が多い遺跡の半
数は、直径 100m 前後の環状集落です。
土偶の多い地域と少ない地域
土偶の出土数は、遺跡それぞれで大きく異な
地域的にみると、下越や上越に対して、中越
ります。また、遺跡の所在する地域や時期によっ
の遺跡が圧倒的多数を占めます。結果、地域別
− 11 −
− 12 −
にみた土偶出土点数も中越に集中しています。
があり、脚の割れ口は凸状のプラグになってい
ただし、同じ中越でも信濃川流域の出土点数は、
るものがあります。
魚野川流域のそれを 10 倍あまり上回る極端な
三角形土版は、吉野屋タイプのカッパ形土偶
違いがあります。また、下越の村上市高平遺跡
と同様に。信濃川中流域から上流域にかけての
では、1000㎡ほどの調査面積にも関わらず 60
中越に多く、ほかの地域にはほとんどありませ
点もの土偶が出土しています。このような土偶
ん。「火焔土器の国」を形成する中越の環状集
の出土点数の格差が何を意味しているのか興味
落からひろがっているようにみえます。
深い問題です。
なお、下越の阿賀野川上流域にあたる阿賀町
カッパ形土偶と三角形土版のひろがり
の大坂上道遺跡やキンカ杉遺跡では、三角形岩
新潟県の縄文時代中期、カッパ形土偶には、
版が出土しています。三角形岩版は、福島県会
微妙な地域性があります。吉野屋タイプは佐渡
津や山形県米沢に類例があり、三角形土版より
島を含む新潟県全域で確認できますが、中越の
も古く縄文時代中期前葉にさかのぼるようで
遺跡に多いようです。一方、米山以西では、吉
す。素材は違いますが、形態を同じくする三角
野屋タイプが少なく、長山タイプや棚畑タイプ
形岩版の存在は、三角形土版の由来を考えるう
の特徴を取り込んだものが多く、中越や下越と
えで示唆的です。
は一線を画しています。
遠方に伝わった新潟県の土偶
また吉野屋タイプに含まれない可能性のある
交通手段の発達していない縄文時代でも、遠
土偶に、二本の独立した脚を取り付ける土偶が
方のものが伝わっていることがあります。北陸
あります。上越および中越の信濃川上流域にあ
系の縄文土器や火炎土器は遠く秋田県の遺跡で
たる十日町市や津南町の遺跡に多くあります。
見つかっています。このような遺跡では本州中
脚の取り付けられる土偶の破片では、胴体下端
部のカッパ形土偶も見つかっています。とくに
に脚を取り付けるソケットとなる凹状の割れ口
秋田県男鹿市大畑台遺跡には、腹部のカタチや
− 13 −
− 14 −
文様が新潟県の土偶とそっくりな破片がありま
す。また秋田市坂ノ上F遺跡などには、吉野屋
タイプの土偶があります。
土偶とは何か
そもそも、土偶とは、粘土によってヒト形に
造形した焼き物のことです。これまでに土偶の
用途として、呪具、神像、とくに女神像、玩具
などが挙げられています。最近では女神像と考
え、縄文時代のお祭りに関わるとみる研究者が
多いようです。しかし、残念ながら、土偶の用
途を見定める決定的な証拠はありません。
女神説では、豊かな乳房や膨らんだお腹、豊
かなお尻の表現を根拠として、女性とくに妊婦
をモデルに土偶を製作したと考えています。た
だし、このような特徴はすべての土偶にみられ
る表現ではありません。とくに縄文時代中期の
新潟県の土偶には、これらの表現は低調です。
別のモデルを想定すべきかもしれません。
出典:杉山壽榮男編 1928『日本原始工藝概説」
工藝美術研究會
甲野勇による「日本石器時代土偶概説」の図版
遺物の用途を探るうえで、生活に必要で物理
中部地方の土偶が注目されはじめた
昭和初期の土偶研究
的な効果を推定できる「第一の道具」と、物理
的な効果を理解できないけれども、それを生み
出した人びとの観念にもとづいて製作された
「第二の道具」とに分けられます。そうした場合、
土偶は典型的な「第二の道具」といえます。土
偶は、それを作った縄文時代の人びとの考え方
を反映したものなので、具体的に何をモデルに
して作り、どのように用いたかを知ることはで
きません。しかし、その一方で、縄文時代の人
びとの思い描いた目に見えない何者か、現代で
いえばカミさまホトケさま、あるいは昔話や伝
説に登場する精霊、妖怪などをカタチにしたも
のこそが土偶であり、さまざまな思いの込めら
れたものと考えられます。
特徴的な土偶の地域性とその年代
土偶といえば、現在では縄文時代のヒト形土
製品のみを示します。しかし、出土品の歴史的
位置づけが定まっていなかった明治年間には、
縄文時代の土偶は貝塚土偶と呼ばれ、古墳に伴
う埴輪を指し示す埴輪土偶とともに議論された
出典:栃尾市教育員会編 1961『栃倉」吉川弘文館
こともありました。貝塚土偶として関東地方の
長岡市栃倉遺跡第 1 号住居址における
山形土偶や木菟土偶、あるいは東北地方の遮光
土偶の特異な出土状況
器土偶が注目されました。これらの土偶は現代
− 15 −
でも土偶の代表格です。次いで注意されたのが、
べてを写しとっていません。五体すべてを表現
中部地方の土偶です。大正年間から昭和初期に、
していない場合が多く、それが縄文時代の各時
縄文土器の編年が整備された結果、これらの土
期や地域ごとに特有の個性を土偶に与えていま
偶は正しく年代的位置を与えられます。いまで
す。とくに土偶の発生・出現期と評される縄文
は、中部地方の土偶の大部分は縄文中期に、関
時代前期以前の土偶では、五体すべてを表現す
東地方の山形土偶や木菟土偶は縄文後期に、東
ることはなく、むしろヒトにみえる最小限の要
北地方の遮光器土偶は縄文晩期にそれぞれ位置
素で造形されているようにみえます。
づけられています。
縄文時代の人びとは、自在に身体の一部を省
縄文時代の土偶は、草創期後半(1 万 3,000
略あるいは誇張して、土偶を造形しています。
年前)に登場します。三重県粥見井尻遺跡や滋
そのために、土偶は奇怪に見える場合もあれば、
賀県相谷熊原遺跡で発見されたものが、いまの
愛嬌を感じる場合もあり、総じて人間離れした
ところ最古級です。次いで千葉県花輪台貝塚な
姿カタチを目指しているように見えます。この
どの早期前半(9,000 年前)のものがあります。
ような土偶の造形が、新潟県内の遺跡で発見さ
しかし、土偶は縄文時代草創期から連綿と作り
れた縄文中期の土偶を、妖怪のカッパに似た土
続けられてきたわけではありません。縄文時代
偶として、「カッパ形土偶」の愛称で呼べる個
前期(7,000 年前)でも、各地でわずかに発見
性を与えているわけです。私たちは、このよう
される程度です。縄文中期(5,500 年前)にな
な自由な粘土造形に、土偶に込めた縄文時代の
ると、各地で様式性をもった土偶が出現します。
人びとの思いを体感できるでしょう。
カッパ形土偶は、まさにこの縄文中期に登場し
土偶の壊れ方
ます。
縄文時代中期の新潟県の土偶を一望すると、
土偶のカタチ
土偶がバラバラになって発見されている事実を
土偶はヒト形の土製品ですが、ヒトの身体す
体感できるでしょう。
縄文時代中期の土偶と粘土の分割塊による製作手法
正中線
芯棒の空隙
芯棒
はがす
北林 C 遺跡
分割塊の表面
津南町教育委員会
対称孤刻文
勝坂式期土偶
分割塊製作法
曽利式期土偶
分割塊製作法
曽利式期土偶
分割塊製作法
出典:小野正文ほか 1986『釈迦堂Ⅰ』山梨県教育委員会
縄文時代中期の土偶と粘土の分割塊による製作手法
晩期
後期
中道遺跡
長岡市教育委員会
中期
1 長岡市栃倉遺跡(栃尾市教育委員会 1961『栃倉』
)
土偶の損傷個所
2 長野県増野新切遺跡出土(長野県教育委員会 1973『長野県中央道埋蔵文化財包蔵地・下伊奈郡高森地内その2』
)
3 青森市近野遺跡出土(青森県教育委員会 1977『近野遺跡・三内丸山(Ⅱ)遺跡』
)
4 市原市西広貝塚出土(市原市教育委員会 1975『西広貝塚』および茨城県立木貝塚出土(松村侑氏採集品 朝日新聞社 1975『縄文人展』
)
5 八戸市是川遺跡出土(八戸市教育委員会 1952『是川遺跡出土遺物報告書』
)
6 橿原市橿原遺跡出土(奈良県教育委員会 1951『橿原』
)
* 他の遺跡の山形土偶には、胴部が正中線で割られている例が少なくない。
** いわゆる遮光器土偶では、他に頭の頂部、耳、手元、足先などの損傷例がある。
出典:小林達雄 1977「土偶」『日本陶磁全集3土偶 埴輪』中央公論社
− 16 −
出典:神保孝造ほか 1985『富山県八尾町長山遺跡発掘調査報告書』
八尾町教育委員会
ツベタ遺跡
阿賀野市教育委員会
ごくわずかに壊れていない土偶がありま
土偶が元通りの姿カタチに戻ることは、ほ
とんどありません。新潟県内では阿賀野市
ツベタ遺跡の土偶が、ほぼ元通りの姿カタ
縄文時代中期以前の土偶の変遷
どうすれば「人」を創れるか‐ロボット学‐
チに修復されていますが、右の乳房や背中
の一部を欠いたままです。また、おおよそ
れても、欠けた部位が見つからないことも
特徴です。長岡のミス馬高は、欠けた乳房
や下半身が見つかっていません。
このように一部の欠けた土偶の中には、
意図的に特異な出土状況が知られていま
す。長岡市栃倉遺跡第1号住居址では、穴
の中に埋けたように、あるいは石や盛り土
魚川市長者ケ原遺跡の顔や足先の欠けた土
偶(東京国立博物館所蔵)も、同様に石の
上にあったと伝えられています。
土偶の製作
土偶の多くは、バラバラになって発見さ
ヒトにも見える要素の増加
欠けた土偶が3点も発見されています。糸
テレノイド R1 は大阪大学と
ATR 石黒浩特別研究室により
共同開発されたものです
出典:原田昌幸「発生期・出現期の土偶総論」
『土偶研究の地平』P.P.217-269 勉誠社
れることから、「土偶は壊された」と考え
エルフォイドは ATR 石黒浩特別
研究室によって開発されました
何に見えますか?どのように見えますか?
る意見があります。土偶の損傷個所を検討
すると、頭部、腕部、脚部などの脆弱な部
分で壊れているだけではありません。体部
が上半身と下半身とに割れていたり、正中
線とみなされている胴体中央で壊れていた
りします。しかし、土偶を故意に壊した証
拠はありません。多くの土偶が破片になっ
ていて、完全な姿カタチに修復できない事
実があるだけです。
なお、土偶の損傷個所の偏りから「土偶
は壊れやすく作られた」とみる意見もあり
ます。1000 点以上の土偶が出土した山梨
県釈迦堂遺跡では、「分割塊製作法」が提
唱されています。また富山県長山遺跡でも
同様の手法が確認されています。このよ
うな粘土塊を組み合わせた製作法が板チョ
コのデザインと共通し、土偶を壊れやすく
作ったともいわれています。
− 17 −
携帯電話になったヒト形ロボット
の上に安置したように、頭や腕、下半身の
ヒトに見える最小限の要素をもったロボット
大阪大学基礎工学研究科と
ATR 石黒浩特別研究室が開
発したジェミノイド F
姿カタチがわかるほどの残り加減で発見さ
ヒトに似せて作ったロ ボ ッ ト ︵ ア ン ド ロ イ ド ︶
数えるほどです。破片と破片を接合しても、
ヒトにも見える最小限の 要 素
すが、上越市長峰遺跡の小さな土偶などに
Ⅱ
列品資料
二軒茶屋遺跡
にいがたの土偶
土鈴
胎内市教育委員会
縄文時代前期
長岡市大武遺跡
土鈴
新潟県教育委員会
縄文時代前期
二軒茶屋遺跡
土偶
胎内市教育委員会
小千谷市三仏生遺跡
新潟県下最古の土偶
縄文時代前期
富山県南太閤山遺跡に類似した土偶があります。
また、東北地方との関係も推測されます。
二軒茶屋遺跡
土偶
新潟県教育委員会
縄文時代後期
縄文土器
縄文時代前期
− 18 −
遠く東海地方と共通する八王子型土偶です。
胎内市教育委員会
不明土製品
前田遺跡
土偶
村上市教育委員会
前田遺跡
三角壔形石製品(石冠)
村上市教育委員会
樋渡遺跡
土偶
村上市教育委員会
− 19 −
高平遺跡
土偶
村上市教育委員会
− 20 −
高平遺跡
土偶
村上市教育委員会
高平遺跡
三角形土版
村上市教育委員会
高平遺跡
高平遺跡
高平遺跡
縄文土器
三角壔形土製品
石冠形土製品
村上市教育委員会
村上市教育委員会
村上市教育委員会
− 21 −
春木山遺跡
春木山遺跡
土版
村上市教育委員会
土偶
村上市教育委員会
春木山遺跡
三角壔形石製品
村上市教育委員会
− 22 −
春木山遺跡
ヒスイ大珠
村上市教育委員会
石田遺跡
土偶
新発田市教育委員会
− 23 −
大沢遺跡
土偶
新潟市教育委員会(新潟市文化財センター)
大沢遺跡
縄文土器
大沢遺跡
土偶
新潟大学旭町学術資料展示館
新潟市教育委員会(新潟市文化財センター)
− 24 −
はじめて河太郎(河童)形の愛称で報告された土偶
大蔵遺跡
五泉市教育委員会
大蔵遺跡
大蔵遺跡
土偶
五泉市教育委員会
大蔵遺跡
人面付き縄文土器
五泉市教育委員会
− 25 −
耳飾り
五泉市教育委員会
ツベタ遺跡
土偶
阿賀野市教育委員会
− 26 −
ツベタ遺跡
土偶
阿賀野市教育委員会
− 27 −
ツベタ遺跡
ツベタ遺跡
土偶
阿賀野市教育委員会
ツベタ遺跡
三角形土版とそのほか土製品
耳飾り
阿賀野市教育委員会
阿賀野市教育委員会
ツベタ遺跡
縄文土器
阿賀野市教育委員会
− 28 −
手に見える文様。
横峯 B 遺跡
土偶阿賀野市教育委員会
村杉遺跡
村杉遺跡
土偶
阿賀野市教育委員会
村杉遺跡
土偶
北方文化博物館
− 29 −
耳飾り
阿賀野市教育委員会
阿賀野市萩野遺跡
阿賀町大坂上道遺跡
土偶
新潟県教育委員会
三角形岩版
新潟県教育委員会
− 30 −
大坂上道遺跡
大坂上道遺跡
土偶
縄文土器
阿賀町教育委員会
阿賀町教育委員会
狐窪遺跡
大坂上道遺跡
土偶
三角形岩版
阿賀町教育委員会
− 31 −
阿賀町教育委員会
屋敷島遺跡
土偶
阿賀町教育委員会
屋敷島遺跡
屋敷島遺跡
異形縄文土器
三角壔形土製品
阿賀町教育委員会
屋敷島遺跡
縄文土器
阿賀町教育委員会
− 32 −
阿賀町教育委員会
キンカ杉遺跡
土偶
阿賀町教育委員会
− 33 −
キンカ杉遺跡
土偶
阿賀町教育委員会
キンカ杉遺跡
土偶
阿賀町教育委員会
− 34 −
キンカ杉遺跡
三角壔形土製品
阿賀町教育委員会
キンカ杉遺跡
キンカ杉遺跡
キンカ杉遺跡
耳飾り
三角形岩版
阿賀町教育委員会
阿賀町教育委員会
縄文土器
阿賀町教育委員会
− 35 −
阿賀町北野遺跡
阿賀町北野遺跡
ヒスイほか大珠
土偶
新潟県教育委員会
新潟県教育委員会
阿賀町北野遺跡
− 36 −
三角壔形石製品
新潟県教育委員会
長野遺跡
土偶
三条市教育委員会
− 37 −
長野遺跡
三角形土版
三条市教育委員会
Photo by T.Ogawa
長野遺跡
長野遺跡
ヒスイ大珠
三条市教育委員会
火焔型土器・王冠型土器
− 38 −
三条市教育委員会
Photo by T.Ogawa
吉野屋遺跡
土偶
三条市教育委員会
Photo by T.Ogawa
Photo by T.Ogawa
吉野屋遺跡
土偶
三条市教育委員会
− 39 −
吉野屋遺跡
土偶
三条市教育委員会
Photo by T.Ogawa
吉野屋遺跡
土偶
三条市教育委員会
Photo by T.Ogawa
吉野屋遺跡
土偶
三条市教育委員会
− 40 −
Photo by T.Ogawa
吉野屋遺跡
三角形土版
三条市教育委員会
Photo by T.Ogawa
吉野屋遺跡
− 41 −
耳飾り
三条市教育委員会
吉野屋遺跡
吉野屋遺跡
土偶・三角形土版
火焔土器・王冠型土器
三条市教育委員会
三条市教育委員会
− 42 −
表面の文様が剝落した火焔型土器
吉野屋遺跡
耳取遺跡
土偶
三条市教育委員会
耳取遺跡
土偶
見附市教育委員会
三角形土版
− 43 −
見附市教育委員会
栃倉遺跡
土偶
長岡市教育委員会
− 44 −
栃倉遺跡
土偶
長岡市教育委員会
− 45 −
栃倉遺跡
栃倉遺跡
三角形土版
耳飾り
長岡市教育委員会
長岡市教育委員会
仲崎遺跡
栃倉遺跡
縄文土器
長岡市教育委員会
− 46 −
土偶
長岡市教育委員会
中道遺跡
土偶
長岡市教育委員会
− 47 −
中道遺跡
三角形土版
長岡市教育委員会
中道遺跡
ヒスイ大珠
長岡市教育委員会
中道遺跡 人面付き縄文土器
長岡市教育委員会
中道遺跡
縄文土器
− 48 −
長岡市教育委員会
山下遺跡
土偶
当館
山下遺跡
土偶
当館
山下遺跡
山下遺跡
土偶
三角形土版
長岡市教育委員会
山下遺跡
山下遺跡
山下遺跡
山下遺跡
土笛
当館
三角形土版
耳飾り
当館
三角壔形石製品
当館
長岡市教育委員会
長岡市教育委員会
山下遺跡
− 49 −
人面付き縄文土器
長岡市教育委員会
外新田遺跡
土偶
長岡市教育委員会
外新田遺跡
三角形土版
長岡市教育委員会
外新田遺跡
耳飾り
長岡市教育委員会
− 50 −
岩野原遺跡
土偶
長岡市教育委員会
− 51 −
岩野原遺跡
岩野原遺跡
三角形土版
三角壔形土製品
岩野原遺跡
ヒスイ大珠
− 52 −
長岡市教育委員会
長岡市教育委員会
長岡市教育委員会
南原遺跡
土偶
長岡市教育委員会
新潟県内最小(残存長 2.3cm)の土偶。全国的にみても最小級。
南原遺跡
土偶
長岡市教育委員会
南原遺跡
三角形土版
長岡市教育委員会
南原遺跡
耳飾り
長岡市教育委員会
− 53 −
国指定重要文化財
馬高遺跡
土偶(ミス馬高)
長岡市教育委員会
(長岡市馬高縄文館)
国指定重要文化財
馬高遺跡
土版
長岡市教育委員会
(長岡市馬高縄文館)
− 54 −
魚沼市清水上遺跡
魚沼市清水上遺跡
魚沼市清水上遺跡
三角形土版
土偶
新潟県教育委員会
新潟県教育委員会
三角壔形土製品
新潟県教育委員会
魚沼市清水上遺跡
柿ノ木田の上遺跡
三角壔形土製品
魚沼市教育委員会
− 55 −
耳飾り
正安寺遺跡
新潟県教育委員会
三角壔形石製品
魚沼市教育委員会
新潟県指定有形文化財
南魚沼市五丁歩遺跡
新潟県指定有形文化財
土偶
新潟県教育委員会
南魚沼市五丁歩遺跡
三角形土版
新潟県教育委員会
新潟県指定有形文化財
南魚沼市五丁歩遺跡
新潟県指定有形文化財
南魚沼市五丁歩遺跡
縄文土器
− 56 −
耳飾り
新潟県教育委員会
新潟県教育委員会
北林 C 遺跡
土偶
津南町教育委員会
頭部と体部とを芯棒で接合した痕跡
中空に成形した体部の
粘土紐の接合痕跡
北林 C 遺跡
中空土偶
上野スサキ遺跡
津南町教育委員会
土偶
津南町教育委員会
− 57 −
新潟県指定有形文化財
沖ノ原遺跡
新潟県指定有形文化財
土偶
津南町教育委員会
沖ノ原遺跡
三角形土版
津南町教育委員会
新潟県指定有形文化財
新潟県指定有形文化財
沖ノ原遺跡
沖ノ原遺跡
石棒状土製品(土棒)
津南町教育委員会
三角壔形石製品
津南町教育委員会
− 58 −
道尻手遺跡
三角形土版
津南町教育委員会
− 59 −
道尻手遺跡
土偶
津南町教育委員会
道尻手遺跡
土版
津南町教育委員会
道尻手遺跡
道尻手遺跡
石棒状土製品(土棒)
三角壔形土製品
道尻手遺跡
津南町教育委員会
三角壔形石製品
津南町教育委員会
道尻手遺跡
縄文土器
津南町教育委員会
− 62 −
津南町教育委員会
国宝
笹山遺跡
土偶
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
Photo by T.Ogawa
国宝
笹山遺跡
三角形土版
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
Photo by T.Ogawa
国宝
笹山遺跡
三角壔形土製品
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
Photo by T.Ogawa
− 63 −
幅上遺跡
十日町市教育委員会
土偶
(十日町市博物館)
幅上遺跡
十日町市教育委員会
三角形土版
(十日町市博物館)
− 64 −
大井久保遺跡
土偶
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
カウカ平遺跡
土偶
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
− 65 −
下梨子遺跡
土偶
横割遺跡
南雲遺跡
南雲遺跡
土偶
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
− 66 −
土偶
三角形土版
南雲遺跡
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
ヒスイほか大珠 十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
ぼんのう遺跡
土偶
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
ぼんのう遺跡
三角形土版
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
ぼんのう遺跡
三角壔形土製品
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
− 67 −
小坂遺跡
土偶
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
小坂遺跡
三角形土版
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
小坂遺跡
三角壔形土製品
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
− 68 −
野首遺跡
土偶
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
野首遺跡
三角形土版
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
野首遺跡
三角壔形土製品
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
野首遺跡
耳飾り
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
− 69 −
森上遺跡
火焔型土器
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
Photo by T.Ogawa
上ノ山開墾地遺跡
土偶
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
上ノ山開墾地遺跡
三角形土版
十日町市教育委員会
(十日町市博物館)
− 70 −
剣野 B 遺跡
土偶
柏崎市教育委員会
− 71 −
剣野 B 遺跡
生焼け土偶
柏崎市教育委員会
生焼けの大きな土偶。腹部の欠けた胴部下半のみ出土。
十三仏塚遺跡
土偶
柏崎市教育委員会
坪野遺跡
岩野遺跡
土偶
柏崎市教育委員会
− 72 −
三角壔形石製品
柏崎市教育委員会
Photo by T.Ogawa
長峰遺跡
土偶
Photo by T.Ogawa
上越市教育委員会
長峰遺跡
土偶
上越市教育委員会
長峰遺跡
土偶
上越市教育委員会
Photo by T.Ogawa
長峰遺跡
土偶
長峰遺跡
上越市教育委員会
土偶
上越市教育委員会
− 73 −
長峰遺跡
人面付き縄文土器
上越市教育委員会
長峰遺跡
長峰遺跡
ミニチュア土器
長峰遺跡
耳飾り
人面付き縄文土器
上越市教育委員会
上越市教育委員会
上越市教育委員会
長峰遺跡
− 74 −
ヒスイ加工品・原石
上越市教育委員会
和泉 A 遺跡
土偶
上越市教育委員会
和泉 A 遺跡
ヒスイ原石
上越市教育委員会
Photo by T.Ogawa
和泉 A 遺跡
和泉 A 遺跡
人面付き縄文土器
縄文土器
上越市教育委員会
和泉 A 遺跡
コハク玉
上越市教育委員会
大久保遺跡
コハク玉
上越市教育委員会
上越市教育委員会
− 75 −
山屋敷Ⅰ遺跡
土偶
上越市教育委員会
− 76 −
山屋敷Ⅰ遺跡
三角壔形土製品
上越市教育委員会
山屋敷Ⅰ遺跡
山屋敷Ⅰ遺跡
三角壔形石製品
山屋敷Ⅰ遺跡
耳飾り
上越市教育委員会
縄文土器
上越市教育委員会
− 77 −
上越市教育委員会
大貝遺跡
土偶
妙高市道灌遺跡
妙高市教育委員会
土偶
− 78 −
新潟県教育委員会
十二平遺跡
土偶
井の上遺跡
糸魚川市教育委員会
人体文付縄文土器
井の上遺跡
ヒスイ大珠
糸魚川市教育委員会
糸魚川市教育委員会
− 79 −
長者ヶ原遺跡
長者ヶ原遺跡
Photo by T.Ogawa
長者ヶ原遺跡
縄文土偶
長者ヶ原遺跡
糸魚川市教育委員会
振ると音がする。
土偶
糸魚川市教育委員会
− 80 −
土版
ヒスイ大珠
個人
個人
[参考] 糸魚川市長者ヶ原遺跡
土偶
東京国立博物館
− 81 −
長者ヶ平遺跡
土偶
佐渡市教育委員会
大下遺跡 土偶
長者ヶ平遺跡 縄文土器
佐渡市教育委員会
大工町遺跡 土偶
三宮貝塚 縄文土器の人面突起
佐渡市教育委員会
佐渡博物館
− 82 −
個人
富山県長山遺跡
土偶
富山県埋蔵文化財センター
− 83 −
国指定重要文化財
富山県境 A 遺跡
縄文土器・土偶・ヒスイ大珠
− 84 −
富山県埋蔵文化財センター
長野県姥ヶ沢遺跡
秋田県坂ノ上 F 遺跡
土偶
秋田県黒倉Ⅰ遺跡
秋田市教育委員会
中野市立博物館
秋田県下堤 A 遺跡
土偶
土偶
仙北市教育委員会
秋田市教育委員会
秋田県大畑台遺跡
土偶
男鹿市教育委員会
秋田県烏野遺跡
土偶
能代市教育委員会
− 85 −
土偶
Ⅲ
展示遺跡一覧
展示遺跡は
No 付
市町村
付 新潟県の縄文時代中期土偶および関連資料出土遺跡
遺跡名
指定
大別時期
細別
(前葉、
中葉、後葉) 調査規模
県内
1 胎内市
二軒茶屋
前期
前
1080
県内
2 長岡市
大武 *
前期
前
3300
県内
3 小千谷市
三仏生 *
後期
中
7356
県内
4 新潟市
大沢
中期
前〜後
県内
新潟市
豊原
前・中期
前・中
国指定重要文化財
住居
件数
集落形態
環状集落
直径 (m)
土偶
三角形
土版
三角形
ヒスイ
岩版 耳飾 大珠
三角壔形
土製品
三角壔形
石製品
石棒
2
前期・土鈴 1
1
100 2
11
環状集落
環状集落
100
70
後期・八王子型土偶
30
4
3
2
県内
5 長岡市
馬高
中期
前〜後
3500 30
県内
6 長岡市
南原
中期
前〜後
3000 1
県内
7 長岡市
岩野原
中期
前〜後
16000 82
環状集落
県内
8 長岡市
中道
中期
中・後
15600 52
環状集落
県内
9 長岡市
山下
中期
前・中
100
県内
10 長岡市
外新田
中期
前・中
県内
11 長岡市
栃倉
中期
前・中
県内
12 長岡市
仲崎
中期
前
県内
長岡市
金沢
中期
前・中
県内
長岡市
鎌田山
中期
県内
長岡市
松葉
中期
県内
長岡市
上樫出
中期
前〜後
県内
長岡市
柿ノ木田
中期
前〜後
県内
長岡市
熊袋虎谷
中期
中
●
県内
長岡市
田中島
中期
前〜後
●
県内
長岡市
入塩川
中期
前・中
●
県内
長岡市
松葉
中期
県内
長岡市
上稲葉
中期
前
500
●
県内
長岡市
松葉
中期
前・中
3500
●
県内
長岡市
多賀屋敷
中期
中・後
1408
県内
長岡市
来迎寺
中期
県内
13 上越市
和泉A
中期
前
25600 44
環状集落
70
県内
14 上越市
大久保
中期
前
940 4
環状集落
60
県内
15 上越市
山屋敷Ⅰ
中期
前〜後
15000 57
環状集落
90
県内
16 上越市
長峰
中期
前
県内
上越市
茶新田 B
中期
県内
上越市
原山
中期
県内
上越市
川原田
中期
県内
上越市
黒保
中期
前
100 2
県内
17 三条市
吉野屋
中期
前〜後
184
県内
18 三条市
長野
中期
前・中
5000
県内
三条市
駒込
中期
前〜後
県内
三条市
大沢
中期
県内
三条市
桑切
中期
県内
柏崎市
剣野 C
中期
県内
19 柏崎市
剣野B
県内
20 柏崎市
県内
21 柏崎市
県内
西ノ前タイプ脚部含む
1
63
116
58
18
21
19
80
34
9
29
4
190
18
8
13
2
5
13
19
人面付土器片 2
450 3
6
15
4
ペンシル形石製品多数
600 12
33
14
16
1
琥珀垂玉 1 ミス馬高
4
2
超小形土偶
7
中期と後期の区別不明品を含むため数量
増減の可能性あり
13
中期と後期の区別不明品を含むため数量
増減の可能性あり
1
1
周辺表面採集者の記載
ほぼ完形土偶
1
●
●
1
●
●
1
1
●
1
1
2
1
●
3
1
4
中空土偶1、琥珀玉 1
人面付土器 1
琥珀玉 1
30
3
34
4
3
3
4
中空土偶、人面土器 2
1
●
●
●
32
人面付土器
120
31
38
52
11
2
7
1
岩偶 1 岩版 1 鳥形突起1、中空土偶
9
1
●
8
中期
前・中
9590
34
岩野
中期
前・中
十三仏塚
中期
前〜後
22 柏崎市
坪之内
中期
中
県内
23 新発田市
石田
中期
県内
新発田市
上車野E
県内
新発田市
県内
新発田市
県内
24 十日町市
笹山
中期
前〜後
15460
112
15
59
県内
25 十日町市
ぼんのう
中期
前〜後
4500
4
3
5
2
1
県内
26 十日町市
小坂
中期
前〜後
11
20
9
1
2
県内
27 十日町市
幅上
中期
前〜後
20
36
県内
28 十日町市
下梨子
中期
後
県内
29 十日町市
横割
中期
前
県内
30 十日町市
南雲
中期
前〜後
県内
31 十日町市
大井久保
中期
前・中
県内
32 十日町市
森上
中期
前・中
県内
33 十日町市
カウカ平 A
中期
前・中
2
県内
十日町市
芋川原
中期
前〜後
2
県内
十日町市
仏子田
中期
前〜後
1
県内
十日町市
蟹沢
中期
前・中
県内
十日町市
桃山
中期
中
県内
十日町市
城倉
中期
前〜後
県内
十日町市
牧脇
中期
前・中
県内
34 十日町市
野首
中期
前〜後
8000
18
34
84
県内
35 十日町市
上ノ山開墾地
中期
中・後
700
6
6
17
県内
小千谷市
上の山
中期
県内
小千谷市
俣沢
中期
前・中
県内
小千谷市
百塚東E
中期
前
県内
小千谷市
池津
中期
中
県内
小千谷市
堂付
中期
前・中
県内
小千谷市
城之腰
中期
後
県内
小千谷市
元中子
中期
耳取
中期
36 見附市
岩偶
1
1400
県内
中期土版 1
2
前・中
●
1
環状集落
70
3
42
11
2
4
7000
10
前〜後
793
7
中期
前・中
1913
27
貝塚
中期
前・中
堤下
中期
国宝
備考そのほか
前期・土偶、土鈴 1 新潟県最古
環状集落
1
70
1
16
環状集落
50
3
●
●
新潟県内で最初に学術雑誌に紹介された
土偶
1
●
5500
11
1500
7
環状集落
70
23
2
7
2
7
10
1
2000
2
4
1
2
6
3
1
1
1
30
1
4
2
ヒスイ以外の大珠 1
1
1
3
1
○
岩偶の記載あり、石棒の可能性あり。
1
2
4
1
7
●
17
●
●
748
1
●
9852
65000
1
64
3
935
前〜後
●
4
5
1
土棒 1、後期主、土偶は後期
1
2
環状集落
− 86 −
200
3
1
1
調査中のため未詳
展示遺跡は
No 付
市町村
遺跡名
指定
大別時期
細別
(前葉、
中葉、後葉) 調査規模
県内
見附市
黒坂
中・後期
前〜後
県内
37 村上市
高平
中期
前・中
県内
38 村上市
春木山
中期
中
県内
39 村上市
前田
中期
前〜後
県内
40 村上市
樋渡
中期
前
県内
村上市
稲葉下
中期
前・中
2300
3500
住居
件数
集落形態
環状集落
直径 (m)
土偶
三角形
土版
三角形
ヒスイ
岩版 耳飾 大珠
●
1040
2
60
59
12000
1
環状集落
40
3
長者ヶ原
中期
前〜後
県内
42 糸魚川市
井の上
中期
前〜後
県内
43 糸魚川市
十二平
中期
前〜後
750
23
10
3
県内
糸魚川市
六反田南 *
中期
前・中
25741
12
5
1
県内
糸魚川市
寺地
中期
前〜後
220
7
環状集落
130
38
44 妙高市
大貝
中期
前〜後
200
3
妙高市
道添
中期
前
815
1
2
県内
妙高市
松が峰
中期
後
30
1
●
県内
妙高市
兼俣
中期
県内
45 妙高市
道灌 *
中期
前
2300
2
1
県内
46 五泉市
大蔵
中期
前〜後
250
2
7
県内
五泉市
下戸倉
中期
中・後
県内
47 佐渡市
長者ヶ平
中期
前〜後
県内
48 佐渡市
大工町 **
中期
県内
49 佐渡市
大下
中期
県内
50 佐渡市
三宮貝塚 ***
中期
中
県内
51 阿賀野市
ツベタ
中期
前〜後
3436
45
県内
52 阿賀野市
横峯B
中期
中
1745
15
2
県内
53 阿賀野市
村杉 ****
中期
11
109
2
4
県内
54 阿賀野市
萩野 *
中期
前
5800
県内
阿賀野市
大室
中期
県内
阿賀野市
中道
中期
前・後
1370
県内
阿賀野市
野中
中期
前〜後
県内
魚沼市
長者林
中期
前〜後
県内
55 魚沼市
柿ノ木田の上
中期
県内
魚沼市
芋川
中期
中
県内
魚沼市
布場上ノ原
中期
前〜後
2561
県内
56 魚沼市
清水上 *
中期
前〜後
17395
県内
57 魚沼市
正安寺
中期
県内
魚沼市
須原
中期
県内
南魚沼市
上ノ台Ⅱ
中期
中
県内
南魚沼市
飯綱山
中期
中・後
県内
南魚沼市
舞台
中期
中
県内
南魚沼市
宮下原
中期
中・後
800
9
県内
58 南魚沼市
中期
前〜後
18000
64
2
870
獣面突起 1
土版 1
3
1
2
1
3
1
中空土偶
2
人面付き土器 1
13
5
鳥形突起 1
環状集落
50
40
2
10
6
手を表現した文様のある土器
1
●
●
1
1
●
3200
16
●
109 環状集落
100
19
整理中のため未詳
21
9
1
30
1
3
●
4
●
1
●
1
前〜後
3000
中・後
1300
県内
田上町
古屋敷
中期
前
県内
59 阿賀町
屋敷島
中期
前・中
1200
県内
60 阿賀町
大坂上道
中期
前
4350
県内
61 阿賀町
北野 *
中期
前〜後
8900
72
県内
62 阿賀町
キンカ杉
中期
前・中
2100
10
1
環状集落
60
1
1
後期含む
2
2
591
10
整理中のため未詳
1
後期含む
1
注口状土器 1
●
10
5
1
環状集落
110
4
33
9
20
1
4
中期
中
中期
前〜後
1290
53
環状集落
100
24
14
3
道尻手
中期
前〜後
8430
47
環状集落
130
143
216
13
66 津南町
上野スサキ
中期
県内
67 津南町
北林C
中期
前
県内
津南町
堂平
中期
中・後
県内
津南町
屋敷田
中期
中
県内
津南町
反里口
中期
前〜後
県内
津南町
上野
中期
前
216
県内
津南町
堂尻
中期
前・中
355
県内
津南町
南原
中期
前
県内
津南町
釜坂
中期
中・後
県外
68 富山県
境A
県外
69 富山県
県外
2
1
1
12
土製腕輪
後期含む
2
1
後期主体
3
1
4
土棒 1
1
3
接合個体あり、後期含む
1
630
3
8960
1028
粘土紐巻上げ大型中空土偶
環状集落
2
整理中のため未詳
2
●
7
3
1
1
3
粘土紐巻上げ大型中空土偶
●
45
1
1
1
中期
土偶5点、ヒスイ2点展示
長山
中期
土偶9点展示
70 長野県
姥ヶ沢
中期
土偶1点展示
県外
71 秋田県
烏野
中期
土偶3点展示
県外
72 秋田県
坂ノ上F
中期
土偶1点展示
県外
73 秋田県
下堤A
中期
土偶1点展示
県外
74 秋田県
大畑台
中期
土偶1点展示
75 秋田県
黒倉Ⅰ
中期
土偶1点展示
県外
国指定重要文化財
人体文土器 1
●
中期
県内
人面突起 1
1
1
中期
65 津南町
1
6
人面付き土器片1
川久保 *
県内
1
1
1
柳古新田
新潟県指定文化財
2
1
湯沢町
狐窪
2
14
5
南魚沼市
沖ノ原
石冠を三角壔形石製品と理解
●
県内
63 阿賀町
8
●
県内
64 津南町
土版 1
1
1
県内
県内
1
1
県内
県内
石冠形土製品を三角壔形土製品と理解
西ノ前タイプ脚部
1
1
41 糸魚川市
新潟県指定文化財
備考そのほか
6
県内
五丁歩 *
石棒
4
1
5
26
三角壔形
石製品
人面付土器
14
14
5400
三角壔形
土製品
1
遺跡所在市町村による資料所蔵ならびに個人による資料所蔵については記載していない。
* 新潟県教育委員会(財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団)
** 財団法人佐渡博物館寄託
*** 財団法人佐渡博物館
**** 財団法人北方文化博物館
新潟県最古の土偶および関連資料展示遺跡(縄文時代前期)
遠隔地の土偶展示遺跡(縄文時代後期)
新潟県の土偶および関連資料展示遺跡(縄文時代中期)
新潟県の土偶にかかわる県外参考資料展示遺跡(縄文時代中期)
− 87 −
The Niigata Prefectural Museum of History
新潟県立歴史博物館
この展覧会は
宝くじの収益金の一部で
実施されています。
新潟県
謝辞
本企画展の開催にあたり、多くの方々ならびに機関から展示資料の貸出や写真提供な
ど、多大なご指導とご協力をたまわりました。
芳名を記し、感謝の意を表します。
新潟県教育委員会
財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団
新潟市
新潟市教育委員会
長岡市教育委員会
上越市教育委員会
長岡市立科学博物館
上越市埋蔵文化財センター
柏崎市教育委員会
柏崎市遺跡考古館
十日町市教育委員会
十日町市博物館
津南町教育委員会
三条市
三条市教育委員会
新発田市教育委員会
見附市教育委員会
佐渡市教育委員会
胎内市教育委員会
財団法人佐渡博物館
阿賀野市教育委員会
阿賀町教育委員会
津南町農と縄文の体験実習館なじょもん
津南町歴史民俗資料館
財団法人北方文化博物館
富山県埋蔵文化財センター
秋田市教育委員会
村上市教育委員会
糸魚川市長者ヶ原考古館
五泉市教育委員会
魚沼市教育委員会
長岡市馬高縄文館
柏崎市立博物館
糸魚川市教育委員会
妙高市教育委員会
新潟市文化財センター
男鹿市教育委員会
中野市立博物館
仙北市教育委員会
能代市教育委員会
大阪大学基礎工学研究科
ATR石黒浩特別研究室
三条考古学研究会
石黒浩
伊藤克助
榎本剛治
小川忠博
新潟県立歴史博物館
計良勝範
捧正夫
中島庄一
平成23年度 秋季企画展
にいがたの土偶
発掘された新潟の歴史 2011
展示図録
発行日/2011年9月22日
編
集/新潟県立歴史博物館
発
行/新潟県立歴史博物館
〒940-2035 長岡市関原町1丁目字権現堂2247-2
TEL 0258-47-6130 FAX 0258-47-6136
http://www.nbz.or.jp
印
刷/㈲佐藤印刷所
宮内信雄