2016 年 新年会開催のご案内

第69号
2015年12月
2016 年 新年会開催のご案内
2016 年新年会を、
1 月 17 日(日)目黒雅叙園にて
下記の通り開催致します。
数々の思い出の詰まった学生時代。その映像は校
歌、応援歌の歌声と共によみがえってきます。今回
の講演は、
「ひかる青雲」や「早稲田の栄光」を作詞
された、岩﨑 巖氏
(1949 年 政経卒)
を講師にお招
きします。同氏は、在学中以来 5 作の応援歌、学生
歌を作詞され、1952 年には、大学創立 70 周年記念
歌として「早稲田の栄光」を作詞されました。
神奈川県の高校の教員となられてからも、多数の
県立高校校歌を作詞され、今日に至っています。
講演では、応援歌、学生歌の作詞にかかわるエピ
ソードなど興味深いお話が聞けるのではないかと楽
しみです。
また、当日は今年の新年会の講演をしていただい
た早稲田大学応援部監督の竹沢久喜氏に歌唱指揮を
お願いしています。応援部チアリーダーと共に若き
日の原点に戻って、応援歌、学生歌を歌おうではあ
りませんか。
初めてのご参加、ファミリーでのご参加も大歓迎
です。奮ってご参加下さい。
記
1. 日 時:2016 年 1 月 17 日(日)
16 時開会
(受付開始 15 時 30 分)
2. 会 場:目黒雅叙園 2 階「華しずか」
東京都目黒区下目黒 1-8-1
電話 03-3491-4111
3. 講 演:16 時~ 17 時
講師 岩﨑 巖氏
演題 歌と人と
-応援歌・学生歌を作詞してー
4. 懇親会:17 時~ 19 時
5. 会 費:会員 10,000 円、ご家族 5,000 円
当日会場受付にてお支払い下さい。
6. 同封の返信用はがきを 、12 月 25 日までにご返
送下さい。
(田島 記)
岩﨑 巖氏プロフィール
1925 年生まれ
1949 年早稲田大学政経学部卒
1947 年 政経学部 2 年の時 、
応援歌
「ひかる青雲」
作詞。
卒業後も、
神奈川県の高校
で教壇に立つ傍ら作詞活動
を続け 5 作の早大応援歌、学生歌を作詞。
1951 年 応援歌「精悍若き」
1952 年 大学創立 70 周年記念歌「早稲田の栄光」
1952 年 応援歌「あの眉、若人」
1982 年 大学創立 100 周年記念歌「花の冠」
その他、
多数の神奈川県立高等学校等の校歌を作詞。
「サンマルタン運河のまち」
「バルビゾンいつかまた」
等の詩集も発表。
−1−
各 部 会 か ら の 案 内 ・報 告
麻雀部会
☆ 10 月25日(日)
2 区親善大会が世田谷が幹事で、
初めて用賀 鈴家で 12 時 20 分より開催されまし
た。
世田谷はこの 9 月よりルール改正を行い、その
ルールのもと、雀士世田谷、目黒それぞれ 8 名計
16 名で華やかにかつスリリングに開催されまし
た。新ルールは何でもありと言う役があればあが
れるというものでした。目黒ルールは役があれば
あがれますが制約があります。我らが星、優勝経
験最多の小倉氏が最終回 4 回戦目で逆転さよなら
ホームランを連発し優勝、
2 位が世田谷・田島氏、
3位が入賞最多の目黒・本田氏でした。
☆ 12 月14日
(月)
目黒区定例大会が武蔵小山 サン
にて12時半スタートで開催されます。例会後忘年会
を井門にて開催します。
皆様奮ってご参加下さい。
麻雀部会長 鵜野洋治
ない、独自なものと言えるでしょう。季語から常識
的に連想できるものはすべて季語にふくまれていま
す。それゆえ、常識的な連想を句に持ち込む必要は
なく、ただ、季語を置くだけで十分なのです。季語
の働きを信じてください。活け花のイメージは、滝
の常識的なイメージにはないので、これこそ句に持
ち込む表現だと言えます。最終的には次のような句
になりました。
俳句部会
第 77 回「萩句会報告」
日時 2015 年 10 月 12 日(月)
14 時~ 17 時
(順不同)
川井素山
穂薄にかかる芋煮の湯気の帯
保井寶正
柿すだれ風を味方につけてをり 青木英林
柿を剥く手付き年期を物語る 後藤克彦
稲架組の横に残りし案山子かな 佐久間喬
栗を剥く妻のつむりに白きもの
かんばせ
瀧壺に瀧活けてある眺めかな 中原道夫
スーパームーン
丸山酔宵子
雲切れて 顔 照らす 巨 き 月
菊地崇之
牧野里山
佐久間たか子
佐伯武雄
佐々木彩女
吉田啓悟
大山龍海
山本草風
金森純女
中山志津久
赤い羽根人垣生む澄みし声
木漏れ日が花野の径を示しをり
薪割つて大気とよもす秋澄めり
秋の日の墓石に耳を澄ましけり
行く末も知れずひたすら花野行き
手入れせし松の匂へる夕餉かな
修善寺の湯けむりに舞う落葉かな
秋の野は寂しき色の貼絵かな
秋茜ついと高みへ上りけり
家人なき古家の石榴はじけ待つ
俳句部会長 佐久間 喬
今回は季語(季題)について中原主宰の説明の一
部をご紹介します。
俳句は、季語が持つイメージにつかず離れずのイ
メージを持つ惜辞を組み合わせて作者独自の詩情を
表現する詩です。このつかず離れずというのがたい
へん重要です。
例として「滝」という夏の季語を考えます。多く
の方はつぎのように連想されるのではないでしょう
か。
滝 → 落ちる → 岩 → 涼しい → 水 → 音
滝 → 山 → 空 → 晴れ
これらの連想はたいへんわかりやすいです。
したがって、これらの連想される言葉を俳句に使
うと失敗する場合が多いです。
「滝」という季語にこ
れらの連想される言葉のイメージが含まれているか
らです。ですから、
滝おちて涼しき音や日本晴れ
滝の水巌をけづる響かな
という句は連絡報告に終わっている失敗句です。
常識的な発想をしないで、独自の連想をすることが
作句の上では大切です。例えば、
滝 → 滝壺 → 壺 → 花瓶 → 活け花
という連想はいかがでしょうか。滝はいつも上から下
に落ち、縦方向のイメージがあります。それは、あ
たかも滝壺に滝がいろいろな姿で活けてあるように
見えます。この見方は上のような常識的な連想には
ゴルフ部会
去る 10 月 21 日(水)
、第 37 回ゴルフ部会を、先
日、日本シニアプロ選手権が開催された茨城県の名
門、サミットゴルフクラブに於いて開催しました。
天気も良く素晴らしいコンデイションに恵まれた
のですが、選手みんな速いグリーンに悩まされ 100
を切ったのは 4 名だけという結果に終わりました。
優勝は村上 満さん(91 でベスグロも獲得)
、
2
位永田耕治さん、
3 位青柳 勝さんと実力者 3 名が
上位を占めました。参加者は 22 名でした。
次回は来春 4 月 20 日(水)の開催を予定してい
ます。
ゴルフ部会長 大杉邦雄
−2−
ウォーキング部会
来年のことを言いますと笑われそうですが、天候
は平年より暖かくなるそうです。
体調を整えてウォーキングに参加しましょう。
初参加、女性の方大歓迎です。
活動報告と今後の予定を連絡いたします。
<実施報告> 9 月例会 鎌倉三十三観音巡り 第 4 回
9 月 15 日(火)参加 15 名
10 月例会 先人を訪ねて文人集う坂の上の家
10 月 20 日(火)参加 10 名
11 月例会 自然と歴史と東京大仏を訪ねて
11 月 17 日(火)参加 11 名
<今後の予定>
12 月例会 鎌倉三十三観音巡り 結願
日時 12 月 15 日(火)
午後 1 時
集合場所 JR鎌倉駅改札外
1 月例会 新宿区七福神巡り
日時 1 月 5 日(火) 午後 1 時半
集合場所 JR飯田橋駅改札外
2 月例会 古墳群のロマンを刻む
日時 2 月 16 日(火)
午後 1 時
集合場所 JR行田駅改札外
3 月例会 尾根古道を歩くと鶯の声
日時 3 月 15 日(火)
午後 1 時
集合場所 京王相模線若葉台駅改札
小雨決行 参加される方は下記まで連絡ください。
牧野携帯 ウォーキング部会長 牧野武夫
<鎌倉三十三観音めぐり>
9 月 15 日(火)
、第 4 回目となる鎌倉三十三観音
めぐりが開催されました。晴天に恵まれ、
9 月中旬
というのに汗ばむほどでした。今回は15名参加し、
鎌倉大仏(高徳院)
、長谷寺、極楽寺および成就院に
お参りしました。よくよく後で考えたら、鎌倉大仏
にはお参りしましたが、観音めぐり本来の対象であ
る高徳院の聖観世音菩薩には大仏に気を取られ参拝
していませんでした。平日にもかかわらず女性客と
外人でどこもごった返している中、おじさん連中 15
名の一団はかなり目立ちました。
毎回のことですが、
歩くルートの設定だけでなく、
懇親会の場所の選定等部会長のご努力に感謝してお
ります。懇親会が主目的で参加している人も多いと
思います。
(少なくとも小生はその部類です。
)懇親
会は生シラス料理で有名な腰越の池田丸で開催され
ました。今回のルートは長谷寺の後は江ノ電沿線の
ため、個々人の疲れ具合に応じ適当な駅から江ノ電
で腰越に向かいました。
−3−
予約時間の 1 時間以上前にお店に着き、仲居さん
がまだ来ていないため待合室で池田丸の大女将と雑
談したのも楽しいひと時でした。釣り船を経営して
いるだけあって、生シラスはじめ魚介類は新鮮その
ものでアルコールもすすみました。
12 月 15 日(火)の第 5 回で鎌倉三十三観音めぐ
りも無事結願となります。約 13,000 歩の楽しいウ
ォーキングでした。
(小杉 哲)
美術・歴史鑑賞部会
第 54 回は 10 月 15 日(木)上野公園にある東京
都美術館入口に 10 時集合で『マルモッタン・モネ
美術館所蔵モネ展』を鑑賞。特に期間限定の出品作
品「印象、日の出」の説明に興味を持たれたモネフ
ァンが多かったのではと思います。1874 年の展覧会
に出品されたタイトル「印象、日の出」の作品が、
人々の嘲笑を巻き起こしたのは有名な史実である。
風刺紙・シャリヴァリの紙上に、ジャーナリスト、
ルイ・ルロワの辛辣な記事が掲載された。軽蔑的な
意味で
「印象派の画家たち」
という名を与えている。
作品の前は鑑賞する人で列ができていました。
ピエール=オーギュスト・ルノワールの「新聞を
読むクロード・モネ」
、
「クロード・モネ夫人の肖像」
やクロード・モネの代表作品「睡蓮」等 90 点の名
作を鑑賞しました。
昼食は参加者 14 名で上野精養軒の名物カレー、
ハヤシライス−−−と、芸術と食欲の秋の半日を楽しみ
ました。
美術・歴史鑑賞部会長 後藤克彦
ーが続きます。新そばの味と香りを堪能しました。
日本酒やそば焼酎も次々と注文されていました。か
き揚げ天ぷらともりそばで一応の終了です。まだお
腹に入る人は好きなおそばを注文できます。更科そ
ば(そばの実の皮を取って白いところだけで作った
そば)
、太打ちそば、かけそばにかき揚げの残りを入
れる人と様々でした。仕上げの甘味はアイスクリー
ム、冷たいお汁粉、葛切りからの選択です。楽しく、
おいしい夕べを過ごしました。
参加者は両日とも 18 名という盛況でした。
囲碁部会
――実施報告――
10 月 5 日(月)の例会には早稲田大学囲碁部の癸
生川(けぶがわ)さんをインストラクターとしてお
迎えし、全員と指導碁を打ってもらいました。
さすが 2015 年学生本因坊だけあり教え方も上手
でした。
10 月 18 日(日)
、稲門祭において稲穂会囲碁大
会が行われ、目黒稲門会から 3 名が参加しました。
成績は以下のとおりです。
保井 正 C 組 優勝 4 戦全勝
永田耕治 D 組 優勝 4 戦全勝
鵜野洋治 D 組 3 位 3 勝 1 敗
11 月 2 日(月)通常例会
――予 定――
12 月 5 日(土)
オール早慶囲碁大会。
お申し込みは永田まで。
12 月 7 日(月)
例会(忘年囲碁大会)
。
午後 1 時、下目黒住区センター。
奮ってご参加ください。 昨年 8 月より囲碁部会長をやらせていただきまし
たが、来年 1 月より保井 正さんが再び囲碁部会長
をやっていただくことになりました。
短い間でしたが皆様には大変お世話になり有難う
ございました。
囲碁部会長 永田耕治
食べ歩き部会長 猪名川一雄
早稲田スポーツ観戦部会
――2015 六大学野球
秋季リーグ早慶 2 回戦観戦記――
一度は諦めていた優勝が早慶戦で勝ち点を上げれ
ば早稲田の春秋連覇がかなうことになり、俄然盛り
上がりを見せた神宮球場に 28 名の会員・家族と応
援に行きました。試合は今季調子を崩していた主戦
投手の大竹が強打慶応打線を散発 4 安打に完封し、
相手のミスも重なり2 - 0 で慶応を倒し勝ち点を挙げ
優勝しました。
試合後に行われた閉会式では早稲田大学が優勝カ
ップを授与され、さらに首位打者に輝いた重信選手
も表彰を受けました。その後は 24 名で渋谷に繰り
出して美味しい祝杯を揚げ大いに盛り上がりました。
食べ歩き部会
目黒稲門会恒例の新そば会を 9 月 25 日(金)と
10 月 8 日(木)の 2 回に分けて実施しました。会場
は例年どおり堀井良造会員のお店、麻布十番の「更
科堀井」です。
最初に堀井さんから今年の新そばの産地と献立に
ついての説明がありました。産地は北海道の弟子屈
(てしかが)町で、良いおそばが手に入ったとのこ
とでした。
前菜三点盛りのあとに、吸い物代わりの温かいき
のこそば、そば寿司、そばがきとそば尽しのメニュ
早稲田スポーツ観戦部会長 狩野俊夫
−4−
会 員 の 広 場
朗読三昧
菊地崇之 (昭和 40 年 商)
今から 10 年程前、朗読の参
加者募集があり、無料で三軒茶
屋の昭和女子大の講習会に参加
したのが始まりで、その後どっ
ぷりと芸術ともいえぬような世
界にのめり込んでしまった。技術といえるのか、い
くつかのものは身に付いたように感じないでもない
が。
気の毒なのは、無理やりに朗読会の切符を買わさ
れる友人親戚となる。本人にすればノルマの切符を
捌くのに必死で、
誠に身勝手きわまりない。当人は、
同類の女族の中にいると道理が麻痺しておしつけが
ましくなる。
さらにひどいことに、朗読講習会 8 か所、新内・
謡・狂言・踊りとますますご発展ときている。家内
とは小遣いの取り合い合戦で、
家計は火の車である。
先ごろ朗読したのは、
内幸町ホールでの「若
き日のベアテ」という
作品で、内容はアメリ
カの若い女性が日本国
憲法の内の女性の権利
の条文を作りあげるま
でのストーリーを描い
ている。9 月には 、ジ
ェームス三木の脚本に
よる演劇「真珠の首飾
り」として紀伊国屋ホールで上演される。
6 月 21 日には銀座「博品館」で、日本朗読文化協
会主催の朗読の日の息抜き役を演じるために「が
まの油売りの口上」を演じた。
−5−
上記のお遊びにともなって、特に時間とお金の犠
牲をはらわされた方がいらしたことは忘れられない。
朗読の講習を受けて自分なりに気付いたことを記
してみると。
1.呼吸は、まず息を吐き、横隔膜を胸に向って上
げ、息は胸の後ろと前に吸い込む。息を吐きな
がら、最後はお尻の穴をしめて腹から息を胸に
押し上げる。
2.声は絶対に冷静で、
決して気取ってはいけない。
3.一方 2. とは違って主人公の心境になりきる。
4.時間、場所、景色を表現に入れる。
5.お話の内容が伝わるようにする。声量は、聞く
人の意識を引き寄せ、届けるように発声する。
朗読をされている方の数はかなりふえてきている
と思う。しかし、
お仲間におほめの言葉はかけても、
互いに切磋琢磨して楽しいお話をお届けするように
なるのはなかなか難しいと思っている。
朗読は何が楽しいのか? 分からなくなってきて
いる。
客観的な評価、いや芸術としての場が備えられて
いないように見える。
年増のご婦人のお楽しみとしては広範囲に人気は
高まっているように見受けられるが、一芸として興
行を打ち、これにより生計を立てている方は一部も
見られず、映画演劇俳優人が片手間に実演し、録音
されたもののみが興行収入を上げている様相と思わ
れる。
テレビが普及しない時代はラジオドラマ、漫才、
浪曲、講談等を楽しんだが、今はその中で朗読やラ
ジオドラマが姿を消してしまった。
一方、お客様の耳が肥えていらっしゃったら、朗
読は十分に楽しんでいただける演芸だと思っている。
生活が成り立たないとのことで、朗読者として
一人立ちし、応援支援層を積み上げていくことは、
苦労のみ味わうのでしょうか。その結果、
スポンサ
ーにささえられているか、
お金持ちの出血サービス、
または趣味のお楽しみ芸となっているのでしょうか。
その中で年金生活のおじさんは、快活なお姉さん達
の添え物の立場を演じさせられているのか。
最後に、最近思い切った発声をして、快い思いを
経験したことがあった。
シェークスピア劇の「マクベス」に登場するおど
ろおどろしい、魔女のセリフを……イギリスの俳優
はセリフを強弱の歌のようなリズムで発声するので
……日本の芸能の中にある歌のリズムで語った。
皆
さんはあっけにとられていたが、一人仲間外れにさ
れるとも知らずに悦にいっていた。
結果を出してすべてに恩返しするために
小林一光 (昭和 63 年 教育)
早稲田大学時代 4 年間ラグビー
部に所属していた私は、その 4 年
間の多くを費やしたラグビーにお
いて満足のいく結果を残すことが
出来なかった。1 年 2 年時はラグ
ビー部員であることだけで満足をしており、絶対に
レギュラーを勝ち取ろうなどという気持ちとは程遠
かった。高校時代もラグビーで活躍していたわけで
はなく、その上努力を怠れば結果が出ないことは明
白なのだが、当時はそれにさえも気づくことはなか
った。ただ 3 年生になってすぐの部内での練習試合、
通称「内ゲバ」で(早稲田では 2 軍対 3 軍といった
部内での試合を「内ゲバ」と呼んでいた)初めて自
らの闘争心に火のつく出来事がありその時に「卒業
するまでには何としても一度は赤黒(公式戦用ジャ
ージのこと)を着るぞ」と、本気で決意するに至っ
た。
それから卒業までの約 2 年間は全身全霊でラグビ
ーに打ち込んだといっても過言ではない。だが結果
として、最大の目標であった赤黒までは手が届かず、
最高 2 軍という結果で私の早稲田でのラグビーは幕
を閉じた。その間にチームは伝説となった雪の早明
戦に勝ち対抗戦を全勝で優勝、その後大学選手権で
同志社大学に勝ち11 年ぶりに大学王座を奪還、日
本選手権でも東芝府中を破り見事日本一に輝いた。
当時の主将は同期の永田氏、主力が 2 学年下の清
宮氏や 1 年生だった堀越氏、今泉氏などであった。
その彼らの活躍を尻目に、結局ラグビーで結果を
残せなかった私はその悔しさをバネに、社会に出る
という環境の変化にあたって、二つの決意を立てた。
「社会で必ず結果を出す」
「自らの手で日本一になる」
この思いは、私自身の生い立ちとも深く関係して
いる。家庭の事情で、私は中 3 の時から親元を離れ
て暮らしていた。苦しい生活を強いられた時もあっ
たが、その都度姉や周囲の方々、特に早稲田やラグ
ビーを通じて知り合った人たちが助けてくれたので
ある。そういう人たちに恩返しがしたい。そのため
には、社会で結果を出すしかない。ラグビー部では
チームとして日本一になったけれども、今度は自分
の手で必ずや日本一になると心に誓って卒業した。
最初に就職した会社は、就職活動中真っ先に内定
をいただい日本交通公社(現JTB)
。どうしても自
分の手で日本一になり、お世話になった方々に恩返
しがしたいと思った私は、自分の得意な仕事を見つ
け、誰よりも努力することしか考えていなかった。
−6−
それが私にとっては営業だった。JTBの営業マン
として成績を上げていたある日、プルデンシャルと
いう当時は無名の外資系生命保険会社からスカウト
を受けた。当時は相当悩んだが、数ある営業の中で
最も売りにくいと言われている生命保険の販売で、
ましてや生産性業界№ 1 の企業でトップになること
ができたら、間違いなく営業の世界では日本一だろ
うという思いで、
1994 年に転職を決意。もちろん紆
余曲折はあったものの、何としても結果を出すとい
う強い決意のもと、
2002 年度には営業マンとして念
願の日本一となり、
2005 年度には営業マネジャーと
してチームの業績を日本一にすることができた。こ
れでやっと今までお世話になった多くの方、特に早
稲田並びにラグビー部にも恩返しができたと安堵し
たものだ。
ところが、その後支社長職に進み何もかも順調だ
ったある日突然「このままで本当にいいのか?」と
いう疑問がふと湧いてきた。自分が日本一とかチー
ムを日本一にしたというのは自己満足の域であり、
もっと社会に貢献することが必要ではないか?自分
が死んだときに本当の意味で遺せるものがあるかな
いかでその人間の価値が決まるとすれば、それには
物とか地位とか名誉とか死んでしまったらすべて消
えることでなく、未来永劫遺せるものが大切であり、
それは私にとっては教育しかないと思った。今後の
人生はこの教育を柱に、一人でも多くの人の役に立
つという使命だけに生きる覚悟で 2010 年に㈱アイ
タッグを設立。当初 2 年間は相当な苦労を味わった
が、ここでも多くの方の助けもあり、今は人材育成
や講演・出版など事業は順調になり、その他にも信
和義塾大學校という私塾を仲間と立ち上げ、日本だ
けでなく世界中で「帝王学」という哲学をベースに
した学問を広めている。また昨年からプロアマ問わ
ずスポーツ選手のキャリアを支援するアスリートエ
ージェントというブランドを確立すべく、元プロや
体育会学生たちを “ 教育 ” して企業に紹介する事業
もスタート。これらも今までお世話になったすべて
に対しての恩返しのためである。
今後もこの使命を全うすることだけを考え行動し、
ブレずにその信念を貫く所存でおります。目黒稲門
会の皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。
会 員 ギ ャ ラ リ ー
「兵馬俑—先導立車—」
服部尚彦 (昭和 35 年 理工)
新企画「会員ギャラリー」の初頭を飾る光栄を頂
いて恐縮しております。
この絵画は 2012 年に上野・東京都美術館で開催
された「第 59 回日府 展」への出品 作で、
F100 号、
油彩画です。同展では「努力賞」の栄を頂きました。
2000 余年の眠りから掘り出され、復活した威厳の
中にも地味なモチーフに敬意を表わして、雛飾りを
模した緋毛氈を配しました。
絵が 100 号とお話しすると、例え
るとどの程度の大きさですかとよ
く質問されるので、解り易い様に
人物を配したものも追加しました。
を超える運営委員・実行委員が全員心を一つにして、
来場者に安心して参加していただける「祭り」を盛
り上げることが出来ました。このテーマへの願いに
は 2 つありました。稲門祭は大先輩だけのものとい
うイメージを払拭し、
21 世紀に大学を巣立った若手
校友に稲門祭を身近に感じて欲しいという事と、記
念会堂の取り壊しを理由に、大隈講堂と本部校舎で
開催されるHomecoming Dayの招待者の方々に
「祭り」
を思う存分楽しんでいただきたいということでした。
3 号館前の広場で 2000 年次から 2010 年次までの
若手が繰り広げた若さ溢れる
『早稲田縁日』
。そして
構内を満面の笑顔で闊歩する大先輩方、史上最多の
模擬店、構内を練り歩く『Global お国自慢パレード』
は多くの個性的な学生サークルもパフォーマンスを
繰り広げていました。稲門音楽連盟による音楽祭も
大盛況で、コンバットマーチ 50 周年ということもあ
り、本部は講堂、庭園、本部構内など、隅々まで早
稲田一色に染まっていました。
夕暮れが迫り、細い上弦の月が姿を現すころに、
「祭 り」は グ ラ
ンド・フィナー
レを迎えました。
大隈講堂の左手、
小講堂入り口の
上に立ち、鎌田
総長と来場者へ最後の感謝とご挨拶をしながら「楽
しかったよ~!」と叫び返してくださる皆さんに感
動して、泣きそうになりました。
・・
『集まり散じて
人は変われど、仰ぐは同じき理想の光』
皆さまに
心から感謝しています。ありがとうございました。
2015 稲門祭に参加
校 友 会 便 り
2015 稲門祭実行委員長を務め終えて
中西千可子 (昭和51年 文)
昨年の7月頃に実行委員長指名のお話をいただき、
正直、迷いに迷いましたが、息子の「母さん、早稲
田に恩返しといつも言っているけど、これは、一番
の恩返しになるよ。この役目は手を挙げたって、出
来ることではないんだよ!」という言葉で精一杯頑
張る決意をいたしました。
実行委員長として、四苦八苦しながら各本部の調
整を図り、
10 月18日当日の晴天にも助けられ、稲
門祭は大成功に終わりました。
最初の任務として『The Next Generation!! ステ
ップ・バイ・ステップ、早稲田の未来へ』というメ
インテーマを実行委員長として決定しました。受け
継がれる母校愛や伝統、延いては我が国の伝統文化
への愛着などの気持ちを込めて、最終的には 500 名
−7−
爽 や か な 秋 晴 れ とな った 10 月18 日(日)
、
2015
稲門祭が開催されました。今年は目黒稲門会の中西
千可子幹事が実行委員長を務められました。
メイン会場のキャンパス・大隈講堂・大隈庭園に
は沢山の校友が集まりお祭りを楽しみました。キャ
ンパスでは各地の稲門会や年次稲門会による模擬店
や物販店が大賑わいでした。
同時に開催されたホームカミングデーの式典が、
記念会堂が建て替え工事のため大隈講堂に変更にな
ったこともあって、校友がキャンパスに集中したせ
いか今年は賑やかさも一層でした。
こんな中、目黒稲門会は例年通り大隈庭園の芝生
ステージの最前列中央に陣取り、秋の日差しに照り
付けられながらお酒・ビールを片手に音楽やフラダ
ンスを楽しみました。ホンダ・フィットの当たるお
楽しみの抽選会は、今年も上位賞の当選はならず、
楽しみを来年に延ばしました。
そして、最後はいつものように高田馬場駅前で 2
次会。また大いに盛り上がりました。 (地田 記)
編集後記
今年初めて早慶戦を見に行った。勝てば優勝とい
う最高のお膳立て。幹事のご苦労のおかげで満員の
内野の一等席で観戦。結果は想定通り早稲田の勝ち、
春に続き連覇となった。
早慶戦にはいろいろ楽しみ方があるだろうが、特
に秋の最終戦は 4 年生にとっては特別なもののよう
な気がする。生涯忘れられない思い出となるのでは
ないだろうか。
試合後、日の暮れた学生応援席では「紺碧の空」
「ひかる青雲」と数ある応援歌が次々と歌われてい
く。4 年生は応援ステージに集まり、スタンドで立
ち上がり、下級生は 4 年生のためのように「早稲田
の栄光」を歌う。4 年生は勿論のこと、送りだす下
級生も感極まる時である。今年は鎌田総長も応援ス
テージに上がり、学生達と肩を組んで歌われた。
50 数年前の学生時代を懐かしく思い出した。
(地田 記)
HP便り
目黒稲門会ホームページ(HP)にはこの会報も
掲載されています。但し、
HP は誰でも見ることが
できますので個人情報保護の観点から電話番号等は
基本的にマスクしています。
部会案内一覧
詳細は本誌の各部会報告をご覧いただき、興味をお持ちの部会にお気軽にご連絡下さい。平成 27 年 11 月現在
部会名
部会長
囲碁
永田耕治
カラオケ
梶 恵作
食べ歩き
連絡先
電話 /Fax
参加人数
会費
電 /F
10 数名
300 円
電 /F
10 数名
猪名川一雄 携帯
活動概要
毎月 1 回(下目黒住区センター)
2,000 円
毎月 第 2 金曜 午後 4~7 時
女性 1,500 円 (コート・ダジュール目黒駅西口店)
15~20 名
5,000 円〜
年 5 ~ 6 回 程度 「楽しい」が
キーワードです
ゴルフ
大杉邦雄
電 /F
20~30 名
ウォーキング
牧野武夫
携帯
F 15~20 名
その都度
麻雀
鵜野洋治
電 /F
10 数名
3,000 円
美術・歴史鑑賞
後藤克彦
電 /F 15~20 名
その都度
年4 ~ 5回
旅行
井村正陽
電 /F
20~30 名
その都度
年 2 回 春秋
若木会
中西元樹
電 F 10 名程度
その都度
年数回の食事会等の他、幅広い層の参
加による「心の若木会」も数回開催
さん月会
安藤 孝
電 /F
20~30 名
4,000 円
約 15 名
24,000 円 / 年
全員
その都度
各種ボランティア活動および各種
支援募金の実施
10 数名
その都度
年5 ~ 6回
早稲田スポーツ好カードの観戦
俳句
佐久間 喬 電 /F ボランティア
稲垣博信
電 /F 早稲田
スポーツ観戦
狩野俊夫
携帯
広報編集
委員会
地田博昌
20,000 円程度 年 2 回春秋 目黒通りバスで送迎
シーズン中は毎月1回程度
年 6 回 武蔵小山 “ サン ” および
渋谷 “ スリーハンドレッド ”
毎月 第 3 月曜 午後 6 ~ 8 時
(
「やるき茶屋」都立大学店)
毎月 第 2 月曜 午後 2 ~ 5 時
下目黒住区センター
e メール [email protected]
URL http://homepage3.nifty.com/me96tomon-waseda/
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