1 結晶性アジスロマイシン2水和物事件 判決のポイント 本発明が新規の

結晶性アジスロマイシン2水和物事件
判決のポイント
本発明が新規の化学物質である場合に、新規性を否定する根
拠たる刊行物にその技術的思想が開示されているというため
には、製造方法を理解し得る程度の記載があることを要する
こともあるといわなければならない、とした。
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H20 .4 . 21
参照条文
特 29① 三 、 特 29② 、 旧 特 36③ (昭 62 改 正 法 )
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1.
(1)
平 成 19 年 ( 行 ケ ) 101 20
知財高裁
新規性,刊行物,製造方法,技術的思想,開示
事実関係
事案の概要
本件は,原告が,被告を特許権者とする結晶性アジスロマイシン2水和物に
関 す る 本 件 特 許 権( 特 許 第 1903 5 27 号 )の 請 求 項 1 に 係 る 発 明 の 特 許 に つ き 無
効審判請求をしたが、同審判請求は成り立たないとの審決がなされたため、同
審決の取消しを求めた事案である。
(2)
本件発明の内容
本件発明(発明の名称「結晶性アジスロマイシン2水和物及びその製法」)
は ,少 な く と も 2 モ ル 当 量 の 水 の 存 在 下 で テ ト ラ ヒ ド ロ フ ラ ン お よ び 脂 肪 族( C
5− C 7)炭 化 水 素 か ら 結 晶 化 す る こ と に よ っ て 製 造 さ れ る ア ジ ス ロ マ イ シ ン の
有用な新しい形、すなわち結晶性で非吸湿性の2水和物に関するものである。
因みに、本発明の2水和物を含めたアジスロマイシンは人を含む哺乳動物にお
ける感染しやすい細菌性伝染病の治療に有用な広い範囲の抗細菌活性を有する。
アジスロマイシン2水和物は、人間の感染しやすい細菌性感染病の治療の際に
処方および投与されることで有意性を発揮するものである。本件発明の特許請
求の範囲の記載は,次のとおりとなる。
【請求項1】結晶性アジスロマイシン2水和物。
【請求項2】結晶性アジスロマイシン2水和物の製造方法において、少なくと
も 2 モ ル 当 量 の 水 の 存 在 下 で テ ト ラ ヒ ド ロ フ ラ ン お よ び ( C 5− C 7 ) 脂 肪 族 炭
化水素の混合物から結晶化することよりなる上記の方法。
【 請 求 項 3 】 炭 化 水 素 が ヘ キ サ ン で あ る 請 求 項 (2)記 載 の 方 法 。
2.争点
(1) 原 告 開 示 の 文 献 に 結 晶 性 ア ジ ス ロ マ イ シ ン 2 水 和 物 の 構 成 が 開 示 さ れ て い
るといえるかどうか(さらに、必要があれば、発明の技術的思想の開示という
見地から、本件発明の製造方法を理解し得る程度の記載が必要であるかどう
1
か ) , ( 2) ア ジ ス ロ マ イ シ ン 2 水 和 物 を 得 る こ と が 当 業 者 に と っ て 容 易 と い え
る か , (3)ア ジ ス ロ マ イ シ ン 1 水 和 物 、 2 水 和 物 は 互 い に 区 別 可 能 か , 等 を 主 要
争点として争われた。
3.裁判所の判断
(1)
争 点 ( 1)に つ き 裁 判 所 は , 文 献 に 開 示 さ れ た 「 得 ら れ た 結 晶 」 (結 晶 A)が ア
ジ ス ロ マ イ シ ン 2 水 和 物 で あ る こ と は も と よ り 、ア ジ ス ロ マ イ シ ン の 水 和 物
で あ る こ と に つ い て も 、明 示 的 な 記 載 が な い こ と は 明 ら か で あ る( 結 晶 A が
アジスロマイシンの結晶であると理解し得ることは原告主張のとおり),と
判示した。
(2)
争 点 (2) に つ き 裁 判 所 は , 原 告 提 示 の 文 献 の 組 み 合 わ せ に お い て 、 本 件 特
許 出 願 に 係 る 優 先 権 主 張 日 当 時 の 当 業 者 に お い て 、ア ジ ス ロ マ イ シ ン 2 水 和
物を得ることが容易であったということはできない,とした。
(3)
争 点 ( 3)に つ き 裁 判 所 は , 本 件 明 細 書 に は 、 本 件 発 明 (ア ジ ス ロ マ イ シ ン 2
水 和 物 結 晶 )が 、1 水 和 物 と 区 別 し 得 る よ う に 記 載 さ れ て い る と い う こ と が で
きることから、本件明細書に原告主張の不備があるということはできない,
とした。
(4)
新規性を否定するための刊行物の記載性について、裁判所は、「特許法
29条1項は,同項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載さ
れた発明」については,特許を受けることができないと規定するものである
ところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,
同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいう
までもないが,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)に
かんがみれば,当該物の発明の構成が開示されていることに止まらず,当該
刊行物に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思
想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要す
るものというべきである。そして,当該物が,例えば新規の化学物質である
場合には,新規の化学物質は,一般に製造方法その他の入手方法を見出すこ
とが困難であることが少なくないから,刊行物にその技術的思想が開示され
ているというために,製造方法を理解し得る程度の記載があることを要する
こともあるといわなければならない。したがって,原告の上記主張が,物の
発明について特許法29条1項3号に当たるとするために,刊行物に当該物
の製造方法が記載されている必要はおよそないという趣旨であれば,誤りと
いわざるを得ない。」と判示した。
2
4.実務上の指針
(1)
本 件 判 示 で は 、争 点 (1)に 関 連 し て 、特 許 法 29 条 1 項 3 号 に 当 た る と す る
ためには、例えば新規の化学物質である場合には、製造方法を理解し得る程
度の記載があることを要するところ、引用例(甲第2号証)の結晶Aの製造
方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能であるということ
はできないから,甲第2号証が,本件特許出願に係る優先権主張日当時にお
いて,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物そのものを特定し
ていたと認めることもできないとし、甲第2号証には,アジスロマイシン2
水和物と特定し得る物が記載されているとはいえないとしている。
(2) 特 許 法 29 条 第 1 項 第 3 号 に 規 定 さ れ る い わ ゆ る 刊 行 物 の 記 載 性 に つ い て は 、
古 く か ら 議 論 が な さ れ 、 判 例 上 の 蓄 積 も あ る 。 大 正 10 年 法 で は 「 容 易 ニ 実
施シ得ヘキ程度」と記載の程度が特定されていたし、いわゆる「湿地用装軌
車 輌 の 履 板 事 件 」 ( S46.11.30 東 京 高 裁 昭 和 41 年 ( 行 ケ ) 8) で は 、 特 許 発
明の構成要件が引用例に記述されていれば、当該発明の目的及び作用効果が
当該引用例に記載されているか否かを問わず、当該発明は当該引用例に容易
に 実 施 で き る 程 度 に 記 載 さ れ て い る と 認 め ら れ る 、と 判 示 さ れ て い る 。一 方 、
誤記記載の文献や、偶然そうなったにすぎないものが記載されている文献で
は、本願の技術思想が開示されているとは認められないとする判例も蓄積さ
れている。
(3) ア メ リ カ の 判 例 法 上 で は 、 ( 新 規 性 や 非 自 明 性 を 否 定 す る ) 引 例 を 引 か れ
た場合、当該引例が引例適格性を有しないとして、引例を攻撃することで拒
絶 性 を 攻 撃 す る と い う 方 法 が と ら れ る こ と が あ る 。ア メ リ カ 訴 訟 実 務 上 で は 、
これは、審査官が拒絶の「プライマ・フェイシャ・ケース」(一応真実性推
定立論:一応の真実性を推認できるとする程度の事実に基づく立論)が樹立
されていないとして拒絶を攻撃する類型に分類される。これは、審査官(或
いは審判官)すなわち出願を拒絶しようとする行政担当官には、その拒絶が
抽象的なものではなく、具体的なものであることを、それを根拠づける具体
的証拠(引例の該当箇所の記載内容)を提示しつつ、主張する義務が課せら
れる、とする考え方が背景に存在するものである。
(4) 引 例 と 共 に 拒 絶 理 由 を 示 さ れ た 際 に 当 該 引 例 が 何 ら か の 欠 陥 を 備 え て い る
ために引例たり得ないという議論を持ち出すことは、(訴訟の)要件事実論
的には、拒絶理由を出されたときの抗弁のようなものともいえるかもしれな
い。こうした「抗弁事由」としては、引用文献が実施できる程度に記載して
いない(記載性)、引用文献の記載通りしても効果は得られない(記載の信
憑性)、引用文献の記載通りには実施することができない(実施可能性)、
3
引 例 で 述 べ て い る 目 的 が 本 発 明 を 教 示 し て い な い こ と を 裏 付 け る( 教 示 性 )、
引用文献は公に手に入るものではない(アクセシビリティ性)、などが考え
られる。これらの事由はいずれも、アメリカの特許法制においては、「プラ
イマ・フェイシャ・ケース」(一応真実性推定立論)が樹立されていない場
合の類型の一部として、判例法を形成しているものである。
(5)い わ ゆ る 化 学 分 野 の 発 明 で は 、対 象 は 新 規 化 合 物 と 既 存 化 合 物 に 分 類 さ れ る
と考えられる。前者の場合には、文献中でその名称を述べただけで直ちにそ
の 新 規 性 が 失 わ れ る と い う わ け で は な い 、と い う こ と は 自 明 の こ と と い え る 。
で は 、効 用 が 述 べ ら れ て い た 場 合 に は ど う で あ ろ う か 。或 い は 、入 手 方 法( つ
まり、入手のルート等)が述べられていた場合にはどうであろうか。このよ
うな議論のうち、新規性喪失か否かの閾値はどこかにあるはずである。今回
の判示では、製造方法を特定できる程度に記述していなければ新規性喪失を
有効ならしめる引例適格性を有しない、とされた。しかし、もし製造方法が
特定できる程度に記述されていても、この製造方法では何らかの難点が支障
となって当該化合物が得られないことを、(拒絶を受ける側で)示せれば、
やはり引例適格性は否定されるものと思われる。となると、より正確にいえ
ば、引例が新規性を否定する根拠となる適格性を有しているといえるために
は、①製造方法が特定されていること、かつ、②その製造方法では、通常無
理なく(つまり、支障なく)製造を遂行できること、が必要となると思われ
る。ただし、審査官は引例を提示するに当たって、①も②も示す必要はない
と考えられる。換言すれば、出願人(もしくは特許権者)側で、引かれた引
例を否定する際の根拠として(いわば「抗弁事由」として)①が備わってい
ないことを示せばよいと考える。これに対して、その反論として、①が備わ
っていることが示された場合でも、出願人側は、さらにそれに対する再抗弁
として、②に該当しない点を示すことで、当該引例の引例適格性を否定でき
るものと考えられる。
(6)こ う し た 考 え 方 は 、新 規 性 の み な ら ず 、進 歩 性 に 関 す る 拒 絶 理 由 の 充 足 性 が
争点の場合でも、適用可能であると考えられる。
(友野
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英三)