皆川卓「トレント公会議以降の神聖ローマ帝国におけるイエズス会の政治

「トレント公会議以降の神聖ローマ帝国におけるイエズス会の政治思想-『暴君放伐論』から『理性』へ
のディスクール」
(皆川卓/山梨大学)
キケロを起源とし、ソールズベリのジョンによって再提起された「暴君放伐論」は、トマスによって加え
られた個人の暴君殺害禁止という留保付きで教会に受け入れられたが、教義上は宗教改革期まで未決のま
まだった。いち早く古典古代の共和主義と結びついたルネサンスのイタリア以外でも、この思想は旧約聖
書のモチーフによる「神の付託」の形で広がり、宗教改革をきっかけとしてカトリックに深刻なジレンマ
を引き起こす。万人司祭制に基づいて神を君主とする王国(信徒の共和国)を構想するカルヴァン派の暴
君放伐論とは異なり、伝統的な君主制秩序を肯定するカトリックの場合、君主個人に対する暴君放伐論は、
世俗の秩序を維持するための保証であり、それゆえこれを否定することは不可能であったからである。こ
のジレンマは教義と信仰の捧げ方、生活規律のみに終始し、政治を語らなかったトレント公会議で完全に
放置され、政治権力と宗派の不一致に直面した一部のカトリック教徒をテロに走らせることになった。そ
の契機がスペインのイエズス会士マリアーナの『王と王の教育について』である。アンリ 3 世の暗殺者ジ
ャック・クレマンを賛美したこの君主鑑は、教皇庁のクレマン称揚の動きと相まって、神聖ローマ帝国の
プロテスタント神学者によってイエズス会の危険思想と断罪され、格好のプロパガンダ材料を与えること
になる。1610 年のアンリ 4 世暗殺はその証拠と理解され、神聖ローマ帝国のルター派諸侯にイエズス会士
への警戒を強めさせた。これに対し 1611 年、イエズス会がフランス王の殺害に無関係であることを証明す
る目的で著されたのが、バイエルンのイエズス会士ヤーコプ・ケラーの論文『暴君放伐論について』であ
った。トマス、マリアーナ、ケラー三者の暴君放伐論を比較すると、暴君とは民の生存を脅かす者である
こと、暴君の排除には改心への働きかけや正規の手続きに則った民による追放を優先する点では共通する。
しかしトマスとマリアーナの暴君放伐論を比較すると、トマスは暴君を排除する最後の手段として神への
祈りを重視するのに対し、マリアーナは人による直接行動を推奨する。ケラーはマリアーナの表現に問題
を認めながらも、君主の殺害にマリアーナも含むイエズス会士は無関係である点のみを強調し、マリアー
ナの主張自体は否定しない。ケラーやマリアーナを弁護した同僚のイエズス会士が、教育目的の学院劇で
しばしば異教・異端の君主の戦死や彼らを殺害する殉教者のモチーフを用いている事実は、彼らがマリア
ーナの主張を共有したことの表れであり、彼らはトマスのように暴君に対する神の直接的な働きかけを期
待せず、神の意思は人間行動を通して実現すると見なしていたことを示している。しかし人為によって神
意を実現すべきとする暴君放伐論が生じさせる問題の深刻さを認識した彼らは、君主鑑に同居する教育目
的と政治目的を切り離し始めた。彼らは良心を教示する演劇では暴君放伐のモチーフを使い続けるが、活
字化され、政治論争の対象となる君主鑑では暴君放伐論を語ることを止め、暴君化を防ぐ別の論理を採用
する。1620 年に記されたバイエルンの聴罪司祭コンツェンの『政治学十書』では、暴君放伐論について何
も語らず、専ら王権神授説をベースに君主をしてその理性を働かせ、神への責任を果たさせようとする。
超自然的な力への期待も暴力による威嚇も放棄された結果、君主の理性が暴君化を防ぐ唯一の方法となり、
それが良心と政治を切り離す紀律化を促したのである。