クラウドソーシングの集合行為論

第 73 回
日本国際経済学会全国大会報告論文
クラウドソーシングの集合行為論
国際公共財の自発的供給への適用
The Crowdsourcing as a Logic of Collective Action:
An Application to Voluntary Provision of International Public Goods
聖心女子大学
古川純子
はじめに
公共財には,消費の非競合性(non-rivalness)と非排除性(non-excludability)という特
性があるため,真の選好を顕示しないフリーライダーの出現を許す。伝統的な公共財の
理論によれば,市場機構もしくは人々の自発性に任せると,公共財の供給は過少供給に
なるため,強制権をもつ非市場機構(政府)による供給が必要だとされる。
一方で,1990 年代から不特定多数の主体がインターネットを介してそれぞれの知識
を用いて自発的に協働し,情報や財をオープンな形で生産する創造的集合行為が出現し
始めてきた。いわゆるクラウドソーシング(crowdsourcing)と呼ばれる現象であり,オー
プンソース・ソフトウェアや Wikipedia などが代表例である。クラウドソーシングで生
産された財は,無料で公開され,誰もが使用を制限されない。ここでフリーライドはむ
しろ歓迎され,しかも自発的な供給は続く。強制が無いにもかかわらず,なぜ不特定多
数による集合行為によって公共財の自発的供給が起きるのか。人々はなぜ無償で協力す
るのだろうか。
本研究では,公共財の性質を再整理し,クラウドソーシングの集合行為を可能にする
メカニズム(以下クラウドソーシング・メカニズム)をゲーム論で解明する。クラウド
ソーシング・メカニズムの解明は,強制権のない世界での集合行為を一般化して示すこ
とを可能にし,小は地域コミュニティーの生成から,大は国際公共財の提供まで適用が
可能である。
強制権をもつ世界政府が存在しない国際社会では,国際公共財は疑似政府として振る
舞う覇権国によって提供されるという覇権安定論者の主張がある。彼らは覇権国が衰退
すれば,周辺国のフリーライドもあって国際公共財の供給は過少になり,世界は無秩序
化するという。しかし,19 世紀の昔から,世界大での郵便配達網や,国境を超えた犯
罪捜査網,河川の国際共同管理などが行われてきており,ときに国際機構設立に発展し
て安定的に維持されてきた国際公共財も実は少なくない。ゲーム論による分析結果を受
1
けて,容易に成立可能な国際公共財には,クラウドソーシング・メカニズムが当てはま
ることを確認し,さらに,成立しにくいと言われる安全保障問題や環境コモンズなどの
国際公共財について,集合行為を可能にする条件と指針を示す。
1
公共財と国際公共財の供給に関する伝統的見解
公共財のうち非競合性と非排除性の性質が完全な場合を純粋公共財とよび,理論上はす
べての参加者の等量消費が可能になる。純粋公共財の効率的な供給条件は,すべての個人
の私的財と公共財の限界便益の総和が公共財供給の限界費用に等しいことである
(Samuelson,1954)。しかし非競合性と非排除性によって,フリーライドが可能になるため,
合理的個人は選好を低く申告し,公共財の供給は社会的に必要とされる量よりも過少にな
る(Johansen, 1977)。したがって,徴税強制権のある政府が必要とされ,国内公共財を供
給するために税の徴収が正当化されてきた。
議論を地球社会に拡大した場合にも公共財は存在する。国際公共財とは,国際社会で集
団消費する非競合性と非排除性を有する財をさす。国際的な経済的安定性,国際的な政治
的安定性,国際的な人道支援,国際的な自然環境,そして知識である1。国内では政府が強
制的に徴税した税で公共財を供給するが,強制権のない地球社会で,国際公共財はどのよ
うに供給されるのであろうか。
国際金融史家の Kindleberger (1978, 1986)は,大戦間期の大不況(1929~)を解明する
研究の中で,
「国際公共財」と,のちに「覇権安定論」と呼ばれることになる概念を提唱し
た。Kindleberger によると,大不況はイギリスとアメリカの覇権の交代期に起きたために
深刻化した。イギリスには最後の貸し手となる意志はあったがもはや実力がなく,アメリ
カには実力はあったがいまだ世界の金融秩序に対する責任を担う意志が育っていなかった。
国際金融秩序はイギリス,アメリカという基軸通貨国によってもたらされた。つまり国際
公共財は覇権国によってもたらされてきたと論じられた。
Kindleberger の概念は,その後 1970 年代からのアメリカの国力の相対的衰退を憂える
覇権安定論(Hegemonic Stability Theory) として議論に発展し,国際関係論の Gilpin(1975)
は,覇権国が疑似政府として国際公共財を提供するが,覇権国は周辺国にフリーライドさ
れるために過剰負担となり,必然的に衰退する。アメリカの覇権衰退後,世界は必然的に
不安定化するという強い覇権安定論を展開した。しかし Keohane(1984)は,国際秩序は
国際社会の成員が必ず必要とするものであり,覇権国の衰退が始まったとしても同盟国の
協力によりレジームとして引き続き維持されると反論し,Rusett(1985),Strange(1988),
Nye(1990),Nau(1990)は,軍事力だけに注目せず,アメリカの産業力や金融力などの経
済力や,文化的影響力をも総合的に見れば,アメリカの覇権は衰退などしていない。アメ
1
この整理は(Stiglitz, 1995)による。
2
リカが主導することへの賛否は別にして,国際公共財は引き続きアメリカが供給すること
になると論じ Gilpin らを批判した2。逆説的にではあるが,彼らの批判は国際公共財の要素
は大国が供給するということを暗に認める議論ともいえる。
一方,Olson(1965)は,
「集合行為論」(Collective Action)を検討し,大集団は,①強制
があるとき,②集団の利益達成目標とは異なる別個の誘因が貢献に応じて集団員に与えら
れるとき以外は,共通目標を促進する組織を形成せず,集合財(collective goods, 公共財)
を供給しない。小集団の場合には,多くの場合は最適レベルに到達する前に集合行為をや
めるか,費用分担する場合は,欲求度の低い成員の欲求度の高い成員への「搾取」(フリー
ライド)が起こると分析した。そして,Olson and Zeckhauser (1966)は NATO を事例にと
り,勢力均衡による「平和」を提供するこの組織を維持する費用について,大国が小国よ
りも大きな負担をしていることを明らかにした。
集合行為論は,結論として覇権安定論と同様の帰結を示唆している。つまり,国際公共
財は,覇権国がほぼ自己目的のために自発的に供給したか,覇権国が同盟国にも強制的に
費用を負担させて供給した財の外部性に,同盟国をフリーライドさせるかたちで提供され
てきたことになる。
2
クラウドソーシングにみる集合行為の構造3
伝統的見解によれば,強制権のある政府の存在がなければ公共財は供給されないか,社
会的に最適な量よりも過少供給になる。国際公共財を供給する徴税権のある世界政府は時
期尚早であり,主権国家群のクラブに過ぎない国際連合に疑似世界政府としての強制権は
ない。世界政府が存在しない地球社会では,国際公共財の供給は覇権国の存在という歴史
の偶然に依存することになり,国際秩序は不安定化しやすいということになる。
筆者は,公共財の恒常的な自発的公供給には,強制や,特別な褒美や,監視がなくては
不可能なのか,という問いをもち続けているうちに,ICT(information and communication
technology 情報通信技術)開発の現場に「不特定多数の人々が自発的に公共財供給に貢献
する現象」を見出した。
この現象を本稿ではクラウドソーシングと総称することにする4。インターネットを用い
2
覇権安定論への批判は,①覇権安定という考え自体が誤謬である,②アメリカの覇権は衰
退などしていない,というものに大別される。
3 2 節の詳細は(古川,2010)を参照のこと。
4 この現象を指す用語には,
「バザール型生産」
(Raymond,1998)
「ピア・プロダクション(peer
production)」(Benkler, 2007, p.62)」
。
「グランズウェル(groundswell)」 (リー&バーノフ,
2008,p.ⅶ)。
「マス・コラボレーション(mass collaboration)」
(Tapscott & Williams,2006)。
「リード・ユーザー・イノベーション (lead user innovation)」
(von Hippel, 2005)。
「クラウド
ソーシング(crowdsourcing)」
(Howe, 2006, p.3)などがある。名称選定は議論の余地が多いに
あるが,本研究ではとりあえずクラウドソーシングと総称することにする。
「大衆(crowd)にアウ
3
るコンピューティング(コンピュータの使い方)が情報の発信者から受け手への一方的な
情報の送信から,受け手から発信者へのフィードバックをも可能なかたちになるにつれて,
オープンソース・ソフトウェア5の Perl(コンピュータ言語,1987 年創始),Linux(コン
ピュータ OS のカーネル,1991 年創始), Apache(Web サーバソフトウェア,1995 年創
始)などの開発の現場で,この「不特定多数の人々が自発的に公共財供給に貢献する現象」
が広がり始めた。その後ウィキペディア6やディグ7などがこれに続いたが,クラウドソーシ
ングは,今では科学難題の解決や,私的財の商品開発,市場予測,投資など多岐に亘り,
純粋な無償協力の純粋クラウドソーシング型のものから市場メカニズムとの融合型まで多
くの試みが世界大で展開されている8。
純粋クラウドソーシング型の中でも顕著な例は,ヘルシンキ大学の大学院生であったリ
ーナス・トーヴァルズがネット上に公開した Linux である。Linux の質の高さ,開発の迅
速性は有償のソフトウェアの水準を上回り,現在では世界のスーパーコンピューター・ト
ップ 500 の 90%以上が Linux を実装している。2000 年頃から IBM やヒューレッド・パカ
ード,オラクルなどの社員が業務時間の一部を使って制作に参加しはじめ,Apple の OS,
Amazon のウェッブサービスや,携帯電話の Android なども Linux 上に構築されている。
しかもこの開発は,製作者が自発的に公開し,協力者が自発的に集まり,金銭報酬を伴わ
ない協力が持続し,しかもフリーライド(自由な使用)を排除しない。この協調行動はな
ぜ起るのか。明らかに,冒頭で述べたフリーライドによって過少供給になる伝統的な公共
財理論では説明できない現象である。以下では,イメージを明確化するために,オープン
ソース・ソフトウェアの開発プロセスを想定し,仮説構築とモデル化の準備として,この
メカニズムの主体,動機,財の特徴,協力メカニズムを俯瞰する。
(1)
主体
クラウドソーシングの主体は,リーダー(Leader)を含むコア・クリエイター(Core
Creator),サブ・クリエイター(Sub Creator),観客的消費者(Audience Consumer)の 3
主体である。
トソーシングする」という意味である。詳しくは(古川,2010)を参照のこと。
5 オープンソース著作権とは,有償ソフトのあり方に対抗して考案された著作権のひとつ。自由
な使用・改変・再配布を認める代わりに,再配布の際にはオープンソースとして公開することを
義務付ける。再配布は有償でもかまわない。知識を独占せずに共有することに主眼がある。
6 不特定多数の有志により執筆・編纂される百科事典。
7 視聴者投稿・投票により配信優先順位が決まるニュースサイト。今何が最も人々に注目されて
いるか,マスコミが決める優先順位とは異なるニュース配信が可能になった。
8 Amazon, Craigslist, Slashdot, Wikipedia, Emporis, ccMicter, Threadless,
iStockPhoto, Kiva Microfunds,空想無印,TopCoder,Amazon, Craigslist,Slashdot,
Wikipedia, Emporis, ccMicter, YouTube,Goldcorp,NineSigma,InnoCentive などが
代表事例である。詳しくは(古川,2010)を参照のこと。
4
a)
リーダーとコア・クリエイター
「リーダー(Leader)」が,自分の必要性に応じて作成した財(ソフトウェア)を原初的な
形でインターネット発信することで,プロジェクトが始まる。
表1 主体
名称
リーダーと
コア・クリエイター
名称(英文)
Leader
役割
生産消費者
&
集中的な財の生産
Core Creator
投票,タグ付け,コメ
Sub Creator
ント,不適切の指摘,
バグの報告
観客的消費者
Productive
Consumer
財にフリーライドし,
サブ・クリエイター
種別
消費,財にフリーライ
Audience
ド,クレーム,プロジ
Consumer
ェクトの盛況を示す
生産消費者
Productive
Consumer
消費者
Consumer
次に,発信されたアイデアに共鳴する複数の個人が惹きつけられて,リーダーがネット
上に開示した財を無料で使用する。使用しながら改変への欲求をもち,つけ加えたい機能
を思いついて,強制的な指示系統なしに自発的に財を生産し再提供する。彼らが「コア・
クリエイター(Core Creator)」である。このとき,コア・クリエイターは各自の最も得意と
する能力や知識や情報をもって貢献する。仕事は,自分が能動的に選んだものであり,誰
かに強制的に配分された役割をこなすのではないということが肝心な点である。
たくさんの目を通過して生産・修正・選別された情報は,多くの人々の評価に耐える高
品質にまで洗練される。集合知の研究では「多様性が一様性に勝る」
「多様性が一流専門家
の能力に勝る」ことが証明されつつある(Page,2007)。少数の専門家が取り組めば膨大な
時間がかかる作業も,多様性をもつ群衆がそれぞれに作業すれば,全体としてスピードア
ップされ,専門家の知識と質を凌駕する。こうした多様性がクラウドソーシングの効率性
と質の高さを生み出すのである9。
リーダーを含む生産者のグループを「コア・クリエイター」と呼ぶことにする(図 1 の A)。
彼らは,プロジェクトを立ち上げる,システムを運営する,ソフトウェアを作成する,コ
ンテンツを作成して投稿する,問題解決法を提示するなど,プロジェクト・コミュニティ
9
クラウド(crowd,大衆)のこういった多様性の意義は,コア・クリエイターのみならず,
後述のサブ・クリエイターと観客的消費者全体にもあてはまる。
5
ーの形成・管理と,コミュニティーが創造する財を実質的かつ集中的に生産し提供する行
為を,自発的に行う。
成功しているプロジェクトで観察されるのは,リーダーが有する次のような特徴である。
カリスマ性があり,謙虚であり,理念は明確であるが目的や方針に関してはコミュニティ
ーの多様な意見を受け入れ修正していく柔軟性に富み,寛容性,リーダーシップ,協調性
を取り戻させる能力などがある。彼らは明白なリーダーシップをとりながらも,ヒエラル
キーの頂点にいて命令を下すというスタンスを取らず,コミュニティーの中心にいて調整
役に徹するという特色がある。
図1
クラウドソーシングの構造
A
A
Leader
CoreCreator
Creator
B
Sub Creator
C
Audience Consumer
A:B:C=1:10:89
b)
サブ・クリエイター
「サブ・クリエイター(Sub Creator)」はコア・クリエイターが開発・無償提供する財を
無断で使い,不具合を通知する,バグを見つけて報告する,投票する,コメントの書き込
みをする,タグをつけて評価する,リンクを張る,Q&A に質問を行う,提案をする,文句
を言う,改変を要求する,オンラインで議論をする,不適切なコンテンツを削除するなど,
財に対する評価付けを行う評価者(Valuer)や情報の編集者(Editor)として行動する(図 1
の B)。サブ・クリエイターはコア・クリエイターが創造・公開した財にフリーライドする
ことではじめて,この貢献行為を行うことができる。
6
サブ・クリエイターは,クラウドソーシングにおいて重要な意義をもつ。多種多様な群
衆が,それぞれ自分の知識と立場から情報の価値付けと淘汰を行うことで,情報は洗練さ
れ,序列や秩序が与えられ,より信憑性の高い高品質なものに精錬される。こうして行わ
れた情報の秩序形成は,コア・クリエイターにフィードバックされ,いま求められている
開発指針を明確にする。
コア・クリエイターとサブ・クリエイターを合わせてクリエイターと呼ぶことにする。
クリエイターは強制的に参加させられるのではなく,退出も参入も自由である。多くの場
合,本業を別にもち(本業は有償ソフトウェア開発や学生である者が多い),自由になる時
間をクラウドソーシング財の生産に充てる。
c)
生産消費者
コア・クリエイターもサブ・クリエイターも,「生産消費(productive consumption)」を
行う。効用関数と生産関数に同時に入る財があり,その財の消費が同時に投入でもある場
合を生産消費と呼ぶ。そしてその主体を「生産消費者(productive consumer)」と呼ぶ10。
たとえば部品(中間財)の消費は自動車(最終消費財)の生産である。家庭での食料消
費は生産力を生む,学者による本の消費は同時に次なる論文のための生産行動である。同様
にクラウドソーシングにおいても,コア・クリエイター自身が消費するためにまず自家生
産・消費しつつ公開し,その財を消費する別の主体が消費しつつ生産工程に加わるという
意味で,クラウドソーシングのクリエイターは,基本的に全員が生産消費者である。
d)
観客的消費者
クリエイターの外縁に,生産消費者ではない伝統的な消費のみを行う消費者,すなわち
「観客的消費者(Audience Consumer)」が存在する(図 1 の C)。観客的消費者とは,コ
ア・クリエイターが生産し,サブ・クリエイターが秩序形成を行った財に引き寄せられ無
償で消費する見物人たちであり,自由に無料で閲覧し,ダウンロードし,消費し,ときお
りクレームをつける。彼らはフリーライダーであり,財の生産には全く貢献しない純粋な
消費者であるが,クラウドソーシングにおいては,サイトを訪ねる観客的消費者の数は,
当該財の評判を示し,同じソフトウェアを使う人が増えることで各消費者の便益を高め,
潜在的なクリエイター予備層を惹きつけるという積極的な役割を担うことになる。観客的
消費者も,強制無しで自発的に参加し,退出も参入も自由である。
この概念はマルクスやマーシャルも指摘したが,1992 年にノーベル経済学賞を受賞したシカ
ゴ大学のゲイリー・ベッカーが 1965 年に The Economic Journal で,教育,家事,レジャー,
睡眠など,人的資本形成のために機会費用を費やしながらも市場で取引されない非労働行動を生
産的消費として明示的に経済分析の中に組み込もうと議論した際に用いた(Becker, 1965,
p.494)。Becker は効用関数と所得関数に同時に入る財を考察していた。最近では経営学のヒッ
ペルも「リード・ユーザー・イノベーター」として,もっと優れたイノベーションは消費者から
生まれることに注目し,生産消費者の重要性を指摘している(von Hippel,2005)。
10
7
e)
主体のシェア
図 1 で集中的に財の生産に貢献するリーダーとコア・クリエイターを A グループ,サブ・
クリエイターを B グループ,観客的消費者を C グループとすると,サイトに訪れた 100 人
の A:B:C の比率は約 1:10:89 になる(Horowitz,2006)。ヤフー先進開発部門担当副
社長が,ヤフー・グループ画像シェアサイトのフリッカーと,ウィキペディアの参加者の
行動を観察した結果,この経験則を発見した11。つまり 1%のコア・クリエイターが提供す
る財に,99%のフリーライダーがただ乗りしているという驚くべき現実が存在しているこ
とになる。
(2) 動機
では,なぜクリエイターたちが自発的に貢献を行うのか。かれらの動機は何か。多くの
プロジェクトでは金銭的報酬は無いか,あってもわずかなので,経済的利潤最大化では説
明ができない.オープンソース・ソフトウェアは,大学というアカデミックな環境から生
じた「ハッカー倫理」に基づいていることを考えれば,彼らの動機が経済的利潤最大化に
無いのは不思議ではない12。
オープンソース・ソフトウェアの開発動機に関する研究が共通に指摘する結論は,それ
が経済的な利潤最大化でないことを示している。Boston Consulting Group(2002)の調査
では,開発を自発的に行う動機として,①「楽しさ」,②「技術の向上」
,③「信念,
」④「必
要性」,⑤「コミュニティーへの所属感」,⑥「評判」の 6 つを想定すると,オープンソー
スにおける開発動機もほぼこの順で強いことが分かった。
この結果は,行動心理学者チクセントミハイの行った「フロー」研究の結果と重なっている。
フローとは「全人的に行為に没入している時に人が感ずる包括的な感覚」と定義される。
Csikszentmihalyi(1975)は,チェス,ロック・クライミング,モダン・ダンス,バスケット
ホロウィッツは提案当初,本稿の A,B,C にあたる主体をそれぞれ Creators, Synthesizers,
Consumers とし,その比率は約 1:10:100 であるとした(Horowitz,2006,p.1)。
12 アカデミズムは,17 世紀以来,公共財である知識を互いに活用する効率性を重んじてきた。
その代わり,発明者には仲間からの評価と名誉が付与された。「ハッカー倫理」は米マサチュー
セッツ工科大学など,1970 年代のコンピュータ・プログラムの開発に邁進する学生や研究者の
間で生まれた。「ハッカー」とは、卓抜したコンピュータ技能をもち、プログラミングやコンピ
ュータに時間を忘れて熱中するマニアを指す。コンピュータに侵入して破壊を起こす主体は「ク
ラッカー」と呼ばれ区別される。
「ハッカー」はコンピュータ技術者の間では賛辞である。
「ハッ
カー倫理」の内容は,①コンピュータや機能に関する情報へのアクセスは無制限かつ全面的でな
ければならない。②情報はすべて自由に利用できなければならない。③反中央集権的なオープン
なシステムを保つべき。④ハッカーは他の基準ではなく,そのハッキングによって判断されなけ
ればならない。⑤芸術や美をコンピュータで作り出すことが可能である。⑥コンピュータは人生
を良い方に変える,である(レビー,1990,pp.32-45)。アカデミズムの伝統と,アメリカ建国
以来の思想と不可分な「自由」を信奉する価値観とが相まって,ハッカー倫理は,ローレンス・
レッシグの「コモンズ」(Lessig,2001),リチャード・ストールマンの「コピーレフト」
(Stallman,
2003)につながる強力な「共有の思想」を前提にしていた。
11
8
ボール,作曲,手術(外科医)の 173 人を調査対象にして,フローが,なぜ,どういう条
件下で起こるのかを研究した。チクセントミハイは,彼らがその行為をして得る報酬を「内
発的報酬」と「外発的報酬」に分類した。無我の境地「フロー」を感じている人々の動機
は,①「楽しさ」,②「技術の向上」
,⑤「コミュニティーへの所属感」
,③「信念」,⑥「評
判」の順に強い。「必要性」はフローの調査項目になく,「信念」はオープンソースで高い
という点を除けば,2 つの調査結果はほぼ一致する。つまり,プログラミングにはフローを
起こす条件が含まれ,オープンソース・ソフトウェアのコア・クリエイターは,主に,行
為それ自体に伴う満足,達成感,自己実現,帰属の喜び,信念の矜持などの「内発的報酬」
を得るため,ついで評判などの「外発的報酬」を得るために貢献を行っている可能性が極
めて高いことが分かる(古川,2008)。
(3) 財の特徴
a) 情報財
情報で構成されている財を「情報財(information goods)」と呼ぶ。クラウドソーシングで
作り出す財は,プロジェクトを遂行するための「システム」と,システムを通じて作り出
されるソフトウェアなど「情報」との 2 層の情報から構成される「情報財」である。
クラウドソーシングが可能なのは「情報」のみである。たとえクラウドソーシングの最
終消費形態が有体のモノであっても,クラウドソーシングできるのは,モノに付帯するデ
ジタル化された情報の部分のみである。
情報財は,複製する際には限界費用が極めて低いという特徴をもつ。最初の 1 単位の生
産に要する費用に関しては,映画のように多額な費用がかかる場合もあれば,コメントの
書き込みのように費用がほぼゼロの場合もある。
b) 公共財
知識などの情報財の本質的性格は,純粋公共財である(Arrow, 1962),(Stiglitz, 1977)。
ただし,①ランセンス契約を結び料金をとって私的財とする,②モノに付加して私的財と
して販売を行う,③著作権で保護して占有する,④門外不出にする,などの手法で排除性
を付加することは可能である。
c)
ネットワーク外部性
ある財を消費する主体の数が増加するほど各主体の効用が上がることをネットワーク外
部性(network externality)と呼ぶ。電話,法律,ルール,知識,言語,規格などでは,
同一のしくみを利用する主体の数が増加するほど各主体の利便性が増す。クラウドソーシ
ングで創造される情報財も,ネットワーク外部性をもつ場合が多い。コンピュータ・ソフ
トウェア(OS,アプリケーション)や,ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS),ス
カイプなどがそうである
9
3
公共財の再
再検討
1節
節で論じた純
純粋公共財は
は,理念とし
しては存在しうるが,実際
際の世界で観
観察すること
とは難
しい。
。純粋公共財
財の例として
てよく挙げら
られる空気は
は排出権取引
引の対象に, 太陽は日照
照権の
争点に
になり,水は
はペットボト
トル詰めされ
れた私的財と
として市場を
を流通してい
いる。
「公
公共財」の教
教科書的解説
説は,一般的
的に,図2の
のように純粋
粋私的財と純
純粋公共財の
の両極
があり,その中間
間に属する曖
曖昧な財はす
すべて準公共
共財と類型化
化する方法, もしくは表
表2の
に,完全な非
非競合性と非
非排除性を有
有する純粋公
公共財の対極
極に,完全な
な競合性と排
排除性
ように
図2
財の分類
類(教科書的
的解説 1)
粋私的財
純粋
表2
財
準公共財
純粋公
公共財
財の分類
類(教科書的
的解説 2)
排除性
消費の競
競合性
純粋私的財
財
消費の非競
競合性
クラブ財
非
非排除性
共有地 (コモンズ)
が発生した公
公共財
混雑効果が
純粋
粋公共財
つ純粋私的財
財を配置し,中間に非競
競合性はある
るが排除可能
能なものをク ラブ財(準
準公共
をもつ
財),非排除性は
はあるが実際
際の消費にお いて混雑効果
果(congestio
on)や過剰消
消費を生む共
共有地
合性のある準
準公共財とし
して配置する
る説明が多い
い。
を競合
しか
かし,公共財
財の類型化に
にはさらなる
る検討の余地
地がある。消
消費の非競合
合性と排除不可能
表3
公共財
財:非競合財
財の排除可能
能性の管理 人間の取り扱いで財の性
性質が変わる
る
非排
排除
不
不完全に排除
除
排
排除
公共
共財
クラブ財
私
私的財
光
居間の光
誰も入れな
ない個室の光
光
いう現象は確
確かに存在す
する。しかし
し,一般に公
公共財と呼ば
ばれるものは
は,外部性をもつ
性とい
財が,
,おかれた社
社会的関係に
によって,公
公共財と呼ば
ばれているに
にすぎないの
のかもしれない。
たとえば純粋公共
共財の代表と
として「光」を例にとろう(表 3)
。平野における
平
る太陽のよう
うに,
10
もし非
非排除性に制
制限を設けな
なければ,光
光は純粋に「公共財」と
となり,複数
数の人間が同時に
同じ光
光源からの光
光を消費する
ることができ
きる。しかし
し,遮蔽力の
のある壁に囲
囲まれた光はどう
であろう。遮蔽力
力の内部の居
居間では複数
数の家族が同
同じ光源から
らの光を消費
費できるが,マッ
家の外から光
光が漏れる窓
窓を覗き,居
居間の光から
ら排除されて
てひどく孤独を感
チ売りの少女は家
。このとき居
居間の光は 「クラブ財」になる。さ
さらに,家族
族の長男が「私の
じることになる。
に誰も入るな
な」という思
思春期に達す
すると,個室
室の光は消費
費の非競合性
性をもちつつも長
個室に
男だけ
けが消費する
る「私的財」になるだろ
ろう。
共有
有地(comm
mons)という概念も準公
公共財の側面
面に焦点をあ
あてると議論
論が曖昧にな
なる。
共有地
地は非排除性
性のみがある
る公共財概念
念であるが,消費されて
ている牧草に
には競合性がある。
今年の
のある株の地
地上部は私的
的財として 1 頭の羊に独
独占的に消費
費されてしま
まう。したがっ
って,
羊飼い
いが自己利益
益を最大化し
しようとして
て多くの羊が
が共有地に同
同時に入れば
ば(非排除性
性),限
界収益
益は逓減する
るものの羊飼
飼いの収益自
自体は増加し
し,一方で限
限界費用の増
増大は個人の負担
にはな
ならない。こ
こうして共有
有地(公共財
財)という領
領域で,競合
合性のある財
財の奪い合いが発
生するからこそ,過放牧が発
発生する(共
共有地の悲劇
劇)。つまりこ
これは,準公
公共財という
うより
競合性のある
る財の競合消
消費」の問題
題である。
も「競
次に
に,本稿で最
最も重点的に
に考察する 「ネットワー
ーク外部性の
のある公共財
財」について整理
を試み
みる。伝統的
的な公共財の
の理論では,財の消費量
量に対して便益が一定,も
もしくは逓減
減(混
雑効果
果)のみを想
想定してきた
たように思う
う。しかし,ネットワー
ーク外部性が
がある公共財
財を議
論するためには,その財を同
同時に消費す
する人数によ
よって便益が
が逓増する, 一定,逓減
減する
要であろう(図 3)。公共
共財理論では
は通常,混雑
雑効果は他者
者が消費する
る財の
という整理が必要
の便益が減少
少すると定式
式化するが,このことは
は,その財を
を同時に消費する
量によって個人の
図
図3
ネッ
ットワーク外
外部性のあ
ある公共財の位置づけ
け
益逓減
便益
便益一定
雑効果
混雑
財
純粋公共財
Ols
son 問題
便益逓増
ネッ トワーク外部性
ール)
(ex..情報財,ルー
共有
有地
が増加するこ
ことによって
て,他者が消
消費する財の
の量が増え,競合性が高
高まると解釈する
人数が
ことも可能であろ
ろう。したが
がって図 4 の
のように,横
横軸に同時に
に消費する人
人数,縦軸に便益
トワーク外部
部性のある純 粋公共財」は便益逓増,
「ネットワ
ワーク外部性
性の無
をとり,「ネット
粋公共財」は
は便益一定,
いる公共財は
は便益逓減と
と再整理する
ること
「混雑効果 」が起きてい
い純粋
11
きる。
ができ
図 4 同時に消費
費する人数
数と公共財の便益の関
関係
便益
益
逓増
一
一定
逓減
0
同時
時に消費する
る人数
た,ネットワ
ワーク外部性
性とは,私的
的財が多くの
の消費者に同
同時に消費さ れるときの「外
また
部性」
」を指す言葉
葉であること
とから,
「公 共財」の「外
外部性」とは
は同義反復の
のそしりを免
免れな
いが,
,ここでは「ネットワー
ーク外部性」 という定着
着した用語を
を用いて,い
いままであまり議
論され
れてこなかっ
った公共財の
の便益逓増を
を示すことに
にする。
先に
に説明したよ
ように,クラ
ラウドソーシ
シングが提供
供できる財は
は情報財であ
あり,本来の性質
は消費
費の非競合性
性と非排除性
性が完全な純
純粋公共財で
である。フリーライドが
が歓迎されるとい
う意味
味では,非排
排除性は完全
全以上である
る。その上ネ
ネットワーク
ク外部性があ
ある。つまりこれ
は,公
公共財便益が
が逓増する例
例なのである
る。
4
仮説:ネッ
ットワーク
ク外部性のあ
ある純粋公
公共財には自発的協力
力が発生する
この
のように公共
共財を整理した上で,あ
あらためてオ
オープンソー
ース・ソフト
トウェアの生
生産過
程を見
見てみよう。
。クラウドソ
ソーシングで
では,不特定
定多数の主体
体による自発
発的な公共財
財の提
供が起
起きている。
。すなわち,コア・クリ
リエイター(1%)は生産
産を行い,サ
サブ・クリエ
エイタ
ー(1
10%)はフリーライドしつつ生産に
に貢献するも
ものの,観客
客的消費者 (89%)は全
全員が
フリー
ーライダーで
である。サイ
イトに訪問す
するユーザー
ーのうち 1%
%ないし 11%
%しか財生産
産を行
ってい
いないにも関
関わらず,各
各クリエイタ
ターは貢献を
を続け,プロ
ロジェクトが
が存続・発展
展でき
るのは
はなぜなのか
か。
12
クラウドソーシング・メカニズムの要点を抽出すると以下のようになる。
①
クラウドソーシングで生産される情報財は,ネットワーク外部性を有する純粋公共
財である。
②
クリエイター(リーダー,コア・クリエイター,サブ・クリエイター)は生産消費
者である。初期に,主体的均衡に達したリーダーが公共財を生産し無料で公開する13。
消費の非競合性のため,リーダーが消費する情報財は公開することにより減少しな
い。その情報財に興味を持ってフリーライドするコア・クリエイターは,思いつい
たコメントやアイデアを出し,自分の能力で建設的な貢献をしたくなり非金銭的内
発的報酬を得る。プログラミングで賞賛されれば「評判」という非金銭的外発的報
酬を得る。リーダーはコア・クリエイターのその貢献を享受する。
③
こうして生産・公開された情報財は,サブ・クリエイターにフリーライドされる。
フリーライドは,コア・クリエイターが行う情報財の集積がフリーライドによって
減少しないため容認される。それどころか,サブ・クリエイターは,評価の書き込
みをし,バグを見つけ,クレームをつけることで,評価・選別・投票・指摘のフィ
ードバックが行われ,何が受容され,修正すべき箇所とアイデアは何かという貴重
な情報をコア・クリエイターに提供する。
④
クリエイターが得ている便益は,①情報財の消費量+②生産に参加することによる
非金銭的内発的報酬(達成感,自己実現,帰属の喜びなど)および③非金銭的外発
的報酬(評判など)+もしあれば④金銭的報酬から得る便益の合計である。費用は,
①コミュニティーに貢献することの機会費用+②生産の実費からなる。便益が費用を
上回るとき,クリエイターは情報財を生産する。
⑤
フリーライダーたちの多様性により,生産スピードが加速されシステム全体の生産
性が上がる。
⑥
見物人的な観客的消費者のフリーライドが増加し,さらにネットワーク外部性がは
たらき,コミュニティーへの参加主体それぞれの便益を上げる14。
⑦
ネットワーク外部性の無い公共財ではフリーライドが問題になるが,ネットワーク
外部性のある公共財は,システム全体がフリーライドによって正の便益を受ける。
こうして,ネットワーク外部性のある公共財には自発的協力が発生・持続する。
ここから,クラウドソーシング・メカニズムの協力について,以下のような仮説を導き
だすことができる。
仮説
各クリエイターは生産消費者である。プロジェクト・コミュニティーに参加するこ
13
なぜクラウドソーシングで生産される財が無償で公開されるのかの理論的分析は,(古川,
2014)を参照のこと。
14 フリーライダーによってシステムが正の便益を受ける可能性は,
経営学者の Weber(2004)
も指摘している。
13
とで得られる便益が費用を上回るとき,クリエイターは主体的均衡に達し生産を行う。情
報財にはネットワーク外部性があるため,フリーライドはシステムの便益を引きあげ,ネ
ットワーク外部性のある公共財には自発的協力が発生し,集合行為が継続する。
クリエイターが享受する便益と支払う費用は以下のように定義される。
便益は,
B
B(X, In, Ex, M)
ちなみにB は便益,X は公共財の消費量,In は非金銭的内発的報酬,Exは非金銭的外発
的報酬,Mは(あれば)金銭的報酬をさす。費用を負担する消費者と生産者とが分離してい
る伝統的な公共財理論では,消費者が得る効用は公共財の消費から得られる効用のみであ
るが,クラウドソーシングでは財の供給主体は生産消費者であるため,消費による効用に
加えて,生産に伴う様々な報酬も便益を形成する。
一方費用は,
C
C(OC, RC)
Cは費用,OCはコミュニティーに貢献することの機会費用,RCはパソコンやインターネッ
ト利用の実費であり,特に情報交換や情報提供の限界費用はインターネットを使用する場
合,ほぼ 0 になる。
主体的均衡は,
B
C
便益が費用を上回るとき,リーダーは情報財の生産を開始する。
しかし,コミュニティー管理が杜撰であると,クリエイターの貢献が無視・放置されたり,
コミュニケーションの摩擦が高まると機会費用が高く感じられるなどして,財の生産量Xも
増加せず,便益の内発的報酬Inや,外発的報酬Exは下がり,貢献の機会費用OCは上がり,
クリエイターが主体的均衡に達することができず貢献を中止することになる。
5
ゲーム・シミュレーション
ゲーム理論による公共財の自発的供給モデルでは,「囚人のジレンマ」に陥り,公共財の
供給水準が過少となり,パレート効率的な資源配分が実現しないことが知られている。パ
レート改善をもたらすためには協調をもたらすしくみが必要であり,継続的関係や評判が
重要になる「繰り返しゲーム」や,協力を生み出す合意を形成する「交渉ゲーム」が考案
されてきた。
14
しかし,クラウドソーシング・メカニズムでは協力は容易に成立しパレート最適が実現
しているのかもしれない。以下では,ここまで議論してきた,オープンソース・ソフトウ
ェアで代表されるクラウドソーシングの生産過程で観察される協力を,簡単なゲーム論で
分析してみよう。
戦略型n人ゲームを次の要素によって定義する。
G
N,
∈
,
∈
ここで
① G は,第 k 番目のゲームを表し,
② Nは,プレイヤーの集合でありN
1,2,3,4 ,
,
,
③
は,第 プレイヤーが取りうる戦略の集合,
④
は,
j∈
j 上に定義された実数値関数で第
プレイヤーの利得関数を示す。
以下で 4 つゲームを展開する。プレイヤーの集合はN
,
である。ただし, はコア・
クリエイター, はサブ・クリエイターと観客的消費者から成るフリーライダー群を示す(図
1 の B と C)。戦略の集合は
参加する,参加しない である。
利得は,各プレイヤーが公共財から得る便益で示すこととする。各プレイヤーは初期保
有資源として 1 単位の資源(貨幣・時間など)をもっていることにしよう。初期保有資源
を私的財を入手するために充てると,私的財から得られる便益は 1 である。もし,初期資
源を自分のためにではなく他者も利用する公共財に投じたときに得る便益は,通常は私的
財の獲得に用いた場合よりも低く,
1となる。私的財に充当したときと同じ場合には
1,そして,たとえば Linux のトーバルズのように,私的財を得るために使う資源 1
を用いて生産して 1 以上の便益を得ているからこそ自発的に財の生産を継続し,生産した
財を公共財として他者にも提供している場合,つまりクラウドソーシングの最初の公共財
供給者(リーダー,コア・クリエイター)が感じている便益は,
1と表わされる。
混雑効果とネットワーク外部性効果を「便益乗数」とし,定数 で表す。いま議論してい
る財は公共財なので,どのプレイヤーも自分の資源で供給した財に加えて,他者が供給し
た財にフリーライドすることができる。完全にフリーライドできるとき,すなわち「ネッ
トワーク外部性の無い純粋公共財」の場合は,両者がそれぞれに供給した財の合計からの
便益に
に
1を乗じた利得を得る。「混雑効果のある公共財」の場合には両者の便益の合計
1を,
「ネットワーク外部性のある純粋公共財」の場合には
1を乗じた利得を得る
ことになる。
クラウドソーシング・メカニズムを議論する前に,G (Game1)では,まず公共財がプ
レイヤー に私的財よりも低い便益をもたらし,互いに完全にフリーライドできる通常の公
共財供給ゲームから始めよう。つまり「ネットワーク外部性の無い純粋公共財」の自発的
15
供給メカニズムである。
G のN
, は,クラウドソーシングでの主体の区別を想定せず,ある社会を構成する
対等なプレイヤーを表すことにしよう。初期に手元資源としてそれぞれ 1 単位の資源を保
有しているとする。各プレイヤーは保有している資源を,私的財を得るためか,公共財の
供 給 の た め に 充 て る と し よ う 15 。 プ レ イ ヤ ー は 参 加 す る か , し な い か , す な わ ち ,
参加する,参加しない の戦略をとるとする。
いま
1であるので,これを 0.9 とし,各プレイヤーは資源投入から得た公共財か
ら 0.9 の便益を得ていることとする。プレイヤーは生産消費者であるので自ら資源を寄付し
供給した公共財をすべて消費している。加えて,誰かが供給した公共財に完全にフリーラ
イドできる。一方のプレイヤーのみが参加すれば,他方のプレイヤーは手元に残した資金 1
と供給された公共財から得る 0.9 の合計 1.9 の利得を得る。両者が{参加する;参加する}
の戦略をとったときの利得は,相互にフリーライドできるので(1.8,1.8)である。いま混
雑効果もネットワーク外部性も存在しないので,利得は(1.8,1.8)で確定される。もし両
者が{参加しない;参加しない}戦略をとるときには,公共財は提供さないので,それぞ
れに当初の資源 1 を手元に保有するにとどまる。このゲームの戦略型表現は表 6 になる。
表6
Game1
囚人のジレンマ
(ネットワーク外部性がない純粋公共財の生産消費ゲーム)
プレイヤー
w
参加する
参加しない
参加する
1.8,1.8
0.9,1.9
参加しない
1.9,0.9
1,1
1
プレイヤー
両プレイヤーにとって{参加しない}が支配戦略となり,
{参加しない;参加しない}=
(1,1)がナッシュ均衡となる。このナッシュ均衡は「囚人のジレンマ」である。非パレ
ート効率的であり,公共財は供給されない。
表7
Game2
囚人のジレンマ
(混雑効果のある公共財の生産消費ゲーム)
プレイヤー
w
プレイヤー
参加する
参加しない
参加する
1.44,1.44
0.9,1.9
参加しない
1.9,0.9
1,1
0.8
15
具体的には,1 時間をたとえばコミュニティー(公共財)形成に充てても良いし,1 単位の
貨幣を公共財供給のために拠出すると想定しても良い。
16
次にG (Game2)では,
「混雑効果」がある場合(w
1)を見ていこう。たとえば遊具
やベンチを集合的に使用するために集団で供給する場合を想定しよう。大勢の人が遊具や
{参加する;参加する}の利得は
ベンチに集まれば混雑が生じる。G との定式化の違いは,
両者が供給する公共財の和から得る便益に混雑効果の便益乗数 0.8 をかけた(1.44,1.44)
となる。このゲームの戦略型表現は表 7 になる。ほぼ自明であるが,両プレイヤーにとっ
て{参加しない}が支配戦略となり,
{参加しない;参加しない}=(1,1)がナッシュ均
衡となる。「囚人のジレンマ」に陥り,公共財は供給されない。
以上が,伝統的な公共財理論が想定してきた公共財の自発的供給メカニズムである。さ
てここからは,図 3,図 4 で示した参加人数による公共財便益の逓増を想定し,本稿で議論
してきたクラウドソーシングにおける協力ゲームを見ていこう。
「ネットワ
G (Game3)は,オープンソース・ソフトウェアのコミュニティーを想定する。
ーク外部性のある純粋公共財」の自発的供給メカニズムである。ここでは,コア・クリエ
イター(プレイヤー )が独自に作ったソフトの公開から協働が開始される。
はコア・クリエーターの利得, はサブ・クリエーターの利得を表す。もしコア・クリ
エイターが生産・公開を行わないのであれば,このコミュニティーにはフリーライドしつ
つ生産消費する財が存在しないため何も起きない。したがって,
参加しない;参加する =1,
参加しない;参加しない =1,
16
参加しない,参加しない =1,
参加しない;参加する
0 ,
である。
リーダー(最初のクリエイター,コア・クリエイターの中心人物)は,便益,すなわち
①財の消費,②非金銭的内発的報酬,③非金銭的外発的報酬,④(存在する場合は)金銭
的報酬の合計からなる便益が,投じた費用 1 を上回り,B
Cのときに,最初のソフトを自
発的に生産し公開するだろう。
しかしいまG では,リーダーが自ら公共財を生産することから得る便益が<1 の場合を考
えてみよう。リーダーにとって費用に見合う便益が得られないのであるから,本来,財の
生産は行われないはずである。しかし,もしいまリーダーが,主体的均衡に達していない
にも関わらず,自分が生産し公開しさえすればサブ・クリエイターと観客的消費者がフリ
ーライドして参加し,財を消費しつつもコメントやクレームをつけて生産に協力すること
や,同時に消費する主体数が増加し財の価値が高まることによりネットワーク外部性が働
くことを期待したとする。最終的には自分の便益が正になることを他者依存的に見越して,
16
コア・クリエイター(プレイヤー )が{参加しない}ときに,サブ・クリエイターたち(プ
レイヤー )が{参加する}戦略をとっても貢献は実らず,初期保有資源を無駄に蕩尽してしま
うため利得は 0 である。
17
当初は損失を出しながらも財を供給したとしよう。ネットワーク外部性の便益乗数をいま
1.3 とすると, (参加する;参加しない)=0.9 である。サブ・クリエイターと観客的消
表8
Game3 他者依存型フリーライド・パラダイス
(ネットワーク外部性のある純粋公共財の生産消費ゲーム)
プレイヤー
w
参加する
参加しない
参加する
2.34,2.34
0.9,1.9
参加しない
1,0
1,1
1.3
プレイヤー
費者も通常の想定通り,
{参加する}ことから得る主体的な便益は 0.9 とする。ネットワー
ク外部性があり,便益乗数は 1.3 である。
(参加する;参加する)=(2.34,2.34)である。
表 8 はこのときの戦略型表現である。このゲームではナッシュ均衡が 2 つある。
{参加す
る;参加する}と{参加しない;参加しない}であり,協力も解のひとつであるが,「囚人
のジレンマ」に陥る可能性を排除できない。
次にG (Game4)では,G と同様「ネットワーク外部性のある純粋公共財」の自発的供給
メカニズムであるが,G との違いはリーダーが他者の戦略に関係なく単独でも公共財の生
産を行うクラウドソーシング・メカニズムを議論する。この構造のゲームを以下では「フ
リーライド・パラダイス」と呼ぶことにする。リーダーは主体的均衡に達し,リーダーが
自ら公共財を生産消費することから得る便益は
1である。
参加する;参加しない =1.2
とする。しかし,サブ・クリエイターたちが{参加する}ときに生産した公共財から主体
的に得る便益は 0.9 でG と変わらないものとしよう。
(参加する;参加する)=(2.73,
ネットワーク外部性の便益乗数もG と同様 1.3 とする。
2.73)である。このゲームの戦略的表現は表 9 に示される。
表9
Game4 フリーライド・パラダイス
(ネットワーク外部性のある純粋公共財の生産消費ゲーム)
プレイヤー
w
プレイヤー
参加する
1.3
参加する
2.73
参加しない
2.34
1,0
参加しない
1.2,1.9
1,1
このゲームでは{参加する;参加する}がただ一つのナッシュ均衡となる。つまりリー
ダーが主体的均衡に達し,他人に影響されることなく公共財の初期提供を行えば,ネット
18
ワーク外部性のある「フリーライド・パラダイス」では,サブ・クリエータや観客的消費
者が公共財供給に貢献することから感じる便益が凡庸なものでも,その後の協力が自動的
に発生し,安定的に成長・維持する。
以上のゲーム・シュミレーションの結果から言えることは次のようになる。ネットワー
ク外部性がない,もしくは混雑効果が起きている公共財の自発的供給は「囚人のジレンマ」
に陥る。
ネットワーク外部性がある公共財であっても,リーダーが主体的均衡に達しておらず他
者依存的な場合には,協力は不安定になる。地域おこしでも,成功したコミュニティーの
中心にいるリーダーの役割は大きい。覇権後の国際秩序維持における不安定性についても,
準周辺国の協力を最初から期待しなければならない覇権国の脆弱さが,国際秩序を不安定
化する。
一方,主体的純便益が正になり,1 人でも財を供給できるリーダーもしくはコア・クリエ
イターが存在して初期生産を行う場合,ネットワーク外部性のある純粋公共財を供給する
ためのコミュニティーの協力は自律的に達成される。ブレークスルーを単独で起こせるコ
ア・クリエイターの存在によって「囚人のジレンマ」を確実に回避することが,
「フリーラ
イド・パラダイス」における安定的な協力行動の必要条件だと言えよう。
6
国際公共財への適用
(1) Olson 問題とは何か
以上の分析を受けて,再び Olson 問題や既存の公共財の自発的提供の問題にかかわる,
公共財の過少供給,フリーライド問題とは何かを検討したい。
Olson(1965)は,大集団は,①強制があるとき,②集団の利益達成目標とは異なる別個
の誘因が集団員に与えられるとき以外は,集団の目標は,規模が大きくなるほど実現され
ず,「集合行為」は不可能である。小集団の場合には事情は複雑であり,最適レベル到達前
に集合行為をやめるか,欲求度の低い成員の高い成員への「搾取」(フリーライド)が起こ
ると論じた。
しかし,今までの公共財の研究は,G (Game1)や,G (Game2)が示した成立が難し
い便益逓減の公共財のみに焦点を当ててきたために,公共財の過少供給,パレート非最適
「フリーライ
問題が重点的に議論されてきたと思われる。協力が容易にできるG (Game4)
ド・パラダイス」の構造をもつ公共財の自発的供給メカニズムがあれば,Olson 問題を一部
解決することになろう。
ここまでの理論的分析をふまえて,ふたたび国際公共財を見直してみると,面白いこと
19
が分かる。自発的な国際公共財供給は覇権国という疑似政府にしか供給できず,その衰退
後に世界は不安定化するのか(Gilpin, 1975),協力が実現するのか(Keohane, 1984)という
曖昧な議論に対し,本稿での分析にしたがえば,どの国際公共財において自発的協力によ
る提供が可能であり,どの財では不可能なのかについて,公共財の便益逓減・一定・逓増
という財の性質を特定することで,明確な問題解決の指針を示すことができる。
「フリーラ
イド・パラダイス」と同様に,ネットワーク外部性をもつ国際公共財は容易に成立し,「囚
人のジレンマ」に陥る性質の国際公共財には適切な対処を提言することが可能になる。さ
らに,本来ネットワーク外部性があるため容易に成立するにも関わらずその成立を阻む要
因や,公共財として議論するには競合性の要素が高すぎるために容易に合意が成立しない
ケースにも触れてみよう。
(1) 自発的供給による協力が成立する国際公共財
さて,19 世紀の昔から,世界大での郵便配達網(万国郵便連合),電信電話網(国
際電気通信連合),単位・規格の共有(国際度量衡事務局。現,国際標準機構),国境
を超えた犯罪捜査網(国際刑事警察機構),国際金本位制度,国際通貨,河川の国際共
同管理など,ときに国際機構設立に発展して安定的に維持されてきた国際公共財も実は
少なくない。ネットワーク状の国際公共財は言うまでもないことだが,ルール,法律,
共通尺度,規格,知識,公衆衛生環境,貨幣などには,ネットワーク外部性や同時に消
費するする人数に応じた便益逓増が存在する。これらの国際公共財は集合行為が容易な
「フリーライド・パラダイス」構造を有し,その成立は極めて順調であった。
たとえば国際郵便制度は,1817 年にフランスとオランダが郵便の国際的協力を 2 国間で
調印し,1850 年にはオーストリア・ドイツの郵便連合協定が結ばれた。1863 年にパリに
15 カ国が集まって国際郵便委員会が成立した。1874 年にはスイスの提唱により 22 か国が
ベルンで国際郵便条約に調印し,一般郵便連合(General Postal Union)が翌 1875 年に発足
し,事務局はベルンに置かれた。これは 1878 年に万国郵便連合(Universal Postal Union)
に改名され,第二次世界大戦後の 1948 年には国際連合の専門機関となって,現在 192 か国
が加盟している。
地球上のほぼすべての国から郵便物を送ることができ,国際郵便は内国民待遇を受ける。
国際郵便料金は差出国で徴収し,加盟国の切手はどの国にも通用するという単純な取り決
めが,世界大での郵便配送を可能にしている。加盟することの費用は低く,加盟国が増え
るほど,すべての加盟国にとって郵便が配達される範囲は広がるために各加盟国の便益が
上がるネットワーク外部性が存在するのは言うまでもない。
同様に国際電信網も容易に成立した。1865 年,20 カ国がパリにて国際電信連合
(International Telegraph Union)を有線電信の国際的協力常設機関として設立した。1906
年には,ベルリンで国際無線通信連合(International Radiotelegraph Union)が設立され,
1932 年には,マドリードで上記の 2 機関が合併し国際電機通信連合(International
20
Telecommunication Union) が成立した。ITU は,万国郵便連合と同様,戦後国際連合の
専門機関のひとつとなり,国際標準の勧告,周波数の割り当てなどを行うことで 191 か国
にまたがる世界大の電信電話網を安定的に提供している。インターネットの出現以降では,
世界指標 DOI(digital opportunity index)を提供するなど,協働は進化を続けている。
第一次大戦前から,河川,海運,鉄道・運輸,航空,郵便,通信,保険衛生,度量衡,
基準統一,情報収集と伝達,統計資料の作成,貨幣の分野では,集合行為が容易に成立し,
国際公共財が自発的に供給される分野が存在したのである。すべてネットワーク外部性を
有する国際公共財である。
(2) 協力が可能な安全保障問題
一方,一般に協力が成立しにくい国際公共財として,国際的な政治的安定性,国際的な
人道支援,国際的な自然環境,が挙げられる。これらの課題に対して,どのようなアプロ
ーチが有効なのだろうか。
Olson and Zeckhauser(1966)は,大国が小国をフリーライドさせることで NATO は成立
したと論じた。覇権安定論は,覇権国が自ら提供する私的財にフリーライドさせるかたち
で国際公共財は提供されるが,覇権国が衰退した時には,国際秩序は崩壊し平和は提供さ
れないという。確かに,歴史上リーダー国の交代期に大戦が観察されてきており,リーダ
ー国が国際秩序維持に果たす役割は大きい。
しかし逆に,この大国の存在が平和を乱す要因になるとの見方もできる。現在合意が難
しいといわれる国際的な人道支援分野で,19 世紀には,アフリカ奴隷貿易の廃止やアヘン
取締りで国際的合意が形成されたことがある。最近では,不可能と思われていた安全保障・
軍縮上の国際的な合意が,きわめて速やかに形成された事例が観察された。対人地雷禁止
条約(オタワ条約)とクラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)は,いずれも安全保障上の
軍縮の試みが大国の意志に反して成立した先駆的な事例である。
まず,対人地雷全面禁止条約の成立を見てみよう。1991 年に NGO 職員であるボビー・
ミュラー(アメリカ)とトーマス・ゲバウアー(ドイツ)の 2 人が,カンボジアやエルサ
ルバドルでの対人地雷が一般の人々を巻き込み戦闘終了後も長く被害を拡大させ続けるこ
とを憂えて,対人地雷廃止への意志を明らかにした。1991 年に地雷禁止国際キャンペーン
ICBL(International Campaign to Ban Landmines)を立ち上げ,1993 年に市民 NPO・
非政府機関 NGO のネットワーク組織による働きかけが開始された。カナダ,オーストリア,
ベルギー,南アフリカなどミドルパワーの意志を NGO がつなぐことに成功し,1995 年ま
でのわずか 1 年半で対人地雷を全面禁止する法律が成立した。1997 年にはオタワ条約が調
印され,2014 年現在 162 か国が批准している。しかし,生産国であり使用の意思が明確な
アメリカ,ロシア,中国などの軍事大国はこれに加盟していない。
同様に,2008 年にクラスター爆弾全面禁止条約(オスロ条約)が,2006 年の NGO によ
21
るオスロ会議からわずか 2 年後に成立した17。2014 年現在,締結 84 か国,署名 111 か国で
ある。2010 年 2 月には条約発効条件の 30 か国の批准であったことを考えると,速いスピ
ードで協力が成立しつつある。ここでも,アメリカ,ロシア,中国の大国は署名の意志を
見せない。生産・使用国であるアメリカは,オスロ条約を骨抜きにしようとする行動すら
見せている。
平和には本来,公衆衛生と同様に,ネットワーク外部性がある。国際的な政治的安定状
態にある国が増加すれば,地球社会の各成員(各国)が平和から得られる便益は逓増する
だろう。自国の安全を脅かす脅威が減少するからである。平和の維持に大国が大きな役割
を果たすと考えるのが覇権安定論である。上記の事例は,リーダーは必ずしも大国である
必要がないことを実証している。逆に,プロジェクトの初期段階で大国がその協力を否定
すれば,小国がそうするよりもコミュニティー全体の協力は起きにくい。こう考えると,
協調に困難をきわめる安全保障問題に関して,大国の利害関係を見直すことも重要である。
このことは,理論的にはどのように説明できるだろうか。古川(2014)は,ネットワー
ク外部性のある公共財の成立初期条件を示した。ネットワーク外部性のある財への自発的
供給が成功するためには,いち早くクリティカル・マスと呼ばれる参加者シェアを越えな
ければならない。クリティカル・マスとは,参加者のシェアがひとたびその点を越えれば,
ネットワーク外部性の性質ゆえに,潜在的参加者は効用最大化のために自発的に参加し,
コミュニティーが自動的に生成する点である。もしクリティカル・マスを越えることがで
きなければ,参加者シェア 0 が均衡になる。すなわち公共財は提供されない。
このロジックにおいて大国の役割を再検討してみると,パワー維持のためには必ずしも
平和を望まない大国が,もしくは大国同士の角逐が,クリティカル・マスへのコミュニテ
ィーの到達を阻み,平和をもたらす取決めが成立せずに終わってきた可能性を指摘するこ
とができる。たとえば,冷戦期にソ連とアメリカの 2 国が特定の条約などの合意に反対す
れば,それぞれの同盟国はそれに倣うしかないため,クリティカル・マスに到達しようが
ない18。
このように,一般に「安全保障問題における協調は成立しない」という通説も再検討す
る必要がありそうである。覇権安定論とは逆に,「大国の行動が平和を妨げる要因である」
ことを抽出できれば,中小国が作る制御ネットワークが大国のパワーを凌駕することで,
オタワ条約やオスロ条約のように平和の条件を実現することもありうるのである。実際オ
タワ条約成立以降,非加盟国も,世界の 162 か国が批准している国際的状況では対人地雷
を使用しにくいという。国際社会での「評判」が,非加盟国の行動を制御するインセンテ
17
クラスター爆弾とは,小さな多数の爆弾を入れた親爆弾を目標の上空で爆発させて子爆弾を
広範囲に拡散させ,それが地表に到達すると一斉に爆発するように設計されている兵器である。
拡散させた小爆弾のどれかが標的に命中することを企図しているため,目標周辺の一般市民が被
害を受け,命中しなかった子爆弾は不発弾として戦闘終了後にも一般市民に継続的な脅威を与え
る。
18
この問題はまた稿を改めて議論したい。
22
ィヴとして働くからである。
(3) コモンズ:協力が困難な「国際的な自然環境」問題の実態
最後に,協力が難しいと言われる「国際的な自然環境」問題の構造をみてみたい。環境
問題は「コモンズ」問題として扱われることが多いが,環境コモンズが生み出す公共財に
はいくつかの種類がある。①牧草地,②美しい景観,③酸素を含んだ清浄な空気などであ
る。ハーディンが考察の対象にした古典的なコモンズは①であろう。そこでは実際に何か
起きていたのだろうか。この場合,コモンズとは「消費の競合性のある財(牧草)が生え
ている,複数の主体が立ち入り可能な土地」である。3 節で論じた通り,ある羊が今年消費
する地上部は動学的には準公共財かもしれないが,今年の「コモンズ問題」がもし競合財
の奪い合いだとしたら,自然環境問題を非排除性の性質ゆえに「公共財問題」として捉え
る限り「共有地の悲劇」は解決しない。「競合性のある財の競合消費」の紛争解決には,適
切な非排除性の管理ないし,適切な資源分配機構を設ける必要があるだろう。
Ostrom(1990, 2005)が提示する「長期持続型コモンズのための 8 つの設計原則」は以
下の通りである。
① 資源システムの利用権利についての個人・世帯の境界の明確さ
② 利用者の便益と負うコストが釣り合っていることへの認識の共有
③ ルールの修正に参加する権利をもつこと
④ 資源の状況,利用者の行動の検査・評価者が利用者に負う責任
⑤ 違反の程度に応じて違反者に段階的な制裁が与えられること
⑥ 資源の利用者と役人が低コストで紛争解決の場にアクセスできること
⑦ 利用者が自らの制度を利用する権利を外部の政府機関から侵害されないこと
⑧ 資源のガバナンスが入れ子構造になっていること
以上はあきらかに,「競合性のある財の共同使用」に関する資源分配機構を示している。
排出権取引は,この紛争を市場メカニズムという資源分配機構を用いて解決しようとする
ものである。もし「競合性のある財の共同使用」問題を準公共財として扱うときには,競
合性を所与として議論する方が解決策を導きやすいと思われる。
おわりに
伝統的公共財理論における公共財のパレート非最適問題や,集合行為は困難を極めると
いう Olson 問題に対して,本稿ではクラウドソーシングにみられる集合行為,すなわち自
発的は公共財の供給行動を解明することによって,新たな解決策を提示した。
まず,クラウドソーシング・メカニズムでは,財の非競合性,フリーライダーの生産消
費,多様性から,フリーライダーは歓迎されさらにネットワーク外部性が働くことで自発
的協力が発生・持続している。Linux の成功や,数々のクラウドソーシングの盛況は奇跡で
23
はない。フリーライドが歓迎され,生産消費がすべての成員の効用を上げるメカニズムが
存在している。これが伝統的な公共財理論が提示してきた結論を覆す構造である。
このメカニズムのモデル分析を行う基礎的作業として公共財概念の再整理を行なった。
純粋公共財は,社会的関係によって私的財にも公共財もなりえる。また,いままで主に便
益逓減・一定のもとでの公共財の自発的供給のみが議論されてきたことに対して,公共財
の便益逓増を明示した。
その整理を反映したゲーム論によるシミュレーションでは,当該公共財が Game1 や
Game2 のような「囚人のジレンマ」構造を持っていれば,公共財は供給されない。
しかしその公共財が,ネットワーク外部性がある純粋公共財であり「フリーライド・パ
ラダイス」構造をもっていれば,協力がナッシュ均衡となりパレート最適が実現する。自
発的な公共財の供給が実現され,協力は安定する(Game4)。ただし,リーダーが主体的均
衡を達成していないにもかかわらず,他者依存的に生産・公開を行うゲーム「他者依存的
フリーライド・パラダイス」では,ナッシュ均衡は 2 つあり,
「囚人のジレンマ」に陥る可
能性を排除できないことが分かった(Game3)
。
本稿での理論分析の結果は,さまざまな「強制権の無い自発的協力行動」に応用できる。
国際公共財の提供に関する議論にも,公共財の便益逓増,一定,逓減の区別に着目して分
析を加えれば,集合行為を成功させるために,どの性質の財にはどの解決方法を用いるべ
きなのかの指針を示せるかもしれない。ネットワーク外部性があり公共財の便益が逓増す
る場合には集合行為は容易であり,19 世紀から成立し安定的に機能してきたものも少なく
ない。一方,集合行為が難しいと言われてきた分野でも,初期に大国が参加を拒むことで,
ネットワーク外部性のある国際公共財の安定的な協力行動を阻害してきた可能性を示唆で
きた。
今回の分析では,適用の入り口を示したに過ぎない。今後は,ローカルなコミュニティ
ー形成から国際公共財まで,今回の分析を適用しつつ議論を精緻化し,発展させていきた
い。直近では国際公共財の様々な類型,すなわち国際的な経済的安定性,国際的な政治的
安定性,国際的な人道支援,国際的な自然環境,知識における事例考察と,新たな理論分
析を行いたい。これは,覇権の相対的衰退に直面する現在の世界に,協力と秩序を生み
出す条件を探っていくという作業にもつながるだろう。
24
補論
本稿での議論は以下のように一般化できる。
各主体
の戦略 を、
「参加する」場合に
1、
「参加しない」場合に
0とし、
戦略型ゲームを
表9
Game (戦略型表現の一般化)
サブ・クリエイターと観客的消費者
1
コア・クリエイター
1
1,1 ,
∙
∙
0,1 ,
0
0
1,1
0,1
1,0 ,
1,0
0,0 ,
0,0
とする。なおここで便益乗数:
混雑効果のある公共財:
1
ネットワーク外部性の無い純粋公共財:
1
ネットワーク外部性のある純粋公共財:
1
となっている。
「
0,0 and
1,0
0,0 」が 「
0,1
0,0 ({参加しない;参加しな
,
い})がナッシュ均衡である」ことの必要十分条件。
「
0,1
1,1 and
∙
1,0
1,1 」が「
∙
1,1 ({参加する;参加す
,
る})がナッシュ均衡である」ことの必要十分条件。
Game 1 と Game 2 は, 0,0
1
0.9;
1,1
「
1,0
「
0,1
Game 3
1,0
1
「
1,0
「
0,1
Game 4
1,0
1,1
「
1,0
「
0,1
2
0,0 and
1;
1,0
0,0
0,0
1;
0.9;
1,1
1,1
2
0.9;
1,1
0,0
1.2
0,0 and
∙
1,1 and
1,0
0.9;
1,0
0,0
0,1
1,0
0.9 ;
0,1
0;
0,1
1
0;
0;
0,1
1
0;
1.3
0,0 」を満たす。
0,1
1,1 and
0.9;
1,1 」を満たさない。
∙
は,
∙
0,1
0,0 」を満たす。
0,1
0,0 and
1,0
1 (Game 1) or 0.8 (Game 2)
0.9;
1,1 and
∙
は,
1
0,0
0.9
1,1 」を満たす。
∙
1;
1,0
1,1
2
1.2 ;
0.9;
0,1
1.3
0,0 」を満たさない。
0,1
1,0
1,1 」を満たす。
∙
25
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