「川と信仰と農業の国、歌と詩の国 バングラデシュ」

2007 年
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「川と信仰と農業の国、歌と詩の国
バングラデシュ」
基礎情報
●国名 バングラデシュ人民共和国
(People's Republic of Bangladesh)
●首都 ダッカ
●面積 14 万 4 千 km2 (日本の約 0.38 倍)
(北海道の約 2 倍)
●人口 1 億 2,925 万人、人口増加率:1.48%(2001 年、バングラデシュ統計局)
●民族 ベンガル人が大部分を占める
●言語 ベンガル語(国語)、英語
●宗教 イスラム教徒 88.1%、ヒンズー教徒 10.5%、仏教徒 0.6%、キリスト教徒 0.3%(1991 年国勢調査)
●識字率 成人識字率:男性 49%、女性 30%(2004 年, 世界子供白書)
●平均寿命 男性 60.7 歳、女性 61.5 歳(2002 年, Human Developmant Report 2004)
●乳児死亡率 51/1,000 人(2002 年 ,Human Developmant Report 2004)
●通貨 タカ
●為替レート 1 タカ=2.01 円(2002 年 12 月現在)
●時差 日本時間マイナス 3 時間
●GDP 476 億ドル(01/02 年,Human Developmant Report 2004)
●一人当たり GDP 351 ドル(01/02 年, Human Developmant Report 2004)
●主要産業 農業、縫製品・ニット製品産業、水産業、ジュート加工業
●主要貿易
品目 (1)輸出
(2)輸入
縫製品・ニット製品、冷凍食品、ジュート製品、皮革
資本財、繊維、原油・石油製品、鉄鋼
●主要貿易
相手国 (1)輸出
(2)輸入
英国、米国、ドイツ、フランス、オランダ、イタリア
インド、中国、日本、シンガポール、台湾、韓国
<日本>
面積
- 377,835km²(世界第 60 位)
人口
-(2006 年)127,767,944 人
- 人口密度
世界第 10 位
337 人/km²
GDP
- 合計(2005 年)504 兆 9,180 億円
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在日バングラデシュ政府観光局長
高山
和枝
はじめに
人口およそ1億3000万人、面積は日本の約1/3、北及び、北東インド、東南をミャンマー、南はベ
ンガル湾を臨む亜熱帯、季節はモンスーン、主要言語ベンガル語、イスラム教徒85%、他にヒンディー教徒、
仏教徒と続く。主な季節は冬(11月~2月)夏(3月~6月)モンスーン(7月~10月)と大まかに別れ
るが二ヶ月ごとに微妙に変化し、この国の人々は6つの季節に分ける。最高気温35度、最低気温8度。
“わが黄金のベンガルよ、私はあなたを愛します。いつもあなた
の空、あなたの風が私の心に笛の音を響かせます。母よ、早春にはあ
なたのマンゴーは畑に、香りが満ち溢れます…”と歌われる国歌はノ
ーベル文学賞を受賞した詩人タゴールのものであり、ベンガル地方を
こよなく愛するこの詩に魂をゆすぶられる思いがする。
同じアジアに位置しながらこの国を知る人は数少ない。イギリス
のインド大陸植民地からの独立、東パキスタンを経て、再びパキスタ
ンから独立へとバングラデシュはこの間多くの犠牲を払ってきた。ま
た、度重なる洪水、サイクロン、干ばつなどの自然災害、そして人口
増加と多くの問題を抱えているこの国がメディアから伝わるのは貧困
を取り上げることはあっても、歴史、文化、一般市民生活を伝える機
会に恵まれず、その情報は
会に恵まれず、その情報は少なくマイナーな国でもある。
一年間のバングラデシュへ訪れる日本人渡航者数はたったの5千人、この中に含まれる旅行者はほんの一
握りでしかない。バングラデシュ、この響きに日本人の持つイメージは近くて遠い国であり、一昔前の赤軍派
のダッカ事件、毎年大なり小なりの洪水に見舞われるニュースが新聞の片隅に載るくらいだろうか。
初めて訪れれば沢山の川に驚くに違いない。別名、川の国とも呼ばれ、ボッダ川、メグナ川、ジャムナ川、
プロモトロ川、モドゥモテェィ川、シュルマ川など沢山の川があるがその川幅は広く、これらの川には客船か
ら小さな船まで行き交い、この光景を見たら海を想像するだろう。この川の国は“歌と詩の国”とも呼ばれる。
未知の国を知ること、それは新しい出会いの始まりでもある。
■ダッカ
首都ダッカは人口400万人、ここは熱い空気が人々と車とカラフルに彩色されたリキシャで埋まる街、
熱気に満ちた街の人々のエネルギーは灰色の空に吸い込まれて
いく。高層のビルとその谷間を埋める空間に今という瞬間を生き
ている人々の視線が迫ってきそうだ。
小さな店が並ぶ街外れは日本の夏祭りに似ている。アセチレ
ンの匂い、裸電球の点る店に三々五々集まってくる若者の語らい
がある。露天から煙るスパイスの効いた匂いが食欲を誘う。雑貨
屋、たばこ屋は男たちの憩いの場でもある。店を囲んでおしゃべ
りする男たちの顔は一日の仕事の疲れを癒す場所であり、社交場
でもある。旅人の一挙一動のしぐさもすぐ捉える店の主人の顔は
異邦人にとてつもなくやさしい。
ダッカはムガール帝国時代に開かれた都市であり、殊にショナルガオンはベンガル地方最古の都の一つで
13世紀まではデーパ朝の権力の中枢として発達し、その後ムゴール朝が台頭するまでの期間はスルタン統治
下のベンガル地方の副都市として繁栄した。キイアシュディン王の墓、パチュービルやアラーの神殿、ゴアル
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13世紀まではデーパ朝の権力の中枢として発達し、その後ムゴール朝が台頭するまでの期間はスルタン統治下
のベンガル地方の副都市として繁栄した。キイアシュディン王の墓、パチュービルやアラーの神殿、ゴアルデイ
ー・ビレッジにあるモスク、ラルバグ砦、ポロカトラもムゴール朝時代の貴重な遺跡もあり、そのなごりを留め
ている新旧の建物が同居している興味深い都市でもある。
■チッタゴン
ダッカに次ぐ第二都市チッタゴンは16世紀に訪れたポルトガルの航海者たちが“大いなる港”と呼んだよ
うに活気に溢れる国際港湾都市でもあり、また、ミャンマーに面したヒルトラックスは青々とした常緑樹林が茂
る丘陵地帯であり、少数民族の住み処でもある。ランガマティ、バンダルバンの地方はそれぞれの少数民族がお
り、それぞれの部族は昔ながらの儀式、習慣、生活様式を守りながら自然と一体となって暮らしている。彼等の
生活は丘陵地帯での焼き畑農業により自給自足し、女性たちの多くは機を織り、その独特の色彩模様は織物の原
点と思いたい。
女性たちは色彩豊かな色とりどりのブラウスに長い布を巻き、赤い口紅を引いた若い女性たちから笑顔がこ
ぼれる。その多くは仏教徒であり、日本人と同じ顔をした少数民族に出会い、親近感が湧くのは同じ民族として
の誇りか、それとも安堵感だろうか。
680平方キロに伸びる人造湖、カプタイ湖はつり、クルージングができ、自然を満喫させる。また、仏像
を安置したチト・モロン寺院があり、毎年盛大な仏教祭が催される。この丘陵地帯は神々が住むという静寂な緑
の地、静かなたたずまいがここにある。
コックス・バザールは海浜の長さでは世界一、一部の欧米人も訪れる観光地として名高いが、観光地として
の開発はこれからである。また、ナシラバードの丘にあるボスタミ王墳墓の側に生息する数百匹の淡水亀は生物
学分類上でも唯一このところにしいかない“亀”の研究者にとっても興味深い。今から1,100年前この地を訪
れた聖人の怒りに触れて亀の姿に変えられ、聖人の従順な家来となったという伝説が残り多くの訪問者や巡礼に
やってくる人が後を絶たない。
チッタゴンはダッカに比べ陽射しは強いが乾燥してしのぎやすく、観光に最も適していて街並みも整然とし
て落ち着いている港町でもある。
■ユネスコ文化遺産・ユネスコ自然遺産
バングラデシュは二ヶ所の文化遺産と、一ヶ所の自然遺産がユネスコに登録されている。バゲルハートのモ
スク都市は古代イスラムの都市遺跡であり、約50のモスクが残存しており、この時代のハーン・ジャハン王の
スク都市は古代イスラムの都市遺跡であり、約50のモスクが残存し
隆盛の時代を垣間見ることができる。
ており、この時代のハーン・ジャハン王の隆盛の時代を垣間見ること
【バゲルハートのモスク】
もう一つの文化遺産はパハールプールの仏教寺院跡である。8世紀半ばから400年間ベンガル地方を支配
ができる。
していたパーラ王時代、この地は仏教が栄えていた。この大僧院はインド大陸でも最大のものであり、多くの仏
もう一つの文化遺産はパハールプールの仏教寺院跡である。8世
教を学ぶ人々や巡礼者が訪れたという。この建築様式はミャンマーの寺院、カンボジアのアンコール寺院、イン
紀半ばから400年間ベンガル地方を支配していたパーラ王時代、こ
ドネシアの建造物に深い影響を及ぼした。いま、その原形を留めているのはなだらかな丘墳だけだが当時の面影
の地は仏教が栄えていた。この大僧院はインド大陸でも最大のもので
を伝えている。他にコミラの仏教大学跡もこの時代のもので見逃せない。
あり、多くの仏教を学ぶ人々や巡礼者が訪れたという。この建築様式
自然遺産、シュンドルボンはガンジス川、メグナ川、プラマプト川からなるベンガル湾のデルタ地帯にあり、
はミャンマーの寺院、カンボジアのアンコール寺院、インドネシアの
マングローブの森は世界最大の規模であり、ロイヤルベンガルタイガーの生息地として知られ、豊かな自然は野
建造物に深い影響を及ぼした。いま、その原形を留めているのはなだ
鳥の宝庫でもある。
“シュンドルボン”は“美しい森”の意、まさにその名のとおり、観光者から絶賛されている。
らかな丘墳だけだが当時の面影を伝えている。他にコミラの仏教大学
その他にもインド、アッサムに隣接するシレットは紅茶畑が四方に広がり、睡蓮のマドハルプール湖、少数
跡もこの時代のもので見逃せない。
民族の伝統あるモニプリダンスなど観光を上げればきりがない。各県により歴史的なモスク、遺跡があり、素朴
だがお祭りも各地で見られる。
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【バハールプールの仏教寺院跡】
自然遺産、シュンドルボンはガンジス川、メグナ川、プラマプト
川からなるベンガル湾のデルタ地帯にあり、マングローブの森は世界
最大の規模であり、ロイヤルベンガルタイガーの生息地として知ら
れ、豊かな自然は野鳥の宝庫でもある。“シュンドルボン”は“美し
い森”の意、まさにその名のとおり、観光者から絶賛されている。
その他にもインド、アッサムに隣接するシレットは紅茶畑が四方
に広がり、睡蓮のマドハルプール湖、少数民族の伝統あるモニプリダ
ンスなど観光を上げればきりがない。各県により歴史的なモスク、遺
跡があり、素朴だがお祭りも各地で見られる。
■村の風景
小さなモスクから朝の祈りが聞こえる。朝もやがかかり、鶏の
声がする。まだ夜も明けない薄暗い台所で音がする。かまどから煙
が出ている。厚手の鉄板が置かれ、小麦粉を練ったルティが焼かれ
る。大家族の食事はルティの枚数も沢山だ。女性たちはかまどの前
に座り込み、念入りに一枚一枚ルティを焼く。木綿の色褪せたサリ
ーを無造作にまとい、時々肩から落ちるサリーの布を払いのけなが
ら、それは額から流れる汗との戦いである。村の女性たちは働き者
だ。早朝から家の前の庭と家の中を掃除する。家の掃除をしておく
ことは神様が来てくれることであると信じている。土間は手のひら
で固めたように滑らかだ。
村のバザールは村人が持ちよったキャベツ、カリフラワー、ジ
ャガイモ、大根など地べたに並んである。足を縛られた小振りの鶏
が数羽音を立てている。小魚が笊の中で飛び跳ねている。村のバザ
ールは早朝から8時に終わってしまうが、ここは村人たちの社交場
でもある。昼間は子供たちの遊び場、朝と夜はバザールと、小さな
でもある。昼間は子供たちの遊び場、朝と夜はバザールと、小さな広場は様相を変える。村には雑貨屋が一軒だ
広場は様相を変える。村には雑貨屋が一軒だけ、最小限の品物を売
け、最小限の品物を売る店はクッキーを5箱も買えば売り切れてしまいそうだ。この広場は夜店が登場する。や
る店はクッキーを5箱も買えば売り切れてしまいそうだ。この広場
かんにミルクティが沸き、村の男たちが集まってくる。世間話が大好き、政治の話が大好き、情報はここが発信
は夜店が登場する。やかんにミルクティが沸き、村の男たちが集ま
地であり、村のコミュニティーを支えるのはたぶんこんなところからかも知れない。
ってくる。世間話が大好き、政治の話が大好き、情報はここが発信
子供たちが裸足で元気に駆け回っている。土手には牛が昼寝をしている。田畑を耕す農夫の足取りはゆっく
地であり、村のコミュニティーを支えるのはたぶんこんなところか
りとゆっくりと牛の舵をとっている。黄色い菜の花畑、のどかな風景、タイムトンネルはさほど遠くないところ
らかも知れない。
にありそうだ。ロウソクを囲み家族の団欒がある。忘れてしまった家族の絆、昔の懐かしい記憶はまさに村その
子供たちが裸足で元気に駆け回っている。土手には牛が昼寝を
ものである。
している。田畑を耕す農夫の足取りはゆっくりとゆっくりと牛の舵
■お客様は神様のメッセンジャー
をとっている。黄色い菜の花畑、のどかな風景、タイムトンネルは
さほど遠くないところにありそうだ。ロウソクを囲み家族の団欒が
乾季、雨季に限らず、行く度に新しい発見があるのはこの国の季節かそれともこの国の奥深さがあるからだ
ある。忘れてしまった家族の絆、昔の懐かしい記憶はまさに村その
ろうか。雨の音も風の音も毎回同じではない。食卓にのるカレーの味も、カーステレオから流れる甲高い歌の声
ものである。
も、子供の声も、道をふさぐリキシャ夫の顔も違って見える。同じ街の同じ道を通り抜けても、その街の匂いも
違って感じるのはなぜだろう。何もないことは何かがあること、混沌とした中にも人々の生きる姿に感動があっ
たり、美しい絹のサリー姿の女性を眺め、傍らで整然と積んだ果物やを眺める。異国はたった飛行機で10時間
で存在する。
決して二度と会わないような人々とも沢山接してきた。家の前から手招きされ「お茶を飲みませんか」と声を
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決して二度と会わないような人々とも沢山接してきた。家の前から手招きされ「お茶を飲みませんか」と声を
かけられる。また「食事は?」と尋ねられる。一緒に食事をすることがこの国の人々の喜びであり、他人に施すこ
とは神様への恵みと信じている。分かち合う精神があり、ホスピタリティの国、フレンドリーで屈託のない国民
性は旅人の心を掴んで放さない。そしてこの国を訪れて、この国の良さを知ればリピーターとなっていくのでは
ないだろうか。バングラデシュに魅せられて何十回と渡航を重ねる友人は“人々のふれあい”を第一番に挙げて
いる
■自然の脅威
光と影
ヒマラヤから流れる水が徐々に水嵩を増し、平坦な流れのない川
は氾濫し、国土に広がる。この時期、一面に広がった川は海のように
なり、田んぼや畑は水の下、その川面水草や睡蓮が浮かび、水面の光
と影、時間によって変化するこの光景を“水の神話”と呼ぶ詩人もい
る。船が行き交い、洪水は自然のもたらす脅威ではあるが、洪水がな
かったら土地は乾燥し、肥沃地帯にならない。彼等にはこの洪水は一
なかったら土地は乾燥し、肥沃地帯にならない。彼等にはこの洪水は一つの季節であり、「いつものこと」として
つの季節であり、「いつものこと」としてとらえている。しかし、今日
とらえている。しかし、今日バングラデシュの北方に位置するインド、ネパール、ブータンなどの国々の森林伐
バングラデシュの北方に位置するインド、ネパール、ブータンなどの
採により、洪水の被害は年毎に増している。海抜ゼロメートル地帯のベンガル湾沿いは洪水時、その美しい景色
国々の森林伐採により、洪水の被害は年毎に増している。海抜ゼロメ
と裏腹に、自然の脅威は貧困を生み出す。自然の恵みと脅威が共存する国でもある。
ートル地帯のベンガル湾沿いは洪水時、その美しい景色と裏腹に、自
然の脅威は貧困を生み出す。自然の恵みと脅威が共存する国でもある。
■バングラデシュはおもしろい
発展途上国にありがちな政治の貧困、困難な問題を抱える国であっても、私は決してこの国を悲観していな
い。バングラデシュの人々の活気に満ちたエネルギー、そして心の豊かさ、自然の恵みを与えられるような気が
してならない。
【ザバール戦没者記念碑】
最近、バングラデシュに行きたいけれど情報がないということで
最近、バングラデシュに行きたいけれど情報がないということで多くの方から連絡いただく。情報がないか
多くの方から連絡いただく。情報がないから面白そうだという若者も
ら面白そうだという若者も少なくない。まだまだこれからの国。この国に入れば、人々の優しさに触れ合うこと
少なくない。まだまだこれからの国。この国に入れば、人々の優しさ
ができる。いま、バングラデシュは観光事業に力を入れ始めている。政府観光局はバングラデシュ国内の観光を
に触れ合うことができる。いま、バングラデシュは観光事業に力を入
あますところなく案内できるようになった。ダッカの一日ツアーから長期のツアーまでも主催している。政府の
れ始めている。政府観光局はバングラデシュ国内の観光をあますとこ
観光ホテルを持ち、また、ヒルトラックスにもホテルを建設中である。確実に一歩一歩変化している。フェリー
ろなく案内できるようになった。ダッカの一日ツアーから長期のツア
を使わなければ行けなかった所が、新しい橋ができ、交通時間も短縮されている。多くの川を乗り継がなければ
ーまでも主催している。政府の観光ホテルを持ち、また、ヒルトラッ
行くことができなかったボリシャル、シュンドルボンなども観光者が訪れるようになった。まだまだ長い道のり
クスにもホテルを建設中である。確実に一歩一歩変化している。フェ
ではあるが着実に良い方向に向かっている。
リーを使わなければ行けなかった所が、新しい橋ができ、交通時間も
いま日本は飽食の時代が過ぎ、自分自身を問う旅を求めている。若者たちの間ではバックパッカーの旅が楽
【ローン・ジャハーン廊】
短縮されている。多くの川を乗り継がなければ行くことができなかっ
しまれている。自分を探す旅、心の旅を求めている。より自然で、よりシンプルな、思い思いの旅を探している。
たボリシャル、シュンドルボンなども観光者が訪れるようになった。
ホテルの良さや快適さは個人によって違うものである。旅の仕方は価値観の相違だけである。
まだまだ長い道のりではあるが着実に良い方向に向かっている。
“いまバングラデシュが面白い!”若者たちからこんな言葉を待っている。その魅力を必ずこの国は持って
いま日本は飽食の時代が過ぎ、自分自身を問う旅を求めている。
いると信じている。少々のアクセスの悪さがあっても、たまに起こるストライキも洪水も、この国に入れば旅人
若者たちの間ではバックパッカーの旅が楽しまれている。自分を探す
はこれが“バングラデシュ”だと納得するだろう。ダッカのリキシャとバスと車でひしめき合う道路もバングラ
旅、心の旅を求めている。より自然で、よりシンプルな、思い思いの
デシュならではのもの。熱い空気も人ごみも旅人にはたまらない。炎天下、片手にマップを、片手にミネラルウ
旅を探している。ホテルの良さや快適さは個人によって違うものであ
ォーターを、道が分からなければ隣の人に尋ねればいい。彼等は喜んで教えてくれる。大きな親切が少々のあだ
る。旅の仕方は価値観の相違だけである。
になっても、それはこの国の人々はお客様が大好きだからだ。
“いまバングラデシュが面白い!”若者たちからこんな言葉を待
っている。その魅力を必ずこの国は持っていると信じている。少々の
アクセスの悪さがあっても、たまに起こるストライキも洪水も、この
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“いまバングラデシュが面白い!”若者たちからこんな言葉を待っている。その魅力を必ずこの国は持って
いると信じている。少々のアクセスの悪さがあっても、たまに起こるストライキも洪水も、この国に入れば旅人
はこれが“バングラデシュ”だと納得するだろう。ダッカのリキシャとバスと車でひしめき合う道路もバングラ
デシュならではのもの。熱い空気も人ごみも旅人にはたまらない。炎天下、片手にマップを、片手にミネラルウ
ォーターを、道が分からなければ隣の人に尋ねればいい。彼等は喜んで教えてくれる。大きな親切が少々のあだ
になっても、それはこの国の人々はお客様が大好きだからだ。
■おわりに
心の中ではガイドブックを作りたくないというのが偽らざる気持
ちである。それほど旅人にとって居心地の良い国なのである。観光とい
う名でその国の物価を吊り上げたり、観光客にこびる人たちになっても
らいたくないと思うからである。バングラデシュの良さを伝えること、
それが私の役目でもある。政治、経済、文化、歴史、国民性を理解した
上でバングラデシュという国を語れるガイドでありたい。バングラデシ
ュの一番近いところにいる日本人であると自負している私の次の仕事
は、やはりガイドブックになりそうだ。来年“バングラデシュ観光年”
にしていきたいとジャミール・マジッド大使、サルワール・カマール経
済公使と話し合っているところであり、日本からのツアーを期待した
い。
いま、情報はどこにいても手に入る時代となった。情報提供など自
宅からでき、沢山の方々から電話をいただく。また、観光に限らず、バ
ングラデシュのトータルな質問もよく頂く。長いこと“素顔のバングラ
デシュ”を活字にしてきた。バングラデシュ人が自国を賛美し、観光誘
致することにはまだまだ時間が必要である。日本人がこの国をP・Rす
る方がより説得力がある。そんなところが観光局長として期待されたの
だろう。
出典:「ガイドブックのない国
バンラデシュ」
HPより
http://www.net-ric.com/square/takayama/takayama_1.html
(バングラデシュ国花の睡蓮)
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●気候
バングラデシュの気候(きこう)は亜熱帯(あねったい)モンスーン気候に属(ぞく)し、大きく、雨季
(うき)
(4月~9月)と、乾季(かんき)
(10月~3月)に分かれます。バングラデシュは一年中暑い
国と思われがちですが、次のような季節があります。
夏季 4~5 月
: 一年でいちばん暑い季節で、40℃を超えるときもあります。
雨季 6~10 月
: 気温はやや下がりますが湿度(しつど)はもっとも高くなり、85~100%近くにまで
なります。また、年間雨量の 80%がこの時期に集中します。冬季への変わり目に雨をともなう強風(きょ
うふう)が吹き荒(あ)れ、大きな被害(ひがい)をもたらします。
冬季 11~1 月
:日本の秋に似(に)た気候で、一年の中でもっともすごしやすい時期です。雨もほと
んど降(ふ)りません。
春季 2~3 月
: 気温はだんだんと高くなるが、雨はほとんど降らないので湿度もあまり高くなく過ご
しやすい時期です。
●モスク(イスラム寺院)
国民のほとんどがイスラム教徒のバングラデシュでは、モスクが
たくさんあります。一日 5 回モスクからアザーンと呼ばれる礼拝
(れいはい)の呼びかけが流れます。それにあわせて信者たちは
メッカ(イスラム教の聖地(せいち))に向かってお祈りをささげ
ます。日本人にはあまり親しみのないイスラム教ですが、信者も
多く、世界の三大宗教(しゅうきょう)に数えられています
●ベンガル語会話集
ベンガル語
おはよう・こんにちは・こんばんは
ノモシュカール(おはよう、こんにちは、こんばんは)
アッサラー(ム)・アライク(ム)
ドンノバドゥ(ありがとう)
コダーハフェーズ(さようなら)
おげんきですか
アプニ・バロ・アチェン?
ベンガル語
元気です
アミ・バロ・アチ
ありがとう
ドン・ノ・バッ(ド)
こんにちは
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■首都ダッカ
空港から市内へ。いきなりの大渋滞。自動車、トゥクト
ゥク、リキシャ、歩行者、動物、入り乱れれる道路。
ダッカ市内。とりわけ旧市街はとんでもないことになっ
ている。歩くスペースもないくらい。
日本が発祥のリキシャ。人力の交通手段が渋滞に輪をか
けている。
政府は、だんだんとリキシャを締め出そうとしているが、
旧市街だけは残り続けるだろう。
こんなにスゴイところは初めてだ。とにかく人、人、人、
途絶えることがない。
10年前は、こんなにひどい交通渋滞でなかったそうだ。
地方から首都への出稼ぎ。手っ取り早い仕事が、リキシ
ャの運転手。
体一つで稼げ、その日、その日の銭が稼げる。貧困と犯
罪を守る役目もある。
新聞によると500万人がリキシャの収入に依存してい
るという。ダッカのリキシャの数は100万台。
■ちょっと一杯の紅茶
チャ
南アジア、インド文化圏には、紅茶は外せない。
バングラディシュも紅茶の名産地。街中には、チャ(チャイで
はない)がいっぱいある。
ストレート。コンデンスミルク入り、牛乳入り、砂糖、細かい
注文も可能。めちゃ甘くして飲むのが基本。
一杯。2タカ(4円)なり。安すぎる。どこも同じ料金。味は
微妙に違う。
クッキーや、タバコ、パンなど軽食や嗜好品を置いているとこ
ろもある。
カップは水に通して洗うだけなので、衛生状態は良くないと思
う。水は飲み放題。
お茶屋がいっぱいあるので、ペットボトルの水を持ち歩く必要
もないですよ。
9
●カレー(トルカリ)
インド料理を食べた事のある人なら想像するのは容易であると思う。バングラデシュ料理はインド料理に
とても似ている。似ているのも当然であるが、特にバングラデシュに接しているインド東部の西ベンガル
州とは人種も文化も同一の地域である。
多くの料理に、カレーでつかうカルダモン、シナモン、ターメリックなどが使用されているので、私たち
からするとなんでもカレーの味と感じるのはしかたがない。
しかし日本料理の多くに味噌、醤油を使うのを考えれば、外国人
が日本料理は同じ味がすると感じるのと同じであろう。
朝はルティー、ポロタ、ナン、チャパティといった軽めのパンを
少量のカレーにつけて食べる。また、カレーなしで目玉焼きと食
パン、ミルクティーで済ませる。これが忙しいバングラデシュ人
の朝食だ。
カレーのことをトルカリというが、昼食、夕食はやはりトルカリが多い。トルカリをメインにその他さま
ざまな料理があるが、日本でも家庭の味がそれぞれ違うように、バングラデシュの家庭もそれぞれ味が異
なる。
ダッカには数多くのレストランがあり、高級ベンガル料理も食べられるが、やはりおいしく楽しいのは一
般家庭の手作り料理。食事のマナーはとにかくたくさん食べること。ホスト側は間違いなくどんどん進め
るので断り方を心得ないと、絶えず盛られてしまい食事は終わらない。終わったとおもうと食後のデザー
トとフルーツがでてくる。
裕福な家庭、貧しい家庭に関わらずベンガル人は食事を楽しむ。
●民族衣装
バングラデシュでは男性と女性はそれぞれ違った独自の衣装を着ています。下の写真のような男性が着てい
るものをパンジャミといい、女性がきているカラフルな衣装をサリといいます。
10
●バングラデシュ人の親切
バングラデシュへ行かれた市村さんという方の感想のなかで、バングラデシュ人の親切に関してよく書
かれているのでここで紹介することとした。
以下、手記の一部を引用
彼は親切である。彼は本当に僕らに親切にしてくれた。僕らが、自分たちだけで出歩きたい、と言わな
ければ、片時も欠かさず僕らの世話をするつもりでいたようだ。そして、僕らにお金を使わせようとし
なかった。たしかに彼が日本に来たとき、僕は彼がお金をできるだけ使わなくてすむように気を使った
つもりだ。しかしそれはバングラデシュの人が日本に来たからそうするのであって、逆の場合にそのよ
うな気を使う必要はまったくない。おまけに、彼は美しいコーヒーカップのセットと皿のセットをおみ
やげとして買い与えてくれた。そうとうに高価なもののはずで、こちらは恐縮するばかりであった。
世界ウルルン紀行という番組がある。その中では、(たいてい無名の)タレントが、外国のある家族のもと
に滞在し、何かの作り方を覚えるとか何かのやり方を覚えるかする。そして滞在期間が終わりその家庭
を後にするとき、たいてい涙を流して別れを惜しむ。ウルルンという番組の名前はそこから来ている。
その涙の、おそらく半分は演出なのだろうが、残りの半分は本当の涙なのだろうと思う。番組の中での
滞在先は、ほとんどの場合発展途上国で、先進国なら田舎である。そのような場所では、ドライな日本
の都会に比べ人と人の距離がうんと近い。都会での遠さに慣れた人間にとっては、その近さがたまらな
いのだ。
家へ食事に招くのも、みやげものを買って持たせるのも、その国の習慣の一部ではあるのかもしれない。
けれども彼らはそれを通じてはっきり心を表現し、人との距離を詰めてしまう。
最後の日、Podder は早朝からの講義をすませ、すぐに大学のクルマでホテルにきて支払いをし、それか
らいっしょに空港まできて僕らを見送ってくれた。今度バングラデシュに来るときは、二週間ぐらいは
滞在して大学で連続の講義をし、南東にある美しいビーチの町 Cox Bazar を訪れる。クルマの中では僕
らはそんな話しをしていた。
空港の建物の中にはチケットを持っている人以外は入れない。彼は、チェックインが無事すんだらガラ
ス窓のところにきて合図をしてくれ、そうしたら安心して戻ることができる、と僕らに言った。
僕は人との距離を保とうとする性格だと思う。人の親切など普段は期待していないタイプだ。それだけ
に、彼の親切はたまらなかった。
*Jiban Podder 氏は Bangladesh University of Engineering and Technology(BUET)の物理学科の助教
授
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●断食とイードフィトゥル
断食はイスラム暦のラマダーン月に1ヶ月間行われ、日出前から日没後まで食事はとらない。敬謙なバング
ラデシュのモスリムのなかには少数だが、水や唾さえも飲み込まない者もいる。ラマダンに入ると朝5時に
は目を覚まし、日出前に朝食をとり、日中は通常と同じ生活をする。この時期の夕方には道端にイフタリの
屋台が出回りはじめる。
イフタリはケジュル(ナツメヤシ)、ベグニ(香辛料を混ぜたナスの揚げ物)、ムリ、ブート、チョトポティ、
フスカ、ダルプリ(豆の揚げ物)、ペヤジュ(ネギの揚げ物)、ショシャ(キュウリのにじん切り)などなど。
これは日没後、空腹の状態でいきなり食事をとると体に悪いので、少しおなかを満たしてから家庭でしっか
り食事をするためである。
断食はこのような飢餓を経験することにより貧困者の苦悩を知り、食事に対する感謝をするためのものであ
る。コーランでは例外も書かれていて、病人や、授乳中の母親、旅行中の者は断食をする必要はないが、時
期をずらしてでも断食をおこなうことが望ましいとされている。しかし残念ながら、断食で身を律する機会
を得たとしても、実際のバングラデシュ社会全体はまだまだ貧しく、中産階級は自分の生活を守るのに一生
懸命で、貧困に喘いでいる人々のことを考える余裕がないことも事実だ。
さらに隣国インドのカーストのような身分制度が、明文化されてはいないが明らかにバングラデシュでは存
在し、下層階級の救済はなかなか進まない。
一方、同一の身分階級のコミュニティーでは、コーランの教えが非常に浸透しているようにも見え、無宗教
の多くの日本人から見ると、「神聖さ」さえ感じるだろう。
断食明けの日にはモスクへ行き礼拝をする。新しい服を着てその日に会った人とイードの挨拶を交わす。胸
のあたりを合わすように体をかるく抱く。その時顔の位置をお互い左右にずらしながら二回おこなうのであ
る。
(中略)
さて日本に滞在しているベンガル人はやはり断食をする人は少数らしい。他のイスラム圏の外国人はどうで
あろう。いずれにしても断食の本来の目的を理解しているので、わざわざ断食をするのが困難な外国ではお
こなわないのかもしれない。
----バングラデシュではこのようにラマダンや毎日の礼拝をはじめ「身を律する」機会が社会的にちりばめられ
ている。義務づけられているといってもいい。
「国教の必要性」の議論はあるだろう。しかし先進国と言われ
ている社会は多くの価値基準が存在し、社会全体として身を律する機会、家族や、先祖、人生をみなで振り
返る機会が少ない。
現役で働いている我々は常に「忙しい」と口走る。
「忙」の字の立心偏は「心」を意味する。
「亡」は忘れる。
滅びるの意味。忙しく毎日を只働いている事は、上記のとおり人生にとって大事なことを忘れる可能性が高
い。
(中略)
それをバングラデシュでは「社会」が人生というものの意味を常に問いかける。